【ラジャ・ライオン】昭和の全日本プロレス102【トムマギー】
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【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】
【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】
【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】
【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】
【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ)
【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】
【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】
【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】
【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】
【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 >>850
親父のマイク・デビアスの異名が鋼鉄男だったから鋼鉄男二世とされてんじゃないかな。 あー、二世か、そんな感じの記憶はあるな。。w
でも実子ではないんだよな。 電光男はマイク・ジョージか。
キンキラキンの衣装着てたわけでもないのに
なんで電光男だったんだろう。 大学時代からファンク道場に参加して、ファンクスの父親のシニアからシュートマッチで鍛えられていたようだから、基礎は充分出来てる。
初来日の76年のブラックパワーシリーズで8月の日大講堂(鶴田がUN王者になった日)ブラジルと組んだ試合で馬場のバックドロップでフォールされたが、デビアスの受身を分かっていたからこそ、馬場もあの大技を使ったんだと思う >>857
馬場の最終テストに合格して、上位クラスで全日レギュラー入りって流れだね。 愛知県体育館でスペシャル番組が多く組まれたのは
読売との関係が希薄な中京テレビの日本テレビへの忠誠心を持たせるため
中日ドラゴンズの放映権はCBCと東海テレビにほとんど抑えられていたので
日本テレビ運動部としてスポーツ番組制作の一部を中京テレビに回していた。 >>857
最初はインタータッグにも挑戦のパットンの方が格上だったがここで逆転という感じかな >>859
その辺りは馬場の二度目のNWA奪取の場所にも影響してるかな ハンセンのベストパートナー
ファン「ブルーザー・ブロディ」
馬場「テッド・デビアス」
ハンセン「ダニー・スパイビー」 83年の最強タッグの愛知県体育館は4年ぶりの生中継の宣伝も兼ねて中京テレビで
5時SATマガジンという番組の中で控室にいた馬場にインタビューしたのは当時学生
だったが後に中京テレビのアナウンサーとなりプロレス中継の実況も担当した佐藤肇
アナウンサー ハンセンはマードックの事を凄く褒めてたな。タッグパートナーというより
レスラーとしてだけど。
マードック>ゴディ スパイビー>ロンバス だったかな。
あとウィリアムズはサイズが小さいと低評価だったな。 ハンセン自身は誰がベストパートナーだったかは言及してなかったんじゃないか?
それぞれに対して高評価はしていたが。 1986年のチャンピオンカーニバルは
テッド・デビアス、オレイ・アンダーソン、ロン・バスとの
サーキットで、まさにハンセン軍団だったな。 >>866
>あとウィリアムズはサイズが小さいと低評価だったな
ウィリアムスが全日に来る前年
新日で日米ソの対抗戦やってる頃、むしろ大きく感じて頼もしく見えたが
そのウィリアムスが小さく感じるとは、いかにも全日らしい感覚だ
確かに全日の初期、ゴディやハンセンに囲まれると小粒に感じた
「あれ?新日時代での公式発表では190センチ越えだったはずだが…」と疑念を感じた… >>868
オレイは子分とは違うだろうね。
無下に出来ない同業者という感じかな? ハンセンはジョージアでオレイ・アンダーソンとタッグ王者になってる
当時は先輩のオレイをリスペクトとしてたんじゃなかった付け オレイは偉いんじゃないの?米国でも組んでたね、あとボビーダンカンとか。 >>862
ハンセンはスパイビーのことは「お気に入りのパートナーの一人」という言い方だよ。
「ベストパートナー」とは言ってないけど「スパイビーにスタイルが自分に合っていている」と
好意的な評価はしてるね。
>>866
ハンセンがプロレス入りして手本にしてきたのがテリーとマードックだからね。
いつも「300パウンドあってあれだけ動ける」という評価をしている。
>>867
そういう評価だね。ただブロディだけは「特別」という見方。
>>868
あのシリーズは外国人移動バスも4人だけで広々と使えただろうなw
>>870
78年〜84年までハンセンがいたジョージアでの株主でありブッカーだったからね。
口の悪さで有名なオレイだけど「スタン(とスレーター)は儲けさせてくれた」と評価している。
AWAとトラブルを起こしてアメリカマットから遠ざかっていたハンセンを、WCWのブッカーとして
呼び戻したのもオレイ。 血盟軍の木村、鶴見+フリーの原も外国人移動バスじゃないの?
ハリケーンズはどうだろう
チャンピオンカーニバルの次のスーパーパワーS開幕戦の外国人はゴディ1人だった
淋しいのう >>871
ブッカーとしても高く評価してたんだよな >>838
蔵前でブロディが戴冠した試合の後だよ。ただ、食らった後にドリーが何事もなかったかのようにブロディたちと乱闘しているが。 >>877
初期ウォリアーズはノーメイクでハードゲイみたいなコスだったろ
アドニスがそうだった様にああいうコスでもゲイとは日本では思わなかったよね
という事は「マッドマックス」悪役は全員ゲイって見られていたのかな??? >>879
>ああいうコスでもゲイとは日本では思わなかったよね
思わないどころか、ガキ目線ではカッコいいと思ってたよ
でも「世界のプロレス」でしかあのコスは見れなかった
日本に来た時はいつも赤黒のコスだったから「日本ではどうして黒革のコスで戦わないの?」と思ってた。
もちろんアドニスもカッコイイと思ってたし、ゲイキャラはリップ・ロジャースやリック・ルード
あとランディ・サベージ(これはゴージャス・ジョージ?)みたいなのを思ってた。
アドニスの異名が「暴走狼」だったからゲイとは真逆の男っぽいキャラだと思ってたよ。
それにしては毎試合のように股間をロープに打ちつけて悶絶とか、今思えばだけど… >>874
飛行機のトラブル等があって、
ゴディ以外間に合わなかったんだよなあ。 ゲイファッションって裸にレザーってとこでしょ
鋲のリストバンドとか首輪はパンク 渕が海外修行中に駆け出しのアニマル・ウォリアーに会っていて
デビュー戦が散々で落ち込んでたって言ってたな
シングル戦は試合がしょっぱくてアカンかったアニマルも
タッグでホークとメチャクチャやってたらウケるんだから
プロレスってのはわからんもんだ >>801
馬場は3000試合出場突破記念のガニア戦を小規模の後楽園ホールで開催したのは
「いつも使わせてもらっている感謝を込めて!」と言っていたのは強がりなんだね。
いくら記念試合でもこの頃での全日では蔵前等の大会場は最強タッグ優勝戦以外は
大量動員が難しい。後年の大・物量作戦の10周年記念興行でも専門誌に「新日ブーム
に押される中でなんとか新日と渡り合う事ができた・・・」と書かれていた。
>>858
中京テレビの存在を知ったのは東京12chで放送されていた頃の「お笑いマンガ道場」
だった。その時に初めて「地方局でも面白い番組ある!」と知った。
>>874
ハリケーンズはワゴンを使って移動していた時期もあったはず。数人のメンバーなのに
事務所も構えていた。ただ新日を離脱して全日参戦を目指すもBIが手を組んだ強力な
引き抜き防止協定のために参戦できずまずテレビ中継の無いジャパンから参戦した。
大塚氏も「BIに逆らった日本ではプロレスできない!」この強力な協定の凄さを驚いていた。
馬場も噛んでるから全米の主要ルートからも弾き出されたかもね。 地方のテレビ局はズームインでだな、愛知県だとハゲたアナウンサーだった >>885
1986年の春頃、ハリケーンズのテレビ放送が解禁された試合
6人タッグで全日正規軍との対戦だったけど
新鮮味もあるとはいえ、ハリケーンズの方に(声援ではなく)歓声が上がってたのは見てる側とはいえ危機感を覚えた
ただでさえジャパン軍が優遇されてるのに、ハリケーンズまで…いったいどこのリングだよ…ってね。 豪華強豪外人来襲!の全日本が好きだっただけどに、
そのころはテレビ中継が観れなくても、まあいいかぐらいに思うようになってた。
会場に行っても試合数こそ多いけど、第1試合以外は前座から6人タッグが
組まれるような状態だったからね。 矛盾してる事を言うようだけど
ハリケーンズを引き入れるんだったら、無理すればUWFを5人とも受け入れられたんでは?
まあ、ハリケーンズはジャパン経由とか、ヒトの顔を立てないと外人ルートが…とか諸事情もあるんかな?
でもキッドスミスはその頃からWWFに行ってしまったし、そんなにうま味はないよね。
ただし、UWFまで来たらテレビに映るのは鶴田天龍タイガーの三人までだろうね
鶴田天龍タイガーvs前田藤原高田の6人タッグとか、せいぜいタイガーと石川、高田と山崎が入れ替わるくらいで
そんなカードでテレビ中継はしばらく続けるんだろうね… >>889
6人タッグなら、馬場鶴田天龍vs木村原鶴見が昭和の至高の名勝負 >>888
カードによってへ新日じゃないかっけ錯覚するようなカードが多かったね。 ハリケーンズの国内始動は、ジャパンの立春三大スペシャルマッチだったかな? >>892
テレビはシビアだから
中継では馬場の意向に関係なく数字を取れそうなカードを組む >>894
いや85年11月のニューウェーブインジャパン >>892
世界ジュニアの三つ巴の抗争、渕、小林、斎藤
これも「声援」じゃなく「歓声」という意味では小林と斎藤は会場内が沸いてたが
この頃の渕はまだ「ねちっこい強さ」「味のあるレスリング」が浸透してない頃でテレビ映えもしなかった。
凱旋当時のジャーマンも使わなくなって、平成時代に名を馳せるバックドロップもイマイチな角度
決め技というか、返し技のジャックナイフ型のエビ固めがフィニッシュという、何とも強さを感じさせない印象だったな。
小林と斎藤の因縁抗争に三番手で渕が割り込む感じだったな。
まあしかし小林は新日復帰してから現在の回想に至るまで、渕への評価は高いみたいで
当人同士しかわからない何かがあるんだろうけど。
でも小林は渕へは数十年も評価する割にドリーやレイスへの評価はいまだにボロクソだよね… >>897
> でも小林は渕へは数十年も評価する割にドリーやレイスへの評価はいまだにボロクソだよね…
「全日本とやって勉強になったところは無かった。」
「全日本に恩義も愛着もこれっぽっちも無かった。」
とか言ってる仲野でさえ、渕のことは評価してたから
新日本にどっぷり浸かってそのままの価値観で生きてきたレスラー共通のものが
何かあるんだろうな。 思い返せば新日にはレジェンド外人レスラーが皆無な気がする。 決起軍は団体主導で始めたことで、五人はただ言われるままに従っただけ
リーダー格のタイガーマスクのヤル気のなさを仲野は遠回しに皮肉ってたが
仲野達だって最初から三沢についていく気が無かったのがミエミエだから
失敗を他人のせいにする無責任さが丸出しでカッコ悪かった >>900
仲野は全日本時代を海外修行みたいな物だとも言ってるな
少なくとも印象的に彼人生のピークが全日本時代にあったのは間違いない 仲野の人生ピークは佐川時代じゃない?
全国トップで表彰もされたし。 まぁレスラー時代のピークは87年よな
例の鶴田プッツン試合に始まりジャパンNO2昇格、ハンセンデビアスのPWF挑戦、渕のジュニア挑戦、そしてあの面子の最強タッグ出場と。
テレビ登場も多かったからね >>906
引退試合なのに観客の罵声を浴びまくって泣きながら試合したのが
仲野のピークじゃね 猪木や藤波はちゃんと技受けるけど坂口・長州・健悟は攻めてばっかりだってモローに
言われていたな。因みに久しぶりの浜口は新日本の選手っぽかったとか。 >>900
渕ってそんないい選手かなぁ?
新日乗り込んだ時のマイクといい
意外と新日の方が向いてたのかも >>910
小林邦昭が絶賛していた
「渕(正信)さんはよかったですよ。やってみて、“この選手は、こんなに凄い選手なんだ”って思いました。
何しろ、試合の先を読む力にたけていました。ある意味、全日本の中で一番、うまい選手でした。
当時、渕さんは、中堅どころで試合をしていましたが、僕から見れば。
ああいうところで試合をする人間じゃなかった。
ジャンボ(鶴田)とタッグを組んでメインを張ってもおかしくないぐらいの選手だったと思います。
ただ、肝心の本人は、欲がなさそうでしたね。あれで欲があったらトップを取っていたと思います」 ロードウォリアーズを売り出さなきゃいけない時期に
空気も読めず嫌がるホークを強引にボディスラムで投げてしまって
試合後馬場に肘で小突かれた話は笑ったな、エラリングも大激怒したとか
渕はそういう事する印象が無かったから興味深かった チャボのNWAインターJr戦も最初渕で決まっていたけどテリーが大仁田に変えるのを提案したんじゃなかったっけ?
所謂レスラーとしての嗅覚は流石テリーだと思ったけど(後に自分のフォロワーになるし)
試合としては渕が挑戦した2試合の方が良かった大仁田はずっと今でもドタバタしてる感じ地に足がついてないというか >>912
菊地との世界ジュニアでバックドロップ3連発で完勝した時も負ける奴のことも考えてやれと馬場に怒られた >>914
全日分裂後、新日の武道館での対サムライ戦はエグかった
バックドロップの7連発…
サムライの受けも凄くて、まるでゴム人形のように投げられるたびにグニャ!っとしてた…
渕は30代の頃は優しいというか、下手くそな部類のバックドロップだったのに
40代になってから凄い切れ味になったな、上達したのか?あえて投げ方を封印してたのか? >>914
あれ会場が沸かない中で、淡々とバックドロップ決めて行くんだよな。
2.9が全盛になりつつあった全日で、渕だけ全く客に媚びを売らない試合やってた。 >>915
菊地との試合でバックドロップ10連発くらいやってたことなかったっけ?
さすがにあれは退いた。
>>916
マレンコ兄弟との試合でハードな攻防に目覚めたのかも。 >>900
連想スマソ
渕と他の全日勢の違いって、やっぱり唯一ゴッチに習ったことなのかな?
間合いとか技の入り方とか、新日勢と手が合うところあるのかも。 >>918
> 菊地との試合でバックドロップ10連発くらいやってたことなかったっけ?
>>914が言ってるのは本当は3連発じゃなくてその試合だと思う。
武道館でこれでもかと思うくらい連発してた。 >>919
> 渕と他の全日勢の違いって、やっぱり唯一ゴッチに習ったことなのかな?
それくらいだろうかねえ。
> 間合いとか技の入り方とか、新日勢と手が合うところあるのかも。
仲野の話だと新日本的なグランドの攻防に付き合ってくれたり
カタく行っても受け入れてくれたということらしい。 平成になってからの話だけど
渕と川田の文体?でのシングルで
昭和の新日的な試合をやってた気がする
全日生え抜きで寝技の攻防で客に魅せられるのはこの2人と秋山くらいか >>911
俺もそれは読んだけど
なかなかジュニア王者にしてもらえなかったし
結局馬場が評価してなかったんだろうな
ヒロ斉藤を馬場が評価したのは何となくわかる
初代王者にしたぐらいだし 藤原を初めて見た馬場が渕に「お前より全然上手いじゃないかポゥ」と怒った話もあるしな >>923
> 結局馬場が評価してなかったんだろうな
小林邦や仲野が評価してたということは
馬場が評価するポイントとズレてたということかも知れないしな。 >>925
保永の見解
これもまた興味深い
イベントで私は保永氏に、全日本と新日本のスタイルの違いを質問した。
「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。
「新日は、最初から潰しにいっちゃうというか。最初から違いを見せつけるような。
まぁ、簡単に言うと受けないというか、相手の。自分ばっかりいいとこ売っているようなスタイルというか」。
簡潔で明快。これほど2大団体の違いを表現した言葉はないだろう。
「だから、すごく全日はやりやすかったです、私としては。外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、
新日の場合はそういう外国人はまず皆無でしたから」と保永氏。水と油とも言える2つの団体。
その言葉からは自らの思惑を超えて「プロ」に徹した職人のプライドがにじみ出ていた。 蝶野が渕をあれがプロの身体か?
とこき下ろしてたがガチでは渕の方が
圧倒的に強かったんだろうな。 >>928
保永はもともと全日の入団テストくらいだし、全日のスタイルが好きなんだろうな
全日に入っていたら渕みたいな選手になっていたような
>>928
蝶野も人のことどうこう言えるほどの身体ではないと思うが 蝶野こそサッカーのイベントにゲストで現れた時、サッカー関係者から、
「アスリートどころか、平均的な成人男子の脚ですらない」
と… >>929
試合観てそれはハッキリしていたね。渕も負け役お疲れ様って感じで。 >>929
グラウンドになったら大人と子供だろうね
ただ、そのガチ論になるとブロディがガチではどうなんだ?と同じで一概に決められないけどね
蝶野は身長もあるし、その時期はまだ体格は厚みがあったし
ただ、蝶野が40代後半になって同年齢時期で比べると渕の方が全然体はできてた。
もう20年ぐらい前になる、その頃はまだ体に厚みがあった頃だね
でもその時期の渕の年齢の頃に自身がなった時には、当時の渕の方が全然体格がいいけどね 失礼、同じ内容を二行書きしてしまった…
その蝶野vs渕のシングル、蝶野は軍団でイキリ立って入場してきたのに
渕はタオル一枚で風呂上りみたいなムードで入場してきた
例のG1のマイク後だから、あの通常モードっぷりが逆に光るんだからプロレスの演出って難しい
あの時の渕は、藤原が長州を札幌で襲い、一躍注目を浴びた時の蔵前
浜口戦での藤原の入場を想起させた、あの藤原も通常モードのニタニタ顔で浜口との対比が面白かった。 馬場はマイティのことはかってたよな
マレンコからベルト獲らせたし
でも正直マイティはそんなに巧いとは感じなかったな 桜田に言わせると日本プロレス出身と国際出身には差があって
国際出身で上手いと思ったのはM井上だけなんだそうだ 溺愛されるタイプじゃないってだけで渕は馬場に買われてたと思うけどね
後にマッチメイクやるようになったら一番儲かるようになったし参謀として才覚があった >>939
冬木が若手だったころにデラックスプロレスのインタビューで
憧れのレスラーはマイティと佐藤昭雄と答えてた。 >>938
全日の中では、馬場にいろいろ話しかける数少ない人なのかなぁという印象。 天龍の例の物騒な最後の新春シリーズ、マイティと遺恨が出来たとき、
「高木どころじゃないよ!鶴田、カブキ、井上で来たら、冬木と川田じゃどうにもならないよ!」
とこぼしていたな >>935
二人共、実寸で182cmというところだろ?
公称で蝶野186、渕183、渕はほとんどサバ読みなし。 テーズが蝶野にSTFを伝授したのは、蝶野の鍛え抜かれた脚を見たから 父・百田光雄の体調が急激に悪化しているため、しばらく治療に専念させていただきます。
どうしたの??? 蝶野の体格に関しては第二回G1でストーンコールドに首を負傷させられたからな
鍛えたくても脊椎損傷してると中々ね… >>947
オースチン戦は第二回G1ではない
更に言えばヤングライオン時代山田のパワーボムでやられてる >>936
アジアタッグをフットルースに奪われてお役御免かと思ってただけにあの奪取には本当に驚いた >>931
首が悪くて練習できないんだから、許してやれよ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。