40年以上ル・マンを見て来たけれど、やっと日本車がガチで勝負出来るようになりました!
2023年6月12日 [最新情報] https://kunisawa.net/?p=62585

私にとって最初のル・マンは1979年の童夢『零RL』の惨敗だった。今のような情報は無かったので、いろんな出版物を見まくったことを思い出す。当時、フェラーリとフォードの戦いは伝説になっており、ポルシェ956も出ていない端境期。F1エンジンを搭載したスーパーカーの零RLが935とか936のような普通のポルシェに手も足も出ない状況を見て「なんだこれは!」。
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童夢ミュージアム
http://dome-museum.com/012_dome_zero_rl.html

1981年にベストカーガイド編集部となり、ル・マンの情報が山ほど入ってくるようになる! 童夢は徳大寺師匠や当時の正岡編集局長が懇意にしていたこともあり、記事に出来ないようなことをたくさん聞いた。私が乗っていたRX-7もポルシェ935のようなオーバーフェンダー付けマツダオート東京から出てましたね。結論を書くと「日本の技術じゃ全く歯が立たない」。
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6kmあるユノディエールの長い直線に代表される全開区間長いル・マンを24時間走りきれるような体力無かった。必ずどこかが壊れてしまう。1980年代後半に日産やトヨタがグループCカーを作り本格的な参戦を始める。日産などポールを奪取するなどいいところまでいったけれど(R89Cカッコよかった!)、やはり強さ不足。ポルシェやジャガー、ベンツに届かず。

当時、毎年ル・マンに行ってました。1990年は4ローター積んだマツダが優勝したものの、残念ながらIMSA規定の車両は燃費規制が優位になっており、それを上手に利用。欧州のファンからすれば「頑張ったけれど少しズルかった」という評価だった(今や勝ったことだけ伝説になってます)。2018年から敵の居ないル・マンでトヨタは勝ち続けたが、こらもう自己研鑽です。
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787Bの優勝ではホンキで泣きました!

2012年からカムバックしたトヨタは熟成を重ね着実に速さと強さを身につけていく。ポルシェと激しいバトルを繰り広げた2016年など最終ラップまでリードし、ポルシェも「負けた」と思ったほどだったのに突如ストップ。勝てるパフォーマンスを持っていた状況になった2018年からトヨタだけになってしまう。といった意味ではガチのレギュレーションで日本車が勝ったことは一度も無い。

そしてライバルの居ない5年間を過ごし、今年はホンモノのル・マンが戻ってきた。欧州のモータースポーツファンって慧眼です。入場券はソールドアウトし、30万人がサルテサーキットにやってきた! いつもの如く16時にスタートすると(今年は少し早かった)、トヨタ速い! とはいえ序盤の速さは1980年代の日産から見て来ており、ここでは驚かない。
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2016年は勝っていた

 続く