昭和の暮らしを懐かしむスレ・25丁目©2ch.net
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高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2−3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった
・ほとんどの家は木造平屋、プロパン、トタン屋根も非常に多い
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる >>4
有ったねぇ切手ブーム。
駄菓子屋で紙の小袋に入ったヤツをくじ引き方式で引く使用済み外国切手のヤツとか。
透かしが入った外国切手引いた時は珍しくて嬉しかったな。 ボーリングブーム
朝一から安いので早起きしてボーリング
勿論、マイボールと靴預けてる ボーリングって今も専用の靴借りたりしなければならないの?
別に普通の靴でいいじゃんと思うけど >>10
右と左で滑り方が変わるように靴底が違うんだよ。床のほうに細工しちゃうと、投げる場所が限られるし、何より左利きが投げられない。 ウチの母親もマイボールとシューズ持ってたわ。
何でも、当時の県大会で三位取った腕前だったらしい。
あれからうん十年、今は見る影もなく リツコさん〜 リツコさん〜
さ・わ・や・か リツコさん〜 >>15
石神井南中学ソフトボール部
あのニュースで石神井って地名覚えたな >>16
休日に仕事先からかかってこないしね
昔はよかった ドイツでは休暇中と終業してからと始業前の携帯への電話は禁止されてるんですって。
んぎぎぎぎぃ。 新幹線と高速道路はとんでもない遠距離を日帰り出張という強行業務を作り出した
ろくなもんじゃねえ >>21氏のような意見はネットだけでなく雑誌等のコラムでもよく見かけるけど
ジェット機や航空機を廃止しろ
とは言わないんだよね。不思議 どっちにしても、疲れるのは間違いねえ・・
飛行機だろうが新幹線だろうが、問題は距離
ここで日帰りかよ・・って思うだけで憂鬱 遠いところは始発で出て終電で帰るのが前提でも現地で仕事が出来る時間が短くて気が焦って疲れる でも高速道路のお陰で物流は大きく改善した
日本全国ど田舎まで物が行き渡るようになったから
巨大企業がど田舎にもSC作るようになって
おかげで地方にもいろんな店が増えて
品数も少ない、商品いつ仕入れたかわからない、
殿様商売のぼったくり個人店を利用しなくても良くなった
昭和の時代は地方で暮らすと不便極まりなかったけど、今なら問題ない
昔は地元戻るのは二度とごめんと思ってたよ 昔は、ヤカンだの鍋だのがダメになると近所の金物屋に走ったもんさ
オヤジが奥から埃を払いながら商品出してきて、選ぶも何も一種類しか無かったよねw >>23
朝鮮半島へ日帰り出張していたマッカーサー
かれが所属するアメリカ軍は優良企業なのか? >>26
それはある意味、地方の完全衰退を招いた、と言ってもいい
今の東京一極集中は何とかしないと、災害あったら一発終了する >>21
「東京-大阪日帰り」は新幹線開業前に実現してたんだけどね
片道6時間だからかなり無理があったが
実際寝台車だって大して寝れないしなぁ >>32
坊主校則地域のオカマさんの偏頗の域に達するレベルでの地元ヘイト感情を見れば判るけど、
地方の衰退はある意味「弱者、少数派に属する価値観」の人に対する不当なまでの締め付けと
冷遇とその放置が招いた結果という面もあるからねえ。
今現在でも、それを放置したまんまで「地元に帰って、田舎に住んで♪」と虫のいいことだけ
言ってる。 >>32
東京一極集中と言っても実際は東京神奈川埼玉千葉に分散していて結構というかかなり広い
もう一度関東大震災クラスが来ても実はかなりの範囲の機能が維持され全滅って事にはならない >>36
そうでもない。
何年か前に関東で大雪が降って交通機関がマヒして物流がストップした時、
北国在住なので関係無いと思ってたらチェーンの飲食店は短縮営業や休業、
スーパーでも欠品が相次ぎ燃料も高騰した。
関東大震災クラスが来たらチェーン店に頼り切ってる田舎では影響出まくるよ。 >>37
さすがに影響が出ないなんて思っているノーテンキはいないでしょ
関東大震災が来ても日本が滅ぶなんて事はなく大きな被害を受けた所以外は数週間から数ヶ月で日常に近づくって事 平成末期、auショップの前で女子校生が
A「イギリスでAUが撤退するらしいよwww」
B「docomoとSoftBankあるから平気じゃねwww」
A「たしかにwww」
昭和末期、東横線内で女子高生が、
A「ねえねえ、ソ連で原発が爆発したんだって」
B「うっそー」
A「だってTVで大騒ぎしてたよ」
B「じゃあ学校休みになるかもね」
ふたりそろって、「ラッキー!」
(出典:はみだしyouとぴあ)
A,Bそれぞれ親子じゃないかと思う。 平成末期って、コラ!
政府の文書は、今でも「平成60年度までに〜」とかやってんのかな。 お姉さん「中学生になったら学研のマイコーチするよね?」
少年「・・・」
お姉さん「するんだろ!」
少年「はい」 学研科学と学習 毎月家まで届けてくれるのが当たり前と思っていたけど
田舎に引っ越したら小学校でまとめて配布で驚いた思い出 昭和の頃は、お正月は商店やデパートはお休みで東武だけが2日から営業していて
年末に仕事始めのつまみ購入を池袋から来る社員に頼んでいたくらいお店は休んでた
今じゃ、スーパー系の店は元旦からやってる、全然季節感というか気分がない
また、社内文書は手書きとゴム印で、社外へ出す文書はタイピストに打って貰っていた
今じゃ、全部自分がパソコンで作らなきゃいけないが、手書きの方が速い場合が多いわ
その上、添付する資料がビジュアル化されて量が多くなった所為で紙の洪水状態
昔なら1年で20pのファイルだった書類が、今じゃ1年分が20pのファイルで3つもある 3が日から従業員を働かせたらブラックにしか思えんわ あのね、昔は小売りやデパートは一般会社の仕事始めの4日から初売りが普通
東武だけ2日に一旦店を開け、3日は休んで4日に又店を開けるというパターン
それで、2日の初売りに行く人についでに頼んで買ってきて貰うのよ
その代わりに、4日の出社は昼食後の飲み会準備に間に合えばOKという条件
どうせ当日は、社長の訓辞を聞いて年賀状を整理して食堂で仕出し弁当を食ったら、
無礼講で飲み会だったからな、若手社員は3時には退社して明治神宮へ行ってたわ
今じゃ昼食の仕出し弁当だけが残って、朝から退社時刻まで真面目に仕事だよ
買い物は当時のBGと独身の男性社員に頼んだけど、喜んで引き受けてくれたよ 正月は
1日休み
2日初売り
正月明け最初の土日は休み
こんな感じだったな おもちゃ屋は開いてるんだよな
三が日のまったりした感じ好きだったな 元旦とか営業してるの映画館とパチンコ店くらいだったか? 昭和生まれの俺としては「昔のAKBは良かった。今はダメ」とか言ってる
若者みると時代感覚のズレを感じる。
こいつらの思う「昔」って何年前からなんだ?って。
そういう俺も昭和50年代後半生まれだから、昭和生まれでは若造の部類だけど。 昔の切手は普通切手にしろ記念切手にしろ、何となく良く言えば威厳があり
悪く言えば堅苦しかった。
今のは乱発しすぎて、子供向け雑誌の付録の切手もどきと区別がつかない。 今の切手は、シール化した頃から一層、切手もどきっぽくなった
キャラクターの絵と裏面がシール、そりゃ区別つかんわw 千円切手とかあったな
昔切手集めてたので実家に残ってるはず
今の最高額面は200円か? >>55
日本郵便のサイト見たら今でも最高は千円だ 一時千円切手は廃止になったようなこと聞いたことあるけどな 郵便物に貼る必要はなさそうだから、収集用だけの用途なのかな。 >>58
証紙発行機のない簡易郵便局から速達&書留&配達証明とかの複合技、
外国宛や大型のゆうパク等の高額料金用。
収集家は、誰でもいくらでも買えるものに興味はありませんよ。 切手って換金出来ないんだよね
この間、オクで小物を落としたら、
30年前の記念切手が貼って送られて来た。
昔、頑張って集めた記念切手でも、
処分するとなったら
プレミアつくようなの以外は
額面以下で金券ショップに売るか、
オクでの支払いに使う位だな 昭和30〜40年代、切手収集は、ミニカーや牛乳フタヤ王冠集めと並んで、子供ならだれでも通る道と言われる趣味だった。
で、2度と発行されない記念切手を後年の子どもがほしがるはず、といい大人が発売日に郵便局に並んでシート買いをしていた。
40年代後半になるとライダーカードをはじめ子供を対象とした収集アイテム、趣味・娯楽が多様化し、切手ブームは下火になっていったが、情弱な大人は相変わらず、買いあさっていた(いる)。
ただでさえブームの消沈化でだぶついているところへ、ここ10年くらいの多死社会で、遺品が世に出回るようになってきた。
金券ショップをのぞけば、そんな頃の記念切手が額面より安く売られている。
1種あたり平均3千万枚、年間約20種が50年余り、300億枚が世に出た計算。
(日本人1人当たり300枚弱)
1枚平均40円としても、少なく見積もっても、まだ百億枚、4千億円が、市中に眠っていると思われる。
(1兆円を超えるという説もある)
沖縄切手も、もう2度と発行されないとブームになったが、こちらは使うこともできない。
(2ヶ月間だけ、沖縄県内だけで¢1=¥1で使える特例期間があった) それにしても切手って、皮肉な商品だな
額面と市場価格の関係が、
額面2ケタ以上→原価割れ
1ケタ →ほぼ原価
銭単位→1000倍以上
文単位→100000倍以上 切手はいい加減にシールにしろよ
ギザギザもいらん
切りにくい 街に数件の切手屋があった
たまに大人が店に買い取り依頼に来てたの見てたけど色んな理由があったんだろうなと 金券ショップに切手をシートで売りにくる人間てどう考えても会社の勝手に持ち出してるとしか思えん >>67
会社が裏金作るのに使うんだよ
帳簿には通信費で記載して損金算入 人件費=固定費だから残業しない限りタダ
こう考えている経営者は少なくない クリスマスケーキとかの予約はバタークリームと生クリームの選択あったな
生クリームは1人か2人で食べられそうな大きさで4千円とかだったから毎回バタークリームケーキだった
25cmで2500円位だったかな? 昭和の頃は、バタークリームじゃなくてマーガリンクリームだったんだわ
ちゃんと本物のバターを使っていれば、バタークリーム嫌いは減ったはず
更に、そのバターを発酵させたモノなら尚良かったがね
ちなみに生クリームも、殆どが偽物の植物性ホイップクリームだったはず
あの頃はアイスクリームも乳脂肪が本物じゃなくて椰子油だったからね、
銀座の資生堂や不二家で本物のアイスを食べた時は、全然違うと思ったよ あれをバタークリームと読んだら、本物のバタークリームに対して失礼なシロモノだろう。
生クリームを使わないくらいだから、バターだって本物を使うわけがないと思っていたよ。 生クリームとバタークリームの物性って、学生時代に薬剤学の授業で教わったな。生クリームがo/wでバタークリームがw/oだったかな。だからバタークリームは冷やすと固くなる。 堀江謙一さんは大平洋横断の時バターに砂糖を混ぜてケーキの頭を想像して我慢したらしい 良質な材料を使っているとは思えない駄菓子やら夜店で売っていた食べモノは、死ぬとか目が見えなくなるとかの高度障害とか腹壊すとか健康被害がなければいい程度に考えて、口に放り込んでいたんだよな。 蝋みたいな食感のチョコとかね。
時々、あの蝋っぽいチョコが猛烈に食べたくなる。 公害問題たけなわだった頃
学研の科学と学習にお世話になった人も多いだろう
その学研に年に一回読み物だけの号があって
まあ漫画もないしあんまり楽しみではなかったのだが
読んだなかでは「赤い海」という話に感動したな
汚れすぎて世界中の海が赤潮状態の死の海になった世界の話 読み物特集号は高いうえ、通常豪で楽しみにしていた付録やまんが、お便りコーナーもなく、
ページを進めるのがワクワクするような面白い話もなく、損した気分だった。
ウチは学校経由で集金して購読していたけど、年度初めに科学が学習かを決めて、1年間続けるシステムだったから
読み物特集号だけパスすることはできなかった。
(できたかもしれないが、誰も申し出なかった)
あそこからスピンアウトして続編や単行本、アニメ化するような有名な作品はなかったと思うから、やっぱり駄作揃いだったんだろうな。 わしは内山安二の漫画が好きじゃった。
あとはアスガード7。
これ、二年間しかやってなかったのな。 >学研
やっぱ、「ひみつシリーズ」と「ジュニアチャンピオンコース」でしょ 「知らないとそん500」を読んで得意になってたあの頃 だって遊園地のお砂場でトンネル作って遊んだんだもん 反対側からも掘って開通したら中で握手するのはお約束 はたらくおじさん
はたらくおじさん
こんにちは♪
サビ部分しか思い出せない
誰か助けて ブックローンだったかなあ?
幼稚園の頃に毎月レコードの付録付いてくる教育雑誌とってたが名前忘れたな
付録のレコードだけで数十あったような記憶残ってる 丸い目ギョロリ見えるかい?
長い耳ピクリ聞こえるかい?
会ってみようよあのおじさん
聞いてみようよあのおじさん
タンちゃん、ペロ君、二人でランランラン
働くおじさん働くおじさん、こんにちは
じゃなかったかな?うろ覚えだけど。
途中からおじさんとおばさんに変わっていたよね。
「明るい農村」だけだったのが「明るい漁村」も加わったみたいな? >>105
タンちゃんベロくんから後しか思い出せないorz 今でも覚えてるってのは「口笛吹いて」は名曲だったってことか >>103
家は幼稚園の頃、東京子どもクラブ取ってたわ
お話のレコードと絵本が毎月楽しみだった思い出 あいつを はじめて 知った時
ジロリと にらんだ だけだった あれ、知らない子がどっか行っちゃったってことだと思ってた 口笛吹いて空き地へ行った〜
知らないオジサンやって来てー
(札束見せて)遊ばないか?と藁って言った〜♪
ぉぃぉぃw 一人プレイはつまらない
ホモとでも仲間になって 仲良しになろう はーてな
はーてな
どこかで見たよ どこかで聞いた
みーんなで遊ぼー
はーてなで遊ぼー み、み、みーつけたー
いいものいいものみーつけたー
なんなん なあに
なんだろねー
なんなん なあに
なんだろねー ひみつシリーズ読みまくって得意げになってたなぁ…。
「ねぇねぇ、○○って何でだか知ってる?」とか。
イヤなガキンチョだったな。 今だとTVのハナタカ〜とかソレダメ〜がそんなのにあたるのかな _Г|__
L _ | 食
`|_|// っ
ち
ヘ/> ま
> < う
∠_∧/ ど
_/L/L
| ̄レヘ / (・)・)\
| // __/⌒ヽ
|_/ | / |OO|
/ /⊥⊥⊥\_ノ
|| (
\\TTTフ|
/ ̄\二二二ノ\
(_/ \ |
/ L_)
| |
(メ\ /
⊂_| ̄|_⊃ . γ´⌒`ヽ
.γ ^ ヽ.i' i
⌒ii⌒=‐-----‐=
O.二l ⊂二⊃ ヽ それからどうした?
l //l il ヾ゛O
(⌒)‐--‐(⌒) >>124
ブウドン懐かしいw
そういえば、やっ太やデキッコナイスのAAもどこかにあったような… _
/---ヽ
,-,-、┬─┴-、-
C )`て・) l
( ) Y⌒)
`u(n` `ー'
γ _____ヽ
( ( | | | l デキッコナイス!
ゝ  ̄ ̄ ̄ ノ
 ̄Τ Τ´
,--、, -─ ', ̄`ヽ、
( ヽ / `ヽ )
>_ノ_/___ヽ__ノ
/ (_・〕〔・_) ヽ,、 ̄< できるさ!
(⌒) __ `-、' nnnn
レ´ ̄| ̄ | ヽ Cノ (⌒)`´)
| ̄|  ̄| ̄ノ ノ ├--イ
`ー二二二- -' ノ ノ
ノ └──  ̄ ノ
あったお。 ど根性帰るやトイレット博士が終わって、
「こちら葛飾区(以下略)…」が始まってしばらくしたころに
ジャンプ(というか少年漫画誌全般)を卒業したので、
(野球もスーパーカーも番長ものも興味なし)
同作の作者はずっと「山止たつひこ」という認識だった。
(いまでも、山止の方がすんなり出る。秋何とか…としか)
昭和が終わるか平成の初めに床屋か飯屋でジャンプを見て、
アレ?と思ったくらい。 >>130
その『山止たつひこ』自体を知らん人が殆どだと思いますが
俺自身は覚えているけど、俺の回りでは読んでいても覚えていない人も結構いたよ >>131
山止たつひこ時代、がっつり覚えてる。
少年チャンピオン派だったので、ジャンプを自分用に購入したことは一度もなかったけど。
(高校になったらさくっとモーニングを購入) 昔は歯の矯正というと金持ちの子しかやってなかった。
今は矯正やってる子供をよく見かける。 >>133
田舎だったせいか、歯医者は虫歯の治療の予約でいっぱいいっぱいで、矯正というものを知らなかったな。
俺の小学生時代の周囲@40年代 おバカな男子どもが影響され、女子が遊んでくれなくなった元凶のハレンチ学園と同じ作者と知って、マジンガー乙をマンがもアニメもボイコットしていた。 >>132
中川「天皇陛下バンザーイ!」
古びたラーメン屋てて読んだコミックスに載ってた
今販売のには載ってない 昔は雑誌の巻末に文通コーナーがあって、自分の名前と住所を載せていた。今じゃ考えられないな。 バンドのメンバー募集では電話番号も載せてた。
人気音楽誌だと掲載されるのが半年後。 スーパーのコーヒー豆売り場には豆を挽く機械が設置されていた >>142
それ今もあるよ。
セルフで豆挽くやつね。 今のほうが挽いた豆のパック入り販売が多くなったようには感じるね。
買う人がずぼらになったのか、保存技術が進歩して挽き売りでも美味しくなったのか。
あ、豆コーヒー人口が増えて裾野が広がったと理解するのがイイのかな。 あれ、実際使ってるトコ見たことないけど、
その場で開封して豆挽いてからレジ持ってくの?
レジ通す前に商品開けちゃうってどうなんだ
コーヒー豆をぶち撒けっちゃった人とかいないのか? そういえば見たことないな
でもあの機械って酸化された粉が付いてて使いたくないわ >>146
たぶん熱で軽くシールできる機能があったと思う 昔は日本茶を飲む人のほうが多かったからかな?
お茶屋さんも、普通に近所にあったよね。焙煎?してる時のにおいが大好きだった
それ思うと、コーヒーは、高級品、って扱いだったかも
喫茶店でも、物凄く丁寧に淹れてたし 今逆に昔と比べ敷居高くなったのはビン入りの飲み物かもな。
デカビタあたりを除いての話だが。 >>147
そうそう、使ってる形跡はあるのな
あれって、清掃やメンテってやってるのかな 電子レンジで物を温めている時、近づいて見てはいけないって言われた たぶん、ぬるぼで次の瞬間にカーン、で終わるなw
ぼ、っていうか言わない内に食い気味で カ−ン ボーリング、ほらボーリング♪
ここで一発ストライク♪ 八神純子のみずいろの雨をTVで見てサンバホイッスルを楽器屋へ探しに行った思い出 八神純子と言えば名古屋か。
八事裏山フォークオーケストラ?とかいなかったっけ? 今のオバチャンたちはみんなピンクレディーの振り付けを踊れるというが
俺はなんでか松本伊代のセンチメンタル・ジャーニーを踊れる
普通じゃありえなかった奇妙な声のアイドルが妙に気になってた >>166
踊りは大の苦手(盆踊りすら踊れない)だけど、ピンクレディーの「ペッパー警部」を初めて
映像付きで聞いてがびーん!となった。
歌は全て覚える努力をした。(レコードは買ってもらえない) >>166
俺も踊りなんて何もできないド下手だが、
松本伊代のセンチメンタルジャーニーだけは完璧に踊れる!
お前は俺か?!
デビュー当時だけ夢中になって踊りを覚えたら、
そのままずっと忘れないだけなんだがね。
若い頃の記憶力はすごいな。 がび〜ん! はどおくまんの漫画からなのは判ってるのかな 振り付け覚えちまうほど伊代の歌唱を凝視してたのか君たち… >>171
俺は後ろで踊ってたシュビデュバガールが好きだった。特に向かって左側の人。 まんまるがおのー おんなのこーはー
いーつまにー なれるって ボタン押すときゃポチっとな
スキーでリフトが空中にいくときゃ
アムロいきまーす おれはおきゃんぴーが好きだったけどな。またらあの漫才が見たい ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ ラッタッタに乗ったソフィアローレンのお尻がセクシーだったなあ ナベサダのタウニーが欲しかった
免許を取れる年になったらもうなかった
今でも中古があったら欲しい >>185
LOVEだろ
俺乗ってたし
蘭は伊藤蘭じゃなかった? 鈴木蘭ちゃんと本田タクト君が恋に落ちるんだけど両家は敵同士で、強面のお父さん鈴木刀が許してくれない。二人の友達、仁義に篤い不良の川崎絶人クンが乗り出して…
という物語を、当時妄想してた。
なお、蘭ちゃんのお母さんは鈴木薔薇。 教習所の原付教習車両が蘭だった
生まれて初めて原付にのったけどあー遅いなーこんなもんかと感じた JOGの速さには驚愕したな
最初はリミッターもなかった 冬になると店先に置いてるアイスクリームが入った冷凍庫は
ブリキの蓋で鍵を掛けられて暖かくなるまでアイスは食べれられなかった 夏の蚊取線香と冬の石油ストーブをつけた時の石油の匂いが懐かしい。 あの頃チャリンコ転がして行った
曵舟、押上、浅草の
不思議な胸の高鳴りと
荒川土手の忘れちゃいけない
毎度毎度の 草野球♪ >>195
未だにどっちも現役ですが何か?
俺はアラジン石油ストーブのブルーな火が懐かしい
お医者さん(個人開業医)は高確率でアレ置いてた
うちも2台続けて愛用してた、自動消火装置付いた仕様まで >大阪府三島郡島本町のイジメはいじめられた本人が悪い
>はよ死ねクズ
↑
イジメの加害者を擁護し被害者を「いじめられた本人が悪い」
「早く死ねクズ」と罵倒するなんて 島本町はホントに鬼畜の町だな 現在は廃止された蟯虫検査。
昭和の時代とある家庭で、幼稚園児の女の子が、「股間が痛い」とギャン泣き。
どうやら、蟯虫が帰るお家を間違えたらしくて、母親が蟯虫退治のために娘の
股間をのぞき込んでたら、父親が「なになに、どうなってんの?」と一緒になって
のぞき込もうとして、「あっち行けこのバカ!」と追っ払われたそうな。 おいおまいら
加川良が亡くなったぞ
またひとつ昭和が遠くなった… それ誰?
全然聞いたことない。
マニアックな人ですね。 大学のフォーク研究会か何かに入ってたか、
「知ってたら変態」クラスのフォークシンガーだよ。
朝日新聞が持ち上げそうな。
拓郎、陽水…岡林信彦あたりまでは知ってても、ここまでたどり着くほどの時間とレコードを買うカネを持て余していた人はそうそういない。 高田渡?
それ誰?
全然聞いたことない。
マニアックな人ですね。 改元前後にレコード屋に勤めたことがあるけど、2人とも基準在庫にも客からの注文、問い合わせででも聞いたことない。
(大学のあるような大都市じゃなかったけど、そこそこの市の地域一番店だった)
フォークブームの40年代に大ブレークしてたかどうかは知らないが、
生まれ育ちが昭和でも、レコードを買いだしたのがS.50年以降、50歳以下の人間なら知らなくても不思議じゃない。
(俺がそうだし)
それこそ大学のフォーク研究会に所属してたとか、フォーク喫茶に入り浸ってた、フォークのLPだけで100枚以上持ってそうな、
ちょと煙たい中〜高レベルのマニアしか知りえないなartistと言っていいだろう。
世の中、クラシックや洋楽しか聞かない、音楽を聞かない人もおおい
日本の風俗史として、40年代にフォークブームがあってつま恋が頂点、その代表は拓郎、陽水、かぐや姫、
その後、ユーミン、オフコース、サザンとかに流れが変わっていった、で常識として十分だと思う。
2ちゃんだから、冗談で書いてるだろうけど、
「○○しらないの?」は趣味の押し付け。かなり煙たい人だな(身近な目上なら内心苦笑い)と思う
リバーサイドホテルや少年時代が流行っているから陽水のCD買ってみようか、
レコードを聴く環境が怪しくなってきたから、CDで再発した小椋佳、泉谷、憂歌団のCDをかっておこう、
がふつうかやや上の人(スタンプカード満欄にしてくれるいいお客さん)だったよ。 >>207
QooのCMソングを歌っていたじゃないか >>209-210
はぁそうですか、ものしりですね。(棒) >>209
>>210
それは知らなかったですよ。
岡林信康がフォークの神様ならば、高田渡も加川良も
フォークブームの先駆け的な存在でしたね。 おまえら、
ビデオテープとか写真って、ど〜してる?
DVD変換してる?
懐かしい映像とかもったいないじゃん???
で、こんなトコ見つけた!
★★http://pcassist-tachikawa.jp/dvddub.html
PCアシスト立川(立川駅北口)
古いビデオテープをさ、
★持込でも★郵送でも、DVDに焼きなおしてくれるw
撮り溜め写真だって、音楽つきの映像DVDにしてくれる!
デザイナーさんがいて、
『タイトル+タイトル画』も付けてくれるw
既成とオリジナルとあってさ、
1)絵心のあるヤツは自作の絵でもOK!
2)ガキんちょの絵だって、バッチリ
3)持込の写真だって決まるぜ
PCアシスト立川〜〜〜〜〜〜おすすめだぜ!!
w 実は、VTRのテープで残しておきたいようなのは
そうはないことに気付いて放置か結局、捨ててる いつの間にか、撮ったことすら忘れてしまうようになった ビデオ内容のデータはワープロのデータ管理ソフトでフロッピーに記録していた
今は調べようにも機械がない 昔のビデオテープの管理方法ってどうやるの?ほったらかしにしていたら回らなくなってしまったけど。 磁性体はカビるから密閉容器にシリカゲルとともに
保管が良いんじゃないのかな テープ⇀dvdのダビングマシンで数百枚焼いたが、すごく時間がかかるし
画質もひどいので、そのまま見返すこともない・・・ ポールや岡林はまだまだ歌声健在なのに、佐野元春はあまりにも悲惨すぎて
10年ぐらい前にライブに行くのをやめてしまった 昔の時事フォークを今に合わせたものを聞いてみたいな
アメリカちゃん、ヘライデ、自衛隊に入ろう、黒い鞄 「自衛隊に入ろう」は「原発は廃炉」っていう替え歌になったよ。 ぐぐってみたら期待する内容(タイトルは実は皮肉で、原発廃炉で値上げ・停電・石油資本や渇水に左右されるぞ)ではなかったようだ
「東電に入ろう(倒電に廃炉)」となっていた。
でも忌野清志郎が関係しているなら、文句はいうまい 黒電話
使ったことはないが、使い方は知ってますよ
と言ってた平成生まれの新人君
受話器を上げずにダイヤルを回しはじめた。 >>238
ダサいオジンってのも聞かなくなったな。 >>245
債権としての価値はもうないんじゃね
法人の大口契約がこれを失って決算に影響という社会問題があったと記憶している 大いなる詐欺
ミンスのうちに返還命令処理しとけばよかったのに >>251
そうだ!思い出した。茹でた孫だ。あースッキリ
他は知らんわ…… 知らんわ〜…
しかしまぁ、誰が創ったんだろうねぇ。このシリーズw こんまけしたわわたしのにきび
るすにするのはははとちち >>259
鶴光のオールナイトニッポンのハガキ職人 >>260
ははとちちは逆に読んでも同じじゃねーかw 「は」が一つ多すぎて逆に読んだら変じゃないかと思ってたら、そういうことだったのか。 >>263
そうだったのかー。小学生以来の疑問が解けたよ。 >>74
若いんだなあ。
選択なんてなくてバタークリーム一択だった。
アイスクリームケーキが出た頃はもうクリスマスにホールケーキ買う年齢じゃなかった。
弟か妹がいればギリギリ買ったのかもなあ。
つまらん兄しかいないから誕生日だのクリスマスなんて全然盛り上がらない。
未だにアイスクリームケーキ食べたことない。多分食べないまま死ぬw >>271
5過ぎだよ
小学校高学年にはもう売ってたよ カステラが嫌いでケーキが食えなかった
なのでアイスケーキが出たときは嬉しかったなぁ
今では食べられるが、あまり好きではないので
自分から手を出す、買う。と言うことはしない。 >>275
昔はインチキバタークリームケーキばっかりだったので、ケーキとはおいしくない物だという
先入観が出来上がっちゃってた。 >>274
えーーーーーーー、都会でリッチなお家のご子息なの?
じゃあ私が小学校低学年の時には?
もしかして船橋市は田舎だからそんなおしゃれな物はなかなか
やってこなかったのか?目の前田んぼだったしねー。
>>275
カステラの下のザラメっぽい所好きだったなあ。
今や一口も食べないけど。 梅雨時期に半年先だか前だかの話するのって、何だか大人でいいなあ。
ケーキ本体も不味かったけど
湿気ったウエハースの家とか、口腔内で全く溶けないチョコレートの家、なんかチューイングキャンデーのようなプレート、ジャリジャリしたサンタ等々…飾りがまた不味いのなんの。 おまけにゼリーで出来たインチキチェリー(本物みたいな砂糖漬けチェリーじゃないの)
には歯の詰め物を持ってかれるし。 あのチェリーもどき赤と緑があったよねw ドレンチェリー
アンゼリカとかあの頃ああいうのしかなかったからw
自分に美味しい楽しいと言い聞かせて自分を騙して食べてたようなw?
いとこたちと合同クリスマスとかはすごく楽しかったな。 ドレンチェリーも本物はおいしかったのよ。ゼリー製のはあくまでも偽物。
ついでに、日本のアンゼリカは蕗で作ったなんちゃってアンゼリカ。んぎぎぎぎぃ。
ドレンチェリーで思い出したんだけど、遠い遠い昔の記憶で、洋酒入りチョコレートを
それと知らずに駄々こねて泣き喚いてねだってねだって買ってもらった記憶があるの。
ロッテのラミーかバッカスだったんだろうなあ、と思ってたんだけど、つい最近、明治の
チェリーチョコらしいと判明しました。
こんなもんを幼稚園児の目に触れる場所で売る店も店だが、食べられる年になったらもう
生産終了してやがるのがまた憎らしい。 いまでこそ馬鹿にされるそれらのケーキを楽しみにして食べていたオレの貧乏舌
ある意味幸せだったわ
今は頭でっかちになってしまったからなあ ウイスキーボンボンとか小さい時から普通に食べてたよw
あれ結構好きだった。平気な顔して食べてるから親も気にしてなかったなあ。
洋酒入りのビンみたいな形したチョコも食べてた。
あとケーキに銀色の小さい球がちらばってたよね。
仁丹って呼んで食べてたけど。 >>284
洋酒瓶みたいなのに入ってたのは今はもうなくなってるコビトというメーカーの洋酒チョコ。
駄菓子屋でも扱ってるくらいにはアルコール度が低かったみたいなので大目に見られてたのかも。
おいらのチェリーチョコ騒動の時は、当時の価格で100円近かったからそれもあって母が不機嫌だったのかも
と思います。 白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫は三種の神器といわれてるけど
当然俺が生まれたときにはすでに家にあった
子供の登場した中で特にすごいと思ったのは
電子レンジ、ビデオ、TVゲームかな TVゲームというかファミコンだな
ファミコン登場前もTVゲームはあったが
本体に内蔵している数種類のゲームしか遊べなかった
それが
カセットを変えることにより無限に選べる
これは衝撃的だった。 >>286
そこにテレビゲームが挙がるようでは、なにかで学んだ過去として昭和というくくりで十把一絡げにしている感。
その神器群は昭和といっても、30年代限定のはなしで、40年代には、ほぼ必需品になっていた。
40年代は、電卓、炊飯ジャー、冷水機つき冷蔵庫、いや餅つき機かな
あと、カップラーメン、れとるとかれーの登場
エアコンやビデオ、電子レンジは、40年代にも存在したけど、まだ高値の花。テレビゲームは、中学に入るかどうかの頃に、テレビテニスがアーケードに出たくらいだったな。
40年代に物心ついた俺としては。
50年代は、ぶら下がり健康機にルームランナーと美顔器かな。 40年代は、一般的には3cの時代だろう。
でも、生活にインパクトがあったのは保温ジャー付き炊飯器とか二槽式洗濯機とかの地味な改良だろうな。 >>286
自分もTVゲームとビデオは特に印象深い
ゲームといってもバーを動かすだけのブロック崩しやテニス、サッカーとか単純なものだったけどね
あと画面に映るブロックを銃で撃つなんてのもあったな >>287
> ファミコン登場前もTVゲームはあったが
> 本体に内蔵している数種類のゲームしか遊べなかった
それ以前にもカセットビジョン、アタリ2600等、ソフト交換式のハードはあることはあった
中でも特筆すべきはトミーのぴゅう太で、
8ビットのファミコンがデビューする一年前に16ビットが世に登場していたという点
これらが当時の子供たちのスタンダードにまで成長できなかったのはわけがあって
カセットビジョン
→安価ゆえにそれなりに普及したが、所詮は4ビットでサードパーティなし
テニスゲームの大型ダイヤルをのぞいてキャラ移動は左右の二方向レバーのみ
アタリ2600
→日本上陸時からクソゲーが氾濫し、どれを選べばいいのか分からなかった
おまけに英語表記のままなので子供には不親切
ぴゅう太
→いくら当時最新の16ビットとはいえ6万弱という設定はオモチャには高すぎる
サードパーティもなく、当初から発展性が期待できなかった
もしもカセットビジョンにサードパーティがついて、4方向移動できるコントローラーがあれば、
もっと善戦していたと思う >>286
自宅の洗濯機が二層式から全自動になった時ちょっと感動した。
夏休みとかは洗濯の手伝いとかよくさせられてたからかも。
TVゲームやファミコンが自宅にあったことがないので、感動しようがないw
兄がほしがらない物は基本的にそのままないんだよね。
私もファミコンってなんだかよくわかんないから欲しがらなかったけど。 うちは買い換えても二層式だな
洗濯物が多い場合は二層式が経済的だと聞いたけど今は違うのか 前にも触れられてるけど、二槽式洗濯機が出た時のインパクトは大きかったと思う。
ローラー式脱水機は正直役に立たなかったので、洗濯物は干す時にいちいち絞らねばならず、手間もかかるし乾くのに時間もかかった。
それが機械に3分かけるだけで水滴が落ちなくなるくらいまで絞れるようになった。 >>294
うちは全自動洗濯機だね。こいつをバケツを用意して使う。
毛布が洗えるし、全自動モードにしなければ二槽式洗濯機と全く同じ使い方が出来るのだ。
(まず洗濯モードで代物を洗い、白物をバケツに引き上げて色柄物を洗濯モードで洗って少々脱水して
別のバケツに引き上げる、次に白物をすすぎモードで…とやって最後に全て脱水) >>297
その利点は認めるが、おうちで毛布が洗えないのが困る。 毛布モードで洗ってないけどw
ぶっちゃけ毛布などの大物は洗うことより脱水できるかどうかのほうが大事。
でも子供の頃毛布とか洗ってた記憶ないw
クリーニングも出してないと思う。
昔はあまり洗濯しなかった。服も下着だけ替えてまた着てたし。
服は枕元に畳んで置いておくんだよね。 コインランドリーや家庭に、毛布も洗える大型洗濯機やエマールのような洗剤が普及して、
個人経営のクリーニング店が軒並み店仕舞いした。
チェーン店も規模を縮小してる。
うちが最後にクリーニングに出したのは何年前だったろうか。 クリーニングは逆に伸びてると思うけどなあ
共働き増えてスーツの手入れやアイロンがけ大変な家庭も増えてるし
とくに最近は宅配が増えたよ
個人店でも配送&引取やってて固定客になってる人増えてきたよ
商店街が縦横無尽にあるような地域だけど、クリーニング屋はあまり潰れた印象ない
ほぼ姿を消したと言っていいのは日用品店、薬局(DSじゃないやつ)
食料品店も潰れたところ多いけど、一方でいつでも客がいる人気店も多い
結局、時代のニーズに合わせて変化してる店は生き残るんだよね
近くに大型店舗あっても関係なく繁盛してる店も多いし うちの近所にあった三軒は店仕舞いしたし、大手二軒も撤退した。
ちょっと離れたところにあった、小学校時代のクラスメイトの個人店も閉店。
その代わり、コインランドリーは増えてる。 クリーニング店といっても二通りあって
自社で全ての業務を行う所と、窓口業務だけを請け負う所(客から預かった品は外注に委託)
増えてるのは後者の方じゃないかな
基本的に自宅の一室を改造すれば誰でも始められるから うちのほうはクリーニング店健在だけどなあ。
コインランドリーも増えたけど。
そんなにみんな自宅で何でも洗うようになったとはとても思えない。
アイロンかけがまた面倒だし上手じゃないと台無しだし。
大きな毛布なんかは車持ってる人はコインランドリー行くだろうなと思うけど。 うちの近くもクリーニングはたくさんある
コインランドリーは潰れたところも多い
銭湯併設のとこが多かったから銭湯が潰れる時に一緒に潰れたんだよね
今じゃたぶんクリーニングはコインランドリーの3倍以上あると思う
コインランドリーは犬飼ってる人がペットの物はコインランドリー行くと聞いてドン引きした
家で洗いたくないものをコインランドリーでって人がいると知ってからは、ちょっとね 昔はコインランドリーといえば銭湯に併設されてることが多かったけど、
銭湯激減したし、今は普通にマンションの1Fとかだね。 ほらごらん・・・おちんちんが出たり入ったりしているよ・・ 2つに割れるアイスキャンディーか。懐かしいな。小坊の頃友達と分けあって食べたわ。 妹にと分けあったりしたな
片方が微妙に大きく割れた方をあげたりして 子供の頃は「大きい方を人にあげる」と言う発想は全くなかったな。 手紙書いていてふと思い出したけど、そういや昔「宛名書き」の仕事ってあったよね
やった事はないけど、よく雑誌に募集の広告が載ってた うちの母は「映画スター宛のファンレターに返事を書くバイト」をしていた。
誰でも名前を知ってるあのスターにこのスター、返事の内容からサインまで、全部母が捏造していたそうだ。
たまに本人がサインすると「友達が持ってるのと違う。ニセモノじゃないか」とクレームが来たとか。 >>323
たぶん映画スター本人や所属事務所あたりから公認で委託された業務だろ?
それを「ねつ造」と言い切るのは不適切かも
部下がワープロで作成した文書に社長のハンコつけばそれが社長(公認)の書類になる
法隆寺を実際に建てたのは大工さんだけど一般的にはそれを指示した聖徳太子である
それと同じことじゃね 捏造は言い過ぎだけど、「スター自筆の手紙とサイン」を、内容も筆跡も他人が書いてたんだよ。
「スターが書いた手紙を清書して、スターがサインをする」んじゃない。 >>326
言いたいことはすんごい分かる
でもその文章の内容やサイン代筆も丸ごと含めてスター本人と事務所あたりは公認で委託していたんでしょ?
ある意味あなたの母親、相当信頼されていたとも言えるのでは
別なたとえ話すると、原宿で一時流行ったタレントショップってあったじゃん
本人はほとんど不在でもタレントショップとして嘘偽りはないだろ 本人の親族が「捏造してたw」と笑い話にしてるんだから、それでいいじゃないのよ 昔ファンロードで、「リングにかけろがアニメになるって本当ですか!?」という手紙付きで原画用紙らしき物が送られてきてた。
編集長氏は、「出所がどこかは判りませんが、このサイズの用紙をテレビアニメに用いることはあり得ない」とコメント。
これ、一体何だったんだろう。
そう思ってたら、つい最近杉作氏の漫画で、「セル画塗りの内職を家族でやった。タイトルはリングにかけろだったけど一向に
放送される気配がない、詐欺だった」という体験談が描かれてて、「あ、これだったのか」と思いました。 ろくに学校に通ってなかった明治生まれの落語家のサイン色紙も弟子やせがれが書いたのがまざってる
古今亭志ん生の色紙で金釘流なのはおそらく真筆
達筆なのはせがれの金原亭馬生の手によるものですな 球場のお土産屋さんで売ってる直筆サインボールは、それ専門のおばちゃんが描いてるんだってね >>330
志ん生らしいエピソードやね。文楽、圓生はなかなかの達筆 >>321
必ず兄に強奪されてたから大きい方は人のもんだと早くから思ってたなw
>>330
昔は小学校中退レベルが結構いたから、昭和の時代は
かなしか書けない高齢者なんてのはそう珍しくもなかったな。
読めるけど書けないのは普通に学校行った人間と同じだ。 >>331
今はどうか知らないけど昔の大リーグのスター選手には、
選手それぞれに専属の「サイン代筆係」がいたんだってね。
「今日はこれだけ書いてくれ」って箱をいくつも渡されるんだとか。
直筆のと筆跡が違うといけないから正確に真似できる人がやっていた。 >>335
ない。
覚えがあるのは、サングラス部分が青か緑の樹脂製だった。 >>338
昭和50年前後だったかな
こんなの持ってたよ
何のためにメッシュなのか未だにわからんけど 今考えると、アレ付いてる合理的な理由って
相当に怪しいよな
キャップ一つで人相を隠す為の物なのかも >>338
有ったなー、それ。
あと、小さなサイレンと言うか、笛みたいなのが付いた帽子。
友達が持ってて、オレも欲しかったは。 >>335
覚えがって言うよりそれが普通。
今の野球帽にはないのか。 メッシュは砂塵から目を保護するためじゃなかったか? メッシュじゃなくて、左右色の違うセロファンだった。 >>345
> メッシュじゃなくて、左右色の違うセロファンだった。
絵が飛び出す眼鏡ね
小学舘の学習雑誌の付録についてた 自分のガラケーではしょうがっかんと入力すると小学舘になる
Pケータイ
なんなら機種名書くから店頭で、実機に入力したらわかる
ちなみにしんせんぐみも新撰組しかない
新選組と書きたい時はいちいち新選と変換入力したあと、組を入力する しょうがっかん、て…
耳で聞いた言葉で変換する馬鹿があるかよ
こいつ、せんたっきとかたいくかんで変換しようとして変換出来ないってわめく馬鹿じゃね?
しょうがくかん、で変換しないあたり、バ韓国人かよ いい年した人でも ゆった とか書く人いるもんねw
そうゆう人 とか。 そう言えば、すくつ(巣窟)とかガイシュツ(既出)とかの2ch用語って見掛けなくなったなぁ。 syougakukanの「u」を打ち損ねてsyougakkanになったって話じゃないの? それを言ったら斎藤さんも「サイトーさん」と呼ばれたら「俺はサイトウだ!」と怒らなきゃならない >>354
> そうゆう人 とか。
逆におたくは
動詞『言う』の終止形は、文字の通り『イウ』と発音してるの?
それとも音便化した『ユウ』と発音してる? 捨てるが「ふてる」だったり、しつこいが「ひつこい」とかあるじゃん
まあ、話言葉と文章では違ったりするからいいんじゃないか >>361
どっちにしろ、たいしたことではないということ
2ちゃんで、
言う、と書こうと
ゆう、と書こうと
学校や職場ではまずいけどね ここと一般社会の区別すら出来ない馬鹿共が蔓延ってるから問題なのだ >>362
それは江戸弁だから、「言う」を「ゆう」と言ったり書いたりするのとは違うだろw そこまでゆー 早見優 北天祐引退 ラー油 醤油 アイラブユー 平成も来年で終了だっけ?
と、なると
昭和は二つ前の年号になるわけだ
俺にとっての明治と同じくw
年を感じるな〜 「あきなめるな!」「なきなめるな!」
しまぶーの新作より 昔は壊れた橋があった。木と土できた橋で10メートルくらいある。
橋の一部が崩壊してて穴があるのでそこはよけて通る。夜はかなり気をつけないと危ない。 金で未成年を抱いた人間性は糞だけど
タケシもトリコも面白いし好きだ
作家の人間性と漫画家としての才能は比例しないとつくづく思う
犯罪者の漫画がヒットしてアニメ化もしたとか
真面目に地道に漫画を描いてても売れない奴らは悔しいだろうな 小学生を買ったら死ねというか死刑でいいと思うけど、
高校生相手ならなんとも思わないわ
どうせ売りやる女子高生なんて底辺DQNなんだし なんと言う暴論
高校生相手なら罪を犯してもいいとか
お前の思考回路は犯罪者予備軍じゃん
お前もしまぶー同様のクズだな じゃあどういう話なの?
成人しているとか30過ぎてるとかならまだわからないでもないけど。
そもそも小学生でも自らネットでオジさんと仲良くなって家出するようなのは
ドキュじゃないのか?
高校生の時って身長なんかは大人なんだけど中身はさっぱりなんだよね。
圧倒的に経験も足りないし。 >>379
> 高校生相手なら罪を犯してもいいとか
横から失礼します
暴論はおたくじゃないの?十代の売春(買春)と、十代をレイプするのを同列に語ってる 今は何でもかんでも、十代相手なら罪に問われるけど、いつの時代でも身体でお金を稼ぐ女は存在していただろ。
有名な昭和の連続殺人の被害者の1人も、女子高生(売春してた) 今でも、自分の意志で売春する未成年はいるけど
男のほうが逮捕されてしまう。
ニュー速などで結構そういうのがある。
まあ時代の流れだから仕方ない >>386
成人女性が未成年男子を買ったって成人女性が逮捕されるでしょ。
そのパターンがほとんどないだけで。 >>387
男子中学生に手を出して、「私たちは愛し合ってただけなのに!!」と泣き崩れた女性教諭という事件があったな。 逮捕されたオッサンの言い訳にも真剣交際、結婚考えてるだとかってあるねw
だから何なんだよ。 >>388
フランスの新大統領なんかアレだしねえ… >>391
未成年は本人の承諾だけじゃ出来ないけどね。 18だろうが60だろうが100であっても俺たちには関係が無い 昭和のトリオ、白影(牧冬吉・1930年生まれ)赤影(坂口祐三郎・1941年生まれ)青影(金子吉延・1955年
生まれ)と、平成のトリオ、神田署長(北村総一朗・1935年生まれ)袴田課長(小野武彦・1942年生まれ)
秋山副署長(斉藤暁・1953年生まれ)がほぼ同世代と知って驚愕した今日この頃。
特に、袴田が赤影、秋山が青影とほぼ同い年と知った時は鼻水が出るかと思った。
赤影トリオの存命者は金子吉延のみで、もう一方の昭和トリオ、直撃地獄拳組の存命者は千葉真一
のみ。
なんだか切ないなあ。
平成のトリオは長生きしてほしい。 ちなみに、秋山は忌野清志郎より年下で、三ツ木清隆や栗本薫と同い年。 …ということは、昭和40年代初頭の子供番組のあの子やこの子も、みんな還暦越えなんだなあ。
既に、コメットさんや悪魔くんやバロム1の子役さんは死者も出てるし。 >>398
坂口祐三郎さんは子供の頃何かと苦労が多かったようだね
芸能界で活躍したあと、若くして交通事故で亡くなったんだっけ
昔のドラマ「新選組血風録」にも隊士役で出ていたな
牧冬吉は往年の人気ドラマ「隠密剣士」に忍者役だったか
バイプレーヤーとしてあちこちのドラマで見た >>401
それもそうなんだが、物心つく前から親しんでいた(再放送時にはもうおなじみ)声優さんらが近年続々鬼籍に入られてて、訃報聞くたび寂しい気分になるよ。
星一徹、トラひげ、伊達直人、ジャングル黒ベぇ、ハクション大魔王、目玉おやじの声の人、スナミちゃん、ロバ君の中の人・・・。 >>402
62歳の時に脳幹出血で亡くなられてます。>坂口祐三郎氏
ちなみに、牧氏と坂口氏の11という年齢差と、踊る大捜査線の小野氏と斉藤氏の年齢差は同じ。
40過ぎるとぱっと見ではどっちが年取ってんのか判りづらくなるとはいえ、赤影に置き換えると、
赤影が白影の一歳年上という設定でやってるんだね。
そう思いながら見てみると、小野氏の肌があからさまに老けてるし、斉藤氏も時々、表情や仕草が
「あれ?」って感じるほど「この年の人はこんな幼い立ち居振る舞いはしないでしょ?」ってなる。
人間が肉体で演じると、どうしても演技ではごまかせない物が出るんだなあ。
余談だが、アニメの「銀河鉄道の夜」で、おばちゃんおっさんに混じって、子役の男の子がアフレコ
してんだけど、この子(菊池英博氏)が誰の役で出てたかというと…
なんと、家庭教師の青年役だった。
おばちゃんが幼児や少年やるのはアニメでは当たり前だけど、声だけの出演というのはこういうことも
出来る。 >>404
あ、訂正ありがとうございます
勝手に早死にさせてしまって申し訳ありませんでした ドリフの長さんが亡くなったときは、お祭り(失礼)騒ぎになったなぁ
今後、そんな人は出てくるのだろうか? >>406
不謹慎な話かもだが、桑田(サザン)、たけし、タモリ、さんま、志村、加藤茶等々、かなりいると予想 長さんがギャラをかなり多目にぶんどって、残りを他メンが折半してた恨みで、
長さんが入院した際に、メンバーの誰一人として見舞いに行かなかったらしいじゃん
ファンには惜しまれて死ねたけど、仕事仲間からは疎まれて死んだ ドリフのコントで「もしも威勢の良い銭湯が有ったら」ってのが有ったが
みんな嬉々として長さんを湯船に突き飛ばしていたな。もうやりたい放題で。 >>409
必要経費は長さんの懐から出てたので、それをさっ引いたギャラの金額は、他のメンバーよりちょっと多いかな
という程度だったという…
>>410
ハナ肇の銅像コントでは、「先輩だから」と手加減すると「真面目にやれ!」と怒られたという。
キントト映画コントも、あえて一番下っ端のなべおさみに殴り役をやらせた。 長さんが亡くなった時はなぜか大泣きしてしまった
小学生のときのいろんな思いでが蘇ってしまって
あとキャンディーズのスーちゃんのときも悲しかった 最近、誰が故人で誰が存命なのか分かんなくなってきた そういや、昭和の子供番組には子役が一杯出てたし、子役が主人公の特撮もいっぱいあったのに、いつの間にか
無くなっちゃったね。
現行のキュウレンジャーには出てるけど主役じゃないし。
やっぱり危険なスタントが出来ないから食い足りないのかなあ。
最後の子役主体の特撮は、フジテレビで朝にやってた不思議コメディだったっけ。 >>412
スーちゃんの葬儀で流された肉声テープは悲しかったなあ。
弱々しい声で「私、もっと生きたかった、もっといろんな役を演じてみたかった」って。
芸能人が亡くなってボロボロ泣いたのって、あの時だけだよ。 >>413 >>416 だいじょうぶ、もうすぐ君らもその仲間 そういえば実生活では「モル」も使わないね
何の単位だったかも忘れた >>966
モルは物質の原子や分子の数の単位。
実生活で使うことはないのはファラドとかオングストロームとどっこいどっこい。
仕事じゃ毎日当たり前に使ってるけど。 >>420
水18グラムが沸騰したら224デシリットルの水蒸気になると知って驚いたものだ 残念。100℃の水蒸気だと373/273倍ほど体積が増えるのだ。 >>414
今は学業を優先させるようになったので撮影に時間のかかるドラマには使いづらいのもある
ケンちゃんみたいになってほしくないからね >>418
糖尿病になったら日常的に使うよ
血糖の測定値をmg/dlで表記するから >>422
ちょっと待て。沸騰させた場所の気圧は101.3kPaなのか? >>418
> 算数の教科書でしか見たことがない「デシリットル」
俺も以前どこかのスレにそれ書いたことある
ホントにデシリットルって、小中学生だけの言葉だよね
ミリの次の位がデシになるんだっけ
昔は覚えていたけど、もういろいろ忘れたな マジレスすると「デシ」「センチ」「ミリ」等はSI接頭辞といい、俗に補助単位と呼ぶこともある
dL(デシリットル) = 1/10リットルの意味 = 10倍するとリットルになる
例 3dL = 0.3L = 10倍すると3Lになる
cm(センチメートル) = 1/100メートルの意味 = 100倍するとメートルになる
例 240cm = 2.4m = 100倍すると240mになる
mg(ミリグラム) = 1/1000グラムの意味 = 1000倍するとグラムになる
例 600mg = 0.6g = 1000倍すると600gになる >>429
残念だったな。ミリバールは打ち捨てられてヘクトパスカルに代わったんだ。 リットルとccで用は足りるからな
っつーか、考えてみるとデシリットルなんて役立たずだよな ドイツはエンジンの排気量をデシリットルで表現してるよね >>432
あの時は本当にショックだったわ
今にして思えば500円札が500円玉になった時くらい衝撃を受けたわ 足摺岬では、北西の風
風力4 晴れ
1009ミリバール…… 牧冬吉さん、近所に住んでたわ
晩年は奥様が経営してる飲み屋を手伝ってたみたい
実家の押し入れを片付けてたら、小学生の頃のカセットテープが出てきた
欽ちゃんと真屋順子さんのデュエット曲や、加山雄三っぽい声で「フィジーにおいで〜♪」とか「オーマミ 、オーマミマミ♪」って得体の知れん曲が入ってた
ラジカセ買ったばかりの時は、なんでもかんでも録音してたなあ 商店街で、幼稚園くらいの男の子が大きい声で「なーなー、レオの弟なんて言うか知ってる?」って言っててね。
…おばちゃん、思わず「アストラ!」って言っちゃうところだったよ、もう少しで。 あのころのテレビ番組は乱暴だったね
初代ウルトラマンが 「アストラをコロす!」 などと口走るという >>440
21世紀の子供がレオを知っている
(最近はゲスト出演が多いから知名度が高いのか?)
おばちゃん(女性)がアストラを知っている
衝撃スレに書きたくなるようなレスだw >>442
第二次ウルトラブーム直撃世代のおばちゃんは、ちびっ子の頃テレビで、シルバーブルーメがMACの基地を
襲撃して全滅させるのを見て、「セブンは!?セブンはどうなっちゃったの!?」って衝撃を受けたんだよ。 >>444
えっと、それってオバちゃんと言うよりオバアr y >>447
そう言い切るところから見て同世代ですね そういや西武のことをレオ軍団って言ってるけど
手塚センセは「あのキャラクターはレオではありません パンジャです」って言ってたんだね
レオが成長した姿でも決してなく 手塚センセに言わせれば西武はパンジャ軍団 レオ軍団
あと数年するとウルトラマン系になるのかな? スーパージェッターの流星号応答せよってやつ、当時は荒唐無稽な話で、
遠い未来とも思えなかったのに、自動運転や音声認識にAIで
現実になりそうな勢い。
ナイトライダーはもうできるんじゃない? たまげたくんのタイムマシンは、無意味で冗長な音声認識パスワードによって動く機械だったけど、「音声認識
パスワード」「無意味で冗長であること」という概念が脚本家を含めた一般人になかったので、「不思議な呪文で
動く」「人間くさいので時々逆らう(音声認識機能の不具合による誤作動のこと)」と表現されてた。
当然これは、石ノ森氏が最新の科学雑誌の記事を読んでたということ。
これをここまで下らないギャグに使うとは。
あと、ロボプーのエタノールエンジンと、適応した機械に用いないと腐食するという、これも当時の最新科学ネタ
をギャグに突っ込むこともやってた。 >>453
流星号はクネクネと車体を捻ってすねたり誉められると喜んだりするのが可愛かった >>451
レオのED
「宇宙に煌めくエメラルド〜地球の最後が来るという〜」って歌詞が
ノストラダムスとタイムリーにはまってとっても怖かった 昔は時代劇多かったし好きだったな
1番好きだったのはぶらり新兵衛道場破り
子連れ狼も好き。水鴎流同田貫
中村敦夫の水滸伝はみんな見てた
遠山の金さんは松方さんよりやっぱり中村梅之助が好き。もちろん伝七捕物帖も。ヨヨヨいヨヨヨいヨヨヨいヨイ、めでてぇな
さすがに今は大河ドラマ以外では時代劇はほとんどなくなりましたね 東映のヒーロー番組のフォーマットは時代劇(江戸時代の剣劇芝居小屋)なんだけどね。
「白馬童子」のOP、今のライダーや戦隊にそっくり。 昔の時代劇は面白かったからね
封建的な時代、体制の中で虐げられて、
どうしようもない人や、
逆に体制、表社会に服わぬ人を描いてて
元々、時代劇って反体制なものだった。
それが毎回、予定調和でワンパターンな物に変わって、
年寄りしか観なくなってしまった。
必殺もそういう時代劇のアンチテーゼだったのに
マンネリ化してしまった。
水戸黄門も初期の頃の物を観ると面白いのね。
物語が二転三転して予断は許さず、
後のマンネリ化したものとは全然違う。 >>459
しかし時々とんでもないアヴァンギャルド設定もある
某将軍ものだったか彗星が地球にぶっこんでくるやつおもしろかったよ
一応史実だけど、画面が超低予算SF映画のノリでさ 阿片ネタで薬におぼれた女が裸になり。。。ってのはどのシリーズでもあったな 初期のドラマは生撮影だったんだよね
だもんで進行通りに進まなくて物語の途中で
いきなり「完」とか出て強引に終わってたとか
昭和時代の番組、ドラマでもバラエティでも音楽番組でも
今見るとハイクオリティでスタッフのプロっぷりが堪能できるけど、
全てが生で進行してた時代はもっとすごいんだろうなあ
さすがにその時代の撮影データは少ないのか、現物見たことないけど 徹子の部屋も古いのは音声のみだったりする
昭和50年代でもそうだったからな ムー一族とか昔に倣ってとかで何度か生に挑戦してて面白かったね 水戸黄門等の時代劇が、フィルムからテープに変わって重厚感がなくなった気がする。
ビデオテープ撮影の初期はテープを使い回したので、貴重な放送の記録がテレビ局にないという展開になった。今になって個人の録画VTRなどもかき集めてアーカイブズを作ろうとしているが、テープ化の時に気がつかなかったのかな。 >>463
いや初期のテレビはドラマも生放送だったんだけど?
知らないの? 昭和15年の時点で、試験放送を行って、生放送のホームドラマをやってたりした。
当然映像は現存してない。
(写真は残ってるよ) ちっさい頃にバス通り裏とかいうつまんないドラマを家族がよく見てて、
つまんねえドラマやってるなあと思った記憶が。
おはなはんとかいう朝ドラかなんかも子供にはつまんなかったな。 以下は俺個人の完全な推測なんだけど
音→磁気テープ
静止画→ネガフィルム
この二点は早くから技術が確立されそのフォーマットも永らく不変だったのに対し、
動画は磁気にせよフィルムにせよ様々な記録方式がある上に互換性に乏しい
なので放送局をしてもライブラリ化が困難だったのではと思っている テレビ初期当時のCMも続けてそのドラマの俳優さんとかが生でCMした >>469
録画放送すれば編集できてリスクも少ないのに、なんでわざわざ生で作ったんだよ。
録画手段が使えなかったからだろ。
そういう番組の録画が、資料としての記録映像を除いて、どうして存在できるんだよ。 >>471
62か63くらい?
おはなはんは超人気番組だったよ
樫山文枝が一躍人気女優に。
バス通り裏もテレビドラマ黎明期の有名なドラマ
十朱幸代が出ていたらしいがそれは自分は覚えてない
どちらも自分にはおもしろかった
おはなはんはその後映画化され舞台でもやった NHK少年ドラマ
ビデオ撮影だけど、画面はフィルムっぽい。
ビデオの解像度が低いからか? >>476
ビデオがものすごく高価だった頃、テレシネだったかな、
テレビの画面を8ミリか16ミリのフィルム動画カメラで
撮って保存してたという話を聞いたことがある。 金曜ロードショーとかで映画画像の縦横比が圧縮されたオープニングがよく有ったな。 >>477
{チロリン村とくるみの木」「ひょっこりひょうたん島」の現存映像は、そうやって保存された物(キネコ)だそうですね。 チロリン村とくるみの木は、民放の「おーいチロリン村だよ」も含めて完全に終了してたのに、駄菓子屋では
チロリン村ガムが売られてた。(昭和50年代初頭)
ひょっこりひょうたん島のトラヒゲやライオンのコインライドも見たことがある。 ひょうたん島は井上ひさしが書いてたんだよねえ
毎日番組の終わりに
「作 ・ 井上ひさし」と出ていたのをただ漠然と見てた
その10年くらい後に
作家井上ひさしが直木賞を受賞したというニュースがあった
最初は全然わからなかったが
作家プロフィールに、ひょうたん島の脚本書いてたとあったので
「あ!あの人か!」と思った
受賞作「手鎖心中」はすぐ買って読んだな ちなみに、架空人物の葬儀の第一号は力石徹ではなく、チロリン村とくるみの木のニンジンレッド。
中心になったのは、当時の大学生達だったとか。 田舎だけど2日に1度の割合でTVの映画番組が有った >>485
猿の惑星を正月にNo.5迄毎日放送が放映するって新聞に書いてて楽しみにしていたけど毎日放送系列の地方局では放映してくれなくて残念だったよ 大脱走とかターワーリングインフェルノとかよく放送してたねえ 冬の長い地域だったから冬休みが長い分夏休みが短かったおかげで
海のトリトンも妖怪人間ベムも最終回が見られなかった 夏休みが8月25日までしかなかったのは覚えてる
冬休みいつまでだったか覚えていない 長野県は8月20日頃までだったかな?
お盆明けの平日に家族旅行で長野県へ行き
俺一人で街と言うか駅前をぶらついていたら補導されたよ 寒冷地以外の一般地域の三学期の始業式は1月8日だよね 長野県は農繁期の5月と10月にまとまったお休みがあるので夏休みは短かった 漫画なんかで夏休み最終日に山のような宿題をヒイヒイ片付けるシーンをよく見かけたけど
うちの地域の学校じゃ宿題出されたことなかった。読書感想文とか工作とか出したい生徒が
自主的に提出していた >>493
農繁期とか農閑期という言葉、久しぶりに聞いた気がする >>495
だいたい8月31日の新聞の四コマ漫画のテーマがそれだったな
家族総出で、息子の宿題を仕上げる、みたいな図
ああいうのは漫画の中だけなのか、実際にいるのか、子供の頃すごく謎だった >>497
うちの親は「ぜーったいに手伝わないから、自分だけで何とかしろ」というスタンスだった。
宿題はやり忘れがあってもほんの一つか二つだったので何とかなった。
絵と工作は大好きだったし、当時の学年誌には夏休みの工作のレシピが付録についてきたりして
便利だった。 そういえば学研の科学と学習ってのがあったな
私は科学の方が欲しかった(付録が面白そうだった)
しかしなぜか親は学習の方を買ってよこした
もちろんつまらなかったからやらなかった 姉は理科系が弱く、親が科学を買ったのだが
姉は全然読まず俺が読んでいた。
てっきり俺用に科学を買ってくれたのかと思ったよ。
東京の学校は難しいことを勉強しているんだな。と思いつつ読んでた。 夏休みが25日までって東北はほとんどそうでしょ。
8月31日に、9月1日に自殺する子供が多いから考え直してとテレビで言ってたけど、
東北だとその日は8月26日なのよ。
だから8月31日に放送したらもう遅いのよ。 それはしょうがないんじゃ
8月31日にテレビで「夏休みの宿題は終わりましたか?」とか言うでしょ それを言うならテレビは土曜日含めて明日から3連休とか言うことが多すぎる
毎週土曜日休みじゃない会社もあるのに >>502
それが東北じゃ言わないのよ。
それを言う時間はローカルニュースに切り替わるから。上手くできてるのよ。
でも9月1日の自殺の話は全国放送枠で放送だから、ズレが出るわけよ。 >>502
東北じゃ8月26日に、今日から新学期が始まりましたってニュースが一斉に放送されるのよ。 ま、メディアは東京中心だからね
それを補完する存在が各ローカル局
地元の話題を取り上げる 俺が子供だった昭和中期〜後期って、買い物行っても98円とか128円みたいな1円単位の品物って無かったわ。
だから一円玉の存在が不思議だった。
まさか一円玉がここまで蔓延るとは。 1円玉や5円玉なんて主婦の財布位にしか入っていなかったな。 でも1円玉も5円玉もお財布に入ってたけどなあ。
>>501
東北はもっと短いと思う。
親の趣味に付き合わされて子供の時は登山してたけど
こっちが親に連れまわされて山登って降りてくるともう現地の子は学校行ってるしw 駄菓子屋に行くときの所持金はいつも15円
5円でくじが引けた >>510
俺は100円だったな
50円のジュースと50円のお菓子
もしくは100円のお菓子で、あとは公園で水を飲む わしは1日10円。
最低価格の品物は、袋入り粉末ジュースの一袋5円。
この頃はまだ三枚10円のフーセンガムがあった。
土日は駄菓子屋が休みだったので、週に50円前後もらってたことになるから、毎月200円前後が幼少期のお小遣い。
アイスが食べたいときは、20円もらってた。
どうしても30円か50円のお菓子が食べたいときは、その週はお小遣いをもらなかったような記憶もあるが、もう40年
以上前のことだったのでそこら辺はもう記憶があやふや。
雪印や森永のアイスは、高いので小学校入学までは自分のお小遣いで買った記憶がない。
(その頃には町のジュース屋さんが廃業もしくはアイスを辞めてた)
それ以前は町のジュース屋さんが売ってる、チューチューやゴムに入ったタマゴアイスなど。
マッマは、小豆アイスや甘酒アイス以外はただの凍らせた色水なのに…といい顔をしなかったが、小豆アイスや甘酒
アイスは口に合わなかった。 ガムって言ったら、
フィリックスガムかオレンジフーセンガムだろ? オレンジガムはともかくフィリックスガムは、一口でなくなるから好かんかった。 マルカワのオレンジガムは一気に4個を口に入れだろ
1個ずつ噛んでるヤツなんていたか? >>516
そういう事をするのは仮面ライダースナックをカード目当てで買って捨てることが出来るお大尽の小学生だけだと
思ってた当時幼稚園児。 マルカワのガムって、三回に一回くらいは当たらなかった?
あとチロルは三連で10円だった >>518
元々、当たりのヤツは別に分けてあって、
店の人が当たりのを入れるシステムだっけか?
店の人が適当にバラけさせずにいれたんじゃねーの?
フィリックスガムでググルと面白いコトがw
幼心に「これはフィリックスではない」とは思ってたが 駄菓子屋さんてのがなくなったよね
自分とこは愛想の無いクソババアがやってたまあそれでも行くんだけどね 身の回りの駄菓子屋さんは、ほぼ全て昭和末期には闇ゲーセンと化して、所謂悪い子が普通の子や女子を
追い払ってしまった。
そしてファミコン登場と店主の高齢化が重なり、悪い子は勿論一度離れた女子や良い子も戻ってくることなく閉店。 同級生の親が経営してた今にも潰れそうなパン屋の、コーラの自販機で当たりが10連チャンした思い出
10連目で怖くなって帰ったけど
そのあとすぐ店が潰れて、「俺が当たりすぎたせいだ」と自分を責めた
昭和の頃って、今だったらすぐ潰れるだろうって専門店が町中にあったよね
思い出すだけでも卵屋さん、お味噌屋さんとか >>523
ああいう店は、一見、客が来てないように見えても、見えないところで商品を卸したりして、それなりに収益はあるらしいね。
例えば味噌屋なら決まった定食屋に味噌を定期的に納品する
乾物屋ならうどん屋に出し昆布を納品する、みたいな。 40年以上前に住んでたところに味噌の量り売りをやってた酒屋があった
数年前に店の前を通ったらもう量り売りはやってなかったな 卵屋はみたことないな。
僻地の住宅地だったから個人の小さい店がわりと何でも売ってた。
日曜日に農家が一輪車押して野菜売りに来てた。 >>527
卵屋なら以前暮らしてたところの近所にあったよ。 >>527
うちの近所には、卵屋のほか、鶏肉屋、豚肉屋などがありました。
どれもスーパーに駆逐されちゃいましたけどな。 昼過ぎに個人の豆腐屋(まだ奇跡的に生き残ってる)の前を通ったら、油揚げが少々あったので
それ売ってるの?と聞いたら、注文の分だけとってあるのだそうでした。残念。 豆腐屋いいよな
独特の匂いがして
生簀みたいな水槽があって中に豆腐が浮いてるの >>530
潰れるのは潰れる理由があるんだと思う
昔っからの下町に住んでるから今でも個人商店残ってるけど、
やっぱり生き残る店ってのは相応の理由がある
近くに大手スーパーがあるのに今でも賑わってる店もある
美味しいとか客の心掴むの上手いとか、ちゃんと頑張ってる
本業他にあるとか大地主の血縁者ってのもあるけどw >>534
うちの街に、昭和40年代初頭のようなちっさな個人経営のスーパーもどきがある。
すぐ側に大手のスーパーチェーンが出来たのに、全く潰れる気配がない。
独自ルートで農家やらとのつてを持ってるらしく、時々不揃いトマトの大特売をやってて、その時は開店前から
大行列の模様。 どっかのスレに書いた気がするんだが
久々に帰省して「すっかり風景が変わってしまったなあ」と思うことが多々あるだろう
ノスタルジーに浸りたく、中学高校の頃に通った個人経営のラーメン屋なんてまず存続していない
もっともラーメン屋に限らず駄菓子屋、模型屋なども然りだが
ところが同じ個人経営でもなぜか蕎麦屋はしっかり生き残っていることが多い
しかもガキの頃見た外観そのまま、若しくは多少リニューアルされている程度で
俺っちだけかと思って会社の同僚に聞いたら同様だったw
そのことを2chのどっかのスレで聞いた記憶があるんだが関係者曰く、
「ラーメン屋や他の外食に比べて蕎麦屋はよくも悪くも売り上げが安定している」とのこと
地味だけど商売として考えるなら悪くないなと思った
(思っただけで実際にやるつもりはないが) >>536
そりゃ子供だったおたくが大人になってりゃ
当時中年や初老だった店の経営者は相当高齢か、もしくは他界してるかもしれんからね
子供が店を継がなきゃ、閉めるしかないよね 駄菓子屋や模型屋継ぐ人は少ないだろうな
蕎麦屋は流行り廃りがないから継ぐ人もそれなりにいるだろう 平成になってからだがミニ四駆が模型屋最盛期かね?
ガンプラの時期より増えてた気がする 模型屋が無くなって
電器屋の一角に模型コーナーが出来たな。
でも話の分かる店員がいないのが残念 子供の頃通い詰めた模型屋がいつの間にか工業用模型の先端メーカーになっていた。
場所も移転してでかい工場も併設してる。
移転先ではホビー部門の小売りもしてるらしいけど、
寂しいような誇らしいような複雑な気持ち。
潰れてないのはうれしいんだけどさ。 ストビューで実家近辺、よく高校時代通った道とか閲覧してるが、たいして変わってねえw
ざっと30数年は経ってんだが、地方なんてそんなもんか(もうずっと在京)。
考えてみれば80年代までで右肩成長(とくに都市開発)なんてやっぱ終わってるんだと実感する。
あとはずっとスクラップ&ビルドの繰り返し。。道路が拡幅されて便利になったくらいかな。
でもそれで繁栄に繋がってるのかどうか。単に時短に貢献してるだけっぽいし。 >>536
蕎麦屋すら生き残ってないなあ。
跡取りがいないんだろうね。
意外と生き残ってるのは個人診療所w
徒歩圏に2つあってひとつは自分が小学生の時に出来たヤツで
医者の娘が同じ年。その弟さんが後を継いでいるんだとさ。
一人暮らししていた時の近所の診療所は医者のジイサんが
息子が大学病院がいいっていって戻ってこないってぼやいていたがw
数年後ジイサンが亡くなってその診療所もなくなった。 近所の整骨院がそんな感じだな。腕はイイが鬼瓦の空手のセンセイがやってた。その人が
死にかけて一次休院したが、娘さんが妙齢の美女になって後を継いでる。 蕎麦屋だけ特に生き残ってるわけでもないな。蕎麦屋、ラーメン屋、寿司や…生き残ってるのは3軒か4軒に一軒くらい。 オモチャ屋系はこの10年でほぼ絶滅したかな
10年位前までは模型屋もあったよ
ミニカー?の大会開いたりして、今じゃたやってるとこ少ないとかで
他府県からも遠征してくる人がいたらしい
そば屋に限らず飲食店はかなり生き残ってる
反面、肉屋や八百屋、個人スーパーなど飲食の個人店は
ゴミみたいな店はようやくほとんど消えた
生き延びてるのは固定客ががっちりついてて、生き延びるのも納得の質の店ばっかり
ラーメン屋は別格だね、潰れるどころか新規店がどんどんオープンする
みんなそんなにラーメンが好きなのか >>548
ラーメン屋は商品と言うか味で差別化できるからね 中村鋭一さん通夜 BGMは六甲おろし 祭壇に思い出の阪神グッズがずらり
https://www.daily.co.jp/gossip/2017/11/09/0010718531.shtml
https://daily.c.yimg.jp/gossip/2017/11/09/Images/f_10718533.jpg
https://daily.c.yimg.jp/gossip/2017/11/09/Images/f_10718532.jpg
6日に肺炎のため87歳で亡くなった、関西の名物ラジオパーソナリティー
中村鋭一さんの通夜が9日、大阪府吹田市内で営まれ、約400人が参列した。
熱狂的な阪神ファンで知られ、で阪神勝利の翌日に「六甲おろし」を歌唱するのが名物だった。
通夜の会場には「六甲おろし」のBGMが流れ、祭壇には阪神関連の思い出の品々が並べられた。 ラーメン屋は生き残るというか平成になってからどんどん新規開業してるんじゃね。
まあ出しては潰れの繰り返しだが。 ラーメン屋と言うか
ラーメン専門店ってのは昭和の時代は少なかったよな >>553
あることはあったが、今ほど(良い意味でも悪い意味でも)精鋭化はしていなかったな 昭和のラーメン専門?店は黄色い看板が多かった気がする 昭和の食堂のメニュー
醤油ラーメン \450
しおラーメン \450
みそラーメン \450
チャーシュー入り 各50円増し
大盛り 各100円増し
かけうどん・そば \350
きつねうどん・そば \400
天ぷらうどん・そば \400
大盛り 各100円増し
カレーライス \400
カツカレー \500
大盛り 各100円増し
とんかつ定食 \500
生姜焼き定食 \500
大盛り 各100円増し
小ライス \50
中ライス \70
大ライス \90
味噌汁 \50 給与と外食の相対価格で言ったら今のが圧倒的に安いんだよね そば・うどんはそんなに高くなっていないけど
ラーメンは高くなったよな 昨今のラーメン屋、妙なこだわり店主(水飲むな、スープ残すな)や揃いの黒Tシャツにタオル頭巾。
また屋台は衛生的に嫌われる方向へ。。
昔はもっと親近感があって悪天候でも嫌な顔せず出前来てくれた。ツケだって利いた。 >>552
他の料理屋みたいにいろんな技術いらないから安易に始められるからな
何かの店が潰れると後釜は駐車場かカットハウスかラーメン屋かのどれかなのでつまらんな >>557
昭和終わりでもラーメンも350円が多かった気がする 33年前スガキヤのラーメンは190円だった
貧乏人の味方 スガキヤ万歳 ビッグ錠のまんが
・窓ガラスにヒビが入り、適当に年季の入った木造住宅
・汚水垂れ流しでゴミが浮いてる河川
・遠くの工場から立ち上る煤煙
・入浴は数日おきらしい
・ボッサボサの髪の毛、薄汚れたGパン
・オンボロなのに妙に繁盛している大衆食堂
・主人公VS宿敵のコンクールに集まる尋常じゃない群衆
・その群衆の中でドサクサに紛れて安保反対を唱える左翼
昭和14年生まれ、幼少期を大阪で過ごし、昭和43年に上京した人らしい認識だなと思った ビッグ錠の名をみて、前のスレ見たら、貧乏人味平と読んでしまった。 西原理恵子の昔のマンガを読むと地元高知のとんでもなく貧乏な家ばっかり出てくる
同世代だけど東京育ちだと貧乏でもそこまではなくね?と思ってたけど関西方面の読者はあったあったたくさんいたって感想も多かった。マンガは誇張も入ってるにせよ昭和にはそんな世界もたくさんあったんだね。
今貧困家庭が問題になってるけど昭和に比べたら大したことないなと思う。 >>567
昔の田舎は東京より遙かに貧しかったのよ。 >>567
地方と言うほどでもない首都圏の外れでも、まだボロを着てバラックに住んでる人はいたな。
真っ黒な顔してリアカー引いてたり、道端で刃物研ぎしたりして生活してた。大人も子供も、例外なく前歯が欠けてた。 ビッグ錠、あぶさんの初期、ああいうのは、昭和40年代後半から50年代前半くらいまでは普通にあった。80年代に入ると、一気に時代の空気が新時代、恵まれた時代って感じになった。 というか今の時代でもあばら家みたいなバラック小屋に住んでる人も東京にいるよ
時代、場所と言うより>>567が真性金持ち育ちで
違う階級をまったく見たことがないんじゃないかな >>567
漫画ってものが、まず
極端な世界を描く面もあれば、
ありふれた日常を描く面もあるからね。
巨人の星だって人気漫画だったが、実際あんな家庭は少数とか特殊だったわけだし。
でもスポーツ根性ものというジャンルはあの頃は受け入れられる世相ではあった。
昔も今も貧乏な人はいると思うよ
ただ全体の生活レベルは上がってるんじゃないかな 昭和30年代に東京で育ったんですが、当時の東京は貧富の差がもっと大きかった
当時は小学校から私立って子はホントに一部の上流階級だけで、大部分の人達は
公立の学校に行っていたんだけど、広い芝生の庭に犬を遊ばせるような家庭から
6畳一間に親子4人が暮らす家、終戦直後のバラックのような家に住む家族とか
色々だったよ、うちは6畳一間の家庭だったが、親父の転勤で静岡に引っ越したら
会社が郊外に一軒家を借りてくれ、初めて自分の部屋が持てた感激は忘れられない
3年で東京の本社へ戻る約束だったが、親父がそれを辞退してくれて助かった
その後、退職間際に近くに土地を買って家を建てた、東京なら到底無理な広さ
私も地元の公務員になってここに骨を埋めるつもり 水島慎ニの古い漫画て大阪のミナミでは野良犬殺した肉が高く売れたとか 昭和50年代後半ごろ、ツーリングで白樺湖を通ったとき、地元の人がドラム缶で何か小動物を
焼いていたのを見た。あばら骨が見えて人のふくらはぎ位の胸郭だったので、ネコかなと思ったが
その後ネコ科は肉が臭いらしいと知り、ウサギだったかなと思ってる。 貧富の差がうんちゃらとかずっとネットで書かれてるけど、
昔のほうが半端なかったよねw
今は貧乏人も底辺もおしゃれして携帯ちゃんと持ってて、普通のアパート住んでるんだもん。
つぎ当ての服なんか誰も着てないし。
着た切りスズメwなんて言葉も完全に死語。
昔の貧乏人は本当に着た切りスズメで着替えなんてなかったんだよね。
貸し間とかトイレ共同風呂なし4畳半とか3畳とかが割と普通のアパートだし。 >>579
バブルのころに「一億総中流社会」なんて幻影がフッと横切ったからだろうかね。
日本から「貧乏」というものが消え去ったような錯覚をワシらは持ってしまった。 バブルで物価はべらぼうに高くなったね
ちょっと前に、バブル前の百貨店広告が話題になってたけど、びっくりするくらいお値段控えめだった
物を買うようになったのはバブル後だったから今まで気づいてなかったけど、
なんでもかんでも物価が上がっていくのをリアルタイムで経験した人たちもいるんだよね
その頃は一般人でもお金持ってたから平気だったのかな
貧富の差で覚えてるのは、小学校まではみんな普通だったのに
中学に入ったらバブルの影響が出てきて女の子の中に
シャネルやヴィトン持ち出す子がいて格差ってのを初めて目の当たりにした
聞いたこともないブランドの数々はびっくりするくらい値段が高いのに
仕立てはあんまり良くなくてこれまたびっくりした
(うちは縫製の下請けで、普通に仕事手伝ってたから布や仕立ての良し悪しはわかった) うちはバブル関係ない地味な業種だったから日本が狂乱してた頃も慎ましく暮らしてたのに、家賃もどんどん上がるし、物価も上がってほんと生活が大変だった。 >>579
だいたい同意。
今はどんな貧乏人でもスマホ持ってるもんな
だから俺はスマホは靴みたいなものだと思ってる
外出するとき、誰でも靴を履いて出かけるように、スマホも誰でも持ってるからな。
相当な高齢者でも最近はスマホ持ってるよ、ガラケーの新規発売なくなったし(docomoのi-modeケータイ等) >>579
学生下宿なんかもほとんど絶滅寸前だよな
今はだいたいワンルームマンションだろ
昔は間借りとかあった
今の人間には間借りとか無理だろうな
一軒の家の一部屋二部屋を借りて同居するなんてなあ…
今はあるとしてもシェアハウスか 80年代のはじめくらいに早稲田にあった「下宿」は、大広間をパーティションで区切っただけで、家賃は「畳の数×千円」だった。三畳間相当なら三千円、いちばん贅沢な六畳間(確か一部屋だけあった)なら六千円。
もちろん風呂なし、炊事場とトイレ洗面洗濯機は共用、食堂兼娯楽室は別にあった。
流石に当時としても衝撃的な物件ではあったな。 開いてなかった。今では消防法的に完全アウトだと思う。当時だって怪しいもんだ。
古い建物だけど作りは悪くなかった(元は旅館か料亭?)ので、意外に貧乏感はなかった。同時期の東大駒場寮よりマシな感じ。 初任の地を数十年ぶりで訪れた。
当時新興団地だったのに、今や完全に老人団地になってた。
子供達がみんな出て行って、ジジババしか残ってない。
平成の次の時代には養老団地かゴーストタウンになるのかな? 外国人人団地になるのでは?
すでにあるよね、家賃安い地域にいつの間にか外国人が増えている
ゴーストタウン化するのは新興住宅地じゃないかな
バブル時代に田舎を切り開いて一戸建ていっぱい売られた場所
新し目の住宅地は交通の便や買い物も考えられてるけど、
90年代以前の住宅地って買い物不便、住むのも不便、
車がないと陸の孤島って場所も多く、しかし年寄りは住み慣れた場所から
動かないし、新規住人は来ないし、外国人だってそんなとこ住まないしで廃墟化しそう うちのところはそういう現象の結果、市内最大だった小学校が廃校になったよ。
最盛期には900人以上いた生徒数が廃校時には80人くらいになっていたらしい。 一学年10クラス、全校生徒3000人規模のマンモス小学校が、北海道の山奥に普通にあったことが驚き
ほぼ全て炭鉱がらみだけどね 風呂なしトイレ共同、玄関共同なんて絶滅危惧種だろうね
一気に老人化するのは都市計画の無さもあるよね
一気にたくさん建って一気に住人が増える。家を買う層は年齢も同じような世代に集中するから高齢化も同時に来ちゃう。
数年づつズラして売っていけばそうはならないんだけど、業者は売れる時に売っちゃいたいから無理だな >>594
風呂・トイレ・玄関共用だと
最近はシェアハウスと言う名で出回ってきているね
ウチはバブル前の新興住宅地だが
老人家庭が多くなってきた。
でも、世代交代が割とうまく進み
子供(小学生)家庭も少し増えてきた。
新築は諦めて中古住宅を買う人が増えているんだよなあ 「俺たちの旅」と「夕陽が丘の総理大臣」がゴチャ混ぜになっているんだが
一つ屋根の下の下宿、貧乏学生さんは相部屋、社会人さんやOLも住んでいる
風呂無し、トイレ洗面台は共同、一階に食堂
今じゃとても考えられないわ >トイレ洗面台は共同、一階に食堂
単身赴任中で週末帰宅しているが
そう言う物件があると嬉しいな
掃除が楽になる 賄い付ウィークリーマンションならあるね。朝晩食事がついて、契約次第でシーツ交換や掃除もしてくれる。
バストイレは部屋についてるけど、トイレは共通のもあるし、大浴場があれば部屋のは使わないという手もある。 早稲田鶴巻町に在る昭和の雰囲気を残す集合商店。
周りの家はすっかりと現代風の新しい建物になってしまったけれども、当時はこの建物を少し新しくしたような感じが普通だったんだろうな。
オレも、廊下を挟んで左右が四畳半。風呂なし、流し、トイレ共用の下宿暮らししてみたかったわ。
https://i.imgur.com/249huTx.jpg >>584
つーか貸し間って貸す方もすごいよね。
貸し間ありますって書いてある家、ホントただの普通の家だったしw
昔だからふすまに畳の部屋。トイレ風呂とかは住んでいる家族と共用でしょう。
食事も有料で出してたんだろうし。 >>601
自分の知ってる間借りの場合は
一階が大家さん一家で、二階の二間を別の家族に貸していた。
二階の部屋にはミニキッチンがついていて炊事ができる。
トイレは一階の大家さんのを借りる(つまり共用)。
風呂は一階にあるが、二階の住人はそれを使わず銭湯に行っていた。
まだ銭湯が多数あった昭和の時代の話 最初から貸し間用とか学生の下宿用に作った家なんだろうね。
本当に普通の家を子供が独立して部屋が空いちゃってるからって
貸すのあったんだよね。
そもそも貸し間が普通だった頃ってそこそこの家でも風呂なかったりしてもんなあ。 最近は2世帯住宅で
2階部分を貸します。って家が少しずつ増えているね。 最近の若者は貧乏で贅沢も出来ず、車離れが懸念されて、とかよく耳にするが
これって昭和の若者像に近いのかな。 >>606
昭和の頃は自動車を欲しがってもなかなか手が出ないからとりあえず中古をという感じ
平成の今は自動車自体に必要性を感じない >>606
贅沢できないといってもエアコンやテレビ、スマホ、ゲーム機等を当たり前のように所持してるからなあ
昔と今の貧乏の感覚が違う スキューバダイビングすることを「アクアラング」と言っていた
シャープペンシルみたいに登録商標がスタンダードになるかと思いきや、なぜか数年で消え去った >>609 することじゃなくてその道具のことだと思ってたけど。
ロシア民謡(っぽいけどこれがロシア民謡かどうかはわからない。ロシア民謡集には載ってなかった)
「一週間」という歌を今朝思い出した。あれ、買ってきた糸が糸巻きをしないまま毎週溜まってゆく
ということに気がついた(w >>608
> エアコンやテレビ、スマホ、ゲーム機等を当たり前のように所持してるからなあ
貧乏で、共働きだったり、片親だったりするから家族同士会えないんでスマホ必須。
エアコンあっても電気代払えないから、ここぞという
命に関わるような暑さの時だけしか使えない。
貧乏で部活も習い事もさせられないからせめてゲーム機をと。
家族旅行なんかもってのほかだからゴールデンウィークは中古で買ったテレビを見て家に引きこもる。 アクアラングってのは商品名なんだね。
言ってみりゃ、ヤマハのエレクトーンみたいなもんか。
探検家で有明なジャック クストーも開発に関わってるらしい。 しかし今、モノ安いよね。。家電や衣類、日用品、食料品。とくに21世紀になってから技術の進歩や
企業努力で「価格破壊、競争」てのがどんどん浸透してきて。昭和はまだまだその辺が未熟だったから
希望に沿うような方向だとそれなりに値段も上がったわけで。
デフレ脱却とか言っても庶民レベルだと一度身に付いた金銭感覚はなかなか戻らない。 普及したことで安く作れるようになったからね
今でもそうだよ
最初に出てくるものは高い
だって研究開発費の回収も上乗せされてるから
で、真似した企業はその苦労分はスルーできるから安く出せる
ただやっぱ真似してるだけの会社には、こだわりってのがないから
本家と比べると細かい部分で質が落ちる
大半の人は気にしないだろうけどね https://www.youtube.com/watch?v=ClhssJcUapk
この記事見て思い出した
中国のメーカーには、日本の炊飯器のコピーはできないそうだ
彼らの言葉を引用すると「水晶のような米が炊き上がった」とか
こういうニュースでホルホルするのが目的じゃなくて、このスレ的に心当たりがあるので話題を提供してみた
当方北海道
昭和の頃の北海道米ったらとにかく不味くて不味くて
カレーとかチャーハンとかプラスアルファがあればまだなんとかなったが、
育ち盛りの俺でも白米なんてまともに食えた代物じゃなかった
それが平成あたりから線を引いたように急に美味しくなりはじめる
寒冷地の稲作に適した米の品種改良、じわじわと進行し始めた温暖化に加え、炊飯器の技術向上もあったのではと推測
たまたま同時期にこれらの相乗効果が起こったのだろうと思っている >>617
牛丼屋が安い米の種類の中で、北海道のコメが旨い
ってことで、北海道のコメを採用するようになった
と言う話を聞いたことがある。 クレージーキャッツのおとなの漫画はかかせず見ていた。 >>619
クレージーはあまり好きじゃなかった、けど、おとなの漫画だけは好きだったな。よく見てたよ、といっても、平日昼間だから、学校のない日かな、それとも、下校後かな、もうよく覚えてない。、 スタートレックは 宇宙大作戦が放送されていた頃見ていた 70年代生まれだが、お笑いといえばドリフだった
全員集合とか毎週生放送って今考えても凄い >>623
ちょっと洒落っ気づいた小学4、5年あたりから
全員集合からひょうきん族にシフトした思い出あるわ >>624
ドリフのオープニングコントを見てからひょうきん族に変えるとちょうどタケちゃんマンタイムだった 「暴れん坊将軍」を見ていた俺を馬鹿にした担任
今でも嫌いだ ドリフの大爆笑でバカ兄弟がコントを見ていたけど「知的障碍者」をバカにしている理由で打ち切られたのが面白かった。
あのコントはマルクス兄弟のオマージュであり、いかりや長介がボケ役を撤して良かった。 >>627
このコピペ思い出したw
オレが高校生の頃、一人で王将でメシ食ってたら、横で明らかに障害者と思われる者がメシ食っていた。
そいつは、手をブラブラしながら、「ウーウー」言いながら食っていた。
あまりに特徴があったので、おれはその障害者の真似をして食うことにした。真似をして、手をぶらぶらしながら「ウーウー」言いながら食っていた。
すると突然、後ろのテーブルから正義感の強そうなおっさんが現れて
「障害者の人を馬鹿にするな!!!!!」
って叫びながら、障害者の方を殴った >>606
ほんのこれっぽっちも近くないよ。
金がなくても活気がある若者が多かった。
時給なんて580円でも必死にバイトして金貯めて自分で中古バイク買ったり。
もっと自分のことは自分で何とかしなきゃって意識がしっかりしてたな。
スマホやネット対戦ゲームなんてないし、寒くても出かけないと友人と会えないし、
もう世界が全く違うよ。 >>611
無理やりこじつけ過ぎw
昭和の貧乏はもっとすごかったぞ。
つーか昔は書置きしてたりしてたんだけどな。
チラシの裏とかに。
ゲーム機とソフト買う金があったらずいぶんと食える。
金がないなら外で遊んで、図書館で本借りてたらいいよ。
昔は物がないから繰り返し繰り返し何度も同じ本を読んでたな。 いやバブルの頃って親が車買い与えたり
利息0の親ローンとかもけっこう居た
割りのいいバイトや仕事もいっぱいあったし
単純に今の子と比較してどうのって違う感じがするな 昔の本当に物が無いお金が無いって言う貧乏とは種類が違うような気もするね
学校の給食費だって今の方が集まらないらしいけどベンツ乗ってるのに払わないとかそう言うレベルでよく揉めてるんだよね
ある部分贅沢してるから金が無いって感じ
今はツギハギの服着てる子なんていないし >>631
そんなの今もいるし、バブルの頃でも親が最初だけ買ってくれるのって
中古車とかだよ。
新車のボンボンもいることはいたけど、今だって免許代も車も親持ちだったりする。
今のほうがそういう贅沢層が広がってるよ。
だって今の子自分のバイト代は遊びスマホおしゃれで終わりだもん。いい時代だ。
バブルの頃まだ金利も物価も高かったし、今より全然物ないしで比較にならないよ。
それでバイト代も今より安いというw 親父は球技嫌いだから代わりに将棋を教えて貰った。
おかげで論理的思考を身に付いた。
加藤一二三が四段になる頃から
将棋を始めた。 うちの父親は野球と将棋好きだったな。
でも別に論理的思考は見についてないw
昔は娯楽あんまりないから野球と将棋は一般的な楽しみだったしな。
碁石も家にあったけど、碁は全くやったことがない。 女児向けテレビ番組(実写ヒロインもの)のおっちゃん出演者が、ポケッタブルをいくつも撮影現場に持ち込んで
男児出演者と待ち時間に遊び相手をなさっていたそうな。 >>626
あー、そりゃいかんわ
上様をないがしろにする木っ端役人の戯言、捨ててはおけんな
今からでも成敗に行かんと 近所にひとみちゃんという二つ年下の子がいた。5才位で母親を亡くした。
亡くなる前俺の母親や近所の友達の母親たちは
ひとみちゃんの家にご飯作りに行ったり
面倒見に行っていた。1989年辺りの頃か。 >>596
学生の頃はそんな寮に住んでみたいと
学生課に行きチラシを貰い住んだことがある。
貧乏生活って頭使うしいい経験になるけど
こういう場所にすむ人達って不運を引き寄せるっぽいし一緒にいると何かトラブルが起きる
まあ、それはいいとして
寮はインフルエンザ流行りだしたり体調悪くなったり。そこだけは良くないと思いアパート暮らしにかえた 寮じゃダメだったのか?
>>642
>亡くなる前
誰が亡くなったのか微妙によく分かんない
ひとみちゃんのお母さんなのか、>>642のお母さんなのか?
もしかして、ひとみちゃん本人? 読解力ゼロの人?
確かにとっ散らかった書き込みだが お母さんを亡くしたひとみちゃんを
近所のお母さん達が面倒をみてたって話なら
ひとみちゃんのお母さんが「亡くなる前」ってのはちょっと妙だろ
病気で亡くなって、生前も体の調子が良くなかったから
近所のお母さん達がひとみちゃんの面倒みてたってのなら、
お母さんが亡くなった後は面倒みなかったのか?
あるいは、昔亡くなった近所の子供の話題で、
書き出しはひとみちゃん本人の話だから
文章の流れからいって、
「5才位でお母さんを亡くしたひとみちゃん」本人が「亡くなる前」の事とも取れなくもない。
>>642のお母さんは亡くなってて、
生前、「5才位でお母さんを亡くしたひとみちゃん」の面倒をみてたという話ともとれる >>647
マジで釣りじゃなかったらお前大丈夫か?
どうすればそんな曲解が出て来るのか
その女の子の母親が亡くなるまで近所の母親達が面倒を看てた話だろ
母親が亡くなった後の話については何も書かれていないだけ >>647
主語が不明だと言いたかったんだろ?
それを>>644で手短に言ったんだろ?
そこまでにしておけばお前の言い分にも義があったのに、さらに続けちゃ何言っても相手にされないよ
引き際や落としどころぐらい心得ろっつーの そんなの当たり前だった、トイレにチリ紙入れが置いてあって
それ使ってたし。 ちり紙ならいいけど、友達の家に行って、トイレの紙が切って揉んである新聞紙だと、さみしくなった。 流石に新聞紙使っているお家でお便所借りたことはないけど
貧乏なお家は堅めの灰色の紙で『1回2枚まで』って書いてあった。
お茶の先生のウチのトイレが当時珍しい水洗の洋式トイレで
初めて入った時どうやってシたらいいかわからなかったけど
『これがトイレって言うんだ!』って感激したわ。 【無料ウェブセミナー】なので、どこからでも見られます。
是非、事前お申し込みを(*^-^*)
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ウルフ村田×北川博文
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当日セミナーの様子を収録した動画を差し上げます。
※お届けする動画(録画)はダイジェスト版となります。
2018年急騰株の見つけ方などを、お話しします。(*^-^*) 水洗トイレが普及し始めた頃幼児だったので、あのシューッ!という音が怖くて
紐を引くと同時に飛び出して逃げてた。 弓月光の漫画で、主人公が入院して、エイズだっていう噂が立って、
病院の患者や職員がみんな逃げ出して大騒ぎになるやつ。
今だったら、社会的に制裁をくらうくらい問題のある表現。
あと、レイプマンなる、正義のレイプ魔の漫画もあった。
おおらかだったな。 うまく言えないんだけど、今の水洗トイレって流体工学的に完成度が増しているのか、
床下から負圧で引っ張って汚物を処理するような感じじゃん
日本の節水技術が生み出した賜物だと思ってる
昔の水洗トイレは、とにかく上から加圧して大量の水で汚物を無理矢理押し出すようなイメージ
さらにガキの目線だと便器までの距離が近いから、あの濁流が怖かった記憶がある >>660
みんなあげちゃうかな?
まぁあの人のマンガは昔から結構めちゃくちゃ
面白かったけどね つい最近久々に「はげちゃびん」という言葉を聞いた。 アクビちゃんの呪文のスカンピンて言葉が“素寒貧”という漢字の日本語だとは思わなかった。ただの言葉遊びだと。花札用語とかの俗語だと思ってた。
まんがに対する評価もひくかったし、“アラビン土瓶…”とならんで、脇で聞いてた大人はさぞかしこどもを白痴化だせるトンでもない番組だと思ってたんだろうな。 今は、マンガのイベントに凄い数のオタクが集まって、しかも物凄くカネ使うから全くオタク批判されないんだな。結局経済か。 昭和のタクシー運転手は、ラジオでプロ野球中継かけっぱなし
客が興味あろうとなかろうと、一人で勝手に野球談義 タクシー・ドライバー 苦労人とみえてあたしの泣き顔 見て見ぬふり天気予報が 今夜もはずれた話と野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す もう幾つ目の遠回り道行き止まり道
手に提げた鈴の音は帰ろうと言う急ごうと言う
頷く私は当に帰り道など忘れたことを知っている >>669
ぜんぜん意味がわからない絵だな
尻滅裂だ 荻野目洋子のダンシング・ヒーローのレコードは買った。
歌番組で歌手が洋楽のカバーを歌っているのはよかった。 本日、多数の地域の自治体が集まっての大規模な会合があったので卒業した小学校に行った。
インコの飼われていた鳥小屋は撤去、鯉の飼われていた池はすっからかん、亀や鳩やアヒルのいた大型飼育舎も
鶏小屋も撤去、そのあとに建てられた兎小屋も、もう兎は全くおらず、植木鉢や掃除用具が突っ込まれていた。
飼育委員会も当然無いんだろうなあ。
(鳥類の飼育は、例の鳥インフルエンザ騒動でやめたんだろうね)
さて皆様の母校では、現在も動物飼育はなさっておられますでしょうか。
もうしてないがかつてはこんな生き物がいた、現在もこんな生き物がいるといった声が聞きとうございます。 >>677
学校で動物の飼育は無かったが
学校の周りに、トラ(大トラ)やナマケモノは居たな 田舎だったが校庭の池にアヒル(ガチョウだったかも)がいただけだったな
たまに教室に野良犬が入ってきた
蜂が飛んできて大騒ぎなのは日常茶飯事 >>678
…ワンカップ大関を片手にした動物の話はいいからっ! 飼育委員だった時、今思えば婆さんだった鶏を、なんとか歩けるようにしてやりたいと散々苦心した。
当然歩ける様になるわけなく死んだ(今思えば当然老衰)ので埋葬したんだけど、そこはしばらくしたら
コンクリがうたれてしまった。
>>677の時見に行ってみたら、もうどこだか判らなくなってた。 小学校で飼ってた鶏は賢かったなあ
呼ぶと飛んで肩に乗ったし、追っ掛けっこすると10メートル以上あるイチョウの木のてっぺんまで逃げたり
でも「帰るよ」って声を掛けると鶏小屋までダッシュしてた 飼育委員がいてウサギとニワトリがいたけど、ひとつの小屋に全部いれてあって
可哀想だったな。飼育委員なんて言っても結局は休みとか世話するわけでもないし、
ああいう飼い方するならいないほうがいいと思う。 >>687
飼育委員をやってた時に、幾頭かの生き物が死んだけど誰も責めなかったな。
サボるどころか学校が近かったので自分の当番じゃない日も様子を見に行ったり、病気の生き物がいたら
解決策を模索してるのをみんなが見てたせいだと思う。 >>688
だってみんなそこまで興味ないもん。
あとそんなに深く考えられないよ。
ニワトリがケンカでつつき殺されたりしてたけどね。
飼育委員自体はそこそこ人気あったけどw
自分は環境美化委員だったw どんな活動してたかよく覚えてない。 今ふとカラスの鳴き声が聞こえて「カラスの勝手でしょ〜」を思い出した その頃そういう映像を鑑賞していた世代だから問題無い >>672
タクシーの車種というと殆どクラウンやセドリックだが、昭和というか以前はコロナやブルーバードも
よく使われてて小型ということで料金も若干安めに設定されてた。 そうえいばガス臭いタクシー、気がついたらなくなってたね 今年も様々なニュースがあったが、まさか「ダンシングヒーロー」がこんな形でリバイバルヒットするとは思わなかったw
高校ダンス部のキレのあるパフォーマンスがあってこその受賞だが、昭和世代にとってこれは単純に嬉しい
これは俺個人の主観だが、「ダンシングヒーロー」こそがJPOPの本格的な先駆者だったと思っている
それまで歌謡曲から派生したニューミュージックなるジャンルがあったが、
あそこまでビートを強調して商業的に成功したのは「ダンシングヒーロー」が初だろう
直後に本田美奈子がヘソ出しファッションで「1986年のマリリン」でイメチェンを図り、世間の注目を浴びたが、
荻野目洋子の豹変っぷりはそんな比ではなかった
それまで何をやっても芽が出ず、姉の荻野目慶子の陰に隠れて目立たない地味な存在だった洋子が、
DNAレベルで別人になったんじゃね?というぐらい強烈なインパクトがあった
また1986年はあのBOOWYがシングル「B-BLUE」で大ヒットを飛ばした年でもある
本人たちは毛嫌いしていたが、インディーズの領域にいた日本のロックが市民権を得たと言っても過言ではない
BOOWYを始祖としたその後の和製ロックの台頭は言わずもがな
他にはおニャン子クラブの勢力拡大、松田聖子の産休等々、1985-86年は大きな転換期だった気がする プラザ合意が1985、ここから一気にバブルに突っ走った。ドル円もガツンと円高になって世の中全体が高揚してた。ダンシングヒーローはその雰囲気を表してたんじゃないかな >>699
なるほど
言われてみれば「さあこれから一生懸命浮かれよう!」という下地が蔓延していたわけだ
それにしても初めてダンシングヒーロー聞いた時は、並みの衝撃とか通り越して、
どこの引き出しから間違えてこんなものが飛び出てきたんだ!ぐらいの事件だったことをよく覚えている 恋してカリビアンを歌う荻野目が好きだったのにダンシングヒーローは受け付けなかったな >>699
その直後(でもないが)陛下がご病気になられ
日本中の総自粛ムード
その後平成になり、一気にバブルのあだ花が咲いたって感じだな
89年〜91年がバブル絶好調だと思う
逆に
76年〜78年
オイルショック後の自粛ブームで
TV界を中心に経済が低迷しているって感じなんだよね
その反動で79年〜82年は TVの大当たり年って覚えがある 新幹線は若返り工事かで運休してた
時刻表には新幹線がスパナを持ってるマーク 新幹線といえばひかりとこだま、パンダといえばランランカンカン
今は色々ありすぎて覚えられないw
新しく出来た新幹線も名前ついてんのかな?覚えられない以前の問題かも。
パンダも興味なくなったし。
幼児の頃、ランランカンカンのイラストついた月星の靴履いてたんだけどなあ。 親が古賀政男メロディーが好きだった
目ン無い千鳥も無法松の一生も影を慕いても歌える >>706
全く同じだ
こだま、ひかり、のぞみまでは知ってる
それ以降のはよく知らん
ドクターイエロー?とか何なのか、客車ではないのか?………
そういう新しいことのよくわからないけど、特に生活に支障ないからそのままにしてるw 訂正
○そういう新しいこと、よくわからないけど、特に生活に支障ないからそのままにしてる >>713 一日に一往復だけ走ってる黄色い新幹線。目撃すると幸せになれるらしい。 俺が子供の頃の子供百科にも載っていたような〉黄色い新幹線 ドクターイエローって新幹線と同じような見かけの列車で同じ路線を走り、震動などをチェックするのでしょ。 >>712
ドクターイエローはレールや架線を検査するための車両。だからドクター。
外見は、黄色いこと以外はふつうの新幹線といっしょ。中身はぜんぜん違うけど。 >>712
ドクターイエローはひかりとこだまの頃からあったと思う 今更だがガンダム ジ オリジンを見た
あのころと変わらない安彦良和の絵で
今の技術で背景や武器が3Dで滑らかな動き
ああ、あのシーンはここへ繋がっていたのか
このエピソードはここへの複線だったのかと色んな意味で見て意味のあるアニメだった
その中でもなぜか一番心惹かれたのはドズルの愛の告白
できることならファーストガンガム全編今の技術で作りなおしてほしい
せめて黒い三連星のところだけでもお願いしたい と思ったら5月5日から『赤い彗星』やるのねw
やっぱりガンダムはモビルスーツ戦が無いとちとさみしい
ああ、楽しみ〜〜〜〜〜 >>720
書き直すのならセイラさんの入浴シーンだろw
つーか
ミライ、フラウボウも入浴シーンがあるのだが
そっちは全然話題にならなかったよなぁ セイラさんの入浴シーンなんてあったっけ?
カツレツキッカとフラウ・ボウのは覚えてるけど
私はシャアのシャワーの方が見たい ゆっくり舐め回すように見たいw >>711
古賀メロディー、
若い時も嫌いじゃなかったけど中年以降良さを再認識した。
名曲揃い
昭和歌謡界の巨星。
小説では松本清張、歌謡曲では古賀正男 >ああ、あのシーンはここへ繋がっていたのか
>このエピソードはここへの複線だったのかと
恐ろしく狭いところで話が廻っていてビックリだったよ >>728
ペットボトルじゃなくて瓶なのが懐かしい ユーリンチーとスーラータンメンなんてどこにもなかった 冬季五輪まだ中盤だけど日本人選手の活躍が凄い
昭和の頃にはとても考えられなかった
ガキの頃見た映像だから思い出補正は相当あるけれど1980年のレークプラシッド五輪は、
スキージャンプ八木選手の銀メダルが最高でその映像が何度も使いまわしされた
他には同四位の秋元選手、フィギュア六位の渡辺絵美ぐらいか
1984年サラエボはもっと悲惨で、たしかスピードスケートで銀が一個のみ
他はメダルはおろか入賞すらなし
テレビ的にあまりにも題材がないので、しょうがないからトービル&ディーン組の伝説の全員6点満点を使いまわし
あの頃に比べると完全に隔世の感 久々にYoutubeで「ピカピカの一年生」のCM見た!
あれこそ昭和40年50年代で懐かしいよ〜
あんな子供最近見ないね >>734
冬のオリンピックは東ドイツやソ連が出てた頃が面白かった 歯磨き粉は名前のとおり粉だった
ひっくり返して蓋のほうのくぼみの溝にたまった粉を歯ブラシですくう
粉がつきやすいようbに歯ブラシを濡らしていた >>739
今のチューブも「歯磨き粉」以外に何と呼んだらいいか思いつかない >>741
正確には「研磨剤」なんだろうけどもうずっと歯磨き粉で定着してしまったからなあ
ドリフの「チャンネル回せば」とか、スマホの受話器を持ち上げるアイコンが通話の意味みたいなもんでしょ 歯磨き粉といえば、ラミネートチューブが登場した時は、子供心にも技術革新ってスゴイ!
(オーバーだが)と感動したっけ。 ダイヤル回して手を止めたとか、歌詞もね。
ダイヤルなんて回したことない人もこのスレいるんちゃうか >>743
昔の金属チューブだと最後の方は絞りきれなかったり、力入れすぎると尻から漏れたり(注:チューブのだからね)大変だったよね >>741
練り歯磨き
昔も練り歯磨きという人はいたんだけどね 絵の具のチューブを集めて台所のお玉で溶かし、鉛を集めた。貝殻に流し込んで貝の形に整形。
しかし悪臭は出るしお玉は使えなくなるし、怒られたなあ 絵の具で思い出したが今は「肌色」と呼称しないそうだ
うすだいだいとか言うんだと
こんなところにも言葉狩りの影響が >>742
「チャンネル回してハイ笑点!」は知ってるが、そっちは知らないかな たまに固定や公衆電話で市内通話すると、ボタンを押す回数の少なさと呼び出し音が鳴り出すまでの短さに感動する。 徳永の名曲レイニーブルーも意味がわからなくなってしまうのね ダイヤルしようかな
ポケットにラッキーコイン
ノートに書いたテレフォンナンバー♪
3行どれもこれも昭和 >>747
溶かした鉛をバイ貝の殻に流し込んでベーゴマに(略 昔のショートトラックは日本代表がメダルとっていた。 リアルで電話交換手を通して電話していた人はかなりの年齢だよね。
もうすぐ50だけど、さすがに親の話しでしか知らない。 電話の117時報はある人物の「ただいまから」「○時」「○じゅう」「○分」「○じゅう秒を」「お知らせします」を録音して組み合わせて流していた 117で思い出した
昭和の頃、大晦日の23:58ぐらいに117かけたら話し中のツーツーツーという音が流れて通話できなかったことがあった 番号忘れたけど3桁の数字をかけて電話切ってしばらくするとかかってきたね >>759
10年前に働いてたホテルの、その当時すでに物置になってる旧事務室に電話交換室あったわ。
昨日まで働いてたのに人だけがいなくなったような感じで机の上の備品や新聞紙もそのままで気味が悪かったな。 子供の頃いた町では電電公社とは別系統の町営の有線電話なるものがあった
なにぶん田舎で戦後になっても電話の普及率が上がらなかったので独自に設置したらしい
受話器をもちあげると交換手さんが「何番ですか?」と聞いてつなげてくれるという
昭和50年代なかばくらいに廃止された >>759
40代後半だが使ったことがある
でも手動電話が最後まで残ったのって
地方と言うか、ある程度の人口がいる田舎
人口が少なければ、さっさと切り替えるし
人口が多ければ、これもさっさと切り替える
中途半端な田舎ほど残った
でもって手動電話の時代に電話を引いた一般家庭の婆ちゃん家は
実は昔、金持ちだったのか? >>759
> リアルで電話交換手を通して電話していた人はかなりの年齢だよね。
自分の知る限りでは昭和50年頃までは交換台通す電話あったよ
勿論あまり使われてはいなかったが
ほとんど普通のダイヤル直通が普及してたが、わざと交換を通したい場合は、○○○番(交換台)にかけて繋いでもらう
確かこれだと通話終了時に料金を教えてくれたと思う、交換手が
うろ覚えだけどね 昭和50年ごろだと思うけど、電話帳と一緒に配られる「いろんな電話の使い方」みたいな小冊子に交換手を呼び出す通話のやり方も書いてあった。
項目があったということは、まだ使ってる地域もあったんだろうね。 田舎だが、
爺様の遺品の背広が仕立てで、
作った店のタグが付いてた。
タグには店の電話番号が入ってて、
市外局番が無くて、2桁か3桁の数字だった。 >>770
うちのすぐ近所にも、恐らく大正か昭和の時代に建てられた街路灯用のコンクリート柱が三本現存してる。
(区画整理や空襲があっても、この道幅は戦前のままらしい)
ちなみに、東京新宿の富士コンクリート社製となってるけど、(○○)××という電話番号表記。
東京の新宿でさえ、電話があるところが少なかったんだねえ。 >>772
既婚女性板の荒らしさん、ここまで遠征お疲れ様です >>773
そりゃ昭和30年代までは一般家庭(一般庶民)には電話は普及してないよ
勿論会社や商店、一部の裕福な家庭にはあったけれども >>774
その人既女だけじゃない
皆んな自分がいる板にいると思い込んでるけどいろんな板に来る 昭和16年生まれの母が10歳頃の家族写真に、居間の柱にベルが2つついた電話みたいなの映ってた。
戦前生まれだけど食べ物に困ったことないって聞いたから裕福だったみたい。
去年亡くなってしまった。 うちのオヤジは仁丹を愛用していた
オヤジ丸刈りだったから家でバリカンで散髪していた 小さい頃父の龍角散が遊び道具だったわ
缶に入った白い粉を付属の小さいスプーンでアイスみたいに丸く盛るの >>779
すごいね、うちの両親は戦中に父親が病死して生活一変したから
色々とあった。
でも昔の人だし、そんなんでも助けがあって生きて逝けたから
その時の思い出話をしてもグチったり苦労したなんて全く言わないね。
なんつーか父なんかは兵隊に行く年齢前に終戦しただけありがたいみたいな。 自分がガキの頃、扇風機にあたってるだけで、戦中育ちの親に、贅沢だ!とおこられた。 一口に昭和の暮らしと言っても、30年代の生まれと50年代の生まれじゃ全然違うよね 本当に「昭和らしい」のは30年40年頃までかな?
と思うけど、それは人それぞれなんだろうな、年齢によって。
昭和39年の東京オリンピック
、ケネディ大統領暗殺… まだテレビは白黒
電話はある家もあれば、呼び出し電話の家庭もあった。
会社や学校や病院や列車でおとなの男の人が煙草を吸ってた…
いかにも昭和らしいと自分は思うけどね 白黒テレビをリアルタイムで知っているか、などが分岐点かも。ビデオがあるのが当然みたいな書き込みは自分には違和感ありまくり。それ平成やろ?と思うわ、 >>787
父が昭和24年生まれで、子どもの頃に桟敷席がある映画館が田舎街にもたくさんあった話や、
大阪万博に友達と車で行った話を懐かしく話てくれる。写真はカラーで今の若者みたい。
青年期は高度成長期、壮年期にはバブルと楽しそう…バブルのあとは大変だったみたいだけど。 >>788
小学生時代が1980年代後半だった人でしょうね>ビデオがあって当たり前
モノクロテレビを知ってるのは50歳以上の人だと思う。
昭和47年くらいまでモノクロの番組の再放送があったそうで、「おそ松くん」「コメットさん」「おらあグズラだど」
曽我町子版オバQ、パーマン、月光仮面の記憶が断片的にある。 昭和50年代半ばくらいまでゲゲゲの鬼太郎のモノクロ版が再放送されてた気がするけど記憶違いかな
うちに白黒テレビがあったのは昭和40年代末くらいだった 俺の記憶では、昭和48年ごろに、関東の民法は100%カラー化を歌いたかったんだろう。
さんざん再放送されていた第一作のパーマンやウメ星デンカ、オオカミ少年ケンのような全話白黒のアニメ、魔法使いサリーやモーれつア太郎の白黒で製作された初期の回などが、なかったことのように放送されなくなった気がする。
また、みられるさ、と少し楽しみにしていたが、それっきりみられなくなった。 うちは父親が機械道楽だったので、昭和46年にカラーテレビ導入。
モノクロのをサブとして置いとけば喧嘩にならなかったのに、さくっとモノクロを処分した。
ちなみに、当時の大人…特に老人には、「カラーテレビはなんか疲れるから白黒は捨てるな」と言って
カラー導入後も自室でモノクロを見る人がいたそうな。
カラーの色使いでアニメの制作年は大体判る。
昭和40年代初頭の作品はぎらぎらと目に刺さるので、「あ、こりゃ年寄りは見たがらないわ」と思うし、
昭和40年代後半になると、だいぶ色合いが柔らかくなってる。 >>792
一部地域では、80年代くらいでも早朝のような隙間時間にモノクロアニメの再放送を行ってた様ですね。うらやましい。 ゲゲゲの鬼太郎はモノクロ版とカラー版でどちらが先か忘れたけど続けて再放送されてた気がする
昭和50年代の夕方4時くらいかな >鬼太郎
「呼子」は白黒だったと思ってたけど、
調べてみたらカラーだったのねん >>785
子供の事うちの父親になにかと贅沢は敵だとか
ほしがりません、勝つまではとか言われたwww
戦中は軍需の町にいたから余計そういう標語が身に染みてるんだろうな。 豆乳
烏龍茶
スポーツドリンク(ポカリスウェット)
昭和末期のほぼ同じころに出回った覚えがあるが
豆乳だけはイマイチメジャーになれなかったな まさか、21世紀になって鍋に使われるとはなぁ>豆乳
和食はダサくて、あと少しで洋食に駆逐され、21世紀にはソイレントグリーンのような必要な栄養素だけで成形された調理不要の食事になると思ってたっけ。 アンバサは最近ドリンクバーで見たなぁ
メローイエローは樽形のガラスボトルで飲みたい メローイエローの樽型ボトルに詰まったオホーツク海の水が実家にあるはずだ。
思い出して顔が真っ赤になった。 小学校の頃算数の授業で鶴亀算の問題がわからなくて
「あれだよな。えーと、なんだっけな。
ん〜。ちょっと難しいな。えーと、えーと、ちょっと難しいな。ん〜 ちょっと難しいな。」と言ったら
先生と同級生に笑われた。 中学で方程式教えるのになんで鶴亀算教える必要があったんだろう 掛け算の順序に固執したり九九を丸暗記しないと激怒したり、算数教育のガラパゴス化と非常識は想像を絶する。
よほど怖いドンがいたんだろうな。 インドが数学先進国になった背景には20*20まで暗記させる教育が奏功しているらしいが >>810
小学校の国語の授業で「擬音」
「擬音」の例を挙げなさいと言うのがあり
俺の前の前、ズシーン
俺の前、バシャーン
俺、ビビューン
って言ったら怒られた&笑われた シビビーンシビビーンシビビーン
ってあったな
逆転イッパツマンか ♪マーッハロッドーでブロロロローン ブロロロローン ぶロロロロローーーン! 知られざる世界をみて寝る、そんな小学生時代
素晴らしき世界旅行も好きだったな 驚異の世界に野生の王国。
民放から、ナレーションだけのがっつり科学番組は、平成の声と共に消えた。
ちくしょお。 笑点 サザエさん ミュージックフェア
月曜行きたくねえと鬱になる3大ED >>827
この木なんの木と、東芝日曜劇場のテーマもお忘れなく 日立のあの歌は、新バージョンを作ろうとしたら、歌い手のヒデ夕樹さんが亡くなっていたのが判明したんだよなあ。 うっかり、
「知られざる世界」まで観ちゃったもんなら・・・
オレ的に一番鬱なのは「日生のおばちゃん」のCM
日曜の夕方のニュースの合間に見ちゃうと堪らないものがあった 早く寝ろと追い出されても
襖の隙間から見えるウイークエンダーを布団の中からモゾモゾ 出題 [思いやり]
加藤芳郎「軽い…刀!」
田崎潤「重い…ヤリ!」
司会者「……はい、原点ですw」 今年の日立の新入社歓迎会て「この木なんの木」を歌う人はどれだけいるんだろう 社歌を歌うとか曲がかかるってのは古い大企業ならみんな同じなのかな
東芝、松下、NEC、IHIには仕事で行ってたけど、東芝と松下は昼や定時に放送されてた
NECやIHIの社歌って知らんからかかってても気がつかなかっただけかもしれん ふと思い出したこと
昭和の週刊・月刊マンガってジャンルや作者問わずほとんど全てのページのコマ割りにおいて、上下と横(右側のページなら右側)に余白があった
その余白に印刷された2行程度のちょっとしたネタを読むのが密かな楽しみだった
ある週刊マンガは編集部が決めた今週のテーマ(例:オカルト)が余白を埋めていた
また別のマンガでは読者の面白記事が投稿されるスペースとなっていて、週間MVPにはちょっとした賞金が出ていたと記憶
いずれも今のツィッターより短いたった数行のテキストだけど、それが数百ページともなると結構なボリュームになるんだよな
昭和末期から平成にかけて印刷技術が向上して印刷のズレがなくなったのか、作者の自己顕示欲なのかマンガの表現方法向上のためなのか、
何に起因するのかようわからんけど、それまで普通にあった余白がなくなってしまった
完全になくなったわけではなく、例えば右側のページなら従来であれば右側に縦一直線にあった余白が、
たったヒトコマが右側に目いっぱいはみ出たせいで余白テキストを重ねられなくなってしまった
なんのマンガか失念したがある時買ったマンガは数百ページ中、余白ネタがヒトケタしかないということもあった
あとページ下側に余白がないとページを入れられなくなる
巻末の目次を見てそのページに飛ぼうとパラパラめくる場合、従来はパラパラマンガのようにページがカウントアップしていたのに、
同様にほとんどページ数が省略されてしまったら目的の場所に飛ぶのも大変だった はみだしゆ〜とぴあね
一発ギャグとか募集とかいろいろあったなぁ 現在では読者コーナーそのものを廃した雑誌も少なくない。
あの、読者コーナーでトーナメントをする方式を考えたの、さくまあきらだと思ってたけど、戦前にあった「少女の友」
って雑誌が最初だったのね。
その雑誌では、編集者が「この人はもう十分実力がついた」と判断したら卒業と言われてトーナメントに参加する
資格を失う代わりに、グリーンルームという、優勝者だけでマターリと自分の得意分野を投稿するページへの投稿を
許されてた。
(さくまあきらは、優勝資格を点数で加算する方式にした)
そののちも文芸界で活躍してる人の中には、ここでのハガキ職人だった方もいるとか。 読者コーナーといえば文通相手募集というのがあったなあ
投稿者の住所がそのまま載せてあって希望者は直接手紙を送る あの余白ネタや読者投稿ページってまさに今のツィッターに通ずるものがあったよな
サブカルチャーと言っても過言ではなかった モーニングの柱と床下が好きだった。
送って採用されたこともあったっけ。
読者コーナーも、柱も床下も今はない。 >>843
友達が募集したらお約束通り不幸の手紙が来たw
話変わっちゃうけど、今は飲食店がチェーン店ばっかなのが寂しい
客席を綺麗な海水魚の水槽でずらっと仕切ってあった地元のレストランが懐かしい
もちろんリースだろうけど本当に綺麗に管理されていて水もガラスもピッカピカ
バブルっぽいバーにも水槽はあるけどそういうのとは全然違う
ウェイターは髪もピシッとセットしてあって、落ち着いたレストランだった
綺麗な魚たちを眺めながらサンドイッチを食べるのが大好きで親によく連れて行ってもらったな
今思うと昭和40年代で田舎にそんなお店があるのは珍しかったと思う
都会にはまだそういう店は残っているのかな?
長文&説明が下手でゴメン 家の近所の床屋がついに閉店しちゃったよ
昔ながらの床屋で主人ももうお爺さんだったからなぁ >>836
日立金属に勤めてる友人は、新婚旅行の時に、あの木をわざわざ見に行ってたなあ。
べつに義務付けられてるわけじゃないけどw あの木何の木のロケ地はハワイと北海道とあとどこだっけ? >>843
戦前じゃないけど、そういう少女雑誌の編集者には万年芥川賞候補みたいな文学青年崩れが多くて、多少文才のある田舎少女を上京させて食うのに血道を上げていた。
その筆頭が川上宗薫と水上勉。 >>854
そんな洒落たところじゃありませんw
かつては田舎なりに賑わってた街ですが、イオンができてあっという間に廃れてしまいました >>847
アクアリストの俺から言わせて貰うと
海水魚の水槽は淡水魚の水槽よりも手間暇がかかる
塩垂れと言って、塩分が水槽を汚すし、海草や水草の管理も大変で
見た目綺麗な水槽を維持するには、小さな水槽でも実は、
新車が一台買えるくらいの値段がかかってる事も珍しくない
そう考えると、大きな水槽だったり沢山あったりすると
自前水槽でもレンタル水槽でも莫大な金額がかかってると考えていい
バブル時代ならともかく最近は店内に綺麗な水槽を備えてる所は少ないんじゃないかな >>857
>>847です
実は昔ほんの少しだけ海水魚飼育を試みたことがあるのですが
維持費も難しさも半端なかったです(ノД`;)
今思うと平成まで続いたあのお店はやっぱり奇跡だったのかもしれません
仮に同じような店が今できたとしてもあの雰囲気は
若い子にはウケないかもしれませんねー 魚で思い出したが、学校の前でヤドカリやミドリガメを売ってる業者がたまに現れた
一度だけヤドカリを飼ったことが事があるが、水槽を外に出しておいたら逃げ出して行方不明になった ミドリガメ流行ったとき親にねだったけどダメだった
ナントカ菌がいるからよくないってってちょっと話題になったような
ヤドカリは飼いたかったけど売ってる店がなくて諦めた 今落語ブームらしいけど、昔は各町内に寄席があって今と比較できないくらい身近な娯楽だった。名人円朝なんかもよく寄席で見たもんだよ。 >>861
「めぞん一刻」(まんが)で
2人の掛け合いが「寄席より面白い」と言うシーンがあるが
当時、寄席と言う言葉が分からなかった。 中学生の頃だったかな?
田舎者には落語は遠い存在だったなぁ
笑点とNHKでたまに放送くらいしかなかったよ >>844
それで文通したことあるw
同年齢の人がちょうど趣味友募集してるのみて手紙出した。
ヤドカリは今ペット屋(熱帯魚屋)でペットとして売ってるね。
ちゃんとヤドカリフードとかも一緒に。 >>862
東京、大阪、京都みたいな栄えてた都市だけだよ。
豆腐屋みたいに全国津々浦々にあった訳じゃないよ。 ↑
昔を懐かしむハゲ
常に三年後を見据えたハゲ
↓ 日本のお母さんは
京塚昌子、山岡久乃、森光子に大きく分類されると思う
うちは山岡久乃だった ウチは京塚昌子
あの頃は母になると普段はお洒落とかしてなかったよな >>872
さてはおまえ母親の下着で抜いたりしたな >>870
ある意味今よりおしゃれだと思う。
スカート履いてブラウス着てサロンエプロンwとかして家事全般してたし。
ジャージとかスエットとかトレーナーなかったから。
夏はワンピース。着る物他にないのよと母が言ってたけどその通り。
だから女性らしい所作もしっかり身につけないといけなかった面もある。
年配の人は普段着も着物で家事してたし。 うちの祖母も着物で過ごしていたなー母は洋服だけど今程ラフではなかった
母が10代の頃は既製品が少なかったから、オーダーメイドの話をよく聞かせてくれた
私は一時レトロな古着にはまったけど、大抵がオーダーメイドでウエストが細くて入らなかったw
今とは違うオシャレなものが沢山あったけど泣く泣く諦めたことが多かったな〜 >>875
祖母の形見でもらった服、全部オーダーなんだけどどれも生地の質や仕立てがよくて驚くよ
もう仕立ててから60年くらいたつものだけど破れや穴、虫食いすらない
仕立てもだけど保管も丁寧だったんだろうな
シンプルだけど上品なデザインで自分でもよく着るんだけど
いつも扱い悪くて傷めないかビクビクしながら着てるw 母が洋裁習いに行って何かと作っていたうちとはレベルが違い過ぎw
祖母も昼は畑夜は裁縫で子供を食わせてきた人だからオーダーの服なんかないと思うし
見たこともないな。
昔はスーツなんかとても最初は買えないから、親族などから譲ってもらってたとかは
聞いたことがある。
スーツ着る仕事の人がまだあまりいなかったから。 戦前の主婦や女学生の雑誌なんか見ると、型紙やら縫い方やらが載ってんだよね。
洋裁店に行く人もいたけど、ご近所のおばちゃんや女学生のお姉さんに頼んで、買った生地を縫ったり
持ってる服をリフォームしたりもよくあったみたい。
原爆で死んだ女学生達の遺影を見ると、バケットハットのつばを跳ね上げて造花をあしらった帽子を
かぶってる子が結構いるんだけど、これは、中原淳一がデザインして、少女の友という雑誌に型紙と
縫い方を公開した、パンジーという帽子でした。
着てるワンピースのデザインも、中原淳一が描いたスタイルブックで見たことがあるデザインが多かった。
相当流行ってたんだなあ。 >中原淳一が描いたスタイルブック
最近買った女學生手帖という本に載ってました
他にはビーズ小物や人形の作り方等々、今見ても可愛いものばかり
当時の女の子たちが流行に乗り遅れまいと作る姿が目に浮かびます
うちの母はなかよしや少女クラブを愛読していて高橋真琴のファンだったらしいです
当時の付録は今とは違って上品で夢があった!と鼻息を荒くしていましたw >>879
中央が高橋氏で、左はモンキーパンチ氏。(5日前)
www.asahi.com/articles/ASL4H3F5TL4HUDCB002.html 高橋先生には個展等で何回かお会いしたこともありますが、肉筆画は100万円以上するので買えまへん。 なんかおかしいと思ったら、高橋葉介と混同していた。
「真琴・グッドバイ」という作品があるせいだな、うん。 >>879
パンジーという帽子は、「女学生服装手帖」(少女の友連載)に載ってましたね。
遺影で見ると、様々な色の布で作られたとおぼしきパンジー帽が。
造花の数や大きさも個性豊かで。
かぶってた子は勿論、作ったお姉様も原爆で死んだのかと考えると切なかった。
女学生のお姉様は、流行の最先端をご近所に伝えると共に、学校で教わったハイカラな西洋料理も教えて下さったとか。
>>880
モンキーパンチ氏は、最初は兄弟ふたりの合同作家だったんだそうで。 プロの画廊での個展を、そうとは知らずに公民館や美術館とかの展示と同じ、鑑賞目的でいってしまったら、見込み客だと思われて、モチーフとか一対一で説明してもらったんよ。先生ごめんなさい。 >>878
私が10代の時ですら型紙とか簡単ワンピースとか載ってたしw
それでシャツとかワンピース作ってたw
裁縫雑誌ではないけど、あれなんだっけ?母がたまに買ってたやつで
成人女性全般向けみたいな感じだった。
祖母なんかがお金のために夜に縫ってたのは羽織とかみたい。
今やそんなの普段着にしている人はほぼいないね。
綿も昔は貴重で半纏もなかなか着られなくて寒かっただろうなあ。 >>885
主婦の友や婦人画報とかいった本でしょうかね。
女学校や洋裁学校に通ってたら、ああいう本の縮尺型紙を自分のサイズに起こすことも出来るんですよね。 型紙が載ってる雑誌というと装苑とドレメが二大勢力で
洋裁する人はどちらかの雑誌に載ってる基本パターンを自分用にアレンジした原型作る人が多かった。
私は専門の勉強したわけじゃないけど洋裁好きで中学時代から装苑式で自分用の原型作ってた。
雑誌にはいろんなデザインの服の型紙が載るんだけど、そこには基本形の線も一緒に書かれてて
自分に合うサイズにアレンジしやすくなってたんだよね。
平成に入ってからだけど、装苑が型紙掲載をやめるというニュースはけっこうショックだった。 携帯が普及するまでは、彼女とか友達とかの家電の番号はみんな覚えてたのに、今では嫁の携番どころか、
自分の秘密の携番すら覚えてない。
かろうじて自分の家電は覚えてる。
キャッシュカード以外のパスワードなんか何一つ覚えてない。
津波で全部流された人は大変だったろうなあ。 自分、配偶者、家の電話だけは覚えている。
でも最近は友達と会おうよって話に電話使わないんだよね。
メールだけで待ちあわせとか行く場所とか決まるし。
スマホの人ならラインとか。 西瓜やトマトには塩をかけていた。甘さが足りなかったからかな。
キュウリもそうだったな。味噌をつけるとモロキュウ、酒のつまみになるから子供向きではなかった。 個人的主観だから他のみんなと違うかも
スイカは昭和の頃でも十分甘くて旨いと感じていたが、それをさらに美味にするため塩を
トマトはそのままじゃ渋くて食えた代物じゃないから、それを誤魔化すために塩を
俺はこんな感じだった
今は品種改良と物流網が進歩したから甘くて美味しいトマトも普通に店頭に並ぶようになったな 味噌と言えば胡瓜より茄子、茄子よりホタルイカと豆腐
朝っぱらから辛子味噌でグイーっと逝きながら
寄席と言えば駅近ミュージック
末期なら「前座のマドンナ」「トリのホイットニー」が定番
偶におフランス退廃ミュージックのセルフ亀甲職人
途中コント落語吹き矢でお笑い、その後に観客参加の尺八演奏
でパチンコメドレーで大団円 キュウリに味噌つけて丸かじりがオヤツ。
トマトに塩振って丸ごと食べるのもオヤツだった。
子供向きじゃないって?
もろきゅうなんて大人になるまで知らなかったしなあ。
トマトは普通においしかったと思うけどなあ。
今の品種改良が進み過ぎて甘くておかずにならないトマトよりもずっといい。
品種改良で野菜の甘さばかり強調してなんか気持ち悪いよ。 今のナポリタンと昔のナポリタンの味の違いはそこかな?
まあ、補正も入ってるんだろうけど。 ナポリタンはケチャップだしあんなもんでしょ
加熱用のトマトは今でも酸味強いし 子供の頃は、塩鮭も塩鯖もたくあんも滅茶苦茶塩辛かった。
生鮭のムニエルが食べられる日が来るなんて思わなかった。 >>898
あの頃の塩って、塩化ナトリウム99%のただ辛いだけのが主流だったからな
スポーツドリンクが広く知られる以前は「大汗をかいたら塩をなめればいい」という先人の知恵を見るにつけ、
あんなもん舐めても余計に辛いだけだろと思ってたw
ところがあんな塩辛いだけのゲテモノと忌み嫌っていたものでも、時々食いたくなるから不思議だ
強烈に辛い塩漬けの魚をお茶漬けにして食うと意外といけるんだわこれが あ、↑の三行目は、
「あんなもん舐めても余計に辛い(つらい)だけだろと思ってたw」ね >>902
あの牛乳コップは、実際はフェイク(ほんの一口分しか入ってないのに一杯入ってるように見える)なので
一般家庭で真似したらそりゃ吐くよ。
志村けんのスイカコントも、見えない方の果肉を薄くそいであるらしい。 ドリフの牛乳は、コップの内側に空間があって、隙間のわずかな部分にしか牛乳が入ってなかった。
スイカは薄ーく切ってあって、横から見るとバレるので正面からしか映さなかった。
それを知らんで真似して悲惨な目にあった奴が何人いたことか。 こういうことだよな 牛乳の液面
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■=ガラス(またはアクリル) >>905
底面はなし 側面だけに牛乳が入る
なのでグラスを傾けると空洞なのが丸わかり >>899
今の粗塩だって塩化ナトリウム含量はたいして変わらないよ。
目の前にある「ヒマラヤ採掘法岩塩ピンクロックソルト(パキスタン製)」の食塩相当量は100gあたり98.28gだ。 今日、でっかい洗剤下げて買い物してる人を見た
まだ売ってたんだなw >>898
冷蔵庫がない時代、塩漬けで保存して運んだりしてた時代の残り香だね。
親なんかはリアルで冷蔵庫無しで育ったから、昔はもっとしょっぱかったし
甘いものはものすごく甘かったと言ってた。
魚も甘いものもそうそう食べられなかったしな。 > 冷蔵庫がない時代、塩漬けで保存して運んだりしてた時代の残り香
そこから発展して
長野県は冬季五輪開催に伴ってインフラが整備され、今では都内から普通に日帰り観光も可能となったが、
交通網が発達する以前は「最も遠い県庁所在地」などと揶揄されていた
その長野で独自の食文化が育まれたのは自然の摂理と言えよう
塩漬けでいかに保存性を高めるかは言わずもがな、タンパク質を追い求めて昆虫に手を出したり、
果ては食ってはいけないとされる毒キノコですら毒抜きして食ってみたり
今でも長野には良い意味で食のガラパゴスが残されている
俺も何度か足を運んだことがあるが、ほんっと衝撃だったわw 美空ひばり
世代が離れすぎていたのでリアルタイムのファンというわけではないが、
「川の流れのように」は当時のガキの俺が聞いても名曲だと思ったし、
時代が平成に変わったタイミングで最高の有終の美を飾ったなという印象
中森明菜
体調を崩しテレビからはすっかり遠のいているが、現在はディナーショーをメインに活躍中
大規模なコンサートよりもファンとの距離を大事にする小規模なライブに力を入れているようだ
あの美声は健在で、かつての少年少女ファンを今も魅了する
特にライブ後半に披露した「80年代ヒットシングルメドレー」は大盛況だったとか
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美空ひばり享年52歳
中森明菜現在52歳
( Д ) 佐藤允や平田昭彦や中丸忠雄といった男優達も、平成生まれのうら若きお嬢さんの心を魅了する。
高倉健や菅原文太も、平成生まれの女性ファンがいる。
石原裕次郎が好きな平成生まれの女性は見たことがない。 時代の差
ひばりの頃は色んなものが変わり過ぎる位だっただろうし
明菜の頃は変わった後だし 82年組アイドルの爆発力はすごかったがその先駆として81年10月に「せんちめんたるじゃーはーにぃー♪」とデビューしたあの子の衝撃度は忘れられない 平成元年だけど伊代ちゃんがアイドルてんこもりの歌番組で
いきなり「悲しくてやりきれない」歌いだした時はびっくりした。意外によかった。
この曲をシングルで出すとかすごいスタッフだと思ったなぁ。 派手な企画力
ツッパリイメージ
芋ロリータ
奇妙な声
バイリンガル
太もも
81〜82年のアイドルで売れてる娘は何か特長が際立ってた バイリンガルと言えば早見優を思い出すが、初年度は売れずに苦労したんだよね
このまま埋もれるのかなと思った矢先、「夏色のナンシー」が驚異的なヒットを飛ばして遅咲き開花
その後大御所というほどではないものの、82年組の一角を担うポジションに
それにしても「夏色のナンシー」は名曲だよなあ
永遠のスタンダードといっても過言ではない 中森明菜もスローモーションは今ひとつだったけど、少女Aが大ヒットとなった
まぁ芸能界華やかな時代だったな 早見優のニックネームはキャシーなのになんでと思ってた >>929
本人が「キャシーに変えてもいいですか」って提案して「メロディに合わない」って却下されたんだって。 羽田空港で中華航空のトライデントを見たことがある。 >>907
ドリフの大爆笑のバカ兄弟というコントで長さんが仲本工事と共にボケを演じていた 伊右衛門のCMに3人出てるけど、
歳とって皆、似たような顔になっちゃったな >>898
>>899
昔のかっぱえびせんもむちゃくちゃ塩辛かった記憶
かっぱえびせん好きの友達の口のまわりが赤くなっていた 昔の食べ物がムチャクチャしょっぱかったってのは、
食べてた自分の、お口がお子ちゃまっだったってのも、
ある程度あるのかもしれん 桑田靖子は確かに微妙
でも歌うまいし、足キレイだったしなぁ >>937
それはないと思う。
物心ついた時から塩醤油大好きだったしw
今みたいにおこちゃまな食べ物もあまりなかった。
おこちゃまだってみんな親がほぐした焼き魚とか煮物、おひたし毎日
食べてた。 …魚系の塩物なんか、物によっては塩噴いてるレベルで辛かったよね。 作曲・編曲家の東海林修さん死去 85歳
https://www.asahi.com/articles/ASL575FMLL57UCVL01R.html
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20180507003392_comm.jpg
「可愛いベイビー」「危険なふたり」など
歌謡曲から吹奏楽、アニメ音楽まで幅広く手がけた作曲・編曲家
テレビ番組でも活躍し、「シャボン玉ホリデー」の音楽や、「笑点」の
テーマの編曲も手がけた。作曲でも「愛の肖像」(野口五郎)などがある。 >>942
吹奏楽部だった俺にとっては「ディスコ・キッド」の人だなあ。
発表から40年を経た今でも人気の曲だよ。
知ってるやつは哀悼の意を込めて力いっぱい叫べ。
ディスコ! >>935
川に流れてゆく仮面ライダースナック・・
あれマズかったよなあ
食べずに捨てる奴(カード目当てで)多数で社会問題に >>944
あの頃のカルビーは、田舎のローカル菓子メーカー。
創業者は明治生まれ。
その時代の田舎の大人の脳みそでは、「子供が美味しいと思う味=甘味」だったんだろうね。
子供も塩味のスナックが美味しいと感じるなんて思っても見なかったと思う。
でも、あの仮面ライダースナックの大成功がなければ、今でも量販店とかで細々売られるローカルメーカーでしかなかったと思うよ。
当時の小遣い3日分もする高価なお菓子が捨てられてるのを見て、「一体何があったんだろう?」と思ってた当時の幼稚園児より。 >>945
当時20〜40代(昭和一桁〜20年代生まれ)と思われる企画、開発スタッフもこどもの頃の戦中から戦後に、甘いものに飢えていた世代でもある。
今から考えるとジュースもなにもみんな味が濃く、甘かった。(バャリースなど) >>920
往年のひばりファンからすると、川の流れのようにや愛燦々はイマイチ。
やっぱり、花笠道中や真っ赤な太陽、悲しい酒や人生一路がひばりらしいんだよね。 あのあたりは「べつにお嬢が歌わなくてもいいじゃん」って歌ではあるな。
それでも自分の世界に引っ張り込んでいるのはさすがだが。 まあ、さすが秋元康はそのへんきっちり計算して押さえてくるよな()
別に川の流れが悪いわけじゃないけど
あの秋元作詞の歌がひばりの代表曲のように言われるのはめちゃめちゃ違和感ある >>945
同時期にバーベQ味出てたのになぜそれを採用しなかったのか
あれなら捨てる子供はいなかったろうに・・・
コストが合わなかったのかな >>950
あの歌詞で
そろそろ逝きそうな感じがあった >>954
しつこいけど、明治生まれの田舎の人の、子供が美味しいと思う味覚=甘味という固定概念が原因。
あの味は覚えてるけど、鯛あられと呼ばれてる鯛型の飴を絡めた揚げスナック菓子の甘味を薄くした感じだった。
お小遣いの問題で一年に一度食べられるか否かの幼稚園児にとってはまずくはない味だったけど、メーカーも
時代が大量消費の飽食へと移り変わってたり、子供も塩味スナックを美味だと感じたりという時代の変化には追いつけ
なかったろうし…
まさか、飽きて食べずに捨てる子がいるというレベルで売れるということも、田舎のローカル菓子メーカーには想定でき
なかったのだろうと思った。 当時は情報面でも交通面でも、東京と広島の距離は遠すぎた。
東京と広島の子供の価値観や親の躾、消費スピードの違いも完全に読み違えてたと思う。 >>945
ライダーカードとアルバム
今でも大切に持っています >>958
とびっきりのキャスターさんですね…
地元民です、よく見てました。
若い時、めちゃくちゃかっこいい
ご冥福をお祈りします。 >>954
バーベキュー味はライダースナックが廃盤になった後だと思う Nintendo64って昭和かな?
ソフトいっぱいでてCDも使えたらよかったのにね 歌手として大人気だったが
ドラマの寺内貫太郎一家も好きだった >>971
樹木希林が沢田研二のポスターを
見てジュリーと絶叫
山口百恵と沢田研二は人気があったからな。 DAVID BOWIEと Cyndi Lauper のLPは聞いてた。 …どーでもいいことだが、テレビジョッキーに出場して、口に含んだ牛乳を目から出したり、ミミズを蕎麦のように食ったり
ゴキブリを食ったりして白いギターをもらってた若者達って、今50代半ばから60くらいだよね。
還暦前後のおばちゃんでもきんどーちゃんを知ってるし。
もうそういうバカ野郎が還暦前後なんだなあ。 ごめん、ちょっと、いや、かなり論点ずれるけど
あの頃ってTVジョッキーに象徴されるように青少年はギター弾けて当たり前
または今は弾けなくともいずれできるようになるぐらいの大前提だったよな
俺は世代も違うしそもそもギターに全く興味無かったんだけど、
ゴキブリやミミズ食ってTVに出た世代にとってギターとはバイブルのような存在だったわけ? ギター弾けて当たり前、なんてことはなかったと思うけどなぁ ギター弾ける人なんてほとんどいなかったよ。
何か勘違いしてると思うw >>978
弾けた人、弾けるようになりたいと思っていた人もいるでしょうが、大抵はテレビに出たというステイタスで、
見栄え重視で飾っておくインテリアに過ぎなかっただろうなと思います。
…5分しか着用できない強化スーツを隠してた人もいたようですが。 夜のヒットスタジオでCasiopeaが共演
西城秀樹がCasiopeaの「SUN」を歌った
笑っていいともでCasiopeaの野呂一生と共演
「西城秀樹はフュージョンに詳しい」と思った。 住宅街の物干し台でトランペット吹いたり
男女が屋根瓦に上ってギターで歌ったり
今だったら通報ものだな 西城秀樹さん死去 大阪にも深い縁
https://i.imgur.com/bTQv4v1.jpg
https://www.mbs.jp/news/sp/kansainews/20180517/GE000000000000022633.shtml
なんばパークスがある場所は、かつて南海ホークスが本拠地とする大阪球場でした。
ここで1973年から10年連続で西城さんのコンサート。日本のソロアーティストで、
初めてスタジアムコンサートを行ったのが西城さんだったといいます。 西城秀樹の件は、広島では号外が出たし、紙面の割き方も衣笠祥雄と同じくらいだった。 乗用自動車の保有台数の推移
(軽自動車を含む) 各年3月末現在
平成 1年 30,712,558 平成 2年 32,937,813 平成 3年 35,151,831 平成 4年 37,310,632 平成 5年 39,164,550
平成 6年 41,060,611 平成 7年 42,956,339 平成 8年 45,068,530 平成 9年 47,214,826 平成10年 48,684,206
平成11年 49,968,149 平成12年 51,222,129 平成13年 52,449,354 平成14年 53,487,293 平成15年 54,471,376
平成16年 55,288,124 平成17年 56,288,256 平成18年 57,097,670 平成19年 57,510,360 平成20年 57,551,248
平成21年 57,682,475 平成22年 57,902,835 平成23年 58,139,471 平成24年 58,729,343 平成25年 59,587,242
平成26年 60,051,338 平成27年 60,517,249 平成28年 60,831,892 平成29年 61,253,300
ttps://www.airia.or.jp/publish/statistics/ub83el00000000wo-att/hoyuudaisuusuiihyou.pdf
ttp://www.arclink.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/01/mkc0003b6.png
一人あたりの車の保有台数は増えているわけで、今の若者は自動車により身近な世の中で暮らしている
昔は女で車を持っている人間は少なかったが、今は女でも結構持っている。圧倒的に車の所有は多くなっている。
お下がりによって無費用で入手可能な時代になった。PCスマホ車ブランド物なんでも普及し尽くした。
お爺ちゃんが車を買って、保険などの維持費はお爺ちゃん持ちで高級車に乗る20代が増えたこと増えたこと
若者はまとめサイトのお客様世代だから
心地の良い「離れ扇動」を真に受けメタに立って
「今の若者は昔とは違うんだ」ってアイデンティティに目覚めるんだけど、
アヒチルドレンの姿とテレビを盲信する老人の姿は同一のアチチュードですよ
ネットを使えば、若者はマーケッターの思惑通り操られてくれる昨今の状況がわかりますねえ
アフィサイトの没落と同時に、これまでの誘導情報から解放される若者が増えればいいんですがね 「若者のクルマ離れ」は東京限定の話だった、全国では20代の8割以上、30代なら9割以上の者が運転免許を保有 [転載禁止]c2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plusd/1429495646/
【速報】「若者の○○離れ」 ウソだった 出版社「昔の大学生は車を買ってた?アレは広告企画。当時でも無理」 [無断転載禁止]c2ch.net [759857947]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1499531731/
運転免許 取得率 25〜29歳 男94% 女87% 持ってない男は知的障害者と判明 [無断転載禁止]c2ch.net [659060378]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1504003719/
新社会人の75%が「車欲しい!特にトヨタ車希望」 [615579589]
http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1526465088/ 高い代金や維持費をかけてまで持ちたくないってだけで、今だって若者が欲しがる車なんか幾らでもあるよ
昔みたいにスポーツカーじゃないのは確かだけど。 西城秀樹は洋楽をライブで歌っていた
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