『まんが道』他 藤子不二雄A総合スレ40
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藤子不二雄A作品全般を語るスレです
※荒らしは無視、A・F比較論争等には冷静になりましょう
ジャンプスクエア「PARマンの情熱的な日々」:休載
ビッグコミック増刊「人生ことわざ面白”漫”辞典」(コラム)絵:西原理恵子
ビッグコミックオリジナル増刊「愛・・・知りそめし頃に・・・」 連載終了
次スレを立てる際に1行目に
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※前スレ
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つwikipediaで検索
東京タイムズとかいう新聞に掲載されていたらしい幻の作品。
ネオユー○ピアとかの分厚い本には掲載されてるのかな?我輩もよく知らん。 >>238
あー俺もネオユートピアで見たのかもしれないわ。
まとめて読みたいけど、原稿無いのかもな。 >>234
トキワ荘に入った当初から基本別々に描いてるんじゃないの
まんが道の作中では二人でやってたバラとゆびわも実際はF先生一人みたいだし それなら永井豪と石川賢みたいな関係と変わらんのな
永井豪ももしかしたら藤子不二雄みたいに二人で一つの名前でやったかもと発言してる
永井豪はみんな有名になると独立して去ったが
石川賢だけは残ってくれたと感謝してる >>242
永井豪先生は石川賢先生を同じ同格の戦友と思ってた、と本で読んだ事が有るんだが・・ いや、石川賢は永井豪を目指していたんだから藤子両氏とは明らかに違う。 つか永井石川は事実上の共作が藤子より多いんじゃないか 共作と言ってもストーリー作ってるのは飽くまで永井豪でしょ 共作というより永井の作品がメディアミックス展開したか
最初から永井の元に映像化前提での漫画執筆企画が来たかで、
当人だけじゃ手が足りないから石川賢の手を借りたってだけでしょ
石川はもろに永井原作のハニーやえん魔くんも描いてるし、
ゲッターロボ、バトルホーク、アステカイザーあたりも企画は永井主導
ダイナミックプロでは桜多吾作とかもそういうのやらされていたし
師匠の石森にもそういうメディアミックス作品を代筆してくれる
作家はたくさんいた(若い頃のすがやみつるとか)
F先生も方倉陽二を始めとするアシスタント部隊がドラえもんを
いろいろ展開させてたし
そういえば手塚とA先生には何故かそういうの殆どいないな えびはらによるとA先生のほうがアシの人数は多かったようだが
アシの名前が前に出てこないというか出させないというか A先生の背景の絵は写実的で細密なものが多いから、そちらの方にアシの労力を注入したとか? >>248
手塚治虫はチーフアシが絵専門で自分でマンガ描かない人だったからな
アシに有名漫画家は結構いるんだけどそういう人は早々とアシ引退してるし 永井・石川の共作はオバQ型か
Fがストーリー作って絵はF・A・石森・赤塚らが入り乱れてる感じに近い
キャラごとに担当分けてるとこなんかね
たまにページごとに細かく担当分けてることもあって一話のうちにキャラの造形がコロコロ変わるの楽しい あばしり一家は石川賢に任せようと思ったが、
女を描けなくて、男は石川賢、女は永井豪他だったらしい A先生は下描きをきっちり入れるからアシの仕事は
ただ下描きの線をなぞるだけで楽、って吉田忠が言ってたな
F先生はラフな下描きだからアシの力量が求められるとも
あと、えびはらは意外にもA先生の事を天才だって言ってた
(F先生の事もそう思ってるだろうが)
マチコ先生のヒットの後、仕事が増えまくって全然時間が無くなったので、
A先生の真似をしてネームを作らずにいきなり下描きから描くという
やり方をやってみたが全然ダメだったって
そのやり方で描けちゃうA先生は天才的なインスピレーションの持ち主だって 以前は明らかにF先生よりも遊んでいるA先生の方が、自分で描く絵の密度が
F先生より濃いのは不思議だったが、要するにストーリーを全てアドリブで作ってるから
絵に時間をかけられるんだなと
逆にF先生は小さいメモ帳で何度も何度もネームを推敲してたって証言があるし、
アイデアとストーリーの方が重要で絵にあまりこだわりは無かったっぽい https://dotup.org/uploda/dotup.org1861951.png
バカ女どもがゴミのように群がるタピオカの行列に並んでみた
そもそも、「タピオカ」っていうのはなんなんだ?
北陸新幹線で金沢駅と富山駅の中間あたりにある場所か? あれが東京の若い女性の間でブームになっているのか? フィクサチーフは便利という知識を学んだのに
実生活で使う場面がない そりゃまあ絵描く仕事してたってそうそう使う物でもないからな 高校の美術の時間で使った気がするが、藤子が学生だった頃は簡単には買えなかったのかな >>254
あほか手塚はヘタすりゃ人物はおろか背景まで描いてたわ。
とくに群衆場面とか描くの大好きだったらしい。
それでなきゃ後期あんなゆがんだ線を描くアシなんかいるわけがない。 >>263
は??え??
あほかと言われても手塚の話なんてワシ、ひと言もしてないんだが……
アンカーミス?誤爆? >>254
ネーム作らずにいきなり下書きなんてえびはらにできるわけがないじゃないかw
それをできる人が敢えてやらずにネーム切ってるからより面白いものができるのであって
えびはらはそれができないから今の位置なのに 漫画の書き方講座とかない時代だからな。
よくみんなネーム作って下書き書いてペン入れしてって手順分かったもんだ。
何も知らなきゃ普通は、サインペンで全部いきなり書き出すよ。 まんが道とかに描写はないがF先生はいつからタバコ吸いだしたんだ? 荒木飛呂彦はアシ経験ないから描き方のイロハを知らず苦労したそうだ >>268
デッサンの基本を知らないで上手くなったもんな 満賀が西部劇のマンガを独断で完成させて編集者に持っていったら
編集者が怒ったエピがあるじゃない
現実にもネームや下書きを編集者に見せて
あれこれ打ち合わせすることを求められたんでしょう >>266
直書きだと没った時とか修正ダメージでかいじゃないかw
やり直しメンドイからまずはネーム。
試行錯誤の結果だね。
つか当時サインペンってあったっけ? サインペンというかフェルトペンは昭和30年ころにはあったらしい サインペンは1963年のぺんてるサインペンが最初だそうだ 【速報】金券五百円分とすかいらーく優侍券をすぐもらえる
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かんたんに入手できるのでぜひお試し下さい >>270
壁岩さんが事前に下書きを見せてくれと言っていたのに
完成した状態で持って行ってしまったからしょうがないね。
モデルになった人本人なら問答無用で殴られそう。 >>277
まんが道ではいい人に書かれてるけど
実際関わった人の話読んだらすげぇもんな
漫画みたいな編集者さん まあ実際A先生以外が描いた壁村さんはほぼヤクザだからなあ >>279 どの漫画家が描いたカベムラ氏も例外なくヤクザだよなw 愛知りに出てくる壁岩は、喧嘩の仲裁ついでに本職のヤクザをのすという、ナイスガイ。 >>281
あれはただのチンピラだよ
893は舐められるのを一番嫌うし、
ましてや相手が一般ピープルとなると、代紋を汚した落とし前は指を詰めるだけじゃ許されないからな >>278
知り合いが壁村さんの部下だったんだけど
紅に連れてってもらった時、喉元にアイスピック突きつけられて
「お前なんかいつでも殺れるんだぞ」って言われたらしい。
でもアル中だからアイスピックがプルプル微妙に動いてチクチク痛かったって言ってた >>270
実際はフータくんの頃にネーム書くのやめたらしいな >>279
一球入魂でも里中にホームラン打たれるなんて役柄もある かのびんぼっちゃまのファーストネームの耐三というのは
初見の時は単に貧乏に耐えるという意味だと思っていたが
壁村編集長の名前を貰ったんだね。
小林よしのりはチャンピオンを主戦場にしていた時期もあるから。 まんが道だとベテラン編集者って感じだったけど、
実際の壁村氏は藤子の二人と同学年なんだよな
でもって秋田に入社したのも昭和33年だから、
ちょうど愛知り初期の年代か
なのであの時点ではまだぺーぺーの新人編集者 >>288
編集者として最初の仕事が手塚治虫の「ぼくのそんごくう」の原稿取りだからね >>268
「カイジ」の福本伸行は、あるベテランのアシスタントになったが、いつまでたっても絵が上手くならず
クビにされたそうだ
しかし、そこから這い上がって、売れっ子になったという奇跡 なんかサイバラが新人の頃、うだつが上がらない作家筆頭に上げてたな
なんでも顔はよかったらしい
ペーペーの女漫画家数人で飲み会の時に将来性がまったくないって誰も相手にしなかったらしい
後に売れて悔しいってネタにしてた(金を生むアヒルをみすみす・・・・って)
それでもカイジやらで売れたからマンガのエピソードに出来るけれど、
売れてなかったら単なる先のない不器用な人扱いで終わってたな
ちなみに当時のサイバラのお相手は金角銀角の銀閣(作家)。
これと言って代表作もないからどっちもどっちって結果に終わる(次のお相手が鴨) >>291
かざま鋭二でしょ
かざまは作風に似合わず武闘派で梶原に逆らった数少ない漫画家
まさかあの福本くんがものになるとはだってさ 福本は絵は二の次でストーリーテラーとしての能力で成功した口だね。
ともあれ俺の生きているうちにアカギが完結してくれたのは良かった。
>>292
西原「彼ら(金角銀角)は私に出会うまで人間のクズという仕事をしていた」は笑ったw
金角(現・ゲッツ板谷)は隣町在住なので地元ネタが作中に色々出てきて
結構楽しく読める。 >>294
アカギはワシズマージャンが一応完結しただけで
新章は続いてね? 透明なゆりかごの沖田×華のマンガの師匠筋に当たるのが
風俗のルポの桜壱バーゲン。
自らファンレタ−出して交流するようになった
この時にマンガの基本をおしかけアシの傍ら教わる
その後、金角(現・ゲッツ板谷)の公式サイトは「Gコーポ」にて初連載
後に単行本も出す 福本は
少年サンデーで読み切り載った時
(打ってよ、ちゅうちゃん)
なにこれ?って思ったなw
サンデーには後にも先にもこれっきりだった記憶。
今見たら、Wikiにものってねーのなw 数学者でなくても、巨額の国費を投じる建造費の見積額に矛盾を感じるだろ。
いまのアベノミクスと同じだよ。 >>289
手塚さんを殴ったのは壁村さんではない
別の編集者さんやで
小学館の人らしい。 >>300
大和に思い入れがあるであろう松本零士は呼ばれなかったのか 松本零士は「ヤマト」関係で裁判で争いましたからねえ >>300 >>308
武論尊氏と、A先生のツーショット (・∀・)イイ!! 迫力あるね。 今さらな疑問だけど、二人でやっていたころ編集部からA、F個別じゃじゃなく
「藤子不二雄」に仕事の依頼が来るよね
その仕事を最初の頃は二人で話しあってどっちが描くか決めていたと思うんだけど、
もう新宿十二社にスタジオを構えていた頃になると、どこの編集部も事実上、
2人の作家に別々に注文するっていうシステムだったのかな?
たとえば秋田や画報社の編集にしてみれば、「藤子先生」というより、
「安孫子先生」に依頼するという前提で企画を立てていた、みたいな
なのでもしF先生が「今回の新連載は僕が描きます」なんて言い出したら、
「ちょっと待ってください!今回、こちらとしては安孫子先生の作風で
お願いしたくて…」
と、なったと思うんだけどw
小学館の学年誌ならもちろん逆で、A先生が描くって言い出したら、
「いやこちらとしては藤本先生にご依頼するつもりで…」って
なったんじゃないかと その結果が「A原作のF絵」とか
「F原作のA絵」とかの作品なんじゃない? >>312
後者はともかく前者は存在したのかな
合作の時もネームはたいがいF先生が担当したって聞いたが
四人でやった手塚のぼくのそんごくうの代筆でさえそうだったみたいだし
A先生いわく藤本くんは他人の原稿は描けないタイプで
手塚のアシスタントも自分しか行かなかって
少なくともキャラのアタリは自分で取らなきゃ絵を入れるのは無理だったって
聞いた事ある Moo.念平先生は絵が上手いのに、名前で損しているね
いつまでも覚えてもらえずに小学館を去った そうかな?念平はまさにこの変わったペンネームで覚えたけどなあ
「逆に読んだら”ペンネーム”!ご存じ?」って編集の煽り文もあってすぐに覚えたw
こんなペンネームの人、青年誌はともかくコロコロには誰もいなかったから
それこそデビューのおてんば転校生から覚えてる
いまいち化けなかったのは男吾をコロコロで長くやり過ぎたからか…
あとこの人、絵は永井豪からが一番影響を受けたって言ってたな
あと永井豪経由で白土三平っぽい絵でもある 画力は凄いんだけどなぁ
考え込まないと名前が出てこない >>316
念平はそれこそ自分の描きたいものしか絶対に描かないって人だよ
もしミニ四駆などコロコロ定番のホビーで勝負する漫画を描いたならば再ブレイクした可能性もあったんだが
……まあ元々コロコロでデビューした作家が他誌でヒットを飛ばした例は皆無だしな。のむらしんぼがコロコロに意地でもしがみつくわけだよ 1980年10月号のコロコロで、えびはらが読み切りを描いていて、
これマチコ先生より昔じゃね?コロコロデビューだったのかって思ったら
同年3月に学研でデビューしてるのな。で、5月からマチコの連載開始
(ほぼデビュー即連載って凄い時代だが)
マチコ先生の連載中にコロコロでも描いてたってのは知らなかった
藤子スタジオ繋がりでの依頼かもしれないがコロコロでマチコ先生を
連載してたらどうなってたか…
ちなみに絵はデビューして間も無かったのに完成していて上手かったな
女子高生の家庭教師がヒロインだったけど、ほぼマチコ先生が黒髪で
セーラー服着ただけで、やっぱり年下男子にセクハラされまくるって内容w えびはらのエッセイマンガ新刊読んだが面白かった
(マチ子先生ができるまでの連載マンガ)
アシ時代でもキャラペン入れとかしてたとか描いてたし
かなり鍛えたんだろうな思った。 >>323
コロコロで大昔、愛ラブ愛先生みたいなタイトルの、
女教師主役の割とエッチな漫画を連載してたが、えびはらより先かな
それとも後かな、今オッサンの俺がかなり小さい頃の話だからよく分からんが >>322
本人は黒歴史にして隠してるけど浦沢直樹はコロコロデビューだろ
加藤久のサッカー入門とか小さい読切やカットをいくつも描いてるぞ >>326
1985年の小学五年生に「こうすればクロールが早くなる」って6ページぐらいの
水泳入門漫画を描いてたのを前に発見した。絵はもうこの頃からめちゃ上手い
もう踊る警官の連載が前年に始まってたのに学年誌でこういう仕事も並行してやってたんだなと
そういう便利屋みたいな仕事を辞めれたのは同年のパイナップルアーミーの連載からだな >>324
まいっちんぐマンガ道の新刊が出たのかと思ったぜ >>323
どんなもん太、ってタイトルだったと思う
マチコ先生より後だったよ
マチコ先生で人気が出てきた漫画家がコロコロにきた、って当時思ったし
>>325
愛ラブ先生はマチコ先生よりかな〜〜〜り後のマンガだよ
別冊コロコロに載った同作者の「はっぴーデュエット」って作品がエロくて当時ドキドキした 愛ラブ先生を藤子先生がどう評してたか知りたい。
まいっちんぐインスパイアな内容のせいか、単行本化されてないらしいな。 アカンベーが5年も連載していたのが吃驚
片倉漫画はのんきくん世代なので、アカンベーは最後の方にチラっとしか読めなくて
既に85、6年ぐらいの時点で単行本もなかなか見つからなくて、自分にとって長年、
幻の漫画だった。しかし5年やって単行本3巻だけってのは小学館も酷い
方倉さん、アカンベーとドラえもん百科の連載と並行して藤子スタジオで
チーフアシスタントもやってたんだっけ? しかし昔の作家て20そこらでよくあんな壮大な作品描けたな
ユートピアなんて20前後の作品なんだし SFの方が書きやすい気もするけどな
日常描写って嘘をつきにくい
経験の浅い若者はSFを描きたがる
編集からヒットを出したら描かせてあげると言われたもの 手塚の後追いなんだから、似たような壮大SFになるよそりゃ 若いから怖いもの知らずで描けたってのはあるでしょ
歳取ってからああいうのをもう一度描こうとしたら設定段階で物凄く悩むと思う
ユートピアの時代と違ってSFにちゃんとした考証を必要とするようにもなったし
「いつか手塚先生のような壮大な作風にも挑戦してみたい」とF先生は生前言ってたそうだが、
ユートピアみたく勢いで描くのはもう無理だったんだろうなと
大長編ドラや未来の思い出とかだって一冊分で、今なら中編規模だし
SF短編にせよドラにせよ、それこそ長編に膨らませられるアイデアもたくさんあるんだが、
結局ドラの仕事に忙殺されたり体調悪化の問題で、何巻にも渡る長編をやる余裕がなくて
そういうアイデアを多くの短編や中編に散りばめていった感じ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています