いじらしいことにかるたの札が〇〇だから、たいちは、というように
演出効果を必死に拡大解釈し、物語りの根本を妄想で書き換えようと試みるが、無理が生じてしまう
なお、はっきり書くとさすがに突っ込まれて厳しいので、ちは札がでないのは心変わりの証拠、
という表現は抑えていると思われる

一部の新ファンは、感覚的に奥様達の現実離れしたところをかぎつけ、的確に執念深くそこを突いていく
たぶんお母様方にかまってほしいのだろうが、ある意味すごい嗅覚だ
太一ファンも状況が苦しいことは心のどこかで理解している(一部の真性は除く)
だからこそ新を自分、自分たちが持っている物語の円の中に入れず、異分子だと認識して邪魔だとはじき飛ばそうとしている
自分たちの集団神話を守るために奥様達は理屈など半分捨てている
もはや情念で動いている

しかしその情念は恐ろしいものでもあるし、すごいものでもある
自分の赤ちゃんに対し、母親は〇〇ちゃんは将来すごい子になるわと、根拠がなくても本気で思っている
理屈などどうでもいいのだ
母と子の二人の空間に妄想するくらい没頭し、子の可能性に夢を抱く
その根拠のない妄想力が、子どもの発育する力を促進する

もっとも、その力が暴走すると子どもを支配する恐ろしい母になるが
太一のお母さんなんてまだ可愛いものかもしれない
ああ、妄想力怖い