道や集落が昭和中期の規格のまま残ってる地域は隘路が多い印象

京都府や奈良など市街地、空襲がなかった
紀伊や木曾や南信など構造帯、急峻な山
若狭や志摩や長崎などリアス式、これはたぶん三陸や佐井の仏ヶ浦もそうでは?