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市場主義は経済版の民主主義である。 第4市場 [転載禁止]©2ch.net
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0001金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/13(月) 21:02:35.00
反対にそれを批判する連中の正体は、官僚社会主義であり、
経済版の全体主義である。
市場の自由は参加の自由や経済のコントロールの民主化である。
官僚だけが経済をコントロールすれば良いと考えるのは、
経済のおける独裁、社会主義であり、国民の自由を奪おうと言う
考え方である。
0003金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/13(月) 21:07:46.38
★大赤字の「マルチメディア放送」はなぜ続くのか         1
 放送・通信業界は1000億円をドブに捨てても電波利権を守る
 2015.6.30(火) Japan Business Press 池田 信夫

 NOTTV(ノッティーヴィー)というサービスをご存じだろうか。
NTTドコモと民放連などが2012年に始めた携帯端末向けの「マルチメディア放送」だが、今月
発表された3月期決算では、当期純損失が503億円、累損は996億円に達した。
 資本金は249億円なので、普通の会社ならとっくに倒産だが、まだ営業している。
それはこのサービスをやっているmmbi(エムエムビーアイ)という会社の株式の60%を
NTTドコモが保有し、巨額の赤字を補填しているからだ。そこまでしてこの赤字サービスを
続けるのはなぜだろうか?

■14年かかっってもアナログ放送を止めた「跡地」の使い道がまだ決まらない
 NOTTVの使っているVHF帯は、昔アナログ放送をやっていた電波である。
デジタル放送をするなら、その空きチャンネル(東京なら5チャンネルや7チャンネルなど)で
放送し、470MHz以上のUHF帯は新しい放送局に開放すればいい、と専門家は指摘していた。
 ところがテレビ局は新規参入を妨害するためにUHF帯をふさごうとし、地上デジタル放送を
わざわざUHF帯に移してやることにした。広告収入は増えないのに、これにかかる経費は
無線局だけで1兆円以上だったが、そのうち3000億円以上を総務省が補填した。
 これは電波法違反である。無線局の移設は無線事業者の経費で行うもので、世界のどこの
国でも政府が補助した例はない。しかも国費を私企業に投入する(その利益は私企業のもの
になる)ことも違法の疑いがあるので、2001年度の予算査定で大蔵省が難色を示した。
 そこで総務省は「VHF帯を空けて有効利用するので国民的な利益がある」という理由で、
2001年に無理やりVHF帯の電波を止めることを決めた。このため全国で1億3000万台以上
あったアナログテレビは粗大ゴミになり、VHF帯の電波は2011年7月にすべて止まった。
0004金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/13(月) 21:13:32.99
★大赤字の「マルチメディア放送」はなぜ続くのか         2

 問題は、この「跡地利用」をどうするかだった。VHF帯は電波が広く届くので放送には
適しているが、大きなアンテナが必要なので通信には向いていない。そこで総務省はこの
帯域の一部を「マルチメディア放送」に割り当てたが、最初は40社以上が参入を申請して
使い道が決まらなかった。

■周波数オークションを阻止して外資を排除した総務省

 民放連はVHF帯からUHF帯に移行したのに、「VHF帯は放送局の既得権だ」と主張した。
しかし外資系のクアルコムは、アメリカでスタートしていた携帯放送サービスをVHF帯で
やろうとし、「放送局が全国に数百の携帯基地局を建てるのは不可能だ」と批判した。
困った総務省の電波部は通信業者を引き込もうと、ドコモに声をかけたのだ。
 このころ同時に2.5GHz帯(今のWiMAXが使っている帯域)の審査も行われており、3つの
枠に4グループが立候補して調整が難航していた。困った総務省は、2.5GHz帯の枠をドコモが
譲る代わりに、VHF帯をドコモに与えるバーターを仕掛けたのだ。
 この取引を当時もちかけられたNTTドコモの執行役員、夏野剛氏は「筋の悪い話だと思ったが、
一応、社長に上げたら通ってしまった」という。当時の中村維夫社長は、この取引に乗る代わりに、
スマートフォン(4G)に使う700MHz帯を無償でもらう密約を総務省としたのだ。
 4Gには多くの通信業者が名乗りを上げており、ソフトバンクの孫正義社長は「電波をたくさん
持っているドコモより、電波の少ない当社に優先的に周波数を割り当てろ」と主張していた。
そこでドコモはVHF帯で総務省に恩を売って電波を確保し、総務省はVHF帯でうるさい外資を
排除するためにドコモを利用する取引が成立したわけだ。
0005反日工作員垢版2015/07/13(月) 21:14:03.94
ギリシャ問題を先送りしたヨーロッパの無能リーダーたち。
11,7兆円の金貸してもギリシャの借金が70兆円に増え続けたのみで有る。
0006金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/13(月) 21:26:54.22
★大赤字の「マルチメディア放送」はなぜ続くのか         3

 こういう「空気」を読んで、日本の業者はVHF帯の一本化工作に乗ったが、クアルコムは
KDDIを引っ張り込んで一本化に抵抗した。当時の民主党政権も「周波数オークションで
フェアに決着をつけろ」と指摘したが、そんなことをしたら密約を破ることになるので、
総務省は必死で抵抗した。
 衆議院議員会館で公聴会が開かれ、民主党の議員が「電波監理審議会が技術を選べるのか」
と質問したのに対して、総務省情報流通行政局の大橋秀行総務課長は「審議会に対して諮問し
答申をいただきますけれども、評価は私どもの方でいたします」と、審議会が形だけである
ことを正直に告白した。
 彼の言った通り、電監審はわずか2時間の審議でドコモ=民放連グループに免許を与える
答申を出した。そのときドコモは「1000万台が採算分岐点。5年後に5000万台が普及する」
という事業計画を出していた。
 しかしNOTTVの13チャンネルを使う委託放送業者の申し込みはなく、結局mmbiが自分で
13チャンネルを使うことになった。13部屋の賃貸マンションを売り出したら、誰も借りなくて
大家が全部借りたようなものだ。
 おかげで3年たった今年3月の契約者数は、わずか175万人。
スマホで無料動画がいくらでも見られる時代に、月額420円も払ってテレビ番組を見る人が
増えるとは思えないので、赤字はさらに拡大するだろう。

■テレビ局と新聞社を黙らせる総務省の「電波社会主義」
 ただ、昨年も6400億円以上の経常利益を出したドコモが500億円ぐらい損しても、利用者
には何の影響もない。問題はこんな無意味なサービスに、貴重な電波が浪費されていることだ。
 下の図は、総務省の公表している電波の利用状況だ。
http://jbpress.ismedia.jp/mwimgs/6/1/450/img_614bf956c20f92e9ec1a2218e50cdda614628.jpg
0007金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/13(月) 22:11:58.21
安倍や麻生&黒田は犯罪者組織の下請け
国家非常事態対策委員会

youtube動画
https://youtu.be/RLX2mPNnRew
0008金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/13(月) 22:21:53.39
★大赤字の「マルチメディア放送」はなぜ続くのか         4

民放の使っていた170〜205MHzは「公共・一般業務(移動)」ということになっているが、
まったく使われていない。その下のNHKの使っていた95〜108MHzは、電波を止めることが
決まってから14年たっても、いまだに何に使うのかさえ決まっていない。
 要するに、全国のテレビ電波を無理やり止めて空けたアナログ放送の跡地は、がら空きなのだ。
この帯域だけでも放送に利用すれば、新しい技術(H.264など)なら30局以上のテレビ局が放送
できる。さらにUHF帯の空き帯域(ホワイトスペース)を有効利用すれば、合計100チャンネル
以上の放送ができるのに、ほとんどの周波数は使われていない。
 これは総務省が周波数オークションを拒否し、電波を社会主義的に割り当てるからだ。
民主党政権の時代に総務省はオークションの導入を決めたが、自民党政権に元に戻してしまった。
全国のテレビを止めた電波の跡地は、誰にも使われないまま放置され、その時価は2兆円以上と
推定される。
 自民党の勉強会で百田尚樹氏の発言が問題になったが、そのとき彼は「テレビの広告料
ではなく、地上波の既得権をなくしてもらいたい。自由競争なしに50年も60年も続いている。
自由競争にすれば、テレビ局の状況はかなり変わる」とも指摘したのだが、これはテレビ局も
新聞社も報じない。
 日本のような民主国家で、露骨な言論弾圧が行なわれることはありえない。それより問題は、
電波利権を梃子にしてテレビ局と(その系列の)新聞社を黙らせる総務省のような「暗黙の
言論弾圧」である。それを批判することは大手メディアには期待できないので、ネットメディアが
その役割を果たすしかない。

 2015.6.30(火) Japan Business Press 池田 信夫
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44180?display=b
0009金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/14(火) 09:55:34.00
資本主義市場経済はインフラを世界中に広め世界中を成長させたが
世界中にインフラが整備され大量生産大量消費よりも
環境3R多様性グローバル化が重視されるようになり
再生エネルギーの拡大で人類存続のために
市場資本主義核武器軍事警察国家政治経済労働とった
戦争の原因を廃止されることが必要とされている。
自由競争から人権が守られ競争の必要ない
自由・平等・博愛社会への移行が必要だ。
どこの国も戦争する体力も気力もないよ。
安全圏に政治家が勇ましいこと言ってるだけだ。
ただ戦争の歴史は繰り返してはならない。
ゆえに武力に武力で解決しようとする
安保法・自衛権行使(集団個別問わず)
は戦争行為であり違憲で国際法違反であり
戦争犯罪であるため不要だ。
0010 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/14(火) 20:05:31.49
 
/// 外される国ニッポン 1 ///////

    堺屋太一著 "「次」はこうなる" 1997年 講談社刊 より

・・・・
第二章 外される国ニッポン
   1 魅力のない国
        観光客も直接投資も日本に来ない

 "日本は近い将来、国際的に孤立化するのではないか"
 "日本はアジアの田舎になってしまうのではないか"
 これは、私が数年前から抱いてきた危倶である。悲しいことに、いまやこれが現実の
ものとなりつつある。つまり、日本は世界の中心から外れた国、魅力のないアジアの
田舎になりつつあるのだ。
 たとえば、一九九六年、日本から外国へ行った旅行者は一千六百七十万人にも達したが、
日本へ来た旅行者はわずか三百二十万人であった。その双方から、やむを得ない業務客を
引くと、大ざっぱに見て一千万人対百万人、大体十対一だといわれている。日本は観光や
遊びに来る魅力のない国になっているのである。

/////// 「次」はこうなる ///
0011 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/14(火) 20:18:53.63
 
/// 外される国ニッポン 2 ////////

 また、日本へ留学してくる外国人の数も、九六年には減少した。特に日本に来る途上国の
私費留学生はきわめて少ない。費用を日本側が持つ国費留学生でさえも、優秀な有資格者を
集めるのに苦労することもある。
 戦前は、とかくの批判があったが、中国などアジア諸国の留学生がたくさん日本へやって
来た。蒋介石も孫文も魯迅も日本に住んだことがある。
 ところが、いま、中国やアジア諸国の未来を夢見る青年たちのほとんどは、アメリカや
ヨーロッパに興味を示し、日本など視野にもない。
 もちろん、出稼ぎのつもりで来る就学生は相当数いるし、企業が呼んでいる研修生も
少なくない。これらは、日本の楽しさ、面白さ、あるいは日本文化を期待してやって来る
人たちではない。日本は、働き稼ぐ点ではまだしも有利だが、遊ぶ点でも学ぶ点でも魅力の
ない国に転落してしまった。

/////// 講談社発行 ///
0012 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/15(水) 19:59:10.50
 
/// 外される国ニッポン 3 /////////

 さらに、功なり名を遂げて資産を蓄えた外国人が、引退後の人生を送ろうとする時、その
居住地に日本を選ぶことは皆無といってよい。引退したスポーツ選手や映画俳優、親譲りの
資産家が暮しの場として選ぶのは、アメリカかフランス、スイスなどに限られている。
 かつては神戸あたりに、アラブの王様のおじさんが住んでいるとか、中国の富豪が別荘を
構えているという例も結構あったが、いまはほとんどない。まず日本は「ヒト」にとって
魅力がない国なのである。
 第二は、投資である。日銀と大蔵省がまとめた国際収支統計によると一九九五年度に日本に
対して行われた直接投資は約二十億円、それに比べて、日本から外国に対して行われた直接
投資は約二兆一千八百億円。何と千百対一である。もっとも九五年は急激な円高で、その
前後は日本に対する投資ももう少し多いが、それでも十対一を越えることはない。日本は
投資対象としては、まったく魅力のない場所なのだ。

/////// 堺屋 太一 ///
0014 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/16(木) 20:32:16.71
 
/// 外される国ニッポン 4 ///////////

 日本は資本利益率が低い上に、様々な規制があって自由な発想が発揮できず、事業としての
面白みも、未来の成長性も乏しいと見られているからだ。加えて賃金が高くて雇用が固定
していて、商習慣も難しい。事業に対する官民双方からの制限が多すぎるのも、嫌われる
理由だろう。
 また、東京証券市場における外国企業の株式の上場数が年々減少していることも良く知られて
いる。最高時には百二十七の銘柄があった東京証券市場の上場外国株式が、いまや六十四
(九七年七月一日現在)になってしまった。
 商品市場でも、日本を舞台に取り引きをする外国商品取引業者は非常に少ない。やはり
ニューヨークかロンドンで取り引きされているものが多く、日本は取引所としても魅力の
ないところとなっている。

/////// 1997年刊 ///
0015金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/17(金) 20:13:34.79
★JPモルガン、東証から撤退=上場外国企業10社に減少へ
 時事.com 2015/03/18-19:13

米金融大手JPモルガン・チェースは18日、東京証券取引所に上場廃止を申請した。同社は
2001年6月に東証1部に上場したが、「取引量が少なく、上場維持のための負担に見合う
売買高が得られていないと判断した」と文書で申請理由を説明した。東証の決定から1カ月後に
上場廃止となる。
 東証に上場する外国株は、東証1部、新興市場のマザーズ、JASDAQを含め、18日現在で
12銘柄。ただ、1銘柄は26日の上場廃止が決まっており、JPモルガンの上場が廃止されれば
10銘柄に減少する。

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201503/2015031800860
0018 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/18(土) 17:45:09.44
 
/// 外される国ニッポン 5 ///////

        日本のローカル化が進む

 第三の問題としては、航空機や船舶の寄港数の減少があげられる。
 各港湾のコンテナの取扱い量を見ると、日本最大の神戸港が阪神大震災直前の一九九四年
には、シンガポール、香港、高雄、釜山、ロッテルダムに次いで世界六位だった。震災後に
さらに減少、十六位(九六年)になったのは止むを得ない(日本では十位横浜、十一位東京)
としても、それを契機に香港や高雄や釜山で大型船舶からローカル船に積み替えて日本に
運ばれる例が急増している。何しろ、日本国内の高速道路を三百キロ走ると、日本から釜山に
運ぶ三倍も費用がかかるのである。
 航空機に至ってはもっと極端だ。現在、日本の十八の空港からソウル直航便が出ているが、
その半分以上はソウルを経由して欧米へ行く旅客で占められているという。成田空港が
国内線とつながっていないので、羽田へ来てから成田で国際線に乗り換えるには、大変な
時間と費用がかかる。

/////// 「次」はこうなる ///
0019金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/19(日) 04:07:09.10
堺屋太一氏は「村上ファンドの設立者は株主軽視の「日本的資本主義」をただす意味で、重要な機能を果たした」と称揚しています。さらに反動で古風な勤勉倫理が重視され、
「額に汗して働くことが一番の美徳とされれば、農本主義への回帰だ。金融技術の発達や、知的財産といった新たな価値の創造も阻害しかねない。
成り金や格差社会への反撥とつながれば、結果の平等が強調され、官僚が主導すれば正しいとする社会へ逆戻りする心配がある」

役人はまず総論で賛成し、次に各論で予算や法律上の制限など、できない理由を列挙する。しかし反対を押しきって成功すると「私は最初から賛成した」
と手柄にする。失敗したら「だから問題点が多いといったでしょう」といって責任を回避する
0020堺屋太一垢版2015/07/19(日) 04:37:59.92
事業創業に必要なものは第一は意志(will)である。まずは「何を、何のために、いつ、どこで、誰がやるのか」「What Why When Where Who」の5つを明確に意識することである。
これには最大の情熱と覚悟がいる。従って、それh「志」の問題であり、たいていは「憤り」を伴うだろう。私は、多くの富豪と接したが、財を成し名を上げた人々はみな、
「現実を変えたい」という強い憤懣を抱いている。強烈な志と煮えたぎる憤りに燃えているのだ。およそ「憤」のない人には創業ができない。第二は事業概念、いわゆるビジネスモデルである。「何を、何のために、いつ、どこで、誰が」の5つが分かっていても、
それを事業にするためには、具体的なコンセプトを創らなければならない。これには、@現実的な説得性、A二次共鳴を呼ぶおもしろさ、そして、B時代の空気に馴染みやすい「馴時代性」が必要である。
・事業創業に必要なものの第三は技術と知識である。新しいビジネスモデルを実現するには、それなりの技術が必要である。だが多くの場合、新しく開発された新技術よりも、従来からあった技術をどう集め、どう使うかの組み合わせが大切である。
・事業創業に必要なものの第四は人材である。実際、創業者はみな人材探しに苦労する。彼の豊臣秀吉ですら、家来を集めるのには苦労した。百人の兵を率いていた時に役立った槍の勇者も、1万人の指揮官には適任とは限らない。
野戦の名将も天下を治めるのには役立たない。創業者は事業の拡大と共にその規模と業態に適した人材を求めねばならない。しかし、これもできないことではない。本当に共感した人材なら事業の発展と共に育ってくえるからだ。
0021堺屋太一垢版2015/07/19(日) 04:42:26.04
私が歴史上の人物を一流、二流、三流と見分けていく際、6つの点を測るようにしている。
 第一は理念に着目する。高く理念を掲げ、斬新なコンセプトを創造していたか。
 第二に着目するのが知識だ。広く情報を集めて、正確な知識をもっていたか。
 第三は実行力。理念、知識があっても実行力に繋がらない人が少なくない。それには決断力、青木氏のいう度胸が必要である。
 第四は人間関係。有能有志の人材を集め、皆を納得させる魅力と辛抱があったか。
 第五は健康。疲れを知らぬ体力と、飽くことない闘志に溢れた健康体こそ一流人物の必要条件である。
 そして第六は幸運。運が悪いようでは一流の人物になれない。

・いま、この大不況と少子高齢化と、国際的地位下落に見舞われている日本の現実を考えれば、最小限、次の条件にかなったリーダーが欲しい。
その第一は、理念のあること。この日本をどうしたいのか、真面目に考え実行しようとする理念をもち、そこに至るコンセプトがあることだ。
第二は知識。省益と仲間評判にとらわれた官僚の嘘やゴマカシが見破れるだけの知識と情報網が必要である。
第三は実行力。世論におもねず官僚に脅えず、時には荒ぶれるがごとき実行力が欲しい
・政治であれ経営であれ、組織のトップにもなると、周囲にはイエスマンの部下と出入りの煽て業者が増える。このため、トップには聞こえの良い話ばかりが入り、
悪い報せは隠される。つまり知識が主観的になるのだ。一方、倫理のほうは世間の評判を気にする。テレビや新聞の批評が気になり、他社の動きにも揺すられる。
つまり倫理は客観化するのである。創業者は逆でなければならない。そうでなければ、たちまちゴマすりの部下と煽てコンサルタントに取り巻かれてしまう。そうならないだけの強さが創業者には必要なのだ
0022 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/19(日) 08:30:14.94
 
/// 外される国ニッポン 6 ///////

 関西空港は完成が遅れた上、成田と同じく着陸料が非常に高い。それならむしろ地方空港から
ソウルを経由して外国へ行ったほうが便利だ。値段の点でも、安売り航空券を利用しやすい。
 世界的な航空ネットワークから見れば、日本は明らかにメインの航空路から外れたローカル線と
化しつつある。
 さらに、韓国がいまの金浦空港につづいて仁川空港を完成させ、中国が上海の浦東空港を
供用するようになると、この傾向はますます激しくなるだろう。それというのも、日本のすべての
値段が高過ぎ小煩い規制が多過ぎるからだ。
 たとえば、台湾の人がニューヨークから帰国する途中で日本へ立ち寄るとしよう。成田から
都心までタクシーを使えば往復約五万円、ホテルに二泊で七万円、それに観光と食事をすれば、
二十万円は用意していなければ心もとないという。関西空港でも十二、三万円はかかるそうだ。
他の場所、たとえば、ポーランドやソウルに立ち寄るのに比べると、数倍の費用がかかるのである。
 だから、台湾の人がニューヨークからの帰りに日本へ立ち寄ったといえば、「おお、贅沢して
来たな」と思われるという。これでは日本に発着する航空路線が増えないのも不思議ではあるまい。

/////// 講談社発行 ///
0023 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/19(日) 20:44:26.17
 
/// 外される国ニッポン 7 ///////

        日本には情報発信能力がない

 第四の重大な問題は、情報発信能力である。学者や芸術家が日本の学会や演奏会で新説新曲を
発表したとしても、世界に対する影響力は非常に低い。
 日本人のファッション・デザイナーでも、パリでファッション・ショーをやるときには
二億円の持ち出しを覚悟する。東京なら一億円、大阪なら一千万円という。
 パリでファッション・ショーをやると、全世界のファッション雑誌や新聞に載る可能性が高い。
東京でやると日本の全国紙に載る。大阪でやると地方面にしか出ない。この情報発信力の差が、
その持ち出し金額に反映される。
 それでも日本のファッションデザイナーなら、東京で一億円かけるが、外国のファッション
デザイナーになると、パリで二億円かけても、東京や大阪では持ち出してまでショーをやらない。
トーキョー・コレクションか大阪のイースタン・ストッフに招待されなければ、日本でファッション
・ショーをやる意味がないのである。
 ファッションの場合、まだ日本はブランド商品の売れる大きなマーケットだから、招かれれば
無料奉仕ぐらいはする。これが音楽になると、日本の演奏会が世界に中継されることなど、
ほとんどない。スポーツでも、日本での試合が海外に向けて放映される機会はきわめて稀だ。

/////// 堺屋 太一 ///
0024 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/20(月) 06:52:26.54
 
/// 外される国ニッポン 8 ///////

 学術論文でも、日本の雑誌に発表しても世界で波紋を呼ぶことはめったにないが、アメリカや
イギリスの雑誌に発表すれば、多くの研究者の目に止まり、適切な評価が得られる。拙著
『知価革命』も英文に訳されてフランクフルトのブックフェアに出ると、たちまち六ヵ国語の
翻訳が出、全世界的な評価を頂いた。日本語版から翻訳されたのは、韓国語と中国語の二つ
だけである。
 これには、日本の情報発信者の視線の低さも大きく影響している。日本人の考える企画は、
大部分が外国を真似た二番煎じ、三番煎じ、中には十番煎じぐらいのものも沢山ある。しかも
この国の学者や文化人は、外国人の真似が上手なことを誇りとし、オリジナルな独創は「我流」
と呼んで軽蔑する。これでは日本から魅力的な新文化、新技術の発信がないのも当然だろう。

/////// 1997年刊 ///
0025 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/20(月) 18:02:45.40
 
/// 外される国ニッポン 9 ///////

 バブル景気華やかなりしころの日本は、その他の点では魅力に欠けていても、とにかく
「お金を出す国」としての魅力はあった。海外の金融関係者は日本へ目をつけ、日本に関する
情報を欲しがった。だが、いまやそれすらなくなってしまった。
 私は、「財団法人アジアクラブ」に私費を献金して、日本理解に役立ちそうな英語で出版された
書物を選んで、英語圏の有識者二千人に贈呈する「ファット・イズ・ジャパン・プロジェクト」を
やっているが、その審査対象になる出版物が年々減少している。九二年ころまではかなりの点数に
上ったものの、九五年、九六年になると、選考対象を探すのに苦労するほどである。
 それに比べ、中国に関する英語の出版物は、九〇年代に入ってから急増している。欧米人の
アジアに関する知的好奇心が、日本から中国に大きくシフトしていることが窺えるだろう。

/////// 「次」はこうなる ///
0026金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/20(月) 18:40:59.23
その時代は確かに「ジャパンパッシング」であった。しかし欧米は日本人ほど中国を理解などしていない。
中国4000年などと言い出したのも日本人であり、実際中国大陸とは異民族による、領土合戦の場であり
勝った民族は過去を消し去り、また次の勝者も前の文化を消し去る場所でもあったわけだ。

清で書かれていた文字
https://ja.wikipedia.org/wiki/清#/media/File:Chengde_summer_palace_writings.jpg

漢字とは、その昔、漢の国から学んだ文字を使って西洋文明を表現した日本の言葉なのである。
だから、「人民」も「民主主義」も日本人が作った言葉であり、現代中国においても西洋文明を
取り入れるのに都合が良かったので、漢字を使うことになっただけのことなのである。

欧米人は、日本の経済発展の奇跡を見て、じゃあ元の文明はもっと優れているに違いないと思ったわけだ。
もちろん、昔の中国にあった文明は進んでいた。でもそれは支配者が変わるたびに消し去られていたわけだ。
欧米人は、日本より進んだアジア文明を期待したことだろう。
その結果は2015年の今でもまだ出ていない。しかし日本人はおぼろげには感じとっているのである。
本当の中国という国を。
0027 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/21(火) 20:09:49.21
 
/// 外される国ニッポン 10 //////////

    2「魅力ある国」とは何か

        自己表現ができる国に

 では、日本が魅力ある国になるためには、どうすればいいのか。それにはまず、「魅力ある国」
とは何かを、本音で知らねばならない。本音とは「ファット・ツー・ドゥー」、みんながしている
こと、自分がやっていることである。
 魅力ある国とは、第一に「稼げる国」である。
 人間は経済を無視するわけにはいかない。いや、これこそ最も一般的な基準だろう。したがって、
まず第一に、「稼げる国」こそ魅力のある国ということになる。求人募集が多くて給与の高い国、
自由に事業が興せて成功率の高い国、自分の特技やアイデアを活かせる国である。

/////// 講談社発行 ///
0028金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/21(火) 21:42:48.35
民主主義は完璧ではないけど
この完璧でない以前の
殺戮と惨殺と悲しみから
見出した唯一の希望
しかしあの独裁が変えようとしている
その現実に英霊が泣いている
0029 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/21(火) 22:02:41.53
 
/// 外される国ニッポン 11 /////////

 第二には、稼いでもどんどん使わねばならない仕組みになっている国は魅力が薄い。つまり、
「貯められる国」でなければならない。物価が安くて税金が少なくて、医療が受けやすくて、
住宅事情も交通事情もよい国である。大いに稼いで、大いに貯め、そして故郷に錦を飾るか、
その国で豊かな生活ができるとなれば、やはり「魅力のある国」といえるだろう。
 第三には、情報発信が盛んで、人を見る目のある社会ということだろう。あの国なら才能が
認められる、自分の主張が世界に伝わる、そんな情報発信のできる国は魅力がある。
 日本の地方は若者にとって魅力がない、とよくいわれる。その理由の一つは、自己表現の
許容範囲が狭いことだ。東京なら奇抜な服装、奇妙な髪形をしていても、道行く人が振り返って
面白がりはしても、蔑みはしない。あれはタレントではないか、あれはファッション・モデル
だろう、ひょっとしたらプロレスラーじゃないか、と見てくれることもある。

/////// 堺屋 太一 ///
0030金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/22(水) 17:26:51.41
/// 「東京時代」の終焉 22 //////

 だからこそ日本は、技術を導入して四十年も経つと、「師の国」を上回るほどの技能を
育てることができた。その代り、技術の背景にある精神や思想、倫理観や美意識といった
ものには立ち入らなかった。このため学んだ技術や制度を基盤として、「次」を生み出す
飛躍的発展は苦手である。
 八世紀中頃に、世界最大の銅溶着像である奈良の大仏を造った日本が、それ以降の数百年間、
冶金技術についてはほとんど進歩しなかった。また、火縄銃を造りながら、そこにあるネジ釘を
ほかに応用することもできなかった。江戸時代を通じてネジ釘を船舶や建築に使った形跡は
見当らない。
 船舶はネジ釘を使わずに鎹だけで建造したので、揺れによってすぐ船体が緩む。建築や
架橋でもネジ釘の効用は大きい。それなのに鉄砲の筒止めのネジを造船や建築に応用する
発想は、江戸時代を通じてついぞ起らなかった。これがデッドコピーの弱みである。

////// 日本・いま決断のとき ///
0031 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/22(水) 20:03:10.45
 
/// 外される国ニッポン 12 //////////

 ところが、地方の町村へ行くと、タレントもファッション・モデルもプロレスラーも住んで
いないから、変わった恰好をしていると、「イカレた奴」という蔑みの視線を浴びることに
なりやすい。つまり、好みの自己表現ができないわけだ。
 このため、若者たちの間には「十七時間族」となる者もいる。土曜日の夕方から日曜日の
昼まで十七時問だけ東京へ出て、好みの姿形になって自己表現を楽しむ者が、年間九百万人から
一千万人もいるそうだ。飛行機や新幹線の中で服を着替え、十七時間だけ変身するために
何ヵ月もかけて、一生懸命貯金をしているのである。

/////// 1997年刊 ///
0032 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/22(水) 22:08:01.09
 
/// 外される国ニッポン 13 ///////

 世界的に見ると、日本はやはり田舎である。ニューヨークやロンドンに比べて、自己表現の
自由が制限されている。とくに中学、高校の段階では、化粧をしてはいけない、服装を奇抜に
してはいけない、髪形も校則通りにそろえなければいけない、言動もみんなに合わせなければ
いけない。とにかく目立った自己表現は一切禁止、という没個性教育をする。このため長じた
のちも自己表現の能力が低くなるし、他人に対する許容度も乏しい。これでは、統制的いじめっ子
社会ができてしまうのも当然である。
 もう一つ、表現や主張を考えるうえで重要なことは、前述の世界に向けてどれほどの
情報発信が行えるかだ。ここでも日本の水準はたいへん低い。

/////// 「次」はこうなる ///
0033 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/22(水) 22:22:07.98
 
/// 外される国ニッポン 14 ///////

 もし日本が、本当にアジア地域を大事にするなら、アジア地域の情報発信の舞台となる
ことは可能だろう。しかし、日本人は欧米からの文化はよく受け入れるが、アジアの情報は
受け入れない。とりわけ、アジアの現代文化に関する理解度は著しく低く、アジア諸国に
対する情報発信の舞台を作る努力をほとんどしていない。
 国際会議などの誘致を地方自治体が熱心にやっている。だが、そこから情報を世界に
発信しようという意識はほとんどない。日本の自治体が熱心なのは、それぞれの国際会議を
誘致した功名を、県民市民の方に喧伝することだけである。あくまで内向け、仲間向けの
情報発信ばかりだから、国際会議を開いても、外国からの参加者には魅力がない。

/////// 講談社発行 ///
0034 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/23(木) 20:22:16.17
 
/// 外される国ニッポン 15 /////////

 また、大いに意義のある国際会議が催され、重要な人物が日本を訪れたとしても、
警備ばかりが異常に厳しく、参加者たちが自己顕示するチャンスが乏しい。
 たとえば、アメリカ大統領が来てジョギングをやりたいといったことがあるが、警察は
警備上の理由で「お止め頂くように」勧告、アメリカ大使館の中庭で走り回るような
状態に押し込んでしまった。アメリカ大統領は、自国の選挙民にも、世界の政治家にも、
自分の健康と意気軒昂さを示したかったのに、それができなかったわけだ。何とも魅力の
ない国ではないか。
 日本は、自己表現や情報発信ができないようにしている国、いわばたいへんな費用を
かけてつまらない状況をつくっている国なのである。

/////// 堺屋 太一 ///
0035 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/23(木) 20:41:25.26
 
/// 外される国ニッポン 16 /////////

        住居や教育は「選べない」

 第四の魅力は、「選べる国」ということである。
 この「選べる」対象にもいろいあるが、最も重要なのは、「住居」「教育」「医療」
「消費」「職業」の五つだろう。
 まず「住居」について見てみると、今日の日本はきわめて制限されていろ。単に土地が
高いだけではなく、不動産の売買に伴う税金と手続き費用が大きな負担となっている。
このため、いったん家を買うと、生涯その家に住み続けなければならない。自分の好みや
家族の状況によって作み替えることが難しい。
 これは日本が土地を資産として捉え、資源と考えていないからだ。
土地は、いまや資源である。したがって、最良に利用する人々の手に渡るべきだ。ところが、
土地を資産として考え、「資産再配分」の見地から土地所有に重い負担を課す発想がいまだに
強い。これが日本の住居問題を決定的に悪くしている。

/////// 1997年刊 ///
0036 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/23(木) 22:20:44.06
 
/// 外される国ニッポン 17 /////////

 さらに、東京一極集中を促す政策が頑固に続けられているため、多くの職業は東京でしか
成立しない。そのため、国際関係や文化・芸能の仕事に携わる者は、東京での高価で狭小な
住居を強いられる。
 日本企業の本社活動も官庁のある東京以外ではやり難いようにしてある。シアトルや
アトランタでも、世界を相手にした大企業が育つアメリカとはまったく違う。官庁の主導で
各種業界団体を全国統一で作り、その本部事務所は必ず東京に置かせる。そしてその全国団体の
会長にならねば、高位の勲章は出さない、といったやり方である。

/////// 「次」はこうなる ///
0037 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/24(金) 07:03:58.05
 
/// 外される国ニッポン 18 /////////

 アメリカで映画産業が興ったとき、映画人たちはニューヨークではなくカリフォルニアの
ひろびろとした場所に、大都会とは違った生活様式をつくりあげた。これは初期のアメリカ
映画人の先見の明だった。いまやそれがピッツバーグにも拡がり、フロリダにも拡がり、
至るところに文化・芸能に関係する人々が生活できるようになった。
 これは「自由の国アメリカ」が生み出した一つの成功例だが、官僚主導国家の日本はまったく
逆をやっている。創造的な活動を東京一極に集中すべく、特定目的の施設(例えば歌舞伎専用
劇場や格闘技専門競技場)は、東京以外にはつくらせない政策を採り続けている。

/////// 講談社発行 ///
0038ホームレス垢版2015/07/24(金) 07:11:30.13
私は家を建てようと1300万で計画したつもりでしたが出来上がったら2320万円になり
返済不能な額でした。銀行が建売で売って金返せと言ったので売りました。1600万円で
売れました。結局いろいろ手当てしたが500万円不足、離婚しホームレスに・・・・。
0039 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/24(金) 20:58:21.75
 
/// 外される国ニッポン 19 /////////

 二番目は、「教育」の問題だ。人生は教育からはじまる。ところが、学校教育の場では、
昭和十六年に国民学校令が布かれて以来、いわゆる一学校一通学区域制による「強制入学
方式」が採られている。このため、教育の消費者である生徒と父兄には学校を選ぶ自由がない。
また、選ぼうとしても、学校の種類が非常に限定されており、小、中、高ぐらいまでは
教育内容もほとんど文部省の定めたカリキュラムで一律に縛られている。
 文部省の官僚や教育評論家は、国民が受験熱にうかされているので、教育の消費者のほうが
多様な選択をしないだろうと主張しているが、これはまったくの間違いである。
 現に、何らかの分野でエリート・コースとされる教育機関には、応募者が多い。たとえば、
東京芸術大学は東京大学よりずっと競争が激しいし、宝塚音楽学校はそれ以上に競争が激しい。
将棋の奨励会や相撲の新弟子も応募者が多かった。一時は女子プロレスの選考会でさえも
二千人が集まった。だから、特定目的のエリート・コースをつくれば、大勢の生徒が集まり、
教育が多様化することは明らかである。

/////// 堺屋 太一 ///
0040ホームレス垢版2015/07/24(金) 21:00:35.05
ウナギ美味しい、かの川。
職君中国ウナギ食ったか。
0041 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/25(土) 09:13:51.47
 
/// 外される国ニッポン 20 /////////

 もっとも後述するように、最近は没個性化教育の浸透と教師の平凡コース指導の徹底で、こうした
コースの応募者が減り出している。成功者も出るが落伍者も出るコースを薦めて失敗されると、
教師の責任が問われることを恐れるらしい。これも教育の供給者(学校と教師)による悪しき
規制の一例といえるだろう。
 いま、日本に必要なのは教育の多様化と消費者選択の自由化だ。たとえば、医者になることを
目指した小学校とか、中小企業の後継者になるための中学校や高等学校、あるいはアメリカの大学へ
行くことを前提にした高校などをつくれば、それぞれに需要があって、個性的な生徒が現れることだろう。
 ところが、現行の教育制度では、一学校一通学区域を設定しているため、生徒は各通学区域の学校に
強制入学させられる。私立学校に対しても、わずかな補助金を与えることでカリキュラムを画一化
している。これでは自分の個性と才能にあった教育が選べない。
 もっと教育を多様化して、長所を伸ばす教育を選べるようにするべきではないか。

/////// 1997年刊 ///
0042金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/07/25(土) 15:48:54.83
5年前にFX初めて、2か月で250万負けて撤退。
10万貯めて去年再挑戦したけど、半年かけてプラマイ0
先月もっかい10万からやってみた
今までの本とか商材とかに頼ってなかったけど、
やっぱ経験者の声は聞くべきだな
http://current.cf/rich.html
0043 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/25(土) 21:24:09.06
 
/// 外される国ニッポン 21 ///////

        医療も消費も選べない

 第三には、人生の終末に係る「医療」がある。医療についても日本では厳しい制限を
設けている。
 この国には、昭和十六年(一九四一年)に定められた「標準医療」の発想が続いている。
これが医療保険制度によって固定化され、全患者に同型の医療サービスを行うよう
管理されている。
 その上、各地域の医療機関数は人口割りで制限されているから、消費者の側には選ぶ
余地が少ない。魅力ある生活環境をつくるためには、供給者の側の競争を激しくすること
によって、消費者の側に選べる自由を与えることが重要だ。そうすれば医院も病院も多様
になり、コストが下がり、よりよい医療ができるはずである。

/////// 「次」はこうなる ///
0044 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/26(日) 09:48:12.56
 
/// 外される国ニッポン 22 ///////

 第四は、「消費」の、特に買い物の選択である。たとえば、どのような小売店で買うのが
よいかなど、消費者がそれぞれの好みで選ぶべきことであり、大店法(大規模小売店舗法)
で制限すべき問題ではない。
 セルフサービスの安売り店を利用するか、店員が丁重なサービスをしてくれる高価店を
選ぶか、商品知識のあるところを選ぶか、まったく対話のない自動販売機を選ぶか、自由に
できるようにすべきである。日本では大店法によって、小売店の形態が非常に歪められている。
その結果、コンビニエンス・ストアと自動販売機ばかりが異常に増える。アメリカにおける
コンビニンス・ストアの売り上げは、年間およそ三兆円といわれるが、日本のそれは約五兆
二千億円(九六年)、自動販売機だけでも約五兆円(切符類をのぞく。九六年)にもなる。

/////// 講談社発行 ///
0045 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/27(月) 20:07:52.85
 
/// 外される国ニッポン 23 //////////

 流通機構の中で、コンビニと自動販売機ほど無駄の多いものはない。それなのに日本に
限って急増したのは、大型店舗を制限したため、出店がしやすいこの二つに投資が集中した
結果である。
 当然、コンビニエンス・ストアに入る商品ばかりが売上げを伸ばし、商品の種類が制限を
受けることになる。駄菓子やインスタント食品などは、コンビニに並ぶかどうかによって
商品の命運が決まるといわれるが、消費者の側からすればコンビニに並んでいるありあわせの
品で暮しているようなものだ。
 日本にはいま、土地価格の低下と金利の下落で、小売店も飲食店も大改革する絶好の
チャンスが到来している。資金・土地多消費型、労働力節約型のサービス施設が続々と
生まれるべきチャンスなのだ。それが官僚規制で抑制され、結果として高い物価と限られた
サービスで暮らさなければならない悪しき状態が続いているのである。

/////// 堺屋 太一 ///
0046 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/28(火) 22:18:14.78
 
/// 外される国ニッポン 24 //////////

        職業の選択も一回限り

 最後に重要なのは、「職業」の選択である。私たちは長い間、終身雇用こそは日本の
勤労者に安心を与える非常にいい制度だ、従業員を大切にする人本主義だ、と信じてきた。
 しかし、考えてみれば、これには十八歳か二十二、三歳で決断した職業選択の責任を、
生涯背負わす残酷な制度という一面もある。就職してから「えらい会社に入ってしまった」と
思っても取り返しがつかない。途中で退職すると、次の就職は不利になり、生涯賃金でも
かなりのハンデを負う仕掛けになっているからである。
 人間は自分の適性がすぐに分るほど利巧ではない。就職する企業や職場の雰囲気も、
事前には分らない。だれもが適職適所を得るためには、少なくとも二十歳代までは、
自分の天職を探して職業を替えられるほうがいいのではないだろうか。

/////// 1997年刊 ///
0047 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/29(水) 20:03:35.19
 
/// 外される国ニッポン 25 ///////

 アメリカでもドイツでも転職は自由だといわれるが、経理士や看護婦など有資格者の場合は
ともかく、一般的な事務職や工場労働者なら、いくつになっても転職が多いと、やはり評価が
下がる。しかし、二十歳代では、勤め先を替りながら、自分に適した職種と職場と居住場所を
探す人が多い。
 ところが、日本の場合は、学校卒業の際に選んだ職業と職場を生涯にわたって背負うこと
になる。このため、会社の辞令一本で居住地も近隣の付き合い、子供の教育までもが変更
されることが珍しくない。単身赴任という家族離別さえ強いられることもある。
 終身雇用には、失業の心配からまぬがれる安心感がある反面、すべてを会社の命令に従わ
なければならない軍隊的苛酷さもある。特にこれからは、職種や産業によって成長性に差が
出てくることが予測される。当然、給与にも差が出てくる。能力と好みに応じて自由に転職
できなければ、不利なところへ入った人は大変な不運を招くことになるだろう。

/////// 「次」はこうなる ///
0048 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/30(木) 22:15:17.61
 
/// 外される国ニッポン 26 ////////////

 その人に適した環境と職業を選べば大きく成長したであろう個性が、不適任な仕事と
不愉快な人間関係で腐ってしまっている例が、この国にはたいへん多い。これからの時代、
「選択の自由」という面から雇用形態を再構築する必要があるのではないだろうか。
 特にベンチャービジネスを興す場合や個人事務所を営む場合は、被雇用者の個性と
雇用主の個性が直接向き合うだけに、雇用する側にも選択の権利を与えなければなるまい。
 日本では一度雇った従業員はなかなか解雇できないが、外国では「都合により解雇」
というのも、正当な手続きを踏めば簡単に行える。日本ではこれが難しいばかりに、
お互いに嫌なままで向かい合って何十年も過ごすという悲劇が起る。さらには、一旦雇えば
解雇できないから雇うことにも慎重になる。このことが新規事業を興す妨げにもなって
いることが結構多い。
 職業紹介の方法から資格制度、さらには雇用慣行に至るまで、改革すべき問題は多い。

/////// 講談社発行 ///
0049 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/07/31(金) 20:31:23.37
 
/// 外される国ニッポン 27 ///////

        全体主義思想の呪縛

 魅力ある社会の第五の要素として大事なのは、「隠せる社会」「秘匿性のある世の中」
である。自由競争の社会では、供給者はすべての情報を公開しなければならない。商品や
サービスの選択を消費者が誤りなく行うためには、供給者はすべての情報を明らかにしな
ければならない。玄人の供給者が素人の消費者を騙すのを見逃せば、自由経済、消費者
主権は成り立たない。
 ところが、消費者としては私生活(プライバシー)は「秘匿する権利」がある。この点を
おろそかにすると、悪しき官僚や怪しげな供給者が消費者に対して圧力を加えたりする
ことになる。たとえば、政治の供給者である政治家は、政治に関係するすべてのことを
公開しなければいけない。その中には、彼の人柄や生活資金の問題も入るので、ある程度は
私生活も公開せざるを得ない。

/////// 堺屋 太一 ///
0050 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/01(土) 07:31:43.74
 
/// 外される国ニッポン 28 /////////

 けれども、政治の消費者である一般有権者は、誰に投票したか、どんな集会に出たか、
完全に秘密にできなければならない。同様に、人柄や生活資金を問題にされる必要のない
職業の人々、たとえば通常のサラリーマンや自由業の人は、消費者としての日々は完全に
秘匿する権利を持つ。
 しばしば若者が、「田舎は隣近所がうるさいから大都市に住みたい」という。その一因は
プライバシーの秘匿性が大都市の方が高いからだ。このことから見ても「魅力ある国」の
条件の一つが、「隠せる社会」であることは、明らかだろう。
 ところが、日本の役人は何でも知りたがる傾向がある。たとえば、つい最近まで、
「米の生産、流通、消費は国が管理すべきだ」と称して、米の消費まで監督していた。
同様に、教育の消費者である生徒や父兄、自動車交通の消費者であるマイカー運転者なども
管理したがる。これは「消費の平等」を目論んだ右翼全体主義思想の残滓といってよい。

/////// 1997年刊 ///
0051 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/01(土) 20:18:31.96
 
/// 外される国ニッポン 29 //////////

 全体主義には、左翼社会主義と右翼民族主義とがあるが、この二つは、資本主義的自由
競争の結果として生じる格差を縮小することを意図して起った点では、共通の倫理基盤を
持っている。
 違いは、社会主義は「入口論」、右翼民族主義は「出口論」ということだ。つまり、
左翼社会主義者たちは、生産手段によって生じる所得の格差に問題があると考え、生産
手段の国公有化を主張した。
 一方、ナチスやファシズムなどの民族全体主義は、財産を所有して上手に運営するのは
国民経済にとってプラスだから生産手段の私有は許すべきだ、問題はそれによって得た
所得で個人的に贅沢をする奴がいる点にある、財産に不均衡があっても消費を平等に
すればよい、と主張した。

/////// 「次」はこうなる ///
0052 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/02(日) 08:57:25.93
 
/// 外される国ニッポン 30 ///////

 そのため、学校は全部国民学校、自動車は全部国民車、服装は全員国民服、遊びに行くのは
国民休暇村、医療は一律の標準医療と、消費の規格を試みた。
 右翼民族主義者は消費を監督したがる。そのため「民族の文化」という均質性を生み出そう
とする。これがいまも日本の官僚社会には強烈に続いている、いや、いまこそ強くなった、
といってもよい。
 学校の教師が生徒の服装や髪形を管理したがるのは、学校全体主義だ。県の教育委員会や
文部省が一律化して、より大きな全体主義をつくろうとする。こんなことが許されている限り、
日本が魅力的な国になることは絶対にあり得ない。
 税金は払わなければいけない。けれども、税金を払った残りを何に使っているかなど、
国が関心を持つべきことではない。
 一部の週刊誌は覗き趣味的な編集を行う。これは止み難い人間の「悪しき欲望」だ。
けれども、国が消費に対して監督することを肯定する思想だけは、完全になくさなければ
いけない。日本には、いまなお全体主義的官僚統制思想が根強く残っているのである。

/////// 講談社発行 ///
0054金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/02(日) 23:03:36.63
【2402】アマナ【事業好調!】

アマナグループ
http://ime.nu/amana.jp/

株主優待
http://ime.nu/amanaholdings.jp/ir/communication/hospitality/index.html

株主通信
http://ime.nu/amanaholdings.jp/ir/communication/information_amana/index.html


平成26年12月期 決算短信(連結)

売上高 20,966 (百万円)
営業利益 34 (百万円)
経常利益 △55 (百万円)
当期純利益 7(百万円)
1 株当たり当期純利益 (円) 1.58

http://www.nikkei.com/markets/ir/irftp/data/tdnr/tdnetg3/20150217/94ykpy/140120150216027206.pdf


グループ会社 アマナイメージズ
http://ime.nu/amanaimages.com/indexTop.aspx

写真・イラスト販売のお小遣い稼ぎサイト タグストック
http://ime.nu/tagstock.com/

100株買って、配当と株主優待をもらいながら、長期保有。
暇なときは写真を撮って、タグストックでお小遣い稼ぎ。
なかなかいい会社♪
0055金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/03(月) 06:27:01.80
★なぜ「バター不足」が繰り返されるのか     1
 PRESIDENT 2015年8月17日号
 東京大学大学院農学生命科学研究科教授 本間正義=答える人 プレジデント編集部=構成
http://president.jp/articles/-/15808

   牛乳の「計画経済」が輸入を制限している

 バター不足が続いている。不足しているなら、輸入すればいいと思うかもしれない。しかし日本は
酪農家を保護するという名目で、バターの輸入を制限している。解決のためには、日本の農業の
あり方を根本から問い直す必要がある。
 バターの国内消費はこの数年7万〜8万トンで安定している。一方、国内生産は減少傾向で14年度には
6.1万トンに落ち込んだ。不足分は輸入に頼るしかないが、関税が高く、政府の国家貿易品に
なっている。
 乳製品の関税率(二次税率)は、従量税と従価税の組み合わせになっている。従価税換算では
バターが360%、脱脂粉乳が218%で、フレッシュチーズの29.8%、プロセスチーズの40%に比べても
非常に高い。店頭で輸入のバターをみかけないのはこのためだ。
 なぜバターが保護されているのか。それは輸入品の価格が国産バターの約3分の1と安く、品質での
差別化は困難だからだ。政府は、TPP(環太平洋連携協定)交渉について、7月28日からハワイで
開かれる12カ国の閣僚会合での合意を目指している。たとえばTPPの参加で乳製品の関税が引き下げ
られることがあれば、価格競争力のあるニュージーランドの製品が市場を席巻するだろう。
0056金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/03(月) 20:09:29.81
★なぜ「バター不足」が繰り返されるのか     2

 このため一部では「TPP参加で日本の酪農が壊滅し、国産牛乳が飲めなくなる」との主張もある。
しかしこれは誤りだ。飲用向けのフレッシュミルクは劣化しやすく、海外から大量に輸入するのは
難しい。またバターに関しても、チーズと同じく、特色のある国産製品への需要はあるだろう。
問題は、競争と成長を退け、保護と現状維持ばかりを志向する日本の農業政策そのものにある。
実際に国内の酪農家はここ10年で35%減少し、生乳生産も12%減っている。TPPとは無関係に、
すでに日本の酪農は衰退の危機に瀕している。「バター不足」はその現象のひとつに過ぎない。
 最大の問題は、牛から搾られる生乳の流通が、「市場経済」ではなく「計画経済」の仕組みである
点だ。生乳は「指定生乳生産者団体制度」にもとづき、日本を10地域に分け、毎月、事実上の集乳
数量上限が決められている。酪農家は原則、生乳を指定団体に売ることが義務づけられている。
指定団体は乳業会社や食品会社と交渉したうえで、飲用乳、脱脂粉乳・バター用、チーズ用など
用途別に異なる価格で売り渡す。
 生乳はそのままでは長く保存ができない。取引価格は飲用向けが高く、バター用など加工向けは
安いため、集められた生乳は、まず飲用向けで買い取られ、余った生乳がバター向けとなる。しかし
生乳の生産量が減っているため、2010年度以降、バターの需要を国内生産だけではまかなえず、
海外からの輸入に頼る状況が続いている。関税が高いため、バターの輸入は、政府の「農畜産業振興
機構」が事実上、独占している。政府は今年5月に1万トンの緊急輸入を決め、10月までに追加輸入を
計画しているが、仕入れが安定しないことなどから(※1)、小売店では「1人1個まで」といった
制限をかかげる店が多い。民間の需要を予測するのは難しく、結果として今回のような「バター
不足」が頻発している。
0057金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/03(月) 20:38:16.48
★なぜ「バター不足」が繰り返されるのか     3

   零細農家の温存が競争力を奪ってきた

 さらに「バター不足」の背景には、バター生産を担っていた北海道が、加工向けから飲用向けに、
出荷を振り分けつつあることも影響している。
 北海道以外の地域では、生乳生産量の8割以上が飲用向けとなっている。一方、北海道では飲用
向けは生産量の2割で、加工向けが8割を占めている。これは北海道以外の地域の酪農家を保護して
きた結果だ。本州などの酪農家は、北海道に比べて零細で、競争力が弱い。このため北海道の生乳が
本州などに流入しすぎないように、「指定団体」を通じて、地域ごとの棲み分けが行われてきた。
北海道の酪農家は、多くを加工向けとして安値で買い取られてしまうが、国が補給金(補助金)を
支払うことで、その価格差を埋めてきた。
 ところが円安による飼料価格の上昇や光熱費の増加により、補給金に頼った加工向けの取引では
採算が合わなくなっている。「計画経済」の仕組みでは、コストの上昇を、出荷価格にうまく上乗せ
できない。このため北海道では、指定団体を通じた補給金頼みの取引をやめ、「アウトサイダー」
として民間会社を通じて、本州に飲用向けの出荷を行う酪農家が増えている。
 指定団体を通じた取引では、出荷した生乳がプールされるため、農家には品質を改善する
インセンティブがない。一方、「アウトサイダー」の生産者は、高品質化への取り組みが、直接
価値の上昇につながる。静岡県の「いでぼく」や岩手県の「中洞牧場」など、特殊な飼育法で
ブランド化に成功した事例は少なくない。
0058金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/03(月) 22:26:43.32
★なぜ「バター不足」が繰り返されるのか     4

 中国では、オーストラリアから牛乳が空輸され、地元産の4〜5倍の価格で販売されているという。
日本の安心・安全の酪農製品をアジアに売り込むことは十分に可能だろう。輸出を促すには海外
からの輸入の自由化も必要だ。指定団体制度は段階的に廃止し、関税は徐々に引き下げていくことが
望ましい。バターなどは海外の3倍以上という高い価格を消費者に押し付けることをやめ、安価な
輸入品を提供し、国産品は品質の高い飲用乳やチーズなどでブランド化を図る。農家の創意工夫が、
より評価される仕組みが必要だ。
 米国やEUでは、関税を課すことで高い国内価格を維持する「価格支持」から、補助金を払う
ことで農家の所得を維持する「直接支払い」にシフトすることで、自由な輸出入と農業保護を
両立させている。
 たとえばEUは1970年代に「バターの山、ワインの湖」というほどの過剰生産に悩まされた。
このため農家への「直接支払い」に軸足を移した。この結果、 農産物は国際価格に近付き、消費者
負担は減った。「直接支払い」の受給には、環境保護や土壌保全などの要件を満たす必要がある
ため、農家の集約も進んだ。
 日本で「価格支持」が続いているのは、農協が手数料収入に依存しているからだ。「価格支持」
では、消費者にも大きな負担がかかる。
 輸入自由化は、必ずしも農業の衰退を意味しない。日本では1991年に牛肉の輸入が自由化された。
だが「和牛」は現在も好調だ。国内の牛肉生産量は、90年度から2013年度にかけて、約39万トンから
約36万トンに減ったが、「和牛」は約14万トンから約16万トンに増えている。
0059金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/04(火) 06:37:50.28
★なぜ「バター不足」が繰り返されるのか     5

 95年にGATTが「WTO(世界貿易機関)」に改組された際、細川内閣は日本の農業保護のために
6兆円もの事業費を執行した(※2)。だが農協を中心とした「価格支持」という政策を変えなかった
ため、日本の農業は、依然として納税者負担と消費者負担の両方を強いている。
 農業者を弱者とみなす保護政策は弱者を再生産し、弱者の状態をさらに悪化させる。日本の農産
物は、国内的に重要な品目が高関税に守られているため、内向きな対応に終始し、輸出機会が
失われてきた。また日本の農政は、退出すべき零細農家を温存する政策を採ることで、伸びゆく
人材の成長機会を奪ってきた。さらに農地所有を農家に限り、外部からの参入を規制してきたため、
農業投資が過小になっている。本来、TPPへの参加は、こうした日本農業のトレンドを断ち切る
絶好の好機だった。これまでの仕組みはもう続けられない。その事実から目を背けるべきでは
ないだろう。

 PRESIDENT 2015年8月17日号
http://president.jp/articles/-/15808
0060 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/04(火) 20:03:45.09
 
/// 外される国ニッポン 31 ///////

    3安全神話の虚構−「嫉妬」の社会システム

        「安全神話」も「安心神話」も危ない

 最後に、魅力ある国の条件として必要不可欠なものに、「安全な国」、「安心な国」と
いうのがある。
 一九七〇年代からの日本は、これまで述べた多くの魅力を犠牲にして、安全な国、安心な
国をめざしてきた。たとえば、終身雇用が優れているといわれたのは、「失業の心配がなくて
安心」だからである。また、国民皆保険の医療保険制度や、都市全体が交通渋滞になる完璧
警備体制なども、「安全」、「安心」という点から支持を得ていた。

/////// 堺屋 太一 ///
0061金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/05(水) 15:17:49.30
/// 日本型社会主義と資本不足時代の金融 19 /////////

 これに対して、結果平等型社会の時代では、株式投資は「特殊なもの、
ギャンブル的なもの」「社会的にあまり役に立っていないもの」とした見方が
社会的な考え方として共有化・規範化されていった。そこでの考え方は、
形式資本主義、実質社会主義であり、高度成長期まで、企業のダイナミズムの
視点がなかったのである。
さらに、多くの人は株式投資をする余裕がないため、企業が株式を発行しても
発行額面価格(五〇円)以下で発行されることが多く、銀行が大きな企業の
株式を引き受けていた。それにより、メインバンク制の株式持合と銀行を中心
とした企業集団が形成されていった。この時代は、「つくれば売れる時代」であり、
重工業などの企業に資金を貸しても、倒産のリスク(信用リスク)を考える必要は
なかった。

 かりに大きな信用リスクが実現(貸し倒れ損失の発生)しても、会計制度や税制で
国はそれを補っていたのである。すなわちリスクは国に移転され、そのことにより
倒産リスクとしての信用リスクが広く薄く国民に移転されていた。その結果、銀行は
利ざや収入が保証されていたため、銀行の利益は成長の一途をたどっていた。
 また、金利は規制され、銀行金利はすべて同じ、さらにもの不足の関係もあり、
恒常的なインフレ的な状態が続いていたので、企業の銀行借入の金利負担も
和らいでいたのである。・・・・・
0062堺屋太一垢版2015/08/05(水) 16:05:37.09
各銀行がリスクテーキングでハイリスク・ハイリターンな投融資はしない、できるだけ安全第一でやっていこうということになったんですが、実はこの安全第一が大変安全でなかったというところが今日の問題なんです。
それで、銀行はどう考えたかといいますと、事業評価、この中小企業、この新興創業者、そういった人々の持っている事業計画や
経営者の能力、人柄、そういうものを判断して、多少リスクはあっても金利が高かったら貸してみよう、それが百、二百とたくさん貸すと、
中につぶれるのがあっても大きく成長するのがあってバランスするという、そういうような金融機関の本来の審査能力というのを放棄いたしまして、専ら担保評価能力だけになってしまったわけです。
幸いにも、戦後は土地も株も上がりましたから、今の値段で担保を評価して、それの八掛けとか七掛けとか貸しておりますと絶対大丈夫だという形になって、ずっとそれが土地が上がれば貸し付けをふやす、
貸し付けをふやせばまた土地が上がるという循環でどんどんバブルになってきたわけです。
ところが、委員御指摘のように、バブルが崩壊いたしますと今度は逆現象が起こって、土地の値段が下がると担保価値が下がってお金を引き揚げなきゃいけない。引き揚げると土地を売られる、
設備投資がされないからまた下がる、それでまた引き揚げるという悪循環が起こり出したんです。
そういたしますと、設備投資が少なくなるものですから、全体のマクロバランスとして見ますと貯蓄と投資が見合わなきゃいけないんですが、
貯蓄はどんどんと皆さんが老後に備えて、住宅に備えて、あるいは将来の不安に備えてなさるのに、投資の方は減ってしまいますから景気は需要が少なくて資金が余ると。
それで金利がどんどん下がったわけですが、金利が下がると銀行としてはますますリスクのあるところへ貸して、安い金利でリスクのあるところへ貸してはいけないというので、国債のような安全第一なものへの投資になった。
この一番悪循環が発揮されたのが九八年、あの九七年から九八年のころでございました
0063堺屋太一垢版2015/08/05(水) 16:22:28.38
知価時代の都市と建物
不動産、とくに土地に対しても考え方を変える必要があります。私たちは長い間、土地は資産だと思ってきまし
た。だから、できるだけ安定的に、安全に、確実に所有できるのがいい。そして、でき
ればみんなが家を持つのがよいという発想だった。ところが知価革命により、土地は
資産ではなく、「資源」になりました。小麦や鉄鋼や石油と同じような資源であるなら
ば、できるだけ早く、できるだけ安く、最も上手に使う人のところに流れるべきです
土地を所有するか、借りるか、不動産を持つか、借りるか。これからは資源の効率利
用という点から考えられるようになるでしょう
土地が資源になると、当然その流動性も高まってくるでしょう。土地を資産だと思うから、買った土地は一生持
ち、子々孫々に譲るという思想が非常に強くなりますが、これを資源だと考えた場合、最も必要な人に必要なときに渡るべきなの
です。だから年齢によって、自分が必要とする土地の条件、大きさなども変わってきます。
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=PS7X3eLww2YJ&;p=%E5%A0%BA%E5%B1%8B%E5%A4%AA%E4%B8%80+%E9%8A%80%E8%A1%8C+%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF+%E5%AE%89%E5%85%A8+%E5%9C%9F%E5%9C%B0&u=
www.ares.or.jp%2Fpublication%2Fpdf%2Fares_12.pdf#search='%E5%A0%BA%E5%B1%8B%E5%A4%AA%E4%B8%80+%E9%8A%80%E8%A1%8C+%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF+%E5%AE%89%E5%85%A8+%E5%9C%9F%E5%9C%B0'
0064堺屋太一垢版2015/08/05(水) 16:36:39.60
堺屋太一・元経済企画庁長官は
「サブプライムローンは【構造詐欺】ともいえる巧妙な仕組みである。
低所得者の住宅ローン債権を束にして証券化する。これを
モノラインが保証、金融保険を付けたこの仕組みを格付け会社は
投資適格と評価した。それを信じ、世界の金融機関は内容を深堀り
調査をすることもなく、大量に購入した。
仕組んだ連中は巧妙だが、購入した金融機関の無能無責任は
目を覆うばかりだ。サブプライムローンの破綻は全世界を金融危機に
陥れた。恐らくその損失は、全世界で3兆ドル(@90円で270兆円)にも
達するだろう」と述べている
0065 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/05(水) 19:59:49.62
 
/// 外される国ニッポン 32 /////////

 ところが、九〇年代に入って日本の安全神話、安心神話が急速に崩れだしている。
 まず、安全とは何かというと、「健康」、「治安」、「無事故」、「国防」の四要素に
集約される。
 伝処病食中毒が多発するようでは、安全ではない。殺人事件が多いのも、交通事故や
火災が多いのも、敵国に攻められる可能性があるのも、安全ではない。
 戦後の日本は、最後の「国防」に関してはアメリカにすべてを依存して、「健康」と
「治安」と「無事故」の三つだけを猛烈に追求して来た。特に一九七〇年代からは、右の
三つのためなら、費用に糸目をつけないのが当然、と信じられるようになった。但し、
これは戦後、特に一九七〇年以降の日本に特有の倫理である。

/////// 1997年刊 ///
0066 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/06(木) 20:30:51.84
 
/// 外される国ニッポン 33 //////////

 戦前には、安全は正義ではなかった。「あればよい」という程度で、社会正義とまでは
見られていなかった。国のために危険な戦場に赴くのが正義だったし、十二歳の少年が病身の
親を養うために健康を損なうような重労働に就くのも美談だった。寄生虫が発生しやすい
農法も、食糧増産のためには奨励されていた。
 ところが戦後になると、安全は、効率や平等と並ぶ正義となり、一九七〇年以降は、
最大の社会正義として浮かび上がった。
 安全のためには、他のもの、たとえば効率を犠牲にするのもやむを得ない、安全のため
ならいくら費用がかかっても仕方がない、という概念が確立された。それに乗って、官僚たちは
様々な安全基準をつくり、規制を強化した。この結果、日本は「安全な国」だと信じられる
ようになった。
 ところが、一九九五年以降、日本の安全神話は根底から揺らぎだしている。

/////// 「次」はこうなる ///
0067 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/07(金) 20:59:19.89
 
/// 外される国ニッポン 34 ///////

        「管理基準」が「安全基準」になっている

 九四年一月十六日ににロスアンゼルスで地震が発生、ビルや高速道路がかなり倒壊した。
この時、日本の建設関係者は、「アメリカは効率第一主義で、日本に比べて半分以下の費用で
ビルや高速道路を建設している。だから壊れたのだ。日本は厳しい規格基準によって多額の
費用をかけているから、建造物が地震で壊れることなどあり得ない」といったはずである。
少なくともわれわれ国民はそう受け取った。
 ところが、それからちょうど一年が経過した九五年一月十七日に発生した阪神大震災では、
どこの国よりもたくさんのビルや高速道路が潰れた。
 そうすると建設関係者は、「われわれは日本の施設が絶対に安全だなどといったことはない」
といいだした。もっぱら現在の基準は安全のためよりも管理のしやすさのためにつくられて
いるのだ、というのである。
 実際、建築基準法をはじめ、多くの基準法は、耐震、耐風基準よりも資材基準に照準を
定めている。ここはJISマークの何々を使え、ここはこういうものを使用しろという指定が
多くて、最終的な強度を主眼とした仕組みには必ずしもなっていないのである。

/////// 講談社発行 ///
0068金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/08(土) 06:15:48.78
小中学生、高校生、大学生にとって20年前とはかなりの昔で、現在進行形ではないと思う。
「次」はこうなる なんて言われても外れてるじゃん としか感じないだろ。
外国人観光客が日本人の海外旅行者数を超えたとニュースが伝えてる。
中国経済の減速で株価が落ちているとニュースは伝えてる。
老人になると時間の感覚も変わる。80年代でさえ、つい最近のことに感じるだろう。
しかし、若い世代には大昔の歴史でしかない。
0069堺屋又市垢版2015/08/08(土) 06:20:44.51
長期自民党政権が作った1500兆円の返済不能借金。
増えつ受ける借金、日本の将来は無い。全責任はアホ國民よ。
0070金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/08(土) 06:22:56.77
堺屋の話は昔話で、対案も進化も無い糞ばなし。
0071 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 06:57:38.14
 
/// 外される国ニッポン 35 ///////

 阪神大震災をきっかけとしたように、日本の安全性を疑わしめる事件が相次いだ。高速増殖炉
「もんじゅ」の故障をはじめ、動力炉・核燃料開発事業団の施設には次々と事故が起った。
病原性大腸菌O-157が至るところで発生する。
 大蔵省が監督をしているから絶対に潰れないといわれた日本の金融機関は、どこの国よりも
たくさんの不良債権を抱え、倒産や業務停止命令まで出た。大勢の警察官僚が関与したパチンコの
プリペイドカードには巨額の偽造が出た。世界一厳しい制限を行っていた新薬の許可では、
規制が厳し過ぎたが故に加熱血液製剤が使えず、エイズ患者が発生した。
 さらに、消防法は世界一厳しいのに焼死率は高い。心臓麻痺を起した人が救急車で救命される
率はたったの二・五パーセント、欧米に比べればはるかに低い。諸外国では、救急隊員に応急手当を
認めているが、日本は医師法によって手当は病院に着いてからしかできないからである。最近に
なって応急手当の有資格者が乗る救急車もできたが、まだごくわずかである。

/////// 堺屋 太一 ///
0072 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 09:27:06.57
 
/// 外される国ニッポン 36 ///////

 日本の規制や基準値は、官僚が管理しやすいように設けられているのであって、必ずしも
安全のためではない。
 もう一つ加えれば、アメリカに依存して来た防衛も、必ずしも「安全」とはいえなくなった。
東西冷戦の終焉によってアメリカには「西側防衛」の必然性がなくなってしまったからだ。
極東有事の際に、アメリカ軍がどれだけ日本を守ってくれるのか、武装難民が大量に押し寄せて
来た時、日本は対応できるのか、難しい限りである。
 「安全」とは似て非なるものに「安心」がある。ここでも日本は「安心な国だ」という
神話があった。それを支えたのは、一に終身雇用、二に土地の値上がり、三に年金の高さだった。
 しかし、ここでもすべてが疑わしくなって来た。いまや、終身雇用は揺らぎだしている。
これからの国際的大競争時代には、終身雇用は徐々に消滅するだろう。前述のように、むしろ
それは歓迎すべき一面もあるが、「安心」という観点からすると後退である。

/////// 1997年刊 ///
0073 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 11:40:30.35
 
/// 外される国ニッポン 37 ////////

 土地は必ず値上がりするから、土地(住宅)さえ持っていれば安心だ、という神話は、
もうまったくなくなった。地価は上がることもあれば下がることもある。これからは、「うちは
これだけ財産があるから安心だ」といえる人は、ごく少数になるだろう。これからの少子化
時代には、土地を「資産」として考えるのは危険である。
 そして第三の年金も、低金利によって予想通りの給付ができないという事態も予想されている。
 現在は石油と食料が安くて円高状態が続いているから、日本の物価は非常に安定している。
しかし、二〇〇〇年代の十年間には、国際収支が赤字になり、円安が進行する可能性が高い。
これに石油や食糧の値上がりが加われば、日本の物価は著しく上昇するだろう。このため、
年金が実質的には大幅に目減りする心配が出てきた。
 多くの意味で日本の「安心神話」は、大きく揺らいでいる、揺らいでいるどころか、もうじき
立ち消えになりそうだ。
 日本は多くのことを犠牲にして「安全」と「安心」を追求して来た。この二つが揺らいだら、
日本には何の魅力もないことになってしまうだろう。

・・・・

/////// 「次」はこうなる ///
0074金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/08(土) 12:02:32.79
市場主義が経済版の民主主義なんじゃなくて、民主主義が政治版の市場主義だとというのが、真相だろう。
市場主義を政治に適用したものが現在の民主主義。
歴史的にもそういわれてるんじゃないか。
0075金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/08(土) 13:03:30.72
                     上念×三橋×マイトレ


上念司

貿易のルールを自由化していくというのはトレンドなんですよね。
なんかね農業自虐史観みたいなものがあってね、これなんなんだろうなと思いまけどね。
https://www.youtube.com/watch?v=aqkCdDz47Pg

三橋貴明

どこが自由貿易なのかなと思いますね、実際そうじゃないんです、特定の企業が儲かるための規制の強化ってのが、ほとんど入ってるんですね。
https://www.youtube.com/watch?v=55FG4jTx5Xg

マイトレ

富裕国は、開発途上国の市場をこじ開けようとするのに忙しい。そのようにして、自国の余剰物資を輸出することができるようになる。
こうした非人道的な押し付けは、自由貿易としてまかり通っている。
富裕国では様々な農産物に対して隠れた補助金が支払われており、開発途上国の貧しい農家が全く太刀打ちできない状況がつくられている。
magazines/33116k/ahwpdf/ngbm3m
マイトレーヤの出現から3〜5年のうちに膨大な変容が起こるであろう。抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るであろう。
magazines/ahjzfl-1/fkmww5/l6y25q

世界の株式市場の崩壊は日本において始まるだろう。マイトレーヤは繰り返し次のように言われる――

   「株式市場の崩壊は避けられない。その終わりは間近である。かれらは自分の財産を隠し、そして犯罪的雰囲気さえも創出している。」

彼らはただ座って待っているだけです。賭けの勝利金で暮らしているのです。悪銭です。世界に振りかかる負担は莫大です。
そのコストは、職場の喪失であり、突然の働き手の失業による家族の心の痛手です。
世界を餌にして生きており、株式市場で財を成しても、社会に何も負うことなく、何も還元しません。
magazines/lutefl/fkmww5/sui4zj
0076 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 14:54:45.16
 
/// 「ニッポン少子化社会」を襲う国難 1 ///////

    堺屋太一著 "「次」はこうなる" 1997年 講談社刊 より
・・・・
第四章 「ニッポン少子化社会」を襲う国難
・・・・
        日本で尊ばれたタテの平等とは何か

 日本の歴史でもこれまで外国からの大量移民によって文化文明に変化が起こったことはある。
 日本にも相当数の移民が流入したことが、少なくとも二度(飛鳥・奈良時代と戦国末期から
幕初)あった。しかし、いずれも軍事的侵略でなかったし、比較的文化技術水準の高い移住者が
多かった。このため、移民の流入は、この国を進歩させこそすれ、文明の破壊にはならなかった。
 日本史の中でもう一つ注目されるのは、享保から文化文政時代までの百年あまり(一七一六
〜一八三〇年)の間に、さほど劇的ではないが人口が減少気味に推移した経験があることだ。
 江戸時代二百六年間の人口動向は、元禄末期を頂点とし、それ以降は「俯き加減」になる。
ところが、この時代の日本は出るのも入るのも移民を禁じていた。だから人口が減少しながら
移民が入らないとどうなるかの参考にはなるだろう。

/////// 「次」はこうなる ///
0077 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 16:38:15.14
 
/// 「ニッポン少子化社会」を襲う国難 2 ///////

 この時代には、前述した少子化社会の心理ともいうべき現象が起きている。つまり極めて
繊細な美意識、微妙な格差をほじくり出す嫉妬心が拡まったのだ。ところが、その一方では、
生まれながらの大きな格差については、まったく無関心でもあった。
 江戸時代には、大名と足軽がいた。武士と農民がいた。これは当時もみんな知っていた。
それにもかかわらず、当時の政治の基本は「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」であった。
もちろん、だからといって、大名と足軽、武士と農民の差をなくそうという革命思想があった
わけではない。
 ここでいう「等しからざるを憂う」の「等し」とは何の意味か。それは「タテの平等」である。
 平等には大きく分けて二つの種類がある。一つは「機会の平等」だ。フランス革命が旗印に
した「自由・博愛・平等」の「平等」とは、「法の前の平等」、つまり「機会の平等」である。
誰でも何にでも就けるチャンスが等しく与えられている、ということだ。

/////// 講談社発行 ///
0078 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 18:58:23.32
 
/// 「ニッポン少子化社会」を襲う国難 3 ///////

 それに対して、もう一つの平等は「結果の平等」である。そしてそれには、さらに「タテの
平等」と「ヨコの平等」とがある。
 「ヨコの平等」とは、現在ただいまの状態が同じことをいう。たとえば、所得水準が同じ、
社会的な扱いが同じだと言うことだ。社会主義が目指したのも、民族全体主義が提唱したのも、
「ヨコの平等」である。その中で社会主義は「所得の平等」を実現するために、所得の不平等の
原因になっている生産手段の個人所有を禁止する方法、つまり生産手段の国公有化を提唱した。
いわば平等化の「入口論」である。
 それに対して民族全体主義は、所得や資産の格差よりも、消費の格差こそなくさなければ
ならない、と主張する。だから消費を統制して、消費財やサービスを均一規格化すべきだ、
と考えた。
/////// 堺屋 太一 ///
0079 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 20:54:40.12
 
/// 「ニッポン少子化社会」を襲う国難 4 ///////

 これに対して、江戸時代の日本で尊ばれたのは「タテの平等」である。つまり、出発点で
同じだった者は到着点でも同じ状態にあること、つまり人間の生涯という時間軸の中で新たな
格差をつくらないことだ。例えば、二十年前に同じ足軽だった人たちがいまもみな足軽なら
平等である。二十年前に大名だった人はいまも同じ大名で、その間に差が出ていないとすれば
平等だ、という発想である。
 このことの利点は、知り合いの中で嫉妬する必要がないし、競争する必要もないことにある。
「あいつは初めから大名だ。俺たちとは違う」で済まされる。農民は農民でみんな同じ。
二十歳のとき村の衆で一緒だった者は、六十歳になったときも村の年寄りで一緒だ。そうすると
互いに嫉妬することがなく、「あそこに大名がいるがね、あれは親の代から大名だから、
われわれとは違うんだよ」で済む。これが「タテの平等」であり、日本には根強く残っている
思想である。

/////// 1997年刊 ///
0080 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/08(土) 22:35:50.41
 
/// 「ニッポン少子化社会」を襲う国難 5 ///////

 徳川時代を通じて、日本の道学者はみんな「タテの平等」を主張した。この思想は儒教にも
つながっている。孔子は「世の秩序」、つまり春秋時代の階級制や家族内の長幼の順を尊い
ものとした。それを不易の秩序と考えたからである。
 徳川時代二百六十年間は封建時代といわれるが、本当に世襲的封建制が確立したのは、
享保から文化文政までの百年余りだけである。
 その以前、特に元禄時代までは社会的流動性が高かった。たとえば、「忠臣蔵」に出てくる
四十六士を見ても、(親子で討入りした子の方を除くと)親の代から播州浅野家に仕えていた
人は三分の一以下である。お家断絶の時、浅野家には家老が四人いたが、家付き家老は大石内
蔵助ひとり、他は一代家老である。有名な大野九郎兵衛は、どうやら明石の方の百姓の息子
だったらしい、といわれている。百姓の息子が一代にして城代家老になれる世の中だったのだ。
 ところが、元禄の繁栄が終り、人口が減少に向かうようになると、大名の子は大名、足軽の
子は足軽という世襲制が確立する。八代将軍吉宗は、そうした社会の固定化を実現した人物
である。

・・・・・

/////// 「次」はこうなる ///
0081 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/09(日) 07:00:23.76
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 1 ///////

    堺屋太一著 "「次」はこうなる" 1997年 講談社刊 より
第六章 絶対平等主義ニッポンは孤立する

    1 世界は「総資本主義化」へ
・・・・・
        コマーシャリズムが創る「本音の世の中」
・・・・・
 冷戦構造の崩壊以来、非常に明確になってきたことは、「総資本主義化」、または「総商品化」
といわれる現象である。
 戦後第一世代は、第二次世界大戦を指導者として戦い、自ら冷戦構造を作り上げた。
第二世代はそれを継続し、結着にまで導いた。この二世代が指導したのは、二十世紀的特徴である
「イデオロギー時代」であった。
 したがって政治が優先し、政治的配慮が支配的な影響力を持っていた。ところが、九〇年代に
なって、第三世代の時代に入った時には、イデオロギーの対立が消滅し、政治よりも経済が優先
されるようになった。政治宣伝よりも収支の正負を重視する総資本主義化の時代がはじまった
のである。 このことは、最も単純で大規模な国際行事、オリンピックを例にすればわかりやすい。

/////// 「次」はこうなる ///
0082 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/09(日) 07:11:47.87
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 2 ///////

 戦後第一世代のオリンピックはコマーシャリズムを排除した純真な理想追及行事だった。
東京オリンピックはもちろん、復興日本の権威をかけた国家行事だったが、次のメキシコ大会
まではそんな理想追求型が続いた。
 ところが、その後は、世界の冷戦構造を反映して、テロ事件や人種問題などの政治的な
事件がオリンピックを揺るがした。同時に、ステート・アマチュアといわれたソ連や東欧圏の
国家育成選手たちが大活躍、それに対抗して西側諸国も愛国心や自由の尊さを訴える宣伝を
派手にやった。このため、オリンピックは巨額の公費を喰う政治行事になってしまった。
 政治オリンピックの頂点を極めたのは一九八〇年のモスクワ大会、ついに東西対立の激化を
反映して西側諸国がボイコットするに及んだ。
 ところが、一九八四年のロスアンゼルス・オリンピックは、初めてコマーシャリズムを
許容して、「税金を費やさない行事」として開催された。ピーター・ユベロスという旅行会社の
経営者だった人物が全大会を取り仕切り、テレビ放映権や会場広告料を取ることによって、

/////// 講談社発行 ///
0083 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/09(日) 11:10:02.16
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 3 ///////

「収支の合う興行」にオリンピックを変えたのである。
 とはいえ、観客はまだまだ政治的だった。ロスアンゼルス大会でアメリカの観客が最大の
拍手を送ったのは、ソ連の出場ボイコット要請を無視して参加したルーマニア選手団だった。
行事はコマーシャリズムを許容しても、観客の反応は、まだ東西対立を色濃く反映した政治的
なものだった。
 次のソウル.オリンピック(一九八八年)は、新興韓国の意気を発揮した国家行事だったが、
東西対立の政治宣伝色はあらかた消えていた。いわば、「過渡期の行事」だった。
 そして、その次の九二年のバルセロナ大会においては、すっかりコマーシャリズムが定着した。
最もコマーシャル効果が大きいアメリカのゴールデン・タイムに合わせて人気競技を行ったり、
企業名や商品名のついた服装や用具を見せるために、入賞選手のインタビュー時間をつくったり
した。ロスアンゼルスでは「許容」だったコマーシャリズムが、バルセロナでは「尊重」
されたのである。

/////// 堺屋 太一 ///
0084名無しさん@明日があるさ垢版2015/08/09(日) 11:10:40.85
某企業組合団体で興味深い動画があったのですが、知ってますか?

何か、多数決の際、本部が有利に働くように、急遽本部の人間が在席扱いになって、強硬採決するような流れみたいですが、見ていて卑怯だと思いました。

▼なごやボランティア・NPOセンターでのワー●ーズコープによる労働者代表選出の模様
https://www.youtube.com/watch?v=fu9HvdPj9Xc  (その1)
https://www.youtube.com/watch?v=mS7Gt0EKe4U (その2)
https://www.youtube.com/watch?v=4SVx0OTRav0 (その3)
https://www.youtube.com/watch?v=ei2syt3DZfE  (その4)

また、それに関する2ちゃんねる以外のブログやHPが幾種かありました。

http://d.hatena.ne.jp/nagoya_p_net/20080905/1223545314
http://imadegawa.exblog.jp/8931791/
http://blog.livedoor.jp/janjannews/archives/2835208.html
http://blog.goo.ne.jp/nagoya_vnpo_mondai/e/23664258f79964b5bf66ac0a9626d313
http://gigadugong.web.fc2.com/2008yd.10.4.html
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/readers08/0812/r08121.html

民主主義か共産主義か別として、暴走は不当解雇などの内ゲバ、恐怖政治に変わる・・・
0085 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/09(日) 15:38:02.76
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 4 ///////

 さらに、九六年のアトランタ大会では、コマーシャリズムは「尊敬」されるようになった。
ロスアンゼルス大会では、まだプロに転向した選手が招待されることはなかったが、アトランタ
大会では、最高の名誉とされる聖火リレーの最終ランナーをモハメド・アリとイベンダー・
ホリフィールドが務めた。どちらもプロに転向して最高に稼いでいるボクサーだ。プロになった
オリンピック出身者の商業的・経済的な成功例を見せることが、オリンピックの誇りであり、
きわめて重要な意義のあることになったのである。
 オリンピックに限らず、非営利事業とされた多くの活動で、いまや「コマーシャリズムこそ
美しい」とさえいわれるようになった。税金を使って政治家や官僚が自分の権力や権限をひけらかす
のは醜いことだ。市場原理に基づき、消費者大衆の支持を得ることこそ美しい、というのである。

/////// 1997年刊 ///
0086 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/09(日) 16:35:59.01
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 5 ///////

        消費者の選択を信じよう

 実際、採算に合うことの重要性、つまり政治宣伝と政府官僚の支配を受けることなく、
消費者大衆の支持によって大衆から料金が頂けることこそ文化としては重要だという考え方が、
全世界的に広まっている。これは西側諸国だけでなく、社会主義が崩壊した東側の国々でも、
またアジア諸国でも強く見られる流れである。
 かつては、広告や看板が汚い、という声もあったが、いまやそれも世界中にほとんどなくなった。
わずかに日本の都市計画官僚や自治体官僚、それに同調するマスコミ文化人などには存在して
いるが、世界的には珍しくなっている。つまり、反コマーシャリズムという社会主義的発想に
基づく考え方は、官僚支配の強い日本にだけ残存しているのだ。
 もちろん、広告や看板などには汚いものが多い。デザインや文言の悪い広告や不適当な場所に
立てられた看板は実に多い。けれども、何事にも良いものもあれば悪いものもある。綺麗なものも
汚いものもある。だからコマーシャリズムはすべて良いわけでも、広告や看板はみんな許される
わけでもない。ここでいうのは、広告だからすべて悪い、看板だから全部汚いという商業主義
排除の発想がなくなった、ということである。

/////// 「次」はこうなる ///
0087 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/09(日) 19:46:17.79
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 6 ///////

 もう一つの顕著な現象は、賭博、特にカジノの類を許可するところが増えてきたことだ。
アメリカでもカジノを許可している州は、一九七〇年にはネバダ州だけだったが、七四年に
ニュージャージー州が認めたのを契機に急増、いまでは十州に及び、十数州が検討中である。
ヨーロッパでもドイツやイタリア、イギリスにはかなりの数があるし、オーストラリアも
十年あまり前から許可しだした。
 そのほか、競馬、ドッグレース、ハイアライなど様々なギャンブル競技が行われている。
特にサッカーは賭け事として大流行だ。
 プロ・サッカーを賭けないで観ているのは日本人と韓国人だけといわれるが、ヨーロッパや
南米では、日本の競輪や競艇のように専ら賭けるための競技とされている。したがって、
ルール自体も賭け(トトカルチョ)に合わせて、逆転や大穴が出やすいものとなっている。

/////// 講談社発行 ///
0088金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/09(日) 20:50:56.82
トトカルチョをやらないのは日本人と韓国人だそうだけど、日本ではパチンコ業界には
在日韓国人経営が多い。確かにドッグレースやハイアライは無いかもしれないが、競馬、
競輪、競艇は盛んである。まあ違法だが麻雀で金を賭ける者もいる。上の文を読んでると
日本人は賭をしない生真面目人間の国のように感じるが、パチンコや競馬にハマって
中毒のようになってる者は多いのだ。カジノを解禁しても日本人にはさせないって、
それでは基本的人権無視だし、日本人を差別?しないなら、ギャンブル依存者を
今以上に増やすだけのことになる。だいたいそんな大きな利権を誰に渡そうというのか。
まさかトヨタやソニーが胴元になるとも思えず、パチンコ業界か裏社会にでも
やらすつもりなのか? 

ほんとこの人、喋らすと危険過ぎる人間にしか感じない。
0089 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/09(日) 22:21:38.77
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 7 ///////////

 日本人は賭けないで観ているから、「もう少し得点が入りやすいようにゴールを広げては」
などというが、ヨーロッパや南米人にはとんでもないことと思われるらしい。本来、賭けのための
競技だから、逆転や大穴が出なければ面白くないのである。そんなプロ・サッカーでも、いまや
恥じることなく話題にすることができるようになった。
 賭け事の許容もまた、大きな文化思想の変貌を意味している。賭け事は結果の格差を作ることで
スリルを楽しむ行為である。それが広く認められるようになったのは、二十世紀の大半を覆って来た
「結果の平等主義」から、「楽しみ重視主義」へと世界の流れが変わったことを示している。

/////// 堺屋 太一 ///
0090 ◆XIbE//uDLM 垢版2015/08/10(月) 00:14:44.49
 
/// 絶対平等主義ニッポンは孤立する 8 ///////

 社会主義や民族全体主義が求めた「結果の平等主義」は急速に衰退し、「結果の平等」よりも
過程を楽しめる社会が重要になった。人々が好みに応じて楽しみの機会を持てるように多様な
娯楽を提供する。その中で、大衆の支持によって採算に乗るものこそ良いものだ、と考える
消費者主権の発想が、スポーツや文化芸術の社会にまで拡まったわけだ。
 社会主義やファシズムは、崇高な理想を掲げたイデオロギーだ。だが、人類が二十世紀の大半を
費やし全世界を巻き込んで行った壮大な実験の末に辿り着いた結論は、大衆に選択を委ねる
「総資本主義化」である。このことに、失望を感じる人も少なくないだろう。しかし現実には、
それこそが豊かで楽しい世の中を創り出す最良の方法であったことは紛れもない事実である。

・・・・・

/////// 1997年刊 ///
0093金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/08/17(月) 16:00:58.40
なってるじゃん。

政府によるコントロールで防ぎます!だから国民は相応のコストを支払ってくださいね。
と言い続けた北ものが片っ端からコントロール不能に陥って
結局国民がツケを支払ってる。
0095堺屋太一垢版2015/08/29(土) 23:28:25.67
おもしろいことに発生した余暇の楽しみ方の違いは余暇を楽しむ余裕をえた時期の社会的技術条件と時代性にも関係している。
最初に余暇を得た欧州の人たちは当時ようやく整備された新技術の成果である鉄道や汽船で遠くに出かけるため長期間の休暇をとるようになった。次に余暇を得た米国人たちは普及した自動車であちこちに出かけるレジャーが米国型休暇の過ごし方となった。
最近になってようやく余暇を得た日本では高度なエレクト口二クスを駆使した孤独な密室型の遊びであり自己満足の世界でしかない力ラオケやパチンコ、コンピュー夕ーゲームなどの日本が開発した代表的レジャーが一般的である。
0096堺屋太一垢版2015/08/29(土) 23:38:56.55
 古代末期も現在も資源環境の限界や人口の変動、技術の変化が必然的な関連を持って起こっている。
現代と古代末期との類似は物質文明末期の共通点といえる。ただ現代と古代末期との違いは現代が高度技術社会であることである。
 飢餓に苦しんでいる本当の理由はモノ不足ではなくて力ネ不足である。というのは苦しんでいる彼らの生産品が大量生産品に押されて商業性を失ったからである。
 人類の倫理と美意識が変わりつつあり、物材節約の倫理感と時間のうまい使い方をしている人がかっこいいとの評価を受けることになり、
工リート社員よりも遊び上手の知恵者がもてる傾向にある。余力スタイルとして資源消費型から感覚刺激型へ移りつつある。
 いつの時代でも新しい生き方をまず体得するのは庶民である。
0097堺屋太一垢版2015/08/30(日) 20:44:28.15
 肝心なことは、今日の経営でも同じですが、情報というのは、持って来い、探してこいというだけで集まるものではありません。あの人のところに言いに行ったら、
必ず聞いてくれる、あの人はまじめに取り上げてくれる、あの連中はおもしろい、と思うところでないと情報は集まりません。
情報というのは、どれだけの人を雇うか、どれだけのコンサルタントをつけるかではなくて、持ってきた人に、「この人のところに来てよかった、
話に行ってよかった」と思わせることが大事なんです。そうでないと本当のことはわかりません。
チンギス・ハンの凄いところは、誰から好奇心を持って情報を一生懸命聞いたことです。チンギス・ハンは、
生涯モンゴル語しかできませんでした。ところが、あらゆる国の言葉、人種、宗教の人が、情報を持って集まってくる。

知識は客観的なほうがよい。倫理は主観的なほうがよい。
何が正しいか、この会社をどうしたいか、これは社長さんの主観なんです。人の言うことなんか聞く必要ない。
けれども知識は、「今の経済状態、ライバル会社の動向、自社の状態」というのは、絶対に客観的に冷静に聞かなければいけない。
ところが、人間は逆になりやすい。
チンギス・ハンは、倫理は自分が正しいと思ったほうに突き進む。けれども知識は客観的で、いいことも悪いことも、ライバルのいいところも世間の危険も、
みんな入ってくるようにしなければいけない。そのためには、悪いことを知らせに来た人を褒めてやらなければいけない。これが非常に上手だったのです。
0098堺屋太一垢版2015/08/31(月) 16:37:17.02
「まず万博は、文化と経済、私たちの生活に大きな影響を及ぼします。1970年に開催された大阪の日本万国博覧会を例とすると、動く歩道、ワイヤレスフォン、
缶コーヒー、ファーストフードなどは、この万博で登場し、その後、私たちの生活に普及しました。またリニアモーターカー、テレビ電話、電気自動車なども登場しましたが、いまだ普及途上にあると言えます」
「開催都市にとっては、考えも及ばない発展を意味すると思います。大阪でも名古屋でもその後の約10年は発展しました。
パリとシカゴは輝かしい文化を創った例です。パリでは4回も万博が開かれましたが、ヨーロッパで一番文化の多い都市となりました。それまではむしろ文化と言えばウィーンでしたから」
「2010年以降、うまくいけば上海は世界の文化の中心になると思います。デザイナーたちもそう信じています。都市に地下鉄ができるとか、
ビルが建てられるとかは小さなことで、大きな文化の発展や情報発信の意味では、ずっと歴史に残る大きな出来事になるでしょう」
0099堀江垢版2015/09/04(金) 03:21:45.30
[「貯金しなさいは」間違っている]
 たとえば郵便局に貯金をするとします。そのお金は「財投」に流れて無駄な道路や橋がつくられていくわけです。そこから返済原資がまわってくるはずなのですが、
赤字なので当然いつまでたってもお金は戻ってこないわけです。そんなところにお金をまわしても仕方がありません。そこにお金が流れなければ、無駄な道路や橋もできないのですが、それを知らないから、みんな郵便局に貯金しているわけです。
  簡単な簿記を理解しておくと、こういった考え方はさらにクリアになっていきます。
 僕の場合は実践で簿記を理解していったのですが、これからの若い人は三級程度の簿記の資格を所得しておくことをお勧めします。商業高校の生徒が取得できるくらい簡単ですし、気軽なエントリーとしてとっておけばいい。取る・取らないで後々けっこう違ってくるのです。
 簿記ができると何が変わるのかというと、それは自分で「B/S・P/L」を作ることができるようになることです。
 「B/S・P/L」の「B/S」は貸借対照表のこと。つまりバランスシートですね。これは会社の財務状況を示すときに使います。「P/L」は損益計算書のこと。「プロフィットアンドロス」の頭文字を取ったもので、会社の経営業績を示します。
 このふたつを並べてみると、お金の動きが見えてきます。
 そして自分の経済状況を「B/S・P/L」に置き換えると、いろいろなことがクリアになるのです。
 僕の場合、一番クリアになったのは貯金に対する考え方です。
 銀行の「B/S」を見たとき気付いたのですが、負債の部に定期預金や普通預金が入っており、資産の部に現金預け金という形で対照的に計上されていたのです。
 要するに貯金したお金というのは、銀行や郵便局が個人から借りているわけです。だから銀行の「B/S」をみると定期預金や普通預金は「負債の部」に入っているのです。
 つまり僕たちは、銀行にお金を預けているのではなくて、銀行にお金を貸し出しているわけです。「預けている」という発想から「貸している」という発想に切り換えなければならないことに気付いたわけです。
0100堺屋太一垢版2015/09/05(土) 20:23:51.82
 大変僅差(きんさ)の結果となった住民投票ですが、敗因は自民をはじめとする既成政党など反対勢力をひとつも味方にできなかったことだと思います。
それぞれに利権も因縁も思い込みもある人たちが、別々の理由で「とりあえず反対しておこう」という気になった。問題点は後で修正するからとりあえず賛成となれば、違う結果になったでしょう。
若い世代に都構想が必要と考えてくれた人が多かったようですが、なんとなく変えたくないという、高齢者の感情もありました
政治家引退を宣言しました。でも、戦いは続いていると認識してくれたら、橋下徹という人物の使い方はいろいろある。
大阪のためにも日本のためにも、もう一回挑戦してほしい。都構想の仕組みやメリットを改めて説明しながら、2、3年後にもう一回、住民投票をやる。
住民投票に将来見直し条項を明示するのもその一つでしょう。とにかくそこを突破しないと日本の自治制度を抜本的に変えることができないんです。
明治維新も1回では果たせなかった。1864年の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」で長州藩が躓(つまず)いたが、
その後高杉晋作が盛り返した。奇兵隊を興して、もう一回体制を立て直してほしいですね。
0101堺屋太一垢版2015/09/12(土) 16:20:05.63
おもろい地域、おもしろい地域というのをどうやって作っていくか。これから各地域の商店街も、だんだんと店の数が減る可能性が高い。
ところが今までの日本の行政が、大変間違えたのは、音楽堂や美術館を作る、ここもそうですが、必ず森の中へ作ったんです。
これは文化が衰える一番速い方法なんですね。文化的な町、世界的に有名な文化都市は、劇場や美術館がどこにあるか、たとえばニューヨークにカーネギーホールという、お聞きになったことがありますか、
有名なんですよ、カーネギーホールはどこにあるかというと、7番街という一番の商店街のど真ん中なんです。パリのオペラ座はどこにあるかというと、
サンチノーレというブチックがたくさんあるど真ん中にあるんです。売春婦が一番立つところにあるんです。ウィーンのブルーム劇場というのは、環状道路の真ん中にある。だから音楽会に行く人帰る人が商店街を歩くんです。
したがって商店街も流行るんですね。音楽会に行った人も帰りに飯を食うとかお茶を飲むとかできるんです。ところが日本は、明治の初めから、文化というものは大変崇高なものだと、ルノアールとかベートーベンしかないと思ってますから。
ですからそういうものと猥雑な商店街を一緒にするなんて恐れ多いと思ったんですね。これがこの、明治からの今日に至るまでのエリート官僚の一番悪いことです。それでなるべく商店街と分けて、遠い森の中、緑の中に作ったんです。
したがって音楽会に来た人は、飲まず食わずで帰らなくてはいけない。商店街には文化的な人が来ない。これからだんだんと商店街の土地も空いてくると、
もう一遍祭りを商店街に呼び戻さなくてはいけない。昔の殿様、昔の人は偉いから、必ずお祭りの御輿は商店街を歩いたんです。森の中から、まあ鎮守の森の中から出てきても必ず、商店街を歩いたんです。
ところが今はそういう発想じゃないですね。俺の縄張りはこっちだという仕掛けなんですね。こういったことから発想を変えていかなくてはいけない。そしてそれぞれのところに、うちはこれではやっぱり日本一だというものを考える。
0102堺屋太一垢版2015/09/12(土) 16:26:13.84
日本の今までの規制の強いところではみんな日本を外してしまう。いわゆるジャパンパッシング、日本を飛び越えて、パスしていってしまう。
具体的な例を挙げますと、日本の国際空港というのは成田空港しかありませんでした。3年前にやっと関西空港ができました。ところが日本式のやり方をしたもんですから、どっちの空港もとっても値段が高いんですね。土地買収にも手間をかけ、成田空港なんていうのは、
たった8軒の人が反対しているだけで、第2次工事というのがもう20年近くも止まっています。その間に支払われた金利だけで800億円。1軒100億円も金を使ってるんですね。
別にその人にやったわけではないんですが、その人が反対しているから使えないままで土地も工事したものも置いてあるから金利がどんどん溜まる。800億円もかかる。
それが全部料金にかかるわけですから、大変割高で、ジャンボジェット機が1台およそ約100万円もかかります。関西国際空港も騒音公害を恐れて5キロも沖に出したものですから、大変埋め立てにかかってしまった。どっちも同じ100万円になってしまった。
ところが韓国やシンガポールや台湾あたりの飛行場は40万円とか30万円とか、日本の半分以下、3分の1くらいです。そうすると、なるべく日本に止まらないで、日本に飛行機を入れないほうがよくなる。
そういうことになって、今度はボーイングという会社が777−300という飛行機を作りましたが、これは14000キロ飛ぶ。ニューヨークから香港まで、日本に止まらないでいける飛行機を開発しました。というようなことになります。
船のほうも同様でして、今アメリカとの間で大問題になっていますのは、日本の荷役は夜やらない。
まあ復興中の神戸だけは特別やってますけれども、夜間荷役をやらない。その結果、日本に船を入れたら長い間停めなきゃいけない。大体コンテナ船を一日停め置きますと、600万くらいかかるわけですから、日本に置いたら損をする。
したがって、どんどん、釜山とか高雄とか香港とかそういうところに行く。1990年、ついこの間ですね、7年前には神戸港が世界一のコンテナ港だったのが、
地震の直前には、香港・シンガポール・高雄・ロッテルダムの次、で、地震が起こってもっと下になりまして、今は釜山のほうが上になっています。日本には小分けにした船しか来ないというような状況です
0103堺屋太一垢版2015/09/29(火) 21:28:40.79
−−金融、証券不祥事の背景は何か。
「日本の企業とクーデター以前のソ連共産党の組織原理に共通点がある。それは競争制
限とノルマ主義だ。ソ連では共産党一党独裁のもとで、いわば日本相撲協会に所属する力
士が優勝を争うように書記長や地区委員のポストを争い、日本では免許を与えられた会社
だけが証券市場を通じて利益獲得競争に奔走した。ともにプレーヤーの数が限られた組織
の中で内部競争させる仕組みだ。参入が制限された組織にいる限り、人間は生活が保障さ
れた。ソ連ではノーメンクラツーラ(特権階級)として一般民衆よりも水準の高い生活を
送ることができたし、日本では政府が決めた高い手数料や、低い預金金利で会社の利益が
確保され、社員は安定収入、管理職、役員は交際費使用権を得られた」
「もう一つの共通点であるノルマ主義は、ノルマを達成すれば特権階級の中で地位が上
がる仕掛けだ。したがってその組織に所属する人間は組織内部での評判だけを気にするよ
うになる。日本のノルマは前年比、他社比、予算比と三つの比較で決める『三比主義』で、
常にこれを上回るようにノルマが課せられる。これは全員が頑張ればハードルがさらに上
がるという”無限地獄”。しかも問題なのは評価の基準が数量なので、ノルマを達成するた
めに質の落ちる取引が増えた。ソ連では生産量を増やすために質の悪い家具や紙を作った
が、日本では企業が暴力団や料亭のおかみと付き合うことになってしまった。これが日本
社会全体の構造的欠陥で、官僚がからんでこうした土俵を作った。」
0104堺屋太一垢版2015/09/29(火) 21:44:31.93
「1980年ごろまで企業の業績評価は営業利益に基づいていた。そこへアメリカのビ ジネススクールが『何が何でもその時、勝てばいい』という思想を持ち込んだこともあっ
て、80年代の半ばころからは金融収支とか不動産売買による利益を区別しない経常利益 の多寡に業績評価の基準が変わってしまった」
「営業利益と営業外利益の区別がないままノルマを課すから質が低下するのは当然で、 これが今日のバブル経済の原因になった。本来、経営者は『利益はこの程度』『社会的評価
はこれぐらい』といった企業の最終的な理想を公に示さなければならない。しかしその理 念を提示できないまま『三比主義』でノルマを課すからオイルショック以前はシェア競争
に明け暮れ、オイルショック以降は利益額競争に走った」
理念を説くだけでは体質は改まりにくい。現実的にどんな評価基準が考えられるか。
「利益の額でなく、取引の質を業績評価の基準とする『利益質基準』を導入すべきだ。ま
だ研究段階だが、利益質を外延性、継続性、好感度の三つの要素に分け、企
業があらかじめ設定した理念にしたがって三つの要素の加重のかけ方を変える。理念はキ
チンと社員に公表し、はじきだした利益質を人事評価に反映する必要がある。重要なのは
経営者が企業の理念と利益質の尺度を社員や社会に明確にし、理念の実現に強い意思を示
すことだ。そうすれば企業の体質はうんと変わる。それをしないで不祥事のたびに監査制
度を強化するのは最悪だ」
「外延性」・・・同じ取引額でもグループ内での取引は質が低く、外で稼いだ取引は質
が高いと規定する。例えば銀行でA支店の口座をB支店に移し替え、帳簿上、B支店の売
り上げを伸ばすのは外延性が低い。
「継続性」・・・ある利益が来年も再現できる質のものか、一過性の取引かを評価する。新
製品の販売は継続した利益をあげるから、一回限りの不動産売買による利益より質が高い。
「好感度」・・・その利益を得たことが好感を得たか、悪感情をもたらしたかを評価する。
好感度は「取引相手からの好感度」「従業員の好感度」「世間一般の好感度」の三種類がある
0105堺屋太一垢版2015/09/29(火) 21:52:31.25
「うちの会社だけが突出して『利益質基準』を導入するわけにいかない」という反論が聞こえてきそうだが。
「それは理念がないからA証券会社が五千億円の利益をあげたからと言って、なぜ他
の証券会社までがそれに匹敵する利益をあげなければならないのか。もちろん企業は利益
をあげなければならないけれど、無限に利益だけ拡大するのが企業の理念とは思えない。
現に利益だけ追求してきた企業が今は赤字の危機に立っている例が多い。少なくとも85
年のプラザ合意までには同じような考え方が各業界にあった。薬品業界はすべて武田薬品
を目指していたわけではないし、アパレル業界でも森英恵や三宅一生がワールドやイトキ
ンと利益量競争など意識してはいないだろう」

堺屋 企業は利益追求体だが、質の高い利益を追求すれば、必ず長期的に繁栄すると同時に品格のある企業になる。利益質の第一の尺度は「外延性」だ。
企業の外から上がる利益が重要で、子会社への押し売りなどは駄目だ。
第二に技術開発で新製品を作り、さらに次の技術を生んでいく「継続性」。一度限りのもうけである土地転がしとは違う。第三は、仲間や取引相手、世間から受ける「好感度」だ。
0106堺屋太一垢版2015/09/29(火) 22:04:37.18
――「利益質」は決算書から読み取れるか。
堺屋 決算書ではわからない。経営者のための利益質決算書をつくろうと提案した。土地の転売など一時的利益なら1点、技術開発なら5点、
新規顧客の開拓なら3点などと加重係数を掛けて利益質ポイントを出す。それで人事評価をしようという提案だ

21世紀の企業社会はどのように変化しているか。
「生産手段を持つ個人の登場が世の中を変えていると思う。その場合の生産手段とは工
場とか資本とかではなく、知識、経験、感覚のことだ。デザイナーとかコンピュータプロ
グラマーを見ればよくわかる。彼らにとって一番大事な生産手段は製図台やパソコンでは
なく、自身が持つ知識や経験、感覚だ。つまり労働者と生産手段が不可分に結びついた職
業が急増している。これは単なる技術革新の結果ではなく、社会変革だ。そこには近代合
理精神の『モノをたくさん持てば幸せ』という前提の変化がある。近代工業社会での『合
理的』とは物材をたくさん生産するのにふさわしいという意味。だから産業革命以降の近
代合理精神のもとでは、製品を規格化して大量生産した。その大量生産を可能にするため
に企業は競って規模の拡大を図った」
0107堺屋太一垢版2015/10/01(木) 22:32:40.44
私が就職を決定した一九五九年には採用側の協定で、「解禁日」は十月一日と決まっていた。来年三月卒業予定の学生たちは、六月ごろから各企業の採用説明会などに行き、夏休み明けからは目指す職場の人事部を訪問する。
このときも私は、大いに迷った。対象として考えたのは三つ、住友銀行と近鉄と通商産業省だ。近鉄には生まれ故郷でずっと暮らせるという利点があったし、銀行は初任給が高かった。
大阪の両親や、当時は広島国税局に勤務していた兄にも、何度も電話で相談した。まだ市外通話が申し込み制で、つながるまで一時間以上も待たねばならないこともあった。
しかし、こんな問題はだれに相談しても決まるものではない。父の意見も兄の話も、しばしば変わり、迷いが深まるばかりだ。そんなとき、ある人がこう教えてくれた。
「就職先に迷うのは、自分が何が好きかわかってないからです。そんなときには将来、いちばん何にでもなれる職場を選んでおくのがよいでしょう」 
なるほど、そうに違いない。私はさっそく、各職場の経験者がどんな分野に散っているか調べてみた。結果は明白、官庁出身者が最も多様だ。官僚からは、政治家も経営者も、著述業も自営業も出ている。
戦後の混乱が残っていた一九五〇年代には、官僚でも転業失敗者は意外と多く、選挙に落選した人や、えたいの知れない団体に所属する人もいた。
そのころの私は建築設計と歴史が好きだったが、小説など書いたことがなかった。中学高校を通じて、漢文は得意だったが、国語や英語は苦手だった。政治にはあまり興味がなく、学生運動にも参加したことがなかった。
だから将来、自分が作家・評論家になるなどとは思ってもいなかった。そんな私が、文筆に興味を持つようになったのは、通産省に入って通商白書を書いてからだ。
特に、一九六二(昭和三十七)年度版の通商白書で発表した「水平分業論」が国際的な評価を得たことである
0108堺屋太一垢版2015/10/01(木) 22:38:25.79
◎「好き」こそ「有利」
「日本には三十年間有利だった職業はない」という。
終戦直後には石炭産業が繁栄した。一九五〇年代前半には繊維産業や映画会社がブームだった。私が大学に入った五六年の売上高日本一の製造業企業は東洋紡績、株価が高かったのは東宝や松竹である。
私が就職した六〇年ごろには、ようやく重化学工業が伸び、製鉄、造船などが好評だったし、すぐあとでは石油化学や重電が人気会社になった。
しかし、これらの産業の繁栄が長く続かなかったことは、それぞれ解説するまでもあるまい。
そんななかで、長い間高い評価を保ったのは大手銀行である。製造業や流通業には波はあるが、銀行だけは大丈夫と思い込まれていた。だが、その銀行も今は大ピンチ、日本長期信用銀行や日本債券信用銀行は国有化された。
「北海道では最高の就職口」といわれた北海道拓殖銀行もすでになくなった。その他の銀行も、多くは厳しいリストラに直面している。
職業は「有利」よりも「好き」で選ぶべきものだ。「秀才」といわれた者ほど「会社人間」の人生になりやすいのは「有利」な職場を選ぶからだ。
「有利」と思って入った職場が時代の変化で「不利」となったら、失望が大きい。「好き」で選べば、不利になっても「好き」が残る。そのぶん熱心にもなれるし、上達もする。どんな小さな分野でも、
その道の名人上手になれば尊敬と満足は得られる。それこそが人生の「有利」ではないだろうか。
0109堺屋太一垢版2015/10/01(木) 22:42:37.15
「強欲」と「嫉妬」の選択
◎「合成の誤謬」
それぞれの個人や企業が、将来のために、あるいは後継者や周囲の人々のために、良かれと思う善行を積むと、結果としては社会全体が悪くなってしまうーこうした現象を、経済学では「合成の誤謬」と呼ぶ。
この最もわかりやすい例が、倹約・勤勉と不況との関係だろう。一般的には倹約も勤勉も人間の美徳であり、社会の良俗である。ところが、
みんなが倹約に努めれば需要は伸びず、勤勉に励めば生産が増え、結果としては売れ残りが大量に出て不景気に陥る。
こんなとき、人々はいちだんと倹約して将来に備えて貯蓄し、企業が経費を削減して生産性を上げれば、ますます不況は深刻になり、失業者や倒産企業が増加する。みんなが良いことをすればするほど、全体が悪くなり、互いを苦しめ合うことになるわけだ。
いわれてみれば当然のことだが、人類はそれを容易に信ぜず、国家財政でも同じことをした。その典型が徳川八代将軍吉宗だ。
開幕以来約百年、元禄中期(十七世紀末)まで成長を続けた経済も、元禄末期に入るとバブルが弾けた状況となり、次の宝永期には富士山の噴火(一七〇七年)や地震も相次いだ。
そんなとき、輿望(よぼう)を担って登場したのが八代将軍吉宗だ。吉宗は体も大きく気迫も十分だったが、やったのは倹約と統制である。自ら衣食を削って倹約に努め、早朝より政務に励んだ。また、世間にも倹約を強制、「
御庭番」というスパイを放って贅沢な商人や気ままな大名を取り締まった。投機を禁じ、政府批判を封じ、近松門左衛門の心中ものも上演禁止にした。
0110堺屋太一垢版2015/10/01(木) 22:45:09.14
こんな政治が長く続けば、世の中が不況になるのは当然だ。享保十六年には米価が大暴落、そのうえ、値上がり期待で買いためる投機を禁じていたから、翌十七年にいなごの害が発生すると関西以西は大飢饉に陥った。
しかもこれで幕府の財政が大いに改善したわけではない。吉宗が将軍の座から退いたとき、相当の余剰金があったのは、倹約の成果ではなく、元文元(一七三六)年に行った貨幣改鋳の結果という。
頑固な吉宗も、倹約・勤勉の引き締め政策をあきらめて、インフレ政策に転じざるを得なかったのだ。
不況に引き締め政策を採ったのは、徳川時代の日本に限ったことではない。一九三〇年代初頭の世界大不況の際も、アメリカのフーヴァー政権は、財政赤字を増やすまいとして支出を大幅に削り、
不況をいちだんと深刻にした。フーヴァー大統領も、のちには復興金融公社を創設したり、ネバダ州にフーヴァーダムを建設したりする。八代将軍吉宗同様、倹約が不況を呼び、不況が収入を減らすという悪循環に耐えられなかったのである。

◎「私悪すなわち公益」
各人各社の正しい行いが社会という巨大な坩堝(るつぼ)で合成されると、人を苦しめ未来を破壊する悪行に変化するとすれば、その逆も成り立つだろうか。つまり、みんなが私利私欲を追い求めて悪行を働けば、
社会全体には良い結果が生じるだろうか。この問いに、「イエス」と答えたのがオランダ生まれの医師バーナード・マンデヴィルだ。
マンデヴィルは、一七一四年、イギリスで『蜂の寓話』と題する本を出版したが、その副題はなんと「私悪すなわち公益」だった。もちろん、ここでいう私悪とは犯罪のことではない。私益を追求して人々が行う自由気ままな行いを指している。人間は本来、強欲なものだから、
みんなが欲望を満たそうとすれば、おのずから「交換の正義」が生じ、全体の利益に通じるというわけだ
0111堺屋太一垢版2015/10/01(木) 22:47:55.49
世界の思想史には、「人間の自由な行動は社会全体を悪くする」として、政府(国家)が統制または指導すべきだという考え方と、「人間の自由な行動こそ全体の利益を拡大する」という考え方との二つがある。
古くはプラトン、近くはマルクスやヒトラーが前者なら、司馬遷やアダム・スミス、現代のハイエクやフリードマンらは後者に入る。マンデヴィルは自由主義経済の論理を風刺的に表現したにすぎない。
二十世紀末の今日では、プラトンやマルクスのような国家統制主義は評判が悪い。右のファシズムも左の共産主義も失敗してしまったからだ。しかし、「合成の誤謬」の発見は、
各人の善意の選択が必ずしも全体の利益につながらないことも示している。人間はマンデヴィルが期待したほど完全に私利私欲に走らず、将来の心配や後継者への配慮をしてしまうからだ。
そうだとすれば、政府は常に人々と反対の方向に行動しなければならない。みんなが将来を不安に思って貯蓄するときには大胆にお金を使い、みんなが未来をバラ色と信じて散財するときには、
倹約に徹してお金を蓄え、市場から通貨を引き揚げるべきだ。このことをジョン・M・ケインズが理論的に言い当てたのは、一九三〇年代の大不況を経験したあとのことだ。

◎「私悪すなわち公益」
各人各社の正しい行いが社会という巨大な坩堝(るつぼ)で合成されると、人を苦しめ未来を破壊する悪行に変化するとすれば、その逆も成り立つだろうか。つまり、みんなが私利私欲を追い求めて悪行を働けば、
社会全体には良い結果が生じるだろうか。この問いに、「イエス」と答えたのがオランダ生まれの医師バーナード・マンデヴィルだ。
0112堺屋太一垢版2015/10/01(木) 22:52:19.39
◎私欲を公益にする仕掛け
人間が強欲・気まま・怠惰・嫉妬などの劣情を抱く存在であることは、すべての哲人賢者が認めている。今日までのところ、教育も宗教も国家の統制や宣伝活動も、この本性を改めることには成功していない。
そうだとすれば、各人がその欲するままに行動し、それが全体としての公益を成すような仕掛けをつくることこそ大事だろう。
今日、アメリカを中心に進められている自由主義市場経済は、人間の劣情の中で強欲と気ままとを許すものだ。
才能と努力と幸運に恵まれた者は高い収入を得て、「強欲」を満たすことができる。また、そのときどきの気分で職業や住居や結婚相手を変え、流行を追って衣服やスタイルを変える「気まま」も許されている。
これに対して西欧諸国に広がった福祉社会は、長期失業者を増やした。その中には、熱心に職を求めているとは言い兼ねる者もいる。豊かな社会は、「怠惰」にも寛容になり得るのだ。
自由な市場での競争が全体の経済成長を促し、その一部で社会の「安全ネット」を確実にすれば、強欲と気ままと怠惰の三つを同時に満たすこともできるだろう。
だが、自由な競争を認める限り、絶対に許されないのは「嫉妬」である。十七世紀のフランスの作家、ラ・ロシュフーコーもいうように、「嫉妬」ほど始末の悪いものはない。
金持ちを貧乏にしても、貧しい人々が金持ちになるわけではない。それでもなお、金持ちを貧乏にしたいという嫉妬は実に根強い。将軍吉宗が今も「名君」といわれるのは、
元禄の華やかな文化で稼ぎまくった商人たちに嫉妬した下級武士の支持を得ていたからだ。
結局のところ、未来の選択は、強欲と気ままを許すか、嫉妬に正義の裏づけを与えるか、いずれの私悪を取るかなのかもしれない。
0113金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/10/02(金) 15:39:53.21
「現代日本は軽い国家です。これを正視しなければいかなる議論もカラブリだと思います。たとえば、権力といっても権力ではない。自民党だって、握っているのはせいぜい利権というべきものといえるほどのものであって、権力ではない」。
明治以降の「重い国家」が日本史上の「怪物」であったとすれば、戦後の「軽い国家」はむしろ日本史における平常状態である、少なくとも、司馬はそのように見立てている。

この「軽い国家」への欲望は、今の日本社会でも消えていない。国家は道徳に干渉するよりは、最適化された行政サービスに勤しんでくれればよいというタイプの議論は、むしろ今日のグローバル化のなかで活気づいている。
ただ、司馬の「軽い国家」論はたんに経済合理性から来ているわけでもない。大阪外国語学校在学中にモンゴル語を学び、晩年にはモンゴルを舞台にして佳品『草原の記』を残した司馬は、
国家の歴史が蒸発した世界への憧れをずっと抱いていた。そこには、国家という拘束を忘れたいという欲望が認められる。
0114金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/10/02(金) 15:54:23.67
『土地と日本人』は、読み直してあらためて強い感銘を受け、また共感を新たにする。古くなっていない。
これを初めて読んだのは83年頃で、バブル経済の前だったが、例の「銀座でジュース一杯の値段が700円もするのは土地の値段が入っているからだ」という司馬遼太郎の批判的主張は、今でも意味と説得力を失っていない。
その当時も思っていたことで、今でも思っていることだが、日本の労働力のコストが高いのは基本的に土地価格のせいである。住宅ローンの過重な負担があるからだ。日本の物価が高いのは、土地賃料のチャージだけでなく、
土地価格の高負担を抱えた労働賃金のせいであり、そして不当に高額な公共料金と法外な税金のせいである。
日本の高コスト体質は土地問題そのものなのだ。コストが高いのは土地のせいである。
土地に対して労働者が無理に負担させられる部分(不等価交換)があり、それが一部は保有資産の含み価値に化けて企業経営を潤し
(それはまだ資本主義の枠内の話で労働者にも還元がある)、一部は土地を転売する不労所得者の手に入って浪費され、それが構造化されて資本が循環し、
日本の経営と行政の不問不動の前提条件となっているから、日本の労賃は高く、物価は高く、高コスト体質は已まないのである。
一般国民である日本の労働者は資本家によって搾取されてきたのではなく、土地を保有転売するブローカーによって収奪されてきたのだ。
土地問題さえなければ、日本の物価は安く、労賃も安く、日本の国際競争力もこれほど弱くなることはなかった。
0115金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/10/02(金) 18:05:20.17
80年代から一世風靡したポストモダンとニューアカデミズムの思想潮流がその代表的なものであり、 解体と脱構築を言い、差異を言い、規範の無意味と逸脱を唱え、
働くのをやめて遊べと言い、生産ではなく消費せよと日本人を洗脳していた。

戦後日本の正統的な社会科学、それは戦後日本の経済産業基盤を作り、戦後日本社会の担い手を作り出してきた社会科学であると言える。
印象としては大塚久雄の経済史学や丸山真男の政治学に代表されるものであり、市民主義とか進歩主義とか近代主義とか様々な呼び方でされる理論的立場であり、
そしてそれにマルクス主義(戦後講座派)が挑戦者として対峙しつつ一つの構造体を形作っている思想世界であり、具体的には岩波書店の看板に代表され、全体として戦後民主主義の理念

マルクスとウェーバーの問題意識に代わって、フーコーを筆頭とする現代思想の時代になった。
そして嘗ては「資本主義」を諸悪の根源だと批判していた者が、或いはその門下生たちが、いつの間にか 「国民」を批判し「近代」を呪詛する声で学界を蓋うような景観が出現するのである。
ニューアカデミズムの若い連中が(バブル崩壊後に経営破綻する)堤清二と結託して「差異」や「消費」や「情報」 を説法していた頃、
社会科学の中堅重鎮たちは「総力戦体制」を呪い、「近代の解体と脱構築」の「言説」に余念がなかった。
岩波文化人も含めて右から左まで、包丁と金槌を振り上げて「近代」と「 国民」の解体に精を出し、解体したと思しき机の上に「ジェンダー」と「マイノリティー」の言葉を置き土産に残していた
0116浅田彰垢版2015/10/02(金) 18:16:18.91
私や私以後の世代が西武/セゾン文化にきわめて多くを負っていることは、率直に認めておかなければならない。
 確かに、それは矛盾を孕んだ文化戦略ではあった。大衆消費社会を批判する前衛文化を、大衆消費社会の担い手である流通産業が積極的にフィーチャーしてみせる。
詩人が流通産業を乗っ取って前衛文化をプロモートさせる、と同時に、そういう自己批判的とも言える姿勢が、
モダンなアメリカ型大衆消費社会を超えるポストモダンな日本型分衆消費社会に向けた新しい流通産業のイメージ戦略として
きわめて有効に機能する。このように、西武/セゾン文化は、自己矛盾にもかかわらず、いや、その自己矛盾によってこそ、
爛熟した資本主義の先頭に立ち、80年代をピークとして、日本の文化に大きなインパクトを与えるとともに、日本の消費社会を新たな段階へと導いたのだった。
もちろん、そうした矛盾ゆえに、西武/セゾン文化を批判するのはやさしい。文化といいながら、結局は宣伝に過ぎなかった? だが、企業に宣伝とまったく
無関係な文化事業を期待するほうがどうかしている。問題は文化事業の内容だ。それに関するかぎり、
堤清二のようなヴィジョンをもって文化事業を推進しようとする経営者は、「企業メセナ」という言葉が一般化したいまも、まだ現われていない
0117金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/10/02(金) 18:36:47.48
堤理事長
自分のビジネスがどれだけ価値を創造しているか、その価値が世の中の役に立っているか、最も抽象的なところまでビジネスを掘り下げて考えていくしかないでしょうね。偉そうに物を言う経営者もいますが、どれだけ新しく社会的価値を創造し、大きくしたのかが重要です。
中野
価値を大きくすることに意味があるのですね?
堤理事長
たとえば、畑をつぶしてマンションを建てて儲かっても、価値を大きくしたことにはなりません。人間にとっての付加価値を増やさないと意味がないのですよ。
中野
付加価値を高めるときに、最も大事なことは何ですか?
堤理事長
人がそれを使うこと、消費することによって幸せだと思うかどうかです。これにつきます。たとえば麻薬の場合、一瞬愉快になるらしいですが人間の価値は下がりますから、
付加価値にはならず減少価値となります。逆に、赤ちゃんをつくることは新しい命をつくることですから、最も価値のあることです
0118堺屋太一垢版2015/10/05(月) 19:23:37.41
お金をもうければ贅沢な暮らしができるからうれしいという人は、お金儲けが好きなのではなくて、贅沢な暮らしが好きなのだ。
お金儲けは入りを拡大すること、贅沢は出を大きくすることで、実は逆なのである」と書いている。「たかだか数十億円程度の売り上げしかない企業の経営者が、
派手なスポーツカーに乗り、豪華なマンションに住むようでは危ない。
その程度で講演会など話題に上る行動に走る人も没落しやすい。(入りを広げ、出を抑えるという)あくまでもお金儲けが好きでなくては、本当の巨富は得られない」とも。
 でも、「お金儲けは汚いことではない。世のため人のためになる技術や組織を創り上げたものへの当然の報酬であり、そうであればこそ経済は成長し、世の中は楽しいのである
0119石井紘基垢版2015/10/06(火) 13:49:10.75
そもそも特殊法人とは、戦後経済復興のため短期・集中的に住宅、道路、鉄道等の
基本的社会資本整備を行うために設けられたものであった。行政主導の社会資本
整備は、初期の工業化時代には必要だったといえる。しかし、国営・公営形態は、
経済が一定の発展段階に達すると逆に自由な競争を封じてしまう

/// 違法な存在の特殊法人 4 ////////

 公団、事業団、公庫などの特殊法人が経済の領域から吸収している仕事は、金融、
建設、住宅、運輸、不動産、流通、保険、食品、レジャーの各事業、鉄道、空港、
道路その他の交通・運輸産業、農業・漁業・林業、その他通信、電力などほとんどの
産業分野に及んでいる。
 進出していないのは自動車、電機、機械などの製造業ぐらいのものである(これらの
分野では、権力の経済侵蝕がもたらした高コスト構造に悲鳴を上げて、生産地を
海外に移転している)。しかも行政企業は、それぞれ進出した分野で支配的地位を
占めているのだ。
 この結果、経済の衣を着た行政機関である特殊法人などはそのファミリーとともに
市場(経済)を狭め、あるべき税収を減らして国家財政と国民経済に致命的打撃を
与えている。

//////// 官制経済体制が国民のお金を食い尽くす ///
0120石井紘基垢版2015/10/06(火) 13:52:50.53
/// 違法な存在の特殊法人 8 ///////

    法が法を破壊している

 これらの「公法法人」は実際、数千にもおよぶ子会社、孫会社、系列公益法人などを
作ってビジネスを展開している。いうまでもなくこれらの株式会社や財団法人などは、
商法や民法によって存立する「私企業」「私的団体」として都合よく扱われている。
 わが日本という国は、国が設立し、国民の税金で運営されている「公法法人」が、
その金を私企業などの私的所有団体に持ち出し処分することを、ある法律によっては
禁じ、別の法律によっては認めているそういう国なのである。まさに、特殊法人などを
通じて法が法を破壊していることになる。
 特殊法人の経理は正確には誰にもわからない。どんなに借金が膨らもうと不良債権に
漬かろうと、責任を問われる者がいない。民間企業のように「株主」に監視されることも
ないし、行政機関として議会で承認される必要もない。

子会社、孫会社がどんどん増える
特殊法人(や認可法人)はどんどん子会社(公益法人も含む)、孫会社などを作る。
株式持ち合いの関連企業を含めるとファミリー企業は約二〇〇〇社にのぼる。
 その役職員数は本体を除いて少なくとも一〇〇万人と推計される。本体と合わせると
一五〇万人である。政府が大半の株を保有している旧特殊法人であるJRやJT
(日本たばこ産業)などを含めると、関連企業数はさらに一〇〇〇社以上増え、
就業者数も数十万人増加する。
 特殊法人のなかには民間企業をほとんど丸がかえしているものもある。しかも、
特殊法人の事業は公共事業や委託業務が多く、特殊法人によって生計を立てている
企業は非常に多い。したがって、特殊法人関係の実質就業者数は二〇〇万人は
下らないはずだ。
0121石井紘基垢版2015/10/06(火) 14:03:25.34
小泉首相が進めている構造改革で本当に日本は再生できるのか。7年も前から構造改革の必要性を直言してきた衆議院議員である著者が調べあげた事実を基に検証すると――。日本の「経済」は極端にいえば、国と地方と合せて、
国民の税金と貯金、年金、保険積立金など350兆円を上から流し込んで消費しているだけのものだ。つまり、
市場特有の拡大再生産機能によって生み出される果実はないに等しい。“市場”が死亡状態となり、借金が借金を呼ぶ財政破綻構造に陥っている。
積もり積もったほんとうの借金額は1000兆円を超えている。日本再生の鍵は国家体制を官制経済から市場経済に移行させることである――。小泉首相は構造改革を経済政策や金融政策と混同していると批判し、
著者渾身の真の構造改革のための25のプログラムを提示する。日本を破産させる利権システムの全貌を踏まえた提言には、著者の日本再生への思いがこもっている

一般会計の裏に隠した318.7兆円の税金浪費「特別会計」、官制企業の打ち出の小槌「年金・郵貯」、お上がばらまく税金の大入り袋「補助金」…。国会議員である著者が、国勢調査権によって調査した日本の裏帳簿を暴く。

小泉流構造改革では日本は救えない! 「天下り官僚の退職金1億円以上」の腐敗を暴き、構造改革のなかでも最も中心をなすべき、特殊法人・公益法人など行政企業の廃止を訴える。
0122石井紘基垢版2015/10/06(火) 14:15:11.79
 ラジコンの遊び場となった農道空港

 農道空港は、昭和六三年に「流通の合理化」「農作業の効率化」が"目的"の「農道離着陸場整備事業」
として構想され、平成三年から八年にかけて八カ所が完成した。福島市の福島飯坂、岐阜県の
飛騨、岡山県の笠岡、大分県の豊肥、北海道の十勝西部、北後志、中空知、北見がそれだ。
これこそバラ撒き政治の端的な見本である。
 総事業費一一二億八〇〇〇万円は当初、国が四九億円、都道府県が四三億円、市町村が二一億円ずつ
負担したが、政府は平成七年になって道、県、市町の負担分を事実上肩代わりすることにした。地方の
起債限度を負担分の五〇%までとしていたものを、九五%まで可能と変更し、しかも、その元利償還の
八〇%を国が交付することにしたのである。これは地方負担がきわめて少ない「農道」などと
ほぽ同様の負担率である。
予期された通り、野莱を運ぶ飛行機場などというバカげた話が現実に成り立つはずはなく、
平成一一年度の年間利用回数は福島飯坂で三七回、北見で一七回、中空知は一四回という
惨たんたる状況となった。仕方なく各地とも空港を「多目的利用」に変え、"スカイパーク"
などの名称を付けてラジコン競技やジャイロプレーンなどの遊び場に利用している。また
「ふるさと体験遊覧飛行」や「ふれあい空港」などとうたっての遊園やイベントにときどき
使っている始末だ。
 農道空港は、予算の大部分を占めてきた農園整備や土地改良などの事業費が減少してきた
農水省が、「既得権益」を確保するためにひねり出したものといわれている。「既得権益」とは、
農水省の官僚や農林族議員のものである。「農業」や「農民」が大事にされているわけではない。
 この事業は、農水省の会計課でさえクビを傾けたのに、旧大蔵省の査定を通ってしまったと
いわれる。旧大蔵省も既得権益には甘いのである。
0123石井紘基垢版2015/10/06(火) 14:15:39.26
/// 公共事業という名の収奪システム 24 /////

 北海道新得町では、町長が社長になって「西十勝フライト農業公社」なる第三セクターを作った。
平成一一年の第一便は八月一八日、サヤエンドウ一一キロ、サヤインゲン八キロを積んで帯広空港
まで運び、大阪と広島へ空輸された。
 これらは新鮮で、たいへん美味しかったというが、ある人がコスト計算をしたら、ひとサヤ
三〇〇円についたという話だ。陸上輸送と比べたコスト高から空便での「農産物の輸送増は
見込めない」といっているという。
 私が訪れた平成一三年九月には、斎藤敏雄町長は「農業用に飛行機をとばすことは年に一二回
しかない、トラック輸送に比べてコストが高く、町の財政負担も大きい」と頭をかかえていた。
八カ所の農道空港の利用は平成一一年度に七三八〇回であったが、そのうち農業利用はわずか
六%の四五三回に過ぎない。財務状況はどこも悲惨だ。
 福島飯坂は年間利用料収入がわずか四〇〇万円で、赤字の七五〇万円は福島市が負担している。
十勝西部では輸送による利用料はゼロ。体験飛行の収入が五〇万円のみである。
 北見の場合もグライダー利用料が七〇万円のみで、赤字の八八〇万円は北見市が負担している。
豊肥では利用料収入二九〇万円、市の持ち出し二一〇〇万円という。すべて、空港の大赤字を
県や市町が負担する構図に変わりはない。
0125石井紘基垢版2015/10/07(水) 15:20:41.09
狭い日本に一〇〇の空港

 公共事業を請け負う六〇万社にのぼる全国の土木企業に仕事を与える方法の一つが、空港建設
である。空港建設もまた広い範囲に予算を配分できる。滑走路やターミナルなどの本体部分の他に、
保安施設、駐車場、整備池、周辺道路、河川改修、区画整備、緑地整備、農地開発、騒音対策、
鉄道整備、通信設備、商業施設、土地不動産などの事業に金が落ち、利権が生まれる。
 現在わが国にある飛行場は九三、建設中を含めると一〇一である。この中には地方の小規模なもの
(調布、大分県央、枕崎等)や民間空港、米軍のもの(三沢)、ヘリポートは含まれていない。
 空港建設費は特別会計等で処理され、各空港の財務に計上されないため、一般に実際の財務状況は
きわめてわかりにくい。
しかし、建設費を別にして空港の運営だけを見ても、たとえば、庄内空港(山形)の場合は、
着陸料などの収入が三億円、人件費などを除く維持管理費支出が三億二〇〇〇万円余である。
大館能代空港のように収入一億円、支出四億円余というところもある。
 国が第七次空港整備計画(平成八年度〜一四年度)で平成一二年度までの五年間に注ぎ込んできた
建設費は約二兆五〇〇〇億円。地方負担分はこの五分の一弱だ。しかし、この金額の大部分は
"使い捨て"なのである。
 借金で賄われた建設費に対する国と地方の負担は年間約六〇〇億円に達している。こうした
コストが国際的にもダントツの空港使用料や航空運賃、そして、国民の税負担、"高狂"料金に
ハネ返っていることはいうまでもない。
0126石井紘基垢版2015/10/07(水) 15:21:51.42
/// 公共事業という名の収奪システム 33 /////

 "空港は県のステータス"といわれる。静岡県島田市と榛原町の間に計画された静岡空港は、
県が事業主体の第三種空港として、平成一六年完成をめざして建設工事が進められている。
事業区域五三〇ヘクタールの半分以上はオオタカやノスリなどが生息する自然地帯である。
この建設計画に静岡県内の一般住民はほとんど関心を持っていない。利用する可能性が
ないからである。
 伊豆から東寄りの人々は羽田の方が便利だし、愛知県寄りの人は第一種空港の中部国際空港が
建設中だ。静岡近辺は東名も走っているし新幹線も通っている。静岡空港が完成しても、
成田や関空、羽田といった国際線や過密ダイヤの空港とは繋がらないから、行き先は松山、
高知、熊本などの地方空港にせいぜい札幌、沖縄という路線だ。

県は開設可能性のあるローカル七空港と結べば一七八万人の利用が見込めるというが、県が
主体で設置する五七の第三種空港のうち、三大都市圏との路線以外で利用者が一〇〇万人を
超えるのは観光スポットの石垣島だけだ。机上の空論で「試算」を行い建設に突っ走るのは、
馬鹿げたことである。
 県は建設費を二〇〇〇億円と言っているが、難航している用地買収の残り分や標高二一〇
メートルの山を八〇メートルも削り取った二七〇〇万立方メートルの土砂処理などで、実際の
総事業費は少なくとも五〇〇〇億円以上になるはずだ。あらゆる大規模"公共事業"と同様に
当初見込みの二.五倍から三倍の金が必要になるのである。ちなみに昭和六三年に開港した
岡山空港の場合も、当初見込みは八〇〇億円だったが、できてみたら二〇〇〇億円
かかっていた。
0127石井紘基垢版2015/10/07(水) 15:22:33.88
/// 公共事業という名の収奪システム ////////

 静岡空港のような第三種空港の建設費に対する国の補助率は、本体が五〇%、附帯施設が
五〇%であるほか、地方公共団体の起債の元利償還に対しても国の交付措置が定められている。
国からお金をもらいたければ港を、ダムを、飛行場を造りなさいという仕組みになっているのだ。
とくに中央省庁出身の多くの知事たちは、地元に金を回す方法は、公共事業を推進することで
あることを、よく知っている。空港が必要なのではなく、公共事業が必要なのだ。
 神戸空港は昭和五七年に建設構想が発表され、平成五年に神戸市が事業主体となる地方第三種空港
として政府の整備計画が決定された。平成一七年完成に向けて現在建設中である。総事業費は
三一四〇億円で、空港用地を含めて二七〇ヘクタールの埋め立てを行い、埋め立て地の売却や
埋め立て用に山を崩した跡地に団地造成を行って、事業費の大半を捻出する計画だ。
平成一一年春に、私がはじめて現地を視察したとき、すでに小高い山が一つ切り崩されていたが、
平成一二年末に行ったときもまだ二つめ(三つめ?)の山を切り崩し、その土砂を延々と海まで続く
ベルトコンベヤーにかき上げていた。空港本体の建設費は目下のところ五〇〇億円である。
 神戸空港が完成すれば、阪神地区にはアクセス三〇分以内に関空、大阪空港に次いで三つめの
空港が出現することになる。現存の二空港でさえ運営が暗礁に乗りあげ、様々な問題が表面化している
ところに、どう逆立ちしても神戸空港が立ち行くはずはない。一刻も早く建設を中止しなければならない。
0128石井紘基垢版2015/10/07(水) 15:23:29.97
/// 公共事業という名の収奪システム ////////
羽田の国際線利用の遭を塞ぐ国土交通省

 運輸官僚の主張が合理性をまったく欠いているのが、羽田空港の場合である。一兆五〇〇〇億円を
かけた沖合展開は完成し、すでに二四時間運用を実施しているのだから、夜間は国際便に利用する
のがもっとも合理的である。しかも三〇〇〇万人の人口を持つ首都圏メガロポリスの空港として、
成田の能力はあまりに過小である。
 成田の年間発着能力が年一三万回なのに、ニューヨークはニカ所の国際空港で七四万回、ロンドンは
五九万回である。羽田を国際線に利用すれば、首都圏はニューヨーク、ロンドン並みの玄関口を
用意することができるのだが、羽田の国際線利用に踏み切れない。その理由はただひとつ、成田を
国際空港として建設してきた運輸官僚のメンツである。
一方、関西空港を経営する第三セクター「関西国際空港会社」(大阪府泉佐野市)の累積赤字は
平成一二年度末で一七三〇億円に達した。平成一〇年度末には一三三三億円であったから、二年で
四〇〇億円も膨らんだことになる。旧総務庁が平成一二年一月二七日に発表した同社の財務調査結果だ。
同社は空港島の建設費(一期事業分)にあたる一兆五〇〇〇億円の七割を借入金でまかなったため、
年間四〇〇〜五〇〇億円の金利負担に苦しんでいる。
0129石井紘基垢版2015/10/07(水) 15:25:37.49
/// 公共事業という名の収奪システム /////

 平成一一年には黒字となり一五年には配当ができるという当初の約束には、ほど遠い現状だ。
需要予測は大幅に狂っている。着地料収入も予想を下回り、今後の伸びは期待できない。旅客ターミナル
ビルのテナントも撤収があい次ぎ、テナント料収入は減少傾向に転じている。関空会社の累積赤字は、
今後膨らむばかりで、解消される見通しは皆無といっていい。
 関空でさえ赤字体質だというのに、平成一〇年には中部新国際空港建設が着工された。空港建設の
事業主体は、成田が公団、関西空港は第三セクターの特殊法人であるが、中部の場合、形の上では
民間がほぼ全額出資する株式会社になった。
国は特殊法人を通して資金を出すが、そのほとんどを将来の返済が必要な貸付金とせず、空港用地を
事業主体会社と共有するための代金として拠出する。このため当面は返済を求めないとされている。
総事業費は八〇〇〇億円で、そのうち三二〇〇億円は無利子資金。うち二一二三億円は国に頼る。
このほか四八〇〇億円の有利子借入金を使うが、これについても政府保証をつけるなど、国への
依存度が強い資金計画となっている。
 東京―名古屋、東京―仙台の両航空便は、新幹線との競争力がないことが実証されて姿を消した。
中部新空港が関空以上の営業成績を出すのはまず無理で、国のカネをどんどん吸い込んでいく
ブラックホール的な事業となる公算が大きい。それなのに、なぜ中部新国際空港なのか。「中部エゴ」は
わかるが、旧運輸省がわざわざそこに一枚かむのには"政治"の見えない事情があるのだろう
0130吉本隆明垢版2015/10/08(木) 19:38:05.42
わたしの想像を遥かに超えた第一の要因は、消費産業(第三次産業)の担い手である通信・情報担当の科学技術と、その空間、時間の均質化とその能力である。少なくともこの空間と時間の均質化の能力と作用は、
どんな勢力や集団によっても阻止されずに、地球上のあらゆる空間と時間を等価、均質化した。
つまり「隣り」と「遠隔」を等価にし、時間を等価にし、時間を同時化した。これは人工的に第二の自然として動かしがたいところまでもっていった。
しかもこれは科学的にいえばそれほど難しいものでもないし、思いつきを誇大な利潤・剰余価値に結びつけたと見做してもいいものだ。
この情況はわたしなどの貧弱な想像力をはるかに超えた。ことに学的には少しの思いつきを追ったにすぎないと思えることが莫大な富の権力に結びつきうるという事態の怖さを見せつけたとわたしには思える。
  (『「情況への発言
0131金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/10/13(火) 02:39:21.41
戦後・・・テレビの民間放送局ができたときに官僚の手で「キー局」システムがつくられました。
このシステムは世界に類例のない珍しい制度です。

キー局システムとは、キー局だけに全国番組編成権を与えるというものです。
それ以外の放送局は、放映権はあっても全国番組編成権がない。
従って、大阪,名古屋,札幌,福岡などの準キー局は全国に放送はできるが、
それを行うには東京のキー局に「ぜひ全国放送に入れてください」と頼みに行かなければならない。

東京のキー局では地方担当ディレクターに
「大阪でつくるのはどんな番組化かね」と聞かれる。
「いや、これは若いデザイナーとエンジニアの恋の物語です」などというと、
「そいうものは東京でつくるから。大阪は細腕繁盛記かヤクザものでないとダメだよ。俳優は誰を使うの?」
「今、流行りの浜崎あゆみさんを使います」
「あ、それは東京で使っているから。大阪は吉本の漫才にしなさい」などと、こと細かく干渉します。

私も大阪や名古屋でいくつも番組をつくった経験があります。
関西空港を舞台にした「向かい風の朝」というドラマをつくったときでも、関西空港を舞台にしたドラマなのに、
「東京芝の大阪朝日放送東京支社スタジオで製作すること」という条件がつきました。

キー局システムは日本の大問題です。
Bs放送までもがキー局に割り振られたので、ますます東京一極に集中する方向にあります
他の地域、大阪や名古屋からも申請が出ましたが、免許が下りた8チャンネルはすべて東京都になりました
0132金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/10/13(火) 02:39:50.31
情報発信機能の東京集中は、放送や出版に関係する人を東京に集中させただけではない。

あらゆる分野の高級で最新のものが東京に集中しているような印象を全国に与え、
国民の東京憧れムードを煽る一方、地方には文化想像力がないような錯覚を植え付け
地方嫌悪の印象を助長した。そしてそれが原因となって、
今や地方にはファッションを生む雰囲気も、テレビ番組を造る能力も、
雑誌を出版する人材も全くないとの「神話」が作り上げられている。
だがこれは「神話」であって事実ではない。情報発信機能の欠如という不利を克服して
地方から新しい業種業態が起り、新しいファッションが生まれ、
有能なファッションデザイナーや建築家が数多く登場している。
ある総合研究所が調べたところでは、戦後の新業種新業態の発生や
流行したファッションの発生源はほとんどが地方であり、東京は人口比率よりも少ない。
ただそれが「流行」と認められるためには、
東京のマスコミが取り上げられた場合に限られる。
そしてそのためには東京の中心部、千代田、中央、港、新宿、渋谷の五区で
話題になる事が条件になっている。
同じ東京でも、台東区や墨田区ではマスコミが取り上げないのだ。
情報発信機能が東京に、それもごく狭い五区に集中したために
東京は地方の情報が入らない「孤独な巨人」になってしまったのだ。
0133堺屋太一垢版2015/10/13(火) 02:53:36.87
今、若い人がみんな東京に住みたがる。口で聞きますと、やあやはり地方は緑が多くて家も広くて便利でいいですよと言っている人が、本当は東京へやってきてしまう。女性の方々も、自然豊かなところで伸び伸びと子供を育てたいのですとおっしゃりながら、
御主人が自然豊かたところへ行くと単身赴任になってしまう。これは一体何なのかというと、やはり情報発信機能なのです。東京にありますればテレビでもすぐ出るものですから、余り大したことのない、
珍しさのないお店でもすぐ情報が流れるものですから、私の住んでおります近所なんかでも、イタリア料理屋がテレビに出ますと、もう次の週から地方なまりの方の行列が物すごいのですね、これが二カ月ぐらい続く。
それぐらいのものは、地方にももっといいものがあっても、いやテレビに出たところだからというので来られるわけですね。
 ところが、この政治行政機能の都市というのは必ず情報発信機能を持ちます、外交機能も持ちます、そういう多様性を持ちます。だからそういうものがもう一つできますと、そうしたら国会のあるところの町はこういう情報、東京はこういう情報、
じゃ大阪の情報も聞いてみよう、仙台の情報も聞いてみようというアメリカ型の多様化が起こるのですね。これがやはり私は重要なことだと思うのです。
今全国テレビ、特に東京のテレビにのりますのは、地方の問題は事件と事故と伝統行事とスポーツと選挙だけてあります。したがって、東京の者から地方を見ますと、地方というのは事件と事故と滅び行く産業しかないような感じがするんですね。これは私たちも、
例えば大阪でこういうイベントがあった、百万人出るようなイベントがありましても、それは東京では一切報道されません。逆に伝統行事であれば、わずかなものでも報道される。何か地方は古くさいというイメージ、これにあこがれて若者たちが集まってくる
0134堺屋太一垢版2015/10/13(火) 03:00:49.97
今東京でテレビを見ていると,新しい文化は東京からしか出ないように思える。例えば,本来流
行は全国各地から出てくるものですが,テレビで取り上げられるのは東京都心部の5 区に流行が
伝播して以降です。地方で流行している間はほとんど取り上げられない。
また地方から全国に伝えられる情報は,大体,地場産業,伝統行事,選挙とスポーツ,それか
ら事故ですね。だから東京のテレビでは地方は選挙と事故ばかりで,全く文化果てる国のように
見える。地方でどんな芸術家がいるのか全然わからない。彼らはすべて東京にいると思ってしま
う状況です。特に,地方の行事を国際発信することが少ない。例えば,福岡の「アジアビエ
ンナーレ」という美術展は,パリの新聞には大々的に報道されましたが,日本ではわずかにパリ発
で報道された程度。皆様方もご存じないかもしれない。しかし地域の情報を新しい文化として発信す
ると,若者も「ああ,あそこへ行ったら,こういうファッションの仕事ができる」「あそこへ行ったら,
こういうロボットの仕事ができる」と思うようになる。地域の方も特色のある文化を育てて,それ
を日本国中や世界中に発信する。例えばアメリカですと,テネシーへ行くと草の根ロックンロール,
ニューオーリンズならジャズは世界一など,色々違いがあります。日本は,全部東京に右ならえと
いう中央集権的な文化状況となっているところが問題ですね。皆さん方も東京にお住みになっていると,北海
道や名古屋の野球チームが来たら観戦に行くことはあっても,北海道の管弦楽団が来ても東京
より良いから聴きに行こうと思われないですよね。これは日本だけの特殊なことです。だから,地
方局がいくつか連合して「うちは管弦楽団」「うちはジャズバンド」「うちはファッションショー」とい
うような育て方をして,それを全国に発信する。そういう機能を持ってもらいたいですね。
私は,日本万国博覧会以来,地方のイベントや観光開発などに携わって参りました。それらが
成功したのは,テレビが全国発信してくれたからです。テレビは重大な使命として,日本の多極化,
多角化を進める先兵になってもらいたいと思っています。
0135堺屋太一垢版2015/10/13(火) 03:31:49.77
ソフト化というのはソフト自体が目標とした価値を持ったものになる時代です。
そうなると創造力を働かす社会、個性の社会になります。地域開発にしてもいかに個性を訴えるかで
す。だから東北にも北海道にも日本で一つしかない世界で一つしかないものを作らなければいけない。 これが今一番難しいところです

キー局システムという世界に類例のないシステムを作りました。これが痛烈なシステムで、キー局でないと全国放送番組編成権が無いのです。それで準キー局とい
うのは大阪や名古屋や福岡や札幌にありますが全国放送は出来るが、編成権は無いのです。それ以外は全国放送が認められません。中央のキー局を通さないと認められません
この全国放送番組編成権があるので、地方の局、例えば札幌の局で作った番組を全国に流してもらお
うと思うと、その系列のキー局に全国に流してもらうように頼みに行くのです。私も名古屋や大阪で経
験がありますが、そうすると地方担当ディレクターというのが出てきて、どんな番組か見せてみろとい
うことになる。これは東北地方を舞台にしたファッションブティックの女主人と若い会社員の恋物語で
すと言うと、そんなのは東京で作るから東北で作るのは止めて、東北は減反で困って飢え死にしそうな
貧しい村のストーリーを作らないと駄目だという話になる訳です。
従って全国の人が見ていると、文化は東京にしかないように見えるのです。東京以外の事が書いてあるのは事件、事故、伝統行事、スポーツ、選挙だけです。
この五つは上りダネと言わないのです。後は上りダネを書いては恥ずかしい。東京の新聞を読んでおられる方は地方の記事の中でこの五つ以外に、
どれだけ地方の情報が入っているかご覧になると、1カ月に1本も入っていません。それ位少ないです。
それで殺人事件とか交通事故とか事件や事故が起きると大きく出ます。そうすると新聞を読んだりテレ
ビを見ている人は東京以外の所では事件と事故と滅びゆく文化しかないように見えますから、全て東京
にあこがれて情報発信が統一される。これがいわゆる情報格差を無くするという政策です。これを徹底的にやった訳です。
0136金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/10/18(日) 13:55:49.92
【堺屋】 いまからちょうど百二十年前にカール・マルクスが現れて、
社会主義計画経済をつくれば、競争の無駄がなくなるという原理を発見して、
大論文を書いた。資本主義社会は自由競争があって、各メーカーがそれぞれ
自分の計画をつくって、物をつくる。だから過剰生産になり、恐慌となって、
倒産を呼ぶ。つくった物とか、その物をつくる施設が無駄になる。だから
競争経済よりも計画経済がいい。マルクスはこういうふうに発想したわけです。
ところが計画経済をやってみると、売れる物をつくろうという意識がなくなる。
そういう努力をしなくなる。計画によって割り当てられた量をつくれば、
つくったものは全部出ていくから、より質のいいものをつくろうとしなくなるんです。

中内功
しかしもし流通網が全世界に広がり、うまく機能していれば、戦争なんかせずに、経済的な交流によって危機を回避できたはずでしょう。
大東亜共栄圏のような経済ブロックなどつくる必要もなかった。世界中に飢えや貧困がなければ、戦争など起こらんわな。だから、流通を盛んにし、物流だけでなく、
情報の行き来も、人の交流も増やして相互理解、相互依存を深めていけば、戦争という非常手段に訴えなくても危機を乗り越えられるはずでしょう。
ところが生産を中心にすると、マルクスやレーニンが言ったように、大量生産がやがて過剰生産となり、恐慌がおこったり、あるいはその過剰生産物を消費するための市場を海外に求めて、植民地獲得のために侵略戦争を起こすという悪循環となってしまう。

だから、視点を変えることが大事なんや。アジアの中の日本と考えれば、工場がアジア諸国に移っていったって、空洞化やないわな。今まで東京にあった工場が仙台に行き、仙台から青森に行ったのと同じで、それが上海へ行ったり、
天津へ行ったりするだけのことや
0137堺屋太一垢版2015/10/18(日) 14:09:19.04
ケインズのような反マルキシストも、私は社会主義は嫌いだけれども人類の行き着く先は
社会主義に違いないと書いています
ところが80年代になるとこれは大変な間違いである事に気がつ
く。多様性を求めるのは決して人間の過ちではなくてこれは満足を得る本質である。だから規格統一の
世界だけでは人間の幸せはやってこないということが言われるようになる。しかもこの多様性を作るの
がコンピュータ技術によってどんどん安くなってくる。この結果、社会主義は目標を失って退廃が起き
るようになりました。目的が達成出来ない。達成出来ない目的を与えられて努力するものは必ず退廃し
ます。そしてその日の自分の利益だけを追求するようになります。これが末期のソビエト官僚の姿です。
それで社会主義の文化というものが滅びました。社会主義は戦争で負けた訳でも経済で崩壊した訳でも
ありません。文化が信じられなくなった。社会主義、共産主義等の掲げる理想というものを人々が信じな
くなったのです。そうなると即滅びます。これは明治維新の時に武士の文化が滅んだ。終戦の時に軍人
文化が滅んだのも全く同様です

自由経済民主主義しか残らなくなったのです。これがフランシス・フクヤマの言う
歴史の終わりなのですが、実は歴史は終わりません。後のものは全部駄目な事が立証されたから、自由経
済民主主義というのがグローバルスタンダードだという形で出てきた訳です。
0138堺屋太一垢版2015/10/18(日) 14:27:40.85
日本がこれからどういう国になるか。ここが非常な問題であります。まず第一に考えなければいけな
いのは、この昭和16年体制の中での規格基準を止めるという規制緩和、基準の廃止、規格の廃止、これ
が第一の問題です。第二番目の問題として今言われているのは地方分権、つまり有機型地域構造の形成を止めるというこ
となのです。有機型地域構造の形成を止めるという事は、第一に東京一極集中を止めるということです。
従って地方分権になります。第二には地方分権になるという事は地域の格差を認める事です。つまり地
域格差を無くすという事はとりもなおさず個性を無くするという事ですから、個性の復活というのは格
差を生むという事です。従って今迄の逆をやればいいのです。逆といえば先ず地方からの情報発信を増
やすこと、次に地方に特定目的の施設を作ること、そして名物づくりをすること

そうしますと建て替え需要はあっても敷地は広げる必要がありませんから、地下鉄
も下水道もこれ以上造る必要はない。これが今の公共事業見直しの一番の根拠なのです。人口構造問題
から出ているのです。それでそろそろ公共事業を止めないといけない。
今迄は高齢化社会が来るまでに公共事業を充実して社会資本を充実しなければいけないと言っていたけ
れども、そんなことを言っていたら社会資本を作り過ぎになって、成金の親父が豪邸を建てたあまりサ
ラリーマンになった息子は固定資産税と修繕費で破産するというよくあるパターンに決まっている。だ
からもう止めなくてはならないというのが現在大きな問題になっている訳です。
当然、工場用地も要りません。この結果、急速に膨大な土地余り社会が生まれだしたのです。現在皆
様方の東北北海道でも山林は殆ど値打ちが無いですね。静岡県の方では山林を寄付するために汚職が起
きたという。ただでもらってもらうために役場の議員に金一封を包んだという事件まで起きました。東京辺りに住んでる人で山元にいた親父が死んだ。そ
うしたら何の利益もないのに固定資産税と道路修繕費が毎年来る訳ですから、これはたまらないという
ので、何とか寄付で受け取って欲しい。ところが村の方も寄付を取るとお金が上がらなくなって固定資
産税が無くなりますからなかなか受け取りません。
0139堺屋太一垢版2015/11/12(木) 14:42:56.54
第122回国会 国会等の移転に関する特別委員会 第2号

交通政策審議会 陸上交通分科会 鉄道部会 中央新幹線小委員会(第7回)

したがって、この問題の第2点は、リニア新幹線ができますと、今の国土政策を続ける
限り猛烈なストロー効果が起こって、名古屋や大阪は劇的に衰退するでしょう。そして、
需要が激減するに違いありません。これは大変奇妙な現象です。交通と通信が便利になる
と首都圏一極集中が進むというのは、日本だけの現象です。1980年以来、世界の主要
国で経済と文化の一番大きな都市が全国比重を高めた例は、全くどこにもありません
0140金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/11/15(日) 20:20:37.32
意味がわからね。尾張名古屋はトヨタでもつ。
ネット時代にリニア新幹線で経済活動かよw
養老院に行って文集の編纂に集中してくださいな。
0141金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2015/11/28(土) 17:59:35.12
首都圏一極集中の理由を考える時、一番考えなければならないのは東京のコスモポリタンということでしょう。
東京は沖縄から北海道までの日本人と、世界各国から集まった人によって構成されてるんですよ。
まあ地方都市にも外国人は増えてますが、東京はもっと進んでます。
それはどういうことかと言うと、人間関係が身分とか年齢とかその他の理由で、態度が変わらない
人間関係が出来上がった社会になっているということです。
「先輩なのにため口で」とか「店員なのに横柄」だとかという感じを抱いても
それが表に出ることは少ないのです。みんな敬語で接しないと嫌われます。
私もテレビでしか見ないような人とも接しますが、相手の方も丁寧で敬語は忘れずに接してくれます。
一方、東京を離れると中小零細の社長でも、お山の大将で「◯◯だが、すぐ来てくれ」という態度。
従わないと「生意気だ」「あいつはダメだ」ということになりやすいのです。
だから東京では外国人も暮らしやすいし、ビジネスも上手く運びやすいのです。
先輩後輩だの年齢だの経歴だのにうるさい地方が遅れる理由は、
かなりそこの人間そのものにあるように思います。
0142堺屋太一垢版2016/01/21(木) 23:28:08.64
 近代工業社会は「物財の豊かなことが人間の幸せ」と信じる社会である。
 ・・・そこでは人々は、・・・「まず教育を受けて所得の高い職場に入り、貯蓄して金利を得ながら物財を消費する」のを「健全な生き方」と考えた。
 ところが、1980年代に入るとアメリカやイギリスでは「人間の幸せは満足の大きいこと」と考える発想が広まった。すべてを一変する知価革命のはじまりである。
 ここでは、所得の高い大量生産の製造業よりも自己実現や対人接触の多い職場が好まれるようになった。満足の大きさを求める人々は、
「欲しい時に買い、あとで支払う」のが「利巧な生き方」と考える。このため、家計の負債が急増し、需要過剰経済が出現した。貿易赤字を必然とする構造である。

因果の関係を正確にいえば、まず石油をはじめとする商品価格の漸騰があり、これによってアメリカの景気が悪化、住宅不動産価格の下落を生んだ。それがサブプライム・ローンの破綻の原因になったのである。
 では、何が商品市場での高騰を生んだのか。その主因は資源不足の予測とマネー(ドル)過剰の見込みである。・・・
 そのため、短期の高利を求める投機に走る資金が増えた。そんな投機資金が商品市場を動かし、各種商品の暴騰を生んだのである。
0143堺屋太一垢版2016/01/21(木) 23:29:54.36
 今日の最大の問題は、世界経済の体質と構造の変化に、人類の知識と制度がついていっていないことだ。
つまり、改革の行き過ぎではなくして、改革の遅れなのである。

学校と教師の側が競争し、生徒と父母の方は選り取り見取りで好きな学校を選べるのがよい状態である。・・・
 こういえばすぐ、「それでは高い月謝の支払える裕福な家庭の子女が有利になり、貧しい家庭の子女はよい教育を受けられない」という不公平論が出そうだが、必ずしもそうではない。
比較的自由な競争の認められている大学を見ると、月謝(授業料)の高い私立大学が優秀好評で、そうではない国公立が劣等不人気とは限らない。月謝の安い東京大学や京都大学は好評である。
 一流国立大学の学生に裕福な家庭の子女が多くなっているのは、競争の不十分な(官僚統制の厳しい)小中学校や高校に格差があるからである。
0144金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/01/21(木) 23:38:00.59
日本では欠点を直すことに力を入れている。得意な科目を伸ばすより苦手科目を克服することで、全員平均点レベルの人間ができあがってしまう」と堺屋氏。「“個性のある人”は“クセのある人”といわれ、
“独創的”であることは“我流”だといわれる。先生に教えられることをそのまま覚える人がいい点を取り、いい点を取った人が官僚や政治家になる。このような個性のない人に改革は無理だろう」 

また同氏は、規格大量生産時代に日本企業が「企業として利潤をあげるべき組織」から、「社員の幸せを一番に考える共同体」と変化してしまったことにも警告を与えている。会社としての利益より社員の居心地のよさを重視したことで、
企業は競争力を失い、企業内部での争いもなくすべく年功序列や終身雇用が当然となってしまったが、「これは企業に死をもたらす病のひとつだ」と堺屋氏はいう。
このような社会基盤の中、日本では個性のある人材が活躍できない場となってしまったが、「個性のある人材が生き残っている分野が3つある」と堺屋氏。
それは、カラオケを生み出した音楽の分野、個性的なキャラクターで世界中から注目を浴びているアニメーションや漫画の世界、
そしていまやハリウッド映画を抜いて世界最大の映像産業となったゲームである。このように世界に誇れる強い分野を持っているにもかかわらず、「日本のIT産業は個性的な人材が活躍しにくい分野となっており、そのため世界から遅れを取っている」と指摘する。
「米国の大学生で一番優秀な人材は、自分の個性を発揮したいために自立志向が高い。そして自分の個性で成功する自信のない人が弁護士や医者、また官僚などに流れていくのだ
0145堺屋太一垢版2016/01/21(木) 23:47:59.44
「日本はインターネットが発達し,ブログも活性化している。しかし,発信数が多いのと,情報量が多いのは全く異なる。現在の日本は,発信数は多いかもしれないが,
情報に豊かさがない」とばっさりと切り捨てた。日本では同じ情報が何度もさまざまなメディアから流されるだけだというのだ。
その理由として日本では,情報が一方向からしか流れないことを指摘した。具体的には,官僚,東京,同業者からしか情報が流れない状況になっているのだという。
まず,官僚からの情報の例として示したのが少子化問題。この問題を取り上げるとき,他の先進国と比較し,「男性の権利が強く,女性が弱い国ほど少子化が進んでいる」
という結論が導き出されている。しかし,世界を見てみると,アフガニスタンやサウジアラビアが出生率の上位に来る。
逆にウクライナや白ロシアは出生率が低い。本当にこの結論は正しいのか。官僚は自分たちの論理を押し通すために,一部の情報しか出さないと断じた。
また「東京には情報発信能力があるが,情報(コンテンツ)はない」とも述べた。例えば,流行は地方で発生し,東京に入ってきて初めてマスコミが取り上げるが,地方で流行っている段階では誰も取り上げない。
スポーツや事故,選挙などの話は地方から入ってくるので,地方のことを知っている気になっているだけ。実際には,日本の全国で何が起こっているのか国民はほとんど知らない状況に置かれているとした。
最後の,同業者からしか情報が流れないという例では銀行を挙げた。「日本の銀行関係者は,どの国の支店に行っても同じ話をしている。ジョークまでも同じ」と皮肉った。
こうした環境に国民が置かれた結果,異説・異論が出ない社会になってしまったことが問題だと堺屋氏は指摘する。「最近の若者を見ていると,議論せず,お互いの長所を褒め合うだけになってきている」。
異説・異論が出ず,議論がない社会では,今後成長の糧となる独創的なアイデアは生まれない。
また独創的なアイデアを生むためには,情報の豊かさ,源の多さ,多元性こそが重要。これがない日本は,国家として非常に危険な状態だと懸念を表明した
0146堺屋太一垢版2016/01/21(木) 23:57:55.81
近代文明を生んだ欧米の思想は、欧米に見習うことが進歩であり近代化だと信じて来た日本の考
え方とは大いに違っている。日本でも、十六世紀の戦国時代には過激なまでの独創力が発揮され
評価されたが、十七世紀初頭に徳川幕藩体制が確立して以来、あらゆる事柄が様式化され、パタ
ーン化された。先人のやり様を巧みに踏襲することが正統な流儀となり、個性は「くせ」といわ
れて嫌われ、独創は「我流」と呼んで軽蔑された。明治維新は、絵画から柔術まで多くの流派を
破壊したが、それに代わったのは欧米の近代文明を模倣する官僚主義、最初に欧米に知識や技術
を導入した高級官僚や帝国大学教授を「家元」のようにあおぐ人脈の形成であった。
ところが、自ら近代文明を生み出した欧米では、個性と独創、日本的にいえば「くせ」と「我流」
こそが、人類の文明と経済を発展させる進歩の源泉として尊ばれて来た。先人の道に習う「流派」
は、せいぜい「先生の偉業を伝えるレッスン・プロ」としてしか評価されない。
0147堺屋太一垢版2016/01/22(金) 00:08:54.11
能力があって意欲のない人間ほどいやな奴はいない。能力がなくて意欲のある人間ほどかわいい奴はいない
・人間は所得の格差よりも消費の格差を嫉妬する
・一番の贅沢は世間の評判を気にしなくてよくなること
(人間がお金を求める4つの段階 第1:今日の飢えからの自由 第2:明日の不安からの自由 第3:未来の心配からの自由 第4:社会の評判からの自由)
・日本では独創を「我流」と呼んで軽蔑する
・インフレは経済問題だが、デフレは社会問題だ
(インフレの苦しみは大多数に降りかかる。デフレの痛みは少数者に集中する)
・組織人は人事評価で動く。社長の演説や社是で動くのではない
(社長が環境を重視せよといっても、人事評価が売上伸率で決まれば、社員は売上を伸ばすことに必死になる)
・起業に必要なのは憤りと実業化の志
・自分の特徴を客を喜ばせることに利用する
・組織における個人の権威は内部の「伝説」で決まる
・未来の企業価値を測るのは理想・構想・独想
・知識は客観的で、倫理は主観的な方がよい。経営者の陥りやすいのは、その逆だ
・未来への冒険に出発するのは、現状維持が不可能と分かったあとである
・人類の進歩の一つには、より怠惰に生きられる条件を創ることである
・教育を見れば、その国の人々が目指している未来像が見える
・辛抱強さの教育は、子供には嫌いなことを多くさせる
・利権化は誇りと尊敬を失う
・ホームレスのいない自由社会こそ、これからのあり様
・他人を支配したいのは、自分の正義を守らせたいから (正義感の強い人は、支配欲も強い)
・最も贅沢な需要とは、先行投資のことだ
0148堺屋太一垢版2016/01/22(金) 00:36:28.27
資源不足が生んだソフトウェア文化
モノ不足ヒト余りの時代が長かったことは、もつ一つ重大な影響を残した。
資源を必要とするハードウェアよりも、人手によってその利用価値を
高めるソフトウェアが重視されることである。
 世界中にあって日本にはないものは「都市城壁と手錠」といえる。
縄という汎用材で間に合わせ、手錠、首枷のような専用具はつくらなかった。
捕縛者の身体を傷つけず、かつ逃げられないように人間を縛ることは簡単
ではない。相手もプロの盗賊や間者になれば「縄抜けの術」などを心得て いるからなおさらだ。
このため日本では「縛り術」なるものさえ考えられた。これが徳川時代
中期以降になると様式化され、相手の職業(身分)、性別、年齢によって
十三種類にも分かれる。武士用、町人用、僧侶、女性など、それぞれに
型が決まっており、これだけを習熟するためにも三年の修業が必要とされた。
それでも、この国では、手錠という便利な専用具をつくろうという発想は、
ついぞ生まれなかった。ハードウェアに頼るのは、専門家として恥ずかしい ことだったのだ。 
このことは、あらゆる面に見られる。外国の住宅は、食堂、居間、寝室と
機能的に分かれているが、日本の住宅は同じ形式の座敷が並び、ソフトウェア
(利用技術)によって食堂にも居間にも寝間にも使う。襖をはずせば大広間、
冠婚葬祭も自宅で行えるという便利さだ。
 食事に使う道具も箸一つ。ナイフ、フォーク、スプーンからエスカルゴ専用の
ハサミまで並べる洋食とは大違いだ。その代わりに、茶道のようなソフトウェアが
発達した。モノ不足ヒト余りの徳川時代には、専用具に頼らず、ソフトウェアで
解決することが専門的知識と人格高潔の証と見られていたのである。
0149堺屋太一垢版2016/01/22(金) 00:37:53.62
「型の文化」が生んだ教育大国
専用具に頼る欧米では、特定の専門家が器具を生産して供給すれば、他の人々はさほどの苦労もなくそれを利用できる。しかし、ソフトウェア
文化の日本では、消費者それぞれが利用技術を習得しなければならない。
当然、そのための伝授、教育が必要になる。このためにまず、伝授する
教師を大量に育成する必要がある。それを可能にするため、徳川時代
中頃からはソフトウェアの様式化、つまり「型の文化」が確立される。
武道にも茶・華道にも、囲碁将棋にも、読み書きソロバンの教育にも、
「型」が定められ「定跡」ができ上がる。「型」さえ覚えれば、まず基礎基本は
できるのだから、「型」だけ教えられる者でも初等教育の教師は務まる。
徳川時代後半に、全国の農村にまで寺子屋や武芸道場が広まったのは このためだ。
 一方、一般庶民のほうも物財よりもソフトウェアを重視、子孫に金銀財宝を
残すよりも教育をつけることに熱心になった。幕末期において、すでに 日本が「教育大国」だったのもこのためであろう。
このことは、日本人の平等性と情報共通性を高めるとともに、
「生なりの文化」を純粋化するのにも役立った。万人に教えられる
「型」であれば、特殊技術の必要な、不自然な動作発想では 困るからである。
 その半面、個性と創造力を抑圧することにもなった。まず先人の
定めた「型」を教え込まれ、「型破り」は禁止され、「我流」は 軽蔑された。「我流」こそ個性であり、創造である。
0150吉本隆明垢版2016/01/30(土) 02:51:16.06
吉川英治の物語性の背後には、日常的な、ごく普通の生活から発する好奇心
があるのではないか。日常生活を送りながら体験するさまざまなこと。どんな
ことでもいい。あの時にけんかをしたら涙がこう出たとか、いや別な女はこん
なふうに涙をためたとか、そんな日々の生活の機微に大そう惹かれる気持ちが
物語性の細部を成り立たせている。
 純文学作品だったら、それは第二義的でいいと思うようなささいなことかも
しれない。でも本当は大事なことなのだと思う。

男女の恋愛関係のなかでいちばんむずかしいのは三角関係なんです。三角関
係というものを最後まで追いつめていくと、どうしても死ぬか生きるかといい
ますか、相手を殺してじぶんの恋を成就するか、それじゃなければじぶんが死
ぬかというようなところに追いつめられるほどきついものです。
 一人の女性をめぐって二人の親しい人間が葛藤するのが三角関係の小説で、
これは不倫小説とか浮気小説とはまるで違います。何が違うかというと、二人
が親しいこと、もしかしたら広い意味での同性愛に近いかたちで親愛感をもっ
ていることが三角関係小説の大きな特徴です。これがなければ、単なる姦通小
説で、トルストイの『アンナ・カレーニナ』とかフローベールの『ボヴァリー
夫人』みたいな小説になりますが、漱石が書くとそうはならないで三角関係小
説になってしまいます。
つまり三者三様にギリギリに追い詰められて、『こころ』の場合では親友は
自殺し、自分は下宿の娘さんと一緒になって暮らしますが、やがて年を経て明
治の終わりとともに先生も自殺して終わります。つまり、三者三様に自滅して
いくようにもっていく。大なり小なりそれが漱石の主題になってきます。
0151吉本隆明垢版2016/01/30(土) 02:59:15.44
漱石は、誰もが認める知識人で、世間的に立派な人物とされていました。けれども、漱石自身の中では、他人に対して小さな虚偽を犯し続けている卑小な人間であるという思いがあったのではないでしょうか。
それで、自分の内面にさらにどんどん入り込んでいき、ますます世間とのギャップが大きくなっていく。
これは日本の知識人の典型とでもいうべき姿で、現代でもだっしゅつできていないのではないかと思います。
西欧ならば、この種のことで悩むことは、まずありえないでしょう。漱石がもっていたような倫理観、つまり日本の知識人における内向する倫理観とでも言うべきものは、西欧における倫理観とはぜんぜん違うものです。

もし西洋の小説なら、三角関係になったら、女がどちらかの男を選ぶ。しかし漱石の小説でははじめからそのような可能性は考えられていない。それが日本の後進性であり、西洋風の自我がそのまま日本には通用しないことを示すのだという
0152吉本隆明垢版2016/02/04(木) 18:55:45.02
インターネット、携帯電話と、コミニュケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、
これに逆行することはできないんですが、コミニュケーション自体が自己目的化したら、それはちょっと病気です。
0153大江健三郎垢版2016/02/04(木) 18:59:23.92
テレビによつて、いくらでも雑多な知識がひろく浅く供給されるから、暇のある人は
テレビにしがみついてゐれば、いくらでも知識が得られる代りに、「中国核実験」と
「こんにちは赤ちゃん」をつなぐことは誰にもできず、知識の綜合力は誰の手からも
失はれてゐる。無用の知識はいくらでもふえるが、有用な知識をよりわけることはますます
むづかしくなり、しかも忘却が次から次へとその知識を消し去つてゆく。

いま情報テクノロジーの支配する社会で、もっとも痩せているのが、「文学の言葉」です。「ケータイ」とインターネットの表現が、この国の人間の表現をおおいつくす時代が遠からず来る、
それが老作家のペシミズムです。しかも、そこに大逆転の時がありうる−世界的にその徴候が見えている−という思いも棄てられません。
そうなれば、若い層から実力ある働き手の層にまで、知的で柔軟な、言葉の革新をなしとげる新種族が登場するはず、と私は信じます。その革新の手がかりとなるのが、
この国の近代化でつねにそうであったように「文学の言葉」だと続けると、我田引水にすぎるといわれるかも知れません。
しかし、漱石のみならず、諭吉も、まず「文学の言葉」の人だったと考えて、かれらのもたらした流れを辿り直してはどうでしょうか?
私は永く「文学の言葉」で生きてきました。そしていま、社会の表現と認識の言葉をリードしてゆく層の人たちが、
「文学の言葉」と無縁になっているのを実感します。また外国の知識人が、日本の知識人の言葉をどこに見出せばいいか、戸惑っているのにも気付きます。
0154吉本隆明垢版2016/02/04(木) 19:23:38.95
そうやって分けた石けんを持って、千葉県によく行って、食べものと替えてもらってました。
女の人は特にそういう感じをたくさん持ってたんだろうと思うけど、 垢じみて、お風呂で洗えないとか、
そういうことが当時はいちばん困ったらしいです。
いまから思うと、なんだこんなの、と思えちゃうんだけど、それはいちばんのことなんですね。
人間ってそうなんだなぁ、と思いました。なぜなら、食いものは、そこそこあれば、家庭は壊れないからです

つまり、おなか減っても、文化的なものが欲しいとか、この小説が読みたいとか、
そういうことのほうが明日食べるもんが心配だなぁっていうときでも、真っ先の欲求だってことは‥‥あると思う。

糸井 それは、いま、みんなが どういう順番で消費をしているかで類推できますね。
安い飯を食いながら、コンサートに行くやつがいますから‥‥。
吉本 ええ、そうなんです。 女の人の皮膚の化粧とか口紅みたいなものも、
こんなのはいいじゃないか、って男のほうからすると そういうふうに言いたくなることでも
あるわけなんだけど、それはちがうよ、と思います
0155吉本隆明垢版2016/02/04(木) 19:51:37.01
 僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分に言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。

俺だけにしか分からない」というのが、自己表出性。しかし「俺だけにしか分からない」と誰もが思うわけですから、その「誰もが」思う表出性が指示表出性です。
優れた作品(=優れた表現)というのは、ディスコミュニケーションを共有するものなわけです。
これが吉本の〈表出〉概念の根源です。〈表出〉の本質は、まずもって〈沈黙〉としての自己表出にあるわけです

文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、
俺だけにしか分からない、と読者に思わせる作品です、この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います。

コミュニケーションは「指示表出」。
俳句は五・七・五の限られた文字の中に自己表出があって、小説は、筋として「指示表出」があって、
そこに価値が生まれ、間接的に「自己表出」がされている。純文学が「自己表出」で、大衆文学が「指示表出」

「沈黙」は〈自己表出〉であり、コミュニケーションに用いられる言葉は〈指示表出〉である。そして言葉の本体とはそのふたつが
縦糸と横糸として織り合わさったものであると。そしてより重要なのは「沈黙」の方であり、話された言葉はオマケでしかない。
0156吉本隆明垢版2016/02/04(木) 20:09:48.94
文化芸術というものは、 人を強制したり、または、 人に導いたり、ということはできないんです。
つまり、もともと、役に立たないことです。 そのかわりに、自由度があるんですよ。

帰するところ、最も重要なことは何かといったら、自分と、 自分が理想と考えてる自分との、
その間の問答です。「外」じゃないですよ。つまり、人とのコミュニケーションじゃないんです。
先生だったら「子どもに対して」ということじゃありません。 子どもに対してちゃんといい授業を見せる、
実行するということは主たることではないんです。 人に対して、というのは あとでいいんです。
自分と、自分が理想と考えるもの、そことの内的な問答が いちばん大切なんです。
先生だったら先生なりに「俺はどうなればいいんだろうか」と、考えていることが必ずあるはずです。
人になんか、わからなくていいんですよ。
自分だけの心の中に問答も反省も絶えずある、ということが、「自分そのもの」にとって大切なんです。
問答の道の行き帰りの回数が多くなればなるほど、そこが豊かになります。それは、最も価値あることです。
先生だけじゃなくて、何の職業であっても、 問答をくり返したそのことは、ひとりでに、自然に出てくるんです。
無理なんかちっともしてないところで、 完全に出るし、わかります。
子どもは鋭敏だから、なおさらよくわかるんだけど、 大人にだってわかられますよ。
自分の中の問答の行き来が豊富になって、 自分の中にたまっていくことが、いちばんです。
先生は、子どもに何か教える必要もないし、「おまえ、こうしろ」なんて言う必要もありません。
問答の道を豊かにくり返している先生が、ただ自然に振る舞っていること、
それが子どもにはいちばんいいんです。
0157吉本隆明垢版2016/02/05(金) 21:21:14.61
その次の段階にくる恋愛は、三角関係の恋愛です。恋愛というのは対幻想であって、その恋愛が一時的な気まぐれの恋愛であろうと強烈な恋愛であろうと、
いずれにせよ、一人の男性と一人の女性、あるいは一人の男性と一人の男性、あるいは一人の女性と一人の女性のあいだ、つまり一対一のあいだにしか起こりえないのですけれど、
三角関係というのは三者の間に起こるので、これは矛盾なわけです。つまり、恋愛における矛盾、あるいは矛盾としての恋愛です。
三人というのは、共同性のいちばん原型にある関係で、恋愛感情とか男女の恋愛という対幻想とはぜんぜんちがいます。本来ならばちがうはずなんです。
ですから、三角関係における恋愛というのは大なり小なりごまかしであるか、二重操作であるか、あるいは一方の対幻想の場面ではもう隠しておく、そういうでしか成りたたないのです。しかし、この種の恋愛はしばしば起こります
0158大前研一垢版2016/02/07(日) 15:34:06.01
財務省は次年度に発行する予定の国債を1年早く発行する「前倒し債」の上限額を、2016年度は48兆円に引き上げる方針を固めました。2015年度の当初計画に比べ16兆円増え、過去最高額となる見込み。
日銀の異次元緩和で市場に出回る国債が少なくなっており、需給の逼迫で金利が乱高下するのを防ぐ狙いです。現在、日本は国債で流動性を確保しているため、それが足らないという判断でしょう。
確かに国債の需要はありますが、これは国の債務を増やすことに直結するので、「禁じ手中の禁じ手」だと私は思います
一方で、日本の借金はそれほど大きいものではない、という錯覚を抱いている人もいます。
例えば、現代ビジネスは先月28日、『「日本の借金1000兆円」はやっぱりウソでした』と題する記事を掲載しました。元大蔵省・財務官僚で経済学者の高橋洋一氏が国のバランスシートを分析した結果を紹介。
財政破綻を煽る通説は、バランスシートの負債側しか見ていないことや資産として政府内の子会社を連結していない問題点があるとし、それらを仔細に見ていけば日本の財政はマスコミや学者が言うほどに悪くはない、と指摘しています
0159大前研一垢版2016/02/07(日) 15:35:51.06
私は以前から高橋洋一氏のことを知っています。「財務省が握っている特別会計がある」「いざというときのリザーブになっている」と、
高橋氏は20数年間ずっと同じことを主張し続けています。しかしながら、その間一度も、指摘している資産が借金返済に使われたことはありません。
国が強い意識を持って、財務省が握っているものを丸裸にして国の借金返済に自由に使えるのならいいのですが、結局のところ、「使えなければ意味がない」のです。死ぬときに貯金はいっぱいあるけどもっと使っておけばよかった、というのと同じです。
そして重要なのは、マーケットがどう見るか、ということです。「資産があります」と言われても、それを引っ張りだすことができず使えないのであれば、役に立たないものとマーケットは判断します。だからこそ、日本の国の格付けも落ちていくわけです。
もし「いざというとき」のための資産だというなら、それを使うルールを法律で定めるべきだと私は思います。「格付けがここまで落ちそうになったら、これだけの資産を取り崩して借金返済に充てる」ということを決めて、格付けが落ちないようにすべきです。
高橋氏の話は「ウケ」がいいのは間違いないと思いますが、結局のところ20数年間、リザーブの資産を引っ張りだすことができていないのも事実です。それが実現できなければ、どれだけ「実は、資産があって換金できる」と言われても机上の空論に過ぎません。
マーケットがどう判断するか、ここに焦点をあてるべきだと思います。
0160金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/02/24(水) 16:25:02.04
“フロー型収入”は、一回のみの売り切りでのお金の流れで、
たとえばWEBサイト制作で、納品後に制作費用が支払われ、キャッシュが一気に入ってくる。しかし1回のみである。
“ストック型収入”は、一気にキャッシュが入ってくるわけではないが、少しずつ収益が増えていくモデルで、たとえば携帯電話、スマートフォンなどがある。
今後の売上予測が立てやすく、利益を新たな投資にまわすことも容易である。
雇用されている場合もフロー型ビジネスといえます
フロー型ビジネスは、単発でその都度仕事を請け負う形のビジネスです。飲食店や美容室、ゼネコンなど、常にお客を取ってきて、手を動かしていないと収益に結びつきません
ストック型ビジネスは、電気料金、携帯電話、サーバー代など、仕組みを作って、契約者を増やしていけばいくほどお金が入ってくる形のビジネスです。
フロー型ビジネスとは違い、仕組みさえ作ってしまえば何もしなくても収入が蓄積されるため、非常に安定感があります。
フロー型ビジネスとストック型ビジネスを投資に当てはめるとすれば、フロー型はキャピタルゲイン狙いの投資、ストック型はインカムゲイン狙いの投資と言えます。
基本的にフロー型というのは、物を安く仕入れて高く売る事を目標としていますし、ストック型は、価値のあるものを作って使用料をいただくことを目標としています。
0161堺屋太一垢版2016/02/24(水) 16:32:47.65
新たな文化を示すことだ。若者の感覚はまったく新しい。基調はキレイ、カワイイ、ヤサシイ。90年代から始まった文化で、それまでの日本の伝統からはかけ離れている。
無国籍で超時代、そして完全な平等性が特徴。ポケモンやセーラームーンが代表格だ。私はこれを『J感覚』と呼んでいる。勇気とか覚悟とかの武人の美徳は日本からなくなった。これは世界史的にも珍しい。
平等ということで云えば、日本には若い人々の間で下手を喜ぶ文化も生まれている。特別の強さやうまさはいらない。タレントにクイズをさせたり、
お笑い芸人に曲芸をさせたりするテレビ番組がはやるのは日本だけだ。非専門の下手を許容するやさしさともいえる。こうしたJ感覚をアジアの人々にもっと知ってもらうことが重要だ
0162金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/02/26(金) 14:16:13.36
現在はまさに世の中が大きく変わろうとしている時だ。十年前の「常識」が、
今や急速に「非常識」になりつつある。十年前、石油ショックの直後には、輸出は
伸ばすべきものであリ、輸入は抑えるべきものだと信じられていた。だが、
今では輸出は抑制すべきものであり、輸入こそ伸ばすべきものになっている。
 十年前には日本は経済の流れ(フロー)こそ成長したが、経済の蓄積(ストック)は
まだまだ貧しいといわれていた。ところが今では、日本人の一人当たりの
資産は、アメリカ人の三倍以上にもなっている。鉄鋼や造船が基幹産業だったが、
今では衰退産業になっている。歯科医はよく儲かる職業だったが、今はもう
過剰だ。工業用地は不足していると思われていたのに、今では全国に十億坪も
あまっている。
 この十年間で、世の「常識」は急激に変わっている。これからの五年間には、
さらに大きく変わるだろう。今こそ、世の「常識」を疑ってみる必要がある時なのだ。
///////////////////// 「競争の原理」 ///
 空間的発想から時間的発想へ
第三は、若者の人口が少なくなる時代に入ったことだ。その結果、日本の社会は、
フローよりもストック(蓄積)の多い社会に突入するだろう。
 日本長く「上り坂の人余り物不足」の時代を経験した。特に、太平洋戦争後の二十年間は、
住宅や道路などのインフラストラクチャーが極端に不足していた。このため、それが
固定観念と化し、今もストックが不足していると思いこんでいる人が多い。
 しかし現実には、工場や店舗などの生産施設も、住宅、劇場、道路などの社会資本も、
すでに過剰になっている。したがって、日本の需要構造も、建設主導から消費中心に
変わらなければならない。それはおそらく、情報化が大いに進むことを意味しているだろう
0163堺屋太一垢版2016/02/26(金) 14:26:39.55
/// 最適工業社会の繁栄と限界 108 ////////
現在の豊かさよりも未来の 成長に利益を感じる者のほうがずっと多かったのだ。今日の日本も、そうした社会の
長い伝統と慣習ででき上がったものである。
 ところが、いまや日本では、子供と高齢者の数は著しく接近、一九九八年には
逆転する見込みである。このことは単に、需要の構造や生活の形態を変えるだけ
ではない。過去の蓄積で生活する消費者を増やし、未来の成長に期待する人口を
減らす、つまり社会全体がフロー経済からストック経済に変わるのである。
温暖湿潤な風土に恵まれた日本は、フロー経済の社会であった。伊勢神宮の
社殿が二十年に一度建て替えられることに象徴されているように、住宅も道路も
家具、装身具の類も、フロー型になっている。その日本が、生産よりも蓄積の大きい
ストック社会を迎えるとなれば、社会環境と人間心理に重大な変化が起こるだろう。
生産組織に属すことのなくなった純粋消費者としての高齢者群の膨張は、この国が
はじめて経験する静かな革命である。
もちろん、これにも反対はあるだろう。生産者組織としての企業は純粋消費者の
意見を無視したいだろうし、供給者保護型に組織された官僚機構は、年金と施設に
高齢者を囲い込もうとするだろう。高齢者自身のなかにも、子女への愛情から現在の
消費意欲を抑えることを美徳と考える古い美意識を保っているふりをしたがる者が
少なくないだろう。日本的伝統のなかでは、つねに子供は優遇される立場にあったのだ
0164金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/02/26(金) 14:33:07.35
/// 最適工業社会の繁栄と限界 110 ////////
しかし、日本人がもし、高齢者に対する愛情と人口構造の変化を理解する知恵を
持っているならば、これに対応した美意識の変化が起こるはずである。
 これからの十年間、国際環境と社会の豊かさと人口構造の変化の三つの要素を、
どう消化して行くかをめぐって、日本は大いに悩むに違いない。それは、外国から
解答の与えられない問題という意味で、仏教文化を見た飛鳥時代やゼロサム社会に
直面した享保時代の悩みに似た深刻なものになるだろう。これからの日本人にとって
重要なのは、ここで再びこれを解決する日本的哲学を生み出すことではないだろうか。
 <了> ・・・・・

世界一の資産大国・日本は対外不均衡や資産格差の拡大を是正できるか?経済構造の転換に対応して土地、税制、規制等の問題解決のため、いま何をなすべきかを示す意欲的提言。
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1部 何が問題なのか-パラダイムの転換(世界一のストック大国・日本/ストック経済の背景と構図/数字と実感のギャップ-家計の高貯蓄/数字と実感のギャップ-地価高騰の影響/
金融改革の問題点/地価対策の問題点)/第2部 何をなすべきか-具体的提言
(日本型ストック経済とは何か/株価大暴落の教訓/ストック市場の規制緩和/資産課税の抜本的見直し/不動産の証券化/新しい時代の起業家活動/国際化と日本経済の問題)
0165堺屋太一垢版2016/03/01(火) 23:08:05.48
日本の企業の中には、利益追求の機能体としての本来の姿を忘れ、従業員共同体になっていると
  ころも多い。
 ・日本では人件費が低いことを前提として、さまざまなシステムができているため、清潔や手続き
  や責任回避に人手をかけることには実の無頓着だ。ところが、人件費が上がってきた今日では、
  これまでと同じ手法をとっていては、清潔や手続きや責任回避のための費用が思いのほか大きく
  なってしまう。したがって、部署別分析と項目別分析のほかに、もう一つ、効果別分析というコ
  ストの分析を考えてみる必要が出てきたわけである。
 ・今、日本の企業が直面している最大の問題の一つは、人余りの低賃金時代に確立された人手をか
  ける業務様式を、高賃金時代にふさわしいものに見直すことだ。そのためにも、<コスト+適正
  利潤=適正価格>という官僚主導型業界協調体制の中で生まれた「コストはかかるもの」「この
  費用は仕方がない」といった感覚を変えなければならない

今や豊かになった日本や欧米先進国では、生産のために他を犠牲にする必要はなくなった。貧困
  からの離脱は、人生の中の欠かせぬ一部ではあってもすべてではない。少なくとも、生産関係の
  ために共同体の形態と相手を選ぶ必要性は急速に低下している。むしろ、消費の配分と共同化こ
  そが共同体の基本となっている。つまり、共同の消費(家計)を持つことを楽しみとする者こそ
  家族なのだ。
 ・「好縁社会」の概念は、生産関係よりも消費関係を重視したものだ。そんな世の中が前面に現れ
  るようになったとすれば、「本当に日本が豊かになった」といえるだろう。
0166堺屋太一垢版2016/03/02(水) 16:33:32.29
少子高齢化は従来地方の、過疎地域の問題と思われていたが、いまや都市の問題となった。最
大の問題点は団地の劇的な高齢化である。これは世代間の断絶であると同時に、近代工業社会の
ために造られた通勤型市街の悲劇(または当然の結果)と言える。
規格大量生産型住宅における規格化された生活を人々が受け入れなくなったので、若い人が団
地に入ってこなくなった。これを改めるには、規格大量生産型でない居住地域を造る必要がある。
建物を建て替えるとか花を植えるとかでなく、通勤型の住宅専用区域という発想を捨て、クリエ
イティブな住民の入るアトリエ住宅やスモールオフィス・ホームオフィスの可能な自由空間を拡
げるべきである。
もう一つの問題は、特に東京において合計特殊出生率が極めて低い(全都道府県で最低)こと
である。これは東京が生きた都会になっていない、全人生(ライフ・サイクル)上の楽しみのな
い街になってしまっているからである。安全、平等、効率だけを追求してきたおかげで、東京で
はまともな人生を送れなくなってきているのである。
その最大の原因は、我が国の官僚が人生を規格化していることにある。その考え方は近代工業
社会の中で一番有用な人は、しっかりと教育を受け、大量生産に寄与できる能力、意欲、体力を
持つことであるという考え方であった。「健全な人生」とは、社会的に有効な知識と技能を修得す
る教育を受けてから、規格大量生産型の職場に終身雇用で就職し、一定の貯蓄をしてから結婚、
そのあとで金利を得ながら出産し子育てをする。この順序で、人生が規格化された
0167堺屋太一垢版2016/03/02(水) 16:45:07.94
現在、少子化の著しい国・地域が2種類ある。
 第1は、ルーマニア、ポーランド、ウクライナなど旧共産圏の東欧諸国、もう1つは韓国、台湾、シンガポール、日本そして中国都市部など東アジアの工業化した国・地域だ。
140911sakaiya  ところが、この2つにははっきりとした違いがある。東欧諸国は35歳以上の女性の出産が極端に少ない。出生率がまずまずのロシアでも、35歳以上の出産数は少ない。社会主義体制を採るキューバも同様である。
日本やドイツは少子化国だが、35歳以上の高齢出産数はロシアやキューバを上回る。社会主義国家では子育ても「社会化」した。それが高齢出産を減らすらしい。
 一方、東アジアの工業化した国・地域では、24歳以下の若年出産が著しく少ない。例えば日本は、女性1000人当たりの出産数は19歳以下で4人、20〜24歳で32人である。韓国の場合は僅かにそれぞれ2人と16人にすぎない。
 これに比べて先進国の中で出生率の高い米国は19歳以下が42人、20〜24歳が103人である。フランスや英国も別表のように若年出産が多いのである。日本の若い女性が欧米並みに出産してくれれば、日本の長期人口問題は大幅に緩和されるはずだ。
 では日本をはじめ東アジアの工業化した国・地域では、なぜ若年出産が少ないのか。各国が工業化の過程で「人生の規格化」を進めたせいだろう。
0168堺屋太一垢版2016/03/02(水) 16:47:10.23
日本の出生率は「1.27」で、世界的に見ても極端に低い。少子化を食い止めることは喫緊の課題となっています。
まずは若年層の出産を増やすことが、日本の少子化対策の第一歩だと思います。そのためにも、高校生や大学生の出産が良くないことだと考える倫理観を変え、むしろ学生出産を歓迎する社会の雰囲気をつくることが大切です。
若年出産を奨励すれば、1世帯あたり4人ぐらいは子供が産める。そうなれば、親だけでなく、兄弟間で助け合いながら暮らすことができます。
家族の絆が生まれ、世代を超えた付き合いや人脈を築けるメリットもある。いまのように自殺者や孤独死が後を絶たない寂しい世の中にはならないでしょう。
もちろん、若者が産み育てやすい社会環境の整備や経済的支援も不可欠です。例えば、大学に託児所を設けて、学びながら子育てできる環境をつくれば、親に責任感が芽生え、就職しても自立した社会生活が送れるはずです。
子育て資金については、親が24〜26歳ぐらいになるまで、月に20万円ほどの公的な奨学金を貸与する制度を作ればいい。後に返す奨学金なので、「子ども手当」のように財源が痛むこともないでしょう。
今後10年間、若年層の出産が増え、出生率が「2.0」まで回復すれば、少子化問題はほぼ解消されます。「2.08」という数字になれば、永久に人口が変わらないといわれています。
出生率の増加による経済効果もかなり期待できます。死蔵している1400兆円の個人資産は相当に動くでしょうし、日本経済が活気づくことは間違いありません。
日本の若者に改めていいたい。学生結婚・出産、婚姻前の妊娠は決して恥ではありません。知価革命によって、欲しいときに満足するモノを買うというライフスタイルが進んだように、
子作りの年齢も一様にする必要はありません。自己責任において自由な子育てや人生の順序を組み立てられるような時代になっていることを、再認識して欲しいと思います。
0169堺屋太一垢版2016/03/06(日) 16:23:33.56
我々の若いころは、感情論で話をすることは恥ずかしいことでした。たとえば会議で同僚から「君の意見は感情的だ」と言われると
「違います、データがあります」なんて言い訳をしたものです。ところが80年代以降は、「あなたの言っていることは単なる数字。
住民感情はそんなもんじゃない」と言われたら一発で負けなんです。主観や感情が科学的数字に勝つようになってしまった

人間は 所得の格差よりも消費の格差を嫉妬する
0170堺屋太一垢版2016/03/06(日) 17:05:30.08
       嫉妬を正義にした愚かさ

 それでもなお、一つだけは日本人にとって大きな魅力が、この国には残っている。
それは、平等主義の故に嫉妬を正義として主張できることだ。
 現在の日本の正義を作り上げて来たものの一つは、嫉妬である。1970年代からの
日本は、あらゆることを犠牲にして、国民の中に渦巻く各種の嫉妬に迎合して来た、
といっても過言ではない。
 たとえば、年功序列で賃金が一斉に上昇する制度は、抜擢される者を嫉妬
しなくても良い、という利点がある。高額所得者に高率の累進課税をかけることで、
低額所得者は溜飲を下げることができる。

嫉妬を正当化する横並び平等主義は、排除されるべきである。
腹の立つ土地成金は、超高率不動産所得税と地価税でやっつけた。それでも
残す奴からは相続税で大部分を取り上げる。豊かな者は悪評を蒙り、貧しい
庶民は慰めが得られる。
 こうした社会的な嫉妬が、日本の政治、日本の社会構成、日本の経済条件に、
非常に大きく影響している。そしてそれが、官僚統制の大きなテコにもなっている
のである。
 それというのも、1970年代から、新聞やテレビをはじめとしたマスコミが、嫉妬に
基づく主張に安易な正義感を付与してしまったからだ。
 嫉妬は人類が持つ最悪の劣情である。劣情に基づくシステムは悪しきシステム
である。だから、日本が本当に魅力ある国になるためには、嫉妬に基づくシステムを
排除する方向に動かなければいけない。

/// 堺屋 太一 著 ///
0171堺屋太一垢版2016/03/06(日) 17:10:12.11
・・・・・改革によって失われる第三のものは、社会の均質性だろう。いやむしろ、
均質性を打ち破り、個性と創造力に富む社会を創ることが、平成改革の狙いでもある。
 まず、少子化が続くと、相当多数の外国人が入り込んでくるのは避け難い。また、
人口の地域集中化、過疎と過密の極端な進行、そして産業技術ワンセット主義の
放棄にともない、社会の均質性を維持することは難しくなる。その結果、日本国民の
間でも、美意識と倫理観の共通性が失われることになるだろう。
これまでの日本では、たとえば勤勉は善だ、清潔なのはよいことだ、そうみんな
信じていた。人間の美意識というのは、本来は地域や習慣、職業や個性で違う
ものだが、今日の日本では驚くほど均質的になっている。

美意識と倫理観の均質性が失われると、消費の規格化、標準化も失われる。
このことは、米国社会に見られるような多様な文化や慣習を生む一方、
ローコストの生活を可能にすることにもなるだろう。
 いまの日本では、小学生ですらブランド品を持たないと修学旅行に参加できない
ような雰囲気になっている。こんな社会心理は不幸であり不便だ。個人が自らの
好みで選んだものを堂々と発露できる情況にならねばならない。
 美意識と倫理観が共通なら、国を管理する上では楽だが、尺度が共通なだけに
嫉妬を生みやすい。そしてその嫉妬が正義を粧って主張されるとすれば、
みんなが不満と脅えを持って生きることになるだろう。
0172堺屋太一垢版2016/03/17(木) 20:14:58.50ID:wUJ882iR
国民の側にも、役人に任せておけば安心、という意識が根強くあります。どこかで、役人を尊重しているのです。民の選んだ人よりも、試験に合格した人を尊ぶということです。 民に選ばれる人は、民が落とせます。
「あのブランドも、もうダメね」とみんなが感じたら商品は売れなくなります。代議士も投票されなければ落選します。だから、民に選ばれる人は、どうしても民に媚びるところが出てきて偉く見えない。 
これに対して、試験に合格した人のなかから、同じく試験に合格した先輩が選ぶのが官僚です。たとえ大きな失敗をしても、民が彼らをクビにすることはできません。旧大蔵省の接待問題や、
外務省で起こったさまざまな疑惑を、思い出してみてください。結局何も変わっていません。仲間だけで許しあったのです。本当にそういう者に、
自分たちの社会を任せてしまっていいのか、いまこそ、よく考えてみなければなりません
0173堺屋太一垢版2016/03/17(木) 20:55:54.41ID:wUJ882iR
MX8JAKQ2 @窓際戦隊φ ★:02/09/15 06:28 ID:??? 作家で元経済企画庁長官の堺屋太一氏が中心となって、全国の
自治体が先進的な地方分権政策を競うインターネットのサイトが15日、
スタートする。

 「全国自治体・善政競争・平成の関ケ原合戦」と銘打ち、堺屋氏が
「軍師」として全体に目を配り、事務局長役の「設営奉行」を
梶原拓岐阜県知事が務める。

 サイトは「教育改革」「行財政改革」「環境対策」など十の分野ごとに、
自治体の参戦を呼びかけ、先進的な取り組みを発信してもらう。
自治体単位だけでなく、自治体職員や住民も意見を書き込める。
堺屋氏を中心とした委員会で高い評価を受けた自治体は表彰する予定だ。
0174堺屋太一垢版2016/03/21(月) 12:59:35.37ID:YrlJy0ve
今年2月、奈良県御所市名柄に世界初の郵便庭園が開かれた。
明治初年から昭和までの時代を象徴する郵便切手を大きく拡大、透明な衝立(ついたて)に並べて野外に展示する。これが設けられる「郵便名柄館」の本体は、100年ほど前に開設された木造洋館の旧郵便局を再生した産業遺産である。
 昨年8月には、ここをあて名として「はがきの名文コンクール」が行われた。テーマは「ひと言の願い」、地元にある一言主神社にちなんだものだ。 これには全国から3万9500余通、5歳から101歳までの人々が応募してくれた。
 ところが、応募された「ひと言の願い」はすべて内向き。最も多かったのは「死んだおじいちゃんおばあちゃんに会いたい」の類、次いで「家族の病気を治してください」や「平和な暮らしが続けられますように」である。
 そこには将来展望を語り、明日への希望に夢膨らませる類のものはなかった。 「将来はサッカー選手になりたい」とか「宇宙飛行士志望」という少年も、「会社社長の大富豪」や「日本を導く政治家を目指す」という青年もいなかった。
予備審査員40人が探してようやく3通前向きなものが出てきた。「お寺の住職になりたい」という青年と消防士志望の少年、そして「ケーキ屋で近所を喜ばせたい」という少女である。
 「はがきの名文コンクール」だけで世の風潮を断じるわけではないが、ここに示された「欲望の低さ」は、あらゆる場面に見られる。 まずは若者の間に広がる物欲の低下だ。20世紀のうちは家族も独身者も「豊かなモノ」に憧れ、衣料を買い込み電気製品を
そろえ自動車を買った。中年世帯は分譲住宅を探して展示場を回った。
 だが最近は、あえて高級衣料や電気製品をそろえず、必要に応じてレンタルする人々も多い。自動車にしてからが「要るときにレンタルすればよい」という向きも増えている。
 1980年代以降に生まれた「ミレニアム(世紀末)世代」は、モノを持つことにステータスを感じないらしい。 第2に、最近の若者には「未来への夢」が乏しい。90年のバブル景気の頃までは、年々経済は成長し、収入は増加した。
誰もが「明日は今日よりも豊かだ」と信じて夢を描くことができた。
0175堺屋太一垢版2016/03/21(月) 13:00:57.59ID:YrlJy0ve
だが90年以降の日本は経済も人口も頭打ち、よほどの努力と幸運に恵まれない限り、人生を変えるほどの飛躍はない。むしろ予測されるのは意外な転落である。人はみな臆病な心配性になってしまったらしい。
 そのせいか、飛躍を夢見て海外に留学をする青少年もめっきり減った。欧米では今や日本からの留学生は「絶滅危惧種」、
中国や韓国人の大集団に圧倒されている。 だが何よりの気懸かりは40歳にして一度も結婚を経験していない男性の急増だ。
 75年、私は40歳で結婚未経験の男性だったが、当時それはきわめて珍しかった。高校大学の同級生も役所の同期入省者もみな結婚経験者。多くは子持ちである。それだけに結婚を迫る圧力は四方から感じた。
 ところが、2015年には40歳の男性の30%以上が結婚未経験者。生涯未婚で終わる男性は20・1%と予想されている。
 なぜこれほど40歳男性の未婚が多いのか。その理由が経済的な問題や住宅問題でないのは明らかだ。日本人ははるかに貧しい時代に若くして結婚し、どんどん子を産んでいた。諸外国でも貧しい人々が早期に結婚、若い年頃で出産している。
 それがなぜ、最近の日本人に限り40歳になっても結婚しない者が多いのか。
 この理由は2つ。1つは結婚を強いる社会の機能がなくなったこと、もう1つは若者自身の結婚生活への想像力と決断力が欠如していることだろう。 
実際、現在の日本社会の最大の危機は、社会の循環を促す社会構造と若者層の人生想像力の欠如、つまり「やる気なし」である。
「欲ない、夢ない、やる気ない」の「3Yない社会」こそ、現代日本の最大の危機である。 16年に入ると、日本をめぐる状況は急に厳しくなった。中国経済の減速と国際原油価格の下落で、経済は混乱し出した。
 過激組織「イスラム国」(IS)や北朝鮮の動きも要警戒だ。国内の政治も一見は安定してみえるが、「次」が見えない不安がある。だが、何よりの重大問題は「3Yない」の社会風潮。世の雰囲気である。
 今の日本は世界で最も「安心で安全で清潔で正確な国」だ。だがあまりにも安全清潔に徹する規制と厳格な基準の故に、人々の楽しみを奪い、やる気を失わせているのではないか。官僚、教育などの猛省を促したいところである
0176金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/03/21(月) 22:42:31.21ID:YrlJy0ve
大阪の地盤沈下、どう立て直す 作家・山崎正和氏に聞く

「地盤沈下は、もう50年前からです。それから改善されないまま、今に至っています。そのころ、東京に追いつき追い越せという勢いで、堺市の海岸に重化学工業地帯をつくることばかり考えていたんですね。後追いはしょせん後追いで、追いつけなかったのです」
「そのうち高度経済成長が終わりを告げ、デザインやサービスといったソフトに産業の重点が移ってきているのに、大阪はそれについていけませんでした」
「その間、自治体はほとんど何もしなかった。財界が強かったからですね。関西経済連合会は、今でこそとても東京の経団連に及ばないが、当時は関西電力を中心に力のある企業がたくさんありました」
「戦前は、大阪市長に関一さんという人がいて、御堂筋をまるで飛行場みたいな巨大な道路にしたように、イニシアチブをとっていました。それが戦後は、無為無策です」
0177大前研一垢版2016/03/24(木) 01:10:49.17ID:FgU+UP1E
まず、昔といまとでは、企業の時価総額の考え方が違います。10年前まで、企業の時価総額は、次のように考えられていました。
――いまの事業計画に基づいて未来永劫経営したときに、得ることのできる利益の現在価値(NPV)。
しかし、これでは新しい経済構造にはついていけません
1. 従来のケインズ経済(国民国家内の閉鎖経済) 2. ボーダーレス経済
3. サイバー経済 4. マルチプル経済
このうち、「サイバー経済」は、文字通り、サイバー空間で取引が成立する経済。ECがその代表例である。
「マルチプル経済」は、このあとでも説明があるが、要するに「数式上の仮説に基づいて、株価収益率(PER)、
ヘッジング、デリバティブなどのテクニックを使って資金を調達し、世界市場を動かしていく経済」である
「上場当時の売上は10億円台で、利益は1500万円台そこそこでした。ところが、上場してついた時価総額をご存じでしょうか。何と1300億円なのです。
これは、従来の企業価値からは説明できないでしょう。ただ、見えない大陸で新しいテリトリーを占拠したという発想からのみ、説明することができるのです
カリフォルニアやテキサスを占領した場合、そこにはどのような価値がつくか。それは、単なる荒れ地の土地代で終わるのではなく、
その土地の持っている潜在価値に対して時価総額が決まる」というわけである
0178金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/03/24(木) 01:14:08.82ID:FgU+UP1E
以上のことが、同時に起きているのが現在の社会であり、その根幹にあるのがIT革命というわけだ
会社の規模からいえば、どこにでもある地場スーパーと同じ程度でしょう。でも、地場スーバーの場合、
どんなに業績がよくても、時価総額にするとマルチプルといってもせいぜい7、8倍。それに対して、
ライブドアの財務諸表は地場スーパーとたいして変わりがないのに、時価総額は4000億円にものぼるのです。
ニッポン放送買収騒ぎのときも、リーマンブラザースに依頼して転換社債という方法によって、
あっというまに700億円を調達してしまいました。銀行で調達しようとすると、
借りた金を返さなくてはならないが、これならば自分の時価総額で転換でき、借金も残らない」
「売上455億円の楽天が、なぜ3300億円のTBSに経営統合を仕掛けられるのか−−これもまた楽天のマルチプルが100倍以上と高いためです。
楽天の時価総額は1兆円を超えていますが、TBSは20世紀型の企業のためマルチプルがほとんどなく、時価総額は7000億円程度。
だからこそ、楽天が有利に経営統合の話を進められるというわけです
0179堺屋太一垢版2016/03/24(木) 22:36:09.66ID:FgU+UP1E
信長は安土城で相撲の興行をよくやりましたね。
その第1回目の相撲の興行が終わって、人がいっぺんに退散したらたちまち混乱して石垣から落ちて怪我人が出たんですよ。それで家来の丹羽長秀に「この次は怪我人が出ないようにしろ」と命令したんです。
そうしたら奉行たちが集まって、道路を広げたらいいとか、橋を付け替えなきゃいかんとかいろいろ議論をして、「費用もかかるし、時間もかかるけれど、いかがいたしましょうか」と信長に具申すると、信長は
「おまえたちは馬鹿だな。混乱するのはみんながいっぺんに帰るからだ。それを分散させる手を考えればいいじゃないか。最後に何か1つ付け加えれば、それを観るやつと観ないで帰るやつに分散するから混乱しないだろう」
といって、弓取り式というのを考え出したわけです。確かに最後に弓取り式をやると、それを観る人もいれば観ないで帰る人もいますから混乱しないんですね。
ハードではなくてソフトで解決する。これは天才的な発想だと思います。
2020年の東京オリンピックの新国立競技場の問題も、そういう柔軟な発想がないからお金ばかりかかってしまうわけですよ。あれは織田信長だったら500億円でできますよ
0180堺屋太一垢版2016/03/24(木) 22:45:43.37ID:FgU+UP1E
「時代」が古び産業が振るわず、財政が借金頼みの破綻状態になると、人口は都に集中し地方は極端に衰退する。それにも拘(かかわ)らず、
中央の官僚たちは前例踏襲の規制維持に安住し、地方の行政官は中央の指示にのみ従う。それが地方行政の安全で安易な道だと考えられているからである。
江戸時代の末期も、第二次大戦に向かう昭和10年代にも、そんな状態が生まれていた
第二次大戦後の制度では、そんな中央集権・地方追従型の政治行政を避けるために、
地方自治体の首長を選挙で選ぶ公選制にし、都道府県と区市町村の2段階の地方議会を設けて行政と予算を監視監督し、政策アイデアを練らす機関とした。
従って、府県議会や市議会などの地方議員は、それぞれの地域の代表的な職業に従事する人々が、仕事と生活の場を通じて知り得た情報を持ち寄って議論し、
地域の安定と振興に知恵を出し合う場であるはずである。
民主主義の伝統を持つ欧米でも、地方自治の形はそれぞれに異なるが、地方議員の機能と形態はほぼ貫かれている。
地方議員のほとんどは別に本業を持つ市井の職業人か、広域政治へ進出する「修行中の人々」で占められている
0181堺屋太一垢版2016/03/24(木) 22:47:24.58ID:FgU+UP1E
この都道府県会議員や区市会議員の報酬などは諸外国に比べ断然高い。諸外国では地方議員は地域の職業人のボランティア活動と見做(みな)されており、報酬などは会議出席日の日当だけというのが多い。中には全く無給という例もある。
日本の地方議員の第2の特色は、ほとんどが男性で他に職業を持たない専業議員が多いことだ。
都道府県議会議員の91%は男性、その半数近くが専業議員だ。以前は農業や建設業者あるいは造り酒屋などの製造業を営む「地方名士」が多かったが、
今では議員専業者が断然多くなっている。中には2世議員も多く、地方議員の「家業化」さえ進んでいる。
これでは地方議員の地位を守ることが優先され、政策論議や地域興しの知恵が出ないのも当然かもしれない。
日本の地方議会の低調さを示すのには、次の数字がよいだろう。
各都道府県の知事や市長、区長らの首長が提出した議案を
この4年間1本も修正や否決をしたことのない「丸呑(の)み」議会が50%もある。また議員提案の政策条例が1つもない
「無提案」議会が91%、議員個人の議案への賛否を明かさない「非公開」議会が84%にも及んでいる(朝日新聞調査から)。
これでは地方議会から地方振興の知恵を期待するのは無理だろう。欧米では地方議会の会議を休日または夜間に設定、
一般の会社員や教員、ジャーナリストが参加できるようにしている。日本もそれに倣うべきではないか
 高給を取り専業化が進む日本の地方議員は、それ自体が守旧の牙城ともいえる。これを崩す改革の第一歩は、
今年4月の統一地方選挙。地方議会の仕組みと人材を改め、地域の振興に一石を投じたいところである
0182堺屋太一垢版2016/03/24(木) 23:00:12.59ID:FgU+UP1E
社会における所得分配の不平等さを表す指標であるジニ係数は米国、豪州などについで高く、格差が大きい社会と言える。
自殺率も1990年代前半のバブル崩壊後急増し、現在もOECD加盟国の中で、韓国に次いで高い。最も低いのはギリシャなのは象徴的だ。
高い自殺率の背景は何か?日本人は心配性であり、社会に遊びの余地がなくなった。これは非常に危険なことである。飲酒運転取り締まりが厳しくなった結果、5万人以下の都市では飲食店がはやらなくなり、
夕方にはシャッター通りとなってしまう。明治期は強い日本、戦後は豊かな日本を目標にしてきたが、今「楽しい日本」をいかにつくるかが課題だ。
 
「大阪城で10万人による盆踊り大会を」(作家の堺屋太一氏)、「大阪で若者が集うゲーム大会を」(元東京都知事の猪瀬直樹氏
0183堺屋太一垢版2016/03/25(金) 14:42:29.83ID:iiqbR/i2
安倍政権が成長戦略の一環として構想している戦略特区にしても、そういった官僚たちの規制構造を打ち砕こうとするものだ。
まずは例外的に試してみて、日本経済の活性化に結びつくことを実証しようという構想なのだが、特区においてさえ、規制緩和にはことごとく官僚が激しく抵抗している。彼らの大義名分は、弱者保護と危険防止である。
しかしながら、官僚たちが禁じていることこそ、実は最も有意義なことなのだ。デリバティブがその典型である。
世界的にデリバティブ取引が普及したのは、1986年のビッグバンが契機だ。デリバティブとは、常に変動する社会の中で安定的な投資と経営をするために考え出された人類の英知の産物だ。
とかく官僚は、統制によって価格の安定を図ろうとするが、技術の変化や気象の変動にはついて行けない。旧共産圏の悲劇がそれを示している。そこで、価格の変化を許容しながら、経営と生活をより安定させるために考案されたのがデリバティブである。
たとえば服地を生産する際、将来的にその生地が安くなる恐れがあれば、先物で売っておけばいい。これがデリバティブの根源的な機能であって、いわゆる保険取引なのだ。
さらに言えば、経済を安定させるうえで基盤となる取引であって、これが存在しない世の中は実経済自体が投機的になってしまう。
0184堺屋太一垢版2016/03/25(金) 14:43:30.79ID:iiqbR/i2
そもそもデリバティブに属する先物取引は、江戸時代初期の大阪の米取引が世界最初の発祥である。来年の産米を今売ることで農民も年貢を集める大名も収入が確定できる。問題は来年できる米の品質が未定な点だ。生産地でも天候条件でも米の品質は異なる。
これを価格差に置き換えることで米の先物取引ができるようになった。この方式は今も全世界の商品取引に採られている。
ところが、統制好きの官僚主義者にはこれは理解できない。たとえば8代将軍吉宗は、米先物取引の効用を理解せずに取引価格に介入し、先物取引の規制を行なった。
このため、豊作の年には米価が大下落、翌年には農民の生産意欲が低下して大凶作になってしまう。官僚統制は結局、世の中を不幸にするのだ。
後世の人々に、綱吉治世の元禄時代と吉宗治世の享保時代のどちらに生きたいかと尋ねたら、元禄と答える人が圧倒的に多い。
貨幣を大増刷して金融緩和を進めた点でも綱吉の政治は今のアベノミクスと重なる。その結果、元禄には歌舞伎浄瑠璃、俳句、絵画などの文化が花開いた。
官僚統制の厳しい8代将軍吉宗の享保は、お庭番(密偵)がうろうろし、凶作とデフレが繰り返された嫌な時代である。
0185堺屋太一垢版2016/03/25(金) 14:44:31.77ID:iiqbR/i2
デリバティブのもう一つの利点は、価格の決定に誰もが参加できる点にある。たとえば石油のように、通常なら一般市民が値決めに参加できないものでも、デリバティブなら取引に参加することが可能だ。
たとえ現物の石油や備蓄する貯蔵施設がなくても、明らかに今の値段が高すぎる(安すぎる)と思えば、売り(買い)の注文を入れて、自らの判断が適切かどうかを占える。
えてして官僚的な政治は、規制・統制・取り締まりで面白くない世の中をつくりたがるものだ。対照的にデリバティブは、全員参加型の値決めで面白い世の中をつくるのに一役買っている。
だからこそ、官僚たちから規制を受けがちなのだ。それどころか、「デリバティブは投機的な行為だ」という悪宣伝もされる。
しかし、実際のデリバティブは、公開が原則で誰でも参加可能な取引であり、極めて公正なものだ。対照的に、官僚による統制や一部の大企業による値決めは、価格の決定権を市場から奪い、巨大な無駄を生む危険がある。そのことをわれわれはソ連で実見したはずだ。
選挙においては、より多くの人々が投票に参加するほど民意を的確に反映した結果がもたらされる。同じように、デリバティブも数多くの投資家が取引することで、民意を反映した価格決定が行なわれる。
デリバティブは万人が自由に参加できる公開公表の市場なのだから、選挙で投票に赴くように、気軽に利用していただきたい
0186堺屋太一垢版2016/03/25(金) 14:58:54.77ID:iiqbR/i2
日本が将来も自由と繁栄を保ち、世界の主要なプレーヤーであり続けるためには、
世界経済のグローバル化と国際社会の非軍事化を叫び続けねばならない。
そのためにはまず、自らが自由主義経済の体質になり、競争原理を貫く体制を築く必要がある」
「その第一は、過剰な金融取引や商品投機、そして誤った経済哲学と経済理論のせいである」
「世界の金融は、82年からイギリスのサッチャー政権が行った金融自由化からはじまった。
それが86年には『ビッグ・バン』と呼ばれるほどの巨大現象に」発展する。時を移さずアメリカでも金融の自由化が進み、株式等の取引手数料も自由化された。このため手数料は極端に低下し、
手数料収入では喰っていけなくなった証券会社は、短期の低利資金を集めて高利の長期投資に回す投資銀行と化した」
「金融市場は実に単純、それを動かす動機はただ二つ、『強欲と臆病』である。
…強欲は少ない資金でより多くの利益を得るための梃(レバレッジ)を生み、臆病は元利の安全を求めて保証取引を作った」「90年代、様々な金融技術が考え出され、
『金融工学』なる言葉もできた。だが、それらは所詮、二つの矛盾した目的を言葉巧みに繋ぎ合わせただけで、何一つ新しい価値を生み出していはいない」「90年代に拡大したデリバティブとは、
結局は危険付き利益のキャッチ・ボールだ」「サブプライム・ローンの破綻に発した金融危機が、全世界にまたたく間に広がったのには、21世紀の国際金融の脆弱にして巨大な広がりがあった」。
http://futennochun.cocolog-nifty.com/gungungunma/2011/09/post-6890.html
0187大前研一垢版2016/04/03(日) 19:26:57.27ID:6ClbmmHz
重要なのは、もっと日本の中で「人生とはそもそも何なのか」という議論をすることだ。なぜなら、世界中を見渡しても、お金をせっせと貯め込んで使わない国民は、日本人しかいないからである。
たとえば、リタイアしたアメリカ人は何をしているか? 釣りが好きな人たちは仲間とクラブを作り、オーストラリアでのマーリンフィッシング(カジキ釣り)など世界中に出かけている。
あるいは、メキシコ西部のバハ・カリフォルニア半島に囲まれたコルテス海という場所に行くと、ロサンゼルスやサンフランシスコから1500kmも南下してやってきたアメリカ人の船ばかりだ。
ヨーロッパの地中海やエーゲ海には、ノルウェー、スウェーデン、ドイツ、イギリスなどからジブラルタル海峡を越えてきたクルーザーやヨットがあふれている。
これらは決して「資産家の遊び」ではない。ごく普通の中流階級の人でも、趣味を高めていけばそうなるのだ。
しかし、日本人はそういう優雅な遊び方をしない(できない)。したがって「人生とはそもそも何なのか」「働いてお金を貯めるだけでいいのか」という議論を通じてしか、日本人の行動は変わらないと思っている。
その中で「人生を楽しむ」ことを国ぐるみで教えることも必要だろう。たとえば、カルチャーセンターのようなところで50歳以上の人たちを対象に、自分なりの人生の楽しみ方について具体的に手ほどきする講座を開くのである。
0188大前研一垢版2016/04/03(日) 19:28:16.29ID:6ClbmmHz
さらに政治が国民に対して「みなさん、お金を使って人生をエンジョイしてください」「悔いのないよう、やりたいことを全部やってください」「万一の時は、国がセーフティネットを用意しているので安心してください」というメッセージを流す。
日本人はかつて「貯めろ」と教えられてその通りにしたように、(皮肉を込めて言えば)“教育”すれば実行できる人たちだ。「お金を使い人生を楽しむ」という教育をすれば意外と簡単に変わり、欲望が出てきて消費に向かうと思う。
こうした議論に対する反発の多くは「それでも、いざという時はどうするんだ?」というものだ。つまり、国が信用されていないのである。だから大前提は、いざという時には国がとことん面倒を見ます、と保証することだ。
そのようにして1700兆円の個人金融資産が消費に向かうようにすることが、日本の経済政策の根本である。言い換えれば、20世紀型の金利やマネタリーベースをいじるマクロ経済政策ではなく「心理経済学」こそが
、いま求められている成長戦略の要なのである。
0189大前研一垢版2016/04/03(日) 19:36:19.26ID:6ClbmmHz
安倍首相からの圧力もあって企業側の対応も大変だったと思います。ベアは一時金と異なり構造的に残るものですから、今回はかなり腰が引けたことでしょう。
安倍首相など政府が期待するのは、「給料を上げる→使うお金が増える→景気が回復」という回転ですが、そもそもこの考え方が根本的に外れています。
今の日本でお金が余っているのは高齢者であって、勤労所得者ではありません。勤労所得者の給料を2%程度上げてみても、
ギリギリの生活を送っている層ですから、消費に回ることはほとんどないでしょう。
私は何度も指摘していますが、働いていない高齢者が握っている家計金融資産1700兆円の大部分を消費につなげるように、安心して使えるようにしない限り、
日本の景気は良くなりません。日本の景気とベアとは全く関係ないと考えるべきです。
安倍首相にしても、そのアドバイザーにしても、この点を理解していないのか、ずっと的はずれです。
0190大前研一垢版2016/04/03(日) 19:38:26.57ID:6ClbmmHz
若い頃から老後に備える、というのは心配症の日本の国民性でしょう。若いころなら、保険のほうが適していると私は思います。
一か八かという形になりますが、運用益が出ない可能性が高い資産運用よりも、万一のことがあったとき、保険があれば家族が路頭に迷わずにすむからです。
老後に備えた資産運用という意味でいうなら、「不動産からキャッシュを生む」「キャッシュを生む不動産」に注目すべきです。REITも戻ってきていますし、エアビーアンドビーの影響もあって、今後ますます期待できると思います。
銀行預金の金利があまりに低い日本ですから、銀行に預けていても老後に備えることはできません。
つまり、キャッシュを金利で回すのは難しいということです。そうではなく、(不動産という)資産をキャッシュに変えていく、という発想です。
例えば、蓼科にリーズナブルな別荘を買うとします。週末は蓼科で過ごし、その間都心の自分の家を貸し出します。すると、別荘のローン分を都心の家の家賃で稼ぐこともできたりします。
そして、老後は引退して蓼科で暮らせばいいのです。都心の家はずっと稼ぎ続けることができます。
こういう「運用」ができるかどうか。自分が持っている資産で、ローンを上回る稼ぎが出せる時代になっています。この時代の流れを抑えて、老後に備えていくべきだと私は思います。
民泊が認められるようになって、従来のキャッシュフローモデルから大きく変化しようとしています。キャッシュと不動産を組み合わせて、資産がキャッシュを生み、キャッシュが不動産を購入し、その不動産が再びキャッシュを生む。
このサイクルを回し始めることが、非常に重要だと私は感じています
0191金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/04/05(火) 16:10:26.04ID:XK7wpEYt
資本主義格差拡大→
→修正資本主義・社会民主主義化
→法人税率激増
→大手企業の本社租税回避地化
→ネット企業による社会保険サービス拡充
→ネット企業のバーチャル国家化
→土地に縛られた国家の解体
日本では「土地本位制」がいまだに機能していることも大きな問題だ。金本位制は過去のものになったが、「土地」が「信用」の基礎となっているため、日本銀行が金融緩和をしても担保価値の下落で貸し出しは増えず、
土地価格の値下がりで1990年以降日本経済は1000兆円を超える巨額の信用収縮を発生させてしまった。ダイエーの破綻や巨大銀行の統廃合は土地を担保にした経済の破綻であり信用収縮の結末なのだ。
アメリカや欧州各国の土地総額はいずれもGDPと同額のレベルにある。欧米の土地価格はすべて収益還元法で評価され、土地の付加価値を正しく反映しているからである。
現在、日本の土地総額は1500兆円とされているが、この額は日本のGDPの3倍もある。土地本位制から脱却し、土地に依存した金融・経済システムを改革しないかぎり、更なる信用収縮をきたす可能性は大きく、デフレ経済からの脱却を難しくするだろう。
1971年8月15日のニクソンショック以来、「通貨」は兌換性のないバーチャルな存在となった。「担保」となる原資が無くても「信用」の裏づけがあれば、いくらでも発行できる。信用こそ無形の財産なのだ。
米国は経常収支の赤字を意に介することなく、ドルが基軸通貨となっている強い立場を利用してドルの増刷を続けている
0192大前研一垢版2016/04/09(土) 21:11:06.45ID:FVHhuLnr
バブル崩壊後のデフレ不況が20年続いても貯蓄が増え続け、個人金融資産は1990年の約1000兆円から現在は約1700兆円に膨らんでいる。
不況の中で金融資産を700兆円、年間平均28兆円も増やすような国は、日本しかないだろう。そして、その大半は65歳以上の高齢者が持っている。最近は「老後破産」という言葉が話題になってますます消費者が財布の紐を締めているが、
全体で見れば余裕がある高齢者のほうがはるかに多いのだ。
日本経済を上向かせるためには、どうすればよいのか? 高齢者をはじめとする国民がお金を使う気になり、1700兆円の個人金融資産が市場に出てくる(消費に向かう)ように促さねばならない。
その有効な方策の一つは、高齢者から若い世代に資金を移転することだ。しかし、日本ではそれが非常に難しい。相続税は税率が10〜55%と高い上、基礎控除額が「3000万円+(600万円×法定相続人の数)」でしかない。
生前贈与の仕組みを利用しても、実際には父母や祖父母が亡くなったらその時点でもう一度精算しなければならず、将来どれくらい贈与税・相続税がかかるかわからないので、
子供や孫は贈与されたお金を自由に使うことができないケースが多い。そういうセコい仕組みは撤廃して、高齢者から若い世代への資金移転を推し進め、贈与された若い世代がお金を自由に使えるようにすべきである。
0193金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/04/19(火) 20:08:39.61ID:d0QPI5SR
あの大阪は死んだのか 単行本 &#8211; 2005/3
皆川 豪志 (著)

万博、企業家精神、お笑い、野球、ジャーナリズム…。かつて、戦後日本の経済や文化に強烈な光を放った“大阪の時代”があった。その熱気を克明にルポ、
読者から圧倒的な支持を得た産経新聞大阪夕刊の好評連載、待望の単行本化!坂田記念ジャーナリズム賞受賞。
0194金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/04/22(金) 23:33:52.86ID:GQ1v1ZXp
戦前はビジネスマン・文化人・各国要人は船移動が主流で、そのおかげで港町では商業・金融・文化が発展した。
戦後は飛行機移動になったので、港町にだれも立ち寄らなくなって衰退した。
神戸も横浜もこのパターンで、今は関西圏・関東圏の物資が出入りするだけ。
香港やシンガポールみたいに港町でも早くから市内に空港を作ってれば、繁栄を維持できたかも。
最も神戸も横浜も、物流拠点とベッドタウンという地位が残ってる分、小樽よりかはマシ。
ベッドタウンや物流拠点としては大丈夫だけど、港近くに銀行や商社が豪華なビルをこぞって作ったかつての繁栄はもう来ないよ。
だって港が旅客の拠点じゃなくなったから。
にもかかわらず両都市は港周辺にばかりに税金を注ぎ込んで財政悪化。都市開発も失敗。
このあたりの時流の読めなさっぷりが、部外者から見ると実態以上に落ちぶれてみえるんだよ。
神戸も横浜も凄く魅力的な土地なのに、なんで港ばかりに固執してしまったのか・・・

神戸がハブ港になれたのは、戦後〜80年代のアジア各国の港が未熟だったから。
だから多くの船は当時最新の神戸港に寄港・積み替えをしてた。
今はアジア各国の多くの港が最新の設備をもってるし、24h化してるし、利用料も安い。
わざわざ神戸に寄る用もないし、再びハブ港化することはないと思う。
もっともこの状況は日本国内のどの港も一緒で、現在の国内港の取扱い順位は、
単純に地域の工業生産力に比例してるだけ。
名古屋港は1位なのは、ハブ港だからではなく単に輸出入が多いから。
今の日本で、港湾発展からの都市再生はほぼ不可能だと思うよ
0195金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/04/23(土) 08:18:25.77ID:+DEGCnnH
>>193

そんなに財産の多い奴はたいがい何かの小さな株式会社を作って赤字でも続けてるだろ。
法人の資産にでもして経営者交代で済む話し。株主も身内だから乗っ取られることもない。
小銭貯めてる程度なら相続には無頓着なだけ。
0196金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/05/03(火) 15:22:06.14ID:7JnzNkhJ
バフェットをして「師をはるかに超越した存在」と称した経済学者で投資家のベンジャミン・グレアム(バフェットには師匠が)。
「バリュー投資(割安株投資)の父」と言われるグレアム

1.投資とは詳細な分析に基づいて行うものであり、元本を保全して、適切なリターンを上げること。この条件を満たさないものは投機だ。
2.将来のことは分からないのだから、投資家は手元資金をすべてひとつのバスケットに入れてはならない。その安全で堅実な範囲を超えて冒険に挑んだ人々は、精神的に大きな困難を背負うことになる。
3.投資家と投機家の相違は、その人が相場変動に対して、どのような態度で臨むのかという点である。投機家の関心事は、株価の変動を予測して利益を得ることであり、投資家の関心事は、適切な証券を適切な価格で取得し保有することである。
4.安全域の原則を確固として守ることによって、十分なリターンを得ることが可能である。安全域の原則は、割安銘柄に適応することでさらに明白なものとなる。
割安銘柄は株価がその株式の本質的価値よりも安い状態にあるわけであり、その差が安全域である。
0197金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/05/03(火) 15:22:45.12ID:7JnzNkhJ
1「過去57年間を振り返れば世界を揺るがすような時代の浮き沈みや悲惨な出来事にもかかわらず、堅実な投資原則に従えば概して手堅い結果を得られるという事実は常に変わることがなかった」
2「日々の株価、時々刻々と変わる株価の動きを見ながら毎日を過ごさなければならないと誤解している人が少なくない。もしその人が投機家ならそれもいいだろう」
3「現在の収益と目先の見通しは悪くても将来の状態を冷静に評価すると、現在の価格よりもはるかに高い価値を示すことがある。以上のことから、市場が低迷している時期にこそ
勇気を持つことがいかに賢明かということが経験だけではなく、信頼できる価値分析法によっても証明できる」
4「過去50年以上にわたる経験と市場観察によれば、『テクニカル・アプローチ』によって、長期にわたり利益を上げた者などひとりもいない。」
5「感情をコントロール出来ないならば、投資のプロセスには向いていない」
6「個人投資家にできないことは『プロのゲームでプロに勝つこと』、自分のゲームで自分にコントロールできることで勝てば良いのだ」
0198大前研一垢版2016/05/04(水) 05:07:50.78ID:DieOAzfY
毎年のように30兆〜40兆円の赤字国債を垂れ流して、日本の公的債務は1300兆円に膨れ上がっている。それでもなお政府は史上最大の予算を組み続けているのだ。
1300兆円の国家債務というのは、生まれたばかりの赤ん坊を含めて国民1人あたり1300万円の借金があるということ。戦争でも起こして他所の国に借金を押し付けでもしない限り、まともには返せる額ではない。赤ん坊やリタイアした老人に借金を返す力はない。
借金を返せるのは民間の勤労者だけである。しかし少子高齢化で日本の勤労者は毎年30万〜50万人ずつ減っている。負債は増え続ける一方で、返済できる人はどんどん減っているのだから、計算式は至ってシンプル。返せるわけがないのだ。
世界最大の日本の国家債務を担保しているのが、日本国民が保有している1700兆円の個人金融資産である。いざとなれば、政府はこれに着目してパクろうとするだろう。戦時中に大量発行した国債の借金をチャラにするために、
政府は1946年に預金封鎖して財産税を課し、国民の財産を取り上げた“前科”がある。現状、1700兆円の個人金融資産は国が無駄遣いをするための原資になっている。
1700兆円の約半分は現金預金で、銀行や郵貯などの金融機関に預けられている。銀行や郵貯はそれを元手に国債を買っているのだ。
個人向け国債などは20兆円にも満たないから、国民は自分で国債を買っているという認識はない。しかし銀行も郵貯も生保も損保も年金機構も、すべて国債の買い取り機関であり、国民が預けた個人金融資産は裏で国債のファイナンス、つまり国の無駄遣いに使われているのだ。
0199大前研一垢版2016/05/04(水) 05:11:27.26ID:DieOAzfY
1700兆円の個人金融資産がマーケットに出てこないようなら、強制的に資産課税を導入すべきだろう。資産税では資産を持っているほど課税されるから、要らないお金は使おうというインセンティブが働く。
税制に関する私の考え方は昔から変わっていない。道州制のような新しい統治機構ができたタイミングで税制改革を行って、資産税と付加価値税の2本立てにするのだ。
資産税についていえば、国民の固定資産と金融資産を足し合わせて3500兆円ある。法人部門の固定資産や内部留保などを全部足すと1500兆円。合わせて5000兆円。これに1%課税すれば税収は50兆円。
一方の付加価値税は軽減税率のような面倒なことはやめて一律10%とすると、GDPの10%で50兆円。
資産税の50兆円と付加価値税の50兆円を合わせれば100兆円。政策に必要な経費(予算)を70兆円前後確保したうえで、毎年20兆〜30兆円ぐらいの借金を返していける。そうやって返済の意思を明確に示せば、市場も安心し国債の暴落は起きない。
資産税のメリットの一つは相続に対する中立性だ。資産を相続した人が毎年1%ずつ払っていけばいいのだから、相続税を払う必要はない。今の日本社会で家族関係を歪ませている最大の原因は相続だが、資産税にすることで相当に解消できるのではないかと思う。
また資産税と付加価値税を導入すれば、所得税も法人税も必要なくなる。所得が増えた人は大いに消費してもらうのが一番だが、そうしなければ資産が増えるわけだから、資産税で十分に捕捉できる。
法人が生み出した付加価値は、売価から仕入れコストを引いた数字できっちり出るから、それに一律10%を課税すれば終わり。
前述のように資産税と付加価値税で必要な税収は確保できるから、複雑で不平等な税体系は一切不要。不動産取得税、自動車重量税、ガソリン税、タバコ税、入湯税、ゴルフ場利用税その他、意味不明な税金はすべて廃止できるのだ。
成長期には給与も法人所得も伸びるが日本は20年以上にわたって伸びていない。しかし、個人資産は伸び続けている。だから成熟期には資産課税が有効で、課税されるのがいやなら資産を消費にまわす
0200堺屋太一垢版2016/05/04(水) 19:32:31.93ID:DieOAzfY
高齢化社会は、医療保険と年金で大変だ、世の中が貧しくなる、というのは、大蔵省と厚生省が作り出したマインドコントロールでありますが、高齢化社会はそれほど恐れることないんです。
今、財政再建が大変だ、日本の国は、国と地方自治体とそれから国鉄債務みたいなのをあわせて500兆円もの借金がある。大変だ大変だといっておりますが、
日本は今、外債を発行しているわけではありませんから、500兆円国債・地方債を発行していても、その分は誰か、日本人の誰かが持っているんですから、差し引きチャラです。私たちの子孫は500兆円の国債を引き継ぎますけれども、
個人資産だけで1200兆円、皆さんの貯金があるわけです。
それも子供たちが引き継ぎます。それから、不動産とか社会資本とかいうのが2000兆円ぐらいあります。これも子供たちが引き継ぎます。だから終戦直後、何にもなしからスタートした我々の世代に比べると、私たちの子孫はずっと豊かです。
大体、人類というのは親が子供を育てたら、子供は親の老後を面倒見る。そういう形でずーっと生きてきた。何千年そういう形で生きてきた。ところが今の若い人は、親の老後は面倒見ないで国に面倒見てくれというわけですから、親から教育を受けて、
財産・家屋敷をいただいて、それで後は面倒見ないとその分は国債で持てというようになるのは当然なんですね。だからそれはそんなに心配要りません。そのことは、若い人は気がついているんです。
今、22〜3歳で大学を卒業して会社や役所に入ってくる人たちに聞いたら、あんまり心配してないですね。皆さん方40歳以上の方は皆、住宅ローンを払うのに苦労されたでしょう
世の中、つらつら見るのに、孫に小遣いを出してるおじいさんはたくさんいる。けれどおじいさんに仕送りしている孫なんて、近年見たことがない。そうすると、おじいさんが増えて孫が減りますと、くれる人ばかりでもらう人が減るわけですから、これは豊かになりますよ。
まあこれ本当はそうなんです。日本の問題は財政的には働く年齢の人からお金を取って高齢者に渡す。ところが家計的には、家の中では高齢者から若い人にお金が流れてる。この転換があるもんですから、
福祉の金額が上がっても、なかなか豊かにならない。豊かな実感がない。これが大きな理由なんです
0201金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/05/07(土) 07:31:21.84ID:83DXe5Gt
国債地方債は国民の資産により成り立っていて、国民の借金というわけではないというのはその通り
ですが、実は郵政民営化によりかなり危うい位置にあることも事実です。つまり、国債の保有率では
郵貯かんぽが約30%で一番多いのです。今のところ国が株主のようですが、郵政の株が外資などに
移行した場合、海外投資家の10%と足して全体の40%以上を海外の保有ということも起こりうる
ことになります。勿論国債の原資は国民の預金や保険料ですが、その原資を操れるのは株主によって
選出される経営陣ですから、国債の金利を変化させる権利が外資になることも充分有り得るのです。
0202堺屋太一垢版2016/05/10(火) 02:51:45.60ID:meLs7sOz
日本産業館は資本系列や業界団体とは関係なく、異なる業種の企業や自治体が連合して1つのパビリオンを外国の博覧会に出展する。
過去に例がなく、韓国産業館や上海産業館なども追随した。「産業館スタイル」という日本発の新しい文化が生まれたことになる。
日本産業館では環境を意識して本物の「リユース」にこだわった。パビリオンは50年以上前にできた工場跡の中に建築足場でつくった。コンパニオンの制服にはポリエステル再生繊維を使った。
日本産業館は未来志向だ。日本といえば伝統文化や匠(たくみ)の技など古い流れを重視していたが、21世紀の新しいJ感覚があふれるものにした。
「世界一のトイレ」を設置するなど、社会貢献やサービスを重んじており、出展企業の善意を体感してもらえるはずだ。
初めての形式で出展できたことで、まずは50点。人気館になったら80点で、万博の歴史に残ったら100点をつけたい。
19世紀の万博は「技術と珍品」の博覧会。20世紀前半には「芸術の博覧会」になり、1970年の大阪万博は「人間の博覧会」の頂点だった。上海万博から「第4期」が始まるだろう。都市や生活、環境の問題への前向きな挑戦が求められる。
万博からは新たな流行や文化、産業が生まれ、開催国の衣食住はその後、様変わりするのが常である。大阪万博の開会のころ、男性は背広や学生服ばかりだったが、半年後の閉会近くにはカジュアルウエアが目立った。
会場にケンタッキーフライドチキンなどが登場し、日本にファストフードが一気に広まった。上海万博で中国に全く新しい消費生活が生まれることは、日本企業にとっても好機になる。
万博後には、中国の国民貯蓄率は現在の約5割から3割程度まで下がってほしい。中国が輸出と投資を中心とする現在の経済構造から、万博を通じて消費型の経済に円滑に転換していくのか
0203堺屋太一垢版2016/05/17(火) 19:39:57.26ID:pUzFf8cK
大阪は東京の真似ではない斬新で野心的なプロジェクトを実行し、「東京の支店経済化」「消費
都市化」から脱却すべきである。具体的には、関西全体での選択と集中の戦略にもとづいて伊丹
空港は廃止、関西空港が地域需要とハブ機能の両方を備えるようにする。このために、関西国際
空港ターミナルを新大阪プラットフォームの真上に建設し高速交通機関で結ぶ、などを検討すべ きである。
大阪は戦後の有機型国土構造政策3の被害を最も多く蒙った都市である。その状況を改善するた
めに、この政策によって大阪(関西)が失った機能の回復を図る必要がある。そのためにも、大
阪は東京の真似ではない斬新で野心的なプロジェクトを実行、「東京の支店経済化」「消費都市」
から脱却すべきである。具体的には、関西全体での選択と集中の戦略にもとづいて、次のようなことを検討すべきである。
大阪駅北ヤードの開発には、巨大スタジアムを建設しそれを囲む超高層ビル群を建設する。
伊丹空港を廃止し、その跡地を自己完結性のある「歩いて暮らせる」街造りのモデルとする。
関西国際空港のターミナルを新大阪のプラットフォームの真上に重ね、30&40 分間程度
で到着できる高速で頻度の高い交通機関で結ぶ。関西国際空港は、アジア(特に中国、韓
国)への距離が羽田よりもずっと近く、空域もはるかに広い。これを地域需要にも対応で
きる交通網に組み込めば、韓国の仁川や香港国際空港に対応できるハブ機能も高められる。
この点、政府、大阪府・市及び航空関係者はハブ空港理論を正しく学ぶべきである。
大阪市外周部の個性化、名所化も重要である。この点、大阪府庁の移転や堺、尼崎の映像
産業首都にふさわしい都市造り、行事演出が期待される。
0204堺屋太一垢版2016/05/17(火) 19:43:46.78ID:pUzFf8cK
規格大量生産型の近代工業社会を形成することを目的とし、全国を単
一規格化するためのものであった。いわゆる「格差是正」の名で地域=都市の個性を奪い、経済・
文化・情報の各面で、東京集中の都市ヒエラルキーを造り上げてきた。この結果、規格大量生産
型の製造業が中国などに移転すると、全国の都市が衰退、空洞化と質的低下に直面しているばか
りか、東京も「全国一律」に引きずられて真の都会とはなり得ず、国際的な地位と都会的な魅力
を失ってしまった。日本の国内では、仕事をやめた裕福な引退者の多くが東京近辺に移住してく
るが、外国の裕福な引退者で東京(日本)を居住地とする者は皆無に近い。東京をはじめ全国の
都市は、不便でコスト高で面白くない都市になってしまったのである。

日本も全国一律の規格を国が押し付けるのではなく、各地域=都会2が自らの個性を主張し、実
現できるようにすべきである。そのためには、産業経済、土地、建設、交通、教育、文化、情報、
医療、介護等の権限を全面的に地方に委譲すべきである。もちろん、これにはそれにふさわしい
財源(税源)の地方譲渡が不可欠である。この発想は究極的には、地域主権の確立に通じるであ
ろうが、当面は(その前段階として)府県連合による規格基準の設定、共通政策などを実施すべきである。
また、寄付税制の大幅な緩和や、ふるさと納税の拡大により、地方自治体の努力によって収入
が増やせる方法を拡充すべきである
0205堺屋太一垢版2016/05/17(火) 19:46:24.17ID:pUzFf8cK
戦後都市政策の第 2 の特色は、職住分離の移動距離の大きな都市構造造りである。近代工業社
会では、労働力と生産手段が分離すると考えられた。産業革命以来、労働力と生産手段が分離す
ることが近代化であるとされた。したがって、労働力と生産手段が一緒になっている下町は古い
体質なので、そうした下町はできるだけ早く整理して、工場は都市から離れた工業地域に、商店
やオフィスは都心に、そして、労働力再生産のための住宅や学校は郊外に置かれることが強引に
行われた。国は都市政策としての職住分離を図り、都市域で用途別の「線引き」を行った。そし
て、生産手段の集中した地域と労働力再生産地域の間を地下鉄や高速道路など大量輸送機関で結
んだ。その結果、都市においては毎日の通勤時間や通勤距離が非常に長くなったのである

全国的に見て我が国の都市には自由や楽しみを作ろう、美しさを求
めようという政策はほとんど無い。都市政策の基本は、安全・平等・効率の追求に限られていた
のである。地下鉄の車両の中を飾り立てるとか、都市に歴史的誇りを持たせるような銅像を作る
ということなどはめったに行われない。特に戦後には大都市に歴史的な銅像はほとんど建てられ
ていない。それは、世界の先進国の中でも珍しいことであり、公園に噴水を設けるところは多少
あるが、都市に楽しさや自由を求める政策はほとんどとられなかったのが我が国の特徴である。

建物を建て替えるとか花を植えるとかでなく、通勤型の住宅専用区域という発想を捨て、クリエ
イティブな住民の入るアトリエ住宅やスモールオフィス・ホームオフィスの可能な自由空間を拡げるべきである。
0206堺屋太一垢版2016/05/17(火) 19:48:52.58ID:pUzFf8cK
工業先導性の理論」である。1960&70 年代にか
けて唱えられたこの理論では、大型工場のみが地域を選ぶことができる。他は各地の人口=経済
力に応じて生まれる従属的産業だ、と定義された。この発想は歴史的にも国際比較でも間違って
いるが、頭脳機能を東京以外でさせないという前提ではそうならざるを得ない。そうだとすれば、
地方が成長するためには、手足の機能の中でも成長性のある工場誘致をする以外にない、という
ことになる。したがって、工場誘致以外に地方が生きていく道はないから、地方は挙げて埋立地
を造り、工業用水道を造り、道路を造ることに邁進した。国はこれらに補助金や起債引受けを行
うことで助成した。
これが 1980 年代までは比較的うまくいっていた。特に 70 年代の人気を博した列島改造論はこ
の理論を実行したものである。全国に建設業をばらまくことによって工場誘致の可能性を抱かせ
ることで、頭脳機能が無いところでも生きていけるはずだという宣伝をした。
その結果、70 年代の列島改造ブームのときには地方の別荘地分譲などで、我が国の国土の約
10%、37,000k?の土地価格が値上がりした。ところが、80 年代になると、工場立地は伸びなく
なり、バブル景気の時には1%、3,700k?しか値上がりしなかった。90 年代末から 2000 年代に
かけて土地が値上がりしたときには、わずか 0.1%、370k?の値上がりに過ぎなかった。こうし
た過疎と過密の問題が、有機型国土構造を追及する中で猛烈に深刻になってきた
0207堺屋太一垢版2016/05/17(火) 19:54:18.80ID:pUzFf8cK
例えば、歌舞伎では有名な俳優や地方(じかた)4が 100 人いるかどうかで歌舞伎ができるか
どうかが決まる。1970 年代までは関西歌舞伎があって、当時の中村雁二郎、片岡仁左衛門など有
名な俳優が多くいた。関西歌舞伎は東京歌舞伎と拮抗する勢いがあった。ところが、70 年代後半
から 80 年代になると、政府による文化の東京集中政策が効果を発揮し、関西には歌舞伎俳優がい
なくなってしまった。そうなると、歌舞伎のパンフレットを作る人、評論をする人、大道具、小
道具を作る人など深く関係する専門家(サポーティング・プロフェッショナル)1,000 人のディ
ープ・プロフェッショナルがいなくなる。続けて間接的に関わる産業、弁当作りやチラシ作り、
宣伝広告などの関連産業(リレーティブ・インダストリー)10,000 人がいなくなった。この 11,000
人がいなくなると、これを支える行政官、警官、教師、交通関係者といった都市の業務をする人
10 万人がいなくなる。これが
人口の社会流出現象の中身なのである。どんな分野でもコアの 100 人がいるかいないかが大事である。大阪ではこの 30 年
間に文化、芸能、出版、映像から国際貿易や金融取引、大企業本社など、いろいろな分野のコア
の 100 人がいなくなる空洞化現象が進んでいる。これは「東京の支店経済化」「東京の従属経済化」
などと呼ばれているが、その発端は上記に述べたようにコアの 100 人がいなくなったことである。
第3の都市名古屋の危機的状況はそれ以上に恐ろしい。ここには、「都会でなくなる」危機が忍
び寄っている。というのも自動車産業1社に依存しており、2000 年代の中頃まで名古屋は好況に
恵まれたが、それは 70 年代の大阪と同様、万国博の効果、たまたま自動車産業が好調だったから
に過ぎない。名古屋の繁栄はほとんどただ 1 社(トヨタ自動車?)に依存しており、この企業が
海外生産に重心を移せば、急速に崩壊する恐れがある。名古屋は知価創造力が育っていないからである
0208金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/07(火) 22:47:49.34ID:k6Jos1wn
竹中 日本の社会福祉に決定的に不足しているのは、健全な競争ですね。堀江貴文さんが以前の『賢人論。』の
「高齢になっても自分で立って、動いて、働く。そういう人が増えていく世の中になって欲しい」の中で話していた
「給料が低くて嫌なら辞めればいい」という話。まったくその通りだと思います。
「介護は社会福祉で、競争なんてとんでもない」みたいなことを言う人もいますが、それは自分たちで自分たちの道を塞いでいるんですよ。
特養に数兆円のお金が貯まっているのをご存知でしょう?特養というのは特権階級なんですよ。
そこが競争を阻害している。そういう制度そのものを見直していかないといけないですね。
というのは、社会福祉法人は一部、既得権益の世界になっているから。その中で、安い労働に甘んじざるを得ない人たちが
犠牲になっているというのは事実でしょう。そこはもっと健全にすべきだと思います。

みんなの介護 社会福祉法人そのもののあり方を見直さなければならないという状況になっているのでしょうか。
竹中 その通りだと思います。教育とか医療とか、介護とか…聖域になっちゃっているんですよね。こういう事をいうと、
競争原理主義とか資本原理主義だとか言われちゃうんですけど。
もちろん全部マーケットに任せて良いわけはなくて、ちゃんと国が管理しないといけない部分もあります。
でも、国が全部を管理しないといけないのではないんです。
みんなの介護 0が100かじゃないんですね。
竹中 そうですね、部分的に競争のメカニズムを入れていくという考え方です。そういう意味で新しい動きが日本で起きているんですよ。
0209金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/08(水) 16:37:45.72ID:KMNChKva
ファンダメンタル分析とは、財務諸表、健全性、経営、競争優位性、競合相手、市場などを分析することである。先物や為替に適用する場合は、経済、金利、製品、賃金、企業経営の全般的な状況に着目する。
この用語は、他の種類の定量的な分析やテクニカル分析などの投資分析と区別するために使用されている。ファンダメンタル分析は過去と現在のデータを用いて行われるが、その目標は業績予想である 。
個人投資家においては長期保有を前提に配当などの利回りを重視する立場をとる。大手機関投資家すなわち各銀行の含み益にも関係することから株価に全く無関心なことはないが、
短期の上げ下げに一喜一憂しないアプローチ手法である

テクニカル分析(テクニカルぶんせき、Technical analysis)とは、主に株式・商品取引・為替等の取引市場で、将来の取引価格の変化を過去に発生した価格や出来高等の取引実績の時系列パターンから予想・分析しようとする手法である。
将来の取引価格の予想を需給、収益性評価およびそれらの背景となる経済情勢分析に基づいて行う手法であるファンダメンタル分析と相対する概念である

移動平均線(いどうへいきんせん)は、株価や外国為替のテクニカル分析において使用される指標

短期移動平均線が、長期移動平均線を下から上に突き抜けることをゴールデンクロス(GC)と言い、一般的に投資家の間では買いの目安とされている。 逆に、上から下に突き抜けることをデッドクロス(DC)と言い、売りの目安とされている。
0210堺屋太一垢版2016/06/16(木) 04:41:15.25ID:0eyu57Kb
近代工業社会は終ろうとしている。そのことを示す徴候は既に多い。工業はアジア諸国に分散し、先進地域では比重が下がった。国家は希薄化して経済と文化はグローバル化しつつある。規格大量生産は縮小し、知恵の値打ちの創造が経済成長と企業利益の主要な源泉になった。
そして何よりも労働力と生産手段の分離という近代の特色が逆転しつつある。知価創造的な仕事に携わる人々にとっては、真の生産手段とは本人の知識と経験と感覚であろう。知価社会においては、労働力と生産手段は限りなく一体化する方向にむかっている

「水平分業から工程分業への変化は、先進国の社会をも激変させた。ここで企業や都市の盛衰を決めるのは、ビジネス・モデルが技術開発、マーケティングの中核となるごく少数の人々である」「今や先進地域の都市間競争は中核100人の争奪戦となっている」
「ビジネス・モデルを創ったり、製品のデザインをしたり、金融や法務やマーケティングに携わる人々にとって、生産手段とは何だろうか。多くの場合、物財は情報網につながったパソコンぐらいで済む。本当の生産手段は、本人の知識と経験と感性である」
「知価創造に携わる人々は、何よりも自分の好きなところに居住し、好きなところで働き、好きな状況で知的刺戟を受けて生産手段たる知識と経験と感性を補充する」
0211堺屋太一垢版2016/06/16(木) 04:45:11.67ID:0eyu57Kb
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近代工業社会は終ろうとしている。そのことを示す徴候は既に多い。工業はアジア諸国に分散し、先進地域では比重が下がった。国家は希薄化して経済と文化はグローバル化しつつある。
規格大量生産は縮小し、知恵の値打ちの創造が経済成長と企業利益の主要な源泉になった。
そして何よりも労働力と生産手段の分離という近代の特色が逆転しつつある。知価創造的な仕事に携わる人々にとっては、真の生産手段とは本人の知識と経験と感覚であろう。
知価社会においては、労働力と生産手段は限りなく一体化する方向にむかっている
「水平分業から工程分業への変化は、先進国の社会をも激変させた。ここで企業や都市の盛衰を決めるのは、ビジネス・モデルが技術開発、
マーケティングの中核となるごく少数の人々である」「今や先進地域の都市間競争は中核100人の争奪戦となっている」
「ビジネス・モデルを創ったり、製品のデザインをしたり、金融や法務やマーケティングに携わる人々にとって、生産手段とは何だろうか。
多くの場合、物財は情報網につながったパソコンぐらいで済む。本当の生産手段は、本人の知識と経験と感性である」
「知価創造に携わる人々は、何よりも自分の好きなところに居住し、好きなところで働き、好きな状況で知的刺戟を受けて生産手段たる知識と経験と感性を補充する」
0212堺屋太一垢版2016/06/16(木) 04:46:40.38ID:0eyu57Kb
知価創造産業が
急速に増加しており、生産手段はそれに従事する人間の知識と経験と感覚である。
つまり、生産手段と労働力が不可分に一体化している。そのような職業では、生産
組織は人間にまつわりつく属人性を備えて来る。
 今、先進国では、物財の量を増大する客観性よりも、人間の満足感を充実する
主観性を重視するようになってきた。従って、企業にとっても生産量を拡大するよ
り、ブランド・イメージの向上などの知的創造力大切になりつつある。当然、こ
れからの企業は、それに適応した組織原理を備えなくてはならない。そしてそのよ
うな組織とは、ある程度属人的にならざるを得ない。
 これからの社会において、地価の創造が経済の成長と企業利益の主要な源泉に
なる。このことは社会全般に、属人型組織の気質を広げずにはおかない。
 非属人的な近代組織は、目的達成のために必要な機能別階層別のポストをあら
かじめ用意し、それぞれの組織の基準に従って適切と思われる人材を、各ポストに
充当している。また、内部構造と人事政策においても非属人的である。近代組織に
おいて、上位者の特権は下の者よりも広い分野について情報を得ていることであり
、下位者の優位は担当分野に限ってより詳しく知っていることだ。そしてこの上下
の情報の量と質のバランスによって保たれている。
0213堺屋太一垢版2016/06/16(木) 04:47:55.88ID:0eyu57Kb
 現代の組織における問題はコンピューターの発達で情報技術が変わりだしたこ
とだ。機械網のすべてで情報が抽出できるとなれば、上位者ほど広く、下位者ほど
深く知る、という組織原理は通用しなくなってしまうからである。
組織内の情報流通は、主として対面情報交換によって行われてきた。だが現在の
中高年が積み上げてきた対面情報技術の有用性が下がり、中高年中管理職には不得
意な人の多い機会情報の比重が高まるとすれば、中高年の威厳は低下し、年功序列
型の組織原理を崩すことにもなるに違いない。
また、人口の高齢化により組織の年齢構成は、人口構造をそのまま反映した「上
大小下」の逆ピラミッド型になってしまった。それにより大企業や官庁、下請中小
企業がくずれだした。また、純粋な消費者となってしまった高齢者が増大してしま
った今、企業はコスト値下げ努力がますます重要になる。これにより、より安価で
効率的な人材に入れ替えることも考えなければなければならない。日本企業にとっ
ては重大な危機である。
0214金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/21(火) 22:31:29.93ID:uj8uvrFw
バフェットの投資に関する考え方はベンジャミン・グレアムの理論をベースとしている。株式が企業の一部であることを意識し、市場に惑わされず、安全余裕率を忘れないことが重要な要素だとしている。
その他にフィリップ・フィッシャーの影響も受けている。当初は株価純資産倍率(PBR)が1未満の株が解散価値の水準に価格修正される傾向があることから、PBRが1よりも小さい株を買い、価格修正されたところで売却し、差額を得るという方法が主流だった。
しかし、失敗した投資やチャーリー・マンガーの意見によって、バフェットは単に割安な企業よりも数字に表れないものを含めて内在価値が高い事を重視するようになり、普通の企業を格安で買うよりも優れた企業を相応の価格で購入すべきだとしている
0215金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/21(火) 22:31:57.09ID:uj8uvrFw
フィッシャーは、企業の価値を評価するために「15の質問」を使うことを提案した。フィリップ・フィッシャーによると、これらの質問は「企業の納入者」「競争相手」「消費者」に対して投げかけるものである。
1.その企業は、少なくとも数年は収益が増え続けることを可能にする、十分な市場可能性のある製品やサービスをもっているか?
2.現在売れている製品ラインの潜在的な需要がほとんどなくなったときに、経営陣には会社の収益をさらに伸ばすような製品やプロセスを開発・発展し続ける決意があるか?
3.企業の規模と比べて、どのくらい企業のリサーチと開発努力が効果的であるか?
4.その企業は、平均以上の販売組織があるか?
5.その企業には、十分な利幅があるか?
6.利幅を改善、または維持するために何をしているか?
7.その企業には、労働者・従業員との関係に特筆すべき点があるか?
8.その企業には、企業幹部との関係に特筆すべき点があるか?
9.その企業は、マネージメントに柔軟性があるか?
10.企業の費用分析と会計管理は、どのくらいきちんとしているか?
11.競争相手と比べて、どの位その企業が突出しているかを知る手がかりとなるような、その分野特有の評価できる特徴がなにかあるか?
12.利益という点で、短期間および長期間の見通しがその企業にあるか?
13.予測可能な未来に、企業の成長が著しいために自己資金調達が行われ、その結果株式の総数が増大し、現在の株主が予期していた利益が、ほとんど相殺されてしまうような事態になりそうか?
14.その企業の経営陣は、物事がうまくいっている時には、さまざまな出来事を投資家にどんどん話すのに、問題や損失が生じると、だんまりを決め込んでしまうようなことがあるか?
15.その企業は、完璧な経営体制を敷いているか?
0216金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/21(火) 23:14:53.89ID:uj8uvrFw
【ウォーレン・バフェットの12の原則】
事業に関する原則
・シンプルで理解できる事業か
・安定した事業実績があるか
・長期的に明るい見通しがあるか
経営に関する原則
・経営者は合理的か
・株主に率直に話せる経営者か
・組織の習性に屈しない経営者か
財務に関する原則
・1株当たり利益ではなく、自己資本利益率を上げようとしているか
・「オーナー利益」を考えているか
・利益率の高い企業を探しているか
・1ドル利益を留保したら、企業の市場価値も1ドル以上あがるよ
 うに心がけているか
市場に関する原則
・事業の価値はどれくらいか
・その事業を価値よりもはるかに安い金額で買収することは可能か

・バフェットは、「保有期間は永遠」と言ったことで有名だ。
「1年だけ15%の利益を得るよりも、毎年12%の利益を上げるほうがよい」とも語っている。
彼は長期保有にこだわり、その結果、税金を気にせずに、複利計算で利益を積み上げることができる。
毎年、利益を確定させていては、短期間に出た利益に毎年税金がかかってしまう
0217金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/21(火) 23:20:07.44ID:uj8uvrFw
ピーターリンチは全ての銘柄は下に示した6つのカテゴリーに分類出来て、株価の動きにはカテゴリーごとにそれぞれ特徴があるという風に分析しました。
1.低成長株 大きくて古い会社で成長が少ない会社である。特徴としては高配当の場合が多い。具体的には電力会社や鉄道などいわゆるディフェンシブといわれる企業である。
株価の伸びも期待できないので30〜50%値上がりするか、値上がりしなくてもファンダメンタルが悪化すれば売り。
2.優良株 大企業ではあるが低成長株を上回る成長をする会社である。コカ・コーラやプロテクター・アンド・ギャンブルなどが代表的である。日本で言えば伊藤園や花王などであろうか。
優良株への投資はかなりの利益期待が出来るが、「10倍株(テンバガー)」とはなりにくい。売り時はPERが通常よりかなり高くなったときや、新製品の利益に対する寄与が1年以内に見込まれない場合。
3.急成長株 年に20〜25%の成長を続けられる会社である。低成長業界の中にも急成長株は存在し、株価も急騰する場合が多い。ただ、若い会社が多いので成長が止まった時や資金繰りの悪化には特に注意する必要がある。急上昇したあとの失望売りは下げ止まらない場合が多い。
売り時は最近の四半期業績で売り上げが3%落ちた、新店舗の売り上げが芳しくないなど。ブーム前後のファースト・リテイリングを思い出せばいいでしょう。リスクが高い分リターンも高いですが、こういった銘柄を上手く見つけられるのもリンチのすごさです
0218金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/21(火) 23:23:50.32ID:uj8uvrFw
4.市況関連株 売り上げと利益が波のように上下する会社である。業績が拡大と収縮を繰り返す。業種で言えば、自動車、航空、タイヤ、鉄鋼、化学などである。この株は景気に敏感であるので、タイミングが全てである。
逆に言えば、これらの業種で働いているなら市況関連株への投資をする場合非常に有利といえる。業績の変化が表面化する前に売買できるからである。売り時は在庫が積み増しされてきたり、石油や鉄鋼などの市況が悪化してきた時となる。
5.業績回復株 会社更生法のお世話にはならなかったが、倒産寸前から立ち直った会社である。例えばかつてのクライスラーやフォード、ペン・セントラルなどである。日本で言えば日産などであろうか。
この株の特徴は、たまにしか出ないがいわゆる大化けする場合があることである。売り時は業績が転換期すなわち倒産の危機が去り、急成長株や市況関連株に区分された時、借入金が順調に減ってきていたが直近の四半期に増加している時などである。
6.資産株 土地、不動産などをかなり持っているが、バランスシート上には現れにくい会社。または、有効な特許、資源採掘権、著作権、ブランドなど金額に換算しにくいものを所有しているが、
まだ皆に気付かれていない場合など。時価総額に対し現金同等物の割合が高い場合も含まれる。この株が一番見つけにくいが、
下値は限られており、皆が気付いて株価が上昇するのを待つだけである。売り時はTOBなどで買収標的とされる場合である。ユシロ化学やソトーがTOBで急騰したのは記憶に新しいところである。これから日本でも盛んになるであろうと思われる。
0219金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/21(火) 23:46:19.25ID:uj8uvrFw
★株式全般★ ・PERが高すぎないか?
・バランスシートは健全か、財務面の強さは問題ないか?
・インサイダーが買っているか、自社株買いをしているか→良い兆候である。
1.低成長株 ・配当をもらうのが主な目的であるので配当を継続して出せるだけの余裕代はあるか?
2.優良株 ・倒産リスクは少ないのでPERが高すぎないか?
・収益減をもたらすような多角化ならぬ多悪化の可能性は無いか?
・長期保有つもりならば過去の不況や市況の悪化をどう乗り切ったか?
3.急成長株 ・最近の収益の成長率は適正か?(20〜25%程度が適正範囲)
・拡大の余地はあるか?
・拡大のスピードが上がっているか、それとも下がっているか?
4.市況関連株 ・在庫水準は適正か?(特に新規参入には注意が必要)
・景気回復にもPERが低下していないか?
5.業績回復株 ・最重要項目は倒産リスクはどれくらいか?(現金と負債はどれくらいあるか)
・経費削減や不採算部門の整理など、どのくらい実行され、その効果の程は?
・そのビジネスが活況を戻しつつあるか?
6.資産株 ・資産の価値はどれくらいか、含み資産はあるか?
・資産の含み益を株主に還元するきっかけがあるか?(TOBなど)
0220金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/21(火) 23:50:48.08ID:uj8uvrFw
銘柄選択時の最も重要な13項目
@面白みのない、または馬鹿げている社名 機関投資家が買おうとしないので割安で放置されやすい。
A代わり映えのしない業容 これもプロが注目しにくく割安放置確率が高い。
B感心しない業種 たとえば産業廃棄物処理業などアナリストが推奨しにくい業種
C分離独立した会社 大企業は独立させた部門が失敗すると評判に傷がつくと考えているので、通常は良好な財務内容を持ち、独立するに十分な備えを持っている。
D機関投資家が保有せず、アナリストがフォローしない会社 これも割安に放置されている確率が高い。
E悪い噂の出ている会社 例えば社長と暴力団が親しいなどどウワサされて割安に放置されている銘柄。
F気の滅入る会社 葬儀屋など機関投資家などが敬遠したがる銘柄。
G無成長産業であること 無成長産業であるがゆえに新規参入が少ないので競争の心配がなく高収益を確保できる。
Hニッチ産業であること 独占事業で参入障壁が高く、価格決定権を握る事が容易である。
I買い続けなければならない商品 安定したビジネスを展開できる。例)医薬品、ソフトドリンク、剃刀など
Jテクノロジーを使う側である事 コスト削減で収益が改善される。
Kインサイダーたちが買う株 その会社の人間が自社株を買っているのは、その会社が上手く行っていることの動かぬ証拠である。
L自社株買い 企業が株主に報いる最も簡単で最良の方法。
0221金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/25(土) 14:50:49.17ID:CWLmGw9n
「僕の投資の基本は現物株による超長期投資。かつてMさんから20億円の投資の誘いもありましたがM&Aを核にするファンドなので断ったこともあります。株はほぼ10年単位で保有します。
道中に山や谷があるのは当然のこと。僕が買うのは株というより、国や企業の成長。エネルギーやレアメタルは長期で見れば値上がりが見込める
相場の世界では“ショック安は買い”だが、底を打ったと確信する局面でも、あえて買い増しもしなかった
あくまでも余剰資金でやり、ゼロになっても構わないと覚悟すること

現物株
現物取引とは、信用取引や デリバティブ取引などではない、通常の株取引のことだな。祐作:投資家が自分で資金 を用意して行う取引のことですね

現物取引では、元手に応じて株を買ったら、値上がりを待つだけです。このため、ポジションを持っているときに、
予想に反して値下がりしたときはロスカットするか、値戻りするまで持ち続けることしかできません。
これに対して、信用取引では、信用売りによって売りのポジションを取ること ができるため、 下げ相場でも利益を出すことができます。何が起こるかわからない相場の世界では、
売りのポジションも取ることができる信用取引の方が 現物取引よりも安全で、リスクを下げることができます。
0222堺屋太一垢版2016/06/25(土) 15:01:03.91ID:CWLmGw9n
産業革命以来、労働力と生産手段が分離す
ることが近代化であるとされた。したがって、労働力と生産手段が一緒になっている下町は古い
体質なので、そうした下町はできるだけ早く整理して、工場は都市から離れた工業地域に、商店
やオフィスは都心に、そして、労働力再生産のための住宅や学校は郊外に置かれることが強引に
行われた

21世紀の企業社会はどのように変化しているか。
「生産手段を持つ個人の登場が世の中を変えていると思う。その場合の生産手段とは工
場とか資本とかではなく、知識、経験、感覚のことだ。デザイナーとかコンピュータプロ
グラマーを見ればよくわかる。彼らにとって一番大事な生産手段は製図台やパソコンでは
なく、自身が持つ知識や経験、感覚だ。つまり労働者と生産手段が不可分に結びついた職
業が急増している。これは単なる技術革新の結果ではなく、社会変革だ
0223金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/25(土) 15:07:55.81ID:CWLmGw9n
デリバティブとは、常に変動する社会の中で安定的な投資と経営をするために考え出された人類の英知の産物だ。

とかく官僚は、統制によって価格の安定を図ろうとするが、技術の変化や気象の変動にはついて行けない。旧共産圏の悲劇がそれを示している。
そこで、価格の変化を許容しながら、経営と生活をより安定させるために考案されたのがデリバティブである。
たとえば服地を生産する際、将来的にその生地が安くなる恐れがあれば、先物で売っておけばいい

デリバティブのもう一つの利点は、価格の決定に誰もが参加できる点にある。たとえば石油のように、
通常なら一般市民が値決めに参加できないものでも、デリバティブなら取引に参加することが可能だ。
たとえ現物の石油や備蓄する貯蔵施設がなくても、明らかに今の値段が高すぎる(安すぎる)と思えば、売り(買い)の注文を入れて、自らの判断が適切かどうかを占える。

官僚による統制や一部の大企業による値決めは、価格の決定権を市場から奪い、巨大な無駄を生む危険がある。そのことをわれわれはソ連で実見したはずだ。

統制好きの官僚主義者にはこれは理解できない。たとえば8代将軍吉宗は、米先物取引の効用を理解せずに取引価格に介入し、先物取引の規制を行なった。
このため、豊作の年には米価が大下落、翌年には農民の生産意欲が低下して大凶作になってしまう

デリバティブは投機的な行為だ」という悪宣伝もされる。
0224堺屋太一垢版2016/06/25(土) 15:52:57.55ID:CWLmGw9n
知価創造的な仕事に従事する人々にとっては24時間が常に情報インプット時間であり、創造的制作時間であり、娯楽と社交の時間でもある。生活の中の知識と経験と感覚が生産手段の再生産、再投入の一部なのだから、彼らは情報の渦巻く都心に住みたがるのだ。」
「何故に『地位が人をつくる』のか。それには本人の自覚や修練、周囲の補助補完によるところもあるが、何よりも重要なのは地位が情報環境を決定することである。近代組織においては、組織内の情報は、地位の順に上下に移動する。命令はトップから下位に伝達されるし、
現場の報告や意見具申は下位から順に昇ってトップに上達される。その過程で中間管理職が命令を具体化詳細化するし、報告や具申は取捨選択して要約する。従って、トップは広く浅く知り、下部は狭く深く知る形になる。…ところで、
ここで重要なのは、この組織内の情報流通が、主として対面情報交換によって行われていたことだ。つまり人間同士が顔を見合わせて会議なり指示報告なりを行うことで、大部分の情報が伝達されていたのである。」
「これまでコンピュータなどによる情報伝達は、主として情報量と伝達速度の問題として議論されて来た。情報伝達の変化が量と速度の範囲にとどまるならば、組織原理を侵すには至らない。しかし、本当に重大な問題は、これが情報の質と経路を変え、
有用な情報技術を根本的に変える点にある。機械網のすべてで情報が抽出できるとなれば、上位者ほど広く、下位者ほど深く情報を知る、という現在の組織原理は通用しなくなってしまうからである。
これまでの組織では、部長は課長よりも広く浅く知っていた。従って、常に上位者には『伝家の宝刀』があった。部長は部下の課長に対して、『きみはそう言うが、全体から見ると君の意見は呑めない』
『君の課ではそうだろうが、よその課のことを考えると、ぼくの判断が正しい』と言えた。相手は部全体の情報を持っていないはずだからである。」
0225堺屋太一垢版2016/06/25(土) 16:05:28.00ID:CWLmGw9n
ヒューマンウエアとは対人技術、つまり『人と人との関係技術』だ。今日の日本では、ハードウエア、ソフトウエアという言葉と概念は普及しているが、
ヒューマンウエアの概念はまだほとんど知られていない。しかし、あらゆる事業には、ハード、ソフトの技術と並んでヒューマンウエアは欠かせない重要技術である。」
「1970年代頃からは、高度な機器が中小商店や一般家庭にも普及すると同時に、
情報機器の発達と経済のグローバル化で、ソフトウエアの重要性が急速に高まった。だが80年代に入ると、
ハードウエアの性能品質やソフトウエアの利便性以上に、人間的な心地よさやイメージの良さなど主観的満足を充すヒューマンウエアの役割が大きくなっている。」
「従業員個人の主観と組織全体の動きから見た客観的事実とは同じでない、というのが、特定多数を対象としたヒューマンウエアの公理なのだ。つまり、従業員1人1人がどう思っているかは別として、
組織人の行動が人事評価の基準によって動くのは、否定し難い事実である。…人事評価の基準こそは、組織の性格と構成員の行動を規定する最大の要素である。」 
「実際、『才ある者は徳がない、徳ある者は才がない』というのは、人事における不滅の公理である。才があって仕事をすれば必ず周囲と摩擦を起して徳望は傷が付く。逆に仕事さえせず才能を発揮しなければ、大抵の人は『良い人』、つまり徳人であり得る。」
0226堺屋太一垢版2016/06/25(土) 18:34:49.87ID:CWLmGw9n
&#8226;世間ではよく「大都市で上げた税収を地方に分配している」というが、「過去からの補助金」を含めて考えると、むしろ都会の方が有利な仕組みになっている
都会国・日本像PHP文庫..堺屋太一
&#8226;忠臣蔵が有名なのは、赤穂浪士たちの行動が日本人の典型だからではなく、非常に珍しいからである。徳川260年間に改易された大名は200家もあったのに、
「主君のため」「お家のため」にと実力行使に出たのは、赤穂浅野家の場合だけだった。忠臣蔵的忠誠心の発揮率は、わずかに0.5パーセント
&#8226;見込んだ男を娘の婿養子として家業を継がせるのは、古くからの関西商家の伝統だ。このため関西では強い権力をもつ家付き娘が多く、
それが社会全体の風潮にも影響して女性の力が強かった
...歴史に学ぶ「変革期」の人と組織
&#8226;名将とは、常に自軍の長所を活かし、敵軍の短所を衝く。凡将は、自軍の短所に不満を持ち、敵の長所に脅える
....歴史に学ぶ「勝者」の組織革
0227堺屋太一垢版2016/06/25(土) 20:18:03.88ID:CWLmGw9n
堺屋 「今の人生80年時代でしょう。22歳から働いたら70歳まで働いて当たり前、一方教育年齢がどんどん延びてますから、
それだけの教育でノウハウを蓄えた人が60で辞めるというのは勿体ないです」
― 年金兼業型労働(年金を受け取りながら、定年前より給料が少なくとも「好きなこと」を仕事にして働く)を提唱しているが?
堺屋 「まず第一に、何が好きか分からない。例えば何十年か会社に勤められて、再就職の方は、例えば私は人事をやってました、
だからどっかの人事をやりたい、ところがねAという大企業で人事してた人がBという中小企業で人事をやれるかといったら全然人脈が違うんですね、だから人好きかどうかなんですよ、
人好きな人が人事に向いてるんで、人事部長をやってた人が人事に向いているわけじゃないですね、だから本当に人事が好きだったんですかという事がね問題なんですよね」
― 団塊の世代、お荷物論があるが?
堺屋 「金持ち、智恵持ち、時間持ちなんですよ、これ一番幸せ。もう一つは、60過ぎる支出が減ります、子育て終わりますからね。教育費用がいらない、それから家賃もだいたいローンも払い終わる。
それから、親御さんは60歳以上の人は介護の手間もだいたいなくなります。
そして衣服とか家具とかそんなに買う事がない、そうすると支出が減るのと年金が入るのとで相当給料が低くても今の年金兼業の考えますとね、
そうとう給料が低くてもいい、給料が低いのを今の世の中ではね自分の価値が下がったように思う人がいるんですねそれは職場が変わって社内評価からマーケット評価に変わったというだけですからね、そこは十分に理解して…」
0228金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/06/26(日) 17:16:16.48ID:8nqL0f2k
ベンツ C250セダン   日本:545万円 / アメリカ:$35220(270万円 / ドイツ:33075ユーロ(324万円
ベンツ C63AMGクーペ 日本:1024万円 / アメリカ:$61430(472万円 / ドイツ:59950ユーロ(587万円
ベンツ E63AMGセダン 日本:1424万円 / アメリカ:$87600(673万円 / ドイツ:88900ユーロ(871万円
ベンツ S550セダン   日本:1462万円 / アメリカ:$93000(714万円 / ドイツ:88550ユーロ(868万円
ベンツ GL550      日本:1314万円 / アメリカ:$84450(648万円 / ドイツ:83300ユーロ(816万円
ベンツ ML350      日本:760万円 / アメリカ:$46490(357万円 / ドイツ:47700ユーロ(468万円

BMW 335iセダン  日本:653万円 / アメリカ:$42050(322万円 / ドイツ:38538ユーロ(378万円
BMW 535i     日本:800万円 / アメリカ:$52250(401万円 / ドイツ:44622ユーロ(437万円
BMW M3クーペ  日本:970万円 / アメリカ:$58900(452万円 / ドイツ:57773ユーロ(566万円
BMW X3 35i    日本:661万円 / アメリカ:$42400(325万円 / ドイツ:44370ユーロ(435万円
BMW X5 50i    日本:995万円 / アメリカ:$64200(492万円 / ドイツ:62437ユーロ(612万円
BMW X6M     日本:1419万円 / アメリカ:$89200(684万円 / ドイツ:91597ユーロ(897万円

合理化努力」の内容を見ると、本社管理機構や生産現場の人員を販売の
最前線、つまり営業支店や流通子会社に配置換えするのがかなりの部分を占めていた。要するに、
工場蔵出し価格を抑制することが合理化の主要な目的であり、このために工場の生産コストを
国内流通コストに付け替えたわけだ。
 したがって、蔵出しコストは下がり、蔵出しコストから算出される輸出価格は下がった。
しかし、そのために国内での流通コストはますます高くなり、内外価格差が拡大する結果となった

工場蔵出し価格は安いが、複雑な流通経路を通じて国内の消費者の手元に
渡るときにはかなり高価になってしまう。日本製の自動車やカメラは、東京よりもニューヨークの
ほうがずっと安い、という現象が現れている。
0230堺屋太一垢版2016/06/26(日) 18:57:44.87ID:8nqL0f2k
ところが、知価社会になると価値が変動的です。設備や生産手段、つまり「財団」の価値も可変的です。「財」よりも、むしろ経営者の能力や技術開発力が重要になってくるわけです
0232堺屋太一垢版2016/06/28(火) 02:51:33.10ID:Wj1hcdKC
「サービス化社会」とよくいいますが、サービス分野でも流通や宿泊など規格大量生産した分野は縮小になっている。
そこから先は「時間」と「経験」なんですね。これが非常に成長しているわけです。「東大講義録」

知価社会では、通信情報によって、全国、全世界を平等に見るように考えなければいけない。
ところが、日本だけは対面情報が中心で、東京のこと意外は考えない習慣が広がっています。「東大講義録」

中世になると、物が足りなくなって人が余ってきた、その結果、人手を使うことはいいけれども、物を沢山消費してはいけない、物を消費しない、したがらない、
その証として、物に関心を持たないほうがいい。そこで観察力が急激に衰えます。 「東大講義録」
物に関心がない時代に、例えば人間を描くときはどう描くか。ビザンチン美術を見れば一目瞭然です。
人物は必ず十三等身に描くんですね。「東大講義録」
0233堺屋太一垢版2016/06/28(火) 15:43:50.53ID:Wj1hcdKC
「量」と「質」を確定して、容易に換算できるようなものが「コモデティ(産品)」なんですね。

知価は予測が極めて困難だということです。コモデティといわれるような代替可能な物財は、需要がかなり正確に予測できます。<中略>しかし、知恵の値打ちは全く予測ができない

知価社会になると価値が変動的です。設備や生産手段、つまり「財団」の価値も可変的です。「財」よりも、むしろ経営者の能力や技術開発力が重要になってくるわけです

最近の状況から見ると、流行やブランドなどは決してメーカー側が自由自在につくるのではなく、社会主観によって消費者側あるいは消費者に関係の深い専門家やマスコミ等によってつくられる

中世の子供たちは、両親から生活手段を引き継ぎ、家庭でそれぞれの職業を継ぐ教育を受けた。近代の子供たちは、親からの生活手段を継ぐことも職業教育を受けることもなくなったが、「自由な労働者」としての生活習慣を見習うことはできた
0234堺屋太一垢版2016/06/28(火) 19:39:03.55ID:Wj1hcdKC
物財に関心を持たない文化はい、今でいえば発展途上国の文化です。古代は近代と同じで、物財に興味を持った文明をつくり、
先進国とは物財が豊富なところのことです。「東大講義録」
0235堺屋太一垢版2016/06/28(火) 23:36:00.11ID:Wj1hcdKC
規格大量生産が普及した結果、人々は個々の商品を観察することなく、ブランド、マーク、記号だけで購入するようになりました。
哲学的にはこれが「記号論」に通じます。「東大講義録」
0236堺屋太一垢版2016/06/29(水) 02:23:16.45ID:YuzmFtNT
知恵の値打ちはまことに可変的です。従って、ある良い知恵の値打ち、流行のデザイン、優れた技術を対象に融資しても、
かなり危険がある、といえます。「東大講義
0237堺屋太一垢版2016/06/29(水) 22:43:45.94ID:YuzmFtNT
サービス化社会」とよくいいますが、サービス分野でも流通や宿泊など規格大量生産した分野は縮小になっている。
そこから先は「時間」と「経験」なんですね。これが非常に成長しているわけです

知価の第三の特徴は、貯蔵がきかないことです。物財は貯蔵することはできるが、サービスはなかなか貯蔵は難しい。
しかし、経験によって需要の波動は予測ができる。この点、知価は予測も困難です。「
0238堺屋太一垢版2016/06/30(木) 15:32:48.93ID:N+tI2x5V
日本人でハードウェア志向だったのは弁慶で、七つ道具を持っていた。それが扇子一本の牛若丸に五条の橋で負けたというのは、
ハードウェアはソフトウェアにかなわないという説話です

戦後でも、松下幸之助がなぜ褒められたかというと、人手を節約して物をたくさんつくったからです。同じようにお金持ちになっても、
人手をたくさん使って物をつくらない、例えば消費者金融などはあまり褒められない

戦国時代の武将の中で明確に自分の統治ビジョンを掲げたのは織田信長と徳川家康だけです。武田信玄や上杉謙信にはそれがない。
武田信玄の「風林火山」は戦陣訓、どうやって戦争に勝つかという技術論です。
0239堺屋太一垢版2016/07/01(金) 22:23:01.51ID:OytgKawR
「合成の誤謬」をいかにするか。これは十七世紀以降の世界的大問題です。「東大講義録」

合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英: fallacy of composition)とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語
円高になると個々人は輸入や海外旅行において有利になるため、円高を礼賛するような言説がしばしばなされることがあるが、円高になっても日本全体の輸入量を増やせるわけではない。これは、円高によって交易条件が改善するわけではないこと、
および、経常収支の黒字が資本収支の赤字と一致するよう国全体での純輸出が決まってしまうことから、円高とは関係なく輸入量・輸出量が決まるためである。貯蓄投資バランスも参照。

上記の例のように、国民経済の枠組みにおいて財政は割合が大きいが、世界経済の枠組みにおいては、一国の財政はミクロの客体となる。このため、通貨切り下げなどで自国経済を活性化させることで財政構造を改善することができる。
しかし、この政策も結局、世界中の国で行われれば、合成の誤謬が発生する
0240高橋洋一垢版2016/07/03(日) 16:04:58.18ID:VeHGW7qH
日本国債暴落説のウソを正す!

日本政府の債務残高は1000兆円に迫り、GDPの2倍もある。やがて日本国債は暴落し、日本の財政は破綻するという説が国民に不安を与えている。しかし、これには大きな誤解や嘘が含まれている。
政府や財務省は1000兆円という借金の額のみ強調するが、日本政府の資産は650兆円もあり、諸外国より図抜けて大きい。しかも、そのうち約400兆円は現金化しやすい金融資産だ。
また、国債の保険ともいえる金融商品であるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の保証料も、イタリアはもちろん、ユーロ圏を牽引するフランスと比べても日本は安く、これは日本国債に対する世界の金融市場の評価がフランスより高いということだ。
このような事実を無視して日本の財政破綻を唱える政府・財務省や、その影響を受けている学者の発言には、世論を増税容認に導く意図があるとしか思えない。その先にあるのは省益や天下り先の確保である。
しかし、このデフレ化で増税するなどの愚かな政策を続ければ、日本の財政は本当に破綻しかねない
0241堺屋太一垢版2016/07/05(火) 16:01:03.04ID:bYvGIOGG
それぞれの個人や企業が、将来のために、あるいは後継者や周囲の人々のために、良かれと思う善行を積むと、結果としては社会全体が悪くなってしまうーこうした現象を、経済学では「合成の誤謬」と呼ぶ。
この最もわかりやすい例が、倹約・勤勉と不況との関係だろう。一般的には倹約も勤勉も人間の美徳であり、社会の良俗である。ところが、みんなが倹約に努めれば需要は伸びず、勤勉に励めば生産が増え、結果としては売れ残りが大量に出て不景気に陥る。
こんなとき、人々はいちだんと倹約して将来に備えて貯蓄し、企業が経費を削減して生産性を上げれば、ますます不況は深刻になり、失業者や倒産企業が増加する。みんなが良いことをすればするほど、全体が悪くなり、互いを苦しめ合うことになるわけだ。
いわれてみれば当然のことだが、人類はそれを容易に信ぜず、国家財政でも同じことをした。その典型が徳川八代将軍吉宗だ。
開幕以来約百年、元禄中期(十七世紀末)まで成長を続けた経済も、元禄末期に入るとバブルが弾けた状況となり、次の宝永期には富士山の噴火(一七〇七年)や地震も相次いだ。
そんなとき、輿望(よぼう)を担って登場したのが八代将軍吉宗だ。吉宗は体も大きく気迫も十分だったが、やったのは倹約と統制である。自ら衣食を削って倹約に努め、早朝より政務に励んだ。
また、世間にも倹約を強制、「御庭番」というスパイを放って贅沢な商人や気ままな大名を取り締まった。投機を禁じ、政府批判を封じ、近松門左衛門の心中ものも上演禁止にした。
こんな政治が長く続けば、世の中が不況になるのは当然だ。享保十六年には米価が大暴落、そのうえ、値上がり期待で買いためる投機を禁じていたから、翌十七年にいなごの害が発生すると関西以西は大飢饉に陥った。しかもこれで幕府の財政が大いに改善したわけではない。
吉宗が将軍の座から退いたとき、相当の余剰金があったのは、倹約の成果ではなく、元文元(一七三六)年に行った貨幣改鋳の結果という。頑固な吉宗も、倹約・勤勉の引き締め政策をあきらめて、インフレ政策に転じざるを得なかったのだ。
0242堺屋太一垢版2016/07/05(火) 21:14:08.16ID:bYvGIOGG
組織が固定化すればヒトもカネもモノも固定化して流動性がなくなる。日本政府の予算などは七十二兆円余もあるのに一パーセントも動かせない。
シビリアン・コントロールはそれを逆手にとって、常に外部から介入することで、軍隊が軍人共同体化することを防止しようとする制度である。 「組織の盛衰」

毛沢東は、文化大革命において専門知識の故に権力を握る実権派を批判、守備も工場長も運転手も大臣も給与が同じ、権力においても平等だという体制を作ろうとした。
知識のある者がない者より権限を持ち、役得を得るのは人間社会の押え難い摂理だ。 「組織の盛衰」

環境の悪化でエネルギーが不足し、民族大移動で生産組織が破壊されると、物財の供給が減り、物財は不足します。そうなると、物財を節約するのが正しいことになり、
物財に興味を持つのは下品なことと見なされるようになりました。「東大講義録」
0243堺屋太一垢版2016/07/07(木) 14:32:14.46ID:I2gts6zP
企業組織の最大特色は、物財を中核とした組織だという点にある。最初に資本、つまりは物財が存在し、これを中核として権利と義務の主体となる疑似人格、いわゆる「法人」が成立する

近代歴史学は、物的証拠や文献出拠を重視して、推測を否定する学問思想を作り上げた。これでは「バクテリアの選択」といわれる通り、たまたまバクテリアが破壊しなかったものだけで歴史を構成することになる。

日本は、逓信省、鉄道省、農商務省のような所管別、産業別・供給者別の官庁をつくる一方、供給者を持たない地域別の官庁、内務省をつくった

食糧危機が来ると何が起こるかというと、自然破壊です。
焼畑が拡大し、それまで石油コンロを焚いていた人が周辺の森を伐りだします。

奴隷を規定する尺度は三つあります。第一に居住の自由がない。
どこに住んでもいいなら奴隷ではない。第二に結婚・出産の自由がない。第三に、蓄財の自由がないことです
0245水野和夫垢版2016/07/07(木) 21:53:11.64ID:I2gts6zP
長期金利の基準となる10年物国債の利回りが昨年暮れに0.315%まで低下し、2015年は0.2%台まで低下すると言われる低金利時代に突入している。
私は、日本の10年債利回りが1997年に2%を割った時から、資本主義における資本が自己増殖できなくなったことを意味すると、ずっと言ってきています。
「金利が2%以下になるとシステムが維持できない」というのは、理論的な根拠があるわけではありませんが、歴史的にみると400年前、それまで地中海で行われていた狭い範囲での資本主義が
終わった1611年から1621年の間に、イタリアの金利が2%を割ったのです。その少し前の1600年に有名なオランダの東インド会社が設立され、
その配当は18%であったので、イタリアの投資家は国債に投資をしても利息が2%以下のリターンでは太刀打ちできず、そのリスクに耐えられなくなった。イタリアは農業社会で、全国土をブドウ畑にして投資していたが、
日当たりの悪い(効率の悪い)ところまで投資をして利益が上がらなくなって、地中海の資本主義は終わりを告げたのです。
現在の日本で長期金利が2%を割ったことの意味は次のようなことです。つまり、2000年代半ばにIT産業における液晶パネル産業の工場の国内回帰の波に乗って、何千億円の巨大パネル工場を新設した。しかし、当初はともかく、
数年のうちに見通しを誤って稼働率が半分に落ち、結局半値で売り渡して残りは数千億円の特損を計上するに至った。
それに合わせて約10年間金利は低下し、その後の10年もそろそろ終わろうとしているが、金利は2%に低下したままで、一向に上がる気配はない。
これはたまたまパネル投資の運が悪かったわけではなく、日本全体で優良な投資機会が残っていないということです。
http://gendainoriron.jp/vol.04/feature/f01.php
0246堺屋太一垢版2016/07/07(木) 22:04:47.40ID:I2gts6zP
◆なぜ、賃金が上がらないのか?
鈴木 リストラとなれば大問題ではありますが、その前に、そもそもなかなか賃金が上がらない。アベノミクスでもそれが実現するかどうか、
とくに中小・零細企業にとっては不安が広がっています。そこで今、実は働く側にとってどんなことが起きているのか教えていただけますか。
 水野 売上げから中間投入を引いた差が付加価値、すなわち名目GDPですね。この名目GDPを分配面からみるとどうなるか。
 グローバリゼーションというのは資本の力を圧倒的に強くします。象徴的にいえば、たとえばフォルクスワーゲンやベンツが労働側に対し、賃下げを呑まないのなら工場を丸ごと閉鎖しスペインに持っていくぞ、
と言い労働側はその賃下げを呑まざるを得ないということです。通常、付加価値つまり名目GDPは、資本減耗と雇用者報酬と企業利益の3つに分配されます。
 鈴木 資本減耗というのは減価償却費のことですね。
 水野 そうです。今持っている資本を昨年と同じように維持して使えるようにするためのコストです。
 ここでは分かりやすく説明するため、減価償却費を除いて考えることにすると、通常、分配割合は雇用者7割、企業3割です。たとえば、
500兆円の付加価値があるならその分配は労働350兆円、企業150兆円となります。これが1%成長をすれば名目GDPは5兆円増える。
その5兆円をやはり7対3で分けるのであればいい。しかし、資本の力が強く、企業利益を増やそうとするために労働への分配は少なくなる。
0247水野和夫垢版2016/07/07(木) 22:06:06.41ID:I2gts6zP
◆企業利益確保が優先される時代
水野 仮に景気が回復する場合も、景気が回復するのは新興国が成長しているときか、あるいは米国がバブルになっているからで、
資源エネルギー価格が上昇し中間投入コストが高くなるので、結局、名目GDPは少ししか上がらない。
 一方、景気回復とは工場の稼働率や働く人の総労働時間は増えることですから、生産量とほぼ同じ意味である「実質GDP」は上がる。
そうすると政府は景気を実質GDPで判断するため、景気回復だ、と言う。すると株主は「景気が回復しているのだから配当を増やせ」と要求する。
したがって資源エネルギー価格上昇で付加価値は少ししか増えていないのにもかかわらず、株主に対する配当を増やさなければならない。
さらに減価償却費も昔の過剰な設備投資のおかげで工場や設備を維持するコストは高い。
 結局、分配面でみると景気が回復しても賃金が下がるという構造になってしまっている。
 鈴木 企業利益を確保するために雇用者報酬が削られるということですね。それは大企業が中小・零細企業への支払いを抑えることも同じですか。
 水野 そうです。
http://www.jacom.or.jp/nousei/tokusyu/2013/04/130419-20583.php
0248金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/07/08(金) 00:13:41.00ID:ZTPjMlyY
分かりやすくかつ若干乱暴に書くと…
■名目GDP … 単純に金額から算出したもの
■実質GDP … 物量から算出したもの
仮に去年のGDPが100兆円だったとして、今年の名目GDPが110兆円なら単純に成長率は10%という事になりますが、今年物価が10%上昇したとすると金額的には10%上昇していても物やサービスの量は変わりませんから実質GDPは100兆円のままとなり成長率は0%に。
もっと身近な数字で解説すると、去年100円のりんごを100個売りGDPは10,000円だったとして、 今年はそのりんごを110円に値上げし同じく100個売ったとすれば今年の名目GDPは11,000円となりますが、
物価変動を除いた実質GDPでは10円の値上げは加味されませんから、去年と同じく100円のりんごを100個売った事になり10,000円のままなのです。
逆にりんごを90円に値下げし110個売った場合はどうなるのか?
この場合だと「90円×110円=9,900円」ですから名目GDPは1%のマイナス成長となりますが、実質GDPでは100円のままなので11,000円となり成長率は10%となるのです。
つまりインフレ下では実質より名目の成長率が上となり、デフレ下では名目より実質の成長率が上になります
0249堺屋太一垢版2016/07/08(金) 15:58:36.69ID:ZTPjMlyY
こうすると、銀行はどんどん同質化します。競争するのは大きさ、つまり資金量だけです。
従って、銀行に就職した人たちが第一にやったことは預金集めです。預金集めの上手な人が、まず出世しました。

第二は、自己の担当分野だけを重視して、他との均衡や外部コストを見失う形である。

土地に密着した共同体を捨て、利便性(機能)から居域を選んだのである。鉄砲を大量かつ組織的に使用するためには、先祖元来の武門を誇る「馬上の名士」
を後方に退け、鉄砲足軽を集めた大組織を作らなければならない
0250金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/07/09(土) 20:05:55.82ID:4LQJiIgQ
農業革命以後は激しい階級差が存在するようになった。支配&#8212;被支配の社会的関係が、搾取&#8722;被搾取の経済的関係を伴うようになると、物財の多さは勢力の強さを示すので、人々は物財の多宴を重視するようになります

同じ組織に所属すれば、共通の目的意識と情報環境に置かれているため、同僚と比較し易い。従って、組織人の嫉妬は、まず組織内部の同僚に向けられる。組織への帰属意識の強い人々は、
組織全体の地位の低下には鈍感で、内部での比較優位だけで満足できる。

第二は、自己の担当分野だけを重視して、他との均衡や外部コストを見失う形である。 

その最も極端な状況が日本史上最大の急成長組織・豊臣家にも起こった当然、何とか事業拡大し、成長を続け、全体として禄を増やさねばならぬという組織内圧力が生じる。いわゆる人事圧力シンドロームである。

新しい支店を作る目的は、例えば一定の地域での営業活動を充実することであったとしても、でき上がった支店は守備範囲の地域だけではなく他の領域にも取引先を求め出す。
支店には支店自体の拡大と好評を得たいという目的が生じるからである

人間には足りない物を節約するのは正しいと信じる倫理観を生み、豊富にある物を潤沢に使うのはカッコいいと考える美意識を育てる「優しい情知」があります
0251堺屋太一垢版2016/07/11(月) 20:57:13.65ID:3DY8PPbr
つまり、知識産業は知識を得るという結果が問題であって、時間産業は時間の過程が重要です。これは峻別しなければいけない概念なんですね

ゼロサム状況を脱して成長を継続するには、二つの方法がある。第一は手法の転換、つまり事業多角化だ。豊臣家の場合なら、それまで戦に勝って領地を拡げるという手法で成長してきたが、
これを転換して行く災害で各大名家の収入を増やす方法を採ることだ。

人事圧力シンドロームも、その一形態なのだ。経済的利益とは違って、権限意欲の方はしばしば個人的利益としてよりは、個人的犠牲として主張される

農民は土地に対する耕作権を持っていた。商人は営業権と商品、店舗を持っていた。職人は工房とギルドでの権利を持っていた。そしてほとんどの場合、
労働の単位は家族であり、主婦も老人も子供も、仕事を分担していた。

第三の問題は、組織の目的と、組織構成員の目的の違いである。組織はある目的を持って作られ、作られた組織はそれ自体の目的を持つ。だが、その組織に加わる構成員は、彼個人の目的を持つ。

イギリスの保守党やアメリカの共和党は百数年の社会変化をくぐり抜けて、巨大な政治組織として生き続けている。両党とも、何度か消滅の危機に曝されたが、
その都度、環境変化に対応した理想と組織を再編成している。
0252堺屋太一垢版2016/07/14(木) 16:22:15.74ID:+BmjPY68
構成員(特に管理職)の権限意欲は、経済利益よりもはるかに重大な行動原理となっているといえるだろう。

倫理の違いは判断基準と功績評価を変え、他の社会では評価されない(むしろ非難される)行動を、その組織内だけでは賞賛される。実は、これにもいくつかの形態がある。

第三の問題は、組織の目的と、組織構成員の目的の違いである。組織はある目的を持って作られ、作られた組織はそれ自体の目的を持つ。だが、その組織に加わる構成員は、彼個人の目的を持つ。

下部の小組織に権限と任務を与えれば、その権限を司る小組織の長にとっては、自分に与えられた任務こそが究極の目的となるのである。

実は、官庁や軍隊でも民間企業や家庭でも、すべての組織の組織構成員はトップから末端まで同じ欲求を持っている。ただ上層部は下級構成員よりも権限利益を強く意識しているため、組織の内部蓄積の方に熱心な場合が多いだけである。

各地位に就く個人の能力と性格によって、規定以上の権限を振るう者と、規定の責任をも満たさない者とが現れる。規定上は「部長の決裁」(権限)とされている事項でも、実際に決定しているのは某部長代理あるいは某課長という例は少なくない。

だんだん豊かになると、それが耐久消費財になり、娯楽になり、そして、最も豊かになった現代では、知恵の値打ち「知価」を求めるようになっているのではないか。「

関ヶ原の合戦で敵対した大名の家を取り潰しても、そのときの怨みや将来の危惧からとしか受け取られない。だが、福島や加藤、最上のような忠実な大名家を取り潰せば、この原因が何だろうかをみんなが考え、それらが成長志向だと思い当たるに違いない

何々株式会社の社員といえば世間では高く評価され大切に扱われる。社員の多くは、これを組織(会社)のためとして語るが、その根拠は構成員の権限拡大と対外的体裁欲求にあるのだ
0253堺屋太一垢版2016/07/15(金) 02:11:51.68ID:pSAqbLPt
稲盛 戦後に起業して確たる成功を収めても、晩年まで順調にいった企業はあまりない。会社を興した時は倫理観を持っていても、成功体験が人の品性を変えていく。傲慢(ごうまん)になって個人の品格が劣化すると同時に、企業の品格も劣化する。
品格を維持するのは難しい。私は若い経営者向けの塾を主宰しているのだが、そこでも「人間として間違った方法で利潤を追求してはならない。利を求むるに道あり。正しい道は利他の心だ」とずっと言っている。

堺屋 世界的にはファンドが企業を買うことは正当な行為であり、品位がないと思っている人はいない。これからは世界の倫理とどう合わせるかが問題になる。
そういう中で品格を保つためには、
第一に外国人を怖がらない、第二に人や官僚に頼らない、第三に変化を恐れないことだ
。時代が変わり、職業が変わり、場所が変わるときに、どこでも通用する品格は何かと考えると、最後に残るのはこの3つだ。日本だけの品格では通用しない。

稲盛 米国では、ものづくりがどんどん後退し、金融やIT(情報技術)など、知恵で生み出していく産業で利益を得なければ生きていけない。それが資本主義の正しい発展の方向だとなっているが、
本当にこれでいいのだろうか。資本主義は壊滅の方向に向かっているのかも知れない。
日本のプリミティブな倫理観で、世界から尊敬と信頼を勝ち得るような歩き方ができるのではないか。

堺屋 アメリカが71年に金とドルの交換を停止して、ドルはペーパーマネーになった。その結果、ドルが増え、お金の需要を増やすために借りる人を増やさなければならなくなった。
問題となっているサブプライムローンもそうだ。こういう経済はどこかで止めなければならない。
いわば、世界の品格が落ちているのだ。日本はこれを毛嫌いしているが、このらち外にはいられない。それを前提として、企業や人間、国家の品格をどう立て直すかという議論を始めるべき時代に来ている。
0254堺屋太一垢版2016/07/15(金) 02:34:18.06ID:pSAqbLPt
堺屋太一「歴史の使い方」文庫版への序文
本書では「二十一世紀のアメリカは知価時代のモンゴルか」と論じた。どちらも多様な人種を取り込んで発展、世界を支配する覇権国家となった。しかも租税負担は低く、
軍事的には大量報復戦略に、経済的にはペーパーマネーの垂れ流しで繁栄する「貢がせる経済」であると。
十三世紀のモンゴル帝国が発明した「ペーパーマネーを国際基軸通貨とする体制」は、通貨を物財との交換手段ではなく、利潤を生む資本と考えることから出発した。モンゴル帝国の財務官マフムード・ヤラワチ(1175〜1256?)は、
「通貨(オカネ)は金や銀への交換を保障されているから価値があるのではなく、それを有利子で借りるものがある限り価値を保つ」と主張した。
このため、財政と国際収支の「双子の赤字」を補うためにペーパーマネーを増発する一方、借り手作りに励んだ。「オルトク(トルコ語の「仲間」の意味)」つまり投資ファンドを造り、最初は交易商人の運転資金に貸した。
それで借り手が足りなくなると、鉱物や陶器製造の設備資金に貸した。最後には王侯貴族や軍閥、つまり消費者にも貸した。いわばどんどん危険な相手に貸さざるを得なかったのだ。
0255堺屋太一垢版2016/07/15(金) 02:35:29.93ID:pSAqbLPt
二十一世紀のアメリカも同じである。国際収支と財政の「双子の赤字」を補うために、ペーパーマネーのドルを垂れ流す一方、借り手を探して流れ出たドルを借り戻した。一九八十年代にはジャンク・ボンド(屑社債)で
中小企業の運転資金に、次にはITブームで新興産業の設備資金に、そして最後はサブプライムローンで低所得者の住宅ローン、つまり消費者貸しへと走った。
モンゴル帝国のペーパーマネーは王侯軍閥という消費者相手の貸出しに走ると、間もなく大破綻して価値を失ってしまった。アメリカ合衆国のペーパーマネー(ドル)も、サブプライムローンという消費者貸しに頼りだすと破綻、
世界金融危機からドル価格の暴落へと陥っている。
モンゴルのペーパーマネーは約八十年間、交換価値を下げながらも国際基軸通貨としての地位を保った。私は本書の原本で「二十一世紀のアメリカに、十三、十四世紀のモンゴルほどの知恵と権威があれば、
あと五十年ぐらいは今日の状況が続くかもしれない」と書いた。現在の状況では、残念ながらそれほどの知恵と権威がアメリカ合衆国にはなさそうに見える
0256堺屋太一垢版2016/07/15(金) 02:59:24.99ID:pSAqbLPt
(モンゴル帝国の財政官)ヤラワチは「自分に通貨の発行権を与えてくれたら、向こう100年間、
増税なしで国家運営できるようにしてみせます」と大見得を切り、実際に紙幣を大量に発行した。彼は「おカネは金や銀に換わるから価値があるのではなく、
有利子で借りる人がいるから価値がある」と考えた。つまり、おカネの「投資手段としての価値がある」ことに目を向けたわけです。
そこで、ヤラワチは借り手を確保するために今で言うファンドを作り、貿易商人らに事業の運転資金としておカネを貸した。しかし30年後には、運転資金に貸すだけでは借り手が足りず、設備資金としても貸します。
さらに、もう30年後には、王侯貴族に大名貸しまで始めた。これは消費者金融ですから、危険です。
はたしてその20年後、モンゴル帝国は内乱が起きて大名貸しが回収不能となり、ファンドは次々に倒産してモンゴルの紙幣は価値を失ってしまうのです
0257堺屋太一垢版2016/07/15(金) 03:00:34.14ID:pSAqbLPt
このヤラワチと同じことをやったのが、レーガン大統領以降のアメリカです。
つまり’80年代から、アメリカはドルをどんどん発行し、中小企業や新興企業に貸した。これがジャンクボンドです。そして、’90年代にはジャンクボンドが行き詰まると新興国に貸した。
それも、’97年のアジア通貨危機でダメになり、次にはIT企業の設備投資に融資してITバブルが起きます。
これも’01年には崩壊した。こうしていよいよ貸す相手がなくなり、目を付けたのが消費者金融、つまりサブプライムローンです。
問題はここからです。こうしておカネの借り手が行き着くところまで行くと、次なる借り手はどこか。いま、それは国です。
アメリカもイギリスもイタリアも日本も、めちゃくちゃな財政赤字の国です。だから国が借り手になるわけです。では、国の財政再建が実現したらどうなるか。
もはやおカネの借り手はなくなり、資金の行き場がなくなります。だから、財政再建を先送りして減税を継続した。これが現在のアメリカです。
0258堺屋太一垢版2016/07/15(金) 03:06:12.81ID:pSAqbLPt
アメリカもイギリスもイタリアも日本も、めちゃくちゃな財政赤字の国です。だから国家が借り手になるわけですが、
現在、日本の債務は国と地方を合わせると対GDP比約200%にのぼり、
さらに、民主党のバラマキ政策によって債務がさらに積み上がれば、国民の貯蓄(約1,400兆円)を上回る可能性もあるということで、
通貨の問題が一気に爆発する危険性をはらんでいるのが、'11年であるというわけです
まず、今は、世界的なカネ余りにより商品価格の高騰が起き始め、行き場を失ったマネーがコモディティ(商品)市場に流れ始めている。
特に、食料については需要が高まったことから、値上がりが加速していることを挙げ、こうなると、インフレが懸念されるが、低金利でインフレが起きると必ずバブルになり、やがて弾けることを指摘し、
おカネが余っているから物価は上がるが、景気は悪くて失業者は多い、という最悪の状況に至ることに言及した上で、利回りは低く、
経済成長も望めず、富裕層からより多くの税金を取ろうとする日本では金持ちになれないのは当然で、金持ちがいなくなった社会では貧困優遇政治が行われるようになる。それは、貧しい人だけが政治的発言権を強くするからであると。
そして、それはかつて大阪が歩んだ道で、'70年の万博のあと大阪府は黒田了一知事の時代になったが、この人は純粋社会主義者で、「大阪は庶民と中小企業が肩を寄せ合って生きる街で、大企業や有名人はいらない」と公言していたと。
0259堺屋太一垢版2016/07/15(金) 03:09:07.45ID:pSAqbLPt
そして、生活保護を厚くし、ホームレスには炊き出しをしてふるまった。そんな貧者優遇政治を続けた結果、今日、大阪市は日本一ホームレスが多く、20人に1人が生活保護を受ける悲惨な大都市になった。
そして、今のような政治が続けば、日本は、10年以内に「世界で最後に滅ぶ社会主義国」となることが現実になる
大阪は生活保護とホームレスが膨れ上がった最悪の状態が続いたが、そうなった背景に労組支配の政治構造があった。従来、大阪では府知事も市長も、まず労組が推薦し、
それに民主党が乗り、そして財界と自民党が乗るという形でトップの首が決まってきたが、
そうした大阪に'08年に、ぜんぜん毛色の違う府知事が登場し、以後、さまざまな府政改革に乗り出しており、これからの大阪は大きく変わろうとしている。ひょっとしたら、大阪は平成の長州藩になるかもしれない。
日本には、実はチャンスがある。一つは不況そのもの。これは、新しい起業、新産業成長の絶好のチャンスであること。そしてもう一つが高齢化。高齢労働者の増加と高齢市場の急拡大であることを挙げられ、危機は確かに深刻であるが、
その先には大きなチャンスが広がっており、そこに向けた一歩を踏み出す年が'11年になることを願っている。
0260堺屋太一垢版2016/07/15(金) 04:12:58.22ID:pSAqbLPt
堺屋太一氏は「村上ファンドの設立者は株主軽視の「日本的資本主義」をただす意味で、重要な機能を果たした」と称揚しています。さらに反動で古風な勤勉倫理が重視され、
「額に汗して働くことが一番の美徳とされれば、農本主義への回帰だ。金融技術の発達や、知的財産といった新たな価値の創造も阻害しかねない。
成り金や格差社会への反撥とつながれば、結果の平等が強調され、官僚が主導すれば正しいとする社会へ逆戻りする心配がある」
0261堺屋太一垢版2016/07/15(金) 13:23:56.91ID:pSAqbLPt
「民主主義の考え方なんですがね、大体選挙区を地域割りに作るっていう発想ね、これはあらゆる地域の人が国政に代表を送れるっていう制度なんですね。だからもしその地域の問題もエゴだというなら、もう全国区にするとかね、
そういう仕掛にする。地域別に分けているという事は各地域の代表が必ず国政に対して代表を送る権利があるという事ですから。、この地域の代表である議員が自分の郷土に、
選挙区にというのはね決して悪い事じゃないんですよ」
郵政改革は官僚主導か否かという事はあんまり関係ないと思いますね。例えば、国鉄をやってあれで官僚主導がなくなったかというとそんな事はないし、また、この前の道路公団ね、あれも結局民民間基準になるかと言ったらそうはならない。
つまり、民営化するという事は競争原理と利潤原理を取り入れなければいかんわけですよ。ところが、妥協が妥協を重ねるもんですから、そこへ官僚のOBがどっと入ってきますから、
結果としてこの2つが成功したのはJRだけです。で、ようやくね10年ほっといてNTTを分割した事で出来る様になった。だから、郵政も本当に民営化するなら、もっと競争出来いるような、競争原理を入れるような改革までもって行きたいですな」
「えぇ、これは小泉さんの公約の中で一番守られている公約ですね。というのは、どこをぶっ壊したかというと、日本の社会というのはみんな社会で集まってたんですよ。選挙区という地域でありながら自民党はどうやって票を集めているかと言うと、
各業界、建設業界、農業協同組合、医師会、うんぬんというね職縁で集めた、その職縁団体を直撃したわけですね、だからどんどんと職縁団体、医師会にしても、
農協にしても建設業界にしても、みんな集票能力落ちてます。そういう意味ではねこの戦後ずっと来た職縁社会をぶっ壊し、それに立っていた自民党をぶっ壊した、これは良いこと悪いことという以前に大変な改革であった事は間違いないですね」
0262堺屋太一垢版2016/07/15(金) 13:32:01.42ID:pSAqbLPt
― 4年間の小泉総理のやり方の結果、何が残ったんでしょうか?
堺屋 「自民党がぶっ壊れましたね、本当に…。自民党の基盤であった職場の縁にして繋がってた社会、それで票を集めてたんです。例えば医師会であるとか、郵便局あるとか、そういう形で集めてた票が1/3以下になったんじゃないですかね。
それから、その組織で出てきた政治家が非常にその分野に詳しかった。それぞれの問題に詳しい議員がいなくなった、だから官僚に対してそれ違うじゃないか、こうじゃないかって言える政治家がう〜んっと減りましたね、だから官僚主導が強くなった」
― 外交は?
堺屋 「世界中で周囲の国全部と問題を抱えているのは日本とイスラエルだけなんです。一つも解決しない」
岩見 「これは外務官僚の責任ですか」
堺屋 「外務官僚の責任であると同時に政治の責任です。政治が何にも決断出来ないし、また決断するような形で外務官僚が提案してない、この両方ですな」
0263堺屋太一垢版2016/07/15(金) 13:39:46.45ID:pSAqbLPt
・ある政治体制が崩壊するパターンは2つ。治安の維持に失敗するか、支配層の文化(存在理由?)が信用と尊敬を失うか。
・トウ小平は、経済特区などの小さな穴を作り、共産党一党独裁を維持して共産党員の権限欲は満たつつも、中国に競争原理をもちこんだ。
一方、ゴルバチョフは、いきなり「ペレストロイカ」というスローガンを掲げて大改革をしようとしたので官僚機構が身構えてしまって命令をきかなくなってしまった。
・小泉内閣は政治から政治家を排除し、官僚独裁にみちびいた。このあと官僚主導の政党大連合(大政翼賛会)まで至るとマズイ。
・モンゴルとアメリカは軍事思想が似ている。常駐兵は少ないが、反乱が起これば主力軍を投入して全力報復する

小泉政治は官僚政治であるという批判記事をよく目にします。「与党の意見を予算編成の前に際入れておくという慣例を無視し、予算の大枠をすべて財務官僚にまかせてしまった。
議会制民主主義を壊し、官僚主導を決定的にした (堺屋太一/月刊現代10月号)」堺屋太一氏は、小泉首相が官邸に出入りする取り巻き官僚の言いなりになっているということ指摘しています
0264堺屋太一垢版2016/07/15(金) 13:51:25.79ID:pSAqbLPt
1.日本のエネルギー政策の迷走
 私は1969年に通産(現経済産業)省の鉱山石炭局(現資源エネルギー庁)に配置換えになって以来、常にエネルギー問題を考えて来た。そして今(2015年) も、日本のエネルギー政策が長期展望を欠く点を嘆いている。
 戦後のエネルギー政策は、その時の時流で大変化する。エネルギー供給のように長期間を要する事業には真に困ったことだ。
2.戦後のエネルギー政策を時期別に区別すると次のようになるだろう。
第1期 敗戦直後 石炭増産政策(1960年迄)
第2期 安価石油時代(1960―72年)
第3期 石油危機時代(1973―84年)
第4期 高値変動時代(1985―2013年)
第5期 供給過剰時代(2014―)
3.以上の時代変化の度に日本のエネルギー政策は変化、経済と社会に無駄と怨念を残した。
 第1期の石炭増産時代には多くの石炭業者が成金となり、九州や北海道に石炭労働者の町「炭住」ができた。60年代に入ると、安価な石油が溢れ、石炭産業と炭鉱町の縮小に何兆円もの国費を費やした。
0265堺屋太一垢版2016/07/15(金) 13:53:30.15ID:pSAqbLPt
 第2期の安価石油時代は高度成長の前半、日本の青春に当たる。エネルギー政策らしいものはなく、国際石油資本(メジャー)からの安値輸入に頼った。
第3期の石油危機時代、日本は大変化に慌てふためき、内に混迷を、外に国家の品格を疑われるほどの迷走をした。この時に慌てて造った原子力発電所が、今廃炉問題に直面している。
また、当時巨額の費用を投じた「核融合発電」の研究は「30年以内には確実に実用化する」という研究者の断言にもかかわらず、未だ実現の目途もたっていない。
こんなことなら「太陽光や風力、水素利用研究に全力を挙げていれば」と思う。
第4期の乱高下時代、バーベル40ドルから 160ドルまでを激しく上下した。イラン・イラクの政情からリーマン・ショックまでは石油価格に反映し、世界経済を揺れ動かした。世界の石油開発がその都度揺れ動いた。
0266堺屋太一垢版2016/07/15(金) 13:55:20.39ID:pSAqbLPt
第5期は、シェールガスの登場で石油供給過剰時代、この低価格時代が長く続くかが問題である。
シェールガス開発の主要プロジェクトは原油換算でバーベル60ドルという。原油価格がそれ以下に定着すればシェールガスの生産は大幅に減るだろう。
4.今や、石炭石油天然ガスの化石燃料の75%は中国やインドなどの発展途上国(新興国)で使われている。石油価格の下落は新興国の経済には援けになるだろうが、資源輸出国の経済には打撃になる恐れもある。
5.最近、日本政府は太陽光発電電力の買取価格を1kwh当り27円に引き下げると決定した。一昨年(2013年) 以来、私は「太陽光発電電力の買取価格は25円程度とするが、その施設投資者には特別償却制度を適用、
これを相続税評価にも反映する」という政策を提言して来た。ところが、時の担当課長は「1kwh42円」の高値買取にこだわった。
結果は御存知の通り、電力会社によるメガソーラー発電電力買取拒否となった。
エネルギー政策は、価格と環境と長期見通しの交点、短期で配置転換する日本の官僚制度には不得手な分野かも知れない。
0267堺屋太一垢版2016/07/15(金) 14:08:37.73ID:pSAqbLPt
日本の税制、福祉、教育政策は上の官僚制人生規格に従って生きた者に有利にできている。マスコミもまたそれを推奨した。
5.官僚主導体制への順応と反発
官僚主導体制は古くなった部分、弱くなった部分を潰して自己増殖する。この流れに添ったのが中曾根内閣の国鉄等3公社の民営化、そして小泉内閣の郵政民営化である。この2つの内閣が長期政権となり得たのは官僚主導の流れを巧みに利用したからである。
逆に、官僚主導に逆らったのは「ふるさと創生」を掲げた竹下内閣と首都機能移転に本気で取り組んだ橋本内閣だ。この2つの内閣が短期間で終わったのは官僚主導に逆らったからともいえる。
6.戦後官僚主導体制の行き詰り
政治家を政党助成金で「第二公務員化」し、マスコミを手懐けて官報複合体を形成した戦後官僚主導だが、今や深刻な危機にある。
前述の人生順序の通りに生きれば教育年限が延びるに従って、日本人の結婚年齢が高くなり出産年齢も高齢化する。その結果、少子化が進むことになる
0268堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:19:21.06ID:pSAqbLPt
享保の改革や天保の改革では戦乱や暴動はほとんどなかったが、その後では、日本の経済と文化は停滞します。だいたい、元禄時代(1688〜1704)までは、日本もヨーロッパも、
経済にしても技術にしてもそれほど差がなかった。それが百年後の1800年頃にはぐっと差が開いてくる。ヨーロッパが産業革命でどんどん新しい技術を開発し制度を刷新しているのに、日本は守旧的な改革で進歩を抑制したため立ち遅れたのです。
享保の改革は、昔の制度を再強化したので、進歩がとまりました。そしてその後、享保の大不況や享保の大飢饅が来て、日本経済は衰退し、人口も増えなくなってしまいます。
それにもかかわらず、享保の改革を行なった八代将軍吉宗は名君の誉が高いのは、江戸時代の世論形成者だった下流武士層にとっては、武士身分の固定化と成金商人たちの没落が嬉しかったからでしょう。
それに比べて明治維新は、一時的には大混乱を招きました。鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争までさまざまな小競り合いが起こり、合計一万三千人の戦死者があったといいます。
もっともこれは、他の国々の大改革-フランス革命やアメリカの南北戦争に比べると何十分の一に過ぎないものです。
また、武士は身分と収入を失って没落します。あるいは、成り上がりの人々が出てきて品格が下った、ともいわれました。ヨーロッパかぶれが伝統的な文化財を随分壊したりもしました。混乱があり、格差が広がりました。
だけども、その後百年、日本は大発展をします。封建社会から近代工業社会に変わったのです。
今、私たちに必要なのは、明治維新と同じ「時代の変化」、近代工業社会から知価社会への転換です。物財が豊富なことが幸せだという社会から、満足が大きいことが幸せだという社会に変わった。
これは、身分が大切な封建社会から物財が望まれる近代工業社会に変わるのと同じぐらい大きな変化です。
0270堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:25:02.05ID:pSAqbLPt
まず、チンギス・ハンはなぜ、世界征服を考えたのか。
世界征服を考えた国は歴史上いくつかあります。たとえば、アレキサンダー大王もそうですし、
ローマ帝国もそうでした。東洋の漢帝国や唐帝国もそうです。あるいは、イスラム教を広めたサラセン帝国とか、
十六世紀のスペインやポルトガル、十九世紀のイギリスやフランス、そして20世紀の社会主義国際運動などもそれに入るでしょう。いろいろそういう国はあります。
こうした世界征服を考えた国の共通の目的は二つなのです。
一つは経済的目的です。交易を広げ、資源を奪い、市場を広げて国の富を増やし、国民を豊かにしようという経済的目的です。
二つ目は、自分たちの文化や宗教を世界に広げようという文化的、信仰的目的です。たいていはこの二つが重なり合っています。
ところがチンギス・ハンには、この二つが二つとも全く見当たりません。
では、チンギス・ハンは何のために世界征服をしたのか。それは、他の征服者とは全く逆なのです。
「人間(ジンカン)に差別なし、地上に境界なし」こそ彼の理想でした。どんな人種、どんな宗教、どんな言語、どんな体形の人間も、全く差別しないで実力主義で採用し、出世させる。どこまでが本国で、どこからが植民地だという境界を地上につくらない、
完全に境界のない世の中をつくろう。無差別無境界な世界をつくろう。そのことによって、
人も物も金も情報も完全に自由に動き回るグローバルな世の中をつくろう、としたのです。だから私は、この人に「世界を創った男」という尊称をつけたのです。
グローバルな世界をつくるという思想は、チンギス・ハンが初めてでしょう。そして、それと同じことを考えた国は、長い間、全くありませんでした。
ようやく20世紀になって、アメリカ合衆国が同じことを考えます。だから、モンゴル帝国とアメリカ合衆国とは、多くの共通点があります。
0271堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:27:08.54ID:pSAqbLPt
チンギス.ハンの王朝は、最も短い中国南部で約百年、同北部では百四十年・そして北アジアや西アジアでは二百年も続きます。チンギス・ハンの子孫の王朝で長いものは、インドのムガール王朝やロシァ南部のクリル・ハン国などは、実に六百年以上も続きます。
この理由の第一は、安上がりの「小さな政府」だったことです。
チンギス.ハンの国は非常に税金が安い。基本的な国税は、取引高税が二%と保有税が2%、ヒツジ百匹飼っていると二匹出せというものです。中国の元朝は、この他に塩の専売益金があり、これが最大の国家収入でした。
安上がりにするためには、支出を減らさなければいけない。この支出を減らすことを徹底的に行なったのです。
小さな政府」を実現する第一は、自治です。どの地域でも地域自治をさせています。
自治の第一は信仰の自由です。十三世紀の世界で、信仰の自由を認めるのは大変珍しいことでした。何しろヨーロッパでは十字軍をやっている最中です。中国では儒教精神の科挙(高級官僚試験)が確立していました。
そういう宗教的情熱が燃え上がっている時に、チンギス・ハンは信仰の自由を積極的に取り入れました。そして、行政面では各地の伝統や特色を入れた自治をさせた。これが第一です。
自治と自由のよいところは、貿易が盛んになり経済が栄えることです。けれども、自治をさせたら命令に服従しない者が出て反乱が起こる。治安を維持し、貿易の自由を保つためには、反乱を抑える軍事力が要ります。
これが高くつく、つまり、自治自由と治安の維持や帝国の統一は矛盾するわけです。チンギス・ハンは治安の維持を徹底的に安くする方法を考えました。それが大量報復戦略です。
0272堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:29:16.47ID:pSAqbLPt
そして、第三はぺーパーマネーです。モンゴル帝国は税金を安くしたので、万年財政赤字でした。また、モンゴル高原はあまり生産力がないので、「国際収支」も大赤字でした。
つまり、今日のアメリカと同じく「双子の赤字」だったのです。
財政を維持しないと政権は長続きしません。安い税金で財政を維持する方法をチンギス・ハンとその家来たちは考え出した。それがぺーパーマネー、何の物財にも裏づけられていない不換紙幣を発行する、という方法です。
お札、紙のお金というのは昔からありました。けれどもそれは、この紙を持ってきたら金貨や銀子や銅銭に換えるという見換券です。つまり金、銀の支払いを約束した手形です。
日本の藩札も同じです。だいたい、金や銀は重くて危険、その保有量にも限界があるので、紙の証書を出して支払いを約束する、という方法は自然発生的に全世界で起こりました。
ところが、チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンは、史上初めて、金や銀や銅に換えないお札を出しました。「そんなものが通用するのか」と誰しも思います。
それを考え出したのは、チンギス・ハンの家来で財政家のマフムード・ヤラワチという人物です。チンギス.ハンの死後、孫のフビライ・ハンの治世まで長命を保ったヤワラチは、
「通貨は金や銀だから通用するのではない。需要と供給が均衡していれば価値を保ち流通するのです」と主張します。
では、通貨の需要とは何か。それは「借り手のことだ」とヤラワチは考えました。「紙幣を有利子で借りる者がたくさんいれば、紙幣は喜んで受け取られ、価値が下がることもない」というのです。
フビライ.ハンの元朝は、権力者の官僚や軍人には給与を紙幣で支払う。その一方、政府に納める税金も紙幣で受け取る。つまり、給与も納税も政府に関わるものは紙幣で回るようにする。
同時に、官僚や軍人、出入商人などの受け取る紙幣に需要をつけるべく投資システムをつくりました。それが「オルトク」と呼ばれた利益分与型のファンドです。
紙幣をもらう官僚や軍人などに出資をさせて、商人(実業家)に貸す。これで、利益分配の収入になれば価値は維持されるというのです。
0273堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:33:48.80ID:pSAqbLPt
初めはオルトク(ファンド)の規模は小さかったのですが、だんだんとお札を増発するとそれが増えていく。オルトクの投資対象は、初めは主として貿易、つまり商業金融でした。
千一夜物語には、「船乗りシンドバツドの冒険」という元朝時代の話があります。シンドバツドが、今はイラク領のバスラの金持ちからお金を借りて、中国の福建省に来て絹や香料を持ち帰って大儲けをする。
シンドバツドのシンドはインド、バッドは風という意味です。シンドバツドとは「インドの風」という名前です。ペルシャ湾からインド洋経由で中国の福建省へ行く商人の話です。モンゴル帝国の時代は、国際貿易の大発展期でした。
それがやがて鉱山開発に使われ、さらには製造業の投資にも使われます・設備資金に使われ出します。やがて、それでも借り手が足らなくなり、ついには王侯や軍閥に貸付け先を広げた。王侯や軍閥は豪華で安全な借り手に見えますが、
しょせんは消費者、きわめて危険な借り手です。発行を始めてから80年ほどで、元朝のぺ-パーマネーは流動性過剰に陥ったのです。
いかなる物資にも裏づけられていないぺーパーマネーが世界の基軸通貨になったのは、チンギス.ハンの孫のフビライ・ハンのときからの約80年間、そして1971年の米国による金ドル交換停止以後の現在の二回です。
この二回は非常によく似ています。レーガン大統領は、米国が財政赤字、貿易赤字の双子の赤字になっているのに、財政を引き締めるのではなく、景気振興の減税をしている。これで米国の景気は回復したが、財政も国際収支も赤字で、
「双子の赤字」が育ってしまいます。ハーバード大学の先生たちは、「そんなことをしたら一遍にドルの値打ちがなくなり、ドルは国際通貨の地位から落ちる」といったものです。
ところが、チンギス.ハンの財政家たち、マフムード・ヤラワチやその息子のマスード・ベイ、後継者のアフマドから盧世栄と続く人々は、20世紀のハーバード大学の先生よりは少し頭がよかったようです。
「お金がたくさん出るのなら、その需要を広げたらいい」というヤワラチの発想を受けてファンドを拡大していきます。
ところが、これがどんどん進んでいくと、通貨の需要をつくるために投資対象を広げる、だんだん信用度の低い投資が増えるのです。
0274堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:40:48.00ID:pSAqbLPt
財政が赤字になってドルが余ると、それを投資に使う。だから、投資対象を広げようとする。
投資対象を広げると適格ではない対象も入ってきます。その部分だけ高金利でリスクの高いものに貸す。
つまり、財政と貿易の赤字が続く以上、ドルはどんどんあふれ出す。それに見合う通貨需要をつくり出すとなれば、怪しげな投資商品が出てきます。
それをいろいろとつくりかえ、衣がえして、いかにもうまいこと見せる。いわゆるハイリターン・ハイリスクの金融商品だから、
ある投階まではよく見えます。三年、五年経つ間に、いつしかこれが当たり前になり、
さらに大胆大規模化する。そして、やがて膨らみ切って破綻してしまう。
そういう仕掛けになるわけです。モンゴル帝国でも、いく度かオルトク一ファンドの破綻はありました。
それでも、チンギス.ハンの孫やひ孫たちが実に上手にやって、八○年間このぺーパーマネーが世界に通用し、
経済は大発展します。モンゴル帝国白体が遊牧征服国家から、巨大な通商世界帝国へと変身していきます。
モンゴルの紙幣は、80年間で価値が100分の1ほどに下がりました80年間で100分の1に下がったというと
すごい値下がりだと思われるかもしれませんが、20世紀の米ドルが、ちょうど80年間で100分の1になっています。
1930年には石油1バレルは1ドル以下でした。それが今は100ドル。1930年にはニューヨークの高級ホテルは3ドルでしたが、今は300ドル以上します。
モンゴルの紙幣「交鈔」は、20世紀で最も安定していた通貨の米ドルぐらいの安定度を持っていたということですから、大したものです。
しかし、当初の発行から80年ほど経っと、中国で叛乱が起こって通用しなくなります。同時に元王朝も急速に傾きます。
もし20世紀のアメリカの財政・金融担当者が13世紀のモンゴル人ほど賢かったらアメリカのドルも80年ぐらい保つでしょう。
アメリカのドルが金から切り離されてぺ-パーマネーになったの1971年・ことしで37年です。そうだとすれば、あと40年ぐらい保つ、2050年までドルは大丈夫だということになります。
問題は、21世紀のアメリカ人が13世紀のモンゴル人ほど賢いかどうかです。
0275堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:43:15.98ID:pSAqbLPt
そういう中でやっていくには、絶えざる組織改革ときわめて高度な情報が必要です、4特に情報の問題で、早耳情報と裏話を聞かないことが大事です。これは、主観的情報で客観的情報ではないからです。
未来を見通すには、大きく世間を見る対数観察が必要です。
従来の近代工業社会の金融は、「客観性に基づく金融」でした。近代工業社会が信じた「価値不変の法則」に基づく金融の根底には、金本位制という共通の基盤がありました。「通貨には金に裏づけられた不変の価値がある。少なくともあるべきだ」という発想です。
ところが、1971年のニクソン・ショックで金ドル交換は停止したため、現在の通貨は何らの物質にも支えないぺーパーマネー(観念通貨)になりました。完全なぺーパーマネーを国際基軸通貨にした前例は、
歴史上一度だけあります。それは1270年に、大モンゴル帝国のフビライ・ハンがはじめた紙幣です。
この紙幣は「交鈔」と呼ばれ、初めから金や銀、銅(銭)に交換できないことを明確にしていました。
これが約80年間、価値が下落しながらも全世界的に通用したのは、これを投資資金として活用するファンド(当時の言葉でオルトク)を拡げたことです。当時のモンゴルの通貨当局者(主としてイスラム教徒)は、「通貨も他の物財と同じく、
需給が均衡すれば、価値を保つ」と考えたのです。二度目の観念通貨時代の現在も、基本的には同じです。
1971年に米国の金ドル交換が停止されたあとも約10年間、人類は金本位があるがごとく振る舞っていました。かごの鳥が、かごがなくなっても飛び立たないように、
いかにも金本位があるがごとく、米国は財政赤字と国際収支の赤字を抑えようとして猛烈な引き締め政策を採ったのです。
ところが、1981年に大統領になったレーガン氏は、発想を変えました。米国の通貨発行量は何ものにも妨げられることはない。唯一の問題は物価の上昇、つまり通貨価値の下落である、と考えたのです。
0276堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:53:53.79ID:pSAqbLPt
レーガン大統領には歴史に残る3つの業績があります。第1は冷戦に勝利したこと、第2は観念通貨に対する新しい解釈を明示したこと、そして第3には、知価革命を惰け容赦なく推し進めたことです。
レーガン大統領は、財政が大赤字の中で大減税をします。米国のGDPの2.9%、今の日本に置き換えると14兆円ぐらい減税をするわけです。当然、もの凄い勢いで国債を発行、通貨供給は増えました。その一方で物価上昇を抑えるために、貿易や運輸を自由化、
世界中から安価な物財が流入するようにしました。もっともこれには「冷戦に勝つ」というもう一つの狙いもありました。
レーガン大統領に、私は二度お会いしたことがあります。「財政の赤字などは大した問題ではない。ある日、政治家がガソリン一ガロンに一ドルの税金をかける
決心をすれば解決する程度の問題ですよ。政治家の決断で解決できるのなら、深刻な問題ではない。それに比べて、冷戦や犯罪の問題は、
政治家の決断で明日にはなくなるものではない。だから私はまず、この二つの解決に全力を上げたのだ」と語りました。
私は、その時には随分無責任なことをいう大統領だと思いましたが、結果としてはこれが的中しました。米国が輸入を白由化することで世界の国々を魅きつける。同時に米国が軍備を強化し、ハイテク戦略を推進して、ソ連を軍事的に絶望させる。この戦略が成功したのです。
人類の社会において、経済力で尊敬されるのは消費力であって、生産力ではありません。個人でもそうでしょう。豪華な買い物をし、高級車を乗り回して、
高級レストランでチップをはずめば、みんな丁寧に扱うでしょう。たとえそれが親の遺産か、会社の資産の喰い潰しでも、みな「偉いもんだあ」というに違いありません。
逆に、生産力が高く所得は多くても、木造アパートに住んでインスタントラーメンばかりすすっていたのでは尊敬されません。
0277堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:55:16.33ID:pSAqbLPt
レーガンの米国は前者、このためアジア・アフリカの発展途上国も中国や東欧も、米国に引き寄せられ、ソ連は雪隠詰めになったのです。
それで米国はドル価値が下がって物価が急騰したかといえば、さにあらず、日本やアジア諸国から安い輸入晶が流入、物価は上がらなかったのです。
ただこの間に、米国の規格大量生産型工業は壊滅的な打撃を受けました。多くの企業が倒産し、工場は閉鎖になり、中西部の工業地帯は荒廃しました。中堅技能者や中間管理職は職を失い、スーパーのレジやモーテルの清掃人にならざるを得なかったのです。
こんな荒っぽい時代(それが知価革命です)を経て、米ドルを基軸通貨とする金融の世界は一変しました。金の裏づけで安定した価値を保つ通貨から需給の間に変動する通貨になったのです。
米国では90年代後半に一時財政黒字が実現しましたが、イラクの戦争などですぐ大赤字になります。国際収支はますます大きな赤字になっています。これに耐えるためには、通貨の需要を増やす必要があります。つまり投資対象を増やし、その価格を上げることです。
80年代末には、ジャンク・ボンド(信用度の低い社債一が流行しました。90年代末にはIT企業の株式が持てはやされるITバブルが生じました。そしてそのあとには、低所得者への住宅ローン、「サブプライム」が拡大しました。
いずれも過剰なドルを吸収するために考え出された投資機会の幻想的拡大です。
世界の通貨構造から見て、これからもさまざまな装いを持ったハイリスク・ハイリターン金融商品が出現するに違いありません。これからの金融は、常にリスクを含むものとの考えが必要です。
「価格は変動する、されど価値は変わらず」と考えられた近代工業社会の金融思想はもう過去のものです。
0278堺屋太一垢版2016/07/15(金) 20:59:25.72ID:pSAqbLPt
アルゼンチンという国は、20世紀の初めには世界で有数の豊かな国でした。第二次世界大戦が終わった時でも、アルゼンチンはアメリカに次いで
世界で二番目に金保有の多い国でした。それがあっという間に没落、1980年代には誰が見ても発展途上国になってしまいます。
アルゼンチンは過去百年、平和で災害のない国でした。ブエノスアイレスの首都一極集中がそのまま維持されて、二世・三世が経済を牛耳る。そうすると、
これに反発する政治家が登場、福祉ばらまき政策をやり出す。ミュージカル『エビータ』の主人公は、ペロン大統領(1946〜55、77年に再任)の夫人ですが、
ペロン政権だった戦後の10年間の福祉政策で見事に財政は破綻し産業は低迷しました。そうすると軍を背景にしたクーデターが起こり、旧勢力の財閥が実権を持ち、古い産業を保護し、
利権を貪り合う。そういうことの繰り返しで、あっという間に発展途上国に落ち込んでしまいました。
経済的に見ると、アルゼンチンは大規模農業にこだわり過ぎたのです。日本も今、モノ造り、つまり製造業にこだわり過ぎています。過去の成功体験に埋没したアルゼンチンの失敗を他山の石とすべきでしょう。
日本で改革、革新、革命、維新とかいろいろな言い方がありますが、結局は二種類です。
一つは、「享保 (1716〜1736)の改革」に代表される守旧的改革です。寛政の改革や天保の改革もこれに類するものでしょう。
また昭和十年代に、「革新官僚」といわれた官僚や統制派軍人の進めた改革もこれに入ります。やっている本人は新しくしているつもりでも、歴史から見ると体制強化の逆行に他なりません。
もう一つは、織田信長や明治維新、つまり体制そのものを変える改革です。どちらも「改革」ですが、発想も担い手も結果もまったく違います。本来なら「革命」というべきでしょう。
享保の改革は、封建社会を維持し、徳川幕藩体制を一段と強化しようという改革でした。
このため、武士の身分をより固定化し、徳川幕府の統制力を強くする一方、勃興してきた貨幣経済を抑圧する。それによって崩れかかった部分を再補強する。祖法、つまり先祖の徳川家康時代の法に戻る、というものです。
一方の典型は明治維新。これは武士の身分あるいは徳川幕藩体制を破壊して、封建社会から近代工業社会に変える凄まじいものでした。歴史的発展段階を変える「革命」です。
0279堺屋太一垢版2016/07/16(土) 18:15:28.19ID:5vFOuzhp
「次」を感じるにはどうすればいいか、これが、本書のテーマの一つである。
「次」を感じるためには、知識と理性と感覚がなければならない、と思う。
 確かに、「次」を感じるためには、知識がなければならない。すなわち情報である。
 情報を得て、実際に役立てるのは簡単ではない。新聞やインターネットから学術書や
役所の出す白書まで、情報は限りなくあるが、これを選別し整理し、みずからの血肉に
するには敏感な知性が必要である。みずからの敏感な知性で選別し整理した知識だけが、
「次」を捕捉する「知恵」になる。
みずからの知性によって選別し整理できないような情報は、得ても仕方がない。いわば
百科事典をシュレッダーにかけて脳味噌の中に入れたようなものだ。
 暗記力に優れ受験に優秀な成績を修めた人が、社会に出てから情報不足に陥りやすいのは、
この世の中の情報が、受験参考書ほど見事に整理されていないことを知らないからである。
 情報追求型の人間は、みずからの知性の限界を越えて情報を求めるため、選別と整理が
できなくなり、得る情報量が増えれば増えるほど混乱をきたすことになる。特に早耳情報や
裏話などを好む人々は、これに陥りやすい。
 自分がいかなる情報と付き合いたいのか、どんな種類のどんな形の情報が自分の脳に
収まり、発想を活性化するのに適しているのかを知ることも、人間の知恵の一つである。

/////// 「次」はこうなる ///
0280堺屋太一垢版2016/07/18(月) 02:10:34.63ID:c7WbrXGe
2008年3月、米国の大手投資銀行であるベアー・スターンズが買収され、4ヵ月後の7月には高騰を続けた石油価格が下降を始めた。そして9月、リーマン・ブラザーズ証券が破綻した。実は、3月と7月の時点で、経済環境の悪化はささやかれている。
2008年夏までに私は、1998年に金融危機から脱却をした日本を見ていた欧米の金融関係者から、当時の具体的政策についてインタビューを受けているのだ。
その内容は5つ。1つ目は超低金利政策、2つ目は金融機関の不良債権の買い上げ、3つ目は健全な銀行も含めた金融機関への公的資金注入、4つ目は預金と中小企業借り入れへの保証、
最後に大型補正予算である。日本はGDPの約2割にあたる98兆円もの資金を投入したが、すでに70兆円ほどを回収済みで、この政策は非常に功を奏したといえるだろう。
11月には米国をはじめ、多くの国がこの経済状況に動揺し、現在のところ、世界中が日本をモデルとした対策を講じている。ただし、日本が短期間で効果を示すことができたのは、日本が閉鎖的な国だからにほかならない。

米国の赤字の相手国、つまり金を貸していたのは日本である。80年代の日本は当時、官僚主導で完璧な近代工業社会の形成に成功し、大量生産を徹底していた。
日本の凸経済と米の凹経済がうまく機能しあっていたのだ。しかし、日本の凸経済も長くは続かない。
2001年にITバブルの崩壊と米国同時多発テロという2つの大きな事件によって失速を始める。その間に台頭したのは中国である。
安価な労働力と製品を産出した中国は、米国がモノづくりから離れたことによって製品を大量に輸入したために発展したといえよう。外国の資本もマーケットに入り込み、余剰資金は資源の先物への投資に流れ始めた。
やがて石油価格の高騰によって米国の消費経済に暗雲がたちこめる。土地や住宅価格が値下がり、サブプライムローンが縮み始めた。そこで新たな資金の流入先として注目されたのが資源である。銀、銅、石油、小麦が急激に値上がりし、
08年の洞爺湖サミットでも、資源価格の高騰によるインフレ対策についての話題が大きく取り上げられている。
米国の、大量消費による凹みの経済と、東アジアや日本、中国による大量生産による凸経済という組み合わせが異常にふくらみ、需要と供給のバランスが崩れ始めた。これが経済危機の問題であると言ってもいい
0281堺屋太一垢版2016/07/18(月) 02:13:55.97ID:c7WbrXGe
ITバブル崩壊後に経済の復活を遂げたように見えた日本だったが、今回の金融危機では他国と同様、大きな損失を被っている。実は、2008年の11月まで日本は金融危機の損失が一番少ない国だった。しかし、IMF(国際通貨基金)
やOECD(経済協力開発機構)の発表によると、09年の日本の成長率は全世界平均の−1.3%をはるかに下回り、マイナス6.3%と非常に低い。
なぜ、このような低成長しか見込めないのか。それは過去10年、特に直近5年間の政策の3つの失敗が理由と考えている。
1つ目に、「偽りの改革」である。(1)金融機関の株式持ち合いを禁止するなどの金融の改革、(2)持ち株会社制度を認めたり、会社の合併、統合に関する法律を整備した会社法の改革、(3)派遣社員や臨時雇用について定めた労働法規の改革――。
これら3つの改革を行ったのはよいが、それぞれを管轄する省庁が大きな抵抗を行い、モノづくりの現場レベルでの改革にしかならず
、医療、介護、教育という、一般消費者の生活に踏み込むレベルまでは届かなかった。モノづくりに焦点を当てるにとどまり、結果として中国の工場と競争をすることになってしまっている。
次に、「偽りの成長」である。2002年頃から、政府は日本経済をいざなぎ景気を上回る成長と言っていたが、米国の輸入量増加に伴う、各国の輸出につられていただけだった。その結果、米国の輸入が止まると同時に、日本の輸出にも大きなかげりが生じている。
最後に、「偽りの国際化」である。今日の日本ほど国際化していない国はないのではないだろうか。金(かね)、ヒト、情報――。どの分野においても日本は閉鎖的で、他国と隔絶している。
中国を中心に、世界的に活躍する建築家やデザイナーの名前、上海の土地の値段を知っている日本人はどれだけいるだろうか。
ドルで買い物ができない百貨店は日本ぐらいだろう。地域による情報量の格差も問題だ。都心に生活する人は、地方都市のことをほとんど知らない。
日本は、これら3つの偽りの改革によって、世界が「知価革命」を経験せずモノづくりに回帰してしまった。日本のモノづくりの技術は優秀だと言われ続けてきた。果たして、本当にそうだろうか。日本でしか通用しない技術を持っていても、
世界で通用しなければ意味がない。「知価社会」に向けた取り組みをしなければならないと考える。
0282堺屋太一垢版2016/07/18(月) 17:05:52.71ID:c7WbrXGe
結局、熱エネルギーから力エネルギーへの転換ができなかったので、宋代の文化は挫折しました。けれども、このときにつくられた近代的な発想と近代的な組織が全世界に広がります

宋代は、個人から離れた「法人」的な組織をつくりました。この組織編成がアラブ騎士団を通じてヨーロッパへ伝わりやがて日本にも伝わってきます。これが金背の夜明けといえるでしょう

こうした改名は秀吉自身の変化であり、家臣団からの距離をも表している。つまり、家父長的な「おやじ」から、組織の長としての「機関」へ変化した、といってよい。秀吉の成功の要因の一つは、急速な発展に対応した組織改革と自己変身との見事な適合性である

外から見れば一枚岩に見える巨人組織も、内部では各部分がそれぞれに与えられた目標を目的化する。国全体の防衛のために必要な軍備増強計画も、一つの方面軍や艦隊では、その部分の増強だけが目的になる。

これによって、戦時には労働・物資・資金・施設・事業・物価・出版などを統制し、平時でも職業能力の調整や技能者の養成、物資の保有などを命令できるようになりました。「
0283堺屋太一垢版2016/07/18(月) 17:09:43.31ID:c7WbrXGe
毛沢東は、文化大革命において専門知識の故に権力を握る実権派を批判、守備も工場長も運転手も大臣も給与が同じ、権力においても平等だという体制を作ろうとした。
知識のある者がない者より権限を持ち、役得を得るのは人間社会の押え難い摂理だ。

毛沢東の理想を実現するためには、知識のある者には他の面でのマイナスを負わさなければならない。

奴隷を規定する尺度は三つあります。第一に居住の自由がない。どこに住んでもいいなら奴隷ではない。第二に結婚・出産の自由がない。第三に、蓄財の自由がないことです

平等には二つあります。一つが「機会(チャンス)の平等」です。あるいは「法の平等」。これは近代革命の「自由・平等・博愛」の平等です

最初は声の大きなうるさい者が力を得る。当選三回目ぐらいになると、いろいろな知識のある者、当選五回目ぐらいになると土建業者など業界に絡んで居る者。
最後は、人たらしが上手くて派閥の長になる人が総理大臣になる

徳川時代の日本は安全非武装国家だった。徳川時代にも武士という階級はいたが、これは行政官または警察官であって軍人ではなかった

具体的な事件や事故が発覚すれば、管理強化と権限拡大を要求するし、全般的状況からの不憫を指摘されると、
必ずカネ(予算)とヒト(定数)の不足を理由にする。つまり、権限を強化し、カネとヒトさえ増やせばすべてうまくいく、と主張するわけだ
0284堺屋太一垢版2016/07/20(水) 12:52:53.93ID:GEsCDtL0
共同体とは、家族、地域社会、あるいは趣味の会など、人の世の摂理によって自然発生的なつながりで生まれ、構成員の満足追及を目的とした組織である。
従って、その組織の発展拡大よりも、構成員それぞれの組織に属する目的を満たすことが重要である

同じ組織に所属すれば、共通の目的意識と情報環境に置かれているため、同僚と比較し易い。従って、組織人の嫉妬は、まず組織内部の同僚に向けられる。
組織への帰属意識の強い人々は、組織全体の地位の低下には鈍感で、内部での比較優位だけで満足できる。

組織全体の雰囲気は、しばしば「時の流れ」とか「時代の風潮」とかいった言葉で表現されるが、そこにも必ず組織的原因が存在する。
諸大名や奉行たちが朝鮮出兵に反対したのは本当だろうが、彼らも成長を諦めて省事に徹するかと問われれば、それにも賛成しなかったはずだ

要するに、永続性のある組織を作ることで、巨大な機械設備を継続的に運用して規格大量生産を実現することができるのである。ところが、
いまアメリカや日本などの先進国で進行している知価革命は、産業革命以来の近代社会に根本的な大変革を与えている。

組織の危険なところは、与えられたテーマが各部局にとっては究極の目的になることだ

要するに、永続性のある組織を作ることで、巨大な機械設備を継続的に運用して規格大量生産を実現することができるのである。ところが、
いまアメリカや日本などの先進国で進行している知価革命は、産業革命以来の近代社会に根本的な大変革を与えている。

共同体組織が構成員の結束、つまり「固さ」を追及するのに対して、機能組織は目的達成力の「強さ」を求める

人事圧力の下で事業拡大を求めるのには大きな危険がつきまとう。というのは、最初に「何かをやる」という結論が出ているからだ。
0285堺屋太一垢版2016/07/23(土) 23:55:43.37ID:zrL1tUI3
成功体験者が過剰な権威を持ち、成功体験分野が過大評価されると、組織全体が仮定を積み上げる「思考の蟻地獄」に陥ってしまう。

農業や手工業の「立業」が流行っている時代ならば、家族が多ければそれだけ生産量が増えますが、公務員とか銀行員あるいは宗教的な仕事をする「座業」になりますと、収入が家長ひとりにかかります

複数の同期入隊者の中で誰を引き上げるかという問題が起こるからだ。しかし、これにも分かり易く変え難い基準を採用すれば内部競争は少なくなる。その最たるものは入ったときの成績順位である。

下部の小組織に権限と任務を与えれば、その権限を司る小組織の長にとっては、自分に与えられた任務こそが究極の目的となるのである。

今、何を行うべきか、何をなさざるべきかという意志決定が速やかに行われ明確に確定されることは、組織の目的達成の前提条件といってよい。

土地に密着した共同体を捨て、利便性(機能)から居域を選んだのである。鉄砲を大量かつ組織的に使用するためには、先祖元来の武門を誇る「馬上の名士」を後方に退け、鉄砲足軽を集めた大組織を作らなければならない

石油が値上がりすると、石油からつくる化学肥料や農業が値上がりします
0286堺屋太一垢版2016/07/27(水) 03:50:34.00ID:ryx6k2oj
人間には不足な物(ボトルネック)を突破するために技術を開発する「雄々しい英知」とともに、周辺条件をに適した倫理と美意識をつくる「優しい情知」があるのです

歴史上には偉大な組織が数多くある。従って、偉大な組織者も数多くいたはずだが、その氏名を特定できないことが多い。まず、トップがしなければならないことの第一は、
組織全体のコンセプトを明確にし、その組織の目的を誤りなく伝えることだ。

共同体化した組織では、特定の部局や構成員に不満を抱かせることを嫌うので、敢えて能力の集中をせず、全部局に総花的な分散が行われる

第二には、組織全体が常に人事圧力を受け、組織の拡大とポストの増加に熱中することだ。
従って、共同体化した年功人事組織は、組織の拡大だけを目的にして機能の強化を無視することになり易い

現実の世の中の問題というのは、九割まで答えがあるかないか分からない。技術開発にしろ経営刷新にしろ、
新規市場の開拓や経費の削減にしろ、やって見るまでは正解があるのかないのか分からない。

つまり、「量」と「質」を確定して、容易に換算できるようなものが「コモデティ(産品)」なんですね
0287金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/07/28(木) 13:13:52.63ID:bdjI7xA9
こうした機能組織の典型が企業である。これに対して、理想の機能体とは、組織を作った目的を達成できる組織だといえる。企業なら所定の事業によって利潤を上げること、
軍隊なら最少の負担で国土と国民を衛り、戦争があれば勝利すること、行政機関なら行政目的を完全に果たすことである。

現在の日本の組織は、高度成長時代の社会環境に慣れ、士気と協調性だけを重視する傾向がある。しかし、これからの波瀾の時期には倫理の健全性こそが、最も重要な課題になるであろう。

各産業が人類社会に対して、どのような面で貢献しているかで分類することを試みたのが「貢献面産業分類」です

何事も徹底することを好んだ宋代の人々は、この方式を軍隊にも持ち込み、軍政と軍令を分離、参謀本部(枢密院と呼ばれた)を独立させた。この結果は、
「宋代亜近代」といわれるほどに発達した分業化社会が生まれ、産業経済は大いに発達した。

これに倣って日本は、逓信省、鉄道省、農商務省のような所管別、産業別・供給者別の官庁をつくる一方、供給者を持たない地域別の官庁、内務省をつくった

石田光成や小西行長らが主張した商業利益によって大名家の収入を増やす方法、いわば軍事国家から貿易立国への転換である。

命令実行度が低くなると、それを前提にして命令を乱発するトップも登場する。そんなことが起これば、下部の者は上層部を信頼しなくなり、ますます実行度が落ちてしまう

そのためにまず、機能組織は構成員の能力を最大限に発揮できる役割分担制を採る。これに対して機能組織では、情報と命令のルートは明確でなければならない。

第二に、武士共同体の基盤となっていた「土地=村落」との繋がりを断ち切った。重臣たちに信長の本拠地の城下住まいを強制したばかりか、自らも本拠地(居域)を次々と移した。
信長だけは那古野から清州、小牧、岐阜、安土と、生涯に四度も居域を移している。
0288内田樹垢版2016/07/29(金) 23:18:56.68ID:ynHtPyns
パニック映画では(『タワーリング・インフェルノ』や『ポセイドン・アドベンチャー』などなど)
「足手まといになる弱者」を構成メンバーに迎えたグループ「だけ」が生き延びられるという話型が繰り返し語られます。
別にこれは「倫理的美談」ではなく、「過去の成功事例」が訓戒化されたものです

「社会に役立たない人間は死んだ方がいい」というタイプの言説を多分ご本人たちは「リアリズム」だと思って語っているのでしょう。でも「強者だけで作られた組織」は原理的にそのつど
「当該組織内の最弱者」を指名し排除することを宿命づけられているので最終的には構成員ゼロになります。
病人や老人を置き去りにし、妊婦や幼児を「足手まとい」と捨てることを義務づけられた「強者だけから成る集団」というものが仮に過去に存在したとしても、
その集団は一世代後には消滅していたはずです。まっすぐ自滅を目指す人たちを「リアリスト」と呼ぶことに僕は反対します。
「弱者を含む集団」では生き延びるために全員が「余人を以て代え難い」異能の発見に向かいます。一方、「強者連合」では全員が同一の能力の優劣を競い、
格付けをし、それによって資源を傾斜配分するようになります。構成員全員が自尊感情を持ち愉快に生きられる集団の方が危機に強いのは当然です
「成果主義」とか「実力主義」というのは、集団構成員それぞれの豊かな潜在可能性を押しつぶし、集団を弱体化させるだけのものなのですが、
それで集団が「強くなる」と本気で信じている人たちが(たくさん)います。彼らは別に冷酷でも邪悪でもありません。単に愚鈍なのです
0289金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/08/02(火) 16:41:58.18ID:koHjTcJQ
生産手段と労働力が分離する現象は、それ以後、電気動力や内燃機関が登場しても、化学工業が生まれても、進みこそすれば停止逆転することはなかった。

組織史は、近代歴史学の中では最も研究の遅れた分野である。物的証拠が少ない上、文献証拠も頼りにならない

農業がはじまる前の原始的な共同体は、「強い者」がすべてを指導する単純な組織だったと思われる

彼は産業革命の生んだもう一つの側面、大型機械の組織的な運営のためには、多数の専門家や技能者を含む組織的な労働が必要なことを軽視していた

始代における国家の役割は、防衛と安全、徴兵と徴税、治安と司法、種子の確保およびそれを補強する祭祀の五つに限られていました。

権限意欲による熱心な行為は、本人の気持ち(主観的)ではもちろん、周囲の見方としても、「組織のため」の奉仕と見られ易い。
このため自己権限の拡大という構成員の個人的利益追求行為が制御されることなく過激化することも少なくない
0290堺屋太一垢版2016/08/02(火) 16:45:23.52ID:koHjTcJQ
戦国時代は技術が急速に進歩しました。それ以上に、組織が進歩しました。特に織田信長のはじめた「兵農分離」、
つまり専門兵士集団の形成が行われ、武士の専業化と恒久組織化が進みます

長所もあれば欠点もある、という「星型人間」を育てると、誰が上位か測ることはできません。ところが「まんまる人間」になると「まる」の大きさだけで誰が一番で誰が百番か分かります

組織が「大きさ」を達成すれば、当然その構成員(ヒト)の数は増え、存在する場所も広がる。その結果、組織全体の情報環境を同一にすることが難しくなり、「固さ」は緩む。

さらに拡大して千人を超えると、管理監督機構自体を管理する組織が必要になり、すべてを規則化基準かしなければならない

経済成長と資本蓄積の主要な源泉が近代工業になった時点、つまり、農業よりも近代工業の成長力が大きく、全体としての利益額が大きくなった時点を指して、「産業革命がはじまった」と認定しているわけです

共同体化した組織において高い地位と大きな権力を持つことだけを願う小心な野心家は、
構成員の推挙を得ようとして、構成員の幸せ追求、つまり共同体化を一段と徹底するようになる
0291堺屋太一垢版2016/08/04(木) 02:53:09.76ID:fQr2CxE0
「石原慎太郎」氏は、出足から新国立競技場問題、公式エンブレム問題と躓いた印象のある東京五輪・パラリンピックに、エンブレム問題は後から出てくるパクリ問題は自業自得だが、
選考過程でいくつかの賞を取った人間でなくてはならないという規定をすること自体が役人の官僚的な発想で、
役人の卑猥というか限られた発想で自分たちにオリジナリティーがないからこんなバカな規定をするのだと、招致運動の時の桜のロゴは素人の芸大生が作ったロゴだが素晴らしいと苦言を呈した。
また、新国立競技場についての不思議な成り行きを語り、「堺屋太一」氏は、大阪万博の時を招致から振り返り、シドニーオリンピックまでは質素な運営計画だったが、
ヒトラーの考えたベルリンオリンピックを真似した北京オリンピックからジャンジャお金を使いだしたと言い、個性の無くなった組織の閉鎖性を二人が語った。
https://www.youtube.com/watch?v=M2ysifmps9o
橋下徹を語る 石原慎太郎×堺屋太一
https://www.youtube.com/watch?v=l2UsT8f6w5Y
<プライム>石原慎太郎+堺屋太一+渡部昇一「中国、東京都知事選、憲法を斬る
https://www.youtube.com/watch?v=h_Fp1RuYTtI
0292堺屋太一垢版2016/08/23(火) 15:26:56.31ID:KK4UrxDG
官僚は統制好き、規格化好きである。従って、日本国民すべての人生を規格化した。
官僚の定めた「あるべき日本人の人生」とは次のようなものだ。
[1]日本人は生まれるとすぐ教育を受けるべきである。幼児教育を普及した。
[2]教育を終えれば直ぐ就業すべし、間を開けるNEETは良くない。
[3]就業して一定の蓄財をしてから結婚すべきだ。教育期間中の結婚は不良である。
[4]結婚してから出産すべし、結婚前の出産は良くない。
 子育ては男女が共同で行うべし、それが日本的健全な家庭である。祖父母に任すのも良くない。
[5]子育てが進むと住宅ローンを組んで小住宅を買え、人生の中年期は住宅ローンの返済に努めよ。それが可能なように終身雇用年功型の職場を選べ。
[6]住宅ローンを払い終えればもう中高年、あとは老後に備えて年金を支払え。老後は子供たちの世話にならずに静かに生きよ。というのである。
 日本の税制、福祉、教育政策は上の官僚制人生規格に従って生きた者に有利にできている。マスコミもまたそれを推奨した。
0293金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/09/18(日) 04:17:33.37ID:VN5t9SD4
今のようにほとんどゼロ成長になってしまうと、商売の才能を持っている人か、人並みはずれた感性を持った人でないと成功できず、普通の人が食べていけなくなってしまいます。
英国の政治家チャーチルは「成長はすべての問題を解決する」という言葉を残しています。だからやみくもな成長は必要ないというのはまったくその通りなのですが、最低2%くらい成長していないと社会はすごく荒んでくると私は思っています。
なぜ2%かというと毎年少しずつですが成長を繰り返すと35年で2倍になります。親から子供の世代になる頃には2倍になるのです。実は20世紀のアメリカは正にそれでした。
自分よりも自分の子供たちが広い家に住めるだとか普通の庶民の夢が叶っていったのです。
そういう普通のことができるようになるためには経済自体がある程度大きくなっていくことが必要だと私は考えています。
金融はお金を必要としている人にお金を融通することです。しかし、使いたい人が多くいる。だから、一番効率よく使える人に使ってもらうのがいい。金利は価格と一緒です
前澤 金利を払うためには、他の誰かからその分のお金を徴収することが必要になります。しかしその人も金利を背負っているので、一度金利が生み出されると、
どこからか奪ってこないと金利は返せないものだと思います。それは金利が金利を生むという悪循環ではないでしょうか。
竹中 経済が成長していなければ、そうなります。しかし、本来ならば経済は成長するわけです。だから、中国やインド、ブラジルと言った成長している国と日本は取引をしなければいけません。
実体以上に不均衡にお金が流通するとお金の価値が下がります。経済は調整機能を持っているのですが、
問題は人間の欲というのは行き過ぎることです。しかし、バブルは長く続きません。バブルにならないようにする努力が求められます。人間は判断の誤りがあるということを知ることが重要です。
0294堺屋太一垢版2016/09/18(日) 04:44:20.14ID:VN5t9SD4
・マッチで放火する者がいれば、放火犯を逮捕すべきだが、マッチの販売を統制すべきではない。ここ数年、日本では1、2の事件で、法を改正し制度を変更することが多い。例えば、05年に一人の建築士が構造計算書を偽装していたことが発覚した。
それだけのことで建築基準法を変更、07年6月以降、建築着工面積が大幅に減少、GDPが0.6%も下落した。国民経済に与えた損失は中越地震よりはるかに大きい。
しかもその後も膨大な手続き費用がかかるようになっている。官僚統制の恐ろしさは、誰も反対できない極端な少数の例を挙げて規制権限を強化し、一般的な利便を失わせコストを吊り上げる点にある。かつて、地球上の半分を占めた社会主義政権は、
そのために滅亡したが、今の日本も同じ道をたどっているように思える。建築基準法、金融商品取引法、貸金の利子制限からタバコ自動販売機のタスポカードや自転車3人乗りの禁止まで、煩わしくて効果不明の統制強化が続いている

金融業者に倫理を説くのは無駄。金融業者があくどいことは、
シェイクスピアでも近松門左衛門も書いている。金融業者に望むのは、倫理よりも理性である。もう少しましな人材を育てる教育をすべき
0295堺屋太一垢版2016/09/18(日) 04:46:57.01ID:VN5t9SD4
/// 成功のシナリオ、失敗のシナリオ 16 ////////////

 日本では、土地を持っている人に金融がついて、持っていない人には融資が
されない。そして、仕入価格が安い土地を持っているのは、戦前からの伝統を
誇っているような大企業です。しかし、こういう大企業では、新しい能力や
産業は開発されません。
 お金を貸している先が収益性の高い事業に成功しないのですから、銀行だって
高い利益が得られません。当然、高い金利を預金者に払えなくなります。
定期預金金利が〇.三%とか〇.三五%というあきれるほどの低金利になっているのは、
まさにこの土地担保融資がもたらした最悪の結果だといえます
0296堺屋太一垢版2016/09/18(日) 04:49:15.10ID:VN5t9SD4
/// 「ローコスト革命」が日本を救う 9 /////

  「成功体験」は通用しない

 金融機関についても、日本のコストは非常に割高だ。他行間振込手数料は三万円以上の場合
六百十八円だが、諸外国に比べると倍近い。現在、日本の金利は安いが、預入金利と貸出金利の
差は必ずしも小さくない。一部には、さらなる金利引き下げを期待する向きもあるが、金融機関の
コスト自体が金融政策の限界ともなっている。公定歩合や預金金利を極限にまで下げても、肝心の
(投資を促す)貸出金利はそれほど下からないからだ。
 流通、建設、情報、金融、それに膨大な手間と費用を強いる官僚的手続きなどが積み上がって、
日本の社会全体をきわめてハイコストにしている。そしてそれがまた、相互に膨らませ合う。

/////////////////// 常識破壊と大競争 ///
0297堺屋太一垢版2016/09/18(日) 04:56:26.68ID:VN5t9SD4
 これからの銀行は、金融仲介業(ブローカー)にとどまらず、ディーラー(胴元)になって、危険分担をしていく必要がある。その際、「全体としてx%の利益が上がれば良い」と考えるべきです。いまは零細企業でも、
ひょっとしたら10倍になるのもいるだろうし、無になるのもいるだろう。それを、全体としてx%の利益を目指す。最善と思うポートフォリオを組み、デリバティブやヘッジによって危険を分散し、全体としては危険の少ない投融資にする。
うまく行くかどうかはディーラーの腕次第です。 いまの銀行は、どこもただのブローカーにすぎません。収益性を上げるために、優良企業への貸出金利を上げ、その金利分で潰れた会社の損失分を埋めている。健全な会社から金利を高く取って、
潰れた融資を埋める「タチの悪い鵜」のようなものです。これでは、日本中の活力が無くなってしまう。 銀行も知価社会に向けて、零細企業や個人に投融資をしていくべきです

/// 「うつむき加減の時代」をどう生きるか 40 ///
ジャスト・オン・タイムで部品在庫を持だないカンバン方式は、日本の企業経営の自慢だが、
実際には少量配送費用のほうが高いという例も多い。特に、近年の金利低下で在庫費用が下がった
ことは再検討すべき要素だろう。
 国際競争とは、あらゆる分野から競争参入者が出てくることを意味する。それだけにローコストを
強いられる
0298金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/09/18(日) 14:50:50.51ID:VN5t9SD4
いま、日本が直面する第三の「壁」、あらゆる分野で続発する不祥事も、まったく
同根の問題である。極端な供給者保護のもとでは、事業さえ拡大すれば巨利を
得ることができる。その一方で過剰供給を防ぐべく官僚主導の協調体制によって
拡大抑制策が採られている。これでは、各業者が官僚統制の抜け穴を探し、
内密のうちに事業を拡大しようとするのも不思議ではあるまい。そこから生じるのは、
多額の費用と時間をかけての人脈づくりであり、官僚政治家への接近であり、
いろんな形でのリベートや補填である。今回の証券業界の損失補填は、その
露骨な一例に過ぎない。
 
/// 最適工業社会の繁栄と限界 93 ///////////
大銀行が絡んだ不正不当な融資もまた同じ構造から生まれている。政府の
保護下にある銀行は、預金貸出しの規模さえ拡げれば必ず儲かると確信していた。
とくに供給が制限されている土地に対する融資にはその信念が強かった。とくに
ゴルフ場は造成が制限されているうえ、人脈づくりに利用される施設だから有利と
見られていた。日本の金融業者は、政府の保護と供給規制に頼る以外には、
担保評価も人物鑑定もできないほどに無能力化していたわけである

/// 日本型社会主義と資本不足時代の金融 19 /////////
これに対して、結果平等型社会の時代では、株式投資は「特殊なもの、
ギャンブル的なもの」「社会的にあまり役に立っていないもの」とした見方が
社会的な考え方として共有化・規範化されていった。そこでの考え方は、
形式資本主義、実質社会主義であり、高度成長期まで、企業のダイナミズムの
視点がなかったのである。
さらに、多くの人は株式投資をする余裕がないため、企業が株式を発行しても
発行額面価格(五〇円)以下で発行されることが多く、銀行が大きな企業の
株式を引き受けていた。それにより、メインバンク制の株式持合と銀行を中心
とした企業集団が形成されていった。この時代は、「つくれば売れる時代」であり、
重工業などの企業に資金を貸しても、倒産のリスク(信用リスク)を考える必要は
なかった。
0299金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/09/24(土) 17:49:52.56ID:P6DtM1p1
フロー型収入”は、一回のみの売り切りでのお金の流れで、
たとえばWEBサイト制作で、納品後に制作費用が支払われ、キャッシュが一気に入ってくる。しかし1回のみである。
“ストック型収入”は、一気にキャッシュが入ってくるわけではないが、少しずつ収益が増えていくモデルで、たとえば携帯電話、スマートフォンなどがある。
今後の売上予測が立てやすく、利益を新たな投資にまわすことも容易である。
雇用されている場合もフロー型ビジネスといえます
フロー型ビジネスは、単発でその都度仕事を請け負う形のビジネスです。飲食店や美容室、ゼネコンなど、常にお客を取ってきて、手を動かしていないと収益に結びつきません
ストック型ビジネスは、電気料金、携帯電話、サーバー代など、仕組みを作って、契約者を増やしていけばいくほどお金が入ってくる形のビジネスです。
フロー型ビジネスとは違い、仕組みさえ作ってしまえば何もしなくても収入が蓄積されるため、非常に安定感があります。
フロー型ビジネスとストック型ビジネスを投資に当てはめるとすれば、フロー型はキャピタルゲイン狙いの投資、ストック型はインカムゲイン狙いの投資と言えます。
基本的にフロー型というのは、物を安く仕入れて高く売る事を目標としていますし、ストック型は、価値のあるものを作って使用料をいただくことを目標としています。
0300金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/09/24(土) 17:50:30.52ID:P6DtM1p1
堺屋太一、輸出は 伸ばすべきものであリ、輸入は抑えるべきものだと信じられていた。だが、
今では輸出は抑制すべきものであり、輸入こそ伸ばすべきものになっている。
 十年前には日本は経済の流れ(フロー)こそ成長したが、経済の蓄積(ストック)は
まだまだ貧しいといわれていた。ところが今では、日本人の一人当たりの
資産は、アメリカ人の三倍以上にもなっている。鉄鋼や造船が基幹産業だったが、
今では衰退産業になっている。歯科医はよく儲かる職業だったが、今はもう
過剰だ。工業用地は不足していると思われていたのに、今では全国に十億坪もあまっている。

長谷川慶太郎、、。、キャッシュフロー」とは、たとえば製造業者ならば、売り上げの金額から生産に必要な全てのコスト
(賃金、原材料の購人価格、生産設備の償却等々)を差し引いた金額から、さらに借人金の支払い金等々を差し引いて残った経常利益を、「現金」の収支で示すものである。
つまり、「キャッシュフロー」が「赤字」ということは、その企業の資産が「現金」から「物」に代わっていることを示し、
反対に「黒字」ならば、資産の重点が「物」つまり「固定資産」から「現金」、すなわち流動性の高い資産に転化していることを示す。
「デフレ時代」において最も重要なことは、この「キャッシュフロー」を極力「黒字」にしていくということである。

企業の持つ資産内容を「固定資産」から「流動資産」に転化させる努力を怠れば、文字どおり「勘定あって銭足らず」という状態になってしまう。

帳簿上いくら経常利益あるいは最終利益が「黒字」であっても、現実に資産内容が「固定資産」拡大となっていれば、
必ず大きな「値下がり損」がそのなかに含まれており、そうした経営状態の事実が、「キャッシュフロー」の「黒字」と「赤字」に表れるのである
0301堺屋太一垢版2016/09/24(土) 17:51:18.57ID:P6DtM1p1
 ところが、いまや日本では、子供と高齢者の数は著しく接近、一九九八年には
逆転する見込みである。このことは単に、需要の構造や生活の形態を変えるだけ
ではない。過去の蓄積で生活する消費者を増やし、未来の成長に期待する人口を
減らす、つまり社会全体がフロー経済からストック経済に変わるのである。
温暖湿潤な風土に恵まれた日本は、フロー経済の社会であった。伊勢神宮の
社殿が二十年に一度建て替えられることに象徴されているように、住宅も道路も
家具、装身具の類も、フロー型になっている。その日本が、生産よりも蓄積の大きい
ストック社会を迎えるとなれば、社会環境と人間心理に重大な変化が起こるだろう。
生産組織に属すことのなくなった純粋消費者としての高齢者群の膨張は、この国が
はじめて経験する静かな革命である。
0302堺屋太一垢版2016/10/01(土) 01:37:22.92ID:465l1tLu
外国人人材の受け入れを加速させるべきだと力説した。堺屋氏は現在の日本にとって「人口減少が最大の危機」だとしたうえで、次のように語った。
「日本は移民を受け入れたことがないという人がいるが、それは間違いだ。日本は近世以降、2度にわたって大量の移民を受け入れてきた。1度目は17世紀前半。
1600年から1640年頃までの間。江戸幕府が鎖国を厳格に実施するまで、中国や韓国といった外国から大量の移民が入ってきた」
当時の移民の多くは医師や陶工、染め物師といった日本人よりも高度な技術を持った人々だった。1644年に滅びることになる明朝が、清に制圧されていく過程で、それを嫌った多くの明の人々が日本に逃げてきたとみられる。
そうした人たちを日本社会は積極的に受け入れたと堺屋氏は語る。
「日本全国の藩が、こうした外国人を医師や右筆(ゆうひつ)として積極的に召し抱えた」というのだ。右筆とは武家の秘書役のことで、公文書や記録を作成した。
漢文の素養が必要だったこともあり、中国人が重用されたのだろう
実は、赤穂浪士の中にそうして渡って来た中国人の孫がいる。武林唯七(たけばやしただしち)で、おじいさんは赤穂藩に医師として仕えた中国人だった。その武林唯七は、
主君の仇を討つという最も日本的な行動に参加している。当時の赤穂藩の士分は300人ほどで、討ち入りをしたのは全員ではなく、その一部。全員で47人ですが、その中に武林唯七はいたわけです」
武林唯七は、赤穂浪士の討ち入りを題材とした「忠臣蔵」では、最も日本人的な、おっちょこちょいとして描かれている人物。大石内蔵助がなかなか討ち入りを決断しないと、早期実行を訴える日本の侍の鏡のような存在として取り上げられているが、実は中国人3世だったわけだ
0303金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/10/01(土) 01:41:30.81ID:465l1tLu
江戸初期の「移民」は日本に新しい文化を導入する役割を担うと共に、見事に日本社会に溶け込んでいったわけだ。日本文化は決して単一の価値観から出来上がっているのではなく、
外来の様々な文化と融合する中で磨き育てられてきたと言っていいだろう。
堺屋氏が2度目の「大量移民流入だった」と指摘するのが19世紀後半。明治維新をはさんだ1850年から1900年ごろまでの間に、やはり中国大陸などから大量の移民がやってきたという。
「日本に移民がやってくるのは中国側の事情が大きい。この時も清朝が力を失う中で、多くの中国人が日本に渡ってきた」
神戸で洋服店を開いたり、コーヒー店を開くなど、日本の最先端をいくオシャレな事業を切り拓いた人たちに外国人が多かったという。もちろん彼らは日本に定着し、
孫世代になって、日本人として活躍している有名人も多い。
大正時代に花開く日本近代文化も、明治維新前後に日本にやってきた多くの外国人がもたらした外国文化の影響を多大に受け、花開いたものだった、と見ることができるわけだ。
神戸で洋服店を開いたり、コーヒー店を開くなど、日本の最先端をいくオシャレな事業を切り拓いた人たちに外国人が多かったという。
もちろん彼らは日本に定着し、孫世代になって、日本人として活躍している有名人も多い。
大正時代に花開く日本近代文化も、明治維新前後に日本にやってきた多くの外国人がもたらした外国文化の影響を多大に受け、花開いたものだった、と見ることができるわけだ。
0304吉本隆明垢版2016/10/15(土) 03:11:36.67ID:rP5R4jK3
は不況ですから、昔のマルクス主義なら経済恐慌から金融恐慌になるという理窟になるのでしょうが、
僕らは絶対にならないと考えています。その根拠としては、価格と価値の乖離が著しいですから、
先進国で了解させすれば価格は地域によって設定することが可能であり、それは価値とは関係なく成り立ちえます。遊離した価格の振る舞い方は人間でいえば意識と同じで、
つまり経済が意識をもちはじめたわけです。無意識に恐慌にはなることはありえない、というのはその根拠なんです。

価値というのは人によって考え方が違いますけれど、価値の浮遊性というのを例えば商品の例で言えば、商品の価格といいますか商品の値段というのは、
商品を作るために費やされた労力とか賃金とかその他を含めたもので構成されます。ところが、そういうものとかかわりなく価格は決ってしまうし、
決めることが出来るということが現在とても大きな特徴です。価値の源泉に関係なく価格が決ってしまうのです。浮遊させることが出来るのです
0305堺屋太一垢版2016/10/23(日) 19:53:20.19ID:evRGm7N2
家の堺屋太一氏と幸田真音氏が5日、BS日テレの「深層NEWS」に出演し、2020年に開かれる東京五輪による経済効果について議論した。
堺屋氏は「経済効果のほとんどは設備投資と公共投資で国の支出だ。開催期間は2週間程度なので、訪日外国人(の消費)
は期待できない」と指摘した。
0306堺屋太一垢版2016/11/07(月) 22:12:26.11ID:TSptRENI
その前提として、通貨を自由化するということは、通貨市場、マーケットを自由化することです。
マーケットはすべて株式であれ、資金であれ、商品であれ、三つの条件が整わないとマーケットに
なりません。それは自由、公開、先物です。自由であること。これは当然です。自由の裏には取得
性がないといけない。それから取引の結果、金額、量等は必ず即時に公開されます。そして、3番
目には先物取引がないとマーケットは成り立たない。この三つの条件が要るのです。
先物取引を認めることは、先物取引でもうける人を認めることであり、リスクを認めることです。
これを嫌悪する日本の最高裁判所のような思想が残っているのでは、円の国際化は成り立たない

医療や教育や介護など、成長産業は少しも自由化しなかった。この偽りの自
由化が日本の産業構造の転換を妨げて、輸出依存型にしてしまったというのが第1です。
2番目は偽りの国際化です。日本は国際化しているような気になっておりますが、資本について
も制限は非常に厳しい。特に最高裁判所がブルドックソースの定款改正を支持した判決にあるよう
な外資外人恐怖症がありますから、なかなか資本は自由化しません。
0307金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/11/08(火) 14:10:32.34ID:Vf6VXtIN
悪の拝金者集団か?市場の機能不全をただすリスク管理の達人たちか?世界経済を動かす謎多き組織を徹底取材。その誕生から現在までを生き生きと描く、
小説より面白い実録ヘッジファンド通史。ジェラルド・ローブ賞受賞作

ヘッジファンド悪玉論の誤りをただし、膨大な税金投入という過ちを繰り返さないための方策を提示。金融・経済の将来を考えるための必須の書。

ヘッジファンドは小さくてつぶしやすい、そのため大手金融機関系のヘッジファンドよりも独立系のヘッジファンドの方が優れていることを述べている。
ヘッジファンドはつぶれても国民の税金は使っていないが、投資銀行はつぶれかかると公的資金が注入される、ヘッジファンドの報酬は2%(管理手数料)20%(成功報酬)だが、
投資銀行が社員に支払うボーナスの比率ももっと高い。ヘッジファンドとミューチャルファンドの報酬は単位アルファあたりの額を考えるとヘッジファンドがずっと安い。
そして、多くのメリットを提供してくれる。だからヘッジファンド規制をするな、と結論づけている
0308金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/11/08(火) 21:30:28.83ID:Vf6VXtIN
電通は帝国陸軍系
面従腹背で生き残った
電通博報堂どちらも財閥系ではない
官営系金融機関をメインバンクにしてる
電通 →旧第一勧銀※旧商工省系
博報堂→旧興銀  ※旧大蔵省系
1940年体制以前  →財閥型統治方式=自由主義
1940年体制(満州閥)→非財閥型統治方式(官営系金融機関)=国家主義
1940年体制以前に戻るのが理想

1940年体制=一族階級派VS国家民族派の内戦から生まれた統治体制
戦前型経済→上位中流階級型資本主義
戦時型経済→下位中流階級型資本主義
一族階級派=財閥型統治体制 =自由主義
国家民族派=非財閥型統治体制=国家主義
非1940年体制=海軍閥
1940年体制 =陸軍閥
海軍閥(海軍省+財務省+法務省+通産省+環境省+三菱財閥)
陸軍閥(陸軍省+内務省+厚労省+文科省+国交省+その他の財閥)
0309金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/11/08(火) 21:34:46.78ID:Vf6VXtIN
今デモやったら電通帝国はつぶれるのかもね
公正取引委員会が「一業種一社制度」導入してくれないと意味がない
ここで終わらないためにも公取は動くべき
デモクラシーは「意識の民主化」が重要
電通が一極支配してる限りデモクラシーはない
海外のように多元主義的情報空間にせよ
そうすれば日本社会に「意識の民主化」がなされる
マインドコントロールから脱却できる
電通は全体主義+ファシズムの帝国陸軍系企業
1940年体制はまだ残ってる
1940年体制以前の財閥型統治体制に戻せ
0310金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/11/08(火) 21:49:04.20ID:Vf6VXtIN
TBSは藤原五摂家御用達
そこに電通の社長が幹部に来るということは・・・・
電通=満州閥=藤原五摂家
日本国憲法第九条=九条公爵家(藤原五摂家)
幕府=兵部省近衛府=近衛公爵家
江戸時代の秩序は近衛閥対九条閥

国家民族主義を解体すべき 連邦君主制にでもすべき
日本の統治者も政治音痴の日本の有権者に苦戦してるのだろう
ネット住人の言う保守は国家主義 階級観がないから馬鹿なこと言う
保守主義は君主と貴族の領土ありきだから日本には「保守党」がない
「自由党」はあっても「保守党」はない
自民党歴代総理総裁のほとんどが浄土真宗(仏教で一番格下の宗教)では統治できない
一番格の高い真言宗でも中曽根、小泉、菅直人、の三人しか首相になっていない
ちなみに真言宗には名門はいない
0311金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/11/11(金) 15:54:56.05ID:Numk0bUJ
旧来の歴史学が、戦争などの政治的事件を中心とする「事件史」や、ナポレオンのような高名な人物を軸とする
「大人物史」の歴史叙述に傾きやすかったことを批判し、見過ごされていた民衆の生活文化や、社会全体の「集合記憶」に目を向けるべきことを訴えた。
この目的を達成するために専門分野間の交流が推進され、とくに経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた。
民衆の生活に注目する「社会史」的視点に加えて、そうした学際性の強さもアナール派の特徴とみなされている

1956年のフェーヴル死去以降にアナール派を率いたのは、歴史家のフェルナン・ブローデルである。1949年に刊行されたブローデルの長大な博士論文『地中海』は、
経済史や統計学の知見を取り入れながら長期にわたる地中海世界全体の変化を描き、比較史的総合をめざすアナール派の一つの頂点と目されるようになった

ブローデルが注意を集中しているのは、国家・社会から経済システムにいたる文明全体の構造の歴史である。ブローデルによれば、そうした大きな構造は、目前に起こる事件の歴史よりも遅い速度で動いている。
それは数世代単位、ときには数世紀単位で動くため、同時代の人々は、ほとんど変化に気づかない。それでもやはり人々が、この流れで運ばれていることに変わりはない

表層にはまたたく間に過ぎ去る歴史、個人および出来事史という「短波」があり、そして、ゆっくりとリズムを刻む社会の歴史、すなわち、ひとつの局面、人口動態、国家そして戦争などの「中波」があり、
さらに最も深層において、不変の、あるいはほとんど動くことのない自然や環境、構造、「長期持続」(la longue dur&eacute;e)などの「長波」があって、とくに最後の「長期持続」の相を重視する点で従来の歴史学とは一線を画した

イマニュエル・ウォーラーステイン
0312堺屋太一垢版2016/11/17(木) 23:32:06.59ID:tZQR8IJ4
「FAXが普及する前、作家はそれぞれ思い思いの場所に住居を構えていました。しかしFAXの普及とともに多くの人が鎌倉あたりに住むようになったんです。
次に携帯電話が普及し始めると、なぜかみんな東京の港区に住むようになったんですよ。つまり通信手段が発達するほど人は集まりたがるんですね」
0313金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/11/28(月) 13:33:49.69ID:u6eMXp4I
開会式ではイベント学会会長の堺屋太一氏が挨拶。「日本は、安全・安心、清潔、時間に正確と世界に誇れることは多いが、楽しさという点では課題が多い。
スポーツにしても成績を競うだけではなく、スポーツを楽しむこともその大切な要素。イベント学会の会員それぞれが牽引して日本を楽しさ先進国にしよう」と力強く語った。
0314堺屋太一垢版2016/12/24(土) 02:31:18.27ID:TaMseBfM
私が「戦後生まれの巨大な人口の塊」に注目するようになったのは、42年に通商産業省(現経済産業省)の
官僚として、日本万国博覧会準備室で日本政府の大阪万博出展を各省庁と協議していたときです。
厚生省(現厚生労働省)の技官、吉田寿三郎氏が「敗戦直後の出生数が極端に多く、これが将来の社会の重しになる」と力説され、人口問題の分厚い資料を届けてくれました。
当時、厚生省の人口問題研究所の見方は「間もなく終戦直後に生まれた年代が出産期に入ると、また出生数は激増する。日本の長期問題は人口が過剰で、
土地が狭いことであり、人口全体が少子高齢化するなどとは考えていない」というものでした。
私の小説第1作は、大型コンピューターを使って中東からの石油輸入が途絶えた場合の影響をシミュレーションした予測小説『油断!』です。
二足のわらじで書き上げた小説は評判となり、次作のテーマとして、
私はこの「人口の膨らみ」を取り上げることにしました。この世代の加齢化がもたらす問題を、世間に警告しようと考えたのです。
《『団塊の世代』は、執筆当時は20代だった彼らが、終身雇用体制の中で加齢とともに引き起こす問題を6、7年刻みで、50代に達する20世紀終わりまで描いたものだ》
成長の止まった電機メーカーがコンビニエンスストアという新業態を始める話、自動車販売台数減にあえぐ中堅自動車会社の工場跡地売却問題、
増えすぎた管理職としてリストラされる銀行員、年金や医療保険の破綻に直面する官僚−。
0315堺屋太一垢版2016/12/24(土) 02:33:57.24ID:TaMseBfM
「団塊」とは、鉱山用語「ノジュール」の訳語です。鉱山石炭局鉱政課勤務で知った言葉で、堆積岩中に周囲と成分の異なる物質が固まっている部分を指します。
編集者から、「タイトルが分かりにくい」と抵抗されましたが、この世代の特徴を捉えるためには新しい用語が必要だったのです。この言葉によって、
団塊の世代の高齢化による年金、医療費の増大という問題の焦点が、非常に鮮明になったと思います。
出版後、担当官庁の官僚からは「高齢者人口が過剰になるなどあり得ない」と激しい非難を受けました。2年ごとに役職が変わる官僚は、長期的な視点を持てず、
一時の権限拡張と予算拡大にしか興味がない。このため、人口対策は非常に遅れたと思います。
《戦争と物不足を知らない初めての世代。「明日は今日より豊か」という信念と終身雇用の職縁社会で生きてきた団塊の世代も、間もなく後期高齢者となる》
今年6月、『堺屋太一著作集』全18巻の刊行が始まりました。100作以上の作品から、時代を超えて古びない予測小説、時代小説、経済学説を選び、
解説を書き下ろしています。『団塊の世代』は『油断!』とともに、文学青年でもなかった私が、
作家として歩むきっかけとなった作品です。改めて読み直し、「警世の書」から「現実の書」になっていることを再確認しました。
今、『団塊の世代』の続編を書くとしたら、老人たちがいかにして楽しむかというテーマでしょうね。その意味で、2025(平成37)年招致を目指す大阪万博には期待しています。
「人類の健康・長寿への挑戦」がテーマですが、本当に見せるべきコンセプトは「第4次産業革命と楽しい日本」、
ロボットとビッグデータではなく、人生を楽しむ余裕を与える改革を進め、楽しみを正義とする日本にしたい。
年を取って最初に衰えるのが記憶力、次が体力。最後に残るのが創造力です。町の公園を開放して自由に創作してもらうなど、高齢者に創造力を発揮してもらう場を提供すればいい。
自ら楽しむことで、世間に楽しみを広げることが、団塊の世代の最後の使命だとエールを送りたいです。
0316堺屋太一垢版2016/12/24(土) 02:41:00.15ID:TaMseBfM
林:先生は少子化問題については、「女性に母性愛がなくなっているんじゃないか」ともおっしゃってますね。
堺屋:少子化の原因は、24歳以下の女性が子どもを産まないことにあります。24歳以下で子どもを産む女性が、
アメリカでは千人中112.5人いるのに対し、日本では35.7人。若い人にもっと子どもを産んでもらいたいし、産める環境をつくらなければいけない。
林:ところが、たとえば成人式で市長が「できるだけ早く子どもを産んで」なんて言おうものなら、もう袋だたきですよ。女性は「お上にそんなこと言われたくない」って思うわけです。
堺屋:戦時中に「産めよ殖やせよ」と言われた反動が、いまも続いてるんでしょうかね。ただ現実問題、若い人が子どもを産まないのは大変な社会的損失です。
林:私の時代までは、大学3年ぐらいでお見合いして、在学中や卒業直後に結婚するのがいいところのお嬢さんのステータスでしたけど。
堺屋:私が通産省にいたころは、東京の有名女子大の卒業アルバムが役所にドサッと届いて、「キャリアの若手官僚を紹介してほしい」と言われました。
林:まあ! それ、いまも届くんですか。
堺屋:いまはありません。バブルのころあたりになくなったんじゃないですかね。官僚もそれほどエリートでなくなってきましたから。
林:でも先生、少子化問題って難しいですね。何か言うと女性の怒りを買うし。いろんな生き方を認めなきゃいけない、ということなんでしょうけど。
堺屋:なぜ女性が怒るのか、まったくわからないんです。私と家内(画家の池口史子さん)は結果的に子どもができなかったので大きなことは言えませんが、
老後に子どもに会えるというのは、大変なぐさめになると思いますよ。
林:先生は奥さまと仲がいいことで有名ですもんね。パーティーでもいつもご一緒で、とっても素敵なご夫妻。
0317堺屋太一垢版2016/12/24(土) 02:42:38.62ID:TaMseBfM
堺屋:いやいや。それはともかく、日本の本当の危機は2020年、オリンピック・パラリンピックが終わったあとだと思います。そこで何もなければ、日本は成り立たなくなる。
林:「オリンピック・ロス」になっちゃうわけですね。先生はオリンピックにもかかわっていらっしゃるんですか。
堺屋:いえ、かかわっていません。いまのオリンピックのもたつきを見てると、ちょっと気の毒になります。
林:あれは誰がいけないんですか。
堺屋:役人に任せると、あんまりうまくいかないんです。官僚は2年くらいでポジションが変わるでしょう。責任あるプロデューサーが必要なんです。
林:先生はかつて大阪万博(70年)を大成功させましたが、当時の先生のような方が必要なんですね。
堺屋:いま、2025年に万国博覧会をもう一度大阪でやろうという話を、熱心に進めているんです。
林:お話はかなり進んでいるんですか。
堺屋:進むと思いますよ。安倍首相も誘致するつもりだと国会で答弁しましたから。
林:でも先生、大阪の人はあまり乗り気じゃないという話を聞きましたが、ほんとですか。
堺屋:乗り気じゃないとは思いませんが、会場に異論がある人はいると思います。夢洲(ゆめしま)という埋め立て地が候補地になっていますが、万博に間に合うように工事を進めるには200億円以上の追加費用がかかる。
万国博は伝統的に前回と同じ会場を何度も使うことが多いので、そのほうがいいという人も多いんです。いま、パリも立候補していて、競合するんです。
林:勝ち目はどうなんですか。
堺屋:半々だと思いますね。パリもかなり大きな計画を立てていますから。前回の大阪万博は「人類の進歩と調和」というテーマだったんですが、実際のコンセプトは第3次産業革命。日本が規格大量生産社会を実現したことを知らしめるものだった。
次の万博では第4次産業革命を見せることになりますが、人工知能やロボットだけじゃなく、それによって世の中がどう変わるかというところを見せたいと思っています
0318堺屋太一垢版2016/12/27(火) 01:37:36.64ID:7NBQB4il
堺屋太一「歩いて暮らせる街づくりをすれば原発いらない

経済の中心が規格大量生産から知価創造に移るなら、都市の構造も変えなければいけない。それが「歩いて暮らせる街づくり」である

戦後、石油文明の時代は、エネルギー多消費型の生活態度、社会構成がいいことになっていた。住宅地から工場街やオフィス街や商店街に、長い距離を電車や高速道路で結ぶんだという計画を立てた。
これは明らかにエネルギー多消費型なんですね。ここは住宅専用地、工業専用地と分けて行政するのがやりやすいという官僚的発想なんですよ。省エネルギー型の生活、
美意識に変えなければならない。例えば、歩いて暮らせる街づくり。だいたい1キロ半径の中にすべてのものがあると。住宅もあれば商店街もあればオフィスもあれば、遊興施設もあれば病院も学校もあると。そうすると、
少なくとも10年間に25%ぐらいのエネルギーを減らせます。そうすると、今の原子力発電も順次やめていくことも不可能ではない。この東日本大震災を機会に、官僚主導の文明から自由選択の文明に変える、これが1番大事なポイントですね
0319堺屋太一垢版2016/12/28(水) 18:43:09.61ID:MXwQ5vJA
団塊」の行くところ、常に巨大市場が生まれる。好きなことを見つけ10年打ち込むべし。団塊の名付け親が説く、明るい日本の将来

「団塊の世代」が順次定年を迎えている。社会保障、雇用の観点から暗く捉えられがちな事実だが、「団塊」の名付け親である著者の考えは違う。実は彼らは年金兼業型労働が可能であり、自分の好きなことのために働くことのできる、
黄金の世代なのだ。常に確かな目で近未来を見通してきた著者が、前向きな日本をいまこそ提示する
0320金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2016/12/28(水) 18:49:26.01ID:MXwQ5vJA
経営者は十年、政治家は十五年、官僚は二十年遅れている

日本はいま、第三の敗戦ともいうべき深刻な危機に直面しています。経済では、過去20年間、下り坂の状態が続いており、その間、世界GDPに占める割合は、中国が3%から10%と大幅に増加したのに対し、日本は18%から9%に半減。
米国が24%〜25%、韓国とロシアが2〜3%と安定していることを見れば、日本の一人負けとなっているのです。
また、かつては世界一と謳われた技術力は、携帯電話のように世界では通用しないガラパゴス化が進み、教育水準の劣化も看過できない状況です。こうした事態を招いたのは、
日本の戦後体制、すなわち官僚中心の社会制度が限界を迎えているからに他なりません。では、どうずれば「戦後」を終わらせることができるのか。自ら後見人をつとめる日本維新の会の「維新八策」
「大阪都構想」を紐解きながら、公務員制度や教育制度の抜本的な改革、外交手法の大胆な変革など、日本再生の処方箋を堺屋氏が示します

わが国では未だに、旧態依然の中央官僚主導、東京一極集中の既得権構造が続いている。それらを一掃する1つの方策が、「大阪都構想」である。住民の意向を反映しやすいように、市、区などの自治体を人口30万人単位にし、広域行政と財政調整は大阪都が管轄する。
条例により、自治体職員の分限免職(解雇)を可能にするなどの公務員改革を進め、行政のムダをなくす&#8212;&#8212;こうした大阪発の「改革プラン」を論じ尽くします。
0321松下幸之助垢版2017/01/06(金) 02:32:24.72ID:Rn7FUfku
人口を増やすことをしていく。そのためにも住環境を整えるということを考えんとね。
そこで、それではこういう問題を、どう解決したらいいのかということや
法律で規制してもすぐに骨抜きになる、とすれば、あとは、人が住みたくなるような環境の土地を、新たに増やすことや。人口が減るけど、住みやすい環境の、そう、福祉とか医療体制が充実した場所というか土地を増やすことが大事やな。
どうやって、新しく、そういう土地を増やせるかって?わしには名案があるんや。
それはな、日本の有効可住面積は30%やろ。ということは残りの70%は山岳森林地帯や。そこで国土の70%を占める山岳森林地帯のうち、20%を開発整備する。そしてこれを人が住みたくなるような、まあ、いわば、広い緑の土地を国民に低額で提供できるようにするんや。
残りの50%は、現在のままにしておく。そうすると、いまの国土の50%を、有効可住国土として活用できるようになるわけやな。そして、その開発整備したところを、
住宅とか畑とか向上に使うことにする。まるで自然公園のような土地を、いままで30坪くらいの家が集まっていた、
あるいは、マンションに一塊(ひとかたまり)になっているような状態ではなく、一軒が300坪くらいの土地に住む。そのような、今は考えられんような、ゆとりのある住宅地をつくる。
うん、当然、治山治水は十分に考えんといかんね。新しく川をつくるとか、湖をつくるとかということもせんといかんやろ。まあ、山を削るということになるからね、環境の変化とか自然の変化というようなことも、事前に十二分に調査はせんといかんけどな。
そしてそれだけではないんや。その山を削った土を海に持って行って、埋め立てる。
ここでもやな、山のときと同じように十分な配慮がいるわね。自然の島のようにつくると。見た目にも美しい島をつくると。変化に富んだ海岸線を新たに創造すると。
またそれによって生ずる漁業の問題も、むしろ魚の増殖にプラスになるようにするということも考えんといかん。
そういうようにして、山をならし、海を活用、埋め立てて、新しく使える土地をつくるんや。
0322堺屋太一垢版2017/01/08(日) 17:10:16.50ID:fc4YCWj0
「人脈、情報、地域の固定化で拡大した格差を解消せよ!」

格差是正の規制強化か、経済合理化を貫く競争促進か――これは人類史上絶えることのない課題である。それが今、日本でも重大な問題となっている。大事なのは、これを論じるに当たって3つのことを正確に知っておくことだ。
第1は、現実にどのような格差があるのか。第2は、それはどのようにしてできたのか。第3は、世界はどのような方向に流れているのか。その流れに、日本だけが逆らえるものではあるまい。
1980年代、日本は経済の高度成長にもかかわらず格差は縮み、都市化しても犯罪は増えず、給与差は少ないのに社員は皆勤勉、学歴による所得差は小さいのに少年たちは受験勉強に熱心だった。
この国が「奇蹟の成長」とも「近代工業社会の天国」ともいわれたのは、このためである。
もっとも、この「天国」の住民が皆幸せだったわけではない。「天国」から墜落しないためには必死に雲にしがみついていなければならない。選択の自由も個性を発揮する道も封じられ、ひたすら日本式ルールを守ることを強いられていた。
0323堺屋太一垢版2017/01/08(日) 17:15:33.97ID:fc4YCWj0
日本の官僚機構は、あらゆる局面で供給者側を保護する。例えば、雇用(労働力の売買)においては、勤労者が供給者であり、企業が需要(消費)者だから、政府官僚は勤労者側に立ち、解雇や賃下げには厳しい監視を怠らない。
同様に、流通業者よりもメーカーの側を、道路を利用する運輪業者よりも道路を建設する建設会社の方を重視する。戦後の官僚機構は、それぞれが供給者を所管する組織原理で作られている。
「時代が変わった」とは、これまでの仕方や仕組みが変わるのはもちろん、正義の基準も価値の尺度も変わった、ということだ。これまでの正義と正当は時代遅れとなり、世の中の改革発展を阻害する要因になったのである。

これからは「何を作るか」「何を売るか」という“WHAT”が大切になってくる。このことは、企業の組織と行動原理にも変更を強いるだろう。ハウツーの時代には、与えられた商品やサービスの概念を専門分野別に細分化して、
各分野ごとに最高に処理すればよかった。ところが、ホワットは細分化された専門家には生み出せない。商品やサービスの概念を形成するのは、全体を創造することであって、部分からの発想ではない。
0324堺屋太一垢版2017/01/08(日) 17:24:01.59ID:fc4YCWj0
実際、日本は工業製品の国際競争力の強さとは裏腹に、その他の分野は著しくコストが高い。
日本の農業の規模の小ささと生産性の低さは、すでによく知られている。農業所得のうちで
価格保証と政府補助に依存する部分が七五パーセントにも達しているのだ。
 流通業もまた非効率だ。「アメりカでは二人がつくった自動車を一人が売っているが、
日本では一人がつくった車を二人が売っている」といわれるように、日本の流通業はきわめて
無駄が多い。工業製品の工場蔵出し価格と末端小売価格を比べると、アメリカは一.七倍、
西欧諸国も二倍以下なのに、日本だけは三.○倍だという調査結果もある。同じ値段のものを
売るのに、日本は欧米の二、三倍も費用がかかるのである
もっとも、日本の流通業とりわけ小売業におけるサービスの質が高いことも無視できない。
日本の小売業は営業時間も長いし、品切れも少ない。配達も無料ならアフターサービスも徹底
している。何より誇るべき点は包装のよさで、包み紙や容器の豪華さは「断然」を三度くり返し
たくなるほど諸外国を上回っている。日本の消費者は、概してそうした高級な流通サービスを
求めているのである。
 しかし、この点を加味したとしても、なお日本の流通業が不合理非能率を多く抱えていることは
否定できないだろう。
 飲食店やホテルなどのサービスも割高だ。ニューヨークやパリで最高級のディナーを食べても
三百ドルになることはないが、赤坂や新橋の料亭なら千ドルも珍しくない。銀座や北新地の
クラブは水割数杯で三百ドルを請求する。そしてそこにサラリーマンが大勢通っている。
企業交際費という独特の制度が、個人消費とはかけ離れた高価なサービスヘの需要を生み出して
いるからだ。

 世界を圧する生産量と競争力を誇る規格大量生産型工業と、非効率と無駄を抱える流通・情報・
知価創造 &#8722; この極度の不均衡こそ、今日の日本を解く鍵といってよい
0325堺屋太一垢版2017/01/08(日) 17:40:07.39ID:fc4YCWj0
経済環境や社会的地位が急激に上昇した場合人間は自己評価の両極分解に陥りやすい。
一つは、経済的社会的上昇を成し得た自分の能力に対する過大評価であり、もうひとつは
周囲の扱いや冷たい視線から生まれる自己嫌悪だ。
 この心理が、ときには下品な富の顕示や強引な権力の乱用を招き、ときには過剰な被害者
意識を募らす。それでいて内心では、「みんなに好かれたい」という渇望が絶えない。いわゆる
「成金心理」である。今日、国際社会における日本には、これに似た心理があることは否定
できないだろう。
日本の自己過大評価は、行政機関や一部の産業界、言論人によって組織的に宣伝され、
広く日本人自身が信じ込むようになった「偉大な経済大国・日本」の自己イメージであり、
「勤勉で有能で規律正しい日本人」の自画像である。そしてそれを裏づける統計数値や
評価尺度が、官僚機構から発表され、マスコミ等を通じて流され、一部言論人によって
増幅されている。
 たとえば、最初に並べた「経済大国」を示す諸数字だが、これ自体は正確であり何の
作為も含まれていない。しかし、このことから日本は「経済効率のよい国」、「世界に
広めるべき優れた経済体制をつくり上げた社会」という印象まで植えつけたのには、
数値の選択と報道の仕方に依存するところが少なくない。
0326堺屋太一垢版2017/01/08(日) 17:52:53.00ID:fc4YCWj0
工業の各分野で見られ、そしてそれが「日本の経済力と技術力は世界一」
という自負を生み、「日本こそ効率のよい優れた社会」という自己評価を定着させている。
 しかし、それは日本の一面に過ぎない。もう一度、元に戻って日本の全体像を見ると、
また違った「実態」が見えてくる。
 現在の為替レートで換算した一人当たり国民総生産では、日本は世界第一流の高さだが、
それぞれの国の生活費などを加味した「実質国民総生産」で見ると、日本と旧西ドイツと
アメリカとはほぼ同じだ。日本銀行の国際比較統計などでは、日本よりも旧西ドイツやアメリカ
のほうがわずかながら高く、イギリスやフランスはやや低いといった数値になっている。
為替換算よりもずっと差は少ないのである。
ところが、一九九一年九月の日本生産性本部の調査によれば、勤労者一人当たりの生産性は、
日本は主要先進国のなかではスウェーデンに次いで二番目に低い。この国の就業率は四九パーセント、
先進諸国のなかでも断然高いのだ。
 しかし、日本の労働時間は一九九〇年で年間二千四十四時間、アメリカに比べて一割、イギリス、
フランスより二割、旧西ドイツと比べれば何と三割以上も長い。長い時間働いているのに、
勤労者一人当たりの生産性はいたって低いのである。
 通勤などに費やされる時間を加えた労働拘束時間で見ると、この差はさらに大きく、日米の差は
二割、日独では四割以上にもなる。大雑把にいえば、日本人が一年かかって行う生産を、同じ
時間ずつ働けば西ドイツ人は八ヵ月、アメリカ人は十ヵ月で仕上げる勘定だ。
このため、勤労者が自由に使える「可処分時間」は、ドイツ人のほうが日本人よりも三倍も多い。
とくに東京都市圏では通勤時間の延長で、一般勤労者の「可処分時間」は極端に少なく、七〇年代
から八〇年代にかけての十年間に、睡眠時間さえ十八分も減少している。
 日本が一人当たり国民総生産が多いのは、この国の社会と企業が効率的だからではなく、大勢が
長時間働いているからに過ぎない
0327堺屋太一垢版2017/01/08(日) 17:58:09.37ID:fc4YCWj0
生産面での 技術ばかりでなく、日常生活での電子技術の普及も著しい。
 日本は経済以外に資金と労働力を費やさない国である。防衛費はGNPの一パーセント、アメリカの
六分の一、西欧諸国の四分の一以下だ。軍務に服する人の数も全就業者の○.三九パーセント、
欧米に比べて全国民に占める比率は二分の一から五分の一に過ぎない。宗教関係の支出も人員も
少ない。この国では僧侶も神官も大半が副業として行われており、宗教が経済活動に支障を
きたすことはごく少ない。そのうえ、ボランティア活動も低調で、それによって企業の運営が
妨げられることもない。要するに日本は、防衛も宗教も顧みず、ただひたすらに経済のために
資金と人材を集中しているのである。
今日の日本は技術が優れ労働の質がよく、国民全体がよく教育され、近代機器に親しんでいる。
経済以外にはお金も人も使わず、大勢の人々が働き盛りの年齢で実際にも就業しているといる
という、このうえもなく恵まれた条件にある。それにもかかわらず、労働拘束時間当たりの
実質生産額でいえばアメリカや旧西ドイツよりはるかに低い。フランス、イギリス、スペイン
よりも下なのである。これはいったいどういうことだろうか。
 一方では、日本の工業製品は、高度に自動化された工場で忠誠心あふれる勤労者によって
つくられるため、コストも安く品質もよいといわれながら、国全体として見れば、これほどまでに
効率が悪いのは何故か。それは、この国の工場は効率的であっても、それ以外の面に巨大な
無駄があるからに違いない。
0328堺屋太一垢版2017/01/08(日) 18:39:20.25ID:fc4YCWj0
(中島委員)
堺屋先生に伺うが、内陸の経済発展させることについて、製造業なりの産業が出てこな
いと、なかなかサービス化を一気に内陸に進めるのは難しいのではないか。経済規模とし
て中途半端な状態では工業化もならず、ましてサービスもそれなりの規模の経済が発展し
なくてはなしえない。
(堺屋委員)
世界中の歴史を見ると、工場から発達した都市はあるのだが規模は小さい。大部分はサ
ービス業から発達した都市である。サービス業から作るとすると、かなり所得の高い人が
移動するようなサービス業をつくらなければいけない。従って、ラスベガスかマイアミビ
ーチという話になる。本気で中国人が工業化し日本と同じぐらいに自動車を乗り回すと地
球環境がもたないため、むしろサービス業を進める必要があ
0329堺屋太一垢版2017/01/09(月) 03:21:53.94ID:qf+sYcaK
/// 最適工業社会の繁栄と限界 99 ///////

 つくるほどに使わない世の中で、生産性が上がれば供給過剰になり輸出超過に
ならざるを得ない。それで得た資金を使わないとなれば資金過剰、結局は外国に
投融資するか、日本の限られた投資対象に集中するかのいずれかだ。この結果は
欧米における対日批判であり、国内での土地と株とゴルフ会員権と書画骨董の
暴騰である。

絵画
0331堺屋太一垢版2017/01/22(日) 15:19:22.41ID:eL8UzYQt
/// 日本における「文明の犯人」 63 ///////

 建築物にしても、細部の施工は何とも見事だ。たとえばパネルの貼り方
などはじつにていねいで、床のタイルもセンター(中心)から両側に貼り分けて
双方の隅に同じだけ余らすようにする。外国では一方から順番に貼っていって、
半端は片側にだけ残す例が多い。それでも両側が同時に見えない広い
部屋では、違いもわからないし、何の影響もない。しかし、日本の専門家たちは、
そんな「横着」をけっして見逃すことがない。
その半面、ビル全体を見ると、外国のほうがむしろ格好がよい。さらに
街全体となると外国の街はじつにきれいに映える。細部を重視する日本では、
細部担当者の意向を抑えて全体調整を行うことが難しいからだ。
 このことは組織そのものにも影響している。日本の組織は、トップのコントロール
は弱く、部課長や係長の権限が強い。細部を担当する下部にこそ権限がある。
資源が不足しているなかで、勤勉を重んじ労力を猛烈に投入してきた徳川時代、
とくに享保以降の日本人の思想が、そこにも反映されているのである。
今日、日本の工業製品の輸出競争力の強さの秘密は、この細部のよさ
である。トータル・デザインを外国から導入して、細部を日本的勤勉さで
製作すれば、品質良好な製品が生産できる。逆に、外国製品が日本で
売れない理由の一つは、細部の悪さ、小さな故障の多さにある。これから
日本が世界的な市場になるためには、そうした日本市場の特殊性を
知らせなければならない。また、その特徴は最近生まれたのではなく、
日本の歴史と伝統に根差したものであることをも知らせる必要があるだろう。
 日本の直面する経済摩擦には、集団主義や成長志向による供給者側の
問題点ばかりでなく、この国の消費者の独特の美意識もまた、大きな要因に
なっているのだ。
0332堺屋太一垢版2017/01/24(火) 16:53:41.93ID:LxZ2Zr0p
格差是正の規制強化か、経済合理化を貫く競争促進か? これは人類史上絶えることのない課題である。それが今、日本でも重大な問題となっている。
・ 大切なことは、これを論じるに当たって3つのことを正確に知っておくことだ。
 @現実にどのような格差があるのか。
 Aそれはどのようにしてできたのか。
 B世界はどのような方向に流れているのか。
◆1980年代
@ 日本は経済の高度成長にもかかわらず格差は縮み、都市化しても犯罪は増えず、給与差は少ないのに社員は皆勤勉、学歴による所得差は小さいのに少年たちは受験勉強に熱心だった。
A 一方で、選択の自由も個性を発揮する道も封じられ、ひたすら日本式ルールを守ることを強いられていた。幼少期に戦争の恐ろしさや戦後の
物資不足を経験した団塊の世代以前の日本国民には、それもさして苦にならなかった。冷戦対立の状況下では、あえて咎める外国もなかった。
  ◆1990年代
@ バブル景気が弾けて成長が止まり、いろんな分野にバラまかれていた格差解消の原資がなくなった。財政も企業も家計も、非効率事業や過剰人員を養う余裕を失ってしまった。
A 冷戦が終わったことで世界の目が厳しくなった。グローバル化の波が、この国だけを例外とすることなく押し寄せてきた。
B 人類の文明が「物財の豊かさ」こそ幸せと信じる工業思想から、「満足の大きさ」が幸せと考える知価思想に変わった。加えて、この国でも物財不足など知らない団塊ジュニアが社会に出るようになった。
0333堺屋太一垢版2017/01/24(火) 16:54:37.06ID:LxZ2Zr0p
◆日本の3つの格差
@ 親の顔による「人脈格差」
 国会議員や俳優・芸人などの2世ブームに象徴される親の顔による格差だ。ここで注意すべきは、資本主義にもかかわらず財産相続による世襲は必ずしも増加していないことだ。この国の二世は、親譲りの財産によるものではない。
政界や選挙区、テレビ関係者や芸能界で親が築いた人脈によって引き立てられた人びとだ。いわば「人脈格差」ともいうべきものである。
A 「職縁人」と「無縁人」の格差
 最近目立ち始めた正規社員と非正規社員、つまり官公庁や大企業の組織に入り込んだ「職縁人」と、そうではない「無縁人」の格差である。
 いつの時代でも、短期雇用の低賃金労働者は存在し、雇用者数を調整できる臨時労働力は必要である。この国では、それを職縁社会に入り切れない「無縁人」に押し付けることになった。
 低賃金で雇用も不安定な「無縁人」には同情を禁じえない。しかし、官僚規制によって日雇い派遣などの臨時雇用をなくせば、この国の産業は高コストになり、社会の質の劣化と職場の海外流出を招くだろう。日本全体が貧しく不便で住みにくい国になるに違いない。
B 官僚が創った地域格差
 東京圏とその他地方間の地域格差だ。これも21世紀になってからすさまじく拡大している。
 日本では「有機型地域構造の確立」を目指す強烈な国土政策が行なわれてきた。それは頭脳機能を東京一極に集中する、地方は手足の機能に徹せしめるというものである
0334金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/01/26(木) 15:59:35.95ID:KzWElRW0
昔は繊維産業は全部大阪にあったんです。陶磁器産業は名古屋にあったんです。
それを全部、規格大量生産のために大阪にあったアパレル産業も化繊産業も東京に移した。
1960年代に大阪の繊維産業を東京へ連れてくることが(通産省の)大目標だった。
日米繊維交渉の時に当時の繊維局長が、「敵は米国ならず大阪なり」という看板まで局長室にかけて、
断固として大阪の繊維団体を持ってこいと言って。
当時旭化成の社長をしておられた宮崎輝さんを会長にして、屋上屋の日本繊維産業連合会をつくって、
宮崎さんが大阪の家を払って東京のマンションに住むと。
銀行でも、銀行協会会長は東京に本店のある銀行でなければならない。
したがって大阪に本店のある住友銀行と三和銀行、名古屋に本店のある東海銀行にはささない。
規格大量生産するためには東京ですべての規格を決めて、東京に放送局を集めて、キー局は東京以外には認めない。
そして東京からコマーシャルを流したら北海道から沖縄まで同じものが売れる。
頭脳機能「経済財政の中枢管理機能」「情報発信機能」「文化創造活動」の3つは東京以外でしてはならない。
大阪歌舞伎座は潰さなければならないとして、実際潰した。大阪のものは芸術祭には参加ささない。
(中略)
テレビの放送でも5つのもの(事件、事故、伝統行事、伝統産業、スポーツ)だけは地方発に載せてもよろしい。
例えば福岡のファッション、北海道のグルメはなかなか全国放送に載らない。そういう仕掛けにした。
0335堺屋太一垢版2017/01/26(木) 16:00:17.31ID:KzWElRW0
■「ベルサイユ化」抜け出せ

 基本的に言えば、安倍内閣は能力不足であり、同時に時代感覚が乏しい。
安倍内閣の一番の体質的な欠点は「ベルサイユ化」なんです。

 ベルサイユ化とは、フランスのルイ14世がパリを離れてベルサイユ宮殿を建てた。
それから100年くらいたったルイ16世のころになるとベルサイユ宮殿には王様と
取り巻きの貴族や官僚が集まり、全国で暮らす庶民のことは全く知らなくなった。
自分たちの贅を極めた生活がすべてだと思い込んでしまった。

 安倍内閣は2世、3世議員ばかりで、そのほとんどが地方に住んだ経験のない東京生まれ、東京育ち。
今世界で最も変わっていない時代遅れの場所は東京です。東京にいる限り、規格大量生産時代から
ずっと変わっていないビルはどんどん建つし、土地の値段もそこそこ高いし、消費は盛んだし、若い人は集まっている。
だから地方都市のシャッター通りや高齢化なんかの話の実感がないんですね。

 安倍内閣が再生するにはまずベルサイユから出ることです。
今度の内閣改造でベルサイユ型から抜け出せなければ国民はがっかりするでしょう。

 地方はものすごく変わりました。衰退するという意味でも、高齢化するという意味でも、国際化という意味でも、
変化をひしひしと感じる。ニューヨークやパリ、フランクフルトなら先端的な変化を感じる。
人種が混合し、(知恵を生かして価値を生み出す)知価産業が起こり、大企業がファンドに買収されている。
だが東京は官僚規制に守られて移民も企業買収も少ない。
そこだけで暮らす安倍内閣は世界の文明の変化からも地方の衰退からも孤立している。
そのことをご本人も取り巻きも霞が関の官僚も分からない。

 東京しか知らないから地域格差は自然に生じていると思っている。
でも世界の中で1980年以降、首都圏の経済、文化の国全体に占める割合が高まっているのは日本だけなんです。
自然に任せていたら地方分散になる。逆に言うと、日本は大変なお金と権力で東京に集中させている。
これをやめなければいけない。それが東京にいる人たちには分からないんですよ
0336堺屋太一垢版2017/01/26(木) 16:11:26.85ID:KzWElRW0
逆に言うと、日本は大変なお金と権力で東京に集中させている。これをやめなければいけない。それが東京にいる人たちには分からないんですよ。自分たちが地方分散を出来なくしているという意識がないから、
役所の権限を強化してお金をばらまいてやろうという発想になる。こういう矛盾した事態になっていることが実感として首相に入っていない。
 小渕内閣、森内閣まではそんなことはなかった。地方に根を生やした政治家、その周辺には地方の実業家も政治家も農協さんも建設業者もお医者さんもいて、国会へ持ち寄って「うちのところはこういうことになっている」と言い合って、
悪い言葉で言えば「族議員」がそれぞれの官庁を監視していた。だから官僚の自由にならなかった。ところが小泉前首相の時代になって、各省の状況に詳しい族議員を辞めさせてしまった。
 安倍さんは首相官邸主導といって有識者会議をたくさん作っているが、会議の意見はまとまらず官僚主導の答申になる。大勢の委員に思いつきを言わせておいて、結局は事務担当の官僚がまとめる。
有識者会議は官僚主導のための隠れ蓑(みの)になりやすいんです。それを安倍さんがわからないのは、
官僚が自分の味方だと思っているからでしょう。官僚は敵ではないが味方でもない。官僚機構のための官僚であって首相のための官僚機構ではない。
 まず官僚依存をやめないといけない。そのためにはこの人が医療に詳しいとか、この人は財政に詳しい、この人は税制に詳しいという有能な政治家を育てていかなければいけません。
0337竹中平蔵垢版2017/01/28(土) 20:35:23.08ID:0quIln5g
名言集を読んでいて、おもしろいことがわかった」と竹中氏は言う。
「経済や法律、政治に関する名言はそこまで多くない。圧倒的に多い名言は男女の問題。そして、その次がお金について。例えば、イタリアのベルルスコーニ元首相は
『なぜ私が女性にモテたのか、それは金を持っていたからだ』という言葉を残している。ドストエフスキーは『金、金とは鋳造された自由』と表現している。お金というものは圧倒的な存在感を持っている。
お金がなくても幸せな人はいるが、お金があることによっていろいろなことができるようになる。人生の中で、お金と正面から向き合うことは重要なことである。アインシュタインは『宇宙で一番力の強い論理は金利の複利計算だ』と述べている」(竹中氏)
金利の複利計算とはどういうことか? 例えば、資産を年7%の利回りで運用していったとすると、10年で資産は元の2倍になるということになる。
「私たちは、1%でも所得を増やし、資産を1%でも高い利回りで運用することに対して、もっと真剣に考えなければならない。資産を金利で儲けるのは怠け者のすることだと、
批判されることがあるが、日本はこれまでのように額に汗して働くのでは、発展途上国に勝てない状況になっている。
これからは、額ではなく、脳に汗する仕事が大事になってくる。所得には、労働所得と資産所得の2通りがある。日本には1500兆円の資産があるはずなのに、
それをうまく生かせていない。まず、労働所得で資産を貯め、それを運用して1%でも利回りを高くするよう考えなければいけない」(竹中氏)
竹中氏によると、GDPに占める資産所得の割合は、アメリカは2割なのに対し、日本はアメリカの10分の1以下だという。その理由は「低金利だということ以上に、株式や投資信託を避け、銀行預金による資産運用だったからだ」
0338金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/01/28(土) 20:39:25.31ID:0quIln5g
「日本は経済的に豊かな国」という誤解
「日本における一人あたりのGDPは世界で20番目くらい。これは先進諸国30カ国の中だとBクラス。ルクセンブルクやノルウェーなどと比べるとGDPは半分以下である。これは、決して豊かだとは言えない」(竹中氏)
「日本は大量の借金をしている」という誤解
「日本は大量の借金は背負っていない。ギリシャは外国に借金をしているが、日本は政府が国民に借金をしている。例えるならば、旦那さんが奥さんに借金をしているような状況」(竹中氏)
「日本人はよく働く」という誤解
「日本の製造業の労働時間は、アメリカと同じくらい。韓国と比べると3割くらい低い。統計に表れないサービス残業もあるだろうが、思い込んでいるほど世界の中で働いているわけではない」(竹中氏)
「日本人はもっと消費をすべき」という誤解
「日本人はもっと消費をすべきだというのはうそ。昨年、家計の貯蓄率はマイナスとなっており、これは予想通り低くなったと言える。
人口が高齢化すると、貯蓄率は低くなる。消費が進まないのは財布が小さいから。つまり、稼げなくなってきているからということ」(竹中氏)
では、どうすれば稼ぐ力をつけられるのだろうか?
「稼ぐ力をつけるには、マーケットで競争力を持たなければいけない。その方法はただ一つ、競争すること。競争しないと競争力はつかない。
アベノミクスの支柱とされているTPPによって、たくさんの競争力のあるものが輸出入できるようになる。そして、この競争を高めるために必要なことが規制緩和だ」
TPP以外にも、日本では徐々に変化が起きている。
「これまで日本の農業は、企業が参入できないことから輸出もできず、IT投資も遅れているといった状況だった。これは医療の分野でも言える。
日本では過去36年間、新しい医学部は一つもつくられていない。それが36年ぶりに成田空港の近くにできることになった。また、インフラの運営権を民間に売る動きもある。
東日本大震災で津波の被害にあった仙台空港は、地域開発の拠点として、東急建設と前田建設に運営が任されることになった。関西空港も、オリックスとフランスのヴァンシが第一交渉権者として確定している。
これは、世界でも注目されているコンセッションだ
0339竹中平蔵垢版2017/01/28(土) 20:44:12.79ID:0quIln5g
どうして世界の歴史の中で、イギリスが最初に産業革命が起きたのか? それは、Rule of the law(ルール・オブ・ザ・ロー)、すなわち法の支配を最初に確立したから。
法の支配とは、自分ががんばって稼いだお金は自分で自由にできるということ、
すなわち自分の権利が守られているということ。この法の支配があるから、安心して経済活動に取り組める。中国の最大の課題は法の支配が確立していないことだ。
中国は、今回の株価の低下は乗り越えるだろうが、今後5〜10年のタームでみると、必ず成長率を落としてくるだろう」(竹中氏)
竹中氏は「これからはどの国の経済もイノベーションを起こさないとやっていけない時代。イノベーションが起こせるかどうかで変わってくる」と話す。
「イノベーションは自由が保証され、権利が確立されている社会で生まれる

日本に来る外国人観光客は昨年1300万人だったのに対し、今年は1900万人を超えると言われている。さまざまなチャンスの最後の決め手が2020年の
オリンピック・パラリンピックだ。今アジアには中間所得層が5億人いて、2020年には17.5億人になると予測されている。
新幹線ができたのは、当時のオリンピックが発展途上国型のオリンピックだったからであるが、今回は違うだろう。一体何が生み出されてくるのか、それは政治家にもジャーナリストにも学者にもわからない。
それを経済の中で皆さんが手探りで探していくことが重要なのではないだろうか。過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる
0340金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/02/01(水) 21:39:10.45ID:ibC5HfGt
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル  総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,
   ~i_ンイノ
0341植草垢版2017/02/16(木) 14:25:47.99ID:o0UdSvmz
財務省は「日本財政が危機だ」という風説を流布し続けてきた。
しかし、これはまったくのデタラメである。日本政府は1000兆円の債務を抱えている。
「だから、危機なんだ」という風説を流布してきた。しかし、「危機なんだ」は真っ赤なウソである。
「1000兆円の債務」は本当だ。本当の数字を都合よく使って、真っ赤なウソを流布する。
極めて悪質な手口である。2015年末の日本政府のバランスシートが発表された。
たしかに日本政府の借金は1000兆円ある。正確に言うと、政府債務は1262兆円。
このうち、1008兆円が債務証券だ。しかし、財務省が絶対に公言しない、もう一つの重大数値がある。
政府資産残高だ。2015年末の政府資産残高は1325兆円。
内訳は非金融資産が691兆円、金融資産が634兆円だ。
資産残高から負債残高を差し引いた「正味資産」は63兆円。東芝と異なり、日本政府は資産超過なのだ。
0342金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/02/26(日) 17:07:44.67ID:kJbI4qBs
賭け―どのようにあなたのお金がウォール街に流れるか」との題目をつけ、ヘッジファンドへの批判に紙幅を割いた。
ヘッジファンドが多額の運用報酬を得るにもかかわらず、コストが安く市場全体の値動きと連動するS&P500種のインデックスファンドよりも
2008年以降の運用成績が劣っていると指摘。バフェット氏の試算では「過去10年で1000億ドル(約11兆円)以上も無駄にしている」と厳しく言及した。

バフェット氏は、しばしば市場平均を下回る成績にとどまるアクティブ運用ファンドに高い手数料を払うより、割安なインデックスファンドを利用した方がほとんどの投資家は成功する、
と考えている
0343司馬遼太郎垢版2017/02/28(火) 18:45:30.88ID:XhwkzbLR
・司馬
私は関東に対して劣等感がありましてね(笑)どうも関西というのは低くて関東は高いと思うから、つい悪口を言いたくなるんです。
日本の場合はキリスト教も入らず、儒教も薄くしか入らなかったものですから、モラルというものはがっちりした形では入らない。
そういう意味から言いますと、関東の武士たちの価値基準というのはただ一つといっていいくらい。つまり恥ずかしいことはしない。
「名こそ惜しけれ」といいますか、それが非常に強烈な倫理として全日本を支配したわけで、その気分はいまでも関東にあるわけです。
栃木県なんかにもあるわけですね。
・ライシャワー
私はこう見えても関東生まれでしてね(笑)それで生まれたときから、どうも上方に対しては偏見を持っている。
つまり司馬さんがおっしゃったのと全く逆の形の偏見でして、若干優越感めいた偏見を関西に対して持っている。
・司馬
私の素朴な関東への劣等感というのは、関東は善に対して興奮するところだと思っているんですね。
関西は現実的で何をしでかすかわからない、ルールがはっきりしない、そういう劣等感があります。
同時にそれはときどき開き直りになりますが、それの伝統の始まりは、やっぱり平安末期の関東武士の成立でしょうね。武士のモラルだと思います。
・ライシャワー
先ほど私、上方に対して偏見を持っていると申しましたが、ちょっと誤解があるといけませんので申し上げますが、それはあくまでも子供のときの偏見であったということですね。
実は私は京都に一年間住んで、あの京都の一年間というのは、私の人生の中で最も素晴らしい一年に属していると思うんです。
(司馬遼太郎『東と西』P107-109、1980年の『週刊朝日』の対談より

故司馬遼太郎さんはこの料亭をよく使われていたそうですが、「ただむずかしいのは・・・博物館にあるのではなく、
世の経済の上に成立していることである。世が変われば、その経済は失われ、その思想も消滅するかもしれない。・・・」(大和屋歳時より
0344竹中平蔵垢版2017/03/11(土) 14:10:21.15ID:pSPDblG+
「低賃金分野から、高賃金分野へと労働力を移すことも必要でしょう」 −竹中平蔵
労働市場の再建のために、すべきことはたくさんあります。今日もまだ終身雇用、年功序列という日本特有の制度に忠実な会社が存在しますが、
産業構造とマクロ経済の急速な変化を受けるなか、より柔軟な労働市場が求められています。
たとえば日本国内の開業(起業)率を見ると、アメリカに比べて半分程度と大変少ない。閉業率もアメリカの半分程度の水準です。
経済の代謝率が低いことを示すデータとしてみることができますが、日本の経済成長率が低いのはこの代謝率の低さに関係しています。
内閣府は、2016年度の経済成長率は1.3%、2017年度には1.5%になるだろうとの見通しを公表しています。
日本経済も緩やかに安定的に回復していますが、成長率そのものは依然として低い。この代謝率を上げていくことが必要ですから、
労働市場の再建、特に労働者のスキル向上がとても重要です。生産性の低い分野(低賃金分野)から、
生産性の高い分野(高賃金分野)へと労働力を移動させることも必要です。


「女性就業率が男性と同等になると、GDPが15%上がります」 −竹中平蔵
――ダイバーシティを受け入れるための施策を投じる企業が増えていますが
「ダイバーシティ」は、労働市場や産業組織を考える上で、とても重要なキーワードです。
先ず、女性の就業率はまだ低く、能力の高い女性に就業機会を与えることが求められます。女性の就業率が、男性と同等まで引き上げられると、
GDPは15%伸びます。とても単純な試算です。
次に、マルチステークホルダー型の意思決定、合意形成について。多様な利害関係者が参加することで、効果的な決断ができます。
多くの日本企業の経営者らが共感を示していますが、日本の社会には兼ねてから先進的な思考の推進に抵抗を示す人たちがいて、
その抵抗感が税金制度や年金制度にも映し出されています。日本政府にとってはそうした制度を変えていくことが重要な課題です
0345竹中平蔵垢版2017/03/11(土) 14:12:26.45ID:pSPDblG+
最後に、移民の受け入れについて。最も重要なダイバーシティ課題です。多くの人が「移民」という単語にアレルギーに似た抵抗感を示します。
ヨーロッパでは、セキュリティー(安全)などの面で深刻な問題に直面しています。
安倍首相は、そうした問題点と労働人口不足の双方を深く理解していますので、(「移民」ではなく)「ゲストワーカー」誘致の方針を示しています。
経済特区という考えもあります。東京はそのひとつですが、東京、神奈川、大阪の3都府県では、家政婦、ヘルスケア、
ヘルパーなど介護サービス分野に限って外国人労働者を積極的に受け入れることを検討しています。ステップバイステップではありますが、
ダイバーシティ課題は積極的に協議され、解決に向かって進歩しています。
およそ10年後には日本の人口が毎年100万人ペースで減少します。私は和歌山県に生まれましたが、和歌山県民がおよそ100万人です
。毎年、都道府県が1つずつ無くなると考えるとわかりやすいかもしれません。そういった状況ですから、
移民受け入れについての議論を避けて通ることはできないのです。


「第4次産業革命に向かって、日本の環境整備が進みます」 −竹中平蔵
――第4次産業革命に向けて、日本も進化するでしょうか

日本の産業に第4次産業革命を取り込むためには、労働市場も変わらなくてはなりません。終身雇用や年功序列に
囚われない柔軟な雇用環境が求められますし、何より人材の育成が不可欠です。
急速ではありませんが、日本でも環境整備が確実に進められていますし、政策会議の場でもその動きが見られています。
0346金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/03/28(火) 14:14:04.64ID:JQMuBX6j
彼らの大義名分は、弱者保護と危険防止である。
しかしながら、官僚たちが禁じていることこそ、実は最も有意義なことなのだ。デリバティブがその典型である。
世界的にデリバティブ取引が普及したのは、1986年のビッグバンが契機だ。デリバティブとは、常に変動する社会の中で安定的な投資と経営をするために考え出された人類の英知の産物だ。
とかく官僚は、統制によって価格の安定を図ろうとするが、技術の変化や気象の変動にはついて行けない。旧共産圏の悲劇がそれを示している。
そこで、価格の変化を許容しながら、経営と生活をより安定させるために考案されたのがデリバティブである。
たとえば服地を生産する際、将来的にその生地が安くなる恐れがあれば、先物で売っておけばいい。これがデリバティブの根源的な機能であって、いわゆる保険取引なのだ。
さらに言えば、経済を安定させるうえで基盤となる取引であって、これが存在しない世の中は実経済自体が投機的になってしまう。
0347堺屋太一垢版2017/03/28(火) 14:14:51.95ID:JQMuBX6j
デリバティブのもう一つの利点は、価格の決定に誰もが参加できる点にある。たとえば石油のように、通常なら一般市民が値決めに参加できないものでも、
デリバティブなら取引に参加することが可能だ。たとえ現物の石油や備蓄する貯蔵施設がなくても、
明らかに今の値段が高すぎる(安すぎる)と思えば、売り(買い)の注文を入れて、自らの判断が適切かどうかを占える。
えてして官僚的な政治は、規制・統制・取り締まりで面白くない世の中をつくりたがるものだ。対照的にデリバティブは、
全員参加型の値決めで面白い世の中をつくるのに一役買っている。だからこそ、官僚たちから規制を受けがちなのだ。それどころか、「デリバティブは投機的な行為だ」という悪宣伝もされる。
しかし、実際のデリバティブは、公開が原則で誰でも参加可能な取引であり、極めて公正なものだ。対照的に、官僚による統制や一部の大企業による値決めは、
価格の決定権を市場から奪い、巨大な無駄を生む危険がある。そのことをわれわれはソ連で実見したはずだ。
選挙においては、より多くの人々が投票に参加するほど民意を的確に反映した結果がもたらされる。同じように、
デリバティブも数多くの投資家が取引することで、民意を反映した価格決定が行なわれる。デリバティブは万人が自由に参加できる公開公表の市場なのだから、選挙で投票に赴くように、気軽に利用していただきたい。
0349堺屋太一垢版2017/03/28(火) 14:35:41.33ID:JQMuBX6j
──社会において芸術はどのような役割を果たすとお考えでしょうか
 ニーチェは「芸術こそが至高のものである」と言いました。要するにこの世で最高のものがアートであり、人間を人間たらしめているのがアートだというわけです。
あるジャーナリストが被災直後の東北に入って何がほしいですか、と聞いたらある人は「食べ物がほしい、水がほしい」と言い、ある人は「歌がほしい」と言いました。
つまり、人間らしく生きたいということです。それがまさにアートで、その人にとっては歌だったわけです。それは絵画であったり彫刻であったりもするでしょう
2番目に、アートというのは見えない力でもあります。人を惹きつける力があるということですね。有名な話では、
アフリカの貧困を救うために、コロンビア大学のジェフリー・サックス教授が世界を説得して回った話があります。取り組みは遅々として進まなかったのですが、
そこにある時、ロックバンドのU2のボノが感銘を受けてプロジェクトに加わったら、物凄い人が集まり出しました。
アートは生産されて売っているモノとは、根本的に違うところがいくつかあります。私たちの賃金というのは、
生産性とともに上がるので、自動車であれば生産性の上昇とともに、車をつくっている人の賃金はどんどん上がっていきます。
でもアートの生産性が上がるかといえば、かつて100人でやっていたオペラが今なら5人でできる、なんてことはあり得ませんよね。
0350堺屋太一垢版2017/03/28(火) 14:36:21.07ID:JQMuBX6j
 つまり生産性が上昇しないので、アートをやっている人が生きていくためには、どんどん料金を上げていかないといけなくなります。
そうすると、一部の超お金持ちしかアートを楽しめなくなります。それでは困ってしまうので、国の助成や寄附を免税にするなど、社会のメカニズムが必要になります。
もう少し経済的な観点でいうと、いま世界の産業ではものすごく、クリエーティビティー(創造性)が求められているんですね。その源泉こそアートです。
だからクリエーティブな経済をつくるのと、社会でアートを発展させるのは、実はコインの表裏みたいなところがあるわけです。
──日本でもっとアートを普及させるために、制度面からなすべきことは何でしょうか。
アートは生産性が上がらない分、どんどんコストが高くなっていきます。その対応のためにはある程度、国と民間が出さないといけません。
日本の問題は両方ともやっていないことです。約540兆円のGDP(国内総生産)の国で、文化関連予算は1000億円しかありません。これは国民の1人当たり支出でフランスの10分の1程度なのです。米国は文化予算の割合こそ日本の4分の1ほどですが、
代わりに徹底した寄附控除の税制が整っています。  日本の政府予算の配分はやっぱりおかしいんですよ。
予算配分の理由付けをするために、いわゆるエスタブリッシュした(権威付けされた)人ばかりに予算がいく仕組みになっている。伝統的な邦楽などが典型ですが、
これは既得権益なんですね。過去の箱物行政もそうでした。実は気がつけば、日本には美術館と音楽堂だけはたくさんあるんですよ。
音楽堂なんて笑ってしまうほどあって、1990年代の10年間に1000造られました。年間100、つまり1年約50週なので毎週二つずつできた計算です。美術館も2週間に一つずつのペースで増えていきました
0351竹中平蔵垢版2017/03/28(火) 14:37:14.99ID:JQMuBX6j
1990年代の本来やるべき不良債権処理などを先延ばしして、当面の公共事業ばかりやっていた
政策の表れが実はここに出ている。でも箱だけつくっても、それを運営するノウハウもありません。運営にはお金が要るのに、そのお金もないので空き箱になっているわけです。あの投資は本当にもったいなかった。でももう取り返しはつきません。
---米国型は寄附で税額控除一人ひとりが文化を育てている
だから米国型はすごく理想だと思います。寄附を税額控除するのは、国が助成しているわけですが、
何に配分するかは民間が決めているのです。国の補助金は、何に配分するかを国の役人が決めているんですよ。(アートの良し悪しを国の役人が)分かるわけないじゃないですか。
税は政治そのものなので簡単には動きませんが、だからこそ私は一人ひとりがプチパトロンになって文化を育てていくのが重要だと思います。
──アーティストが食べていくのは厳しい、というのは経済的に考えて宿命のようなものなのでしょうか。
面白い議論があって、アーティストこそ貧富の格差の極致なんですよね。みんな格差に文句を言うのに、なぜアーティストは言わないのか。一つは本当に美を愛し、経済的価値以上のものを見いだしているから。
0352竹中平蔵垢版2017/03/28(火) 14:38:10.67ID:JQMuBX6j
もう一つ、どういう人がスターになるか考えると、もちろん一定以上の能力がないといけませんが、かなり偶然が作用するといわれています。
例えばピアノのコンテストで6人弾くと、ほとんど5番目の人が優勝しているとの統計があります。これは料理でいうとオードブルでもないしデザートでもない。
メーンディッシュということですね。つまり一定以上の能力者の中で誰がスターになるかは偶然も作用する。すると自分も可能性があると思えるわけです。
――ご自身も美術のコレクターなのでしょうか。
美術は水彩画を少しだけ、コレクターというほどではありませんが、亡くなられた佐原和行さんの作品を数点もっています。私が大臣のときも、
佐原さんの絵を何枚か大臣室にかけていました。経済財政担当大臣のときも、金融担当大臣のときも、郵政民営化担当大臣のときも、総務大臣のときも、ずっと掛けていましたよ。
 一瞬ベイカント(空っぽ)にしてくれるんですね。物凄いプレッシャーや考えないといけないこととかで頭がぐるぐるしているときに、ふっとベイカントになれる。
実はバケーション(休暇)ってベイカントから来ているんですね。心と体を空っぽにする。それによって原点を見つめ直すみたいなところがあるわけです。
0353竹中平蔵垢版2017/03/28(火) 14:39:06.22ID:JQMuBX6j
----日本の1人当たり所得は今や世界20位台思っているほど経済的に豊かじゃない
――経済学者でアートに造詣の深い方は珍しい気もします。
私は実はもともと、ミュージシャンになりたかったんですよ(笑)。大学の時にマンドリンクラブで指揮者をやっていて、自分で編曲したり、プロの打楽器奏者に打楽器を習ったりしていました。音楽で飯が食っていけたらいいなと心から思いましたが、
やっぱり自分の才能じゃ音楽では食っていけないと。そう思って、同じカタカナ商売だけどやむを得ずエコノミストになりました。プロでやっている人はすごいと思いますよ。すごく生活が不安定な中でも、美を追求しているわけですから。
私はよく冗談半分、本気半分で言うんですが、経済学者なんて大したことはないと。なぜなら、経済学者はいなくても経済はありますよね。でもアートは違う。アーティストがいないとアートはないのです。
アーティストというのは無から感動を創り出す、偉大な仕事だと思います。だからこそアーティストには敬意を払わないといけないと、学生たちには凄く言ってきました。
──欧米に比べて日本人は生活にアートが根付いていないとの見方もあります。それはなぜなのでしょうか。
ひょっとしたら、実は日本人が貧しいからかもしれません。GDPの1人当たり所得は為替レートにもよりますが、今や世界で20位台ぐらい。先進国30ヵ国の中で下位グループです。
それだけではないですが、思っているほど経済的に豊かじゃない、というのは一つの理由でしょう。
0354金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/05/18(木) 21:28:43.18ID:oEnYRXCx
2025年国際博覧会(万博)の大阪開催を目指す大阪府は16日、昭和45(1970)年の大阪万博開催に携わった作家で、府特別顧問の堺屋太一氏を招き、府庁で講演会を開いた。
堺屋氏は府職員らを前に「どんな万博にするのかというコンセプトやストーリーをしっかり作り、会場に大阪を表すようなシンボルを設けることが重要」と呼びかけた。
講演には、2025年万博誘致に関わる府や大阪市の職員、関西経済団体の関係者ら約250人が参加。堺屋氏は通産官僚時代に大阪万博に携わり、当時の経験などをもとに熱っぽく万博誘致について語った。
堺屋氏はこれまでの万博の歴史や変遷を振り返り、「2025年万博は、(インターネットや人工知能などを活用した)『第4次産業革命』後の世界を見せることが使命だ」と強調。
職員らに「大いに誇りを持って取り組んでもらいたい」と求めた。
0355堺屋太一垢版2017/05/23(火) 23:12:42.88ID:EzzvJElc
これは、専ら日本が、無理やり官僚主導で首都に、東京に集めてきたことを示しているかと思います。
このままで日本が進みますと、アルゼンチンの形を再現するのではないか、最近、国際的にもそういう評価が出てまいりました。
 アルゼンチンはグラン・ブエノスアイレスという、国土面積で0.13%のところに人口、機能が集中しておりまして、
特に地主階級、日本でいえば本社機能でございますが、これがそこにある。
そして、農業をやっているところ、工場をやっているところには代理人、支店しか置いていない。
このために、ブエノスアイレスに社交場ができまして、しょっちゅう顔を合わす対面情報になった。
だから、これが非常に社会を固定いたしまして、どんどんと一律化し、現在では、だれが見ても発展途上国になりました。
百年前、二十世紀の初めには、アルゼンチンは世界有数の豊かな国であります。
「母を尋ねて三千里」という小説は、貧しいイタリアから豊かなアルゼンチンを目指す話なんですが、今は全く逆になっています。
 アルゼンチンは、十九世紀には大変栄えたところでございまして、牛肉と小麦の輸出で世界有数の経済大国になりました。
だから、イタリアやドイツからどんどん移民が来る。
所得水準が高いから来て、そして、アルゼンチン・タンゴがはやってオペラがはやったというところでございました。
ところが、第一次大戦でも、第二次大戦でも大した戦争はしなかった。それで改革がほとんどなされなかったんです。
その中で、グラン・ブエノスアイレスという大ブエノスアイレス地区、
これが3600平方キロぐらいなんですが、その中にどんどん集中が進みました。
そして、市場としてもブエノスアイレスが圧倒的に有利だ、それから公共事業も進んでいる、
いろいろな機能が進んでいるから、政府は波風立てないように、改革をしないものですから、
何かつくるといったらやはり一番大勢いるブエノスアイレスだ、何かするとなったらブエノスアイレスだ、こういう格好になったんですね。
0357堺屋太一垢版2017/05/23(火) 23:14:55.68ID:EzzvJElc
その結果、地主階級がだんだん固定いたしまして、二世、三世の地主はみんなブエノスアイレスに住む。
地方で事業をやっている、牧場とか農園をやっている人も、ブエノスアイレス以外に生活の条件を持っていない。
おやじさんがブエノスアイレスに住んでいるからそのまた子供もブエノスアイレスにしか住まないということが繰り返されてまいりまして、
日本でいえば、本社機能は全部ブエノスアイレス、そして、農場のパンパにいるのは代理人ばかりだということになりました。
こうなると、対面情報、いつも社交界に集まっている人が顔を合わすものですから、
ますます保守化いたしまして改革ができないという条件が積み重なった。
この結果、不満の地方に対しては、やたらに福祉をばらまく、
これがペロン内閣なんかに象徴される、お金をばらまくことで地方をなだめて、みんなブエノスアイレスへ集めるという仕掛けになった。
 これがアルゼンチン化の悲劇でございます。
このために、今やアルゼンチンは非常に経済が窮乏し、立ち行かなくなってきている。
こういうことに日本もなっちゃならないと思っております。
0358堺屋太一垢版2017/05/24(水) 00:04:37.93ID:2gsv699e
大阪市内で府・市職員ら向けに講演し、「万博は特殊な時空間を作ることで来館者の判断を変え、意欲を立ち上げるものだ」と述べ、基礎となる明確なコンセプトの必要性を強調した。
 堺屋氏は通商産業省(現・経済産業省)の官僚時代に日本での万博開催を提案し、大阪万博の企画を担当。「70年万博は、日本が規格大量生産の工業社会だと示すことがコンセプトだった」と振り返り、
「25年万博も、コンセプトとストーリーを作り、それが揺るがないようにシンボルを据えることが大事だ」と呼びかけた。
講演を聴いた松井一郎知事は「『健康になる万博』は一つのコンセプトとしてあると思う」と述べ、吉村洋文市長も「『豊かに生きる』ことをいろんな技術、手段で徹底的に追求することが新しい方向性ではないか」と話した。
0359金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/05/29(月) 20:15:38.41ID:eNhM36XX
ベストセラー「団塊の世代」の堺屋太一氏が、団塊がリタイアした後の日本の姿を描く予測小説。
物語は、東京五輪の5年後の2026年1月から始まる。2020年の東京オリンピックを待たずして、日本経済は深い停滞期に入る。この状態に2025年に首相に就任した若き首相の徳永好伸は、「経済成長を気負わず、数値を気にせず、外国と競わず」の「身の丈の国・日本」を掲げる。
一方、それに大反対する大阪を基盤とする国政政党を率いる大阪都知事の杉下晋三久は、日本は断固「世界の主要なプレーヤー」にとどまるべきと主張し
、「日本の倫理と仕組みと仕方の全面改革」を提唱し、「三度目の日本」を作ることを目指す。これが、この小説のタイトルでもある「三度目の日本」である。
「一度目の日本」は、明治維新から第二次世界大戦敗戦(1868~1945年)までの「強い日本」を目指した時代。「強い日本」は富国強兵・殖産興業などを求めた。それは第一次世界大戦で戦勝国となった1918年頃が頂点で、その後は下り坂、第二次世界大戦敗戦をもって終わる。
「二度目の日本」は戦後日本、効率と安全と平等を倫理として豊かさを追求した日本。アメリカの豊かな物量に憧れ、絶対的な平和主義を受け入れ、理想化した民主主義を創ろうとした。
だが、それも1989年の冷戦構造の崩壊とバブル経済の挫折で壊れ、細川連立政権や阪神大震災で豊かさを求めた時代は終わる。
その後、日本経済では「失われた30年」が続き、08年のリーマン・ショックや11年の東日本大震災で「豊かな日本」を追い求めた「戦後日本」は終焉する。
そして、2026~27年には、旧体制の倒壊と新体制の誕生、倒れる者の悲鳴と苦悶、生まれ出るものの未熟と喧騒――そのようなものが渦巻くことになる。27年に日本は「どん底」から這い上がるためにも「三度目の日本」を興すタイミングなのだが……。
0360大前研一垢版2017/05/29(月) 20:28:32.23ID:eNhM36XX
・今後,人口が減り続ける日本の住宅価格は,下がることはあっても上がることは,東京都心部など一部の例外を除いて,おそらく永遠にないだろう。実際,今や大半のマンションは,
住宅ローンの支払いが賃貸に出した時の賃料を上回る。つまり,同レベルの物件であれば,住宅ローンを組んで購入した時の月々の返済額よりも安い月額家賃で借りることができるわけだ。
・フランスや北欧では,すでに40年前に戸籍を撤廃し,事実婚が社会的に認められている。そもそも,世界的に見れば,戸籍があるのは中国,韓国,そして日本だけである。
・戸籍がいかに意味がないかを示す好例は,自分の本籍地の場所を皇居にしている人が300人ほどいるという現実だ。同じく,富士山山頂を本籍としている人も300人程度いるという。本籍地をどこに移しても許されるのであれば,そんなものはなくても同じである。
・路頭に迷っても生きていけるような“生存の条件”が低くなった社会においては,ファッション,クルマ,住宅などに対する物欲や所有欲がないと,人々の生産活動に“駆動力”が生まれなくなる。それは自然界を見てもわかることで,
餌が豊富な環境に棲息している野生生物は,自分が受動的であっても生きていけるから怠惰だが,餌が乏しい環境に棲息している野生生物は,自ら能動的に動かないと生き残っていけないから勤勉になる。
・日本国債はGDP(国内総生産)の2.3倍以上も発行されている,ある意味世界で最もリスクの高い国債だ。これからいっそう少子化・高齢化が進む日本にとって,返せるはずのない莫大な借金である。
・バブルの時,日経平均株価は1989年12月29日の大納会の日,終値で3万8915円の史上最高を記録した。多くの経済アナリストは「90年春あたりに4万円を突破する」と予測し,なかには「6万円台まで行く」とぶち上げる証券会社もあった。
しかし,株価は90年に入ると下がり,10月に暴落した。誰もがバブルに酔って感覚を麻痺させていたわけで,これはITバブルの時もリーマン・ショックの時も全く同じである。
0361大前研一垢版2017/05/29(月) 20:31:01.21ID:eNhM36XX
・ハイパーインフレを避けるためには,1000兆円を超えた国の借金を返すメドをつけなければならない。その方法は,前述した三つ−@戦争を起こす,
Aギリシャのように国の歳出を4割削減する,B消費税を20%にする−のいずれかだ。それらがすべて無理なら,ハイパーインフレにならざるを得ない。
・今や世界は,いかに金持ちに自分の国へ来てもらって心地よく暮らし,安らかに逝ってもらうかという競争になっている。世界にはスイス,シンガポール,香港,オーストラリア,ニュージーランド,カナダ,
スウェーデン,モナコなど相続税のない国がたくさんあり,重い相続税を課している国の金持ちがそこに逃げるのは当然なのである。
・アメリカでは,親が要介護状態になったら躊躇なく施設を利用するだろう。自宅で介護することはほとんどない。自宅で介護するにしても離職はあり得ず,働き続けて給料の半分くらいでヒスパニック系の介護福祉士などを雇う。
デンマークやスウェーデンなど北欧諸国の場合は,寝たきり老人や認知症の老人をケアする公的な施設やサービスが充実している。
・農水省は,戦後ずっと“農民漁民省”だった。農民・漁民の利権を守り,自分たちの利権を守る役人集団だった。しかし,これからは世界の農林水産業の最適値に技術と資本を持ち込んで,日本人の胃袋に安全・安心で良質で廉価な食料を
供給する「食糧省」にならなければならない。「農地は輸入できる」と私が行ってきたのはこのことである。
・オランダは世界第2位の農業輸出国でありながら,穀物の自給率は14%で日本の半分だ。つまりオランダは,足りない食料は世界で
最も競争力のある国から安価なものを,安全・安心さえ担保されていれば,平気で輸入しているわけだ。食料安保は,世界中の国を敵に回さない限り,心配無用なのである。
・私に言わせれば,そもそも国公立大学は日本全国にせいぜい10校もあれば十分で,これほど多くの大学があるのはナンセンスだ。国際競争力が強い
スイスやシンガポールには,国公立大学がそれぞれ12校,4校しかない。それで日本を上回る1人あたりGDPを稼ぎ出し,世界的な企業を生み出している。
0362大前研一垢版2017/05/29(月) 20:32:14.59ID:eNhM36XX
・アメリカの真似をして大学を“乱造”した結果,高校生の2人に1人が大学に進学する実質的な「大学全入時代」となり,これまで中卒・高卒で町工場に入った人々が支えてきたモノづくりの技術力が維持できなくなっている。日本の職人技術は,いずれ消えゆく運命にある。
・年金問題も,デモグラフィ(人口統計学)によって,このままでは2035年に国民の3人に1人,60年に2.5人に1人が65歳以上の高齢者になると推計されているのだから,どう考えても国が破綻してしまうというkとは,
小学生が学ぶ「鶴亀算」「旅人算」でもわかることだ。にもかかわらず,国民は政府が受給開始年齢を引き上げ,次世代の負担を重くして問題の根本的な解決を先送りしていることを容認している。
・アメリカも各州が強い自治権を持っていて,条約・同盟・連合の締結や貨幣の鋳造などを除く大半のことを自分たちで決めることができる。だから州によって離婚,同性婚,ポルノ,麻薬,売春などが合法だったり非合法だったりするし,消費税率(売上税率)も異なっている。
カナダも同様で,たとえば国は英語とフランス語を公用語と定めているのに,太平洋岸のブリティッシュ・コロンビア州の学校の多くはフランス語をやめて,英語および日本語か中国語にしてしまった。
・同質的で内向きな社会は,その中に閉じこもっている分には居心地が良い。だが,次第に幼稚化し,人間として退化していく。そうやって一人一人の目線が下がっていけば,
必然的に社会や国家もまた弱体化せざるを得ない。そして,ある日突然,居心地が良かったはずの“ゆりかご”は,“墓場”へと変貌するだろう。いわゆる「茹でガエル現象」だ。
0363堺屋太一垢版2017/06/01(木) 19:53:19.59ID:7+KHhmkC
ところが、九〇年代も後半に入りまして、首都機能移転の問題が政府、審議会で議論されるようになりますと、場所の選び方と費用の問題に話題が集中いたしました。このために、
話が徐々に、東京の過密防止と地震対策に矮小化されてまいりまして、公共事業の一種と理解されることが多くなりました。これが最大の問題、間違いの始まりであります。
 このため、東京の過密防止ならば移転する人口が一定以上多くなけりゃいかない、大規模でなければならないという考え方が生まれてまいりました。
 また、場所選びということから各地が立候補なさいまして、そのために地域運動と考えられるようになりました。これは、六〇年代、富士山のすそ野がいいとかいろいろ言われたときはまさに
地域運動であったんですが、そこへ戻ってしまった。文明の変化に対応した事業ではなくなってまいりました。これに対して、東京の不動産業者及び東京で受注の多い建設業者が組織的な反対をし出したことは、むしろ当然であったと思います。
 ここで重要なことは、首都機能の移転問題の本質に立ち返りまして、経済、社会の構造変革の国家的事業として
正確な審議をお願いしたいということでございます。当委員会が新たに人数をふやし発足されましたことに、非常に期待しているところであります。
 これから申し上げようと思うことの趣旨を、一言にしてまず最初に申し上げておきたいと思います。
 東京一極集中は、一九九〇年以降の日本の経済が停滞し、社会が混迷しております重大な原因であります。これは、あらゆる検証で証明されているところであります。
 知価社会が深まるにつれまして、諸外国では、政治と行政の中心と経済や文化の中核とが分離分散する方向にあります。その中で、日本だけが全機能を東京に一極集中して、
規格大量生産型の構造の強化をしております。このために、多様な知識、知恵が創造されない。そして、迅速で安価な通信情報は発達しない。いつまでたっても対面情報、人に会わないと情報が交換できないという困った情勢になっております。
 
0365堺屋太一垢版2017/06/01(木) 20:01:01.40ID:7+KHhmkC
よく、首都機能を移せばそこにまた民間企業が集まるだろうと言う人がございますけれども、
通信情報社会が完成いたしますので、再び集中することがございません。また、これが国家の抜本的な改革になることは明らかであります。
 まず第一に、財政が決定的に改革できます。重複行政が解消し、人員が減らせる。警備が簡略化できる。
 あるいは、通信情報社会によりまして交通費が軽減できる。実は日本は、国土は狭いのですが、
民間企業総交通費あるいは民間企業交際費総額は、GNP当たりで見ますと、アメリカやドイツよりも何倍も高いんですね。この状態が解消できると思います。
 それから、建設国家という思想が崩れる。規格大量生産思想から脱却できる。
 そして、先ほど申しましたように、国有地の売却等で、建設費を除いて一兆数千億円の収入が上げられる。
 二番目には、官僚主導を完全に解消することができます。これでこそ初めて日本の改革が成り立つ。
 過去、日本の歴史の中で何度も改革を行いました。平清盛の力を持ってしても、享保の改革にしても、全部失敗でありました。
首都機能の移せない改革で成功した、進歩的改革は一度もございません。したがって、やはりこれが最終的な改革の問題になろうと思っています。
 また、建設型から生活型への思想転換、例えば、貯蓄は良で消費は悪だとか、建設はいいけれども観光はいかぬとか、そういった思想も抜本的に変わると思います。
 何よりも重要なことは人心の一新でございまして、今まさに日本は非常に閉塞感に満ちあふれております
0366堺屋太一垢版2017/06/01(木) 20:08:11.71ID:7+KHhmkC
現在におきまして、都市の競争力というのは、一番大きいのは、やはり情報の収集、発信能力だろうと思っております。
 したがいまして、ニューヨークなどは非常に情報発信能力が高いものですから、どんどんと世界じゅうからいろいろな人々が集まっておる。アメリカの場合には、
そういうところがシカゴにもできておりますし、ロサンゼルスにもできております。
全国数十の都市が情報発信機能を持っておる。これがアメリカの大きな力だと思うんです。
 例えば、今イラクの問題がいろいろと報じられておりますけれども、そのときに、アメリカ二十五都市ぐらいの新聞やテレビがどう言っているか、
そういう統計をとられるんですね。日本だったら東京一都市ばかりで、あとは共同通信の同じことばかり書いていますから、そういう統計にならない。
 これがやはりアメリカでもヨーロッパでも大きな力だろうと思うんです。
そういうような情報の収集と発信が切磋琢磨する、そういうところがないと、都市の機能として向上しないんじゃないかと思います。

九〇年以降、日本の財政破綻を起こしたのはまさに東京一極集中そのものだと考えております。東京一極に集中して、地方の自活能力をどんどんなくして、
情報発信能力も文化創造活動も全部なくして、そのかわりに補助金をやると。そして、そのために全部規格を東京で定める。例えば、学校の天井の高さでも三メーターに決める。
これは東京で決めるんです。これは、本来なら各地方で、うちは教室が二・四メーター、体育館は四メーターにするというところがあってもいい。
道路にしても全部、国道であれば二車線対向にする。ことごとく東京の高い単価を押しつけ、そのかわり補助金やるよ、これをやっているんですね。これはどうしても改革しなきゃならない。
0367堺屋太一垢版2017/06/01(木) 20:52:27.86ID:7+KHhmkC
日本は、一極集中が激しくなるに従って、国際的地位がどんどん低下しています。このことは、一極集中が、今の情報化社会、知恵の社会に不向きであるということを明確に示していると思うんです。
 集まっていればいいと言う人は、あくまでも対面情報を前提としておられると思うんですね。東京の百平方キロの中に今やほとんどの機能が集中し、しょっちゅう顔を合わせる。だからいいんだということでございましょうけれども、
その結果、日本の文化、情報が非常に単一化いたしました。雑誌でもテレビでも、番組が全く同じような形になってまいりまして、多様性が失われてきた。これは日本にとって大きなマイナスでございます。
 また、つい対面情報に頼るものですから、通信情報化しない。日本国内だけではまだ、みんな集まって、エレベーターに乗って、
まあ、通信情報に比べれば何十倍か時間はかかり、何十倍か費用はかかりますけれども、我慢できるかもしれませんが、外国との情報は全くこれではやっていけません。
 そういうことが重なって、今、現に日本の地位は低下しております。これだけたくさんの高層ビルが建った。この二〇〇三年度に建ちますビルは、東京にできますものは二百十八万平米。
何とバブルの最盛期をはるかに上回るほど建てておりますが、それにもかかわらず、日本の地位はどんどん下がっている。この事実をやはり率直に考えるべきだろうと考えております。
 さらに、経済機能、文化機能は東京に集中し、東京を世界都市にする運動をするのはいいことだと思います。けれども、
それが首都機能という重圧の中でできるかどうか、これが大問題であります。例えば、国賓が一人来られただけでも都心部が渋滞を起こす。そういう負担の中でやらなきゃいけないのか。これも大きな問題だと思っています。
 そういう意味で、東京と首都機能とは分離して、東京はもっと盛んな経済、文化都市にし、そして、首都機能からの情報発信で地方都市、地方の地域も活性化する、これが一番正道ではないか、これからの世の中に向いているんじゃないかと思っています。
0368堺屋太一垢版2017/06/01(木) 22:07:33.67ID:7+KHhmkC
具体的な事件や事故が発覚すれば、管理強化と権限拡大を要求するし、全般的状況からの不憫を指摘されると、
必ずカネ(予算)とヒト(定数)の不足を理由にする。つまり、権限を強化し、カネとヒトさえ増やせばすべてうまくいく、と主張するわけだ。 「組織の盛衰」
0369堺屋太一垢版2017/06/01(木) 22:30:27.25ID:7+KHhmkC
モデルは、住友金属工業社長、関西経済連合会会長などを歴任した故日向方斉。官主導の生産調整に異を唱え、「けんか方斉」として鳴らした。
この反骨の経営者が晩年、情熱を傾けたのが「国内初の二十四時間空港」の実現だった。
運輸省などでは当時、候補地はアクセスがよく、国際港湾都市である神戸沖が最有力とされた。しかし、公害反対運動の盛りあがりの中、
神戸市長の故宮崎辰雄が反対を表明。七四年の航空審議会で「泉州沖が適切」という答申となった。
成田のような反対闘争はなかった。けど、『現実』が現れたんや」 「どういうこと?」
「栄養も味も理想の食事をしようとして、財布を開けたらお金が足らんかった、ということや」
 建設の財源と完成後の採算性だった。
中曽根政権の民活導入第一号として、国の直轄でも、公団組織でもなく、株式会社でスタートした。結果として、予想以上に工費が膨らみ、
株式会社の性格上、資金面でハンディを負うことになった。そのツケは高い着陸料と巨額の累積債務となってのしかかる。
堺屋太一はこの作品を苦闘の歴史とせず、「空港国際競争の幕開け」とした。東アジアの躍動を織り込み、「関空の規模と価格と運航の実態を熟知する者なら、日本は『一周遅れのランナー』と言うに違いない」と書いた。
展望台の重斎は、早春の夕陽に映えるターミナルビルを見た。「二十年もたてば世の中が変わる。日本も世界も変わる。成田に負けん空港を関西にも…。俺はそう思うていた。
けど、もう関東や関西やという時代ではのうなった」
空海は呟いた。「関西のためより日本のため、アジアのためになるんやね、ここが…」
それから七年半。上海の浦東、韓国の仁川、マレーシアのセパンなどが、真のハブをめざして世界的なネットワークを築こうとしている。
経済の失速、関西の地盤沈下…。

神戸新聞読書クラブ,熱き風ひょうご経済小説の舞台,堺屋太一著「向い風の朝」(2002-03-10)
0370堺屋太一垢版2017/06/02(金) 01:11:53.94ID:2UzX/jzL
特に近年に至りまして、過去二十年余、地方分散、地方分権が熱心に唱えられてきましたが、現実には、官僚機構が非常に強力に東京一極集中の政策をとっておりますために、地方は空洞化いたしました。
東京一極集中は自然に行われているのではなくして、後に述べますように、官僚の大変な努力によりまして起こっていることでございまして、日本特有の現象であります。
 特に、九六年以降、経済、文化、情報発信、国際関係の一極集中が非常に急激になりまして、地方の経済、文化が危うくなるばかりか、日本の文化的多様、創造性というものが失われてまいりました。
 したがいまして、通信情報社会の発達、これがこの十年間の大変な世界の流れでございますけれども、この世界の急速なグローバル化、情報化に対しまして、通信情報社会の迅速、
公平、正確、透明、安価な情報交換が必要になっています。こういったことを日本も行わないと、日本飛ばし、日本の国際的な地位の低下が猛烈な勢いで進んでおります。
 そこで、私がこれから提案したいのは、実は一番本音のところでございまして、立法、司法、政府の機能を三つに分割して移転するのが最良であるということでございます。
 まず、国家の機能の中には、立法機能と、それに関係の深い行政府の政策の企画審議機能、これをA機能あるいは企画審議機能と申してもいいでしょう。
そういうものと、第二番目に、行政機能のうちで、統計、調査及び基礎的な研究を行う機能、
これをB機能または統計調査機能と呼べると思います。そして、司法と、それにかかわりの深い行政府の記録、保全の機能、保記機能、C機能との三種類の機能があります。
 この三種類の機能をそれぞれ別個の場所に移転する。そのことによりまして日本の通信情報社会を徹底させるとともに、
財政の抜本的な改革、文明の大幅な前進を期待したいところであります。また、そういたしますと、地震やテロに対する災害対応力も非常に高いものになると思います。
0371堺屋太一垢版2017/06/02(金) 01:33:46.42ID:2UzX/jzL
電波については最初に民間放送ができたのは大阪の新日本放送、いまの毎日放送でしたが、「キー局」という世界でもほとんど類例のないシステムを作りました。
キー局は東京都にしか置けないということになったのです。広島カープが広島球場でやる試合を全国ネットで放送するためには、キー局が広島に出張して撮影しないと流せないという仕組みをとったのです。
以前私たちが大阪の朝日放送で「向かい風の朝」というドラマを作ったときなどは、テレビ朝日に全国放送の依頼にいくと、役者はだれそれを使えとか、「ありがとう」という台詞を「おおきに」にしろとか実にさまざまな注文がきました。
そうやって地方では大きな番組作成ができないように仕組まれているわけです。地方発の文化も東京に上陸して初めて文化とみなされることになるのです。たとえば昔流行した「竹の子族」は神戸の店が発祥なのです。ところが、みんなあれは原宿が発信地だと勘違いしている。
だから、東京に出るか、それをあきらめて地元に残るか、生活のスタイルがこの二つのチョイスに限られてしまうのです。さらなる問題は、
文化創造活動は東京以外でしてはならないということが、特に戦後になって強化されたことです。たとえば、歌舞伎には回り舞台、引き幕、花道、和風の楽屋、
そして観客用の食堂という五つの施設が不可欠なのですが、昔はこれがそろった劇場が大阪、京都、名古屋、九州にあったのを、戦後になって京都の南座を残し全部つぶしてしまった。
大阪の歌舞伎座がつぶれるまでには大変な圧力があったのです。音楽もそうです。地方の交響楽団が本拠地とするのは
多目的ホールばかりなので優れた楽団員がなかなか育ちません。ただスポーツだけは一九五〇年代に「国体問題」というのがありました。国体を東京で毎回開催するのか、全国で持ち回りにするのかという議論があったのです。
これは全国の知事さんの尽力で現在の持ち回り式が採用されました。このおかげでスポーツだけは東京一極集中を免れています。北海道の野球チームが優勝したり、九州の実業団の女性マラソンランナーが日本代表になったりするのが当たり前になっています。
0372堺屋太一垢版2017/06/02(金) 01:38:14.46ID:2UzX/jzL
現在の地方制度というのは国が府県と市町村の上に大きくのしかかっています(図1)。かつて国と都道府県の関係は単なる委託だったのです。
村落共同体の基礎自治体だけが自立していたにすぎなかった。府県のテリトリーに国の権限が深く入り込んでいた。
ところが昭和になって農村共同体的な基礎自治体ではなく、いわゆる政令指定都市制度ができました(図2)。
これが府県のテリトリーに突き抜けた存在になっています。したがって府県の行政、政令指定都市の行政、
国の行政という三重行政になっているんですね。大阪都構想は、この形をまず大阪都の行政と特別行政区の行政
という二段構えにしようと考えます(図3)。特別行政区の部分は八つくらいにし、
広域行政は大阪都で一元化する。 国はというと、住民密着部分の権限をできるだけ減らしていただく。これが実現したら、
次に、一柱二層、つまり国には国のことだけをやっていただき、それ以外の住民密着型の行政は同州と基礎自治体だけにします(図4)。
0373堺屋太一垢版2017/06/02(金) 01:42:52.24ID:2UzX/jzL
道州制は単なる都道府県の合併ではありません。あくまで地域主権を目指さなきゃ駄目です。今の官僚主導の政策は、
東京も北海道も九州も同じ政策をあてはめようとする。だから地方は衰退するのです。
地方は地方なりの成長戦略をとれば、自分は東北で、私は九州でと、成功を目指すという人材が集まり知恵も出てくると思います。
世界中でなぜ日本だけが首都への一極集中が続いているのかというと、官僚の大変な努力と費用、あえていえば浪費が原因です。
官僚が「俺たちしかいない」と頑張れば頑張るほど日本は駄目になる(笑)。
中田、ところで、政治家に政策の各論全部を作ることまで求めても無理だと思うのですが、政治家がどこまで頑張るべきか、どうお考えでしょうか。
堺屋、政治家は運転手に行き先を告げればいいのです。民主党は「政治主導だ」と叫んで運転席に座ってしまったから失敗した。
中田、運転は技術と経験がある官僚や実業家に任せればいいと。
堺屋、そうです。政治には、政局と政策と政見があります。大事なのはやはり政見、つまり政治の哲学、倫理なんですよ。大阪維新が注目されるのは、政見を言い始めたからです
大きな政治プロジェクトには、シナリオ、脚本、監督、役者がいる。そのうちの監督兼主役を橋下さんにお任せしているんです。私たちは裏方ですが、
劇場の運営を支えることも大事な仕事ですよ。
0374堺屋太一垢版2017/06/02(金) 01:56:09.98ID:2UzX/jzL
近代工業社会は、「物財の豊かなことが人間の幸せだ」という社会でしたから、すべてがモノ依存だったのです。
それは単に消費財が増えたとかビルが高くなったとかいうだけではなくして、哲学においてもモノ依存だったのです。だからね、学問でも物的証拠がひとつでもでてくると、
いかなる推測もいかなる理論もいっぺんにひっくりかえったんです。 その一つの例が原人ブームですね。原人が日本に五万年以上前にいたかどうかの大論争があったのですが、
東北の素人研究者が発掘したという物的証拠を持ち出してきたらたちまち十万年、二十万年前にもいたと大騒ぎになった。ところがそれは嘘だった。
中田、裁判でも物的証拠が出れば勝ちですね。
堺屋、はい。学問や裁判、あらゆる面で「モノ」が最優先でした。お金もね、やっぱり金(ゴールド)だというところから始まるんですね。ブレトン・ウッズ体制が生まれたときには、
ドルだけが金に結びついて、ほかの通貨はドルに結びつくということになった。
それが、ニクソンショック(一九七一年)でバタッと倒れました。 人類の歴史上、国際基軸通貨が完全なペーパーマネー(不換紙幣)だった時代は二回だけなんです。
一回目は、私の『ジンギスカン 世界を創った男』という本に出てくる話なんですが、ジンギスカンの孫、フビライハンの時代に、
マフムード・ヤラワチという人が出てきて、「私に通貨発行権を与えてくだされば、帝国の財政を年二%の税率で百年間安泰にしましょう」と言った。
つまり金にも銀にも羊にも小麦にも変わらないペーパーマネーをどんどん発行して、役人や軍人の費用を払うのです。お金を交換手段ではなく投資手段だと考えたのです
0375堺屋太一垢版2017/06/02(金) 01:58:15.21ID:2UzX/jzL
その考えを丸ごともってきたのが、レーガン大統領です。「ドルはいくらでも発行して借り手を増やせばいい」と考えた。
それによってファンドをつくってどんどん借り手を増やしていった。
これが破綻すると今度は「アジアに貸せばいいんだ」というので短期資金を集めてアジアに長期資金で貸す。
中田、それが一九九七年のアジア通貨危機を誘発するわけですね。
堺屋、はい。すると今度はITに投資しようとになったが、これも二〇〇一年にバブルを引きおこします。そしていよいよ消費者金融、
サブプライムローン問題が生じ、二〇〇八年に大崩壊するわけです。これでペーパーマネーの借り手がまったくなくなってしまう。仕方がないから国に貸すことになる。
中田、ギリシャ、イタリア、スペイン…。
堺屋、そう。で、いよいよ最後の借り手である国が破綻するという時代になった。そこでペーパーマネーの再編成が必要ではないかと言われているんですね。
中田、日本がどうあるべきかという話の前に、世界が大恐慌になるのではないかというお話になっていますね。
堺屋、そういう可能性がたしかにあります。世界通貨にとって大きな危機を迎えている時代に入ったのだと思いますね
0377堺屋太一垢版2017/06/02(金) 02:03:42.30ID:2UzX/jzL
堺屋 世界的にはファンドが企業を買うことは正当な行為であり、品位がないと思っている人はいない。これからは世界の倫理とどう合わせるかが問題になる。
そういう中で品格を保つためには、
第一に外国人を怖がらない、第二に人や官僚に頼らない、第三に変化を恐れないことだ
。時代が変わり、職業が変わり、場所が変わるときに、どこでも通用する品格は何かと考えると、最後に残るのはこの3つだ。日本だけの品格では通用しない。

稲盛 米国では、ものづくりがどんどん後退し、金融やIT(情報技術)など、知恵で生み出していく産業で利益を得なければ生きていけない。それが資本主義の正しい発展の方向だとなっているが、
本当にこれでいいのだろうか。資本主義は壊滅の方向に向かっているのかも知れない。
日本のプリミティブな倫理観で、世界から尊敬と信頼を勝ち得るような歩き方ができるのではないか。

堺屋 アメリカが71年に金とドルの交換を停止して、ドルはペーパーマネーになった。その結果、ドルが増え、お金の需要を増やすために借りる人を増やさなければならなくなった。
問題となっているサブプライムローンもそうだ。こういう経済はどこかで止めなければならない。
いわば、世界の品格が落ちているのだ。日本はこれを毛嫌いしているが、このらち外にはいられない。
それを前提として、企業や人間、国家の品格をどう立て直すかという議論を始めるべき時代に来ている
0378堺屋太一垢版2017/06/03(土) 01:37:37.67ID:3KW4Kh3T
小説で予測した原油高と食糧価格の高騰は、〇七年に早くも現実のものとなりました。これら一次産品の価格高騰が引き金となり、長らくデフレが続いてきた日本の物価も、軒並み上昇し始めています。
物価上昇が進んだ最大の理由は、ロシアの資源と中国の労働力による世界のデフレ要因が食い尽くされたということです。
九〇年代に国際物価が下がったのは、冷戦終結の「配当」でした。冷戦が終わったことによって、安価なロシアの資源と中国の労働力がドッと国際市場に出てきました。その結果、資源の値段は下がり、安価な労働力の利用で工業品も安くなったのです。
ところが、二〇〇五年ごろからロシアの資源は高騰、中国の労働者賃金も上がり始めました。そのうえ、中国の工業化で資源需要は膨張しています。世界的な過剰流動性によって、一次産品の投機的な価格上昇は、今後も続くと思われます。
日本の財政面でいえば、十二月二十四日、政府は〇八年度予算の財務省原案を閣議決定しましたが、一般歳出は小幅ながら増額となっています。今後、景気が悪化して企業業績が低迷し、税収が減れば、予算の増額と赤字国債の発行は避けられそうにありません。
消費税のアップは、解散総選挙への悪影響を考慮して回避されましたが、早晩、実施されるでしょう。『平成三十年』の予測とほぼ同じです。
一人当たり国内総生産も、国際的にはジリ貧です。福田康夫現内閣総理の父、赳夫氏が総理になった一九七六年、日本の一人当たりGDPは世界で十七位。その後は上昇を続け、九三年には世界一位に輝きました。
ところがこの年を頂点に、順位はどんどん下がり始めます。二〇〇〇年には一時、二位まで回復しましたが、二〇〇六年には、また元の十七位に落ち込んでしまった。日本の国力はついに三十年前と同じレベルまで低下してしまったのです
0379堺屋太一垢版2017/06/03(土) 01:40:06.31ID:3KW4Kh3T
日本の国力低下、日本全体の活力低下は、地価にも反映しています。近年、不動産価格の高騰がいわれているが、以前の高騰期に比べると、場所がごく限られています。
地価は、『日本列島改造論』の時には日本列島の十分の一、三万七千平方キロメートルが値上がりしました。バブルの時には、
百分の一の三千七百平方キロが値上がりした。しかし今回は、千分の一、三百七十平方キロしか値上がりしていない。
しかも値上がりしたのは都心や名古屋や大阪のごく限られた超一等地だけ。地方都市や工業用地は下がりっ放しです。
そればかりか、農地や山林は劇的に値下がりし、買い手が全くありません。東京で思っているのとは大違いの不況なのです。
官僚主導の東京一極集中が進む一方で、地方の過疎化が深刻化しているのです。
そして、小説『平成三十年』と最も一致しているが、日本が「何もしていない」という点です。平成になってからの歴代首相はみな、「改革」、「改革」と口では唱えてはいますが、
抜本的な体制改革や体質気質の変革には、未だ取り組んでいません。ただ、取るに足らない「盲腸の手術」や吹出物の膏薬貼りをしているだけです。
恐ろしいのは、危機が私の予測よりも、前倒しでやってきていることです。超過疎化による地方の疲弊や環境問題、介護保険の問題については小説で詳しく触れましたが、
これらの問題は、もう既に現実のものとなっています。中でも、予測を超えて遥かに早く進んでいるのが官僚の頽廃です。
0380堺屋太一垢版2017/06/03(土) 01:43:32.34ID:3KW4Kh3T
〇七年は、官僚の失敗が顕著に現れた年でした。とくにすさまじい失敗は、住宅着工許可の遅延です。六月、建築基準法が改正されましたが、
運用マニュアルをつくっていなかったことなど官僚の怠慢と無能さによって、建築許可が停滞。その結果、九月十月の住宅着工件数は前年比四割減にまで落ち込んだのです。
しかも、一旦許可を取ると設計変更は認めないという超改悪、日本は不便不都合な建物だらけになるでしょう。建築工事の減少が現れるのは六ヶ月くらい経ってから。〇八年には倒産失業が増えます。
しかし官僚は誰一人責任をとっていません。国交省の幹部は、UR(都市再生機構)の民営化阻止に必死なのです。全国民に何兆円もの負担と迷惑をかけても何とも思わない。ここまで官僚の頽廃が進んだのは、
官僚の政治家ごっこ、いわば院外団化です。逮捕された守屋武昌前防衛省事務次官はまさにその典型、政治家回りで出世したのです。
また、政治家にも「政治家になって日本をこうしたい」というのではなく、「とにかく政治家になりたい」という人が大量当選している。行政に関して悲劇的に無知な政治家が、官僚のやりたい放題を助長しているのです。
その一方で、庶民の痛みは激増しています。労働者の賃金は上がらず、預金金利は実質ゼロが続いています。預金ゼロ金利によって、
年間二十兆〜三十兆円が家計から企業と公共に収奪されているのです。ほとんどの日本国民は猛烈に搾取されている状態です。
0381堺屋太一垢版2017/06/03(土) 01:56:04.11ID:3KW4Kh3T
株価の低迷も続くでしょう。「相場が下がったのはサブプライム問題のせいだ」というのは、官僚と金融業者の言い訳にすぎません。主因は日本独自の問題にサブプライム問題が少し追い討ちをかけているというのが実相なのです。
だから、日本の株は外国の株よりも激しく値下がりし、外資も逃げ出しているわけです。日本独自の問題で大きいのは官製不況、頽廃した官僚が作り出している迷惑です。
このままいけば、日本経済は再起不能に陥る恐れさえあります。いわゆるアルゼンチン化です。アルゼンチンは二十世紀のはじめには世界有数の豊かな国でした。第二次世界大戦後も
アメリカに次ぐ金保有高を誇っていました。それが、三十年ほどの間に経済破綻、発展途上国に転落したのです。
今の日本と二十世紀初頭のアルゼンチンの共通点は、第一に旧産業への依存です。当時のアルゼンチンは牛肉と小麦の農業依存から脱却できなかった。今日の日本もまた、
規格大量生産依存から抜け出せていません。この構造をなんとしても変えなければならない。もう一つは首都一極集中、政治家や経済上層部は首都だけに集まっていることです。
0382堺屋太一垢版2017/06/03(土) 02:02:58.85ID:3KW4Kh3T
 四月七日、財務省は三月末の外資準備高が8266億ドルになった、と発表した。一年前より3100億ドルの爆発的な増加である。 急増の主たる理由は、政府・日銀の行った為替介入だ。2003年度の円売りドル買いは30兆円にも達する。三年前の小渕・森内閣当時とは、
ケタ違いといえるほど巨額だ。 それに伴う損失は大きく、既に8兆円を超えている。一年間の消費税の税収は約9兆5千億円、その九割近い金額が、外国為替特別会計の評価損になっている。
為替介入の意思決定は主として政府、つまり財務省の財務官ら少数が行っている。彼らは、どういう理論的根拠か説明もせず、円の対ドル相場を円安ドル高に保つべきだ、と考えた。そしてそれを、政府の、というよりも自分たちの権威と権力でできると信じた。
これまで何度も為替介入をしても結局は効果がなかった前例があるにもかかわらずだ。財務官の系統には、派手に動き回りたいという「目立ちたがり症候群」が職務遺伝しているのかもしれない。
それでも関係閣僚の目配りが利いていた時代には、介入額は抑制され、効果的な時期と手法を考える努力はした。ところが小泉内閣は思考停止状態だから、官僚たちはやりたい放題、確たる根拠もなく無制限に為替相場を楽しみだした。
金額に歯止めがかからなくなると、頭脳は止まる。ただただ力ずくで円を売りドルを買った。一時、円が110円まで下がると、押し下げ効果を狙ってさらに円売りをしたが、
そのかいもなく相場は逆転し、すぐ105円前後になった。それが急に三月下旬には介入をやめた。8兆円もの損失を残して。 銀行であれ商社であれ、
これほどの損を出せば担当者はクビどころでは済まない。だが、官僚は誰一人クビにも戒告にもならない。外国の金融業者に「ミスター・ドル」などといわれて悦に入る有り様だ。
官僚の損し放題はこれに限らない。年金基金や雇用保険は、大赤字の保養施設や劇場を造って消費税収入と同じほどの累積損を出している。ここでも責任を取った官僚はいない。
0383堺屋太一垢版2017/06/03(土) 02:15:53.76ID:3KW4Kh3T
今、多くの分野で官僚の介入が激しくなっている。タクシーやバスの運行にも、安全性を盾にした官僚の指導や介入が強まっている。医療機関でも、医療事故の防止や医師の名義貸し防止などから調べが増えた。
金融機関に対する監査や指導が厳しくなったのはよく知られている。教育の分野でも文部科学省の「指導」の圧力は衰えない。むしろ、法科大学院の設立などでは官僚の恣意的な選別が強化され、事前予測性が低下してしまった。
地方自治体に対しても、財源と権限を譲り渡す「三位一体改革」がいわれながら、そのほとんどは補助率の引き下げだけで廃止はわずかだ。つまり、中央官僚が事業の取捨選択権はガッチリと握っているのだ。 小泉内閣は「族議員を追放する」という形で、政治家を排除した。
その結果、官僚の権限と裁量が強大化している。 同じことは昔もあった。昭和九年に官僚たちは「帝人事件」なる架空の疑惑事件をデッチ上げた。汚職まみれの議会政治家を政府主要ポストから外した。これが官僚軍人独走をいちだんと進め、戦争につながったことは明らかだ。
そういえばその年、昭和九(1934)年も、大不況後の景気回復が盛んにいわれた年だ。官僚統制の強化は、企業の利益を一時的に引き上げ、表面的な景気上昇をもたらす効果がある。だからこそ官僚介入は何よりも恐ろしい麻薬である。
0384堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:07:43.99ID:9Sgbrftj
○『知恵の値打ち』を多く含んだ商品がよく売れる。
 これからの時代は、消費者も商品に含まれる「知恵」に敏感になる。様々なライフスタイルに合わせ自分にあった商品を探しだす力をつけているからだ。
企業は消費者の気分をいち早く察知し、新たな手を打ち、商品に付加価値を加えていかなければ、生き残ることができないようになった。
0385堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:08:15.80ID:9Sgbrftj
規格大量生産に適した社会を作ってきました。この社会の前提は三つあります。@労働力と生産手段が分離していること、
A規格大量生産に有利であること、そしてB人間はすべてホモエコノミクス(経済人)であるということです。
知価社会ではこの三つの前提すべてが異なります。たとえば知価社会で大いに成長するはずのプログラマーやデザイナー、会計士、
法律家などを見ると生産手段と労働力が一体化しています。そして規格大量生産ではなく、
多種少量生産が価値を生むようになってきます。最後に人間は物財を求めるのでなく、満足を求めるようになってきたこともはっきりしました

歴史的に見ると、戦前の国際貿易は、「垂直分業」でした。一つの工業国がいくつかの発展途上国とつながっているという体制でした。
1962年に私が「水平分業論」を発表しましたが、これは工業国と工業国が工業製品を互いに貿易するという理論です。規格大量生産の中で消費者の選択肢を広げるためには、
フランス人もフォルクスワーゲンが購入でき、ドイツ人もルノーを購入できる水平分業が必要です。これで40年間、世界経済は発展してきました。
しかし、01年に突然逆のことが起こり出しました。それが「工程分業」です。グローバル企業は、生産工程を分けて製品を世界中で作ります。技術開発はAの国、
デザイン創造はBの国、部品製造はCの国、組み立てはDの国、販売戦略はEの国……といったことがごく当たり前に行われています。ここでは労働集約的な技術開発、
デザイン創造、販売戦略などは賃金の高い国で行われ、部品製造や組み立てなどは賃金の低い国で行われているのです。
01年というのは、EUが東ヨーロッパ全10ヶ国を統合した年です。水平分業の時代は、経済水準が似ているところが統合しましたが、
工程分業の時代には、10倍以上所得に差があっても統合できる。自由貿易圏に労働賃金の低いところをとりこんで、製造工程を移そうとしています。
0386堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:09:00.84ID:9Sgbrftj
もっと重要なのは、官僚たちが70年代から進めてきた「人生の社会化」だ。教育・医療・年金・介護を家族の手から社会のものへと
転化したことは、「あなたの子供は、あなたの人生の役に立ちません」という悲観的メッセージを繰り返すことになった。
これでは「子供はリスクだけでリターンがない」と嫌がらせるようなものだ。デフレスパイラルならぬ少子化スパイラルを起こしているのだ。
官僚は部分の専門家だから、「今の社会が永遠に続く」という前提でしか発想しない。そのため社会的激変期には空想的悲観論になってしまう。

今日の日本で封建領主にあたるのは各省官僚だ。生産性の低い産業に多くの人材を囲い込み、経済効率を悪化させている。イタリア型で、生産性の高い産業に労働力を集中させれば、少子化でも経済発展の可能性は充分にある。
 明治以来、日本は「人口過剰・土地不足」と信じられていた。このため、山間を開拓し、海浜や湿地を埋め立て、離島に橋を架けてきた。土地を広げることは、人口過剰の島国にとって絶対的な正義だったのである。
 しかし、今や日本は「人口不足・土地過剰」だから、発想の原点が崩れてしまった。官僚たちの長期悲観論はここからはじまっているのである。
 少子高齢化が進むと、労働力が不足し、年金制度が破綻する、という。これもまた「誤った前提を変えない」官製の悲観論の一つである。 労働力の問題は、「70歳まで働くことを選べる社会」にすれば解消できる。
これを単なる「70歳定年制」などと思うのは工業社会の悪癖だ。「定年」という制度自体が近代工業社会の特産物だ。これからは、週三日勤務や在宅勤務など、
雇用形態も勤務方法も考え直し、最適なオフィスの形態を研究する必要がある。急増する高齢者労働力を活用するシステムをつくれば、一挙に経済は活発化し、税収も増える。
0387堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:18:09.53ID:9Sgbrftj
近代工業社会は、人間は物財の多きを幸せとする、いわゆるホモエコノミクスである
(経済人)であるという前提で始まった社会であります。したがって、人々に対してできるだ
け多くの物やサービスを提供できる仕方がいい仕方だ。それは規格大量生産である。その
ためには大型の機械を使う工場制工業が重要となります。
そういう社会においては、原則として物価の価値はコストで決まる。こう考えられてい
たのです。価格は需給によって上がったり下がったりします。しかし、物の価値は常に一
定である。社会的、資源的、あるいは技術的な条件が大幅に変わらない限り、価値は常に
一定だ、と考えられていました。
それで、価格は上がったり下がったりするが、常にそれは価値に戻ってくる。たとえば、
いま鉄が不況で供給過剰であるとします。そうすると、コストが6万円かかる鋼板が4万
円になることはある。しかし、そうなれば供給は減り需要は増えて、やがて8万円に値上
がりする。今度は利益が出るから、生産が増え需要が減って、また6万円を割ってくる。
常に価値を中心にして価格は変動するわけです。
だから、コスト+適正利潤=適正価格、という官僚的価値決定方式が認められていたの
です。そうであれば、鉄の価格は上がったりするけれども、鉄鋼所は常に価値があるわけ
です。いま鉄鋼所は赤字であっても、次の波が動くと黒字になる。したがって鉄鋼所は価
値がある。そこで鉄鋼所は担保として融資しても安全、という発想なのです。
これが近代工業社会的金融でありました。特に日本はこの発想に凝り固まっておりまし
た。まともな金融機関というものは、規格大量生産をやる大企業にお金を貸す。規格大量
生産の大企業がより規模を大きくするような投融資が破綻をするはずがないということに
なる。
個人や中小企業に貸すときには必ず土地を担保に取る。日本は土地が狭くて人口が多く
て、経済が成長して物価が上昇し、貿易以外には国際競争のない島国だから、土地の値段
は必ず上がるはずである。したがって、これを担保にすれば安全である。
つまり、日本の金融思想にはリスクはない、という前提だったのです
0388堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:24:25.37ID:9Sgbrftj
リスクは、想定外の事故が起こったときか失敗の結果であって、本来、金融をきちんと巨大企業の規格大
量生産向けに貸すか、中小企業や個人には土地を担保にして貸しているかすれば、リスク
はないはずである。これを土地も担保に取らないで中小企業や個人に貸すのはまともな銀
行ではない。ノンバンク、特に消費者金融や、商工ローンなど別種の金融機関だ、という発想であったわけです。
それで預金する人も、まともな金融機関に預ければ安心だ。金融機関は右の余ったお金
を左の事業者に渡すだけのブローカーであって、金融機関の利益はそのための手続き費用
だと、こういう思想ががっちりと組み込まれてきたのであります。
ところが1980 年代から知価革命がはじまって、価格というものの概念が変わりました。
価格はコストとは関係がない。価格は消費者、(マーケット)が持つ主観によって決まるも
のだ。たとえば、こういうネクタイでも、これがエルメスとかロベルタとか有名なブランド名がついていると2万円ぐらいする。
これはデザインであり、イメージであり、技術つまり知価である。そういった社
会が生まれた。ところが、この価値は極めて変動的です。デザインは流行によって変わり
ます。イメージは一つの事故でひっくり返ります。技術は、より優れた技術が登場したとたんに全く価値がなくなります。
たとえば、真空管の技術はたいへん高度な、価値あるものだと言われていましたが、今
やIC になり、液晶やプラズマになって、真空管の需要はなくなってしまった。そうなると、
真空管、(ブラウン管)の技術は価値がないのです。そんなことがしょっちゅう起こる。
したがって、これらの金融は担保主義ではなくて、事業見通し主義でなくてはならない。
当然、事業見通しは失敗することも予想違いのこともありますから、必ずリスクが伴って
います。この金融というものには避けがたいリスクが伴っている。こういう時代がやってきたわけです。
そうすると、このリスクをいかにして回避するか。いかにして中和するか。もしくは、
いかにしてリスクを好むお金、リスクマネーを集めるか。こういうことが重要になってき
ました。それで、このリスクをいかにして管理、中和し、あるいは有利に働かせるか。
0389堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:28:25.25ID:9Sgbrftj
そこで、リスクの対応として三つのものが考えられます。第1は「リスクの国有化」、第
2は「リスクの社会有化」、第3は「リスクの市場化」であります。
最近、小泉内閣はかなり大胆なリスクの国有化政策を始めました。あの90 年代、橋本内
閣、小渕内閣、森内閣までは、ずっと日本政府はリスクの市場化に努めていた。ところが
最近は国有化の方向になりました。国有化の方向になりますと、当然、担当官僚の介入は
力強くなるものでありまして、いまその一つの状況が生まれている。
官僚はリスクを取らないことを勧めます。リスクを少なくする、リスクマネーを出さな
いことを求めるようになります。したがって、知価社会に最も大事なリスク投資ができな
くなりますから、経済は低迷してきます。
アメリカやイギリスは、1983 年のロンドンの金融市場のビックバン以来、このリスクの
問題とさまざまな形で向き合ってきました。そのなかで銀行がつぶれることもあれば、合
併するところもあり、いろいろな金融テクニックが生まれているわけです。日本では、1995
〜96 年以前は住専など、ごく小さな規模でありましたが、90 年代中ごろから大規模なこと
をやりました。ところが、最近は国有化方向に流れている。こういう状態にあるわけです。
国有化すること自体簡単ですが、そうなると、新しいリスクマネー、新しいリスク投資、
新しい知恵の値打ちを生み出すような事業ができなくなってしまいます。これが、現在の
日本が極めて創業率の低い最大の理由です。
日本は去年、2004 年は90 年代から起業数が廃業数を下回っている珍しい国です。新し
く業を起こす起業の数がこれまでの事業を閉鎖する廃業の数よりも少ない。統計が整って
いる国で、これは日本だけであります。アメリカでもドイツでもものすごい数の創業が起
こっておりますが、日本はどうもそうはなっていない。
しかも、創業者の年齢が非常に高くなっておりまして、50 代の方が多い。これは企業を
お辞めになって、それから何かしなければしようがないというのでやっている人が多いと
いうことでしょう。若者の創業が非常に少ない。したがって、リスクの国有化は緊急避難的な意味はありますが、長期的にはやめなければいけない。
0390堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:33:26.17ID:9Sgbrftj
それでは社会有化はどうか。これは、みんながリスクを負担することです。つまり、い
ろいろな企業、いろいろな団体が連鎖的にリスクを負担していく。だから、崩れるときに
は一斉です。株式の持合いが進めばそうなるでしょう。これは、国有化よりははるかにま
しでありますが、社会の活力を抑えることになるでしょう。社会的に受け取れないリスク
は生まれないからです。
したがって、これからの時代、この激しいリスクのある時代にはリスクの市場化をしな
ければいけない。そのためには、理想的な金融市場、どのような金融市場をつくればいい
か、これが重要な問題です。
リスクを緩和するための保険には、インシュアランスとヘッジがあります。ご存じのよ
うに、インシュアランスのような大数、大きな数で持つか、あるいはヘッジのように時間
的延長で持つか。これはいずれも社会有化のかたちでありますが、そういった方法を各企
業、各個人の投資者の責任でやろうというのが、このリスクの市場化であります
0391堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:35:38.38ID:9Sgbrftj
したがってそういった目的から、つまり知価社会という観点から、これからの金融市場をどう考
えるか。どのような金融市場が理想的であるか。この問題を、私たちはよく考えなければいけません。
それで、理想的な金融市場とは、まずX軸,Y軸、Z軸という3軸で議論されています。これは
金融市場における3軸理論というものです。最も
新しい金融理論でありますどういう条件にあればいいか。まず、知価社会
の金融市場はリスクの市場化に適切なかたちであるために、X軸はまず多様性である。
多様な安定商品もリスク商品が存在する。どのような事業を起こそうとする人も金融市場におい
て金融商品を販売することで資本を獲得できる状態、これが理想的です。だから、いろん
な株式を発行する。さまざまな種類の社債を発行する。不動産のREITを発行する。あ
るいは、イベント・ファンドを発行するとか、商店街ファンドを発行する。
私がいま「日経ビジネス」に連載しております「ジ・エクスペリエンツ」という小説に、
大企業、銀行や建設会社や商社をお辞めになった団塊の世代の方々が、この商店街ファン
ドを発行する話がありますが、私の小説とは少し違いますが、最近では商店街ファンドが現実に出てきました。
Y 軸はリスクの明確さだ。リスク内容と程度が明確になっていることで、これが非常に重
要なポイントです。この商品にはどのような種類のどの程度のリスクがあるか。これが明確になっていなければいけません。
日本は長らく近代工業社会のなかで、金融はリスクのないものだと思ってきましたから、
リスクの明確化にも極めて鈍感です。この点、これからの金融商品には必ずリスクが伴っ
ていて、それがどの程度で、どんな種類かということがはっきりしなければいけない。
0392堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:38:59.17ID:9Sgbrftj
この金融リスクの中味は、経済リスクだけではありません。時として名誉を傷つけられ
ることも、法令にひっかかることもありますから、そういったことも含めた条件を出さなければいけません。
当然これには、リスクの分担と分散が確実にできることが伴います。つまり、いろいろ
な種類の商品を買うことによって自分の持つリスクを分散することもできれば、自分が発
行した、あるいは自分が多く持っているものを、再保険、再販売、分割販売することによ
ってリスクを分散させることも必要であります。
0393堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:40:36.81ID:9Sgbrftj
そういう意味でもX 軸の多様性が大切です。多様な取引があり、そのそれぞれにリスク
が明確にされていることが良い取引所の条件でしょう。
あらゆるリスク商品が入って、リスクの程度が明確で、そして分担と分散ができる。
最後にZ 軸ですが、これは、金融商品が迅速、公明、安価に流れることです。現在、知
価社会におきましては、資金も土地も人材も資源であります。土地は資源なのか資産なの
か。お金は資源なのか資産なのか。人材は資源なのか資産なのか。これが非常に問題です。
日本は戦後ずっと土地もお金も人材も企業の資産であると考えてきたのです。いちばん
極端でわかりやすいのは土地でありますが、土地は資産だから、みんなが分散して持つべ
きだ。土地を1人でたくさん持っているやつには休閑地税をかけてやれというような、資
産分散的、再配分的思想が強かった。
ところが知価社会においては、これは資源であります。したがって、最も必要で、最も
上手に使う人のところに、最も安く、最も早く到着しなければいけない。石油や食品と同
じ資源ですから、資源の望ましき流通形態は、最も必要なところに最も安く、最も早く到
着することです。そういう状態になることが金融市場として必要であります。だから、手
数料は安くて、取引は24 時間続いていて、いつでも出入りがある状況にすることが必要です。
安価、迅速、確実ということは、すべての人が参加できるということです。同時に、す
べての人が忌避することができる。リスク市場に入らないこともできる。この点、リスク
の国有化をすることは、全国民を無理やり入れてしまうわけです。たとえば、銀行が破綻
したのを政府が補うとなると税金で補うわけですから、全国民がリスクを回避できない。
そういうのはよろしくないのでありまして、あらゆる人が参加できると同時に、あらゆる
人が忌避できる。これが金融市場のY軸の第2条件です。
もちろん、これには、あらゆる犯罪行為、不正行為が入り込めないことであります。ま
た、自己責任の原則が貫かれていることも当然です。
0394堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:44:40.84ID:9Sgbrftj
こういう3つの軸が完成した金融市場をつくればいいわけです。ところが、これはもち
ろん互いに矛盾していますから、なかなか理想的な金融市場などというものはできません。どうやってそれに近づけるかです。
となれば、投資者の側で、あるいはそれに関与する中間の金融機関の側で、これを補う
機能を持たなければいけない。これが、本日のシンポジウムのテーマになっております「企
業のリスクマネジメント」です。したがって、企業のリスク管理はどういう面から見るか
といえば、いま申しました三つの軸をいかに補うかという点を考えればいいのです。
これからの金融市場は競馬場みたいなものです。そこには馬券と入場券があります。入場券は、買えば必ず競馬が見られる。
これは確実に見られます。その意味ではノーリスクであります。
しかし、見た競馬がおもしろい競馬だったか、つまらない競馬だったかはわからない。
だから、競馬は確実に見れるけれども、金利の高低差は生まれてこない。その
程度のもの、いわゆるローリスク・ローリターンです。つまらない競馬というリスクはやはりある。
もう一方、馬券があります。これはハイリスク・ハイリターンであります。競馬場での
売上げのほとんどは馬券です。しかし、一般の社会にはそれほど多くのリスクマネーがあ
ふれているわけではない。したがって、馬券を入場券化する機能が必要です。これが保険
機能であります。金融機関がこれをいかにしてインシュアランスとヘッジなどを使って補っていくかが大事になってくる。
この問題の重要なところは、主として経済的リスクでありますが、時として社会的リス
クを伴います。昨日、この会場で議論されました「企業の社会的に責任」、これは何を言わ
んとしているか。企業の社会的リスクをいかに回避するかということです。企業が社会的
責任を負うことによって、社会的リスクを回避する、そういう問題なのです。
私は20 年近く前から、アメリカとドイツの研究者と共に、企業利益の質の問題(Qualityof Benefit)の研究をやってまいりました。
どのような利益の質が高いのか。利益の額は誰でもわかりますが、利益の質について、経営者はかなりのんきでいます
0395堺屋太一垢版2017/06/04(日) 01:48:32.21ID:9Sgbrftj
それは80 年代末に始まったことでして、当時、利益の額だけを追求する経営が多すぎる
ことから起こったものです。そのなかで、まず、質の高い利益というのは外延性の高いも
のである。グループの中や、企業の中ではなくて、どれだけ従来、企業と関係なかったところに利益を広げたか。これが第1の規準でありました。
第2の規準は、継続性でした。その利益が一時的なものか、継続するものか。継続する
利益であれば、今年100 万円の利益でも何億円にもなるものとして評価できるし、1回限りのものなら1億円は1億円です。この違いをどう考えるか。
3番目は、好感度、利益好感度というものです。利益を上げることで好感を得られるか
どうか。この好感の対象として、ステークホルダー、つまり利益関係者、これは取引相手、
株主、地域住民、従業員、全部ステークホルダーですが、そういう人の評価が大事です。
それから、世間の好感度、つまりステークホルダー以外の好感度と、二つの種類がある。
当時、ステークホルダーの好感度については言われていたのですが、それ以外の好感度
についてはあまり議論されませんでした。私たちの研究会は5年続いたのですが、ここで
は非常に議論したのですけれども、世間では当時、あまり議論されませんでした。
ところが最近のさまざまな事件を見ていると、社会的リスクは結構大きくなっています。
ちょっとしたことで大企業がパタンとつぶれることがありますから、世間好感度は極めて重要だということがわかります。
そういった利益を評価することによって、現在、実現していない、存在していない、あるべき最適な市場に、企業内において近づけるのではないか。
そんなことも考えられるところです。この企業リスクの問題は非常に広がりがありますけれども、これを本来はマーケット化する、
市場化するものだ、これが理想であるという前提で、それに各企業が、あるいは金
融機関がどうやって近づけるか。そういうことを考えていただくのが、到達しやすい発想ではないかと思います。
このリスクの問題は知価社会という大きな社会的変化の現象によって生まれているもの
であり、そういった観点から明確に意識して、その尺度を持って考えていただきたいと思う次第です。
0396堺屋太一垢版2017/06/14(水) 15:03:24.77ID:F8StfgTj
この規格大量生産型
工業製品でさえも、工場蔵出し価格は安いが、複雑な流通経路を通じて国内の消費者の手元に
渡るときにはかなり高価になってしまう。日本製の自動車やカメラは、東京よりもニューヨークの
ほうがずっと安い、という現象が現れている。

「値ごろ感」に安住しているからだ。
 輸出競争力を誇る規格大量生産型の工業製品も、実はこの仕組みから受益することで国際競争力も
維持してきた面がある。工場蔵出しコストを引き下げて国際競争力を維持する一方、引き下げ分の
多くを国内流通コストに転嫁してきたのだ。

合理化努力」の内容を見ると、本社管理機構や生産現場の人員を販売の
最前線、つまり営業支店や流通子会社に配置換えするのがかなりの部分を占めていた。要するに、
工場蔵出し価格を抑制することが合理化の主要な目的であり、このために工場の生産コストを
国内流通コストに付け替えたわけだ。
 したがって、蔵出しコストは下がり、蔵出しコストから算出される輸出価格は下がった。
しかし、そのために国内での流通コストはますます高くなり、内外価格差が拡大する結果となった
0397堺屋太一垢版2017/06/14(水) 21:24:34.64ID:F8StfgTj
 経済的営みは、物を造る(製造業)、価値を移す(物販、金融、通信など)、人を呼ぶ、の3種類。人を呼ぶ営みは、人を楽しませ歓ばせる積極的方向(イベント、観光など)と、人の苦しみや煩わしさを減らす消極的方向(医療、介護、安全、治安、保険など)がある。
 人を呼ぶためには意(Will)がなければならない。意とは、意志であり、意図であり、意味である。意が明確でないところに人は集まらない。
 人を呼ぶ上で重要な意味を持つのはイベントである。恒久的事業も臨時的なイベントの連続と考えてよい。
 イベントとは「臨時的な装置と演出によって、非日常的な情報環境を創造し、多数の人に対して、通常では感じられない心理的肉体的な刺激を与え、特殊な情報伝達環境を生み出す」事業である。
 臨時的(聖なる1回性)だからこそ大胆になれる。非日常性だから興奮を呼び、通常の採算性を超えられる。多人数を集めるから人と人のふれあう熱気が生まれ群衆ならではの心理効果が生まれる。
真実よりも印象が大事。参加者が持ち帰り次に伝えるひと言による情報波及効果こそが大切。イベント企画は、はじめからこの「ひと言」を想定して、企て(コンセプト)を作り謀(ストーリー)を練らなければならない。
 意志決定のコストはその商品が社会に普及するまではきわめて高い。当該商品が消費市場の5%まで普及すると急激に意思決定コストは下がりだす。
「みんなが持っている」の「みんな」とはおおむね5%。市場普及率が5%を超えると大量生産効果が出て生産コストが下がり、意志決定コストが低下して販売コストも下がる。
 専門業種で真に知価創造的なコアは100人である。コア100人は概して所得が高い、そのまわりのディープ・プロフェッショナル(1000人くらい)がそれに次ぐ。しかし、コアが活動できる期間は短い。もっとも息が長いのは行政や一般教職などの都市従業者。
0399堺屋太一垢版2017/06/14(水) 21:28:46.89ID:F8StfgTj
腹の立つことよりも面白いことを好む人は多い。イベントを成そうとする者はそのように信じ、そのように向けねばならない。
不況だからイベントができないわけはない。イベントをすることで景気がよくなり世間が浮き立ち政治はしっかりとまとまる。
 沖縄の美しさを宣伝するために招聘した篠山紀信(写真家)は、沖縄の人(特に女性)をモデルにした。それから沖縄のタレント探しが盛んになった。
沖縄アクターズスクールなどのタレント養成機関ができあがった。
このため沖縄出身のタレントは非常に多い。それもまた「美しい沖縄」のイメージ作りに役立っている。
 博覧会などのイベントの開催を提案した人は、断固としてその目的や好みを宣言し、押し通すべきである。資金を出す者は自分の意志を明確に発揮すべきである。
 ブレイン・ストーミングは個性と独創を阻む。大勢で議論すると独創的な企画は消され、前例のあるものが残る。
メンバーの中から技術的困難や未知の不安を言い出す者が出るから。芸術文化に多数決はない。
 代理店や総合研究所のような組織ではなく、発案者が信頼できる個人を探すべき。
 企画担当のプロデューサーと事務面の分担を明確にすること。事務局長には能吏を置き、企画や美意識に口出しをさせない
0400堺屋太一垢版2017/06/14(水) 21:31:19.72ID:F8StfgTj
プロデューサーは独創と面白さの追求に徹する。結果よければすべて良し、に徹するのがプロデューサーの仕事。
 がっちりと組み上げられた官僚組織は、一担当者が欠落するとその系列すべてが機能しなくなる。東ドイツの官僚組織は1989年秋にはそうなっていたらしい。
だから同年11月に一部市民がベルリンの壁を毀し始めたとき、東ドイツ政府は即応体制がとれなかった。
 プロデュース10段階。(1)意志の確立/理念の設定(2)コンセプト(概念)の明確化(3)ストーリー・メイキング(できあがったときの姿を描き、目標を示す)
(4)シンボル(3000万人以上の入場者と入場料800円などの象徴的表現)の設定(5)基本構想(プラン、スケジュール、仕組み)
(6)基本設計(空間計画、運営構想、予算設定)(7)問題点の究明と相互関係の確認(8)実施計画(9)総点検(10)実施設計、実行スケジュール、資金計画の確認。
 真に良質な文化は、誇りと体裁でスポンサードする個人や企業の協賛寄付も含めてみれば、必ず儲かるはず。真剣に取り組み、適切な場を与えれば、良質な文化は人びとに愛好され、話題となり、必ず儲かる。文化とはそのようにして育ったものである。
 終わりよければすべてよし。最後の完了に臨む者だけが真の歓びを味わえる。イベントは結果が大切であり、そのためには時として人間関係は後置される。
終身雇用や年功序列などの永続的相互関係を重視する日本型組織は苦手な仕事。それを克服するには「終わりよければすべてよし」の精神を徹底させることである。
0401堺屋太一垢版2017/06/20(火) 14:06:34.83ID:OlBys3fp
第三の形は、一時的な利益(効果)のために、組織全体を危くして顧みない「延長の誤謬」である。これもまた日本の官庁には一般化した現象だが、企業でも珍しくない。

機能体には長期的永続性ではなく、負担の最少性こそ重要である。つまり機能組織では、目的達成の効率が大切だ。従って、機能組織では構成員も能力のある期間のみ参加させ、その間に最大の能力を発揮させるのが最良である

組織は組織の作られた目的とは別に組織自体の目的を持つ。そしてそれは、構成員の組織人としての幸せ追求にも通じている。一旦共同体化がはじまれば、
それを肯定する人事と資源配分がますます強化され、やがては「正義」を以て語られるようになってしまうことだ

組織の問題には、組織の構造(体質)の問題と、組織の志向性(気質)の問題とがある

物財が少なくなった。さあ、困ったという閉塞感が広まったときに、物財に興味を持たない発展途上国の文化が入ってくると、
たいへん神聖な感じがします。そこで先進地域の人々が発展途上地域の宗教や思想に傾斜していく。これが古代から中世への転換点です。
0402堺屋太一垢版2017/06/21(水) 14:43:54.45ID:wqRlLF3r
組織を管理するために、必要な役割は、一部局一機能の長を任す「部門長」、組織のスタッフ部門、企画部とか開発部に当たる「参謀」、そして「補佐役」の三つである。
組織とは、それを作った目的と出来た組織が持つ目的とは異なるものであるため、組織を全体から見た合目的性を貫徹するためには、
組織全体のコンセプトを明確にし、その組織の目的を謝りなく伝え、基本方針の決定と伝達し、「総合調整」する必要がある。また、時には構成員の心理に打撃と混乱を生む事態も起きうる為、
トップは、時には個人的な人情を捨て、忠実な部下に不利益を与えなければならない。この場合、トップはよりよい方法で自らの役割を果たす必要がある。その方法は、あらゆる意味での「ことば」を利用し、
トップの意図や意向を表明する方法であるが、「ことば」には粉飾が避けられない為、疑われることも多い。よって、行動による指導を伴わなければならない。そして最後に、「雰囲気による指導」がある。
 次に、機能組織の現場の指揮者に適切な人材は、専門的な知識が深くなければならないこと、適切な判断力が必要であること、勤勉であること、
それぞれの指揮する部門の大きさに応じた範囲内での人心把握力があり、最後に、敵を恐れぬ適度の勇気とトップを恐れるほどの臆病さも必要であることが挙げられる。
0403堺屋太一垢版2017/06/21(水) 14:44:49.81ID:wqRlLF3r
 次に、動員計画から作戦や陰謀までを企画するスタッフである参謀には、「創造力」が重要であるため、情報の収集と分析を好み、先見性を養う必要があり、また、その創造力は、
常に現実可能性がなければならない。そして、企画に対する積極性が必要なのだが、時には、企画がトップまたは中央管理機構に拒絶された時には、固執しない発想の軽さも求められる。
 補佐役は、隠れている小さな問題点や日常的に発生する庶務雑事を発見・解消に努める役であり、世の組織を運営する上で、最も得がたい人材である。その条件は、自分の功を顕示しないことへの歓びである「匿名の情熱」や、
トップの基本方針の枠を超えないこと、そして絶対に「次期トップ」ではあり得ないことである。さらに組織が大きくなれば、悪役「負の補佐官」の存在も、トップの防壁等の役割を果たすため必要になってくる。
 組織が永続する上での重要問題として、「後継者」の選定または育成があるが、組織の中で、その地位を長く保つ最も確実な方法は、後継者を作らないことである。
 昔から後継者としての行き方には、事業も人事も、前トップのすべてを引き継ぎ、そっくりそのままマネをすることに努めるタイプ、
前トップの重用した老臣や重役に全てを任せ、自己の意思を出さないタイプ、前トップとは全く違うことをする三タイプに分けられる。
0404堺屋太一垢版2017/06/21(水) 14:51:42.92ID:wqRlLF3r
組織には「天寿」がないので、組織を預かる者は、常にその健全性を注意深く点検していかなければならず、
組織の点検も、いろんな角度と水準と方法で行わなければならない。また、組織と関わる者も、そんな用心深い考察が望ましい。組織点検の技術はきわめて広範な利用価値のあるノウハウである。
 組織を点検する者は、予算論、人員論、施設論、人材論に陥ることを避けなければならない。部門組織の長や組織の管理者は、この四つを持ち出す前に、組織的欠陥の有無を徹底的に点検してみなければならない。
 組織の点検とは、第一に「要素の点検」がある。組織的な視点での比較検討が必要である。第二段階の点検は、「中身の点検」、つまり効率検査である。組織の点検においては、常により効率的なやり方があるのではないかという視点から厳しく見る必要がある。
 組織全体としてより重要なのは、「仕組みの点検」、つまり体質検査である。この点検に当たっては、第一には、現に行われている仕組みが、どのような理想を描いて作られ、どのような目標を持ったものかを、明確に捉えることが必要である。
第二には、現にある仕組みが、どのような環境に対応して作られたものかを見極めることである。第三には、現にある仕組みが、どのような結果を生んでいるかをみきわめることだ。そして最後に、現にある仕組みが、どんな方向に作用するものか点検することも大切である。
 長く一つの仕組みを続けてきた組織が、陥りやすい落とし穴は、仕組みを変えずに、その欠陥を取締まりによって防ごうとすることである。これは、一時的な効果しかないのだ。
組織の改革を目指す者はみな、まず要素を点検し、次いで中身を改革しようとするが、中身を二度改革して効果がなければ、必ず仕組みを点検しなければならない。これを怠ると、組織は確実に衰退する。
0405堺屋太一垢版2017/06/21(水) 15:01:41.24ID:wqRlLF3r
情報技術の変化という環境変化があげられる。そもそも非属人的な近代的組織というのはあらかじめポストを用意しておき、
そこに適していると思われる人材を配置するという仕組みである。この仕組みは安定性がある一方、
必ずしも適任とは思えない人材であってもポストを埋めなければならないという難点をも抱えるものである。これは実に恐ろしいことである。
 しかし現実問題それほど悪い結果がおこるということはあまりない、むしろ「地位が人を作る」の文字通り最初頼りなくともいずれそれらしくなっていくものである。
 なぜなら情報環境を決定するのは地位であり、近代組織においては組織内の情報が地位の順に上下に移動するのからである。
近代組織はこの上下の情報の量と質のバランスによってなりたっているのである。
 しかし重要なのはこの組織内の情報流通が、主として対面情報交換によって行われていたということである。つまり人間同士が顔を見合い情報を伝達していたのだ。
 それが今直面している変革の波は、その形態まで変化させている。コンピューターの発達により、
コンピューターネットワークがあるところならいつでもどこでも情報を引き出せるようになったのである。
このようにコンピューターネットワークによりすべての情報が抽出できるとなった場合、前述した上下の情報の量と質のバランスが成り立たなくなるのである。
この情報伝達の変化は組織だけでなく、組織に属する個人にとっても深刻な問題である。
なぜなら現在の中高年が積み上げてきた対面情報の有用性が下がり、
中高年には不得手な人が多い機械情報の有用性が高まれば、組織における権威にも影響しかねないからである。
組織における権威は個人の持っている技術・知識・ノウハウによって決定されるべきなのである。
0406堺屋太一垢版2017/06/21(水) 15:15:00.06ID:wqRlLF3r
1.経営環境の大変化 2.三比主義からの脱却3.「価格ー利益=コスト」の発想
4.「利益質」の提言5.ヒューマンウェア(対人技術)の確立6.経営の理念=あなたの会社の理想像は
0407堺屋太一垢版2017/06/21(水) 15:18:53.02ID:wqRlLF3r
4.「利益質」の提言
利益質の基準には1.外延性2.継続性3.好感度がある。
車などが、街にあふれ、排気ガスの問題などが世間で生じるようになってから車の無制限な販売を批判する声がでてきた
世間好感度を得ることは、人材の募集から公的機関の支援や危機管理にいたるまで、企業経営と組織運営に大きな利益をもたらす。したがって、
世間好感度の得られる事業による利益は、そうでないものよりも、はるかに大きな潜在資産を生むわけである。

6.経営の理念=あなたの会社の理想像は
最後に全てにかかわる重要な問題は、企業の理念の確立である。難しく考える必要はない。経営の理念とは要するに企業の理想像、
つまり「どんな会社になりたいか」ということである。企業に、将来どうなりたいのかという理想がしっかりとあれば、
土地投機や財テクなどあまりしなかったはずである。人間にとっても、
組織にとっても、理想を知ることこそが理想を実現する第一歩である。「経営の理念」とは、
それぞれの企業の理想像、つまり「なりたい姿」のことだ。それを、経済的な有利不利にも、
世間での好評不評にも、将来の成長や不安にも捉われることなく探り出して見る必要がある。
それを、取引相手や従業員や世間に、どのような表現で発表伝達するかはまた別の問題である。
本当に「したいこと」「なりたい姿」を見つめる前に、経済的有利さとセ世間の評判と将来の安心を考えるのは本末転倒、経営の理念を見失う結果になるだろう。
0408堺屋太一垢版2017/06/22(木) 13:52:40.34ID:bd8vorys
独占が困難になる第三の理由として、一九八〇年以降の「大競争時代」には、新規参入が
しやすくなったことが挙げられる。
 七〇年代までは、産業施設は巨大化し、巨大化するほど大量生産利益が出て有利だと信じられて
いた。したがって、いったん巨大装置や大規模システムを持つ企業が出現すると、新規参入する
ことは事実上不可能だと考えられていた。つまり、企業の吸収・合併や、競争相手の打倒によって
独占を形成すれば、容易に独占価格を維持できたわけである。
 ところが、今や国際的な資本の流動が激しくなり、かなりの規模の参入が可能となった。
その一方で、コンピュータ化の進捗と需要の多様化によって、設備そのものが小型化した。
このため、あらゆるところから新規参入が起こりうるようになった。コンピュータ制御装置の
普及で熟練が不要となったため、発展途上国からの新規参入が容易になったことは重要だ。
現に、コンピュータ部品から石油化学製品や航空輸送まで、大小さまざまな商品サービスが
発展途上国の新企業からの挑戦にさらされている。
以上の三つの理由によって、法外な独占価格が長く維持されることは、政府の介入がない限り
ほとんど不可能になった。いや、国際競争と代替産業が参入する今日では、日本の国鉄や
コメのように、政府の介入があってさえも、独占価格は長期的に見れば破られてしまう
0409竹内 靖雄垢版2017/06/24(土) 23:45:45.26ID:GiGH0tWu
@安く買ったものを高く売る。 A安く作ったものを高く売る。 Bカネを貸して利子を取る。
Bも昔から金貸し、高利貸しによって行われてきたものである。これは要するに、
「一定期間カネを自由に使用させるというサービス」を売って、その代価として
利子をもらうやり方である。売るのは「カネの使用権」であってカネそのものでは
ないから、カネは一定期間後に返してもらわなければならない。これは百万円の
カネに、たとえば利子がついて百十万円に増えるので、いかにもカネが増えた、
自己増殖した、というふうに見える。
それを見て、プラトンやアリストテレス以来、哲学者たちはカネが利子(ギリシア
語ではトコス=子供という)を生んで自動的に増えるのはおかしいと考え、利子を
取って金儲けすることに反対した。キリスト教も同様に、利子を禁止する立場を
とった。金貸しはユダヤ人の仕事となり、ユダヤ人は憎まれながらキリスト教徒に
カネを貸し、やがてキリスト教徒自身も、利子を取ってもいいという理屈を工夫
しながら、金貸しをするようになった。今でも多くの人が高い利子を取るのは
不当であるという感情を抱いている。しかし利子とは、カネを使わせてもらうという
サービスに対して払う代価であり、それが本来タダ(利子がゼロ)であるべきだ
という理屈は成り立たない。
0410竹内 靖雄垢版2017/06/24(土) 23:51:14.80ID:GiGH0tWu
 この金貸しによる金儲けは、@の「安く買ったものを高く売る」形でも行うことが
できる。すなわち、安い価格=利子でカネの使用権を買い、それを高い価格=
利子で別の人に売ることで、その価格=利子の差額分が儲かる。これは銀行が
やっていることで、銀行は低い金利で預金を受け入れ、それを高い金利で
貸しつけることで儲けている。銀行は典型的な資本主義をやっているのである。
しかし、バブル崩壊後、政府・日銀が超低金利政策をとって、預金金利を
限りなくゼロに近づけていたのは、預金者を犠牲にして銀行が儲かるようにし、
銀行を助けていたことを意味する。国がこういうことをするのが社会主義なのである。
資本主義ではレフェリーは反則を取り締まるだけで、試合に手を出してどちらかの
選手を助けたりしない。社会主義では、レフェリーが時に一方の選手を殴ったり、
パンチを防いでやったりして、自分が勝たせたいと思う選手を勝たせるように
介入しながらゲームを管理するのである。

///////// 「日本型社会主義」との決別 /// 2001年発行日本経済新聞社
0411金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/06/28(水) 02:22:02.11ID:0Ozzo2Se
/// ジャパン・パッシングの時代 2 ////////
いまの日本は、依然としてコマーシャリズムを排除し、看板の規制も賭博の禁止も
きわめて厳しい。依然として「自由」と「楽しさ」を「正義」としていないのである。
 総資本主義化の時代を支配するのは、「大衆から代金を取って成り立つものが
生き残る権利がある」という消費者主権の原理である。特定の役人や文化人が
大衆市場から離れた評価を下して、税金(強制的に取り上げたお金)で文化や
産業を養う時代ではない。商品として消費者が購入する、産業として成り立つものが
生き残り栄えるべきだ。つまり、消費者大衆の選択こそ正しいというのが、消費者
主権の考え方である。
/////////////////// 「次」はこうなる /// 堺屋太一

/// 霞が関封建制 54 ///////////////
戦後から今日にかけて確立してきた官のエラさ、支配力の源泉は何か。
それは国民の税金を集めて使う権限にほかならない。官は税金から高給をもらっている
わけではないが、税金の使い方を決め、それを自分たちで使う権限をもっている。
これがいかに大きな「力」であるかは、日頃自分で稼いだ自分のカネしか使ったことのない
一般人には想像できないであろう。そして官のもう一つの力は、いうまでもなく、
ナワバリの中にいる企業や人間を規制し、保護するという仕事から発生する。そして
この仕事や規制の根拠となる法律は彼ら自身がつくる。規制や行政指導に従わない
企業や団体に対しては、カネ(補助金)を出さない、各種の許認可を出さないという
「制裁」を加えることができる。
//////////////// 「日本」の終わり ///竹内 靖雄
0412堺屋太一垢版2017/06/28(水) 20:21:21.57ID:0Ozzo2Se
人口減少問題は国家存続の危機であり、「焦眉の急の重大事」だ。最低でも年10万人の外国人を受け入れて「次世代日本人」を養成することが必要だ。
1976年に未来予測小説「団塊の世代」を発表した。47〜49年生まれの団塊世代は極めて多く、彼らの高齢化が終身雇用制度を持つ企業の負担となり、やがては社会保障費増で国の財政問題につながると予想した。
 しかし、当時の官僚や人口問題の専門家は「団塊世代の子、孫の世代と30年ごとに人口が増える」と耳を貸さなかった。当時、政府では人口増を前提に土地が足りなくなるとして可住地を増やすことに熱中した。
現代はどうなったか。団塊の世代の孫世代は出生率が低く、少子高齢化が進んだ。労働力減少で企業は人手不足に陥り、耕作放棄地や空き家の増加が問題となっている。今後さらに高齢化や過疎化は進むだろう。
外国人に日本語や法律、習慣を学んでもらい、試験も経て永住してもらうしかない。一番良い例は「相撲部屋」だ。外国人力士は日本語が上達し、犯罪も少ない。
相撲を通じて永住する意欲がある。企業も同じように、外国人だけの集団をつくらず、日本人の中で生活習慣を身に付けてもらうことはできるはずだ。
現在の技能実習制度は3〜5年で母国に追い返す。これでは外国人が日本社会に溶け込もうという気にならない。外国人による不動産や農地取得を緩和し、一定の語学力や資産を持つ人には永住権を与えてはどうだろうか
0413堺屋太一垢版2017/06/28(水) 20:22:30.75ID:0Ozzo2Se
経済成長を目指さず「身の丈に合った国」でいい、という意見も聞くが、人口減や経済停滞が「ほどほどの水準」で止まる根拠はなく、加速度的に縮小する恐れがある。
 日本はドイツのような移民受け入れになじまない、という論調もある。ただ、歴史をみれば17世紀や19世紀に日本は中国や朝鮮から大量の移民を受け入れた。
忠臣蔵で吉良邸に討ち入りした武林唯七(たけばやしただしち)の祖父は中国出身だ。工芸分野のほか、各藩の医師や書記となった者もいた。
 海外出身者が「次世代日本人」になった将来の日本では、明治維新後の「大正ロマン」のように美意識の多様化が起きると想像する。日本初の喫茶店を開いたのは中国人だし、神戸でハイカラ文化を生み出したのも中国人だった。
アジア諸国では今後10年で高齢化が進み、日本を含めた人材の争奪戦になる可能性がある。残された時間は少なく、政治主導で「次世代日本人政策」を進めるべきだ。
0414堺屋太一垢版2017/06/30(金) 15:37:58.46ID:tv8Ztx0A
二十世紀の前半に恐れられた「市場の失敗」の危険がなくなったわけでは
ないが、民間資本による独占はまず不可能になった。冷戦の結果、世界が
知ったのは、「市場の失敗」よりもはるかに恐ろしい「官僚の失敗」である。
 こうしたことが、経済の自由化を促し、総資本主義化の基本的条件を
生み出した。だが、これに対して、長い間、日本は懐疑的だった。
0415堺屋太一垢版2017/06/30(金) 15:39:22.55ID:tv8Ztx0A
 総資本主義化には、それを実行しているアメリカやイギリスにも批判はある。
「アメリカの経済は成長し、大小の企業が大量に誕生して失業者が減り、
技術は進歩して非常に活性化しているのは事実だが、貧富の差が拡大して
国民多数は必ずしも幸せになっていない」というのがそれである。
実際、この批判は、多くの人々に古くからある危険を思い出させる。
その一つは、ブラック・マンデー再来の心配だろう。
 一九八七年十月十九日、アメリカの株価が暴落した。この日は今も
「暗黒の月曜日」と呼ばれている。あれから十年余、アメリカの株価は
四倍以上に上昇したが、それだけに暴落を危倶する声は大きい。その
背景には、貧富の格差の拡大はいずれ需要不足を生み大不況に繋がる、
という伝統的な経済理論がある。
 ところが、現実には、アメリカ経済の活力は一向に衰えない。そうなると、
貧富の格差は拡大しても不況にはならない、それはむしろ肯定すべき
現象だ、というニューエコノミー派が登場した。
アメリカに住む単純労働者は、アメリカにいるがゆえにメキシコにいる人の
数倍、中国四川省にいる人の百倍の賃金を得ることができる。アメリカには
単純労働者でも高い生産性を上げられるような優れた組織や施設があり、
優れた経営者や技術者がいるからである。
0416堺屋太一垢版2017/07/01(土) 02:08:04.21ID:boSsXz8H
全体主義には、左翼社会主義と右翼民族主義とがあるが、この二つは、資本主義的
自由競争の結果として生じる格差を縮小することを意図して起った点では、共通の倫理基盤を持っている。
 違いは、社会主義は「入口論」、右翼民族主義は「出口論」ということだ。つまり、
左翼社会主義者たちは、生産手段によって生じる所得の格差に問題があると考え 生産手段の国公有化を主張した。
 一方、ナチスやファシズムなどの民族全体主義は、財産を所有して上手に運営する
のは国民経済にとってプラスだから生産手段の私有は許すべきだ、問題はそれに
よって得た所得で個人的に贅沢をする奴がいる点にある、財産に不均衡があっても消費を平等にすればよい、と主張した。
 そのため、学校は全部国民学校、自動車は全部国民車、服装は全員国民服、 遊びに行くのは国民休暇村、医療は一律の標準医療と、消費の規格を試みた。
 右翼民族主義者は消費を監督したがる。そのため「民族の文化」という均質性を
生み出そうとする。これがいまも日本の官僚社会には強烈に続いている、いや、いまこそ強くなった、といってもよい。
 学校の教師が生徒の服装や髪形を管理したがるのは、学校全体主義だ。
県の教育委員会や文部省が一律化して、より大きな全体主義をつくろうとする。
こんなことが許されている限り、日本が魅力的な国になることは絶対にあり得ない。
 税金は払わなければいけない。けれども、税金を払った残りを何に使っているかなど、国が関心を持つべきことではない。
 一部の週刊誌は覗き趣味的な編集を行う。これは止み難い人間の「悪しき欲望」だ。
けれども、国が消費に対して監督することを肯定する思想だけは、完全になくさ
なければいけない。日本には、いまなお全体主義的官僚統制思想が根強く残っているのである。
0417堺屋太一垢版2017/07/01(土) 03:12:15.79ID:boSsXz8H
「このままでは日本が亡ぶ」
 などとよくいわれる。いまもそんな危機感をもつ者は少なくない。しかし、
「亡ぶ」といっても国土がなくなるわけでもなければ、国民がいなくなるわけ
でもない。昔なら列強の植民地になることであったが、いまでは他国を
植民地にしようなどという野心をもつ大国もいない。
 従って、「日本が亡ぶ」というようを漠然とした危機感を掻き立てるのは
正しい警告とはいえない。現実の問題として、日本が直面している危険は、
「発展途上国に逆戻り」することだ。世界の中で相対的に経済水準が低くなり、
政治的交渉力と文化的影響力を失い、カネと人と情報が来ない「片田舎」に なってしまうことだ。
 戦後の体制をあと二十年も続けたら、日本は確実に発展途上国に 逆戻りするだろう。
では、一九九〇年代に入って、なぜ日本は遅進国になったのだろうか。その最大の
原因は、戦後の日本を成功に導いたシステム、「官僚主導型業界協調体制」にある。
 このシステムは、ある段階までは日本の進歩と成長に大いに役立った。
しかし、それが完了したとき、このシステムでは、それ以上の発展は困難になった。
自ら創造性を発揮する個性の育成と活用ができないからである。
 一方、一九八〇年代から九〇年代に入ると、世界は著しく変わり、猛烈な速さで 進み出した。
 その進歩をつくりだしたのは、冷戦構造の終焉によってはじまった総資本主義化 現象である
0418堺屋太一垢版2017/07/02(日) 15:10:53.22ID:YluiXdyF
私は、鉄道の専門家ではございませんが、経済学と、それから万国博覧会というものを何度もプロデュースしてきて、多数の技術、人員、要素にま
たがった仕事をいかにやるべきかというような経験を積んでまいりました。現在、上海で万国博覧会、上海世界博が行われておりますが、
これは1984年から私が26年間、何十回も上海に通って作ったものでございまして、初めての人にこういうものを指導すると
いうのはどういうことかというのも十分経験いたしました。28歳のときに日本万国博覧会を開こうと言って、そのとき、今少し最後に出ましたけ
れども、技術というものは発明するのではなしに集めるんだ、技術をいかに探すかというものが大事だと。この事業は、幸いにして8年間で完成をいたしまして、
292億円の黒字を出しました。当時の国家予算の約0.8%、今日でいうと70億円ぐらいに当たるわけです。
それで、今までいろいろなプロジェクトを調べまして、東京オリンピックから東海道新幹線、どこやらの高速道路、
本四架橋、アクアライン等、あるいは関西新空港とかを調べて、予算の範囲内でどんぴしゃり合ったのは、日本万国博覧会と、今回の上海の私たちが
やっている日本産業館、これは全く白紙で敷地も決まらないときに国のお金として429
億円かかりますと言ったら428億8,900万円で終わった。これはどこかというと、プロデュースシステムなんです。
公共事業をおやりになるとき、例えば東京オリンピックもそうでしたし、関西新空港なども深くかかわりを持たせていただいて、そうなんですが
めちゃくちゃ増えるんです。これが私は一番問題だと。いかにいい技術でも経済的採算の合わない事業は、国防とかそ
ういう面は別として、およそ世界に通用しないし、日本でも通用しない。それで、つくったけれども使われないとか、あるいはせっかく成田にあれだけのお金をかけながら、
また羽田へ持って帰るとか、世界中を見ますと、仁川と金浦とか、全部分かれております。ま
た、日本だけ持って帰らなければいかんとか、どこがよくないかというと、総合プロデュースの段階でプロデュースシステムができていない
0419堺屋太一垢版2017/07/02(日) 15:18:21.15ID:YluiXdyF
だから、今回の事業をJR東海がお進めいただくときに、全体の問題、技術の問題、経営の問題、資金調達の問題、人事の問
題、PRの問題を一体的に掌握することが一番大事なのではないかと思っています。中央新幹線に日本の新技術をお使いになる、
リニアをお使いになるということは、世界への技術宣伝効果からも、今、日本はだめだという感じがはびこっておりますから、
私たちの青年時代までは日本はアメリカの次に強い国で、野球でも準優勝ではいかんと言った
のが、今度は16位に入ったらサッカーは大喜び。神様扱いで、よくぞ日本が16位に入
ったということになっておりますが、こういった国民の士気の低下をいかにして食いとめるか。実は、これは深刻な問題です。
例えば、今、中国の万国博覧会で電気自動車が非常に発達いたしました。人口50万人毎日来る町に、ガソリン車が1台も入っていない。
救急車もごみ集めもパトカーも、全部電気自動車で行くというシステムになっている。これは、自動車業界の方に言わせると、
日本は20年経ってもできないということができちゃったという感じなんですが、それぐらい差がついちゃったんですね。
電気自動車ではもうだめだから、リニアぐらいは日本が取り返したいという意味で、私はぜひ推進していただきたいと思うんです。
しかし、赤字になったら、全く技術は意味ありません。いかなる優秀な技術も、赤字になったら意味がない。そのことはコンコルドでよく示されました。
あれはすばらしい技術の塊でございましたけれども、経済的採算が合わなかった。たちまち――たちまちとは言
いませんが、二十数年間で大赤字を出して廃止して、あの技術を継承しようという人は、今、どこにもいなくなってしまいました。全くだめな技術だと。
あれだけ高度の技術が全くもう人類文明から否定されるという事態が起こっております。
そういう意味では、技術的成功として高速運転、短時間運転、無事故、それからフリクエンシーが大事です。どれくらいの頻度で動けるか。
2時間待たなきゃ次に乗れないというのでは新幹線に乗ってしまいますから、フリクエンシーの問題がすべての交通機関の一
番のポイントであります。それから、経営的な成功、採算は絶対に黒字にならなきゃいけない。初年度から黒字にならなきゃいけないでしょう。
0420堺屋太一垢版2017/07/02(日) 21:43:27.00ID:YluiXdyF
それから、高いサービスと乗客の好評が大事です。この両立を不可欠にするためには、経営的に赤字を出さないほどほどの
技術。どれほどの技術をつくればいいか、そういった評価が大事です。
技術者にお任せすると、どうも高級技術をつくる。家田先生はガラパゴス現象と言っておられますが、私はゼロ戦化現象だと思っておりまして、
どんどん高級な専門家ばっかりで技術をつくると、素人が使えないものになって、ベテランパイロットが死んだら一遍に負けちゃうという事態になるわけです。
そういう心配が非常にあります。経営の失敗的原因というのを探ってみますと、極めて明確に出てまいります。これまで
の国土開発事業で経営的に失敗した例を見ますと、まず第1は需要の過剰想定です
0421堺屋太一垢版2017/07/02(日) 21:49:43.81ID:YluiXdyF
ひもといてみますと、本四架橋もアクアラインも全部黒字だという前提でやっております。ど
こが黒字かというと、需要が非常に高く想定されているんです。その需要が高く想定された一番の原因は、発達の遅れた部分、本四架橋でございますと四国側、
アクアラインでいいますと千葉側にものすごい需要が発生する。住宅地ができる、何ができるといろいろ書いているんです。これが非常によくないところであります。
したがって、この問題の第2点は、リニア新幹線ができますと、今の国土政策を続ける限り猛烈なストロー効果が起こって、
名古屋や大阪は劇的に衰退するでしょう。そして、需要が激減するに違いありません。これは大変奇妙な現象です。交通と通信が便利になる
と首都圏一極集中が進むというのは、日本だけの現象です。1980年以来、世界の主要国で経済と文化の一番大きな都市が全国比重を高めた例は、
全くどこにもありません。一時、イギリスのロンドンが少し上がったときがありますけれども、他はがた落ちです。私もパリに家を持っておりましたけれども、
パリ及びイル=ド=フランスなんていうのはがた落ちで、80年代初めには上位100社のうち88社がフランスのパリ近辺に本社を置い
ていましたが、今は58社。どんどん外へ出ていきます。ところが、日本は全く逆なんです。どんどん東京に集めています。
特におもしろいのは、我々の業界、物書きの業界でございまして、かつては鎌倉、京都にも文人がたさんいました。ところが、電話が直通になると、
鎌倉には住んでいられない。ファクスが始まると、鎌倉みたいな遠いところにいてはだめだというので、皆さん大
体世田谷区の等々力あたりに移住されました。今度、コンピューターシステムになると、ほとんど全員港区に事務所を持たなきゃいけない。
もう鎌倉なんかに住んでいられないと。そういう需要に一番関係なさそうに見える、私の家内は洋画家ですが、洋画家というのは
芸術院会員全員首都圏ですからね。ほかには絶対住めないと。それで、東京の絵をかいていることは一枚もありません。これが日本の一番ポイントなんです。
要するに、東京にマスコミを全部集めて、世界に類例のないキー局システム、出版会社を東京に集めてくる
0422堺屋太一垢版2017/07/02(日) 21:58:24.94ID:YluiXdyF
歴史上全く初めての流通コントロールで東京にしか取次店を置かせない。一時関西につくるとか四国にということがありましたが、全部つぶしました。
そういう状態が続いている限り、このリニア新幹線ができると、東京以外は全部田舎になるだろう。これは財界の人
も皆さんお認めのところであります。そうすると、需要は激減します。このことをどういうふうに見ておくか。
したがって、国土政策の変更とともに、このプロテクトを考えなければならないと思います
0423堺屋太一垢版2017/07/02(日) 22:03:15.51ID:YluiXdyF
例えば、これぐらいの需要があるだろうなどという空想的結論を先に出して採算をつくり出すというようなことは、
絶対にやってはいけないことだと思います。したがいまして、地元の要望や時代の要求に応じ過ぎるという欠点があります。
例えば、関西新空港などはちょうど成田の問題などがあって、それを回避するのが第一だと。88年当時のビデオを
見ていただきますと、成田の失敗を繰り返すなというのをあらゆる番組が40回ぐらい言っている。何か言ったら成田の失敗。
だけれども、その結果、沖合へ出したとか、いろいろなことで大赤字を出して、しかも不便になって、結局、今も問題点を残しています。
そういうことは、断固避けなきゃいけない。当時の雰囲気としては、経済が成長するから、それぐらいはいけるだろうと言ったのですが、
これが問題です。もう一つは、お金で済むことならという意識がものすごくあります。特に、技術のすぐ
れたものを追求するために、お金で済むことならと、すぐ言うんです。5億や10億、5,000億や6,000億と言うんですが、
お金で済むことは最も大事なことでありまして、お金で済むことは技術をつぶすことです。これは肝に銘じて考えなければいけない。
私たちも日本万国博覧会をやるときなんかは、世界的行事で国賓だけで36人も来るから多少のことはと言ったんですけれども、絶対に使わせなかったから残りました。
そういうプロデューサーがぜひ必要だろうと思います。その次は、少数の反対とマスコミの論調を恐れることです。関西空港はいい例なんです
が、神戸に造ろうとしたときに6人の主婦が反対に押しかけたために、それがだめになりまして、今のところに決定しました。
その後、神戸市は反省して、神戸空港を造るなどと言い出して、小さな空港を造る羽目になるわけなんですけれども、少数の反対をいかに説
得していくか。このヒューマンウエア、対人技術は、日本はほとんどゼロであります。日本の企業が終身雇用で忠誠心のある
従業員のみを前提にしておりますから、そういうところが発達しません。博覧会など、6カ月しか雇わない人を使ってみると一遍にわかります
けれども、いかに日本が遅れているか。今の中国と比べても格段に日本のヒューマンウエアの遅れが目立ちます。マスコミの論調をいかに誘導するかも大事なところであります。
0424堺屋太一垢版2017/07/02(日) 23:09:00.28ID:YluiXdyF
その次に、このプロジェクトの問題として、建設主体の問題があります。建設主体が今はJR東海でございますが、かつて国鉄であった、
あるいは国であったというような事業を見ますと、技術的満足を求め過ぎる。これがゼロ戦化現象の原因なんです。技術者が技
術的満足を求め過ぎる結果、上等なものを作るんですけれども、上等なものというのはど
んどん需要が先細りになるんです。鉄道交通機関というのは、やはり大衆品、大勢乗ってくれなければもうかりません。
特に、今そうなんですが、ある技術の末期になりますと、超高級品が出るという現象があります。例えば、鉄道が始まったとき、衰退産業になりました
馬車は超高級馬車をつくるんです。今も博物館にありますけれども、12人乗り寝台馬車というものをつくって鉄道に対抗しようとした。飛行機が始まった初めには、超高級汽船が出ました。
今の汽船は遊覧汽船ですから、カリビアンとか何とかで走っているやつは行ったところへ戻るので、交通機関ではありません。
ところが、オイローパ号とかクイーンエリザベス1世の時代は交通機関として競争しようとした。必ず超高級品が出ます。それで、非常に高いものにな
るという現象があります。リニアモーターカーも最後の鉄道として超高級、不採算に陥らないかどうか、これは十分に研究、検討する必要があります。
2番目には、資金計画の自己完結型の考え方です。今や世界中、資金は市場で調達するものでございまして、自己で積み立てるものではありません。これは大変重要な、198
5年ぐらいから始まる地価革命の最も重要なポイントなんです。したがって、採算を考えてJR東海さんがおやりになるにしても、どのようなファンドを組むか、どのような資金
調達をするか。償却を積み上げて実行するというのでは、次に述べますように、この事業
は採算に乗らないでしょう。だから、JR東海さんが社債を発行するか、特別ファンドを組むか、とにかく一気に東京&#8722;大阪をやらないと、東京&#8722;名古屋で途切れると絶対に採算
に合いません。これはおよそ経済、経営を知っている人なら、だれでもわかる話でござい
ます。そこはもう短時間で、それから建設利子が、今は安いですけれども、かさみますから、短時間で一気にやらなきゃいけない。
0425堺屋太一垢版2017/07/02(日) 23:17:51.67ID:YluiXdyF
東海道新幹線は五、六年でできたんですが、最近はどんどん長くなっています。中国のチベットと青海省を結ぶ鉄道なんていうのは、
海抜5,200mの希少な空気のところを通るんですが、わずか4年弱で造っております。日露戦争を急いだときのシベリア鉄道も、
全線4年でできているんです。そのぐらいのスピードでやらないと、鉄道というものは利子がかさむからできないと。帝政ロシアでもそう言っておりますし、
中国でもそう言っておりますから、この点は真剣に考えていただきたい。これは非常に重要なポイントです。
交通専門家は、交通専門家でなければわからないという思い込みがあります。これは一番危険なことでございまして、経営、金融の専門家がやはり中核に座るべきです。
あらゆる組織というのは、私の組織の盛衰を見ていただくとわかるんですけれども、一番最初にできた組織というのは技術長と事務長が完全分離から始まるんです。
これはエジプトの王妃の谷をつくったときに生まれたもので、日本でも大仏司と大仏造営司は別にできております。事務長の権限というのが圧倒的に強くやらなきゃいけない。
技術長の権限が強くなると、必ず失敗いたします。このこともまた重要なことです。それから、国粋主義に陥る。これは今、先生からもお話ございましたように、
日本の技術でなきゃいけない、我々でないとできないということを考えてはいけないということです。私どもも、万国博覧会などをやりますと、あらゆる技術が要ります。
映像も展示もシステムも相当なものが要ります。日本万国博覧会のときには博覧会協会のコンピューターはアメリカ国防省に匹敵する規模になりましたけれども、
それぐらいいろいろなものを使うんですよ。そのときに、これはできないと土木技術者、建築技術者が言うものがあって、それをぽんと公表すると、
例えば、ご記憶かと思いますが、40年も前の話で恐縮ですが、大屋根というのがあります。これを地上で組み立てて持ち上げる。足場を組むと時間がかかって費用がかかるから。
それを持ち上げる技術が日本の建築業界ではなかったんです。当時、まだホームページはあまりなかったんですが、それを世界中に公表いたしました。
0426堺屋太一垢版2017/07/02(日) 23:26:32.62ID:YluiXdyF
そうすると、アラビア湾で石油の掘削を持ち上げている技術が使えるという話が入ってきした。それで、あれが完成できたんです。
日本では、まさか石油屋という発想はなかったんですが、そういうものが出てきます。だから、国際技術あるいは鉄道技術だけにこだ
わらないということが必要になってまいります。現在の計画の問題点でございます。
私の伺っておる範囲では、間違っているかもしれません。新聞、雑誌、その他、いただいた資料等で確認したところでは、まず東京&#8722;名古屋だけを造るというのでは大赤字にな
ることは確実です。というのは、品川から発車して名古屋まで行くということになると、東北新幹線等のつなぎの問題もございますし、
飛行場化するんです。新幹線は速いけれども、行くまでに時間がかかると。
交通というのは慣れがございますから、すぐには変わりません。名古屋で乗り換えて大阪というのは、非常に非現実的です。大体エレベーターで
真っすぐ上にあったとしても、到着と同時に発車することは考えられませんから、五、六分の乗り換え時間でも大変な抵抗になります。これは専門家でない人は非常に嫌がるんで
す。だから、不動産価格でいうと、急行駅と乗り換え駅でどれぐらい違うか見ていただいたらすぐわかるんですけれども、やはり乗り換えは不可能だ。そうすると、当分の間、大
阪行きは現在の新幹線ひかりが使われるだろう。そうなると、東京&#8722;名古屋間というのはかなり赤字になるでしょう。そこへ、先ほど言いました地方の衰退化が起こります。名古
屋も、ここのところ自動車産業の流出で景気があまりよくありませんが、この調子では名
古屋&#8722;東京間の需要は相当激減すると見なければなりません。その次に、空港化の心配というのがあります。これは、新幹線は速いけれども、着いて
からが不便だということであります。品川駅をイメージするとすれば、他との接続はどうか。これは、成田、新関西、
セントレアでも散々苦労したところでございまして、この接続問題というのは大変問題です。したがって、東京を品川駅になさって、大阪は新大阪に
着くというような計画でなければできないのではないか、鉄道ネットワークにならないのではないかということです。
0427堺屋太一垢版2017/07/02(日) 23:30:49.75ID:YluiXdyF
それから、現在の東海道新幹線がかなり赤字になるでしょう。特に、東京&#8722;大阪以外の、京都はまだましですが、途中乗車客は今後相当の速度で激減するでしょう。
このシミュレーションは国のお考えではいつも甘いのでございますけれども、この激減は相当すごいものだと思います。したがって、
できるだけ早く制度、国土政策を考える必要があると思います。他の新幹線との接続をどうするか。中央新幹線と東海道新幹線、それから東北新幹線、
上越新幹線、東海道は品川で接続しますけれども、他の新幹線との接続はどうするかという問題も重要な問題です。品川で降りて東京駅まで山手線で来るというのは、かなり負担
になると思います。できれば東京素通りの列車、仙台発大阪行きというのがあるべきなんこの計画に当たって企画院等が考えましたのは、これから戦争に向かうに当たって、規
格大量生産をしなきゃいけない。日本の国土は規格大量生産の近代工業社会を形成するものにするということになりました。そのためには、東京一極集中でなければならない。強
引な東京一極集中政策がとられます。その中で、産業、経済の中枢管理機能と情報発信機能と文化創造活動は東京都以外でしてはならないという決定があります。
これは非常に強烈かつ厳格に守られています。そのためにどうしたかというと、各産業の全国センターをつくらす。電気事業連合会とか自動車工業会とか銀行協会、
その事務局は全部東京都以外に置いてはならない。東京以外にあるものも集める。です。それがどうしてできないのか。
いろいろ議論があるようでございますけれども、東北新幹線、上越新幹線を品川まで延伸するのかどうか、これも一つの問題になってくると思います。
さて、最後に、最大の問題でございます。中央新幹線は日本の国土構造を全体的に変えるだろうと思います。計画に当たっては、
中央新幹線が日本の国土構造を変えるということを徹底的に考えてもらいたいということです。
日本の国土政策は、ご存知のように1940年、昭和15年から16年にかけて帝国国策要綱、その他で決められました。これをぜひもう一度調べ直して、
そこからいかに脱皮するかを考えてもらいたいと思うんです。
0428堺屋太一垢版2017/07/02(日) 23:37:24.72ID:YluiXdyF
この計画に当たって企画院等が考えましたのは、これから戦争に向かうに当たって、規格大量生産をしなきゃいけない。
日本の国土は規格大量生産の近代工業社会を形成するものにするということになりました。そのためには、東京一極集中でなければならない。
強引な東京一極集中政策がとられます。その中で、産業、経済の中枢管理機能と情報発信機能と文化創造活動は東京都以外でしてはならないという決定があります。
これは非常に強烈かつ厳格に守られています。そのためにどうしたかというと、各産業の全国センターをつくらす。電気事業連合会とか自動車工業会とか銀行協会、
その事務局は全部東京都以外に置いてはならない。東京以外にあるものも集める
0429堺屋太一垢版2017/07/02(日) 23:40:27.46ID:YluiXdyF
私が通産省に入りました1960年代は、 まさにその政策の真っ最中でございまして、大阪にあった紡績協会以下、繊維団体12団体の事務局をいかに東京に移させるか、
これが当時の、繊維局というのがあったんですが、
最大の問題でした。96年に日米繊維交渉の摩擦が起こったとき、当時の三宅幸夫繊維局長は、局長室に「敵は米国にあらず大阪なり」という看板をかけて、お笑いになりますが、
これは深刻な話です。その次に、テレビの割り当てができた。日本で最初の民間放送は大阪の新日本放送と名古屋の中部日本放送でしたが、
テレビの免許を与えるときにはキー局システムという世界に全く類例のない、東京のキー局でないと番組編成権がないという途方もない制度をつく
ったんです。だから、全部東京へ集まりました。書籍については、1940年に東京一極集中、取次店は東京に集められてしまった。
これは何と49年、戦後にだって実行しているんです。戦後、東販、日販に合併して、例えば大阪で印刷した本を尼崎市で売るにも、必ず東京へ持ってこないと絶対売ってはいかん
という制度をつくったんです。それから、文化の点につきましても、特定の目的の劇場、施設は東京にしか造らない。
歌舞伎座は東京にしか造らないとか、国技館のような中央を見られる体育館は東京以外は造ってはいかんと、そういう政策を全部とりまして、その結果、東京一極集中となった。
今、製造業が衰えまして、地方の工場がどんどん減ってまいります。情報産業とか東京集中産業だけが増えるようになっているんです。したがって、地方の雇用は非常に落ち込んでいます。
それを支えるような様々な細かい政策も、特にこの3年間非常に増えました。この転換がないと、うまくいきません。テレビのキー局の地方分散、書籍流通の自由化、
公共事業の地方主権、金融・医療・福祉等の地方特区の拡大、国際的、全国的行催事の地方開催の促進(国の助成や共催を首都圏以外とする)といったことを同時にやっていただ
0430堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:03:31.50ID:wlTP7I3l
かなければ、中央新幹線は黒字にならないだろうと思います。技術の問題は技術の方々がやっていただけると思いますが、
それをバックアップする経済政策とプロデュース方法がないと、この事業は、日本があんなものをやって大赤字、ざまあみろになりかねないとい
う心配が非常にあります。経済が成長し、人口が伸びる間でございますれば、少々最初赤字でも、もうじき黒字になるよと言っていられるわけですが、
今度は逆でございますので、総合プロデュースに当たられる方に20年ぐらいは絶対に権限を持ってやっていただく
0431堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:12:21.47ID:wlTP7I3l
その周辺にプロデュースシステムを確実につくる。だから、 JR東海の社長さんあるいは会長さんがおやりになるなら、20年ぐらいはその座にあって、たとえ90歳になっても頑張るというようなシ
ステムがぜひ必要です。実際、各地の大事業、最後に終わったときというのはそんなものですよね。ニューヨーク・セントラル鉄道は、 バンダービルトという人が69歳から86歳まで頑張ってつくったんです。
決して年齢の問題ではありませんから、JR東海の方に、 だれかそういう人を見つけてやっていただきたい。赤字にしてはいかんというのは、第一の最大のポイントです。
日本は安全を重視する国で、安全のためなら経済はどうでもいいということですが、外国ではなかなかそうは言いません。
今のアルプスの列車がその典型でございますけれども、楽しみのためには多少の危険は承知だと。例えば、皆様方がよくご存知のデイトナ500
という自動車レースでは、年平均18人死ぬことが前提になっています。リオのカーニバルでは160人死にます。それでも、楽しみのためにやるんだということなんです。
日本だけの特定の発想でやったら、必ず赤字になってガラパゴス化することが非常に心配です。この点、まことに言いにくいことですけれども、 やはり世界的な基準で黒字の中央新幹線を造ってほしいと思います。

【堺屋元経済企画庁長官】例えば関西新空港をつくるときにはその地域の土地開発を一緒にしたらいいとか、全部その話は出ました。そし
て、全部失敗しました。だから、よほどそれは厳格にお考えいただきたい。もちろん、東
海道新幹線の乗客の変動というのを加味しなくてはいけませんが、その点は非常に厳格に 考えておかないと幻想に終わるんじゃないかと思います。
0432堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:18:08.13ID:wlTP7I3l
【堺屋元経済企画庁長官】
私は、国の関与は最低にすべきだと思います。一切資金には関与しないほうがいいと思うんです。
というのは、現在、国際市場で動いている資金は膨大ですから、国から借りなければで
きないような話ではございません。このビジネスモデルがいいと思われたら10兆や20兆、すぐにでも集まる時代なんです。
だから、国際的な金融マンが、これは確かなビジネスモデルだと思ってくれるものになるまで、技術的にも経営的にも練るべきだと。ここで
世界的に金融マンが認めないものを国が出すとなりますと、たちまち青天井になります。
だから、絶対に国はお金を出してはいけない。あえて言えば、政策投資銀行の融資がどう
かというぐらいで、今、日本のしっかりした事業ですから、1.2%ぐらいで集められます
から、ビジネスモデルさえ組めば会合で調達できると思います。そのほか、安全面とか社会的な問題では国の関与はもちろん必要でしょうけれども、
事業はやはり民間企業でやっていただくのがいいのではないでしょうか。
0433堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:19:09.43ID:wlTP7I3l
堺屋元経済企画庁長官】
私は、正直言いまして、東京&#8722;名古屋をつくると、それが赤字になって、その赤字負担だけで次の事業は全くできない。
これは確実だと思います。資金の問題を償却費の積み上げでやるという時代ではありません。これがこのプロジェク
トの一番の問題点だと思うんです。いいビジネスモデルを出して国際的資金調達をすると
いう前提でないと、JR東海の償却費でやるとすれば、これは赤字の負い目で結局できないだろうということは思います。
それから、計画を拝見しますと、もう一つ、現在の東海道新幹線の乗客の減少率が甘いんじゃないかと思うんです。先ほども申しましたように、東京一極集中を進める政策をと
る限り、劇的な勢いで減ることは目に見えています。人口減少とかそんな問題ではなくして、東京に住みつく人が非常に多くなる。
地方の大学教授でも地方の政治家でも、引退したら全部東京へ来ています。仕事がなければ東京だと。仕事があるから、しょうがないか
ら単身赴任しているという現状を打ち破らないことには、どんどん減ります。この予測が非常に甘いんだろうと思います。
だから、むしろ一気につくって、そして同時に国のほうにも国土政策の転換をお願いして、全国各地を盛んにする。
公共事業ではなくして情報産業で盛んにするということを打ち出さないと、公共事業や製造業に従事をする人は、おそらくこれができるときには製造
業の従業員は10%を割っているでしょう。今、20%ぐらい。アメリカはもう12、3%。
そういう状況の中で、どうしてリニアモーターカーに乗る人がいるかということを本当に真剣に考えてもらいたいんですよ。そうすると、やはり東京&#8722;大阪は必ずつくって、
そして大阪駅で中央新幹線と山陽新幹線がつながるようにする以外にないのではないかと考え ております。
0434堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:33:31.34ID:wlTP7I3l
【堺屋元経済企画庁長官】
道州制が導入されると、地方に今よりは情報産業や高技術 産業、例えば医療や介護の拠点ができます。したがって、全国交通量は増えると思います。
これは、例えばフランスでもパリの比率が下落した、あるいはベルリンに人を移したドイ ツでも、ニューヨークの比率がじゃんじゃん落っこちているアメリカでも、最大都市の全
国批准の下落と交通量の増加はかなり比例します。したがって、この沿線はどうかという
問題はありますけれども、道州制ができれば、地域間流動はある程度、幾らか必ず増えると思います
【堺屋元経済企画庁長官】
第1に、地方分散と言ったのは、あくまでも規格大量生産の近代工業社会をつくる という前提の中での話であります。
これは、私も90年代、国土政策委員をして相当議論 をいたしました。それで、政府のほうから、確かにそうだと。近代工業社会、規格大量生
産をつくるためだけにやっているのであって、それ以外は全部東京集中だということをは っきりと言われました。
規格大量生産のために分散するものは、手足の機能である。頭脳 の機能は全部東京に集めるんだと
これは、もう明確に戦争中――戦争中は結局できなか ったんですが、戦後実施してきた。東京に頭脳の機能は全部集めなければ、規格大量生産
はできない。規格は東京で定める。そして、手足の機能は地方に分散するのである。手足 の機能は何かというと、農業と製造業と建設業である。
この3つを分散するのであると。 それ以外は東京以外に置いてはならない。分散どころか、置いてはならないという固い決
意が、例えば当時の大蔵省、銀行局にもありました。あるいは通産省の企業局にもありま した。
もちろん運輸省にもありまして、第二国際空港議論というのが延々と続くわけです。 至るところにそういう発想がありました。
規格大量生産の規格の部分は東京以外で作ってはいけない。だから、昔は国鉄でも奈良 の駅は五重の塔に似せた。
長野の駅は善光寺さんに似せた。いろいろデザインを考えたん ですが、新幹線になると、そういうデザインは考えないで全部一律の規格品になりました。
それは大変徹底した方針であり、動かすことができない方針だったんです。製造業がどん
どん伸びている間は地方も栄えました。工場が生まれるときは栄えました。
0435堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:43:46.01ID:wlTP7I3l
全国総合計画も新産都市工特地域というのをつくりましたが、その中に明確に示されて
いるのは、新産都市が持つ都市機能は地域住民のものである。全国のものではないと。例
えば病院をつくる。これは地域病院である。学校、大学をつくる。地域の大学である。だ
から、浜松の病院に東京の人が通院するような施設はつくる必要がない。それは東京につ
くるのであると。これが非常に徹底されたんです。産業政策では各産業の全国センターは
東京以外につくってはならない。だから、銀行協会は東京につくって、銀行協会会長は東
京本社の銀行以外は認めない。三和銀行と住友銀行と東海銀行はだめと、はっきりと。そ
ういう政策を強烈にしているうちに、当たり前になっちゃったんです、日本だけは。とに
かく東京へ全部集めるのが当たり前になった。
今、書籍の流通が、大阪で印刷した本は東京へ持ってこないと尼崎市で売れないなどと
いうことを知っている人すらもういなくなっている。当たり前のことだという時代です。
例えば、名古屋の放送局でテレビ番組を作って、これを全国放送にしてもらおう。関ケ原
1600年のときに私はそれをやったんですけれども、そうすると、東京のキー局に許可
をとらなきゃいけない。これは大変面倒で、結局、スタジオは東京を使わないと許さない
という結論になるんです。地方で番組を作ると、必ず伝統文化か伝統行事、伝統産業を入
れろと。そうすると、皆さんが見ておられて、地方には衰退する産業と古い文化しかない
と思われる方が非常に多いんです。例えば、竹下族というのはどこから生まれたか。東京
の竹下通りから生まれたと思われていますが、あれは神戸から生まれたんです。だけれど
も、そんな報道は入りません。東京に来ないと流行と言わないんだから。そうすると、若
者はみんな東京にあこがれます。
0436堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:48:35.23ID:wlTP7I3l
私が経済企画庁長官のときに、全国のIT産業で期待で きる新人、若者というのを1,000人ぐらいリストにし、
そのうち二百数十人が地方にい ました。福岡にも札幌にも結構いました。ところが、3年後に調べると、二百数十人のう
ちで200人以上、九十何%が東京へ出てきていました。それはなぜかというと、全部東
京が引っ張る仕掛けになっているんです。こういう現実がある限り、地方は必ず衰退します
しかも、日本のマスコミは東京の読者ばかり。特にテレビはそうですが、東京の視聴
率しか気にしませんから、どんどん東京に集まるようになる。公共事業なんかでも、地方
では要望が多くても、東京世論でもうやめたほうがいいということになりがちなんです。
このシステム全体を変えないことには、日本の国土は変わりません。
その意味で、リニアモーターカーができて、あわせて名古屋、大阪でも全国団体も配置
されれば、書籍取次店もキー局もできるということになれば、日本の多様性ができて、国
際的競争力も生まれてくると思います。今の状態では東京だけの、まさにガラパゴス島と
いうのは東京都のことなんです。それだけでは衰退すると思うんです。
だから、このプロジェクトも償却費だけで積み上げるというのは、まさに規格大量生産
時代の発想なんです。このために日本のITはものすごく遅れました。クロスバー交換機
を償却するまで待てなんて言うものだから、韓国なんかに10年ぐらい遅れている。そう
いうことを考えると、やはりここはJR東海の償却費ではなしに、JR東海が主体になっ
てファンドを組んで一挙にやって黒字にしてみせる、必ず黒字にすると。そして、その間
に日本の人口や交通需要がこれだけ減っても大丈夫という案を作っていただきたいと思うんです。
これは一番大事なところで、いろいろなものをつくるとき、日本はこれができたら世界
に輸出すると言いながら、全部立ち枯れになりました
0437堺屋太一垢版2017/07/03(月) 00:50:43.09ID:wlTP7I3l
例えば、ヘドロを埋め立てる技術
でタンクをつくったら、ベトナムにも輸出できるというようなことを言っていたのが全然
だめです。それはなぜかというと、東京一極集中、日本だけの発想、そして日本だけの技
術が高いという、まさにゼロ戦的発想があるんですよ。だから、この事業だけは、大事な
事業ですから、ぜひそういう従来の発想の枠を超えて、むしろ17年などと言わないでシ
ベリア鉄道ぐらいの早さでやっていただいて、世界に類似のものができる前に日本のはす ごいなと言わせてもらいたいと思っております。

【堺屋元経済企画庁長官】
また、これを新しいビジネスモデルとして世界の金融家に説得をして低利・長期の金利を出させるというのが大
事なんじゃないでしょうかね。そうしたら、世界中の金融マンが真剣に検討してくれますから。ここはいい、ここは悪い、
これはこう出したらどうだと。そうすると、我々の知らないような技術もマトリックスに入ってまいりますから
ぜひそういうワールドワイドな発想でやってもらいたいんです。
0439堺屋太一垢版2017/07/03(月) 01:31:04.14ID:wlTP7I3l
>>427
できれば東京素通りの列車、仙台発大阪行きというのがあるべきなん

{です。それがどうしてできないのか。いろいろ議論があるようでございますけれども、東
北新幹線、上越新幹線を品川まで延伸するのかどうか、これも一つの問題になってくると思います。
さて、最後に、最大の問題でございます。中央新幹線は日本の国土構造を全体的に変え
るだろうと思います。計画に当たっては、中央新幹線が日本の国土構造を変えるというこ
とを徹底的に考えてもらいたいということです。
日本の国土政策は、ご存知のように1940年、昭和15年から16年にかけて帝国国
策要綱、その他で決められました。これをぜひもう一度調べ直して、そこからいかに脱皮
するかを考えてもらいたいと思うんです。}

この計画に当たって企画院等が考えましたのは、これから戦争に向かうに当たって、規
格大量生産をしなきゃいけない。日本の国土は規格大量生産の近代工業社会を形成するも
のにするということになりました。そのためには、東京一極集中でなければならない。強
引な東京一極集中政策がとられます。その中で、産業、経済の中枢管理機能と情報発信機
能と文化創造活動は東京都以外でしてはならないという決定があります。これは非常に強
烈かつ厳格に守られています。そのためにどうしたかというと、各産業の全国センターを
つくらす。電気事業連合会とか自動車工業会とか銀行協会、その事務局は全部東京都以外
に置いてはならない。東京以外にあるものも集める。
429
私が通産省に入りました1960年代
0440金持ち名無しさん、貧乏名無しさん垢版2017/07/07(金) 14:09:37.14ID:FewJgdRy
資金の問題を償却費の積み上げでやるという時代ではありません。これがこのプロジェク
トの一番の問題点だと思うんです。いいビジネスモデルを出して国際的資金調達をすると
いう前提でないと、JR東海の償却費でやるとすれば、これは赤字の負い目で結局できないだろうということは思います

プロジェクトも償却費だけで積み上げるというのは、まさに規格大量生産
時代の発想なんです。このために日本のITはものすごく遅れました。クロスバー交換機
を償却するまで待てなんて言うものだから、韓国なんかに10年ぐらい遅れている

建物の売却益などで、ビル建設や用地買収にかかる事業費を償却する計画だった。
 最終赤字額は事業終了を前に、市が今年3月に特別会計を清算して判明した。売却収入は2257億円にとどまり、
今後の資産売却を見込んでも、赤字は約2000億円になるという。
赤字の要因は、バブル経済期に高値で買った土地の価格がバブル崩壊後に急落したことが大きい。
また97年には、63階建て高層ビルなど4棟の建設計画の中心施設に予定した大手百貨店「そごう」(2000年破綻)が
経営悪化を理由に撤退を表明し、事業が停滞。収益が大幅に悪化し、計画の縮小を余儀なくされた。
 09〜15年度、市は同事業の赤字穴埋めに計923億円を投入し、今年度も120億円を計上。
32年度まで赤字の穴埋めは毎年度続く予定で、「事業としては、負の遺産と言わざるを得ない」(市幹部)状態だ。
0441堺屋太一垢版2017/07/16(日) 21:53:08.50ID:vqmXJUXF
「ソ連共産党は監査制度強化の連続で退廃した。倫理には腐敗と退廃がある。腐敗とは
悪いと知りながら悪いことが続発する状態。退廃とは何が正しいかがわからなくなる状態
のことだ。組織を崩壊させるのは倫理の退廃の方で、組織が腐敗で崩壊した例はない。組
織は作られた目的に対して常にまい進しなければならないが、組織が一度作られると組織
自体が目的を持ち、組織を作った目的と一致しなくなる。倫理の退廃とは組織を作った目
的を忘れて、組織自体の目的の中に埋没することだ。例えば旧日本陸軍は日本国を守るた
めに作られたのに、いつしか陸軍の権益を守ることが目的になった。だから2.26事件
がおきると陸軍の秩序を守るためにもっと権限を強化しろということになった。官僚言葉
で『砂金あらし』といわれる焼け太り現象だ」
0442堺屋太一垢版2017/07/17(月) 21:45:19.04ID:bxTY7q7X
世間一般では罪悪とされていることが、一つの組織の中では正義と認められているとすれば、倫理の頽廃の極みといえる。いわゆる暴力団はその典型だ。
 ごく普通の組織で起こりやすいのは、その組織が作られた本来の目的から逸脱し、自己の主観的倫理と美意識のみに埋没してしまうことであろう。
例えば、工場が安全基準の達成や製品の品質向上に陶酔して、コスト感覚を失うことも珍しくない。
ある支店が売り上げを伸ばす為に、
同じ会社のほかの支店の活動を妨害していながら、数字の上の伸びだけを喜ぶこともよく起こる。当面の事業達成のために、世の法令や常識を犯して、
結果的には全社的損害をこうむった例は、バブル景気の中でも多かった。いずれも長期継続的に利潤を追求する企業の本質から言えば、倫理の頽廃である。
 中でも著しいのは、利潤採算という形で結果の出がたい官公庁や軍隊の場合である。日本の各省庁は、本来、日本国民全体の幸せのために機能すべきものだが、
今やほとんどは自省の目的追及だけを正義と考えるようになっている。
大蔵省主計局は財政均衡だけを考えて国民経済の均衡を配慮しない。
銀行局は金融機関の保護のために預金者の利益を考えない。農林水産省は米作農家と農協の保護の為には、日本を国際的孤立に陥れても平気である
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