今じゃ考えられない昭和の生活◆90
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆89
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1533781725/ >>399
あー、本来は角切りなんだけど、集成肉を固めた奴なー >>399
千円ステーキというのが衝撃的だったわ
たま〜に、親父が奮発して「今日はステーキ食べに行こう」なんて言うと子供達は狂喜乱舞してた
そういうときの親父は太っ腹だからステーキ屋で好きなように食べさせてくれるから家族4人で3万円とか払ってた
家でステーキ焼くときだって1枚3000円くらいしてたなー
>>401
サイコロステーキとハラミは別もの いやいや
昭和ならステーキでなくビフテキ
はるかに御馳走って感じがするわ あ、ビフテキはビーフステーキの略でないことはあの頃から知ってましたけどね 「古い出来事なので沢田研二が夜のヒットスタジオに出演していた(古舘伊知郎と加賀まりこが沢田とどのように会話したどうかを含めて)のは正確には覚えてない。
詳細は沢田研二 in 夜のヒットスタジオ 参照
夜のヒットスタジオに沢田研二が出演した時OPメドレーで渚のラブレターの衣装でタイガースのシーサイドゴーバウンドを歌ったりコート着てサングラスかけてお前にチェックインを歌った。
チャンスの時はサングラスかけて黄色のスーツ着ていた。
マンスリーで往年のヒット曲をAORアレンジで歌ったりヴォラーレを山口小夜子とおどりながら歌った。 夜のヒットスタジオを見たのは、37年前だ
河合奈保子が夜のヒットスタジオで出演した時は八神純子と対面している。黒髪にアマリリスは好きな曲だな。
マンスリー(最終)で母校の校長先生と同級生
西城秀樹がマンスリーで出演したときアルバムから「City From Dreams Tokyo 」を歌ってる。
ヒデキが出演したCITIZENの海外向けCM は番組内
長山洋子も演歌歌手に転向する前にアイドル歌手として出演して洋楽(曲は失念した。)のカバーを歌っていたのは覚えている。
TーSQUAREのプリズムも一番好きな曲だな。 長山洋子はビーナスだな
デビューした頃は「そんな日はサラサラ〜」みたいな曲を唄ってた >>404
ビートの効いた洋楽カバーをやるまえは、正統派純アイドルって感じだったけど、松田聖子、河合奈保子、石野真子らの影に隠れ、地味で、時代遅れなかんじで全く目立たなかった。
杉田愛子とか松本典子みたいな存在かな。 >>408
つうか長山洋子って松田聖子とかと同期じゃなく、84年ころのデビューだから
言うならおニャン子あたりの影に隠れてって感じだな。 町内に寿司屋ができたとき、町内の忘年会がそこで行われ、父が参加。
昭和のマンガで、千鳥足の酔っぱらいのお供だった寿司折り(店の包装紙で包まれ、ひもで縛られている)のお土産を初めて見た。
2次会に寄ったり、こども(俺)が寝てしまって翌朝食べることになったりして痛むのを懸念してか、助六だったなぁ。 >>404
[広辞苑]
ビフテキ
(ビーフ‐ステーキの訛)厚めに切った牛肉を焼いた料理。ビーフ‐ステーキ。
[大辞林]
ビフテキ [0] ?(フランス) bifteck?
⇒ビーフステーキ
[新明解]
ビフテキ[0]
〔フ bifteckの日本語形〕ビーフステーキ
広辞苑が間違ってるっぽいな ビフテキの由来は一つではない、 で良くね?
ウィキペ(笑)見ても併記してあるし 同じ物だけどステーキよりビフテキの方が高級感や特別感があるように聞こえるよな 豚肉のステーキのことを豚のビフテキなんて言っても通じない。
トンテキと読んでいたはず。
標準的な昭和の日本人にとって、ビフテキとはビーフステーキの略という認識でよいのでは? 縁日の露店商をテキ屋というのは、こども相手に、毎日テキ(ステーキ)が食えるほどボロ儲けができる商売だからだと思っていた。 >>395
>>ここ数年またテレビに出るようになって
もう7年も前に亡くなっているのだが?
>>392
押坂忍、土居まさる、大野しげひさといった、もっとスマートで滑舌のいい司会者が一杯いたので、出なくなったのに気づかず、訃報を聞くまですっかり忘れていた。 >>419
でもガキの頃の味覚だと「脂ぎった肉の塊」って感じで正直、口に合わなかった思い出。
反面、ハンバーグは大好きだったし。。
>>411
寿司折り持った千鳥足の酔っぱらい、よくショッカーの怪人とかに襲われてたな。。。 ビーフステーキなんて、言葉はアメリカから入ってこなかったし(大阪の肉といえば牛が当たり前感覚)フランスのビフテックを総じて牛肉料理ということで向こうで学んだ料理人から広がったって聞いたよ
その当時ビーフステーキを略してビフテキにする機会がない
まあ今度昭和ひとケタのジジイに聞いてみるわ
ビフテキって言ってた頃にビーフステーキって言葉はあったのかと 地域にもよるが「部活動の強制」
練習を休もうものなら宿題+自主課題だった小6時代。(転校1年在籍)
帰宅部なら「覚悟しとけよ、内申書」の中学時代。 >>426
そーいや「トンカツ」の「カツ」も日本語じゃなく英語のカットレット、フランス語だとコートレッタで
本来、骨付き肉の切り身とかいう意味なのに、さらにそれの短縮っつう複雑な過程の中で生まれた言葉というw ビフテキの語源については諸説あります(BGM:アイネクライネナハトムジーク) >>428
フライとカツも混在してるよね
しかも英語でフライと言った場合は基本は唐揚げだし それはdeep fliedね。stair fliedだと「炒める」になる。flyは「油を使って鍋で加熱する料理法」、くらいの意味なので、日本語や中国語でぴったりくる訳はない。 この時期になると必ず出てくる
日本シリーズはやっぱり昼間www >>407
ちなみに
長山洋子が出演した時夜のヒットスタジオでジャッキーチェンがゲストで出演した時河合奈保子がエスコート
CHAGE&ASKA・長山洋子・久保田利伸
長山はジャッキーチェンの大ファンで古舘伊知郎の
に「憧れている歌手の人?」に聞かれ
「ASKAさん」と答えた。
古舘伊知郎が久保田利伸・ASKA・ジャッキーを
ダーヴィンの進化論と評した。
夜のヒットスタジオを久保田利伸のIt's Badを初めて見た時「うまい」と思った。
バックコーラスで務めたアマゾンズの洋楽のカバーを歌っている。
久保田利伸のコンサートは見に行った。 >>427
そんな俺は応援団
応援団=不良の集まり。ってイメージがあるから
応援団に入れるのは教師が選んだ真面目な生徒のみ
応援団は毎日の練習無し=ほぼ帰宅部
練習日は週1回と大会前くらい
楽だったよ〜
但し
高校・大学と団に入れられてしまったのは計算外だったが 部活だって今は入部強制とか長時間の練習とか社会問題になってるな
昔じゃ考えられなかった >>437
その競技とかの経験が全く無いのに、顧問やらされる教師も、ある意味被害者 非行防止の意味合いもあったかなぁw
体育祭や文化祭も外国からしたら珍しいらしい 学校生活そのものがストレスなので、長期休暇中の活動のない週一文化部。
後は逃げるように下校。
とにかく日曜祭日長期休暇の間は、学校とは一切関わり合いになりたくなかった。
学校生活そのものがストレスになるタイプの人の場合は運動部強制加入なんで地獄だろうね。 日本人は世界一マナーのいい民族と言われてたのに今は他人の迷惑考えない時代になったよね
インスタ映えとか渋谷のハロウィンとか色々
昔はそんなに酷くなかったよ 外国なら商店略奪やこれに乗じての反政府デモ、発砲、強姦が起きてるだろ。 世界的に見れば災害時に略奪がないだけでも民度が高いらしい
ただ、家族が多いふりしたりして配給を多く貰おうとする奴とかはいるが、そういう奴はたぶんザパニーズ >>443
日本人が「震災時に国内で起こった略奪」だと思ってるものは、海外の人から見たら、どうやら略奪の内に入らない
らしいと知って驚いた。 日本はデモをやっても暴動はあんまり起きないし海外に比べればマシだろうね
だからといって軽自動車をひっくり返していいわけじゃないけど
若い連中は集団になると年寄りよりやっかいだ
夜中の駅周辺では大騒ぎしてゲロ吐いてゴミを散らかし放題
朝方に近所のお年寄りが掃除をしてるけどなぜか掃除してる年寄りがマナー悪いと批判されてる 週刊の少女漫画雑誌があった
週刊マーガレット集英社
週刊少女コミック小学館
週刊少女フレンド講談社 部活つうと自分も中学入学当初、いきなり野球部に入ったが皆リトルリーグ経験者で付いていけず半年で退部w
別の部活探すが結局決められず帰宅部だったが、親の知り合いが新聞販売店やってて
そこで夕刊の配達のバイト始めた。いい小遣い稼ぎになったよw
最近は見かけないね「新聞少年」・・。 >>447
昔は主婦もたくさんやってたな。朝は忙しいから夕刊専門で「夕刊マダム」と呼ばれていた >>446
週刊少女サンデーもあったらしい。
女の子向け漫画雑誌って、週刊のようなせかせかしたペースには合わないらしくて、皆月一回もしくは二回刊行に変わっていった。 >>441
昭和の喫煙者は妊婦の前でもスパスパ吸ってたし
吸いがらだけじゃなく、空き缶その他のポイ捨ても今よりすごかったし
飲酒運転も、車窓からのポイ捨ても、当たり前のように行われてたし
道端に痰やツバを吐き捨てる人も、電柱に立ち小便をする人も、今よりずっと多かった
今は、通りすがりの他人に意味もなく罵声を浴びせて笑うヤンキーは激減したし
いわゆる「暴走族」も絶滅寸前まで来てる
確かに昔はインスタやハロウィンなんてものはなかったから、
それだけに注目すれば「過去には無かったが今はある」マナー違反だけど
他のマナー違反はすごく減ってるよ >>450
昔は毎週土曜日の夜ごとに今の渋谷の騒ぎどころじゃない騒ぎを日本中でやってたからなー
暴走族の集まりを取材していたカメラマンをその場のノリで轢き殺しちゃった事件もあったし
そういや今の暴走族って信号守るし悪さもしないんだよな。ただうるさいだけ >>446,449
単に売れなかったからじゃないの?
少年漫画を購読する女子は多くとも、逆はそんなに多くない、
女はファッション誌、女性誌に移行して、男ほど社会人とかの年長者が漫画を読まない。 >>449
「週刊少女サンデー」確認できない
月刊で出してみて巧くいかず週刊化しなかったと思ったが ガソリン高いから暴走族も暴走したくてもできないのでは >>446
週刊女性漫画誌
・当時の女子は週刊雑誌だけに金を使うのを嫌がった。
・女性漫画家は週刊誌のペースに付いて行けない。
って両方の理由で没になったらしいね >>451
地方住みだったが、駅近いメインストリートは土曜の夜は大概ゼロヨン(シグナルグランプリ)やってた。
時は70年代、車種はサバンナやセリカ、ハコスカあたり。二輪はあまり見なかったな。 >>458
この人って元気だよね
クイーンとかビーチボーイズのメンバーはひどいことになっとる >>460
ロマンだからこそ復活は望まない
思い出として更に神聖化される そろそろマロンの時期が終るな…。
マロンライス食いたくないか?ブルマ履いて男のロマンが 剥いた和栗と出汁がセットになった栗ご飯セットというのを妻が買ってきて、栗ご飯を炊いた。
なんでも便利になっててイイけど、硬い鬼皮を包丁で剥いてたカーチャンの愛情がおいしかったのだなあ・・・ >>456
そして、女性で週刊で描ける描きたい人は皆少年誌とその後創刊されたヤング誌にごそっとかっさらわれて、少女誌は
どれを開いても同じのおしゃれだ恋だフナだの本になりましたとさ。
話は違うけど、今時の週刊漫画誌って、定期的に連載漫画を「作者取材のため」と称して休養させますね。 >>461
だよな
タイムマシンで見れたら昭和のあの頃の子ってブサイク貧相 >>458
いまだにリンダのイメージが強すぎて
なんだかなぁって感じになる >>465
花とゆめだけは男子が見るに耐える雑誌だった >>469
別マで和田慎二のデビュー作から読んでた儂の立場は? 雑誌は読まなかったが単行本は部室にあつて日出ずる処の天使とか有閑倶楽部は読んでたわ >>469
パタリロを見て目覚めるんですね
わかります(;´Д`) >>470
別マというと日常系4コマの始祖?「フーちゃん」があるな
コミックス探してるんだがさすがに見つからねえ… >>469
昔はマーガレットでも男子が読むに耐える雑誌だったんだけど、そのマーガレットの「男子が読むに耐える部分」を
引っこ抜いて生まれた雑誌が「花とゆめ」なんだよ。
うちの弟は、まだまだ男子が読むに耐える部分を持っていた頃のマーガレットに連載されてた「エースをねらえ!」
のアニメ版がすげえ好きだった。
あれは剣をラケットに持ち替えた剣豪もので、内容もストイックだったからね。
今では「花とゆめ」からもそういう要素は引き払われて少年誌ヤング誌青年誌にごそっと。
「王様達のヴァイキング」の作者だって、本来は昔のマーガレットや花とゆめで描いても良かった人なのよ。
浦野千賀子の血縁だから。 そういえば柴田昌弘先生も少女漫画出身だよね
紅い牙シリーズとか、普通に少年誌で連載してても違和感ないと思うのに
なんでマーガレットと花とゆめだったんだろ? >>474
40年ぶりくらいで思い出したわw
忘れんもんやなあ >>476
なんでも何も別マでデビューしたからやろ
集英社は作家囲い込むし、白泉社は集英社からの流れやし >>467
そうそう
ブルマ時代のアラフィフBBAだけど
現役JK時代だってブサイクでモテなかった
当時美人だった子はきっとブルマでない今の時代でもモテてただろうね >>467
>タイムマシンで見れたら昭和のあの頃の子ってブサイク貧相
タイムマシンなくても卒業アルバム見ればいいだろ。
当時可愛かった子はブルマもスク水も似合って可愛さが引き立ってたよ。
くそっ、今は何であんな色気のないのに変わってしまったんだよ?
>>480
ババアに用はない。 >>481
「有閑マダム」をもじって「夕刊マダム」って言っているんだよ 夕刊紙って日刊ゲンダイみたいなやつでしょ
売春情報を掲載して好評を得たなんてwikipediaにかかれてるし 80年代は、それが流行してたという事もあったしそういう校則の学校も少なくなかったので、ショートが流行してたよね。
漫画のキャラでも奇面組の唯ちゃん、ウイングマンのあおいさんなどショート女子がいた。
ロング解禁になったらロングばっかりになった。
つか13歳以上の女子にショートを強要するようになったのは戦後からで、戦前は逆にロングが義務で13歳過ぎたら伸ばす
べしだったので昔に戻ったとも言える。 >>482
おまいみたいなボケ老人がごちゃごちゃ言うのがうざいからだよ。 今朝のNHKあさいちで前回の東京五輪の聖火ランナーを訪ねるという企画をやっていて
当時のアルバムを見せてもらった若いレポーターが、写真の横にコメントを書き込んであるのを見て
「今のインスタを50年前に先取りですね!」と驚いてたのを見て驚いた
昔はアルバムに子供の写真を貼ったら、その横に母親が「ちょっと緊張しちゃってるかな?」とか普通に書き込んでたよね そうだよね。
親の世代はアルバムと言えば厚手の台紙が綴じられただけのもので、写真の四隅に付けるコーナー(何て言うのアレ?)で貼り付けてたので、写真の脇に直に書き込みが出来たけれど、
自分達の世代辺りから次第に糊の付いた台紙にフィルムで挟み込むタイプに代わって行ったよね。気軽に書き込めないと言うか、メモを挟むだけなので味気ないと言うか何と言うか…。 >>491
フォトコーナーとかコーナーシールとか
ヨドバシでまだ売ってる
アルバムも今は製本式がメインになっちゃった感がある
一枚ずつ印刷したのはポケットアルバムだけどほんと物が減っちゃって選択肢が少ない 鶴瓶の番組で西城秀樹が演歌に転向する前の長山洋子・中原理恵・石井明美と共演。
長山が西城と握手してもらったことを回想していた。
西城がスティービー・ワンダーの愛の園をカバーした時
2コーラス増やしたと言っていた。 西城秀樹が今夜が最高でマイケル・ジャクソンの
真似でBADを歌った。 >>476
柴田昌弘は別マから読んでた
花ゆめデビューの3〜4年前は見かけなかったけど
何してたんだろう?
この人の短編物は好きだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています