【萩尾望都】大泉スレPart53【竹宮惠子】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
萩尾望都・竹宮惠子・増山法恵
この三人を中心とした大泉時代のあれこれについて語りましょう
■参考文献
一度きりの大泉の話(萩尾望都)2021年4月発行
少年の名はジルベール(竹宮惠子)2016年1月発行
■テンプレまとめサイト
https://mototemplate.memo.wiki/
■参考ブログ
【村田順子ブログ魚拓】2021年04月26日
https://web.archive.org/web/20210426122201/https://blog.goo.ne.jp/rococom/e/4c12d956c4c795af772196a69e49a61b
【竹宮恵子マネージャーブログ(魚拓)】2021年05月25日
https://archive.is/VTNN0
■関連スレ>>2
■次スレ>>950踏んだ人(もしくはその前後でも)立ててください
■前スレ
【萩尾望都】大泉スレPart52【竹宮惠子】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1637711204/ >>651
79年を追加
80年の「地球へ」総集編の追加
88年を少し詳しくした
増山がトラプロを離れた時期を探してたんだけど、88年ペーパームーン変奏曲あとがきに「昭和50年(’75)から54年(’79)まで在席」とあったので
最近の増山のプロフィールで「竹宮恵子と15年一緒にやって」みたいに書いてあるので
トラプロ起業から15年?って事で、ブレーン解消を90年にしてみたよ >>649
むしろ高齢者は朝早い
若い人の方が夜中まで起きてるんだと思うよ
だから朝早くにも誰かしらいるし夜遅くにも誰かしらいるんじゃないかと >>652
増山さんのブレーン関係解消は1985辺りと捉えるのが正
根拠
日本推理作家協会の増山プロフ
http://www.mystery.or.jp/member/detail/0660
によると、
>二十歳から十五年間、少女漫画家・竹宮恵子のプロダクション“トランキライザー・プロダクツ”のプロデュース・ディレクターを勤めたのち独立
竹宮増山は同い年、大泉サロン開始の1970年が二十歳ごろ
トラプロ起業が1975頃だからこのプロフを字面通り読んでしまうとのんたん時期と期間を大幅に盛りすぎィ!となるけど、意訳すると「20歳で大泉サロンを開始してから15年間、私はずっと竹宮恵子のプロデューサーだった」と言いたいんだと思う
ちな1985は風木が完結(節目となるトピックがもう1個あったけど失念)
スレ書き込み=二次資料だけで根拠としてはダメ(ミスリードの元)、必ず原典に当たりましょうとしつこく言う理由 竹宮恵子の小学館漫画賞受賞は1980年という情報が広く使われてるけど、正確には第25回/1979”年度”?なんだね
増山さんも「1980年に竹宮恵子が受賞して〜」と語ってる
授賞式が1980年に行われてそっちが通用してるのかな
検索してて面白いPDFにあたった
「別添資料 竹宮惠子の業績について」で検索
(何の為の資料だろう・・・) 書き手の主観によって増山さんの少女漫画キャリアが10年もブレるの面白過ぎィ
変奏曲あとがき(竹宮)
652 >増山がトラプロを離れた時期を探してたんだけど、88年ペーパームーン変奏曲あとがきに「昭和50年(’75)から54年(’79)まで在席」とあったので
↑
社員としての在籍年数を記載
嘘ではない、しかし二人三脚は起業前、少なくとも下井草に越した1973から起算するのが順当だろ?そんなに期間を短く見せたいの?とツッコミたくなる
日本推理作家協会プロフ(増山)
>二十歳から十五年間、少女漫画家・竹宮恵子のプロダクション“トランキライザー・プロダクツ”のプロデュース・ディレクターを勤めたのち独立
↑
期間と「トラプロの」が不整合、かつ「プロデュース・ディレクター」は自称。社長竹宮恵子は対外的に一度もそんな呼称は使ってない 竹宮さんは、まるで原作なしで自分が描いたみたいに捏造し
増山さんは、ずっとプロデュース・ディレクターとして遇された射たように粉飾
似た者同士だけど、増山さんの方がまだ謙虚かな >>655
決算月が4月であれば、1979年度と言うのは1979年4月から1980年3月までを差す
だから1980年の3月までに受賞式を行ったのであれば1979年度で間違いないよ 増山さんのはささやかな見栄 言わば親より竹宮さんを選んで十五年尽くして、大して報われなくて自分のキャリア形成には何にもならなかったとは言えない >>658
自己レス
間違い 決算月が4月であれば
正しい 決算月が3月であれば 今さらだけど↓のサイトに革命について竹宮さんが次のように言っている
https://manganavi.jp/special/job/20070831/
「――その共同体から少女マンガ界に革命を起こそう、という構想みたいなものがあったんですか?
私と萩尾さんにはそういう大きな考えはなにもなかったですね。単純に生活するうえでの理由です。ただ、増山さんには最初から少女マンガ革命というプランが具体的にあったようですね。彼女は出会った最初から、少女漫画家にとっての共同体を作りたいというようなことをよく話していましたし。」 >>553
まとめサイトの者です
いつもたくさんの資料をありがとうございます
アップしていただいた「岸裕子インタビュー(6p) 」ですが、pdfファイルでは92ページの次が97ページになっており、93から96ページが見当たりません
「もくじ」をみると「岸裕子インタビュー」は92ページから101ページまであるように読めるので、お時間あるときにご確認 いただけますか?
お手数かけてすみませんがよろしくおねがいします >>656
ありがとです
年表に足してみました
74年 「風木」掲載の為、アンケート上位を目指して「ファラオの墓」、社費で脚本家にアドバイスを貰うブレーン手法を利用
ファンクラブ発足
変奏曲シリーズを断続的に発表
75年 トラプロ起業
76年 「風木」始まる
77年 「地球へ」始まる
変奏曲シリーズ「皇帝円舞曲」発表
78年 COMIC JUN創刊号で変奏曲外伝掲載
(以降、82年まで掲載誌を変えながら毎年読み切りを発表 85年、90年にも発表)
79年 竹宮が第25回小学館漫画賞受賞
増山、マネージャーとして在籍していたトラプロから独立、以降はブレーンとして関わる(’88変奏曲竹宮あとがきより)
80年 「地球へ」連載終了アニメ映画化、アニメ化に合わせた総集編の奥付に小さく制作協力増山のりえの記載あり
増山は不調により暫くトラプロを休む→竹宮妹がマネージャー引き継ぎトラプロ参加、増山ブレーン呼び開始
増山「マンガ家になれる本」座談会に登場
84年6月で「風木」連載終了
「続マンションネコ」で藤子不二雄を例に出し増山との共作をアピール
85年 増山ブレーン解消
(20才から15年間トラプロのプロデュースディレクターを勤めたのち独立 日本推理作家協会賞増山プロフより)
88年 ペーパームーンコミックで「変奏曲」4度目の刊行、表紙に原作増山のりえ表記、あとがきで増山が原作者だったと明かす >>665
すごく長くなってしまった
79年から80年がごちゃごちゃしてるのですが、時系列が不明なので、とりあえずこのまんまにしちゃいました
あと、私はスマホでちまちまやってて、これ以上は難しいので、直したほうがいい所とか新しい情報とかあったら
自由に訂正してもらって大丈夫です
よろしくお願いしまーす >>449
まとめサイトの者です
「ロンド・カプリチオーソ」の発掘、ありがとうございます
採録予定ですがしばらくお待ち下さい
すみません >>670
いつもありがとうございます。
御無理なさらぬように。 昨日キャンディキャンディの件が話題に上っていたので、
久しぶりにキャンディキャンディブートレグ!のサイトを眺めていたら、
京都精華大、日本マンガ学会の名前が出てきてびっくりした
精華大、マンガ学会は漫画家の権利を擁護するという名目の下、
原作者の権利を否定するフォーラムを開いたりした側だったんだね
当時この話題は目にしていたが
ここへ来て竹増問題とつながるとは思わなかった
何かいろいろ腑に落ちたわ、竹宮さんが原作者のことをどう考えているのかとか
萩尾さんがどうして大泉本であんなに原作者の権利と責任にページを割いていたのかとか 地球へ...総集編 小ネタ
キャプ画ご容赦、まあまあ読めるでしょ
1枚目 推定第一部
2枚目 推定第二部
3枚目 第三部の藤子不二雄対談
ケーコタンのアイドル作家売り(produced by のりえもん)が味わい深い
https://imgur.com/a/wNKg96l
https://imgur.com/a/yeKTebX
https://imgur.com/a/AIPMiWa こっちのほうが日本マンガ学会と精華大が、いかにいがらしゆみこ寄りの関わりをしているかが
詳しく分かるページかもしれないです
https://candycandybl.weebly.com/timeline01.html
全体像を知りたい方は「キャンディキャンディ裁判」でググってください 昭和生まれのお婆さんたちが50年前の女同士の痴話喧嘩に花を咲かせるスレ >>661
紹介ありがとう
2007年の時点の竹宮さんは、大泉当時少女漫画革命を唱えてたのは竹宮さんではなく増山さんだけ、というのを自ら語ってたんだね!
でもジル本では、それが竹宮さんと増山さんにすり替わってる
大泉本によれば「少女漫画革命」の話には佐藤さんも熱心だったようだけど、彼女については黙殺
前にスレで、大泉本で佐藤さんの「論理より感情が勝る」に変わったというエピソードを紹介した箇所で
わざわざ【15年ぐらい経って】と具体的な時期に触れてるのが気になるというのが話題に上がったけど
増山さんと竹宮さんが離れた時期が15年ぐらい経った頃というのと符号する
萩尾さんはその辺の事情を示唆したかったのかな >>675
いがらしさんここまで酷かったとは
最高裁まで行って敗訴してるのに、全然懲りないどころか海賊版を自ら作ってるのか
日本マンガ学会がいがらしさん側に加担してるのは知ってたけど、事態はさらに酷いことになってるんだな… その人も25年生まれだった
新たに「25年組」をつくったらいいんじゃね >>681
あだち充、新谷かおる、美内すずえ:「オコトワリシマス」 残念ながら25年生まれだったら入れるわけでは無い
原作者をないがしろにしてはじめて入れるのだ
※25年生まれ以外も可 >>664
いつも有難うございます
そして採録、本当にお疲れ様です
皆様のお役に立てるかも、と思うだけでとっても嬉しいです
早速ですがご質問の件、実は4ページほど抜け落ちているのは岸裕子さんのカラーイラストの部分なんです
他の先生方もイラストやイラスト&詩の部分をアップしていないので、岸裕子さんも文字の部分だけアップした次第です
説明が足りず本当にすみませんでした >>681
>新たに「25年組」をつくったらいいんじゃね
だったら竹宮惠子さんや増山法恵さんは25年組という事だねw >>677
情報ありがとう。興味深いです。
水木さんをディスっていた長谷邦夫さんは赤塚さんのブレーンの1人だよね。
原作者の立場もわかると思うけど、自分も絵を描くから漫画家寄りの発想に加担したのか。 >>685
お返事ありがとうございました
後ほどインタビュー部分をまとめサイトに採録します 美内さんも最近はビジネスばかりやってる。
ビジネスの前に完結させてほしいというのがファンの悲鳴では。 >>680
マンガ学会はそれと性表現規制撤廃の立場だったよね。 私が増山さんの名前を初めて知ったのは昭和52年1月刊
「フラワーデラックス 竹宮恵子愛のイラスト作品集」
の伊東愛子さんの竹宮トリビュート漫画だと記憶していて、
入手してみたらドンピシャだった。
もっと沢山紹介されていると思ったらニコマ。
増山さんをプロデュースディレクターと描いている伊東さん。
それとこの本の目次にも「制作協力 増山法恵」の文字が。
画像を貼ろうと思ったら貼れない。
またイムガートラブルかな。 伊東さんの漫画には
「ケーコ・タケミヤを変えたある人物とはほかならぬこの人!」
「竹宮家にはこの人に会いに行くのです」
とあるから、竹宮さんよりも増山さんと親しかったのだろうな。
イムガー直ってほしい。 フラワーデラックスで石ノ森さんと「師弟対談」って言うのも盛ってると思う。
アシスタントをやっていたわけでもないのに。
伊東さんは増山さんをプロデュースディレクターと紹介することで、
編集さんとの関係が変わればと思っていたのかもね。
伊東さんのトリビュート漫画はCOMで作品を読んだことや
竹宮さんが「ひいてもひいてもいい線が引けない」
と努力する姿やロンド・カプリチオーソで納得できるシーンが描けずに
最初からやり直しというエピソードを描いている。
でも萩尾さんにだったら言うであろう「発想がすごい」とかはなし。
竹宮さんが目覚めた新しい世界(何かはっきりとは言っていない)は
「増山さんの影響」と描いている。
伊東さんがケーキ×3の頃からの仲間であることを考えると、
竹宮アゲをしているようで実はかなり批判的に描いたのかなと思う。 伊東さんの漫画のコマの右端、切れてるけど
プロデュースディレクター(生産管理者)って注がついていて、
スケジュール管理している絵になっているというのは気になる。 増山さんは他に、とらんきらいざあ訪問ページのイラストで
名前入りで出てくるので伊東さんの漫画に出てくるのは増山さんとわかる。 >>698
竹宮恵子は締め切り何それ美味しいの?なヒトだったそうだから(自分で言ってる)、ネームのディスカッションもだけど原稿落とさない為の作家管理、案件管理(編集者に謝るとこ含め)もプロデューサーの重要な仕事だったんでしょう
「続マンションネコの興味シンシン」(1984)
3枚目 竹宮恵子の自筆で
・トラプロデューサー
・仕事、作品の内容に関してはこの人にご相談ください
ですってよ、奥さん
https://imgur.com/a/igpDBws
https://imgur.com/a/0bgEmQy
https://imgur.com/a/sN5sSvx >>691
やっぱあったか〜w
ありがとうございます! おはようございます みなさん、よく眠れましたか?睡眠不足はいけませんよ 寿命を縮めます >>693
まとめサイトに採録をいつも有難うございます
ペーパームーンですが、今回は背景のキレイさに重きを置いてしまったため文字が薄く読みづらいものとなってしまいました
とは言え最初からまたやり直すのも骨が折れると思い、そのままアップしてしまいました
これに懲り、今度からアップする時には文字が読みやすいように濃い目にしようと思いました
文字が薄く読みづらくて申し訳ありませんが宜しくお願い致します >>672
つまり「原著作者(原作者)が許可を出さないと作画者は作品を出せない」最高裁判決が要点になってて
マンガ学会側としては作画者にとって都合が悪いのでこの判決を無効にしたいって立場なのかな
これが竹増問題でいうと「増山さんが原作者として認められると出版の主導権を握られる」ことになるね >>700
残酷な言い方をしてしまうと、これでは「作家」ではなく「絵を描くロボット」になってしまうね
「作品の『内容』に関してはこの人にご相談ください」では創作に苦悩している人物像と遠い気がする
画面を構成する技術に精進してるなら「職人」といえるけど、いくつかのカットを見る限りどう評価したものだろうか 皆さんの情報提供、まとめアップに感謝です
いがらしさんの件は遠い昔に聞いていましたが、日本マンガ学会がいがらしさん寄りとは
初めて知りました。
漫画は最終的に絵を描いた人のものであり、利益・名声を独占する権利があるという考え方は
お話を作ることが不得意な漫画家にとっては好都合。
日本マンガ学会の基本方針がそれ、ということでしょうか キャンディはあまりにも原作者をないがしろにしようとしたから、ここまで決定的な判例がでてしまったんだと思う。
作画者の権利はもちろん大事だけど、キャンディは最初「原作などない、全部自分」と言ったのが間違いのもと。
それで原作者も態度を硬化させたんだよね。しかも裁判中にも金儲けのため色んな物版したり、海外展開したり
「なんでこんなに自分からこじらせるの~!」状態。
なんか言い訳で「弁護士が最初大きく出して、そこからすり合わせする作戦をした」とかいてったけど
それも原作者馬鹿にしすぎだと思うし・・・
そこにマンガ学会がいくら作画の権利のためとはいえ、原作者やその家族を誹謗中傷したのは最悪だった。
原作は封印され、小説本だけは「絵」をなしにして出版されたが、もう漫画関係はこりごりと原作者はその印税も全部寄付
(キャンディが孤児院の設定だったのでその手に寄付)して封印したらしい。
あのころはこの手の勘違いじい様たち(学会)みたいな人が結構いて、某ヤ〇トアニメでももめた。
あるSF関係の講演会で堂々と「あれは松〇先生の物ですよね!」と豪語していた方がいて
「いや、確かに貢献して、大部分の権利があってもおかしくないけど、そもそもアニメって
個人の権利ものじゃないと思うし、そんなに断定してSFファンならそれが当然みたいな押し付けは
まずいんじゃないか?」と思った事があった。
権利関係は難しい。ほんと落とし穴だらけ。 増山さんも同じようにすれば寿命も伸びたのに
だってある意味悪どさはいがらし以上でしょ それにしてもこのキャンディ関連の時系列は竹増問題の時系列と奇妙にシンクロしてるね
竹宮さんは増山さんの他界というフィナーレまで絶妙な関係性を保ち続けたものだ
ビジネス絡みで様々な業界模様があるあたりも「大泉ビジネス」に通じるものがあるね >>708
水木さんと同じようにってことかな?
竹宮さんがあくどいので? 増山さんは何のかんの言って権利より友情を取ったのでは?
佐藤さんが言ったという「論理より感情が上回る」と言うのはここら辺の事かもしれない
論理的に言えば原作者としての権利も十分あるけど、感情面で竹宮さんに言いだせなかった
ってこと? 話が思いつかない絵しか描けないならイラストレーターになればいい
ストーリーや設定が伴ってキャラがはじめて生きて絵として成り立つなら
それは絵を描いた人だけの能力ではない >>705
対外的窓口って意味でしょ
スケジュールだけじゃなく、マンガの中身についても竹宮でなく我がトラプロのプロデューサーが対応しますよ、という
1980コンタクトの竹宮恵子は寺のアニメ化もあって漫画家キャリアいち忙しかった時期だと思う 水木さんが商魂たくましいのはいまの博物館のホームページ見ても分かるよね 同じ原作者の素材を持ってしても出来上がった作品に差が出るのはここの住民ならよくわかるのでは?
だから私は原作付き漫画における作画者の権利も重要だと思ってる
スレチにはなるけどキャンディ騒ぎの頃、原作と一言で言ってもあらすじレベルからネームまで、作者によって色々な形があったと知ったからさ
キャンディは不幸な例だよね >>714 訂正
水木さんがではなくいがらしさんです >>671
こちらこそいつもありがとうございます
>>701
また何か発掘された折には是非アップをおねがいします >>703
いつもありがとうございます
紙媒体からのデータ化に毎回感謝しています
提供していただいたデータはパソコンでもスマホでも読みやすいです >>90
厩戸お花飾りに代表される真似っこ描写(まあ実際にはアシが描いてるんだけど)満載で
「私が正しい聖徳太子像を表現します!私の方が正しいって法○寺も言ってくれてるし!」
だかなんだか言って息巻いてたリヨたんを、もっと複雑に卑怯にした感じなのかしら? 詳しくは知らないけれどマンガジャパンとかいう団体もキャンディキャンディ騒動にはいがらし側だったらしい 池田理代子氏はメンバーで、いがらし氏と親しい中山星香氏もメンバーだとか
なんか少し痛そうな団体かも
これはうろ覚えなので読み飛ばしていいです >>717
どうもです ^_^
テンプレまとめはすごくよく整理していただいてるけど、だいぶ膨大になってきてるので、新しい住人はなかなか把握しきれないとこもありそうなので、ポイントとなる資料はたびたび紹介してもムダではないかなと最近思ってます >>715
いろいろな漫画家に原作を提供している女帝の原作者や大場つぐみさんも
作画大事と言っている。
両氏とも漫画家として活動したことがあって、自分の絵より
この内容なら他の絵の方が良いと思って原作を書いてるから。
萩尾さんもヒカルの碁が手塚治虫文化賞新生賞を受賞した時に、
原作者作画者が分かれている漫画を見直した発言があったかと。
小畑さんはネーム段階でかなり演出変えているし。
ただキャンディ×2の場合は係争中もいがらしさんの
原作者無視ぶりがすごかったから、あの判決だったのかなと思う。 ヒカルの碁の場合原作者と作画のキャッチボールがすごくいい化学反応をもたらした感じ
萩尾さんは自分でもケーキ×3で原作に納得出来なくてかなり修正したみたいだから元々原作付きには微妙な思い出もあるんだろうな >>723
大泉本を読む限りでは原作に対しての拒否反応はまるで感じられなかったけど? 何事も尊重と案配じゃないかな
設定やセリフガチガチ固定で作画者の裁量がないケースは創造的な作家ほど不自由に感じるだろうし、でも伏線や展開、キャラの感情描写がきちっと構成された原作や原案ならとても使いやすいし
そういう意味では増山さんと竹宮恵子の二人羽織手法は、作品制作という観点ではとても理想的で革新的な試みだったのかも
(だからこそコピーライトと報酬を双方に不満なくきっちり処理してこなかったことが返す返すも残念) キャンディキャンディのファイナルストーリーのラストと赤毛のアンのラストって
凄い似てるんだね いがらしさんは論外として水木さんも後ろ暗いところがあるんね いがらしさんはキャンディでは商売できないけどキャンディの大ヒットのお陰で
憧れのアンブックスの漫画化の権利を得て、いまだに博物館で
アンのイラスト入りのポストカード販売できて良かったね
皮肉なことに キャンディキャンディは読んでみたいけど古本では高額すぎて手が出ないな >>722
大場つぐみは2作目のスピードスケートの漫画が打ち切られたから
作画の大切さは身に染みてるだろうね
ユートの打ち切りの速さは当時がっかりしたしヒカ碁読者として >>722
大場つぐみは2作目のスピードスケートの漫画が打ち切られたから
作画の大切さは身に染みてるだろうね
ユートの打ち切りの速さは当時がっかりしたしヒカ碁読者として >>725
赤塚さんの複数スタッフによるブレーンストーミング方式というのがあった。
いがらしさんをディスっていた長谷邦夫さんも元赤塚スタッフで、
バカボンの等身大描写回なんかは長谷さんのアイデアだったと本人が言っている。
ただ赤塚さんは待遇が良かったのか、カリスマ性があったのか、
スタッフがその後名を成しているからか、
キャラクターも北見けんいちさんがかなりデザインしているけど
(赤塚さん本来の絵はバカボンのママ系でかわいい)、
元スタッフから不満が出てこないんだよね。 >>729
ヒカルの碁作者はほったゆみさんだよ。
大場さんはデスノートやバクマン。今もコンビを組んでいる。
ほったゆみさんの夫は競馬漫画を描いている堀田清成さんで
萩尾さんに多大な影響を受けた森博嗣さんの高校時代の漫画仲間。
堀田清成さんはヒカ碁にもアイデア出しをしている。 いがらしさんの最終目標はアンブックスの漫画化かな?
それで燃え尽きてしまった? いがらしさんの息子の男の娘は何してるかな
10年前に話題になったけど >>725
多分に相性の問題もあると思うけどね
お互いに細かいところを詰め切れないとかポリシーが不明瞭な場合は摺り合わせになるでしょ
それが逆にちょうどの加減になるかも知れない、エゴや才能の釣り合いはあるんじゃないかな 商売やら取り分やら又は創作者として譲れない部分とかのトラブルは大なり小なりあると思うけど
原作者を何らかの職として扱わないパターンはあまり聞かない気がする
原作付きに対する竹宮さんの最新の見解は
扉本の竹宮さん自身が原作付きを良しとしていなかった話になるのかな? >>711
増山さんは論理的に考えればもっと原作者としての権利を主張していい立場だけれど、
そうなると著作権料という金銭的な問題も絡んできて竹宮さんと揉めることが予想された
そのことにより竹宮さんの価値が下がると、結果として増山さんが主張してる「少女漫画革命」の
価値も失墜するのを恐れ、あえて今の状態に甘んじたのではないかという気がしてる
佐藤さんは増山さんとは亡くなるまで親しかったようだし、そんな増山さんを説得しきれなくて
歯痒かったのではと思う
「論理より感情が勝る」に考えが変わったのもその辺が理由なのかな
というか萩尾さんがその「考えが変わった」時期を「15年位経って」とあえて明示してるのは
そこら辺を示唆したかったのではと >>739(続き)
あと、増山さんはいろんな漫画家さんと仲が良かったよね
上の方に出てる伊東さんも竹宮さん宅に行くのはケーコタンでなく増山さんに会いに行ってたと書いてる
萩尾さんも下井草のマンションを訪ねていた頃の目的は増山さん
増山さんは理想が高く、ジル本の描写を見る限り少女漫画についての物言いは高慢な感じを与えるけど
プライベートにおいては人柄が良かったのではないかな
割とお嬢様育ちでお金のことであれこれ言うのを美しくないと思ってたかもしれない
それらの理由もあり増山さんは、>>711が言ってるように原作者としての名前よりも友情を壊さないことを
選んだのかもしれないと思うと切ない そうかもしれないね、だとしたらあの訃報はあまりにも悲しい. >>738
>竹宮さん自身が原作付きを良しとしていなかった
だから音楽物シリーズの原作が増山さんであることや
光瀬さんには自分から原作を依頼したことは隠したかった
ということでしょうかねえ 増山さん収入源はなんだったんだろう 小説家はなばかりみたいなものだし
トラプロ退職金が億単位だったんだろうか 増山さんはご自分のサイトがあった頃
縁があった方達と交流されていた様子だったのに
なんで竹宮さん知らせなかったんだろう
竹宮さんの所の掲示板のゲストは日記がわりみたいな書き込みや宣伝も多くて長文専用掲示板まで設けていたのに
増山さんに対しては数行書いただけで塩対応だし
神の子羊か何かの復刊ドットコム応援も一、二度しただけなんだよね
なんだかなあ >>742
賞獲りの時みたいにほんとはやりたくないんだけどーみたいな感じか
隠しようがないだろうになんでこんなことを?と疑問だったんだけど
なるほどねえ
今後は出版社の期待が重かったとかファンの期待に応えたかったので仕方なく…みたいな感じの言い訳になっていくのかな?
他の作家さんに勝つにはそれしかなかったとか 増山さんのサイトの秘密の小部屋の人形コレクション
アンティークドールはドイツ人形以外ブリュがレプリカで宝物と紹介してて
金ないんかなと思ったよ なぜか他人のコレクションも紹介してた >>738
あまり原作の話が出ると、「原作抜き」の竹宮さんの実力が問われるからじゃないかな
「変奏曲」も「風と木の詩」も増山さんの原作付きだった、ではSFの「地球へ…」は?
原作無しでも「11人いる」や「スター・レッド」が描ける萩尾さんとの比較が避けられないからじゃないの 長文掲示板あったねえ
作品の感想用に作ったんだっけか 増山さん日記で自身のメンタルの不調や母親の介護について語ってたもんなあ >>740
そうねえ、増山さんについての情報見てるとウザ可愛い人なのかもと思った
やたら理想を語りたがる増山さんの場合、友情を取ったというより自分の美学を取ったと言われたらなんとなくわかるかも
金より名誉みたいな
その名誉もなるべく削ろうとしたのがジル本と扉本だとしたら酷いよね お互いが相手のおかげで自分の力以上の作品が出来ましたと言い合える関係ならいいけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています