あさきゆめみし 第九十九帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
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あさきゆめみし 第九十八帖
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1595812820/
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他を見渡しても自分より秀でてる女はいないと思ってて、またそうやって育てられてきたんじゃないかな
しかも真っ先に皇子を産んだわけで、帝の寵愛を受けて当然だと本人だけじゃなく女房も思ってたろうね
桐壺の更衣への陰湿な嫌がらせは弘徽殿本人の指図というより、側近が率先してやり始めたのでは
うちの姫様を差し置いて図々しい!みたいな
ついでに他の帝に顧みられなくなった妃たちの女房方が便乗していったんじゃないかと >>290
だとしたら親の育て方がまずかったね
誰よりもってほどには秀でてはいないしなにより美貌は時間と共に失われる
親の権力も、権力者の寵愛はもっともろいものだって歴史から学んでも良さそう
いくら帝のお召しがあっても、帝が自分を本当に好きか好みかくらいはわかっても良かったろうに
桐壺が死んだから藤壺が来ちゃったわけで、それはある意味自分が呼び寄せたとも言えるしなあ ま、弘徽殿が悪役じゃないと、物語が盛り上がらないからね。 何にせよ、桐壺帝は摂関政治を退けようとした帝、だよね。藤原氏の摂関政治絶頂期にこんな物語を書いた紫式部って、すごいよね。 実際は男の方がエグいことしてるんだよね
道長とか仲が悪かった三条天皇への当て付けに天皇が寵愛していた女御の立后式に自分の娘を参内させて貴族たちも立后には立ち会うなって根回ししたしそれで貴族たちも道長に従ったから摂関家って凄かったんだって思った >>292
アレはねえ…実行した女房は自分が帝のおわす御殿を汚したとは思わなかったんだろうか。弘徽殿女御本人はそんな指示は出してないんだろうけど。 >>296
帝のおわす御殿というのもあるが
単純に自分の住んでる局の前にう○こ撒き散らして臭くなかったのかとか思う
弘徽殿女御が指示したのではなく別の女御か更衣の仕業だと思うし
あさきでもいかにもモブ顔の女性が「いいきみだこと」て言ってたよね >>295みたいに合理的効率的に闘ったり嫌がらせもちゃんと?やればいいけど
廊下にう○こ撒いてどうするのよ… >>295
その女御の腹には皇子がいっぱいいたからね(小一条院含む)
最終的に小一条院が東宮を降りるまで至る政治的圧力の一貫でもある たしか桐壺から清涼殿に行く途中の渡殿だったっけ
http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/dairizu.html
そういう頭の足りないしもべしかいない、残念な女主人だったんだろうね
しかも嫌がらせした結果、余計に帝が「俺が守る!」モードになっちゃって
清涼殿から一番近い後涼殿に転居させたら更衣がますます恨みを買っちゃうことになったという なんで摂関家否定するかって考えたら1番の読者って一条天皇だからか
帝って后を見る度にバックにいる外戚の顔を思い出して萎えそう >>299
道長は定子とその兄弟にも執拗に攻撃したもんね…当時は寿命も短いし、何としてでも自分が健在なうちに、ってなりふり構わずだったんでしょう。
その因果応報かどうなのか、摂関家の全盛も次の代で終わりだったけど。 弘徽殿女御一派はいやがらせの為にう〇こをばらまいたというけれど、
原典じゃ「あやしきもの」とだけ記述されていて、う〇こで確定かどうか不明なんだよね。
まあ、穢れに部類するものなんだろうけど。 桐壺更衣いじめの時、麗景殿女御はもう入内してたかな? していたらこの騒ぎに心痛めつつ、桐壺更衣が飛び抜けて寵愛されてることを複雑に思ってたかもね。
優しい方ではあるけど、麗景殿女御自身も実家の命運を背負って入内してきた訳だから。 >>304
麗景殿って良い殿舎なんだよね。だから、麗景殿女御も良い家の出なはずだよね。 >>304
麗景殿はいじめには加担しなかったとしても
麗景殿の実家は心穏やかではいられなかったろうね
後宮の女性だけでなく男性貴族や世間も帝の桐壺更衣への寵愛にはいい顔はしてなかったし
国が乱れるもとだと言って顰蹙がっていたけど
そんな彼らも入内してる女性たちの父親や兄弟、親族だったんだろうね あさきの漫画を納戸から発見したので数年ぶりに1巻から読み返してる
弘徽殿はわりと嫉妬を丸出しにしてるんだな
「皇子まで成したわたくしを差し置いてあんな小娘と」みたいなセリフとか、
桐壺に毒を飲ませようとしてたりとか、忘れてたシーンが結構あったわ
あさきの弘徽殿は周囲から「いずれは后にお立ちになる」と思われてたのに、
後ろ楯がなくて身分の低い更衣に帝の寵をかっ浚われてキィーッとなってる
あと例の渡殿の汚物は、腐った食べ物だと思いたいw >>306
そうだね。皇子が10人と皇女が少なくとも3人いる桐壺帝だし、何人もの姫が入内してたよね。
それぞれ身内の男性陣がいて一族の繁栄のためにバックアップしてたんだから、ろくな後見もない桐壺更衣が独り勝ちするなんてかなり顰蹙ものだよね。
他の妃たちからも貴族たちからも総スカンをくらって、帝と更衣は余計に2人の世界に入り込んでしまったかもね。 >>307
あさきの1巻は、かなり少女漫画的に脚色されてるものね。妃たちがお互い顔を合わせてるし、弘徽殿は殺人未遂(殺人教唆?)してるし。
大和和紀さんのインタビューで「あさきゆめみしの冒頭は、連載が成功するかどうかも未知数だったし読者をつかむために原典からかなり変えて少女漫画的にした」って言われていたのを読んだことあるわ。 >>309
それ書き直して欲しいなあ
まだ絵もこなれてないし、もうちょい原作よりに一巻してほしい 権力闘争だから道隆もかなりえげつないことしているし伊周達だって道長とお互い様だからな
どちらが良い悪いじゃないと思う >>310
あさきはもともと古典のお勉強のための学習漫画ではなくただの面白い漫画なので
(そこがいいと私は思ってる)
原作に沿うために一部書き直してほしいというのはちょっと違うんじゃないかと… 描き直しというか、絵が洗練されてからの状態で描かれた初期のエピソードを見てみたいという思いはわかる。初期と中期以降では絵のクオリティが全然違うから。 冷泉が譲位したのも親子だって知らないから外部から見たら早く外戚になりたい源氏が圧力かけたみたいに思われてるんじゃ >>313
それそれ
というか、原作と解離した一巻の始めって話としておもしろくないんだよね
やっぱり大和和気が創作した話より原典(ベース)の方が単純に話が面白い
だって後宮に入内してるのに帝の顔も知らないとか、家族の遺志を受けて天皇の妻になってるのに不倫?とか
無理がありすぎるし >>313
あさきは初期絵の方が好きだわ
後期になると女君達も源氏顔というかなんか顔が長くて受けつけない 老化の表現だろうからしょうがないのでは
初期でも弘徽殿の女御の老化は自然だったわ
あんなに美しかった人が 桐壺更衣は妻の一人というより衣装係の女官みたいだっあな 実際更衣ってそういう役職じゃないの
帝のお手がついて子をなせば御息所 いや更衣として入内したら帝のお手がつくでしょ
女御・更衣は天皇の寝所に侍る役割だったから、手をつけないわけにいかない 実際の更衣の入内ってどんな感じだったんだろう。
女御だと、特に弘徽殿とかちい姫みたいな有力な女御だと鳴り物入りで華々しいだろうけど、更衣は…?
帝付きの女官が入内の日取りを帝に伝えて、儀式とか終わった後顔を見に行ったりな感じ? >>318
あさきで若かりし頃の左大臣が桐壺更衣のことを
「あの女官ですね…?」て言ってたから
当時の大和先生はマジで更衣を衣装係の女官と勘違いしてたのかもしれん
妃の一人でなく女官の一人なら謎の貴公子と恋に落ちても不倫にならんし 妃の更衣の位って歴史的にわりとすぐなくなったんじゃなかった?
その前は律令の嬪とか宮人だし
その後は妃としては女御に一本化されたし そういえば朧月夜も女御として入内するはずが源氏の件で位を下げて尚侍で入内したけど、位をひとつ下げて更衣で入内するとかはなかったのかしらん 更衣でいい事って特にないと思う
桐壺はいじめられたし落葉宮は更衣腹って見下されたし
朧月夜の尚侍だって高い位なのに聞こえよがしに悪口言われてたから 更衣など上達部にも劣ります
なかよくしておくことなどありませんわ
って言われてたね 桐壺の更衣は御息所になったから亡くなった時に三位を贈られたんだっけ
尚侍=従三位(中納言、大将相当)
更衣=四〜五位(蔵人頭〜少将相当)
参議(正四位下)までが上達部 >>325
朧月夜は本当なら将来の中宮候補の女御として華々しく入内できたはずだもんね
他の官僚達の目に触れることはない深窓の奥様じゃなく、バリキャリとしての出仕だし
“妃”というより“使用人”だから、当時の感覚だと一段低く見られていたのかも? >当時の大和先生はマジで更衣を衣装係の女官と勘違いしてたのかもしれん
「紀元2600年のプレイボール」を別誌に掲載し資料などを集める時間足りなかったのかも
ちなみに「あさきゆめみし」は東京で、それ以外の作品は札幌で執筆されていたそうだよ あさきの桐壺更衣の性格としては、寵を競う妻より控えめな新人女官の方があってるな >>323
女御に一本化というより、女官である典侍や掌侍が天皇の側妃を兼ねるようになって、
女御すらほとんど立てられなくなったからね >>331
女御として入内するのってお金がかかるんだよね。武士の台頭で貴族の力が弱り出してからは、貴族は娘を女御として入内させる財力がなかったんだよ。東福門院が、久しぶりの女御入内だったんじゃないの? >>328
史実で、摂関家の姫が女御入内前に箔付けで向侍として出仕してたよね。
向侍から女御へ、はあっても、更衣から女御へ、てアリなのかな? >>328
朧月夜は尚侍(女官)と言っても、右大臣の娘、弘徽殿の女御の妹で、朱雀帝の寵厚く、て皆さん知ってただろうけどね。 >>329
>「紀元2600年のプレイボール」を別誌に掲載し資料などを集める時間足りなかったのかも
それもあるかもしれんが単純に当時は参考になる資料が今と比べて格段に少なかったらしい
作画の資料になりそうなものは国宝の源氏物語絵巻くらいで
京都御所の写真を撮りに行っても御所内はもう書院造りになってて平安時代の参考にならず
調度品と人物との大きさのバランスとか十二単を着た時の動きとか
アシスタントさんたちと一緒に苦労しながら描いてたって
あさき後半で作画が洗練されていったのは
長年の間に資料が集まって知識が蓄積され、それが絵に反映された結果もあると思う >>327
皇子でも皇女でも与えられる地位官位は同じだったのかな?(東宮は除いて)
江戸時代の大奥だと男子を生んだか女子を生んだかで、呼び名も待遇も違ってくるよね >>338
皇族は官位じゃなくて品(ほん)で格差があるはず
女三宮も降嫁当初は三品で、途中から源氏が紫の上のほうにばかり行くようになったんで朱雀院が二品に上げた
親王・内親王宣下の有無もそうだけど、何事も後ろ楯あってこそ
后妃の地位についてはこのあたりのサイト↓に解説があったよ
https://www.shikibunosato.com/f/monogatari42
https://bushoojapan.com/jphistory/kodai/2020/04/30/110208 >>339
ありがとう
突っ込みじゃないけど、官位は官職と位階のこと
位階が皇族の場合、品になります >>338
朱雀帝が退位前に朧月夜に、せめてあなたが御息所ででもあれば、て言ってたよね。どういう意味なんだろ? >>339
古代から、同じ天皇の子女でも、生母によって全然違うでしょ。 >>341
天皇や東宮、上皇などの子を産んだ女御・更衣などのきさきが「御息所」と呼ばれることが
多いんだよね。
原文で「などか、御子をだに持たまへるまじき」と単刀直入に言ってたのに該当する
部分なのではないかな 男女で差はないのかな?
江戸時代の大奥だと生んだ子供が男子か女子かによってお部屋様とお腹様と呼び名も待遇も変わったはず 東宮になれないなら男子でも女子でも扱いの差あまり無さそう
姫宮なら斎宮斎院の可能性もあるし、次の帝が兄弟でなければ藤壺みたいに入内もあり得る 朱雀帝は中宮を立てなかった
朧月夜が御息所だったら中宮になれたのかも
東宮を産んだ藤壺の女御は藤壺の宮の異母妹だから、弘徽殿大后が絶対に中宮にさせなかっただろうし
他の女御達も大后が睨みを利かせてたら無理だもんね >>346
東宮を産んだのは承香殿女御じゃなかった?髭黒の姉妹の。弘徽殿大后に気遣って色々大変だったかなあ、もしや早くに亡くなられたのはそれでとか。
朱雀が朧月夜に「あなたに御子がいたら」と言ったのって、子どもがいたら自分が出家後も心細くないだろうにって意味かなと思ってた。 朱雀帝に中宮がいなかったのって、座がふさがってたからなんじゃないかと思うんだよね
弘徽殿皇太后、藤壺中宮、そのほかに、先々帝とかの后がだれか生きてたのかも。
后は三人までだったから。リアル歴史では定子がそれを破ったけれど
秋好が中宮に冊立されたのは、藤壺の死後だからね。 >>347
自分が退位したらあなたは源氏とよりを戻してしまうだろうけど、あなたを思う気持ちは
源氏より私の方が上ですよ。
あなたにせめて御子がいたら良かったのに。
源氏との間にはきっとお子もすぐ産まれることでしょうね。
でもそうなっても身分に限りはあるから、産まれた子はただ人になりますけどね。
という生々しい話で言ってたんだよ >>346
朱雀帝はあんまり有力な家出身の妃がいなかった、て読んだことがあるな。 >>344
大奥は初期はその辺り緩かったイメージ。八百屋の娘が将軍の子供を産んだりしてるけど、後宮じゃ八百屋の娘が天皇と顔を合わすことはないでしょ。 >>349
わー、そういう意味なの?まじリアルな嫌味だねwww >>349 でもそうなっても身分に限りはあるから、産まれた子はただ人になりますけどね。
これは事実だもんね。 >>347 東宮を産んだのは承香殿女御じゃなかった?髭黒の姉妹の
あ、たしかそうだったよね!玉鬘が髭黒と落ち着いた頃に帝位に就いてたよね。ちい姫の夫だよね? >>347
そうだ、髭黒の妹だった
それで東宮即位後に外戚になったんだよね
当時って「子を授かる=縁が深い」という意味があったようだから、>>349の言うような感じだったのかな
あさきでも紫の上が、明石の君に子がいることを聞いて
「明石の方は殿との縁深き方、それなのにどうして私には殿のお子が生まれないのかしら」と嘆くシーンがあった >>351
出自は八百屋でも一応旗本の養女という形式を取って上がってるよね
後宮でも公家が下女に手を付けて生ませた娘を御所に上げて〜ということがあったかもしれない
娘の器量が良ければ自分より位の高い相手の養女にしてもらって典侍や掌侍あたりにできたら帝の目に留まる
後世に名が残ってる后妃でも「母不詳」となってる人がいたりするし
あくまで可能性として無くは無いっていうだけだけど >>349
そうだったんだねありがとう。うわあ…朱雀こじらせてるなあ。源氏は繁殖力低めだからか、ご心配の通りにはならなかったけど。
強烈な母親とスーパースターの弟を持って色々大変だった朱雀が、ずっと後に源氏にある意味最終兵器の女三宮を送り込んだのかと思うと…紫式部のスト構成力半端ないね。 江戸時代の大奥はその辺割り切ってたみたいね。正室は朝廷と公家対策に京から迎えて、でも政治介入されたくないから子どもはなるべく持たせない。
将軍生母は旗本の娘が望ましいけど、次期将軍候補を産んだからって実家が勢力持ちすぎるのも困るから、庶民の娘でも構わない。 的な。 >>359
家斉の正室(茂姫、島津→近衛家の養女)だけかな
家斉の五男を産んだけど3歳で夭逝、その後も女子を2人くらい産んでる
そういえば吉宗は父親が湯浴み番の下女に手を付けてできた四男だったけど、
兄達が次々に亡くなったんで棚ボタで紀州藩主→八代将軍になった >>359
将軍の息子として生まれて母親が正室なのは第三代家光だけらしい。後は脇腹だったり、出生時は分家の息子だったり。
第六代家宣の正室の天英院には女の子が2人生まれたけどどちらも夭逝。それ以外でも、姫なら正室腹もいたかも(あまり詳しくなくてすみません) >>361
度々すみません。将軍と正室の間の男子で将軍位を継いだのが家光だけ、って意味です。
359さんの書かれているように家斉正室が男の子を産んだものの残念ながら夭逝したようです。 大正天皇の皇后は脇腹で、母は庶民だったよね。
それで野育ちで体が丈夫だったらしいけど >>363
九条家のお姫様(庶出)だよね。道長のかなり後の子孫ですかね、途中には養子もいるだろうから実際の血の繋がりはよく知らないけど。 >>363
だから、宮家出身の香淳皇后には冷たかった、て説もあるよね。 >>365
で、宮さまとしてのプライドがすごく高かった香淳皇后は皇族でも華族でもない美智子妃を快く思わなかった、と
歴史は繰り返すのか…まあ自分とまったく違う価値観の持主が身近にいたら警戒するよね 美智子様がお嫁に来られた時の宮中って、桐壺更衣どころではなく怖かったのかな。大納言の娘の更衣でも肩身狭かったのに、皇族・華族ではない民間からのお輿入れだったものね。 >>355
そりゃ嘆くよ
当時の貴族の女なんて子供を生むことが最重要
紫みたいなのは例外で、ほとんどは跡取り娘なんだから実家の勢力を保つためにも子供を生まなきゃならなかった
自分で世話をするわけでもない、お乳をやるわけでもない、ただ生みさせすればよかったのにそれができない、しかも他に何もない紫の上は相当キツかったんじゃない
当然、今と違って一夫多妻で離婚の制限すらないのに >>359
単に正室腹ってだけでよければ慶喜がそうだね この時代の貴族の妻だと、育児の作業的な部分は乳母や女房にさせられるものね。教養とか躾の部分で母親の出番かな? それも外注はできちゃうか。
だからこそ産むことって代替不可能な重要任務だっただろうなあ。実家と疎遠な紫にとってはなおさら。 >>324
尚侍は女官の最高位、更衣は下位の妃だよね。 >>371
◯◯家秘伝の香の調合とか
その家の主一家にしか伝わらないものは
親が子に教えていたんじゃね?
明石だって琴の名手だけど教えたのは明石入道で
それも何代か前の先祖が時の帝から琴を伝授されて自分で何代目、なかでも娘は不思議と昔の音色を受け継いで、と
明石入道がさりげなく自分達はもともと立派な家柄であることや娘の才能をアピールしてたし
先祖より伝授された秘伝の◯◯とか
その家ならではの知識教養、技能、人間関係の積み重ねとか
現代でも各地の名家や旧家でありそうだけどそういうの全部ひっくるめて家柄だし
宮中での振る舞い方や人間関係やそこでうまくやっていくツボを教えたり
親でなければ教育できないことっていっぱいあったと思う 桐壺の更衣も、弘徽殿主催の香合で判者から「これは見事な薫衣香…!」って絶賛されてたもんね
亡き大納言が后がねとして大事に養育してたことが伺える
源氏が絵を得意としたのは母方からなのか父方からなのかどっちなんだろうか >>374
桐壺の香合わせはあさきのオリジナルだからな… えっ
てか、ここはあくまであさきを語るスレじゃん… あさきが途中から原作よりにシフトしちゃったから、オリジナル設定前提だと
考察のしようがないなぁ、と。 そもそもあの香って、帝が手配したものって話じゃなかったっけか 平安貴族にとって香は教養と財力の証だったわけだし
家に伝わる調合法もそれぞれ違ってた
帝から贈られたのは立派な香壺だったけど、中身ごとかどうかはわからない
末摘花の道具類みたいに、大事に守ってきた物なのかもよ >>371
医療事情も良くなかった当時、子供は多ければ多いほど良かったと思うよ。だから、子供が産まれてもすぐに乳人たちに任せてまたすぐに次の子を産む体勢に入ってたんだと思う。 桐壺更衣への偏った寵愛に後宮の女たちが怒るのはまあ分かるんだけど、その女たちが男子を生んでも東宮候補にはなりそうもないし、実家の命運が懸かってるというのはわかるようでわからない部分もある
寵愛してもらえたら、父や兄弟が出世しやすくなるとか?
あさきだと乳幼児が死なないけど、もし東宮に何かあればあわよくば、とか? >>381
子供以外にも寵愛があつまったら、親や親族が出世とかあったのかしら >>381-382
当時は第一皇子が必ずしも皇嗣になれたわけじゃなかったし(定子の産んだ敦康親王しかり)
逆に言えば、東宮が若くして即位することになったら弟宮が新東宮になる可能性も大いにあった
後宮で帝に寵愛されたら閨でおねだりして身内に有利な任官をしてもらえるかもしれないし
(江戸城の大奥ではおねだり防止のために上様がお泊まりの時には両隣の部屋で不寝番が聞き耳を立てた)
寵愛が深い姫の実家には貢ぎ物も届くしいろいろと潤う
帝や東宮の外戚になれたら家門の繁栄は間違いなし
後宮に上がった姫様には一族総出で期待をかけてるということ
子を産まずに帝と死別しちゃった女御の中には、臣下と再婚した人もいたみたいだよ ↑補足
帝の寵愛が深い方の身内は宮廷での発言力が増すから、人事(除目)に多大なる影響を与えられる
だから権力にあやかりたい人達が群がってくる
源氏も須磨から帰ってきた後に冷泉帝から厚遇されただけでなく、
後見人として入内させた斎宮が中宮になったことで臣下としては最高の地位に上った
仕える殿様が出世すればそれに従って家臣たちも出世できるので、惟光も参議まで行けたんじゃなかったっけ >>383
>子を産まずに帝と死別しちゃった女御の中には、臣下と再婚した人もいたみたいだよ
藤壺も冷泉を生んで立后することなく、子のない女御のままだったら
桐壺院の死後源氏と再婚の可能性があったかな?
葵はもう亡くなっているものとして >>380
当時の人は経験からわかってたんだね、母乳をあげている間は妊娠しにくくなること。だから産後すぐに乳母をつけて、次の妊娠に備えるんだよね。 >>381
帝の寵愛深い妃のところには、出世したい下級貴族がアピールしに来てたらしいよ。
定子のところにも全盛期にはわんさか来て自己アピールしてたのが、斜陽になってくるとさっぱり来なくなったらしい。 >>349
そうなんだ
私も347とおなじ、出家後心強いだろうにと配慮のセリフと思ってた
まあ、究極の上から目線の人だから相手の立場で考えるとか有り得えないよね
お子がいたらの部分は、自分が愛したからその愛の結晶が欲しかったの意味かな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています