今じゃ考えられない昭和の生活◆90
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆89
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1533781725/ 昔は結婚すると同居しなくても皆その家の人間になって
兄弟姉妹の配偶者どうしも「にいさん、ねえさん」と呼んでいた
たとえば一郎、花子、次郎が結婚すると、花子の夫は一郎を「にいさん」と呼び、一郎のつまを「ねえさん」と呼んだ
そして次郎の嫁は一郎を「にいさん」、花子を「ねえさん」、さらには一郎の妻を「ねえさん」、花子の夫を「にいさん」と呼んでいた
(漢字にすると義兄、義姉だけれども)
今もこういう呼び方してる家族ってあるんかね >>299
黒澤明や小津安二郎の映画を観るとサラリーマンの出勤のシーンとか全員帽子被ってるよね >>300
親世代は「にいさん」「ねえさん」って呼んでいるな
俺世代は「(名前)さん」「(苗字)さん」だな >>302-303
うちは兄の嫁は「名前さん」、弟の嫁は「名前ちゃん」、妹の夫は俺より年上なので「名前さん」で
義理の兄弟姉妹どうしでは誰も「にいさん」「ねえさん」呼ばわりはしてないな >>304
それは現代でもマイナーと思われ。地域差もあるのかな? 50年くらいq前、「巨人の星」で、スポンサーの大塚製薬グループが、オロナイン軟膏のおばちゃんをつかってグループ会社の紹介のCMをながしていた。
そのなかに、製薬会社の傘下らしく防虫タンスを製造する大塚家具(大塚家具工業(株))という会社を紹介していた。
それから30年くらいして、あちこちで高級でおしゃれな家具を販売する「IDC大塚家具」をみかけるようになり、あのあか抜けない防虫ダンスの会社が、しばらく見ないうちにずいぶん高級でおしゃれな家具を手掛けるようになったんだな、とその成長ぶりに感心していた。 >>301
戦後しばらくの時代を描いた映画でも黒澤明は戦争の影が色濃く出てるけど
小津安二郎はそういう雰囲気を全く感じさせないのが対照的やね >>308
いまは、大塚グループから独立し、社名も変わっている。
www.wedostyle.co.jp/company/company.php
もちろん、親子ゲンカで有名な個人商店発祥の家具商とは全くの別物。 昭和28年に日本で初めてテレビ局が開始され、
テレビ放送が始まった。
それ以前・以降しばらくは当然一家に一台テレビがなかった。
当時の人の娯楽って何だったんだろう? サザエさんの原作(姉妹社)読んでみれば?
ラジオも本も百人一首もマッチ棒もあった。
こどもが落語とかも聞いていた。
映画をもっと見に行っていた。
家電が少なかったので、洗濯や水汲み、薪割りなどに時間をとられていた。
大人も10時ごろには寝ていた。 >>311
実験放送自体は昭和14年からやってたのよ。
15年には東京のデパートや博覧会の会場に国産モニターをずらっと並べて歌や楽器演奏、踊りや15分の短編テレビドラマを
やってた。
雑誌とかでもテレビジョンがもうすぐ始まるよ!という特集を組んだり、エノケンの孫悟空でもテレビジョンというものを説明して
小学校単位で見に行ったり、戦争がなければ昭和16年の放送開始予定だった。
そうそう、仮面ライダーに出てきた、ルリ子ちゃんのパッパ役の俳優さん、実験放送時代のテレビドラマに出演してたんだよ。 …というわけで、実験時代のテレビ観覧も娯楽でしたとさ。 >>313
その実験放送の電波にしたって、世田谷のNHKの研究所から日比谷や銀座などに届く程度。
とても日本人の平均的一般的な娯楽、風俗とは言えないだろ。 >>316
大阪でもやったそうです。
昭和の時代はボードゲームもいっぱいあったなあ。
市販のじゃ飽き足らなくなって手作りしたり。
B全の模造紙に、自分の好きなキャラやら詰め込んだ超大作双六を描いて遊んだりもした。 >>313,318
いまでいえば、4K8Kの実験放送を見に行くようなもので、とても一般的な日本人の娯楽とは言えないと思うけどなぁ。
313や318さんにとっては、東京や大阪などの大都市に住む以外は日本人じゃないのでしょう。
>>大阪でもやったそうです
今度はどんな揚げ足取りをすんのかな。 TV・PC・・以外の娯楽は今と変わらんやろ
外出時、大正生まれの人は帽子・ステッキはデフォじゃなかろうか 子供の頃の楽しみと言えば夏休みの東映まんが祭7本立てと東宝チャンピオン祭のゴジラ映画だったな マジンガーZ対デビルマンって映画を見たわ
二人が闘うのかとおもいきや、協力して悪を倒すみたいな感じだった ジェットスクランダー登場にワクワクした
グレートは最初っから標準装備で味気ない ジェットスクランダー映画で見た子だけがどや顔できたな
TV版での初登場はそのけっこう後だったから >>322
永井豪によるとあの「対」は「たい」ではなく「つい」と読むそうだ。 >>175
亀でスマソだがブラザーって最近は工作機械(下町ロケットとかの工場に置いてるアレ)まで出してるのを見て、一体本業は何なのかと思ってしまった昭和の女orz
聖子ちゃんがコンパルエースのCM出てる時に激しくミシンに憧れたのが懐かしい。 キヤノン
個人的にはプリンターメーカーのイメージが強いが
父親はカメラメーカーと思っている 12月から始まるBS4K・8K放送の視聴率どれくらいいくだろう?
おそらく0.1%未満とかで視聴率が出せないだろうな。 >>327
タイプライターのイメージだな。
タイプライターならオリベッティかブラザーな。 オリベッティがノートPC作ってると知った時は、誰がイタリア製のコンピュータなんか買うんだと呆れたな。 >>318
隣町の農協がオリベッティのATMだった。 嘘だと言ってよバーニィという言葉があちこちで飛び交ってるな、ご冥福をお祈りします
ザ・ガードマンというドラマでミシン会社が秘密裏に小銃製造してるという話があって
母親がよくミシン使ってたというのもあってしばらくの間ミシン会社をうさんくさく思ってたw 夜のヒットスタジオは生演奏で様々な名場面はあった。
印象に残ってるのは風見慎吾やセイントフォーは歌いながら踊ったり吉川晃司とアン・ルイスが六本木心中をデュエットしたり河合奈保子がシモンズのドラムを叩きながら、ビリージョエルや山口百恵の歌を歌ったりした
沢田研二が敷き詰めた畳の上からサムライを歌った
志村けんと大丈夫だぁファミリーが出演して
植木等の曲を歌った。
カシオペアと高中正義が出演した
田原俊彦が久保田利伸とアマゾンズを従えて歌った。
ロンドンからのデュラン・デュラン歌った。 >>337
オープニングは次に紹介する歌手の持ち歌をワンフレーズ歌ってから
「最近は愛犬に夢中の○○さんです」みたいに歌手が次の歌手を紹介するってパターンだった
ある日の放送で柏原芳恵が「わたし馬鹿よね♪お馬鹿さんよね♪」と歌ってて笑ったわ >>335
実際シンガーミシンが昔散弾銃作っていたしねw
シンガーミシンが製造して川口屋銃砲店が店のブランドで販売した散弾銃持っているよw >>338
そうそう、最初にどうでもいい情報がw
そのシーンだけをモノマネしてる芸人も、何年か前にいたよね
誰だったか忘れた・・・ >>325
東映作品で対というタイトルになる時は、共同戦線という意味であることが多い。
極道vsまむしもそうだった。 >>339
昭和の頃は、銃砲所持許可のハードルも低かったんかねぇ?現代と比べて >>343
バカボンのお巡りさんは誇張しているけど、特に戦後からかなりの間は警官は頻繁に発砲していた。
軍隊とか戦時中を知る人間が多かったからね >>332
雑誌の紹介で写真見ただけだが、革のケースが付いたシャレオツなサブノートPCだった。
>オリベッティ
>>335
精密な鋼鉄製パーツの加工という共通点があって、ミシンメーカーが銃器の製造することはままある。
JUKIミシンも陸軍の機関銃作ってた会社だし。 企業に従業員を大切にしようという価値観があった
日本がブラック企業だらけになったのはいつからだろうな >>328
まあ、今でもニコンと並ぶトップメーカーではあるしね。 >>349
サービス残業は違法。それだけのことが守られない時点で大企業も変わらん。 >>351
並ぶどころか、一眼レフでもコンデジでもずっとシェアトップなんだが。特に一眼レフはニコンをはるかに引き離してシェアが6割超えてる。 >>349
そうかな?
昭和の頃の方が「いくらでも代わりは居る」状態だったから
社員を大事にする必要はなかった
セクハラモラハラ当たり前
「モーレツ社員」はもてはやされたし高給がもらえたが
上司の言う事をきかなければすぐさまクビにできた
労働基準法?何それおまえアカ?
女性は結婚したら退職するものだよ、オバサンが何居座ってんの?という世界
勿論会社によって差はあるけれど
今の方が新人を大事に育てようって意識は育って来ていると思う >>349は、多分昭和の終わり辺りの頃の事を言ってるんじゃなかろうか >>346
秋葉原で一度だけ実物見たが、パンフレットが実物大でノートパソコン同様開くとディスプレイにあたる所に売り文句とか書かれていてオシャレだったな。 ブルマは女子が普通に教室のロッカーにおいて帰ってたからな
天国みたいな時代やった >>359
90年代もだろ
Winkなんてそればっかりだ Winkが洋楽カバーしてたのは80年代末期か
あの頃はいろいろ濃密だった
というか平成だ 昭和の終わり頃、とある小さな会社でアルバイトをしたことがある。
そこは結構厳しくて、
会社に着いたらまず同じ部屋にいる社長ならぬ怖い会長の席まで行って
わざわざ挨拶をしなければいけなかった。
その会長は怒るとと怖くて、
そこの正社員の人も良く怒られていた。
大したミスでもないのに何様だよ?と正直感じていた。
ただ決して汚い言葉は使わない会長であった。 60年後半から70年位までオールディーズとかヒットしたよね。 洋楽カバー番付
横綱→YMCA
大関→?
関脇→? >>363
70年代はフュージョンブーム
HiroshimaやCasiopeaのアルバム はLPで聞いてたな >>358
河合奈保子のデビューって言うから
大きな森の小さなお家かと思った 大関
Dancing Hero What a Feeling
小結
Night Game
Through the window >>364
スクールウォーズのヒーローとか、男女7人夏物語のcha-cha-chaあたりかね? T SQUARE で好きな曲はTRAVELERS
CASIOPEA で好きな曲は HALLE そういや日本の昔の歌というと何となく演歌をイメージするけど
終戦後しばらくはロカビリーとかグループサウンズが主流で
ソロ歌手もムーディな曲ばかりなんだよね
演歌なんて昭和30年代くらいから出てきた新ジャンルに過ぎないわけで 某大手スーパーのバックルームで
バイト君が社員に胸倉掴まれてたなあ・・ 洋楽カバーと思いきやただのパクリなんてのもたくさんあったな Jennifer Beals出演Flashdanceは映画館で見た。 >>381
パクリのヒット曲と言えば、岩崎宏美のマドンナたちのララバイ。 >>384
な〜んにも知らずにファイナルカウントダウン観てラストシーンで驚いた思い出 >>360
郷ひろみ GOLDFINGER '99
リッキー・マーティンの曲をカバー 夜のヒットスタジオのジョイントライブはよかった
中森明菜 井上陽水 安全地帯 飾りじゃないのよ涙は
西城秀樹 Casiopea SUN
アン・ルイス 吉川晃司 六本木心中
THE ALFEE 大友康平 SWEAT&TEARS〜IF >>367
長山洋子 反逆のヒーロー johnny hates jazz >>387
夜のヒットスタジオと言えば「共産党バンザイ」だな >>391
前田武彦というタレントが司会をやってた頃、この人は軽口で有名だったんだけど、
都議会選挙で共産党が大勝したときに、特に共産党支持でも何でもなく冗談のつもりで
「共産党バンザイ」と言ったら即降板
以後、20年近くすべてのテレビ局に出禁になったという恐ろしい時代 >>392
マエタケってそれで見なくなったんだ〜! >>394
ここ数年またテレビに出るようになって、言論弾圧か何かのテーマで
テレビタックルか何かに出たときにもしみじみ述懐してたよ じぶんだって資本家側のスポンサーや放送局とグルになって大衆を手玉に取って金儲けしてるんだから、うまくやれよ、と思う。 >>396
いや別にマエタケが共産主義者ってわけじゃなくて
単なる軽口で言っただけなのに20年も干されるってのは恐い、という話をしていた 前武は口が軽すぎたから業界の内外を問わず消えて喜んだ人も多かったよ。 昭和末期(60年ごろ)「サイコロステーキ」なるものが突然登場した記憶。
50年代にはなかったと思う。というか、ステーキ自体がそう簡単には食べられなかったと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています