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【風雲昇り龍】昭和の全日本プロレス85【流浪のヒットマン】
【グランド】昭和の全日本プロレス86【チャンピオンカーニバル】
【竹山祐一】昭和の全日本プロレス87【読売テレビ実況アナ】
【脳天唐竹割り】昭和の全日本プロレス87【河津落とし】 (実質88)
【スーパーパワーシリーズ】昭和の全日本プロレス89【SUPER POWER SERIES】
【世界最強タッグ決定リーグ戦リマッチ】昭和の全日本プロレス90【賞金$100,000争奪戦】
【サマーアクションシリーズ】昭和の全日本プロレス91【SUMMER ACTION SERIES】
【若手三羽烏】昭和の全日本プロレス92【渕正信 大仁田厚 園田一治】
【日プロ崩壊 合流組】昭和の全日本プロレス93【松岡巌鉄 ミツ・ヒライ 伊藤正男 他6名】
【サマーアクション】昭和の全日本プロレス94【シリーズ2】
【国際崩壊即合流】昭和の全日本プロレス95【マイティ井上 米村天心 菅原伸義 冬木弘道】
【馬場対上田】昭和の全日本プロレス96【二人の採点をしたら62対57で馬場選手なんです】 【創立〇周年記念】昭和の全日本プロレス97【ジャイアントシリーズ】
【まだわかりません!】昭和の全日本プロレス98【まだどっちが強いのかわかりません!】
【ブルーアイドソウル】昭和の全日本プロレス99【プロレスインハワイ】
【世界最強タッグ決定リーグ戦】昭和の全日本プロレス100【夢の対決】
前スレ
【74新春NWAチャンピオンシリーズ】昭和の全日本プロレス101【75沖縄国際海洋博覧会協賛新春シリーズ】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1610464248/
【異種格闘技戦】ジャイアント馬場(209p)VSラジャ・ライオン(226p)
https://youtu.be/2f0EDWsp718
【伝説の異種格闘技戦】長州力 vs トムマギー
https://youtu.be/fEujNgVsITE
【伝説の名勝負】輪島 vs トムマギー
https://youtu.be/LVrJi5ZfGYs 鶴田の体脂肪は30%超えてるな。
あの体脂肪がスタミナの源。 世界の16文≠ニして一時代を築いた故ジャイアント馬場さん(享年61)の「23回忌追善興行」(東京スポーツ新聞社後援)が4日、後楽園ホールで開催され、セミファイナル前には「第3試合」として、馬場さんと不沈艦≠アとスタン・ハンセン(71)の初対決(1982年2月4日、東京体育館)がスクリーンで上映された。
徳光和夫アナウンサー(79)が新たに実況を入れた「リマスター版」で名勝負がよみがえり、試合が上映された直後にはハンセン、佐々木健介(54)、ノア・丸藤正道(41)、川田利明(57)、ドリー・ファンク・ジュニアPWF会長(79)からのメッセージが放送された。
追悼セレモニーにはミスタープロレス・天龍源一郎(71)を筆頭に第2試合に出場したメンバーに加え、ザ・グレート・カブキ(72)、タイガー戸口(72)、キラー・カーン(73)、谷津嘉章(64)百田光雄(72)、田上明(59)、小橋建太(53)らのレジェンド勢がリングを取り囲み、10カウントゴングが鳴らされて黙とうをささげた。
https://www.nikkansports.com/battle/news/img/202102040001260-w1300_2.jpg
https://i.daily.jp/ring/2021/02/05/Images/f_14056556.jpg
https://i.daily.jp/ring/2021/02/04/Images/f_14056930.jpg リングサイド15000円か!歌手のコンサートや役者の舞台より高額やね!年いってもしがみつくわけですね >>10
確か最後は翌年の最強タッグで天龍に決めたやつじゃなかったかな >>6
カブキはもともと小柄だったけど、なんでここまで身長が縮んだんだ。
猫背だとしても縮みすぎ。 351 お前名無しだろ (ササクッテロ Spbd-LBhg) 2021/01/31 17:04:59
東スポの報道で、全日本から契約の話がなかったと言ってるんだから、秋山が裏切ったのではなく、秋山をクビにしたのがハッキリした
馬場を2度裏切ったとか言うファンは、馬場云々前にちゃんと記事読めよ
398 お前名無しだろ (ワッチョイW 7d24-t/66) 2021/02/01 13:04:33
>>351
秋山って馬場の存命中は一度も背信行為はしてないぞw
死後に馬場の看板借りて商売した夫人一派を、っていうなら話は別だが
にしても馬場なんて今やプロレス史じゃacromegaly(末端肥大症)の選手の一人くらいにしか評価されてないからな
アンドレ等の末席で写真すら載ってないw
http://imepic.jp/20210201/462740/s1b8
While generally not great athletes due to their size, the visual impact of a "giant" is undeniable.
運動能力は低いが怪物じみた外見で商品価値があったが、ただそれだけw
とかねwww
事実は見世物レスラーの典型だから、王道が聞いて呆れるぜ
王道なんてありがたがってるのはニワカなajpヲタだけだろw >>8
>>9
これだけ2.4推しだったら会場も
同じ東京体育館にすればよかったのに。
そしたら入場料も下げられただろうが
さすがにそれは無理があったか。 そういえば2·4ではハンセンが馬場に延髄斬りやったんだよね。 >>14
最高1万円、客席を3千人に限定しても
満員は無理だと思う。 >>16
馬場個人のイベントはやはり後楽園が似合う
最初はガニアとの記念試合だったし >>18
渕、小鹿、カブキ、越中、大仁田
しかしカブキの背が縮み過ぎじゃねw
人間こんなに背が縮むもんなのか 馬場興行でのオレンジジャージが懐かしくも新鮮に感じた >>22
10年くらい前に横浜駅構内で偶然見かけて「あっ、小鹿さん!」って
つい声かけてしまったけど、でかかったね。一発で目に付いた。 ジジイで脳が縮んでしまったのか、未だにハンセンというと新日時代が出てくる。
田コロは言うまでもなくアンドレとの激戦、猪木とのNWF、MSGシリーズの攻防、ホーガンとのタッグ・・。
丁度彼の日本での成長期というか外人エースとして昇華していった様子をリアルで見てきたからだろうと思う。 田コロの前に全日本との移籍密約が出来ていたというのもポイント
それだけ新日本がハンセンに無警戒だったって事で >>24
たぶんあなたと近い年齢だと思うが俺は逆。ハンセンと聞くと即座にサンライズが頭に浮かんで全日での闘い、昭和じゃないけど四天王との絡みまで頭に浮かぶ。 生まれて初めて見た全日本プロレス中継がハンセン乱入の日。
青森は全日が月曜の夜中放送だったから小学生にはキツかったけど、
新日で見ていたハンセンが出てきて眠気が一気に覚めた思い出。 >>24
新日ではシングルプレーヤーとしてのハンセン
全日ではハンセン、ブロディ組としての印象が強いね
それでもシングル、タッグとも両団体でハンセンは頑張ってたけどね
特に鶴龍がいなくなった後は
2人の代わりに四天王の壁になってた頃は地味ながら立派だった 馬場・ハンセン組のチーム名は「オールハンセン巨人」 スヌーカといえば、ブロディ日本最後の試合となった川崎の世界タッグ戦。
ブロディ組を負けさすための(龍原防衛)仮病じゃないかと今でも思ってる。 >>30
デビアス欠場→馬場とタッグ→大森の先生役
大森と組んでたのが1994年以後ぐらいか…
このままデストロイヤー的なポジションになるかと思ったら、1995年あたりに小橋にケンカ売り
三冠挑戦者として再び浮上する、その後にオブライトと組み
そしてベイダーと組んで再び外人トップ戦線、再浮上は見事だった
今思えば、大森と組んでたあたりがヤバかったか?… >>31
ゴメン言葉足らずで...ドリーは「追善興行」にVで参加してるから分かってるw
日プロ期にNWA挑戦してるからライバルっちゃライバルだけど
ファンクスはビジネスパートナー感が強いね 95年はウィリアムスが来日出来なくなって、
外国人レスラーではハンセンが前面に立たざるを得ないメンバーだったからなぁ。 ハンセン&ウィリアムス
二人だけのタッグはなかったよな >>33
その川崎大会、見に行ったよ
スヌーカ欠場は会場に着いてから知って、ガッカリした
お客さんは…入ってなかったねえ
伝説の輪島vsマギーのシングルがあった日ね、輪島の逆エビにマギーがあっさりギブで失笑が起こってた。 >>34
96年に最後の世界タッグから降りた後は大森のパートナーだったな
そして三沢が秋山のパートナーに
それでも秋山と大森のアジアタッグはそのままで >>37
96年秋の武道館でオブライト&パトリオットと
やってる。何も前触れ無く組まれてたような気がした。 >>40
旗揚げ記念のスペシャルマッチだったな
その日はドリーの馬場全日本でのラストマッチも >>35
ドリーがライバルでなければ、
誰が馬場のライバルなんだよ。
ハンセンも違うとか言うなよ。 馬場の同世代のライバルはほとんど鬼門に入ってるからな
サンマルチノ、キニスキー、エリック… >>43
ライバルかもしれんが
ライバル感がしないという>>35のいう事もわかるよ。 >>44
キニスキーもエリックも同世代ではないよ
馬場から見ればドリーやレイスにも内心は自分が格上という意識は常にあっただろう https://www.bs-asahi.co.jp/interview/lineup/prg_501/
また徳光の十八番
「ギャラアップを要求した我儘なブッチャーに対して馬場さんは
殺し屋ゴードン・ネルソンを呼んで肩関節を外して交渉した」が出た
ブッチャーとネルソンは全日で一緒になったことはないし
ネルソン1回しか全日に来てないのに馬場と強いコネクションがあるような言い方も変 https://tvpalog.blog.fc2.com/blog-entry-17302.html
馬場さんのビジネスっていうのはなんとかシリーズっていうのがありますと7〜8人の外国人レスラーを呼ぶわけですね。
するとねアメリカ人のレスラーって わがままですから途中で「自分が人気あるな」なんて思いますと
ギャラのアップを要求するヤツが出てくるわけですよ。ブッチャーがそうだったんですけど。
そうするとですね馬場さんはアメリカにラインを持ってるものですから全く名もないんでありますけども
無名なんですけどもレスラーでいうと殺し屋っていうのかな?そういうレスラーを呼ぶわけですね。
ゴードン・ネルソンっていうレスラーだったんですが。そいつが必ず来るんですが
彼はどういう技を仕掛けたかっていいますと関節技っていいまして肩を外したり腕を外したりですね手首外したり
簡単にできるヤツがいる。
そういうヤツをブッチャーにぶつけるわけです。で ブッチャーと…ブッチャーの肩なんか完全に カンッ! と外すわけですよね。
するとブッチャーがこうなるわけじゃないですか。そこで交渉するわけですよ。
「お前 相当…」つまり 契約どおりの事やってないみたいだなっていうような事を言って。
それで 「わかった わかった」って手をパンパンパンってやりますよ。
すると ガキン! って 外し…また 入れてそれで負けてそれでまた帰っていくんですけどもね。
そういう…つまりレスラーのある意味でシンジケートみたいなものも馬場さんは知ってたという。 ハンセン全日に移籍直後からあのブルロープ使ってたイメージがあるんだけど、実際はしばらく経ってからなんだよな 小学生の頃にテリー対ハンセンを見てたから
Gスピで対談してるのを見て感慨深かったな。 10年ぐらい前の新日ドームで
テリーと長州がタッグ組んだのも感慨深かったな
相手がブッチャー軍で、テリーとの因縁の対立軸というのもあるが
「スピニング・トゥ・ホールド」をメインテーマに流しながら長州がテリーの前を歩いて入場だもんね。 まあこれまで何度も話題にのぼっていたけど、移動のバスや電車の中では、ファンクス、ブッチャー、シーク、シン、ハンセン、ブロディといった面々が掴み合いになったという話も聞かないしな。 >>56
ブッチャー退場の時に歩行器みたいなの使ってた >>57
ブッチャーとブラック・タイガーは新幹線でにらみ合ったが。 >>59
あー!言った言った!ミーが一番トサカにくることを! >>59
ブッチャーとブラックの
睨み合いは名古屋〜京都間で実際に起きた出来事らしい。 >>62
列伝ではサカが仲裁に入っていたが
史実はどうだったんだろう? >>53
ハンセンがあのブルロープを使い出したのは、ブロディが新日本に離脱して
デビアスとコンビを初結成した『'85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ』からだよ。
それまでは赤と黒の細めのロープで、あのタイプは新日本時代から使っていた。
この新ブルロープと一緒にカウベルも付けてきて、この時から使用開始。
ブロディと分かれて、ハンセンもイメージをよりワイルドにしたんだろうね。
>>55
自分は92年の『旗揚げ20周年記念特別試合』で馬場&ハンセン&ドリーが結成された時に初めて思ったな。
セコンドのテリーとリング内のハンセンが言葉を交わしていたのを見た時、何とも言えない気分になった。
>>57
ブロディが全日本に復帰したシリーズの移動バス内だけど、シンとブロディも隣同士でリラックスムードだな。
ゴディがそれにまた輪を掛けてw
https://i.pinimg.com/600x315/3b/65/ff/3b65ffc8566bd8c6a24218436e536399.jpg ゴディの真後ろは、国際血盟軍のラッシャー木村かな? >>57>>66
ファンクスはいつからはわかないけど移動もホテルも日本陣営をいっしょだった。
最強タッグの旅日記にコラムに「浴衣で大広間でくつろいで日本語でイタダキマス、
ゴチソウサマと食事して今日のお気に入りは魚のつみれ汁!」と載っていたw >>68
古舘「ブッチャーが銀座のクラブで色紙にサインしてタニマチから10万貰い、
ごっつぁんです!!」 >>63
バスじたいは小型で大きくないが、1人で2席分を与えられて快適そうだ
ただ、バスや飛行機、列車や車もそうだけど
本当に長時間の旅の快適のカギは「足元の広さ」だよね
そこらへんはレスラー設計されてるんだろうから…
なんたってアンドレが全日バスはご満悦だったらしいし
酒飲んで寝てれば各試合会場や宿泊先に着くんだから、日本マーケットは天国だね。 外人にとって日本の巡業は天国だもんなw 移動も宿泊も会社が手配。
若いレスラーはベテランの姿を直に見聞きできる。
中にはホームシックになったり、ビジネスライクに割り切ってるレスラーとか様々だろうけど。 /Users/watanabeyukimasa/Pictures/写真 Library.photoslibrary/resources/derivatives/D/D3D73DD2-6D8D-495D-BB2C-A07C9009C2D3_1_105_c.jpeg >>71
>外人にとって日本の巡業は天国
ブルーザーは「日本のビールが一番うまい」っていってたんだっけ。
逆に日本食が口に合わないとしんどいかもね。
みんながみんな、魚のつみれ汁が好物ってわけじゃないだろうしw 新日の話だけどアドリアンアドニスは初来日の時、最初は「生の魚なんて食えるか!」と言ってたのに
マネージャーのブラッシーに刺身を薦められて嫌々食べたら気に入ったとか。
最終戦の頃には「大トロより中トロが好き」とまで言ってたらしい。 >>68
「ザ・プロレス」に掲載されていた(東スポ本紙からの転載だったかも?)松永アナのコラムによると
北海道巡業中のドリーはイクラの醤油漬けがお気に入りだったみたいで
旅館の人に追加注文を頼んでいたのだとか
>>75
「肉は鶏。コレステロールの多い物は食べるな 。」
等とブラッシーに食生活を細かく指示されていたという話があったね
アドニスは来日する度にウェイトが増えているなんて言われていたくらい太り易い体質で有名だったから
その辺りに気を配ってもいたんだろうけど こういう話になると定番だけどブロディの「ツナ缶」を思い出す
先見性の高さと、ギャラは貯蓄に回し「ブルーザー・ブロディよりも後の人生の方が長い」
なんか亡き野村監督の言ってた事と被るね
監督もツナ缶ではないけど、絶えず(試合中も)健康志向のお茶を主食なみに1日中飲んでた
「野球選手でいるよりも後の人生の方が長い」も有名だし。 ウォリアーズも「日本のビールはストロングで美味い」と言っていたそうだ
来日する外人レスラーはほとんどが「ライスってこんなに美味いものだったのか!」と
お米が好きになるって話もあった ジョー樋口の本に
外人レスラーは「デビルフィッシュ!」と言って
たこが食えなかったって書かれてた。 >>78
何かで読んだけど、たぶん輪島デビュー時の時期だと思うが
ドリーが深夜、ホテルで寝静まっている時に
ドアを「ドンドンドン!」って叩く音がして、ドリーが何事かと思いドアを開けると
酔っぱらったウォリアーズ(ホークだけかも)がなだれ込んできて
部屋の常設してる冷蔵庫を開け、ビールを全てかっさらってったらしい…w 日本のビールが外人レスラーに好評なのはキンキンに冷えてるからじゃないかな? >>70
高齢者も新幹線より高速バスが楽だって言っている。
新幹線だと荷物を抱えて広い駅を歩かないといけないが
高速バスだと道路にバス停があって送迎の車もそこから乗れて
荷物もバスの運転手さんが積み下ろしをしてくれてとても親切だったと言っていた。 >>70
ブロディやゴディのバランスからするとシート自体がデカいな。 >>82
それはわかる気がします、自分は高齢者にはまだまだ先だけど
新幹線の駅の広さだけは…けっこう閉口する
飛行機は早いけど、チェックイン〜機内への入場から離陸まで30分以上かかるし
着陸時も同じ道程、さらに荷物が出てくるまで微妙に時間かかるし
なんだかんだで所要時間があまり変わらんのでは?と思う事もあった。 ダイジョーブ ドウシタノ? チクショー ナンジャーコラー >>68
ケイブンシャのプロレス大百科に、プロレスラーの食についてのページがあったけど
「俺も兄貴も日本のフィッシュは大好きだ、だから日本に来たら必ず食べる、アマリロじゃフィッシュは食べられないからね」という
テリーのコメントが載ってたな >>77
>先見性の高さと、ギャラは貯蓄に回し「ブルーザー・ブロディよりも後の人生の方が長い」
「俺がブルーザ・ブロディでいられるのは20年もない。後はただのフランク・グーディシュさ」
貯蓄で株やってたんだっけ?
プエルトリコの事故がなかったとしても、ブロディでいられたのは後数年くらいだっただろうな
>>81
海外旅行行くと、店で出されるビールがぬるいことがしばしばあるね。
ビールをあんなにキンキンに冷やして出すのは日本独自の習慣かも。 >>90
>ブロディでいられたのは後数年くらいだっただろうな
それは夫人にも言ってたみたいね
ヒザがかなり悪かったみたいで、最後に全日復帰した時も体が細くなってたし
それは衰え云々とは別で、負担減のために減量して体重を落としたのかもしれない
たぶん馬場にも伝えてただろうから、本来なら数年引っ張るようなカードも
続々と実現してたかもしれないと思うと、返す返すプエルトリコの事件は残念だ。 ドリーも何時ぞやのインタビューの中で
「日本ではシーフードが最高だ!テキサスのはノーグッドだけど。日本へ来る楽しみの一つなんだ」と答えていた。 レスラーのビール大瓶ラッパ飲みは絵になるしかっこいいな シン ハンセン ブッチャー ファンクス ブロディ マードック
彼等は箸をうまく使えた >>91
プエルトリコの事件は、WWCを完全に舐めきってたブロディにも非がないとは言えない。
あの時のトニーアトラスは、危険を顧みず男を上げた。
ダッチマンテルも協力者。
ブッチャーはプエルトリコ寄り。 全日復帰の頃のブロディは日に日に白髪が増えてたな。。 >>92
テキサスって、海沿いのヒューストンだとシーフードが豊富にあるけど、
車で3時間くらいかかるサンアントニオあたりまでいくともうあまりないとか
アマリロなんてテキサスの一番奥の内陸部だから、シーフードなんてまずなさそう >>95
舐めてたかどうかわからんだろ。
憶測にすぎん。
興業権の問題で、殺されたっていう説もある。 プエルトリコなんてプロレス業界だけじゃなく社会全体が危険だろ。治安とか。 >>96
それがキリストっぽくてむしろ神がかって見えた >>102
あー
ナゾのままなんだ
いいねそれはそれで >>94
81年春にブッチャーが映画『吠えろ、鉄拳』に出演した記事がデラプロに載っていたけど、そのなかに「休憩中にウドンで腹ごしらえ。面白いハシの持ち方です」というキャプションで箸をピンセットみたいな持ち方でうどんを食べてる写真があったけどな。 リベラがレスラー御用達になったきっかけはブロディなんだっけ。
ステーキ食べたいと関係者に話したらリベラ紹介されて、食べ行ったら気に入って通うようになったらしいね。
当時の日本で気軽にステーキ食べられる店限られてたろうから貴重だったろうな。
ブロディは250グラムくらいのステーキをゆっくり食べるくらいだったそうな。
先代のマスター曰く一番食べたのはスヌーカでかなりの量のステーキたいらげたとか。 >>105
何度めかの来日の後で自宅に戻ったブロディは、奥さんに
「今日から飯は当分ステーキとポテトでいい。もうしばらくヌードルは見るのも嫌だ」
と言ったとか。
当時の日本じゃあんまり本格的なステーキ食えるところなかっただろうから、
リベラみたいな店はありがたかっただろうね。 ハンセンとブロディが並んで立ち食いそば屋で食事をしている写真を見たが
ハンセンは笑顔を浮かべて旨そうに食べていたがブロディは無表情で淡々としていた >>103
神がかって見えた、と聞いて想起したのは
1985最強タッグの武道館、鶴龍vs馬場ドリー
この日は観戦したが、この時の馬場は本当に凄かった
ゴールデン昇格後の武道館、それも最強タッグにしては寂しい動員だったけど
良くも悪くも長州を中心にした1年間、ゴールデンも長州ありきのムードの1985年の掉尾…
月並みな表現だけど「スケールの大きいプロレス」というか、ダイナミックでわかりやすいというか…
ガキながらも「長州じゃねえよな…全日はこうでなくちゃ」的な思いを持てて安心できたというか
事実、メインの長州には失礼ながらも小粒でシャカシャカ?して全然面白くなかった。
もちろん鶴龍の体格も大きいから、馬場の技を食らう姿も迫力があり、あの試合の立役者でもあったんだけどね。
馬場vsハンセンの初戦の東京体育館、自分は観戦できてないんだけど
あの試合を生で見た人の驚きや熱狂感、それをなんとなく想像できた気がした。 なんか鶴田の息子って、堅実な親と違っていっつもSNSで遊んでる感じだな
仕事してるようなアレもないし >>99
結婚は中々、許可が出なかった当時、資産家で石油卸業等で展開していた実家・伊藤家
から全日旗揚げ時に当時の費用で数千万が提供されている。結婚に一番、反対していた
元子夫人の母親が自分より早く馬場が亡くなると「こんなだったもっと早く認めて
あげれば良かった・・・」と悔やんでいた。日プロ離脱時に週刊誌で「G馬場が関西出身
のI.Mさんと結婚!」と報道されるもプロレスマスコミはスルーした。ゴングのインタビュー
で竹内氏がコレに触れるも馬場が全否定して話の中心は独立騒動になっていた。 >>109
不思議なのは2年連続で1年の締めを長州に優勝はさせないけど、メインを務めさせているんだよな。
そうとう権力を持っていたんだろうな・・ 馬場の結婚隠しはアイドル歌手的な理由だと思ってたが100パーセント奥さん側の理由なんだな、川田も同じかな
チャットモンチーの人が3年間結婚を隠して妊娠したから公表して凄い叩かれたが男性はあまり叩かれないな >>70
>>71
しかもギャラもいいしね。
当時、テリトリー制時代のアメリカマットだと、自分でモーテルを予約して自分で運転して(相乗りも多いが)
時に何百マイルもある距離を移動。ガソリン代も勿論、自費。真夏の途中で車が故障でもしたら最悪。
ハンセンがレイ・キャンディと2人でジョージアを移動していた時のエピソードを書いていたけど悲惨。
ビールを飲みながら猛スピードを出すから、事故も多かったしね。
ただ、J・J・ディロンが語っているけど
「日本に呼ばれることはとても"名誉"であるんだけど、そこで地位が固まるわけでない。
日本のレスラー達が"仕掛けて"テストしてくる。これを切り抜けなくてはいけない。」
その場にハンセンもいたけど、納得していた。 >>115
>日本のレスラー達が"仕掛けて"テストしてくる。これを切り抜けなくてはいけない。
Dキッドが自伝で三沢川田に関して、そのようなニュアンスで語ってたな
自伝というと大体がゴーストで、信憑性が怪しいものがほとんどだけど
あの自伝は良くも悪くも文脈がめちゃくちゃで、本当にキッドが語ってる事をそのまま翻訳した感じで信憑性は高いと思ってる。
スミスとの微妙な?不仲というか不満感なんかもぶっちゃけてるし、猪木を尊敬しつつもトップポジションに関しての疑問符とか…
逆に馬場が前座に下りている姿には猪木と対比して「こうであるべきだと思った、ババには敬服する」みたいに言っていた。
一番意外だったのは、新日よりも全日の方がキッド的にはリング上はハードに感じてたニュアンスだった事かな
もちろん年齢のタイムラグや体力も低下とか、一概に比較できないんだけど。
晩年、みちプロの6人タッグに呼ばれた時に
日本円でたった50万円のギャラのために、リング上で命がけで気を持たせてた事にふれた部分
「ここを乗り越えてリングを下りれば、ギャラがもらえる…」的な部分は切ない感じがした。
あと最後の方でスパイビーが出てきて、プロモート業で失敗してスッカラカンになった事とか
腰の骨が溶けて?まともに歩けない部分の描写とか…昭和全日のスピンオフ的に読んでもなかなか胸にくる内容だったなあ…。 >>112
元子は伊藤元子だったのか、あの伊藤素子と同じ読みなんだな >>113
単純に観客動員力、チケット販売力じゃないのかな?
その前の15周年の両国メインも
フレアーに挑戦する長州がメインだったし、結果的に相手はテリーになったけど。
瞬間視聴率は長州が特別に良かった、というわけではないらしい。 >>117
そりゃ全日の方が、デカイレスラーが多いんだから、ハードだろ。意外でもなんでもない。
それに新日レスラーがハードヒットする相手は、明らかにやり返してこない奴に対してだけだろ。
キッドにきつく攻撃する根性あるやつなんか、数えるほどしかおらんよ。
まだ新日のイメージ戦略に騙されてるやついるのか。もう令和だぞ。 前スレ941にテリーファンクが「もうサインを求めて写真を送らないで」って
言ってる動画が貼られてたけど、ダスティンローズがテリーは大変な痛みに
苦しんでいてみんなの祈りが必要ってツイートしてる
https://twitter.com/dustinrhodes/status/1358502857851473930
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>113
当時はわからなかったが今考えるとわかる事なんだけどね。
全日とジャパンは業務提携してるのであって全日がジャパンを吸収してたわけじゃない。
だからジャパンと全日の選手は平等に扱う必要がある。メインはジャパン、優勝は全日、あるいはその逆がバランスとれてると思う。 >>118
あの事件は奇しくも馬場が結婚を公表する前年だったよな。 たけしとか関根とか馬場の独身ネタをいじらなかったけど業界人は薄々知ってたのかな、関根勤がブレークしたのは馬場の新婚初夜のモノマネだったし >>123
大塚の存在が当時は気になってたけどな。 結婚の発表の時に真っ先に馬場が言った言葉は
「みなさん(プロレスマスコミ)が、今まで知っていたのに黙っていてくれた事に感謝します。」
だったって話を読んだことがある
日本プロレス時代から事実婚だったからね >>118
82年入籍時プロレス誌では河合元子と報じられた
検索すると伊藤元子と両方出てくるな
どっちなんだ? 子供の頃、何で馬場の奥さんが売店で仁王立ちで威張ってるのか
不思議でならなかった。 >>128
馬場との結婚にあたって親戚の河合家に養子縁組みして苗字を変えたそうだ。
それほど実家が反対していたのだな。 猪木と美津子はともかくw、レスラーのプライベートの夫婦姿ってあまり雑誌メディアに載ることはなかったが
80年頃の月プロで連載あったな。小鉄、大熊、荒川とか。夫婦というか家族だったかな? 昔のデラプロにレスラーの子供達がお父さんについて似顔絵や作文を書くコーナーがあったが
阿修羅原の息子がお父さんの事を「自慢のお父さん」みたいに書いててその後を思うと可哀想になってくる。 >>133
鶴田夫妻は結婚して間もない頃、欽ちゃん司会の夫婦カラオケ大会みたいな番組に出演していた。 >>135
夫婦カラオケ大会って…
超人気番組の、
オールスター家族対抗歌合戦だろ。 >>133
桂三枝(現:文枝)司会のトーク番組に大熊が奥さんといっしょに出てたの見たことある。 鶴龍対決の日に生放送だったプロレスラーの妻たちを思い出す >>131
日プロのエース時代の馬場の知名度やステータスはONに匹敵していたと思うが
それでもこれだけ反対されるってことは、プロレスラーの社会的評価は低かったんだな
猪木もそれを見ていたから、有名女優と結婚したりやみくもに事業に手出したりしたのかも
>>135
・日テレ番組対抗かくし芸大会のシンデレラ役
・底抜け脱線ゲームでサクラダとスパーリング
・ストロング姐さんとピコピコハンマー対決
・やすきよのトーク番組etc
鶴田のバラエティ出演経験は豊富
最後のやつでは、「全日本はしんどいからやめたい」と冗談で口走ったら
すかさずやすしに「じゃあ新日本プロレスに入るんでっか」と突っ込まれてた >>139
鶴田は24時間テレビの第一回放送でも
馬場と一緒にスタジオに登場したね。 >>139
三枝の愛ラブ爆笑クリニックや、さんまのまんまでも、鶴田はしっかりトークの面白さで笑いとって盛り上げるからな。
もっとテレビ出演してほしかった。プロレスラーのイメージもアップしたろうに。 馬場、鶴田は青島幸男の意地悪ばあさんにゲスト出演してた。
鶴田はズボンのファスナー縫われちゃって漏らしちゃう役。 >>136
いや、その番組はスターとその家族が出る番組だけど、鶴田夫妻が出ていたのはたしか85年新春の特番だったよ。
保子夫人が「吉沢京子風の美人」だともてはやされていたが、当時まだガキの俺は吉沢京子が誰かわからなかった。 馬場、鶴田、天龍の嫁三人がNHKで揃ったのは、馬場嫁公表された直後くらいか? >>139
日プロのエース時代の馬場の知名度とステータスはONに匹敵したと思うが
いやいやそれは言い過ぎ。
あ、誤解しないでほしいが、馬場の知名度・ステータスが低いんじゃなくONがとんでもなかったという事だからね。 >>145
馬場個人というより
プロレスそのもののステイタスが
日プロと全日では雲泥の差がある >>127>>130
日プロ時代に馬場夫人に徹していた頃が駒、大熊、佐藤と「いい関係」だった。
しかし旗揚げ数シリーズ後に全日の経営が怪しくなり実家から資金提供されて手前もあり
経営能力の高い元子夫人が前面に出てきて外人レスラーの高額ギャラを批判する駒や大熊
と溝が出来てしまった・・・
単なる社長夫人では無く出資者、馬場の個人マネージャーとスタイルリスト、Gサービス
の幹部、現場監督等と共同経営者として八面六臂の活躍だったが
後年に「女帝に支配される全日本プロレス」と上田が週刊誌で暴露してしまった・・・
>>139
日テレ設立時から放映を続けて局の看板番組で高視聴率を上げる番組でも日テレ局内では
巨人戦、プロボクシングに続く番組もスタッフも三番手の扱いだった・・・
徳光アナも念願の巨人戦に関わるもプロレス中継に回されて落胆した。最初は野球と
併用だったがプロレスは地方収録も多かったので自然とプロレスとバラエティーのみなるも
後年に旅番組で力道山のお墓を訪ねると「プロレスのお陰でアナウンサーとして道が
開けました・・・」と手を合わせて神妙な顔で感謝していた。
ちなみにブロディ初来日までは何かしら形で全日中継に関わっていた。その数ヶ月後
にズームイン朝が始まるからその後すぐに準備で離れたみたいね。 徳光実況の試合って日テレにどれくらい残ってるんだろう。デストロイヤー対マスカラスがプロレスクラシックで流れたり、馬場対モラレスがYouTubeにアップされたりはしてるけど。 >>148
自分たちがファンクス、ブッチャー、マスカラスと同等の
集客力があれば高額ギャラ批判にも理があるんだが、所詮は
彼らに食わせてもらっていた身の上だからね
駒や大熊はそのことを自覚して必要以上に出しゃばらなかったから
馬場にも大目に見てもらえたが、シンのおまけという自分の分を
わきまえなかった上田は制裁ブックを飲まされてしまった >>148
高校生で経営学叩き込まれてる女なんか
馬場も厄介なの抱え込んだよな。 外人レスラーは、客寄せの別枠招聘だっての
分かってないカブキじゃあるまいしね。
特別ゲストみたいなもんであって。
アメリカのトップレベルをよんでたんだからなあ。
宣伝はマスコミ頼りだけど。 新間に言わせると
「馬場さんと元子さんは世界最強のタッグチームだった」になる 商品は馬場で、操るのは夫人ってことか。
新間らしいな。 >>148
オープンタッグの頃から見てるが、
徳光が関わったのをリアルタイムではまったく覚えてないわ。倉持と松永しか知らん。 ズームインとかで人気者だった徳光がジャイアンツと合わせて全日本プロレスの話をするのは宣伝になってるけど関わりが薄いのにでしゃべってる感はあるね
でも倉持がしゃべるよりリスペクトしてるから良いという複雑さ >>146
ジャンボ夫人を見るとなんだかいつも女優の芦川よしみが頭に浮かぶんだなあ >>156
徳光がプロレスをリスペクトしてるわけないやろ。
倉持以上に見下してるわ。 上田馬之助が元子ディスって馬場に制裁されたのは本当ですか? 二重人格者だな。本人が「自分はメチャクチャ短気なので車の運転はしない」とか
小学生の頃親と観ていた演歌番組ではかなり下ネタも言っていたしAKBの選挙でも「ホントは知らん人ばっかり」とか..
巨人の選手の引退はカメラ前で号泣するのに馬場の時は覚えてないが三沢の時は全然泣いてない記憶 倉持は知りすぎててイヤミっぽいい昔話になるが徳光は立ち位置の割に知らなさすぎだから嘘でもリスペクト感を出してる印象 馬場夫妻とイメージだぶりそうなのはジャニーズ事務所の喜多川姉弟とかか。 徳光は馬場の追悼番組で、プロレスという競技は野蛮で嫌いだったが、
レスラーは皆、人間味のある良い人ばかりで、今も付き合いのある
スポーツ選手はレスラーだけ、みたいなことを泣きながら言ってたな。 >>163
デストロイヤーの引退式でゲストに来て泣いていたな オープン選手権の開幕戦は足立区体育館なのに、よみうりテレビの竹山アナが実況していたの?
竹山アナが東京の会場で実況してる試合って、他にはないよね?
https://youtube.com/watch?v=W9YapPuSbu8 徳光はフレアーvsマーテルのダブル世界戦の中継にゲストで出ていたが、「私のNWA王者の記憶だとドリー・ファンク・ジュニアなんですが、ドリーはルー・テーズからベルトを獲ったんでしたっけ?」とか「マーテルはテニスのジミー・コナーズに似てますね」とか、プロレス通らしからぬ発言が目立っていた。実況の仕事を辞めてからはプロレスの情報には無関心だった感じがしたね。 >>163
「野球は巨人、司会は巨泉」といっていた大橋巨泉は
司会辞めたらあっさり巨人ファンも辞めたが、徳光は今でも巨人ファンなんだろうか。
巨泉がクイズダービー降板した後で後任を務めた徳光は、司会としての巨泉との
実力差を思い知ったとか >>164
24時間テレビの嘘泣きで有名な徳光が泣いても本当かわからんな、ブッチャーの血レベルで簡単に涙が出せる 初めてプロレス見に行ったとき近くにいた大人が「今日はテレビ中継じゃないからブッチャーは流血しないだろ」と言っててそんなもんかと思ってたら流血したので凄いお得感を感じたのを思い出した 徳光は巨人ファンというより、長嶋茂雄ファンという印象。 テレ朝で放送してる路線バスの旅観ると徳光の腹黒さが良くわかる
いい人キャラを演じてるだけで、博打好きで飲んだくれ甘い物好きで愚痴ばっか言ってる
取材させてくれた店で食べて不味いと平気で言ってたりもするし >>159
あれは試合前に馬場が競馬で大穴連発の大敗して「馬なんか大嫌いだよー」と怒り心頭のまま
会場入りの状態で「今日の対戦相手は馬之助」と聞かれ
馬嫌いの怒りを全てぶつけて脱臼まで追い込んだとか。 世界タイトルマッチの試合中に「ジャンボ頑張れ!」と声をかけて鶴田の顔にマイクを向ける徳光 >>165
年数を重ねるごとに実況が下手になる人やったな >>159
制裁されたのではなく、制裁されたような
ブックの試合をさせられた。 >>173
最近の徳光はレジェンド扱いされている
のに違和感がある。
当時の印象だとスポーツ番組にもバラエティにも
上手いこと片足だけ突っ込んで
深みにハマることなく美味しい思いを
している色物アナウンサーのイメージだが。 田鶴浜さんの「試合前に二人の採点をしたら、62対57で馬場選手になりました」は歴史に残る迷言だったよな。 徳光と倉持の実況を採点したら、62対57で清水実況になりました 四天王プロレスを熱く語る工藤静香に
徳光「裏側を知ってると何とも言えないんですが」 正月後楽園のブルドッグスvsマレンコBroは平成? >>167
日テレG +で「徳光和夫の週刊ジャイアンツ」という巨人応援番組やってるからまだ巨人ファン。
番組見てると本気で応援してるっぽい。
まぁそれも腹黒芝居と言われたら返す言葉もないが。 >>165
81最強タッグ最終戦でサイドレポーターやってたな >>182
「カープの選手が乗った飛行機が落ちれば
巨人の逆転優勝」発言には巨人ファンも
ドン引きだった。
今話題の森氏と同様、自分目線で思った事を
すぐ言ってしまうから
色々な人を気づかずに傷つけているタイプ。 >>171
路線バスの旅で池上本門から横浜の鶴見まで移動して地元の人が「名所は無い」と
言ったら「アントニオ猪木の故郷ですよ!」と即座に反応していた。最後に地元の
茅ヶ崎で待ち構えていたのはのちに女子プロレス中継をする日テレ時代の
先輩・志生野アナだった。徳光夫人との馴れそめを果たしたがアナとしては低評価だった
徳光アナを「必ず大物アナになるから!」と大言を言って応援したらしい。 >>166
馬場がなくなった時だったか、
馬場の写真がジンキニスキーと戦ってるところで、
「ちなみにこちらの外人はジンキニスキー。ユーコンエリックの耳をそぎおとした男です。」
コワルスキーと間違えてた。
ちなみにその写真もキニスキーではなかった。 日テレ時代に福留は徳光虐められて性悪が更にネジ曲がったというイメージ プロレスに対するリスペクトと程よい距離感を保ってるのは平川と古舘ぐらいか >>194
仕事として関わってないだけに愛情がストレート。 福留は、ズームイン初日に
自分は巨人ファンではないのですが、と言い出して、なんじゃ??
そんなこと言っていいんか?と思った。 アメリカ横断ウルトラクイズの予算が億単位だとか、
小倉アナが福留の荷物持ちだったとか
回答者とスタッフは別のホテルだったとか >>202
この前、BSプレミアムでやってたたけしの番組に福留がVTR出演して
ウルトラクイズ開始当時の金額で予算は6900万円だったと言ってた 徳光はBS11の競馬中継でもニワカ知識しかないと競馬ファンに叩かれてたな、あまり深くまで掘り下げないタイプなんだろうね
そういう人のが親しみやすかったりするけど 高山の品の無い解説でプロレス離れちゃったんだよね
馬場さんがいたらもちろんあんなの許さないと思うけど、ウケちゃったんだろうね。 >>188 ああ、言ってたw キニスキーとコワルスキー勘違い。。
>>202 小倉淳か? で、もうひとりカンケー無いが、小倉(オヅら)智昭というとおれは12chのヤンヤン歌うスタジオの
OPナレーションが割と記憶にあるな。。
ところえ倉持アナって隠れ猪木ファンらしいが本当なのか。。 >>207
> ところえ倉持アナって隠れ猪木ファンらしいが本当なのか。。
インタビューで本人が言ってたからもう隠れでも何でもない。 >>209
> 前田「猪木さんは人ったらし」
違うよ。普通に試合を見てファンになったんだよ。 >>207
小倉智昭といえば世界のプロレスのナレーションだろう。 プロレスのアナウンサーや開設者ってハゲがいないね、山田さんなんか辞める直前までフサフサだった >>211
もちろん世界のプロレスもだが、あっちは心情的には元国際実況コンビの杉浦滋&門馬忠男も捨てがたい >>212
中京テレビの佐藤アナウンサーはツルッパゲ。
あと、小鉄がいるだろ。 >>210
いや、親切にしてもらって感激したんだよ。 >>216
いやそういうことがあったのかどうかは知らんが
それとは関係なく、猪木の試合が好きだったんだよ。 >>210
アリ戦だね
それから大ファンになったと著書にある 倉持は馬場鶴田はともかく天龍は好きそうに見えたけどなあ >>218
> アリ戦だね
それは知らなかったな。あれを見てファンになるのか。 >>221
>それは知らなかったな。あれを見てファンになるのか
試合そのものはどうしようもない凡戦だけど、あれを実現した行動力が
大したものだって感じなんじゃないの?
まああの何の根回しもせず大言壮語して、後で既成事実化してしまうという
強引な手法は、馬場の硬直した発想からは絶対に出てこないものだしね。 若林アナがタイガーマスクのピンチの時に「がんばれ三沢」と言ったのはワロタ。 >>188
徳光はカミングアウト済だよ。
別にプロレスは好きでも何でもない昔仕事として実況やってただけだって。
元々長嶋茂雄の大ファンで巨人戦の実況をやりたくて日テレのアナウンサーになったのにプロレス実況の方に廻されてしまったって。 辻アナ「正体不明のマスクマン、ブラックタイガー。正体はいったい誰なんでしょうか?」
マサ斎藤「僕は知ってますけどね」 長州がストロング・マシンにラリアットする時に「平田ーッ!」と叫んだのもあったな >>222
闘いぶりも美しかった。痺れながらこのファイトを観た。そして大ファンになった。
らしい >>224
古館とF1みたいな関係なのかもな。後年はたまに思い出話みたいにしか出てこないし
古館と言えば何よりプロレスだ。 >>227
ユーチューブにあがってるよ
鶴田タイガー対天龍冬木 多少方向性が違えど、徳光と若林はプロレスそのものよりプロレスラーが好きなだけ 三沢タイガーは前年にタイガーの格好でマスク脱いで結婚報告してるから公認でしょ >>211
「世界のプロレス」では山田康夫のナレーションの方が耳に残ってるな。 >>166
徳光が好きなのは巨人軍であり長嶋であって
米メジャーリーグはおろかパリーグの選手の名前なんか全然知らないぞ >>237
かつて熱烈な巨人ファンだった大橋巨泉は
第2次長嶋政権時代の金満補強に嫌気がさして巨人ファンを辞めたそうだが
徳光はそういう感情抱いたことないんだろうか?
さすがに当時は「巨人は無駄金使いすぎ」ぐらい言ってた気がするが 徳光はプロレス界でいえば永源・荒川辺りと同類のような気がする 巨泉のこんなものいらないでテーマは巨人軍
そこで森光子から芸名を大橋巨泉から大橋阪泉にしろと言われて
巨泉は「スタン・ハンセンじゃないんだからウシシ」と笑っていた >>242
巨泉はHOWマッチでも尾上辰之助に観覧に来ていた客が歌舞伎と声掛けしたのを
プロレスラーじゃないんだからとか言っていたので恐らく全日本プロレス中継は
見ていたな。巨泉のこんなものいらないについては巨泉お前こそいらないと突っ込み
たい人もいただろう。 こんなものいらないだったかで、WWFの大人向けトレーニングキャンプみたいのが
取り上げられたとき、ブラッシーが映って「Oh!Fred Blassie!!」って喜んでたな。 >>248-249
もしかしてHOWマッチだったかもしれない。 >>199>>201
小林完吾アナは所沢在住でライオンズファンだった。4連勝で巨人を粉砕した時に番組
の中、徳光アナの前で勝ち誇っていた。ちなみ南海放送から日テレに引っ張ったのは
志夫野アナだった。
>>207>>208
日テレ・梅垣Dが最高の入場テーマとしているのは炎のファイター。佐藤昭雄が
猪木vs.ドリー戦の方が馬場・ドリーより名勝負だったとコメントしている。
原Pと徳光アナは日プロ時代は馬場より猪木の方が仲が良かったらしい・・・
>>217
東スポ・桜井氏と新間は「レスラー猪木」は絶賛している。
>>242
世界まるごとHow muchで「メキシコからレスラーを招聘する金額?」と問題が出た。
EMLL(フランシス・アロンソ・ルテロス)から紀元二千年仮面・マスカラ・アニョ・ドスミル
と100の顔を持つ男・シェン・カラスを1ヶ月間招聘すると320万ペソ(224万)と出たが
当時の詳しいレートは不明だが実際はその十分の一らしい。他に現地のマスク屋の販売用
マスカラスのマスクが4500ペソ(3150円)とか最後に視聴者へのマスクプレゼントとか
があった。 アナウンサーではないが、馬場派なのは黒柳徹子さんだろう
馬場存命時にゲストでヒンズースクワットを教えてもらい
いまだに色んなゲストに対して「健康話題」になるたびに
「G馬場さんに教えてもらって、今でも毎日やってるのよ」
という話を徹子さんが語ってるのは少なくとも10回以上は見た
あの番組は自分もたまに見る程度だから、語ってる頻度は30回以上もあるかも?と思わせる。 >>252
馬場のスクワット話は森光子もよくしてたね >>253
森光子のスクワット話は定番だが馬場の名前は出してないような
都市伝説ではあるらしいが…
https://mnsatlas.com/?p=42075 >>219
倉持は鶴田とつるんでたし、
天龍には結婚式の司会させてもらえなかったと恨み節言ってたから、天龍のことは好きじゃないはず。 天龍同盟になってから天龍持ち上げと同時に鶴田をディスる発言が増えた、でも馬場が鶴田に苦言呈すのに天龍はベタ褒めだったからそれに合わせただけに感じたが 馬場は天龍に対してUNのリーグ戦の時に試合の8割以上の時間を受けにまわってることを厳しく言ってたが、
デビアスとの決勝の試合で「もう天龍について言うのはやめました。彼はこういうスタイルなんでしょう、自分には理解出来ないけど」と言って以来苦言は聞いたことがない 天龍が殴る蹴るスタイルになったのはずっと後だもんな。 >>251
小林完吾は南日本放送からではなかったか? オープン選手権のジョナサンとブッチャーの試合Youtubeで観たけど凄い骨格と体型だねジョナサン
晩年でもいいからブロディと対戦したらどんなブックになるんだろうか
見た目はブロディですら圧倒的に弱くて見えそう >>263
しかもジョナサンはトンボ切れるからね。 >>261
天龍がサッカーボールキックとか使うようになったのって
vs輪島の頃ぐらい?
鶴龍コンビの頃は違っていたような
>>263
難しいね。日本でやる分にはブロディの勝ちは動かないだろうけど、
ブッチャー戦みたく負けた方が強く見えるブックじゃブロディも受けないだろうし
データベース調べてみたが、アメリカではシングルでもタッグとも対戦ないようだ。 >>263
晩年の達観したようなジョナサンなら普通にブロディ に寝るだろうがブロディvsサンマルチノみたいな度迫力の戦いになるかどうか
まだ若くてギラギラしてる頃のジョナサンがルー・テーズとやってる動画を見たことあるけど生意気な攻めをして即テーズにお仕置きされてた
キラー・カール・コックスによるとジョナサンと試合したゴッチが何もさせてもらえなかったらしい ジョナサンの体格、全盛時の中西の体格に似てるよね
中西がG1で優勝した時ぐらい、腹が出る前のね。 ジョナサンは副業の潜水事業で成功していて、現役晩年はレスラーの方が副業になってたから勝ち負けにこだわらなかったと言われてる
でも負け方は上手くなかったと思う >>268
全日のシリーズに参加したのは78年のチャンカーが最後だったが、
そのしばらく後で事業の関係で来日したとき馬場を誘って一緒に飯を食って
「お互いモルモン教徒じゃないか。ちゃんと教会に行こうぜ」と
プロレスの話は全然しなかったとか。
「心技体すべてそろった素晴らしいレスラーだが、客が呼べない」が馬場のジョナサン評
こだわりのなさがたんぱくな試合にも表れていたんだろうな。
あの巨体で87歳と長寿だったのも、あまり無理をしなかったからだろうし。 >>267
は?ジョナサンの方がはるかに上背あるぞ。
筋肉のつき方も、中西はゴツゴツしてるけど、
ジョナサンはナチュラル。
全然違う。どこを見てそう思ったのか。 >>269
あまり無理しなかったって失礼な。
昔のレスラーは長寿がわりと多い。
オールディーズバットグッディーズで来日したあと、馬場は「ジョナサンは病気でもう長くない」と言ってたけど、そこからも長生きして、馬場の方が先に逝ってしまった。あれはなんだったんだろう。 >>265
そうだよね。蹴りがえぐくなっったのは輪島戦からかも。
でレボリューションで格下相手にやり始めた。
決起軍とか。 >>415
UWF勢の新日登場前後の視聴率
12月20日・・・13.5%
12月30日・・・10.5%(ハワイ収録)
1月3日・・・・9.4%(UWF登場)前田対高田
1月10日・・・・10.5%、前田対藤原
視聴率で起爆剤になっていないがいきなり対抗戦にしなかったのも一因。6月のIWGP
決勝(猪木対マードック)で15.5%を取るももう高視聴率は続かないかった・・・
ちなみに同時期の全日中継は
12月21日・・・9.4%
12月28日・・・9.3%
1月3日・・・11.5%(ザ・ラシアンズ登場)
>>424
大塚氏は「新日へ戻るしかいない!」と言う選択肢しか無い道を作り新日から高額
の移籍マネーを減額させるために長州を永久追放した。
>>269
ジョナサンの名勝負はオープン選手権でドリーと引分けて馬場の優勝をアシストした
試合。あのドリーが自分のペースで試合が展開できていない珍しい試合。一部でNWA
王者の呪縛から逃れてブッチャーに喧嘩ファイトで圧倒したり一部でドリーの全盛期
と言われている頃だった。
ブリスコも本業の自動車修理業が好調で待遇のいい日本等の限られた地区だけ試合を
していた。 >>273
表向きは知らんが、
長州と一緒に大塚も新日復帰するはずだったけど、
大塚復帰を倍賞鉄夫に猛反対されたんじゃなかったっけ
大塚のクーデター本持ってるけどもう一回読んでみるかな それより昭和ワープロの毎週視聴率の出典を知りたい
なんか別スレで画像貼られてたけど確実に存在するみたいなんだよな >>275
それは初耳だわ
大塚はあくまでもジャパンを独立させて、そこに全日本と新日本のレスラーが上がれる状況にするよう最後までこだわってたのが表向きのはず >>276
別冊宝島は国会図書館に提出されているビデオリサーチ社の
週報のデータを筆写してきたらしい
週プロかゴングには一時期VR社・ニールセン社両方の視聴率が
毎週掲示されていた
まとめる気があればまとめられると思うんだが >>276
市瀬の「ワールドプロレスリングの時代」に80年代のものなら載っている >>260
そういう天龍も長州とやる時だけはガンガンいってたな。 >>279
週プロ 関東・関西のビデオリサーチ
ゴング 関東のビデオリサーチ・ニールセン ワールドプロレスリング歴代高視聴率獲得試合
格闘技世界一決定戦 1976年2.6
アントニオ猪木vsウィリエム・ルスカ=36.5%
北米タッグ選手権試合 1976年2.5
坂口、S・小林vsT・J・シン、B・ムルンバ=26.8%
NWA世界Jrヘビー級選手権試合 1983年7.7
タイガーマスクvs寺西勇=24.8%
1976年1.29
アントニオ猪木vsタイガー・ジェット・シン=24.4%
第1回IWGP公式リーグ戦 1983年5.30
前田明vsハルク・ホーガン=23.8%
WWFインターナショナルヘビー級選手権試合 1982年11.4
藤波辰巳vs長州力=23.7%
第1回IWGP優勝戦 1983年6.2
アントニオ猪木vsハルク・ホーガン=23.6%
ルスカが猪木に負けるのを受け入れたのはひとえにカネのため
というのは晩年にしつこく語られているが、この物凄い視聴率を見れば
新日はルスカに高いギャラを払うべきという >>285
ルスカ戦は水曜スペシャルでの放映だったな。
裏に太陽があった金8枠じゃこの数字は取れなかっただろう。
全日がゴールデン撤退した時日プロのPが
「格闘技戦のようなソフトを開発できなかった」と悔しがってたし
単純に羨ましかったんだろうな >>286
いや金曜日の通常枠だが
水曜スペシャルは翌年のウェップナー戦から 猪木は裸で、ルスカは柔道着を着て、試合はリングの上で。
当時は小学生だったが、「ルスカが勝てるわけないだろ!」と思ったな。 「北米タッグ選手権試合 1976年2.5
坂口、S・小林vsT・J・シン、B・ムルンバ=26.8%」
っていうのも、生放送が試合途中で終わってしまった
ルスカ戦を翌週流した回
だから実質これもルスカ戦の視聴率 >>285の数字はよくブログなどで挙げられているけれど、
宝島ムックが過去の「ワールドプロレスリング」歴代視聴率
ランキングを検証していた記事では、木村ら国際軍団と
猪木の二度の1対3マッチが25%以上の高視聴率を取り、
格闘技戦を除いた純然たるプロレス中継としては歴代でも
1、2位を占めていたと書かれていた
ニールセンかVRかの違いもあるだろうけれど、ちょっと怪しい
部分のあるランキングだと思う
調査が望まれるところ >>272
UWF式の(公称)空手やキックスタイルの蹴りや
背中へのいわゆるサッカーボールキックより
エナメルとゴム底紐編上げのリングシューズで
倒れた相手の額や頭や背中をコツーンコツーンと
つつくようにトゥキックで蹴りつける方が
観てていや〜なかんじがしたな
あれ怖い先輩に白とか黒のエナメルのキンキン靴で
ヤキ入れられたりしたの思い出すんだよ…w 馬場が日テレのお偉いさんから向こうは猪木vsアミン大統領という話題を振りまいている
のだから馬場さんも何か一発起死回生のアイデアを出してくださいよと凄い剣幕で言われた
けど俺にはそんな事出来ないと89年頃に回想していた。 読点が全然ないと、どこで切っていいのかわからないよな。 ルスカと柔道界の事を考慮して
終盤上半身の胴着脱いだのはブックときいて
なるほどと思った。
裏投バックドロップで負けるわけにはいかんわな。 >>294
全日の一般層向けの企画と言ったら、やはり
ヘーシンクや輪島の獲得とラジャ戦か
どれも日テレ主導で、馬場のアイデアではないだろうし
馬場も若い頃アーチ・ムーアとやったりしているし
ヘーシンクがプロレス転向したのだってルスカより早いんだし
本人次第で異種格闘技路線先行できたはずなんだが >>275
新日の興行不振で営業部・杉田氏がかっての上司だった新間に相談すると
「大塚に相談しろ!」と言う指示が出てこれが猪木を交えた四者会談になり猪木から
Uターン要請された。新日とジャパンの対等合併と言う話まで出るも資本比率等で揉めて
(ジャパンの方が資本金が多い)はじめてレスラーと背広組の全員のUターンが「レスラー
のみ!」となり交渉相手も杉田氏から倍賞氏に替り話も違ってきたので交渉を打ち切るも
帰る気満々の長州の暴走は止まらなかった。あと全日・日テレとの契約を見直すと合併
なんて簡単じゃ無いと言うのもわかっての交渉打ち切りだった。
大塚氏の理想は「一枚のチケットいろんな選手が見られる!」だったがTBSのレギュラー
放映も頓挫して全日のシリーズ後に行われたジャパンの短期シリーズも不入りで喜ぶのは
試合数が増えた選手ばかり馬場も頭が痛く大塚氏も独立を断念した。馬場もジャパン
が簡単に手切れできないように契約で縛っていた。
>>285 >>285
話題を呼ぶ猪木・アリ戦開催騒動を聞きつけたルスカからの売り込みだった。
ルスカ戦開催決定は東スポでなくプロレスを普段では扱わない朝日新聞のスクープ
だった。東スポは夕刊紙のハンディがでてしまったがアリ戦では資金提供までして
「取材させろ!」と大柄な態度の一般紙を尻目に東スポにマスコミに窓口を一任させた。
さすがに各社からの圧力があったのか一般紙にも解放した。 大塚の唯一の誤算が自主興行でも長州(維新軍)人気だけでは思ったほど集客出来なかったことでTBSも頓挫して完全独立も諦めざる得なかったらしい 出身地名産の三条燕のスプーンをユリ・ゲラーが折り曲げられていることに馬場が怒り
「これ以上スプーンを折るなら俺がユリ・ゲラーの首をへし折ってやる」と制裁を宣言
それに対してユリ・ゲラーが「私の超能力で馬場の腕は3分で折り曲がるだろう」となり
ジャイアント馬場vsユリ・ゲラーの異種格闘技が実現
日本テレビの番組プロデューサーならこのぐらいは企画しそなものだが >>292
その宝島ムック
新日と全日の過去の視聴率、全部載ってたのがあったらしいけど
書名タイトルを教えてほしい、読みたいな >>297
ヘーシンクなんてやり方次第でもっと面白く出来たのにな。
何で馬場に挑戦って形にしなかったんだろう。
最もあの時点の馬場が、プロレス的にはデクの棒のヘーシンク相手に
猪木ルスカ戦みたいな名勝負出来たとは全く思わんが。 王道の継承、慎重居士の馬場がそんな飛び道具は使わないだろう。
あくまで外人のキャラを存分に生かして華やかで調和を求めたスタイル。 >>304
プロレスの上手さでは猪木より馬場の方が上だろ。
何言ってんの? >>297
異種格闘技路線なんて、
たまたまアリ戦の話があったから、
ルスカもその路線で、となっただけ。
そんな発想は0から出んよ。それは後だしジャンケン。 >>296
ルスカご自分で脱ぐってのは不自然。
猪木が脱がせるって訳にはいかなかったんかねえ。 >>304
ヘーシンクがショープロレスに納得しないまま
プロレス入りしたのが悪いのさ。 >>303
かぶってないだろう
二度の1対3があった蔵前でのタイガーは小林戦、ブラックタイガー戦
そもそもタイガー戦のあとに1対3やったら、寺西さんは(サンダー杉山が試合を
ボイコットしたために連投させられた)小鹿さん並みのハードワークだ >>296
リングサイドに柔道関係者が多数いた中でよくやったよなあと思うもんな
柔道着姿での敗北にしなかったのも、投げ技3連発でのKO負けシーンを生中継では
流さなかったのも、柔道関係者への配慮だったのかも
翌日の朝日新聞は「疲れたルスカが試合放棄」と書いていた
一般紙のスポーツ担当からすればプロレス団体より講道館・全柔連との付き合いが
大切だろうからなあ >>304
へーシンクのプロレス最終試合と猪木VSルスカを比べて見ると面白い
嫌がるヘーシンクをサイドスープレックスでボンボン投げる鶴田が怖い プロレスからはなれた後にヘーシンクは柔道界の重鎮として復帰できたが
ルスカは復帰できなかったね
90年代の猪木VSルスカでルスカが帯で猪木の首を絞めていたのは頭が眩んだ
ルスカとディルク・カイトは顔が似ていると思う ヘーシンクはアクラムペールワンとも対戦してんだな、プロレスなんかいな? >>307
諸説あるけど、少なくとも馬場がアメリカ遠征時にアーチ・ムーアと
対戦経験あるのは事実らしいから、発想のベースはあったはずだが。
>>304
ヘーシンク獲得は日テレ主導だったからね。
自分で獲得に動いたわけじゃないから、ハナから対戦する気なんかなかっただろう。
>>311
オランダ柔道界の派閥でヘーシンクは主流、ルスカは傍流だったとか
あと奥さんが夜の世界の人だったことも不興を買った一因らしい ヘーシンクは最後の鶴田戦後にマイクアピールで
ジャケットマッチ要求してる。 >>315
列伝では猪木がアメリカ修行時にアーチ・ムーアと対戦w だとすると野球とテニスの試合というのは説得力があるな。 猪木がイラクで人質救出したときに日テレが
「馬場さんもイラクかどこかに行って人質救出してきてくださいよ」と無理難題と言ってきたな。 ドン・レオ・ジョナサンはヘーシンクと2度対戦して1分け1敗だったか
(1敗は柔道ジャケットマッチ)
試合後ヘーシンクが「今まで対戦したどんな選手よりも強かった」と
言ってたっけ。 >>315
テーズとオルコットの例もあるから異種格闘技戦自体のアイディア自体は古い >>315
小泉悦次の「史論 力道山道場三羽烏」にもあったね
「馬場vs元プロボクシング世界王者」
3月11日には再びアルバカーキで再戦が組まれ、この
試合は(ムース・)ショーラックが持つニューメキシコ版
WWA世界王座の防衛戦として行われた。前回の馬場の
勝利は、この日に向けての前振りだったのである。
タイトルマッチの特別レフェリーは、プロボクシング元
ヘビー級王者のアーチー・ムーアが務めた。
(註・ムーアは当時満56歳)
馬場は武者修行中、ムーアと異種格闘技戦を行ったと
語ったことがある。しかしその記録は発見できていない。
馬場とムーアの接点は、このアルバカーキだけである。
(註・試合はショーラックがタイトル防衛)
レフェリーのムーアがショーラックに軍配を上げるが、
「ミスジャッジだ」と馬場がクレームをつける、その馬場の
顔面にムーアが一発パンチをかまし、会場は盛り上がる。
恐らく、それくらいのことはあったのかもしれない。 >>324
この小泉って、完全にデータ至上主義だよなあ。
データにないものは事実かどうかわからない、じゃなくて、データにない=事実じゃないって考えてるであろうことが、文の行間から読み取れる。
ダメな歴史学者の典型。
馬場自身がアーチムーアと試合したと色んなところで語ってるんだから事実だろうに、それすら疑うかのような文章。 >>325
で、こんなやつの言うことを鵜呑みにするファンもいるから、始末が悪い。 >馬場自身がアーチムーアと試合したと色んなところで語ってるんだから事実だろうに、
プロレスの場合、まずここが信用できないからなあwww ちなみに「当人が言ってたんだから何ら証拠はないけど事実だろう」
なんて言ったり発表したり歴史学者がいたら、まず間違いなく
「ダメな歴史学者」以前に「学者未満の詐欺師」扱いされて当然w >>327>>328
うーん、細かく書かなかったんだが、
大昔の大スポでの馬場インタビューで、
武者修行時代、ボクサーのアーチムーアとやって、負けました。
って言ってるんだよ。
後に、「引き分けた」「体格が違いすぎて楽勝している」とコメントは変わったが、
わざわざ本人が負けたと認めたりはしないだろうから、信憑性がある。
小泉はこの発言すら知らんのだろう。
歴史研究者と名乗るならそれくらいは見つけてほしい。
そのこともあって、俺はこの男を全然信用してない。鵜呑みにしてるファンは滑稽に見える。 >>324
>ムーアは当時満56歳
ムーアは1916年生まれだから、56歳ってことは72年か73年か
日プロ離脱→全日旗揚げのこの時期、馬場が海外遠征した記録あったっけ?
>>326
>馬場自身がアーチムーアと試合したと色んなところで語ってる
自伝では「体格が違いすぎて楽勝だった」って書いてあるけど、実は完敗だったって説もあるね。
いずれにせよ、あまり調べられたら困ることを本人がわざわざ吹聴するとは思えないが。 力道山時代をリアルタイムで知ってる記者や関係者がほとんどいなくなってから、
プロレス史研究者をよく名乗れるなあとも思うし。
自分はよくわからないが、という謙虚さも文面から見られないのも、小泉を信用できない理由のひとつ。 >>330
日プロ離脱→全日旗揚げ前にシークやプロフェッショナルと対戦してる
>>324は46歳の間違いだからどうでもいいが >>328
自分は全てのデータを網羅してると勘違いしてるんじゃないかねえ、この男は。
そういう傲慢さをところどころに感じるんだよ。
まあ、あくまで主観だが。 >>321
1勝1敗2分けだな
オープン選手権ではジョナサンがリングアウト勝ち スレタイのラジャとマギーが大成したらその後の全日は違ってたゾ。 >>304
「ヘーシンクの挑戦を馬場がプロレスで返り討ち」なんて
あの時代によりによって大正力の日テレがやったら
それこそ讀賣・日テレグループは講道館と絶縁覚悟になるし
武道館も無期限立ち入り禁止にされるよ
※正力と日本柔道の関係は当然知ってるよね
ヘーシンクは日本柔道(講道館)にとって
色んな意味でそれだけの特別な存在だったんだよ
東京五輪で日本柔道がいくら総がかりで打倒ヘーシンクに励んでも
武道館で日本中の視線集まる中金を攫っていったヘーシンク
そのどうしても日本柔道が敵わなかったヘーシンクに
仮に馬場がプロレスのリングで(当然ブックで)勝ったら
そりゃ日本柔道界にとっては力道山vs木村どころの話じゃなくなるよ
そもそもヘーシンクのプロレス転向自体も
日テレがへーシンク口説くと共に
事前に講道館にも話通して叶った話なわけだからね
(ヘーシンクの側も引退後はいずれ欧州の柔道界や
五輪委員といった席を狙っていたわけで、当然講道館と揉めるわけにもいかなかった) >>330
馬場vsムーアが本当に行われたのかや
その試合内容・結果がどうだったはともかく・・・
そもそもプロレスvsボクシングのミクストマッチは
向こうではわりと昔から普通にある「ダシモノ」
要するにフィックスマッチ前提であって
馬場vsムーアがあっても不思議じゃないけど
どちらにしても普通のプロレスの試合以上に
特に取り上げるようなモノでもなかったってこと
だからこそアリだってあんなに簡単に対戦OKしたあと
「なんか日本では真剣勝負みたいな話になってるみたいだぞ」
「イノキってやつは事前に話しててもナニ仕掛けてくるかわかんねえぞ」
ってなったわけで >>337
新日に上がってた頃、出戻ってきた長州とシングルやったことがあるけど
長州よりも小さかったからな
でもそんなソイヤー相手にブロディは最大限のセルをしてあげてるんだよな
それにしてもその試合、レイスがやたらにハッスルしてるなあ プロレスって元は欧米のエンタメで向こうのやり方が本来のスタイル。ギミックやらいろいろ。
それを日本人が塀の向こうを背伸びして覗き見るようにアレコレと加工して日本スタイルが出来た。
おもな加工材料として武道や武士道の精神、礼儀作法とか。結局そんなで完全なエンタメに仕上がらず
中途半端な真剣意識がはばかって、ファンの派閥やら思想やらおかしな事象が出てきたりな。。w
猪木対アリとか未だにあーだこーだ言ってるし。。 >>339
その通りだね。
単なるエキシビションってのが、プロレス界での常識だよなあ。
熊と戦うのと同じ。 >>341
うーん、
大体同意だけど、
猪木や大仁田がやってたスタイルが。
日本式エンタメの完成形だと思うけど。
欧米スタイルのエンタメは、
日本では定着せんよ。 ブロディは別にチビだから全部ダメってわけではないし
デカければ全部良いってわけではない
ダイナマイト・キッドは
「意外に思うかもしれないがフランクはとても紳士で俺にはいつも良くしてくれた」と回想している
ブロディはK・バンディの事は「体のサイスが大きいだけだ」と酷評していた
ジョン・テンタについては「凄く良い選手がいるな」「2,3年キャリアを積めば誰にも負けなくなる」と
評していた >>342
熊ってのはちょっと。
藤原が口輪したクマに突進されて何もできず
真っ青になって、出川も呆然としてたはず。 >>338
その点猪木は得したな
同じ柔道重量級の金メダリストという肩書きもちだけど、
そこまで扱いの難しくないルスカに負けブック呑ませて
おいしい思いしたんだから。 >>345
それはプロレスじゃないだろ。
レスリングベア知らんのか? >>298
大塚は新間みたいに毒を吐かないから上辺こそ良識的な雰囲気だけど
その実自分に都合の良い言い分しか口にしないからなあ
倍賞鉄男は「スナック花林冬」や「串焼きばいしょう」を開店する為と82年に一度新日を退社しているけど
辞めた本当の理由は新間大塚からパワハラを受けていたせいという噂があったくらい大塚とは不仲だから
(ジャパン勢の大量離脱と引き抜きのあおりで営業の即戦力が必要だからと猪木と坂口に呼び戻された経緯がある)
その倍賞が杉田豊久に代わって折衝役に出て来たという事自体
トラブルメーカーのオマエは信用出来ないから来るなっていう新日側からのメッセージだったんでしょ?
>>308 >>338
ヘーシンクについては確かドリーが辛辣だったんだよな
アマリロに来た時指導したけど
覚えが悪いやる気が感じられないすぐ諦める所があったのどうのとかで
テリーの方はプロレスに転向するには年を取り過ぎていたし不器用だったけど
半ば洒落でジャケットマッチをやったら強くて全然敵わなかったとか意外に同情的だった もしも85世界最強タッグにミラクルパワーコンビで参加してたら
ハンセンブロディvs長州谷津
○ハンセンorブロディ(体固め)谷津×になったのかな >>337
これ、原が失踪した長崎大会だな。
ガラガラの客席なんだろうけど、
意外に歓声があるし、客席をカメラで
映さない限りそんなに違和感はない。
当時の全日本の地方会場の雰囲気はこんなもの。 ブロディはあのままいたらランク下がっただろうな、新日本でも色々あったが成功だった チビの大仁田相手に電流爆破食らっても全くリアクションしないプロレスしてたり WWFに上がって今までとは真逆のキャラを中途半端に始めそう >>337
ソイヤーは新日での印象が強かったけど、こうして見ると全日来たときもキャラはほぼ同じだったのね。
てか、馬場鶴田組相手に負けないんだからなかなか扱いいいな。 >>353
ランク下げると煩いだろうし
呼ぶ頻度自体が徐々に減っていってたと思う
まあ毎年新春ジャイアントシリーズに呼んで
バトルロイヤルは優勝、インターシングル戦は両リン、
インタータッグ戦はB級パートナーがピン負けとかでいいかと
ブロディ・ターミネーター組とかなんか「ちょうどいいやっつけ感」あるだろw >>353
なんでそう思う?
ハンセンだって引退まである程度の地位守ったんだから、ブロディも下がることはないだろ。 >>359
馬場と上手くやれてハンセン並みの人気と体調を保てれば >>344
ブロディはスタッドについても「体がデカいだけのデクの坊」と言っていた。 流の話だとブロディは
「私がストリートファイトで勝てる自信がないのはビッグ・ジョン・スタッドだけだよ」と
言っていたって話
流の話の方が本当の様な気がするな
バンディはただのデブだがスタッドは強そうだもの >>302
昭和60年9〜10月の新日と全日のTV視聴率(ビデオリサーチ)
9.19・猪木対藤波(16.2%)
10.4・猪木対ブロディ(13.3%)特番90枠
10.11・先週の続き&猪木・藤波対アレン・スミス(17.5%)
9.14・試合不明(9.4%)
9.21・鶴田対レイス(6.9%)
9.28・鶴田・天龍対ロビンソン・ゴディ(8.6%)
10.5・長州・谷津対木村・原(8.3%)・解説・田鶴浜氏勇退
10.19より土曜7時のゴールデンタイムへ移行
>>338
大正力は最初はビートルズ日本公演での武道館使用に「"ペートルズ"なんてモノに使わせる
のはケシカラン!」と拒絶していた。
>>339>>349
アリがクアラルンプールでの試合の途中に日本に寄り記者会見、その最中に猪木の対戦
表明を持参したのは杉田氏だった。アリ側は最初はエキジビションマッチで10億近いギャラ
が入るのはおいしいと感覚だった。ルール問題で揉めて新間は拳銃で脅されたりアリ軍団の
中に揉め事をワザと街起こして新日側を困らせる専門のヤカラまでいたらしい。
今、見ると緊張感溢れる試合以上のインサイドストーリーも凄い。
>ヘーシンクについては確かドリーが辛辣だった
天龍がアマリロ入りにして中々、上達しない中で「へーシンクより遙かにマシ!
それにしてもトミーは別格だったなあ〜」と変に慰められた。 >>362
正しくは83年の流によるマリガンインタビュー
「酒場の殴り合いで俺と五分張れるのはブロディとスタッドだけ」 ヒクソンは膠着状態に持ち込めば誰かが警察呼んで
到着すればこっちの勝ちって言ってたな。 >>361
これはブロディ新日移籍発表の会見で本人が発言したことな。 そんな長州も今やHey! Say! JUMPの番組で女子高生に弄られて目尻下げてるわ ブロディ、マリガン、スタッド、
みんな2m級だしナチュラルパワーとか凄いうえに喧嘩慣れ?みたいなのがあるのかね。
こういう逸話聞くたび「プロは喧嘩しちゃダメだろう」みたいな観念が働くんだが
あっちの人はどうなのよ。。? 昔ターザンがミスターX名義で書いてたプロレス本に
地方でブロディが893に絡まれて893を打ちのめした的な事書いてあったけど
さすがにそんな事しないよねw >>367
そのヒクソンからチョークスリーパー
かけられても、立ち上がってオンブ状態に
して後ろに倒れればバックドロップみたいに
なって勝てるはず!
と言ったレスラーもいたんだが。 >>365
週プロの流智美のコラムで
「スタッドがUインターに自分を売り込んできた事があった。売り込みに使った写真を見て
「全盛期と変わらないでないか。これは行けるぞ。」と思ったが
テーズが「スタッドは上半身にシャツを着ている。
これはベストコンディションではないと言う事だ。」と言っていたと言う記事があった
そのコラムで「強気で知られたブロディにして
「私がストリートファイトで勝てる自信がないのは
ビッグ・ジョン・スタッドだけだよ」と言わしめた」と言う文章があったんだよ 馬場が第一次UWF崩壊時に前田高田だけ誘ったのは惜しかった
新間みたいな側近がいれば空手形でUWFごと提携団体みたいに抱えてジャパンプロレスみたいに自主興行をやらせながら前田高田を全日本のリングにもあげて美味しいどこどりをしただろうに >>373
普通、売り込みでTシャツ着てたら
信用する業界人なんていないだろ。 >>374
全日に行ったとしら顔面蹴られるのは誰だ?鶴田本気にさせたら前田の株も上がる?
ボコられて下がるのか? >>357
バズ・ソイヤーは最強タッグも参戦予定だったから、どんな試合するか楽しみだった。
来日中止でそのままだったから残念だった。 スタッドは1990年に引退してるもんな、ベストコンディションな訳がない。 >>370
結局喧嘩が強いのはデカくて威圧感があって腕っ節が強くて肝が据わってる奴で
シュートの技術なんか大して意味ないってことか。
シンプルだなあ >>380
そりゃヒクソンくらいシュート技術があれば対抗できるだろうけどな。 >>380
1960年代だが、ケンカが強い両横綱は
ブルーザーとマッドドック・バションと言われた。
二人共身長は低い。170cn台の前半。
ブルーザーは横幅があるが、バションはそれもないが
とにかくケンカには強かったそうだ。 >>330 >>339
まあ馬場vsアーチー・ムーアって要するに
“客”の居る所ではやらなかったという事なんでしょ?
猪木がブロック・レスナーとスパーした時みたいにジムでの練習ついでだったとか
開場前に関係者の前で一種の「模擬試合」をやりました程度の話じゃないの
それで所謂グラップリング形式の申し合いだと馬場が一本取る形で
スタンドからのスパーだとムーアがいいパンチを入れて優勢だったとか
そんな感じだったんだろうね >>382
ブルーザーはあのガタイだからとにかくタフそう
パンチの一発や二発もらっても平気で殴り返してたっぽい。
パンチもタックルも強烈そう。
バションは確かにサイズはないけど瞬発力ありそうだし、
何より気性が荒らそう。オリンピック出たアマレスの猛者だから
取っ組み合いになったらまず大抵のやつには負けないだろうし。 >>382
1980年だったと思うが、ゴングのグラビア記事にブルーザーとスタッドの試合が載っていたね。写真ではブルーザーが一方的に攻めて勝利したという試合内容。身長差でいえば30pはありそうだが、どんな試合なのか映像を観てみたい。 >>383
それ逆
アリ以前のボクシング中/重量級の世界王者って
文字通りに黒人が差別と貧困にあえいで
まともな教育も受けられずにいた中で
腕一本でのし上がって大金手にしたような存在だから
たいていは引退後ほどなくドランカーだったり
世間知らずの浪費家だったり酒やクスリに溺れたりで
現役時代に稼いだ財産も周囲に寄ってくるマフィアや悪い友人知人親族とかに
寄ってたかって食い物にされて早々に素寒貧になるケースが多かった
で、落ちぶれた彼らが40,50代になっても
一番手っ取り早くその日の酒代稼ぐ手段は
昔のチャンピオンの肩書で
田舎の祭りなんかでやってる草ボクシング大会
(素人挑戦者が3分持ったら賞金とかのやつ)に出たり
大都市だとプロレスやボクシングの興行で
プロレスラーや(怪しい)自称ジュードーの達人なんか相手に
ミクストマッチやること(とうぜんそれは勝敗に拘わらずほぼフィックスマッチ)
だから戦前から60年代くらいまでは格闘技興行における“彩り”として
衰えたボクシングの元チャンピオンやスター選手を相手にした
“異種格闘技戦”ってのは意外と行われてたのよ
そしてそれらは当然ながら「客が居る」ことが大前提
なぜならそれは通常のレスラー同士やボクサー同士の試合の合間に行われる
客寄せのための「イロモノ」「見世物」だったわけだからね >>383
そんなわけあるか。
なんだそんな金にもならんことするんだよ。
レスラー同士ならまだしも。
仮にやってたとして、わざわざ表に出すか。 >>367
何でもありのルールで戦ったら誰が世界最強か?を徹夜で議論したら
アメリカ大統領が世界最強という結論になった。と前田日明が言っていた。 >>367
相手は武器持ってるかもしれないし仲間がいるかもしれない
グラウンドに持ち込んだところで仲間が来て
ブーツや革靴のつま先や踵で力任せに顔面や後頭部蹴飛ばされたら柔術もくそもない
街の喧嘩ってのは所詮そういうもんだから
本当にやばそそうな時はおまわりさんに任せるに限る
ヒクソンのいってるのはそういうこと >>302
昭和60年10〜11月のTV視聴率
新日・10.18・14.5%(猪木対バーバリアン)
10.25・13.3%(猪木・木村対ブロディ・キャンディ)
11.1・15.7%(猪木対ブロディ)
全日・10.19・11.6%(鶴田対フレアー、長州対マーテル、ファンクス対ウォーリアーズ)
10.26・13.3%(フレアー対マーテル)
11.2・10.8%(鶴田・天龍対フレアー・マーテル)
11.9・14.0%(鶴田対長州)
>>382
ベアハッグで締め付けるブルーザーから脱出するためにテーズは目元を狙ってえげつない
エルボー攻撃を連射してきた。いつもテクニシャンだけど勝ち急いだ大木やジョナサンに
手荒いお仕置きしたりラフにラフと言うのが鉄人らしいね。
>>390
ルール問題はともかく格闘技では破壊力では空手、瞬発力では相撲と言われていた。
なんでもありならとにか「先手必勝」らしい。ただゴング格闘技・相談コーナーが
「謝って済む時は謝りましょう!」と答えていたw >>387
そもそもそういうのをベースにしたのがプロレス興行なんだよな
食えないアスリートのパイの奪い合いだったから面白かった >>392
ゴルドーなんてヤバいと思ったらすぐ謝るらしいぞ >>394
昔のムック本で、オランダのカマクラ道場でゴルドーの取材した記事があったんだが
道場の入り口や、案内してくれたゴルドーの車の中にはボコボコになった金属バットがあった
取材者が「これ何ですか?」と聞くと
「ああ、ちょっと街に出るとすぐにからんでくるヤツがいるんだよね」
「道場も同じよ、使ったことあるかって?バットの姿を見ればわかるだろ?」
というやりとりがあった。
それ読んで、なんか格闘技の技術云々とは別に勝てる奴は勝つし、やられる奴は強弱とは別にやられるんだと思ったわ。
ゴルドーが本当に謝ったとしても、後ろ手に持つ凶器でその瞬間に相手をボコるイメージしかない… ゴディも全日本クビになってインディに上がってからヤバかったみたいだけど、こういうのをケンカが強いとは言わないよな
どう考えても全日本時代のが強いし 喧嘩の勝敗ってのは相手を物理的にダメージを負わせる(ヘタすると命)ことかというとそうでなく、
生かさず殺さずが決着なのではと。一生頭が上がらないようにする、メンツを丸つぶしにするとか。
言わばボス猿的な存在に君臨できるか。警察の厄介になる前でそれを決めてしまうことができる。
まあ漫画チックだけどなw >>398
安生は負けはないけど、勝ったともいえないね
397さんの考えをベースにすると安生は訴えられてしまったからね でもやっぱり前田のほうがダメージデカ過ぎますよ
安生なんてもとからそんなもんだと思われてたけど前田はまさに醜態を晒すことになってしまったから >>397
いや、喧嘩や本当のナンデモアリの勝利って結局そういうことであってるよ
街の喧嘩にしろ漫画に出てくるような地下闘技場でのナンデモアリの最強決定戦でも
勝っても勝った側も相応のダメージを負う可能性が高い
(身体的ダメージや傷害殺人で警察の厄介になること含め)
相手が複数だろうが不意打ちだろうが凶器使おうがとにかく勝ち残った方が最強
そしてこちらのそういう「事情」関係なく最強名乗るものは
次々と出てくる挑戦者のターゲットにされるわけだから最強名乗る限りはキリがない
塚原卜伝や宮本武蔵のように最強を名乗るものってのは
同時に次の戦いを放棄、早々に隠遁して
次の最強名乗る人間に戦わずしてその座を譲るのが唯一の生き残る道という不条理 >>402
大して長くないだろ。
もうちょっと本読めよ。 >>391
ハーリー・レイスが恐れられてたのは拳銃を持って脅すのもあったしベイダーをバックステージでシメたと言われるポール・オンドーフはすぐナイフを出すキチガイだったらしいしな
ハクみたいに喧嘩になると目ん玉に指を突っ込んでえぐろうとするとか自動販売機を放りなげるので恐れられるのとは違う >>377
前田が長州の時みたいに鶴田の顔面を後ろから蹴ったら地獄固めで足をポキッと折られる
ブーバの時のように寸止めはしない 一番危険なタイプは普段はデカいくせにオドオドしてるから舐められるけど
何かスイッチ入るといきなりキレるシド・ビシャスみたいなやつ
しかもそのスイッチの基準が不明瞭という >>405
馬場さんが元気な頃の全日マットでそんなことできるわけない
新日マットだからできたことなんだよ。 >>302
昭和61年6月〜7月にTV視聴率(ビデオリサーチ)
新日・6.20・15.5%・猪木対マードック(IWGP決勝)
6.27・14.0%・猪木対アンドレ(アンドレギブアップ負け)
7.4・ 9.4%・猪木・坂口対ウィリアムス・ヒギンス
7.11・10.6%・猪木・藤波対ウィリアムス・スミルノフ
全日・6.14・ 4.1%・長州・浜口対マシン・H斉藤
6.21・ 9.1%・ウォーリアーズ特集
6.28・ 5.0%・武道館(6.12)
7.5・ 4.8%・鶴田・石川対ハンセン・デビアス(夕方4時台)
7.5・ 8.0%・馬場・天龍対ハンセン・デビアス(夜7時台)
7.12・ 4.2%・カード不明
全日で数字が低く過ぎる日は夕方4時台の放送と思われる。
>>392
喧嘩自慢でも「大勢の敵を相手にする時は広い場所では不利なので袋小路に誘い込み
"一人一人"倒していく!」といつもは天然発言のガッツ石松が頭脳的な喧嘩対策を
述べていた。ドラマ・黄金の犬で野犬の集団に襲われ主人公の犬が同じ戦法を取っていた。
学生時代にチャックウィルソンのボディガードをしていた空手の有段者の先輩がいた。
不要のような気wもするけど喧嘩自慢が吹っかけてくるんだろうね。
オールスター感謝祭での藤原との相撲対決は名物だった。 >>407
だろうな
全日本に来たとしても俊二や仲野と同程度で終わったと思う >>406
ビシャスってドラッグやってたんじゃないの? >>400
後ろからフルスイングで無防備の人間を殴ったら誰だって失神する
ダメージデカすぎなんて思ってる奴はただのバカかガキしかいない >>411
ダメージって別に身体的なことは言ってなくて、イメージの失墜ってことなんですけど
そりゃ誰だって失神するでしょ シッドは1992年頃かWWEのドラッグテストに引っかかってたな、どういう薬物なのか
分からない、調べればわかるのかもしれないけど。後年にマリフアナでも捕まってる。
現在の基準ならアンドレも酔っ払ってリングに上がれないな。
https://corporate.wwe.com/what-we-do/talent/substance-abuse-and-drug-testing-policy >>382
その2人以外だとホッジ、メイビア辺りかな? >>415
流は著書で横綱はブルーザー、バションで
大関がブル・カリーとスカル・マーフィと書いてたな。 初期の国際でホッジとカリーの対戦をやってたんだよな >>400
前田はWOWOWとの契約更新時期にあたっていていろいろ我慢したらしい。 >>408
土曜の同日に夕方と夜に放送してるのは
夜のプロ野球が中止になった時かな?
同日ダブル放映は、土曜トップスペシャル以外はあり得ないだろうからね
ファン的にも嬉しかったし、全日側も放映料がゴールデン1回加算されるから大きいよね
ゴールデン1回分で1千万ぐらいもらえるのかな?
そこそこの中規模会場の興行収益分ぐらいだからね >>419
土曜の夕方の放送は前週の土曜日がプロ野球中継があった時の振替分 >>419
因みに第一期ゴールデンの頃はプロ野球がある時は当日夜23:45からに
振替されていた。 >>421
ああそうなんだ、ありがと
それなら急に放映料が増えるとかいうより、年間放映料とか固定できまってそうだな
売り興行の客数は無関係と同じで、放映回数は関係なく固定で、という感じ
でも放映された方が宣伝にもなるし、興行日程テロップも含めてメリットは段違いだろうけど。 日テレの全日本プロレス中継の放映権料はテレ朝のワールドプロレスリングより高かったと聞いたことがある。
ワープロがゴールデンで全日本が夕方や深夜でも全日本のが高く、平成に入って全日本が30分枠に短縮されたけど全日本のが高かったと。
本当にそうなのかね。ネット局数の差? >>417
>初期の国際でホッジとカリーの対戦
415〜416の流れで書いたんだと思うが、
そのカリーは息子のフレッドの方だよ。 テレビ朝日のが特番組んだりして力入れてるイメージですが決してこんなことはないんです!
と当時の関係者が言ってたな、放映権料も相場より高いと、新日本より高いかは知らんが 全日のほうがスポンサーも一流どころが多いな
黄桜酒造、横浜ゴム、大塚製薬、ニッカウヰスキー、井関農機。。 土曜19時は日産自動車のイメージ、後は日本文化センターw >>426
すごく子供の頃、大塚製薬は栄養ドリンクで猪木がCMに出演してたが
全日のスポンサーもか…上層部がプロレスに偏見もってなさそうで今更ながら商品を買いたくなったw そもそもテレビ朝日の前身はNET(日本教育テレビ)だからな。馬場も巨泉もテレビ朝日
に曲名が変更してもNETって言っていたな。 ゴールデン時代のワープロもほぼ全国ネットだったけどテレ朝系フルネット局は昭和末期でも10局くらいしかなかったんだよね
同時ネットしてた局がどれくらいあったかとか特番時はどうしてたのかまでは知らないけど 番組じゃなく、時間帯に対してスポンサーになってるパターンってないのかな。
日テレだと巨人戦があるからスポンサーも集めやすそうだし。 >>433
番組が変わってもスポンサーはそのままだと時間枠を買っているね。
今は少なくなったが一企業が単独で時間枠を買い○○劇場と銘打っていたものだ。 70年半ばの頃テレビ界は4強1弱1無視といわれたいた。1弱が社名を変えたばかりのテレ朝。
1無視は今のテレ東、当時は東京12チャンネル 「振り向けばテレ東」なんて言われたこともありました。 70年代後半になるとテレ東はアニメの再放送で時間帯トップ取ったり番外地じゃなくなってた >>438
87年頃、テレビ東京の最高視聴率はドカベンの再放送だと聞いたことがあるw >>439
ちがう
その頃のテレ東の視聴率トップは
元祖天才バカボンの再放送だった
とんねるずがラジオでネタにしていた >>441
どう考えても東京12チャンネル時代だろ? 勝ち抜き腕相撲って番組あったな。実況が国際プロと同じ磯辺アナで、遠藤レフェリーが陪審員。 >>440
テレビ東京=東京12チャンネルの看板番組といえばプレイガールだが、元祖天才バカボンのほうが視聴率高かったのか! 80年代は日テレも最高視聴率がルパン3世の再放送だった時もある >>446
80年代はフジテレビの勢いが強かったからな。
日本テレビは太陽にほえろ!などドラマが神通力を失い始めたが巨人戦はまだ健在ではなかったか?
お笑いウルトラクイズなども大人気だったが、長時間番組だから平均視聴率は大したことなかったのかな。 >>426
土曜夕方のときは第一家電、ラグラックスだったね。
>>429
ハイネックスVだったっけ。カロリーメイトの前身。
>>440
バカボンの再放送、平日の夕方6時半の放送なのに20%くらい取ってたから驚異的だった。 https://i.imgur.com/ylnZBdI.jpg
こうして見ると80年代後半は結構苦戦していたんだな日テレ
元気が出るテレビやあぶない刑事あたりが看板の時代かな プロレスがゴールデンから落ちてから伸びてるなw
確かに俺も巨人ファンだったから日テレばっかり見てたが 日テレの日プロに対する怨念がなかったら、馬場が独立することもなく全日も生まれなかっただろうな。 >>450
日テレが絶好調の90年代半ばから後半は長嶋第二次政権のころだね。 こんなことないでしょ、当時のプロレスは視聴率がとれたんだから
日プロが腐敗しなかったら馬場が独立しなかったとは思うが >>452
監督が長嶋になってからどの程度野球の視聴率が上がったか知らないけど、自分の周りでは巨人ファンを公言する人が増えた、年輩の男ばかりだけど。それまではミーハーなイメージで言いづらかった
派生してズームインやうるぐす、中畑や江川が出るバラエティも見てたなw今は金ローのジブリしか日テレ見ないわ >>423
80年代前半は番組のネット局数としてはワープロのほうが
全日中継より多かった。
ワープロは83年頃は全国をカバーしてたのに、全日中継は
日テレ系でさえやらないところがあった。 >>451
30代後半で予定通りハワイで余生か…
しかしだ、ライバルで弟分だった猪木は日本で事実上はプロレスラーのトップ
いくらハワイが好きとはいえ、数年のんびりしてる間に
生まれ故郷の日本で「プロレスラーといえば猪木」という実績を着々と築くだろう…
いくらマイペースの馬場とはいえ、そういう情報を横目にハワイで本当に悠々自適な心情で暮らせるのだろうか?
もちろんずっとハワイというわけでなく、日本と往復するんだろうからね。
何だかんだでやはりプロレス続ける運命だったんでは… 馬場はハワイで一日中波を見てても飽きないと言ってたけどな、もちろん住むとなると違うだろうが 馬場が亡くなってからしばらくして遺産が9億だか10億というニュースが流れた。
不動産の資産が凄かったらしい。
元子がうまくやりくりさせてたんだろうな。
馬場本人名義でこの額だから夫婦で合わせたらもっと凄いんだろうな。 馬場がシングルで星を返していない唯一の相手はドリーなんだよね。日プロの若手時代は措いておくとして。 >>429
当時の大塚製薬グループはオロナミンCやボンカレー、オロナイン軟膏など
市販薬や食品で一般の知名度は高かったものの
医薬品や食品メーカーとしては業界的には四国の準大手ってかんじだったから
大塚が文字通りの大メーカーになったのはポカリスェットの成功と
医薬品では医療用生理食塩水で世界のトップになり
その金で大鵬薬品はじめM&Aでグループを拡大したのが大きい ザ·スターボウリング!
今日のゲストは加納竜さんで〜す >>456
ただ馬場が引退してたら猪木があんな精力的に仕掛けるなんてしない可能性大。
格闘技戦なんてたぶんやらない。で、下手したら猪木も早々に引退。プロレスが衰退。
なんてことも。 テレ東といえば湾岸戦争の時に各局がニュースばっかの中、夕方にムーミンを放送して視聴率20%取ったんだっけw >>423>>426
TV放映権料は公称ではワープロ(1000万)、全日中継(700万)(土曜5台)だった。
全日に大手スポンサーがついたのは独立時の日テレ・小林社長と約束だった。
>>422
テレ朝はワープロ開始から興行テロップを入れ始めたこの効果はかなりのモノだった。
>>436
政治家だった大正力ルートでのコネ入社が人事を硬直させてしまった。
また大正力の威光のせいで赤字にできず映画の買い付け費の数字を操作して「粉飾決済」
したのは日テレの黒歴史だった。この事件以降にお目付役で親会社の勢力が乗り込み
「読売新聞」のカラーが強くなってしまった・・・
>>457
ハワイのコンドミニアムから見たワイキキビーチに沈む夕日が一番のお気に入りで
「全てが忘れられる・・・」と述べて絵画にまでして馬場のお別れの会でも参列者
にポストカードして配布された。確かに実際に見たら夕日は凄く綺麗だった。 https://youtu.be/O62XINXhMwA
73年11月3日フロリダ州タンパのNWA世界戦
ブリスコにテリーが挑戦した試合の2分30秒位に見覚えある技が…
もしかして鶴田にジャーマン教えたのはテリーか? トムマギー、フレッドウォルツィーがジャパンプロレスの隠し玉だったな スポンサーに関して馬場は接待とかやらなかったと聞くしね
話題作りも含め何でもやった新日本と比べて結果を非難するのは違う気もするな、まあこういう議論が楽しいのだが 大塚でしょ、二代目タイガーとかあるし、カーンの造反も
カブキとタイガーや7番勝負は違うだろうが >>468
隠し玉、というわけではないけど
ジャパン参戦時にトンガを呼び戻す案はなかったのかな?
実際にジャパンと提携した時期にシリーズ参戦してたし
シンに付き合って流血でいたぶられるより、長州やカーンと正面からガンガンやりあうの見たかった
原も春に戻ってきたし、正規軍で鶴田天龍トンガと「3T」でやれば長州谷津カーンと迫力ある試合できそう。
トラースキックなんてカブキより高く説得力あるし…
ただし、外国ではマサ斎藤と組んでたから多忙云々よりも抗争的に矛盾を生じるから難しいかな? 日本人レスラー飽和のジャパン時代にそれ以上正規軍を増やすんならリストラや海外遠征を増やす必要が出てくる >>464
テレ東が「ドーハの悲劇」で自局の最高視聴率をマークした時
東京12チャンネル時代からの視聴率ランキングがスポーツ紙等に載ってたけど
9位あたりに「金曜スペシャル・裸の大陸」がランクインしていた >>473
トンガがシリーズ参戦したのは84年のGCCU
このシリーズ終了後に新日本プロレス興行(のちのジャパンプロレス)との業務提携発表 原、カブキ、トンガが正規軍だったらめっちゃ強かったのに。。 両軍リングアウトでいいから、
天龍、原対長州、浜口をちゃんとやって欲しかったな。
どっちみち仲間割れするなら試合後でよかったのに。 長州が離脱した時に阿修羅がいなかったら、天龍は誰を選んだんだろうな?
馬場の思惑通りに、輪島を選ぶことは絶対になかったとは思うけど。 >>467
こりゃ貴重なシーンですな確かに鶴田式ぽいね
70〜80年代のNWA系のレスラーはジャーマン使ってるの居なかったよね?
ボブが写真で使っているの見た事あるが実際の入り方どうだったんだろう? >>467
この動画のサイドにテリーvsオートンの動画があった
この両者の風貌は似てるよね、キャラは陰と陽と正反対だけど…
共にナックルを使うしファイトも似てる
日時はわからないけど、テリー引退前の1983年前半っぽいかな? >>482
ボブってバックランドのことだよね?
https://youtu.be/NolvcCD2e7o
キラーカーンがジャーマンで投げられるのもこれ以外見た記憶がないな。 >>483
テキサスでのSCW世界ヘビー決定トーナメントの一戦だと思う
引き分けでコイントスによる判定でテリーが勝ったけど
ブッチャーの試合にテリーが乱入しオープンタッグみたく右腕をフォークで刺され不戦負け
アドニスVSオートン(!)の決勝でアドニスが王座に就いた
立ち会いでテーズがまた旧ベルト持って来ていた何個持ってるんだww
>>484
うん多分MSGでのWタイトル戦だと思うけど
ボブ・バックランドがハーリー・レイスに決めている写真を見た事がある >>459
73年のPWF戦馬場勝ち(ただし3本目リングアウトで2フォール取ってない
75年のオープン選手権でドリーフォール勝ち
インター王者以降の馬場にシングルで勝ちっぱなし唯一の男はクロンダイク・ビル >>487
オープン選手権が、馬場とドリーの最後のシングルなんだよね?やりづらくて試合組まなかったのかな? >>488
オープン選手権の次の来日がオープンタッグで日本陣営になったし
CCに出ない限りシングルの機会はないな >>490
馬場とテリーはチャンカー以外にもシングルあったけど、インター王座トーナメント戦だったかな?
後楽園ホールで、ブッチャーとブロディが一緒に乱入して試合を壊すという結末だったね。 >>487
最後のシングルが馬場の負けで終わった
選手って結構多いのでは?
ドリーを筆頭にデスト、ハンセン、レイス、
スレーター、モロウスキーとか。 >>492
シングルで勝ちっぱなしってのは
「最後のシングルが馬場の負け」じゃなく「馬場にシングルで1回も負けてない」って意味だよ
レイスには負けで終わってないと思うけど
セントルイスで奪回→東体で両リンが最後じゃなかったかな? シークが突然乱入して馬場に襲いかかり、スレーター相手に痛恨のリングアウト負け。
スレーターはこの勝ち星によりチャンカー決勝進出し、見事に鶴田初優勝を演出。
リーグ戦に出ていないのに特別参加のシークは、この試合のために来日したんだな。 >>470
猪木は試合後に疲れているはずなのにテレ朝の天皇だった三浦専務の「カンジ、揉め!」
とマッサージをさせらるもそれを見た美津子夫人から「なんて事させるんですか!」と
テレ朝の実力者に雷が落ちたw ただその後は美津子夫人のおいしい料理を堪能した
らしい。
>>487
ブッチャー戦、ジョナサン戦とまさにドリーの全盛期だね。ホフマン戦も良かったけど
個人的に好きなのはラシク戦、スピニングトーホードと決めるドリーにラシクの
ブレーンクローが決まる攻防がいい。 >>491
馬場とテリーのシングルとなるとNWA王者で来た時の新潟での対戦もあったな
挑戦はしなかったが対戦はしてるって 全日設立後の馬場の天敵というとボビー・ジャガーズ(ゴールデン・テラー)を思い出すが
2人の星取はどうなってるのかな
>495
ドリーにダブルアーム決めたりしてラシク絶好調。最後はきっちり決めるドリーもさすが、 >>494
この時、スレーターは公式戦では鶴田にフォール勝ちしてるんだよね。雑誌にはその試合の記事は載っていなかったと記憶しているが、どんな負け方したんだろうか。いずれにしてもスレーターに対する気遣いも相当なものだったな。米国では同格のデビアスとの扱いの差よ。 >>497
ボビー・ジャガーズ(ミステリアス・アサシン)だな
シングルでは馬場1勝(フォール)2敗(フォール、リングアウト) >>497
ちなみにゴールデンではなくブラック・テラー(タンク・パットン)。
揚げ足取りみたいでゴメン。 >>498
スレーターが鶴田のバックドロップをロープを蹴って崩し、
起き上がりざまに首固めの応酬。最後はスレーターが上になって
押さえ込み
スレーター(22分40秒首固め)鶴田 馬場や鶴田は
地方や小会場でひっそり負けてもインパクトが弱いから
そのあとの復讐劇もイマイチ盛り上がりにくい
昭和50年代はいつもこんな感じ 全日本は地方や小会場でビックマッチをやってたんだししょうがない >>485
めちゃめちゃクリアな画像だね。フルで見たい!
飲み仲間の三沢を指名に納得 >>501
詳細にありがとう。一応、クイック決着で鶴田の顔も立てているのね。 テレ東が何か有事の時も普通に放送してるだけって、いつもネタにされてるけど、
単純にそこまでの規模の報道態勢がないだけの話なんだよ。
他の民放は全国に地方局があって、そこと金出し合って報道態勢を作っている。
日テレのNNNやテレ朝のANNのようなもの。 >>498 >>499
80年のCC、星取りも絶妙で馬場、鶴田、ブッチャー、テリー、スレーターの5強が一点差。
緒戦の馬場からせしめたアサシンのRO勝ちが効いてるなアw で、抜き出た若い2人が優勝決定戦。
鶴田優勝は予定通り?、で馬場もブッチャーも鶴田に負けるのが嫌でスレーターにしたとかいう話もあったようなw >>485
天龍に花道のお立ち台をスルーされた事に気づいた時の
三沢の心境を聞きたかった。 メインよりも前座の6試合のが面白そう、一番はシンのロープに投げてキックをブロディがすかすところだろうが
https://i.imgur.com/GtO0Xte.jpg >>509
後楽園ホールの次の日が秋田とか、帯広の次の日が広島とか凄いな。 >>502>>503
馬場はプロレスファンだけを対象にして商売していた感じで一見さんを視野に入れた
のが新日というイメージ。シンを引き抜きして鶴田とタッグで初対戦した時の会場の
規模は失礼ながらこんな場所でやるのは勿体ないと思った。 >>503
全国区にテレビ中継するんだから会場はどこでも良いって感じなんだよな
まさにテレビ主導で作られた全日本らしいというか >>513
馬場は自身が米マット界の一番良い時期、スケールも含めて(後のWWFなどのPPVの時代以前で)
憧れの深さや現実に体感で味わい、若手などの回想談でも馬場から何度も聞いたと証言もある。
その割に全日本プロレスは中規模スーパーみたいな(年に何度かは外国産の大きな仕入れをするが)やり方を繰り返したんだろう?
もちろん性格もあるだろうけど、憧れと自分がそのスケールで仕切るというのは別もんだと考えてたのかな?
映画で例えると、俳優として主役はどんどん受けるが
いざ自主製作の映画に関しては、全国ロードショーは失敗が怖いからやらない、各地域の小規模上映で手堅くみたいな感じ? 少々不入りが続いても
あの時代の全日も大会場で興行打つべきだったと思うよ
日プロも新日も常に満員だったわけではない
我慢して維持してた
日プロのエースだった馬場がそれを見てないわけでもなかっただろうに 新日だって苦しい時期はあったよ。2シリーズ東京開催を見送って、いきなり国技館興業をやって満員にするという知恵を使った運営をやってた時期もあった。 >>511
山形から愛知なんて当日移動して試合するのか。 プロ野球も北海道→福岡とか、前日の試合終了時間によっては
当日移動で試合とかやってるし、飛行機とはいえ大変だと思う
プロレスほど肉体的な痛みはないけど、個々の年度の成績によってはシーズン後にクビとかあるし
メンタル的にすさまじいものがあるだろう、ただし野球は一回移動すれば三日間は現地に留まるからな
やはりオフシーズンのないプロレスの方がきついだろうか… >>518
83年だと東北新幹線は盛岡ー大宮間だから、
山形から仙台までバスで後は新幹線で、というわけでもないから
山形から愛知までバスで行ったんだろうねぇ。 >>509
この最強タッグの顔触れと翌年の新春ジャイアントシリーズの差が激しすぎるな >>521
次のエキサイトシリーズが蔵前(ゴールデンの特番付き)大阪府立のビックマッチだから
明らかに力の入れ方が違うしね。 >>467
コシロ・バジリのジャーマンも鶴田そっくり >>523
それでもリスマルクやフリーバーズを参加させるなどなかなかにフレッシュな編成 スティーブオルソノスキーもこのシリーズだけの登場だったね >>527
国際最後のIWAヘビー戦が行われた室蘭で鶴田のインターに挑戦だったんだよな >>508
あれっ?って感じでタイガーが振り返ってるよねw 2000年くらいのゴングの天龍Q&Aコーナーでその事を質問され、
「新日本の演出には従わないって意識はあったんだろうけど、それよりお前、そんなこと覚えてるなよ!」
と言っていた >>528
ホントは馬場はこのシリーズ欠場予定。
鶴田のニック挑戦は元は馬場に来た話だったから
AWA圏に入って試運転する予定だった。
鶴田の挑戦に切り替わって馬場もシリーズ
参加することになった。 >>523
それと秋のジャイアントシリーズや最強タッグは基本的に豪華メンバーだから
新春シリーズぐらいは経費削減しなければという事情はあると思う
それにお正月シリーズは観客もホクホク時期だから、多少ショボいメンバーでも客は入るという公算も? >>532
>AWA圏に入って試運転する予定だった
え?つまり鶴田と同じように馬場がニックを倒して防衛戦をこなす予定だったの?
それは知らんかった…自分が無知かもしれないけど馬場AWA王者は有名な定説だったのかな?
となると、マーテル王者までがセットの流れだとすると…
馬場がマーテルに負けるの?
いや…フレアーさえもう挑戦する気がないと言ってた馬場がマーテルとやるかなあ…いくら防衛戦とはいえ負けるわけでしょ…? 馬場がもしAWA王者としてサーキットするも
最終的に、マーテルに明け渡さないとイケない。
しかし、馬場はマーテルに負けることを断固拒否となると
ガニア「ミスター馬場が、マーテルに逆エビを掛ける、
その時、数人のレスラーが乱入し、ノーコンテスト。
その後、タイトルを返上すればOKだよ」
馬場、この案を飲む。
だが、実際の試合では、逆にマーテルが馬場に逆エビを掛けたら
すぐにレフェリーがストップをかけ、王座移動、、こんなところかな? ガニアは長身の馬場のが良かったのかね、過去のアメリカの名声はなかったのかな
http://imgur.com/zqYmhpA.jpg 自分らにしてみれば、馬場がAWA?、海外で防衛サーキット? って意表を突くような
シナリオを想定しがちだが、向こうのファンにしてみれば馬場なんてせいぜい東洋の悪魔とか
そのへんのヒール程度で、まさか全日の社長で日本プロレス界を背負ってきた一大メーンイベンターとか
全然知らんわけでw ワンポイントリリーフ王者的な捉え方なんだろどうせ。。 >>538
PWFで例えると
馬場→カマタ→ロビンソン
こういう流れがあったけど、馬場はカマタの役割?
もしくはWWFだとバックランド→シーク→ホーガン
これだとシークの役割になるね
そこまで馬場は評価が低いのかねえ…もう少し上だとは思うが…? >>538
連続レス失礼
それと、ちょうど1年ぐらい前にチェッカードーム、レイスのお膝元
そこで堂々とピンフォール勝ちで奪還してるのもあるし
むこうのテレビネットワークがどれぐらいか知らんけど、レイスを破った認知度とかもあるだろうし
絶対王者とか無理にしても、けっこう強者モードの王者じゃないかなあ…? 信じてないけどあの齢の肉体の馬場がサーキットなんて奇異な目で観られるだけだろ
としてもニック→馬場→ハンセン(剥奪)→マーテル→ニックならいける >>527
オルソノスキーは久々の来日ってこともあり、結構期待したんだがな。バトルロイヤルで最後の3人まで残ったもののジュニアのリスマルクとマジックドラゴンに押さえ込まれたのが、幻滅材料になってしまった。 セントポールで鶴田がマーテルに2回もピン負けしなければならない理由は何だろう?
マーテルの強さを印象付けたいにしてもそりゃないだろw
分不相応なAWA王者にしてもらったんだからそれぐらいの代償は当然という感覚? >>519
オフシーズンはプロレスの方が多い気がするが? >>502
師弟コンボはマスカラス&ロビンソン組に反則絡みながらストレート負けしている。
一度しか実現せずノーテレビながらゴングのカラー写真は貴重。
しかしこのカードなんで実現したのかな?プロモーターへの配慮だったのかな?
>>522
飛行機の移動時に故障で大幅な遅れが出てリングは試合会場の先乗りしていたがスタッフが
いなければ設営は無理なので川田以下の若手数人を無理やり降ろして次ぎに便にさせた
なんて専門誌の全日旅日記の載っていた。川田はこっちの方がスッチーが美人だったとか
コメントしていたw
>>533
パンフ屋の田中社長が「どうせすぐ辞めるから!」と中々、活字で作ってもらえず抗議
するやった「川田」ができた。自分の試合の準備もあるのに先輩レスラーからの雑用が
殺到して全くできない中で編み出したのがトイレで支度してリングシューズの紐を結び
方法だった。 あのパンフの「本日のカード」ってあれ毎回枠型に選手名や試合形式入れ替えて
ペッたんぺったんなんでしょ? 重労働だな。 >>458
その額は凄いの?低すぎるの?
よくわからないけど、「たいしたことない」という印象なんだけど
奥さんがビルを何棟も持ってて長者番付にも載ってしまうビートたけしの元奥さんみたいなイメージ持ってた >>520
最強タッグだからプロモーターが買ってくれた地域にやりくりして行っていたんだろうが、
雪が多い地域なんか天候次第では移動が大変だったんだろうな。 >>546
地方のビックマッチ乱発って大都市の集客に影響どうだったのかね
一番不明なのが後楽園でのビックマッチ。アメリカでやるテレビ用のスタジオ収録の感覚なのか >>545
年間トータルのオフ日数で言われるとわからないけど
プロ野球は秋に一度終わり、翌年春まで公式試合はないけど
プロレスは元旦から年末の最強タッグまで平均的にオフがない印象なんで…
>>550
自分の感覚だと後楽園はテレビ映えもいいし、来客人数のわりに盛り上がるし
一番大きいのは、その盛り上がり具合が他の会場に比べてテレビ越しにも伝わってくる
そのテレビを見た全国の視聴者への来場欲を刺激しやすい、もちろん盛り上がればチャンネルキープも高そうだし
アメリカでやるテレビマッチは自分の印象だと、観客がいない・または少数で盛り上がりにはほど遠い
むしろ試合よりも、レスラーのコメントに比重を置いてる印象だけど
日本の後楽園は宣伝用だけでなく、実用も兼ねたビッグマッチって印象
遠征費も宿泊費も不要、ポスター張っておけばある程度は観客も確実に来てくれる
色んな意味で使いどころがいいんでは?
まあ「これ後楽園でなく蔵前や最低でも横浜文化でやれよ…」というのも多いけど。 俺の地元の田舎町でブロディと鶴田のインター戦やったのには驚いた。もちろんノ−テレビ。 >>551
テレビだったらカメラの配置や楽屋の使い方とか楽だろうね、後楽園だから良い映像が撮れてると思ったことはないけど
逆に子供の頃は入場曲を録音するためテレビの前にラジカセ置いてたwから後楽園の入場時間の短さが凄い不満だったわ 連続レス失礼
ちなみに自分が後楽園で開催されたカードで悔しかったのは
「82年秋のテリーvsハンセン」
「83年春の馬場vs上田 鶴田vsシン」
単純にチケット完売で入場ができなかったから…
小学生の低学年にとってわざわざ水道橋に連れてってもらって
それでダメだしされたのは精神的にも肉体的にもダメージが大きいw
特にテリーvsハンセンは「タッグでさえボロボロにやられるのに、シングルじゃテリー殺されちゃうよ…」
そう思ってたし、その日がテリーの事実上の引退試合になるんじゃないかと…w 大昔のリキパレスみたいなメッカというかある種のシンボリックな会場なんだろうな。後楽園ホール。
地方民だったしTVを通してしか見ることが出来なかったが、臨場感、生々しさはよく伝わった。
蔵前とか大会場だと場外に試合がもつれるとカメラも追っていきにくいんだよねw
全体像も大きくなるし、迫力面がちょっと阻害される。 その頃ならダフ屋いたんじゃない?凄い値段つけそうだけど
平成だが出張の帰りに時間があったから後楽園に行ったら完売で近くにいたダフ屋に聞いたら一番安い席で15000円とか言われた
カードを見たら田上対オブライトの公式戦が理由とわかって「こんなカードで15000円も払えるかよ」と思ったが大会場でやるカードを狭い箱で見れるお得感はあったね、割高な店のキャンペーン感覚 後楽園ホールは移動コストも抑えられるし、なにより会場設営が他会場に比べて格段に楽だしな。
ざっくりだけど、インディが後楽園ホールでプロレス興行やった場合の
損益分岐点が600人て聞いた事がある。
外人の質とかで変わると思うが、リアルな数字だと思う。 >>553
プロレス以外にも笑点とか芸能関係にもメッカというか、歴史が古いし設営的にも重視されてるのかもね
プロレスファン目線だから「笑点」と「仮装大賞」ぐらいしか後楽園の印象はないけどw
>>555
大阪でもそういうシンボルみたいな会場ができればバランスがいいのにね
府立第二が一番近いんだろうけど、後楽園にはイメージも足元には及ばないな
ビッグマッチだと結局は第一の方を使っちゃうし、メイン会場なのに重点的なイメージがないな第二の方は… インディー団体乱立の1990年代、後楽園を満員にできなければ、って言われたけど
簡単に今と比べられないからね。 インディの損益分岐点の600人って
当時のFMWとか全盛時は「それだけでいいの?」って思う数字だけど
いま思うと大変な数字だよねえ…あれだけ毎日のようにテレビ無しで色んな団体が興行してさ。
今と比べるのもなんだけどノアですら実数(コロナ以前でも)で600人とか集められてるのかな? >>559
俺は富山県民だが金沢産業展示館が府立第一と第二感覚だった。ざっくりの記憶だが1号館から4号館があって5000人から1000人くらいキャパ差がある、仕切りとか入れてだが
三沢達が離脱する直前の三沢対小橋が1000人キャパでやって満員にならなかったのがショックだった。でも雑誌読んでる人は大箱と勘違いするし主権者発表の観客数は倍くらい増えてたし >>562
そうなの?
全日の石川県産業展示館は「いつも立錐の余地もなくギュウギュウで満員」のイメージだったな
テレビ越しにしか見た事ないけど、観客が狭そうでキツそうで…w
観光も兼ねて観戦したい候補の会場だったけどね、天龍vsタイガーが昭和全日時代だと一番印象が深い。 ガキの頃、後楽園ホールは入場テーマをじっくり聞けないからって、
テレビ中継の時はあまり好きじゃなかった。 >>564
新日だけど坂口のテーマが好きだったんだけど
後楽園だと曲どころか前奏の太鼓の音だけで入場完了するという…w
猪木ですら「イノキボンバイエ」の部分だけで終わるとかね… >>564
81年の新日後楽園だと遠回りで入場してきてたな
あまり変わらなかったが >>563
駅からめちゃくちゃ遠いから観光ついでは大変かも、昭和時代は子供だったから行ったことはないけど古い映像見るときは客席見てみるわ、昭和は大きな箱でしかやってなかったと思うけど >>567
関東民の自分の視覚的な印象だと
新日のIWGP時の愛知県体育館と全日の産業展示館
この2会場の観客の密閉具合が似てるように見えてた、規模は全然違うけどね
あと産業展示館の観客は後楽園に負けないほどテレビ越しではノリがいい。 よくそういう産業なんとか会館と言った多目的ホールの使用があるが、純粋な体育館と比べて
選手の控室の使い勝手とかどうなんだろ。シャワーなんか備わってるんだろうか? 石川県は平成になる頃まで日テレ系なかったんだけどね、金沢市が富山の県境に近いから金沢市民は富山の日テレ系列見てたらしいけど、だから盛り上がりのイメージはなかったかな
たまに地方でものカードが弱いのにすごい歓声があがる地域があって驚くことがあるが、数年後だとそうでもなかったりして不思議に思うことがある >>570
そうなんだ、昭和期でも十分な熱気が伝わってきたけどな
平成三年だったかな? ゴディウィリアムスvs三沢川田の時が
産業展示館の歴代最高動員と書かれてた記憶があるけど、そういうテレビ事情も加味されてたのかもね そうか、県民性というより永源的な理由もあるかもな
後は地元出身レスラーがいると盛り上がるとか 「007は二度死ぬ」で蔵前国技館が出てくるが照明がとても明るく、ワイドスクリーンで館内がとてもよくわかる。
相撲やプロレス中継とは一味違う貴重な映像だ。 「007は二度死ぬ」はロックの祖父ピーターメイビアが出演してたな。
大里化学のお抱え用心棒みたいな役。 アンドレも若い頃に映画出てたからかメイビアとは仲良かったな。
黒人嫌いなのにロッキージョンソンとも仲良さそうだった。 >>568
“トイレに行くと帰って来れなくなる”ような気がするくらいごった返してた。 >>565
坂口とタッグ組むと坂口が小走りで入場するから坂口より格下の選手は坂口に合わせて
入場しないといけないから大変だなと見てて感じてた。 後楽園で小走りするレスラー嫌いだったわ、当時はテーマ曲とか貴重だったし 後楽園ホールはカーテンから選手が出てきて、狭い会場っぽくて
大試合って感じがしなかった。 >>579
ハンセンには誰も文句言う人は居なさそうなんだけど、坂口がやると歩け坂口とか言いたくなる。 坂口は入場までは速いが、試合ぶりはどっちかつうとスロー。。w 2・4東京決戦馬場VSハンセン
控え室、上田馬之助がハンセンの横で何やらアドバイス。
視聴者は上田が試合をぶち壊すのではないかと気が気でなかったが、あれはテーマ曲をじっくり観衆に聞かせて盛り上がる瞬間と同時に入場するようハンセンを誘導してほしいと日テレの原Pが頼んだと解釈している。
上田がハンセンに「まだまだ」とジェスチャーしていることから間違いない。
大一番だからこそテーマ曲の一番盛り上がる瞬間とレスラー、観衆の高揚感を大事にした秀逸な演出だと思う。 強引な批判こじつけかもしれないけど、坂口の入場にはプロ意識というか
トップになり切れなかった何かうちの一つを感じる気がする
タイプ的にもガウンのデザイン的にも、もっと悠然と入場した方が威厳を感じられたはず
その点は馬場はさすがに晩年まで風格を感じさせる入場だった
ハンセンやウォリアーズはタイプ的に暴走ムードがあるから走っても問題ない 坂口は試合はしょっぱいのに入場曲が無駄に壮大でかっこいいから気恥づかしくて
早々にリングに上がってたという話があったね。 鶴田が対戦相手をボディスラムで投げる時頭上高く上げて一瞬間を於いて相手をキャンバス
に叩きつけていたけど坂口にはその間はなかったな。 >>586
腰が持たない。
そんなことやろうとすると自分から崩れる >>570
TBS系列の北陸放送(MRO)で火曜の深夜に全日本の中継はあったからね
なお新日はフジ系列の石川テレビ(ITC)で放送されていた 最近の新日本プロレスはほとんど見てないけれど、ブレーンバスターなんかは
滞空時間あるやつがスタンダードなんだろ。猪木とかがやってたのは擬きだな、
頭から落としてないからブレーンバスター擬きとも言えないかもだけど。 それはそれとして、キッドが高速ブレーンバスターやり始めてそっちのが
訴求力が出てきた。 キッドのはブレーンバスターでなくてSnap suplexだからな。 >>583
ハンセンは自分のタイミングで出て行きたくて
ちょっとイライラしてるように見てて感じた
リングに上がってからも偉そうになんかアドバイスしてたが邪魔でしかなかった
もう二人だけにしてやれよ、っと ハンセンはずっと上田に感謝していたらしい。新日のハンセン売り出しに一役買ったのは上田だからな。 79年第2回MSG、緒戦でいきなり上田をKOしてハンセン神話が始まったと言っていいな。 ハンセンの入場テーマは原Pの自信作だから観客と視聴者にじっくりと聞かせたかったのだろうな。
控え室から花道までハンディカメラで追う映像は臨場感に溢れて最高だ。 >>583
上田がちゃんとスーツに着替えていたのが何気に礼儀正しく感じてしまった。 >>598
試合に乱入するつもりならスーツでなくキャピタルのスポーツウェアを着ていただろう。
乱闘でスーツをビリビリにされるかもしれないからね。
後で見返すとそういった筋書きが見えてくる。 >>598
スーツというか年寄りくさいジャケットだった 馬場が入場する方へ近づいた時に花束嬢と接触して、ハンセンが謝ってるように見える。 昭和時代の新日はリングインと同時下手すればエプロンに立った状態で
テーマ曲止めるのが嫌だった。全日はリング上がってもしばらく流して余韻があって
良かったけれど。 とにかくハンディカメラが絶妙に上手い。固定カメラに切り替わるタイミングも最高。
https://youtube.com/watch?v=7WmjrE_S90M >>600
あれは田舎の年配893者が着るジャケw >>602
そりゃまあ長州の曲は前奏一秒で入ってこれるからなw >>605
蔵前国技館と旧東京体育館の控え室から花道のハンディカメラ映像は何度観ても興奮するね。
高い位置の客席に挟まれた花道からパーッと広大な空間へ解き放たれる瞬間が実にたまらない。 >>562
外人も日本人も固定化されて内容は良くてもさすがの四天王プロレスも飽きられてきた。
宝島本には90年代後半に試合数の多かった全日、新日。FMWも観客が減り始めたと数字が
載り景気後退の影響が大都市圏に比べて地方ではだいぶ遅れてくると書いてあった。
>>563>>572
永源は全日へ行った理由のひとつは新日より売り興行の金額が安かったからだった。
>>569
藤波がTV番組で取り壊される横浜文体を訪問して「アンドレは天井に頭をぶつけそうで
移動時に苦労していた」とか力道山やBI砲も使った年期の入ったバーベルも紹介していた。
>>570
富山は大正力の故郷で読売新聞の拠点がありそこに行くのは社内で出世コースらしい。
倉持アナは読売新聞に逆出向して昔取った杵柄で現地の系列局でキャスターもしていた。
そして再びに日テレに戻り報道部時代に遭遇したのが鶴田死去のニュースだった・・・
>>597>>598
サンライズはハンセンが来る前から日テレ・梅垣Dがイメージしていた曲だった。 >>605
小学生の時も、アラフォーになった今もこの映像で変わらず目がいく部分は
横切るブロディの足の太さだねえ…
「絶対1番強いだろ、こんな足して…」と思ってた。 >>605
もうひとつ
この試合のハンセン登場や色々と話題のネタは尽きない試合だが
ガキの頃のファンクスファン視線では、終盤のドリー孤軍奮闘も切ないが
何より1番ショックだったのは、スヌーカをスピニング・トウ・ホールドで仕留められなかったこと…
結局は片足蹴りで跳ね返されてダメ…その直後にテリーは場外でラリアットで失神…もう惨状だよ
「ファンクスはもうダメかも…スヌーカに勝てないんじゃ来年はハンセンブロディに殺される…」
その日の夜は寂しくて悶々として、泣きそうになったなw >>607
長州のテーマは
サビから入るからなあ。 >>608
会場特定だったか記憶にないが
コーナーの上部にハンディカメラ?を取り付けた映像は迫力あって好きだったな
コーナーを背にしたレスラー目線で、対角線から相手レスラーが攻撃に突進してくる三次元構図のやつ
天龍の背中越しに、向こうから鶴田がジャンピングニーでぶっ飛んでくる映像とか記憶に残ってる。
あとこれも受けは天龍だが、鶴田のジャンボラリアットで画面全体に天龍の顔が衝撃でひん曲がってる瞬間とか…すげえと思ってたよ。 そう?この時代のハンディカメラは好きじゃないわ、急にロープワークになったのが間に合わずフィニッシュが見えなかったり画面が揺れて気持ち悪くなったり >>614
そりゃ精度はアレだったけど…
ただ、天井から寝技を映すやつよりグッと新鮮味があったんだよね(馬場vsハンセンの腕ひしぎの映像とか)
でもあの天井カメラは、有名な力道山vsデストの四の字の映像から既に30年も経ってたわけだし >>615
12ch時代の国プロは後楽園ホールのみ?の天井カメラ映像をやっていて驚いた。
国プロはやる事が何でも早すぎるw
天井カメラ映像はグランドの多いリングスが初めてだと思っていた。 プロレスは立ち技はハードヒットでグラウンドは緩かったりするからアップはあんまり良くないと思うけどね
馬之助のチョークとか首の下を押さえてるだけだし スイッチがうまくいかず残念な映像になっちゃうことあるよね。
UN王座決定戦で鶴田がブリスコに決めたフロントスープレックスは違う角度のカメラに切り替えてほしかった。
1982.2.4の馬場対ハンセン戦でハンセンのラリアットが当たる瞬間カメラ切り替えるんだけど、むしろ切り替えないほうが良かった。 >>618
ハンセンのラリアットは大体そうだね、ロープワーク中に切り替えて良かったためしがない
試合終了後にハンディカメラのを差し込むとか出来なかったのかな、生中継はムリにしろ ハンセンの件を上げるなら、そもそも全日初戦の原戦からそうだよね
木更津のやつはインパクトの瞬間が微妙に映ったけど、切り替えた後は原が倒れてた
一番良い瞬間は横からでも縦からでも固定してた方が確かにいいね
初戦ではないけど最強タッグに乱入した時、テリーに場外でかましたやつ
あれぐらいの距離がいい、ただあれも厳密には切り替えだけど幸いにもうまくいったねw 倉持が逆片エビとサソリを間違えたりも大体ハンディカメラの時だったりする、まあ倉持は立ち技でも間違うがw >>611
実際に翌年の最強タッグではボコボコにやられた >>618 619
84年7・31蔵前も馬場のフライングネックブリーカードロップをアップ映像に切り替えたもんだから両者の頭しか映っていない。
16文キックだろうと思ってアップにしたのだがまんまと外してしまったのだが、16文キックやラリアットをやたらとアップに切り替えるこの頃の担当者はセンスがない。 >>611
翌年以降、エルボーとパンチでしか反撃出来ないファンクスを見て、更に悲しくなった。全く勝負にならなかった。 越中は全日時代にテリー マスカラス シンの入場が大変だったって。
テリーやマスカラスにはファンが群がる。
大会場だと本当に群がるファンに押し潰されそうになり。
押し返すのも一苦労で一試合分の疲れがあったって。
逆にシンは客席に雪崩れ込んで暴れるから止めるのが大変だったって。
そのテリーとシンの大阪でのシングルは大変だったろうなあ。
テリーは引退直前の最後の大阪っちゅう事もあり敢えてゆっくり入場。
まだリングに上がる前にテーマ曲が終わった。
逆にシンは入場が早かった。
客席に雪崩れ込む事もなく普通に暴れてリングサイドに。
シンにしては早い入場っちゅうか短時間入場だった。
そこはテリーが長時間入場したからだろう。
シン自身もそういう状況を踏まえたと。
しかしあの当時の若手、越中 冬木 後藤 三沢 川田
彼等は入場さばきは大変だったろうなあ。
テリー マスカラスにシン ハンセン ブロディと。
両極端だが。 スーパースローっていうのが福澤時代にあったが
あれはイマイチだった。
スピード感がなくて。当たり前だが。 全日本は新日本より場外フェンスの導入が遅かったけど、フェンス無い方が場外乱闘が盛り上がってた気がする。客席雪崩れ込んでカオスになるのが良かった。
会場観に行ったときは大変だったけどw
全日本の最初のフェンスってネットだったけど、秋田の体育館からパクってきた卓球用のネットなんだよねw フェンスのある新日とフェンスの無い全日で個性が出てたと言うか、明らかな違いが見えて良かったんだけどね。
フェンスが無かったら三沢タイガーもトペコンヒーロで膝を打たなかったのに。 >>627
あったがって、あれが今の主流じゃないの? 福澤実況時代に「スーパースロー」という独立したコーナーがあったわな。
オリンピア流しながらその日流れたカードじゃないのも含めてスーパースローで振り返るやつ。
当時スーパースローは新しい技術でプロレス中継で試運転的に導入されたと聞いたことがある。
CCDカメラも導入初期に全日本プロレス中継で使われてるんだよね。一時期鉄柱上部につけられてたのが初期のCCDカメラ。 >>626
テリーVSシン同日のアジアタッグが国際プロレスの同窓会みたいだった >>632
あのスーパースローがプロ野球の
ボール回転丸わかりだと思うな。 >>626
>>629
そういうのひっくるめてプロレスなんだよね。
各コーナーごとの通路から入場するのなんかも。
対戦するレスラーが同じところから出て来て同じ花道を通ってくるのってなんか違うんだよなぁ。 あの場外で椅子なぎ倒して逃げ回るのが
プロレスの醍醐味。 >>636
>あの場外で椅子なぎ倒して逃げ回るのが
プロレスの醍醐味。
海外ではほとんど無いよなw
プエルトリコが若干そういう雰囲気だけど 入場時にみなテメエの名前書いたデカい紙掲げるようになって、中には首にかけられるように
なっててテリーもソレを知らずに首にかけられてリングに上がってたなw >>638
ロビンソンも田中って書かれた紙ぶら下げて入場してたな 試合後に色紙持って、流血したブッチャーの頭につけて血拓とってるやつもいたよな。 とにかくテレビに映りたいってのが原動力だったなぁ。
入場するレスラーに近づいて若手に強めに押し返されたり怒鳴られたりしても、別に気にしないでむしろ喜んだりしてたし。 >>636
蔵前でやったブッチャー&カマタvsシーク&メフィストの乱闘はマス席中段まで上がって、
観客はみんな靴も履かずに逃げ回っていた。席に戻ったら靴がなかったとかありそうな世界。 まあテレビ中継のない地方だとさすがに名前の紙は無いけどw、悪役が暴れまわる場外乱闘と言うのは
ホント楽しさやコワさが混じったアトラクションというか、非日常を体験できる空間dった。
知らないどっかのファンとも一緒になって逃げまどったり、ズッコケたりでな。。 >>643
その試合、山嵐でカウント2.9なんだよね。あれシークのカット無かったらブッチャー組優勝だったんだよな。 >>645
そこはブックなんだから。勝ち点トップと勝ち点0が最終戦に組まれた時点で察しないと。 G+が今ちょうど輪島のあたりなんだけど、
やっぱ鍛えてないよな、あの上半身は。。
実際の映像見てそう思うわ >>626
83年のテリーvsシンはお互いの持ち味が嚙みあっていて、特にシンにとっては全日でのベストバウトのひとつではないかと思う。 この味がいいねと言ったから今日は
と書いてほしい。 >>652
前日(日時的には同日)の山口良一のオールナイトニッポン
番組内ゲストで猪木が出演してて、鶴田のAWA奪取を前もって知ってしまった
驚きすぎたと同時にラジオの前で地団駄踏んだよ(感動とサプライズをテレビでリアルに味わいたかった)
あの鶴田AWAは予想してた人はいるのかな?
こちとら小学生で東スポや深夜ラジオなんて聞く連中なんていなかったから…
何であの時だけは起きてて聞いたんだろう…?
少なくとも鶴田が獲るとは全く思ってなかった、それよりもブロディにインター獲り返されるんじゃないかと… >>625
最強タッグリマッチでは本戦ほど一方的な試合では無かった、
>>629
体育館から撤退時に誤って積んでしまって使用を始めた卓球会場で使う仕切りネット
だったがコレを使い始めるとリングに押しかけるファンがピタッと止まり効果が出た。
特にテリーさよならシリーズから使い始めたから効果テキメンだった。それまでは全日は
試合前はファンが近寄らないようにリング屋スタッフが椅子に座って暇そうに監視していた。
新日は柵はシン対策と言われていたけど試合前は既に選手がガンガン練習していた。
当時の客入れした直後の全日と新日の試合前の会場の様子の違いは面白い。
>>632
F-1の車載カメラもこれかな?
>>644
TV観戦だと「早くも戻って戦え!」だけど生観戦すると妙に興奮した。立ち見で入場した
のに乱闘で倒された指定席用の椅子を手にしてチャッカリ観戦していた強者もいたw >>654
あの興行で獲るかどうかはわからなかったが
黒タイツ、テーマをJに変更と来て
テーズからバックドロップを教わったということで
それまでの若大将、No.2のイメージから
意図的にシリアスなイメージに変更図って
鶴田本格派エース路線に舵切ったのは明らかだったので
NWAなりAWAなり近いうちに獲るんじゃないかって
雰囲気はあの時期相当に盛りあがっていたと思う
(もちろん馬場がNWAを3度キャッチボールしたことから
日本遠征中の短期ならベルト奪取もあること前提で)
むしろその後ベルト守ったまま米にそこそこの期間遠征して
防衛戦を普通に重ねたコトの方が意外といえば意外だった
正直てっきり日本でベルト返すか
米遠征でも1週間とかのごく短期で
ベルト落として帰ってくるものとばかり思ってたから >>654
いや、反則、リングアウトでタイトル移動の
PWF特別ルールでやると読んでピンときたよ。
今回は絶対取る。ダーティファイトができないニック相手に取らなきゃ
全日はおわりと思ったから。
ただ、全米サーキットに出るとは思わなかった。 ブックの匂いを嗅ぎつつガチを連想するのが
当時のファン。 >>655
あのフェンスはフェンスアウトという害悪ルールを生んだ(新日だけど)
今思えば、フェンスがあろうとなかろうと両リンに持ち込むから関係ないんだろうけど
不透明決着のバリエーションが増えたのはやはり害悪だな、両リンと違い「不可抗力で勢い余って」という言い訳ができる
>>656
>>657
ありがとう、こととらそんな大局的に判ずる頭も、ムードを感じる感性もなかったから…
東スポなんて買えないし、買ってもエログロ記事が大半だから家に持ち帰りにくい…
読み捨てで買うには小学生には荷が重いしw
せいぜい月1の「DXプロレス」「ビッグレスラー」ぐらいかなあ
ただ、テリー引退喪失の穴埋めには十分なったよ、鶴田のAWA王者には、テリーも最強タッグに続いて来たし
友達と「テリーは家族とともに日本に引っ越してくるんじゃない?」
「ドリーも来てほしいけど、フロリダの重役?だから無理かな…」
とか言ってたよ、無邪気だったなあw 鶴田の異例の3か月間戴冠、ホーガンに去られた後のガニアの苦肉の策だったかもね。
ガニアは鶴田に関しては76年の10番勝負の時にかなりの高評価で、こっち(AWA)に預ければ
必ず王者に就けさせるとまで言わしめたしな。 84年前半は日米ともにプロレス界で色んなことが起こったよね。
1月23日 ホーガンがWWF世界ヘビー級王座初戴冠初戴冠。WWF全米侵攻開始
2月3日 新日本「雪の札幌テロ事件」
2月10日 デビッド・フォン・エリックが日本で急死
2月23日 鶴田、AWA世界ヘビー級王座奪取
3月 新間寿、第1次UWF設立 子供の俺には事情が分からなく、なんで前田いなくなっちゃったんだろう・・くらいにしか思ってなかった >>662
自分も子供だったけど
4月ぐらいに藤原がリング上で古館にインタビュー受けて
「前田は許さん、蔵前に乗り込む」みたいな事を言ってたから
前田が猪木を裏切ってUWFに出てったのかな…と思ってたな
今思えば失礼な解釈だけどw
でも84年は前半だけでなく、後半もビッグサプライズだよね
維新軍離脱、佐山復帰、二代目タイガー、ラッシャーが馬場パートナー
テリー復帰、キッドスミス移籍、ジャパン年末参戦… フェンスは客への安全対策と言うか訴訟対策みたいなもんじゃないの。
ウチはこれだけ安全対策してますみたいな。 チケットに場外乱闘に責任は負いませんって書いてあったけどな。 鶴田が奪取した翌月の蔵前でニック相手に反則負け防衛したのが新鮮だった。
今まで泣かされてきたルールを逆に利用して溜飲下がったな。
この後グレッグ・ガニア相手に郡山で防衛戦やるけど何だか変な試合だった。
グレッグが善戦するのはまあいいとして、鶴田がシュミット式バックブリーカーからカバーしてグレッグの足がサードロープにかかってるのにカウント3という消化不良な終わり方。
グレッグくらいなら日本で疑惑防衛やる必要ないのにと思ったな。
鶴田憎し煽る素材としてこの試合の映像を現地で流したのかな。
また鶴田防衛ツアーに出てマーテルに獲られちゃうんだけど。 >>666
あれは親父バーンへのせめてもの鶴田の優しさ。辛勝ということにしてあげてる。
2倍くらい身体が違うのに戦い辛いよ。。 >>665
そんなの書いてるだけで免責になる訳ない、実際に訴訟起こされてる。
チケット売る時に何が起きようと一切訴訟起こさないという同意書取らないとダメだろ。 デビットvs天龍だったらどういう結果になってたのかな? デビッドが次期NWA王者の最有力候補だったと考えると、天龍に負けることはないのでは、と思ったけど鶴田とのダブル戴冠じゃないとあの蔵前は意味がないから、やはり天龍王座奪取が正しいのか 天龍の勝ちが既定路線だとしても、フォール勝ちさせるかな? 天龍が勝って、翌月の蔵前でデビッドが勝てばいいんじゃないの?
まだNWA獲る前だし、最終的に傷がつかなければ…
ただし三月にもう一度デビッドが来る予定だったのか、それと海外流出をどう始末するか。
でもデビッドがNWA王者になった後に「あの王者に1度は勝った天龍」として鶴田とは別角度で格があがる。
あと、あのシリーズってブロディは何のために来たのかわからんな、何か主要カードあったっけ?
年間契約数の調整来日とかあるのかな。 私も天龍がデビッドに勝っていたと思う。前年デビアスに負けていたから背水の陣だったし。 >>676
ノーテレビだかスミルノフと組んで師弟コンビのインタータッグに挑戦 鶴田もNWA取る前のフレアーに勝ってるし、普通に天龍の勝ちやろ >>676
ブロディ来ないとスミルノフが外人エースとかそんな冒険する訳にはいかないでしょう。 >>681
フレアーは馬場にピン勝ちの特典与えてるから鶴田に負けても納得出来るだろうが
デビッドの場合は開幕戦の原しか勝ち無いだろうからわざわざ天龍に負けに来るとは思えないな ギャラが目的なんだからくるだろ?デビッドなんて初来日で大熊にフォールされてるんだし。 >>684
1本目はケビンが大熊をフォール、2本目は大熊がデビッドをフォール、
3本目は小鹿がケビンをフォールして、極道が初防衛成功だったと思う。 >>686
エリック兄弟が取るのは二年後の再挑戦だったか 東スポ主催とはいえ、この頃は馬場が一番年長で先輩なんだからシャツで充分だろ。エリ付きならなお。
記者もスタッフもみんな年下。 >>654
反則、リングアウトでも移動の特別ルールだったからなあ。
フォールするかどうかはともかく、今度こそ取るとは思ったわ。 >>676
実際は天龍に負けたリッキーがNWA王者に >>690
インター王座にとって初のダブル戦でもあったんだよな
そして大阪でのリターンマッチは両リンで両王座防衛
あるいはAWAのみのもう一戦があるかと思ったが >>683
開幕戦の後、長崎で鶴田とブロディがノンタイトルでシングルやって完敗に近い内容だったんだよね。
次の鹿児島では鶴龍対デスト組というショボいカードだったけど、本来は鶴龍対ブロディデビッドが組まれて天龍が負けていたと思う。
双方ピンチと思わせておいてダブル戴冠。
デビッドも一回は勝って面目が立つし。 >>688
誤爆したことに気づいていないのか?
昭和新日スレに、投稿し直したなら
レスしようかと思ったが、
>この頃は馬場が一番年長で先輩なんだから
いや、国際プロレスの吉原社長の方が、年配で先輩だよ。 >>693
ブロディとのインター戦は次のシリーズでの名古屋だったんだよな
ノーテレビでしたが現地で見られた方は? >>407
馬場が「もしうち(全日)であんなことやったらただじゃリングから降りさせないよ(集団でリンチするの意)」
って言ったのは前田の長州顔面蹴りを指してのことじゃなかったっけ? >>230
里崎が自身のYouTubeチャンネルで古舘に触れ「あのF-1の実況で…。たしかプロレスの中継もやってたらしいですね…」みたいなこと言ってて凄い違和感があったけど里崎の年代では古舘といえばプロレスよりF-1ってイメージなのかな? クラシック再放送の鶴田タイガー対龍原砲がいい試合すぎる >>697
あの時代地方によって深夜帯だったり
するので見てない人は見てないと思う。 >>693
開幕が原xデビットで、鶴龍xブロディデビットっていうカードもあったんだ。。両方デビット勝ちだったろうね。 >>698
あの試合、タイガーがめちゃめちゃいいんだよな。
年末は鶴田のパートナーに輪島より絶対いい!と思ったがまさかの谷津に・・ >>696
「リングの上なら何をやってもいいんだ」って馬場さん確かいっていた気がするが!? >>690
俺は、鶴田がAWAやNWAを取る事は永久にないと思ってたから驚いたわw >>701
七番勝負での好勝負を引いてたし
これが次のシリーズいきなりのPWFタッグ奪取にもつながった印象 >>665
プロ野球もチケットも裏側に「応急手当はするけど責任はといりません」と書いてある。
それでもファールボールでの怪我で日米で裁判になっている。
東京ドームは内野席のネットが12球場で一番高かった時がありプロレスの時は邪魔
だった。
>>698
伸び悩むタイガーの力を引き出した天龍対三沢タイガーも好試合になり馬場が絶賛した。
この2試合が好試合になり馬場の了解にをて天龍革命が始まった。 >>695
ブロディが新日移籍会見の時に、「名古屋での鶴田とのインター戦はノーテレビだったが、忘れられないいい試合だった」てなことを話していたね。 >>706
そりゃ訴えればチケットに何が書いてあろうと
裁判になるよ。
判決がどうだったかだろ。
そんなこと言ったらプロ野球は外野席も全部フェンスつけなきゃならなくなるぞ。 サッポロドームで子連れの女性がファールボールに当たって失明した件では
ドームに対してはほぼ免責だったのに対して
主催の球団に対しては原告の訴えがほぼ認められたな
野球開催にあたり臨場感を理由に(実際は費用と手間の問題)
元々仕立てられてたドームの内野ネットを外していたのが決定的だった
ホームランに関してもその打球の性格上
内野席へのファールに比べて重大な事故になってないだけであって
満員のスタンドとかだと稀に避けられず怪我をしたなんて話は昔からあったよ
ただそういう場合球団側が対応(お見舞いや応急処置)をして
選手のサインボールの一つもプレゼントすればだいたいは収まってたってだけ
一方でハマスタだかで最前列の柵越えて外野フェンスによじ登って
誤って落下して亡くなったなんてアホな事故もあったが
あれは球場も球団も重過失責任は問われていない
注意する警備員無視してはしゃぎ過ぎたバカが
結果、やり過ぎで不幸な目に遭っただけって常識的な判断だった
ようはチケットに書かれてたりアナウンスさえしておけば免責だとか
逆に全ての客席に完全に囲むようなフェンスつけなきゃいかんとかでなく
その時の状況とどれだけそういう危険性について認識して
対策を行っていたかで法廷では判断される
シンやブッチャーの入場に自分から席離れて近寄ってって
追いかけられた挙句転んで足折ってもそれで訴訟に勝つのはまず無理だけど
例えばハンセンやブロディが振り回すブルロープやチェーンが
たまたますっぽ抜けて明後日の方向に飛んで何mも離れたところにいた客を直撃し
重大な怪我をさせたら主催側の責任問われるのは間違いない タバコのパッケージみたいに買う段階で最悪死ぬかもしれないくらいの警告表示は
必要だわな。チケット裏に書いてあっても買う時に分からないだろ。 平成に入ってからだがハンセンにボディスラムで投げられてる客いたな。
ありゃ打ちどころ悪かったらまずいことになってるな。
千葉県の会場のマナーがあまりにも悪いので啓蒙の意味込めてプロレスニュースで流したような気がする。
福澤が「千葉のファンは最悪だ」とはっきり言ってた。
今だったら大炎上だろうね。 >>712
ハンセンのボディスラムってのがまた怖いね
千葉公園体育館とか松戸市体育館とかビッグマッチや好カードがあったところだけど今や全く使用されてない感じかな 新日の話ですまんが、キッドが入場時に女性客にパンチを振り下ろしている場面がテレビに映っていたのを覚えている。かなり痛そうだったけど、キッドの急所でも触ったんだろうか? >>712
ハンセンに飛びついて抱きついた奴が叩きつけられたやつか レスラーよりもパイプ椅子に足引っ掛けて怪我しそうだった。 とにかく昭和は場外乱闘が楽しみでプロレス見にいってたフシもある。
場外乱闘なんてフレーズもプロレス生まれかも >>713
松戸というとファンクス対決、最強タッグ開幕戦。
千葉公園というと馬場vsハンセンのPWF戦。
昭和のころよく使われてたね。平成に入ってもしばらくは使われてた気がする。
新日本も松戸や千葉公園よく使ってた。IWGPリーグで千葉公園大会テレビ中継されてた。ホーガンvs前田とか。
関東の2000人から3000人くらいの体育館でのプロレスの興行少なくなったよね。
10年くらい前ノアが千葉公園で興行やったら悲惨な入りでネタにされてたな。 >>693
デビッド来日を各プロレス誌が超大物扱いで大々的に取り上げてたからな
それなのに天龍に負けてベルト剥がされるのはどうしても想像出来ない
まぁ後に超大物扱いで来日したスティングがスパイビーにピン負けしたけどw >>720
>10年くらい前ノアが千葉公園で興行やったら悲惨な入りでネタにされてたな
あれはその前週ぐらい、後楽園で試合そっちのけで場外乱闘だけで終わった試合があり
その試合が実は千葉大会の前哨戦での扱いだった事が透けて見えて、当日のファンが不穏な空気になり
その延長で千葉大会がネガティブな前評判になってしまったと思う
単なる不入りじゃなく、大げさにいえば「冗談じゃねえ、行ってたまるか」って空気がノアファンの中で支配されてしまったと思う。
その後楽園大会じたいがそれなりのビッグマッチ扱いで、そこに期待して行ったファンとしてみれば怒るよね…
でもそれからノアはビッグマッチの前の大会は最初から「前哨戦」と但し書きをつけるようになった、結果的に学んだんだからまあ良かったのかな…? 千葉は幕張メッセや2AWスクエア等もあるけど昔から使われている会場は銚子市体育館くらいかな?
確かオープンから50年くらいは経っているはずだが >>720
全日で千葉公園体育館といえばDDTでアッサリ終わったジャンボ鶴田VSテリーゴディの三冠戦が印象的 >>721
あのタイミングで天龍に取らせなかったら、もうトップクラスに浮上させる目がなくなる。
デビッドは亡くなってなかったら、そのすぐあとに世界タイトル取ってたろうけど、
だからこそ天龍に負けさせるには最高のタイミングかも。
日本の評価は石川佐藤に負けたところで止まってるから、格としてはまだそんなに傷がつかない。 >>699
そうなのかあ
いや古舘といえばプロレスだろ!ってコメント書きたくなったw ケリーは20日足らずだったけど、デビッドはNWA王者としてどれぐらい君臨出来たんだろうね。 >>725
最低限デヴィッドの格下げないため天龍のリングアウトか反則勝ちにしそう。
天龍は初防衛戦でデビアスにフォール勝ちして面目躍如の流れで。 千葉は指定管理者がプロレスに会場を貸してくれない。
千葉公園、千葉ポートアリーナ、松戸、船橋は全部だめ 千葉公園ではなく「千葉県営体育館」というのもあるね
1993年1月、世界タッグがあるので、東京も西の方から
見に行ったが、駅からずいぶん歩いた記憶がある。 デビッドがNWA獲ればフレアーがベビーターンしてどれだけの試合を魅せて集客に繋がればだけど
まだまだレイスやローデスも色気出してくる時期だよね >>731
千葉県立体育館とは違うのかな?レイスのNWAにマードックが挑戦したのがたしか千葉県立体育館。 >>724
最初のビッグマッチはオープン選手権での馬場・木村戦か >>733
そう!県営ではなく「千葉県立体育館」だった。
で、今、検索してもヒットしないんだが、
これが千葉スポーツセンターになったの?
もう、どうやって行ったか記憶にないんだ。
とにかく、1月30日、寒い中を駅からかなり歩いたのを
憶えている。 >>736
昔(昭和〜平成の初め)の方が「旧字体を使うな!」「新字体を使え!」
という教育だった。実際に手書きだと新字体の方が楽だし。
それが、今、ワードなんかで、軽く複雑な旧字体が打てるようになって
却って、昔より旧字体が増えた。 デビッド好きだけど過大評価
テキサスでの人気は物凄いけどレスラーとしてバリー・ウインダムみたいな感じがいいとこ >>740
フレアーは「デビッドが若くして亡くならなかったとしても
自分はデビッドには負けなかった」と回想していたね
「逆に「なぜ自分がこの男より上にいけたのだろう?」と今でも不思議に思うのが
テッド・デビアスだ。彼はあらゆる面で私より上であり才能があった。」とも回想していた >>741
フレアーが上だったのは明らかにカリスマ性だろうな
まさに狂乱の貴公子 WWFでミリオンダラーマンとして大ブレイクするんだから、 途中で送ってしまった。
WWFでミリオンダラーマンとして大ブレイクするんだから、
NWA王者候補時代には強烈なキャラが足りなかったんだろうね。
でも、ハンセンのパートナー時代のカウボーイコスチュームは
似合ってなかったな。 最近のプロレスクラシックの再放送
ちょうど天龍革命の開始時期あたりなんだけど
当時、天龍は「まず後楽園ホールを満杯にすること」と言ってたよね
全日の身の丈を弁え、そこから上を目指す姿勢は結果的に正しかったのが歴史が証明してるけど
「後楽園を満杯」というフレーズを使わねばいけないくらいに集客が苦労、というか落ちてたの?
苦手の大阪府立とか4月も、7月も、秋もそう、最強タッグも使ってた
会場選定がどの時期なのか?ジャパン軍がいる前提で押さえてたのなら仕方ないけど
それにしても結構強気な会場規模で興行してたように思えるね、今思うと…
東と西では影響ないとは思うけど、武道館を最終戦ではなくシリーズ途上で使ったり
その武道館の2日後に府立を二か月ごとの間で使ったり
動員数が減ろうがジャパン軍の経費が浮いた分は半分ぐらいの入りでも十分な黒になってたのかね?
まあ、画面越しではわからないけど、後楽園も八割ぐらいは埋まって見えるけど…? >>745
4月はジャパンの興行だったのは記憶ある。
それ以降の大坂もしばらくはジャパンが抑えた分があったんじゃないかな?
分裂してもしばらくは会社として存続はしてたよね。
預かった興行は一通りやってから会社閉じたんじゃなかったっけな。
田上はジャパン分裂後に入ってきたけど名目上ジャパンプロレス所属ってことにしてた。
輪島、高木、テンタと各界からの転向が続いたから敢えてジャパン所属ってことにしたらしいね。 天龍革命の時は武道館や大阪府立の日程も決まってたのに後楽園を満員にするは確かに違和感があったね
外国人に頼らず、通常のカードで、という意味だろうけど天龍と原が組んでも大会場のメインカードにはならないというのもあったのかも >>745
セミ・天龍原vs輪島カブキ
メイン・鶴田タイガーvsハンセンデビアス(PWFタッグ戦)
後楽園で、このカード組んでも1700人程度だったかな?(当時の新日は2200で札止め発表)
そりゃ、先ずは後楽園を満員にって目標になるよな ジャイアントSと最強タッグの間で日本人だけによる後楽園ホールファン感謝マッチをやり、待望の天龍対輪島が組まれたけど満員にはならなかったな。
前の2シリーズで輪島が天龍にボコボコにされっぱなしでファンも期待しなかったのかな。
それと当時の全日本で外人選手抜きの興行に食指が動かなかったのか。
何せ最強タッグの外人選手が空前の顔ぶれだったし。
この試合は生中継でもあったからテレビ観戦で済まそうと思ったファンが多かったのか。
天龍の「まずは後楽園ホールを満員に」という志が少し挫けたのではと思った。 当時の鶴田がマニア受けする日本人対決に反対みたいな話をしてての反発もあったとかかも
シリーズ毎に開催してる後楽園が一般的な勧善懲悪の日本人対外国人ばかりじゃ客足も落ちるし >>744
そうか?
めちゃ似合ってたと思う。
デビアスは見た目が地味だった。
ハンセンと組んだワイルドな風貌がよく似合う。 天龍革命時期のレス、皆さんありがとう
当時の事情がかなり把握できた気がする
デビアスのカウボーイ姿は自分もカッコいいと思う
単に似合うというだけでなく、デビアスの身長がハンセンと並ぶとバランスがいい
ブロデイほどではないけど、長身でそこそこ体格が良くて、ワイルドなヒゲで横に並んでもやっと貫禄負けしなくなった。
ヒゲといえばリアルタイムは知らず、映像でしか見てないけど
ドリーの70年代後半〜80年代のヒゲ面もかなりカッコいい
テリーの反比例でクールで優等生なお兄さんイメージ、それがあのヒゲ面はギャップがあっていい
ヤンチャなテリーに豪放なドリーって感じで…兄弟がもう少し全盛時がハンセンブロディと重なってたら…と思うね。
まあしかし、師匠と弟子・先輩と後輩という背景をふまえたストーリーが良かったともいえるけど。 オレもハンセンと組む前はそんなにデカいと思わなかったんだけど
デカさスピード、インサイドワーク抜群だったのにハンセンと組んで豪快さが増したと思うよ
ドリーの全盛期と戦わせてみたい所謂魅せるレスターとしてはテリーの方が長けてると思うが
総合力ではデビアスが上だと思うミズーリ王者時代にフレアーに勝ってたからフレアーより先にNWA獲ると思ってた
馬場が言ってたとされてる「もう少し目が大きければなあ」は確かに的をえてるが >>753
WWFからカムバックして、再びハンセンと組んた時
1993年の秋か…三沢川田からいきなり世界タッグ奪取
相手がこの2人だから、なおさらデビアスのデカさが強調されて見えた
結果的に最強タッグ序盤のケガが元で引退
年齢的には40過ぎだから、あれがなければもう2〜3年は第一線でできたはず、もったいない
馬場ハンセン組という良い意味の副作用も生んだけど… デビアス好きだけどデビアスが来日してるから見に行きたいはなかったな、簡単にフォール負けしない格だからカードによって行きたいとかはあるけど デビアスは78年第6回CCで初めて見たが、クリーンファイトでそつなく試合をこなす若手レスラーという感じだったな。
顔立ちも細目のしもぶくれで華がある感じじゃなかったなw 次の来日もスレーターが一緒だったのでこの時も目立たなかった。
その辺の最初のイメージが強くて、のちにブレイクしても自分的にはイマイチ強さ、迫力が感じにくかったな。 鶴田とデビアスのUN戦は、二回り小さいレスラーでも真似できないような素晴らしい動きを見せてくれた
二人共とにかくミスしない 全日本の後楽園の連続超満員記録ってキッド・スミス対マレンコ兄弟やった1989年1月の興行からはじまったんだっけ?
武道館も鶴龍対決の初期は空席目立った。発表で12000人前後だった。 >>702
馬場の持論は刑事ドラマに宇宙人や超能力者を出してもいいっていう意味で、
アクションシーンでいきなり相手をガチで殴って大怪我させてもいいっていう
意味ではないからこの場合にこう言うのはおかしいと思う。 >>758
正確には前年のGシリーズの2回目から始まった。 89年最初の後楽園を最後に山田隆が解説席から去っていった
その後は20周年の武道館でゲスト解説しただけかな 個人的にはデビアスは優等生キャラの方が好きだったので、むしろハンセンと敵対しながら成長してほしかった。
ハンセンと組んでから無理して合わせようとしてるように見えたのよ。
でも他にハンセンのパートナーに適した奴いなかったからしょうがないけどね。 >>759
ケーフェイを守った発言をしただけだろ。
凶器攻撃や場外乱闘ありのプロレスで「顔面を蹴るのは良くない」は筋が通らない。
あくまでプロレスはガチの格闘技という前提で話しただけ。 >>757
馬場は市原でのUN戦を今年のベストバウトは決まったと言ってたらしいんだよな ハンセンが全日で20年も長らく一線でできたのは、名パートナーに恵まれたのも大きいね
看板の最強タッグはもちろん、インタータッグ、PWFタッグ等の看板カードは必然的にメインに出場できる
主なところでは、ブロディ・デビアス・ゴディ・天龍・スパイビー・エース・ベイダ−
一番ヤバい時はデビアスがWWF行きが決定してて、「アイドルやリッチを正パートナーに?」という声や
ひどい時には「ジェイソン・ザ・テリブルがいいんじゃないか?」という始末…
あの時期だけは「ロン・バスって今どこにいるの?…スレーターは?…この2人を呼べよ…」と思ってたくらい。
結局年末の最強タッグにゴディが来たけど、あの時は救われた思いがした…
最晩年の大森とかと組んでた時もヤバかったが、ベイダーのサプライズで第一線に再上昇した、運もいいよね。
もちろんハンセンのパートナーは皆が弱く見えないし、光っていたからハンセンのコントロールが最高なんだろうね…。 >>763
まあ、そうだよな。
椅子で頭を引っ叩いたり、サーベルの柄で額を突いたり、フォークで腕を刺すのがOKなのに、
後ろからとはいえ、顔を蹴るのがNGだなんて、「プロレスはやっぱりそうなのか…」
との突っ込み処にしかならないだろう。 秋山が、デビアスとのシングルは自分はなにもしていないのに試合が成立したと言っていたな。 >>765
不沈皇帝コンビか明艦砲の時に最強タッグ優勝させるべきだと思った >>767
天龍のデビュー戦の相手がデビアスでほぼ同じようなことを天龍も言ってた。 次期NWA最有力の
デビアス。
だが、ダーティファイトが苦手だったのかも。 デビアスは日本人受けするフェイバリットホールドがあれば良かったのにな
当時だとパワースラムくらいだったか 馬場 鶴田対テリー デビアスのインタータッグ戦は面白かった。 >>754
三沢・川田はとっくにチームを解消していて川田・田上だそ。三沢は小橋と組んでいて
四天王時代なんだけど、鶴田やゴディがセミリタイアしてたからデビアスはいいタイミングで
戻ってきたんだけどな。 >>748
全日はこの年の2月まで超満員時は3千人台の発表だった。
水増し度を落とした?
さすがに年頭の半分程度ということはないだろうが。 デビアスがテリーを裏切ってハンセンと
本格的にタッグを組むきっかけとなる
後楽園での試合後のシーンは何度見ても
面白い。 テリー軍団とブッチャー軍団が出たチャンカー、後楽園ホールでブッチャーvsデビアスの
公式戦があった。デビアスの頭を30回ぐらい鉄柱にぶつけて、ブッチャーがリングアウト勝ち。 >>779
この時はテリーとスレーターの公式戦もあったんだったか デビアスはハンセンとファイトスタイルは全く違うけど、同じウエスト・テキサス州立大学・フットボール部の
先輩後輩で、ファンクスからプロレスのイロハ学んだから基本波長が合うんだよな。ハンセンがアメリカで
ティト・サンタナと組んだときも同じような感じがしたけど。
ハンセン&デビアスがあまりに合いすぎて、試合中「この2人は双子か?」と感じることもあった。
デビアス自身「『あいつは日本でハンセンのパートナーをやっている』ということでアメリカでの評価が変わった」
と引退後のインタビューで言っていたよ。
85年最強タッグのツアー中に「WWFから誘われているが、オレは行かない」とも言っていた。
ハンセンは当時ほぼ2年周期でパートナーを変えていたから、87年夏にWWFにデビアスが移籍したのはベストなタイミング
だったんじゃないかな。結果、大成功して6年間もトップだったし。
93年9月3日に6年ぶりに日本武道館に復帰した試合は、どうしてもハンセン&デビアスの復活を見たくて見に行ったなあ。
不思議なのは約1年前の92年11月にゴング誌の読者質問コーナーで「テッド・デビアスの全日本復帰はあり得ますか?」
というのがあったんだよな。ゴング側も「デビアスもいずれ復帰したいとの希望を持っている」と書いてあったんだけど、
あの記事を読んだ全日関係者がドリーやハンセンを通じてデビアス復帰に動いたのかねw
ただ、すぐ怪我で引退したから、もう1年でもいいから早く復帰して欲しかったな。
そうすれば、鶴田やゴディとの久々の対戦も見られたのに。
でも、あそこまでコスチュームをハンセンと合わせたのはデビアスだけ。全く同じデザインのカウボーイコスチュームで、
唯一の違いはデビアスはバンダナでハンセンはテンガロンハット。後期になるとコール時にハンセンと同じロングホーンを
作って「ヤー!!!」って雄叫びまでしていたからな。ハンセンとの「チーム」という意識が一番あったね。
ハンセンのロングホーンはコール時にクローズアップしても、デビアスのはしないカメラマン。
是非、デビアスのロングホーンもアップにして欲しかったよw >>777
この年の最強タッグの後楽園(ハンセン組vsブロディ組)が2250で超満員発表。
なので新日の2200人札止め発表に合わせたんだな。 ハンセンはデビアスをそれほど評価してなかったんじゃなかったっけ?
ハンセンの自伝では大学の後輩で知ってたくらいしか書いてなかった。 >>777
7月2日後楽園ホール1800人
鶴田タイガーvsハンセンデビアス、龍原vs輪島カブキ
7月19日後楽園ホール2250人超満員
谷津vsハンセン、龍原vs鶴田輪島、タイガーvsデビアス
7月の時点で新日本に合わせたっぽい そーいやデビアスは79年末ごろマクマホン(シニア)のWWFエリアに転戦してて
同地区の北米ヘビー王座に就いたり、ホーガンのMSGデビューの相手も務めた。
猪木との対決も一時予定されてたがお流れ。。 デビアスはWWFでトップヒール張ってから、もう精神的にもハンセンを呑むくらいに成長したようだね。93年に全日復帰した時の世界タッグ戦では、フィニッシュでハンセンに「もうラリアット出せよ!」って指示していたもんな。 >>759
おかしいと思う、って言われてもなあ。
この前田の件をたずねられた時にそう言ったんだから仕方ないだろ。 >>762
優等生キャラではいつまでたってもブレイクせんよ。
変わってるなあ。 >>769
本田多聞のデビューもデビアスだったな。
相当信頼されてるんだな。 今日は鶴田のAWA初防衛日
井上もインタージュニア奪取でアジアタッグもあったんだな ビッグレスラーが表紙にデビアスのワンショット。「あと100日、テッド・デビアスがNWA王者になる日」みたいな見出しだった。 旧府立が超満員
明るい照明の画面越しに熱気が伝わる >>795
カードの看板も掛かっていてまるで新日本の会場みたいだった デビアスはインパクトのあるフィニッシャーがあれば、世界獲れてたな。 華麗に舞うタイプのパワースラム
フィストドロップ
スピニングトーホールド
足四の字固め
若い頃はジャーマンスープレックスホールドも
技はむしろ多かったくらい ミリオンダラーマンの頃はミリオンダラードリームが決め技だっけ?
変形スリーパーみたいな技。 >>772
元々ヒールやってる時はヒール強者の定番決め技4の字がフィニッシュ
レスラーとしてどれだけ達者でも肝心のフィニッシュ時に
フレアーはもちろんアイドルあたりに比べても
4の字の印象が弱いあたりがヒールデビアスの泣き処だった 80年代からラリアットを使わない技巧派は上に行きづらくなったからな、本当のトップになる人は別だが >>746
トンガを入団させたために相撲界との軋轢を避けるために最初は石川もフリーとして
国プロの日本リーグ争覇戦に参加した。
>>753
「超獣コンビよりスキが無い分だけどハンセン・デビアス組の方が手強いですよ!」と
馬場がインタビューで答えていた。
>>792
シンは3.11の後にすぐにトロントで日本救済チャリティイベントを立ち上げていた。
インタビューでも「日本ではいい思い出しか無い!礼儀正しい人達、美しい風景・・・」
と語り「あの災害の下で小さな子供まで犠牲になっていたと知ると・・・我が家は
子供や孫が骨折したくらいで大騒ぎするのに・・・」と少し涙を見せて「人間・シン」
として答えていた。 デビアスはハンセン、ブロディに比べると
テーマ曲のインパクトが弱かった。 テッド・デビアスとドン・エイリーのイメージが被ってしょうがない。 「ハンセンのベストパートナーはデビアス説」はよく言われるな。暴れるハンセンをデビアスが冷静にコントロールしてフィニッシュはラリアット。出すぎないデビアスならではの役割分担。 フレアーのバディロジャース
ヒールがNWAの目に留まったのか。 >>806
両リン決着だとしても、ハンセン デビアス対ブロディ スヌーカだったらどんな雰囲気だったのかねぇ。 長州谷津組と戦うとどうしても受けになるから強く見えないのはしょうがない
強い技をかけてもすぐ起き上がってくるから ハンセン、デビアス組だと生で見た85年8月末の宇都宮のファンクス戦が印象深い。もう35年も経つのでどちらか忘れたが、ファンクスのダウンしているどちらかにハンセンがカウベルを持ち出してデビアスに殴れと渡した時、デビアスが一瞬躊躇したのを更にハンセンが行け、と指示してデビアスが殴りつけていった。デビアスの人柄が分かるシーンだった いい気分はしないが列伝でホーガンにノサれた場面はインパクトあった >>810
80年代以降で
トップで使える外人はパワー系ばっかりだぞ
ゴディもパワーを前面に出すタイプではないから
シングルではトップにはなれなかった 1979年にデビアスが当時のWWFにあがった頃はS・ハンソンにも負けまくってるし
ただの負け役だな。 >>812
何日か前にYou Tubeのオススメになぜかその寺西戦が出てきた デビアスは82年のブロディとの試合でコーナーポスト最上段からのキングコング
ニードロップを受けたのが単純に凄いなと思ったけど、やっとアメリカでの格に見合う
扱いしてもらったのだからせめて両リンとかにしてほしかった。 デビアスがエース外国人になったシリーズはなかった気がする >>783
ジム・ロスとの対談ではデビアスのことすごく評価してるよ。
https://youtu.be/wSFrjci8kTQ?t=4305
ロス「テッド・デビアスが自分の番組に来てくれたとき『スタンが自分の所に来て「パートナーになってくれないか?」と言われたのが、
プロレスキャリアの中で一番驚いたことだった』と言ってましたよ。あなたのこと、あなたの日本での地位に対し敬意を持っていると言っていました。」
ハンセン「テッドは、本当に素晴らしいよ。ドリー・ファンク・ジュニアやジャック・ブリスコのようなタイプのレスラーで、色んなことができた。
私は自分のスタイルでやっていたから、テッドとはプラスとマイナスのような感じだった。本当にいいレスラーだったよ。」
>>787
試合後にハンセンが得意満面に「テッドがいれば何も怖いものはない!俺たちが最高のチームだ!」と言ってたよね。
デビアスもあの時に復帰して、初めてハンセンと対等の「真の全日トップ外国人レスラー」という貫禄だった。
でも、リング内ではハンセンを立てまくるのは6年前と全く変わってなかったな。「良妻賢母」という感じw
馬場も福澤アナの問いかけに得意げに「そうでしょ?僕はこのチームはやっぱり素晴らしいと思いますね。」とべた褒めしてた。
「チームワーク」という点で、馬場が手放しでべた褒めしたハンセンのパートナーはデビアスとゴディだけ。 とは言うものの、デビアスのシングルが武道館メインカードとはなり得ない。
選手間評価が高いのと、チケットが売れるのは別の話。 >>821
デビアスが世界王者だったら話は別だろう。ニック、フレアー、マーテルが単に挑戦者の側だったら蔵前、両国のメインにはならないだろうし。 >>811>>818
日本でブロディからコーナーポスト最上段からのニードロップを喰らったのはデビアス、天龍
くらいかな?奥の手を出すほど力量を認めていたのかな?スーパースター列伝では
オーストラリアでの幻のアンドレ戦のコーナーに登ったシーンのみを再現していた。
デビアスの子供が大きくなるに従ったトニーセントクレアに似てくるとボヤいていたw
確かに二人は目元が似ているw ちなみハンセンはクレアと大親友で国を跨いでも毎日の
ように無料通話のスカイプ?で電話しているらしい。 >>823
意外にレイスは東京大会場でNWA防衛戦をやってないんだよな
なのに馬場のPWFには三度挑戦していて二度はメイン >>827
2度のPWF戦が不人気だったから
レイスは東京の大会場でシングルのメインを張れる器ではないと判断された
プロレスの格と営業的価値は別物だから レイス政権の時は首都圏の大会場から撤退していた時期だから仕方ない
年一回の田コロ、蔵前、品川くらいしかビッグマッチがなかった >>827 >>829
そもそもレイスがNWA王者だった時代
全日は最強タッグ優勝戦以外、東京の大会場で試合をやれていない >>831
やろうと思えば83年の王者としての来日した時にも可能だったと思うけど?
その時期は東京の大会場での興行はやってたんだし ブッチャーとの抗争はファンクスよりレイスが先だけど、すぐに終わってしまったな。
ファンからの受けがあまりよくないと判断されたんだろうか? >>831
当時はテリー人気の絶頂期だからそれこそリターンマッチのNWA戦を組めなかったのかな >>833
現役NWA王者と最高の人気者のブッチャーは
なるべく分散して呼びたいところだから絡む機会が減るからs大きく盛り上がらないね
ただし実際試合を組んでみた場所が後楽園というのも・・・・
派手にぶち上げないとマニアを喜ばすだけに留まってしまう >>824
鶴田もトップロープからのニー食らってなかったっけ?試合後だった気がするけど。 >>835
まああの時は春冬連覇を目指しての最強タッグ前哨戦という感じだってたかな
確かブッチャーコールが初めて出た試合でもあるとか >>836
ドリーが後楽園のインター戦で裁決後に喰らってるね。 >>836
AWA戴冠したエキサイトシリーズの開幕戦かな 80年前後の全日本は経営的に苦しくて
最強タッグ以外は蔵前を使える力が
無かったね。 83年あたりに愛知県体育館大会を乱発してたけど勝算あってのことだったのかな? 新日のマットはロープ内部が青、エプロン部が白に分けられ、コーナーポストも赤と青できっちり
識別させてて子供ながら格調みたいなのは感じた。全日はその辺が少し質素に思えたな。
あとゴングの音がなんか鈍いんだよね。 甲高い音じゃなくブリキバケツ叩いてるような音。
これもちょっと萎えた記憶がある。。 ごめん連投、ちなみに主に80年代より以前までの話。。
それとコーナーマットだが全日は一本の支柱型?とボクシングのような三段分割型があって
支柱型のは創立当初から使ってた感じでそっちのが古いのかな。 昭和新日スレに思わず書いちゃったんだけど
もし佐山が1984年、UWFで復帰せずに予定?通り全日に上がって
馬場の構想どおりにリーグ戦が開催されたとして
参加メンバーを予想すると
大仁田・井上・越中・園田・チャボ・セブン・隼人・三沢・川田…
このメンツで佐山と試合したらどうなるかね?
いい試合かどうかは別にして、優勝は?
佐山か井上あたり?あ、浜田も参加はありえるな。 プロレスクラシックのビル・ロビンソン特集は良かったよ。
俺は72年生まれなので、ほとんど見たことなかったんだが、いい選手だなと思った。
ジャック・ブリスコと同じく身体にしなりのある選手だね。
テッド・デビアスがその2人と同じく評価されるのはわかるが、身体のしなり的な部分で少し及ばないなと思ったわ。 デビアスのニックネーム、異名って鋼鉄男だったっけ?
ポールオーンドーフやポールエラーリングのイメージだが。 >>850
親父のマイク・デビアスの異名が鋼鉄男だったから鋼鉄男二世とされてんじゃないかな。 あー、二世か、そんな感じの記憶はあるな。。w
でも実子ではないんだよな。 電光男はマイク・ジョージか。
キンキラキンの衣装着てたわけでもないのに
なんで電光男だったんだろう。 大学時代からファンク道場に参加して、ファンクスの父親のシニアからシュートマッチで鍛えられていたようだから、基礎は充分出来てる。
初来日の76年のブラックパワーシリーズで8月の日大講堂(鶴田がUN王者になった日)ブラジルと組んだ試合で馬場のバックドロップでフォールされたが、デビアスの受身を分かっていたからこそ、馬場もあの大技を使ったんだと思う >>857
馬場の最終テストに合格して、上位クラスで全日レギュラー入りって流れだね。 愛知県体育館でスペシャル番組が多く組まれたのは
読売との関係が希薄な中京テレビの日本テレビへの忠誠心を持たせるため
中日ドラゴンズの放映権はCBCと東海テレビにほとんど抑えられていたので
日本テレビ運動部としてスポーツ番組制作の一部を中京テレビに回していた。 >>857
最初はインタータッグにも挑戦のパットンの方が格上だったがここで逆転という感じかな >>859
その辺りは馬場の二度目のNWA奪取の場所にも影響してるかな ハンセンのベストパートナー
ファン「ブルーザー・ブロディ」
馬場「テッド・デビアス」
ハンセン「ダニー・スパイビー」 83年の最強タッグの愛知県体育館は4年ぶりの生中継の宣伝も兼ねて中京テレビで
5時SATマガジンという番組の中で控室にいた馬場にインタビューしたのは当時学生
だったが後に中京テレビのアナウンサーとなりプロレス中継の実況も担当した佐藤肇
アナウンサー ハンセンはマードックの事を凄く褒めてたな。タッグパートナーというより
レスラーとしてだけど。
マードック>ゴディ スパイビー>ロンバス だったかな。
あとウィリアムズはサイズが小さいと低評価だったな。 ハンセン自身は誰がベストパートナーだったかは言及してなかったんじゃないか?
それぞれに対して高評価はしていたが。 1986年のチャンピオンカーニバルは
テッド・デビアス、オレイ・アンダーソン、ロン・バスとの
サーキットで、まさにハンセン軍団だったな。 >>866
>あとウィリアムズはサイズが小さいと低評価だったな
ウィリアムスが全日に来る前年
新日で日米ソの対抗戦やってる頃、むしろ大きく感じて頼もしく見えたが
そのウィリアムスが小さく感じるとは、いかにも全日らしい感覚だ
確かに全日の初期、ゴディやハンセンに囲まれると小粒に感じた
「あれ?新日時代での公式発表では190センチ越えだったはずだが…」と疑念を感じた… >>868
オレイは子分とは違うだろうね。
無下に出来ない同業者という感じかな? ハンセンはジョージアでオレイ・アンダーソンとタッグ王者になってる
当時は先輩のオレイをリスペクトとしてたんじゃなかった付け オレイは偉いんじゃないの?米国でも組んでたね、あとボビーダンカンとか。 >>862
ハンセンはスパイビーのことは「お気に入りのパートナーの一人」という言い方だよ。
「ベストパートナー」とは言ってないけど「スパイビーにスタイルが自分に合っていている」と
好意的な評価はしてるね。
>>866
ハンセンがプロレス入りして手本にしてきたのがテリーとマードックだからね。
いつも「300パウンドあってあれだけ動ける」という評価をしている。
>>867
そういう評価だね。ただブロディだけは「特別」という見方。
>>868
あのシリーズは外国人移動バスも4人だけで広々と使えただろうなw
>>870
78年〜84年までハンセンがいたジョージアでの株主でありブッカーだったからね。
口の悪さで有名なオレイだけど「スタン(とスレーター)は儲けさせてくれた」と評価している。
AWAとトラブルを起こしてアメリカマットから遠ざかっていたハンセンを、WCWのブッカーとして
呼び戻したのもオレイ。 血盟軍の木村、鶴見+フリーの原も外国人移動バスじゃないの?
ハリケーンズはどうだろう
チャンピオンカーニバルの次のスーパーパワーS開幕戦の外国人はゴディ1人だった
淋しいのう >>871
ブッカーとしても高く評価してたんだよな >>838
蔵前でブロディが戴冠した試合の後だよ。ただ、食らった後にドリーが何事もなかったかのようにブロディたちと乱闘しているが。 >>877
初期ウォリアーズはノーメイクでハードゲイみたいなコスだったろ
アドニスがそうだった様にああいうコスでもゲイとは日本では思わなかったよね
という事は「マッドマックス」悪役は全員ゲイって見られていたのかな??? >>879
>ああいうコスでもゲイとは日本では思わなかったよね
思わないどころか、ガキ目線ではカッコいいと思ってたよ
でも「世界のプロレス」でしかあのコスは見れなかった
日本に来た時はいつも赤黒のコスだったから「日本ではどうして黒革のコスで戦わないの?」と思ってた。
もちろんアドニスもカッコイイと思ってたし、ゲイキャラはリップ・ロジャースやリック・ルード
あとランディ・サベージ(これはゴージャス・ジョージ?)みたいなのを思ってた。
アドニスの異名が「暴走狼」だったからゲイとは真逆の男っぽいキャラだと思ってたよ。
それにしては毎試合のように股間をロープに打ちつけて悶絶とか、今思えばだけど… >>874
飛行機のトラブル等があって、
ゴディ以外間に合わなかったんだよなあ。 ゲイファッションって裸にレザーってとこでしょ
鋲のリストバンドとか首輪はパンク 渕が海外修行中に駆け出しのアニマル・ウォリアーに会っていて
デビュー戦が散々で落ち込んでたって言ってたな
シングル戦は試合がしょっぱくてアカンかったアニマルも
タッグでホークとメチャクチャやってたらウケるんだから
プロレスってのはわからんもんだ >>801
馬場は3000試合出場突破記念のガニア戦を小規模の後楽園ホールで開催したのは
「いつも使わせてもらっている感謝を込めて!」と言っていたのは強がりなんだね。
いくら記念試合でもこの頃での全日では蔵前等の大会場は最強タッグ優勝戦以外は
大量動員が難しい。後年の大・物量作戦の10周年記念興行でも専門誌に「新日ブーム
に押される中でなんとか新日と渡り合う事ができた・・・」と書かれていた。
>>858
中京テレビの存在を知ったのは東京12chで放送されていた頃の「お笑いマンガ道場」
だった。その時に初めて「地方局でも面白い番組ある!」と知った。
>>874
ハリケーンズはワゴンを使って移動していた時期もあったはず。数人のメンバーなのに
事務所も構えていた。ただ新日を離脱して全日参戦を目指すもBIが手を組んだ強力な
引き抜き防止協定のために参戦できずまずテレビ中継の無いジャパンから参戦した。
大塚氏も「BIに逆らった日本ではプロレスできない!」この強力な協定の凄さを驚いていた。
馬場も噛んでるから全米の主要ルートからも弾き出されたかもね。 地方のテレビ局はズームインでだな、愛知県だとハゲたアナウンサーだった >>885
1986年の春頃、ハリケーンズのテレビ放送が解禁された試合
6人タッグで全日正規軍との対戦だったけど
新鮮味もあるとはいえ、ハリケーンズの方に(声援ではなく)歓声が上がってたのは見てる側とはいえ危機感を覚えた
ただでさえジャパン軍が優遇されてるのに、ハリケーンズまで…いったいどこのリングだよ…ってね。 豪華強豪外人来襲!の全日本が好きだっただけどに、
そのころはテレビ中継が観れなくても、まあいいかぐらいに思うようになってた。
会場に行っても試合数こそ多いけど、第1試合以外は前座から6人タッグが
組まれるような状態だったからね。 矛盾してる事を言うようだけど
ハリケーンズを引き入れるんだったら、無理すればUWFを5人とも受け入れられたんでは?
まあ、ハリケーンズはジャパン経由とか、ヒトの顔を立てないと外人ルートが…とか諸事情もあるんかな?
でもキッドスミスはその頃からWWFに行ってしまったし、そんなにうま味はないよね。
ただし、UWFまで来たらテレビに映るのは鶴田天龍タイガーの三人までだろうね
鶴田天龍タイガーvs前田藤原高田の6人タッグとか、せいぜいタイガーと石川、高田と山崎が入れ替わるくらいで
そんなカードでテレビ中継はしばらく続けるんだろうね… >>889
6人タッグなら、馬場鶴田天龍vs木村原鶴見が昭和の至高の名勝負 >>888
カードによってへ新日じゃないかっけ錯覚するようなカードが多かったね。 ハリケーンズの国内始動は、ジャパンの立春三大スペシャルマッチだったかな? >>892
テレビはシビアだから
中継では馬場の意向に関係なく数字を取れそうなカードを組む >>894
いや85年11月のニューウェーブインジャパン >>892
世界ジュニアの三つ巴の抗争、渕、小林、斎藤
これも「声援」じゃなく「歓声」という意味では小林と斎藤は会場内が沸いてたが
この頃の渕はまだ「ねちっこい強さ」「味のあるレスリング」が浸透してない頃でテレビ映えもしなかった。
凱旋当時のジャーマンも使わなくなって、平成時代に名を馳せるバックドロップもイマイチな角度
決め技というか、返し技のジャックナイフ型のエビ固めがフィニッシュという、何とも強さを感じさせない印象だったな。
小林と斎藤の因縁抗争に三番手で渕が割り込む感じだったな。
まあしかし小林は新日復帰してから現在の回想に至るまで、渕への評価は高いみたいで
当人同士しかわからない何かがあるんだろうけど。
でも小林は渕へは数十年も評価する割にドリーやレイスへの評価はいまだにボロクソだよね… >>897
> でも小林は渕へは数十年も評価する割にドリーやレイスへの評価はいまだにボロクソだよね…
「全日本とやって勉強になったところは無かった。」
「全日本に恩義も愛着もこれっぽっちも無かった。」
とか言ってる仲野でさえ、渕のことは評価してたから
新日本にどっぷり浸かってそのままの価値観で生きてきたレスラー共通のものが
何かあるんだろうな。 思い返せば新日にはレジェンド外人レスラーが皆無な気がする。 決起軍は団体主導で始めたことで、五人はただ言われるままに従っただけ
リーダー格のタイガーマスクのヤル気のなさを仲野は遠回しに皮肉ってたが
仲野達だって最初から三沢についていく気が無かったのがミエミエだから
失敗を他人のせいにする無責任さが丸出しでカッコ悪かった >>900
仲野は全日本時代を海外修行みたいな物だとも言ってるな
少なくとも印象的に彼人生のピークが全日本時代にあったのは間違いない 仲野の人生ピークは佐川時代じゃない?
全国トップで表彰もされたし。 まぁレスラー時代のピークは87年よな
例の鶴田プッツン試合に始まりジャパンNO2昇格、ハンセンデビアスのPWF挑戦、渕のジュニア挑戦、そしてあの面子の最強タッグ出場と。
テレビ登場も多かったからね >>906
引退試合なのに観客の罵声を浴びまくって泣きながら試合したのが
仲野のピークじゃね 猪木や藤波はちゃんと技受けるけど坂口・長州・健悟は攻めてばっかりだってモローに
言われていたな。因みに久しぶりの浜口は新日本の選手っぽかったとか。 >>900
渕ってそんないい選手かなぁ?
新日乗り込んだ時のマイクといい
意外と新日の方が向いてたのかも >>910
小林邦昭が絶賛していた
「渕(正信)さんはよかったですよ。やってみて、“この選手は、こんなに凄い選手なんだ”って思いました。
何しろ、試合の先を読む力にたけていました。ある意味、全日本の中で一番、うまい選手でした。
当時、渕さんは、中堅どころで試合をしていましたが、僕から見れば。
ああいうところで試合をする人間じゃなかった。
ジャンボ(鶴田)とタッグを組んでメインを張ってもおかしくないぐらいの選手だったと思います。
ただ、肝心の本人は、欲がなさそうでしたね。あれで欲があったらトップを取っていたと思います」 ロードウォリアーズを売り出さなきゃいけない時期に
空気も読めず嫌がるホークを強引にボディスラムで投げてしまって
試合後馬場に肘で小突かれた話は笑ったな、エラリングも大激怒したとか
渕はそういう事する印象が無かったから興味深かった チャボのNWAインターJr戦も最初渕で決まっていたけどテリーが大仁田に変えるのを提案したんじゃなかったっけ?
所謂レスラーとしての嗅覚は流石テリーだと思ったけど(後に自分のフォロワーになるし)
試合としては渕が挑戦した2試合の方が良かった大仁田はずっと今でもドタバタしてる感じ地に足がついてないというか >>912
菊地との世界ジュニアでバックドロップ3連発で完勝した時も負ける奴のことも考えてやれと馬場に怒られた >>914
全日分裂後、新日の武道館での対サムライ戦はエグかった
バックドロップの7連発…
サムライの受けも凄くて、まるでゴム人形のように投げられるたびにグニャ!っとしてた…
渕は30代の頃は優しいというか、下手くそな部類のバックドロップだったのに
40代になってから凄い切れ味になったな、上達したのか?あえて投げ方を封印してたのか? >>914
あれ会場が沸かない中で、淡々とバックドロップ決めて行くんだよな。
2.9が全盛になりつつあった全日で、渕だけ全く客に媚びを売らない試合やってた。 >>915
菊地との試合でバックドロップ10連発くらいやってたことなかったっけ?
さすがにあれは退いた。
>>916
マレンコ兄弟との試合でハードな攻防に目覚めたのかも。 >>900
連想スマソ
渕と他の全日勢の違いって、やっぱり唯一ゴッチに習ったことなのかな?
間合いとか技の入り方とか、新日勢と手が合うところあるのかも。 >>918
> 菊地との試合でバックドロップ10連発くらいやってたことなかったっけ?
>>914が言ってるのは本当は3連発じゃなくてその試合だと思う。
武道館でこれでもかと思うくらい連発してた。 >>919
> 渕と他の全日勢の違いって、やっぱり唯一ゴッチに習ったことなのかな?
それくらいだろうかねえ。
> 間合いとか技の入り方とか、新日勢と手が合うところあるのかも。
仲野の話だと新日本的なグランドの攻防に付き合ってくれたり
カタく行っても受け入れてくれたということらしい。 平成になってからの話だけど
渕と川田の文体?でのシングルで
昭和の新日的な試合をやってた気がする
全日生え抜きで寝技の攻防で客に魅せられるのはこの2人と秋山くらいか >>911
俺もそれは読んだけど
なかなかジュニア王者にしてもらえなかったし
結局馬場が評価してなかったんだろうな
ヒロ斉藤を馬場が評価したのは何となくわかる
初代王者にしたぐらいだし 藤原を初めて見た馬場が渕に「お前より全然上手いじゃないかポゥ」と怒った話もあるしな >>923
> 結局馬場が評価してなかったんだろうな
小林邦や仲野が評価してたということは
馬場が評価するポイントとズレてたということかも知れないしな。 >>925
保永の見解
これもまた興味深い
イベントで私は保永氏に、全日本と新日本のスタイルの違いを質問した。
「一言で言えば、相手が小っちゃかろうが大きかろうが公平に扱ってくれるのが全日」。
「新日は、最初から潰しにいっちゃうというか。最初から違いを見せつけるような。
まぁ、簡単に言うと受けないというか、相手の。自分ばっかりいいとこ売っているようなスタイルというか」。
簡潔で明快。これほど2大団体の違いを表現した言葉はないだろう。
「だから、すごく全日はやりやすかったです、私としては。外国人とやるにしてもある程度は受けてくれるし、
新日の場合はそういう外国人はまず皆無でしたから」と保永氏。水と油とも言える2つの団体。
その言葉からは自らの思惑を超えて「プロ」に徹した職人のプライドがにじみ出ていた。 蝶野が渕をあれがプロの身体か?
とこき下ろしてたがガチでは渕の方が
圧倒的に強かったんだろうな。 >>928
保永はもともと全日の入団テストくらいだし、全日のスタイルが好きなんだろうな
全日に入っていたら渕みたいな選手になっていたような
>>928
蝶野も人のことどうこう言えるほどの身体ではないと思うが 蝶野こそサッカーのイベントにゲストで現れた時、サッカー関係者から、
「アスリートどころか、平均的な成人男子の脚ですらない」
と… >>929
試合観てそれはハッキリしていたね。渕も負け役お疲れ様って感じで。 >>929
グラウンドになったら大人と子供だろうね
ただ、そのガチ論になるとブロディがガチではどうなんだ?と同じで一概に決められないけどね
蝶野は身長もあるし、その時期はまだ体格は厚みがあったし
ただ、蝶野が40代後半になって同年齢時期で比べると渕の方が全然体はできてた。
もう20年ぐらい前になる、その頃はまだ体に厚みがあった頃だね
でもその時期の渕の年齢の頃に自身がなった時には、当時の渕の方が全然体格がいいけどね 失礼、同じ内容を二行書きしてしまった…
その蝶野vs渕のシングル、蝶野は軍団でイキリ立って入場してきたのに
渕はタオル一枚で風呂上りみたいなムードで入場してきた
例のG1のマイク後だから、あの通常モードっぷりが逆に光るんだからプロレスの演出って難しい
あの時の渕は、藤原が長州を札幌で襲い、一躍注目を浴びた時の蔵前
浜口戦での藤原の入場を想起させた、あの藤原も通常モードのニタニタ顔で浜口との対比が面白かった。 馬場はマイティのことはかってたよな
マレンコからベルト獲らせたし
でも正直マイティはそんなに巧いとは感じなかったな 桜田に言わせると日本プロレス出身と国際出身には差があって
国際出身で上手いと思ったのはM井上だけなんだそうだ 溺愛されるタイプじゃないってだけで渕は馬場に買われてたと思うけどね
後にマッチメイクやるようになったら一番儲かるようになったし参謀として才覚があった >>939
冬木が若手だったころにデラックスプロレスのインタビューで
憧れのレスラーはマイティと佐藤昭雄と答えてた。 >>938
全日の中では、馬場にいろいろ話しかける数少ない人なのかなぁという印象。 天龍の例の物騒な最後の新春シリーズ、マイティと遺恨が出来たとき、
「高木どころじゃないよ!鶴田、カブキ、井上で来たら、冬木と川田じゃどうにもならないよ!」
とこぼしていたな >>935
二人共、実寸で182cmというところだろ?
公称で蝶野186、渕183、渕はほとんどサバ読みなし。 テーズが蝶野にSTFを伝授したのは、蝶野の鍛え抜かれた脚を見たから 父・百田光雄の体調が急激に悪化しているため、しばらく治療に専念させていただきます。
どうしたの??? 蝶野の体格に関しては第二回G1でストーンコールドに首を負傷させられたからな
鍛えたくても脊椎損傷してると中々ね… >>947
オースチン戦は第二回G1ではない
更に言えばヤングライオン時代山田のパワーボムでやられてる >>936
アジアタッグをフットルースに奪われてお役御免かと思ってただけにあの奪取には本当に驚いた >>931
首が悪くて練習できないんだから、許してやれよ。 >>936
マイティはめちゃめちゃ上手いだろ。
おそらく日本人レスラーでは歴代最高。
丸め込みをあれだけ説得力のある技にできる選手がいるか?
相手のミスを客にわからないようにカバーするし。 三鷹スペクター
85 :名無番長:03/06/05 23:31
蝶野は三鷹でもはずれだろ。
中坊、高坊、のころはマジめ!
三鷹!白石最強!
SPECTAR!
922 :名無番長:04/01/21 15:24
へたしたら、当時の蝶野正洋より
松原恵司のほうが強かったのは
間違いな。 >>938
馬場が渕を寿司に連れて行ったら空気読まず高いネタばかり頼んで、もう連れて行かんと言われた、と大仁田が言ってた >>922
全日初のドーム興行で週プロが秋山対馳の試合を絶賛したら小橋が拗ねた話を思い出した
そのフラストレーションを晴らしたのも渕とのシングル戦だった 1982年の馬場猪木新間の記念写真がある
ハンセンとブラッシーは外人の二大人格者だそうだ
2/4『ジャイアント馬場23回忌追善興行』」開催記念インタビュー 新間寿「馬場さんの全日本旗揚げで、こんないいライバルはいないと思った」
ttps://spice.eplus.jp/articles/282396 >>952
プロレスの「巧さ」はいろいろあるからね。試合運びの巧さ、負け方の巧さもある。藤波を下手くそという選手もいるから評価の基準もまちまち。マイティはいわゆるテクニシャン。高度な技は出さないけど的確に決めて試合を作る。 >>947
白タイツの頃は185はあっただろうね。サバ読み無しで188だった武藤より気持ち小さい位だったから。
頚椎や腰やると縮むらしいから。
言いたいのは、全日系のレスラーとは総じて大きいと言う事だけど。 >>940
比較的仲良いと言われた国プロレスラーズの中で一匹狼的だった存在でそれゆえか
国プロ末期は吉原社長も確執があった。一度は詫びを入れるもこれが後年に新日との
前面対抗戦の離脱に繋がる。
馬場が減量を命じてインタージュニアに挑戦させたくらい評価していた。 マイティの全日初参戦がマスカラスとのIWA戦だっけ。
ちょっとシャレの効いたマッチメイクだけど、馬場にしては破格の待遇用意したな。 >>936
国際の頃のマイティの試合を見ると別人みたい
華があってゴムまりみたいに躍動感がある
渕はゴッチに教わったのもあるけど大仁田とトージョーヤマモトをマネージャーにしてテネシーで田吾作スタイルのヒールもやってたから幅が広い >>956
そのインタビューでも、新間はやっぱり「ハンセンは全日移籍時に違約金を送ってきた」と言ってるな。
当時、月刊ゴング誌で言ってたことと同じ事言ってる。やっぱりハンセンの新日本との契約期間は新間が言っていた「1982年12月」までだったのかな。
ただ、当時は誌上で「ハンセンという人間は風上にも置けない」と大激怒していたが、40年が経って「最高の人格者」になったかw
まあ、もう昔話だしな。
ホーガンがアックスボンバーを使うときは、ビンス・シニアと新間まで関わってハンセンに許可を取ったんだな。
ホーガンもあれだけ親しかったハンセンには直接言わず、大御所2人を通じて許可を取るとはね。
確かに、当時はラリアットと言えばそれだけハンセンのトレードマークだったもんな。
今では「猫も杓子もラリアット」となったがw
ただ、ハンセンも2011年、天龍との対談で「"クローズライン"は誰でも使えるが、"ラリアット"はオレだけ。」
85年1月メキシコシティ・アメルダ公園で行ったプロモでは「チョウシュウやハルク・ホーガンはイミテーション。オレがラリアットのキング!」
とまくし立てていた。それだけ自分のラリアットにはプライドがある。 >>952
謎なのはタイガースープレックスでなく
オースイにしたこと。 大仁田もちょっとでもゴッチに習っていたら「チケット持っていますか?」なんて
いやどっちにしろ言われるか... 最強タッグ年によっては参加チーム多かったり少数精鋭でやってたり決まってなかったんだな https://www.youtube.com/watch?v=k23LzteeQSM
記念すべき第一回世界最強タッグはわずか六チーム編成
元インタータッグ王者の大木&ドク組を無得点の最下位に貶める馬場の悪辣さ リーグ戦の参加外国人とか、チーム編成とか、結果とか、どの時期に決めてるんだろうね。
最強タッグだと夏頃とか、もっと前とか。 >>959
国プロ末期は、ずっとノーギャラだったらしいから、そりゃ文句も言いたくなるわな。
新日との対抗戦蹴ったのも、新日のこと大嫌いだったのと、崩壊まで残ったんだから自由にさせて欲しいということみたいだな。 このスレの常連だから当然?かもたが新日本嫌いなのはなんとなくわかるわ、全日本のが家族的な暖かさを感じる
90年代だと新日本のがいいけど >>969
結局対抗戦は3人しか出なかったし井上に限らず「もう自由にさせてくれ」って感じだったんだろう
当初は藤波VS原、タイガーマスクVSマッハ隼人とかも発表されていた
確定前にそんな発表をするテキトーさも新日らしい >>970
同意。
特に最後の1行。
昭和全日最高。四天王全日は今一つ。 >>961>>972
サマーソルトドロップも国プロ時代の方が高く跳んでいた。
試合にもリズムもあって異例の部外者がTV放送用のマッチメークをした東京12ch・
田中氏は試合時間が計算できて放送時間内に収める時は助かったらしい。
最後に行われた国プロレスラーズと吉原社長との集まりで勝手に対抗戦を決めた事に
新日嫌いの井上は反発した。「最後は自分で行き先を決めたい・・・」と対抗戦へ
離脱者が続出して鶴見は欧州、隼人とはメキシコへ旅立った。
井上は竹内氏の仲介で全日へ。マスカラスの相手役で全日10周年記念興行ポスターに
デカデカと載ったのは全日記念興行の前日に強引に割り込んだ創立10周年記念興行・
第三弾・新日×国際全面対抗戦に楔を入れてたった三人の参加した井上への馬場の
論功行賞だった。
>>968
第1回MSGタッグは8月に開催を発表して後から日程や参加メンバーを最強タッグより
先手先手と発表して話題作りも先行した。テリーは「あれはイミテーションだ!」と
怒っていた。 >>973
リアルタイムで観てた時は、断然四天王の方が面白いと思いこんでたが
今になって見返すのは、昭和ばかりだな。
四天王はなぜか見る気にならん。 >>975
自分は映画の任侠物のファンでもあるけど
不思議と同じような事を言うファンが多い、任侠とプロレスの共通項があるのか知らんけど。
市川雷蔵
高倉健・鶴田浩二・安藤昇・勝新太郎…
菅原文太・松方弘樹・渡哲也…
このあたりは時代もちょっと違い、御高齢の方々も微妙に世代間の好き嫌いがあるんだけど
でもまあ昭和というくくりで受け入れ方は一致してる
ただ、ちょうど四天王時代に時を同じくして流行ったVシネマの
竹内力・哀川翔・小沢仁志
この時代に飛ぶと、ストーリーにメリハリが効いてて、映像も過激で派手で展開も早く、ある意味中毒性がある
すごく面白くて続々とリリースされるのを心待ちにしてたほど。
でも自分がアラフォーという世代になるにつけ、小学生の頃に怖がりながらもテレビで見ていた
昭和任侠のまったりとした情感ある時代を味わうのが楽しみになってる。
まあ上記のくくりで市川雷蔵だけはちょっと違って、プロレスでいう力道山って感じがするけど。 たしかに当時は
力比べやブリッジ返しや足責め
やキーロックが飽きられて
新日のレッツゴー速攻と喧嘩腰が刺激的になって
席巻したからな。
そして天龍革命から四天王へと、過激なスタイルは全日本になって行った。
華が少ない分の巻き返しではあったが。
急角度に落とす技が究極になった。
しかし、安心して見てられるのは昭和系の全日なんだよな。
新日派も認め始めてるし。 俺は新日本見ないで太陽にほえろ見てて世代的に神田正輝のドック以降から見てるけど、今見返すのはドック以前ばっかり
後期の方が謎解きが二転三転したりストーリーが面白いけど昭和の匂いが好きなんだよね、ドラマは役者の差もあるけど昭和全日本はレスラーの差じゃないかな >>978
日テレ系というくくりで例えれば
「太陽にほえろ!」は昭和全日時代
「あぶない刑事」は番組開始は昭和だけど、ノリは四天王時代って感じ
テレ朝系だと
「西部警察」はもろに「過激なプロレスを」謳ってた昭和新日そのままって感じがする >>977
>安心して見てられるのは昭和系の全日なんだよな。
馬場の好んだ「水戸黄門」のファンに通ずる感覚かもしれない
「必殺シリーズ」はやはり新日だよね… >>979
そう、俺は西部警察じゃなく太陽にほえろ派、あぶない刑事も刑事貴族も好きだけど
長い人生の中で太陽にほえろを見て西部警察を見てない人がいなかった(地元系列局の関係は除く)のでので、そう言われると嬉しい、
まあ全日本プロレスだけ見て新日本プロレスを見なかった人も少数だろうけど >>976
ヤクザ映画なんかも、法律が厳しくなる前のVシネとかの方が
リアルっぽいし、現実にあった事件など取り入れて、昭和とは比較にならないほど丁寧につくってたな。
ただ昭和はリアルヤクザが演技指導してたり、媒酌人役で本職が出たりしてるから油断できないんだよね。
四天王は時期的なものもあって、プロレス内で高めていったから
格闘技的な強さを語る事はタブーだったし、そう言う事いうと嫌われた。
昭和全日は格闘技的強さみたいのも包みこんでたな。 >>981
>全日本プロレスだけ見て新日本プロレスを見なかった人も少数だろうけど
確かに少数だろうけど、自分はモロに学習塾世代で新日は2週に1度しか見れなかった
全日の土曜17時半は毎週見れたけど、その逆で全日見れずに新日だけという友達もいた。
自分はゴリさんのファンで(大半が再放送時に見た影響)、その殉職の放送時期と
馬場がレイスに帯広でPWFを獲られた時期がほとんど同時期で、ガキながら凄くブルーな日々だったな…
>>982
>媒酌人役で本職が出たりしてるから油断できないんだよね
自分は任侠物ファンではあるけど、細かい配役の裏事情や背景はほとんど知らない映像のみの浅いファンではあるけど
安藤昇の眼、渡瀬恒彦の眼、あと格闘技になるけどK-1のブランコ・シカティックの眼
この三人に睨まれたら絶対に小便を漏らす自信がある… プロレスヲタのガキは
太陽にほえろも
8時だよ全員集合も金八先生も
途中から見なくなった >>983
オレにとって、昭和全日本では龍原砲が最高のタッグチームで
あの二人は、まんま昭和残侠伝の高倉健&池部良だ。 >>985
ああ、わかるわ…目から鱗が落ちた
自分も龍原砲が好きで、ギリで平成映画になるけど
「激動の1750日」の夏八木勲と渡瀬恒彦の関係が天龍原を想起させる
昭和の価値観で新勢力に抗う古臭さも含めてね
まあ、敵対する中井貴一&中条きよしのコンビもいいんだけどね
あの映画は団体内抗争から派生した最強タッグ戦争みたいでお勧め、もし見てないならだけど
現実の抗争をモチーフにしてるからリアルだし
どんどんスレタイから外れて申し訳ない… >>984
自分も全員集合は途中から見なくなって、自分が知ってる時代のスポンサーはロッテ、ライオン、タイガー魔法瓶だけど、最後の方はタイガー魔法瓶に変わって日産自動車になってたんだね >>908
確か無我のリングで日本一のセールスドライバー
になりますって言ってたけど、そんな中で罵声飛ばすって無我もヤバい客ばっかりだったんだ。 四天王プロレスをつまらなくしたのは渕の三沢や小橋への膝攻撃
毎試合しつこすぎだった
三沢曰く渕は膝をやたら狙うだけで勝つ気が全くみれないと怒ってた 本人は否定するだろうが、四天王だけがチヤホヤされて渕は気に喰わなかったのかな
なんといっても渕はあの四人より先輩≠セからな。実力や人気が自分よりあろうと
後輩≠ェ上にいると面白くないのが年功序列に生きた人間の性根 >>989
> 四天王プロレスをつまらなくしたのは渕の三沢や小橋への膝攻撃
四天王に入ってない渕がつまらなくしたとは?w >>990
> 後輩≠ェ上にいると面白くないのが年功序列に生きた人間の性根
渕は年功序列に生きてないだろw >>984
太陽にほえろは全く見てない、金八は再放送で見た。
全員集合は毎週見てた。 ダンバインやエルガイムが見られなくて、友達と話合わせられないのは痛かった >>990
ネタで言ってるのか、まじめにそう思ってるのか、
どっちにしろおまえは面白い奴だ。 >>983
>>994
うちはお袋が太陽のファンだったので、プロレスに興味を持ってから
2台目のテレビが入るまでの最初の2年くらいは全日しか見られなかった。
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