■■囲碁のルールを語るスレ■■
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■■囲碁のルールを語るスレ■■
さまざまな囲碁のルールの比較、
現在の囲碁のルールの問題点、改善案などについて語るスレです。
囲碁のルールの問題点
○厳密性
条文だけではルールがわからない
条文に書いて無いルールが死活確認例に記載され運用されている
○実用性
勝敗の判定に、無限の棋力が必要である
○戦略性
死活確認で相手の手を確認してから対局の再開、着手が出来る
ダメ詰め省略の拒否により手の存在がばれる(実際の対局でダメ詰めが省略されている)
○紳士協定性
死活確認で同意しない戦略が取れる
勝敗に関して異議を唱え続ける戦略が取れる
同一局面反復に対し無勝負に同意しない戦略が取れる
[対局の再開===>着手放棄===>着手放棄] を無限に繰り返すことが出来る
○有限性
同一局面反復に対し回数制限が無い
○ゼロ和性
両負けが存在する
中国ルールにするだけで解決する問題点ばかりじゃないか >>6
そう。中国ルールの方が簡単で厳密。
囲碁が中国から日本に渡ったのちの
行きすぎた合理化により厳密性が失われた。
もしかしたら、実践での考え方が先に広まり、
それがルールになってしまったのかもしれない。
ただし、中国ルールにも曖昧な面はある。
パスによって同一局面になるパスを許すかどうか。
実践では現れないので考える必要は無いが、
ゲーム理論的には曖昧な点である。
(パスによる同一局面で終局とすれば曖昧性は無い)
また、現在では超コウルールを排除する方向にある。
これによって、曖昧な点が出てくる。
「両コウに仮生1つ」の局面は超コウによって死となるが、
このような部分的には単一のコウに対しては超コウを適用している。
ところが、単一のコウかどうかの定義は難しい。
池田敏雄氏なる人の考えた「中国式3」ってルールじゃダメなん?
何か日本棋院が邪魔して陳祖源氏なる人が細々とルールに手入れしたとかあった。
ルールと文化を切り離せないとか、カラー柔道着問題で学習しなかったのかね。 中国式3は台湾ルールのことで、池田さんはそれに手を加えたのね。
どちらにせよ統一された国際ルールで打ちたいよ。 池田氏については >>2 の「囲碁ルールについて」参照。
個人的には、「神が作った最高のゲーム」という精神の元、
多少のゲーム性を犠牲にしてでも、多少現在のルールと異なっても、
なるべく簡潔で厳密なルールが良いと思っている。
「純碁+超コウ」の結果を保ったまま終盤を合理化する
という方向も非常に捨てがたい。
ゲーム性はこれでもまったく現在の日本の囲碁のルールに劣っていない。
基本とすべきルールは、終局で片方がゴネても第三者の介入なしに本来勝つべき側が実戦解決で勝てるルールということですかね。
そうだね。
基本は中国ルールで良いと思う。
特にまぎれる点は存在しないので。
------------
碁盤形状
交互着手(パス可)
打ち上げルール
自殺手禁止
同一局面になる打石禁止
パスによる同一局面で終局
点数:終局時の 盤上の自分の石の数 + 自分の石のみで囲まれた空点の数(コミによる調整あり)
ルールはこれだけ。
二人零和有限確定完全情報ゲームであることは明らか。
終盤を合理化すれば中国ルール。
いつまでたっても中国ルールがわからないんだけど
日本ルールはすんなり入ったのに >>13
純中国ルールとしては >>12 だけ。
あとは戦略の話になる。
終盤を合理化したり、
単独コウ以外のスーパーコウルールを除いたり、
自殺手を許したり、
といった改変がくわえられて今の中国や韓国のルールになる。
>>13
日本ルールが分かった気になってるだけ。
すんなり入るほど簡単なルールではない。
中国ルールについては、現行の中国棋院囲碁規則の英訳や日本語訳が
見当たらない、という問題がある。
もちろん中国語の原文はあるが、当然読めない。
ウェブ翻訳にかけても意味不明な日本語を吐き出すだけだし。
大抵の人はオレも含めてネット上の書き込みに基づいて推測してるんだろうな。 中国ルールの本質は >>12
あとは終盤の合理化だけ。
A. 碁盤形状
B. 交互着手(パス可)
C. 打ち上げルール
D. 自殺手禁止
E. 同一局面になる打石禁止
F. パスによる同一局面で終局
G. 点数:終局時の 盤上の自分の石の数 + 自分の石のみで囲まれた空点の数(コミによる調整あり)
A. 〜 D. は日本ルールでも囲連星でも同じ。
(D. は一目以外の自殺手を認めているルールも存在する)
E. はスーパーコウルール。
日本ルールの単なるコウのルールでは「2手前と同一局面になる打石禁止」となる。
現在は単独コウ以外ではスーパーコウルールを適用しないルールだったりする。
F. は終局条件。現在の中国ルールでは「パス」「パス」が終局条件と成っているが、
連続しないパスで同一局面となる場合も考えられ、この点は曖昧と成っている。
E. とF. で有限であることがはっきり分かる。
G. は中国、韓国ルールの基本的な考え方。
終盤は合理化して入る為、双方が死に石と認めれば着手せずとも取り上げることが出来るが、
いずれか一方でも合意しない場合や結果が良くわからない場合には、
G. のルールが適用できるまで打ち続けることになる。
日本ルールはここを公理化しすぎた為、G. のように簡単に書くことは出来ない。
(G. もちゃんと書けば数行にはなるが)
中国ルールの「本質」はわかってるのに、
中国ルールそのものはわからないんですね。
よくあることです。 なんだよ結局このスレで長々語ってる奴らもちゃんと知らないってことかよ 終局図なんだけど、例えば以下の五目中出は16目だけど、
実際に石を取り上げる場合に白が手抜きをし続けると14目になりますよね。
┼┼┼┼┼┼┼┨05
┼┼┼●●●●●04
┼┼┼●○○○○03
┼●┼●○┼●┨02
┷┷┷┷●○┷┛01
_M_.N_O_P_Q_R_.S_T
相手がごねた場合はどう言えばいいのでしょう?
受け手が生きられない場合は終局時の形で計算するのがルールだ、でいいですか? >>21
日本のルールだと、対局の停止後死活の確認というフェーズに入る。
この形に対して十分な棋力があれば、
白は死に石、黒は生き石であると分かる。
このまま両者が合意すれば、黒16目と数えることになる。
黒が白を殺す手順を示しても白が合意しない場合や、
この右下の形の死活を語るのに十分な棋力が無い場合に関しては、
規約の条文にルールの記載は無い。
純中国ルールだと、このまま終局したら双方0目、
実際に黒が3手かけて白を取り上げて初めて黒の地になる。
┼┼┼┼┼┼┼┨05
┼┼┼●●●●●04
┼┼┼●┼┼┼┨03
┼●┼●┼★●★02
┷┷┷┷●┷★┛01
双方が納得してる場合にも実際に打ち上げ無ければならないのは面倒なので、
現在の中国ルールや韓国ルールだと、双方合意すれば、
打ち上げ手順を省略でき、以下の形であるとしてカウントすることが出来る。
┼┼┼┼┼┼┼┨05
┼┼┼●●●●●04
┼┼┼●┼┼┼┨03
┼●┼●┼┼●┨02
┷┷┷┷●┷┷┛01
点数は石の数+地の数なので、
どちらの場合も点数は同じである。
さらに、
一見日本のルールとはまったく違う数え方のように見えるが、
多くの場合、日本のルールと勝敗は変わらない。
日本ルールについて補足すると、
死活の確認は、点数カウントを行う為の作業であって、
白が死に石で、黒が生き石であると確認できた場合には、
>>21 の状態に戻してカウントする。
相手が合意しない場合にはルール上どうすることも出来ず、
対局の再開を要請して相手の陣地に1子打ち込んで生き石だと主張するなど、
「目には目を」作戦に出るしかない。
丁寧な解説ありがとうございます。
日本ルールはなんと言うか、「説明が面倒」ですね。
合意が得られれば利便性が高いのでしょうけど。 >>21 の例は、実践のルールのままで >>21 を取ることが出来るので説明は簡単な方。
現在の日本の囲碁のルールだと、
実践のルールのままだと取り上げられない石や、
取り上げる為には大きく損をするような石も、
死活確認用の特別なルールの元で死に石になったりする。
この辺だと、有段者でも正しく説明出来ない人も多い。
両コウゼキ+(一眼+コウ)
曲がり4目+コウ材多数
など。
トッププロですら最近まで知らなかったルールも存在した。
死活確認中には石をより多く取られ続ける同型反復手は禁止という条文に無いルールである。
条文には無いが、それをにおわせる記述が死活確認例に記載あり。
この辺の特別ルールは、合理的理由がなく非常に作為的に感じる。
いずれにしろ、今の日本のルールは条文だけではいいかげんすぎてルールになってなく、
死活確認例をたくさん載せないと成り立たない。
今後想定していない問題が発生する可能性も多いにある。
> 合意が得られれば利便性が高いのでしょうけど。
終局後の点数カウントは確かに日本ルールの方が多少短時間で済むが、
私には欠点ばかりが目立って見えてしまう。
日本囲碁規約の両負けのルールはどう考えてもおかしいよな。
http://www.nihonkiin.or.jp/joho/kiyaku/kiyaku13-14.htm
参考図19-1
死活確認で、白は黒石を取ることが出来ない
よって黒石は活き石
7個の空点は一方のダメのない活き石のみで囲まれているので黒の地
参考図19-2
死活確認で、黒の手によって白は死ぬ
よって白石9子は死に石
終局に合意しないなんてことが許されるなら、
トッププロでも私に勝つことは出来ない。
どうがんばってももう打つ場所がないのに、終局に合意しないという
ひねくれたことをすることは可能なのだろうか? プロの対局の場合は、日本囲碁規約に加えて対局管理規程というものが加わるから
無茶なことは出来ないようになってるはず。 >>27 のリンク先の場合も同じように無茶なことだと思うんだけど。
なんでこの場合だけ終局に合意しないのが許されるような記述になってるんだ?
やっぱり日本囲碁規約第十三条−1(両負け)はおかしい。
なんでおかしいと思わないのかが不思議。
対局の再開もせずに、終局にも合意しないという戦略が取れると書いてあるんだぞ。
負けたと思ったらいつでもこの戦略を取れば、
相手を勝たせないことが出来る。
上にも書いたが、
プロの場合は立会人等の第三者が裁定するので問題ない。
アマの場合はローカルルールでどうするか決めるが、
ネット碁なら管理人、大会なら運営者が判定するのが多いだろう。
碁会所なら席亭や見物客か。
対局者以外の第三者が居ない場合は日本囲碁規約通り両負けとなる。
そういう対局は勝っても負けてもどちらでもいいから問題ない。 対局者以外の第三者が居ない場合は勝っても負けてもどちらでもいいの?
対戦ゲームとして破綻してないかそれ 「おかしい」とか「破綻してる」とかそんなんばっかりだね。
アホの相手をするのは時間の無駄。 おかしくて破綻しているルールを擁護する意味がわからない。
根拠も無しに「おかしい」とか「破綻してる」と言うだけのアホだってことですよ。 基本的にはパス3回で終局だろ。最初に断っておけばいい。
ところで、リアルで対局する時ってパスするときには「パス」って言うの?
うっかり「ありません」なんて言ったら負けちゃうよね? >>41
根拠が無いって....
日本語が読めないなら日本語の掲示板に書き込まない方が良いと思うよ
>>42
> 基本的にはパス3回で終局だろ。最初に断っておけばいい。
そういうルールの方がこの手のゲームのルールとしては適切だよね。
なんかルールを語るスレで、
ルールの悪い面を見て見ないふりをする人がいるけど、
なんでそんな人がこのスレにいるのかが不思議でならない。
日本囲碁規約では両対局者が続けてパスしたら対局停止(終局) ルールの基本的な部分を理解できない子が発狂してるだけのようだね。
まあ、勝手に発狂してれば、って感じ。 >>45
日本囲碁規約では、対局停止と終局はちがう。
中国ルールの場合、自石もポイントに数えるって事は取られると日本の倍の目差が作って事?
またはアゲハマを使わないとか? アゲハマはカウントせず、盤面のみで点数が決まる。
ゲーム性はほとんど同じで、
多くの場合日本ルールと中国ルールの勝敗は一致する。
中国ルールの正式な条文 (2002年)
http://go.yenching.edu.hk/chirule.htm
英訳(1992年)
http://www-2.cs.cmu.edu/~wjh/go/rules/Chinese.html
日本語での解説
http://sowhat.ifdef.jp/igo/chinese/
>>47
対局停止を知らない子のために書いたんだろ。 現行中国ルールの英訳もしくは日本語訳はどこにもないのかもな。 >>50
ありがとう。
ネットは中国ルールで
紳士的に遊べる相手なら日本ルールでも構わんて感じだろうか >>53
初心者も中国ルールの方が良いと思う。
終盤を省略しない中国ルールなら5分でルールの説明が出来る。
日本ルールだと、
取れない石でも生き石とかセキ石とか、
説明が大変すぎる。
日本ルールは本当に必要な分しか守っちゃ駄目ルールなんだろうけど、
結局の所、1手損になるから中国ルールだろうが結果は同じだよね。 >3 の日本ルールの問題点を解決するルールを考える。
> 勝敗の判定に、無限の棋力が必要である
> 死活確認で同意しない戦略が取れる
交互着手による死活確認を行うことで、対局者の力量による死活確認を行う。
これも対局の一部であり、
1度死活確認が終了した石に対し、再び死活確認を求めることは出来ない。
(死活に合意があれば省略可)
> 死活確認で相手の手を確認してから対局の再開、着手が出来る
> [対局の再開===>着手放棄===>着手放棄] を無限に繰り返すことが出来る
対局の再開ルールを無くす。
コウによる着手禁止点がある局面からの2連続パスでは対局の停止では無くする。
(この場合3連続パスで終局)
これ以降、双方に有効な手が有っても追加で打つことは許されず、
死活確認によって死活を決める。
> ダメ詰め省略の拒否により手の存在がばれる(実際の対局でダメ詰めが省略されている)
条文のルール通り、対局停止時にダメを有する活き石はセキ石とする。
> 勝敗に関して異議を唱え続ける戦略が取れる
すべての石の死活確認後は、点数は明確に決まる。
これ以上は盤外のルール。
> 同一局面反復に対し無勝負に同意しない戦略が取れる
同一の[手番、盤面、ハマ差、コウによる禁止点]が4回現れた時点で引き分けとする。
(同型反復引き分けの合意があれば、4回現れる前でも引き分けと出来る)
自殺手禁止のルールと自殺手有りのルールだと、
どっちのルールの方がおもしろいんだろうか?
>>58
自殺手がコウダテになる場合があるんだよね >>56
交互着手による死活確認がずっと終了しない場合も存在するのでは。 >>60
死活確認も同形反復禁止ルールを明確化
死活確認をすべき石は有限個なのでずっと終了しない場合は存在しない
タイトル戦3勝3敗で両負けが発生したらどうすんやろな やっぱり、沢山置いたほうが勝ちってのが一番いいように思える。
ルール上の死活判定もいらないし、勝敗判定は石をじゃらじゃら並べ直せばいいだけだし簡単。
これじゃダメなの? 調べれば調べるほど、論理的には
中国ルールのほうが優れている気がしてならないのだが。 純碁や純中国碁ならルールは単純明快。
純中国碁のゲーム性を保ったままの今の中国ルールも
ルールとしては曖昧性は無い。
今の日本ルールは酷すぎる。
とてもルールと言えたようなものじゃない。
酷いとわかっていて改善しようとしない囲碁連盟も糞。
囲碁のルールに関するgenkurokiさんのツイート+α
http://togetter.com/li/252788
中国ルールは循環禁止の規定が3,4種類あるから面倒 ↑超コウは捨てたんだっけ?
将棋の千日手とかも局面単位での決めてるし、
普通に超コウで良かったと思うんだが。
> 普通に超コウで良かったと思うんだが。
はげどう。
超コウにも2種類あるけど、
どっちの超コウならよかったの? 超コウに二種類あるとは知らなかった。
単に将棋の千日手みたいに全局面で同じものが現れてはいけないというのではないの? >>73
超コウに2種類もある?
「同一盤面になるように石を打つことを禁止する」
しかないような。
同一盤面なら手番が異なっても禁止。
パスによる同一盤面は当然許される。
他のルールを考えるとすると、
「同一盤面同一手番になるように石を打つことを禁止する」
パスによる同一盤面同一手番は(連続パスでなくても)終局にしないといけない。
日本ルールだと「ハマ差が同一」を条件に入れるか入れないかも可能性としてはある。
自殺手有効ルールだと自殺手による同一盤面を許すかどうかも。
超コウにはPSKとSSKの2種類がある。
中国ルールについて語るならこれくらいは常識。 >>76の2種類だな。
中国だとどこで同一盤面同一手番禁止のルールを採用してるの?
一般的なゲームだと手番まで含めると思うけど、
囲碁の場合は手番まで含めるといろいろルールにまぎれがあるから、
同一盤面だけの方が簡単になる。
ルール:石を打って同一盤面になる手を禁止する
パスによる同一盤面はいつでも許される。
2連続パス、同一盤面同一手番、同一盤面3回
はすべて同時に訪れ、これをもって終局とする。
同一手番まで含めると、
パスによる同一盤面同一手番に関して3種類のルールが考えられる。
ルール1:パスによる同一盤面同一手番はいつでも可。これにより終局となる。
ルール2:パスによる同一盤面同一手番はいつでも可。連続パスでない場合はそのままゲームを続ける。
ルール3:パスによる同一盤面同一手番はその前の手がパスの場合のみ許される。
ルール1はパスが連続しなくても終局となる場合があり、双方打つ場所が無い時に終局という考えには反する。
ルール2は同一盤面同一手番になってもゲームが続くことがある。
同一盤面同一手番を中途半端に防いでいることになる。
無限ゲームは防げてはるが。
ルール3は合法手が存在しない場合が存在することになる。
合法手が存在しない場合は終局とするという特別ルールが加わる。
さらに勝敗も「合法手が存在しない側を負けとする」「引き分け」という2種類が考えられる。
(チェスだと「引き分け」)
日本ルールのように盤面以外も勝敗に関係ある場合はそれを含めるかどうかでも
超コウのルールバリエーションが増える。
やはりルールが厳密でシンプルで囲碁と同程度のゲーム性を保っているのは、
同一盤面禁止の純碁
および
同一盤面禁止の純中国碁(終盤を省略しない中国ルール)
ご本尊の中国棋院が超コウルールを廃止したんだから
使いにくいんだろう。
中国ルールで打ってない人間が超コウルールに憧れるのは自由だけど。 素人とは、超コウルールが複数あることを指摘されるまで知らなかった人のことですよね 日中韓のどこでもスーパーコウルールを採用してないってことは
人間用のルールとしては欠陥があるということ。 PSKとSSKのどちらか一方が支配的になれば超コウ=PSKまたは超コウ=SSK
という認識になるから紛れはないけど、現状ではどちらの超コウであるのか
明示しないと混乱する
コンピュータ碁の大会で超コウの設定を間違えて反則負けに
なったソフトもあったくらいだから、ややこしいよね
中国ルールの超コウは「パス以外の同一盤面禁止」で統一されてる気がするけど。
手番まで含んだ中国ルールってどこで使われてる(使われてた)の?
いずれにしろ、
手番まで含むと上に書いたようにまぎれがあるし、
そのどれを選んでもすっきりしない。
盤面だけの方が良い。
>>87
あんたがどういう願望を抱こうともあんたの勝手だが、
あんたの願望と現実は違うってことくらい理解しようぜ。 AGA
ネット検索したら直ぐにヒットするんだからこれくらい調べよぜ はっ?AGAはアメリカだが。
中国に関して言えば、中国では超コウルールは使ってない。 中国で2通りの超コウが使われてる(使われてた)んじゃなかったの?
>>78 の書き込みは何?
>>79 と >>87 の2度の質問を無視したのは勘違いをごまかす為?
アメリカの囲碁人口なんて中国韓国に比べたら誤差程度。
現実には手番を含まない方が支配的に見える。
------
AGAのルールを見ると>>79の3通りのルール2とルール3のどちらがは
はっきりとは書かれていないように見える。
○同一手番同一盤面を禁止する
○パス可能
これのどちらを優先するかが書かれていない。
少なくとも2連続パスは可能なはずなので
他の場合も下が優先と考えるのが自然だろうとは思うけど。
>>86
紛れが無いと書いてあるけど、
あなたの解釈はどっち?
その根拠は?
>>78を書いたのはオレだから答えるが、
事実をそのまま書いただけだぞ。
超コウにはPSKとSSKの二種類がある。
中国で使ってる中国ルールでは超コウは採用していない。
AGAルールではSSKを採用してる。
KGSのChineseルールではPSKを採用してる。
KGSではChineseルール以外にAGAルールも選択可能で、試したことはないがSSKだと推定される。
>>79>>86>>87はオレじゃないから知らん。
相手を確認せずに突っかかるのはバカ丸出しだぞ。
以上 >>78 の文面から、中国に2通りあるように読み取れる。
そうじゃないと1行目と2行目がつながらない。
だから直後の>>79で確認し、>>87で再度質問した。
それを無視したのは、中国に2通りあると勘違いしたのを隠す為と思った。
>>78 の2行の文の意図を説明してくれ。
( >>79 も >>87 も俺の書き込みだ)
> 中国で使ってる中国ルールでは超コウは採用していない。
http://go.yenching.edu.hk/chirule.htm
ここを見ると、
中国ルールは特例があるだけで基本超コウに見える。
採用してないと君が主張する根拠を教えてくれ。
> 超コウにはPSKとSSKの二種類がある。
君の分類だと2種類かもしれないが、厳密にはより細かく分けられる。
特に手番を含んだ方はいろいろと紛れが存在する。
(一般的でない略語を説明無しで使うのもどうかと思う)
>>86 に対する書き込みは>>94と>>86が同一人物だろうがそうじゃ無かろうが関係ない。
えーと、横レスで済まないけど
SSK、PSKは中国ルール関連の文献ではよく使われてるので一般的と言っていいです。それぞれsituational superkoとpositional superkoの略です。
中国ルールの議論をするのならこれくらいの用語は知っておく方がいいです。
中国棋院では十年くらいまえに超コウを廃止して現在のルールになったのだけど、
日本語の文献でその辺の経緯を説明したものがあるかどうかは知りません。
中国ルールに関する初歩的な知識が欠けてるようだけど、
その割には変な自説にこだわったり、挑発的な書き方をしてますね、君。 > SSK、PSKは中国ルール関連の文献ではよく使われてるので
ソースよろしく。
めんどくさい人だな・・・
ここでも読んで勉強してください。
http://senseis.xmp.net/ >>99
省略形じゃなくて、ちゃんとフルスペリングで書いてあるように見えるけど。
何の注釈も無しにSSK, PSKなんて省略形を使ってる文献は見たことが無い。
相手の石を取れる場合でも囲まれている場合は自殺手とみなし、その場所に打ってはならない
というルールは駄目なの?
コウが全くなくなる
一眼作れば生き
かなりルールが単純になると思うけど、そうなってないってことは
やっぱり何か重大な欠点があるんだよね? すべての同形反復が無くなるわけじゃないので
二人零和有限確定完全情報ゲームである為には何らかのルールが必要。
だから「純碁+超コウ」または「純中国碁」に対してルールが単純になるとは思えない。
戦略的には
捨て石が全く使えなかったり
簡単に生きるのでスケールの大きな戦いになりにくかったりと
あまり優れているという気がしない。
>>102
単純さの点でいえば、セキはおそらく無くなるんじゃないかな
もしそうなら、これはかなり大きい
同型反復も実用上は出てこないレベルになるし
ただ、確かにスケールがかなり小さくなるね
一つ一つの地の塊がかなり小さくなるので石で埋め尽くされる
19路だと終局までがかなり長くなってしまうな あと、同型反復の点で言えば、自殺点の例外ルールが一つ無くなるから、
単純にはなる
ただ、ゲームとして面白くなさそうなのが致命的だろうね >>103
ルール上は純碁でも中国碁でもセキの概念は不要。
日本ルールを語るなら、
あれはルールと呼ぶには酷すぎる。
>>104
自殺点?自殺手?
単に着手禁止点の決め方が変わっただけかと。
それとも、
死活確認中の相手より多く取られる同形反復禁止の(ルールに書いて無い)ルールのこと?
>>105
なるほど、確かに石を置いた数だから、置かなければ良いってことか
指摘ありがとう
あと、自殺点完全禁止ルールで気づいたのは、コミがものすごく小さくなる
簡単に生きられるので先手の利がかなり小さい >>107
つまり、今までだと、自分が取られる点には打っていけないというルールと、
ただし、相手を取れる場合には可能というそれに対する
例外ルールの二つのルールから成り立っていたものが、前者だけの一つの
ルールになっているのではないかということ >>109
ああ、そういう意味か。
どちらも打ち上げルールと着手禁止点ルールがあるという意味では同じ。
どちらも例外という形じゃない記述は可能。
という感じでそれほど大きな差はないかと。
[着手禁止点]
石打ち(&打ち上げ後)に、自分が打った石が取られる形になるような場合は
その石打ちは禁止。
>>110
なるほどなあ、とった後にそういう形になるという書き方で
日本語としては大差なくなるのか
実質は、相手の石をとれるかどうか予想する作業が入る点で複雑になっていると
無理やり言えなくなもないけど、確かに言われてみれば大差ないかもしれない 自分で9路で数局打ってみた感想は、意外にゲームとしては一応成り立つ
大きな地も出来にくくはあるが、特に辺を使わない箇所において、
相対的にはちゃんと大きい地や小さい地は出来るし、技量が反映されはする
だけど何となく面白くないような気がする
僅差になるし、中押しや大逆転が無いような気がする
コミはほぼ出ないんじゃないかな 小さい碁盤(交点が5個以下)の最善手同士で引き分けとなるコミを調べました。
数字の左から順に[純碁/>>101] [純碁/自殺手なし] [中国碁/>>101] [中国碁/自殺手なし]
コウは盤面超コウルール
{{a,b}} 1 0 2 0
{{a,b},{a,c}} 2 1 3 3
{{a,b},{a,c},{b,c}} 0 0 0 0
{{a,b},{c,d}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{b,d}} 0 2 0 4
{{a,b},{a,c},{a,d}} 3 2 4 4
{{a,b},{a,c},{b,d},{c,d}} 1 1 1 1
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c}} 3 2 4 4
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c},{b,d}} 1 1 1 1
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c},{b,d},{c,d}} 1 1 1 1
{{a,b},{a,c},{d,e}} 1 1 1 3
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,e}} 1 3 1 5
{{a,b},{a,c},{b,c},{d,e}} 1 0 2 0
{{a,b},{a,c},{b,d},{c,e}} 1 0 1 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c},{b,e}} 1 0 1 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c},{d,e}} 1 2 2 2
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,e},{c,e}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{b,d},{c,e},{d,e}} 4 0 5 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{d,e}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c},{b,e},{d,e}} 4 0 5 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c},{b,d},{c,e}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,e},{c,e},{d,e}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d},{b,e}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d},{c,d}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d},{c,e}} 4 3 5 5
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,c},{b,e},{c,e},{d,e}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d},{b,e},{c,d}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d},{c,e},{d,e}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d},{b,e},{c,d},{c,e}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{a,e},{b,c},{b,d},{b,e},{c,d},{c,e},{d,e}} 0 0 0 0
{{a,b},{a,c},{a,d},{b,e},{b,f},{c,e},{d,f}} 0 0 0 0
>>101 で一局やってみる?
純碁/中国碁/日本囲碁のどれにするかとかコミとかはとりあえず気にせず
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼┼┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼┼┼┤
07├┼┼★┼┼┼┼┤
08├┼┼┼┼┼┼┼┤
09└┴┴┴┴┴┴┴┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
どれどれ
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼☆┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼┼┼┤
07├┼┼●┼┼┼┼┤
08├┼┼┼┼┼┼┼┤
09└┴┴┴┴┴┴┴┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0 ※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼★┼┤
07├┼┼●┼┼┼┼┤
08├┼┼┼┼┼┼┼┤
09└┴┴┴┴┴┴┴┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼●┼┤
07├┼┼●┼┼┼┼┤
08├┼┼┼┼┼┼┼┤
09└┴┴┴┴┴┴☆┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0 ※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼●┼┤
07├┼┼●┼┼┼┼┤
08├★┼┼┼┼┼┼┤
09└┴┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼●┼┤
07├┼┼●┼┼┼┼┤
08├●┼┼┼┼┼┼┤
09└☆┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0 ※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼●┼┤
07├┼┼●┼┼┼┼┤
08├●★┼┼┼┼┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼●┼┤
07├┼┼●┼┼┼┼┤
08☆●●┼┼┼┼┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0 ※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├┼┼┼┼┼●┼┤
07├★┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼┼┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼┼┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├☆┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼┼┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0 ※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼★┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├○┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼┼┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼┼┤
03├┼┼┼○┼●┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├○┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼☆┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0 ※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼★┤
03├┼┼┼○┼●┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├○┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼○┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼┼┼┼┼┼●┤
03├☆┼┼○┼●┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├○┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼○┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘ コウもとれないのだから隅から一目ずつ増やしていけば必勝じゃないの? >>129
それを双方が出来るから必勝ではないのでは
それに、今の実戦でも、既に左下隅を白が取っているが、
周辺を黒におさえられているので
そこから一目ずつ増やしいくことは
できなくなってるでしょう ※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼★┼┼┼┼●┤
03├○┼┼○┼●┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├○┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼○┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├┼●┼┼┼┼●┤
03├○☆┼○┼●┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├○┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼○┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0
厚みがあまり意味をなさないという印象がありますね。 厚みがあっても近くに石を置かれて
あちこちで乱戦が起こってる印象だなあ
※一二三四五六七八九
01┌┬┬┬┬┬┬┬┐
02├★●┼┼┼┼●┤
03├○○┼○┼●┼┤
04├┼┼┼┼┼┼┼┤
05├┼┼┼┼┼┼┼┤
06├○┼┼┼┼●┼┤
07├●┼●┼┼┼┼┤
08○●●┼┼┼○┼┤
09└○┴┴┴┴┴○┘
●★番のアゲハマ=0
○☆番のアゲハマ=0 捨てたっていうソースは?
2002年改訂のルールには超コウは残ってる。
http://go.yenching.edu.hk/chirule.htm
一部の同形反復の形だけ無勝負や持碁にするルールにすることが出来るってだけで。
超コウが無かったら以下の形は活き、もしくは無限ゲームになってしまう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E4%BB%8F%E3%81%AE%E5%88%A4%E6%B1%BA
日本ルールの場合、
両コウゼキが2個あって、
セキにしたまま戦うと負ける思った場合、
コウを取り続けることで同形反復無勝負にする手は
立派な戦略?
卑怯な戦略?
両コウゼキじゃなくても、
普通の無限のコウ材が2か所以上とか、
4コウとか、
一方的に同形反復とそれ以外を選べるような場合。
あと、上記の形や3コウとかで、
同形反復の手を打ち続けてるが無勝負に同意しないで相手の時間切れを狙うのは、
立派な戦略?
卑怯な戦略?
>>137
> 2002年改訂のルールには超コウは残ってる。
残ってないぞ。「全曲同形禁止」とは超コウのことではなく
第20条に規定するパターンを禁止してるというだけのこと。
第二十條 全局同形再現
全局同形再現是妨礙終局的惟一技術性原因,原則上必須禁止。
2.禁止「假生」類多劫循環(如圖3KA位提劫為假生)。
3.原則上禁止三劫循環、四劫循環,長生、雙提兩子等全局同形再現的罕見特例(如圖4)。根據不同比賽,也可制定相應的補充規定,如:無勝負、和棋、加賽等。 第六條 禁止全局同形再現
第二十條 全局同形再現
全局同形再現是妨礙終局的惟一技術性原因,原則上必須禁止。
基本禁止で特例があるってだけだ。
ん?中国棋院ルールを超コウだと思うか思わないかという
主観の相違だろ。思いたいならそう思えばいいんじゃないの?
日本のアマチュアが中国棋院ルールで打つ機会なんてないんだろうからさ。 >>142
> だれがどう見ても超コウだろ。
間違いだ。
少なくとも>>135のリンク先の人は超コウではないと考えてる。 >>143
リンク先の人はルールを読んでそう思ったの?
違うんじゃないの。
ルールを読めばだれがどう見ても超コウだ。
ちゃんとルールを読んだ?
君たち、中国語読めるの?
それとも、読めないくせに字面を見て推測してるだけなの? >読めないくせに字面を見て推測してるだけなの?
そうだけど、それだけでだいたい意味は取れるんじゃないの? 推測で読むから超コウルールは捨てたとか言い出すのか。
●総則
第六条 全局的な同形再現の禁止
石を打つことによって以前に出現した局面と同一の局面になることを禁止する
●競争規定
第二十条 全局的同形の再現
技術的理由で全局の同形再現を原則禁止することが必要である。
2.仮生&多コウなどによる循環を禁止する
3.3コウ循環や4コウ循環や長生など、特殊なケースによる循環を原則として禁止する。
無勝負、ジゴ、引き分けとする追加のルールを設けることも出来るとする。
自称識者(笑)たちが見栄の張り合いをしてるだけじゃん 中国ルールには本家中国棋院ルールやらKGSルールやらAGAルールやらいろいろあるんだろ。
めんどくさそう。 「中国ルール」って活き石と地で数えるやつじゃないの? area countingを採用してるルールは中国ルールと呼んで良い 中国ルールが優れてる訳じゃなくて、
日本ルールが酷い。
曖昧にしか教えられないルールってだけで
中国韓国にハンデを背負ってる。
この塚本恵一って人が提案している日本式囲碁規約ってどうなんだろう。
http://park6.wakwak.com/~igo/igorule/tsukamoto.html
この塚本氏という人物は、アマ囲碁界の重鎮らしいのだが、
ちょっととんでもっぽいこといっているように思えてならない。
たとえば、、、
> ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤ 左図のような黒は生きでも死にでもないの
> ┼┼┼○○○○○○┤ です。セキでもありません。
> ┼┼○○●●●●○┤
> ┼┼○●●┼┼●○┤ ルールで生死を定めるなら、本図を中手や
> ┼┼○●┼○○●○┤ セキと区別できなければなりません。
> ┴┴○●┴┴┴●○┘
とかいっているけど、どうみてもこれは、八目中手で、黒死だと思うが。。。
純碁+同一局面禁止+自殺手可
これですべてが解決する。 同一局面じゃなくて同一盤面の方が一般的。
局面にするとパスによる同一局面のことを考えなくてはならない。
自殺手は可でも不可でもどちらでも紛れは無い。
自殺手可でも不可でも自殺手に関するルールが必要で、
ルールの難しさも同等。
純碁じゃなくて純中国碁も特別紛れは無い。
つまり以下の組み合わせならどれでもOK。
純中国碁+同一盤面禁止+自殺手可
純中国碁+同一盤面禁止+自殺手不可
純碁+同一盤面禁止+自殺手可
純碁+同一盤面禁止+自殺手不可
これら4つのゲームの戦略の深さ広さを考えてみる。
寄せの段階で切り賃を考える必要のある純碁と、
考えなくて良い中国碁。
中国碁では完全なダメ詰めの段階であっても、
純碁では切る、繋がるの戦略が必要。
ゲームの深さ広さでは純碁の方が微妙に上と考えるのが妥当。
ただし、切る繋がるは切り賃が無くても必須な概念なので、
大きな差は無いともいえる。
自殺手の有無はそれによるコウ材の有無の違い。
ゲームの深さ広さでは自殺手有りの方が微妙に上と考えるのが妥当。
ただし、こちらも大きな差は無いともいえる。
今度は、>>463と日本ルールのゲームの戦略の差(主な物)を比べて見る。
ダメが偶数時の手入れ
ダメ詰め時の戦略
超コウの戦略
セキの目のカウント
コウによる無条件死(曲がり4目など)
この中で、「ダメが偶数時の手入れ」のみが
日本ルールでより多く考える必要があるものである。
他はすべて >>463 の方が戦略上考えるべきことが多い。
これらや>>164の戦略の差は
碁というゲームの戦略全体から見たら誤差程度。
こんな微妙なところで最大化しなくても
碁と言うゲームは戦略的に十分面白いと思う。
>>161
もっと簡単な形で。
┏┯○┓
○○○○
●●●●
┗○┷┛
このように手が残ってる場合には活きでも死にでもセキでも無いと言ってる。
今の日本ルールで正しく死活判定すれば、
黒4子も白1子も死に石。
よって下半分は白の地。
白地の中の黒の死に石を白のハマに加えてカウントすることになる。
黒が対局の再開を要請すると白からの着手になるので再開の要請も出来ない。
黒が取れる戦略は黒が死に石であることに同意しないこと。
第十三条−1には有効な着手が残ってるまま対局を停止したら、
死活に合意しなくて良いように書かれている。
> ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤ 左図のような黒は生きでも死にでもないの
> ┼┼┼○○○○○○┤ です。セキでもありません。
> ┼┼○○●●●●○┤
> ┼┼○●●┼┼●○┤ ルールで生死を定めるなら、本図を中手や
> ┼┼○●五○○●○┤ セキと区別できなければなりません。
> ┴┴○●四壱弐●○┘
黒壱白弐のあと黒手抜き、白四に黒五で万年コウ 間違えた
> ┼┼┼┼┼┼┼┼┼┤ 左図のような黒は生きでも死にでもないの
> ┼┼┼○○○○○○┤ です。セキでもありません。
> ┼┼○○●●●●○┤
> ┼┼○●●┼┼●○┤ ルールで生死を定めるなら、本図を中手や
> ┼┼○●参○○●○┤ セキと区別できなければなりません。
> ┴┴○●┴壱弐●○┘
黒壱白弐黒参で万年コウ >>161の形は黒先万年コウ、白先黒死。要するに手残り。
三段合格の死活150題に>>161の応用形のような問題が載ってるから、
>>161の死活そのものは3級とかそのレベル。
手残りのまま対局停止したとしても
黒白両者の死活認識が一致していればその認識に従って終局処理するだけ。
両者の死活認識が一致してなくても、形勢が大差で、どちらか一方が譲っても
勝ってるようであれば譲ってしまえばいい。
どちらも譲れない状勢であれば無勝負。
ルール上、無勝負があるのが気に入らない、というのは心情的にはわかるが、
あんまりルールをガチガチにすると級位者はプレーお断りになりかねないから
賛成できない。 >>169
正しく死活判定を行えば、
>>166と同様白2子も黒11子も死に石。
外の白石がセキ石でない活き石であれば、
黒石は盤上から取り除かれて白のハマに加えなくてはならないはず。
なんで黒が死活に合意しない戦略が取れるのか?
こんなことが許されるなら、
手残りじゃなくても死活に合意しない戦略を取ればいい。
初心者ほど手残りで対局の停止になる可能性が高い。
カウント中に半コウが残ってたなんてことは初心者同士の対局なら頻繁にある。
その辺のルールはちゃんと決まっているべきと思う。
プロだって2手打ちやコウの即取り返しなどの反則があるのだから、
手残りで対局の停止になる可能性も否定できないはず。
> ルール上、無勝負があるのが気に入らない、というのは心情的にはわかるが、
無勝負じゃなく両負け。
心情的にゼロ和ゲームじゃなくなるのは当然気に入らないが、
それよりも正しい死活判定に対してダダをこねることが可能というルールはどう考えてもおかしい。
へー、即レスかー
一日中2chに張り付いてる人っているんですね >>169
> 正しく死活判定を行えば、
> >>166と同様白2子も黒11子も死に石。
黒先万年コウ、白先黒死と書いてるんだから、
対局中に黒が打てば万年コウ、白が打てば黒死、って意味だろ。
> カウント中に半コウが残ってたなんてことは初心者同士の対局なら頻繁にある。
> その辺のルールはちゃんと決まっているべきと思う。
決まってるよ。
> 無勝負じゃなく両負け。
どっちも似たようなもんじゃん。 >>173
対局中と死活判定では死活結果が違うんだよ。
あ、でも黒先で万年コウだから中の白石は活き石だ。
このまま対局の停止になって死活判定をすれば白は活き石、黒は死に石
なおさら黒がダダをこねて活き石と主張するには無理がある。
> 決まってるよ。
死活確認の手順も決まって無ければ、
いつ死活確認結果に同意しない戦略が取れるかも決まって無い。
少なくとも囲碁規約に明文化されて無い。
>>173
> 対局中と死活判定では死活結果が違うんだよ。
そうだよ。手残りとはそういう意味なんだから当たり前だろ
対局中に打てば黒先万年コウ、白先黒死。
> 少なくとも囲碁規約に明文化されて無い。
明文化されてるよ。
例えば下の図で★は死に石だが、
「地の中の死に石」ではないのでアゲハマにはならない。
★が死に石だから、※は黒地でもない。
つまり、計算上は黒が※に継いで対局停止したのと変わりはない。
※一二三四五六七八九
01┌┬●※★○○○○
02●●●●○○○○○
03├┼┼●┼○┼┼┤
04├┼┼●┼○┼┼┤
05├┼┼●┼○┼┼┤
06├┼┼●┼○┼┼┤
07├┼┼●┼○┼┼┤
08┼┼┼●┼○┼┼┤
09└┼┴●┴○┴┼┘ >>175
黒石が死に石と明文化されている>>161の死活に同意しない戦略がとれるんだから、
>>175も手残りで死活に同意しない戦略が取れる。
※に継いで対局停止したのとは違う。
また、
日本囲碁規約通りなら黒石白石の活き石はすべてセキ石。
双方がセキ石だと黒の方が損なので、
黒が対局の再開を宣言することになるが、
そうなると白番で白がコウを取れる。
五01の点がダメかそうでないかも実はグレー。
囲碁規約上はわからない。
>>166 の下の白1子の点が地かどうかもグレー。
> 死活確認の手順も決まって無ければ、
> いつ死活確認結果に同意しない戦略が取れるかも決まって無い。
> 少なくとも囲碁規約に明文化されて無い。
これも。
囲碁のルールがちゃんと決まってるなんて思ってる人は、
囲碁のルールを知らない人。
>>176
> ※に継いで対局停止したのとは違う。
>>175も手残りで死活に同意しない戦略が取れる。
あんたが「その辺のルールはちゃんと決まっているべきと思う。」と言ってるから、
どう決まってるのか教えてあげただけなんだけど、頭大丈夫?
> 囲碁規約上はわからない。
あんたが日本囲碁規約を理解してないことはよくわかった。
以降はスルーする。 その辺て半コウの死活確認結果だけを指してるんじゃないぞ?
>>176で指摘した事項すべて。
これらがちゃんと決まっている?
頭大丈夫?
> 五01の点がダメかそうでないかも実はグレー。
> >>166 の下の白1子の点が地かどうかもグレー。
これがグレーだと思わないってことは、
ルールを思い込みで都合の良いように解釈してるってこと。
囲碁規約の言葉通りだと囲碁ではない別のゲームのルールになってしまうので、
適当に言葉を補って解釈する必要がある。
この言葉を補う方法によっていろんな解釈が生まれる。
地に関する言葉の定義は、
[活き石] ===> [死に石] ===> [目] ===> [ダメ] ===> [セキ石] ===> [地]
の順に行われる。
死に石を盤上から取りあげてハマに加えるのは[地]の中の[死に石]であるので
当然その取りあげる行為は[地]が決まってから。
[目]の定義は一方のみの活き石で囲んだ空点であるが、
[目]の定義を行う盤面では死に石も盤上にあるので、
一般的な囲碁のルールの結果と異なってしまう。
[目]の定義は死に石を除いた盤面での一方の活き石で囲んだ空点
と解釈しないといけない。
そうなると五01の点はダメということになる。
でも一般的にはダメとは言わないと思う。
「空点であって、死に石を除いた盤面での一方の活き石で囲んだ空点であるところ」
とすれば五01はダメではない。
>>166の白1子の点も同じ様に解釈していくと地になったり地にならなかったり。
> とすれば五01はダメではない。
ルール通りに解釈すると、駄目ではないし、地でもない。
黒02の石はハマにならないのだから、黒が五01に継ぐのと一緒だと思うが。 日本囲碁規約の文言通りだと囲碁のルールになって無い。
適当な言葉を補って解釈すると、
その補った言葉によって>>175の五01が駄目であるかそうでないかが変わる。
死活に同意しない戦略がいつ取れるのかも不明で、
手残りの場合のみ死活に合意しない戦略が取れるのであれば、
継いであるのと無いのでは大違い。
手残りじゃなくても合意しない戦略が取れるのなら、
ゲームにならないが。
また、セキ石の目は地ではないので、
白が駄目を埋めないと左下は黒の地じゃないと主張した場合、
黒は対局を再開して駄目を埋めなくてはならない。
この場合、白からの手番になるのでコウを取って継ぐことが出来る。
この観点からも>>175 は四01に黒が継いだのとは結果が違う。
> 死活に同意しない戦略がいつ取れるのかも不明で、
死活に同意しない「戦略」ね〜
要するにそういう輩なわけだ。
>>183
死活合意に至らないときは両負けになるってことくらいは
ルールスレなんだからみんなわかってる。
ただ、それを「戦略」とみなすような輩は珍しい。
ちょっと考えればわかるが、
自分が負けてる場合に死活合意しなければ相手に勝ちがつかず両負けにできるわけで、
そんなことを故意にやる輩とは対局が成立しない。 中国人や朝鮮人も囲碁をやるんだぞ。
ルールが穴だらけで信義則が必要とかルールに書いちゃってるようじゃ、
日本ルールで国際試合なんて出来ないよ。
>>183の場合、
死活判定によって死活を決めるべきなのに、
なんでそれに同意しない戦略が出来るとわざわざルールに書いてあるんだ?
正しい死活判定では参考図19-1は黒活き、参考図19-2は白死だ。
>>150
中国語の「原則」というのは、日本語と違って、「決して曲げることのできないきまり」という意味。 思うんだがこう言うのってローカルルールが派生することはあっても基本的に
「統一ルール」がきちんと確立した上でそれを軸に修正なり改正なりをしてくもんだろ?
それが未だに日本だ中国だ、なんて不確定なままなのは何れの国にせよ
それに挑んだ人が片っ端から土台作りの段階で相当お見舞いされて
力尽きているってことじゃないのか?
だからもう、誰も山と積まれた屍の方を一切見なくなっちゃった。 >>185
> なんでそれに同意しない戦略が出来るとわざわざルールに書いてあるんだ?
「戦略」とはどこにも書いてないよ。
対局再開を要請すると相手の手番で再開するので、
どちらの側も対局再開を要請できない、という事態に陥ったときは両負けにするという規定。
対局停止前に着手しておけばよかっただけ、つまり両者ともに致命的なミスをした場合の話。 >>188
どちらも対局再開をしないなら
死活判定によって地を数えるべきじゃ?
>>186
規約全文を翻訳せずに、一部の文言だけを見てあれこれと推測するのは無意味。 >>189
現行ルールではそうなっていないことを理解した上でルールを変えろ、と言ってるのかな? >>191
死活判定に合意しなくて良いならゲームになりませんが。
>>192
日本語が通じない人のようですね。バイバイ 何回死活確認しても石が死ぬのに
死にだと認めない場合にはどうするか、というのは
割と打ち歩詰めのルールをどうしても認めようとしない
頑固オヤジと将棋を指すにはどうするか、みたいな問題に近いものがあるんじゃないかな。
もっと極端かも。 そんなもんは相手するだけ無駄。
ルールの問題ではなく人間性の問題。 ある条件の元では、死活確認や終局に合意すると負けになってしまう為に合意を拒否した場合は両負けというルール。
その条件以外では、合意しない場合の記述無し。
いずれにしろ、
合意しないことで相手を勝たせないことが簡単にできる欠陥ルール。
少なくとも日本囲碁規約上は。
ごく一部のおかしな人にあわせてルールを作ると
一般人にとっては煩雑すぎて却って使いにくいルールになる。
一般人用のルールとしては今のままでいいんだよ。
ごく一部のおかしな人用のルールを作りたいなら
あなたが作ればいいんだよ。 >>197
条文だけではルールがわからない(囲碁を知らない人が読んでわかるルールではない)
不正確または非常にあいまいな表現で記述されている
日本囲碁規約を文字通り解釈すると囲碁のルールにならない
日本囲碁規約通りの対局が行われていない
条文に書いてないルールが使われている
こんな日本囲碁規約で良いと?
変わった人ですね?
日本囲碁規約を読んだことありますか?
ルールと呼べる代物だと思いますか?
問題があると思うなら、自分でルール作ればいいじゃん。
誰も相手しないと思うけど。 囲碁のルールについて語りたくない人はこのスレに書き込む必要はないと思います。
>>2 のリンク先にルールの問題点や改定案などいろいろと書かれています。
俺は将棋のルール知ってるけど、
別に日本将棋連盟の規約読んで将棋覚えた訳じゃないぞ。
運転免許取るために交通法規を勉強するときに
判例六法読んで勉強する訳じゃないのと同じじゃないですかね? 法律ってのは細かいところまでは決まってないものなんですよ。
「人が死んだ時」と書いてあったって心臓が止まった時なのか
脳幹が死んだ時なのか大脳皮質が死んだ時なのかとか
そういうことは、問題が出て来てから細かく決めるでしょう? 囲碁のルールの場合、
「人が死んだ時」の解釈の中に「左足を骨折した場合」が含まれているくらいおかしな記述ですよ。
世界大会も行われる頭脳ゲームの盤上のルールくらい
正確に記述すべきと思いますが。
囲碁のルールは簡単なんでしょ?
そもそもゲームのエンディングに「終局の合意」ってのがおかしくないか?
将棋なら王様の頭に金置かれたらそれ以上どうしようもないし、ポーカーなら
いくらワンペアで頑張ろうとしても相手がツーペアならそれまで。
麻雀だって字一色をテンぱっていようがリーチのみのやつが積もったら終了。
ともかくも行くとこまで行ったら問答無用の状況になっているのが終局だろ?
白旗上げて投了、ならまだしも中途半端な状態で終局の合意、なんて考え方
自体が勝敗を決めるゲームとしては致命的な欠陥なんじゃないのか? 昔から国際試合とかが多ければまた違ったんだろうけどね。
とは言っても徳川幕府が無ければ多分囲碁のプロ組織そのものが無かっただろうけど。
たぶん日本の棋士は、盤面が綺麗な状態で終局するという点を
何とか守りたいんだと思う そのためには汚いルールも厭わないと。
変な美徳。
ルールで定められてるダメ詰めも省くくらいだからな。
>>206
> 自体が勝敗を決めるゲームとしては致命的な欠陥なんじゃないのか?
致命的な欠陥だと思うのはあなたの自由だけど、
実際にそれでゲームとして成立してる。
自分の信念と現実が食い違う場合に、必死になって現実を否定するのは小人によくあるパターン。 ルールがいい加減なまま放置するのは日本の国民性なのかね
ルールがいい加減だと思うなら、自分でルールを提案すればいいだけだ。
新ルールの提案は禁止されていないのだから。 >>211
君は今の日本囲碁規約のままで良いと思うの?
昔から棋士に取って棋譜とは将軍に
御照覧頂くための芸術作品という感じだからなあ、
美しさが損なわれては日本の囲碁の価値は無いよ >>209
成立してると思うのはあなたの自由だけど、
実際にあなたの知らないところでごちゃごちゃ揉め事が起っているのが
現実だから。
あなたの最後のセリフは引き隠りの自分への戒めなのかな?w
自分の信念と現実が食い違っちゃったのかい? >>211
はい!提案します!
純碁+切賃あり+スーパーコウ+自殺手可
これで簡単明瞭です! 今のルールに何の疑問も抱かない思考停止君はこのスレに来なくていいと思う。
>>217
自殺手って戦略的にはどうなんだろう?
計点制ルールやニュージーランドルールで採用してる。
コウ立てが増えるのと、
攻め合いで結果が多少変わる位?
自殺手特有の手筋ってあるのかな?
切り賃は当然あった方が戦略的には上でしょう。
純碁は「地+石+切り賃」でカウントする囲碁ですので、
戦略的には 『純碁 > 中国ルール』
と言えると思います。
>>217 の案が最良な気がしてきました。
>>217
Positional SuperkoとSituational Superkoのどっち? 何も条件無しに超コウと言えば普通は盤面超コウと思う。
中国ルールも計点制ルールも盤面超コウ。
局面超コウは問題がいくつかあるから。
(アメリカルールが局面超コウ採用だったっけ?)
自殺手ありで局面超コウだったら1子の自殺手が合法になるけど、
これで何か戦略が変わったりするかなあ?
ルールは簡単
ルールの曖昧性無し
引き分け無し
盤面のみで点数が決まる
戦略は深い
良いことずくめに感じる。
日本ルールより数えるのが面倒な気もするが、
中国人は中国ルールで普通に数えてるから
心配しなくて良いのかな?
>>217
それでいいよ。
誰と打つのか知らないけどさ。 純碁+切賃ありって純碁だと自然に計算上切賃入ってくるだろ
意味分かって書いてるのか? 一人で打つみたいだから、別にどうでもいいんじゃね? >>217はわかってるかわかってないか不明
>>221はわかってる
>>222はわかってるかわかってないか不明だがなんでそこだけ英語www
新ルール考えてみた。
まず、相手が何度パスで応じても、取ることが出来ない石を二眼活きと呼ぶ事にする。
二眼活きの石は活き。
@パス、パスで仮終局。
A二眼活き以外の部分で死活、セキの合意をとる。合意が取れたら終局
B合意に至らなかったら再開。@で最初にパスした方から開始
C再開対局中はパスする時は相手に一子アゲハマとして渡す。
ここまでは池田氏の日本式I,Uと似ている。
D@〜Cを繰り返し、もし再開直後にパス、パスとなったら終局。
この場合、二眼活きの石だけを活き石、相手の二眼活きの石だけに囲まれている(つまり、
二眼活きでない相手の石が周りにない)石であって、
二眼活きでないものを死に石、いずれでもないものをセキとしてとし終局処理をする。
これで終局処理周りは解決できるのでは?
初心者は実力行使で行けるし、ある程度の棋力のある人は早期に合意して時間節約。
終局の問題に関しては全て解決できると自負しているがどうですかね。 中国ルールについて質問
┌○┬●●○┬
○●●┼●○┼
●●●●○○┼
○○○○○┼┼
├┼┼┼┼┼┼
仮にこの形で終局して、両コウがあり白にコウ材が無限にある場合はどうなる?
コウを争うといずれ同一盤面になるからやっぱり黒7目の地? ★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、在日カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まった人間をよく使ったり、左翼を装った人間にキチガイなフリをさせるのは、視聴者に、自分と違う考え方をする人間が世の中には大勢いるんだなと思わせる効果がある。
..... 囲碁で先手が一番損をする手はどの手でしょうか?
またコミ何目くらい解消してしまう悪手なんでしょうか? >>233
すいません.初手でパス以外でってことです.
最悪手がコミをちょうど解消するのか最悪手でも先手有利が残っているのか
どっちかな?って思ったもので. >>231
中国ルールの基本は、
盤上にある石はすべて活き石で、
盤上の同一の色で囲まれた部分が地。
実践では明らかな死に石を盤上から取り除く手が面倒だから
双方合意の上で省略してるだけ。
要するに、実践で取れない石、損をしないと取れない石はすべて活き石。
>>231 も無限にコウ材があって白を取れないなら活き。
日本のように、
死活を決めるための囲碁もどきルールがあるわけではないし、
突然第三者が出てきて判定するようなこともない。
ちなみに、昔は日本でもコウ材が無限にあれば>>231の白を活きとする時代もあった。 >>233
一番隅、1−1じゃない?
だいたい1手パスくらいの手になるから、コミ解消よりはずっと悪い。
1手パスより微妙に良いか、微妙に悪いかはよくわからん。 >>233
> 突然第三者が出てきて判定するようなこともない。
中国ルールの文言上は審判員が判定することもあるよ。
実戦例があるかどうか知らないけど。 >>238
盤上の話だが?
お前さん、中国の中国ルールを理解してないだろ。
中国の中国ルールはアメリカやヨーロッパやKGSの中国ルールとは違うぞ。 古すぎるよ。
スーパーコウを廃止する前の旧ルールじゃん。 思ったんだけど
自殺手は問答無用で禁止したらルールとして成立するの?
つまり相手を取れる手でも打てないってこと。
そうなると一眼で生きれるし
欠け目も無くなる。
コウも無くなる。 >>245
別のスレでそのルールで、
打ってみたけど、簡単に活きられるからつまらない。 どうやったらルール覚えられるんだろ?
入門本勝って読んでもわからんかった 死石だけど、対局中は周りをすべて囲んでから取るけど、終局後は囲まないで取っちゃうよね。
なんで?。それでなんで計算が合うのか、っていう疑問。 要するに、呼吸点をなくせば取れると教えておきながら、いきなりルールが変わって、計算するときはすべて囲まなくても盤面から取り上げてる。おかしくね?。っていう疑問。 >>249
対局中は、死んだ石が生き返ることもあるし、生き返らないにしても死んだ石を
利用して得を図ることも出来る。つまり「死に石でもまだ利用価値がある」のだ。
そんな仮死状態の石を勝手に取ることは許されない。
取りたいなら、ぴっちり囲って完全に息の根を止めてからだ。
終局すれば、生き返るもクソもないし、死に石を利用するもへったくれも無い。
もう終わったんだから、利用価値なんて無い。
だから、お互いに「死んだ」と認めた石は、わざわざ息の根を止めなくても
既に死んでいるのだから、そのまま取ってもいい、ということ。
ひと口に「死に石」といっても、対局中はあくまで「仮死状態」であり、
本当の「死に石」というわけではないのだ。
だから、対局時と終局時とで扱いが異なるの。 >>248
何度も読み返せばルールは覚えられる・・・はず
だからといって楽しめるようになるかは分からん スポーツ、例えば野球のルールは「どんな汚い手を使っても勝とうとする」奴に対する歯止めがルールの中に含まれている。
例えばノーアウト3塁でバッターが大きな外野フライを打てば、ランナーは犠牲を狙って走るが、そのときランナーがスタートできるのは、外野手が捕球してから。
そこでずる賢い外野手が犠牲フライを防ぐために捕球せずにグローブでお手玉しながら内野まで前進する行為が為されると困るので、
一度グローブに球が触れた瞬間から捕球とみなされスタートが認められる。
翻って囲碁のルールは両者の合意を経ないと終局しないので、負けたくない奴が合意しないという汚い方法も取れるわけだ。 >>254
一方で、囲碁が互いの信頼関係の上で成り立っているように、信頼関係の上で成り立つスポーツもある
例えばカーリングは、得点の判定は選手同士で行う。(意見が割れたら審判が判定するが)
また、相手選手が誤ってストーンに触れた場合は、自由な場所にそのストーンを動かせるのだが、
自チームに有利な場所ではなくだいたいその辺りだったであろう場所にストーンを置くようになってる >>249の疑問はこれまでにも何度か見かけたことあるが、
誰も的確な答えを出す者はいなかった。
しばらく打っている者にとってはあたりまえのことだけど、
いざ理屈を求められるとつい悩んでしまう典型的な疑問だ。
そんな中で>>252に回答を書いたわけだが、1人くらい褒めてくれる人が
いてもいいと思う。 >>256
個人的には良い回答だと思うけど、>>249が納得してるかどうかだな 日本ルールでは地とアゲハマを用いてスコア計算するのだから、
死ぬべき運命の石を打ち上げると自分の地を減らすことになるので
スコアが変わってしまう。
中国ルールでは地と生き石を用いてスコア計算するから
ダメ詰めが終わったあとで死ぬべき運命の石を打ち上げてもスコアは変わらない。
ただそれだけのことだよ。
この程度のことは自分で数局打つか、棋譜並べすればさくっと分かることなんだが。 対局中に石を打ち上げるのと終局時に死に石を取るのを同じルールの線上で考えるからから理解できないんじゃないかな?
前者はダメが全部詰まった石を打ち上げてよいだけで、死に石だからという理由で打ち上げてよいわけじゃない
後者は終局合意によって死に石だと双方合意した石だから取り除いてよい
それぞれ別のルールだと考えればいいんじゃないかな 石を取るルールの一貫性の問題ではなく、そうゆう日本ルールと中国ルールの結果が何故一致するか、そのわけを知りたいのが疑問の本筋。 KGSで打ってるんだけど 日本、中国、アメリカ、ニュージーランド
の4つからルールを選べるようになってる
中国ルールはダメも勝負に関係するしダメの詰め方で1目(中国式だと半目?)違う場合もあるみたい
ダメを打ち終わるまで双方ともに気が抜けないのもゲームとして当たり前じゃないかな
日本の棋士がダメの詰め手順を間違って中国の棋士に負けたこともあった
日本のルールが他に比べて劣っているのは否定のしようがない
日本棋院は頑なに日本ルールを守ろうとしてるみたいだけどちょっと疑問
『ダメを詰めない美しさ』っていうけど碁の内容(芸術性)と全然関係ないし >>261
日本ルールでも駄目を詰めなきゃ数えるのが大変だし実際に駄目詰めしてるしね
日本と中国のルールで大きな違いの一つに手入れの問題がある
日本ルールだと手入れは1目損だけど中国ルールでは手入れしても損がない
数え方の問題なんだけどルールを統一するときどちらの方式を採用するか揉めそう
っていうか欧米などを除いて日本・中国・韓国・台湾とかアジアだけでも統一しようという動きある? 慣れ親しんだ自国のルールをそう簡単に変えてもいいと思うおめでたい奴はいないだろ。
今さらダメを詰めるのに神経とんがらすなんてゴメンだ。 例えば下のような終局図の場合、日本ルールでは黒のダメ詰めは当然Dから詰める。
ところが中国ルールではコウ材有利と見ればEにほうり込んでコウを争い、白に「パス」させてDE両方黒石をのせれれば1目得になるわけだ。
逆に読み違いでコウに負ければ1目の損となる。
このあたりも大切な勝負の機微になる可能性もあるから、中国ルールのほうがゲームとしてはおもしろいように思うが・・。
A B C D E F
●┬●┬┬○
├●●●○○
●●○○○┼
○○○┼┼┼ 中国と日本のルールを比較すれば明らかに日本式ルールが劣っている訳で
欧米はもちろんアジアでも日本以外は中国式ルールが基になっているし
昔、日本が強かったころはまだ言い分を聞いてもらえただろうが
今のように弱いままだとますます意固地になってガラパゴス化していくんだろうな
グローバルな視点が抜け落ちてすっかり内向きになってるところは
日本の政治・外交そして市民感情そのものみたいな気がする >>265
>昔、日本が強かったころはまだ言い分を聞いてもらえただろうが今のように弱いままだとますます意固地になってガラパゴス化していくんだろうな
>グローバルな視点が抜け落ちてすっかり内向きになってるところは日本の政治・外交そして市民感情そのものみたいな気がする
ルールどうこうよりもっと強くなってもらわなきゃどうしようもない
よその国はどうでもいいから国内で適当にやっていこうよ、みたいに内輪で満足しちゃってるし
井山が頑張ってるうちはまだいいけど一人じゃ限界がある、日本囲碁界の未来は・・・ >欧米はもちろんアジアでも日本以外は中国式ルールが基になっているし >>268
>ルールどうこうよりもっと強くなってもらわなきゃどうしようもない
国内棋戦の賞金や対局料も今のところ大丈夫かな?
しかし、このまま韓国・中国に勝てなければ
持ち時間がどうのとか言い訳が通用しなくなる
日本棋院はまったく危機感がないみたいだけどw >264の図と内容が意味不明なんdすが、その図ってもう黒が2ガン持ってるんでしょうし
白がEに放り込んでどうするんですか そういうこと。
日本ルールでは全く意味がない手だが、中国ルールでは勝敗を分けることもある。
ゲームの多様性が増えておもしろくなると思うが、日本人的な美意識には欠けるかもしれない。 ルールのスレなのに間違った記述が目立つな
>>261
中国ルールでもダメをつめる順番に優劣は無い
>>262
自分の出番で残りダメが奇数の時は、無用な手入れをすると中国ルールでも損
偶数なら変わらないが セキの地を数える、というルールは理解できない。
囲碁は本来、盤上にどれだけ多く石を置けるかを競うもの。だから「切り賃」があった。
セキの地には石を置けないのだから数えるのはおかしい。 中国ルールでいまだにわからないのは
両コウと曲がり四目が同時にあるときの取り扱いだ
生きになるのか? 囲碁クエスレからきますた
日本ルールと中国ルール・コミの違いが各国の棋風にまで影響してるんじゃないかと思うんだが
ここの住人はどう思ってるんだろう?
日本は序盤からたっぷり時間を使い一手の効率や味の良し悪しを考える
一方中韓は足早に展開しいかに敵陣を制限するかを考える
また黒番ならコミの負担が重い為よりいっそう攻撃的に
白番なら碁形を決めさせてしまうよう誘導する例が多い
俺の偏見ですかそうですか 中国ルールなら原則超コウありだろ?(同一局面出現禁止)
最終的に両コウはコウダテに使えなくなる
ていうか>>276と>>278が同一人物だとすると
1ヶ月半も何してたんだ?w KGSでときどき中国ルールで打つんですが
自分の地に手入れするのは損じゃないんですね?
だとすると日本では相手が手入れを擁する場所に打つのは意味があるけど
中国ルールだとまるで意味がないということになりますか?
このスレで以前回答があったかもしれませんがよろしくお願いします 「相手が手入れを擁する場所に打つ」の意味が、
特に自分が打つのか相手が打つのか良く分からないけど、
日本ルールだろうが中国ルールだろうが、手入れの要不要は原則一緒で、
日本ルールで意味があるなら中国ルールでも意味がある。 >>282
遅くなりましたがレスありがとうございます。
私が勘違いしているのかもしれませんが
日本ルールでは自分の地に打つのは損ですが
中国ルールでは自分の地に打っても(手入れしても)損にならないんですよね?
しつこくて申し訳ありません。 >>283
他にヨセあるいはダメが残っているのであれば損
他にヨセもダメも残ってないのなら損にはならない 別の言い方をすると
中国ルールは石を打つことが+1点だから全部の手に+1の下駄が付いてる
結局出入りは日本ルールと同じなので手の価値も同じ(ほとんどの場合は) >>284 >>285
レスありがとうございます。
結局自分の地の中に打っても損にならないということは
終局時ダメが詰まれば手入れが必要な場合日本式では手入れの分マイナスですが
中国式では手入れの有無によるプラスマイナスがないことになりますよね。
これって日本式と大きく違っていませんか ダメ詰め中、他に打てるダメがあるのなら、ダメに打つ手は+1目、地中に打つ手は±0目
結局中国ルールでも日本ルールと差はないよ 日本ルールで打つ場合なら小寄せに入ると相手が手入れを要する(あるいは自分の手入れを省ける)1目の手が
中国式では意味がないということにならないかということなんです >>289
そうなんですか
>>282 >日本ルールで意味があるなら中国ルールでも意味がある。
とありますからきっとそうなんでしょう
未熟な私に付き合っていただき本当にありがとうございました。 中国ルール絡みで聞きたいんだけどさ、中国ルールじゃ曲がり四目は確実に死ににはならないって認識でいいの?
実戦解決だと、消せないコウ材があると取れないケースが出るよね >>291
曲がり四目が二箇所あるとどちらかは活きるし
セキの場所があると活きてしまうことがあると認識(人から得た知識による)
万年コウとも絡みそう 中国ルールだと団子石も生きなので日本では団子はゼロ目だが
中国ルールでは団子が多い方が勝ち 団子石も生き?
それ言うなら団子石も目数に入る、だろ
バカ発見 >>249
いまさらだけど、答えが初心者スレにあった。
以下コピ。
42 :名無し名人:2015/04/03(金) 10:55:11.62 ID:Za4TbLer碁を知らない人に説明する時、
碁は陣取りゲームという人がある。
石とりゲームという人もいる。
石を囲むゲームという人もいる。
覚えて半年、碁は盤上に存在する自分の石の数を競うゲームだと最近思うようになった。
黒の陣地が出来る。線の交点の集合体だ。
でもそれはそこに石を置くのを省略しているにすぎない。
置いたつもりになって盤全体の石の数を数える。つまり線の交点と置いた石の総数が盤上に存在している自分の石だ。
自分の石を置けるところが自分の地なのだ。
石を取るということはもともとあった相手の石がなくなり自分の陣地の中に線の交点が現れるということだ。そこは当然自分の石が置けるところなので、自分の生存石が増えるということになる。
碁とはそういうゲームだ。
間違ってますか。
44 :名無し名人:2015/04/03(金) 11:31:58.40 ID:Za4TbLer42のつづき。
ゲーム中に相手の石を取る時はダメをすべて詰める必要があるのに終局時にはダメを詰めずに取り上げる。このことに疑問を持ったことはないか。これも石の生存競争の理解で説明できる。
ダメを詰めないところは自分の石を置けるところなので、省略出来るのだ。
さて、実際の終局時のルールでは相手の石を相手の地に戻すという手順が加わる。石の生存競争なので、石を戻したらその分相手の石が逆に増えるじゃないかと思ってしまう。
しかし実際のルールでは盤上の石の数を数えるのではなく、自分の陣地の交点だけを数えることになる。既に置いてある石は数えない。省略するわけだ。
そのときに問題になるのは取り上げた石の扱いだ。これは生存競争に敗れた石なので、盤上の石の数に入れない。
では、実際のルールのどこでその分減算するか。
地の数を争う実際のルールでは、地を埋めることによって減産するのだ。それが上げハマを埋め戻す理由だ。
勘違いかな。自信ないし。 勝敗ルールを議論するのは、意味がない。
まったく実りがない。
中国ルールが進化しものが日本ルールです。
特徴は
1 中国ルールの方が、単純で入門者には理解しやすい。
2 ゲーム論からみた本質では、日本ルールが近い。
>>297
個人の感想は自由ですが....
迷信に近い情報や妄想を垂れ流すのは、
社会にとっては、ゴミでがなく毒になることが多い
【重要情報】
囲碁における「着手効率」をしっかりと基本から考えなさい。
碁の方程式 U 近日発売予定
に、そのことが明確に、結論としてかかれています。
今の囲碁教育が、どれだけ間違った情報に汚染されているかも
わかるしょう。
囲碁ルールから、囲碁の特徴を議論するのは、
非常に、実りが多い。
なぜ、
1 戦いでは、なぜ見合いが多いのか。
2 取られると負けることが多くなる。
3 交互に打つのに、石が取られるのはどうして、
4 石が取られないように打つには、どうすればいいのか...
囲碁のルールから考えると、非常にわかりやすいように思います。
これなら、初級者にも役立ちそう... 中国式ルールではセキの部分を生きている石として数えるんですか? Wikipediaに中国ルールの項目早く作ってくれよ とにかくヨセを無くせんもんかね。
碁笥のアゲハマ勝負とか。
布石もなくなるかもしれんけど・・・ 日本棋院の囲碁規約で好きな条文は
ダメを有する活き石はセキ石ってやつ
ダメを詰めないで終局すると、セキ石になって地がゼロになってしまう >>304
中国ルールでは終局後に残った石は活き石と死に石の2通りにしか区別しない
ちなみに日本ルールだと4通り
普通の活き石、セキ石、取り除ける死に石、取り除けない死に石 >>263
今の日本棋院の規約によればダメ詰めを終局後に行うためには相手の同意が必要 >>197
今の日本棋院のルールも十分に分かりにくいよ 分かりにくいっていうレベルじゃない
ていうか、正しくない 囲碁における本当の問題点は
囲碁ルールにあるのではなく、
「囲碁ル−ルでの勝敗計算ルール」と「碁での戦いの目的や目標」とが、
全く違うことにあるのです。
このために、すぐにやめる人が多くなるのです。(碁の方程式) 561(1): 2017/03/04(土) 08:05:02.97 ID:ifViMq2n(1)調 AAS
まあどんなゲームでもそうだけど、囲碁で思うのはプレイヤーが業の深いオッサンって
事かな うぬぼれてる鼻もちならないガキとか 汚れた心を浄化してくれるゲームなんて
ありはしない せめて碁盤を前にしている時ぐらい爽やかなフェアープレイ精神を持って
欲しいものだよ その為のゲームだろうに
562: 2017/03/04(土) 08:10:02.86 ID:jx1IN4MK(1)調 AAS
>>561
どした?何かされたの?w
563(1): 2017/03/04(土) 08:43:27.08 ID:1JKedURq(1)調 AAS
相手が気付かなければ、手入れ省略して1目特とかほんとにさもしい根性だ。
手談なんだから、人間の大きいとこ見せろよ。
564: 2017/03/04(土) 09:15:24.18 ID:QqjAxpZl(1)調 AAS
>>563
いやそういうのって今回の主題じゃないんだ
ダメが詰まれば相手の石(または地)に手が生じるのに相手は知ってか知らずか手入れしそうにない場合に、どんな手はずで進めればいいかって話しだったと思うが
565: 2017/03/04(土) 09:36:05.12 ID:ON1XYAGb(1)調 AAS
おいおい
半目勝負なら勝ち負けに影響するんだぞ
負けてもいいのか?
566: 2017/03/04(土) 09:43:14.21 ID:6wvzL9kX(1)調 AAS
そういう囲碁の細かい事が気にくわんとおっしゃっているのでは?
おまえら細かいこと気にしすぎと
567: 2017/03/04(土) 10:33:25.87 ID:JamyIFu+(1)調 AAS
そもそも相手より半目多ければ勝ちというゲームだから
細かいゲームなんだよ
細かいことが苦手なら囲碁じゃなくて王様とれば勝ちの将棋でもやればいい
568: 2017/03/04(土) 10:34:31.09 ID:CLz7pQcV(1)調 AAS
将棋も持将棋とか欠陥だよ 561(1): 2017/03/04(土) 08:05:02.97 ID:ifViMq2n(1)調 AAS
まあどんなゲームでもそうだけど、囲碁で思うのはプレイヤーが業の深いオッサンって
事かな うぬぼれてる鼻もちならないガキとか 汚れた心を浄化してくれるゲームなんて
ありはしない せめて碁盤を前にしている時ぐらい爽やかなフェアープレイ精神を持って
欲しいものだよ その為のゲームだろうに
562: 2017/03/04(土) 08:10:02.86 ID:jx1IN4MK(1)調 AAS
>>561
どした?何かされたの?w
563(1): 2017/03/04(土) 08:43:27.08 ID:1JKedURq(1)調 AAS
相手が気付かなければ、手入れ省略して1目特とかほんとにさもしい根性だ。
手談なんだから、人間の大きいとこ見せろよ。
564: 2017/03/04(土) 09:15:24.18 ID:QqjAxpZl(1)調 AAS
>>563
いやそういうのって今回の主題じゃないんだ
ダメが詰まれば相手の石(または地)に手が生じるのに相手は知ってか知らずか手入れしそうにない場合に、どんな手はずで進めればいいかって話しだったと思うが
565: 2017/03/04(土) 09:36:05.12 ID:ON1XYAGb(1)調 AAS
おいおい
半目勝負なら勝ち負けに影響するんだぞ
負けてもいいのか?
566: 2017/03/04(土) 09:43:14.21 ID:6wvzL9kX(1)調 AAS
そういう囲碁の細かい事が気にくわんとおっしゃっているのでは?
おまえら細かいこと気にしすぎと
567: 2017/03/04(土) 10:33:25.87 ID:JamyIFu+(1)調 AAS
そもそも相手より半目多ければ勝ちというゲームだから
細かいゲームなんだよ
細かいことが苦手なら囲碁じゃなくて王様とれば勝ちの将棋でもやればいい
568: 2017/03/04(土) 10:34:31.09 ID:CLz7pQcV(1)調 AAS
将棋も持将棋とか欠陥だよ 日本囲碁規約はプロのための規則であって
アマチュアにまで影響を及ぼすものではないはず
アマの大会のルールはどうなってんだろう? >>322
日本棋院は「アマチュアの皆さんは別に賞金かかってるわけじゃなし、もっと楽しんで碁を打ちましょうよ」みたいなとこがあるから、善意に期待で終わっちゃうよ >>322
旧囲碁規約では切れ負け(時間切れ終局)も規定されているので切れ負け狙いも立派な戦略
また旧囲碁規約ではパス以外の着手放棄(要は試合放棄)をまとめて中押勝(投了)と定義して
時間切れ終局と同等の扱いをしている
旧囲碁規約にも問題は多かったとはいえ規約改定で悪化している部分も多い >>324
旧規約は対局規定なども含めていたが,新規約では「ルール」に特化した。 >>325
それなら投了もルールではなく対局規定だろ
「ルール」というのを盤上のことだけだと制限するのなら一貫しないと
だいたい時間制対局で時間が切れたら負けというのがルールでなくて何なんだ?
そもそも日本ルールを選ぶこと自体が対局規定の一部なんだから盤上の「ルール」を分離する意味もないし さいきんコミについてうだうだ鬱陶しいやつが増えたな やっぱりコミは廃止し、白黒交替で2局打ってその合計で勝敗を決めるしかないよ。 白黒完全に平等になるコミが決まれば、反目勝ちなし引き分けありになる >>299 全く逆であり、日本ルールは「中国ルールから退化」と言えるでしょう。何しろ両者が死活判定に合意しなければならないという欠陥ルールです。
中国ルールでは死活判定の合意は必要ありません。実際に打って決めればいいのですから。
アゲハマの数を数える必要はないのでアゲハマは相手に返せばいいので石が足りなくなることも理論上ありません。 合意できなければ実戦解決なのは日本ルールでも同じだろ >>334
それ初めて聞いた
詳しく教えて
隅の曲がり四目で「死と認めない」と言えば実戦解決になるの? というか、いわゆる終局した後に
曲がり四目でとられてる側がごねても
取られてると思われる側はコウを一回パスしないといけないルールとかなんとか ジャップは中国人に漢字を教えてもらうまで、文字を知らない土人でした
アイヌやインディアンと同じ文字を知らない土人 中国人に漢字を教えられて初めて文字を知ったジャップは、漢字をベースに片仮名や平仮名を作りました
天皇狂信者やネトウヨはその事実を認めるのが嫌で、ジャップは漢字を教えられる前から神代文字を使ってたと言い張ってますが 純碁(したがって切賃あり)+スーパーコウ(盤面超コウ)+自殺手可(ニュージーランドルール)
これで簡単明瞭です!
終局時に盤面にある石はすべて生きている。よって、相手の死石は終局前に打って取り上げないといけない。
明らかに支配している地を埋める必要は、対局相手から疑義が出されない限りはない。 囲碁には統一ルールはないのだから他人にルールを強制することはできない
つまり各人が自分が好きなルールを選んで打てばいいってことだ
例えば片方が棋院ルールで打ってもう片方が中国ルールで打っても結果はほとんど変わらないだろ
もめた時は遊びなら「ルールが違うから互いに勝ち」でいいし
大会なら打ち掛け扱いにして主催者判断で勝敗を判定すればいい
他人に自分ルールを強制しようとするから問題が起きる
囲碁は自由に打てばいい >>341 それは明らかにメチャクチャです。「主催者判断で勝敗を判定」といっても、じゃあどういうルールで勝敗を判定するんですか? >>342
341はなんらかの釣りだろう
まともに相手するレスじゃない >>342
統一ルールがない状況なのに他人にルールを強制することの方が無茶苦茶だろう
ルールは自分で選ぶしかないというのは当たり前のこと
当たり前のことを書いているだけで何かを変更するわけではないので大会の運営は現状通り
明文の大会ルールがあってそれに従って勝敗は決められる
例えば棋院ルールの大会なら棋院ルールで判定される
しかし参加者が中国ルールで打ちたかったら勝手に打てばいいわけで現状でもそれは否定されていない
もめたら打掛で主催者判断というのも普通のこと ルールの議論もいいがその前に自分で色んなルールで打ってみることだ
今日は中国ルールでとか今日は>>340のルールでとか
実際にたくさん打ってみれば長所短所も見えてくる
ルールは対局前に対局者間で合意を得ておく方が望ましいが両者別々のルールで打っても構わない
別々のルールで打って議論した方がルールに関する理解は深まるかもしれない 皆が対局前に必ず「今日はどんなルールで打ちましょうか?」と確認を入れるようにする
この習慣をつけるだけでルールの問題は飛躍的に改善すると思う ポーカーしようぜ
俺テキサス
俺オマハ
俺はクローズドで >>347
ポーカーは色々なルールがあることが周知されているゲームで
必ずゲームの前にルールを確認してから始めるし、ルールが違うポーカーは別のゲームとして扱われる
囲碁はルールが乱立しているのにもかかわらずそれが周知されておらず
事前にルール確認もしないことが多い上に段位やレーティングなどもルールごとに区別されていない
棋院ルールも中国ルールも結果は変わらない等と生放送で平気で嘘を言うプロ棋士までいる始末
だからまずはみんながルールを意識するところから始めないとどうしようもない 囲碁の場合は本来は統一ルールがあるべきだというのが多くの人の潜在意識にある
だからルールが違っていても別のゲームとして区別しようとしないし
あたかも統一ルールがあるかのような発言をしてしまう人が出てくるわけだ
だったら各人が自分が考えるあるべきルールで打ってどれが優れているのかを議論したらいい 採点は本来の純碁式でやるべきだと思う
いくら切り賃が面倒だからと言って本来の結果を変えてしまうのはまずいだろ
刃物なら致命傷になる攻撃がポイントにならない剣道と同じような歪みを感じる
コウは石を打つことによる同一盤面禁止のスーパーコウがシンプルでいい
相手が見逃した場合は継続するということにすれば運用上の問題も起こらない
スーパーコウがあれば自殺手は禁止する理由がない
時間切れ狙いなどの作法上の問題はありうるがそれは別の話
終局は両者が勝敗と石差に納得すればいつでもいいが連続パスが分かりやすい
終局時の石の数の大小なので素人でも勝敗が分かる
投了、時間切れ等は最大石差扱いにすれば無責任な試合放棄は防げる
あとマス外を空点扱いにするルールがあってもいいと思う
境界の取り扱いを変えることで囲碁はどのように変わるのかが興味深い >>350
スーパーコウにすれば三コウ・循環コウ・長生の問題が解決できる。
棋譜を取るような対局であればすぐにコンピュータが禁手を指摘するだろう。
棋譜を取らないようなアマの大会なら「相手が見逃した場合は継続する」でいいだろう。 >>351
棋譜を取らない対局の場合、何手か前と一致しているかどうかわからなくなるという欠点は無視できない >>353
それはコウに限らず全ての反則手で生じうる問題だ
棋譜がなく立会人もいない対局の場合、片方がごねたらどうにもならない
イカサマを指摘しても事実なのか冤罪なのか分からないのだから
相互信頼の精神が前提にあるとしても
正式な対局には棋譜と立会人が必須だろう >>354
双方が善意であっても生じる問題だと指摘している
スーパーコウは碁会所レベルの対局では採用できるルールではない >>355
「双方が善意」ならどちらかが勘違いしているということなんだから局面を戻して思い出せば分かる
どちらも分からなくなってしまったというのなら引き分けにしても継続にしてもいい
碁会所レベルの対局ならそれでいいだろ
そもそもそんな状況は滅多に起こらないわけだし
厳密なルールが必要なのは大会等の正式な対局であって
その際には棋譜と立会人は必須だからスーパーコウで問題ない >>352
正式な純碁ルールならオセロと同じくらい簡単だから子供でもすぐに覚えて遊べる
囲碁の普及の障害になっているのは無意味に複雑化したルールだ そもそもコウを禁止する必要はあるのかな?
陣取り合戦だという本来の趣旨からして同一盤面を作ることを禁止するというのは人工的な設定すぎておかしい
スーパーコウに対する違和感や反感というのもそれに由来するんだと思う
だとするとスーパーコウがおかしいんじゃなくてコウ自体がおかしいと主張するべきなんだろう
ゲームの趣旨からして自然なのはチェスや将棋のような千日手の方だ
問題は囲碁で千日手&自殺手禁止ルールにした時にどれくらい引き分けが増えるのか
そんなに増えないのなら千日手の方が自然なルールになると思う 勝敗は囲碁ソフトが決めるというルールにしてもいいかもな
囲碁ソフトの評価得点を高くした方が勝ちというルールでも日本ルールよりはましだろ >>358
元々は、石が取られた直後に石があった場所には打ってはいけない、というルールだったみたい。
だから中手も禁止。 コンピュータスレで暴れてるきちがいどもはこのスレ使えよ 「日本ルールは糞!」と暴れてるきちがいがどうしようもなく馬鹿なのがよくわかる書き込みの一例
835: [] 2017/12/15(金) 08:56:30.45 ID:Yye9NgYw
天下の「幽玄の間」もミスった囲碁の終局判定
https://ameblo.jp/igokyoto/entry-12179049994.html
>>830
>キチガイが意味不明な供述をしており迷惑をかけております
どうだ? お前の目から見た、京大卒や東大院卒のキチガイ連中がいる。
人々に迷惑をかけ、日本棋院の教えに反逆している事を指摘してやれ!
リンク先の様な局面になったとき、ネット碁の手動で死活判定をするような
サイトでは、白がセキだろうと主張したとき、黒番から死んでいることを
具体的に示すことが出来ない。
黒から取りに行けば部分的な攻め合いに勝っていることを示せるが、
日本ルールだと、打ち上げれば対局には負けるというオチがつく。
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1508253193/835 ルールの部門別にわかれておらず自分で調べないとわからない状態は詐欺だと言っている。
しかし、部門別にわけずに大会を運営しているのは今の棋界に他ならない。
つまり、今の棋界=プロ棋士が詐欺だと紛れもなく言っている。
855 名無し名人 sage ▼ 2017/12/15(金) 21:18:12.02 ID:Mu5JYVH+ [1回目]
(〜略)
>>852
よく調べれば分かるのだから何を言ってもいい、騙されるやつが悪いというのは詐欺師の論法だ
ここで議論しているのはどうやって人を騙すかではない
真のコンピュータ囲碁の世界大会はどうあるべきかという話だ
860 名無し名人 sage ▼ 2017/12/15(金) 22:34:59.86 ID:Mu5JYVH+ [2回目]
(〜略)
プロレスもボクシングも相撲も別の競技として大会が行われている
囲碁でもまとまるはずがないのでルールごとに部門を分けるしかないと言っている
863 名無し名人 sage ▼ 2017/12/15(金) 22:46:28.51 ID:Mu5JYVH+ [3回目]
>>857
詐欺をしている人に対して詐欺をするなというのは当然の意見であり酷ければ法律で強制される
人を騙すことはよくないことだ
繰り返すがルールによって目的が違うというのは囲碁に詳しい人なら常識で棋士なら皆知っているだろう
俺様ルールが最強だと子供みたいな争いをしているのは棋士達なんだ
アマや開発者はその子供の喧嘩に巻き込まれて迷惑しているだけ
871 名無し名人 sage ▼ 2017/12/15(金) 23:41:19.28 ID:Mu5JYVH+ [5回目]
(〜略)
「日本の棋士はみんな詐欺師」だとは誰も言っていない あのスレごちゃごちゃしすぎて意味がわからんわ
・日本ルールと中国ルールどちらが優れているか
・ルールは統一すべきか
・コンピューターに日本ルールで打たせてよいか
・日本ルールに欠陥はあるか
このへんない交ぜにして意味不明な混ぜっ返しを延々と繰り返してる >>360
それなら分かりやすいし自然だ
三コウが千日手で無勝負になることとも矛盾してない
そうするとやっぱり超コウは不自然なルールになるのかな 小学生でも簡単に分かる自然で単純なルールの叩き台を作ってみた
コミの部分は裁量にしてみた
自殺手は禁止ではなくパス扱いにしてみた(その後に相手がパスすると終局になるので負けている時の時間稼ぎには使えない)
・交互に自分の石を打てる。パスもできる。持ち時間制。
・両者が連続パスしたら終局。途中で投了することもできる(中押し)。
・終局時に盤上の石が多い方が勝ち。事前の両者の合意により片方にハンデ(コミ)をつけてもよい。
・相手の石に囲まれたら、囲まれた石は抜かれる。
・空いている場所なら自由に石を打てるが、自分の石が抜けた直後の抜きあとの場所だけは打てない。もし打ったら、その石は抜かれてパス扱い。
・打った石がそのまま抜かれる手(自殺手)はパス扱い。
・同一局面が3回以上現れたら、千日手で引き分け。 >>368
こちらの兵がやられたすぐ後に同じ場所に派兵してもやられるだけっていうのは自然だと思うけどな
中手だけを例外にしなきゃいけない理由は何かあるのか? >>367
石を抜くタイミングと順番を加える必要があるな
修正すると
・持ち時間制で交互に自分の石を打てる。パスもできる。持ち時間を過ぎると負ける(時間切れ負け)。
・両者が連続パスしたら終局。途中で投了することもできる(中押し)。
・終局時に盤上の石が多い方が勝ち。事前の両者の合意により片方にハンデ(コミ)をつけてもよい。
・相手の石に囲まれたら、囲まれた石は抜かれる。抜くのは着手直後に禁止手、着手相手の石、着手者の石(自殺手)の順。
・空いている場所なら自由に石を打てるが、自分の石が抜けた直後の抜きあとの場所だけは打てない(禁止手、直後に抜かれてパス扱い)。
・打った石がそのまま抜かれる手(禁止手と自殺手)はパス扱い。
・同一局面が3回以上現れたら引き分け(千日手)。 別にそのルールでやりたきゃそれでいいけど
中手とか一切成立しないから全くの別ゲーになるよ >>371
別ゲーと言っても本来の自然な碁はこっちだからな
子供に教えるのにはこっちの方がいいだろ 中国ルールに一目微調整することで日本式の整地ができるようにならないの? >>372
自然かどうかは個人の価値観
「将棋のルールはややこしいから成りなしのルールで教えよう」とするのは勝手だけどそれは全くの別ゲー
野球を教えるかソフトボールを教えるかくらいの違いがある
今さらそれを囲碁の新ルールとして提案しても従来の碁打ちは誰もついてこないよ
>>373
できるよ
コミを6目半にして「黒の着手で終わり、白がパスした場合は黒の地を一目減算する」というルールを加えるだけ
一部の例外を除いて日本ルールと結果が一致する
ただそうするとルールが不自然になるので導入するのは抵抗が強いだろうな >>374
黒3/4子勝ち、白1/4子勝ち(セキ除く)や
最後のダメの手番のところをもっと掘り下げてもらえたらありがたいな >>374
戦争のシミュレーションという本来の趣旨に沿って自然かどうかという話だから個人の価値観ではないよ
元々中手が禁止だったというのも一つの説としてあって新ルールではなく古いルールの一つであることは確か
現在の中手許容や超コウに特に合理性がないのなら古いルールを否定する理由はない
囲碁のルールは無数にあって使う人がいいと思うものを使えばいい
今回は最も自然で簡単で本来の碁の趣旨に近いルールを作ってみようということ コンピュータースレの連中で、日本ルールに欠陥があるとか言ってるやつはこっちのスレでその欠陥を指摘してみろよ
なんか生半可なニワカ知識で欠陥欠陥連呼されると腹立つんだが >>377
>ニワカ知識で欠陥欠陥連呼されると腹立つんだが
そういう貴方は、どれほど囲碁のルールに精通しているの?
次の質問に答えて見て。
以下の選択肢で正しいと思うものを選択せよ。
(1)旧規約,新規約ともに、欠陥は存在しない。
(2)旧規約に欠陥はあったが、新規約で欠陥は無くなった。
(3)旧規約に欠陥は無かったが、新規約には欠陥がある。
(4)旧規約,新規約ともに、欠陥がある。
旧規約;日本囲碁規約(1989)
新規約;日本棋院囲碁規約(1949) >>378
「旧規約に存在した曖昧な部分は新規約によってなくなった」
とする酒井九段の立場を支持する
自分が格段にルールに精通しているとは思わないが、あのスレの連中はごく分かりやすい日本語を全く逆の意味で解釈したりと
ルール云々以前に最低限の読解能力すらないのが多すぎる >>379
>「旧規約に存在した曖昧な部分は新規約によってなくなった」
>とする酒井九段の立場を支持する
じゃあ、下のリンク先にあげられている具体的な指摘に対して、
いくつかでも反証して見せて欲しいんだけど。
日本囲碁規約(1989)の問題点
http://igo.main.jp/jp-rule-mon1989.html >>380
いい記事だねえ、これ
コンピュータースレで変な奴らが勘違いして挙げてた記事とは雲泥の差だよ
ところで君は内容をきちんと理解してるんだよね?
例えば(3)の1,3図とか簡潔にでいいから説明できるか?
こんなこと言いたくはないけどコンピュータスレは何も理解せずにリンクだけはる奴しかいなかったからな 「反証してほしい」と言われているのでこっちの認識を書いとくね
3(1)
書かれているとおり、左上の白石は規約上一目の地を有する生き石になる
3(2)
書かれているとおり、互いの地は0目になる
もっとも、これはよく知られた話
3(3)
書かれている通りの結論になる
ただし、3(1)(3)のケースは極めて稀なケースだから仮にこのケースが実際に対局で現れれば
立会人が呼ばれて適切な判定がされるものと思う
(2)(4)(5)(6)(7)についても個人的には(日本規約の致命的な欠陥ではないとして)反論可能だ
唯一(1)の全ケースについては自分には反論できない
このケースについて、実際に正しい判定がされているのかははなはだ疑問で答えが知りたいところだ >>382訂正
3(1)→(3)1図
3(2)→(3)2図
3(3)→(3)3図 >>381
>いい記事だねえ、これ
>ところで君は内容をきちんと理解してるんだよね?
リンクを貼った人間が囲碁を打てなかったら、悪い記事にでもなるのかな?
じゃあ、そっちの方が面白いから、囲碁は全く打てない人になるわ。
ただGoogleで、「日本ルール 問題点」で、検索してリンクを張っただけ。
日本囲碁規約の改訂を提案している人物に対して、愛国心が無いとか
変な勘違いしている人が多いんじゃないかと思ってしまう。
安倍晋三は、改憲に向けて努力しているが、日本の敵なのかな?
日本棋院は、欧米にプロ棋士を派遣してインストラクタまで雇用し、
世界規模の囲碁普及活動に貢献して来た。というのに、
欧米の国々で日本ルールを鵜呑みにしている国は一つも無い。
合理主義的な欧米人に、忖度など全く通用しなかった。
合意/同意が無いと終局できず、実戦解決ができないでは、日常会話が
通じる事さえ保証されない多民族国家で、受け入れられる筈もない。
GoogleのAIにしても、中国ルールを採用しているし、日本棋院が
プロジェクトに参画しているDeepZenGoでさえ中国ルールという実情。
まあ、今さら日本ルールを改訂したところでって感もある訳で。
頑として日本囲碁規約(1989)を堅持して、武士道を貫いた、伝統文化を
守り切ったって滅びて行くのも日本らしさかな。
だれの言葉か?
『最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である』 >>384
すまん、何言ってんのか全く理解できない
というかしたくもない
ここはルール語るをスレで囲碁を語る板なので愛国心がどうだとかはそれにふさわしい板でどうぞ。
コンピュータスレの連中はやっぱり頭おかしいのばっかりだな >>370
名前がないと不便なので仮に「自然碁ルール」としよう
ここで検討してある程度まとまったらホームページに日本文と英文でアップする
いくつか修正
このルールだとパスで禁止手解除になるので3連続パスで終局に変更
石を抜く者を着手者に限定、抜き終わるまでを使用時間とする
(使用時間から外すとゆっくり抜いて思考時間を増やしたりチェスクロックが使えなくなったりする)
終局後の反則指摘を無効に
初心者向けに石を動かした場合に自分の持ち時間で直すようにする
・時間制で交互に自分の石を打てる。パスもできる。持ち時間を過ぎると負ける(時間切れ負け)。
・3連続パスになったら終局。途中で投了することもできる(投了時に投了者の負けが確定、中押)。
・終局時に終局図は確定する。終局後に反則等を指摘しても無効。
・終局時に盤上の石が多い方が勝ち。事前の両者の合意により片方にハンデ(コミ)をつけてもよい。
・相手の石に囲まれたら、囲まれた石は抜かれる。抜くのは着手者で打った直後に禁止手、着手相手の石、着手者の石(自殺手)の順で抜く。抜き終わったら着手完了(着手完了までが使用時間)。
・抜く石以外を動かしてしまった場合は動かしたものが自分の持ち時間を使用して盤面を修復する。
・空いている場所なら自由に石を打てるが、自分の石が抜けた直後の抜きあとの場所だけは打てない(禁止手、直後に抜かれてパス扱い、パスでも禁止手解除)。
・打った石がそのまま抜かれる手(禁止手と自殺手)はパス扱い。
・同一局面が3回以上現れたら引き分け(千日手)。
時間関係は分けた方がいいかな なんで君が記事の内容を理解してるか訪ねたのか、理由が分かってないようなので一応教えといてあげるけど
基礎的な知識がないやつと話をしても全く意味がないんだよ
足し算引き算ができないやつに微積を教えても無意味
君がそういう次元の人間なのかは知らないが、現状こっちは君がそういう人間だと捉えるしかない
そんな人間にスレに居着かれてもスレの程度が下がるだけだから困る >>377
日本ルールに欠陥があるとされているのは以下の点
よく言われていることをまとめているだけだから詳細は過去ログや下のリンクなどを見てくれ
http://blog.livedoor.jp/genkuroki/archives/53658582.html
1.過度に難解に書かれている
難解であっても分かる人だけ分かればいいじゃないかと考える人にとっては問題ではないが一般には問題があるとされる
特に国際的には簡潔・明解でないことは大きな問題とされており、国際的に日本ルールが嫌われている最大の理由がこれ
また初心者が囲碁を習う障壁にもなっており実害も出ている
2.他のルールと比べ、歴史的な棋譜や裁定、従来の常識と異なる結果になることが多い
過去の歴史などどうでもいいという人にとっては問題ではないが伝統を大事にする人からは問題視される
3.対局者の棋力と良識に依存している部分がある
非常識な人が出てきた場合に規約内で対処ができない
コンピュータプログラムで機械的に対応できない
4.規約のみでは論理的に明確ではない部分がある(特に手入れと死活問題)
最後は対局者と立会人等の棋力と良識に丸投げしているので実質的に3の問題に内包される >>379
>「旧規約に存在した曖昧な部分は新規約によってなくなった」
>とする酒井九段の立場を支持する
>>382
>唯一(1)の全ケースについては自分には反論できない
この形を知らずして酒井九段の立場を支持って、
過去にルールに関して、何にも調べたことが無かったのかな?
>>387
何一つ、論理的な反論が出来てないけど良いの? 恥ずかしくない?
>そんな人間にスレに居着かれてもスレの程度が下がるだけだから困る
貴方はこのスレの程度を上げているんだ。前リンクの(1)の形を知らずして?
>現状こっちは君がそういう人間だと捉えるしかない
日本囲碁規約の欠陥を指摘され、そのうえ、海外で全く
受け入れられていないという現実を指摘されて。
困ったら、お約束の人格攻撃! スレのレベルを下げないでね。 >>389
>>384の何について反論しろと言うんだよ
「私は何もわかりません」って自認してる無知蒙昧なやつに何を言えと?
自分が無知蒙昧じゃないと立場を改めるのなら、先にも要求したようにリンクの(3)1図3図の理窟を簡単にでいいから説明してみろよ
どっちか片方でもいいよ、残ったほうを俺がやるってんのなら平等だろ
お前が何も詳しいことも分からずにただググった結果を貼り付けて偉そうにしてる馬鹿ならできないだろうけど、そうじゃないんだろ? >>388
1
日本ルールが難解になるのは避けようがない
いくつかの修正案もいずれも難解な部分がある
そういう点で中国ルールのほうが優れているのは事実
2
歴史的なルールの変更で言えば、全局的死活論から部分的死活論への以降が最も大きな変更だろう
ここで昔とはルールの断絶が起きているといっても言い過ぎではない
だから昔とルールが違うのは今では避けようがない
3
日本規約は良識に基づいて運用されないといけない
悪用できるルールというのは他のスポーツでもあったりするが、それは良識に委ねられる
欠陥とも言えるけど、致命的な欠陥とまでは言えないと考える
4
規約は最低限の情報しか載っておらず、不明瞭不親切なのは確か
しかし実際の運用面では判断不能な局面が実際に現れたことはない
ゆえに不明瞭というのは一面的な捉え方に過ぎない >>382
>(2)(4)(5)(6)(7)についても個人的には(日本規約の致命的な欠陥ではないとして)反論可能だ
「致命的な欠陥ではない」って、相当な欠陥なのか?そこそこの欠陥なのか?
「個人的には反論可能」とか、ナンセンスだし、どうでも良い。
規約には複数の解釈など存在せず、客観的に1つの判断結果しか無い事を示すのが反論。
いつ、どこで、誰が、審判をしても、同じ事象には同じ判断が出来なければルールではない。
>>391
>1 そういう点で中国ルールのほうが優れているのは事実
日本棋院も中国ルールを採用した方が良いという主張か?
>2 だから昔とルールが違うのは今では避けようがない
「昔とルールが違う」を問題視してるのに、避けようが無ければ許されるのか?
>3 欠陥とも言えるけど、致命的な欠陥とまでは言えないと考える
いつのまに、『致命的な欠陥』で無ければ許されることになったんだ?
>4 規約は最低限の情報しか載っておらず、不明瞭不親切なのは確か
だけど、「旧規約に存在した曖昧な部分は新規約によってなくなった」って?
「日本囲碁規約に欠陥は無い」とか言っている人の多くは、その内容を
理解もしていなければ、数々指摘されている問題も全く調査せずに
発言してるんだろうと思っていた。
とりあえず、少なくとも、その中の一人は予想通りだったことが確定した。 >>392
はいはい、分かった分かった
とりあえずリンクの3(1)(3)の理窟を簡単に説明してみてね
君がリンク張り付けるだけで中身を一切理解してない例の馬鹿じゃなければ、数分で終わらせられるはずだから ちなみに、ここでいう「馬鹿」はコンピュータ囲碁スレで
記事をことごとく曲解する読解能力の低さ、「問題点」としてあげる事例がことごとく勘違いやデタラメという常識のなさを
自らさらけ出してたやつのことね
コンピュータスレを見ればそんな書き込みがいくらでも出てきてめまいがするよ
そして君もその一員である可能性がある(個人的にはほぼ黒だと思ってるが)からそうでない証明をしてくれ コウと中手等を同時に禁止するのはチベットルールと言う様だ
http://gokichikai.jp/igoseisei17sikkimnogo.html
チベットの碁はいわゆる中手やウッテガエの時には、ちょうど、
劫の時コウダテするように直接打てないで、一手余所に打つことが要求される。
これは同型反復禁止の便宜的な御都合主義ではなかった。
石は人間の象徴である。死体(死に石)を掘り起こした厳粛な場所(取り跡)を、
すぐ土足で踏み荒らすようなことを禁じていたのである。
宗教的な観念が碁のルールに迄及んでいたと感嘆久しいものがある。
http://yaplog.jp/heibonsyugi/archive/139
ちなみにチベット碁の特徴は
1.17路
2.互戦置石制・・白、黒を所定の位置に6目ずつ置いて対局開始
3.石を取った場所は直後に石を置いてはいけない。 >>386
ゴチャゴチャしてきたので基本ルールと対局ルールに分けた
終局後の反則指摘無効は問題が起こりそうなので修正
棋院の要請をルールではなくマナーとして導入
基本ルール
・交互に自分の石を打てる。パスもできる。
・3連続パスになったら終局。途中で投了もできる(投了者の負けで終局、中押)。
・終局時に盤上の石が多い方が勝ち。事前の両対局者の合意によりハンデ(コミ)をつけてもよい。
・隙間なく相手の石に囲まれたら、囲まれた石は着手者によって抜かれる。抜く順番は禁止手、着手相手の石、着手者の石(自殺手)の順で、抜き終わったら着手完了。
・空いている点なら自由に石を打てるが、自分の石が抜けた直後の抜きあとの場所だけは打てない(禁止手、直後に抜かれてパス扱い、パスでも禁止手解除)。
・打った石がそのまま抜かれる手(禁止手と自殺手)はパス扱い。
・同一局面が3回以上現れたら無勝負(千日手)。
対局ルール
・正式な対局は時間制対局とし、棋譜を記録し、立会人を設ける。
・持ち時間は事前の両対局者の合意により定める。
・持ち時間を過ぎると負ける(時間切れ負け)。
・持ち時間は自分の手番において着手完了まで使われる(石を抜く時間を含む)。
・両対局者の合意、もしくは立会人の判断で時間停止の休憩を入れることができる。
・抜く石以外を動かした場合は動かした者が自分の持ち時間を使用して盤面を修復する。
・ルール外の行為(連続で石を打つ等)は立会人の確認の上で反則負けとする。
対局マナー
・両対局者は良識ある態度で行動し、相互信頼の関係で対局を行うことが望ましい。
・投了により、無駄のない美しい終局図を作ることが望ましい。
他のルールとの主な違い
・勝敗判定は純碁式(切り賃制に相当)。機械判定可能。
・コウ、中手、ウッテガエシ等を区別せずに禁止手としている(チベット式)。また、即負けではなくパス扱い。
・自殺手は打てるが、パス扱い。
・無限ループには両者合意ではなく千日手で対応。 >>396
純碁+超コウ(盤面)+自殺手可に変換するには基本ルールをこう変える
3連続パスが連続パス、同一盤面手は反則負け、千日手は不要に
比べてみると簡単にはなるがやはり人工的だという印象はぬぐえない
・交互に自分の石を打てる。パスもできる。
・連続パスになったら終局。途中で投了もできる(投了者の負けで終局、中押)。
・終局時に盤上の石が多い方が勝ち。事前の両対局者の合意によりハンデ(コミ)をつけてもよい。
・隙間なく相手の石に囲まれたら、囲まれた石は着手者によって抜かれる。抜く順番は着手相手の石、着手者の石(自殺手)の順で、抜き終わったら着手完了。
・石を打って着手完了した時の盤面がその対局の過去のもののいずれかと一致したら着手者の反則負け。
・打った石がそのまま抜かれる手(自殺手)はパス扱い。 碁の本質的なルールは突き詰めると>>396と>>397の2種類に集約できるだろう
後はその変化形としてローカルルールが色々とあるだけ
ただ日本ルールや中国ルールの切り賃廃止はどう考えても正当化の理由が思いつかない ルールはゲームをより楽しむために改良される
楽しくするためにはルールの整合性はもちろん重要だが、第一に楽しいのが目的であるから
場合に応じていくらか不整合なルールが追加されていくのは何ら不思議なことではない >>399
「第一に楽しいのが目的」というのは賛成
ただ「楽しむ」の主語である打ち手と観衆には様々な場合がある
打ち手と観衆が初心者・初級者レベルの場合は日本ルールや中国ルールは「楽しむ」ことに繋がらない
世界の人口のほとんどは初心者・初級者なんだから切り賃廃止はルールとして「改良」とは言えない
そうすると切り賃廃止は人類のごく一部の囲碁熟練者のための特殊なローカルルールということになるが
囲碁熟練者にとっても切り賃廃止は「改良」と言えるのかは疑問
かつては終盤の省略や集計の簡単さというメリットがあったが現在はコンピュータがあるのでそのメリットは消えた
ネット対局はもちろん、スマホで盤面の写真を撮るだけで勝敗の自動判定ができる時代なんだから
さらに現在の囲碁最強者はコンピュータだがコンピュータにとっても純碁式の方が都合がいい
最強クラスの棋譜を鑑賞するのにも切り賃廃止は「楽しむ」ことには繋がらない
切り賃廃止の特殊ルールは長い歴史で見ると一時期の局所的な流行に過ぎないのではないか
現在から見るとローマ字日本語並みの歪なものにしか見えない チベット碁のほうが優れてると思ってるのなら別にそれでいいんじゃないの
野球が三角ベースにとって変わることがあり得ないように、囲碁がチベット碁に置き換わることなんかまずあり得ないけどな >>401
チベット式と超コウ式はコウ関係の話であって切り賃の話とは関係ないぞ
今の話は切り賃廃止に正当な理由があるのかという話だ
俺が知る限りでは一つも見たことがない
コウ関係については現在の日本ルールはチベット式と超コウ式の中間にある
中途半端ではあるがローカルルールとしてはありうる変化形の一つだろう >>402
「正当な理由」ってなんだよ
自分が気にくわないもんを不当と見なしてるだけだろ
切り賃がなくなったのは「そっちのほうが勘弁だから」程度の理由で十分
それを不当とか言われても知ったこっちゃない >>403
コミも切り賃廃止とは関係ない
>>397のルールは純碁式だがコミを認めている
置き碁も初期局面を変更するだけだから対局者らの同意があれば別に問題にはならない
切り賃廃止だけは碁の本質からしてどうしても正当化できる理由が見つからない >>404
気にいらないとか感情ではなく理論がないとルールとして採用することができない
正当な理由がつけばルール分類のもう一つの軸として切り賃の有無を採用することができて本当は俺はそれがしたい
しかし誰が書いた本を読んでも話を聞いてもまともな理由が見つからない
簡便だからはコンピュータができた現代では通用しなくなったと言っている
昔あった風変わりなローカルルールとしては紹介できるがね >>405
切り賃ってパスを認めずもう打てなくなるまで打つという発想からくるものでしょ? >>407
>>397のルールでは純碁式だがパスを認めているし他のルールでもパスを認めているのが多い
現在の日本ルールや中国ルールは切り賃を入れると盤上の石の数で勝敗を決める純碁式と一致する
古来の碁は切り賃があり切り賃を廃止することで現在の日本ルールや中国ルールになったとされている
この意味での切り賃廃止を正当化できる理由があるかどうかという話
俺が知る限り切り賃廃止を正当化できる唯一の説は笊碁由来説のみ
石を取った数で勝敗を決める笊碁が古来からあって笊碁の進化系が日本ルールだという珍説
根拠が皆無なので採用するのは難しいが こいつコンピュータスレで暴れてた囲碁ド素人の頭おかしい人やんけ ちなみに笊碁はパスの時に相手に石を一つ渡す
白パスで終了の場合は数え方が違うだけで純碁式と一致する
黒パスで終了の場合に限り純碁式とコミが一つ分だけ違うことになる
生きるための眼は地に数えずに切り賃を導入した中国ルールは純碁式と一致する
日本ルールは一致する場合としない場合があり一致しない場合は笊碁に一致することが多い
またハマの取り扱いも笊碁に似ている
そのため実は日本ルールは碁の変化ではなく笊碁の変化だという説がある
笊碁だとすると日本ルールでの終局後に石を取ることを禁止すれば
生きるための眼もパスによる減点回避に利用することができて切り賃廃止の笊碁に近くなる
この理屈だと切り賃廃止も笊碁の変化として正当化できると思う
ただし笊碁だと「日本ルールでの終局」で終局しないので「日本ルールでの終局」とは何かという問題は残る こいつ例のネットで検索して勘違いした事実を喧伝するしか能のないデマ製造器くんじゃん
あんだけ生き恥さらしといてまだ書き込み続けれるんだな、しかも新年早々
とりあえず「ザル碁」ってのは世間一般には「下手くその碁」という意味しか持たないんだけど
今度はなにをどう曲解して「ザル碁とは昔からあるポン抜いた石数を競うゲーム」なんてデマを産み出したんだ? 本来は荒らしは構っちゃ駄目だが一応補足
本来の笊碁は「下手くその碁」という意味だがここでの笊碁はもちろん笊碁ルールのこと
下のリンクの人が考えて命名したものなので命名者を尊重して笊碁と言っている
日本ルール笊碁由来説もその人だけが言っている根拠のない珍説
http://www.vimage.co.jp/~iehiro/cgi-bin/gocaffe/ >>412
ほら出た
そのサイトのどこに「日本ルールはザル碁由来」って書いてるんだ?
囲碁の知識がゼロなのはともかく、捏造癖もここまで来ると大したもんだな
「日本囲碁規約は幾度となく改訂されている」のソースはそろそろ見つかったか?きちがい君よ >>413
五月蝿いので一回だけ構うが今後はスレ違いの荒らしは無視するぞ
お前の言っている奴は別人でおれはスレ違いの荒らしはやめろと注意しただけだ
それにお前が執着している奴も賛否はともかく特におかしなことは言ってなかったぞ
ちなみに日本ルール笊碁由来説はここ
http://www.vimage.co.jp/~iehiro/cgi-bin/gocaffe/katte001.htm
>しかし、ザル碁について考えれば考えるほど、ザル碁こそ囲碁の直接の祖先ではないかと思うようになりました。 切り賃廃止問題に話を戻す
中国ルールで最後まで打った場合を考えると
石のみを数えるのが純碁(切り賃有)で石+地を数えるのが中国ルール(切り賃無)
つまり自分の地(眼)を自分の得点として加えていいという理由を付けられれば切り賃廃止を正当化できる
しかし眼は石を置けないから眼として残るわけで地を得点に加えるのは正当化できそうにない この人アスペルガー症候群の可能性が高いと思う
誰にも理解できない「正当性」とかいう謎の言葉にやたら固執してるのがその証拠 正当化というと難しく聞こえるが要は切り賃を使わない理由だな
本来の碁では切り賃が必要だというのは棋士も研究家も全て一致している合意点
しかし実際には切り賃を使わないことが多い
その理由はなんだろうかということ
多くの人は何も考えずに日本ルールや中国ルールを使っているだけだから理由など考えていないだろう
では日本ルールや中国ルールで切り賃を使っていない理由は何か?
言い換えると中国ルールで最後まで打った時に地(眼)を得点に加えているのは何故か?
根拠のある合理的な説明を見たことがない 切り賃があると、直感的に理解しがたい結果になる、4例を考えて見る。
(例1)繋がった黒8石と繋がっていない白8石
┏〇┯〇┓ (コミなし、アゲハマなし)
〇●●●〇
┠●┼●┨
〇●●●〇
┗〇┷〇┛
=切り賃なし=
純碁ルール ジゴ
中国ルール 白3目勝ち
日本ルール 黒25目勝ち
=切り賃あり=
純碁ルール 黒14目勝ち
中国ルール 黒11目勝ち
日本ルール 黒23目勝ち
(例2)繋がっていない黒10石
┏●┯●┓ (コミなし、アゲハマなし)
●┼●┼●
┠┼┼┼┨
●┼●┼●
┗●┷●┛
=切り賃なし=
純碁ルール 黒10目勝ち
中国ルール 黒25目勝ち
日本ルール 黒15目勝ち
=切り賃あり=
純碁ルール 白12目勝ち
中国ルール 黒5目勝ち
日本ルール 白5目勝ち
(例3)初手で終局になったとき
┏┯┯┯┓ (コミなし、アゲハマなし)
┠┼┼┼┨
┠┼●┼┨
┠┼┼┼┨
┗┷┷┷┛
=切り賃なし=
純碁ルール 黒1目勝ち
中国ルール 黒25目勝ち
日本ルール 黒24目勝ち
=切り賃あり=
純碁ルール 白1目勝ち
中国ルール 黒23目勝ち
日本ルール 黒22目勝ち
(例4)日本ルールだとややこしい
┏●┯●● (コミなし、アゲハマなし)
●●●●〇
●〇〇〇〇
〇┼〇┼●
〇┷〇●┛
=切り賃なし=
純碁ルール 黒1目勝ち
中国ルール 黒2目勝ち
日本ルール ???
=切り賃あり=
純碁ルール 白1目勝ち
中国ルール 黒2目勝ち
日本ルール ??? >>417みたいな細かい原理にやたら拘るのも大きな特徴
自然発生するルールの変遷に「根拠のある合理的な説明」とか言ってるが
こんな漠然とした問いでは他人には理解してもらえないということが理解できていない >>418
とりあえず日本ルールは別の問題が絡んできてしまうので純碁と中国ルールに限定しよう
切り賃というのは最後まで打ちきった時に純碁と中国ルールの結果が一致するようにするためのものだ
なので純碁には原理的に切り賃は存在しない
そもそも純碁には地という考えがないので切り賃の計算自体もできない
その4つの例は全て最後まで打たずに途中で終局にした場合になっている
最後まで打っていないため「理解しがたい結果」も生じる
例1
純碁では持碁になる
黒がパスせずに打ち続けていれば黒の勝ちになるが何らかの理由で引き分けにしたかったんだろう
中国ルールでは普通は白の地を巡って争いになるので終局せずに打ち続ける局面だが
黒が何らかの理由で負けたかったんだろうということで白の3目勝ち
眼は黒1白4なので切り賃は3で切り賃を入れると持碁となって純碁と一致する
黒の行動が理解できないが終局図における石(展開できた軍隊)の数は互角なので持碁が妥当だろう
例2と例3
純碁では石の数だけ黒の勝ち
白は何らかの理由でパスしかできない状況なんだろう
中国ルールでも両者とも地は認められないだろうから石の数だけ黒の勝ちとなって純碁と一致
切り賃もない
例4
純碁では白は左下に一つ打てるが気付かずに終局となったんだろうか
打てれば持碁だったが打てなかったので黒の1目勝ち
中国ルールでは打っても打たなくても同じで黒の2目勝ち
眼は黒3白2なので切り賃を入れると黒の1目勝ちで純碁と一致(打った場合は黒3白1で持碁となって純碁と一致)
石を置き忘れても結果が変わらない中国ルールはやはりおかしい >>420
>例2と例3
>中国ルールでも両者とも地は認められないだろうから石の数だけ黒の勝ちとなって純碁と一致
"純碁と一致" って明らかに間違っているでしょう。
例2に2子追加して、これでも中国ルールでは黒地ゼロなの?
(例5)
┏●┯●┓
●┼●┼●
┠●┼●┨
●┼●┼●
┗●┷●┛
純碁ルール 黒12子勝ち
中国ルール 黒25子勝ち(切り賃なし) となるはず
中国ルール 黒23子勝ち(切り賃あり) となるはず
実戦的な例としては、
(例6)
┏〇●┯┓
〇〇●┼┨
〇〇●●●
〇〇●┼┨
┗〇●┷┛
純碁ルール 白1子勝ち
中国ルール 黒5子勝ち(切り賃無関係)
>例1
>眼は黒1白4なので切り賃は3で切り賃を入れると持碁となって純碁と一致する
どういう計算かな? では、次図の形で終局したら、純碁ルールなら
盤面ジゴなのは直ぐに分かるが、中国ルールでの地合は? 切り賃の計算は?
(例7)
┏〇〇〇┓
〇●●●┨
●┼┼┼●
〇●●●┨
┗〇〇〇┛
また、下図で終局したときの切り賃は何子?
切り賃あり中国ルールで、どっちの盤面何子勝ち?
(例8−A) (例8−B) (例8−C)
┏●●●●●┓ ┏┯●●●●┓ ┏┯●●●●┓
●〇〇〇〇〇● ●〇〇〇〇〇● ●〇〇〇〇〇●
●〇┼┼┼〇● ●〇┼┼┼〇● ●〇┼┼┼〇●
●〇┼〇┼〇● ●〇┼〇┼〇● ●〇┼〇┼〇●
●〇┼┼┼〇● ●〇┼┼┼〇● ●〇┼┼┼〇●
●〇〇〇〇〇● ●〇〇〇〇〇● ●〇〇〇〇〇●
┗●●●●●┛ ┗●●●●●┛ ┗●●●●┷┛
切り賃なしなら、A;白1子勝ち B;白3子勝ち C;白5子勝ち
>例4
>純碁では白は左下に一つ打てるが気付かずに終局となったんだろうか
>打てれば持碁だったが打てなかったので黒の1目勝ち
ちなみに、純碁で白から打つなら右下の黒2子を抜きに行くのが最善で白5子勝ち。
(この問題は日本ルールで考えないと面白味はない)
>石を置き忘れても結果が変わらない中国ルールはやはりおかしい
それは、 "おかしい" ではなく "便利" でしょう、初心者でなければ。
盤面をお互いの石で埋め尽くさなくても結果が同じ。
上の例5,6の場合でも、純碁なら黒が最善を尽くして石を埋めていないので
中国ルール(切り賃あり)と結果が一致していない。 >>420
バかだろこいつ
例2と3がなんで中国ルールで地0目になるんだよ
碁打ったことあるのかこいつ? >>421
君の例題の示し方が間違っているよ。
中国ルール(自分の地に埋める手が損にならない)と
純碁を比べるのであれば、
地を限界まで埋めた図ですべき。
石埋めを途中で止めた図で比較しようとするから、
訳が分からないことになる。 >>421
>>422もそうだが根本的に中国ル−ルが分かっていないんじゃないか?
中国ルールは実戦決着なので両者が合意するまで終局しない
終局時には地について両者が合意している状態にある
つまり中国ルールでは地の判定は対局者の合意で決まるのであって第三者が決めるものではない
同じ盤面でも合意の内容次第で地の判定は変わりうる
例えば例3の場合は「全て黒の地」「両者とも地無し」の2種類の合意の可能性があるが
「全て黒の地」という合意は囲碁の常識に反する(天元打って黒の地が確定するのならゲームにならない)ので「地無し」の合意だと推測した
「地無し」の場合には中国ルールと純碁は一致して切り賃もない
対局者間の合意に対して第三者が「明らかに間違っている」と言っても地の判定は変わらないし意味がない
仮に「全て黒の地」で合意したという場合の話は例5と同じ説明になるので例5で説明しよう
例5は明らかに中国ルールでは黒25目勝ちで切り賃は2なので切り賃有だと黒23目勝ち
純碁ではこの局面では黒12目勝ちで一致していないように見えるが
それは最後まで打っていないからで2眼まで打ちきると黒23目勝ちになって切り賃有り中国ルールと当然一致する
例6も同様で黒が打ち切っていないので差が生じているが黒が2眼まで打ちきると結果は当然一致する
「直感的に理解しがたい結果になる」と感じるのは最後まで打たずに終局している変な状況を考えているからではないか?
純碁で最後まで打たないという行動が「理解しがたい」のであってルールや切り賃の問題ではない
今の課題は切り賃無しの中国ルールと純碁との差(つまり切り賃)が正当化できるかどうかなので
最後まで打ち切った局面で考えるべきだ >>421
>>418でも見当違いの計算をしていたし切り賃が根本的に分かっていないんだと思う
切り賃というのは最後まで打ちきった時に純碁と中国ルールの結果が一致するようにするための補正項だ
最後まで打ちきった時に残っている眼は地が生き残るの必要な眼であるからその分は差し引くというのが切り賃の計算
引かれた残りは石の数に一致するので最後まで打ちきれば純碁と切り賃あり中国ルールは原理的に一致する
最後まで残るのは2眼であることが多いが2眼とは限らないので切り賃は地に対して2つとは限らない
地の合意と同様に切り賃あり中国ルールでは切り賃についても実戦決着で終局までに合意する
合意の内容が第三者から見て間違っていたとしても判定は合意によって決まる
>>420の例4の場合がそれ
以上のことを踏まえた上で例7と例8は自分で考えて見てくれ
最後まで打ちきれば切り賃あり中国ルールは純碁と同じになる
言い換えると純碁に両者合意による終盤省略の仕組みを加えたのが切り賃あり中国ルールということだ
切り賃あり中国ルールまではローカルルールとして何も問題がないわけだが
さらに切り賃をなくすことは上の例にあるように勝敗の結果が変わってしまうことがあるので問題になる
それをどうやったら正当化できるのか? >>421
>ちなみに、純碁で白から打つなら右下の黒2子を抜きに行くのが最善で白5子勝ち。
左下があるから右下の黒は抜けないと思ったが深く考えたわけではないので俺の間違いかもしれん
いずれにしても白は右下を抜けないと考えて終局しているわけなので、その変化は判定に影響しない
>それは、 "おかしい" ではなく "便利" でしょう、初心者でなければ。
初心者でなければそもそも打ち忘れは発生しないのだが、初心者以外には便利だというのは同意
ただ今の話は切り賃をなくしていいのかということなので話がずれている なにをどうしたら「正当化」になんの?
フットボールで前にパスするのを禁止するのは正当なの?
フットボールで手を使うのを禁止するのは正当なの?
将棋の取った駒を打ち込めるようにするのは正当なの?
なにをもって正当と言ってるか、本人にしか分からないこと延々と言っててもきちがいとしか思われんよ 切り賃廃止についてのよく見かける意見は下の3つ
1.大体同じなんだからいいだろ、細かいこと言うなよ
非論理的で納得できない人も出てくるが意外と説得力がある意見
初級者向けに説明する時には大体これが使われる
2.切り賃ってもう知らない人が多いし、めんどくさいからやめよう
面倒だからと言って勝敗を変えていいわけがないが現実的にはこれが廃止の理由だろう
この理由はコンピュータによる自動判定が技術的に可能になったので成立しなくなった
人間が最後まで打たなくてもコンピュータに代わりに打たせて集計させれば一瞬で終わる
3.地は囲碁の本質的な発見であり、それによってルールが進化した
謎理論だが玄人向けの説明に使われる意見(1との二枚舌も多い)
地を考えていないコンピュータソフトが人間より圧倒的に強いので「地が囲碁の本質である」というのは間違いであることが分かった
「地が囲碁の本質である」と主張するのは個人の勝手だがそれをルールとして他人に強制するのは倫理的にもおかしい
ルールが進化して別のゲームになったのなら、碁とは別のゲームであるという分類わけが必要になってしまう
>>427
普通の日本語だぞ
ゲームの目的や勝敗が変わってしまうルール変更には相応の合理的な理由が必要になる
例えば将棋のトライルール(正式には認められておらず賛否がある)の場合には入玉時の処理が簡単になるからという理由がある
その程度の理由が一つでもあればいい >>428 この理由はコンピュータによる自動判定が技術的に可能になったので成立しなくなった
それは言い過ぎだろう 現時点ではプロ棋戦はもとより巷の碁会所でもほとんどがリアル碁なんだから >>428
>面倒だからと言って勝敗を変えていいわけがない
>ゲームの目的や勝敗が変わってしまうルール変更には相応の合理的な理由が必要になる
面白いことを言うもんだねえ
俺が友達と将棋を指すとき、「とくに理由はないけど八方桂で対局しようぜ」って提案するのは非合理的な、不当な提案なのか?
ところで、ルールの変遷に「正当性」とやらがなかった場合それがなにか問題なのか?
もしかして、それを理由に「日本ルールは劣っている」だとか「ルールの変遷を取り消すべきだ」とかきちがいじみたこと主張しだしたりはしないよな? >>423
>君の例題の示し方が間違っているよ。
>石埋めを途中で止めた図で比較しようとするから、
>訳が分からないことになる。
え? 単純に解決しない碁形を創作して例示するのが目的なんだけど?
普通に切り賃が正しく計算できる図を載せて何か意味があるかな。
>>423 >地を限界まで埋めた図ですべき。
>>424 >純碁で最後まで打たないという行動が「理解しがたい」
純碁ルールや中国ルールに "限界まで埋めろ","最後まで打て"って規定があるか?
"限界" とか "最後" とかって、「意味わかんないし」って言われそうだね。
どのタイミングでパスしようが対局者の自由でしょう。
例6で言えば、純碁ルールの対局で、黒番なら
(例6')
┏〇●┯●
〇〇●┼┨
〇〇●●●
〇〇●┼┨
┗〇●┷●
と、2手だけ手入れして黒1子勝ちで終わらせるのが手早く合理的と
思う人がいれば、それを実行すれば良いし賛同もできる。
実際、現行中国ルールや純碁ルールだと任意の碁形で勝敗判定可能。
現行ルールで、判定が "訳が分からないことになる" ってことはない。
本題に移ると、要するに現行の中国ルールに切り賃を導入しようとするから
"訳が分からないことになる"、訳の分からない事が起こり出す。
切り賃を導入するには、中国ルールに2眼(以上)の生き、1眼の生き(セキ)、
眼の無い生き(セキ)等は、日本ルール同様に定義しないといけなくなる。
そのうえで、繋がっている石、切られている石も定義しないといけない。
欠け眼生きは、繋がってはいなくて切られていない石となるのかな?
そして最大の制約が、終局時に外ダメが空いていることを禁止すること。
または、ダメを介して切れている石の切り賃を求める手法を定義すること。
(例9)手残りでダメの空いた終局図
┏●〇●●●┯●┓ (コミなし, アゲハマなし)
●●〇●┼●〇●〇
┠●┼●┼●〇●┨
●┼┼●●●〇●〇 純碁ルール 黒6子勝ち
┠┼〇〇〇〇〇●┨ 現行中国ルール 黒3子勝ち
●●〇┼┼┼〇┼〇 現行日本ルール ジゴ
●●〇┷┷┷〇〇┛
上図の様に、純碁ルール,現行中国ルール共に直感に反しない勝敗判定になる。
そして、この碁形で切り賃を計算することは現状では出来ないと思う。
初心者に終局時に、手残りだしダメが空いたままの様な下手な碁を打つな
と言っても仕方ない。
繰り返すが、現行ルールなら、下手な碁でも判定が "訳が分からないことになる"
なんてことはない。切り賃を考えなければ、日本ルールでなければ。
ちょっと調べた限りでは、切り賃に関する考察が殆ど見つからなかった。
そこで、個人的に考えて見てところ、現行ルールで
「切り賃を切り捨てた」という判断には相当な『合理性がある』
と感じたんだけど。 >>428
>切り賃廃止についてのよく見かける意見は下の3つ
>1.大体同じなんだからいいだろ、細かいこと言うなよ
>非論理的で納得できない人も出てくるが意外と説得力がある
どこに説得力が?
(1)ダメが空いていたら、まともに切り賃が評価できないって意見は無かった?
(2)セキ生きと2眼生きを区別する必要があるという様な意見は無かった?
(3)初心者同士の碁で、手残りで終局したときに、... という様な意見は無かった? >>429
まず世界全体でみて対局数が多いのはネット対局であり今後ますます増えていくだろう
ネット対局なら終盤の自動化は簡単
次に大会や棋戦は棋譜を取るので棋譜を電子入力にすれば終盤の自動化も容易
使うソフトは各団体の公認ソフトになる
碁会所等ではスマホで盤面の写真を撮って画像認識して手番等を入力するだけで終盤の自動化は可能
各碁会所にいくつか専用端末を用意しておけばスマホを持っていない人でも問題ない
終盤の自動化は圧倒的に便利なので近い将来は間違いなくこうなるだろう
先にネットや世界で広まって日本ルールに拘る日本だけが遅れをとる展開になるんじゃないか
もちろん家で打ってスマホもパソコンも使えないという少数者は出てくる
その人たちは自分が好きなように打てばいい
その極少数者のために全体のルールを複雑に変えるというのは主張として無理があるという話だ >>430
面白いことではなく当たり前のことだな
家でやるだけなら回り将棋でも挟み将棋でも好きにやればいいが
公けの将棋大会のルールとして採用しようとすれば相応の合理的な理由が必要になる
また囲碁を学んでいる人から中国ルール等の結果が純碁と一致しなくていいのかと聞かれた時に
ルールに合理性がないと説明できなくなってしまうという問題がある
俺が困っている問題はこれ
昔はそれなりに理由があって、だからこそ日本ルールや中国ルールが存在しているわけだが
ここ数年のコンピュータの発展によってその理由は完全に成立しなくなってしまった
さてどうしましょうって話 >>431
やはり中国ルールや切り賃について根本的な部分が理解できていないようだ
あなたの疑問は理解不足に由来すると思う
以下のこと踏まえた上でもう一度考え直して欲しい
・中国ルールで地や切り賃を決めるのは対局者であってルールで決めるものではない(この場合はこうというルールはない)
・対局者が己の棋力で最善を尽くして両者パスとなるまで打ちきれば地や切り賃は文句なく決まる(地や切り賃は対局者の棋力に依存する)
>>432
「説得力」については自分で説明してみれば分かるよ
納得しないのは論理的に考えられる人だけだ
(1)と(2)は切り賃を決めるのは対局者なので質問が成立しない
(3)は地も切り賃も対局者の棋力で決まること踏まえれば分かる
>>420の例4のように初心者が手残りしても純碁の損の分は切り賃の損となるので純碁と切り賃の結果は一致する
もう少し分かりやすく>>421の例5で説明すると
初心者が手残りしてこうなったしよう
その場合は対局者はもう打てないと思っているので切り賃は13で合意される(傍から見て違うと言っても仕方ない)
そうすると切り賃ありの中国ルールは黒12目勝ちとなって純碁と一致する
切り賃無しの中国ルールの黒25目勝ちは対局者の棋力を反映していない結果となるため純碁と大きくずれるわけだ
対局者の棋力を反映していない結果というのは妥当ではないのでやはり切り賃が必要だということになる >>431
問題を整理しよう
純碁で両対局者が己の棋力で最善を尽くして両者パスとなるまで打ちきった時の終局図(A)が本来的に評価するべきものだ
もちろん一目でも勝ちは勝ちということで途中で手を抜いて終局させる(B)のも自由だ
BとAが違うのは対局者が手を抜いたためであって何もおかしいことはないし問題も生じない
切り賃有り中国ルールで最後まで打ち切った時の終局図は純碁と一致するのでAとなる
この時に自陣に残っている地(眼)が切り賃となるのでAの判定は純碁と原理的に一致する
両者がAになること(少なくとも地と切り賃について)に合意すれば途中で終局しても結果は変わらない(中国ルールの利点)
この過程において何も問題は生じない
切り賃無し中国ルールで最後まで打ち切った時の終局図(C)は必ずしもAとは一致しない
切り賃の分があるので仮にCがAであったとしても判定は純碁と一致しないことがある
今問題にしているのはCがAと違ったり判定が変わったりするのをどうやったら正当化できるのかということ >>434
お前、言ってることがめちゃくちゃなの自分で気づかないの?
もしかして、今まで日本でずっと純碁が打たれてたところを誰か偉い人が
「これからは切り賃を廃止します」って言って全国の碁打ちがそれに従ったとでも思ってんのか? >>437
何を言いたいのか分からないがレッテル貼りをしただけなら議論の邪魔になるので黙っていてくれ
一般的に言われている歴史的流れはこうだ
本来の碁には地という概念がなく石の数を争うものだった(これを現代風に再現したのが純碁)
地という考えが出てきてからも石の数に合わせる為に地で石を置けない眼は取り除く切り賃という仕組みがあった
日本ルールでは切り賃が正式に廃止され、その発展である中国ルールでも切り賃が除かれている >>424
>例5は明らかに中国ルールでは黒25目勝ちで切り賃は2なので切り賃有だと黒23目勝ち
>>435
>例5で説明すると
>対局者はもう打てないと思っているので切り賃は13で合意される
18/01/05(金) 00:36 の段階では、切り賃は2
18/01/06(土) 05:16 になったら、切り賃は13
なぜか1日経っただけで、切り賃が大きく変わってるし、
例5の棋譜を提示した当事者の立場から言わせてもらうと、
対局者でもないだろうに、勝手に切り賃を決められては困るのだが?
>>435
>中国ルールで地や切り賃を決めるのは対局者であってルールで決めるものではない
と、自ら発言している様なのでね。
なぜ、他人の棋譜の切り賃を勝手に決めたのか、説明して頂きたい。 >>439
合意の内容は対局者によって違う
こういう合意がされた場合にはこうという場合わけで説明している
>例5は明らかに中国ルールでは黒25目勝ちで切り賃は2なので切り賃有だと黒23目勝ち
というのは対局者が囲碁の初心者ではなく手を抜いた場合の話
>>436でいうところのAが黒23目勝ちでBが黒12目勝ちという場合に当たる
>対局者はもう打てないと思っているので切り賃は13で合意される
というのは対局者が囲碁の初心者で本人なりに最善を尽くした場合
>>436でいうところのAが黒12目勝ちという場合に当たる
そもそも例示の段階で合意内容を明示しないから面倒な説明をすることになるw >>419
>例1
> ... 終局せずに打ち続ける局面だが ...
>眼は黒1白4なので切り賃は3で切り賃を入れると持碁となって純碁と一致する
では、ここで示しされている結果は?
>>436
>最善を尽くして両者パスとなるまで打ちきった時の終局図(A)
>途中で手を抜いて終局させる(B)
どちらなのか、
(A),(B)と両方を場合分けた結果が知りたい。
(A)切り賃 ??? 勝敗結果 ???
(B)切り賃 ??? 勝敗結果 ???
という感じで、???の部分を埋めて頂きたい。 十数年前、ヨセのスレで珍妙な理論を展開していた人物と文体が同じだね。
あの理論は完成したんだろうか。 >>441
例1、例2、例3はA(つまり合意内容)が指定されていないので分からない
なのでB=Aの場合(手を抜いていない場合)だとして結果を書いている
やはり例の書き方がよくないw >>443
それぞれ、下の ??? となっている(B)の場合の判定を教えて頂きたい。
例1
(A)切り賃 1-4 勝敗結果 持碁
(B)切り賃 ??? 勝敗結果 ???
例2
(A)切り賃 0-0 勝敗結果 黒10目勝ち
(B)切り賃 ??? 勝敗結果 ???
例3
(A)切り賃 0-0 勝敗結果 黒1目勝ち
(B)切り賃 ??? 勝敗結果 ???
例4
(A)切り賃 3-2 勝敗結果 黒1目勝ち
(B)切り賃 ??? 勝敗結果 ???
例5
(A)切り賃 13-0 勝敗結果 黒12目勝ち
(B)切り賃 2-0 勝敗結果 黒23目勝ち >>444
例5を見ると記法を勘違いしているぞ
Aは最善を尽くした時の終局図(本来の終局図)でBは手の抜いた時の終局図(例示の終局図)のこと
例5で最善を尽くした場合には
A:切り賃13-0、黒12目勝ち(合意数)
例5で手を抜いた場合には切り賃有り中国ルールではAで判定、純碁ではBで判定
A:切り賃2-0、黒23目勝ち(合意数)
B:黒12目勝ち(石の数)
例1〜4も同様
合意数は対局者が決めたものでBの石の数は純碁だからそのまま数えればいい
最善を尽くした時にはB=A(手を抜いていないのでBはない) 「合意」を精密に定義した方がいいよ
整地して半目負けてたのが、後で棋譜を並べて確認したら半目勝ってたというケースがある。
半目負けに合意した以上、結果は覆せない。
極端な話、盤面に関係無く、対局者が「黒の(白の)○○目勝ち」で合意すればその結果が確定する。 >>446
それもそうだけど、この人がさかんにいう「合理的」もちゃんと定義してほしい
「自分自身が納得すること」じゃなくて客観的にできるの? >>438
だから、そのルールの変遷がどういう人物の手によってどういう過程で進行したのか
お前は全く理解できてない可能性が高いと言ってるんだよ
もう一度聞くけど、だれか偉い人が「今日から囲碁のルールを変更します」って言ってルールが変えられたと思ってないよな?
さすがにそんな馬鹿げた考え方をするほど馬鹿とは思わないが、そうとでも考えないとお前の言ってることは筋が通らない >>446
もちろん勘違いで合意してしまうことはある
中にはわざとありえないような合意で終局させる人もいるかもしれない
しかしそれは手抜きの話と同様に対局者の自由であってルールの問題ではないので今は考慮する必要はないだろう
>>447
辞書通りの意味だ
>論理にかなっているさま。因習や迷信にとらわれないさま。
>>448
何を言いたいのか分からん
言いたいことがないのなら荒らしだと判断して無視するぞ >>449
貴方は死んでる石を活きてると見なして終局という場合を問題にしてなかったか? >>449
お前は囲碁のルールが誰の手でどうして変えられていったと思ってるのか、と問うてるだけだろ
質問の意味が分からないのか、それとも意図が分からないのか?
意図が分からないのはヤバいよ
「ルールがなぜ変わったのか正当な理由が分からない」とかおまえが言ってるんだから、
ルールが誰によって変えられたかという議論する上で必要な土台を確認しておくのは自然なことだろ
その程度のことを理解できないのなら非常にヤバい >>445
『切り賃有り中国ルール』に限って結果を示して欲しい。
純碁の話は、客観的に誰でも分かっている事なので触れる必要はない。
例1
切り賃 0-4 、ジゴ (最善を尽くした場合)
切り賃 ??-??、黒??目勝ち (手を抜いた場合)
例2
切り賃 0-0 、黒10目勝ち (最善を尽くした場合)
切り賃 ??-??、黒??目勝ち (手を抜いた場合)
例3
切り賃 0-0 、黒1目勝ち (最善を尽くした場合)
切り賃 ??-??、黒??目勝ち (手を抜いた場合)
例4
切り賃 3-2 、黒1目勝ち (最善を尽くした場合)
切り賃 ??-??、黒??目勝ち (手を抜いた場合)
例5
切り賃 13-0、黒12目勝ち (最善を尽くした場合)
切り賃 2-0、黒23目勝ち (手を抜いた場合)
この ?? の部分を埋めて頂きたい。 >>450
問題にしていないが
問題にしているのは切り賃廃止をどうやって正当化するかだけだ
>>451
その質問自体が間違っている
日本ルールも中国ルールもローカルルールの一つとして加わっただけで碁のルールが変わったわけではない
それに今問題にしているのは現在もしくは未来において切り賃廃止をどうやって正当化するかであって過去の話は関係ない
正当な理由を知っているのなら直接書けばいい
書けないのなら荒らしだから今後は無視するぞ
>>452
それを埋めるのは俺ではなく対局者(この場合は例を作った貴方)だ
対局者が合意して決めることなんだから対局者(この場合は例の設定者)にしか分からない 切り賃あり中国ルールの場合は、"最善を尽くした場合" は客観的に
決まるけど、"手を抜いた場合" は対局者にしか分からいの?
ではなぜ、例5では、"手を抜いた場合" の結果が分かったのかな? >>453
>それに今問題にしているのは現在もしくは未来において切り賃廃止をどうやって正当化するかであって過去の話は関係ない
みんな見てくれよ
こいつなに考えてるんだ?
何百年も前に日本で切り賃なしが主流になったのに、「現在もしくは未来において切り賃廃止をどうやって正当化するか」だってよ
そもそもお前は「切り賃廃止は正当でない」というのなら正当でないという論拠を示すべきだ
お前のやってるのは「切り賃廃止は正当でない、なぜなら私から見て切り賃廃止は正当でないからだ」と循環論法を繰り返してるにすぎない
切り賃の廃止は過去の時代の人々が様々なローカルルールを産んで、「最も流行ったもの」が現代で主流になったもの
つまり民主主義的に、最も合理的だと判断されたルールが生き残ったと言える
それをお前の主観でどうこう言うのは勝手だが、なんの論拠もなく「不当なルール」呼ばわりするのはきちがいの主張と断定していい そいつの言ってるのはこういうことだろうね
過去、Aはaという理由でBになった
しかし、aという理由は通用しなくなったからBはAに戻すべきだ
論理的に間違いとは言えないけど、BからAに戻すべきだという証明にはなってない
Aが廃れてBになったのはaという理由だけとは限らないし、過去から現代に至るまでbcde…と主流のBが持つメリットは増えてるかもしれない
BからAに戻す相応のメリットzがあるのならabcde…を無視してAに戻す価値はあるかもしれないが、
切り賃ルールに果たしてそんな価値があるのかね >>454
そりゃどんな風に手を抜いたのかは対局者(例の作成者)にしか分からないからな
例5では全て黒の地で手を抜いた場合という設定の指定があったから設定通りに書いただけだ
>>456
ちょっと違う
別に碁のルールは変化していない
比較的新しい切り賃廃止系のローカルルールの正当性や必要性が説明できなくなったということ
元々Aがあってaという理由でBやCができた
しかしaという理由が成立しなくなったからBやCはもう正当性が説明できない
またaという理由で新しくDを作ることも正当性がなくなった
元々の碁のルールであるAには簡単さと完全さという圧倒的な利点がある
だからこそ長い年月ずっと人々を魅了してきた
囲碁の長い歴史から見ると切り賃廃止系のローカルルールは最近の流行に過ぎず
現状ではなくても何も問題がないどころか一部のルールは碁の普及の妨げにもなっていて世界的に問題視されている >>457
相変わらず言ってることが支離滅裂
独善的な解釈に終止してる
>別に碁のルールは変化していない
変化している
盤のサイズ、事前置き石、切り賃、何を競うか、終局はどう処理するか、着手禁止点はどうするか、コミ……
囲碁には色んなバリエーションが存在する
お前はなにか「最もシンプルで美しく正しい最善のルール」があるみたいな妄想を抱いている節があるがそんなルールは存在しない
存在しているのは「最もシンプルで美しく正しい最善のルールだとぼくがおもうルール」
>比較的新しい切り賃廃止系のローカルルールの正当性や必要性が説明できなくなったということ
「正当性が説明できなくなった」ことが説明できていない
お前の理窟は「人類は防寒や防御のために衣類をまとったが、暖房設備があり安全な現代では衣類をまとう正当性がない」というのと同じ
客観性のないことをあたかも絶対的に正しいことであるかのように表現するのは三流宗教家や詐欺師の手段だよ >>458
変化していないというと誤解を生むがルールの根幹は変わっていないということだな
枝葉の部分は色々なものが生えて枝分かれしてローカルルールが増えている状態にある
いつか世界共通ルールに統一されるかもしれないが巨大な樹みたいになっているのが現状だ
俺が提唱しているルールもそんな枝葉の一つだ
ルールの基本を踏まえて自然さや簡潔さ等の設定テーマにおける最適なルールを考えている
しかしそのルールは切り賃廃止の是非とは無関係だ
もし切り賃廃止に正当な理由が見出せるのなら切り賃廃止系のルールも考えてみようという程度
俺は「正当性が説明できなくなった」と主張していない
「通用しなくなった」と言っているのは>>456で俺はそれを修正しただけ
正当性の説明がどこにも見当たらない(俺には説明できない)から知っている人が居たら教えて欲しいと言っているだけだ
結果的に誰も知らないのなら「正当性が説明できなくなった」ということになる
あと人が言っていもいないことを妄想して叩くのは生産的じゃないからやめた方がいいぞ >>459
ほんと堂々巡りだなあ
お前がやりたいのは「初心者に優しい囲碁のルールづくり」なの?
お前が初心者に教えるためにルールをいじるのは勝手にすればいいよ
それを提案してそれで終わり、このスレから消えてくれるんだろ?
お前が「正当性」って言葉をどういう意味で使ってんのかはお前にしか分からんが、
日本で切り賃が廃れた理由は推測するに「切り賃が無用の長物になったから」だろう
日本では碁は地とアゲハマを競うゲームになったから、切り賃という概念が何故あるのかよく分からなくなった
よく分からないし、いちいち2目足したり引いたりするのも面倒くさいから切り賃を廃止してルールをシンプルにした
そんなところだろう
そうしたルールの自然な変遷を正当だの不当だの言うのは馬鹿げてるとしか言いようがないと思うがね 切賃廃止のルールをローカルルール扱いしている点からして偏向している
もし切賃ありで打っている国(団体)があればそれこそローカルだろう
「切賃廃止の正当性」を問題にする前に「切賃ありの正当性」を提示する方が先だろう >>457
>そりゃどんな風に手を抜いたのかは対局者(例の作成者)にしか分からない
では、棋譜があれば、"最善を尽くした場合" と "手を抜いた場合" の両方が
求められるってことかな?
以下二例の ?? のところ埋めて頂きたくお願いします。
(例5')白全滅して終局(末尾にsgfデータ)
┏●┯●┓
●┼●┼●
┠●┼●┨
●┼●┼●
┗●┷●┛
切り賃 ??-?? 黒??目勝ち (最善を尽くした場合)
切り賃 ??-?? 黒??目勝ち (手を抜いた場合)
(例10)白全滅して終局(末尾にsgfデータ)
┏┯●┯┓
┠●●●┨
●●┼●●
┠●●●┨
┗┷●┷┛
切り賃 ??-?? 黒??目勝ち (最善を尽くした場合)
切り賃 ??-?? 黒??目勝ち (手を抜いた場合)
-- 例5'のsgfデータ --
(;SZ[5]KM[0.0]RU[Chinese]RE[UN}
;B[cd];W[db];B[ba];W[ae];B[dc];W[ec];B[ed];W[cc];B[eb];W[ca]
;B[bc];W[bb];B[ab];W[aa];B[da];W[ea];B[cb];W[bd];B[be];W[ac]
;B[da];W[ce];B[ba];W[ee];B[ab];W[dd];B[de];W[];B[ad];W[];B[be]C[END])
-- 例10のsgfデータ --
(;SZ[5]KM[0.0]RU[Chinese]RE[UN}
;B[db];W[cc];B[bd];W[de];B[bc];W[ed];B[dc];W[ba];B[dd];W[ad]
;B[bb];W[da];B[ac];W[be];B[cd];W[ae];B[ec];W[ee];B[ce];W[ab]
;B[cb];W[aa];B[];W[eb];B[];W[ea];B[ca]C[END]) >>462 の訂正
先のsgfデータは、使用したエディターの都合で一部自動変換されてしまっていて、
棋譜管理ソフトによっては、エラーが発生するようです。
以下が修正済みのデータです。失礼しました。
-- 例5'のsgfデータ --
(;SZ[5]KM[0.0]RU[Chinese]RE[UN]
;B[cd];W[db];B[ba];W[ae];B[dc];W[ec];B[ed];W[cc];B[eb];W[ca]
;B[bc];W[bb];B[ab];W[aa];B[da];W[ea];B[cb];W[bd];B[be];W[ac]
;B[da];W[ce];B[ba];W[ee];B[ab];W[dd];B[de];W[];B[ad];W[];B[be]C[END])
-- 例10のsgfデータ --
(;SZ[5]KM[0.0]RU[Chinese]RE[UN]
;B[db];W[cc];B[bd];W[de];B[bc];W[ed];B[dc];W[ba];B[dd];W[ad]
;B[bb];W[da];B[ac];W[be];B[cd];W[ae];B[ec];W[ee];B[ce];W[ab]
;B[cb];W[aa];B[];W[eb];B[];W[ea];B[ca]C[END]) >>460
突き詰めると「地とアゲハマを競うゲーム」「石と地を競うゲーム」を碁として認められるのか?という問題だな
本来あるべき石の数と結果が違う場合が出てきてしまうのをどうやって正当化するのか?
昔は便利だという方便が成り立ったが今はそれもなくなってしまった
野球やアメリカンフットボールは現在競技人口はあるがクリケットやサッカーとして認められていない
日本ルールや中国ルールも碁とは別のゲームだと割り切るのならそれでいいのだが
碁のルールの一種だと考えるとすると本来は切り賃は欠かせないもののはずだ
「無用の長物」だというのは碁を知らない人だけだろう
棋士や研究家でそんなことを言っている人は一人もいない
>>461
ローカルルールというのは統一的ルールの対義語だ
日本ルールや中国ルールや諸々のルールは全てローカルルールだよ
碁は本来は石の数を競うゲームだというのは誰しも認めていること
>>462
>では、棋譜があれば、"最善を尽くした場合" と "手を抜いた場合" の両方が
>求められるってことかな?
どうしてそうなるw
設定の話は設定者にしか分からない
ここで俺が設定しても意味がないだろ
そもそも何が聞きたいんだ? 切り賃談議でお忙しいところ恐縮ですがちょっと教えていただけませんか
(そもそも切り賃がなんなのか分からないし)
中国ルールでは自陣に手入れしてもマイナスにならないから
例えば日本ルールでは重要な攻め取りなど手入れどうこうは意味のないことになりますか? >(そもそも切り賃がなんなのか分からないし)
これに関しては、棋力や年齢なんかにも依るので、万人に納得いくような
説明を端的にするのは難しい。
碁を打てないとは言わせない 王銘エン
http://qitailang.small.jp/go/rule/jungo/
とりあえず、入り口としては、こんなところからどうぞ。
>重要な攻め取りなど手入れどうこうは意味のないことになりますか?
なるほど、これを誤解する人が多いが全く違う。日本ルールと同じこと。
>自陣に手入れしてもマイナスにならない
と、言うのは、もうダメも全て詰まって日本ルールでパスする状況に
なってからなら、自陣に手入れしても損しないというだけのこと。
序盤の三々定石なんかを考えて見ると分かりやすい。
必要以上に手を入れたら損なのは簡単に分かるでしょう。
なぜなら、他に大場がいっぱいあるから。パスよりも悪い。
攻め取りも全く同じ。他に価値のある手が残っているのに、
自陣に打たされるのは、日本ルールの場合と同じだけ損。 >>428にも書いたが一般的に言われている説明はこう
Q.日本ルールや中国ルールは本来の結果を再現しないのではないか?
A.切り賃を入れれば一致するので本質的には変わらない
Q.だったら切り賃を除くのはまずいのでは?
A1.勝敗は大体一致するので除いても問題ない
例外はどうするのか?
A2.切り賃はめんどくさいから辞めた
面倒だからはやめていい理由にはならないし今はコンピュータがあるんだが
そもそも面倒なルールになっているのは地をルール化しようとしたからだよね
A3.囲碁のルールは進化したんだ
開き直られてもそれもう別のものでしょ
地が大事というのは個人の意見であってルールにしちゃまずいよね
コンピュータ囲碁で地が大事というのは否定されているけどアルファ碁ゼロに勝ってから言うべきでは? >>464
例5では、?? の部分を全部埋められたのに、例5', 例10になったら
ひとつも ?? を埋めることが出来なくなるの?
では、そろそろ、実戦譜で切り賃あり中国ルールの評価を見せてもらえますか?
実戦譜なら、以下の ?? の部分を全て埋められるのか。
ご要望があれば、sgfデータは準備できるけれども。
まずは、最終譜だけから、何が分かるのかを知りたい。
当然、純碁ルール, 現行中国ルール, 日本ルールでの判定は出来ているので、
それは必要なく、切り賃あり中国ルールでの判定結果を教えて欲しい。
(例11)一般的な実戦終局図
●●●●┯┯┯┯┯┯┯┯┯●●〇┯┯┓
〇●〇●●〇┼┼┼〇┼┼●●〇┼┼┼┨
〇〇〇〇●┼┼┼●●●●●〇〇〇〇〇┨
┠┼〇〇●●〇〇●●〇〇〇〇●●●〇〇
┠┼┼〇●┼●●●〇〇●〇●●┼●●●
┠┼〇〇●●〇〇〇●●┼┼〇●●┼┼●
┠┼┼〇〇〇┼〇┼〇┼〇┼〇〇●●●〇
┠┼┼┼●┼〇┼┼┼〇┼〇〇〇〇●〇〇
┠┼┼┼┼┼〇〇〇〇┼〇●●●●〇〇┨
●〇●╋┼●〇●〇●〇┼〇●●〇〇〇●
〇┼〇┼┼〇●●〇●●〇〇●●〇〇●┨
┠〇〇〇〇〇●●●●〇┼〇〇●●〇●●
〇●●〇●〇●●〇〇┼〇●〇●〇〇〇┨
〇●〇●●●●〇●〇〇〇●●●〇●〇〇
┠┼〇●〇●┼┼●●●〇●〇┼●●〇〇
〇〇〇〇〇●┼┼┼╋┼●●┼┼╋●●〇
〇●〇●〇●┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼●〇
●●●●〇●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●●
┗┷┷┷●┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
切り賃 ??-?? 黒??目勝ち (最善を尽くした場合)
切り賃 ??-?? 黒??目勝ち (手を抜いた場合) >>468
だから埋めるのは対局者(もしくは例の設定者)なんだよ
対局者の合意で決まることなんだから
例5も同じ
繰り返すけど評価を決めるのは第三者ではなく対局者なんだ
現行中国ルールでの判定も決めるのは対局者であって決まっているわけではない
ここでは例を示した設定者が設定することだ >>466
レスありがとうございます
もちろん序盤中盤で自分の地に手入れする人はいませんが
終盤の小寄せに入って日本ルールなら後ででも相手の手入れが必要になる場所に打てばそれは一目なりの手ですが
中国ルールでは意味のない手になるんじゃないですか? >>464
>本来あるべき石の数と結果が違う場合が出てきてしまうのをどうやって正当化するのか?
「本来あるべき」という考え方が>>458で言った『「最もシンプルで美しく正しい最善のルール」があるみたいな妄想』にあたる
「本来あるべきルール」など存在しない
>昔は便利だという方便が成り立ったが今はそれもなくなってしまった
>>458で言った『「人類は防寒や防御のために衣類をまとったが、暖房設備があり安全な現代では衣類をまとう正当性がない」』という理窟で破綻している
切り賃の廃止を否定する論拠としては不十分
>碁のルールの一種だと考えるとすると本来は切り賃は欠かせないもののはずだ
論拠がない
反例として、メイエンは著書で「純碁は古い囲碁のルール」といった表現を用いてはいるが、切り賃が囲碁に不可欠などといった表現は用いていない
>「無用の長物」だというのは碁を知らない人だけだろう
論拠がない
>棋士や研究家でそんなことを言っている人は一人もいない
ソースをよろしく
結局主観を押し付けてるだけという印象だな 頭が悪いのに勘違いされても困るから付記しておくが、俺は「切り賃ルールとは無用の長物である」とは言ってないからな
当時の碁打ちがそう判断して、それが最も普及したといっている
それを不当だとか言うのは「フットボール系のスポーツなのにほとんど足を使わないラグビーのルールは不当」と言っているのと同じ
もっとも、その程度の話をずっと続けているやつがいるんだけどね >>468
何度も指摘されているように途中終局の局面例で考えるから設定を考えるのが難しくなる
最後まで打ちきった局面例を作ってみるといいんじゃないかな
>>471
貴方バカすぎて話にならないのでスレが荒れるだけから今後はスルーするよ >>470
>後ででも相手の手入れが必要になる場所に打てばそれは一目なりの手
中国ルールでは、ダメにも一目の価値がある。まず、ここが、ここが凄く大事。
中国ルールで自陣に手を入れるのはマイナスではないけど、0目の手。
要するに、相手の手入れの必要のある個所の外ダメを先に詰めればよい。
そうすると、自分は1目の手(外ダメ)を打ちながら、途中で相手に
0目の手(手を入れ)を打たせることが出来る。これで、得したでしょ。
日本ルールなら、外ダメを詰めるのはただの作業だけど、中国ルールなら
外ダメの詰め方にも順番があるという事になる。また、ここが凄く大事。
一番最後に、相手の手入れの必要な個所のダメを詰めては相手は損しない。 >>473
反論できなくなると「あなたはバカ」だってよ(笑)
こんなみじめなやつ久しぶりに見たな
人のことを頭悪いとか言ってるわりにはお前の提案に賛同してるやつは誰もいねえぞ
何を勘違いしたかテレビに出てきたインチキ宗教家が、ぶちギレてスタジオから逃げてくのと瓜二つ
今のところ一人も信者はいないようだが、一人でも信者をつかめればいいな
無理だろうけど(笑) >>469
>繰り返すけど評価を決めるのは第三者ではなく対局者なんだ
>現行中国ルールでの判定も決めるのは対局者であって決まっているわけではない
>>473
>最後まで打ちきった局面例を作ってみるといいんじゃないかな
当然、例11は現行中国ルールで終局している図だよ。
では、質問を変えてみよう。
例11の碁を見て、個人的に黒白どちらの形勢が何目程度良いと思う?
まさか、"第三者だから他人の碁の形勢判断なんて出来ない" とは言えないでしょう。
もちろん、切り賃あり中国ルールで。
実際には、終局してる局面だから客観的結論は出てるんだけどね。 >>476
現行中国ルールは最後まで打ち切らないから最後まで打ちきった局面を考えてみると例が作りやすい
>例11の碁を見て、個人的に黒白どちらの形勢が何目程度良いと思う?
この質問は切り賃の話と何の関係があるんだ?
関係ない話をすると話がずれてスレが荒れるからやりたくないんだが >>474
ありがとうございます
まだそうなんだ程度ですが結論ははっきりしてそうですね
銘エンさんの「純碁」 面白いですね、切り賃も理解できました
「純碁」って初めて知りましたが興味津々です
ちなみに棋力はKGS三段です
重ねてありがとうございました >>477
>この質問は切り賃の話と何の関係があるんだ?
純碁ルール, 現行中国ルール, 日本ルールでの形勢判断は出来ている。
切り賃あり中国ルールでは、どうやって形勢判断するのかを質問してるんだけど?
>現行中国ルールは最後まで打ち切らないから
現行中国ルールでも切り賃あり中国ルールでも終局図は一緒でしょ?
>最後まで打ちきった局面
だから、終局してるって。どこかに手が見えた?
それなら、具体的に指摘して欲しい。
純碁の様に自陣を埋めてくれと言っているのなら、ただの作業だから
アマ10級くらいの棋力の人でも間違いなく簡単にできるでしょう。 >>477
スレがあれてんのはお前が馬鹿げたこと延々言ってるからだろカス
さっさと病院行けアスペ >>479
>純碁ルール, 現行中国ルール, 日本ルールでの形勢判断は出来ている。
だったら切り賃あり中国ルールは純碁と同じだよ
現行中国ルールとの差が切り賃になる
>現行中国ルールでも切り賃あり中国ルールでも終局図は一緒でしょ?
勝敗判定が違うのだから違うことがある
地を埋めるかどうかといった細かいこともあるし地で合意しても切り賃で合意できずに続行ということもある
また両者で勝敗が違う場面では打ち回し自体も変わることがある
>だから、終局してるって。
中国ルールは終盤を省略できるので最後まで打ちきらない
純碁でも手を抜いて打ちきらないでもいい
しかし純碁の場合には手を抜いて自陣を埋めないと目数が減ることになる >>479
過去ログを見て中国ルールと純碁についてしっかり理解してから質問した方が建設的だと思う
切り賃の以前の部分でつまづいているんだと思う 「切賃つきの碁」=「純碁」と考えて、それ自体は簡明で初心者にやさしいルールだと認めよう
王メインがいうように入門講座もそれでやればいいだろう
しかしそれが「本来あるべきルール」だなんて大上段に言われてもうなあ・・・
ましてや切賃なしの碁には「正当性が必要」だなんて他に誰も思ってないよ
「切賃なしのほうが形勢判断しやすいしリアル碁では数えるのも便利」それで十分だ >>481
>>現行中国ルールでも切り賃あり中国ルールでも終局図は一緒でしょ?
>勝敗判定が違うのだから違うことがある
今は、例11の話をしてるんだよ。
<1>あの局面が終局していることは理解できている
<2>あの局面が終局しているかどうかの判断が出来ていない
<1> なのか <2> なのか、それだけ答えて欲しい。 >>481-482
キモいなあお前は
誰からも理解されないし気持ち悪がられてるのにいつ気づくの? やたらスレ伸びてるな、と思ったら
コンピューターソフトスレ荒らしてたやつがこっちに移ったのか
相変わらず頭悪そうで何より >>483
「本来あるべき」という主張ではなく「本来そうだった」という広く知られている事実を述べている
メイエンも同じ
そこを否定しては話にならない
そして純碁式の判定ルールは消滅したわけではなく純碁や切り賃制ルール等として他のローカルルールと同様に現代でも生きている
>「切賃なしのほうが形勢判断しやすいしリアル碁では数えるのも便利」それで十分だ
純碁でやると切賃なしの形勢判断では形勢を見誤ることがある
終盤の処理ももうコンピュータがあるので純碁でも簡単にできるので便利さの利点はなくなった
>>484
主語が分からないが中国ルールでは終局を決定するのは対局者であり
極論を言えば初手で終局だってありうるし最後まで打ち続けるのも可能だ
そもそも例11は貴方が設定した例なんだから終局かどうかを決めているのは貴方自身でしょ
実戦譜から持ってきたのだとしても例として採用したのは貴方なんだから
例11が終局図例として妥当だと思うかを聞いているのならずっと言っているように
切り賃あり中国ルールと純碁では最後まで打ちきった(石を埋めた)局面にした方が例として適切だと思う メイエンも同じなどと言っているが、メイエンは今の囲碁ルールに切賃を設けるべきだ(それが正当な考えだ)などとは一言も言ってないだろ
もちろんその逆(切賃なしには正当な理由が必要だ)などとも言っていない
相変わらず都合の良いところだけ切り取るのが得意技だね
コンピュータがあるから〜などとも言っているけど、対面での公式対局でも対局者は目算や形勢判断にコンピュータを利用せよとでも言うのかな
何から何までまったくもって意味不明な思考回路には心底笑かされるわ >>487
>切り賃あり中国ルールと純碁では最後まで打ちきった(石を埋めた)局面に
>した方が例として適切だと思う
いよいよ、何を言い出した?
それは、『切り賃あり中国ルール』ではなくて100%『純碁』なんだけど。
>そもそも例11は貴方が設定した例なんだから終局かどうかを決めているのは貴方自身でしょ
端的に聞くが、囲碁を打ったことがあるのか?
あの局面で、終局と盤面の石の死活を確認されて同意できるかどうかだよ。
自分が対局者だった時に。
相手が連続でパスするのに、自分だけチマチマと自陣に石を放り込んでいくのか?
相手にも失礼だが、自分も相当惨めだろう。客観的には滅茶苦茶気持ち悪いし。
ちなみに、>>484 の質問の正解は <1> でも <2> でも無いよ。
終局がどうのこうの言っていたので、気付いているのかと思ったら、
ただ単に目算・形勢判断を回避するためにゴネているだけだった。 >>486
こいつの何が頭悪いって、自分の主張を他人に伝えるのが絶望的に下手くそなんだよな
誰にも理解できないことをずっと垂れ流してるし、とにかく自分の主張を押し通そうとする
挙げ句のはてに会話が通じないのを相手の責任にしてるし
アスペだなんだと言われてるが、あながちそれも間違ってない気がする
社会に出てやっていけるのか心配 >>489
そいつ囲碁打ったことない可能性が高いよ
コンピューターソフトスレで暴れてたときは碁を打つ人間なら知ってる初歩的なことも知らなかったからな
他にも中学生でも理解できる文章を読み誤ったりと、まあ無知で馬鹿なところを晒してたもんだ >>488
>メイエンも同じなどと言っているが、メイエンは今の囲碁ルールに切賃を設けるべきだ(それが正当な考えだ)などとは一言も言ってないだろ
俺もそんなことは言っていない
メイエンは切り賃廃止の理由として進化論を取っているが論理的とは言えない
>コンピュータがあるから〜などとも言っているけど、対面での公式対局でも対局者は目算や形勢判断にコンピュータを利用せよとでも言うのかな
誰もそんなことは言っていない
誰も言ってもいないことを妄想してどうする
>>489
だから切り賃あり中国ルールの判定は純碁と同じなんだって
判定評価の例にしたり純碁と比較したりするのなら図は純碁と同じにした方が例として適切だと言っている
中国ルールは終盤を両者合意で省略しているだけなんだから
>相手が連続でパスするのに、自分だけチマチマと自陣に石を放り込んでいくのか?
>相手にも失礼だが、自分も相当惨めだろう。客観的には滅茶苦茶気持ち悪いし。
俺はそれなりに囲碁を打っているが貴方は純碁を打ったことないだろ?
石を埋めるのは失礼でも惨めでもないし明らかに勝敗が見えた時にはパスせずに投了するのがマナーだよ
それに将来的にはコンピュータに処理させればいいようになる
貴方の疑問は中国ルールと純碁についての理解不足から来ている
しかしそういう人は多いから質問自体はみんなの理解を深めるためによかったと思う
ただあまりにも本題から外れた話をするとスレが荒れてしまうので考えて欲しい 議論を整理すると
1.本来の碁には地という概念はなく石の数を競うものだった(一般的に認められている事実)
地による評価が生まれた後も切り賃という仕組みで評価を補正していた(一般的に認められている事実)
現在のローカルルールの中には切り賃を廃止しているものが多く競技人口も多い(一般的に認められている事実)
2.現代でも通用する切り賃廃止の合理的な理由を俺は知らないので知っている人がいたら教えて欲しい(個人的要望)
合理的な理由がないと人に説明をする時に窮してしまう(個人的動機)
3.もし誰も知らないのなら切り賃廃止にはもはや合理的な理由がない可能性が極めて高い(合理的推論)
4.合理的な理由がないとすれば一般的には問題があるとされるだろうが別に問題ないという意見があってもいい(主張の自由)
それでどうするかは理由の有無が確定した後で社会的にみんなで考えるべきこと(問題の切り分け)
5.合理的な理由の有無の確認はみんなが現状を正しく認識するために必要(公共的動機)
話がそれるとスレが荒れてしまう(実際に荒らしが出ている)ので
切り賃廃止問題に決着がつくまでは今後は2に関することだけ答えることにする なんでこの馬鹿は場をしきろうとしてるんだ?
お前が何を言っても聞き分けがないからみんなうんざりしてるんだけど
ここはお前の日記帳じゃないぞ
人にあれこれ注文つける前にもう少し賢く謙虚になろうな >>492
>>コンピュータがあるから〜などとも言っているけど、対面での公式対局でも対局者は目算や形勢判断にコンピュータを利用せよとでも言うのかな
>誰もそんなことは言っていない
ほほう、では、コンピュータがあるからといって計算の利便性(対局中の形勢判断)の問題は解決されたことにはまったくならないわけだ
ということは、切賃を廃止する合理的な理由として現在でも十分通用するじゃないか
おまえは反論に窮すると口先だけで「そんなことは言ってない」といつも繰り返すが、論理的には同じだ
>>490
こいつは説明がヘタクソってレベルじゃねーぞ
前提から論理、そして結論に至る1から10まですべてが命題として間違っていてその上脈絡もなく、まるで話にならない
真性の馬鹿なんだよ
さらに根拠のない妄想ばかりで、おまけに自分が絶対に正しい(間違っているのは周りの方)と思っている自己中ときた
馬鹿で統失で自己中となれば、これはもう 「キ チ ガ イ」 という他ないぞ >>494
3がおかしい
既出だが「人類は防寒や防御のために衣類をまとったが、暖房設備があり安全な現代では衣類をまとう正当性がない」と言ってるのと同じで誤謬にあたる
4もおかしい
合理的な理由がないからといって一般的にただちに問題になるとは言えない、早まった一般化
そして全体に言えることだが「合理的」の定義が通じて不明
いかようにも解釈できる語義の広い言葉で議論には不向き
これは何度も指摘されてるが、辞書どおりだのなんだのと言っていて言葉を定義する意味が理解できてない様子
掲示板で大上段構えたいのならもう少し論理ってものを学ばないと話にならないよ
ここまで君の主張を誰も理解してくれてないのがその証拠だろう
今の囲碁のルール体系に疑問を投げ掛けること自体にはいくらか意義があるだろうに、勿体ないね >>496は>>493あて
あと、>>493氏の返答は不要だからね
本人もそう書いてるし、プライドが高そうで的を射た返答はあまり期待できなそうだから >>495
純碁では切り賃まで考えないと正しい形勢判断ができないことがある
これは悪いことではなく本来、碁というのはそういうゲームなんだ
切り賃を廃止したルールでは対局中の形勢判断で切り賃を考えなくていいが
切り賃に慣れていない人にとっては便利だが切り賃に慣れた人にとっては不便なので利点とは言えない
一部の人の戦術に有利になるようにルールを変えたというのならそれはそれで問題になるし
ゲーム自体が便利になるわけでも面白くなるわけでもなく
むしろルールが無駄に複雑化するだけなので正当化の理由にはならない
コンピュータがない時代の終盤の処理の簡略化はゲーム性を損なったとしても皆が便利になるので認めらたわけだが
一部の人にとって対局中の形勢判断が楽になるというのは単にゲーム性を損なうだけだ
荒らしみたいだから今後は無視する >>498
あなたの主張を過去の分も含めてそれなりに真剣に読んだが、一番の問題はやはり用語の定義だ
「合理的」「正当性」を「辞書に書いてある通り」などと逃げずに、あなたなりに具体的に定義しなおしたほうがよい
それと「本来」も多用しているけど、これの定義もね
「碁のルールには『本来』切賃があった」じゃなくて「『過去』には切賃があった」ならまだわかるけど
「本来」なんて言葉を使うと、それが正しくて他は正しくないと頭ごなし主張しているように聞こえる
そうなのかもしれんが >>498
別に無視してもらって結構だぜw
そのかわりおまえの偏屈理論が世間に受け入れられることも永遠にありえないだろうけど、こっちとしてはどうでもいいことだからな
>466でメイエンが説明しているとおりだが、今は中国ルールだろうとも切賃はなく、それは碁の本質的な考え方が、世界的に、地本位計算法に傾倒してきていることを意味する
その動機は計算が楽だからという簡潔明快で合理的な理由だ
そしてこの動機はたとえコンピュータだろうが何が現れようとも碁が人間同士で対局するゲームである限り覆ることなどありえず、
この世間の流れに対しておまえ一人が場末の掲示板で純碁を持ち出していくら難癖をつけたところで何も変化は起きない。
>本来、碁というのはそういうゲームなんだ
なら今世界でメジャーとして流行っているのは、おまえのいう本来の碁(純碁)ではない。
マイナーな純碁が打ちたいなら同じ考えの相手を見つけて勝手にやればいい話で、ルールに言及する論拠にはならない。
>切り賃に慣れていない人にとっては便利だが切り賃に慣れた人にとっては不便なので利点とは言えない
これ、まったく逆でも成立するでしょ。 ちなみに、例11で提示したのは、日中韓名人戦(2015) 陳耀Y-井山裕太
の棋譜だったんだけど、気付いた人はいたかな〜。
nitro15 日中韓名人戦(2015) 陳耀Y-井山裕太
http://nitro15.ldblog.jp/archives/42207001.html
棋譜の要求仕様としては、
(1)中国ルール、切り賃の あり/なし で結果が変わること
(2)切り賃1子のセキがあること
(3)最低限、切り賃0子でもセキはあること
(4)なるべく有名な棋譜でリンクが貼れること
で、脳内を検索して見つかった棋譜がこれ。(2)は叶わなかったけど、
日本ルールと中国ルールでも結果が変わるというおまけは付いている。
というか、このおまけの印象が強くて、すぐに脳内検索でヒットしたんだけど。
そして、あの局面は日本ルールなら終局しているが、中国ルールなら
黒には右辺のセキの中の欠け目をつなぐ手が残っていて終局していない。
詳しくは、リンク先の記事で。
グーグルAIでも、まだ、こんな条件で検索する能力は持ってないでしょう。
自慢してみた。 しょうもないことで言い争っているのは自作自演というかいわゆる一人芝居
複数IPでやり合っているように見せてるだけで3人以上を一人で演じている
どれも文章の特徴が一緒だからちょっと気をつければ見分けられる
こういうのには一切かかわらのが吉 >>503
…まあ、相手するやつも馬鹿だっていう皮肉かもしれないけど、ここまでおかしいと普通どうみても一人芝居だと思うよな
ところがどっこい、少なくとも俺はID:K6gxYrhhとは別人というお釈迦様もビックリな衝撃的事実!
画面の向こう側にはどうやらこんな馬鹿が実在しているらしいぞ? >>492
>石を埋めるのは失礼でも惨めでもないし明らかに勝敗が見えた時には
>パスせずに投了するのがマナーだよ
もう、どんな馬鹿なことを考えているか想像さえできない世界だ。
『切り賃あり中国ルール』の碁の話をしてるんだから、石を埋めようが
パスしようが損得なんて何にも無い。
下の例12を見比べなよ。
石を敷き詰めたら数えやすくなるとでも妄想してたのかな?
(例12)例11の左辺の原図と石を埋めた図
●●●●┯┯┯┯ ●●●●●●●●
〇●〇●●〇┼┼ 〇●〇●●●●●
〇〇〇〇●┼┼┼ 〇〇〇〇●●●●
┠┼〇〇●●〇〇 〇〇〇〇●●●●
┠┼┼〇●┼●● 〇〇〇〇●●●●
┠┼〇〇●●〇〇 〇〇〇〇●●〇〇
┠┼┼〇〇〇┼〇 〇〇〇〇〇〇〇〇
┠┼┼┼●┼〇┼ 〇〇〇〇〇〇〇〇
┠┼┼┼┼┼〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇
●〇●╋┼●〇● 〇〇〇〇〇〇〇●
〇┼〇┼┼〇●● 〇〇〇〇〇〇●●
┠〇〇〇〇〇●● 〇〇〇〇〇〇●●
〇●●〇●〇●● 〇〇〇〇●〇●●
〇●〇●●●●〇 〇〇〇●●●●●
┠┼〇●〇●┼┼ 〇〇〇●〇●●●
〇〇〇〇〇●┼┼ 〇〇〇〇〇●●●
〇●〇●〇●┼┼ 〇●〇●〇●●●
●●●●〇●┼┼ ●●●●〇●●●
┗┷┷┷●┷┷┷ ●●●●●●●●
地を『石で埋めましょう』っていうのは、囲碁を覚えようとする初心者に
小路盤で原理を教えるための、「手法のひとつ」ということ。
地の概念が理解できたら、もう埋める作業に意味は全く無い。
自主的に、19路盤を石で埋め尽くしたら精神異常者。
命令で、19路盤を石で埋め尽くせって言われたのなら拷問。
例11の終局後に130手以上も手かけさせられた挙句に、
目がチカチカして数え難くなるだけ。嫌がらせ。
>>487
>例11が終局図例として妥当だと思うかを聞いているのならずっと言っているように
>切り賃あり中国ルールと純碁では最後まで打ちきった(石を埋めた)局面にした方が
>例として適切だと思う
右図なんて、囲碁の棋譜でも何でもない。
白のブツブツと黒のブツブツでは、どっちが多いでしょうか?
っていう幼児の遊び。 >>505
純碁はそういうルールだからね
現代人の感覚では手間が多いし終局図が汚く映るから敬遠したくなる
囲碁は当初は9路盤だったという説がある
9路ならそこまで手間はないが、17路や19路だと手間がかかりすぎる
そこで「地」のルールが生まれた
日本では更に囲碁は地を競うゲームとして発展したから、切り賃は自然と無くてもよいものになった
そんな変な話じゃないと思うけどな
ルールとしての簡潔さなら純碁が一番かもしれないが、簡潔なものが即ち最も優れているわけでもないし
歴史のあるものが即ち最も優れているわけでもない
言いたいことは分からんでもないけどなんかずれてるかな 荒らしが現れる前の上の方を見ても、結構好き勝手に話してるなあと思う。
ルールというものはできるだけ単純明快なものが好ましいとはいえ、必要とあらばどれだけ難解であっても一向に構わないのである。
幸いにも入門者には純碁という便利なものがあるのだからそれを使って基本を教えれば良い。
小学生はまず算数から始めれば良いのであって、いきなり大学の数学を教える必要はない。
しかし、純碁だけでは上達につれて面倒が多くなるので、地という概念が生まれて、日本ルールや中国ルール等が考案され、切賃も廃れていったわけだ。
そのことを差し置いて難解だからという理由だけで特定のルールを否定するのはナンセンスである。
どのルールにも長所短所があるわけで、基本的な枠組みの優劣など論理性だけで結論付けられるものではない。
ならばそれぞれのルールを尊重しつつ、各々、基本理念を維持しながら細かな整合性の問題を解決する方法について模索することが建設的な議論だといえるだろう。
安易に優劣を付けたがるような意見は主観的であり思慮が浅い。 同一人物の発言を、時系列でピックアップしてみた。
>420 18/01/04(木) 00:20
>例4
>中国ルールでは打っても打たなくても同じで黒の2目勝ち
>眼は黒3白2なので切り賃を入れると黒の1目勝ちで純碁と一致
>424 18/01/05(金) 00:36
>根本的に中国ル−ルが分かっていないんじゃないか?
>地の判定は対局者の合意で決まるのであって第三者が決めるものではない
>同じ盤面でも合意の内容次第で地の判定は変わりうる
>428 18/01/05(金) 01:53
>人間が最後まで打たなくてもコンピュータに代わりに打たせて集計
>433 18/01/06(土) 04:34
>碁会所等ではスマホで盤面の写真を撮って画像認識して手番等を
>入力するだけで終盤の自動化は可能
>435 18/01/06(土) 05:16
>・中国ルールで地や切り賃を決めるのは対局者であってルールで決めるものではない
>440 18/01/06(土) 10:10
>>例5は明らかに中国ルールでは黒25目勝ちで切り賃は2なので切り賃有だと黒23目勝ち
>というのは対局者が囲碁の初心者ではなく手を抜いた場合の話
>>対局者はもう打てないと思っているので切り賃は13で合意される
>というのは対局者が囲碁の初心者で本人なりに最善を尽くした場合
>そもそも例示の段階で合意内容を明示しないから面倒な説明をすることになるw
>453 18/01/06(土) 19:00
>それを埋めるのは俺ではなく対局者(この場合は例を作った貴方)だ
>対局者が合意して決めることなんだから対局者(この場合は例の設定者)にしか分からない
切り賃あり中国ルールに "手を抜いた場合" と "最善を尽くした場合" で
二種類の判定結果があるとかいう全く滑稽な話に、他の誰もツッコミを入れたりして
来なかったことで凄く助かった。
5路盤で切り賃13とか言ってしまったのを、早々に撤回すれば良かったのに
丸々乗っかってみたら、最後には対局者にしか地合が計算できないと言い出した。
なのにコンピュータには判定できると言い続ける。
>498 18/01/08(月) 09:24
>コンピュータがない時代の終盤の処理の簡略化はゲーム性を損なったとしても
今朝になっても、言っていることは全く同じ。
定期的に、"議論を整理すると"、"議論を整理すると"、って書きながら
それまでの他人の話は全く加味されてない、全く同じ内容。
個人的に、正月休みの暇潰しにはなった。 >>502
>そして、あの局面は日本ルールなら終局しているが、中国ルールなら
>黒には右辺のセキの中の欠け目をつなぐ手が残っていて終局していない。
丸一日放置しておいても、全くツッコミが来ないので自ら指摘・訂正しておくと、
これは間違ってる。
相手から、手出しが出来ない所なので、欠け目を継ぐ必要・意味はない。
自陣に一手入れている手と何も変わらないので、あの時点で終局している。
地合計算時に、中国ルールなら1目とはカウントるという内容でした。
しかし、昨日の日中韓囲碁名人戦は酷かったね。
この2015年の棋譜よりも脳内の検索インデックスで高いプライオリティが付いた。 >>500
辞書の通りの用法なんだから仕方がない
普通に読めないのは読む方の問題ではないか?
例えば日本ルールは正しいとか唯一絶対だ等の思い込みが正しく読むことを妨害しているのでは?
碁以外の話なら正しく読めるでしょ
「衣服には防寒の他に防護や装飾、社会的役割等の合理的な理由があり、防寒を損なうデザイン変更にも正当性がある」
「確信犯の本来の意味は義賊やテロリズムなどの自分の信念こそが正しいと強く思って犯す罪のことである」
>「碁のルールには『本来』切賃があった」じゃなくて「『過去』には切賃があった」ならまだわかるけど
今でも純碁や切賃のルールはローカルルールとして存在しているのでそれでは間違いになる
チベットや中国の少数民族等でずっと碁を継承している人々や純碁はどうなるのか?
野球ができてもクリケットは存在していて本来のクリケットは野球ではないので「過去のクリケットには四球がなかった」等とは言えない
言葉の定義の問題を言うのなら野球とクリケットのように切り賃無しルールは別の名前にした方が分かりやすくなるだろう
>>505>>508
貴方は根本的に純碁と中国ルールが分かっていないんだと思う
俺はそれを説明しようとしていて貴方は理解できていないからすれ違いが生じている
一回、日本ルールを頭から消して純碁を打ってみることを勧める
そうすれば例12がありえないことが分かるだろう
そして切り賃の意味も理解できると思う
純碁で最後まで打つ展開が本来の碁の展開であって中国ルールは両者の合意によってそれを省略してるのに過ぎない
だから(中国ルールでは実際には省略して打たないが)判定は最後まで打ちきった(中国ルールでは想定上の、純碁では実際に打ちきった)局面で行われる
故に手を抜いたかどうかや対局者の棋力によって中国ルールでは同じ終局図であっても(地や切り賃の合意を通して)判定は変わり得る
「最後まで打つ」というのがどういうことかというのは実際に純碁を打ってみれば分かる
あと現在はコンピュータがあるので終盤はコンピュータに任せるのが最も便利だ
中国ルールよりも日本ルールよりも遥かに便利で問題も少ない
>>506
俺も切り賃無しルールの誕生が変だとは思っていない
しかし本来の囲碁の簡潔さやゲーム性を損なっているのは事実なのでそれを上回る合理的な理由がないと人には説明できない
もし終盤の処理以外に合理的な理由がないのならコンピュータがある現在では時代遅れのルールになったのではないかと感じる
あとルールの優劣については全ての使用者が楽しめて便利であることが一番
ただし無駄に冗長なのは説明するときに不便であるし初心者にとってもマイナスであるので簡潔さも大切な要素になる
>>507
終盤の面倒さの問題はコンピュータの登場で根本的に解消された
その現状を踏まえた上で意見を聞かせて欲しい >>510
>そうすれば例12がありえないことが分かるだろう
>そして切り賃の意味も理解できると思う
例12の図が有り得ないことを証明して見せなさい。
前にも書いたが、こんなのアマ10級程度の棋力があれば、確実に間違いなくできる図だよ。
客観的に物事を考えられないかな?
例12の図は、複数の人間が見てるはずでしょ。そして、誰も問題視してない。
あの図を見て、"ありえない" と指摘してくる馬鹿は、この世でたったひとり。これが現実。
自分にだけ、囲碁に関するズバ抜けた才能があって、自分だけ気付けたんだとでも思った?
(例13)例11の原図と石を埋めた全体図
●●●●┯┯┯┯┯┯┯┯┯●●〇┯┯┓ ●●●●●●●●●●●●┯●●〇〇┯〇
〇●〇●●〇┼┼┼〇┼┼●●〇┼┼┼┨ 〇●〇●●●●●●●●┼●●〇〇〇〇┨
〇〇〇〇●┼┼┼●●●●●〇〇〇〇〇┨ 〇〇〇〇●●●●●●●●●〇〇〇〇〇〇
┠┼〇〇●●〇〇●●〇〇〇〇●●●〇〇 〇〇〇〇●●●●●●〇〇〇〇●●●〇〇
┠┼┼〇●┼●●●〇〇●〇●●┼●●● 〇〇〇〇●●●●●〇〇〇〇●●┼●●●
┠┼〇〇●●〇〇〇●●┼┼〇●●┼┼● 〇〇〇〇●●〇〇〇〇〇〇〇〇●●●┼●
┠┼┼〇〇〇┼〇┼〇┼〇┼〇〇●●●〇 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●●〇
┠┼┼┼●┼〇┼┼┼〇┼〇〇〇〇●〇〇 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●〇〇
┠┼┼┼┼┼〇〇〇〇┼〇●●●●〇〇┨ 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●●●〇〇┨
●〇●╋┼●〇●〇●〇┼〇●●〇〇〇● 〇〇〇〇〇〇〇●〇●〇〇〇●●〇〇〇●
〇┼〇┼┼〇●●〇●●〇〇●●〇〇●┨ 〇〇〇〇〇〇●●〇●●〇〇●●〇〇●●
┠〇〇〇〇〇●●●●〇┼〇〇●●〇●● 〇〇〇〇〇〇●●●●〇〇〇〇●●〇●●
〇●●〇●〇●●〇〇┼〇●〇●〇〇〇┨ 〇〇〇〇●〇●●〇〇〇〇●〇●〇〇〇┨
〇●〇●●●●〇●〇〇〇●●●〇●〇〇 〇〇〇●●●●●●〇〇〇●●●〇●〇〇
┠┼〇●〇●┼┼●●●〇●〇┼●●〇〇 〇〇〇●〇●●●●●●〇●●●●●〇〇
〇〇〇〇〇●┼┼┼╋┼●●┼┼╋●●〇 〇〇〇〇〇●●●●●●●●●●●●●〇
〇●〇●〇●┼┼┼┼●┼┼┼┼┼┼●〇 〇●〇●〇●●●●●●●●●●●●●〇
●●●●〇●┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●● ●●●●〇●●●●●●●●●●●●●●
┗┷┷┷●┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛ ●●●●●●●●●●●●●●●●┷●┛
やることは、片っ端から石を埋めて行くだけのことだ。端っこにでも2眼残して置けば良いだけ。
井山七冠が熟考しても、アマ10級が無造作に置いても、同じ数にしかならない...難問かな?
(ここでは、対局者しか地合判定できないと主張するような特殊な人種は無視する)
なんで、こんな愚かな単純作業を好んでやりたいの? これは、馬鹿の為に仕方なくやったこと。
左の図では数えられないけど、右の図にしたら数えられるとなったら、本物の幼児の知的レベルだよ。
(問題)ミカン3個とりんご4個で、足して何個ありますか?
って問いに対して、「いやいや、ミカンとりんごは違うもんだから足せない」って答える知能と同等。
とりあえずは、"例12が有り得ない"ってことを、証明してもらおう。
予め断っておくが、例11の左辺だけを取り出した、長方形碁盤での新しい碁だと思った
というような釈明は許されない。その逃げ道しかないのなら、上辺黒石2子がアタリで
放置された状態にあっているのをどう解釈したのかを述べよ。
そういえば、純碁ルールですら打ったことがあるんだったね。
その時、どうやって、形勢判断・目算した? 個人的に行った方法を書いてみて。
なお、中国ルールで囲碁を打っている人たちは、一般にどうやって形勢判断(目算)してるか
を提示する準備はしてある。まずは、そちらの回答を待つ。 >>510
わざとスルーして荒らしてるのか?
本当に人の話しがまったく聞けないお子ちゃまなのか?
もう一度同じことを繰り返し書くから↓の2つについて正面から答えること
>切り賃に慣れていない人にとっては便利だが切り賃に慣れた人にとっては不便なので利点とは言えない
全く逆でも同じことが言える。
いや同じどころか、慣れている人だろうとも切賃により計算過程が一手間増えることは明白であり、
全員にとってなくした方が簡便性の面では便利。
>コンピュータがない時代の終盤の処理の簡略化はゲーム性を損なったとしても皆が便利
対局中の目算や形勢判断は未来永劫対局者の人間がするんだからコンピュータは関係ない。
切賃廃止の
『簡略化はゲーム性を損なったとしても皆が便利』←これおまえ自身が書いている理屈。 >>510
>衣服には防寒の他に防護や装飾、社会的役割等の合理的な理由があり、防寒を損なうデザイン変更にも正当性がある
くらいの説明でいいのなら
日本ルールには終局時の手間を省く他に目算と結果の合致、切り賃算出の手間の廃止、日本の歴史的伝統の尊重等の合理的な理由があり、正当性がある
くらいでいいだろ
もし、上の理由を「正当でない」とか言われても返答に困るだけだよ
一般には十分正当な理由と言える範疇だろう
何度も指摘されてるように、お前の考える「正当」の定義はお前にしか分からんしな 追記ね
>しかし本来の囲碁の簡潔さやゲーム性を損なっているのは事実
そんな事実はない
「本来の囲碁」なるものは存在しないし、「ゲーム性を損なって」もいない
純碁と日本ルール囲碁ではルールが異なるから「ゲーム性が異なる」ことがあってもゲーム性を損ねてはいない
>もし終盤の処理以外に合理的な理由がないのならコンピュータがある現在では時代遅れのルールになったのではないかと感じる
お前がそう思うのならそれでいいんじゃない?
もとより囲碁将棋なんか時代遅れだしな
とは言え囲碁はコンピュータ使わずとも多数対局がなされる事実を差し置いてそんな風に考えるのは俺には理解できんけどな >>511
すまん
部分図だけだったので部分図をいい加減に埋めただけだと勘違いしていた
関係ない話だったので例11は局面すら見ていない
自分で埋めてみれば(真面目にやったのなら)分かったとは思うが念のためにもう一度説明しよう
例13右図が本当に妥当であるかは一々確認していないので分からないがここではどうでもいいので
両対局者がそのように合意しているという設定にする
つまり例13右図が>>436のAに当たって純碁の終局図となる(対局者が手を抜いたらAではないBになるがそれは対局者の自由)
純碁の判定はAの石の数で決まる
切り賃あり中国ルールでも最後まで打ちきるとAとなるのでAを判定すればいいことになる
もちろんAになる(少なくとも地と切り賃について)と両者が合意すれば途中で終局してもいい(例えば例13左図)
終局するのは合意さえすればいつでもよく最後まで打ち切ってもいい(やる・やらないは別としてルール上の権利として認められている)
判定をAで行うというのは中国ルールだけではなく日本ルール(とその亜種)を除く全てのルールで共通している
なので日本ルール以外でルール上の判定の問題を考える時にはAの局面で議論する方が紛れがなく分かりやすい
途中図だけではA(もしくは合意内容)がどうなるかは対局者の棋力に拠ってしまう(初心者同士の対局では例13左図が右図になるとは限らない)
中国ルールではAの石の数の他に地の数も数えるので地の数の分だけ純碁と結果が変わる
ところがAの地(眼)というのは対局者が石を置けない場所であるため本来の石の数という立場で見ると数えてはいけない場所になる
なのでその分(地を確保するのに必要な切り賃)を差っ引くというのが切り賃あり中国ルールであり結果はもちろん純碁と一致する
Aで考えてみれば純碁と切り賃あり中国ルールが(終盤の省略を除いて)同じものであるであることが誰にでも分かるし
切り賃も棋力に拠らずに誰にでも理解できる(昔はみんなが使っていたものなんだから理解するのに棋力がいるわけない)
以上の話は俺の意見だとかそういうことではなく中国ルール、純碁、切り賃についての基本的な説明だ
ここまで理解できれば>>418がいかにおかしいことを書いていたかが理解できるだろう
形勢判断の話は何度も書いているように話がずれるのでやらない
スレ違いなので純碁スレででもやって欲しい つーかそもそも、コンピュータによる終局処理の簡略化ってなに?ゲームの本質・勝敗とはなんの関わりもない整地作業のことか?
コンピュータがなかった時代からも切賃あり日本ルールで打つことは容易だったし(実際にローカルで打たれていたわけで)、終局処理が特段面倒だったともまったく考えられないんだが。
とまあ、こいつの話は持ち出してくる前提からしておかしいし、その前提から始まる論理もおかしい。
そして導き出す結論、解決案もまったくの的外れ。
叩く前から埃が浮き出ているきったねー布団みたいなやつ。 >>512
麻雀やポーカーで基本的な役を減らす等、本来のゲームの要素を減らすことはゲーム性を損なうものとして基本的にはよくないことであり
それを上回る合理的な理由がないと正当化できないのが普通だ
なので棋士や研究家で>>512のような主張をしている人は一人もいない
もちろん簡単なゲームの方がいいという意見を持つのは個人の自由だが
そういう人はドンジャラやワンポーカーや五目並べをやっていればいい >>516
>コンピュータがなかった時代からも切賃あり日本ルールで打つことは容易だったし(実際にローカルで打たれていたわけで)、終局処理が特段面倒だったともまったく考えられないんだが。
おれもそう思うしずっとそう言っているんだが納得しない人が多い
やったことがない人がほとんどだから勝手に難しいという印象を持っているんだろうな
いずれにしても切り賃を廃止する合理的な理由は今のところ誰からも出ていない ただ現在の日本ルールに整合するように切り賃を組み込むのは大変にはなると思う
それは切り賃の問題ではなく日本ルールの問題だが >>518
おい、突然コンピュータだなんだと言い出したのはおまえだろw
そしてここまできて未だに
>いずれにしても切り賃を廃止する合理的な理由は今のところ誰からも出ていない
ってw
>>517
棋士や研究家でオフィシャルルールに切賃を主張している人誰がいるんだよ?
だいたい切賃のない今の日本中国の囲碁規約は棋士や研究家が作ってんだぞ
>>515
切賃が必要だという話しこそ純碁ありきの偏った発想だろ
国際ルールの提起は数あれど切賃採用などほとんどなく完全に時代遅れ
スレ違いなので純碁スレででもやって欲しい >>518
>いずれにしても切り賃を廃止する合理的な理由は今のところ誰からも出ていない
513: 2018/01/11(木) 02:28:08.77 ID:mAg1oTzK(1/2)調 AAS
>>510
>衣服には防寒の他に防護や装飾、社会的役割等の合理的な理由があり、防寒を損なうデザイン変更にも正当性がある
くらいの説明でいいのなら
日本ルールには終局時の手間を省く他に目算と結果の合致、切り賃算出の手間の廃止、日本の歴史的伝統の尊重等の合理的な理由があり、正当性がある
くらいでいいだろ
もし、上の理由を「正当でない」とか言われても返答に困るだけだよ
一般には十分正当な理由と言える範疇だろう
何度も指摘されてるように、お前の考える「正当」の定義はお前にしか分からんしな 今さらだけど、正当な理由がなければルールを変えてはならない、というスタートからして間違ってるんだけどな
人工的なルール変更と自然的なルール変更を混同してる
将棋は、日本に象戯が伝来してから数えきれないルール変更がプレイヤーの間で繰り返されて現代の形に至ったと考えられる
その過程で「合理性」だの「正当性」だのをいちいち考える人はいないしそれを現代の価値観で合理的だの正当だの批評するのも意味がない
これはサッカーでもラグビーでも同じ
近現代に至って、何か権威のある人がプレイヤー全体にルール変更を強要するというのならそのルール変更に合理性が必要というのは分かる
囲碁でのコミの導入やコミの変更、将棋の千日手の規定、ラグビーの点数配分の変更などなど
しかし、何か統一機関があるわけでもなく市井の人間が自由に行ったルール変更は他者にルール変更を強要するものではないから本質的に合理性など必要ない
今流行ってるチェス、将棋、囲碁はそういう他のルールとの競争に打ち勝ったから尊重されてるに過ぎないとも言える
そして、現代のその判断は「正当な理由がないとルール変更はしない」というお前の主張とも合致する、最も自然な判断
当たり前だが、いちいち過去のルールの変更を遡って新たに人工的に手を入れようとするのはよほどの理由がない限り非合理的 言葉の定義は本来一意に定まっているはずである。
話が噛み合わないのは言葉の定義に問題があるからではなく、別のところに問題がある。
「正当性」だの「合理的」だのは、馬鹿が使うには非常に便利な言葉だが、
重要なことは前提条件だったり判断基準とする物事によってその答えは異なる可能性があるということだ。
ゲーム性(面白さ)か?簡便性か?歴史か?緻密さか?経済か?倫理か?流行か?等々、重きを置くのがどれかによって答えは違う。
ゲームのルールは数学や物理のように何か1つの絶対的な正解が存在するわけじゃない。
だから形勢判断が面倒だとか歴史的な意義というのだって、立場によっては十分に正当で合理的な理由だ。
どの立場を選ぶかは個人の主観に依らざるをえず、こっちは認めるがそっちは認めない!というのはただのわがまま。
そして最終的には、時代に即してもっとも大衆に支持されるルールというものを自然淘汰や民主主義により決めることになる。
囲碁の場合は棋院が最高議決機関の役割を担っており様々な意見を集約して規約を制定しているわけだ。
すべては純碁に合わせなければならないというのはおまえ個人やごく少数の意見でしかない。
「本来は〜」といったって元々あった過去が是というわけではない。
人間は本来ただの動物だったから難しい六法を燃やして火も電気も捨てて野性的な生活に戻るのが正当な生き方だと言ってるようなものだ。 中国ルールでの目算の仕方を考えてみる。
計算を始める前に、用語を次の様に定義した。
(黒着手)・・・黒の着手数、すなわち黒番が盤上に石を打った回数
(黒領域)・・・中国ルールで定義される黒の生存圏数
(黒生石)・・・盤上にある生きている黒石数
(黒死石)・・・盤上にある死んでいる黒石数
(黒空地)・・・黒の生きた石が囲っている目数
(黒ハマ)・・・白番によって盤上から取り除かれた黒石数
(総ダメ)・・・盤上のダメの総数
(黒地合)・・・日本ルールで定義される黒の目数
(白に関しては、黒/白を入れ替えれば同等)
まず、中国ルールの定義に基づくと領域は、それぞれ
(黒領域)=(黒生石)+(黒空地)+(総ダメ)/2 ・・・・・・・・・・(式1-1)
(白領域)=(白生石)+(白空地)+(総ダメ)/2 ・・・・・・・・・・(式1-2)
と表現される。最後の項のダメは交互に詰めていくので総ダメ数の半分が自分のもの。
なお、日本ルールの定義に基づく地合は、それぞれ
(黒地合)=(黒空地)+(白死石)+(白ハマ) ・・・・・・・・・・・・・・(式2-1)
(白地合)=(白空地)+(黒死石)+(黒ハマ) ・・・・・・・・・・・・・・(式2-2)
と表されるのは周知のとおり。
(式1) の1項の盤上の生きている石は、そのまま数えれば良い。
(式1) の2項の空地の数え方も日本ルールと同じ。
そして難題は、(式1) の3項の(総ダメ)をどう数えるか。
序盤なんかだと、ダメらしき個所は200か所以上ありそう、というか
ダメと言って良いものか識別できないような個所が沢山あり過ぎて、とても
まともな精度で数えられそうにはない。
既に閃いた人も多いかもしれないが、領域に関しては絶対数を知る必要はない。
結局のところ、相手の領域との差さえ解れば十分。
そこで、(式1-1) - (式1-2) の領域差を求めて見ると
(領域差)=(黒領域)−(白領域)
=(黒生石)+(黒空地)−(白生石)−(白空地) ・・・・・・・(式3)
となって、(総ダメ)の項が相殺されて消える。
これで、ダメの総数を数える必要が無くなった。
石数が少ない間はこれで良いが、(生石) は数が増えてくると、数えるのが一気に
大変になってくる。なお、(空地) は塊で存在するので断然計数しやすい。
そこで、以下の関係を使って(式3)の変形を試みる。(生石) の項を消去したい。
(黒着手)=(黒生石)+(黒死石)+(黒ハマ) ・・・・・・・・・・・・(式4-1)
(白着手)=(白生石)+(白死石)+(白ハマ) ・・・・・・・・・・・・(式4-2)
この意味は、1回の着手で1個の石を打つ訳だから、石には3種類あるが、
その総和は着手数に一致しているという関係を表している。(式4)を
(黒生石)=(黒着手)−(黒死石)−(黒ハマ) ・・・・・・・・・・・・(式4-1')
(白生石)=(白着手)−(白死石)−(白ハマ) ・・・・・・・・・・・・(式4-2')
と変形して(式3)に代入する。すると、
(領域差)={(黒着手)-(黒死石)-(黒ハマ)}+(黒空地)-{(白着手)-(白死石)-(白ハマ)}-(白空地)
={(黒空地)+(白死石)+(白ハマ)}-{(白空地)+(黒死石)+(黒ハマ)}+{(黒着手)-(白着手)}
が得られた。ここで、まず、末尾の項の黒と白の着手差は交互に打つから0または1。
そして、最初の項は、(式2-1)に、第2項は (式2-2) に一致している。よって、
(黒領域)−(白領域)=(黒地合)−(白地合)+ [0,1] ・・・・・・・・(式5)
の関係式にたどり着いた。この式の意味は、
(中国ルールでの領域差)=(日本ルールでの地合差)+ [0,1] ・・・・・・(式5')
ということで、どちらの定義に基づいて計算しても高々1目の差しか出ない。
よって、中国ルールで打つ人の殆どは、日本式の地合差で計算し形勢判断しいる。
なお、9路の様な狭い碁盤だと、(式1-2)を使うのが一般に簡単で楽。 >>515
>関係ない話だったので例11は局面すら見ていない
何も見ずに終局がどうのこうの騒いでたのか。
棋譜を見る能力が無いから関係が分からないんだけどね。
切り賃 あり/なし で勝敗結果の変わる棋譜を選んでるし、
日本ルールと中国ルールにも影響するのに、何が関係ない話なんだか。
>念のためにもう一度説明しよう
あれだけ指摘してやっても、まだAだのBだの言ってるし。
全く同じ無意味なことを書き続けられるって気持ち悪いね。
そんな特殊な欠陥が備わっているから、中国ルールで無意味に
地の中を埋めて行く作業も平気で出来るんだろうなと思う。
そんな暇があったら、例10や例5'でも考えて見たらどうだ?
例5と同じ結果しか出ないことが分かっていて解けないのか。
恥の上塗りを、どこまで重ねて行けば気が済むんだ。 >>520
コンピュータの発展で状況が変わったということは事実として認識した方がいい
もし仮に切り賃が面倒だという意見を認めたとしても(終盤の処理要素が増えることは確かなので)
今は状況が根本的に変わったのでその理由は成立しなくなったという事実を指摘している
>>523
俺が言ってもいないことを妄想するのはやめた方がいいぞ
一つの答えを求めているわけではなく切り賃廃止について現状で合理的な理由が何か一つでもあるのなら教えてくれと言っている
自分が考える合理的な理由でいい
>>525
他人を誹謗中傷するのはやめた方がいい
相手にされなくなるぞ
切り賃の有無で勝敗が変わる例なんてみんな知っているんだから今更持ち出す必要はない
例11を持ち出して何を聞きたいのかを明確にしないから見る必要はないと思われる
>全く同じ無意味なことを書き続けられるって気持ち悪いね。
中国ルールや純碁の基礎知識についてこれだけ説明して意味が分からないというのは大丈夫か?
中国ルールや純碁をやっている人なら小学生でも知っていることだぞ
分かっていない貴方のためにわざわざ説明しているんだが >>526
>>512、>>516に書かれているとおり
コンピュータの発展で状況は何も変わってないことは事実として認識した方がいい
切り賃廃止の合理的な理由もおまえがレスしている文中にはっきり書いてあるし他にも散々説明されている
みんな言っていることを言ってないかのように妄想スルーするのはやめたほうがいいぞ
おまえと話してると毎日タイムリープが起こってるのかとマジで錯覚するw いくら言われても持論を曲げない根性は称賛したい
ふつうここまで四面楚歌だと諦めて議論を取り下げるもんだ
そうしない根性だけは大したもの
議論は全く噛み合ってないが >>528
議論しているのではなく現状における切り賃廃止の理由を知っている人はいないかと聞いているだけだからな
基礎知識がない人に基本的な事実や状況の説明はしているが俺自身の主張はしていない
今のところは知っている人は誰もいないようだがその内に現れるかもしれないので気長に待とう なにをいまさらトンチンカンなことを言ってるんだか
こいつに答えるわけじゃなくて整理のために書いておくが、
碁が地を数えるゲームになった時点で眼も地として数えるようになったことは容易に想像がつく
切賃は純碁との結果合わせのための後付であり蛇足
そう考えると、元々切賃なんてものはなかったかもしれない
まあそんなことはタイムマシンに乗って当時に戻ってみなければわからない
とにかく地の碁にとって切賃は不自然な異物なのだから排除するのは当然だろう ↑べつにこんなことは碁を知っている人ならば簡単に思いつくことなのに
ドヤ顔で「知っている人が誰もいない」は片腹痛い メイエンの意見を紹介しておこう
メイエンは進化論の立場を取っているが理由としては地が便利で切り賃が面倒になったからだと言っている
もちろん面倒になったからと言って辞めていいものでもないし、そこまで面倒なものでもないが
いずれにしてもコンピュータの発展によって成立しなくなった理由である
以下、「王銘エンの囲碁ミステリーツアー」から引用
中国ルール「私たちのずっと年上の兄弟たちも、みんな母親が《石》だったわけだな」
(中略)
中国ルール「しかし、父上。《地》があやふやな存在なのは確かです。対局者双方が『これが《地》だ』と認めたものが《地》なのですよね?
対局者の想像の産物だといってもいいではありませんか。そんなあやふやなものの数を数えて、ゲームといえますか?」
(中略)
常連客「《地》は美しい以前に、便利だった」
(中略)
メイ探偵「は、はい。…では、ルールの生い立ちの続きを話していきましょう。
強くなって、地で碁を考えるようになった人々は、こんどは『切賃』がカッタルイと思うようになってきた。
終局したとき、石がいくつに分かれているか、いちいち数えるのが面倒だ。なにより、それは《地》と関係ない話だからな。
そして、『切賃』を辞めることにして…」
日本ルール「私が生まれたのか!」
(中略)
メイ探偵「人々が『切賃』を捨てて《日本ルール》が誕生した瞬間に、ゲ−ムの目的が『石の数』から『地を囲う』ことに変わったんだね」
小太郎「それって、大変な瞬間ですよね!?」
メイ探偵「そう。人々は『切賃』が単なる盲腸のように見えて、邪魔だなあと思えてきて捨てただけなんだけど、意味としては、ものすごく大きなものを捨てているよね。
《石》というゲームの目的を捨てた」 >>529 議論しているのではなく現状における切り賃廃止の理由を知っている人はいないかと聞いているだけだからな
おいおい、それは「俺が納得する」理由を聞いているだけだろう
そんなの永遠に現れるわけないよ >>530
>切賃は純碁との結果合わせのための後付であり蛇足
>そう考えると、元々切賃なんてものはなかったかもしれない
根拠のない独自説を語られても困るw >>533
>おいおい、それは「俺が納得する」理由を聞いているだけだろう
そんなことは誰も聞いていない
そもそも他人に説明するための理由を探しているんだから俺だけが納得する理由では意味ないだろ
一般に認められるかはともかく自分が考える理由を書いてくれればいい >>534
いや、>>530は独自説でもなんでもなく、>>532の話しを簡潔にまとめただけなんだが
そんでミステリーツアー読んでも理由がわからないっていうなら
>>533のいうとおり「自分が納得できないから却下」してるだけだからな
それと、コンピュータの発展とこの話がどう関係しているのが教えてくれませんかね?
終局処理って具体的になんのことを言っているのですか?
コンピュータで簡略化できるって具体的になにをコンピュータにやってもらうのですか?
そしてそのことがどういう繋がりで切賃ルール復活の利点になるのですか?
囲碁を知らない人にも教えるくらいのつもりで【具体的に】【丁寧に】説明してください。
うわべだけで中身のない反論はもういりません。 >もちろん面倒になったからと言って辞めていいものでもないし、そこまで面倒なものでもないが
>いずれにしてもコンピュータの発展によって成立しなくなった理由である
この時点でおかしい
面倒なものをやめるのは極めて合理的な判断
あなたにとっては面倒なものをやめないのが合理的なのか?
あるいは、面倒なものをやめるのは合理的ではないのか?
加えて、コンピューターが出てきたところで碁を打つのは人間だし、コンピューターを使わない対局も至るところで楽しまれてる
コンピューターがないと楽しめなくなるようならそれは非合理的
こんな感じのこと何回も指摘されてるのに的を射た返答はひとつもないよね >>529
なぜ、自分が散々間違ったことを書き続けて、混乱させたことを訂正しないんだ。
謝罪として >>515『すまん』ってレベルではない。適切な言葉を自分で考えて謝罪せよ。
(1)中国ルールでは、勝敗判定をするのは対局者同士。ならば、
(1-1)終盤のコンピュータによる判定の自動化は不可能。
(1-2)対局者でもないのに >>420 例1〜4の勝敗判定を行ったのは間違いだった。
(1-3)切り賃13なんて全く意味の無い話をしてしまった。
(2)切り賃あり中国ルールは、ダメ,空地があるまま終局させることが不可能。だから、
(2-1)切り賃あり中国ルールは、純碁の様に全ての地を埋めなくてはならず、
切り賃あり中国ルールと純碁を別物かの様に扱って混乱させた。
(2-2)地を埋めるのは非常に面倒臭い作業ではあるが、原理的に
それ以外の解決方法が無いので我慢してやるしかない。
(3)切り賃あり中国ルールでの終局図。としては、
(3-1)例13の右図のような実戦終局図になってしまう。
左図だったら、「これは井山七冠が白で打っていたな」なんて、
思い出す人がいる可能性もあるが、右図では不可能だし無意味な汚い図だ。
出発点として、ここに書いてあることを全て認めてもらうこと。
そうしないと、議論は一向に進展しないという事だ。
矛盾した独善的な全く同じ事を、今後も書き続けたいのか? >>537
面倒でもやらなくてはいけないことならやらなくてはならない
「面倒だから」は一般的には通用しない
もちろん面倒で意味のないことならやらなくてもいいが
この場合はゲームの結果が変わってしまうことがあるのだから意味のある作業だ
「面倒だからあなたの負けにします」と言われて納得できる人がいるだろうか?
>コンピューターがないと楽しめなくなるようならそれは非合理的
切り賃を入れても少し終局時の作業が増えるだけで何も問題はない
昔はずっとそうやってきたのだからコンピュータがなくても切り賃制ルールで十分に楽しめる
コンピュータがある場合(ほとんどの対局の場合)には終局処理をコンピュータに任せるのが楽で合理的で問題が少ない
互いに「そろそろ」と合意してコンピュータにかければ一瞬で結果が出てくる
どうしてそうなったのかもコンピュータに記録されていて質問すれば明確な答えが返ってくる
判定ソフトは各団体に公認されていて文句を言う人もいない(という状況が技術的に可能)
この現状においては終局処理が楽というのはルールの利点にはならなくなった
この状況の変化は認識しておいた方がいい 結果が変わるのは純碁と比較した場合だけだろ
じゃあコミはいいのか?
碁が生まれてから前世紀までの数千年どの碁のルールにもコミなんて存在しなかった
黒番白番の戦略がまるで変わってしまうほど勝敗に影響するし、
6.5という設定が公平かどうかもわからないし、
囲碁用語にまでなっている持碁も否定している
コミはそれこそ本来の碁のあり方やゲーム性におおいに反するルールじゃないか
実際コミ導入当初に反対した棋士も複数いた
コミによる諸々の簡略化は認めるけど切賃廃止のそれは許さないというならば
そんな判断は主観的かつダブルスタンダードだと言わざるをえない >>537
>加えて、コンピューターが出てきたところで碁を打つのは人間だし、コンピューターを使わない対局も至るところで楽しまれてる
>コンピューターがないと楽しめなくなるようならそれは非合理的
それは微妙にずれているよ。
たとえネット対局だろうとなんだろうと、コンピュータによる簡略化など実際にはありえない幻想だ。
対局者自身がコンピュータを使って何かを任せられるのは
双方が合意をして完全に決着した終局後のことだけ。
終局前にコンピュータを使うなど言語道断だ。
しかし終局後のこととなれば、終局前のことであるルール・ゲームの話の完全に蚊帳の外。
整地なんて切賃の有無にかかわらずやってもやらなくてもどうでもいいし、整地しなければ勝敗が分からないわけもない。
コンピュータの話はこいつのまやかしで切賃とは露程の関係もないので完全に無視した方がいい。 >>538
相手に謝罪を要求するのならまずは自分の間違いを謝罪するべきでは?
軽い表現ではあるが少なくともこちらは間違いについては全て訂正して謝罪している
>(1)中国ルールでは、勝敗判定をするのは対局者同士。ならば、
> (1-1)終盤のコンピュータによる判定の自動化は不可能。
現状の中国ルールそのままでは不可能(中国ル−ルの欠点)
もちろん純碁であれば可能(利点)
ただしコンピュータで判定することに対する同意を終局条件に加えるルール改正をすれば中国ルールでも判定が可能になる
> (1-2)対局者でもないのに >>420 例1〜4の勝敗判定を行ったのは間違いだった。
合意内容が明示されていなかったので合意内容を仮定した場合の勝敗判定を書いている
仮定の部分を読み飛ばしているんじゃないか?
> (1-3)切り賃13なんて全く意味の無い話をしてしまった。
例に即した話をしているので貴方の作った例が意味なかったんだよね?
>(2)切り賃あり中国ルールは、ダメ,空地があるまま終局させることが不可能。だから、
両者の合意があれば可能だよ
連続パスで合意して終局になる
> (2-1)切り賃あり中国ルールは、純碁の様に全ての地を埋めなくてはならず、
> 切り賃あり中国ルールと純碁を別物かの様に扱って混乱させた。
終盤の省略ができるかどうかが両者の違い
最善を尽くせば判定は同じになる
> (2-2)地を埋めるのは非常に面倒臭い作業ではあるが、原理的に
> それ以外の解決方法が無いので我慢してやるしかない。
中国ルールでは合意で終盤が省略できるのでそんなことやる人はほとんどいないでしょ
純碁でもほとんど投了して終わりになるので最後まで打つのは初心者くらい
現在ならコンピュータにかければいいだけなので面倒な作業でもなくなった
>(3)切り賃あり中国ルールでの終局図。としては、
> (3-1)例13の右図のような実戦終局図になってしまう。
純碁と判定の比較をする場合には右図の方が紛れがなくて分かりやすいと言っている
純碁の終局図が本来は右図になるというのはもう理解しているんだよね?(左図で純碁の判定をするなんて馬鹿げたことを貴方は書いていたけど)
> 左図だったら、「これは井山七冠が白で打っていたな」なんて、
> 思い出す人がいる可能性もあるが、右図では不可能だし無意味な汚い図だ。
井山は純碁や切り賃ありルールで打っていたわけじゃないからな
実勢例だとしても適切ではないでしょ >>542
>> (1-2)対局者でもないのに >>420 例1〜4の勝敗判定を行ったのは間違いだった。
>合意内容が明示されていなかったので合意内容を仮定した場合の勝敗判定を書いている
>> (1-3)切り賃13なんて全く意味の無い話をしてしまった。
>例に即した話をしているので貴方の作った例が意味なかったんだよね?
合意内容を仮定すれば、基本的に配当できるんだね。
歩調を合わせて、こちらも、同じことをもう一回書いてみよう。
これは、貴方が切り賃の事を正しく理解しているかどうかを
再確認するため再三回答を求めてきた問題である。
下に再掲したように、例5に対して複数に場合分けして、
切り賃あり中国ルールでの判定結果を示した事実がある。
同様の判定を、例5', 例10の棋譜でも示して欲しいというもの。
前提条件が足りなくて解けないとするなら、自ら仮定するか、
こちらに確認するかなりして、確実に回答して欲しい。
なお、純碁ルールなら全棋譜黒12目勝、現行中国ルールなら全棋譜黒25目勝、
現行日本ルールなら例5黒13目勝、例5'黒22目勝、例10黒26目勝。
当然、前提条件・対局者の意志など全く関係なく一意に確定している。
>421
>(例5)白は全てパス
> ┏●┯●┓
> ●┼●┼● (コミ無し、アゲハマ 0-0)
> ┠●┼●┨
> ●┼●┼●
> ┗●┷●┛
>>445
>例5で最善を尽くした場合には
>A:切り賃13-0、黒12目勝ち(合意数)
>
>例5で手を抜いた場合には切り賃有り中国ルールではAで判定、純碁ではBで判定
>A:切り賃2-0、黒23目勝ち(合意数)
>B:黒12目勝ち(石の数)
>>462
>(例5')白全滅して終局(末尾にsgfデータ)
> ┏●┯●┓
> ●┼●┼● (コミ無し、アゲハマ 13-4)
> ┠●┼●┨
> ●┼●┼●
> ┗●┷●┛
>(例10)白全滅して終局(末尾にsgfデータ)
> ┏┯●┯┓
> ┠●●●┨ (コミ無し、アゲハマ 13-0)
> ●●┼●●
> ┠●●●┨
> ┗┷●┷┛
- 例5'のsgfデータ -- (再掲)
(;SZ[5]KM[0.0]RU[Chinese]RE[UN];B[cd];W[db];B[ba];W[ae];B[dc];W[ec];B[ed];W[cc]
;B[eb];W[ca];B[bc];W[bb];B[ab];W[aa];B[da];W[ea];B[cb];W[bd];B[be];W[ac]
;B[da];W[ce];B[ba];W[ee];B[ab];W[dd];B[de];W[];B[ad];W[];B[be]C[END])
-- 例10のsgfデータ -- (再掲)
(;SZ[5]KM[0.0]RU[Chinese]RE[UN];B[db];W[cc];B[bd];W[de];B[bc];W[ed];B[dc];W[ba]
;B[dd];W[ad];B[bb];W[da];B[ac];W[be];B[cd];W[ae];B[ec];W[ee];B[ce];W[ab]
;B[cb];W[aa];B[];W[eb];B[];W[ea];B[ca]C[END]) >>>479
>>純碁ルール, 現行中国ルール, 日本ルールでの形勢判断は出来ている。
>だったら切り賃あり中国ルールは純碁と同じだよ
>現行中国ルールとの差が切り賃になる
切り賃が、結果論でしか求まらないものだと誤解している節がある。
だから、切り賃13とか意味不明な数字が出てくる。
あと、最初の頃に出題してスルーされた未解決の問題があった。
切り賃を正しく理解しているかの確認に重要なのでこれも答えてもらおう。
>>>421
>>例1
>>眼は黒1白4なので切り賃は3で切り賃を入れると持碁となって純碁と一致する
>どういう計算かな? では、次図の形で終局したら、純碁ルールなら
>盤面ジゴなのは直ぐに分かるが、中国ルールでの地合は? 切り賃の計算は?
>(例7)
> ┏〇〇〇┓
> 〇●●●┨
> ●┼┼┼●
> 〇●●●┨
> ┗〇〇〇┛
これも、>>543 と同様に、前提条件が足りなければ、自ら仮定するか、
こちらに確認するかなりして、確実に回答して欲しい。 >>544
横やりだけど、民主党のつまらないクイズ国会質疑を見ているみたい。
前提条件の足りない失題を出さずに、
「僕が思う切り賃の定義は、こう。反論あるか?」
と書けばいいだけじゃないの? >>543
それが最善を尽くした終局図だという設定なら切り賃ありの場合には純碁と一致する
これは原理的に一致するので終局図には拠らない
これは「切り賃」という言葉の定義がそうなっている
中国ルールの結果を純碁に合わせるための補正項が「切り賃」だからな
黒が手を抜いて本来は純碁で2眼まで埋められるのに途中で終局したという場合には
例5と同じになる(日本ルール以外はハマ関係ないので同じ)
>>544
>切り賃が、結果論でしか求まらないものだと誤解している節がある。
貴方が独自に定義している「切り賃」という言葉の意味を説明しないと誰にも理解できないと思う
いずれにしても貴方が独自に考えている「切り賃」というものは今議論されている一般的な切り賃とは別のものだ
例7はもういいだろ >>544
横から悪いが、計算方法を確認するだけならはじめからわかりやすい最善の変化図を示して結果をみせればいいでしょ?
おまえがやっているのは詰碁を出題して遊んでるだけ
その例題が本当に終局しているのかもすぐにはわからない
そもそも、最善の変化図はコミによっても変わってしまう可能性がある >>546
>例7はもういいだろ
切り賃を正しく理解できないのがどちから決着を付けよう。
絶対に、回答して欲しい。
例7が正しく回答できたら、切り賃を正しく理解できる方向に近づく。
>>542
>(左図で純碁の判定をするなんて馬鹿げたことを貴方は書いていたけど)
どこも馬鹿げた話ではないが?
純碁というのは、地を囲ってすらなくても任意の局面で勝敗判定可能。
純碁が考案された意義すら理解できていないのかな?
>>>479
>>純碁ルール, 現行中国ルール, 日本ルールでの形勢判断は出来ている。
>だったら切り賃あり中国ルールは純碁と同じだよ
>現行中国ルールとの差が切り賃になる
地を埋めてない局面で、何が同じだと思っているんだか?
馬鹿げたことを書いているのは、どっちでしょう。 >>548
横やりだけど、民主党のつまらないクイズ国会質疑を見ているみたい。
前提条件の足りない失題を出さずに、
「僕が思う切り賃の定義は、こう。反論あるか?」
と書けばいいだけじゃないの? >>548
>切り賃を正しく理解できないのがどちから決着を付けよう。
それは最初から貴方だということで決着がついているからもういいわ
最初に間違ったことを書いて引くに引けなくなったのは分かるけどこれではスレが荒れてしまう
「切り賃」について知りたい人は各自ググってくれ
簡単にはこの辺を見れば分かるだろう
http://qitailang.small.jp/go/rule/kirichin/
http://igo-rairai.com/kiritin/ >>547
>その例題が本当に終局しているのかもすぐにはわからない
>そもそも、最善の変化図はコミによっても変わってしまう可能性がある
こちらの疑問も全く同じ。終局してない局面なのだから、一意に結果が定まると
するのも不自然だし、切り賃など求められないだろうというのが、こちらの主張だ。
ところが、下に示すように例1の局面で意味不明な回答してきた。
では、簡単に話の流れを振り返ってあげよう。
>>>418
>切り賃があると、直感的に理解しがたい結果になる、4例を考えて見る。
>(例1)繋がった黒8石と繋がっていない白8石
> ┏〇┯〇┓ (コミなし、アゲハマなし)
> 〇●●●〇
> ┠●┼●┨
> 〇●●●〇
> ┗〇┷〇┛
過去に、この図に対して、
>>>420
>>例1
>>純碁では持碁になる
>>黒がパスせずに打ち続けていれば黒の勝ちになるが何らかの理由で引き分けにしたかったんだろう
>>
>>中国ルールでは普通は白の地を巡って争いになるので終局せずに打ち続ける局面だが
>>黒が何らかの理由で負けたかったんだろうということで白の3目勝ち
>>眼は黒1白4なので切り賃は3で切り賃を入れると持碁となって純碁と一致する
と回答してきている。
なぜ、この終局してない例1の局面で回答できたのに、例7は答えられないのか聞いている
>>420 の間違いを訂正しないままだから、こういう展開になっている。
>>432 >(1)ダメが空いていたら、まともに切り賃が評価できないって意見は無かった?
という指摘に対して、
>>435 >(1)と(2)は切り賃を決めるのは対局者なので質問が成立しない
とも回答してきている。
この言い分が理解できるのなら、是非とも第三者の見解が知りたい。 >>551
>こちらの疑問も全く同じ。終局してない局面なのだから、一意に結果が定まると
>するのも不自然だし、切り賃など求められないだろうというのが、こちらの主張だ。
中国ルールでは対局者の合意で決まると説明している
合意して終局している以上は第三者が決めることはない
言葉が足りなくて理解できていないのなら言葉を足そう
>中国ルールでは普通は白の地を巡って争いになるので終局せずに打ち続ける局面だが
>黒が何らかの理由で負けたかったんだろうということで白の3目勝ち(に設定されている、例示の際に「中国ルール 白3目勝ち」の指定がある)
>(合意されている地の中にある)眼は黒1白4なので切り賃は3で(そのまま合意されているとすると)切り賃を入れると持碁となって純碁と(当然)一致する >>552
>純碁と(当然)一致する
だから、ここが誤解しているところ。
あの局面は純碁ルール上、最後まで打ち切った局面になっていない。
打ち切っていない、局面で『当然一致』は間違っている。
前に >>431 例6'で純碁でも最後まで打たなくて終局するのも自由と書いたら
その後やたらと、その表現を多用しているようだが?
そこで、純碁と切り賃あり中国ルールの結果が一致しない場合の説明もしている。
だから、図11の判定に関しても、再掲すると
>>>479
>>純碁ルール, 現行中国ルール, 日本ルールでの形勢判断は出来ている。
>だったら切り賃あり中国ルールは純碁と同じだよ
>現行中国ルールとの差が切り賃になる
こういう間違ったことを言う事になる。
さっさと、例7に回答して話を次に進めよう。 >>551
んーまあ気持ちはわかるが、アホってことでいいんじゃねw
┏〇┯〇┓ (コミなし、アゲハマなし)
〇●●●〇
┠●┼●┨
〇●●●〇
┗〇┷〇┛
これは終局でいいんじゃね?
純碁なら8:8で引き分け
中国ルールなら黒目あり白目なしで白全滅でしょ?
>>552
とんでもなく勘違いしてるけど、
終局が合意によって決まるから第三者が口をはさむべきじゃないのと、
地や勝敗の判定は別問題だろ
地や勝敗の判定は第三者が客観的にやらなきゃだめに決まってる
>何らかの理由で負けたかった
ってなんじゃそりゃw そもそも、切賃が純碁の結果にあわせるためのものだといっても、
それはあくまで最後まで最善手を打ち続けた場合の仮定の話であって、
所詮純碁と他の碁は終局の定義、死活判定等あらゆる面で別物だ
だから、地の碁を純碁の結果にあわせようという発想からしてもとより無理難題であり、
切賃はやはり無用の長物 >>539
黒白入れ替えて公平性に配慮しつつ決着が付くまで何局も続けるのが面倒だからコミを導入してやめたように、
「面倒だ」という理由は、「勝敗が入れ替わる」以上に意味のある重要な理由になる。
>「面倒だからあなたの負けにします」と言われて納得できる人がいるだろうか?
現代の碁打ちはまさしく皆それに納得しているんだ。
そしてそもそも切賃廃止の動機は終局処理じゃないんだけどwww
そこの前提からしておかしい(ちなみにメイエンの説は形勢判断だからな)
よってその後に続く「コンピュータで状況が変わった」って必至に繰り返しているのも完全に論外
あんたの話がどんだけおかしいか比喩してあげよう
A「(コンピュータにより)終局処理が簡単になった」
B「だから切賃廃止の理由はなくなった」
というのは、
A「人はテレビをみるようになった」
B「だからパンを食べる理由はなくなった」
くらいにまるで繋がりが意味不明www
その繋がりを【具体的に】【丁寧に】説明できないなら
もう終局処理とかコンピュータの状況変化とかいうのは全部無視な >>556
あー重要なことなので訂正するが、
切賃廃止の理由は形勢判断もあるけど、
やはり地の導入こそが一番の本質。
---------------------------------------------
>>532
・・・なにより、
そ れ は 《 地 》 と 関 係 な い 話 だ か ら な 。
そして、『切賃』を辞めることにして…
日本ルール「私が生まれたのか!」
---------------------------------------------
メイエンの説で重要なのはこの、
《地》とは関係ない話。の部分だぞ。
そして終局処理の話なんか終始一言も出てきていない。
自分が引用している文すらまともに読んでいないと分かる。 >>553
>あの局面は純碁ルール上、最後まで打ち切った局面になっていない。
それが理解できたのはよかった
それを最後まで打ちきった局面だと無理やり設定した例にするのは意味ないだろ
>打ち切っていない、局面で『当然一致』は間違っている。
打ちきった局面だと無理やり仮定するとそうなるという話だ
図11も同様
>前に >>431 例6'で純碁でも最後まで打たなくて終局するのも自由と書いたら
それは自由だと何度も言っているが(Bの局面)
それで違和感のある結果が出るとしても対局者の意思でそうしているのだから何も問題ないだろ?
最初から「純碁で最後まで打ち切らずに終局した場合に切り賃と一致しない判定となるのが問題」と書いてくれればよかった
それなら「切り賃は最後まで打ちきった場合の結果に合わせるものであり途中で終わらせたら一致しないが何か問題が?」で終わっていた
>>554
>地や勝敗の判定は第三者が客観的にやらなきゃだめに決まってる
それは中国ルールではないな
>>555
それだと地を争う囲碁は碁ではない別のゲームということになってしまう
切り賃があるから碁の系統だという主張ができているわけであって
ルールとして切り賃は重要だというのはみんな一致している
>>556
>現代の碁打ちはまさしく皆それに納得しているんだ。
その理由を聞いているんだがな
普通の理性的な人は納得しないので
>そしてそもそも切賃廃止の動機は終局処理じゃないんだけどwww
メイエンも「終局したとき、石がいくつに分かれているか、いちいち数えるのが面倒だ」と言っているのだが
終局処理以外で何の理由があるんだろう?
>>557
もちろんそこが一番大事でメイエンは(石から地への)進化論を取っていると最初に書いている
問題なのは進化論では切り賃廃止の理由を客観的に説明できずに(自己問答の中で地が美しいから便利だからという理由では説明できないと悟って)
終局処理が面倒だからという理由にして説明しているというところ
進化論を取るメイエンですら説明できていないので誰か知っている人はいないかと聞いている つまり地が大事と考えるようになったというのはあくまでも戦術レベルの話なんだな
将棋で例えると飛車が大事だと考えるのと同じ
飛車を可愛がるのは自由なんだが可愛がるあまりに飛車を取られたら負けというルールに変えてしまうのはおかしい
メイエンの例えで言うと地は美女だったので古女房の石を捨てて美女と結婚したという話になるが
男の心情は分かるとしても合理的に正当化できる話ではない
それで古女房は面倒な性格等と(理由にもならない)別の理由を持ち出すことになってしまう
しかも戦術レベルの話は技術が進歩するとどんどん変わっていく
強いコンピュータ将棋ができると飛車はそれほど大事じゃないということになる
アルファ碁は細かい地を計算しなくても圧倒的に強いという状況になっている
人間は地に拘りすぎたがために技術的な進歩が止まっていたわけだ 石がいくつに分かれているか考えるのは終局処理だけではないぞ。
そして計算も同じだが、整地で数えるのは一回きりなので元から面倒だとは考えられない。
切賃による計算や戦略を面倒だと思うのは、整地以外の時間の方がずっと長い。
メイエンも形勢判断こそが原因だと書いている。 地の概念は戦術が目的なのではなく、それこそ終局処理を目的としたものだぞ。
地の概念をルール化しないとどうなるか説明してやろう。
肝心なことは、ルールに地の導入なくしては、>>511左図の状態での終局は基本的に絶対不可能だということ。
なぜならば、地のルールがない純碁では空地はポイントとして一切認めていない。
(対局者がポイントを望んでいないというのならば話は別だが)
対局者はいかなる理由があろうとも、対局者自身の手によって、紛うことなく>>511右図の状態まで打ち終えなければならない。
・たとえ左図の状態からだろうとも、最後に一箇所くらい打ち忘れて空地が残ったまま終局してしまうかもしれない。
・あるいは、自分の眼に誤って石を埋めてしまい次の瞬間すべて打ち上げられてしまうかもしれない。
だから、わかりきったことだろうと、息途絶えようとも、途中からコンピュータの力を借りて簡略化することなど許されない。
ルール変更無くしてそれを容認することは、いわば終局前の代打ち容認と同義であり、
ゆくゆくはヨセもわかりきった一本道だから、
引いては、神からみれば初手からわかりきった一本道だから、
じゃあコンピュータに全部任せて簡略化しようなどという結論になりかねない、アホな発想だ。
しかし、そうは言っても、>>511右図まで打つことなどあまりにもバカバカしい。
そこで、そのような面倒を省けるように終局を、>>511左図の状態に簡略化できるものがあるとすれば、
それはコンピュータなどによってではなく、ルールによる制度化のみである。
ルールによって地の概念を定めない限り、コンピュータ含め誰からみても空地は地ではなく、正体不明の空地のままだ。
そもそも、まず始めにルールが存在するのであって、コンピュータは後からそのルールを入力しただけの道具にすぎない。
結局のところ、>>511右図から左図への簡略化にはコンピュータなんて糞の役にも立たず、
ルール上での地の導入こそが必要不可欠だ。
地の導入無くしてこの問題を解決するための妙案を俺は知らないし、
おそらく今の今まで誰にも分からなかったからこそ、今でも地が続いている。 >>560
メイエンは「終局したとき、石がいくつに分かれているか、いちいち数えるのが面倒だ」と書いている
形勢判断の便利さではルールを変える合理的な理由にはならないと分かっているんだよ
メイエンの意見はともかくいずれにしても面倒だというのは理由にならないんだな
>>561
地が大事なのは形勢判断のためでしょ
メイエンもそうだしほとんどの人はそう考えている
両者合意による終盤の省略をルール化すれば地を定義しなくても切り賃あり中国ルールに相当する純碁ルールは作成可能
終盤の省略の手法のオプションとしてコンピュータ処理(要は強くて公平な打ち手による代打ちと集計)を用意することも可能
自然碁ルールでも拡張ルールのオプションとして導入しようと考えている
コミなどのハンデもそうだが重要なのは両対局者が合意していることであって合意内容ではないんだな
両対局者が納得して楽しく遊べるのならコンピュータを使うことも何も問題はない >コミなどのハンデもそうだが重要なのは両対局者が合意していることであって合意内容ではないんだな
>両対局者が納得して楽しく遊べるのならコンピュータを使うことも何も問題はない
おまえここに来て初めてまともなことを言ったな!
(ただし、実際に主張していることは全部これに矛盾してるんだがw) >>563
言っておくがゲームとしては両対局者の合意だけでいいが
社会的に認められるには社会的な合意が必要でそれには合理的な理由が必要になる
例えば極端な例としてジャンケンで負けた方が投了するという合意をして実行してもゲームとしては何も問題がない
しかし棋戦でそんなことをやったら社会的に問題になるしタイトルをジャンケンで決めたら大事になる
(囲碁のタイトルではなくジャンケンのタイトルになってしまう)
切り賃の話は社会的な方の話だからな こいつの主張の「合理的」ってのは結局なんなんだ?
「(ルール変更が)何らかの理由で必須」くらいの意味で使ってるとしか思えんけど
そんな理由でしかルールを変えてはいけないなんてのは、復古主義とか伝統主義とか保守派とか伝統に訴える誤謬とかの類いだから
個人的な思想にするのは勝手だけどそれを他人に押し付けないでね
「合理的」は「理にかなっているさま」
「手間をはぶくためにルールを変更する」は合理的とも言えるし合理的でないとも言える(普通は合理的と言うが)
別に、切り賃の廃止が必須のルール変更だなんて思ってるやつはいないよ
それを認めたらそれで満足なのか? あと、将棋で飛車が王に〜とか言ってるけど
歴史的には将棋は王将が詰んだらそれで勝ち、じゃなくて王将と太子を詰まさないと勝ちにならないとか多用なバリエーションと歴史があるからね
もともとは取った駒は使えなかったし、囲碁とは比べ物にならないほどルール変更は繰り返されてる
浅い知識で喩え話使うと無知がばれるよ >>565
仮に「手間をはぶくため」というのが昔は成立していたとしても今はコンピュータがあるので成立しなくなったという話なんだ
現代人や将来の人に説明した時に「コンピュータで処理することだから手間でも何でもありませんよね?」って聞き返されて返答できない
だから他に現在でも通用する合理的な理由を誰か知らないかと聞いている
それから「そんな理由でしかルールを変えてはいけない」なんて言っていない
一般的には合理的な理由がないとルール変更は社会的に認められないので合理的な理由がないと説明できないと言っている
もし仮に合理的な理由がないとすると(ここまで誰も知らないのだからその可能性が高い)いくつかの可能性が考えられる
・切り賃無しルールはコンピュータがない時代に流行った一時的なルールである
・切り賃無しルールは碁の本流ではなく別の流れに属する別のゲームである
・切り賃無しルールは碁とは別の新しく創作されたゲームである
などなど
俺は別にそれが悪いことだとは思っていないのだが
悪いことだと思っている人が揚げ足を取ろうとしたり荒らしたりしているんじゃないかと思う >>566
本将棋はチェスやチャトランガや沖縄将棋等とは別のゲームとして区別しているだろ
チェスと将棋は棋戦も違うしタイトルも違うし団体も違う
囲碁もそうしていたら何も問題はなかった >>564
切賃なしが社会的に認められていないだってさw
切賃ありの公式タイトル戦なんてあったっけ?
それとも、こいつの「社会」っていうのは自分だけの社会なのかな?
社会に認められるのが正しいことを前提にするなら、切賃なしこそ現代では正しい
切賃有りを主張したいなら、社会に認められていても正しいとは限らないと批判しなければならない >>567
おまえが混同していることがひとつわかった
おまえは切賃というよりも、純碁そのものを推奨したいわけだ?
純碁を打とうという前提の元で、合意さえあればコンピュータを使ってもかまわないと、そういうことだな
でなければ終局処理の件はまったく結びつかない
囲碁の結果判定は、陸上競技がマシンを使わなければ測定不能なのと違って
本来整地すら必要とせず終局図のみによって人間が計算可能である。
実際に整地に関してルールは一切規定しておらず、切賃についても例外ではない。
つまり囲碁というゲームにおいて、終局後の整地や計算というのは蚊帳の外の出来事だ
その蚊帳の外の出来事の変化が逆にルールの側を変更する要因にはなるとはまったく考えられない。 >>569
「切賃なしが社会的に認められていない」なんて誰も言ってないだろ
認められているからこそ合理的な理由があると一般の人は考えるのでその理由を説明しなくてはならないわけだが
俺には思いつかないので誰か教えてくれと言っている >>570
俺の意見は関係なく純碁が本来の碁であるというのが一般的な説なんだな
それに沿って説明しようとすると切り賃廃止の部分の説明が現状ではできないので
誰か現代でも通用する合理的な理由を知っていたら教えてくれと言っている
俺の意見は書いていないのに俺の意見を変に忖度しようとするから変な解釈になるんじゃないか >>571-572
何から何まで思い込みと妄想だから余計なことは言わない。
肝心なことだけ一つ忠告しておこう。
切賃というのは、碁が地のゲームであることを認めて始めて成り立つ概念だ。
つまり、切賃を導入したからといって、碁が地のゲームであることを否定することにはならない。
碁が地のゲームであることを否定するならばもはや純碁しかないのであり、
純碁には切賃なんてものはそもそも存在しない。 >>573
切り賃は導入されたものではなく廃止されたものなんだ こいつに倣って道化を演じてみるか
じゃあ、碁が存在する理由、あるいはなぜ碁を打つのか理由を説明して欲しい
言っとくが、面白いからなどという理由では合理的な理由として社会には認められない
もっとやむを得ない事情でなければ皆が碁を打つようになった理由にはならない
人間は本来碁なんて打ってなかったのだから、
合理的な理由がなければ碁を打つようになった要因とはいえない >>574
それはわからないぞ。
歴史というものはあくまで推測だからな。
しかし、切賃が導入されたものなのか、廃止されたものなのか、そんなのは些細な問題。
いずれにせよ、切賃は地の概念を前提にした上で始めて成り立つ概念。
切賃を廃止しようが復活させようが、「切賃」などという発想からして既に地を数えることを前提としている。 >>576
だから一般的な定説なんだよ
俺はそれが正しいと言っているのではなく
定説に沿って説明しようとした時に切り賃廃止の理由が説明つかないので困っているわけ こいつのいう「皆に合理的に説明したい」っていうのは、
「宇宙に生命が存在することを合理的に説明したい」っていうのと変わらない
いくら言っても「それでは合理的とは言えない」という反論ができてしまう
「合理的」の定義を自分でし直す以外はナンセンスな問いだ。
それにはいつも「辞書の通り」といって逃げているしな
もうそんな問いかけはやめておけ >>567
現代最も流行っているルールを特段の理由もなく変更するのが非合理的なのは明らかだから
今のまま切り賃なし日本ルールで打つのは合理的
これで満足か?じゃあ
これで満足しないのがお前の「合理的」観なんじゃないの?
お前の「合理的」はとにかく何を指してるのか場合によってコロコロ変わってるから理解不能なんだよ
「手間をはぶくためにルールを変更するのは、プレー時間短縮のためには合理的だ」と言うことはできるが
「手間をはぶくためだけにルールを変更するのは、過去の対局との整合性を考えれば非合理的だ」とも言える
何を目的に見るかで何が「合理的」かは変わる
ここまで言えば少しは分かるだろ
お前の言う「合理的」は何の観点から見た「合理的」なの?
ゲームとしての完全性、ルールの簡潔さ、プレイングのしやすさ、伝統、いろんな観点があるだろ
そこをはぐらかしてばっかりだから何も話が進まない >>578
>いくら言っても「それでは合理的とは言えない」という反論ができてしまう
そういうことは一つでも理由を挙げてから言ってくれるかな?
教えて欲しいと言っているだけなんだが現状では明らかに成立してない「面倒だから」以外に一つも回答がない >>579
つまり現在では合理的な理由は失われたが慣習的に残っているルールだということね
俺もその可能性はあると思っている
言葉遊びには興味がないしスレが荒れるだけだからやめた方がいいと思う >>582
……それ以外になにがあると思ってるんだ?
それで結論になるならそれでいいわ
この話はもうここで終わりで良いよな?
俺たちが碁を打ってるのは過去の歴史があるからに他ならない
馬鹿げた議論だなほんと >>582
「言葉遊びには興味がないしスレが荒れるだけだからやめた方がいいと思う」
はそっくりそのままお前の顔面に叩きつけたいけどな
ほんと馬鹿らしい >>583
>……それ以外になにがあると思ってるんだ?
俺には思いつかないから誰か知っている人はいないかと聞いているんだが
もし思いつく人がいたら書いて欲しいってだけだ もしかしてこの人
囲碁は本来純碁だが、あるときある理由で切り賃廃止などの変更を取らざるを得なくなった
現代に至るまで、本来は純碁であるもののその理由の為にずっと切り賃は廃止されたままになっている
みたいな考え方してんのかね?
会話が通じんのも当然な気がしてきた >>577
だから地を数えるようになったから切賃は意味がなくなったって何度も言ってるだろ
碁盤で見えている『 ┼ 』の部分を1つ2つ3つ…って数えてみろよ
そこに突然、目に見えない切賃くんがイェ〜イ!って参上して勝手に足したり引いたりするのは不自然だろ
メイエンはお前みたいな特別なバカにまで読まれることを想定してないから面倒だ〜で済ませてるが、
これこそが「面倒」の正体だよ
しかしこいつのせいで、切賃くんもとんだ汚名を背負ったもんだぜ。
名誉挽回のためにフォローしておくか。
もしも碁は地ではなく石だって主張したいなら、切賃ではなくて純碁を叫ぶべきだ。
切賃はあくまで地を前提にした上でのうわべだけの辻褄あわせであって、
結局のところ地を数えることに他ならない。
そうではなくて地を認めつつも日本・中国ルール+切賃を主張したいなら、
賢い奴ならコンピュータだの本来は純碁だのとわけのわからない話はせずに、
「石を切る」というゲームの戦略性をシンプルに主張する。
だいいち切賃の命名由来はそれなんだしな。 >>562
>両者合意による終盤の省略をルール化すれば地を定義しなくても切り賃あり中国ルールに相当する純碁ルールは作成可能
>終盤の省略の手法のオプションとしてコンピュータ処理(要は強くて公平な打ち手による代打ちと集計)を用意することも可能
終盤の定義はどうするんだ?小ヨセか?大ヨセか?
それは結局は地を定義することとほとんど同じじゃないのか?
代打ちするのがアルファ碁だったら、俺なら初手からパスしてアルファ碁に任せるぞw
きっと相手も同じだ
>自然碁ルールでも拡張ルールのオプションとして導入しようと考えている
悪いが自然碁でググっても出てこないんだが、自然碁ってなんだっけ? >>558
>>>553
>>あの局面は純碁ルール上、最後まで打ち切った局面になっていない。
>それが理解できたのはよかった
誰目線の話をしているのか分からない。
例1は、そもそも終局していない、
"あんな局面では切り賃の算定の方法が無いでしょう"
という意味で出題している。
>>打ち切っていない、局面で『当然一致』は間違っている。
>打ちきった局面だと無理やり仮定するとそうなるという話だ
>図11も同様
『打ちきった局面だと無理やり仮定する』というのは何のことか。
例11で言えば、例13の右図の仮定しているという事?
純碁と切り賃あり中国ルールの結果が一緒と言っているからには、
それしか考えれないが。
それなら、例1で『打ちきった局面だと無理やり仮定する』とは
どういう局面なのかな?
その仮定した局面を示して欲しい。
例9にも示したように、終局していなかったら、切り賃が求められない
という問題点には、まだ気づいてないのかな?
例7を回答できないのは、これに気付いてるからでも無いのかな?
繰り返すが、例7の勝敗判定を待つ。 ここでは、例5'例10の経緯を振り返っておこう。
当初、例5を回答できた理由として、以下の様に答えていた。
>>457
>>>454
>そりゃどんな風に手を抜いたのかは対局者(例の作成者)にしか分からないからな
>例5では全て黒の地で手を抜いた場合という設定の指定があったから設定通りに書いただけだ
勝敗判定するには、終局図だけでは無理で、どんな風に手を抜いたかが分からなければ
判定しようが無いと回答してきた。
これを踏まえて、例5'例10では棋譜を付けて見た。
そしたら、どんな風に応じてどこで手を抜いたかも確実に分かるだろう。すると、
>>464
>>>462
>>では、棋譜があれば、"最善を尽くした場合" と "手を抜いた場合" の両方が
>>求められるってことかな?
>どうしてそうなるw
>設定の話は設定者にしか分からない
>ここで俺が設定しても意味がないだろ
と反論して回答を拒んできていた。
しかしながら、例5'例10に関して一週間待たされて、やっと得られた回答を見てみると
>>546
>黒が手を抜いて本来は純碁で2眼まで埋められるのに途中で終局したという場合には
>例5と同じになる(日本ルール以外はハマ関係ないので同じ)
『どんな風に手を抜いたのか』は、全く関係なく同じ結果になると言っている。
先の主張は何だったのだろう。設定者の設定の話とは何のことだったのか。
「では、終局図が同じで、『どんな風に手を抜いたのか』で結果の変わる碁形とは?」
と言う風に、核心を突いた疑問を投げかけることを予想して、回答を拒否していたのだ。
そもそも、『設定の話は設定者にしか分からない』として、目算が出来ないとするなら、
スマホで写真を撮ってコンピュータで勝敗判定なんで出来る筈も無い。
そして、相手を物凄く基本的なことが分かっていないと馬鹿にしながら、
議論が進展することを拒否して、全く同じ自己主張を繰り返してきている。 >>586
ニュアンスは違うが基本的にはそれが定説になっている
俺の意見を知りたい人が多いみたいなので書いておく(これは私見であって俺の質問とは関係ないし話がずれるのでレスも不用)
本来の碁の一つが石の数であったのは否定しようがないと思う(ただし包囲ゲーム系の囲碁もあってどこかで混ざったのではないか)
しかし日本の囲碁は碁ではなく地を争う別のゲームになっている
定説のように日本の囲碁を碁だと言い張るのは無理があるのではないか
切り賃のない日本の囲碁は進化というよりは碁から分かれて新しく生まれたゲームなんだと思う(故に合理的な理由は必要ない)
囲碁式にあるように日本の囲碁は鎌倉時代からある
根拠はないが切り賃は最初から伝達ミスで伝わっていないのではないか
文化が伝わる時に正しく伝達されず新しい文化が生まれたということではないか
日本の囲碁は大陸の碁ではなく900年以上の歴史を持つ日本の伝統文化なんだと思う
しかし日本人は本来の碁でないものを碁だとずっと勘違いしていたために言葉や認識に混乱が生じていて変な定説ができたのではないか
チェスと将棋、クリケットと野球、サッカーとラクビーとアメフトのように区別して取り扱えば混乱はなくなると思う
>>588
もちろん終局は両者の合意で決める
片方が勝手に決めることはできない
自然碁についてはこのスレを読んでくれ
>>589
「貴方がそれが理解できたのはよかった」と言っている
何の注釈もなしに最後まで打ちきっていない局面を純碁の終局図例にして石を数えているから貴方が理解できていないと思われたんだ
(しかも明らかに切り賃も中国ルールも知らない書き方だったから純碁も知らないと思われた)
だから散々説明してきたわけで
貴方が打ちきっていない局面を「打ちきった局面だと無理やり仮定」(貴方は無理な仮定だと気付いていない)して終局図例にしていた
だからその仮定に基づいて説明した
最初から分かっていたというのなら書き方が悪いとしか言えない
>例9にも示したように、終局していなかったら、切り賃が求められない
何度も繰り返すように中国ルールなんだから切り賃は対局者の合意で決められる
合意がなければ終局できない(最後まで合意できなければ最後まで打ちきるしかない)
例7の勝敗判定も対局者の合意で決まるのだから例の設定者である貴方が設定しなければならないことだ
この話は貴方が中国ルールを理解できるまでは堂々巡りになるのでここで打ち切る
>>590
>これを踏まえて、例5'例10では棋譜を付けて見た。
>そしたら、どんな風に応じてどこで手を抜いたかも確実に分かるだろう。すると、
「手を抜く」というのは純碁で最後まで打ちきる前に手を抜いてパスして終局するという意味だ
だから設定としては純碁で最後まで打ちきった場合の棋譜を提示してその何手目でパスをして終局したかを示さないと
最低でも純碁で手を抜いて終局した場合の終局図と打ちきった場合の終局図(もしくは中国ルールでの地と切り賃の合意内容)を設定する必要がある
純碁が理解できたのならこれも理解できるようになったはずなのでこの話もここで打ち切る
>そもそも、『設定の話は設定者にしか分からない』として、目算が出来ないとするなら、
>スマホで写真を撮ってコンピュータで勝敗判定なんで出来る筈も無い。
もちろん現在の中国ルールでは不可能だ
ルールを拡張すれば可能になるという話 >>591
>もちろん終局は両者の合意で決める
>片方が勝手に決めることはできない
いや、それについては反論してないよ。
こっちが問題にしているのは、自分よりも強い打ち手に代打ちしてもらえるなら、
きっと初手から両者パスして終局に合意して、あとはAI同士の対戦が始まってしまうだろうということだ。 隅のマガリ四目が劫尽くしの手入れをしなくても無条件死であるという(『ルールでそうなるから』ではなく碁の基礎的原理から導かれる)論理的根拠について、
一般的な死石が地に手を入れて打ち上げる必要がないのと同じだという回答を目にするが、それでは答えになっていない。
なぜなら、ここでの問いはそもそも「打ち上げる」ことではなくて、「死活の確定」だからだ。
一般的な死石とマガリ四目の大きな違いは、
一般的な死石はその盤面の状態で明示的に死が確定しているが、
マガリ四目は劫尽くしの手入れをした盤面になって始めて明示的に死が確定するのであり、それまではやはりセキだと言える。
あるいはこの件の説明に純碁を持ち出す人も多いが、純碁はあくまで石の数を争う別のゲームの話であって、日本ルールは地の数を争うゲームだ。
だったら日本ルールでは、劫尽くしはそれこそ地の多少にかかわる重大な問題なのだから、手入れを必須にさせるべきだという回答は十分可能だ。
日本ルールが複雑になっている真の原因は、マガリ四目は無条件死であるという歴史的慣習あるいは他のルールとの整合性を無理に合わせようという発想から生じているのであり、
いっそのこと日本ルールは日本ルールとして独自の路線を割り切って突き進んでしまえば、問題は解決されるのではないか。 >>592
それはそれで問題ないだろう
ジャンケンで勝敗を決めるのと同じだ
終局後の処理は棋譜としては残らないわけだし初手終局や投了は現状のルールでもできるわけだし
>>593
>いっそのこと日本ルールは日本ルールとして独自の路線を割り切って突き進んでしまえば、問題は解決されるのではないか。
俺もそう思うんだけどな >>594でジャンケンと同じと書いたが終局処理で乱数が入るのはまずいから
対局者が知っているかは別にして終局時点で勝敗は決まっているな >>594
おまえは囲碁をまったく棋譜が残らずにじゃんけんで決まるような糞ゲーにしたいのかよ >>591
>貴方が打ちきっていない局面を「打ちきった局面だと無理やり仮定」
>(貴方は無理な仮定だと気付いていない)して終局図例にしていた
だから、純碁ルールでも、現行中国ルールでも、何の問題もなく勝敗判定出来るんだよ。
客観的に、終局してるとかしてないとか何にも関係ない。
対局者同士が合意すれば終局できるわけで、他にルール上の制約は何もない。
繰り返すが、初心者に下手な碁を打つなと言っても仕方ないだろう。
どんな碁形だろうが、客観的に一意な勝敗判定が出来なければルールとして成立していない。
最初から、ダメが空いているような局面だと、まともに切り賃が算定できないのでは?
を指摘しているのだ。そもそもが、そういう目的の例示なんだよ。
そこに、
『打ちきった局面だと無理やり仮定』
したら、解決できるとか言い出している。
中国ルールに切り賃を持ち込むのが『合理的』って主張じゃなかったのか?
『無理やり仮定』
って意味不明な屁理屈を捏ねてまで切り賃を持ち込んで、どこに合理性があるのか。
>例7の勝敗判定も対局者の合意で決まるのだから例の設定者である
>貴方が設定しなければならないことだ
そう言うなら、なぜ例1は答えられたのか?
では、例7の局面はコンピュータでの自動勝敗判定も無理だと認めるのか? >>590
>ニュアンスは違うが基本的にはそれが定説になっている
その時点で認識が大きく間違っている
どこにそんな定説があるのか?
メイエンの著書を正しく理解していればそんな認識はとらない
お前は人工的なルールの変遷と自然なルールの変遷の違いを全く理解してないよ
将棋だろうがチェスだろうがなんだろうが、そのゲームが初めて生まれたときから今と同じ駒の動きだったと考えてるやつはいない
今と違う駒の動きから、色々なルールの変更が個人個人の間でなされ、のちにその中のルールひとつが生き残っただけ
その中に「やむを得ない理由」みたいなものは存在しない
囲碁のルールの変遷も同じ話
このスレにいるお前以外の連中は、「面倒くさいから」以上の「やむを得ない絶対的な理由」なんか存在しないことは常識として知ってるんだよ
お前はそれを知らないから話が根本から噛み合ってないだけだと思う >>598は>>591あて
ちなみに、「切り賃は最初から伝達ミスで伝わっていないのではないか 」は有り得ない
日本でも戦前まで地方によっては切り賃ありのルールは残っていたと言われる
長い歴史があれば地域差が生まれるのもごく自然なこと
切り賃を廃止する人がいれば廃止しない人もいる
このあたりもメイエンの著書に書いてあるはずなのに 純碁は「本来の囲碁」じゃなくて「古代の、現代の囲碁の基となった囲碁に似たゲーム」な
現代で「囲碁」と言った場合は中国ルールにせよ日本ルールにせよ、地を数えるし切り賃は存在しない
純碁が現代の囲碁とは違うルール違うゲームであることは誰も否定してない
「本来」には「それが当たり前であること。道理であること」という意味が含まれるので不適な表現
前にも指摘されてるのに 切賃廃止の理由は何だって何度もしつこく尋ねているけど、
一方で、コンピュータで廃止の理由はなくなった(つまりそれが理由だった)
って暗に自問自答しているんだが、何が言いたいんだ?
他にも、中国ルールでは地や死活は対局者の合意で決まるから第三者にはわからないと言っておきながら、
いざ例題を出されると自分の勝手な推測でここは地この石は活きだと答えている
切賃は復活すべきだという意志を見せておきながら、地については否定的
地を否定しつつ切賃を復活すると、純碁+切賃という謎のルールになる
一行書くごとにすべてが矛盾していてマジで滅茶苦茶だぞ
脳味噌が液状化してなきゃこんなおぞましい文章書くの絶対ムリだわ
>>600
「本来」には「元来」という意味もあるから、その意図で使うなら間違ってはいないな
>>593
日本囲碁ルールの変遷は如仏の判決とか呉・高川の一手劫とか現代とは違うものまでかなりたくさんあるけど
マガリ四目だけはずっと無条件死だったか誰か知ってる?
現代でも違和感持っている人は多いし、過去には劫ダテ残ってたらセキだってルールはなかったのかな これだけ皆が切賃なんかいらない合理的な理由を出してるのに、なんなんだこの人は
もう「切賃について語ろう」かなんかのスレでも立てて、そこで独自理論でも語ってくれ
>>601
おれも日本ルールで隅のマガリ4目が他の場所とか関係なく無条件死ってのは不思議
あらかじめコウ材を消せない時もあるのに、納得がいかない
だれか納得のいく理由教えてくれ 取らず三目や一方取りが放置したままだとセキになるんだから
曲がり四目も劫仕掛けずに放置したら本来ならセキのはずだ
http://goxi.jp/diary/47443
を見れば分かるように、近代までは全局死活論が支持を得ていた時期もあった。
なのに、曲がり四目だけはいつの時代も無条件死(部分死活論)だったというのであれば奇妙な話だ。
せめて論争の一つくらいは過去に起こっていても不思議ではないのに、そういう記事も見つからない。 >>604
なかなかおもしろい記事だった
サンクス
記事にもあったけど、死活をいちいち規則で決めにゃならんこと自体が不自然だよな >>597
「客観的に一意な勝敗判定」に拘っているようだけど
中国ルールでは対局者の合意で決まるのだから「客観的に一意な勝敗判定」は存在しない
これは切り賃の有無には関係ない
初心者同士で打っていても判定に有段者を呼んでこなくてもいいのが中国ルールの強みでもある
また全ての局面で「客観的に一意な勝敗判定」が必要かというとゲームとしては必要ではない
最後まで打ちきった局面さえ客観的に判定できればいい
対局者の合意で途中で終局するのは自由であり
その時の勝敗は直接的に合意で決めてもいいしコンピュータの代打ちで決めてもいい
>>598
定説というか通説なのでメイエンを含めてどこでも書いてあることだぞ
「自然なルールの変遷」ではゲームが大きく変わったら分岐して別のゲームになるんだが囲碁はそうなっていない
ここがポイントだ
クリケットが変化して野球になったという時にクリケットと野球は別のゲームになる
クリケットが進化して野球になったから野球のことをクリケットと呼ぼうとしたらルール変更の理由が必要になる
>>599
切り賃は後から日本に伝わってきたんじゃないか
切り賃の廃止するかはゲームの目的が変わってゲームの根幹に関わることなのでローカルルールの範疇に収まることではない
>>600
>純碁が現代の囲碁とは違うルール違うゲームであることは誰も否定してない
おいおいw棋院を始めとしてほとんどの碁打ちがみんな否定していることだぞ
「囲碁は本来の碁ではない」とか「元来、囲碁は碁ではない」等というのは一般的には認められていない
もちろん「純碁式判定が本来(元来)の碁を再現したものではない」という主張も認められないからな
>>601
そこまで読めていないのは読解力の問題だな
>>602
合理的な理由は一つも出ていない
それどころか理由がないのは常識だという人まで現れているがw >>606
>対局者の合意で途中で終局するのは自由であり
>その時の勝敗は直接的に合意で決めてもいい
>>>420
>>例1
>>純碁では持碁になる
>>
>>黒が何らかの理由で負けたかったんだろうということで白の3目勝ち
>>眼は黒1白4なので切り賃は3で切り賃を入れると持碁となって純碁と一致する
>>>435
>>もう少し分かりやすく>>421の例5で説明すると
>>初心者が手残りしてこうなったしよう
>>その場合は対局者はもう打てないと思っているので切り賃は13で合意される
>>(傍から見て違うと言っても仕方ない)
今まで他人の対局結果に関して、判定を断言してきたのは何だったのか。
>初心者同士で打っていても判定に有段者を呼んでこなくてもいいのが中国ルールの強みでもある
>また全ての局面で「客観的に一意な勝敗判定」が必要かというとゲームとしては必要ではない
純碁ルール、現行中国ルールは、任意の局面で一意に勝敗判定が可能。
切り賃あり中国ルールのどこが合理的? 現行ルールよりも、完全に劣化してる。
現行中国ルールに切り賃を導入すると、日本ルールよりも質が悪くなるって事は認めるか?
>コンピュータの代打ちで決めてもいい
例7を純碁ルールでコンピュータ判定させてジゴという結果が出なければ明らかな間違い。
例7を現行中国ルールでコンピュータ判定させて黒1目勝という結果が出なければ明らかな間違い。
では、例7を切り賃あり中国ルールでコンピュータ判定させた結果は?
予め断っておくが、対局者同士は終局してると思っているので手番は存在しない。 今月5日の段階で
>>>432
>>(1)ダメが空いていたら、まともに切り賃が評価できないって意見は無かった?
と指摘していたのだが、それに、何と答えたか覚えているか?
>>606
>最後まで打ちきった局面さえ客観的に判定できればいい
発言内容に、全く一貫性が無い事には気付いているのか?
全部を読み直して、猛省して欲しい。 さて、これを読んでいる皆さん、突然ですが国語の授業の時間です。
次の三行について詳しく読解してみましょう。
----------------------------------------------------------------
>>606より引用
>全ての局面で「客観的に一意な勝敗判定」が必要かというとゲームとしては必要ではない
>最後まで打ちきった局面さえ客観的に 【判定】 できればいい
>対局者の合意で途中で終局するのは自由
----------------------------------------------------------------
ここで注目すべきは、ニ行目の文中の【判定】の対象についてです。
これがもし、"勝敗"のことを指しているのであれば、一行目に書かれている内容と、完全に矛盾してしまいます。
かといって、"打ち切っているかどうか"を指しているのであれば、今度は三行目に書かれている内容と、またまた完全に矛盾してしまいます。
このようにして、私が>>601で
>一行書くごとにすべてが矛盾していてマジで滅茶苦茶だぞ
>脳味噌が液状化してなきゃこんなおぞましい文章書くの絶対ムリだわ
と指摘したとおり、まさしくこいつの文章は滅茶苦茶になっているのです。
…なのに、
>>606
>そこまで読めていないのは読解力の問題だな
と、他人の読解力のせいにするとは噴飯物ですね! >>609について補足。
一行目にある「"全て"の局面」という言葉が、
「"終局した全て"の局面」という意味なのか、
それとも、
「"終局していないものも含めたあらゆる全て"の局面」
という意味なのかでも、微妙に変わってきますね。
もしも後者の意味で用いているのであれば、一行目と二行目は、
たとえ【判定】の対象が"勝敗"であったとしても、矛盾はしていません。
しかし一方で、三行目では、
「終局は対局者の合意で決まる」
とも書いてあります。
ということは、それは実質的に
「"終局した全て"の局面」と「"終局していないものも含めたあらゆる全て"の局面」
の区別が元から無意味なことを示しています。
そうなると、今度は一行目と三行目が矛盾することになるのです。 あのね
このスレ見てる人は「面倒だからルールを変えるのは合理的でない」って主張を見てどう思う?
普通の碁打ちは「囲碁を馬鹿にしてる」と思うはずなんだよ
でもこのスレで暴れてる人は「もっと正当な理由があるはず」と思ってるのね
後者のような理由が存在しないのは、少しルールに詳しい碁打ちなら誰でも知ってること
だから「非合理的だ」って主張に反発する
ここで暴れてる人はそれを知らないから、自分が何で反発されてるかすら理解してないんじゃないかね >>611
>>361あたりからの流れを見ればそんなんじゃないことくらいすぐわかるはずだが…
暴れてる奴はこの論議を始める前にもコンピュータスレで部門制とか珍妙な話をはじめてスレの殆どが埋まって
それがdat落ちしたから隔離スレのこっちに移ってきただけだ >>612
根本的に議論が噛み合ってないのはそうとしか考えられないから仕方ない
実際、「面倒だから」以上の何かやむを得ない絶対的な理由がルールの変更にあったのかというと
そんなことを思ってるやつは他にいないだろ
暴れてるやつは何故かその絶対的な理由を追い求めてる様子だから
前提となる認識が全くずれてるんだよ
こいつの提示した議題に従えば、
「囲碁のルールの変更には、(こいつの定義では)合理的な理由はない」で終わり
良いも悪いもない、それだけで終わり
良いだの悪いだの言い出したら無視するよりない ちなみに、現実問題としてこいつは良いだの悪いだのに言及してるので、
それが不当な主張だと指摘してもなお同様の主張を繰り返すのなら無視するよりないと思う >>613
「理由はない」って言われるのと「面倒だから」ってのと、たいして違わんだろ
あと、対局者が合意するならコンピュータが代打ちして勝敗を決めようとかも言ってるぞ >>615
そのへんはとってつけた理屈だろうから論ずるに値しないと思う
とにかく根本的なスタートラインが間違ってるから上に積み上げるもんもどんどんずれてってる >>609
やはり読解力というか国語力に深刻な問題があるんだと思う
これだと社会生活にも影響があるでしょ?
囲碁をやっている場合じゃない
本を読んだ方がいいよ
>>611
>「面倒だからルールを変えるのは合理的でない」って主張
ここでは誰もそんなことを主張していないから意見を聞かれても困るな
一般には「面倒だからルールを変えるのは合理的でない」という人もいれば「面倒なら変えればいい」という人もいる
前者の人がいる以上は「面倒だから」というだけの理由ではルールを変えることに社会的な合意が得られない
しかも切り賃についてはコンピュータの登場で「面倒だから」という理由すら成立しなくなってしまったという状況にある
なので現状においては「面倒だから」が合理的な理由になるのかは今の議論には関係ない
という説明を散々しているんだが
>普通の碁打ちは「囲碁を馬鹿にしてる」と思うはずなんだよ
ここの考えは理解できないからもう少し説明して欲しい
論理的には「もっと正当な理由があるはず」というのが普通だと思うけど
>後者のような理由が存在しないのは、少しルールに詳しい碁打ちなら誰でも知ってること
そういう主張があることは分かったけど他の人は納得していないようだ
今のところ理由が一つも出ていないところを見ると合理的な理由はなさそうだが
俺の質問は「合理的な理由はあるか?」で回答が「ない」なんだから話は噛み合っていると思う
「囲碁を馬鹿にしてる」という主張だけが意味不明だが
>>612
コンピュータスレからの荒らしが来ているみたいだな
他人の発言を捏造して叩くというやり方が同じだ ちなみに(コンピュータで)最後まで打ちきって判定することを前提にすると
「石」でも「地」でもほとんど違いはない(石に囲まれた眼の数=切り賃を加えるだけ)ので終局処理の手間は変わらない
ルールとしては「石」の方が「地」を定義しないで済む分だけ簡潔になり初心者にとってやさしくなる
熟練者にとってはどちらでもほぼ変わらない
歴史的には「石」の方が本来の形であるので文化伝統的に望ましい
ただし「地」を日本独自のゲームとするなら話は別
ゲームの目的として「地」に拘るべき理由は分からない
もし誰か知っていたら教えて欲しい
狩猟系の包囲ゲームをベースにしてパスの取り扱いを調整すると「地」の多少を争うゲームに近いものができる
切り賃問題についてこちらからのアプローチができないかどうかを思案中 >>617 俺の質問は「合理的な理由はあるか?」で回答が「ない」なんだから話は噛み合っていると思う
いや、違うよ
「面倒だから」というのをあなたは「合理的でない」と判断し、他の多くは「合理的」と判断しているんだから話はかみ合っていない >>619
普通は「面倒だからルールを変えることは合理的だ」という
しかし、この人は「合理的」を「理論的に考えてやむを得ない理由があること」くらいの意味で使ってるから
「面倒だからルールを変えることは合理的ではない」という結論になる
そして、後者の理窟に従って「囲碁のルールが変えられたのは、他に合理的な理由があるはずだ」と
他の人が考えてもいないことを主張してる
これが現状 亜 哀 挨 愛 曖
悪 握 圧 扱 宛
嵐 安 案 暗 以
衣 位 囲 医 依
委 威 為 畏 胃
尉 異 移 萎 偉
椅 彙 意 違 維
慰 遺 緯 域 育
一 壱 逸 茨 芋
引 印 因 咽 姻
員 院 淫 陰 飲
隠 韻 右 宇 羽
雨 唄 鬱 畝 浦
運 雲 永 泳 英
映 栄 営 詠 影
鋭 衛 易 疫 益
液 駅 悦 越 謁
閲 円 延 沿 炎
怨 宴 媛 援 園
煙 猿 遠 鉛 塩
演 縁 艶 汚 王
凹 央 応 往 押
旺 欧 殴 桜 翁
奥 横 岡 屋 億
憶 臆 虞 乙 俺
卸 音 恩 温 穏
下 化 火 加 可
仮 何 花 佳 価
果 河 苛 科 架
夏 家 荷 華 菓
貨 渦 過 嫁 暇
禍 靴 寡 歌 箇
稼 課 蚊 牙 瓦
我 画 芽 賀 雅
餓 介 回 灰 会
快 戒 改 怪 拐
悔 海 界 皆 械
絵 開 階 塊 楷
解 潰 壊 懐 諧
貝 外 劾 害 崖
涯 街 慨 蓋 該
概 骸 垣 柿 各
角 拡 革 格 核
殻 郭 覚 較 隔
閣 確 獲 嚇 穫
学 岳 楽 額 顎
掛 潟 括 活 喝
渇 割 葛 滑 褐
轄 且 株 釜 鎌
刈 干 刊 甘 汗
缶 完 肝 官 冠
巻 看 陥 乾 勘
患 貫 寒 喚 堪
換 敢 棺 款 間
閑 勧 寛 幹 感
漢 慣 管 関 歓
監 緩 憾 還 館
環 簡 観 韓 艦
鑑 丸 含 岸 岩
玩 眼 頑 顔 願 >>619-620
いくら言葉遊びをしても切り賃を廃止する理由にはならないんだよな
何度も書いているように仮に「面倒だから」というのを理由にしても
「そもそも面倒なことじゃない」「面倒だからと言って勝ちを負けにするな」「今はコンピュータがあるから面倒ではない」という人々を説得できない
理性的な人は論理的に筋が通っていないと納得しないんだよ
もちろん囲碁をやっている人が理性的ではないということはありえない
普通は「面倒だから」で納得するなんてあまり碁打ちをバカにしない方がいいんじゃないかな? 改めて整理すると
「本来の碁は盤上の石の数を争う」「現在の囲碁は地の多少を争う」という広く認められた二つの事実の整合性をどうやって説明するかという問題
普通は切り賃を入れれば両者は等価であるという説明がされるが
現実には現在は切り賃は廃止されているために切り賃を廃止できる理由がないと説明が完結しない
「面倒だから」は現在では全く理由にならない
今のところ理由を提示できた人は誰もいないので
二つの事実は整合していない可能性が高い
整合性の説明ができないと日本囲碁規約の第一条が崩壊する
(切り賃を入れれば「石」=「地」なので第一条は正しいが、その場合には正しさを担保している切り賃は廃止できない)
日本ルールから派生した中国ルール等も同様
もちろん「現在の囲碁」と「本来の碁」を別のゲームとして区別するのなら整合していないのは当たり前のことであり
俺を含めてそう考えている人は多いが一般には認められていない ゲームとしては両対局者が合意していれば問題ないので
事前に「切り賃は互いに0」という合意をしているだけだという解釈もできるのだが
その場合は対局者に合意をしない(切り賃有りで打つ)という権利が発生する
つまり合意の場合にはルール上で強制はできない たとえばこんな盤面を想像してみよう
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._J._K._L_M_N._O_P_Q_R_S
01●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
02●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
03●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
04●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
05●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
06●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
07●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
08●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
09●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
10●●●●●●●●●╋●●●●●●●●●
11●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
12●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
13●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
14●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
15●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
16●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
17●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
18●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
19●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
黒アゲハマ:720
白アゲハマ:0
コミなし
この状態で終局となった場合には、この黒石の死活は果たしてどう判定されるんだろうか?
黒は自殺手禁止により当然着手不可能(いや仮に自殺手可だったとしてそれでどうしろというのか)
しかし白も、アゲハマ360に加えて地を361としたい…というかそれ以前に、
もしも黒石を打ち上げたならばすべてが白地にならないのは明々白々なので着手を拒否するわけだ
死活をルール化するということは、このような盤面に対しても一意の判定を見出そうとする無茶苦茶な挑戦のように思える
とはいえこの盤面だと、死活判定を対局者の合意と実戦解決に任せた中国ルールですら解決は不可能だろう
お互いに死活には同意しない、されども、どちらも着手はしないという異常事態
そうするとこれは無勝負か?
こうなるといよいよ純碁の出番になるかもしれない
しかし、純碁でさえも結果に納得できるわけではない
白はこのまま終局すれば黒の勝ちが明らかなので着手して打ち上げる
しかしそうなると、アゲハマを計算しない純碁ではまた対局がほぼゼロから始まってしまうことになる
普通に考えれば、360子の石を取り上げた白よりもアゲハマ720を有する黒が明らかに有利なのにもかかわらずだ
…俺は何かアホなことを言っているのだろうか? >>625
この局面だと黒石を打って埋めても白石が一つもないので黒石を取り上げることはできない
なので黒番なら打ってしまって白パス黒パスで終局となる
白番なら白が打って石を取り上げてほぼセロからのやり直しになる
例えば端の方に白の地を用意しておけば黒はパスしかない
白はパスなら負けが確定してしまうので打ってほぼセロからのやり直しになる
これは現状では黒の活き石がないのだから当然のこと
このように中国ルールや純碁ではハマは関係ないので何もおかしなことは起こらない
こういう疑問が出てくるのは「盤上の石の数を競う」という碁の本質を理解していないからではないかな
最後に盤上の石が多い方が勝ちなんだからハマはいくらあっても関係ない
ハマの数を競うのは上で紹介した笊碁や狩猟系包囲ゲームであって本来の碁ではないんだな ハマを競うのは本来の碁ではないってクソ意見は聞く耳持たないので無視するが
白石が存在しなければ黒の天元打ちは自殺手ではないってのはありなのか?
本当に??
調べてたらたまたま「巨大墓場」の問題だって分かったけど、↑についてはわからなかったよ
黒が天元に打てないと仮定するなら、
ハマを無視する中国ルールでは白が黒石を打ち上げるメリットはまるでないのだからパスが最善のはずだ
(実戦解決でパスを認めないというならば、黒先ではパスせざるを得ない状態をどう正当化する?)
そして黒も天元に打てないので未解決のまま、けれどセキの合意は得られずに続行不能
または黒が天元に打てると仮定しても、
白先では完全に仕切り直しになってしまうのは、ハマを計算しない方式の意外な欠陥ということだな >>627
「ハマを競うのは本来の碁ではない」というのを否定するのは「アホなことを言っている」としか言いようがない
一つ勘違いしていたので訂正
調べたら現行の中国ルールでも日本ルールと同様に天元には打てなかった
どうやっても白が囲んでいると解釈できないのに黒石がとられるのはおかしいので打てないのは日本ルールのバグだが中国ルールにも伝染していた
まーこんな状況は起こらないので現実には問題ないバグだが
「巨大墓場」の問題は両負けがある日本ルール特有の問題で中国ルールや純碁では問題にはならない
実戦解決すれば終わる話だからな
ハマの問題も日本ルール特有の問題だが説明がややこしくなる
この後に説明するから理解できる人だけ理解してくれ 日本囲碁規約の第一条には「囲碁は「地」の大小を争うことを目的」とするとある
ここの「地」というのは本来は「盤上の石の数」であるわけだが切り賃まで考慮すれば「地」と書いても問題ない
ただし「地」に書き換えられるのは切り賃がある場合のみだというのが今このスレで議論されていることだが
このレスでは関係ないのでスキップして以下では切り賃はゼロだとして純碁=中国式判定の場合で説明する
よく言われているように第一条の「地」というのは規約の他の部分にある地とは意味が違う
ここでの「地」はハマで埋めて整地された後の「地」のことであり、普通は地+ハマの数になる(韓国ルールでは明記)
ただし埋めるハマが地を超えた場合には地がなくなってハマが余ってしまうので問題が生じるが(この場合にどうするのかは規約には書いていない)
「地」の数に理論的にマイナスを導入すれば韓国ルールと一致するので以下ではそうする
説明を簡単にするために白番で終局した場合を考え(黒番で終局の場合には最後に白のパスを追加する)
また死石は全て取り上げてハマに加えておき、盤上の石を活石のみとする
日本ルールと中国ルールで同じ終局図だったとして地の判定(合意)も同じだったとする
(現実には日本ルールで地の判定が変わってしまうこともあり問題視されているがそれは別の問題)
中国式判定では
黒の目数=(黒石+黒地)ー(白石+白地)
でハマは関係ない
これを日本ルールに変換するには
黒の手数=黒石+ハマ黒石+黒パス=白の手数=白石+ハマ白石+白パス
の恒等式を使って変形して
黒の目数=(黒地ーハマ黒石ー黒パス)ー(白地ーハマ白石ー白パス)
とする
よって、もしパスの数が同じなら、日本ルールは純碁=中国式判定に一致して規約の第一条が正当化されるが
>>625の例のようにパスの数が異なる(つまり石の総数が釣り合っていない)場合には問題が生じてしまう
この問題の解決策は以下の2つがあり、日本ルールは本来どちらかである必要がある
1.パスを認めない(整地時は別)
2.パスをする時にハマ石を一つ渡す(石の数を釣り合わせる)
つまりハマの問題というのはよく議論されている日本ルールのパスの処理の問題に帰着されるわけだな http://igo.main.jp/jp-rule-mon1989.htmlより
┌┬┬▲○○┐
├┼☆┼●○○
├●┼●●○┤
├┼●○○○○
├┼●●○●○
├┼┼┼●●●
└┴┴┴┴┴┘
黒▲と打った局面。
白は☆に打てば手にすることができるが、それでも明らかに地が足りない。
そこで、ルールを良く知る白はここでパスをする。
黒も気づかないのでパスをする。
しかし、両者結果の合意は得られない。
そこで、審判が登場することになる。
すると、▲はセキと判定されることになり、黒地0目であるから白の勝ちとなる。
…この戦法が卑怯だと咎めることは決してできないであろう。
そして審判の黒地0目という判定もやむを得ない。
なぜなら、取らず三目の場合には放置したまま終局したらセキと判定しなければならないから。
ここを裁量にまかせてしまったらルールが形骸化するだろう。
つまり、たとえ審判がいても、死活に合意しないという戦略を故意に利用することができる。
それとも、「双方が石の死活及び地を確認し、合意することにより対局は終了する」
という条項は、取らず三目の場合にもうっかり放置してしまったら、
審判からセキだという回答をもらった後に、やっぱりだめだと言って手入れをさせてもらえるのだろうか。 http://www.vimage.co.jp/~iehiro/cgi-bin/gocaffe/katte024.htm
※コミ5目半
┌┬○┬┬○●┬●
○○○○○○●●○
●●●●●○○●┤
├┼┼┼●○┼●┤
├●┼┼●○○●●
●┼●●●●○○┤
●●○○○●●○○
○○┼┼○●┼●○
└┴○○○●●●○
これの解説が
http://don.my.coocan.jp/kiyaku_kaisyaku/sikatu7.htm
にあるけど、間違ってない?
黒の両ウッテガエシの劫立てに白が手抜きして右上解消した場合の説明で
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._ ____.A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I.
01□□○□□○□○□ 01┏┯○┯┯○┯○┓
02○○○○○○□□○ 02○○○○○○┼┼○
03●●●●●○○□○ 03●●●●●○○┼○
04●■■■●○□□○ 04●┼┼┼●○┼┼○
05■●■■●○○□□ 05┠●・┼●○○┼┨
06●■●●●●○○□ 06●┼●●●●○○┨
07●●☆☆☆●●○○ 07●●○○○●●○○
08☆☆●■☆●■●○ 08○○●┼○●┼●○
09■●☆☆☆●●●● 09┗◆○○○●●●●
白 0.5目勝ち(黒地 30-白地 25)
となっているけど、実際は黒30―白23で、黒1.5勝ちではないのかな 元リンクにも結果は書いてないから自分の答えを書くけど、
黒C08に白はB09と受けて、黒I01、白パス、黒I04で
黒半目勝ちが双方最善。
ところがそうなると、こちらの解説で
http://igo.main.jp/jp-rule-mon1989.html
>この局面では白がパスをするのが最善。普通に「駄目」を打つと白負けになる。
>白パスの後、黒が普通に駄目を打つと、最後は黒負けになるため、黒もパスをする。
という説明と食い違うんだけどなあ というか、
>この局面では白がパスをするのが最善。普通に「駄目」を打つと白負けになる。
>白パスの後、黒が普通に駄目を打つと、最後は黒負けになるため、黒もパスをする。
これって論理的におかしいよな
セキだったらわかるけど、一手ヨセ劫は白からしか仕掛けられないんだから
どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない >>633
>どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない
フリカワリになったときに、
黒が打つと持ち込みになっている
白が打つと無駄な手入れになっている
という意味で、双方パスが最善ってことなんだけど。
白としてはパスして黒に右上手入れを要求する。これで、白半目勝ち。
黒は、手入れをせずに右上は生きていると主張する。これで、黒半目勝ち。
黒が無条件で生きているというなら、中央2つのダメを黒が詰められるはず。
でも、これを黒が詰めるとフリカワリにされて半目負けになるという仕掛け。
日本囲碁規約では、1手ヨセコウ以上は手入れ不要となっているけど、
この図の場合違和感があるという指摘。
実戦解決が可能な日本ルール以外なら、どう転んでも白勝ちだから。 >>634
黒が打つと持ち込みになっている
白が打つと無駄な手入れになっている
までは分かった。なるほどな。
しかし、そこから先の解釈は全然間違ってる気がするんだが…
>白としてはパスして黒に右上手入れを要求する。これで、白半目勝ち。
>黒は、手入れをせずに右上は生きていると主張する。これで、黒半目勝ち。
これは、旧規約の話では?
現規約では、白パスの動機は黒への手入れ要求ではなく、上辺一帯のセキの主張のはず。
黒への手入れ要求ならばダメを詰めるのが手段として正しいが、それができないからこそパスをする。
それに対して、現規約での黒パスは、右上黒地が0目になってしまうので、
黒半目勝ちどころか白半目勝ちを座して受け入れるようなものだ。
>黒が無条件で生きているというなら、中央2つのダメを黒が詰められるはず。
>でも、これを黒が詰めるとフリカワリにされて半目負けになるという仕掛け。
これは、白についてもまったく同じことが言える。
白がヨセ劫を仕掛けられるというなら、中央2つのダメを白が詰められるはず。
でも、これを白が詰めるとフリカワリが不可になって半目負けになるという仕掛け。
ところで、こっちは突然、現規約の話に変わってるよね?
旧規約ならば、元々どちらもダメを詰める必要はない。
一方、現規約では地を確定するにはダメ詰めを必須化しているが、
この例では黒白どちらもダメを詰めたくないという点を踏まえると、
出題図のままで終局したらセキとする現規約の考え方は理に適っていると思う。 ともかく、もう一度整理して考えてみる。
まずは、中国ルール(I09は白石)。
中国ルールならば黒はG04かI06のどちらかのダメさえ詰めれば勝ちではないか?
つまり、もし白1でパスしようものなら
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._
01┌┬○┬┬○●┬●
02○○○○○○●●○
03●●●●●○○●四 白壱パス
04├┼┼┼●○弐●┤
05├●┼┼●○○●●
06●┼●●●●○○参
07●●○○○●●○○
08○○┼┼○●┼●○
09└┴○○○●●●○
黒2でどちらかのダメを詰められて、
白3では反対のダメを詰めるよりないが、そこで黒4と悠々と劫を解消されることになる。
白3でH01劫取りでも黒4では同地点に押しつぶしで良い。
中国ルールでの白1パスは明らかに損だから黒の勝ち。
よって、白1では下図の如く
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._
01┌┬○┬┬○●参●
02○○○○○○●●○
03●●●●●○○●┤
04├┼┼┼●○壱●┤
05├●┼┼●○○●●
06●四●●●●○○弐
07●●○○○●●○○
08○○┼┼○●┼●○
09└┴○○○●●●○
ダメを詰めるよりないが、そうすると黒2で諸刃の剣と言わんばかりに
反対のダメを詰められて振り替わりでも負けてしまう。
というかそもそも、中国ルールでは黒4と劫立てを消されてゲームセット。
あるいは、白1でH01劫取りも、黒2でダメを詰められてやっぱり白負け。
よって、どう転んでも黒の勝ちなんでは? 次に現行日本規約。
これはリンク先の解説通りだが、
白としては、そもそも黒のヨセ劫などはじめからどうでもよくて、
上辺一帯をセキにして勝てばいいので、ダメを詰める必要はないからパス。
だから、ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
しかし、黒からダメを両方詰めると黒がやっぱり振り替わりで負けてしまう。
つまり、どう転んでも白の勝ちだ。
そして旧規約。
旧規約での地は黒14−白8(とリンク先に書かれている→旧規約でも一手ヨセ劫はそのまま地と数えて良い?)なので、
白は黒に劫手入れ要求しないと負け。
しかし、白は一手ヨセ劫を仕掛けるためにダメを詰めてしまうとやはり振り替わりで勝てなくなってしまう。
だから、白1の最善はH01劫取り、もしくはパス。
劫取りの場合、黒2パスは当然で、白3ではもはや手が出なくなってしまうのでパス。
すると
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_.I._
01┌┬○┬┬○●○┐
02○○○○○○●●○
03●●●●●○○●┤
04├┼┼┼●○┼●┤
05├●┼┼●○○●●
06●┼●●●●○○┤
07●●○○○●●○○
08○○┼┼○●┼●○
09└┴○○○●●●○
で終局となり、ここからはどちらも着手不可だが、ここで一手ヨセ劫手入れ不要とすると当然黒の勝ち。
同じく、もし白1でパスの場合、黒2では劫を解消したら負けなのでパス。
つまり原図のままで終局するわけだが、やはりこれも一手ヨセ劫手入れ不要とすると黒の勝ち。
というわけで、一手ヨセ劫手入れ不要は、ゲームを成立させるために不可欠なルールということであって、それは旧規約でも同じだろう。
「違和感」があるとすれば、中国ルールとの結果が変わるダメに関する規定の方ではないだろうか。 日本ルールの細かい話をしても
最終的には日本ルールがおかしいという常識的な結論しか出ないから生産的じゃないんだよな
それよりも本来の囲碁のルールはどうあればいいのかという前向きな議論をした方がいいと思う
囲碁には長い歴史があって多様なルールが存在してきた
その中で共通する囲碁の本質を慣習法として抜き出して現在の状況に合わせて整理するという作業だ
囲碁の本質を理解できれば現行のルールのどこがおかしいのかも自然と見えてくるしどう直せばいいのかも分かるようになる
法律論で言えば条例よりも法律が優先されて法律よりも憲法が優先されるのと同じで
囲碁においても憲法論議が一番大事だなんだな 日本ルールの問題点を整理するとこうなる
他にも細かい問題はあるがよく言われる問題はこれのどれかに当たるだろう
1.ゲームの目的設定の問題(切り賃廃止問題)
切り賃がないために本来の囲碁の勝敗判定を再現できないことがあるという問題
切り賃廃止の理由は今のところ誰も提示できておらず、そもそも何で廃止しているのかが謎という状態にある
切り賃を復活すれば解決する
2.パスの問題(着手権利・義務問題)
新規約ではパスを認めているがパス代(パス一回につき石一つ)を設定していないために勝敗判定が破綻することがあるという問題
本来パスは認めない(着手義務)というのが当たり前であったが中途半端にパスを認めてしまったがために発生した問題
着手義務化かパス代導入で解決する
3.黒番終了時の問題
黒番で終局した時に本来の判定よりも一目変わるという問題
日本式判定の本質的な問題の一つ
最後に白番のパスを加えてパス代を払うようにすれば解決する
4.終盤処理の問題
実戦解決ではなく審判判定を導入しているために対局者等が納得しない勝敗判定や両負けが発生するという問題
規約を作った棋院所属の棋士の対局であれば問題は生じないが外部の人間に適用する場合には問題となる
実戦解決を導入すれば解決するが終局図が乱れるとして棋院が強硬に反対している
棋院内部以外では日本ルールを使わないということにすれば解決 その中で切り賃にかんしてだけはやはり頭がおかしいと言わざるをえない
切り賃なしでもゲームは成立する
なぜなら純碁でも切り賃なし相当のルールは定義しうる
つまり、一方のみの石で囲まれた格子点を得点として計算することは理論上可能だからだ
そしてそのことでゲームが数理的に破綻することもない
したがって切り賃なしは一種のルール違いの純碁として正当化できる
その発想で誕生したのが中国ルールである >>631
>白 0.5目勝ち(黒地 30-白地 25)
>となっているけど、実際は黒30―白23で、黒1.5勝ちではないのかな
>>632
>黒C08に白はB09と受けて、黒I01、白パス、黒I04で
>黒半目勝ちが双方最善。
>>635
>>黒が無条件で生きているというなら、中央2つのダメを黒が詰められるはず。
>>でも、これを黒が詰めるとフリカワリにされて半目負けになるという仕掛け。
>これは、白についてもまったく同じことが言える。
>白がヨセ劫を仕掛けられるというなら、中央2つのダメを白が詰められるはず。
>>637
>白としては、そもそも黒のヨセ劫などはじめからどうでもよくて、
>上辺一帯をセキにして勝てばいいので、ダメを詰める必要はないからパス。
>だから、ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
とても同一人物の書き込みとは思えない内容なんだけど?
>631 >黒1.5勝ちではないのかな
>632 >黒半目勝ちが双方最善。
>635 >中央2つのダメを白が詰められるはず。
>637 >ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
直前の自分の書き込みが間違ってたことは、気付いたんでしょ。
まず、それを訂正しなよ。
何が分かっていて、何が分かってないのか、全く理解に苦しむ。
日本囲碁規約の現行問題点は、囲碁の専門家およびルール研究者が探求して、
コミ5目半の時代から指摘されて未だに生きている問題なんだから、
ド素人が暇潰しに愚考して反証できるような話では無い。
>>635
>>>634
>>>どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない
>>フリカワリになったときに、
>> 黒が打つと持ち込みになっている
>> 白が打つと無駄な手入れになっている
>>という意味で、双方パスが最善ってことなんだけど。
>までは分かった。なるほどな。
当たり前のこと過ぎて説明が省略されてる部分で、つまづいて転んでるし。
この程度の能力・棋力の人が囲碁のルールに関して考えてもねー。
『馬鹿の考え休むに似たり』よりも悪手だと思う。
>>636
>ともかく、もう一度整理して考えてみる。
リンク先に詳しく解説されてるのに、あそこまで説明されても理解できないか?
理解できてないのは、自分だけなんだから、くだらない書き込みは慎め。 >>641
>直前の自分の書き込みが間違ってたことは、気付いたんでしょ。
>まず、それを訂正しなよ。
ああわかった訂正するよ
>素人が暇潰しに愚考して反証できるような話では無い。
ふ〜ん、君は素人ではないんだ
ならばそれを証明してくれないか?
それから、詰碁の棋力の問題とルールの問題は別問題だろう。 >リンク先に詳しく解説されてるのに、あそこまで説明されても理解できないか?
>理解できてないのは、自分だけなんだから、くだらない書き込みは慎め。
理解できていないのは>>634の方だから、俺が説明したんだよ
>日本囲碁規約では、1手ヨセコウ以上は手入れ不要となっているけど、
>この図の場合違和感があるという指摘。
>実戦解決が可能な日本ルール以外なら、どう転んでも白勝ちだから。
まるで論点がずれているし、実戦解決の結果も間違っているでしょ >>639
3.黒番終了時の問題
は数少ない中国ルールの欠点だと自分は考える。
一つは偶数コミを有効的に設定できないということ。
二つは偶数ダメ時の手入れがヌルくなってしまうこと。
二は些細かもしれないが一は大きな弊害だろう。
しかし、日本での地とハマを数える計算法に
パスは1目払うルールを追加すれば、
中国ルールと日本ルールの長所だけ残した良いルールができる。
この点は意見は同じだが、最後に白番のパスを加えるのは
説明したように偶数コミが意味をなさなくなるから必要性は感じない。 >>2に貼られているが、高尾や大橋ですらルールがわからないんだから素人も糞もねーだろ >>645
>高尾や大橋ですらルールがわからないんだから素人も糞もねーだろ
>>631 >黒1.5勝ちではないのかな
>>632 >黒半目勝ちが双方最善。
>>633 どっちから普通に駄目を打っても負けってことはありえない
>>635 >中央2つのダメを白が詰められるはず。
>>637 >ダメは黒から死に物狂いで詰めるよりない。
ド素人の世界で考えても、一瞥して違次元の糞なんだけど? よく日本で囲碁が普及しないのはルールのせいだっていうけどね、
あれはどう考えてもまったくの出鱈目だ
だって、入門者に囲碁を教えるのに囲碁規約を一から十まで一言一句教える奴がいるか?
いるわけないだろ
囲碁を教えるのには、
・石を囲ったら取れる
・地をたくさん囲ったほうが勝ち
これだけでいい
本当に普及を妨げているものの正体は
>>641のようなやたら高圧的で素人を馬鹿にする糞野郎だ
>>646
>ド素人の世界で考えても、一瞥して違次元の糞なんだけど?
これだけじゃなんの説明にもなってないんだけど?
ちなみに>>633までの考えが間違っていたのは認めたから無視してちょうだいね 過去ログ読めば分かるけど、この人ガチで頭おかしい人だから関わらないほうがいいよ >>640
>つまり、一方のみの石で囲まれた格子点を得点として計算することは理論上可能だからだ
わざわざそうする合理的な理由があるのかと聞いて誰も答えられていない
碁の数千年?の歴史でそういう計算をしていたルールはないんだからその立論では碁ではない新しい別のゲームになってしまう
広く認識されている歴史的な流れとして本来存在していた切り賃が省略されているということは否定できない
現在の囲碁を歴史的な碁とは違う別のゲームとして割り切るのならそれでもいいが
そうではない以上は石の数の判定(純碁式判定)をベースにするしかないんだ
だからこそ純碁式判定から大きく外れるルールは碁のルールとしては問題があるということになってしまう
これはゲームとして理論上成立するかということではなくゲームの分類上の問題なんだな
>>644
コミの設定は勝敗判定に比べて些細なことだと言わざるを得ないな
まずは正しく勝敗判定できることが第一でしょう
本来の純碁式判定に照らしてコミの問題として捉えなおすと
日本ルールの設定は黒番終了時と白番終了時でコミを一目変えていることに対応している
この条件付コミ設定を正当化するのは難しいと思う
純碁や中国ルールでもそういう条件付コミを導入すれば偶数コミに意味が出てくるわけだが
そもそも条件付コミ自体に意味がないのだからそこから出てくる偶数コミの機能にも価値がないということになる
だからそんなことをしている人はいないわけだな
>>647
ルールの難解さが普及の妨げの一因になっていることは間違いないと思う
オセロのように子供がゲーム盤の付属の説明書読んですぐに遊べるようにしたいと考えている 包囲ゲームベースで考えると>>639の問題が全て解決できそうなんだよな
全く根拠がないのに日本ルール笊碁起源説は合理的に見える 切り賃の問題は純碁のルールを拡張することで対応できないかな
純碁で持碁になる場合にルールを拡張して「自殺手にならない着手可能点が多い方を判定勝ちにする」ようにする
さらに純碁で持碁にならない場合にはどちらかの投了で決着するようにすれば中国ルールに近くなる
本来の勝敗はキープしたまま持碁の場合にだけ中国ルールの判定を持ち込める >>631のような局面で黒手入れなしで終局するとか日本のプロの対局であり得る?
中国ルールだと自分の地に手入れしてもマイナスにならないから劫材を消せる
したがって>>631のような問題は起こらない、てこと? リンクが貼れないがルールが分かりづらいのが人気が出ない原因だと言われている
【悲報】将棋に比べて囲碁が人気なさすぎなんだけど(´・ω・`) 現行中国ルールに準じて拡張した純碁ルールの叩き台を作った
古典碁の精神と簡潔さを保ちながら現行ルールや現代の技術進歩に対応したルールになっている
基本ルール
・交互に自分の石を打てる。パスもできる。
・連続パスになったら終局。途中で投了もできる(投了者の負けで終局、中押)。
・終局時に盤上の石が多い方が勝ち。事前の両対局者の合意によりハンデ(コミ)をつけてもよい。
・隙間なく相手の石に囲まれたら、囲まれた石は着手者によって抜かれる。抜く順番は着手相手の石、着手者の石(自殺手)の順で、抜き終わったら着手完了。
・石を打って着手完了した時の盤面がその対局の過去のもののいずれかと一致した場合、対局者の指摘により着手者は反則負けとなる。ただし、次の着手完了時までに指摘がない場合には対局は続行される。
・打った石がそのまま抜かれる手(自殺手)はパス扱い。
・盤上の石が同数の場合には自殺手にならない着手可能点が多い方を優勢勝ちとする。
対局ルール
・公式な対局は時間制対局とし、棋譜を記録し、立会人を設ける。
・持ち時間は事前の両対局者の合意により定める。
・持ち時間を過ぎると負ける(時間切れ負け)。
・持ち時間は自分の手番において着手完了まで使われる(石を抜く時間を含む)。
・抜く石以外を動かした場合は動かした者が自分の持ち時間を使用して盤面を修復する。
・両対局者の合意、もしくは立会人の判断で対局停止および再開をすることができる(休憩や終局確認など)。
・両対局者の合意により対局途中で終局することができる(合意終局)。その際の勝敗判定は両対局者の合意によるが、直接的な勝敗合意の他に、立会人による判定や対局前に準備された機械による機械判定も合意選択することができる。
・ルール外の行為(連続で石を打つ等)は立会人の確認の上で反則負けとする。
対局マナー
・両対局者は良識ある態度で行動し、相互信頼の関係で対局を行うことが望ましい。
・投了や合意終局により、無駄のない美しい終局図を作ることが望ましい。
他のルールとの主な違い
・勝敗判定は純碁式(切り賃制に相当)。純碁式で同数の場合には中国式(切り賃なしに相当)。機械判定可能。
・超コウ(盤面)。連続パスで終局。
・両者合意での終盤省略が可能(中国式)。機械の代打ちによる終盤処理も選択可能。
・自殺手は打てるが、パス扱い。 日本で切り賃がなくなった理由や経緯は謎らしい
遊戯史学会コミュの囲碁の歴史〜ルールの変遷〜
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5043543&id=54651546 清末までの明清数子法は子多為勝(盤上の石が多い方が勝ち)で石を埋めて数える際に還棋頭(切り賃)の調整あり
その後の近代数子法は日本の影響で混乱して子多為勝と子空皆地(現在の中国式で切り賃なし)が混在するようになり現在に至るという考察
日本ルール(日本填空法)は日本に伝わった時期に大陸の廟堂君子の間で流行していた以空為地の唐宋填空法が元になっているという説を取っている
ただし唐宋填空法は還棋頭(切り賃)の調整ありで日本填空法とは違う
「碁の本質をわかっていない」日本がルールを混乱させてしまって現在のルール問題が生じたようだ
中国の碁のルールの変遷
http://www.senjukai.org/Zakki/ChineseRule.html
一、古くは奕(エキ)と言われ、これは古い中国ルール。(子か)
二、後にいわゆる日本ルールに換わり、それが日本にもたらされた。(地−ハマ)
三、中国では古い中国ルールに戻った。(明代始めころ)(子)
四、日本の影響を受けて現代の新しい中国ルールとなった。(清末から民国)
五、近年、日本ルールとほとんど同じくらいに改編された。 どうやら切り賃廃止は日本で生まれた分岐だが発生した時期や経緯は不明というのが定説のようだな
日本式囲碁と本来の碁を明確に区別しなかったために混乱が生じてしまって
ルール問題の収拾がつかなくなってしまっているというのが現状のようだ 塚本惠一氏の主張は歴史的にも理論的にもおかしいな
http://park6.wakwak.com/~igo/igorule/tsukamoto.html
>そこで、「地」に気付いた者は形勢判断の基本である目算が容易に 行えるようになったのです。これは大発見です。
>「地」の発見者は 抜群の成績を収めたに違いないと想像できます。そして、皆が彼に 強い理由を尋ねることになります。
「地」は日本に入る以前から発見されていた
っていうか普通に誰でも思いつく戦略だと思う
>そうして「地」の重要性が囲碁人の共通認識になれば、もう、置き 石の数を争うことは本質とは言えなくなり、「地」の多少を争えば よい、という発想の転換がなされます。
>これが日本式囲碁の誕生と 考えているのです。
「地」による目算法は日本に輸入される前にすでにあった
ただし切り賃を入れれば置き石の数に一致するので「地」の多少を争うという転換はなされなかった
それが当たり前
戦略に合わせて目的を変えるというのは馬鹿げている
将棋で王より飛車を可愛がるルールを導入するようなもの
またイカサマがしやすい日本式計算法は廟堂君子の間では通用しても大陸の庶民の間では無理だった
>それが中国式にも逆輸入されて「切り賃」という計算法が生じた。 囲碁の歴史をたどれば、これらは自然な推移と言えるでしょう。
>「地」の発見、いや、「地による形勢判断」という大発明が囲碁の 目的の認識を改めさせた。これが日本式囲碁の立脚点です。
「地」による目算法も「切り賃」も日本に入る前からあった
「切り賃」を廃止したのが日本式囲碁の特徴だがその経緯や理由は不明
目算法(戦略)と計算法(終局処理)とゲームの目的(勝敗判定)を区別して論じないと無茶苦茶になってしまう それから近代の日本から中国への影響は当時の国際政治環境を考慮する必要があるだろう
明治〜昭和期の日本の増長と大陸軽視の背景も踏まえておく必要がある 中国の切り賃を無くしたのは俺だ、と安永一が言っていた
ただ安永はいい加減な人なので信頼性は低い
(中国で現地の愛好家と数多く対局したのは事実のようだ) 切り賃のない「地の大小」を最初に成文化したのが安永憲法だからな
一方で同じ研究会の島田拓爾が提唱したのが原始棋法で純碁の元になっている
成文化したのは安永だが日本では切り賃廃止の対局が行われてきたのは事実であって
日本式囲碁と大陸の碁の違いが安永と島田の対立の元になっている
最初から違うものを違うものとして認めて明確に区別していればよかったんだが 戦後の中国については中国共産党の影響も大きいだろう
日本の影響で日本ルールを使いたいという棋士は多かったが
日本式囲碁と正確に言ってしまうと反日の中国共産党の認可や補助が得られなくなる
だから日本式という部分を隠蔽し、ルールに混乱が生じて現在の中国ルールが生まれた
そしてそれが中国の影響力の強いアジア諸国等にも波及した
似たようなことは戦後の韓国でもあった
戦前に空手を習っていた人々が反日政権下で日本の空手とは言えずにテコンドーと称して武道を続けた
それが独自に発展して現在では空手とは別の競技になっている
政治の影響は無視できない 呼吸点(石が置いてある点と同一線上の隣の点)をふさげば石を取れると習いました。
ルールは最後まで貫いてこそルールだと思いますが、終局して計算が始まる直前に、呼吸点がたくさんあいているにもかかわらず、自分の陣地にある相手の石を、おまえはすでに死んでいる、とばかりに取り上げます。
変でしょ、このルール。
呼吸点を全部ふさいでからとるのがルールじゃないですか?
自分の地がそれで減っても、そもそもそうするのがルールでしょう。なんでそうしないのですか?。
不思議なゲームだ。訳わからん。 >>664
その通りで本来は死石は実戦で取り上げる必要がある
元々の囲碁のルールは双方が交互に好きなだけ打って盤上の石が多い方が勝ちというシンプルなもので純碁と呼ばれている
初心者はまず純碁で打ってみるといい
純碁に慣れてくると終盤が作業になってつまらなくなくなったり石の数を数えるのが面倒になったりする
今はそういう作業はコンピュータで簡単でできるが昔はできなかったので終盤を簡単にする工夫がなされた
それが今の囲碁のルールの元になっている
面倒な終盤を省略している部分が初心者には不思議に感じられるわけだ ただし現在のルールにおける終盤の省略方法には問題があり、時々オリジナルの結果を再現しないことがある
これは歴史の中で変な慣習が積み重なった結果であり大きな問題になっている
>>655のように伝統に即した現代的ルールを作るのは簡単なんだが因習を改めるのには時間がかかる
今はルール維新の途上というところだ 地と死活・アゲハマは、プレイヤーに読みの正確性をシビアに要求する、ゲーム性としての立派なルール
形が決まればほぼ読み切れる上級者にとっては単なる省略かもしれないが、
なかなか読めない級位者にとってはこのルールで勝敗が入れ替わる
手のないところに手を入れたり、手にならないところに手を出したり、手を出された時に手を抜けるかどうか、
そういうのをきちんと読める者は得できるし、読めない者は損をする
これはゲームとして理に適っている >>667
正しい結果が出るのなら省略法は何でもいいんだが問題は必ずしも正しい結果が出ないことなんだな
それに級位者レベルなら双方が納得する局面まで純碁で打った方がいい
双方が納得できる上に終盤の棋力が直接的に結果に反映される
日本ルールで強くならないことは日本の棋士の現状を見れば明らかだが
それ以前に学習法とルールは区別した方がいいだろう 日本の棋士の現状が日本ルールにあるかどうかまではわからないが、
日本ルールが普及の障害になっていることは確かだ
特に囲碁で飯を食っている人や団体は、それをもっと意識して活動しなきゃな 韓国ルールは日本ルールとほぼ同じだが、ルールのせいで普及の妨げになっているのか?
ルールがーってのははっきり言って言い訳だろう >>670
正確には普及の妨げの一因となっているということだろう
分かりにくいというのは確かなんだから
韓国でも同じだ >>655を見れば分かるように本来の碁のルールはオセロ並みに簡単だ
しかし旅行にオセロ盤を持っていって遊ぶ子供はいても碁を打つ子供はほとんどいない
これは明確に現行ルールの弊害だといえるだろう
ボードゲームは子供が盤石をもらって説明書を見てそのまま遊べるようじゃなきゃダメなんだよ 日本ルールは「分かりにくい」ということになにかエビデンスがあるのかと疑問を投げかけているんだ
注意しておくが、ここでいう「日本ルール」というのは、法律に相当する規約そのものではなく、一般的な囲碁教室で教えているルールのことだ 自分はずっと日本式のやり方で囲碁を覚えて打ってきたが、
地というものの考え方が将棋の駒の動きを覚えるより難しいと思ったことはない >>673
エビデンスとはたまげたなあ
日本ルール(の文言ではなく内容)が分かりにくくないという意見は初めて見たぞ
もし日本ルールを分かりやすく教えている教室があるんだとしたらルールを正確に教えていないんだと思うが
それ以前にわざわざ教室でルールを教えなければならないという時点でおかしいんだな
初心者同士の勝敗の判定に指導者を呼んでこないといけないのもおかしい
ルールは未経験の子供達がボード付属のペラ一の説明書を見てすぐに遊べるものじゃなきゃいけない
他の有名なボードゲームはほとんどがそうだし本来の碁のルールもそうなっている
日本ルールは明らかにそうじゃないでしょう
誤解のないように断っておくが俺は日本ルールに反対しているわけじゃないからな
競技スポーツとして誰でも理解して楽しめる本来の碁のルールと日本独自の伝統文化である日本ルールを区別しようと言っている
日本ルールは日本の伝統的なタイトル戦で使用する特別なルールとして保持・整備する必要があると考える 説明書に書かれているのが日本ルールでなかったら本当に分かるのかどうか?怪しい
囲碁を知っている者にとってはダメのない二眼生きだけの純碁の終局盤面がもう決着していることがわかるが、
死活をわからない者は自分の眼に着手して、全部取られて、どうしたらよいかやはりわからなくなってしまうだろう
囲碁のわからなさというのは、純語も含めて、対局者の宣言なしに決着は碁盤上に永遠に訪れないことにあると考えられる
実際、銘エンが入門用の純碁を提唱してから20年近く立つのにほとんど状況は変化していない
先程韓国の例も挙げたが、つまり、ルールと普及との関連はほとんどない ちなみに日本ルールは納得できるまで打つことについて禁止などしていない
指導者がいないときは納得するまで打てばいいだろう >>676
何か勘違いしているようだが純碁はメイエンが成文ルール化したというだけで
大陸の庶民は数千年もそういうルールで打ってきた
そういう意味では現行ルールが混乱しているだけだと言える
>死活をわからない者は自分の眼に着手して、全部取られて、どうしたらよいかやはりわからなくなってしまうだろう
持ち時間があるので初心者同士でも時間切れで決着がつく
本当の初心者同士なら小さな盤でやって手数制限(打てる石を最初に決めておく)を設けてもいい
石の数を数えるだけなので最初から最後まで初心者だけで遊べるということが重要だ
全部取られるのを何回か体験すれば2眼は自然と覚えるし周りに経験者がいるのなら教えればすぐに分かる
本来の碁のルールは本当に単純なんだ >全部取られるのを何回か体験すれば2眼は自然と覚えるし周りに経験者がいるのなら教えればすぐに分かる
これは地についてもまったく同じだろう
>日本ルール(の文言ではなく内容)が分かりにくくないという意見は初めて見たぞ
日本ルールで打っている日本人でも、
「囲碁のルールは簡単」派は結構いるでしょ
地が難しいといっても、それはせいぜい足し算が引き算になった程度の話だということ
園児でも碁を打てる子はいるし、小学生にもなれば大人も負かされるくらい強くなる
日本ルールが殊さらに難しいという根拠はない >>679
純碁で実際に打ってみれば2眼や地(死活)をすぐに覚えられるという話であって
地(死活)を覚えないと打てないというルールには問題があるということなんだが
>日本ルールで打っている日本人でも、
>「囲碁のルールは簡単」派は結構いるでしょ
そう言っている人が日本ルールを正確かつ簡単に説明しているのを見たことがない
「簡単」詐欺はさておき真面目な人で日本ルールが分かりやすいという意見は皆無だよ ゲームのプレイヤーになるためにはルールを知らなければならないのはしょうがない。
そして、純碁も死活(いつ終局宣言をすればいいのか)がわからなければとっつき難いのは同じかもしれないってことを先程から言ってるんだけれども。
それで死活について教えたら、そのまま地の定義を教えることも難しくはない。
それに教えることが難しかったり多くても、それと普及するかどうかはやはり別だ。
将棋は成り駒まで含めて動かし方をすべて覚えるのはそれなりの量だし
打歩詰や二歩の禁止といった煩わしさもあるが、日本ではチェスよりも人気がある。 「日本ルールはわからない」という真面目な人は、長生とか曲がり四目といったような複雑な死活について話しているだけ。
しかし、初心者同士の対局でそんな形が最後まで残ることはまずない。
むしろそんな形ができて質問されるまで上達したのなら喜ばしいこと。 >>681
>そして、純碁も死活(いつ終局宣言をすればいいのか)がわからなければとっつき難いのは同じかもしれないってことを先程から言ってるんだけれども。
これは違う
終局宣言は必要なく連続パスで自動的に終局になる
実際に純碁を打ったり教えたりすれば分かることだが初心者にとっては本当に分かりやすいルールだよ
それからルールを改選すれば普及の問題が飛躍的に改善すると言っているわけではない
実際分かりづらいという人やルールが訳分からんから遠ざけているという人がいて
問題だと感じている人が沢山要るという現状をなんとかした方がいいというだけの話だ
しかもそれはここ数十年の現行ルール特有の問題であって数千年続いている伝統的なルールに戻せば解決する話なんだから
>>682
日本ルールの問題は死活の判定だけではないんだが
ルールとしては細かい部分まで正確に説明しないと説明したことにはならない
しかも日本ルールは突き詰めると間違ったルールなので最終的には何故間違っているのかを説明しなければいけなくなるわけだが
そこまで説明できるのは棋士でも専門家でもほとんどいないだろう 入門者にとっての囲碁ルールの難しさは、理屈をこねても
純碁<中国ルール<日本ルール
であることは否定できない事実だと思うよ
入門者が一番難しいと感じるのは「地」の概念だから、それがない純碁は何といっても一番説明しやすい
またとことん打って相手の石をすべて打ち上げても基本的には勝敗に影響しない中国ルールが続くかな
「死んでる石」を打ち上げない日本ルールは説明しにくいし、入門者にとっては一番難しいんだよ
別に日本ルールが悪いといってるわけじゃないんだが 純碁や中国ルールは勝敗の決め方が興を削がれるかもしれない。
碁に興味を持つ人が最初に面白さを感じる瞬間は石を取った時だと思われるが、
その面白さがそのまま得点になるアゲハマは楽しいルールであろう。
指導という意味では、中国ルールの勝敗は実は日本ルール以上に、
入門者にとって意味不明で直感的に納得し難いのではないか。
どちらにしろ、ゲームはルールさえ覚えたら終わりじゃなくて、ルールを覚えてからが始まり。
仮に純碁の方がルールは簡単だとしても内容はすぐ同じになるし、地のことは2桁級でも分かる。
「碁を打てる人が増えた」と胸を張るには、日本ルールを理解してもらうくらいが基準としてちょうどいい。 話が逸れてるから戻るけど
>>668
>それ以前に学習法とルールは区別した方がいいだろう
というのはそのまま此方の言い分でもある。
効果があるかないかは別にして入門用として純碁ルールに異論はないが、
わかりやすいルール=ゲーム(競技)として良いルール、ではない。
「日本ルールは、読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」というのが本筋。
「無駄のない終局図」というのが抽象的でわけのわからない美学だと思われがちのようだが
無駄な手を打ったら基本的に損になるという決まりは、ゲームとして直感的に納得できる自然なルール。
明らかな生石の地に延々と無駄手を打ち続ける行為は、中国ルールではただの嫌がらせにしかならないが、
日本ルールでは何らかの勘違いによって生じるドラマであり、それこそが”ゲーム”だ。 >>685 地のことは2桁級でも分かる。
どうも入門者(初心者じゃない!)にとって地の概念がいかにわかり難いかということに無理解な人が多いなあ
初めて石を持った人に一度教えてみるといいよ
以前「地というものの考え方が将棋の駒の動きを覚えるより難しいと思ったことはない」なんて書き込みもあったけど、
たくさんの駒の動きを覚えるのと違って概念的なものだから、難しさの質が違うんだよ 少し意地になっていた気がするから改めるが、
入門者がいきなり地がわかりにくいのは素直に受け止めておくよ。
だが、ここは普及スレというわけではないので入門の話と一般的なルールの話は区別しよう。
地(死活)は日本だけでなく、中国も欧米も世界のどのルールも採用している。
入門者レベルでも分からないとダメだというのなら純碁以外どれも失格になってしまう。 コンピュータスレを崩壊させた日本語も読めない馬鹿がまた暴れてるのか
相変わらず独善的主張を続けてるな >>685>>686
全く賛同できないが意見としては分かった
>「日本ルールは、読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」というのが本筋。
ここだけが意味が分からないのでもう少し説明して欲しい
日本ルールの問題点は>>639の4点にまとめてある通り
問題点というのは言い換えると他のルールとの相違点であり
実際にこの4点を修正すれば日本ルールは中国ルールや純碁と(石の数え方や文言は違っても)意味内容的に同じになる
そこで具体的に4点のどの部分が「読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」のかを教えて欲しい
1.現行中国ルールとの違いを主張していることから切り賃廃止は今回の話とは無関係だと思うがどうか?
2.着手権利説を採用しパス代を無くすことが「深み」をもたらしたのか? もしそうならば何故そうなるのか?
3.交互着手制の廃止はコミの話であるので今回の話とは無関係だと思うがどうか?
4.実戦解決ではなく審判判定を導入することが「深み」をもたらしたのか? もしそうならば何故そうなるのか? 中国ルールにおける地の概念は、自分の石で埋め尽くせる場所、ということでよろしいですか?
相手が石を置いてきても生きることができない場所というか
だから石で埋めるのがめんどくさい場所というか >>691
地の概念は中国ルールも日本ルールも基本的には同じ
地(死活)の判定方法が実戦解決(対局者合意)か審判判定かというところが違う
ただし細かく言うと日本ルールの地の概念はwell-definedではないというのが通説 >>690
>>639
1.ゲームの目的設定の問題(切り賃廃止問題)
中国ルールでも現在は切り賃はないので、日本ルールだからというわけではない。
そもそも、何かしらの正しい結果というものがルールよりも先に存在する、という発想はバイアスだ。
結果とは、ルールすなわちゲームの後に生ずるものであって、先にあるのではない。
たとえ中国ルールや純碁でも、コミの設定や自殺手、同形反復のルール如何で結果はいくらでも変わるが、
どんなルールであろうと、そのルールを遵守して処理された結果ならば、それらはみな正しい。
2.パスの問題(着手権利・義務問題)
こちらも言いたいことは1とほぼ同じで、「勝敗判定が破綻する」は訳のわからない言い分。
日本ルールのパスの意味は、ダメ詰めまで終わった後に死手を打たれたら、損のないパスによってそれを咎めることができる。
例として、半劫争いの時にコウダテで打った手が実はコウダテになっていなかったら、何もせずに半劫を譲った場合に比べて1目損する。
また、自分の死石を生石と勘違いしてダメを詰めているつもりでいたら、実際はアゲハマになって損する。
そういうことがあり得るのが日本ルール。
一方、中国ルールではダメ詰め関連で読みを要求される。
日本ルールならばヨセの優先順位は、後手一目>半劫>ダメ詰め
で基本的に不変だが、中国ルールではケースごとにこの大小関係がひっくり返る。
中国ルールではヨセを教えるのが難しそうだ 3.黒番終了時の問題
黒番手止まりで結果が変わる理由は、中国ルールだと先着の有利性が白番手止まりよりも1目多くなるからだ。
そしてコミの存在意義が先着の有利性の解消ならば、手止まり変動が本来なら双方にとってより公平だ。
┏┯●┯○┯┓ ┏●●●○○┓
┠┼●┼○┼┨ ●●●●○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●●○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●┼○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●○○○○
┠┼●┼○┼┨ ●●●○○○○
┗┷●┷○┷┛ ┗●●○○○┛
上図で黒と白の打着はすべて価値が同じだが
最後の残りのダメを黒が打てるので黒の勝ちになる。
これは黒の先着の有利性が現出した結果だが、白にしてみれば不満だろう。
しかしだからといって、コミを一律に1目にすれば解決するというわけではない。
●●●●○○┓
●●●●○○○
●●●●○○○
●●●┼○○○
●●●○○○○
●●●○○○○
┗●●○○○○
この図も黒と白の打着はすべて価値が同じだが引き分けだ。
もしコミが一律に1目だとしたら白の勝ちになってしまうので、今度は黒が不満だろう。
だから手止まりによって区別する必要がある。 4.終盤処理の問題
両負けの規定は自分にも必要性がわからない。
審判判定を導入しているのだから、対局者が納得できないときはそうすればいいからだ。
公式試合で審判が立ち会うのはあらゆる競技でごく普通の事。
しかしたとえ居なくても、碁盤をもう1つ用意して死活ルールに沿って待ったなしで想定着手を行えば、
検討という「実践解決」によって紛れもなく死活は決着する。
死活の「合意」というのは本来こういう内容を指していると考えているし、それは自分だけでなく一般的な慣習であろう?
5.備考
中国ルールでも死活に合意すれば打ちきるのを省略できる。
つまり日本ルールとやってることは同じ。
日本ルールではこのプロセスを丁寧に成文化しているというだけのこと。
ただし、日本ルールで死石の取り上げ着手が不要な理由は、何かしらの省略というわけでもなければ、純碁で説明できるものでもない。
なぜなら、もしも日本ルールで死石の取り上げ着手を必要にしたら、その結果は日本ルールとも純碁とも異なる新たな別のゲームとなる。
よって死活ルールは、次に挙げるルールと同じ1つであって、そこに理屈などない。
四方を囲めば石を取れる
取られる状態になる地点に打つことはできない
地の多い方が勝つ
これらについてなぜ?と聞かれても、そういうゲームだからとしか答えようがない。 >>693-695
4点のどの部分が「読みのゲームとして意味があり、より深みをもたらしている」のかを教えて欲しいと聞いているのだが
質問に全く答えていないな
ただ貴方が碁について全く理解していないのは分かったからもういいわ
大陸の碁の歴史も日本の囲碁の歴史も何も知らずに正しいルールはないというのなら五目並べでもやっていればいい
貴方の基準では五目並べも正しい囲碁のルール(しかも最も競技人口が多い)なんでしょう
「碁の本質を知らない」とこうなってしまうんだな
>>696
そのサイトは知っているが「碁の本質」「碁の常識」を理解していないから記述がおかしくなっている
「奇妙奇天烈」なのは最近の碁打ちの感覚の方なんだな
歴史的な伝統的な正しいルールで打っていないから感覚や常識が壊れてしまっている
この一点だけでも現行ルールには大きな問題があると言わざるを得ない 独りよがりの持論を垂れ流す原因は自分が物事の本質を知っていると盲信していることによる。 >>698
全くだ
歴史を勉強すれば分かることなんだが無知者の盲信は手に負えない >>699
僕は君のことを言っている
君が碁の本質をわかっているとは到底思えない >>700
俺が分かっているかどうかは関係なくないか?
「碁の本質」と言っているのは中国の棋士達だし
「碁の本質」(盤石の数を競う等)というのは俺がどう思うかは関係なく歴史的に決まっているものなんだから 結局、囲碁ルール問題の本質は
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」っていう当たり前のことに尽きるんだよな >>706
原理主義じゃなくて言葉の定義の問題だ
ラグビーをサッカーと呼ぶなとかチェスを将棋と呼ぶなと同じ当たり前のこと
囲碁ルールの問題は言葉の誤用の問題に尽きる 実際「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」を適応すれば
ルールの問題はあっさり解決するからやってみればいい こりゃ気持ち悪い
碁知らん奴にそれ実際に言ってみたらいいやな
俺はお断りしますが >>709
歴史的に定まっている言葉の定義の話だし拒否する理由が分からないな
日本人が間違って言葉を混乱させただけで日本以外ではずっと碁(や棋)というのは「盤上の石の数を競うゲーム」のことなんだし
言葉を誤用する方が「気持ち悪い」と感じるのが普通の日本人の感性だと思うが >>710
交互に打つから、取った石の数を争うゲームにしても良かったのでは? >>711
それは数え方の問題で交互着手と着手義務(もしくは着手権利ならパス代)が守られるのなら意味は同じ
ただ「交互着手、着手義務で取った石の数を争うゲーム」というと表現が長くなる 石の数を競うと言うより、相手が着手義務を果たせなくなる状態まで追い込むゲームと考えたほうが良いのでは? >>713
言葉の定義の話なので「盤上の石の数を競う」と等価な表現なら何でもいいんだが
「盤上の石の数を競う」が最も簡潔で歴史的な実態に即した表現になっている
後は正しく言葉を使いましょうという小学生レベルの話だ このバカは大陸の歴史を礼賛して日本の歴史を間違ってると決めつけてるだけの反日売国奴
正しさの証明を歴史に求めるならば、地を争うゲームとして数百年千年と親しまれてきた日本では此方が正しい
かつ歴史(ルール)というのは現在進行系で常に塗り替えられていくものなのだから
物事が「歴史的に決まっている」だなんて発想は愚劣極まりない
加えて、これが言葉の定義の問題というのであれば、もはやそれは言語学の研究対象であり、ルールの問題ではない >>715
これがネトウヨかw
歴史を塗り替えていくなんてことをやるのは安倍政権くらいだぞw
誰も日本の歴史が間違っているなんて言っていない
大陸の碁と日本の囲碁が別のルールの別のゲームだと言っているだけだ
「碁」というのは大陸の碁のことなんだから言葉の問題として日本の囲碁は別の言葉で呼ぶ必要がある
囲碁のルールの問題というのは結局は大陸の碁と日本の囲碁の混同によって生じているのだから
言葉を正しく使えば自然と解決する 別のゲームとして扱いさえすれば良いというのであれば、
繰り返すが、それはルールではなく言語の問題だ。
例えば、外来語の「マンション」は語源と意味が異なるから、誤用だ、けしからんとな。
尤も、いまさらそんな批判をしたところで安々と言葉は変わらない。
まして碁の件では、ルールは違えど内容はどれも99.9%同じなのだからな。
しかも、そういう話ならば大した問題ではない。
普通の人は、自分が今どのルールで対局しているのかくらいはちゃんと分かってるから。 >>717
言葉の問題というのはとても重要であって実際に囲碁のルールは大きな問題になっているわけだが
公文書や歴史資料を権力者が好き勝手に改ざんしていいと考えているネトウヨには分からないだろうな
とにかく「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」という当たり前のことを実行すれば
囲碁のルール問題が解決することは確かだ >>714
いや、切り賃のことを考えたら、「相手が打てなくなったら負け」の方が正しい。 >>719
「盤上の石の数を競う」というのが大陸で数千年で続いた碁というゲームだ
これは誰もが認めている歴史的な事実なので否定しようがない >>721
歴史的なゲームの定義として「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」
切り賃廃止のゲームは碁とは別のゲームであって言葉は正しく使うべきである
誤用の帳尻を合わせる為に歴史や言葉を改ざんするようなことは論外である >>722
相手が打てなくなったら負けなのを、勝負が見えた時点で打ち切るための便法として石の数を競っているにすぎない
切り賃が必要なのはそういうこと >>718
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」という考え以外は一切認めない態度こそファシズムだろう
それに革新派は一般的に左翼のことを言うのだが
そんなことはどうでもいいけど、お前の口前を借りるならば
>>720
日本では碁が地を争うゲームとして続いてきたことは誰もが認める歴史的事実だ
否定しようがないぞ
ついでに聞いてみるが、盤上の石の数を競うゲームなら碁と呼んでいいならば
時にはオセロを碁と呼んでも一向に構わないな? >>723
歴史連呼してるやつとは別人なのか?
石の数を競うのは勝負が見えた時点で打ち切るための便法??
そんなことははじめて聞いたわ >>723
それは歴史的におかしい
切り賃ができる遥か前から石の数を競う碁は存在した
そもそも切り賃自体は数え方の問題であってルールとは関係ない
繰り返すが歴史の改ざんは論外だ
正しい言葉を使えは>>723のような間違いや改ざんを防ぐことができる
>>724はもういいだろ?
小学生以下の知能のネトウヨの相手をしたらスレが荒れてしまう ご【碁/×棊/▽棋】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
相対する二人が、縦横各19本の線によって仕切られた361の目のある盤の上に、黒・白の石を交互に置き、広く地(じ)を占めたほうを勝ちとする遊戯。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
辞書に書かれている言葉と、匿名のバカが間違いだ改竄だと盲信垂れ流してるのと、見てる人はどちらを信じるんだろうねえ? >>727
信じる信じないではなく歴史的な事実であって事実を否定している人は誰もいない
ただ辞書に堂々と誤用が載っているくらい言葉の定義が混乱していてそれが囲碁ルール問題を生んでいる
だから言葉を正しく使うようにすれば囲碁ルール問題は解決するという話だ 碁が地を競うゲームとして広く認識されてきたのも歴史的事実だ
ということは、[歴史的事実こそが何事にも先立って正しい]のだとするお前自身の論理を適用するなら、
勝手に誤用だと決めつけ事実を否定し改竄を目論んでいる張本人は、お前自身というわけだな >>716「碁」というのは大陸の碁のこと
根拠もなしに適当なことをほざくな
中国語では「碁」のことを「Go」とは発音しない
しかし、世界的には「Go」が圧倒的多数だ
「Go」は明らかに日本の碁のことだ >>729>>730
棋院自体が碁の起源は中国だと言っている
碁の起源が日本だというのはネトウヨの妄想だけだろ
>>727の辞書の定義では棋院の用法は説明できないから辞書に載っているのが誤用であることは明らかだ
https://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/ 碁の起源が日本だなんて誰も言ってないぞ。
碁の起源は中国だし、碁が石を数えるゲーム「だった」のも歴史的事実。はいそのとおり。
で、それがどうした。
国際普及に最初に取り組んだのは日本であり、今世界に普及している碁は、切り賃のなくなった日本から派生したもの。
実際、世界の各公式ルールから切り賃は絶滅しつつある。
(ちなみに王銘エンによれば、現行中国ルールすらも元の中国ルールから変わったものではなく、日本ルールを経由したものだという見解)
図にすると、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
原始囲碁→中国ルール(切賃有り)→現代ではマイナールール
↓
→日本ルール(切賃無し)→現代の世界各国(中国含む)のルール
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
よって現代における「碁」という言葉の世界的な共通認識は、
(昔は石を数えるゲームだったが、やがて)地を数える(ようになった)ゲームだ。
お前は上のほうで
>歴史を塗り替えていくなんてことをやるのは安倍政権くらいだぞw
なんてことを言っていたが、
上記歴史的事実を否定して、実態に即し正しく定義されている「碁」の言葉の意味を誤用だと言い張り、
「石を数えるゲーム以外は碁と呼ぶな」などと言って歴史を塗り替えようとしてるのは他ならぬお前自身だぞw 歴史的に碁というのは「盤上の石の数を競う」ゲームなんだな
日本式囲碁は似ているが別のゲームである
この二つを日本人が混同して世界に誤って広めてしまったために碁のルールが混乱してしまった
これが囲碁ルール問題の本質だ
だから言葉を正しく使うようにすれば解決するわけだ
ここまでは主義主張の話ではなく小学生でも分かる当たり前のことだ 一方で誤用や歴史改ざんが広まりすぎて現実的に解決が難しいのも事実ではある
メンツや政治的な問題もある
本来ルールは囲碁を楽しむ人のためにあるべきなんだが
囲碁ルール問題は深刻なんだよな バカに構うのは避けるべきだがメイエンの名誉のために一言だけ書いておく
現行の中国ルールが日本ルール由来だというのはメイエンの見解ではなく誰でも知っている常識的事実
メイエン(を始め棋士達)はルールが変更された等というバカなことは当然言っておらず
古来からの碁(純碁)のルールが変化(進化)して日本式囲碁が生まれたと言っている
純碁は当然、碁であり、日本式囲碁は新たに加わった新種であるが、ルールに優劣はないという立場だ 結局純碁というのは「相手が打てなくなったら勝ち」というゲームで「盤上の石の数を競う」のは便法
「盤上の石の数を競う」は「相手が打てなくなったら勝ち」より明快ではない >>736
言いたいことは分かるが論理的に同じことなら表現を変えても同じだ
どちらが便法だとか明快とかなく単に別の言葉で言い換えているだけ
あと何度も言われているように歴史的には「盤上の石の数を競う」という方が本来の表現だ
これは主義主張の話ではなく歴史的な事実なんだ >>737
それは終局の同意を拒み続ける奴を排除すればよかったからだ。
「相手が打てなくなったら勝ち」なら終局の同意はいらない。 >>738
純碁では終局に同意は必要ない
両者パスで決まるから負けている方がパスをすれば両者パスで負けが自動的に確定する
だから「相手が打てなくなったら勝ち」と同じだ
もちろん着手やパスを拒否するという選択肢はあってその場合は時間切れに頼るしかないが
これはどんな状況やルールでもターン製のゲームなら発生することなのでルールの問題とはいえない >>739
着手が義務ならパスした時点で負けだろ? >>740
純碁は着手権利だ
そもそも着手義務(もしくはパス代)が必要なのは日本式だけで純碁も中国式も着手義務ではない
さらに着手義務ならパス自体が存在しないので負けではなくパス自体ができない
それ以前に着手義務であっても「相手が打てなくなったら勝ち」と同じだ
一文にこれだけの間違いを詰め込めるなんて天才だなw >>741
着手義務なんだからパスの意思表示をしたら反則負けということ 囲めば取れる
相手が打てなくなったら勝ち
これ以上に簡明な話があるか?
盤上の石の数なんて副次的なものでしかない。 >>742
ルールにパスの規定がないんだからそんなルールはありえないw
パスの意思表示をしても反則でもなんでもなく無視されて時間切れになるだけ >>743
あなたの意見は十分に分かった
これ以上、相手をするとスレが荒れるのでここまでにするよ >>745
君こそが荒らし
石の数を競う理由が説明できないまま本質本質と連呼しているだけ 「碁」が誤用だとか言ってるバカは現代語使わずに古語でも話してろよ
もっとも古語もこいつの考え方じゃほぼ全て誤用だけどな
当然常用漢字も使用禁止な
百歩譲っても康煕字典体、正しくは甲骨文字ないしさらなる原初の文字
ひらがななんぞ論外だ このスレの新参だけど、「盤上の石の数を競う以外は『碁』と呼ぶのは歴史的に間違い」ってのにはついていけんなあ
マラソンは今は42.195kmだけど、オリンピックの最初のころは40kmで競っていたらしい
「40km以外はマラソンって呼ぶのは歴史的にみて誤用」って叫んでるようなものだ
碁のルールに混乱している部分があるとしても、呼び方が原因でもないだろう 「純碁でパス禁止」「相手が打てなくなったら勝ち」
てのも明らかに別ゲーだからな
こういう図を考えればすぐにわかること
┏●●○○○○
●┼●○○○○
┠●●○○○○
●┼●○○○○
┠●●○○○○
●┼●○○○○
┗●●○┷○┛
黒ハマ0
白ハマ12 >>749
まず前提として日本式囲碁の場合はゲームの目的自体が変わっている
またルールが変更されたわけではなくて大陸の囲碁も日本の囲碁もどちらも1000年くらい前から共存して現在に至っている
例えは難しいんだが陸上で言うと幅跳びと高飛びみたいなものかな
長い距離を飛んだ方が勝ちという幅跳びが大陸で数千年前からあったとして
新しく高く飛んだ方が勝ちという高飛びが日本で千年くらい前にできたとする
どっちも飛翔力を競うという意味では似ているが別のゲーム
この時に高飛びを高飛びとは言わずに幅跳びと呼んで
幅跳びというのは高く飛んだ方が勝ちというゲームであると辞書にも書いて
幅跳びは大陸に数千年前からある競技であると言って
幅跳びの統一ルールを作るべきであると主張して全然話がまとまらない
現在の囲碁はそういう状況なんだ >>750
まず純碁ではパスは禁止されていない
その局面は黒がパスをしないとできないので黒がパスをした時に白もパスをして
その時点で終局となって盤上の石が多い白の勝ちとなる
「相手が打てなくなったら勝ち」というのは昔からある言い換えではあるんだよ
「盤上の石の数なんて副次的」というのはおかしいけどね >>750
あっすまん
黒がパスしなくてもできる可能性はあるか
その場合は「相手が打てなくなったら勝ち」の言い換えは成立しないな こいつこれで囲碁初心者だからな
野球ど素人のくせに自分が監督やったら優勝できるような口ぶりのやつがたまにいるがそれと同じ
なんの役にも立たない木っ端だよこいつは >>751
いやそれは「幅」とか「高」とかの一般名詞が入っているから、呼び方が違うと混乱するのは当然だよ
「碁」は一般名詞ではないから、今の碁を「碁」と呼んでも何の混乱もないだろう >>755
問題は飛んだ「長さ」を競うか「高さ」を競うかという目的の違いであって
「幅」という文字が入ってるかは関係ない
>>751の「幅跳び」を例えば「ジャンプ競技」に変えても混乱状況は変わらない
実際に囲碁でも混乱しているわけだし 「目的の違い」が重要なのはわかってるよ
だからこそ「呼び方の違い」は副次的な要素なんだよ
今これだけ地を競うゲームを「碁」と呼んでして定着してるのに
、いまさら「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」なんていうのにはついていけないなって言ってるんだよ 混乱している実例として>>755のいう「今の碁」とは何のことなのか?
大陸に数千年前から現在まである「盤上の石の数を競う」ゲームのことか
日本に千年くらい前から現在まである「地の多少を競う」ゲームのことか
「今の碁」があるということは「昔の碁」があるということだろうが単に「碁」と言った場合にはどちらのことなのか?
もし「碁」という言葉が大陸の碁と日本の囲碁を両方含むものだとしたら両者をどう区別すればいいのか?
また「碁」を「地の多少を競う」ゲームとだけ説明するのはおかしいということにならないのか?
全ては言葉の定義から生じている混乱なんだよな >>757
>今これだけ地を競うゲームを「碁」と呼んでして定着してるのに
これが正に混乱そのものでしょw
「地を競うゲーム」というのは千年くらい前に日本でできたゲームであって
棋院の言う数千年前に大陸でできて日本に伝承されたゲームではないんだから >>758
仮にあなたのいうように言葉の定義を整理する必要があるとしても「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」ということなんでしょう? >>760
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」というのは言葉の定義を整理する方法論の一つだ
誤用を正すというのは論語にもあるくらい最も普通のやり方だからな
もちろん言葉の定義が整理できれば別の方法でもいい >>761
じゃ最初からそういう柔らかい言い方をしなよ
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」というから最初から結論ありきで、それ以外は聞く耳を持たないようなニュアンスだから反発を呼ぶんだよ >>762
柔らかい言い方をしていたら伝わらないことがあるんだ
敢えて直接的なトゲのある言い方をすることで問題点が浮き彫りになる あえて反発を呼んで問題点を浮き彫りにする手法をわざわざ取ってるならこれ以上言わない。ただしあまり気持ちのいいやり方ではないな >>764
もし気持ち悪く感じたとしたら、その感情こそが囲碁ルール問題の根源なんだな
歴史起源通りに碁を「盤上の石の数を競う」ゲームに限定したくない(むしろ「地を争う」ゲームに改竄したい)何らかの感情が働いているわけだ
この感情が論理に基づくものではないことは切り賃論争ですでに分かっているわけだが
どういう感情なのかという詳細はまだ理解しきれていない 不用意にバカに構って籠絡されてるアホもいるようだが、
そもそもの大前提として地か石かでルールの混乱などまるで生じていない
中国ですら切り賃なしを受け入れている
>問題点を浮き彫りにする手法をわざわざ取ってる
のではなく、火のないところに煙を立てているだけだ
黒板を引っ掻く音やゴキブリが気持ち悪がられるのと同じように
切り賃が気持ち悪い(かったるい)と感じるのは特に理由のない人間の自然な感情 >>765
なんか勘違いしているようなので一言言っとくが、「気持ちよくない」というのは、あんたのその手法(わざと反発を呼ぶ)のことなんだ >>750
別ゲーになるというのはおかしい
コミ碁とコミ無し碁は別ゲーと言ってるようなものだ >>767
わざと反発を呼ぶとは言っていないし注目を浴びることを目的とした所謂炎上商法的なやり方もしていない
問題点を浮き彫りにするために直接的なトゲのある言い方をしていると言っている
正論をストレートに言った時にトゲに引っかかる部分というのが問題の本質になっているんだ
今回も実際に「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」という正論をぶつけられた時に
心に引っかかる部分が囲碁ルール問題の本質になっているわけだな >>769
>言葉は語源による正しい使い方をするべき
お前本当にそんな日本語使ってんのか?
もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字なんか現代日本語には腐るほどある
お前も今のところ平気でそういう言葉を使ってる
きちがいもここまで来ると大したもんだと言いたいところだが、
有言実行ということで完全に語源に乗っ取った、意味の変化を一切許容しない日本語を披露してほしいものだな
日本語の専門家でも不可能に近いはずだが 「おいしい」は「御・美(い)し」で「好ましい」「すばらしい」などの意味だった
それが江戸時代ごろに「美味」の意味を持つようになったとされる
このバカは「おいしい」と口にするやつを不快に感じるらしい
もちろん「おいしい」に限らず、ありとあらゆる日本語を不快に感じることになる
生きてて辛くないのだろうか 769の最後の三行、この人本当にこんなに考えてるなら驚きというか浮世離れとしか言いようがない
このスレ内だけじゃなくて、日常に出会う一般の人間ときっと普通の会話できてないだろう さて、歴史起源通りに碁を「盤上の石の数を競う」ゲームに限定したくない
むしろ「地を争う」ゲームに改竄したいという感情はなんなのか?
今のところ考えられる理由の仮説
1.若い頃に習ったから周りに誤用している人が多いからという慣性によるもの
2.棋院も誤用している(囲碁規約)からという権威主義によるもの
3.囲碁を日本由来にしたいという捻じ曲がった国粋主義的な感覚によるもの
4.囲碁を高尚なものだと思わせたいという偉ぶりたい感覚によるもの >>773
え?
今現在すでに「碁」っていえば(中国ルールも含めて)地を争うゲームのことじゃん
「盤上に置ける石の数を争うゲーム」のことに限定したいのはそっちじゃん 勝手に公文書(すでに定められ定着している定義)を勝手に改竄するなよ 1.若い頃に習ったから周りに誤用している人が多いからという慣性によるもの
これは自然な感情だが純粋にこの感情による場合は正しいことを知った時点で改めようとするのが普通であるし
まして積極的に改竄しようというという動機にはならない
ただし碁打ちでも囲碁の歴史起源を知らない人は多い
2.棋院も誤用している(囲碁規約)からという権威主義によるもの
これは国語改革問題や漢字検定問題等でも問題になった権威の悪用の問題
間違ったものに権威がお墨付きを与えてしまうと間違っていても正すのが難しくなるという現代社会の大問題の一つ
3.囲碁を日本由来にしたいという捻じ曲がった国粋主義的な感覚によるもの
これは世界中にその手の人々がいるが理知的な人間であれば相手にしない
とはいえ大声でノイジーで権力を持っている場合もある
4.囲碁を高尚なものだと思わせたいという偉ぶりたい感覚によるもの
「すべからく」問題と同様の話
簡単なことをわざと難解な表現で書きたいという人々がいて結果的に誤用を生み出す
囲碁のルール自体もわざと難解にしたいという人々もいるようだ こいつはどうしようもないきちがいだが、そのうざったさに拍車をかけているのが全く対話が成立しない点にある
コンピュータースレで周りの制止を無視してめちゃくちゃな主張を繰り返し、10年以上の歴史があったスレを崩壊させたのもこいつ
自分の主張を正当化しようとして適当なリンクを引っ張ってくるが、思考にフィルターがかかりすぎて記事の内容を完全に誤読すること多数
どういう定義で話を進めているのかと指摘されると「当たり前のこと」だの言ってはぐらかす
三流宗教家にも劣る低知能ボキャ貧コミュ難がこいつ 碁という言葉の誤用とその背景心理の問題は囲碁ルール問題の根源部分なので重要だが
それとは別の問題として
日本式囲碁を碁と呼ぶ誤用はもう広まりすぎているから仕方がないとして辞書に意味を加えるとした時に
碁という言葉の使い分けをどうするかという問題がある
単に「碁」というと一つのゲームであるかのように認識されているので
ポーカー等のように多様なルールのゲームの集合体だという認識に変える必要が出てくるわけだが
具体的にどうしていくべきなのか?
少なくともルールの分類と言葉の定義の問題は必要になってくる
これは碁の普及活動の問題でもあるし言葉の使い方の問題でもある 「広がりすぎて仕方がないから」かどうかは別にして、現在「碁」といえば地を争うゲームのことに限定して用いていることを認めるところからスタートしないと話にならない
終局してから「この碁は石の数を争うゲームでしょ」と言われれば誰だってお前も怒るだろう?
それを「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁といってはならない」ところからスタートしようとすることを世間では「改鼠」という そもそも「碁(棋)」って単にボードゲーム全般を意味するだけだよね
なんで言葉の問題にしたがってるのかがわからない
ルールなんて解釈の問題であってゲームとしてやってることは一緒じゃん
アルファ碁は中国ルールだろうが日本ルールだろうが基本的に同じ手を打つし同じように強い >>780
だったら囲碁の統一ルールは純碁(切り賃あり中国ルール)ということで文句ないはずだが
現実には意味不明な文句を叫ぶ人がいて話がまとまらない
囲碁の普及を妨げる要因の一つにもなっている
コンピュータ囲碁でも問題になっている
このスレを見ても分かるように囲碁ルールの話になると発狂する人が出て議論にならなくなるんだな
これは表面的には言葉の問題なんだが言葉の裏にはドロドロした心理がある なんかこの人自分の都合のいいレスにだけレスして、都合の悪いレスにははぐらかしたり無視したり発狂扱いするんだね >>782
どれのこと?
スレ違いや明らかにバカなことを書いている荒らしに構うとスレが荒れてしまうから無視しているだけだが 例えば770で「もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字なんか現代日本語には腐るほどある」という指摘には答えていない
これは決してこれまでの話と無関係なことじゃないじゃん
それから779で「現在「碁」といえば地を争うゲームのことに限定して用いていること」を認めるかどうかはっきりしてよ >>781
俺個人としては純碁が一番美しいと思ってるけど
現実には伝統がものを言っているだけであって
表面的に言葉の問題だという意味もわからないしその裏には自分の立場と好みがあるだけでしょ >>784
まず「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論であって
これに異議があるのなら別の板でやって欲しい
その上で他にも誤用があるから「碁」の誤用もいいじゃないかということには当然ならない
車の速度違反で捕まって他のみんなもやっていると抗弁するようなものだ
しかも碁の場合には実害まで出ているのだから他の無害な例と一緒にすることもできない
「碁」のオリジナルの意味は古代から大陸にあり日本にも伝承された「盤上の石の数を競う」ゲームのことであり
現在でもその意味で使われていることが多い
上で棋院の用例を挙げたが一般の認識としても囲碁は大陸由来のゲームであるというのがほとんどだろう
ただし本来の囲碁が「盤上の石の数を競う」ゲームだとまでは知らない人が多い
大陸の碁ではなく日本で発明された「地を争う」ゲームに限定して使うことはオリジナルの意味に反するので誤用であるが
明確に誤用である(すなわちオリジナルの定義では意味が通じなくなる)という使い方も広まっている
これが正に問題であるわけだな >>785
歴史と言葉の問題には個人の立場や好みは関係ない
おれがどう思うかは関係無しに本来の碁は「盤上の石の数を競う」ゲームなんだし日本式囲碁はそれとは別のゲームなんだ
今回の件でおれは自分の個人的な意見や主張を言っていない
表面的に言葉の問題だというのは大陸の碁と日本式囲碁を言葉として明確に区別していればルール問題は存在しないということ 「もともとの語源とは離れた意味になってる言葉や漢字」=誤用
とは限らん。広く一般に使われればそれがその言葉になる
「碁」も同様
車の制限速度ですら、実測に合わせて変えることも多い >>787
本来のゲームの目的がそうなのは良しとして日本ルールが別のゲームだというのはお前の主観的な意見だよね
例えばチャトランガでは王様を取ることが勝利条件だったけどチェスや将棋ではそれが合理化されて詰めることが勝利条件となった
どうぶつしょうぎというゲームではわかりやすく王様を取ることを勝利条件にしてるけどそれを詰めたら勝ちというルールにしたらお前の中では全く別のゲームなのか?
国際棋戦が問題なく行われている時点でほぼ同じゲームとしてみんなが認識してるし残念ながら言葉の問題にはなり得ないよ
なぜならゲームの手順も結果もほぼ変わらないから >>788
そういうのは国語板(?)でやれよ
誤用は意味が通じなくだけではなく論理や認識を歪めてしまうから問題なんだな
こういう最低限の教養もないバカを相手にするとスレが荒れるから避けているんだが >>789
日本式囲碁が「盤上の石の数を競う」ゲームではないというのは囲碁規約に明記されているくらいの常識だぞ
貴方はあまりにも囲碁について知識が無さ過ぎる
あと詰みと玉を取ることは意味としては同じなんだが、なぜ「全く別のゲーム」のゲームだと思うのか(スレ違いなので返答不要) >>791
事実と意見は区別してね
「別のゲーム」「意味としては同じ」
これらが単なるお前の主観ではないという根拠は? >>790
ん?
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」といって言葉の問題にしたのはお前じゃなかったっけ? >>786
>「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論
学問板でこれ書いてきてみなよ
どこの文系の板でも失笑を買うだけだぜ ちなみに
>「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」というのは一般的な正論
であるのなら、「碁」を石数を競うゲームの名前にあてることこそ「誤用」だな
他の人も指摘してるが、「碁」という字はもともとは単にボードゲームを指す字に過ぎない
つまり「碁」という字を石数ゲームの意味で使うのは「球」をサッカーの意味にするのと同じで、こいつの理屈に従えば「誤用」となる
ちなみに「碁」の別名は「囲碁」だが、「囲」は「かこむ」の意味だから石数ゲームの意味では使えないなあ
結局石数ゲームの意味で使える単語は中国にも日本にも、過去にも今にも存在しないようだ
残念だなあ こいつは「本来」とか「合理的」とか、この話をするにあたって欠かせない用語の定義は「辞書の通り」とかいって逃げるくせに
辞書に載ってる「碁」の定義(地を競う)を誤用だと言って決めつける
ご都合主義にもほどがあるぜ こいつが「この魚おいしいね」って言ってる女に
「「おいしい」は「美味」という意味ではなく「すばらしい」という意味だよ、語源に則った正しい日本語を使おうね」って返答するような調子の人生おくってんのならまだ分かるが、
そうでなきゃ本当にただのご都合主義だな デマを書いている荒らしが沸いているがスレ違いの内容なので訂正できないのが苛立たしいw
どうやら>>795は包含関係が理解できていないようだな
サッカーを球技やフットボールというのは誤用でもなんでもないがラグビーをサッカーというと誤用になるということが理解できないらしい
少し正確に書くと「古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯」(の総称)を碁と呼んでいて
その一つに「盤上の石の数を競う」ゲームがある
当然その中に日本の新しいゲームである「地を争う」ゲームは含まれていない
「盤上の石の数を競う」ゲームのみを指す用語はなく、碁の他のゲーム(乱碁,弾碁,格碁等)は衰退したか、
別の新しいゲームに発展して名前を変えたので(連珠等)、今ではほぼ碁=「盤上の石の数を競う」ゲームとなっている
>>796
誤用かどうかはおれが決めることではなく歴史的な言葉の定義から決まっていることだぞ >>798
なにそれ?
辞書の碁の定義が誤用なんてお前(だけ)が言ってる、すなわちお前だけが決めてるんだよ >>798
「碁」と「日本式囲碁」が別のゲームであるとする主観なしの根拠は? >>798
言ってることが全く違う
そもそも「碁」は「棊(棋)」の異体字で源義は「テーブルゲーム」
もともと「棊」という字があり、のちに材質の違いから「碁」という異体字が生まれたが、
異体字の関係にあるからもともとは両者に厳密な使い分けは存在しない
実際現代中国語では「棋」に統一されているし、日本でも「圍棊」等の字体は散見される
「碁」という文字には「テーブルゲーム」、狭義には「石を使うテーブルゲーム」という字義しかない
それがのちにもっぱら「囲碁というゲーム」の意味に使われるようになっただけ
「碁」の源義=「盤上の石の数を競うゲーム」なんてことはあり得ない
少しは漢字の成り立ちくらい勉強しろよ >>798
あと、語源に基づいた正しい日本語を使ってもらえないかね?
たとえば「新(あたら)しい」は「改(あらた)む」から派生した語で
「新(あら)たし」と書き「もったいない、惜しい」という意味で使わなければいけない
まあ平安時代ごろには既に「あたらし」に移行したらしいが、
奈良時代に「あらたし」と読まれてたのなら当然そっちが正しくて「あたらし(あたらしい)」は間違った日本語なんだよな?
お前が言ってんのはそういうことだぜ? >>799-802のバカはスルーでいいな?
誤用の意味も分かってないし包含関係すら理解できていないし語源の説明も全てデタラメだし囲碁の知識もないし小学生レベルの常識もない
(「あたらし」が誤読であるというのは確かにそういう説が一般的だがこれは音変化であって誤用とは違うという話はスレ違い)
このバカに構っていると無駄にスレが荒れるだけだ
いい加減にコテをつけて欲しいものだが いやいや絶対スルーじゃダメだろ(笑)
情けないおじさんだな
逃げてないで>>792に答えなよ >>803
だから語源に則った正しい日本語使えってんだよな〜
スルー、すなわちthroughには「〜を通じて」「〜を経由して」等の意味しかない
「無視する」の意味は近年生まれた和製英語で語源に則った正しい日本語とは言えないな
そもそもこの用法は辞書にすら載ってないか、あるいは「俗に」などの断りが入ることが多い
こいつの基準じゃ完全に「誤用」だろう
自分で問題提起しておきながら、自分が正しい日本語を使えていないのはどうなんだい? >>798
またでた
「歴史的に決まっている」
↑これはいったいなんの呪文だ?
過去は変えられないから「歴史」なら決まっているけども、
歴史的に決まっている「物事」なんて何一つ存在しないぞ。
上の方で「切り賃がなくなった合理的理由はなんだ」って
しつこく喰らい付いてスレを荒らしていたのがお前だということは
文体やバカさ加減からして火を見るより明らかだが、
今度は立場が逆転して、皆がお前に対して
「碁が石を数えるルールでなければならない合理的理由はなんだ」
と尋ねているわけだ。
それに対してお前は、「歴史的に決まっている」などという不合理、意味不明な理由しか挙げられないでいる。
さあ早く誰もが納得できる合理的理由を説明してみろ。 あんまりいじめるのもアレだから捕捉しといてやるけど、この人が言ってんのは結局ただの極論でしかないんだよな
「信号無視は犯罪である」
「犯罪者は社会から隔離したほうが人々は幸せになる」
「ゆえに信号無視を犯した君は死刑に処されるべきである」
みたいな
「そこまでする必要があるのか」
「些細な罪で死刑にしては彼の死を悲しむ人がいる」
みたいな反論には
「それは関係ない」
という調子だから全く議論にならない
もうちょい多面的な考え方ができるようになったほうがいいよこの人は 「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」
と偉そうにのたもうたのが全部自分自身に却ってきたってことだな
これに懲りてこのスレではどや顔するなよ さて話を戻そう
本来、碁というのは「古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯」(の総称)のことであり
特にその中の「盤上の石の数を競う」ゲームのことを言う
これはよく知られた歴史的な事実と言葉の定義であり、棋院を始めほとんどの囲碁関係者の共通認識である
ちなみに中国語でボードゲームは版圖遊戲などと言い
当たり前だが(荒らしが言っているような)オセロを碁や棋などと呼ぶようなことはない
一方で日本式囲碁は「地の大小を競う」ゲームであり、「盤上の石の数を競う」ゲームとは目的が異なるゲームである
これは日本囲碁規約に明記されていることであり、(荒らし以外は)全ての囲碁関係者の共通認識である
大陸の碁においてはルールが明確かつ完全であるために「ルール問題」は存在しない
「ルール問題」は地の定義を必要とする日本式囲碁に特有なものであり、
大陸の碁と日本式囲碁の混合が現在の囲碁ルール問題を生んでいる
このことも(荒らし以外は)全ての囲碁関係者の共通認識である
以上の話はよく知られている事実の説明であって、おれの個人的な見解や主観によらない さて「言葉は語源による正しい使い方をするべきで、誤用はやめるべきだ」という一般的な正論がある
言葉を誤用すると、情報伝達に失敗したり、論理がおかしくなったり、認識が誤誘導されてしまったりするからだ
これは論語にもあるくらいの正論であり(荒らし以外は)社会的に広く認められている
この正論をそのまま「碁」に当てはめてみるという思考実験を行ってみると
「盤上の石の数を競う以外のゲームを碁と呼んではならない」ということになるが
これを実行すれば囲碁ルール問題は解決することが分かる
つまり囲碁ルール問題は言葉の問題であるとも言えるわけだ
ところが実際には「碁」の誤用を正すことには大きな心理的な抵抗が生じる
実際にこの誤用は広まっており、これは積極的に誤用を促す何らかの感情がないと説明がつかない
この感情が囲碁ルール問題の根源にあることが分かる
以上の話はただの事実と合理的な推論であり、おれの個人的な見解や主観によらない
当たり前のことだが、おれが「誤用はやめるべきだ」と主張しているわけではない(荒らしが藁人形を叩いているが) この感情が何に由来するかというのが目下の論点の一つだ
おれの考える叩き台的な仮説は>>773>>776にまとめた通り
もう一つの論点は実際に誤用が広まっているという現実を踏まえた上で
言葉の定義をどのように整理して囲碁ルール問題を解決していくのかという点
ここについてはおれは個人的な考えを持っているがまだ書いていない 自分でも何言ってるのかわかっないっぽいよね長文の人って この人はWikipediaの「誤謬」の項目でも見とくことをおすすめする
論理的な瑕疵があまりにも多すぎる
転倒した倫理観を転倒した論理で支えていることはよくあることだが、ここまで来るとねえ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC?wprov=sfla1 >>813
もし論理的な瑕疵があるのなら具体的に指摘した方がいい
指摘できないのなら荒らしになるだけだから書くべきではないな 大陸では数千年前から石と盤を使ったゲームが存在していた
それらのゲームを碁といい
その中でも特にメジャーであった「盤上の石の数を競う」ゲームは現在でも親しまれている
一方で日本では千年ほど前から「地の多少を競う」ゲームが行われている
このゲームは碁の変化形であり、日本ローカルなゲームであったが、ここ100年くらいで世界に広まった
ここではこのゲームのことを「日本式囲碁」と呼ぶことにする
「盤上の石の数を競う」碁と「地の多少を競う」日本式囲碁はゲームの目的が違うため
ルールの根幹部分が異なっており、両者を混同するとルール問題が発生する この混同は「日本式囲碁」を「碁」や「囲碁」と呼ぶ言葉の誤用に起因する
例えば「囲碁教室」と言えば、本来は純碁を教える教室であるはずだが、「日本式囲碁」を教えている
いわゆる羊頭狗肉の状態だ
この状態を正すには、言葉の誤用をやめて「日本式囲碁教室」にするか、
「日本式囲碁」のルールを変更して「盤上の石の数を競う」ゲームに合流するしかない
以上は誰でも分かる簡単で論理的な話だ
しかし現実には大きな心理的な反発が発生する
心理的な反発の原因を議論する前に
その防衛機制から生じる反論について検討しよう 反論1
「日本式囲碁」を「碁」と言うのは昔から広く使われている用語であるし
羊頭狗肉であっても狗肉であることを皆が知っていれば問題ないのではないか
この反論は実際に「日本式囲碁」と「碁」の混同が発生している現実から目を背けている
ただの現実逃避にすぎない
また「狗肉であることを皆が知ってい」るのなら堂々と「狗肉」として売ればいいだけだ
「日本式囲碁教室」とすることに何か問題があるのか
反論2
ほとんど同じゲームなんだから「日本式囲碁」も「碁」に含めて問題ないのではないか
この反論も現実にルール問題が発生していることから目を背ける現実逃避である
ほとんど同じゲームならルールが問題になることはないのだ
また仮に「碁」の定義を広げるにしても元々の「碁」の定義に「日本式囲碁」が追加されるだけで上書きされるわけではない
「囲碁教室」は純碁に加えて日本式囲碁も教える教室という意味になる
問題は何も解決しない
反論3
ルールなんてどうでもいいのではないか
だったら囲碁規約は廃止でいいな?
細かなルールに拘り、押し付けたい人々がいるからルール問題が生じているのであって
その人たちを説得できないのなら問題は解決しない 論点1.歴史を捏造するべきか?
碁というゲームは歴史的に「盤上の石の数」を競うゲームだった
この歴史的事実を「地の多少」を競うゲームだったという風に捏造するべきかどうか
岩波の広辞苑等の一部の辞書部門や棋院の一部等は捏造するべきとの考え
一方で平凡社等の出版社や一部の棋士等は歴史を捏造せずに正しく伝えている
個人的な意見としては捏造する・しないは個人の自由だと考える
自分自身は捏造はしないし捏造する人は好きではないのだが
それは個人的な感情であって捏造したい人々に捏造を禁止する合理的な理由はない
ただし事実を誤解してしまう人が出てくるので捏造を捏造だと指摘することは大切だ
特に子供にはしっかりと教育するべきだろう 論点2.「碁」の定義に日本式囲碁を加えるべきか?
歴史の捏造をしなかった場合に、歴史的な「碁」の定義を拡大して日本式囲碁を加えるべきかどうか
慣習的な言葉の誤用を容認するかどうかという問題の一つになる
個人的には容認してもいいと考える
もちろん厳密な言葉遣いをする方が望ましいが、他人に禁止するまでの合理的な理由はない
ただし本来の碁と日本式囲碁の区別は必要なので、誤解の生じない用法は必要になる
拡大された「碁」「囲碁」の辞書的な定義は以下のようになる
一、古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯の総称
二、特にその中でも盤上の石の数を競う遊戯のこと
三、そこから派生した「地」の多少を競う遊戯(日本式ルール)の呼称にも使われることがある(厳密には誤用) 論点2’.碁のルールを統一するべきか?
論点2の言葉の誤用を容認するかどうかと同じ問題
なので個人的には統一しなくてもよいと考える
碁のルールは対局者が好きなルールを自由に選んで使えばいい
大会においてはルールが公開され参加者の承認が得られているのなら問題ない
もちろん参加者には承認せずに棄権し、その事実を公表する権利がある >>820
碁のルールにそこまで詳しくないが主張は理解できるが
一種の原理主義だよ
逆に他の宗教とかの原理主義者の事例をその原理主義者たちの立場を考えて考えてみると良い ローカルルール程度の話を「言葉の御用」とまで言ってしまうことの大げさ具合がわからないんだろうな
数え方が違うから別のゲームだと連呼するのはいいけど名称を変更すべきほどの違いだとする根拠は一切答えられない
「ほとんど同じゲームならルールが問題になることはない」←意味不明な論理 >>822
歴史を捏造したりルールを信仰したりするのは原理主義というよりはカルト宗教に近いな
日本ルール教と考えるのが分かりやすいかもな
>>823
あんたはいい加減にコテつけろよw
「数え方が違う」ではなく「目的が違う」ゲームだからルールの問題になっている 囲碁の歴史捏造問題を考える上で1949(昭和24)年に制定された旧日本棋院囲碁規約の前文をテキストにしてみたい
新規約の序文も相当にアレだが旧規約のは完全にカルト教典になっている
まずは読んでみて欲しい
http://park6.wakwak.com/~igo/igorule/kiyaku.html >>825
前文を引用しようとするとNGに引っかかり投稿することができない
囲碁板で棋院規約が荒らし認定されるという冗談にもならない話だがそれくらいの内容だ
前文の全文はリンク先を見てもらって議論は部分引用(いくらなんでも大丈夫だろう)で進めよう 比較のために日本チェス規約の序文も置いておく
こちらは当然チェスと将棋を混同したりしていないし歴史を捏造したりカルト的な内容が書かれていたりすることはない
これが当たり前だ
http://www.jca-chess.com/jcatyesukiyaku.htm
この棋約( 以下日本棋約または単に本棋約という )は世界共通のゲームとしてのチェスの基本的、かつ唯一の国際統一ルールを
「 The Laws of Chess ・ 1996改正 FIDE 」に準拠して制定されたもので、
The Laws of Chess( 以下国際棋約と言う )の前言に従い、日本国領域内に於いては、国際棋約の一部である。
従って、本棋約は公的私的を問わず、日本国領域内に於いて行われる全てのチェスゲーム活動の基本であり、チェスゲームを盤上で行うときの合意事項である。
盤上であるいは競技会場で紛争が起きたとき、この棋約に従っていないものは、なん人も正当性を持つことはできない。
本棋約の適用に於いて国際棋約との間に著しい矛盾のあるときは、
本棋約の該当する条項は、JCAルール審議会により資格を与えられたものの裁定により、一時的、かつ部分的に失効する。
本棋約と国際棋約との間に矛盾とは言えないまでも、重ならない部分があった場合、その部分については、次の場合に限り初めから本棋約の条項は適用されない。
日本国領域内に於いて行われる全ての国際公式戦およびFIDEレイティング競技会において国際棋約に定められいてないことの内、
決定がJCAの指定する主催者またはアービターの裁量権の範囲を越える場合。
(以下略) さらに碁の規約の客観的な解説として旧中国ルールの英訳を置いておこう
http://www.cs.cmu.edu/~wjh/go/rules/Chinese.html
最初に伝統ルールは石の数を競うものだという説明があり、
その後に切り賃の説明があって、切り賃をなくしたものが現代ルールであるという事実が書かれている
このように、伝統ルールと現代ルールの2つのルール(ゲーム)が存在していること
現代ルールは伝統ルールの一部を改変したものであるというのが歴史的にも正しく当たり前の解説のやり方だ
ただしここでの伝統ルールというのは本来の碁のことだが
現代ルールというのは日本式囲碁のことではなく現在の中国ルールのこと
国際的には歴史捏造は許されないので伝統ルールを廃止して日本式囲碁に書き換えるというのはありえず
統一ルールというのは伝統ルールはそのままに現代ルールの国際統一をはかるものになるが
現代ルールの統一ルールを作るのか、日本式囲碁の統一ルールを作るのかでもめて分裂状態になっている
これも言葉の問題の一種である >>828
あれ?目的が違うから別のゲームだとかって持論はどこへいった?
日本の改変→歴史の捏造
中国様の改変→現代ルール
やっぱりただの売国奴じゃん ついでに、目的が違えば別のゲームってのにもつっこんでおくが、
サッカーもラグビーもホッケーもゴールポストにたくさん玉を入れるという目的は変わらないな
だったらこれらの競技はすべて同じゲームってことでいいなw さて>>825の旧規約を読む上でのポイントは以下の3点になる
1.旧規約の成立の経緯
2.(当時の)国際ルールと旧規約の対応関係
3.旧規約上で行われるゲームの名称
これらを順番に詳しく見ていこう 1.旧規約の成立の経緯
よく知られているように旧規約は1948年7月の呉対岩本の日本式囲碁の対局における手入れ問題に端を発し
日本式囲碁のルールの成文化の必要性に迫られて翌年10月に制定されたものである
戦後の状況下における1年という短い期間の「慎重審議」の産物であり
「徳川時代以来の慣習として認められてきたものを成文化した為、
理論面での明確性が必ずしも充分と云えない」(吉国)ものとなった
ちなみに棋院は「日本で初めての成文法」であると主張しているが、もちろんこれは捏造であり
民間人(当時は棋院も民間の法人)による成文ルールはそれ以前から公表されている
旧規約の前文においては
「内外の事情により囲碁規約の制定がまさに刻下の緊要事であること」
を制定理由に挙げている
ここで「内」というのは上で挙げた呉対岩本戦により生じた社会的な要請のことであり
「外」というのは
「今や囲碁が国際的に普及する段階に達しており、今後国際的囲碁競技にまで進展することが期待」
されている国際的な状況のことであるとされている この時点で普通の人なら頭が疑問符で一杯になるだろう
呉対岩本戦の問題は日本式囲碁だから生じたものであり
なぜ「囲碁規約」が問題になるのか?
実際に国際ルールに準拠した「囲碁規約」は島田らによって当時すでに成文化されており
国際ルールを用いていれば問題は生じ得なかった
社会的に求められていたのは日本式囲碁のルールの成文化であって「囲碁規約」は関係ない
そもそも旧規約は日本式囲碁の成文ルールであって「囲碁規約」ではない
「囲碁が国際的に普及する段階」って日本は普及された側でしょう?
「国際的囲碁競技」の環境整備にローカルな日本式囲碁も旧規約も関係ないでしょう? これらの疑問は、旧規約が「囲碁」という言葉を誤用しており
日本式囲碁のことを指していると理解すれば解消する
新規約では「日本ルール」「日本囲碁」「日本の囲碁」等の用語が見られるが
旧規約では一貫して「囲碁」を日本式囲碁に限定して用いている
「各方面の権威者」が公式文章で用法を誤るわけがないので
この誤用は明らかに意図的なものであり、その後の誤用の流布の大本になる
では、旧規約上で「囲碁」が日本式囲碁のことだとするなら
本来の囲碁や国際ルールは旧規約上ではどのように表現されているのか?
それらは旧規約では存在自体が抹消されている
囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
もちろんこれは歴史の捏造である
各国の伝統的な囲碁の存在を無視して抹消し、優れた日本式囲碁を「国際的に普及する」
「その実現によって国際親善と世界平和の増進に貢献する」
今から見ればカルトな帝国主義思想にしか見えないが当時の棋士達は本気だった
実際、戦前からそういう「普及」活動は行われていた
歴史捏造の裏には当時の思想や社会背景がある 素朴な疑問
「囲碁」は「碁」なのか?
石の数を数えるゲームに囲うの文字はついていたのか? >>835
書体は時代や地域によって様々なものがあるが、「碁」(とそれに該当する用語)は
「一、古代の大陸で行われていた碁石と碁盤を使う室内遊戯の総称」
を意味する(囲碁、乱碁、格碁など)
それらの遊戯の一つである
「二、特にその中でも盤上の石の数を競う遊戯のこと」
が「囲碁」(とそれに該当する用語)になる
現在では「囲碁」しか残っていないので「碁」は「囲碁」と同義になっている もともと囲うという字に石の数を競うという意味があったの?
誤用かな?
あるいはその語ができたころにはすでに陣地を囲うゲームになっていたという可能性は? >>837
囲って石を取り去るから「囲碁」
「文字通り、棊子(碁石)を囲い・トリあう。地を囲うのではない」(白川)
数千年前(諸説あり)から現在まで囲碁は盤上の石の数を競うゲーム
日本に日本式囲碁ができたのは1000年くらい前(諸説あり)
大陸に現代ルールができたのはここ数十年
あまりにも無知すぎる質問は荒らしと同じになるぞ
それからいい加減にコテつけろよな
君が知恵遅れの子だというのはもうみんな分かっているから
コテつけて議論の邪魔さえしなければ他のスレでもみんな優しく接してくれるよ 目的が違うものは名前を変えるべきだという人もいる。
盤上の石の数を数えるのと石を囲って取り合うのは明らかに別の意味だけど
盤上の石の数を数えることと盤上の空き地の数を数えることの違いよりはずっと違う。 >>839
知恵遅れ君はいい加減にコテつけたらどうだ
「ゲームの違いというのはルールの違いなんだよ」
「細かい規則の違いなら分類分けしないこともあるが、ゲームの目的が違うくらい大きく違えば完全に別のゲームだよ」
「包含関係は逆は必ずしも真ならずだから別のゲームでもゲームの目的が違うとは限らないよ」
「囲碁とオセロはルールが違うから別のゲームだし、サッカーもラグビーもホッケーも別のゲームだよ」
という小学生レベルの説明が分からない
「囲碁は文字通り囲んで石を取り去るから囲碁なんだよ」
「囲碁というゲームもそれに対応する言葉も日本に伝来する前からあるんだよ」
「囲碁は古代から盤上の石の数を競うゲームなんだよ」
「大陸に地を争う現代ルールができたのはここ数十年の最近のことなんだよ」
という囲碁の基礎知識も知らないし説明されても基礎知識を教えられていることすら分からない
自らが無知であることへの反省も教えてくれた人への感謝もない
分からないことは仕方ないがコテをつければレスが整理できてスレが荒れない >>840
> 日本に伝来する前からある
あなたの使う文字は中国由来のものだがあなたの書いているのは中国語ではない
> 「ゲームの違いというのはルールの違いなんだよ」
つまり地を争うゲームは日本発のゲームということで問題ないのでは? >>841
「地を争うゲームは日本発のゲームということで問題」あるなんて誰が言っているんだ?
少なくともこのスレでは誰も言ってないぞ
>あなたの使う文字は中国由来のものだがあなたの書いているのは中国語ではない
だったら、大陸の碁は日本語では何て言うんだ?
大陸の碁を日本語で囲碁と書いている文献や言っている人々は棋院も棋士も学者もみんな間違っているのか? >842
> 囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
> もちろんこれは歴史の捏造である
> だったら、大陸の碁は日本語では何て言うんだ?
さあ?あなたならどう呼ぶ?
私は、石を数えるか地を数えるかは些末な違いであると思うし、どちらも囲碁と呼ぶ。
その意味で2行目の記述は間違いだと思うが、「囲碁」を「地を数えるゲーム」に置き換えれば部分的には正しい
日本人が日本語で書いた地を数えるゲームの説明とすればそれなりに筋は通る >>843
これだけコテつけろって言われているのにまだつけないのな
コテのつけ方が分からないのか?
名前欄に「知恵遅れ」って書くだけだぞ
知恵遅れ君には無理か
「数える」と「競う」は違うって散々注意されているのにまだ分かってないのな
数え方はどうやろうがルールには無関係
何を競っているかの目的が変わるとルールが大きく変わる
小学生でも分かっていることだが知恵遅れ君には無理か
その引用部分では石を競うゲームを囲碁、地を競うゲームを日本式囲碁と区別しているから
> (石を競う)囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
という以外には読めないんだが小学生の国語力もない知恵遅れ君には無理か
知恵遅れ君がどう思おうが社会で使われている言葉の定義は決まっているんだが
自分の考えで世界が変わると思っている知恵遅れ君には理解不能か
バカってすごいなぁ
こんなの相手にしていたらスレが荒れるわけだわ >844
> 本来の囲碁や国際ルールは旧規約上ではどのように表現されているのか?
>
> それらは旧規約では存在自体が抹消されている
> (石を競う)囲碁は日本発のゲームで「国際的に普及する段階」になったいうことになっている
石を競うゲームと地を競うゲームがあって、旧規約で前者の存在が抹消されていて、
それなのに旧規約で前者について言及されているの? >>844
人に言う前に自分がコテつけたら?
ずうっとスレに住み着いているようだけど
見たところきみの意見は突飛すぎて賛同は皆無、四面楚歌っぽいね >>845
存在が抹消されていて石を競うゲームについて本来あるべき言及がされていないから
「(石を競う)囲碁は日本発のゲーム」ということになり、歴史の捏造になるということが書いてある
小学生くらいの国語力があれば読めるんだが知恵遅れ君が読めないのは当然か
>>846
おれがつけてどうするw
知恵遅れで議論の邪魔になっているお前がつけないと意味ないだろww
俺が自分の意見を書いていないことすら分からないのはバカの極みだな
「1+1は2なんだよ」って説明しても「きみの意見は突飛すぎて賛同は皆無」っていうんだから頭痛くなる >俺が自分の意見を書いていないことすら分からないのはバカの極みだな
へ〜、ならいったい誰が君の意見に賛同してるの?
誰がルールの問題は歴史の捏造だとか言葉の誤用だって主張しているの?一人でもいいから紹介してくれよ >>848
俺は意見を書いていないと言っているのにww
お前面白いなw
何でそんなにコテつけるのが嫌なんだ?
理由を教えてくれよ >>849
なにすっとぽげてるんだ?
おまえの意見でないなら誰の意見なのかって聞いてるんだよ、まさか日本語わからないのか? >>850
知恵遅れ君が発狂したw
誰って言われても全部お前の妄想だとしか言いようがないw
いいからコテを嫌がる理由を教えてくれよ きみ、都合が悪くなるとすぐに「俺が言ってるわけじゃなあ〜い!」って言って他人のせいにして逃げるよね(笑)
じゃあ俺も同じことをいうけど、他の人の一般意見ならば、数えるのが石だろうと地だろうと同じ「碁」だというのが常識だぞ。
欧米でもarea、あるいはterritoryという言葉で説明されている。
もちろん俺個人の意見でそんなことできるわけはないので、これは世界中の人間の共通意見だということ。
日本の碁は言葉の誤用だとか歴史の捏造だなんて言ってるアホはおまえ以外ひとりもいない
これはどう考えてもおまえの個人的な意見だ
さあいいからコテを嫌がる理由を教えてくれよ >誰って言われても全部お前の妄想だとしか言いようがないw
なんだやっぱり全部お前の妄想だったんだなw >>852
>じゃあ俺も同じことをいうけど、他の人の一般意見ならば、数えるのが石だろうと地だろうと同じ「碁」だというのが常識だぞ。
すげーなw
数え方は関係ないって何度言われても貫き通すキチガイぶりww
数え方じゃなくてルールの話だと何万回言われても分からないんだろうなw
自分が知恵遅れでちゃんと読めずに妄想を書くから注意されているだけなのに
脳内では「都合が悪いから逃げている」「論破した」って思いこんでいたんだ
バカってすごいわ
しかも何で自分がコテをつけろって言われているのか分かってないんだな >数え方は関係ないって何度言われても貫き通すキチガイぶりww
>数え方じゃなくてルールの話だと何万回言われても分からないんだろうなw
もはやなにをいっているのか訳わからんwww
数え方がルールでなくてなんだというん
小学生レベルの言葉遊びをしているのは自分のくせして
スレが荒れるだの知恵遅れ君だのとよくもまあいえたもんだな
本物のバカは格が違う >>847
旧規約
> 概 念
> 第1条
> 囲碁は、(中略) 彼我の地を計算して勝敗を決定する。
これを読んでも石を競うゲームがどこで生れたかとんと 見当がつかぬ。 >>855
知恵遅れ君には分からないよなw
知恵遅れだもんな 「数える」「競う」「目的」
どれも表現を変えているだけで文脈的には同じ意味になるってことがわからないんだろうな
日本人じゃないならしょうがない >>858
「数える」と「競う」が「同じ意味になる」になるわけないだろw
また知恵遅れ君の迷言が増えたな バカには文脈が理解できないんだな、これは失礼した
では当たり前すぎて説明するのもバカらしいことだが、
「数えて」「競う」というわけだ
まさか数えなくても競えるなどとは言うまいな 知恵遅れ君の頭の中では日本ルールも現代中国ルールも伝統ルールも全部同じなんだろうな
数え方が違うくらいにしか思ってないから囲碁関係者が頭を悩ませているルール問題が認識できない
棋院がなぜ日本ルールに拘っているのかも理解できない
分からないなら黙っていればいいのに我慢できずに妄想で書いてしまう
注意されると発狂してスレを荒らしてしまう
どうしようもないなw 初心者を卒業した程度に打っているなら、数えて競うのが石だろうが地だろうが
碁のゲーム性(目的)は領土争いだということは理解できるはずなんだがエアプのようだな。
>>629のとおり基本的に石でも地でも論理的にほぼ同値。
完全にイコールでないとはいえ、「石」と「地」は細かな違いでしかなく、競っている戦略や技術は同じ。
そうでなければ中国ルールで動いている汎用性のないアルファ碁は日本ルールでは雑魚でなきゃおかしい >>861
全部同じ「囲碁」だろ
同じだからこそローカルルールのすり合わせをする
今風に考えれば、都合の悪いことは書かない、書いてないことは都合が悪いこと
石を競うゲームについて旧規約で書いていないのは、石を競う「囲碁」というゲームが外国に既にあったから
ということになりそうなものだが >>863
修正
同じだからこそローカルルールのすり合わせをする程度で対局ができる >>861
きみが中国ルールに拘っているんだろ
大陸の碁も17路盤だったり、事前置石だったり、コミ、切賃、スーパー劫と幾度も改変されているのに、それは「歴史の捏造」とはなぜか言わない。
特に切賃は目的が石か地かという問題に本質的にかかわるのに。
詰まるところ、「目的が違う」ばかり強調するのは、
中国ルールの改変だけを正当化しつつ日本の改変だけ否定したいがための都合の良い言い分、という証左である。
目的が同じでも同じゲームとは限らないのだから、目的だけでゲームの違いが決まるとは言えない。
「目的が違えば別のゲーム」という発想はきみが勝手に考えた分類方法で、普遍的とはいえず説得力に乏しい。 >>862
「細かな違いでしかなく」ww
ルール問題に関わっている囲碁関係者が見たら発狂する表現だなw
後半部分は知恵遅れ君には珍しく正しい
偉いぞ
>>629を書いたのは俺だが
>>863
「ローカルルールのすり合わせをする」ができれば誰も苦労しない
「囲碁」ではそれができないというのがルール問題だ
日本の囲碁が大陸由来だというのは旧規約制定当時から常識であり、現在では棋院も公式に認めている >>865
また知恵遅れ君の妄想が始まったw
一つでもいいから「ゲームの目的が違うのに同じゲーム」だという例をあげてくれないか? >ルール問題に関わっている囲碁関係者が見たら発狂する表現だなw
また妄想かよ。
なら「細かな違いだ」と言って発狂する囲碁関係者とやらを紹介してくれよww
ただし単に「細かい」というだけでは主観によって大きな幅があるわけだが、
ここでの「細かい」というのは、まったく別のゲームとして扱わなければならないほど大きな違いではないって意味だな。 >>867
コミがあるなら黒はコミを出して勝つのが目的になる。コミなし盤面で勝つのとでは目的も戦略も変わるわけだが?
個人戦一回きりの勝負と、番碁(セット制)や団体戦も、最終目的は異なる。
時間によっても、早碁(直感、素早い判断力)と遅碁(深さ、最善の追求)で目的は違うともいえる。
碁はアマにとっては遊びだが、プロにとっては稼業だ。
碁は芸術だという人もいれば手談だという人もいるし、戦乱の再現だという人もいる。もともとは占星術だった。
「目的」なんてものはゲームの局所的な側面に過ぎないし、また人それぞれ捉え方も違う曖昧なものでしかない。 >>868
国際囲碁連盟ルール委員会に言ってみれば
>>869
当然、囲碁以外の競技ゲームでということなんだが知恵遅れ君は知恵遅れだったな
選手の目的ではなくゲームの目的なんだが知恵遅れ君は知恵遅れだったな
難しいこと聞いた俺が悪かったわ そもそも「目的が違えば別のゲーム」なら、切賃のない現代中国ルールも
「碁」と呼ぶのはおかしいことになるのだが、そういう都合の悪いことは全部スルーか?
そして、ルール問題を歴史の捏造だのというのが自分の意見でないのならいったい誰の意見なんだと聞いても、
「知恵遅れ」だとか言ってはぐらかすだけ
>分からないなら黙っていればいいのに我慢できずに妄想で書いてしまう
>注意されると発狂してスレを荒らしてしまう
>どうしようもないなw
ブーメランにも程があるぞ
>>813と、あと詭弁のガイドラインもググって熟読してこい 卓球は以前は21点制だったが、今は11点制で、かつセット数が増えた
よって21点先取から11点先取に目的は変わったわけだが、同じ卓球には変わりない
こんな例は無数にあるけどいちいち挙げなきゃわからないのか? >>872
分かった分かったw
そういうのは「目的は変わった」とは言わないんだが知恵遅れ君だからな
バカに触れちゃいけないっていうのがよく分かったわ >そういうのは「目的は変わった」とは言わない
それはおまえの都合の良い論理だ
それを言うんなら、碁でも競うのが石だろうと地だろうと、
論理的には領土争いだという目的なのは変わらない。 さて、こちらがしんせつに例を挙げてやってれば
「選手の目的ではなくゲームの目的」
「そういうのは目的が変わったとは言わない」
だのと、自分勝手な基準でケチを付けてあとはバカだ知恵遅れだとぎゃーぎゃー連呼するだけ(察し)である
じゃあ「ゲームの目的」というは、いったい何をもって判断するんだ?
野球の目的は?テニスの目的は?マラソンの目的は?
選手の目的ではない客観的な「ゲームの目的」とやらを説明してみろや >>875
「「ゲームの目的」というは、いったい何をもって判断するんだ?」ww
また知恵遅れ君の迷言が増えたな
卓球も野球も「得点を競う」スポーツに決まってるだろ
得点制のスポーツはみんなそうだ
芸術や技術に付随する競技は「技の優劣を競う」もの(文字通りの競技)だし
タイムトライアルは「到達時間を競う」ものだ
こんな小学生レベルのことも分からないから知恵遅れなんだよ
知恵遅れっていうのは揶揄じゃなくて事実だからな
もうこれ以上は相手にせんぞ
コテつけれるのならもう少し相手してあげていいがw 碁の地や石も得点の一種なのは変わらないぞww
ということは、地も石も目的は同じだし、碁も野球も目的は同じということになり、
もはや「目的」なんてものはゲームの違いを判断するにはまったく役にたたないってことが晴れて証明されたな
あ、お望み通りコテはつけてないからもう相手してくれなくていいよ > 成文ルールはそれ以前から公表されている
公表しただけで法になるなら国会はいらない
> 第1条
> 囲碁は、(中略) 彼我の地を計算して勝敗を決定する。
旧囲碁規約の中でこれ以外の意味でたんに「囲碁」という語を使えばそれは誤用
旧囲碁規約の中で、他に「○○の囲碁」という語も出てこないのでわざわざ「日本の」と
つける必要もない
もちろん「囲碁規約」という名称についても同様
社会的に求められたのは地を競うゲームのルールの成文化であって
定義からそれは旧囲碁規約そのもの
「囲碁が国際的に普及する段階」
定義からそれは地を競うゲームが国際的に普及する段階になったということ
「国際的囲碁競技」
定義からそれは世界規模で地を競うゲームが行われるということ
地を競うゲームと石を競うゲームがおんなじものだという以外に、どこまでいっても
> (石を競う)囲碁
の話になりようがない スレが荒れているので、改めて書こう
>>825の旧規約を読む上で>>831で3つのポイントをあげた
>1.旧規約の成立の経緯
に注目して読んだのが>>832-834である
旧規約では国際的な囲碁の歴史や国際ルールの存在が抹殺されており
結果的に囲碁の由来が捏造されることになった
また「囲碁」という歴史的な用語を故意に誤用して日本式囲碁に限定して用いている(と解釈せざるを得ない)
この旧規約の意図的な誤用は、その後の誤用の流布の源になっている
旧規約を無理に擁護しようとすれば
「囲碁」を日本式囲碁に限定しているのは言葉の定義の変更だから間違いではないと言えないことはないが
注釈無しに勝手に言葉の定義を変えて使うのは詐欺の類であって社会的には通用しない弁明になる
旧規約は日本式囲碁を「国際的に普及する」のを目的にしており
これらの捏造や誤用もその目的のためだと推察される
その背景には当時の思想や社会状況がある >879
> 注釈無しに勝手に言葉の定義を変えて使うのは詐欺の類であって社会的には通用しない弁明になる
> 「地を競うゲーム」というのは千年くらい前に日本でできたゲーム
「日本語」で「地を競うゲーム」を何と呼ぶか決めたのは棋院でも規約でもない1000年の歴史 捏造だとか言ってる変な人はほっといて、真面目にルールの話。
中国ルール+同形再現禁止なら単純明快で厳密だという意見がスレ最初の方で多数あるが、
日本ルールの>>3の問題点もすべては同形再現に起因するものだ。
よって同形再現禁止にするならば日本ルール(7−2廃止&その他の調整)でも厳密性は同等だし、理解も容易い。 両負けの規定がおかしいと言っている人も誤解している。
これはあくまでも>>166のような未決着問題のためにある。
つまり、終局前に両者共に有効着手を逃すミスを犯し、
しかもそれがお互いに勝敗に直結する致命的なものだった場合は、対局の再開要請や死活の合意は成立しない。
そのようなケースで双方負けになるのはむしろ当然だろう。
「死活の合意を拒否する」というのは、
明らかに死んでいる石を活石だと言い張ることではない。 現状ほとんどの人は中国式計算法か日本式計算法かという軸で囲碁ルールを大別してると思うけど、
自分は大別するなら全局同形禁止か一手前同形禁止かという軸で分類したほうが適切だという気がしている。
全局同形禁止は全局死活と相性がいい。終局は合意(省略)で決まる。不合意なら実戦解決。その勝負形式に合う計算法が中国式。
一手前同形禁止は部分死活と相性がいい。終局は連続パス(機械的)で決まる。不合意なら判定方式。その勝負形式に合う計算法が日本式。
同形禁止の差は着手可能点の差だから、終局後の計算法よりもゲーム性への影響は大きいと考えられる。 同形再現禁止はルール問題の曖昧性を解消するのにもっとも有効な策だが、
同時にもっとも意見の分かれるところであろう。
言い換えれば、囲碁ルールを立案するにあたって最初のもっとも重要な岐路は、同形再現を禁止するか否かである。
全局同形禁止のデメリット
・着手の自由度が損なわれる。
チェスや将棋でも同形反復は禁止とはせず、数回の反復を確認した後に引き分け扱い。
無勝負に持ち込むのもテクニック。
あるいは、優勢側が同形反復回避で解決できるケースもあり、
そのような駆け引きも勝負としての面白さである。
・通常の劫ですら劫ダテを忘れて反則負けになる例があるのに、さらに禁じ手を増やしてゲームに集中できるか?
しかも、同形再現は次の着手にだけ注意を払えば済む問題ではなく、
数手先に必要に迫られる着手も同形再現とならないか気に掛けておかねばならないのである。
「反則負け」という結末は、対局者も観衆も基本望むものではないと思われるし、不名誉なイメージもある。
・同形再現の判断は難しい。
http://igo.main.jp/zenzen1.html
この解説の白14放り込みが黒9の盤面と同一になっていることに何人が気づくだろうか?
(つまり、上記リンク先の解説は間違っている)
立会人や審判が気づかなかったらどうするか?
「対局相手が気づいて指摘した場合のみ」などの案もあるが、
通常の劫における(傍から見れば明らかな)反則でもそれを適用するのかどうかや、
反則の指摘が勘違いだったらどうするのか?後から気づいて指摘しても有効か?
等も、なるべく万人が受け入れられる形で決定せねばならない。
・下記リンク先「常識が覆される図例」その他の解説はごもっとも。
すなわち、着手可能点がまったく残されていない場合には異常な死活が発生する。
(9路対局等では現実味はある)。
http://igo.main.jp/jp-rule-cn.html
・三劫や長生なら無勝負も可。という例外を中韓棋士も好んでいるようである。
同形反復が発生したら再勝負で仕切り直した方が対局者も気持ちを切り替えて後腐れがない。
・常に白黒ついてしまうよりも、無勝負もあった方が話題性がある。
例:信長の三劫の逸話。
呉清源「長生は100万局をしても見たことがない。もし発生すればめでたい」
ちなみに、リンク先記事は鄭銘コウ氏の論考のはずだが、同氏自身が強調しつつ、
その上自ら立証してしまっているように、プロでも同形再現はうっかりしやすいようである。 囲碁ルールを考察する上で計算法の立ち位置は最後。
順番としては、
全局同形禁止か、通常劫ルールか?
通常劫ルールなら、全局死活(如仏の判決支持)か、部分死活(劫尽くし不可も隅の曲がり四目死)か?
部分死活なら、性生論(劫材有利で手入れ不要)か、性死論(常に手入れ必要)か?
そして最後に決めるのが、純碁式か、中国式か、日本式か?
という得点の計算法だ。
なのに、囲碁ルールを語る者はみな計算法を中心にして分別するものだと思いこんでいる。
だから俯瞰的な論理構造が見えていない。本質を見誤る。木を見て森を見ずである。
<塚本氏の誤り>
一例を紹介すると、「着手は義務か権利か」という議論だ。
自分に言わせれば、着手は権利であって義務ではないのは明白だ。
そしてそれは、中国式か日本式かといった計算法の違いとは別次元の、もっと上位階層に位置する基本的な問題である。
であるからして、塚本氏の「着手は義務」だという考察は誤りだ。
同氏はまた、日本式の碁が省略であるといった旨も述べているが、であるならばそれこそ矛盾していることになる。
日本式が純碁式まで打つのを省略しているだけなのだとすれば、純碁式でも着手は義務だということになり、
池田氏の述べるとおりいずれは二眼生きの石に自爆手を打たざるを得ないことになる。
もう少し詳しく説明しよう。
着手が義務だとすれば、それは>>736のいうように、チェス風に言って"スティールメイト"をさせるゲームになる。
>>750を例にするなら、白はパス(義務の放棄)をすると負けだから自分の目に打つことになってさらにゲームは続く。
ただいずれ盤上は、どちらかの単一の目のみで埋め尽くされることになるだろう。
(もしくは、自殺手――自分は打てるが相手は打てないような、死石を取り上げる直前の状態のみになる)
そして最後には、どちらかが自分の意思とは無関係にパスせざるを得なくなる。
となればそれが負けである。そういうゲームになる。
だから同氏の、「パスと終局宣言は区別されるべきものだ」といった線引も、客観的に明確ではない。
二眼の目は着手禁止だというルールは聞いたことがないからだ。
いくら一方が「これはパスではなく終局宣言だ」と主張したところで、盤上に打てる着点が存在する限りは、
もう一方が「まだ終局ではない」と反論したら「着手は義務」のルールにしたがって
自分の目の中だろうと打たねばならないはずだ。
そしてそのようなゲームは、少なくとも我々が知っている「碁」ではない。
ちなみに同氏は双六にたとえて終局を考察しているが、
双六の決着方法(実戦的決着)と、碁の決着方法(得点で決着)では
根本的に異なっているため、まるで説明になっていない。
以上のことから明らかなごとく、「着手は義務か権利か」の議論は、
純碁式か日本式かという計算法の違い以前の、もっと遡った基本的な着手規則=棋法の
問題なのだということがわかるだろう。
日本式だろうと地数を気にしなければ打ち続けることはできるのである。
純碁式だろうと石数を気にしなければ打ち続けることはできるのである。
着手が義務だとすれば、日本式だろうと純碁式だろうと上記のようなゲームになってしまう。
ちなみに、塚本氏の劫にかんする手入れの考察もまったくチンプンカンプンである。
「ヨセ劫は手入れ不要」の理屈は、着手は義務ではなく権利であることを前提とした上での、
対局者自身の自由意思に基づいた着手選択による決着である。
一方、「一手劫は手入れ必要」の理屈は、同士の語る「両劫に仮生一」問題と同じく、
「部分死活」によって劫尽くしと見なすことによる後付け的解釈である。
だからこそ、如仏の判決や、呉清源の手入れ問題が、ルールを語る上で大きな意味を持つのである。 補足しておくけど、「本劫手入れ必要」言い換えれば「劫の目を得点としない」は、
現行規約においては部分死活論によって合理的根拠を与えているのは述べたとおりだが、
本来この問題は、死活論とは【まったくの別問題だ。】
なぜなら部分死活といってもその定義は他にもあり得るのであり、
たとえば、「自分方の着手により取られない石が活石」とするなら、劫の目は活石に囲まれた地になる。
さらに二段劫の目に至っては、現行規約においても
八条「駄目を有する活石はセキ石(地を数えない)」や、
十条「セキ石の死石は取り上げない」といった『セキルール』によって、
得点としないことの合理的根拠を与えているのであり、
もはや七条の部分死活は直接的には関係ない事が分かる。
ということはつまり、本因坊秀哉と久保松勝喜代の手入れ議論や、呉清源の手入れ事件も、
実のところは、死活を全局的に考えるとか、部分的に考えるかといった
「死活論」の話ではまったくないのである。
ではその本質は何かと言えば、単純に、劫の目を得点として数えるか否かという、
セキのルールと同じような得点法の問題だ。
したがって、石+地+手止まり代を得点とする方式と、地+ハマを得点とする方式は、
劫の目とセキの目を得点とするならば完全に同値である。
ところがそれは、石のみを得点とする純碁とは完全には一致しない。
中国式(切賃あり)であろうとも、劫の目やセキの目をすべて得点として数えてしまうことにより、
打ち切った局面にもかかわらず純碁と結果が変わる例がある。
○○●●○┬○●●
○▲○●○○○●×
○○○●○┼○●● (▲は白のハマ)黒★劫取りに、白パス、黒パスで終局。続けて白Bは超劫。
├○○●○○○●●
○○○●●●○●×
●●●b●○●●●
●a●●●○○●A
├●●○○┼○○●
●┴●○┴○○★B
純碁=黒1目勝ち(黒A白Bと譲る代わりに黒a,bに手入れしても結果は同じ)
中国ルール+切賃=黒5目勝ち
中国ルール=黒3目勝ち
日本囲碁規約=白1目勝ち(ただし上図のままで終局すると、ABおよび×は地でなく白2目勝ち)
ルールが変われば結果も変わるという良い例。
×○●●┯○●●×
○○○●┼○●○○
●●●●○○○○● 黒白共に×と相手石を取り上げる手は攻め合い負けとなるため打てない。
○○○○○●●●●
●●●●●●●●●
┠●●●●●●●●
●●○○○○○○○
┠●○○○○○○○
●●○○○┷○┷○
純碁=黒1目勝ち
中国ルール+切賃=持碁
日本囲碁規約=白1目勝ち
こちらもまた、中国ルール+切賃であっても純碁と結果が異なる。
というわけで、本因坊や呉清源ですら、問題の本質的な切り分けや分類ができずに混同していたのだという分析を提起しておく。
本劫手入れ必要か否か?それは、単なる得点法の問題なのである。 >>887
最後の図は黒が4子抜いて攻め合い勝ってるんじゃない? >>881-887
全て間違い
コウなんて些細な問題であって全くルール問題の本質とは関係ない
スレを最初から読み直せ >>879の本題の続き
2.(当時の)国際ルールと旧規約の対応関係
現在では棋院自身も認めているように囲碁は日本で誕生したものではなく
大陸から伝来した国際的なゲームである
国際競技のローカル規約を作る場合には国際ルールとの対応関係を明らかにして記す必要がある
例として>>827にチェスの場合を示しておいた
当時の国際ルールは伝統ルールであった(中国に現代ルールができる前なので)
伝統ルールは京都学派によって研究され成文ルール等の公表もすでに行われており
当時の棋士達には広く知られていた
それでは旧規約では国際ルールとの対応関係はどのように記されているのか?
旧規約では国際ルールの存在自体が抹消されているので対応関係は不明であり
「日本棋院の名とその権威とにおいて」天下り式に規約を宣言しているだけである
このようなローカル規約は正当性がないとされ公的に認められないのが普通である
勝手に変なルールを作られて「囲碁」という名前を使われると混乱するからだ
実際、棋院が旧規約を公表したことで大きな混乱が生じて現在のルール問題になる
国際ルールとの対応関係が不明であることが日本ルールの最大の問題点であり
この問題は新規約でも解決されていない 3.旧規約上で行われるゲームの名称
旧規約は日本式囲碁の慣習をまとめたものである
したがって旧規約上で行われるゲームは日本式囲碁ということになる
しかし日本式囲碁には公式の名称がない
昔の碁打ちは囲碁のつもりで誤解をして日本式囲碁を打っていたので
日本式囲碁も囲碁と呼んでいたがローカルには問題は生じなかった
だが国際的な状況では誤解を正して「囲碁」とは区別できる新たなゲーム名をつける必要がある
旧規約では旧規約上で行われるゲームの名称をどのように定めているのか?
旧規約では「囲碁」を日本式囲碁の意味で誤用しており
特に日本式囲碁を指す名称は定められていない
それ故に旧規約上で行われるゲームの名称も不明である
この問題は新規約でも解決されていない 改めてルール問題を整理しよう
俺の意見を知りたいという人が多いので俺の個人的な意見も書いておく
囲碁というのは伝統ルールのことであり
そこから改変して生じたのが現代ルールである
現代ルールを囲碁と呼ぶのは厳密には誤用であるが
個人的には伝統ルールとの混乱が生じない文脈であれば問題ないと考える
伝統ルールにも様々な種類があるがルールの根幹部分は歴史的に定まっており
細則が違うだけであるので国際的に統一競技にすることは容易である
現代ルールは数十年前にできた新しいルールであるので
国際的に普及はしているがまだ歴史的に骨格が定まっていない
また現代ルールは存在の必要性もないことから廃止したとしても問題は生じない
個人的には現代ルールは特に気にするようなものではないと考えている ルール問題の本質は
日本式囲碁(日本ルール)と伝統ルールや現代ルールとの対応関係が定まっていないことにある
他の競技であれば、そんな日本ルールは認められないということで無視して終わりだが
囲碁の場合には政治的に日本ルールを無視できないという点が問題になっている
建設的な解決策としては対応関係を明確にするしかない
具体的には以下の3つのどれかだろう
A.日本ルールを伝統ルールの一部とする
切り賃と交互着手義務を復活させる規約改正を行えばよい
ルールを旧来の伝統的な形に戻すだけであるので理論的には問題はない
棋院のメンツのみが問題になる
B.日本ルールを現代ルールの一部とする
交互着手義務を復活させる(もしくはパス代と手番コミを導入する)規約改正を行えばよい
交互着手義務なら旧来の形(の一種)に戻すだけ
ただし日本ルールは現代ルールの誕生前から存在しているので理論的にはおかしなことになる
棋院のメンツも問題になる
C.日本ルールを日本伝統の固有ルール(日本式囲碁という固有のゲーム)とする
歴史的にはこれが最も正しいあり方
「日本式囲碁」等の別の名前を付けて大陸の囲碁とは完全に区別する
国際大会やアマの大会は囲碁のルールで行い、国内の歴史的な大会は日本式囲碁で行うという住み分け
規約の改正も用語の一部を修正するだけでいい
個人的にはC案が一番いいと考えるが議論の余地が大きいところだろう >>892
> 注釈無しに勝手に言葉の定義を変えて使うのは詐欺の類であって社会的には通用しない弁明になる
> 「地を競うゲーム」というのは千年くらい前に日本でできたゲーム
「日本人が地を競うゲームの事を囲碁と呼んだ」ことについて誤解は全く無い
千年の歴史のある日本語の単語の定義を勝手に変えて使うのは通用しないのでは? >>890
今調べると囲碁の国際団体についてウィキペディアに
> 1957年頃から日本棋院と関係者の間で国際囲碁普及組織の必要性が検討され始め、
と書いてあるけど
その国際ルールとはどういう人たちが決めて
どのような人たちがどのような機会にどれくらい打っていたの? >>889
>コウなんて些細な問題
だってよw
知恵遅れ君の頭の中では日本ルールも現代中国ルールも伝統ルールも全部同じなんだろうな
劫の問題が些細な違いにしか思ってないから囲碁関係者が頭を悩ませているルール問題が認識できない
棋院がなぜ日本ルールに拘っているのかも理解できない
分からないなら黙っていればいいのに我慢できずに妄想で書いてしまう
注意されると発狂してスレを荒らしてしまう
どうしようもないなw そもそも「伝統的な国際ルール」なんて存在しないしww
囲碁の国際大会が始まったのなんてほんの半世紀程前の出来事だぞ
歴史ある伝統的な国際ルールなんてものがあるというのなら、
それが確認できる歴史的文献を示してくれ
単に「伝統」というだけなら国や地域の数だけ存在する
日本ルールだって立派に「伝統ルール」だ
まあシナ人の偏った頭の中には大陸の伝統しかないんだろうけど まあこの際、一億歩譲って日本の碁は独特な「日本式囲碁」だったと仮定して、
それでなんで日本式囲碁は国際大会をやっちゃならんのかもさっぱり意味不明
柔道は日本式武道だから国内限定だってかww
キミ相変わらず頭オカシイネ 定期的にこのスレ盛り上がるな
まあ突っ込みどころが多すぎるアホが常駐してるからしょうがないけど たしかに「コウなんて些細な問題」とのたまう御人が囲碁のルール問題を論じているのには、おれも驚いたわ >>161
これ本当に白先黒死か?
白先でも万年コウでしょ
八目中手ってなんだよ 棋力が低く死活の判断ができないまま終局した場合ってルールの問題と関係なくね?
そんなの碁会所でもしょっちゅうあるしたいてい高段者が裁断して双方納得だろう
『切り賃』 『純碁』とかの話も囲碁の歴史としてはそうだったんだみたいに関心はするけど現代のルールとは直接関係ない
また『中国ルール』『日本ルール』『韓国ルール』など現存する様々なルール統一に役立つとも思えない
そもそもルールを統一する必要あるか?
プロの対局なら日本式でも中国式でもルールの不備で終局後に問題が起こることはないだろう
昔、呉清源が俺は日本人じゃないから日本のルールに従う義務はないとごねて
手入れが必要なのに手入れしなかった例はあるよそりゃね、こんなのはただの嫌がらせみたいなもんだろう >>894
囲碁っていうのはもっと遥か昔から大陸にあってそれが日本に伝承されたものだ
棋院のページでも見て勉強してくれ
無知すぎる書き込みは荒らしにしかならんぞ
>>898
日本式囲碁を囲碁のローカルルールとせずに独立したルール(ゲーム)として取り扱う場合
日本式囲碁の国際大会をやるのは別に構わないが囲碁の国際大会とは区別する必要が出てくるという話だ
将棋の国際大会がチェスの国際大会と区別されているのと同じこと
>>899
全くその通り
バカが荒らすからまともな人が敬遠して議論が進まない
>>900
コウなんて現代中国ルールでも途中で変わっているし現代ルールでも伝統ルールでも日本式囲碁でもローカルルールごとに様々だ
そういうのは細則と言って地域ごと、大会ごとに自由に決めていい細かいルール項目に当たる
コミや持ち時間等も同じ
>>902
本人同意を優先するか審判判定か、機械判定かは本質ではないと俺も思う
歴史の話はルール問題の本質だ
>>893を読んでから意見を書いて欲しい
ルール統一もそこが一番の問題になっている >903
石を競うゲームが大陸で生まれて囲碁と呼ばれたことの話はしていない
地を競うゲームが日本で生まれて囲碁と呼ばれたことの話をしている
それが千年前から別のゲームとして並立していたにしろ
千年前から同じゲームとされていたにしろ >>903
囲碁の歴史と現代のルールを無理に関連付ける必要はない
『切り賃』だの『純碁』だのとかは囲碁の歴史(ルーツ)研究の世界だけでいってろての
ローカルルールを認めてるんなら中国ルール、日本ルールいろいろあっていいだろう?
ルールによって半目勝負の結果が違う場合があっても最初からどのルールでやるか決めてるんだから別に問題ない
千年以上前の遣唐使の時代からほぼ現代と同じだよ
遣唐使の中に囲碁の棋士がいて中国の棋士と打った棋譜が残ってるじゃん
鎮神頭とか妙手も玄々碁経で伝えられてるし
1300年前に中国棋士と日本棋士の対局がとくに問題もなく打たれていたってこと >>893
>ルール問題の本質は日本式囲碁(日本ルール)と伝統ルールや現代ルールとの対応関係が定まっていないことにある
伝統ルールって?
現代ルールって?
日本ルールがおかしいと言いたいことだけは分かるけど現存する他のルールはどうなの?
日本式囲碁(日本ルール)?とかわざわざいってるけど結局どうしたいの? 1.ルール問題の本質が歴史問題だと思いこんでるところからして全くずれてる。
自然法則は神が創造したルールだと宣って地動説を否定する中世のカルトのよう。
2.中国ルールでも現在は、石の生存権のみではなく、石と地を争うゲームに変化している。
そして切賃もなくなった。だったら、ゲーム目的も『細則』でいいでしょ。
3.極めつけは、コウやコミは自由に決めていい細則だという都合良すぎる持論。
じゃあ端から統一ルールなんて幻想なんだから、日本式だけ区別する必要もない。
おまえのレスから読み取れるのは、人参が嫌いピーマンが嫌いというレベルの、個人的な好き嫌いということだけ。 >>893
>ルール問題の本質は日本式囲碁(日本ルール)と伝統ルールや現代ルールとの対応関係が定まっていないことにある
>他の競技であれば、そんな日本ルールは認められないということで無視して終わりだが
>囲碁の場合には政治的に日本ルールを無視できないという点が問題になっている
いったい誰が何処でそんなことを問題にしているの?
>>892
>また現代ルールは存在の必要性もないことから廃止したとしても問題は生じない
>個人的には現代ルールは特に気にするようなものではないと考えている
今現在どんなルールで碁を打ってるんだろう
ていうかこの言い方だと中国ルールも韓国ルールも他のルールもそれぞれ独自の碁に似た別な競技(ゲーム)ということになっちゃう
相手するのが馬鹿々々しくなってきたw >>904
囲碁は日本で生まれたものではない
ここがポイントだな
囲碁ルールについておかしなことを言っている人々は囲碁が日本由来だと勘違いしている
囲碁を日本のゲームだと思っているからとんでもないことを考えてしまうんだな
>>905
切り賃も純碁も数十年前まで世界の標準ルールだったし現在でも囲碁の伝統ルールはそれしかない
歴史上の国際対局も伝統ルールに基づいて行われている
そのことは本因坊等の記録にも残っているし歴史的な棋譜や裁定も(現在の日本ルールではなく)純碁の結果と一致している
問題は日本ルールが自らをローカルルールとして認めていないことであり
そもそも日本ルールってどういう立ち位置なの? 囲碁と呼んでもいいものなの?ってところから何も決まっていないことなんだ
>>906>>908
少しはスレを読んでから書いてくれw
基本的な知識がなさ過ぎると荒らしにしかならない >「地を競うゲーム」というのは千年くらい前に日本でできたゲーム
日本語にはこのゲームの名前として「囲碁」以上にふさわしいものはない 人々が合理的に動くものなら「地を競うゲーム」を囲碁と読んだことに合理的な理由があるだろう
その名前を変えようとしてもうまくいかない
人々が合理的に動くものでないなら「合理的に言えば「地を競うゲーム」は別の名前で
よぶべき」なんて言ってもなんの意味もない
その名前を変えようとしてもうまく行かない >>910>>911
もう完全にキチガイレベルだな
囲碁という言葉が日本語でない(外来語である)ことすら気付かないんだから
昔の日本人は自分達は囲碁をやっていると勘違いしていたんだ
世界の囲碁には様々なローカルルールがあるから日本ルールもローカルルールの一種だと考えていたんだろうな
それはそれで一つの考え方として賛否は別にして有りうる考え方だ
問題は現在の日本ルールの立ち位置が定まっていないことにある
伝統ルールのローカルルールの一つなのか?
現代ルールのローカルルールの一つなのか?
囲碁から派生した日本固有の独自ゲームなのか?
日本ルールの立ち位置はどうあるべきなのかについて建設的な議論をしようじゃないか その一貫した原典至上主義には感嘆するけど
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/098.html
>外来語は、日本語の一部です。
外国語が外来語になった時点で元の意味とは別れた独自の意味を持つのは
ふつうのことだ
カルタしかり、カルテしかり 囲碁という言葉が外来語だから日本語でないとは、それこそ完全にキチガイレベル 1.日本ルールが碁でないと言い張ってる馬鹿は、実際にそれぞれのルールで打ってみて比べたことがないド素人だろうとしか言いようがない
ド素人がググって聞き囓ったような中途半端な知識で偉そうに語るのは荒らしにしかならない
2.碁が中国由来であることは誰でも知ってる常識レベルの事実だし、棋院のページにも書かれている
みんな知らないかのように決めつけているのは、不都合な真実から目を背けたいがための捏造
3.不都合な真実というのは、ルール問題において歴史や伝統はあくまで二の次であり重要ではないという事実
「由来」に固執して伝統ルールに拘る考え方を「不合理」という
それは棋院が「地」に拘っているのとまったく同じ感情だ
でも人間は科学の進歩で物事を合理的に考えるようになった
合理的な考え方とは、歴史や伝統に縛られない客観的な見方をいう
ゲームのルールは基本、ゲーム性や利便性や実用性で考えるのが当然
4.日本の碁の権化である本因坊家が純碁式で裁定していただと?>>909
そりゃあ初耳だ、ぜひ実例を紹介してほしい
5.世界語となっている「Go」は明らかに日本由来の言葉
中国だったら発音は「Qi」のはず
つまり、キチガイの語る「(謎の)伝統ルール」とやらはネアンデルタール人と同じように一度途絶えたんだ
いま栄えているのは同時代に分化したホモサピエンスのように、「日本ルール」から発展したもの
6.「外来語は自国の言語ではない」などと言い出したら、
フランス語やスペイン語やイタリア語あたりのヨーロッパ圏の言語はみんな一緒くたになってしまうな ところで、石を囲めば取れると教わったけど、終局後は囲みきらない取り上げてしまうよね。
ルールに一貫性がないんやけど。なんで?いいの? 囲まれた石は死んで取り上げられる
敵地で味方に見殺しにされた兵士は生きるだけの土地がなければ殺されなくてもそのうち飢え死にする
終局したということは、双方がその死に合意したということだろ 合意すれば取り上げることが出来るなら、囲めば取れるルールなんて最初から必要ないじゃんか。 日本ルールについて誤解が多いが、死活確認は合意によって行われるわけではない
合意しなければ規約七条に則って判定するまでのこと だから死活確認ってなに?
囲めば取れるのルールに、何の確認が必要なの?ダメがあいているかどうかの「確認」なら分かるけど、そういう意味で使ってないよね 死活確認も勿論「囲ったら取れる」という基本ルールを大前提にしているよ
「囲ったら取れる」というルールを一歩飛躍させて、
「お互いがパスしてゲーム継続を放棄した後には、
どう足掻いても最終的に囲まれて取られる石も死石となる」
これも囲碁のルール そういうルール?
囲碁入門のいろはの「い」で覚えた、囲み切ってからから石を取る、終局処理では、それをしないってルール?
もし囲み切ると、自分の「地」が減ることになることはわかるけど、ルールの一貫性を無視して、なんで囲みきらないで(地を減らさないで)勝負の計算が合うんですか?
そこがわからない。 >>922
棋院のルールを引用
> 囲碁は、「地」の多少を争うことを目的として、競技開始から第九条の「対局の停止」までの間、両者の技芸を盤上で競うものであり、「終局」までの間着手することを「対局」という。
> 一方が着手を放棄し、次いで相手方も放棄した時点で、「対局の停止」となる。
終局したらもうそれ以降は囲碁の対局ではない
対局中のルールはおよばない
例えば交互に一手ずつ石を打たない あるいは逆に、対局中に終局後のルールは及ばない
> ハマをもって相手方の地を埋め、双方の地の目数を比較して、その多い方を勝ちとする。
対局中に、『ルールは一貫しているべきだから今地の多い俺の勝ちだ」
なんて言っても誰も聞かない
囲碁は対局後に勝敗が決定するゲーム
対局後に勝利することを目指して打つゲーム 疑問と答えが全くかみ合っていない。
こういう疑問は碁を覚えていくつれ消滅していくんだろうね
だからこそかみ合っていないんだろう
ハマを埋め戻さない中国ルールなら起こらない疑問でもあるけどね >>922
なにをもって「ルールに一貫性がない」なのか理解できないのだけど
(たとえばサッカーでキーパーが手を使うのはオカシイ!みたいな?)
まあ一人でそう考えるだけなら憲法で自由は保障されている
とはいえ、終局後も囲み切らないと石を取れないルールで碁を打ってる人はどこにもいない
なぜなら、捨て石になるわけでもなくただ取られるだけの石を敵陣に打ち込んで
それが有効手になってしまうようなゲームは大方の人間にとってくだらないだろうからな
あと「計算が合う」っていうのも、いったいなにと比較して「合う」なのかな? >>926
上の質問の焦点は、囲みきらなくても終局後に死石を除去してよいかどうかであって
ハマを埋めるかどうかなんてそれこそ答えが噛み合ってないのだが。
中国ルールだろうと合意による死石の除去は当たり前にやってる そして、合意できなければ、中国ルールならそのまま実戦解決すればいいが、
日本ルールであっても、終局盤面を棋譜なりカメラなり別の盤なりに保存しといて
待ったなしの死活決着対局でもやれば解決する問題
なぜだが日本ルールでは高段者を呼んでこなきゃわからないなどと思われがちだが
そんなものが本当に必要なのか?
つまり、中国ルールの実戦解決の利点というのは、
終局盤面を保存する手間が省けるという程度でしかない
しかしスポーツなどでカメラ判定が意図も容易く行われている現代において
それはたいした利点ではないな 質問です
中国ルールでは終局後一方の石と地を数えて180.5から引くといってますが
セキがある場合180.5を適用できないような気がするんですが違いますか? どう考えて適用できないと思ったのかな?中国ルールでは
1.セキの地(同色の石に囲まれた空点)も数える
2.終局後の盤上に存在するのは、黒白の石と地、そしてセキのダメで全てであり、その合計は361で不変
3.セキのダメは折半する(つまり、計算の際に0.5として数える)
…以上により、180.5は常に変わらない
セキのダメを「黒白ゼロ」ではなくて敢えて0.5として数えることで、
180.5という数字は変わらないわけだ >>931
レスどうもです
え〜と通常のセキだと黒白どちらも打てないダメが二つ残る
その二つのダメは黒白どちらにも属さないから黒白の地と石の合計が361-2で359になるのではないかと >>931
セキのダメを折半するって、そうなの?
セキのダメを数えてるんだそれは知らなかった
932はなかったことに 囲碁クエストの中国ルール、たまにダメをつめずにパスする輩がいて、
そういう時は自分の地にもどんどん石を置いて2眼のみにしてやる
こっちの地は2目しかないと相手は思っているだろうが、結果はこっちの大勝
あはは >>913
つまり囲碁は外国の言葉であったが日本に輸入されて意味が変わって元々の囲碁とは別のものを表すようになったと主張したいわけね
言い換えると日本語の「囲碁」は他の国の囲碁とは別の意味であって別のゲームを表すという主張になる
だったらまずはそのことを文献で証明しないと
棋院や囲碁関係者でそういう解釈をしている人は誰もいない
大体「囲碁」が元々の囲碁と意味が違うのなら元々の囲碁を表す言葉が別に存在しているはずだ
(例えばカルタの場合はトランプやカードゲーム等)
全く根拠のない独自説(非常識)を書かれても困る
それから念のため「囲碁という言葉が日本語でない」というのは日本発祥の日本語ではないという意味だからな
国語力があれば文脈で分かると思うが
あとカルテ等の和製外国語は日本発祥の日本語であって外来語ではない
>>915
1と2は荒らし的に書いた煽りということでいいね
3の「ルール問題において歴史や伝統はあくまで二の次であり重要ではない」という意見は私的な意見として聞いておくが
棋院を含めて世界中の囲碁関係者は囲碁の歴史や伝統を大切にしているからその意見は相手にされないだろう
俺もこれ以上は相手にするつもりはない
あと「重要ではない」という意見だからと言って歴史を捏造をしていいということにはならないからな
「ネアンデルタール人と同じように一度途絶えたんだ」とか書いていて恥ずかしくならないのか?
4と5は無知という他はない
6は「外来語は自国の言語ではない」等とは誰も言っていない藁人形 >>916
伝統ルールや現代ルールでは両対局者の合意の下で終盤を省略しているだけ
省略せずに最後まで打ち切ればこうなるだろうという局面(目数)を両対局者が合意して勝敗を決める
合意できなければ実戦決着
日本ルールでは両者の合意ではなく基本的には審判が規約に基づいて判定する
この時の個別の判定の是非は別の問題だとして
審判が判定すること自体は特に問題になるようなことではない
伝統ルールや現代ルールでも審判判定を採用することはできる 結局これについては誰も意見を書けないのか?
情けないな
>問題は現在の日本ルールの立ち位置が定まっていないことにある
>伝統ルールのローカルルールの一つなのか?
>現代ルールのローカルルールの一つなのか?
>囲碁から派生した日本固有の独自ゲームなのか?
>日本ルールの立ち位置はどうあるべきなのかについて建設的な議論をしようじゃないか 日本人なら祖国の日本ルールを国際ルールとして普及させようと考えるのは当然
そこに理由など必要ない おまえ自身が答えを書いてるんだけど
>世界中の囲碁関係者は囲碁の歴史や伝統を大切にしている
だったら棋院が日本ルールを大切にするのは当然
それを非難するのはおまえ自身が矛盾してるんだが?
あと、ルールが合理的に進化することは捏造とは言わないんで、いい加減誤用はやめたまえ
棋院はちゃんと、囲碁は中国で生まれたゲームだという歴史をサイトに載せている
https://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/ まーたバカのひとつ覚えで【囲碁関係者(妄想)】のおでましか
現代ルールが伝統ルールから直接進化したものでないことは
まさしく囲碁関係者であるメイエンの
http://www.go-en.com/golax/jungo/ohmei.html
の記事等も参考資料にして書いてるわけだが、
となると捏造しているのは囲碁関係者なんだな
さらに、日本の碁で受け継がれてきたセキを数えない習慣は
あんたのいう伝統ルールとは明らかに反しているはずなんだけど
本因坊家はセキを数えていたんだ?
無知というのなら
「だったらまずはそのことを文献で証明しないと 」
「棋院や囲碁関係者でそういう解釈をしている人は誰もいない」
何から何まで適当に思いついただけのデタラメを
「書いていて恥ずかしくならないのか?」 >>935
「地を競うゲームは千年くらい前に日本で生まれた、石を競うゲームとは別のゲーム」というのはあなたの主張でしょう
あなたはその地を競うゲームは日本では歴史的に何と呼んでいたと考えていますか?
という話ですが。
私の「そのゲームは千年間囲碁と呼ばれた」という主張は気違い呼ばわりされるほどのものなのですか?
私の主張は、地を競うゲームと石を競うゲームは同じゲーム
千年間日本人はそれを同じものと考えて同じ名前で呼んだ
です。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。