宮崎駿VS押井守
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今後の日本アニメを牽引するのはどちらか? 日本のアニメ界を支える2大巨匠について語るスレです。 >>96 「おめえ描け!」ならいいけど、 「だめだわ 俺がやる」 → いいものが出来る みたいなの、超大変な職場だよな 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。 http://u0u1.net/M03L 拡散も含め、よろしくお願い致します。 本当は子供に見せられない『もののけ姫』。無防備なサンとアシタカに何があったのか問われた宮崎駿「わざわざ描かなくてもわかりきってる!」 http://originalnews.nico/144137 毎週日曜日、夜8時から生放送中の岡田斗司夫ゼミ。 。 実はこの、村の出口でカヤに呼び止められるシーンというのは、そういう意味ではないんですよね。 ここでの描写は、全て“象徴”に過ぎないんですよ。 ここが『もののけ姫』を作る時に宮崎駿が取った「必要なことは全て描くけども、わかるようには描かない」という部分なんですね。 村の外れに、夜中、女の子が偲んで会いに来て、そして「自分は生涯、恋をしない」=「貞操の印」というのを男に手渡したわけです。 これ、どういう意味かというと2人は人目を偲んでセックスしましたっていう意味なんですね。 だけど、宮崎さんは、そんな直接的なセックスシーンを描きたくないので、わざわざ「私はいつまでも貞操を守ります」という言葉と、小刀を渡すことによって、それをメタファーとして表現しているんです。 本当は、ここでカヤとアシタカは、人目を偲んでセックスしている。 だから、カヤの中には、ちゃんとアシタカの血筋が残ることになり、そうやって生まれたカヤとアシタカの子孫たちが、オープニングで映される土面の紋様として“アシタカ王の伝説”を語り伝えていくという話になっているんです。 でも、宮崎さんって人一倍恥ずかしがり屋だから、こういうことを誰にでもわかるように描かないんですね。 これとは違う、もう1つセックスにまつわるエピソードが『もののけ姫』の中に入っているんです。 それが、怪我を負い、サンに看病されたアシタカの傷が治って、何日も寝たきりだったところから起きるというシーンです。 サンの暮らす岩屋の中で、アシタカは寝ているサンを見つめているんですけど。 この時のサンは、かなり無防備な寝顔で寝ていて、おまけに脚も見えているんですね。 このシーンのコンテを見てピンと来た鈴木敏夫は、「この時点で、2人はセックスしてますよね?」と聞いたそうなんですよ。 宮崎駿って、こういうふうに作品について何かを聞かれた時には「いや違う」とか、「そうです」というふうに、絶対に何か答えるんですけど。 この件に限っては、宮崎駿は一切答えようとしなかったそうです。 そんな話を、鈴木敏夫はすごく嬉しそうにラジオで語っています。 ちなみに、その後、鈴木敏夫が問い詰めた結果、宮崎さんは「そんなの、わざわざ描かなくてもわかりきってるじゃないですか!」って言ったそうなんですけど(笑)。 宮崎駿が『もののけ姫』で取った表現技法というのは、こういうものなんですよ。 「女が夜中に男に会いに行った」というだけで、アシタカやカヤの部族では「関係があった」とみなされるわけですね。 おまけに、カヤはそこで「私も連れて行って!」とは言わないし、アシタカが出ていくことに関してもグズグズ言わない。 それはなぜかというと既に2人はセックスしていて、彼女は子供を貰っているからだという意味なんです。 アシタカの血筋はこの村に残り、カヤがそれを受け継ぐ。 つまり、宮崎駿に言わせれば「このシーンを見ておいて、そんなこともわからないようなヤツは、そもそも俺の映画はわからねえよ!」ということなんですね。 ……「そんなもん、わかるはずがあるか!」と(笑) 僕も、この映画が公開した時、何度も映画館で見たけどわからなかったですし、その後、VHSで見てもわからなかったし、DVDで見てもわからなかったです。 今回、この企画用にBlu-rayで見た時に、初めて「ああ、そういうことか」ってわかったんですよ。 それも、あらかじめ、鈴木敏夫がラジオで語っていた「サンとアシタカはちゃんとセックスしている」という話を聞いた上で、このシーンを考えて、やっと気がつくことが出来たんです。 本当は子供に見せられない『もののけ姫』。無防備なサンとアシタカに何があったのか問われた宮崎駿「わざわざ描かなくてもわかりきってる!」 http://originalnews.nico/144137 #k17 バンダイ 電脳 超合金 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG タチコマ バージョン1.2 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v668474059 現在価格 1,000円(税 0 円) 個数:1 開始日時: 2019.10.27(日)10:18 終了日時: 2019.11.03(日)22:18 開始価格: 1,000 円 オークションID: v668474059 ..... 押井:実際に、(僕は)現実で小さな子供に興味を持ったことないからさ。 あの人(宮崎駿)はあるんだよね。 いつか酔っ払ってたのかシラフだったのか、 「十二歳の女の子と恋愛してどこが悪い!!」って叫んでましたよ。はっきり言ってたからね」 ※「宮崎駿の世界」クリエイターズファイル (バンブームック) 証拠画像 ttp://blog-imgs-44.fc2.com/b/o/i/boinngerionn/e0e0b861.jpg 宮崎「ラナの足をつかんでね、さかさまに、こう、その、もう…、パンツも脱がせちゃって…、ウリャウリャとやるとか…」 ※「漫画の手帖」12号 証拠画像 ttp://blog-imgs-44.fc2.com/b/o/i/boinngerionn/456ea96d.jpg https://i.imgur.com/l6m71Gf.jpg https://i.imgur.com/vvjJusQ.jpg 三馬力@NAUSICAA198403 宮崎駿監督「一話ですが……。僕はもう、一話を見た途端、首を吊ろうかと思った」 「ラナってのはね、コナンが一目見た途端に、 一生この女のために頑張るぞ というくらいの美少女でなければならないと (僕は) 思い込んでるのに、 すごいブスラナが出て来ましてね」 #未来少年コナン 2020年5月4日 6,940リツイート 2万いいねの数 これがメーターの差なんだよな 大塚さんは美少女得意じゃない 駿はオールマイティなんだろうな 大塚作画 https://pbs.twimg.com/media/EXG0LvLVcAYPDus.jpg https://pbs.twimg.com/media/EXG0MRMVAAEEikc.jpg 宮崎作画 https://pbs.twimg.com/media/EXG0N3zUEAA9wqj.jpg https://pbs.twimg.com/media/EXG0NFeVAAA9xH7.jpg 今のアニメに比べて表現する線が少ないはずなのに こんなにも違ってしまうのか 押井守って警察軍隊公安モノばっかりじゃん たまには子供向けファンタジー作れよ 無理無理そんな才能も興味もない。それぞれテリトリーがあるしな。このまま行けばいい。 押井さんにはかわいそうだけど宮崎駿の方が凄すぎて勝負にならない でも宮崎駿の裏話的には押井の圧勝!・・・でもない? 『鬼滅の刃』のナゾ 押井守が考える「設定もキャラクターも新しいわけではない」のにバズった理由 https://news.yahoo.co.jp/articles/2e5b60f95fde5092bb0c7888df5ee468ebee96f4/comments 最も上位だったコメント↓ tkc***** | 2020/12/13(日) 17:46 相変わらず簡単なことをワザと小難しく言っていかにも感を出すよなこの人は。 結局、問いに対する本質的な解答をしてないうえに関係の無い韓国の話になってるし。 日本映画のオリジナルなものが無くて末期…ってくだりは自分のことも含めてだよね? 確かに実績は認めるけど、うる星やつらにしてもパトレイバーにしても攻殻機動隊にしても原作・オリジナルが あっての話だからさ。信者の方はやたら神格化するけれど、過大評価としか思えないんだよなぁ。 押井:初めての実写映画(「紅い眼鏡」1987)のときに、ケルベロスの甲冑が現場に届いてさ、 みんなワーワー言って写真を撮りっこしてる姿を見て「あ、これが映画なんだよな」と思ったんだよ。 要するに「ごっこ遊び」。いい年こいた大人が真面目な顔してデカい声出して罵声飛ばしてやってるけど、 それはたぶん恥ずかしさを隠してるんだと思ったわけ。大真面目にやらないと恥ずかしいから。だからデカい声を張り上げたり、蹴りを入れたりしてやってるんだと。「これは仕事なんだ。厳しくなきゃダメだ」って、そうじゃないと子供のごっこ遊びと大して変わらないんだよ。今でもそう思ってる。だから真面目くさった普通のドラマはいまだに撮れない。最後に抱き合って感動で終わるとかさ、いっぱいあるじゃん。 ーまた「機動警察パトレイバー the Movie」(89/以下「パト1」)の話ですか(笑)。 押井:そうそう。「パト1」で1回やって本当に恥ずかしかったの。 宮さん(宮崎駿)じゃあるまいし。(篠原)遊馬が(泉)野明を抱いてくるくる回ったりとか、コンテを切ってるだけで脂汗が出たからね。 -重症ですね。 押井:「やれ」と言われたから仕方なくやったんだけど、本当は嫌だった。 野明がショットガンを撃ちまくって倒れてハアハア荒い息を吐いてさ、そこにヘリの音が響いたところで終わるべきじゃん。 ダメ押しのダメ押しみたいに抱き合って喜んで、最後俯瞰で引いて引いてみたいなさ。全部無駄。 ーみんな、ああいうベタなのが好きなんですよ。 押井:みんなベタが好きなのはわかってるけど! ーでもやりたくなかったと(笑)。 押井:プロデューサーも「アンタが嫌がるのはわかるよ。でもみんなこういうのが、ベタなのが好きなんだから」って言ってた。 「うる星やつら」(TV・81〜86)のときもそういうのがあった。例のクリスマスのやつ(「ときめきの聖夜(前後編)」1981年12月23日放送)。 あれ実際は、当時制作スケジュールが苦しくて、なんとしてでも枚数を抑えてさっさと上げなきゃというので、でっち上げで作ったんだよ。 ー当時は1回15分で2話ずつ放送していましたが、あのときは前後編で1話30分でした。 押井:あのときもさ、最後にそっと手が触れ合って、ストップモーションのハーモニー処理になって、 雪が降って……そこに甘いクリスマスの歌が流れて、「きよしこの夜」でフェードアウトするなんてさ、あんな恥ずかしいコンテを切ったの初めてだよ(笑)。 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00088/070900015/ ー初めてでしたか(笑)。 押井:そしたらあれがやたら評判になっちゃってさ。僕はもっと破壊的で暴力的なやつが好きだったのに 「こういうのみんな好きなんだ?」って思ったよ。ラムと(諸星)あたるが好き同士で、どこか心が通い合う瞬間があるんだ……というのは、 はっきり言えば原作者の罠に乗っかるだけじゃん。 ーうわあ(笑)。いいじゃないですか、原作者の罠でも。 押井:よくないよ(笑)。僕は「うる星」の何が好きかと言ったら、とにかく徹底的にドライで、全員がエゴイストで、 あとはひたすら暴力という、そういうところだよ。それがああいうウェットでリリカルなのをやった瞬間に大評判になっちゃってさ。 「こんなんでいいの?!」ってびっくりしたんだよ。 押井:いつも言うけど、ああいう仕掛けって演出家にとっては簡単なんだよ。泣かせるほど簡単なことはない。 笑わせるのは並大抵じゃないからね。まして血をたぎらせるなんてもっと大変なんだよ。 でも確かにエンターテインメントの王道ではある。ほろっとさせるとかほっこりさせるとか泣かせるとか、みんな大好きじゃん。 おばちゃんとかじいさんばあさんだけじゃなくて、若い子もみんな結局好きなんだよ。だから高橋留美子の漫画は永遠に当たるんだよね。くっつきそうでくっつかない。「めぞん一刻」も同じ。 宮さんも言ってたけど「押し倒しちゃえば終わりだ」って。 終わっちゃったら困るじゃないですか(笑)。 押井:「押し倒したら終わりなものを、延々と何年も引っ張るのは、それはドラマでもなんでもない。そういうのはドラマとは呼ばないんだ」という話だよ。 ドラマというのは価値観の葛藤のことを言ってるんであって、あのふたりのどちらかが「好きだ」とひとこと言っちゃったら終わっちゃうんだよ。 その告白からは逃れられないから、そこでじゃあなんと答えるのか。 ー諸星あたるはそこからひたすら逃げまくっていました。 押井:ただの遅延行為なら聞かなかったふりをするとか、たまたまジェット機が通過して聞こえなかったとか、なんだってできるよ。 そういう遅延行為によってしか成立しない人間関係をいくら描いてもそれはドラマとは言わないんだ、というのが僕の持論。 あるいは「主人公が未熟であるがゆえに起こる葛藤はドラマと関係がない」。 それはただ単に未熟なだけであって、価値観の葛藤でもなんでもない。 だけど、アニメーションはだいたいそのどっちかなんだよね。遅延行為を繰り返すか、主人公が未熟であるがゆえにあっちでボコボコ、こっちでボコボコというさ。 「エヴァンゲリオン」だってそうじゃないの。ただ人間として未熟なだけ。 ー価値観の問題じゃなくて、ということですか。 押井:そう。価値観のぶつかり合いでもなんでもない。アムロ(・レイ)から(碇)シンジに至るまでみんな同じだよ。 僕はああいうウジウジした暗い主人公は大嫌いだからさ。 -確かに(笑)。 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00088/070900015/ 押井:それで言うと、もうひとつあるのが、これは伊藤(和典)君もよく使った手だけど、要するに過去に何かがあったというトラウマものだよね。キャラクターの行動原理をトラウマで説明するのは一番安直。過去に遡るトラウマ探しをドラマとは呼ばないんだよ。 遅延行為、未熟、トラウマ。 押井:僕はそれを「エンターテインメントの三悪」と呼んでことごとく避けてきた。 あるいはやるふりをしてひっくり返す。「トラウマと思ってたけど全部嘘でした、そんなことなかったよーん」というさ。 だから別に遊馬の兄貴が自殺したとかはどうだっていいわけ。 ー「機動警察パトレイバー」の小説版にそういうエピソードがありますね。 押井:そもそも遊馬がああいう男であることの説明になってないでしょ。親父とケンカするのはわかるんだよ。 これはテーマ足り得るから。世代間抗争という普遍的なテーマだからね。親父と息子なんて それこそ古代ギリシャの時代から綿々と描いてきたんだから、それはいいんだよ。そこになぜ兄貴が自殺したという話を絡めなきゃいけないのか。 僕に言わせると遊馬はもっと面白い奴だよ。そんなところで足を引っ張られる男であるわけがない。 野明だってアルフォンスという犬を飼ってたとか、だから今でもロボットにアルフォンスって名前をつけるんだとか、 僕はそういう、うっとうしい女は大っ嫌いだから。 ーまあまあ(笑)。 押井:うっとうしいじゃんそれ。いつまで子供のつもりでいるんだよと。だから「機動警察パトレイバー2 the Movie」(93/以下「パト2」)のときにさっさと大人にしちゃった。 「いい加減大人になれ。自己責任でことに当たれ。後藤のせいにするな」と。 キャラクター的に言ったら「パト2」でやりたかったことはそれだよ。それで逆に遊馬のほうが「やばいんじゃないのこれ。捕まっちゃうかもよ。 レイバーなんか二度と乗れなくなるかもしれないぞ」ってひるんじゃう。でも野明が「それでもやるんだ」と。後藤に言われたからやるわけじゃない。 3年間の時間経過の中でキャラクターがそういうふうに変化したんだよ……ということをやりたかったわけ。それを僕はドラマと呼ぶのよ。「なぜ変化したの?」という話なんだから。 ーキャラクターの変化と、その理由となる価値観の相克がドラマ。 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00088/070900015/ 押井:キャラクターが3年経っても、あるいは1クールでも2クールでもいいんだけど、 始まったときと同じような価値観を持って、同じことをやってますというのはやる意味がない。 「うる星やつら」というか「サザエさん」方式というか、何も変わらない永遠の日常の世界。そこに時々風穴を開けるわけ。 「うる星やつら」だっていい加減にしろと思って「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(1984)を作ったんだから。 僕は「これでおしまいだ」と思って作ったのに、終わらなかったけど。終わらせるって本当に難しいよね。だって自分のものじゃないからさ。 人様のものだから「終わりです」と言ったって終わらないんだもん。違う監督でまた始まるんだから。宮さんも同じこと言ってたよ。 「『ルパン(三世)』もいい加減にしろよ。まだやってるのか」ってさ。 「ルパン」はまだ続いてますよ(笑)。 押井:「今の時代に大泥棒なんてどこにロマンがあるんだ。女の子の心を盗んで終わりでいいじゃないか。あとは全部余計なことだ。惰性だ。 どんどんつまらないオヤジになっていく」って。僕もそう思ったよ。だから「ルパン」を自分がやるときには神様をかっぱらう話にしようとしたわけ。 できなかったけどさ。 エンターテインメントの世界にいて、こういうことを思ってる監督はべつに僕だけじゃない。 ちょっとものを考える監督だったら、みんな同じことを言うよ。ルーティンワークで同じようなドラマを転がして、そのことを疑わない監督もいるだろうけど。 ー確かに。 押井:今の日本映画もまさにそうじゃん。いつか見たような風景ばっかり。男ふたりと女ふたりの青春の光と影みたいなのはうんざりだよ。 若い子にとっては新鮮なんだろうし、ときめくのかもしれないけど、70を前にしたオヤジが見るものじゃないよどう考えたって。 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00088/070900015/ ー日常派の監督のほうが日本では王道っぽく扱われてますよね。 押井:行定(勲)君とか、日本映画の王道をやってる正当な日本映画の後継者じゃん。でもあの人だって変なものを撮ったことはあるんだよね。 少年がUFOを見てどうたらこうたらという映画(「遠くの空に消えた」2007)。だけどやったら途端にコケちゃった。 やっぱりそういうのが身につく人と身につかない人っているんだなってさ。 是枝(裕和)さんは一見すると正当な日本映画の後継者っぽく見えるけど、実はあの人が描いてる世界って相当変じゃん。 死後の世界だったりとか。だから見かけによらないもんだよ。ということでようやく話が戻るけど、三池さんはそういう意味で言うと「なんでも撮る人」。 押井:僕も「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」(07)を見たけどさ、 全員英語をしゃべって普通に西部劇のふりをしてやってる。なかなか面白かった。 世間の評判はどうか知らないけど。桃井かおりとかが余計なことをやらなければもっと面白かったのに……というか、 三池さんの映画って女優の影が極端に薄い。たぶん、女優に全然興味ないんだよね。おっさんはみんな色っぽいのに。 女は扱いがひどくて、だいたいレイプするかリンチするか。こんなに女優に愛のない監督って珍しいと思うよ。 僕はまったく逆で、女優にしか興味ないからね。というかむしろ、女優以外に全然興味が持てない。 僕がイケメンのお兄ちゃんで映画を撮るなんて1ミリも思わないからね。 ーでもそういう映画もちょっと見てみたいです。 押井:女優と言ったって40から上の方々だけど。僕は女子高生はもう懲りた。 2回やったけどやっぱり難しい。昔から女子高生の何が難しいんだろうってずっと思ってたんだよ。 なんでこんなに妙に距離が出ちゃうんだろうって。年齢的なものもあるのかもしれないけど、 だったら歳を取れば全然平気になるだろうと思って、こないだやってみたんだよね。 確かに前よりは全然平気になった。慣れちゃったと言えば慣れちゃったし。だけどやっぱり思い入れができないんだよ。 僕にとっては「こういう人がいたらいいな」という対象足り得ないんだよね。だって子供だもん。 宮さんと違って、さわやかな少女とかに全然興味ない。気合の入ったおばさんとかは大好きだけど。 僕の性癖はどうでもいいんだけど、三池さんはなんでも撮る人だよね。たぶん作った映画の半分ぐらい、特にVシネ時代は極道とかヤクザとかが多かった。 今でもVシネの監督をやってたら、ヤクザものと麻雀ものは避けられないわけだ。昔のアニメだったらメカものが避けられなかったみたいに。アニメの監督や演出家をやってて一生ロボットだ戦闘機だに触れない人も珍しいよね。警察や軍隊に触れないのも難しい。かなりのアニメーションは警察か軍隊なんだから。 ー確かに多いですね。 押井:それで言うと、三池さんはヤクザとか空手とかアクション映画の人かなと思ってたわけ。 でも遡ってよくよく見たらアイドルものも撮ってるし、なんでも撮る人なわけだ。SFだって撮っちゃうからね。 https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00088/070900015/ cut 1997年7月号より 渋谷陽一 「攻殻機動隊」も見てないんですか? 宮崎駿 見てないです (中略) 押井さんに言ったんですけどね、「そんなに犬が好きなら愛犬物語を作れ」ってね。 くだらないもの作ってないでね。人間の脳ミソが電脳がどうのこうのなんて、そんなんじゃなくてね。 渋谷 観てるじゃないですか(笑) 宮崎 いや、観てないんですけど、分かるんですよ、士郎正宗のは読みましたもん。 これ、全部入らないから全部意味ありげに語るんだろうって。 意味ありげに語らせたら、あんな上手い男いないですからね(笑) パトレイバー2の時なんかまいりましたもん。 なんか意味ありげでなあと思ってたら所詮意味などないんだってね(笑) おかしいなあと思うと、先回りして言うんですよね。 実に語り口は巧妙なんですけど、要するに押井さんが言ってるのは、東京はもういいやってことなんだろう、だから伊豆に行って犬飼うんだろうって。 自分が短足だからって、短足の犬飼うなってね。 渋谷 しかし、押井守の宮崎駿評と、宮崎駿の押井守評ほど面白いものはないですね 宮崎 いや、基本的には友人ですからね。 でも、押井さんはね、本当はものすごく生活を大事にする人で、彼の作ってるような形而上学的なとこで生きる人間じゃないと思うんですよ。 もう無理矢理70年代で止めちゃってね、ぐずぐず言ってるけど、本当はものすごく健全で潔癖な男なんですよね。 渋谷 鋭いですね。 宮崎 そんなこともうちゃんとわかってますよ。 朝早く起きて、夜は寝るもんだってね。 そのくせジブリはスターリン主義だとか、いろんなこと言うんですね(笑) 同じく cut 1997年7月号より 渋谷陽一 どうですか、お弟子さん「エヴァンゲリオン」は宮崎さんから見て? 宮崎駿 いや、三分と観られないですね 観るに堪えないですね。 渋谷 面白いじゃないですか 宮崎 僕はああいうもの、もういらないですよ。 最初の絵コンテ見ただけで、「エライこと始めやがったなこの野郎」って思ってたんですけど 「使徒」とか聞いたときも、こりゃエライとこに突っ込むなあ、って思ったんですけど、まあ終わって良かったですよね (中略) だから、三分ぐらいは観ましたって。それでまあ、いいやって 渋谷 それで、庵野さんに相談受けてやめろよって言えるんですか? 宮崎 それは言えますよ、一般論として。 庵野がどういう状態か聞いていましたから。 机の横にフトン敷いて、そこから出たり入ったりしてやってるって。 どうせ庵野のことだから、風呂入ってないだろうなとかね(笑) それはもうわかりますよ。中身については、観なくてもいいんです。あんまり。 それよりも、ちょっと心配だったのはアイツのほうが強かだと思うんですけど、 ああいうのをやってしまうと自分の作ったものに縛られていくでしょ、ヤマトとかガンダムとかね。 そういうものに縛られると最悪なことになりますから、なるべく自分が作ったものは観ないようにして、別なことを始めるっていう… だって、それで稼いだんだから、その金で姿をくらますこともできるんですから。 それ言うと「私はスタッフを抱えてるから」なんて言うんだけど、 「スタッフなんておまえのこと考えてないんだから、捨てて出て行けばいいんだ」って、そういう余計なこといっぱい言いましたけどね。 渋谷 でも、宮崎さんも一度も捨ててないじゃないですか 宮崎 それは捨ててますよ、ナウシカもラピュタのときも解散してますから、箱だけ残してね。 それでとなりのトトロが終わって、魔女の宅急便を始めるときに、これはヤバいと思ったんですから。 だって、じゃあ解散って言ったら、もう彼らは行くとこなくなったんですよ。 それで、もう固定給にするしかないって。 魔女までは出来高でやってましたけど。 これは、いくら何でもかわいそうだってね。 中身は濃くなるから、手は遅くなる。そうすると、もう本当に出来高給料でいくと、干上がる人間たちが出てきてね。 だから、やり方変えようってね。それで遅くなってもいいじゃないかって。 で、今もその遅くなったことが最大の問題点になってるんですけどね(笑) 1ヶ月8000万円かかりますから、このジブリスタジオ。 で、CG部が新しい機材を嬉しそうな顔してどんどん使ってますけどね。 これ、いくらすんだと言ったら、一億ですからね(笑) ★宮崎駿は真性のロリコン 押井:実際に、(僕は)現実で小さな子供に興味を持ったことないからさ。 あの人(宮崎駿)はあるんだよね。 いつか酔っ払ってたのかシラフだったのか、 「十二歳の女の子と恋愛してどこが悪い!!」って叫んでましたよ。はっきり言ってたからね」 ※「宮崎駿の世界」クリエイターズファイル (バンブームック) 証拠画像 ttp://blog-imgs-44.fc2.com/b/o/i/boinngerionn/e0e0b861.jpg 宮崎「ラナの足をつかんでね、さかさまに、こう、その、もう…、パンツも脱がせちゃって…、ウリャウリャとやるとか…」 ※「漫画の手帖」12号 証拠画像 ttp://blog-imgs-44.fc2.com/b/o/i/boinngerionn/456ea96d.jpg 興味深いインタビューだった。 >押井守「…僕は富野さんのことが好きなんだよ。実は宮さん(宮崎駿)も富野さんのことが大好きなんだよ。宮さん、よく富野さんに電話しておしゃべりしていたからね。宮さんと富野さんって実は仲良しなんだよ」 >──ええっ!? >押井「これ、面白いでしょ? 宮さんは虫プロが大嫌いだから、出崎統さんとか『あしたのジョー』(70-71)とかが大嫌いなんだけど、虫プロ出身の富野さんのことだけは大好きだった。…」 http://rittorsha.jp/column/2020/01/1988_2.html 1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編 投稿日:2020年1月28日 連載: 【連載エッセイ】押井守の映画50年50本 僕も宮さんも富野さんのことが大好き 押井 庵野(秀明)が同人誌を作ったんだよね(※1993年刊『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア友の会』)。 世間では『逆シャア本』と呼ばれているんだけど。それで庵野が「インタビューさせてくれ」って言ってきた。 「ほかならぬ『逆襲のシャア』なら何時間でも語るよ」と快諾したんだよ。で、めちゃくちゃ褒めた。 ──いまや伝説の同人誌ですね。 押井 僕が『逆襲のシャア』を褒めたから、庵野が首をかしげちゃって(笑)。インタビューを依頼してきた人間なのに「なんでそこまで褒めるんだ!?」と言うわけ。「なんか企んでませんか?」って。 いや、本当に、それぐらい僕は『逆襲のシャア』がお気に入り。お気に入りというか富野さんの本音に共感できたんだよね。薄々感づいてはいたんだけど、愛だの何だのという人ではないんだよ。 絶望を語る人なんだよ。「人類を粛正してやる」なんて台詞は、ほかの監督が使ったら「何様だよ!」って話になるし、「思い上がるな!」と思うんだけど、富野さんが使うと、ものすごくナチュラル。 ──笑。 Home 1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編 1988年『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』編 投稿日:2020年1月28日 連載: 【連載エッセイ】押井守の映画50年50本 僕も宮さんも富野さんのことが大好き 押井 庵野(秀明)が同人誌を作ったんだよね(※1993年刊『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア友の会』)。世間では『逆シャア本』と呼ばれているんだけど。それで庵野が「インタビューさせてくれ」って言ってきた。「ほかならぬ『逆襲のシャア』なら何時間でも語るよ」と快諾したんだよ。で、めちゃくちゃ褒めた。 ──いまや伝説の同人誌ですね。 押井 僕が『逆襲のシャア』を褒めたから、庵野が首をかしげちゃって(笑)。インタビューを依頼してきた人間なのに「なんでそこまで褒めるんだ!?」と言うわけ。「なんか企んでませんか?」って。いや、本当に、それぐらい僕は『逆襲のシャア』がお気に入り。お気に入りというか富野さんの本音に共感できたんだよね。薄々感づいてはいたんだけど、愛だの何だのという人ではないんだよ。絶望を語る人なんだよ。「人類を粛正してやる」なんて台詞は、ほかの監督が使ったら「何様だよ!」って話になるし、「思い上がるな!」と思うんだけど、富野さんが使うと、ものすごくナチュラル。 ──笑。 押井 ずっとロボットアニメをやってきた富野さんだから許される台詞であり、納得できる台詞なんだよ。 ──なるほど。そうですよね。 押井 富野さんのアニメは、延々としゃべっているからね。アクションしながら議論している。 僕どころじゃないよ(笑)。「押井映画は台詞が多すぎる」ってしょっちゅう言われるけどさ、 「だったら、なんで富野さんのことを誰も文句を言わないわけ?」って話だよね。 ──恨んでいるんですね(笑)。 押井 恨んでないよ。共感しているんだよ。僕は富野さんのことが好きなんだよ。実は宮さん(宮崎駿)も富野さんのことが大好きなんだよ。 http://rittorsha.jp/column/2020/01/1988_2.html アニメージュ 1983年5月号 宮崎駿、押井守、初対面 うる星やつらオンリーユーを見て 宮崎 ついさっき、「うる星やつら」の劇場用を見まして、いくつか聞きたいなと思うことがあったんです。 まず、パロディについてなんですけど、パロディと言うのは、二番煎じでしょう、二番煎じで意味を変えるということですね。 だから、二番煎じに甘んじるけど、そのかわり違う見せ方をします、という、何ていうか、斬られて斬るというところがあるわけなんだけど、斬られていないと思うんですよ。 設定を楽にしている印象しかない。 押井 たぶん「卒業」のことをいわれてると思うんだけど…。 宮崎 いや「卒業」のということより、映像のひとつひとつなんです。 例えば宇宙船が下りてくるとか、デザインは違ってますけど。 あるいは時計塔が出てきて、その中に見覚えのある歯車が回っていたり(笑) それがパロディと思えないから、むしろ設定を盗んだ感じしかしない。 パロディにするなら、それは中途半端にやっちゃいけないと思う。 (中略) 押井 元ネタがわからなくても楽しいように作ってみようという意識はつねにあるんです。 宮崎 それはわかるんですけど、何かパロるのかパロらないのか、あいまいなままやっているような気がしたんです。 戦闘に入って、ポーズが入っているから何かとは思うんですよ。それが本当にいいのかなあ…。 それが映画を高めているんでしょうか? 後年の述懐 『うる星やつら オンリー・ユー』は設定に整合性が取れていないと言われたんだよね。 実はこれ、非常に正しかったんです。わずか3カ月で作った作品だったし、そもそも宮さんと同じようなことをやろうとした作品だった。 設定を使い回すことでアクションを作り出そうとしたんです。 つまり、宮さんの『ルパン三世 カリオストロの城』の方法論を使って作ろうとしたんだよね。 悔しいのは、3カ月で作ったことが言い訳にならないところなんだよ。 なぜなら宮さんも『カリ城』を3カ月で作っちゃったから。なぜそんなことができたかと言えば、天才だからです。 ひとりで絵コンテを切り、設定を作り、キャラクターを考え、原画を描き、他人の原画を修正し、さらにはそういうことが量産できる。 ありえませんから。アニメーターのスーパーマンですよ。極端に言えば、スタッフがいらない巨大な天才。 しかも、自分のモノ作りに関しては驚くほど無自覚。だからいつも「こんなのオレが3人いればできるのに!」とわめいていた(笑) 宮さんはいわばナポレオンなんですよ。だったら僕は、プロイセン(編集部注:ドイツ帝国の中核を成した王国)の参謀本部にならなければいけないと、そのとき思ったわけ。 つまり、戦略を立て、戦術を練り、組織も作るということをひとりでやった軍事的天才のナポレオンが宮さんで、そういう天才には頼らず、多数の秀才を集めて戦争に勝とうとしたプロイセンのやり方が僕。 ひとりの天才の仕事を、同じレベルでやるためには何が必要か考えて、そういうところに落ち着いたんですよ。 https://www.kyo-kan.net/archives/2018/09/_web_1.html 監督については意見は合わなかった。宮さんは監督軍曹論で、兵士と一緒に塹壕に入って信頼を獲得するという考え。 僕は監督参謀論で、戦争のすべてをプランニングするのが監督の役目。 そのためには兵士とは距離を置くべきで、情に流されてちゃダメ。兵士と同じレベルで考えていたりしたら負けるに決まっているから、というもの。 まあ、それくらいに対照的に違う。 いつものように、最初は和気藹々、最後はスタジオ中に怒号が響き渡る大ゲンカ(笑)。 もちろん、戦争好きだったり戦記をよく読んでいたり、似たところはたくさんある。 まあ、戦争に関しては僕は勝敗論ですが、宮さんは浪花節。 飛行機に関してもレシプロ(エンジン/編集部注:ピストンエンジンとも呼ばれる熱機関)大好きな宮さん、僕はジェットエンジン好きと、それくらいに違うんですけどね。 それにあの才能でしょ。あの天才に抗うことはできませんよ。ただ思想的に容認できない。僕はマルキストは大嫌いなので(笑)。 https://www.kyo-kan.net/archives/2018/09/_web_1.html まあ、紅の豚の影響を受けて、エヴァに影響与えた映画だと思う 128ななしのよっしん 2020/03/05(木) 09:29:11 ID: 7D84FK+97J ポリティカルな側面ばかり掘り下げられがちだけど、この映画が言いたいことってだいたい宮崎駿にとっての紅の豚、庵野にとってのエヴァと同じだと思う 大人になると、好きなことを好きなままでは続けられない 社会的しがらみや要請、圧力、時流、いろんな力で歪められてしまう ポルコはただ空を飛んでたいだけのヒコーキ野郎で大人になれない男だけど 時代はファシズムと戦争で自由に空を飛ぶことを許さなくなっていく 宮崎駿も本音は飛行機映画を作っていたいだけだけど、社会的要請や立場、仕事を考えるとそうもいかない 庵野も好きな題材や作品、企画だけをやっていたい、アニメや特撮映画を作っていたいだけだけど 加持リョウジが言うように『好きなことだけを数珠つなぎにして生きていくことはできない』 やりたくない仕事や我慢、苦痛、重圧、そういうものとも向き合っていかなきゃならなくなる P2も同じで、本質は『ヘッドギアの解散式』『第2小隊の卒業式』という締めくくりなのだと思う 野明も『レイバーが好きな女の子のままじゃいられない』 大人になって前へ進んでいく必要がある 柘植と南雲さんも、若い頃はおそらくただ純粋にレイバー(仕事と研究)が好きなだけだった しかし、柘植は社会的なしがらみ、政治と戦争の犠牲になって部下を失い、ただレイバーが好きなだけの技術屋ではいられなくなった 南雲との関係も、社会的には不倫は許されない なんでも好き放題、自由になるわけじゃない 大人になっていくってことは、自由を失っていくってことでもある(後藤が宮仕えの公務員で、様々なしがらみの中で首輪をつけられて生きてるように) パトレイバーを作っていた若いスタッフ(ゆうきまさみ、伊藤和典、出渕裕、押井守)もそれぞれ前へ進んで、大人になって仕事をしていかなきゃならない いつまでも学生のサークルのように好きなことだけをやって、部活のように遊んではいられない モラトリアムの期間は終わった 現実に戻らないといけないってことを描いたのがP2なんだと思う 戦後という時の中で眠ったままの日本 それを目覚めさせようとする柘植 第2小隊の時代は終わり、それぞれの道へ歩き出した隊員たち ヘッドギアの面々も次のステップにキャリアを進めていかなきゃならない 実は大人になることを拒否している柘植に、大人になった南雲は決着をつけに行く この作品が全体的に寂寥感が漂うのは、『祭り(パトレイバー)の終わり』を描いたから アニメージュ 1984年6月号 ナウシカ、ビューティフルドリーマー完成したころ 宮崎 とくにアニメにおいては、だれのために、何のために作ろうとするのかというのが、大きな問題になっていると思うんです。 とにかく、週45本から、35本に減ったとはいっても、テレビアニメの量的氾濫は異常です。 個人的には一本もなくなったほうがいいんじゃないかと思うくらいです。 そうして、受け手である中高生は、それを一方的に享受するだけになってしまってる。 作り手の側も生活を十分楽しみながら、作品を作っている感じで、おもしろい作品がないねといいながら、この量産体制の中に組み込まれている。 ぼく自身は、たしかに今までやるに値しない仕事はやめようと思って、かなり選びながら作品を作ってきたつもりだったんです。 しかし、良心的にやったつもりでも、ある一時期の高度経済成長にのっかって、このアニメーションの氾濫に加担してきたじゃないかと思うようになった。 いま子どもたちのまわりで起きてる問題を前にして、どんなに一生懸命にやっても、それによっては何も正当化されない。 子どもたちをはげますつもりで作ってきたのに、うっかりテレビに参加したことで、子どもたちを追い込む原因を作ることに加担したのではないか。 いま大事なのは、子どもたちがテレビなんか見なくなることなんじゃないか、という問題につきあたりまして、これをどう解いていくのかというのがぼくの問題意識になってきたんです。 宮崎 だけど、「うる星(ビューティフル・ドリーマー)」でいえば、ラムの夢を現実化して、まわりは廃墟になって、 自分のいたい人だけといっしょにいて、食べ物はコンビニエンスストアにいっぱいあってね、電気もガスも水道も供給される、そういう世界で遊んでいるでしょ。 それで、ラムはどうなったんだ、ということがないと、純愛もへったくれもないと思ったんですよ。 押井さんはじつにうまく逃げた気がする。 夢邪鬼に「これはラムさんの夢なんや」と言わせて、 さらに最後の「夢だよ」というあたるのセリフで念押ししてね。 もし、今日の日本を舞台にして、学園ものにふみこむなら、どうしてもふみこまなければならない部分が出てくるけど、 そこをうまくのけといて、おもしろそうな風俗だけは全部出てる。 それにごまかされて、子どもたちは「ラムはあたるが好きなんだ、こんどもキスしなかったんだ」って(笑) うまくごまかして、のせてるんだって思いましたね、率直に言って。 あれはラムの夢ではなく、あたるの夢だったのかという気もしてくるし、そのへんはしっぽをつかまれないようによくできているんですよ(笑) 押井 ぼくの考えてる映画というのは、いまはそういうものだ、そうじゃないと作れないと思うんです。 ラムとあたるの間には何の障害もない、面堂が日本刀をふりまわしたって、戦車にのって大砲ぶっ放したって、何も障害になるものはないわけですよ。 宮崎 ようするに、学園に戦車をもちこんでも、警察がふみこんでこないことによって、何をやってもいい世界なんだよね。 押井 逆にいうと、いまはそういう状況なんだと思うんですよ。障害がなくなっている。 宮崎 (障害は)ありますよ。ちょっと派手な靴下をはこうと思ったらどういう目にあうか。 (中略) 押井 だから、やりたいことがないにも関わらず、生きていかなければならないという状況があったときに、じゃあどうするかといえば、手放しにしちゃって何もしないか、あるいは、あたかもなにかやることがあるかのごとく装って笑ってみせるか、その違いだと思うんですよ。 宮崎 いや、やっぱり、やることはあるんじゃないですか、いま、この日本に生きて。 押井 あるとすれば、なぜ若い人がこれだけアニメにイレこんでくるのか。 宮崎 あるんだけど、そこに目が向かないようにできているんですよね。 破滅のきざしは日本中にあふれているわけだけど。 押井 状況はこれだけそろっているのに見えないのは、見えないシステムがあるのか? 宮崎 それはどうしてかというと、日本と世界の関係が子どもたちに見えていないからだと思うんです。 日本とインドネシアの関係とか、日本人の食べているエビが全部外国から来ているとか、そば粉はカナダからとかね。 誰も気づいてないでしょう。 押井 そうは思わないですね。 宮崎 こういう物質的に豊かで第三次産業花盛りで、アニメーションは週35本もテレビで放映されている状況なんてのは、みんな遭遇したことないですよ。 歴史でいうなら、ローマの平和ですね。 ローマ帝国じゃなくて、ローマ市内の状況に似ていると思う。政治的退廃とか、見せ物としての殺しあいとか。 あの時代のローマ市民は、パンだけじゃなくて娯楽も要求した。そういう状況に対応している。 押井 そこで比喩的にいえば、そのローマ市民はパンとブドウ酒を要求したうえに、なおかつ闘技場の見せ物を要求することが市民の権利だと信じていた。 それは、とりわけいまのアニメファンに似ていると思うんです。 ファンの要求することは、作品の中で実現されなければならないと信じている。 宮崎 ええ、似てますね。 >>141 確かに今の日本のアニメの隆盛と経済の衰退は、パンと見世物を要求した ローマの衰亡期と重なる所がある 押井 演出的にはいろんなことにトライするヤツだよ。その部分については、私も評価している。 1作目の『エヴァ』からセルをひっくり返して使ったりして、脱構築をしている。そういう表現や演出においては貪欲な男。 だから、私の中でも庵野は、演出家としての評価は高いんです。 ただ、監督はそれだけじゃダメなの。彼はそれに気づいてないと思うよ。 ── というと、そういう演出力だけじゃ監督になれないということですか? 押井 そうじゃない。現に庵野は監督しているじゃない。私や宮さん(宮崎駿)が考えている“監督”とは違うというだけです。 そういうことを宮さんと話したことがあって、宮さんは露骨に庵野にこう言っちゃった。 「テーマがないことが、ばれちゃったね」。 https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_a59f5717-1c46-4bbf-bf30-d246fa043885.html 押井守「庵野、新海、細田の映画ってテーマがない。観客に伝えたいことが何もないんだよね。監督はそれじゃダメ」 [595017606] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1619700737/ ── 今回は大ヒットを続けている庵野秀明監督の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』についてです。もちろん、まだご覧になっていませんよね? 押井 観てません。『エヴァ』について語ることはあまりないよ。やることなすこと、庵野だってこと以外はね。 押井 表現とテーマは別物です。奇抜な演出をするのも、新しい演出スタイルを創り出すのもテーマじゃない。 何を実現したいのか、これが大切だと、私や宮さんは、映画を作るときには常に考えているんです。 でもさ、それは庵野に限ったことじゃないんだよ。 彼より下の監督たち、細田(守)くんや、『君の名は。』の新海誠とか。 彼らに共通しているのは“主題の喪失”。違う言い方をすると、映画を作るという根本的な動機が感じられないということになる。 ── この物語を皆さんにお伝えしたいという気持ちですか? 押井 そうです。それを宮さんは端的に言ったんです。 なぜそういう風に考えるかと言えば、私たちの世代の監督にとってはテーマや動機は必須だったからですよ。 私の場合、映画を作るということは、世の中にケンカを売ることなんです。 これも何度も言っているよね。宮さんは子供たちに楽しんでもらいたいと言いつつ、その裏ではケンカを売っている。本人はそれに気づいてないだけだよ。 亡くなった高畑(勲)さんに至っては、それしかなかった。映画を作ることが社会的行為だった。 この時代に何を語るのか、それしか考えなかった人なのに、遺作の『かぐや姫の物語』がアレだからがっかりですよ。 見どころは表現だけで、時代も歴史もぶっ飛んでしまった。単なる教養映画。岩波ホールで上映する映画ですよ。 押井守「庵野、新海、細田の映画ってテーマがない。観客に伝えたいことが何もないんだよね。監督はそれじゃダメ」★2 [456446275] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1619775017/ https://i.imgur.com/ZMfT4AM.jpg 庵野はパヤオと同じ声優嫌いだからかこの時もウキウキで引き受けたという事実 On Your Markについて ・本作に対し、監督は「歌詞を曲解して作った」「暗号のような物をいっぱい入れてある」と語っている。このため、見る側によって異なる解釈が存在する。 ・この少女は救世主ではなく希望の象徴であり、ここでの希望とは全面降伏をせず、誰にも触れられたくないものを誰の手にも届かないところに放すことだと監督が解説している。 ・ラストシーンについて、監督は「2人は仕事に戻るだろう」と話しているが、後に「どうなったのかは知らない」とも答えている。 ・監督は「天使か鳥の人かはどうでもいい」というが、設定画には「天使」と明記されている。ちなみに天使を出した理由は、押井守がもったいぶっていたから先に出したのだと答えている。 https://ghibli.jpn.org/report/onyourmark/ つまり、これは逮捕とかそういうものじゃないんです。虐殺なんですね。「全員殺せ!」という指示が出ているから、無抵抗な人間であろうと、降伏していようと、子供であろうと女の子であろうと、全員殺すんです。 この『On Your Mark』の後、95年に『エヴァ』のテレビ版も劇場版もあったんですけど。あの残酷な戦闘描写に一番影響を与えたのって、やっぱり、この6分40秒のフィルムなんですよ。 でも、それを、ほとんどのアニメファンは知らないんですね。宮崎駿がこんなことをやっているとは知らない。 庵野秀明が、それを見て「うわーすげえ!」と思って「じゃあ俺は、これをもっと丁寧にやろう」と思ってやったら『エヴァ』になりましたということなんですけど。 宮崎駿は、これを「残酷ですよ」というふうに描かないんですね。やっぱりそこは宮崎駿の方が1枚上手で。 「ドアの前に棒立ちに立って銃を撃つ」というのが、どんなにエゲツないことかってわかるのは、やっぱり、そういうのに詳しい人だけなんですよ。 だから、こんなもん、別にレコード会社のオッサンに見せてもわからない。まあ、実際にわからなかったんですけど。たぶん、鈴木敏夫さんすらも、これに気が付いてないんですよ。これが、いかにすごいことなのかっていうのに。 こんなふうに、無抵抗な人間を撃って、その中に爆弾を投げ入れているのに。 まあ、突入時に「KILL」と出ているのは、殺人の指示が出てるからだと思うんですけど。 https://sp.ch.n.ico.video.jp/ex/blomaga/ar1845795 これ、チャゲとアスカの腕についてるワッペンなんですけど。わかりますか? これは天秤のマークなんです。そして、天秤というのは、裁判官とか弁護士とか司法制度の方を示しているんですよ。 つまり、彼らは警官であると同時に裁判官なんですね。警官というのは行政なんですけど、いわゆる「司法・立法・行政」の三権分立が、この時代にはすでに崩れている、と。 彼らは「その場で裁判して、その場で有罪判決を下して、その場で死刑にする」という、とんでもない組織なわけですね。 それを、天秤のマークのワッペンを1つつけることで表現している。 「これも、まあ、レコード会社にはわかんねえだろう」っていう悪意ですよね。 本当に、飛行機を降りる時に一瞬だけ「KILL(殺せ)」っていうのを出して、無抵抗な人を撃つ描写を入れて。そして、2人が飲んだくれて 「俺達の今日の仕事って何なんだろう」って言ってる時に、腕のワッペンには天秤のマークがついているのを見せる。 宮崎駿が言おうとしているエゲツなさというのは、こんなふうにちゃんと画面上に出てるんですけど、ほとんどわからないようにされているわけですね。 僕も、この辺、見つけた時に、ちょっとビックリしたんですけど。 https://sp.ch.nicovideo.jp/ex/blomaga/ar1845795 悪意その2は「原子力」です。 それについては、この『出発点』という本の中に書いてあります。まあまあ、この『アニメージュ』にも載っているインタビューの再録なんですけど。 アニメージュのインタビュアーが、「冒頭の、のどかな田園風景に建つ、奇怪な建物はなんですか?」と聞くと、宮崎駿は 「どう解釈してもらっても構いませんが、その直後に出てくる放射能注意のついたトラックを見て、なんとなくわかってもらえばいい」と言ってるんです。 つまり、宮崎駿としては「あれは原子力発電所、それも事故を起こした原発だってわかっているんですけども、それを言うつもりはない。『アニメージュ』なんかに取材されても俺は絶対に口を割らんぞ」と思っているわけですね。 「原子力マークがわかるやつだけわかればいい。チャゲ&アスカにもレコード会社にも、たぶんバレねえだろう」というふうに思っているわけですね。 というのも、実はこの『On Your Mark』が作られた当時、チェルノブイリで事故はあったんですけども、3.11以前だし、日本の東海村の原子力発電所で大事故が起きたのも、このだいぶ後だったんですね。 だから、日本ではバイオハザードマークはもちろん、ラジエーションハザードと言われる、いわゆる放射能注意のマークを知っている人なんて、ほとんどいなかったんですよ。 宮崎駿としては、チェルノブイリのことが日本でほとんど報道されていないことにも、やっぱり腹が立っていたんでしょう。それもあって、放射能マークというのを散々出しても「バレないだろう」と思っているわけですね。 https://sp.ch.nicovideo.jp/ex/blomaga/ar1845795 鉄条網の向こうに封印された原発があって、この鉄条網が腐ってるんですよね。 「鉄条網が腐っている」というのはどういう意味かと言うと。鉄条網で覆われているということは「ここから先は危険だ」ということなんですよ。つまり、この原発が事故を起こした当初は「この鉄条網の内側の範囲が危険だ」と思われてたんですね。ところが、「もっと危険だ」ということが後々わかってきたので、鉄条網の外側にいた人も全員避難して、もう今、この周辺には人がいないんですよ。だから、鉄条網が腐っているんですね。 鉄条網が腐ってる理由は「もうここから先が危険なんて言ってる場合じゃない。この地域の全てがダメになっていて、みんな引き上げているから、鉄条網自体が腐っちゃってる」というわけなんですよ。 もともと原子力発電所だったんですけど、周囲が事故で封鎖されて。ところが、封印したつもりなんだけど、汚染は止まらない。その結果、この周囲数キロから住民は逃げて、鉄条網自体が不要になっちゃったということですね。 どれくらいの事態になったのかと言うと、チャゲアスの2人が黄昏れて酒を飲むシーンがあるんですけど。 居酒屋の壁に貼ってあるメニューに、「塩サバ(合成)」、「バイオ蛸酢」、「(本物)めざし:時価」、「(本物)やきとり:時価」って書いてあるんですよ。 つまり、この世界には、もう人間しかいないんですね。合成の塩サバとか、バイオ酢蛸みたいな、そういう合成食料しかないんですよ。 まあ、中には放射能に強い生物というのがいるんですね。「チェルノブイリの選択繁殖」って言われているんですけど、チェルノブイリ原発の近くって、今、緑がいっぱいなんですよ。「じゃあ、放射能があっても植物は大丈夫なのか?」と言うと、違うんですよ。「植物の中でも元気に繁殖するのと枯れていくのと2種類ある」だけなんですね。選択繁殖というのはそういう意味です。 そこは、もう窓も割れて放射能が入り放題になっている。それでも、みんな生きなきゃいけないから、子供のために金を稼いで、ちょっとでも長生きできるように健康的なものを買っている。 「ここで暮らす人達は、そんな生活をしている」ということを、宮崎駿は、割れっぱなしの窓や、下に放棄された車の山があるような、放射能でいっぱいのところに、放射能マークのついた車が飛び込むことで描いてるんです。 とんでもないアニメ作っているんですよね、宮崎駿。 つまり、『ナウシカ』の世界観を1つにまとめていると、僕は思うんです。 『ナウシカ』の中では腐海というのを描いてて、そこから胞子が出てきて、周囲の土地ではすでに人間が住めなくなって、トルメキアとかペジテの人たちというのは、そんな腐海の菌に当たらないようにドームの中で生活している。 風の谷の人たちは、腐海とともに生きることを選んだ、というふうに、すごい例え話として描いているんですけど。 『ナウシカ』の連載が終わった瞬間に、宮崎駿は全力で「俺が例え話の中で描いたのはこういうことだっ!」というふうに、ドカーンと見せてくるわけですよ。 この辺、やっぱりすごいなと思うんですけど。 さっき「3人が地下都市から脱出したら、後ろに変な建物が見える」って言ったんですけど。 この変な建物というのは、もうおわかりの通り、アメリカで、かつて史上最悪の原子力事故と言われたスリーマイルアイランド原子力発電所の排熱塔なんですよ。 で、最後に少女が、真っ暗な空に飛んで行く寸前に、後ろにビルが見えるんですけど、よく見ると、他に石棺が2つも見えるんですよね。 石棺が2つ見えて、その向こうには、廃墟となった新宿のビルが崩れているんです。 実は、チャゲ&アスカが飲んでいるシーンも、絵コンテを見ると「高円寺の居酒屋」って描いてあるんですけど(笑)。 つまり、あれって日本の、それも東京の話なんですよ。東京の周りにあった原子炉が、全部爆発して、事故を起こして、人が住めなくなったので、地下都市に住むことになった。そんな地下都市を逃げ出すと、その向こうには廃墟となった新宿のビル群があって、その後ろには、やっぱり事故を起こした原発がいっぱい並んでいるという、とんでもない話で。 まあ、本当はね、宮崎駿がやる気になったら、この映像が流されるコンサート会場をそのまま舞台にしてたと思うんですけど。そこまではやらなかったんですけどね。 とんでもないアニメ作っているんですよね、宮崎駿。 つまり、『ナウシカ』の世界観を1つにまとめていると、僕は思うんです。 『ナウシカ』の中では腐海というのを描いてて、そこから胞子が出てきて、周囲の土地ではすでに人間が住めなくなって、 トルメキアとかペジテの人たちというのは、そんな腐海の菌に当たらないようにドームの中で生活している。 風の谷の人たちは、腐海とともに生きることを選んだ、というふうに、すごい例え話として描いているんですけど。 『ナウシカ』の連載が終わった瞬間に、宮崎駿は全力で「俺が例え話の中で描いたのはこういうことだっ!」というふうに、ドカーンと見せてくるわけですよ。 この辺、やっぱりすごいなと思うんですけど。 実は、チャゲ&アスカが飲んでいるシーンも、絵コンテを見ると「高円寺の居酒屋」って描いてあるんですけど(笑)。 つまり、あれって日本の、それも東京の話なんですよ。東京の周りにあった原子炉が、全部爆発して、事故を起こして、人が住めなくなったので、地下都市に住むことになった。 そんな地下都市を逃げ出すと、その向こうには廃墟となった新宿のビル群があって、その後ろには、やっぱり事故を起こした原発がいっぱい並んでいるという、とんでもない話で。 まあ、本当はね、宮崎駿がやる気になったら、この映像が流されるコンサート会場をそのまま舞台にしてたと思うんですけど。そこまではやらなかったんですけどね。 じゃあ、なんで、このお話の主人公のチャゲ&アスカは、こんな放射能にまみれた危険な世界に女の子を放すのかと言うと。やっぱり、ここに秘密があるんですよね。 新興宗教のビルから助け出された女の子は、密封されてるじゃないですか。放射能防護服を着た人がこの女の子を密封しているということは「この女の子自体が放射能を持っている」ということなんですよ。まあ、ゴジラのような生物なわけですね。 さらに、この後、女の子を乗せて飛んで行く飛行機にも、こういう放射能マークが描かれている。 つまり「この女の子自体が放射能にまみれて生きていて、生きているだけで放射能を撒き散らすような生き物だ」と描いてあるんですね。「生きているだけで周囲に放射能を吐き散らすような、ゴジラのような生き物だ」というふうに描かれている。 この女の子は放射能のあるところでも生きていけるんですよ。逆に言えば放射能がないと生きていけないような生物でしょう。でも、チャゲとアスカは普通の人間ですから、そんなところにオープンカーで行っちゃったら、その先に待つ運命は死しかないんですよね。 だから、カメラがどんどんロングになっていく時に、この自動車は道から外れて停まってしまうんです。これは「この2人の旅はここで終わる」という暗示なんですね。 もし、そうでなかったら「女の子はどこまでも飛んでいって、チャゲ&アスカの乗った車も消えていく」というエンディングにするはず。映像作家だったら、絶対にそうするはずなんですよね。 見ている人間に誤解を与えないために。「2人は車で逃げて、ひょっとしたらどこか別の街へ行くかもしれない。でも女の子は空へ空へ消えて行ったんだよ」という見せ方が、ハッピーエンドの見せ方なんですよ。 でも、2人の車は停まってしまう。それも、道を外れたところで、なんか不思議な感じで停まっちゃっている。これは「この2人は、たぶん肺から血を吐いて、その場で即死している」という意味だと思います https://sp.ch.nicovideo.jp/ex/blomaga/ar1845795 では、そもそも、じゃあなんでチャゲ&アスカは警察に追われているのか? 女の子を助けて逃げ出した時、何十機ものヘリコプターみたいなパトカーに追われてましたよね? なぜ、こんなにも追われているのかと言うと、彼らは女の子を取り戻したいからですね。 別に、チャゲ&アスカを捕まえたいわけではなくて、女の子を取り戻したい。 取り戻したい理由は、「あの女の子の生命の秘密を知りたいから」ですよね。「放射能の中でなぜ生きられるのか?」というのを、解剖してまで秘密を知りたいんだと思います。 この女の子って、翼を持った生き物だから、「天使だ」という解釈もあるんですけども。この後、詳しく説明しますけども、そんなわけないんですよね。 https://sp.ch.nicovideo.jp/ex/blomaga/ar1845795 あの女の子は、『風の谷のナウシカ』の原作版に出てくる人工生命との繋がりで登場させているんです。というか、この話全体が、実は『ナウシカ』の前日譚なんですね。 『風の谷のナウシカ』というのは、火の七日間戦争という終末戦争によって、歴史的な文章とか公式記録みたいなものが全て消失して、その後に、人々が言い伝えの中で生きている世界なんですけど。 本当は、どんなことがあったのかと言うと、この世界があったんですよ。 『ナウシカ』の前にはこの世界があって、女の子が1人、逃げて行った。その女の子には翼が生えていた。 そういう話が、歪んで歪んで伝わった結果、風の谷の不思議な伝説になった。こういうふうに考えると、わりと辻褄が合うんです。 宮崎駿は、腐海とか巨神兵というのを全て例え話として出していて、「では、本当はどんなことがあったのか?」というのを、『ナウシカ』の連載が終わった後で、このアニメの中でちょっと描いているというような感じだと思います。 つまり、あの女の子自体が、わりとこういう存在なわけですね。 (パネルを見せる 『風の谷のナウシカ』より) 「人々がドーム都市の中でバタバタと死んで行ったんだけど、その外には救いがある」というような。このタペストリーは、トルメキアやペジテみたいな地下都市を描いたように思われているんですけど。 一応、ここで悪意その2の「放射能」というのを終わります。 https://note.com/otaking/n/ne93d30b9dfab レベル1は「見ていない人にもわかりやすいストーリー説明」なんですけど。普通の人は見逃すレベルまで、一応解説しようと思います。 レベル2は、「スポンサーやチャゲ&アスカ、レコード会社にバレないように、宮崎駿が忍ばせた悪意」。その悪意というのが3つあるんですけども、この3つを解説します。 レベル3は、「かなりのアニメファンとか大人でも、なかなかわかりにくいように隠したテーマ」ですね。 レベル4は、「押井守とか、高畑勲への挑戦状」って僕は呼んでいるんですけども。具体的に言うと『おもひでぽろぽろ』とか『ビューティフル・ドリーマー』、あとは『天使のたまご』への批判というのが入っている。 レベル5は、「宮崎駿が自分だけにしかわからないように仕込んだ、自分自身へのメッセージ」ですね。「こういうのを、これからお前は作れ!」という。 レベル6は、以後の宮崎駿作品に実はかなり影響を与えているので、その影響について語ろうと思います。 https://note.com/otaking/n/ne93d30b9dfab これで、悪意その1「残酷描写」、悪意その2「放射能」という話が終わったので、ここから本題の悪意その3「翼の少女」に入ります。 この女の子を、一生懸命アスカが外に出して飛ばそうとする。「飛べ、飛べ!」と、2人は説得するんですけども、どんなに説得しても彼女は飛ばずに、一緒に落ちていって死んでしまうんですよね。 これなぜかと言うと、そもそも、この女の子は飛べないんですよ。飛べない。 実は、一度も「飛ぶ」とは描いていないんですよ。彼女が飛ぶのは、チャゲとアスカが夢想していたシーンの中だけなんですね。 チャゲとアスカが夢想していたシーンには、空を飛ぶ女の子のインサートカットがあったから、あそこで僕らも「飛ぶんだ」って思っちゃうんですけど、そうじゃないんですよ。 そもそも、彼女にはそんな筋肉がついてないんですよ。 https://note.com/otaking/n/ne93d30b9dfab 夢を見ちゃったんですよ、この2人は。自由と解放を求めるあまり、そのシンボルとしての天使を助け出すんですけど、しかし、彼女は本当は天使なんかではなく、ただの遺伝子改造されたか弱い女の子なんですよ。 そんな女の子と共に奈落に落ちて行く時に、チャゲアスは自分の願望を投影して、 「ほら、飛んで!」と励ますんですけど、少女は飛べずに、一緒に死んでいくことしか出来ないんですね。 革命とか社会運動で、誰かがシンボルに祭り上げられることがあるじゃないですか。マーチン・ルーサー・キングもそうですし、ジャンヌ・ダルクもそうなんですよ。 でも、そういう人たちは神ではなくて、ただの人間。そして、そうやってシンボルに祭り上げられた人というのは、だいたい不幸な死に方をするんですね。 これが、レベル2で描いている、このアニメの現実なんです。 https://note.com/otaking/n/ne93d30b9dfab 「夢の心臓めがけて〜♪」ということで、最初のイメージではチャゲから押されるように飛んでいたのが、ここでは女の子が自分から飛びます。 チャゲの手を握っています。後ろにはですね、この不気味な建物が見えたままですね。 で、この「僕らと呼び合うため〜♪」という時、女の子のちょっと違う表情。 絵コンテには「少女、何か覚醒する」と書いてあります。何かにハッと気がついて、下のチャゲ達を優しく見下ろします。 そうすると、アスカはイケメンでウィンクして、チャゲは女の子の手の平にキスをする。 キスが手の平の側だということだけ、これは伏線になっていますから、覚えておいてください。 この女の子は、このまま空を飛びます。 絵コンテを見ると「雁行」と書いてあるんですよ。雁行というのは何かと言うと、「いくつもの空を飛ぶ生き物が、追いつ追われつつして飛ぶ様」なわけですね。この自動車を追い抜いたり、また自動車が追い抜かれたりしながら、この少女が飛んで行く様。これが雁行ですね。 少女が上昇していくと、その彼方に町が見えて。で、少女はそのまま青空へ飛んで行けばいいんですけども、ちょっと意地悪なことに、真っ暗な雲が一瞬入るんですね。 https://note.com/otaking/n/ne93d30b9dfab 石原さとみが屋上にいたんですけど、屋上から降りて、フレームアウトして観客から見えなくなって、その場にいなくなってからようやっと独り言のように「俺は辞めない。辞めるわけにいかない」っていうふうに言うんです。 すっごい不自然なセリフなんですよ。恋愛ドラマとして観ても変だし、セリフ繋がらないし。なんでそこで帰ってから喋るのかって明らかに変なんですね。 それ何かって言うと、さっきも言った、「俺、『ヱヴァ』ちゃんと作るからね」っていう意味なんですよね。 それは、責任を取ることは辞めることだっていうのは言ってないんですけども、言ってないっていうのは。もちろんセリフとしてはそんなことは言わないんですけども。 宮崎駿なんですよね。宮崎駿が、「ああもう、ジブリでできることは終わった。俺の、自分の全盛期は過ぎた。だからもう俺は引退します」というのに対して、庵野は「俺は辞めません」って言ってる。 それは宮崎駿は「お前はだから逃げたんだ」って言うんじゃないんですよ。宮崎駿はベストを尽くしたかもわかんないけど、俺はまだ責任を取りきってない。この国の人間の生き方っていうのは、自分の責任の取り方、つまりもう自分がいるべきじゃないと思ったら身を引くんだけど。まだ俺は引くべきではないと考えてるからこそ、あの『ゴジラ』のパンフレットの最後のほうに「これから『ヱヴァ』を作ります」って書くんですよね。 主人公の矢口は二世なんですよね。つまり世襲で政治家になってるんですよ。 で、これは、途中で赤坂さんっていう矢口の友達なんですけど矢口より出世してる人がですね、他の大臣と話してる時にアメリカから来る石原さとみじゃないんですけど(笑)、アメリカから来る石原さとみなんだけども。カヨコ・アン・パターソン、パターソン家の令嬢で、「もう金もあれば人脈もあれば本当に何もかも恵まれたんだ。お前には苦手だろ」って言ったら「いやあ、矢口と同じで生粋の政治家タイプですよ」って言うんですね。 ここでわかるのが、矢口っていうのは地盤看板を継いだ二世の政治家。 変ですよね。 普通ね、日本の映画ではこういう二世の政治家を主人公にはしないんです。 なんで二世同士のカップルにしたのかって言うと、この後半のヤシオリ作戦なんですよ。 ヤシオリ作戦で、特殊なことに全員マスク被ってるんですね。特殊でもなんでもないです。 あそこは放射能障害がありますから、で、途中で放射能障害があるから危険です。もう全員マスク被ってるから、もうセリフがくぐもってしょうがないんですよ。 なんでねえ、何が危険だったのかって言ってると、もちろん放射能障害で直接的な生命の危険はあるんですけども。それ以上に、あるのは実に簡単で、子供ができなくなるということなんですね。 ここで思い出していただきたいのは、矢口は世襲の二世の政治家でですね、で、カヨコ・パターソンも二世の政治家なんです。 二世の政治家、家を継いでる政治家にとって最も危険なのは子供ができないことなんですよ。 被爆して子供ができなくなる体になるかもしれないっていう、本当に僕らが日常生活の中で、原子力と共にいるからこその危機をマジでど真ん中に放りこんできた。 それをクライマックスに持ってきて、おまけに映画の中で、ほとんど全ての人が気が付かなくてもいいやーって感じで出してきてるのが「おお、すげえ、庵野やったぜ!」って思いました https://note.com/otaking/n/n1c4c487a59e6 たぶんねえ、今回の映画っていうのは庵野秀明にとっての『On Your Mark』なんですよね。宮崎駿にとっての『On Your Mark』っていうのは、これイベントとかでは語っているんですけども。公開放送とかであんまり言ったことないんですけど。 『On Your Mark』っていう、宮崎駿のアニメがあります。 それは最後、翼の生えた少女が新興宗教の団体に捕まって、で、警官の主人公がそれを助けだすっていう話なんです。 で、それは全て妄想かもしれないっていうことなんですけども。 翼が生えた少女が空へ帰る時に、赦しの表情っていうのをするんですね。 下を向いて、赦す表情っていうのをして。で、そしてキリスト教のモチーフとなっている手と手が先だけが触れ合っている描写から離れていくというのがあるんです。 あれは何なのかって言うと、手の平ではなくて甲のほうにキスをする。送り出す男のほうが。 これら全て、聖なる者に対する表現であってですね。 赦しっていうのを与えてくれるんです。 宮崎駿はなんで空を飛ぶ女の子に赦してもらわなければいけなかったのかって言うと、それは彼の作家人生っていうのかかった話で。 https://note.com/otaking/n/n1c4c487a59e6 宮崎駿は逆に『On Your Mark』を作ることでそっから先、『風立ちぬ』に至るまでの自分っていうものを出す映画が作れるようになったんですね。 それまでの宮崎駿の映画っていうのは、ちょっと四方八方塞がっていて、例えば、針葉樹文明とか、そういう人から聞いた話みたいなもんで。 なんか難しいちゃんとした話っていうのをやんなきゃいけないっていうふうなものが、自分個人に対して、今まで自分が作ってきた空を飛ぶ女の子みたいなものから赦されることによって、 「ああ、じゃあ、俺の本音の映画作ってみよう」っていうふうになれた。 同じように今回の『シン・ゴジラ』っていうのは、自殺も考えた、つまりものを作れなくなった、死ぬことしか考えられなくなったって庵野が、なんで『シン・ゴジラ』作ったのかって言うと、 それはもう『シン・ゴジラ』の中で赦されて癒されたと思うから次に至る道っていうのが見えた、ということだと思うんですね。 https://note.com/otaking/n/n1c4c487a59e6 これは『On Your Mark』のリフレインの直後の部分の絵コンテなんですけど。 ここには、わざわざ「永劫回帰シーン」というふうに書いてあるんですね。 宮崎駿というのは、もちろん、ニーチェの言葉を知っている教養のある人です。 では、なぜ、ここで「永劫回帰」と書いたのか? だって『On Your Mark』というアニメの自体は、永劫回帰じゃないんですよ。 逆なんですね。曲がリフレインするたびに、少しずつ結果が違って行く。レベル1で解説した通り 「何かまずいことがあったら、次にやり直して、次にやり直してと、諦めずに繰り返すことによって、最後は天使の女の子を大空に返す事が出来た」という、良い話として紹介しているんですよね。 しかし、そうではなくて、宮崎駿が描こうとしたのは、ここに「永劫回帰」とあることからもわかる通り、「同じことを何度も繰り返すことを肯定している話」なんですよね。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec チャゲの左肩の部分、ここにある塊は、よく見るとギターなんですよ。 アニメの中でこういうことがあると、「CHAGE&ASKAはロックスターだから、遊びで入れたんじゃないか?」って考える人もいると思うんですけども。 宮崎駿って、こういう絵的な遊びが大嫌いな人なんですね。アニメーターが勝手にそういうことをやると、わりと怒る。「画面内には意味があるものしか入れるな!」と考える人なんです。 なので、画面内に描かれているものは、もちろん、「宮崎駿が入れたいから、指示して描かせている」わけですよ。 このカットにも、さっき話した通り、アスカと同じように、ワインもあればプレゼントもあり、このマグカップには「CHAGE」って書いてあるんです。 もうちょっとハッキリ、これがなんなのかわかるのが、アスカのカットです。 後ろの机にはズラリと並ぶプレゼント、花束、高価なお酒。 つまり、このシーンでは、どちらかというと警官ではないんですね。「警官のアスカ」という夢の中。 レベル3で説明した通り、この『On Your Mark』というのは、夢や妄想の世界なんですけど、その世界の中に、ミュージシャンとしてのチャゲ&アスカの日常、現実が侵食してきているんですよね。 ミュージックビデオの中でチャゲとアスカが扮するキャラクターの中に、いつの間にか、現実の本人達が侵略してきているシーンなんです。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec それがよりわかるのが、このシーンの導入部のカット。「丸窓の外からアスカの部屋を覗く」というシーンなんです。 映画には、場面転換の時に使う技法として「アイリスイン」「アイリスアウト」というものがあります。 こういう、アイリスイン、アイリスアウトというのは「これは、映画のレンズで撮っている虚構の世界ですよ?」というメタファーの時によく使われるんですね。 「この話は作り話である」ということを、わざわざ映像の中で強調する時に、このアイリスイン、アイリスアウトというのを使うんです。 まあ、これはあくまでも丸窓だから、そこまで考えなくてもいいかもわからないですけど。そういう構図と窓をわざわざ使ってるわけですね。 レベル1からレベル3の間に、いくつもの「これが本当のチャゲアスなんだ。これが本当の主人公なんだ」というのが何度も提示されました。 「天使が逃がすことが出来ずに、一緒にトラックごと3人で落ちてしまうチャゲアス」というのが出てきたり。「天使を奪い返したんだけども、奪い返した天使はすでに死んでいた」というチャゲアスも出てきました。 または「居酒屋で酒を飲みながら天使を奪い返すという妄想だけをひたすら繰り返す」というチャゲアスというのも出てきました。「そもそも天使は存在せず、仕事で殺人を繰り返すだけ」というチャゲアスも、レベル3で解説しました。 それどころか、最後には「単なる原発作業員で、警官ですらないチャゲアス」というのも登場しています。 しかし、このレベル4では、もう1段、その奥を見るんです。 つまり、さっきも話した通り、このシーンでは「作品内にチャゲ&アスカというアーティストの現実が、どんどん侵略してきている様子」を描いているんですよね。 (略) この『On Your Mark』って、劇場で公開された時は、もともと『耳をすませば』というアニメの併映作品だったんですよ。 その『耳をすませば』の中で、宮崎駿は「ヒロインの雫という中学生の女の子に、ギリギリ色目を使わないんだけど、なぜかやたら仲が良いじいさん」という、まあ、本当に、描き方を1つ間違えたら、間違いなくエロジジイみたいなキャラクターとして出て来るんですけど。 これも、やっぱり自分の理想の投影なんですよね。 ボロボロっと出ちゃう。 じゃあ、そのボロボロっと出てくるものに、本人は無自覚なのかと言うと、そんなはずはないんですよ。絶対に自覚していて「自分って、なんて薄汚いんだろう。それを抑えてキャラクターにしているなんて、ああ、みっともねえ、みっともねえ!」と思うから、宮崎駿は自分の作品を語る時に、すごい嫌そうだし、逃げるわけですね。 この辺のクリエイターの感じというのは、たぶん、「なろう小説」みたいなものを自分で書いた人だったら、ちょっとは心の中に思い当たるフシがあると思うんですけど。 クリエイターの発想というのは違うんですね。一番奥にあるのは本物じゃないんですよ。一番隠したいものが本物では全くないんですね。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec >>139 レベル3で、このお話の構造全体について「胡蝶の夢」、つまり「自分が蝶々になっている夢を見ているのか、蝶々が自分だという夢を見ているのかわからない」というふうに語りましたけど。 それは「どれが現実か結局わからない」という誤魔化しではないんですね。 「どの夢であっても、全てを現実として受け止めて生きる」。これが、宮崎駿が語ろうとしている永劫回帰なんですよ。 「永劫回帰」という言葉を、コンテにわざわざ入れているのは、「これが本当だ!」ではなくて、「このお話の中に流れている、バッドエンドもハッピーエンドも、全てが現実であって欲しい。あるべきである」という意味なんですね。 で、これね、ハッキリ言って、『ゴースト・イン・ザ・シェル』とか『ビューティフル・ドリーマー』をやった押井守への、もう完全な批判なんですよ。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec >>139 >>140 押井守というのは、どうしても自分の好みとして、映画というもの自体が持つ虚構性というのをベースにした「どれが現実かわからない」というようなお話を選びがちなんです。 例えば、『ゴースト・イン・ザ・シェル』では、義体に包まれたサイボーグというのを出すことで「どれが本当の肉体なのかわからない」というものを見せようとしています。 それに対する、宮崎駿からの「夢のまた夢というような映画をやりたいんだったら、こうやれ!」という強烈なメッセージなんですね。 なので、押井守さんって、基本的に宮崎映画の全てに対して批判して、いろいろと「ああ、これはこうだよ」って語っているんですけど、『On Your Mark』に関してだけは、もう完全に沈黙を守っているんですよ。 これ、僕は自分なりに調べたつもりなんですけど、本当に見つからなかったんですよね。もし、押井さんが『On Your Mark』について語っている資料があれば、ちょっと教えてほしいです。僕が見た限りはないので、これに関しては本当に手が出ないんだと思います。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec >>132 >>133 レベル4、永劫回帰の謎というのは「全て等しく存在する」ということなんです。 つまり、ミュージシャンのチャゲアスも存在するんですよ。 ミュージシャンで、都合よく宮崎駿にお金ドーンと出して「自分達がカッコよく見えるPVを作ってください」と言うチャゲアスも存在するし、しがない原発の作業員で妄想するしかないチャゲアスも存在するし、警官として人を殺すチャゲアスも存在するし、 天使を助けて死ぬチャゲアスも、天使を妄想して酒を飲むしか出来ないチャゲアスも、全部存在する。 いわゆる、富野由悠季監督が『ターンAガンダム』で言っていた「∀全肯定」というやつを、このお話の中でやっているんだと思います。 「本当は」が存在しないんですよ。 アニメを作るクリエイターや、映画を作る監督が、聞かれて一番困るのは、やっぱり「本当に言いたかったことはなんですか?」ということです。 これについて、よく「言いたいことは全部映画の中で言ってるから」と言うんですけども。本当はどういうことかと言うと、「自分の中で、全てが並列に存在しているから」なんですね。 ありとあらゆる可能性が全て存在している。「今回は2時間という尺だったから、切って切ってこういうふうにまとめた」と。 「でも、あと15分あったら」とか「あの日、雨が降ってなかったら」とか「ロケの時に都合よくこんな太陽が照ってたら……」という、 もしもの世界がいくつもあって、その結果、出来上がる映画というのも、全てが正解。 ちょっとね、クリエイターのこの辺の心理って、なかなかわかりにくいので。僕も『On Your Mark』みたいなテキストがないと説明しにくかったんですけども。 宮崎駿の中では、チャゲアスも、もちろん自分の分身なんですよ。 アニメのキャラクターになった瞬間に、チャゲ&アスカですら、自分の分身になる。同時に、例えばアシタカとかナウシカとか『トトロ』のサツキとメイも、全部自分の分身なわけですね。 『となりのトトロ』については、宮崎さんは「今でもサツキとメイは自分の中で生きていて、成長している。2人とも中年の女性になっている」と言ってるんですけど。今まで、アニメやマンガの中で宮崎駿が作り出した、数十数百の人格、何十何百というキャラクターは、全部、宮崎駿の中で、同時に歳を取りながら生きているんですね。 それが、宮崎駿にとっての永劫回帰なんですよ。たぶん https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec ただ、宮崎駿というのは、自分の中でのキャラクターのリアリティが人一倍というか、僕が聞いた中で最も強いんですね。メチャクチャ強い。 そういう多重人格的な自分自身、クリエイターとしての自分自身を、宮崎駿という名前の独裁者が、もう閉じ込めている状態なんですよ。 そうやって閉じ込めないと、そいつらの方が前に出てきて収拾がつかなくなるし、映画は2時間で収まらなくなるし、『ナウシカ』はいつまで経っても完成しなくなる。というのが、宮崎駿個人の中でのキャラクターの在り方だと思います。 『On Your Mark』で、主人公はなぜ同じチャレンジを繰り返すのか? 永劫回帰というのは何か? レベル4では、一応「クリエイターというのはこういうものだ」ということで、「中で描かれている全ての可能性の分岐点というのは、実際にある」と。 それはパラレルワールドみたいに本当にある世界ではなくて、宮崎駿という個人の中にあって、 普通はその中から1つを選んでお話にするんだけど、今回はあえて、それを全部混ぜて出してみた、と。 だから、彼にとっての実験なんですよ。東映動画の時代から「お話というのはそういうふうに作ってはいけない」と言われてきた枷を全部外しちゃったらどうなるのか? そういう、宮崎駿にとっての本当に個人的な実験というのが、「ジブリ実験劇場」という言葉の意味なんです。 というのがレベル4の解説でした。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec アニメージュ 1995年8月号から 地球全体の歴史から見れば、人間の問題なんて流行の風邪みたいなものですからね。 , ― …二人の警官が救い出す天使は、混沌とした世界の一筋の希望のようにも見えます。 「僕らがそれでも止めないのは…」という歌詞の通り、天使を救出するシーンが何度も繰り返されていますが。 何度かの失敗の後、混沌とした世界から、一筋の救いのように彼女は青空に飛び立つ。 でも、警官たちは地上に取り残されて…, 【 宮崎 】 押井さんが天使が生まれるの、生まれないのとか、もったいぶってやっているから、さっさと出しちゃった(笑)。 といっても、天使だとは言っていないし、鳥の人かもしれない。それはどうでもいいんです。, 【 宮崎 】 NO PURCHASE NECESSARY. 押井の反論 押井:一日にT-34戦車を50両撃破したとかさ。そういう話が日本人は大好きなんだよね。 そういうふうなことが日本人の心を慰撫するんだよ。でも慰撫してるだけであって何も学ばせようとしてない。 もっと言っちゃうと「(風の谷の)ナウシカ」だってそうなんだよ。巨神兵ってなんなんだと。 早すぎた試作品がウォーってなきながら、結局自壊しておしまいっていう。 あの男の子の乗ってた戦闘機だってそうだよ。迎撃戦闘機で重爆を火だるまにしてやるっていう、その発想がダメだって! あれじゃトルメキアに勝てるわけないじゃん。風の谷自体が日本じゃないのかって話だよね。 あれこそ農本主義日本。石原莞爾が夢見た世界とどこが違うんだ。でもちゃんと軍隊はある。 女も子供も動員するんだっていう。で、戦う女王様なわけだ。同じだよ。 卑弥呼のことなんだよ。虫と話すっていう巫女さんだもん。 巫女さんを戦闘に立てて、農本主義国家として自衛戦争をするんだ。 だから「ナウシカ」は「ヤマト」よりもある意味ではタチが悪いと思った。一種正当さを装って日本人の心象にピッタリ合うから。 「ヤマト」みたいにむき出しの軍事じゃないからタチが悪い。王蟲なんてどう見たってあれは押し寄せるシャーマン(戦車)であり、地を這うB-29(爆撃機)だよ! そして結論は腐海で浄化されるんだっていう話でしょ。 だから同じだよね。一回焼け野原になって再出発するんだという。 『戦争のリアル』押井守・岡部いさく (第一章 敗戦のトラウマと日本のアニメ - 総論として p.44〜p.45より引用) https://anime.eiga.com/news/107718/ 押井守「ナウシカを観ると宮崎駿の戦争観の幼稚さがよく分かる」 [144189134] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1620305515/ https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1619362300/ 大塚にも同じこと言われた 「ヤマト」は、その軍国主義的なアイテムに飾られているが故、 その危うさを〈現実〉に照合できる仕掛けになっていた。 したがって、ファンは批判的にこれに関わる余地があった。 「ナウシカ」は「一途に人を思うこと」という宮崎の主張が、 「共同体の為に犠牲になること」に拡大され、 しかも、アニメーションとしての〈出来〉の完璧さ故に、 受け手がこれを批判的に享受することができない仕掛けになっている。 より危険なのは後者だ。 大塚英志『まんがの構造 増補新版』弓立社'88 安藤雅司のデビュー作 逃すのに成功したのか・失敗したのか 2人は死んだのかとか謎が残る https://v.i.m.e.o.com/75179415 >>141 続き 押井 そしてそれが実現されなければ「裏切りだ」とくるわけです。 そこで、彼らの要求を飲むか、それともやめちゃうのか、そのどちらでもないと思うんです。 宮崎 ええ。やめてもいいと思うんですがね。 やめるだけの強さを持ちたいと思うけど。(笑) 押井 ぼくはやめちゃいけないと思う。そのローマの時代に、闘っている剣闘士や、それを演出した人間もいたはずで、 その人間たちが何を考えたか、市民の要求を正当だとは思わずに、職業としてやってるところもあったかもしれない。 市民を蔑視していたのかもしれないが、ローマ市民の中で自分は何をやったらいいのか考えていたと思う。 けっして剣闘士を解放して革命を起こせばいいということじゃないと思うんです。 宮崎 革命を起こすのもひとつの道でしょうね。 でも、現代ではいまや剣闘士のほうがいい思いしてるんだよね。 糸井重里がなぜあんなエライことをいうんですか?←←← たかが宣伝文作ってるだけでしょう。 押井 とりあえず市民の前で芝居を演じてみせるしかないでしょう。 芝居の中身が、だから問題になる。 宮崎 だから、ぼくはあくことなく、いまはないかもしれないけど、本来あるべき姿を描き続けたいと思っているわけです。 それをなくしたら、どんなにカッコいいものや、今の気分を代表するようなものを作っても、なぐさめものになるだけだと思う。 押井 ところがね、そうやって演じてみせたときに、拍手喝采を浴びたらどうするんだ、ということなんですよ。 宮崎 そのとまどいはこんどの作品(注 風の谷のナウシカ)ではありますけどね。 押井 何をやっても、ある理想を描いても、その理想とは遠い現実に生きてる人間に拍手喝采しれてしまう。 まさしくパロディがパロディにならない、皮肉が皮肉にならない、 いかにシニカルにやっても、それをギャグとしてうけてしまうのが現状ですよね。 宮崎 それはひとつの考え方としてわかりました。 しかし、どうなんだろう、ちょっと元気がいいだけのことじゃないかなあ(笑) たくさん仕事をかかえて、作り続ければいいというものでもないと思うけど。 だいたい押井さん、すこし作りすぎです。いったい昨年は何本仕事したんですか? 押井 いやー、ほんとにそうなんです。反省してます。 宮崎 そうです。あんまりアニメーションの氾濫に手を貸さないでください(笑) アニメージュ 84年6月号より >>125 アニメージュ 1984年10月号より 宮崎 で、こんどの(ルパン)の映画の話がやらないかって僕のところに来たから、 もう僕はできないから、押井守が適当だろうと言ったわけです。偶然横にいたしね。 (編集部注=スタジオぴえろを辞めて仕事場のない押井さんは当時、宮崎さんの事務所に「いそうろう」だったのです) それに、「ルパン」という企画は、ふところが深いんです。 だから、何かやりたいことをもっている人間とうまく合体すると、とんでもないことができるのじゃないかという気がしてましたからね。 アニメージュ なるほど。で、押井さんに話がいったと。 そこで押井さんといろいろ考えたと思うのですが。 押井 ええ、さっき宮崎さんがいったとおり、「ルパン」という話は、非常に底が深いうか、 企画としては、いろいろな物をもちこんでも成立する世界なんです。 (中略 一度は断ろうと思ったが) 僕には、やりたいと思ってずっとかかえているんだけど、 どうしても実現しないあるテーマがあったんです。 なぜ実現できないかというと、それを入れる器がなかったんです。 ところが、この「ルパン」という企画にやりたいと思っていたそのテーマをはめこをでみてら、かなり展望が開けてきた。 その一方で、そのテーマを「ルパン」でやることで「ルパン」そのものも、もう一回成立するんじゃないかと思ったんです。 その両面があったので、今回の仕事をやることにしたわけです。 押井 ルパンはもうあの国(カリオストロ公国)には戻らないと思う。つまり、彼は、通過していくだけで、舞台に残るわけじゃないと僕は考えてるわけです。 ところが、銭形ってのは、基本的に定住者なんですよ。 だから、生きている年数や時代、そして生きてきた土地をその背景にほうふつさせる。 その銭形が過去の作品でそうだったように(同じ体力、ねばり強さ、意地で)、またルパンを追いかけることができるかっていうと、もはやできないんじゃないかって気がする。 宮崎 僕なんかもね、もし、ルパンをやったら、銭形はルパンの味方にしかならない気がしますね。 暗黙のうちの同志というかね。 押井 ふたりには、時代からはみ出してしまった者同士の、ある種の共感みたいのがありますならね。 カリオストロの場合、銭形も入ってルパン一党は、クラリスを救うという点で、はっきりと同盟者になっていると思うし、けど、今回の映画でもそういう感じに描くかっていうと、ちょっと納得できないっていう思いもある。 そんなわけで、銭形をどう位置づけられるかってことに、いま一番悩んでいるんです。 居場所を見つけてあげられないんですよ。 押井 つまり、時代から疎外された者同士、ルパンと銭形の共感みたいなものがドラマを支えてはいけない。 ルパンというキャラクターをもう一回出すならば、もう一回時代に斬りこませなくちゃと思ったからなんです。 時代を嘆くためにルパンを出すんじゃなくて、時代に斬りこませるためにルパンを出す。 それをやらないと、もう一回ぼくがルパンをやる意味がないという気がしたんです。 宮崎 非常によくわかる。それが今回の押井さんの役目だね。 押井 そこでひらめいたのが、さっき大塚さんが言った「ルパンは演じてる男だ」ってことなんです。 大塚さんとぼくのとらえ方はちょっと違ってるかもしれないけど。 ルパンがルパンである必須条件は非常に古典的だけど、変装なんですよ。 この変装ってことを、今回はルパンのテクニックとか特技ではなく、世界の本質とルパンが斬り込んでいく際の一つの糸口として、考えているんです。 岡田斗司夫氏、製作の舞台裏について語る http://purisoku.livedoor.biz/archives/5417459.html もう一つ『ナディア』に関しては、枷がありました。 (中略) 当時、韓国政府と取引というか、契約みたいなものが成立していたそうなんです。 韓国の作画スタジオとNHKというレベルの話ではないです。日本国政府と韓国政府との間で、取り決めが あったらしいんですよ。それは別に密約とかではなくて、もっと健全で、文化的なものです。 日本政府が「韓国がこういう事をするなら、それに対してお助けしますよ」と申し出て、韓国側も 「資金援助とかじゃなくて、文化的支援だったら喜んで受けますよ」というやりとりをした。 その取り決めの中に「アニメの作り方を教える」という項目もあったんですね。 その一環として企画された『ふしぎの海のナディア』は、アニメを作るという目的以外に、 NHKならではの「韓国のアニメスタジオにアニメの作り方を教える」という命題があったわけです。 それは具体的に言うと、作画以降の、動画と仕上げ、撮影のほとんどの工程を韓国でやらせるということです。 僕が説明されたとき、東宝とグループ・タックのプロデューサーからは 「これは国会で決まったことだから」って言われたんですよ。『天才バカボン』の台詞じゃないんですから。 「誰が決めたんだ? 国会で青島幸夫が決めたんだ」って。冗談みたいですよね。 ほんとに真顔でそういう風に言われたんですよ。 おそらく事実なんだとおもいます。その結果、「NHKが作るアニメは、作画の何パーセント以上は 韓国国営の世映動画★というところに発注する」と決まっていた。 これを知ったときはびっくりしましたよ。 貞本君が浮かぬ顔なのもわかりましたよ。 ナウシカに出てくる巨神兵を製造したのは日本企業と判明(画像あり) https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1621848944/ >>158 画像 https://i.imgur.com/ETck39o.jpg これは映画版の地図になると思う 原作だと酸の湖じゃなくてユパ様が情報収集に行くセラミック鉱山街にあったような https://i.imgur.com/qzn6w2q.jpg 漫画版には 1リーグ=約2km 1リーグ=約2土里 1土里=約800メートル と注釈が書いてある フライングポッドとかドルクの空中戦艦とか重力制御して浮いてるし巨神兵なんか空間をねじ曲げて飛んでるし 火の七日間前は少なくとも太陽系くらいは余裕で支配してるくらいの世界だったんだろ 火の七日間が起きたのが西暦2700〜2800年代でナウシカの世界がさらに1000年先って設定だし ナウシカの時代の前は宇宙船があり宇宙人と交流していたと判明(画像あり) https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1621836480/ 北海道函館市のタイガーマスクさん桶作孝次様は日本地図書くの上手すぎる事で有名な大天才 函館オーシャンスタジアム高校野球ファン一同 押井 (日本学術会議は)私に言わせれば、役に立たないクソ爺の集団。 おそらく、声を発してない人たちはただの老害集団。音頭を取っている連中はもれなくマルキストの亡霊です。 ── 押井さんの言葉によく登場する“マルキストの亡霊”ですか。 押井 そうです。私に言わせれば、頭がお花畑でまったく“リアルじゃない”。 この75年、時間が止まったままにもかかわらず、本人たちは闘っているつもりなんだよ。だから余計に始末が悪い。 あんたらのおかげで中国が伸びて、戦争の気配が強くなっている。これこそが、見据えなきゃいけない“リアル”。 平和政策として軍事研究を潰すというのが単に分かりやすいだけでやっている。 だいたい、自分のところを潰しても、他国である中国や北朝鮮が研究を続けていれば、意味ないんだから。 他の国なんて学者どころか兵隊まで動員し、総力戦で軍事研究している。これこそが“リアル”なの。 彼らが、日本は平和政策を取っているから襲いませんなんてふうには考えるはずがないでしょ! https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_6f0c0e45-b583-4069-8e11-8b665525a6eb.html 【悲報】押井守「中国の軍事費拡大というリアルがあるのに日本は軍事研究を禁止って頭がお花畑なんだよ」 [595017606] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622272915/ やっぱり80〜90年代の人なんだなとつくづく思うわ 【正論】押井守「匿名の発言が世の中にあふれてるのが異常なんだよ。匿名はガン。全ての元凶」 [595017606] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622206454/ これも全然認識が甘いしな 今や立派な老害 浅田彰 とにかく、一般的にみて、ネオンやなんかで混沌とした東洋的ポストモダン都市っていうイメージは、 リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」からほとんど変わってないな。 カンヌ映画祭のコンペティションに出る押井守監督のアニメ「イノセンス」も、そうした都市がすごくきれいに描かれてるけど、 そういう背景といい、アンドロイド(人形)のアイデンティティが問われるところといい、ほとんど「ブレードランナー」そのまま。 しかも、人間はなぜ人形をつくるのか、人形にアイデンティティはないのか、 またもしあるとすれば翻って人間のアイデンティティとは何かっていうような幼稚な「哲学的」疑問がそのまんま台詞で語られちゃうんで、白けちゃうの。 とにかく、海外から見た東京ってのは、やっぱりテクノオリエンタリズムに包まれた幻想の空間なんだよね。 その外部にあるリアルな東京の姿が見えてくるのは、まだ先のことかもしれない。 押井守「日本人の顔は見たくない」 宮ア駿「日本人の顔が嫌い」 ユリイカの対談から押井守の発言を抜粋 日本のアニメーションで日本人の顔を描いたアニメーションは、もうほとんどないと言っていいですよね。 宮さん(※宮崎駿)は、もっと端的に要するに日本人は日本人の顔が嫌いだってことにすぎないんだって薄情に言ってたけどさ、それもあると。 アニメーターが描くときには日本人の顔を断固として描きたがらない 簡単に言っちゃうと、虚構の中だからこそ日本人の顔を見たがっていないというのが認識としては正しいと思う。 明治で日本は終わった、明治からあとの日本は日本じゃないって、司馬遼太郎のあれを宮さんがしきりに言っていたけど、 やっぱり日本人が日本人であることを嫌がっている傾向があるんですよ。 大正モダンの頃から、日本人が日本人であることを、どこかで忌避し始めている。 https://fox.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1409361483/ >>134 佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen オンリーユーって、惜しい監督のかなりヘヴィーな分岐点ナンですよ。同時上映の「ションベンライダー」に完膚無きまでに敗れて(惜しい監督本人が映画館で観て)、一念発起しなかったらビューティフルドリーマーは産まれなかったと。 2011-11-06 18:55:12 笹本祐一 @sasamotoU1 オンリーユーって、学園から宇宙戦争までシームレスに繋がって最後はちゃんと帰ってくる日本でしかできないスペオペアニメなんですよ。宇宙ショーへようこそあたりが正当な後継者。 2011-11-06 19:14:58 笹本祐一 @sasamotoU1 ところが、ビューティフルドリーマーが受けてしまったばっかりにうる星の映画あっち行っちゃったし、惜しいカントクもあーゆー作品作らなくなっちゃったのは実に残念です。 2011-11-06 19:16:11 佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen そーなんですよねー、オンリーユーをきちんと研磨すれば、地金で勝負出来る演出家になったと思うんですけど。 2011-11-06 19:21:24 ゆうき まさみ @masyuuki じゃああれにケチをつけた宮崎駿が悪い(笑) 2011-11-06 19:29:20 笹本祐一 @sasamotoU1 ケチじゃなくて激励だったんだけど、見込みがあると思ったから文句言ったんだけど、まー宮崎カントクが言ったんじゃ文句にしか聞こえないわなあ。 2011-11-06 19:31:13 浅利与一義遠 @hologon15 その姿を、まだ期待しているらしい。俺。 でも毎度、長い独白と、これは夢か現実かグルグルの繰り返し……。 2011-11-06 19:31:59 押井守という、誰からも相手にされなくなったネトウヨ監督。どこから道を間違ったと思う? [653462351] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622548421/ 押井守が総監督を務めるアニメ「ぶらどらぶ」の TOKYO MX2での全話一挙放送に合わせ、オンラインイベント 「特効野郎 IA TEAM 〜世にぶらど愛を配れ〜」の開催が決定。 全話一挙放送の同日8月8日に、ニコニコ生放送で無料配信が行われる。 イベントには当日誕生日を迎える押井総監督のほか、絆播貢役の佐倉綾音が収録映像で登場。 オープニング主題歌を担当するLOVEBITESのasami、エンディング主題歌を演奏するバイオリニスト Ayasaがゲストとして生出演するトークショーも行われる。 オンラインイベントは、TOKYO MX2での全話一挙放送の 前後に実施され、ニコニコ生放送でも全話一挙放送と同じ時間に、 アニメ「ぶらどらぶ」全12話がコメンタリー付きで放送される。 https://news.yahoo.co.jp/articles/1f3eebf25ca2a87b5272e96bbe59497679f3b79d https://live.nicovideo.jp/watch/lv333001100 お前ら押井守の『ぶらどらぶ』というアニメがヤバい事にそろそろ気付き始めただろ [757453285] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1628322683/ テレビアニメ『ルパン三世 PART6』が10月より日本テレビ系にて全国放送決定。オムニバスエピソードの脚本には押井守や辻真先など超豪華ゲストが参加 https://www.famitsu.com/news/202109/01232090.html https://www.famitsu.com/images/000/232/090/l_612cbf97f1f46.jpg モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』のアニメ化50周年記念企画として、最新作テレビアニメ『ルパン三世 PART6』が、2021年10月より日本テレビ系にて全国放送開始と決定した。 そして、アニメ化50周年を記念する今作『ルパン三世 PART6』には、超豪華なゲスト脚本家陣が参加! シリーズ構成を務めるのは、映像化作品多数の推理小説家でありアニメ・特撮の脚本も手掛ける大倉崇裕が担当し、オムニバスエピソードの脚本には特別ゲストとして、辻真先、芦辺拓、樋口明雄、湊かなえ、押井守など、小説界・アニメ界を賑わす豪華な顔ぶれが名を連ね、今シリーズのルパンを紐解くキーワード、謎多き〈ミステリー〉の世界へと視聴者を誘います。 テレビアニメ『ルパン三世 PART6』が10月より日本テレビ系にて全国放送決定。脚本に押井守、辻真先、芦辺拓、樋口明雄、湊かなえ [838442844] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1630459254/ >>125 >>184 あるガウディみたいな狂気の建築家が東京のど真ん中にバベルの塔を模倣した塔を建てるが、完成当日に塔の天辺から投身自殺する。 どこか外国にあるウェルカム・トゥ・ネバーランド駅。真夜中に列車が到着して、若い女の子が降りてくる。 一方、酒場でのポーカーに大儲けしたものの袋叩きに遭い、パンツ一丁のルパンと次元が道々話す。「そろそろ何かやろうぜ」と次元が促すも、ルパンは世界中にもう盗むモノが無くなり、怪盗としてのアイデンティティを喪失、「今更何をやるんだ」とやる気をなくしていた。そこに駅で降りた女の子が来て何やら不可解な依頼をする。 依頼は、伝説では現実と非現実の狭間にあるようなものである「天使の化石」を盗むこと。大戦中にアフリカで発掘された後、ナチスの手に渡って、そしてイスラエルに渡り、なぜか日本に持ち込まれている。 最終的にルパンは捜し当てたものの、それは天使の化石ではなくただのプルトニウム(原子爆弾)だった。それにルパンが触れてしまったことで大爆発を起こし、東京が壊滅する。 しかし、実際には作動しない原子爆弾で、全部がフェイクだった。だからルパンだけが現実であり得るわけがない。ルパンもフェイクであった。 そう、最初からルパンなんていなかったのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる