【いいものをいいサービスで】昭和の全日本プロレス103【第一家庭電器】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 【夏の主役】昭和の全日本プロレス36【ミルマスカラス】
【国際血盟軍】昭和の全日本プロレス37【C・ハリケーンズ】
【B・テラー】昭和の全日本プロレス38【M・アサシン】
【M・ルーイン】昭和の全日本プロレス39【K・イヤウケア】
【百田義浩】昭和の全日本プロレス40【原軍治仲田龍】
【プロレス観戦の記念に】昭和の全日本プロレス41【ご家庭へのお土産に】
【ジム・デュラン】昭和の全日本プロレス42【バック・ロブレイ】
【アラビアの怪人】昭和の全日本プロレス43【インドの狂える猛虎】
【リングの中ジャイアント馬場です】昭和の全日本プロレス44【控え室ジャイアント馬場です】
【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】
【チャンピオン】昭和の全日本プロレス47【カーニバル】
【マシンガン】昭和の全日本プロレス48【チャイニーズカンフー】
【バーンガニア】昭和の全日本プロレス49【ハーリーレイス】
【新春】昭和の全日本プロレス50【バトルロイヤル】
【ボブ・ガイゲル】昭和の全日本プロレス51【ジム・バーネット】
【ジ・アステロイド】昭和の全日本プロレス52【ジ・アベンジャー】
【ウルトラセブン】昭和の全日本プロレス53【マジックドラゴン】
【ナショナル レスリングアライアンス】昭和の全日本プロレス54【パシフィック レスリングフェデレーション】
【スーパースター】昭和の全日本プロレス55【カリフォルニアハッスル】
【ローリング・ドリーマー】昭和の全日本プロレス56【J】
【オリンピア】昭和の全日本プロレス57【カクトウギのテーマ】
【福ノ島】昭和の全日本プロレス58【琴天山】
【キャピトル東急】昭和の全日本プロレス59【オリガミ】
【六本木インターナショナルビル】昭和の全日本プロレス60【世田谷砧道場】
【馬場元子】昭和の全日本プロレス61【ジャイアント・サービス】
【オープン選手権】昭和の全日本プロレス62【世界オープンタッグ選手権】
【輪島大士】昭和の全日本プロレス63【ディックスレーター】
【松根社長】昭和の全日本プロレス64【佐藤昭雄】
【デビッドフォンエリック】昭和の全日本プロレス65【ジェイヤングブラッド】
【サンライズ】昭和の全日本プロレス66【移民の歌】
【昨日付で解雇しました】昭和の全日本プロレス67【いい選手ではあったけども】 【ロッキー羽田】昭和の全日本プロレス68【ミスター林】
【ザ・デストロイヤー】昭和の全日本プロレス69【覆面10番勝負】
【大熊元司】昭和の全日本プロレス70【グレート小鹿】
【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
【あーやめてもらいたいこれは!】昭和の全日本プロレス72【アイドルがやられます!】
【ダブルアーム フロント】昭和の全日本プロレス73【サイド ジャーマン】
【ニックボックウインクル】昭和の全日本プロレス74【ジャックブリスコ】
【ジャイアント馬場くんを】昭和の全日本プロレス75【ますますテレさすスレ】
【スーパーアイドル】昭和の全日本プロレス76【ブラックパワー】
【スピニングトーホールド】昭和の全日本プロレス77【ローリングクレイドル】
【ファンク一家】昭和の全日本プロレス78【テッド・デビアス】
【吹けよ風】昭和の全日本プロレス79【呼べよ嵐】
【世界最強タッグ】昭和の全日本プロレス80【決定リーグ戦】
【新春ジャイアント】昭和の全日本プロレス81【シリーズ】
【馬場の頑張り】昭和の全日本プロレス82【本当に涙が出ます!】
【エキサイトシリーズ】昭和の全日本プロレス83【EXCITE SERIES】
【東洋の巨人】昭和の全日本プロレス84【若大将】
【風雲昇り龍】昭和の全日本プロレス85【流浪のヒットマン】
【グランド】昭和の全日本プロレス86【チャンピオンカーニバル】
【竹山祐一】昭和の全日本プロレス87【読売テレビ実況アナ】
【脳天唐竹割り】昭和の全日本プロレス87【河津落とし】 (実質88)
【スーパーパワーシリーズ】昭和の全日本プロレス89【SUPER POWER SERIES】
【世界最強タッグ決定リーグ戦リマッチ】昭和の全日本プロレス90【賞金$100,000争奪戦】
【サマーアクションシリーズ】昭和の全日本プロレス91【SUMMER ACTION SERIES】
【若手三羽烏】昭和の全日本プロレス92【渕正信 大仁田厚 園田一治】
【日プロ崩壊 合流組】昭和の全日本プロレス93【松岡巌鉄 ミツ・ヒライ 伊藤正男 他6名】
【サマーアクション】昭和の全日本プロレス94【シリーズ2】
【国際崩壊即合流】昭和の全日本プロレス95【マイティ井上 米村天心 菅原伸義 冬木弘道】
【馬場対上田】昭和の全日本プロレス96【二人の採点をしたら62対57で馬場選手なんです】 【創立〇周年記念】昭和の全日本プロレス97【ジャイアントシリーズ】
【まだわかりません!】昭和の全日本プロレス98【まだどっちが強いのかわかりません!】
【ブルーアイドソウル】昭和の全日本プロレス99【プロレスインハワイ】
【世界最強タッグ決定リーグ戦】昭和の全日本プロレス100【夢の対決】
【74新春NWAチャンピオンシリーズ】昭和の全日本プロレス101【75沖縄国際海洋博覧会協賛新春シリーズ】
前スレ
【ラジャ・ライオン】昭和の全日本プロレス102【トムマギー】
https://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1612527649/ プレイガールにマイティ井上の元嫁西尾三枝子が出演しているけど何か微妙・・・ スレタイ知らないけどググると70年代80年代に沢山流れたCMみたいだね
プロレス中継の合間にこういうCMが流れてたのか
https://youtu.be/C-jhu0UHTTw
こういうテレビショッピングだったのか
https://youtu.be/inAbLC__Iks
テレビショッピングだったら自分が土曜19時時代の日本文化センターみたいに思い出になるのもわかるな >>6
全日中継が土曜夕方になったばかりの頃の、メインスポンサーが第一家庭電器だった。
でも首都圏だけじゃなかったかな?全国規模の企業ではなかったような記憶がある。 サンクス、俺は地方民&土曜トップスペシャルから見てたんで知らないだけかも ちなみに>>6の下の動画に出てくる男の方が北野英二という当時いたタレントで、
「欽ちゃんのどこまでやるの」の「いつものアナウンサー」というキャラで出演していた。
このアナウンサーキャラの3代目だったかな?が「村の時間」の斉藤清六だった。 前スレ>>986
激動の1750日は見た。
プロレス界とアッチの業界って共通点が多くて、
どれだけ大義を唱えようと、割って出た方がダメになるんだよね。
放り出された人間が一から立ち上げた場合はそこそこ成立するんだけど、
親の顔に泥を塗った形の団体は予後がよくない。 天龍同盟時代に天龍原のサイン会に行ったことがあるが凄いピリピリした感じで怖かった
極道とは結びつかなかったが任侠映画の主役をやるような役者みたいな色気を感じてたね >>10
>どれだけ大義を唱えようと、割って出た方がダメになるんだよね
見ててくれたのは話が通りやすくて素直にうれしい
割って出た方というのはパッと思い浮かぶだけで何人もいるけど
あの長州が一番の代表例だよね、二度も大儀があったわけで…二度ともダメになった
大義の筋が通ってるか否かは別として、プロレス界にも神様みたいなのがいるんじゃないか?というバカ単純な思考はしたことがある
それが「親の顔に泥塗り」を基準とした神様というか…
実質に放り出されて成功した例は、猪木と大仁田かな…思い浮かぶのは。 レスラー馬場としては独立は失敗だったかもな
年齢とか関係なく内容的にもステイタス的にも
どう見比べても明らかに日プロ時代のほうが上だし
ただし経営者として富を独占できる点ではよかったんだろう >>5
マイティにそういう嫁を娶れるだけのステータスがあったってことでしょ。
地上波TV中継のついてた団体のエース経験者なんだし。
>>13
本人もそう思ってたんだろうね。
日テレが独立画策しない限り、本人も踏み切らなかったと思うよ。
「俺は日プロより日テレに恩があるから」とも言ってたし。 馬場の独立に追従した佐藤昭雄に「馬場なんてステーキ食って葉巻吸ってるだけだぞ」
と腐した先輩は誰なんだろう?高千穂さんかな 前スレで四天王プロレスをダメにしたのは渕とか言ってる人がいたけど盛り上がってた頃のマッチメイカーは渕なんだよな
チャンピオンカーニバルがキツいとか言って渕をマッチメイカーから引き摺り下ろして小川をパートナーにしたりした三沢が四天王プロレスをダメにした >>12-14
残った方が潰れた数少ない例が日本プロレス
あれはそれだけ残りカスしかいなかったって事だろうね
馬場自身も「一レスラーでいた方が遥かに楽だった」と言っていた
一レスラーだった時はグダグダ不満を言っていたレスラーも
自分が人を束ねる立場になると馬場や猪木の凄さが分かるって話がある
あの一癖もある我儘な連中を纏めて団体を存続させるために働いて
配下のレスラー達に飯を食わせ続ける
それがどれだけ大変なことか >>12
姐が出張って組織が割れたのは、全日も菱形も同じだな。
>>17
馬場は日プロを裏切った形だが、本尊の力道山家を引き込めたので正統後継者になれた。
総裁の承認を得た四代目稲川会と似た構図。
ノアは馬場家と絶縁の道を選んだから、一時は業界のリーダー格になったものの
一和会と同じような末路を辿ってる。
ただ一和会とは違いノアは存続してるだけ大したものだが。 >>17
>あの一癖もある我儘な連中を纏めて団体を存続させるために働いて
>配下のレスラー達に飯を食わせ続ける
>それがどれだけ大変なことか
前田は「そういう意味で、俺が知ってる一番すごいレスラーは何といっても
アントニオ猪木だ。それと、そばで見てないから実感はないけど、
馬場さんも同じくらい凄いってことはわかる」って言ってたな。 政党で言うならジャパンプロが新自由クラブ、SWSが新進党みたいな感じ 俺は北海道だったから、昭和の終わりは土曜の夜中放送(日曜だったかも)。
あと、刑事物なら特捜最前線と夜明けの刑事が好きだった。歳がバレるがw
太陽見てたのはロッキー殉職位迄。新八は見てた。金八はパート2のみ。その後の仙八は塾通いで見てなかった。
高校入ってからは新日見てた。 「太陽にほえろ」は小学生から夕方の再放送で観ていたが、山さん主演回は子どもには難しい話が多かったな。 >>21
「夜明けの刑事」と続編の「明日の刑事」はエンディングテーマが最高
北海道は土曜深夜から日曜の夜10時半に移行したね
遅い時間帯の放送が「ガキ向けじゃない」という背伸びしたい中高生への
好イメージにつながる怪我の功名があった >>12
レスラーは皆、お山の大将になりたがるが・・・
藤波はそれが十分にわかっていたから無我の立ち上げに躊躇しているうちに西村が
我慢出来ずに離脱して追っかけで新日を離脱、経営のために興行数を減らすとそれに
不満を持ち既に無我の商標登録までしていた西村が「脱北」と言って離脱・・・
>>17
馬場が社長をやっていてやっと満足感が出たのは四天王プロレスに頃だった。
日テレからの借財を完済して念願の新道場まで建設できた。ノアを三沢と立ち上げた
仲田アナも後年に「元子さんの気持ちがわかる・・・」と団体運営の苦労を吐露していた
が言うべきじゃなかったかも・・・天龍もWARでホテルを定期利用して割引きして
もらったして一見、客が入っても団体運営の大変さ話していた。前田は前田なりに
どうやれば団体運営がうまく行くかと絶えず考えて苦労していた話もあった。 前田もUWFはともかく
リングスはWOWOWがついて
もはや地上波新規獲得が望めない当時としては考えられる最高のスタートだったけどね >>25
自分の認識してる史実が正しいのか、詳しくはわからないけど
元々はWOWOWはUWF丸ごとで放映予定だったのに
分列後、前田一人になってもよく放映に踏み切ったと思う
同じUWFでも、第一次の時は「猪木もタイガーも長州も来ないんじゃ放映はムリ」といったフジとえらい違いだ…
まあ地上波とCS放映との違いもあるんだろうけど…
それ考えると、豪華外人がセットとはいえ馬場一人で日テレが独立させたのは凄いな
前田一人になっても放映を得た前田の商品価値も大きいが
時代が違うとはいえ、馬場の当時の商品価値の大きさってもの凄かったと思う
猪木も凄かったとは思うが、坂口という豪華なオマケがついてやっと獲得だからね。 >>24
今の時代に考えられる最低限の独立は
団体を持たず、低リスクのプロダクション制なんだろうけど
あれだけ知名度もあって、北斗が出張って宣伝してた健介オフィスですら結局はうまくいかなかったからなあ…
藤波は団体内ですらうまくいかなかった経験があるからね
ドラゴン・ボンバーズだったっけ?あれの苦い経験値があるし、あの長州ですら…と横目で見てるだろうし。 >>18
>馬場は日プロを裏切った形だが
あれはどう考えても「馬場が日プロを裏切った」のではなく
「日プロが日テレを裏切った」んじゃないの?
日テレ+三菱が散々やめろと警告していて、馬場本人も
そんなことやったら日テレに見限られると注進していた馬場のNET出演
取締役会で馬場以外の全員が賛成したとか正気の沙汰じゃないわ >>26
新日に参戦して藤波、二ールセン、アンドレ戦等と新生UWFの成功を経た前田は既に
初期UWF時の「若手中堅レスラー」では無く「新格闘王」として箔がついた前田は
それだけ群を抜いたカリスマ性と商品価値があった。リングス旗揚げに関しては
ハウンドドックのプロモーターの後押しが大きかったが自分以外のレスラーに離反されて
一人で旗揚げを決意するまでが人生で一番、キツい時間だったとトークショーで語っていた。
馬場に関しては日テレ社長の「力道山を継承するのは馬場」と方針が大きく日テレと
NET間で馬場の大争奪戦が繰り広げられた。馬場の獲得や奪回に成功するとそれぞれ
「G馬場、NETに登場!」とか「おまたせしましたG馬場、NTVに再登場!」と新聞広告まで
打っていた。日テレが日プロ中継を打ち切りNETが金八に乗り込むと「これから金曜八時の
プロレスはNETからお送りします!」と言う広告まであり週二回のプロレス中継でNETは
勝負をかけた。
レスラーとしては下り坂だったが「TVコンテンツとしては最大最後のモテ期」だった。 >>26
リングスも前田以外の日本人はショボく豪華外人というか知られざる格闘技の
未知の強豪が売りだったな
参戦したが対戦が実現しなかった佐竹はヘーシンクのポジか >>26
> 同じUWFでも、第一次の時は「猪木もタイガーも長州も来ないんじゃ放映はムリ」といったフジとえらい違いだ…
まだルーキーに過ぎなかった前田が看板じゃ当たり前話で全く比較にはならないだろ。 >>27
レスラーの数は限られてて皆直で知らなくても
誰かしらから辿ればアクセスは容易だし
まともにギャラの出る興行なんてネットで簡単に把握できる数なわけで
現在のプロレス業界自体がレスラーの規模も
団体や興行の規模も単純に小さすぎて
そこにプロダクションが介在する意味が無いんだよね 結局はスポンサー次第、当時新日本が良かったのも佐川急便の力が大きいんでしょ?あと地上波テレビ >>30
全日とリングス、馬場と前田は似ている
強豪外国人が売り
放送局が旗揚げをバックアップ
葉巻が大好き
一部の選手に嫌われている
前田は佐竹を馬場にとっての鶴田みたいなポジションに置こうとしてたのかななんて思ったり >>35
子飼いにめちゃくちゃ冷たい
女性パートナーがトラブルメーカー
も追加 >>35
佐竹は鶴田同様に体育会系じゃないタイプだったけど
上昇志向は強かったからその手はうまくいかなかったね
あと個人ではなく石井という剛腕がついてたし 元NWA会長のジム・クロケット・ジュニアさん死去
WWE公式サイトは3日(日本時間4日)、元NWA会長のジム・クロケット・ジュニアさんが3日に死去したと報じた。76歳だった。
死因などは明かされていないが、近年は腎臓と肝臓を患っていたという。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b89536d29eac8b35baa8f1aee8354dc250ac21f5 >>26
前スレの新間のインタビューだと新日初期は助っ人の豊登が客を集めてくれたんだそうだ
1980年頃のプロレス雑誌では「新日本プロレスは豊登の行方を捜しています」という
広告が良く載っていたがその頃の恩があったからかもね https://pbs.twimg.com/media/C5FBB_aUYAEzjhS.jpg
NWA王者になれたかもしれないのに、ビル・ワットとの渡世の義理を重んじ
クロケットジュニアとフレアーに掻っ攫われてしまったデビアス いやゆる「ダラ幹」呼ばれた人たち、芳の里、遠藤幸吉はTV中継の時の解説で
自分の世代(昭和50年以降からファン)でも生の声や姿に接する機会はあったが
吉村と豊登はその頃はもう伝聞だけの全く過去の人だったな。 >>24
いつも間違えられるけど四天王じゃなくて鶴田軍vs超世代軍の頃だよ
新道場建設が始まったのも92年初頭だし >>42
ハンセンが自伝でビル・ワットの事をボロクソに書いていた
「ブロディがプロモーターを敵視するようになったのはワットのせいだ」と
ワットは国際に来日した時の態度も最悪で「日本の会場は寒すぎる」と
Tシャツを着たままで試合をした
ワットの悪評は全団体に伝わってそれからは三団体ともワットを呼ばなくなったとか ワットは新日の第2回G1の時にNWA会長として来てなかったっけ? >>35
昭和全日→リングス→K1・プライド
外人天国の系譜は意外な形で継承されていたんだな
>>35
佐竹は映画出たり選挙出たり自己顕示欲が強いタイプだしね
武蔵に日本人NO.1の座奪われると同時にK1離脱したし、
石井館長抜きでも、前田がNo.2で支配下に置くのは無理だったのでは?
>>41
あんな有名な選手だったのに、引退した後の行方が全然わからなかったらしいね
やはり博打が原因で借金取りから身を隠していたんだろうか
>>42
>>46
ビル・ワットか。ターザン・タイラーとのコンビでインタタッグ奪ったり
選手としては実績あったんだけど、あまり評判は良くなかったね プロレスラーの欠場時の言い訳に、医師の診断書を
見せる、というものがありますが、あれは本物なのですか?
ジャパンプロレスの長州力(ガングリオン)とか大仁田(何針縫って入院)とか。
後の行動を見ていると、本当に病欠なのか?と疑うことが多いです。 診断書なんて、患者が「痛い」と言えば医師は書いてくれるだろ?
骨折のような診察で一発でわかる、明らかなケガだけじゃないわけだから。 町医者でも診断書を出せるからな、ジャパンプロレスを知ってるような中年にもなってそんなことも知らないのかw世間知らず過ぎるわ ゴマシオ「実は長州が足をやっちまった…天龍さんここはひとつ…」
天龍「わかった。それならこっちの診断書がいるな…」 日プロ乗っ取り騒動のときは、猪木がタイトル取られた後すぐに
急性尿道結石の診断で入院してたな >>41
新日旗揚げ戦でハプニング来場と現役復帰は名シーンだった。試合後のいたぶられる
豊登と小鉄を救出にかけつける猪木と言う名演出もあった。しかし事情はどうあれ
豊登来場とゴッチが数試合のみの出場とは言え二人が居なかった寂しい旗揚げ戦だったかもね。
>>46
国プロ時代の態度の悪さは伝わっていて紳士的に振る舞うと「今回はマナーが良かった。」
と言われていた。 ワットNWA会長してたんだ。
南部MSWAでラフファイター集めて荒い試合ばっかりやってた印象。 ワットのMSWAでブッカーを務めてたグリズリー・スミス(ジェーク・ザ・スネーク・ロバーツの父親)がS55年〜S56年に大剛に代わって国際のブッカーをしていた
国際が続いてスミスの伝手で本格的にMSWAと提携出来てたら面白くなっていたかも >>56
マードック同様ガチの人種差別主義者だったビル・ワットが副会長なのに
ロン・シモンズがWCW王者になれたのはアメリカンプロレス七不思議 >>58
MSWA、UWF時代から黒人レスラー重用してた。
ジャンクヤード・ドッグもワットの所で人気レスラーになった。
黒人の客が金落としてくれるからなんだろうね。 >>59
ペッツ・ワトレーが言っていたね
「ビル・ワットは黒人レスラーの使い方が上手かった
黒人のファンは黒人レスラーがいないと観に来ないことを理解していた」って
ぶっちゃけ黒人ファンがチケットを買ってくれるから
割り切ってシモンズを優遇していたって事だろうけど >>60
マクガーク時代のオクラホマからブッカーをしていてブロディのプロモーター不信の元凶でもある >>60
PYTエキスプレスもミッドサウスいたな。 ワットは国際に来日した時、札幌とかの試合では寒いからってTシャツ着て試合してたんだよね。 全日のバック・ロブレイみたいにTシャツもコスチュームと言い張ればよかったのに >>64
まだそういう時代じゃなかったからな
ワットは日本を舐めていたと言われる逸話で >>66
時代関係ない。
本国で着てないのに通用するわけないだろ。 >>67
別に擁護してるわけじゃない
そういう言い訳が通用する時代じゃないって言ってるだけ あと馬場が嫌って呼ばなかった代表格と呼ばれるのはドロモか https://pbs.twimg.com/media/AtdDij4CMAADo67.jpg
カブキさんだけ道着の下にTシャツ着ていた事を読者投稿コーナーで指摘されていた
寒いのが苦手なのかなカブキさん まあワットのTシャツでの試合って、日本人レスラーが所属団体のシャツやトレパン脱がずに試合するようなもんだしなw
ただ裸がユニホームという事でもないし、ライガーなんてあの恰好だ。。まあ昭和ならカルホーンやマクガイヤー兄弟のようなオーバーオール、
覆面のなんとかアサシンみたいな全身タイツ風とか。 新間が外人の二大人格者と呼んだハンセンが
ワットの事を最低のプロモーターとボロクソに言っているんだから
ナチュラルにアレな人なんだろう ハンセンがWCWに上がったのはワットが引いた後だったか >>72
ハンセンは新間の親友マクマホンのことも良く言ってなかった >>74
シェアスタジアムでのサンマルチノとの再戦での逸話は強烈だったな
まさにこれこそガチって感じで >>72
あの時代にはだいぶ減ってたとはいえまだ珍しくもなかった
典型的な米中南部の保守白人主義者だよね
大学フットボールのローカルスターから
当時の下層の娯楽であるプロレスラーになって
基本地元テリをあまり離れずにベビーエースをずっとやってきた人
メンタリティとしては例えば底辺工業高校の野球部で甲子園に出て地元では有名人
その後土建屋になって商才あって一儲けした中小企業の親父みたいなタイプ >>76
日本プロレス史に残るワットの最大の特筆はやはりBI砲のインタータッグ初獲得の相手という点かな
相棒のタイラーにとっても まあでも日本に来て警察の厄介になったり、ヤクザともめごとになるよりは
「おめーら嫌いなんよ」でさっさと帰ってくれるほうがいいかもなw >>78
ワットの最後の現役参加は国際の最後のTBSのシリーズだったか ワットについては自分を見出してくれたレロイ・マクガークを裏切って独立したってエピソードもあるね 1979年12月17日 マジソン・スクエア・ガーデン
▽WWFヘビー級選手権
ボブ・バックランド vs. ボビー・ダンカン
▽NWA世界ヘビー級選手権
ハーリー・レイス vs. ダスティ・ローデス
▽NWFヘビー級選手権
アントニオ猪木 vs. ザ・グレート・フセイン(アイアン・シーク)
▽藤波 辰巳 vs. ジョニー・リベラ
▽北米タッグ選手権
坂口征二、長州力 vs. バッドニュース・アレン・コージ、ジョージョー・アンドリュース
▽ハルク・ホーガン vs. テッド・デビアス
テレビ中継もされた大会場で失神KО負けを晒されたから
NWA世界王者になれなかったなんて事は無いだろう
レイスだってデビットフォンエリックにアイアンクローで失神させられてるし
やはり後ろ盾のクロケットジュニアとビルワットの政治力の差が原因かな >>81
当時のMSGでは、新日勢の試合はトイレタイムだったんだろうか。 新日とWWFの蜜月関係が急上昇の頃だな。
ホーガンはこの時がMSG初登場。ローカルレスラーからいよいよ表舞台への第一歩。 >▽ハルク・ホーガン vs. テッド・デビアス
この試合は昔見たことがあるけどすごくいい試合だった
日本では地味だったがデビアスって熱い試合ができたんだな ジョンテンタ対ホーガンも良かったよ、トップヒールの位置づけで悪に徹すれば花開くレスラーは多い 平成になるけど24時間後のプロレスクラシック無料だね。天龍ハンセン対鶴田小橋を小橋の解説付きで見れる
こういうの昭和のレスラー解説付きで見たいわ、今だとカブキ渕くらいしかいないけど(天龍は滑舌が) >>74>>75
デットリードライブの失敗という塩っぱい行為でMSのスーパースターに重傷を負わせた
ハンセンはレスラー失格の烙印を押されて業界から排除される事を覚悟するも入院中の
サンマルチノを見舞うと「気にするな!それよりこれから二人の対決でビックマネーを
稼ごうぜ!」と言われて安堵するも大事なチャンプを傷つけられたシニアはカンカンだった。
>>89
海外武者修行中のトラ・ヤツ時代に遠征中の鶴田が出遭って団体は違うが「長髪の谷津選
からか鶴田」と談笑している写真があった。杉山とも仲は悪くなかったからアマレス出身者
として同士的な繋がりあったのかな? >>91
シニアからギャラを提示される時に壁越しにラッドが妥協するな粘れって声を掛けてたってのも凄い
とにかくハンセンにとってワンマッチで稼いだ最高額はこの時だったらしい ハンセンはサンマルチノから
「ビンス(シニア)は全てのレスラーをボーイズとしか思っていない
勿論私も含めてた」と言われたって話
サンマルチノ欠場の間はプトスキーとハンセンの抗争で客を集めて
プトスキーは「一番幸福な時期だった」と言っていたとか ビンスシニアがジュニアに会社を譲るとき
実は譲るではなく、売る。で息子に返させたというほど
冷徹だからなあ。
それがなければケーブルテレビで全米制覇なんてジュニアは
やらなかっただろうな。 >>94
クロケットもだがあの辺りの親子関係ってなかなかにシビアなんだよな >>88
イワン・プトスキー、ティト・サンタナ vs. スウェード・ハンセン、ビクター・リベラ
パット・パターソン vs. ドン・デヌーチ
ラリー・ズビスコ vs. ブルドック・ブラワー
マイク・グラハム vs. ジョニー・ロッズ
全十試合か 画質激悪だけど 😡👎"December 17, 1979 MSG"でググればもう少し綺麗な動画ある
試合もある。
https://youtu.be/rp8kFLYGehU >>68
> そういう言い訳が通用する時代じゃないって言ってるだけ
時代は関係ないって言ってんだよw
今だったら通用すると思ってんのか? 戦争した間柄だからな、いくら金の為とは言え遥か日本まで来て負け役なんかも
やるんだからな。地元のレスラーに花持たせないと業界だけど割り切らないと
出来ないしごとだな。
昔だったら外人レスラーが本国でTシャツ着てプロレスしてるかしてないか、観客は
わからないだろから通用したかもしれんね。それに今は服着てプロレスやるの
普通だしな。時代によって受け止め方は違うだろね。 平成元年だがこの時はオシャレイズムの後にカブキや渕のだらしない体を放送してたんだな
番組の最初だけでも若者主体のカードを出してたら女性ファンが増えたかも
ttps://i.imgur.com/C9OZxt0.jpg
ttps://i.imgur.com/0g6s3Jy.jpg 男性視聴者的にはエマニュエル夫人見終わってから世界タッグ戦たからちょうどいいけど
https://i.imgur.com/ujhCfMr.jpg >>101
> 昔だったら外人レスラーが本国でTシャツ着てプロレスしてるかしてないか、観客は
> わからないだろから通用したかもしれんね。
昔にそれをやって日本を舐めてるとビル・ワットは言われたわけだが。
> それに今は服着てプロレスやるの
> 普通だしな。時代によって受け止め方は違うだろね。
本国でも普段からそうなのかそうでないかで受け止め方は変わるだろ。 >>104
ワットは本国でも評判悪いしな。どちらかと言うと業界的に評判悪かったんじゃないの。
当時は本国でTシャツ着てプロレスしてたかどうかわからないだろ。
昔から着衣でプロレスしてたレスラーなんていくらでも居ただろ、巨漢系に多かったけど。 >>98 >スウェード・ハンセン
リザルトにもあるようにオレはやっぱハンソン(Hanson)なんだよな。
小学館「プロレス入門」で「泥棒タッグ」リップホーク&スウェードハンソンとして見た記憶が固まってる。
83年第4回MSGタッグのアンドレ組のことでいつも話題になるが違和感はずっとあるな。。w >>100
今ならそういうのにあれこれうるさくないからな >>105
> 当時は本国でTシャツ着てプロレスしてたかどうかわからないだろ。
それでも日本を舐めてると言われたと>>104で言ったんだけど。
何度同じことを言わせるんだよw >>98
>>106
>スウェード・ハンセン
この名前を見ると、ハンセン(もちろんスタンの方)が全日移籍して
しばらくたった後、ワープロの番組欄に「S・ハンセン」と書かれていたのを
思い出す。
チャンネルあわせたら、出てきたのはもちろんスタンではなかったけどw >>107
本国でTシャツ着たまま試合してないのに
日本に来た時だけ着たままだったらやっぱり舐めてると言われるだろ。 ビルワットは団体と自分の借金もろともクロケットJrに売却、身軽に
クロケットはビルワットの団体買ったはいいが赤字がひどく、団体傾く原因のひとつに >>103
日曜夕方、テレ東以外の局は格闘技&スポーツに統一されてるのが興味深い
NHK総合は大相撲、NHK教育は高校野球、日テレはゴルフ、TBSはボクシング
そしてフジテレビは女子プロレス >>103
TBS3時半からの、杉谷満ってファイターズ杉谷拳士の父親だよな? >>112
本当だ昼に女子プロやってるね
でも試合よりバラエティ色をつけた構成に見える。先にやってた土曜夕方の新日本の中継を意識したのかも、全日本はまったく変わらないが 他の番組見直したら日曜洋画劇場全部エロかったw >>102
スポンサーには苦労したらしいけど視聴率は悪くなかったし良い枠をあててもらったんだな >>108
だからそれは客がそう感じたか業界の人間がそう感じたかだろ。
ワットにとっても日本が大事って訳でもなかったろうしどうでも良い事だろ。 >>116
> だからそれは客がそう感じたか業界の人間がそう感じたかだろ。
当時はTシャツ着たまま試合したレスラーなんか日本ではいなかったから
どっちでも同じだろ。
> ワットにとっても日本が大事って訳でもなかったろうしどうでも良い事だろ。
どうでもいいことならレスして来るなよw >>117
その言い草はどうかと思うな
昨日からの流れのようだが、お前さんがほじくり返さなければとっくに終わっていた話だろう >>110
クールビズ普及の今の世の中でそこまで拘る人間の方が少なそう
もちろんファイト内容まで舐めた物だったら違うだろうが >>103
「アッコにおまかせ」って30年以上も前からやってるんだ…?
和田アキ子って飲んべえで有名だけど
土曜の昼前からラジオでも生放送やってるし
日の昼間にも番組抱えてるんじゃ、金曜夜と土曜夜は基本的に飲みに行けないよね
平日に飲んでるんだろうか? >>118
> 昨日からの流れのようだが、お前さんがほじくり返さなければとっくに終わっていた話だろう
じゃお前もほじくり返すなよw >>119
> クールビズ普及の今の世の中でそこまで拘る人間の方が少なそう
クールビズ?逆だろw 服着たまま話で思い出したが、馬場追善興行で嵐こと高木功がジャージで試合してた。
今回の興行のために昔の意識して作ったやつなんだろうけど、実際高木が在籍してたときのデザインはエメラルドグリーンだよな。
全日本はジャージのデザイン結構な頻度で変えてたね。 >>123
失踪した時は赤いジャージになってたと思う >>122
ネクタイを締めなきゃ不謹慎だって時代じゃないって事 >>123
コロナになった井上まさおの代役でかなり急に決まったからわざわざ作ってないと思う >>126
アポロって冬木より年齢が下なんだな、驚いた
ほぼ三沢や川田の世代なんだね、昭和だとまだまだ売りだす余地はあった年代じゃん… 冬木とアポロのデータが逆になってるのね
いい加減なもんだなぁ >>103
TBSで夕方にやってるボクシングの挑戦者の杉谷満は
日ハムの杉谷拳士の父親 >>125
時と場合によっては今だって不謹慎だし
根本的にはクールビズ関係ない。 >>126
冬木の写真、寝転がってるところじゃないのか? https://pbs.twimg.com/media/EgXAqUYU0AAvBlP.jpg
改名する前からアポロと呼ばれていた菅原
ヒゲ剃ったくらいでアイドルって顔じゃないだろターザン >>137
ラジオで菅原がゲストで出演した時
「リングネームの由来は?」と質問さた答えが
「パンフレット等でアポロと形容されてたので、使わせてもらいました」
改名前から呼ばれてたというより、呼ばれてたから改名したって感じだね
ちなみ改名した事は自身が希望したらしい
ジャパンが来た時からだから、何か期するものがあったんかもね。
皮肉にもジャパンやハリケーンズによって契約解除されてしまうが… >>138
自分もここで昨日のことのように昭和プロレスをよく語るが、余裕で30余年前からの話なんだよなw
佐山タイガーやハンセン引き抜きとかもう40年前の事。
とりわけ21世紀(00年)になってからさらに月日が経つのが早いな。。(´・ω・`) >>141
平成だが今日は全日本最後のNWA戦が行われた日
次のシリーズで三冠統一だっただけにこの日こそが全日本における昭和最後の日だった印象も >>143
>全日本最後のNWA戦が行われた日
1989年に最後、5年前には想像もできなかったと思う、なんせ鶴田がAWA王者になった時期…
振り返るに1984年はホーガンが王者になり、WWFが全米の侵攻開始
前年の1983年は夏に新日のクーデター騒動→その流れで大塚新日プロ興行が派生
その新日興行(ジャパン)が結果的に全日と提携→維新軍離脱→全日リング登場
WWFの勢いは止まらず、これも結果的に新日と提携解消
ジャパンが丸二年の全日主戦場により、NWA戦メインでは中規模会場に留まる
ジャパンが離脱後、影響を受けた天龍革命が開始→1989年3月の時点では二年弱の期間活性化させる
こうやって振り返ると、あくまで自分目線であるけど
馬場というか、全日は運が良かったと思ってしまう。
新日クーデターが起ころうが関係なくWWFの侵攻ははじまっただろうし
そうすればNWA戦やAWA戦、これが主軸のだった全日は遅かれ早かれダメージを受ける
新日クーデターの流れは上記の通りで新日がガタガタになっただけでなく、全日の日本人対決の流れも生んだ
ジャパンの二年と天龍革命の計三年→これにより後の超世代や四天王で全日は完全に違う路線で波に乗れた
クーデターもなく、相変わらずNWA主軸でいったなら1989年頃はどうなっていただろうか…
ジャパンが来なければブロデイは離脱しなかったかもだが、他の外人がWWFに移籍して豪華外人路線は頭打ちになってたはず…
豪華外人も来ない40歳の鶴田天龍が中心…タイガー経験しない三沢は下手すると海外から帰ってこないパターン?
ジャパンも来ない、天龍革命もない、WWFに流出以外の残った外人路線で、
鶴田天龍三沢が迎え撃つパターンだけで全日は大丈夫だっただろうか… >>123
この前脳ベルプロレスリングっつう番組で
天龍が80年代前半ごろの全日ジャージを
小橋は90年代前半ごろの全日ジャージを着て
番組に出演してたわ >>144
同時にNWAに遠慮する必要もなくなったんだよな
そして三冠ベルトを日プロ時代の馬場全盛期のインター王座みたいな絶対権威に押し立てていくわけで NWAの権威に負けないものがほしかった→新日はIWGPを作った
NWAの価値が下がり代わりが必要になった→全日は三冠を統一した
両団体の看板王座誕生も、NWAがあったからこその発想だよな >>147
>NWAの権威に負けないものがほしかった→新日はIWGPを作った
→パワーズから買い取ったNWFでは権威が足りなかったということか
>NWAの価値が下がり代わりが必要になった→全日は三冠を統一した
→王座が統一されてもベルトは3本のままというのが全日らしいね
PWFのベルトなんかボロボロで、ちゃんと修理しろよとか見てて思ったけど フレアーも王者として何度も来日してる割りに、外国人の挑戦受けたのは少なかったな。テリー、リッキー、ブロディ、レイス、マーテルだけか。
ドリー、ハンセン、デビアス、シン、マスカラスとかとの試合も観たかった。 >>150
この日もそうだけど、最近のGスピのNWA特集のやつ
歴代のキールのカードを見て、ディック・ザ・ブルーザーがずっと主要カードにラインナップされてるのは驚いた
古いフィルム(それも白黒)など馬場の事を「若造!」扱いする時代のレスラーだからね
80年代初頭でもトップクラス…日本でいえば50代で三冠&IWGPを巻き、バリバリだった天龍みたいなもんかな? >>148
新日の場合は
猪木がNWFに飽きてきたというところだろう >>145
いま受注販売されてる全日本プロレスのレプリカジャージだな
天龍が81年バージョンで小橋が89年バージョン。 >>147
三冠はむしろ馬場時代のインターだろうな
ある意味では力道山死後に様々に分派したインターの再統合とも言える >>144
それ以前でも運が良いと言うか新日が引き抜きを仕掛けてくれたのは
全日にはおいしかった
ハンセン、シン、チャボ他⇔ブッチャー、マードック、戸口他
誰が見たって全日の方が大幅に得したからな >>155
単に抜いたというだけでなく体質改善に結び付けたというのも大きかった >>137
その後に佐藤から童顔を隠すためにひげ面、個性を出すために肩かけショルダータイツ
へに変身させられた。
>>144
SWSの時も向こうの旗揚げ戦までに体制を立て直す事ができた。ター山が提案した
三沢の底上げも竹内氏が反対するも大成功した。仲田アナはこの事を終生、感謝していた。
>>145
前回は通訳代わりで出た木原アナが全員に弄られていたw
番組のオープニングで田中リングナが口上したりして芸が細かい番組だった。
>>152
売り物だった格闘技戦も相手を探すのも困難なりアリ戦でできたテレ朝への借財も返済の
目処が立ったので新たな話題作りが必要だった。ただIWGPに備えての全ベルト封印は
営業サイドの大塚氏は反対していた・・・ >>157
誰が提案しようが決断したのはあくまで馬場なんだよな
後にはターザンですら反対した秋山の大抜擢すらやってのけるし
それにしても一番恩に着るべき三沢こそがターザンの口出しを一番嫌ったというのも皮肉 >>150
アメリカではブロディの方がベビーフェイスで
しかも人気あったよ。 >>157
ゴング竹内宏介は三沢格上げに反対したとすると竹内は何ならOKだったんですかね >>160
武道館のシングル勝利が嫌だったんじゃない?あのシングル勝利以外はそんなに嫌ってないと思う
翌年のタッグで田上のだらしなさを理由でギブアップ勝ちした頃に初勝利して欲しかったとか >>160
90年6月、三沢が鶴田に勝った武道館大会をユーチューブで見ると「これは三沢チャンスですよ〜」と連呼してるが、あの勝ちブックには反対だったんだね。 >>145
川野良子アナ何気にエッチそうで好きだな >>162
オコーナーがロジャースにNWA王座を渡した試合がモデルだという記事もあったな
とにかくその帳尻合わせに9月の再戦では怪物ファイトで叩きのめしているが >>150
しかしチケットの値段が一番高い席で10$って安価だな。当時のレートなら2500円くらいか。
日本ならもう大試合でリングサイド10000円が相場だった頃にな。
いかに当時のアメリカンプロレスが高額な木戸銭を取るに値しない、低俗な見世物、
よく言えば大衆演劇だったということかな。 >>167
大津となればやはり馬場最後のNWA陥落 天龍谷津の三冠も大津じゃなかった?ハコデカいのかな >>167
それでも月2回もある定期戦でフルハウスにすれば
メインは日本円で150万ももらえるんだから、低俗といっても収入は立派なジャンルでしょ
年間で24回メイン、まあ大げさにしろフレアーは300万×12で3600万円
それ以外に多忙なサーキットの収入を考えると、1億前後はいったんじゃないかな?
同時期の日本のプロ野球では最高給が山本浩の8500万とか、調べたら書いてあった… 連レス失礼
フレアーが1億とかなんとか書いた矢先に、ブリスコがNWAタイトルを1週間だけ落とすのに
日本円で7000万前後ももらった話、馬場本に書いてあったな。
フレアーの王者時代より10年近く前の時代、たった数試合でそれだけ払う馬場全日…景気が良すぎるなあ… >>171
というかそれだけ当時の危機感が大きかったという印象 >>160
竹内さんは三沢では小さすぎるとの理由で押してたのは田上。
この件で三沢を押した週刊プロレスとターザンが馬場の信頼を得て参謀格の地位をゴング竹内氏から奪うことに成功。
それでもテレビの解説者は竹内さんのままで新参者のターザンはビデオの解説のみ。表向きの格付けは決して変えないのが馬場らしい。 大津のフレアーVSブロディて当時の雑誌に掲載された?
月刊プロレスとデラプロ買ってたけど載って無かった気がする。
ゴングには載ったのかな? >>177
P.N.ニュース
初期スティーブ・オースチンのライバル >>175
ビッグレスラーに載ってたな
それもなぜかタイトル戦扱いになってたわ >>173
代わりに田上を鶴田と組ませて竹内の顔も立てた感じかな
確か世界タッグを取った試合の解説もやってたし >>179
凄いな…100キロ越えの大男たちが複数もこんな狭い板の上で、こんな高さで…
ただ登るだけじゃない、いちおうファイトするわけだから…
当のレスラーだけでなく、主催者も万が一の事故を考えないのかね?
事故が起こったらどう見ても世論は「あんな巨体であんな事をやらせる方が悪い」ってなるぞ? >>169
そっちは滋賀県立
あと皇子が丘では鶴田・ガニア対ブッチャー・ルーインも >>178
>>179
THANKS! 全く知らんかったアンタ等詳しすぎw >>169
馬場3度目のNWA陥落やフレアーvsブロディが行われた
皇子が丘公園体育館はよくわからんが、
天龍vs谷津が行われた滋賀県立体育館は横浜文体並みのキャパ。
ただ全日の大津優遇はここまでで、90年代は1回しか来なかった。 >>177>>178
PNニュースは、ジ・アバランチャって名前で新日に来てたよ。
たしかビシャス・ウォリアーと一緒だから平成元年か 滋賀の人は大阪府立は行かないけど滋賀県立や大津市だと行こうとかあるのかな
転勤で新橋勤務の時に千葉の津田沼に住んでたが後楽園も横浜文体もカード次第だったわ、片道30分600円違うが乗り換え楽だし、滋賀なら新快速で速そう 今日は鶴田の十番勝負開始とマシオ駒の死去から四十五周年 >>188
大阪に通勤通学してなけりゃ電車賃往復で2000円以上掛かるから躊躇するだろ >>158
全日リング内外の状況、ファンのニーズの分析し仲田アナ、和田レフェリー、週プロの
ター山&市瀬記者が協議して「ご提案」と言う形で馬場に進言する。馬場はプライドが
高いので厳しい直言は逆効果だったのでかなり気を遣ったらしい・・・ >>192
馬場も馬鹿ではないからその辺は全て承知の上でわざと乗っていたというのが真相だろうな
気になるのはその一員だった仲田がNOAHではどのような立場にいたのかだが >>175
大津のシングルはただのシングルマッチで実はNWA戦じゃない!って言ってた人いたね >>118
お前がほじくり返してきたんだろうが、大昔の話をな。
日本なんて敗戦国なんだし戦勝国からバカにされてむしろ当たり前だろ。 皇子ケ丘公園体育館は新幹線に乗っていると見える。
交通の便がいいんじゃないかな。見た感じ地方の「普通の」体育館だね。
見るたびに、ここで馬場がキンタマ打ったのか…と感慨に浸る。 >>175
別ゴンの83年7月号にカラーグラビアで掲載されていたが、NWA防衛戦となっていた記憶がある。 皇子が丘、駅から近いのか。
地方都市の体育館って陸上競技場や野球場併設する運動公園の一角だったりするから、駅から遠いイメージがある。
テレビ中継よくやってた松戸運動公園とか歩けないことはないが最寄駅から遠かった。 >>192
馬場は「ブルドックスvsマレンコ兄弟」がファンに大好評な意味が理解できず
「もうオレの感覚では今のファンをつかみきれない、色々と教えてくれ」
そんな感じでマッチメ−カーを委託するようになった、という話って本当なのかな?
佐藤ぐらいの提示するカードや推しなら、馬場の形容範囲だったのかもしれないが。 >>199
ブルドッグスvsマレンコ兄弟のテレビ解説もいつも以上に素っ気なかったよね。
レスラーは大きいことが有利だとしつこく力説したり、スミスがキーロックをリフトしても「ジョナサンだったらこんなもんじゃない」と水差したり。
レジェンド企画でジョナサンが来日してたから気を遣ったのかもしれないが。 あの試合は俺も理解出来ず当時の武藤とUWFをミックスした感じで見てた
体型含めた格好良さと関節技やスープレックスの綺麗さの品評会プラス意地の張り合いで、選手同士の攻防のためにワザとお腹に肉を残す全日本スタイルとは対極だから馬場がわからないのもしょうがない
というか試合内容より格好良さや技の綺麗さを重視する新日本スタイルが俺にはわからんw90年代からは新日本も試合内容レベルが上がったから俺も好きで見てたが >>194
>>197
NWA防衛戦だったか?ノンタイトルのはずだけど
大津のフレアーvsブロディは当時神戸在住の中学生で観に行きたかったんだけど結局断念した
NWA世界戦だったら親に金借りても観に行ったよ。 ブロディ戦の後に蔵前で鶴田が挑戦することになっていたからノンタイトルだよ。 >>204
三年目にしてようやく蔵前メインのフレアーと鶴田のNWA戦
やはり一本目のバックドロップのインパクトが凄い >>202
いや、ノンタイトルなのに、記事ではタイトルマッチと書かれていたという意味ね。 国際がよくやったみたいに、地方でノーテレだからタイトルマッチのコールをしたかもしんない。 >>204
倉持アナが試合前に「今回フレアーへの挑戦はNWA本部からの指示によりジャンボ鶴田だけです。」とアナウンスしていたと思う。 > 選手同士の攻防のためにワザとお腹に肉を残す全日本スタイル
レスラーの体型にはもちろんケガをしないためや受け身を大きく取るため
筋肉の上にある程度脂肪も付けるってはあるけど
だからといってこれはあまりにも身びいきが過ぎる手前味噌な解釈だろw いや、小橋がウォリアーズに刺激されて腹筋割れる体にしたら馬場に厳しく叱られたという話があるのよ >>208
あの時の蔵前決戦はまさにNWA対IWGPだったんだよな >>211
あの蔵前は六日後だからね
でもIWGPに食われるかと思ったが、どうしてどうして良く入ってたと思う
どちらかといえば、翌年のIWGPの方に全日は興行的にはやられたと思う
前年は未参加だった長州が出場したのが大きかったのかな?
あとそれを読んでか全日は最終戦に蔵前を使わずに、後楽園や実質的には川崎市体育館だったはず。
IWGPに対抗するのがシン上田ではどうしょうもないよね… >>212
前半に田園コロシアム大会があったね
ケリー対鶴田のNWAタイトルマッチ
レイス対フレアーのシングル2大カード 腰回りが太い奴のほうが本当の力があるんだと諭したんだよ >>207
流石に世界タイトルマッチのコールはやってないと思うけど
フレアーがNWA世界ベルトを巻いてリングに上がりレフェリーに渡したので
何となくNWA世界選手権試合に見えたのかもなw ここ数年はどの団体も有明コロシアムを使わなくなったけどまだあるよね… フレアーがケリーに勝った試合、国内で外国人同士によるNWA王座移動は初めてだった? >>218
横須賀でケリー対フレアー
船橋でフレアー対レイス
のNWAタイトルマッチやったんだよね… >>212
しかもハンセンやファンクス抜きでだったからな
ブロディのパイルドライバーがすっぽ抜けた時は猪木に続いて馬場もかとヒャッとなった >>219
ケリー対レイスのNWA戦もやって欲しかった ジャパンとの対抗戦の石川対小林を見て
全日本好きな俺は大技出し合って盛り上がりがピークの時に腕十字をやって客席をシーンとさせた小林が下手で石川は上手い選手だと思うが
新日本ファンは小林の顔とシェイプアップした体系スピードを評価し、石川は顔と体系で批判する >>213
そうか田コロを忘れてた、観戦したのに…
あの日の田コロは入ってなかったよ、カード的にそりゃ無理だよね…
しかしAWA王者転落後とはいえ、王者のまま田コロを迎える可能性もあったんだから
あの入りは寂しい限り、鶴田の動員力が何も変わってなかったという事になる
逆に三か月後の田コロは三倍ぐらい違ってたな、メンバーもハンセンブロデイに二代目タイガーのデビューだからね
鶴龍はあの日は空気なカード、完全に脇役だったな。 >>220
猪木がああいう形で終わったから、新日ファン・全日ファンとか関係なく
純粋にプロレスを楽しみたいという来場者が多く感じた
ヤジでも「猪木のためにも王者になったれ」「鶴田!ここで獲らなきゃ男じゃないぞ」
とにかく猪木KO負けにからんだヤジや歓声がすごく多かった印象、新日ファンも多く来てたように感じた。
鶴田が1本先取した時はいけるかも?と思ったんだけどね
でも四の字で延々と時間を食うに従い、周りが「1−0だとどうなんだ?」「鶴田が逃げ切れば王者だぞ!」
そんな感じでザワザワしてたのは良く覚えてる、自分も子供だったし、周りの大人も純粋な人達だったw >>221
ケリーがフレアーに敗れなかったらレイスとの防衛戦だった。
レイスが先に挑戦していたらどんな結果になっていたか気になるね。
レイスに防衛、フレアーにはやはり敗れるのか? >>223
田コロでやった唯一のNWA戦なんだよな
三代王者にとっても唯一の田コロで三ヶ月後のファンクスやブロディにとっても同様 >>227
レイス・フレアー・ケリーで三代連続
同じパターンは十年前のドリー・レイス・ブリスコ以来でどっちにもレイスが入ってるのも注目 >>228
マネージャーでテリーも一緒で大会後に問題のカムバック宣言 https://pbs.twimg.com/media/D7GmzcoUEAAk24M.jpg
鶴田もそうだけど、レイスもケリーもフレアーも、日本での観客動員力は
ハンセンに劣ると証明されてしまった ケリーの戴冠は、本来デビッドが獲る予定だったのが急逝してしまったので、ダラスでの追悼大会に花を添える意味でケリーに短期間のレンタルをした感じなんだろうかな
なのでしっかりフレアーに戻ったことを本国でもわかるように、ノーテレビの船橋でなくテレビマッチの横須賀で移動ということか >>231
今日はちょうど鶴田のNWAへの最後の挑戦日
場所はインタータッグ奪還とAWA防衛の舞台でもあった郡山 >>223
ジャパンプロレスの前身新日本プロレス興行の興行だったのも大きいかも。チケットかなり捌いたんだろうね。
本来新日本がやる予定で押さえていたのを全日本にチェンジしたんだよね。
元々馬場は大塚はじめとする新日本の営業力を目の上のタンコブと思っていたから、自分とこに引き入れてしてやったりと思ったことだろう。 >>232
横須賀は日本本土で一番アメリカに近い土地でもあるし >>234
大塚いじめをしておいて全日本に走るとなって急に慌てる新日本の虫の良さ
後には馳でも繰り返すが ケリーvs鶴田ってなぜかあまりピンとこなかったよね。
まだケリーと天龍の方がしっくりきた 当時の天龍には荷が重すぎるだろうな
前シリーズに裸足で参加してたのに大阪大会しかテレビに映らなかったケリー相手に田コロのメインはキツいだろう >>237
仙台でのミズーリ王座戦か
UN挑戦は変更されたがまさかその後にNWA王者になるとは驚いた >>232
80年代後半にNWA中心にしたハイライトのビデオがレンタルにあって見たんだけど、フレアーがケリーから奪回する横須賀の試合も入ってた。
素材が日テレの映像、実況そのまんま。日本版のビデオも出てたけど当時は権利関係緩かったのかな。 >>240
横須賀では後に外人同士の世界タッグとアジアタッグを同時にやったりもしてるんだよな ケリーといえば、ミズーリ王座を石川相手に防衛線を行うという微妙な行為が印象深い
石川の地元山形大会だからだと後に知ったが >>231
NWA王者という付加価値を除いたら
レイスやフレアーの値打ちはかなり下がる
レイスはUNもPWFも獲ってるけど
それでも国内の大きな会場でストーリーを組んで商売できるレベルではなかった >>219
どっちも翌年のウォリアーズ初来日のほうがずっと入ってたな。 >>244
80年代前半の全日のタイトル戦のビッグマッチは
フレアー・レイス・ニック、そのものを見に行くというより
馬場や鶴田が「日本人王者になる瞬間、歴史の証人になるかも?」という理由の方が大きかった気がする
もしくは「本場でしか見られない、世界最高峰の権威の試合」が日本で見れるというのが優先順位で
レスラー単体のお目当て感は少なかったかもしれないね…
だからといって誰でも王者なら良いというわけではなく、リッチが王者で蔵前でやったとしても不入りだっただろうし
前述したケリーが王者でも田コロは不入りだったわけで…まずタイトルありきでも同時に風格なども備えてるという前提ではあるけれど。
逆にハンセンやブロディはタイトル保持は関係なく、単体のお目当て感が強い感じ
だからこそ皮肉にもハンセンがAWA王者になっても、動員力がさらに増したというわけではない。
鶴田の悲劇、というか誤算だったのはAWA王者になっても動員力が増せなかったこと…
ケリーとの田コロの不入り、夏の蔵前ではセミでマーテルに挑戦という始末、いくらメインが馬場ハンセンとはいえ… >>245
ウォリアーズの初登場が船橋だったんだよね
浜口のやられっぷりが良かった >>245
ウォリアーズの初登場が船橋だったんだよね
浜口のやられっぷりが良かった 映像で見ると大阪の鶴田VSロビンソンとか客入り結構良いんだよな
試合運びがすっかり粗雑になったボロ風車相手の防衛戦でも集客出来たのは何でだろ? >>250
多分それだ。レイスがドリーからNWA奪取する試合のハイライトも入ってたよね。 83年7月のテリーVSシンの時は満員だった気がする。
ジャパン軍が参戦した最初のシリーズの大阪大会も満員だったと思う。 >>224
>四の字で延々と時間を食うに従い、周りが「1−0だとどうなんだ?」
>「鶴田が逃げ切れば王者だぞ!」そんな感じでザワザワしてたのは良く覚えてる
>自分も子供だったし、周りの大人も純粋な人達だったw
本当か? おれも見に行ってたけどそんなイノセントな人はいなかったと思うよ。
NWA戦なら2ピンフォールじゃないとルールは全日ファンならみんな知ってるはず。 >>205
ボルコフ、ブロディ、フレアーくらわしたバックドロップはまさに「ヘソで投げる」と
言うテーズのバックドロップのスピードとタイミングと高さに近づいた頃だった。
特にボルコフ戦は重いので高さは無かったが高速ジャーマンのようなスピードだった。
専門誌の投書でもこのバックドロップを「スローなプロレスにしてくれ!」の全日
らしくないと賞賛していた。
>>212
タイトルマッチ戦と最強タッグリマッチ、テリーさよならシリーズに挟んで大盛況
間違い無しのWGPとの直接対決をと言う避けたグラチャンカーニバルPART2だった。
ギャラが高いのはブロディ、特別参加のフレアーくらいだった。佐藤はセミのブロディ
戦を「力強いレスラー馬場の最後の姿」とコメントしていた。確かに場外まで追い回す
大攻勢でのちのハンセン戦ではこんな勇姿もうは見られなかった・・・
>>224
この田園コロシアムと翌年の長州対天龍初対決の大阪城ホールがジャパンで一番の
観客動員だった。
>>240
この頃の権利関係はまだそれほどうるさくなかったかも。それとも日テレ系のVAPの発売
だったのかな?スターウォーズは日本公開が全米公開後の一年後になりそれでアメリカで
発行されたSW関連の雑誌や書籍類等を無許可で使って宣伝に流用したが今ではダメ。
テレビ探偵団で力道山対キングコングを流そうとした力道山の遺族は日本いるから許可
は取れるがキングコングは本人どころか家族も所在不明で放映を断念した。 >>252
特に会場が静かだったのが82年ジャイアントシリーズ
鶴田対ブロディ以外は普通のカードで客席が全然沸いてなかった
ブロディ以外がボルコフ、ドリームマシーン、ゲレロ、ジョーあたりしかいなかったし… テリー引退絡みと超世代時代は満員だったよね、超世代時代は大阪勤務だったから毎回行って凄い熱気だった、ジャパン時代の満員は初耳、鶴田対長州も満員じゃなかったはず あくまでも主催者発表だけど、大阪城ホールでは全日本&ジャパンは新日本に観客動員で大きく差つけれてたな。鶴田対長州も発表で9000人だった気がする。
1985年、1986年、ジャパン主催、全日本主催で大阪城ホールでやたらに興行打ってるんだよね。
あれだけ頻繁にやってたらお得感が薄まるだろうな。
大塚社長は山一抗争の影響を受けたとか言ってたけど、同じ時期に新日本はそこそこ客入れてたからな。
営業の面で裏社会の人たちの協力を得られなかったと暗に言ってるのかもしれないが。 長州VS鶴田は府立だったら満員になってたのか?
当時の発表数だと微妙な気がするが。 >>256
88年チャンピオンカーニバルの空前のガラガラも印象的。 >>258
あくまでも府立の代替会場だからカードも城ホール向けでは無かったもんな
長州vs鶴田の時はそれなりのカードだったけど >>260
86年府立改装後の一発目のガラガラも印象的。
輪島と長州の絡みが飛んで鶴田対リッチが
メイン。 府立も文体も端の方は見づらいからね、満員になりにくいというのもある >>254
まあ言い訳じゃないが、蔵前の密集した二階だし、せいぜい声が聞こえるのは10人もいないぐらい
それに当時は自分は小学生の低学年、周りは大人といっても高校生とかそのあたりだったかも?
でも間違いなく「このまま60分いったらどうなる?逃げ切り?奪取?」的なザワメキは本当だったよ。
今思うとアレだが、鶴田がこれ以上攻めてフレアーに返し技でやられたら1-1になってタイトル奪取は絶望的だから
「時間切れまでダラダラやれー」って願ってたのも事実… 大阪と名古屋は全日中継変な時間に変更がはやかったのが >>261
まあ勝手にというか…
馳に関しては現実的な問題として例のバックドロップの件もあったし
(予後異常なしでも頭部の故障は基本危険が付いてくる)
議員との二足のわらじでスケジュールや体調の問題もあったろう
なにより馳自身が自民党内で森の文教族ラインで
思いの外早く取り立てられていったのが
団体側からすると逆の意味で扱い難しかったんだと思う
恐らく「タレント議員」として当初引っ張られたところ
思いの外“デキる”やつだったので
将来的には森の不肖の息子の旗振り役あたりまで考えられてたんじゃないか?
(その後不肖過ぎてこれ自体が無(亡)くなったがw)
それゆえレスラーとしては40半ばでパートタイム的にリングに上がられても
議員センセイにわざわざ登場してもらって
今更前座や中堅、噛ませのような踏み台役やらすわけにもいかんし…というかんじだったのでは?
当然そこには党や周囲(スポンサー、後援会、母校など)から
「本気でこの先も政治の世界でやっていくつもりならそろそろ〜」って働きかけが
当人へはもちろん団体や局にもあったろうしね 名古屋は全日本プロレス中継日曜昼12時から放送してたのが結構しっくり来てた。 >>267
そもそも出馬前からフロント面も含めて力を持ち過ぎてしまい長州の権力を脅かしたという説も >>265
すまなかった、まさか当時の小学生とは思わなかった。
おれはその時もうひねた学生だったから。
だいたい40分を越えてくると1−1でも1−0でもあるいは0−0でも
タイムアップの結末を想定するよね。
そんな感じで試合も半分を過ぎたあたりでこの試合は
1−0だな、勝ちはしたが王座を獲れないバージョンか、と思ったよ。 >>270
いえいえ、もしあと10年経ってても同じような感覚は変わらなかったと思うので…
なんせ新日の10.9武藤vs高田でも武藤の勝利に狂喜したわけで、あの頃がちょうど成人した前後w
ただ、ひねてはいなかったけど…都合良すぎるジョー樋口の失神でタイトル移動しないパターンには小学生でも疑念を感じてた
でもそれも「樋口はNWA公認レフェリーだから、普段は馬場鶴田の味方でもあるけど、タイトル戦の時はNWA王者の味方なんだろう」
「たぶんNWA本部から指示されて、わざと失神防衛の流れなんだろうな…」
そういう悪徳レフェリーだと思ってた…w まあガキだろうと成人してようと脳内補正は良くも悪くもちゃんとしていたんで…。 NWAやWWFの世界戦は不透明決着を想定するよね、結果の期待値が低い
暴動があった新日本でもこういう不透明決着は許されてた印象 >>271
それだけに鶴田のインター初奪取でのタイミングは絶妙だった >>268
その前は金曜の深夜1時過ぎだったね。この時間じゃ子どもは見られない。家庭用ビデオも普及してない時代だし。 83年6月の蔵前、おれも生観戦したよ。
3本勝負で1本目にバックドロップからのフォールということで、
その時点で勝ちは無いと思ったな。
それでも4の字をかけられたところで、早いとこギブアップして3本目で
勝負しろって、おれも周囲の客もヤジってた。
ギブアップしないで時間を引き延ばす様子で、ああそういうことね、と。 >>275
一番自分がワクワクしたのはチャボへの井上の挑戦 渕ではチャボからベルト獲れないという空気が漂ってたよな
大仁田と同期なのに…マジックドラゴンにいたっては挑戦権すら
国際の元エースくらいじゃないとチャボの牙城は崩せないと あの6月の蔵前の時期、テリーの引退試合のカードは決まってたかな?
さすがに覚えてないけど、それか8月31日の蔵前が引退試合って発表されたころかな?
引退のカードは
@ファンクスvsハンセンブロディの因縁タッグ戦
➁テリーvsハンセン・ドリーvsブロディの二大シングル
このどちらかだと思ってたから、タッグでさらにゴディが入ってたのは残念無念だった
小学生でもテリーが有終の美を飾るためだと読んでしまったし…
まあ、今思えば鶴田エース路線と大注目のカードにゴディを混ぜて
長い目でゴディを外人エース候補の土台作り?と思えるけど。 テリーが引退試合で、超獣コンビのどちらかからフォール奪って勝ったらマズいだろ?
テリーは辞めていくレスラーで、二人は今後も客を呼ばないといけないレスラーなんだから。
引退試合はあのカードでいいんだよ、馬場もテリーは本当に引退すると信じていたんだし。 テリーが最初に引退を表明した時、誕生日の6月30日で引退するって言ってたっけそういや プロレスラーの引退は金になる。それを実践したのがテリーであり、プロモーターの馬場だった。
テリーの愛弟子だった大仁田が、その教えを何十年間も忠実にやり続けているのも凄いな。 >>279
そりゃまあ…その時の心情だからね
最強タッグ優勝戦で乱入されて、場外でKOされて
シングルでも押されっぱなしで、ロンバス乱入でまたラリアットで伸ばされて
リベンジの最強タッグもボコボコの無残な反則優勝…
引退前のシングルもブルロープで引き回されて
兄貴のドリーも息子が血を吐かされて、ピンフォール負けで最強タッグ優勝かっさわれて
さらにまたピンフォールでインター獲られて、最強タッグリマッチでも優勝されてさ、散々じゃん…
子供的には最後くらいは一矢報いてほしいと思ってた… >>275
当時も雑誌の投書で一本目に切り札を出してしまったのはミスだったと書かれていたね。馬場も3本勝負ではブリスコ戦とか切り札のフライング・ネック・ブリーカ−は3本目に出したことが引き合いに出されていた >>277
元IWA世界チャンピオンでガニアと引き分けた井上が
負けた後に手負い状態で、クイック勝ちとは
当時のチャボは確かに強かったけど、改めて振り返るとヘビーのブロディ並みだな。 >>287
チャボはジャーマン上手かったね
ノソッとしてスピード感は無いんだけど、きれいな弧を描いていた
渕に決めた時、渕がカウント2で返した時はかなり盛り上がったね チャボは大仁田とあたると体格負けしてる感じしたな。
少し扱い良過ぎ、過大評価気味だった。 >>258
大塚氏は新日時代に関西のドヤ街の安宿を取りそこに住んで最初は営業活動をしていたが
さすがに打ち合わせやチケット購入で来た人がビビる場所でイメージも悪いので
移転してそこの地区の一番いいホテルの一番安い部屋を借りた。ホテルだとロビーで
打ち合わせもできるから便利だった。関西に数年間住んで営業活動で培った人脈を生かして
全日の大阪城ホールを任された。でもやはりどんなに営業力があっても「それは新日と言う
ブランド」があってのもモノだったのは観客動員力が証明していた。
>>261>>267
馳は議員とレスラー併用で活動するつもりが突然に現場監督・長州から呼び出されて
「引退しろ!」と言われて有無も言えず強制的に引退させられた。活動が中途半端に
なると言う理由だったが反発はしなかったが不満のあってのちに全日に移籍した。
馬場は「永源と馳と言うレスラーとは別に能力のある力」を手に入れたのは大きかった。
ただ馬場の葬儀の時に「この外様の二人が堂々と中央にいる姿」を見て鶴田夫人は悲しく
なったらしい・・・ >>288
>>289
チャボはあまり技受けないから、大仁田にしろ井上にしろ攻勢が途切れる。
ガキだった当時はそれが強く見えたんだよな。
負けても簡単に引き下がらないし。 >>278
テリー引退だけでいいのに
ブロディ×鶴田のインター戦をぶっこんでくるから困ったんだよ。
ファンクスが有終の美を飾るには新顔のゴディはちょっとゴディに申し訳ないような
どうせ顔じゃないならバスでよかったんじゃないかと。
夢想なら全員同窓(?)のマードックとかがいいけど。 >>290
引退させるのは勝手で結構だが問題はむしろ全日本に行きそうだになったら馳はそんなことしないだの出来るわけないだのとマスコミを使って妨害を図った事の方 >>292
前年の海外遠征で既にインパクトを発揮していたゴディのようやくの来日には素直に感動した記憶が
第一戦のパワーボムのインパクトも凄かったし 自分で書いといて言うのもなんだが「有終の美」って難しいよね
去ってく者に花を持たせるのは「功労賞」として必要ではあるけど
そのジャンルのビジネスは続くわけで、おいそれと引き継ぐ者の首を獲らせるわけにもいかんし…
「自分の最後はマットに這いつくばって終わりたい」と猪木は現役時に言ってたけど
結局は引退相手のトーナメントでは後継の小川直也にドン・フライを勝たせて、猪木は結局はフライに勝って有終の美を飾った…
自分みたいな素人ファンの目線では、小川に叩きのめされて引退というのは悪くないと思うんだけど…
同じようにあれだけ体を張って、ハンセンブロディや全日の株を上げたファンクスだけど
バッドエンド過ぎるけど最後もテリーがハンセンに轟沈しても良かったんでは?と思ったりね…
それで鶴田天龍に「あとはまかせた」的なストーリーも続くし… ちょうど力道山死後20年で映画とかもやってたはずなので、力道山縁のインター選手権奪還をゴールデンの電波に乗せたいというのもあったんだろうな
これからのエースは鶴田だ、というアピールも出来るし >>282
生まれる全然前で良くわからないんだけど、「豪華客船での船出」って評されるメンバーなの?
サンマルチノ・ブラッシー・シニア・テリー
ここまではわかるけど
デヌーチ・サベージ・コザック
この上記三人も超ー流なわけ?
自分的な「豪華客船」というと
1981年の10周年の蔵前や
1987年の最強タッグのメンバーが思い浮かぶんだけど、それに匹敵するの?
まあテレビ中継ありとか新日メンバーと比較して、それで客船というのもあるんだろうけど。 >>297
デヌーチはサンマルチノの付き人みたいなもん
10周年にも同行してた >>298
サンクス、サンマルチノのお声かけ来日とかかな?
レイスが若手時代の恩返しでラリー・ヘニングを馬場に直訴したように >>295
叩きのめされての最後ってのはむしろレギュラー最後の初ドームのチョチョシビリ戦だろうな >>298
サンマルチノが後楽園に出た唯一のシリーズでもあったか サンマルチノは超のつくスターだったみたいだから一人だけでも豪華なのにNWA王者のファンクスもいたから完璧でしょ
90年代以降でいうと。。詳しくないから名前出せないがWWEとWCWの両方の看板レスラーが来た感じ テリーの引退試合のフィニッシュはスピニング・トゥ・ホールドで決めてほしかったという投書が雑誌にあったな。でも考えてみたら、テリーがこの技で勝った試合って思い浮かばないんだよな。 >>303
トップロールからのローリングクラッチはあの試合以外で見せた事はあったかな >>296
あと日本テレビの開局三十周年でもあったんだよな
認定宣言も当時の社長が読むという特別版で スピニング・トゥ・ホールドで決めるどころか、出せてもいないよね
かけようとはしたけど、乱入でカットされちゃった…
テキサス・クローバーも、相手のハンセンもラリアットも出さず
ゴディのパワーボムも出ず、セブンか三沢が試合後にハンセンに食らったのみ…
フィニッシュはゴディのノロノロ体勢を見るに、あれで最初から決まってたんだろうね
ただ、これから売り出す者へのギリギリの配慮だね、何より引退試合にからむ事により知名度が段違いに上がっただろうし。
何だかんだで良い落としどころだったんでは…最強タッグも鶴龍の売り出しで馬場鶴田が解体
パートナー同士を失った馬場ドリー組でうまく収まった。
それで新春シリーズでフリーバーズの来日、あのゴデイがエース格でさらに認知度を増せた。
1984年に向けていい流れだったと思う、さらに鶴田AWA、天龍UNでさらに流れは続いたけど… >>296
>力道山死後20年で映画とかもやってたはずなので
テリー引退前の夏休み、新宿紀伊国屋でサイン会に行ったときに
「ザ・力道山」のチラシを大量に配ってたの思い出した…
サイン会は大盛況でテリーの自伝本?みたいなのを買えばサインしてくれるんだけど
数十人も前に売り切れで、サインはもらえなかった…
大勢のファンは基本は全日ファンだったんだろうけど、女性ファンのお姉さんも多かったな
高校生以上のファンの兄ちゃん達は小学生には怖い人たちに見えたよw 引退するレスラーが完勝したらマズいからクイックにしたか、トップロープからのハデなフィニッシュにするか考えてたんじゃないかな
太陽にほえろの殉職シーンは本人の希望通りにさせるみたいにテリー本人に決めさせたのかも テリー引退試合がハンセンとのシングル戦でラリアットからの完全なピン負けなら
1年後の復帰に対してのファンの捉え方が違っただろうか? >>309
その方が燻っていた闘志が再び燃えてきたみたいで良かったかもしれない >>309
ていうかそれだと次シリーズにすぐ復帰しそうだよテリーは。 今日はウォリアーズのインタータッグ奪取日
そういえばテリーのアメリカでの復帰戦の相手もウォリアーズだったとか テリーとハンセンの年齢差、5歳なんだよね
ガキの目線だと、1学年違うだけで体格もけっこう差が出るから
5歳差っていうのは「師匠と弟子」の関係と知っても全然違和感がなかったけど
今のように50歳過ぎても現役が沢山いる時代だと、5歳差ってもう同世代だよね…
以前にブロディがテリーと2歳差、スヌーカは年上という事実でスレが盛り上がった事があったけど。 >>313
ブロディとローデスとダンカンはWT大で同期だったんだな。 .ウェスタン・テキサス大の偏差値ってどれぐらいですか?
高千穂大より難しいですか? >>306
理想はNWAフレアー(ケリー)vsAWA鶴田のWタイトル戦だったら最高の流れだったけどできなかったかね・・
やろうとすれば出来たはずだけど。。 >>318
さすがの馬場もUWF旗揚げ、1983年内の段階では読めなかったと思う
いや、クーデターの段階で何か新日分裂の予兆は感じてた可能性もあるけど
どちらにしてもジャパンとの提携でNWAどころじゃなくなった、副会長にはなったけど
全日本の流れが翌年のジャパン抗争に向けたムードなのに、Wタイトルはやっても受けなかったと思う
二代目タイガー、浜田参戦、ラッシャー参戦、棚からボタモチのキッドスミス移籍、テリーの復帰…
1984年の下半期の馬場は心身ともに忙しかったはず…w >>292>>305
確かに最初はインター戦は余計な気がしたけどw
人気者テリーの引退試合と言うプロレスファン大注目の試合で鶴田に箔を付け底上げを
はかると言う佐藤・松根ラインの戦略は間違いで無かった。景気付けにインターの歴史も
紹介されたミニコーナーまで流されてゴールデン特番枠、日テレ社長来場と松根社長の
効力が存分に発揮された。
ハンセンのパートナーがゴディと発表されると「ゴディって誰?」と言うのが
一般的なプロレスファンの感情だった。
>>307
今も熱烈なテリーファンのライガー夫人は引退試合に出た書籍類やグッズを買って
あまりの多さに対応できなくなると友人達と共用したりしていた。あっさり復帰しても
ファンを辞める事も無く今の所、最後の来日試合となっている東京で試合に出た時は
は福岡から駆けつけた。興奮ぶりを心配したライガーはライガーJrをお目付役で同行
させた。
>>308
太陽にほえろ!の殉職シーンの台詞は殉職する刑事役の俳優に任された。
いつも監督の指示に従う石原裕次郎は出演最後の長台詞のシーンは「好きなように
やらせてくれ!」と珍しく主張して医者に止められているタバコまでアドリブで吸って
殉職したスコッチ刑事を引き合いに出して命の大切さ説く名シーンとなった。
役者として撮影に立ち会ったのは地井武男のみだった。 >>319
本番に向けた予行演習?
なのでなんの影響もない羽田相手にノー注目試合でやって
事前にフィニッシュに注目集まらないようにしてたとか? >>322
新インター王者鶴田としての拍付けまでは良かったけど
そのあとの防衛戦がイマイチなんだな
なんで初防衛戦をまた田舎でやろうとするのか
あれでマイナー感がまた強くなった
全日でのインターはけしてトップのタイトルではないんだな よく読んだらスピニングトーホールドで羽田に勝ってるってことか
そりゃあるだろ、確かにすぐ浮かぶのはドリーばかりだが >>325
昭和全日はいかんせんアチラ社会との付き合い大事にしてたから
好カードが地方なのは仕方ない。 >>325
>そのあとの防衛戦がイマイチなんだな
それがなんか醒めたね。獲ったはいいが次がSオルソノスキーではねえ。
ブロディから獲れた、よし次は元王者ドリーに防衛して一人前だ、とできればよかった。
後楽園でもよかったのに。
馬場がブルーザー(ディック)戦で王者になってそして
元王者テーズに初防衛したストーリーをなぞることもできるのにな。 >>328
鶴田の初防衛戦は10月のブロディ戦だよ。 >>331
いん、そのリターンマッチの次のこと言ってるの。
まだその頃はドリーや日本人対決って発想が無かったころだからな・・ 自己レスでなんだが
ブルーザーディックとブルーザーブロディ
初代王者テーズと復活初代王者ドリーでいいラインだと思ったんだよ。 ドリーは日本人に負けてくれないからな
鶴田が一本勝負で勝てたのは20周年記念のお祭り6人タッグでようやくだし 自分は上田が負けないなーって思ってた
全日に戻ってきてから、数年だけどフォール負けってある?
フォールじゃないけど、馬場にアームブリーカー連発でストップ負けぐらいか…
逆にいえば上田のフォール勝ちも見た事がない
パートナーのシンがコブラクローやブレーンバスターで決めるのは何度も見たけど 晩年のチャンカーにおけるドリーvs鶴田はひどかった。
俺は忖度と言う言葉をあの試合で覚えた >>335
昭和57年福井市体育館
天龍、阿修羅原vsシン、上田
○天龍(片エビ固め)上田● ダイビングエルボードロップ >>337
ありがとう!
かなり驚き…完全フォールっぽいね。
天龍とのランバージャックですら有耶無耶になったから、ピン負けはしないと思ってた。 >>337
福井は天龍の地元だから花を持たせたのかな?
昭和57年のどのシリーズかわからないが、まだシン&上田はトップヒールコンビとしてフォール負けは有り得ない頃だから意外だ。 >>339
確かに意外…ただフィニッシュだけ見ると完全負けぽいけど
それまでのプロセスがどうだかだね
例えばシンの凶器が上田に誤爆して、悶絶してるところをエルボードロップなら…
これなら上田に傷はつかないし、天龍が上田を越えた事にはならない >>338-340
キミら純粋すぎるわw
福井バカもいい加減にしとけw >>335
中途半端に格が高い上に本人が嫌がるから滅多にピン負けさせられない
逆に説得力のあるフィニッシュがないから、格下相手でもピン勝ちブックを書けない
つくづく上田は吉原さんに感謝しないとね
日プロ時代はいいとこ中堅だったのが、国際でエースの木村にピン勝ちしたことで
一気に格が上がったんだから >>344
なるほど…その木村にピン勝ちって、そのまま返さずに新日に行っちゃって勝ち逃げのやつかな?
ストロング小林もエースのまま離脱して、猪木に負けて…
国際は小林や上田といい、そういう点では要領が悪いというか、タイミング悪いというか…
エースの小林が他団体エースに負け、エースの木村がフリー選手に負けて離脱され…
間接的に国際は弱い…になってしまうよね。 全日本での福井大会となると
第一回のチャンカー決勝
オープン選手権での鶴田・木村
オープンタッグでのドリー・ロビンソン
エース・小橋のアジアタッグ奪取
この辺りが代表か 腕折るって下手だからだろ?本来なら折るブックなんてあり得ないんだから。 ヒギンズは腕折れてた時に交通事故と言ってたな、上田が折ったというのは本当なのかな? >>336
鶴田とドリーのシングルの代表格となるとやはりオープン選手権の時か 74年8月の後楽園もいい試合だったけど、
試合の重みとかを考えるとそうなるね。 鶴田ドリー最後のシングルは86最強タッグの神戸大会
25分過ぎからやっと鶴田の攻勢が始まって結局タイムアップドロー
クイックで世代交代させてあげても良かったのに 最強タッグの夢の対決はとりあえず試合組んだって感じのストーリー性がないから引き分けばかり >>351
確か鶴田の初のシングルでのメインだったとか >>345
自分で書いてて、上田の扱いってかなり難しいなと思った。
日プロ時代ほぼ同格だった極道なんかは、上田がメインで使われるだけでも
面白くないだろうから、直接対決でのピン負けまで飲まないだろうし
かといって負けさせようにも344のような問題があるし
全日時代の上田にピン勝ち、ピン負けとも極端に少なかったのはそのあたりが理由かと
新日では小林からシングルでピン奪った十字チョップも、全日では一度も使わなかったはず 自分が覚えてる最強タッグの夢の対決、福岡大会が多くて
テレビ中継も最終戦の放送が終わった後、大体が年内最後の放送日
優勝戦の放送後だから気抜けした感じで見てた(あくまで自分はだけど…)
それよりも何よりも最強タッグというシリーズでありながら、大物チームの公式戦が組まれない
これってどうなの?って思ってたよ…そこそこの大会場(福岡スポーツセンターとか)でもったいないなあと…
自分が福岡在住じゃないから、地元のファンの方々の気持ちはわからないけど、不満じゃなかったのかな? >>356
>日プロ時代ほぼ同格だった極道なんかは、上田がメインで使われるだけでも面白くないだろうから
なるほどねえ…そういう観点まで広げると確かに。
話の筋がズレるけど、シンや上田の試合がメインだと生観戦は避けてた「どうせ反則か両リンだろう…」って
新日時代のシン上田がどんだけ盛り上げ、どんだけ動員に貢献したのかなんて記憶が薄い年代だし
はっきり言えば、シンはまだしも上田の試合で面白いと思った記憶がない…
クローと竹刀と、あとは技を食らうと場外にゴロゴロ逃げるイメージ、それだけ。
まだ大熊の方が全然ゴツゴツしたファイトで面白かったぐらいだね
ファンとしての目が浅いとか色々とダメ出し食らうかもしれないけど、1981年〜1984年の上田は本当に魅力がわからなかった…。 >>348
舐めてカタイ攻めをして来たからお仕置きしたとか聞いたような >>325
インター王者としての箔を十分付ける前にAWAを取ってしまったのでその影に隠れてしまった感じも 話の流れをぶった切るが、
クロケットJrが先日(3/3)に亡くなったんだね。
どんな晩年だったんだろう。 >>353
ああそれだわ。チャンカーじゃなかったんだな。
攻勢と言ってもフォールとるような技じゃなかった気がする >>362
忖度といった意味では一年後、会津のファンクスVS龍原砲が更に酷かった印象
老体のファンクスを壊さないよう目一杯気遣ってた >>361
ハンセンが若手の頃に影響を受けた
バディ・コルトも三月上旬に亡くなったらしい >>360
焦らしプレーでなかなかベルトが獲れなかったから
ブロディ破って獲ったときは盛り上がったけど、
その後の防衛ロードは対戦相手がUN時代と変わり映えしなかったからね
結局権威を高めるためには三冠統一というカードを切らざるを得なかった
維新軍団とか鶴龍対決をうまく絡められれば違っていたかも >>365
長州戦や天龍戦でベルトを賭けなかったら
何のためにタイトルが存在してるのか?
と思ったなあw
逆にベルトの価値を下げる行為だった >>359
当時上田とヒギンズ二人ともフロリダの独立団体に上がっていて
そこでヒギンズが猪木の肋骨にヒビ入れたこともあるバックフリップでグリーンボーイ二人を相次いで怪我させたんで
それに対する仕置きだったとも言われてるね 馬ちゃん出演!
80年代の伝説的ニューウェーブパンク映画『爆裂都市 バースト・シティ』 YouTube無料配信決定
スピード、サウンド、凄まじいバイオレンスが全編を覆う近未来アクション。映画『爆裂都市 バースト・シティ』(石井聰亙監督/1982年)のYouTube無料配信決定。東映が運営するYouTube チャンネル「TOEI Xstream theater」の「土曜21時は映画を見よう!」シリーズの第1弾として3月20日(土)21時より1週間限定で無料配信&プレミア公開されます。第2弾のタイトルも3月20日発表予定。
■『爆裂都市 バースト・シティ』
これは暴動の映画ではない。映画の暴動である。
怒り、敵意、欲望、反抗──若者のフラストレーション爆裂。
近未来のある都市を舞台に、原発建設の強制労働を強いられた下層民たちが結託、やがて暴動へと発展していくさまを描いた
SF バイオレンス。陣内孝則率いる“ロッカーズ”をはじめ“ザ・ルースターズ”や“スターリン”などのロックミュージシャンたちや上田馬之
助、コント赤信号など個性豊かなタレントが多数出演する。美術監督を泉谷しげるが担当している。
【キャスト】
陣内孝則/大江慎也/伊勢田勇人/鶴川仁美/池畑潤二/町田町蔵/大林真由美/コント赤信号/スターリン/戸井十月/上田馬之助/泉谷しげる/麿赤児/吉澤健
■配信日時:
2021 年 3 月 20 日(土)21:00?2021 年3月 27 日(土)21:00 迄 87年の最強タッグはハンセン・ゴディ、ブロディ・スヌーカ、ブッチャーと因縁の
絡みが一切放送される事がなかったのにファンクス。 >>371
ファンクスは何の為に呼んだのだろう。当時外人のブッキングはまだ彼らの力が必要
だったからとか何らかの理由はあるのか。 >>371
ブロディ組との一戦はダイジェストで放送されたよ。 >>371
勝ち点的には龍原、ハンセン組、ブロディ組と並んで同点準優勝なんだよね。
試合が全然印象に残らず、空気そのものみたいだったが。 >>373
いや、ダイジェストですら放送されなかったでしょ
大阪大会が終わった後の得点経過を伝える場面で数秒流れただけだったはず 1987年の最強タッグでは「ファンクスは過去のチームだと全日から明示されている」と指摘されていた
ファンクスVSブッチャー、TNTはシリーズのベストバウトに挙げた記者がいたほど盛り上がったそうなんだけど この頃から新日本で全試合のダイジェストを流すようになったが、この最強タッグは本当にやって欲しかった 1987最強タッグ、ファンクスは1年ぶり?
天龍原との公式戦は関東圏では放送された記憶があるが
テリーが1年前と違って体重が戻った感はあったが、動きがかなり鈍くなってたね
年齢的には1〜2歳差の原と力強さもずいぶん差があった、その原だってコンディションはかなり悪いのに…
あと同時期の新日、前田の顔面襲撃でマスコミ含めたプロレス界全体がザワザワしてたよね
その点は最強タッグに話題が集中してもいいぐらいのメンバーなのに、焦点が定まりきらないのが勿体なかった
新日って良くも悪くも話題をかっさらうのが上手い、前田の件は狙ったわけじゃないだろうけど。 >>378
>新日って良くも悪くも話題をかっさらうのが上手い
やはりノーテレビで旗揚げしたのが大きいんだろうな。
話題作りで注目を集めるのが生命線だから。
全日も、視聴率悪かったら打ち切りとかだったらもっと危機感持ったんだろうけど、
日テレとはそういう契約になってなかったみたいだから、
そこまで必死に話題作りをする必然性がなかった。 >>372
86年にレイス、マスカラス、87年にニック、ファンクスの来日が途絶えた。
87年の全日本はギリギリ「昭和外国人レスラー」の匂いがする最後の年だったよ。
88年に入るとスパイビー、カンナム、エースなど外国人レスラーの世代がガラリと変わった。
レイスは89年に3年ぶり、ファンクスは90年に3年ぶりに来日したけど、すでに時代は変わり完全に「昔の顔」扱い。
>>378
テリーは1年ぶり、ドリーは4月のCカーニバル以来7ヶ月ぶりだった。
ファンクスは来日前の9月にプエルトリコでロード・ウォリアーズとやったんだけど、
テリーはこの時、かなり膝を痛めてるんだよな。相当深刻で、この影響もあったんじゃないかな。 >>379
も最強タッグに参加してるメンバー、外人選手にまで
「前田選手の事件はどう思います、是か非か?」とかマスコミが聞いてるのがちょっとなあ…と思ってたな。
ああいう空気も「業界は新日ありき」を感じたというか…
ハンセンだったかな?「そんな事よりフランクがいるこのリーグ戦で、オレはゴディと頂点に立つ事が重要なんだ!」
そんな内容を言ってたのは全日ファンとしてスカッとしたな。
>>380
そういう事情か…本当に動きが悪かった、せっかくジャパンがいなくなって
いい意味で「豪華外人路線と天龍革命効果」のセットでファンクスも乗れればと思ってたけど、残念だけどこれではキツイなあ…と思ってたな。 1987年の年末タッグリーグは
最強タッグ:WWFとNWA以外から豪華な外人レスラーを集めてブッチャー、ブロディ復帰で盛り上がって成功
ジャパンカップ:一流外人がマードックしかいない上、長州、前田の途中離脱で踏んだり蹴ったりの失敗
と言う評価だったよ >>382
最強タッグも観客動員面ではイマイチだった。 >>382
ほんの半年前は
「ジャパン離脱で長州軍のファンはごっそり新日にいってしまう」
「天龍革命は新日の世代闘争に比べればコップの中の嵐」
「正規軍にUWF軍にジャパン軍、あと三年は新日は大会場のカードに困らない」
「比べて全日は馬場が異種格闘技をやらねばいけないほど、集客できるカードに苦しんでる」
「全日の1987年下半期はかなり苦しい、どうにかしないと…」
ゴング誌までかなり見通しがネガティブだったのに、たった半年後の流れは予想しなかったね。 最強タッグ最終戦。
例年なら優勝争いに絡む公式戦が組まれていたファンクスだったけど、
87年は休憩直後の非公式戦だったな。
声援も妙に暖かくなってて、第一線からは退いたことを感じたよ。 87最強タッグのOAビデオ確認した
開幕戦〜ファンクスVSテンタ、カブキ(フィニッシュのみ)
福岡〜ファンクスVSハンセン、ゴディ(優勝への道で数秒映る)
会津〜ファンクスVS龍原砲(公式戦でなく特別試合扱い)
大阪のブロディ、スヌーカ戦は見つけられなかった 今月発売のGスピリッツはマスカラス特集。
このスレでいろいろ物議を醸すIWA王座に関しても詳しく説明されるかもね。 >>384
それなのに何でゴールデンから外されたんだろうな? >>356
日プロにBIがいた頃の格はカレンダーの立ち位置で判断すると上田は坂口の次、小鹿より上。大熊はヤマハより下じゃないかな?
極道コンビでも二人はかなり実績に差がある。ヤマハも星野の方が韓国でのトップスターということ差し引いても試合運びその他でずっと評価が高い。 >>388
そりゃあ…プロレス界のムードは上昇気流でも
土曜19時からの視聴率がスポンサーを納得させる数字ではなかった、と思うしかないのでは?
極論になるけど、今年にオリンピック開催するのか?わからんけど
民放放送ならたとえ無観客でもスポンサーは殺到するでしょうね、視聴率が見込めるから。 >>389
日プロ時代のワールドプロレスリングをクラシックとかで見ると、猪木のセコンド役を小鹿が
務めていることがかなり多いんだよね。あの立ち位置だったから、馬場も旗揚げには大熊と駒を
連れて行って、小鹿には声をかけなかったんじゃないかと思ったりする。 >>387
公式見たけど、本人とドスのロングインタビューが掲載されるみたいだね
このご時世なんでメールかオンラインでやったんだろうが、楽しみだな
>>389
上田と極道の正確な序列はわからんけど、少なくとも小鹿は「馬場さんが「上田と
松岡は連れてくんな」って言ってたのを俺が頼んで全日にあがれるようにしてやったのに
勝手に揉めていなくなったくせに、いつの間にかメインで復帰して、インターのベルトまで
獲りやがって」という不満抱いていたのでは?
また極道の2人はチャンカーでは例年対戦拒否で両者不戦敗がお約束だったけど、なぜか
1度だけ対戦した年があって、その時は大熊の勝ちだった。実績ではLAでマスカラス破った
こともある小鹿が上だけど、旗揚げメンバーの大熊の方が優遇されたんだろうね 天龍革命って結局は阿修羅のプロレスに対する愚直な想いが形になったものだから、
龍原解散で実質終了だった。 >>392
>「馬場さんが「上田と松岡は連れてくんな」って言ってたのを俺が頼んで全日にあがれるようにしてやったのに
>勝手に揉めていなくなったくせに、いつの間にかメインで復帰して、インターのベルトまで獲りやがって」
小鹿の言いそうなことだなぁ、馬場が上田を評価したのは国際と新日で実績積んで
客の呼べるレスラーになったと判断したからなのに
翻って小鹿はといえば、居場所がなくなるからと若手イジメに精を出し
有望な新人が育たないように全日の未来の目を摘んでいただけという >>394
それで上位互換の永源の登場でお払い箱は哀しい >>391
小鹿はLA遠征中にリトルトーキョーで猪木と二人で飲んだ時のことを話してたな
「なんで大の男が何人もそろってビルの1つも建たないんだと言ってた」とか
でも例のクーデタのときは猪木追放の急先鋒になってたし、
マルコフ戦では大熊が猪木のセコンドについたり、小鉄が日プロ時代は
馬場に近いと言われていたり、あの辺の人間関係は入り乱れていてよくわからん。
ちなみに小鹿は全日旗揚げのときに大熊から一緒に行こうと誘われたが断ったらしい。
残ったほうが得という判断だったんだろうが、結果的にそれは外れだったね。
>>393
大日本旗揚げした後は、さすがに若手を育てないわけにはいかないから、
全日時代の自分の行いを反面教師にしたんだろうね >>838
一見は豪華に見えても大半はロートルばっかり
懐かしさはあっても
新鮮味はあんまりないからねえ
新しいファンを呼び込む効果としては弱すぎる 全日は営業が弱いと言われていていたから観客動員がネームバリューの割にイマイチ
なのはジャパン前と同じでしょう。 馬場は「はっきり言って長州がいなくなって得した」と言っていた
人件費がドッと減った割に動員が落ちなかったらしい ジャパンが抜けたあたりで
首都圏と札幌以外ではビックマッチが打てなくなってきてる
天龍ブロディ戦が不入りだったのが象徴的 天龍ブロディ戦の大阪、ちょうど1年前の鶴田-リッチの方が入ってたのが解せない
流れ的に開幕2戦目に武道館があったけど、地域的に動員に影響はないはず
だって4月序旬のブロディ-谷津の名古屋でも6割は入ったんだから…
天龍とブロディなんて全日の一番の旬な2人でしょう…
まあ、その後の最終戦の川崎もひどい入りだったけど。
あの三冠統一の流れはお客さんには思ったより響いてなかったという事かな…?
それにしても、鶴田リッチなら天龍ブロディだと思うがなあ…くどいけどさ。 前年は輪島と長州の初対決で切符打ってたのと大塚の営業力だろうね でも何だかんだ言って今元気なのは小鹿だけなんだよな。
猪木には回復してほしいけど。 ジャパン頼りの全日の営業係が無能だったという事か
元子は何をしとったんだ >>402
大阪・名古屋・仙台・札幌はまだ定期的に打っていたが、広島と福岡は打てなくなって
きた。その代わりに横浜文体でのビックマッチが多くなった。 >>386
大阪大会の、天龍組vsブッチャー組の後にオリンピアに乗せて得点状況の説明があるけど、そこで確かブロディにダブルタックルをかます場面がわずかにあったはず >>386
開幕戦の龍原vsジンク組はジンクのテーマ曲で龍原もリングインしてるんだよね
時間ないんで一緒に入って下さい言われたんかな
メインの鶴田組とブッチャー組も途中で終わったし ゴールデン最後の時のカードはどういう意図でトミー・リッチとオースチン・アイドルを
ラインナップに入れたのだろうか。ハンセンの試合はOPに少しOAされてCM明けには
終わっていた。 >>403
記憶にないんだがその大阪のカードはシリーズ前に決まってたんだっけ?
天龍ブロディなのか武道館大会の勝者同士だったのかで、プラスセミのカードも決まってたのかどんなカードなのかで動員が変わってくるんじゃないかな。 >>386
ファンクスxブロディスヌーカは以前ヨウツベに隠し撮り動画が上がっていた。もう無いかな?
考えてみたら81年の優勝戦。6年後にはひっそりノーテレビって感慨深い。 >>414
たぶんそう。勝者vs天龍だったから、カードが発表できなかったのは大きいかも? >>409
福岡は大半の団体にとって国際センターが大きすぎる感じはあったな >>417
国際センターのこけら落としは昭和最後のチャンカー決勝だったか
全日本は福岡では九電を新日本はスポーツセンターを多用していたイメージ >>414
>どんなカードなのかで動員が変わってくるんじゃないかな
武藤全日時代になるけど、2003年7月の武道館、歴史上の武道館で多分1番の不入りだったんだけど
川田小島に挑戦するのが、抗争団体のゼロワンのトーナメント優勝チームって予定だったんだけど
結局はその優勝チームが決まったのが前日の夜、小川直也のチームになったんだけど
川田と小川の初対決がもっと早く決まってれば、もっと動員は違ったはず…
小川が出る事になって当日がそこそこ売れたらしいけど、前売りが壊滅的でとても挽回できなかった動員っぷり…
大義的には優勝チームが武道館参加の予定とはいえ、もっとうまく商売できないのか?と思ったことがある。
全日といっても馬場全日とは違うとはいえ、なんか下手くそだなあと思ったなあれは、試合はまあまあ面白かっただけに、満員だったら凄く盛り上がったと思うだけにね。 天龍xブロディは最初から発表して、急きょタイトルマッチの方が良かったかもね。
全日本らしくない発表の仕方だった 確かにカードは決まってなかったが、鶴田対天龍やハンセン対ブロディの可能性を残した方がチケット売れるんじゃない? >>422
初の三冠防衛戦だったんだよな
そして鶴田の怪物伝説の重要試合にも 88年の方だけど、鶴田がブロディにリベンジした仙台も空席が目立ってたね
仙台はメイン会場が2つぐらいあったと思ったけど、この日はそんなに広い会場の方ではないよね?
後に震災復興のオールスター戦をやった会場ではなかったかな?
記憶が違ってたらすまん。 >>424
全11試合でゴディが第3試合、レイスやシンが第5試合
日本に来てさ、最終戦の大会場でこんな位置で組まれるの面白くないだろうなあ…
このクラスなら「ギャラが高いから云々」で割り切れるほどプライドが低くないだろうにね… そうなの?
石川県の産業展示館といい、有名どころでも熱戦譜とかだけでキャパがわからない会場あるんだね >>424
一番の伝説になったのはやはり鶴田・浜口か >>426
レイス・ブラックウェルとシン・ギャングは久しぶりの見応えある外人対決だった >>424
この対抗戦は対戦カードを決める時も、イマイチ伝わり難かったよねぇ。 >>424
>ジュニアの小林相手に引き分けた石川
>長州に完敗した三沢タイガー
>天龍に引き分けて格を上げた谷津
トータルでは引き分けだけど、明らかにジャパンの方が得してるよな >>430
両軍揃い踏みのリング上で淡々とジャンケンする天龍と谷津が面白い 前月の札幌で天龍をジャーマンで完全ピンフォール
そして3月武道館のシングルで30分ドロー
鶴田天龍と長州谷津、互いに拮抗するチーム同士に仕立て上げる意図があったのかな?
そのためには一枚落ちる谷津を早急に格上げするしかないからね >>434
意外にもこれが天龍の武道館での初メイン
そして長州がシングルでメインを張るのは新日本復帰後 >>424
昨日で丸35年経ってたか
倉持若林と馬場のやり取りも未だにネタになってるものな >>409
88年には旧広島県立で三冠統一戦(鶴田vsハンセン)をやってる。 >>435
というか天龍は蔵前、大阪府立、愛知県立、
札幌でもまだシングルでメイン経験は無いよね。
後楽園とか水戸あたりのキャパで何回かあゆ程度。 >>438
だから谷津だけでなく天龍の格上げでもあったんだよな
それだけに彼らに比べてとっくの昔に武道館でシングルのメインを張ってる鶴田の別格ぶりも分かる これはイレギュラーで参考記録だけど
野外会場で雨天になり、途中でメインから逆に消化した時が84年か85年にあったと思った
結果的に大熊vs若手みたいな試合がラストになった覚えがある
となると天龍より先に大熊の方がシングルメインを飾った可能性もある
その会場の規模がどれぐらいで、場所も忘れたけど…まあ、どうでもいいよね。 思えば谷津は新日本でも藤波や長州より先に蔵前クラスのメインに出てたんだよな
蔵前クラスでの猪木とのシングルメインも一番先で 輪島も凄いよね、デビュー半年ぐらいで大会場のメイン
大阪でアニマルとのシングルが初だっけ?
まあ、テレビ的にはデビューのシン戦で既にメイン級だけれども。 >>442
鶴田と組んでウォリアーズのインタータッグに挑戦したのが一番上かな 谷津嘉章の裏切りのプロレス人生については賛否両論
「全日離脱して序列を大いに下げたタイガー戸口同様
ジャパンなどに参加せず新日に残るべきだった」
「いやあの華の無さでは残留しても健吾木戸のようにくすぶり続けたはず」 >>440
その場合にはメインと言わない
勘違いしてる人が多いけどメイン=最終試合ではないから
日大公道での馬場対鶴田はセミ前になってしまう >>424
大塚の本だと決着がつかないように6対6に変更したと書いてある。 >>428
対抗戦で唯一ノーカットでOAされた試合 全日本が土曜夜7時台の時代前座試合より主要カードを先にやったりしてたよね。
生中継で流せるように入れ替えしてたんだよな。 >>444
谷津のプロレス人生で一番上は全日本登場時代の印象
特にピークは武道館でホークをジャーマンで投げた時か >>445
いわゆる逆取りだな
一番の代表は猪木・ウィリー戦の時のヤマハだが 谷津は人生の岐路で悪い方に悪い方に行っちゃうんだよなあ >>451
あるいはプロレスに入った時もそうだったか >>452
本人も「最初から全日に入れば良かった」と回想していた
ジャパン分裂で全日に残ったのは真っ当な選択だった
残った時は「長州と違って社会人として契約を守った」と悪く言われなかった
それに外様なのにNo.3待遇だったしね
谷津の話だと馬場については
「新日本所属の武者修行時代、米国・カンザスシティーで
初めて会ったのに服や靴まで買ってくれた」そうでその頃から気に入られていたようだ 馬場を裏切ったのはメガネの好条件に釣られたからだとしたら
完全に自業自得、同情の余地なしになってしまうが
後輩の三沢川田の下になるのがイヤだったなんて言い訳にならん
鶴田だって泣きながら受け入れたんだから >>436
あれから35年か。
大学受かった直後で、当日券で2階席から見た。
浜口の負けた〜とサソリ固め(逆エビ?)に耐える三沢タイガー、天龍谷津の時間切れしか記憶に無い。そういえばこの前部屋掃除してたら、その時のチケット出て来たw >>454
鶴田はむしろあれでようやく尻に火が付いたんだよな >>435
ジャパン参戦前の天龍を知っている人は別に意外じゃないぞ。
>>439
の言うように天龍の格上げもあったが、ホントの格上げは前年の1月2日後楽園ホール。
ベテランの大熊を従えての相手エースとの初対戦。しかもそのエースと対等に見えてるという試合内容。
鶴田に次ぐ2番手、その名だけでなく質まで爆上がりした日だ。 >>390>>396
Gスピで「俺は馬場派じゃないよ!」と言う発言は日プロ時代の事なんだね。
改革に賛同していた日プロ選手会が硬化したのは猪木が全権掌握後に「相撲出身レスラー
を中心に一次、二次と不要なレスラーを排除する」と言うのが漏れたからだった。
それでダラ幹より選手会が猪木追放を声高に叫んでいた。
>>384
箔がついたUWF勢に出戻りの長州軍団が来て突然に豪華なメンバーになり両国を2日間
使うサマーナイトフィーバーを開催して大盛況になった。館内で実況放送が聴けるFM専用
のミニラジオまで売り出す気合いの入りようだった。それがのちの長州フライング発言、
前田蹴撃事件と半年で嵐のような世代抗争の展開だった・・・
>>401
最初は馬場はジャパンのレスラーを抱えるの重荷になり長州の一本釣りを企んでいた。
天龍でさえ「長州が来てもこんなモノか・・・」と言うくらい期待はずれで喜ぶのジャパン
の1週間シリーズにまで参加して試合数が増えて全日の選手ばかりだった・・・ 長州が来てどれほど上方へいくと思ってたんだろう?
馬場もずいぶん見方が甘いと思う。 ジャパン軍が来てからの最強タッグ最終戦の入りが一つの答えかもね
1985年の武道館の不入り(多分この時が1番ヒドい)
1986年の武道館の不入り(輪島参戦がなかったら多分前年よりヒドくなってた)
1983年(1984年は横浜文化)までの蔵前のお客さんを、そっくりそのまま武道館に入れたら
満員になるかは別としても、85年〜86年ほどヒドくないよ、もっと全然上の方まで埋まるまず。
年間トータル動員や試合数など、総合的に判断しないとジャパン参戦の是非は一概に言えないけど
少なくとも最強タッグだけは歴史ある年末の祭典、豪華絢爛の外人勢を含んだ激闘をファンは望んでたのは間違いないと思う。 1984年の時点で相当厳しかった可能性もあるんじゃない?観客動員数についてはよくわかってないが >>461
85年の最強タッグはメンバー星取り共によくなかったしな。
どうせならもっと△だらけになろうと、レイスニックでやってほしかった。 >>462
このスレの先輩の方々の回想だと、1984年は年間的に上昇傾向だったらしいね
その根拠の一つとして、苦手な大阪府立を多用してるのがあるらしい
あと、1984最強タッグの最終戦は蔵前→両国移行の狭間だから仕方ないけど
前売りでチケットが手に入らなかったのは、先にも後にも1984年が初めて
横浜文化というキャパのせいもあるけど、長州参戦、キッドスミス、何より空前のメンバー…
シリーズ全体は知らないけど、横浜の前人気は凄かったよ、そのまま蔵前でやってたらテリー引退の蔵前ぐらい入ったと思う。
>>463
長州が初の最強タッグ出場という売りだけではダメだったみたいね…
武道館は6月に使ってるとはいえ、半年も前だしね…あんなに入らない最強タッグ最終戦は武藤全日までなかったと思う。 ジャパンを活かしきれていなかったと思う。
テレビマッチで、大熊や永源、栗栖など結果がわかるようなカードが最初から多過ぎた。
途中から長州、谷津、マシーン、カーンなど新日のリングかというような試合も多かったし。 >>465
Jrヘビー級は大仁田チャボから井上エース路線とか、結構熱い試合多かったから
オレも元新日のカードは、あまり魅力を感じなかったよ。 >>464
嘘でもいいから、メキシコ代表、ヨーロッパ代表は欲しかったかな。 >>465
格というのか説得力ある選手というのか
まあとにかくジャパンの選手に比べ、全日の選手層が薄すぎたのもあると思う
長州は仕方ないとして、谷津マシンカーン小林浜口をフォールできる選手が鶴田と天龍しかいない
タイガーにしてもまだ許されない、比べて全日の鶴田天龍以下は石川?渕?あたりか
どちらにしても上記のジャパンメンバーなら、鶴田天龍以下は誰がフォールしてもおかしくない。
それでも試合結果的に全日が勝つ試合を入れるには、上記のジャパンメンバーより格落ちの選手をタッグとかで混ぜるしかない
それで最初から結末が見えてるカードが頻繁に組まれる…
原やカブキやトンガなどが常時全日の正規軍にいれば違ったんだろうけどね… >>467
1984年初頭ならリスマルクとか、あとタイガーの相手でラフィエラとかモルガンとか来てたんだけどね
上記の長々とした長文を書いてて思ったんだけど
新日の1分派グループのジャパンより選手層が薄いって…なんだかなあと思ったよ
ジャパンがいなくても新日は猪木坂口藤波木村の正規軍、団体としてUWFも派生してるわけで
いくら全日が外人路線でやってきたとはいえ、またプロレスのストーリー上にのってる上の格とはいえ
あまりにもお客さんを呼べる選手の育成が少なすぎてたんだよねえ… グラン浜田はいつまで全日に参戦してましたっけ?
ジャパン軍と一緒だったシリーズある? >>470
どうだろう…?
1984年秋のジュニアタッグで優勝した時しか記憶がない
ジャパン女子のコーチとかやってたような…
ただ、全日参戦時の浜田は動きがまだバリバリでタイガーを食っちゃうから
色々と規制をされてた可能性はあるよね、勝手な想像だけど…
それと前述したジュニアのタッグリーグ、佐山が参戦した時に予定してた大会の名残かもね。 >>457
1月2日後楽園ホールは長州、谷津vs天龍、石川だよ
長州、浜口vs天龍、大熊は翌日 >>471
85年の1月シリーズに浜田も出てたと思う
相手はオロ、プラタ、アグアヨあたりが多かった >>470
85年7月の熱風!サマー・アクション・ウォーズまでだな
初参戦が84年8月だから一年契約が切れたんだろう >>473
そのシリーズでカーンと喧嘩になったんじゃなかったっけ
違ったかな >>473
UWAのルートまで新日から全日にシフトしてたんだな。
へこたれない新日も凄いが、馬場の政治力も半端ないな。 >>474
浜田はタイトルに絡ませてもらえなかったね
84年のジュニアタッグリーグで優勝したくらいかな >>477
浜田&井上だったか。
新日嫌いの井上が浜田とのコンビをよくOKしたな。 >>478
星野や小鉄なら絶対組まなかったろうな。 武道館で一番驚いたのが冬木の栗栖超えだな
冬木地団駄踏んで本当に嬉しそうだった
たぶん控室で嬉し泣きしたんだろうな >>468
> 長州は仕方ないとして、谷津マシンカーン小林浜口をフォールできる選手が鶴田と天龍しかいない
それは単にジャパン側が負けブックを飲まないだけだろ。
俺個人的には小林、浜口あたりは石川、渕、井上あたりがフォール勝ちしてもおかしくない。
むしろ勝つべきと思ってたぞ。
もっとも飲ませられないほどの人気の差があったから仕方なかったんだろうが。 長州谷津と組むのが浜口カーン小林だとハンセンのラリアットすら出ないでグダグダ両リンになるか長州が勝つ >>481
マシンが全日でフォール負けしたのは天龍とデビアスだけかな ジャパン軍初参戦の横浜文体が長州と小鹿唯一の絡みだっけ?大熊と石川はジャパン相手に頑張って評価上げたけど、小鹿は主力勢とは当たらなかった。 >>475
メキシコでのアンドレ戦を浜田が中止させたと思い込んだカーンが
一方的に浜田を襲撃しただけ 結論はジャパンが来る前はテリー引退特需以外は厳しかったからジャパンは救世主だったが不透明決着が増えすぎて人気下降って感じかね >>486
一応オールスター戦でも当たっている。
小鹿は対国際血盟軍要員という感じだったね。 >>486
激闘!エキサイティング・ウォーズと激烈!スーパー・パワー・ウォーズで2回ずつ
最低でも計4回はタッグで絡んでる(その後は面倒くさいから調べてない)
結果は全て、○長州(ラリアット)小鹿× >>480
>冬木地団駄踏んで本当に嬉しそうだった
言わんとすることはわかるが、「地団駄を踏む」は悔しい時に使う表現だから、「足を踏み鳴らして本当に嬉しそうだった」とかの方が適切。 >>476
結局はUWAは新日本に回帰して年末のタッグリーグにカネックとドスを派遣 5月のlWGP&WWFチャンピオンSにカネックとベラが来てる 小鹿が本格的ヤクザとしてリングに上がって凶器として小刀を使った指つめのギミックを使えばシンのパートナーになれたのに。前哨戦とかで若手の指が犠牲になるが 足鳴らしとなると最強タッグ初優勝のゴディも印象深い >>497
カウント3入る瞬間ハンセンの背中に手を添えていたのも印象深い。 >>498
それって返されないよう押さえた反則行為にならないのかなと当時思った。 ガラプーにレスするなよ、あれだけさんざん荒らされたのに。 >>424
その日のカードで第三試合に組まれたゴディのインタビュー
「つい最近になって気がついたんだが、メインの試合のほとんどが日本人同士のマッチメークなんだ。
日本のリングの基本は、日本人対外国人の試合だったんじゃないのか?(中略)
武道館のビッグショーの時も、俺とカブキの試合は第3試合に組まれていた。
ダラスだったら俺とカブキが組めば必ずメインイベントだぜ。」
― それは最近の日本人の選手層が厚くなったからではないでしょうか?
「だから、俺たちガイジンを追い出そうってのかい?(中略)
アメリカだったら、チョーシューみたいなチビがトップに立てるはずがない。」
同じ頃にハンセンとレイスも日本人中心のマッチメークに警告していたな。
ハンセンは馬場から「今はバックバーナーに置いておくが、いずれ戻すから」と言われていたけど。 >>488
>結論はジャパンが来る前はテリー引退特需以外は厳しかったから
うーん、どうだろうね?
テリー引退してから年明けて、2月と3月で連続で蔵前を使用したり
同時に2大会ともトップスペシャルで放送したり、1984年の前半は好調だったんじゃない?
いちおう前年末の最強タッグも含めると3〜4か月の間に三回も特番放送が組まれてた
まあ、セコンドやレフェリーとしてテリーがその内の二回は関連してるから特需を振り切ったとはいえないけど…
まあでも鶴田のAWA転落後のビッグマッチ、大塚興行の田コロ以外は不入りが続いたから
そういう意味では勢いが春ごろには落ちてたかも、PWFタッグ争奪の最終戦の横浜も埋まらなかったし… >>501
馬場が「ヘイズはいらん」ってんでゴディだけを呼び続けた結果
マイケル・ヘイズはジム・ガービンとニューフリーバーズを立ち上げてしまった
そんな立場に追い込んでおいて前座に格下げではゴディの不満も出ようってもんだろうな 我が家は土曜トップスペシャルを毎週見てたが子供だったからあんまり覚えてないわ
プロレスが人気だったんじゃなく日テレがこの枠にうまくプロレス中継を混ぜたんじゃない?
日本アカデミー賞
爆笑!東西オールスター落語漫才大合戦
日本の博士50人クイズ
久米宏のびっくり発明大賞
全日本ウルトラ選手権
輝け!!クイズ実力日本一決定戦
素人変装グランプリ/家族㊙変装大作戦
各界美女チーム対抗水中大合戦
特別生放送!!おもしろまじめ人間大集合
輝け!!日本の政治家50人クイズ・自民党代議士編
欽ちゃんの全日本爆笑CM大賞
世界へはばたけ!'オールスター家族対抗ジャンボクイズ
全日本プロレス中継特別編
オールスターワールド水上フェスティバル
全日本オールスター選抜大運動会
素人ばかうけビデオ祭り
日本民謡大賞
世界の決定的瞬間
都はるみ さよならコンサート
男はつらいよ 特集 寅さんのすべて
土曜ナイター - 巨人戦 >>5
でも、「ダラスだったら」「アメリカだったら」ってのは少しピントがずれてるような。
長州にしたら「ここは日本だ!そんなの知るか」ってとこだろう >>505
そういう時点でゴディはまだまだだったんだよな >>505
逆にゴディにしてみれば、相応の待遇で呼んでくれなければ、
テリトリーの1つでしかない日本のために、全米で人気のあった
フリーバーズを解散した意味がないって思ってたんじゃないの? >>508
当時はアメリカでの働き場が急速に無くなっていく時期だからな
この時点ではまだ両睨みがギリギリ出来たのかもしれないが
まあ一応は仙台で鶴田のインターに挑戦してたし >>502>>503
外人天国是正、日本人レスラーの底上と世代交代等の全日改革をブッカー佐藤&松根社長
は邁進して観客動員はともかく年末の鶴龍コンビの最強タッグ初優勝と結果が出て佐藤は
「これ以上いると馬場さんとの関係が悪くなると・・・」とブッカーから身を引いた。
のちのゴールデンタイム復帰も土曜トップスペシャルでの特番枠で高視聴率が評価されて
の事だった。「全日向きはゴディのみ!」と判断したのは佐藤だった。 フリーバーズにしても例えばR&Rやミッドナイトにしても
それである時期ある地区でブレイクしたってだけで
米では基本タッグチームはある期間過ぎると
他地区に転戦して解散したりメンバー代わるのが普通だしね
実際米においてはフリーバーズってのは建前的には
リーダーロバーツ、看板ヘイズでゴディはむしろ先兵役ってのが役回り
ウォリアーズやファンクスや馬場鶴田、極道みたいに
タッグチームに対してずーっと同じコンビで特別な絆的なかんじで見てる
日本の方が米の感覚ではむしろ珍しいんだろ >>505
そうだよね。
この頃の常連来日外国人選手の不満を端的に言えば「長州人気に対する嫉妬」だと思う。
1985年は長州の最盛期であって、メディアの取り上げ方もプロレス内外で凄かった。今とは全く違う意味で。
テリー、ハンセン、レイス、ゴディ、スレーターなんかも当時来日すれば「チョーシュー、チョーシュー」ってね。
ちょうど全日本も「外人天国」から「日本人対決」に移行する過渡期だったよね。
でも、谷津の話だとこの頃ゴディに「あなた長州に似てるね」と言うと、ゴディもまんざらでもなくその後喜んで
サソリを使うようになったらしいよw 実際に小さい長州と五分五分の試合するの嫌だろうからな、谷津みたいに受ける時は受けてくれるならいいが
藤波もブロディのハイキック食らってすぐ起き上がって不穏な感じになったし、スタイルの違いもあるだろうけど >>512
ゴングのコラムで二宮清純が、全日の外国人にしてみれば「チョーシュー?who?」って感覚だろうって皮肉っぽく書いていたな。まあ、二宮はアンチ長州っぽかったけど。 おれも長州たちが来て
@客入りや視聴率がよくなって全日がもりあがる
Aプラマイで新日に打撃を与えられる
ことは望んでいたけども、カードや星で超好待遇していたのは気分が悪かった。
都合の良い考えだったんだろうが、レッサーヘビー級というか寸足らずヘビー級で
がんばってもらって全日外人とは別世界でやっててほしかったな。 >>514
長州が当時、一気に人気が出たから外国人レスラーにしたらそんな感じだろうね。
ケビン&ケリーが新日本に初来日した時のインタビュー(1985年10月)
― いま日本では長州力というレスラーがぐんぐんのし上がっています。
ケビン「チョーシュー?誰だいそりゃ。聞いたこともないよ。どんなレスラーだい?」
ケリー「チョーシュー、チョーシュー、おもしれえ名前だな(笑)」 全日本時代と三銃士時代の長州は線が細くて攻め込まれると弱いものイジメ感が出たからな、見てる人以上に相手レスラーは気を遣ったと思う
体のデカい天龍や攻められても目が死んでない猪木は試合の8割を受けにまわっても弱さを感じない でも天龍はハンセンと組んでる時は受けのつもりがハンセン乱入で攻守逆転されて、次の攻防で受けになり
。。を繰り返し凄く弱く見えたけど 馬場は長州一派に気を使いすぎたんだよな
待遇が良すぎるから不平もでる ケビン「チョーシュー?誰だいそりゃ。聞いたこともないよ。どんなレスラーだい?」
― マサ・サイトーの弟子。
ケビン「…」 「アサイーってあのチビは何なんだ」
「テンルーのボーイでミングの友だち」
「…」 >>520
ロードウォリアーズもそうだけど、客を呼べる選手を最優先ってのは経営者としては当然ではあるよね。 マサ斉藤の効果は知らないがアメリカ遠征で馬場の団体というのは扱いに効果あったと渕が言ってた フリーバーズの南部キャラはWWFに行っても面白かったかもね
それこそブリティッシュブルドッグスとの抗争とか
ゴディはすっかり体調崩してからWWF行って酷い扱いだったけど >>526
84年にちょっとだけ出てたんだよね
ホーガンと同じ金額で引っ張られたとか
秋のジャイアントSに来て
「あそこにはエリック兄弟のような歯ごたえのあるライバルがいないから辞めた」
とか言ってたが >>526
NYだとどうだったろうねえ?
NYやニュージャージー、ボストンあたりは
南部ネタにするにしても
南軍前面に押し出してサザンクロス旗振ってってのは
ガチで引かれるというか軽蔑の対象にされた可能性もあったかも
南部キャラって基本「間抜けな田舎者のレッドネック」だからこそ
北東部の都市生活者にとってはインテリ層から移民の労働者階級までが
共通してネタにできるって側面あるから
フリーバーズのキャラだと意外と微妙だった可能性も・・・ 1984年にフリーバーズが行った時はほとんどがムーンドックズとの絡みだな。 ヘイズは結局フリーバーズとして84年に2回来日しただけか。
ゴディはともかく、さすがに後でコンビ組んだジム・ガービンよりは
日本向きだったと思うので、一度くらいピンで呼んでほしかった。 こっちからみたら同じアメリカ人に見えるけどニューヨークとかから見たらテキサスは田舎者に見えるのかな >>530
ゴデイ、ヘイズ、ロバーツでの来日の際は毎回ロバーツがフォールされてたイメージ >>532
フリーバーズは初来日でいきなりコンビ解消直前の馬場鶴田組のインタタッグ王座に
挑戦して引き分けの高待遇だったからな。
当然、ゴディもヘイズもそう簡単には負けさせられないので、ピン取られる役割は
ロバーツに回ってくる。
ヘイズがその後呼ばれなかったのは、そういう待遇をするほどの選手じゃないっていう
馬場の評価だったのかな。 馬場はアウトローズについてもマードックだけ呼び続けてローデスは呼ばなくなったので
それの相似形 >>428
鶴田覚醒。
あの浜口をぶん投げた強烈無比のバックドロップ。 https://livedoor.blogimg.jp/kakemuhiro/imgs/e/0/e08b910c.png
ハンセンとのタッグとかウィリアムスのタッグでトップを張ったり
三冠王者になったりと、長州がいなくなってたからフォローしたから
馬場としてはゴディは重宝したつもりだろうな ヘイズはジム・ガービンとのフリーバーズで新日のタッグリーグに参戦の噂があったような >>534
全日にレイス、新日にローデスが来るシリーズの直前の予告では、オープン選手権のレイスvsローデス
を繰り返し流していたよな。日テレもテレ朝に対しては、かなり挑発したことがたくさんあった。 >>536
ハンセンより僅かに早く外人初の三冠王者になったのも大きかったな
敗れたとはいえハンセンの挑戦を受ける立場になったのも大きい ゴディのWWF東京ドーム、ホーガン戦直前の対戦拒否の真相はどうだったんだろうな。
本人が負け役はイヤだと拒否したのか、それともチケット売れずハンセンに代えられたのか。 >>536
初来日から手塩にかけてシングルでもタッグでも王者に育てた選手だしね。
全日の純血外人としてはブロディに次ぐ存在だったし、
だからこそそれからたった数年でコンディション崩したのは残念だった。
大学でフットボールやレスリングやってコンディショニングの
知識を身につけていればあんなことにはならなかっただろうに。 >>511
フリーバーズはジョージアでは別格扱いで長年人気だった
ジョージアのプロレス番組でテーマ曲が流れるのはフリーバーズ(ヘイズ)だけ
途中ヘイズとゴディは仲間割れで結構長い間チーム解散してお互いに別のパートナーと組んで抗争してたけど
何故かヘイズの方がベビーなんだよなw レスリングサミットの興行の責任を気にしていたかどうかはわからないが
メインはホーガンがピン勝ちという結果をWWF側が頑として譲らないなら
WWF世界ヘビー級というタイトル戦ならまだしも、ノンタイトル戦で
ゴディをホーガンに負けさせたくないという馬場の親心だったりして
それだとハンセンを負けさせるのはええんかという疑問が残るが ゴディが鶴田のインターに挑戦して、ヘイズが天龍のUNに挑戦したことがあったが、
あれだとUNの格下感が隠せないよね。ヘイズがUN元王者だったからだと思うけど。 いまプロレスクラシックで
三沢川田vsゴディウイリアムスやってるが
この殺人魚雷は面白かったな、このチームの結成を提案した者は金一封ものだと思う
それとも元々が何か外国でつながりがあったのかな?
当時はすごく異色のコンビニ見えたが、こんなにハマるとは…
なんかウイリアムスがブロディに、ゴディがスヌーカとダブルるイメージなんだよね、個人的主観では。 ブリティッシュブルドッグスvsカムナムエクスプレス! >>548
三沢、川田VSゴディ、ウィリアムズもだな。
ジョー樋口、仲田リングアナ、ゲスト解説の馬場、鶴田
故人ばかりで悲しくなる・・・ フリーバーズは世界のプロレスでウォリアーズにピン勝ちしてた記憶
レフェリーのブラインドをついて凶器攻撃でだけど カブキ、小鹿、大仁田、猪木
悪人ばかりで悲しくなる >>531
北部では基本的にカウボーイはヒール
「テキサスのカウボーイ」ってのは
「粗暴でガラの悪い南部保守派の田舎者」の代名詞みたいなもん
特に街自体がリベラル優勢の北部大都市圏では鉄板イメージ
>>542
> 何故かヘイズの方がベビーなんだよなw
日本人からすると小柄でズルくていけ好かないすかし屋キャラのヘイズの方が
圧倒的に悪者・小悪党のイメージになるんだけど
80年代の米では金髪長髪の派手ないでたちで
いかにも生意気そうで口が達者でお行儀の悪いヘイズはロック・スターのバッドボーイ
〜デイヴ・リー・ロスやヴィンス・ニールやマイケル・モンローみたいなイメージで
それがむしろ時代的にヒーローとして受け入れられてたんだよね >>545
殺人魚雷コンビ全日マット初登場の日、解説者席に座ってた竹内さんが
「ゴディは今までハンセン以外パートナーに恵まれなかったんですけど、
これでやっと最強のパートナーを得ましたねえ」と興奮して話してたから、
「ヘイズは大したことなかったのかよ」と思ってしまった。 >>517
そう。札幌でのインタビューで
ケビン「なあ、ケリー、やっぱりお昼は天ぷらそばじゃなくて、ラーメンにしようぜ。
サッポロには"ラーメン・アベニュー"があるらしいじゃないか」w
>>540
>>それともチケット売れずハンセンに代えられたのか。
こっちだと思うな。
ハンセンが「2日前にゴディから自分に変更になって、全く売れてなかったチケットが2日間で三分の二売れた」と言っている。
表向きには「ゴディの拒否」となっていたけどね。
ゴディが亡くなる直前のインタビューで「自分のキャリアでスタン・ハンセンとの対戦が一番エンジョイできた」と言ってる。
2人はタッグチームとしても成功したし、ゴディにとってハンセンは特別な存在だった。 >>531
78年の最強タッグの開幕戦終了後に出待ちしてたらファンクスがエレベーターで降りて来たんだけど、
二人とも冬なのに白TシャツにGパンとブーツで日本人の俺からしても田舎者にしか見えなかったよ。 >>549
馬場 鶴田VSゴディ ウイリアムスもだね 佐藤昭雄の話ではビンスの出した条件が「日本のトップ外人」と「ホーガンのピン勝ち」のみでゴディをトップ外人ということで対戦相手にしたけどチケット売れなくて様子がおかしいとなってハンセンがトップだとバレたとか >>528
映画『ハイランダー』の頭の方で、フリーバーズがWWFのリングに上がってる姿が見られるんだよな >>511
ヘイズはチームリーダーなのに弱くてゴディ頼りという特異なキャラだったから通常の
タッグチームの役割分担はあてはまらない
ゴディのキャラはぶっちゃけ「知恵遅れの大男」で悪友のヘイズにいいように使われてる
ギミック
後期はその「足引っ張るリーダー」役をロバーツが受け継いだけど
>>534
全日旗揚げの時点ですでにアウトローズは解散してたまたま同じ地区に入ったときだけ
組む程度だったから継続中だったフリーバーズとは違う >>552
映画「ブルースブラザーズ」では都会人(シカゴっ子)の主人公たちのバンドが手違いで
カウボーイの集まるバーで演奏することになるスキットがあったなw
最初はブーイングされるがミュージシャンとしては一流なので無難にカントリー&ウエスタン
演奏して事なきを得る >>561
あったな
最初は都会的な曲をやったら大ブーイングが起きてビール瓶が飛んできた
でやる曲をローハイドに変えたら客が収まって喜びだした >>511
ドリーとテリーはシングルプレーヤーとしても売れっ子だったので全米でも兄弟タッグ
は単発で組むくらいで貴重な存在だった。そんなタッグチームを何週間もじっくり見られる
のは贅沢だったらしい。
>>525
しっかりした下地ができているし「黄金マーケットの日本に呼んでほしい!」と
プロモーター馬場の威光も大きかった。
>>554
ビンスはホーガンとアンドレがいれば東京ドームも簡単に埋まると甘い見通しを立てていた。
2月の新日ドームが全日勢の緊急参戦で盛り上がったからチケット代が特に高いドームで
最初のカードではファンは様子見で動きがかなり悪かった・・・ 何度も言及されてるけど
60年代後半から80年代前半のアメプロはテリトリーごとに特色があって
マニア的視点では最盛期だったが
商業的には底辺だったからTVマネーつきの日本の団体は円札ビンタで
どんな大物でも招聘できた
TV東京時代の国際ですらトップランク(だが日本向きではない)のグラハム
やベーカー呼んでるし >>555
子ブッシュだったったけか
スーツにテンガロンハット被ってたのを見たときにかなり驚いた。
あんなのかなりのコード違反だと思うんだが。
地元支持者へのアピールなのかもしれんけど。 WWEではブラッドショーがスーツどころかタキシードにテンガロンハット
被ってたな
あとリムジンのボンネットにロングホーンつけたりw >>555
『プロレス入門』では、ドリーは夏でもきちんとネクタイ締めてスーツ姿、一方のテリーは「暑い。暑い」といってシャツをハサミでジョキジョキ切ってしまう、ってのを思い出した。 ファンクスの田舎くささと対照的に
ブッチャー&シークの私服は最高
ブランドスーツにブランドサングラス、ジュエルリングと完全にマフィアルック >>561
あれは(都市黒人のセンスの)シカゴブルースでなく
ベタ過ぎる超有名TVドラマの主題歌で
誰でも知ってる “カントリー風ヒット曲” の
『ローハイドのテーマ』を演っとけば大喜びでて酔っ払って盛り上がってしまう
「実は音楽なんか聴いてもいなきゃわかってもいない田舎者」を
二重に揶揄にしている場面なんだが
どうも単純に「ブルース(黒人音楽)vsカントリー(白人音楽)」で
「ブルースバンドが器用にカントリー演りだしたら途端に客が歓ぶ」
だけでギャグになってると思ってて
なぜあそこでカーター・ファミリーやB・モンローやJ・デンバーとかでなく
『ローハイドのテーマ』なのかをそも理解してない人が多いんだよ、アレ
あれは「カントリー演っときゃ歓ぶ田舎者のバカ」ってよりは
「(カントリー風の)TVのヒット曲演っときゃ歓ぶ田舎者のバカ」ってギャグ 黒人のパーティなのに手違いでカントリーバンドがやってきて白い目で……
ってのもあったんじゃなかった? そんな場面を見た記憶がある。
ひょっとしたら違う映画でそれこそこのブルースブラザーズのパロディになってるのかもしれない。 >>569
それは穿ちすぎ
単に「ローハイド」歌ってるフランキーレインがエルウッド(ダン・エイクロイド)の低音ヴォイス
を活かすサタデーナイトライブでの物まねネタの定番だっただけ >>556
正確には鶴田、馬場
馬場が先にコールされた時のどよめきは凄かった
第五回のチャンカー決勝は鶴田が馬場を迎える形で行われテロップも鶴田vs馬場だったのでそちらのコール順も気になる >>549
新日だとマサ、橋本、北尾対ベイダー、ビガロ、ウイリアムスの試合が全員故人… Zガンダム(ティターンズ)
バスクオム203cm
ジャミトフ195cm
ジェリド195cm
スパイビー203cm
ゴディ195cm
ハンセン193cm
ハンセンが1番小さい >>551
立ち上げから参加してる百田光からは悪い話聞かないな。 >>555
また捏造かよ ダサい謎のTシャツもしくはネルシャツはあるだろうが
流石に白Tは無い 白T流行らせたの80年代のBアダムスとかだろ
プロレスアルバムでも白Tのスタイリングなんか誰も着てない 知ってて言ってるだろw
百田は第一試合が終わった後の若手一時間説教や、病気後の鶴田への「またアメリカ治療ですか。。会社の金で!」のイヤミとか性格の悪いエピソードいっぱいあるだろ >>552
マイケル・モンローなんかアメリカじゃほぼ誰も知らんだろ
最大のヒットが全米161位だぞ 天龍×ヘイズのUN戦は、阿修羅・原の興行だったのに、投げ出して失踪しちゃって会場ガラガラだったんだっけ? キース・リチャーズやジョニー・サンダースみたいなキャラはプロレスには居ねえな
R&Rエキスプレスはメタルつーか産業ロックみたいだったし >>578
>病気後の鶴田への「またアメリカ治療ですか。。会社の金で!」のイヤミとか性格の悪いエピソードいっぱいあるだろ
大功労者に凄い発言だね
バックドロップとは名ばかりのただケツを持ち上げて後ろに倒れるだけのくせに
あの独特のフォームに味わいは感じるけど >>578
>鶴田への「またアメリカ治療ですか
百田の方が年上でプロレスのキャリアも先輩なのに敬語使うのね >>578
永源のセリフかと思っていたが百田なのか要するに 二人に言われると自信なくなってきたがw百田だったはずだよ
>>585
敬語なのが余計イヤミっぽい >>579
ハノイはロックスは俺の高校時代のスターだったよ 「またアメリカ治療ですか」ってどっから出てきたんだよw
百田説も有力だが明らかにはなってない
正確には↓
元子さんのもとへ相談に出向きました。
ところが、そこであるレスラーが、彼にとんでもないひと言を浴びせかけてきたのです。
“今度はアメリカ?全日本の金でアメリカに行くの?” 奥さんの著書だと、後から全日に来たのに真ん中に居座ってる人に言われた、みたいなのを見た記憶があるから永源だと思ったけど違ったのか。 >>591
> 奥さんの著書だと、後から全日に来たのに真ん中に居座ってる人に言われた
だとしたら確実に百田ではないだろ。 結局永源を重宝した挙句にノアに持ってかれているんだから馬場夫妻は人を見る目も
なかった。 >>594
最後には永源も小田原に見る目が無かったが >>595
馳は母校の専修の大学院に進学して
学者レスラー第一号になる計画があったのに
鶴田に先を越されて凄い嫉妬してたから、動機はありそう。
でもいくら国会議員とはいえ「真ん中に居座ってる」ってほど
鶴田がいたころの全日で発言力あったとは思えないが >>597
馳と永源が組んで互いの影響力を強めていた可能性はある
まさに政治って プロレスクラシック、いま鶴田vsマンテル
まあそれはいいとして、百田義のコールは抑揚がついててイイよね
声も原リングアナより野太くて、こちらの方が好きだな
そのままリングアナを続ければよかったんでないか?
兄弟レスラーを売りにするにも前座なんだから… >>581
スタイルは全然違うが菊地毅がキースリチャーズ意識してると週プロのインタビューで言ってた。 >>599
百田義は慶応のアメフト出身だから
体力にはそれなりの自信あったのかも。
随分後だけど木原アナもレスラーとして何試合かこなしたし、
リングアナやってると自分もレスラーになりたくなるのかも。 >>599
多分百田兄のレスラー転向は人気低迷の挽回策だったんだろう
本人からレスラーになりたかったとはとても思えない
もしそうならもっと若いうちに転向してるだろう >>600
第一線を退いても高額ギャラをもらっていて不動産に詳しい鶴田は全日・横浜道場の
土地まで探して紹介したがそれを見下ろす所に鶴田の豪邸があり「欠場レスラーがなぜ?」
それがかなり不満だったと言われていた。鶴田夫人は「それに関しては馬場さんとの約束で
他人に言われる筋合いはありません!」ときっぱり自著に書いていた。
創業初期からの大功労者にこんな事を言えるの古株(百田)か馬場の番頭(永源)しか
いないはず・・・ >>604
馬場が「この世界のもめ事は全てヤキモチから産まれる」と言っていたが名言だわな
「なんでメインイベンターがマンション住まいなのに新間が豪邸に住めるんだ?」と
クーデターで新間が追い出され
積まれた大金と好待遇で長州派は新日に出戻ったがヒロ斎藤は橋本にボコられ
長州は前田に顔面蹴りを食らわされ
猪木は日本プロレス時代に「これじゃ俺は馬場の家来だぜ」
「馬場組と書くな!馬場猪木組と書け!」と言ってたって話だし 京平が、鶴田病欠中に、
「鶴田さんに今までと同じギャラ払うのって大変ですね」
と馬場に言ったら一言、
「払わないと新日本に行っちまうだろ」
まだクツワダ事件忘れてなかったのかと 「俺達はプロレスができなきゃタダの体のデカい男なんだから鶴田はもっと全日本プロレスを愛してほしい」と
言っていた天龍が契約金3億積まれればSWSに移るんだから
この世界では自分以外は信用できなくなる 愛してほしいなんて白々しいから
天龍はそういう人気取りなんだな。
後輩の面倒見がいいとかも。
カブキ「天龍の方が狡猾なところがある」 >>607
その発言のソースは何?
少なくとも自分は聞いた記憶がないけど。
ジャンボはプロレス以外もできる人間だよ。
天龍もそれくらいわかっていたと思う。 >>607
1987年頃の週プロのインタビュー
天龍革命を始めたあたりの時期 レス先訂正
>>609
1987年頃の週プロのインタビュー
天龍革命を始めたあたりの時期 かりに鶴田は病気にならなくても引退して大学教授目指してたのでは。
小橋に「プロレスはずっとやれないから第二の人生を考えなさい」と言ってたような気がする。 本当に面倒見がいいのは阿修羅だろ。
地元に美味しいちゃんぽんの店が出来たと、若いの連れて行った先がリンガーハットだったりするんだけど。 俺が百田のクズエピソードとして書いてからまずい方向にいきそうだな。。
今朝まではレスが増えて良かったと思ってたが>>613見るとそろそろ幕引きにしないと >>614
原って企業勤務の経験があるのにめちゃくちゃだね
長崎県出身の友人に自身がよく行く且つ他人に勧めるちゃんぽんの店を尋ねたらリンガーハットだった >>568
78年の最強タッグで出待ちしてたら二人揃って出て来たが、
まあ頭のてっぺんからつま先までいかにも高級そうな服、時計、靴で見るからにセレブっぽいいでたち。
白Tシャツ、Gパン、ブーツのファンクスとはホント対照的だった。 セレブというよりアメリカの成金なキッチュさが溢れているよね。
でもそんな彼らが仕事になると、先が跳ね上がったリングシューズ
なんだかわからない空手着とラクダのシルエットのタイツなんだからね〜。 ラシアンズって一回しか来なかったっけ?スケジュール的に難しかったのか、馬場が「ウォリアーズいるから必要ない」と思ったのか。 ブッチャーの私服の格好良さは新日本の猪木の挑戦で発揮されたのが残念。
ブロディにスーツ着させたりこういうのは新日本のが上手い、全日本は外人レスラーを本国のまま使うポリシーがあったのかもしれんが >>619
ラシアンズとしては2回。
その後、ニキタが単独で来ている。 >>615
> 俺が百田のクズエピソードとして書いてからまずい方向にいきそうだな。。
お前が書いたんならお前が責任とって永源じゃなくて百田だった証明するか
証明できないんなら思い込みだったと認めるかしろよ。 >>622
これソースなんだったっけ?
鶴田の奥さんが出した本だっけ? >>592
マジレスすると馳
三沢曰く馳は後から入団してきたのに馬場さんに色々と告げ口すると嘆いてた 鶴田夫人の本には、あるレスラーに
「今度はアメリカ?全日本の金でアメリカに行くの?」と書いてあるだけ
鶴田の「引退するとき、僕の寂しさがわかるよ。あの人もそのとき、
僕のことを考えてくれればいい」という話が出てる時点で
年下のことは「あの人」とは言わんだろ
密葬の時に、生え抜きは隅に追いやられ、新日本出身の人が中央で堂々としていた
主人がマネをできないしたたかな生き方がそこにはありました
と出てきて、前の話とつながってるかはわからんが、こっちは永源と思われる
同じやつのことを話してるかもしれないけど >>625
>密葬の時に、生え抜きは隅に追いやられ、新日本出身の人が中央で堂々としていた
ジャパン参戦のとき、長州たちが優遇されまくったこととダブるな
全日の選手層や人材育成が新日本に大きく後れを取った結果なのか
それとも単に新日出身者が図々しいだけなのか 長州なんて、
シリーズ中自分だけ休んでサイパンに行ってたというのに・・・ 新日の闘魂三銃士は「自分を見つめ直すため」シリーズを全休しても
その期間のギャラは支払われるんだっけ、三沢たちは悔しかったろうな >>620
84年7月の週刊ゴングに、あの頃レスラーのファッションを特集するコーナーがあって、
ブッチャーが登場。そのセンスの良さにファッションデザイナーが
「素晴らしい。これはフランス統治時代のニューオーリンズの香りがする・・・」と書かれていて、
どんだけ凄い褒め方かと思ったよw
これは信憑性ははっきりしないが、TNTの話だと、リング外でレスラーがTシャツとトレパン姿であることを極度に嫌い、
常にビシッとスーツを着るカルロス・コロンがホセを通じて「ブロディの格好を何とかさせろ」と伝えたが、
全くブロディが聞き入れなかったのも、ホセやコロンの心証を悪くしたとも言われているんだよな。
確かに、コロンやビクター・ジョビカはプエルトリコではリングを降りるといつもスーツ姿だった。
ブッチャーは私服もいいし、80年代にかけていたサングラス姿も最高に似合っていた。 >>628
当時の新日の主力はなんだかんだ理由をつけて交替で休んでた。
また坂口が社長になってから年俸制に移行した。 >>631
地元に年一回巡業で来たけど二年連続で橋本欠場だったな。
そしてそのまま新日退団だった。 >>619
渕の話では馬場がニキタをあまり買ってなかった
ニキタは試合前の日本人の練習に混ざって受け身をやったり馬場に教えて欲しそうだったらしいけど >>631
猪木は年俸制は選手を堕落させるから、あんなの止めろと坂口には言ったらしい。 そういえばハンセンのスーツ姿とか余り見た事無いな。
PARCOのポスターの時はネクタイしてたっけ? >>634
そういやクラッシャークルスチェフは、後にWWFでャfモリッションb窿梶[ポマンとbオて結構活躍しbスな。
実bヘクルスチェフbフ時代から試合bフセンスがあっbスんだろうか。 ハンセンは週プロの企画で武士の服を着せられて、以来週プロでやたらその写真が使われたので正装のイメージがある >>625>>626
恵比寿の馬場のマンションから霊柩車を見送る時に永源&馳組は堂々と中央にいた。
永源の仲人は森元総理、馳はのちの文科大臣にまでなる。この石川県コネクションは
全日の中では存在感は群を抜いていた。馬場のブレーンとして権勢を振るう永源も
さすがに生え抜きのスターレスラーで体を張る三沢には一目置いていた。
ちなみジャパンのスポンサーだった竹田氏と最初に知り合ったのは永源だった・・・
>>629>>633
試合後の後援者との食事会で急の要請でもビッチと決めてくるブッチャーは「社長さん!」
と営業トークも素晴らしくサイン、写真撮影も積極的で好評だった。アンドレは無言で
飲んで食べるだけ写真撮影なんてもってのほかだった。シンは冷房の無い部屋でジャケット
を我慢して着ていてさすがに「社長!脱いでもよろしですか?」とことわってから脱ぐ
紳士ぶりだった。
>>635
馬場は年俸制を秋山からの強硬な申し出に一度は検討するが「経理と相談したが無理
だった・・・」と拒否した。全日はついに最後まで年俸制にできなかった。
三沢がマッチメーク等の権限を要求して強引に獲得したり元子夫人のは勇退を要求したり
この辺りから全日は分裂に向けてキナ臭くなっていた。馬場が死去しなくても不平不満が
溜まっていていずれは分裂したと後年、週刊誌に書かれていた。 >>639
後年に和田レフェリーが自著で独立前の不満がたまってる三沢に対して
「もう少し我慢しろ、必ずいい時が来るから」となだめてたらしいが
それは元子夫人の意を知ってたからで
「設立30周年までは現行の全日でいく、それを終えたら株も含めて三沢君に全部譲り自分は身を引く」
なぜそれを三沢に元子夫人も和田レフェリーも両者共に内密にして言わなかったんだろうか…?
その話は後からいくらでも言えるという見方もできるけど、結局は上場計画の話も含め、武藤に託したわけだから…
それまでも、永島社長案やデストロイヤー社長案がでるぐらいだから元子勇退の意思は本当だったとしか思えない。
ノア設立が2000年、30周年が2002年、武藤に譲ったのが2002年の初頭
あと1年半〜2年とわかってれば、三沢も分裂騒動なんて起こさなかったんだろうし。 >>639
全日は試合給だが最低試合数の保証があって最低年収が保証されてたと百田?が言ってたような。
確かにSWS裁判の資料も見てもカブキは全戦出場してるのに試合数が違う選手が多数いる。試合数こそ社長馬場のレスラーへの評価なのだろう。
馬場猪木両名が予想したとうり、年棒制に移行してからの新日本は不可解な欠場が目に付き、当日のチケットを購入したファンをがっかりさせ最終的に崩壊した。
馬場はともかくハイセル以前の猪木は一試合一試合を大切にし、客を入れ新日を大きくしてきたのに目の前で見ていた選手たちはちっとも理解してなかった
ということなんだろう。
秋山はノアに移って年棒制+出来高に成ったようだが外から見ると名前以外に全然変わっていないような気がする。
ローンが受けれるようになったと秋山が言ってたが、年収20億のゲームクリエーターがカードの審査落ちちゃう程
人気商売客商売は社会的信用が今でも低いのは変わらない。 >>633
ドリーは自分が子供の頃(テリー引退前)には
「おじいさんみたいな見た目」だと思ってたけど
あれから30年以上経つと、シュッとしてカッコイイ爺さんだよね
まだまだ背中も曲がらず高いだろうし、ハットも似合ってるし、こういう爺さんになりたいとさえ思うよ。 猪木は地方巡業での手抜きがひどかったよ
馬場も猪木も試合給にこだわったのは
プロレスラーは楽な方、楽な方へと行こうとする連中だと知っていたからだろう >>633
連レスばかりでごめん
こういう写真を見るといつも思うけど、この三人もそうだし
爺さんでも手首から先の手のひらのゴツいこと…
レスラーは鍛えりゃ誰でもなれる、というけどこういうの見ると
元々が身体的、体幹的にかなりの素養を持ち合わせてる化け物クラスがなるんだなと思う。 昔は仕事でも無欠勤が推奨されてたからな、人気商売だし最低でもリング上から挨拶、基本は6人タッグで出番を減らしてでも出るべき
とするためにも試合給は必須だったんだろ >>642
ドリーは若ハゲというだけで、頭以外は年相応の二枚目だったと思うけどな。1980年にゲッソリ痩せた時は老けて見えたけどね。 毛があれだが、ドリーは歴代王者なら
キニスキー、レイスよりずっといいしローデスよりハンサムだろ。
フレアーやブリスコよりはちょっと落ちるように思う。 >>649
フレアーは別としても
ブリスコは…個人的主観で大変失礼なんだけど
映画「悪魔のいけにえ」の冒頭に出てくる
頭のイカれたナイフ振り回す役者に似てる、いや勝手にそう思ってたガキのイメージがそのまま…
なんというか、サイコチックな事件を起こす役柄的な風貌に見えて…本当に悪いんだけど
以前にトム・マギーが「マッドマックス2」のヒューマンガスの素顔の役者さんに似てるとかいう話もあったけど。
フレアーは…どうやっても布施明に見えてたよw >>650
俺はフレアーは草刈正雄に似てると思ってた。 >>649
ローデスは痩せてたら男前な気がする。
息子のコーディは親父の面影残しつつ男前だし。
ダスティンも不細工ではないしな。
>>650
自分もフレアーは布施明に見えて仕方なかった。
あと倉持アナが南州太郎に見えて仕方なかった。 >>651
>>652
あとこれはマジで子供の頃に思ってたんだけど
坂口征二と俳優の伊吹五郎は同一人物だと思ってたw
どちらが本業と思ってたかは忘れたが、レスラーと役者を兼ねてると…
よく坂口と草津が似てるといわれるが自分は全然ピンとこない
坂口と伊吹が同じと思ってたから… >>656 めっちゃ似てる。青春とはなんだ!だっけ? こちらはパルコではなくラフォーレ
90年だからもう三人とも全日本を辞めているが
https://i.imgur.com/IwbjCVq.jpg >>653
坂口ー日プロで将来のエースと期待され鳴り物入りでデビューするが脇に回る
伊吹ー東映で将来の主役と期待され鳴り物入りでデビューするが脇に回る
キャリアも似ているかも 合ってたのか
こんな華の無い三人が広告で採用されるわけないと思ったから 長身・角刈りの共通点だけで草津と間違われるのは仕方ない。草津は実際坂口と間違われて
何で俺があの野郎と間違われないといけないのかと激怒していた。 >>665
坂口に間違われるのなら悪い気はしないだろうにね…単純にルックス面なら
まあ、そういうルックス云々とは別の人間関係に起因する思いや、自己評価も含む何かだろうけど… >>663
石川の笑顔って初めて見た気がする、割とマジで…
勝った時や祝杯のビール乾杯の時も含めて、ポカーンとしたポーカーファイスのイメージしかない >>663
若い主婦層がターゲットなのにこの3人という
「温かい雰囲気」も含めてますますわけがわからんが
タカシの笑顔がかわいいから良しとしよう >>655
ハンセン格好良すぎる…
そういえばハンセン最強タッグ乱入から今年はちょうど40年
40年前の1981年は三沢が入門した年
乱入の翌年2月、馬場vsハンセンが行われた当日の控室、川田が入門願いで馬場と初対面
その2人が中心になってSWS騒動後の全日の危機を救うんだからなあ…そして鶴田倒れた後の壁がまたハンセン…歴史ドラマだw >>640
疲弊している三沢を見かねた馬場が強制的に休場させてその間に有り余る時間を使い
巡業にも同行して全日内部の状況を冷静に分析しスタッフ、レスラー等から不平不満
を多数聞いて「次期社長と自他共に認める三沢」があまりにもリクエストの多い元子夫人
の勇退を馬場に進言したが拒絶された。
「この休場が無ければ・・・」と和田レフェリーは書いていた・
>>641
プロ野球もメジャーのまねをして複数年契約を導入するも好成績にリンクしていない。
>>647>>649
荒法師のようになゴツゴツしたチャンピオンの時代は終わりでTV放送も黄金期に入る中で
「若くてシャープで見栄えの良いチャンピオン」が求められて実力のあるドリーに白羽の矢
が立った。 >>665
>>666
草津は坂口と同学年だけど、プロレスでは先輩だからな
草津が坂口に似ていると言われることはあっても、逆に坂口が草津に似ていると
言われることはほとんどないのが不満だったんだろう。
>>647
ドリーはキニスキーからタイトル奪うまでに11回もチャレンジしている
相当金使ったんだろうな >>670
馬場にしてみれば元子は半身だからな
その勇退は馬場自身の勇退に等しい 京平によれば一番の肝心は馬場夫妻は可分か不可分かなんだよな
そして三沢には元子の役割の人間すらいなかったというのがあの最後につながった印象もある
仲田とはそれほど一体的でなく最後にはむしろ腐してたくらいだったらしいし >>655
めっさかっこええ!
ド田舎もんの自分はハンセンがこんなことやってたなんて知らんかった >>626
裏社会とのやりとりは自分がいなきゃ回らまいという
厚かましさといやらしさだろうな。 >>670
元子は馬場が頭が上がらないだろ。
石油王の娘だぜ。子供の頃から
お手伝いさんつきだよ。
馬場より自分が上と思ってたフシがある。 >>655
プロレス観ない人にはこれがハンセンだってわからないんだろうけどな。 >>676
それを良しと思うかどうかは馬場次第だからな
とにかく本人自身としてはあくまで馬場のためという意識だったろう
金儲けのためなら肖像権の活用などもっと上手くやれたはずだし あと馬場が和田に言った殺し文句として老後の面倒を見てもらうカアチャンと喧嘩出来るのかってのがある
これを言われてはこの世の亭主の多くは黙らざるを得ない >>674
多分あまり知られてないがテリーがマガジンハウス刊「BRUTUS STYLEBOOK '86」の予告広告に登場 馬場は俺は儲けるのは下手って自虐で言っていたが、元子さんも経営者としてはあんまり
上手とは思わないな。 >>682
元子の一番の仕事はマネージャーとして有名人の馬場をガードする事だからな
その点では世界一だと猪木も認めていた 個人的にもったいないと思ったのはダイナマイト・キッドの会場での
「この試合を最後に現役を引退いたします」
キッドの意思を尊重したのかもしれんが
あれほどの選手なら引退興行という形でチケットを売れば儲かっただろう
新日ならダイナマイト・キッド引退カウントダウンとかやりそう ファミ通に載ってたあんたっちゃぶるという漫画でも
鈴木みそがキッド引退には反応するシーンがあるな 馬場に商売っ気があったらもっとレスラーを売り出してる
デカイ身体のレスラーが集う馬場とその仲間たち一座だから閉塞感が出る >>684
引退会見で「俺はテリー・ファンクではない。」と復帰を否定したが「テリーみたいに引退シリーズや引退興行はしたくなかった。」というキッドの退き際の美学があったのだと思う。
まぁ後に復帰するのだけど。 キッドを知る関係者がこぞって「本人は本当は復帰したくなかった、金銭的に苦しくて
生活するために復帰して稼ぐしかなかった」と同情的 >>684
Gスピのインタビューに応じていた車いす姿のキッドは、まだ50代なのに
70過ぎの老人みたいに老けていたな
>>686
「プロレスって何ですか」と聞かれて、馬場は
「テレビで見た大男たちが町にやってくる。それがプロレスです」と答えててな
・レスラーはデカくなきゃダメ
・プロレスはテレビ主導の娯楽
・プロレスは地方巡業してナンボ。大都市集中開催なんてもってのほか
馬場のプロレス観がよく表れている言葉だと思う。 その分だけ馬場は時代の変化についていけなくなってきたな
昭和末期からは日テレからも「もう期待しない」とばかりに見放され始めたし
ターザン山本がいなければどうなってたか? フットルース、カンナム、ロックンロール、マレンコ兄弟
十分小さいのにも活躍の場与えてたと思うけどね。 >>690
そうなってたらむしろ楽隠居出来てたかもな マレンコ兄弟って今見るとなかなかいいな
当時はガキだったから良さに気付けなかったけど >>690
世間でのプロレス自体の人気が急速に落ちてたのもあるけど
天龍離脱以降のリング上のストーリーが四天王中心に移り変わることで
比較的コアなリピーターファンによる武道館などの興行人気は上がった一方で
テレビにおけるメインコンテンツとしては完全に見切られていったともいえる
そりゃ週プロや週ゴンで逐一ストーリーや情報追ってないと
TV観てるだけじゃリング上でやられている試合の意味合いやらがわからないんじゃ
会場はいくら盛り上がっていても地上波TVのコンテンツとしては評価は難しくなるよな
たまたま時代がTVの24時間放送化やBS、CSによる多チャンネル化によって
コンテンツが不足していたという状況に助けられて打ち切りは避けられてたけど >>689
谷津の「あいつはテキサスの芋だ、あいつははアフリカのでかい奴だ。夏らしい夏、冬らしい冬、そういうのを見つけてこようと思う。」
発言は馬場イズムだったのかもな >>691
タッグ屋ブームの時にファンタスティックスはじめ、名チームたくさん呼んでたけど
いかんせん小さいから、アジアタッグ戦線が主戦場だったでしょ。
仕方ないとは言え、なんか活かしきれてなかったな。 馬場はそれでもボディビル上りはなんかとは合わないだろうな。
ホーガンやビリーグラハム。あとデカいだけで大味なのも嫌い。
オックスベーカーやマリガンはPWF戦で2−0でさっさと片づけたw 何を言いたいかというと猪木はそんな木偶でもプロレスができ・・ >>684
テリー・ファンクさよならシリーズやった事も忘れたの?新日本の名前が出て来るのは全く意味不明。 >>699
サンマルチノは?
チビな上にボディビル上がりと好きそうにないタイプだし、
殴る蹴る締めると技も少なかったけど、馬場とはマッチしてたし、評価も高かったよ。 >>698
だからこそカンナムを中心にアジアタッグ戦線が最も活況を呈した時期だったとも言える カンナムは一時期、ファーナスはヘビーでクロファットはジュニアって棲み分けしてたような 全日は海外ルート強かったから、ブームの頃に名タッグをかなり呼んでくれたが
結局日本に来なかったチームも多いね。
ミッドナイトエキスプレス
PYTエキスプレス
ファビュラスワンズ
ブレードランナーズ
主力でこの辺が未来日かな コンドリー&イートンの実力がどんな感じか観てみたかった サンマルチノはWeightlifting はやってたけどボディビルダーではなかっただろ。 >>704
アジアタッグ王者の末期にクロファットがジュニアと合わせて初の二冠王になったんだよな >>705
スティングとアルティメットがヘタクソなペイントしたウォリアーズのコピーユニットを
ミッドナイトやファビュラスと一緒にしちゃいかんな スパイビーとホールのアメリカン・スターシップはどんなんだろと期待したな。
大型レスラーにはロマンがあるわ。 >>705
PYTエキスプレスなんて初めて見る名前だ >>712
ノーベル・オースチンとココ・ウェアの黒人コンビ
ゴングとかザ・プロレスの海外マット情報にはちょこちょこ載っていた
試合は世界のプロレスで見たことがあったようなないような >>705
ファビュラスワンズは個々には新日に来てたが、
タッグとしては未来日だった。 >>691
逆にビッグジョン・スタッドなんかはでかいけど碌な扱いじゃなかったな。 >>700
ビリー・グラハムの相手を坂口に押し付けたじゃねえか。 >>702
>>708も言ってるがサンマルチノはボディビル上がりではない。 >>678>>683
ハワイに到着した馬場を迎えに行ったがすれ違いになり当人はタクシーで来て怒られたり
馬場の寝ている時間帯に朝に音立てると怒られたとか馬場の姪の人がラジオで語っていた。
行き過ぎた「馬場さんファースト」と言うのもあった。単なる馬場夫人ではなく全日の
出資者、共同経営者、子会社の役員、個人マネージャー、ロードマネジャー等と何役も
こなして馬場に不平不満が来ないように防波堤として嫌われ役も引き受けていた。
>>690>>696
K-1の放映権を獲得して「格闘技の日テレ」としてK-1先発局のフジ、TBSを追撃すべく
全日初のドーム大会にK-1勢、全日出身者等参加のオールスター戦のようなモノを
提案するも頭の固い馬場はアッサリ拒否した。そのため日テレ側からの宣伝等の支援は
得られなかったが馬場シンパのマスコミを動員して「普段着で初ドーム大会を成功した全日」
と提灯記事まで書かせた。しかしこの辺りから馬場は日テレとの関係が疎遠になり全日改革
(ブッカー権譲渡、元子夫人排除、Gサービス改革等)を目指す三沢との関係が昵懇に
なっていった・・・ >>718
結局約10年後には三沢も切り捨てられた訳だ。 >>718
全日ドームに天龍、テリー、マスカラス、
ブッチャー、大仁田とか呼べばゴールデンに
出来たのかな。
その面子は3年後の馬場三回忌のドームで
参戦していたけど。 長州が来たからゴールデンとか基本的には関係なかったな、人気商売だから関係ありそうだが、掛布が巨人に行っても阪神ファンが巨人対ヤクルトを見ない感じか >>720
そのメンツは馬場追悼ありきの人選だと思う
現実に全日ドームは天龍だけじゃないのかな?
ただ、大仁田ならお客さんは呼べると思う
実際に翌年に大仁田参戦が決まった新日ドーム、発表から初動で1日2万枚チケット動いたらしいし
まあそれは前年からワープロで長州との対戦を煽ってた劇場効果もあるけど。 馬場がボディビル上がりは……というのは
身体が固いから危ない、から好きじゃないみたいなこともあると思う。
ジムで見てると重量上げる人でもほとんどストレッチやらないもん。
サンマルチノがボディビルダーかどうかは本人の認識によるんじゃないか?
ボディビルって職業や資格じゃないだろうし。 >>723
> サンマルチノがボディビルダーかどうかは本人の認識によるんじゃないか?
サンマルチノはパワーリフター上がり。本人もボディビルダー上がりとは思ってないはず。
> ボディビルって職業や資格じゃないだろうし。
プロビルダーは職業だぞ。 >>714
二人とも藤波のジュニアに挑戦した印象は強いけど、90年代にもそれぞれ単独で来日してるのよね。
(カーンは新日、レーンはWAR) 余り覚えてないけどw K1とプロレス混合ってのは全日では無いだろうな。
三沢もやらないだろう。 >>721
でも長州のお陰でゴールデン放送に移行できたってことになってるよね。
長州が全日上がらなければ全日のゴールデン放送復活はなかったとか。 >>720
テリー、マスカラス、ブッチャー全盛のころでも
降格させられたのに
もし98年にゴールデンでやっても
悲惨な数字になる それはもちろんそう、当時の新日本は裏が強いのに数字取ってたからね、長州小林にキッドスミス木村が来たら視聴率上がると思う
でも猪木とタイガーのライバルが来ても上がらないし逆に扱いに困るだけという >>726
あってもK-1選手同士のエキシビションマッチだろうね
よくいつもの全日本の試合みたいに言われるけどカード見るとインディーのレスラーが多い
全日ドームの当初案を見てみたいよ 全日のゴールデン
長州が全日に上がる可能性なんてゼロの頃からの流れで、たまたま長州がいた時に具現化されただけ?
1983年初頭の名古屋大会+チェッカード−ム
1983年夏のテリー引退特番
1983年12月の最強タッグ
1984年2月の鶴田AWA
1984年3月の馬場ハンセン+鶴田防衛戦
特に1983年年の末から1984年の春まで、4か月で三回もゴールデン特番をやっている
どう見ても将来のゴールデン放送への試金石としか思えない
長州の全日参戦の可能性が出てきたのは、その年の夏以後だからね
長州のおかげもゼロじゃないけど、それは背中を押す程度の事なんじゃないかな? >>732
確かに同じ時間の土曜トップスペシャル沢山やってたから違和感なかった
プロレスをプッシュしたい上層部が継続という形でうまく押し込んだのかも、長州が来るから土曜トップスペシャルを終わらせたとは思うないし >>721
フジテレビが長州を欲しがってたのを日テレが目をつけたのかと思ってた >>718
TBSがK-1放送したのは2002年のMAXからだって前も教えなかったか?
52 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 6a24-jgrQ)[] 投稿日:2020/05/08(金) 08:54:05.67 ID:B+cgU1gv0
>>31
元子夫人は理不尽な怒りを現場で頻繁に爆発させてはスタッフやレスラーを
困らせていた・・・
>>34
K-1の放映権を獲得した日テレは四天王プロレスで好調の全日とともにK-1やPRIDEに
で盛り上がるフジやTBSに対抗するために「格闘技の日テレ」をアピールするために
初のドーム興行でK-1勢や元全日、他団体の選手を参加させてオールスター戦のような
興業を提案するが既に日テレへに借財の完済していた馬場があっさり却下した。
そのため日テレの宣伝等の全面支援を得られず馬場派のマスコミを動員させて
「全日は普段着で成功させた!」と提灯記事まで書かせて成功をおさめるも新しい
感覚を持つ日テレ・スタッフと馬場には完全に距離ができてしまった・・・ 新間が旧UWF立ち上げの件でフジテレビと交渉
↓
フジテレビが長州を要求
↓
新間が長州と交渉→長州は保留無印のまま契約書を受け取る
↓
新日事務所で長州が契約書を見せびらかしてギャラ交渉
↓
猪木に「全日に行け」と言われる
↓
全日参戦、ゴールデン中継へ
約2年後
ジャパン大塚、仕事抜きで久々に猪木坂口に誘われる
↓
大塚が長州を誘ったら、長州は移動中のタクシー内で高級腕時計等を外しはじめる
↓
新日事務所にて長州は直立不動で猪木に挨拶
↓
大塚も新日復帰を誘われるが、倍賞鉄夫の猛反対で大塚は新日に復帰できず
ソースは2〜3年前に出た大塚氏の本と同時期に出た誰かの本 ※猪木の「全日に行け」の部分だけは、テレビでの前田が長州に聴いたという発言だから真実かどうかは不明 いつもその手の暴露話は新日系から出てくるケースが多い印象。全日系の人は口が堅い
のか少ないイメージ。 >>739
カブキとか小鹿とか、全日系でも暴露話はあるけど、
出てきたのは全部馬場の死後ってのが大きな違いかな。
あと、暴露するのは日プロ出身者が多く
全日生え抜きだとあまりいない感じ
相対的に口が堅いってのは言えていると思う。 昭和全日本は日本人トップが少なかったからね、馬場鶴田大熊は亡くなり
阿修羅石川は語らないし越中三沢川田冬木は当時若手だったから詳しく知らない感じ
となれば天龍カブキ小鹿しかいない あとは戸口と鶴見だがフリーの外様だから自分の扱いくらいしか言わない
と思ったが新日本はミスター高橋ケロ新間大塚が内部を話すが全日本は樋口京平仲田米澤はあんまり話さないからやっぱり口が堅いか サンマルチノもこんなのしてたんだな、主要なキャリアではないけど元ボディビルダー
と言えなくもないな、↑で否定して悪かったけど。
https://www.pwmania.com/wp-content/uploads/2021/02/ybruno.jpg >>738
猪木の命令で全日に行ったみたいに感じる人もいるだろうが、
「全日に上がる事になりました(とめてほしい)」
「(くそーしょうがない)よし行け」
だから。 阿修羅は全日解雇の話を当初は馬場に懇願されて辞めたと話していたが、いつの間にか馬場さんに合わせる顔がなくて逃げ出したと話が変わっている。
石川も扱いのビミョーな悪さと輪島の最後の扱いについて一言いうが、それ以外は普通の事しか話さない。
天龍やカブキが時折俺が馬場さんや鶴田の悪口言わないと世間の人が忘れてしまう等と言うのは、俺らネットゴミムシの反論できない故人の悪口言うな攻撃が効いてると勝手に思っている。
2人は実績あるから愚痴程度なら聞いてもいいかなと思えるが、小鹿に至っては新人イビリで全日の停滞を招いた戦犯扱いなのでまるで相手にされてないのは笑える。
極道コンビは全日の看板タッグでその功績は計り知れないと思うが、それを帳消しにして余りある新人イビリってスゴイ。 >>745
その意味でハンセンは逆だよな
ファンとしては四天王を育てた大恩人となってるが本人によれば単に自分のポジションを守るために思い切り叩いただけと言っている ハンセンに関しては、多分オレの読解力や心理を読み取る力量が薄いんだろう、という前置きしたうえで…
ハンセンのファンクスに対しての「恩讐の関係」みたいな事をいまだに語られるし、本人も言ってるけど
大体の主だった発言を上げると
「育ての親、スカウトしてくれた恩人」「引き抜きの時に声をかけてくれ、多額のオファーももらった」
「全日マットでのコンペティションは真実」「いつまでトップで居続けるんだ?」「ファンクスがいる限り、自分はトップにたてないと思った」
この色々な感情をまとめると、どういう事にあるんだろう?
「恩人ではあるし、誘ってくれたのも事実、だけどプロレス界での生存ビジネスは別、遠慮なくポジションは奪う」
こういう解釈でいいのかな? >>742
和田京平は結構ペラペラしゃべってるでしょ。
意外と馬場死去後は和田京平がガンだと思う。 >>747
そういうアンビバレンツな感情が渦巻くからこそプロレスの世界は奥が深いんだよな
引退セレモニーの時にプロレス人生で誰か一人を挙げるならテリーだとも言ってるし >>746
トニー・アトラスの言葉を借りれば「レスラーは一人一人が"企業"である。"ハルク・ホーガン会社" "トニー・アトラス会社" であり、
団体はその個人企業が集まった集合体にすぎない。」
ハンセンも全く同じ趣旨のことを言っているよ。
「プロレスはビジネス。全員がコンペティター。ハンセンはハンセンを、ブロディはブロディを、天龍は天龍をプロテクトする。」
>>746
いや、その通りだと思うよ。ハンセンがファンクスに"リング内で"ペコペコする必要は全くない。
そして、引退した今、ハンセンはテリーと定期的に電話で話をして、その都度必ず自分をプロレス界に導いてくれたテリーに
感謝の言葉を述べてから会話を始める。 ハンセンの自伝は皆へのリスペクトと感謝ばかりでパートナーの良し悪しを聞いても全員良かったしかなかった
その中でちょっとだけ話した全盛期を過ぎたファンクス批判と三沢達が離脱時に言ったギャラの高さへの反論が何度も取り出されるのは可哀想な気もする ハンセンが日本に初来日した全日の控室で
「黒人のブッチャーやヒゲを生やしてるだけで何もできないオックス・ベーカーが
偉そうにしてるのを見てあぁ、この世界はトップを張らなきゃどうにもならない。
ボビー・ジャガーズと二人で『いつかあんなロートルを蹴散らしてやろうぜ!』
と励ましあったものさ」と言ったことは、無かった事にされてるんだな
ハンセンは自身に悪いイメージを与えるコメントは消去する賢い主義 全日勢の口が固いのは「消される」からじゃないの
永源、仲田、泉田と実際に不審死してるし ハンセンはレスラーはあまり悪く言わない
プロモーター(フロント)批判が多い
ビル・ワット、ビンス(シニア)、新間 >>723
> 馬場がボディビル上がりは……というのは
> 身体が固いから危ない、から好きじゃないみたいなこともあると思う。
前田日明が新弟子採用は持久力と柔軟性重視と言っていて
これは新日も全日も同じなんでしょ 全日に猪木、前田、佐山に匹敵する柔軟性を持ったレスラーいたかなあ? >>754
アホか?
まあ、全日本の方が圧倒的に若くして
亡くなる確率が高いのは確かだけど。
上に上がった以外で当時の事をある程度
語れそうなのは佐藤昭雄、マイティ井上、
百田光雄あたりか?
原軍司はまだ健在?探し出して
インタビュー出来るのなら
今だったらもう遠慮なく色々話せると
思うのだが。 >>757
相撲で十両以上の経験者はほとんど股割りができるけど、この3人にできるかな?
それに馬場もああ見えて意外と体柔らかいんだよな。
珍しく練習風景映ってた時、馬場が開脚した状態で上体を起こしているのが見えた >>759
現役力士としては股割りは出来ただろうけど
レスラー時代まで同じように出来てたとはとても思えないなw
明らかに当時より練習してないだろう
馬場も日プロ時代はともかく
全日になってからは柔軟さも俊敏さも明らかに維持できていない 馬場の劣化が早かったのは巨人症のせいもあるんじゃない >>762
巨人症関係なくあんなものかもね
一般的なレスラーと比べるから悪見えるんであって
他の巨人レスラーの同年齢と比べれば馬場は動いてるほう たしかにキックとかやるなら股関節の柔らかさとか必要だけど、
怪我しにくい云々はそんなに差があるかなあと最近思うようになった。
別競技だが、イチローは股割りどころか前屈で腕が地面につかないらしいじゃん。
股割りができないからと新人テストとかで有望な人間を落としてたとか多そうだよなあ 股割りは相撲の練習の名残りじゃないの、ガイジンはあんまりやらないよね >>757
三沢や川田の体が固いわけないやろ。
一応レスリングの国体優勝者。
佐山と前田は自称格闘家ですよ。 そんなハンセン、カブキ、小鹿を使いこなした馬場が凄いってことじゃないの?
冬木や石川に逃げられた天龍とか器が違うよ カブキの悪口が度が過ぎてるのと小鹿にしゃべって欲しくないだけで昔話はどんどん聞きたいけどね
天龍や京平は馬場愛が感じられるしそれ以外は不快に思ったことなんてないわ >>769
柔軟に越したことはない
というだけで必ずしも柔軟性がなければいけないというわけではないよ
テーズだってそれほど柔らかいというわけでもないし >>770
天龍も奥さん、娘、義弟に頼っていたから馬場の事はあんまり言えた義理はないだろうな >>771
天龍・京平は、馬場愛だけじゃなく鶴田筆頭に全日所属だった人全てへの愛が感じられる。 >>719
ノアの放映権料削減はは日テレとしてたいした金額では無かったがゴールデンタイムに
低視聴率で長時間居座る巨人戦に手を付けるために「聖域は無し!」と巻き添えにされた。
巨人戦も放映料は子会社扱いで他局より低料金だったがGタイムに10%を切る数字が問題視された。
>>732
日テレ・原PもGタイム復帰は特番枠で数字が評価されたと述べていた。
>>750
ライバルとしてアマリロに招聘されたボブも「プロレスラーと一本立ちできた!」よ
テリーに感謝している。テリーに呼ばれると中古車を買って車中泊しながら辿り着いた
らしい・・・
>>753
松田優作がエキストラとして出演していた「柔道一直線」で通路で主役の桜田健一に
「邪魔!」と言われていっしょに居た友人と怒りながらハンセン達と同じように将来
を誓いあったらしい・・・ >>725
スティーブ・カーンって90年代に来日してたの?全然知らんかった。1991年からWWFでスキナーとして再ブレイクしたが、その前ってことか。 >>775
自分もそう思う
良いか悪いかは置いといて、天龍のシニカル的な発言は全日所属の頃から変わってないと思う
ただ、天龍革命以後は自身の口から発信するようになっただけで
革命以前から内面で燻ってるというか、不満分子的な雰囲気、憂鬱のオーラぷんぷんだったわけで。 新日本は基本全員猪木信者だから猪木への忠誠は凄いけど会社へは厳しく、逆に全日本は中小企業としての結束感はあるね
だから批判組はだいたい外様で生え抜きは外様との座談会の流れでしゃべってるだけだから区別すべきと思う スティーブカーンは藤波の25周年記念興行のときの大阪城ホールに一日来日してたな そういや渕とカブキが座談会なりイベントで共演したの見たことないな マイティは外様だけど全日本愛が強いから好きだわ、新日本の対抗戦で長州がオイル塗ってきたりジョージが自分勝手な試合をしたことにもの凄く怒ってたらしいし >>744
よかたが知ったかぶりするなよ。
もっと深い裏があるよ。 2021年3月22日 | NEWS
天龍源一郎、入院に関するお知らせ
天龍源一郎にいつも温かいご声援を頂きまして誠にありがとうございます。
この度、突然ではありますが天龍源一郎に関しましてご報告が御座います。
3月初旬より動悸、足の浮腫み、息切れなどの体調不良が見受けられたため検査いたしましたところ『うっ血性心不全』の診断が下され、3月19日より入院をしております。
突然のご報告となり驚かせてしまい申し訳ありません。
症状に関しまして、緊急性は伴うものの命に別状はなく一定期間の安静を要するもので入院治療となる予定です。
主治医とは、原因や治療方針も今後相談の上、本人の体調を最優先し、経過をみて参ります。
ファンの皆様、関係者の皆様には突然のご報告で、多大なるご心配・ご迷惑をお掛けすることとなり心よりお詫び申し上げます。
https://www.tenryu-genichiro.jp/news/2021/03/22/1472 >>784
木村が馬場に反旗をした時真っ先に飛び込んだのが格好良かった
特に因縁の剛にはお前なんか俺で十分だって感じで ラッシャー木村の国際血盟軍結成時に、「元国際のマイテイは血盟軍に合流するのか」
という話題がまるで上がらなかったのが残念だった。ジャパン参戦がセンセーショナル過ぎて
中堅の一人にすぎないマイテイの動向なんて誰も気にとめてなかったという あの関西弁をヒールで使ってみるとか。。はムリだなw時代的に >>788
>元国際のマイテイは血盟軍に合流するのか
剛や鶴見が全日で居場所を確保するためには木村の傘下に入る必要があったけど、
井上はもうポジション保証されていてその必要なかったしね。
国際崩壊時に袂を分かっているのに、今更合流というのは無理があるし、
馬場も認めなかったと思うよ。
そういや、新日のはぐれ軍団時代にも小林が一瞬合流の素振り見せたが
結局実現しなかったな。 >>790
小林は暮れのMSGタッグで木村とコンビ結成の予定だったが、腰痛でリタイアで復帰
叶わず3年後の9月に引退したが、そのシリーズ後に新日に激震が走った。 山崎がUインター側として新日との対抗戦に出るようなもんだろ 82年で長州 浜口だったとは、忘れてた。
小林が欠場で浜口になったか。
長州は革命直後でアメリカに渡ってマサと合流だったか。
『心の師』って二人は繋がりあったんか?って当時は本気で思ったわ。 めったに人の悪口言わないラッシャー木村が「省三の野郎許せねぇ!目ん玉くりぬいてやりてぇ」
と酒を飲みながら愚痴るくらい憎んでいるストロング小林とタッグ組まそうとするとか
新日はホントにラッシャーの人格を無視するなぁ >>790
最終的には原が血盟軍の客分みたいになるんだよな
そしてジャパン軍の浜口と寺西も合わせて旧国際勢が三つ巴の形に >>797
木村は吉原さんの存命中は国際の再興をあきらめてなかったというけど、
こんな分裂状態では無理だっただろうね。
まあみんなレスラーとして生きていくためにはそれぞれのポジションで
結果出さないといけなかったし、仕方なかったか。 ジャパン勢と国際血盟軍の試合後の乱闘をみると、浜口は全く木村にはつっかかって行かないんだよね。性格がでてるなぁと思う >>796
3人だけだと少ないし、低迷していた小林を再浮上のきっかけにもなると考えたんじゃない。 >>797
原の龍原砲結成が87年6月、木村が馬場と組むのが88年夏ごろ・・ってことは、
約一年間は二人だけの国際血盟軍だったんだっけ?
ちょっと記憶にないなあ 二人だけといっても、来日してくる外人と組んだりしてるから >>796
国際に最後まで残ったレスラーからすればS小林と剛は裏切り者だろうね
崩壊まで付き合った原、鶴見は問題はないだろうけど 小林は辞めた原因が草津のイジメだから、可哀想な気もする。 1シリーズだけ剛が復活したのはなんだったんだろう?鶴見の要請?
アジアタッグリーグ戦にも出てたような? >>804
崩壊時は欠場していた浜口はまた微妙といったところか >>756
アメリカ修行時代、ビルの陰で筋肉モリモリのボディビルダー同士が抱き合ってキスしてるのを見て以来「あれはホモがやるもの」と思い込んでた説も。 >>807
やましい欠場じゃないからまだマシじゃ?
剛はぶっちぎりの裏切り者
小林も小林で心情はわかるがやっぱり離脱で団体が傾いていることには間違いないしやっぱり厳しい目にはなるよな >>790
リングサイドの倒れ込んだ^木を私服で観客席に座っていた小林が突然、ハサミを
取り出して^木の髪を切ったのは衝撃だった。前髪がちょっとだけだったけどw
>>794
アメリカに来た時に「長州、暗かったなあ〜」と斉藤が後年に回想していた。
>>799
長州との合体が新日の命令とは言え木村を置き去りにした形になってしまったからね。 R木村の息子さんのインタビュー回想だと
国際崩壊寸前の時期に木村の机の上に法人設立?に関連する本があったらしいね
国際の崩壊後に新日に行かなかったら、パイオニアやFMWより10年近く前に木村がエースのインディー団体が登場してたかも? ジャパン時代のラッシャーのインタビューで耐えるという言葉を何度も使ってたのを思い出す
扱いもあるが他団体に上がることに色々思いはあるんだろう >>802
あの時期の原は木村と組んだり、86年春から参戦したハリケーンズと組んだり
原の居場所、見ててよくわからない感じがあった
天龍に呼びかけたのは、ガチで便利屋みたいなポジションへの脱却したい気持ちもあったと思う
あとその便利屋ポジの頃の原、えらく長髪でその風貌も含めて、安住の地がない映画のランボーみたいだったな。 >>813
目が隠れるくらいのワイルドな長髪で、凄くカッコよかったな。 >>813
原は長崎の興行やらかしがなかったら、普通に全日正規軍第三の男としてジャパンと対決していたはずなのにね。 >>806
原が龍原砲を結成したから、国際血盟軍の補強じゃない?
なんでまた1シリーズで切られたかはわからんけど 剛の一時復活は誰にでもガンガン頼み込んだり取り入る才能はあるが長く一緒にいると煙たがれる剛の性格から簡単に想像がつく
もちろん経緯とかは知らないが swsの選手たちが唯一意見が合致したのが剛の入団拒否だったのは面白い >>819
高杉の話だと、もともとエース候補だったのが
原が入ってきたことで脱落したらしい。
剛の方がずっと若くてプロレスのキャリアも長いのに
逆転されたってことは、それだけ素材に差があったということか。 >>817
田中社長をうまく取り込んで朝食担当の料理番になったしな
田中社長は剛の作るベーコンエッグが一番のお気に入りだった >>820
世界クラスのラガーマンでルックスも良い
体格と身長もレスラー基準としてクリアしてる
素材に差があるどころか、文句なしでしょう
唯一の懸案は年齢が30歳を越えてからの転向らしいから
確かに剛の唯一のアドバンテージは若さだね。 >>823
スクールウォーズでちょくちょく出てきた、伝説のイングランド戦に
原も出てたみたいだな。 >>824
そうそう、去年ぐらいにBSで
そのイングランド戦の検証ドキュメンタリー、二時間ぐらいかけてやってたよ
原の事も何人かの証言で語られてた、内容は忘れたが「ポジション変更してうまくいって云々」みたいな感じ
原のシーンの動画はなかったが「原進」のテロップと顔写真は紹介されてた
あれ見てて思ったが、当時の原って平成でいえば五郎丸みたいな存在だったんだな…。 >>825
ラグビーブームがきっかけで、謙吾や鈴木健三、それにグレート草津とか
後追いで色々見てるうちに、原の経歴が異常にズバ抜けてると気付いた。
他競技からの転入では国内ナンバーワンかもしれない。 >>826
もし借金がなく、本人の意向通りに平成初期に引退してれば
あれだけの経歴だし、ラグビー界のコーチなどでいくらでも堅実に生きて行けたかも
失踪して天龍の頼みと田中社長の肩代わり、そりゃ復帰するしかなかっただろうね
ただ、前者と後者の人生がどちらが良かったのかはわからないが、奥さんと息子さんの事もあるしなあ… >>827
最後は長崎帰って地元でラグビー指導者してたと思う。
原が悲惨だったのは全日解雇からSWS復帰までの間で、本当に消息が掴めなかったらしい。 >>826
他競技からの転入のナンバーワンは輪島だろう。と思ったが格闘技は他競技とは言わないという解釈でオッケー? SWS発足がなかったら、原は表舞台に戻ることなくひっそりと人生を終えたのでは。
マイナス面ばかり言われるSWSだが原の人生を救ったのは大きな功績かもしれんね。 関係者の誰かが馬場に言った言葉。
【長州がハンセンサイズなら凄かった】
すると馬場がそれを否定。
否定というよりこう言い返した。
【むしろ阿修羅原がハンセンサイズなら鶴龍以上になったよ】
馬場は原を評価していた。 >>828
それは新聞記事が取り上げられてて自分も読んだ事がある
ただし晩年のインタビューでも本人談で語ってたけど
コーチといっても、給料もらって食ってくとはほど遠い趣味レベルだったらしいよね?
確かにSWSまでの三年が惜しい、あれがなければ…でもあったからSWSで復帰できて借金も消えたともいえるし…うーん。
>>829
横綱というのも凄いが国内競技、原は世界的競技の世界選抜
いや、詳しくはないから偉そうな事はいえないが「国内」と「世界」という意味では同じトップでも競技人口が違うから。
その点では柔道も世界レベルの競技人口だし、ヘーシンク・ルスカ・アレン・小川あたりも転入組では最高峰レベルだろうね。 原は天龍同盟以降、技を減らしたからな、蝶野とか少ない技で試合を組み立てるレスラーもいるが原はそんなタイプじゃないのに技を増やさなかった
あれでは大会場のシングルメインは任せられない、天龍のパートナーに徹してたんだろうけど >>831
>むしろ阿修羅原がハンセンサイズなら鶴龍以上になったよ
でも国際時代の原は小さかったよね。
胸板薄くて足腕も腰も細くて、100sもなかったはず。
ラグビー時代は全然知らないけど、あんな華奢な体でよく世界選抜に選ばれたなと思った。
全日に来たころは豆タンク体型になってたけど、ジュニア時代から30s以上
増量したんじゃないか。あんな急激に太ったら、内臓も悪くしたかも。 >>829
北尾や輪島がいたな。
スカウトと言うより食い詰めた大物が降りてきた感じがして、嫌だったけど。 阿修羅はいま見ると打たれ強さだけが売りで、しょっぱいよな
鶴田のバックドロップですぐ立ち上がったこともあった
技もないし、ヒットマンの時に試合時間が短かったのは長くできないってこと
外人のやられ役の頃はシングルもあったけど
天龍同盟になってからはほとんどなかったのもわかるし馬場が評価してたとは思えん >>840
>打たれ強さだけが売り
そこが重要だったのでは?特にハンセンのラリアットに関しては、
原の受けっぷりのよさは際立っていた
>技もないし
雪崩式ブレンバスターとダイビングネックブリーカーを日本で初めて使ったのは原では?
後は何といっても代名詞のヒットマンラリアット。他にヘッドバットとラグビータックルか。
延髄斬り以外の空中技も関節技もないし、確かに少ないね。
ジュニア時代はバックフリップをフィニッシュにしてた記憶があるが、全日では見せたことなかったかも 国際が潰れた時に馬場が門馬に電話して原をスカウトした位だから
馬場の評価が高かったのは間違いない >>842
アジアタッグのベルト巻いた写真でマイティさんよりちょっと大きい位だったから、180無かったかもね。
だけど骨格がゴツいし、ラグビー世界代表だから。 >>842
原は公称183センチ。実寸はそれから―5センチくらいか。
そういえば、技の名前で書きそびれたが、自分より20センチくらい高い
高野弟をフロントヘッドロックで締め落としたことがあったな。
試合後は全然勝ち誇ったりせず、ただただ高野の上背を羨ましがってたけど。 >>820
国プロが一般公募して唯一、合格した逸材で吉原社長が大喜びしたが以前に日プロに
練習生でいた事がわかると少しがっかりしたらしい。
>>825>>828
のちプロレス入りすると写真が出てイングランド戦での大抜擢に関してこの試合のキーマン
だったと長く時間を取り説明されていた。
晩年に長崎にいる原をラグビージャーナリストが取材して近鉄の退社理由を「売り上げに
手を付けて出入りの業者と飲みに行ってしまった・・・あれはマズかった・・・」と
語っていた。
原の取り立ては全日事務所にまでは来なかったが輪島の時は親方株を担保にした債権が
その筋に流れて893が襲来してしまい米沢氏以下の事務所スタッフは避難してしまい
逃げ遅れた飯山氏が対応したらしい・・・ >>846
その試合は高野の本気ビンタにぶち切れて制裁しただけで勝ち誇ることじゃないと思う >>848
> その試合は高野の本気ビンタにぶち切れて制裁しただけで勝ち誇ることじゃないと思う
ぶち切れてはいないだろ。
高野の本気とやる意を引き出すために自分から試合前に挑発したんだぞ。
締め落としたのも「まだまだそんなんんじゃ足りねえぞ。」という意味の制裁とも取れる。 阿修羅は真面目そうに見えて、手癖が悪かったんだな。金にも女にも。 >>841
雪崩式ブレーンバスター日本で初使用したのは木村健悟じゃなかった?
阿修羅のパクったとか言われてたよね。 >>851
凱旋する阿修羅の必殺技として、プロレスだかゴングだかに掲載された。
だが阿修羅が使用する前に、健吾がテレビマッチで使ってしまった。
あまりにもヒドい話で、当時から非難轟々だった。 >>852
しかも仕掛けた藤波に押し潰されてフォール負けというオマヌケぶりw >>849
試合後のインタビューでは、「なんであんなに不甲斐ないんだ。あいつの上背どんだけ羨ましいと
思ってんだよ」とか語ってたな。
>>851
原が試合前の公開練習で披露したのを見たキムケンが藤波戦で初使用。
実戦でという条件を付けなければ、初使用は原だね。
使用したけど失敗して黒星が付いたのは人の技パクッた天罰みたいなもんだろう。
原も後悔したらしく、ダイビングネックブリーカーを初使用した時は
「この技だけは誰にも見せずにここ一番にとっておいたんだ」とか言っていた
>>850
・和製ブロンソンと言われた無骨な風貌
・太く短い生きざま
・だらしない金銭感覚と下半身
いろいろな意味で漢らしいね。 >>849
試合中に本気で締め落とす必要あるかね、90年代の新日本は失神が多かったが今見るとほとんどがフェイクっぽいし
これは大先輩から後輩相手だから誰も話題にしなかった感じだが、外人レスラー相手にやると試合後に来日外人が全員結託して殴り込みにくるレベル >>855
だから叱咤激励だろ。
外人レスラー相手だってしょっぱいレスラーなら
「あいつならやられても仕方がない。」と
全員結託して殴りこみにはこないよ。 >>847
ラグビー部で在籍だと普通、総務とかだから
ありえないんだけどね >>851
>>854
原は元祖のスコット・アーウィンから直接手ほどきを受けて使用許可をもらった上で帰国したのにな。 >>860
翌年の最強タッグでの応酬も見たかったな
そういえばアジアタッグでも当たってたんだか >>732
今日は馬場時代唯一の四大タイトルマッチの日 >>861
> そういえばアジアタッグでも当たってたんだか
スーパーデストロイヤーズとして挑戦してたな。 83年最強タッグの原、井上組で原がフォール獲られる試合結構あったな
マスカラスにも原が獲られてた >>855
少なくとも当時はプロレス村内部では
かなり話題になったよ。
ファイトなんぞは通常全日本の試合結果が
トップページに来ることはないのに
一面使って騒いでいた。 >>840-841
youtubeで国際でのジュニア時代の原の試合いくつか見たけど
ボーアンドアローとか使ってたりしてたぞ >>866
試合自体は記事になって話題になったけど、
原が高野を締め落としたことは記事になってなかったんじゃないか ファイトならやりそうw知らないけど
一年後に起きたカブキと鶴田の小競り合いは誰も話題にしないのに倉持だけが翌年に辞めるまで何度も何度も言ってた >>864
同日の鶴田のAWA防衛と井上のジュニア奪取の陰で見落とされ易いが 84年3月24日、グランドチャンピオンカーニバル蔵前大会四大タイトルマッチ
マイテイ井上がオースイスープレックスでジュニア王座防衛
スープレックスとは名ばかりのローリングしての押さえ込みに
当時ファンはどう思っただろうか?他団体のタイガースープレックスと比較して
天龍がテッド・デビアスにピンフォール勝ちでUN王座防衛
試合後、阿修羅原の挑戦を受ける発言から当時のライバル関係が伺える
鶴田がジョー樋口に暴行してニック相手にAWA王座を反則防衛
明らかに卑劣な防衛の仕方を責めるかのような日テレアナの質問をはぐらかす鶴田 >>868
記事になっていたよ。
ファイトでなく、多分ゴングだが
「原が万力のような太い腕で自分よりずっと大きい高野を締め落としてしまった」
とかいう記事が写真と原のコメント付きで出ていたのははっきり覚えている。
原が凄いってより、高野がダメだ、いつまで経っても成長しないってニュアンスだったが。 >>871
そしてメインのPWF戦では馬場がハンセンに反則暴走
四年前の同時期では猪木がハンセンからNWFを奪還しているがその時も四大タイトルマッチのメインだった >>872
そうなんだ。俺は週プロしか読んでなかったのかもな。 そんなんキャメルクラッチから手加減しなかったら相手死ぬかもしれんし、単に
酷い話だな。スリーパーにしてもヘッドロックにしても本気で掛けたらそうそう
はずせないだろ。 >>871
それがオースイスープレックスだからね。 >>871
>天龍がテッド・デビアスにピンフォール勝ちでUN王座防衛
当時のデビアスの本国での格からいっても、これは驚きだった。せいぜい両リンか天龍の滑り込みのリングアウト勝ちを予想していたのに、デビアスは本当に気前がいい。 >>877
本来ならハンセンデビアス組は、超獣コンビに匹敵する強力タッグなんだけど
この辺の星取が、微妙に後々の格五厘落ちみたいな印象に繋がったんだろうね。 >>877
いやあの当時の流れから行ったら勝って当然だろ。
日本での格はもう少しでトップ外人に手が届きそうな若手のホープだったぞ。 >>875
D・キッドが自伝でいたずらが過ぎてスパイビーにキレられて締め上げられたが
外し方をしてたので外したと書いてあった。
それに比べたら高野は情けないだろ。 王座決定戦で天龍はデビアスに負けてUN王者になり損ねたんだっけ >>880
スパイビーもさすがに殺す気まではなかっただろ。どういう状況か知らんけど。 デビアスは、天龍に負けたときよりタイガーマスクに猛虎七番勝負で負けたときの方が驚いた >>881
正確には決定戦の相手のローラーの来日中止でデビアスが不戦勝で新王者
そして天龍を相手に初防衛 >>875
どっちにしてもあの試合は趣深いよ。
原が突然ガチっぽいマイクアピール→
高野が激怒した感じで大技のラッシュ
→でも技が不正確でキチンと決まらない、
自然と普段の練習不足が露わになる→
原はきっちり技を受けた上で、重々しい
チョップ一発が実に正確に高野の胸板を捉えて
崩れ落ちるように倒れる。
技の攻防だけで両者の今の状況を良く
表現できていた。 >>884
石川ってWARでNO.2に昇格した後も木戸にシングルで負けてたような。
コンディション不良で石川に天龍のパートナーの座を譲ったとはいえ、
原が同じポジションだったらそういう扱いにはならなかったのでは。 >>888
その代わりにタッグとは言え藤波にフォール勝ちしてるからな。
それで充分取り返してるんじゃないか。 >>883
それは技によるだろ。落として終わる技もあれば下手したら死ぬ技もある。
阿修羅は殺す気はなかっただろうけど落とす気だったんだろ。 >>892
> 阿修羅は殺す気はなかっただろうけど落とす気だったんだろ。
そこまではわからないがそれはスパイビーも同じだろ。
ましてスパイビーの場合は試合じゃなくてプライベートでキレたんだぞ。 落とすのは普通に柔道であることだろ、ただプロレスでやるのは駄目だけどな。
プロレス以外でプライベートで締め上げたらただの暴行傷害殺人未遂なんだから
基地外でもない限り最期まで殺るわけないだろ。 話を変えてすまないが
何号か前のGスピ、NWAのチェッカードームやキールの出場選手のギャラ特集のやつ
各大会のギャラだけでなく、メインやセミやアンダーカードも載ってたけど
マードックが意外な大物ぶりで驚いた…
メインは数えるほどだが、セミファイナルあたりで出場してる試合の多い事
もしかするとブロディより主要なカードが多かったかもしれない
この頃は「マードックを王者に」という声は上がらなかったんだろうか、? >>894
結局何が言いたいのかさっぱり分からんなw
プロレスでもプライベートでも最後まで殺るのは基地外だろw >>894
殺す気はなかったのは原もスパイビーも同じ。
キッドは外したが高野は落ちた。それだけだ。 >>886
ウィキのUNヘビーの項目でも間違えて王座決定戦になってるし、他にも間違ってる資料あるよね。
同シリーズにもう一度天龍と防衛戦してるから、そっちを初防衛戦と勘違いしちゃうのかな。 >>871
AWA戦は鶴田防衛の場内アナウンスで大歓声になったのが印象深い
鶴田反則負けで騒然となってたのに一気に平和になったw >>891
バスの運転手に睡眠薬飲ませて寝まいと必死に運転する姿見て笑ってたりなんてあった。 >>899
反則勝ちで大歓声のオープンタッグのファンクスと対照的だな >>900
マクドナルドで注文する列に並んでいるジプシー・ジョーに後ろから近づいてジャケットに火をつけて強制送還されそうになったりとか
とんでもない犯罪行為なのにイタズラだったとかかなり感覚がズレている
ステロイドの影響もあっただろうが元から発達障害のある人だったんじゃないかな >>900
プロレスラーのイタズラは一般レベルを遙かに超える人間がいる。
ルスカは同僚レスラーの財布、高級時計、パスポート等の貴重品をゴミ箱を捨てたり
階段を登ってくる所におもいっきりスーツケースを投げつけたりしてGアントニオには
首に掛けている鎖を当人が居ない間にストーブで熱したりしかしそれを掛けても全く
動じないのを見てイタズラは止めたらしいw ルスカのイタズラと言えばハンセンの眼鏡のレンズを黒マジックで塗り潰したというのがあったな。
ハンセンは怒ったが犯人がルスカと知って諦めたとか。 >>901
反則勝ちのファンクスへの声援
反則負けの鶴田への反応
対照的だと比較するのはちとおかしい 時代が違っているんだ。
プロレスの試合でベビーに感情移入していた77年オープンタッグ最終戦
どうせ王座を返さなきゃならんなと推理しつつ心の片隅で期待していた84年AWA戦
は客の感覚が違ってきたんだ。 ボックといいキッドといいルスカといい欧州人イカれてるよ 真冬の暖房がガンガンの移動バスの中で、レスラー仲間のカバンに生魚を忍ばせて、車内を生臭い空気で充満させたというジョニー・バレンタインのイタズラはまだ可愛い方か。 原は新座の南紀って飲み屋でしょっちゅう飲んでたらしいね。 >>895
マードックはNWA王座の登竜門ミズーリ州ヘビー級王座に3回ついてるから当然時期王者候補だろ 日本は先輩後輩の関係で色々あるがアメリカはリング上よりもそれ以外の人間関係が9割とか言われるな
メジャーリーグも新人はイタズラの制裁があるみたいだし へニングは気に入らないヤツがいると、睡眠剤酒に入れて、寝た隙に眉毛剃るイタズラしてたと仲野が話してた
シンのを剃ろうとしたけど流石にマズイと止められてヒロ斎藤の眉毛剃ったらしい
かく言う仲野もバンバンビガロに眉毛は剃られなかったけども同じイタズラされたらしい 海外のドラマや映画観ても、向こうの悪戯やイジメはしゃれにならない位で酷かったり、下手したら死人が出るだろ?ってのもある 全日本の日本人レスラーは新日本みたいな命に関わる可能性のイジメイタズラは聞かないな
まあ新日本もライガー以降でそれまでは聞かないが >>897
スパイビーがかけたのはなんの技だよ?外したってキッドの言い分だろ。スパイビーが
勘弁してやっただけかもしれんだろ。
>>896
プロレスのリングでやるのとプライベートでやるのとは全然違う話だろ。
リング上では怪我させても刑事責任は一応はないわな、ただわざとなら話は別だな。
ブックにないことやって怪我させたら訴えられる可能性ある。
原の件でスパイビー持ち出すのは全くもって不適切だな、違いが分からないのなら
知恵遅れだろ。 >>910
そうか…そういえばドリーのコメントで「マードックはもったいない」的な事を言ってた気がするな
NWAチャンプというと、連日でも求められれば60分フルタイムできる者という印象があるが
マードックのあの性格で60分、それも何度も飽きずにできるのだろうか?
結局はチャンプになれなかったのか、自ら放棄したのかはわからないが… NWAの主要プロモーターがマードックに王者なになるよう勧めたが
自ら拒否したと他のレスラーからの証言があるね
あと、ファンクスからアマリロの興行権を買った時、アンドレのギャラを値切って
ビンスマクマホンシニアが抗議に来たという事で批判の対象になったという説もある >>917
> スパイビーがかけたのはなんの技だよ?外したってキッドの言い分だろ。スパイビーが
> 勘弁してやっただけかもしれんだろ。
原がやったのと同じ技だよ。外されたあとスパイビーは唖然として
キッドに今のはどうやったんだ?訊いてきたそうだ。
キッドの自伝だから信じるかどうかは勝手にしろ。
> プロレスのリングでやるのとプライベートでやるのとは全然違う話だろ。
> リング上では怪我させても刑事責任は一応はないわな、ただわざとなら話は別だな。
> ブックにないことやって怪我させたら訴えられる可能性ある。
だからプライベートのほうがガチだろ?
ガチでやられて外したキッドとそのまま落ちた高野だよ。
> 原の件でスパイビー持ち出すのは全くもって不適切だな、違いが分からないのなら
> 知恵遅れだろ。
お前がそう思うならそう思ってればいいだろ。
同じ技出の話だから比較しただけだよ。 ガチでやられて外したキッドと
試合でやられてそのまま落ちた高野な。
原にしてみれば「あれ?なんだこいつ落ちやがった。もうちっと抵抗しろよ。」
だったかも知れない。 >>921
相手の了解があって成り立つプロレスで落とされた方が悪いはないだろ
そんなルールだったら鶴田みたいにスリーパー食らって両手を挙げたりしない >>920
プロレスは芝居だろ。芝居してる相手にガチで技仕掛けるアホ居るかよど阿呆
ホントのガチでずっと絞めてたら死ぬまでやる事になるだろ。いずれは外すしかない。
ホントのガチならアドニスを半殺しにしたように殴った方が早いしな。 ただ若手を成長させるために理不尽さを教えるというのはありなのかも、俺は好きじゃないが
天龍も鶴田やハンセンカブキの攻撃を食らうとしばらくやられっぱなしになるに、決起軍とかの若手の攻撃はどんなに効いてもすぐ起き上がって攻守逆転させたり理不尽なこともよくやる >>923
> プロレスは芝居だろ。芝居してる相手にガチで技仕掛けるアホ居るかよど阿呆
試合の中で相手を試すために仕掛けたり、懲らしめるためにやることはあるだろ。
> ホントのガチでずっと絞めてたら死ぬまでやる事になるだろ。いずれは外すしかない。
あんたは極論しか言えないのか?
殺す気がなければある程度の所で外すのは当たり前だろ。
プロだったらそのくらいの加減はわかるよアホ。 言ってることが正論でも言葉使いが悪いと全く同意する気にならないね。 酒に睡眠薬入れたりとかありえないよ
こういうことが常習だった奴で呼ばれなくなったというのはあるんだろうね
ハクソー・ヒギンズは控室泥棒の常習犯で手癖の悪さ故にアメリカマットでも干されたらしいけど 北尾の酒に目薬入れてダウンさせたのは天龍源一郎だっけ >>925
スパイビーのはプロとかそういう話ではないな、プロレスのリング上のことではないからな。
ブロディはホッジに事前にガチで行くと言って軽く返り討ちされたけどな。
ブロディの場合は先方やプロモーターなりの了解得てた事だけはまともだな。
無様にブロディはボコられたけど、プロレスで仕掛けるのならそれくらい事前にしてないと
ただの卑怯者だわな。 スパイビーが本気出してたらキッドは殴り倒されて歯を折られてるわ、カナダ人の
レスラーにやられたように。
スパイビーはちょっかいかけてくる根性悪のミゼットを軽く懲らしめてやっただけだな。 >>921
>原にしてみれば「あれ?なんだこいつ落ちやがった。もうちっと抵抗しろよ。」
>だったかも知れない。
原は試合後に「あいつあんなに体格に恵まれてんのに、それを全然生かしてないんだもん。
俺にあいつの体格があればとどんだけ思ったことか」みたいなこと言ってたな。
高野の体格が羨ましい一方で、全然それを生かしていないのが歯がゆかったんだろうね。 >>931
しかし、その翌月の千葉でのアジアタッグ
対フットルース戦では見違えたよね
川田冬木が高野の大きさに圧されてた
ブロディ死去直後という事もあり、ニッドロップも含めてブロディ二世の期待もあった
翌年三月の天龍ウォリアーズ戦がピークであり、そこから下がってってSWSに行った印象… キッドの自伝には、天龍とのシングルマッチで、
喉にチョップ入れてきたから顎にエルボー打ってやったとか書いてたような
天龍とキッドのシングルマッチなど記憶にない 唯一の天龍ラッシャー組、相手がキッドスミスなんだよな。TV 中継して欲しかった。 >>933
タッグマッチでキッドの喉元に天龍チョップを
入れたら、スミスが血相変えて出てきて天龍をボコボコにしてたのは覚えてる。 >>932
>ブロディ死去直後という事もあり、ニッドロップも含めてブロディ二世の期待もあった
高野があのニードロップをマスターしてたら説得力あっただろうな
ブロディ本人が目をかけていたこと込みで考えたら、真壁とかプレデターとかのフォロアー
よりはよほど後継者としてふさわしかったはず >>931
〉翌年三月の天龍ウォリアーズ戦がピークであり、そこから下がってってSWSに行った印象…
その次の武道館の谷津とのシングルが超のつく凡戦で激怒した馬場が決起軍を解散させたほどだからピークは短かったね
決起軍解散の次シリーズでは若手の小橋に負けたし >>937
真壁?
あんなチビが二―ドロップとか移民の歌を使ってるの知ったら
ブロディが激怒するだろ
対戦したら5分も相手されんよ >>938
鶴田の正パートナーに高野が一瞬候補になってたな。 >>919
>自ら拒否したと他のレスラーからの証言があるね
ああそうか、やはりマードックが拒否したのか…やはり性格なのかねえ
あと、Uインター解散後に高山がスーツ着て馬場と並んで入団会見の写真を見た時
ほとんどの人が高野の影を感じたはず、それと馬場はやはりデカい選手が好きというのが再認識されたかな。
当の高野はその頃、野良犬フレーズでインディー団体やってた時期だね。 連レス失礼
明日にプロ野球が開幕するが、コロナ検閲により大半の外人選手が来日できてないけど
もしこのコロナ渦が昭和50年代の前半だったら全日は大変な事になってたね
今の時期、全日はチャンピオンカーニバル開幕だから
外人選手が来ないとなったら、馬場が怪訝してた「馬場vs小鹿」「馬場vs大熊」などのカードで公式戦を組むしかないだろう。 >>940
スミスじゃなくカナディアンルイス
でもスミスもキッドがレイスみたいな怖い人にした悪戯の罪を擦り付けたりされてたw >>908
バレイタインは選手が冷蔵庫に入れてある食べ物にこっそり汚物を入れたりさすがに
ド過ぎたイタズラが原因で飛行機事故で引退後に会場を訪れて被害を受けたレスラー達
に松葉杖を蹴飛ばされた隠されたり報復された。
>>911
MLBの新人の恒例行事。ロッカールームの私服を隠されて代わり女性の服が置いてあったり
被害を受けて怒り狂った韓国人メジャーリーガーもいたらしい。 コンサートとかで飛行機で当日入りが普通だけどブロディが最強タッグ開幕戦を今朝来日とか普通にあっていつも不思議に思ってた
簡単に欠場とかしそうで、こんなこと言ってたらアメリカの移動を否定してるんだろうが >>943
その発想は面白いな。
CCでブッチャー来ないと確かにどうもならん。
国際に頼み込んでラッシャーや草津浜口に上がって貰うか(謎の覆面レスラーでも可)
あるいは新日も困ってるだろうからそこで一気に雪解け? は甘いかな。 >>934
生で見たけどほぼ対等というかスタイル的にブリティッシュブルドッグスの方が攻めて両リンだった
ウォリアーズvsハンセンレイスみたいな感じ >>944
訂正すまん、防疫措置の間違い
>>948
いつ決定するかによるが、場合によっては売り興行の大幅減額
当時の全日なら外人がウリだから、それでも売れなくてまともにコースが組めないかも
自主興行ならチケット払い戻し等々…その点ではまず「猪木ありき」の新日の方が強みかもね。 使うべき言葉は「検疫」だな
80年から82年くらいにかけては新日もシリーズによっては全日以上の
豪華外人を招聘してたけど
極端に言えば猪木さえいれば相手はホウキでもいいんだから
かけたコストほどの効果はなかったんだろうな メンバーが寝ているベッドに火を付けたリッチー・ブラックモアに比べればどれも可愛いいたずらだと思う。 HBKはレストランで食後の皿にウンコして店を出て、後から店員が驚いてるのをこっそり見て喜んでたらしい >>952
キッドも寝ているヒルビリージムの毛布に火をつけたぞw
>>953
同じ悪戯をスコットホールのホテルの部屋にやって
さすがにキレたホールにボコボコにされた キッドはレイスやマードック、アレンといった大物にもイタズラするのが凄いな。
人のせいにするけどw 自伝で自分がスミスにした悪行の数々を赤裸々に書いておきながら
同じ本で自分を見捨ててWWFに復帰したスミスへの恨み言を書いてるキッド
自業自得だろって突っ込んでほしいのかw 同業レスラーに向ける悪戯する趣向が
自分には馬用ステロイドを討ってしまうことに向くんだから
なんともノーフューチャーなパンクガイやねえ。 >>951
さすがに参加レスラーがホウキやチリトリやモップだと客ははいらんだろう。例え猪木相手でも。 ジミー・ペイジってブロディが移民の歌使ってんの知ってんのかな?
ロバート・プラントは性格悪いから何だかんだ嫌味言ってきても不思議は無いが。 寝具に火をつけるなんて殺人未遂のレベルだな。ちゃんと消火用の水とか用意していたわけでもないんだろうに。 >>962
原曲でないからなぁ
アレンジ強くてメロディライン以外はまるっきり別の曲だし
カバーでも印税は入るだろうけど 初来日のジャイアントヘイスタックに、日本では硬い攻撃が喜ばれるから
ガンガン硬い攻撃をやれとアドバイスしたキッドwww
キッドのアドバイス通りに硬い攻撃のオンパレードでグレート小鹿を圧殺
試合後に戻ったら、直ぐ怒り心頭の小鹿が乗り込んできて
「テメェ、ふざけた事やってんじゃねえぞ!」と怒鳴った後
ヘイスタックをボコボコにした小鹿
その光景をほくそ笑みながら観てたキッドwww >>955
ドリーとの試合中に、ドリーをおちょくったら
ドリーが切れて踵で顔を蹴られて鼻血まみれにされた事あったよな。 カクタス・ジャックの自伝に
IWAジャパンの時に神戸でシンから自分のファンがメシを奢ってくれるから
お前も来ないかと誘われてついて行ったら
ヤクザの宴席に連れて行かれた話が載ってたな
小指のない連中だらけでビビったとw
この自伝だと浅野社長もかなりヤクザっぽい描写されてる 馬場が接待を嫌ったことを当時はだいぶ言われたが反社との付き合いをしなかったわけで今の時代だと好感が持てる >>930
> スパイビーはちょっかいかけてくる根性悪のミゼットを軽く懲らしめてやっただけだな。
原が高野にやったのも同じだよ。
>>931が言ってるようなことが原因で
軽く懲らしめてやるつもりで締め上げたら落ちちゃったんだよ。
あんたが言うように卑怯な行為なら馬場が黙ってるわけないだろう。 >>969
全日は会社としてはその辺キッチリやってた。 >>969
全日旗揚げ時に山口組に年間の売り興行の殆どを先払い(大幅値引きで)で買ってもらった
山口組も当時の全日の興行を直接手掛けても儲からないから傘下組織に無理矢理買わせていたらしい 本部が中抜きともいえるわけで、いちばんおいしい。
893の営為はほとんどすべてが無理矢理だけどね。 >>967
浅野社長は新宿に店持ってるくらいだから、
普通じゃないんだろうな 日本人だとキッド並みのクズはドン荒川かな
ああいう連中たちはどっか壊れているんだろうな 球界の根本陸夫が選手達に言っていたのが
「タニマチは作るな!タダ酒は飲むな!」
「タニマチを作ったら呼び捨てで呼ばれるようになり頼みごとをされて断れなくなるぞ!」
相撲の高鉄山も手記で「暴力団は力士の良いタニマチ」と書いていたが
893はそういうところから入り込んでくるんだろうね
ミスター高橋の話だと「上田さんにはタニマチが多くて上田さんがシンを誘って
そういう場所に連れて行くようになってシンは楽しい世界を知ってしまった。
上田さんとシンを組ませたのは失敗だった。」 でもシンは本当に経費節約のためだけに893含めてタニマチに奢って貰ってたんだろうな
その倹約が実って大富豪に >>977
シンはヤクザ受けはいいよな
ビシッとターバンにスーツで来るし、礼儀正しいし >>970
原と高野のやり取りは高野覚醒というかランクアップのため用意された
一つのきっかけみたいなもんだと思ってた。
ただジョバー役こなしてるうちに高野は腰がダメになって精彩を欠き心身ともに腐っていった印象。
高野が残留してたら、鶴田セミリタイヤ以降は三沢・川田vs高野・田上で武道館満員になってたのかな。 >>970
〉あんたが言うように卑怯な行為なら馬場が黙ってるわけないだろう。
高野失神の4ヶ月後に解雇されたが >>978
シンは乱闘の時はその筋の方を避けながらするのは、気をつかったのかな。 >>980
> 高野失神の4ヶ月後に解雇
借金取りが会場まで押しかけてきたからでしょ
素晴らしいレスラーなのにと惜しんでいた 馬場は接待を受けるのは嫌いだが、相手によっては接待をすることがある。タイガーマスクの版権を新日から全日に移す時、梶原一騎を宴席に招待したそうだ。梶原は猪木とは一度もそういうことはなかったと記し、この時から馬場を気に入ったようだ。 高野を締め落とした頃には借金取りが来てたんだろう
仕事場ではリスペクトされながら借金取りに追われ続け、時に一線を越えた悪さをするところが十階のモスキートの内田裕也みたいで破滅的人生に憧れもあったわ
当時の阿修羅の年齢を越えた今はまったく憧れないけどw >>964
ブロディのテーマとしては原曲以上
ホーガンのギャラクティカも同様に >>984
解雇される前のシリーズでも前半戦
10日程失踪しているんだよね。
自分がプロモートする長崎の大会の
頃には戻ってきていたけど。
天龍との関係も微妙な感じになっていた。 天龍は原のことを「ソウルフルな奴」と呼んでいたな。
二人の再会の場面は、何度読んでも魂を揺さぶられる。
ttps://livedoor.blogimg.jp/th302d/imgs/9/a/9afe0ed2.jpg ラジオ出演したとき行方不明期間は写経してたと言ってた そんなにヤ〇○に追いかけられて、原はもちろんだが、家族は大丈夫だったんだろうか。普通なら妻が子ども連れて逃げ出すレベルだよね。 龍原砲の原は素晴らしいよ。
昭和62年東村山での馬場タイガーとの試合が何気に好き。結末はしょうもないけど。
あの試合、馬場もかなり調子良かったみたいで、タイガーとのタッグに違和感ゼロだったな。
原、天龍の16文の食らい方もえげつなかった。 >>977
来日するたびに新日オリジナルのスーツケースを強請りある記者がシンの豪邸訪問を
すると「これから全米取材旅行に出るなら・・・」とかなり使い古したそのスーツケース
をプレゼントさせてくれ遠方のレストランに家族と出かけたので同行するとそこで
食事した理由は「誕生日だとケーキの無料サービスがあるから!」と言う鶴田以上の
素晴らしい経済観念だったがブッチャーと違うのはトロントの教育機関に寄付を続けて
「シン小学校」と銘々されたり3.11の後に即座にチャリティイベントを開催して
日本国大使館が表彰されたり社会に還元している。
>>982
原のは場までだったが輪島の時に全日事務所まで来たらしい・・・
>>990
天龍は伸び悩みファイトをしていた三沢タイガーを覚醒させて馬場御大は天龍革命に
ゴーサインを出して天龍の全日活性化へに気持ちを体感するための試合で好勝負となった。
革命の底上げの理由もあったけどハンセン・デビアス組まで圧倒してかって連日、
首折りの餌食になっていた龍原砲では無かった! 原が解雇されたときの天龍のコメント
「てめえの女房が浮気したのにそのてめえに何言えってんだ」
30年以上経った今でも完全に理解してない >>992
長州の
「宇和野、あのくそバカノータリンが。第1試合と今とが違うんだ。
オレと組んだからって、緊張感が違いすぎる。ドリー・ファンクですよ。」に比べれば解読の余地はありそうだ >>992
そもそも解雇を浮気に例えるってのがわからん >>992
>「てめえの女房が浮気したのにそのてめえに何言えってんだ」
何度読んでも理解できん。
天龍は原には「阿修羅、ゴメン」とだけ言ったんだっけ。
馬場も原を高く評価してたから解雇は最後まで迷ったみたいだし、
その馬場が苦渋の決断に至った背景考えたら、何も進言できなかったんだろうな。 マスコミの下世話な質問にムカついてる事だけはわかった このスレッドは1000を超えました。
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