【今日は2000個落ちのパターンだな】田山幸憲氏に捧ぐ18【ナナシーの角台は田山さん専用台】
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ぼくたちは、なかよくつかってるよ 実は田山氏は打ち込み個数とかは気にして無かったよ
釘が良いから勝ちました、運が無くて負けました、じゃあ読み物にならないから色々読者を惹き付ける工夫してた
晩年はパチプロとしてよりパチンコ作家の方が比重が高くなっていって勝つ為のパチンコではなく、書く為のパチンコになってたから近場の勝てない店で妥協してたのも仕方がないかな
しかしパチンコ描写は面白かったけどコウさんのくだりはイマイチだったわ 田山さんの晩年、俺もパチンコ生活者だった。
田山さんは当時も今も好きだけどパチンコ理論はまったく参考にしていなかった
だいたい毎日あんなに釘は変わらないだろ >>6
詳しい。関係者なんだろうな
コウさんの云々はなんと世間知らずな人なんだとドキドキしていた
田山さんがコウさんの最後を告げられ号泣した時俺も涙が止まらなくなったよ。
詐欺女に数百万円の大金を取られた愛すべき哀れな五十男にね
長くバイニンなんてやってると田山さんみたいなオッサンはたくさんいるよ 田山氏が中国人女にカネを送ってた頃は自分は大学生だったけど
日記読みながら、何でこんなバレバレな嘘に引っかかってるんだろうと不思議だったね やっぱり一発台、羽根物の頃の日記が一番面白かった。
よくあんなに見分けられるんだなと感じた。 田山、安田、石橋の対談が面白かったな。
「石橋くんは回転数数えてるの?」
「数えたり数えなかったりですね」
「そうだよな、そんなもん数えてたら美人さんの顔見てる暇がない」
そんなこと言いながらHな店の話をオフレコったりw
理屈一辺倒の安田蚊帳の外w >>14
まあキャリア長ければ体感で勝てる回りかどうかは分かるからな
安田は真面目な誌上プロだったんだろうが、二人より人気無くて内心面白くなかったかも知れないね
ガイドは楽しい読み物だったからなあ、勝ちに拘るなら要らない雑誌だった
でも田山氏やショッカーみたいなのが良い頃は面白かったよなあ、魚拓Vとか他のパチ雑誌なら絶対採用されなかっただろw あきれた!たまげた!アタマにきた!
猫のように顔を洗い、犬のように小便をたれ
すわや! パチマガスロマガ廃刊か
統合から休刊まで早かったな
今後のライター達の身の振り方は? 新サイトができるらしいから基本はそこでしょ
稼ぎの中心は来店業務だろうから母体が雑誌でもサイトでも関係ない 運留さんのパチンコオリジナル必勝法ですが、今回の12月号を持ちまして、
休刊ということになってしまったようです。 ウィンチケット新規1000&マイペのプロモーション入力から最低1000最高50000もらえるよ24RQR6F5だよ! パチンコ屋ほど人が密でコロナ感染率が低いのも珍しいだろうな
マスク着用義務だし喋らないし換気設備も整ってるからな >>23
パチ屋の感染率って何%よ?
そんなデータあるのか? モンドTV魚拓の番組ばかり垂れ流しで気持ち悪いな
喋りも下手だし性格悪いし、何でこんなやつ使っているんだ? そういえば魚拓って田山さんと絡みあったっけ?
ドラ広と中武はガイドの忘年会で挨拶したことあったみたいだが 母親も亡くなって、無年金で炊き出しの列に並ぶ田山さんを見てみたかっなあ 当時読んでいたパチプロ日記を
今はネットで読んでいる
面白いよな パチンコで勝てた時代は生きているのが楽しかったな
今は何の楽しみもなくなってしまった。 今のパチンコには、ワクワクドキドキ感がないんで打たない。
連チャン機の頃とか昔はあったけどな。 ワクワク感がないとか打たなきゃわかんないじゃんw
語るに落ちる テメエは飲んだくれのパチプロで世捨て人的生活していたクセに、結局東大病気で
先端医療や丸山ワクチンに頼るわけだからかってなもんだな
こいつが文章書かなかったら地獄に落ちなかった奴らがいっぱいいる。
無年金でこれから辛い先老後を向かえる奴らがいっぱいいる。 >>33
『何とかの一つ覚え』か、はたまた『自慰を覚えた猿』みたいに単純な玉転がしに我を忘れて・・・。
大負けしたらしたで八つ当たりして、その挙げ句に無関係な人に暴言まで吐いて・・・さぞかし楽しい人生なんだろうね!
どうでも良いけど、ホールや店の関係者、お客様に迷惑掛けるのやめてね?
君達の意思でお金を入れた時点で、それは君達が『店のやり方に同意した』って意味なんだから。
子供じゃ無いんだから、分かるでしょ?
多額のお金借りてまで、やりたがる人もいるんだから呆れるわ。
本当『無様』ね。
私は店や業界の関係者じゃないから知らないけどさwww 田山さんの日記がある頃のガイドは売れてたよな、圧倒的に あの頃のガイドは雑誌として普通に面白かったから他誌は立ち読みしてもガイドは買ってたよ
金角?ゲッツ板谷?も全盛期だったし Kindleでパチプロ日記を読破
最終日記が2001年一月だった
モルヒネ打ちながらパチンコとか彼にとっては
パチンコを打つのが生きるている証だったのかも >>45
末期癌で余命宣告されながらも発信し続けてる元?ガイドライター。多分もうすぐ死ぬ。 天よ今回だけは見捨てないで欲しい
が今読むと悲しい >>44
マエダっていう人は、あまり知られていないのかネットで検索しても話題が出てこないね
相当のラーメン好きみたいだ。
昔有名だったラーメンブロガーの人もあっという間に死んでしまったけど、
ラーメンの食いすぎは早死にするのは間違いないみたいだ 数少ないサンプルで断定しちゃうとかパチ板ならではの馬鹿さ加減だな
とりあえずチキンラーメンの生みの親を調べてこい馬鹿 >>52
スロのひとだからね。
今月誕生日で本人から「最後の誕生日」なんて言われると縁もゆかりもないひとだけどジーンときちゃうな ガイドワークスのパッキー中村も癌になったみたいだけど 調べるとマエダってのは田山に劣らず人間のクズみたいだぞ
2回も離婚して養育費も踏み倒しているのかもしれない
暴飲暴食に風俗を繰り返し、年老いた母親に養われている状態だと思う。
年老いた母親に看取らせるなんて悲惨だな 安田って理屈ぽい事を書いてるイメージだったけど 確率のこと理解出来てないから間違えた記事書いてたなあ
読者に指摘されて次の記事で訂正してたの覚えてるわ 安田さんは毎日通って生かさせてくれてた店の店員に手を出して出禁になった時はあんまり利口な人じゃないと思ったよ >>1
乙です…これで11年前の7スレ目を読んだが当時は
アンチが登場したら皆でフルボッコする程田山さんの
ファンがまだ多く居てたんだ当時は良い時代だったな 亡くなるの早すぎた...あと10年は生きて甘デジ打ってほしかった 今だと等価交換がメインだし、ワンプッシュで一撃2000発くらい出たらすぐ帰りそうwww ドテチンは離婚してタクシードライバーになったんだな 【初公開】パチンコ人生、最高月収を初めて語るまんぱつでしか聞けないお金のはなし - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=lMZ8tXj__e0 パチンコと酒の日々
家売って中国女に貢ぐ
さらに親より先に死ぬ
ここまでの親不孝はそうはいない そう、それが賭博生活者
カタギじゃないんだよ
本人もそうなる運命を見越してパチプロなんかになるもんじゃないと言ってただろ 1991〜92頃、山楽で田山氏を見かけたことある。実年齢よりも老けた外観、サンダル履きでデジパチを打っていた。田山氏=ハネモノというイメージだったので意外な感じだった。玉箱に玉が結構残っていた状態で台移動してたが、デジパチでは駄目だったんじゃないのかな。周りに殆ど客がおらず、店員もいなかったけど。 まあ、当時は釘で勝てるかどうかという時代だったからな。 ちなみにこの年代ってスロは食えたの?
4号機は仕事しなくても良いレベルで勝てたけど この頃は、ネットで情報交換もない頃だったけどB物はあったようだ。
ただ、食えるかどうかは定かでない。 田山幸憲さんか、懐かしいな。
自分がガイドのパチプロ日記読み始めたのはネグラを桜新町から青葉台に変える直前ぐらいだったかな。
青葉台では良く現金機のメガクイーン打ってた記憶がある。
良く冒頭でネグラのハウスルールを紹介してたけど、俺が当時住んでた埼玉県東部だと、
CRと現金機が無制限、権利物(主に三回権利)はラッキーナンバー制、羽根物は4000個定量が多かったな。
(ミサイル7-7-6Dや大入(必殺機)は一回交換が多かった) 田山さんが晩年通ってた
用賀のパチンコ店のラインナップ
亡くなった後もナナシーは
健在だったんだな
https://web.archive.org/web/20011121121852/http://www.p-world.co.jp:80/tokyo/hinomaru-yoga.htm >>61君
懐かしいね
今はこうなっちゃったから仕方ない
俺も常連だったよ
クイズ
田山さんのスレ18もあるけど
IDで777出した人いるでしょうか? ところで田山さんと合体してた美喜ママは、今も御健在かな。もしそうなら後期高齢者だろうが。 田山さんのインタビューがマガサイトにのっとる
ガイド創刊前らしい。よく見つけたなこれ 54歳かー。そんな若かったっけ。もうすぐ追いつくやん。
ガイドよりマガのほうが創刊先なのも意外な感じ。 自分は、池袋の山楽の一階でエーストレイン等を打って凌いでいたのだか、たまに地下て権利物アレックスを打つ事もあった。
で、トイレに行く為に田山御大の後ろを通るたびにコイツは後ろを大袈裟に振り返って思いっきりガンを飛ばしてきやがった。
彼には何の興味も無いし、通る時にチラッとも見たわけでもないのよ。前見て歩いていただけなのに、お前は俺のシマに近づくなとでも言わんばかりのガン飛ばし。
自分のシマを守り切るという意識が強過ぎるのか何なのか、どうかしてるわ。 >>88
ジグマはそんなもんだったろ
俺の地方だとジグマがやたら強くて頭こずかれて大揉めしたことあるわ >>88
当時はそんなんもだったろ
この台は誰さんのだから開き分かっても取らなかった
俺は当時中学生だったから容赦なく座って打ちまくってたけど何度かジグマに囲まれた事あるな
酷い時は店員に怒られることもしはしばあった >>88
嘘か誠か知らんが、御前の立ち振舞いが目に付いたんじゃないか
マーク屋みたいな打ち回ししたこと無いか?
ソレか取り巻きの人に余り良く思われてなかったとか
昔は一台と決めて調整抜きで追いかける奴等も沢山いたからな
俺の台みたいにな暗黙の了解でソイツが来るまで誰も打たないとかな
(後ろ手闊歩デタボチ徘徊藁笑 己仕草振返也) 今はエナ乞食が主流だけど平打ちプロ界隈では今でもそんな風習あるとか(笑) >>91
何がマーク屋だ、馬鹿野郎!
俺はそういう行為を何よりも嫌っているっての。
田山のシマの羽根ものなんか1ミリも興味ありません!
田山は、俺がプロなのを把握していているのか常にガンを飛ばして威嚇していた。
みっともねぇ。誌上プロとして知られている存在なのだから自らを律して立ち居振る舞いに気をつけろっての。
そんな俺も田山よりもプロ歴長くなり、歳も上になったわ。 >>93
なら余計に未練がましい、何を今更なのかと、プロ意識があったなら当時キチンと田山さんと話で解決しなさい
会話すらしないで一方的な感触で物事を捉えるのは如何かと
それと、誌上プロと捉えてるみたいだが彼は基本的にぱちんこ好きの親父さんでしかない、彼のぱち歴が偶然そのように映ってるだけ
ガイドの編集も(末井さんも)何度も足を運んで頼みに頼んで了解を得た、誌上プロとは創られたモノでしかない
全くもって恥晒しなレスに怒りすら覚える
(後ろ手闊歩デタボチ徘徊藁笑) 1987当時の田山さんの写真、結構若く見えてビックリ!
その4〜5年後に自分は田山さんと三楽で初遭遇したが、かなり老けた印象で、とても同一人物とは思えない。 87年の写真、若いなあ。自分はその数年後、山楽で田山さんと初遭遇したが、かなり老けた印象だった。振り返るととても同一人物とは思えない。 パチマガインタビュー日当2万の話じゃなかったな
まあもしパチマガなら名前出して叩いてたろうから違うとは思ってたけど
インタビューであんな推敲した文みたいな言葉が出てくるのやっぱ凄いや 1日に2万円前後稼げればもう満足
って言ってるのに
タイトルには
俺のノルマは一日2万
ってデカデカと煽ってたんじゃなかった? 一日二万円稼げればもう満足は載ってた
健康のために規則正しい生活をしてるにはクスッとしてしまった タバコ中毒でアルコール中毒で麻雀中毒w
写真見たら完全なアル中の顔 トヨちゃんが、田山さんの角台ナナシーをパクって出してた トヨちゃんと交流持ち始めた頃って田山さんもう喋るのもキツかった時期だろ
そのちょい前にガチャピンとヨーコっていう若いカップルと絡みあったけどこれはまだ再発前だったっけ? いつもの喫茶店でアイスコーヒーを注文する時に
発音がアイスコーシーになってしまい、店員に え? と聞き返されてしまうので
メニューを指さしながら、アイスと注文するようにした。 パチプロ日記漫画編は溝の口B店にネグラを定めた頃で終了しているが、実際にはその後が田山さんにとって辛く悲しい出来事が連続するんだよね。 プレミアムタイヤのスレに田山さんが登場して笑えるよ! 命日は日曜日か・・・
一ファンとして行ってみたいが、関係者の集団がウザそうだから遠慮しとくわ。 命日は日曜日か・・・
一ファンとして行ってみたいが、関係者の集団がウザそうだから遠慮しとくわ。 スレタイの2000個落ちって現金投資なのか?
1パン当たり前の時代でそこまで当たらなかったら辛すぎる
2000個持ってたらヤメた方がいい >>91
最近の子だと昔の暗黙了解ルールは知らないかもしれないけど
>>88さんは山楽で同じ時期に打ってたんならマナーは知ってるでしょう
知ってても間違って嫌われる事もあるけどね
新参者が派手に抜いてたりとか とっ…
今日が20年目の命日か
17才でガイドを見てて
古本屋でたまたま見つけたパチプロ告白記を100円で買って
パチプロ日記もだいたい持ってるな
告白記と日記の何刊かは無くなったけど
今でも田山さんの言葉で守ってる事は勝ったら脱兎のごとく逃げ帰った。
(^_^)/□☆□\(^_^)合掌 もう誰も来ないかな?
田山さんの命日なのに
ビールを呑みながら日記みて今日の夜をしめようと思います
(-人-)おやすみなさい
玉を流してレシートを持ってカウンターへ
いつもは愛想の無いお姉さんが今日はニコニコしてる
今日は姉さんに良いことあるんだろうか
そんな事を思いながら自分も軽い足取りで帰路をする 一時間前位に池袋北口付近を少しだけ楽しむ
このご時世
旧き良きアノ頃を胸に地下の階段へ
空しいね
(後ろ手闊歩デタボチ徘徊藁笑) 1日遅れちゃった。
ご存命なら74歳か。パチンコ打ち続けてたのかなあ。年金払ってたとも思えないし。
生活保護は性に合わない雰囲気。 田山さんはある程度年齢がいったら日記を終わらす予定だったはず
パチンコの勝ちぶんだけで生活出来るとは思えなかったけど 動画でたんぽぽとかのレトロゲームセンターで当時のエピソードを話ながら打っていたりして >>123
田山さん、投資もやってたからな貯蓄くらいは
姉さんとかも居たしな
(後ろ手闊歩デタボチ徘徊藁笑) ガイドから結構貰ってたって話だぞ
晩年は年間800万はあったとかなかったとか ガイドからは大したことないだろ、たしか一枚4000円か?
印税がどんな契約かは公言してないような >>127
古いパチンコニッポンてムックで安田が田山さんの年収について言及してたんだよ
800万て 確かにお金はあったよね
上手いけどパチが進化するんだから仕方ないよ
良い時期に引退したし、結局 色んな運も味方にした立派なパチプロですよ
右も左も解らないけど時に日記にはお世話になりました。 >>129
金があったら年老いた母親泣かせてまで家を売らんだろ >>127
古いパチンコニッポンてムックで安田が田山さんの年収について言及してたんだよ
800万て 自宅を売却したのは生活に困るからでなく二人で住むには経費が掛かりすぎるから、割と広い由緒ある家だった
年老いた母親が生活するには不向きということもあった
(後ろ手闊歩デタボチ徘徊藁笑) >>130
普通に相続税を田山さんに移した展開での売却でしょ
田山さんは自分が真面目に社会人として働いていれば実家を存続が出来たかもねの話
パチンコは才覚あってもプロは最後に誰かを泣かすよてきな大人の話をあえて日記でバラしたんだよ。 >>130
馬鹿なお前にもう一言な
金はある
パチプロとしての収入源と貯蓄の割合なんで
パチプロとしては 金はあるだよ
タレントとか社長では無いのよアホ >>135
ダルビッシュは大リーガー
(-人-)ダルダル >>135
一応 お前を馬鹿にしてるんだけどダルいわ〜
見たら今日、明日はイライラしてね
( ・ε・)寝るわバーカ たーさん、あの世で苦笑い
末井さんの思い出話がありました
ttps://nanasy0704.com/tayama/ 折を見て墓参りに行きたいですね
その時お会いしたら、一杯やりましょう 本には借地と書いていたけど違うと思う
田山さんのお母さんが育ったとこだし >>145
なんで?
開発の時に借地権者が居れば時価の何割かを
払って立ち退いてもらう
パチプロ日記ではその売買代金を銀行から下ろす記載も
あったぞ 競輪で毎月25万くらい使ってるって言ってなかったっけ? 昔パチンコにハマってた頃ガイドで掲載されてたから田山さんの日記好きだったけど、最近漫画の方もネットで無料で公開されてたから読んだ。
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パチンコに対する論理はダニ村先生と大差無くて笑った
金に汚いか汚くないかの違いで評価が天と地ほど違ってるが フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00〜 ※関東ローカル)では、末期がんで余命宣告を受けたパチスロライター・マエダさんと仲間たちの終活を追った『人生の終わりの過ごし方 〜「ダメ人間マエダ」の終活〜』を、12日・19日の2週にわたって放送する。
https://news.mynavi.jp/article/20210910-1969109/images/001.jpg
涙を見せるマエダさん=フジテレビ提供
自らを「ダメ人間」と呼ぶマエダさん(44)。都心の裕福な家庭の一人息子として生まれ、幼稚園からエリート街道を歩むものの、同級生の中でただ1人、大学に進学せず、ギャンブルにのめり込み、トラック運転手やパチスロ店、豆腐店、転売業など職を転々としてきた。
20歳で最初の結婚をしたが、今は「バツ2」で、元妻たちとの間には3人の子供がいるものの、会うことはない。現在は、年老いた母と2人で暮らしている。
30代なかばで、ようやく巡り会えた天職がパチスロライターの仕事。記事を書き、番組やDVDにも出演、“ゲス”なキャラクターとスーツ姿で、ファンに愛されてきた。
そんなマエダさんは2020年2月、余命宣告を受けた。過去に手術したがんが進行し、全身に転移。医師からは「余命は3カ月から半年」と言われた。マエダさんは友人たちに全てを語り、「最後まで楽しく死にたい」と、自らの“終活”に付き合ってもらうことに。
日々、がんの進行が進み、治療や薬の副作用で体が悲鳴を上げても、酒もタバコもやめず、仲間たちと一緒にうまいものを食べる。そんな姿に仲間たちも特別扱いすることなく、マエダさんの“終活”に寄り添い続ける。
しかし20年6月、余命宣告の時期に差し掛かったころ、マエダさんは、新型コロナウイルスに感染し、入院してしまう…。
「自分が死ぬまで撮影してほしい」と語るマエダさんの“終活”を、女優・宮崎あおいのナレーションで見つめていく。
https://news.mynavi.jp/article/20210910-1969109/images/002.jpg
(C)フジテレビ
https://news.mynavi.jp/article/20210910-1969109/ >>148
七巻に酒と競輪で25万てあるね。
実家暮らしじゃなきゃ多分何回もパンクしてそうだけど昔はネットなかったから紙媒体が輝いてたな WIN TICKET 新規1000もらえるよ
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3XSA…FH5Kを入力して7日以内に1000チャージすると
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1等:50,000pt[排出確率 1.00%]
2等:3,000pt[排出確率 12.5%]
3等:2,000pt[排出確率 37.0%]
4等:1,000pt[排出確率 49.5%] 読者だった頃20代だった俺も
とうとう晩年の田山さんと同じアラフィフになってしまったよ
鏡を見て歳を取った自分の顔を見たくない
これ以上老け込む前に地震とかで死にたい 田山さんが通ってた店も生き残ってるのは用賀H店のみ?
あれから20年もだし仕方ないか
この20年で世の中もすっかり変わったな 昔はハンドルがボロボロになるまで使っていたけど
今は新台新台だから店も大変だろうね。
台は3年?で交換とかいう法律ができたんだっけ?
新装開店は祭りだった。 競輪 バイク WIN,TICKET
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最低1000最高50000もらえるくじが引けるよ! 昔は台枠やハンドルはそのままでガラスの中の板だけ変えてた気する。だからハンドルやばね劣化。
今は違うん? サルコイドーシスって難病に罹っているオジサンプロいたけど元気で生きてるかなぁ >>177
ごめん 安田氏のスレと間違えた。
安田氏とも交流が有り、昭島の店でよくご一緒した気のいいオジサンです 結局東大やめたのも厳格な父親への反発心からだろ
愛情の欠如した親から育てられると不幸になるな >>165
著書にパチプロになるまでの前半生詳細に書いてるよ
親は転勤の多い農水省の官僚
高校時代「白鯨」読んで感銘受けて当時人気の高かった東京商船大を志願
ところが色覚異常で受験資格ない事知って衝撃
リベンジの為に東大受けて浪人の末理科二類(主に理学部農学部進学コース)に合格するも目標を失う
当時は学生運動が盛んで大学に足が向かないまま他大学に進学した友人にパチンコに誘われるように
結局大学は駒場の教養課程で辞めたから学部には進んでない
高校は小石川で鳩山由紀夫と同じ時期に在籍してる
子供の頃広島大の附属小にいたがレベルが高く目立たなかったが東京の小学校に転校したら急に優等生になったなんて記述もある
自分の親が広島大の付属小だったから腑に落ちる記述だった
名門広島高師の付属だったから教育熱心な親がこぞって子供を入れた
田山さんが入れたのは親のコネがあったかも >>181
中学で田淵幸一と同級生というのも見た気がするが、同じ豊島区でも要町から高田中なら越境かね 田淵と野球やると打球飛びすぎてすぐ球がなくなるから左打席で打たされてたって記述があったのは覚えてる 田山さんの老化は凄かったね
晩年は70歳過ぎのジジイの顔付きだったな
アルコール取り過ぎるとアセトアルデヒドという猛毒が身体の中にできて、
身体が全力で必死こいて毒消しに動くから、癌細胞が増殖してもそっちに
力が回らないみたいだね ほとんどアル中なのに朝パチったりして身体依存まではいってなかったんだろうな
漫画家の吾妻ひでおは朝から飲み続けて幻覚、幻聴などが出て無理やり家族に
精神病院に入れられてから断酒した
いっそそこまでいってたらやめられたかも
でも喉の調子がものすごく悪いのに煙草はやめられず結局癌で死んだ
意思が弱いから無理か >>185
明日なきパチプロなんだから緩やかな自殺よ 田山さんは完全に発達障害だったんだな
一つのことにのめり込みやすいのもアスペルガーの特徴 >>188
まさか同席した事も無いのに発達障害とか決めつけられないよね?
日記とかに書いてない、氏の明確な特徴を書いてくれないかな?
同席した経験があるなら、他に無いはっきりとした特徴があったよね?書けるよね?
書けないなら君が発達障害だ。 発達障害と病名診断出来るのは医師のみ
ネットだろうがリアルだろうが素人が勝手に病名診断するのは厳密には医師法違反だから気をつけろ 田山さんのパチンコ黄金期にユーチューブがあったら、田山さんは億万長者
になっていただろうね いや無理だろう
パチプロとしては二流だし向上心も乏しかった
やはり取柄はあの独特の文才
気取りなく淡々とした文章ってなかなか書けない
自意識や自己愛が邪魔をする 動画の中でもあんな感じの語り口調が出せれば或いは、とも思わなくも無いがやはり田山さんはあの文章が良かったからねえ 月に1〜2回池袋北口に訪れ、山楽、ロサ会館界隈を散策。20数年前、田山さんがここを歩いていたんだなと感傷に浸り涙していると、道行く人々から憐れみの視線。土曜の夜に大きな荷物を持って泣いている人がいたら、それは自分ですw 月に1〜2回池袋北口に訪れ、山楽、ロサ会館界隈を散策。20数年前、田山さんがここを歩いていたんだなと感傷に浸り涙していると、道行く人々から憐れみの視線。土曜の夜に大きな荷物を持って泣いている人がいたら、それは自分ですw 月に1、2回池袋北口に訪れ、山楽、ロサ会館界隈を散策。20数年前、田山さんがここを歩いていたんだなと感傷に浸り涙していると、道行く人々から憐れみの視線。土曜の夜に大きな荷物を持って泣いている人がいたら、それは自分ですw アル中で道ですれ違う女子中学生をガン見して欲情するクズ モデル・オノは元気みたいだね。
学生プロ(早稲田中退)とか赤毛はどうしてるのかな。知るすべもないが。 真面目だったお父さんも田山さんと同じくらいか若くなくなってる
酒や煙草だというけど遺伝が大きいと思う 父親が堅物の変人役人だと、田山みたいな偏屈が育ってもおかしくないな
エリートコースを歩まないと許されないような相当なプレッシャーの
幼少期を育ったんだろうね 子供4人中、男は田山さんだけだったから、当時はなかなかのプレッシャーだったはず。 まぁつってもある程度金があったから
あんな生活出来たわけで
健康保険も扶養家族だったんじゃないかなぁ 前にも書いたが安田によるとパチンコ以外で800万ほどの収入があったようだね 田淵にホームラン打たれて三角ベースの道を断念した田山さん 田山さん、原稿何本も掛け持ちしてそれなりに稼いだ時期はあったかもしれないけど、晩年の数年だけでしょ。 んでも日記読む限りだとお父さんとも子供時代の関係は良好で
両親に愛してもらって幸せだったと書いてる
宿題するとき以外は外で遊びまわってたみたいだしそれほど厳格な家庭とは思えないけどね 学園紛争とパチンコの出会いのタイミングが合ってしまったのが運の尽き 定期的に書いていたのは必勝ガイドと王様手帳だけどガイドは全盛期は月二回発行だから結構貰ってた筈
王様手帳みたいなPR誌も実は原稿料はいい
印税も含めたら高収入だった時期もあったかもね
だだ池袋から溝の口にねぐら変えた時は結構苦労してたから常に高収入なわけではなかっただろうね
当時母親が家売って泣いてた時も不甲斐ないと自嘲してたし 母親が国民年金と遺族年金で月20くらいあっただろうし
田山さんもパチと原稿料あわせれば平均40はあったはず
本来であれば親子2人食っていける額
酒はまだわかるとして競輪が余計だった 父親の印象は漫画のキャラが強烈だったからなあ
実際は幼い田山さん連れてパチンコ打ったり、同僚呼んでマージャンしてたりね
子供が大学行かず遊んでたらそりゃ注意もするだろうし
年頃の子供からすりゃ顔も見たくなくなるのもわかる >215
田山さんもパチと原稿料あわせれば平均40はあったはず
おそらくそうだろうね。
田山さんは、「浮き沈みのあるパチンコ収入より、固定の原稿料収入の方がありがたい」みたいなことを日記の中で言っていた。 昼過ぎからうなぎ屋とかよく行ってたよな。んで、おそらく全て奢ってたという… 奢ってそうだよね
溝の口に移って飲み仲間がいなくて出費が減り印税も安定してきたところに
コウさんが・・・
『人間晩年図鑑』という本に田山さんが取り上げられてて
目新しい情報はないけど文春オンラインで無料で読める 白鯨読んで船乗りになりたいとか、脳内構造が普通じゃなかったんだな 普通はさ、中二病の奴って傲慢だったり鼻につくでしょ
でもね田山さんは違うんだ
中二病でありながら奥ゆかしさ、謙虚さを併せ持ち
損することが多くても不器用な生き方を貫いた
まあ
会ったことはないんだけどね >>230
日記には浅ましい真似は下の下とか書いてるが、山楽では周囲を威嚇して仲間うち以外はそばで打たせないとか言われたしな。 溝の口で一度だけ見掛けたことあったよ
小柄で長髪、頭が大きくとっつあん坊やの風情
威圧感はない
若い子と友達になってもおかしくないような感じではあった その書き込みは覚えてるけど誤解だな
田山さんの視力は0.1
深酒や徹マン明けは更に下がる
更には老眼も入ってただろう
視力悪い人は顔を判別するために目を細め凝視するからね
「誰だこれは? 知り合いか? 一緒に飲めるのか?」
それが威圧ととられただけ >>231
援護するわけじゃないけど、そこらへんはパチプロの性だろうな。 田山さんは基本実家暮らしだし途中からは原稿料収入もあったし
そこまでがつがつパチ打つ必要はなかったんじゃないかな
むしろ池袋から溝の口に移る途上で良さそうな店がプロに仕切られてる感じで困ったとか書いてた
ナナシーとかデジパチに移行したのも台の取り合い嫌ったんじゃないの 田山さんのお母さんが新聞の訃報記事で、「あんな人生でしたけど、本人はやりたいことをやって幸せだったんじゃないですか」とコメントしていて泣けた。 親戚代表弔辞で「若い頃からあんな生活してると、早くしてこんなことになるわけで、、、」と言ったという記事を見たときは笑ったなぁwww ボーダー論者からも尊敬されてる波論者はこのお方くらい
あの哀愁のある文章は他の人には書けない唯一無二 手打ちの普通機、電動の普通機、羽根物、一発台、セブン機を通してプロなんて珍しい 30年以上、定職に就かずに家の財産を食い潰す。近所の目もあるし、親戚からも迫害されてたはずだが、お母さんが溺愛してたのだろう。 それでいて母親のことはないがしろ。
何かにつけ「男一匹生きていくのに、、、」が口癖。
それも帰る家があり、身の回りの世話してくれる親がいてのこと。
そもそも、40過ぎて親にパンツ洗わせるってどうよwww ニート引きこもりより何倍もええやろ
小遣い程度かもしれんけどパチと原稿料稼いでたし >>241
田山さんが波論者とかじゃなく釘を見て打ってたのは読んでりゃ分かったでしょ
普通に打ちました勝ちましただけじゃつまらないから色々着色して面白く読めるようにしてるのが読み手にも伝わるし、ホラ吹き武勇伝みたいなのでも無いから好評だった訳
既に結果である出る出ないの理由や打つのを止めて帰りたい理由が面白く書いてただけで、田山さんを波論者と表現する奴は読めて無いと思うぜ 波に関しては検討の余地はあるような気はする
平均への回帰っていうのはたしかに間違いではないわけで
定量制時代のハネモノなんかたしかに波らしきものを感じることがあった 昔は台の上に追可玉乗せて来て台のバランス変わったりして玉の動きも変わってたから出やすい出にくい時期有ったと思うよ。デジパチの大当たりの波は元々の基盤のプログラムでしかないのを打ち手は経験でしか判別できないだけ。 田中や久恵多みたいな存在の怪しいプロや盆正月は店が客にサ─ビスするからプロは遠慮するなんて書く人よりは田山さんの方が信用できるだろ(^_^;) 昔、田山さんの時代にリーマンやりながら土日だけでも年100万は勝てた
時代があった。
今はそんな金とくっにパチンコ屋に全部返してしまったよ
つくづく無駄な労力つぎ込んでいたんだなあと思うよ まぁ勝ち負けでやってると
なんも残らんよね
日記もナナシー以外も打ってくれよ
とか思って読んでたわ 田山さんを池袋の山楽で何度か見かけたけど、雑誌に乗る写真よりもみすぼらしい身なりだった。撮影の時は少しでもマシな服を着ていたんだろうね。実物はとても40代には見えなくて、10歳くらい老けて見えた。 中国人のコウさんって女もむさ苦しいジジイにまとわりつかれて、
相当迷惑だったんだろうな 悪口ばかりで醜い集団ですこと。
故人に悪口とか救いようねぇわ 昔銀玉親方がパチプロはふけるのが早いみたいなこと書いてのが凄い印象に残ってるわ 田山さんの文章は、文体が簡潔で流れが良い。一文一文が短く、時系列に沿った展開。読み直す箇所が殆ど無く、頭にスラスラ入ってくる。 田山さんの文章に比較的似てるのが蛭子能収の文章
どっちも文章のプロではなく本業が評価されての執筆
その分文章のプロにはない衒いのなさがあっていい
うまい文章書こうとしていない 田山さんは学生時代、それなりに硬い内容の読書をしていたと思う。「忸怩たる思い」、「あにはからんや」、「やんぬるかな」等のやや古めかしい表現は読書量の蓄積なくしては出てこない表現。もっとも、パチプロになってからはスポーツ新聞がメインだったようだがw 青山霊園に墓作れること自体富裕層
それも先祖の墓ではなく、個人で作れたわけだから、親族はよっぽどの資産家 ナナシーの日、田山幸憲さんのお墓参り。小説にノラのキー坊登場! 年1回の人間ドックと年2回のお楽しみ。「森山大道 東京パンデミック」など | 家ごもりヘロヘロ日記 | あさひてらす
https://webzine.asahipress.com/posts/4073 田山さんは昼飯食わなかったのか?
昼飯食っている書き込み見たことないが 朝の喫茶店のみ。あとは自販機やら差し入れの飲み物だね。昼過ぎから夕方には飲みに行くから昼飯も要らなかったんじゃない? 固形物は夕方以降、居酒屋でつまみを軽く食べる程度だったみたい。実際見た感じも体脂肪率かなり低そうだったね。 出玉積んだまま昼飯食いに行って戻ったら玉盗まれたから昼飯食わないようにしたって書いてたよ 田山さんのコラム読んでから、羽根モノ専門でやってました
昨日、10年ぶりにパチンコ屋に入り、トキオを見つけて打ちました
やっぱり羽根モノは面白いですね 自分もついこの間、池袋西口のやすだで7年ぶりのパチンコ。隣のパールは最近潰れ、さらに隣にあった山楽はガイアになった後やはり潰れ、カラオケ屋になって久しいらしい。
やすだでは甘デジ(フィーバークイーン)を500円打ったら、いきなり当たってビックリ。大当たり終了後に
時短みたいのがあったが、システムがよくわからんので通常に戻って即ヤメ。換金したら1500円プラス飲み物でワロタ。店内はガラガラでパチンコは斜陽なんだと痛感。 パール潰れたの?確か、田山さんが最初にパチッたのがパールで、その後に山楽だったような >>275
パールが潰れたのはごく最近。半年経つかどうか。池袋は仕事で時々行くけど、西口はパチンコ・パチスロ店全部合わせて10軒もないかな。 パールって10年くらい前に甲子園パールとして再オープンしたけどそれまでもずっと潰れてただろ その通りで、今回潰れたのは甲子園パール。今は内装も完全に撤去して原状復帰してるから、またパチンコ屋になることは二度とないだろう。 昔は自分も若かったから
田山氏のコラム読んで釘の事研究してみたり本当にアホだった
よくよく考えてみれば社会不適応のアル中オッサンが店に玉出してもらって生活しているだけなんだよなw >>280
それは本人も否定してないし実際そうだろ
指摘する俺カッコイイとでも? 根本的にいくらプロと呼ばれる人間でも店が勝てる台を用意してないと勝てないのは当たり前だよ、魔法使いじゃないんだぞ
ジグマのプロってのは一般人よりも店が開けたのを見つけるのに長けてる人種なだけ
そんなの当時の読者の大半だって理解してんだよ
最後は開けた台を用意出来ない店だったから執筆業がメインになってたけどな じゃあ、今みたいに開ける台が0だったらどうなるの? 開ける台0って言っても組織化してる某何たらエクセルとかの攻略軍団は勝ててる
つか議論してーならこんな過疎スレですんなよw 今のマグレパチンコでプロなんてまだいるんだね
こんだけいろんなもんがある世の中でパチンコ屋で一生過ごすとか
よーやるわーとか思うがまぁ余計なお世話だわなw 今だって開けてる台ゼロじゃないよ
ちゃんと開けてる店ある 今はクギいじっちゃダメなんじゃなかったっけ?
エアプ?www >>287
昔も今もパチ屋が釘を叩く時の言い訳は変わらんよ
別に法改正があった訳でもない
そんなことも知らんで草生やすとは恥ずかしい奴だな ダメだからって弄ってないという訳ではないからな
交通違反も刑法犯も脱税も浮気もダメだから、誰もやらない訳ではない
誰がやってるか、なんか調べる気はないがな ハの字だらけの店あるよ
ただしそういうとこは寄りで殺されて全然ヘソまで来ない 現金の連荘機があった昔の話だけど近所のそこそこ繁盛してた店がある時ヘソをガバ開き調整にし始めて話題になってた
で、実際に打ってみると開いてはいるんだけど強烈な下げ釘だったんだよね、こうなると球が最初に触れるのは釘の根本になるから大して回らない
見た目は開いてても回らない調整ってのの勉強になったわ >>296
ね、ひしゃげてるってレベルで開けてたんだけど見た目程回らないの
全然回らない訳では無かったんだけど見た目とのギャップは凄かった
下げはダメだと聞いていたがそれを体験できて良かったよ 猫のように顔を洗い、犬のように小便をたれ、すわやとばかりにしてやったり。 土手の柳は風まかせ
好きなあの娘は口まかせ
お好きなパチンコ腕まかせ 不敗のノッポ、ブッコミのテツ、イノさん、キザ助、玉引きメガネ、マルチ小僧・・・等が登場した昭和の山楽時代が個人的には一番面白い。この辺は漫画版の方に詳しく描かれているが、絵のタッチがモロ昭和の香りでたまらん。 改めて見ると仕事人みたいな愛称やw
必勝ガイド全て捨てずに残していたなら 日記が始まったのは平成に入ってからなんだよな。平成5年にブクロに別れを告げ、7年に舌癌発覚、12年に再発、翌年7/4に死去・・
用賀に引っ越してからは辛いことが続いたんだね。 >>306
亡くなったのは平成13年(2021年)だから、昨年の7月で死後丸20だね。 すいません。亡くなったのが2001年で、昨年で死後丸20年です。早いなあ。 漫画に出てきた奴らも、かなり亡くなってそう。不敗のノッポと田山さんは同い年だし。 後期高齢者か
まぁつっても75なら病気してなきゃピンピンしてる 末井昭さんが主人公の映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」見たわ
自分の親の心中もネタにしてしまうたくましさ ゴンゾーロさんはキャバレーの看板描いてたらしいけど、見てみたかったな オ○○コ祭り!!とか言って客にお新香を配るサービスなど、実にアイデアマンだったw >>317
だいぶ前に大腸がんになったが、手術してその後再発していないらしい。今は普通に生活している。 田山さんはパチプロ日記が始まる前に別の出版社でインタビューを受け、その中で「規則正しい生活をしているのは病気が怖いから。パチプロは身体が資本だから」みたいなことを言っていた。確かにパチンコ屋の開店に合わせて定刻に起きていた点は規則正しかったかもしれないが、タバコ・酒が度を超えていた。 パチンコ屋/喫茶店で煙草が吸えない〜
そんな将来は想像だにしなかったろうな 田山さんはタバコに対するこだわりが強かったからなあ。連載していた「王様手帖」の中で、パチ屋で隣の席のオバサンにタバコの煙に文句を言われた件がある。オバサンは「そんなもん吸って何になるのよ」と言って席を移動したが、それに対して田山さんは文中で「個人の嗜好に対してあれこれ言われる筋合はない。いやならテメエがパチンコを自主規制しやがれ」と記述。彼にしては珍しく荒々しい表現で、今でも強く印象に残っている。 まさにタバコ脳w
個人の嗜好に対してではなく煙に対して言ってるわけで、そこは自由でなくマナー。 タバコが問題なのは吸いたくない人にまで強制的に吸わせてしまう事だからね。コーヒーも嗜好品だけど他人に迷惑かからないから文句を言う人がいない訳で… 子供の遊戯だったパチンコが何で大人の遊戯になったのか?
それは戦後、景品にタバコ出したからという歴史的背景がある 田山さんが連載していたのは1990年代で、喫煙率は今より遥かに高かった。世間一般でも男は6割以上吸っていたと思う。パチ屋では老人の一部を除いて、ほぼ全員吸っていた印象。 パチプロ日記の映画?みたいなやつ観たけど中国人の女がクソ過ぎてイライラした あのVシネみたいなやつね。
オレの印象はとにかくタバコ吸いまくってるなってw
田山さんをイメージした演出なのかシーンが変わってもタバコタバコタバコwww 田山さん役の斉木しげるは、当時テレビ東京でやっていたパチンコ番組「今夜もドル箱」のレギュラー。その番組内でもタバコ吸いまくりだったので、Vシネ内の喫煙シーンは斉木しげるの日常そのまま。 Vシネでは、ブクロを去って用賀に引っ越してから、コウさんと別れるまでが描かれている。最後は田園都市線沿いの道で、飲み仲間と笑いながら追いかけっこするシーン。実際の田山さんはその後、舌癌の発覚、闘病、再発を経て数年でこの世に別れを告げるんだよね・・・ >>334
田園都市線か‥
懐かしいなぁ。たまプラに彼女がいたっけ‥ あんな飯も食わずに飲んだくれてて
健康に気を使ってたのか
意外だ >>335
田園都市線はたまプラ・青葉台等、お洒落な街が多い路線だね。ちなみに沿線に住んでいる世帯の平均収入は日本一らしい。 田山さんが引っ越してきた当時の用賀はまだ新玉川線だった だね。渋谷から二子玉川までが新玉川線、そこから先が田園都市線という名前だった。後に田園都市線に統一された。とにかく朝の上りは混むわ。 >>337
懐かしいな‥
当時、宝石屋のキャッチをしてたようなw
青葉台のeスペは良く行ってた。
あれから30年近くたつのかorz そもそもだけど、なんで用賀だったの?
家を保てなくなったとしても住み慣れた近場にマンション買えばいいと思うが、、、。
ま、誰も知るわけないかwww 漫画の中で、田山さんの母親が「引っ越すとしたら(娘夫婦の住んでいる)世田谷かしらね」と話す場面がある。息子はアテにできないと、はっきり宣言したようなものだね。 母の泣いてる姿を見るとどうのこうのという文章があったな 亡くなる半年前に最後のパチプロ日記を書いているが、その頃は病状がだいぶ悪化し、歩いて十数分の病院に通院するのも妹さんの車で送り迎えしてもらっていた。結果論だが、世田谷に越したのは正解だった。 俺は田山さんがブクロを出たときはショックだったな。
やっぱり田山さんはブクロのターさんだだたからな。 >>349
まさにそう。田山さん程ブクロに溶け込んでいた人もいない。個人的には昼パチプロ、夜家庭教師、深夜に美喜ママと合体していた田山さんが一番輝いて見える。 当時のパチプロってほんと日雇いのバイトみたいなもの
朝一で店に飛び込んで1台打ち止めにして5〜7000円くらいのお金をせしめる
昼過ぎには大体ケリが付いた
投資金は万札一枚あれば十分
デジパチが主流になってだいぶ淘汰されたね
プロでも一日数万負ける時代に 今弁護士が増えてきた結果、生活の為にネットに特化した弁護士が増えてるから
訴訟のハードルは下がった
実際にはプロバイダーから発信者情報開示請求照会書来ただけでビビッて止める人が大半 パチプロ日記漫画版の登場人物のその後はどうなったのかな。学生プロとか赤毛とかは、まともな人生送っているのだろうか。この2人と田山さんとの掛け合いが面白かった。 こないだ見たCSのパチンコ激闘伝で達人ゲストとして出てたモデル小野が田山さんのこと語ってたな
しかしモデル小野もよく今まで生き延びたもんだな、守山アニキに転職しますかと聞かれてたけど 小野もいい歳だろうに、まだモデルなんて芸名?使ってるんだ?www >>352
プロは月単位、年単位でみてるから期待値あれば1日の負けなんてなんとも思わんよ >>360
期待値?プロがいつから使ってたのかな?ソースプリーズ 90年代前半から石橋達也や安田一彦あたりが使ってたような記憶 やっぱりそれ位にボチボチ使い始めたレベルだよな
352の時代で期待値てw 間違って投稿してしまった
プロが期待値稼働してく中で田山さんは波を読むみたいなこと言ってたから、田山理論を叩くみたいな雑誌が出て話題になってた
田山さんが食えてたのは釘が読めて縦の比較が出来てたのが大きいな >>362
期待値なんて言葉は後から出来たもんだけど当時からこの台はこの釘でこのくらい回れば打てるって指針があったろ >>369
パチマガやね
田山さんがパチってるときにマガの編集の人間が酒持って挨拶にきたみたいだね >>370
毎回3倍以上ハマりしても期待値超えてるからねウンウンってなって打ち続けるの? >>372
ボーダー以下の台を打ち続けてずっと負け続けるの? 田山氏はパターン認識だから期待値とか関係ないよ。そもそも初期の手打ち時代に期待値とか関係ないしww デジパチ打つようになってからも釘見て縦の比較して回る台を打ってただろ
それが結局のところボーダー超えてる台で期待値稼働してることになってた
オカルトの谷村ひとしとは全然違う 思うんだけど、ネットの普及によって初めて期待値という言葉を知った人間が、期待値という言葉はここ最近に出てきたと思ってるパターンが結構あるんじゃないか 期待値積む立ち回りをして勝て、結果的にプロとして生きてられてのは当然なんだけどだからと言って三十年前に「期待値」なんて言葉を意識して使ってた奴なんていないんだからどうでも良い いるよ
上に石橋達也とか安田一彦が使ってたって書いてるだろ
必勝ガイドでも田山プロの日記しか読まないような人なら知らなかっただろうけど、30年前から普通に雑誌では使われてた ボーダーと期待値はセットだからね
なんでボーダーが成立するのかと言ったら答えは期待値
安田一彦の日記なんて昔から日当期待値に対して、いくらツイてくれたとか不ヅキ分はいくらだとか書いてただろ >>375体感的にまわる感じの台を打ってただけで回転数なんて数えてない。むしろそこまでに蓄積した台のデキ、バネのヤル気、開けて何日目か、あとは打ち込み数でほとんど決めてた。期待値追うなら終日打ち切るだろ
そんな事はしなかった。釘はあくまでも「店のヤル気」をはかる為のもの、
ここ田山スレだよ?大丈夫? >>381
思考はそうでも行動は期待値稼働になってた
縦の比較とか非常に重要な要素
ただのオカルトな人だったらパチマガに叩かれた時に擁護なんかされてない 今YouTubeとかでプロと称して勝ち方語ってるやつの言ってることなんて30年前と何も変わってない >>372
お前負けてるだろw
ハマりとか関係ないんよw >>381 数えて無いは間違い、2回ループ確変機時代の日記に千円何回転の表記があった筈で千円20回を下回る台を打ってた。 それを嬉々として打ってたわけじゃないっしょ
例えば、唖然とするほど回らない瞬間が出てきたとか、回りも悪くなってきたのでぶん投げてヤメみたいなこと日記に書いてたような記憶あるけど だから釘は店のヤル気のバロメーターだって。結局は陰謀論とか今で言ウクライナ遠隔、店長ボタン的な考えがかなりウエイトしめてた。回転数も最初の1000円分を数えてただけ。
山楽で本人に直接聞いた友達情報だから間違いない ウクライナ遠隔……
なんかありそうな感じだな。タイムリーな変換ミス だから田山プロは思考はそうでも、それとは別に行動は期待値稼働になってたと言ってるのよ
オカルトで勝ってた人間だとは思ってない >>390
ミスじゃない正しい変換だとどう言う語句だったの? 田山さんのオカルト面は当時大衆にとっかかりやすくしてもらうためのもんだろ 普通に書いたら安田みたいんなつまんない日記になっちゃうだろ? >>393今で言う遠隔
ってだけだよ。
>>391期待値稼働でどうして京王閣のために昼過ぎに帰るんだよww パチプロの時点で人生の期待値なんて度外視だろ
これは本人も認めてるし生涯賃金の差でも明確
5chの過疎スレに書き込みして期待値あるんか?w 「大当たり確率がいくつだろうと関係ないよ。オレにとって確率は二分の一。店を出るとき勝ってるか負けてるかだ」
ターさんかっけーw >>396
本人的には期待値稼働しようという意識はなかったから京王閣に向かってしまったんだろう
でも勝ててたのは内実が期待値稼働になってたからだろうっていう話しだ
じゃあデジパチ一般電役をメインに据えた以降の田山さんが勝ててたのは何でだと思ってるの
オカルト的な行動のおかげ? 徹底はしてないが期待値を考えるとプラスの打ち方にはなってた
1日平均1万程度の期待値でも期待値稼働ではある訳で みんなよく読んでるんだし、たーさんの文章好きなんだろ?
喧嘩すんなよ。
パチプロ云々と言うより作家として好きで良いじゃんか。 >>399勝てて無いだろwwナナシーばっか打ってた晩年なんてそもそも稼動自体無いし、日記も一日分くらいしかないし、
何回も言うが釘見て回る台、厳密には回るような雰囲気の台(正確な回転数は数えてなくあくまでも保留のたまり具合や連続回転の途切れなさ程度)を選んでたのは店がその台を出す気があるかどうかを見極める基準
縦の比較で釘見て最初の500円程度でバネに腰がなく今は打つべき時ではない、って行動が何十回もあるけど、それでも期待値?
バネが悪い、玉突きする、コシがない、自分の中でのここ一番のリーチ外したらヤメる、友達に誘われてたらヤメる、競輪あったらヤメる
これで期待値?期待値風の間違いだろ
俺はそーゆーとこが好きで当時からガイド連載の日記読んでたわ 田山さんの日記読んでれば分かるけど
ジグマはその店で1番いい釘を打つだけ
って言ってるじゃん
期待値稼働以外のなにものでもないだろ
粘らないのは田山さんの欲の無さでしょ 話が噛み合わないのは期待値マニアがそもそも期待値って事を
理解していないってトコが痛いんだよなぁ。。。
朝イチ縦の比較で最も釘が開いてる台をバネのコシで200円でぶん投げるって事象を説明してくれよ で、他の誰かが打ち込んで今現在は◯◯個打ち込んでるから◯◯個までほ打ち込む義務がある
と、ぶん投げた台に座りなおす事象を説明してくれよー だから本人的には期待値稼働をしようとしてるわけではないってことだよ
安田一彦のように厳密にやってるわけではない
ただし勝ててたのはオカルト的発想のおかげではなく、行動が期待値稼働になっていたから 期待値を求める打ち方0か100じゃなきゃあかんのか?
つか、説明してくれよなんてかまってちゃんで触れたらあかん人なんやなw 回転率至上主義者ではないが
少しでも回る台を打ちたいという気持ちは
他の人とかわらない
と言っていたな ヘソが開いたけど、この幅ではまだ足りないみたいなこと言ってたりね
田山さんはパターン認識とか色々言ってたけど、勝ちに結び付いていた要因は釘の開け閉めを見て回る台を打つという期待値稼働にあったということを俺は言ってるのよ
そう言ってるのに何故か田山さん本人が期待値稼働に沿った考えをしてないとか反論めいたこと言われても、そんなことは大前提としてこっちだって分かってるっての
厳密に期待値稼働をしてたなんて主張してるんじゃないよ
勝ってた要因は何なのかという話 だからパターン認識っていってるだろ。本人が
とにかく1000回読み返せ ギャンブルってオカルトでも規律があると勝ちやすい、少なくとも大敗しにくい
谷本のオカルト理論でも規律を生み出しているという点では意味あるんだよ >>415そっくりそのままお返しします。
期待値とは何かわかるように説明してくれ。頼む 簡単に説明すると、こういうスペックの台がこれだけ回れば、確率通りに当たった時にこれだけの収支が見込めるという計算で出せる数値が期待値だな
期待値稼働というのは、それを目指して回る台を探して打つこと
田山さんの場合は期待値というものはめざしてないけど、釘が読めて縦の比較が出来たことで、結果的に期待値稼働をしていたことになる
つまり繰り返し言い続けているように、田山さんがパチンコで勝てていたのはパターン認識などではなく、期待値稼働が出来ていたからということ 期待値稼働の条件を満たしてないじゃないかとか本人はそんな意識なかったとかいうことを反論めかして何度も繰り返されるけど、それは分かった上で田山さんが勝ってた要因は期待値稼働の要素(縦の比較での釘読みで回る台に座れてしまう)によるものだろうということを俺は言っている 球界王って台の話でも別に球界王は好きじゃないけど釘が開いてるのが球界王だから打つ機会が多いって言ってるしな なるほど、
やっぱ期待値稼働ではなく期待値風稼働な。 田山さんがパターン認識とか鬼の棲家とかって話しをするのはただ勝った負けたじゃ物書きとしての需要が無くなるからでしょ
何だかんだで開けを見つけて打つのが彼のスタイルで、それに付随する脚色がパターン認識とかな訳で
そして田山さんはパチンコ自体の収支にはそこまで執着していなかったんじゃないか
家賃収入みたいなのもあったらしいし、稼働を早めに切り上げて飲みや競輪に行く迄の時間潰し兼金稼ぎみたいな感覚だったのでは
開けを狙うという意味では期待値稼働に間違いないんだが、本人には期待値なんて言葉はどうでも良く、好きな台で開けがあったら少し勝てれば良いなあって程度だったと思う
当時はスロマガ読んでたけどパチマガの田山理論を斬るってのは無粋なことやってんな、とも思ったよ、本気で波だのなんだのやってたら直ぐにパンクするのは目に見えてるしパチマガだって承知だったでしょう 期待値稼働に厳密な定義がある訳ではないので、期待値がプラスの打ち方だったならそれでいいじゃん だからそれらをトータルして期待値風稼働って言うんだよ。 >>423
言わねーよ
どこにその定義がある?
ソースよろ >>422ふーん。ってことは>>417を否定って事ね >>427
否定しているのは期待値風というスラングな その単語はお前しか使ってない
どっかのブログにはあるかもだが知らんわ 田山氏は手打ち時代から自分の稼働はどんなに長くとも夕方まで、それ以降は一般客に譲る、ってスタンスで死ぬまで一貫した。ってことは自分の稼働時間に枷をつけてたんだから一般的何ボーダーがまず適用されない。稼働時間半分で同一機種を打つなら単純にボーダーは倍になるハズ
よって1000円で30回回ってボーダーでも田山氏の稼働形態での期待値稼働にはまったくならない。期待値風ならまぁそうなんだろうなってだけで
ちなみに前も言ったが俺は田山氏の否定派では全くない、むしろファンです >>430
百歩譲っても風はなによ?
言わないには変わりないな 風という言葉が正しい根拠出せやって話な
そもそもマイナスも期待値だしな
攻略法とゴト以外は期待値稼働と言える 店のやり口、打ち込み数に重点置いてたろ。手打ちの頃から
百歩譲るとかじゃなくて期待値風だから
強いていえばヤメ時が上手かったとか?収支が浮きの時点でヤメル。
けど、期待値方式なら打てば打つほど理論上勝てる台に座ってるはずなんだからヤメた時以上の勝ちを自ら放棄してることになるよな
要するに
釘3割
波3割
台のデキ1割
店のやり口3割
くらいの感じ 日付けが変わって田山さんの享年に追いついてしまったw
記念カキコスマソ。 稼働時間が半分ならボーダーは倍になる?
何言ってんだよ、今のうちに訂正しときな ボーダー倍男くんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! >>431
まあそうだね。
時短中に捨ててきてる事2回以上あるし、基本止め打ちもしないしな。保3止どころかアースつけて打ちっぱなしだからなw
換金ギャップがある店ではたーさんのうつ台のボーダーは高かったと思う
まあけど勝ててたんだよ
額はびびたるもんがしれんけど普通は勝てない人が多数のぱちで勝っていた。それていいじゃまいか。 期待値はあくまで「期待」値であって、それはいわゆる「陰謀」というやつだ。
まったく、ムカつくなんてもんじゃない、さすがの俺も超ムカつくぜ。 >>439そそっ、それで良いんだよ!!結論は勝ってたんだから。たいして読んでもないやつが期待値期待値期待値ウルセーからな
あの立ち回りで実際に勝ててたんだよ。喰えてはないけどな。プラス100円でも1000円でも勝ちは勝ちだから
けど、ヒキ自体は強いタイプの人だったと思うよ 波とか引きで生涯プラスに持ってけるとか本気で言ってんのかよ 女子高生だけど→嘘
日本人だけど→嘘
ファン→嘘
学べよ >>442それはお前の感想だろ?スレタイにそえよ。お前には無理でも田山氏には出来たんじゃない?そもそも田山氏は生涯プラスなんて一言も言ってねーぞ >>431
ならないw
ボーダーの意味知らないのかな?w
一回交換に近づくだけ >>446
ありがとね。
子も独立し誰も祝っちゃくれないから老後に向けた通過点www >>447どっちでもいいよ、
回転数で勝ってた訳じゃないんだからww 田山さんは回らん台は「?然とするほど回らない」といって捨ててたし、釘が見れたんだから期待値は積んでた
それプラス
パターン理論は結果的に「撤退ライン」を決めていたともいえる。
田山さんは良い台ツモっても全ツするわけではないので、ある程度出た後の撤退ラインが決まっているのは
日単位の収支ブレを抑制するという意味では合理的でもあった 等価じゃない店もあったから適当な所で止めるのは当然だよね 釘をみて選んだ台を1000円とかで捨ててたけどなwバネの調子もあるし、その台への思い入れ、過去の経過等も粘る粘らないに含まれてる。
語学の為に勝負する、頭にきたからトコトンまで勝負ってのもまぁまぁあったけど 田山さんの頃はまだラッキーナンバー制だったんじゃないかな
デジパチは一回交換→ラッキーナンバー制→無制限と移行していった
ラッキーナンバー制だと、はずれナンバー引いたら現金投資に戻ってしまうので悩ましかった
当時は換金ギャップが大きかったので現金投資だと期待値マイナスが普通 モ─ニング先着10名当たった人に無制限札サ―ビスとか有った。 >>445
変な宗教の教祖様の不思議な力を崇めるみたいな感じで田山さんのこと見てるのか
それとも本当はパチンコに負けてたプロでも何でもない人間だと思ってるのか
どっちだ >>435
台のデキも店のやり口も釘の開け閉めに関連した話だろ >>460
その方は田山さんが自分と同じオカルトおじさんだったと思いたいんだろうな
物書きとして需要を伸ばす為の脚色を真に受けたらそういう共感の仕方もあるんだろう
田山さんにとっては仮にバカなオカルターでも読者には変わらない訳だから
放っておくのが良いかと 無粋な話だがバイアスや錯覚や誤謬だよ
釘や打ち出しの調子や役物の微妙な動きなど機械や玉の物理的な動きは調子がある
アナログ的な期待値稼働と表現すればいいかな
文系だからか数学的な考え方ではないし、デジタル部分の認識は間違いだがね ヤメた時以上の勝ちを放棄しても期待値稼働には変わりない
セミプロというか兼業というか、時間制限ありで稼いでいた人間は全て期待値稼働ではない、期待値風だって暴論でしかないな アフターファイブや夜勤の前に飯代くらいは稼いでいたって程度の期待値稼働だってある訳でな 誰に迷惑かけた訳でもないんだし、今更ごちゃごちゃ言う事でもないだろう
器の小さい奴にしか見えないぞ? >>460お前って田山氏どーこーよりパチンコ自体打ったこと無いだろ? >>466
お前がだろ
台のデキとか店のやり口なんて今でも期待値稼働してるプロは意識してるわ デキでいうと、この台はこのくらいの開け幅ではこのくらい回ったとか、この台は何故かこのくらいの開け幅でも回ってしまうとか、
店のやり口でいうと、こういう日が狙いだとか、どのシマを開けてどのシマを締めるとか狙いを定めるのも非常に重要
遠隔とか店長ボタンとか謎の神秘的な力とかそんなんと違うぞ ハネモノでいうと役モノの違いとかあからさまにあった、、
田山氏がハネモノ打ってた年代くらいの台だと、持ち上げ隊とかミスターフォール、魔界組、たぬき丼、ちょっと新しいトコでランチャーβなどが自分が打って明らかに台ごとに継続に差があった >>469
ステージの癖、釘開けるのが島毎かどうか位見るじゃん…
懐古厨で今はパチンコ打ってないおじいちゃん変な事言うの止めて下さいよ
そこら辺の軍団でもステージの癖が良い海見つけたら張り付きますよ? >>472この文章だけで「あっ、最近、田山氏の漫画かなんか読んだんだなぁ」って丸わかり。当時の台をリアルに一台も打ったことないから論点のすり替えしてるねw当時の台はもちろん、それらを取り巻くパチ屋の環境、状況等もまったくわかってない。ただ本読んでいってるだけ 100歳まで生きてどうするんですか?
末井さんの本、図書館から借りてみた
田山さんのことが書いてあった
亡くなってからもう21年になるんだな
パチンコは1パチで遊ぶだけになった >>472ちなみに田山さんが打ってたデジパチや一般電役機にステージなんかほぼほぼないよww
液晶ケース上や横からワープルートでヘソに絡むような回転数向上に関係するステージなんてほぼない
役モノの癖は一発台やハネモノの話
軍団とか知らんw 軍団とか知らんってやっぱり今は打ってないおじいちゃんじゃん
アホくさ そもそも今を語るスレじゃないじゃん
もう死んでる人だし 90年代前半のパチンコは3や7で当たらないと持ち玉にならないとか4や9で当たると交換になるとか持ち玉比率の低い営業形態で、且つ台の性能自体も今みたいに連チャン率が80%もあるようなことはなく、精々20%程度だったから初当たり一回の意味や比重が大きくて、つまりそんな状態で優良店が客においしい状態を用意しようとなると一回交換でもそれなりの利益を客側に与えられるような調整にするしかなかっただろう
当時よく言われてたのは1000円35回の台を打てということだった
つまり、回る台を掴んだら終日まわし続けるなんてことまでしなくてもある程度勝てる調整にあった甘い時代ということは言えるのでは
回る台で持ち玉になったら終日ぶん回すというスタイルを取り続けてきた安田一彦あたりは、当時は今よりずっと日当期待値が高い台で打っていたし勝ち額も多かった 羽根物や一発台のクセやデキも釘が開くことによって生きるわけだ >>479朝イチから11時くらいまで貰えた連続ふだ>>478 連続札貰えたらかなりのアドバンテージだったよね。田山さんのホールではおそらくそんなサービスなかったような……
一発台の釘に関しては当時の新規オープンやリニューアルオープンの18時開店の時くらいしか釘は触らないよ。1人一回までだったけど、めちゃくちゃ出しまくってた。ハネモノも500円から1000円とかでほぼほぼ打ち止めまで…1人一回までってのもちょくちょくあった
スロも全台モーニングとかもね 死んだ本人しか分からない事を今更あーだこーだ言ってもね
しかもその言ってる事が本の知識って(笑) 田山さん自身が一発台の釘見て開けた台打ったりしてるんだけどな >>485そこに関しては疑わしいけどなぁ、どこをどう開けたって表記がジェットラインの時には詳しく書かれてなかったし、毎日が飲み過ぎで視力低下気味でおそらく思い込みの範疇かと
ハネモノは開け閉めあったとおもうけど、一発台で頻繁に開け閉めするホールなんてなかったねぇ 昔の手打ち台は立って遊戯してたから、プロの田山さんも疲れただろうな >>479
35回は言い過ぎだよ
当時は換金ギャップと一回交換が店の収入源なんだから一回交換でも利益が出ない台なんて店が置く訳も無く
午前中の無制限札取れる人は勝てて夕方からのパチンコ好きは負けるってだけ >>486
書かれてるうちで自分が信じたいものだけを信じて勝手なこと言ってるだけか まとめると、お前にとっての田山プロは
釘をちゃんと見ることが出来なくて、波を読むことによって少しの勝ちを得てた人間だと 三共の元営業マン知ってるけど毎日バイトでコンビの釘打ってたけど
まぁ基地外君はそんな事もありえないとか言うんやろな(笑) >>488平常で35回平均ってなかなか厳しいけど、新装時には余裕であったね。旧要件から新要件への変わり目は新要件は比較的回る感じだった。田山さんが打ってたパラダイスとかブラボークイーンとかは結構回る感じだったのかもねぇ >>492メーカーの営業が釘調整とかは普通だけど、コンビの釘を毎日叩くってのは…ww一発台の釘さわるのは時間落ちの時だけだよw >>494
お前が知らないだけ
世の中の全ての事を知らないだろ?
無知なのに騒ぐってお前ひろゆきだろ? 羽モノを打って、一日の稼ぎは6000円か7000円で
その日に酒を飲んで1000円が残ればいい
6回に1回は負ける
って初対面のインタビューで田山さんは末井さんに答えたそうだ
当時のお金の価値からしても、飲み代5000円だったらけっこう飲めただろうね その残った1000円をタンスに入れて貯金していたらしいね。田山、末井の初対談は1989だから、世はバブル真っ盛りの頃。大衆的な居酒屋はサワー1杯280円くらいだったから、5000円あれば
相当飲めた。 >>499ビールとかは今と大してかわらん価格じゃなかった?酎ハイにしても、今でも安いトコなら280円くらいだし
圧倒的に違うのはタバコ価格だと思う。パチンコの軍資金もハネモノオンリーなら5000円もあればかなり遊べた パチの収入全部私的に使えたら一日5000円でも裕福だな
20日で10万
小遣い10万ある社会人なんて少ないだろ >>502
隣近所では「田山さんのお兄ちゃんは西口のパチンコ屋で朝からヒソヒソ」 でもナナシーて美味しい台だったよな
安定感あるしまあまあ楽しいし >>503
父親の葬式でも親族から「長男があれじゃ、お父さんもさぞ心残りでしょうね」とヒソヒソ。自分の葬式でも「若い頃から自堕落な生活を続けていると、若くしてこうなるわけで」とヒソヒソ。 後ろで店員が空箱持ってスタンバイしてるのに外しましたよ >>507
そうだね。朝日新聞の訃報にも載った人だが、家族・親族にしてみると、官僚の息子で東大にまではいったの何故こうなったというのが率直な感想だろうね。 東大入ったのにやめて無職のアル中でしょ
親も色々悩んだろう
自慢の息子が一家の恥に
パチンコを死ぬほど憎んでても不思議じゃない
パチンコ界じゃ有名だよと言われても
嬉しくもなんともなかったろうな 早くから誌上に登場し、パチプロのイメージを変えた功労者。 タバコ吸いまくり酒飲みまくり貯金無し実家没落の社会不適合というイメージ 実際、田山さんの原稿料っていくらくらいだったのだろう…… これが東大(中退だが)でなければ、全く注目されなかっただろうな。 >>516
原稿用紙1枚いくらという契約じゃないかな。昔、安部譲二が週刊誌のお悩み相談コーナーの執筆をしていて、一枚2万とか言っていたけど、一応安部は有名作家だったからね、田山さんは果たしていくらだったのか。末井に聞くしかない。 姉さんの旦那の歯科医に通って歯の治療してたから別に家族も恥とか思ってはなかっただろう
お母さんも息子を信じて後ろでじっと見守ってた感じだったし 印税原稿料で800万あったんだからこれを生業と考えればそれほど悪くない
問題はパチンコで有名になってしまった事と遊び人を全うしてしまった事 >>521
どこまで本当か怪しいもんだね。田山さん本人が日記なり何なりで、きちんと発言しているならともかく、そういう記述は見当たらない。 末井なり本人の発言じゃなきゃ信用できないね。安田一彦あたりだったらなおさら。 本人あるいは金払ってた側の末井のの発言じゃなきゃ信用できないね。安田一彦あたりだったら信頼度ゼロ。 末井が言っても信用しないだろこの方w
書き始めた頃ならいざ知らず人気が出てからは原稿料も結構貰ってたんじゃないか?
単行本もあったしな
パチンコ雑誌の一般編集とかでも生活には困らないくらい給料貰ってたなら、売れっ子ライターならそれなり以上に貰ってたと思うぞ
当時はパチンコ雑誌も沢山あって引き抜きとかもあり得た訳だし 印税は大したことない
あの手の本が毎年何万部も売れるとかない
しかし原稿料は結構貰ってたはず
ガイドは当時は月2回発行
あと言葉は悪いが末井さんには
「田山さんはうちが飼っとく」
みたいなニュアンスあったんじゃないかな
その分優遇 なんの確証も取れない持論ほど不毛なものはない。やめよwww 年末のパチンコ、パチスロ必勝ガイドの合同忘年会では田山さんは最高幹部の席だったらしいぞ
広石がいってた。近寄り難い席だったって。まぁ広石も当時は新人だったかもしれんが あと王様手帳にも連載してたね
あの手のPR誌は実は稿料がいい
原稿料がパチンコの収入上回ってたのは確実
もともとライターの真似事やって評価されたのが書くようになったきっかけだし
書くことを正業というか罪滅ぼしの様に考えていたのかもしれない
唯一生産性のある行為 >>533
初期のパチプロ日記には王様手帖の原稿料の振り込みが1万数千円って書いてなかった? パチプロ泡沫記(白夜書房)、パチプロけもの道 (幻冬舎アウトロー文庫)で再販されてる >>532
月に二回、田山さんの原稿をもらうときは、居酒屋で末井さんや他の編集者
たちと宴会をしていたって本に書いてあったな
その後は希望者だけで飲みに行くか麻雀
田山さんの原稿料がいくらだったかは知らないが、けっこうもらってたんじゃないの?
そもそも高田馬場にビルが建ったのはガイドのおかげで
全盛期には白夜書房の収入の8割か9割はパチンコ、スロット関係の書籍で儲けてた
って末井さんの本に書いてあったし まぁ病気のあとはページ増やしてたし
他にもガイド専属料とか色々理由つけて
渡してたかもねぇ
胡散臭い雑誌だけど東大が書いてるってだけで
格上感もあったし
日記じゃ常に金欠だったがw 原稿料その他で年800万は少し盛ってる気もするが、もうこの話は止めようや。 溝の口時代はどこで飲んでたのかな?南武線乗り換え方面とは反対側の寂れた商店街の飲み屋が彼には似合う。 >>537
ガイドは初期に銀玉親方や石橋達也とかいいライターに恵まれたのが大きかったね
彼ら今何やってるのだろう 金がない割には日本で知り合ってボーリングなぞして遊んでたコウさんという中国女に送金してたな
コウさんが病気なったと聞いてずっと送金してたが、俺の周りじゃみんな騙されてると言ってた
友達から死んだからもう送金いらないと連絡きたと書いてたが、あまりに簡単に騙せたので向こうも気が引けたんではないだろうか?
あるいは当時の円の価値なら相当なもんだったろうし、向こうもばれたらヤバいと思ったんじゃなかろうか 中国女には財産削ってまで送ってたんでしょ
せめて日本の女ならな 本も出せたんだから、けしてただのパチプロではなく
こうして未だに語り続けてくれる人たちがいるんだから
そんなに悪い人生でもなかっただろ
でも53は早すぎたよな
せめてもう10年ぐらいは生きてほしかった 人より努力して東大入って自分で放り出して遊び尽くして早死にするなんてなんてもったいなくてロマンチックな生きざまなんだろう 家族という重荷の無い人生は楽だ
好きなように生きてだんだから
長いも短いも無い 死後20年経っても、こうして語り継がれるという意味では大したものだと思う。末井昭さんが時々思い出したように、田山さんに関する文章を書いているが、末井さんが亡くなったら流石に田山さんが話題に上ることは滅多に無いだろうね。 人は2度死ぬと言われる
1度目は肉体が滅んだ時
2度目はその死んだ人を記憶している全ての人が亡くなった時 王様手帳もいっぱい残してたんだけど、どこかへ仕舞いこんでしまった
https://i.imgur.com/xLJxJZe.jpg Wikipediaから抜粋
ライターとしてのデビューは1976年。知人の代打として夕刊紙に呑み屋のルポを連載。
これが好評を得て、パチンコに関するコラムの連載を持つきっかけとなり、当時としては数少ない「文章を書けるパチプロ」として重宝された。 物書きとしてのデビューは、飲み屋の紹介記事から始まった。頼まれたきっかけも、「東大ならちゃんとした文章が書けるだろう」という先方からの期待だった。飲み屋のマスターから家庭教師を紹介された時も「田山さん東大なんでしょ」という件がある。中退であっても、東大ということで結構トクしているのは事実。ガイド・王様手帖等の連載、単行本出版、果てはテレビ出演したことがあったのも「東大中退のパチプロ」というインパクトの為せる業。
安田一彦は元中学英語教師だが、文教大学卒じゃ、世間一般は「そんな大学あるんだ」でオワリ。 ブクロで見た氏は、痩せてキョドったちっちゃいオッサンなんだよなw話したこともないから、店内ですれ違った程度の印象だけど まさしくそれが田山幸憲なんだよな
そんな田山さんを今でもリスペクトしてる 田山さんはその駄目っぷりが駄目人間の救いになって共感のようなものを得てる >>561
だね。立教と文教、名前は似てるが、世間の評価は立教>>>文教 文教は教員養成で知られてる大学
教員になる学生が非常に多い
安田さんもその流れに乗ったのだろうな >>563
バカ大卒の教員に教わる生徒は迷惑だろうね。とにかく要領が悪いのか多い。 安田一彦の期待値に対する考え方は分かりやすかった
90年代前半の時点で知れたおかげで生涯収支プラスだ デジパチ時代になってから優良台一日打っても結果が出ない事が当たり前になったから期待値の有無の把握が重要になった
ハネモノの優良台ならそれこそ2000個落ちが限度でその日のうちにプラスになった パチンコで稼ぐには、理論的に回る台を長時間打つしかないだろうね
しかしそれだと、打ちたい台が打てなかったり、終日勝負という長時間がキツイ
だから、楽しむだけだったら、田山さんみたいに打った方が面白いんだよね
なんとなく当たらない気がしたら、この台のやる気が感じられない
とか言って回る台をぶん投げたり、気分次第で、後からまたその同じ台を打ったりして 田山さんはストイックな面もありつつ一般ユーザーが同調しやすい心理描写を入れてくるのが上手いよな あのアル中で打つ台コロコロ変える堪え性のない性格のどこにストイックさが? 溝ノ口時代たまに会ったけど
あの時代が一番楽しかったわ
もうパチから足洗って10年。
ラスト2年年トータル赤字やったしな・・・ そういえば去年12月から桜新町はパチンコ屋が一軒もない街になった 四十超えたらボーダー以上の台掴んでも夕方頃には止める事が多くなった
期待値積むとか言うなら真っ当な仕事して収入増やせとも思うし 申告する職業ライターだろう
パチンコはバイト程度に稼げればオケ
サラリーマンが小銭稼ぎ程度の期待値を狙って勝つようなもん 東大に入るような人だと、やたら難しい言葉を使う人もいるけど
パチプロ日記はそんなこともなく読みやすかった 田山さんの言葉使いは読みやすく堅苦しいのがなかったのが特徴 初期の文章は一人称が「俺様」だったような。あれはなぁwww >>579
この俺様の台は とか書いてたなw
まあ嫌いじゃないけど。 >>583
まだ、キャラが確立されなくてイキってたんだろな。実生活で言ってたらさすがに引くわぁwww たけしも昔はオイラと言っていたね。今はもっぱらオレだけど。 たけしも昔はオイラと言っていたね。今はもっぱらオレだけど。 ワシ奢っちゃるけ飲み行かんか?
オイラ奢るから付き合えよ。
「おお、いいよ、悪いな」
俺様が奢ってやるから付き合えよ。
「お断り」www 田山さんが亡くなってから、パチンコがそんなに面白いものだとは思えなくなった
客が減って回らなくなり、出なくなったというのもあるんだけど
田山さんの日記を読んで元気をもらってたんだろうな
末井さんの本に、パチンコ客には
パチンコを打つ寂しさ、虚しさ、疚しさみたいなものがあるって書いてあったけど
田山さんって存在がそういう後ろめたい気分を軽くしてくれていたのもかな 田山さんの日記やエッセイを読んで、読者を意識してなくて
田山さんが思ったままを書いているように感じた
しかし、もしかしたらパチプロ日記の連載を頼むとき末井さんから
パチンコ雑誌なんだからそんなに難しい言葉もあまり使わないで
誰が読んでもわかるように書いてくださいとか言われてたかもな
そして東大に入るぐらい頭がいい人だから、誰かが二万を入れたから
そろそろ出るだろう、みたいにオカルトっぽく書いた方が読者にウケるかもな
ってそこまで計算してた可能性も考えられるよな?
もちろんデジパチだから誰が何回回した後に打ってもまったく変わらず
そのときの運次第なんだけど パチプロ日記以前の著作見ても、そんなに難しい言葉は使っておらす、普通の知能の人ならスラスラ読める内容。一文一文が簡潔で流れが良い。 読みやすさもオカルトっぽい表現も読者ありきでそうしてる
当初から文筆業として大成してた訳ではないから自らのエゴを通す文章書いても支持されないだろうなんて当然分かってたでしょ
難しい単語やガチ釘論を語っても人気パチンコ作家にはなれないわな 勲章貰っても暴走して犯罪者になる奴もおるからな
本人が死の際にまぁこんな人生でも良かったかなと思えばええと思う 他人の打ってる台の投資額なんてどうやって把握してんだろ
常にキョロキョロしてんのかね 左上に100円なり500円なり入れるからそのモーションを数えてたんだろ 東大入れるなんてエリートだったんだよな
それをまったくひけらかさなかったから人気が出たんだろ >>607
昭和40年頃の東大はかなり難しかったみたいね。今より定員少ないし、べビーブームで受験生はめちゃくちゃ多かったとか。 団塊の世代で、東大紛争の翌年ぐらいに入学したんだな
田山さんはノンポリだったんだろうけど
羽モノ打ってた時は二台を打ち止めしたら昼から酒を飲み
家に帰って論語を読んでたみたいだから、老荘思想からの影響で
パチプロ日記で店を行くまでに自然描写が多かったんだろうね >>610
大学中退パチプーとなったのを公開してたんだろうな。それで小難しいものに手を出す。好きで読んでたのではあるまい。 闘病中に取材した朝日新聞の記者をして、日記をただ毎回パチンコしてはその後飲みに行くことを書いているだけ
なのに不思議と何度も読みたくなる文章と言わしめてた いいえて妙ですな
まさしくそこに田山さんの文才があったのだろうね >>607
むしろ恥ずかしいと思ってたんじゃ
自分が東大出身パチプロだとしたらそう思う >>620
そのバックグラウンドには膨大な読書量があったと思うよ。 基本的に入れ込みやすい人だよね
白鯨、東大入試、パチンコ、競輪、酒、タバコ、物書き、コウさん >>623
現役東大生の時に飲み屋の姉ちゃんと一発、30過ぎの時にスナックのママと何発もやってるよ。 田山さんでも何発もやってんのに>>623ときたら…ププッ 人間普通に生きてたらなんだかんだでヤる機会ってくるよね 田山さんファンとしては白鯨を読んでおくかってことで読んだことがあるけど
つまらない作品だったな
船乗りになりたかったいうのはマジだったのか?
船乗りなんて大変だろ
気が荒い野郎たちの集まりで、体力も必要だろうし 外国文学はつまらんのは本当につまらん。日本語訳が下手くそだとなおさら。 田山さんの頃の東京商船大学はけっこうな難関校だった
一般人はそうそう外国に行けなかった時代
仕事で外国に行ける >>630
ただの船乗りじゃなくて、そういう大学を出て外国船の船長みたいのを目指してたのかな 視力のせいで田山さんの人生が違う方向に舵を切ったのであった 船乗りを諦めてパチプロになる田山さん
親もさぞビックリしたろう 田山さんはまだ知名度もあるし亡くなってからもファンが居るからいいけど、ハイエナで生活してる奴の親とかほんと不憫やな 引きこもりよりはマシと自らを慰めている
とりあえず日中家を出て行ってくれるので こまめに記帳するような椰子はプーなんかしてないwww 日本全国の読者がパチンコ屋まで来てくれて、その後で一緒に飲みに行くのは
楽しかっただろうね
地方での釘の状態とかパチの話はもちろん、その国での生活の様子とかいろいろな話を聞けて >>640
田山さんは、馬が合う人合わない人の差が激しかったみたい。遠方からファンが酒を差し入れに来ても、合わなそうな人には「ありがとう」の一言で済まし、合う人だと自分のパチンコを早目に切り上げてでも一緒に飲みに行ったとか。 理由
好みか、好みじゃないか。
そそるか、そそられないか。 少しでも健康に気をつけてほしかった
まさか54で亡くなるなんて本人も思ってもなかっただろうから
食事もきちんと取ってなかったんだろうね
栄養も足りない状態で、酒も煙草やってたらそりゃヤバイよ 酒タバココーヒーばっかりだったもんな
酒飲んでる時もつまみを少し食べるだけ >>644
最後の日記から1ヶ月くらい経って末井さんと偶然出くわした時、メモ用紙に「いつ死ぬか」と書いて末井さんに見せたらしい。それから半年持たなかった。 体に気をつけないと、50ぐらいで病気になるんだよな
40になっても、俺はまだ仕事がバリバリできるって無理したり
老人になる前に遊んでおかなきゃって連日飲み歩いたりしてるとヤバイ
ようするに、まだ大丈夫だろって油断してると50代で亡くなることになる 俺も病気になって田山さんの気持ち分かる歳になっちまった 田山さんは再発時に二度目の手術を拒否った。受けていたらどうだったかは誰にもわからないが、少しでも長生きできたかもしれない。 長生きはしたかもしれないが、闘病期間が伸びるだけかもしれない。自分の親を診てそう思う。 >>653
だよね。田山さんは再発時に「手術をうけるぐらいなら、残りの人生を放棄するほうがましです」と東大病院の医者に向かって明言していた。自分の最期は自分で決めるという強い意志の表れだと思う。 今のライターに田山さんみたいな文才あるのいないやろな。ユーチューブみてたら面白くないアホしかいない。 YouTubeのライターなんてわーわーギャーギャー騒いでるだけで見る気せんわ
全員同じに見える 川島なお美も田山さんと同じく享年54
ほんと人生なんて人それぞれだよな
川島さんの夫が書いた手記を読んだら、本人には内緒にしてもらったそうだけど
最初に診てもらった医者から余命宣告されたそうだ ★したらば、爆サイの管理人を逮捕★
高岡早紀の兄 逮捕までの悪行放蕩づくし
週刊新潮2020年3月5日号
どうもこの人の周りではよく逮捕者がでるらしい。
女優の高岡早紀(47)の実兄、高岡賢太郎(48)が法人税など5900万円を脱税したとして、2月20日東京地検特捜部に逮捕された。
元内縁の夫が詐欺の疑いで逮捕されてから2年たらずだ。
「高岡兄は実質的に経営している会社を舞台に、架空発注を繰り返す手口で2億4000万円の所得を隠していた。本人は容疑を否定しているが、国税局査察部、いわゆるマル査が約2年も調べを進めてきた肝煎り案件。悪質性が高ければ、実刑判決の可能性もありますね」(全国誌社会部記者)
高岡兄は、ホストクラブや飲食店の経営アドバイザーをしていたが、ここ数年はインターネット掲示板『爆サイ』の運営が主な収入源になっていた。
「『爆サイ』は全国の地域コミュニティの掲示板で、月に7億PVを超えるほどの人気サイトです。国税は、広告収入だけで月に約4000万円は稼いでいたと見ている。高岡兄はプロデューサーのような肩書きで、関連会社を通じて、少なくとも月額200万円の報酬を手に入れていた」(同)
昨年5月にマル査が自宅や事務所にガサ入れした際には、約2億円の現金が見つかっているとの情報も。
「彼はとにかく会社を私物化していましたよ」とは高岡兄の知人。
「家賃50万円ほどの新宿区の自宅のほかに、沖縄に別荘を借りていましたが、それもすべて会社の経費にしていました。昨年の正月には仲の良いキャバ嬢とファーストクラスでアメリカに行っていた。その旅行の時には、現地で早紀さんとも会ったみたいですよ」
兄の逮捕について高岡本人からの言及はないが、「高岡は一時期、兄の会社にブログの運営を任せていましたし、会社に子供を連れてきたこともありました。何も触れないのは不自然ですよね」(同)
魔性の女の身辺にはやはり魔が棲むようだ。 >>655
ホントそう思う。田山さんの文章には独特の味わいがあって面白い。読んでて疲れない。 東大東大と言っても
文学部の成績不振者が上手くいくほど
有名企業は甘くねーよ Wikiには文科三類(文学部コース)って書いてあるけど実際には理科ニ類(理学部、農学部コース)
なまじ理系に行ったから中退したんだと思う
そもそも教養課程で中退
学部には進学してない
だから東大中退としか言いようがない >>661
巨大企業には学閥が付きものだからねえ
ある企業の特定の役職が特定の大学卒業者ばかりとか良くある話
もし仮に田山さんが普通に卒業して企業に就職してたら東大卒業ってのはスタートかなり有利だったと思うぜ
ただそれだと我々も田山さんを知ることが無い人生を歩んでいたことになるが 田山さんはあの時代だから書き手として通用したようなイメージあるな
例えるとUFCが出現する前だったからUWFが人気を得られてたみたいなイメージ >>663
田山さんが入ったのは文科3類で間違いないと思うよ。理2だと数学3や理科(物理、化学、生物、地学のうち2科目選択)が二次試験で必要だけど
、彼の日記にはそうした理系の感じが全くない。 日記中の「あにはからんや」「やんぬるかな」「自我の膨張」等の表現は、実に文系らしい。 >>665
明日のジョーや巨人に星が新作として今あったら受けるか?と言われたら受けないだろう
逆に今の風潮は当時では受けないだろうしね >>666
すまん
パチプロ日記2に載ってる回想録見たらたしかに文科三類だったわ 俺今年から早稲田に入った学生だからよくわかんねーけど田山っていい歳こいて子供部屋おじさんだったんだろ
こんなみっともない大人にならないように絶対に一流企業に入社するわ >>665
田山さんが活躍したのは、パチンコがまだ面白い時代だったからな
羽モノはあったし、デジパチになってもラッキーナンバー制で回ったり
お店もいろいろ工夫していろんなサービスもあったし
今は台のスペックも悪くなり、どこも客が減ったから店も売上がなく玉を出せない
つまり回らなくなりパチンコそのものがつまらない 昔は勝てた
攻略法や小技もあったし
朝イチから行けるだけで相当有利だったし
今は釘だけ
田山さんは今の方が勝てるかもなぁ 多くの専業が辞めていったように田山さんが今勝てるかといったらそれは厳しいと思うぞ
釘が見れたとしてもそもそも良い釘を打つ店がかなり少ないし、メリハリも無くなってるんだよ
当時からして晩年の田山さんはパチンコで稼ぐこと自体を放棄していたように見えたしね
文筆業が本業になってた
晩年に田山さんが打ってた店や台を知ってればこれは納得出来るかと
仮に田山さんが遊タイムエナしてるのとか読者が見たかったかといえばそれもな
しかしエナ稼働ですら魅力ある文章にして読ませてくれたかも知れないね 田山さんはハイエナみたいな人と競り合うようなことは嫌いそうだし、マーク屋やガツガツしてる奴は嫌いって言ってたからパチンコに愛想尽かしてたかもね コウさんとのことを小説にしたら面白かっただろうね
私小説なんだけど、ちょっと創作して、コウさんは中国人のフリをして潜入した
北朝鮮の工作員だったなんてミステリーも良かったかもな
パチンコマネーの闇を調査していて、公安に正体がバレそうになり帰国する
その前に田山さんに本当の自分のことを話し、さよならを言う >>679釘もないだろw万年釘だわ。うちの近所なんて暗黙の周年で客集まって、その中の負けた奴が通報して、営業停止くらってたわw。もう釘調整も無理だわ、ちなみに名古屋な 用賀も食えたのは海ジャパンまで
桜新町や二子玉は20年前からクソ過ぎて客は溝の口か市営地下鉄沿線の郊外大型店に流れてるよ
田山さんが存命だったら「電車でGOGO!年金生活日記」を書いてると思う 田山さんは、基本的に電車乗ってパチンコ打ちに行くのは好きじゃなかったからなあ。日記書くために月に数回なら我慢したかも。そもそもパチンコ関連の執筆の仕事自体もかなり減ってるが。 国民健康保険は母親が世帯主となり、その家族として加入していた。さもなければ入院、手術は無理だったはず。国民年金は払ってなかったんじゃないかな。結局54でなくなったから、払わなくて正解だったけど。 サラリーマンの時も上司と衝突して直ぐ辞めたから、厚生年金ほとんど払ってないな >>683
私小説の専門家によると、
私小説を書くコツは本当は書きたくない事、自分の恥、身内の恥を書けば
誰でもそこそこの小説が書けるとのこと
今考えると田山さんの文章はそれに近かったかもしれない >>694
この間、芥川賞作家で太った私小説家が亡くなったね。全てさらけ出さないとだめなんたろうね。 知人に説得されてサラリーマンになったんだよね
その会社の人たちは田山さんを好奇の目で見てただろうね
東大中退でパチプロやってた人が、30歳ぐらいで入社だからな >>695
西村賢太だろ、俺ファンで文学板の彼のスレも見てる
中卒(それも不登校)無頼派だがギャンブル一切やらない彼と東大出ギャンブル好きの田山氏とは全く共通点はないが
なぜか同じ臭いを感じるんだな、西村の日記も何食った、飲んだがほとんどなのになぜか読みたくなる >>696
「長山のおじさん」に「知人が会社を起ち上げるから手伝ってほしい。合わなければ辞めてもいい」と言われて始めたサラリーマン生活。最初は社長と田山さんの2人だけの会社だったそうな。田山さんは社長とソリが合わず、半年でクビになる。田山さんの代わりにバイトが数人はいったとか。 >>696
「長山のおじさん」に「知人が会社を起ち上げるから手伝ってほしい。合わなければ辞めてもいい」と言われて始めたサラリーマン生活。最初は社長と田山さんの2人だけの会社だったそうな。田山さんは社長とソリが合わず、半年でクビになる。田山さんの代わりにバイトが数人はいったとか。 雨降りに買って玄関に放置されていた溜まった傘
燃えないごみの日に朝から傘と格闘してたらもうこんな時間
脱兎のごとく着替えて、ホールへと急行する 田山さんの文は簡潔で体言止めが多く、スピード感がある。頭にスラスラ入ってきて、前に戻って読み直さなければ意味がわからないという箇所が殆どない。これは立派な文才だと思う。 >>699
親戚の伯父さんが、パチプロになって働かない田山さんを心配して紹介したんだろうね
とにかく働かせれば、仕事が面白くなるかもしれないし、給料をもらう安定した
サラリーマンが気に入るかもしれないし、社会人の自覚が出てくるかもしれないし
しかし社長とソリが合わずに半年で退職なんて、パチプロ、そして誌上プロになる運命だったんだろうな >>702
つくづく勤め人には向いてない田山さん。 >>674
早稲田?
その小学生レベルの文章で、早稲田???
裏口入学とかか?w 時々池袋に行くが、ロサ会館の周りを歩くと、どうしても感傷に浸ってしまう。今から30年以上も前に、田山さんが間違いなくここを歩いていたんだな。パチプロ日記漫画編の池袋の情景描写は驚くほど正確で、それだけでも読む価値がある。土地勘のない人にはどうでもいいことだろうけど。 >>674
>>705でアンカついてたから読んだけど、現役大学生がなんでこんな懐古スレにレスしてんの?
もしかして50歳以上の現役大学生とか? 田山さんが週刊誌やパチンコ雑誌に取り上げられ少しずつ知られるようになったのは、1980年代半ば以降かな。その頃パチンコを始めた若者は、今少なくとも50代にはなっている。あと20年もすれば田山さんが話題になることは、ほぼなくなることだろう。 >>694末井さんとの対談に「年金二ヶ月分ずつはらってるんだぜ」ってセリフ有った。
漫画では営業の仕事ついた時から早く辞めたいって感じで社長にわざと嫌われるような態度撮ってたな。自分から辞めると紹介してくれた人に申し訳ないからって。 パチプロ生活で怠け癖がついてたから、サラリーマンが続かなかった
みたいなことが本に書いてあったな
満員電車に乗るのが嫌だとか、もうそういうレベルで勤め人は合わなかったのかもな
まぁ、本人のやりようにやった人生だからな 田山さんは池袋から用賀に越してから数ヶ月、新玉川線・山手線と乗り継いで池袋の山楽に通っていた。「電車で通勤する笑えないパチプロ」と本人は語っていたが、結局長続きせず溝口のジグマとなった。溝口でコウさんと出会ったが、波乱万丈な人生だったね。 体の関係はなかったって書いてあったけど、キスぐらいはしたかな?
印税を送金したらしいけど、総額いくらぐらい払ったんだろうね >>717
それをだいたい2年ぐらいだっけ? 総額、500万ぐらいは使ったのかな
惚れた女のため、この台と心中する覚悟で
中国の病院で治らないなら、偽装結婚でもして日本の病院で治療させてやりたい
って書いてあったから、本気の恋だったんだろうな
年齢からしても、これが最後の恋になるだろうなって予感みたいなものもあったかな 末井さんは田山さん騙されてるよと助言してたけど騙されてても構わないと
大好きな競輪を辞めてまで援助し続けた田山さんは不器用だけどカッコイイよ 俺も田山さんは騙されてるんじゃないかと思いながら、当時パチプロ日記の連載を読んでたよ
もちろん、そんなわけないことを祈りながらね
コウさんとのことは、田山さんの人間性が伝わってくるエピソードで
そういう人だからファンも多かったんだろうね 溝口のスナックで早い時間帯に、コウさんと二人きりになれた時が田山さんの至福の時間だったんだね。それもなか続きはしなかったが。 赤坂のクラブに勤めるようになったんだよね
距離があるのと、高いからそんなに行けなくなったとか書いてあったな
赤坂のクラブで雇ってもらえるなら、けっこういい女だったんだろうね
スナックのときは同伴出勤とかアフターとかしなかったのかな?
若い中国美人と飲んだ酒は美味かっただろうね 田山さんの文章好きだけど、コウさんとの件はあまり好みじゃなかったわ
友人が田山さんのことを思っての忠告してるのに、それを聞かずに自分に酔ってるみたいでな
騙してた側がいつか反省するかと言えばそんな訳も無く、騙される奴が居る限り騙し続けるだけだろうし コウさんに初めて会ったのは、田山さんが小石川高校柔道部の後輩とはしご酒をしていて最後に入った店でのことだった。ドアを開けて目が合った時の感情は一生忘れられないと語っていたから、仮に騙されていたとしても田山さんは納得だったんじゃないかな。コウさんに多額の送金をしたことを微塵も悔いてなかったしね。 前にもレスしたけど、白鯨にしろ、パチンコにしろ、競輪にしろ、コウさんにしろ、なんて言うか直球な人なんだろうね
一見やさぐれて見えるけど、根は直球な人なんだよ >>725
用賀に引っ越したばかりで、溝の口のパチ屋ではまだ新しい仲間もできていなくて
一人で寂しくパチンコ打ってたときだよね
そんなときにコウさんに出会って、慰められる感情に包まれたのかもな 田山さんは何故ガイドの編集部がある高田馬場で撃たなかったのかな?
俺は学生時代、1993~95年まで学生プロとして打っていたが、馬場はかなり甘かった。
田山さんが何故打たなかったのは大いに謎だ。 ガイドに勢いがあった当時、ガイドに高田馬場が良いって書いてあったからどんなもんかと行って色々な店覗いてみたがどこも打てる台は少ない(無い)って印象でがっかりした記憶
あの程度の地域だったら自分ならそこでジグマはやらないかな
あれで良いって評価は他の山手線のビジネス街よりはマシってレベルとしか思えんかった
もっと地価が安いパチンコ屋の勢いがあるエリアは当時なら沢山あったよ >>732
当時の高田馬場は新宿、渋谷よりはマシって感じだった。わざわざ電車に乗ってまで出かける場所ではなかったかな。 >>728
それはあると思う。コウさんが田山さんの心の隙間を埋めたんだろうね。ドーン! >>732
俺も90年代前半から数回馬場に足を運んだけどたしかに激戦区っぽい感じはしたけどそんなに言うほどか?ってイメージだったな
ガイドがよくデータ取りしてた某T会館なんて閑古鳥が当たり前でなんでこんなとこで打つんだろうってしか思わなかった 俺がジグマやってた頃と被るね。盗用会館にはゴルゴ13に似た渋いオッサン店員が居たね。赤くて可愛いベストの制服がミスマッチだった T会館いまでもあるんだよな
この前なん十年ぶりかで行ってきた
設備も古くて頑張って続けてる感じだった 田山さんが高田馬場で打ったという記述は見たことがない。末井とは距離を置きたかったのかもね。 酒好きの田山さんも原稿書きしてる時は酒は飲まない
パチンコだけだったらもっと早く亡くなってた >>743
原稿書きの時は酒は飲まなくとも、タバコの量が増えた。結局、寝ている時以外は、酒・タバコのどちらかは口にしていたんじゃないかな。 若い時から食事らしい食事してなかったってあるけど、実際
は何食べて生きてたのかな? 家で普通に母親が作ったもん食ってたんじゃないのかね いや、酒場の食事だけだったんじゃないかな?
腹減って立ち食いそば食べたとか書いてたから 朝飛び起きて、パチンコ屋前の喫茶店に直行してモーニング。パチンコ屋開店と同時に入店し、昼飯食わずに打ち続ける。夕方から仲間と飲むという毎日。喫茶店のトーストと居酒屋でのツマミが田山さんの食事の全て。 栄養が足りなくて、免疫機能が弱ってたから早く癌になったのかもな
酒たばこをやっても、食事をちゃんと取って、適度な運動をしてれば10年ぐらい
長生きできたかも どうしても会ってみたくて会社サボっていったことあるなあ
もうどこかよく覚えてないが用賀か溝の口どっちか
なんというかオーラが凄くてとても話しかけられなかった
隣で打つのも恐れ多くて打ってる真裏の釘悪デラマイッタで1マンくらい溶かした
俺みたいな客が多くいたからホールは黙認してたんだろうね
プロといっても店から抜く以上に店を儲けさせてたかも >>753
その辺の時代になると田山さんはパチンコで食っていくって意識はもう無かったと思う
本業は物書きだったよ
これは田山さんが打ってた店や台を知ってれば納得かと
当時ならまだあった低換金率店を持ち玉で粘るスタイルからどんどん高換金率で短時間勝負になっていってたし
まあ読者としては魅力ある文章書いてくれるなら勝ち負けはそこまで気にしなかったけどね 40代にもなると、長時間パチンコ打ったら疲れるだろうね
田山さんは耳栓してたのかな? 田山さんのパチンコ日記が新鮮だったのは結構負ける所
ああプロも勝つ時だけじゃないんだなあと思った
しかし今でも負けを語るプロって少ないんじゃないかな さすがに新ネタはないだろうね。末井だの安田だのが、忘れていた昔話を突然思い出したりでもしない限り。その昔話も大して重要ではなさそう。 昔も今もプロは負け話し書くしネットでも発信してるよ
1日勝負じゃなくてトータルで考えてるのがプロだから パチプロだって勝ち負けはあるわな、特にデジパチメインならそれは仕方がない
ただ当時の誌上プロでも勝ち続けることのみでしか読者を引き付けられなかったのも多数居た
田山さんはパチプロとしての単純な技量は彼等に劣っていたかも知れないが、物書きとしての技量は大分上だったと思うよ パチンコ仲間との交流も人気が出た理由だろうね
ファンキードクターで天使が出て連チャンしてたけど
その連チャンが終わるのを待ってくれている友達の姿を見たら申し訳なくなり
大当たりしたままの台をブン投げて飲みに行ったんだよね
そういうところも田山さんの魅力だったんだろうな 気の合う仲間には損得抜きで付き合っていたからね。ただ癌を患ってからは、その付き合いも減り、最後は末井氏等仕事関係者と必要最低限の
打ち合わせのみ。酒も飲めなくなってしまっていたしね。 あーあ、バカが荒らしてるよ。せっかくの田山さんスレが台無し。 アイスコーヒー片手にスポーツ新聞に目を通す至福の時間。 溝の口時代は通勤する電車の中や、喫茶店にてスポーツ新聞の詰め将棋を解く事を楽しみとしていた。 >>792
ふとした文章が、田山さんって凄いよね
遠くの方で環八通りが騒いでいる
用賀の巨大ビル群がすまなそうな顔でこちらを見ている とか‥
自分には絶対に思いつかない文章だわ
思い出していたら、はしなくも涙が出てきた。 高校、浪人、東大生だった頃の読書量が凄かったんだろうね。それもラノベとかではなく、固い内容のやつ。結局語彙力、文章力は若い頃の蓄積で大部分決まる。 ラノベとかではなくって、田山さんの青春時代になんでラノベがあると思ってんだよ 田山さんの事は大好きだけど、
良い時代に亡くなったよな。というか、今の時代、あのスタイルでパチプロは無理だっただろう。
そう考えると、人間は死ぬべき時に死ぬのかなぁッテ、つくづく思ったりもする‥
勿論、存命で今の日記も読んでみたいし、一緒に飲みに行きたいけどね‥ 甘デジの海うったりナナシー打ったりしてそう。
それか1円のゲンさんとか。
どっちにしてもまだ元気に生きてて欲しかったよ お堅い純文学というより通俗小説的な印象の方が強いかな
あるいは演歌的 パチプロやってるけど実は東大はいれちゃうくらい頭いい
謎な女に貢いじゃうような変に純粋なところもあるけどズルかったり曲がったことは性格上絶対しない
必要以上にガツガツ勝たず早々に切り上げる。哀愁のある文章&オーラ
やっぱこんなカッコいい人今後も出てこないな
もしまだ生きてたら今の軍団とかには眉をひそめて、軍団が大挙するようなホールには絶対行かないと思う
おそらく200分の1前後のライトミドルで勝負してると思う デジパチは楽でいいと言ってたから打つことは可能だが今は釘にメリハリなくて打てる台探すのが大変
それに加えて止め打ちとか技術介入に店がうるさくなってるし旧来のパチプロには厳しい時代 田山さんは基本ヒラ打ちだから
店的には攻略じゃなく単によく勝つ客扱いじゃないかな
釘がアケばの話だが >>802
だね。釘が開かなければ田山さんでもどうにもならない。 ラノベって言葉は無かったけど個人の短編みたいのはたくさんあった ラノベという言葉はなくても、内容的にラノベみたいな本はたくさんあった。いくら読んでも国語力はつかない。 生きてたら75か
もうパチ行ってないか、もしくは行っててもちょっとだけ1パチで遊んでるくらいの爺さんになってるんじゃないか 集英社や旺文社なんかが出してた青春小説とか、春陽堂あたりの娯楽小説かい? >>807
そんな感じ。内容的に平易であっという間に読み終わるやつ。 青葉台編の最終回の終わり、印象深かった。
助手席からB店を振り返ると‥のくだり あの世でもパチプロ日記書いてたりしてw
「今のネグラは天国〇丁目〇番地のB店。2.5円、ラッキーナンバー制・・・」 >>814
実際の漫画は、コウさんと仲良くなり、溝の口にネグラを定める場面で終わっていて、未来に光明が差し始めたかのようだった。実際はこの後、コウさんは病気で中国に帰国後死去(真偽の程は必ずしも定かではない)、田山さん自身は舌癌を発症して手術・入院となる。 田山さんとコウさんは、飲み屋の外で会ったことは殆ど無いはず。ましてラブホなんかはw コウさんの巨根で田山さんの大事な所をボーリング 田山さんは昔、美喜ママと何度もやってたからそれで満足だったろう。 >>821
ホステスと客ってだけの関係だったのか?
それで数百万使ったのか
もし俺が田山さんだったら、できないだろうな
冷たいのかもしれないが、本当に病気だったとしても
お見舞いの品を渡すぐらいしかできないと思う コウさん帰国後の援助は、池袋のサテンでコウさんの友達に手渡しだったような。
そのとき病状報告も聞いていた。
フツーなら、送金は振込。病状が知りたきゃ直接電話。
それをしなかったってことは、口座も電話番号も教えてもらってない。
そのへんに疑念を払拭しきれないタネがあるんだよな >>830
確かに、その二つはおかしいよな
手渡しは、証拠が残らないようにかな
コウさんが中国に帰ってから、一回も直接電話で話したことはないのかな?
嘘をついてる後ろめたさから、電話で直接話すことはできなかったから手紙を書いたのか?
まぁ、真実はもうわからないんだから
田山さんはロマンチックな人だったってことでいいのかもな 日本円を送金して元に転換となると面倒だから地下銀行経由で安く送ったのでは
いずれにせよ騙されててもいいって気持ちだったと思う
コウさんも積極的に無心したって感じじゃなかったね 海外送金って色々手間だもんね
国際電話も高い時代だったしなあ ガイド関係者でコウさん本人を見たことある人居るのかな
もしかしたら架空の人物かもなんて思ったり
今更だけどね 宵越しの金はパーっと使っちまえってのが、田山さんの美学だな。 あのなりで赤坂のスナックに行ってたのかね
こうさんも困ったろうなw 元カノに捨てられたけどパチプロ日記全巻揃っててコウさんへの日記だったかなあ?
あれ好きで田山さんらしいし胸がキュとなる一冊だった
日本であまり所持してないだろう、蛭子さんと対談した本は実家のどこかにあるから探してみようかな ここの奴らに迷惑かけた訳でもないのに、何故外野が騒ぐのかわからん‥
自分が稼いだ金を、どう使おうと自由だろう。 >>837
お前が見たカッコが全てだと思ってるバカw しかし用賀に引っ越してからの田山さんの人生は波乱万丈だったな。田山さんの日記は、パチンコ以外の記述に味があった。店への行き帰りの情景描写、病院での生活、山登り等。やっぱり作家だったんだね。 >>841
洗顔と放尿も忘れないでください
猫のように顔を洗い、犬のように小便を垂れ >>834
最初、溝の口のコウさんの店に一人で入ったんだっけ?連れがいなかったか?日記の内容忘れた >>841
山登りしてたなぁ、そう言えばコウさんたちと
山登りつっても、平服で高尾山とかじゃなかったっけ? 福井のテレビ局のお偉いさんから電話あって収録に付き合ったこともあったような
舌癌の再発を自覚してた頃だったと思う 恋愛関係にあったわけじゃなくて、ホステスと客ってだけの関係だったのか?
田山さんのお袋さんは、パチプロ日記を読んでたのかな?
読んでなくても、親戚の誰かが読んでて、幸憲は騙されてるんじゃないか
なんて言われたこととかなかったのかな
もしそうだとしたら、心配しただろうね >>847
うーん、どうだろうね。田山さんは
妹の結婚式とかには出たりしたけど、基本的に親戚づきあいはあまりしてなかった。親戚の方も、「」論じられな >>847
うーん、どうだろうね。田山さんは
妹の結婚式とかには出たりしたけど、基本的に親戚づきあいはあまりしてなかった。親戚の方も、「東大中退してギャンブルばかりしている変わり者がいる」くらいの認識で、田山さんの日記をわざわざ読んでいる人などいなかったんじゃないかな。 日本の学歴信仰は凄いな
ただのパチプロと東大中退のパチプロではやってることは同じでも人に与える印象が全く違う
前者は軽蔑の対象だが後者には尊敬すら覚える 物書きとして面白いかどうかが一番じゃない?
自分はガイドで読み始めてから暫くは東大中退って知らなかったけど、特徴的で面白い文を書く人だなあって印象は変わらなかったよ
最初のインパクトは東大中退ってのがある方が有利だろうけど、結局つまらない文しか書けないなら東大だろうが生き残れないだろうし
もし東大中退を売りにするとしたら田山さん本人より出版社じゃないかな、と思う
田山さんの文章は独特な言い回しはあったけどインテリ臭さは感じなかったし
誰とは言わんがパチンコライターで頭が良いとのアピールが臭いのそこそこ居たから尚更 田山さんの場合、中退とはいえ「東大」だったのは大きいと思う。別の大学だったら、こんなに有名になることはなかったはず。同じレベルの文章だったとしても。 有名にはなったけどそれが当人にとってプラスだったかどうか
東大中退のパチプロって出オチみたいな存在で文章や人となりがまともに評価されないからな
その分パチプロとしても文筆家としても一流になり損ねたともいえる
「伝説のパチプロ田山幸憲」
みたいな本は出なさそうだ
凄腕のパチプロを軸にパンチンコ業界の変遷をたどるノンフィクションがあれば面白そうなんだけど
将棋界における小池重明みたいな存在として 君等が田山さんの学歴で読むかどうかを決めたか思い出してみたらどうだろうか
田山さんが売れたのはあの頃のガイドがめちゃくちゃ売れてたのが大きいだろう
末井氏が田山さんを拾った理由に東大中退があったなら中退も無駄では無かったとは思うけどね 田山さんは、ガイドで連載する以前から、スポーツ新聞なんかに連載したり、数冊エッセイも上梓していた。 ガイド創刊のとき、東大中退のパチプロがいることを知り合いの編集者から聞いて
創刊号だからそれぐらいインパクトある人のインタビューがいいな
ってことで末井さんが会いにいったって本に書いてあったな
最初は、一回だけインタビューするだけの予定だったけど
また田山さんに会いたくなった末井さんがパチプロ日記の連載をお願いした >>856
それなら元々物書きなのね
それなら色々納得かも >>858
パチンコ屋に置いてあった王様手帖にも連載してましたよ。 何にしても「東大中退のパチプロ」というのはインパクトあったと思うよ。当時は今よりも遥かに学歴社会だったからね。いいとか悪いとかの問題ではなく、売れるとか有名になるという意味でね。三大紙の訃報に載ったパチプロは田山さんだけ。 東大うんぬんよりか、あの文章だろう
無理に東大のせいにするのは自己顕示欲なのか? >>864
自己顕示欲?誰の?
出版社の「東大中退のパチプロ」という売り込みがなければ、そもそも注目されることすらなかったと思うよ。連載が好評で長続きしたのは、勿論田山さんの実力なのは否定しない。でもきっかけの1つがは「東大中退のパチプロ」という経歴だったことは間違いない。 ガイドに拾われる前から色々寄稿してたってならちょっと認識変わってくるかなあ
既に物書きとしてある程度知名度があったなら、どこ大かよりも物書きの繋がりが大事だったかも
ガイドデビューだと思ってたニワカの印象だけどね 東大棒にふって
30で親に泣きつくほど金に困窮して
家失って早死にして
代償は高くついたな
パチンコで人生狂った人ってどんくらいいるんだろうな 物書きとしての駆け出しは飲み屋のルポ、その後パチプロ告白記等単行本出すけど、その頃から「東大中退」「東大流」等の触れ込みが必ずあった。田山さんもそれに乗っかったのは事実。高卒の学歴コンプは認めたくないだろうけど。 何かしらの肩書きつけて売り出すなんて古今東西あるやん 普通に働けない人なのに
東大を棒に振るもクソもあるかよw 無頼漢な田生さんらしい生き方だった。
こんな生き方が出来る男は、令和にはいないだろう。 こんな生活ができたのも、都心一等地の親の家に住んでたからだけどね。 田山さんのファンだけどここに書いてある最初から寄稿してたとか実家は賃貸業してたとかの話が本当なら、ガチのパチプロが文章書いたってより物書きがパチンコ実践記を書いてみたって方が正しい表現かと思ったりしちゃうかも
面白い文章を見せてくれたことには感謝しかないけどね まぁどっちにしろ実生活は破綻してたからなぁ
刹那的だったのはパチプロっぽくて
破滅的だったのは文学っぼい 父親とは相当な確執があったみたいだけど
詳しく知りたかったな >>876
田山さんもそれについては多くを語っていないね。漫画版に描かれていることから想像するしかない。 >>878
てめえみたいな中年こどおじ童貞には、田山さんの生き方は未来永劫理解出来ないだろうな >>866
ガイド以前から何冊か本書いていてそれでガイドが声かけてたんだろうけど
当時は収入はパチンコが中心だったと思うよ
そんなに文筆の収入は当てにしてない
実家は持ち家で母親は公務員だった父親の年金で暮らしてたのだろうから
差し当って家に金入れる必要はない
パチ収入をすべて自由に使える恵まれた立場 >>880
パチンコして競輪して毎日飲んで・・・という生活してても、最後には親の持ち家に住んでいるという心の余裕があったね。だから文章もそんなに荒んだ感じにはならなかった。 高校の時、同じ学年に鳩山由紀夫がいたっていうのがすごいよね
田山さんも大学中退した頃は、いろいろな葛藤があったんじゃないかな
同級生は一流企業に就職したり国家公務員になったりしてるのに
俺はパチプロなんかやってていいのだろうかと >>883
氏の同級生の去就をなんでお前が知ってるんだ? >>884
パチプロ日記の単行本に記述あるよ
あと中学生時代は田淵幸一と同窓生だった 鳩山が田山さん覚えてたら凄いとおもうが、同級生だからすごいとはおもわないな。 鳩山も田山さんも、都立小石川高校→東大という点では共通。方や総理大臣、方やパチプロ(パチンコ作家)となった。 浪人になったとき、父親から予備校に行けって言われたけど断り
挑んだものには負けない、って覚悟で勉強して東大に入ったっていうのがすごいよね
それだけ努力できる人なんだから、サラリーマンになってもそれなりに仕事できただろうね
パチンコに興味あったんだから東大中退したときに、冷やかしのつもりでパチンコメーカーの
の面接でも受けてみればよかったかもな
新台開発がやりたいんですって希望で >>889
我らが田山さんも確かに載ってるw
それにしても昔の名門都立高校は凄かったんだね。 親の家を売ったことをバカにしてる人は、地方に住んでる人か?
田山さんがどうだったのかはわからないけど
都内だと相続税が払えなくて手離すなんて珍しくないよ よほどの土地でなきゃ、都内だって奥さんと子どもが住み続けるなら相続税なんてたかが知れてるよ >>896
興味深いお話ですね
田山家の相続がたかが知れてると判断された根拠をご提示願いますか? 田山さんのお母さんによると、かなり古い家で維持費もかかるし、娘夫婦のいる世田谷に引っ越したいとのことだった。そこで家を壊し土地を売って、用賀の賃貸マンションに母息子で越したわけだね。バブルの頃に売っていたら物すごい金額だったが、崩壊後だったので思ったほどにはならなかったとか。 はて?借地や土地はそんなにしなかったという情報が他者から出てきましたが相続税はたかが知れてるとはまた別の話ですな
どなたが憶測で適当に書き込みされてるんですかね? >>899
そうなんだ。漫画版では末井が田山さんに「遅いよ田山さん。バブルの頃に売ってたら凄かったのに」というセリフがあったので、てっきり土地も自分のものだと思ってた。 マンガ版の内容は脚色しすぎって
モデル・オノか熊ちゃんだかの小さい記事に書いてあったよ
親父さんとの描写も実際はあんなにひどくないと文句言ってた 借地権もバブルの時代だと結構な金額だったのでは
日本の借地権って強いからね 田舎だと、親から相続した土地(先祖からの土地)を売るとバカにされるみたいだけど
都内だとよくある話なんだよね
相続税が払えないとか、子供が巣立ったので夫婦でのんびり田舎で暮らしたいとか
ライフスタイルも変化するから、親の土地を売ってもおかしくないんだけどな 「俺の履歴書 田山幸憲 特別編 日本で一番愛されたパチプロの生涯」
この動画は興味深いな。 斉木しげる主演でVシネマも作られたし、田山さんて凄い人だったんだな。 古い家で土地も借地なら相続税はほぼ発生しないよ。ソースは去年、親父に死なれた俺の体験 実は近くに住んでいたんだけどさ(身バレすると嫌だから詳しくは書かない)
読者のために借地という呈、にしておいたんだと思う
土地を売りそこそこの金がある田山さんが書くパチンコ日記だと手に汗握る感が出なそうだし 要町かな?田山さん家から一番近いパチ屋は要町のラブホ一階のホワイトって店だった 田山家の跡地は当然他人が家を建てて住んでいると思うけど、どのあたりなのか気になる。豊島区高松ということしか分かっていないみたいだが。 ざっくりと、高松の端。道を挟んで千川一丁目。後地には家が建ったけど住んでいる人は何も知らないだろうな。もう何年も経つからその家にも同じ人が住んでいるかまでは分からない >>910
一生のうちにあるか無いかの~♪
なつかしす‥ お堅い公務員に貸してたのに
いつの間にか無職のアル中がすんでるんだから
そら立ち退いてくれってなるわな >>917
どうもです。豊南高校の近くですな。あの辺りから山楽まで歩いたら20分くらいあるかも。 田山さんが池袋を離れたのは1993年1月だから、29年も経過しているのか。 てゆーか、田山さんって生涯、車持ってなかったの?なんなら免許ってあったの? >>922
都内に長年住んでるなら車無くても別に珍しくもないよ 自宅に駐車場あっても日常的に都内を車移動してたらアホ程金遣うからな
田舎住みには想像出来ないで 田山さんのあの生活なら車は全くいらない。車欲しいと考えたことは一度もないだろう。 溝の口編だったか?車で遠乗りして通ってたのがいたな 溝の口、青葉台、用賀、桜新町・・晩年は新玉川線(現田園都市線沿線)にネグラを構えた。仲間にクルマに乗せてもらうこともチョコチョコあったみたいだね。 田山さんの生き方を好きになれない人もいるだろう
しかし田山さんは、著述業もしていたし、東大にも入れるぐらい頭が良かったんだから
そんなに批判されるような人じゃないだろ、とこのスレを見ながらいつも思ってた
ファンの一人としては、その人たちの心理がまったくわからなかった
だが、上で「親の家を売った」っていうのを見て
あぁなるほど、田山さんは引きこもりと重なる部分があるから
そこをバカにされてるわけか、と気づいた 事業でもしてないと遺産なんて3代で消えるからな
ど田舎の事情は知らん 石橋達也が「親と同居はパチプロの恥」なんて書いてたけどあれ暗に田山さん意識してたのかな
彼も文才のあるライターだった
枝葉末節にこだわらずざっくり表現するのがうまかった
今でも著著持ってる
なんか攻略集団か何かに取り込まれて消えてしまったけど >>932
石橋達也懐かしいな。1000円で〇回転以上回る台を打て(ボーダー理論)、というのを早い段階から主張していた1人だね。ごく当たり前のことだが、当時は確率ということをあまり考えない打ち手が多かった。 親と同居はパチプロの恥
高齢者の一人暮らしは、治安はもちろん、孤独死の可能性もあるから良くないと思う
それにパチプロと言っても、田山さんはガイドの連載をしてからは誌上プロ
だったんじゃないかな?
まったく無名でパチンコでしか稼げないパチプロと
雑誌に連載を持って本が出れば印税も入ってくる誌上プロとはまったく別だと思うけどね >>935
同居が恥なんだか、同居をすすめてるんだか、全然わからねぇ あれほどの生き恥を晒しながら生きてたんだからすごいよ
さすがとーだい 末井さんが初めて田山さんに会って取材したとき
「どうすればパチプロになれるんですか?」と質問したら
「パチプロになんかなっちゃいけないんだよ」と言われ驚いたんだってね
まともに働かないパチプロという存在を良く思ってなくて
どうせいくら儲かってるとか自慢されるんだろうなと思ってたら
あまりにも予想外の答えが返ってきて、えっ、となってしまったって末井さんの本に書いてあったな >>940
田山さんは協調性や忍耐力のない人だったので、ああいう人生になったんだろうね。ただ文才はあったので、パチンコ作家として人気だった。本人にしてみればパチプロという存在が素晴らしいなんて微塵も思っておらず、社会に何の貢献もしていないことは重々承知していた。 パチプロの生き方否定しながら専業してる社会不適合者は結構居るぞ?なってみればそういうスタンスになる奴が居るのも理解出来るかな
専業って田山さんみたいな世捨て人タイプとベンツ小林みたいなヤカラ崩れが多いから変わり者が沢山居るんだよな 専業でもパチプロでもいいから所得税、住民税など納税だけはしてくれよ
なんで必死に働いてるのにカスを養わなきゃあかんのや… 晩年は中国女に金騙し取られまくってたってのが何とも 本来なら、東大に入るようなエリートとパチプロなんてなんの接点もあるはずがないんだよな
当時のパチプロなんてチンピラみたいのやガラが悪いのばっかりだっただろうし
東大に入るような人から見たら、パチプロなんて一切関わり合いたくもないし
社会の底辺として見下すような人たちだったんじゃないかな
田山さんが面白いのは、そういう人たちと仲良くなり
さらに本人もパチプロになっちゃうんだからな >>949
千本木という明治の学生と一緒にパチンコ打ったのがキッカケとか。 大学入ると開放感でギャンブルに手を出す学生は多いんじゃないかな
昔は麻雀は誰もがやってたし
ホリエモンと井川(カジノで100億すった人)の対談で二人とも学生時代は
学業そっちのけで麻雀に打ち込んでいたらしい
まあそれを職業にするとなると話は別だろうが 自分も大学入学してからパチンコ時々やるようになった。収支はちょい勝ち程度でたいしたことなかったが、羽根モノ、デジパチ、一発台とバランス取れてて面白かった。今は出ないわ、つまらないわで、ここ10年位やってないな。 田山さんのお父さんって、田山さんが二十代前半の頃に亡くなったんだよな
おまえが跡取りなんだからちゃんと働け、とか母親にうるさく言われなかったのかな?
二十代前半でパチプロしていた時、田山さんは家に食費ぐらい入れてたのかな? >>949
大学入る迄は皆さん頑張るが入ってからでも弛まず努力出来る奴は一握り、東大でもそれは変わらないし、田山さんも普通に大学入る迄の人間だったってことだろ
聖人君子じゃ無いんだぞ パチプロ日記の最初の頃は、午前中、羽根モノを二台打ち止めにしたらお帰りで
俺にとってはもう酒を飲む時間だ、って昼から飲みに行ってたんだよね
田山さんが一番生き生きしてた頃かもな 最初の方ってジェットラインで一発決めて帰宅の記憶しかないわ >>958
マルホンの4000発出るやつはやってた
ジェットラインの対面にあったから >>958
デジパチやってたよ。1990年代の始め頃、デジパチ打ってる田山さんを実際に見た。出玉を飲まれて残り200個ぐらいになった時、いきなり立ち上がって数台となりの上皿に残り玉を入れて打ち始めた。デジパチの台移動はダメだったはずだがw その際一瞬目があったが、すぐに向こうがそらした。ルール違反を見られたやましさがあったのかも。 昔は大箱と別に満タンで800玉くらいの小箱があって
それ持っての移動はあまりうるさくなかったような気がする
逆に大箱は大きくて4000玉くらい入ったような
ハネモノはそれが満杯になると終了 >>963
よその店は知らんが、山楽はデジパチの台移動には結構うるさかったよ。 買った玉か出玉なのか分からんから上皿の玉ならほとんど言われなかったで >>965
それ山楽の話?
いずれにしても山楽では、玉の多少に関わらず出玉を他の台に入れるのを店員に見られたらダメだったけどね。 >>966
せやで
上皿分だけなら出玉なのか買った玉なのか判別つかんし、店員に言われても買った玉やと言えば強く返してこんかったわ >>967
他の台から持ち込んている場面をモロに店員に見られたら、流石に駄目だったよw >>968
そんな時もあれば大丈夫な時もあって、ルールは店員の気分次第の時代やん
常連ならok、何となく気にいらんからこいつはダメなんてのが普通 今の話の流れには関係ないけど、そう言えば昔は台間サンドが無くて、玉はわざわざシマの端にある機械まで行って買わなきゃいけないみたいのがあったようなボンヤリした記憶が >>969
確かに。店員も気分次第、相手次第だったねw >>970
昔はカウンターで〇〇円分と言って買い、その後シマの端の機械に金を入れて買っていた。その後台間サンドが登場、パッキーカードが出てから台に直接玉が供給されるようになった。 田山さん自身もルール違反だけど少量の玉移動の記述してたなー あるとこにはあったんだなそれが。
シーザーのショボイやつとか。 >>973
朝一でちょっとだけ2台押さえとかもやってたな 田山さんも店に嫌われないように、ルール違反はほんのちょっとだけだった。ある程度出したらさっさと引き上げて、シロート連中にアト番を譲ったり、気を遣ってた様だね。 ジグマだからひとつの店で20も30も抜いてたんでしょ
嫌われねーわけねーだろw >>984
だよね。実際そのくらいし抜いてなかったでしょ。 ジグマは店に生かせてもらってるんだよ
店に嫌われたら板ゲージ一枚でころされる
田山さんと山楽はいい関係だったよな
また山楽もきちんと田山さんの面倒を見てたように感じるよ 山楽時代を日記に書いたのは4、5年程度だが、山楽を意図的に貶める内容は書かなかったね。日記では「池袋のS店」としていたものの、山楽であることは周知の事実で、田山さんも店もある意味持ちつ持たれつの関係だった。 このスレッドは1000を超えました。
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