享保の改革や天保の改革では戦乱や暴動はほとんどなかったが、その後では、日本の経済と文化は停滞します。だいたい、元禄時代(1688〜1704)までは、日本もヨーロッパも、
経済にしても技術にしてもそれほど差がなかった。それが百年後の1800年頃にはぐっと差が開いてくる。ヨーロッパが産業革命でどんどん新しい技術を開発し制度を刷新しているのに、日本は守旧的な改革で進歩を抑制したため立ち遅れたのです。
享保の改革は、昔の制度を再強化したので、進歩がとまりました。そしてその後、享保の大不況や享保の大飢饅が来て、日本経済は衰退し、人口も増えなくなってしまいます。
それにもかかわらず、享保の改革を行なった八代将軍吉宗は名君の誉が高いのは、江戸時代の世論形成者だった下流武士層にとっては、武士身分の固定化と成金商人たちの没落が嬉しかったからでしょう。
それに比べて明治維新は、一時的には大混乱を招きました。鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争までさまざまな小競り合いが起こり、合計一万三千人の戦死者があったといいます。
もっともこれは、他の国々の大改革-フランス革命やアメリカの南北戦争に比べると何十分の一に過ぎないものです。
また、武士は身分と収入を失って没落します。あるいは、成り上がりの人々が出てきて品格が下った、ともいわれました。ヨーロッパかぶれが伝統的な文化財を随分壊したりもしました。混乱があり、格差が広がりました。
だけども、その後百年、日本は大発展をします。封建社会から近代工業社会に変わったのです。
今、私たちに必要なのは、明治維新と同じ「時代の変化」、近代工業社会から知価社会への転換です。物財が豊富なことが幸せだという社会から、満足が大きいことが幸せだという社会に変わった。
これは、身分が大切な封建社会から物財が望まれる近代工業社会に変わるのと同じぐらい大きな変化です。