単純な疑問なんだけど、コミュ障の職人って単体では成り立たないのでは?
山奥で外界を遮断し自給自足しつつ何かを作る職人がいたとして、それが職人として評価されるには第三者の干渉必要になる
亡くなったあとに作品とともに発見されたとかならともかく、生きてる間に作品を評価されるためにはその作品を見て、コミュ障職人をどうにかして、外の世界に発信する人が必要
つまり大事なところを他人に頼りきりにみえるんだけど、それが男性の理想なの?