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※前スレ
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https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1585829511/ 548 お前名無しだろ (ワッチョイW df24-AeMD) 2020/04/13 09:45:20
ココも貼っとくか(笑)
5 お前名無しだろ (ワッチョイW 4924-2QPZ) 2020/03/20 13:04:03
79 お前名無しだろ (オッペケ Sr85-2QPZ) 2020/03/18 22:26:33
何もしないでブーたれてる懐古ヲタやajpヲタみたいなセコくて嫉妬深い団体パラノイアよりも
これからはこういう人の時代やね(*´▽`*)
努力と行動
https://twitter.com/jumpwith44/status/1237208046243217409
15 お前名無しだろ (ワッチョイW a724-+Zme) 2020/02/13 23:49:40
↓こちらが本丸
何でも都合よく妄想する妄想恋愛勘違い系全日ヲタの性質・本質(笑)
https://yusb.net/man/797.html
480 お前名無しだろ (W a724-KCHy) 2020/02/16 20:51:24
スレ500くらい消化したら
>>4
>>15
の恥ずかしい具体例をツイッターから抜き出して晒すかな
全日ヲタ特有のなりすまし、自演それから派生するストーカー入った勘違いネット妄想恋愛wが、人としていかに恥ずかしいことなのか自覚すべきだな(笑)
532 お前名無しだろ (ワッチョイW a724-KCHy) 2020/02/18 23:14:14
>>480 で予告した全日ヲタのなりしまし、自演→統失or発達障害的思考の飛躍→勘違い妄想恋愛墓穴掘りな「恥ずかしい具体例」は次スレで晒します
関連垢の何気ないツイートに更に誇大or被害妄想を飛躍させて覿面に反応するみたいなのでDM交換しているヲチャー達は笑いが止まりませんw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 593 お前名無しだろ (オッペケ Sr5f-AeMD) 2020/04/13 21:29:38
>>548
彼は賢明だったな
ジャストを揶揄したりなんやかや言い掛かり付けて弄ってた連中のTwitter見たけど
○○はプロレス観戦何回以上だの、何歳以上は○○だの、下らんっちゅーか幼稚極まりないお題で承認欲求充たそうとしてる輩ばっかりだな
アンチ新日で成功者を妬む全日本ヲタらしい思考だな
ネタにしてもあんな低レベルな思考の奴らとネットで絡んでると、万事そのレベルの視座しか持てなくなるからなw
ジャストもそいつらバッサリ切って、低レベルな思考を排除出来たから今があるw
742 お前名無しだろ (ワッチョイW 1724-x/cx) 2020/04/15 19:33:05
>>593
もう一つ、亀レスだけどジャストの本買って読んだ
視座、視点共に背伸びせず素直で快適に読めた
あれならインディーズネタと言わず俺なんかが持ってるレトロプロレスの資料集とかガッツリ渡してみて
それをあいつなりにどんな具合に料理屋して文章に吐き出すのか、試して見たいもんだ
どこの読んでも何かレトロプロレス関係の記事原稿って偏狭な視座、低劣な視点のゴシップ掘り起こしばっかりだもんな
流先生方を除いては(笑)
786 お前名無しだろ (オッペケ Sr8b-x/cx) 2020/04/17 19:31:29
>>742
ジャストが松井珠理奈(に質問絡みとかし始めたぞ
早いとこ奴にレトロプロレスの資料を大量に送ってやれ
奴が邪心を起こして下らん承認欲求が芽生える前に新たな課題を与えて筆力を磨くようにナビゲートしてやれ(笑)
今ならそんなのSNSで互いにシェアしたり、テキスト画像をデータ化してメールで送信出来るだろう
841 お前名無しだろ (ワッチョイW 1724-x/cx) 2020/04/18 11:33:16
>>786
了解(*´∇`*)
ジャストなら資料渡してもTwitterやら何やらで拾ったネタを小出しに、しょーもない蘊蓄自慢して己れの承認欲求満たすパクリ自慢ストーカーヲタみたいな姑息な真似はしないだろうからな(笑)
本の版元に打診してみる 前スレ
>>990
>The 10 Greatest NWA World Champions of All Time
https://wwfoldschool.com/the-10-greatest-nwa-world-champions-of-all-time/
G・馬場をして「史上最高のレスラー」と言わしめた
バディ・ロジャーズやルー・テーズをして
「あえてひとりだけ最強のレスラーを挙げろ、と言われたら
彼を挙げる」と言わしめたディック・ハットンがランク外かよ!? 自分の立てたスレタイとかに何か問題あった?
4と5で荒らしコピペが入って書き込みしにくいだけと思ってたけど、スレタイとか問題があるんなら自分が立てたからとか固執しないけど。。
どっち使おうが構わないので平常運転を望みます(両方使うのは良くないかと) 若き馬場の椰子の実割りは高々と上げたリングシューズの底が天井向いてるのが凄い 馬場は自分の体を労わるためにシューズに厚手のゴムを貼っていた
キムドク選手はそれがお気に召さなかったらしい
「そんな靴で16文キック喰らうこっちの身にもなれってんだ」 >>14
出戻りなんだからそのくらい覚悟しないとな。
渕の方がキャリアも上だし。 全日離脱直前の天龍
試合中にセコンドの渕になんの脈絡もなく蹴りを入れて
どういうことなんだろうと気分悪くなったことあるな >>14
ずっと全日を守り続けてきたんだから、偉そうなんじゃなくて偉いんだよ
あの新日初登場時の渕の堂々としたマイクは、新日ファンだった俺でも痺れたぞ 渕まだまだレスリング出来る体力あるだろ
お決まりムーヴだけじゃなくて
一年に一度くらいはライガーにやったような鬼攻め見せてくれ 全日を離れて現場の苦労を知らん天龍(や戸口や小鹿)にとってみれば
渕はいつまでたっても前座の若手という意識しか持ってない
渕ごときがマッチメイカーとか生意気だふざけるな
昭和のプロレスラーはそういう歪んだプライドを捨てる事が出来ない 渕と大仁田とハル薗田
才能ない三羽烏と呼んだのはカブキだっけ
大仁田って力道山馬場猪木の次くらいに独自の世界を確立したと思うんだけど Gメン75「金髪女性バスルーム殺人事件」見てたらカクトウギのテーマがディスコサウンドとして何度も流れていたわ。
他にも同時期の刑事ドラマで流れていたんだよな。たしか悪人が自宅でダンベルとかでトレーニングするシーンだったが・・・ >>21
カブキは他人を下げたくて仕方ない老害だしほっとけ >>20
何言ってるんだ?
結局、天龍の力を借りないと存続は難しかったんだろうよ。単に残ってるというだけで、偉そうにするってのも違うだろ。 当時は天龍は上がるリングあったっけ?
ウィンウィンじゃないの 馬場より先に夫人が亡くなっていたら、全日本はどうなっていたのかな?
やっぱり馬場と三沢達は経営方針で対立していたのか…
天龍参戦は難しくなっただろうな >>25
全日に上がってなけりゃ、NOAHが声かけてただろ。 >>26
馬場が生きてたら、三沢たちが離脱なんかするわけない。 >>28
馬場と三沢達に対立があったのは確かだよ。
選手の待遇不満は限界まできていて、元子の経営からの退陣まで求めていた
馬場は「かあちゃんが退くなら、俺も全日本の看板を持ってこれまで通りやるから
三沢や小橋で団体を起こせばいい」とまで京平に言ってなかった?
98年にマッチメイク権を三沢に譲っても馬場の考えとは違ってたみたいだし
果して元子不在で経営改革が出来たのか、それとも馬場は全日本の看板を降ろしたのか >>29
そりゃ経営者と社員じゃ対立はあるでしょうよ。
だからと言って、離脱につながるとは思えない。
待遇も大事だが、
尊敬できる人が上にいるかどうかは、非常に大きな要因。 >>29
言ってないよ。
馬場が言ったののは「俺が死んだら三沢が引き継いで
全日本の名前も変えて、好きにやればいい」という話。
生前に独立しろという話じゃないよ
三沢が引き継いで、ほの代わり全日本の名前も変えて ほとんど知られてないことだが三沢と元子は和解して長電話する仲になってた
井上譲二プロレス悪魔の辞典
独立して経営者の苦労が分かったんだろ ちょっと離れてる方が上手くいく関係ってあるからなぁ。 >>18
あの時の渕は本当にカッコよかった。
自分の実力と全日本の看板によっぽど自信ない限り
あのパフォーマンスはできない >>23
渕にしても、駒やマティ鈴木はコーチとして、それ以前に人として素晴らしかったとか、
鶴田と三羽烏で砧道場の練習メニュー作っていた話とか出るけど、
道場、練習関連で高千穂の話は全く出ないね。
若手三羽烏には「自分たちは馬場、駒の弟子」「高千穂は余所者」って感覚があったのかな。
日プロ残党といっても道場で一緒に汗を流した桜田、羽田、伊藤には普通に直系の先輩って感覚だったようだけど。 渕は自伝で桜田、羽田、伊藤を「元相撲取り三人衆」と呼んでた カブキは受け身の話しかしないよね
筋力トレーニングやスパーやってないわけもないんだろうけれど
受け身以外の鍛錬について聞いてみたい
他人を下げる話はもう聞き飽きたましたので 鶴田が190sのギャングを暫く持ち上げてからのバックドロップはインパクトあるなぁ
https://youtu.be/PEbqMpwMLmM?t=543 最近の天龍はよく体重=馬力という話するね
馬場は二メートル越えの骨太なんだからそりゃパワーあるよ >>43
宮原のシャットダウンジャーマンみたい
強靭な足腰のなせる技 フレアーはヒガンテのこと、握力がものすごく強いと言ってたな。
あの身長でプロレスラーとしては細く見えなくもないが、元バスケ選手
としてはかなり体重もある方だったから力弱い訳ないな。 >>14
ハリス・ブラザーズのアーウィン兄弟とタメはる「ちょうどいいくらい」感w >>49
右端で缶ビール掲げているのはマードックだと思うけど、
1979年5月8日の千葉で
NWA世界王者レイスとマードックが時間切れ引き分け試合をやっている。
確かノーテレビの名勝負と言われてるね もう一つ1976年の今日は、札幌でブッチャーがCカーニバル初優勝 >>31
元子夫人は理不尽な怒りを現場で頻繁に爆発させてはスタッフやレスラーを
困らせていた・・・
>>34
K-1の放映権を獲得した日テレは四天王プロレスで好調の全日とともにK-1やPRIDEに
で盛り上がるフジやTBSに対抗するために「格闘技の日テレ」をアピールするために
初のドーム興行でK-1勢や元全日、他団体の選手を参加させてオールスター戦のような
興業を提案するが既に日テレへに借財の完済していた馬場があっさり却下した。
そのため日テレの宣伝等の全面支援を得られず馬場派のマスコミを動員させて
「全日は普段着で成功させた!」と提灯記事まで書かせて成功をおさめるも新しい
感覚を持つ日テレ・スタッフと馬場には完全に距離ができてしまった・・・ >>52
四天王時代の全日はテレビは30分に短縮、興行も不入りと
どう見ても落ち目だっただろ。 >>42
「はたくやめたほうがいいのにってくらい九州三馬鹿は素質も見込みもなかった」
って言ってたよ >>52
>馬場があっさり却下した
ラジャ・ライオン戦の悪夢を思い出したか
>K-1の放映権を獲得した日テレ
K-1Japanか。すでにフジとTBSにおいしいとこ持ってかれて
コンテンツとしてはスカスカだったな。
K-1も全盛期はテレビ局三股かけてすごい勢いだったが、
その分凋落も早かったな。
プロレスも格闘技も、結局一社独占契約が一番長続きするね。 >>52
三沢と元子はその後和解して長電話する仲になってたんだよ
独立して元子が馬場の代わりに経営者として言い辛いこと言ってたと理解出来たんでしょ
新日では猪木と坂口が道場に来ない
UWFでは前田が道場に来ない
UWF藤原組では藤原が道場に来ないと文句言い続けた鈴木みのるも
今は自分が間違ってたと認めてる >>52
客にも偉そうな態度取ってた。
横にハンセンがいなかったら、怒鳴り散らしてたとこだったわ。このババア。 当時全日本に電話かけて質問したら相手の言ってることがわかんなくてもう一度聞き返したら、なんでわかんないんだよ!と怒って電話を切られたことがあるがこういうの全日本に限らないでしょ
売店だと仲田も含め全員が態度悪くてサイン待ちの馬場にだけペコペコしてたけど、祭りのテキヤもそんな感じだったし気にならなかった >>60
新日本の話だけど、最初の夢☆勝ちのチケット発売時に、購入とはちがう件で事務所に電話したら対応したのがケロさんで、ものすごく丁寧に教えてくれた。いろいろ言うひといるけどケロさんは嫌いになれない。 全日事務所に電話して
「1月2日のチケット2枚欲しいんですけど」
「2日は残ってなくはないけどいい席ないよ?3日の方がカードもいいから
3日にするといいよ、ね?3日、3日、いい席あるよ?」
「すいません、バトルロイヤルのある2日がいいんですけど、悪い席でもいいです。」
「(ちっ)ああそうなの?じゃあ2枚で1万円ね、現金書留で大至急送って」
という会話ののち手元に3日のチケットが2枚送られてきて以降前売りはアメリカンで
買うことにした1989年正月興行 >>57
元子夫人は三沢の葬儀に来て線香をあげたらしいね
ずっと疎遠のままかと思ってた >>60
>>61
客の対応では、
新日の方が、まだ「普通」だよね。
馬場全日は、なってなかった!
元子が、その元凶だが。 >>52
初ドームの時点でPRIDEは2回しか興行しないし
フジも深夜のSRS内で放送した程度でさほど盛り上がってないんだけど
TBSってこの頃からK-1やってたっけ?
2002年のMAXからだと思ってたわ >>62
電話したのその前年だわ、同じ人なのかも
後第一試合が始まっても体育館の壁の方に立ってたら「そこでなにやってる!さっさと席に戻れ!」と折原に怒鳴りつけられて一緒に行った友人がそれ以降二度とプロレスに興味示さなくなった >>64
でも、最後の鶴龍対決のとき、当日券が直前で売り切れて、帰るに帰れずモヤモヤしていたところに元子夫人が現れて「私が責任取りますから!」って言って本来出してはいけない立ち見券を出してくれて買えなかったひとが入れたんだよねー。あの瞬間は女神だったよ。 >>53
>四天王時代、興行も不入りと
地方は知らんが。四天王時代になって
武道館大会が、年4回から、徐々に増え7回になった。
それも、どの大会も満員。
一度、前売りの時点で完売になったなぁ。
後楽園はチケットが取れず、抽選に
なったこともあるんだが? >>67
まぁ、元子も時々
「魔が差して」というか
「ほんの出来心で」
ファンに優しいこともするんだな。(^^: >>61
夢勝ち!って、客が入らなくて、ファンにコーヒー配ったり、ものすごく下手に出てた「白ゲロ」の時やないか。
そのあと、人気盛り返して、「これからは客はこちらが選ぶ時代」とか言って勘違いの「黒ゲロ」になったんだぞ。 >>68
四天王時代になった頃に名古屋にいたが
秋頃に新日と全日の愛知県体育館大会を両方見に行ったが
同じプロレスの興行か?と思うほど極端に客の入りが違ってた
それと全日の若手がドリーの入場コスチュームをなかなか片付けず
試合が始まってもコーナ脇に置きっぱなしにしてあって
「ロクに教育されてないだらしがない団体」という印象が残ってる
>>62みたいな話を聞くと有り得そうだなとも思う >>60
>祭りのテキヤ
それを対象にするとはいくらなんでも…。
しかし自営業者を30年もやってきて思うことだが、税務署なんておそろしく愛想よくなってるんだよ。
書類が足りないので欲しい、なんていうと「かしこまりました」とか言うんだもん。
警察とかもそうだけど、平成の時代にこういう相手へのへりくだりみたいなものは強化されたな。
そのせいでこっちは客だ、と勘違いする奴も増えたんだろうが。 >>62
完全に確信犯だから犯罪だよな
何かヤクザ丸出しというか如何にも興行会社って感じだな >>73
ちなみにチケットは切手を貼らずに投函されてて配達員から受け取る際に60円請求された 今の時代なら確実にアウトな超ブラック企業というか暴力団のフロント 俺も90年代に何度も全日本事務所から武道館やドーム大会のチケットを購入したが対応は丁寧だったし、簡易書き留めで送ってくれた。
年賀状も毎年届いて、とても良くしてもらったと満足したけどね。 >>76
年4回の武道館の時は優待DMくれたな
10000→7000,7000→5000、5000→3000円になるのでいつも1階席買わせてもらった
ただそれも90年の9月(鶴田三沢シングル2回目)が最後だった
黙ってても武道館埋まるようになったら値引きする必要ないもんな >>76
さすがに90年春のSWSへの
大量離脱で、客への対応が
良くなったのではないかな?
で、観客も増えたが、
後楽園のロビーで客が見ている前で
スタッフを怒鳴り飛ばしていた
オバサンもいたけれどねww >>77
同じ頃、東京スポーツに
「全日の武道館大会ご招待」というのがあって
往復はがきで応募すると、たいてい
割引券、返信のハガキにスタンプが押してある。
それを当日、持って購入すると
2階席だが、4000円→3000円、
3000円が2000円になった。
タダ券も、2,3回当たったような気がする。
SWSやノアの大量離脱の後だったかな? この頃の全女が地元に来たときは立ち見千円だったしな、定価はもっと高いけど優待券が体育館前においてある感じで。で千円追加で座ってみられますよ!と何十回も勧誘される。対抗戦ブーム前 >>80
1000円+1000円で前から3列目くらいのパイプいす席に移動できた
但し角掛からお直り券を買ったので恩にきせられ撤収の手伝いまでがワンセットだった そうなんだ1000円追加したことないから知らなかった。WARでは終了後の機材撤収はよく手伝ったけど全日本はまったくリングに触らせなかったよね。フェンスが出来たあとだけど >>76
俺もそんな感じ。
丁寧に対応してくれたな。 >>78
SWSへの大量離脱以後、馬場が「ファンがスポンサー」と公言したことが全日本プロレスの社是として事務方にまで徹底されたのかもしれませんね。
履き違えた人もいたようですが・・・ 俺は、90年頃、新日本プロレスで
事務所を通じてチケットを買ったら
封書で挨拶が来た。
それも、飯塚のメッセージで
「今年の目標はウエイトをアップさせることと
ジュニアヘビー級王者になることです」
と書いてあったが「ウエイトをアップさせたら、
ジュニアヘビー級じゃなくなるだろ!?」
と突っ込んでしまった。 90年代だけどインディーなんか酷かったから
チケット事務所に頼んだら送ってきたのは大会終了後
会場に言って話しても誰もわからないですだったからな 首都圏じゃないから知らないけど六本木の事務所でも買えたんでしょ?その時に誰を見たとかエピソードを雑誌の投稿欄で見た記憶がある 地方の試合で客もまばらなのに終始、ご機嫌で和やかな馬場と元子夫人w
武道館超満員に中でスタッフに怒号で指示を出しまくり終始、ピリピリムードの
元子夫人。手打ちと売りの興業の緊張感の違いなのかな?
石原裕次郎も役者のみ出演の「太陽にほえろ!」の監督に指示通りに演じて意見する事等
する事が無かったが石原プロ制作の刑事ドラマには自分がプロデューサーとしてクレジット
されているからか?カメラと覗いたり意見をする事もあったらしい。 どっちが1か2かは問わないけど
正平と元子が巡業にそろって出ていたら本社には首脳陣が居ないようなもんだよね。
ツアーに正平が出ないわけにはいかないから元子が本社で残っててもよさそう、というか
そうした方がよさげな会社だと思うなあ。
元子自身が現場好きなのかもしれないが。 新倉Twitter「長州さんが全日時代ドリーファンクとの試合後控室で『ドリーは重いなぁ』
これはやりにくいとの意味。他の選手では全く言わなかった」
高橋本で「猪木が『大木は重い』と言ってた」と同じで意味。
https://twitter.com/comonsei/status/1258602251737681921
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) そういえば86年にウォリアーズとR木村&原が一度だけ対戦して秒殺終了だったけど、この時木村のマイクはあったの?
クラッシックで放送された分ではわからなかったから。 >>93
だから長州は直線ファイター同士でしか
いい試合できないんだよ。 >>72
検察は恐ろしく冷たいけどな。
看護師、医療事務も万国共通最悪女。 >>92
二人がハワイに行ってる間は事務所組は天国だったろうな、超だらけて仕事しなさそう 薬剤師、お最悪だな。
ドラッグストアでなく調剤薬局ね。
女の正体だわ。 >>93
デビアスやフレアーみたいにひと通りきれいに受けてくれる選手と違って、ドリーは要所要所で相手の技を封じるところがあるからな。 昔、南海ホークスにもそういう女がいて
当時の監督が南海から永久追放された。 >>99
だからこそ4年以上もNWA王者を務められたんでしょ。 元子はいつ頃から何の理由で巡業に同行するようになったんだろ?
当方大阪在住で1980年〜ノア組大量離脱までよく生観戦したけど、いつの間にか元子がグッズ売り場で大声出してた >>102
グッズの売上金をちょろまかされたから監視する為が始まりだったかな? >>103
現金だからね。
いくらでも馬場の目かわせばできたろうね。
在庫と売り上げ合わない!!って。なるが。
在庫の棚卸し誰がやるんだろ。 Tシャツ5枚くらい在庫足りなきゃ一万か。
巡業中毎日チェックは大変だなこりゃ。 >>99
この重いという意味は、ボディスラムなどで持ち上げる時に、スッと上がってくれないという意味だろ。 ファンクス対マスカラス兄弟で最初倉持がドスカラスとマスカラスを間違えてるのに指摘しない竹内 >>104
試合後に馬場が「今日の売店の売り上げは○○だろ?」と言ってくるがほぼ合ってて良く見てる、
と京平が言ってたけどあれはサインした回数を数えてたんじゃなかろうか
まあ京平にも「ちょろまかすんじゃねえぞ」って感じでカマかけてたんだと思う 日本プロレスでは遠藤が会社の金をつかんで持っていて飲んでいたんだから
そういう事を知っていたら自分しか信用できなくなる
新日では小鉄が若手への小遣いや飲食代を会社の経費で落として
愛車も会社名義で購入して乗っていたって話だね よく鶴田が下積みからやらなかったからダメだった。とか言われているが
若手の頃に羽田、高千穂(これは無理か)あたりと組んで極道とアジアタッグ争奪戦やればもっと良いレスラーになっていたのか? >>109
新日役員の小鉄が若手への小遣い(手当てのようなもの)や飲食代を会社の経費で落として、
会社名義の車に乗るのは、どこの会社でもあることでおかしいことではない。
役所でも手厚い手当てを出すし、飲食代は出るし、役所名義の車に乗る。 >>100
サッチーとは全然違う。
元子は実際の経営者だから、付いて行って口出しする権利がある。
サッチーは、ノムさんの嫁だけどホークスを経営してたわけじゃない。 オーナー=馬場
実質オーナー=元子
現場監督=馬場
巡業部長=元子 >>94
マイクなさそう。
エラリングは国際時代に絡んでるだろうから巡業中、昔話したのかな? >>110
ネームバリューのいない相手に試合を構築する経験値を稼ぐ場としては
そういうのは必要だっただろうね
この経験のなさがニック、レイス、ブッチャーらの先輩格が
いなくなったり衰えて自分より若い世代の外人が台頭して
自分が試合を引っ張らなければいけない立場になってきた時期に
その弊害が出てきている
鶴田は国内での若手としての修行期間が皆無で
海外修行も一年もないのでは
スピード出世に見えて実はいびつな育ち方をしている
坂口も似た様な過程かもしれないな 筑波大学大学院生・鶴田友美が
ジャンボ鶴田がプロレスラーとして大成しなかったのはジャイアント馬場の育成方法が間違っていたからだという
論文を書いた。 >>115
格下の外人とシングルやったりするとまあ金返してほしいような試合に
なることが多かった気がする、コブラかけてのんきにリング4面ぐるっと撮影回りしたりとか
対ディートン、対Bウィンダムとかはそういう試合だった >>115
長州、天龍、超世代と日本人との対戦に特化していくのに比例して
対外人が下手になっていった気がする
Sウィリアムスとのシングルなんて期待してたけど
超凡戦でがっかりした思い出がある >>110
カブキは簡単に下積みというが、海外武者修業だろうね。
メインでなく、色んなレスラーのヒートのさせ方や盛り上げ方、ベビーフェイスや
ヒールを見れただろうしね。
こればっかりは、運動神経やセンスではどうにもならない。 仮に新日本が鶴田をスカウトしていたら
どんなレスラーになったやら… 小鉄は「堅物の皮をかぶった俗物」だからな
裏では競馬狂だとか愛妻家の様に見せて女にだらしないとか
そんな話しか出てこない
猪木は小鉄が亡くなっても葬式にも行かなかった
マシオ駒は没後40年以上で「裏ではだらしない男だった」なんて話は
全く出ないからマジで堅物だったんだろう >>120
猪木の2番手か。
猪木より高く飛ぶドロップキックや
ジャーマンは出せないな。 >>121
小鉄は裏もあるが、藤波、前田、佐山ら、みんな絶賛してるだろ。
猪木はほとんど葬式に行かないよ。
上田、星野、永源、荒川、柴田、R木村、元妻の弟で事務所社長だった倍賞鉄男、
馬場、鶴田、日プロ時代の仲間の大熊、羽田、ヒト・・・
行ったのは大木、橋本ぐらい。 会社のお金を自分の懐に入れてその一部を偉そうに若手に使って絶賛されるって普通に考えると汚い人間だが、若手から見ると恩人だろうな。
会社が悪だとすればネズミ小僧ともいえる >>120
鶴田が藤波のポジションで、藤波はジュニアのままかな
>>122
高野兄弟 >>122
>>126
高野兄弟の前に
ジュニアだけど藤波がいる。 >>120
今出てる「俺たちのプロレス」の巻末マンガがズバリそれだったよ、なかなか面白かった >>120
当然のごとく
新日で求められるものと全日で求められるものは違うからね
鶴田本人の意欲次第としか言いようがない >>111
そのへんは結局程度とか良識の問題になるんだよな
一般の会社でも管理職が新人や若手連れて
たまーにそこらの居酒屋で御馳走して領収書貰ったり
会社支給のカードで支払いして問題にするとこは普通は無いけど
不相応な銀座の会員制高級クラブに連日のように通って
毎月の支払いが何十万何百万ってのが恒常的に続けば
そりゃ納得いく説明できなきゃ業務上横領や背任とされても仕方ない
一般のリーマンでもペーペーの頃は
そういう上司の振舞いに「ああ、やっぱり管理職ともなると違うな」と単純に思うけど
やがて数年経ってその仕組みも知ると「どうせ交際費で落とせる範囲だし…」となって
それでも自分が管理職になるとはじめのうちは交際費の枠やタクシー券とかに
「おおっ、こんなに使えるのかスゲエ」とか改めて思うけど
それに慣れてくると「俺はこんだけしか認められてないのに部長は…常務は…」
みたいに感じるようになる
プロレスラーなんてそういう経験すっ飛ばして
しかもタニマチからは奢られるのが若い頃から当たり前とかにもなってるわけで
そういう連中がある日突然団体旗揚げしたら社長や役員に成ったりするんだから
そりゃまあUとその関連団体にしてもWJやノアにしても
幹部になった面々がやたらと金遣い無茶苦茶になったり
それに対して下の人間が反感や不信感持ったりとかはある意味当たり前ではあるな >>125
役員が新人社員育成で会社の金を使うことは普通のことで地方では毎日三食必要になる。
新日では巡業中の上の選手に下の選手の分も含めた食事代、洗濯代が支給されていた。下の人数だけでもかなりいる。
小鉄が死去した際に報道ステーションで取り上げられて、葬儀には団体の枠を超えて
藤波、長州、藤原、前田、佐山、木戸、山崎、高田、高山、みのる、船木、小鹿、キラーカーン、女子プロらがたくさん来た。
尊敬されていなかったら剛やヒトのように誰も来ない。 前田「小鉄さんはよく食わしてくれた」
大塚「それ会社の経費だぞ」
前田「小鉄さんのキャデラックが道場に来たら震えた」
大塚「それ社用車だぞ」
前田「困ったときは小鉄さんがハガミしてくれた」
大塚「それ巡業経費の浪費だぞ」 試合関係ない小鉄が試合終わった猪木に何を怒ったのか
ビンタして猪木も驚いて張り替えした動画あったね
ホントに仲悪いんだろうね >>124
猪木は千代の富士の葬式か通夜かどちらかにも顔出してた
>>132
小鹿って小鉄の葬式にも行ってるんだな >>121
>マシオ駒は没後40年以上で「裏ではだらしない男だった」なんて話は
>全く出ないからマジで堅物だったんだろう
小鹿が「駒がいなくなったら道場が明るくなって活気が出た」と言っていたけど、
その後の本人の言動見てると、駒がいなくなって好き勝手出来るようになった
としか思えないな
>>126
>鶴田が藤波のポジションで、藤波はジュニアのままかな
藤波は猪木より小さいから空中殺法やスープレックス使うの許されたけど、
猪木より大型の鶴田には認めないんじゃない?
高さもスピードもスケールの大きさも、明らかに自分より上だと思われてしまう >>120
その前提(全日以外への入団)が恐らく成立しないんだよな鶴田の場合。
実際、八田からも鶴田家からも新日はけんもほろろの門前払いだったようだし。
新日入るぐらいなら普通にサラリーマンやってたんだろうな。 >>133
「俺たちのプロレス」鶴田特集の川田インタビューでの
「天龍さんがどうのこうの(気前がいい)言うけど、あれは馬場さんの金。
SWS行ってからは会社の金だよ。天龍さんの自腹じゃない」を思い出したw >>114
やっぱりなさそうよね。
でも正に異色の対決て感があってよかった。
当時外国人と血盟軍は同じ控室だっけ。色々話してそうだよね。 >>137
ただ80年代前半や90年代だったら新日一択だっただろうな。
80年にプロレス入りした谷津がそうだったように。 https://pbs.twimg.com/media/EBmCvQyU4Acu3I8.jpg
鶴見は若手の頃からヒール経験者、ラッシャーも新日で大ヒールに変貌した
だが、剛とアポロは血盟軍の存在意義を理解できず、格好つけようとして馬場に怒られた >>137
鶴田は当時の全団体がスカウトに動いたそうだが
日プロと国際にも同じような対応だったんだろうか。
当時はどっちもテレビがついていたから、ノーテレビの
新日よりはましな条件提示したと思うが。 >>138
例え天龍が自腹で出していたとしても、、
2,3年前、天龍の奥さんの苦労話が
テレビで紹介された。
天龍は、飲み代だけで月に数百万円掛かったと言う。
当然、天龍の収入だけでは足りない。
奥さんは時々、実家の飲食店で働いて
補填していたとのこと。 >>139
>当時外国人と血盟軍は同じ控室だっけ。色々話してそうだよね。
血盟軍のなかで英語ペラペラなのって鶴見だけだろうな
海外遠征出してもらえなかった菅原なんか全く話せないのでは? >>140
んなこたあない。
鶴田は猪木の人間性が胡散臭いと思ったから新日に行かなかったんだろ。
90年代は猪木の性格はかいぜんされてるのか?
谷津は、単に馬場から声がかからなかっただけだろ。 >>132
女子プロらにワロタw
小鉄はヤリ逃げしないで原みたいに小遣いたんまりやったんだw >>145
90年代は坂口が社長だから猪木は関係ないだろ。
現場監督の長州とはソリが会わない可能性があるが。 >>121
>>136
マシオ駒については
最近の昭和プロレス回顧の流れが出てくる前までは
そもそもその存在が語られること自体がほぼ無かったからってのが
その理由として大きいと思うな
日プロ時代にもリング上でもバックステージでもこれといった逸話も無いし
猪木クーデター騒動から馬場独立までの裏舞台の事情話においても
馬場に付いて日プロを離脱した駒大熊佐藤のうち
明らかに番頭格だったはずの駒に付いては
馬場の元付き人で当時日本に不在だったからって
海外遠征先から直接馬場の下に馳せ参じたってだけで
それ以外にはこれほど話が無いってのは逆に不思議と言えば不思議なんだよ
わずかにあるのは全日設立後暫く経ってから酒の席で
大熊と共に「馬場さんは嘘つきだ」とか愚痴ってたってくらいでしょ
コトの是非やら実像がどうだったかとかは別にして
“猪木派”として裏で率先して動いていたり
初期新日で鬼軍曹として当時の若手に強く影響与え
新日の「道場伝説w」の主役であった小鉄と違い
駒ってリング上でもリング外でもホントに話に出てこない
いくら「マジで堅物」だったとしてもねぇ 全日設立直前に、駒はアマリロにいたんだろ。
で、馬場が当地に赴いてシニアに新団体への協力を仰いだ。
つまり馬場とシニアの橋渡しみたいなことやってのけた。
山田ジム時代の全日道場を仕切ってたのは駒だし、
全日ファンからすれば試練の十番勝負初戦時の遺影は結構印象に残ってるはずだが。
駒の死で馬場の掲げた「理想のプロレス」の一部分が崩れた。 >>148
ある日全日中継の頭でいきねり駒の試合の映像をバックに
訃報が流れたのでビックリしたことがある。
プロレス見始めて間もないころで駒という選手自体
全く知らなかったけど、結構丁重に報じられてたから
死を惜しまれているんだなとは思ったよ。
早実野球部で王貞治と同期だって紹介されてたのは今でも覚えてる。 >>145
鶴田が全日入りを決めたのは
1972年10月だが、その頃の新日は
猪木対ゴッチ戦が単発でテレビ放送されたとはいえ
いつ潰れるか分からん状態だった。
そんな会社に鶴田が就職するとは思えない。
また、
>鶴田は猪木の人間性が胡散臭いと思ったから
これも薄いなぁ。
猪木が胡散臭いと思われたのは、全日旗揚げ後、
やたらと馬場に挑戦、挑発したり、派手なパフォーマンスを
したことで80年代から、そんな匂いがした。
日本プロレスに造反して追放されたから、といえば
72年夏まではその汚名を着せられたが、
馬場も日プロから独立したことにより
「なんだ日プロの幹部が悪いんだ=猪木は悪くない」
という風潮になった。 天龍は馬場の裁量で出したお金を皆に使っていて「明日社長にお礼を言っとけよ」と言ってるのに対して小鉄はチケットの売り上げを勝手に使って誰にも会社の金だってことを伝えてなかったみたいだから全然違う >>151
馬場が独立したからそれまでの猪木の悪行が帳消しになったというのは随分都合のいい解釈だな >>151
鶴田は新日からのスカウトの時に猪木に会って
「夢みたいなこと言っている人」と思ったって話がなかった?
それはさておき、プロ入り前の鶴田は日プロファンだったって
話をどっかで聞いたことある。もちろんオリンピックが近づいてからは
練習と合宿の連続でほとんど見てなかっただろうが、少なくとも
猪木追放の一件は知ってたはず。いい印象持っていたとは思えない。 まぁ1972年9月、ミュンヘンオリンピックを終えた
中央大学4年の鶴田友美がプロレス界に就職するにあたって
4社があったわけだ。
日本プロレス、業界一の老舗で、テレビ中継もあるが、
猪木、馬場が抜けて団体内もゴタゴタしている。
無駄に中堅層が多く、それも旧態依然としてやりにくそう。
国際プロレス、この年からテレビ中継が30分に短縮。
ここも上が詰まっている。経営的にも万全ではないだろう。
全日本プロレス、10月に旗揚げするまだ未知数の団体だが、
何と言っても業界の盟主ともいえる馬場さんの団体。
日本テレビも付くらしい。
日本人選手の層が薄いから、すぐにトップに行ける。将来性がある。
新日本プロレス、論外。
こんな感じだったのでは?(苦笑) >>153
帳消しとはいわんが
それまで、猪木は日本プロレスに造反したという評価が
馬場の独立で、「なんだ!?やはり日プロ幹部が悪いんだ」
という風向きになったのは事実だよ!! >>150
それは覚えています。
私も駒のファイトは見た事なかったのですが、
ブッチャーとタッグで戦っている映像が
出てビックリしました。
後年で言うと百田光のような完全前座の
印象の選手でしたので、百田光がハンセンと戦っているのを見たような感想でした。 馬場が日本プロレスを脱退表明したのは、
72年の夏頃だがそれから猪木に対する
風当たりは弱まった。
同年10月から、猪木は幼児番組「みんなあつまれキーパッパ」
でレギュラー出演(体操のお兄さん)、
東京12チャンネルで単発ながら猪木対ゴッチを
流したのもそういう風向きに一つだと思う。 >>149
その辺の馬場とアマリロのシニアの橋渡しって重要な話も
初期全日の道場主的役割についても
公に語られるようになったのは結局死後ずっと経ってからの
昭和プロレス回顧の流れの中で出てきた話だからねえ
これだけ昭和プロレスの話が為されるようになってるのに
日プロ時代の前座の駒についても
初期全日の貴重な日本陣営中堅の駒についても
こういうタイプだったとか実際の試合ぶりとかあの試合ではどうだったとか
あるいは会場で試合前や他の選手の試合中に控室前でこういう様子だったとか
その手の話が一切無いんだよねえ
ホント、近年になってG+でタッグのVTR観るまでは全く謎だったもん
「レスラー マシオ駒」って 多くの人が駒の存在を初めて意識したのは1997年に出た山本小鉄の名著
「いちばん強いのは誰だ」ではないかな >>148
駒が語られてないとかアホか。
早くに亡くなったにも関わらず、
多くのファンに存在を知られているのが語られてきた証明だろ。
なんでもかんでも、自分の知ってることだけが世界だと思うなアホ。 >>160
は?そんな本知らんわ。
つくづく新日信者って、客観的な目線がない奴が多いやなあ。 助さん格さん
blog.livedoor.jp/norarinhouse/archives/1726068.html >>124
マサ斉藤の葬儀の時は裏口からお忍びで来たらしい。
東プロ時代からの付き合いで「片手で三分!」で険悪化していた坂口の仲を取り持ち
新日を救済した恩人だし巌流島も信頼関係が無いとできなかったし全日に参戦した時、
以外は新日一筋だったし二人にしかわからない濃い関係があったんだろうね。
>>148
外人レスラーへの破格のギャラで元子夫人に噛みついたとか健康オタクで怪しげな
方法も試してそれが寿命を縮めたとかは最近の話。昔は鶴田が全日入門してプロレスの
イロハを学び一番感謝しているとコメントしていたのが駒を初めて知った時だった。
>>151>>155
初期・全日のブレーンだった森岡氏が天龍にプロレス入りを相談されて三団体の分析をして
日テレのバックアップ、馬場の人柄、相撲出身者が多い等の理由で全日入りを勧めた。
天龍が引退を決めた時は寂しそうだった・・・ 大塚が言っていたのもこれだろうな
ttps://miruhon.net/139967
16年9月に東京・新宿区にある喫茶店で新間寿氏をインタビューしたとき、
彼は私が聞いていない山本小鉄氏の話をし始めた。話というよりも悪口である。
「新日本プロレスにテレビ(NETテレビ=現テレビ朝日)が付いて会社の金回りがようやく良くなり始めた頃、
取締役の山本小鉄の経費精算から使途不明金がいっぱい出てきたんだよ。
一応、プロモーター接待費とか名目だけは付けているんだけど、領収書が1枚もない。
それで(社長の)猪木さんが小鉄を呼び出して問いただしたことがあったよ」
私は内心、自分のやっていたことを棚に上げてよく言うよ! と思った。
新間氏にも領収書なしの経費精算が多々あったことを知っているからだ。
ただ、単にズサンだっただけで彼が営業部の部下のみならず、
新日プロに関わっているいろんな人に金品をバラまいていたことも見聞きしている。
81〜82年頃、蔵前国技館大会だけでなく後楽園ホール大会が満員になったときや記者会見でも
5000円入りの大入り袋、お車代をマスコミに配っていたのは有名な話。
この常識外れの金額を決めたのも新間氏だが、会場で大入り袋を渡していたフロントのA氏やB氏もクセ者。
顔見知りの記者やカメラマンだけに配り、残った大入り袋は自分の懐に入れていたというのだ。 >>165
葬儀場近くまで来てマサ斎藤の妻に電話したが出なかったので帰った。
>>166
大塚、新間がよく言うよ。
ゴッチ「この会社はレスラーがマンションで営業が豪邸に住んでいる。おかしい」 鶴田の選択については全日が本人の希望に近かったんだろうからそれでよしだが
新日に入っていてファンクス挑戦時くらいのレスラーになっていたとしようか。
そこからメインエベンターになるのは間違いないだろうけど、
相手はジョントロスやジョニーパワーズ、ここいらに勝たして貰えるかどうかは難しいだろ。
シンにはまぁやられるな。動けて飛べる坂口だが、坂口よりは下、というポジでは
あまり注目も集めないと思われる。後年ホーガンと抗争で真価を発揮できればいいか。 あり得ない話だけど、吉原が鶴田をスカウトしていたら
TBS60分枠で放送継続、国際が息を吹き返す…なんてねw
でも間違いなくIWA王者になっている。 >>169
マッチメーカーの草津次第。
鶴田って長身でスープレックスもドロップキックも何でもできて
ある意味草津の上位互換みたいなもんだから
草津が凄く嫉妬しそうなんだよな。 まず自分(草津)と組ませてIWAタッグ王者にする。
鶴田がダイナミックにぽんぽん技を出した後に揚々と自分が出て
四の字で決める防衛戦を続ける。
いつのまにか鶴田の方が人気が出てかなり差がついているが
入場時に先を歩かせコールは後から受けて鶴田を腐らせる。 鶴田は全日当初だってブッチャー相手にアップアップしてた。
千両役者だから猪木のナンバー2は出来るだろう。
ジャーマン、ドロップキックで猪木を追い詰めるが
最後は卍であっけなく、疲労困憊鶴田。
は星パン時代に見かけた風景。 >>172
あの時代だったら猪木は鶴田にジャーマン使わせないだろう。
ひょっとしたらダブルアームも使わせないかもしれない。
猪木はダブルアームは下手くそだったからw >>171
井上や浜口とは違い、自分の方が背が低いから草津は嫌がりそうだな。 >>168
分析が薄っぺらいわ。
スープレックスやドロップキック、
あれだけスピーディーでダイナミックなレスラーはいなかったからなあ。鶴田のデビューしたとき衝撃は凄かった。
プロレスの概念をひっくり返したと言っても良い。
そりゃ新日でも最初からトップで使うよ。
使わなきゃファンが納得しない。 >>173
申し訳ないけど、
前田とはモノが違う。
そりゃ前田もデカくてハンサムでスター性はあったけど、
技の一つ一つがぶつ切れだったからなあ。
鶴田は試合運びももっと洗練されてた。 >>177
ただそれも全日入りのおかげで習得したのであって、新日だった場合の試合運びはどうなったかわからん。 >>178
ファンクスが教えるかゴッチが教えるかなんだよな
ダブルアームも全然違った投げ方になるだろうね。 「永遠の最強王者ジャンボ鶴田」って5月13日発売の本が今届いた
この本はGスピリッツでいろんな関係者がインタビューで鶴田について
語ったことを「実録国際〜」みたいに1冊にまとめたものだと思って買ったんだけど
小佐野の完全書下ろし(それらインタビューは大量に引用はされてるが)だったので
読む気がかなり失せた >>169
>>179
鶴田が国際入りしていたら、あの時代だから
ロビンソンの指導を受けていたわけか。
とりあえず、後年のロビンソンの鶴田評は全然違うものになっていただろうな
「オリンピックに出た素材を私がコーチしたんだぞ。
日本じゃ断トツのトップに決まってるじゃないか」とか プロレスはただ運動してればいいというわけではないから
フィジカルや技だけよくってもダメなんだよな
自分で試合を作ることを学ばなきゃいけないし
風格や雰囲気も身につけていくこともしていかないと
鶴田は頭が良さそうな割には
そういう部分への思いがあまりないのがもったいない
2流レスラーならそれでもいいけど
大きな期待をされてた人だけにね >>176
鶴田が全日初期でやったような試合したら猪木が霞む。
馬場がまったく別タイプだからよかったんだな。
全日で正解。
新日だと谷津みたいにされてたかも。 >>182
なんか勘違いしてる人多いけど、
ジャンボが試合作れないわけないだろ。
若いうちからどれだけ世界のトップクラスと戦ってきたと思うんだよ。
相手のファイトスタイルに合わせて攻めたり受けたりしてたのがなぜわからないんだ? >>184
それが興行の上での人気という形での評価に現れなければ
なんにも意味がないよ
いい試合だったと自分で思ってるだけでは単なる自慰行為 BI砲は大型で豪快なファイター
&テクニシャンのコンビ。
馬場&鶴田も、坂口&猪木も
それの亜流みたいなもんだな。 鶴田が唯一惜しいのは、海外武者修業を前座レベルで長期経験出来なかったとこかな。
あらゆるヒール、ベビーの観客相手のヒートを、実験失敗を繰り返せなかった。
最初からスーパースターだったから無理なんだけどね。 77年第5回Cカーニバル単独首位で優勝決定戦に出た時
鶴田初優勝でも良かったと思う。
馬場はブッチャー戦と2連戦で言い訳もできるし、
例えフロッグと言われても、エースの自覚を持たせ
以降のカーニバルは馬場ブッチャーと交互優勝するくらいでないと…
デビューが鮮烈だっただけに、キャリア5年でも十分アリだったと思う。 >>165
天龍は力士時代、名古屋場所の宿舎で読んだ中京スポーツに
「相撲取りは使えない奴ばかりだ」という猪木のコメントが載っていたことを覚えていて
それが全日入りを決めた理由の1つだったと語ってた 鶴田が新日本に行ってたら、ハンセンやバックランドより鶴田が強く見えてしまうという弊害が生まれ、
猪木は嫌な顔をしたことだろう。
後、アンドレにも善戦しそう。 カンケー無いがワイの歯茎、あまり健康じゃないので歯を磨くとブッチャーの如くすぐ鮮血にまみれる・・。 >>190
ブッチャーに血ダルマにされてた鶴田。そのへんは上手くやれそう。 脳天唐竹割り
これ以上凄まじいネーミングの技もない気がする。 >>187
74年から75年にかけて二回目のアメリカ修行に出せば良いのに(その間は白覆面の
魔王さんで繋いで)馬場は長い目で人を育てる視点に欠けている。90年代の鎖国も
長い目でみたらマイナス面もあったと思うな。小橋や秋山とか見てると。 >>194
苦労してる過程が見えないからファンの共感を得にくい
というところから鶴田の不人気の原因になってるんだろうね
日本人って
金持ちお坊ちゃんより
苦労人キャラの方が好きだから >>190
鶴田が新日本に入っていたらファンクスのところにも
いかなかったのでハンセンとは親しい仲
ではないので遠慮のない
ガンガンとした試合が出来たかもしれない。 >>181
鶴田が中央大を卒業してプロレス入りしたのは
1973年3月だが、その年、ロビンソンは
国際はおろか来日していない。
翌74年5月に1ヵ月、11月に1週間、
国際に参加して、これが最後になった。
もう、AWAでトップスターだから、
鶴田のコーチに専念することはなかっただろう。 >>185
試合を作れる作れないの話をしているんだが?
急にポイントを変えないでくれるか? >>194
90年代は仕方がない。
ほとんどのテリトリーがクローズしてたし、
かろうじて残ってるところも食えない。
新日やWWFから引き抜きの危険もあるし。 興行のために試合を作らないんだったら
何のために作るって言うんだろう?w >>190
鶴田が新日に入ってたら、長州のように小鉄、星野にヒイヒイ言わされたと思う。
小鉄が膝まづいた長州の左コメカミの上の髪を掴んでバチンバチン張り手やってた。 >>181
前にも書いたけどクリス・テーラーはAWAでロビンソンが付きっ切りで指導してアレ…
やっぱりドリーで良かった。
ロビンソンにしても日大講堂でのUN戦(鶴田のリターンマッチ)試合後に、
「鶴田は馬場、猪木の域の選手」ってコメントしてるらしいけど、無かったことになってるらしいw >>200
お前アホやなあ。
試合を作れるかどうかの話をしているんだろ?
客を呼べなかったら、上手い選手も上手くないって評価になるの???
なんで??
どういうこと??
ちょっとその話、詳しく聞かせて下さい。 >>181
どうでもいいけどクリス・テーラーってなんであんなに太ったんだろう
ロビンソンのコーチがどんなだったか知らんけど、あんな風船みたいな体形で
プロのレスリングが体得できたのか >>206
プロレスラーは
プロレスを何のためにやってると思ってるんだよ?
簡単なことだぞ >>208
もうええから。
他人の話を聞きなさいよ。 >>205
確かに相性って点でも指導者実績って点でも
コーチがドリーで正解だったんだろうな
アマリロという拠点があったのが最大の強みか
>「鶴田は馬場、猪木の域の選手」ってコメントしてるらしいけど、無かったことになってるらしいw
渕もその話してたな
まあ鶴田を下げたほうが都合のいい誰かに鼻薬嗅がされたんだろうな
>>207
英語版のWikiに写真載ってるけど、テイラーはプロ入り前から太ってたんだよ。
オリンピック史上最重量メダリストの記録まだ破られてないはず
最重量級も上限のある今の規定じゃ出場できないけどね
そういや、カレリンの現役末期のある国際大会、最重量級は―125sだったのが
カレリンの体重が130sまでしか落ちなかったため、どうしても出場してもらいたくて
本番前日に急遽130sに規定変更したらしいw苦労して125sまで落としたほかの選手は
みんな1日で5s増量したそうだ 和田京平は仲田龍と並ぶ馬場の腹心だったらしいけど、やはり人間的にクセのある人だったの? 腹心が腹心でいられるのは親分が手を汚さないで済むように腹心がいろいろやっているから ガラプーの歴史
・おとーちゃんだがやー
・フルネーム(新日本プロレスリングのアントニオ猪木は等全てをフルネームで書く)
・省略(シンニのアノキ、バンビガ等不自然に省略)
・漢字羅列
・ひらがな羅列
・片仮名羅列
・センズリをオナニーと言う奴はヘタレ
・後楽園ホールのうんたらかんたら
・レス番〇〇(レス番のダジャレ)だがを頭に付ける
・武道館生卵事件を模造
基本的に定期的にキャラを変える
普通に書き込む期間もあるがニワカでそこを指摘されると切れる
その後荒らすかキャラ変して煽る
この繰り返し
レス乞食なのでレスはしないようにすること キョーヘーには何の思い出もないな、売店にいたと思うけど。仲田や元子と同じく客にニコニコすることはなかった >>210
>オリンピック史上最重量メダリスト
小川と対戦したマット・ガファリとどっちが体重あったんだろ? >>189
猪木の日プロクーデターで最初は賛同していた選手会が硬化して離反したのは
「相撲出身レスラーの排除」と考えが漏れたのが原因という小鹿の証言があった。 坂口が連れてきた小澤や木村健吾を除けば新日ではほとんど相撲出身者をとらなかったから
マジで嫌いなんだと思う
G高野が大鵬部屋出身だがかじった位のレベルだしね
力道山に苛められた恨みだな >>219
でも後に安田を自分の手駒にしてた。
あれはいったい何だったんだ? >>219
>マジで嫌いなんだと思う
相撲関係者も猪木を嫌ってたけどな
80年前後だったと思うが、東スポに匿名の相撲関係者のインタビューが出てて
相撲出身者を王者に育ててくれた馬場に感謝の意を表する一方で、
猪木に対しては「100sくらいしかない痩せっぽちのくせに生意気だ。
あんな奴土俵に上がったらすぐ叩きのめしてやるぜ」と吐き捨ててた >>219
別に猪木が新弟子選んでるわけではないからなあ。
そりゃ有望な力士が門を叩いたらとるでしょ。
単に来なかっただけで。
北尾も引き受けたし、テンタもウェルカムだったろ。 >>219
確かに力士出身レスラーは、プロレスの動きを身に付けるまで、時間がかかる傾向はあるよね。
比較的早く身に付いたのは、石川と高木くらいしか知らんわ。
健吾もそうかも。 相撲出身者を他の格闘技(柔道やレスリング)出身者と比べた場合
勝る点
・当て身に強い
・下半身のケガに強い(相撲取りは股割り必修)
劣る点
・ブリッジできない
・寝技ができない
といったとこか >>224
健吾はああ見えてデビュー戦の相手した昭雄が「上手だったし様になってた」と
意外な高評価だった 脳天唐竹割りは素人がプロレスラーにやったら
痛くて激怒されるだろうな。
ダメージはないが痛い。 >>227
体型はともかく、動きはスムーズだったろ。 >>225
勝る点(20世紀までだが)
プロレスでも、ケツ決め、人情プロレス
があると知らされても、すぐに理解、
対応できる。 >>227
>>229
高木は相撲出身なのに、あの巨体でニールキックができたし
ジャーマンもできた。
運動神経よかったのは間違いないだろ。
まああの性格と素行では大成はしなかったろうけど。 単純に相撲部屋にいたってだけでデカい顔しようとする奴が多いから
そうじゃない奴はちゃんとレスラーとして活躍できてる >>229
アメリカでレックスルガーに河津落としでピン負けした試合は
目を当てられないほど塩だった。 鶴田に欠けてたものと言うと「巧さ」か。狡さやインサイドワークとかも含めるが
イマイチ相手が光らない試合が多いような。それは鶴田がとにかくあの卓越した身体能力で試合を
作る(ように見える)から、相手を受けてるんだろうけど見てる側としては帳消しにしてる不運さがある。
その辺、藤波の受けの上手さや天龍の打たれ強さと言うのは試合成立において重要な武器だしな。 出身レスラーを見てるとアマレス、相撲、柔道で最もプロレスと相性が悪いのは
柔道の様な気がする
武藤を除いてしょっぱいレスラー率が高い ブッチャーが鶴田を破って2度目の優勝わ果たしたチャンピオンカーニバルの動画が上がってたけど
コーナーからダイブした鶴田にカウンターで地獄突きを入れた後、信じられないようなスピードで
ロープに飛んでとどめのエルボーを落とすブッチャーの動きが実に素晴らしい
で、地獄突きで観客がドッと湧いてブッチャーが飛んでくる間、鶴田は何をしていたかと見たら
例のピクピク痙攣、というより釣られた魚みたいにバタバタのたうって見せていたんだけど、
ブッチャーの物凄く説得力のあるムーブを台無しにしかねない恥ずかしさだった
MSGとかメキシコみたいにTVがなくてレスラーが豆粒みたいにしか見えない大会場なら分かるけど
さして大きくない会場のTVマッチ、それも対戦相手が優勝を決める場面であれをやっちゃう
鶴田って、やっぱり誰かが一度ビシッと言わなきゃダメだったんだなあとしか思えない >>235
中学、高校まで柔道部レベルなら
小橋、橋本、健介もそうで、大成したよね。
山崎一夫がまぁまぁかな?
木村政彦、坂口征二、小川みたいな
柔道でトップクラスは、変にプライドが高いか
(それなら、大相撲で横綱から転向したレスラーも
大成しなかった)、もうピークを越えての転向だった。
坂口なんかは、成功例として挙げてもいいのでは? 坂口なんて最もあかんケースやね、腰悪くして柔道では駄目だからプロレスに来たんだから。
腰悪くてもプロレス出来るくらいなら良いけど、プロレス全然出来なかったしな。
リング上以外では値打ちあったんじゃないの、ネームバリューあったし人物的には優れてる
のかな?知らんけど。 >>236
えー?いいと思うが。
ダイビングの技を受ける為に、こそーっと(とはいえはっきりわかるけど)動くよりましだよ。 坂口は塩だが、ハンサムでよろしいな。
柔道出身は相撲出身よりもおおむね顔が良いように思う。 鶴田の試合を“ピクピク痙攣”や「オー!」無しで見てみると
なかなか素晴らしいんだよねw
もともと表情の創り方や演技が下手な鶴田に
アメリカ流の観客アピールを教えても、真に迫れないよ
(おそらくファンク道場で教わったんだと思うが?) >>234
天龍や四天王の厳しい攻めをあれだけ受けても試合内容が暗くならず、
凄惨な感じにも刹那的な感じにもならなかったのは鶴田ならではだろう(大阪のアクシデントは除くw)。
鶴田後の四天王の糸の切れた凧みたいな試合や、
90年代の「何が飛び出すかわからない」弾むような感じの消えた
定番だけのひたすら暗くてじめっともっさりした天龍の試合見ればそれがよくわかる。 >>237
タイガー戸口やグラン浜田もしょっぱくはないな >>240
若いころの天龍の写真見たけど、結構なイケメンだった
ありゃモテただろうな
>柔道出身は相撲出身よりもおおむね顔が良いように思う
誰がイケメンかは所詮主観だからさておき、業界の構造的には、
アマしかない柔道よりプロのある相撲のほうがイケメンが輩出しやすいのでは?
何たって集客力のあるイケメンはありがたい存在だし
それに相撲には大銀杏を結う習慣があるから、
長髪の似合うイケメンは話題になりやすい
個人的には、アマレス出身者にイケメンが少ない気がする 多聞がアジアタッグ止まりだったのは年齢的に遅かったのか
同じアマレスでも戦い方がプロレス向きじゃなかったのか 多聞は絶望的にセンスと華がなかった、前に名前の出た高木なんかに比べると
適応力も低かったとしか思えない >>236
あれは鶴田のやられた感の巧さだよ。
地獄突きの恐ろしさが染み渡ってた時代だから。
実際、地獄突きは効く。 >>246
アメトーークで「1番だらしない体」って言われたw >>244
北の富士、龍虎、先代貴ノ花、輪島
アマチュアの柔道選手には出せない独特の色気があるよ 千代の富士もだな。彼のプロレス入りは儚く消えたが、腕力や足腰の強さ考えれば
ひょっとしたら坂口辺りは凌いだんでは。。 元子も大概たが、百田光雄の嫁も力道山の映像権利の貸し出しをかなり断っている映像を見た。
結局金になったのはパチンコの権利だげだった。 公益財団法人日本相撲協会は現存する団体としては世界最大で世界最古のプロレス団体 >>245
>>246
プロ入りの理由が「強化指定外れたら原隊復帰しなきゃいけないから」だったっけ?
所属がどっかの民間企業で、引退後も指導者としてレスリングに関わること保証されてたら
プロ転向はしなかったろうな。
>>256
山田さんが東スポのコラム「ブロディは相撲好きで、来日中に本場所があるときはいつも
試合開始前に控室で見ていた。特に千代の富士がお気に入りで、「あの横綱は
プロレスラーになっても絶対一流になれる。スカウトしたらどうだ」といっていた」
と書いていたよ >>225
スタミナがない。(60分フルタイムやった元相撲取りはいない?)
倒れると起き上がるのが遅い。
体がタッポリ。
細かいことが苦手(できたのは寺西、健吾、ジョージぐらい) >>249
力道山が撮影した相撲のカラーフィルムをNHKの大相撲中継で流した時、黒姫山と北の富士が解説だったけど
2人とも「力道山に憧れていて、最初はプロレスに入りたかった」と言っていたな。
特に黒姫山の方はかなりの思い入れがあったようだ。彼の顔つきからしたら、ヒールが似合いそうだw
>>250
千代の富士は抜群の運動神経で、陸上の走り高跳び、三段跳びの一流選手だったし、
ドロップキックなんかさせたら、凄まじい跳躍力で飛ぶのが容易に想像できる。 大相撲も、
特に十両以上に行った力士の転向組は
良く言えば「破天荒」悪く言えば
問題児」だよ(苦笑)
力道山、豊登、大位山、安田、北尾、高木、天龍
田上は、まぁまともな方。
輪島は、さすがに大人しくしていたが。 しかし、元のスポーツ経験別に考えると
絶対人数は少ないが
ラグビー出身者は問題児が多いなぁ。
グレート草津、阿修羅・原、鈴木健三。 ラグビー出身者でまあまあまともなのって謙吾くらいか。
同じくアメフト出身者はどうだろう?
思いつくのは百田兄、高杉、大森あたりだけど >>261
謙吾は調子に乗ってドスJr.に腕抜かれただろ。 脱臼ばかりして平幕に低迷していた千代をプロレスにスカウトするならともかく
横綱になった千代をプロレスにスカウトしろなんてブロディも無茶言うな。 >>261
あんなピアスと入れ墨のウドの大木が、まとも?
お前アホとちゃうか? >>260
外国人だけどバッドラック・ファレは素はいい人 千代の富士はくすぶっていた頃に国際プロレスに入ろうとしたこともあったらしい
大位山が「プロレスは給料が安いから止めておきなよ」と止めた 麻雀でロンする時、
それ脳天唐竹割り!
と、叫んでいた。 >>252
「全日なんて相手じゃ無いライバルは"巨人軍と相撲協会"だ!」と猪木が怪気炎を上げて
いた時期があった。その頃の新日ブームはそのくらい勢いがあった。 >>269
おちょくっているわけじゃないから勘弁してくれ。
猪木がライバルは〜ぶちあげて(それはまあいい)、おおなるほどそうかも、いけるよな。
と誤解するくらいに当時の新日は自己評価が高かったんだろうな。 >>265
なんかクスリやってるような表情してたよな レッスルマニアのきっかけも、シンディ・ローパーがたまたま飛行機でWWFの悪役マネージャー
ルー・アルバーノと隣り合わせたことがきっかけだったな
シンディ・ローパーはプロレスなんか知らなかったけど、アーティストにとっても大舞台の
MSGを毎月必ず満員にし、ほぼ毎日コンスタントに一万人クラスの観客を動員するなんて、
ロック界でも滅多にないことなのに、一般の目に全くと言っていいほど届いていない扱いで
これだけのポテンシャルを持った世界があっっことを知ってショックを受けたと
この二人の個人的交友がMTVのWWF放送、そしてレッスルマニアに繋がるんだけど、かたや
日本のプロレスは結局地上波TVの資金がなければ何もできない脆弱さだからなあ
猪木の環状線理論は正しいけど、ドーム興行を連発していた新日本ですらついに自社ビル一つ
作ることもできず、ユークスが「新日本は有名企業だったが優良企業ではなかった」
とボヤきながら債務を奇麗にしてくれなければとっくに消えていたという >>272
それで「グーニーズ」のPVにWWFの人気レスラー多数出てたのかw シンディもWWFで女子レスラーのセコンドでMSGに登場してたりしたよね。 シンディのPVでは「グーニーズ」よりも前の1st シングルでも
ルー・アルバーノが父親役で出てたねw こんな感じ
シンディ・ローパー、国内線でたまたま隣り合わせたルー・アルバーノと話し込み刺激を受け、電話番号を交換
↓
1983年8月、ローパー『ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン』のPVにアルバーノを父親役で出演させる
↓
ビンス、WWEのテレビ番組に特別ゲストとしてローパーを呼び、ロディ・パイパーと喧嘩させる
↓
「ローパーの友人」ウェンディ・リヒターが女子王者ファビュラス・ムーラに挑戦する代理戦争に発展
↓
1984年7月23日、この「ブロール・トゥー・セトル・イット・オール」MSG大会をMTVが全米生中継
↓
ホーガン対グレッグ・バレンタインのWWE選手権、猪木が優勝したバトルロイヤル、ムーラ対リヒターの
WWE世界女子選手権の全3試合が流され、視聴率はケーブルTVとしては驚異的な9%を獲得
↓
2カ月後、ホーガンがローパーと共にMTVに出演、キャッチフレーズ「Hulkamania」を連発する
↓
1985年2月18日、MTVがWWE中継第二弾「ザ・ウォー・トゥー・セトル・ザ・スコア」を放送
↓
場外乱闘でローパーがパイパーに襲われた際にリングサイド席のミスターTが救出する
↓
番組の視聴率は9.1%というケーブルTVとして驚異的な高さ(現在でもまだ破られていない)
↓
1985年3月31日、MSGで「レッスルマニア」開催、超弩級の大ヒットとなる
↓
スポーツ・イラストレーテッド1985年4月29日号がWWE特集を組み過去最高の売り上げを記録
↓
1985年5月11日、3大ネットワークのひとつNBCが「サタデーナイト・ライブ」枠でWWFを放送
↓
1955年以来30年ぶりのプロレス地上波全米中継は8.8%の高視聴率(翌86年1月14日放映分は番組枠最高の10.4%)
↓
1985年6月、ローパー『グーニーズはグッド・イナフ』のPVにWWFレスラーが大挙出演 80年代洋楽全盛のころ、マドンナとシンディローパーが2大人気女性歌手だった(まあ主に日本でだが)。
マドンナは曲がそれほど売れなくなっても、相変わらずプライベートとかで話題振りまいてたが
シンディのほうは90年代以降さっぱり話題を聞かなくなった。その後東日本の震災で被災地訪問を度々行って
親日ぶりをアピールしてたな。。まったくスレチで。 >>278
アピールって何やねん。
放射能の危険がある時期でもすぐ来日してくれて、シンディは本当に良い人。
本当に日本を好きでいてくれてる。 >>277
わかりやすい!ありがとう。
WWEの大躍進は、シンディ抜きにはあり得なかったんだな。
レッスルマニアの時は、「なんで唐突にシンディ?」と思ったんだが、そういう経緯があったんだね。やっぱり流れを作るのが上手いね。 MTVて、あのMTV?(曲のMVとかを流す)
MTVでプロレス中継してたの? 全日ではケリーのテーマに使われてた「アイ・オブ・ザ・タイガー」も
元々は、ホーガンも出演した『ロッキー3』のテーマ曲で
無名だったサヴァイヴァー初の全米No.1なんだよね。
ホーガンの名も、あの映画で一躍有名になったから MTVとは縁がある。 >>281
そう。ケーブルTVが普及し始めたのが1982年で、山のようなチャンネルの中でも人気局として
飛び出したのが若者の支持を受けていたMTVだった。
プロレスは1950年代後半に全米規模の地上波TVから見切られ、プロレス番組は地方局のみの
コンテンツになっていた。(だから地方局がカバーする狭い範囲だけが「テリトリー」になった)
「全米規模のプロレス」はこのMTVの中継まで30年存在していなかったわけで、多くの若者は
WWFを「今まで見たことのない全く新しいポップな娯楽」として受け入れた。
その後NBCがWWFを取り上げて30年ぶりのプロレス地上波放送を敢行したのも、旧来の大衆娯楽としての
プロレスではなく、「MTVが掲げた若者文化」に注目した部分が大きかったんだろう
本当にローパーの功績は大きかった。
その代わり、ケーブルTVによる全米中継の普及と共に、地方局が支えたテリトリー制っていう60〜70年代の
プロレス文化は消滅することになり、テリトリーをつなぐカルテル・NWAも消えることになるんだけど。 アイ・オブ・ザ・タイガーはいろんなレスラーの入場曲に使われてるなぁ
第一次Uのスーパー・タイガーも使ってたらしいし、平成だと剛がプロレスバカでブレイクとした時に >所属がどっかの民間企業で、引退後も指導者としてレスリングに関わること保証されてたら
>プロ転向はしなかったろうな。
多聞はパンクなので指導者の道よりプロの道を選んだのだ!
と思いたいw
とかいつつ今は堅実に児童向けのアマレス教室やってるようだけど。 >1985年5月11日、3大ネットワークのひとつNBCが「サタデーナイト・ライブ」枠でWWFを放送
ワープロの制作が87年にスポーツ局からバラエティ班になったのはこれを参考にしたのかな。
全日本プロレス中継は幸いなことに最後の最後までスポーツ局制作だったな。 アメリカってホントに「一つの州=一つの国」みたな感じで、その集合体で合衆国なんだな。
ボボ・ブラジルの76年の月刊プロレスでのインタビュー記事(ライターの創作かも知れんが)、
「MSGは久しぶり。最近はミシガンやジョージアの仕事が多かった」とある。
ザックリ言えば、ミシガンはデトロイトでジョージアはアトランタってことなんだろうけど。
当時のアメリカ人レスラーにとって、日本も「アメリカ合衆国ジャパン州」みたいな捉え方だったんだろな。 >>289
プエルトリコやハワイで稼ぐのと感覚的には大差なかったかも。
ギャラは大違いだったろうが。 >>277
凄くわかりやすくて素晴らしい内容
ありがとう >>286
正確には元々予定していた日本ツアーをキャンセルせずに2011年3月16日からのツアーを開催
チャリティイベントにし東北大震災の復興に貢献した 全日本プロレス中継なのに何で外人同士の試合がメインなんだ!
ワールドプロレスリングなのに日本人抗争ばかりじゃねーか!
番組名を交換しろ!
という投稿が週刊ゴングや週刊プロレスに定期的に掲載されていた。
世界のプロレスも番組名を英語にしてワールドプロレスリングにすれば視聴率が上がるはず。
という投稿もあった。 アイオブザタイガーは世界のプロレスのOPかEDで流れてた >>289
そこら辺の感覚は全然日本人と違うよね。
州が一つの国のようだから、レスラーのインタビューやアナウンサーも地名を言う時は
「ダラス・テキサス」「フォートワース・テキサス」「アトランタ・ジョージア」
「セイントポール・ミネソタ」「セントルイス・ミズーリ」「タンパ・フロリダ」
みたいに必ず「都市名・州名」がセットだよね。
日本を「トウキョウ・ジャパン」みたいにいうのと同じように。 初代テーマ?の「ロッキーのテーマ(Gonna fly now)」はオープンタッグか
翌78年最強だったかの参加選手予告とかで流されてたな。子供ながらに鳥肌つか武者震いが湧きたった。
入場曲とかで「コレだ!」というと辰吉の「死亡遊戯のテーマ」がいい。また前奏曲的(オープニングSE)な感じだと
プロレスではないがメタリカの「夕陽のガンマン」もちょっとダサいけどカッコいいという絶妙な世界観が醸し出してるな。。 >>294
アイオブザタイガーはエンディングな
世界のプロレスのオープニングはメガTONスポーツテーマ
https://youtu.be/JMDKA9qJ56E >>288
2年ほど全日中継を放送していた日曜22:30枠は、それ以前は
バイオニックジェジミーとかチャーリーズエンジェルとかの
海外ドラマを10年以上放送していた枠
ドラマ班の知恵借りて、海外ドラマファンを取り込むこととかできなかったのかな?
全日マットのアメリカンな雰囲気は、海外ドラマファンに受け入れてもらえると思うんだが >>295
その例えなら、「トウキョウ・ジャパン」じゃなくて、「タカサゴ・トウキョウ」とかだろ。 80年代から90年代くらいにかけて
日本では新日本と全日本が週1で1時間枠で放送されていたけど、
そのころのアメリカのプロレスってどれくらい放送されていたのか。
勝手なイメージとしてアメリカは毎日のように放送されて
ビッグマッチも生放送日本よりもいっぱい放送されてる
なんてあった。 >>283
シンディが何故日本人に親切なのか知らんのか?
シンディが日本人好きアピールして、何の得があるの?
全部答えろ。
このアホ。 >>285
全米ネットしてないから、
ニューヨークの若者はプロレス知らなかったって?
ニューヨークでWWFの放送はなかったのか?
ローカルではそれぞれの地区のプロレスは放送してたんだろ?
言ってることが無茶苦茶。 >>292
海外アーティストが次々に中止にした上(それは仕方ない)、何人かの日本の有名人や、大物政治家ですら関東から脱出したのに、
シンディの気持ちは本当にありがたいよなあ。 >>300
じゃなくて、州が国だと思ってるってことだろ。 https://www.youtube.com/watch?v=8RiGijpG0OM
https://youtu.be/EZ80sYK4v18?t=46
こういうの今だと(新コロが無くても)映像見ながら東京のスタジオで実況収録って感じになりそう。
三沢はノア時代に欧州遠征の放送があったから
馬場−鶴田−三沢と伝統は守られたか。 新日系スレで「メキシコではアンドレも撃退する頂点の存在のカネックが
日本では淡々とかませ犬を演じていたのは、日本の試合の映像なんか
メキシコの観客が見ることは絶対にないと分かっていたから」という話が
あったけど、当時のアメリカのレスラーにとっては州をまたぎ別テリトリーに
入るのが別の国に入るのと同じことだったんだな
今やつべで60〜70年代の動画がガンガン見られるけど、同じレスラーの
顔合わせが、地区が違うとベビーとヒールが入れ替わり全く逆の試合になる
もっとも同じテリトリーでも色々あって、このあいだのGスピリッツのレイスの
インタビューが凄く面白かった
レイス 「ブルーザーとクラッシャー、私とラリー、どちらのタッグもベビーじゃ
ないし、かといってヒールでもない。ガニアが狙っていたのはそこで(略)」
―― なるほど、ミルウォーキーに行くとクラッシャーは絶対的なヒーロー
でしたし、シカゴに行くとブルーザーの人気はガニアよりも上でしたね。
そこでレイスさんのチームが巧みに使われたわけですね。
「典型的なイン・ビトウィーン・ロールだね。それはAWAだけではなく、
あらゆるテリトリーで一番必要かつ難しいポジションだったよ。後に
自分も色々な土地でブッカーとして雇われたが、『AWAにいた時、
自分とラリーがやっていたポジションに誰を据えるか』というのを
真っ先に考えたものさ。」
ほんとにレスラーもブッカーも現地の観客の反応を見て、臨機応変に
役どころを作らなきゃいけないんだから大変だ
WWFがタイ遠征した時に巨漢のビックショーが物凄い反応を受けたら、
トリプルスレットで対戦していたレスナーとアングルが、即座に2対1の
ハンディキャップマッチの要領でビッグショーを引き立てる試合をしたと
いうのを聞いた時には驚いたものなあ >>293
全日本プロレス中継という番組タイトルなのに、新聞のラテ欄にはプロレスリングと書かれる謎 ラテ欄はどの曲も単に「プロレス」だったような。
日プロの番組名が「ファイトメンアワー」と知って
ビックリしたもんだけど。 世界の中にアメリカがあるのではなく
アメリカが世界を支配するというのがアメリカ人の思想
NWAやAWAというナショナルやアメリカが最上位団体で
ワールドのWWFはナショナルのNWAに加盟している下級団体ということからして
ナショナル>ワールドという米国政府の姿勢はいまなお変わりはない。 >>285
当時のMTVが人気コンテンツだったのは知ってたけど、その中にプロレス中継が入ってたのは知らんかった。
ありがとう >>312
WWF(設立時はWWWF)だって
最初は、NWAの下級団体ではなかったんだが?
そして、今は、WWEがアメリカ、そして
世界のプロレス界をリードしているよね。 シンディローパーを名古屋のホテルで見かけた事がある
丁度その日ライブがあったらしく広いロビーにファン沢山並ばせて全員にサインしてると聞いた >>308
一度、ワープロで古館アナが空実況中継していてすぐにわかったけどフリーになって
タレント活動が多忙になって大阪(越中vs.山崎のIWGPジュニア戦)まで行く
スケジュールが取れなかったみたい。
>現地の観客の反応を見て、臨機応変に役どころを作らなきゃいけない
このスレで時折、日テレ・原Pやカブキが語る「鶴田が時間をかけてじっくり学ぶ
必要があった・・・」と言われるモノだね。
>>316
原発が暴走を初めて日本がどうなるかわからない1週間。今より遙かに危機的状況で来日
予定の海外スターは訪日を次々とキャンセル、日本のプロ野球にキャンプ中でだった
外人選手は一部が球団に慰留振り切り帰国する中で「こんなときこそこ日本人を元気づける
べき」とツアーを強行した。親日家なった理由がウィキに書いてあって納得した。 今日は鶴田の命日か
没後20年だけど、今年はこんなじゃ没後20年記念大会もメモリアルマッチもやれないね。
一昨年だかに秋山さんは、出来る限り続けたいと言ってたけど… >>285
>>313
MTVで放映されることを見越してホーガンを王者にしたのは慧眼だったな
王者がボブのままなら不人気で打ち切り食らってそう >>308
現在のスポーツ中継は五輪でもマラソンでも現場や会場からの実況ではなく
メインアナウンサーと解説者は放送センターやテレビ局のスタジオにいて
送られてくる映像を実況するというスタイルが主流。
ゲストに芸能人を出演させて試合の映像に芸能人のワイプ画面をぶち込んでくるとか
番組テーマ曲にアーティストの歌をタイアップさせるとかも当たり前になっている。 インターネットなんか使ってない専用線だからなあ。テレビ局は。
リモートワークってインチキ。
あんなに安定した通信はインターネットは不可能。 >>312
それ、他のスレでも見たが単なる、こじつけ。
どんなスポーツの団体でも(野球、フットボーなど)
まずアメリカ人は「アメリカ国民の、アメリカ全国の」という意味の
「National」を付ける。その対抗勢力が、今度は「American」と称する。
「National」でも「American」でもない第三勢力が今度は、
でっかく「WORLD」と銘打ってきただけ。
ロスのWWAやニューヨークのWWWF。
手前どもは、「National」より下の「WORLD]でございます、
ってわけではない!(苦笑)
で、WORLDの次は「INTERNATIONAL」や[UNIVERSAL]だ。
日本だって、最初に出来た団体は「日本プロレス」で、
それから「国際プロレス」とか「UWF(ユニバーサル」が出来た。
SWS(スーパーワールド))や「WJ(ワールド、ジャパン)」
もあったなぁ(苦笑)。
アメリカに話を戻すと、WWAやWWWFという新参団体は、
老舗のNWAに敵わず、一度、傘下に入ったが、
WWWF(WWF)は盛り返して、NWAを潰しちゃったわけだよ。
AWAもなくなったし。 >>324
下四行は要らなくないか?誰でも知ってることだろ?
君はそんなにNWAよりWWFの方が上だと主張したいの? 子供の頃NWAの意味が全米レスリング同盟と知った時は
「アメリカ」の「世界王者」に「日本の馬場」がなるの?
と不思議な気がしたもんだ ナショナル
ユナイテッド
インターコンチネンタル
パシフィック
ミッドアトランティック
ノースアメリカン
色々あったね PWFはうまいネーミングだったな。
「世界」を名乗らずとも、太平洋っていうだけで
十分スケール大きく感じるし。
なんでこのタイトルが日本にあるのか一番不思議だったのは
やはり新日の北米タッグかなw 日本でミズーリヘビー級選手権試合したのも違和感あったな。
東京都ヘビー級選手権をアメリカでやるようなもの?
オールスター戦での荒川対S奄美は鹿児島選手権試合と呼ばれたな。 PWFは西海岸のロスかシスコ
それとシドニーになんかあればカッコついたんだけどな。
当初は南米や南半球なんてタイトルがあったし。
IWGPみたいに大風呂敷を広げればいいというものでもないが
>>328のいうようにスケール感があるのになんか泥縄で惜しい。 >>329
グランドチャンピオンカーニバルの趣旨としてミズーリ州の防衛戦やるのは悪くない
ただ挑戦者を石川にしたのはどうかと思う
NWA王者の登竜門と言われてるのにその程度の価値しかない感出たからな
挑戦者は天龍だけで良かっただろ >>331
なるほど!
ということはミズーリ選手権を獲得すればNWA世界王座へ挑戦する資格も得られる訳ですね。
天龍が挑戦したときにそのような解説があったのかな? >>331
一回しか防衛戦やらないんじゃ
グランドチャンピオンカーニバルの趣旨のそぐわないからじゃない。
それに一回勝利して防衛した方が天龍戦が盛り上がる。 ドスカラスがドクトルワグナー相手にメキシコライトベビーの防衛戦を日本でやったことあったね。 そーいやガキの頃、AWFとかPWAとか架空の団体作ってベルトや歴代王者とかチラシの裏に
書き綴って楽しんでたわ。。
同じレスラーが続く時はノーコンテストで預かり、決着戦で再度王者とか但し書きw ミズーリ州はハーリー・レイスのところだな
かなりのド田舎だけど カルロス・コロンが「真のワールドチャンピオンは自分のみ!」とのフレアーの煽りを受けて、決着戦で破り(幻のNWA王座移動とは別試合)に
『このタイトルはフレアーの「ワールド」以上の「ユニバース(宇宙)」』としてタイトル名も『WWC世界ヘビー級タイトル』から
『WWCユニバーサルヘビー級タイトル』に変えてしまったこともあった。その後、結局、形だけになったNWAに最後まで残ったのもコロンだけどね。 コロンって79年に全日に来た時とかブッチャーの子分みたいな感じだったが
地元じゃ馬場級の超大物。 ブッチャーは仇敵、NWA王座もレイスやフレアーを
射程圏内に据えるポジション。 ブラジル&コロン組で、極道コンビのアジアタッグに挑戦してたよな。
奪取してベルトが海外流出しても、日本以外で組むことは絶対になさそう。 >>336
レイスはミズーリ州の隣のカンザス州。
国際でグレート草津が英国西部ヘビー級、英国南部ヘビー級王座獲得、ラッシャー木村とヨーロッパタッグ王座も獲得。
UNWで何度かバージニアヘビー級戦をやって内藤、ジニアスが挑戦してジニアスは取ってる。
バージニア州はクロケットプロのテリトリーで首都ワシントンの所だから田舎ではない。 マスカラスとのシングルは普通ならマスカラス圧勝と思いきやマスカラスをコーナー
ポストに宙づりにしての反則負けだったのは驚いた。因みにブラジルは引き立て役に
されていてた。 >>338
プエルトリコってブッチャーやブロディも常連だし
日本と関係の深いテリトリーだったと思うんだが
そのエースのコロンの扱いはイマイチだったんだな
馬場にしてみりゃ「あんなスペイン語しか通じない
島はアメリカじゃない」くらいの感覚だったんだろうか >>341
馬場&鶴田&マスカラスvsブッチャー&ブラジル&コロンというテレビマッチが組まれ、
1本目はコロンが馬場にリングアウト勝ち、2本目は馬場がコロンをフォール、3本目はマスカラスが
ブラジルをフォールだった。さすがに馬場もコロンにフォールされるブックは嫌がりそうだよな。 プエルトリコは支払われるギャラがWWFの次位に高いテリトリーだったので
アメリカの一流レスラーがけっこう遠征して出場していた
治安の良さは全然違うが日本に似たテリトリー >>342
血の気の多いプエルトリカン、ここへ我儘気ままのブロディが足を運んだという不運。
古くはマスカラスとゴードマンのような刺傷事件があったり中南米はヤバいよw >>342
別に島を差別してるから、格下扱いしたわけじゃないだろ。
普通に考えて、日本でコロンをトップにしても説得力ないだろ。日本に頻繁に来れるわけでもなし。 >>344
WWFが一番ギャラが良いテリトリーってのは…マサ斎藤も言ってたから本当なんだろうけど、
なら何故、レスラー確保のためにNWAの傘下に入ったのか?
ギャラが高ければ、自然にレスラーが集まると思うんだが。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12156088747
なんか昭和は酷かったって話
動かぬ証拠、映像が残ってるからな
シーク、ブロディはカット下手
ハンセンは上手
でも脳天唐竹割りで出血する設定とか恥ずかしい
のどかな地代だなwww >>345
差別なのかどうかわからんが、アメリカ人に「プエルトリコはアメリカじゃない」
って感覚があるのも、逆にプエルトリコ人に「俺たちはアメリカの一部じゃない」って
感覚があるのも間違いない事実なんだよな。だから行政上はほとんどアメリカと一体化
しているのに、住民投票が否決されたりして、51番目の州として編入される昔からの
政策がいまだに実現していない。最大の理由は、完全なスペイン語圏でほとんど英語が
通じないことだろう。馬場もずっと英語しゃべってビジネスしてきた人間だから、
英語が通じないプエルトリコは明らかにアメリカと別世界と感じていたはず >>347
レスラーは三ヶ月契約だからレスラーの入れ替えの回転が必要。
全米規模のNWA内のレスラーの方が多いため、NWAに加盟した方が色々な選手の入れ替えがし易い。 要するに短期の非正規社員を派遣してくれる口入れ屋としてNWAと契約したということ >>349の地代ってなんだろう?と考えたが時代のことか? >>344
プエルトリコと日本って、同じ島国でアメリカからレスラーが大挙参戦して、
ファンも熱狂的なところが似てると88年に当地に参戦していた武藤が言っていたけど
確かにそうかもね。そうは言っても、当時のプエルトリカンの熱狂度は異常だけど。
ハンセン「プエルトリコのファンは"hurt"じゃなくて"kill"しようとしてくる」
アトラス「排泄物を投げつけてくる」
ブッチャー「石を投げつけてくる」
とこんな発言ばかり。
動画で85年のカマラvsジミー・バリアントの試合を見たけど、カマラが入場すると、
清涼飲料の大きめのガラス瓶がリング内に思いっきり飛んできたりね。
武藤も何年か前に二十数年ぶりにプエルトリコに行って「今は大分良くなったなあ」
と言っていたけど、当時は本当に治安が悪かったとのこと。 >>350
そりゃそうだろうけど、
コロンを格下扱いしたこととは関係ないだろと言っている。 コロンの試合を動画で見たけど、あれでは格下扱いされても仕方ない
少なくとも日本でアレはウケない >>349
寺西もカット下手
セルフカットじゃないけど長州の額深く切り過ぎて大流血させてたw >>358
キッド対小林のインターJr戦も寺西がカットしたんかな?
小林の顔が見えないくらい流血してたもんね。 >>355
ビンスマクマホン・シニアがNWAに加盟し、翌72年にはAWAと提携、
73年にはモントリオールの「グランプリ派」(バション兄弟)とも提携、
他地区と積極的な交流に入ったのも、そのプエルトリカンの観客の
体質が関係していたと言われてるね。
サンマルチノはイタリア系移民の星だった。
そのサンマルチノの腰が限界となって王座を放棄、プエルトリコ系
移民の星・ペドロ・モラレスを王者にしたものの、プエルトリカンの客は
情熱的で、WWWF伝統の「王者が挑戦者に二カ月苦戦し、三カ月目で
結着を付ける」というストーリーを許してくれない。
サンマルチノですら挑戦者に苦戦しダウンして、反則勝ちやリングアウト
勝ちで弱々しくベルトを受け取る姿を見せて、イタリア系の客もそれを
許容していたのに、モラレスはいつもスカッと片を付けていなければ
プエルトリカンの観客が収まらなかった。
おかげで挑戦者は毎月とっかえひっかえ。
後に王座に復帰したサンマルチノがMSG定期戦で戦った挑戦者の数は
74年の一年間で5人、75年はたったの4人。
ところがモラレスが72年に定期戦で戦った挑戦者の数は10人。
どうしても使い捨て気味の「外敵」を輸入しなければならなかったんだろう。 それとプエルトリカンはニューヨークには大勢いたものの北東部に少なく、
モラレスは地方でサンマルチノほどの人気がない事がはっきりしてきた。
そこでビンスは後のバックランド時代まで続く「複数スター制」を志向して、
特別出演のサンマルチノ以外にストロンポー、ポトスキー、モンスーン、
後にはアンドレを土地ごとのスーパースターとして扱い、彼らの対戦相手の
供給先としてNWA、AWAと提携し、レスラーの入れ替えを委託する。
モラレスが地方巡業から外されるようになったのが71年9月。
その前の8月にビンスはNWA再加盟を申請、満場一致で認められている。
71年12月、カール・ゴッチがWWWFタッグ王者となる。
72年7月、女子の試合が4年ぶりにMSGで開催。
72年9月、モラレス対サンマルチノのベビー対決が実現。
72年11月、ガニア、レイ・スチーブンスらAWA勢がMSGに出場する。
72年12月、覆面レスラーが解禁されマスカラスもMSGに登場。
73年1月からバション、アンドレ、ジョナサンらモントリオール派も出場。
NWAに加盟してもニューヨークにNWA王者を招いて防衛戦をさせることを
望みもせず、悪く言えばやられ役や特別ゲストをかき集めては交換して
しかもその管理をNWA経由にすることでギャラの高騰を抑えていた。
日本ではWWWFのベルトから「世界」の単語を外すことが大ごとのように
報じられていたそうだけど、ビンスからすればリーズナブルな商売が
できるようになって大喜びだったんだろうね。 >>361
いずれにしても、
規模としては、NWAの方が上だったってのは間違いないようだね。 >>362
1.5万人クラスの大会場が多いWWWFは最高部の客まで伝わるような
パワーファイターのゆっくりしたモーションでの試合が必要だった。
NWAは地域によってスタイルがあり、荒っぽいテキサス、テネシー、
オーソドックスなミズーリ、フロリダ、ミッドアトランティック、
メキシコと接しているため飛び技系もあるロスなどバラエティに富んだ選手が多かった。
NWAは会員内で色々な選手が行き来できたので面白かった。 驚いたのはWWFで、NWAというのが各地区プロモーターの寄り合い所帯、
つまり団体組織ではなく商店街のようなものだとは分かっていたつもり
だったものの、ビンスシニアの時代からWWWFなんていう「会社組織」は
実はまったく存在していなかったと知ったのにはビックリしたものだった
存在していたのはビンス・シニアのプロモーション会社「キャピタル・
コーポレーション」だけ
「WWWFの試合」と称されていたものは、世界の中心NYで芸能やスポーツの
プロモートをしていたビンス・マクマホンが、アーティストのコンサートや
バスケ・ボクシングなどの芸濃・スポーツ興行を開催するのと並行して、
「何人かのレスラーを呼び集めてプロレスの興行を行っていた」というだけの
もので、個々のレスラー達との「興行に参加する契約」はあっても、日本
みたいにレスラーが社員として集まり、本社・道場・合宿所を備えたりした
「団体」なんてものはアメリカにはハナから存在していなかった
あったのは王者サンマルチノが試合をする際の目玉になるタイトルマッチに
ハクをつけるために、名前だけでっち上げた「世界王座を認定する(架空の)
組織」という看板だけで、全日本女子プロレスの「WWWA」や国際プロレスの
TWWA、「パリに本部のある」IWA、馬場全日本のPWFなどと同じ、名前だけの
幽霊組織だったんだな
だからあるのは「プロモーター」と「テリトリー」だけ
NWAだのAWAだのと言っても業界内やレスラーからすれば何それ?状態
誰かが「建設業界に似てるな」といっていたけど確かにそういう関係だと思うw マサ斎藤も言ってたね、
日本ではNWAだWWFだと興行会社みたいに言うけど、レスラーにとっては
一人のプロモーターが押さえている『テリトリー』があるだけのこと。
俺が仕事をしていたサンフランシスコやロスやフロリダも、日本では「NWA
傘下」ということになるんだろうが、レスラーからすればテキサスと西海岸は
全く別のテリトリーでしかなく、ましてNWAが最大勢力という感覚はなかった。
一つのテリトリーでありながら大都市がたくさんあり、観客が多いからギャラも
高いWWFがレスラーにとって最高の檜舞台だった、と
レスラーからすれば「地域のプロモーターと3ヶ月〜1年ほど契約する」という
感覚でしかなかったんだろうな マサ斎藤 「監獄固め血風録」より
よく「アメリカン・スタイル」といわれるが、本当はそんなものはない。
広大なアメリカには、いくつものプロレスのスタイルがあるんだ。
だから正確に言うなら、ロサンゼルス・スタイル、サンフランシスコ・スタイル、
フロリダ・スタイル、ニューヨーク・スタイルと当時はそんな風に区別されていた。
前に書いたように、サンフランシスコで俺はスニーキーなプロレスを徹底的に
叩き込まれた。だけどサンフランシスコでのノウハウが、別のテリトリーで
通用するとは限らない。アドバイスには耳を傾けるが、ただ従えばいいって
もんじゃない。だから俺はよく言うんだ。プロレスは馬鹿じゃできないと。
州境を越えて違うテリトリーに入れば、全く別のプロレスがある。
それがアメリカなんだ。
アマチュア・スタイルをベースにしたオーソドックスなスタイルを好むのはフロリダ。
ロサンゼルスはマスカラスがスターだったようにメキシカンの飛び技などが入ってくるし、
テネシーは なぜか小柄な選手が多いのでスピーディーな試合になる。逆にでかいのが
多くてパワー・ファイト主体になるのがニューヨーク。
とまあ、こんなふうにバラエティに富んでいる。 レスラーに求めるイメージやファイト
内容が違うのは、住んでいる人間の肌の色、物の考え方、ライフスタイルまで違うのだから
当然だろう。 だから一つの地区で成功しても、別のテリトリーで通用するとは限らない。そこが頭の勝負だ。
サンフランシスコではスニーキーに、フロリダではレスリング中心にと、自在に自分の頭を
チェンジできないとトップは取れない。
だから特定地域だけのトップというのも当然いる。もしもプロモーターに出ていけと言われたら
惨めなものだ。一時はどんなに稼いでも、 客を呼べなくなったらすぐクビだ。そうやって
落ちぶれていくレスラーを何人も見た。
だから俺は、どこへ行ってもトップを取れるように、プロとして柔軟に対応してきた。
しかし、それだけじゃ個性を売れないから、必ずアマチュア式のレスリング・スタイルを
織り交ぜて自分の色をつくっていったんだ。
ファイト・スタイルだけではなく、ビジネスのやり方も地域によって違う。
南部は土地柄か全般に大らかで人情があり、レスラーたちも和気あいあいとしている。
正反対なのがニューヨークで、完全に政治力の世界。プロモーターの権限が絶対的に強く、
文句の一つも言ったらギャラが半分というシビアさがある。
複数の地区でトップを取るようになると、他の地域のプロモーターにも評判が伝わり、まだ
実績のないテリトリーでもトップ扱いしてくれるようになる。
その反面、どこかで干されたといった話が広がると、他の地区でも警戒される。
今日、ニューヨークで起きたことを、明日になれば全米中の関係者が知っている。
そのくらい、この世界は昔から情報が伝わるのが速い。 >>367
やっぱりWWFがプロレスをつまらなくしたなあ >>368
だがNWAアメプロが飽きられたのも事実なんだよなあ。
ニューヨークでのみホーガンがブレイクしてビンスjrが侵攻しなければ
どうなったろう?
ムキムキスターを各地で育てたんだろうか? 毎日長文でスレチな書き込みをするのなら、別にスレを建ててもらえんか
昭和のアメリカンプロレスとでもなんでもいいから >>362
>規模としては、NWAの方が上だった
NWAとWWWFを比較するのがオカシイだろ?
WWWFは、いち団体(プロモーション)、
NWAは、(’80年代初めまで)、その全米各地の
プロモーションを取りまとめる組織。
商店街で例えれば、いち商店と、商店街加盟店の全体の
規模を比較するようなモノ。 >>364
ビジネスを知らないようだな。
キャピタル・コーポレーションとWWWF、WWWFをTA=Trade Nameと言う。
例 Japan Corporation, Inc. が「さくら」という名の日本食レストランチェーン店をやる時の「さくら」がTA。
https://laxtaxreturn.com/start-up-in-los-angeles/newbiz-name/ 地図で色塗りするとすれば、面積はNWA>WWFなんだけど、人口で比較するから(NWA全盛期であっても)NWA<WWFというようなことを何かで読んだ記憶があります。 >>373
一文字訂正。
地図で色塗りするとすれば、面積はNWA>WWFなんだけど、人口で比較するなら(NWA全盛期であっても)NWA<WWFというようなことを何かで読んだ記憶があります >>364
知ってますけど?
社員とか合宿所なんかは日本独自だよ。 >>371
お前がいつも、
日本ではNWAが最大の団体と思われてるが、それは幻想。
本当はWWFが一番だった、
てな書き込みをしてるからだろが。 >>369
ビリーグラハムが、チャンピオンの時、
全米各地でムキムキレスラーが増えたのか?
アメプロが飽きられた、ってのは何を根拠に言ってるんだ? 海外のプロレスやスポーツイベントに親しんでいた吉原功は、日プロを
飛び出して国際プロレスを作った時、海外のプロモーターと同じように
「戦うリングのみを用意して、日プロや東プロから選手を借りつつ外人
レスラーを招聘して興業を主催するプロモーション会社」を目指した。
世界のイベントってだいたいそういうものだったんだけど、日プロからは
「そのようなブローカー団体は相手にしない!」と言われていた。
日プロの芳の里や遠藤らからすれば自分達の放漫経営を糾弾して
出て行った相手だからこき下ろすのは無理ないけれど、吉原からすれば
新弟子を生活の面倒まで抱える代わりに付け人として炊事洗濯まで
やらせてこき使う日本の相撲部屋システムの方が世界的な常識から
ズレた旧態依然の遺物でしかないのに、そういう形ではないからといって
「いかがわしい組織』呼ばわりされるのは心外だったろう。
後年のプライドやK-1も、21世紀のインディもそういったイベント興行の
方向性になったんだけど、昭和の日本は映画会社も芸能界もビジネス
関係ではなく「一家は仲間、それ以外は敵」というムラ社会だったから。
映画会社は監督、俳優、衣装や大道具まで全部「社員」として囲い込み
配給も自分の直営館だけに流していたなんて今じゃ信じられない話だ
プロレスファンの側にも「団体にあらずんばプロレスにあらず」っていう
意識が染みついていたから、NWAだのWWWFだのも「団体」という
捕え方しかできなかったのも、時代の限界だったんだろうな。 >>369
1950年代後半に各地で独立プロモーションが設立され「世界王者」が
乱立したのも、40年代から広まった地上波テレビのプロレスブームが
落ち着いて、全米規模のプロレス番組が無くなったからだものね。
メディアの変化はプロレスの変化を呼ばざるを得ないから、結局は
テリトリー制は(いったんは)消滅するしかなかったろう。
後の日本が、全国規模のTV中継があったから日本のどこでも馬場が、
猪木が、タイガーマスクが人気者として求められたように、TVのおかげで
全米のどこでもルー・テーズが王者と認められるようになって、40年代
〜50年頃に、アメリカ中に乱立していた王座が次々統合された
それが全米地上波でのプロレスは1955年に消滅して、ローカルネットの
「地方局の中でだけの王者」を作るしかなくなった。当然「世界王者」は
テリトリーごとに乱立する。 (でもレスラーは各地を渡り歩くから、供給や
ギャラの調節のための仲裁・調停役が必要で、それがNWAの仕事になる)
そして1985年にはケーブルTVの定着で、もう一度「全米規模の王者」が
求められるようになって、「テリトリーごとのプロモーション」が田舎の
格落ち娯楽のように見られるようになっちゃったのは事実だものね。
千葉TVのヒーローはどうしたって全国区のヒーローには勝てない
SCWもWCCWもUWFもクロケット派も、みんな「俺たちのハルク・ホーガン」
を作ろう、自分たちもWWFになれるはずだ、と思って全米規模の巨大組織を
目指したけど、こうなると戦国時代と同じで、あとは弱肉強食、群雄並び立たず、
力のある者の総取りにしかならなかったんだよなあ
それが2001年、WCWの買収で結着する
1940年代 全米中継TVのプロレス人気 → 全米規模の王者の統一
1960年代 全米規模のプロレス中継消滅 → 組織分裂、王者の乱立
1980年代 ケーブルTVの全米中継普及 → 全米規模の組織の再統一
そして今ネットTVの時代になって、もう一度傾向の違うプロモーションが
復活勃興できるかという動きが出ているみたいだけど、どうなるか… ガキの頃、「プロレス入門」(初版だぞ)読んでて、「日本のレスラーはジム所属で
アメリカの契約レスラーと違います・・」という説明文とスーツ姿のレスラーがカバンと月給袋持ってる挿絵があって
これで日米のレスラーの在り方の違いは把握できたな。あと馬場が外出するときは付き人のクツワダが全部荷物持ち、とか。
あと国際は「IWE」という英語名の略称を使ってたので国際だけはアメリカみたいな団体だとか勘違い?してたな。 >>370
新日本スレにも書いてるっぽいしこの人専用スレがあればいい なんか変なストーカー(アウアウウー Sa2d-F7Rn)がいるなぁ。 流れ無視ですまんが、高杉正彦のwiki見てたら、
「全日解雇後は、フリーランスとして全日の前座で様々な謎の覆面レスラーに扮したり、
地元である平塚市で行われる試合にスポット参戦するなど時折活動していたが」
との記述がありますが、86年春の解雇後に覆面で上がった事実はあるのでしょうか?
あるとしたら名前はなんでしょう? >>378
> 海外のプロレスやスポーツイベントに親しんでいた吉原功
そうなの?マツダと手紙やりとりする程度だと思ってたが親しむほど頻繁に海外行ってたんだ? その割には、国際は一緒に番組作るテレ東に上から目線で接して、とてもアメリカスポーツ界に慣れ親しんだ人間の行動には見えないな。 全日本プロレス中継の中でも解説の山田隆さんが米プロレス事情について解説していたね。 >>385
86年の夏にジ・インベーダーって、なんの取柄もないジョバー的なちっこいプエルトリカンのマスクマンが来てるけど
まさか高杉なのかなw 調べてみたらインベーダー3号の正体はジョン・リベラというちゃんとしたプエルトリカンだった… オープン選手権での馬場対鶴田を見た。
それぞれの繰り出す技はもちろん、鶴田の溌剌さと馬場のインサイドワーク全て見応えがあった。
以後この師弟対決がCカーニバルでのみに終わったのがもったいない。
カーニバル以外で年に1回か2回、タイトル戦でなくてもよいから大会場で対戦してスーパーヘビー級のスケールの大きいプロレスを堪能させてくれたら全日本の看板カードになっていたかもしれず、新日本に対しても全日本流ストロングスタイルを提示できたと思った。 馬場対鶴田は流石にトップ同士の対決だからいい試合が多いんだけど
天龍が出てくるまでの全日の日本人対決ってどうだったんだろう?
新日は猪木対坂口以外にも小林、斎藤、藤波、長州、星野、山本らのそれぞれの絡みでも
好試合が多かったが
大熊、小鹿、轡田、高千穂、石川とかが対馬場、鶴田やお互い同士の対戦って
それなりに盛り上がったんだろうか? 天龍が出てくる前の新日本で猪木以外で良試合多かったか? >>393
藤波長州戦は初対決の時点でも
関係者の評判は高かったし
ほかの絡みもテレビでよく中継されてた
動画も前に上げれてた >>392
天龍が出てくるまで、馬場、鶴田、戸口以外のシングルでの日本人対決は、ほぼ放送されてないんじゃないかなあ。 馬場は年功序列をリングの上にも持ち込んでたから
たぶんというかほとんどシングルとか組まなかったんじゃないかな >>396
年功序列というか、格を明確にしてたわな。
そるが力道山時代からのプロレスの形だった。 >>392
小佐野の鶴田本でも特筆されてたけど昭和53年愛知での鶴田vsドク戦は素晴らしい。
鶴龍戦以前にこんな重厚かつスピーディーな日本人対決(いちおうドクは日本国籍なんで)ってあったんだな。 >>379
だーかーらー、アメリカ人は全国区とか関係ないんだって。
日本の事情を当てはめすぎ。
ニューヨークがどうとか、他の州は別に関係ない。それぞれの州が、自分たちこそ世界って思ってるという書き込みを見ても、自説を曲げないってすごいなお前。
前から思い込みと妄想が激しすぎるんだよ、お前は。で、都合の悪い質問には一切答えない。
アホやろおまえ。 >>385
解雇された年の夏には確かに平塚の大会をプロモート
して前座試合にも出ている。
それ以外は無いと思う。
例の全日本の全ての試合をupしている方の
記録を一通り見てもそれっぽいのは無いよ。
国際ならともかくこの時期の全日本で
そんないい加減なマスクマンを試合に
出さないよ。 チャンカンで総当たりリーグ戦になった時、極道コンビは
「パートナー同士とは試合しない」とお互い試合放棄の無得点試合
プロ意識に欠けるという声を受けて渋々試合したっていうけど
昭和の日本人レスラーの意識は判らんな、アメリカ人は長年コンビを組んだ名タッグチームでも
試合が組まれれば戦うし、名勝負だって作り上げる
石川と佐藤昭雄まで極道コンビに準じて試合放棄した時はアホかと
お前らコンビ組んで大して年月経ってねぇじゃねぇか >>400
レスありがとう。
私も疑問に思ったので聞いてみました。やはり間違いっぽいですよね。 鶴田ドクは、日本マット育ちの、若いヘビー級選手
同士の抗争対決という意味で、
鶴田天龍は勿論、藤波長州にも先立つものであった。
その価値があまり語られてこなかったので、今回の
鶴田本の記述は良かった。
鶴田を愛した男というと天龍の前に戸口。 >>398
鶴田vs戸口はスピーディーではないだろ。 そんな台本書くのなら馬場と鶴田も棄権すべき
だったね。 >>405
優勝争いにまったく関係ないのでリアルに闘いたくなかったんじゃないかな。 >>401
チャンカンで殺人魚雷コンビが同門対決した時、
勝ったゴディが試合直後に悲しそうな顔をして
「プロだから試合がくまれりゃ戦う。でももう嫌だ」とコメントしてた
勝敗はともかく、コメントまでブックではないだろうし
外人もパートナーとは対決したくないって感覚あるんだろうな。
馬場も両者を気遣ってか、その後このカードは二度と組まれなかった。
ブロディの急逝で実現しなかったハンセン戦、実現してたら
どんな結果になって、お互いどんなコメント残してたのやら >>404
スピーディーだよ。
お前リアルタイムで見てないだろ。 >>391
5回以降は時間切れ引き分けが一年一回あるだけだからな。
30分のペースでやるせいでゆっくりズムになってしまう。
猪木じゃないけど8回CCの鶴田優勝後にPWFへ挑戦、とかやってたらな。 >>409
第5回のカーニバルは鶴田と馬場が日本武道館で優勝決定戦をおこなって馬場が勝利しているね。
公式戦と併せて2回シングル対戦した唯一の年になる。
この優勝決定戦はCSなどで放送されたことあるのかな?
たしかに鶴田がカーニバル優勝した80年にPWF挑戦してもよかったよね。 異論、反論は覚悟の上で極論を言うが
オープン選手権で鶴田に勝たせれば良かったと思ってる。
オープンだから猪木の参加もOKという反撃をして
猪木はなんだかんだ言って出なかったが
「猪木が逃げた大会で鶴田が馬場に勝利!」
というのはインパクトが大きくて
猪木にとっては最大の屈辱になったと思うのだが。
その後は決勝でもう一度当たって馬場が優勝すれば良かったんじゃないかな。 オープン選手権は大相撲方式だから、別に決勝戦なんてもともとないぞ? >>412
それは同点決勝とかやりようはあるだろ、プロレスなんだから。
大相撲だってあるじゃん。 鶴田試練の十番勝負の最後は馬場と対戦すればよかった。
カマタにPWF奪われてシングル無冠の時期なら問題なかったと思う。 >>414
補足
馬場がシングル無冠の時期なら鶴田に負けても問題ないだろうと言いたかったのです。 >>410
武道館の試合はつべに上がっていたが、いつの間にか消されているw
CSクラシックでは放送していないからマスターが無いのでは?
前にも書いたが、第5回大会はリングアウトでもいいから
鶴田の初優勝で良かった。
馬場はブッチャー戦と連戦だったから言い訳ができるし
鶴田が鮮烈なデビューを飾っただけに、キャリア5年でも早くないと思う。
善戦マンの鶴田にエースの自覚を持たす為には… 当時の鶴田をエースにしてどんだけ客がふえるの?
強いとか豪快とかより あの顔をどーにかしないと >>417
若い頃の鶴田は、ハンサムだったぞ。
少なくとも、そう見えた。 >>418
鼻を気にしなければそう見えた、かもしれないが
後年の中年鶴田は目鼻口の部品がすべてダメなのが目立ってしまったな。
>>411
OP選手権はさすがに早すぎ。CCでも初優勝していいのは早めで6回くらいかな。
>>414
ファン目線では猪木が理想的だが馬場でよかったと思えるね。
そもそも10番目のエリックなんか候補じゃなかったし、何年もほっぽっておいたんだし。 試練の十番勝負開催中にチャンピオンになったので下手に負けられなくなったからな。
十番勝負終了を馬場無冠の時期に合わせて進行させて、ラスボスに馬場登場とすれば少なくともエリックより盛り上がったことだろう。 >>417
>>418
鶴田くらいの長身だったら、日焼けして引き締まった体で
リングに上がれば、決してハンサムではなくてもカッコよく見えるよ
実際若いころはカッコよく見えた。
見栄えが劣化し始めたのは、おばさんパーマになった星パン時代かな
>>419
最後のエリック戦は唐突だったな。9戦目の大木戦から1年以上開いてたし。
でも全日は十番勝負や七番勝負は一度始めたら必ず最後までやるから
その点はちゃんとしていると思う。 >>420
9番まで終わって鶴田が「最終戦はぜひ猪木さんにお願いしたい」と吹かせば
かなり全日的に好都合だったと思うがどうだろう。
猪木はリストに入っていてリスト外のブラジルやエリックが出てきた尻すぼみ感はないし
どんな理由や経緯であれ猪木が出てくるわけはないし
馬場への挑戦云々ぶちあげなくなるかもしれないし
猪木の出てくれるのを待ってるといえば1年経とうが未完でも筋は通るし
三年経っても出てこないとなって馬場が
「寛ちゃんのかわりにおれが出ないと締まらないかな」なんていえばカッコイイ。 >>422
オープンは猪木抹殺計画だったのはご存知ですか? 抹殺だなんて大袈裟だけど言わんとしていることならわかるし知ってるよ。
それ抜きで読んでくれたら助かるけど。 鶴田が82年に猪木と闘いたいと発言したら新間が「藤波が馬場さんと闘いたいと言ったら馬場さんはどう思うか?それと同じですよ。」と却下したな。
村松友視の本に鶴田アゲの手段として「馬場が猪木と闘い、次に鶴田に負ければいい。馬場が猪木に勝った後なら鶴田>猪木であり、馬場が猪木に負けても猪木=鶴田になるからだ。」なんてことが書いてあって笑ったものだ。
その村松氏と鶴田が月刊プロレスで対談し、キラーカーンについて「あの顔でトップを取った」発言に読んだカーンが激怒。
現在まで禍根を残す「墓にクソぶっかけてやる!」状態なのは悲しい歴史。 鶴田はバラエティ番組に出てもちゃんと受け応え出来た。歴代のプロレスエース級は
それが出来ないとな。 抹殺ってww
人気でも試合内容も猪木ロビンソン戦に
遠く及ばなかったんだから
結局は負け惜しみの妄想だろw オープン選手権の舞台裏を知れば、馬場の名を利用して自らの地位を上げてきた
猪木新日を黙らせるには痛快だった
>>422
「将来有望な鶴田選手に胸を貸す準備は整えるから、本気ならタイツと
レスリングシューズを持ってウチのリングに来い」と、新間が言いそうで
オープン選手権の逆をやられるよw 『Gスピリッツ vol.17』(辰巳出版)「あの『猪木抹殺計画』は私のアイデアです」 >>425
鶴田はカーンのようにアメリカで一から
様々なヒールやベビーを観察し試行錯誤した経験がないから羨ましかったのは
確かにあって、それが生まれつきにされたからだろうけど。
雑誌のインタビューは前後を相当カットされるから業界の悲しい流れだね。 カーンはあれだけ浜田の事をボロクソ言っておいて
いざ本人と対談したら、しどろもどろになるし、
あまり関わりたく無い性格だ。 >>432
82年頃新日での1試合当たりのファイトマネーが30万だったのをピンハネされて9万円にされた
(藤波でも9万ぐらいだった)、ニューヨークのファイトマネー1億抜かれた(せいぜい3000万ぐらいしか稼いでないのに)
永源にジャパンの移籍金中抜きされたて金額も大塚が言ってた移籍金額と全く違ってた しかし春の大一番と謳われたカーニバルの外人メンツはショボいな。特に70年代後半。
ブッチャーと対抗馬のイヤウケアやジョナサン、カマタ。あとは伏兵のバラクーダやブラックテラーとかの
急造マスクマンに白星配給の員数レスラー。普段のシリーズのほうがNWA王者や気鋭の新顔とかで
豪華だった。 カーンが悪役顔なのは正解。
本人は米国での成功は顔のおかげではないと思いたいのはしょうがないが、実際顔(髪型含む)のおかげだよ。
そういう点では馬場やマサ斎藤が成功したのもそう。カブキやムタが成功したのはペイントありきだし。
鶴田がチャンカン優勝後PWFに挑戦すればという意見があったが、当時PWFが全日最高のベルトという感覚はないからそんな発想はでない。
今の価値観でしか思い浮かばない案だね。 PWFの価値を馬場が自らの手で下げてしまったな。インタータッグも最強タッグの
成功の引き換えだな。 >>434
話のネタとして当時の為替レートを無視して100円切ってる時代のレートで計算してるんじゃないの? >>385
400の方書かれてるが自分の買った興行の前座に出場以外は無いと思う
「全日の前座で様々な謎の覆面レスラーに扮したり」に関しては
よくB級ガイジンのプロフィールにあるざっくりとした
「○○地区で活躍したほか全米各地を股にかけ暴れまわっている」
みたいな程度に受け止めておけばいいんじゃないかな >>423
>>429
あの頃馬場全日に対して挑発を繰り返していた猪木に対する「牽制」の意図はあったろうけど
だからといって馬場も日テレも猪木が全日/日テレのマットに上がって
ましてや馬場以外の相手との試合含めたシリーズ通しでの参戦なんか
絶対にあり得ないことは双方互いにわかってたことだろ
「猪木抹殺計画」「シューターを集めて次々と猪木にぶつけて〜」なんてこと
現在でもまだもっともらしく語ってるのは
既に今の時代、プロレスの仕組みや様々な事件の裏舞台が明らかになってるのに
未だにあの時代からプロレスを取りまく環境や世間の認識をアップデートできずに
いつしか自分の中で正史と思い込んでるご高齢の森岡氏くらいだろ >>442
猪木が「興行権、テレビ放映権含めて全日、日テレにくれてやるから挑戦を受けろ」と挑発してたのがそもそもの発端で
それにバカ負けしてた弱ってた全日と日テレ側の回答がオープン選手権ってことだろ。
そんな初歩的なことすら理解できないのか?
それに森岡も「現在でもまだもっともらしく語って」なんてない。当時の全日、日テレの様子を述懐として語ってるだけだろ。
だいたい今の価値観、後出しで「当時の奴らは全部バカ、俺だけ賢い」って
流の下らん受け売り=無駄なスレ違いばっかり書き込んでるのはあんただろw オープン選手権は馬場vs木村戦も鶴田vs木村戦もファン投票上位で、馬場vs鶴田戦が投票1位だった。
同年のワールドリーグ戦で猪木、坂口、小林、大木の総当たりが行われ、日本人対決が旬だったからな。 渕が書いてたが、新日勢が参戦した場合の力道山追善興行のカードは
馬場&ドリー、もしくはデストvs猪木&鶴田、坂口vsヘーシンク、ラッシャーvs小林だったそうだが、
これだったら馬場&坂口vs猪木&鶴田のほうが面白そうだな。 菊池孝にしろ森岡某にしろ、猪木の事を嫌ってる人間って一本ネジが飛んでる人が多いイメージ 一番頭が逝っているのは猪木を偏愛している井上義啓だろう
あの世代で生涯独身で通して社内でわざと聞こえるように
「うちの会社はファイトでもっているんだから」と大声で言っていたとかね 鶴田の十番勝負の相手候補にサンマルチノも挙がっていたんだよね。接点がほとんどなかっただけに、すごく観てみたかったな。 >>449
十番勝負のうち現役NWA王者だったテリーとレイス
相手には2ピン献上して負けたんだよな。
それから考えると、対戦がブルーノの王者時代なら2ピン負け、
下りた後なら引き分けかな。 鶴田の十番勝負、最終戦はとうに峠の過ぎたFVエリック戦。当然ながらそれほど見せ場もなくあっけなく終了。
鶴田はもうUNインター二冠王で揺るぎない?NO2。あんな終わらせ方ってどんな意義があったンだろうか。 結論から言えば
オープン選手権でも
全日は新日との人気が逆転できたわけでもなく
力道山追悼興行は猪木ロビンソン戦の試合内容とインパクトに埋没して
今日もメインの試合がほとんど語られることもなく
猪木の馬場への挑発が最後(普通に考えてもっと話題性がある対アリに興味が向いただけ)
となることもなかった
という事実から考えれば
猪木抹殺計画なるものが存在してたとしても
それは簡単に一蹴されて経費ばかり無駄に使って大失敗に終わった
ということになるんだろう 地方の興行主から引く手あまたでシリーズ自体は盛況、
「追善試合をウチの蔵前の興行にぶつけてきた」なんて
ちょっとでも常識がある人には通じない幼稚な言い訳して
新日、猪木の体質(社会性の無さやらバカさ加減)も白日の下にさらされたので一概にそうとも言えない。
猪木の挑戦表明もガチの挑戦表明ではなく、単なるプロレスでしかなかったってことも明るみになったしね。 地方が盛況って割には
九電記念体育館は場内が真っ黒だったなw
シリーズで使ってる会場も
小さいところばかり
府立や愛知県体育館くらい埋めるくらいじゃないと
お話しにならんよ 地方の興行主から引く手あまたってわざわざ書いたのに
売り興行と自主興行の差もわからん人なのか。 田舎で盛況だったからって自慢されても
聴いてる方が恥ずかしくなるよw
あのメンバーなら武道館2連戦くらいやるならともかくw >>445
俺は、
馬場&デストロイヤーvs猪木&ドリーだな。
坂口vsヘーシンクも外せない >>453
しかし、今考えたら師匠の追善試合に
興行ぶつけるって猪木もよくやるわ。
出場しないにせよ、せめて興行は見送らないと。
と今の感覚では思うけどね。 >>460
ぶつけたきたのは全日本側なんだけどなw >>460
すでに461がレスしているが
正式に先に発表したのは
新日の猪木対Bロビンソンの蔵前大会。 >>442
当時「プロレス世界内のストーリー」として語っていたのは別に構わんが
Gスピのインタビューで現在になっても
「シューターを集めて次々と猪木にぶつけて〜」とか
「これは私のアイデアでねえ」なんてインタビューで得々と語るのは
明らかに老人にありがちな
思い込みがいつしか自分の中で正史にすり替わっている典型でしかないだろ >>448
結婚してた時の息子がファイトを引き継いだけど結局廃刊して会社も倒産したね 鶴田試練の十番勝負、対バーン・ガニア戦はAWA選手権試合ではなかったのだね。
選手権試合だったら鶴田が負けるブックでないとガニアが納得しなかったか。
ブッチャーは鶴田と藤波の十番勝負に登場し、更に小橋の七番勝負にも登場した。やはりブッチャーの実力とバリューは高かったのだな。 【十番勝負ファン投票で選考落ちしたレスラー(投票数)】
Bサンマルチノ(14723)、DFジュニア(13987)、A猪木(11560)、Jブリスコ(8676)
ATジャイアント(8102)、Pモラレス(7511)、Gキニスキー(4918)、G馬場(4495)
DTブルーザー(3729)、Mマスカラス(3603)、TJシン(3445)、Nボックウィンクル(3147)
坂口征二(2915)、SBグラハム(2597)、ザ・シーク(2461)、ザ・デストロイヤー(2321)
Jパワーズ(2114)、Kゴッチ(1619)、Dマードック(1568)、S小林(1449)、Lテーズ(1048)
ファン投票にも選考委員会にもなかったクリス・テイラーが選ばれているね >>459
猪木、○テーズ、ゴッチ(バックドロップ〜体固め)馬場、ドリー、●鶴田 >>467
鶴田と対戦した時、ガニアはAWA王者ではなかったはず
AWAの帝王とか言われてたような
>>468
実現が難しいのは、馬場以外の日本人3人のほかは、パワーズ、アンドレ、
グラハム、ゴッチぐらいかな。あとはその気になればなんとかなったはず >>461
アホ。正式発表は新日でも、
準備が早かったのはオープン選手権だろ。、 >>463
先に発表した。もちろん自分のところの主張を正当化する為。全日は参加選手との交渉などを考えて後に発表。 >>442
NETまで「ウチでもやりたいが・・・猪木がそこまで言うならウチは猪木を信じてついて
行くまでです!」と応援コメントまで報道されて「逃げの馬場」のイメージは増幅されて
馬場のネガキャンはピークに達していた。しかし馬場がTV放映権や興行権を確認しようと
すると「それが話が最初と変わってくるんだよ・・・」と後年に語っていた。
こういうマスコミを利用した情報操作は新日の十八番だった。
>>453
表では万一、猪木が参加してきた時に備えて馬場親派のレスラーを配置してそれを
知らなかったゴング竹内氏は「ホントに参加してきたどうするんですか?」を心配した。
裏では追善興行不参加に激怒した力道山のスポンサーだった人物がつながりのある893を
使い新日に抗議を開始。「これは単なるいやがらせやイタズラでは無い!」とこういう事に
敏感な新間が事態を察知し猪木を伴い敬子夫人とそのスポンサー筋に不参加の事情説明に
行ったら東スポが待ち構えていて会釈した写真が「猪木、降参!」などと報道されてしまった。
コスパは悪かった大会だが挑戦表明をトーンダウンさせて表と裏から攻め全日の勝利だった。
>>455
オープン選手権の参加メンバーを見て「馬場を敵に回すと怖い」と思ったんじゃないのか?
と馬場は後年に自著に書いていたけど・・・ロビンソンは約束のギャラを値切られた上に
ゴッチ同伴で交渉されたので文句も言えず不信感が残ったのも大きかった。
あと新日もアリ戦に舵を切ってロビンソン残留まで手が回らなかった。 ロビンソンの離脱は新日のギャラ値切りが原因
ロビンソン側から全日に売り込んだのでロビンソンは馬場戦の敗北を飲むことになった
新日は「猪木と引き分けさせたのに馬場に負けた」と怒り心頭だった >>463
正式の発表前に、当然追善試合への参加打診は
あるだろ。
それを振り切って正式発表しちゃダメだよ、本来は。 猪木がが自分とこの興行優先すんの当たり前だろ
ってここで言っちゃダメ? 外国人記者クラブで猪木が記者会見したときに
記者からプロレス興行と暴力団との関係を質問されて
「そういのは全部ジャイアント馬場の方についていったからこっちは関係は無かった」と答えていた。 >>454
@12月 6日東京・足立区体育館 観衆3200人
A12月 7日埼玉・川越市民体育館 観衆3900人
B12月 8日広島・呉市体育館 観衆3000人
C12月 9日福岡・九電記念体育館(福岡市) 観衆5700人
D12月10日岐阜市民センター体育館 観衆4000人
E12月12日三重・鈴鹿市立体育館 観衆2200人
F12月13日福井市体育館 観衆5500人
G12月14日山形・米沢市営体育館 観衆5900人
H12月15日宮城県スポーツセンター(仙台市) 観衆6000人
I12月16日新潟・長岡市厚生会館 観衆4000人
J12月17日千葉公園体育館 観衆4000人
K12月18日神奈川・川崎市体育館 観衆4800人
当時の水増し度からすると盛況かどうかは微妙。
福井・米沢は超満員だろうけど。 >>453
猪木抹殺計画は
本当は弱い猪木は参加しないだろうという
目論見。
猪木は逃げた。馬場への挑発もクチだけと知らしめられたから問題ない。 >>465
おじいさんのグッドオールドディズ話で脚色が多いとしても、膝を打つ話なのは大したものだろ?
レイス、マードックのケンカ自慢やホフマン、ラシク、ウッズのレスリング猛者
とにかく強いはずというジョナサン、違う意味で怖いヘーシンク
が揃っていたことから後付けで作った話のファンタジー風味かもしれないね。
セメントでやってくれ、と言われて了解とやってしまうレスラーばかりでもないだろうし
(門ネタだけど)坂口に仕掛けるよう頼まれたJバレンタインが
自分が傷つけられたわけでもないのにやりたくない、と断った話あるし。 >>479
かなりキツい巡業ルートだな。
埼玉→広島
福岡→岐阜
福井→山形 全日本ファンは猪木が大嫌い。親を殺されたくらいの恨みがあるらしい。 >>478
それは嘘
ダイナマイト・キッドの自伝で猪木がレスラー連中の前で
893からビンタをくらった姿を目撃した描写があるし
ダイナマイト・キッドとホーガンの自伝で日本のプロレス団体は
893と濃い付き合いがあったという記述がある
龍虎が「地方巡業を仕切っていたのはみんな893だった」と言っていたが
昭和では893と付き合いなしで興行をするって事がなかったって話
北島三郎が893の会合で歌って問題になったが
「893と付き合わないと演歌の興行なんて打てないんだから目くじらを立てる事じゃない」と
言っていた人もいた >>478
韓国で大木のインターに挑戦したのは在日893の頼み >>468
ガニア、ラッシャー、ロビンソンと来た流れは
「夢の対決」といってもいいくらいの大サービスと感じたものだったけど
後半はやっつけで適当だった。
NWAチャレンジのテリー戦、レイス戦をカウントしたのがgdgdの始まりと定着かな。だいたい満員になった試合なんてなかったんじゃない?
というか大観衆っていえるのはラッシャー戦くらいか。 田舎のイベント娯楽を牛耳ってたのがそのスジだったんだから仕方がない
っちゃあ仕方がないし、お上公認だしねえ。 田舎の市営体育館で岩崎よしみの
コンサート(当時はショー)あったが
最前列のファンが熱狂して上着グルグル回したら、
そのスジが見張ってて頭こづきに行ってた。
歌い続けるよしみもプロ。 昔は田舎で買い興業打つ際、警察や役所に挨拶回りに行くと「〇〇組の〇〇親分に挨拶に行きなさい」って言われてたって話だからね それを役割として団体に貢献していたのが永源であり小鹿であり草津。 >>492
永源が抜けた後、新日は誰がその役割担ってたの? >>479
12月12日鈴鹿大会 R木村&デストロイヤー対Aブッチャー&Dマードック
この試合見たかったw >>494
犬猿の仲タッグだな。犬猿の仲と言っても、一方的な黒人イジメだが。 一応新間側の言い分(笑) Gスピリッツ51号
― イケイケの新日本だったが、75年から潮目が変わってくる。
それまで何を仕掛けても黙殺していた全日本が反撃してきたのだ。
春まで新日本に上がっていた大木が引き抜かれ、さらに全日本は
オープン選手権開催に際して「各団体から代表選手の参加を求め」
ると声明を発表。猪木は10月13日にロビンソンとの対決を発表。
ところが10月29日、ロビンソン戦と同日に「力道山13回忌追善
特別大試合」が開催されることが発表されたのだ。
「一番最初に(力道山夫人の)敬子さんと山本(正男)さんが来て
『力道山の13回忌をやるから協力してくれないか』と相談されたんだよ。
MIO(新日本の事務所かあったビル一階の喫茶店)で会って、こちらは
『12月にシリーズがあるから、最終日に(夫人たちに)リングに上がって
いただいて御供養料を御渡ししたいと思います』と伝えたんだよ。
『どれくらい出していただけます?』と言うから、猪木は『300万円を
お出しします』(※当時の大卒初任給は89,300円)と即答して、
『ありがとうございます。ぜひお願いします。これから全日本の馬場の
ところにもいきますけど、頼みましたよ』と言うことで話がついてたんだ。」 「ところが力道山家が全日本に話を持って行ったら、『興行を全部提供します。
選手たちはボランティアで用意しますし、足りない分もやりますから、
ぜひこちら(=全日本プロレス)を主催にして興行をやってくれませんか?』
という話になって、ウチの蔵前にぶつけてきたんだ。
だから『それはおかしいんじゃないですか、ウチは最初から12月11日は蔵前で
やることが決定していたし、もし馬場さんとウチが一緒にやるにしても、TV
放映の問題はどうなるんですか?』と。テレビ朝日だって大反対だった。
あの時は山本さんが『何としてでもこっちに参加してくれ』と言ってきたけど
こちらからすれば話が違うでしょうということですよ。当初はうちの蔵前の
リングに(力道山家が上がって)それから馬場さんの方のリングにも上がって、
両方で御供養料を御渡しするということだったんだから。」
「そうしたらあっちの世界にいる人から電話があって、『もうワシの方では
庇ってやれんぞ』と。(力道山家側に)関西の一番大きいところの偉い人が
出てきたということでね。その頃はいくらその筋の取り締まりをやっていると
いっても、裏ではまだいろいろあったから。あの時は『猪木と新間はただじゃ
おかねえ』という脅しの電話が何本もあったりしたよ。」 ― 気づいたら、大木さんも芳の里さんも猪木さんを裏切って馬場さんサイドに
付いていたことになりますね。
「人間が動くのはしょせん金だと思う。去る者は追わずだよ(笑)」
― 最終的な落としどころはやはり猪木さんが敬子さんに頭を下げるという
事だったんですか?
「あれしか落としどころがなかった。東スポの井上社長が『猪木さん、何と
しても来てくれ』ってことで、私と猪木さんで帝国ホテルに行ったんだよ。
そこに井上社長が敬子さんを連れてきたの。
私はちょっと離れてたんだけど、猪木さんがパッと立ち上がって『ご無沙汰
しております』とお辞儀をして、そこを東スポのカメラマンが撮ってね。
その写真と記事が東スポに載せられて、一件落着になったんだよ。
あそこで頭を下げられる猪木さんを見た時は、『やっぱりアントニオ猪木は
違う!』と思ったね。」
http://get.secret.jp/pt/file/1589595586.jpg 猪木の「パッと立ち上がって『ご無沙汰しております!』」は
オハコ芸だったからな(笑)
井上編集長も書いていたね。
猪木が政財界の大物と歓談しているところにたまたま編集長が通りがかった
だけで突然猪木が立ち上がって挨拶したので、その場にいた人間は一体
どんな大物が来たのかという目で自分を見たけどどういう意味でも自分は
大物なんかじゃないが、猪木はそういうことをやると。
戸口も、佐川急便の社長が来た時も馬場はいつもの調子で足を組んで
座ったまま迎えたから佐川の社員が「馬場さん、そりゃないでしょう」と
苦言を呈しに飛んできたと言って、猪木はああいう時にバッと立ちがって
深々お辞儀をするからタニマチは気分がよくなっちゃう、あれが馬場さんに
出来ていたら佐川も全日本のスポンサーになっていたかも、と言ってたね >>499
井上からしたら猪木の悪い記事は書けなくなる。
政財界の大物も、プロレス編集長なら仕方がないって中座を許すし。
とにかくしたたかだな猪木って人間は。 >>499
それができないから馬場は信用があるんだよ。 >>499
大義「プロレスコミッショナーを作りたいから」と猪木に頼まれた馬場が同意
猪木は佐川に土下座、馬場も頭を下げ「プロレス界のために融資して下さい」という話
その後の展開は不明だが「猪木に騙された。利用された」と馬場はボヤいていたw
おそらくハイセルに流れたと思われる >>499
>佐川も全日本のスポンサーになっていたかも
馬場はそもそも日テレ以外のスポンサーはいらないって方針だったんでしょ
タニマチに頼るようになると、酒席の付き合いくらいならともかく
嫌な頼まれごとでも断れなくなるし 馬場はタニマチ系の営業をやらなかったとは聞くね。短期的にはマイナスだけどヤクザ関係とズブズブにならずに済んでよかったかも >>504-505
根本陸夫もこう言っているしな
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=093-20160425-01
僕は、ルーキーのときに当時西武の球団編成・管理部長だった根本陸夫さんから
言われた言葉が今でも忘れられません。それは「タニマチは作るな!」です。
ファンの方などと仲良くなるのは構わないのですが、
ご飯を食べに行くときは「絶対に自分で支払いをしろ」と言われていました。
理由は一度おごってもらうと「大久保さん」から「君」に変わる。3度目くらいから「君」から
「デーブ」に変わる。そしていつしか「オイ!」と呼ばれ始め、
さまざまな頼みごとをされるようになり、なかなか断れなくなる、ということ。
その言葉を守り、当時、ご飯を食べに行くのも先輩たちだけでしたね。今でもその言葉を守っていますよ(笑) 根本の話はわかるがデーブが守ってたとは信じられないな 田中社長にくっ付いてSWS崩壊後もメガネスーパー社員だったドン荒川。
やりようによるのでは? 巨人の青田さんはテレ東のスポーツニュースで
「ああいう人(893)たちから物を贈られてもらいっぱなしにしてはイカン。
俺は北海道からメロンを送ったよ」
と公言してしまう「自分の何がヘンかわかっていない」人で、このニュースは九州の豊田さんが
酔っ払って出演したりの乱痴気ぶりでテレ東深夜にも関わらず視聴率10%を超えたw 永源は全日-ノアの興行をやっていた頃、家にY口組のカレンダーを山積みにして
プロレス関係者に「お前も持っていけよ、厄介よけになるぞ」と言っていて
一部マスコミ関係者から呆れられていたというけど、これぞ昭和魂w >>506
馬場もプロ野球出身だからな
デーブとは時代も球団も違うけど
同じようなこと言われたんだろうな
タニマチ付き合いが重視されてる
大相撲出身者とは感覚全然違いそう
猪木は相撲嫌いのくせに、なぜかタニマチ付き合いの感覚は
相撲取りと同じようなものだけど 仲田はどういった過程で893営業を覚えていったんだろうか 馬場は早くから米国武者修行でアメリカの契約社会というものを体験してきたが
猪木の方は力道山の付き人として義理人情の世界にどっぷりと浸かってきたというのもあるのだろう。 美空ひばりが暴力団関連で紅白に出れなくなったのが1973年だし全日本旗揚げの頃にはかなり減ったんじゃないかと思ってるけど。売り興行を買った人が裏で繋がってたとか直接以外ではいっぱいあっただろうけど 元プロ野球選手だった人から聞いた話だが
選手に手を振ってくるのはファン。
選手にお辞儀してくるのはそっちの筋。
と見分けをつけてたそうだ。 1989年とか90年頃には東京ドーム周辺で893風の男が巨人戦のチケットを売っていたが
その巨人戦のチケット、どこから入手したというのか???
大新聞社からしてそういう方面との付き合いがあるのだから >>513
馬場がアメリカ式を取り入れたのが
メインの馬場がシャワー浴びるまで他選手は浴びてはいけない
付き人制度
グッズ販売による選手へのロイヤリティ未配分
などか。 >>512
03年に永源が暴力団関係者2人からチケットの手配を依頼される形で交際が始まり
その後は仲田龍が連絡調整役となった(暴力団排除条例が施行される前の出来事)
交際は10年8月頃まで続いた。
これは2012年3月23日 仲田龍GMと永源遥相談役が辞任、社員に降格した時の
プロレスリング・ノアの発表した理由 >>517
自分のグッズの売り上げの5パーセントを貰ってたって、川田が証言している。
何時の時期かは分からないけど。 >>518
ありがとう
でももっと闇は深いだろうなあ >>517
シャワーは違いそう、試合終わった順に浴びそうな気がする
それで済み次第試合見ずに帰るってイメージ >>476
>>472
ここで、お前らみたいなバカアホを
相手にしたくないが、
ちょっとは、当時の雑誌など資料を
読んでからレスしろ!
大ばか、カブキ野郎!! >>514
新日ですまんが
1974年の新春黄金シリーズ。今は亡き父は興業を買った、実質は名義貸し。
知り合いのヤクザに頼まれてのことでそのヤクザが面に立ってはできなかったからだ。
それは新日側から誰か適当な人を名前だけつけてくれ、とアドバイスされたそうだ。
実質はこんなものだ。
当時厨房のおれはリングサイド観戦(笑)だった。サインもたんまり貰った。 80年代位までは興行でカタギに見えない人が場内警備とかやっていたよ
当時は子供だったから「今考えると」だけどね
最近は流石にそういうのは見なくなった 宮迫の闇営業みたいに興行主やスポンサーが暴力団と繋がりがあるのは知らなかった、または知らなかったということにしたのどちらか
圧倒的に後者のが多かっただろうけど直接のやり取りはなかったんじゃない? テレビ局が絡めばって言いたいとこだが
芸能界そのものが在日と893が絡んで国もわかってるんだから。 >>508
ドン荒川は、金のためなら太鼓持ちでもなんでもやるだろ。
馬場はそれをよしとしなかったんだろう。 >>506
根本、関根潤三、安藤昇は盟友関係だな。 >>485
まあ893との付き合いに関しては全日新日双方ともあの時代は興行ゴトなら当然あったよね
猪木は地場893とかへの対応は永源や新間大塚に任せる一方で
児玉笹川佐川とかの裏社会にも通じる大物相手にはコネや支援期待して自分から出ていった
馬場はその辺のの対応は相手に係わらず小鹿や米沢氏らにできるだけ任せて
自分からは積極的には出なかった
結局はその違いでしかない
>>499
猪木は自分にとって利があるなら
「頭下げて済むならなんぼでも下げる、それで得になるならその場の道理やプライドは小さなこと」って人
馬場は少々の利得よりプライドや物事の道理・建前・筋を優先する人
ただ双方とも面倒なのは猪木が優先する利得も馬場が優先するプライドや道理も
時として全日新日という組織の利得とは必ずしも一致しないケースもあるんだが
二人とも組織の長という立場よりあくまで個人が優先されるんだよ 客人に対して世間の常識からみても失礼な態度を取ることを
「物事の道理・建前・筋を優先する」
と持ち上げるのはいくら何でも無理があるだろう
こういうところがなあw >>531
> 客人に対して世間の常識からみても失礼な態度を取ること
馬場にとっては単なる客の一人にすぎなかったから
いつもと同じ態度で接してただけのことで
失礼でも何でもない。 相撲部屋のタニマチは力士を男芸者みたいに思っていて、
酒席で大酒飲ませたり余興やらせたりするからなあ
プロレスのタニマチも似たようなもんだろうし、
馬場はそういう付き合いが嫌だったんだろう
興行だと最低限そういう付き合いはさけられないんだろうけど >>531
別に仕事相手でもなければ、お世話になるわけでもないのだから、いつもの態度でよくないか? >>532 だから馬場ファンはバカにされる。スポンサーとか関係なく、客にデカい態度するのは失礼という事が理解出来ない。馬場は常識知らず。 なんとかレスしてもらおうと必死なのに皆に無視されてる
462 お前名無しだろ (ワッチョイW 8910-X7Nf) 2020/05/16(土) 01:06:35.45 ID:bRadFgy20
全日本は猪木がホント嫌いなんだな。
484 お前名無しだろ (ワッチョイW 8910-X7Nf) 2020/05/16(土) 09:52:16.10 ID:bRadFgy20
全日本ファンは猪木が大嫌い。親を殺されたくらいの恨みがあるらしい。
536 お前名無しだろ (ワッチョイW 8910-X7Nf) 2020/05/16(土) 23:25:12.18 ID:bRadFgy20
>>532 だから馬場ファンはバカにされる。スポンサーとか関係なく、客にデカい態度するのは失礼という事が理解出来ない。馬場は常識知らず。 >>283
この馬鹿はシンディが一時期日本に住んでいたこと
さえもあるのを知らんだろ。 893からブックへの干渉とかもあったのかな。「うちの親分がひいきのこのレスラーには必ず勝たせろ」みたいな。 >>539
さすがにそれは無いだろうw
えっ、こんな田舎町でタイトルマッチ?とか
ヒイキのレスラーがメインに抜擢されるとかはありそうだけど >>533
「馬場さんが後援者に頭を下げたり低姿勢に出ていた態度を見た事が無い!」と越中は
証言していた。ただ日プロ時代に初めて地元で自分が買った興業を打った時に地元の旧友に
相談すると馬場の性格を知る友人は「嫌かもしれないけど自分の後に黙って付いてきてくれ!」
と行って車に乗って支援先を回った事がありお陰で凱旋興行は大成功に終わったらしい。
プライドが高いと言うよりもこういう事自体が猪木と違い苦手だったんだろうね。
逆に猪木は試合後に疲れているはずなのにテレ朝の実力者・三浦専務にマッサージを
させれるがさすがに美津子夫人が三浦専務に雷を落としたらしいw 井上もこう言ってるし馬場はタニマチが嫌いだったんだろうな
猪木は相撲出身力士は嫌いなんだがタニマチ付き合いは元力士レスラーっぽい
上田もタニマチが多かったらしい
確かに上田を子分扱いして飲んでいたらハクがつくわ
井上譲二
「さて、プロレス界のタニマチに話を移すと、横綱クラスのタニマチを持ったレスラーは過去に2人しかいない。
力道山とアントニオ猪木である。」 馬場の出自やら性格とか色々考えると、波乱万丈というより質実で穏和な人生観みたいなのが
根っこにあるんだろうな。利益を優先して新参者と付き合うより古くからの友人との関係を大事にするとかさ。
まして政治や事業に野心を燃やす猪木とはまずそこが正反対だ。。どっちが良いか悪いかの基準ではないけど。 >>542
やっぱ力道山の付き人やってたのが大きいんじゃないかな。
力道山のを手本にしたと思われる。 お前は横浜にいた猪木だろ!
と詰め寄られて、とぼけ通したってことは
ブラジルにいたのはほんの一瞬だったんじゃないのか? >>543
>古くからの友人との関係を大事にする
1度離れた人間は裏切り者だから2度と全日のリングには上げないとか、古くからの友人をも切るのでは?
むしろ猪木の方が離合集散で、長州、前田、佐山、藤原、武藤・・・みんな戻って来てる。 >>547
後輩や部下と古くからの友人とは違うじゃねーかw 馬場は最大のタニマチ的存在のNTVへの対応を誠意を持ってやってるから
後の有象無象(と思っているだろう)はぞんざいでもいいと考えていたんじゃないかな。
後年、ファンが最大のスポンサーなんてことをいってたが
これも特になにもしなくても「良い試合を見せる」とかいえばいいからだろうね。 >>547
全日設立以来影で長く支えてきた米沢氏は
なぜ離れたんだろう
馬場の死後ではあるが
ジョー樋口がノアに行ったのも意外だった 樋口は「御大(馬場)には義理があるけど、元子さんには義理はない」と言っていたね。
ま、人に頭を下げるのが苦手という人はいるね。政治家でも実力はあるけどそれが出来なくて選挙はいつも苦戦、て人がいた。
馬場はそういうことも含めて「社長にだけはなるもんじゃない」と言っていたんじゃないかな >>551
メガネスーパーもそうだが夫人がトップに関係すると
男連中は面白くないのは本能。 苦手というより嫌なんだろうね。
“俺様を誰だと思ってるんだ!” >>546
あれってなんかで読んだけどどうなんやろね。とぼけたのか、単に相手にされなかった
のか判断つかんし。
ブラジルに居たことさえアングルならさすがに嘘っぱちだと思うけど、実際に居たのなら
期間なんて別にどうでもいいわ。 力道山からブラジル生まれブラジル育ちの日系ブラジル人になれと命令されてたから仕方なかったって言ってるの読んだけど ブラジルでの写真ってあったでしょ。
全日スレだからあんまりやるのもなんだけど。
当初はブラジル生まれだったんかいな。 爺さんがブラジル行きの船でバナナにあたってなくなった
ってのはアングルか? 今ググったら、船の出港年で13歳
と力道山にあったのが17歳
だからブラジルは4年間だけ? 4年もいたら一瞬とは言わないな、力道山の「ブラジル生まれって言っとけ」発言も事実なんだろう。 >>550
選手の流失が止まらず荒れまくる馬場に「社長!だいじょうですよ!」と元気づけた
のに「だったらお前が止めてみろ!」と毒づかれて気持ちが離れたと言う話があった。
日プロ時代からの馬場派で馬場の買った興業も原リングアナと担当していて馬場が
日プロから離脱した時に真っ先に追従した日プロのスタッフだったのに・・・
原リングアナは全日以前は馬場の後援会スタッフだったと言う話がこのスレにあったけど。
米沢渉外部長はカブキと同じく「天龍に惚れたから離脱した」と言うのは建前だった
のかな?
ジョー樋口は全日離脱後のインタビューで「プロレスをやった事のない人間に何がわかるんだよ!」
と暗に元子夫人を批判していた・・・ ブラジルに行く前の中学生の猪木は
巨人軍の馬場投手の存在を知ってたんだろうか? 一番多感な年頃の4年間は長いぞ
中1〜高1までブラジル生活してたようなもんだからな >>560
ジョーさんは、元子が実質経営してるの知らなかったのかな? >>561
のような人生をボーーと
過ごした老人にとっては
4年間なんて「一瞬」なんだろうな。 >>558
57年にブラジルに向かって60年に力道山と出会って帰国。 >>566
こっちが言いたいのはブラジル移民がギミックってことだよ。 今から考えたら猪木一家はブラジルで正解だった。
北朝鮮なら帰国できなかった。
況してやあの頃は『北の楽園』に騙されたのが多かったし。
あ、でもあっちは在日が『元の鞘に戻る』だったか。 >>546
>>555
猪木に詰め寄ったのは中学時代の同級生。
力道山の顔を立てたのか怖かったのかは知らんけど、
猪木はブラジル生まれの日系二世という会社の与えた設定を守り通し、
知らぬ存ぜぬでその同級生を追い返した。
この設定いつまで有効だったんだろう
>>562
当時はまだ一軍公式戦でもほとんど中継されてないのに、二軍の成績なんて新聞の片隅に
ベタ記事がでるかでないかだし、知らなかったのでは?
ただあれだけの巨漢だし野球の成績以外で話題になったこともあるだろうから
それで知ってた可能性はあるかも。 >この設定いつまで有効だったんだろう
力道山が死んですぐに
猪木自身が本当は日本生まれということを公表 力道山は58年にブラジル遠征した時 砲丸投げで記録を出した猪木を
現地の邦字新聞社幹部と日系社会の重鎮から推薦されていたが、
東京オリンピックで名を成してからでも遅くないと、その時は固辞して会わずに帰国
60年2度目の遠征で考えを改め、やはり手元で鍛えて育てるべくスカウト
それはブラジルをプロレスマーケットの有力地と考え、
その目玉に日系社会のスターとしての猪木がいたのは確かといわれている。 猪木は最近の動画で「力道山に出会わなくてもプロレスラーになってた」って言ってるね >>542
猪木は駆け出しのころ、力道山と実質893の興行主との酒席に連れていかれて
一升瓶を回しながらの一気飲みをさせられたと言ってたな 猪木が豊登に引き抜かれて東京プロレス作った時の事を聞いたら
力道山に耳を殴られて耳が聞こえなくなったうえに靴ベラで引っ叩かれた話をした
列伝の創作かと思ったらマジだったんだな >>550
なぜって、馬場の言うことには従えても、元子の言うことには従えないってことだろ。
なぜ離れた?という疑問がよくわからん。 単に元子の問題と言うだけなら
もっと早い段階でたもとを分かっても良かっただろうから
それだけでもないのかもな 永源は億を超える金額でSWSに誘われたが断った
米澤が動いた理由もお米じゃねえの 1ヶ月に、谷津・米沢渉外部長・カブキと続けて辞めたからな 原軍治の最後のコール
山田隆のレギュラー放送最後の解説
いつだったのか謎だ。 >>560
原田先生の漫画だとジョーさんもマイティ同様熨斗袋に新聞紙入れられたって話だし
そういうことがあったら奉公しようって気持ちも萎えるな、亡くなったのを区切りにしたいやな 馬場にとっての最大のスポンサーは日テレだったけど、晩年の馬場はテレビ局がプロレス
に口を出すの事は碌なことにはならないとか言っていて最初はWCWの事かと思っていた
けどなくなった後に日テレ今泉が馬場さんに意見したことを馬場さんは面白くなかったかも
と回想していたので、もしかするとその意味だったのかと感じた。 デビッドが東京で死去した時、フリッツに電話で連絡したのもジョーさんだったんだよね。
それまでも長い付き合いだっただろうし、ツラい役回りだったんだろうなと思ってしまう。 元子が三沢社長就任時に身を引いていた2000年の大量離脱も三沢の事故もなかったかもしれない >>586
社長も選手も後継者を育てることが大事だね。 >>586
2000年の大量離脱は絶対ないだろうが
三沢の事故はそれだけじゃ避けられなかったんじゃないかな。
経営は元子、現場は三沢という風に綺麗に分けられたら事故はなかったかも。 三沢の死因の半分以上は太りすぎだからなあw
あんな状態ではどんな技でも死にかねないよ
リングに上がっていいコンディションではない
上がらざるえないとかじゃなくて自覚の問題 そう言えば三沢が亡くなる前の試合をテレビで久しぶりに見た時に体型がブッチャー化
していて何があってあんな体型になったのかと驚いたもんだ。 三沢ってステやってなかったのかな
ステやると川田とかノートンみたいに腹は出てるけど、腹筋は割れてるみたいな身体にはなるんだけど、三沢はブヨブヨに太ってたな
しかも色白だから余計にみっともなかった >>589
普通のバックドロップで脛髄が断裂するくらいだからな。痛いなんてもんじゃなかったろう。そんな体で練習なんてできるわけない。
そんなことも知らずに自覚とかのんとか言うやつはアホとしか言いようがない。
大体お前みたいなニートで童貞に社長でエースの辛さがわかるわけないだろ。 デビッド急死は一般紙でも報じられていた。俺んちは朝日だったけど、「米国人プロレスラー死亡」という見出しで事件ぽく書かれていたのを覚えている。 レスラーの休止はヤオガチ新日全日関係なく事故として語られてた印象
当時の感覚ならそれをネタにして誰かを叩いたりすることもありそうだけど、これはマスコミがちゃんとしてたからかな >>591
ステロイド常用者はムーンフェイスの症状が現れるけど
三沢にはなかったから、多分やってないんじゃない?
肝臓痛めてたのは日ごろの大酒のせいだろうし
>>594
さすがにヤヲやブックのために人は死ねないからなあ
明白な証拠がない限り、リング禍は事故として報道するしかないでしょ
園田みたいなリング外の事故が死因ならなおさら >>584
視聴率取れればってスタンスで来られて、言うこと聞いて後始末だけ押し付けられたら堪らないってことじゃない。
初ドームだって、K-1選手上げるとか辞めた選手上げるとかしても、それでファンから総スカンくらったり、既に造反の予兆があった三沢が出しゃばってきても知りませんじゃ割に合わないでしょ。 川田ってステやってたのか
意外だな
やっててあんなもんなのかという気もするけど >>597
> 川田ってステやってたのか
そんなのソースはあるのか?
勝手な決めつけじゃないの? >>597
お前ステやったらムキムキになると思ってる?
それ言ったらステやってたスパイビー、冬木、トムバートン、天山、西村、小島あたりも大した身体してない
むしろ川田はかなりごつい方 ステやってた日本人
確定枠
船木、藤田、西村、天山、武藤、冬木、小島、マサ斎藤、ライガー、小林邦昭、天龍、大谷、飯塚、中邑、失踪直後のデルフィン、ブル中野
疑惑
川田、鶴田、長州、菊地、健介 >>603
そんなのソースはあるのか?
勝手な決めつけじゃないの? >>602
川田は武者修行時代やってたのを告白してるよ
過去にやってたのを告白してるのは後は船木もだな >>606
それは大剛のところにいたときのことなの 天山なんかは凄くデカくなって凱旋帰国したのに
日に日に縮んでいってわかりやすかった ブルも告白してるね。
あと戸口。
見せる筋肉を作るというより疲れにくくなるから使うけど副作用が強いと語ってたな。 >>611
膝、腰に後遺症がある人は体重落とさないと後遺症部に負担が掛かるから減量したんでしょ
同じ飲食店をしてる松永も立ち仕事で膝、踵に激痛が出るから減量したって言ってるしね
川田自身も店が忙しくてトレーニングしてる暇が無いから自然に痩せたって話だし >>603
なんかやろうがやるまいが変わらないように感じる羅列だな。
結局よくわからん、と。
でも馬場がやってないのは間違いないな。 久しぶりに雑誌かなんかで川田見た時、ガンみたいな痩せ方だなと思った >>616
やり方次第
家族で変にこだわらず固定客の飲み屋でまったりやれば充分食ってける >>615
ビリー・グラハムはステロイド常用者としてはかなりの勝ち組だろう
ボロボロになって33歳で引退発表(のち復帰)、通常の生活が送れなくなったキッドと
一緒にするのはちょっと気の毒
ビリー・グラハムは筋肉マンとして鳴らした後、36歳の時に一時リタイヤして体質改善、
スリムな身体に戻してWWFにカムバック、MSGのメインを再び張り、40代まで一線で活躍、
引退後もTV解説やマネージャーを務め、一時敵対したビンスとも和解してWWE殿堂入り、
ステロイド・ドーピングの危険性を訴える社会活動を行って76歳の今も人前に出ている
むしろもっと若い世代、武藤が「あいつら控え室でお茶でも飲むみたいにステやってる」
と言われていたWCWあたりのレスラーが若くしてバタバタ行ってる
それより上の世代だけどよく挙げられる日本でも有名な名レスラー
テリー・ゴディ(享年40)
デイビーボーイ・スミス(享年39)
ゲーリー・オブライト(享年36)
ボビー・ダンカンJr(享年34)
カート・ヘニング(享年44)
ホーク・ウォリアー(享年46)
バイソン・スミス(享年38)
クリス・ベノワ(享年40)
マイク・アッサム(享年42)
クリス・キャンヨン(享年40) >>618
そうだったんだ
グラハムに関しては、ステ裁判でWWFと険悪な状態になっていた頃までで
その後は知らなかったよ
グラハムに対しても失礼だし、誤情報を流しちゃ駄目だね カブキは受け身の話ばかりするけど
どんな筋力トレーニングしてたか知りたいんだよ ステロイド以前にあれだけ激しい試合をやっていたら後遺症は絶対残るよね。四天王時代の激しい技は常に死と隣り合わせで三沢はそれで死んでしまった。今思うと当たり前のように観てたのが恐ろしい。昭和のブッチャーやシークの凶器時代の方がまだ良かったのかな ひねりながら投げっ放したら体調万全でも相当に危険だよ
受け身取りようがない >>605
なるほど冬木と一緒にやったのかな。
確かに凱旋帰国時はマッチョな感じはあったな。 ステロイドで膨らませた体は面白くない
プロレスラーなら猛練習と大食いでデカくなれ 全日四天王の頃はまだよかったし
ファンは流石プロレスラーという畏敬の念で見ていた。
危険でないからやるんだろうと思ってた。 >>619
いやいや、マッチョの代表のように言われていたのがある時期「変わり果てた」
「見る影もない」とまで言われるくらい萎んだ身体を晒して、ステロイドの怖さを
体現してるとまで言われたのは事実なので、「誤情報」と卑下する必要はないかと。
ただビリー・グラハムが幸いだったのはむしろこれからステロイド・ブームが盛り上がる
80年代頭にいち早く危険を察して足を洗ったことだよね。よほどきちんと勉強していたか
いい友人がいたかしたんだろうな。
しかしこの後のステロイド世代とは逆に、ニック、ドリー、レイス、ローデスら
30〜40年代生まれの世代は実に精強だったなあ。テリーなんかあれだけ満身創痍で
鎮痛剤などの世話になってるはずなのにもうすぐ76歳だもの。 >>626
> ただビリー・グラハムが幸いだったのはむしろこれからステロイド・ブームが盛り上がる
> 80年代頭にいち早く危険を察して足を洗ったことだよね。
いや危険を察してじゃなくて実際に副作用で具合が悪くなったからだろ。 >>626
>>627
東スポには「筋肉増強剤(当時まだステロイドという言葉は知られてなかった)の副作用で
ピーク時120キロ以上あった巨体が50キロまでやせ細ったらしい」という記事が出てたな
実際出てきたら、さすがに50キロってことはないにせよかなりやせ細っていた。
でもグラハムってなんで日本でうけなかったんだろう。
ブルーノとかコロフとか、それ以前の民族系とは異なるタイプの怪力派レスラー像確立したのに。
フォロワーのホーガンがあんな受けたんだから、元祖のグラハムはもっとうけてもよかったはず。 当時の印象でなんだが
「スーパースター」とは思えなかったところが肩すかしだったんじゃないかと。
いくら自称でも言い過ぎだ、みたいな気がしたんだよね。
それとかなりな薄毛なのに……。
ニックネームの偉さ加減ではスーパースターより上なのは神様くらいで
ゴッチはまあそうなのかもな、みたいに思えたけど。 その副作用が出まくっていたのに死ぬまで対処できなくて早死にあるいは引退に
追い込まれたレスラーが後を絶たなかったのが90年代だったんだからなあ
ビリーが一時リタイヤしたのはまだ36歳の時で、治療に専念していたのが2年半程度
39歳でカムバックした後5年現役を続けて現在まで健康を保っているんだから、
「足抜け」できないまま命を失ったレスラーたちよりもちゃんとした判断ができ、
体質改善を強い意志で実行できた人間だったのは疑いようがない
もっとも「変わり果てた」と言われたカムバック後の身体も、今見るとスゴいんだがwww
https://images.app.goo.gl/zbaaUkFE6R13AzTU9
https://thumbs.worthpoint.com/zoom/images1/1/0411/21/classicwrestling-superstar-billy_1_540280dedfd7bcb728c40c63e34c3575.jpg >>631
そもそも体重50キロのままだったらリング復帰できるわけないだろ。 アメリカでは「ハンサム」ハーリー・レイスとか、逆説的なくらいイヤミったらしい
二つ名のヒールレスラーがいて、ベビーを応援すファンは「勘違いしてるんじゃねえ!」
みたいな感じで罵声を浴びせる楽しみがあったんだろうけど、昔の日本のファンは
やっぱり外国人王者には本当にオーラを漂わせてくれるスターらしさを期待して
しまったろうからなあ
それと対戦した日本人側に、グラハムのヒールとしての嫌らしさを際立たせた上で
それを小気味よくちぎって投げるタイプもいなかった。
猪木も合わないし草津坂口なんか最悪の取り合わせに近い。
今考えると井上は割とハマっていたかも。 >>632
193センチ50キロなんて鉛筆みたいな身体じゃんw >>633
> アメリカでは「ハンサム」ハーリー・レイスとか、逆説的なくらいイヤミったらしい
> 二つ名のヒールレスラーがいて、ベビーを応援すファンは「勘違いしてるんじゃねえ!」
> みたいな感じで罵声を浴びせる楽しみがあったんだろうけど
日本のマスコミが知っていたのか知らなかったのか、教えてくれなかったからな。
そういうのを知るまでは俺もレイスのことを
「全然ハンサムには見えないが若いころはハンサムだったのかなあ?」と思ったし
"プレイボーイ”バディ・ローズなんてのもいたが
「大してかっこいいとも思えないがあんなのがアメリカではモテるのか。」
と思ってたよ。 ブルーノ・コロフ・グラハム・パテラ・ベンチュラ…
この手のタイプと抗争を続けるのは、日本では苦しいのかな
どれも単発で終わってしまう感じ(よく言えばビッグマッチ要因)
自分的には意外に ブルーノよりコロフの方が見応えがあったw ホーガンも初来日の頃は同タイプだったよね?
それが全米マット界のアイコンにまでなった。 昭和ならステロイドよりプロテイン。
厨房プヲタにとって、月刊誌の広告のブルワーカーやNEバーベルのとともにプロテインはぜひ取り入れたい
憧れのレスラー体形構築アイテムだったな。。 >>635
ハンサムとかプレイボーイは、マフィアのマネしてるだけだろ。 ハンサム・ハーリー・レイスは有名なギャングが
プリティボーイ・フロイドやベビーフェース・ネルソンとか名乗っていた事にあやかったもの
相方のラリー・ヘニングはプリティボーイだった
日本で言えば清水次郎長とかにあやかるような感じか >>640
どっちにしても日本のマスコミが教えてくれないから同じことだよ。 健康体力研究所のプロテインは溶けないし味は無いしで
飲むのに苦労したなぁ。 オースチン・アイドルはまさにS・B・グラハムのフォロワーだった
ホーガン、ベンチェラとグラハムのフォロワーは本当に多い なんかさあ、昭和の全日スレじゃなくなってるよね。
だいぶ前のスレでこう書いたら、“お前が話題を提供しろ。じゃなかったら文句を言うな。”って言われたんだけどさ、そうじゃないだろう?
「昭和の全日スレ」だ、って楽しみに覗いたら全然違うから不満を言ってもいいじゃない。
ということで書いてみた。 ボディビル上がりよりカブキのような体こそが実戦向きなのだ
と思ってたよ >>646
昭和はムキムキは力が実は無いってのが
定説だった >>643
ゴングの裏表紙が日本ボディビル協会の広告
だったけど、プロテインの紹介されていて
これがどういうものかって気になっていた。
当時中学生だったらから高額で手にだせなかったけど。 >>626
ジェット・シンもナチュラルだったけど、今でもドラッグの危険性を熱心に子供達に訴えてるよね。
地元では慈善活動家で、学校名にもなる名士でもあるし。
いわゆる"ドラッグ世代の悲劇"って、デビッド・フォン・エリック(84年)からかな。
デビッドを発端にするかのように、ジェイ・ヤングブラッド(85年)、ジノ・ヘルナンデス(86年)と
毎年続いて、その後流れが止まらなくなった。
>>638
ブロディ夫人のバーバラさんが「当時は、今のようにプロテインパウダーなんてなかったから、
生卵、ミルク、アイスクリーム、チョコレートシロップをミキサーで混ぜたのが彼のプロテインだった。」
と言ってるね。 >>618
マイクアッサムとキャニオンは自殺なんで一緒にしてやるなよ
他にはピットブル2号、リックルード、アルティメットウォリアー、ギガンテス、ビッグディックダッドリー、ジョンクローナス、ラリーキャメロン、バズソイヤーも若くに死んでるな
外人は痛み止めもバカスカ摂取するから心臓が持たないんだろうな 一回プロティン買った。
水には溶けなくて飲みにくくて諦めた。 自殺はマイクフォンエリック、クリスフォンエリック、ケリーフォンエリック、クリスベノワ、クリスキャニオン、
ミッチスノー、ショーンオヘア、ブライアンクリストファー(グランマスタセクセイ)、エディグラハム、マイクグラハム、
レネゲード、ビジャノ2号とけっこうな数がいるけど日本では少ないな
安田が未遂なぐらいかね >>644
頭にバンダナ巻いてサイケ調のTシャツ、何か変形した感じのオモチャみたいなグラサン。
ああいうスタイルは60年代のヒッピーファッションが由来。まあアメリカのひとつのファッション文化。 小佐野の鶴田本の小橋の証言にあったけど、鶴田の筋トレは器具を使わない自重トレが主だったらしい。
あとタオル使ったマンツーマントレーニング。
これ渕も「アトキンス、デストロイヤーから伝わった全日道場の伝統」って書いてたな。 >>633
グラハム坂口戦はまあ何の見どころもない凡戦だったわ。
猪木ともあいそうにない。
ブルーノと好勝負演じた馬場なら、
同じような技使うグラハムとは手が合うかも >>654
確かに美味そうだw
84年〜85年のハンセンとブロディの自宅取材の写真や映像を見ると、
確かに見た感じこんな材料っぽいものをミキサーごと豪快に飲んでる。 >>657
冬木、川田、小川、皆天龍から「お前達若いんだから、派手なの着なくちゃダメだ!」と
言われて、3人とも「・・・・」だったらしいなw >>636
コロフは大技小技反則技で緩急の付け方が上手い。
パワーファイターだけどどちらかといえばコックスタイプかな。 >>660
バンダナはまだしもピンクのロングタイツはかわいそうだった パテラは全盛期の1980、81年に新日に上がったのは選択としてどうだったんだろ?
81年のチャンカンにスレーターじゃなくパテラが参加してたら、ブッチャーやブロディとの対決で怪力パテラの持ち味も出せたし、もっと大会も面白くなったのではと妄想している。 >>657
JJジャックスとの抗争が見てみたかったな レイスの"Handsome" は日本絡みだろ、前にも話題になってたけど。 >>629
>>633
グラハムの“スーパースター”は所謂「大スター」って意味ではなくて
当時大人気を呼んだミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」から
拝借した“スーパースター”
グラハムのスタイル見てもわかるけど
長髪にサングラスバンダナサイケ柄
(いくらグラハムでも最初から禿げてはなかったのよ、ちょい薄程度で)
あれは当時の西海岸におけるサイケデリックやヒッピー文化の典型的ファッションで
「ジーザス・クライスト・スーパースター」は
そういうあの時代の風俗・文化を代表する新しい「ロックミュージカル」だったのよ >>666
そのミュージカル曲のアレンジ版が大仁田のテーマ曲だったな
国際プロレスの草津戦でグラハムに使われた曲は良いわ
このテーマ曲探してるんだけど無いね、WWFで使われた曲はちょっと違うし >>650
クリスベノワも自殺じゃないのか?しかも妻と息子を殺してからの無理心中だったような記憶があるが? >>652
泉田と(レスラーじゃないけど)仲田龍はそうじゃないかって噂があるね
最期が不自然だった半面、決め手となる証言や証拠はないようだけど レスラーではなくプロレス関係者なら
FMW社長の荒井昌一がいるよ。 >>670
仲田龍はなんかモヤモヤした感があるけど
泉田は心臓の持病が悪化したのでは?
自己破産したので借金は精算されたし。
でも知り合い中心の借り入れだったから
心はやすまらないか。 >>671
総格だと、DSEの森下社長も自殺だったな
プロレスや格闘技興行の資金繰りって
精神病みそう >>618
ウォリアーズはステロイドを販売するだけでなく「ここの筋肉をつけるにはコレ!」
とかの指導も行っていて戸口が止めたのは後遺症で頭髪が薄くなったからだった。
>>649
シンは3.11の後にすぐ日本救済のイベントを立ち上げていた。
>>656
タオルを使ったトレーニングは新日でも小鉄や藤原が紹介していてタイヤーチューブ
を使ったモノはミスター高橋が紹介していた。
>>657
この派手なコスチュームは「目立て!」と言う天龍のアドバイスだった。
>>668
最初はWWEも哀悼を示すもアメリカでは相手が家族でも「第一級殺人罪」の重罪で
事の真相が明らかになると記録から消されてしまった・・・ >>659
昔のプロティンは高価で味もおいしくなかった。UWN勢がトレーニング後の食事の後に
プロティンの塊を牛乳に溶かしてまずそうに飲んでいた。
今はだいぶ価格も下がりイチゴ、バナナ、チョコレート味等と改良されてだいぶ飲みやすく
なったらしい。 プロテインは知らなかったけど
『ロッキー』でスタローンが生卵をジョッキに入れて呑んだのをみて
筋肉やトレーニングにはこれ要るんだな、と学習した。
>>663
ケンパテラ、面白い。
後期CCにはバラクーダみたいな伏兵がいなくて星取りが面白くなかったし
ロビンソンやブリスコみたいな大物はもったいないように思った。 グラハムは筋肉だけじゃなく、アジテーションが上手かったからアメリカでは受けてたんで、
日本じゃ英語が通じないからね… プロティンはとにかく溶けなくて苦労した
オエオエいってやっと飲んで。数日でやめたわ。 >>663
全日で行われたCカーニバルやオープン選手権、最強タッグに
怪力を売りにしているレスラーの参加って殆どないね
ナチュラルなパワーファイターでいえば、超獣コンビとジョナサンくらい
最強タッグにコロフ&パテラ組とか面白そうだけどね
(ラシク&クラップのように旬を過ぎたらダメだけどw) >>663
パテラは77年の来日で馬場に見限られて
終盤はクツワダあたりに負けてた。
新日本でもIWGPでは白星配給係。 >>683
ゴングの裏表紙に載ってた缶入り買って飲んでた
大豆そのものの味で、牛乳と実物のババナと一緒にミキサーにかけてた
それでもダマは残ってたなw >>668
あまりに脳に衝撃を与え続けると、
タンパク質が脳にたまって、
異常行動起こすんだよな。
アメリカのアメフト選手が何人も、殺人犯したり、車を猛スピードで飛ばして事故死したり、自殺したりして、問題になった。
ベノワもそれだろうね。
詳しくはウィル・スミス主演の映画「コンカッション」参考。 >>628
フィニッシャーがフルネルソンだからなー 1周回ってクリス・マスターズが出て来た時はおもしろかったけど 当時としてもフルネルソンで終わりはなかったんじゃない?ホーガンは不器用なりに新日本のスタイルに合わせられたに対してさ ビリー・ジャックが本国ではフィニッシュがフルネルソンだったけど、日本に来たときは使ってなかったね。 >>686
馬場、鶴田、デストにはピン許してるがそれ以下には負けていないよ。 サンマルチノみたいな木偶の坊がよくMSGのスターだったとか未だに信じられん >>679
アニマルはホークが死ぬ前後にステ止めたけどその辺からブヨブヨの動けないおっさんになってて悲しかったわ
全日に久々に来た時も肩車さえ出来なくなってたしな >>697
それは足だか腰を痛めてたからだろ。
それこそがステの後遺症なのかも。 >>695
お前は誰でもかれでもに喧嘩を売るなあ。
ヒマなんか。 >>693
https://youtu.be/1q_FbRmzxcw
この試合が忘れたがフルネルソンでギブアップ勝ちするジャックの試合、世界のプロレスで流れてたよ。新日本来る前後だったと思う。 パテラがフルネルソンでくるくる回す、スイング・フルネルソンでギブアップ取ってた。
子供をあやしているような技だった。 パトリオットがフルネルソンバスターって技使ってたな
あの技他に使い手いたっけ? >>701
パテラがスイング・フルネルソンで馬場を振り回すところが見たかったな。
ボルコフとの怪力コンビでインタータッグ挑戦ってのも面白い。 >>691
フルネルソンだけどボビー・ラシュリーが新必殺技にしてマッキンタイヤのWWE王座に挑戦しそうだから
まだまだ捨てたものではない >>702
平成だけど、一時期大森さんが使ってた様な覚えが? >>700
坂口にフルネルソンかけて、力ずくで外されたな。 >>702
ダグファーナス、大森、棚橋、ローランボック、ボビーダンカンジュニア、ブライアンアダムス 新日だけど、藤波もフルネルソンの隠れた使い手だった。 フルネルソン チャレンジ、スミスの人気のすごさがわかるな。
https://youtu.be/vL1NWoIlOYA >>703
自分より背が高すぎると無理じゃないかな >>701
寺西相手にやるとやられ顔がクシャクシャも泣き顔みたいになるのもあって絵になったな >>701
寺西相手にやるとやられ顔がクシャクシャも泣き顔みたいになるのもあって絵になったな >>712
盛岡のPWF戦は観た記憶がないな〜
ノーTVだと思うよ 怪力レスラーはフルネルソンから相手の肩甲骨の間に頭を押しつける
マンチェリアン・クラッチまで持っていけば
必殺技として通じそうだけどね
腕のロックが逆のWARスペシャルのスタンディング版 前田がアンドレ戦でグランドでフルネルソンで思いっきり絞め上げられたら落ちそうになったと言ってた。
首の中には大動脈など脳へ行く血管があるため、力ずくで絞めあげると落ちる可能性はある。 ヘインズは初来日で
「猪木をフルネルソンで2、3日眠らす」
とゴングで言ってたんだが延髄葬であっけなく。 >>709
確かに隠れた使い手だ。絞るわけでも投げるわけでもないソフトフルネンソンww フルネルソンは立ちの関節技だよね。
そこで極めてなお、さらに後ろへ反るドラゴンスープレックスは強烈だな。
走り込んで来る相手に対して喉にラリアットを打ち込んだのち
瞬時にフェースロックを極め、とどめに後頭部を叩きつける
ジャンピングネックブリーカードロップには劣るけど。 フルネルソンは怪力レスラーが外すためにある
馬場とロードウオーリアーズのイメージ 鶴田とロードウォリアーズもしょっちゅうだったな。
外された後に前蹴り。ストンピング。
コーナーターンバックル打ち付け。 ジョナサンのフルネルソンをバンザイの態勢からストーンと落下
外れたと思ったらまた捕まるデストロイヤーw >>715
オックス・ベーカーとのPWF戦もノ―テレビだし、
深夜に回されてみていない試合があったのかも知れないけど、
タイトル戦や注目のカードを放送しない事が多かった印象があるな 馬場とブリスコのダブルタイトル線も
豊橋でNWAが移動した試合もノーテレビだったんだから
何があっても不思議じゃないね。 >>696
読みたい!
ウルトラセブンとマジックドラゴン地味なマスクマン大好き
プロレスクラシックか激闘の記憶で特集組んでくれ >>725
あれ?と思ったが、ブリスコvs馬場の長崎のWタイトル戦はノーテレビだったね
マリガン・P田中・マルコフ・マードックなんかも観た記憶がない。 >>696
ロボットコンビの本も出してくれ
普通の本屋で買えないの >>727
当時としては数少ないサマーソルトキックの使い手だったぞ。
佐山みたいに胸板を蹴ってからじゃなくて
元祖カーペンティアみたいにトップロープから飛んで着地するだけだったけど。 >>727
スライディングキックかっこいい
>>696
マッハ隼人本も読みたい >>732
なんかやってからベタンって倒れて
カブキがトラースキックするって連携ってなかったけ? ウルトラセブンはイマイチなりに頑張ろうとしてる感じは伝わってきたがマジックドラゴンはスタイルが確立して進歩しようとしなかった印象
プロレスの上手さで言えばマジックドラゴンだけど >>734
これはこれで、当時としては目を引くね。
さすがにタイガーマスクのスピードと比べるのは気の毒だけどw >>736
大仁田もそうだけどタイガーマスクと同時代だったのが
悲劇だったなw 沢山ホラを吹いたり、自分のやったえげつない事を人になしつけたり、いい加減で
適当な書き込みをしてる奴がおる。 しかもウンチとセックスが大好きな変態野郎。
その人のブログはこちらで、 あだ名はサボ辻、ホラ辻
https://www.facebook.com/tomokazu.tsujimoto.3 マジックドラゴンの時は
もっさり動いてるイメージしかなかったが
覆面脱いだ直後に
武道館で原との試合の時だけは
見違えるような動きだった >>728
マリガン戦は見た記憶がないけど、P田中・マルコフ・マードックは見たな。
特に田中戦なんか、田中と樋口がもめてる間に馬場が田中の下駄の裏から塩の袋を
発見するシーンははっきり覚えてる。 https://www.youtube.com/watch?v=SjZo0VTuLXQ
昭和62年6月12日 両国国技館
猪木、長州、前田、藤波、マサ、坂口、藤原、健吾、マシン
https://www.youtube.com/watch?v=4mUdbib8dpU&feature=youtu.be&t=1123
昭和62年7月30日東村山市民スポーツセンター
馬場、天龍、原、鶴田、輪島、谷津、タイガー
新日の方はこの壮大な予告編が世代闘争の本編を喰っちゃってハイライトになった感じ。
全日の方は次期シリーズに鶴龍戦が組まれ、冬木と川田が天龍同盟入りして軍団抗争が本格化していく。 薗田時代のイメージで上手いと書いちゃったが、マジックドラゴンてグダグダだったんだなw >>743
この連携って意味あるの
単に失敗したように見えちゃって損だよ
客席から笑い出ちゃってるしし >>745
たしかに日本でやったのは失敗しているように見えるけど
ダラスの試合でもこの連携はやっているんだよね。
たしかアジアタッグ?をかけた試合でやってたと思う。 >>745
今、観るとそうだけど
当時、小学校低学年だった自分からしたら
ちょっと驚いた記憶が…
でも、記憶よりもだいぶもっさりだね。笑 >>745
カブキがトラースキックに入るのがもうちょっと早ければな ジュニアタッグリーグでセブンと組んだ時に至っては、コーナーから宙返りして膝を強打
アレは何をしたかったんだろう…ただの失敗かな でも入念に打ち合わせしてたんだろうな。そうじゃなきゃ
出来ない動きだな。
昔自分が、プロレス設営のバイトしてたらこれから練習するからと追い出された
事あったもんな。リハーサルちゃんとしてるんだわ。 >>734
倉持はホントしつこいな。
竹内さんが何度も正式名称言ってるのに
バックドロップの連発。 >>734
このV、いろいろ変だな。もやもやした。 倉持さん調子こきすぎて解説やってる馬場さんにたしなめられてたよな 倉持は鶴田vs浜口戦の実況の時が、一番馬場に怒られたイメージ。 カブキは園田よりも小さいくらいに見えるな。自分も会場で目の前で見た時、公称182pどころか、175pがいいところかなって感じだった。 新春シリーズでリスマルクが来た時のタッグで、セブンのドタドタぶりが際立ってたね >>743
カブキのフニッシュ、ロープ中段からの
フィストドロップ、全く説得力がないな。
当たっていないのでは?www
馬場の16文と同じだよ。 >>759
それこそ歌舞伎と一緒だよ
あれを「演技がリアルじゃない」って言うかい?
様式美をたしなむ伝統芸能なんだよ
いい歳したおっさんが
まだプロレスを楽しめていないのは可愛そう >>760
ふ〜ん(軽蔑)
へーー!?(嘲笑)
ちなみに俺、20代。
あんたこそ良い年齢のオッサンだろ?
みっともないなぁ
恥かしい
まるでカブキの身体みたいww フィストドロップ全体重載せた拳を鳩尾に入れてるんだから効くなんてもんじゃないよ >>746>>748
伏せたドラゴンに視線が行ってしまった隙にカブキが蹴りを入れるって連携なのかね >>762
生きている価値のない
50〜60代だな。
アンタみたいなのが
コロナで苦しんで死ねばいいんだよ! >>761 カブキのフニッシュ、ロープ中段からの
今の20代の子たちはフィニッシュのことフニッシュって言うんだ
勉強になります!
新日ファンに多いよね
こういう脳筋バカ >>728
マードック戦では珍しく回転エビ固めを見せてびっくりした
この頃の馬場はまだ日プロ時代と遜色なく動けてた記憶がある >>712
たまたま52年ジャイアントシリーズの録画テープ持っているので確認したところ
パテラはデストとシングル。ブラジルとタッグを組んで馬場鶴田組、馬場天龍組、
馬場デスト組、鶴田羽田組との対戦が放送確認できたがPWF戦はなし。
ただ全放送分収録されてないので他の週で放送された可能性はある。 PWF初代王者時代の馬場は 5年間で38回連続防衛
年平均7〜8回という凄いハイペースだった
ノーテレビはブリスコ(長崎)・ベーカー・マリガン・パテラでいいのかな?
Wマクダニエル戦は放送された? あとブリスコとのNWA初防衛戦(ダブルタイトル)もTV放映されたのではないかな
うろ覚えだが、ちょっと不格好なバックドロップがフィニッシュになったような記憶が… >>770
これもおぼろげな記憶だが、マリガン戦は放映されたと思う
珍しいストレート勝ちで、フィニッシュは32文。1本目はよく覚えていない(反則?) >>771
日大講堂のダブルタイトル戦はジータスのクラシックで流れたよ
3本目ブリスコのバックドロップを
馬場がコーナーマット蹴って崩した形だったと思う
鶴田唯一のジュニア王座挑戦(対ケン・マンテル)もあった。
マリガン戦なんて全く覚えてないw >>771
それレイスからとった2回目の初防衛戦のときじゃない?
腰砕け気味のバックドロップで馬場がピン勝ち、
試合後に握手を求めたらレイスがそれを払いのけたのを覚えている カブキのフニッシュと言えばフストドロップだよな、アメリカのフラデルフィアの大会でも出してた。フィチ正信のフニッシュでもあるが >>759
フィストドロップはこの頃ジェリーローラーとかトミーリッチとかアメリカで旬のレスラーが使ってたよね
日本じゃイマイチ説得力が薄かったな
ブロディクラスがロープ最上段から髪を振り乱しながらダイブしてら印象は違ってたかも >>775
おいおい、フラデルフィア→フラデルフアだろ アロンアルフアの最後のアは、大きいアなんだよな。
http://www.aronalpha.com 塩レスラーとされているし凡戦だったのかもしれないが
マリガンやベーカーの大型ラフファイターは馬場と合うタイプなのに
放映しないってのは、凡戦になるに違いない、と踏んでたのかな(笑) >>776
フィストドロップって、どう考えても自分の体重以下の
破壊力しかないもんなあ。着地の時に足ついたりしたらなおさら。
ヘビー級のボクサーのパンチの打ち合いとか見た後だと、
あまりに説得力なさすぎ。 コーナー最上段からのフィストドロップといえば、
どうしても藤波がローラーのをキャッチしたトンデモ展開を思い出してしまうw
でもこの頃の藤波がたまに見せていた最後の切り返しフィニッシュは好き
18:40すぎ
https://www.dailymotion.com/video/x7kl932 >>785
デビアスが93年に6年ぶりに全日本に復帰して、試合中にフィストドロップを出すと
若林アナが「フィストドロップ懐かしい!!!馬場さん、思わず嬉しくなってしまいました!!」と
かなり興奮してたなw フィストドロップ、渕が小林邦やヒロ斎藤と抗争してる頃によく使ってたね
抗争というか、世界ジュニアの三つ巴の戦いの時か
説得力は結構あったと思う、特にヒロが悶絶してるシーンがいまだに記憶に残ってる
裏を返せばヒロのいたぶられ方がうまいともいえるけど…
この頃の渕は椅子攻撃も含めて正規軍でありながら、小林ヒロに対してはヒール系な戦いだったね ローデスもオープン選手権のレイス戦で使ってたのが印象に残ってる。
それ以降は封印したのか代名詞のエルボー一本に変わった。 渕のフィストドロップでヒロ斎藤の肋骨全壊したんだよ
小林邦昭も渕のフィストに比べりゃUWFの蹴りなんか怖くねえと述懐してる
カブキがサードロープから飛ぶのが不思議で好きだったね
一番強烈に見えたのはホークウォリアーのハイジャンプフィスト 倒れた相手にハイジャンプフィストじゃなく、ハイジャンプチョップを
猪木がやってたな フィストドロップって60年代の日本であったら
拳骨落とし、とかになってたかな。
あるいは原爆パンチとか。 カブキのフィストドロップ
なんか、プロレスファン以外の人に
見せたら、間違いなく笑われるよ。
恥かしいね。
ここでカブキやフィストドロップを
肯定しているオッサンは
コロナで死ねよ!www フィストドロップならデビアスを上回る使い手はいないよ。エルボードロップみたいに横っ飛びになって拳から落とすから体重もうまく乗っていた。
つなぎ技としては十分、かっこよかった。 デビアスのは綺麗なんだけど痛そうに見えないんだよな、フィストドロップに限らないけど 短期間だけど四天王プロレス全盛の中でミリオンダラー・ドリーム(コブラ・クラッチ&河津落とし)
をフィニッシュにしてたデビアスが好きだ ミリオンダラー・バスターだったか
コブラ・クラッチで絞め落とすのがミリオンダラー・ドリーム
で、口にドル札を突っ込むんだよな ポークもよく出してたな
アニマルは出した記憶ないけどね >>794
カブキって鶴田のことあしざまに言う割に
自分の技の見ばえや説得力はどう考えても
鶴田より大きく劣るよなあ
>>797
フィストドロップはパンチじゃない、とかいうんじゃない?
腕を振りぬいて固く握った拳で殴るのがパンチ、
相手に上から倒れこんで拳を当てるのがフィストドロップとかいって >>802
ポークって橋本真也?高田総統が名付けたんだっけ? ジェリー・ローラーもフィストドロップをやっていた
なんであんなおっさんレスラーがテネシーの猪木と言われる人気レスラーだったのか
いまだに分からん >>803
「俺はアッパーとトラースキックだけで観客を沸かす試合を組み立てられるぜぃ。グヘヘヘ」なんて勘違いしてそう。
>>807
せめて前年84年にバリアントと来日してインタータッグやUNに挑戦してればなぁ。 >>799
デビアスのフィストドロップ、あの巨体であの流れるような動き、
運動神経の良さが感じられた。
フットボールとかレスリングでも一流になれただろうな
>>807
テネシーってことは、ローラーは南軍キャラだったんじゃないの?
日本で南軍云々いうのって、アメリカで薩長とか会津とかいうのと同じだろ。
そりゃ受けないよ >>734 ほんまや!!キレイにトンボきってるな。しかし、前後の攻撃ムーブ一切無しで、トンボきるだけってwすごいの・・・ ジェリー・ローラーはお喋りと荒っぽいデスマッチが売りなのに
日本じゃ普通の試合しかやらせてもらえないからな ローラーの全盛期に、大仁田のFMWがあれば良かったんだな。 >>812
ローラーと鶴田、天龍や長州との絡み実現してればドリームマッチだったな。 ガラプーの歴史
・おとーちゃんだがやー
・フルネーム(新日本プロレスリングのアントニオ猪木は等全てをフルネームで書く)
・省略(シンニのアノキ、バンビガ等不自然に省略)
・漢字羅列
・ひらがな羅列
・片仮名羅列
・センズリをオナニーと言う奴はヘタレ
・後楽園ホールのうんたらかんたら
・レス番〇〇(レス番のダジャレ)だがを頭に付ける
・武道館生卵事件を模造
基本的に定期的にキャラを変える
普通に書き込む期間もあるがニワカでそこを指摘されると切れる
その後荒らすかキャラ変して煽る
この繰り返し
レス乞食なのでレスはしないようにすること >>773
バックドロップ崩しでしたか。失礼しました
鶴田のジュニア挑戦には「リミット105`」を強調してましたが実際は110`くらい
あったんじゃないですかね。試合内容はまったく覚えてないです
>>774
その試合と勘違いしてたんですかねえ
ありがとうございます >>812
初来日が長州ジャパン登場とかぶってたはず。
テリーが残念がってた記事を見た。
だがワンショルダーが受けたとは思えない ローラーが初来日したシリーズは欧州の強豪と言われたクラウス・ワラスも初来日だったんだよな。
ただ試合を見てローラー以上にガッカリした記憶しかないけど。 >821
あっそうだったか・・・
指摘ありがとう!
記憶があいまいで申し訳ない。
クラウス・ワラスは見た目はカッコよくて雰囲気もよかったんだけどいざ試合になると???だったな・・・ ロディ・パイパーやジェシー・ベンチュラみたいな半分位は話術が魅力のタイプも
日本ではダメだね >>791
この件で淵が拳で相手にナックルを打ち込む度に注視するようになった。 ローラーもそうだけど、名前だけ先走ってた大物感だったのはオットー・ワンツかなあ
全日じゃなくて新日IWGPに連続来日だから、スレ違いですまんけど
ラウンド制が主のドイツだからあんなに太ってても平気だったんだろうか?
ローラーとワンツは自分の中でイメージが被る、来日前から有名だったというのもあるけど
あとワンツとコロンも来日してからファイトが残念だった双璧かな、文脈が変ですまん。 大相撲の星の貸し借りと同じで星を貸したり星を返したりというのと同じ >>823
パイパーはトーク力の方ばかり強調されるけど、プロレスも上手いし、試合は面白かったよ。
感情をむき出しにするタイプだから、革命後の天龍とも手があったと思う。全盛期に来日しなかったのが残念。 マスクド・カナディアンにさせられて藤波のジョバーやらされたんだっけ
覆面だけならともかくコスチュームまでカナダ国旗のバカみたいな恰好 >>826
ブルドッグ・オットー、鶴田の前に足掛け三月AWA王者になってるんだよなあ。
当時倉持アナはニックを実況していて「オットー・ワンツという新進気鋭の選手に一時ベルトを
奪われましたが、ア〜ッという間に取り返し!」と言っていて、どこから突っ込んだものやらと。 >>828
スレーターとのタッグは良かったのにな。 >>826
イギリスはビッグ・ダディとかジャイアント・ヘスタック、キャノンボール・グリズリーみたいに百貫デブのレスラーが意外と人気あるからね。
ジョイントレスリングに定評はあるけど、興行的にそれだけで金になるかは別なんじゃない。 >>830
鶴田がAWA在任中か転落直後の時期、ワンツがIWGPに参戦してた
扱いは最悪で白星配給ポジションでテレビマッチもゼロだったかもしれない
「元AWA王者なんてこんなもん、ゴロゴロ寝転がった惰性のファイト」
みたいな内容の記事か連載を新日のケロだったかな?雑誌で読んだ記憶がある
間接的に鶴田のAWA王者の偉業を貶めてたんだろうかね?
でも鶴田はワンツじゃなくて、ニックから獲ったんだけどねえ…
ワンツは親日家だったからあまり悪くは書きたくないが。 イギリスと言えばロビンソンがPWF王者だった時にイギリスで防衛戦を
4回ぐらいやったみたいな報道があったけど、やっぱりマスコミの捏造記事
だったのかな? >>832
百貫デブといえば、デブの中でも一番身体能力に優れてるのは
クラッシャー・ブラックウェルだと思う
ドロップキックとコーナー最上段からのボディプレスは凄かった
日本でもデブは会場人気あるよね、必ずどよめきで沸くからね
ビガロも凄かったけど、肉質が固かったしデブというカテゴリーではないかな。 ウォリアーズがインタータッグ王者の時にフレアーも挑戦したと倉持が実況してたが
パートナーは誰なんだろ?まぁエアの可能性もあるけどw >>826
逆にワンツは我慢したと思うよ
ヨーロッパとアメリカでトップ張った
格と実績考えたらエース級の扱いでもおかしくないのに
まあ日本で人気が出るタイプじゃなかったし、
本人もカネックみたいに割り切っていたのかも ワンツとかプロモーターだし
選手としてギャラ稼ぎに来てたわけじゃないしな >>828
> >>823
> 革命後の天龍とも手があったと思う
前田天龍トークショーで前田が好きなレスラーにロディパイパー挙げたら
天龍がロディパイパー?!今日ここに来てよかったですよと大喜びしてた
二人の心に大きく残ってたんだね >>833
> でも鶴田はワンツじゃなくて、ニックから獲ったんだけどねえ…
いや、ワンツもニックからAWA取った選手なんですがそれは。
ニックのことだから巧くペースを作ってワンツを休ませつつ観客をワンツの味方につけて
最後のスチームローラーも説得力を持たせてKOされたんだろうな。
王者になったワンツは約ひと月ずっとニック相手の抗争を続けていたんたろうか。
鶴田はニックからベルトを奪ったにも関わらず現地ではヒールだったけど、ワンツは
ベビーとしてヒールを相手にしていたはず。
この頃の映像の権利は今はWWEのものになってるんだよなあ。 ブレーメンでオットーとベイダーが互角に殴り合う動画ド迫力よ
アーノルドシュワルツェネッガーも魅せられた巨体のオットー
全日に来てほしかった >>838
そうだよねえ、長い間に渡りトップだもんね
ただ自分で書いといて言うのもなんだが
ラウンド制はプロレスの良さを消す効果しかないような…
プロレス特有の流れが遮断されるし、耐えて耐えて反撃のパターンも成立しにくい
それで1か月とか同じ場所で興行を続けるというのもドイツは凄いな
日本でいえば大相撲の15日間と似た感覚なんだろうか…
まあワンツは格以外にも新日との提携話の更新とか、選手以外にも参加する意味があるんだろうけど なんて書いてたら>>836で動画を上げてくれていた。
確かにこのフィニッシュだと当時から報道されていたね。会場の湧き方が凄いな。
>>839
新日でも膝を痛めたと言って途中帰国していたけど、これってWWFのエージェントとして
新日と交渉するために来日した売れっ子のパターソンが1週間で帰国するのに使っていた手だね。
ワンツもレスラーというよりヨーロッパルートのプロモーターだったから、契約交渉したら
すぐ地元に帰る必要があったんだろう。 >>841
>いや、ワンツもニックからAWA取った選手なんですがそれは
ああ、そうか確かにw
この時期はAWAから移籍したホーガンがWWF王者になったころかな?
もしホーガンがAWAに留まってれば、ワンツが王者になっただろうか、ついでに鶴田もそうだけど。
しかしホーガンWWF転出は結果的に世界のプロレス史を大きく変えたねえ… プロモーターなのに前座試合に出るワンツに骨法の堀辺師範が感心してた
全日に話を繋げると最初に骨法と関係したプロレスラーってカブキだよね
週刊ゴングの裏蹴りと手首極める関節技教える写真覚えてる 連レスばかりでごめん
ワンツはホーガン云々の前に王者になってたのね…
つくづく無知ですまない。 >>836
スチームローラーってはじめてみたけど、
マイティのサマーソルドドロップやジョナサンのサンセットフリップみたいだな。
ジャンプしないからダイナミックさに欠けるけど
あの巨体だから十分威力ありそう
にしてもニックうまいわー。
ワンツの良さを引き出して、観客もわかせてベルト預けるって仕事を
見事にこなしてる。 全日に来たデブレスラーで動けて使えるのは、
ブッチャー・カマタ・キマラ・ブラックウェル・ビガロ…
クリス・テーラーはベビーになるのか 面白みがないな
ワンツが来てもテーラーのような扱いだろうな ワンツは本気で角界入りを考えたほど相撲に傾倒していたそうだ。 Wikiによると王者時代のワンツはヒールだったブラックウェルともタイトル戦を
やっていたんだな、一体どんな肉弾戦になっていたんだろうw
しかしこの時期のAWAってどういう流れになっていたのか不思議な時期だなあ
もうこの時期にはケーブルTVが普及し始めて水面下で興行戦争が始まっていて、
既にWWFを買収したビンス、翌春に世界王座を新設するジョー・プランチャードらに
対抗してガニアも新しいテリトリーを買収したりNWAエリアの株を買っていたり
全米進出の下地作りをしてるんだけど、リング上ではホーガンにだらだら善戦マンを
演じさせている間にワンツを王者にしたりしてる。
まあマサ斎藤によるとワンツが王座についた82年8月ころから斎藤とホーガンの抗争が
始まっていて、ホーガンがWWFに引き抜かれる83年の冬くらいまでAWAエリアは
どこもソールドアウトの大盛況を謳歌していたらしいけど。 >>850
そうなんだ。
ヨーロッパ出身力士が台頭してきたのが2000年代以降だからワンツは時代が違ったか。
でも、ワンツと同世代ならvs高見山、10年若ければvs北の湖、20年若ければvs小錦
30年若ければvs曙、40年若ければvs琴欧洲、vs把瑠都との欧州巨漢対決を見てみたいよw >>837
一応レックス・ルガーと挑戦してる記録があるわw
ただ記録自体がマスコミの捏造かもしれないけど >>849
動けるデブならワンマン・ギャングも入れてくれよ。 >>852
確か、年齢がいきすぎていて断念したんだよね。
でも、その姿勢は当時の相撲協会も感動してお土産をいっぱい持たせてくれたんだったかな。 >>851
短期間とはいえ王座に着けたんだから、ガニアの評価が高かったってことか>ワンツ
ボクシング出身となってるけど、英語版のWikiによるとアマレスのキャリアもあるみたい
だから、それが気に入られたのかも。
新日に上がったときは吊りパンスタイルだったような
全日なら、四天王時代ならウイリアムスやオブライトみたいな使い方で来ただろうけど
80年代だと厳しいかな Cブラックウェル、79年に天龍が凱旋した時mるで子ども扱いしてたなw ジャイアントシリーズ。
国際に当初来る予定だったが(ポスターにも載っていた)全日に登場。
天龍は全く成長しておらず、再び渡米。次の81年凱旋でロビンソンと組んでインタータッグ挑戦等の
抜粋を受けるまで成長した。 ワンツは電話帳破りのギネス記録を持ってたくらいだからガチな怪力だろ。
ボクシング経験歴あるし、普通に強い。 >>840
へぇ、それは貴重な情報だ、ありがとう。前田の口からパイパーが好きな選手として挙がるとは驚いた。
二人の接点ってあったかな?パイパーが新日上がった時はさすがに対戦はないだろうし。
あと思いつくのは、前田が84年にWWFにちょこっと上がった時くらいか。 >>858
ロベルトソトがマスカラスもどきのマスクをかぶったような・・ ロビンソン「このベルトなんて名前だっけ?」
って松永アナに聞いてたなw
常連外人なんだから
せめてそれくらい覚えとけよw >>860
前田はWWEを評価してる話をよくしてる
「あんだけ饒舌に10分以上もトークして、さらに激しい危険な試合までしてる」
「そんじょそこらの俳優では歯が立たない」
そういう観点の共通項からパイパーを評価してる可能性はないかな?
いや、勝手な想像で根拠は全くないけど… リック・スタイナーが「W.I.G.P」って言ってたの思い出した・・・ >>867
グランプリってフランス語だしね
そんな名前のタイトルアメリカには絶対ないから
違和感ありありだったんじゃないの テーズのベルトを真似て力動が作ったベルトがAの元インターベルトだから、そら似てるよなあ >>866
疲れないように話すのは苦じゃないだろあいつら。 >>864
長州『あんなベルト巻いたら高田はヘソに黴が生えるぞ』 >>868
F1GP
MotoGP
インディChevrolet Detroit Grand Prix
インディKOHLER Grand Prix at Road America
インディToyota Grand Prix of Long Beach
フィギュア ISU Grand Prix of Figure Skating
バレエ World Ballet Grand Prix
まあヨーロッパ圏以外で一番「グランプリ」って言葉を日常的に使ってるのは日本人かも
しれないな(K1グランプリ、M1グランプリ、クイズグランプリ、中央競馬グランプリ… )
とはいえインディや映画の世界でま使われていてアメリカ人も知らないわけじゃなし、
プロレス界での新鮮さを狙ったのは「Triple Crown」と同じようなものだったろう 力道山は「テーズから世界王座を奪った」と言って帰国しながらベルトを持っていないのを
記者から突っ込まれた時に
「アメリカではベルトは新王者が自分で作るものだ。こんなことはアメリカでは常識だ」
とぶっちゃけてしまって日本の記者を唖然とさせたそうだけど、本当に団体ってものが
無いアメリカでは、ベルトは個人製作・個人所有の方が普通なんだな
マソニックがNWAをキチッと管理していた時代のキニスキーベルトあたりがむしろ異例で、
今のWWEのベルトはもちろん会社が作っているけれど、ベルトはきっちり王者一人一人に
一本ずつ作ってる
たぶん王座転落したらそのまま個人所有を認めてるんだろうな でもベルトという動産が誰某に移動したら王者であって
ベルトを持ってないと王者とはならないぞ、という考えがおかしいんだと思うけど。
ベルトはいわば副賞で認定書が王者のそのもの証明書だろう。
日プロ時代の写真を見ればわかるように、馬場は認定書を丸めて観客の声援に応えているね。
認定書とベルトが揃っていてこそ王者という建前があった。どちらかだけでは不十分と。
それが後年、認定書の存在が軽くなってベルトに比重が移っていく。
ついにはベルトさえ合法(?)に譲渡されれば王者になるというミリオンダラーマンみたいなことになる。 >>877
当時のボクシング界はどうだったんだろう
王者交代ごとにベルトを作ってたのかな 王者交代ごとにベルトを作ってたらテーズはWWAとか沢山ベルトを持ってるはずだが、持ってないようだ。 Cカーニバルの優勝トロフィーは開幕戦に前年優勝者からの返還式はあった インターヘビー&タッグのベルトの汚さからして、使い回していることは間違いない。 >>878
女子プロレスのJWPが認定宣言をしていなかったんだけど、それも
当然の話で、例えば全日本女子プロレスは実質自分たちのタイトルを
「WWWAというロスアンゼルスに本部を置く団体が認定している世界王座」
というタテマエでタイトル戦をやっていたから「これは全女の松永兄弟が
勝手にやってるバッタもんのタイトル戦ではないぞ、ロスアンゼルスが
ちゃんと認定している本物だぞ」という証拠として、「会長や代理人が
日本で認定証を証拠に読み上げる」という儀式をしなきゃいけなかった。
これは戦後のドサクサの時期に、勝手に「世界王者」を名乗ったもどき
タイトルマッチを起こさせないように「WBAが認定したもの以外は世界
王者じゃないぞ」とクギを刺したボクシング界以来の伝統。
いらい舶来もの好きの日本人はみんな「海外のタイトル」を欲しがって、
プロレス界でもパリに本部があるIWAだのハワイに本部があるPWFだのと
自分の会社じゃない海外の組織が認定している、というのを売りにしていた。
だからバッタもんじゃない証拠の「認定宣言」が必要だった。
けどWWEがWWEタイトル戦を、JWPがJWPタイトル戦をやるのに海外からの
「認定」なんて必要になるはずがない。
かくして「認定宣言」は海外では消滅しているけれど、日本ではセレモニーの
花として「○○タイトル管理委員会」という意味不明の部署が認定していることに
なって、自分の会社のタイトルにいまだに認定証を出している。 NWAベルトは最初はテーズの個人所有(多分個人製作)ベルトで、これは
アライアンスじゃない旧NWA(アソシエーション)時代から使われていたもの
だったから、本当に組織として新ベルトを作ることすらしなかったんだろうな。
実質4代目王者のハットンの時にも別ベルトになっていたけれど、これは
テーズが力道山のインターの時と同じで自前ベルトを渡さなかったため、
たぶんハットンが個人所有していた過去の何かのベルトを巻いてリングに
上がっていたんだろう。
実質5代目王者のパット・オコーナーの時代から、メキシコのマヌエル・
サバラ製作の「NWA本部認定」のベルトが引き継がれるようになってるね。
このベルトがキニスキー、ドリー、レイスまで14年続いた、日本のベルトの扱いに
極めて近い「組織のベルト」の第一号にしてほぼ唯一最後、みたいな感じだ。
レイスがリング上でマソニックに返却したのはこのベルトで、なるほどレイスに
寄贈するのじゃなく本当にマソニックの「組織」に収められたのかもしれない
(のちにドリーに寄贈され、ドリーのパーティーで人に見せていた間に盗まれて
行方不明になったというのはこのキニスキーベルトなのか?)
AWAのニック・ベルトがニックが個人製作して個人所有したものであるように、
やっぱり組織のモノじゃなく、個人任せの部分が多いのがアメリカの歴史という
気がする 日プロ時代にインター王者の馬場がスーツを着て
ホテルとか料亭とか小粋な場所で
コミッショナー立会いのもとに調印式をする姿は
すごく格好よくて絵になったのに
自分で団体作ってからはやらなくなってしまったな
権威好きの全日の割にはこういうところは少し雑だな 80年代から00年頃にかけて、プロレス以外のものも含めてベルト製作を
一手に引き受けていたレジー・パークスが初めてベルトを作ったのは、
日本の力道山時代のようにまだ王者もベルトを巻くことが少なくて、
トロフィーが王者の証しだった時代のこと。
当時タッグ王者だったパークスがトロフィーを掲げても、ヒールがその
トロフィーを武器にして襲ってきたりで、毎度のように壊されるトロフィーを
控室でせっせと修理するのが面倒くさくなって、プロモーターにかけあったら
「あのー、壊れなくて済むベルトをタッグ王者用に作ってくれませんかね」
「みっともなくないベルトを自分で作るんなら別に構わんよ、やりたければ御勝手に」
とうわけで王者が自前で、それも業者任せじゃなく自分の手で作ったのが
始まりというから、プロレスのベルトって大概こういうものだったんだろう
団体の金で作らせてもらうこともあれば、自腹で作らされる場合もあったり
色々なんだろうね
ニック・ベルトはニックが知人に作らせた本当のプライベート・ベルトだったそうで、
ガニアと揉めたハンセンに八つ当たりでぺちゃんこにされたりしたのはとんだ
とばっちりだったと言うしかないw
https://stat.ameba.jp/user_images/83/eb/10010020130_s.jpg?caw=800
https://stat.ameba.jp/user_images/b3/c2/10010019397_s.jpg?caw=800
https://www.youtube.com/watch?v=BSWR-9MNv_4&feature=emb_logo 海外ではベルトはレスラーの個人所有(へたすりゃ個人製作)なのに対して、
日本ではベルトってあくまでも会社のモノで、しかも日本の場合テレビが会社の
実質的な柱だったから、ベルトとタイトルって「テレビ局の製作・テレビ局の所有」
っていう要素が大きかった。国際のTWWAベルトは実質「TBSベルト」だったし、
それを流用していたIWAのベルトも、12チャンネルになって新ベルトになった。
日本ではテーズから譲られなかった最初のインターベルトを力道山が作ったものや
アジアヘビーなどの初期のベルトが「アキバ徽章」が依頼されて製作したもの。
当然百田家の個人制作、個人所有。
日テレの資金によって「会社の備品」として作られたのが馬場時代になってからの
新インターベルト、インタータッグベルトで、新PWFベルト辺りもほぼ「日テレベルト」
だったはずだけれど、ある時期に馬場さんが買い取ったのか、作ったのは日テレでも
所有権は馬場さんのものになっていたのか、三冠ベルトの段階でも馬場が個人所有
していたものだったので、全日本から元子さんが「返却」を要求して引き上げられ、
過日ジャイアント馬場展で飾られていたのは御存じの通り 「東京12チャンネル時代の国際プロレス」で阿修羅原が獲得したWWUジュニアの
ベルトの製作費が90万円で、12チャンネルの特別強化費として計上されていたっていう
話が面白かった。
日プロ・全日のベルトは日テレ、新日のベルトはテレ朝が、同じような形でそれぞれ
製作費を支出していたんだろうな。
今の新日のベルト制作はブシロードが管理しているようだけど。
過去の猪木がらみは、なぜか海外からのベルトをそのまま使うことが多くて、東プロで
獲得した「USヘビー」は一応ガニア以来の歴史あるベルトだったし、NETが猪木のために
でっち上げたと思われたUNベルトも猪木以前からロスで使われていたものと同型だし、
NWFベルトはパワーズが使っていた現物の貰い受け(というか買い取り)。
もっともNETが付いてからは資金に余裕ができたのか、国内で新規に製作していて、
藤波のWWWFジュニア、インタージュニア、WWF名義のインター関係、IWGP各種は
みんな実質「テレ朝ベルト」。
(どこの会社制作で誰のデザインだったのか、どなたかまとめてほしいもの。)
そういえば「新日旗揚げ時にゴッチが持ってきた世界ベルト」と称して、実際には
国内で作ったレプリカを猪木とゴッチの「タイトルマッチ」で使っていたなあ。
この時はまだテレビが付いていなかったからプレーンな「猪木ベルト」だったせいで
好きに処分できたからか、古舘伊知郎の引退時にポンとくれてやることができている。
今のベルトは基本的に会社とテレビ局の持ち物で、簡単に譲渡とかはできないんだろうな。 >>886
その逸話はゴング増刊「チャンピオンベルトの謎」
に記載された記事だが、
特にタッグのチャンピオンベルトの話な! また始まったw自分で自分用のスレを作ってそこでやってくんないかな。 >>885
藤波がWWE殿堂入りした時のWWE公式プロモでも、フレアーと
タイトルマッチにをやるにあたって調印式をした場面の映像が
わざわざ使われていたから、ああいうのはやっぱり誰が見ても
カッコいい「絵」になるものなんだろうな
Tatsumi Fujinami is announced for the WWE Hall of Fame Class of 2015
(↓1:12あたり)
https://www.youtube.com/watch?v=iyhk0FkNMFk 昔はベルトの話専用スレがあってとても近寄れないレベルのディープな話が
されていたなあ。
「タイトル」がどういう事情と経緯で捏造、もとい誕生されたのかも興味があるけど
(日本のマスコミには「至宝」と言われていたインターナショナル王座すら、実体の
存在しないペーパー王座だったのを知った時には笑ったものだったからなあ)
物理的な「ベルト」が、どこの発注で、いくらくらいの予算で、どこの工場が制作した
もので、その後誰の手元にあるのか、ってやっぱり気になる。
NWAベルトはキニスキーベルトがドリーの手から行方不明と聞いたけど、日本で
有名なレイスべルトはフレアーが個人所有していたのだけれど、財政逼迫した
フレアーがオークションに出そうとしたのを債権者がストップをかけていたけれど、
プロレスマニアのHHHがフレアーの借金を清算してまで手に入れて、今では
WWEの蔵品になっているとか。 >>888
ゴッチのベルトって国内で作ったのか?
ホンマかねえ。
あれヨーロッパ系のベルトじゃないか。
日本で作るならもう少しデザインが違うんじゃないか?
何かのベルトを模倣したにせよ、
わざわざあの形のベルトのレプリカにせんと思うけど。
いくらゴッチが欧州だからって。 NWA王者ルー・テーズはオハイオ版AWA王者ゴッチとの統一戦に勝ったがベルトは置いてきた。
新日がゴッチの手元に残っていたオハイオ版AWAベルトのレプリカを作り、
初代王者フランク・ゴッチから伝わる実力世界一ベルトとした。
ゴッチvs猪木戦のレフェリーをやったルー・テーズに新日はどう伝えたのか?
https://ameblo.jp/jumpwith44/image-12310216073-14025964167.html
新日参戦時点でデザインは似ているがベルトが大きくなって変わっている。
https://www.pinterest.jp/pin/764837949197745303/ 動画見たら三沢タイガーマスクが想像してたよりも動きがイマイチだな
器械体操やってたから器用貧乏だったのか知らんが
同時期なら武藤のほうがスピード瞬発力あるように見える >>895
強さや巧さは別にして、スピード瞬発力なら断然 武藤の方が上だと思うよ
器械体操やってた割に三沢はバランスが悪いというか、ヘンな感じ
上田馬之助のような歩き方をする >>896
武藤は身体が硬いのが逆にダイナミックに映るんだろうな
ムーンソルトなんかもピーンと身体が伸びて見栄えがいい 全日のマットは柔らかくて足が取られるから動きにくい。
長州等のジャパン勢も新日に出てたときと比べるとモタモタしてた。
そのあたりも割り引いて比べてほしい。 >>898
船木が動画で新日と全日のリングの違いを語ってるよ
船木は昔の全日のリングも海外遠征ではそれを使っていて経験済み >>888
テレビ局がカネを出してベルトを作ってもそれはその時の一回限りの支出で
あとあとまでのNET備品みたいなことにはなってないだろう。
いわば役者の衣装や大道具小道具の類いなので所有権を気にしているとは思えないな。
だが団体側は大事な宝物の意識があるので保管や管理はそちらでOKと。 >>897
無用に肩と腕をダイナミックに動かしてるのが武藤。
シャイニングも。 イメージ的に20台前半鶴田のミニチュア版が三沢タイガー、
佐山の巨大版がヤングライオン〜スペースローンウルフ時代の武藤。 >>898
リングの違いというとまず固い柔らかいの話になるが、
長州によるとロープの張り具合も違うらしく、
全日のリングの方が緩くて
体を預けたときのリバウンドが弱いらしい それだったらジャパンの連中に合わせて、ロープの高さを低くした話も追加してね。 三沢は90年2.10の後の週プロインタビューで
新日は「ロープが細くてリングが狭い。場外マットは薄っぺらで危ない」って言ってたな。 >>902
お前若いころの鶴田知らんくせに、
なんで知ったかぶりするんだよ。
三沢が鶴田に似てる、なんて誰も思わんぞ。 ベルトの重さってどれくらいなんだろう。昔からバラエティTVとかで「重いですねえ」とか
司会者が紹介してた記憶があるが(ボクシングかな?)、本体は真鍮とかだから10sくらいか。 爺の悪い癖だよな!
自分と意見が違えば「お前は見ていないだろ!?」
「なにも分かっていない!」と決めつける。 森嶋を「鶴田二世」と言ってたプロレスマスコミも
まさか晩年森嶋があんな怠惰の上に事件起こすとは思ってなかったろうな
体形が似てるっていったって、四十代の弛んだ頃の鶴田と
まだ若かった頃の森嶋と同じだったわけで >>902
でも武藤に三沢タイガーデビュー戦のロープノータッチ回転トペは出来ないよ 武藤は側転が絶望的に下手
相手に跳ね返されてるようなドロップキックもひどい UNベルトはNETのワールドプロレスリングのスポンサーどったマルマンガスライターが寄贈したって説をどこかで読んだ記憶ある。
インタージュニアのベルトはチャボが新日本から持ち込んだわけだけど、新日本製だから馬場は疎ましく思ってたんだよな。チャボは新日本のロゴ入りのベルトケースに持ち歩いていたのも気に入らなかったらしい。
王者が大仁田になって帰国、チャボとの遺恨闘争の最中一旦空位にして新ベルトを作ったんだよね。 >>907
古い話だが、90年3月武道館のタイガーマスクvs小橋戦の週プロ記事が
タイガーマスク=小さいジャンボ鶴田、今は言われていないが
天才肌の実力者と評価される日が来るのではないか、という内容だった
どれだけの人が思ったかは分からんが、そう思う人が絶無という訳ではなかったのだろう 冬木が言ってたけど鶴田と三沢は頭でわかってなくてもやってみたら出来ちゃうらしい
この2人は天才と言ってた >>734
マスクは髪が出ているのも含めて本当に
格好良いと思う。タイツをカンフー風にして、
全日腹wを引っ込めれば人気が出たのでは。 >>909
否定はしないんだな。
やっぱり見てないんやんけ。 朝早く起きてみたら
阿修羅原vsグレート・カブキが!!
何故か平成の新日での対戦だけどw
この2人って全日でシングルってあったかな >>918
何回かやってるよ。
原が国際血盟軍時代。 >>892
数年前のGスピの記事でAWAニックベルトはなぜか日本にあると言う記述があり驚いた。
あとWWEはプロレス博物館を作るので世界中のベルト等のプロレスお宝品を買いあさっていて
WWEから買い取りの連絡が来るかもしれないと書いてあった。
>>913
チャボは馬場から「ベルトを持ったままこっちにくればボーナスをやる!」と
言われたらしい。 >>910
森嶋はもったいなかったね
高身長、バックドロップも含めて鶴田二世なんだろうけど
ただ、あのバックドロップの説得力は間違いなくあった
相手の胴に手を廻した態勢に入るだけで、会場から悲鳴や歓声が起こってたもんな
あの若さでそこまで自身の技を浸透させるのは中々いない
でもそれは、エース路線ではなく団体内の外敵ポジションだよあのキャラは…
そのあたりの扱いに間違った面はある、戸口を正規軍のエースにするようなもん
やはり個々に見合ったポジションってあるんだろうね。
森嶋が高山の後釜的に収まれば良かったかもしれん、あくまで盤石なエースが育てばだけど… ○○二世というのはなにか同じ属性があれば称されるな。
とくに在阪スポーツ紙のタイガース記事は乱発しまくる。
左打ちの高卒なら掛布二世だし、大型捕手なだけで田淵二世。
髭生えてる外人なだけでバース二世なんてのもあるし。
>>982
ミズーリ州ベルトが日本にあるというのも見たことある。 >>921
馬場が存命だったら上手く教育して生かせたと思うんだけどな。
三沢はデカいの嫌いだろ多分。 >>921
>>923
森嶋はデカいしそこそこ動けたけど、
パワーもバネもイマイチじゃなかった?
アマチュア実績もないし、
素材としては鶴田はもちろん、田上や高木にも及ばなかったような気がする >>925
逆にアマチュアの実績がないと小橋でも断られたのに
馬場が入門を許可したんだからそれなりのものを持ってたってことじゃないの?
あんまり見てないから想像でしかないが。 >>926
高校柔道部員としての
実績、実力は
森嶋>>>小橋だよ。
森嶋は、8大学から柔道の特待生として誘われたという。
あのまま続ければ、オリンピックも夢ではないと
言われたとか。 森嶋あの巨体でズドドドドドドドと走れたのはスゴイよ
ノアジュニア相手にポンポン受け身取るのは不自然で損してた
興行にはオバケが必要なのだからスーパーデブになればよかったのに
高山が全日来たときベテランにデカいんだから軽々しく受け身取らんでよろしいと言われたって正しいよね
素人が見ても小型が大型を正面突破してしまうのは物理的におかしい >>927
全然知らなかった。
じゃあかなり有望な素材をノアは無駄に消費しちゃったという事か。
勿体ないことをしたな。 >>926
馬場が健在なら森嶋に精神的教育と減量命令するだろうw
武藤の浜亮太三冠王者はムリがあったけど、
森嶋が真面目に取り組めばジャンボ二世の可能性はあったのでは? >>927
森嶋の柔道実績調べてみたけど
何もわからなかった
そんな強豪校の出身でもないようだし
あの巨体だから重量級の好素材として期待はされていただろうけど
でも森嶋に限らず、番付がちゃんと残ってる大相撲出身者に比べて
柔道出身者って競技歴怪しいのって多いね
ガチで国際大会の実績あるのって坂口と神鳥くらいで
代表候補まで広げても浜田くらい?
武藤の強化指定でさえ確かな情報がない
実際はどの程度のレベルだったのかよくわからないから
小橋みたいな経験あるけど実績なしってハッキリ公表している方が好感持てる >>930
あんな変な自己プロヂュースもさせなかっただろうな。 小橋が癌から生還したときのセミだっけ?森嶋と丸藤のシングル。森嶋の終盤の畳み掛けは迫力あったなー。 >>930
馬場が減量なんか命ずるかね
目方が目方がって昔っから体重重視してる
天龍も体重=馬力
プロレスはでかいほうが有利って話よくする >>934
多聞はデビュー前に馬場の命令で15〜20sくらい減量した
多分膝のこと心配したんだろうけど
それが原因でファイトに精彩を欠き馬場も失敗したと後悔したらしい
その反省もあるから、
若くてこれといった故障もない森嶋を無理に減量させたりはしなかったはず >>936
そうだったんだ。
デビュー時のままだったら森嶋は減量させる必要はなかったよな。 川田は体重増やし過ぎじゃないかと解説してたこともあったね
プロレスラーが減量するとガッカリする ノアの地方大会で六人タッグなのにゼーゼー言ってる森嶋見て
「モリシー痩せろー」とブーイングが多かった
減量以前に練習してないんじゃなかったか >>922
ミズーリのベルト
愛知県東海市のマニアが持ってるはず。
現物、見せてもらったことがあるが、ボロボロの一般人からみたら単なるガラクタ。 >>939
冬木は、太れと言われたり、
痩せろと言われたり大変だったね。
命令通り痩せて帰国したら、
「そんなに痩せたら、試合には出せない」って言われたらしいな。 減量といえば、1980年にドリーが急激に痩せちゃったのは何が理由なの? >>934
馬場は基準が曖昧かも、テンタにも解説で「大きいことはいいことだって言いますけどねえ、
あんまり大きすぎて重すぎるのもねえ」と言ってた >>946
逆だろ。大きい方が良いけど、重すぎると動きが悪くなる。
ちゃんとした基準があるから言えるんだろ。 >>947
URLが合ってないかな?
【過去イベント】第1回チャンピオンベルトカーニバル
と検索すれば出てくるよ まさに、天龍とのタッグで全日戻るまでのテンタにドンピシャなコメントだな。
WARの後期に出た時小佐野さんが盛んに一時期より動きが良くなった連発してたけど、WAR初期の頃の方が全然動けてた。
太り過ぎで、ドロップキックもランニングネックブリーカーも出せなくなって、アースクエイクダンスもシンドそうで。 >>949
ミズーリのベルトだったらグランドチャンピオンカーニバルじゃないの? 嵐として全日に戻ってきた高木も明らかに太り過ぎで練習不足なのか汗の書き方が
戻ってきた最初の頃は異常に多量だったような気がしたな。 >>946
デビュー前に減量を命じたんだよな。
だけどあまり減らなくて、馬場が怒ってテンタに
ビンタしている写真が東スポの一面を飾った。 >>945
レスありがとう。そういえばそんな話を聞いた覚えもあるな。別冊ゴング80年5月号のファンクスvsブッチャー、シークの記事の時点でかなり痩せていたんだよね。それから半年後、最強タッグの時は病気のような痩せっぷりだった。
本人は「動きやすいように減量したんだ」と説明していたけど、ゴングとかの記事ではそれも疑っていた。 >>879
日本王者は今も昔もベルトは持ち回りだけど、世界タイトルはこちらも今も昔もベルトは個人所有だよ>ボクシングのベルト
世界タイトル統括団体から送られたり(購入)、ボクシング雑誌から送られたり、タニマチから送られたりとか。 プロレスのチャンピオンベルトを見慣れていると、ボクシングのやつはちゃちく見えたなぁ。特にWBA 昔ヤフオクに出品されていた
国際のIWAタッグのベルトは結局いくらで落札されたんだろう?
落札前は60万円くらいの値がついていたが >>957
今のWWEベルトは
プロレス、ボクシング、キック、
古今東西もっともチャチいよ。 >>954
テリーは一定のコンディションを保ってたけど
ドリーは結構体重が不安定でしたね。
83年の最強タッグの時はかなりのウエイトオーバーで
ニック以上レイス以下
くらいの感じの腰回りだった。 ボクシングのベルトでTV局や企業名のマークが入ってるベルトは結構ありますね
有名なのは具志堅のカンムリワシベルトで、もう1つ具志堅の持ってるベルトは日産のマークが入ってたりする。
他にフジTVの8chマークが入ったベルトもある。具志堅のじゃないけど
昭和全日ネタも少し、
馬場&鶴田の師弟コンビが獲得したデトロイト地区のトーナメントタッグのベルトだっけ?
これは腰に巻いただけで、そのまま現地においてきたのかな
あとケリーとデビッドのエリック兄弟が極道コンビからアジアタッグ取ったけど(直ぐ佐藤石川コンビに奪われたが)、この少しあとに日テレの全日中継だったかでエリック王国の中継してたけど、
エリック兄弟(ケリーとデビッドかは忘却)とカブキ&マジックドラゴンのコンビがオールアジアンタッグ(オープンアジアンタッグ?)てベルトを争ってた。
これが日本のアジアタッグのベルトに形が似てて、上手いこと日本からの日本人との抗争を引き伸ばしてるのかなあと思ったもんです。 昔、イモ欽トリオがザ・ベストテンに出た時
山口良一が力道山が獲得したタイトルのベルトを3種類持ってきて
そのうちの1つを身に付けて歌った回があった >>963
それ、覚えてるな。まだプロレス中継以外のテレビ番組でプロレスネタを公然と扱うのが不穏な時代だった印象があるね。山口良一は欽ドンでも「沖識名」とかプロレスネタを出してくれて、それがきっかけで今日までファンになってるw。 >>961
あくまで見た感じの印象だけど
年を越した1984年、春のPWFタッグ争奪の時がもっと重そう
決勝戦のハンセン・ブロディ組、最終日?の大宮がハンセンとのシングル
この二連戦はきつかったろうな、ドリーらしくなくかなり動きが重そうに見える
もしかしたら、この時期や夏の田コロの頃がドリーのレスラー時代の最重量かもしれない ドリーに赤いタイツを履かせよう
なんて言い出した奴は誰だよ?
あれは絶対に似合ってないw 山口良一と言えば、金曜オールナイトニッポンの
闘魂スペシャルでしょう
猪木も電話でゲスト出演していたし、何より
ワープロ放送時間内に決着がつかなかった試合の
勝敗をフォローしてくれたのは有り難かった >>960
ダセえしなんか全部一緒だよね
また見るようになった時が変身ベルトだったからあれが好きだわレイテッドRはめてたのも良かったしヘビー級のベルトも良かった >>963
山口良一が持ってきたんじゃなくて、
プロレスファンの山口のために、
TBSが用意したんだぞ。
ベルト締めて歌ったりするかねえ。 >>961
だいぶあとだが、
テリーもサソリでギブアップした時はヒョロヒョロ。 >>937
KKクラップのベルトとかそうだろうね。
あと第一回CCでベルトを巻かせて貰った(?)チャンピオン達のなかでも
イヤウケアはのちの来日時に太平洋岸ヘビーのベルトを巻いてリングに登場している。
ルーインやハリケーンは見たことないからきっと防衛に失敗したのであろうなあ。 次のスレタイこれでどうかな。
【パーコー麺】昭和の全日本プロレス88【アップルパイ】 >>967
好評だったので独立して番組になり関東では土曜の夜に番組名の「アントニオ猪木・
闘魂・ザ・ワールド」になり猪木を始め新日のレスラーが出演してMCは田中リングアナ
だった・小林邦昭がレスラー仲間から「サンペイ」と呼ばれているなんて言っていた。
ライガーは古株の近所の住人からは「ハチベイ」と呼ばれているね。 >>972
ルーインも第2回大会にベルトを巻いて入場式に出てきた。
ただタイトルマッチはやらなかったけどね。
あの時のブッチャーの英連邦とやらもカーニバル用の
ベルトだったのかな? >>973
いやーいいスレタイだ。
回数重ねるとこうなるかと思うと感慨深い。
ただ現スレが実質88なんで
スレ番は89かと このスレも前スレからスレタイ荒らしに苦労するようになったか >>971
>テリーもサソリでギブアップした時はヒョロヒョロ。
その1986年10月の長州戦、半年前の春のレッスルマニア2では
長州戦の時と体格が全然違うよ、ヒザが悪化して秋までに意図的に体重を落としたんだろうか? >>975
すごい、よく憶えてるね。
当時、南半球ベルトは全日オフィスにあったと考えるのが普通だろうけど
中南米も含めて、その後行方不明なんだろうなあ。 >>980
1秒でマスクを剥いだのは日本プロレス 史上最短。 >>980
スーパー・デストロイヤーとしても来日したスコット・アーウィンか
素顔で来日する事が叶わなかった不運なレスラーとして有名だが
なんで日本に来るたびに覆面被らされたんだろうな
弟は素顔で来てたのに 昔、実物大のプロレスチャンピオンベルト写真集を持っていました。UNだけはデカすぎて70パーセントに縮小されていました。今でも実家にあります。 「黄金の輝き」はベーマガ。
まだ厨房だったから1冊しか買えなかったけど、
遊び用と保存鑑賞用2冊買う人もいたんだろうな。
広告での鶴田が(切り取った紙の)AWAベルトを腰に巻く姿が結構リアルだった。 考えてみれば1ページに1ベルトだから遊び用に2冊必要か。 「黄金の輝き」じゃなくて「栄光の輝き」だ。
とりあえずこっちは埋め >>993
そうでしたね。AWAでした。ありがとうございました。 第2号のインターベルトも王冠付ければ、PWFベルトも王冠付きになったかなw ハル園田は人間的には良い人だったけど、レスラーとしては… このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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