昔のITってどんなだったの?
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技術から言えば1/5位のレベルで今よりも単価が3倍位高かったみたいなんだけど本当?
10年前くらいらしいけど、HTML組めるレヴェルで500kとか貰えたって・・・ >>280
時代認識がたぶん10年ずれてる。
あの手の雑誌はもう80年代後半にはまったく時代遅れだった。
っていうか90年代後半にBASICなんてあったっけ?
VB?
あれでゲーム作れるのか VBでDirectXを使って、3Dゲームを作るなんて事をする人もいてな。
そこまで行かなくても、VBの限界に挑戦だとか言って、
ゲーセン並の弾幕シューティングを作っちゃう人もいたり。
そんな事はともかく、俺は8ビット機全盛時代は所謂ナイコン族だったので、
当時パソコンを所有し、最新マシンとして楽しめた人を羨ましく感じる。 90年代後半もBASICはあった
従来の構文とある程度互換性を持つ、BASICコンパイラも現在に至るまで販売されてる
高校の数学やセンター試験でもBASICを扱ったので、それの学習用途のも存在した なんで言葉をそういう風に文字通り受け取るんだよw
あんた国語の読解の点数悪かっただろw >>280
プログラミング関係の記事は無視して、ゲーム雑誌として読んでる奴が多かった気がする
アーケードもゲーム専用機もPCゲームも網羅していたし、ハイスコア集計もやってたし 今は型の古い中古なら、1万円未満で完動するPCを購入でき、
フリーの開発環境やコンパイラだけでも、学習どころか開発までできる。
個人がコンピュータを保有するなどありえなかった時代は、
技術は職場で習得するか、大学や専門学校で学ぶ以外に方法がなかったの?
専門書を読んでも、実機を自由に触れなければ、机上の空論でしかないだろうし。 どのくらいの時代の話か分からないけど、マイコン登場以前のホビーストは
リースバックのミニコンをつかっていたと安田寿明という方が
ブルーバックスに書いていたのを見た。「個人で所有」できる時代なので違うか。
ちなみに最初に読んだコンピュータの本には磁気コアメモリで大容量とか
書かれていたけど現物は見たことが無い(w アキバで石を買って自作してた頃の話かな?
1万円未満で部品は揃うけど、ROMライタとか開発環境が高かったんだよね。 ブートストラップをコンソールのスイッチで入力とか
訳分かりません >< 昔は職業プログラマでも、コンピュータに触れた事のない人がいた。
なぜかというと、彼らは紙にコードを書き机上デバッグをするのが仕事で、
実際に入力するのはオペレータの担当だから。
プログラミングの学習も、実機ではなく机上のみ。 そんな単純作業はオペレータの仕事だろ
プログラムをパンチカードにするのは面倒だし >>292
昔はWindowsなんてものはなかったからな
システムごとに今のPCに代わる端末装置を開発してたりしたから
「私は仕事を離れたら絶対キーボードに触れない主義です」
などと堂々というマもいた。
今じゃ考えられん。 > 「私は仕事を離れたら絶対キーボードに触れない主義です」
これは今でもいるだろ。 COBOL屋さんとか汎用系?
Windowsや組み込み系の人はまず自宅にもPC持ってるから考えられないでしょ 自宅にPC持ってるのが当たり前って感覚がおかしい。 ・80年代〜90年代中盤
自宅にPC持ってるなんてマニアだけ
または宣伝に見事に騙され、それが何なのかも知らずに買ってしまった人だけ
・90年代後半〜2000年代中盤
興味も必要性もないのにPC買う人が続出
結局使わずに、新品同様のまま手放す人も続出
・ここ数年
携帯電話やスマートフォンで何でも済むのに、PCなんて買うのはマニアか時代遅れの奴だけ ライトユーザー市場に入り込めなかったMSの行く先はどうなることやら ◆脱税逮捕「政界タニマチ」ソフトウエア興業・前社長のカネと女の武勇伝 (週刊新潮7/28号)
ソフト社の元社員が呆れ果てて語る
「”つべこべ言うな、いいからやれ”が口癖で、労組も認めず、気に入らない人間は排除する。
また自社株は実質的に奥さんと2人で握り、自分や奥さんの親族だけでなく元妻やその親族も
役員に就けていたんです」 典型的なワンマン経営者である。
別の社員の話。
「おまけに、銀座の高級クラブのホステスを秘書に迎え、役員にしたんです。彼女たちには家屋敷
を与えて子供までもうけている。なんでも、一人生まれると2000万円のお手当を出したとか。
会社の外にも愛人が複数いたようです」 モラルも何もあったもんじゃないが、
「馴染みの料亭の仲居さんに1000万円のダイヤを贈ってスカウトしたこともあったし、強引にヘッド
ハントしたホテルの従業員を手籠めにしようとして失敗したなんてことも。出張に同行させて、泊まる
部屋をひとつしか取らずに関係を迫ったんです」
きわめつけは事業所ビルのワンフロアをぶち抜いた丸山三郎前社長の専用部屋。
「パスワードがないとエレベータも止まらない”開かずの間”です。中には赤い絨毯が敷かれ、
キングサイズのベッドの脇にティッシュが置かれてある。ここに女性役員を昼間から連れ込んでいました」
この数年で売上高は200億円を切り、社員数は1000人ほどに。
「業績が下降中でも、会社と自分のカネの線引きすらせず好き放題やっていた社長に愛想を尽かして、
みんな離れていったんですよ」
一代で業界有数の企業を築いた”元祖IT長者”は色に溺れた裸の王様だった。
先人は、女事に賢人なしと言っている。
>>300
とっくにビジネス用途に注力してますよ。
古くからある大手ITについても同様。
ライトユーザー向けの商売は、どうしても薄利多売にならざるを得ない上に、
短期間でコロコロ流行が変化するので、大企業はあまり得意としていない。 JUSTSYSTEMだって業務パッケージや受注がメインだしな いやいやw
まだまだホームベージビルダを舐めたらあかんぜよ 今時どこもWindowsServerになっちゃったな
昔は考えられなかったよ 方眼紙に手書きでテーブル定義書。
Excelが出たときには狂喜乱舞した。 20年ぐらい前は生産性も悪い上に、スパンも長くて残業しまくりだったけど、
短期で確実な仕事を要求される今より幸せだったな。
今は余裕が無さ過ぎだわ >>308
俺はRPGとRPG/ILEのコーディングシートをEXCELで作った。
RPG用はまあまあ使えるんだけど、ILE用はA4シートではマスがきつすぎて使いにくかった。
と言っても現実にはPCから直接コーディング入力するので出番はほとんど無しw SONYがUNIX機を出してると聞いて当時常務は鼻で笑ってたな
松下が世界最高の電器メーカーで、SONYなんて、ふん!という奴だった >>313
多分、1988年だったと思うけど、
Lunaの試作機を使って制御系ソフトの開発やったよ。 昔のでかいコンピュータの頃、TVでドラマでも報道でもコンピュータの映像って意外に少なかったんだよな。
まあ当時はわかる人が制作側にいなかったという事情なんだろうけど。
たまにあると、コンピュータを模したセットでのんびりと磁気テープもどきが無意味にくるくる回転してたw
実際の磁気テープ装置はうなりを上げてテープが切れるんじゃないかという超高速回転なわけで。 15日の刑事コロンボ「愛情の計算」でコンピュータが登場した。
1974年制作であの頃のコンピュータとしてはかなり小型。
国防計画に使えるような規模ではない。
ロボットが出てきたのはご愛敬w
コンピュータ室に犬を連れ込むなんてもってのほか(怒)
コンピュータ室としては静か過ぎ、各機器は騒々しい音を出しているはず。 「愛情の計算」はコロンボシリーズ屈指の駄作との評価w >>319
昔のロボットってぇとなんとかの一つ覚えで頭でアンテナのようなのがくるくる廻ってるのはなんでだろう? 作者の趣味と映像効果
アシモフだと1950年代に既に完全人間型で描いている >コンピュータ室としては静か過ぎ、各機器は騒々しい音を出しているはず。
日本語吹き替え 懐かしいね プログラム なんって アセンブラ HSM 40KC
まるで 玩具 図体は 可也でかい 一人前に 壊れるし 苦労したよ
残業 100時間 なんてざら 初めて習ったとき 加算回路ない
吃驚したね 簡単なようで 結構面倒なのよ もう一度やって見たいね
半世紀前の機械だけど。 >>135
昔の昔話にレスしてナンだが、そういう時のために紙束の側面に
マジックで斜めに線を引いておくと復旧が早いんだぜ。 我が社では大人の事情でマジックインキが使えないのでゼブラのマーカーを使ってたな おおお昔の話だね。コアメモリが廃れてRAMメモリが出てきた頃、
大型計算機センターの職員さんは、「これからはいちいちメモリが消えて
不便になるなぁ」っていってた。今やほぼSSDだから歴史は繰り返すよなぁ。 ちなみに親はタイガー計算機つかってたぞ。俺も教えてもらったから使える。
あと紙テープを読んで、そうか!とかいう人は存在するし、紙テープに
パッチ当てる人も存在する。
カセットテープ聞いて何のプログラムか当てる人もいたな。 >>329
RAMメモリなんて当時は言わなかったな。ICメモリ。
閑話休題。
むかしCOBOLプログラムを書いてた頃、わりに目立つ勘違いの一つ、
WRITE文のBEFORE/AFTER句の認識。
WRITE LIST-REC AFTER 2.
これはLIST-RECを書きだす前にを2行送りするという文だけど、WRITEを先に考えてつぎにAFTERを認識するので
釣られて「書き出したあとに行送りする」と勘違いする人が多かった。
省略せずに書けば、
WRITE LIST-REC AFTER ADVANCING 2 LINES.
2行を進める前にLIST-RECを書く。
で、どういう順序で何をするかが一目瞭然。
カナダでプログラマーだったという人と話した時に、日本ではこの勘違いをしがちだ
と話したら、ネイティブでも短縮形で書く限りやはり勘違いする人がいるとか。 まちがえたー
WRITE LIST-REC AFTER ADVANCING 2 LINES.
2行を進めたあとにLIST-RECを書く。 モデムの音聞いて動き出すバッチの種類察知してたな
売上データ来たぞーとか帳票要求来たぞーとか
帳票要求が長い時は紙補給スタンバイしてた
あと、オープンMTの巻き具合で処理の進行度把握したり
暇だったな モデムってなんであんな音するんだろうね。
グーッグッグルッグーグッグッグーグルッ・・・ ドットプリンタ全盛期の頃、専用部屋に大型プリンタが3台あって、
プリントしたら、わざわざ部屋まで取りに行っていた。
行ったら、専任社員が印刷別に切り取って分けていているので、それを持ち帰る。 >>335
自分の居た所はA4くらいの紙にプリントされたのが背面を糊付けされて製本されてた
それを私書箱みたいなものに置かれてたな ドットプリンタ?
大型はハンマープリンターじゃない? COBOL使いは超先端技術者
エリート中のエリート
手書きでプログラムを提出し、
気に入らないと「こんなプログラム使えるか!」と親方に殴られる
そんな時代 コーディング用紙にソース書いて
字が汚いからパンチャーからタイプできないと言われたことあった コーディング用紙には1行飛びに書くと追加修正するときに楽 紙テープは1行打ったら空フィードする
間が無いとハサミで切って繋ぐことができないから >>340
昔はマシン室の片隅にパンチャーの女が何人かいたもんだが
ルックスは微妙だったがw >>343
>ルックスは微妙だったがw
そう言うオブラートに包んだような表現は歳とったからだな
当時はもっと直球な表現してたろwww 一本のソースでコンパイルエラーを三回出すとガッツリ怒られたな。
「CPU1秒回すとお前の給料吹っ飛ぶんだぞ!」ってねw >>344
いやー同じだよ
常駐してた大手の客先の女性社員はすげー美人が多かったけど、
派遣のパンチャーのコ達はいつも固まっててわけのわからない存在だった 昭和43年に発足した電子計算室に採用されたキーパンチャーは、
当時最先端流行のミニスカートが13名。
コンピューターに関わる仕事はみんな知的でエリートコースと思われていた頃で、
13人は偏差値県内トップクラスの女子高卒・短大卒の才色兼備ばかりだった。
それが5年以内に全員入れ替わり、凡人だらけにw 男はつらいよにでてくる寅次郎の妹さくらの仕事はキーパンチャーだった
取引先でいいお見合いの話あったのに、兄につぶされてしまった キーパンチャーは沢山いたが、カードの穴を覚えたのは多分俺だけ。
まぁ仕事の流れからしてキーパンチャーは覚える必要なかったけど。
一方プログラマーはプログラムの修正のためある程度は読めなきゃならない。
なので数字くらいは誰も読めるようにはなってた。
印字式穿孔機は結構高価らしくて、最後まで1台しかなかった。
だがその印字機構、かなり故障するんだよな。 昔は8インチフロッピーだったな、それから3.5インチ、カッセットテープ?USB
今USB持って行けなて書く書類も増えて面倒になった
外出時もユーザーにサイン貰わないといけなくなって昔みたいにサボレなくなった 銀行の第三次オンラインで仕事にいったときにカードとか見せてもらった
調査役の人が若かったころ紙に鉛筆でかいたコード
をパンチした行員のおねちゃんが、廊下にぶちまけたと言っていた 8インチフロッピーは定期的wにすぐ壊れるから扱いずらかった
あとトグル回して装着するDISK
外す前にちょっとオペレーション間違うだけで中身が氏んだw key to disk 8インチ 1Sだった 片面?両面? 壇蜜w 昔は良かった外出先でサイン貰う必要なかったから。2時間でもサボれた いまも週3日は客先に打ち合わせだって言って
昼には家に帰っているけど? >>354,356
5インチのことも思い出してあげてください(><) 5インチは平成でも使われているので、そんなに古くない 8インチの頃は、「ウエストポーチ」って入れ物が流行ってて、
「そのままじゃウエストポーチに入らないから」ってんで
8インチのフロッピーディスクを無理やり畳んだ奴も居たそうな。 落とし物ですって磁石でホワイトボードに貼り付けてあったりな 出かけて1時間で済んでも、3、4時間遊べれた。そして日当も付ける >>359
代理店の人や営業とお茶行くこともあるしね。付き合いだよ。
一人でブラブラも出来るし しかし、今だって2ちゃんやエロサイトを仕事中に覗いてないか? 出張費を浮かせられた、昔は新幹線チケットは今みたいに総務から手渡しじゃないし
知り合いのとこに泊まっても宿泊費でたし 金曜主張だと、後泊までは会社負担で土日遊んで月曜会社負担で帰れたな。
出張から戻ってきた日は何時に帰宅しても定時退社扱いだったし。 >>369
今それやるとアラートログに書き込まれてお叱りメールが来るぞ 日報が無かった、だんだんめんどくさくなってきてるな 予定がなけりゃ朝休むと電話すればOK
これは今もあんまり代わらずだけど 昔は美味しい仕事がかなりあったな、でもソフトハウスの見積もり厳しかったけどね(笑) 書く書類が少なかった、気が乗らない日は遊んだりボケっとしてた
今みたいにPCも管理されてなかったからインターネットしたりと遊んでた
外出先でもサイン(訪問開始&終了時間)貰わなくて良かったから外でサボってた ユーザーで食事出して貰える機会多かった
パッケージのインストの子は良くお土産貰ってたな インターネットなんて無かった時代
データ伝送できる環境は限られてたし、遅かった
数十Mのファイルを送る位なら、バスに乗って手で運んだ
パソコン(PC-9801)はあったが、仕事で使う事は無い
(N社のシステム部門も!!)
ビジネスには専用PCだから遊べない
でも、、その専用PC(N5200)で出来るテトリスがあった。。。。。 プログラム単体の仕事で
昔は大阪から東京本社にフロッピーで宅急便で送ってたな
フロッピーだから本数多いと何枚にもなる
締め切り時間は宅急便回収時間となる 東京までフロッピーを持って行ってそのまま5年帰らなかったって話を聞いた。
尾ひれが付いて都市伝説みたいになってるが実際にそれに近い話はあったらしい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています