【米林宏昌】メアリと魔女の花 [無断転載禁止]©2ch.net
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http://i.imgur.com/tnLFQf2.jpg
「メアリと魔法の花」特報
http://www.youtube.com/watch?v=XrN9QZLmJ0E
原作●メアリー・スチュアート
脚本●坂口理子(さかぐち・りこ)
脚本・監督●米林宏昌(よねばやし・ひろまさ)
音楽●村松崇継(むらまつ・たかつぐ)
プロデューサー●西村義明(にしむら・よしあき)
制作●スタジオポノック スタジオジブリのアニメ『思い出のマーニー』(2014)が第88回アカデミー賞長編アニメーション賞にノミネートされた
米林宏昌監督の新作アニメ映画『メアリと魔女の花』が2017年夏に公開されることが、15日に東宝株式会社(東京)で行われた
製作発表会見で明らかになった。
本作は1971年に書かれたイギリスの女流作家メアリー・スチュアートの児童文学(原題:The Little Bloomstick)に基づき、
11歳の少女メアリの冒険を描くファンタジー。会見には米林監督のほか、『思い出のマーニー』で米林監督とタッグを組んだ
西村義明プロデューサーも登壇した。
ヒロインのメアリは背が低く、クセっ毛の赤毛にそばかすの少女。物語は何をやってもうまくいかず、不満と不安を抱える
メアリがひょんなことから奇想天外な冒険に巻き込まれるところから幕を開ける。
http://www.cinematoday.jp/page/N0088327 女性は監督に向かないと言って炎上した西村義明プロデューサー最新作 メアリと魔女の花
マイマイ新子と千年の魔法(片渕須直)
なんか似たようなタイトル この映画はどこが作ってますかと聞かれたら100%ジブリって答えるよね ハリーポッター的なお話か
これまでの麻呂作品よりアクション性が高くなるのでは?
また舞台は日本に改変されるのかね この人はずっとジブリやらされるんだうな
回りもそれを期待してるだろうし 予告見たけどなかなか良さそう
米林は有能なアニメーターなのにマーニーは動きが少ない作品だったからな
少なくとも映像的には楽しめそうだ >>13
本人がこういうの好きなんだからいいじゃん 予告観て?!と思ったが、米林宏昌と聞いてひと安心
原作選び、間に「と」がつくタイトル、キャラデザ、とあまりにもジブリしてて笑ったw
もうここまで開き直ってるとその辺はツッコむ気にならん 本人達も隠す気は無いんだろうなあ
ジブリ臭は置いといて、クォリティは確かに凄いなあ
アリエッティの前半で披露してた、アニメーターとしての本領発揮か
ここ最近のアニメ映画のヒット作って、現代日本が舞台のドラマばかりで
フラストレーション溜まってたので、アクション重視のファンタジーものをやってくれるのは嬉しい 特報でとりあえず面白そう。
米林-村松の映像音楽コンビもマーニーで実証済み。
繰り返し見たくなるよよな別世界的世界観作れるのか?
来年は米林宏昌、再来年は新海誠で、作ってくれたら
東宝は世界のディズニーに肩並べそう。 なんで売れない路線を繰り返すの
頭悪くない?
>東宝は世界のディズニーに肩並べそう
バカ言ってんじゃないよ・・・ ディズニーに肩を並べるかはともかく、ジブリ要素満載売れ線ファンタジーだと思うけど とにかく空を飛ばないとダメなの
撃ち合いやアクションもなさそうだし、円盤が売れる映画じゃない こういう良質だが埋もれてる児童文学を素直にアニメ化するんで良いんだよどうせまともに脚本かける奴業界にろくにいないし それで商売になりゃ誰も文句言わねえけどさ
業界で生き延びたけりゃもう少し利口に立ち回らないと >>28
飽きてるのは某所で言われてる女子高生がタイムスリップする話だったり
田舎町で少女が成長する話だろ
むしろこういう直球のファンタジーはかなり久々な方 >>28
まぁ、本物のカニの身よりカニかまの方が本物らしくておいしいと断言する客もいるし
好きずきでしょ そもそもジブリの絵柄って求められてるの?
宮崎駿の作風が受け入れられたって気がするけどな >>34
絵柄が求められてるというよりは
あの絵自体がブランド化してると言った方が良いかも
もうあらゆる人にこの絵柄が刷り込まれてて
この絵が出た瞬間、あ、ジブリだ!=観てもOKって反応になるだろうし 特報見ただけだと割と面白そうな空気はあるな
毒にも薬にもならない投げっぱなしエンドにならないといいんだけど
脚本次第な気がする 絵柄にケチつける奴多いけどそもそも宮崎の絵柄自体先輩達のコピーだし
米林は完全にジブリ直系の人間だろ。というかジブリ出身のアニメーターは大なり小なり皆こういうところがある
いかに宮崎のイメージに近い絵が描けるかを求められる職場だったんだから当たり前の話だが
とはいえハイライトの処理の仕方など、ここまで完全に宮崎画風バリバリなのは逆に凄いw
デザインの方向性を似せるくらいの奴なら腐るほどいるけどここまで似せられるのはむしろ才能だわ
先日再販された「近藤喜文の仕事」を買ったけど、世に出なかったイメージボードが大量に収録されてて
意外にゴリゴリのファンタジーやアクションものもあってそれが物凄く宮崎っぽかった(言われなきゃわかんないレベル)
失われた宮崎→近藤のラインを引き継げるのは米林だけだろうな。期待してるわ 何の関係も無い作品がヒットするたびに、
ポストジブリーポスト宮崎ーの馬鹿マスコミの文句がウザいので
もう今後はこの人に肩書き固定して欲しいと思う 次回作作ってたのか
アリエッティが凄い好きな作品だったから楽しみ
ジブリだと宮崎駿が今はファンタジーを作る時代じゃない!って言ってるから
ファンタジー作れなかったけどこれは久々にジブリの看板じゃなくても
ジブリ直系のファンタジー作品だね アニメ業界で演出をやってる人間はクセの強い奴が多いが
それでなきゃ面白い話は編み出せないんだな 予告のアクションパート、なんか大平橋本系っぽい動きだな
炎のエフェクトもかなり特徴的 『聲の形』を興行収入で上回る事が目標か
女性はアニメ監督に向いていないからな(西村プロデューサー談) >>40
高畑→片渕
楽しみ、だけどタイトルの付け方がそろそろ食傷気味かも。
敵の魔法?のスライム描写も麻呂の得意技だろうけどマンネリな気もするわ。
あれってもののけのタタリ神から始まって暴走顔無し、ハウルでの魔法、ポニョの波とかに使われてたけど。
あの液体の表現の仕方が「ちょっとジブリ気持ち悪くなった」と「迫力ある、表現力が増した」に別れた感じがする。
涙が大粒で水の表面張力が粘度があり過ぎてゼリーみたいなんだよな。
技術としてはすごいけどちょっと表現としてクドくて嘘っぽくなることになる。
せっかく嘘のアニメの世界に没入しかけてるのに「あ、これアニメだ」って引き戻される。
魔女宅や豚くらいまでの作画具合がいい塩梅だったと思うわ。 こういう聞いたこともない原作で当てられたのはジブリのブランドあってのことだし。
マーニー以上は無理かな 製作委員会って何処が入ってるんだろ?
日テレと東宝は入ってるぽいけど ローグワン観に行ったら予告やってた 久しぶりスクリーンで観るジブリて感じだった 結局ヒットするかはジブリや細田や新海みたいに
どんだけ洗脳まがいにテレビやネットでゴリ押してもらえるかだろ
絵がジブリ、ジブリのスタッフ、ジブリっぽいファンタジーってだけでヒットするなら空飛ぶ姫と秘密の島だって大ヒットしてるわ >>55
日テレが製作委員会入ってるから
細田みたくTVで凄いゴリ押しされるだろ マーニーとスタッフほとんど同じなんじゃないか?安藤さんも入ってるのかな?
解散してジブリの新作はもう二度と見られないと思っていた身からすると
実質ジブリアニメが見られるのは嬉しい でもスタジオジブリから独立して出てきたものが結局これってのは
いくらなんでも作風にブレがなさすぎるだろうとは思うわ
題材から絵のタッチまでニセジブリに徹すれば食いっぱぐれはないってことかな 我こそがジブリ正当後継者って開き直って欲しい
監督はジブリで純粋培養された人だし 小さなお子さんいるお母さんが観たいのはトトロや魔女宅みたいのだろうし どんな作品になるのか楽しみ 予定調和
コインロッカーベイビーズでもやればいいのに 新海の言葉じゃないけど宮崎駿の真似しても宮崎駿にはなれないし越えられないんだよね
劣化宮崎駿になるのか絵柄だけジブリで別の何かになるのか・・・ マーニーもコクリコもある意味こなしただけとも言える作品だよ。
実写でも成立する内容でアニメで表現した意味があまりない。
同じ現代劇でも耳をすませば、おもひでぽろぽろはアニメならではの演出をしているから意味がある。
その点ファンタジーだと実力がわかりやすい。 >>67
ジブリと接点のない監督に言うならわかるけど、米林監督は既にジブリで2作作ってるんだからその意見はおかしいんでない?
それに、ジブリから離れたから絵柄を変えろというのも違うでしょ
ジブリの経営がもう少しまともだったら今もジブリでやりたかっただろうし ジブリの経営がガタついたのは宮崎以外の演出家が宮崎並みに稼げなかったせいだ
米林も戦犯の一人なんだから他人行儀な書き方はいけない
もう守りに入ってるのは情けない 歳が結構行ってるから仕方ないとも言えるが
宮崎は70代半ばでまだ攻めてる やっぱり器のでかさが違うのかね >>69
>実写でも成立する内容でアニメで表現した意味があまりない。
頭悪いなぁw
逆に「アニメでもいい内容」なんて理屈で実写映画を批判なんかしないくせにw いやあ、パシリムやマーベル物なんかはアニメの方がいい アニメでもいい内容・・感情の、特に顔色の動きの乏しい実写? CG全盛のこのご時勢に実写でもいいとか論ずること自体ナンセンスだと思うが
そんな垣根はとっくになくなってる。押井もハリウッド映画はアニメになってるって言ってるし 実写でもいいと言うのなら、まず米林の立場で今の日本でアリエッティやマーニーレベルの映像表現を実写でやる場合
どれだけの予算と人材が必要なのかまずそっから教えてほしいね
宮崎駿ですらCG映画を作ろうとして技術力不足で頓挫しかけたのに
軽々しく「実写でもいい」と言うことのなんたる無責任さよ
日本の実写作品のレベルを見てから言えよ
ハリウッドの超一流作品や技術を好きなだけ引用してきて「実写でもいい」とか言ってるならお笑いだ
そんな仮定にはなんの具体性もない >>76
作る側にはそういう事情もあるんだろうが、観客には関係ないことでね。
同じ入場料を払うんだからハリウッド映画とジブリを直に比べるさ。シロートをおさえこめる
説得力がなければそれでおわり。リアルに寄りすぎたアニメ映画のジレンマだな。
逆にパンダコパンダ程度の単純な絵ならアニメでやるメリットもわかるが。 作る側に独断的な水準を要求してるくせに作る側の事情など知らないときたか
条件の設定がガバガバすぎてなんの説得力もないよお前の意見
ないものねだりをしてるだけ >>71
老監督の自己満オナニー映画は「攻めてる」
みんなが見たいジブリ王道映画は「守りに入ってる」
守り大歓迎だよ なんで麻呂だけそんな革新的な表現を求められるのか
ジブリの正統的後継者はもうこの人しか居ないのに?
細田も新海も庵野も押井もず〜っと自分のスタイルでやってるじゃん
麻呂の最大のアドバンテージは宮崎駿に師事したことがあるってことなんだから
それを押し出した画作りをしてなにが悪いのか
別に独立したくてしたわけじゃなし、ジブリも解散したくてしたわけじゃない
同じスタッフで技術を受け継いだ人間として何故見てやることが出来んのかね >>76
アリエッティの世界観はアニメならではだよ。
でもコクリコ、マーニーは実写的な映像表現や演出がほとんどだから
アニメーションとしての魅力という意味では?なんだよ。
舞台は日本だしリアル設定で派手なシーンもないからジブリの製作費なら
余裕で実写化できる、というか豪華に作れるよ。 >>81
だからお前の言う「アニメーションの魅力」とやらが幼稚すぎるの
例え実写素材をそのまま人の手で描き起こしたとしてもそこには実写映像とは違う効果が発生する
それを現在進行形で証明してる君の名はの大ヒットがある
あれだって実写の画を加工してエフェクトかけてるだけなのに実写より綺麗だと称賛されてんだ
日本映画の撮影技術で同じ場面を撮ってもあれほど感動させることは出来ないぞ?
コクリコの昭和の町並み、カルチェラタンのような複雑な造型を持ったセット
マーニーの湖面に浮かぶ月の輝き、屋敷の美術など
どこにそんな映像表現が充実した邦画があるんだよ。例を示してくれ CGで実写映画がアニメーション化してしまった昨今において
実写で表現不可能な表現なんかないんだからもうこれはアニメに適しててこれはダメだなんて議論自体が無意味なんだよ
世界的な傾向で言えば手描きアニメ自体がもはや時代遅れとされてる
ファンタジーだからアニメらしい、なんてカビの生えたどこかの誰かから聞いた理論を今更振りかざしてるのは滑稽だな
最近のヒット作を見ればもはやそんな説は意味がないとわかるだろうに
世界最高峰の技術で映像化されたハリポタのホウキの飛行シーンだって
魔女の宅急便やメアリの予告に見られるような風をなびかせた心地の良い浮遊・疾走感はない
ほうきに捕まった俳優に風を当ててCG加工してるという感じしかしない
ジブリのアニメーションはリアルでもなんでもない。ちゃんとアニメ的なウソをふんだんに盛り込んでる
それは宮崎高畑が示したレイアウトシステム自体に表れてる。画面のなかに気持ちの良い嘘がある
アニメーション論を語るならせめてこのくらい把握しとけ
ファンタジーだからアニメっぽい、なんて中学生以下の発想だぞ >>82
幼稚と言われたけど
俺の言うアニメーションの魅力ってのはまさに>>83の後半なんだが。
それがファンタジーにしかできないとは思ってないし。
だからこそ背景美術がいくらすごくてもそれだけじゃ?って。
いちいち君の名は。なんか持ち出さなくていいよ、興行成績で作品語るような人とも思えないけど。
レイアウト言うならマーニーは引きや真横の平凡カットが多くて単調だよ。
アクションありそうなメアリはレイアウト能力も試されるし、
俺の言う(幼稚な)アニメーションの魅力も存分に発揮されるような題材だから実力試されるって話。 >>84
ほら、やっぱり見識が狭いじゃない
まず君の名はを例に出したのは興行成績の話をしたいからじゃない
基本的にアニメに疎い大衆でも「なんか綺麗」と思わせることが出来た実例としてヒットを挙げてるんだ
レイアウトに口を出すわりに構図の話しか出来てない
引きや真横のカットが平凡?これも論理が繋がってない
宮崎駿がその「引き」の抜群のセンスで空間を表現したことは押井も度々公言しているし
真横のカットなんてまさに宮崎アニメの大特徴じゃないか
http://jamsoku.com/wp-content/uploads/2016/10/2576a142970fdae74dc856ddf24776a2.jpg
http://blog-imgs-42.fc2.com/g/o/l/goldentamatama/blog_import_4df4a2ae07729.jpg
メアリのインタビューでも答えてるがマーニーは「静」の演出を志した作品
なんでも宮崎作品みたいに手前から奥とか上や下に動けばいいってもんじゃない
マーニーは基本的に静かで時の止まったような時間と空間を表現することに徹してる
しかしちゃんと奥行きを感じさせなきゃいけないところではそういう表現になってる
杏奈が初めてサイロの眺めるシーンや
杏奈が屋敷に初めて足を踏み入れる時のつまずく場面の密マルチ引きによる奥行きの表現
ラストの手を振るマーニーの、パースの死ぬ望遠でありながら距離感と移動感の表現など
適切な箇所に的確な表現を施してある
コクリコの無駄に望遠まみれでBGに埋没した画面とは全く違う
そもそも麻呂はアリエッティでも動きのある画面は結構見せていた
お前さんのはどっかで聞きかじっただけで自分でろくに考えてもない見識と
宮崎アニメを史上のものとする価値観に凝り固まりすぎ
だから幼稚だって言ってんだよ だから静の作品に静の演習なんて当たり前すぎて普通だろ。
それでおもしろかったらみんな小津になれる。
あなたが例に挙げたカットは映画の全体の流れで緩急つくから効果的なんだよ。
アリエッティは確かに良かったよ。 お前のレスにはいちいち前提となる条件が不足してるな
論理関係を明示していない話を平然と前提としてる
まず「静の作品」ってなに?別に思い出のマーニーって作品には静かなイメージなんか無いんだが。
原作ではわりと勝ち気なアンナを内向的で影のある思春期の少女にしたのは映画だろ
更に、マーニーが小津映画に劣るという根拠は?オスカーノミネートまでいった作品なんだが。
どれもこれも思い込みばかりでマーニーがアニメーション映画として魅力に欠けるという論理の補強になっていない 原作なんて関係なくて映画は影のある主人公でラスト意外明るい話でもなかったじゃん。
アクションもないし動か静で言ったら静だろ。
で>>85のとおりメアリのインタビューでも「マーニーは静の演出を志した作品」って言ってるんでしょ?
俺も観ててそう思ったよ。
でもそれってまず当たり前の手法であって、さらに何かあって初めて評価される。
でアニメならアニメである理由も問われるんだよ。
コクリコの批評で「実写でもいいんじゃ」って意見が出たけど
今までのジブリ作品にない批評なんだよ。「つまらない」とか「説教くさい」とかあっても。
これってアニメーションで表現する意義を根底から揺さぶる意見だよ。
俺は別に静かな映画がクソとは言ってないからな。マーニーがクソ映画とも言ってない。
むしろ近年のジブリではそこそこ良作だと思ってるし、悪く言えば平凡。
動と静の例で小津の名前を出したのは悪かったかもしれないが、
「静の演出を志して」その演出が効果的に作用し、格段におもしろくなっている作品とは言えないと思う。 ???
>静の作品に静の演出なんて当たり前
>でもそれってまず当たり前の手法であって、さらに何かあって初めて評価される。
まず「当たり前」の根拠を示せよ。お前以外マジで理解出来ない理論だから
静の演出を施せば静の作品になってそれは当たり前でアニメである理由がない???
なんじゃこの電波理論。因果の前後すらグッチャグチャじゃねえか
アニメーションが静かであってなぜいけないのか。なにが当たり前なのか
従来のジブリからしたらむしろ異色だろ。宮崎の賑やかで動きまくりの作品ばかりだったんだから
どこが「当たり前」なのか言ってみろ
>「静の演出を志して」その演出が効果的に作用し、格段におもしろくなっている作品とは言えないと思う。
効果的に作用してるからこそオスカーノミネートされたんだが?
格段におもしろくなっているとかいうあやふやな評価は知らんが
興行的ヒットには恵まれなかったが公開当時から静かな支持を得ていた作品ではあるけどな 何か面白そうな話だと思うけど長いわ。
纏めてくれ。 別に面白くもなんともない
なんの論拠も示さずマーニーやコクリコはアニメ失格当たり前と電波理論発してるバカが居るだけ いや、あなたの見識が面白い。
あなた自身の批評が聴きたい、という話。 あと、コクリコとマーニーをさも同列に語ってるようだが全然技術レベル違うからな
コクリコは別に静の作品じゃない。耳をすませばが静の作品と言い難いように。
あれは単純にドラマ的な盛り上がりがないただの恋愛映画なだけ
あれは坂やカルチェなどの立体的な舞台装置を活用してる映画だし
自転車で坂を駆け降りるシーンやラストの船に向かうくだりなどしっかりアクションが用意されてる
それでいて下手なのが吾郎のコクリコ坂って映画だ
宮崎駿がBOOKやセルを置いてバランスを取る画面をBGまみれにして印象を埋没させ
自転車のシーンはただBGを平面的に引くだけでなんの躍動感もない
階段を上り下りする芝居は宮崎にヘンテコだと批判もされた
あれとマーニーを同列視する時点でなにもわかってない それと、コクリコはアリエッティ以上に駿が関わってるという点がなによりも大きい
なにせ宮崎駿名義で脚本が出版されてるくらいなんだから
コクリコは実際脚本だけ見れば結構駿成分が多い
カルチェ大掃除の男女入り混じった大作業は紅の豚を彷彿とさせるし
途中出てきた脇役のトラックのおじさんが最後乗せてくれたりするのはまるでホームズのこの場面のようだ
http://img.yaplog.jp/img/04/pc/r/y/u/ryuuseimf/0/554.jpg
制作背景的にも内容的にもマーニーとコクリコじゃ全く違う
それを同列視してるのもやはり比較条件の設定がグチャグチャとしか言いようがない >>89
当たり前、って言葉の通りだよ。
喜怒哀楽や様々なシーンにたいして対応するそれなりの演出方法があるだろ。
マーニーもそれにならってるだけだし、それが悪いとは言ってない。
ただ普通だって言ってる。テンプレ通りとまでは言わないが観客の記憶に残るほど印象的シーンは作れてない。
コクリコがマーニーと同じ静の映画とは言ってない。
あなたのおっしゃる通り普通の恋愛映画で普通の演出をしてて
作品の中にアニメならではの表現がない(少ない)って意味じゃ同列かな。 >喜怒哀楽や様々なシーンにたいして対応するそれなりの演出方法があるだろ。
>マーニーもそれにならってるだけ
ほらでた抽象度がバラバラ、条件設定がガバガバで結果論にしかなってない決め付け。
まるで教科書通りに書き写しただけだとでも言いたげだが
まず「喜怒哀楽の様々なシーン」とは?
「ふとっちょぶた」のシーンでさえ、原作の「喜怒哀楽」とはだいぶトーンが違うわけだが
それを映画的に再構成し「喜怒哀楽」のどれを強調するか選択して演出したのは
一体なにをそのまま書き写した行為に当たるんだ?
あの原作ならもっと明るく爽快な映画にも出来ただろう。元々原作のアンナはもっと年齢設定が低い(たしか明確に何歳とは明記されてないが)
マーニーとの交流も映画のような百合臭の強いものじゃなく典型的なイマジナリーフレンドもの
宮崎駿がやってれば全然違うテイストになっただろうとは散々言われた
それを「静の作品」として改変し演出したのは間違いなく米林のオリジナリティなわけだが
お前の言う書き写した教科書や思い出のマーニーが静的な作品だという前提がどこに存在するのか言ってみろ
そして、また高く評価されたことを無視して「観客の記憶に残るほど印象的シーンは作れてない。
」と
お前がそう決め付けてるだけじゃねえか >>96
あなたが言ってるのは原作をどう映画でアレンジして演出したかじゃん。
観客は原作関係ないよ。
>カルチェ大掃除の男女入り混じった大作業は紅の豚を彷彿とさせるし
途中出てきた脇役のトラックのおじさんが最後乗せてくれたりするのはまるでホームズのこの場面のようだ
あなたもだいぶ決め付けてないか?
俺はカルチェの描写はうる星BDの文化祭を連想したし、アシストしてくれる脇役なんて物語の仕組みとして常套手段だよ。
「急いでるんだろ?乗っていきなッ!」ってよくあるやん。渋滞に巻き込まれて徒歩で向かうのもね。
それをホームズを無理やり引っ張ってきて
宮崎吾朗が親父のアイデア流用してるってことにどうしてもしたいとしか思えん。
まあこれも決め付けになっちゃうから良くないね。 >>98
はあ?じゃあお前は何を根拠に何を指して「当たり前」だと述べてんだ
ある題材があってある映像化されたものの変容を「当たり前の姿だ」と言ってんだろうが
その「題材」が「原作」であり「映像化されたもの」が「映画」に値する
お前の論理じゃどんな映画も「当たり前の姿」にしかならねえよボケ
物事を抽象化するならちゃんとレベルの設定を合わせろ。お前の話は都合のいいとこで条件が変わりすぎてんだよ
お前がうる星の文化祭を連想してアシストする脇役は常套手段だと言おうが
紅の豚やホームズとの類似を否定出来たわけじゃないけどな
正確に分類・抽象化するなら豚の大作業もうる星の文化祭もコミュニティの共同作業シーンとして分類され
ホームズのそれもコクリコのそれも脇役のアシストに分類されると言うだけ
実際に親父のアイデアを流用してるかどうかは特定することは出来ないが
少なくともコクリコ坂は駿の脚本を土台にしてるという純然たる事実がある
それと、吾郎の作業デスクには駿の各コンテも置いてあったな
そして、この瑣末な揚げ足取りが結局コクリコ坂を静の映画とする論理の補強に一切なってないことにもさっさと気付け
お前は議論に値する初歩的な論理の展開すら出来てない
いい加減バカは消えろ 落ち着け。シンプルな考えだよ。
当たり前って、だからセオリーがあるわけだろ?
それに反したら成立しなかったり、駄作になったり、シュールになったり、
突き抜けて怪作、名作になったりするわけじゃん。
そういう意味じゃ良作だけど並な作品だったと俺は思っただけ。
プラス、個人的にはアニメである必要性があまり感じられなかった(←これが許せないんだろうけど)
という点でコクリコと同列視してて、コクリコが静の映画とは言ってない。
勝手にねつ造しないでくれ。
宮崎コンテを演出家が参考として見るのは卑怯な行為でもなんでもない。その指摘こそ揚げ足取りじゃないか?
影響受けたくないから見ないって人もいるだろうが。
麻呂さんはどっちなの?あなたが極度のマーニー信者か身内かはわからないけど知ってそうだから教えてよ。 >>100
結局お前は正攻法の演出に魅力を見出せないから「当たり前」とか「アニメである必要性がない」とか
なんの根拠もない決め付けをしてるだけだってことだな
俺がお前のアニメ観が幼稚だって言ってた理由が少しはわかったか?
突き抜けた怪作、名作(突き抜けてる=名作という論理展開になんら根拠がない)
マーニーのような静かで正統的なドラマの映画がなぜ名作にならないんだ?
昔から正統的、王道の作品こそが古典となり名作になってきたんだが?
ジブリ映画としてもあれほど意図的に静謐な世界観にした作品は異色
どこが「当たり前」なんだよ、オラ
俺はちゃんと映画史の在り方、ジブリの歴史というスタンスに立脚して「全く当たり前の作りじゃない」と言ってるのに対して
お前は相変わらずどこに論拠とスタンスがあるのかわからない決め付けばかり
俺に質問する資格すらないことを自覚しろ
同じ土俵にすら立ててないんだよオマエ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています