50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part26
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>>35
しかし、その公立校3校は選抜優勝。やはり夏は本当の地力が無いと勝てないという事かな?夏出てきたのは観音寺中央のみ。清峰は不運だった。途中、中断があり大瀬良の長崎日大に負けたね。伊野商も先行したが高知商に8回裏満塁から、ライト前ヒット、が大きく跳ねてライト後逸走者一掃で負けた。両方とも決勝でしたね。 長崎の公立といえば青いユニの長崎北陽台
好投手松尾の活躍でベスト8
一瞬の輝きだった
最近はラグビーで校名を聞くだけ インターネットの無い時代と現在では高校野球の楽しみ方が違う。 >>34
尽誠学園去年のセンバツ選出されて
夏の交流戦で智辯和歌山に圧勝してまっせ >>39
そうでしたか?すんません。最近高松商とか英明とかその辺しか聞かないもんで。 1993から1996年までの夏の大会は2年生の優勝投手が続きましたね。93年の
育英は3本柱のうちの2本が二年生の酒谷と松本で、94年の佐賀商の峰、95年の
帝京 白木、96年の松山商は2年生の新田が実施的なエースだった。結構、珍しい
時代でしたね。揃って翌年の夏には戻ってこれなかったの共通していて、育英なんか
聞いたこともない高校にコールド負けしていたからなぁ。準優勝の春日部共栄の土肥、
星稜の山本も翌年はだめだった。やっぱり癖等を相当調べられるので地区大会を
勝ち抜くのは難しいのでしょう。最近でも現在、プロで活躍している桐光の松井や前橋
育英の高橋でも翌年は駄目だった。こうなると桑田やダルビッシュ、田中マー君の
偉大さが分かりますね。 高校野球だと2年生の時が一番力を発揮しやすいかも知れないね 技術的には3年生とそれほど変わらないレベルまで向上してくる段階だし、精神的には3年時のようなこれが最後というプレッシャーがない
個人的には9人のうち、3年生5人、2年生3人、1年生1人ぐらいのチーム編成が理想的かなと思う 1年生はどうだろう。バンビ坂本や荒木みたいにエースとして活躍するのもいる。近年は減って
いる様な気もするが本田拓人(京都外大西)も決勝まで行っている。70年代だと堂園(鹿児島商)、
金本と小山(中京)、片田(土佐)、金子(金沢)、愛甲と結構居た。もっと前だと2回目の1年の新浦
や尾崎とかも1年でおっさんの様に活躍していた。 投手に限らなければ、1年生で活躍する選手は毎年のようにいるんじゃないか?今年の横浜の緒方みたいに >>42
育英なんか聞いたこともない高校にコールド負けしていたからなあ
→その高校は東洋大姫路なんだけど
0-12の惨敗だった 一年生てま活躍すると、その後が大変らしいよ。
桑田は2年生以降、開会式のリハーサルや待ち時間中にしょっちゅう他校の選手に絡まれたと言ってたし、京都外大西の本田君も、2年生以降の練習試合では、相手バッタ−がファウルを打つ度にベンチから凄い声援が飛んだとか。
本田君は情状酌量の余地有りだと思った。 いや、どこに余地があんねん
紛れもない犯罪者やん
しかも再犯してるし >>23
星稜は松井一人が有名だが実は投手の山口も力があった。
石川では、92星稜は松井と山口のチームというイメージが強い。
松井山口以外の選手は例年に比べて実力的に小粒だった(こんなこと言ってよいのかと思うが)。
あと一人打力のある選手がいればチーム力も格段にアップしていただろう。 スーパー一年生で先細りになる球児も少なくない中で
松井は順調なくらい成長曲線描いたからなあ
山下監督の目標設定(1年で石川一、2年で北信越一、3年で日本一の打者を目指す)も適切だったように思う
結果論とはいえ、1年秋の北信越準決勝で上田の松商に負けてなければ5期連続出場を果たしていた 荒木大輔や桑田真澄は1年から活躍して当然という実力があったし、実際に5季連続甲子園出場したけど、東邦の坂本は本当にたまたま抑えられたという感じで凄みが全く感じられなかったな 対戦相手もなぜ抑え込まれたのか分からないと言っていたし
案の定、甲子園から帰ってからは苦難の日々が始まった
でもそれでこそ正真正銘のシンデレラボーイだったと思う >>51
荒木大輔は名前だけで大したことないて言う球児もいたらしいけどな
最後の夏は人気の早実荒木小澤コンビ実力の池田畠山水野言われてたんでしょ
伊野商の選手に高知帰れば桑田より速いのは何人かいる言われてなかったか
1985年夏はスピードでは中山(高知商)146桑田145片平(銚子商)140だったらしいけど 荒木の1年夏のピッチングはこれは簡単には打たれないだろうという制球力があった 決勝戦を除いては 松井1年のデビューした相手が日大鶴ヶ丘だったな
決勝意外コールド大差で勝ち上がったのに山陽をあんなに打てないとは
関東一も鹿実と並ぶ優勝候補だったのに松岡の肩にやられたな
松岡カンニング?だかでニュースなってタクシー?だっけかパクられた ヤクルトの村上も1年夏が最後の甲子園伊勢がエースだった
秀岳館全盛期にあたって毎回決勝で大敗してた >>49
山口のことは松井も認めていたね。
星稜の同級生の披露宴であいさつした際、「星稜野球部は、僕と山口と『その他』でした」とやって、大爆笑だったとか。
明徳戦は松井の後ろに山口を置く打順にしなかった山下監督のミスだという見方もあるね。 >>52-52
なんだかんだいって、荒木は昭和57年世代を代表する投手の1人だよね。
春夏の優勝投手で、同じドライチだった榎田、畠山よりプロでは荒木のほうが投手として活躍している。
日野なんてプロにも入れなかったしね。
むしろ、このあたりの投手なら荒木の控えの石井のほうがすごかった。
予選敗退組では西崎、阿波野という凄いコンビがいるけどね。 >>51
中学時代は外野の控え、名電のセレクションに落ちるような少年が
半年後には甲子園準優勝投手だからなあ >>48
お前、人の気持ち分からん、典型的な自己中人間て言われない? >>58
トミージョン手術受けられたのデカかったのかね
アメリカは保険かからないから費用が莫大とか全部ヤクルトが出してくれたみたいだな4年待ってくれたんだろ
荒木はドラフト評価も人気先行で辛口だったようだな
むしろ小澤守備だけはプロも評価してたとか
話飛ぶけど銚子商の土屋投手は今なら即トミージョン手術なるかな 荒木で印象的だったのは2年の夏に集中打を食らって報徳に逆転負けした時。
その時の荒木はワインドアップに入る前に足を後方に蹴り上げてリズムを取るような
独特のフォームだった。ところが走者が出るとそんな大きなフォームを取れないので、
7回まで無失点とほぼ報徳を完璧に抑えていたのに 一挙に連打で9回裏に3点差を
追い付かれ延長で逆転した。勿論、荒木の疲れもあった思うが、ワインドアップと
セットアップの差も大きかったと思う。 >>61
速攻で手術だろうね。夏の甲子園が終わった時点で。 報徳戦は早実らしさがよく出た試合だったな
いつのまにか4点も取って鮮やかな攻撃だった
最終回の金村の二ゴロの誤審がなければなぁ >>58
昭和57年組は高卒ドラ1がプロでは伸びず、プロで通用したのは晩成組というのが面白い
西崎も石井も高校時代は控え投手だったのが大学社会人で覚醒
阿波野は高校時代も神奈川県屈指の好投手だったが、覚醒したのは大学入学後だろう 松井の甲子園初HRを打った竜ヶ崎一戦。
ライトスタンドで観戦してて、
打球が飛んできたすぐ傍の席にいたのが良い思い出。
あの時は次の試合の帝京×池田戦を見に行ったんだけど、
内野席は早い時間で入れなかった。 >>9
89年東邦は典型的なセンバツ型のチームだった
信頼できる投手が山田1人きり、しかもセンバツ以後打線が不振で、打撃も山田頼りのワンマンチーム化していた 初戦を勝てたとしても、夏に優勝戦線に食い込めるチームじゃなかった 荒木大輔のピッチングフォームって、観てると何故か落ち着くんだよな ありそうであまり見ないフォーム 竜ヶ崎一戦でのホームランと言えば報徳の荒武の満塁ホームランが思い浮かぶ。
木製バット時代の満塁ホームランは貴重だった。
でも、報徳対竜ヶ崎一の試合は古すぎるかな? ABCが映らない地域だから分からないけど、植草貞夫アナが「荒木大輔鼻つまむ!」って
いつの試合のどんな状況(シチュエーション)だったんだろ?
ちょっと想像がつかないんだけど。 1年生投手の中で中京の小山哲幸、金本誠吉のコンビが印象的だった。元々予選では
小山は15番、金本は忘れたが10番くらいの背番号でエースは伊藤だった様な気がする。
予選の決勝の相手は3年連続代表だった東邦で、2年ながら山倉が4番に座り、下馬評では
東邦が圧倒的に有利だった。中京は隠し玉という訳でもないけど小山を先発させ、
そこそこ投げて乱戦の末に勝利。スコアは11-5だったので、小山が完璧だった訳ではなく、
東邦の投手が自滅した格好だった。しかし杉浦監督は試合後の甲子園メンバーの登録時に
小山にエース番号を、金本に10を与えた。
甲子園の初戦は東海大相模。下馬評では2年前の優勝チームに劣勢を伝えられたが、
意表を突いた金本の先発が当たり、完封。2回戦もプロに指名された好投手石田を擁する
足利学園戦でも金本が登板し、連続完封。元々、中京は明治で活躍した横井とか4番西村
を揃えて打撃と守備はそこそこの評価で投手力が弱いと見られていたが、金本の連続完封
で評価が鰻登り。準々決勝での高知商戦を事実上決勝と見る向きもあった程であった。
(因みに朝日の記事で準々決勝屈指の好カードという歴史的迷言が書かれていた)。
しかし、そこで何故かエース小山を登板させた。小山は、そこそこ好投したが、結果的に
4点を取られて逆転負け。未だ疲れの見えていなかった金本を登板させる手はなかったのか、
と当時から議論を呼ぶ采配だった。 因みに、その後は金本がエースになったと記憶している。少なくとも3年春(1974年)に
甲子園に戻って来た際は金本がエース、小山は外野手で4番だった様に思う。一回戦で
滝川に一蹴されて人の話題にも登らず。卒業後、金本は本田技研鈴鹿で鳴らし、阪急入り。
中継ぎではあったが1軍登板も少なくはなかった。引退後に韓国に渡り活躍したが、それも
引退した後に三面記事を賑わしてしまったのは残念だった。
小山は中京大の主軸だったが、マスコミの表舞台に出たのはプリンスホテルが社会人野球
チームを発足させた折の選手の一人として脚光を浴びたのが最初で最後だったと思う。 >>66
羨ましいですね
持丸さんは30年経った未だに1大会2勝の壁を越えられず… >>64
8回に1点返したときの内野安打も一塁アウトだったと思う
近畿パイアが炸裂し、荒木は可哀想だった >>57
打順が松井ー山口だったら最終回は計算上では敬遠四球→三塁打で同点だった
あくまで計算上ではね >>70
池田戦で江上にライナーでライトラッキーゾーンに運ばれたとき。まあ知ってると思うけど。 >>74
8回は内野安打でなくてゲッツー崩れ、一塁はセーフと判定された。あれもアウトだっただろう。
9回の金村の件は有名だが、あれは小沢だったから(本当は)アウトになったんだろう。それだけすごいプレーだった。 81の報徳は優勝したけど、あまり強さは感じなかったな
横浜、早実、名電を破っての優勝だから文句なしなんだけど、早実戦は誤審が無ければ負けていたし、名電戦は工藤の疲労に助けられた
前後の優勝校に比べると今一つ納得出来ない >>78
決勝戦の相手が楽なブロックを幸運に助けられて抜けてきた相手だったしね
あの大会は工藤の印象が強い 驚異のガッツマン宇学高嶋死去。インパクトのあるいい選手でしたね。 >>78
はあ、工藤の疲労に助けられた?1回戦から登場の金村の方が疲労度高いだろ くじ運やたられば言い出して納得できないとかきりないわ
スポーツなんてそんなもんだろ
全部フラットな状況で試合できるかよ >>81 連投の効く効かないは個人差がある。高校時代の工藤は明らかに連投の効かないタイプ。
県大会でも準決勝、決勝は3、2失点と球威がなくなっていた。甲子園でも準決勝は別人の様に
精彩がなかった。報徳戦が1、2回戦だったら三振の山を築いていたと思う。 >>80
合掌
あの年の宇学は本気で全国制覇狙えるチームでしたね 88センバツは元木種田2年生時の上宮との激闘が印象深いな ベスト4だったかな
夏は浦和市立にまさかの敗戦だった 9回の金村のはアウトかセーフかわかんないけど、一塁手がベース踏みなおしたのがあの判定につながったと思う。 >>79
あの時、工藤は夏休みが無くなると思い、準々決勝以降に望んだそうな。本気で勝ちに行くのだったら金村と勝負してないとも書いてありましたね。 >>85 この年の宇高は初戦で優勝候補近大付を破ってから勢いに乗った
近大付はせっかく超難関で苦渋を舐め続けた大阪大会を勝ち上がっての初出場だったのに
初日であっさり敗退なんて不運を絵に書いたようなチームだった 88年の北関東は大型チームが多かった印象
宇学に小浜戦19点の常総学院、甲子園未出場組だと大宮東とか
個人的には春関で4強入りした埼玉栄の右腕本田が印象に残ってる(当時は若生さんが監督だったかな?)
そんな顔ぶれの中で小兵の浦和市立が勝ち残るあたりに高校野球の醍醐味を感じる >>90
宇高ではなく宇学だ 栃木で宇高は宇都宮高校 >>90
80〜90年代の近大付は監督が頻繁に代わってるね
長いこと務めた豊田さんの後に
・88年春夏連続出場 野村さん
・90年春優勝 吉田さん
・92,93夏出場 浅黄さん
これだけコロコロ交代するのは何か理由があったのかな? >>91
1988年夏の関東は、宇学、常総以外も拓大紅陵、東海大甲府がいて、すごいメンツだった。
その中で一番上まで勝ち上がるのが浦和市立だとは誰も予想できないよね。
2回戦以降に下した常総や宇学、宇部商に比べると、初戦で破った佐賀商は地味だが、香田監督が2年生で在籍していたはず。 悔しまぎれの書き込み見れば、やっぱり1981夏の報徳は全国制覇に相応しかったと確信できる。 >>95
なんか申し訳なさそうに書き込んじゃって大変だなw 「宇都宮」の表示にクレームが来て
「宇 工」になった事もあったな >>57
「星稜野球部は、僕と山口と『その他』でした」
松井は上手いこと言うなあ。
思わず笑ってしまうよ。 >>98星稜五番打者月岩くんが気の毒すぎる
石川に帰ってからも熱狂的な高校野球ファンから自宅を攻撃されたり女子高生に「何で打たなかったのよ最低ね」
なんて言われたり大学もすぐ中退
馬淵さんも罪作りだよ 馬淵さん、今年も風間にめちゃくちゃ球数を投げさせて、まんまと攻略していたね。
5連続敬遠も風間に球数を投げさせるのも、馬淵さんにとっては同じことなんじゃないかと思う。
周りの見る目が違うだけで。 松井のブラックジョークは本質を突いているから笑うに笑えない人もいるだろうな
月岩はその後、居酒屋経営で成功して実業家として手広くやっているようだね 月岩の居酒屋に加藤が飲みに来ていたら、面白いね。
閉店後、サシ飲みして「ファウルフライ」と「5敬遠」について語り合って欲しい。 >>100
>馬淵さん、今年も風間にめちゃくちゃ球数を投げさせて、まんまと攻略していたね
チームは勝っても、凄い選手は育たないね >>103
昔の話になるが、江川の時にそれをやろうとしても出来なかっただろうね。なんせボールに当たらなかったからw松坂はそれで攻略できたかもしれない。ま、リードして1イニングだけだったからやらなかったのかもだが。 奇跡のバックホームの主人公の1人である熊本工の星子はたっちあっぷという居酒屋を営んでいるんだっけ
色々と葛藤があったようだけど、その後の人生に活かされているのであれば貴重な経験だったと言えるな >>104
広商の打者がベースにかぶさるように構えてデッドボール食らって昏倒したことがある
江川の動揺を誘って結果的に制球乱して球数増えて攻略したやん。 >>93
野村さんは早稲田大学に引き抜かれた
就任後チームを立て直し、春夏連覇のPLと大阪大会決勝で接戦の末にサヨナラ負け、翌年は春夏連続出場と有能だった 豊田さんは数年前まで群馬の利根商の監督やっていたけど、もう退任しているね 1988年選抜は、校名が「宇」で始まる学校が3校も出場し、宇和島東(優勝)、宇都宮学園(ベスト4)、宇部商(ベスト8)と揃って上位に進出した珍しい年だった。
しかも、ベスト8には上宮も進出し、頭文字がUの学校でベスト8の半分を占めた。
このうち、宇和島東と上宮は夏、甲子園に帰ってこられなかったが、代わりに浦和市立が旋風を巻き起こし、頭文字Uブームを引き継いだ。
優勝校の広島商はエースが上野(UENEO)で、初戦で上田東(UEDAHIGASHI)に勝って波に乗った。 1988年は夏の浦和市立の活躍が衝撃的だった
全くの無名公立校が佐賀商、常総学院、宇都宮学園、宇部商を次々に撃破していくんだから
もう負けるだろ、もう負けるだろと思いながら観ていたな
個人的にはジャイキリってある程度はいいんだけど、度が過ぎると腹が立ってくるw あの時も宇学に勝ったあたりでいい加減にしろよと思ったな 近大附属は豊田さんで昔選抜大会でベスト8まで行きましたね
あの時の豊田さんは怖かった
鬼と呼ばれてましたから
歳いってから丸くなったみたいだけど >>112
ジャイキリって……度が過ぎると腹が立って
わかる
佐賀北が帝京に勝ったときはさすがにムカついた
因みに決勝に関しては何も文句はない 斎藤佑樹もついにと言うかやっとと言うか、引退か
松坂大輔と言い、今年は甲子園の大スターがプロの世界を去っていくな
最近は大谷だったり、以前はイチローだったり、周りが礼賛の嵐で本当にうざかったけど、俺の中では甲子園で活躍出来なかったイチローや大谷よりも松坂や清原や桑田や斎藤の方がよっぽどデカい存在でヒーローなんだよな そういやWikipediaの「番狂わせ」って記事に今年の近江-大桐のカード紹介されてて噴飯物だった。
あの内容更新したの高野はまりたてのキッズだろw イチローって、ホント嫌いなんだけど、松坂に対して野球を深いところでナメてるって苦言を呈したことがあったけど、俺から言わせればイチローは甲子園、高校野球をナメてたよな
松坂や清原に遠く及ばないくせに偉そうにすんなって感じだな 2007の佐賀北は自分的には全くのノーマーク。
2回戦の佐賀北―宇治山田商は
中井大介のいる宇治山田商の圧勝だろうなと
自分は予想してたけど、見事に外れた。 ついにハンカチが引退か。
あの成績じゃ仕方ないか。 >>120
唯一の”理解者”だった栗山監督も今年で退任だからな。
後任監督に誰が来ても、来季の契約は無かっただろう。 >>116
今夏の野球関係者の総評は「番狂わせ」じゃなく「近江も強かった」だけどな。
実際の試合内容見ても番狂わせを思わせる内容じゃなかったし、試合後西谷監督の「自分達がやりたかった野球をやられた」って言葉からも、決してまぐれの勝ちじゃないと思う。
だいたい桐蔭の前評判が高過ぎたんだよ。
何度も試合して勝率で争えば桐蔭が勝っただろうけどな。 >>122
そもそも春はミス連発して初戦敗退だしね…
相手が智弁だったのもあったけど、ところどころプレーに粗さが見られた。
少なくとも圧倒的優勝候補ではない。
「番狂わせ」の語を使うのなら下馬評でダビデとゴリアテぐらいの差がないとね。清峰-愛工大名電みたいに。 >>121
栗山退任で清宮も首の周りが寒くなるな
稲葉監督には好成績を上げさせないといけないから、フロントは外国人を複数取るだろうし
一塁しか守れないのは致命的だわ 今年の夏の番狂わせと言えるのが東北学院−愛工大名電じゃないか?下馬評は圧倒的に名電だったし
まぁ、終わってみれば名電はいつもの名電だったということだけど 本当の番狂わせは、なんといっても
83年選手権準決勝
池田 0 − 7 PL学園 だろな。
これに勝るば番狂わせの試合は無いだろ。 おれが40年余り高校野球を見て来て、「衝撃度」という点で甲子園ジャイキリベスト5を挙げるなら、、、
と思って考えたけど、この3つと並べられる他2つの試合が思い浮かばなかった。
新湊7−4拓大紅陵
伊野商3−1PL学園
PL7−0池田
なんだかんだで、PL7−0池田がやはり圧倒的だな。
敗戦を告げる玉音放送の衝撃について、当時を知る爺さんに話を聞いても俺らがピンとこないのと同じで、
この池田の敗戦の衝撃は、いまどきの若者はいくら詳しく説明されても絶対に実感できない。 ここ5年の優勝候補筆頭の結果と結果
17 春 履正社 準優勝 夏 大阪桐蔭 三回戦
18 春 大阪桐蔭 優勝 夏 大阪桐蔭 優勝
19 春 星稜 二回戦 夏 東海大相模 三回戦
20 春 中京大中京 中止
21 春 大阪桐蔭 初戦敗退 夏 大阪桐蔭 二回戦敗退
個人的に21夏は優勝候補筆頭はいなかったと思うけど、強いてあげるなら大阪桐蔭か PL7−0池田 ぶったまげた
ただ最近YouTubeで改めて見返すと水野が前の試合でデッドボールくらった影響か球に全然キレが無いのに気付いた
PL舐めてたのもあるかも知れんが 水野が舐めてたのは桑田をはじめPLの下位打線で、下位打線のホームラン攻勢というのも
異例のことだったと思う
特に1年生桑田の大ホームランには自分も含めて殆どの人が我が目を疑ったはず 単に衝撃受けなかったが、実際には衝撃だった試合なら、いっぱいあるよな。
PL 0 − 1 岩倉
PL 4 − 7 取手二
拓大紅陵 0 − 1 東洋大姫路 宇都宮学園高校、現在の文星芸大付属高校出身でプロ野球のオリックスで活躍した高嶋徹さんが28日、直腸がんのため大阪市内の病院で死去しました。51歳でした。 葬儀・告別式は家族葬で行い、喪主は妻の美紀さんが務めました。 高嶋さんは1988年の春の選抜高校野球にキャッチャー・4番で出場し、ヤクルトの元監督、真中満さんとともにチームをベスト4に導きました。 70年代だと
作新1-2広商 :準々決勝の江川が完璧だっただけに驚き
広商2-3大分商: 西の横綱が盗塁の新記録を作ってなんじゃそれ。
岡山東商4-5日南:西の横綱が開幕戦でノーマークの赤ヘルに力負け
崇徳0-1海星:春夏連続優勝を狙ったスター軍団が酒井に完封される。黒田は不運な失点。
と言ったところが思いつく。これ等より池田がPLに負けた時の方が吃驚かな。 >>131
まさかPLが岩倉・山口に1安打完封されるとは
思わなかった。
準々決勝の拓大紅陵戦は6−0と完勝し、格の違いを
見せつけたが、
準決勝の都城・田口を打ちあぐねた試合から
どうも打線が湿ってたね。 あの当時のPLは初戦にいつも猛打爆発させたけど、その後試合ごとに打線が湿っていった
印象がいつもあるなと思ってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています