『まんが道』他 藤子不二雄A総合スレ40
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藤子不二雄A作品全般を語るスレです
※荒らしは無視、A・F比較論争等には冷静になりましょう
ジャンプスクエア「PARマンの情熱的な日々」:休載
ビッグコミック増刊「人生ことわざ面白”漫”辞典」(コラム)絵:西原理恵子
ビッグコミックオリジナル増刊「愛・・・知りそめし頃に・・・」 連載終了
次スレを立てる際に1行目に
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※前スレ
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武論尊氏と、A先生のツーショット (・∀・)イイ!! 迫力あるね。 今さらな疑問だけど、二人でやっていたころ編集部からA、F個別じゃじゃなく
「藤子不二雄」に仕事の依頼が来るよね
その仕事を最初の頃は二人で話しあってどっちが描くか決めていたと思うんだけど、
もう新宿十二社にスタジオを構えていた頃になると、どこの編集部も事実上、
2人の作家に別々に注文するっていうシステムだったのかな?
たとえば秋田や画報社の編集にしてみれば、「藤子先生」というより、
「安孫子先生」に依頼するという前提で企画を立てていた、みたいな
なのでもしF先生が「今回の新連載は僕が描きます」なんて言い出したら、
「ちょっと待ってください!今回、こちらとしては安孫子先生の作風で
お願いしたくて…」
と、なったと思うんだけどw
小学館の学年誌ならもちろん逆で、A先生が描くって言い出したら、
「いやこちらとしては藤本先生にご依頼するつもりで…」って
なったんじゃないかと その結果が「A原作のF絵」とか
「F原作のA絵」とかの作品なんじゃない? >>312
後者はともかく前者は存在したのかな
合作の時もネームはたいがいF先生が担当したって聞いたが
四人でやった手塚のぼくのそんごくうの代筆でさえそうだったみたいだし
A先生いわく藤本くんは他人の原稿は描けないタイプで
手塚のアシスタントも自分しか行かなかって
少なくともキャラのアタリは自分で取らなきゃ絵を入れるのは無理だったって
聞いた事ある Moo.念平先生は絵が上手いのに、名前で損しているね
いつまでも覚えてもらえずに小学館を去った そうかな?念平はまさにこの変わったペンネームで覚えたけどなあ
「逆に読んだら”ペンネーム”!ご存じ?」って編集の煽り文もあってすぐに覚えたw
こんなペンネームの人、青年誌はともかくコロコロには誰もいなかったから
それこそデビューのおてんば転校生から覚えてる
いまいち化けなかったのは男吾をコロコロで長くやり過ぎたからか…
あとこの人、絵は永井豪からが一番影響を受けたって言ってたな
あと永井豪経由で白土三平っぽい絵でもある 画力は凄いんだけどなぁ
考え込まないと名前が出てこない >>316
念平はそれこそ自分の描きたいものしか絶対に描かないって人だよ
もしミニ四駆などコロコロ定番のホビーで勝負する漫画を描いたならば再ブレイクした可能性もあったんだが
……まあ元々コロコロでデビューした作家が他誌でヒットを飛ばした例は皆無だしな。のむらしんぼがコロコロに意地でもしがみつくわけだよ 1980年10月号のコロコロで、えびはらが読み切りを描いていて、
これマチコ先生より昔じゃね?コロコロデビューだったのかって思ったら
同年3月に学研でデビューしてるのな。で、5月からマチコの連載開始
(ほぼデビュー即連載って凄い時代だが)
マチコ先生の連載中にコロコロでも描いてたってのは知らなかった
藤子スタジオ繋がりでの依頼かもしれないがコロコロでマチコ先生を
連載してたらどうなってたか…
ちなみに絵はデビューして間も無かったのに完成していて上手かったな
女子高生の家庭教師がヒロインだったけど、ほぼマチコ先生が黒髪で
セーラー服着ただけで、やっぱり年下男子にセクハラされまくるって内容w えびはらのエッセイマンガ新刊読んだが面白かった
(マチ子先生ができるまでの連載マンガ)
アシ時代でもキャラペン入れとかしてたとか描いてたし
かなり鍛えたんだろうな思った。 >>323
コロコロで大昔、愛ラブ愛先生みたいなタイトルの、
女教師主役の割とエッチな漫画を連載してたが、えびはらより先かな
それとも後かな、今オッサンの俺がかなり小さい頃の話だからよく分からんが >>322
本人は黒歴史にして隠してるけど浦沢直樹はコロコロデビューだろ
加藤久のサッカー入門とか小さい読切やカットをいくつも描いてるぞ >>326
1985年の小学五年生に「こうすればクロールが早くなる」って6ページぐらいの
水泳入門漫画を描いてたのを前に発見した。絵はもうこの頃からめちゃ上手い
もう踊る警官の連載が前年に始まってたのに学年誌でこういう仕事も並行してやってたんだなと
そういう便利屋みたいな仕事を辞めれたのは同年のパイナップルアーミーの連載からだな >>324
まいっちんぐマンガ道の新刊が出たのかと思ったぜ >>323
どんなもん太、ってタイトルだったと思う
マチコ先生より後だったよ
マチコ先生で人気が出てきた漫画家がコロコロにきた、って当時思ったし
>>325
愛ラブ先生はマチコ先生よりかな〜〜〜り後のマンガだよ
別冊コロコロに載った同作者の「はっぴーデュエット」って作品がエロくて当時ドキドキした 愛ラブ先生を藤子先生がどう評してたか知りたい。
まいっちんぐインスパイアな内容のせいか、単行本化されてないらしいな。 アカンベーが5年も連載していたのが吃驚
片倉漫画はのんきくん世代なので、アカンベーは最後の方にチラっとしか読めなくて
既に85、6年ぐらいの時点で単行本もなかなか見つからなくて、自分にとって長年、
幻の漫画だった。しかし5年やって単行本3巻だけってのは小学館も酷い
方倉さん、アカンベーとドラえもん百科の連載と並行して藤子スタジオで
チーフアシスタントもやってたんだっけ? しかし昔の作家て20そこらでよくあんな壮大な作品描けたな
ユートピアなんて20前後の作品なんだし SFの方が書きやすい気もするけどな
日常描写って嘘をつきにくい
経験の浅い若者はSFを描きたがる
編集からヒットを出したら描かせてあげると言われたもの 手塚の後追いなんだから、似たような壮大SFになるよそりゃ 若いから怖いもの知らずで描けたってのはあるでしょ
歳取ってからああいうのをもう一度描こうとしたら設定段階で物凄く悩むと思う
ユートピアの時代と違ってSFにちゃんとした考証を必要とするようにもなったし
「いつか手塚先生のような壮大な作風にも挑戦してみたい」とF先生は生前言ってたそうだが、
ユートピアみたく勢いで描くのはもう無理だったんだろうなと
大長編ドラや未来の思い出とかだって一冊分で、今なら中編規模だし
SF短編にせよドラにせよ、それこそ長編に膨らませられるアイデアもたくさんあるんだが、
結局ドラの仕事に忙殺されたり体調悪化の問題で、何巻にも渡る長編をやる余裕がなくて
そういうアイデアを多くの短編や中編に散りばめていった感じ ドラえもんが人手に渡ってしまったからな
90年代なんてもうロボットみたいなものだったよ
藤子先生に独創性がなくなったというかそんなものを描く気もなくなったというか
ねじまきはもうスタッフに任せるてなってなんかうやむやな作品になってたな
90年代のドラえもんシリーズて昔から見直すと本当にらしさがない
ただタイアップとか90年代はスポーツやゲームが発展していった時期だから娯楽には満ち溢れていた
テレビも子供のために作られたものが多かったからね >>335
今の若い漫画家はさらに科学を抜いてファンタジーばかり描きたがるようなものか 今のファンタジーはガキの頃ゲームとアニメで見たものを自分なりに考えてるだけだし編集からしてそういう連中ばっかなのがな
鳥山先生は洋画やプラモオタクで動物昆虫も好きだし視野が広く絵も抜群に上手いけどその天才をダメ出しして何百回も書き直させて締め切り寸前まで突っ返す鳥嶋がさらに伸ばしたからな
藤子にせよ鳥山にせよ厳しい人にダメダメ言われて乗り越えた作家だから今がある
諦められて打ち切られてTwitterで愚痴ったり絵を投稿して自己満足してる作家が彼らを越えられるはずがない ペンタブて作家のロスと編集の確認が楽になっただけでクオリティは手書きより絶対落ちてるイメージしかしない >>340
>締め切り寸前まで突っ返す鳥嶋がさらに伸ばしたからな
でもそれやったから鳥山は長期連載をキッパリと辞めちゃったんじゃないかな
漫画を描くのが苦痛になって 描きたいマンガと(編集が)欲しがるマンガは違うからな。
合致するほうが稀だと思う
最終的にはジャンプ持ってこい、だしw F先生は持ち込みでボロクソ言われたら原稿ひったくって帰って行くし、二人で編集の悪口言い合って憂さ晴らししてるし美化しすぎ >>345
>二人で編集の悪口言い合って憂さ晴らししてるし
でもこういうことが言い合える仲間がいるって良いよな
現代ならネットで呟いたりして下手したら自分の株下げることになりかねないし 手塚治虫とトキワ荘って本に、石森のお姉さんが好きだったのは「藤本か我孫子らしい」と書かれていた。
A先生説は断言する当時の関係者が複数いたり、集合写真で妙に二人の距離が近かったりとそれっぽいが。
F先生説は初めて聞いたかも。 A先生は叱られる側にも問題あるように描くけど
F先生は叱る人=悪で凝り固まってるイメージが強い
ジャイアンのへましたからぶっ殺すやママの0点取ったから叱られるが典型だしドラえもんに頼ろうて考えがいつか誰かがなんとかしてくれるてゆとりを産んだのもたしか
ヘタレを主人公にすると進まないから結局は超人主人公にした方が描きやすいのもわかる
今の漫画はのび太ぽい思考の平均ヘタレ男子が美少女とラブつく作品が増えてまずありえないて感じになってる >>339
昭和の時代なら
宇宙ロケットでお手軽に月旅行とか
東京〜大阪間を数十分で走る高速鉄道が出来るとか
自由に想像して描くことが出来た
時代が流れて、逆にそんなのはあろ100年たっても不可能とか思うようになった >>342
背景は写真取り込めるようになって格段に上がってるでしょ
ただ、勢いもなくなるし漫画は背景よりキャラと話なんだよね
平田弘史が真っ先にデジタル導入して、「これじゃない」って
速攻でアナログに戻したのは有名な話 >>351
背景も含めての漫画だけど
背景を写真とか取り込んじゃうとそれはもう絵ではなくなるし
背景画はアシスタント組んででも手書きで再現したものは感動できる
背景画担当はアシスタントじゃなくて専門職として契約すべきだよね
背景を描かないことで雑になってる漫画たくさんあるしなんだかんだ背景は大事だけどそんな時間をメインの作家はかけれないからな でも背景に焼き過ぎた写真みたいなのを貼り付ける手法を発明したのは
A先生だという
あれってたぶん写真をコピーした上にペンやベタで黒く加筆したと思うんだが
一からふつうに手描きをしたんじゃ出せない効果だった >>353
まいっちんぐまんが道で種明かしされてた
猿の背景の観客の場合、まず写真の輪郭をなぞる。
それからA先生の指示通りの箇所にスミを入れると、あの写真っぽい絵ができあがるんだそうだ >>346
ネットのない時代、単行本のカバーの作者コメント欄に恨み節を書いた人もいる。 >>353
水木しげるがあらかじめ描きためておいた背景を
貼り付けるって手法やってたから、その辺からの
着想じゃないかなあ。
まあこういうの「誰が最初にはじめた」ってのは
まず詳細不明になって分からなくなるし、
ほぼほぼ「手塚治虫がはじめた」って事になっちゃうんだよな。 >>353
写真ベースの背景にも上手い下手があって小林まことみたいに写真の背景を削ったり描きたして
キャラに合うように修正する人もいれば
本当に写真を貼り付けただけでフキダシ乗せて終わりとかやってるのもいるしなあ >>343
鳥山明ってアラレちゃんも終わらせたくて、
編集から人気が落ちたらやめさせてやると言われた
そこでわざとつまらなく描いて終わらせた
ペンギン村レースでうっかり面白くなってしまったそうだ
ドラゴンボールもかなり早く終わらせたいと言ってた
鳥山明は漫画を描くのが好きじゃ無いからな
だって同時期にジャンプともめた漫画家は今でも漫画描いてるんだぜ
鳥山明は苦痛な漫画を描くという作業から逃げたかったんだよ なんじゃここは!? 昭和で時代が止まってるじゃないか。今は令和の世だぞw
>>351で言った背景への写真取り込みってのは、背景の線画だけ抽出して
そこにエッジやベタ・トーン処理を加えて漫画っぽくするのも含んだ作業のこと。
浅野いにおとか、うまく処理してる人はアナログで全部描いてるのと区別つかないから >>349
いや 東京大阪ならリニアで1時間10分らしいから
数十分も有りうるんじゃ? A先生はコピーした写真をそのまま貼ってるようなのもあったはず
さすがに手抜き感あった 愛しり最終回には手塚先生の写真そのままの部分もあったな
猿の読み切りにも大橋巨泉の写真そのままの所あったし ちばてつやの画業55周年記念の時にA先生が贈ったイラストには
ゴルフをしているちばてつや、A先生、さいとうたかを、北見けんいちが
描かれていたが、主役のちばてつやはさすがに絵で描かれていたが、
他の三人はそのまま本人の写真のコピーを貼り付けてたw
背景のその他大勢のギャラリーも全部写真のコピー
満賀くん…… 効果的に使えば味にもなるんだけど、あんまりやりすぎると手抜きに見えるね、スクリーントーンと一緒。 スクリーントーンは手抜きとは対極だよ
凝って使えば使うほど大変になる
PCでやる人はその苦行から解放されてるだろうけど >>367
そんなことはないよ
掛け合わせに比べたら遥かに楽
点描だって手で打ったら死ぬほど辛い
考えてみなよ
望月三起也とか使わない人ってごく少数だったろ
それは大変だから まんが道のドラマ、なかなか漫画家にならないのな。
原作を知らない人は、当時どう思いながら見てたんだろう >>367
自分が慣れてないせいもあるんだろうけどPCだとなまじ細かいとこまで見えるおかげで
ハミダシとかが気になって却って時間かかってる
雑誌サイズにしたら見えやしないんだけどね あのドラマに出てくる原稿は(役者じゃない人が)ちゃんと描いてそうで
本物そっくりでうまいな >>368
レスした後言葉足らずだったかもとは思ったんだ
確かに点描が効果的な場面でアミトーンをべた貼りして代用するようなやり方は手抜きと言える
服に模様のトーンを貼って済ませてるせいでアップ時とロングショット時で服の模様の大きさが変わるという雑な絵も昔は多かった
背景描かずにトーン貼って画面の白さを誤魔化すとか、手塚治虫が批判したのはそういう使い方だろうなと思う
でもトーンが定着するにつれそういう恥ずかしい使い方する人は格段に減っていって、
むしろ新しい表現の手段として凝った技法を開拓する人が増えていった印象なんだよね
>>370
あー、なるほどー
結局トーンもそうだけど最初はこりゃ効率的で便利と思っていてもだんだん自らしんどい方向に向かっちゃう人も多いんやろね
PC使って写真や3Dを活用した作画も素人には手抜きに見えても実はそうでもなかったりだし >>369
漫画家には成ってんじゃん
デビュー後のエピなんだからw
(デビュー作 天使の玉ちゃん)
(デビュー後 西部のどこかで) >>368
カケアミのこと言いたいんだろうな・・・ >>375
カケアミと掛け合わせは基本同じこと
手塚治虫はアシへの指示に掛け合わせって言ってた まんが道のドラマ版、別に原作のままでも問題ないところも
わざと脚本家がオリジナリティを出して改変してる感じなのが鼻につくな
当時メガネ君は主役に出来ないから満賀と才野の外見を入れ替えたとか
そういう大人の事情だけじゃなくて、明らかに「漫画の通りにはやらねーぞ、
俺のオリジナリティ出しちゃる!」みたいな部分も多々ある
でもまあこの時代は漫画原作の地位が低くて実写ドラマなんて大抵そんなものだったけど、
ネット時代になってから、そういうスタッフのオナニー改変が叩かれるようになったのと
読者が大人になって作り手にまわった、所謂ファンライターが増えたので
わりと原作に忠実なものが増えてきたのは果たして良い事なのか悪い事なのか… >>377
脚本家の意思で改変したとは限らないよ
そうするように指示したお偉いさんがいるんじゃないか? お偉いさんといってもせいぜいプロデューサーまでだと思うけどな
まんが道でNHKの上層部がわざわざ口出すような点は無いでしょwたぶん そのままで一般視聴者が見るに堪える物語じゃないから
脚本家はいい仕事してるよ でもドラマ本放送時はまだコンビ解散前だったのに、満賀のいないところで
才野に将来のドラえもんの構想を語らせたのは、おおっ!と思った
猫も初回から才野家にいたが、このためか
ドラはF先生の方が描いてるってのはもう周知の事実だったのかな
単純にスタッフが「ドラえもん誕生」を読んでいたのかもしれんが 当時のコロコロ読者とかだって流石に二人の作風の違いには気付いていたよ ドラえもんはネコだけじゃなくて
「姫だるま」みたいな民芸品も見て思いついたらしいが ドラえもんで線が太い画風のは
Aさん作だと思ってた A先生の画風は難しい
俺、ヤフオクに出ているサイン見分けられないもん >>385
ドラえもん誕生ってそれっぽいウソ話なんだよね・・・ ドラえもん誕生ではよく見ると安孫子先生は何もしてないのな。
そもそも相談したのかも怪しいが まあ少なくとも冒頭、喫茶店でA先生とF先生が「もう時間ないんだよな」って
新連載について話し合いをしてるのは嘘だってのは今でははっきりしてるな
既に藤子スタジオの時代は仕事の受注から構想まで完全に個別作業でしょ >>383
あのドラマ、表には出てないけどアドバイザーとしてメモリーバンクの
W引さんが入ってる。メモリーバンクが編集請け負ってるFFランドで
ドラマのまんが道の撮影記事を紹介してるのはその関係 一応、解散までは二人で一人の藤子不二雄って建前は守ってたもんな
実はほとんど初期から別々に書く家庭内別居みたいな状態だとしても、
子供たちの夢を壊さないようにしてたんだろう A先生がブラックなSF短編を描くようになって
ドラえもんみたいな漫画と同一の作者が描いていると思われては子供たちの夢を壊すと考えて
A先生名義で描くようになったんだっけ 1986年、NHKの銀河テレビ小説で、「まんが道」がドラマ化されました。豊島区の郷土資料館で、
「トキワ荘展」が開かれたりもしました。その一方で、ショッキングなことがありました。藤本弘氏が、
胃がんで入院したんです。
僕と藤本氏は、仕事場は新宿の同じ事務所ですが、仕事もスタッフも別々でした。藤本氏は
だんだん体調が悪くなって、あまり仕事場にも来なくなった。休んでいた時は、僕は両方のスタッフを
抱えて、遊びも一切やめて頑張りました。藤本氏はすごく気持ちの細かい、真面目な人ですから、
それが負担になったんでしょう。
87年のある夜、突然自宅に来た。「どうしたの、こんな夜に」と座敷に通したら、「別れよう」と。
僕は「ええっ」とびっくり仰天しました。
たしかにそのころは、明らかに、僕と藤本氏との仕事が、180度、別々になっていた。僕はどんどん
ブラックな方向に行くし、藤本氏は「ドラえもん」ですから。もう読者もわかっているわけです。コンビで
やっていくのが、一種のマンネリ状態にあった。僕から別れようという気持ちはまったくなかったけれど、
彼は非常にはっきりした人だから、これ以上二人で続ける意味はない、と思ったのでしょう。
僕は、「ちょっと考えさせてくれ」と言いました。藤本氏と別れて大丈夫かな、という気持ちもあったし、
寂しい気持ちもあった。でも、彼が決めたら、翻意しないのは分かっていました。高校三年生で
デビューしてから33年間、ずっと藤本氏と一緒にやってきたけど、もう二人とも50歳を越えていました。
お互い、それぞれ好きな”まんが道”へ行くか、と決心しました。しばらくたって、僕の方から「じゃあ、
そうしよう」と電話したんです。
思えば、「東京へ出よう」と言ったのも、「別れよう」と言ったのも彼。その方向性はいつも間違っていなかった。
感謝しています。 まんが道を読んでいても決断力とクールな所がある才野が「別れよう」っていうのは
なんとなく想像できるが、満賀からそう言うのはまったく想像つかないんだよな
二人で一人が当たり前って信じきっているというか >>390
どうかな?
作品にペン入れしないまでも
「二人で喫茶店に入って仕事の話をしてた」
のは、あながち嘘でも無いと思うわ
コンビでやってる以上
相方の事を何も関わらないって事はないとおもう。 藤子不二雄は二人で描いているというていだったから申し訳程度でもA先生出しとかないと子供があれ?と思うから たらればだけど、別れなかったとしたら、その後F作品はどうなってたんだろうな
藤本先生死後も藤子不二雄は一人生きてるわけでドラえもんはA先生が引き継いだのか
その時に種明かしして終わらせたのか
そういう意味でもあの時期にA、Fに別れたのはちょうどよかったのかもしれん そういうことが起きないように別れたんだろうね
亡くなられたから言えるけど、F先生は死を覚悟して
身辺整理をしておいたんだと思う ドラえもん関連の収入が莫大になりすぎて 互いの親族の争いの種になりそうだから別れた説 「怪物くん」は名作なんだから、
A先生には児童漫画でもっと気を吐いてほしかった ドラマのまんが道で原作とキャラが違いすぎたのは下宿のおやじさんとつのだじろう >>406
御本人がテクニックで描けても
やる気その物が出なくなったゆうてたしね
大人向けの方向に行かれ
また、それにも才能があったもんで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています