【今日は2000個落ちのパターンだな】田山幸憲氏に捧ぐ19【ナナシーの角台は田山さん専用台】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
今度の7/4で亡くなって21年か。
時々日記、漫画を読み返すが、下手な映画・ドラマよりよっぽど面白い。 今日は2000個落ちってのは、正直駄目だと思う。
角台は専用ってのは、まあまあかね。 前スレは約一年半で埋まったが、このスレはどうなるやら。 田山さんの世代は結婚するのが当たり前だったから
独身の田山さんのことをお袋さんは心配してただろうね
東大中退はしょうがないとしても、せめてまともに働いてほしかっただろうし それについては全く情報がない。田山さんの死後、印税とか著作権のこと等で、末井さんが田山さんのお母さんと数回会ったりしたそうだが、その後は連絡取っていない模様。田山さんの姉、妹は計3人いるのでどなたかはご存命だろうけど、全く表には出てこないね。 田山さんは4人きょうだいの2番目。亡くなったのが54歳だから、その時お母さんは80近かったハズ。辛かっただろうな。それでも朝日新聞の訃報記事の取材で、「あんな人生でしたけど、あの子は好きなことをやって幸せだったんじゃないですか」と気丈に答えていたのが印象的。 >>14
いい話だな
亡くなって新聞の訃報欄に出るし、新聞社が取材しにくるなんて
あの子もたいしたもんだと思っただろうね
中退はしたけど東大にも入ったし、本も出したから少しは親孝行もできたんだろうね
詩人の中原中也のお母さんは取材で「あの子は一度も働いたことがなかった」
って答えたのを読んだことがある
しかし詩人として世に認められたんだから、たいしたもんだと思ってたんだろうね >>15
田山さんも母親には言葉には出さなくとも、「こんな生活してて申し訳ない」という気持ちは持ち続けていたと思う。パチンコという狭い範囲であれ、執筆という形で読者に何かを与え続けた事実は 2人にとって生きている証だったと言っても過言ではない。 お母さん申し訳ないと思いながら
中国女に貢ぎ
競輪で派手に負け
酒浸りな生活を続ける田山さん 八柱霊園のアクセスは、調べたら八柱駅(新京成)か新八柱駅(武蔵野線)からバスだとかで結構不便。あざみ野or日吉から行くとしたら、乗換とかも含めどう行くのが一番便利なのかな。 田山氏を超えるパチンコライターはいないということで、結論は出たかな。 他のライターとの決定的な違いは品だね
書いてるのはギャンブルというこの上なく俗な題材なのにもかかわらず
田山さんの文章には品がある パチンコ実戦記録以外の描写、例えば天候、季節等の記述が秀逸。 書くことなかったんじゃないの?
ページ数増えても打ちもしない台の釘状態延々と書いてたし
そんだけ見て結局ナナシーかよっう >>25
小説とか興味なくてあまり読んだことがないですか?
天候、季節など、そういう何気ない描写に作者の心情が出ていたりしますからね パチンコ屋に着くまでの自然描写、風景描写の部分だけを読むと、パチンコ雑誌の連載物であることを忘れてしまう程の品格。 確かに文才はあるけど読み手がレベル低すぎて神格化してるだけ
田山さんは信者なんて望んでないと自分は思ってる 神格化はしてないけどね。パチンコ雑誌の連載に、「あにはからんや」「むべなるかな」「自我の膨張」「論を俟たない」なんて表現は普通出てこない。パチンコライターの中では語彙力、表現力はダントツだと言いたいだけ。 文才とは無関係だが、
晩年の頃の「今日は久方ぶりの日記デー。半端なところじゃやめられないよ」ってフレーズがこびりついている。 パチプロ日記、一回分の原稿を書くのに、どのくらいの時間をかけてたんだろうね?
短時間でさっと書いてたのか、書き出しからいろいろ考えて、二日ぐらいかかったのかな
手書きだったそうだから、万年筆で書いてたのかな?
月二回、田山さんの原稿を受け取る日は、行きつけの焼鳥屋に末井さんや編集部員も
集まりみんなで飲んで、二次会は希望者だけで麻雀をやってたって末井さんの本に
書いてあった 手書きで数日推敲を重ねてるって当時居酒屋連れて行ってもらって本人からきいた
あの日の居酒屋の思い出は本当に宝
内心ド緊張してたけど(笑) 1回の日記書くのに、なんだかんだで3日位かかってたみたい。 羽根物打ってた人がデジパチに移行してく過渡期だったから、パチで勝つための知識のあまり無い一般読者向けに通用したんだろな >>34
これは貴重だ
さらっと書いてるように見えるけど結構手を入れてるんだ 日記の詳細なデータ、何回転で当たったとか、メモ帳持ってたのかな?それとも全部記憶かな? >>40
記憶しておいて
帰宅後にメモってたらしいよ
だから後日メモを紛失して再実戦とかもあった パチの勝ち分は申告してないって公言してたけど
その理由はいただけないよな。
いい歳してガキみたいな言い訳にしか聞こえない 赤坂に逃げたが追いかけてきたので
他に移って本国に帰ったことにした
金は欲しかったがそのまま貰うと中国まで追っかけて来そうな勢いだったので死んだことにした
まぁこんなところじゃないかなぁ 田山さんに対して多少の情こそあれ、コウさんにとっては結局オイシイ金づるの一つに過ぎなかったのかもしれないね。仮にそうだったとしても、田山さんが満足ならそれで良かったと思うよ。 一目惚れした中国人女性に計数百万円の送金ができたということは、晩年の原稿料、印税などはそれなりの金額だったのは間違いない。早死にしたため長続きしなかったのが残念。 >>34
田山さんは、酒に強かったんですかね?
日本酒をぐいぐい飲んでたのかな 夕刊紙に呑み屋のルポを連載してたらしいから相当なもんだよ 家売った金と単行本の印税が重なってあの時期金があったんだろうね
で分相応な金持ったからホステスにころつといって入れ込んで貢ぎまくって
まあ馬鹿みたいだが
恥を晒しながら生きるのが田山さんの美学だから
しょーがないw 末井も「田山さん、騙されてるよ」と警告していたしね。 でもコウさんのほうは金づるになると思ってたかな
田山さん一度見掛けたことあるけど金持ってる雰囲気は微塵もなかったよ
スナック経営してたらツケ踏み倒されるのを怖れるレベル 別にこうさんは悪くないよ
ホストやホステスってのはそういう仕事だし ビールからはじめて焼酎や日本酒色々ちゃんぽんやったなぁ 酒と煙草両方ともハンパなかったから、どうあっても長生きは無理だったと思う。実際は舌癌だったが、肺癌、肝癌、咽頭癌、喉頭癌・・・何らかの癌にかかっていた可能性は高かっただろう。 コウさんと体の関係はなかった様だが、実は何度も交わった美喜ママとの間に子供がいて、その子が「パチプロ日記NEXT」を書いてくれればなあ、等と下らない妄想をしてしまう。よく考えると、当時の美喜ママは上がっていた可能性も高いね。 むちゃくちゃな生活って言ってるけどそうでもないよ
酒飲むつっても朝から飲んでるわけでもないし
パチンコ屋は開店からいって遅くとも夕方には切り上げるし
生活は昼型で規則正しい
歩いて行ってたから運動不足もないし
文筆業つっても何日も座り込んで徹夜の連続みたいなこともなさそうだったし
ストレスや過労と無縁だった分むしろ長生きしただろう
がそうは問屋が下ろさないのが
神様の公平な所なんだろうか どうかね。寝ている時以外、手にはタバコか酒のどちらかがあったような状態だと、いくらストレス無くても長生きは難しいんじゃないかな。 >>51
田山さんが若い頃のパチンコ師匠「不敗のノッポ」は頭にくると冷酒をぐいぐいあおって暴れたそうな。 >>63
田山さんは、食事をちゃんと取ってなかったんじゃないかな?
それなりに食べてないと、中年なんだから免疫機能も落ちてくるだろうし そういや、ノッポさんてよく書いてたな
今はどうしてるんだろ? 不敗のノッポは故郷の山口に帰り、カタギの仕事に就いたとか。ただ田山さんとほとんど同い年だから、亡くなっているかも。 昭和40から50年代、山楽会館の田山さんの仲間はキャラの濃い人が多かったな。田山さんが彼らにつけたあだ名もそれぞれ面白い。 しかし奴らも仲間内には割と優しくて金銭の貸し借りしない義理堅い人に描かれてるけど知らない人には言いがかりつけてパチ台取り上げるようなチンピラだからな。 美喜ママと情を交わしていた頃が、パチプロとしての田山さんの絶頂期だったろうね。30代前半の田山さんはキラキラに輝いていた。 元々池袋のようなところがあってたんだろうね
用賀に馴染めず
日記がどんどん自暴自棄になっていったのが読んでて辛い まさにあの辺りは、まさに「ザ・池袋」といった猥雑な感じ。山楽から徒歩1分圏内にソープが今も4、5軒ある。 いや、アホ確定だろ。
4か5も数えられないんだからwww ブクロは俺のキャンパスだった
って言葉がパチプロ日記の漫画版に書いてあったような気がするな
せっかく東大生になれたのに、酒の味を覚え、パチンコの面白さに気づいて
池袋のネオン街で遊び回ってたんだろうね
青春だったんだろうな 本人がそれで良かったなら最高ですね。
他人がとやかく評価できる事ではないね >>44
家庭教師の掛け持ちとか田山さんの意外な一面やね
しっかりとオチのあるとこがまた面白いw >>72
そのママに男の子がいて、田山さんとママとその息子でパチンコに行って
田山さんが台を選んでやるって話をガイドで読んだことがあるな 美喜ママはシングルマザーだったのか。漫画にその男の子は登場しなかったな。田山さんが美喜ママのアパートに頻繁に泊まっていたのは1980年前後。田山さんが30代前半から半ばに差し掛かる頃。ママは田山さんよりも何歳くらい上だったんだろう? >84
ちがうだろ?
親にパチプロがばれて家庭教師クビって話だろ >>30
俺の事例だけどこれはあると思う
14歳からパチンコで生きてきて友達をタバコで打ち子させてた
ぶっちゃけ酒で田山さんより早くいきそうだわ 田山さんは40手前の頃、週刊誌のインタビューで「どうして結婚しないのか」と問われて、「生まれてくる子供がかわいそうだから」とシンプルに回答。やたら納得したのを覚えている。 あんな破綻した生活してて結婚のチャンスなんてあったのか あと10日で田山氏が亡くなってからちょうど21年。 パチ屋へ行く道で出会った美人のことは時々書いてたが、そんな人には決してアプローチせず
シングルマザーとか出稼ぎ中国人みたいな訳ありしか相手にしなかったのは
パチプロやってる俺はまともな女とは恋愛しちやいけないみたいな負い目だったのかな
もしそうなら、かっこよさげに見えて実は相手の女を見下げてない?そうじゃないと思うために騙されてるのに送金してたんじゃね? パチンコ屋往復してるだけの無職の貧乏人に誰が寄ってくんだ?
背も低いし洒落っけもないしアル中だし 社会不適合者だから我々が目にすることになった訳で、普通に働いてる田山さんに用は無いぞ >>95
世の中にはヒモを飼うダメンズ好きな女がいるよ スナックのママのアパートに週の半分泊まっていた時期があったが、田山さんのお母さんはそれとなく感づいていたかもね。 s
う
n
あ
スナックのママのオジサンとお婆さんとお母さんもそれとなく感づいていたかもねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww そのスナックのママさんと付き合ってたのは
田山さんが何歳ぐらいのときだろうね?
ガイドの連載が始まる前かな? >>103
田山さんが30代前半の頃。
ガイドに連載するようになったのは40過ぎ。
ガイドにママさんの話が殆ど無いのは、別れて何年も経っていたから。 >>104
サンクス
30代前半なんてまだ若い頃だね
その店に飲みに通ってて、自然とそういう関係になったのかな >>105
田山さんは家まで徒歩なので、終電を気にせず遅くまで飲む。
他の客が帰ってから2人切りになると、ママさんが「もうお客さん来ないから、店閉めて2人で飲みに行こう」と誘われたことがきっかけ。
そこから週の半分はママさんのアパートに泊まるようになった。
やるのう、田山さんw いつからコウさんや美喜ママを
女性と勘違いしていた? あと5日で命日か。
死後21年経っても、いまだにスレが続くのは凄い。 ガイドって確か水曜日発売だったよな?
目の前がコンビニだから、水曜の午前一時にガイドを買いに行ってた
缶ビールと柿の種も買って、飲みながらパチプロ日記を最初に読むのが好きだった この時期思い出すのが、エアコンを使わない理由。
「何もしなくても汗かけるなんて、こんないいことはない」
そのこころは、もちろんビールをおいしく飲むためw
オレも、たまに真似する。
2時間位エアコン切って大汗かいて水シャワーを浴びる。
その後のビールの旨いことwww >>110
水曜日発売よく覚えているね。
当時は月2回発行だったから、あっという間に発売日が来る感じ。
自分も田山さんの日記を最初に読んだ。 田山さんが亡くなってもしばらくガイド買ってたけど
しばらくして買わなくなった
だって一番読みたいページがなくなったんだからな 勝てない人が夢をみるにはちょうどいい感じだったのかな 自分の場合、パチンコ収支はトントンだったけどね。別に勝てなくて田山さんの日記読んで夢見たわけじゃない。純粋にあの文章が好きだっただけ。 そもそも他人の勝ち負けを言う人って言うほどの人生なのかな? >>122
多分言うほどじゃないで
5chに書き込んでる奴なんだから察しろよ あと情報収集。
これら3つがあればパチンコは9割勝てる。10回に1回負ける愛嬌がないと、パチンコの神様に嫌われると田山さんは言ってたね。 ジグマが絶滅した今でも田山さんならやって行けそうな気がする、常連や店の都合を考えて欲張らない田山さんなら。 1パチ打ってる田山さん‥
甘デジ打ってる田山さん‥
どっちも見たくないな そもそも田山さんのスレで何が悔しいんだろ?
田山さんがバカにされて悔しい大ファンかなにかと思っている?
あの人自分で社会不適合者と言ってたし、競争が嫌で東大やめたんだろうに 死んでから何年も経ってるのに赤の他人が墓参りしてくれる人なんてそうおらんよね 故人と親交あった人たちはともかく
単なるリスペクトだけでお墓まで行くのはどうかな?故人も遺族も困惑するだろ 阿佐田哲也「そうでもないで」
鼠小僧「せやな、何なら石削ってけば?」 故人は何も感じないだろ
そういうの信じる人ってわからん そりゃ悔しくないよなぁ。ロムってすらないんだからw 今度の月曜が命日だね。
「オレのことはもういいから、みんな毎日の生活頑張ってくれよ」と田山さんなら言うかも。 >>126
今よりずっと景気が良かったあの頃でも田山さんは既にジグマと評されるパチプロでは無くなっていたから無理じゃないかな
現実には当時勝つなら行かない様な高換金率店のクソ釘で負けてたよ
パチンコで食っていくよりも日記を書く為と時間潰しのパチンコ打ちだった 高換金無制限一律調整の現代においてジグマは全滅した
高換金が最大のネック 最後2回分の日記だが、朝パチンコ店で打ち始めるも途中で体調が悪くなり1時間程で帰宅。痛み止めの座薬を入れて昼寝した後、再び店に舞い戻り、何とか日記を埋められる程度にパチンコを打ち、疲労困憊で引き上げるという壮絶な内容だった。
その6ヶ月後に旅立った。 >>141
そのとき、一回も大当たりしなかったんじゃなかったっけ?
パチプロ日記の最後は、一回も大当たりしなかった記憶があるんだけど
パチンコが好きでパチ雑誌まで買うような人でも
連載してる誌上プロにそこまで興味を持つ人も少ないだろ
しかし田山さんは亡くなって二十年ぐらいになるのに
さらにこうしてスレが伸びるなんてすごいよな >>142
最後の日記になったパチンコは逆転勝ちだったみたい。以下は末井さんの文章からの引用。
年が明けて、田山さんは原稿を書くのも困難になり、1月に受け取った原稿が最後になりました。それは1月4日の日記で、体の調子が悪いのに朝一でパチンコ店に足を運び、打ってる途中で体調が悪くなり、一度家に帰って1時間ほど眠った後、再度パチンコに挑戦し、最初に負けた分も取り返してプラスで終わっています。さすがだと思いました。 ジグマっても山楽に通ってたってだけでしょ
パチンコなんて一店の優良店があれば食ってける
開店巡りしないってので俺は他のパチプロと違うと言いたかっただけかもしれんが >>143
サンクス
俺の勘違いだったんだな
最後に勝ってたのは、さすがだね 舌ガンの症状が出始めた頃は体調の悪さと反比例してパチンコの調子はかなり良かった記憶がある 最後の日記が2001年1月4日、亡くなったのが同じ年の7月4日でピッタリ半年後。2月に玉川病院で末井さんが田山さんとバッタリ出くわして以来、亡くなるまで会った関係者はいないとか。その間の田山さんの闘病生活を思うと何も言えない。 人それぞれだろうけど体調不良の時に人と会いたくない人いるからね 最後の半年は飲み食いがほぼ無理となり、辛うじて牛乳だけ飲んで体重が40キロの状態。しゃべることもままならず、メモ帳を持ち歩き筆談でコミュニケーションを取っていた。 最後の方の日記はなんというか体調悪くて仕方がないのに
読者に日記を届ける義務感のためだけに打っていたように見えた
もう無理しないでって思ってた 堀ちえみも24時間テレビに出るみたいだし、長生きして欲しいよ。 堀ちえみさんは、タバコなり酒なり何らかの原因はあったのだろうか。
田山さんは自ら「こんなメチャクチャな生活をしていたらやむを得まい」みたいなことを言っていたが。 21年前、田山さんが亡くなったのは新聞の訃報欄で知った。
日記が休載になって以来ガイドを買っていなかったが、再開を信じていたので少なからずショックだった。 生きてたら76で後期高齢者か
入れ歯をはめカートを押しながら家をでて歩くこと一時間やっとパチンコ屋につく
だがパチンコ屋に来たところで金がない
ひところ涼んで昼頃退店
プラマイゼロ 7/2土曜夜、仕事の帰りに池袋北口を散策した。田山さんはロマンス通り入口からロサ会館前を通り山楽に行っていたそうだが、自分も同じ経路で山楽の跡地を訪問。今はカラオケ屋になってしまい、入口と店内の階段だけがわずかに昔の名残りを留めるのみ。田山さんがよく行った鰻屋「うな鐡」は健在。田山さんと末井さんが初めて会った喫茶店「ネスパ」は影も形も無し。 末井さんは墓参りに行くのかな。
えらく蒸す日だが。 心の中で、ケも無し、デキた!なんて田山プロの口癖をマネして打ってたw
もうパチンコ屋に行かなくなって久しいけどあの頃は楽しかったなぁ YouTubeでナナシーのゲームを生配信してるのを見てる
懐かしいなぁ
ナナシー 新聞に田山さんの訃報が出たとき、パチプロが亡くなっても記事が載るんだと母が驚いていたのを思い出す
そんな母は田山さんと同じ昭和21年生まれ、今年76になるがひとまず元気だ >>165
俺は、親孝行したいときに親はなし、って言葉を痛感している
お袋さん大切にしてあげなよ
田山さん、終戦の翌年に生まれたんだな
高度経済成長で、日本も明るかっただろうね
東大という最強のブランドを手にした田山さん
そんな頭がいい人の人生も変えてしまうほど、当時のパチンコには魅力があったのか?
まぁ、本人が好きなように生きられたんだからそれでよかったんだろうね 池袋に徒歩20分位で行けるところに住んでいたという環境も大きかったと思う。
一浪して東大入学後目標を失っていた田山さんの前に、知り合いの明治大学の学生が現れ田山さんをパチンコに誘う。その後パチンコにハマり、パチプロ、パチンコ作家への道に。
毎日パチンコ屋に行き、早目にパチンコ切り上げて仲間と飲む、という生活が何年も続いたのは、池袋徒歩圏内でなければ難しかっただろう。 まぁ今の時代からするとパチンコに人生かけたって馬鹿みたいだがw
歌は詠めたのかね
吉田類みると生きてたらこんなだったのかな
とかいつも思うわ >>31
それ本人も何を書いてるか解らないんじゃね? 季節の移り変わりさえ書いてあれば名文家だと思ってしまう人って一定数いるんだよ 何にしても、田山氏の連載が人気があって何年も続き、単行本も何冊も出たという事実は認めざるを得ないね
そのことをどう評価するかは人それぞれ >>174
・転落済は同類見て安心する
・転落寸前は自分はここまで落ちてないと安心する
・数少ない一般人は珍獣見物
別に名文読みたい人が多かったわけでもない >>175
それあなたの感想ですよね
統計的根拠あります? 単行本を買うならそれなりに読みたいからだろうよ
雑誌はついでに読むだけの人が少なくないかもしれないがな 人間ってボケて来たら「あっ赤トンボが止まった」とか「今日は空が青い」とか言うやろ?それじゃねw クソガ!パチンコは釘じゃね~んだよ間抜け(笑)(笑) 生きていたらイチパチ打ってそう
回してもリスクありすぎて
ピンじゃ勝てないわな >>176
ほっとけよ
人を認められない自分だけが可愛いプライド星人だ。
中身はクズ以下な。 「小人」しょうじん、ってよく書いてたから、論語が好きだったんだろうね
自然描写は、老子の影響かもな
東洋思想に興味があったんじゃないかな 学のない貴殿らが鼻紙のような言葉で故田山氏を語ると、故人を余り深く知らない方が誤解するのではと煩慮する。 結局、末井さんは田山さんのお墓参りに行ったのかな? Twitterか何かで行ってきますみたいなのを見たような モデル・オノ「白鯨日記」と安田一彦「つぶれてたまるか!」はまだ続いてるんだな
パチンコ必勝ガイド 2022年8月号(2022.7.7発売) - 株式会社ガイドワークス
https://guideworks.co.jp/book/b609032.html パチンコ雑誌も今や虫の息
田山氏の日記が月2回読めた頃を思うと隔世の感 マルハンの嫌がらせ方法
嫌がらせ対象に選ばれた客はこのような目にあいます
↓
・座るとすぐに隣や後ろが大当たりする
・止めた台がすぐ連チャンする
・大当たり信号を嫌がらせ対象の客の隣の台に送ると、嫌がらせ対象の客の台も大当たりしてしまうことがある。その場合は単発か最低の出玉の大当たりしかしないようにする
・顔認証データを他店と交換して他店ぐるみで嫌がらせを行う
・トイレや外まで尾行してくる
大当たり信号を送って大当たりさせてるだけって事です(これは違法行為です)
経営者、店長は犯罪者です
パチンコ店はどこも同じ違法行為をしています
やすだ、PIAも同じ嫌がらせしてくるから、マルハンは、やすだ、PIAら大手パチンコ店と顔認証データの交換している
PIA(サントロペ)の嫌がらせ方法
↓
PIAは上記の嫌がらせの他に店内放送で嫌がらせをしてくる
↓
嫌がらせ対象に選ばれた客がサントロペの店内に入るとすぐ「貴重品の盗難に注意してください」という店内放送を流す。
店内放送が流れてる間に外に出て、またすぐ店内に入るとまた同じ店内放送をしてくる。
その店内放送が流れている間に外に出て、またすぐ店内に入るとまた同じ店内放送をしてくる(3回連続の店内放送)。
そして外に出ようとすると普段は店内で見かけない小太りのサントロペ社員が近づいてきて大きな声で「いらっしゃいませ」とわざとらしく言ってくる。
これ実話です。
PIAは暴力団配下のサクラに遠隔して年間20億円(推定)ぐらい違法に稼いでいる犯罪組織です。
PIAはサクラが日本で一番多い店です。
これが暴力団の資金源です。
なんだ稲川会の舎弟企業かこのスレと関係ねーじゃんw・・・と思いでしょうが、したらば、爆サイはパチンコ店の資金で運営されているステマ掲示板です(5chも?) マルハンやパチンコ業界は15年位前からネット工作会社ピットクルーを使って5ch(当時は2ch)のマルハンスレなどで長文荒らしなどをしてスレを潰してきた。
したらば、爆サイに金を出して、したらば、爆サイをパチンコ店のためのステマ掲示板にした。
ステマ掲示板で工作員(パチンコ店員、爆サイ&したらば管理人の高岡賢太郎(脱税で逮捕。女優の高岡早紀の兄)、ピットクルー)に、店にとって都合の悪い行動をする客の悪口を書き込ませている。
↓
「釘」「下手くそ」「引きが弱い」「ハイエナやめろ」「徘徊やめろ」「ニート」「無職」「養分」
↑
爆サイ、したらば、5chのパチンコ店スレの工作員が良く使う言葉
工作員はネット工作会社ピットクルー、しらたば&爆サイ管理人の高岡賢太郎(脱税で逮捕。女優の高岡早紀の兄)、パチンコ店員です。
この3人が連携して工作してる。
工作員は「ハイエナ」をしてる客の悪口を言って叩く方針のようです。
だから工作員は「ハイエナ」をしてる客の容姿を書き込んで罵声を浴びせているのです。
遠隔、顔認証、無抽選を隠蔽するために「釘」「下手くそ」「引きが弱い」「ハイエナやめろ」「徘徊やめろ」「ニート」「無職」「養分」を書き込んでいます。
したらば、爆サイ、5ch(?)はパチンコ業界の資金で運営されているステマ掲示板です。
だから工作員の書き込みだらけなんです。 末井さんの本に、毎年、元ガイドの編集部員や田山さんの友達だった人たちと
一緒に墓参りするって書いてあったな
ガイドが売れなくなったのは、もちろんパチンコを打つ人が減ったのもあるんだろうけど
ネットの影響も大きいだろうね
わざわざガイドを買わなくても、ネットで情報がわかる時代だからな あらゆる雑誌が売れなくなってる
時間潰しにわざわざ雑誌を手にとらなくてもスマホで足りてしまう ガイド税込みで1000円超えるんだね。読みたい記事はほんの少ししかないから、この値段じゃ買わないな。 ネットが普及する前からパチンコ業界の斜陽は始まっていたしね 最近パチンコ屋の新規出店見ないね。せいぜい大手に買収されて看板が替わるだけ。 ネットのせいで通信料取られるから雑誌買う余裕がなくなってるんだよ
携帯とパソコンで5000円くらいかかっちゃうからな
だからとにかく情報収集はネットで無料で済ませようって考える人が多い パチョンコの情報なんてネットで十分。雑誌買ってもダニ村みたいなデマばっか。 >>202
病気する前は確かに感じが似ていた
病気後はさすがに 実物一度見たけどとっつあんぼうや
見栄晴に似てなくもない
酒焼けか色黒だった 意外と小さかった
色も黒いし骨太なのか体格は悪くない感じ >>212
そうそう
逞しいとはいえないまでも華奢ではなかった
早死にしたのはやはり飲み過ぎだろうな 舌癌がかなりの大きさになっても
口内炎だと思っていたらしい
そして消毒だと言って酒を煽ってた 舌癌手術後、再発までの間タバコ酒を以前と変わらすやっていたからね。どちらか1つやめていたら再発しなかったかも。節制する田山氏というのもらしくないが。 最後の日記の頃は体重40kg(身長165cm)と痩せ細って、日記の内容も痛々しい限りだった。 不敗のノッポとか言うのに偶然パチンコ屋で落ち合わなかったら、田山さんの
人生も別のものになっていただろうね
東大ちゃんと卒業して国家公務員か、大企業の部長クラスにはなっていただろうな 学歴等とは他のところで地道に働くことが出来ない人種って居るんだよ
田山さんもそういうタイプだったんだろう 確かにパチンコ好きは不思議な程にクズが高いですね。これは実話なのだけど、パチ屋でオープン前に知り合った人達が、伝助、打ち子、プータロー、生活保護、の人達で、話しの流れから、「じゃあ閉店後に駅前の笑笑で一杯飲もうか」、って誘われた。そんな笑笑のアルバイトも、いい歳したリストラ親父だった。
たまたま僕自身がパチンコ好きだった為に、あんなクズと出会って話をする機会を与えられたけど、僕自身はエリートの官僚だったから、彼らの会話内容もあまりにもクズだったし、まあ色々と肩身が狭かった。
でも自分の人生に於いて、あれ程のクズと出会うなんて奇跡に近い事ですし、現にあれから30数年経った今だけど、あのとき以来そんなクズの人達とは出会いもないし、会話すらしたことがない。パチンコ好きだから、そんな想い出ができたんだと思う。 そんな僕は、いまだにパチンコが好きで開店前から並んでいるけどさ。 漫画編のコミカルな場面が面白い
例えば小学生の女の子の家庭教師している際、田山さんが考え事して妙な顔になっている場面
小学生「どしたの先生?変な顔になってる」
田山さん「ハッ!・・次、分数の引き算に行こう(汗)」 三楽でよく見かけた時の田山氏はまだ40代半ばだったが、10歳くらい老けてみえた。 三楽→山楽ね
いつもポロシャツにサンダル履きというラフな格好 40半ばで羽根物打ち止めにして
してやったりとか言ってたんだなぁ おじいちゃんが将棋で王手飛車取りで喜ぶのも同じやし いくらプロでも、土日や連休とかは釘が厳しいだろうから打たないんだろうなと
思ってたら、パチプロ日記の1巻ではそんなこと関係なく毎日のように打ってたね
基本的に金を稼ぐだけじゃなく、ゲームとしてパチンコを楽しみたい
そしてパチ仲間と酒を飲みたい、っていうのがあったのかな 山楽時代、パチンコ打たないのは月数日だったと思うよ。原稿書きにあてていたようだが。 不敗のノッポ、ブッコミのテツ、玉引きメガネ、イノさん、キザ助、・・これらの仲間と田山氏が飲む場面が漫画版に何度も出てくるが、昭和の香りプンプンでたまらん。
斉木しげる主演のVシネマは用賀に引っ越してからの話だが、昭和の山楽時代の方がキャラが個性的で面白かったかも。 まあ用賀に越した後の田山さんは物書きだからな
池袋時代の方がパチンコ関係の描写が面白いのはしゃーない あの個性的な面々の多くがおそらくは鬼籍に入っていると思うと感慨深いな 俺の回りのパチプロやゴト師は40代50代で死ぬ奴が世間より多かったな そもそもパチプロで長生きしようと考えてる人も少ないかもな
真面目に働くのは嫌だし、毎日酒が飲めて自由気ままに暮らせればいいや
不健康な生活だから早く死んでもしょうがないと
田山さんは著述業だったから、もっと長生きしたいと考えてただろうけど パチプロはどこかで潰れるからな
台の仕様だったり店の営業方針の変更、世間の流れ
体力の衰え。
キャリアが長いほどその後の潰しがきかないんだ
天寿は全う出来ないとわかっているつもりでもいざその場面になれば狼狽えるもんさ 田山さんの最後はよその有象無象のパチプロどもよりはるかに幸せな最後だったと思う。
最後はパチプロとして喰えてなかったど思うが持ちもえの
文才と親の残してくれたもので遊び人を全うできたしね
何よりもここでその名を忘れずに語り合っている人がいるんだから。 ここツイみたいに文字数制限あるの?
なんで二回に分けるんだ 田山さんみたいなその日暮らしのパチプロなんて珍しいよ
大抵は若いうちに稼ぎきっちゃうのを目標にやってる 死後21年過ぎてもこうやって語られているのは単純に凄いこと 末井さんのTwitter見たけど、田山さんの墓参りについては詳しく書いてなかった ねこプロも田山さんのことを尊敬してるって、パチマガの連載に書いてあったな 周りがどう思おうが田山さんはパチンコで尊敬されたいなんて思ってないのが分かる文章だったな、基本飾らないのが良かった
パチンコ打ちのライターなんて池上やベンツみたいな自己顕示欲の塊みたいな文章書くやつが多い中平凡な日常の描写で読ませるのは上手かった
まあガチプロと物書きの違いでもあったんだろうが パチプロなんてなるもんじゃないよ
田山さんの考え方はこの一言に尽きるな その一方で田山の生き方に感化された現実逃避系パチプロを多く生み出し
そのほぼ全数が、人生を棒に振ったり、自殺したり、精神に異常をきたすという悲惨な末路を辿った
ごく一部廃人になりながら今でもパチプロ続けている者もいる
https://pbs.twimg.com/media/EwU_08-VkAItM2y?format=jpg&name=large >>255
隣の人、安田さんだよね
老けたなぁw
まぁ、誰でも歳をとるし 安田さんまだ50代だよね
随分老け込んだな
ヘビースモーカーは老化が早い傾向にあるとは言うが やっさんは髪切ればそんなに老けてはいない年相応
わざとおじいさんというイメージつけてるのかもな >>255
逆にサラリーマン人生は
そんなに安泰で楽しいのかよw 田山氏は「パチプロなんてなるもんじゃない」とはっきり言っていた。感化されてパチプロ目指してダメ人間になっても、それは本人の責任。 >>264
「パチプロなんてなるもんじゃない」というのがそもそも田山イズムなわけで
読者はそこに共感したし、田山も共感されるの分かって言ってるからなあ
しかも田山がパチプロというのはウソで、本当の収入源はパチプロ日記の原稿料や印税なんだから
「パチプロなんてなるもんじゃない。私もパチプロを自称してますが、実はライターです。本物のパチプロはたんなる乞食です」と
正直に言ったなら、悲惨な末路を辿る田山フォロワーの大量発生も無かったと思うがな 「パチプロになんかなっちゃいけないんだよ」
自分の生き方を肯定できない、しかしまともな勤め人にはなれない
末井さんと初めて会ってガイドのインタビューを受けていたとき
田山さんもいろいろ悩んでたかもね >>265
その頃はガイドの収入はたかが知れていたはず。
憶測で書くとダサいぞ? ある程度まとまった額の原稿料や印税を手にする様になったのは、40半ば過ぎ。山楽末期辺りから。
その後程なくしてコウさんと出会って金づるにされたのも皮肉な話。 家売った方が先かね
本のネタ作りだったのかもしれんが
生い立ちとかこうさんの話とかって全然興味なかったから
たんたんとパチンコ日記つけてくれてれば良かったのに おまえら統一教会の信者と変わらんな
被害者なのになぜか教団や教祖をかばう
おまえらの洗脳が解ける日は来るんだろうか 田山さん生きてたら何打ってると思う?
たぶん1円の甘海か
ちょいぱちのナナシーあたりじゃね? >>273
ちょいナナシーなんてスペック辛すぎて、ボーダーすら回る店を見た事がないから、ナナシーは無いと思う。
というか、ちょいパチシリーズはないかとw パチンコ止めて10数年になるが、たまにトイレ借りに入る。台だけ眺めて打ちはしないが。
今のパチンコは画面がバカでか過ぎて、ヘソにあんまり寄らないんじゃないかね。 >>274
Queenはありそうだね、シンプルで早い
>>275
ちょいナナやっぱり厳しいんだね
ちょい清流とかなら >>277
昔はボーダー30とか言ってたけど今は20くらいになってる、 台のスペックが悪くなってるんだから、勝てるわけないよね
田山さんが生きてたら、日記を書くために、4円の羽根デジを午前中だけ打つ
ってことになってたかもな >>278
たぶん清流も無理だと思うよ。
ちょいパチ、まわるんシリーズは、ろくなんじゃない。 >>281
でも田山さんって資金ないような気がする
今の台なんて月100万入れて130万出すような
感じじゃない? ぶっちゃけ今どきパターン認識なんて言ってたらオカルト扱いされるから尊敬されるような立場にはいられないと思う クギ読めてボーダー分かれば勝てるだろ
まあ普通にそんな優良店ないからリタイアしてたかな
それでも文章で人を引き寄せたんじゃない
つかたらればはもう良いよ
意味もない そう思うならスルーすればいい
あなたのお気持ちで掲示板は動いてるわけではない 生きてたら後期高齢者だし
回顧録みたいな連載になってんじゃないかね それでもダニ○のワンパターン漫画より千倍面白いだろうね。 さすがにダニ村と比べたら可哀想だよ
あいつは打ってすらいない嘘つき詐欺師
みたいなもんじゃん >>288
確かに。ダニ○と比べてはいかんですな。 鉄道紀行ライターの元祖、宮脇俊三氏に通ずるとこがあると思う。あの人も鉄道に乗ってばかりだったし、パチンコ打つだけの趣味が文学に昇華した点では共通する。 >>283
パチマガで、田山理論を斬る、ってタイトルでバカにされたようなことが書いてあった
パチンコ陰謀論とかもあったよね
それでオカルトとか言われてたけど
せっかく回る台を打ってるのに、三千発まで打ち込んで当たらないとブン投げて
回りが落ちる台を打ったりしていた、そういう田山さんが大好きだった
確かに、東大に入るような人なんだから、ボーダー理論なんてもちろんわかってただろう
しかし田山さんは己の思想でパチっていた >>278
でも、甘やら、1パチを打つ氏を見たくは無かったなぁ。
田山さんは大好きだし、存命であって欲しいけど、人間は死ぬべき時に死ぬと言うのを実践してしまった人なんじゃないかな‥
ぶっちゃけ現代じゃ食えないと思うし、他に天職があったとも思えないし‥
なんというか、甘やら1パチに行くのは生き恥を晒すような先入観があってね。氏にはやってほしくなかった。 >>282
資金うんぬんは、わからないけど、100万突っ込んで130万回収ってのは的を得てると思う。
10年くらい前から、GODだの金太郎だの(スロットだけど)設定6でも10万近く使って5万枚とかアホみたいな展開があった。
専業だったけど、ついていけないわなw >>291
本当にその通りだね。
古くから専業の人は知ってるかもだけど、
パチスロには、
「買ってる奴が1番偉い」と言う言葉があったんだ。
氏よりも金額は稼いでいるのかもしれないけど、周りがとやかく言える事ではないよね、少なくとも氏は勝っていたのだから。 >>293
なら黙っていた方が良いよ。
かっこ悪い。 >>297
べつにカッコは気にしませんが、ご助言感謝いたします。
塵カス糞ヤローwww >>293
もしかして営業形態って換金率のことを言ってる? 田山さんの理論は、止め時・台の移り時などについての自分なりの基準。確率的に正しいとかどうかは田山さんにとって問題ではない。
止めるか続けるかを、その日の気分次第で決める様なことはしたくなかったんだろう。 読み物として面白くする為の工夫ってだけだよ
実際田山さんが受けてから真似するライター沢山居たでしょ
ただ勝った負けただけじゃ面白くないのを田山さん自身分かってたからああいう創作してた
だからアレに噛み付いたパチマガは大人げないんだよね
まあパチマガとしては攻略誌としての情報量や質でガイドより勝っているのにライター部門で負けてて売り上げでも負けてるのが気に食わなかったんだろうが
パチンコの勝ち方しってりゃ田山理論もダニ村理論も大して変わらん、面白く読めるかどうかってだけよ 田山さんの最大の名言は「縦の比較」
他台との比較ではなく過去の釘と比較せよという教え
これは台固有のクセを踏まえた名言
釘が同じくらいでも出る台出ない台の差は明らかにあるからね >>302
本当にそう思う。縦の比較は名言。
ジグマでなければ縦の比較は難しい点は、漫画版でも述べられていた。 ジグマで生きていくには、勝ち過ぎて店に嫌われることは避けなければならない。その辺田山さんは上手くやっていたみたいだね。出禁になった店は殆どなかった。 定量制の羽根物とか打ってたんだから勝ち過ぎる心配とかないよ
誤解してる人居るかもしれんがパチプロだろうが店が出す意思がなけりゃ勝てないんだよ、手品師やゴト師じゃないんだから
ジグマってのは素人より良い釘の台を見つけるのが上手い人なだけ
それが無いならパチプロでも等しく負ける
平打ちしてる以上店の想定した割を越えることは無い
出し過ぎて出禁なんてのはゴト師や攻略プロ、目に余るハイエナくらいのもん >>305
そう思うのも自由だしそう思わないのも自由 まぁあんな素人丸出しの打ち方で
出禁にする店なんかあるとは思えんw 田山さんの文章は惹きつける物があったけどパチプロとしての実力はファンタジーになってた部分があるからね
でもパチンコで勝たなくても収入がある自称パチプロになった時点で田山さんは勝ち組だった
普通の人生観からしたらそうでもないかも知れないが、誌上プロとしては間違いなく勝ち組 当時のパチンコライターの中では頭一つ抜けた存在
パチンコ業界自体が元気な頃で、田山氏の文章は日記、王様手帖等いろんな所で掲載
もう少し氏の文章を読みたかった 田山さんの日記も打つ台が無くて苦しんでいる時代が相当あった。
日記もつまらなくて読み飛ばしていたな >>291
それってパチマガだったのか
パチもスロも雑誌としてはガイドが圧倒的に面白くて他なんか読む気も起きなかった 自分もガイドしか買わなかった。
田山さんの日記がなくなってからは
ガイドすらも買わなくなったけど。 今大活躍の魚拓さんの文章も田山さんとは全然違うベクトルで天才だと思った >>311
ガイドは発行元の編集、パチマガは編集プロダクションの編集という違いがある
やはり発行元の編集の方が面白い 俺の勝手な推測だけど、田山さんは、大学中退した頃に
スーツを着るような仕事で、一回か二回ぐらいは就職したことがあるんじゃないかな?
父親も亡くなったし、これからお前は長男としてこの家を継いでくれなきゃ困るよ
なんてお袋さんに言われて、大学も中退したし、いつまでもパチプロってわけにもいかないか
と田山さんも将来のことを考え、求人広告でも見て就職した
しかし仕事が続かずすぐにやめてしまった、なんてことが二十五才ぐらいであったんじゃないの? >>315
母親は大学在籍年度いっぱいまで学費払ってたと記憶してるけど
だとすると母親の主観では20代後半までは大学生だったんじゃないかな
卒業が遅れてもまあ大卒の方が就職には有利だし
まして東大 田山さんがサラリーマンを経験したのは後にも先にもただ一回、1977年11月から翌年5月までのちょうど半年間。
当時の田山氏はパチンコは30までと漠然と思っていた。31になった1977年10月に「長山のおじさん(夭逝した小学校時代の同級生の父親で文筆家。ことある毎に田山氏がアドバイスを求めていた人物)」からの紹介で、とある燃料機器関係の会社に就職。
社長と田山氏だけの零細企業だったが、社長と衝突して半年でクビに。
ただ田山氏は「何があっても自分からは絶対に辞めない」という信念だけは貫いた。
この後、氏に言わせれば「パチプロとして 最も充実した時期」を迎えることになる。 会社勤めしていた半年間は日曜だけパチンコを打っていたが、会社をクビになってからは大手を振ってwフルタイムのパチプロに復帰。
間もなく行きつけの飲み屋のマスターからの紹介で、女子小学生の家庭教師に。時を同じくして、これまた行きつけのスナックのママと懇ろに。
昼パチプロ、夕方家庭教師、夜はママの店、店仕舞い後はママのアパートになだれこんで○○○・・・
という実に充実した時期がしばらく続いた。 >>317
親戚のおじさんかと思ってたら、同級生の父親だったのか
俺の勝手な妄想なんだけど、その燃焼関係の仕事に就く前にも
一回か二回は就職したことがあるんじゃないかな、と思う
長男が無職でしかもパチプロなんて、姉や妹の縁談とかにも関連して来るだろうし、就職先で
「あなたのお兄さんはどんな仕事をされてるんですか?」なんて言われたら困るだろ
しかし田山さんは働くことに向いてなくてすぐにやめてしまった
その過去はちょっと恥ずかしくて内緒、ってことにしてたんじゃないかな 本人は死んでるし、赤の他人の想像で他所の家庭まで勝手なことは言わない方がいいな 在学中に吹き付けの仕事をやってたじゃないか。
男たちの中で
たぶんその頃に 田山さんも3人姉妹のことは殆ど触れていないからね。
妹2人の上の方は普通に結婚して世田谷に住んでおり、その関係で田山さん母子は同じ世田谷の用賀にこした。下の方は田山さんが舌がん手術から再発までの間に、歯科医師と結婚。
以上は日記、漫画に書かれており事実。姉については書かれていたかな? >>317
そのおじさん、田山さんのことを自分の息子みたいに思ってたんだろうね
池袋の飲み屋の記事を書いたのは、もしかしたらそのおじさんの紹介だったかもな まぁパチンコ一本で暮らしてきましたー
ってやらないとただのパチンコ素人日記になっちゃうしな 今日は2000個落ちのパターンだな!
さっさと2000個打ち込んで当ててしまおう! にしても漫画に出てくる奴らはどれも強烈なキャラだったな
一話だけで消えたキャラなかぐ
「田山さんと山楽の愉快な仲間たち」 マンガで読んだけど、まだ東大生の頃にパチンコで負けて
知り合いの紹介でガン屋、って塗装工のバイトしてたよね
わざわざ東大生がやるようなバイトじゃないだろ 時代が違うしな
学生なら手っ取り早いの選んでもおかしくはないよ 鉄筋屋の人に京大生のバイトが来たという話はきいたことあった
現場仕事の覚え方とか考え方とかでやっぱとんでもなく頭が良かったと言ってた 知り合いに慶応志木高校→慶応経済→大企業の人いるけど、学生時代短期間建築現場でバイトしたそうな。
角材の持ち方、釘打ちから人間関係に至るまで結構勉強になったとか。
若いうちは色々経験するのも大事。 漫画では吹き付けのバイト中「机上の学問より大事なことがここにはある」と田山さんが語るシーンがある。
ノッポ、イノさん、テツ、キザ助、ソバケン、ゴト師等おそらく中卒、高校中退の連中ともちゃんと話を合わせられたのは、この経験が大きかったはず。 お前らすげーな
良くしらない他人の人生であーだこーだと講釈たれて
きっとハゲなんだろ? お土産にもらったコニャックを持って帰るのが煩わしくてわざわざタクシーに乗る理由づけするために泥酔するくらい飲んで結局タクシーにコニャック置き忘れてきた話好き 全回転外れるやつも結構あったよな。ピストル大名は殆ど当たらなかったな P田山幸徳
1/199突破型
通常ステージは山楽→居酒屋→自宅自室→喫茶店と変化。20回転以内にステチェン及び順不同で激アツ
京王閣ステージ以降で大チャンス!
通常演出
キャラSU、SU1イノさんSU2ノガミSU3マルチSU4ノッポSU5学生プロ
名台詞予告、してやったり!めくるめく777!、ムカつくような776…、パチプロなんてやるもんじゃない、etc
リーチ後、田山牛乳屋さんコーヒー背景で激アツ!その他背景なら確定
居酒屋飲み比べリーチ
将棋リーチ
バイトリーチ
競輪予想リーチ
田山プロの実写カットインで信頼度アップ
ストーリーリーチ
あの日のジェットライン
コウさんとの約束
その他、演出追加よろしくお願いします そんな台打ってしまったらパチンコ屋で号泣してしまう デジタル回転直後に、液晶がブラックアウトして「この台と心中する!」
と田山さんの声がしたら全回転 美喜ママと交わってるシーン(モザイクあり)がカットインしたら確変確定 各種スーパーリーチに発展しても、マーク屋ヒロ坊カットインで信頼度大幅低下
さらにその時ヒロ坊が「パチンコなんていつまでやってもウダツが上がらないんだよ」と叫べば、ハズレ確定 >>349
丸山ワクチンの順番札リーチがあったら泣ける >>356
そういうカットインは逆に信頼度あげてほしいな(笑)
基本的実写もしくは斉木しげるで
漫画版はプレミアムであってほしい。
リーチ時モービーディックの白鯨ドパーン背景で確確で 要町ってパチンコ屋一軒しかないけど、トーホーかな。そこまで覚えてないや Vシネマ版は山楽を去る場面から、用賀に引っ越して溝の口をネグラとし、コウさんと出会い別れるまでを描写。
斉木しげるの好演もあり、まずまずの出来だと思う。
個人的には山楽昭和時代のノッポ、イノさん、テツ、キザ助、玉引きメガネ等のイカれたキャラが出てくる場面を描いて欲しかった。
Vシネマの中でも、回想シーンでノッポが少し登場するが、あれじゃ物足りない。 >>349
田山が実験人形ダミー・オスカーなら大当たり確定 ところで末井さんは、今は全くパチンコ雑誌には関わってないのかな。 田山師匠が題材のVシネマってあったんだね!
斉木しげるならめちゃ合ってる!
今度借りて見てみるよ!
パチンコ台で田山師匠が題材の台って、
今まであったんですか?
めくるめくVゾーンリーチとか、
演出であったら泣きながら打ちます笑 椅子に空気バイブ搭載で、信頼度低めのリーチで当たるとケツが浮くような仕様にする 球界王か
溝の口編でダービー物語で出して、ラーメン屋で飲んだビールが死ぬほど旨かったという場面がいいな >>364
Vシネマはあるけど、さすがにパチンコ台はないw
自分も「田山さんと愉快なパチプロたち」なんて台があればなと妄想するがw 俺のねぐらは用賀のH店
GANTZ3クソ回らんかった… Vシネで印象的なのが、とにかくタバコ。
どんなシーンでもタバコ吸ってるw
田山さんを意識した演出なのか時代なのか。。。
あと、「わたしはこの店で一人ぼっちだった」ってシーンは
おいおい、意味が違うだろって突っ込んだなwww 田山さんも斉木しげるもヘビースモーカー
昔「今夜もドル箱」というパチンコ番組で斉木しげるがレギュラーだったが、その中でもタバコ吸いまくり
その番組がきっかけでVシネ出演依頼が来たのかもしれない パチンコ打ってると全国からファンが会いに来て、今夜飲みに行きましょう
って誘われたら、デキたって喜んでたよね
人気誌上プロだからそうなってもおかしくないんだろうけど
これってすごいことだよな 舌がん手術後は、体力も落ちて喋ることとも少し不自由だったので、見ず知らずのファンにいきなり押し掛けられると困ることもある、と何かに書いていたよ。 今の演者来店みたいだな
演者に店から金を払うようなことはしなくても打ってる人間目当てで他の客が来るんたからパチ屋からしても最高だろう 毎日ファンが押しかけて来るって訳でもないけどね
ただ晩年の田山さんが行ってた数件はそんなのを加味した営業では全く無かったなw、どっちかというと当時まだ少なかった高換金率のボッタ店
病気で体力も落ちてただろうから空いてる店でのんびり打って日記のネタ探しになっちゃったとしても仕方がないね 当時の高換金・等価の店は独特な殺伐とした感じがあったな。
客も少なくて晩年の田山さんには良かったのだろう。 最初で最後に目撃した田山さんは
用賀のホールでデラマイッタH-9を打っていた >>375
田山さんも、パチ屋に行く前の喫茶店で、コーヒーがコーシーになってしまい
ウエイトレスに伝わらなかったとか書いてなかったっけ?
しかし堀ちえみなんて、今の若い人は知らないだろうね そのうち喫茶店ではメニュー表を指差して注文するようになった。 アイスコーヒーがアイシコーシーになってしまい
ウエイトレスから え? と聞き返してしまったので
メニュー表を指差してアイスって注文するようになったんだっけ? 手打ち時代の猛者なら真・一騎当千攻略できそう
突入率25%から50%まで上がるから食えるぞ 最後の方になると放射線治療の副作用で重度の舌潰瘍を発症し、コーヒーはアイスもホットも全く飲めなくなった。それなら少しでも安いホットにしよう、という件があり泣ける。 時間をかけてショートケーキ1個くらいの大きさを食べるのがやっとだったとか。食べるというよりカステラの小さなかけらを牛乳で流し込む感じで。 人柄で人気出たんだろうね
インテリ気取りの嫌な奴で、偉そうな文章や、人を小馬鹿にするような人だったら
すぐに消えてただろうし
そもそも、ガイド創刊号のために、末井さんは一回だけインタビューするつもりで
田山さんに取材したんだから
そこで、こいつ嫌な奴だな、と思ったら関係は終わってたんだろうし >>390
池上やベンツとか酷かったもんな
それでも掲載誌に人気があった時代だからそこそこ認知されてた様だが 田山さん文章上手いし偉ぶらないから、あれだけ長く続いたんだろう ライターとしてのキャリアのスタートが76年
ただしこれは飲み屋についてのルポだったらしいから、パチンコについて最初はいつだったのか
『パチプロけもの道』を見ると、処女作『パチプロ告白記』(1978年4月発行)の前年くらいから「マジックマガジン」という雑誌にパチンコの記事を書いていたとあるから、77年くらいと見ていいのか
そして、最後が2001年1月の日記
ざっと24~5年てとこか 若い頃から、文章を書く方面にもう少し情熱を持って欲しかったな
田山さんの文章をもっと読みたかった 取材が苦手だからドキュメンタリーにむかなかったんだろ。かと言って私小説にも振り切れなかったみたいだし。 田山さんははっきり言っちゃうと社会不適合者だったからね
色々機会があって運良く執筆業に出会えたけど一歩間違えてたら中年ニート
でもパチンコ打ってそれを読ませる文章にするのには真面目だった、自分でも天職だと思って大事にしてたんだろうな 田山さんの人生は、これでよかったんだと俺は思う
もし、嫌々ながらも若い頃に就職して平凡な勤め人になってたとして
享年54だとしたら、「真面目に働いてきたのに、俺の人生はこんなもんかよ」
って今一つ納得できなかったんじゃないの?
パチプロの遊び人として好き勝手に生きられて、著作も残せたんだから
ちょっと早いけどまぁいいか、って気になれたかもな 大方そんな感じだと思う
最後の日記数回分は、辛いながらも何とか病気と付き合っていく意志があった
日記を止めた翌月には、偶然病院で遭遇した末井さんに「いつ死ぬか」というメモを無言で手渡し、自分の生い先が大して長くないことを覚悟していた
その4か月後に旅立った
この間の田山さんの心情を思うと切ない 田山さん東大文3だったし、元々文学青年
ジャンルはともかく、文章で何かを表現するのには向いていた 高校はひたすら柔道やってたとかじゃなかったけ
文学青年なんて初めて聞いたw >大方そんな感じだと思う
自演して何を言ってんだ?このクソジジイ 泡沫記もけっこう面白かった
しつこくサインねだられたことなんてあったんだね 「弟子にしてくれ」「いや、何があっても絶対に弟子は取らない」とかのやり取りもあったらしい
世の中にはダメ元で図々しく頼みこむ輩がいるが、田山氏が最も忌み嫌う人種 パチプロなんてなるもんじゃないと言っていた人が、弟子なんて取らないだろ
本人も台に向かって玉を出し入れするだけの遊戯に、晩年は嫌気がさしていたんだろうな なんでただの読者が故人の人格を決めつけてんだ?
妄想がキモいんだが? 文筆業としての弟子なら分かるが田山さんをパチプロとして弟子にしてくれってのは流石にその方にセンスがないわ
田山さん自身もそれは分かってた筈 弟子というか専業が友人と連れ打ちしていて立ち回り等を教える程度なら良くある話、そこから嵌って専業になる奴も居たから一応師弟関係みたいなのはあるよ
教わる為に費用を出したりは無いと思うがね
そういうのは詐欺のパチンコ教室やダニ村の有料会員とかかなw パチプロの弟子は子分だから。それと俗世間から離れてるパチプは多少教えたがりで自慢する相手が欲しいんだと思う。 普通はパチプロって孤独感や疎外感があるからな
普段他人と話してもパチンコの話題ばかりしちまうし、同じ仲間が欲しいって欲求はあったね
始めた奴の成長を見るのは嬉しいもんだし 田山さんご本人を山楽会館で何回か見た。一回だけ「日記読んでます。頑張って下さい」と声を掛けたら、「おう、ありがとう」と笑顔で返してくれた。懐かしい思い出。 >>418
山楽ってことは、田山さんが三十代で、ハネモノ打ってパチプロ生活も充実してた頃ですよね
ぱっと見て、この人は一般人とは違うな、みたいなオーラはありましたか?
文章の感性がある人なんだなって雰囲気というか
それとも、そういうのは特になく、普通の感じの人だったのかな >>418
>>419
俺は山楽時代の最末期に見かけたけどそのときは顔を台におもいっきり近づけながらいろんな台の釘を見て回ってたな
少なくともオーラは全く感じなかった >>419
打っている最中だと悪いので、田山さんが自販機の前で一服している時 に声を掛けた。オーラとまでは行かないけど、作家とか漫画家が漂わせる独特な雰囲気(明らかに普通の勤め人とは違う雰囲気)はあった。
声を掛け終わった後、若者が田山さんに近づいて来て何やら親しげに話し込んでたが、あれは誰だったんだろう?日記に登場する誰かだったのかも。 >>420 >>421
貴重な証言、ありがとうございます
田山さん、あまり視力が良くなかったと思うんですけど
釘を見る時は台に顔を近づけてたんですねw
もっとさり気なく釘読みするのかと思ってました
まぁ、釘を読む楽しみがあった時代だし、縦の比較もあるから釘をよく見てたんでしょうね
雰囲気に関しては、誌上プロの田山さんだっていう先入観でファンとしては見るから
やはり感じるものがあるんでしょうね パチプロは同じ台に長時間座るから並んで打ってれば言葉交わしたりはするだろうね もう羽根物打って30年くらいになるけど
釘なんてさっぱり分からん
弟子入りしに行った人の気が分かるわw >>429
釘が読めないのに30年間打ち続けられるならリアルで勝ちだろうな
釘読みや弟子志願とかは必要に駆られてやるんだから楽しめてるならそれでいいでしょうね 30年前だと新要件機が出始めてちょっと経ったくらいの頃か
このあたりから羽根物の釘が厳しくなり始めたような気がする 漫画見返してるけどほんとおもしれーな
単発のVシネマも好きだ しっかし打ち込み数でパターン認識とかは完全にオカルトで生きてたらネットでぶっ叩かれてただろうからいい時代で幕引きしたと思うわ その店限定の打ち込み数や出玉数で出やすい出にくいは有ったと思うよ。何時になったら上に追加玉乗せられるとか店に寄って物理操作出来たんじゃないかな?全国的には通用しないけど。
まあ 打ち続けるかやめるかを決めるのに過去の記憶を踏ん切り付ける理由にしてただけだろうけど。 田山さんは、あまり売れてない無頼派作家ってだけで無職ってわけじゃないからな。 田山さんのパターン認識はパチンコ打つだけの文章だとつまらないからフィクションで面白く仕上げてあるだけだよ、田山さんは読者が望む様な作品を分かってた
谷村みたいに本当だ、信じてないのは愚かなんてアピールしてなかっただろ?
それをマジで暴いてやろうなんてしたのがライバル誌の攻略マガジンでな
あのときは野暮なことするなあって思った奴居るだろ
攻略マガジンは攻略雑誌としてはガイドより良く出来てたのにガイドの方が売れてたから売れっ子作家の粗探ししたんだよな 漫画や日記でも溝の口編くらいから全く出なくなった
学生プロって元気かな? 羽根物中心に打ってたからでしょ
羽根はバネむらで出たり入ったりするから
あの何個落ち理論は結構有効 野暮なマガジンの粗探しした通りだよ
釘が開いてるから勝ちました、時間が来たから止めましたじゃウケないからね
釘読み出来るなら波理論で押し引きなんてしないし、実際のパチプロって言われてる人種は波なんて考慮してない そうでもねえよ
そこまで打ち込みロボットにはなれん
ツキの嵐が吹いてくれぇーと願いながら打ちます 昔の定量制のパチンコだと4000玉くらい出ると終了、その後希望者に開放した
すでに出た台なんだから当然出ると思うだろ?
これが出ないんだな
でも粘って2000玉くらい打ち込むと出だすってことよくあったよ
今でもデジタルの回転数は上振れ下振れあるね >>444
ツキが来ないかなって、そろそろ当たってくれないかなと思うのと波を読んで勝つだの押し引きするだのは全く違う話だろ >>445
同じ様に打ち止めした台がまた直ぐに出ることも、若しくはうんともすんとも言わなくなることもあっただろ
それは4000発程度だと相当な優良台でもないと結局台の出玉性能が計れないってだけだよ
4000発出た実績があったらクソ釘でも出ると思わないだろ?
デジタルの回転に振れがあるなんてそんな当たり前のことを今更言ってるのか
毎計測間でいつも同じ回転数のデジパチがあったらそれこそおかしいって普通は誰でも理解してると思ってたが 羽根物の開放台、懐かしいなあ。台に三角形の板がはまってた。
夕方以降行くと開放台が結構あって、ワクワクしながら打った。
戦果はチョイ勝ち程度。タバコは余り玉で取って間に合っていた記憶。 パチンコなんて、玉の動きが楽しめるハネモノで良かったのにな
今のパチンコは金がかかり過ぎるんだから、そりゃあ誰もやらなくなるよ 昔は羽根物がメインの店も多かったから種類も沢山あって楽しかったね
今はあってもトキオくらい?トキオはあまりな…
パチンコ自体もそうだけど、その中でも羽根物が無制限営業と高換金率化の煽りを受けたと見てる ハネモノが無制限になった時は夢のようだと思ったけど
結局釘が締まっただけに終わったな ハネモノは当たる瞬間が目に見えるのが良かった。デジパチは大工の源さんとか綱取物語みたいに設定があるやつだと、怖くて打ちづらかったのを覚えている。
まあ、一発台は当たる瞬間は見えるが、いつまでも当たらない怖さはmax >>454
すまん、設定じゃなかったね。
天国モード、地獄モード、ノーマルモードがあって、内部で切り替わるんだったね。電源入れた直後の朝イチはノーマルだった記憶。 夕方近くになると開放台ってプレートを
適当に差してく店があったわw >>456
あったなあwでもどこも直ぐにバレてたよな M、、えぇ、、ワン
https://youtu.be/m_RDUv0109A
犬の、お巡りさん
困って、しまって、ワンワンワワーン
プリプリ M 田山さんが生きてたら、他のライターが逆立ちしても勝てん文章書いてるやろなー 田山さんと付き合ってたスナックのママさんは
この人は東大に入るぐらい頭が良いんだ、って尊敬してただろうね むしろ東大ってもこの程度か
くらいに思ったんじゃないのw 先週山楽会館のあった場所をたまたま通り過ぎた。
山楽会館はがいあカラオケ屋に変身。
隣の甲子園パール(元パール。田山さんが東大生の頃はじめてパチった場所)は閉店して内装解体され、コンクリート打ちっ放し状態。
その隣の富士だけがパチンコ店として営業していた。
パチンコ店が三軒並んで賑わってた時代が懐かしい。 いまでも元気だったらYouTube出演してたのかなー 462だが、山楽会館→ガイア→カラオケ屋。
カラオケ屋としては場所的にどうかなという感じだが、何年も潰れずに存在しているからにはそれなりに繁盛しているのだろう。 パールの隣りの「ひかり」も閉店してる?
あとちょい離れた五番街とか、平和通りにもエフワンとか2〜3軒あったような…ホテル街の百億は速攻つぶれた 462だが、たびたびスマソ。
甲子園パールの隣は富士じゃなくて、「やすだ」だった。「ひかり」という店は知らないが。もしかしたら「ひかり」→「やすだ」に変わったのかな。 命日の7月4日が有名だけど、誕生日は10月3日だったんだね。亡くなって21年か・・・ 二本を、前へ、 山口な!!、つおっ!
山口 夏男
法、連想
大連荘
ケツメイシ、
ケツノポリス、 夏の思い出
スーパーガールズ、 花道アンビシャス
https://youtu.be/o8mHcn-ugu4
https://youtu.be/tFvNT0o4xGo >>104
ママさんと付き合い始めたのは、田山さんが三十代前半か
田山さんってお酒が強そうだったから、毎晩のようにパチプロ仲間たちと居酒屋で飲んで
さらにママの店でも飲んでたかもね そうかもしれんが5chに書き込みしてる奴も大概駄目人間やで >>474
世間的に駄目人間であることなど、本人が一番よく自覚していたよ
でもあの生き方しかできなかった。だから駄目人間なりにひっそりとパチ屋の片隅で生きていた
そんな彼を慕う人達が周りに集まり、また日記を読んだ人達の多くが、にじみ出る人間性とその文才に魅了された >>474
酒と煙草は男の化粧って誰かが言ってたな
酒を飲んでる時と、煙草を吸ってる姿がカッコイイ男だと女にモテる 晩年は酒もタバコもままならず、日記には「こんな生活、最低だ」と書いていた。
酒とタバコを取り上げられた田山さんは、もはや田山さんではない。 >>476
なんというか、素晴らしい
よくかけてる 東大に入れるような人だし、著作が何冊もあるんだからダメ人間じゃないだろ 書店にきちんと並ぶ様な単行本を何冊も書けたのは、間違いなく素晴らしいことだと思う。
普通の人は逆立ちしても無理。 東大出身でパチプロというギャップが受けた要素でもあるので
普通の人だと執筆の声がかからない >>483
末井さんと初めて会った喫茶店だよね。かなり前に無くなったみたい。
あの辺りの飲食はコロコロ入れ替わるから。
田山氏が通ったウナギ屋(うな鐵)は元気に営業中。 うなぎ屋で一杯っていいね
日本酒でも飲んでたのかな >>485
「神の河」が好きだからそこでも焼酎じゃないかな 舌ガンが再発してからは、薄い焼酎をチビチビ飲むだけになった。
放射線治療の副作用で舌潰瘍を生じるとそれすらも無理に。
飲めるのは牛乳だけとなり、体重激減して骨皮筋エモンに。母親も驚き、月2回程度行くパチ屋の女店員にも「この人、まだ死んでなかったのかしら」という目で見られたという記述が最後の日記にある。 誰でも晩年はそんなもんなんだろうね
川島なおみも、享年54だったけど、最後にマスコミの前に出たときは
やつれてたしね
有賀さつきは享年52か 田山さんの最後の日記が2001/1/4で、亡くなったのが2001/7/4
その間、雑誌では別の人が誌面を埋めており、自分は立ち読みで済ませていた。
その年の7月初旬、仕事で取引先に行ったあとに立ち寄った喫茶店で読んだ朝日新聞で田山氏の死去を知った。あの時の頭を殴られたような感じは今も鮮明。 50歳過ぎたら精力減退、視力低下、動悸息切れ
酒、タバコ、ギャンブルは止めないとな パチんコ屋ジジイ
誰ど、誰ど!
誰ど!、ブレンドコーヒー
小学生時代のダジャレ
芸能人になる方を曲げた馬鹿連中
東京、横浜のガキじゃねーんだよゴミクズ古事記
西日本から芸能人だったんだよボケ
刑事ゴロンボ
イナガキゴロンボ こういうタイプ
【ついに逮捕】「“推し”とのビデオ通話に1日12万円。ハイブランドのバッグを毎週のように…」 《三重県1億5000万円横領男》異常すぎる“アイドル愛”
https://news.yahoo.co.jp/articles/8910b0e0f5fe0cf7c4253fe59460eaed5a5c46bf パチ屋で仲いい常連以外の一見はかなり敵視する人ではあった しのけんさんがガチジャグで「スロプロなんかになるもんじゃない」
みたいなことを強く言っててなんか田山さん思い出した >>498
見慣れない顔はとりあえず威嚇してたからな。数回してこちらから挨拶すると準構成員に昇格。 日記に学生プロとか赤毛が出てくるけど、それらしき2人と田山さんが居酒屋で飲んでいるのを見たことがある。
田山さんは若者2人の話をニコニコしながら聞いていて、タバコは片時も手放さなかった。 >>503
そういう昔のパチンコ仲間たちや、田山さんと関わった人たちにインタビューして
評伝が出るのかと思ってたよ
末井さんはそういう本を考えたけど、遺族がそういうのを望んでなくて出なかったのかな? 田山さんの作品に出てくる人ってただのパチンコ好きな一般人だしそれに雑誌等の関係者を集めても一冊の本にはならないでしょ
田山さんの作品が人気だった訳で、他人の田山評を見たいとは思わんな
故人を持ち上げるだけにしかならないだろうし >>505
失礼ですが、あまり読書とかしたことない、またはノンフィクションの本とか
あまり読んだことないですか?
田山さんの学生時代の友達、飲み屋で知り合った人たち、パチプロ仲間
ガイドの編集者たちなど田山さんに関わった人は大勢いるんだから
余裕で一冊になりますよ >>506
余裕で一冊になるってアンタは言うけど実際に出版されてないのが事実なんだよ
あと読書がどうのとか煽ってるつもりか知らんが関係あんの?
君が上げてるソイツ等を探してインタビューなりする手間暇かけて出す価値があるか無いかなら俺は無いと思うし、一冊の本って数百頁と考えていいんだよな?
学生時代の友人や飲み屋の知り合いに何頁喋らせるつもりだよw
しかも大体同じ内容にしかならんのも想像付かないかね
そんなコストかけて本にしても売れないって既に判断は終わってるだろ
お前は伝記になるような偉人に匹敵すると田山さんを見てたらしいがそこまでじゃねえだろ、その本で商売になると思ってるなら君が出版すればいい
同じ返しするが読書したことあんのか?ガイドはあっても伝記なんかは無いだろ? 田山さんが面白い文章を書けたのは確かだけど妙に持ち上げる信者みたいなのは気持ち悪いわ
パチプロ風味の文筆家が曾て居た、でしかない
田山さん評?既に皆さん亡くなったときにしてますよ https://youtu.be/fTKhUDVFH5k
呂布カルマ
高額ボケスパチャを真剣に読んでしまい自らツッコんでしまう まだ昭和平成の思い出に浸るパチンカスどもwwwwwwwwwwwww 毎日千円20回以上のナナシーをタコ回しして平均3万円持ち帰る日々が俺の人生の絶頂期だったよ あの世の田山さんから
「もうオレのことで喧嘩するのは止めなよ。そんなヒマあったら何か他に有益なことをしてくれ」 とにかく回らなくなったよな
田山さんが生きてたら、今の状況でどう立ち回るんだろうな
来年の一月から、玉を触る必要がないスマートパチンコが導入されるそうだけど
そうなるとゲームセンターのパチンコみたいで俺は嫌だな 田山さんは今の状況じゃ食えないかも知れないけど、普通に食ってるプロはたくさんいる
俺は普通に仕事していてパチは遊びだけど今年の収支もうすぐ+100万に届く
換金率なりのボーダー超える台打ってりゃ今だってプラスになる 田山さんの評伝出てもいいと思うけどパチンコ関係の本ってその業界の規模や影響力考えると
意外なほど少ないんだな
よい書き手もpokka吉田とかヒロシヤングとか数えるほど
新書ブームだし安田一彦あたりに”私的パチンコ史”みたいなの書いてほしいけど需要がないのだろうね
「パチンコ好きは本読まない」
「本好きはパチンコやらない」
ってことかね 田山さん生後76年だから、パチプロ時代に周囲にいた人達の中には、亡くなった人も多いだろう。
不敗のノッポ、イノさん、テツ、キザ助、マルチ小僧、ソバケン・・
彼らは今何処 お袋さんは、東大中退した頃の田山さんに
学校行かないから就職してくれ、とか言わなかったのかな
実家に住んでて、パチプロなんてやられたら、親も辛いだろw
可愛い息子にあまりキツいこと言えなかったのかな 頭の良い子だからきっと何かかんがえてるんだろう
実は何にも考えてないw 漫画では、お母さんすっかり諦めてた感じ。
娘達がきちんと嫁いで孫もいたし、娘の一人は歯医者と結婚。
さすがに田山さんが一人っ子だったら話は違っただろうけど。 家へのビラ配りやポスティングのバイトって
高校時代はビラ1000枚とかを受け取って配りに行くふりして
そのまま川に捨てて、任務終了だったよな
絶対にバレなかったよな、昭和時代は
マイレボリューション 渡辺美里
https://youtu.be/S4K6A8p3Yl4 >>521
言ったに決まってんだろ、言わなきゃ毒親だわ
田山さんを読者が知った頃には親はとっくに諦め終わってたんだろう
そこで物書きの仕事に就いたって聞いたら親は喜んだろうな、実家暮らしのニート崩れが職見つけたんだ
田山さんもやっと孝行出来て嬉しかったんじゃないか >>516
わざわざ仕事しているアピールは要らないよ(笑)
プラス100万に費やした時間が勿体ないぞ
資格の勉強でもしたほうが良い 田山さんは食べ物にほとんど興味がない人だったのかもな
だから日頃の食事も小食で、それなりも酒を飲むことを好んだと
だから栄養が足りなくなり、体の免疫機能が落ちて癌になったのかも 朝モーニングで夜は居酒屋とか
あの当時のパチプは殆どそうだろ
田山さんはトーストが好物だったな >>526
あのくねくねナヨナヨした話し方はそれだよなwww >>530
確かに、不健康なほうがパチプロっぽいと思う
田山さんが、朝五時に起床して、日課である5キロのジョギングをしてから
フルーツと生野菜の朝食を食べて、青汁を飲み
お袋さんが作ってくれた、魚と野菜を主菜にした弁当箱を持ってパチ屋に行き
お昼は札をもらい、ゆっくりお弁当を食べて、酒も煙草もやらなかったら
人気出なかったんじゃないかな 何が東大中退だか
パチンコのシステムも分からなかった文系の末路だわ >>520
その辺のあだ名の付け方、「麻雀放浪記」に通じるところあるけど
読んでたかな
田山さん読書家だったろうけど何読んでたか興味あるね 常連客のあだ名といえば泡沫記に載ってた天国さんのエピソードが面白かった ハマ・ショー
ハマ寿司
ハマー
ハマやねん
浜田省吾 マネー
https://youtu.be/oN4f_IsGsd8 田山さんの評伝が出たとしても売れないだろうね
ストリッパー、一条さゆりの評伝が先月出たけど
今更この人に興味ある人もいないだろ、と思いながらも図書館にあったので
借りてみたら面白かった 今更評伝出そうにも、田山さんと交流のあった人自体限られているし、高齢化している。
末井さんが時々田山さんの思い出話を書くけど、新しいことは殆どない。
田山さんについては、日記・漫画・Vシネマだけで十分。 >>529
前にwiki見たけど食生活無茶苦茶やな。むしろあれでよく54歳まで生きたなと思う。 姉が弟の、妹が兄の手記を出してくれたら面白そうだけどな 末井さんが企画を立てて、白夜書房から田山さんの評伝が出るだろうなと
思ってたけど、けっきょく出なかったよな
二十年も出ないんだからもう出ないだろうね もう評伝の話は止めようや。
出る可能性限りなくゼロだから。 学生プロはどうしてるのかな。
今50代前半だと思うが。
早稲田中退だったっけ? キザ助は昭和の頃にパチプロを辞め、平成に入ってからは田山さんとたまに飲む程度だった。
キザ助、テツ、ノッポは案外早くパチンコから足を洗っている。 パチンコも変わったからね
自動ハンドル、デジパチが普及してだいぶプロは淘汰されたらしい
逆に黙々と期待値稼ぐタイプのプロが台頭 電動ハンドルだと誰が打っても同じ所に飛ぶからな。プロはそこで絶滅。 田山さんが若い頃の仲間はキャラが立ってた。多少の誇張はあるにせよ。
にしても、田山さんのネーミングセンスは秀逸だわ。
玉引きメガネ、マルチ小僧、ガマ子、子連れ狼、ブッコミのテツ、アト番のキザ助、不敗のノッポ・・・
聞くだけで吹き出しそうw 羽根物時代も電動ハンドルだよ
想像してる様な手打ちはもっとずっと前だ >>553
それは違うだろ
勝てなくなったのは完全無制限に高換金率店だらけになったからだ 多分その時代を知らない世代が想像で書き込みしてるんだろ
評伝なんちゃらと言ってるのもそんな感じだし 本名を知らないパチプロのニックネームは秀逸なものが多い
ここに記しておきたいが見るひとが見れば一発でどこの人間かわかってしまうのが心苦しい 一律調整の無制限高換金率は何人のパチプロが足を洗うことになったか 足を洗ったパチプロが、その後どうやって生活したのか気になる。
元パチプロの人を三人程知っているが、焼き鳥屋の店員、新聞販売店勤務、警備員に。
三人とも地味にちゃんと頑張っている。 昔のパチンコってそれこそ1000円あれば十分だった
台さえよければ500円以内で喰いつくのが常
その分朝一勝負。他のプロとの兼ね合いも大事
まだハネモノがなかった時代 >>561
それって21世紀に入ってからの話でしょ
田山さんがパチやってた頃はまだ等価無制限メインの時代じゃないよ それでも田山さんが最後の5年間辺りで選んで打ってたのは駅前高換金率ガン締めの店なんだよなあ
近場じゃないと分からないかも知れんが晩年に差し掛かる前から田山さんは普通の換金率の店で釘を見切って打つやり方では無くなっていた
日記のネタ集め等が主目的になってて勝つのは二の次、田山さんが打ってるところを見たり、打ってた台を後から打った奴なら知ってるでしょ
あんな店選んでたら勝てないのも当たり前だけど
打たないで日記書くわけにもいかないと考えたのかね?まあ確かにそうなんだがクソ釘の台を適当に打つ田山さんは見たくなかった 田山さんがシメシメルックつってんだから遊び気分じゃ無理なんだろう 普通はあんなんだよ
昔の山楽が異常なだけ
不敗のノッポも開店巡りに変えてたでしょ
ジグマで食ってくなんて無理ですわ 電動ハンドルの普及やデジパチへの移行の時期にそれぞれプロをやめた人間が多く出たことは実際に言ってる人がいたし、田山さんも書いてたような気がする
そこに否定する意味で、もっとあとの時代の等価無制限の話を持ってきた人がいて、それは田山さんが打ってた時代の多くのプロがやめた時期ではないという話が出たら、田山さんが日記を書くために最終的にはボッタ店で打ってたという話がくる
話がどんどんずれてくの笑っちゃう まあ、最後の数年は原稿料だけで生活が成り立っていたからね。パチンコそのものに対する情熱はかなり冷めていただろう。
日記は一回分が200字詰原稿用紙50から60枚。それが月に2回。最盛期は王様手帖を始め数々の連載を抱えていたから、立派な物書き。
癌が再発した後は、日記一回分書くのに1週間近くかかったらしい。 連載初期の頃、S店には羽根が8機種ほどあったはずだが田山さんはそのうちの半分ほどにしか手をつけてなかった
クギを覚えられない台数でもなかろうに、なんでわざわざ機種絞ってたんだろう? まあヘソしか見てないからな
道は座ってから見る、寄りは無視 その店ならそれでいいとかあるじゃん
全台ヘソデカイとこは寄り風車で調整するとか
ポイントがヘソなのは楽でいいけど >>571
全部の島をいつも開け締めしてた訳じゃないだろうから店が良く弄る島を周ってたんじゃないか?
朝から他の専業が居る様な店だったんだろ?そんな店なら朝は台選びの時間も限られてただろうしな 昔のパチプロなんてほんとガラが悪かっただろうね
チンピラみたいのやゴロツキみたいな、社会の日陰者がやるような稼業
そういう大人の不良たちと、東大に入るようなおぼっちゃんが仲良くなるのが面白い 山楽時代の仲間で、結婚していたパチプロは殆どいなかっただろうね
子連れ狼は女房に逃げられたから結婚経験はあるが、田山さんと飲んだりはしてなかったから仲間とは言えない
用賀に引っ越してからは付き合う人種も少しグレードアップして、中には世界を飛び回っている商社マンなんてのもいた 田山さん意外と年食ったてたからなぁ
高度経済成長時代の東京なんて
浮浪者日雇いだらけのスラム街だよ
柄の悪い連中だらけ 昔はガイドでよく読んでたな
これとゴワゴワ王の記事が楽しかったわ >>578
だよね
ランニングシャツにヘルメットの日雇いがとにかく多かった
その中の一人が星一徹
息子の飛馬「オレの父ちゃんは日本一の日雇い人夫です」 今だって派遣は日雇いみたいなもんだろ
というか社会の豊かさみたいな部分でいうと今はひどいもんだ 昔のパチプロは人間関係も大事だったろうね
ハネモノ時代からプロになった安田プロですら昔は「位置がない」みたいなこと書いてた
各台に占有権みたいなのがあってそれ犯しちゃまずいような空気
自力で釘の開いた台やクセのいい台見つけてそれ占有してようやく「位置が出来た」みたいな感じ
釘自体は動くから動いた釘すばやく見つけて押さえて位置を作るみたいな感じ
デジパチが普及して様変わり
長時間稼働出来る体力が重要になった 軍団のトップの方の人は今でも店でおっちゃんおばちゃんと仲良くやってるみたい
店で知り合ったおばちゃんが弁当作ってきてくれたりするんだって 田山さんは、パチンコが一番面白いときに活躍できたから良かったよな
今なんてボーダーの半分も回らず、年寄りの年金回収してるだけだからな >>588
パチバカ?だったっけ
読者の投稿コーナーが面白かった思い出 タンポポのYouTubeチャンネル出来たから見てみたけど糞つまらないので登録はしなかった。 パチバカの投稿、腹がよじれる程面白いのが時々あった。電車内で読んでニヤけてしまい、変な目で見られたことがしばしば。 面白かったのには同意するが電車内でガイド読むのはちょっと… ガイドって当時は買うのが恥ずかしい作りだったな
活字とカラーページが同系の色で読みにくかったり
記事の文体も~だぞ、~というわけ、みたいに友達言葉
何なんだこの雑誌、でもマジで役に立った
オリジナル攻略法に投稿したこともあったわ 連載で自分のことを「ヲデ」とか「ボキ」とか書いていたライターもいたな。 >>596
ゲッツ板谷だね
そういえば田山さんとゲッツ氏って連載時期はけっこう被ってた記憶あるけど絡みは無かったよね 金角も田山さんも慕ってくる人間には優しいがそうじゃ無けりゃ興味無しって感じだからな ガイドってツ─ショットダイヤルの広告ばかりだったよな420円の頃までは買ってた。 開運グッズもな
後に関係者がああいった広告を掲載していた内情を書いていたが、ガイドの人間も怪しげな広告主もパチンコ雑誌の読者なんてロクなの居ないって高括ってたんじゃねえかな パチンコなんてバカがやる遊びで、ギャンブルなんだし
こんなことに夢中になってるなんて俺もそのバカの一人なんだよな
って感じで、パチンコファンは自分を肯定できなかった
しかし、東大に入れるような人がパチンコに一生を賭けた
田山さんの生きざまを見て
パチ好きにはこんな魅力的な人もいるんだな、と勇気づけられた読者が多かったんじゃないかな そんなことで勇気づけられるのってめちゃくちゃバカっぽい 面白い、笑えるから読んでただけだよ
パチンコ雑誌に勇気づけとか望んで購読してるの居ないだろw 漫画パチンカーだっけ。パチプロ日記の漫画版が連載されてたのは。
あっという間に立ち読みできるので、買うことはなかった。 >>607
どうやって見るの?サンプル分までしか見られんけど あ、ごめん。いつの間にか0円本無くなってKindleアンリミテッド会員にならないと0円で読めないみたいだね。無料体験1ヶ月で読めるかも? 数年前、舌の先がピリピリ痛み
すぐに田山さんを思い出してこれはヤバイなと思ったよ
怖くなってネットでググったら、舌に口内炎みたいのができて
痛みが出る場合があるって書いてあって
数日して痛みが消えてほっとした 何でそんなに釘固定で勝てないパチンコにしたがるんだ 毎日ビタミンB類飲むようにしたら口内炎なりにくくなった。 田山さんは病気でなくても自殺してたんじゃないかな
雑誌の仕事はない
現在のパチンコはやればやるほど負ける。競輪も同じ
カタギの仕事やyoutuberは性に合わないと追い詰められて
息苦しくてツマラン世の中だしな 晩年なら元々ギャンブルは負けてたし、勝ち負け以外の活路を見出していたかと
作家として収入はあったし今なら動画配信とかしていた可能性はある
憶測だけどね >>618
だから憶測だよw
田山評論のプロなら何してたと思う?
憶測でいいから書いてみてくれよ 生きてたら76
生きてたとしても不摂生が祟って何も出来なくなってたろ 変に祭り上げられてたかもな、今でもそうかw
多くのパチンコ系ライターが動画演者に変わっていったけどそういう奴等にコラボだ何だって利用されて取り巻きとかも増えてそうかな
不摂生だったみたいだからガンにならなくても亡くなっていた可能性は確かにあるな 田山さんが今生きてたら何やってたかはちょっと興味あるね お上とネットで繋がってて挙動を監視されているメダル無しのスマスロでどうあがいても抜け出せない出来レースプログラムモードの搭載
田山さんのパチ屋の陰謀てのがオカルトじゃなくリアルに搭載されてしまった
今回のは店じゃなく仕込んだのはお上対策をしたメーカーだけど、玉無しのスマートパチンコでもこのモード搭載されちゃうんだろうな
デジパチは回る台を打てば良いのパチンコじゃなくなりそう
田山さんばりのパターン認識と台の挙動を視る嗅覚が必要になりそうだw 読み物として面白おかしく着色してるのを真に受けるとそういう考え方になるんだなあ
全部が全部ノンフィクションって訳じゃないし、それを含めて田山作風だったんだよ 競輪オートのWIN.TICKET
はじめると投票に使えるお金1000or2000付与されます
さらにマイページのプロモーションに
CL6’’’’T2UWKの8文字を入れて1000チャージすると
10000or3000or2000 付与されます! 田山さんはライフヒストリーの分かる稀なパチプロだな
著作や他人の回想読めば出生から死ぬまでの軌跡がほぼ分かる
当人もコウさんとの関わりとかパチと関係ない私生活も語ってる
とにかく飾らない人だった
私小説家の資質があった パチンコ日記最終巻末に田山さんの年表が掲載
年表と著作を照らし合わせながら読むと、田山さんの生き様が見事に再現される 生きざまってパチンコ打って酒飲んでを日々繰り返してた
ただそんだけの生きざまw >>631
何冊も本を出せたし、亡くなって二十年ぐらいになるのに
こうしていろいろな人たちが語ってくれるだけでもいいだろ 持ち上げが過剰なのはかつての田山ファンであっても何か嫌なもんだ
俺も正直生き様ってのは違和感しかないわ
パチンコ行って適当に切り上げて飲みに行くか競輪しに行くルーチンを文章力がある田山さんが楽しく読めるように仕上げてるのは流石と思うが、そのルーチンに生き様は感じないでしょ なんか田山さんは神みたいなの信者臭いのは違うわ
人間くささがいっぱいあったからこそみんなに今でも愛されてるんだと
うまく言えんわ >>627
漫画ZEROで検索したらゼロコミがヒットして日記見つかった。ありがとう
全部読んでないけど、飲み屋の女とのこととか本人承諾してるんだろうけど、読んでて何か恥ずかしい >>635
自分はニヤニヤしながら読んだw
射精する瞬間、パチンコ玉がドバーッと流れるイメージになっていてワロタ 漫画は溝口にネグラを構え、コウさんと出会ってたところで終了
その後の実生活では癌の手術、コウさんとの別れ、癌の再発と大変なことが続き、数年で亡くなることになるが、その部分は漫画にしなくて正解。 漫画は全部実話なわけないだろ(;・∀・)彼女と別れた時に電話先の彼女の様子描かれてるし。 事実も織り交ぜてあるから分かりにくくなってるけど基本はフィクションだからな
故人だしまあそういうもんだ 漫画の前半部分は田山さんが存命中に連載されていた。田山さんの思い出話を編集者が形にし、伊賀和洋という漫画家に書かせたもの。一応田山さんは作者ということになっており、誇張も含めて承知していたはず。 ゼロコミで読んできた、有難う。
話が繋がってないが4巻までと5巻からはもともと違う作品なのかな? 後半が本来のパチプロ日記で前半はパチプロ日記beforeというタイトルで連載された別作品
beforeの方はパチプロ日記となっているが実体はその前の時代のパチプロ告白記がベース >>643
あ、beforeだからそれでいいのかと自己レス ノッポ、イノさん、テツ、玉引きメガネ、マルチ小僧、キザ助等との交流、飲み屋の香織、美喜ママとのS○○・・・たまらん 個人的にはbeforeの世界が好き
昭和は昭和で良かった
連投スマソ >>643
有難う
エピソード自体は活字で読んだことのあるものが大部分だったがかなり楽しめた
ブッコミのテツがフィーバー打ってこんなもんパチンコじゃねえよと吐き捨てるところがかっこ良かったな テツもノッポもパチンコから足洗ってカタギの仕事に就いたんだよな
ノッポは故郷の山口に帰ったが、テツはどこに行ったのやら
二人とも存命ならいいが パチプロがパチンコ辞めるきっかけは何だろうな
田山さんはパチンコ関係の文筆で食う形になったから辞めるにやめられない事になったが
やはり収入かな >>649
勝てなくなったら辞めるしかない
田山さんの知人達がガチでパチプロやってたかは分からんがね 電動ハンドル・フィーバー機等の普及で、手打ち・チューリップ時代からのプロは旨味が無くなったのが大きいだろう。彼らは旧式の台なら滅多に負けなかったが、新しい台ではある程度負けることも計算しなければならなかったし、ハネモノで日当7、8千円程度ならカタギの仕事の方がマシと判断したのかも。田山さんは文才があり原稿収入が見込めたが、漢字も怪しいノッポやテツには
無理だった。 今はほんと回らないから、パチプロなんてほとんどいないんじゃないの? 日当15Kならおるしイケる
田山さんの頃はジグマでも日当3万当たり前の時代やったな 当時のレートで日当3万てことは差玉で12000発だよ。そんな出せてたの? デジパチ千円30回当たり前の時代やで
新装なら40も普通やったな
3回権利物なら持ち玉時給5000円とか通常営業でもありえた時代 >>656
ミルキーバーとかカーニバルとか懐かしいな
エリちゃんとかでも時給5k超えたなぁ 昨今のパチンコ事情に疎いのだが昔みたいに回る台さがしてコツコツ回せば勝てるって時代でもないんでしょ
色々と小技も駆使しつつって感じ?
田山さんが存命でもまず凌げてないよね >>658
回る台があれば勝てるのは変わらないけど換金率が高くて無制限営業が当たり前になって回る台はほぼ絶滅したからな
田山さんが存命でパチンコ現役だとしてもハイエナ日記になってたんじゃないか
あの作風なら結構面白かったかもね >>652
パンクしてバブルの時に都心部1等地の自宅売却しとる 持ち玉で粘って換金差額をいただくのがプロだったのだが、差額が無くなり長時間粘る旨味が無くなったのが痛い そんなことないよ
今だってプロは期待値稼働で長時間稼働してる
例えば軍団稼働ってのはピンでの長時間稼働を更に大人数でやることによって根こそぎかっさらうというやり方
これは全国展開していて有名なとこだとエクセルジャパンという組織がある
そう言えば田山さんの存命してた頃からプロを続けてる人だとモデルオノとか安田一彦とかいるね
あと今はかつての紙上プロ的存在は雑誌よりYouTubeに活動の場が移ってる
わーさんとかミネッチとか山ちゃんボンバーとかとかとか 台のスペックも悪くなってるから、勝つのは厳しいだろうね
マジカルチェイサーなんてヘソ6個戻しで、時短中の止め打ちでも増やせたけど
今はヘソ3個戻しで、時短中は1個戻し、またはずっと右打ちだし >>663
エクセルは本当に消えて欲しいわ
オノさんは時々溝の口の店で打ってるよ 勝ちにくくなってるのは客が減って売上も減って店が還元できにくくなってるからだよ 一番の理由は高換金率化と無制限営業なのは間違いないかと
朝から行ってラッキータイムみたいなので無制限になればそれでほぼ勝ちだったんだからその時代のプロは楽なもんだったよ
それやらないなら基本は低換金の交換ルールだったから釘も開けてたしな
ほぼ等価に近くなって無制限営業になったら素人が打つのとあまり差がつかなくなってしまった、勝ち組から脱落する人間が多数居た 甘々な条件でしかやれなかった層が脱落した要因ということで言うならそれだろね コロナ前にやめたけど近年でもデータ吟味して始発で一都六県廻ってりゃ一人でも余裕で稼げた
ぬるい状況に胡座かいてるだけではいずれ脱落するのが当たり前
今日のこの台は打っていれば何度でもかかるだろう
とわかっていながらまだ明るいうちにパチンコ止めて飲みに行ってしまう田山さんの境地には結局たどり着けなかったな マルハンだろ1番の原因は
グループ、店舗が客の金取り合うのは商売だから当たり前でも少しは共存共栄の意識はあった
アイツらが等価無制限でアホみたいに宣伝費かけてアホな客が沢山流れちゃったから
雑魚店舗も高額換金店に変更するしかなくなった 高換金だろうが低換金だろうが店は一定の収益をあげないといかんのだから高換金になったから勝てなくなったとかはないと思う
例えば等価地域のマルハンと28玉交換地域のマルハンで等価の方が店が儲かってるとかはないのでは
どちらもその換金率に即した調整にして目的の収益額に到達できるようにする 90年代も一般客はボッコボコに負けてた
それで消費者金融に走ってやがては自己破産
でもそれで金も廻ってたから店も還元はしやすかった
台も今よりずっと安かったし 今からパチンコファンになる人なんてほとんどいないだろうね
釘を見て回る台を探す楽しみもなければ、回らないんだから負ける時のほうが多くて
うんざりするだろうし
千円があっという間になくなって、これのどこが面白いんだ?
って印象しか残らないだろうな 回るか回らないかというのはボーダーに対してだから、昔25回る台を打ててたとしてもボーダー30の台を25で営業してたりするわけだからそれは当然マイナス調整
そして当然店にあるほとんどの台は今も昔もマイナス調整
営利企業としてやってるんだから当然のことだけど
そしてボーダーを超える台というのは今でもちゃんとある
ただ昔と比べて遊戯人口は減るし諸経費はあがるしで店が利益を出しにくくなってるから店舗数は減る一方だし還元もしにくくなってる
だからジグマはほぼ不可能になり、プロは出す日の店を廻るスタイルになってる 今のパチンコ台は90年代と比較して3倍以上の値段になってる
https://youtu.be/9meiu-WLREw パチンコ止めて10数年経つ
今はトイレ借りに入る時に、人が打つのをチラ見するだけ
バカでかい役物で玉の動きが安定しないから廻りは悪い
長々続いて結局外れるリーチ
打ちたいとは全く思わない パチンコ業界はメーカーの一人勝ち
高額な台を他台と抱き合わせで売りつけてる
周辺機器も高額
既存メーカーが特許を使い回しして他社が参入しにくく競争がない
それゆえ高額なだけでなく新しいアイデアも生まれない 享楽とマルハンが悪の元凶だろ
コイツらに右習え右で業界死んだ 回りムラというか画面が大きくなってヘソに玉が寄らなくなったのはある
返球や交換率の違いもあるが昔の新装台で70/kの台もあった
現在は良調整でも28/kがいいとこだしな それは台の特性じゃなく分岐に対してどれだけ回すかという店の考え方だよ 田山さんが本当に元気に活動してたのは90年代前半くらいまででしょ
まだまだ日本が元気だった時代
そして用賀に引っ越したのが93年
このスレで昔のパチンコというと、このへんのまでの時代の記憶が強い人が多いんじゃないかな
んでバブル崩壊は91年だけど実感として不景気感が顕著になってきたのが田山さんの引っ越しと同じ93年
そして95年に阪神大震災とオウムがあって田山さんも癌が発覚する
田山さんが元気だった時代は世の中の景気もよくてパチンコ客も多かったけど
パチンコの客も95年を頂点にして衰退に移る
今のパチンコが衰退してるのは世の中の流れと密着してんじゃないかな
この景気の状態で90年代前半みたいな客数は望むべくもない 景気が悪いと娯楽への出費も減るからな
それは田山さん関係なくそうだとしか ところで田山さん確定申告してたの
文筆の収入有るからしてた可能性が高いけど
その際パチンコの収入はどう扱ったんだろうね パチンコの収入は証明出来ないから税金払う奴は居ないぞ
厳密には脱税かも知れんが昔からそういうもんだ、厳密って話ならパチンコでお金になると法律は認識出来ないしな
あとパチンコで負けたら税金が控除されたりもしないだろ?
谷村みたいなのが好き勝手言えるのもそれ分かってるからなんだろうな 日記に収録されてたかどうかは記憶にないけど、熊ちゃんの居酒屋無駄話でお母さんが確定申告に行ってたって記述があったと思う
たしかお母さんの前に並んでたのが某大物芸能人で、熊ちゃんが「で、その後に並んでたのがお母さんですかw」みたいな感じで茶化してたな >>690
そんな話を見たことあるからガイドに書いてあったんじゃないか、自分はガイドメインで単行本は買ってなかったから
熊ちゃんのツッコミは>>691の通りで、読者が面白がるなら多少フィクションでもいいでしょってのが田山さんの作風だったからね
だから田山理論を斬るとやったマガジンは大人気なかったんだよなあ パチンコ収入は雑所得で申告しないとダメだよ
一般人なパチプロは申告しなくてもばれないけど田山さんは日記を公開してたからなあ 確か、安田さんの本で、パチンコで勝った金も申告してください
って税務署から言われたとか読んだ記憶がある 税務署は税金が取れる可能性がある匂いを嗅ぎつけたらとりあえずかましてくるだけでパチンコの収入は証明出来ないけど払う分には受け取りますってスタンスだよ
パチンコの負けを経費扱いに出来ない時点で税務署の言ってることが引っ掛けだと分かる ダニ村なんかは、パチンコの浮きが一年百万単位であるとか漫画で語ってるけど、税金は大丈夫なのかな。 競馬のyoutuberも税務調査されてるからパチンコでも表に出てる人は確定申告してるだろう
youtuberは再生回数で逃れられないがね >>701
だからどうやって収支を証明してんだよ、安田が書籍等でいい格好したいだけかも知れんよ?そういうところあるし
仮にしててもパチ関係の書籍や動画収入に対しての申告だろ
納税って払った人と受け取る人を擦り合わせて証明するんだぜ?安田はそれが出来るって思ってるのか?
万が一税務署員に言われて安田がパチンコ収支を申告しててもそれは税務署員の引っ掛けに安田が乗っただけ
お前等がパチンコで確定申告する必要は無い 本人が確定申告してると書いてたからしてると書き込んだんだよ
何でそこまで怒り狂うんだ パチで生活してる頃、役所で勝ち分申告しようとしたら面倒なので結構ですと言われたな 田山さん亡くなったのは2001.7.4だが、その頃巨人の監督はまだ長嶋さんだったんだよな
時の流れを感じる 確定申告なんて好きなように書いて出したら終わりだよ
その代わり税務調査入られたら執拗に調べられるけどな(内偵して確信をもって来る)
納税してない>702は知らないだろうけど(笑)
あと個人事業主である程度売上ある人は通常税理士に任せてる
>702は恥ずかしいなぁ >>711
だから確定申告する必要もないしパチンコ収支で納税する必要も無いっていいたいだけだよ
君等誰もしてないでしょ?
安田がしてるからそういうもんなんだってのが間違いだって話
間違った認識しない様にと注意喚起のつもりだったが
好きなように書いて出したら終わりってのを知らないのは>>693とかだろ
お前が過剰納税しない様教えてやれよ 田山さんは作家としての収入だけ確定申告してたと何かで読んだ記憶
実際はお母さんが代行していたようだがw 君らに入れんな無職共(笑)
おれは個人事業主経由の弱小法人代表だよ お母さんいい人だなぁ
国民年金や健康保険も払ってくれてたんだろうな 田山さんはパチンコと原稿書き以外は、全てお母さんに任せっきりだったと書いていた
そして田山さんが亡くなった時のお母さんのセリフ
「あんな人生でしたけど、本人は好きなことをやれて幸せだったんじゃないですか」
本当にいいお母さんだった 会社務めが当たり前の時代だったし現在なら変わってたかもね
株、コイン、為替、個人貿易、転売、youtuberなんて田山さんと変わらないし >>720
母上が新聞の取材に対して言ったセリフ
言葉足らずでスマソ 田山さん、夕飯はお母さんが作ってくれた食事をちゃんと食べてたのかな?
田山さん好きだけど、親より先に逝ったっていうのだけがなんだかな >>720
バチプロ日記の上下巻の巻末インタビューに出てるよ。 >>723
夜飯は食べてないんじゃね?
親より先に‥は同意だけど、今の時代に田山さんのやり方ではパンクしてただろうから、ある意味(個人的には長生きしてほしかったけど)良い時期に亡くなったんじゃないかなとも思う。
人は亡くなるべき時に亡くなる‥みたいな。 舌ガンなんてヘビースモーカー位しか罹らない病気。
タールを実験用マウスの肌に塗り続けるとガン化するってのを自分の舌で実践した様なもの。
もう少し本数控えて自分を大切にしたらねぇ。タバコが原因で病気になってもタバコ会社から見舞金の一円すら出ないのにw >>726
そんなわけない
1番の理由は慢性的な口内炎だから 煙草の煙にあぶられて、食道癌になる人が多いって話を聞いたことがある
医者が書いた本には、そもそもなんで癌になるのかがわからないんだってね
細胞のコピーミスでたまたまそうなってしまうこともあるとか プロが運とか言っちゃダメ。健康に留意しても早死にする人はいるから気にする必要は無いなんて言うのは、回る台も回らない台も出る時は出るから気にする必要が無いと言うようなもの。
多少でも健康、勝ち額の期待値が上がるのなら努力すべき 田山さんはガチガチのパチプロじゃ無かったからな、パチンコ打たなくても衣食住には困って無かったし
まあそんな田山さんのゆるゆるなんちゃってパチプロ日記だから共感出来る部分もあったのではないかと今更思うよ 大学も中退
パチンコも適当
物書きはパチプロのついで
中途半端な人生だったな >>734
確かにゆるいのがウケたんでしょうね
はだし小僧と飲みに行く約束をしていて、ファンキードクターでせっかく連チャン
してるのに、友達を待たせておくのはかわいそうだ、って大当たり中の台を
ブン投げちゃう人だから
ガチプロが日記を書いたら、期待値とか回転数とか、数字のデーターがメインに
なって面白くもおかしくもないからな 田山さんは定量制の時代のプロだからな
定量制だと収入の上限が低くその代り早く店を後にする
一日中デジタルぶん回して高収入目指す後のプロとはだいぶスタイルが違う ガチプロ(笑)
田山さんの魅力は昭和パチンコのパチンコ生活者を体現していた所と日本人の好きな奥ゆかしさでは無いだろうか
しらんけど 今思うにいつパチプロから執筆メインに乗り換えたんだろうな
途中からパチプロ風味の文筆家になってたのは気付いていた人も居ただろうけど、上級者特有の嫌味な感じが全然ないしパチンコの話だけでもないからちょっとした小説みたいに読めたよね
只のパチンコライターとはそこが違った 池袋から溝の口に移る頃は店探しに真剣だったからあの頃はパチンコメインじゃないの
そもそもパチンコ絡みの文筆でずっと食えるとは思ってなかったんじゃ
連載なんていつ切られるか分からないし 池袋のときは、実家に住んでて、そこから歩いて行けるパチ屋でジグマをしてたんだよね?
田山さんの近所の人たちは、陰でいろいろ言ってただろうね
せっかく東大入れたのに、パチプロになったらしいよとか 期待値や回転数の話を面白く感じれないということは、それだけ本気で勝ちたいという意識が薄いってとだろな 田山さんは文筆で生活していたと思うけれどパチプロであるという世間にとってはどうでもいいプライドは最後まで持っていたと思う
当時俺も効率よりもくだらないどうでもいいプライドを持って専業として生きていた訳だが文面からそんな感情を感じたよ 負け組がパチプロの中でも特にぐうたらしている人間への憧れと癒しを感じていた構図 いや今より無職に人権あった時代だったわ
麻雀で細々食ってる奴とかも新宿には沢山いた それが読める読ませる文章を書いていたから面白いんだよな
普通の無職はそれ出来ない 田山さんは手打ち時代から夕方まで打って、それ以降は客に譲るがスタンス パチプロ日記の一巻なんて、羽根ものを昼までに二台打ち止めして
あっさり帰ってたのが粋だったな 田山さんの日記は朝からパチンコで時間潰して飲みに行くか競輪行くかって日常を面白く書けてる
アフターの為のパチンコだわな 軽く読めて、それでいて知性を所々に感じる文章だった 当時他の雑誌で誌上プロが田山批判したのが活字になってたな
批判した連中もベンツは海外逃亡で日本に戻れない
飛鳥は自殺
もう一人はパチプロ辞めて他のジャンルのライター志望だったはず
ボーダー理論を最初に提唱してた石橋?は攻略会社の宣伝に加担だし
田山さんの漫画を読むと有名になっても金がなくて
銀行の残高が数万で、それを引き出してこれを元手にしてコウさんに渡さなきゃって描いてあったな
コウさんに騙されてたと思うんだよね
当時の中国でコウさんの手術料なんてたかが知れてれるじゃん
田山さんは競輪で負けっぱなしで金を浪費してたって話だしなあ
あんまり生きる参考にはしたくないというか そうだよな、当時の中国の医療費なんて安かっただろうね
コウさんの友人が連絡係で、コウさんから手紙を預かってきたんだっけ?
途中から、もうお金を送らないでとか言ってたんだよね?
もしかしたら、最初にある程度の金を巻き上げてそのまま音信不通になる予定
だったけど、その後もかなりの大金を送ってくれて、こんな大金をだまし取ったら
さすがやヤバイんじゃないかとビビったのかな? 熊さんとか周りは忠告してたけど田山さんは信じてたんだよな コウさんの件では正直やきもきさせられた読者も結構居るだろうな
田山さんはちょいとロマンチストなところがあったからな
このままでは自分の生きた証は何も残らないと思って水商売の外国人女性に貢ぐのも甲斐性か、なんて考えたんじゃないかねえ
それに年取ってからの恋だから止まんないわ、金使えば愛想良くしてくれるなら使っちゃうのもまあ分かる
知人は沢山居たけど孤独に浸る部分もあったのでは でも、当時連載を読んでた時は、惚れた女のために本の印税まで惜しみなく
ぶっ込むなんて、さすが田山さんだぜ! なんて読んでて熱くなったよ
まさにこの台と心中するような感じで有り金を突っ込んだんだろうね
そういう部分でも田山さんに心を動かされたな 確か、原因不明の難病だったんだっけ?
コウさんの友達から聞いた症状を田山さんが日記に書いたら
それを読んだ読者の医者から、膠原病の可能性があるかもしれないって
手紙がきたんだよね?
田山さんは偽装結婚してもいいから、日本で手術させたいとか書いてたけど
これが俺の最後の恋になるって予感みたいなのがあったのかもな
その後、癌で本人が亡くなったのはちょっとドラマチックだったか 最後の恋とかいうとロマンチックだが、少なくとも30歳以降は素人童貞だったと思われる。 素人以外つってもスナックのままとかそんなでしょ
船乗りに憧れたわりに
パチンコ屋と居酒屋いくだけのつまんない人生送ってたよな
旅打ちでもすりゃよかったのに 今の若者よりマシやろ
前時代的な趣味を全否定して自宅でゲームばかりしとるやん >>763
田山さんは、旅行に興味がないか、あんまり好きじゃなかったのかもな
お袋さんを連れて温泉とか行かなかったのかな? どんな人生だったかは他人が決める物じゃないでしょ
5chしない人からすれば5chしてるなんてスゲー悲しい人生送ってると思われてるからさっさと止めろ(笑) スナック女とか常連になるとたまにヤラせてくれるのだろうか。会計100万円ごとに一回みたいな。 田山さんの最後の日記は2001.1.4で、早くも22年になるのか >>769
あと数年で一般人もネットやる時代だけど田山さんはどうかかわっただろうね
案外はまったかも
ツイッターとかやりそう 全国の読者がパチ屋に会いに来て、飲みにいきましょう、って言われて
デキたって喜んでたよね
けっこう気さくな人だったのかもな
読者との交流を嫌がる人だったら、この後に原稿を書かなきゃならないんだとか
ごめん他の約束があってとか、適当に断ってただろうね 池袋から離れたときに丸くなった印象はあった
本人的には都落ちみたいに感じたんじゃ無かろうか
まあ年齢的なものもあっただろうけど >>773
どんな店に行って、時間はどのくらい飲んでたの?
田山さんは、肴はほとんど食べず、酒ばかり飲んでた?
やっぱり酒に強かったの?
どんな会話した?
お会計は田山さんがしてくれたの? >>769
2001年だと、もうパチンコは勝てない時期だったので、良い辞め時だったかもしれない。 親の家を売った後だから丸くというか謙虚にはなったろうな 田山さんが今生きていたら76歳
母親は亡くなっているだろうね
いつ亡くなったかは末井さんでも知らないかも いつの間にか、田山さんの年齢を超えてた
まだ早かったよな 田山さんは、素人童貞じゃないよ。
あと処女でもない。 140 名無しさん 2020/08/18(火) 16:39:20.69 ID:9MUy60bK
レジェンド大野が嘘をつきレジェンド西本亜希子の拉致失敗の書き込み削除依頼したスレがこちら(笑)
精神障害を抱えている模様で虚言癖があり中傷癖があり、
さらに支離滅裂な発言、掲示板が訴訟先??など意味不明(笑)
事実無根と明白に嘘をついている
実際に松山市役所にいるからは不明
魚拓がこれ
尚、松山市役所は関係ない外部の輩に勝手に名前を使われた被害者であるかもしれない
ゆえに善意の手を差しのべ介護保険課などに電凸して書き込みを教えている
が、なぜか在籍しているかいないかを言わない
市役所の信用問題にも関わらずだ(笑)
↓
対象区分:[個人・一群]管理人裁定待ち
削除対象アドレス: https://rio2016.5ch....ylife/1520956206/l50
削除理由・詳細・その他: 松山市役所介護保険課 大野 航と申します。
https://rio2016.5ch....ylife/1520956206/l50
上記過去スレッドにて、愛媛県公務員の「西本亜希子」の事実無根の誹謗中傷が残っている状態で、
このままであれば、地裁への申立を行う他ありません。
(IP開示を行ってもいいのですが、おそらく加害者は精神疾患を抱えているものと思われ、訴訟先は掲示板にならざるをえないかもしれません)
該当するまとめサイト(https://www.kyodemo....industry/1520044572/)(http://taketo123.liv...chives/11329499.html)
含め、もしこのまま放置となれば、松山地方裁判所への申立をを個人的に行うことを検討しておりますので
ご承知おきください。
大野 航 それとな
お前ら馬鹿だから教えてやるけどな
池袋ウエストゲートパーク
西口のパチ屋
パちプロ、田山さんの店だからな
俺も行ってたから
アニマルかつみ
アニマルも池袋と高田馬場とかだったんだよバーカ、ニワカ 昔のパチんコ屋
「潰れるから毎日1人10万換金してくれ」って、全然客の居ない店で毎日ヤクザ全員が1人10万換金
豪快だったよな、パチ屋もヤクザも 怪しい雰囲気の客たち、威嚇してくるような目つきの店員
何があるかわからないヤバイ緊張感が店内に漂う
そういうのもパチンコ屋の魅力だったよな
今はパチ屋もキレイになって店員も明るく、健全な雰囲気になったけど
釘は見る必要もないくらいシメシメルックで回らないから勝てないしつまらない 今は店員も客もやる気あるよなぁ
パチンコ屋なんて場末感のあるだらけきったかんじでいいのに 田山さんが羽根モノ打っていた頃は、そのパチ屋の雰囲気も好きだったんだろうね
若い女の客なんていなくて、トイレは汚いし、パチンパーマでくわえ煙草のチンピラ
みたいな店員がだるそうにドル箱交換して、たまにマイクパフォーマンスする店員が
いたりして
この世の果ての絶望感を噛みしめながら、田山さんはパチプロをしていたのかな?
明日が見えず、宛先のない青春はパチに溶かしてしまい、今更やってみたい仕事や
他の情熱を傾けるものも見つからず、焦燥感に襲われていた頃
末井さんとの運命の出会いがあったのかもな そんな昔のパチ屋知ってる人が今もまだ続けてることに驚きw >>792
田山さんはいったん就職した後合わなくて辞めてやっぱり自分は遊び人だわと自覚してたから
もう焦燥感とかとは無縁だったんじゃないかな
パチンコで日銭稼いで夜は飲みに行く日常 >>794
そうやって無頼を気取りながらも、俺の人生これでいいのかな
って葛藤もあっただろうね
まぁ、田山さんじゃなくても、誰でもふとそんなことを考えることあるからな 昨日トイレ借りにパチ屋に入った
台にラッシュとか書いてあったが、何なのかね 確変とは違うのかな
パチンコやめて10数年になるけど、釘にもシステムにもついていけないので、二度とやることは無いだろうな >>796
ラッシュはまあ出玉スピードの速い確変状態だよ >>797
サンクス
出玉スピードが速いからラッシュというわけですな 今はパーソナル機器が普及して箱積みで出玉アピールしにくいから
ラッシュタイプが増えたね
何十分か当りっぱなしだからアピールしやすい 2000年代スロプロだったけど5号機スペックで勝てないと悟って、2007から種銭300万から株デイトレ専業になり今は老眼が進んだので5000万でリタイア
田山さん時代のナナシーはよく打ったなー。右チャッカーの甘い台が各店に2〜3台あって目がつけられないように巡回して回ってた
そのうち右チャッカーが張り紙で隠されるようになってパチ打たなくなったな 唐突な自分語りキモいんですがwwwwwwwwwwww 強いかどうかは知らんが飲んでる写真見るといかにも旨そうにグラス手にしてるね
楽しい酒だったのかな 打つ前からおめでとう。
って言ってておめでとうにならない場合が何回もあったよなw 田山さんと同じ病気になったよ
その時思ったのが「こうなりゃ死ぬ直前まで打つか」だった
パチンカスの最後としてあの伝説のパチプロと同じ病で逝けるのは本望だわ 舌がんが再発した時、田山さんが医者に発したセリフ
「手術するくらいなら、残りの人生を放棄した方がマシです」
名言だと思う そんな田山さんも最後は人間臭く生にしがみついただろ
俺だって君だって土壇場ではそうなるだろ まぁガンを甘く見てた節はあったわな
つっても再発転移だからどうしょうもないが
最初が東大じゃなくてガンセンターだったらもしかしてとか思うが
まぁおんなじか 治療後も変わらず酒タバコ続けてたんだからそれなりの覚悟はあったんだろ 手術すると、体力がなくなり逆に早く亡くなる場合があるって医者の本に書いてあったな
田山さんの場合、おそらく再発したときにもう手遅れだったんじゃないかな?
逆に、なんでもかんでも手術すれば治ると思ってる患者やその家族もいるそうだ
遠回しに、これはもう手術しても無理ですよと説明しても、手術してくださいと言ってくる
無駄な手術になりそうだなと思っても、手術を断ったら、医者は手術をして
くれなかったということで訴えられる場合もあるので、仕方なく手術をするんだと 田山さんのアイドルは田淵幸一だったな
田山さんが亡くなったとき田淵さんコメントしてたね 中学の同級生が田淵幸一で
高校の同級生が鳩山由紀夫だそうだけど
同じクラスだったのか?
それとも学校が一緒で同学年だったのかな 高田中は山手線内側なので田山さんは要町から越境してたんかな 田淵は同窓生って言ってた記憶あるからクラスは別だったんじゃないかな
田淵のエピソードは著作内でもいくつか触れてたね、お坊っちゃんで女中がついてたとか野球やるときは左打席で打たされてたとか https://youtu.be/tFvNT0o4xGo
スーパーガールズ
花道・アンビシャス
法、連想
一番ふざけてるのは後藤
しかも最初に脱退 昔のパチんコ屋
行列が出来てて開店5分前にヤクザ二人が先頭に割り込み
ヤクザ二人が回りに「文句あるのか?」って先頭に割り込みするんだよ
で、スロット北斗の拳のシマに先頭で走って台を取って
ヤクザ二人だけ設定6
一般人は設定1
こんなのを何十年も見たら
サクラを見る会まで始まる馬鹿組織
もう1つ話し、昔のパチ屋
朝、行列が出来てて、俺も並んで
1時間ぐらい待ってたんだよ
で、俺の後ろにも行列が出来て
そしたら
ジジイ2人組が俺の前に割り込んだよ
俺「お前ら、並んでないだろ、割り込みするな」って口論したんだよ
ジジイ2人組「並んでた」
俺「並んでないだろ」って口論
そしたら
ジジイが諦めて、後ろの最後方に並ぶのかと思ったら
列の前の方に行って「ここだったわ、ここに並んでたわ」って
列の前の方に割り込み
アホしかおらんからね 漫画では中学時代の田山さんが、空き地で草野球に興じている場面がある。
田山さんの投げた球を田淵がホームラン。
時代は昭和30年代半ばだから、豊島区にもあんな空き地がゴロゴロあっただろうな。 マンガは誇張してあるのかもしれないけど、本当に仲が良かったのか?
もし、なぜか気が合う二人で、大人になっても付き合いが続いて
人気野球選手とパチプロが飲み仲間だったら面白い話だったな
田淵をパチ屋に連れてって、台を選んでやって羽根モノを打って、夕方になったらやめて
一軒目の安い酒場は田山さんが奢って、二軒目の銀座のクラブは田淵の奢りだったら面白いのに 田淵は田山さんの事を覚えてなかったけど追悼コメントはしてた 田淵とは口聞いたことないとも言ってなかったっけ?
仲良くはないけど野球はいっしょにやってただけって関係だったんだろうな でも同じ学校に通ってた人がプロ野球選手になったり政治家に
なってるってすごいよな
テレビつけたら同級生が出てるんだもんな >>825
覚えてないけど追悼コメントってどうなんだよ… >>827
だね
俺が通ってたとこは底辺ではないけどあんまり頭のいい高校じゃなかったからフリーの女子アナ1人輩出しただけだったわ 自分は東京都下の公立中だったけど、少し上の先輩にプロ野球で連続試合安打の記録作った人がいた。
朝礼で話をしてくれたのを覚えている。 >>831
ご名答
清瀬市立第二中学校という中学だったが、有名人と言える出身者は高橋慶彦ただ一人 田淵のホームランは美しかったって誰かが論評してたけど本当にそう
力みなく振り抜いた打球が大きな放物線を描いてスタンド中段に飛び込む
これぞホームランって感じ マンモス校に居たから同じ学校だった有名人も沢山居るけどだから何?って感じしかないわ
自分じゃないから関係無いし友人でも無いからな パチンコメーカー・西陣、廃業を発表 約70年の歴史に幕「市場環境は今後さらに厳しくなる状況」
もう時代の流れだろうね
今更パチ業界が良くなるわけないし ナナシーのイメージしか無い豊丸より先に西陣が逝くとは 回らないクギ、長過ぎるリーチ、ショボい出玉じゃ客減って当然 現在の台は返球1だから1円は1.5円、4円は5円の感覚
そりゃあ湯水のように金がなくなるわな
田山さんが手打ち打ってる時は上限が2円で今の時代にあってるかも
エンタメ産業なんて集客してなんぼだし 手打ちの時代と比較するなら金の価値も物価も全然違うから玉単価が上がってるのは妥当じゃないか いや現状の台のスペックからすると1玉2円というのは妥当な気がする
1円ではあまりにしょぼいし4円は怖くて打てない
軍団排除にもつながりそうだし業界は真剣に考えてみたらどうかな
1円パチンコも広がるまではかなり試行錯誤があったが今や4パチより盛況 ほんと2円でいいんだよな
パチンコ業界は協力して、何か新しい手を打たないと
どう考えても終わるよね 貸し玉が1円だろうが2円だろうが換金率が高めだったら店は回せないよ
現状の1パチ見たら回らないのわかるでしょ
貸し玉は4円換金率は2円50銭という90年代スタイルが良い >>842
ホンコレ
台のスペックは以前より甘いとか高レートじゃなきゃ客は打たないと業界は言ってるけど、全国一律で2.5円交換にすれば釘は多少開いて遊べる調整になる 昔のデジパチは一回当たると約2000発=5000円だったから、5000円使うまでに当たるかどうかが1つの目安で、実にわかりやすかった
自分も5000円ストレートで飲まれたら退散してた 連チャン機は2400だよね
2000てチャッカー付近の釘曲げしてた時代の台かな 5000円使って確率分母回せないから持ち玉遊戯が大切だったんだよな
高換金率化と無制限営業で回せなくなった >>843
と思うだろ
万券で300回せないを普通にやってくるのが昨今のパチ屋だと思うわ それでも100/10k多く回せるならミドル機で1/4の人は多く当たりが引けるんだわ
それに今の上野等の状況みたいに競争原理働けば客呼ぶために釘開ける店は出てくるし 等価止めて昔みたいに2.5円や2.2円交換にすりゃ
当然ボダも下がるから1K30回とか回る台も作れるだろ、その方が遊べるし客も戻るだろ、、、
いやいや、今のパチ屋は苦しくて強欲だから低換金にしても全然回さないでボッタクるに違いないよ、、
って話でしょうよ。何で1パチ‥ >>850
ん?なんかおかしいか?
2.5円交換の時代ってそんなもんだったぞ そんなに回らなかったよ
単純に出玉と回転数で計算してみりゃわかるでしょ >>855
一回交換ラッキーナンバーなら余裕であったよ
だから朝イチ無制限取るだけでほとんど勝てたんだよ ラッキーナンバーで無制限の場合、持ち玉飲まれたら札を取られる店だったら箱の半分になった位で現金投資で札の温存はかったりとかしてた >>855
否定するなら場所や交換率、機種とか提示してから否定して >>857
自分が行ってた店は持玉なくなっても、買い足せば無制限は継続。但し止める時は店員に声を掛けるルール。 >>856
簡単に30回せる台ばかりなら2,5一回交換でも殆ど利益出ないよ
無制限札が大事なのはそうだが一回交換のうちはしっかり利益とらないと経営出来ないって 一回交換や無制限でも客層次第で釘はガラッと変わる
静岡市のスロットだけど95年にニューパルサーで毎日ほぼ全台設定56、モーニングも多数入ってた8枚交換の店に通ってたけど客付き8割以上で粘る客も少なかったからこの設定状況だった
無制限札取っても粘らず適当な所で止める客が多ければ2.5円交換のボーダー超え台が店内にゴロゴロしてる店も存在してたわな そうだね、それなら分かる
30超えが普通にあったとか言われたらそりゃ違うだろってだけだ
大体ちゃんと数えてた奴どれだけ居るか 特に現金機は回ったな
新装数日後でも75/kなんかもあって次回までの時短で止め打ち2箱増えたり >>864
だから普通にあったって言ってるだろw
どんなクソ店行ってたんだよw >>867
普通にあったらパチンコ屋経営出来ねえだろって言ってんのw
2,5一回交換でもその条件なら利益少なすぎる、計算すりゃ分かるだろ
クソ辛い機種なら分かるが、一回交換ならパチ屋のプラス、無制限札取れたら客のプラスで調整するのが普通だろ
昔は換金ギャップでしっかり利益取れたから還元出来たんだよ、取れなきゃ還元も出来ないわ
どんぶり勘定で打ってた過去を美化してる老害かよ
まあそういうスレか 面倒臭いから普通に無いとする年代やエリア書いてここには無かったと書いてくれ すっかり回顧ジジイの昔は良かった勝てたスレになっちまったな
昔を語るスレはいつかはこうなるのかね 昔は当たり前に50は回ったもんだよな、負けてる客なんて居なかった
景気が良かったからね
今の子達は景気悪いから可哀想だわ
昔はアホみたいに勝てたなあ(遠い目) まあ35回るっても止め打ちしてのことだからな。保4でも打ちっぱなししてる下手な客が多い店なら
3日平均で27くらいしか回らないから店としても損は無くて成り立つのかも。
安田プロが言ってたが、昔は右半分に行った玉が完全に死ぬ権利モノで天打ちして打った玉の
半分くらいが死に玉になってる客がいたのでその分店も釘を甘くしてくれたからプロも楽だって。
実際自分も権利モノを好んで打ってからわかるけどそういう下手な客たまに見掛けた。そのうえ上記の
ような止め打ちしない客もいたから権利モノの初期は勝ちやすかったな。 昔はヘソ賞球7個で4円が3円の感覚で遊べ現在はヘソ賞球1個で4円が6円の感覚で金が溶ける お前らの行ってた店がどんなに釘開けてようが田山さんに関係ないからな
スレチなのもわからんのかな wiki読んだら、ちょうど東大紛争があったんだな
東大入学後はあんまり勉強しなかったみたいだけど
東大紛争でさらにやる気がなくなったのかもな
若い頃は、人生に悩みながらもパチプロやってたんだろうね 漫画は誇張があるにせよ、田山さんの30年弱(東大入学から始まりコウさんに出会うまで)を上手に描いていると思う
内容を知っているのに時々読み返す
好きな映画を何度も観るのに似ている 現金機のヤワラキッズとか電サポ中に止め打ちなんかしなくても普通に2箱とか増えたな。初代綱取りなんて1k40とかゴロゴロあったしな。 田山さん、毎晩かなり酒飲んでたのかな?
煙草も吸ってたからその影響もあるんだろうけど
酒はやっぱり寿命が縮まるんだな トイレに行く為にコイツの後ろを通りかかる度に思いっきり後ろを振り返って睨みつけられた。こっちは全く視線も向けてなく歯牙にも掛けないでいるのにだよ。
今時のマナーの悪い内子軍団でもここまでイカれたヤツはいないよ。自分の親派以外のプロは何がなんでも排除したいというみみっちいセコイ根性のゲスい野郎。
長くパチプロを続けていると世間の常識から乖離し、歪な自己偏愛に凝り固まるという典型をみせつけてくれた御仁 田山さんはジグマの仕事をしただけの事
プロなのにそんな事も知らないの? きんさんぎんさん等ヘビースモーカーで長生きする人はいるが酒豪で長生きする人はいない パチプロに変な幻想抱いてんのかね
ただの社会不適合者のシノギのひとつだよ
田山さんは上手く抜け出して実際にはパチプロでは無くなっていたがそれはそれで良かったよな デジパチの普及でプロの気質も変わったね
ボーダー意識して一日中淡々と打つタイプが増えた
自分は一時期パチプロの真似事してたけど他のプロとは全く没交渉
朝一で店に飛び込んで早目にラッキーナンバー引けたら粘る、そうでなければ早々にヤメ、
みたいな感じで月20万くらい稼げた
ただお互い前日他のプロが粘ってた台はそいつがスルーするまで避けるみたいな微妙な配慮はあった
換金ギャップのお蔭で持ち玉なら勝てる台多かったしね パチプロって背後からの視線には敏感になるの職業柄()だけど、店員や他の客の動きみるのは台のガラス越しでやる習性がついてるからわざわざ後ろ向いて威嚇してきたってのは眉唾だわ 目は悪いけど一発台の命釘は紙1枚の厚さの動きも察知できたって日記に書いていた記憶 紙一枚は確実に盛ってるでしょw
そもそもその単位で釘叩けないよ
まあガチで打ってた頃は釘読みにはプライドあったんだろうね
晩年に等価の店のクソ釘台打ってる田山さんは見たくなかったなあ、実際に負けてたみたいだったし >>894
全然盛ってないと思うよ。
まさか釘調整が板ゲージとかの0.25単位とか思ってないよね?
1発台当時から板ゲージで1発台なんか調整していない。
小玉半分とか、小玉一叩きとか、言い出せばキリがないけど、突き詰めていけば髪の毛1本とかもあったんじゃないかな。 >後ろを通りかかる度に思いっきり後ろを振り返って睨みつけられた。
んな奴はいねえよ。止まって後ろから覗き込むとかしない限り気にしねえよ。いちいちそんなことしてたら
首が痛くなるわw >>895
昔髪の毛一本まで見れるってプロいたけど仲間に陰で笑われてたわ。そんな調整できないし、やったとしても
意味無いだろ仮に一発台だとしても 昔の話に憧れるガキがパチプロならこう在るべきとか思って髪の毛一本とか書いてんだろw >>895ぶっちゃけると一発台なんて18時開店の時間落ちとかじゃない限り釘調整するなんて無かったよww
アケシメなんて気のせいだわ 一発台と言えばスーパーコンビと思っていたが、田山さんはあまり打っていなかった記憶
玉がクルーンをぐるぐる回り、手前に落ちれば地上の楽園 高田馬場や池袋時代でも店は一発台をこまめに釘調整してはいなかったのはあるだろうね、基本ちょい締めで放置って感じだったのでは
通常営業なら稼働がどうあっても低くなる一発台弄るよりデジパチや羽根物弄る方が効率良いだろうしな 高田馬場といえばガイド御用達だった某会館、数回訪れたがいつも閑古鳥
よくあんなとこでデータ取りなんかしてたよなぁって思えるくらい活気のない店だった記憶
もし晩年の田山さんが近所に住んでたらまったり打つぶんには適してる店だったとは思うけど >>905地域とかじゃなく一発台ってのがそーゆー位置付けだから。万年釘が基本。て、18時開店とかでは盛大に開ける、そのかわり1人2回までで店員が2人くらい島に張り付いて開店プロ対策でチェックしてた。
で、予定割数より出すぎると急遽20時半とか21時に閉店になったりしてたw
当時の一発台は状況によってアツかった よって田山氏の日記のジェットライン185番もそもそも釘なんて最初から最後までイジってないwアケた!って思った先入観やそうなってて欲しいって期待感込みでの釘読みになってるからイジってもないのにアケた!ってなる >>907
それ最近の話じゃない? 田山さん存命の頃は繁盛店だったよ 高田馬場辺りは持ち玉ルールはキツめだけど換金率も高めって営業が多かったね
新橋や神田辺り迄行くとオール一回交換の等価って感じになってたな
ビジネス街程こういう傾向になってたね
当時は池袋ならやっていけるかもって店あったけど高田馬場は正直無さそうだと思ってた >>910
そうなの?
自分が行ったのは90年代に数回だったけどいずれもびっくりするくらいガラガラだったんだよ
行った数回は全部昼間だったから夜だとまた違ってたのかなぁ
パールセブンっていう当時でも古いセブン機が一シマずらっと並んでたのがなかなか壮観だった >>912
都内のビジネス街にはかなり多いルールだったよ、会員カードも無い時代だしサボリーマンが端数でお菓子持ち帰る訳にもいかないからその端数分でもかなり利益あったんじゃないかな
釘は笑っちゃうくらいガチガチだったけどねw >>907
東陽会館だっけ?
ガイド見てから初めてあそこに行った人はみんな拍子抜けしたかもねw
まるでガイドには高田馬場がパチンコの聖地みたいに書いてあったから、さぞかし優良店が軒を連ねてるのかと思ってたらって
ガイドは世話になってたからかああいう風に書いてたけど、実際には東陽会館はそこまで優良店って訳じゃ無く、周囲のパチンコ店が酷すぎるからあそこ使うしかなかったってのが実情だったんじゃないかと 等価一回交換は売り上げが上がるから
見かけの売り上げ上げたい店にはいいシステム 東陽会館は赤いタータンチェックのベストの制服が可愛いかったね。ゴルゴ13に似たもみあげ長々のオッサン店員はミスマッチで笑えた。隣りに座った熊ちゃん先生が固定椅子のつもりでふんぞりかえり床でバンザイ状態になったのも見た。なんだかなぁ
馬場は喰える良い所だったよ。コスモも甘かったし、国際会館も良かったけどトイレ前の天井が低くて頭をぶつけるのが玉に瑕。
ダイナム、ニッタクも渋いながらもちゃんと開ける時はあったので、その時だけお世話になった。
歩いて10分程度のエリアにちゃんとアケシメする店が軒を削ってたので喰える状況であった >>919
コスモの開店で末井さんの隣で打ったことある >>903
それおまえんとこだけだろ。よく行ってたとこはけっこう一発台の開け閉めやってたわ。 田山さんの周りにいた若い衆たちは元気かなぁ
黒ジャンと晩年の日記によく登場してたカップルが特に記憶に残ってる >>921
開け締めは場所柄なんかもあるからいいとして髪の毛一本とかイキッて語る>>895をどう思う?元々の発端はそこなんだわ
アンタがまさかの>>895本人じゃないよなw >>924
921じゃないけど、わからんやつには、わからんのだろうとしか言いようがないな。
自分がわからないからと言って他人の言ってる事を否定するのはかなりみっともない。 分かった振りを必死にするのもかなりみっともないが…
>>895でも憶測で語ってるだけなのに何時の間にか自分は分かってるみたいな態度だから馬鹿にされるんだと思うよ >>925
>>921じゃないけど>>895ですよねw
自演ですか?ちゃんと宣言しないとみっともないですよ >>895
パチプロの武勇伝や釘師に憧れるのは良いけど偶には漫画以外も読めよwww >>895
多分ヘラ状のを想像してるんでしょうけど玉が付いてるのもヘラ状のもどちらもゲージ棒ですよ
で、店の責任者から依頼されて釘を打つんですけど、昔はバラエティとかなくて島全体の割をこのくらいで調整してくれって形だから貴方が想像してる様な細かい調整はしないです
一叩き?とかもあり得ません
一回で曲がる様な叩き方をすると材質の関係上直ぐに折れちゃうんですよ
コンコン叩くのには理由があるんですね
髪の毛一本(笑)とかも無いですよ、依頼主でも分からない単位で調整したってサボってるのと変わらないですからね
懐かしい名前が出てるので覗いてみたら適当なこと言われてるんでつい >>936
具体的にどのへんがバカなのか詳しく
>>935はちゃんと説明してる様に見えるが素人目には分からんのですよ >>937
だからよ、バカに何言っても分からないから黙ってろって言ってんだよボケ なんか怒られた
なんでそんなに感情的になるのか分からんが触れたらいけなかった話題ならすまなかったね >>935
あなたの言いたいこともわかるんだけどね
>>893
>目は悪いけど一発台の命釘は紙1枚の厚さの動きも察知できたって日記に書いていた記憶
髪の毛一本の動きなんて、精密機械で計測しなきゃわかるわけないんだから
田山さんはパチプロとしてのプライドを、文章で表現したんなんじゃないかな
パチプロになっちゃいけないんだよって自分を卑下していても
俺はパチプロなんだっていうプライドを持って文章も書いていたと思う
「田山さんやっぱりすげぇな」って読者も喜ぶしそれでよかったんじゃないかな
そういう釘調整は現実にはなかったとかは、野暮な指摘だと思う 流れ見たけど知ったか振りした>>895が悪いだけでこれだけ長く引っ張るのはどうかと思うぜ?
他所でやってくれないかな >>935
それ釘師でしょ?
店長クラスが直接叩いてた時のことだよ。 >>943
釘師がやってない髪の毛一本レベルの調整だかを店長クラスがやれていたと考えてるならパチ屋の役職者を買いかぶり過ぎじゃね 板ゲージ一枚以下の少ない釘の動きを比喩として髪一本ていってたんだよ
一枚の平行の動きさえ見えない奴には関係ないな 言ってない、精密機械じゃないと分からんという意見の方が尤もに見えるし、それに反対してるのって一人だけでしょ
どちらも懐古スレに良く居る知ったか爺さんかも知れんがねw
なんなら髪の毛一本スレでも立ててやり合ったらどうだい?現実見えるかもよ >>944
昔の店長をナメ過ぎ
時代が違うんだろうし無理に否定する事もあるまい?
個人経営の肉親営業の店長とか凄かったぞ?俺が凄い訳じゃないけどなw
ってか髪の毛1本話題の反論、異常じゃね? >>946
少なくとも1人じゃないなw
ってか環境の差なんだろうし、言い争う話題か?
自分が知らない、見れないを全否定するのはどうかと思うぞ?
俺は髪の毛1本とか見れないけどね。 昔の話とか関係無く釘に関してはパチ屋の役職より釘師の方が上なのは共通認識だと思うが…
釘師は釘弄りで食ってたんだぜ?店長の仕事は店を回すことで、釘を叩くことがメインじゃないだろう
パチ屋の店員の釘調整の技術が凄いなら釘師に頼むなんて文化にはならなかったし、釘師が存在しなかったんじゃないかな
まあ他所でやれよ 散々他人にお前らには見えてない、分からんかと挑発してる癖に具体的な話してないんだからそりゃ絡まれるだろっての
俺もその一人だよ
髪の毛レベルの調整をしてたって証明が一つも無いのを笑うスレなのか
してなかったって連中はそれなりに具体的な根拠や体験談(?)出してるのにな 横だけど地方は専門釘師なんていないんで店長とグループ内の釘師役が叩いてた、なので必須科目。
んで太毛やお札の厚さは約0.1mm、実機を持ってた人なら解るけど言うほど難しくも無い、命釘の首吊り具合の微調整も出来る。
田山さんは一発台の収支どの位+だったのだろうね。ウチの街には一発台専門女流プロも居た位の鉄火場だったので地域によっては美味しかったね。 横とか言い始めて草
自演なりすましし始めたら終わりだよ
こんな感じなら田山スレも終わりだろうから懐古老人の昔自慢とかで終わるのもいいだろうな
次スレも必要ないだろ
埋め埋め 次スレ必要無いと思うなら来なければ良いだけやな
過去の証明なんて無理やし今よりもずっと適当な時代の記事
顔真っ赤にして本気で書き込みしてるアホなんておらんやろ?(笑) 田山さんも仲間とお花見とかしたのかな?
一回でいいから酒飲んでみたかったな
静かな居酒屋でサシで飲みながら、煙草をくゆらせる田山さんの話を聞いてみたかったよ
パチの話でも女の話でもいいし
美味い酒飲めただろうね あんなひっきりなしにタバコ吸われたら10分と同席出来ないw 酒飲みながら田山さんに「髪の毛一本ぐらいの釘の動きってマジにわかるんですか?」
って訊いたら、田山さん吹き出すんじゃないの
「俺は毎朝二日酔いで釘見てるんだし、そんなもんわかるわけないだろw
あれは、俺はプロだから髪の毛一本の釘の動きもわかるんだぜってハッタリなの
読者だったらそれぐらいわかれよw」 お花見は妹さん家族に誘われて同席したって記述はあったような気がする
あとお花見ではないがやはり妹さん家族と一緒に食事してたときにガンの手術後自身の白髪頭が突然真っ黒になったのを甥っ子さんから指摘されたって記述が印象に残ってる
この髪のエピソードは日記じゃなくて王様手帳のほうの記載だった >>957
田山さんは0.1mmもわからないと日記では書いてたよ。
髪の毛否定組が自演だってのもわかってきたw 髪の毛一本って言うけどキミ・・・。
無いやないか。 黒ちゃん「そんなことより、コーシーでもおごりたまえ」 店員 『え?』
田山さん、 『メニューを指さしながらアイス!(アイスコーヒー)』
店員『はい』 田山幸憲は、羽根物を打っていた頃の話は面白かったけど、
デジパチを打つようになったら急につまんなくなった。
デジパチだと釘読みが出来なくてもボーダーラインを知っていれば素人でも釘の甘い台を選べるから、
プロと素人の垣根が無くなるんだよね。 ボーダー知ってたって釘が開いてる台を打てる人はやっぱ上手い人だよ 羽根物は釘読みが必要だから打つ台の判別が難しいんだ。
デジパチは回転数と言う明確な基準があるので、素人でも台の性能が簡単に見分けられる。
そういう点で、田山幸憲の釘読みと言う持ち味が殺されてしまった。 回らないから捨てる程度の話ならそうかも
でも縦の比較の重要性って部分では今だに大事なことだし、そこは素人には簡単には出来ないだろう
デジパチ打つようになっても、日記のクオリティみたいな部分は変わったとは思ってないな
羽根物だろうがデジパチだろうが基本あの人は縦の比較+思い込みによるオカルトみたいなもんだったろう 当時の話ならデジパチは朝からパチンコ屋に行けたら無制限札貰った時点でほぼ勝ちで、そんな話だけじゃそりゃつまらなくもなるかもね
当時の換金率でラッキーナンバー制だとまともな店なら無制限になりゃボーダー余裕で超えてたから、それを書かれてもなあってのはある
羽根物の方が色々な玉の動きもあって読み物としては面白く書けたのだろう
朝からパチンコ行けるなら温かったのよ 釘読みを超能力とかファンタジーみたいな捉え方してるってことじゃねえの
ボーダーみたいに数値化されちゃうと昔感じてたパチプロに対する夢が壊れちゃうみたいな
羽根物だって打ち込み玉数に対するチャッカー入賞率とか拾いとかで数値化することは可能だと思うけど当時はそこまでやってなかっただけで
こういう調整ならどれくらい拾ってどのくらい出るってのは分かってたから店も商売が成り立ってたんだろうし 羽根モノはクセもあるからな
同じ店に通ってれば、あの台は磁石が弱くなっててパンクするとかももちろんわかるし
そこそこ回るナナシーを一度ブン投げて、後からまた打ったり
三千発まで打ち込んで当たらなかったら台を移動したり
オカルトみたいな打ち方を田山さんはしてたけど、そうやって打ったほうがパチンコは
面白いよね
だって同じ機種なら回る台を長時間打つしかないんだけど、ハマったままだとうんざり
するし、この台はやる気がないんだな、ってそんなことを考えるようになるからなw デジパチ打つようになって化けの皮が剥がれたというか、一般人が思うパチプロの田山幸憲という幻想は壊れたってのはあるかもなー 途中からパチプロ風の物書きになってたのは否めないが、親の脛齧りしてた中年が好きなことを書いてチヤホヤされるし金も入るならストイックに打ち続けられないわな
ある意味パチンカスドリームの体現者だったと思う >>949
それは当然だろうな専門職なんだから。うちの近所にパチ雑誌にも連載持ってた京大卒の有名な
釘師が調整してた店があるんだがそいつが嫌な奴でね、一発台で左から飛び込んだ玉の半分くらいが
右に飛び出す調整してた。本人は雑誌で「パチンカーとの騙し合いだw」みたいに自画自賛してたけど
アホだなって思ったよ。そんな調整釘師ならたいてい出来るけどみんなやらないだけ。
打ち手をイラつかせる釘調整なんかやっても客逃げるだけだろ。 話は変わるが、雑誌関係者で一番田山さんと付き合いが長かったのは末井さん
その末井さんでも、1988から2001までの13年しか付き合いがなかった
1988も秋が初対面で、2001は2月に会ったのが最後だから、実質12年半足らず
もっと長かった様に錯覚してしまう 田山さんはなんとなく末井さん警戒してた感じ
あまりに育ちや社会経験が違うからお互い珍獣目線で相手見てたように思う
末井さんのほうは田山さんのピュアな気質は嫌いじゃなかったみたいだけど
本人が汚濁にまみれて生きてたからw ちょうど3か月後が田山さんの命日
ナナシーなので覚えやすい もう亡くなって二十年ぐらいになるのか
それでもスレがあって、語ってくれる人がいるってすごいことなんだろうな あの頃は紙媒体大体買ってたな
もう打ち初めて40年以上だが
パンチの店員に殴られた六歳の頃が一番印象深い
マジヤクザチンピラしかいなかったな交換も誤魔化されたし 昔は店員が煽りマイクのパフォーマンスをしていたなんて、今では考えられないよな
「75番台のお客様、ラッキースタートおめでとうございます」
「続きましてその後ろのお客様、本日五回目のラッキースタートおめでとうございます」
「どなた様も、粘りと根性を持ちまして、黄金の右腕で、ジャンジャンバリバリ出してください」 近所では追いかけまして~、○○番台ラッキースタート!っていうアナウンスが店員の好みだった模様
入ってきたばかりの慣れないオッサンがマイク段々上手くなっていくの分かったよなw 田山さんが連載していた頃のガイドは380円とかそんなもんだったかな
駅の売店にも平積みしてあって毎月購入
最初に読むのは田山さんの日記
最後の日記をが載った号を買って以来、ガイドは一度も買っていない パチンコやパチスロをマジで勝ちたいと思うならガイドは役に立たなかったよなw
面白い読み物ではあったがパチンコ雑誌としては二流だった 俺は安田一彦の書いてるもので勝ち方を理解できた
90年代前半の時点で期待値稼働を知れて良かった 面白いけど勝率には繋がらないガイドと勝つための情報が多いけどつまらないマガジンってイメージだったわ
普段はマガジンしか買う必要無かったなあ 昔は攻略法がはっきりある機種があって、雑誌にも堂々と載っていた。
その後メーカーの対策も進み、目ぼしい攻略法も減少。
雑誌は攻略法というより、単なる台のスペックやリーチアクションの説明等がメインとなった。
大当たり確率から逆算した1000円あたりの必要回転数ぐらいしか役に立たなかった印象。 スロの4号機辺りでもうパチンコ雑誌はリーチカタログみたいになってたよな
能動的な遊戯のスロの方が雑誌には合ってた印象だわ 昔は、リーチはただの表面上の演出で、大当たりそのものは当たり乱数を拾った時だけに出現するみたいなことを今よりもっと多くの人に届きやすい状態で発信されてた気がするんだけど、今ってリーチにやたら拘るようになって信頼度の話ばっかしてるから、なんかリーチがこねえみたいなことで大騒ぎする人が増えてしまってるような気がしないでもない 大当たり確率200分の1とは、目が1から200まであるサイコロを振って特定の1つの数字(例えば7)が出たら当たりということ
たとえ何回ハズレが続いていようと、次の1回で当たる確率はやはり200分の1
こういう当たり前のことが当時の雑誌にも書いてあったけど、そもそも確率という概念すらまともに分からず打ってた人が大半だった >>993
今のパチンコ雑誌なんかバカしか買わないってことでしょ もうこれで終わりでいいと思います。
田山さん、ありがとうございました! このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 308日 15時間 59分 15秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。