宮崎駿VS押井守
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今後の日本アニメを牽引するのはどちらか? 日本のアニメ界を支える2大巨匠について語るスレです。 それがよりわかるのが、このシーンの導入部のカット。「丸窓の外からアスカの部屋を覗く」というシーンなんです。 映画には、場面転換の時に使う技法として「アイリスイン」「アイリスアウト」というものがあります。 こういう、アイリスイン、アイリスアウトというのは「これは、映画のレンズで撮っている虚構の世界ですよ?」というメタファーの時によく使われるんですね。 「この話は作り話である」ということを、わざわざ映像の中で強調する時に、このアイリスイン、アイリスアウトというのを使うんです。 まあ、これはあくまでも丸窓だから、そこまで考えなくてもいいかもわからないですけど。そういう構図と窓をわざわざ使ってるわけですね。 レベル1からレベル3の間に、いくつもの「これが本当のチャゲアスなんだ。これが本当の主人公なんだ」というのが何度も提示されました。 「天使が逃がすことが出来ずに、一緒にトラックごと3人で落ちてしまうチャゲアス」というのが出てきたり。「天使を奪い返したんだけども、奪い返した天使はすでに死んでいた」というチャゲアスも出てきました。 または「居酒屋で酒を飲みながら天使を奪い返すという妄想だけをひたすら繰り返す」というチャゲアスというのも出てきました。「そもそも天使は存在せず、仕事で殺人を繰り返すだけ」というチャゲアスも、レベル3で解説しました。 それどころか、最後には「単なる原発作業員で、警官ですらないチャゲアス」というのも登場しています。 しかし、このレベル4では、もう1段、その奥を見るんです。 つまり、さっきも話した通り、このシーンでは「作品内にチャゲ&アスカというアーティストの現実が、どんどん侵略してきている様子」を描いているんですよね。 (略) この『On Your Mark』って、劇場で公開された時は、もともと『耳をすませば』というアニメの併映作品だったんですよ。 その『耳をすませば』の中で、宮崎駿は「ヒロインの雫という中学生の女の子に、ギリギリ色目を使わないんだけど、なぜかやたら仲が良いじいさん」という、まあ、本当に、描き方を1つ間違えたら、間違いなくエロジジイみたいなキャラクターとして出て来るんですけど。 これも、やっぱり自分の理想の投影なんですよね。 ボロボロっと出ちゃう。 じゃあ、そのボロボロっと出てくるものに、本人は無自覚なのかと言うと、そんなはずはないんですよ。絶対に自覚していて「自分って、なんて薄汚いんだろう。それを抑えてキャラクターにしているなんて、ああ、みっともねえ、みっともねえ!」と思うから、宮崎駿は自分の作品を語る時に、すごい嫌そうだし、逃げるわけですね。 この辺のクリエイターの感じというのは、たぶん、「なろう小説」みたいなものを自分で書いた人だったら、ちょっとは心の中に思い当たるフシがあると思うんですけど。 クリエイターの発想というのは違うんですね。一番奥にあるのは本物じゃないんですよ。一番隠したいものが本物では全くないんですね。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec >>139 レベル3で、このお話の構造全体について「胡蝶の夢」、つまり「自分が蝶々になっている夢を見ているのか、蝶々が自分だという夢を見ているのかわからない」というふうに語りましたけど。 それは「どれが現実か結局わからない」という誤魔化しではないんですね。 「どの夢であっても、全てを現実として受け止めて生きる」。これが、宮崎駿が語ろうとしている永劫回帰なんですよ。 「永劫回帰」という言葉を、コンテにわざわざ入れているのは、「これが本当だ!」ではなくて、「このお話の中に流れている、バッドエンドもハッピーエンドも、全てが現実であって欲しい。あるべきである」という意味なんですね。 で、これね、ハッキリ言って、『ゴースト・イン・ザ・シェル』とか『ビューティフル・ドリーマー』をやった押井守への、もう完全な批判なんですよ。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec >>139 >>140 押井守というのは、どうしても自分の好みとして、映画というもの自体が持つ虚構性というのをベースにした「どれが現実かわからない」というようなお話を選びがちなんです。 例えば、『ゴースト・イン・ザ・シェル』では、義体に包まれたサイボーグというのを出すことで「どれが本当の肉体なのかわからない」というものを見せようとしています。 それに対する、宮崎駿からの「夢のまた夢というような映画をやりたいんだったら、こうやれ!」という強烈なメッセージなんですね。 なので、押井守さんって、基本的に宮崎映画の全てに対して批判して、いろいろと「ああ、これはこうだよ」って語っているんですけど、『On Your Mark』に関してだけは、もう完全に沈黙を守っているんですよ。 これ、僕は自分なりに調べたつもりなんですけど、本当に見つからなかったんですよね。もし、押井さんが『On Your Mark』について語っている資料があれば、ちょっと教えてほしいです。僕が見た限りはないので、これに関しては本当に手が出ないんだと思います。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec >>132 >>133 レベル4、永劫回帰の謎というのは「全て等しく存在する」ということなんです。 つまり、ミュージシャンのチャゲアスも存在するんですよ。 ミュージシャンで、都合よく宮崎駿にお金ドーンと出して「自分達がカッコよく見えるPVを作ってください」と言うチャゲアスも存在するし、しがない原発の作業員で妄想するしかないチャゲアスも存在するし、警官として人を殺すチャゲアスも存在するし、 天使を助けて死ぬチャゲアスも、天使を妄想して酒を飲むしか出来ないチャゲアスも、全部存在する。 いわゆる、富野由悠季監督が『ターンAガンダム』で言っていた「∀全肯定」というやつを、このお話の中でやっているんだと思います。 「本当は」が存在しないんですよ。 アニメを作るクリエイターや、映画を作る監督が、聞かれて一番困るのは、やっぱり「本当に言いたかったことはなんですか?」ということです。 これについて、よく「言いたいことは全部映画の中で言ってるから」と言うんですけども。本当はどういうことかと言うと、「自分の中で、全てが並列に存在しているから」なんですね。 ありとあらゆる可能性が全て存在している。「今回は2時間という尺だったから、切って切ってこういうふうにまとめた」と。 「でも、あと15分あったら」とか「あの日、雨が降ってなかったら」とか「ロケの時に都合よくこんな太陽が照ってたら……」という、 もしもの世界がいくつもあって、その結果、出来上がる映画というのも、全てが正解。 ちょっとね、クリエイターのこの辺の心理って、なかなかわかりにくいので。僕も『On Your Mark』みたいなテキストがないと説明しにくかったんですけども。 宮崎駿の中では、チャゲアスも、もちろん自分の分身なんですよ。 アニメのキャラクターになった瞬間に、チャゲ&アスカですら、自分の分身になる。同時に、例えばアシタカとかナウシカとか『トトロ』のサツキとメイも、全部自分の分身なわけですね。 『となりのトトロ』については、宮崎さんは「今でもサツキとメイは自分の中で生きていて、成長している。2人とも中年の女性になっている」と言ってるんですけど。今まで、アニメやマンガの中で宮崎駿が作り出した、数十数百の人格、何十何百というキャラクターは、全部、宮崎駿の中で、同時に歳を取りながら生きているんですね。 それが、宮崎駿にとっての永劫回帰なんですよ。たぶん https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec ただ、宮崎駿というのは、自分の中でのキャラクターのリアリティが人一倍というか、僕が聞いた中で最も強いんですね。メチャクチャ強い。 そういう多重人格的な自分自身、クリエイターとしての自分自身を、宮崎駿という名前の独裁者が、もう閉じ込めている状態なんですよ。 そうやって閉じ込めないと、そいつらの方が前に出てきて収拾がつかなくなるし、映画は2時間で収まらなくなるし、『ナウシカ』はいつまで経っても完成しなくなる。というのが、宮崎駿個人の中でのキャラクターの在り方だと思います。 『On Your Mark』で、主人公はなぜ同じチャレンジを繰り返すのか? 永劫回帰というのは何か? レベル4では、一応「クリエイターというのはこういうものだ」ということで、「中で描かれている全ての可能性の分岐点というのは、実際にある」と。 それはパラレルワールドみたいに本当にある世界ではなくて、宮崎駿という個人の中にあって、 普通はその中から1つを選んでお話にするんだけど、今回はあえて、それを全部混ぜて出してみた、と。 だから、彼にとっての実験なんですよ。東映動画の時代から「お話というのはそういうふうに作ってはいけない」と言われてきた枷を全部外しちゃったらどうなるのか? そういう、宮崎駿にとっての本当に個人的な実験というのが、「ジブリ実験劇場」という言葉の意味なんです。 というのがレベル4の解説でした。 https://note.com/otaking/n/n97117f2b1dec アニメージュ 1995年8月号から 地球全体の歴史から見れば、人間の問題なんて流行の風邪みたいなものですからね。 , ― …二人の警官が救い出す天使は、混沌とした世界の一筋の希望のようにも見えます。 「僕らがそれでも止めないのは…」という歌詞の通り、天使を救出するシーンが何度も繰り返されていますが。 何度かの失敗の後、混沌とした世界から、一筋の救いのように彼女は青空に飛び立つ。 でも、警官たちは地上に取り残されて…, 【 宮崎 】 押井さんが天使が生まれるの、生まれないのとか、もったいぶってやっているから、さっさと出しちゃった(笑)。 といっても、天使だとは言っていないし、鳥の人かもしれない。それはどうでもいいんです。, 【 宮崎 】 NO PURCHASE NECESSARY. 押井の反論 押井:一日にT-34戦車を50両撃破したとかさ。そういう話が日本人は大好きなんだよね。 そういうふうなことが日本人の心を慰撫するんだよ。でも慰撫してるだけであって何も学ばせようとしてない。 もっと言っちゃうと「(風の谷の)ナウシカ」だってそうなんだよ。巨神兵ってなんなんだと。 早すぎた試作品がウォーってなきながら、結局自壊しておしまいっていう。 あの男の子の乗ってた戦闘機だってそうだよ。迎撃戦闘機で重爆を火だるまにしてやるっていう、その発想がダメだって! あれじゃトルメキアに勝てるわけないじゃん。風の谷自体が日本じゃないのかって話だよね。 あれこそ農本主義日本。石原莞爾が夢見た世界とどこが違うんだ。でもちゃんと軍隊はある。 女も子供も動員するんだっていう。で、戦う女王様なわけだ。同じだよ。 卑弥呼のことなんだよ。虫と話すっていう巫女さんだもん。 巫女さんを戦闘に立てて、農本主義国家として自衛戦争をするんだ。 だから「ナウシカ」は「ヤマト」よりもある意味ではタチが悪いと思った。一種正当さを装って日本人の心象にピッタリ合うから。 「ヤマト」みたいにむき出しの軍事じゃないからタチが悪い。王蟲なんてどう見たってあれは押し寄せるシャーマン(戦車)であり、地を這うB-29(爆撃機)だよ! そして結論は腐海で浄化されるんだっていう話でしょ。 だから同じだよね。一回焼け野原になって再出発するんだという。 『戦争のリアル』押井守・岡部いさく (第一章 敗戦のトラウマと日本のアニメ - 総論として p.44〜p.45より引用) https://anime.eiga.com/news/107718/ 押井守「ナウシカを観ると宮崎駿の戦争観の幼稚さがよく分かる」 [144189134] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1620305515/ https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1619362300/ 大塚にも同じこと言われた 「ヤマト」は、その軍国主義的なアイテムに飾られているが故、 その危うさを〈現実〉に照合できる仕掛けになっていた。 したがって、ファンは批判的にこれに関わる余地があった。 「ナウシカ」は「一途に人を思うこと」という宮崎の主張が、 「共同体の為に犠牲になること」に拡大され、 しかも、アニメーションとしての〈出来〉の完璧さ故に、 受け手がこれを批判的に享受することができない仕掛けになっている。 より危険なのは後者だ。 大塚英志『まんがの構造 増補新版』弓立社'88 安藤雅司のデビュー作 逃すのに成功したのか・失敗したのか 2人は死んだのかとか謎が残る https://v.i.m.e.o.com/75179415 >>141 続き 押井 そしてそれが実現されなければ「裏切りだ」とくるわけです。 そこで、彼らの要求を飲むか、それともやめちゃうのか、そのどちらでもないと思うんです。 宮崎 ええ。やめてもいいと思うんですがね。 やめるだけの強さを持ちたいと思うけど。(笑) 押井 ぼくはやめちゃいけないと思う。そのローマの時代に、闘っている剣闘士や、それを演出した人間もいたはずで、 その人間たちが何を考えたか、市民の要求を正当だとは思わずに、職業としてやってるところもあったかもしれない。 市民を蔑視していたのかもしれないが、ローマ市民の中で自分は何をやったらいいのか考えていたと思う。 けっして剣闘士を解放して革命を起こせばいいということじゃないと思うんです。 宮崎 革命を起こすのもひとつの道でしょうね。 でも、現代ではいまや剣闘士のほうがいい思いしてるんだよね。 糸井重里がなぜあんなエライことをいうんですか?←←← たかが宣伝文作ってるだけでしょう。 押井 とりあえず市民の前で芝居を演じてみせるしかないでしょう。 芝居の中身が、だから問題になる。 宮崎 だから、ぼくはあくことなく、いまはないかもしれないけど、本来あるべき姿を描き続けたいと思っているわけです。 それをなくしたら、どんなにカッコいいものや、今の気分を代表するようなものを作っても、なぐさめものになるだけだと思う。 押井 ところがね、そうやって演じてみせたときに、拍手喝采を浴びたらどうするんだ、ということなんですよ。 宮崎 そのとまどいはこんどの作品(注 風の谷のナウシカ)ではありますけどね。 押井 何をやっても、ある理想を描いても、その理想とは遠い現実に生きてる人間に拍手喝采しれてしまう。 まさしくパロディがパロディにならない、皮肉が皮肉にならない、 いかにシニカルにやっても、それをギャグとしてうけてしまうのが現状ですよね。 宮崎 それはひとつの考え方としてわかりました。 しかし、どうなんだろう、ちょっと元気がいいだけのことじゃないかなあ(笑) たくさん仕事をかかえて、作り続ければいいというものでもないと思うけど。 だいたい押井さん、すこし作りすぎです。いったい昨年は何本仕事したんですか? 押井 いやー、ほんとにそうなんです。反省してます。 宮崎 そうです。あんまりアニメーションの氾濫に手を貸さないでください(笑) アニメージュ 84年6月号より >>125 アニメージュ 1984年10月号より 宮崎 で、こんどの(ルパン)の映画の話がやらないかって僕のところに来たから、 もう僕はできないから、押井守が適当だろうと言ったわけです。偶然横にいたしね。 (編集部注=スタジオぴえろを辞めて仕事場のない押井さんは当時、宮崎さんの事務所に「いそうろう」だったのです) それに、「ルパン」という企画は、ふところが深いんです。 だから、何かやりたいことをもっている人間とうまく合体すると、とんでもないことができるのじゃないかという気がしてましたからね。 アニメージュ なるほど。で、押井さんに話がいったと。 そこで押井さんといろいろ考えたと思うのですが。 押井 ええ、さっき宮崎さんがいったとおり、「ルパン」という話は、非常に底が深いうか、 企画としては、いろいろな物をもちこんでも成立する世界なんです。 (中略 一度は断ろうと思ったが) 僕には、やりたいと思ってずっとかかえているんだけど、 どうしても実現しないあるテーマがあったんです。 なぜ実現できないかというと、それを入れる器がなかったんです。 ところが、この「ルパン」という企画にやりたいと思っていたそのテーマをはめこをでみてら、かなり展望が開けてきた。 その一方で、そのテーマを「ルパン」でやることで「ルパン」そのものも、もう一回成立するんじゃないかと思ったんです。 その両面があったので、今回の仕事をやることにしたわけです。 押井 ルパンはもうあの国(カリオストロ公国)には戻らないと思う。つまり、彼は、通過していくだけで、舞台に残るわけじゃないと僕は考えてるわけです。 ところが、銭形ってのは、基本的に定住者なんですよ。 だから、生きている年数や時代、そして生きてきた土地をその背景にほうふつさせる。 その銭形が過去の作品でそうだったように(同じ体力、ねばり強さ、意地で)、またルパンを追いかけることができるかっていうと、もはやできないんじゃないかって気がする。 宮崎 僕なんかもね、もし、ルパンをやったら、銭形はルパンの味方にしかならない気がしますね。 暗黙のうちの同志というかね。 押井 ふたりには、時代からはみ出してしまった者同士の、ある種の共感みたいのがありますならね。 カリオストロの場合、銭形も入ってルパン一党は、クラリスを救うという点で、はっきりと同盟者になっていると思うし、けど、今回の映画でもそういう感じに描くかっていうと、ちょっと納得できないっていう思いもある。 そんなわけで、銭形をどう位置づけられるかってことに、いま一番悩んでいるんです。 居場所を見つけてあげられないんですよ。 押井 つまり、時代から疎外された者同士、ルパンと銭形の共感みたいなものがドラマを支えてはいけない。 ルパンというキャラクターをもう一回出すならば、もう一回時代に斬りこませなくちゃと思ったからなんです。 時代を嘆くためにルパンを出すんじゃなくて、時代に斬りこませるためにルパンを出す。 それをやらないと、もう一回ぼくがルパンをやる意味がないという気がしたんです。 宮崎 非常によくわかる。それが今回の押井さんの役目だね。 押井 そこでひらめいたのが、さっき大塚さんが言った「ルパンは演じてる男だ」ってことなんです。 大塚さんとぼくのとらえ方はちょっと違ってるかもしれないけど。 ルパンがルパンである必須条件は非常に古典的だけど、変装なんですよ。 この変装ってことを、今回はルパンのテクニックとか特技ではなく、世界の本質とルパンが斬り込んでいく際の一つの糸口として、考えているんです。 岡田斗司夫氏、製作の舞台裏について語る http://purisoku.livedoor.biz/archives/5417459.html もう一つ『ナディア』に関しては、枷がありました。 (中略) 当時、韓国政府と取引というか、契約みたいなものが成立していたそうなんです。 韓国の作画スタジオとNHKというレベルの話ではないです。日本国政府と韓国政府との間で、取り決めが あったらしいんですよ。それは別に密約とかではなくて、もっと健全で、文化的なものです。 日本政府が「韓国がこういう事をするなら、それに対してお助けしますよ」と申し出て、韓国側も 「資金援助とかじゃなくて、文化的支援だったら喜んで受けますよ」というやりとりをした。 その取り決めの中に「アニメの作り方を教える」という項目もあったんですね。 その一環として企画された『ふしぎの海のナディア』は、アニメを作るという目的以外に、 NHKならではの「韓国のアニメスタジオにアニメの作り方を教える」という命題があったわけです。 それは具体的に言うと、作画以降の、動画と仕上げ、撮影のほとんどの工程を韓国でやらせるということです。 僕が説明されたとき、東宝とグループ・タックのプロデューサーからは 「これは国会で決まったことだから」って言われたんですよ。『天才バカボン』の台詞じゃないんですから。 「誰が決めたんだ? 国会で青島幸夫が決めたんだ」って。冗談みたいですよね。 ほんとに真顔でそういう風に言われたんですよ。 おそらく事実なんだとおもいます。その結果、「NHKが作るアニメは、作画の何パーセント以上は 韓国国営の世映動画★というところに発注する」と決まっていた。 これを知ったときはびっくりしましたよ。 貞本君が浮かぬ顔なのもわかりましたよ。 ナウシカに出てくる巨神兵を製造したのは日本企業と判明(画像あり) https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1621848944/ >>158 画像 https://i.imgur.com/ETck39o.jpg これは映画版の地図になると思う 原作だと酸の湖じゃなくてユパ様が情報収集に行くセラミック鉱山街にあったような https://i.imgur.com/qzn6w2q.jpg 漫画版には 1リーグ=約2km 1リーグ=約2土里 1土里=約800メートル と注釈が書いてある フライングポッドとかドルクの空中戦艦とか重力制御して浮いてるし巨神兵なんか空間をねじ曲げて飛んでるし 火の七日間前は少なくとも太陽系くらいは余裕で支配してるくらいの世界だったんだろ 火の七日間が起きたのが西暦2700〜2800年代でナウシカの世界がさらに1000年先って設定だし ナウシカの時代の前は宇宙船があり宇宙人と交流していたと判明(画像あり) https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1621836480/ 北海道函館市のタイガーマスクさん桶作孝次様は日本地図書くの上手すぎる事で有名な大天才 函館オーシャンスタジアム高校野球ファン一同 押井 (日本学術会議は)私に言わせれば、役に立たないクソ爺の集団。 おそらく、声を発してない人たちはただの老害集団。音頭を取っている連中はもれなくマルキストの亡霊です。 ── 押井さんの言葉によく登場する“マルキストの亡霊”ですか。 押井 そうです。私に言わせれば、頭がお花畑でまったく“リアルじゃない”。 この75年、時間が止まったままにもかかわらず、本人たちは闘っているつもりなんだよ。だから余計に始末が悪い。 あんたらのおかげで中国が伸びて、戦争の気配が強くなっている。これこそが、見据えなきゃいけない“リアル”。 平和政策として軍事研究を潰すというのが単に分かりやすいだけでやっている。 だいたい、自分のところを潰しても、他国である中国や北朝鮮が研究を続けていれば、意味ないんだから。 他の国なんて学者どころか兵隊まで動員し、総力戦で軍事研究している。これこそが“リアル”なの。 彼らが、日本は平和政策を取っているから襲いませんなんてふうには考えるはずがないでしょ! https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_6f0c0e45-b583-4069-8e11-8b665525a6eb.html 【悲報】押井守「中国の軍事費拡大というリアルがあるのに日本は軍事研究を禁止って頭がお花畑なんだよ」 [595017606] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622272915/ やっぱり80〜90年代の人なんだなとつくづく思うわ 【正論】押井守「匿名の発言が世の中にあふれてるのが異常なんだよ。匿名はガン。全ての元凶」 [595017606] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622206454/ これも全然認識が甘いしな 今や立派な老害 浅田彰 とにかく、一般的にみて、ネオンやなんかで混沌とした東洋的ポストモダン都市っていうイメージは、 リドリー・スコット監督の「ブレードランナー」からほとんど変わってないな。 カンヌ映画祭のコンペティションに出る押井守監督のアニメ「イノセンス」も、そうした都市がすごくきれいに描かれてるけど、 そういう背景といい、アンドロイド(人形)のアイデンティティが問われるところといい、ほとんど「ブレードランナー」そのまま。 しかも、人間はなぜ人形をつくるのか、人形にアイデンティティはないのか、 またもしあるとすれば翻って人間のアイデンティティとは何かっていうような幼稚な「哲学的」疑問がそのまんま台詞で語られちゃうんで、白けちゃうの。 とにかく、海外から見た東京ってのは、やっぱりテクノオリエンタリズムに包まれた幻想の空間なんだよね。 その外部にあるリアルな東京の姿が見えてくるのは、まだ先のことかもしれない。 押井守「日本人の顔は見たくない」 宮ア駿「日本人の顔が嫌い」 ユリイカの対談から押井守の発言を抜粋 日本のアニメーションで日本人の顔を描いたアニメーションは、もうほとんどないと言っていいですよね。 宮さん(※宮崎駿)は、もっと端的に要するに日本人は日本人の顔が嫌いだってことにすぎないんだって薄情に言ってたけどさ、それもあると。 アニメーターが描くときには日本人の顔を断固として描きたがらない 簡単に言っちゃうと、虚構の中だからこそ日本人の顔を見たがっていないというのが認識としては正しいと思う。 明治で日本は終わった、明治からあとの日本は日本じゃないって、司馬遼太郎のあれを宮さんがしきりに言っていたけど、 やっぱり日本人が日本人であることを嫌がっている傾向があるんですよ。 大正モダンの頃から、日本人が日本人であることを、どこかで忌避し始めている。 https://fox.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1409361483/ >>134 佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen オンリーユーって、惜しい監督のかなりヘヴィーな分岐点ナンですよ。同時上映の「ションベンライダー」に完膚無きまでに敗れて(惜しい監督本人が映画館で観て)、一念発起しなかったらビューティフルドリーマーは産まれなかったと。 2011-11-06 18:55:12 笹本祐一 @sasamotoU1 オンリーユーって、学園から宇宙戦争までシームレスに繋がって最後はちゃんと帰ってくる日本でしかできないスペオペアニメなんですよ。宇宙ショーへようこそあたりが正当な後継者。 2011-11-06 19:14:58 笹本祐一 @sasamotoU1 ところが、ビューティフルドリーマーが受けてしまったばっかりにうる星の映画あっち行っちゃったし、惜しいカントクもあーゆー作品作らなくなっちゃったのは実に残念です。 2011-11-06 19:16:11 佐倉 大 (北久保弘之) @LawofGreen そーなんですよねー、オンリーユーをきちんと研磨すれば、地金で勝負出来る演出家になったと思うんですけど。 2011-11-06 19:21:24 ゆうき まさみ @masyuuki じゃああれにケチをつけた宮崎駿が悪い(笑) 2011-11-06 19:29:20 笹本祐一 @sasamotoU1 ケチじゃなくて激励だったんだけど、見込みがあると思ったから文句言ったんだけど、まー宮崎カントクが言ったんじゃ文句にしか聞こえないわなあ。 2011-11-06 19:31:13 浅利与一義遠 @hologon15 その姿を、まだ期待しているらしい。俺。 でも毎度、長い独白と、これは夢か現実かグルグルの繰り返し……。 2011-11-06 19:31:59 押井守という、誰からも相手にされなくなったネトウヨ監督。どこから道を間違ったと思う? [653462351] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1622548421/ 押井守が総監督を務めるアニメ「ぶらどらぶ」の TOKYO MX2での全話一挙放送に合わせ、オンラインイベント 「特効野郎 IA TEAM 〜世にぶらど愛を配れ〜」の開催が決定。 全話一挙放送の同日8月8日に、ニコニコ生放送で無料配信が行われる。 イベントには当日誕生日を迎える押井総監督のほか、絆播貢役の佐倉綾音が収録映像で登場。 オープニング主題歌を担当するLOVEBITESのasami、エンディング主題歌を演奏するバイオリニスト Ayasaがゲストとして生出演するトークショーも行われる。 オンラインイベントは、TOKYO MX2での全話一挙放送の 前後に実施され、ニコニコ生放送でも全話一挙放送と同じ時間に、 アニメ「ぶらどらぶ」全12話がコメンタリー付きで放送される。 https://news.yahoo.co.jp/articles/1f3eebf25ca2a87b5272e96bbe59497679f3b79d https://live.nicovideo.jp/watch/lv333001100 お前ら押井守の『ぶらどらぶ』というアニメがヤバい事にそろそろ気付き始めただろ [757453285] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1628322683/ テレビアニメ『ルパン三世 PART6』が10月より日本テレビ系にて全国放送決定。オムニバスエピソードの脚本には押井守や辻真先など超豪華ゲストが参加 https://www.famitsu.com/news/202109/01232090.html https://www.famitsu.com/images/000/232/090/l_612cbf97f1f46.jpg モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』のアニメ化50周年記念企画として、最新作テレビアニメ『ルパン三世 PART6』が、2021年10月より日本テレビ系にて全国放送開始と決定した。 そして、アニメ化50周年を記念する今作『ルパン三世 PART6』には、超豪華なゲスト脚本家陣が参加! シリーズ構成を務めるのは、映像化作品多数の推理小説家でありアニメ・特撮の脚本も手掛ける大倉崇裕が担当し、オムニバスエピソードの脚本には特別ゲストとして、辻真先、芦辺拓、樋口明雄、湊かなえ、押井守など、小説界・アニメ界を賑わす豪華な顔ぶれが名を連ね、今シリーズのルパンを紐解くキーワード、謎多き〈ミステリー〉の世界へと視聴者を誘います。 テレビアニメ『ルパン三世 PART6』が10月より日本テレビ系にて全国放送決定。脚本に押井守、辻真先、芦辺拓、樋口明雄、湊かなえ [838442844] https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1630459254/ >>125 >>184 あるガウディみたいな狂気の建築家が東京のど真ん中にバベルの塔を模倣した塔を建てるが、完成当日に塔の天辺から投身自殺する。 どこか外国にあるウェルカム・トゥ・ネバーランド駅。真夜中に列車が到着して、若い女の子が降りてくる。 一方、酒場でのポーカーに大儲けしたものの袋叩きに遭い、パンツ一丁のルパンと次元が道々話す。「そろそろ何かやろうぜ」と次元が促すも、ルパンは世界中にもう盗むモノが無くなり、怪盗としてのアイデンティティを喪失、「今更何をやるんだ」とやる気をなくしていた。そこに駅で降りた女の子が来て何やら不可解な依頼をする。 依頼は、伝説では現実と非現実の狭間にあるようなものである「天使の化石」を盗むこと。大戦中にアフリカで発掘された後、ナチスの手に渡って、そしてイスラエルに渡り、なぜか日本に持ち込まれている。 最終的にルパンは捜し当てたものの、それは天使の化石ではなくただのプルトニウム(原子爆弾)だった。それにルパンが触れてしまったことで大爆発を起こし、東京が壊滅する。 しかし、実際には作動しない原子爆弾で、全部がフェイクだった。だからルパンだけが現実であり得るわけがない。ルパンもフェイクであった。 そう、最初からルパンなんていなかったのだ。 押井: 『紅の豚』のときは、敏ちゃんの名言だと思ったけど、「あの豚って、最後どこに帰るの?」って言ったら、「決まってんじゃないですか。奥さんのとこ帰るんですよ!」って。そりゃそのとおりだって。 鈴木: いや……。 押井: そう言ったじゃん!(笑) 鈴木: 言ったんだけど、ちょっと宮さんのこと怒らせちゃったのよ(笑)。 押井: あの豚って、つまり宮さんのことでしょ。あの豚のお面を、パッと取ると宮さんの顔になってるわけじゃん。絶対そうだよ。 鈴木: ちょっと、そのときのことを言うと、こちらも気を許しちゃってね。最後、帰ってくるでしょう、自分のアジトへ。そこから通過して、奥へトントントンって行くと、そこに本宅があって。 で、家の中に入ろうとすると、いきなり怒られて、「ゴミを捨ててこい!」って言われる。それで終わらせたらどうですかね、って言ったら、宮さん笑ってなかったのよ(笑)。 https://ghibli.jpn.org/report/porco-rosso-3/ 押井守ってより、士郎正宗なんじゃないの?攻殻機動隊って >>123 押井守 『コミュニケーションは、要らない』 p.131 宮さんの言葉を借りるなら「あの五代ってお兄ちゃんが響子さんを押し倒せばそれで終わる」。 「結婚してくれ」と言えば物語は終わってしまうということだ。 言わないから、あの物語は何年も続いた。何年も続けるためにあの男を優柔不断にしたわけだ。 いつも言うのだけど、主人公が優柔不断であるとか、根拠を持たないがゆえに起こるドラマはドラマではない。 そして、日本のアニメやマンガや小説の多くはこれに当てはまる。ようするに未熟なのだ。 未熟であるがゆえに生起するドラマはドラマとは呼ばない。ドラマとは「価値観の相克」のことだ。 これもまた、根源的にはコミュニケーションの問題である。 好きだと告白した先の結論を日本人が必要としているのかということだ。 少なくともアニメや漫画の世界では、その先にある結論は求められていない。 結局のところ、この国では異なる文化の摩擦も求められていないし、価値観の相克も求められてはいない。 だから本当のドラマも求められてはいない。震災の被害にあった人たちの願いの大半も昔に戻りたいということだ。 安寧な日常以外に求めているものがないなら、コミュニケーションをとる必要もないのである。 https://www.gentosha.jp/store/ebook/detail/804 宮崎駿「めぞん一刻って響子さんを押し倒したらすぐ終わる話でしょ。何やってるの」 [298194473] https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1646735403/ 『耳をすませばについて』 押井守 1995年 あのね、ちょっとだけ言わせてもらってもいいですか。 この映画は、何一つ救いがない映画ですよ。 実際には、現実には、絶対にありえないことを、思いっきり細部までこだわった現実的な日常の世界として描くなんて、反則以外の何物でもない。 (中略) そして、見た者は大いなる錯覚をする。 「これが、本来の現実の世界ではないのか」、と・・・ そこに描かれているものは何だろう。 高校にも行かずに留学してバイオリン作りを目指す彼氏? 親や先生や同級生に何ひとつ反対されずに壁にも遭遇せずに夢を目指す彼女? その二人による、あたりまえのように描かれているありえない恋愛の世界? 「いいなあこんな学生生活」 「これが本来あるべき学生生活だったんだ」 「すると俺の学生生活ってなんだったんだろう」 そして、見たものの中に、本来では「ありえなかった現実の世界」が正当化され、 従来の「あたりまえだった現実の世界」が否定される。 本来持っていなかったものをまるで持っていたように錯覚させ、それを否定される。 こんな残酷な作品は無い。 「現実を錯覚させる」ことがそもそもの悪であり、「現実を否定させる」ことはもっと悪である。 これを作った人は、世の中の人たちにとって、悪である。 普通は女の方からだから 逆ナンだから 宇宙人、怒らせました 東方神起 ・どうして君を好きになったんだろう AAA さよならの前に https://youtu.be/XcAr48e2x68 https://youtu.be/GVFR9zmQjec 2月にこんな番組が(3ヶ月配信あり) カルチャーラジオ 日曜カルチャー「日本アニメの巨匠たち」 (NHKラジオ第2 20:00 - 21:00 / 10:00 - 11:00) https://www4.nhk.or.jp/P1940/ アニメ評論家…藤津亮太 2/05 宮崎駿のメッセージ 2/12 富野由悠季の世界 2/19 押井守のリアリティ 2/26 新海誠の手法 ―押井監督はアニメがアート系作品と商業作品とで分断されていることを課題として指摘されています。その分断はなぜ起こっているのでしょうか? 押井:そもそも一般的な商業アニメとアート系アニメとでは、ポップスとクラシックくらいの違いがあるんですよ。動機も違えば、やっている人も違う。アート系アニメーションはヨーロッパで始まって、個人作家や少人数のチームによる作品がほとんど。 そして、制作の動機はいろいろあるけれども、アート系作品は商業的な成功を目指すものではなく作家が考える芸術的な表現をしたいというのが基本なんです。 また、作品の多くは短編です。なぜならアニメーションは作品の時間と制作費が比例するため長編だとお金がかかるから。商業アニメーションの仕事は、テレビシリーズだと最低200人が必要だし、 映画だと1000人以上が関わって平気で2~3年かかるので、どちらにせよ億単位のお金が必要なんですよ。だから漫画や小説、音楽と違って、商業アニメは作家個人の動機でできる世界じゃないんですよ。 押井:そうした制作コストは作品の内容にも影響していて、基本的には商業映画=エンタメだから、かわいい女の子だったり、戦争だったり、ロボットだったりがでてくる。まぁ、簡単に言えば「暴力とエロに満ち満ちた世界」が描かれるわけです。 多少は泣かされるドラマがあったりしても、広い意味で言えば、どれも「エロと暴力の世界」。もっともこれは私の言葉ではなく、ゴダールの『気狂いピエロ』の劇中で、アメリカの映画監督サミュエル・フラーが言ったことなんだけれども、私はそれに非常に共感するわけですよ。 私がアニメーションとか映画をつくっているときも、基本的にはこの2つしかないですから。もちろん、そこから出発して多少の批評的意識や、時代に関して言いたいこと、あるいは予感や文明批判、人間の実存への問いなどが描かれることもありますが、はっきり言って商業映画の本質は「エロと暴力」です。 だからエンタメの長編作品には、「言いたいことがある」って作品もあるけど、多くのロボットものとかアクションものがそうであるように「ただ単純に快感原則を追求する」作品もある。最近はさすがに「何にも言いたいことないけどつくりました」という作品はなくなってきて、それなりにどの作品にも主張があるようになってきていますけどね。 一方で、アートとは表現それ自体だから、別に主張は必要ない。もちろんユーリ・ノルシュテインみたいに、言いたいことがあるアート系アニメーションの作家もいますけどね。 「新海誠が登場したとき、アニメの制作現場に動揺が走った」 押井:そして、もっと言えば「商業エンタメ作品というのはそれ自体が社会的行為でもある」と私は思うんですよ。お客さんに観てもらうことを含めた仕事=営利行為である時点で、商業エンタメ作品は社会性と切り離せない。 そうした社会性をバックボーンに持っているからこそ、作品に主張とテーマがあり得る。そしていまのお客さんにヒットしないと意味がないから、どうしても時代性を背負うわけ。だから、商業映画っていうのはさ、『エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン)』だろうがヘチマだろうが……ヘチマって言うのはあれだけど(笑)、必ず社会性と時代性を持っている。でもアート系アニメーションは時代を背負う必要がない。そういう違いが明快にある。 だから、商業作品とアート系とでは同じアニメーション表現ではあるけど、アニメと実写、アニメと漫画以上に違う。単にジャンルが違うとか客層が違うとかじゃなくて、別の行為なんです。 でも、それを検証する場がいままでなかった。だからアート系作品と商業作品の両方を対象としたこの『新潟国際アニメーション映画祭」、アジアどころか世界を見ても似たものがほとんどない催しだと思いますよ。 一応、『アニー賞』や『アヌシー国際アニメーション映画祭』はあるけど、やっぱりどこかアート寄りなんですよね。私が原作・脚本を担当した『人狼 JIN-ROH』っていう作品がアヌシーにいったけど、あれは文芸っぽい要素が濃厚だったからであって、ギリギリなんじゃないかな。 もし『人狼』が撃ちまくりのアクション映画だったらお呼びじゃなかったと思う。ましてや『エヴァ』だの『ガンダム(機動戦士ガンダム)』だのじゃ可能性もない。特にヨーロッパは、そういうアート系と商業作品を区別する意識が強いから。 https://www.cinra.net/article/202303-oshiimamoru_ysdkrcl 押井守「商業アニメの本質は『エロと暴力』基本的にはこの2つしかない」 [723997461] https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1679127043/ 押井 『天たま』を観て寝るのは正しい反応です。私だってタルコフスキー、寝ずに完走したことはただの一度もないから。 必ず寝ます。でも、やっぱり大好きなんですよ。 私に言わせれば、いい映画は眠くなるんです。 ── そ、そうですか? 押井 眠くなるのは傑作か、あるいはとんでもない駄作か、どちらかだから。 押井さんの作品『天使のたまご』はどのように理解すればよいですか? https://lp.p.pia.jp/article/essay/48171/260173/index.html 押井 私の作品を観て眠くなるというのは、なにも『天たま』だけじゃありません。 『紅い眼鏡』のときも言われたから。みんなオープニングに騙されてしまう。『ケルベロス』もそう。 冒頭の籠城戦は凄いって思うんだけど、舞台が台湾に移ってからは「単なるロードムービーじゃん」って。散々言われましたから。 私の実写映画で、退屈だとあまり言われなかったのは『アヴァロン』くらいじゃないの? それでも「眠い」という人は結構いた。最後のコンサートシーン、なんであんなに長いんだよとは、よく言われましたから。 まあ、私は基本的に、眠くなるような映画が好きなんですよ。 押井 最初のスタッフ試写のときって、上映が終わったら普通、拍手が起きるものなんです。 「みなさん、ご苦労様でした。やっと完成しましたね」みたいな感謝もあって会場は温かい拍手に包まれる。 ところが『天たま』のときは静まり返っていた。咳払いひとつもない。 明かりが点いてもだよ! 明かりが点いたら、お疲れ様でしたって監督が挨拶するのも慣例なんだけど、そういう雰囲気だから立ち上がれない。 私も「どうしよう」って感じで、そのままになっちゃった。 ── 鈴木さんになにか言われました? 押井 一切言われなかった。徳間の人たち誰からも苦情もイチャモンも一切ナシ。売れなかったので次もナシというだけ。とてもクリアなの。 押井守「『天使のたまご』を見て寝るのは正しい反応です。いい映画を見ると眠くなるんですよ」 [298194473] https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1679048385/ ■オタク第2世代のどうしようもないキツさ 庵野秀明や岡田斗司夫に代表されるオタク第1世代が、 物知りオモシロ人間ではなく嘘吐きパワハラ人間だったことは既に衆目にさらされたが、 最近ではオタク第2世代もだいぶキツくなってきたように感じる。 オタク第2世代は1970年代生まれとされる。現在はアラウンド50歳となる計算である。 ガンダム、ジャンプアニメ、アニメ雑誌、ファミコン、ロリコンブーム… オタク文化が形成されていった80年代に多感な10代を過ごし、 学生時代にはオタクバッシングに晒されつつパソコン通信~インターネット黎明期を体験した。 オタク第1世代がオタクバッシングを引き起こしたことを反面教師にしたのか、 彼らは「自分は老害にはなりなくない」「私たちは新しい社会常識を受け入れられる」と思っていて、 最近ではポリコレなどに過剰適応して年下のオタクを攻撃している。 Twitterで論客をやっているようなリベラルをこじらせたオッサンはだいたいオタク第2世代ではないかと思う。 彼らが語る政治論のソースは銀英伝とパトレイバーである。 そして相変わらず「一見すると物知りそうだけど単に断言口調でデマを流しているだけの人」に弱い。 オタク第1世代を批判しつつも、どうしようもなくオタク第1世代的なものに憧れているのだ。 結果として、デマによわよわのくせに正義感で暴走する老害になってしまっている。 これからさらに10年後20年後、彼らが本当に老人となったときにどうなるか、想像するだに恐ろしい。 なお80年代生まれのオタク第3世代はエヴァと就職氷河期で精神をやられた弱者男性だらけで、 90年代生まれのオタク第4世代は深夜アニメとまとめサイトで育った嫌韓ネトウヨ世代なので、 オタクの未来は地獄である。 真のデジタルネイティブである2000年代生まれオタク第5世代に期待しよう。 https://anond.hatelabo.jp/20230407234853 【悲報】社会学者「1970年代生まれの『オタク第2世代』は害悪です。彼らは年下のオタクを攻撃し、政治を銀英伝とパトレイバーで語る」 [839150984] https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1680931430/ 社会の害悪そのものの社会学者様に名指しされましても 個人の書いたノートだから見たくない人はスルー 宮崎ハヤオが自分の父母について語ったインタビューの内容が載ってる https://note.com/stock_no_option/n/n444414fd0410 これによれば真人の父親はほぼハヤオの実父そのままらしい テーマは一貫して変わってないっていうのは同意だな 駿の作品は時間かかるだけでなくて 完成するまでに犠牲者が出過ぎる 押井はまだTVシリーズやらせとく分には きちんと納期も守るから駿よりマシ ただ、禿げを隠すために室内でも ニット帽被るのはダサいから止めて うる星やつらが再アニメされた事でやたら押井を持ち上げる勢力がいるが もうとっくに過去の人だろ 千葉繁によると、旧うる星やつらのメガネは 最初は台本も「生徒A」というモブキャラだったけど 千葉がアドリブでやりたい放題セリフ言ってたら たまたまプロデューサーが見てて面白く思ってくれて ラムをあたるから守るための親衛隊を作ろう という流れになってメインキャラになったそうだ でもセリフは相変わらず千葉がずっと アドリブかましまくってやったらしい こんなひどいことするのとかやめてほしいわ トラックの真似しても仕方ないので ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる