>>367 愚かな観念遊戯に浸っていてはいかんのじゃ。
 本当に悟ったのならば真っ先に宗派を辞め、無意味な念仏を捨て去るじゃろう。
 その宗派で誰一人救われた者はいないのであるからのう。
 神仏にすがるのは生きている時だけに効く精神安定剤を飲むのと同じなのじゃ。
 心を整えず、善事すらも勧めないならば無い方が善い宗派なのじゃ。

>>368>>370 比喩ではないのじゃ。
 おぬしが守れないならば戒はおぬしには無意味なのじゃ。
 戒は修業を促進するための補助であり、無くてもよいものじゃ。
 自己揚棄の観念遊戯に使われるより棄てた方がましなのじゃ。
 ただひたすらに自分の本心を観察すると善いのじゃ。

 戒を持ち出し、自ら戒を破ることで自分をみじめに見せて孤立しようとしているのじゃ。
 その働きを余すところ無くすべて観るのじゃ。

>>372 恨む気持ちの原因を探すのじゃ。
 それは自分が傷付いたとか何か奪われたとかイメージが悪くなったとか思うからかも知れん。
 その原因から恨みは自動的に起こり、その原因が無ければ恨む相手がいても恨みは起こらないと観察するのじゃ。
 そうすれば恨みも消えるのじゃ。