あさきゆめみし 第九十九帖
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いづれの御時にか、駄スレ、良スレあまたさぶらひたまひけるなかに、
いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふスレありけり。
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あさきゆめみし 第九十八帖
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秋好みたいに、前東宮の娘という高貴に生まれて、斎宮→中宮にまでなったような姫でも、恨む、て気持ちになるのかな? >>246
六条は東宮妃とはいっても、中宮に立てられたわけではないし女御ですらない
他に東宮妃もたくさんいただろう
出自は大臣家の娘
内親王や宮家の娘がガンガン出てくる中、そこまでプライド高くするほどでもないんだけどね >>246
その六条の娘の秋好も斎宮ということで格が上がってるわけで、内親王とかではないわけで、微妙っちゃ微妙
もちろん中宮なんだけど国母にはなれなかったし、恨む程度の満たされなさはあったんじゃないかな >>246
この場合の秋好の気持ちとしては恨むというより
「私の母を想うこの気持ちをわかってくれない」というやるせなさ、かな?
でも秋好だって後年は玉鬘大君に嫉妬したし
あの六条の娘なんだから内に自分でもどうすることもできないものを秘めててもいいと思う >>248 秋好も斎宮ということで格が上がってるわけで
そっか、秋好は天皇の娘じゃなくて前東宮の娘だから、たぶん内親王宣下は受けてないのね。それでも、普通は内親王が就くことが多い斎宮に任命されて、格上げ、だね。
風流人の母御息所が生きていた頃は良かっただろうけど、その母が、源氏のせいで晩節を汚して亡くなってしまったからね。 秋好は、そもそもどちらかというと朱雀院と結婚したかったんだろうという気配もあるしね
それを、光源氏の政略的思惑で年下の夫を持つことになって、そういったことも
本音ではどう思ってたんだか >>251
朱雀はわりとご執心だったんだよね。まあでも、今帝の冷泉帝と結婚したから中宮になれたしね。 もし秋好に子供がいたらどうなっていただろうね
罪の子である冷泉の血を皇統に残さないよう天がはからっていたから男子はうまれなかったかもしれないけど
でも秋好がもし皇女を産んでいたら源氏にとってその子は自分と藤壺の孫娘
后腹内親王であり母后は元斎宮という高貴の身分でありしかも藤壺の直系の姫
赤ん坊の頃からめちゃめちゃ可愛がって
「姫宮様は私が完璧な貴婦人にお育て申し上げる!」となっていたかも 源氏ってあまり孫を可愛がってるイメージはない子供もだけど
生涯現役でいたいタイプって感じ >>250
内親王(皇女)がなることが多いのは斎院
斎宮は一段落ちるというか、斎院よりは身分の低い姫君が任命されることが多い
歴史は斎宮のが古いんだけどね >>258
斎宮は京から遠いんだよね。斎院のほうが京都に近いから、高貴な皇女なんだよね。 うーん…秋好は東宮の娘だから、秋好のほうが朝顔より高貴だよね?
2人とも朱雀帝時代の斎院・斎宮なんだから本当なら
秋好が斎院、朝顔が斎宮のほうがふさわしい? >>260
秋好は前春宮の娘、朝顔は先帝の孫、て立場だよね。
どっちのほうが高貴なんだろ? 秋好も朝顔も女王には代わりがないけれど、斎院になった当時、父親が生きていた
朝顔の方が、父宮への配慮で都から近い斎院になったのかも 東宮妃と東宮の娘ってどのくらいの身分感覚かよくわからない
高貴な身分ではあるだろうけど、当時即位せずに死んだ東宮の、さらに周辺親族の扱いがどうだったか知らないからなあ
それに東宮妃といっても1人ではないだろうし、宮家の正妻腹の娘と比べると微妙
ただ六条の生活を父親や親族の男性が見ていたって記述はないから後ろ楯という意味では弱かったのかも 朱雀帝即位に伴って、桐壺院と弘徽殿との間の女三宮が斎院に、秋好が斎宮に
桐壺院の崩御によって斎院は退下、朝顔が新たに斎院に
という流れだね 斎宮は帝が即位によって選定されて、その帝の退位か父母の喪で退下する
斎院は一度選定されたら、帝が代替わりしても父母の喪があるまで退下することは
なかなか無いから、任期は斎宮より長いことが多い
選定前の秋好と朝顔の格の差はさほど無くても、任期期間が短い秋好は退下後
前斎宮として朱雀院か冷泉帝の妃になる流れにしやすい
ただし、秋好が入内しなければ、任期が長かった朝顔>秋好になっていたと思われる >>264
>桐壺院と弘徽殿の女御の間の女三の宮
その人独身? >>260-261
秋好中宮の父(前春宮)も桃園式部卿宮も桐壺帝の弟だけど、前春宮のほうが年長なのかな
どちらも帝の弟だけど、皇統継承予定者の娘だった秋好中宮のほうが身分的には上だと思う
秋好中宮→本家筋、朝顔→分家筋 まあ現実問題、皇女である桐壺院の女三宮の方が秋好より格上だから、
先に女三宮が斎院、秋好が斎宮になったけれど、女三宮が喪で降りたときには
朝顔しか残ってなかっただけだよね
同時に決めるなら朝顔が斎宮だったかも >>266
桐壺帝と弘徽殿の女御って、朱雀帝以外にも子供いたの? >>269
朱雀帝の他に内親王が2人いるらしい。
妹宮の女三宮が斎院になる時に、源氏に「女三宮は父上にも母上にも愛された私たちの妹宮」って言ってるシーンがあったよ。
源氏の妹宮ってことは、弘徽殿女御が桐壺更衣を散々いじめた後に儲けられたってことで…最愛の人をいじめ倒した相手とでも帝の義務と割り切って対処されたのかな。 こきでんもバカだよね
桐壺をいじめたりしなければ、所詮身分の差で東宮は朱雀だし桐壺では中宮にはなれないから、自分が中宮にはなれなくても他人(藤壺)に中宮に立たれて下に付くことはなかった
冷泉が帝になってなければ源氏があそこまで栄えたかもわからない >>270
桐壺帝はやり手だと思うよ。摂関政治から帝の親政への変換を狙ってたんだと思う。
桐壺の更衣への深い愛情は本物だろうけど、桐壺の更衣へ愛情を注ぐことで摂関家を牽制してた部分もあるんじゃないかな。 桐壺の更衣や藤壺の宮を寵愛していたとはいえ、皇子10人(冷泉は第10皇子)
+皇女3〜4人は生まれてるということはそれなりに公平さを期してはいたのかね
空蝉を父の衛門督が桐壺帝へ入内させようとしていたと紀伊守が話した時に、源氏が
「帝も楽しみにされていたのに」みたいなことを言ってたが、さすが源氏の父だけある >朱雀帝即位に伴って、桐壺院と弘徽殿との間の女三宮が斎院
斎院は朱雀帝即位前年に卜定されている
でなければ車争いの舞台になった紫野斎院入りが、斎宮の伊勢発遣の前年に行われた説明が付かない
源氏22/04に斎院入りした女三宮は源氏23/11の桐壺崩御で退下してるので実質一年半勤務 >>271
桐壺帝、更衣亡き後宮中に戻ってきた源氏を、弘徽殿の女御の所へ連れて行ったりしてたよね。弘徽殿もけっこう源氏を可愛がってたはず。 強力なライバルだった桐壺の更衣がいなくなって、弘徽殿も余裕があったんだろうね
憎い女の息子だとしても、愛らしい子に愛嬌振りまかれたら邪険にもできなかったろうし
その女に瓜二つで若くて美しくてしかも后腹内親王の藤壺の宮が現れなければどうなってたのかな なんていうか源氏を不用意に藤壺に会わせたこともそうなんだけど自分の願望を叶えるために結果的に源氏が苦しむことをしてるんだよね桐壺帝は >>277
ほんとに。
桐壺更衣が亡くなって、幼い源氏も自分になつきかけてたと思ったら、更衣そっくりで色んな意味で上位互換な藤壺宮が入内してきた。おばさんになった自分に比べると輝くように若く美しく、身分も女人として最高の后腹の内親王。弘徽殿からしたら悔しくても手も足も出ないよね。
桐壺帝も、悪気はなくとも第一皇子の母の神経を逆撫でしてしまったね。 桐壺帝→藤壺の宮を通して桐壺の更衣の面影を追ってる
源氏→紫の上を通して藤壺の宮の面影を追ってる
似た者親子 >>279
その源氏も結局藤壺を通して母を恋しがっていたんだから
すべての元凶は桐壺更衣 夕霧も同じ境遇なんだがこっちは源氏みたいにならなかったよ >>281
源氏が用心して紫から遠ざけたことと、雲居の存在が大きかったんだろうね。あと、三条大宮も源氏の祖母より長生きして夕霧に愛情を注いでくれたからね。 >>277
自分の願望を叶えるために、源氏や弘徽殿の女御も苦しめてるよね。ある意味フリーダムな人だよね、桐壺帝って。 実際は紫は客観的に美しいのに自分の心の中では278の真ん中みたいな気分に陥っていたのかな
俯瞰すれば運命の繰り返しにも見える >>283
フリーダムって言えば聞こえはいいけど要するに分別がないんだよな
いくら息子が可愛いからってしょせん源氏は母方の後見のない更衣腹親王、
変に子供を甘やかして本来の立場以上の待遇を与えてもその子が将来苦労するだけ
本気で源氏の将来考えたらもっと朱雀や弘徽殿を立てて
いずれ朱雀の世になったときもっと源氏が過ごしやすくなるよう気をつかっていればよかったのに >>285
息子を臣籍降下して源氏にしたのは英断だと思うし、それを知って弘徽殿も安心したのにね。その後藤壺の入内やら、源氏と葵の結婚やらでまた弘徽殿が不愉快な思いをする事態になっちゃった。帝ももうちょっと東宮とその母を立ててあげてほしいよね。
源氏が舞を披露した時に、あまりに魅力的だったから祟られないか心配で祈祷させたってエピソードなかったっけ?あれ読んで桐壺パパって超親バカだなと思ったよ。 こきでんさまには東宮の息子がいたから悔しさにも耐えられたんじゃね?
紫には実子はいないし母の立場になりきることができなかった
明石を排除して六条院に入れず、ちい姫の唯一の母として宮中で暮らせれば逃げ場があったけど
源氏に囚われた小鳥のような人生なので傷つき滅ぶしかなかった 宮中で暮らすなんて無理でしょ女房じゃないんだから
それにちい姫が里帰りしたらその采配をしないといけないし でもこきでんさまはやっぱり勘違いしてたと思うよ
帝と女御は対等な夫婦でなく主従だし、権門の姫と言っても権力なんてちょっとしたことでうつろい易いものだし
桐壺が対等の女御ならまだしも、更衣相手に悪手だった
対等の女御との戦いでももうちょっとやりようはあったというか、権門の姫にしてはその辺うまく戦うコツとか教わってこなかったのかな? >>289
他を見渡しても自分より秀でてる女はいないと思ってて、またそうやって育てられてきたんじゃないかな
しかも真っ先に皇子を産んだわけで、帝の寵愛を受けて当然だと本人だけじゃなく女房も思ってたろうね
桐壺の更衣への陰湿な嫌がらせは弘徽殿本人の指図というより、側近が率先してやり始めたのでは
うちの姫様を差し置いて図々しい!みたいな
ついでに他の帝に顧みられなくなった妃たちの女房方が便乗していったんじゃないかと >>290
だとしたら親の育て方がまずかったね
誰よりもってほどには秀でてはいないしなにより美貌は時間と共に失われる
親の権力も、権力者の寵愛はもっともろいものだって歴史から学んでも良さそう
いくら帝のお召しがあっても、帝が自分を本当に好きか好みかくらいはわかっても良かったろうに
桐壺が死んだから藤壺が来ちゃったわけで、それはある意味自分が呼び寄せたとも言えるしなあ ま、弘徽殿が悪役じゃないと、物語が盛り上がらないからね。 何にせよ、桐壺帝は摂関政治を退けようとした帝、だよね。藤原氏の摂関政治絶頂期にこんな物語を書いた紫式部って、すごいよね。 実際は男の方がエグいことしてるんだよね
道長とか仲が悪かった三条天皇への当て付けに天皇が寵愛していた女御の立后式に自分の娘を参内させて貴族たちも立后には立ち会うなって根回ししたしそれで貴族たちも道長に従ったから摂関家って凄かったんだって思った >>292
アレはねえ…実行した女房は自分が帝のおわす御殿を汚したとは思わなかったんだろうか。弘徽殿女御本人はそんな指示は出してないんだろうけど。 >>296
帝のおわす御殿というのもあるが
単純に自分の住んでる局の前にう○こ撒き散らして臭くなかったのかとか思う
弘徽殿女御が指示したのではなく別の女御か更衣の仕業だと思うし
あさきでもいかにもモブ顔の女性が「いいきみだこと」て言ってたよね >>295みたいに合理的効率的に闘ったり嫌がらせもちゃんと?やればいいけど
廊下にう○こ撒いてどうするのよ… >>295
その女御の腹には皇子がいっぱいいたからね(小一条院含む)
最終的に小一条院が東宮を降りるまで至る政治的圧力の一貫でもある たしか桐壺から清涼殿に行く途中の渡殿だったっけ
http://wakogenji.o.oo7.jp/sonota/dairizu.html
そういう頭の足りないしもべしかいない、残念な女主人だったんだろうね
しかも嫌がらせした結果、余計に帝が「俺が守る!」モードになっちゃって
清涼殿から一番近い後涼殿に転居させたら更衣がますます恨みを買っちゃうことになったという なんで摂関家否定するかって考えたら1番の読者って一条天皇だからか
帝って后を見る度にバックにいる外戚の顔を思い出して萎えそう >>299
道長は定子とその兄弟にも執拗に攻撃したもんね…当時は寿命も短いし、何としてでも自分が健在なうちに、ってなりふり構わずだったんでしょう。
その因果応報かどうなのか、摂関家の全盛も次の代で終わりだったけど。 弘徽殿女御一派はいやがらせの為にう〇こをばらまいたというけれど、
原典じゃ「あやしきもの」とだけ記述されていて、う〇こで確定かどうか不明なんだよね。
まあ、穢れに部類するものなんだろうけど。 桐壺更衣いじめの時、麗景殿女御はもう入内してたかな? していたらこの騒ぎに心痛めつつ、桐壺更衣が飛び抜けて寵愛されてることを複雑に思ってたかもね。
優しい方ではあるけど、麗景殿女御自身も実家の命運を背負って入内してきた訳だから。 >>304
麗景殿って良い殿舎なんだよね。だから、麗景殿女御も良い家の出なはずだよね。 >>304
麗景殿はいじめには加担しなかったとしても
麗景殿の実家は心穏やかではいられなかったろうね
後宮の女性だけでなく男性貴族や世間も帝の桐壺更衣への寵愛にはいい顔はしてなかったし
国が乱れるもとだと言って顰蹙がっていたけど
そんな彼らも入内してる女性たちの父親や兄弟、親族だったんだろうね あさきの漫画を納戸から発見したので数年ぶりに1巻から読み返してる
弘徽殿はわりと嫉妬を丸出しにしてるんだな
「皇子まで成したわたくしを差し置いてあんな小娘と」みたいなセリフとか、
桐壺に毒を飲ませようとしてたりとか、忘れてたシーンが結構あったわ
あさきの弘徽殿は周囲から「いずれは后にお立ちになる」と思われてたのに、
後ろ楯がなくて身分の低い更衣に帝の寵をかっ浚われてキィーッとなってる
あと例の渡殿の汚物は、腐った食べ物だと思いたいw >>306
そうだね。皇子が10人と皇女が少なくとも3人いる桐壺帝だし、何人もの姫が入内してたよね。
それぞれ身内の男性陣がいて一族の繁栄のためにバックアップしてたんだから、ろくな後見もない桐壺更衣が独り勝ちするなんてかなり顰蹙ものだよね。
他の妃たちからも貴族たちからも総スカンをくらって、帝と更衣は余計に2人の世界に入り込んでしまったかもね。 >>307
あさきの1巻は、かなり少女漫画的に脚色されてるものね。妃たちがお互い顔を合わせてるし、弘徽殿は殺人未遂(殺人教唆?)してるし。
大和和紀さんのインタビューで「あさきゆめみしの冒頭は、連載が成功するかどうかも未知数だったし読者をつかむために原典からかなり変えて少女漫画的にした」って言われていたのを読んだことあるわ。 >>309
それ書き直して欲しいなあ
まだ絵もこなれてないし、もうちょい原作よりに一巻してほしい 権力闘争だから道隆もかなりえげつないことしているし伊周達だって道長とお互い様だからな
どちらが良い悪いじゃないと思う >>310
あさきはもともと古典のお勉強のための学習漫画ではなくただの面白い漫画なので
(そこがいいと私は思ってる)
原作に沿うために一部書き直してほしいというのはちょっと違うんじゃないかと… 描き直しというか、絵が洗練されてからの状態で描かれた初期のエピソードを見てみたいという思いはわかる。初期と中期以降では絵のクオリティが全然違うから。 冷泉が譲位したのも親子だって知らないから外部から見たら早く外戚になりたい源氏が圧力かけたみたいに思われてるんじゃ >>313
それそれ
というか、原作と解離した一巻の始めって話としておもしろくないんだよね
やっぱり大和和気が創作した話より原典(ベース)の方が単純に話が面白い
だって後宮に入内してるのに帝の顔も知らないとか、家族の遺志を受けて天皇の妻になってるのに不倫?とか
無理がありすぎるし >>313
あさきは初期絵の方が好きだわ
後期になると女君達も源氏顔というかなんか顔が長くて受けつけない 老化の表現だろうからしょうがないのでは
初期でも弘徽殿の女御の老化は自然だったわ
あんなに美しかった人が 桐壺更衣は妻の一人というより衣装係の女官みたいだっあな 実際更衣ってそういう役職じゃないの
帝のお手がついて子をなせば御息所 いや更衣として入内したら帝のお手がつくでしょ
女御・更衣は天皇の寝所に侍る役割だったから、手をつけないわけにいかない 実際の更衣の入内ってどんな感じだったんだろう。
女御だと、特に弘徽殿とかちい姫みたいな有力な女御だと鳴り物入りで華々しいだろうけど、更衣は…?
帝付きの女官が入内の日取りを帝に伝えて、儀式とか終わった後顔を見に行ったりな感じ? >>318
あさきで若かりし頃の左大臣が桐壺更衣のことを
「あの女官ですね…?」て言ってたから
当時の大和先生はマジで更衣を衣装係の女官と勘違いしてたのかもしれん
妃の一人でなく女官の一人なら謎の貴公子と恋に落ちても不倫にならんし 妃の更衣の位って歴史的にわりとすぐなくなったんじゃなかった?
その前は律令の嬪とか宮人だし
その後は妃としては女御に一本化されたし そういえば朧月夜も女御として入内するはずが源氏の件で位を下げて尚侍で入内したけど、位をひとつ下げて更衣で入内するとかはなかったのかしらん 更衣でいい事って特にないと思う
桐壺はいじめられたし落葉宮は更衣腹って見下されたし
朧月夜の尚侍だって高い位なのに聞こえよがしに悪口言われてたから 更衣など上達部にも劣ります
なかよくしておくことなどありませんわ
って言われてたね 桐壺の更衣は御息所になったから亡くなった時に三位を贈られたんだっけ
尚侍=従三位(中納言、大将相当)
更衣=四〜五位(蔵人頭〜少将相当)
参議(正四位下)までが上達部 >>325
朧月夜は本当なら将来の中宮候補の女御として華々しく入内できたはずだもんね
他の官僚達の目に触れることはない深窓の奥様じゃなく、バリキャリとしての出仕だし
“妃”というより“使用人”だから、当時の感覚だと一段低く見られていたのかも? >当時の大和先生はマジで更衣を衣装係の女官と勘違いしてたのかもしれん
「紀元2600年のプレイボール」を別誌に掲載し資料などを集める時間足りなかったのかも
ちなみに「あさきゆめみし」は東京で、それ以外の作品は札幌で執筆されていたそうだよ あさきの桐壺更衣の性格としては、寵を競う妻より控えめな新人女官の方があってるな >>323
女御に一本化というより、女官である典侍や掌侍が天皇の側妃を兼ねるようになって、
女御すらほとんど立てられなくなったからね >>331
女御として入内するのってお金がかかるんだよね。武士の台頭で貴族の力が弱り出してからは、貴族は娘を女御として入内させる財力がなかったんだよ。東福門院が、久しぶりの女御入内だったんじゃないの? >>328
史実で、摂関家の姫が女御入内前に箔付けで向侍として出仕してたよね。
向侍から女御へ、はあっても、更衣から女御へ、てアリなのかな? >>328
朧月夜は尚侍(女官)と言っても、右大臣の娘、弘徽殿の女御の妹で、朱雀帝の寵厚く、て皆さん知ってただろうけどね。 >>329
>「紀元2600年のプレイボール」を別誌に掲載し資料などを集める時間足りなかったのかも
それもあるかもしれんが単純に当時は参考になる資料が今と比べて格段に少なかったらしい
作画の資料になりそうなものは国宝の源氏物語絵巻くらいで
京都御所の写真を撮りに行っても御所内はもう書院造りになってて平安時代の参考にならず
調度品と人物との大きさのバランスとか十二単を着た時の動きとか
アシスタントさんたちと一緒に苦労しながら描いてたって
あさき後半で作画が洗練されていったのは
長年の間に資料が集まって知識が蓄積され、それが絵に反映された結果もあると思う >>327
皇子でも皇女でも与えられる地位官位は同じだったのかな?(東宮は除いて)
江戸時代の大奥だと男子を生んだか女子を生んだかで、呼び名も待遇も違ってくるよね >>338
皇族は官位じゃなくて品(ほん)で格差があるはず
女三宮も降嫁当初は三品で、途中から源氏が紫の上のほうにばかり行くようになったんで朱雀院が二品に上げた
親王・内親王宣下の有無もそうだけど、何事も後ろ楯あってこそ
后妃の地位についてはこのあたりのサイト↓に解説があったよ
https://www.shikibunosato.com/f/monogatari42
https://bushoojapan.com/jphistory/kodai/2020/04/30/110208 >>339
ありがとう
突っ込みじゃないけど、官位は官職と位階のこと
位階が皇族の場合、品になります >>338
朱雀帝が退位前に朧月夜に、せめてあなたが御息所ででもあれば、て言ってたよね。どういう意味なんだろ? >>339
古代から、同じ天皇の子女でも、生母によって全然違うでしょ。 >>341
天皇や東宮、上皇などの子を産んだ女御・更衣などのきさきが「御息所」と呼ばれることが
多いんだよね。
原文で「などか、御子をだに持たまへるまじき」と単刀直入に言ってたのに該当する
部分なのではないかな 男女で差はないのかな?
江戸時代の大奥だと生んだ子供が男子か女子かによってお部屋様とお腹様と呼び名も待遇も変わったはず 東宮になれないなら男子でも女子でも扱いの差あまり無さそう
姫宮なら斎宮斎院の可能性もあるし、次の帝が兄弟でなければ藤壺みたいに入内もあり得る ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています