今と大きく意識が違う点として、ハードの価格というのもあるでしょう。

ハードディスクなんて、まずは利用が考えられない時代がありました。
1980年代: オフコンで中華なべぐらいの50KBのディスクが数百万
1990年代はじめ:PCにHDDがつくけどPCのシステムの仕事はなく、
ワークステーションでも数十メガあたり百万。
私の場合では、容量を気にせずハードディスクを使えたのは1990年代中盤からです。

ハードディスクに限らず、メモリ、ディスプレイ、なんでも同じです。

当時は、こうした資源をケチケチ使う技術がいろいろありました。資源をケチることは、
ハードを含めたシステムの全体的な価格を抑えることができるので、非常に重要視されました。
設計の非常に早い段階から、ハードの制約(どうケチるか)が関係者の頭に必ずめぐってました。
もちろん、これは出来上がりの美しさを歪めることが多かったです。でもお金には代えられない。

逆に、90年代中盤ハードの価格が下がりだしてから、ケチケチしない「富豪プログラミング」
という思想が出ました。ソフトウエア工学的に正しいし、人に優しいし、今はこちらが当たり前で
死語ですよね。