押井守 「イノセンス」を真面目に語るスレ
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画質も内容の濃さもぴかいちだろ。
ただ、前作の「劇場版攻殻機動隊」の続編だということを匂わせず、
あたかも独立した作品みたいに告知していたCMは功殻機動隊を知らなかった
俺からしては騙された、はめられたという気がしなくも無いが
見てるうちにだんだんこの作品の奥深さにはまった。 ジェームズキャメロンが宮崎映画の影響を受けまくっててたから押井的にはそれが一番ショックだったんじゃないかな。韓国映画のアジョシもまるで宮崎映画観てるような錯覚を覚えた。最後少女を抱き締める場面もカリ城みたいだった。 スカイクロラと共に最高の子守歌代わりで眠気を誘います。
静かな音楽と綺麗な情景の組み合わせはイイネ。 押井作品は余計な
説明が多いから好き嫌いが大きく分かれる アニメ監督佐倉大(北久保弘之)氏による、
アニメージュ/イノセンス/ジブリに関する裏話(ジブリの声優がアレな理由など)
ttp://togetter.com/li/374120
>>209
結局押井が自分の犬を出したかっただけの映画だよね 少佐ってさ、コンピュータウイルスになっちゃたのかね?
だってさ、脳核がなかったら電脳だけじゃん >>204-205
それはさすがに全然違うと思う。
人間の機械化に否定的な映画ではないよ。
冒頭の文章について、押井は最初に結論を持ってきたと言っている。
「われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」
また、機械化は必然であり、そもそも人間自体が機械であり
肉体に特別な価値などない。自分もこれからどんどん機械化して
サイボーグになりたいと押井は発言している。
(劇中でも何度も強調されている)
その極まった状態が素子で、
ようは愛情なんて思い入れの問題だから、機械だろうと、データが相手だろうと関係ない。
なんでも同じだし、想いさえ持てればそれでいいんだ。その気持ちは本物だ。
っていうことを言いたい映画だよ。
肉体が尊いとか人間らしくあらねばとか
そういう考えをぶっ潰すために作ってる。
なのに、肉体が大切みたいなメッセージを勝手に生成してしまったということは
204さんにそれだけ強固な思い込み
(そういう説教がほしいという気持ち)があるってことで、
そのような映画として自分の人生に使うのは、まあ構わないんだけどさ。 この後、空手初めてにわか肉体派に転向ですよ
>>そういう考えをぶっ潰すために作ってる
ここまで主張してはつくってないよ、押井は意図的にそういうのは避けるよ コンピュータウイルスになっちゃった素子と
ちょっとは脳核が残ってるかもしれないバトーの愛の物語でしょ
俺はそう理解した たしかにオレいいすぎた。
映画は、事実と仮説を積み上げたあと、
最後の価値判断はお客さんに任せているよね。
ただ、「こうあらねばならない」みたいな良識的な押し付けは
あの映画とは反するってことだけは言いたかった。
どちらかというと、どうであってもいいんだよっていう
多様性を認めて楽になる方向だと思う。
近作だとAVALONも、ゲームへの逃避を否定しない
それも立派な情熱だっていう姿勢だった。
たぶん、押井が学校の先生みたいなお節介
「こうしてみたらどう?」を言ったのは、
スカイクロラの最後のモノローグが唯一で、あれが精一杯なんだろうと思う。
立派に生きろみたいなことを、とにかく言わない、
若者のプレッシャーになるのを避ける作風は
宮崎駿と正反対の部分だと感じる。
「命令も強制も嫌い」だからなのか。
あるいは「映画館は行き場の無い人間が来る場所だったし、それでいい」
という、押井自身の映画観が関係しているんだろうか。 >>225
基本的に、人間は愚かしいものだという出発点だからなー
生きてるだけで愚かなことは一通りやっちゃうものだ
伝説の中で作られた、英雄や偉人たちの水準では生きられん >>225
むしろ作風は真逆だよね。押井作品から受ける印象は価値の多様性の否定だし表現の幅を狭めてる。だから押井作品を観てる時は物凄い窮屈だし何かにがんじがらめにされてるような気分になる。押井自身が正しいとする物以外は全否定されて魂が解放されない その匂いというか空気が映像から流れ出してくるんだよな
押井監督の作品が好きな(俺も含めて)やつらはそこがいいって感じてるんじゃないかね
押しつけがましいと取れるし妥協しないとも取れる >>221
押井がテクノロジーの進歩を全肯定し盲信してるなら何故あんなにも登場人物が揃いも揃って全員不幸を絵に描いたような辛気臭い不機嫌そうな死人みたいな顔してんだ?押井が思い描く理想の世界なら幸せの絶頂みたいなキャラがいても良いと思うんだが 極論すぎ
ゼロか1のどっちかなんてことはだれも言ってない
そう受け取っている時点で先入観にどっぷりつかってる 押井は、作中でこうあるべきだっていうような主張はしないからね
バトーは、意識だけの存在になった素子を守護天使と呼びつつ、
ラストでは、肉体をもつ犬を大事に抱えている
本音では、素子に肉体を持ってほしいと思っているわけだが、
それが本当に正しい考えなのか迷いがある
迷いがあると辛気臭くなる
迷いがないと活き活きとする(素子とか犬とか・・・価値観の両極)
そういういくつかの価値観を提示して、
答えは主張せずに観客に考えさせるのが、押井の作風でしょ むしろトグサの娘が抱えている人形を見つめるバトーの胸中が気になるところだがな アイボってロボット犬の玩具が発売された時物凄い薄気味悪さを感じた。年間50万頭もの犬猫を殺処分しながらロボット犬を愛でる歪さ。人間にとって都合の悪い物は処分される。人間もいずれアイボにとって変わる。押井はそういう世界を容認してるわけだろ? 親にとって都合の良い子供。夜泣きもせずオシメの交換もいらずだだもこねずたとえ置き去りにしようが殴ろうが蹴ろうが一切文句を言わない。それ以外の子供は淘汰される社会。都合の良いペットに都合の良い親に都合の良い恋人。 >>232
久々に少佐と共闘して、ハッスルした後だけに
なんか物悲しい気持ちなんじゃね?
ネットにアクセスしたときは、いつも側にいるって、なんだよそれ
離れていても心と心は繋がっているから、それでいいわよねーってことかよ
心だけかよ
だいたい、人形も人間になりたくなかったって言っただろうって、意味分かんねぇ
俺も被害者の女の子、怒鳴っちゃったけどさ、その言いぐさはないよな
自分こそ、人形に自分の一部を書き込んで乗っ取っていたじゃん
マジ、勝手な奴だよ
女ってみんな勝手だよ
寂しくて犬抱っこしている俺の気持ちも分かってくれっていうの、ホント
なに、この人形
うざっ
こっち見んな
みたいな感じだと思う >>229
人間の機械化は、単に当然そうなるってだけのことで
それが幸せに繋がってるわけじゃないだろう。
生身だろうがサイボーグだろうが、生きるのは辛いことである。
使える技術は全部使うが、これといって進展は無いし、問題も解決されない。
科学を用いた人間が、過去の人間より幸せかどうかは怪しい。
しかし、人間は欲望のために使える技術は必ず全部使っちゃう。
それは「当然そうなる」し、「それを咎めることに何の意味もない」。
科学的な愛が幸せなわけではない。
今後必ず、愛は科学的になるのであり、それは原始的な愛と何も変わらない。
当たり前のことを当たり前として肯定していると思う。
それは現在の我々の話でもある。
愛の対象が犬でも人形でも、メールだけの相手でも、
もう死んじゃった相手(記憶の中の情報だけの相手)でも、
単なるプログラムや擬似人格が相手でも同じこと。
人間を愛するのだって、結局それらと変わらないんだから。
愛する人を喪って辛い現実を生きるバトーにとって、
そんな想いの価値を確認できたことは小さな(でも確かな)救いだったと思う。 〜愛もまた科学的であってはいけないいわれがありましょうか。
とあるが、科学を理解できるのも自らの意思で利用するのも開発できるのも「大人」だけなんだよな。
なら赤子や子供(カオスって言ってたっけ)を育てるうえでは、科学的な愛ばかりではいけないような気がする。
科学的な愛かそうでない原始的な愛、二つの違いによって子供に与える影響も違うと仮にみなすなら。
最近スマフォをいじりながら子供に接する若い親を見たんだ。子供はどうみているのかなって。
科学的と原始的愛この二つを明確に分けて使用方法を考える必要があるんじゃないだろうか。 ‘’何か(スマホ)をしながら子供に接する若い親”なんて大昔からいるだろう >>231
つまり平たく言うなら自分の意見を持ってないとも言える これも面白さの点では最低ランクの映画だな。
こんなの作るから惜しいは干されるんだよ。
そんで他人の作品酷評するとかw >>241
押井監督としては、
脳と体は、切り離せるものではなく、どちらも相互に依存し合って、自己同一性が生まれる
現代の多くの人は、自分自身とは脳の中の意識だと思っているようだが、それは間違いである
脳と体どちらがその人の本質か、(本来不可分なのだが)あえて選べと言うならば、むしろ体の方が重要である
だから、自分は空手をやって、体を鍛えているんだ、エッヘン
みたいに思っているらしいよ 心身二元論でなく一元論ということか
ネットする限りで身の必要性は無いかもしれないが、自我保全のために実体は必要だよ。
ということか
どういうことか誰か説明してくれ >>242
基本的に探偵物、バディムービー、犯人追跡劇の体なんだけど
そういう作品て、見えない犯人にいつ襲われるか、邂逅するかっていう緊迫感を常に保持しないと続かないのに
北端以降そこを放棄しちゃってるんだよな。ヤクザの事務所辺りまではその予感がまだあるから面白い
結局明確な犯人が居る話ではなく、企業の犯罪なんだけど
そういう話なら体制対体制規模の話にしないと盛り上がるわけがない
なんのための「攻殻機動隊」なんだと。話が進むにつれて「犯人」が不明確になるのに
捜査はどんどん小規模、内面に向かっていくのが、結果的に娯楽性を著しく損なってるよね
まあそういう映画にしたかったわけじゃないし、作品としてちゃんと成立してはいると思うけど
もう少し観客を楽しませるような趣向があっても良かったと思う 久しぶりに観たらなかなか面白かった
でもこれ今からたかだか19年後の話なんだよな バトーを仮に40歳とするなら今年ちょうど成人式を迎えたくらいなんだよな
俺たちと同じようにWBCやサッカーのワールドカップに熱狂したり警察学校通いながらAKBやももクロに夢中になってたり少佐も幼稚園に通いながら芦田愛菜に憧れで子役スターを夢見てたりしてさ いや、少佐はすでに全身義体
6歳で飛行機事故に遭って今8歳のはず
血のにじむようなリハビリをやってるところだろう なるほど
子役スターを夢見るが事故により挫折
病床でリハビリに励みながらテレビで観た女だてらに奮闘するイモトアヤコの勇姿に勇気づけられ笑いのとれるアスリートとしてパラリンピックを目指すがサイボーグの出場は認められず二度目の挫折 目標を見失い自暴自棄になった素子はひょんな事から町のチンピラと傷害事件を引き起こしてしまうがその時その場に偶然居合わせ助けてくれたのが荒巻であり現在に至るとそんな感じか 芦田愛菜は順調にキャリアを重ね着実にスターダムをのし上がって行く
一方自分はと言うと実写ですらない三流のアニメ監督のオナニー映画で訳のわからない台詞を言わされるのが関の山
同じ時代に生まれながら何故こうも違うのかと
それが素子失踪の一番の原因だろうね 素子の突然の失踪により脚本の変更を余儀なくされる押井と混乱を極める制作現場
それに付き合わされる公安9課の面々
とんだ食わせもんだぜ糞ビッチめ
こうなるって分かってたら一発やっとくんだったぜ!
それぞれが不満を抱えながら完成したのがイノセンスだったのだろう その頃素子は夜の繁華街でドすけべサラリーマンに股ぐらを晒すマッチ売りの少女として日銭を稼ぐ毎日を送っていた
芦田愛菜はまだ良かったの
問題はその後出てきた剛力とかいうブス女よ
あんなブスには次々と大きい役が来るのに何でアタシには三流アニメの仕事しか来ないのよ! でも一番腹立たしいのはあの押井って変態よ
アイツは最初からアタシを女としてしか見ていなかった
キャメロンに紹介する事を餌にアタシの体を散々オモチャにしたの
海外で有名とか言うのもきっと全部大嘘ね
あぁ本当ムカつくわ!
あっはい
マッチ一本三千円になります 押井は何故リアルな人間の似姿のキャラクターを好むのか
押井にとってアニメのキャラクターとは人形そのものではないのか
押井にとって映画を作るという行為は人形ゴッコの延長ではないのか 多分押井くらい映画を自覚的に作る監督はいない
大友克洋などは単にリアルな絵が好きなだけでその為にアニメを利用してるだけで何故アニメでなければならないのかと言った事まで考えた事もないし全くの無自覚
故にアニメ技術の表面的な表現に終始するのみで映画になってない >>257
キャラクターのリアル化でわかりやすいのは、パトレイバー1
OVAからキャラをリアルに変えて(製作会社も)、パトファンに不評だったが
押井監督は、OVAのキャラではストーリーが成立しないから変更したそうだ。 パト1はリアル化というより普通に作画の品質を上げた感じだと思ってた
初めて2を見たときは誰こいつ状態で笑ったけど >>OVAからキャラをリアルに変えて
2の絵柄ならわからんでもないが、別に最初のやつはリアルってわけでもないよ。
ほうれい線描いたからってリアルになるわけでもない、あの時代なんか流行ったというだけ。 一瞬面白く思えたりしばらくするとやっぱり物凄くつまらなく思えたり一応話は理解出来るんだけどじゃあ何を描いてたのかって冷静に考えると何にも残ってない
意味ありげな台詞と圧倒的な映像技術だけが表層を流れて行っただけ
心揺さぶられる物が何もなかった 今後、何年先を見据えてるのか分からないけど、この先制作されるであろう
アニメ作品をけん引していくレベルの作品を目指したとは思うんだけど…。
もちろん興行的には失敗しただろうけど、アニメ業界の映像表現や技術的な
指針にはなってるんじゃないかと・・・。
たぶんやろうと思えば娯楽アニメ映画として評価の高い劇パト1と
同レベルのものは出来るんだろうけど、周囲の目がアニメ作家としての
深化とアニメ映画の進化を期待されてると思うから同じようなものは
作れないだろうし・・・。
むしろ同じ事をしないのは、その手の娯楽アニメ映画は後進に任せてるじゃ
ないかと思ってみたり・・・。
面白くないって声も理解出来るんだけど、84年のナウシカとマクロスと
うる星が同じ年に上映されてしまう、そんな競演が今の若手監督に出来るのかと
小一時間ry
アニメ業界には必要だから制作したって思えば、結構色んな視点で見ることが
出来て面白いよ>イノセンス >>アニメ業界の映像表現や技術的な指針
無駄にかねかけて、余計なことばかりしてるからなってないよ、
CGのベースはその前にスタッフが多くが同じなメトロポリスだったりするし。 >>211
俺もそう思う。説教はしたいのかもしれないけど、
少なくとも駿ほど押井は今の若者とか、若者の現状みたいなのに否定的ではない気がする。 いまさら見た。
原作の大テーマ「身体の拡張は精神をも拡張させる」が前提にあって、
原作1は高次の身体を手に入れたら、精神も高次に至ることができるかも。って話。
イノセンスはサイボーグの体に入った時点から、精神の異形化は始まっている。
って話なんかな?
ラストあたりのは
・人形になりたくなかった少女 → 異形化の拒絶(=ヒトらしさ)
・人形になってしまった少女(=第五段階)(=素子) → 異形化の受け入れ。
・心情的に人形になりかけてることに気づくバトー → とまどい・迷い
・人形側だって、ヒトにされるとしたら拒絶するはず。
→ 異形化への拒絶感は変化に怯えてるだけ。ヒトらしくある=尊いとかじゃない。
・人形を抱く人間、イヌを抱く人形の相似から何かを感じ取るバトー
→ 人形であるという自己認識の受け入れ?
てなところじゃろか。 ニコ生 攻殻機動隊ARISE」座談会 (05_31) が始まる前での押井インタビューだと
イノセンスについて
・人間の体って何だろうというシンプルなテーマだった と言ってる。
(やたら難しい映画にされてしまった(本人の責任)) 268みたいに原作と押井の映画とは一緒にせず、切り離して考えた方が
いいと思うけどなぁ、押井は自分のやりたい事をつっこんでるだけだから、
一緒に考えると何かすごいこと表現してるような感じになっちゃうw
それありきで評価されてるから仕方ないんだけど。
異形化とか何かわからんし、押井は高次の精神なんて信じてないと思う んーどうなんだろ。
やりたい事をつっこんでるだけってのも頷ける部分あるけど、
骨子部分のポイントの押さえ方がえらい的確なんだよね。
完全に別々ってのもまた違う気がする。
まるで原作者が自ら書いたような「らしさ」があるから、ARISEと
同じように原作者のアイデアがベースにあって、そこに押井監督が
肉付けしまくり…みたいな形なんかな? わかりやすくいうと、押井は電脳とかにまるで興味がない、学生のころは光瀬とかに
会いにいったりしてるくらいだから、上の世代のSFオンチとかではなくて、
脳が機械と完全にリンクしてつながるという設定にリアリティを感じてない。
そこに思うとこあればもっとパトレイバーみたいにもっと愚痴と薀蓄たれてるはず、
最近の科学成果でネタにできそうな話はいくらでもあるが、
興味ないので身体論くらいにしかならない。
そういう押井に立花隆とかがインタビューしてるというのは受ける押井もたちが悪いw 人体機械論とか語っている
立花隆×押井守 NHK「プレミアム10」 - SCI(サイ) - digitalmuseum
http://sci.digitalmuseum.jp/project/gis/premium10/ 正直イノセンスの世界には全くリアリティーを感じない
人体が機械化される時代がきたとしても多分極普通に受け入れていくもんだよ
押井はテクノロジーの進歩に悲観的過ぎる 結局コレって雰囲気映画でしょ?
ブレードランナーは言わずもがな
チャイナタウンにエンジェルハートにセブンとかの雰囲気をごちゃ混ぜにしてでっち上げた感じ わしは両目が眼内レンズだ
神経に障るところまでは手術していない。 高校の時に倫理を真面目に受講していて良かったと思ったのがこの映画を見たときだw
とりあえず聖書(旧約・新訳ともに)とスッタニパータとミルトンの失楽園は
予め読解しておかないとだめぽ そういう勘違い野郎が観て喜ぶ厨くさい美大生の卒業制作アニメ 経済特区のシーンが好きだな
NARUTOに似たような忍者のさとが出てくるけどオマージュなのかな スカイクロラ観て思った事があります。
押井監督の作品って攻殻あっての面白さじゃないんですかね。
スカイクロラの良さ・内容が解ってないと言われればそうかもしれませんが、原作の設定が細かくて「読んでて楽しい」ものを、監督が映像かしてる。
技術とか演出とか秀でてるのは十二分に解りますが、監督は攻殻無かったら おもしろい作品出せないんじゃないんですかね?
マークはしておきますけど。 久々に見てみた
最初の飛行機の視点?のハングルや漢語が飛び交うシーンでもう、ウッと思ったけど
OPでひたすら訳の分からん球体関節人形の映像が流れ続けるのでウンザリした
出てくるキャラがみんな小難しい言い回しで哲学ごっこしてるし なんか今更ながら見てみた。
押井はたぶん2001年宇宙の旅に相当影響受けてきたんじゃないかな?
見ていて悪くはないんだけど、どうせなら突き抜けてほしかったと思う。ギリギリのところで金というか興行を意識しちゃってる感じがするわ。
そんなもん一切気にせず作ってほしいね。その辺が宮崎との格の違いなんだと思う。
宮崎は突き抜けちゃってるからね。
押井は変に興行を意識しちゃって色気出すから、それが見ていてイライラさせられる。
スカイ・クロラなんてあれは最低な映画だと思ったもん。興行にもなりきれない、独りよがりにも成りきれない。何のために作ったのかわからん映画に感じたよ。
特にあのキルドレという設定がすげー微妙だし、キャラクターもつまんないし。ストーリーもつまんないしで。イノセンスのが全然面白い。 押井はどっちの意味でも色気づいたもの目指してたと思うけど、
IGのカリスマアニメーターが徹底的に色気を抜いちゃったからねw この人名前は2chとかで時々見るけど、この人の作品は一つも見たことないな。 蝠城。梧署襍キ縺励※繧九□縺代〒縺薙l縺梧ュ」縺励>縺ィ縺九§繧・↑縺・s縺繧医↑縲∵款莠穂ス懷刀縺」縺ヲ縲�
縺溘□縲√ユ繝シ繝槭r霈峨○繧九Ο繧ア繝シ繧キ繝ァ繝ウ縺檎樟螳溷庄閭ス縺ェ霑第悴譚・縺」縺ヲ縺縺代□縺励∽ス輔°繧呈・縺鈴≠縺呈・髟キ縺励◆縲∵─蜍輔r荳弱∴縺溘�
縺ィ縺九〒繧ゅ↑縺・°繧牙・ス縺ソ縺ッ蛻・繧後k縺繧阪≧縺ェ縲� 最初は映画館でみてつまんないと思ったけど
気がついたらDVD買って定期的に見てる
昔と違って今は面白い 問題提起してるだけなんだよ、この人の作品は。背景が予測可能な近未来が
多いというのも特徴だな。
悩みから解き放たれるとか、結ばれるとか、打ち勝つとかはないから感動して
泣くようなことにはならない。
好みはわかれるだろうな、俺はすごい監督だと思ってるけど。 前作は海外でヒットして高評価だったのが強みだったのにイノセンスは海外でも酷評だったからな もう10年前か・・・
劇場でみたんだが、一回見ただけではよく分からなかった。
DVD買って、ようやく話しの概要は分かった。
CGも見た時はすごいと思ったけど、
いまじゃゲームのムービーレベルだね。 絵を描く参考にと昔買ったコンプリートブックっての引っ張りだして見てたんだが改めて思い返すと糞アニメだったなって印象に落ち着くんだよな
魅力的なキャラクターが一人も出てこないっていうのと全部借り物のパッチワークでしか作ってない
表面だけ技術の粋を尽くして凝りまくってるけど中身スカスカ
出てくる登場人物がことごとく魂の脱け殻みたいな辛気臭い顔して理屈っぽい台詞を並べ立てるだけ
一番の問題はこのシリーズを通してゴーストって言葉が繰り返し出てくるけど結局それが何なのかが全くわからないし押井自身もたいして重要とも思ってないらしいことがありありとわかる
作品で言ってる問題提起らしきものも全く現実感が感じられない
それとセクサロイドにしろ少女にしろ全員ブス
こんな不細工な人形に大金はたく人間がいるとは思えない
トグサの娘とか田村亮子みたいな顔してんだよ
セクサロイドが自壊するってってどういうこと?
最初からそういう機能が備わってるようにしか見えないんだよね >>ゴースト
イノセンス自体を擁護するきなんか全然ないけど、
それがとらえきれんというならもう原作読めとしか言えんわな。 >>299
ゴーストがあれば人間
精巧なAIアンドロイドもゴーストが無ければ、ただの機械人形 という扱い
原作からの設定だから文句言っても意味無いよ ゴーストって表面意識や深層意識でもわからない一番古い脳に存在するDNAだと思う。
つまり生存本能的な。視覚や聴覚、文語、記憶分野等はチップ等で十分代用できるが。
だから機械でも自らの存在を長きにわたり存命していくシステムが
できればゴーストやどったといえるんじゃないか。まあ、それが物理的なものか
意識的なものだけ(ネット)になるかは別にして。 行けよ、ポイントマン、後ろは俺が固める。昔のようにな。 >>一番古い脳に存在するDNA
いってる意味がわかってると思えんのだが。
古い脳とは何?小脳のとか間脳とかのこと?そこに存在する
デオキシリボ核酸が大脳に存在するデオキシリボ核酸と何が違うんだという、
突っ込むのも寒いことになるんだが。
そこらのオカルト領域は士郎が欄外で語ってるからそっち読めばいいよ。 あの館を砲撃した巡洋艦、砲塔の旋回間違えてることないかw
艦橋寄りの砲塔は後ろからまわらにゃならんだろうに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています