【落合尚之】 『罪と罰 』 A Falsified Romance
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どうも、「漫画アクションスレ」では、この作品の話題があがると、
原作好きのファンのアンチが大量にわくので、
当スレを立てさせていただきます。
こちらではもちろん、映像化の話題や、ドストエフスキーによる原作がらみのネタも
他スレにカブらない範囲でOKとします。
関連スレは、以下に。
【Eさん】漫画アクション17【トモちゃん】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/comic/1304935422/1-100#tag47
【漫画】落合尚之「罪と罰」映像化決定
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/moeplus/1304008903/1-100#tag24
あのラストはどうなのか
今どきジャンプの打ち切り漫画でもあんなバタバタした終わり方はないだろ
もしかして打ち切りだったの? あのラストが打ち切りに見えちゃうのかww
延々と続くか、打ち切られて終わるようなマンガしか読んだ事ないんだろうなw >>3
いんや、俺は漫画読み人生30年以上だけど、
あのラストは>>2氏がいうように、典型的なやっつけ仕事、
その場しのぎに見えたぞ。
思うに、アクション・スレでは語りつくされたことだけど、
あの作品は、ソーニャの改変によって、
世紀の大失敗作に成り下がったのを、
作者自身もとっくに自覚していて、投げ出したようにも見える。
その証拠に、原作ではシベリアに流刑となったラスコと、
そのラスコに面会に行ったソーニャをつうじて、
ラスコの魂が救済されていく過程が綿密に描写されていたが、
この作品には、そうしたフォローがいっさいなしじゃん。
エチカのキャラからして、あの後、
生涯をつうじてミロクを支え続けるようには、
とてもじゃないが、思えないんだよね・・・。
また別の「だめんず」にかかわって、
泥沼に落ち込んでいくのが、目に見えるようだ・・・。 原作はエピローグが長いからな
単行本1巻分くらいはありそうなあのボリュームを
まさか最終1話で消化するつもりだったとは…
それに、いち読者として見届けたかったことがいろいろスルーされた感じ
(ミロクの刑期・姉/母の反応とその後・ミロクの父への思いetc)
あげく主要キャラの後日談をダイジェスト紹介なんていう
絵に描いたような打ち切り漫画手法はほとんどネタとしか思えない
>>3
>延々と続くか、打ち切られて終わるようなマンガしか読んだ事ないんだろうなw
これは認めるが。 あのエピローグをどう翻案するのかと思いきや、エチカ面会にも来てないじゃん。
一話で片づけたいなら、悪夢から覚めた弥勒とエチカの面会のやり取りで済ませれば
いいのに。二人がこれからの人生にどう向き合うか示すだけでもかなり違うのに。
エチカの内面が最期まで描かれなかった以上、大失敗作だな。
傷つけあいながらも支えあうというスタンスを描くだけでも違うのに。
一話が熱入れたのわかるだけにしょっぱいラストになったわ。
石水留仁氏(姉の婚約者)の扱いが原作とはかなり変わっているが、あれは妥当な改変だと思う。
原作の執拗なルージン(≒成金の実業家)叩きは現代劇では蛇足だと思うので。
原作同様、食事会でのケンカ別れ後再び姉に求婚させているが、
あれを器の大きさと矢住に解釈させる流れはうまいと思った。 色々と賛否両論あった漫画だったけど俺は好きだったな
でも最後はもうひとひねりというかもう少し丁寧にやって欲しかったかな。
久しぶりに黒い羊を読んだけど
己の根底にある感情と向き合う
って言うのは一貫してこの人が描いてるのテーマだよなぁ
次回作も楽しみだ >>9
そのわりにはエチカの内面描写ないと思うよ。
エチカが菊夫との生活をどう思っているのか弥勒に明かす描写がないし。
エチカは自分と向かい合っていない。 楽しませてもらった作品だけど、ミロクの改心は早すぎたな。
そのせいで、終盤の展開が消化試合というか
単なる手仕舞いに見えてしまう エチカは何でソープ嬢になったんだっけ?
説得的な理由がなかった気がするんだが。
なんかあの人のキャラは分からなかった。現実の人間らしくない。 作者は原作のどこに感動したんだろうとかねがね疑問だったが、
ダメ人間主人公の更生プロセスに感情移入したんだと
10巻のあとがきで語っていたのを見てやっと納得いった。
でもそういうのは漫画の中だけで表現しきらないとダメだよね、落合先生。 ミロクが今22歳として、無期懲役・15年で仮出所と考えても
37歳職歴なし・元強盗殺人犯が何をやり直せるというのか
エチカの元に戻れたとしてもヒモになるのが関の山
…という将来像が透けて見えてしまうのが現代劇での辛いところ あの作品は、作品としては、2ちゃんではだれもが認める完全失敗作だけど、
商品としては、トータルで60万部も売れて、映像化も決まったから、
成功といえなくもないかもしれん。
>作者としては
現在、作者は次回作構想中だそうだが、
ついては、落合氏がこれに味をしめて、作家としての良心を捨てて、
またドストの作品に手をつけるなんてことになったら、どうなるだろう…?
宗教や倫理には弱いってことはわかったから、よもや『カラマーゾフの兄弟』
には手を出さないと思うが、『白痴』とか、『悪霊』ならありえそう…。
『悪霊』だった場合、スタヴローキンを中二病的なカルト教団の教祖にして、
思いっきり、通俗的で陳腐な解釈をしそうで怖い…。 あれの商業的成功は原作を現代日本のドラマに翻案するというアイデアがこれまで
なかったから受けたのであって、決して作品の良さじゃないし。
まあ、比較するために原作を精読するきっかけになったのには感謝している。
「悪霊」をやってもいいけど、また原作の良さを実感する結果になりそうだな。 >>16
>また原作の良さを実感する結果になりそうだな。
そうそう。日本の三流マンガ家は、「ロシアの大文豪に挑戦」なんて、
ヘタな色気を出さんと、忠実に原作を翻案することだけを考えていれば、
罪はなく、読書家や目利きの人たちにたいして、恥もかかずにすむというもの。 全体としてはともかく、ヒカル殺害までは
サイコサスペンスとして成功していたというのも皆の認めるところ。
黒い羊やダンデライオンからいっても、サイコサスペンス+アクションが
この作者の本領なんだろう。
個人的には7巻アタマくらいまでは楽しく読めたのだが、ミロクの犯行告白以降は
ミロク・エチカの感情の流れがよくわからない。(その割に二人の問答ばかり長い)
ま、原作のラスコとソーニャの言動も唐突すぎてついていけなかったが。 俺は最後の締め以外は概ね満足なんだけどな
最後だけは原作?というか「罪と罰」のエピローグの表面をなぞっただけ
みたいな印象だったというか あの作者が、次に目をつける「現代翻案の世界名作文学」
って、なんだろ?
スタンダール『赤と黒』、シェークスピア『ハムレット』、『オセロー』
A・デュマ『モンテ・クリスト伯』、ゲーテ『ファウスト』、『若きウェルテルの悩み』
スタインベック『エデンの東』
とかかな?
まぁどれをとっても、主人公はこれ以上ないという中二病患者で、
ヒロインは「救い」の「す」の字ももたらさない、DV女になるのは、
目に見えているが…。 >>20
次回作は「現代翻案の世界名作文学」じゃなくオリジナルでやるんじゃない?
10巻のあとがきによれば罪と罰の制作動機はラスコーリニコフのダメ人間ぶりに
自分を重ね合わせたからということで、名作の翻案ありきの企画ではないし。
これまでの作風からして、主人公の中二病は大いにありそうだが。 >>21
>次回作は「現代翻案の世界名作文学」じゃなくオリジナルでやるんじゃない?
そだねー。作者にまだプライドが残っていれば、
おなじ醜態はされせないだろなーw なんかパターンが見えてきそうな感じだな。
中二病の主人公
電波だめんずDV女のヒロイン
中二病な説教かます敵役の男
まあ、商業的に成功したから翻案にチャレンジしてもいいんじゃない?
その分原作を精読する楽しみがあるからさ。
「罪と罰」ってつまるところ男の成長物語だと思うので、
落合版のアレンジも大筋問題ないと思うけどな。
ただミロクがエチカエチカ甘える姿は下手すると色ボケに見える。
さりげにあいつハーレム状態だしな。
>>24
>「罪と罰」ってつまるところ男の成長物語だと思うので、
でも、悪いけど、ミロクもあんまり成長しているように思えないんだよねー。
彼が作中で下した決断って、「警察に自首する」ということだけで、
彼のなかのエディプス・コンプレックスのようなものや、
彼自身の、「人を殺してしまった」という罪悪感、
結局、罪と向き合い、どのようにこれから生きていくか、
具体的にどのような贖罪をするのか、
彼のなかの「獣性」、およびエチカとの供依存性をどうとりあつかうか、
最終回になっても、なにひとつ、まったく明らかにされていないんだよねー。
ここが、すべての問題や人間関係をクリアにして、
話をまとめた原作と好対照なところ。
これが、あの作品がこのスレでコキおろされ、
「大失敗作」とレッテルを貼られるゆえんなんだよねー。
父親が女子高生と心中したことって結局本筋に深く絡まなかったな。
それについてどうなのか語られなかったし。
「人殺し」という罪悪感が、ヒカルはともかくリサを殺した罪悪感にもっと
苦しむべきだったな。贖罪としてリサの母親に謝罪の手紙を送るとかあるはず。
判決がはっきりさせないのが引っ掛かる。無期懲役でも死刑でもどちらでも
自分のやったことの結果だから引き受けるとやってもいいはず。
エチカとどう向かい合うのか肝心のところがないんだよ。
エチカが菊夫に対してどう思っていたのか全く語られなかったから、
エチカとの共依存性に入り込むことなく表面だけで終わったとしか思えない。
独自の設定を盛り込んだはいいけど、完全に消化不良で終わったな。
だから原作抜きにしても大失敗作なんだよ。 罪罰関係ないが「派遣社員お銀」はアホっぽいキャラが立ってて好きだな。
パターンが確立してて安定感あるし。
この作者の漫画はすぐ欝方向に転びがちなので、
陽性のアホっぽいキャラがいた方が結果的にいいバランスになると思う。
エチカのキャラ改変もそういう動機なんじゃね? >>27
>エチカのキャラ改変もそういう動機なんじゃね?
この作者の、別の作品は読んだことないけど、
エチカのキャラが陽性?
そりゃ、作者の意図しないところで、結果的に「だめんず系お笑いキャラ」
になってしまったとは、いえるかもしれないが… ああ、でも以前アクションスレでも書いたが、
たしかに作者は当初、エチカを「原始、女性は太陽であった」的なイメージのキャラとして設定したことは、
想像に難くない。
エチカのあの凶暴性も、そうした「原始的、野性的生命力の表れ」のように表現したつもりだったのだろう…
しかし、作者は知らなかった。
人間社会では、なんらかの「文明・文化」により規定されていないものは、
ただの「野蛮」にすぎず、他者や自分を活かす「強さ」になりえないということを…
人間の暗部ばかりを描く師匠(六田登)につき、自分もそうした傾向の作品ばかり描いていては、
ついそうした幻想にハマるのも無理はないと思うが、
それって、ひきこもりのオタク少年が、ヤンキーを「強い、カコイイ」と誤解するのと
同レベルの勘ちがいだねー。
作者も、あの歳にして、本気でそんな中二病的発想をするとは… だいたい、エチカが自分を凌辱した教師と結婚して、裏ビデオに出て生活費稼ぐ設定が
おかしすぎる。
訴えられる状況なんだから、飴屋と不良たちを集団輪姦で告訴して、飴屋に対しては
脅迫されたと証言して情状酌量させて罰を軽減させてもらって、その間飴屋の家族は
生活保護を受けさせるように助力して、自分もバイトや家事を手伝うなどで助力するなら
わかるんだけど。
突っ込みどころ多すぎる時点で駄目なんだよ。
原作通り、飴屋を父とするか兄にするかにしといて、借金のために裏ビデオや風俗に
売り飛ばされ、飴屋が憎いけど家族だから情が断ち切れないという設定でもよかったはず。 とはいえ、この漫画が賛否両論含めていちばん盛り上がったのは
エチカ初登場時のエピソードが収められた単行本5巻の頃じゃなかろうか
あの頃の期待が大きかっただけに消化不良のラストは残念
もう1巻分追加してもよかったんじゃないか
漫画の本筋とは関係ないが、eBookJapanの電子版4〜6巻は
モアレがひどくて見苦しいことこの上ない 映像化の続報って出てない?
アクション置いてる本屋が近所になくなってるんだよね… 伸びないなこのスレ…
ほんとに映像化されるほど売れたのか? ドストエフスキーを現代日本に翻案するというアイデアだけが優れているから
映像化されるほど売れているのであって、それがなかったら序盤だけよかった
残念漫画でしかないから。漫画板のスレですでに否定派と肯定派がさんざん
やりあって荒れまくったから、もう語る材料など少ない。
えっ?エチカって自分と向き合ってない?
ラストに至るまでに、須藤に寄生虫呼ばわりされたことや、ミロクにキミの愛情は暴力だって
言われた時点から向き合う作業は始まってたんだよ
問答の途中で「ミロクは自分のことしか言わない」→「でもそれはアタシも同じだった」って エチカの描写が薄すぎるんだよ。
飴屋についての感情はモノローグもないほど徹底的に描写されていないし。
飴屋への感情こそがエチカの核なのに、それが空っぽなままじゃわけわからん。
連載中うんざりしながらエチカを追いかけて見届けようとしたけど、何もないのにはどうなのという感じ。
復讐したいのか依存したいのか愛情なのかさっぱりわからん。
君の愛情は暴力だといくら弥勒が言ったってエチカの内面の声が聞こえない限りわけわからんのだよ。
ねちっこくエチカの内面描写やればいいのに、それを省いた。
改変するなら内面まで徹底的にやってくれ。
思いつきの中途半端な改変じゃ箸にも棒にもかからない。
本屋の店頭POPにあった篠房六郎版エチカ。
ttp://loda.jp/zvc10246/?id=1
歯が欠けててヤバいけど、こっちのがイメージしっくりくるな。 >>38
弱い者同士もたれ合う無様な生き様でもいいってミロクは言ってたから
エチカは今後もあのまま生き方を変えることはないんだろ
それより、お姉さんはミロクの犯行動機を知って葛藤しなかったのか?
最終話でなにごともなかったように矢住と新居選びなんかしてたけど >>41
姉さん=原作の主人公の妹は原作の流れだとスドヴィガイロフ=首藤に兄さんを逃がすためにと脅迫されて
レイプされかけるけど、ひるまずに兄を告発すると抵抗するんだよ。それで原作ではその潔癖さにスヴィドリガイロフが
うたれて何もせずに逃がしてやる。原作では苦悩するけど、矢住=ラズミーヒンに支えられ愛し合うようになるんだよ。
漫画ではそこのところがバッサリとカットされて、表面だけなぞっているの。
だからわけわからなくなっている。 個人的には姉さんが上司にしつこくされて困ってるところを首藤が助けるコマが好きだ
あと、首藤の境遇を知ってミロクが「なんのことはない。あの人も草食動物だったんだ・・・」ってとこ 個人的にはミロクと姉さんがイチャイチャしてる場面に萌え狂っていた
ミロクの「愛してる」発言に顔を赤らめる姉さん最萌 原作にならって須藤と姉さんの絡みはもっとあってもよかった気がするなあ。
あの姉さんをモブキャラのままにしておくのは惜しかった。
>>45
原作だと後半のクライマックスが姉さん=主人公の妹ととスヴィドリガイロフの絡みで
ソーニャが埋没してしまうので、あえて姉さんとエチカの立場を入れ替えたと思う。
漫画の設定だと姉さんと首藤の接点がないままだし。 >>46
あの首藤が、原作通りミロクの秘密をネタに姉さんを呼び出して関係を迫る、
という展開では違和感ありまくりだしな
ミロクと決裂して自決、というのもかなり違和感あるけど 原作の妹・ドゥーニャは漫画版の姉さん以上にブラコン描写が多く、
その意味で姉さんの「関係を疑いたくなる」ブラコンぶりは原作に忠実といえる
キャラは全然別物だけどな ドラマ化になにか新しい動きでもあったのか?
特にないから気になっているけど。
でもこれの商業的成功で作者が勘違いしないで欲しいと思うわ。
原作を現代日本のドラマに翻案するというアイデアが受けた最大の理由だから。
どうせオリジナル展開になるなら、リサを生かしといて欲しかった エチカよりリサのほうが弥勒とくっつくべきだったな。
リサ頭弱いけど性格いいじゃん。ヒカルをぶち殺した後、リサを生かせておけば
リサとハッピーエンドだからよかったのに。
エチカがだめんず暴力女で思い切り萎えた。 奴隷根性の染み付いたリサと、選民思想に凝り固まったミロクが、
一緒に真人間になってく過程はとても面白そう。 どうせだったらエチカ登場せずにリサと弥勒でオリジナル展開しちゃったほうが、
共依存や弥勒の獣性とか描けるんじゃないの?
リサがミロクに拒絶されたらどういう反応するか見てみたかった
エチカは脳内補正で乗り切っちゃうからつまらん。 江川卓「謎とき『罪と罰』」によれば、ラスコーリニコフのファーストネーム「ロジオン」は
ヒーローの語源である「イロジオン」に由来していて、アンチヒーローとしての役割を
託されていたことがハッキリ表れているという。
落合版のミロクは社会不適応のダメ人間という側面が強調されているが、
アンチヒーローのミロクも見てみたかった。 >>59
>アンチヒーローのミロクも見てみたかった
それって、そっくりそのまま首藤じゃないの(w というか、「謎とき『罪と罰』」は漫画版の元ネタの宝庫だから。
キャラのネーミングもこの本を元にしている。
ラスコーリニコフのフルネームのキリル文字のイニシャルをひっくり返すと「666」になる。
666=6が三つで弥勒というわけ。 ソーニャよりエチカの方が好きなのは俺くらいか
企画系AVでエチカを見つけたら一生涯それで抜き続けるわ
昔のロシアン娼婦とかよく分からん >>63
あ、同感。
ソーニャの描写は狂信者スレスレで、
落合の「黒い羊〜」に出てくるカルト信者みたいなんだよな。
エチカは割とありがちなビジュアルなので、
似たキャラが他の漫画とかアニメに出てきてハッとすることが多い エチカは単なるメンヘラにしか思えなかったな。
ソーニャは信仰抜きにしても自分を娼婦にした義母を見捨てられない家族愛は
感じられたと思うよ。義母が不治の病持ちでそんな義母と妹・弟を見捨てることが
できないという愛情は十分感じられると思う。義母は野垂れ死だけど、その義母に
取りすがって泣くぐらいだもの。単なる狂信者じゃない。 作者blogではソーニャを「世界文学史上の元祖萌えキャラ」だと言ってるな
エチカにはあんま萌えないが >>67
じゃあ、世界文学史上の元祖萌えオタは平安貴族か この作者に描かせると、
光源氏もマザコンの中二病になっちまうんだろな…。 この作者、次回作は何かな?
オリジナルでやるか、翻案か?
でも中二病テイストは変わらないんだろうな。
男 中二病の駄目男
ヒロイン メンヘラだめんず
というパターンになりそうだな。 明美のデレっぷりっがかわいすぎる…
だが最高は喜乃お姉さんだな
あんな美しく清らかなお姉さんと愛し合えるなら
一生童貞でもいい エチカみたいに寂しさを解ってくれる女性と付き合いたい。 エチカって寂しさわかっているのかな?
どちらかと言うと自分が寂しいから擦り寄るタイプで依存しやすいタイプと思う。
映像化の続報はまだなのかね…
作者ブログも更新止まりっぱなしだし
この投げっぷり、いかがなもんよ? >>77
まさに、作者があの作品を連載していたころのよう…(w 5巻でエチカ見たときは以前好きだったラーゼフォンの恵を一瞬で思い出していた、自分の中ではこの二つのキャラいろんな意味で瓜二つの様に思えた、外見はもちろん、太陽みたいにまぶしくあったかい性格も、もちろんこれはあくまで個人観点ですが。 79つづき
ここで散々議論された作品の優劣は置いて、エチカというキャラはこの作品にとって必要不可欠だったと思う
ソーニャと同じように、闇の底から這い上がれず心を閉ざしている主人公にそっと光を射す存在はなくてはならなかった、そんな役目は他の誰にも代わる事ができない。
この作品は堕ちていく人間を描くものではなく、堕ちた人がいかに心の闇を清算する過程を描くものだから
人と人が支い合いながらも変わっていく姿は使い古されながらも魅力的なシチュエーションだと思う
つまりなんて言いたいかというとエチカみたいな嫁がほしい 連スレすいません
散々この作品を叩いてるんだからみんなそれなりに目が高いよね?
よかったらいい作品紹介してくれよ、最近どうにも精神食糧にうえてるんだ…… 超長文書きましたが、どうか大目に見てやってください
原作のソーニャをそのまま漫画にでも書いて見ろ、宗教を持たない日本ではエンターテイメント性があっと言うまに崩れる
その点ではエチカというキャラを否定しないでほしい
エチカはキャラとして人間らしくない程に人間性に溢れるている、まるで永遠に熱を放ちつづける太陽が地に堕ちたみたいに
だから弥勒は信仰に影響された訳ではなく、純粋に彼女の人間性に惹かれ、心揺さぶられ、救われた。これも魅力的だと思わないか?
確かに宗教抜きではメロドラマになりさがるかもしれない、でもそれほど悪い事でもないと思う (それと個人的に、信仰心で自分を支える人は苦しみを責任転嫁でもしなくちゃ耐えられない弱さがあると思ってる、それで苦しみを直視したとは思えない)
弥勒とエチカが触れ合う感情やそこから生まれる成長を理解できない方がいるみたいですが
僕も弥勒や落合と似たような人間だからある程度は理解できる
弥勒はいつも人の下で運命に流される自分の存在価値を疑っていた
今の自分には人としての誇りが与えられていなく、価値のない生を生きる資格しかないと思ってた そんな彼にとって自由と自己解放を象徴する首藤が思う「人間的な事はなんにせよ自分と無縁ではない」「欲望に忠実せよ」と言う思想を恐れながら誘惑的に見えていた
だから人間になる資格を得るために人を殺すと考えていた、そんな事で人間としての誇りを取り戻せると思い込んでいた。
でもそれは間違っていた、人を殺しても何も手に入れていない自分に気づく結末しかなかった。
虚しさと怖さで胸がいっぱいになり、そんな時エチカに出会い、彼はその何かに惹かれていく
自分には分かる、それはきっと自分と同じように彼女の溢れ出す程に眩しい人間性に惹かれたんだろう だから迷い続けた彼は今度こそ本当の救いをエチカの愛からもとめようとした、理性ではない何かによって。
例えそれが自分に対する憐れみだとしても自分が空けた底のない罪と闇の空洞を埋めてほしかった。
エチカの愛情は真っ直ぐで、純粋に、眩しく、灼熱なほど熱い、まるで太陽の光。
だからヘタすれば他人を傷つける暴力に、心を抉る刃になりかねない
暗闇の底にいる人にとっては眩しすぎる光、醜い自分の姿を照らされるのが怖くなるくらい。 でもそれ以上に魅力に満ちていて、照らされるたびに暖かく変わってゆく自分にも気づく。
だから弥勒はそれでも彼女の愛を受け入れたかったんだろう。
愛が暴力なら、傷つくたびに彼は人間らしくなっていく、抉られるたびに心は綺麗になっていく
そしてやがてその愛を光として受け止められ、すべての傷から幸せが溢れ出すだろう
つまりエチカと弥勒はドSとドMの最高の組み合わせですよ
だから表現としてエチカが文字通り超暴力女であったり、いくらボコられても受け止めて本気で怒った事がない弥勒があった(でいうかミロクちゃんわざと殴られにいくような事ばかりしてたね)
乱暴かもしれないが彼らの愛し方を良く表したと思う その歪んでも美しい愛の中から彼は人間としての誇り方を学んでいった、この世が地獄ならそれを受け止めた人にこそ楽園がある事を知った。
もう人間らしさを言い訳に浅い欲望に生きろと嘯く首藤の言葉には惑わされない
首藤も最後は自分の欲望に飲まれ、誇りと生命の重さを捨てた彼は自由の限りなく狭い果てで見つけた永遠の窮屈の中で散っていった
そしてこの時、弥勒に本当に必要としたのは人間として愛する愛される資格だった。
自分が罰を負わなければ罪を負うため失った人間としての誇りを取り戻せない、その時こそエチカの愛は憐れみを越え本当に彼と対等に愛し合えるだろう。 そしてエチカを生涯愛する事のできない菊男を越える事ができたと言える
だから最後の自首は愛のためにすべてを投げ出したと言えなくもない、そして認めた愛した人に認められ愛される事で自分の力で本物の誇りを手に入れた。
それができれば例え地獄の釜底でも人として生きていけるだろう。
まわりにまわってようやく彼は自分の生き方、誇り方を見つけたんだ。
つまりこの漫画は本当は自分探しがしたかったんだけだ、そういうこと
あと、落合は感性的で繊細な漫画家だと思う、ただ感情を後から観念的に解釈しようとするから観念が上滑りした風に思われる、けどそれも繊細さ故
自分も観念が上滑りの超長文ですまん >>82
>原作のソーニャをそのまま漫画にでも書いて見ろ、宗教を持たない日本ではエンターテイメント性があっと言うまに崩れる
ここはアクション・スレで論じつくされている。
結論的なコンセンサスは、「たとえ『フォレスト・ガンプ』のような精神障害によるものでも、
また単に純粋な『人を信じる心』でもいい。宗教を介さないでも、ソーニャのキャラを壊さず
現代日本に存在する、『身は汚されても、心は売らぬ』の聖女像を描くことは可能だったはず。
ソーニャ改変は、物語の破綻と作者の力量不足を露呈しただけだ」
>エチカはキャラとして人間らしくない程に人間性に溢れるている、まるで永遠に熱を放ちつづける太陽が地に堕ちたみたいに
>だから弥勒は信仰に影響された訳ではなく、純粋に彼女の人間性に惹かれ、心揺さぶられ、救われた。これも魅力的だと思わないか?
ここは俺のレス、>>29を読んで。
>>84
>彼はその何かに惹かれていく
>自分には分かる、それはきっと自分と同じように彼女の溢れ出す程に眩しい人間性に惹かれたんだろう
それを「供依存」というのだよ。
ぞの依存性のなかにいる男と女は、「自立した人間同士が、よりよく生きる」
ためにくっついているのではなく、「自分と相手が共有している欠点を、傷を舐めあいながら生きていく」。
したがってそこには、男にも女にも「成長」はありえない。
なぜなら、彼らは「現実を直視できない、現実から逃避したゆえの関係性」でしかないから。
>>85
>エチカの愛情は真っ直ぐで、純粋に、眩しく、灼熱なほど熱い、まるで太陽の光。
ここも>>29を参照されたし。
>>86
>でもそれ以上に魅力に満ちていて、照らされるたびに暖かく変わってゆく自分にも気づく。
>だから弥勒はそれでも彼女の愛を受け入れたかったんだろう。
ここは>>25を参照されたし。 >>86
>つまりエチカと弥勒はドSとドMの最高の組み合わせですよ
これを「供依存性の完成」という。
>>87
>自分が罰を負わなければ罪を負うため失った人間としての誇りを取り戻せない、その時こそエチカの愛は憐れみを越え本当に彼と対等に愛し合えるだろう。
ここは作中で、ミロクがはたして具体的な贖罪を考えたか?
いや、それ以前に彼の「警察に自首する」という決断すら、
エチカと五位にさんざん尻を叩かれた末に、しぶしぶ行っただけだという事実を見よ。
>>88
>だから最後の自首は愛のためにすべてを投げ出したと言えなくもない、そして認めた愛した人に認められ愛される事で自分の力で本物の誇りを手に入れた
ならば、自首した後にミロクのなかで変わったもの、
ミロク自身が積極的に起こしたアクションを、作中から具体的に述べよ。
>つまりこの漫画は本当は自分探しがしたかったんだけだ、そういうこと
ここだけは同意。ただ「自分探し」のためだけに「人殺し」まで犯したミロク、
およびミロクの救済者たるエチカの内面が、あの作品では破綻なく描けていただろうか?
>>86
>つまりエチカと弥勒はドSとドMの最高の組み合わせですよ
これを「供依存性の完成」という。
>>87
>自分が罰を負わなければ罪を負うため失った人間としての誇りを取り戻せない、その時こそエチカの愛は憐れみを越え本当に彼と対等に愛し合えるだろう。
ここは作中で、ミロクがはたして具体的な贖罪を考えたか?
いや、それ以前に彼の「警察に自首する」という決断すら、
エチカと五位にさんざん尻を叩かれた末に、しぶしぶ行っただけだという事実を見よ。
>>88
>だから最後の自首は愛のためにすべてを投げ出したと言えなくもない、そして認めた愛した人に認められ愛される事で自分の力で本物の誇りを手に入れた
ならば、自首した後にミロクのなかで変わったもの、
ミロク自身が積極的に起こしたアクションを、作中から具体的に述べよ。
>落合は感性的で繊細な漫画家だと思う、ただ感情を後から観念的に解釈しようとするから観念が上滑りした風に思われる、けどそれも繊細さ故
たしかに落合氏は「感性的で繊細な『人間』」ではあるかもしれない。
だが、作家(漫画家)としては、どうか?
自分の感性や繊細さを作品中で表現し、読者を納得させるほど成功できなければ、
「作家としては」二流、三流だということになる。
こちらも、長文失礼をば。
>>89>>90>>91>>92
「俺のレスを参照されたし」「作中から具体的に述べよ」って
あんたどういう立ち位置で語ってんの?国語の授業じゃないんだから…
>>79さんは、単に「ミロクは自分に似ている、自分もエチカのような嫁がほしい」と言ってるだけ。
罪罰の評論してるわけじゃないし、まして自分が叩かれたわけでもないのに
あんな超長文で反撃するか、普通?
しかも観念上滑り気味だし。 はっきりいってこの漫画で語れるのはエチカ萌えしかないよな。
エチカに萌えている面々と萎えている面々の抗争しかなくて、
それ以外の要素には全然触れられていないよね。
それだけソーニャの改変が衝撃的だったけど、それだけしか
語られない程度の漫画だったな。 エチカの存在や言動を肯定すると
罪と罰がベースである必然性が消えてしまう
といって原作から解放された訳でもない
なんとなくなぞっただけの展開のまま続き
なんとなくまとめて終った
オリジナルでやるべきだったと思う
ただ悲しいかなオリジナルではこの漫画の商品としての価値は下がる >オリジナルでやるべきだったと思う
>ただ悲しいかなオリジナルではこの漫画の商品としての価値は下がる
それはあるかもな…ただ落合尚之が「罪と罰」を題材にしたのは、
ラスコーリニコフの社会不適応ぶりが自分と重なって見えたために
原作のラストにひどく感動したからだと最終巻のあとがきで言ってるよ。
「法学部の学生」という現代劇でもそのまま通用する主人公の人物設定を曲げて
あえて作家志望としたのも、作者がより感情移入しやすいよう自分に近づける改変だろう。
だからミロクに共鳴する>>79さんのような人はフツーに感動できる。
その意味では、>>94さんが言うような
>エチカに萌えている面々と萎えている面々の抗争
じゃなく、ミロクに感情移入できる面々とそうでない面々の抗争じゃないの。
俺自身は、どっちかといえば感情移入できた側かな。
ラスコーリニコフには感情移入できなかったが、ミロクにはちょっと来た。 ところで、精神食糧に飢えているという>>79さん、
「ヘタレ男とそれを成長させる女」という図式が好きだとしたら
「赤灯えれじい」なんかどうなの?
読んだことはないんだけどね。 >>97
「真実の性愛」を求めるなら、
中山文十郎著 『小説版 同級生』をおススメする。
いまならアマで1円で買えるよー。
ブックオフなら105円×3
ところで、ミロクとエチカの関係性をもっとも端的に表わしているのは、
往年の沢田研二の代表曲、「時の過ぎゆくままに」だなー。
>>95氏も言ってるように、エチカ(ソーニャ)の本質をネガティブなものに設定したその瞬間には、
『罪と罰』の世界観は根底から崩壊する。
それでも唯一そうした破綻を回避するのは、
「ミロクとエチカがおたがいの欠点を認め合い、ふたりでそこから這い上がる」
という展開のみだが、それもまた落合氏の力量にあまることだったんだねー…。
『罪と罰』の最重要テーマは、「デカダニズム、ニヒリズムからの脱却」
なわけだが、その闇のなかにいる主人公と、おなじ闇を共有するヒロインを出して、
いったいだれが、主人公を光の世界に引き上げるというの。
結局は作者は、「救済」を描きたかったのではなく、
自分自身が克服できないでいる「不信、虚無」を
自己肯定したかっただけだ、といわれても仕方あるまい…。
原作の構図が
ソーニャ(光、命、信頼)←主人公→スヴィドリガイロフ(闇、死、虚無)
と拮抗しているんだよな。ソーニャとスヴィドリガイロフの間で主人公が
引っ張られてようやくソーニャの方に向かっていくのが罪と罰。
落合がこの構図を否定した時点でおしまいなんだよな。
エチカを闇の中から光を求めるキャラにして、ともに歩むというのなら
まだまとまりがあったと思うが、エチカの内面をぼやかしたまま
おしまいだったし。「共依存から脱却」という展開でもよかったのに。
原作の構図を否定して新しい構図を提示することも共依存というテーマも
何も新しいものを提示することなく原作のあらすじだけをなぞるだけに
終始した漫画版は完全な失敗作だったな。
>>100
でも原作の翻案としても作者のオリジナルとしてもどっちつかずになっているじゃない。
翻案なら徹底的に原作を噛み砕いて翻案に徹するか、オリジナル長編ならオリジナルに
徹するのどちらかにして欲しいわけよ。
中途半端なんだよ。 みなさん、よろしければ俺が>>98で挙げた
『小説版 同級生』読んでみてね。
「愛により、孤独から掬いあげられる」、
「供依存ではない、真の男女の正しいあり方とはどういうものか」が、
原作の『罪と罰』ほどではないにせよ、
落合版『罪と罰』を、まるで反面教師にしているかのように、
情感豊かに、感動的に、そしてめちゃ官能的に(w)書かれているから。
でもじっさい、世界名作文学を翻案した作品って、
成功作少ないよねー。
黒澤明「乱」、黒岩涙香『岩窟王』、コミックのほうの『岩窟王』、
『三国志』を原作にした各種のコミック……。
原作が完成度の高い名作であるほど、
それを超えることは不可能にちかい困難だが、
一定の売り上げが見込めることと、作品が大ゴケしないだろうという見通しから、
絶えることはないなー。
どうせなら、ありきたりの三文大衆小説を、
『モンテ・クリスト伯』という世界文学の傑作にまで昇華させた
A・デュマのような実力と志をもつ漫画家がいればいいのだが……。
原作の話で長文になるので、ウンザリな人は読み飛ばして。
>>99は原作「罪と罰」をソーニャ対スヴィドリガイロフの図式で捉えるから
>最重要テーマは、「デカダニズム、ニヒリズムからの脱却」
という解釈になるんだろうが、作中では
「フランス文化やイギリス経済学を学び、自由主義的な振舞いを身につけた進歩的都市派インテリ層」と
「無知・無学だが純朴で信心深く善意あふれる土着的農村派庶民層」という、
いわば現代日本の「新自由主義 vs 国家の品格」にも似た対立図式があったことが伺え、
スヴィドリガイロフ・ルージン・レベジャートニコフ辺りは前者インテリ層の代表、
ソーニャは後者庶民層の代表と捉えることができる。
ラスコーリニコフはインテリ組のトップランナーだったが、
ドロップアウトの末インテリ論理でもって婆さん殺しに至り、
理に合わぬ呵責に苛まれた挙句最後には庶民層代表のソーニャに流れていく、
というのが原作「罪と罰」の基本構造、と俺は捉えている。
もちろんこれは、ドストエフスキー自身がインテリ層の立場から庶民を
救おうとするメッセージを初期作品に込めながら認められずに小説家として挫折し、
その後政治運動に身を投じて政治犯として流刑された、
という体験の反映であることは間違いないだろう。 >>104つづき
言いたいのは、転向政治犯というドストエフスキーの立場や、
当時のロシア文学が須らく政治的であり厳しい検閲の対象だったという
背景事情を考慮するとき、ラスコーリニコフの改心として描かれた
ドストエフスキー自身の転向が本物だった保証はないだろ、ってこと。
ひょっとしたら、単に官憲におもねって自身の改心をアピールするために
勧善懲悪的なストーリーを組んだだけかも知らんのだ。
「贖罪」とか「救済」とか言ってる人は、
もうちょっと原作「罪と罰」に対して距離を取ったほうがいいと思うぞ。
んで、落合版だが、原作がドストエフスキーの個人的体験の反映であるならば、
落合版は落合尚之の個人的体験を反映しているべきで、その視点では
まずまずよく出来てると思うんだがな。 >>105
>ひょっとしたら、単に官憲におもねって自身の改心をアピールするために
>勧善懲悪的なストーリーを組んだだけかも知らんのだ。
この場合、「定説・常識」に反する見解を述べているのはそちらなのだから、
証拠提出の義務ふはそちらにある。
ドスの個人的な日記やメモなんかで、そうしたことをこっそりつぶやいているものは存在する?
あくまで推測なのだろうが、それにしてもドスは職業作家だったのだ。
彼の作品中に、「合理主義」や「理性」をそれとなく賞賛した箇所は、はたしてあるかな?
当時は、いくら官憲の目があったとしても、革命への機運が高まっていた時期だ。
だったら隠然とであれ、そうした内容をそれとなく作品に書く方が、より売れたであろう。
ドスがそうしたことをこっそりと、作中で書いていたという事実はあるかな?
当時はまだロマノフ王朝は健在でも、トルストイなど進歩的思想を表現した書物はいくらでもあった。
一方、『罪と罰』の後に執筆されたドスの大作は、『悪霊』『白痴』『カラ兄』などがあるが、
内容は理性万能主義への批判ばかり。
これは流行作家としては、ちょっと考えられないと思うぞ。
>>106
早速の反論どーも。
思いの外冷静な反応で嬉しいよ。
はっきり言ってしまえば、このスレ普段は過疎ってるのに、
落合版をちょっとでも擁護するような発言が入ったら、
即原作を引き合いに出しての叩きレスが入る進行を見かねたので、
「ひょっとしたら」話でからかってみたかっただけ。
原作読めば、例えばルージンに何度も出番を与えては繰り返し叩く展開あたりに
作中のいわゆる「自由主義」への作者の苛立ちが見て取れるので、
ドストエフスキーが理性万能主義の人だなんて俺も思ってはないよ。
落合版についても、原作ヌキで冷静に評価したレスを見たいんだよ。
俺は、落合尚之やその師匠・六田登のファンだから。
もっとも、7巻以降の上滑りっぷりや終盤のバタバタ展開は残念だと俺も思ったけどな。 >>107
六田登については、最近はあまり読んでないけど、
ボクサーの話で、最後はライバルや家族ともども、
南国に移住して幸せに暮らしましたという作品など、
「救い」が垣間見えるものが多くなってきたね。
『ICHIGO』のなんかのときより、作者のおかれた環境が変わったのか、
年齢を重ね成熟したのか、ニヒリズムを自己肯定するのではなく、
克服するという方向に向いてるね。
これはいいことだ。
落合氏も、中二病テイストがウリなのかもしれんが、
それだけじゃ、いつまでももたんし、やがては変わってくるだろう。
そのときこそ、「真の成長」があるやもしれんし、
また落合作品が「バケる」ときかもね。 この漫画で大いに不満があるのはエチカの内面描写がないということだよ。
エチカが菊夫をどう思っているのか全く描写していないから、憎いのか愛しているのか
共依存で復讐しているのか全くわからない。
リアルタイムの時、エチカの口から菊夫のことをどう思っているのか口に出すのを
期待していただけに全くないのは拍子抜けだった。
憎いから共依存で復讐なのか、愛情と憎悪にからめとられているのか、
エチカの内面が全くわからなかった。
昨日は>>93におちょくられたけど、ドストエフスキーはほとんど読んでいて、
ミハイル・バフチンまで読んでいる。
エチカを愛憎煮えたぎっているキャラにしとけばドスト的キャラで面白かったのに。
「白痴」のナスターシャのように情念ほとばしる不安定なキャラでも良かったのに。
もっとエチカの内面的造形をしっかりやって欲しかった。
聖痴愚なキャラにしてほしかったな。 >>108
「ボクサーの話で〜」の六田作品は「歓びの日々」かな?
終わりまで読んでなかったがそんなラストだったのな。
六田作品には「見た目フェミニンだが、仕事ができて聡明で、
その聡明さで見抜いた男の欠点を仮借なく責め立てる」タイプのイイ女像
というのがちょいちょい出てきて結構ゾクゾクさせられるんだよな。
落合漫画のヒロインは「家族の愛情を強く求めながら実感できない」というパターンが
少ない作品数の中で繰り返し使い回されていて、エチカもその類型。
その感情が直接家族(エチカなら義母)に向かわず自傷的な行動として発現するのも
お決まりで、その意味でエチカは落合ヒロインとしては正統派といえる。
>>109の言う「聖痴愚なキャラ」よりか現代的な形象だと思ったんだが、
首藤の監禁エピソードでエチカが自問自答を始めたと思ったらミロクにたしなめられて
エチカの内面描写は確かにウヤムヤのまま終わった印象だな。 >>110つづき
ちなみに、落合漫画の「家族の愛情を信じられない」キャラ像は、
ヒロインに限らず男の子キャラもそう。ミロクがそうであるように。
察するに、落合尚之自身が家族の愛情を信じられないと感じながら育ち、
かつその感情に今なお決着を付けていないんじゃなかろうか。
だから、漫画作品の中でキャラの行動の結末を提示されても
なんか頭の中だけで考えた結論って感じで煙に巻かれた印象を受けるのだと。
その通りなら、落合漫画のキャラが「家族の愛情が〜」とウジウジ言ってるのは
まさに落合尚之から自分の家族への恨み節に他ならないわけで、
だとしたらミロク以上にヤな奴だな。
そんな漫画見せたら母ちゃん泣くぞ… いっそのこと、ミロクとエチカが供依存のまま、
「俺たちに明日はない」の主人公たちのように
破滅する話でもよかった。
「無償の愛など、存在するはずがない」と、ふたりで信じて、
彷徨の末に野垂れ死ぬとか。
この作品がなんともムカつくのは、
作者自身が「救済」も「奇跡」も皆目信じていないくせに、
原作をなぞって、世界文学の最高峰作品のうまいとこどりだけしようとしていること。
ミロクとエチカが心の闇を抱えたまま、その闇に殉じて滅びてゆく、
というのであれば、原作とは異なる展開だが、
少なくともオリジナルティーはあるし、あの作者の人間観が一貫しているということにもなる。
あれだけ厭世的でありながら、なんで自分の心のまままに作品を描かないで、
上っ面だけ「至上の愛」がテーマである原作をなぞるかねー。
さんざん他者への不信感を表明しておきながら、
自分の作品の売り上げだけは気になるのかと、
皮肉のひとつも言いたくなる。
原作の換骨奪胎どころか原作のネームバリューとあらすじだけ頂いただけなのが残念
だな。弥勒とエチカをオリキャラでやったオリジナルストーリーだったらここまで中途半端
な作品にならなかった。原作を暗に否定しつつ、あらすじだけなぞるからしこりが残る。
エチカの内面をきっちり描いた上で作者オリジナルでやればいいのに、原作のネームバリュー
だけ利用したしこりだけが残る。
作者のオリジナルは否定しないから、原作つきは自重して欲しい。 ラストは投げた気がするんだよ。
あーゆー結末を当初から考えていたのかなあ? これ、表紙の絵にだまされて読んでみたけどスゲー糞だね
原作レイプとしか思えん
絵が汚すぎるし、無駄にグロい
そもそも、ババアを標的にするとかねーわ >116
???
ババアが標的じゃないけど?
絵の汚さ・グロさも含めて
漫☆画太郎版と間違えてないか? 映像化ってどうなったんだろう
実写かアニメかも未発表だよね? >>119
ドラマ「鈴木先生」の後番という推測も当初は流れたが
あちらが終わってからでも大分たってる。
今じゃ落合版と画太郎版を混同するやつが現れる始末。 2chのスレが半年で120しか伸びないようなコンテンツじゃな…
知らないうちにポシャったとか? 漫画のエチカの件そのままドラマ化できるのか?
女子高生が輪姦されて風俗に身を落とすとかそのままやれるのか?
エチカの件で引っかかってポシャったと見る。
面白かったから来たけど、2chでは評判よくないんだなw 芥川賞の田中って、序盤のミロクがそのまま中年になったみたいなキャラだな。
あんな厨二アスペ社会不適応者が堂々と世にはばかってるなんて嬉しくなっちゃうよ。
これぞ救い。 楽しみ!
高良健吾←ミロク
水川あさみ←エチカ
伊藤歩←ミロク姉
堀部圭亮←姉婚約者?
中尾明慶←ヤズミ?ミーコ?
橋本愛←リサ?ヒカル?
染谷将太←ヤズミ?ミーコ?
朝倉あき←リサ?ヒカル?
萬田久子←ミロク母?
田中哲司←アメヤ?首藤?
伊武雅刀←五位 個人的には染谷将太にミロクやって欲しかった
ヒミズ見てぴったりだと思ったけどなあ >>127
首藤にピタリと当てはまるキャストがいねーな
さすがに首藤スルーってことはないだろうし…ヴィゴモーテンセンに演じてほしいが無理だろうw おそらく堀部圭亮っていう人が首藤だろう。画像検索してみたら顔キモいけど・・・
で、中尾がヤズミで染谷がドラマオリジナルキャラだと予想
ミーコと婚約者は出番少ないから無名の役者が演じると思う
リサとヒカルはどっちか判んないなー。まさかの万田久子がヒカル役かもな 高良健吾が「罪と罰」に挑む!
“現代翻案版”で引きこもりの犯罪者に!
http://www.cinematoday.jp/page/N0039531
連続ドラマW「罪と罰 A Falsified Romance」は
4月29日よりWOWOWにて毎週日曜夜10:00から放送
(全6話、第1話無料放送) yahooコミックスで立ち読みして気になってる
絵はすごく好き。コミック買うべきか‥
でも気になったのは、エンコウしてる女子高生。
ドストエフスキー原作の中では娼婦だよね?
エンコウと娼婦を一緒にしちゃうのはどうかな?と思ってる 原作通りじゃないよ
作者が現代風に改変してる
原作とは別だと考えたほうがいいよ
>>132
エンコウ女子高生はソーニャではない。
娼婦はといえば、まあ娼婦だ。 >>135
違うのか!立ち読みは少ししか読めないもんで… >>136
このスレを最初から全部読めばわかるよ。
あの作者がどれだけひどい「改悪」をおこなったか…。
いや、厳密にいえばプロットを現代にアレンジした以外では、
変更箇所はひとつだけだが、そのたったひとつの改悪が致命的だったということ。 やっと映像化の続報が出たと思ったらWOWOWドラマとは煮えきらんな
作者ブログもいまだ沈黙状態。売る気あんのか >>132
主人公が犯行に及ぶまでの緊張感ある展開はすごい。
俺はそれでハマった。その後はちょっとダレるけどね。
主人公とヒロインの組み合わせは、原作と違うようで似ているとも、似ているようで違うとも云える感じ。
原作通りを期待すると裏切られるのでアンチの多い作品だが、俺は好きだな。 あの長い原作をちゃんと読んだことある奴なんて一握りだと思う うちはWOWOWに入会していないんだが
第一話、どうだったのよ? >>146
連続ドラマW「罪と罰」懲役1年【WOWOW】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/tvd/1333260334/
ドラマ板にスレ立っていたけど、22レスと過疎っている。
WOWOWに入っていないからわからないけど、あんまり評判は良くなさそうだな。
手塚治虫の歴史的な名作である「罪と罰」と紛らわしいことこの上無い。 >>149
手塚治虫版も原作は同じドストエフスキーの小説なんだよ
だいぶアレンジされてるが なぜ、タイトルを「罪と罰によろしく」にしなかったのだろうか。 今の漫画は無駄にだらだらと長いね。
1冊の値段を5倍にしてでも、巻数
を5分の1にしてOKだと思うね。
読者にとっての経済性を考えたら
手塚治虫漫画の優秀性が圧倒的だよ。 ラストは刑の確定後なのに刑務所じゃなくて
拘置所っぽい描写だったから死刑ってことかな?
黒い羊が打ち切りにならず、もう少し続いてればなあ
今さら詮なきことだが残念だ この作品ってもう少し上手く描けてたら寄生獣と肩を並べてたと思うんだよね 原作よんでないんだけど
これまだ画太郎の罪と罰のほうが原作に近いんだろうな 過疎だな。
ドラマ板のスレも落ちたし。
作者の新連載の情報がないけれど、今度は登場人物の内面を自分の中で
完結させないで、読者にもわかるように心情描写を充実させて欲しい。
エチカの心情描写が全くないから、何考えているのか全くわからず混乱したわ。
作者的にはエチカのすべてを把握しているからこれでいいと思っているようだけど、
そんなの読む側を混乱させるだけで実際は説明不足の自己満足に終わっているから。
今度は登場人物の内面の濃密な描写をしてほしい。
その方がドストエフスキー的だし。
どうせならミロウ死刑になった方がどんでん返しで面白かったんじゃないの 絵はいいんでから
原作を読み解く脚本つけてほしいわ これ結局無期懲役なんだろ?
死刑ならエチカが手紙見て微笑んだりしないだろうし
ミロクがあんな清々しい顔ではないだろうし おそらく死刑判決じゃないかな?
1.かなり時間がたったと言っているのに拘置所っぽい個室である事
2.ミクロの発言で、限られた未来でその時が来るまでと言っている事
たしかに2人以上の殺人は死刑判決の対象なんだろうけど、今回の事案だと無期懲役だと思いたい。 これまでの間、名誉毀損で何度も訴えられたとも書いてあるしな
大方贖罪への無理解からくる暴言を連発してたんだろうが…特に馬場関連
まぁでも無期懲役だろ。うん 失礼
文脈からしてミー子を犯人に仕立てた権力者からの訴えだった
って訂正しても誰も見てねーか >>163
誰も見てないな
懐かし漫画じゃなくて忘れられた漫画になっていくのでしょう いい漫画だと思うけどな
今、他人に心を開きずらい女性と恋に落ちかけてるんで、これを読ませたいくらいだわ
あと『BANANA FISH』もあわせて これって、「やる夫で学ぶ現代版罪と罰」とまんま一緒に思えるんだが
あっちと売春からアパートまで何から何まで同じに見える
しかも初出はむこう 作者のブログ見たけど、仕事全然ないって…
ロシア観光の記事ばかりだけど、仕事ないって…
大丈夫か? >>94
これに尽きるな
芸のない作者に芸のない読者がつく典型だわ
原作はキャラ萌えだけで翻案できるような平板な作品じゃないしな 最近読み始めて今六巻目くらいまで来たけど面白いね
まず絵が好み >>169
好きな作品だし作者だけど、絵は線が硬い感じでイマイチ好きになれないな
あと、ネガキャンするつもりはないが7巻以降はダレるよ
にしても過疎なのに落ちないな、このスレ 作者ブログの長いロシア旅行記が一段落したと思ったら
今度は東南アジア旅行記が始まりおった…
ラスコーリニコフ以上に仕事してないなこの作者 >>171はまさに「枝葉末節にとらわれて大局を見失う」だな、肝心な部分が見えてない。 >>170
マジかぁ
まぁ、後4巻だし読み切ってみよう
なんとなく主人公の顔とかの好きなんだよなぁ、
物語にあってて 血の表現でどうこなマンガじゃないのにな、スプラッター物でも見りゃいい。
まさに木を見て森を見ずだ。 「血の表現が下手だった」という些末な書き込みは禁止なスレだったということかな?
あんたのいう森、または大局を賢しらに語らなければならないスレだとは思ってもみなかった
ただ下手だと感じたことを思い出して、他の映画や漫画のスレと同じようなノリで迂闊に書き込んでしまったよ
物語構成や翻案の出来不出来を語るつもりなぞない人間が書き込むべきスレではなかったということだね
申し訳なかった なんかアッタマ悪いのが喚いてるなw
まぁ自己の誤りを謝ってるからマダいいか。 俺は普通に血の表現は気にならなかったけどなぁ
まず流血シーンそんなあったっけ?
殺人シーンと弥勒がエチカに殴られて鼻血だすシーンくらいしか印象ない 飲食シーンと同じくらい普通に通過した感じ
猟奇犯罪物とかスプラッター物ならともかく
この漫画の場合は各キャラの心理の変化が大事な話だと思うけどね >>178
アッタマ悪いのはそいつじゃないと思うが >>171なんてとっくに居ないだろ
限界集落レベルの過疎スレで荒れてんじゃねーよ
こんな書き込みする俺もだが 触れちゃいけないキチガイ>>171が他人のふりして>>186に降臨か(笑) そういえば基地外の>>171の文には句読点が無いなw
使い方を知らないんだろう(おかげで見分けやすい) WOWOWドラマ版をDVDで鑑賞中
高良健吾のミロクはホントにその辺にいるコミュ障くんって感じ出してるな
整った顔立ちなのに全くイケメンに見えない
上着と前髪で顔を隠してうつむく佇まいからは犯罪臭しかしない
リアリティ出しすぎ(いい意味で) WOWOWドラマ版を見終えたが…高良健吾のミロクは最後までコミュ障モードの演技なのな
話が進むとともにミロクが成長していってるって感じがまるでしない
つーかドラマの構成メチャクチャだよ
結構重要なエピソードをいくつも端折ってるし、回想シーンと現在との継ぎ目が極めてわかりにくい
6話構成で全体が短いってのはわかるが、その割に序盤に尺を取り過ぎだし終盤は漫画版以上の駆け足で
漫画版の構成バランスの悪さをフォローどころか増幅してる
「聖なる娼婦」ことエチカの参戦も唐突すぎて、そもそも何の仕事してる人なのかからわかりにくい
原作を知らずに話についていくのは無理だと思う
それにセリフ回しや言葉選びが文語調なので劇だとすごい違和感なんだよな
これは原作のせいだけど、漫画だとセリフは活字だからまだ見れるんだよ
脚色するんならそういう所に手を入れてくれよ
つまり、全体として原作漫画とドラマ脚色双方の悪いとこ取りしてる感じ
それでも伊武雅刀の五位や田中哲司の首藤はいい味出してた
役者はいいんだよ役者は…(水川あさみと萬田久子は除く)
雰囲気もいいのにもったいなすぎるわ
…って長文失礼 どうせやるなら フジテレビのカラマーゾフの兄弟をやっていた枠とかでやってくれれば良かったのな
あるいはやはり長編になるが映画で。 ドラマ版では矢住がらみのエピソードをバッサリ端折ってるので
自首前のミロクが矢住を訪ねて頼み事をするのが極めて不自然
エンディング中に流れるダイジェストでは
ミロクの母や姉も含めみんな何事もなかったように日常に戻ってるし
出来の悪い2時間ドラマみたい
原典の小説のラストをおざなりになぞった原作漫画をさらにおざなりになぞったって感じ
ドラマスタッフ仕事しろよマジで あと、水川あさみって民放ドラマでもよく見るけど
傾向として「等身大の、普通の女性」を演じることの多い女優だよな?
歳も結構いってるハズなのになんであれがエチカなの
萬田久子がミロクの母役なんだが、無知無学で盲目的な母親というキャラ像が
ちょっとしっかり者に見えてしまって逆効果
そういう改変いらないから
これはホリプロのゴリ押しってやつなのか 罪と罰の小説って、若い頃は英雄気取りで政治運動とかバカもやったが
その後改心して成長した(と本人は思っていたのであろう)ドストエフスキーが、
現在の自分を脇役キャラに仮託して、イキっていた若い頃の自分(主人公)にちょっかいを出す、
という構造を持っていると思うのね。
だからポルフィーリィもスヴィドリガイロフもマルメラードフもみんな
主人公ロージャの可能性に期待してその成長を見守るという目線を持っている。
この構造はなにも罪と罰に限ったことじゃなく、男の成長物語の基本なのだと思う。
でも落合尚之って、五位でも首藤でもなく主人公ミロクの人生を現在進行形で歩んでいる人なんだよねきっと。
だからミロクを導く大人たちは、作者から見ても「見上げる存在」として描かれてる印象。
五位はなんだか先生みたいだし、首藤のキャラ造形は「オトコの憧れ」と作者自身が告白するくらい。
それはそれでいいんだけど、ミロクがなんで首藤と決別してエチカを選んだのか
作中でミロクが色々言ってても今一つピンと来ないのは、
作者自身が答えというかミロク改心後のロールモデルを持ってないんじゃなかろうかと思える。
自分から見て原作小説と落合版漫画を読み比べた時の最大の違和感はそこなんだと最近気づいた。 エチカに大きな違和感あったな。
ソーニャの場合は聖痴愚みたいなところはあったけど、自分に売春を強いた
義母の死には心から泣いたり、父親を密かに嫌って葬式にでないという
一面がある。それでも父を憎み切ることが出来ない。
そしてリザヴェータと友人同士で、リザヴェータの分身みたいな所が
あるんだよね。ラスコーリニコフからリザヴェータについてモノローグがないのは
ソーニャにダブらせている一面がある。
よく聖なる娼婦といわれるけど、親を嫌ったり、家族を思ったりする人間として
生きたキャラなんだよな。
エチカは内面がわからない。作者がエチカの内面を全部把握しているようだけど、
だったら、飴屋に対する感情や、義母への感情をどう抱いているのか見せて欲しかったわ。
飴屋を無私の奉仕という真綿で締め上げるような真似をするんだったら、その中にあるのは
共依存なのか怒りによる復讐なのかはっきりして欲しかった。連載当時リアルタイムで
追いかけていたのはエチカの動機が知りたかったけど、はぐらかされた感じだ。
飴屋に対する怒りをぶちまけてもいいのに、燻らせているようなそんな陰湿なキャラかと思った。
ラスコーリニコフはソーニャと出会って、実際に生きる弱者のリアリズムに触れ、
頭でっかちから脱出して現実の中で生きることを選択するけど、エチカがミロクを
どう変えたのかわからないんだよな。 あれは共依存でも怒りでもなく慈愛だろう、等価交換ではない
見返りの無い愛を目の当たりにするからこそ
人は心を打たれるのでは? >>199
それで飴屋が苦しんでいるのは?
いくら無償の愛と言っても、飴屋は毎日真綿で首を絞められる思いで
生活しているのはどうなのよ?大体飴屋が輪姦のきっかけ作って、
自分が先にレイプしたのに、グダグダのまま終わるってどういうこと?
レイプした相手とまともに暮らせるのかね?エチカ死んだ飴屋を殴って
怒りむき出しにしていたし。
それくらいだったら、飴屋やDQN高校生を刑事告発して飴屋の場合は
エチカが情状酌量求める証言をして飴屋の服役中は生活保護受けさせて
バイトで援助するでも良かったと思うわ。 原作小説を読み返しているがマルメラードフのクズっぷりはキクオ以上だな
作者じゃないが飲み代に消えるとわかりきった小銭をダメ親父にくれてやるのが無償の愛か? 無償の愛とは相手への見返りを期待しない親愛の情だもん
汝疑うことなかれ
汝試すことなかれ
だしさw >>201
だったらどう解決したほうがいいわけ?
エチカは鬱積した怒りを抱えたまま無償の愛の名目でじわじわ真綿で首を絞めるように
飴屋に接していたと思うが。
ソーニャはあれは聖痴愚(聖なるおバカさん)なところあるから、小銭を渡すようなうっかりさんだと思っている。
小銭を渡すような些細なことよりも、父親の葬式ミサに出なかったり、自分に身を売るよう強要した義母の死に
号泣する辺りに注目した方がいいと思う。 付け足すけど、ドストエフスキーは聖痴愚(聖なるおバカさん)キャラが好きなのよ。
白痴のムイシュキン伯爵、カラマーゾフのアリョーシャ、悪霊のマリヤなど、聖なるおバカさんキャラが結構出ている。
父親の葬式ミサに出ないほど嫌っているけど、それでも小銭を渡しちゃったり、自分に売春を強要する義母を
それでも愛する聖なるおバカさんじゃないと、ラスコーリニコフが人殺しでも無償の愛を捧げるというドラマが
展開しない。聖なるおバカだから、打算が通じず理屈でなく人を愛するドラマが成り立ち、それがラスコーリニコフを
自然と救うドラマにつながるんだよね。 北斗の拳でいう「哀しみを知る瞳」みたいなもんか
考えてみれば罪と罰も帝政ロシア末期の救世主伝説に違いない
しかしその単なるおバカさんにソフィア{叡智}という名前をつけたのは何の含意なんだろうな 単なるおバカではなく「聖なる」おバカであることがやはり重要。
あらゆる打算や理屈を越えて神に近づく(神の無償の愛に近づく)という思考がある。
そこがキリスト教圏たる当時のロシア的な思考だね。
カラマーゾフの兄弟でゾシマ(神の愛)とイワン(知性)が対立して、結局イワンは
悪魔の幻覚を見て廃人になるんだけど、悪魔が言うには善も悪も包括しているのが
世界で、テーマはその世界を包括した神の愛にイワンの理論が屈したということになる。
大審問官の行為を復活したイエスが見逃したように、神の愛は善も悪も含んだ世界
そのものを包括するというドストエフスキーの思考がある。
アリョーシャはまだ悪を見ていないから、まだ不十分な聖性。
善も悪も見た上ですべてを包括する聖性があって、そこへ近づくには理屈はいらない。
それが「ソフィア(神の愛=叡智)」ということ。
漫画はそのドストエフスキーの宗教観をオミットした結果、ソーニャのマルメドーラフに
小銭を渡しちゃったりする行動が理解できないようになっちゃうんだよな。 ドストエフスキーのと、コレは、元ネタではあるが、まんま原作通りに作ってるのではなく
現代風リメイクみたいなものだし、そのへんが色々違うのは仕方ない
同じ展開でなおかつ漫画がいいなら「漫画で読む名作」シリーズのほうがいいかもよ。 >>270
原作小説を現代日本に移植した時点で聖書を下敷きにすることはできないし
現代日本は19世紀ロシアのような世紀末でもないんだから
登場人物たちの苦悩も社会問題の反映というより個人的なものになるのは当然
だいたいお前は「神の無償の愛に近づく」とかいうお題目に感動したわけ? 今更ながら読んだ
原作は名前と大まかなあらすじしか知らなかったけど
なんか惜しい感じがした作品だと思った 今初めて落合のブログ見た
ふーんって感じだな
やはり弥勒は無期懲役だったのかなぁ この作品すげーな
文学とか興味ないけどかなり面白かった
絵知香可愛い >>215
手塚版ではスヴィドリガイロフが気合の入ったレベジャートニコフみたいなキャラになってるんだよね。
発表された昭和28年当時の日本では、原作通りの悪徳高等遊民・スヴィドリガイロフより社会主義活動家の方がリアリティがあったんだろう。
でも手塚治虫は罪と罰からただならぬインスパイアを受けていることを公言していたし、「ペーター・キュルテンの記録」とか「鉄の旋律」とかは手塚版罪と罰より罪と罰っぽいと思った。
落合版は…原作をなぞっているように見えてその実良くも悪くも落合漫画なんだよな。
アダルトチルドレン(落合)によるアダルトチルドレン(弥勒)の話って意味では味わい深いんだけど。 何で弥勒最後打ち明けたんだろ
検事が死刑か無期懲役が妥当 みたいなこと言ってたし本人も分かってたのにいろいろ理由つけて自首したけど普通そんなことしないわ
いくらエチカとかの影響で自首する気になっても死刑、無期懲役じゃ元も子もないし
せめて15年以上程度の懲役が良かったんじゃないかな…
原作知らんから原作に言うべきなのかわからんが。 原作は現地の当時の法のとおりに、流刑になり流刑地での変化(と変化していない部分)も描写されてる
舞台を現代の日本にした時点で適用される法律も変わっちゃうからなぁ そこは描かれてはいない、でもまぁ2人殺していて、その状況が(たとえ自ら名乗り出ていることを考慮しても)悪質として
裁判員裁判も、その上級審も死刑宣告になる判例だと思うよ、すごく情状酌量されても変わらなさそう。 死刑だったらエチカがミロクからの手紙持って微笑んでるのはおかしい 良くて無期懲役じゃないの
まあ現代の無期懲役は十数年すれば出られるとからしいけど 十年ほど前までならば、殺人での無期懲役でも模範囚でなら17〜18年ぐらいを目処に出所できたけど
殺人での収監対象には今はそんなに緩くはないよ。
>>226おかしくはないぞ、判決前ならば(制限や、できる対象者も有る程度限られるが)手紙のやりとりは出来るし
感情面でも、文章ででもやりとりが出来て、真摯な対話が出来る喜びの笑みなら理解できる。 首藤こそ主役級だった。次の漫画に活かしてほしい。
改心したりどうでもよくなるには首藤はまだ若すぎる。首藤は生かしといて外伝やらないと 首藤がかっこよくなりすぎたせいでエチカ(ソーニャ)の存在が思いっきり矮小化されてしまったから
原作信者が火病起こしまくってしまったんじゃないか 首藤がかっこよくなりすぎた(笑)
子供には、そう見えるのかw 戦後最大の殺人鬼が愛読書にしてたっつので俺も全巻読んでみた
突拍子もない展開と完全なる自己中的な思考と行動
薄っぺらの愛や厨二病的なかっこつけしい
なるほど、こんなバカな本を真に受けたからあんな大事件をやらかしたのかと
禁書レベルの糞漫画でしたよ 今日暇だったから満喫行ってきた
で、このマンガ読み返してきたからここ覗いたんだけど
お前ら揃いも揃って読解力なさすぎw
>エチカのキャラからして、あの後、
生涯をつうじてミロクを支え続けるようには、
とてもじゃないが、思えないんだよね・・・。
なんのために首藤が仕掛けたゲームという名の独白合戦やったんだよw
ミロクもエチカも盛大な自己総括からの人間化宣言やってるよ
だから首藤は敗北を認めて去ったし、エチカは「ミロクは自分のことしか考えてない」
→でもそれは私も同じだと悟ってミロクを責めなかった >母姉がどうなったかも不明
母は心労で死んだとミロクが激白してる
姉は成金と手を切ったようでミロクの友人と結婚するらしく一緒に不動産回ってるシーンがある
>エチカ
ミロクからの手紙読んで微笑んでるシーンがある、シャバに出て来られたら普通に結婚するだろ
>ミロク
自己総括終えて、かっては馬鹿にしてた平凡な生き方に価値を見出そうとしてる
検事のアドバイス通り 劇中で「起こったこと」を追っていけば確かに>>242の言うとおりなんだが、
>>242はこの作品を見てどう思ったの? >>243
中二丸出し作品だとは思った
あとセリフが文語調で読みにくい
ただ、コミュ障とか人嫌いとかプライド高すぎとかで悩んでる友人や異性には勧めたい作品 手恷。虫の「罪と罰」をアニメーションでやらないかなぁ。
「せむしの子馬」の時代のような感覚でさ。
「ファウスト」もさ。
日本には優れた過去の漫画遺産がたくさんあるのに。 この漫画って結構長編?
マンガBANGってアプリに週1で無料連載を公開されてるんだけど、今19話で血と唇て話
続きが気になるから、この先まだまだ続くなら単行本買っちゃおうかと思うんだけどどんなもんでしょう?
もう終わる?それとも続く? 懐かし漫画のようにだれでもネットで稼げる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
UO8CF 中二病とか言われるけど、前近代の作家たちはその中二病的な精神疾患に全力に取り組んで歴史的名作を作ってきた
近年は色んな創作物が飽和した結果中二病とかいう言い方で蔑視する傾向があるが、人間が精神を描く上でそういった要素は欠かすことはできない
この漫画は真正面から取り組んだ大した良作だと思うぞ ドスコイスキーの原作は無駄に長いから、
手恷。虫の子供向けダイジェスト版の「罪と罰」程度が
ちょうど適当だと思うけれどな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています