【天才】橋本宇太郎【火の玉】
95年前の2月27日は橋本宇太郎先生の生まれた日です。
激動の人生を歩んだ宇太郎先生に付いて語りましょう。 >>358
先生の場合、エピソードも碁も人並み以上な場面がいくつもあるからね。
今の人、というか俺に分かりにくいのは対呉清源十番碁の重みだな。
>>359
>>263 >>355
とりあえず、お前が橋本宇太郎の小説を書け!!
読んでやるからw ゲーセンのクイズゲーム「クイズマジックアカデミー」で出題された難問を紹介。
【雑学・線結び】 (全国正解率3%)
日本の囲碁のタイトル戦と初代優勝者を線で結ぶ
A:本因坊戦 1:加藤正夫
B:碁聖戦 2:橋本宇太郎
C:十段戦 3:藤沢秀行
D:棋聖戦 4:関山利一
実は橋本宇太郎ファンにとっては易問だったりする。
A:本因坊戦→第1期本因坊・関山利一の病気棄権により橋本宇太郎が第2期本因坊となる
C:十段戦→橋本宇太郎本人が第1期十段戦を制覇。
D:棋聖戦→第1期棋聖の藤沢秀行と7番勝負を戦ったのは当時69歳の橋本宇太郎
B:碁聖戦→消去法で殺し屋加藤w 11月公開の映画「呉清源 極みの棋譜」。宇太郎先生を演じるのは、1年前ならほぼ無名といってもよかった大森南朋氏。
今年2月〜3月にNHKで放送され、国内外の数々の賞に輝いた「ハゲタカ」の主人公、鷲津政彦役を演じ、一気にマニアックな人気を得た。
その大森氏の演じる若き日の宇太郎先生、果たして如何に? ようやく当地でも「呉清源 極みの棋譜」公開。公開初日夜の上映は観客数人。
昼は多かったかも知れないが、次の金曜日まで一日2回上映で、次の一週間は
夜のみの1回上映。
宇太郎先生(大森南朋)の登場回数は少ないが、第三期本因坊戦の打ち合わせ、
原爆下の対局、第一次十番碁、最後の呉九段引退式典の第一着天元打ちなど、
要所ではしっかり出演。
関西棋院が後援に名を連ねたのも、呉九段が名誉客員であることにあわせて、
こうした所が作用したかも。
呉清源もいいけど、宇太郎先生の生涯の方がドラマティックな気がする。
原爆対局や関西棋院独立の暗闘、昇仙峡の大逆転、などに重点をおいて、映画化してほしい。 >>367
ドラマ性はあるだろうけど弱いのが玉に瑕だよな。
どうしても呉や坂田や高川や両藤沢に見劣りがする。 >>368
朋斎には勝ってると思うけど
呉藤沢の十番碁はプロレスの小川橋本みたいだ。 生誕101年&スレ立て6周年あげ
杉内雅男・窪内秀知両九段が未だ現役であることに驚嘆する。 >>24
読売新聞社発行の「第1期棋聖決定7番勝負」の
巻末の方に詳しく解説付きで
橋本vs大竹戦の棋譜が掲載されています。 なんかの本で最後に王座戦を取った碁の題に書いてあった「生きていた明治」っていうのと
明治は遠くなりにけりっていうのからとった「明治を遠くにさせない人である」っていうのがすきだなあ。
あと対局写真がいつも正座してしゅっとしてるのがすごくカッコイイ。
>>376
「昭和の名局4若獅子の時代」に「生きていた明治」とあります。
ただし、王座ではなく十段。大竹英雄を3−2で降した局の解説です。
いつになったら関西棋院は橋本をこえる棋士を世に送り出せるようになるんだ?
劣化コピーだらけじゃないか。 日本棋院から関西棋院を独立させちまったおっさん。
その時、本因坊ってタイトルもいっしょに持っておん
出たもんだからもう日本棋院はカンカン。刺客として
登場したのが坂田栄男。本因坊戦七番勝負の死闘が、
始まった。後の七冠王、坂田栄男は強い。橋本は、第四
局を終わった時点で1勝3敗と絶体絶命に追い込まれた。
日本棋院のサイドは祝賀ムード。しかし、橋本はそこから
踏ん張った。第五、六、七局を三連勝。大逆転で本因坊位
を防衛したのだった。瀬越憲作門下。同門の弟弟子が碁聖
呉清源。橋本は天才坂田に勝った翌年、本因坊位を日本棋
院の高川格に奪われてしまった。爾来関西棋院は大三冠タ
イトルを一度も手に入れたことがない。1950年ごろの
話だよ。 現在は、棋聖戦、名人戦、本因坊戦が大三冠と呼ばれているが、70年代に棋聖戦が創設されるまで、三冠といえば名人戦、本因坊戦、十段戦だった。
棋聖戦創設までに、関西棋院岸は、十段を橋本宇太郎2回、半田道玄1回、橋本昌二1回と、合計4回取っているので、大三冠はともかく、その辺りのことに触れないのは関西棋院に失礼では。
山海堂の古典詰碁集とか、誠文堂新光社か毎日コミュニケーションズあたりで
復活してくれんものかね。てか、そのあたりの宇太郎九段の本の権利って
どうなってるんだろう。 生誕102年&スレ立て7年あげ
先程NHKのニュースで、引退をかけた大一番に挑む有吉道夫九段を特集していた。
有吉先生は73歳。この年齢で宇太郎先生は名人リーグに入っていた。 命日(16回忌)。「囲碁関西」で連載中の雨洗風磨も佳境に入っています。 昔、宇太郎先生の「詰め碁歳時記」を持っていたけど、名著。
手の解説はほとんどなかったけど、俳句歳時記と風流な文章がすごいと思った。
もう、こんな詰碁の本を書ける人はいないんだろうなあ。 文章は志智嘉九郎さんによるものだろう
囲碁ライターでもあり、図書館の館長でもあった スレ立て8年&生誕103年あげ。
有吉道夫先生が74歳でNHK杯本選入りを果たした。
宇太郎先生は77歳でNHK杯ベスト8入りしている。 ヤフーオークションで、「橋本宇太郎全集」全六巻を購入しました。
昭和50年までの打碁集ですが、まさかその後棋聖戦の挑戦手合いに出たり、
古稀を過ぎて名人戦・本因坊戦リーグに在籍したりするとは誰も思わなか
ったんでしょうね。 前レスの直後に圧縮があって古いスレが大量に落ちた。危ないところだった。 【映画】広島の爆心地を精密なコンピューター・グラフィックスで再現した記録映画「ヒロシマからの伝言」が完成
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1282439976/
藤井邸も再現されているのなら見てみたい 坂井新碁聖誕生。関西棋院にとって29年ぶりの7大タイトル獲得。
泉下の橋本総帥もさぞお喜びでしょう。 スレ立て9年&生誕104年あげ
会心の局と言われる対呉清源3番碁第2局暗譜中 原爆対局をくぐりぬけてきた橋本師に敬意を表してあげ。 YouTubeで「羽根 昌二」で検索すると良いことがあります
アカウントを持ってる方はUP主に完全版をリクエストしてもらえませんか 橋本師の全盛期は戦前だったのはないか。
坂田の挑戦を退けた頃はもう衰えていると思う。
それ頃から碁が薄くなり、失着が増えている。
呉清源先生の兄弟子だけど、呉清源先生は宇太郎先生を
本当に尊敬していると思われ。
才能も実績も呉清源先生の方が上だったけど、宇太郎先生は
呉清源先生をいじめたりはしなかったのであろう。 >>401
坂田を下した時点で44歳だからね
あと関西棋院の運営に忙殺されたり
関西棋院独立の件だけど、宇太郎先生が『関西独立すっぞ、野郎ども!』と
号令したとは思えないな。
人物や棋力から大将に祭り上げられて責任を背負い込んだんではなかろうか?
中国の皇帝でさ、酒を飲んで寝ている間に反乱軍の大将に
祭り上げられて、勝って、皇帝になった人がいたよね。
誰だったかな? >>405
そもそも誰かが先頭に立って独立に動いたわけじゃない
それでいて東京に対抗できる棋士が宇太郎ちゃんだったってだけ >>408
何局も打ってるけど?
タイトル戦を打たせたかったってこと? >>407
今と違ってタイトル戦が少ない時代だったからねえ。
地元のタニマチの影響力は今よりも大きかっただろう。 17年前の7月31日はNHK杯を見ていた。対局はどうでもよくて解説の橋本先生のお姿をじっと見ていた。
最近一部がつべにあがっている。 >>393-394のような事情で古いスレが大量に落ちた。
加藤正夫スレが落ちてしまったのは悲しかった 日経1979年10月4日付け夕刊、橋本宇太郎−小林光一戦観戦記より
「白番が当たったとき、小林八段はいやな予感がしたという。
宇太郎九段の黒に対抗できる棋士はせいぜい五人あるかなしと彼は断言する」
この碁は黒71と優位を築き、91の時点では小林八段は必敗を覚悟するも、93や113などのいらぬ反発が裏目に出て敗北。
棋譜は棋譜でーたべーすにあると思う。 今期の碁聖戦第1局は関西棋院で打たれたが、観戦記によると、
橋本先生愛用の盤石が使用されたそうだ。
-= ∧_∧
-=≡ ( ・∀・)
-=( つ┯つ
-=≡/ / //∧ ガッ
-=≡(__)/ )< >__∧∩
-= (◎) ̄)) ∨`Д´)/ ←>>168
/ 板が鯖移転したらこのスレが真っ先に落ちるんだな
移転したら保全レスよろしく 民主党の小宮山洋子厚労大臣は、宇太郎先生の恩人・青木一男氏の孫なんだな。 スレ立て10年&生誕105年あげ
2ちゃん全体の最古ランキングだと2000位にも入れない >>424
宇太郎先生の命の恩人は、一男氏の弟青木重臣氏。中国地方の警察の元締めで、第三期本因坊戦の会場を広島市外に移させた人。 >>426
青木兄の方も宇太郎先生の後援者ですよ。
戦犯として投獄される直前に宇太郎先生と対局したり。 久しぶりに関西棋院に十段が誕生した。
宇太郎先生の最後に獲得したタイトルが十段だった。 8月4日付けの中国新聞に、原爆下の対局に使われた碁盤が発見されたという記事がでていた。
しかし、津脇家で保存されていた碁盤とは別物のようだ。
どちらが本物の、原爆下の対局碁盤だろうか。 全く形式的なことだが、先日本因坊リーグ入りした余正麒は宇太郎師の孫弟子 1月7日は、1971年に橋本師が64歳で十段位を獲得した日です。 宇太郎師の64歳でタイトル獲得はやっぱり大したもんだわ。
今だと考えられん。
当時若手が弱かったのかというと、そんなことはない。
林海峰、大竹、石田、加藤といた時代に64歳でタイトル取ってる。 >>445
十段復位を決めた第9期十段戦第5局は、1971年2月10日、11日に打たれた。
当時、宇太郎先生は63歳。64歳になる少し前のこと。 当時の十段戦挑戦手合は二日制だったのか。
ちなみに、前年のプロ十傑戦では、加藤を3−0でくだして優勝している。 >>447
445です。1月6,7日は、第一局が打たれた日だったのですね。
ご指摘どうもありがとうございました。
(講談社の現代囲碁大系第七巻「橋本宇太郎 下」の記載をそのまま載せてしまいました。) 1954年(昭和29年)1月16日に、橋本師は日本で3人目の(名人でない)
九段に昇段しました。
ちなみに、他の二人は、藤沢庫之助(後の朋斎)九段、呉清源九段で、いずれも
当時は無所属。
次に九段に昇るのは、翌年の坂田栄男八段(日本棋院)です。 今日2月11日は、橋本師が63歳で十段を奪還した日です。 今日2月11日は、結城聡十段の42回目の誕生日です。 棋譜並べは秀策がいいという。
宇太郎師の棋風は秀策と逆のような気がする。 宇太郎師の碁風は、秀甫に似ているとなんかで読んだ気がする。 読みを基調とする碁は本腰を入れて読んで並べないと逆効果な点はあるよね。素人が真似ると碁が荒れやすい。
坂田、チクン、井山もしかり。