■■囲碁のルールを語るスレ■■
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■■囲碁のルールを語るスレ■■
さまざまな囲碁のルールの比較、
現在の囲碁のルールの問題点、改善案などについて語るスレです。
http://igo.main.jp/jp-rule-mon1989.htmlより
┌┬┬▲○○┐
├┼☆┼●○○
├●┼●●○┤
├┼●○○○○
├┼●●○●○
├┼┼┼●●●
└┴┴┴┴┴┘
黒▲と打った局面。
白は☆に打てば手にすることができるが、それでも明らかに地が足りない。
そこで、ルールを良く知る白はここでパスをする。
黒も気づかないのでパスをする。
しかし、両者結果の合意は得られない。
そこで、審判が登場することになる。
すると、▲はセキと判定されることになり、黒地0目であるから白の勝ちとなる。
…この戦法が卑怯だと咎めることは決してできないであろう。
そして審判の黒地0目という判定もやむを得ない。
なぜなら、取らず三目の場合には放置したまま終局したらセキと判定しなければならないから。
ここを裁量にまかせてしまったらルールが形骸化するだろう。
つまり、たとえ審判がいても、死活に合意しないという戦略を故意に利用することができる。
それとも、「双方が石の死活及び地を確認し、合意することにより対局は終了する」
という条項は、取らず三目の場合にもうっかり放置してしまったら、
審判からセキだという回答をもらった後に、やっぱりだめだと言って手入れをさせてもらえるのだろうか。 http://www.vimage.co.jp/~iehiro/cgi-bin/gocaffe/katte024.htm
※コミ5目半
┌┬○┬┬○●┬●
○○○○○○●●○
●●●●●○○●┤
├┼┼┼●○┼●┤
├●┼┼●○○●●
●┼●●●●○○┤
●●○○○●●○○
○○┼┼○●┼●○
└┴○○○●●●○
これの解説が
http://don.my.coocan.jp/kiyaku_kaisyaku/sikatu7.htm
にあるけど、間違ってない?
黒の両ウッテガエシの劫立てに白が手抜きして右上解消した場合の説明で
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._ ____.A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I.
01□□○□□○□○□ 01┏┯○┯┯○┯○┓
02○○○○○○□□○ 02○○○○○○┼┼○
03●●●●●○○□○ 03●●●●●○○┼○
04●■■■●○□□○ 04●┼┼┼●○┼┼○
05■●■■●○○□□ 05┠●・┼●○○┼┨
06●■●●●●○○□ 06●┼●●●●○○┨
07●●☆☆☆●●○○ 07●●○○○●●○○
08☆☆●■☆●■●○ 08○○●┼○●┼●○
09■●☆☆☆●●●● 09┗◆○○○●●●●
白 0.5目勝ち(黒地 30-白地 25)
となっているけど、実際は黒30―白23で、黒1.5勝ちではないのかな 元リンクにも結果は書いてないから自分の答えを書くけど、
黒C08に白はB09と受けて、黒I01、白パス、黒I04で
黒半目勝ちが双方最善。
ところがそうなると、こちらの解説で
http://igo.main.jp/jp-rule-mon1989.html
>この局面では白がパスをするのが最善。普通に「駄目」を打つと白負けになる。
>白パスの後、黒が普通に駄目を打つと、最後は黒負けになるため、黒もパスをする。
という説明と食い違うんだけどなあ というか、
>この局面では白がパスをするのが最善。普通に「駄目」を打つと白負けになる。
>白パスの後、黒が普通に駄目を打つと、最後は黒負けになるため、黒もパスをする。
これって論理的におかしいよな
セキだったらわかるけど、一手ヨセ劫は白からしか仕掛けられないんだから
どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない >>633
>どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない
フリカワリになったときに、
黒が打つと持ち込みになっている
白が打つと無駄な手入れになっている
という意味で、双方パスが最善ってことなんだけど。
白としてはパスして黒に右上手入れを要求する。これで、白半目勝ち。
黒は、手入れをせずに右上は生きていると主張する。これで、黒半目勝ち。
黒が無条件で生きているというなら、中央2つのダメを黒が詰められるはず。
でも、これを黒が詰めるとフリカワリにされて半目負けになるという仕掛け。
日本囲碁規約では、1手ヨセコウ以上は手入れ不要となっているけど、
この図の場合違和感があるという指摘。
実戦解決が可能な日本ルール以外なら、どう転んでも白勝ちだから。 >>634
黒が打つと持ち込みになっている
白が打つと無駄な手入れになっている
までは分かった。なるほどな。
しかし、そこから先の解釈は全然間違ってる気がするんだが…
>白としてはパスして黒に右上手入れを要求する。これで、白半目勝ち。
>黒は、手入れをせずに右上は生きていると主張する。これで、黒半目勝ち。
これは、旧規約の話では?
現規約では、白パスの動機は黒への手入れ要求ではなく、上辺一帯のセキの主張のはず。
黒への手入れ要求ならばダメを詰めるのが手段として正しいが、それができないからこそパスをする。
それに対して、現規約での黒パスは、右上黒地が0目になってしまうので、
黒半目勝ちどころか白半目勝ちを座して受け入れるようなものだ。
>黒が無条件で生きているというなら、中央2つのダメを黒が詰められるはず。
>でも、これを黒が詰めるとフリカワリにされて半目負けになるという仕掛け。
これは、白についてもまったく同じことが言える。
白がヨセ劫を仕掛けられるというなら、中央2つのダメを白が詰められるはず。
でも、これを白が詰めるとフリカワリが不可になって半目負けになるという仕掛け。
ところで、こっちは突然、現規約の話に変わってるよね?
旧規約ならば、元々どちらもダメを詰める必要はない。
一方、現規約では地を確定するにはダメ詰めを必須化しているが、
この例では黒白どちらもダメを詰めたくないという点を踏まえると、
出題図のままで終局したらセキとする現規約の考え方は理に適っていると思う。 ともかく、もう一度整理して考えてみる。
まずは、中国ルール(I09は白石)。
中国ルールならば黒はG04かI06のどちらかのダメさえ詰めれば勝ちではないか?
つまり、もし白1でパスしようものなら
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._
01┌┬○┬┬○●┬●
02○○○○○○●●○
03●●●●●○○●四 白壱パス
04├┼┼┼●○弐●┤
05├●┼┼●○○●●
06●┼●●●●○○参
07●●○○○●●○○
08○○┼┼○●┼●○
09└┴○○○●●●○
黒2でどちらかのダメを詰められて、
白3では反対のダメを詰めるよりないが、そこで黒4と悠々と劫を解消されることになる。
白3でH01劫取りでも黒4では同地点に押しつぶしで良い。
中国ルールでの白1パスは明らかに損だから黒の勝ち。
よって、白1では下図の如く
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._
01┌┬○┬┬○●参●
02○○○○○○●●○
03●●●●●○○●┤
04├┼┼┼●○壱●┤
05├●┼┼●○○●●
06●四●●●●○○弐
07●●○○○●●○○
08○○┼┼○●┼●○
09└┴○○○●●●○
ダメを詰めるよりないが、そうすると黒2で諸刃の剣と言わんばかりに
反対のダメを詰められて振り替わりでも負けてしまう。
というかそもそも、中国ルールでは黒4と劫立てを消されてゲームセット。
あるいは、白1でH01劫取りも、黒2でダメを詰められてやっぱり白負け。
よって、どう転んでも黒の勝ちなんでは? 次に現行日本規約。
これはリンク先の解説通りだが、
白としては、そもそも黒のヨセ劫などはじめからどうでもよくて、
上辺一帯をセキにして勝てばいいので、ダメを詰める必要はないからパス。
だから、ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
しかし、黒からダメを両方詰めると黒がやっぱり振り替わりで負けてしまう。
つまり、どう転んでも白の勝ちだ。
そして旧規約。
旧規約での地は黒14−白8(とリンク先に書かれている→旧規約でも一手ヨセ劫はそのまま地と数えて良い?)なので、
白は黒に劫手入れ要求しないと負け。
しかし、白は一手ヨセ劫を仕掛けるためにダメを詰めてしまうとやはり振り替わりで勝てなくなってしまう。
だから、白1の最善はH01劫取り、もしくはパス。
劫取りの場合、黒2パスは当然で、白3ではもはや手が出なくなってしまうのでパス。
すると
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._
01┌┬○┬┬○●○┐
02○○○○○○●●○
03●●●●●○○●┤
04├┼┼┼●○┼●┤
05├●┼┼●○○●●
06●┼●●●●○○┤
07●●○○○●●○○
08○○┼┼○●┼●○
09└┴○○○●●●○
で終局となり、ここからはどちらも着手不可だが、ここで一手ヨセ劫手入れ不要とすると当然黒の勝ち。
同じく、もし白1でパスの場合、黒2では劫を解消したら負けなのでパス。
つまり原図のままで終局するわけだが、やはりこれも一手ヨセ劫手入れ不要とすると黒の勝ち。
というわけで、一手ヨセ劫手入れ不要は、ゲームを成立させるために不可欠なルールということであって、それは旧規約でも同じだろう。
「違和感」があるとすれば、中国ルールとの結果が変わるダメに関する規定の方ではないだろうか。 日本ルールの細かい話をしても
最終的には日本ルールがおかしいという常識的な結論しか出ないから生産的じゃないんだよな
それよりも本来の囲碁のルールはどうあればいいのかという前向きな議論をした方がいいと思う
囲碁には長い歴史があって多様なルールが存在してきた
その中で共通する囲碁の本質を慣習法として抜き出して現在の状況に合わせて整理するという作業だ
囲碁の本質を理解できれば現行のルールのどこがおかしいのかも自然と見えてくるしどう直せばいいのかも分かるようになる
法律論で言えば条例よりも法律が優先されて法律よりも憲法が優先されるのと同じで
囲碁においても憲法論議が一番大事だなんだな 日本ルールの問題点を整理するとこうなる
他にも細かい問題はあるがよく言われる問題はこれのどれかに当たるだろう
1.ゲームの目的設定の問題(切り賃廃止問題)
切り賃がないために本来の囲碁の勝敗判定を再現できないことがあるという問題
切り賃廃止の理由は今のところ誰も提示できておらず、そもそも何で廃止しているのかが謎という状態にある
切り賃を復活すれば解決する
2.パスの問題(着手権利・義務問題)
新規約ではパスを認めているがパス代(パス一回につき石一つ)を設定していないために勝敗判定が破綻することがあるという問題
本来パスは認めない(着手義務)というのが当たり前であったが中途半端にパスを認めてしまったがために発生した問題
着手義務化かパス代導入で解決する
3.黒番終了時の問題
黒番で終局した時に本来の判定よりも一目変わるという問題
日本式判定の本質的な問題の一つ
最後に白番のパスを加えてパス代を払うようにすれば解決する
4.終盤処理の問題
実戦解決ではなく審判判定を導入しているために対局者等が納得しない勝敗判定や両負けが発生するという問題
規約を作った棋院所属の棋士の対局であれば問題は生じないが外部の人間に適用する場合には問題となる
実戦解決を導入すれば解決するが終局図が乱れるとして棋院が強硬に反対している
棋院内部以外では日本ルールを使わないということにすれば解決 その中で切り賃にかんしてだけはやはり頭がおかしいと言わざるをえない
切り賃なしでもゲームは成立する
なぜなら純碁でも切り賃なし相当のルールは定義しうる
つまり、一方のみの石で囲まれた格子点を得点として計算することは理論上可能だからだ
そしてそのことでゲームが数理的に破綻することもない
したがって切り賃なしは一種のルール違いの純碁として正当化できる
その発想で誕生したのが中国ルールである >>631
>白 0.5目勝ち(黒地 30-白地 25)
>となっているけど、実際は黒30―白23で、黒1.5勝ちではないのかな
>>632
>黒C08に白はB09と受けて、黒I01、白パス、黒I04で
>黒半目勝ちが双方最善。
>>635
>>黒が無条件で生きているというなら、中央2つのダメを黒が詰められるはず。
>>でも、これを黒が詰めるとフリカワリにされて半目負けになるという仕掛け。
>これは、白についてもまったく同じことが言える。
>白がヨセ劫を仕掛けられるというなら、中央2つのダメを白が詰められるはず。
>>637
>白としては、そもそも黒のヨセ劫などはじめからどうでもよくて、
>上辺一帯をセキにして勝てばいいので、ダメを詰める必要はないからパス。
>だから、ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
とても同一人物の書き込みとは思えない内容なんだけど?
>631 >黒1.5勝ちではないのかな
>632 >黒半目勝ちが双方最善。
>635 >中央2つのダメを白が詰められるはず。
>637 >ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
直前の自分の書き込みが間違ってたことは、気付いたんでしょ。
まず、それを訂正しなよ。
何が分かっていて、何が分かってないのか、全く理解に苦しむ。
日本囲碁規約の現行問題点は、囲碁の専門家およびルール研究者が探求して、
コミ5目半の時代から指摘されて未だに生きている問題なんだから、
ド素人が暇潰しに愚考して反証できるような話では無い。
>>635
>>>634
>>>どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない
>>フリカワリになったときに、
>> 黒が打つと持ち込みになっている
>> 白が打つと無駄な手入れになっている
>>という意味で、双方パスが最善ってことなんだけど。
>までは分かった。なるほどな。
当たり前のこと過ぎて説明が省略されてる部分で、つまづいて転んでるし。
この程度の能力・棋力の人が囲碁のルールに関して考えてもねー。
『馬鹿の考え休むに似たり』よりも悪手だと思う。
>>636
>ともかく、もう一度整理して考えてみる。
リンク先に詳しく解説されてるのに、あそこまで説明されても理解できないか?
理解できてないのは、自分だけなんだから、くだらない書き込みは慎め。 >>641
>直前の自分の書き込みが間違ってたことは、気付いたんでしょ。
>まず、それを訂正しなよ。
ああわかった訂正するよ
>素人が暇潰しに愚考して反証できるような話では無い。
ふ〜ん、君は素人ではないんだ
ならばそれを証明してくれないか?
それから、詰碁の棋力の問題とルールの問題は別問題だろう。 >リンク先に詳しく解説されてるのに、あそこまで説明されても理解できないか?
>理解できてないのは、自分だけなんだから、くだらない書き込みは慎め。
理解できていないのは>>634の方だから、俺が説明したんだよ
>日本囲碁規約では、1手ヨセコウ以上は手入れ不要となっているけど、
>この図の場合違和感があるという指摘。
>実戦解決が可能な日本ルール以外なら、どう転んでも白勝ちだから。
まるで論点がずれているし、実戦解決の結果も間違っているでしょ >>639
3.黒番終了時の問題
は数少ない中国ルールの欠点だと自分は考える。
一つは偶数コミを有効的に設定できないということ。
二つは偶数ダメ時の手入れがヌルくなってしまうこと。
二は些細かもしれないが一は大きな弊害だろう。
しかし、日本での地とハマを数える計算法に
パスは1目払うルールを追加すれば、
中国ルールと日本ルールの長所だけ残した良いルールができる。
この点は意見は同じだが、最後に白番のパスを加えるのは
説明したように偶数コミが意味をなさなくなるから必要性は感じない。 >>2に貼られているが、高尾や大橋ですらルールがわからないんだから素人も糞もねーだろ >>645
>高尾や大橋ですらルールがわからないんだから素人も糞もねーだろ
>>631 >黒1.5勝ちではないのかな
>>632 >黒半目勝ちが双方最善。
>>633 どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない
>>635 >中央2つのダメを白が詰められるはず。
>>637 >ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
ド素人の世界で考えても、一瞥して違次元の糞なんだけど? よく日本で囲碁が普及しないのはルールのせいだっていうけどね、
あれはどう考えてもまったくの出鱈目だ
だって、入門者に囲碁を教えるのに囲碁規約を一から十まで一言一句教える奴がいるか?
いるわけないだろ
囲碁を教えるのには、
・石を囲ったら取れる
・地をたくさん囲ったほうが勝ち
これだけでいい
本当に普及を妨げているものの正体は
>>641のようなやたら高圧的で素人を馬鹿にする糞野郎だ
>>646
>ド素人の世界で考えても、一瞥して違次元の糞なんだけど?
これだけじゃなんの説明にもなってないんだけど?
ちなみに>>633までの考えが間違っていたのは認めたから無視してちょうだいね 過去ログ読めば分かるけど、この人ガチで頭おかしい人だから関わらないほうがいいよ >>640
>つまり、一方のみの石で囲まれた格子点を得点として計算することは理論上可能だからだ
わざわざそうする合理的な理由があるのかと聞いて誰も答えられていない
碁の数千年?の歴史でそういう計算をしていたルールはないんだからその立論では碁ではない新しい別のゲームになってしまう
広く認識されている歴史的な流れとして本来存在していた切り賃が省略されているということは否定できない
現在の囲碁を歴史的な碁とは違う別のゲームとして割り切るのならそれでもいいが
そうではない以上は石の数の判定(純碁式判定)をベースにするしかないんだ
だからこそ純碁式判定から大きく外れるルールは碁のルールとしては問題があるということになってしまう
これはゲームとして理論上成立するかということではなくゲームの分類上の問題なんだな
>>644
コミの設定は勝敗判定に比べて些細なことだと言わざるを得ないな
まずは正しく勝敗判定できることが第一でしょう
本来の純碁式判定に照らしてコミの問題として捉えなおすと
日本ルールの設定は黒番終了時と白番終了時でコミを一目変えていることに対応している
この条件付コミ設定を正当化するのは難しいと思う
純碁や中国ルールでもそういう条件付コミを導入すれば偶数コミに意味が出てくるわけだが
そもそも条件付コミ自体に意味がないのだからそこから出てくる偶数コミの機能にも価値がないということになる
だからそんなことをしている人はいないわけだな
>>647
ルールの難解さが普及の妨げの一因になっていることは間違いないと思う
オセロのように子供がゲーム盤の付属の説明書読んですぐに遊べるようにしたいと考えている 包囲ゲームベースで考えると>>639の問題が全て解決できそうなんだよな
全く根拠がないのに日本ルール笊碁起源説は合理的に見える 切り賃の問題は純碁のルールを拡張することで対応できないかな
純碁で持碁になる場合にルールを拡張して「自殺手にならない着手可能点が多い方を判定勝ちにする」ようにする
さらに純碁で持碁にならない場合にはどちらかの投了で決着するようにすれば中国ルールに近くなる
本来の勝敗はキープしたまま持碁の場合にだけ中国ルールの判定を持ち込める >>631のような局面で黒手入れなしで終局するとか日本のプロの対局であり得る?
中国ルールだと自分の地に手入れしてもマイナスにならないから劫材を消せる
したがって>>631のような問題は起こらない、てこと? リンクが貼れないがルールが分かりづらいのが人気が出ない原因だと言われている
【悲報】将棋に比べて囲碁が人気なさすぎなんだけど(´・ω・`) 現行中国ルールに準じて拡張した純碁ルールの叩き台を作った
古典碁の精神と簡潔さを保ちながら現行ルールや現代の技術進歩に対応したルールになっている
基本ルール
・交互に自分の石を打てる。パスもできる。
・連続パスになったら終局。途中で投了もできる(投了者の負けで終局、中押)。
・終局時に盤上の石が多い方が勝ち。事前の両対局者の合意によりハンデ(コミ)をつけてもよい。
・隙間なく相手の石に囲まれたら、囲まれた石は着手者によって抜かれる。抜く順番は着手相手の石、着手者の石(自殺手)の順で、抜き終わったら着手完了。
・石を打って着手完了した時の盤面がその対局の過去のもののいずれかと一致した場合、対局者の指摘により着手者は反則負けとなる。ただし、次の着手完了時までに指摘がない場合には対局は続行される。
・打った石がそのまま抜かれる手(自殺手)はパス扱い。
・盤上の石が同数の場合には自殺手にならない着手可能点が多い方を優勢勝ちとする。
対局ルール
・公式な対局は時間制対局とし、棋譜を記録し、立会人を設ける。
・持ち時間は事前の両対局者の合意により定める。
・持ち時間を過ぎると負ける(時間切れ負け)。
・持ち時間は自分の手番において着手完了まで使われる(石を抜く時間を含む)。
・抜く石以外を動かした場合は動かした者が自分の持ち時間を使用して盤面を修復する。
・両対局者の合意、もしくは立会人の判断で対局停止および再開をすることができる(休憩や終局確認など)。
・両対局者の合意により対局途中で終局することができる(合意終局)。その際の勝敗判定は両対局者の合意によるが、直接的な勝敗合意の他に、立会人による判定や対局前に準備された機械による機械判定も合意選択することができる。
・ルール外の行為(連続で石を打つ等)は立会人の確認の上で反則負けとする。
対局マナー
・両対局者は良識ある態度で行動し、相互信頼の関係で対局を行うことが望ましい。
・投了や合意終局により、無駄のない美しい終局図を作ることが望ましい。
他のルールとの主な違い
・勝敗判定は純碁式(切り賃制に相当)。純碁式で同数の場合には中国式(切り賃なしに相当)。機械判定可能。
・超コウ(盤面)。連続パスで終局。
・両者合意での終盤省略が可能(中国式)。機械の代打ちによる終盤処理も選択可能。
・自殺手は打てるが、パス扱い。 日本で切り賃がなくなった理由や経緯は謎らしい
遊戯史学会コミュの囲碁の歴史〜ルールの変遷〜
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5043543&id=54651546 清末までの明清数子法は子多為勝(盤上の石が多い方が勝ち)で石を埋めて数える際に還棋頭(切り賃)の調整あり
その後の近代数子法は日本の影響で混乱して子多為勝と子空皆地(現在の中国式で切り賃なし)が混在するようになり現在に至るという考察
日本ルール(日本填空法)は日本に伝わった時期に大陸の廟堂君子の間で流行していた以空為地の唐宋填空法が元になっているという説を取っている
ただし唐宋填空法は還棋頭(切り賃)の調整ありで日本填空法とは違う
「碁の本質をわかっていない」日本がルールを混乱させてしまって現在のルール問題が生じたようだ
中国の碁のルールの変遷
http://www.senjukai.org/Zakki/ChineseRule.html
一、古くは奕(エキ)と言われ、これは古い中国ルール。(子か)
二、後にいわゆる日本ルールに換わり、それが日本にもたらされた。(地−ハマ)
三、中国では古い中国ルールに戻った。(明代始めころ)(子)
四、日本の影響を受けて現代の新しい中国ルールとなった。(清末から民国)
五、近年、日本ルールとほとんど同じくらいに改編された。 どうやら切り賃廃止は日本で生まれた分岐だが発生した時期や経緯は不明というのが定説のようだな
日本式囲碁と本来の碁を明確に区別しなかったために混乱が生じてしまって
ルール問題の収拾がつかなくなってしまっているというのが現状のようだ 塚本惠一氏の主張は歴史的にも理論的にもおかしいな
http://park6.wakwak.com/~igo/igorule/tsukamoto.html
>そこで、「地」に気付いた者は形勢判断の基本である目算が容易に 行えるようになったのです。これは大発見です。
>「地」の発見者は 抜群の成績を収めたに違いないと想像できます。そして、皆が彼に 強い理由を尋ねることになります。
「地」は日本に入る以前から発見されていた
っていうか普通に誰でも思いつく戦略だと思う
>そうして「地」の重要性が囲碁人の共通認識になれば、もう、置き 石の数を争うことは本質とは言えなくなり、「地」の多少を争えば よい、という発想の転換がなされます。
>これが日本式囲碁の誕生と 考えているのです。
「地」による目算法は日本に輸入される前にすでにあった
ただし切り賃を入れれば置き石の数に一致するので「地」の多少を争うという転換はなされなかった
それが当たり前
戦略に合わせて目的を変えるというのは馬鹿げている
将棋で王より飛車を可愛がるルールを導入するようなもの
またイカサマがしやすい日本式計算法は廟堂君子の間では通用しても大陸の庶民の間では無理だった
>それが中国式にも逆輸入されて「切り賃」という計算法が生じた。 囲碁の歴史をたどれば、これらは自然な推移と言えるでしょう。
>「地」の発見、いや、「地による形勢判断」という大発明が囲碁の 目的の認識を改めさせた。これが日本式囲碁の立脚点です。
「地」による目算法も「切り賃」も日本に入る前からあった
「切り賃」を廃止したのが日本式囲碁の特徴だがその経緯や理由は不明
目算法(戦略)と計算法(終局処理)とゲームの目的(勝敗判定)を区別して論じないと無茶苦茶になってしまう それから近代の日本から中国への影響は当時の国際政治環境を考慮する必要があるだろう
明治〜昭和期の日本の増長と大陸軽視の背景も踏まえておく必要がある 中国の切り賃を無くしたのは俺だ、と安永一が言っていた
ただ安永はいい加減な人なので信頼性は低い
(中国で現地の愛好家と数多く対局したのは事実のようだ) 切り賃のない「地の大小」を最初に成文化したのが安永憲法だからな
一方で同じ研究会の島田拓爾が提唱したのが原始棋法で純碁の元になっている
成文化したのは安永だが日本では切り賃廃止の対局が行われてきたのは事実であって
日本式囲碁と大陸の碁の違いが安永と島田の対立の元になっている
最初から違うものを違うものとして認めて明確に区別していればよかったんだが 戦後の中国については中国共産党の影響も大きいだろう
日本の影響で日本ルールを使いたいという棋士は多かったが
日本式囲碁と正確に言ってしまうと反日の中国共産党の認可や補助が得られなくなる
だから日本式という部分を隠蔽し、ルールに混乱が生じて現在の中国ルールが生まれた
そしてそれが中国の影響力の強いアジア諸国等にも波及した
似たようなことは戦後の韓国でもあった
戦前に空手を習っていた人々が反日政権下で日本の空手とは言えずにテコンドーと称して武道を続けた
それが独自に発展して現在では空手とは別の競技になっている
政治の影響は無視できない 呼吸点(石が置いてある点と同一線上の隣の点)をふさげば石を取れると習いました。
ルールは最後まで貫いてこそルールだと思いますが、終局して計算が始まる直前に、呼吸点がたくさんあいているにもかかわらず、自分の陣地にある相手の石を、おまえはすでに死んでいる、とばかりに取り上げます。
変でしょ、このルール。
呼吸点を全部ふさいでからとるのがルールじゃないですか?
自分の地がそれで減っても、そもそもそうするのがルールでしょう。なんでそうしないのですか?。
不思議なゲームだ。訳わからん。 >>664
その通りで本来は死石は実戦で取り上げる必要がある
元々の囲碁のルールは双方が交互に好きなだけ打って盤上の石が多い方が勝ちというシンプルなもので純碁と呼ばれている
初心者はまず純碁で打ってみるといい
純碁に慣れてくると終盤が作業になってつまらなくなくなったり石の数を数えるのが面倒になったりする
今はそういう作業はコンピュータで簡単でできるが昔はできなかったので終盤を簡単にする工夫がなされた
それが今の囲碁のルールの元になっている
面倒な終盤を省略している部分が初心者には不思議に感じられるわけだ ただし現在のルールにおける終盤の省略方法には問題があり、時々オリジナルの結果を再現しないことがある
これは歴史の中で変な慣習が積み重なった結果であり大きな問題になっている
>>655のように伝統に即した現代的ルールを作るのは簡単なんだが因習を改めるのには時間がかかる
今はルール維新の途上というところだ 地と死活・アゲハマは、プレイヤーに読みの正確性をシビアに要求する、ゲーム性としての立派なルール
形が決まればほぼ読み切れる上級者にとっては単なる省略かもしれないが、
なかなか読めない級位者にとってはこのルールで勝敗が入れ替わる
手のないところに手を入れたり、手にならないところに手を出したり、手を出された時に手を抜けるかどうか、
そういうのをきちんと読める者は得できるし、読めない者は損をする
これはゲームとして理に適っている >>667
正しい結果が出るのなら省略法は何でもいいんだが問題は必ずしも正しい結果が出ないことなんだな
それに級位者レベルなら双方が納得する局面まで純碁で打った方がいい
双方が納得できる上に終盤の棋力が直接的に結果に反映される
日本ルールで強くならないことは日本の棋士の現状を見れば明らかだが
それ以前に学習法とルールは区別した方がいいだろう 日本の棋士の現状が日本ルールにあるかどうかまではわからないが、
日本ルールが普及の障害になっていることは確かだ
特に囲碁で飯を食っている人や団体は、それをもっと意識して活動しなきゃな 韓国ルールは日本ルールとほぼ同じだが、ルールのせいで普及の妨げになっているのか?
ルールがーってのははっきり言って言い訳だろう >>670
正確には普及の妨げの一因となっているということだろう
分かりにくいというのは確かなんだから
韓国でも同じだ >>655を見れば分かるように本来の碁のルールはオセロ並みに簡単だ
しかし旅行にオセロ盤を持っていって遊ぶ子供はいても碁を打つ子供はほとんどいない
これは明確に現行ルールの弊害だといえるだろう
ボードゲームは子供が盤石をもらって説明書を見てそのまま遊べるようじゃなきゃダメなんだよ 日本ルールは「分かりにくい」ということになにかエビデンスがあるのかと疑問を投げかけているんだ
注意しておくが、ここでいう「日本ルール」というのは、法律に相当する規約そのものではなく、一般的な囲碁教室で教えているルールのことだ 自分はずっと日本式のやり方で囲碁を覚えて打ってきたが、
地というものの考え方が将棋の駒の動きを覚えるより難しいと思ったことはない >>673
エビデンスとはたまげたなあ
日本ルール(の文言ではなく内容)が分かりにくくないという意見は初めて見たぞ
もし日本ルールを分かりやすく教えている教室があるんだとしたらルールを正確に教えていないんだと思うが
それ以前にわざわざ教室でルールを教えなければならないという時点でおかしいんだな
初心者同士の勝敗の判定に指導者を呼んでこないといけないのもおかしい
ルールは未経験の子供達がボード付属のペラ一の説明書を見てすぐに遊べるものじゃなきゃいけない
他の有名なボードゲームはほとんどがそうだし本来の碁のルールもそうなっている
日本ルールは明らかにそうじゃないでしょう
誤解のないように断っておくが俺は日本ルールに反対しているわけじゃないからな
競技スポーツとして誰でも理解して楽しめる本来の碁のルールと日本独自の伝統文化である日本ルールを区別しようと言っている
日本ルールは日本の伝統的なタイトル戦で使用する特別なルールとして保持・整備する必要があると考える 説明書に書かれているのが日本ルールでなかったら本当に分かるのかどうか?怪しい
囲碁を知っている者にとってはダメのない二眼生きだけの純碁の終局盤面がもう決着していることがわかるが、
死活をわからない者は自分の眼に着手して、全部取られて、どうしたらよいかやはりわからなくなってしまうだろう
囲碁のわからなさというのは、純語も含めて、対局者の宣言なしに決着は碁盤上に永遠に訪れないことにあると考えられる
実際、銘エンが入門用の純碁を提唱してから20年近く立つのにほとんど状況は変化していない
先程韓国の例も挙げたが、つまり、ルールと普及との関連はほとんどない ちなみに日本ルールは納得できるまで打つことについて禁止などしていない
指導者がいないときは納得するまで打てばいいだろう >>676
何か勘違いしているようだが純碁はメイエンが成文ルール化したというだけで
大陸の庶民は数千年もそういうルールで打ってきた
そういう意味では現行ルールが混乱しているだけだと言える
>死活をわからない者は自分の眼に着手して、全部取られて、どうしたらよいかやはりわからなくなってしまうだろう
持ち時間があるので初心者同士でも時間切れで決着がつく
本当の初心者同士なら小さな盤でやって手数制限(打てる石を最初に決めておく)を設けてもいい
石の数を数えるだけなので最初から最後まで初心者だけで遊べるということが重要だ
全部取られるのを何回か体験すれば2眼は自然と覚えるし周りに経験者がいるのなら教えればすぐに分かる
本来の碁のルールは本当に単純なんだ >全部取られるのを何回か体験すれば2眼は自然と覚えるし周りに経験者がいるのなら教えればすぐに分かる
これは地についてもまったく同じだろう
>日本ルール(の文言ではなく内容)が分かりにくくないという意見は初めて見たぞ
日本ルールで打っている日本人でも、
「囲碁のルールは簡単」派は結構いるでしょ
地が難しいといっても、それはせいぜい足し算が引き算になった程度の話だということ
園児でも碁を打てる子はいるし、小学生にもなれば大人も負かされるくらい強くなる
日本ルールが殊さらに難しいという根拠はない >>679
純碁で実際に打ってみれば2眼や地(死活)をすぐに覚えられるという話であって
地(死活)を覚えないと打てないというルールには問題があるということなんだが
>日本ルールで打っている日本人でも、
>「囲碁のルールは簡単」派は結構いるでしょ
そう言っている人が日本ルールを正確かつ簡単に説明しているのを見たことがない
「簡単」詐欺はさておき真面目な人で日本ルールが分かりやすいという意見は皆無だよ ゲームのプレイヤーになるためにはルールを知らなければならないのはしょうがない。
そして、純碁も死活(いつ終局宣言をすればいいのか)がわからなければとっつき難いのは同じかもしれないってことを先程から言ってるんだけれども。
それで死活について教えたら、そのまま地の定義を教えることも難しくはない。
それに教えることが難しかったり多くても、それと普及するかどうかはやはり別だ。
将棋は成り駒まで含めて動かし方をすべて覚えるのはそれなりの量だし
打歩詰や二歩の禁止といった煩わしさもあるが、日本ではチェスよりも人気がある。 「日本ルールはわからない」という真面目な人は、長生とか曲がり四目といったような複雑な死活について話しているだけ。
しかし、初心者同士の対局でそんな形が最後まで残ることはまずない。
むしろそんな形ができて質問されるまで上達したのなら喜ばしいこと。 >>681
>そして、純碁も死活(いつ終局宣言をすればいいのか)がわからなければとっつき難いのは同じかもしれないってことを先程から言ってるんだけれども。
これは違う
終局宣言は必要なく連続パスで自動的に終局になる
実際に純碁を打ったり教えたりすれば分かることだが初心者にとっては本当に分かりやすいルールだよ
それからルールを改選すれば普及の問題が飛躍的に改善すると言っているわけではない
実際分かりづらいという人やルールが訳分からんから遠ざけているという人がいて
問題だと感じている人が沢山要るという現状をなんとかした方がいいというだけの話だ
しかもそれはここ数十年の現行ルール特有の問題であって数千年続いている伝統的なルールに戻せば解決する話なんだから
>>682
日本ルールの問題は死活の判定だけではないんだが
ルールとしては細かい部分まで正確に説明しないと説明したことにはならない
しかも日本ルールは突き詰めると間違ったルールなので最終的には何故間違っているのかを説明しなければいけなくなるわけだが
そこまで説明できるのは棋士でも専門家でもほとんどいないだろう 入門者にとっての囲碁ルールの難しさは、理屈をこねても
純碁<中国ルール<日本ルール
であることは否定できない事実だと思うよ
入門者が一番難しいと感じるのは「地」の概念だから、それがない純碁は何といっても一番説明しやすい
またとことん打って相手の石をすべて打ち上げても基本的には勝敗に影響しない中国ルールが続くかな
「死んでる石」を打ち上げない日本ルールは説明しにくいし、入門者にとっては一番難しいんだよ
別に日本ルールが悪いといってるわけじゃないんだが 純碁や中国ルールは勝敗の決め方が興を削がれるかもしれない。
碁に興味を持つ人が最初に面白さを感じる瞬間は石を取った時だと思われるが、
その面白さがそのまま得点になるアゲハマは楽しいルールであろう。
指導という意味では、中国ルールの勝敗は実は日本ルール以上に、
入門者にとって意味不明で直感的に納得し難いのではないか。
どちらにしろ、ゲームはルールさえ覚えたら終わりじゃなくて、ルールを覚えてからが始まり。
仮に純碁の方がルールは簡単だとしても内容はすぐ同じになるし、地のことは2桁級でも分かる。
「碁を打てる人が増えた」と胸を張るには、日本ルールを理解してもらうくらいが基準としてちょうどいい。 話が逸れてるから戻るけど
>>668
>それ以前に学習法とルールは区別した方がいいだろう
というのはそのまま此方の言い分でもある。
効果があるかないかは別にして入門用として純碁ルールに異論はないが、
わかりやすいルール=ゲーム(競技)として良いルール、ではない。
「日本ルールは、読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」というのが本筋。
「無駄のない終局図」というのが抽象的でわけのわからない美学だと思われがちのようだが
無駄な手を打ったら基本的に損になるという決まりは、ゲームとして直感的に納得できる自然なルール。
明らかな生石の地に延々と無駄手を打ち続ける行為は、中国ルールではただの嫌がらせにしかならないが、
日本ルールでは何らかの勘違いによって生じるドラマであり、それこそが”ゲーム”だ。 >>685 地のことは2桁級でも分かる。
どうも入門者(初心者じゃない!)にとって地の概念がいかにわかり難いかということに無理解な人が多いなあ
初めて石を持った人に一度教えてみるといいよ
以前「地というものの考え方が将棋の駒の動きを覚えるより難しいと思ったことはない」なんて書き込みもあったけど、
たくさんの駒の動きを覚えるのと違って概念的なものだから、難しさの質が違うんだよ 少し意地になっていた気がするから改めるが、
入門者がいきなり地がわかりにくいのは素直に受け止めておくよ。
だが、ここは普及スレというわけではないので入門の話と一般的なルールの話は区別しよう。
地(死活)は日本だけでなく、中国も欧米も世界のどのルールも採用している。
入門者レベルでも分からないとダメだというのなら純碁以外どれも失格になってしまう。 コンピュータスレを崩壊させた日本語も読めない馬鹿がまた暴れてるのか
相変わらず独善的主張を続けてるな >>685>>686
全く賛同できないが意見としては分かった
>「日本ルールは、読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」というのが本筋。
ここだけが意味が分からないのでもう少し説明して欲しい
日本ルールの問題点は>>639の4点にまとめてある通り
問題点というのは言い換えると他のルールとの相違点であり
実際にこの4点を修正すれば日本ルールは中国ルールや純碁と(石の数え方や文言は違っても)意味内容的に同じになる
そこで具体的に4点のどの部分が「読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」のかを教えて欲しい
1.現行中国ルールとの違いを主張していることから切り賃廃止は今回の話とは無関係だと思うがどうか?
2.着手権利説を採用しパス代を無くすことが「深み」をもたらしたのか? もしそうならば何故そうなるのか?
3.交互着手制の廃止はコミの話であるので今回の話とは無関係だと思うがどうか?
4.実戦解決ではなく審判判定を導入することが「深み」をもたらしたのか? もしそうならば何故そうなるのか? 中国ルールにおける地の概念は、自分の石で埋め尽くせる場所、ということでよろしいですか?
相手が石を置いてきても生きることができない場所というか
だから石で埋めるのがめんどくさい場所というか >>691
地の概念は中国ルールも日本ルールも基本的には同じ
地(死活)の判定方法が実戦解決(対局者合意)か審判判定かというところが違う
ただし細かく言うと日本ルールの地の概念はwell-definedではないというのが通説 >>690
>>639
1.ゲームの目的設定の問題(切り賃廃止問題)
中国ルールでも現在は切り賃はないので、日本ルールだからというわけではない。
そもそも、何かしらの正しい結果というものがルールよりも先に存在する、という発想はバイアスだ。
結果とは、ルールすなわちゲームの後に生ずるものであって、先にあるのではない。
たとえ中国ルールや純碁でも、コミの設定や自殺手、同形反復のルール如何で結果はいくらでも変わるが、
どんなルールであろうと、そのルールを遵守して処理された結果ならば、それらはみな正しい。
2.パスの問題(着手権利・義務問題)
こちらも言いたいことは1とほぼ同じで、「勝敗判定が破綻する」は訳のわからない言い分。
日本ルールのパスの意味は、ダメ詰めまで終わった後に死手を打たれたら、損のないパスによってそれを咎めることができる。
例として、半劫争いの時にコウダテで打った手が実はコウダテになっていなかったら、何もせずに半劫を譲った場合に比べて1目損する。
また、自分の死石を生石と勘違いしてダメを詰めているつもりでいたら、実際はアゲハマになって損する。
そういうことがあり得るのが日本ルール。
一方、中国ルールではダメ詰め関連で読みを要求される。
日本ルールならばヨセの優先順位は、後手一目>半劫>ダメ詰め
で基本的に不変だが、中国ルールではケースごとにこの大小関係がひっくり返る。
中国ルールではヨセを教えるのが難しそうだ 3.黒番終了時の問題
黒番手止まりで結果が変わる理由は、中国ルールだと先着の有利性が白番手止まりよりも1目多くなるからだ。
そしてコミの存在意義が先着の有利性の解消ならば、手止まり変動が本来なら双方にとってより公平だ。
┏┯●┯○┯┓ ┏●●●○○┓
┠┼●┼○┼┨ ●●●●○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●●○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●┼○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●○○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●○○○○
┗┷●┷○┷┛ ┗●●○○○┛
上図で黒と白の打着はすべて価値が同じだが
最後の残りのダメを黒が打てるので黒の勝ちになる。
これは黒の先着の有利性が現出した結果だが、白にしてみれば不満だろう。
しかしだからといって、コミを一律に1目にすれば解決するというわけではない。
●●●●○○┓
●●●●○○○
●●●●○○○
●●●┼○○○
●●●○○○○
●●●○○○○
┗●●○○○○
この図も黒と白の打着はすべて価値が同じだが引き分けだ。
もしコミが一律に1目だとしたら白の勝ちになってしまうので、今度は黒が不満だろう。
だから手止まりによって区別する必要がある。 4.終盤処理の問題
両負けの規定は自分にも必要性がわからない。
審判判定を導入しているのだから、対局者が納得できないときはそうすればいいからだ。
公式試合で審判が立ち会うのはあらゆる競技でごく普通の事。
しかしたとえ居なくても、碁盤をもう1つ用意して死活ルールに沿って待ったなしで想定着手を行えば、
検討という「実践解決」によって紛れもなく死活は決着する。
死活の「合意」というのは本来こういう内容を指していると考えているし、それは自分だけでなく一般的な慣習であろう?
5.備考
中国ルールでも死活に合意すれば打ちきるのを省略できる。
つまり日本ルールとやってることは同じ。
日本ルールではこのプロセスを丁寧に成文化しているというだけのこと。
ただし、日本ルールで死石の取り上げ着手が不要な理由は、何かしらの省略というわけでもなければ、純碁で説明できるものでもない。
なぜなら、もしも日本ルールで死石の取り上げ着手を必要にしたら、その結果は日本ルールとも純碁とも異なる新たな別のゲームとなる。
よって死活ルールは、次に挙げるルールと同じ1つであって、そこに理屈などない。
四方を囲めば石を取れる
取られる状態になる地点に打つことはできない
地の多い方が勝つ
これらについてなぜ?と聞かれても、そういうゲームだからとしか答えようがない。 >>693-695
4点のどの部分が「読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」のかを教えて欲しいと聞いているのだが
質問に全く答えていないな
ただ貴方が碁について全く理解していないのは分かったからもういいわ
大陸の碁の歴史も日本の囲碁の歴史も何も知らずに正しいルールはないというのなら五目並べでもやっていればいい
貴方の基準では五目並べも正しい囲碁のルール(しかも最も競技人口が多い)なんでしょう
「碁の本質を知らない」とこうなってしまうんだな
>>696
そのサイトは知っているが「碁の本質」「碁の常識」を理解していないから記述がおかしくなっている
「奇妙奇天烈」なのは最近の碁打ちの感覚の方なんだな
歴史的な伝統的な正しいルールで打っていないから感覚や常識が壊れてしまっている
この一点だけでも現行ルールには大きな問題があると言わざるを得ない 独りよがりの持論を垂れ流す原因は自分が物事の本質を知っていると盲信していることによる。 >>698
全くだ
歴史を勉強すれば分かることなんだが無知者の盲信は手に負えない >>699
僕は君のことを言っている
君が碁の本質をわかっているとは到底思えない >>700
俺が分かっているかどうかは関係なくないか?
「碁の本質」と言っているのは中国の棋士達だし
「碁の本質」(盤石の数を競う等)というのは俺がどう思うかは関係なく歴史的に決まっているものなんだから 結局、囲碁ルール問題の本質は
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」っていう当たり前のことに尽きるんだよな >>706
原理主義じゃなくて言葉の定義の問題だ
ラグビーをサッカーと呼ぶなとかチェスを将棋と呼ぶなと同じ当たり前のこと
囲碁ルールの問題は言葉の誤用の問題に尽きる 実際「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」を適応すれば
ルールの問題はあっさり解決するからやってみればいい こりゃ気持ち悪い
碁知らん奴にそれ実際に言ってみたらいいやな
俺はお断りしますが >>709
歴史的に定まっている言葉の定義の話だし拒否する理由が分からないな
日本人が間違って言葉を混乱させただけで日本以外ではずっと碁(や棋)というのは「盤上の石の数を競うゲーム」のことなんだし
言葉を誤用する方が「気持ち悪い」と感じるのが普通の日本人の感性だと思うが >>710
交互に打つから、取った石の数を争うゲームにしても良かったのでは? >>711
それは数え方の問題で交互着手と着手義務(もしくは着手権利ならパス代)が守られるのなら意味は同じ
ただ「交互着手、着手義務で取った石の数を争うゲーム」というと表現が長くなる 石の数を競うと言うより、相手が着手義務を果たせなくなる状態まで追い込むゲームと考えたほうが良いのでは? >>713
言葉の定義の話なので「盤上の石の数を競う」と等価な表現なら何でもいいんだが
「盤上の石の数を競う」が最も簡潔で歴史的な実態に即した表現になっている
後は正しく言葉を使いましょうという小学生レベルの話だ このバカは大陸の歴史を礼賛して日本の歴史を間違ってると決めつけてるだけの反日売国奴
正しさの証明を歴史に求めるならば、地を争うゲームとして数百年千年と親しまれてきた日本では此方が正しい
かつ歴史(ルール)というのは現在進行系で常に塗り替えられていくものなのだから
物事が「歴史的に決まっている」だなんて発想は愚劣極まりない
加えて、これが言葉の定義の問題というのであれば、もはやそれは言語学の研究対象であり、ルールの問題ではない >>715
これがネトウヨかw
歴史を塗り替えていくなんてことをやるのは安倍政権くらいだぞw
誰も日本の歴史が間違っているなんて言っていない
大陸の碁と日本の囲碁が別のルールの別のゲームだと言っているだけだ
「碁」というのは大陸の碁のことなんだから言葉の問題として日本の囲碁は別の言葉で呼ぶ必要がある
囲碁のルールの問題というのは結局は大陸の碁と日本の囲碁の混同によって生じているのだから
言葉を正しく使えば自然と解決する 別のゲームとして扱いさえすれば良いというのであれば、
繰り返すが、それはルールではなく言語の問題だ。
例えば、外来語の「マンション」は語源と意味が異なるから、誤用だ、けしからんとな。
尤も、いまさらそんな批判をしたところで安々と言葉は変わらない。
まして碁の件では、ルールは違えど内容はどれも99.9%同じなのだからな。
しかも、そういう話ならば大した問題ではない。
普通の人は、自分が今どのルールで対局しているのかくらいはちゃんと分かってるから。 >>717
言葉の問題というのはとても重要であって実際に囲碁のルールは大きな問題になっているわけだが
公文書や歴史資料を権力者が好き勝手に改ざんしていいと考えているネトウヨには分からないだろうな
とにかく「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」という当たり前のことを実行すれば
囲碁のルール問題が解決することは確かだ >>714
いや、切り賃のことを考えたら、「相手が打てなくなったら負け」の方が正しい。 >>719
「盤上の石の数を競う」というのが大陸で数千年で続いた碁というゲームだ
これは誰もが認めている歴史的な事実なので否定しようがない >>721
歴史的なゲームの定義として「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」
切り賃廃止のゲームは碁とは別のゲームであって言葉は正しく使うべきである
誤用の帳尻を合わせる為に歴史や言葉を改ざんするようなことは論外である >>722
相手が打てなくなったら負けなのを、勝負が見えた時点で打ち切るための便法として石の数を競っているにすぎない
切り賃が必要なのはそういうこと >>718
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」という考え以外は一切認めない態度こそファシズムだろう
それに革新派は一般的に左翼のことを言うのだが
そんなことはどうでもいいけど、お前の口前を借りるならば
>>720
日本では碁が地を争うゲームとして続いてきたことは誰もが認める歴史的事実だ
否定しようがないぞ
ついでに聞いてみるが、盤上の石の数を競うゲームなら碁と呼んでいいならば
時にはオセロを碁と呼んでも一向に構わないな? >>723
歴史連呼してるやつとは別人なのか?
石の数を競うのは勝負が見えた時点で打ち切るための便法??
そんなことははじめて聞いたわ >>723
それは歴史的におかしい
切り賃ができる遥か前から石の数を競う碁は存在した
そもそも切り賃自体は数え方の問題であってルールとは関係ない
繰り返すが歴史の改ざんは論外だ
正しい言葉を使えは>>723のような間違いや改ざんを防ぐことができる
>>724はもういいだろ?
小学生以下の知能のネトウヨの相手をしたらスレが荒れてしまう ご【碁/×棊/▽棋】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
相対する二人が、縦横各19本の線によって仕切られた361の目のある盤の上に、黒・白の石を交互に置き、広く地(じ)を占めたほうを勝ちとする遊戯。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
辞書に書かれている言葉と、匿名のバカが間違いだ改竄だと盲信垂れ流してるのと、見てる人はどちらを信じるんだろうねえ? >>727
信じる信じないではなく歴史的な事実であって事実を否定している人は誰もいない
ただ辞書に堂々と誤用が載っているくらい言葉の定義が混乱していてそれが囲碁ルール問題を生んでいる
だから言葉を正しく使うようにすれば囲碁ルール問題は解決するという話だ 碁が地を競うゲームとして広く認識されてきたのも歴史的事実だ
ということは、[歴史的事実こそが何事にも先立って正しい]のだとするお前自身の論理を適用するなら、
勝手に誤用だと決めつけ事実を否定し改竄を目論んでいる張本人は、お前自身というわけだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています