信長の野望で過大、過小評価されている武将スレ74
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弟が真田信繁なのでよく引き合いに出されるけど普通に信之も過大じゃね
恐ろしや真田一族 信繁は大阪の陣シナリオ(≒架空武将の真田幸村としてのステータス)とそれ以外で能力分けたらいいと思ったけど
大坂の陣抜きで信繁査定しろって言われたらそれはそれで困るな でも江戸時代に真田家本体が幸村人気がすごいから
幕府に出す家系図も名前は幸村にしちゃうネというのも原因では 徳川への不満のガス抜き人気の幸村だしな
武田ではなく >>189
北条のライバルは明確に上杉(関東管領)でしょ
佐竹とか里見とか個々で見たら大した勢力じゃない 徳川が武田に負けていたわけじゃないとか言ってる奴いるけど、家康って信玄に一度も勝ててなくね
勝頼の代でも織田に叩きに叩いてもらってからハイエナしたようなもんだしな 家康は長篠の後も勝頼本体からは徹底的に逃げてるからね
長篠後も武田は北条を圧倒してるし勝頼はほんとに評価が難しい >>202
そもそもの動員兵力で負けていたというのはある
用意周到な信玄の戦略勝ち
個々の武将の働きなら徳川も劣っていない 高天神城は信玄が落とせなかった城とか勝頼ageの為に言われているけど実際は西上作戦の時ちゃんと落城してるの草 勝頼が高天神城落とした時は家康が犬居城の天野藤秀に奇襲食らって大敗した後にその隙を突いた形だからね
信玄の時より状況が楽 天野藤秀(景貫)は明らかに過小だよな
顔グラも天下創世からずっと変わらないし 信玄以前のグダグダな甲斐武田を知ってしまうとあそこまでなったのは凄いなと思うよ >>209
義元を滅茶苦茶な過大評価するくらいならそのステータスを分けてほしいわな 今川家と武田家は同じ清和源氏だけど
足利幕府においては武田家は今川家より家格がやや落ちるんだっけか
信玄は義元みたいな公家化したイメージがないのもそういう理由からかな >>202
氏康と家康から挟撃される形になって一回駿河から撤退してる 足利との血の近さは
斯波=一色>今川>畠山>仁木=細川>新田>木曽>佐竹=武田
佐竹や武田はさらに言うと義家の家系ですらない 足利や今川は長男義家の流れ
武田は三男義光の流れ
だな >>215
こうして見ると今川家ってかなりの名門なんだな
まあ名門だとは漠然と感じていたけどさ 戦国時代の木曾ってほんとに源氏(義仲)の系譜なのか怪しいんじゃなかったっけ そういや斯波は長男、渋川次男、でも三男は得宗家が母親だから足利嫡男ゲットとかだったな
尊氏からしてエリート兄の早死があって成り上がりだし何があるかわからんな 今川義元も確か今川家の5男坊だったんだっけか
それが兄貴三人続けて死んで出番が回ってきた感じ 全盛期いつなの?ってくらい一色の存在感のなさが気になる >>219
斯波は南北朝時代まで足利尾張家で足利そのものだしな
足利高経が義詮の家宰になるようお願いされて
四男の斯波(足利)義将が家宰になったのが管領の始まりなわけで
尊氏も兄が死んだから妾腹でも出世できた
尊氏の嫁は16代執権赤橋守時の妹を貰ってて
14代北条高時に源氏嫡流認定してもらってるくらい
北条べったりなのによく裏切ったな 義元の曽祖父の今川5代当主・範忠だって嫡筋ではなく養子説があるからね
扇谷上杉氏との血縁が強い小鹿範満の父・範頼が今川家当主となる可能性もあった
もし範頼が今川家当主となっていたら駿河国は鎌倉公方側に取り込まれる危険性もあった
血筋の良さや貴種性を違和感なくゲームに反映させて展開に深みを持たせられる日もいつかは来るのだろうか? 一色と言えば新生では一色義龍が出てくるな
斎藤義龍は存在しないってことで
斎藤高政→一色義龍の流れだけど
一色の改名イベント条件が満たせないことが多いから
ずっと斎藤高政のままが多い >>221
大和永享の乱で一色家当主が将軍・義教に謀殺される直前辺りが一色家の全盛期(1430年代後半)
丹後・三河・伊勢北部・知多半島…この辺りの守護職を一族で有して海運を牛耳っていた
この内の東海地方にいた一色家の庶流から丹後一色宗家と美濃土岐家の跡継ぎが選ばれて戦国時代に繋がる 鎌倉幕府は源氏将軍三代が死んだら
京から偉いさんを連れてきて将軍にしたみたいだけど
北条家から一人ぐらい新たに将軍を出せなかったのかね
あの時代は将軍は清和源氏じゃなくちゃダメっていうわけでもなさそうだし 清和源氏には限らないが、家柄は大事だった
北条は平氏の末裔とは言ってたが系図も怪しいくらいの豪族 絶対無理ですね
そもそも鎌倉幕府は合議制なんで
北条氏は思ってるほど地位が高くない
あくまで初代将軍頼朝の舅と嫁である時政政子の家系ってだけの権威
出自すら不明の伊豆の零細豪族
後の時代になると北条氏自体も家宰の長崎氏に乗っ取られて
鎌倉将軍同様形骸化する
北条氏が仕事しないから、代わりに長崎氏が頑張ったという解釈もあるけど
御家人からしたら上司だけど主君ではないから謀反したら御家人から総叩きされて潰される
新田に嫌がらせしたら、鎌倉幕府ごと新田に潰されちゃったが 頼朝が清和源氏(の中の河内源氏)ブランドつくったから
尊氏も権威できた
本当は村上源氏嵯峨源氏宇多源氏とかいっぱいいるが >>230
現代では上洛説は否定されているけど
仮に1560年に今川義元が上洛していた場合
義輝の後に将軍になっていたんすか? その先に斎藤や六角がいるのに上洛なんか無理だよなって >>233
将軍を自称するに留まる
その上で対立候補の足利氏(公方)擁立の動きが出る
正当性の高い反今川方が勝利して今川氏は断絶
こんなもんだろ >>209
天野藤秀 72 76 70 58 足止 用兵 自衛 地の利(おまけ)
ってとこか >>234
どちらかと言うと
尾張→伊勢→伊賀→山城のルートじゃね? >>235
サンクスです
今川氏は断絶・・・
名門であっても厳しいっすねぇ >>238
たとえ名門であっても所詮は足利の家臣
今川が将軍になりかわろうとする政変を起こせばそれは謀叛
源氏平氏が先祖を辿れば天皇に行き着くが、臣籍降下した時点で家臣であり皇族になれないことと同じ 今川といえど上洛できたとして
大内家みたい何年も滞在出来る金は無さそうだが >>233
その時期だとまだ三好家が力と畿内での求心力ある時期な上に六角や伊勢あたりとかも三好と争う前に今川と敵対しそうな気がする
義輝の後に将軍になろうにも周暠や義昭、阿波公方と正当性のある血筋が残ってるから将軍自体名乗るのもきつそう
すげ替え狙うにも明応の政変で細川政元が成功したのは朝廷もとい富子や政所とかの中央政権のバックアップがあってというかわりとこいつら主導なとこあるからなあ >>226
麒麟がくるの光秀と友人関係にあった義龍を受けてのこれだから、扱いはそんなに悪くないぜ
過去作でモブだったところから固有グラもらえてるしな 三好が残した一番の影響って
「足利将軍いなくても政権運営出来る」って朝廷や京都の町民に思わせた事なのかもしれないな
身分のない人でも天下担えるやんって
信長が義昭追放した後で排斥されずに済んだ 20年前は足利義輝は各大名間の調停して凄い!って扱いだったのに
今は任期の半分近江に引きこもって三好長慶が代行してたっての広まったから
評判えらく悪くなった
足利義輝 74 85 66 57
能力もえらく過大だわ
三好長慶が手加減して膠着→和睦ってパターンが多いから高いのかな
新生大志のイベントじゃバカ扱いなのに、能力は昔より上がってるという謎采配
武門棟梁と公方の太刀持ちだから戦闘じゃ、内政特性しかない三好長慶より強い
足利義晴は武門棟梁なぜか持ってない謎
早い年代で始まると足利がよく滅んでるから
改名イベント起こらずに、ずっと足利義藤のまま 義輝はロマン枠だから…
EU4のビザンツ帝国と同じ >>237
そんな山道通れんやろ~
どうしても上洛せにゃならんのなら東海道か海路になるんじゃないか 剣豪将軍が剣豪w将軍wだからな。
真の剣豪はそもそも勝てる戦いしかやらないし、
戦って勝つのは基本で「いかに生き残るか」がキモで、
そんな剣豪が勝てん戦いで負けて逃げられないまでに追い詰められる時点でダメダメだから。 肥的には相手が悪過ぎたという扱いなんだろうか
知66政57ぐらいじゃあの長慶と駆け引きしても太刀打ち出来ないだろうし 実際は三好vs六角の戦いで将軍はオマケ扱いなんだよw >>235
義輝担ぐのは上杉六角朝倉浅井、あと毛利かね?
三好は名目だけで足利の力弱まるの待ちそうだし
本当に上洛戦なら武田ともコンセンサス取れてるだろうし今川簡単には潰されないでしょこれ 剣豪将軍の逸話補正で武勇とついでに統率が高いのがおかしいんじゃない?
多少色付けるにしても >>243
できなかったから義輝は最終的に呼び戻したし
義昭が楽に入京できたんだけどな >>227
サンクス
足利義持、義量の時代が全盛期だったのか 三好家が下剋上、家格破壊を興して最初の天下人になったと結論づけるのは尚早かな
元を辿ると阿波の一介の豪族で陪臣上がり 義輝のボイコット大作戦に膝を屈したのが長慶。やでな
三好がある程度は代行したけどやりたくてやったのかしょうがなしの負担だったのかは経過を見れば後者ちゅうね
天野は三好好きすぎて贔屓倒しになってそのあたりが曇ってるのが惜しい研究者 阿波公方とかいうのがおったろ
義輝じゃなくてそっちでええやんと思ってしまうが >>251
強かったのは定頼の頃だし。>六角
義賢(承禎)はその後よ。
で、観音寺騒動起こすでしょ? >>259
血筋がね
三好の主君筋である細川家が政変で据えた義澄は元々は堀越公方の血筋だし正当性だと義伊や義晴の血筋じゃないと諸大名が納得しない
長慶の評価すべき点は細川、畠山と足利将軍家の家督争いをほぼ終わらせてた点と畿内を将軍家無しで数年安定させてた点、宗教諸派を軒並み沈静化&経済的にも安定させて一揆抑えこんでたあたりじゃないかな
あと教興寺あたり考えると六角強化というより実休討ちとって正面から殴り合いしてた畠山家と実質指揮とってた義興評価してあげてほしい >>255
出来ない出来たではなくて、ほぼ初に近い長期政権を確立させたところなので指摘がズレてる
後、別に義輝無しで運営出来ていなかったというのは言い過ぎ >>258
あれどちらかというと義輝が屈した雰囲気ある
経緯的に朝廷から三好家へ要請して永禄改元をした後に挙兵してるから義輝側も行動おこさないとそのまま実権取られるって焦りがあったんじゃないかな
その後も義輝側がやることに三好側から口出し入ったりしてるし >>258
そもそも義輝配下や御伴衆から三好方へ離反者が多くでてる時点でボイコット作戦は無理があるでしょ・・・
むしろ見かねた長慶の温情だろう 本気で室町幕府を復興させようとした信長をどう評価するかで長慶の評価が決まるな 畠山は鈴木に分断されてるせいですぐ滅ぶよな
武将も雑魚ばっかりだし 新生の畠山は河内を丸々持ってるけど、あっさり河内を追われて紀南に逃れがち
当主が頻繁に河内を追われる史実再現だけど、一度河内を取られると復活の目がないのが現実との違いだな 三好が独自にやってけるなら足引っ張りマンのサボり魔の義輝なんか迎え入れる必要もなく、無駄に戦国大名の人気が高い義輝を地位に戻す危険を冒す必要もなく、まして幕府三好合体策なんて推し進める必要もなく、暗殺狙ってくるアホなんかおっぽり出せばよく、結局は長慶の温情なんてぽわんとした話に持ってかないと話の整合性が取れなくなるところで限界なのよね天野説 >>269
なんかズレてるけど別に長慶は三好政権の単独運営を目指してる訳じゃないだろ
あくまでも副次的に単独運営が出来たのが当時画期的で評判も良く現在においても評価されるべきなんだろう なんか噛みつく人がいると思ったら
アンチ天野なのか
天野の本読んでみないとなんともわからんな >>270
できなかったから将軍呼び戻したんでしょ? 単独運営目指してなかったって言ってるのに、単独運営できなかったんだろって突っ込んでもしゃーねーよ(´・ω・`) >>272
出来なかったというよりはやる意味がなかったほうが大きい
当時の一般概念的に足利家を完全に追放しても周辺大名、特に足利家の後ろ盾となってた六角家や三好家の伸長を警戒してる北畠家、三管領家の畠山家と諍い起こす元となるから安定した畿内をまた戦乱に戻しかねない対応は三好家として利がない
和睦して戻ってくるなら迎えるし戻ってこないなら現状維持な感じが強いかなあ 三好家の単独政権運営自体は5年間で畿内の安定と朝廷や寺社との良好な関係性、瀬戸内海東側の海路掌握と商業、治安面で十分な実績あるからこれが10年でも問題なく回してそうには思う >>274
「畿内を安定させるために将軍戻した」ってことだな?
破綻の前に手を打った。俺は長慶のその政治感覚が好きだよ
「運営できてた」なんて言うんでなくその微妙なとこを褒めたい >>277
長慶が大和に侵攻した際に、急遽領内の各所に防衛体制を整えるよう指示した記録が残ってるぐらいだから、大和に友好的な国衆いる上、位置的にも近い北畠市にとって三好は警戒せざる得なかったんじゃないのかなぁ 【室町幕府諸侯】
三管領
細川、斯波、畠山
七頭
一色・山名・赤松・京極・土岐・伊勢・上杉
恐ろしいな..
戦国時代になるとこいつら上杉残して皆没落
大内も没落 >>280
三好の最盛期に半分近く三好家の庇護下にいるあたり長慶かなり真面目に室町幕府どうにかしようとしてたんじゃないかとも感じる 武将風雲録で伊達家でプレイして将軍の討伐令を断ったら将軍家の友好度が著しく下がるのはわかるんだけど
遠く離れた島津家との友好度も著しく下がったのにはビックリしたわ
なぜにとも思ったけど、実際にそんなモンなのかね。 北畠具教って最高正三位でしょ?
信忠 秀康 頼房みたいな天下人の息子とかと同じなんでしょ? >>279
そんな記録が残ってるんだね
最近足利将軍家、畿内情勢に興味あるから知識欲そそられる 北畠の傍系、木造(滝川)雄利さん戦国時代を生き延びる
元主君筋の北畠具親とかとも戦って勝ってる
関ヶ原では西軍加担し伊勢神戸2万石を改易されるも
常陸片野2万石を貰い、即大名復帰
子供の滝川正利が継ぐも跡継ぎがいなく片野藩は改易
木造雄利
54 59 77 43 底力 一所懸命
↓
59 64 82 63 底力 一所懸命 能弁
これくらい欲しいな
大名復帰は凄い よく北畠さんの家臣として出てくるケースが多い関さんとかは本来蒲生さん絡み=六角系な筈なんだよね。 >>270
三好政権・三好長慶は天下人じゃないってわかってる人には特に言いたいことはないよ。三好政権は将軍がへそ曲げて帰ってこなかっただけであくまでも室町幕府の一部であって単独政権じゃないからね 六角家の重臣・平井氏と縁戚となった浅井氏
六角寄りの国衆・蒲生氏と縁戚になった関氏
関氏の一族の鹿伏兎定秀は上記の様な強引な政略結婚の経緯から
浅井長政に対して同情の念を持っていたので姉川の戦いの際に
本来は織田家側でありながら家を出て単身で浅井家に味方した(そこで討死説あり)
浅井長政に親愛付けていいのは浅井家臣以外では鹿伏兎定秀だけ 源頼朝ってなんで臨時的役職の意味合いがある征夷大将軍になったんだろう
左近衛大将のほうがその時代に合った権威のような気がするんだが >>287
ほとんどショボい信雄家臣団の中でエースだからな滝川雄利 信雄家臣といえば土方雄久ってちょこっただけいたんだな。出してほしいって程じゃないけど そういや土方家って代々雄の字受け継いでるけど
読みも代々ヨシだから織田信雄もノブヨシじゃねって1750年くらいにも言われてたな
江戸時代から信雄の読み分からん問題で揉めてるの笑えるわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています