50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part27
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50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part26
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/hsb/1632655039/l50
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 三池工高・甲子園初V捕手、穴見寛さん死去 東海大五監督で選抜出場
https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/842614.amp
一時期相模の監督もやってたのは知らなかった
ご冥福をお祈りします 名勝負 1992年愛媛大会 2回戦
松山商 対 宇和島東
https://youtu.be/yV00uwR8Urs
(5分前に公開) 45:44 >>747
そこに上がっているのは伝説の名勝負だが、
全盛期の箕島とのガチンコ3番勝負、
千葉県民と秋田県民を奈落の底へ突き落した印旛戦、金足農戦、
都城のライトの落球でまさかのサヨナラ勝ち、
高知商の中山から打った清原の伝説のホームラン、
宇部商戦の清原の2発など。
これだけ印象に残る試合が多いのも凄い。 榎田の時の箕島戦は痺れたよなぁ。どっちの奇跡が強いのか、最後まで針がフラフラしてたように見えたよ。 こう書くと必ず爺さん扱いされるが、履正社には全く記憶に残る試合はない。
大阪桐蔭も少ない。
如何に、PL学園が良き好敵手に恵まれていたか。 >>754
よって、PLと複数回対戦した高校も多いよね。何校くらいあるんだろうか? 強いて言うなら、2017センバツ初戦の
日大三高戦。
石田の逆転スリ−ランは鳥肌立った。 記憶に残る名勝負
■履正社
◇10夏 vs聖光学院
山田哲人の超絶ホームラン
◇19夏 vs星稜
大多数のファンを絶望させた4番の一発
※※※※※番外※※※※※
◇97夏 vs専大北上
強いのか弱いのか分からない大阪の新鋭現る
■大阪桐蔭
◇91春夏
殆どの試合が印象に残った名勝負製造チーム
◇06夏 vs横浜vs早実
まさかの大勝&大敗
◇12夏 vs光星学院
藤浪無双
◇14夏15春 vs敦賀気比
壮絶2連戦
※※※※※番外※※※※※
◇12春 vs花巻東
目立ったのは大谷のホームランと俊足ぶり
◇17夏 vs仙台育英
高校野球の黒歴史
◇21夏 vs東海大菅生
雨中であそこまで強行した試合があっただろうか
大阪桐蔭はそれなりに名勝負あるかな
履正社は確かに名勝負少ない
新湊のほうが多いだろこれ >>759
雨中の試合は、73夏、江川の作新対銚子商だが、自分見た中で一番しんどそうと思った試合は79春東洋大姫路対池田。セカンドゴロがピッチャー手前で止まる。ホームへすべり込むと田んぼに足を突っ込んだ感じだった。夏池田は決勝まで行ったんだから、余計に可哀想だった。夏にノーゲームになった試合見たけど、あれより酷くない。 >>759
大阪桐蔭は2018選抜準決勝の三重戦は土壇場9回で追い付いて12回サヨナラという、かつてのPLみたいなしぶとい野球を見せてくれたね
今年の近江戦は大阪桐蔭らしくない試合だった
大阪桐蔭が負ける時は序盤からリードを許してそのままあっさり負けるパターンが多かったから 2019夏優勝した履正社×関東一の誤審としか思えないシーンが
衝撃的で恐怖でもあった。。。 >>759
大阪桐蔭は17年の件で許された感あるけど
ついこの間まで岸や平沼にボコボコ当てたり県岐戦のタックルといいやりたい放題だったのをみんな忘れてるよね。
あと05年がないのは何故だ!?
5試合ともハイライト目白押しというのに…
この頃の大桐は好きだったわ 辻内のハイライトは19奪三振の藤代戦、HRの駒大苫小牧戦のイメージが強いけど、個人的には清峰戦の9回が印象に残ってる。
1点返されて尚1死満塁のピンチに開き直って力勝負で抑え込んだ場面、あの時辻内は覚醒したと思う。
辻内本人は仲間のゲキが自分を奮い立たせてくれた、と試合後に語っていた。弱気のあまり逆転負けのシナリオすら頭を過っていたらしい。
制球に苦しんだ春日部共栄戦の辻内のままだったら苦しかっただろうね。 PLは応援も独特なものがあったからな。
当時、一文字は画期的だったし、
チャンスでPLの応援が流れると、
もう、完全にやられた感が凄かった。
昭和53年夏の決勝の高知商なんて、
9回の裏は完全に飲み込まれて、訳がわからない感じだった。
後、コスモタイガーを応援にと使うところも凄い。
訳が 今から考えてみると、当時のPLは、
野球部の強さ、実績は勿論のこと、
数々の名勝負、名選手
数々の伝説のシーン
独特な応援
校名のインパクト
校歌の覚えやすさ
名門校は他にもたくさんあるが、
全てがバランスよく揃っていた。
これは奇跡だな。やはり奇跡のPL PL学園の人気は今振り返れば、というところもあるかな
当時は圧倒的に強くてアンチも多かったよ 勝ち過ぎてつまらないと
それにあの強さが異常な寮生活と暴力に支えられていたわけで今になっては興醒めしてしまうところもある 奇跡のPL、永遠の学園がまさか野球部消滅してしまうとはな
今や学園自体消滅の危機だろ
それでも往年のPLファンにとっては歴史の中に閉じ込めることが出来て、むしろ良かったのかな 細々と弱小野球部で継続していたら過去の栄光も汚すことになってしまうわけだし PL、黄金期はたしかに大相撲の北の湖的なところがあったよね。
負けたり、苦戦すると喜ばれるという。
KK在籍時で言えば、都城戦や岩倉戦、金足農戦、取手二戦、伊野商戦がまさにそう。
谷間世代が前年に大勝した浜松商にリベンジされ、大敗した時も痛快だった。
片岡が87年夏初戦で群馬の中央に終盤まで手こずった時、球場全体が「PLが負けたら面白いな」という雰囲気になったと言っていたね。 PLや箕島、池田に比べ、大阪桐蔭は名勝負が少ないとよく言われるけど、現在は大阪桐蔭に限らず、甲子園全体で昭和の頃に比べて名勝負が減っているんだと思う。
俺が高校野球を見始めた昭和50年代は夏の甲子園の決勝というと、好勝負になるのが普通で、大差がつくことなんてほとんど無かった。
だからこそ、広商が池田に2−12で粉砕された時は衝撃的だった。
でも、今は夏の甲子園の決勝で10点差くらいつくことは珍しくもなんともないからね。
昭和50年〜54年の夏の甲子園決勝
習志野 5−4 新居浜商(サヨナラ)
桜美林 4−3 PL学園(延長11回サヨナラ)
東洋大姫路 4−1 東邦(延長10回サヨナラ)
PL 3−2 高知商(サヨナラ)
箕島 4−3 池田
直近5年の夏の甲子園決勝
作新学院 7−1 北海
花咲徳栄 14−4 広陵
大阪桐蔭 13−2 金足農
履正社 5−3 星稜
智弁和歌山 9−2 智弁学園 最近は暑さで、決勝戦で投手がボロボロになっているから、大差が付く。
不思議と大阪桐蔭の相手に多いが、沖縄水産、常葉菊川、金足農業。
そう考えると早実の斉藤は化け物だった、 銚子商7−0防府商でも
決勝戦らしくない大差の試合と思ってた 1998の横浜
2004、2005の駒大苫小牧
2006の早稲田実
平成以降、甲子園で伝説となった優勝校はこの3校だろうね 公立高校でありながら、あのPL学園と決勝を互角に戦った宇部商業は大したもの。
エースが不調だったが、2番手投手が奮闘したし、藤井の打撃も凄かった。
宇部商業は、記憶に残る試合が多い。 公立校でよく全国レベルの投手2人も用意できたと思うわ。
やっぱ夏は複数投手揃えないと勝ち上がってもジリ貧だよね。
今思えば96松山商も07佐賀北も二枚看板だった。 >>772
銚子商と防府商も5回まで0−0だよね。
6回裏に銚子商が一気に6点を入れ、試合が決まったけど、途中まではわからなかった。
近年、夏の甲子園で決勝がワンサイドゲームになる時は序盤から大差がつくケースが多いよね。 近年、全体にいい試合が減ってるというのは確かにそう思った
見たいカードみたいなのが、まーったく思い浮かばない 俺は36で、物心ついて初めて見たPLは94年春の、宇高とかサブローがいたチームだったけど、PLは清原がいた頃に昔優勝したことがある高校、というくらいのイメージだったな
やはりリアルタイムで優勝を見たことない学校は過去感が強い
今の20代なんかもっとだろうね >>767
以前にも書いたことがあるが、80年代半ば頃のPLを作家の藤本義一氏がとにかくこき下ろしてた。
ある週刊誌のインタビューで「PL?ただ無機的に強いだけや。あんなん高校野球とちゃうやろ?
PLが大阪代表とかもう腹立ってしゃあないわ。」と。
さすが藤本さん、PLの実情をよく知ってたみたいだね。 >>780
だいたい小学校高学年くらいからが多いだろうね >>773
早実は定期的に大フィーバーを起こす。
王さんで大フィーバー
荒木大輔で大フィーバー
佑ちゃんで大フィーバー
清宮で大フィーバー
星稜も定期的に物凄い試合をする。
箕島戦、明徳義塾戦、小松大谷との決勝戦
PL、箕島、池田、広島商、星稜、早実、宇部商、松山商
まさに伝説の学校 PLと大阪桐蔭
箕島と智弁和歌山
広島商と広陵
松山商と済美
違うんだな〜 >>782
山城新伍も87年の夏の決勝の日のお昼の番組で「今日は甲子園の決勝?どーせまたPLが優勝でしょ?(ケッ」って言って嫌そうな顔してたわ 今は良い選手をたくさん集めた学校が戦力差で勝ってしまうから名勝負が少ない感じがするね
野球スタイルも変わってパワー全盛時代なので味のある試合が少なくなった
再来年から導入予定の飛ばないバットで野球がどう変わるか注目したい 40年甲子園を見てきて歴代最も劇的な優勝校は1998の横浜高校 延長17回、6点差大逆転、ノーヒットノーランの三部作は永遠に不滅のストーリーだろう
この他には1978のPL学園、1979の箕島高校、1982の池田高校、1983のPL学園、2004の駒大苫小牧、2006の早稲田実 まぁ少なくとも最も華のある春夏連覇校といったら横浜だね
今でも俺は春夏連覇=横浜の図式だ
7〜8年前、高校野球雑誌だかナンバーの企画だかで春夏連覇と言えば?というアンケート結果が
1位 興南
2位 大阪桐蔭
3位 横浜
とかで、単に最近の連覇校で並べただけじゃね?と思った記憶
まぁ10代とか20代前半の人が多く投票したのならそういう結果になるだろうが 桑田、清原という2枚看板のPL学園と、松坂だけの横浜では比較にならんわな。 >>771
暑さは今の方が過酷だが、日程は昔は今の比ではないほど鬼畜だったし、エース=完投の時代だったから、昔のピッチャーの方が疲弊は甚だしかったはず
それでも近年ファイナルでの大差試合が多いのは、打撃力が昔と比べて飛躍的に向上したのが要因だろう
それまで全試合力投してきたエースが最後力尽き、控え投手との交代で外野などに下がる時、お疲れ様的なねぎらいの拍手が沸くシーンは高校野球ならではの光景で好きだったな 今年の智弁対決で大差が付いたのは何気にショックではあったな。 伝説の優勝校ランキング(平成以降)
@98夏 横浜
A06夏 早実
B07夏 佐賀北
C04夏 駒大苫小牧
D95春 観音寺中央
こんなところか
個人的には
@04夏 駒大苫小牧
A07夏 佐賀北
B05夏 駒大苫小牧
だな >>791
おれは力尽きたエースが外野に回るとうのが大嫌い。
そんなことするくらいならベンチにいる外野の控えを試合に出してやれと思う。
高知商戦でノックアウト喰らった箕島の吉井が尾藤監督に
「最後は好きなポジション守らせてやる」と言われて
非常に困惑したというインタビュー記事を読んだことがある
そうすることで誰か一人がベンチに下がることになるので、
迷った上で下級生の勘佐のポジションに入ったと。 >>794
なんか、外野まで走って行く後ろ姿が哀愁漂ってて夏の終わりと相まって心に響くんだよな
近年では敦賀気比の平沼が2年の時そんな感じだった
イニングの頭からベンチに退いて投手交代となるのは何か違う
昔はエースの降板=負けみたいな感じだったね >>795
>昔はエースの降板=負けみたいな感じだったね
それだけに横浜の川戸が出てきたときは、絶対に早実が逆転する思いながら見てた スレチスマンけど、ニューイヤー駅伝で優勝した富士通が優勝旗を紛失・廃棄?って事件が起きてるね。
昭和29年夏に全国優勝した中京商(現:中京大中京)で、その年の11月に優勝旗を紛失。
翌年2月に占い師の予言通り、学校から北の方角に600mほど離れた中学校の床下から見つかった事件で
漫画「ドカベン」でもこれを題材にしたエピソードがあったな。
この事件以後、優勝旗は銀行の金庫なんかに預けられるようになってしまったんだっけか?
中京商の事件のときは日本高野連に紛失の一報を報告に行った学校関係者が、当時の佐伯達夫会長から
「バカ者!あの優勝旗を何だと思っているのか!」とキツい叱責を受けたらしいが。 >>793
00年代は新興校が次々と出て来て面白い大会多かったね >>789
朝日の47都道府県ベストゲームのアンケートも酷かった
埼玉の1位が13夏の浦和学院10x-11仙台育英だったからな
浦和市立の宇部商戦とか上尾の波商戦とかあるでしょうに… 1974夏、銚子商対防府商
銚子商の大量得点で大勢が決して防府商のエース井神が外野に下がって
そこに大きな打球が飛んできて井神が追うも捕球が叶わず。
リプレーでアナウンサーが「逃げていく大優勝旗を追うかのような井神」とコメント。
なぜかよく覚えている。 >>799
2006年のチベン和歌山−帝京戦含めて
単なるバカ試合だろ! >>799
93年夏甲子園決勝の春日部共栄ー育英以下かよ 私は埼玉県民だが、
埼玉のベストゲームと言えば自分的には
やっぱり75夏準々決勝、上尾5−4東海大相模だね。
次点が88夏3回戦、浦和市立2−1宇都宮学園(延長10回)。 そりゃアンケ方式ならどうしても近年の試合になるよ
目くじら立ててても仕方ない
40代以下が見た事もない上尾の試合なんてあげないだろ 自分の少年期から青春期に見た試合が思い入れ強くなるもの
俺はPL春夏連覇以降見始めたから
「その時代は低レベルで〜、やっぱり江川〜KKまでが云々」言われるとイラっとするもん
今は動画で過去の試合見れるからあの空気感わからんでもないけどさ >>771
斉藤は高酸素カプセル使ってたと聞いたが >>805
このスレ的にもさすがに60年代以前の高校野球リアルタイムで見てたり聞いてた人殆どいないからなぁ
PLネタが伸びるのが何よりの証拠
中京明石25回なんてもはや古代神話みたいなものだからね 結局、年代が異なる学校を比較しても結論が出ないわけで最強チームはどこか?なんていうテーマもあまり意味がない >>798
対して10年代は常連校が殻を破ったみたいな優勝が多かった印象
浦学・敦賀気比・智弁・徳栄・履正社など
平安・作新あたりもイメージ的には含まれる
優勝はしてないが殻を破った感は学院大中京・三重・明豊にも感じるな 作新は低迷期長かったからな
夏に復権したという意味では相模も当てはまる
智弁や敦賀気比は4強の壁を乗り越えたから次は東海大甲府くんもなあ… 作新は2016年が53年ぶりの優勝で、かなりブランクあるけれど、優勝の最長ブランクって作新? プロ野球OBクラブチャンネル
【1960年代からヤバかった】
地獄の1年生を2回やった…とにかく
「耐える」ことを覚えたPL学園の3年間
https://youtu.be/2GqhWovivoo
(20分前に公開) 19:10 OBクラブチャンネルってなんで皆変なシャツ着てるの? PLは弱体化したんじゃなくて、耐えることを拒否する時代になったという事 PL学園の全校生徒は中学高校合わせて150人位ですか? 生徒数徐々に減っていってるみたいやけど、仲良くしてたらいいんじゃないかな ちなみに、中高だけじゃなく幼稚園、小学校、専門学校もあるんだが? >>812
たぶん
江川とか八木澤の時代と最近の作新てある意味別物だし >>780
同じだ
ただ宇高の年に甲子園で初めて見てなんちゅうかユニフォームからオーラが出ててこれがPLかってゾクゾクしたのは覚えてる
夏は藤井とかいた近大付属に負けて残念だった 50歳代の人からみたPLはやはり1978西田木戸世代だろう あの2試合連続逆転劇を観て心を鷲掴みされた少年はたくさんいたはずだ
あの桑田真澄もあの代を見てPL進学を決めたらしい >>791>>794
昔は投手で打撃の良い選手が今より多かった気がする。
単に投げない時は野手でチ−ムに貢献しろって感じじゃなかったのかな?
投手で4番が少なくなったし、野手の層も厚くなったのかもな? >>820
780だけど、小学校一年の時にかっとばせキヨハラくんを読み始めて清原選手の大ファンになってさ、その清原選手の母校が今出てるPL学園という学校だよ、と父親か祖父から教えてもらって、じゃあPLを応援する!となったのが最初にPLを認識した時だったと思う
それから高校野球そのものが大好きになって、2001年の事件が起こるまではPL応援してた
そんな今では大阪桐蔭の大ファンでいつも舞洲に試合見に行ってる 昭和53のPL西田、昭和55の横浜愛甲、昭和56の報徳金村、昭和57の池田畠山
俺が高校野球を見始めた昭和の終わり頃はエースで四番の大黒柱が率いるチームが優勝することがむしろ多かった。
この選手たちも今ならみんな二刀流とか言われていそうだね。 それにしてもあの頃はスター性があってキャラの濃い選手が多かったな 高校野球人気が高かったわけだ 二刀流なんてプロで大谷レベルの成績残して与えられる称号でしょ
高校野球のエースで4番くらいで二刀流とかきりがない >>821
桑田はその試合をラジオか何かで応援してた父兄の「PL」という言葉を
初めて聞いた
その父兄に「なんやお前、大阪のPL学園知らんのか〜」と言われて、
桑田「よしっ、俺はPL学園に行くんだ」と決めたと言ってた つまり、桑田は見て鷲掴みされたわけでは無い
小5の時に八尾フレンドの練習中に雨で中断した際、
当時逆転のPLと騒がれてて、父兄がラジオを聴いてた
桑田「そのPLという言葉の響きが良かったんだよねー」 >>826
昔はエ−スで4番のチ−ムは強いっていわれてた由来がこの辺りにありそうだな。
センバツ制した高知商業中西や、伊野商業
渡辺も4番じゃなかったか?
あと、優勝してないけど、1984年選手権でセンバツベスト4の大船渡を初戦で破った長浜高もたしかエ−スで4番だった記憶がある。
他にも投手だからと4番を回避されてた選手もざらにいただろうし、このじだい
記憶違いなら、ごめんなさい。 >>830
関西の人と関東の人では「ピーエル」のアクセントが違うよな。
関西の人は「ピ」にアクセントを置く >>823 >>826
甲子園を沸かした投手や、甲子園では活躍できなかったけどプロで活躍した投手の中で、
打撃が弱かった人と言えば誰を思い浮かべますか?
自分の記憶では興南の仲田がバッティングはすっとこだったような?
桑田も清原いなかったら、4番打っててもおかしくないぐらい打撃よかったしね。
プロ入ってから、遊撃手か中堅あたりで野手に転向してたら333も達成したのでは。
意外と知られてないが、実は松坂も桑田と打撃レベルが同じぐらいだったらしく、新人の年に気分転換にいきなり打撃練習させたら、木のバットでポンポン柵越え連発してたようだ。
まあ、そんな事はなかったと思うが、当日東尾監督が松坂は野手に転向しても肩も強いし間違いなく一流になる、言うてた。
この二人に関しては、天は二物を与えたよな。
不公平だ!www しかしオリックス萩原の投手転向には驚いたけど、
アマで投手経験がなかったと聞いて更に驚いた 松坂の打撃力の良さは誰でも知ってることだろ
江川も良かったし、一流投手は打撃も非凡なのは当たり前のことでは? 牛島の上尾戦での9回同点2ランだね。
やはり一流の投手は打撃も凄い。 エースで4番打者、さらに塁に出れば走りまくる韋駄天っていた。 ごめん、最後はクエスチョン。
投打走の3要素を兼ね備えた投手はあまりいなかったような・・。 岡山南の川相や横谷はエースでクリーンナップで走塁でも光ってた
どっちも野手でプロ入り 北陽の嘉勢だな。すごいのは。
プロでも野手、投手の両方をやったので、紛れもなく二刀流だった。 >>845
そうなんだ!
wikiには
仰木彬がオリックス・ブルーウェーブの監督を務めていた時に野手から投手に転向したのは、萩原以外に嘉㔟敏弘・今村文昭がいる。なお、萩原の場合は、今村や嘉勢のように投手から野手にコンバートした上で、投手に再コンバートした例とは違い、高校時代に投手経験がない。
とあったんですげえなあと思ってた。 >>845
秋季関東大会小瀬球場で見た!
準々決勝成田高校主戦中丸が打ち込まれて救援して10-8で逆転勝ちした試合やね。 打撃の良い投手と言えばやはり早実の王貞治が最強だろw >>848
そっちだ。
小瀬球場は宇学にサヨナラ3ランで負けた時やな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています