保守主義者による自由主義批判の核心は、自由主義は、全体主義のための「おとりのヤギ」であるという点にある。

近代人のなかではとりわけエドマンド・バークからクリストファー・ドーソン、トーマス・エリオット、ラッセル・カークに至る人々がそのように考えてきた。

社会内の伝統的権威や役割から人々を解放するという不断の努力を通じて、
自由主義は社会構造を弱体化し、「大衆型」人間の増加をうながし、そしてこれによって、
出番を伺っていた全体主義者たちを招き入れたというわけだ。

エリオットによれば、「人々の社会慣習を破壊することによって」、
「彼らの自然な集団意識を個々の構成要素に解消することによって、・・・・・

自由主義はそれ自身を否定するものへの道を準備することになる。」またクリストファー・ドーソンも、
ムッソリーニの全盛期に、イタリア・ファシズムは基本的には近代自由主義が生みだしたものだと断定している。

(保守主義者による自由主義批判の核心は、自由主義は、全体主義のための「おとりのヤギ」であるという点にある。

近代人のなかではとりわけエドマンド・バークからクリストファー・ドーソン、トーマス・エリオット、ラッセル・カークに至る人々がそのように考えてきた。

社会内の伝統的権威や役割から人々を解放するという不断の努力を通じて、
自由主義は社会構造を弱体化し、「大衆型」人間の増加をうながし、そしてこれによって、
出番を伺っていた全体主義者たちを招き入れたというわけだ。

エリオットによれば、「人々の社会慣習を破壊することによって」、
「彼らの自然な集団意識を個々の構成要素に解消することによって、・・・・・

自由主義はそれ自身を否定するものへの道を準備することになる。」またクリストファー・ドーソンも、
ムッソリーニの全盛期に、イタリア・ファシズムは近代自由主義が生みだしたものだと断定している。

(ロバート・アレグザンダー・ニスベット『保守主義』より)