【天才】橋本宇太郎【火の玉】
95年前の2月27日は橋本宇太郎先生の生まれた日です。
激動の人生を歩んだ宇太郎先生に付いて語りましょう。 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
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宇太郎先生が亡くなられた次の週の NHK杯の解説で宇太郎先生はすらすらと
語っておられたのが印象的です。(もちろん字幕が出ましたが) 縁側でコーヒーを飲んでて逝ちゃったんだっけか。
うらやましい 昭和の棋聖が呉清源なら昭和の名人は宇太郎先生であろう
後世で秀栄と並ぶくらい称されてもおかしくない 読売新聞に何十年も連載してた(1万何千題だったか)詰碁は、全部、宇太郎九段の作なのかな?
それにしても、すごい数の詰碁! 第3期、第6期本因坊戦の話を読むと胸が熱くなってくる。
こんな修羅場を2回もくぐったのはすごい。 詰碁以外でも良書が多いよね
山海堂の宇太郎さんの本は棋書不況の中いまだに重版されてるようだし 人間として立派な人だったようですね。
待ち合わせには決して遅れなかったとか、
相手がお偉いさんでも無礼には手厳しく対処したとか、
盤上、棋界のことだけでなく普段の生活態度も。
碁については、私ごときには語るもおこがましいと思ってしまう。 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
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>>10
関西棋院の存亡を賭けた戦いでしたっけ。
戦後最大の棋戦だったと思います。
今でたとえると、韓国棋院と日本棋院が代表者を出して戦って、負けた方が
吸収合併される。そのくらいのインパクトだったんではないかと想像します。
(少なくとも、関西にとっては)
宇太郎先生の創始された定石は、自由奔放な感じがします。 敗れたものの第1期棋聖戦の後の「生涯現役たれという神のお告げ」
というコメントも感動。
宇太郎vs坂田のような迫力のあるタイトル戦というのはもうないのかな...
宇太郎坂田の本因坊戦の棋譜はいまだに理解できん
古今通じて一番理解に苦しむ碁と個人的には思う
それだけ凄いとも思うね >>18
それはきっと
お互いに相手の「裏の裏の裏の・・・の裏」を読もうとしてるためでしょう。
争碁に名局なし、といわれるのもそのあたりの事情によるものでしょう。
棋聖戦挑戦手合いで昼にぶあついステーキを食ったらしいね(当時70近い?)
午後に胃がもたれて悪手連発で負けたとか・・・ 驚嘆すべき記憶力の持主だったらしい。
会った人の顔は忘れないとか、NHKテレビで原爆下の対局をペーパー無しで30分語りきったとか。 師匠が2人いるがどちらもアマチュアあがりだった。
これが良くも悪くも宇太郎師を規定している。
>>22
面白い見方ですね。
なるほど。彼の変幻自在の手を産み出す創造力の根源は、
素人的奔放さの力を借りているのかもしれないですね。
玄人の盲点みたいなものを埋めてるとすれば、確かにコワイ強みですね。 第一期棋聖戦最高棋士決定戦準決勝の対大竹戦の棋譜ってありませんかね
雑誌に「これは『盤上詰碁の局』といえるような難解な碁で、
詰碁の第一人者橋本九段の特徴がよくシノギに発揮され、呉清源九段は
『先生近来の傑作』と絶賛した」とあったので見てみたくなりました。 ネタ探しに講談社の現代囲碁大系の大橋本の巻を読んでたら、感心するというより
なんか胸が一杯になってきた・・・
これだけ書いただけじゃ、意味のないカキコだから少しだけ引用。
「終局は午後八時だった。それから橋本は二、三人の人と一緒に焼肉を食いに行った。
以前から健啖家でもあり、酒もよく呑んだ。今日もよく食べるゾと見ていたところ、
案の定、肉でも肝でも野菜でもばりばりと召し上がる。そして人にちょっとやりませんかと
ビールをすすめながら、自分の方がよく飲んでござった。三本ぐらい飲んだであろうか。
筆者はその光景を眺めながら腹の中で呟いた。
『馬力のあるはずだ』
橋本六十八歳の秋。天高く馬肥ゆる時季であった。」
「藤沢(朋)との手合い(王座戦)が(昭和四十七年)七月二十七日、関西棋院であった。
その日の朝、瀬越が自宅で自殺していたのが発見されていた。対局直前、日経の記者を
別室に呼んで、瀬越の死を知らせ、「しかし、このことは藤沢さんには言わないように。」と
念を押した。藤沢の心情に波紋を起こさせないようにとの配慮である。藤沢は翌日東京で
瀬越の死を知った。
その碁は白番の橋本が八十八手で黒を潰した。」
>>24
講談社の大系にはありませんでした。
一般人は読売新聞か囲碁年鑑のバックナンバーを探すしかないかも。 昨日桃谷に立ち寄ったので細工谷のあたりをうろうろしてきました。
関西棋院はどこにあったのか、私にはわかりませんでした。
昔からありそうなのはお米屋さんと助産婦協会ぐらい
昔の関西棋院の場所を知ってる人はいませんか? 天才過ぎて凡才を教える方法がわからなかったんだろうなあ。
関西棋院の低迷を見るとそう思う。 別に橋本、木谷、呉を育てた瀬越や鈴木が特別な教え方をわけじゃないと思う。
凡才は凡才だったということなんでしょう。
あるとすれば、久保松の東京に行かせにゃ一流にはなれんという考えを覆すだけの
環境を関西に作れなかったということなんでしょ。人材吸引力にしても切磋琢磨の
厳しさにしても。(橋本先生すみません。) 武宮とはタイプの違う天才だが
それをうまく言い表す言葉がみつからない 大橋本は、下手打ちがうまかったらしいね。昭和30年代の下手打ち名人と言えば、
東の朋斎(藤沢朋斎)、西の宇太郎、とか。
橋本の変幻自在の棋風からすれば、下手にとっては最もやりにくいだろうね。
でも後年、朝日でアマ・プロ十傑戦が始まってからは、仏の宇太郎になったのか、
負けてばかりだった。 うん。アマには負けてやりなさいという感じだった。
坂井氏がアマ・プロ十傑戦で勝たせてもらってたよね、確か。 よろしく〜 >>34
で、upするのはこっちのスレ?それとも棋譜保存スレ? >33。坂井氏は宇太郎と年代が違う。十傑戦で宇太郎に勝たせてもらったのは、
金沢盛栄氏。 ( ;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999] SZ[19]PB[岡部洋明]BR[6d]
PW[橋本宇太郎]WR[9d] DT[1994−05−18] EV[碁聖戦]
US[長船恭子(現湯川光久夫人)]KM[5.5] ;B[pd];W[cp];B[qp];W[op];B[dd];
W[fc];B[cf];W[qq];B[rq];W[pq] ;B[ro];W[jq];B[ep];W[nc];B[kd];W[qc];
B[pc];W[qd];B[pe];W[pb] ;B[ob];W[qb];B[oc];W[qf];B[ec];W[fd];B[hd];
W[ff];B[pn];W[dq] ;B[eq];W[cn];B[hq];W[jo];B[no];W[mq];B[qh];W[pf];
B[of];W[og] ;B[pg];W[rg];B[nf];W[oh];B[pi];W[oi];B[pj];W[oj];B[qe];
W[re] ;B[qg];W[rf];B[pk];W[nd];B[nb];W[lc];B[ld];W[mb];B[md];W[mc];
B[ne];W[jc];B[jd];W[ic];B[hc];W[hb];B[ge];W[gb];B[fe];W[ee] ;B[ed];
W[eb];B[ef];W[lh];B[lj];W[lf];B[kg];W[lg];B[le];W[kh] ;B[mi];W[ng];
B[id];W[ok];B[jj];W[ih];B[hj];W[eg];B[de];W[gh] ;B[fj];W[nm];B[nn];
W[pm];B[qm];W[om]C[96手完 白中押勝ち ] )
はじめてのSGF棋譜貼り、成功してるかな? >>36
そうか。そうだよね。thx.
>>37
読めましたよ。thx. しかし、あっけない一局だな。(チョイ寂 日付をiso形式にするんなら半角英数を使うべし。
段位も「d」を使うんなら半角英数な。 絶局と同じ号に載っていた窪内秀知プロとの二子局です
32さんのレスを読んで貼りたくなりました
( ;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999] SZ[19]HA[2]
PB[窪内秀知]BR[四段]PW[橋本宇太郎]WR[八段] DT[1946-02-14,20]
PC[箕面市桜井・助川氏宅 93手打ち掛け 曾根崎新地で打ち継ぐ]
EV[アマ強豪の吉田理一氏のきもいり]RE[194手以下略白一目勝ち]
SO[「囲碁関西」1994年8月号]KM[なし] AB[pd][dp]
;W[cd];B[pp];W[fd];B[cj];W[qf];B[nc];W[nq];B[qm];W[hq];B[pq] ;W[cn]
;B[cg];W[cp];B[cq];W[bq];B[br];W[bp];B[eq];W[cr];B[dr] ;W[dq];B[iq]
;W[ip];B[cq];W[jq];B[cs];W[qd];B[qc];W[rc];B[qe] ;W[rd];B[re];W[pe]
;B[rf];W[qg];B[rg];W[pc];B[od];W[qh];B[rh] ;W[pb];B[qi];W[pm];B[qn]
;W[pi];B[qj];W[md];B[oe];W[mc];B[hc] ;W[pf];B[of];W[ph];B[mf];W[jd]
;B[he];W[jf];B[nh];W[pj];B[nj] ;W[ok];B[pk];W[pl];B[qk];W[oj];B[nk]
;W[nl];B[ml];W[nm];B[lk] ;W[fb];B[hg];W[jh];B[mn];W[no];B[mp];W[ql]
;B[rl];W[rm];B[rk] ;W[np];B[ir];W[mm];B[lm];W[ln];B[km];W[hr];B[kp]
;W[kq];B[ii] ;W[lh];B[mh];W[eg];B[gi];W[bk];B[ck];W[bl];B[bj];W[do]
;B[eo] ;W[en];B[kc];W[jc];B[jb];W[ib];B[ke];W[if];B[ic];W[id];B[lb]
;W[hb];B[gc];W[hd];B[gb];W[gd];B[ia];W[or];B[pr];W[fo];B[ep] ;W[bf]
;B[lo];W[mo];B[dm];W[dn];B[cl];W[cm];B[cf];W[bg];B[ef] ;W[ch];B[dh]
;W[bh];B[eh];W[fr];B[ar];W[kd];B[ce];W[be];B[dd] ;W[cc];B[fl];W[el]
;B[ek];W[kn];B[jn];W[nn];B[jp];W[io];B[jo] ;W[lq];B[gn];W[gm];B[hm]
;W[fm];B[gl];W[kj];B[jk];W[qo];B[po] ;W[pn];B[rn];W[ro];B[sm];W[rq]
;B[rr];W[rs];B[qr];W[sr];B[so] ;W[rp];B[sp];W[sq];B[sn];W[ff];B[fg]
;W[ee];B[gf];W[df];B[de] ;W[di];B[ei];W[ih];B[hh];W[fc];B[ha];W[kk]
;B[jl];W[mb];B[lp] ;W[ps];B[qs];W[os];B[qq]C[194手以下略白一目勝] ) 橋本先生80歳直前の一局
本当に変幻自在ですね
( ;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[杉内雅男]BR[九段]PW[橋本宇太郎]
WR[九段] DT[不明] PC[関西棋院]EV[棋聖戦各段戦]
RE[白半目勝ち]SO[囲碁関西1987年4月号]KM[5.5] ;
B[pd];W[dc];B[pq];W[cp];B[eq];W[po];B[pl];
W[pm];B[qm];W[om] ;B[qn];W[qo];B[pn];W[on];
B[oo];W[op];B[no];W[pp];B[np];W[nq] ;B[nl];
W[ro];B[nn];W[mq];B[jd];W[jq];B[ce];W[gc];
B[pf];W[cd] ;B[ed];W[dd];B[de];W[ee];B[ef];
W[fe];B[dg];W[dq];B[ep];W[dn] ;B[cl];W[dl];
B[co];W[do];B[dk];W[ck];B[dp];W[cq];B[dm];
W[el] ;B[em];W[cm];B[cn];W[bl];B[en];W[ld];
B[bm];W[gf];B[cl];W[dj] ;B[ci];W[di];B[dh];
W[bi];B[bd];W[bc];B[cj];W[ek];B[bj];W[gh] ;
B[hg];W[gg];B[kf];W[mf];B[nc];W[qe]
C[76手以下略289手完白半目勝ち] ) 「わたしが一生懸命打ったのは二十才台のころで、そのころは
盤上ひとすじでした。そこからあとは純粋に碁そのものではな
くて、半分は政治が入っています」 近日中に
宇太郎山部の天元ケイマがかりの局
の総譜をアップします。 (;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[山部俊郎]BR[五段]PW[橋本宇太郎]WR[八段]
GN[天元ケイマガカリの局]DT[1950年2月]
PC[名古屋]EV[東西対抗戦]RE[234手完 白中押し勝ち]
SO[現代の名局 橋本宇太郎 上]KM[4.5]
;B[jj];W[kl];B[il];W[dd];B[op];W[dp];B[pd];W[qp];B[pm];W[io]
;B[go];W[lp];B[qq];W[rq];B[pq];W[ro];B[qn];W[rn];B[rm];W[ql]
;B[qm];W[rr];B[mn];W[kn];B[fq];W[eq];B[hq];W[hm];B[jq];W[no]
;B[qo];W[rp];B[mo];W[np];B[mp];W[nq];B[mq];W[oo]C[黒33までは
勢いだが、白38までとなっては
黒が軽く一本取られた感じだ。]
;B[hl];W[om];B[pl];W[mr];B[lq];W[nm];B[pi];W[mm];B[fc];W[df]
;B[ch];W[jc];B[db];W[cc];B[hc];W[qg];B[qi];W[nd];B[pb];W[qe]
;B[qd];W[og];B[ne];W[me];B[nf];W[pe];B[od];W[md];B[rh];W[nh]
;B[oe];W[ie];B[he];W[hf];B[gf];W[hd];B[ge];W[gd];B[fd];W[id]
;B[ee];W[bg];B[ib];W[hg];B[cb];W[gg];B[cg];W[cf];B[bh];W[ef]
C[白88と連絡してはちょっと白に負けのない碁になったといえる。] ;B[cl];W[fr];B[gr];W[fp];B[gp];W[lr];B[lg];W[mi];B[jf];W[fg]
;B[fe];W[jh];B[ih];W[if];B[jg];W[gq];B[nr];W[or];B[fq];W[cn]
;B[eh];W[jb];B[bc];W[bd];B[dc];W[cd];B[bb];W[gi];B[ko];W[im]
;B[ln];W[ki];B[ng];W[oh];B[gm];W[gl];B[jm];W[ck];B[bk];W[dl]
;B[dk];W[cj];B[dm];W[el];B[cm];W[bj];B[ek];W[fl];B[dj];W[bn]
;B[bl];W[km];B[hj];W[fk];B[ei];W[jn];B[lk];W[mk];B[hn];W[in]
;B[gj];W[dn];B[em];W[fm];B[fj];W[gn];B[nb];W[mb];B[lb];W[lc]
;B[ma];W[ii];B[hi];W[hh];B[ig];W[ag];B[kr];W[gq];B[ls];W[ns]
;B[fq];W[di];B[ej];W[gq];B[fn];W[ho];B[fq];W[be];B[ah];W[en]
;B[ci];W[gq];B[de];W[je];B[fq];W[bm];B[aj];W[gq];B[hr];W[fq]
C[すでに盤面十目くらいひらいている。]
;B[ji];W[mc];B[lj];W[ok];B[li];W[re];B[rd];W[pk];B[qk];W[rg]
;B[pj];W[rk];B[qj];W[qh];B[si];W[sd];B[sc];W[se];B[rb];W[hp]
;B[nj];W[mj];B[nk];W[ni];B[ol];W[sm];B[sl];W[sn];B[rl];W[oc]
;B[ob];W[jk];B[gc];W[kb];B[la];W[ad];B[nc];W[ia];B[ha];W[ic]
;B[hb];W[jp];B[kp];W[ik];B[hk];W[kf]C[234手完 白中押し勝ち]) 2には重大な間違いがある。左右逆だ。
(といっても僕が2なんだが)
正しくは
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
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└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ 橋本宇太郎と書いてある碁盤が家にあるようです。
私は全く囲碁に疎いのですがこの価値はあるものでしょうか?
またこれを鑑定に出すのにいい場所があれば教えて下さい。 関西棋院に連絡されてみては?
ttp://club.pep.ne.jp/Kansaikiin/ >>51さん
ありがとうございます。そうしてみます。 dat落ちしたスレに
「私の親族は囲碁の対局の準備のために原爆で死にました」というレスがあった。
例の原爆対局の関係者の親族だったようだ。 第一局は、日本棋院広島支部長の邸宅で行われ、
その後、空襲の危険がある、ということで10km離れた五日市で
第2局が打たれた、ということです。
支部長の藤井邸は跡形も無く消え去っていたそうな…
関係者一同の御冥福を祈ります。 原爆対局の棋譜、棋譜スレにも無かったのではっときます。
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[岩本薫]BR[七段]PW[本因坊昭宇]WR[七段]
TM[43200]GN[原爆対局]DT[昭和20年8月4日、5日、6日]
PC[広島県廿日市吉見園 津脇勘一宅]EV[第3期本因坊挑戦手合]RO[第2局]
RE[240手完 白5目勝ち]US[三輪芳郎]KM[なし]
;B[qd];W[oq];B[od];W[de];B[dp];W[cn];B[fp];W[qp];B[dc];W[mc]
;B[ee];W[ef];B[ed];W[dg];B[ce];W[cf];B[be];W[qj];B[qh];W[gf]
;B[bf];W[ch];B[jq];W[oj];B[em];W[lq];B[rp];W[pp];B[ol];W[ql]
;B[ml];W[ko];B[mn];W[pn];B[co];W[gp];B[go];W[hp];B[fq];W[ho]
;B[hr];W[km];B[nj];W[oi];B[ni];W[nh];B[li];W[mh];B[jn];W[kn]
;B[kk];W[gn];B[fo];W[il];B[ik];W[hk];B[ij];W[hj];B[jl];W[hl]
;B[ih];W[hi];B[jg];W[pf];B[og];W[of];B[qf];W[pg];B[qg];W[bo]
;B[bp];W[do];B[cp];W[cl];B[on];W[pc];B[pd];W[oc];B[nd];W[nc]
;B[qc];W[jc];B[kd];W[kc];B[pk];W[qk];B[pj];W[nk];B[mk];W[lf] ;B[le];W[kg];B[jf];W[lh];B[pm];W[qm];B[ro];W[rq];B[np];W[oo]
;B[qn];W[po];B[qi];W[rj];B[jm];W[ki];B[nq];W[iq];B[ir];W[jp]
;B[kq];W[lr];B[no];W[nr];B[mr];W[or];B[mq];W[kp];B[kr];W[gc]
;B[ek];W[dk];B[gm];W[ks];B[jr];W[lp];B[ms];W[hm];B[fn];W[hn]
;B[ej];W[ii];B[kf];W[mf];B[ne];W[pi];B[ok];W[mj];B[nl];W[lj]
;B[lk];W[kj];B[ls];W[eb];B[db];W[ld];B[me];W[jd];B[ke];W[bn]
;B[bh];W[bi];B[bg];W[ec];B[dd];W[ap];B[aq];W[ao];B[bq];W[rn]
;B[nf];W[ng];B[ri];W[qb];B[rb];W[pb];B[gd];W[hd];B[ci];W[cj]
;B[di];W[bj];B[ge];W[gb];B[gg];W[eh];B[ff];W[fi];B[ra];W[da]
;B[ca];W[ea];B[cb];W[dm];B[df];W[eg];B[cg];W[jh];B[he];W[lm]
;B[id];W[hc];B[ns];W[mm];B[nm];W[os];B[op];W[pq];B[ei];W[fh]
;B[hh];W[ie];B[je];W[ic];B[pl];W[fj];B[fk];W[gl];B[fm];W[gh]
;B[hf];W[jj];B[jk];W[gq];B[gr];W[si];B[sh];W[sj];B[gk];W[gj]
;B[eo];W[dn];B[qa];W[pa];B[md];W[lc];B[ai];W[aj];B[ah];W[ph]
;B[pe];W[dh];B[fc];W[fb];B[fd];W[mo];B[if];W[mp];B[nn];W[ln]
C[240手完 白5目勝ち])
この碁ほど、まともに解説されない碁はない (前略)世話役の人たちは毎朝、広島市から通ってこられ、
夕刻には帰ってゆかれる。
五日の夜はもうあすで碁も終わることだし、夏のことだから
ざこねでもしてとまってゆかれてはどうかととすすめたが、家の方が
気になるからと大部分の人たちが広島に帰られた、これがこの人たちと
今世の別れになってしまった。
(中略)
今でもわたしは広島を訪れるたびに、必ず原爆の碑におまいりする。
あるいは、わたしもそこにはいっていたかも知れない碑だからである。
碑に手を合わせ、目をつむると、「じゃあまたあす」と五日市から広島へ
帰った人たちの姿がまざまざと私のまぶたの裏に浮かんでくる。 55の訂正
対局場のところ 廿日市→五日市
もうしわけありません。 大橋本は昭和29年頃から30年以上にわたり、読売新聞大阪版に毎日(!)詰碁を
連載していたとか。本当だとすると、1万題以上詰碁を作ったことになるが、
本当だろうか? 先生の打碁集ってどんなのがありますか?
誠文堂新光社「現代の名局」、講談社「現代囲碁大系」のほかに。
全集はどうでしたっけ? 全集はある(全六巻)。出版社は知らない。私は大阪の府立図書館で見た
(まだ中之島にあった頃だ)。関西棋院がすぐそばにあって見に行った覚えがある。 http://www.sansan.co.jp/books/dago.html
筑摩書房から出てたのか。1976年刊行だから棋聖戦の活躍、もっといえは
70歳を過ぎてからの活躍は収録されていない。 >>64-66
thx.
完本全集が出ればいいな。(買うかどうかは・・・ ^^;) さる高名な棋士が「強い人の碁はインチキくさい」と言った。
当時私は子供だったから先生に聞いてみた。そしたら先生は
「そうです。ケレン味がなければ天下は取れません」とおっしゃられた。 インチキ臭いって、どういう意味なんだろ?
最善手じゃなさそうなのに、なんか騙されてっぽいってことかな 宇太郎師の真意は、堂々と本手を打ってばかりじゃ天下を取れない、
ということと思われる。 (
;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.998]
SZ[19]PB[呉 清源]PW[橋本 宇太郎]WR[四段]
DT[1928-09-04]
PC[北京]RE[黒六目勝]
;B[qd];W[nd];B[pf];W[ce];B[cp];W[op];B[eq];W[qp];B[dc];W[cj]
;B[ed];W[ic];B[qk];W[ng];B[kq];W[pg];B[nf];W[pe];B[qf];W[of]
;B[oe];W[og];B[ne];W[pd];B[od];W[qe];B[pc];W[re];B[rf];W[rd]
;B[qh];W[oc];B[nc];W[ob];B[md];W[pb];B[qc];W[qb];B[mg];W[mh]
;B[lh];W[ni];B[lg];W[li];B[ki];W[lj];B[kj];W[kk];B[lk];W[pi]
;B[qi];W[jk];B[mk];W[nk];B[nl];W[mj];B[ij];W[lm];B[ok];W[nj]
;B[ml];W[ol];B[nn];W[pm];B[np];W[rl];B[pj];W[sf];B[ql];W[qm]
;B[qg];W[mn];B[om];W[pl];B[mo];W[ph];B[rk];W[lo];B[lp];W[jo]
;B[ip];W[oo];B[no];W[nq];B[mq];W[jp];B[jq];W[io];B[hp];W[ho]
;B[go];W[gn];B[fn];W[gm];B[gc];W[bp];B[bo];W[kh];B[jg];W[lc]
;B[jd];W[gb];B[fb];W[gd];B[fc];W[df];B[jc];W[ff];B[eg];W[ef]
;B[bd];W[cd];B[bc];W[jj];B[cl];W[kg];B[kf];W[jh];B[ih];W[ji]
;B[jf];W[co];B[do];W[cn];B[bn];W[cq];B[dp];W[dq];B[dr];W[cr]
;B[er];W[aq];B[br];W[bs];B[ar];W[dn];B[cm];W[fo];B[en];W[gp]
;B[gr];W[rm];B[sg];W[mr];B[nr];W[oq];B[lr];W[nb];B[ej];W[el]
;B[dl];W[id];B[ib];W[ch];B[mc];W[ek];B[gg];W[gf];B[hf];W[he]
;B[mb];W[hb];B[jb];W[hc];B[gj];W[da];B[ea];W[cc];B[cb];W[be]
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;B[hh];W[fg];B[hg];W[gi];B[fl];W[ei];B[fj];W[em];B[fm];W[dk]
;B[dj];W[ck];B[dm];W[di];B[ko];W[ln];B[kp];W[kn];B[im];W[gl] ;B[ik];W[fk];B[gk];W[eo];B[dn];W[jm];B[bl];W[hq];B[iq];W[fq]
;B[fr];W[hi];B[ii];W[hj];B[hk];W[je];B[ke];W[ie];B[in];W[jn]
;B[ae];W[af];B[ad];W[sk];B[se];W[sc];B[sj];W[sl];B[ri];W[if]
;B[ig];W[bi];B[fi];W[fh];B[bf];W[ag];B[de];W[cf];B[fe];W[fd]
;B[ee];W[ge];B[na];W[kd];B[ja];W[ga];B[db];W[fa];B[ca];W[dd]
;B[ec];W[oa];B[ma];W[oj];B[pk];W[on];B[nm];W[al];B[am];W[ak]
;B[ep];W[jl];B[lf];W[ll]
) この碁の黒37手目を見て橋本師は「ああ、この少年は強いな」と思ったという。 >>76
棋院の三茶目(大茶目村島、中茶目橋本、小茶目木谷)と並び称されてたんだから
エピソードはあったろうけど、今は、こと盤外のことについては聞かないよね。
世代の違いと進んだ方向の違いか? 今日は命日(九回忌)
来月11日、NHK杯で橋本昌二対羽根泰正戦がありますね
8年前を思い出すなあ。あの時のビデオを持ってる方いますか? 来週の日曜日、NHK杯で橋本昌二対羽根泰正戦がありますね
8年前を思い出すなあ。あの時のビデオを持ってる方いますか? 「首を洗ってきました」というのは
言葉としてそんなに名言だろうか。
場面のドラマ性は文句ないが。 まあ、善悪を越えて、意表をつくのが先生の流儀だから。
天元ケイマがかりがいい手かどうか云々しても仕方ないでしょう。 第一期棋聖戦の各段戦では早い段階で敗退している。
どうして最高棋士決定戦に出場出来たのだろう。 大竹が主催者推薦で無理矢理選ばれたのと同じじゃない? 88さんへ
大竹先生は当時名人だからシードされて当然
読売の縮刷版を調べてみたら「本因坊戦、名人戦での活躍」
というわけのわからない理由で橋本、坂田が推薦されていた。
橋本先生は坂田、大竹を連破して7番勝負に登場。 「本因坊戦、名人戦での活躍」
って、当時どの程度の活躍だったの? 名人リーグには入っていた(旧13,14期、新1−5期)
本因坊リーグは出たり入ったり、第一期棋聖戦の時には入ってないはず。
坂田は当時両リーグ入りしていたと思う ふーん。じゃあ、
長老重鎮だってのと、関西棋院(の創設者)、という点が加味されたのかしら。
両リーグ入りしてるのならまだしも、片方だけでは、ほかにも満たす人がいるはずだろうからなあ
もうちょっとしたら
坂田、大竹に勝った碁の棋譜をはる予定。
待っててね。 この人の、
どんどんシリーズの本はわかりやすくていいね。
それに他のに比べて安いし。 囲碁将棋チャンネル「名局の解説」で橋本宇太郎特集やるそうです。
「火の玉宇太郎」と呼ばれた橋本の名局を紹介する4回シリーズ。
第1回は原爆下の本因坊戦として知られる岩本薫七段との第3期本因坊戦第2局。
第2回は「カミソリ坂田」こと坂田栄男七段との昭和の大争碁。
第3回は第9期十段戦での大竹英雄十段との対局。
第4回は藤沢秀行九段との第1期棋聖戦第3局をお送りする。
(番組HPより) 第2回見ますた。世にいう「昇仙峡の大逆転劇」、漏れにはすごすぎてワケワカランカターヨ。
でも解説のおっちゃんがおもしろかったので良かった。 原爆下の本因坊戦として知られる岩本薫七段が益田市出身だったなんて
びっくりくりくり
どんどんシリーズは全冊持っているのも何か縁かも
(囲碁の本はこれしか持っていない) >>114
了解しますた
というわけで以下コピペ
宇太郎晩年の譜その1
新聞の切り抜きです。日付不明。切抜きの裏を見ると、その頃映画「グレムリン」
が上映されていました。
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[森山直棋]BR[五段]PW[橋本宇太郎]WR[九段]TM[10800]DT[不明]
EV[九段対抗戦]RE[206手完 白中押し勝ち]SO[大阪新聞の切り抜き]KM[5.5]
;B[qd];W[pp];B[dd];W[dq];B[do];W[nc];B[pc];W[kc];B[cq];W[fc]
;B[df];W[cj];B[cl];W[qj];B[qg];W[mq];B[ic];W[cc];B[dc];W[db]
;B[eb];W[cb];B[ec];W[be];B[dp];W[eq];B[cr];W[hp];B[md];W[mc]
;B[ld];W[kd];B[ke];W[je];B[jd];W[jb];B[ie];W[jf];B[if];W[jg]
;B[lf];W[ib];B[ig];W[jh];B[hi];W[nd];B[lh];W[jj];B[lj];W[hd]
;B[id];W[hc];B[ge];W[lk];B[mk];W[ll];B[mj];W[he];B[gf];W[ik]
;B[bf];W[ce];B[cf];W[gj];B[hj];W[hk];B[gk];W[dl];B[gl];W[gi]
;B[gh];W[fh];B[hh];W[ej];B[dm];W[el];B[go];W[cm];B[ho];W[de]
;B[ee];W[fd];B[ed];W[eg];B[ef];W[ab];B[ad];W[bc];B[bm];W[cn]
;B[ck];W[bi];B[dk];W[ek];B[bn];W[fn];B[gb];W[hb];B[ji];W[ii]
;B[ki];W[ih];B[ij];W[hg];B[gg];W[hf];B[jl];W[dn];B[co];W[en]
;B[ip];W[ep];B[gp];W[bk];B[bl];W[bo];B[ql];W[qn];B[pl];W[nm]
;B[ol];W[pe];B[oe];W[nl];B[nk];W[jk];B[kk];W[il];B[jm];W[im]
;B[jn];W[pd];B[gn];W[qe];B[rd];W[re];B[rb];W[pg];B[fm];W[em]
;B[pq];W[oq];B[qq];W[or];B[ro];W[qo];B[rp];W[rn];B[rr];W[qc]
;B[qb];W[oj];B[og];W[ph];B[ok];W[pb];B[oc];W[ob];B[od];W[of]
;B[ne];W[nf];B[me];W[sd];B[rc];W[al];B[cp];W[fp];B[rk];W[rj]
;B[on];W[mo];B[pn];W[no];B[ae];W[fb];B[fa];W[ba];B[kq];W[kp]
;B[lc];W[lb];B[kr];W[jo];B[in];W[kn];B[nb];W[kl];B[kj];W[mb]
;B[lq];W[mr];B[lp];W[lo];B[pr];W[gr];B[hr];W[gq];B[jp];W[ko]
;B[hq];W[ls];B[ng];W[nh];B[mg];W[oh])
宇太郎晩年の譜その2
「囲碁関西」に総譜のみ掲載
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]SZ[19]PB[東野弘昭]BR[九段]
PW[橋本宇太郎]WR[九段]TM[18000]DT[1991−11−13]PC[関西棋院]
EV[第31期十段戦]RO[院内最終予選]RE[173手完 黒中押し勝ち]
SO[囲碁関西1992年2月号]KM[5.5]
;B[qd];W[dc];B[cq];W[oc];B[pp];W[qn];B[md];W[oe];B[pf];W[nq]
;B[np];W[mp];B[no];W[qq];B[oq];W[mq];B[qp];W[rp];B[nr];W[rr]
;B[mr];W[kq];B[kp];W[lq];B[mo];W[jp];B[ko];W[hq];B[jo];W[ip]
;B[ce];W[of];B[pg];W[og];B[ph];W[oh];B[pi];W[jd];B[ed];W[ec]
;B[fd];W[gc];B[ke];W[je];B[kg];W[kd];B[le];W[mc];B[fc];W[fb]
;B[gb];W[hb];B[gd];W[hc];B[eb];W[ga];B[cc];W[db];B[nd];W[pe]
;B[qe];W[pb];B[qc];W[od];B[fq];W[jg];B[jh];W[ig];B[ki];W[ck]
;B[ci];W[dd];B[de];W[ef];B[ee];W[cg];B[di];W[dg];B[gg];W[fg]
;B[gf];W[fh];B[dk];W[gh];B[cb];W[dl];B[ek];W[cm];B[el];W[cj]
;B[dm];W[cl];B[hh];W[gj];B[ei];W[hi];B[ih];W[gl];B[gm];W[dn]
;B[fm];W[ik];B[hm];W[em];B[fl];W[kk];B[jl];W[kj];B[mi];W[mj]
;B[nj];W[mk];B[ni];W[km];B[il];W[hg];B[hk];W[ij];B[gr];W[fp]
;B[ep];W[gq];B[er];W[fn];B[fo];W[gn];B[mm];W[go];B[gp];W[ho]
;B[kl];W[gk];B[hl];W[nm];B[pm];W[be];B[bd];W[bf];B[ff];W[ea]
;B[cd];W[qm];B[pl];W[he];B[ge];W[bb];B[ca];W[ad];B[ac];W[ae]
;B[bc];W[bh];B[bi];W[ag];B[ql];W[pr];B[or];W[lh];B[li];W[qb]
;B[rb];W[ra];B[bn];W[cn];B[bo];W[rl];B[eo];W[en];B[ir];W[hr]
;B[hs];W[jr];B[lr])
宇太郎晩年の譜その3
「囲碁関西」の「全手マスター」に掲載。
リクエストがあれば解説付のものもはります。
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]SZ[19]PB[橋本宇太郎]BR[九段]
PW[太田清道]WR[九段]TM[10800]DT[90-9-26]
PC[関西棋院]EV[第39期王座戦]RO[院内予選決勝]RE[265手完 白半目勝ち]
SO[囲碁関西1991年4月号]KM[5.5]
;B[qd];W[dd];B[pp];W[dp];B[oc];W[qj];B[qh];W[qm];B[mq];W[jc]
;B[cf];W[ch];B[cc];W[cd];B[dc];W[ed];B[bd];W[be];B[bc];W[ce]
;B[fc];W[mc];B[cn];W[cl];B[cq];W[cp];B[dq];W[ep];B[bp];W[bo]
;B[bq];W[co];B[fq];W[go];B[gq];W[qq];B[qp];W[pq];B[op];W[nr]
;B[nq];W[mr];B[rq];W[oq];B[qr];W[pr];B[ps];W[or];B[sr];W[rs]
;B[qs];W[lq];B[mo];W[jq];B[rn];W[oj];B[oh];W[mj];B[dj];W[eh]
;B[ci];W[bh];B[dl];W[dm];B[ck];W[el];B[dk];W[cm];B[fj];W[gh]
;B[hj];W[jj];B[gl];W[fm];B[ii];W[ji];B[ih];W[kg];B[if];W[hc]
;B[fd];W[fe];B[ge];W[ff];B[kd];W[kc];B[md];W[fb];B[ec];W[ng]
;B[nc];W[ld];B[mb];W[lc];B[og];W[eb];B[db];W[gc];B[ad];W[qn]
;B[rm];W[rl];B[qo];W[sm];B[ro];W[nn];B[mn];W[nm];B[bf];W[ae]
;B[df];W[ef];B[bi];W[ag];B[hn];W[no];B[np];W[lp];B[gn];W[fn]
;B[fo];W[fp];B[gp];W[eo];B[ho];W[hr];B[mm];W[ml];B[ll];W[mk]
;B[bl];W[bm];B[ri];W[ne];B[nf];W[me];B[oe];W[mf];B[of];W[lb]
;B[nb];W[gd];B[gf];W[gi];B[ei];W[eg];B[gg];W[fh];B[gj];W[bk]
;B[aj];W[dg];B[al];W[ek];B[ej];W[il];B[jh];W[kh];B[hq];W[gr]
;B[fr];W[os];B[rr];W[iq];B[ij];W[jk];B[kn];W[rj];B[ni];W[je]
;B[jf];W[kf];B[ao];W[am];B[ak];W[fl];B[mi];W[eq];B[er];W[pi]
;B[ph];W[ab];B[bb];W[ca];B[da];W[ba];B[he];W[ie];B[ap];W[an]
;B[nd];W[qi];B[rh];W[ip];B[fo];W[jn];B[jm];W[ko];B[km];W[im]
;B[mp];W[mg];B[li];W[oi];B[kk];W[jo];B[sn];W[pn];B[sl];W[kj]
;B[nh];W[sk];B[nj];W[nk];B[ql];W[rk];B[lj];W[gb];B[hd];W[id]
;B[lo];W[ir];B[jl];W[ik];B[gm];W[ea];B[fk];W[go];B[in];W[ki]
;B[fo];W[en];B[la];W[ka];B[ma];W[fs];B[es];W[gs];B[lh];W[hh]
;B[hg];W[jg];B[ig];W[lg];B[oo];W[on];B[lk];W[ol];B[af];W[ee]
;B[io];W[lr];B[hk];W[si];B[sh];W[go];B[kb];W[jb];B[fo];W[sj]
;B[go];W[bg];B[ai];W[cg];B[sm])
114さんサンクス まことに勝手ではございますが、
解説付きのものも貼っていただけるとありがたいです。
当方入門級ですが、橋本宇太郎を師と仰ぐものでございます。 ようやく第一期棋聖戦最高棋士決定戦の棋譜を入手しました。
↓に貼っておきます。コピペしておいてください。
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1033325786/45-47n
なお、棋聖戦および本因坊戦の挑戦手合いの棋譜はここにあります。
http://www.cwi.nl/~aeb/go/games/index.html >>122
スペシャルサンクス。ゆっくり並べてみます。 第一期棋聖戦の対坂田戦、対大竹戦の棋譜を貼ります。新聞観戦記の解説を
つけたバージョンも後日作成します。
まず坂田戦。
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[橋本宇太郎]BR[九段]PW[坂田栄男]WR[九段]
TM[21600]DT[1976-10-07]PC[大阪「東洋ホテル」]EV[第一期棋聖戦]
RO[最高棋士決定戦]RE[266手完 黒14目半勝ち]SO[読売新聞縮刷版]
KM[5.5]
;B[pd];W[dp];B[qp];W[dc];B[oq];W[qj];B[cf];W[cd];B[ci];W[ck]
;B[jc];W[fq];B[ql];W[qg];B[qe];W[kp];B[gc];W[nc];B[ob];W[kd]
;B[kc];W[ld];B[ie];W[kg];B[of];W[oj];B[mg];W[lg];B[ph];W[mh]
;B[qh];W[ol];B[ni];W[qo];B[pp];W[po];B[oo];W[on];B[pn];W[no]
;B[op];W[pm];B[qn];W[qm];B[ro];W[rm];B[nn];W[oi];B[oh];W[nh]
;B[om];W[nl];B[ip];W[ri];B[jn];W[mn];B[lo];W[ir];B[dn];W[cp]
;B[cm];W[dj];B[di];W[fj];B[ei];W[ej];B[gn];W[fi];B[gq];W[gp]
;B[hq];W[fp];B[ho];W[fn];B[fr];W[er];B[cj];W[bk];B[fm];W[gm]
;B[hm];W[gl];B[fo];W[hp];B[el];W[dl];B[iq];W[io];B[hn];W[jo] ;B[jr];W[kr];B[hr];W[fs];B[ko];W[jp];B[lp];W[kq];B[lq];W[gr]
;B[is];W[jq];B[in];W[hs];B[gs];W[dg];B[df];W[hs];B[be];W[ir]
;B[bc];W[bd];B[ad];W[bb];B[ab];W[cc];B[ac];W[fc];B[fd];W[ed]
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;B[bn];W[ik];B[lm];W[pb];B[qb];W[gh];B[gg];W[hh];B[ff];W[ee]
;B[jk];W[jj];B[kk];W[kj];B[hk];W[il];B[hl];W[lk];B[hj];W[hi]
;B[oc];W[kl];B[mf];W[me];B[ge];W[oe];B[ng];W[lf];B[ig];W[jh]
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;B[sh];W[ia];B[ha];W[ja];B[hg];W[mo];B[rl];W[pl];B[rj];W[rk]
;B[sj];W[sk];B[si];W[qk];B[eo];W[hb];B[ga];W[jd];B[id];W[na]
;B[rd];W[oa];B[sc];W[od];B[sb];W[km];B[ln];W[ls];B[ms];W[ks]
;B[mq];W[dm];B[em];W[bj];B[bo];W[bp];B[mc];W[bl];B[ii];W[ih]
;B[ij];W[bi];B[ah];W[ji];B[ll];W[ml];B[jg];W[sn];B[so];W[nf]
;B[og];W[ea];B[fa];W[np];B[nq];W[co];B[cn];W[qi];B[pi];W[pj]
;B[je];W[af];B[ae];W[ep];B[ke];W[le];B[kf];W[lh];B[eb];W[da]
;B[rn];W[sm];B[ai];W[aj];B[bm];W[al]) (;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]SZ[19]PB[橋本宇太郎]BR[九段]
PW[大竹英雄]WR[名人]TM[21600]DT[1976-11-11]PC[日本棋院]EV[第一期棋聖戦]
RO[最高棋士決定戦]RE[221手完 黒中押し勝ち]SO[読売新聞縮刷版]KM[5.5]
;B[qd];W[cc];B[dq];W[pq];B[qo];W[oc];B[ld];W[qf];B[pe];W[pf]
;B[of];W[og];B[oe];W[ng];B[qk];W[qm];B[oo];W[om];B[rm];W[np]
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;B[qp];W[pj];B[lp];W[no];B[nn];W[lo];B[kp];W[mn];B[nm];W[do]
;B[eo];W[en];B[ep];W[fn];B[dn];W[dm];B[cn];W[cm];B[bo];W[bn]
;B[co];W[fl];B[ce];W[ec];B[ch];W[hp];B[ko];W[mm];B[ml];W[lm]
;B[nq];W[op];B[qq];W[po];B[pn];W[nr];B[mq];W[oq];B[io];W[go]
;B[jm];W[ll];B[mk];W[lk];B[mj];W[jk];B[mr];W[jc];B[ph];W[qh]
;B[lb];W[pi];B[hc];W[on];B[oo];W[on];B[li];W[je];B[jh];W[le]
;B[md];W[kd];B[he];W[me];B[nd];W[gd];B[hd];W[df];B[de];W[ff]
;B[ef];W[gf];B[if];W[eg];B[ee];W[fd];B[lg];W[dg];B[bf];W[bi]
;B[bh];W[mg];B[fh];W[ei];B[di];W[gh];B[ik];W[jj];B[kf];W[jf]
;B[jg];W[lf];B[ij];W[il];B[hh];W[ii];B[hi];W[hj];B[hk];W[gj]
;B[ji];W[gk];B[hl];W[hm];B[ih];W[gl];B[ii];W[im];B[bd];W[hg]
;B[gi];W[fi];B[ig];W[bj];B[bc];W[hf];B[ie];W[bb];B[fb];W[nk]
;B[nj];W[ok];B[nl];W[eb];B[ab];W[cb];B[cg];W[lj];B[mh];W[ni]
;B[nh];W[oi];B[mi];W[pr];B[rk];W[sl];B[qr];W[jq];B[iq];W[ip]
;B[jr];W[ir];B[kn];W[kr];B[ns];W[jl];B[ps];W[re];B[fc];W[or]
;B[os];W[gc];B[gb];W[ed];B[ck];W[ib];B[hb];W[bl];B[an];W[er]
;B[dr];W[kb];B[rd];W[mb];B[mp];W[ob];B[pc];W[od];B[ne];W[lc]
;B[nb];W[na];B[oh];W[pg];B[rg];W[rb];B[rf];W[qe];B[se];W[qg]
;B[pa];W[nc];B[pd];W[rc];B[sd];W[mo];B[qi];W[qj];B[mf];W[rh];B[ke]) http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1033325786/48-53n
に対太田清道戦の解説・変化図付きSGF譜を貼っておきました。8キロバイトあります。
デカすぎてかえって使いにくいかもしれません。 >>127の分、ここから貼っていきます
以下コピペ
対太田清道戦の解説・変化図つきのSGF譜をはります。
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[橋本宇太郎]BR[九段]PW[太田清道]WR[九段]TM[10800]DT[90-9-26]
PC[関西棋院]EV[第39期王座戦]RO[院内予\選決勝]RE[265手完 白半目勝ち]
SO[囲碁関西1991年4月号]KM[5.5]
;B[qd];W[dd];B[pp]C[太田「宇太郎先生の碁は随分並べて
研究もしていたんですが、実際に打って
いただくと布石の後半から中盤にかけての
鋭い打ち込みに特に感服しました。
これを肌に感じています。」]
;W[dp];B[oc]C[黒の1,3,5は先生の“不敗の布石”
だったと思います。」]
;W[qj];B[qh];W[qm];LB[qo:A][jq:B]B[mq]C[「この手はAやBもあるかも知れません」]
;LB[dj:A]W[jc]C[この手ではAの三連星もある。]
;B[cf](;W[ch]C[「この手は工夫した手」
普通は…(以下変化図)
これをA図とする。](;B[cc]C[この一手。
この手で…(以下変化図)](
;W[cd]C[「この手はこっちだと思います。…(以下変化図)]
;B[dc];W[ed];B[bd];W[be];B[bc];W[ce];B[fc];LB[qf:A]W[mc]C[「白はとにかく、
左上で先手を取って、こう上辺を詰めたかった。白は次にAの打ち込み
などもねらえます。」
白としては不満のないすべり出し] ;B[cn]C[黒がこう打ったため左下で面白い図ができた。]
;W[cl](;B[cq]C[この手では…(以下変化図)」]
;W[cp]C[「この手は絶対」]
;B[dq];W[ep];B[bp];W[bo];B[bq];W[co];B[fq]C[ここまでは一本道]
;W[go];LB[qo:A]B[gq]C[「この手では黒Aの方だったかも知れない。」]
;LB[rp:A]W[qq]C[「この手ではAのほうが普通」]
;LB[pq:A]B[qp]C[「この手は積極的で、先生は特に気合の
お人ですから、Aの方からは押えてこられません。」]
;W[pq];B[op];W[nr];B[nq];W[mr](;B[rq]C[「この手で…(以下変化図)]
;W[oq];B[qr];W[pr];B[ps];LB[rr:A]W[or]C[「次の手で黒は単にAとつぐ方がよかったようです。」]
;TL[0,0]BL[0]B[sr]C[「ここはどうも先生が間違えられたようです。」]
;LB[qs:A]TL[0,0]WL[0]W[rs]C[「ここで黒手抜きだと白Aと差し込んで黒の
眼形が乏しくなります。」]
;LB[os:A]B[qs]C[「こうなると白Aのオサエが先手で下辺の白の眼形が豊かになります。」]
;W[lq];B[mo];W[jq]C[「ここに一着ないと攻められますから仕方ないのですが、ここまでの経過は
白やっていると思っていました。」]
;B[rn];W[oj];B[oh]C[この手は打ち込み防ぎ]
;LB[hk:A]W[mj]C[「この手は少し悪かった。Aのあたりへ転がしておく方がよかった。」]
;B[dj]C[「こうやられて白のリードがいくらか追いつかれた感じです。」]
;W[eh];B[ci]C[この手の意味は
「相手の地を少しでも減らして、自分の眼形の足しにしようという手です。」
以下しばらくはこの手の継続である。] ;W[bh];B[dl];W[dm];B[ck];W[el];B[dk];W[cm];LB[bj:A]B[fj]C[ここまでは一連の手順。
「黒にはAが約束されているから、眼形にゆとりがあります。」]
;W[gh];B[hj];W[jj]C[「右辺の白の逃げが黒の攻めにつながっています。
リズム感はいいと思っていました。」]
;LB[em:A]B[gl]C[「この手はAの切り込み狙いで](
;W[fm]C[…(以上変化図)…そこでこう備えました。」]
;B[ii]C[これでないと黒は危ない]
;W[ji];B[ih];W[kg];B[if];W[hc]C[「いいツメ。攻めを見ながら上辺の地を稼ぎ、
左辺の白の安定もはかっています。流れとしては白が面白い感じです。」]
;B[fd]C[「これがないと黒の全体の石が安定しない」]
;W[fe];B[ge];W[ff]C[白は流れがいいが、ここから宇太郎九段が猛然と追い込んでくる]
;B[kd]C[「この肩つきが良い手。隅の黒地をふくらまそうと言うのです。」]
;W[kc];B[md];W[fb]LB[gb:A]C[この手は当然の一着
「黒からAにコスまれるのとくらべて、白先手得」]
;B[ec];W[ng]C[「この手は、中央の白の補強をしながら、右上の黒をけずり、
しかも中央の黒の攻めにも役立っています。」]
;B[nc]C[「この手から]
;W[ld];B[mb];W[lc];B[og]C[この手まで、黒は勝負をかけてきました。
しかし、黒の中央の連係が途切れて薄くなっているので、白もそんなにいやではありませんでした。」]
;W[eb];B[db];W[gc]C[「黒の石が切れてきました。](
;B[ad]C[この手がないと…(以下変化図)]
;W[qn];B[rm];W[rl];B[qo];W[sm]C[よくこのハネを保留する例があるが
「この場合は悪手にならないので保留する意味はありません。すかさず打っておくのが良い」」]
;B[ro];W[nn];B[mn];W[nm]C[「白はちょっと地合いがいいとみています。
だからこうやって囲っておくと黒があせるだろうという計算もあります」]
;B[bf]C[「この手が鋭い手で、さすが宇太郎先生、その読みの正確なことに感服しました。」]
;W[ae];B[df];W[ef];B[bi];W[ag]LB[af:A]C[「この手ではAでした。
この碁は白半目勝ちだったのですが、もっと勝たないといけない局勢だったのです」]
;B[hn];W[no]LB[il:A][mm:B]C[「この手ではAだったか、Bだったか」]
;B[np];W[lp];B[gn]C[「この手が機敏で、ここでまた差をつめられました]
;W[fn];B[fo];W[fp];B[gp];W[eo](;B[ho]C[今思えば…(以下変化図)]
;W[hr];B[mm];W[ml];B[ll];W[mk];B[bl];W[bm];B[ri];W[ne];B[nf](
;W[me]C[この手が大切な手順
「この手でアテを先にすると…(以下変化図)]
;B[oe];W[mf];B[of];W[lb]C[「ここは白の権利」]
;B[nb];W[gd]LB[gf:A]C[「この手はAと押す方がよかった」]
;B[gf];W[gi]AE[af][ei](;TR[ag]LB[af:A]B[ei]C[「こう打たれて△がAでないのが響きました。
…(以下変化図)]
;W[eg];B[gg](;LB[gj:A]W[fh]C[この手ではAに出る手があった…(以下変化図)]
;B[gj];W[bk];B[aj];W[dg];B[al];W[ek]C[この手は先手。「さらに細かくなっています。
宇太郎先生の底力を見せつけられる思いでした」]
;B[ej];W[il];B[jh];W[kh];TR[bj]LB[gr:A]B[hq]C[「左辺の石は切断されると白△で眼がないから、
黒は用心をしている。黒は今の手でAもあるがその用心のほうを重く見ている。」]
;W[gr];B[fr];W[os];B[rr];W[iq];B[ij];W[jk];B[kn];W[rj];B[ni]C[黒この手は大きいが]
;W[je]C[白のこの手と見合いのところ]
;B[jf];W[kf];B[ao];W[am];B[ak](;W[fl]C[白この手がないと…(以下変化図)]
;B[mi];W[eq];B[er];W[pi];B[ph];W[ab]C[白セキにするのが5目の手];B[bb];W[ca];B[da];W[ba]
;B[he];W[ie];B[ap];W[an];B[nd];W[qi];B[rh];W[ip];B[fo];W[jn]
;B[jm];W[ko];B[km];W[im];B[mp];W[mg];B[li];W[oi];B[kk];W[jo](
;B[sn]C[「この手はありがたかった。この手では…(以下変化図)]
;W[pn];B[sl];W[kj];B[nh];W[sk];B[nj];W[nk];B[ql];W[rk];B[lj]
;W[gb];B[hd];W[id];B[lo];W[ir];B[jl];W[ik];B[gm];W[ea];B[fk]
;W[go];B[in];W[ki];B[fo];W[en];B[la];W[ka];B[ma];W[fs];B[es]
;W[gs];B[lh];W[hh];B[hg];W[jg];B[ig];W[lg];B[oo];W[on];B[lk]
;W[ol];B[af];W[ee];B[io];W[lr];B[hk];W[si];B[sh];W[go];B[kb]
;W[jb];B[fo];W[sj];B[go];W[bg];B[ai];W[cg];B[sm]
)(;B[ql];W[pl];B[pn];W[pm];B[on];W[om];B[sj];W[sk];B[si]C[となるのが最善でした。
これだと白半目負けだったかも知れない。」変化図終わり]))(
;B[dn];W[an];B[fl]C[と白がトン死する。変化図終わり]))(
;W[gj];B[fh];W[gk];B[af];W[ee];B[dh];W[dg];B[cg];W[di]C[とコウになる。しかし]
;B[kr];W[dh];LB[hk:A]B[lr]C[と黒下辺をとっても白Aで黒の大石が死ぬ。
これなら白の大勝だ。変化図終わり]))(
;B[ei];B[af];W[ee];LB[bk:A]B[aj]C[この手が利いて、白Aととれない。]
;W[dg]C[変化図終わり]))(
;W[mf];B[of];W[me]LB[oe:A]C[となったとき黒はAと打ってくれず、
白が後手になってしまいます」変化図終わり]))(
;LB[no:A]B[tt]AE[no][lp][eo][fn][fp][np][gn][gp]C[白Aでは]
;W[hm];B[gm];W[gn];B[hl];W[im];B[il];W[jm];B[jl]C[とやるんでしたか。」変化図終わり]))(
;W[ad];B[ac];W[da];B[ca];W[bb]C[となって黒は簡単に死んでしまいます。」変化図終わり]))(
;B[em]C[こう切られると]
;W[fm];B[en];W[fn];B[dn];W[bn];B[fl]C[となって全体の白の眼がなくなります。…
変化図終わり]))(;B[lr]C[となるのは];W[oq];B[lq];W[oj]C[となって隅がただで荒らされた形ですから
黒がつらいのです。」変化図終わり]))(;B[dl]C[とつけ]
;W[ck];LB[fq:A]B[fp]C[この手かAというのもあります。変化図終わり]
))(;W[dc]C[こうだと];B[cd];W[de];B[bf];LB[qo:A][fq:B]W[eg]
C[となり黒に先手を取られ、AやBに回られるのが白は不満です」変化図終わり]))(
;B[ef]C[とトブのは];W[fd];B[bd];LB[ci:A]W[cc]C[こうなったとして
黒はA図のようにAとヒラけません。変化図終わり]))
(;W[fd];B[bd];W[cc];B[ci]C[変化図終わり])) >>128の分、ここから貼っていきます
以下コピペ
宇太郎晩年の譜その4
囲碁関西に総譜のみ掲載
93年の宇太郎先生の成績は1勝8敗。この年最後の対局でやっと初勝利をあげた。
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[大山国夫]BR[九段]PW[橋本宇太郎]WR[九段]TM[18000]DT[93-12-16]
PC[関西棋院]EV[第19期棋聖戦]RO[九段戦]RE[240手完 白半目勝ち]
SO[囲碁関西1994年2月号]KM[5.5]
;B[pd];W[dp];B[pq];W[ec];B[cd];W[nc];B[kd];W[ne];B[pf];W[pb]
;B[qc];W[kb];B[qo];W[de];B[ce];W[dg];B[df];W[ef];B[cf];W[eg]
;B[ch];W[ic];B[dc];W[dd];B[cb];W[db];B[cc];W[og];B[pg];W[oh]
;B[qi];W[fb];B[kh];W[le];B[jq];W[jg];B[jh];W[ih];B[kg];W[jf]
;B[ii];W[hi];B[ij];W[oj];B[fp];W[dn];B[dq];W[cq];B[eq];W[hh]
;B[cr];W[hl];B[jl];W[jo];B[hj];W[hp];B[gj];W[jp];B[iq];W[lp]
;B[kq];W[kl];B[jk];W[pr];B[oq];W[jm];B[kp];W[ln];B[cp];W[di]
;B[fk];W[or];B[qr];W[nq];B[hq];W[bq];B[bp];W[co];B[bo];W[br]
;B[cn];W[do];B[cm];W[dr];B[er];W[cs];B[dk];W[mr];B[gn];W[qm]
;B[qn];W[qb];B[rb];W[ej];B[im];W[hn];B[ko];W[ek];B[el];W[fl]
;B[em];W[jn];B[hm];W[nn];B[pm];W[qj];B[rj];W[qk];B[rm];W[pi]
;B[ri];W[pc];B[qd];W[ca];B[ba];W[da];B[gi];W[gh];B[od];W[bb]
;B[bc];W[ci];B[ab];W[go];B[fn];W[ra];B[sc];W[lk];B[bh];W[kj]
;B[kk];W[lj];B[jj];W[ck];B[es];W[ds];B[nd];W[md];B[mf];W[me]
;B[oc];W[ob];B[lr];W[lq];B[kr];W[oo];B[lo];W[mo];B[ps];W[ql]
;B[pn];W[rl];B[rn];W[op];B[os];W[nr];B[qq];W[fo];B[eo];W[gp]
;B[fq];W[in];B[gl];W[fi];B[nb];W[mc];B[ol];W[ip];B[mm];W[mn]
;B[bi];W[bj];B[bl];W[mh];B[of];W[ml];B[kf];W[ke];B[nk];W[cg]
;B[bg];W[fj];B[fm];W[dl];B[dm];W[dj];B[km];W[kn];B[ll];W[lm]
;B[kl];W[mk];B[nj];W[ni];B[mp];W[mq];B[ms];W[np];B[ns];W[qa]
;B[ph];W[ok];B[nl];W[pl];B[nm];W[mj];B[om];W[nf];B[mg];W[ng]
;B[ai];W[bk];B[dh];W[eh];B[sk];W[sl];B[rk];W[oe];B[pe];W[gq]
;B[gr];W[sm];B[sn];W[cl];B[bm];W[pp];B[qp];W[lf];B[lg];W[ki]
;B[ji];W[lh];B[aq];W[ar];B[ap];W[al];B[am];W[ak];B[sb];W[mb])
古本屋で「100万人の詰碁2 橋本宇太郎」購入
前書きに詰碁作りのきっかけが書かれていた
以下書き写し
「私と詰碁」
青年時代、ある人から『玄々碁経』を頂戴しました。その本は今どこに行ったか、行方が知れませんが、
それは恐らく「寛永本」といわれる和刻本だったのであろうと思われます。虫も食っていて
ひどい痛み方でしたし、本をくれた方が肺病を患っておられた人だったものですから、
天気のよい日にはその本を太陽光線の直射にさらして、虫ぼしをしました。当時
私は体が弱かったものですから、それほど注意を払いながら、その本をとりあつかったのですが、
そんなことをしながら、『玄々碁経』の中の特に珍瓏の部を勉強しました。珍瓏すなわち詰碁であります。
2,3年かけてそれを調べましたが、中には詰まらん作品もありましたし、これはどうであろうかと
疑問に思えるような図形などがありましたので、省略すべきものは省略し、訂正するほうが
よいと思われるものは訂正して、『玄々碁経新定本』という書名で出版しました。
それが昭和十年でした。それが私と『玄々碁経』との係わりのはじまりでした。 その頃、『玄々碁経』の詰碁を研究するだけでなく、自分でも詰碁をつくっておりました。それは
かなりの数になると思いますが、今ほとんど残っておりません。当時は詰碁を作りましても、
それを仲間うちで見せあうくらいのもので、作るものがいきおい難しいものになりました。
こんなことを五年ぐらいはやっておりましたでしょうか。
そんなことをしているうちに、ある機縁で、農業雑誌『家の光』から詰碁の掲載を
頼まれました。これが意外なことに十数年もつづきました。この雑誌に発表した詰碁は
前に申しました仲間に見せるものとちがいまして、優しいものばかりでした。平易で筋の
面白いもの、アマチュアの方に馴染んで頂けるようなもの、そういう心懸けで作った詰碁です。
それ以来、仲間うちで見せ合うような難しい物は作らず、専らアマチュア向けの
平易なものばかりを専門に作って来ました。『家の光』に掲載をはじめたのが25歳
の頃です。それから現在までですから五十年以上にもなります。その間発表した
詰碁が一万五千題ぐらいになりましょうか。われながら、ずいぶん根気よく作りつづけてきたものだと思うこともあります。
私はこれまでにも数点詰碁の本をだしておりますが、だいたい問題図と正解図
を出しただけのもので、正解に到る経過とか、正解の変化図を示すような解説は
致しておりません。この度講談社がその種の解説を取り入れた新企画で「100
万人の詰碁」を出版されるというので喜んでそのうちに加えて頂きました。
解説を担当してくれるのが東野弘昭九段、この人も熱心な詰碁作家ですから、
安心して解説をお願いできました。ご苦労に対し感謝しております。
昭和58年晩秋 橋本宇太郎 昭和9年、報知新聞で「相談碁」という企画があった。
旧布石の代表として鈴木為次郎・瀬越憲作、
新布石の代表として木谷実・呉清源がタッグを組んで
必要に応じて着手を相談しながら対局するという試み。
(棋譜は保存スレにUP)
橋本はこの碁の立会人を務めた。
橋本は立会人として木谷・呉の相談内容を聞いて、二人に抱いていた
ある種のコンプレックスが消えてしまったという。 昨日図書館で「橋本宇太郎の世界」を読んだ。
四段時代が長かったのは現夫人との恋愛問題で悩んだかららしい。
(呉清源の発言) 恋敵がいたことがほのめかされていた。
遠距離恋愛だったから、よけい悩むよね。 >102 :名無し名人 :02/09/27 12:43 ID:xszESZh+
>風と刻っていいですか?
単なる詰碁集ではなくて秘蔵写真やコラムも充実しているので、
宇太郎先生の生涯を知るにはいいでしょう。でも入手しにくいのでは?
>84 :名無し名人 :02/08/11 05:26 ID:251uJ6QI
>「首を洗ってきました」というのは
>言葉としてそんなに名言だろうか。
>場面のドラマ性は文句ないが。
「囲碁一期一会」より該当部分引用。
(橋本篤)そのとき対局場で「首を洗ってきました」と先生が
おっしゃったということになっておりますけど、坂田さんに
そう言われたのでしょうか。
(橋本宇)いや、新聞社の人にです。誘導尋問に引っかかりまして。
ちょうど風呂で首を洗った後だったものですから(笑)。
------------------
つーことで、本人はあまり深刻に言ったものではないらしい。 橋本先生生誕96周年&スレ立て一周年記念上げ
先生が六十代の時「わたしの碁で人に見てもらえるのはこれくらいのものです」
と言われた先生の会心局の棋譜をUPしておきます。
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/entrance2/1033776990/146-147n
白188で189に打っておけば勝ちだったらしい。 (;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[呉 清源]BR[八段]PW[本因坊昭宇]WR[七段]
TM[21600]DT[1943年]
PC[溜池・日本棋院]EV[本因坊・呉八段三番碁]RO[第二局]
RE[277手完 ジゴ]KM[なし]
;B[pd];W[dc];B[pp];W[eq];B[cp];W[jq];B[ce];W[cg];B[cm];W[qn]
;B[nq];W[pg];B[nc];W[fd];B[pk];W[qp];B[qq];W[rq];B[qo];W[rp]
;B[po];W[ro];B[pn];W[qm];B[pm];W[dn];B[cn];W[ql];B[pl];W[cq]
;B[bq];W[dp];B[co];W[jo];B[qr];W[rj];B[cc];W[cb];B[dd];W[bc]
;B[ec];W[cd];B[db];W[cc];B[ed];W[de];B[ee];W[df];B[id];W[kc]
;B[ic];W[fg];B[gf];W[cr];B[cj];W[le];B[qe];W[rg];B[ho];W[hq]
;B[gg];W[lg];B[lc];W[qc];B[rd];W[lb];B[mb];W[ld];B[mc];W[ob]
;B[ne];W[rc];B[pc];W[pb];B[rb];W[ra];B[qa];W[jb];B[kd];W[jd]
;B[ke];W[je];B[kf];W[jc];B[he];W[jg];B[lf];W[mf];B[me];W[jf]
;B[md];W[ib];B[gb];W[hb];B[gc];W[gh];B[hh];W[hg];B[ff];W[hf]
;B[eg];W[gi];B[hi];W[hj];B[ji];W[gj];B[jh];W[kg];B[jk];W[di]
;B[ci];W[ch];B[dj];W[fh];B[ef];W[dh];B[da];W[li];B[jm];W[kl]
;B[kk];W[km];B[jl];W[lk];B[kn];W[qb];B[sa];W[sc];B[ll];W[of]
;B[nf];W[ng];B[mg];W[nh];B[oe];W[pi];B[pf];W[qg];B[ip];W[hp]
;B[io];W[kr];B[fp];W[do];B[fn];W[gr];B[br];W[mp];B[mq];W[ko]
;B[ln];W[lq];B[bh];W[bg];B[bi];W[np];B[lj];W[mr];B[nr];W[ns]
;B[os];W[ms];B[oq];W[bs];B[nj];W[ni];B[ki];W[mi];B[rf];W[na]
;B[la];W[nb];B[dm];W[fl];B[fj];W[fk];B[eh];W[ei];B[ej];W[fi]
;B[hl];W[em];B[en];W[gl];B[gm];W[dl];B[cl];W[ps];B[rr];W[or]
;B[mo];W[no];B[lo];W[lp];B[nn];W[oj];B[nk];W[kb];B[ma];W[ij]
;B[ag];W[af];B[ah];W[be];B[sq];W[og];B[qj];W[qi];B[rk];W[qk]
;B[pj];W[rl];B[ri];W[sj];B[si];W[sk];B[sg];W[rh];B[sd];W[eb]
;B[fb];W[iq];B[fq];W[fr];B[jn];W[ie];B[hd];W[jj];B[kj];W[oc]
;B[od];W[mj];B[mk];W[ca];B[ea];W[gp];B[go];W[eo];B[fo];W[ik]
;B[rn];W[sn];B[il];W[oo];B[on];W[dk];B[ck];W[ar];B[bp];W[ga]
;B[ok];W[ha];B[fa];W[oi];B[jp];W[kp];B[dg];W[cf];B[ka];W[qs]
;B[ja];W[rs];B[sp];W[rm];B[sr];W[so];B[qf];W[ig];B[aq];W[cs]
;B[fm];W[el];B[sf];W[sh];B[kh];W[lh];B[as])
トーチカ第一号の棋譜です。
なお朝日新聞縮刷版昭和10年11月、12月分に解説と講評が載っています。
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[橋本宇太郎]BR[五段]PW[小野田千代太郎]WR[六段]DT[1935-11-20,21]
EV[日本棋院秋期大手合]RE[123手完 黒中押し勝ち]
SO[橋本宇太郎全集第一巻]KM[なし]
;B[qd];W[eo];B[ee];W[op];B[ec];W[eq];B[kq];W[od];B[mc];W[pc]
;B[qg];W[qc];B[qp];W[pn];B[qn];W[pm];B[qm];W[pl];B[pq];W[oq]
;B[ip];W[qo];B[ro];W[po];B[re];W[rc];B[og];W[nf];B[jd];W[dj]
;B[ce];W[ir];B[iq];W[rn];B[rp];W[rm];B[qk];W[qj];B[rk];W[ql]
;B[hr];W[pr];B[qr];W[pp];B[qq];W[nr];B[sr];W[jr];B[gq];W[kr]
;B[cq];W[cp];B[bp];W[co];B[dq];W[ep];B[bo];W[ho];B[lq];W[lr]
;B[jn];W[cm];B[er];W[fr];B[ds];W[fq];B[jl];W[jj];B[lo];W[im]
;B[jm];W[kk];B[hn];W[md];B[ld];W[nc];B[pk];W[lc];B[he];W[cf]
;B[df];W[cg];B[be];W[in];B[io];W[hm];B[gn];W[gp];B[il];W[gm]
;B[ij];W[oi];B[qi];W[kc];B[jc];W[kd];B[eh];W[je];B[ie];W[jb]
;B[ib];W[kb];B[hc];W[ii];B[hj];W[jf];B[ci];W[cj];B[bi];W[ph]
;B[qh];W[pg];B[pf];W[of];B[oj];W[pe];B[qf];W[ni];B[pi];W[oh]
;B[nj];W[mi];B[ig])
>>157
普段苦手としている相手に急所で勝っているところが
橋本先生の勝負師といわれる所以
例1・先生は木谷実には相性が悪かった(戦後はコミ無し黒番以外以外では
ほとんど勝てなかったぐらいだ)。しかし、第二期本因坊戦で勝った方が挑戦者
の一番で木谷に勝ち挑戦者になった。関山の体調がおかしいことは二人とも
知っていただろうから双方とも「これに勝てば本因坊だ」と意識しながらの
対局だろう。そういう碁に勝てるところが橋本先生らしい。
例2・大竹英雄にはダブルスコア以上で負け越しているらしい。
しかし、第九期十段戦五番勝負と第一期棋聖戦最高棋士決定戦準決勝で
勝っているから大竹より弱いという印象はない。 (;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]SZ[19]PB[橋本宇太郎]BR[七段]PW[木谷實]WR[八段]
TM[36000]DT[1943-03]EV[第二期本因坊戦]RO[リーグ]RE[251手完 黒三目半勝ち]SO[go base org]KM[4.5]
;B[dc];W[cp];B[qd];W[ce];B[pq];W[oc];B[po];W[fq];B[ed];W[kc]
;B[ci];W[bc];B[ic];W[ql];B[qg];W[cg];B[cl];W[pf];B[qf];W[qc]
;B[rc];W[pd];B[qe];W[kq];B[cn];W[ro];B[qp];W[nq];B[or];W[qb]
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;B[ec];W[ef];B[fn];W[nf];B[np];W[ol];B[kb];W[lb];B[jb];W[rj]
;B[ri];W[rk];B[pi];W[jl];B[ei];W[bi];B[bj];W[ch];B[di];W[rb]
;B[hk];W[ik];B[hj];W[gr];B[bo];W[bp];B[mb];W[lc];B[la];W[ij]
;B[mc];W[md];B[nd];W[nc];B[ld];W[me];B[kd];W[le];B[jc];W[hi]
;B[ni];W[fj];B[ff];W[gj];B[hl];W[gh];B[ml];W[mm];B[lm];W[mn]
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;B[im];W[io];B[go];W[in];B[hp];W[fp];B[hn];W[oi];B[oh];W[ng]
;B[nh];W[pg];B[ph];W[jj];B[si];W[rm];B[fi];W[gi];B[ak];W[ai]
;B[lf];W[kf];B[id];W[je];B[jm];W[km];B[do];W[dp];B[og];W[of]
;B[pe];W[oe];B[dl];W[na];B[em];W[ma];B[lc];W[gm];B[eh];W[gs]
;B[ok];W[nk];B[df];W[de];B[ok];W[pl];B[ra];W[qa];B[nk];W[sa]
;B[sc];W[rs];B[qs];W[sq];B[qq];W[kp];B[mp];W[ra];B[ss];W[so];B[rs])
(;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]SZ[19]PB[橋本宇太郎]BR[九段]PW[前田陳爾]WR[九段]
TM[21600]DT[1975-02-13]PC[関西棋院]EV[第1期天元戦]RE[169手完 黒中押し勝ち]SO[gobase.org]KM[5.5]
;B[qd];W[dc];B[cp];W[pq];B[de];W[ce];B[cf];W[cd];B[po];W[oc]
;B[md];W[oe];B[pf];W[me];B[kd];W[ph];B[of];W[nd];B[ng];W[qm]
;B[ro];W[np];B[on];W[pk];B[lq];W[mo];B[qq];W[qr];B[oq];W[qp]
;B[rm];W[or];B[ql];W[pl];B[pm];W[qn];B[qo];W[rl];B[qk];W[rk]
;B[qj];W[rj];B[qi];W[qh];B[ri];W[rh];B[si];W[pj];B[pn];W[pi]
;B[mj];W[mh];B[nh];W[ni];B[mi];W[qe];B[pe];W[pd];B[qf];W[re]
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;B[lf];W[og];B[ne];W[qm];B[le];W[sj];B[mn];W[ln];B[mm];W[eq]
;B[nq];W[op];B[pp];W[rq];B[nr];W[ns];B[ms];W[os];B[mp];W[do]
;B[co];W[dm];B[dn];W[en];B[cn];W[em];B[dq];W[er];B[cl];W[jp]
;B[jq];W[iq];B[kq];W[ip];B[rp];W[qq];B[gc];W[lp];B[mq];W[no]
;B[kp];W[ko];B[lo];W[qb];B[rb];W[lp];B[rs];W[qs];B[lo];W[pc]
;B[rd];W[lp];B[ks];W[ir];B[lo];W[ob];B[pa];W[lp];B[sr];W[sq]
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;B[lk];W[ki];B[kh];W[bf];B[ji];W[gd];B[hc];W[fd];B[hd];W[cg]
;B[fc];W[ek];B[ik];W[dj];B[cj];W[ci];B[dr];W[il];B[ed])
前田先生は1975年7月3日死去、享年68歳。
>>25
「藤沢(朋)との手合い(王座戦)が(昭和四十七年)七月二十七日、関西棋院であった。
その日の朝、瀬越が自宅で自殺していたのが発見されていた。対局直前、日経の記者を
別室に呼んで、瀬越の死を知らせ、「しかし、このことは藤沢さんには言わないように。」と
念を押した。藤沢の心情に波紋を起こさせないようにとの配慮である。藤沢は翌日東京で
瀬越の死を知った。
その碁は白番の橋本が八十八手で黒を潰した。」
この年、橋本は王座戦の挑戦者になった。
王座戦本戦トーナメントのベスト4に橋本と呉清源が勝ち残ったのは
瀬越師の自殺と無関係ではあるまい。 (;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]SZ[19]PB[藤沢朋斎]BR[九段]PW[橋本宇太郎]
WR[九段]TM[21600]DT[1972-07-27]PC[関西棋院]EV[第20期王座戦]RO[本戦一回戦]
RE[88手完 白中押し勝ち]SO[日本経済新聞縮刷版]KM[5.5]
;B[qc];W[dc];B[qp];W[op];B[cq];W[ce];B[oq];W[nq];B[pq];W[mp]
;B[pn];W[iq];B[jc];W[gc];B[qi];W[pd];B[qd];W[pe];B[qe];W[pf]
;B[qf];W[lc];B[nc];W[pc];B[md];W[ob];B[nb];W[qb];B[rb];W[ra]
;B[rc];W[ph];B[qh];W[ld];B[mf];W[le];B[ng];W[nh];B[og];W[pg]
;B[mh];W[pi];B[ni];W[ok];B[je];W[kf];B[nk];W[ol];B[jf];W[lg]
;B[kg];W[lf];B[oh];W[kh];B[jg];W[lh];B[ii];W[kj];B[ml];W[lk]
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;B[sg];W[qk];B[qg];W[mn];B[na];W[si];B[nn];W[rg];B[rf];W[sf]
;B[se];W[nl];B[mk];W[nm];B[om];W[mj];B[nj];W[nf])
観戦記より
15は32の方がよい。
25は27が要点、コスんだなら27は34であるべき。
「『35では36とアタマをたたきたかった』といったのは
新進気鋭の少年棋士趙治勲五段である。」
57は60にとんで84と天元を見合いにするくらいのもの。
68は当然とはいえ好着。70、72は巧み。74が痛烈。
65では74か77しかなかった。
85は投げ場を求めた。黒11-2と連絡しても白15-14とかかえられると
黒は右上を生きなければならず、中央の黒が薄くて勝負にならない。 図書館に戦前の「家の光」が所蔵されていたので橋本先生の詰碁を調べてみました。
>>141-143の通りだとすると連載は1931-32年の頃から始まっていることになるの
ですが、図書館にある一番古い号が1932年で、その詰碁欄には「出題 西川覆面子」
とあります。1934年9月号から1935年6月号までは欠号で、1935年7月号からは
すでに「出題 五段 橋本宇太郎」とあります。肝心なところがわからないわけです。
戦前の詰碁・詰将棋・詰連珠の掲載は1943年3月号で終わり。橋本先生が本因坊になる
直前のことです。戦後しばらくは詰碁欄がなく、再開したときは橋本先生担当ではあ
りません
詰碁の連載は「十数年続いた」とありますから、この「西川覆面子」が橋本先生
に詰碁の代作を頼んだのではないかと推測します。 今日早朝のテレビで昇仙峡を紹介していました。
当然ながら本因坊戦についてはまったく触れませんでした。
岩がごつごつしてるところですね。 ∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉 ∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉 晩年、新聞の囲碁欄に
「橋本先生に全盛期の7〜8割の力が残っていれば
楽にリーグ残留してるだろうに」
というような棋士のコメントがあった。
リップサービスだったのか、本音だったのか。 囲碁関西に載ってた橋本先生の言葉
「勝負は家を出るときには決まっている。
後は神様が盤上に再現されるだけ」 miya本人です^^;
この場を借りて自己紹介させてもらいます。。。出身は山口・・
彼女いない歴23年、趣味は勿論将棋、後は喧嘩と酒とオナニー
自慢は屋敷プロに平手で勝った事です・・・屋敷さんのファン
には悪いけど棋譜は随分バラマキましたよ 事実なので。。。
俺様は金かかってもいいから絶対結婚したい^^;
子供も7人以上ほしい。中出し、できるだけたくさん
したいもん・・
子供も好きやけど。。まだ童貞なんだ・・
好きな言葉は 脳みそぐつぐつ ですね ^^;
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄ 近日
昭和40年、本因坊戦挑戦者決定戦で山部俊郎に負けた碁をUPします。 (⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン (;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[山部俊郎]PW[橋本宇太郎]
TM[32400]DT[1965年]
EV[第20期本因坊戦]RO[プレーオフ決勝]RE[233手完 黒中押し勝ち]KM[4.5]
;B[qd];W[cc];B[qq];W[oc];B[cq];W[pf];B[od];W[pd];B[pe];W[pc]
;B[qe];W[oe];B[nd];W[qc];B[qf];W[ne];B[md];W[me];B[ld];W[le]
;B[kd];W[qh];B[pg];W[ph];B[of];W[ng];B[nf];W[mg];B[rc];W[rb]
;B[sb];W[rd];B[sd];W[sc];B[mf];W[lf];B[rc];W[mb];B[re];W[ra]
;B[lb];W[nc];B[og];W[oh];B[lg];W[kf];B[lh];W[mi];B[rg];W[if]
;B[hc];W[li];B[jh];W[jg];B[kh];W[fc];B[ih];W[gg];B[fd];W[id]
;B[mc];W[ma];B[hd];W[rh];B[sh];W[si];B[sg];W[ed];B[ie];W[je]
;B[he];W[jd];B[jb];W[hf];B[fe];W[ee];B[ff];W[gi];B[ef];W[hk]
;B[jk];W[lk];B[hi];W[fh];B[ik];W[hl];B[jm];W[dn];B[fp];W[fn]
;B[hj];W[gj];B[dh];W[df];B[de];W[cf];B[dg];W[dd];B[bf];W[ce]
;B[fg];W[gf];B[fb];W[hq];B[ip];W[go];B[iq];W[po];B[pm];W[op]
;B[pj];W[oj];B[ok];W[nj];B[or];W[qp];B[pq];W[qm];B[ql];W[qn]
;B[mm];W[rj];B[ll];W[nl];B[on];W[nq];B[mp];W[rp];B[oo];W[pp]
;B[rl];W[ml];B[mq];W[nr];B[rq];W[mr];B[kq];W[lr];B[rs];W[lq]
;B[mo];W[kr];B[dk];W[lm];B[ln];W[kl];B[im];W[lp];B[gm];W[fl]
;B[gn];W[fm];B[fo];W[dp];B[dq];W[cp];B[ej];W[gl];B[ko];W[eq]
;B[er];W[fq];B[gp];W[fr];B[ep];W[hr];B[cn];W[do];B[bp];W[bo]
;B[dm];W[cm];B[dr];W[eh];B[bm];W[bq];B[br];W[ib];B[ic];W[jc]
;B[kc];W[ja];B[kb];W[ge];B[ec];W[eg];B[gc];W[di];B[ci];W[ch]
;B[dj];W[ap];B[ei];W[cg];B[cl];W[em];B[ir];W[bi];B[bj];W[di]
;B[dh];W[es];B[ds];W[ah];B[db];W[cs];B[fs];W[gs];B[gq];W[es]
;B[cr];W[ar];B[fs];W[gr];B[hp];W[es];B[bs];W[aq];B[fs];W[oq]
;B[pr];W[es];B[hh];W[gh];B[fs];W[nm];B[mn];W[es];B[pa];W[pb]
;B[fs];W[qg];B[hs])
橋本先生の打ち碁の解説でよく出てくる言葉
「当然だが、好手」
当たり前のことが当たり前にできるのが鍛え抜かれた芸というものなのかな。 六十歳を過ぎてから番碁に6回出たのは誰にも破れない記録だろう
(十傑戦2回、十段戦2回、王座戦・棋聖戦各1回)。 早見えであっさりしていて体が弱くて詰め碁作りが得意―
若き日の宇太郎先生は井口豊秀(旧名秀一郎)みたいなもんだったんだな。
何が宇太郎先生を重厚な存在にしたんだろう。 そういえば、宇太郎九段の詰碁歳時記がCDで復刊されるみたいだな。
12月10日といえばもうちょっとか。
http://www2.tky.3web.ne.jp/~igodata/
一応お試し版をダウンロードしてみたけど、良さそうな感じではあるね。
色紙とかは、もう関西棋院にもないし、付録にも興味がそそられるわ。(^^;) 読売新聞の囲碁観戦記者が覆面子を名乗っていた頃
二代目覆面子は『西川』という人だったらしい(「囲碁」二月号による)
「西川覆面子」とはこの人のことだろうか? 西川勉氏が覆面子だったのは短期間だったらしい。
その期間が知りたい。 どうも調査ミスがあったみたいです。
戦後も橋本先生が詰碁欄を担当しているようです。
もう一回調べなおします。 ワシはこのぢぢいの本で碁を勉強した。
ともかくひたすら数多く練習問題が並べてある本で
読みやすかった。なつかしいな。 昔の詰め碁の本は1ページに2問出題されてるのが多い。
これはなんでですか?見にくいのに。おしえて古い人。 >>211 それがいいんだよ。一冊にたくさん問題があって得した気分。
うたろうの本は、読みにくさを解決している。最初は上段
だけを説いてゆく。そして、最後まで読んだら、ひっくり返すと
そこから続きが始まっている。そして最初のページまでもどって
くる。これを読むと、最近の一問一ページは、もったいない
かんじ。 74歳で本因坊リーグ入りを決めた一局
(;FF[4]EV[第37期本因坊戦]RO[三次予選決勝]PB[橋本宇太郎]
PW[石田芳夫]KM[5.5]DT[1981-10-29]RE[235手完 黒中押し勝ち]
TM[21600]
;B[pd];W[dd];B[qp];W[eq];B[oq];W[cp];B[fc];W[df];B[jd];W[qj]
;B[ck];W[ci];B[cc];W[dc];B[db];W[cd];B[bb];W[bc];B[cb];W[cm]
;B[ql];W[qf];B[qh];W[rh];B[nd];W[ph];B[qe];W[pf];B[jq];W[hq]
;B[ek];W[lq];B[jo];W[lo];B[fq];W[fr];B[gr];W[gq];B[fp];W[er]
;B[hr];W[ir];B[jr];W[gs];B[hp];W[lm];B[dm];W[dn];B[en];W[do]
;B[gp];W[hs];B[em];W[qn];B[mn];W[ln];B[pm];W[pn];B[on];W[oo]
;B[po];W[rl];B[om];W[qm];B[no];W[jn];B[in];W[im];B[jm];W[jl]
;B[kn];W[km];B[ch];W[bh];B[il];W[jn];B[bg];W[cg];B[jm];W[qo]
;B[op];W[jn];B[dh];W[bi];B[jm];W[oc];B[hm];W[od];B[mj];W[lk]
;B[jk];W[lj];B[li];W[ki];B[lh];W[jj];B[jg];W[nl];B[ok];W[jh]
;B[kg];W[ih];B[pc];W[ob];B[pb];W[pe];B[rd];W[re];B[qd];W[ne]
;B[hg];W[mk];B[kl];W[ll];B[ro];W[rn];B[sn];W[rm];B[nj];W[kp]
;B[jp];W[kr];B[di];W[rp];B[rq];W[so];B[bm];W[bf];B[qr];W[nr]
;B[lc];W[ge];B[gd];W[ie];B[id];W[la];B[mb];W[ma];B[ka];W[oa]
;B[lb];W[rb];B[rf];W[rg];B[se];W[rc];B[qa];W[sg];B[sf];W[sc]
;B[sd];W[ra];B[qb];W[na];B[jb];W[or];B[fe];W[ig];B[he];W[pr]
;B[pq];W[pa];B[sb];W[cl];B[bl];W[bn];B[dl];W[cn];B[bj];W[if]
;B[an];W[ao];B[am];W[bo];B[ij];W[hh];B[gi];W[gh];B[fi];W[cj]
;B[dj];W[bd];B[ai];W[ag];B[kk];W[kj];B[me];W[nf];B[pi];W[qi]
;B[oh];W[pg];B[qk];W[rk];B[gf];W[eo];B[fo];W[js];B[pj];W[nh]
;B[mg];W[oi];B[ol];W[mf];B[ni];W[md];B[oj];W[ng];B[le];W[nc]
;B[lf];W[ak];B[bk];W[aj];B[al];W[ab];B[aj];W[mh];B[ld];W[ec]
;B[eb];W[ee];B[ps];W[fb];B[gb];W[hi];B[hj];W[nq];B[mp];W[gg]
;B[hf];W[fd];B[ed];W[pk];B[ef])
>>217
感動の内容を具体的に書いていただければ
リーグ入りを決めた37期本因坊戦三次予選の
残り2局の棋譜も譜起しするかもしれません。
気分が乗れば観戦記の解説付きSGF譜を作ります。 「関西棋院の棋士やファンはたいへんな気の落としようであった。この七番勝負について、
前後二百通ぐらい手紙をもらったが、三対一に追い込まれたときには、もう勝負はどうでも
いいから立派な碁を打ってこい、関西棋院の将来などは頭の中から拭い去ってしまえ、
それは勝負が終わってから、改めて考えるべきことだ−というような手紙が多かった。」
−「囲碁専業五十年」
甲府昇仙峡で打たれた第五局。この一局に勝てばいよいよ本因坊だという意気込みの坂田
であった。坂田のファンは祝宴の用意までしていたのである。二日目の午後になって局面は
急迫していた。凄まじい気魄が対局室に満ちていた。
そんなとき新聞社のカメラマンが対局者に気づかれないように写した写真がある。橋本と
坂田が体を乗り出して盤面を凝視している姿が暗黒の中に浮かんでいる。不気味な殺気が
画面から溢れるような写真である。「赤鬼と青鬼の写真」といわれるものだが、これが有名に
なったのは、写真が対局室の凍りついたような空気を写し出していたからである。凄まじい
勝負であった。 −講談社「大系」・下 >>222
気持ちは分からんでもないが、
イラネーヨ。 最近の関西棋院の大物は挙動不審結城に往生際が悪い昌二・・・
瀬戸に期待。 あんまり先輩の話はいいたくないのだが、この人は呉清源さんと比肩されるだけに、
とても華麗な冴えた碁である。気合いの碁で、年齢の限界にきかかっている人とは
思えないくらいだ。いまでも一番勝負に強く、それには敬服させられるが、もう
持久力はなくなっている。 (坂田「勝つ」1965)]
1965年より後の実績は年齢の限界での余韻に過ぎないのかw(ちょっと意地悪に 詰碁の数は賞賛されるが、あまり質についての賛辞は聞かないな
自分は好きだけど >>229
>>141-143をお読み下さい、参考になれば幸いです。
つまり難解ものはほとんどどっか行っちゃったと?
あーあ 今日は命日、没後十年。
関西棋院、何か記念事業しろよ。 一度見聞きしたことは忘れない記憶力の持ち主が
原爆の惨禍を目の当たりにしたのだからたまらない。
毎年夏になると原爆症になったというが、今で言う
PTSDだろうな。 関西棋院大手合が終了した。
主催紙の大阪新聞と産経新聞に
宇太郎先生は大変な恩義を感じておられたそうだ。
もう大阪新聞は無い。 今日、教育テレビで将棋を指していた人は
この方の親戚でつか? リクエストしてくれ。
1975年以前のものだったら橋本宇太郎全集を図書館で調べてくる。 加藤正夫先生の訃報に沈んでいる。
平成16年12月30日12時33分、脳梗塞および合併症のため逝去。享年57歳。
その中で宇太郎先生の生涯が頭をよぎる。
名勝負、名棋譜、棋院創設、長寿、最期の風景。
なんて別格の人だったんだろうと。
加藤先生にもこの運があればと。 橋本先生も呉先生との十番碁の打ちかけの夜に大阪から
棋院運営に関する電話相談があったりした。
67歳で名人リーグ入りを果たした碁の観戦記を調べていたら
「終局直後、役員棋士たちが先生のもとに駆け寄って運営の相談を
始めた」とあった。
加藤先生より過酷な状況にあったことは間違いない。
宮本直毅九段が、お伴の旅の宿でふと話しかけられた中での人物評の部分を
回想〜列記した文章が、『橋本宇太郎の世界』にありました。
--------------------------------------------------------------------------------------
呉 清源
石の運びは一見平明に見えるが、状況によっては疾風迅雷、一刀両断のすごみがある。
一局のうちこちらのヨミにない手を必ず打ってくる。彼の宗教にうちこむはげしさと
ともに碁に対する執念が神仏のように迫力があった。彼こそ昭和の棋聖であり、名人
である。もう一度十番碁を打ってみたい気がする。
木谷 實
正確無比のヨミでしかもねばりづよかった。私とはまったく正反対の棋風。名人に
なれなかったのが不思議なくらい。もっと時流にあわせてさらさら打てばタイトル
くらい楽にとっていたと思う。碁の癖があり凝りすぎるところがあった。しかし
それが囲碁三昧かもしれない。
関山 利一
父君の盛利氏が熱心で私も可愛がられた。その縁で私が二段の時、盛利氏のたのみで
利一氏と七子で打ったが、翌年は三子になり、さらに一年後には二子で打った。
大変な棋才の持主だった。はじめは守勢一辺倒の碁だったが、四段の時から攻めに
重点をおくようになり、一挙に超一流の域に達した。彗星のごとく現れ消えていった
天才。
岩本 薫
小川のせせらぎのようにさらさらと打ち、また大地にぱらぱらと種をまくように打つ
といった調子でつかみどころがない。そうかといって安心しているとぱっと襲って
くる。飄々としていて油断のならぬ碁である。私の苦手である木谷九段には、めっぽう
強かったようである。
高川 格
平明流というか水の流れるような決して無理のない碁。形勢判断に明るく自分から
仕掛けないから私には調子のあわないところがあった。コミ碁というものに新境地
を開拓したように思う。
藤沢 朋斎
山を抜くような剛力。ツボにはいると手がつけられない。私もよくおしつぶされた
が、強いだけにちょっとリズムが狂うとすきができる。碁はヨミと力だけでは制し
きれないほど広く深いのである。
坂田 栄男
カミソリといわれるくらい鋭い切れ味は比類がない。私とは波長が合い、打って
いて碁の琴線にふれるようで楽しかった。昇仙峡の一局は、敗色が濃かったが、
相手にあせりのようなものがでて助けられた。七局目の賢島で私に勝運が傾いた
が、坂田九段が局後帰りぎわにあいさつにみえ、その姿にさわやかな印象を受けた。
半田 道玄
柔軟性にあふれた碁で盤上を宇宙とみて思考をこらすといった具合に、高僧の
風格があった。ふわふわとしているかと思えばどこまでもくねくねしているところ
があり、石の流れの裏に粘着力があった。もう少し長生きをしてほしかったが、
碁に燃焼しつくしたという感じで、すばらしい棋士であった。
山部 俊郎
才気煥発型で変幻の妙という点では注目に価するが、時にむら気があり損をして
いるように思う。この人に執念とねばりというものが加わっていたらと惜しまれ
る。
藤沢 秀行
独創性にあふれ棋才という点では古今比類のない大天才だと思う。彼より強い人
はいっぱいいるが、作品という見方からすると彼に及ぶものはめったにいない
のではないか。要するにひらめくのである。
林 海峰
勝つための条件であるヨミ、粘着力、形勢判断などどれをとってもバランスが
とれている。碁盤全体で打ってくるという感じで、スケールが大きい。
大竹 英雄
名人中の名人である。どこから突いてもスキがない。ただ気になるのは大竹美学
とかいわれているが、碁に美学などあるはずがない。盤上には勝負があるだけで
ある。もっと鬼気というものがほしい気がする。
>>244-247
乙。
一流を表現できるのは一流のみということか。
関山師の上達の様子は初めて聞いた。
秀行師の批評に唸った。 呉の「疾風迅雷」、高川の「平明流」、山部の「変幻」なんてのは誰がつけたんだろう。
みんな宇太郎師のこの批評からというわけじゃないだろうし。
「呉は疾風迅雷、坂田は快刀乱麻」なんてフレーズ格好いいよなあ。 呉清源師の自伝映画では、誰が宇太郎師役をやるんだろう。 >>240
リクエストしてみる。
関西棋院の存亡をかけた昭和最大の名勝負の棋譜をぜひ。
1譜だけというなら、カド番で勝利した棋譜をぜひ。。。。
>>252
ちょっと横着させてもらって棋譜ファイルのあるページを紹介します。
http://homepages.cwi.nl/~aeb/go/games/games/Honinbo/
ここの Hon-1951-1.sgfからHon-1951-7.sgfまでが宇太郎−坂田の
七番勝負の棋譜です。 >>252
どうもありがとうございます。
ほかにもいろいろあるんですね。
おいそがしいところ、ありがとうございました。 >>253のまちがいでした
すみません。
ではあらためまして、
>>253さん、どうもありがとうございました。 野沢竹朝が序盤で工夫しない橋本少年を一喝したのは有名だが
知人に将来性のある若手棋士を聞かれ、「橋本少年はものになります」
と回答していたのはあまり知られていない 初手天元を打たれた時にすぐに空き隅確保するのは素人 >>257
マジですよ。
善悪を超える気合の一着という評価らしいです。
当時、東西対抗の意識が強く、相手を何するものぞ
蹴散らしてくれんの気合がみなぎっているさなかで行われた
という背景があります。
団体対抗戦で全員が第1手目天元だったということもあったようで
新布石時代と東西対抗の両方の空気が融合してできた棋譜なの
かもしれないですね。
詳しい方補正をお願いします
読売新聞社主催の名人戦解説会で橋本師が語ったのですが、
第1期名人戦創設のとき、第1期の名人は呉清源さんを置くべきだと
主張されたそうです。当然日本棋院や新聞社の思惑があり、
実現は難しかったのでしょうが、橋本先生らしいお話でした。 日経の縮刷版を調べていたら宇太郎先生の人物評を
宮下秀洋プロが書いていた。前半はよくある「勝負師宇太郎」
についてなのであまりおもしろくなかった。
後半が興味深かったので紹介する。
九段は趣味人でもある。いっしょに虎ノ門アパートにいたころ、
橋本さんはよくあきもせずにコーヒーをつくった。ブラジル、モカ、
ジャワなどを調合して、天下一品、独特の風味をもつコーヒーをつくった。
それは街の喫茶店のものとくらべて段違いにすぐれていた。その
コーヒーづくりの先生といっしょにいたから、しぜん私の腕も
免許皆伝になった。それほど彼は納得のいくまで研究する一面を
もっている。ついでだが、そのアパートは女人禁制、四畳半という
よき時代の庶民向きの建物で、私はそこで初段になり、橋本さんは
五段になった。
彼はまた純情情熱の人である。同じアパートにいたころ、京都の
吉田操六段の内弟子であった現夫人と恋愛していて、京都へ行く
ときの楽しそうな様子、帰ってきたときの物足りないような素振り、
郵便受けの木箱からはみ出している恋人からの手紙をふところに、
急いで自分の部屋へ帰ったりするところなど、まさに人間味たっぷりの
橋本さんである。勝負師としては最高である九段の地位にあるが、
ほかの道を選んだとしても、現在に近い大成ぶりを見せたのでは
なかろうか。
>>6にも書いてあるが、
先生は夫人とコーヒーを飲んでいるとき、胸部大動脈瘤破裂でお亡くなりになった。
>>261を読んだとき、「好きなもの二つのそばでおなくなりになるなんて
幸せな死に方だったんだな」と感慨深かった。 東野某氏ね
お前が監修した宇太郎の詰碁集
答えどころか問題まで間違いだらけじゃないかよ
引退して反省してるつもりかもしれないが
絶対許さないぞ
同じ詰碁作家として故人の宇太郎に嫉妬したからか
わざとやったんか畜生 >>264
何ていう本ですか。私も詰碁歳時記とか奥の細道とか東海道五十三次とか
中仙道やってるので、教えてください。 >>264-265
「100万人の詰碁2 橋本宇太郎」講談社
ですね。
264さん、具体例を挙げて説明して頂けると
うれしく思います。 秀行師だったか、
「橋本さんは鳥のような華麗なサバキ、
梶原さんはキリでねじ込む徹底的なサバキ、
木谷さんは巌のような磐石の石サバキだった。」
と言ってたなあ。
どんな碁が頭にあったんだろう。 >>274
堪忍してください、許してください。 <火ダルマ秀行 >>265
>>266
「風と刻」だよ、知らない?
当時は激情に駆られたが全部やってみるとやさしくて面白い本ではあった
しかし残念は残念だ、悪い弟子を持って あまり言いたくはないが・・・・・
戦時中に本因坊に就位したとき
正当な挑戦権をもっていた木谷実の挑戦に対し
法外な対局料を言い立てて
木谷師の挑戦から逃げつづけたのは
いかがなものかとオモ。
生涯の汚点だと思う。 詳しく!
関西棋院地盤固めのための時間稼ぎだったのではないか知らん? >>281
戦時中の話だから関西棋院云々とは違う。
本因坊昭宇は通算三期在位。
一期目が戦時中の原爆直下の本因坊戦の時期
その後間をおいて二、三期目が関西棋院設立の前後。
んで挑戦忌避騒動が起きたのは戦時中。
当時の師の所属は日本棋院で関西棋院はまだ存在しない。
かろうじて方円社の残党が残っていたくらいか?
当時の本因坊の任期は二年制で変則だった。
さらに変則な規定があり任期の途中で挑戦手合次席者(?)の
認定挑戦権者はタイトル挑戦手合を申し込めるという規定があった。
只この挑戦手合規定には細則がなく対局料などの手合にかんする具体的な手続き規定がなかった。
挑戦権者であった木谷師が挑戦を申し込むと本因坊はその権威を根拠として挑戦者側に莫大な対局料を要求した。
両派それぞれ主張し論争となったがあまりに多額であったために木谷師は対局料を用意できず
本因坊サイドは一歩もゆづらないで
結局挑戦手合は実現しなかったそうな。 「木谷師は対局料を用意できず」というところに引っかかりを感じないか?
対局料は主催の毎日新聞が出すべきものだろう。
昔の棋戦は興行の色彩が強く、いい加減な運営をやっていたのだ。
当人にとってはいい迷惑である。様々な対抗措置を取らざるを得まい。 >>283
いやだから天下の毎日新聞でも用意できないほどあまりに法外な額だということさ。
そして木谷師の後援者にも用意できる金額ではなかった。 例えば戦後の本因坊任期短縮のように挑戦手合が後からいきなり相談無しで決められたって話しなら
確かにそうだが>283
挑戦手合いについては事前に規定されており木谷師に正当な挑戦権があるのは自明のことだった。
しかし本因坊は実現不可能な対局条件を提示して一歩も譲らなかった。
用意可能な対局料で妥協するとかいう対局へむけて譲歩する姿勢は本因坊にはなかった。
「ビタ一文欠けても対局しない」などとという姿勢をとったんだ。 >>283
逆じゃね?木谷師が用意できないのを見越して
新聞社じゃなくて木谷師が対局料を用意する方向にわざわざもってんたんじゃね? 正式な挑戦者でもないのにふざけんな、ってことでしょ。別におかしいことじゃない。
で、木谷がルールにのっとって、挑戦権者でもないのに挑戦したのに対し、
橋本もルール(厳密には規約の盲点)にのっとっての結果的忌避は無問題。
規約がそもそもおかしいし、そのおかしい規約を使って、本来なくてしかるべき権利を主張するわけだから、
本来なくてしかるべき理由で忌避するのはいい対抗手段だと思う。いわゆる意趣返しだな。
全然恥でもなんでもない。むしろひねった賢さを感じて痛快。
それよりも、ごしっぷですらない60年以上も前の出来事に対し、さもゴシップであるかのような書き込みをする
ほうがよっぽど品性よろしからずだな。 俺に言わせれば木谷も橋本も偉大だし、
聖人なんていないんだから今となってはどうでもいい。 >>287
寝言はやめれ木谷師は当時の規定にのっとった正規の挑戦権者だよ。
「正式な挑戦権者でもない」だなんて嘘はやめれ。
当時の規定上木谷師に挑戦権があるというのは誰もが認めてた。
本因坊側でも木谷師の挑戦権自体は否定していなかった。
>本来なくてしかるべき理由で忌避するのはいい対抗手段だと思う。いわゆる意趣返しだな。
>全然恥でもなんでもない。むしろひねった賢さを感じて痛快。
棋士ならば盤上で決着をつけるべきだろうに・・・・
あんた何いってんだ?
例えば日本棋院対関西棋院のような、組織対組織のような話なら
盤外での戦術もありだろうがね。棋士対棋士はそうじゃねーだろ。
マンセーばかりじゃ贔屓の引き倒しだぞ。 棋士対棋士の勝負であっても盤外で勝負の駆け引きが行われることもある
但しそれはあくまでも盤上での勝負があってこその話しだ。
盤上で勝負してこそ棋士だぜ。
盤上での勝負を避けるために盤外で戦術を駆使するというのは棋士としてはいかがなものか?
大体がこの話しについて橋本氏が回想録などでも多くを語らなかったというのは
内心忸怩たるものがあったと思われる。 木谷が挑戦手合い申し込みできたのは確かだが
橋本がそれを受けなければならないという規定がなかったのも事実だな
ちなみに橋本がそのときに要求したのは3万円(当時)
だいたい正式な挑戦者なら打たなかった橋本を不戦敗に出来るだろう
木谷が申し込んできたときは打ってやろうと思ったが戦時中だしやっぱりメンドクセとでも思ったんじゃない
またまた寝言ですか?>292
まるで巨人の空白の一日のような主張ですね。
贔屓の引き倒しはやめなよ。
>木谷が申し込んできたときは打ってやろうと思ったが戦時中だしやっぱりメンドクセとでも思ったんじゃない
今まで星勘定が悪く挑戦者決定手合で偶々勝ちを掴んだ本因坊が
今度やれば負けるかも?と考え対戦を忌避したってのが定説。
>>293
どうせ負けるから打つのメンドクセって思ったってことだよ
戦わなくてもいいときに戦えば紛れを増やすだけ、むやみに戦えばなんとやらだ
碁ではそう教えられるだろうに
ttp://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n19540607
『橋本詰碁傑作集』 誠文堂新光社 昭和42年 現代の棋士とどちらが強いのかは知らん。
けれど、時代を創ったこういう人たちには敵わんと思わせる凄みがある。
碁の勝負とは関係ないことなのか、勝負の本質に関わることなのか。 関山利一が一期本因坊になり、それに橋本が挑戦したのだが、
関山が体調の問題で一戦ほどしか打てず不戦敗となった。
関山の弟子の梶原が自分が打って勝ったら師匠の体調が
よくなるまで待ってくれとか言ってたのだが、
橋本が本因坊となったわけだ。んで木谷も兆戦を申し込んだ。
で上にも書いてあるように、規定などがなかったことから
橋本は5万の対局料を要求し、それを全額軍に寄付すると主張。
しかしまあその後第三期本因坊戦の正規の挑戦者である岩本薫とは、
毎日新聞が戦争で碁どころではなく、まったくバックアップしなかったのに、
師匠の瀬越と一緒に兆戦手合を実現させたわけだ。
そこで原爆下の本因坊戦というようなことになった。
とまあそんなこともあるから、木谷が申し込んだのは
関山の不戦敗のこともあってなのかもしれんし、
それなら受けることはないという考えだったのかもな。 冬の手合日、外の雪を見て橋本(宇)、
「そういえば二・二六事件の日もすごい雪でしたねえ」
「・・・」 (さすがに相槌を打てる者がいない。)
橋本、苦笑して(or何事も無かったように)目を盤面に。 今月はじめ、原爆下の対局の対戦相手である岩本薫先生の記念碑の除幕式が、岩本先生の出身地益田市で行われたそうです。橋本先生の記念碑とかはないんでしょうか。ご存知の方は教えてください。お願いします。 橋本宇の場合は関西棋院という記念碑もあるが。(「碑」はまずいか?) 「棋士の記念碑は残された棋譜。」
なるほど、含蓄のあるお言葉です。
さて、橋本先生の名局といえば、やはり昭和18年の呉清源師との三番碁の白番
持碁の譜でしょうか。本因坊戦ご本人もそのように言われてるようですし。
皆さんはいかが思われますか。
橋本先生生誕99周年&スレ立て四周年記念上げ
山田虎吉を覆面子に推薦したのは橋本宇太郎先生だったそうな。
虎吉の息子が将棋世界で語っていた。 橋本宇太郎先生の生誕99周年を記念して漢詩を作ってみました。
題昭宇先生 昭宇先生に題す
火玉轟音遭護灯 火玉轟音に遭うも灯(ともしび)を護り
昇仙清項安西方 昇仙に項(うなじ)を清めて西方を安んず
雨洗風磨芸神授 雨に洗われ風に磨かれし神授の芸(わざ)
米寿至巧千載光 米寿に至る巧(たくみ)は千載に光(かがや)く
漢詩の心得のある方は添削していただければ幸いです。 「本因坊秀策ドラマ化」という板がありますが、本当でしょうか?
宇太郎先生+鈴子夫人ならエピソード満載で朝ドラで半年くらいでも
できるのに。(日本棋院が賛同するとは思えませんが。) 囲碁関西の懸賞詰碁で囲碁関西賞に当選しました。
送付されたのは、橋本師の直門中最年長の現役棋士宮本直毅先生の扇子
でした。関西棋院が現存しているのも宮本先生のご尽力あればこそと思い
大切に使わせていただこうと思います。
その宮本先生を棋道に導かれた橋本師の功績に改めて感謝します。 宮本直毅も棋院運営には活躍したが、実績が今一なんだよね。 >>313
囲碁関西五月号で本田邦久九段が棋聖リーグに復帰して「不死鳥」とありま
したが、宇太郎先生は74歳で本因坊リーグ入り、七十台前半でも名人リーグ
で残留ですから、不死鳥以上でしょう。「怪物」としか言いようがない。
さて、この高齢リーグ入り記録は破られたのでしょうか。
これから岩田達明が破る、と面白いんだが。じゃなきゃ竹林本田を待つしかないな。 なにしろ棋聖戦の第1回目の頂上決戦が藤沢秀行と橋本宇太郎だからねぇ。
おふたりには本当、頭が下がります。
>>316
敗れたとはいえ、七番勝負のときおん歳69歳。
七番勝負(というかタイトル戦)登場最高齢記録を破るのは、竹林?
小林・治勲?イ・チャンホ?etc
さあ、誰か。予想してみましょう。 イ・チャンホとかは、若い時期に打ちすぎで。年取ったら無理だろう。
大竹名誉碁聖とかが長持ちしそうな気がするが。 今月の碁ワールドは宇太郎先生が3つの記事に登場しています。探してみて下さい。 >>320
棋譜の出ていた2つの記事はわかりましたが、もう一つはどこですか? >>321
フリガナがいっぱいのページです。
宇太郎先生の詰碁集で分厚いのって有ったかなあ? 読売新聞西部版で掲載されていた「橋本囲碁講座(橋本宇太郎講座に改題)」
は、昭和28年から平成6年まで12,651回にわたり連載されました。
亡くなられたときもストックがあったので、9月20日頃に終了しています。
連載1万回記念の出題で、正解者のうち、10名に揮毫色紙、30名にサイン
入り書籍が贈られるとのことで応募したところ、幸いにも揮毫色紙をいただく
ことができました。おそらく直筆だと思います。
「風と刻」によると橋本宇太郎講座1万回記念の祝賀会が昭和60年となって
いたので、先生78歳頃のものかと思います。 へえ、大阪版だけじゃなくて西部版にも掲載されてたんですか。知りませんでした。 宇太郎先生のひそみにならってか
関西棋院の男どもは女子院生に手をつけて
(それはいいんだが)院生をやめさせて嫁さんにしてしまう。
今村、湯川、森山、そして結城。勝間っていう無名プロもそうだ。
楊嘉源や黒滝正憲を見習えよ。
小林礼子・泉美の場合は院生の時から付き合っていたわけではないから。 鈴子夫人は入段してたはず。秀哉名人も入った入段披露式の集合写真を見た覚えがありますが。 そうか。
昨日たまたま日本囲碁規約を参照する必要があって
冒頭の
「財団法人日本棋院 理事長 朝田 静夫
財団法人関西棋院 理事長 橋本宇太郎」
の名前を何ともなしに見つめていたんだが、
命日だったのか。(合掌 ちなみに、61年前の今日、第三期本因坊戦第1局が終わりました。(白番岩本七段の五目勝ち)
同じ日に米軍の偵察機が撮影した広島市の写真があります。
第1局の対局場であった広島市中島本町の藤井氏の別邸も写っています。
この写真が撮られたとき、この建物にいた人たちの運命が12日後どうなったか
瀬越師、岩本師、橋本師は、見るに忍びない写真かも知れません。
棋士は認知症とかにはならないんだろうな。
でも、高血圧(例:木谷九段)とか脳血管疾患(例:橋本九段)とかには弱そう。 >>335
>棋士は認知症とかにはならないんだろうな。
根拠なさそう。
でも宇太郎先生がかくしゃくとしたまま逝かれたのは
本当にあの人に相応しいと思う。 認知症の始まりは頭を使うことを放棄した時からと言われてるので、
囲碁を続けてる限りはその確率は低そう。 中沢彩子(現姓池田)のホームページ(今は消えてる)によると
黒田幸雄さんは晩年ボケてたらしい。
石田章を破って棋聖戦七段戦に優勝したこともあるのに。 座隠談叢の棋士列伝によると対局中に昏倒して死んだ棋士が何人かいる。 対局中に具合悪くなって、事実上引退した後に亡くなったと記憶している。 棋士じゃないけど、竜騎兵も原稿書きの最中に発症し、
右手が利かなくなったんで左手で書き上げて、それから
病院行ったけど、っていうんじゃなかったっけ。
対局中の棋士が脳味噌の使いすぎで逝ってしまうというのとは
違うだろうが壮烈だな(合掌 棋道の昭和26年7月号を古本屋で買いました。(定価80円が500円でした。)
第6期本因坊戦1〜3局の解説を安永一さんが書いていました。ただ、棋譜が漢数字なので少々読みづらい。
第5局の「鬼の写真」も載っていました。できれば8月号も欲しい。
祝!生誕99年11か月(来月は生誕100年)
囲碁関西2月号に、宇太郎先生のことがちょこっと載ってました 祝!生誕百年。
>>346
普通、生誕100周年とは言わないでしょう。会社の創業とか団体の設立なら、○○周年といいますけど。
しかし、零時1分に書き込まれると、なかなか先手は取るというわけにはいきませんね。 モーツァルト生誕250周年
去年、よく見た記憶があったのでぐぐってみた
「周年」も使われてますね >349
確かに言うよな。頭痛が痛くないとか言うもんね。 百回忌は死んでから100年目(死んだ年の99年後)なのでまだ数十年先 しかし関西棋院は生誕100年イベントをする気はないのか? 「総帥」の肩書きは未だに使用されています。
橋本師の一生はまさにドラマですから。 補足
橋本師(又は鈴子夫人)を主人公にして、朝の連続テレビ小説やったらいいのに。
大恋愛で五段昇段が遅れたとか、原爆対局とか、関西棋院独立・昇仙峡の大逆転・
63歳十段獲得・第一期棋聖戦七番勝負登場とか、見所満載だと思いますけど。
原敬暗殺現場に立ち会ったなんて、フィクションを完全に超えてますよね。 朝の連続テレビ小説って、若い妙齢の女性が主人公と相場が決まってるんじゃないの? >>355
過去に男性主人公もの(「走らんか」とか)あったと思いますが。
やっぱり妙齢の女性主人公ということで、鈴子夫人を主人公にした方がよいでしょうか。 宇太郎先生の場合、生涯の1局て決めにくいよね。
原爆下の対局、昇仙峡の大逆転、本因坊防衛の局(賢島)、第十期十段獲得、第一期棋聖戦第二局、
最年長リーグ入りなど。橋本先生自身は、昭和18年の対呉清源白番持碁の局をあげて折られるけど。 橋本先生のスレがあったとは!
先生が趙vs片岡の本因坊戦の解説をされているところに偶然行き合わせ
高齢にもかかわらず矍鑠した姿と手の見えることに感心したのですが、
それから数ヶ月で亡くなったと知り今でも不思議な気がします。
死因は何だったのでしょうか・・・ >>358
先生の場合、エピソードも碁も人並み以上な場面がいくつもあるからね。
今の人、というか俺に分かりにくいのは対呉清源十番碁の重みだな。
>>359
>>263 >>355
とりあえず、お前が橋本宇太郎の小説を書け!!
読んでやるからw ゲーセンのクイズゲーム「クイズマジックアカデミー」で出題された難問を紹介。
【雑学・線結び】 (全国正解率3%)
日本の囲碁のタイトル戦と初代優勝者を線で結ぶ
A:本因坊戦 1:加藤正夫
B:碁聖戦 2:橋本宇太郎
C:十段戦 3:藤沢秀行
D:棋聖戦 4:関山利一
実は橋本宇太郎ファンにとっては易問だったりする。
A:本因坊戦→第1期本因坊・関山利一の病気棄権により橋本宇太郎が第2期本因坊となる
C:十段戦→橋本宇太郎本人が第1期十段戦を制覇。
D:棋聖戦→第1期棋聖の藤沢秀行と7番勝負を戦ったのは当時69歳の橋本宇太郎
B:碁聖戦→消去法で殺し屋加藤w 11月公開の映画「呉清源 極みの棋譜」。宇太郎先生を演じるのは、1年前ならほぼ無名といってもよかった大森南朋氏。
今年2月〜3月にNHKで放送され、国内外の数々の賞に輝いた「ハゲタカ」の主人公、鷲津政彦役を演じ、一気にマニアックな人気を得た。
その大森氏の演じる若き日の宇太郎先生、果たして如何に? ようやく当地でも「呉清源 極みの棋譜」公開。公開初日夜の上映は観客数人。
昼は多かったかも知れないが、次の金曜日まで一日2回上映で、次の一週間は
夜のみの1回上映。
宇太郎先生(大森南朋)の登場回数は少ないが、第三期本因坊戦の打ち合わせ、
原爆下の対局、第一次十番碁、最後の呉九段引退式典の第一着天元打ちなど、
要所ではしっかり出演。
関西棋院が後援に名を連ねたのも、呉九段が名誉客員であることにあわせて、
こうした所が作用したかも。
呉清源もいいけど、宇太郎先生の生涯の方がドラマティックな気がする。
原爆対局や関西棋院独立の暗闘、昇仙峡の大逆転、などに重点をおいて、映画化してほしい。 >>367
ドラマ性はあるだろうけど弱いのが玉に瑕だよな。
どうしても呉や坂田や高川や両藤沢に見劣りがする。 >>368
朋斎には勝ってると思うけど
呉藤沢の十番碁はプロレスの小川橋本みたいだ。 生誕101年&スレ立て6周年あげ
杉内雅男・窪内秀知両九段が未だ現役であることに驚嘆する。 >>24
読売新聞社発行の「第1期棋聖決定7番勝負」の
巻末の方に詳しく解説付きで
橋本vs大竹戦の棋譜が掲載されています。 なんかの本で最後に王座戦を取った碁の題に書いてあった「生きていた明治」っていうのと
明治は遠くなりにけりっていうのからとった「明治を遠くにさせない人である」っていうのがすきだなあ。
あと対局写真がいつも正座してしゅっとしてるのがすごくカッコイイ。
>>376
「昭和の名局4若獅子の時代」に「生きていた明治」とあります。
ただし、王座ではなく十段。大竹英雄を3−2で降した局の解説です。
いつになったら関西棋院は橋本をこえる棋士を世に送り出せるようになるんだ?
劣化コピーだらけじゃないか。 日本棋院から関西棋院を独立させちまったおっさん。
その時、本因坊ってタイトルもいっしょに持っておん
出たもんだからもう日本棋院はカンカン。刺客として
登場したのが坂田栄男。本因坊戦七番勝負の死闘が、
始まった。後の七冠王、坂田栄男は強い。橋本は、第四
局を終わった時点で1勝3敗と絶体絶命に追い込まれた。
日本棋院のサイドは祝賀ムード。しかし、橋本はそこから
踏ん張った。第五、六、七局を三連勝。大逆転で本因坊位
を防衛したのだった。瀬越憲作門下。同門の弟弟子が碁聖
呉清源。橋本は天才坂田に勝った翌年、本因坊位を日本棋
院の高川格に奪われてしまった。爾来関西棋院は大三冠タ
イトルを一度も手に入れたことがない。1950年ごろの
話だよ。 現在は、棋聖戦、名人戦、本因坊戦が大三冠と呼ばれているが、70年代に棋聖戦が創設されるまで、三冠といえば名人戦、本因坊戦、十段戦だった。
棋聖戦創設までに、関西棋院岸は、十段を橋本宇太郎2回、半田道玄1回、橋本昌二1回と、合計4回取っているので、大三冠はともかく、その辺りのことに触れないのは関西棋院に失礼では。
山海堂の古典詰碁集とか、誠文堂新光社か毎日コミュニケーションズあたりで
復活してくれんものかね。てか、そのあたりの宇太郎九段の本の権利って
どうなってるんだろう。 生誕102年&スレ立て7年あげ
先程NHKのニュースで、引退をかけた大一番に挑む有吉道夫九段を特集していた。
有吉先生は73歳。この年齢で宇太郎先生は名人リーグに入っていた。 命日(16回忌)。「囲碁関西」で連載中の雨洗風磨も佳境に入っています。 昔、宇太郎先生の「詰め碁歳時記」を持っていたけど、名著。
手の解説はほとんどなかったけど、俳句歳時記と風流な文章がすごいと思った。
もう、こんな詰碁の本を書ける人はいないんだろうなあ。 文章は志智嘉九郎さんによるものだろう
囲碁ライターでもあり、図書館の館長でもあった スレ立て8年&生誕103年あげ。
有吉道夫先生が74歳でNHK杯本選入りを果たした。
宇太郎先生は77歳でNHK杯ベスト8入りしている。 ヤフーオークションで、「橋本宇太郎全集」全六巻を購入しました。
昭和50年までの打碁集ですが、まさかその後棋聖戦の挑戦手合いに出たり、
古稀を過ぎて名人戦・本因坊戦リーグに在籍したりするとは誰も思わなか
ったんでしょうね。 前レスの直後に圧縮があって古いスレが大量に落ちた。危ないところだった。 【映画】広島の爆心地を精密なコンピューター・グラフィックスで再現した記録映画「ヒロシマからの伝言」が完成
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1282439976/
藤井邸も再現されているのなら見てみたい 坂井新碁聖誕生。関西棋院にとって29年ぶりの7大タイトル獲得。
泉下の橋本総帥もさぞお喜びでしょう。 スレ立て9年&生誕104年あげ
会心の局と言われる対呉清源3番碁第2局暗譜中 原爆対局をくぐりぬけてきた橋本師に敬意を表してあげ。 YouTubeで「羽根 昌二」で検索すると良いことがあります
アカウントを持ってる方はUP主に完全版をリクエストしてもらえませんか 橋本師の全盛期は戦前だったのはないか。
坂田の挑戦を退けた頃はもう衰えていると思う。
それ頃から碁が薄くなり、失着が増えている。
呉清源先生の兄弟子だけど、呉清源先生は宇太郎先生を
本当に尊敬していると思われ。
才能も実績も呉清源先生の方が上だったけど、宇太郎先生は
呉清源先生をいじめたりはしなかったのであろう。 >>401
坂田を下した時点で44歳だからね
あと関西棋院の運営に忙殺されたり
関西棋院独立の件だけど、宇太郎先生が『関西独立すっぞ、野郎ども!』と
号令したとは思えないな。
人物や棋力から大将に祭り上げられて責任を背負い込んだんではなかろうか?
中国の皇帝でさ、酒を飲んで寝ている間に反乱軍の大将に
祭り上げられて、勝って、皇帝になった人がいたよね。
誰だったかな? >>405
そもそも誰かが先頭に立って独立に動いたわけじゃない
それでいて東京に対抗できる棋士が宇太郎ちゃんだったってだけ >>408
何局も打ってるけど?
タイトル戦を打たせたかったってこと? >>407
今と違ってタイトル戦が少ない時代だったからねえ。
地元のタニマチの影響力は今よりも大きかっただろう。 17年前の7月31日はNHK杯を見ていた。対局はどうでもよくて解説の橋本先生のお姿をじっと見ていた。
最近一部がつべにあがっている。 >>393-394のような事情で古いスレが大量に落ちた。
加藤正夫スレが落ちてしまったのは悲しかった 日経1979年10月4日付け夕刊、橋本宇太郎−小林光一戦観戦記より
「白番が当たったとき、小林八段はいやな予感がしたという。
宇太郎九段の黒に対抗できる棋士はせいぜい五人あるかなしと彼は断言する」
この碁は黒71と優位を築き、91の時点では小林八段は必敗を覚悟するも、93や113などのいらぬ反発が裏目に出て敗北。
棋譜は棋譜でーたべーすにあると思う。 今期の碁聖戦第1局は関西棋院で打たれたが、観戦記によると、
橋本先生愛用の盤石が使用されたそうだ。
-= ∧_∧
-=≡ ( ・∀・)
-=( つ┯つ
-=≡/ / //∧ ガッ
-=≡(__)/ )< >__∧∩
-= (◎) ̄)) ∨`Д´)/ ←>>168
/ 板が鯖移転したらこのスレが真っ先に落ちるんだな
移転したら保全レスよろしく 民主党の小宮山洋子厚労大臣は、宇太郎先生の恩人・青木一男氏の孫なんだな。 スレ立て10年&生誕105年あげ
2ちゃん全体の最古ランキングだと2000位にも入れない >>424
宇太郎先生の命の恩人は、一男氏の弟青木重臣氏。中国地方の警察の元締めで、第三期本因坊戦の会場を広島市外に移させた人。 >>426
青木兄の方も宇太郎先生の後援者ですよ。
戦犯として投獄される直前に宇太郎先生と対局したり。 久しぶりに関西棋院に十段が誕生した。
宇太郎先生の最後に獲得したタイトルが十段だった。 8月4日付けの中国新聞に、原爆下の対局に使われた碁盤が発見されたという記事がでていた。
しかし、津脇家で保存されていた碁盤とは別物のようだ。
どちらが本物の、原爆下の対局碁盤だろうか。 全く形式的なことだが、先日本因坊リーグ入りした余正麒は宇太郎師の孫弟子 1月7日は、1971年に橋本師が64歳で十段位を獲得した日です。 宇太郎師の64歳でタイトル獲得はやっぱり大したもんだわ。
今だと考えられん。
当時若手が弱かったのかというと、そんなことはない。
林海峰、大竹、石田、加藤といた時代に64歳でタイトル取ってる。 >>445
十段復位を決めた第9期十段戦第5局は、1971年2月10日、11日に打たれた。
当時、宇太郎先生は63歳。64歳になる少し前のこと。 当時の十段戦挑戦手合は二日制だったのか。
ちなみに、前年のプロ十傑戦では、加藤を3−0でくだして優勝している。 >>447
445です。1月6,7日は、第一局が打たれた日だったのですね。
ご指摘どうもありがとうございました。
(講談社の現代囲碁大系第七巻「橋本宇太郎 下」の記載をそのまま載せてしまいました。) 1954年(昭和29年)1月16日に、橋本師は日本で3人目の(名人でない)
九段に昇段しました。
ちなみに、他の二人は、藤沢庫之助(後の朋斎)九段、呉清源九段で、いずれも
当時は無所属。
次に九段に昇るのは、翌年の坂田栄男八段(日本棋院)です。 今日2月11日は、橋本師が63歳で十段を奪還した日です。 今日2月11日は、結城聡十段の42回目の誕生日です。 棋譜並べは秀策がいいという。
宇太郎師の棋風は秀策と逆のような気がする。 宇太郎師の碁風は、秀甫に似ているとなんかで読んだ気がする。 読みを基調とする碁は本腰を入れて読んで並べないと逆効果な点はあるよね。素人が真似ると碁が荒れやすい。
坂田、チクン、井山もしかり。 そうそう、これとこれのキキがあるので、
2眼作れる、みたいな碁だよね。
そういう点を読みながら並べる必要があるね。 第6期本因坊戦は、関西棋院にとっては、三国志の「赤壁の戦い」のようなものでしたね。 少なくとも戦前においては、宇太郎は呉清源と比肩できる存在だったらしい。 >>467
当時唯一のタイトルだった本因坊をもっていたからね。
宇太郎師は年齢的にみて全盛期は戦前だったんじゃないか
と思うが、当時の棋譜があまり残ってないのは惜しい。 >>466
465は十番碁の戦績によるもの。
宇太郎師は第一次十番碁で、呉清源師に互先から先相先に打ち込まれ、第二次
十番碁でも、先相先から互先には戻せなかった。
朋斎師は、第二次十番碁で呉師に先相先に打ち込まれ、第三次十番碁では定先
に打ち込まれた。
宇太郎師は朋斎師との十番碁で、互先から先相先に打ち込んでいる。
(ちなみに、坂田師は呉師に定先に打ち込まれているし、高川師も先相先に打ち
込まれている。) 満天下互先を許さず
これって時の第一人者のステータスだよな
段位とかタイトルとか国籍とかの枠を越えて
今の棋士も四番手直りで番碁やってくれんかなー
自分的にはタイトル戦以上に盛り上がれるのだが
まあでも 結果だけでしか物事が語れん現代の風潮 無理か 宇太郎師の詰碁本すべて絶版になってるね。
やがて電子書籍で入手できるようになるのかもしれんが。
布石や定石と違って。詰碁は、時代が変わっても、
価値は変わらないわけだから、
宇太郎師の詰碁残してほしい。 宇太郎監修で山海堂から出版された古典詰碁シリーズも良かったな >>477
今は交通機関が発達しているから賢島に行くのは大変ではないけど、
昔はあそこまで行くのは大変だったろう。
宇太郎先生、体力的に不利だっただろうに。 最近宇太郎師の「100万人の詰碁」というのをやっているんだが、
宇太郎師の詰碁は量が多いだけでなく質も高いね。 宇太郎師の詰碁は「風と刻」というのは見たことないが、
五十三次・奥の細道は全体としてはそれほどではないと思う。
石を大きくして捨てるとか、追い落としの筋など似たような
問題が多い。
だが、時々ハッとするような良問がある。
宇太郎師は全部で1万5千問も作った人だから、
良問だけ集めればかなりのレベルの詰碁集になると思う。 亡くなってから20年経ったのか。
死の数日前に本因坊戦の大盤解説に登場したとき、もうだいぶ弱っておられたそうな。 【ニュースリリース】橋本宇太郎九段が囲碁殿堂入り(第11回囲碁殿堂表彰)
http://www.nihonkiin.or.jp/news/2014/07/11_31.html
橋本宇太郎九段が囲碁殿堂入り
― 第11回囲碁殿堂表彰委員会で選出 ―
7月18日、日本棋院において「囲碁殿堂表彰委員会」が開催され、第11回囲碁殿堂入りとして、橋本宇太郎九段が選ばれました。
有識者、棋士からなる出席委員8名により、事前にノミネートされた候補者の中から投票により選出されました。
囲碁殿堂入りを果たした橋本宇太郎九段に対しては、顕彰レリーフを制作し、日本棋院会館地下一階の
「囲碁殿堂資料館」にて展示を行う予定です。
2. 今回のノミネート者
寛蓮、中村道碩、林元美、井上(幻庵)因碩、正岡子規、雁金準一、正力松太郎、橋本宇太郎
3. 過去の殿堂入り
第1回特別創設記念表彰 : 徳川家康 、 本因坊算砂 、 本因坊道策 、 本因坊秀策
第2回特別創設記念表彰 : 本因坊丈和
第3回表彰 : 本因坊秀和 、 大倉喜七郎
第4回表彰 : 本因坊秀甫
第5回表彰 : 本因坊秀栄 、 本因坊秀哉
第6回表彰 : 瀬越憲作
第7回表彰 : 木谷実
第8回表彰 : 岩本薫
第9回表彰 : 安井算哲 ( 渋川春海 ) 、 陳毅
第10回表彰 : 喜多文子 橋本宇太郎が日本棋院から顕彰されるのか。感慨深いな。 >>487
日本棋院からは、生前「大倉賞」も贈られている。
伝達の使者は、岩本薫九段だった。 打ち継いだ対局者もすごいが瀬越立会人もすごい。泰然自若で端座して
みじろぎもしなかったそうな。 そもそも広島市内で対局するはずだったのが
戦闘機に機銃掃射されたりしてちょっと危なすぎるってことで郊外で打つことになった
爆風だか衝撃波だかで盤面全部吹っ飛んだりしたし、
日本棋院広島支部は全滅、市内にいた瀬越の子供も死んでるから泰然自若はないと思う
むしろ対局者も含めて茫然自失だったとか
しばらくして半死半生の人がぞろぞろとやってきたりしてるし
昭和の名局1に詳しく書いてあったと思うけどなぜかちょっと見当たらない wikiに書いてあった
立会人・瀬越は驚くべきことに、端然と床の間を背に正座したままであったという
(後に本人は、「腰が抜けて動けなかっただけだ」と語った)。 本因坊が庭に倒れてて
挑戦者が碁盤に突っ伏してて
窓ガラスが粉々になてて
障子も全部降っとんでるのに
冷静な顔で正座してたらちょっと変な人な気がする 原爆下の対局の主要関係者、瀬越憲作名誉九段、岩本薫九段、橋本宇太郎九段の3人が全員囲碁殿堂入りしたわけだな。 岩本?って感じだけどな。
中部の政治的影響で、実績以上に持ち上げられてる感が嫌だ。 アメリカやブラジルに私財をなげうって日本棋院支部作ったり
海外普及に尽力してるだろ スレタイの火の玉ってそのことだったのか 知らなかった 昭和の名局1(橋本宇太郎 上)の「原爆下の対局」では、棋譜は掲載されているが、解説は一切なし。
橋本師による「原爆下の対局」に関する経緯や、感想のみが掲載されている。 棋譜が残っていること自体が奇跡的。
岩本が挑戦者に決まった過程の記録も、その棋譜も残っていない。 >>500
それ「現代の名局1(橋本宇太郎 上)」じゃないかな
昭和の名局1(燃える新布石)の方には詳しい解説が載ってた気がする 宇太郎先生の弟弟子呉清源九段が亡くなられました。
昭和が遠ざかりますね。 村川大介七段王座獲得おめでとう。
関西棋院から久々の王座誕生。宇太郎先生、半田道玄先生、昌二先生についで四人目。
王座は関西棋院にとって縁の深い棋戦ですね。 十段も関西棋院に縁の深い棋戦だぞ。
両橋本に半田、そして結城が獲得している。 王座戦は第15期まで挑戦手合制ではなかったが、十段戦は第2期から挑戦手合制だぞ 今日から、新連載『幻庵』スタートです。
皆さま、よろしければこちらにもどうぞ
↓
百田尚樹パクリ疑惑検証スレ
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/books/1418534922/ 宇太郎先生は、王座第1期、3期、4期で優勝したんだね。 >>507
関西棋院の棋士がタイトルを防衛したことが唯一度ある。第6期本因坊戦。 >>512
これ以降、関西棋院の棋士が大三冠を獲得したことはない この唯一度の防衛こそ、関西棋院をこれまで存続させたんだから。
橋本宇太郎すごい人だ。 名人戦リーグと本因坊戦リーグの最年長記録は、やっぱり橋本せんせなんだろうか。 最年長記録
名人リーグ 72歳(第5期名人戦リーグ)
本因坊リーグ 75歳(第37期本因坊戦リーグ) >>517
名人リーグは1980年8月まで在籍してるから73歳だね。 今日2月11日は、橋本師が63歳で十段を奪還した日です。 13年も落ちないのはすごいが、13年かかっても1000スレいかないのもすごい。 うたちゃんのどんどんシリーズを、図書館の片隅で発見。
だれも借りてないみたい。級のおれとしては、めちゃうれぴー。
借りまくって、強くなるぞー(ひとりよがり)。 そりゃーうらやましいな。
でも借りるだけではダメだ。
なんども繰り返すんだ。 1スレで13年も存在してるのか俺がまだ20代の時からとか凄すぎる 橋下大阪市長の「大阪都構想」。東京に対抗する大阪を創るということなんだろうな。
橋本宇太郎は、65年前にそれを実現したんだね。 七大タイトルのうち五個が関西、中部が一つ、東京にも一つしかない。
棋士の数からみて圧倒的に関西優勢。橋本師の夢が実現したね。 悔やまれるのは、呉清源との第一次十番碁第二局。黒番で必勝の態勢から、逆転の一目負け。
師匠の瀬越憲作が「破門ものだ。」という厳しい発言をしている。
呉清源は完全復活し、天下先相先の偉業を成し遂げることになる。 YouTubeで「橋本昌二 羽根泰正」で検索すると橋本師最後のテレビ出演の映像が見られる。
1994年7月4日に収録され、24日に死去、31日に放送された。 >>532
教えてくれてありがとう。
早速、宇太郎先生最後のテレビ出演拝見しました。
「ご冥福をお祈りします」なんてテロップは、今後でないと思います。 ●マインドコントロールの手法●
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を嫌うカルト
10人に一人はカルトか外国人
「ガスライティング」で検索を! つべにある上村陽生対山田規三生戦を観戦中にお亡くなりになった。 呉清源九段が囲碁殿堂入り。
昨年の橋本九段に続き、二年連続日本棋院所属外の棋士が選ばれた。 広島アルミ杯・若鯉戦って、日本棋院の棋士だけ対象かと思ったら、今年から関西棋院の棋士も出るようですね。
河英一六段がすでに予選突破しています。
本戦の会場の中国新聞本社からは、宇太郎先生と岩本薫先生の間で行われた
第6期本因坊戦第1局の跡地がよく見えます。
平和記念公園の中ですが。 なんかよく分からんがおかしなことになっとるのであげ マ イ ン ド コ ン ト ロ ー ル の手法
・沢山の人が、偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
靖 国 参 拝、皇 族、国 旗 国 歌、神 社 神 道を嫌う カ ル ト
10人に一人は カ ル ト か 外 国 人
「ガ ス ラ イ テ ィ ン グ」 で 検 索 を ! >>517
今のご時世だと、70歳代でリーグ入りは非常に厳しい。
この記録は破られないかも。 本田先生が棋聖Cリーグ入りしたけど、さすがにSリーグはな。 井山棋聖が七冠達成。関西の棋士によるタイトル独占が達成された。 関西の棋士によるタイトル独占
2013.10.18〜2014.04.26 井山六冠・結城十段 たぶん3年以内にこのスレが全体で最古になる日が来る
その時は一瞬で潰されるだろう 余所者に潰されそうになったら宇太郎先生の棋譜と詰碁で先に埋めようぜ。まだ先のことだろうが。 来年の朝ドラで、ヒロインの父親の役名は「宇太郎」だそうだ。 このスレが立ってから、2/27には毎年生誕○周年の書き込みがあるな
15年間同じ人がやってるのだろうか 杉内先生が亡くなられた。
天才宇太郎と神様杉内の戦いは天国に持ち越される。 向こうでおふたりで時間無制限の碁を打っててほしいな 命日だったのですね。
宇太郎先生の詰碁の大ファンです。 橋本宇太郎と仲邑菫のどちらとも対局した棋士が何人かいる。 橋本先生生誕113年&スレ立て18周年記念上げ
弟弟子の窪内秀知九段は先月99歳でお亡くなりになった 宇太郎九段の「詰碁歳時記」
自分はこれ以上の詰碁集を見たことがない。
いつもの自然体の形をしているが、宇太郎九段の中では骨のある詰碁が多く含まれている。
1冊に365題も収録し、365句の俳句付き。俳句で気分転換できる。
こんな贅沢な詰碁集は見たことがない。 この男が頑張らなければ関西棋院はなかった。
今となっては関西棋院はない方がいいんだが・・・ >>586
関西棋院が無ければ、プロになれていない棋士がいたと思われる
そういえば、宇太郎先生が解説している動画が最近上がっていたような まるで日本棋院のプロが強いかのような言い草でワロタ 5ch全体で何番目の古さかな今
最古になると荒らしに埋められちまうからそれまでに完走させたくもある 野鳥観察板とかもっと古いの残ってるからそういうレスで埋めないで欲しい >>583
失礼を承知であえて言えば、これはプロレベルの碁ではない。 日本囲碁界と棋院分裂を招いた中心人物という観点からだろうな。 橋本先生生誕114年&スレ立て19周年記念上げ
つべに宇太郎−秀行の早碁動画が上がっている 坂田杉内のNHK決勝の解説してたな。1981年度だからもう40年近く前だな。
大正6年生まれ同士の決勝を明治40年生まれが解説するという今思えば古き良き時代だった。 youtube で下島陽平8段が明治大正昭和の好きな棋士に挙げていた
(柳澤理志5段のチャンネル) まだ5ch最古スレではないようだ
荒らしに乗っ取られる日が来ないよう注視せねばならない 橋本先生生誕115年&スレ立て20周年記念上げ
孫弟子の余正麒八段が大活躍している 1994年の今日、NHK杯を観戦中に動脈瘤が破裂してお亡くなりになった。
ずいぶん昔だが、スレが立ったときはまだ十年経っていなかった。 >>605
ことしは広島サミット。ところで広島選出で議長も務める岸田総理の趣味に、囲碁があったはずだが、ほとんど話題にのぼらない気がする。 瀬越師、橋本師、岩本師が命懸けで守った本因坊の歴史が大きな転換点を迎える 勝ったほうが「最期の本因坊」。破綻寸前の元大企業の社長にさせられるようなものか。 「本因坊」はあと数年で寂光院に封印される。歴代本因坊が草葉の陰で泣いておるわ。 橋本先生生誕117年&スレ立て22周年記念上げ
今日は十段戦第1局が行われる