昔のITってどんなだったの?
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技術から言えば1/5位のレベルで今よりも単価が3倍位高かったみたいなんだけど本当?
10年前くらいらしいけど、HTML組めるレヴェルで500kとか貰えたって・・・ そらC++やjavaが流行るまでのスクリプト言語はカオスよ。 >>188
いや、当時から常識的に使われてたけど。
底辺ITのお仕事でも使ってたぞ。 システムなんて出来て当たり前。
出来なかったらそいつが悪い。
出来ないと判断あるいは出来るやつは必ずいる。 設計図から部品データを画像処理で抽出・・・とか変態的なことやってたな
しかも、超少ないメモリで
もう誰も触れなくなって画像処理で部品抽出なんて誰もできないけど
昔の人は根性あった ちょっと前まで工場内でPC-8801が稼動し続けてた。
ほとんどBASICで作られたプログラムが延々と、
シリアルポート経由で設備の稼動状態を監視し続けてた。 何を言ってるんだ? 修理が出来ない=動かない(悪だ!) キーパンチャーか・・懐かしいなw
コーディング用紙にシャープペンでコーディングしてフロッピーと一緒に提出して
パンチしてもらった。よくコンパイルエラーが出たw
中にはお水っぽいコもいたな。今みんなどうしているんだか
今は自分で適当にエディター使ってコーディングできるから楽になった
あんなもんいちいち人に頼めんよw パンチカードじゃないけど入力専門のお姉さんの職場なら流通系にあった
もちろんお姉さん方帰ったあとの深夜作業だけどな orz 観光地などにあるメダル自販機の中には
いまだにMSXで稼動しているものがある MSX懐かしいのー
Tのパソピアの8チャンネルデジタル音でよく作曲したもんだw 今は昔、新採で入って配属されたのはコンピュータ設置準備室。
入ったときは導入する機種は決まっていてコンピュータ棟の工事が
2ヶ月後に始まろうという段階だった。
そんなある日、「我が社のコンピュータを是非導入してください」と
2人のセールスマンが来た。
出したカタログは、電子式卓上計算機。ま、確かにコンピュータだが・・・
室長は笑いをこらえながら、ここで設置しようとしているコンピュータは
こういうものです、とプレゼンに使った資料を出して説明した。
そして2人はそそくさと帰っていき、室内は大爆笑だった。 でも今やその卓上電算機メーカーが勝ち組になってる・・という落ちなんだろ?w あの名作ウゴウゴルーガのCGはMSX2で作ってたんだってな。
俺もMSXturboR持ってるよ今でも。
大学の頃、ボート部の船のレンジやバーなどの数値計算するのに重宝したもんだ。
大学の電算室に行けばmathematicaが使えるのはわかってたけど、
逆三角関数はまだ入ってなかったからな。
今はフロッピーのゴムが伸びちゃって、BASICかROMカセットしか動かないけど。
10年前に聞いたときは、パナソニックは在庫を切らさないように
数年に一度ゴムベルトライン稼働し続けていると聞いたが、今はどうなんだろ。
ちなみに20代です。 ウゴウゴルーガのCGはAmiga、らしいぞ(ジャー)
ttp://web.mac.com/kudan/kitune/AMIGA.html オランダに、MSXのフロッピーのゴム等の補修部品を扱う店があり、
それだけを目当てに現地へ行く日本人もいたと聞いた。
零細の個人商店なので、海外からの通販など受け付けておらず、
オランダに知人でもいない限りは自分で行くしかなかったそうだ。 電算写植の仕事してたけど、
電話鳴ったら受話器を音響カプラに置くバイトとかしてたわ
非効率極まりないw >>199
以前に秋田空港に行った時に見つけた。
ちょっと古い話なのでまだあるかどうかは知らないが
小田原城の土産物を売ってる所の近くにもあった。
MSXのメダル販売機は、観光地には今も多数残ってると思う。 昔は新機種導入の日にお客さんが御祓い・・wとか呼んで待たされたもんだ。
今でも大概そうかな?? MSXの発表会は、ビル・ゲイツが来日してその地味さ・チャチさに似合わない大々的な催しだったような覚えがある。 MSXーDOSか。
1.0は、フロッピーをコピーするときに何回もコピー元とコピー先を入れ替えたんだよな。
2.0で、入れ替え回数が8回まで減って、画期的な技術だとか騒がれたものだ。
まだ当時のフロッピー残ってて、MSXのエミュレータ上で動くよ。
動作確認しかしてないけど。 MSXで家電もガス器具も水道も何もかも
制御する未来を先取りした住宅のプランはどこへいった? >>211
そんなのは、昭和時代の人達が夢見た未来の姿でしかなかった。
実現することなく、夢のままで終わった未来予想図。 よぼよぼの爺さん(MSX2)がヨチヨチ歩いていたら、
若いマラソンランナー(WIN)が脇を爆走していったでござるの巻 最初はゲーム目当てで買っても、徐々にプログラミングに
手を出すようになっていった人もいた。
MSXに限らず、当時の他機種についても同様。
30代以上だと職業プログラマ、趣味プログラマを問わず、
それがきっかけだった人も多いはずだ。 >>214
人気ファミコン用アプリをMSXにポートしても速度がでなかった。 筑豊電鉄(っつても知らんか)の車内で流れてたビデオの編集はMSX2使ってたみたいだった。
時々MSX2 BASICの画面が出てた。
20年くらい昔の話だけど。 ITって最先端みたいなイメージあるけど
実体は泥臭くて人間関係が汚くて一部の勝ち組以外は奴隷扱い コーディングシートっていうマス目の紙があってそれにアセンブラ書いてた。 各種言語用にプログラムシートというマス目の紙が売られてた
今も情報処理系の大学や専門学校では見かける機会があるかもしれない。
プログラムばかりじゃない、入力データにもそれぞれ専用シートがあった。
それをキーパンチャーが80欄カードやフロッピーに打ち込む。
キーパンチャーってぇと、昭和40年代のミニスカートブームをどうしても思い出す団塊世代の俺。 >>222
会社が「高過ぎる!」と買ってくれないので、手書きで作りそれをコピー、
のちにパソコン時代になったら表計算ソフトで作ったことがある。 あったねーディスプレイが2行分しかなくてDUPキーがついてた。
読む側もオートチェンジャーつきのでかいのがあったし。
フレキシブルディスク読取装置ってナニソレだよな。 ふ〜ん、インテル・ミラノにはマイコンという選手がいるのか そこかw 最近職業病についてのスレをどっかで見たがなんかワロタ 昔のITの特徴は、やっぱ大型機全盛時代だったことだろ?
IBMの専用端末なんかカラー表示も可能だったが
くそ思い鉄製の重厚長大な装置だったな。 重さが
20〜30キロぐらいあったな。
そんな端末が1台の大型汎用機に数百台とかぶら下がっていて
混んでるとトンデモなく応答が遅かった。 その昔、HITAC5020という当時のスーパー級コンピュータを見学したとき、
エンジニア2人がXYプロッターの前でグラフを描いていた。
20分ほどかけてマトリックスを描き、それが終わってツィーーーィとエキスポーネンシャル
カーブを描いて操作が終わった。
A「これだけ?」
B「そう・・・らしいな・・・」
A「20分間の料金いくらすると思ってんだ?」
B「・・・ごめん・・・」 地震で崩れた納戸の中を整理していて出てきた本。
共立出版 bit別冊「国産コンピュータはこうしてつくられた」
1960年〜1985年の開発の流れと新世代への展望
昭和60年9月10日発行 ¥2500
第T編 総論
日本の計算機開発に思う
古い世代から新しい世代へ
第U編 日本の商業計算機の発展の流れと展望
沖電気
東芝
日本電気
日立製作所
富士通
三菱電機
日本電信電話(NTT)
第V編
統計に見る日本の計算機
第五世代コンピュータ
将来の商業計算機(座談会) >>222
コーディングシートは今でも教育目的なら現役。
まず机上でコードを書いてロジックを理解すべきなのか、
そんな暇があるなら最初からコードを入力・実行した方が良いのかは、
俺には判断できないし人それぞれだと思う。 8年くらい前に専門でCOBOLのコーディングシートとかフローチャート書ける定規使ってた
COBOLみたいな宣言の記述が無駄にでかくなる言語には
こういう勉強法はありだと思うけど、
JavaとかPHPみたいな、ルーチンを書くのがメインの言語には合わないんじゃないかな たかが20〜30年ほど前の本を見てみると面白い。
たまたま見つけたPC-8801入門書は、全くの初心者向けでも、1章からいきなりBASICプログラム。
ミニゲームや簡易家計簿プログラムの解説を経て、最後にちょっとだけマシン語に触れたり、
周辺機器の回路自作についても少しだけ解説している。
明らかに小学生くらいを対象にしたパソコンゲーム本も、市販ゲームの記事は半分程度、
残り半分はゲームプログラムの解説だ。
初期のファミコン攻略本でさえ、後半はファミリーベーシックを使った
ゲームプログラムや音楽再生プログラムの解説に使ってる。
当時の入門者や小学生プログラマでも、そういう本を読み通せる人なら、
現代の並の職業プログラマ以上のスキル水準だったのではないかと思った。 >>239
有名アプリのプログラマが実は中学生とか結構あったね。
今は中学生がプログラミングしたから有名なアプリとかしなかないかも。 そんな話聞いたことないぞ。
昔を美化するのは老化現象の始まり。
当時PC雑誌を読んでたような人間は、普通はまだそんな年齢じゃないはずだと思うがな。 中村光一とか、と思ったが、彼はが有名になったのは高一だった。
昔を美化するのは老化の始まりだが、それでも昔には昔の楽しさがあったのも事実だ。
BASICの命令を10個くらい覚えた程度でも、
つまらないアドベンチャーゲームを作ってみたり。
市販のソフトを真似しようとしても難しすぎるので、
妥協に妥協を重ね、部分的な真似をして満足してみたり。
当時の苦労と試行錯誤が、今でも少しは糧になっているのさ。 >>195
うち、故障したときのために8801の新品を未だにストックしとる。。。なかなか壊れず、まだ一台交換しただけだな。
かれこれ18年経つが。 8001を何台か買ったやつが8201を買って
今までのゲームが動かない、なぜだ!?
とわめいていたっけなw 違った。上の記事に引き摺られてまちがえた。
9801を何台か買ったやつが9821を買って
今までのゲームが動かない、なぜだ!?
とわめいていた FM-7の本に、ワイヤーフレームを使った単純な3Dグラフィックが紹介されていた。
ポリゴンについても紹介されていたが、パソコンの性能では不可能で、
スーパーコンピュータでないと計算が間に合わないと書かれていた。
スターウォーズの第一作(エピソード4)に、宇宙船のワイヤーフレーム
画像が出てくるシーンがある。
高額な制作費かけたSF映画でさえその程度のレベルなのだから、
FM-7でワイヤーフレームを描画できるのは凄い事なのだと書いてあった。 >>249
ドットではなくワイヤーで描画するタイプの表示装置もあって、スターウォーズとかアステロイドとかいうアーケードゲームがあった。 かつて、会社の金でTK-80を買ったと聞いた。
アマチュアの道楽用途ではなく、本来の用途である
マイコンの開発トレーニング用に使ったそうだ。
当時の若手社員も今は白髪頭のおっさんだ。 ただのテンプレじゃなの?
っていうか、手書きかよw
フローチャートなんてユーザー向けの手順説明ぐらいしか使い道ないんだから
ワードとかVisioとか使えよそんなの フローチャートは処理概要書くとき使わない?
いま手書きはしないけど むしろノートとかホワイトボードに手書きしかしない。 手書きと言えば、もうコーディング用紙なんて使わないんだろうな
フロー書くときは字消し板は必須だったよ 検索してみたら、フローチャート定規って今も
複数メーカーの製品が通販されてる。 >>256
手書きってことは自分用ってことだろ。
今時自分用にフローチャート書くなんてありえないw >>259
新人たちにさらっと説明したりする時にさ、きれいに書けるじゃん。
だから無いかな?って思ってたら、まだあるのかよwと嬉しかった次第。
そりゃあ資料のときはvisioさ。
フローチャート定規は、一部の情報系の専門学校では現役。
課題もそれを使い、手書きのものを提出させてる。
コピペを防止できるだけでなく、自力で線を引いた方が、
処理の流れを理解できるって事みたいだ。
一理ある事なのか、単なる時代錯誤なのかは、俺にはわからん。 フローチャート定規は所有しているだけで、長い経験を持つ
中堅・ベテラン技術者のように見えるアイテム。
ただし過去の遺物なので、若手が保有してもただの時代錯誤。 >>262
>>> 学生なら手書きでもいいだろう
↑ハッアアアアァァァァァァァァアァァァアァ???
能大テンプレートがついに市内すべての事務用品店で取り寄せになってしまった・・・ フローチャートより手書きのHCPチャートのほうがよかったな
いちいちシャープペンで消しゴム使いながら書くなんて
今じゃ考えられんけどw ストラクチャード・プログラミング用に各社が独自のプログラム・チャートを考案して
他社にお構いなしにユーザーに半ば強制的に使わせる時代があった。
おかげで、2社以上のメインフレームを入れているユーザーは大迷惑。 今はどうか知らんが、
ユーザシステム運用開始日にはお払いをする人が来て
開始まで待たされたもんだw 今じゃ単にシャットダウンすればいいが
当時のマシンは落とすのが大変だったぞw
ディスクを外す前に難しいオペレーションをいくつか実行させなけばならず
一つでも間違ったらアウトw
またそれが終わってもトグルをまわして無事ディスクを外す関門があったw 10 CLS
20 PRINT "Hello!"
30 END
全盛時代とは中身がまるで違っていたとは言え、
ベーマガが21世紀まで存続してたってのが驚き。 ベーマガ、というか親にあたるラジオの製作もそうだけど、
あの子供っぽい誌面作りは全然好きになれなかった。
ベーマガに思い入れがある人って、例えばマンガでも藤子不二夫みたいな子供騙しの
マンガが好きなタイプなんじゃないのかな。
そういうえば2chってオッサンになってもドラえもんがどうとかいってる気色悪い奴多いもんなw ベーマガってそもそも、小中学生向けの雑誌だったでしょ。
それくらいの世代向けの、パソコン入門、プログラミング入門って感じだった。
中〜後期になると、完全に時代遅れの、
旧機種のBASICプログラムを扱う雑誌として、
当時を懐古するオッサンも喜んで購入してたけど。 いや小中学生でも背伸びしてASCIIとかI/Oとか読んでた奴の方が多かったと思うけどね。
初歩のラジオとラジオの製作を比べれば一目瞭然だけど、同じような内容を扱ってても
電波新聞の雑誌ってガキに媚びてるんだよな。
なんか頭悪い子向けっていうか.... >>276
90年代後半からは完全に迷走状態だった
雑誌名がBASICなのにC言語の記事を始めたり、
ゲーム記事をなくしたり、中高生が対象と思われる情報処理入門を始めたり。
誰を対象に、何を中心に書く雑誌なのか、よくわからない状況だった。 >>280
時代認識がたぶん10年ずれてる。
あの手の雑誌はもう80年代後半にはまったく時代遅れだった。
っていうか90年代後半にBASICなんてあったっけ?
VB?
あれでゲーム作れるのか VBでDirectXを使って、3Dゲームを作るなんて事をする人もいてな。
そこまで行かなくても、VBの限界に挑戦だとか言って、
ゲーセン並の弾幕シューティングを作っちゃう人もいたり。
そんな事はともかく、俺は8ビット機全盛時代は所謂ナイコン族だったので、
当時パソコンを所有し、最新マシンとして楽しめた人を羨ましく感じる。 90年代後半もBASICはあった
従来の構文とある程度互換性を持つ、BASICコンパイラも現在に至るまで販売されてる
高校の数学やセンター試験でもBASICを扱ったので、それの学習用途のも存在した なんで言葉をそういう風に文字通り受け取るんだよw
あんた国語の読解の点数悪かっただろw >>280
プログラミング関係の記事は無視して、ゲーム雑誌として読んでる奴が多かった気がする
アーケードもゲーム専用機もPCゲームも網羅していたし、ハイスコア集計もやってたし 今は型の古い中古なら、1万円未満で完動するPCを購入でき、
フリーの開発環境やコンパイラだけでも、学習どころか開発までできる。
個人がコンピュータを保有するなどありえなかった時代は、
技術は職場で習得するか、大学や専門学校で学ぶ以外に方法がなかったの?
専門書を読んでも、実機を自由に触れなければ、机上の空論でしかないだろうし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています