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>>1〜>>4乙! 今年のチャンピオンカーニバルは中止だってね
G1もヤバイかも… 長州が開幕戦前日(当日?)に離脱したのもグランドチャンピオンカーニバルだね
目玉の大阪府立も長州と輪島の初対決が流れて輪島対アニマルのシングルになった 調べたら違った
鶴田対トミーリッチ(インターヘビー級タイトルマッチ)
輪島石川対ハンセンデビアス
天龍タイガー対谷津中野
カーン原対カブキ大熊
これで主権者発表4100人
大阪府立のプロレスこけら落としというのもあってそこそこ入ったのかな 83年初のGCカーニバルは、ルーテーズ杯争奪リーグ戦と
大仁田が試合後リング下への着地に失敗、膝を骨折〜ベルト返上
メインのストーリーより、この二つが記憶に残っているw 天龍・輪島vs谷津・浜口でやればいいのにな。
変なカード変更するから行かなかった。 >>14
長州と輪島の初対決は話題になるけど谷津だとどうかな
ハンセンが輪島に遠慮してるのと自分の周り(中学2年)では「輪島は日本人と全然戦わない(鶴見除く)」という会話してたから、毎週ガッツリ見てた人は谷津戦のが見たいけど >>11>>12
その頃のはグランドはつかない、ただのチャンピオンカーニバルだろ。 1970年代に馬場vs輪島が実現していたら蔵前国技館は満員御礼の垂れ幕が出たな 82年第10回チャンピオンカーニバルの次のシリーズが
グランドチャンピオンシリーズだった
翌年からグランドチャンピオンカーニバルとなっているね。 >>13
part2のほうでベルト争奪のジュニアトーナメントだっけ?
セブン、最後の輝き。 >>19
モンゴリアン・ストンパーがフル出場していたのに、全く記憶がない。記録みたら、阿修羅、井上、そして佐藤にフォール負けしてるんだな。
そんな屈辱的なブックなのに、やっぱりギャラ目当てで最後まで出たのかな。 >>12
しかし当日ガラガラだったけど、前売りは売れてなかったのかね >>21
>屈辱的なブック
でもなぜかストンパーは馬場とは2戦2分けなんだよな。
たまたま星の調整役がまわってきたんだろうけど、
チャンカンで両者反則に終わったときは山田さんが
「この程度の相手に星を落とすなんてもったいないですね」と絶句してた。
本人はそれで満足してたのかも。 >>12
鶴田対リッチなんて鶴田が勝つに決まってる感じなのに
前哨戦の後楽園(TV中継)でリッチのショボさが際立ってたから話にならないw 長州が急にいなくなってバタバタだったにせよリッチはあの体型じゃ前哨戦で鶴田に勝つわけにもいかないわな 新装になった大阪府立体育会館。
当時「ズームイン朝」での徳光アナと読売テレビ辛坊治郎アナとのやりとり。
辛坊「徳光さん、これが新しくなった大阪府立体育会館ですよ」
徳光「随分と綺麗になったね。実況しててこの会場が一番盛り上がるんだよね」
なんて言ってたのを覚えてるわ。 >>25
パートナーのオーツの方が圧倒的に
いいコンディションだった。
リッチは噛み付いたりしてB級感満載だった。 阪神のキャップかぶってちゃらけてた辛坊が今や保守の論客みたいな顔してて生意気だよな >>24
リッチがNWA王者で来日してたら、鶴田、天龍は勝てないぞ。 >>29
フレアーとのNWA戦なら鶴田、天龍おまけにカブキも勝ったが >>21
カーニバル終盤までは格は保たれてた。
馬場と引き分け、ロビンソンには反則負け。
中堅には勝ってたしね。
カーニバル終了して追撃戦のグランドチャンピオンシリーズになったら、急に格を落とされて中堅に連敗。
馬場にファイトを見限られたのか
新たにドリー、テリー、ハンセン、レイス、スヌーカが参戦してきたせいもあるのか
自然な >>14
浜口も離脱しただろ。
長州らと行動を共にせず引退したが。
変更するとしたらこの日だけ参戦したカーンを
谷津と組ませて天龍・輪島組と対戦だろう。 >>31
ストンパーが中堅(相手は覚えてないが、多分極道のどっちか)に
ピン勝ちした場面が中継のオープニング画面で放映されたことがあったんだが、
ロープのリバウンドからのストンピングというフィニッシュが
あまりにショボくて説得力全然なかったのを覚えている。
(「ストンパー」だからストンピングが決め技なのは当たり前なんだが)
「これじゃもうこいつの勝ち試合はテレビじゃ放映できない」となったのかも >>34
ストンパーは来日の度に扱いが変わる妙なレスラーだったね。
71年の初来日では馬場、猪木に無敗。
72年の来日では吉村、小鹿あたりにフォール負け。
79年、80年の国際ではエース格を務める。
82年チャンカンでは前半はトップ扱い。
終盤は中堅にコロコロ負ける >>35
>ストンパーは来日の度に扱いが変わる妙なレスラーだったね
大型で見た目のインパクトあって地元ではそこそこ格の高いレスラーなので
日本でも当初はそれに見合った扱いを受けられたけど、
フィニッシュがショボくて受けないので、使い続けるうちにランクを下げられ
そのうち声がかからなくなる、ってところだろうか 馬場に勝ち越しと言うと何度も出るボビージャガース。
75年初来日で堂々のピンフォールというが、こういうのは後々エース候補として確約された
扱い何だろうか。ブロディなんかそんな感じだったが、ジャガースは花が開いたわけでなく
同時来日だったハンセンが数年後以降、一気に外人トップへと昇華する。 >>35
修行時代に世話してやった猪木の所へ行けば、扱いも良かったかもねw ストンパーはワープロの海外中継には出ている
カナダからの中継だったと思うが向こうではベビーフェースで
猪木の試合後に出てきて猪木を讃えていたような覚えがある ストンパー、テリーのNWAに挑戦し、血だるまにしフォール。幻の王者になったことある。ゴングが、カラー写真で掲載。ストンパーのパイルドライバーなんてあった。結局反則負け裁定だったような気がする。 馬場からタイトルマッチやリーグ戦終了後に
格下げで中堅クラスに負けをくらったのは
オックスベーカー
ワルドーフォンエリック
ケンパテラ
モンゴリアンストンパー
スティーヴオルソノスキー
あたりか ある意味、特別参戦のスティングも最終戦で格下げ食らったようなものだね
逆にスティーブ・ウィリアムスは格上げ
短期間だけど新日からトレード参戦のバンバン・ビガロも新日より扱いが良かった パテラはその後また名を上げ、猪木のNWFにも挑戦したがやはり尻すぼみ。
74〜75年頃は馬場のPWF挑戦者もピンからキリでマルコフ、タナカ、マリガン、ベーカーらは
ストレートで防衛。一流どころが顔を揃える全日マットでこれらの挑戦者でおまけに2−0防衛とか
どれだけ話題が振りまけたんだろうかと怪訝に思うw >>42
スティングやビガロと晩年でも馬場との絡みは観てみたかったな。
ベイダーもやってない? >>42
普段はあまり自己主張しないスパイビーがあのときばかりは
強硬に負けを拒否したんだっけ
外人選手への配慮に定評のある馬場も、このときは心理を理解していなかったか
事前のスティング推しとあの結果の落差から言って、単純にマッチメイクのミスだったな
ウィリアムスは全日に同化したけど、ビガロはただのお客さんで終わってしまったな >>31
>カーニバル終盤までは格は保たれてた。
ストンパーの「格」をどのあたりと評価するかによるが、自分としては序盤でブロディに秒殺された時点で十分な格下げになったと思ったね。
自分がストンパー・ファンだったこともあって、事前には期待していただけに。 クロンダイク・ビルは
全盛期の馬場にフォール勝ちしたあとは
後に再戦は組まれなかった
日本では無名だったが
アメリカではNWAに何度も挑戦してる >>37
単純にアクシデント的に勝っただけw
ジャイアントシリーズなんか、あの日にハンセンと
対戦していたら後々面白かったね。 >>32
谷津とカーンは敵対していたから組めないだろ。
谷津・仲野でいいんだよ。極端なカード変更はだめだ。 クロンダイクが馬場に勝ったのは謎。
この後ビルが馬場のインターに挑戦するでもなし。
馬場からは必然性のない負け。
マジでハプニングかも。 >>40
以前、あのパイルは打ち所が悪くて本当にKOだったって書き込みがあったな。
真偽や如何に? パイルドライバーを禁止にしている州とかなかった?
テリーvsストンパーが行われた地区は知らないけど… >>51
ゴングの写真では、ストンパーがテリーの頭を落とす直前の体勢の写真で、真相は不明。
カラー写真で、2ページ掲載され細かい記事内容は覚えてない。
テリーが流血してダウンシーンの写真は、苦悶の表情に見えた。今だに鮮明です。
雑誌は、もうありませんが。 >>41
ベーカーは馬場にストレート負けの後で戦績を落としており、まだわかるが
ストンパーは馬場と一応引き分け、テレビ放送されたロビンソン戦も攻め込んでの反則負け
馬場、鶴田、天龍以外の日本勢にも全勝と、まずまずの成績でリーグ戦を乗り切ったのに
残留したグランドSで連日ボロ負けという意味不明の結果
あれならロビンソンやスミルノフと一緒に帰った方がよかった ストンパーって60年代には
キニスキーを破って幻のNWA王者になったこともあるんだよな
時期にもよるけど、日本で中堅クラスに負けるような格の
選手じゃなかったことは確か >>52
当時、そういう州があるという話はあった。
が州の名前までは、覚えてないなあ。スマソ。 >>54
同時開催のMSGリーグで戸口があまりにも成績が悪かったので、急きょストンパーを悪くしたらしい。
戸口とストンパーは一緒でTVマッチでは負けてない。マニアが雑誌などで知る星取りの悪さだった。 このスレ見てたらなんかモンゴリアン・ストンパーが好きになってきたw ストンパー、スミルノフ、ラシク、クラップ、Kカーンなどキャラかぶるな。応援し辛いのかもね。 バディ・オースチンはパイルドライバーで二人も殺しているという逸話があまりも有名だが
wikiによると誤報であると聞いて驚いたなぁ、オックスベイカーのパンチ殺人がウソなのは知ってたが スミルノフ、ストンパー、ブルックス、ジョー・・。
後期の国際で猛威を振るった悪党外人は他団体へ転出後は奮わなかった。
アメリカでもある程度名をはせたマイクジョージやサモアンズもしかり。
こういう扱いでもって「国際レベルの外人」というレッテルを貼ってしまう状況に少なからず
寂しさを覚えたな。 >>37
「素質を見抜く自信がある私だが、ハンセンの素質だけは見抜けなかった。同時期に来たボビージャガースの素質を買ってた。」と言ってるね。
売り出すつもりだったんだろ。 風貌、体型、ともに初来日時の方がいい感じだけどね。 >>65
と言いつつも最終戦蔵前では
馬場大木戦前のシングル戦にハンセンを抜擢 ハンセンの素質見抜けない・・。
う〜ん、動画でデストと初来日のハンセンのがあるが良いと思うけどなア。
その後77年の新日初登場でもすでにサンマルチノの首折りマッチを引っ提げてだし、
さらに上昇機運の中での彼の動きが垣間見れる。 >>67
当時はメイン以外は前座っていう時代だったからなあ。
シングルといっても、デストロイヤーとの負けブックだろ? 動きはシャープだけど、体がちょっとだらしないっていうか。。
確かに飛んだ一杯食わせ物感はある。 ここの住人はマニアなので聞きたいけど・・・
高野俊や高木が逸材でもったいなかったって多いけど、最大の逸材はタイガー戸口じゃない?
戸口が移籍しなかったら全日本の歴史は相当変わったと思う。
天龍の台頭が無かったかもしれないし、83年に師弟コンビを解消していることを考えると、
あと1年半待っていれば戸口の時代は必ず来ていたと思う。
異論求む。 >>71
歴史は変わったと思うが悪い方へ変わった思う。 戸口は最初からキムドクとして見ていたからな。長州みたいに国籍の報道規制していたわけじゃないし。 馬場はデカいレスラーが好きなので戸口は鶴田より上には行けなくても3、4番手は維持できていたはず
間違いなく運命が変わったのは天龍
戸口が動かなかったら戸口を抜けずにグダグダしてて30代後半に突入したかもしれない 小学生の時に、英語ペラペラのキムドクがめちゃくちゃカッコよく感じた時期があったな。 >>71
戸口って大木のパートナーだった時期から数えれば
結構長期間いいポジションで使われたけど、結局
鶴田との抗争しか売りがなかったからなあ
ファンクス、ブッチャー、マスカラス、ロビンソン、
誰と絡んでもスイングしそうにないし、
鶴田との抗争が飽きられたら使い道ないから、残っていても
遅かれ早かれ天龍に抜かれてフェードアウトしてたのでは? 鶴田本で天龍が話してるけど、戸口や羽田は鶴田のやれることはなんでもできるようにしてたらしい。
もうこの段階でダメなんだよなw
でも戸口のかんぬきスープレックスは見事だったけど。
80年あたりに鶴田&戸口でアジアタッグでも巻かせれば面白かったろうに。
マスカラス兄弟とか、A・アイドル&キャンディあたりの挑戦は受けれそう。
極道よりはるかに試合がグレードアップ。 >>69
そうかい。
ハンセンの自伝では「セミ前に抜擢された」とあり、
デストロイヤーがわざわざ「重要な試合だぞ」と
言いにきたと書いてあるが。 >>75
間違いなく3番手キープだっただろうね。ロビンソン・天龍組がインタタッグ挑戦も無いわけで。
あったとしても、いきなり戸口の上に天龍は置けん!と馬場さんは序列を重んじるし。
秋のフレアーとのNWA挑戦も無いし。(戸口がいればやはり戸口に)
天龍、原の抗争はあったかもしれないが、アンダーで放送無し。
なにより82チャンカンで時間切れにさせられた鶴田が可哀相だった。 戸口(ダク)の印象と言うと、新日移籍後のカーンとのタッグがあるがあくまで主役はカーンだった。
やっぱ70年代の全日時代での韓国師弟コンビだな。馬場&鶴田とのインタータッグ攻防、国際も交えての三軍戦等で見せた
彼のヒール的な役割。髭面でダイナミックな動き、大木に続き祖国を背負って日本陣営と対峙するふてぶてしさ。。
まあ彼もメインはアメリカで、高千穂や桜田みたいな「島流し組」みたいな環境でプロレス界を渡ってきた感じで
なんというか団体所属のリーマンレスラーとは一線を画した「無頼漢」みたいなイメージだったな・ >>71
戸口がトップ取ることはないわ。
でかいし、上手いけど、顔がベビーじゃない。
戸口が残れば、天龍の台頭はなかったって言ってるやついるけど、
戸口と天龍では扱いが全然違うから。
ゆくゆくは天龍が上になってたのは間違いない。 トップは取ることはないが、エースのパートナーとしてタッグチャンピオンにはなっていただろう。
(谷津がそうであったように)
天龍は原あたりとアジアタッグがせいぜいだった。
鶴田・戸口の鶴虎タッグが売り出され、鶴龍の時代は来なかったのは確実。
どうして戸口はそこまで見抜けなかったのだろう。
飛行機代以上のものを失ったと思わないのか!? 馬場とトラブルを起こさず全日に残留出来ていれば後のジャパンとの対抗戦で
全日側が理不尽な敗北を強いられる事もなかったのかな?
カブキは日本に定着してないし、原はカネのトラブルで失踪中
石川や大熊ではチョシュ谷津組にピン負けするしかなかったが
天龍戸口ではメンツ的にそうはいかなかったろう >>83
いや、キムドクに比べてタイガー戸口が冴えないのは一目瞭然だった。
本人もいずれ全日本サイドから離れたんじゃなかろうか。
結局どこかで「鶴田天龍」になってたと思う。 ジャパンがいた頃は選手が飽和状態で、復帰は無理だよね。戸口も間が悪い。 >>85
そうだよなあ。
チャンピオンカーニバルでの扱いも違いすぎるしなあ。
>>86
選手が飽和とか関係ないだろ。 戸口をNO.3として売り出すなら
代名詞的な必殺技が欠かせないが、
かんぬきスープレックス以外何かあったか。
寝技と肉弾技も何かほしいとこだが、
キウイロールは説得力がなさすぎるw 佐藤昭雄だっけか「戸口さんはカッコ悪いのに気取ったりカッコつけるからいけない」って
ダメ出ししてたなw 赤、青、白の3色星パンツがいけなかったな。もっとシンプルでいいのに。 >>88
ツームストンとオースチン式のパイルドライバーを持っていたが
対戦相手が平気で返してしまってフォール勝ちに結びつかない 仮に84年まで鶴田戸口組と天龍原組で行ったとして
長州が来た時、相手になるのはやはり天龍。
戸口はカーンの相手になつていただろうから、
ここでランクは逆転したはず。 >>92
だとしたら天龍のブレイクはあと4年掛かることになるね。
そこでやっと戸口に並んだとしても超えられたかどうかは分からない。 レイスvs戸口のNWA戦のヨウツベ見た。秋田のやつ。
倉持が「戸口には鶴田のようなウルトラCの技がありません!」ってはっきり言っちゃって後で怒られなかったのかな? >>41
フランクランカスターも後半は黒星続きだった気がする >>93
いや、戸口は一気に抜かれると思うw
ていうか結局、カーンと組むか木村、原と組むか、
そういう道に向かっていくはず、 何と言っても、馬場は生え抜き重視の男。
外様の戸口より生え抜きの天龍だよ。
いつまでも下には置かない >>90
戸口の三色星パンはデカパン揃いの全日の中でも
一際デカかったな。縦に長くて、腹巻を重ね着しているように見えた 鶴田&戸口って連係技もしっくりいかなそうだな。このコンビがしばらく続いても、シングル路線では戸口はあまりいいクジは引かせてもらえず、
結局は長州が藤波にみせたように「俺はお前の嚙ませ犬じゃない」的なアピールして反旗を翻したんじゃないかな。 ドク=戸口に対して、ブロディは初来日の時から
ほとんど技を受けなかったんだよね。
天龍に対しては、81年の覚醒以降の対戦とはいえ、それなりに技を受けていたんだよね。
あれはブロディ自身の戸口、天龍への評価なのか、馬場のランクづけに従ったのか。
いずれにしてもさ。81年のチャンカンの対戦でも
一方的にやられた戸口にはナンバー3の座も
心もとない感じだったよ >>68
ハンセンがラリアットなければ
荒削りなパワーファイターだろ。 戸口はサンダー杉山や鶴見五郎で強いヒール。
大木金太郎の路線でいけたんじゃないか。 戸口がNo,3に定着させてもらえなかった一番の理由って
「大木の子分役だった」一時期を全て見せちゃってたのも大きくないかねえ
国籍どうの外様どうのっていうより
馬場にとっては旧いタイプの使い尽くしたライバルである大木の
そのパートナーで子分役として一時期散々活躍してた戸口を
今更正規のNo,3、将来のエース鶴田のパートナーとして末永くってのは
やっぱり抵抗あったんじゃないかね
「大木の子分だったやつが今更俺と鶴田に次ぐ正規のNo,3で将来の準エースか?」って
戸口にとってはせっかく日本に定着までしたのに
“意に反して”短いNo,3時代だったのかもしれないけど
馬場にとっては案外最初から
杉山、デスト同様にあくまで過渡期の助っ人No,3のつもりだったのかも >>104
一時的なNO3は認めるが、鶴田の次のUNやNWAの挑戦は戸口しかいなかったわけで
大型好みの馬場なら重宝したのは確実。
当時軽量でまだまだしょっぱい天龍が抜く画が見えないんだよね。 >>105
見えるだろ。
デビュー当時から扱いがすでに別格だった。
ハナから将来のエース候補、もしくは2番手として教育してたじゃないか。
馬場は、数人のエース以外はジョパーっていう育て方するからな。 >>98
しかも腹が出てて、腰回りが太く、デカさがより目立った。
あれでは子供や女性ファンはつかない。 公称身長からしても鶴田が高いよな。
戸口とカーンが同じくらいだったかな、最近では小沢が明確に高いけど。
http://imgur.com/Aj4d0Ep.jpg 今から30年以上も前のことだけど、
当時アルバイトしていた病院で、ソファーに腰かけて
子供をあやしていたカーンを見かけたことがあるが、
背中丸めて縮こまっていたにもかかわらず異様にデカく見えた。
鶴田や戸口も同じくらいのデカさだったわけだから
プロレスラーってやっぱり異形の人だと思うわ。 >>104
韓国コンビとして師弟コンビとは対立構造だったドクがタイガー戸口になっていきなり全日入り
してもファンは抵抗があるので大木とシークの連携に怒りコンビ分裂で一旦は
ファンクスと組んでワンクッション置いての加入だった。カウボーイハットを被った
のは戸口のアィディアだった。
鶴田と二人になった時に「お互いに大変だよな〜」と言うと鶴田も頷いて
"馬場と大木のパートナーを務めると自分たちが動いて試合を作っておいしい所は全部、
二人が持って行く事"を愚痴っていたらしいw
動画サイトの日プロ映像に戸口が猪木の卍固めの練習台になっているのはお宝かな?
戸口はあまり猪木の話はしないよね? 戸口本人が全日でも新日でも日本陣営でやりたいと希望したんじゃないかな
だがベビーはさっぱり合わなかった
顔がどう見てもヒール向きというのを戸口自信が認めたくなかったのかな TT砲が本格的にタッグを組んで1年くらい最強タッグに出て欲しいところあった。
馬場はデストロイヤーと組んでいいわけだし。 1979年に戸口が全日入りした時に、鶴田&戸口でインタータッグが妥当だが、
馬場が鶴田と組んだままで戸口離脱後の83年まで馬場&鶴田がインタータッグ。 >>112
最強タッグは1年間ずっとやっとらんぞ
年末のわ1シリーズだけや まず戸口の生活拠点がアメリカで全日所属でも日本に定着できる環境じゃなかった。
それもあってか通年でシリーズ参加じゃなく、時期によっては穴をあけることもあった。
そこへ81年に天龍が凱旋した時の成長ぶりを見て、馬場からすれば継子のような戸口には
それなりの対応しかしなかったという話か。ま、憶測だが。 長く全日にいたとしてだが
戸口とは原や高野弟がいいチームになるかもしれない。
カーンは言うに及ばず。
シン上田戸口なんてトリオもいいかも。
決起しないで解散させられた決起軍の長の位置ならちょっとよかったかもしれない。 将来的には全日旗揚げ後の入団だった天龍に抜かれたはずだろうって意見も分かるが
全日は良くも悪くも序列が厳しいし馬場はデカいレスラーが好きだからな
天龍が戸口を抜くには短くても2〜3年はかかったんじゃないかな キムドク時代の終わり頃も、なんか変な扱いだったよな。
韓国師弟コンビの賞味期限切れか78年最強タッグは全敗、年明けシリーズは初来日ブロディを
相手に秒殺される扱い、と思ったら最終戦は鶴田のUNに再挑戦してまたしてもフルタイムドロー。
あれじゃ鶴田の価値まで下がってしまう。 戸口を在日朝鮮人ということで大木とのコンビを結成させて、馬場・鶴田との日韓師弟対決を企画した
全日(馬場)の発想は今思えば前衛的だったな。
後年他のスポーツで国民を熱くする「日韓戦」をいち早く取り入れてたんだからな。 >>119
当時は馬場がPWF陥落中で、全日唯一のシングル王者だからな。直後にはハワイでニックに挑戦したし。 >>119
ベルトを持たせて
興行を任せてるんだから
価値がないと困るだろw >>117
序列に厳しいのはあくまでレスラー間での体面的なもので、馬場はもっとそこはシビア。
日プロ合流組の冷遇ぶり(ほどでもないが)を見ればね。 >>118
鶴田とは直接対決では引き分けばかりだったから、
間接的に差をつける方針だったのかも
戸口が抜けて急きょNO.3に抜擢されたばかりの天龍も
チャンカンでは鶴田と2年連続で引き分けだったな
>>120
まだ軍政下のソウルでのインタータッグ戦なんて思い切ったことをしたもんだよな
下手に日本組が勝ったりしたら暴動になりかねないのに
まあそこは馬場が興行主でもあった大木がちゃんと手を打っていると信頼してたんだろうけど >>117
だから、最初から馬場の中では、
天龍の方が戸口より上って話だ。 >>110
んなこと言って、自分が格下と組んだらラクしたくせによくいうよな。 >>125
ないない(笑)大量離脱以外で序列が上がったのって三沢タイガーくらいなんだよ。それも覆面。
顔にペンキとか塗らずに格を上げた人って馬場全日本ではいないの。
戸口が居たら、並ぶことはあっても超えることはない。断言する。
だって本人(天龍)が84年のインタビューで言ってるんだから
>>125くんは最近のファンだろうから、仕方ないけどね。 81年のインタートーナメントで鶴田に巻かせ、戸口にはUNか、羽田か天龍と組んでアジアタッグ。
いずれにせよ戸口にベルトを巻かせてあげたかった。 79年最強タッグ開幕戦、戸口と天龍のコンビで公式戦のなかった大木&カマタ組と対戦。
試合は当たり前のように、カマタのフライングソーセージを食らって天龍がフォール負け。
当時の天龍は、直前のシリーズでも高千穂と組んで極道コンビのアジアタッグ王座に挑戦、
大熊と1本ずつ取り合うような扱いだったから、当然と言えば当然なんだが。 >>129
その頃の天龍を知らない人が多い・・・
戸口はNWA、UNは3回?挑戦していて、天龍はアジアタッグの1回。これで天龍が最初から上と言われても・・ 79~81あたりに天龍のチャンカンは見てみたかった。時期尚早と馬場が出さなかったのも偉い。 馬場も残留してほしかったら、戸口にUN渡すと言えばよかったんだよ。興行的にも助かるし。 >>127
全日で一番格上げされたのは鶴田を除けば戸口だろ。
若手として海外に行き、凱旋帰国してインタータッグ獲得はあり得ない快挙。
全日に帰国した他の若手だと、百田、桜田、石川、天龍、羽田、大仁田、渕、薗田、三沢、川田、北原・・・ UN王者戸口の防衛戦の相手って
どんなメンバーになるのか
想像するだけで怖いw >>133
めちゃめちゃいい待遇だよね戸口。全日本では快挙だよ。そして全日入団ってエリート中のエリート。
鶴田の横にいればポジション確約。こんな逸材いないし、本当もったいなかった。 >>134
スレーター、デビアス、スミルノフ・・・いっぱいいるじゃないか!アングルはいくらである。
鶴田はインター、NWA、AWAに専念ってことで。 大木がUN挑戦して抗争が続いたりとか。戸口と大木のシングル戦は退屈すること間違いないが。 戸口vs大木のUN戦は面白いね。大木の存在意義も出てくる。
客が来ないっていうが、もちろんメインじゃないぞ。よくてもセミで。
天龍だってUN戦でメインって相当先だ。 新日本の藤原の関節技やテロリストみたいなギミックがないと、あってもベビーな売れ方はむり 81年の大木は居ても居なくてもどっちでもいいような存在。空気。
シンには「今更ロートルとやらせるな!」とカード変更されるし、存在が自然消滅。
そんなとき戸口のUNに挑戦!とかあったらまだまだ存在価値があったと思う。 戸口は米国でそれなりのポジション築いていたとこを馬場に呼び戻されたそうだが
その戸口がいたポジションに子飼いの昭雄を入れようとしてたというのはちゃっかりしてる やたら戸口推しの人がいるが、戸口上に持って来て客が来るのかね。
新日へ行って本人にも全日にも良かったと思うけどね。 日プロ出身で韓国人の外様を無理に使うくらいなら有力な人材をスカウトして一から育てるよな。
韓国人というのはヘイト的な意味じゃなく大木や韓国プロレスに強い繋がりのある人という意味ね 戸口がブレイクするには、しばらく鶴田のパートナーになってベルトを巻く。5〜6年。
そしてジャパン離脱後に正規軍を離脱。戸口同盟を作る。TT対決に持ち込む。 ―翌79年の1月3日大阪府立体育会館大会で、戸口さんはジャンボに再挑戦
しましたが、この時も馬場vsブルーザー・ブロディのシングル初対決がセミで、
UN戦がメインでした。
「でも、また60分ドローだろ。俺があの時にジャンボのベルトを獲っていたら、
俺たちの戦いの流れは絶対に変わっていたんだよ。
同じことを繰り返すから、ジャンボが止まっちゃうんだ。
馬場さんも、たまには可愛い子に毒を飲ませないと。
それで潰れるほどジャンボはヤワじゃないからな。
そこが全日本のマッチメークの悪いところなんだ。
俺たち2人で『善戦マン』をし合ったところで何になるんだよ」
(Gスピリッツ42号より) >>144
戸口と韓国プロレスって、別につながりなんかないんじゃないか?
大木と組まなくなってからは、韓国のリングに上がったなんて話も一切聞かなくなったし。 >>146
そうだね、これは納得。1勝1敗でいいんだから決着はつけないと。引き分けは意味が無い。 >>18
現役横綱対東洋の巨人
当時なら後楽園球場か国立競技場でやらんと >>147
書いた後そう思った。アメリカの方がコネがありそうだと
後年のインタビューで韓国の繋がりも大袈裟に言ってた記憶がある >>146
藤波長州があそこまで盛り上がったのは、長州のベルト奪取があったからだからねえ。
この部分は戸口に同意だわ。 馬場は大型の戸口が大好きで教えたがってたけど他人の弟子だから出来なかったとか >>151
俺の人生にも一度くらい・・は名言だからね。そういったものが全日には無かった。
ジャンボを愛すなら、戸口も大事にしないと。 藤波長州は、猪木にとって「愛弟子」
藤波は新日旗揚げから苦労を共にしているし
長州は、スカウトして一時、「若獅子」の
ニックネームを譲る発言までしている。
かたや、鶴田は馬場の愛弟子だろうが
戸口は「外様」(^^: 鶴田と戸口のUN争奪はまあ引き分け善戦マッチでよかった。
全日側としてはインタータッグは韓国組に一時取らせたんだから、もうそれ以上の計らいは要らないんじゃない?
ていうか同じ顔同士だからマンネリ。だからのちに鶴田を降して戴冠したのはマードック、ブッチャー
レイス、そして奪還という図式。またその中で80年カーニバル優勝というキャリアも加えて成長させた。 馬場は鶴田と戸口を呼び「俺はもう辞めるけど、鶴田と戸口で全日本を
背負って引っ張って行きな」と言われている。
戸口は全日本のブッカーになりたいという考えがあったし、馬場も戸口の希望を
知っていた。
しかしカロライナにいる家族を残して、ずっと日本ではできない事を相談すると
「家族を連れて来い」と言われ、米国の家族も理解して準備までしていたが
家族の飛行機代を頼んだら「お前、勝手に出せ」と言われ、
以前からファイトマネーにも不満があり、全日本と衝突することになる。
こうして戸口は全日本プロレスを去った。
その後新日本に参戦するも、瞬発力のレスリングとアメリカンスタイルのレスリングはリズムが合わなく、新日本は戸口を活かすことを一切考えてない事に気付く。
後年「新日本にジャンボ鶴田はいなかった」と振り返り
馬場に手紙を書き全日本復帰を懇願したが「戻したいけど、ウチの連中への面目が
立たないからダメだ。欲しいけど、それはできない」と言われたらしい。 >>145
TTじゃなく、JTの専売対決やろ
ジャンボとタイガーやからな >>158
鶴田戸口のTTタッグって言われていたんだよ。JTじゃ鶴田ひとりになっちゃう(笑) >>131
大成功に終わったオープンタッグで天龍・羽田組がエントリーされた事がのちにゴングで
手厳しく批判された・・・ 鶴と虎のツルトラコンビでいいじゃん
四天王の高い壁になってほしかった ツルコならオールナイトニッボンの品性下劣タッグやな 新日本でも最初の負けはともかく扱いはそこまで悪くなかった。ゴールデンのラテ欄四人目なんて田原俊彦中村敦夫レベル。名勝負連発してればトップになれたよ
https://i.imgur.com/UALyKS2.jpg >>157
群馬の会場だと戸口が言っていたので、チャンカン群馬大会。
メインが戸口vsブッチャーの公式戦なんだよな。
戸口はお金を追いかけちゃったんだよな。お金の余裕は心の余裕。
夢を追いかけていたら素晴らしい地位や待遇が待っていたのに。 >>163
これ移籍直後で、田コロ猪木戦前じゃん。問題はこの後だよね。 釜炊きの手じゃねえな
レッドブルの存在感は目をみはった
あんな短時間の出演でもステロイド打たれるとはオドロキ 鶴田以外でシングルのメインをやらせるって相当馬場は戸口を買っていた。
「今後はお前たちに任す」って馬場のチャンカン優勝とシューズ新調に移籍を決意だって。 戸口の何がアレッって、超一流外人に対する妙な気後れというか遠慮だなあ。
ブッチャー、ブロディ、シーク、ロビンソン。
このあたりには全くいいとこrなく押し込まれるのが定番。
新日本に行ったらもちろんアンドレには手も足も出ず。 >>127
アホか。オープンタッグの頃からの筋金入りのファンじゃ。
天龍のデビューからの扱い見てたら、
いずれはトップグループに格上げしようという育て方やったやないか。
キャリアの差で、一見すると戸口の方が上の扱いだが、天龍の成長とともにいずれは立場が入れ替わる、暫定の格だと言っている。 >>157
運賃が高いからな。本当に欲しいなら馬場は出すだろうし。
鶴田との待遇差や他の選手の帰国の際の費用とか
バラバラで馬場の社長の気分次第というか扱い次第。鶴田が厚遇すぎたか。 >>161
実際その役割担うはずだったのは谷津な。
本人が三沢に抜かれるのを察してSに移籍しちゃったけど。
そういや、戸口と谷津ってサイズもバックグラウンドも違うけど、
ベビーで売り出すのが難しい雰囲気って点では似てるな。 >>171
髭面でエースになれない顔
途中入団だけど厚遇でNo.3待遇だけど離脱した
谷津「最初から全日に入団すれば良かった」
戸口「全日を出ていくんじゃなかった」
と後悔
共通項多いな 戸口は「俺が鶴田みたいに三沢達の前に立ち塞がる壁になりたかった。そして、
もう一度ジャンボと試合をしたかった」と言っている。
大木の引退セレモニーでは「戸口君は僕と出会わなければ、こんな辛い人生を
歩まなくて済んだのにね…」と師匠に言われ、二人とも泣いていたとさ。 少なくとも昭和まではエースになれる条件に「外人と対等に戦え名勝負を作れる」ってのがあったと思う。
馬場の大きな体、猪木のスピードとテクニック、鶴田の身体能力、藤波の受けの上手さ。天龍の打たれ強さ。。
こうした持ち味で自分も相手も光り、試合を構築できた。ファンの認識もそこに見出してたと思う。
その辺で戸口や長州、まあ谷津も含めてか、今一つ看板となる持ち味が無かったのではないか? 戸口は新日でのマサ斉藤みたいにヒール側の補佐役的立場が一番適任だったと思う
後年の全日では鶴見がこの役割を引き受けることになるが
大型の戸口ならもっとスケールの大きなことができただろう 俊二がナマクラじゃなく全日に残ってたら
鶴田のパートナーになってただろうな
田上は陽の目見なかったはず ナマクラじゃなくなんてタラレバが通用するなら羽田だって >>173
>戸口君は僕と出会わなければ、こんな辛い人生を 歩まなくて済んだのにね…
戸口は大木の紹介で日プロ入りしたんだから、出会わなかったらそもそもプロレスラーにはなってなかったはず
プロレスラーにならない方がよかったって言いたかったのか?
>>174
>外人と対等に戦え名勝負を作れる
長州はこの条件最後までクリアできなかったけどエースにはなれたな
マサ、戸口、谷津、鶴見みたいな暑苦しいひげ面だったら
藤波とのストーリーがあったとしても厳しかったか 戸口って肉体の老化が早かった印象。元々、鶴田みたいにスマートではなかったけど、1980年くらいから太り気味になって、
スピード、スタミナが落ちたように見えるんだよね。天龍と2歳しか違わないのに。 >>179
元々スピードなんてないだろ。
スタミナもノロノロ試合によるスタミナ。 ifタラレバ論としても、戸口が全日に残っていたら・・・というのは難しい
全日入団期の戸口は戦績だけ見るとそこそこだが、日増しに影が薄くなっていってた
戸口自身も30代半ばに差し掛かり。動きがやや鈍くなっていた面もある
いずれ馬場がフェードアウトし、鶴田・戸口の時代にすんなり移行したとはイメージし難い
戸口に代わって三番手に着いたのは天龍だが、これも再々プッシュくらいで、なんとかモノになったかとい感じ
戸口がいたら天龍がどうなったかも難しい
81年当時の全日で戸口と天龍、あるいは鶴田も交えての団体内抗争を仕掛けたとは考え難いし
どっちつかずの状態になったのではないか
81年暮れに経営の実権が日テレに移るので、そこでどういう判断になるか
結果的に天龍が推され、戸口は押し出されたはないかと思うが 戸口のファイトスタイルは感情移入しにくい。
鶴田みたいに壁役としてもちょっと微妙だ。 鶴田と戸口は、藤波と健吾の関係に似ている。
タイトルを争っている時は勝ちはないがドローはあるほぼ互角。
組んだらジョバーにさせられた。 >>168 >>171
ブロディ相手にハードヒットどころかソフトヒットできなかったところも谷津に似てる 戸口やカブキの対談見ていると、「試合の70%を作るのはヒールの仕事」
と言って、観客を怒らせ、悔しがらせ、ベビーの反撃を呼び込んで会場を歓喜で
爆発させるアメリカンスタイルの試合ぶりに凄いプライドを持ってるのが分かる
戸口としては、ベタベタなヒールスタイルでなくても、鶴田ファンに激戦のあげく
タイトルを奪われる悔しさを味わわせてあらためて鶴田を必死で応援したい!と
思わせ、鶴田がタイトルを奪還した時には涙で顔も上げられないほどの感激を
与える試合をしたいと思っていたんだろうな
「俺たちは時間切れが定番になってしまったよな。その嫌な流れをどこかで一度
断ち切りたかったんだけどね。引き分けって確かに傷もつかないけど、上がりも
しないよな。結局、現状維持みたいな感じで、観ている方もだんだんつまらなく
なってくるんだよ。」
「あれだけ俺たちのコンビを売ったのに、インタータッグも最強タッグも馬場・
鶴田組のままだった。馬場さんは別のパートナーでもよかったと思うんだけど、
あの人はあそこで一歩引こうとはしなかったんだよ。」 ようやく元子全日で戸口は念願の全日復帰し天龍とのコンビで世界タッグ狙おうとしたが
天龍が嫌がって?そのままフェードアウトしてしまったなw >>185
鶴田はロビンソンやマードックに一時期ベルトを明け渡しては取り戻しているけど、
ドクは自分にもその役割を演じさせてほしかったってことか。
だとしたら、鶴田が先に負けないといけないから馬場がOKしないだろうな。
いってこいで結果的に1勝1敗でも、どうしても最初に負けた方のインパクトが強いし
>>186
ドクはヨコヅナと同じころにWARに来日しなかったっけ? >>163
いや悪かったよ。
マジソンシリーズの星取り見てみなよ。
大幅な負け越し。
藤波にもカーンにも負けてる。 >>180
ノロノロやっても60分出来るかどうかは体験しないとわからないのに、何で断言出来るのか。 MSGタッグリーグ戦の準優勝チームは
1980年 ハンセン・ホーガン組
1981年 猪木・藤波組
1982年 カーン・戸口組
1983年 マードック・アドニス組
この流れの中の準優勝経験はなかなかだと思うけど、大量離脱後の84年にケリー・ブラウンと
組まされた(得点8で5位)のはいい加減な扱いと言われても仕方ないな 天龍も戸口の離脱で売り出されてからの「第三の男」時代あたりは
いつも憂鬱な表情をしているよく分からんレスラーだったよ
当時は人気もそんなになかった >>173
> 大木の引退セレモニーでは「戸口君は僕と出会わなければ、こんな辛い人生を
> 歩まなくて済んだのにね…」と師匠に言われ、二人とも泣いていたとさ。
やっぱり戸口が最終的にNo,3に定着出来なかったのは
もちろん本人のルックスとかw
日本に完全帰国しなかったのがとかもあるけど
一番大きいのは大木と組んで「韓国師弟コンビのキムドク」を名乗って
大木の弟子としてインター獲ったりリーグ戦に出場した印象が
あまりに強すぎたのが大きいと思うなあ
いくらタイガー戸口に改名して星柄パンツ履いてファンク道場に行って
日本陣営に付いても結局紹介するときには
「キムドクとして大木と師弟タッグ組んでインターを〜」ってなっちゃう
馬場としてはなにより当時の大木に対する最大限の配慮であったインター奪取が
結果的に「戸口=大木の子分のドク」って印象を
最後まで与えることになったのに対する言葉だと思うんだよな
大木の「戸口君は僕と出会わなければ〜」ってのは
>>182
これはたぶん異論多いと思うんだけどwww
米で一匹狼としてやってたことを売りにするレスラーはけっこういるけど
高千穂や上田や斎藤の試合より
自分は観てる分には戸口の試合の方が全日でも新日でも好きw
なんかオーソドックスにプロレスの試合ってかんじで
ただ試合としては面白いんだけど…
たしかにだからといって戸口側に肩入れして
戸口視線で応援するっていう風にはならないんだよなw >>163
この日の番組欄が紹介されるとはなんの因縁か。映画「復活の日」が放映されてる。今のコロナ騒動と似ている、予言されたといわれる映画だ。 >>190
その代わり82年MSGシリーズでは
14人参加中の10位扱い ふと思ったんだけど戸口が引き抜かれて天龍が凱旋帰国したけど、
これってテコ入れということもあるけど引き抜き防止という意味もあったんだろうね。 天龍は性格的に新日向きだし
猪木も後年あんまり見る機会はなかったけど
天龍は興味があった的な事を言ってたな >>197
>>129に書いたけど80年5月に戸口引き抜きで、前年11月に天龍は日本でアジアタッグ挑戦してるよ。
戸口が引き抜かれたから、天龍を凱旋帰国させたわけではないんじゃないか? 戸口が全日にいたのは81年のチャンカン、インターチャンピオンシリーズまでだよ。
天龍が凱旋して出生試合となったロビンソンと組んで馬場鶴田のインタータッグに挑戦したのが81
年7月だよ。 そう思うと天龍て戸口はチャンピオンカーニバルでもかぶっていないからシングルをやっていないのかな? 何で戸口はいつも英語でアピールしていたのだろうか。此処は日本だから普通に日本語
喋れるなら日本語で言えと思ったな。 >>201
だから>>200で間違えたって書いてるじゃん。出生試合じゃなくて出世試合でしょう? あんたの書き込みしたことを確認してまで書き込みボタンを押してないよ。
おれは誤字脱字改行も酷いと反省しているよ。 >>203
コリアンだから日本語には躊躇したのか、カッコつけたのかな。 >>163
ではハンセン対戸口と名前が出てるのに、フレアー対天龍はNWA世界戦としか出ない知名度の差
http://i.imgur.com/87cKnI7.jpg >>203
2014年8月に出演した『真夜中のハーリー&レイス』の中で、そのことに触れてた。
清野アナ「鶴田さんに"Give me one more minitue."とか言ってましたよね。あの英語でのアピールってのが良かったですね」
戸口「だって、あの頃日本語しゃべれなかったもん」
清野アナ「えっ!?だって戸口さん、日本で育ってますよね?」
戸口「うん。育ってるけど、当時、嫁も子供もアメリカにいて家では英語で話してたから。日本語話す機会なかったもん。
別にかっこつけてるわけじゃないけど、日本語は難しいいんだよ。
『します』『しました』『しません』って全部意味が違うんだから。違うでしょ?」
去年2月の『ジャイアント馬場没後20年追善興行〜王者の魂〜アブドーラ・ザ・ブッチャー引退記念〜さらば呪術師〜』の
バトルロイヤルに出たときもリング内で英語喋ってたから、もうリング内での言葉になってんじゃないかw 戸口はマスカラスの通訳もやっていたが本当に正しく通訳したのか? >>210
やたら何々ねとかいうからひょっとしてあちらの癖があるのかなと思った。 >>207
テレビ東京 テレビ将棋対局
解説の板谷進八段の弟子の杉本昌隆八段の弟子の藤井聡太七段 >>213
浜町なの?葛飾区だった記憶があるんだけど? >>215
蔵前に近いとか実況で言ってた記憶があるが
自信がない 戸口は「ゴッチ教室の優等生」と語られることがあったが、ジャーマンはできなかったのかな? >>214はまた間違えてしまった、一触即発だよなw 戸口、葛飾出身で区内にあるスポーツ名門、修徳高校卒、
北澤 豪、KENTA、武井壮、平野ノラは後輩。 >>214
ケロと菊水丸のラジオで散々疑われてた木村の入場曲スカイダイバー、実際聴くとやっぱり木村に合わないなw >>217
戸口のジャーマンって見たことないな。
あのかんぬきスープレックスの見事なブリッジ見る限り、
若い頃はやればできた気がするが、できたとしても70年代までかな
ゴッチも戸口にもカーンみたいなギミック考えてやればよかったのに >>190
時系列がよくわからんから間違ってるかもしれないけど、
ブラウンと組んだ年も、カーンと出場する予定だったんだろうね。 「専門家委員会は英語を使い過ぎ、日本語で言え」と批判された。 思い出したが、戸口の新日本第1戦は藤波の予定
だったんだよね。当初。
蔵前の初戦で藤波とやってたらどうなってたか。
藤波のライバル格として定着したか。
そうなったら長州のブレイクにも影響あったかもしれない。あるいは「鶴田のライバル」戸口に藤波が
完勝という方法論を取ったか。 シュワちゃんとかエディ・マーフィのとかメジャーな映画出てんな。
ミッドアトランティックでは藤波なんてほとんど第1試合で負け役だった。
キムドクの方がずっと格上だったのにな。
https://i.pinimg.com/originals/c8/74/6c/c8746cf2a8a8a286351ba81ec7e4cc24.jpg >>227
それがかたやWWE殿堂入り、かたや愚痴と悪口オヤジ。
人生のコントラストだねえ。 新日での戸口対カーンでも戸口は英語で挑発してたよね
何でかとね 各団体を代表する落ちぶれレスラー
日プロ:豊登
国際:ストロング小林
全日:タイガー戸口
新日:ジョージ高野
なんてところだろうか
元の団体から離脱したらドツボにはまったという共通項がある 戸口正徳は1948年2月7日東京都葛飾区生まれで、父親が韓国人の在日韓国人二世
修徳高校時代は柔道部に入部し、卒業時には6つの大学からスカウトの声がかかる程の
実力があったが、67年に小学生の頃からの憧れである日本プロレスに入門を果たす。
大木は韓国人同士ということで「自分が戸口を預かる」と会社に進言した。
戸口は大木に付いて韓国に渡り、トレーニングを積んで韓国で一試合を行い帰国
68年8月30日に柴田勝久戦で正式デビューを果たす。
戸口は「俺の心の師匠は大木さんだけど、レスリングの師匠はゴッチさんだよ」と
プロレスラーの基礎を作ったのはコーチとして来日していたゴッチだった。
英語は子供の頃に身につけていて、ゴッチの話を通訳したりしていた。
日プロ崩壊後は大木の紹介でロサンゼルスに渡り、リングネームのキム・ドクは
大木の本名キム・イルのキムと、戸口の本名である正徳(せいとく)からドクと命名
戸口は必死になってアメリカマット界を生き抜こうとしていたが、
師匠の大木に「全日本で俺のパートナーになって欲しい」と頼み込まれ
断れなかった。 >>230
豊登−馬場に抜かれエース陥落 使い込みが発覚して追放
国際―吉原に見限られエース陥落 草津と不仲で居づらくなって退団
戸口―鶴田を抜けず天龍に抜かれくすぶり続け、居づらくなって退団
高野―三銃士や馳健に抜かれ浮上の眼もなく退団
あのまま居残ってもいい目見たとは思えない面子ばかりだけどな
>>231
別に大木に人生狂わされたなんてことないと思うけどな
大木のおかげで2度もインタタッグ王者になれたし、一時期NO.3にもなれたし
アメリカいても同じ程度の成功治めることで来たかどうかはわからない >>224
以前語られてたけど、新日のタッグリーグ戦は即席のやっつけチームが多いんだよね
初期に長州・カーン組が発表されながらカーンのスケジュールを押さえられず長州・星野になるわ
パワーズ・マスクドスーパースター組が
発表されながらスーパースターが拒絶、パワーズが数少ない
友人のベーカーを連れてきて1週間だけ参加させて「負傷により」途中帰国させたり
まあ「負傷により」途中帰国はシーク→カマタに限らず日本のお家芸で、当時WWFの
売れっ子だったので初めから限定参加しか出来なかったホーガン、パターソンがミエミエの
やっつけタッグ(相棒がそれぞれワイルド・サモアンとアレン)で参加してすぐ帰国なんて
素直に「特別参加」にしておけばいいのにと今では思うよなあ
(まあWWFのエージェントとして打ち合わせに来日するパターソンを、王者バックランドや
アンドレ、ローデスらと同じ「特別参加」にしたらファンが不思議がったろうけど) >>179>>187
WWF時代ははステロイドを服用していて止めた理由は頭髪が薄くなり始めたからだった。
ウォーリアーズはステロイドの販売だけでなく「この筋肉にこのステロイドを使う」と
言う指導も行っていたとインタビューで話していた。
>>185
「短期間の武者修行でそれができず鶴田が身に付けるべき技術だった・・・」と
日テレ・原Pは残念そうに話していた。 カブキ戸口の対談本で、カブキの「最盛期は週2万ドル(当時のレートで約520万円)
稼いだけど、そんなときがいつもあるわけじゃない」という言葉を受けて戸口は、
「だからどうやって安定的に週1万ドルを稼ぐか、ってみんな考えていましたよ。
僕なんかはノースカロライナとかシャーロッテにいて、近くにノーフォーク、リッチモンド、
ハンプトンとかあるから、それをぐるっと一週間で回って。
どこもフルハウスになれば、週1万ドルくらいは、わけない」
と言っていたね
レイスが「NWAの総本山」、セントルイス・キール・オーデトリアムで デビット・フォン・
エリックを相手に防衛戦を行った時にマソニックが 支払ったギャラが1712ドル50セント
だったというのに (1980年11月7日)
当時日本に来るトップ外人は「週1万ドル」を保証されていたから、稼げなくなった
アメリカを放り出して日本に来たがっていたけれど、WWF時代になってアメリカでも
食えるようになると事情はガラッと変わってしまうわけだけど 戸口のリングネーム公募に「タチツテ戸口」という投書があったw >>227
戸口はちっとも肉体派のレスラーでもないがそれでも
筋肉の美しとシェイプはシュワルツェネッガーには及ばないが身長や体の厚みは勝っているな。 シュワちゃん、エディマーフィーと共演したのは戸口の経歴のハイライトの一つだな >>233
>>236も書いてるが戸口は天龍には抜かれていない。
戸口がいなくなったから天龍をアメリカから呼び戻したんだから。 >>233
馬場が、俺じゃなく大木がいいんだろ?と不信感持ったとか。 戸口は地方で気の抜けた試合をして長州に一喝されてる >>237
スタローンは「健康の秘訣はステロイド」って言ってる
ソースは寺門ジモン >>239
厚みだけならマッチョ系のほとんどのレスラーが勝ってるだろ 最初から戸口より天龍が上だとか、天龍に抜かれたから移籍したとか、
知らないのか忘れちゃったのか変なのが多いな。。。 >>246
変なのとはなんじゃアホ。
お前に見る目がないからやろ。 >>197
同時期、国際では原が華々しく凱旋してた。
マスコミの扱いも秘密兵器・雪崩式プレーバスターをひっさげ帰国した原の方が若干大きめだった覚えが。
当時ガキだったけど、「天龍のトップロープからのエルボーもすげぇけどなぁ。原のブレーンバスターほど取り上げないんだな」と不満だったw
そのマスコミの扱い、そしてすぐ団体の看板タッグタイトル取った原の方が「大物」という印象だったから
81年ジャイアントシリーズでいきなりシングル対決して引き分けになった時、「やっぱ天龍凄い。俺の目は正しかったw」になった。
ロビンソンと組んで挑戦したインタータッグより、こっちの方が印象的だったな。
どっちにせよ天龍、原は当時の戸口より技量的にもスケール的にも数段下の選手だったけど
戸口以上にファンが応援したくなる、ファンの心を掴める選手だったことは確かw >>248
華々しく凱旋って、もう国際は瀕死の状態で、単発でエラリング&ラザンとのIWA戦のテレビ録りはあったが
ほぼ12チャンネルは手を引いていた。雑誌メディアが原の試合ぶりを掲載して(それもモノクロ)
なんとかファンに伝わってたな。 阿修羅の凱旋帰国の目玉としていた雪崩式ブレーンバスターは、週プロだったかが予告掲載していて、
その後に阿修羅が試合で披露する前に、木村健吾が新日のリングで藤波相手に使ってしまったんだよな。
雑誌を使って宣伝しようとした国際も悪いが、実際に使ってしまった木村健吾が一番悪いと思う。 阿修羅の凱旋帰国が週プロのわけないな、月刊プロレスだったか。 >>247を見てるとジワジワと笑えてきた。「戸口が全日にいた時は、天龍より格下だったことはない」
って話なのに、なぜだか「お前に見る目がなかったからだろ!」って・・・
いつの間にか、戸口と天龍のどちらがプロレスラーとして上か?って話になってしまったんだな。 このスレ常駐ってことはみんな50前後だろ?
いいオッサンがケンカばっかしてんなよ >>253
>戸口と天龍のどちらがプロレスラーとして上か?って話になってしまったんだな
どっちが上かはハッキリしてるだろ
天龍はミスタープロレスと呼ばれる存在にまで上り詰めたが、
全日残ろうが出ようが、戸口がそこまでいくことは100%ありえなかったわけだし
ただ戸口out天龍inの時点では戸口が上だったから、ひょっとしてそのタイミングが
違ってたら未来が変わってたかもってだけ 馬場死後の元子全日本で合流した天龍とキムドク、天龍のそっけない態度が印象的だった
過去のショッパイ天龍と、全日ナンバー3の戸口の力関係は完全に逆転した >>250
>雑誌を使って宣伝しようとした国際も悪いが
悪いか? >>248
>「天龍のトップロープからのエルボーもすげぇけどなぁ
あんなしょっぱい技がすごいって。。。 >>256
確か、全日分裂で真っ先に電話してくれたのは戸口だったのにな。
天龍の復帰は起爆剤だったけど、元子が全面譲歩するくらい天龍に気を使ったのは良かったかどうか・・・
因みに、戸口は全日離脱後は旧知のポーゴのところに身を寄せてる。
ナガサキと違って、怒っても直ぐに手を出さない戸口はポーゴにとっては兄貴分的存在だったんだろうな。 >>253
ホンマにお前はアホ
どちらがプロレスラーとして上かの話なんかしてない。
天龍の扱われ方が、未来のエースのそれだったということが、なぜわからないのかとあう話だ。
戸口はNo.3だったが、それ以上浮上させる気のない扱いだったろ。 改めてクラシックみると…
ウォリアーズ本人達はともかくエラリングの格好が…
黒のパンツ、というよりはズボンに
黒地の半袖Tシャツ…ではなく白地で袖口がゴムのトレーナーという
この時代のさえない浪人生みたいなファッション
それでもなぜかマネージャーなのに
そこに鋲の付いた黒マントを自分だけ羽織ってるのが
尚更テキトー感を増してていい味w やるっきゃない、谷津っきゃないって1回しか言わなかったのかな? >>261
https://www.youtube.com/watch?v=atwE39kf5iw
日本では着てなかったけど、アメリカではインチキ格闘家みたいな
カラフルな道着を着てる事あったんだよな、何を表現してたんだろう >>265
戸口とムラコを素顔でリングに上げれないような事情があったのかな?
実に勿体無い! >>250
阿修羅の雪崩式ブレンバスターといえば、輪島デビュー戦の一つ前の6人タッグで阿修羅が天龍に強烈な雪崩式やったのに試合中盤に「今日はまだ誰も物凄い大技を出してないですね」と山田さんが言ったのを思い出す
実際にその試合はハル園田の奇声を上げてのスライディングキックの方が印象深かった 阿修羅がせめてあと5.6センチ身長があったら、雪崩式ブレーンバスターがフィニッシュとして活用できただろうな。 >>265
試合後に戸口がマスクを脱いで英語でマイクアピールしてたのに、
対戦相手の浜口と剛がそれぞれ客席に乗り込んで「気合いだ」「ショア」で盛り上がっちゃって
客からも注目されなくてちょっと気の毒だった >>269
そんなボーナストラックあったのか、ビデオでもカットされてたぞw
当時の掲載誌はどうだったんだろ? ドン・ムラコも新日より全日の方が活かせたと思う。体格的に鶴田やハンセンやブロディと釣り合ってるし。 >>265
どうせならメキシコでやってたヤマト(日章旗デザインのマスクマン)でいけばよかったのに 外人レスラーは基本的に全日本のが良いでしょ。お約束というかキャラを尊重してくれるし。新日本は猪木だけがメチャクチャ上手いが他がひどい
前も書いたが藤波がブロディの顔面キックを食らってすぐ起き上がったのには驚いた。ブロディもキレてたし。 >新日本は猪木だけがメチャクチャ上手いが他がひどい
全日ならば、ハンセンは馬場向き、ブロディは鶴田向き、なんてのがあるけど
猪木は確か全方位的に向いてるって感じあるねえ。天龍もそのクチか。
そこで考えたんだが、坂口と手が合うレスラーっていないんじゃなかろうか。 >>275
猪木が上手いってのは、どの外人に対しても相手の良さ強さを引き出すという意味で、誰と手が合うとかそういうことではないと思うんだが。
書いた本人ではないからわからんけど、他の文面からそう解釈した。 スレチになっちゃうけど、坂口は新日本ナンバー2なのに、大物外国人には当たり前のように負けちゃうよな。しかも「坂口勝つかも!」っていう期待を持たせることもなく。良くも悪くも猪木の引き立て役。 >>275
>坂口と手が合うレスラーっていないんじゃなかろうか
誰とも合わないって、単にしょっぱいだけでは?
開いていないとプロレスってできないのに。 S小林、T戸口、G高野の例えを出していた人がいたが、
3人ともご存命で元気。 もともと坂口のスタイルはどのレスラーに言わせても評判が悪かったからね
稲妻二郎にまで健吾・長州らと一緒にされて「なにを勘違いしているのか、
試合がカタくて、攻めるばっかりで受けようとしない」と言われてるから大概だw
Gスピリッツの小鉄特集号読むと、坂口がマッチメーカーになった時期から
坂口本人が率先して外国人エースの噛ませ犬を演じていたんだな
日プロでマッチメーカーしてた吉村道明もだけど、マッチメーカー役は
己を殺して負け役を率先して引き受けるくらいじゃないと、人はついて
こないし言うことを聞かせることはできないんだろうな
1978年頃に山本小鉄が猪木に現場責任者の地位を剥奪されて、坂口が
マッチメイクを担当するようになったそうだ
新日のMSGシリーズがスタートしたのが78年だったけど、この第一回大会で
マッチメーカーの坂口は予選で猪木に敗北、第二回大会ではハンセン・
猪木にピンフォール負け、他のシリーズでも前哨戦でアンドレやハンセンに
負けるのが当たり前になってきた
前年の第四回ワールドリーグ戦で(形の上だけは)猪木に並ぶ2連覇を果たして、
入団時は「猪木と完全に対等な扱いをする」という約束をさせて、メインの
登場回数なども猪木と差がつかないようにしてもらっていた坂口も、シンとの
抗争などでカリスマになり、76年のルスカ戦で歴代最高視聴率36.5%を
叩き出した猪木に、単独エースの座を完全譲渡する腹を固めたんだろうな
この時期に小鉄が試合からも遠ざかり、小林が長州に負かされ、上田馬之助も
ハンセンに完敗、世代交代が半強制的に進められた感じだ 新日本スレと全く同じ書き込みしなくてもいいよ
514 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ b94b-idtP)[sage] 投稿日:2020/03/22(日) 23:32:46.02 ID:OaTbf3fb0
Gスピリッツの小鉄特集号読むと、坂口がマッチメーカーになった時期から
小林と坂口本人が率先して外国人エースの噛ませ犬を演じていたんだな
日プロでマッチメーカーしてた吉村道明もだけど、マッチメーカー役は
己を殺して負け役を率先して引き受けるくらいじゃないと、人はついて
こないし言うことを聞かせることはできないんだろうな
1978年頃に山本小鉄が猪木に現場責任者の地位を剥奪されて、坂口が
マッチメイクを担当するようになったそうだ
新日のMSGシリーズがスタートしたのが78年だったけど、この第一回大会で
マッチメーカーの坂口は予選で猪木に敗北、第二回大会ではハンセン・
猪木にピンフォール負け、他のシリーズでも前哨戦でアンドレやハンセンに
負けるのが当たり前になってきた
前年の第四回ワールドリーグ戦で(形の上だけは)猪木に並ぶ2連覇を果たして、
入団時は「猪木と完全に対等な扱いをする」という約束をさせて、メインの
登場回数なども猪木と差がつかないようにしてもらっていた坂口も、シンとの
抗争などでカリスマになり、76年のルスカ戦で歴代最高視聴率36.5%を
叩き出した猪木に、単独エースの座を完全譲渡する腹を固めたんだろうな
この時期に小鉄が試合からも遠ざかり、小林が長州に負かされ、上田馬之助も
ハンセンに完敗、世代交代が半強制的に進められた感じなんだな >>282
おお、これは失礼
なんとなく昔の感覚で、見ている人もひいき団体以外のスレは
見ないのじゃないかと思ってしまうものの、昭和スレは三団体
合同工業の様相を呈していて、他団体の話題でもむちゃくちゃ
詳しくて面白い話がポンポンでてくるから勉強になります
とは言えどうしても話題がループするので、同じことを繰り返し
手打ちするのも何なのでコピペしてしまうことがあり失礼してます、
すみません >>275
ハンセンと鶴田も最初のうちは手があってたというかハンセンの凶暴性が出てたけどね、途中から鶴田戦で弱々しくなった 天龍とブロディも天龍革命以降は良い試合をしてた印象だし、鶴田ブロディも手が合いすぎて前半のんびりしてたマイナスもあった >>285なんかお互い遠慮してる感じがあったよな
実は仲悪くないんだろうなぁって生暖かく観ていた 手が合おうと合うまいと
客が呼べなければ
意味がない >>277
ビリージャックには勝ったね。
猪木戦までは木村健吾やらに無双してたのに、
最終戦で坂口に負けるとは思わなかった。
売り出すつもりだったのか、そんなつもりなかったのか謎だ。 売り出そうと思ったが
使えなさそうでやめた
というとこだろう ブラックジャック・マリガンに後楽園ホールで挑発された時スルーしたのも
「ここで相手したってどうせ客にウケないだろ」と半ば諦めの境地だったんかな
マイクアピールしたマリガンは赤っ恥かいたけど 逆にS・オルソノスキーとかT・リッチとか中途半端なサイズなので、新日行って藤波や健吾とやった方がいい試合になったのでは? 国際プロレスに来日していた時のオルソノスキーは、オフに全日の後楽園ホール大会を観戦。
メインの試合終了後に、エキサイトしたテリーをなだめるために私服でリングに上がったよね。
倉持「山田さん、これは国際プロに来日中のオルソノスキー選手ですよね?珍しいシーンです」 >>294
サイズが合えばいい試合になるという発想自体が間違い
その理屈で言えば
馬場は誰ともいい試合ができない チャンカー秋開催でお願いしたい。
▪宮原健斗 ▪諏訪魔 ▪石川修司 ▪ゼウス ▪ヨシタツ ▪ジェイク・リー
▪野村直矢 ▪青柳優馬 ▪崔領二 ▪KAI ▪吉田綾斗 ▪杉浦貴
▪デイビーボーイ・スミスJr. ▪神谷英慶 ▪入江茂弘
▪ギアニー・ヴァレッタ⇒田尻
▪ジョエル・レッドマン⇒イケメン
▪ルーカス・スティール⇒芦野
これなら、最高だな。
田尻よりレッドマンの方がいいが。 外国人レスラーは日本では基本ヒールだからな。しょぼい身体付きでは厳しいな。
新日なら小さいのが多いからまだマシに見えるだろうな。 >>295
> 倉持「山田さん、これは国際プロに来日中のオルソノスキー選手ですよね?珍しいシーンです」
TV実況でオルソノスキークラスを一目見て判別し
あの倉持が名前まで出してわざわざこんなこと言う時点で
国際から引っ張ってくる予定だった(まあその前に潰れたんだけど、国際)
オルソノスキーのちょっとした事前紹介だったことがわかる 8日の日刊スポーツのハンセンの記事で
「猪木、馬場、鶴田、天龍、三沢、小橋と名勝負」と書かれてたけど
鶴田と名勝負はないよな
そもそもバックドロップも後楽園のタッグで見たけど、シングルでは見たことないし
三沢とも名勝負はなかった
タイガードライバーも受けたことないと思う
まぁ、そう書くしかないだろうけど >>300
名勝負云々より何世代にも渡るエース級とメインで闘ったことを評価したい。
ハンセンにとって鶴田と三沢は不本意な内容だろうが、彼らにはハンセンに勝ったという結果が大事。 >>300一応鶴田のバックドロップは受けてるぞ
重くて持ち上げきれてないのとマットに落ちる時の頭と体の角度がほぼ並行な優しいバックドロップだけどなw タッグで数回しか見ていない。89最強タッグで見たような。。 >>291
そんなにしょっぱくはなかっただろ。
継続参戦ができないとわかったんじゃないか? ビリージャックはミミ萩原との対談があったりベビーになれる要素はあった。ホーガン二世?
85年は猪木のライバルが見つからず苦戦していたね・・ 今更で申し訳ないが、G+の87最強の五輪vs龍原。龍原vsハンセン・ゴディ。
この2試合本放送は後半からだったがフルで見ると、前半こんな展開だったんだ!と面白い。
今更ながら便利ないい時代だなと思う。 >>301
何年ものあいだトップ外国人に君臨していたのも素晴らしいし、世代のちがう三沢や小橋の壁となり、絶妙のタイミングで世代交代。彼らに越えられても価値が落ちることなく馬場とのタッグなどで輝き続けた。つまりハンセン最高。 >>307
優勝のかかった 鶴田・谷津vsブロディ・スヌーカの後半部分が写真だからなw >>300
川田とは名勝負があったのに、なぜ川田の名前がないんや >>302
同じくらいの重さのブロディやもっと重いワンマンギャングは見事に投げてたのにな
そういえば、鶴田に限らず、ハンセンがきれいに投げられた場面ってなかなか思い当たらない。
ハンセンって130〜140キロ程度だからそこまで重いわけではないけど、
投げにくい体形なのか、相撲取りなんかによくいう「腰が重い」ってやつか 協力とかは措いといて
同じ体重の馬場とブッチャー(どちらも体重なりに拡大/縮小するとして)は
どっちが投げやすいかを考えたけど、よくわからないな。 >>313
投げ技といってもボディスラムみたいな腕力主体のと
スープレックスみたいな背筋力主体のとで知からの入れ加減とか
いろいろ違いそう
普通に考えたら馬場のほうが重心高いし、腰回りが細いから胴クラッチしやすいし
明らかに投げやすそうに見えるけど、実際はそう単純ではないのかも >>312
ウィリアムスもハンセンをオクラホマ・スタンピードでコーナーポストにぶつけに行く時は
ヨタヨタしてたからな。あんなウィリアムスは見たことないよwハンセンの重心も影響してそうだね。
>>314
最盛期のウィリアムスの怪力はあり得ない。
体重が大幅に増えて以降のブッチャーを難なくボディスラムで投げたのはウィリアムスしかいない。
他のレスラーはできないか、やったとしても腰砕けのようになる。
全盛期のアンドレ、ホーガン、アニマル、ノートンなんかもやれば出来ただろうけど。 >>312
猪木がバックドロップかけまくってたけどw そういや81年12月の蔵前では
藤波もハンセンにバックドロップかけたなw
ファンクスには普通にバックドロップ受けてたし、
何で「ハンセンはバックドロップかかりにくい」って
話になるんだか。
鶴田の場合は、バックドロップでのフォール負けだと完敗の印象になるから、ハンセンが拒否してんだろ 淵がワンマンギャングをバックドロップで投げてたな。
鶴田ならハンセンくらい楽勝で投げられたろ。 >>309
再録したみたいだからノーカット版あるよ 90年代のハンセンは腰を痛めているからバックドロップはタブーだと聞いた。
投げるとしたらジャンボがやったような安全第一バックドロップだった。 >>317
鶴田のBDは試合が終わりになるから、ハンセンが拒んでいたのはあるね。
三沢のTドライバーも食らわなかった。 投げづらい体型なのはあると思う。
猪木が「大木は投げづらい」と言っていたらしい 馬場も著書でハンセンとブロディは数値上は同じ体重だが
ブロディの方が軽く感じると書いていた >>315
ウィリアムスがブッチャーのエルボードロップを喰らって試合開始早々にカウント3
寸前で肩上げると解説の馬場が「ブッチャーの肉が邪魔で肩が上がらなかったんでしょ!」
と話していたことがあった。確かに両脇にも肉?皮?が揺れながらついている。 馬場の「ブッチャーのエルボードロップは喉元に的確に落としてくる」という解説に納得
だからアブドーラ小林のエルボードロップとかは見てて残念 >>325
「試合開始早々」でなくて「試合終了間際」だね。
https://www.youtube.com/watch?v=Peplnt4AIYY
ブッチャーはビヤ樽のような体型だから持ち上げにくいし、
あれでジャンピングエルボー毒針を喰らったらきついと思う。
馬場も「ブッチャーのエルボーは、必ず喉元に正確に入ってくるからダメージが大きい」
とコメントしていた。 もともとハンセンはショルダースルーとかをかけられた時も、綺麗に
受け身を取っていたからね
田コロのアンドレ戦なんか、雪崩式よりも高いデッドリードライブを
軽量級選手のようにきれいに受けている
三冠時代あたりから受けられなくなっているとしたらやっぱり腰の
問題か、さもなければやっぱり投げる側の力量の問題じゃないのか >>307
平成の話だがハンセン対ホーガンの試合中に徳光のリポートが長くて色々しゃべった後「ハルクホーガンが控室で。。。」としゃべった時に倉持が「ちょっと待ってください実況を続けます」とさえぎってそのまま試合が終了したやつ
地方なんでダイジェストしか見なかったから徳光が試合終了後に続きを話したのを知ったのが15年後だった。15年間ふとした時に「控室で何があったんだろう?」と悶々としてたから凄いスッキリした!でも内容がどうでもいい話だったのでそれはそれで悶々とした >>323
大木の体型はレスラーとして標準だから、
「投げにくい」と言うより
「投げに協力してくれない」のでは? ビガロよりもベイダーの方が投げやすいとか、ブル中野よりもアジャの方が投げやすいとか、同じぐらいの体重でも身長とか筋肉のつき具合でいろいろあるよな。 >>302
腰回りが太くて重心があるレスラーにバックドロップは
かけずらい。 >>315
>最盛期のウィリアムスの怪力はあり得ない。
アニマルやノートンの碗力主体ともちょっと違うんだよな
場外でオブライトを軽々と肩に乗せて鉄柱に突撃したり
新日時代?ビガロをリフトしようと頭の上に乗せた写真とか
手が贅肉にめり込んでいかにもバランスが悪そうだったが ウォリアーズなんかのムーブとしての怪力に対して、ウィリアムスのはナチュラルな怪力って感じだね
ジョージ高野なんかも突然リフトアップしちゃって相手が慌てるような試合がある
https://youtu.be/484uV4Rgj0U?t=254 >>328
三沢や川田だとハンセンを投げるには厳しそうだね。
川田のサイズで殺人魚雷の2人をパワーボムするのも結構無理があった。 >>336
川田のvsハンセン初勝利、ウイリアムスから三冠奪った試合も最後は顔面蹴りだしね。 >>330
スモールパッケージできない受けられないくらい体が固いらしいからそういうのも関係あるのかね https://www.youtube.com/watch?v=lQSOEdTiG2g
このオープニング、「制作 日本テレビ」の時のバックドロップ見事だなw
https://www.youtube.com/watch?v=r9-o6iEIjAU&feature=youtu.be&t=200
これも投げづらそうな選手だけど豪快に決めてる。直前のジャンピング・ニーも高いな。
ブッチャーもビッグ・レッドも受けが巧いんだな。 >>339
最初のオープニング、特別試合鶴田vsブッチャーが「特別試会」になっちゃってるなw >>336
「投げ技を受けるのは嫌いだから極力
投げられないように防御していた」と
トークショーで語ってたよ。 シンも全日ではあんまり投げ技や落とし技を受けているのは見なかったな。
受け身があまり上手くなかったから拒否していたのかな?
鶴田のへそ投げ式バックドロップ(ドリー式のはあるけど)も、天龍のパワーボムも食らってないよね。 >>339
高さ、角度ともに文句なし
足抱え式でこれだけ説得力出せるなら
別にテーズに習う必要なかったのでは? シンはブレーンバスターだけは美しかったな
実はどんな技もやろうと思えばやれる人なんだろうな >>345
テーズ式はブリッジでポンと跳ね上げて低く投げるから種類が違う。 >>345
善戦マンと揶揄されていた鶴田がルーテーズ張りのバックドロップをマスターし三度目の
フレアーのNWA王座に挑むと言う背景が必要だった。
フレアー戦の前にブロディ、ボルコフがにやったバックドロップはまさに凄かった。
ブロディはくの字になった慌てて場外エスケープ、ボルコフが高さは無かったがジャーマン
と思ったくらいのスピードだった。「スローなプロレスにしてくれ!の全日」らしくない
と専門誌の投稿でも評価されていた。
この頃はさすが両足が付いたまま投げて「馬場、ドリーの持ち上げて落とす全日式」でなく
テーズのスピードとタイミング具現化していた。
後年はなぜか片足が浮いたまま投げていた。 >後年はなぜか片足が浮いたまま投げていた。
なんでも教えたらすぐできてしまう鶴田らしいと思う。
体得できる時間をすっとばせるから、マスターは早いがちゃんと染みこむまでいかないんだろうな、だから芯が出来ないので、すぐ安直な方向へ逃げてしまう。 >>349
対戦相手によって微調整していたと聞くがな >>348
テーズ式に比べて足抱え式はかなり見た目が劣るけど、
339の動画のレベルのバックドロップだったら全然そん色ない
にもかかわらずテーズ式に切り替えたってことは、テーズの
ブランドが必要だったってことか
まあラリアットだってハンセンがやれば、4の字だってデストがやれば
必殺技だけど、ほかの選手が使っても単なる炒め技だし
技の説得力ってブランド夜ところが大きいからね
テーズとゴッチは、本国じゃとうに忘れ去られているのに、
日本で晩年まであちこちにブランド切り売りして食いつないでいたな テーズのは見た目はあまりよくないな、腰砕けみたいで。
鶴田はもともと大きくゆっくり華麗に投げる感じだからな、スープレックスは。
https://i.redd.it/f52tiap60ug01.gif >>352
炒め技て、フライパンに乗せて火にかける技がプロレスにあったのか! 音楽ではビッグ・イン・ジャパンという言葉があるがゴッチはまさにビッグ・イン・ジャパンの元祖だったのではないか
逆にスモール・イン・ジャパンはスーパースター・ビリー・グラハムあたりか 鶴田とウイリアムスのバックドロップ対決が見たかった。 >>344
> シンも全日ではあんまり投げ技や落とし技を受けているのは見なかったな。
> 受け身があまり上手くなかったから拒否していたのかな?
鈴木みのるがシンにキャリア長続きの秘訣を聞いたら
極力受け身を取らないことだって >>360
深いな。四天王プロレスを辞めるタイミングって無かったのかな〜 >>344
鶴田のテーズ式はピン決まらないわけにはいかないから
鶴田が投げなかったと思われる。
まともに返したのはいないんじゃないか?
ブロディは場外で転がるし。 鶴田のテーズ式はスピード重視にすると低空にならざるを得ないから
高く大きくダイナミックの信念で変えていったフシがある。
当初は横抱えで捻りを加えた投げだった。
それが四天王相手には真後ろ型になっていった。 四天王、特に三沢には絶対の信頼があったんだろうね。
真後ろ型を連発してたからな ウィリアム程の手前のダメージ。3ピン取れる所で抑えるらしい。 受け手側の過度な協力を必要とせず、技の威力を逃がさず決める
鶴田のバックドロップはプロレス史上上位の必殺技。 >>362
ダグファーナスが返した時はビックリした。
もう一発角度がきつめのやつ食らって結局はフォールされたが。 >>353
おいおい、この動画だけで語るなよ。
これは相当手加減してると思われる。
本気のテーズのバックドロップは、一瞬で決まる、それはそれは見事なものだぞ。 >>352
ゴッチはともかく、
テーズは別に忘れられてなかったろ。
WWFが開催したオールドバトルロイヤルでも、扱いは別格だったし。 >>368
ルー・テーズのバックドロップと言えば59歳の時の猪木戦だろ。1分〜
持ち上げないでブリッジでピョンと跳ね上げる。
https://www.youtube.com/watch?v=eFWda-jHiI0&t=90s >>371
その2年前には、巨漢坂口をいとも簡単に投げてた。 https://www.youtube.com/watch?v=OaUiYT1vRSw&feature=youtu.be&t=534
https://www.youtube.com/watch?v=kXC615lDw1A&feature=youtu.be&t=610
どっちも足抱え式になってるけど、下はテーズ流。
上のドリー流は鶴田の各種スープレックスと同様、タメを作ったそり投げ。
テーズ流は一気に投げちゃう感じ。タイミングが早くて受け身取りづらそう。
こうしてみるとドリー流も見栄え良くて豪快でいいな。 シンが鶴田の足抱え式のバックドロップでフォールされた最強タッグって平成だったかな。
足抱え式じゃないので呆気なく終わったので切なかったわ。 テーズはバックドロップ早いんだが、特別レフェリーの時にTシャツを脱ぐのに時間がかかりすぎた ×330パウンド(150kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー
〇481パウンド(218kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー >>358
お前目ん玉ついてんのか?
どこが一緒やねん。
こんなに素早く急角度で投げられるレスラーがいたら教えてほしい。 バックドロップなんて子どもでも出来るだろ。
今のプロレスみてたら昔のプロレス技なんて陳腐にみえるな。 ガチじゃないんだからあんまり急角度なのはむしろ駄目だろ、S・ウィリアムスが
やってたようなのはド下手の部類だな。 >>378
俺は>>357の 力道山が足を不自然に上げすぎじゃないかにレスしたんだぞ。
投げられた相手は同じ様な体勢だろうが、お前こそ目ん玉付いてんのか? めったに出さないが、ゴディのバックドロップが凄かった。
フリーバーズで来た時だったか地方の試合ですごいバックドロップ出してびっくりした記憶ある。 >>380
プロレスの見方がしょうもないな、お前。、 >>380
小橋にとっては蝶野の低空バックドロップも垂直落下 >>362
三沢が一度カウント2で返してる
ほかにフォールにすらいたらなかったのは
知ってるだけでも長州、ドリー、ブロディ、原がある
原に至ってはさっさと立ち上がってたなw カクタス・ジャックが場外で鶴田のバックドロップを食らったけど
普通に起き上がってた
https://youtu.be/9q9UcpmrZew?t=292 まあ鶴田の足抱え式→テーズ式への変更は
実際の威力やフォーム、スピードや角度がどうっていうより…
善戦マンと呼ばれ馬場式の良く言えば保守王道
ちょっと意地悪くいうと古典的なプロレス
〜グラウンド・基本技→徐々に試合動いて最後に大技をいくつか重ねて仕留める
というスタイルを踏襲してた鶴田に時流に合わせた
一撃必殺のシリアスで本格派のイメージを与えるための
イメチェンのためのギミックだったわけで
テーマ曲や黒タイツへの変更同様
わざわざテーズに直接教えを乞うて体得したって設定も
胴に両腕を廻して投げることも
投げた後、手四つの体勢でフォールに入るのも
もちろんそれが出たら普通は一撃必殺なのも
全てプロレス流の「記号」だから
ウィリアムスが急角度バックドロップを
もちろん最初は下手くそゆえの猪木や谷津相手のアクシデントが
日本のファンに「あれだけ効くのはスゴイ!」的に思いもかけずにウケたんで
その後売り物にしたのも同じ
(もちろんその際にはまたアクシデント起きないようちゃんと加減して) >>386
ドームでの健吾、木戸戦で健吾に足抱え式バックドロップ1発。
後半で木戸にバ見舞おうと腰に手を回したが健吾のカットで投げられなかった。
もし投げていたとしてもカットに入られ、ケツキメはルーテーズプレスだから
フィニッシュでないバックドロップを出しづらい、でも出さないとドームの客が納得しないという難しいところだった。 ウイリアムスのやつは川田をバックドロップに担ぎ上げる→川田一回転して着地、攻撃に移るって流れを
川田がそのまま回転の途中で脳天から落ちたアクシデントを必殺技に昇華したものだろう。
その試合後にウイリアムスは勝ち誇りのパフォは一切なく真っ青な顔しながら何回も十字を切ってた。
当然客も凍り付いてたが。
あれが小橋戦では「ここまでやるのすげー」になっちゃうんだよな。
やる方もやる方だけど、受けちゃう小橋も小橋だな。 >>386
タフさをアピールしたいのか、ブックに不満でもあるのか‥
よく大技を掛け合い直ぐに立ち上がる場面があるけど、あれもどうなのかな〜
最初は両者とも気合いが入ってて凄いと思っていたけど、一撃必殺のイメージが
あの我慢比べで本当は効いてないのかと思わせてしまうようで
あまり乱発しない方がいいと思うな。 >>378
よく見ると、猪木にかけたのも反対のアングルだと
腰砕けじゃねえの?
鶴田と同じように相手によって変えてたか。 鶴田はへそで投げるバックドロップを切り札にしたのはいいけど、二番手の決め技が空中胴締め落とし。テーズつながりだろうけど急にショボくなって勝っても盛り上がらなかったな。 テーズはどうしてたんだか知らないが
誰がやっても胴を「締め」てはないよね、落としてはいるけど。
いわば縦のボディアタック。 猪木は最近もGスピとかのインタビューを受けてるけど、必ずと
いっていいくらいテーズのバックドロップのことを語ってるね
これは2002年のゴング技ブックのインタビューだけど
「テーズは別格というのかな、後ろに回られた時にはもう(こちらの)
体が宙に浮いてる。こらえるとかっていう余裕がないんです。
ポーンと跳ね上げられてしまうというね。
もう一つはヘソの力で突き上げる。
他のみんなはヨイショっと持ち上げようとするわけ。力で持ち上げる
場合にはタイミングがちょっとズレたりすると相手も逃げられるんだけど
テーズのは滑り込んでくるというのかな、自然と(こちらの)腰が浮いて、
上に跳ね上げられるから、『あっ』と言ってる間にもう宙に舞ってる。
今、ヘソで投げてる人ってあんまりいないじゃないですか、どちらかと
言えば力で持ち上げて行ってる。」 >>394
wiki によると、
相手の胴を自身の両足で挟み込みながら前に倒れこんで押し倒して上になった
体勢のままフォールを奪う。ボディ・アタック系の技の元祖となっている。
両足で挟み込みをした際に「相手の頭部を手で押さえて固定するのがテーズ式」と、トミー・リッチが来日した際に全日本プロレス中継で解説のコメントがある。 >>393
天龍が受けた時は説得力あった。それまではクイックに近い技だと思ってた もっと多彩なフィニッシュで終わってもいいと思うんだが
それを許さない風潮が80年後半からあったな
新日にもあったけど全日の方がね >>397
相手が猛スピードで走って来たのをカウンターで決めるならいいけど、もっさり走ってくる二流外国人だと、デカい鶴田がスゴい顔して抱きついてくるだけだからウンザリしてたよ。笑 >>395
屁理屈言ってるが
反動を使わなくても投げられるパワーがあるということ。
だが、ホースト・ホフマンも凄いぞ。とにかくタメが無く速い。
だが、観客や視聴者は何だ今の?
となる。動画再生できない時代はあっけにとられる。
鶴田はドリーの大きく高くが、自分の魅せるイメージと一致したのだろう。
あえて速さにはこだわらなかった。ジャーマンしかり、ダブルアームしかり。 >>398
日プロの時からだと思うんだけどメイン外人と員数外人へのフィニッシュに差がある。
馬場は員数なら16文、メインには32文でフォールしていて
猪木はそれがコブラと卍、みたいに。
その伝で鶴田は、胴締め落とし、岩石落とし、と差をつけていたんだろうけどね。 >>399
相手が2〜3歩バックすればトップロープにカウンターくらってたな 鶴田のバックドロップも腰に乗せてヘソで相手を回転させて
いるんだけど、仕掛ける時はやっぱり
「さあバックに回ったぞ、相手の腰に腕を巻いたぞ、ヘソで
かち上げたぞ、綺麗な弧を描いてるぞ」
という「手順」が見えるんだよね
テーズは蔵前の最強タッグで二本目に猪木を投げた時も
(ちょっと失敗気味なんだけど)バックに回ったらいつ腰に
手を回したかも認識できないうちに猪木の身体が浮いていた、
という感じで本当に魔法みたいな感じだった
まあテーズのバックドロップも色々で、ジョナサンに仕掛けた
これなんか(23:01頃)わかりやすく仕掛けているけれどね
https://www.youtube.com/watch?v=aj3xa-1NmVM >>402
マーテルにAWAを奪われた試合でフィニッシュに持ち込む手順は、
まさにその手を使っていたね 技はともかく
1回使ったムーブを乱発するのはよくないな
ひとりの人間の一生で偶然ロープに喉元を打ち付けたり
後ろから投げられそうになった時にコーナーを蹴って
たまたま両方の方が同時に3秒間マットにつくなんてことは
そう何度も起こりうることではないのだから しかし今更だけど、50年代、60年代のアメプロって仕掛けが速いんだよなあ
テーズはバックドロップばかりでなく、ボディシザースドロップもエアプレーン
スピンから投げ落としてフォールに入るのも、不意討ちのドロップキックも
とにかく速くて、こっちがあっと思った時にはもう技がかけ終わってる感じ
キニスキーやロジャースも早いし(この試合の三本目、33:58あたりで
ロジャースが自爆してロープに首を絡めるムーブなんて、どうやったら
こんな素早くできるんだ?と呆れるほど)
https://www.youtube.com/watch?v=cqIHV0m29FU
今より何もかもゆったりしたペースの時代に、解像度の悪い初期のテレビの
中継でこんなものを見せていたんだよなあ >>405
↓こういう動画を見ていると、ロープに引っ掛かる失敗とかは
(狙ったムーブでないのなら)よく起きちゃうんじゃないかと
いう気もしてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=35oKXHUK30w&t=1s
https://www.youtube.com/watch?v=35oKXHUK30w&t=1s
というか、技をちゃんと決めるっていうのはとても難しいし
そういつも成功するものじゃないんだよな、本当は、と
今さらながらちゃんとした試合に感心してしまう >>401
>鶴田は、胴締め落とし、岩石落とし、と差をつけていたんだろうけどね
浜口や木戸は胴締め落としで十分、というわけか。
でも鶴田の胴締め落とし誤爆フィニッシュって、テリーのNWAに挑戦した
試合でやらかしてなかった?テーズに習うだいぶ前だけど たまにわざとロープに首をかけにいくため背伸びみたいなことをするときがあったねw
でもテレビで見てて実際に会場でリングを見ると毎回狭さに驚いてたわ。地方だと小さいリングを使うこともあったけど >>403
鶴田は会場のデカさとアメプロのダイナミックが
エンターテイメントとしてプロレスに入って、これだ!と納得したんじゃないか。
最初にゴッチについたら長州みたいに
これじゃない!と脱走しそうだ。 鶴田はテーズ直伝のバックドロップということでブランドになったが、
ブッチャーにやったような高くゆっくり落とす方が視覚的にもいいように思う。 >>403
ケガさせないようにわざとやってるんだよ。 >>395
テーズ自身が、
「私のバックドロップの極意は、ヘソで投げるというのももちろんだが、それよりもタメをなくすことだ」と言ってるね。
ファンから見ても、あっという間に投げ捨てるところに驚きがあるもんね。 カブキが「鶴田のバックドロップは凄くない。マサ斉藤のが凄い」と言ってたな。
カブキの鶴田disは目に余る物があるが。 弧は描いてないが、馬場のバックドロップも高さ利用して迫力あった。
若かりし日の鶴田とのシングルでフィニッシュにしてた。 ミスター・ヒトは
「猪木はあれだけブリッジの練習ばっかりしてるけど、ジャーマンとか
スープレックスとか、よく形が崩れるでしょ、逆に馬場さんなんかは
まるっきりブリッジもできないのに、試合で見せるバックドロップとかは
綺麗でしょ。つまりプロレスの技っていうのは相手との呼吸で、二人で
息を合わせて綺麗な型を見せる共同作業なんだ。でも猪木とかは
自分の技術とか力だけで相手を投げようとしちゃうから崩れるんだよ」
と言っていたね
カブキが斎藤にバックドロップを薦めたのはタッグ王者になったフロリダ時代の
ことで、カブキのいわく相手が受け身を取れなくてケガをするんじゃないかと
心配して手控えようとしていた斎藤に、「大丈夫、やっちゃえやっちゃえ!」と
無責任にけしかけた結果なんだとかw
フロリダで抗争していたのはプロモーター、エディの息子、マイク・グラハム
(とスティーブ・カーン)だったのだけれど、このマイクが斎藤をタックルで
吹っ飛ばして引き起こそうとするところを、間髪入れず横から斎藤流の
バックドロップで真っ逆さまに投げ捨てるといったエグい攻撃をしていて
今ビデオを見てもいいのかオイと思うんだけど、ブッカーのジョニー・
バレンタインがバチバチスタイルが好きで「もっとやれ」と喜んでくれて
そんな試合ばかりやっていたと斎藤もカブキも言っていたね 「馬場と猪木」での桜井氏は創作がたまに混じってるからなあ
馬場がコックスにラリアットをやったなんてのも
たまたま写真でそう見えるだけのものから話を膨らませたっぽいし
>>420もこんなスープレックやったら相手が大怪我しそう
単なるジャックナイフじゃないの? >>420
馬場がブリッジ出来た証拠だせと息巻いてたアンチに見せてやりたいな。 テーズは「バックドロップはへそで投げる」なんて言ってないって事だったろ。
コワルスキーがベジタリアンになったという経緯と同類の与太話だろ。 >>420
背が低く見えるけど、これ馬場か?
アトミックドロップからスープレックスやって、こんな形にならないだろ。 >>420
もううでに同意見のコメが出ているが、
>アトミックドロップのあと、反動をつけて後方に放り、クラッチする
それだと、どう考えても、このジャックナイフの形には
ならんと思うけれど、、
これ、単に馬場がジャックナイフを使ったところだろ?
この時代、記者はロクに現地に行かず、カメラマンが
撮って来た写真にいい加減な記事を書いていたと思うよ。 明らかにジャックナイフ式エビ固めだが、馬場のブリッジがレアなのよw >>423
俺が見たインタビューではそう言ってたぞ。 テーズが新日、全日、Uインターと渡り歩いていた時期にプロレスマスコミは週刊になり
細かいテーマのインタビューを山ほど収録したからね
さらにUインター時代は宮戸、それ以前から流智美など、それっぽい技術論を語らせたがる
ライターがこれでもかとテーズの言葉を活字にしたから、もう田鶴浜さんだの櫻井康雄だのと
違う時代の「テーズの言葉」が流布していたからな
ホーガンや飛んだり跳ねたりの新プロレスに怒りの言葉を吐き散らしていた「BRUTUS」の
特集なんか実に面白かったなあ >>427
それは知らんね。インタビュー自体が本当にあったかわからないし。
本人が言ってないとしてるのはネットにあるからな。
>鉄人に “へそで投げる” のか聞いたところ、「What!? へそで投げる!?」と大爆笑されてしまった。
by セッド・ジニアス SAD GENIUS >>425
たぶんそれも最初っからちゃんとジャックナイフ狙って決めたってより
グラウンドの攻防でバック取ったり脚取ったり乗っかったりで揉み合いながら
エビに固めて押さえ込もうとする流れの中でこういう形になった
その瞬間を切り取っただけってかんじじゃあないかねえ 馬場のあのデカさでジャックナイフやってたってだけでも凄いと思うけどな。 >>400
鶴田のドリー流もテーズ流も流麗に弧を描くところまでは同じだ(スピードは違う)けど
ドリー流では最後にクラッチ外すから、喰った相手が吹っ飛んでるんだよね。
テーズ流になってからはクラッチ外さないから相手はその場で「くの字」に折れ曲がる。そしてすぐに手四つの態勢でフォールに行ける。 馬場の巨体ならジャックナイフで固めるよりも、ただ乗っかっちゃった方が返せないだろうけどね。 >>429
感じ悪いなお前。
大体、俺が書いたインタビューのポイントはそこじゃなく、タメをなくすって部分だろが。
ちゃんと読み取れアホ。 >>435
お前が書いたレスなんぞ知らんぞ、間違えたのなら潔く認めろよゴミ屑が! >>383
ゴディもテーズの弟子だから正統派バックドロップが使える
https://twitter.com/tsurutaoh/status/1075619697553358848
だがゴディは自分のキャラを弁えてるから、もう一つのテーズ直伝リバーススラムを
パワーボムに進化させてフィニッシュホールドにした
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「ヘソで投げる」という日本語意訳にこだわる前にテーズが語っていた原語を追った方がいいと思うんだが
テーズが言った言葉を「腕力ではなく腰を使ってヘソで投げる」と意訳したとしたら名訳だと思うし
それを例えば「Throw by navel」なんて和製英語感覚の直訳をしたら、テーズじゃなくても笑うだろう 馬場のブリッジといえば、82年のベストショット・ゴング猪木編の中に、日プロ時代の屋外練習で猪木とブリッジの練習している写真があるよね。
明らかにカメラマンの要望で撮られたんだろうけど、すっごく辛そうだ。 >>438
山本がヒクソンにフロントネックロックをかけると大きな声が聞こえてきた。
「チンポ出せチンポ」by前田
山本「誰かがチンポ出せと言ってる。何で武道館の真ん中でチンポ出さないといけないんだ?」
へそで投げる、チンポ出せ・・・解釈かなw >>422
馬場がブリッジできないって話のソースは猪木じゃなかったか。
馬場が亡くなったとき文芸春秋に載った追悼文ではっきりそう書いてたし
(実際書いたのはゴーストで、本人は取材でそうしゃべっただけだろうが)
それ以前にも同じことしゃべってたはず。
420みたいな写真が残っているとは知らなかったんだろう。 形だけできてもプロからすれば出来たうちには入らないだろう
それでも馬場みたいなタイプはベテにブリッジができなくても構わないだろう
すべてのレスラーに必須というわけでもないし ジャイアントスープレックス凄いカッコいい!
アトミックドロップからメキシカンエースクラッシャー式に空中反転させてキャッチ。
2メートルの落差でジャーマンのように後方にブリッジ。
その姿はジャックナイフのよう。
この技は三沢でも受身取れるかなw >>436
間違って?お前はホンマに読解力がないのう。
恥かくだけやから、もう人前に出るなよ。 >>441
馬場の晩年はともかく、ブリッジできないはずはないんだがな。
それなりに柔軟性はあるだろうし、
背が高い方がブリッジはやり易いと思うが。 >>445
日プロ時代なら柔軟性はあったが
全日以降はブリッジできないと思う >>438
ゴッチは「ジャーマンスープレックスホールド」と言ったのに
櫻井が勝手に「原爆固め」と書いたように、マスコミの創作かも。
エリックのアイアンクローを「鉄の爪」と書いたのも創作かも。 >>439
ジャージ姿の馬場がバスかトラック用のデカいタイヤに
背中を密着させて反り返っている写真を見たことあるが同じ奴だっけ?
隣りに同じ格好をした猪木が立っていたような 非プオタの若い子でもアイアンクローを
顔面鷲掴みと知ってるのは漫画とかの影響かな そもそも馬場がインターを獲って日本プロレス界全体のエースとして
ファンやマスコミの注目を集めるようになったのが1965年、以後日プロの
押しも押されもせぬエースとして足掛け7年、全日本のエースとしても
20数年、引退するまで35年もマスコミの前に出ていたんだよ
その間、山のような試合やマスコミの前にいる時間に、ブリッジやら
そり投げやらをやって見せていたら、「馬場はブリッジが出来ない」
なんて噂が独り歩きするはずがないだろうに
日プロ入門期の馬場がすさまじいハードトレーニングをしていたのは
誰も疑ったことはないだろうし、その頃に力道山流のスクワットやら
ダンベル練習なんかをガンガンやっていたことも疑いようがない
問題なのは、まだ馬場が現役王者としてバリバリやっていた70年代
終わりころには、もう当たり前のように「馬場はブリッジすら出来ない」
と言われるようになっていていたんじゃないかということで、それは
「馬場が試合中にブリッジを利かせた動きを見たことがない」
「雑誌などでも練習でブリッジをしている写真を見たことがない」
というファンが大多数になっていた「現実」があったからこそ出てきた
現象だったっていうことだろう 猪木が馬場の死後に言った一言だとか櫻井が大昔に書いた記事とか
そんなチンケなことが原因であるはずがなく、70年代から、80年代、
そして90年代の長きにわたって、「馬場がブリッジした!」という事実が
話題にならなかった、馬場がそういう試合をして見せることがなかった、
という現実が問題なんだろう
どんな都市伝説やデマ報道があろうが、現実に
「だって馬場は○○との試合でブリッジやってたじゃん」
「先月のゴングのグラビアにブリッジの写真が載ってるだろ」
というファンの声があれば噂なんか簡単に消えたはずだし、
「…言われてみれば馬場がブリッジしたの見たことがないな」
というファンが大半になったから、既成事実のように語られていたという
だけのことだろう
たぶん馬場だってブリッジくらい出来たろうし、マイナーな試合などで
それっぽい動きをしたこともあったろう
けどそれは全日を見ていたファンを含めてプロレスの観客全体のメジャーな
認識にはなっていなかったし、その後もなっていないままだということ
まずは現実として、70年代以降の馬場がブリッジをしていた動画や写真を
見つめることが先決だと思う
きっとどこかにあると思うぞ
そしてそれが本当になくなったとしたらいつ頃からのことなのか
埒もない憶測をうだうだ述べる前に調べるほうが楽しいと思う
(すまないが自分は日プロ→全日の馬場の試合映像には暗い…) 蝶野は「人間が逆に反るのはおかしい」とかいってほとんどブリッジを見せたことなかったな ブリッジ云々言ったら、
天龍はほとんどブリッジ技使わないし、
アマレス出身の長州も使わない。
坂口、小林、木村も使わない。
そんなに必須のものかね。 日プロ末期か、全日初期で馬場が確か、
デストロイヤーと対戦し、手四つの体制から
仰向けに倒されブリッジで凌いだシーンを見たよ。
でも、デストにちょっと乗られたら崩れた。
同時期、猪木は自分と同じくらいに体重の選手に
完全に乗られてもブリッジが崩れなかった。
この二人を比較しても猪木は少なくともレスリングでは
上だと感じた。 >>438
こだわるも何も本人が爆笑したくらいだから言ったか言ってないかでは言ってないが正しい。
意訳がどうだなんてのは単なる逃げ口上。
相当する原語なりを自分であぶりだしてから意訳だと主張するのならそう言えば良いだろ。 ベストショットゴングだかでBIのトレーニング風景が載ってて、そこでブリッジしてる写真があったな。
猪木のブリッジが弧を描いてるのに対し、馬場のブリッジはコの字を描いてた。 蝶野はストンコに首をやられて受け身もろくに取れない身体に
なってからはまずブリッジなんかできなかったろうけど、ざっと
ビデオを見ても若いころからサソリ固めやカナディアン・バック
ブリーカーを受けている時もほとんど腰を反らしていないんだな
バックドロップは得意技だったようだけれど、ほとんどブリッジ
しないで一瞬で投げる低空式だし
さすがにヤングライオン時代は道場で無理やりブリッジさせられて
いたろうけど、若いうちから腰をヤってしまっていたのだろうか >>456
じゃあ猪木はタックルやれるのかと言ったら
できないし。
ブリッジやれてもタックル技術がなければ
レスリングを知ってるとはいえんな。 >>450
アイアンクローと4の字固めはヲタ非オタや男女や世代問わず誰でもわかるからスゴイよね
UFCやバリトゥードでアイアンクロ―の使い手とか出てくるファンタジーねえかなあw
>>454
ブリッジ自体は本来首、背筋、腹筋、腰、脚と
ほぼアスリートとしての全身の身体能力求められる動きだし
だからこそアマレスにおけるもっとも基本的な技術のひとつとされてるんだから
プロレスが一応はプロ-レスリングから発展したというイメージ上
象徴的な意味で重要視されるってのはまあわからんでもない
あとブリッジが出来ない相手だと攻める時よりも
むしろこちらが技を受ける時怖くて安心して身を任せられないってのもある
実際にブリッジ利かせたフォームで投げられるのか否かっていうより
受ける側からするとそのつもりで身構えてたら中途半端に持ち上げらられた状態から
意図ぜず崩れて予期しない変なタイミングや角度で落とされる方がむしろ勘弁!ってやつ >>463
アマレスでもグレコとフリーじゃタックルの技術も違うんだけどな >>465
そうそう。
猪木は崩し、バックを取られてからアームロックとか上手いよ。
ペールワン戦でも組んだ状態から相手が攻めてきても入らせなかったりと上手い。
グランドでもガードポジションで入らせないとか上手い。 >>463
ブリッジはやらせるけどタックルは重要視しないというのは
当時の日プロの若手への指導方針なんだろうか
そうでもなければ教えない理由がわからん >>456
猪木の印象深い試合を新日時代のブリスコ戦と上げたテレ朝の松岡Pは
「猪木ってレスリングできるんだ・・・」とコメントしていた。 ブリッジは客に見せる効果もある。
だけどタックルは、形として綺麗じゃない。
タックルなしに投げ技を使って寝技に移行する方が、
綺麗に見える。
というようなことは大きいだろう。
猪木は柳澤健のインタビューで、タックルの練習はしたことはないと言ってるね。
アリ戦でも「タックルぽいタイミングの抱きつき」
を見せただけ >>454
天龍と長州は何度かジャーマン使ってたな
どっちも格好悪かったけど
>>464
ガチで通用するアイアンクローってぞれこそ頭蓋骨にひびが
入るレベルだから、ガチの殺人技だな >>467
プロレスはロックアップから始まるからグレコっぽいので
フリースタイルの足へのタックルは重要視しなかったのでは?
あと肩が付いたら終わりではないのでグランドでの技術が求められた。 松浪健四郎は
「前田君はレスリングを一から勉強しなおした方がいい。それは猪木にも言えるよ。
それを言えない長州、鶴田、谷津
彼らの奥底にあるものは大変なものでしょうね。」と言っていたな >>472
松浪健四郎
鹿児島でのアマレスの試合でドン荒川にドロップキックやられて、レフェリーの再開の合図に、
「もうやだ」と逃げて反則負けをもらったアスリートねw 若い頃の鶴田は馬場を、長州は猪木を
簡単にタックルで転がしてたな。
藤原も川田にタックルで転がされてた。
アマレスルールだったらそのままピンフォールだね ボクシングルールならタックルで相手を転がしたら反則負け ミスター高橋「ガチンコでは飯が食えない」
谷津「プロレスは難しい。ガチンコならどんなに楽か」
プロレスというジャンルで財を成した馬場と猪木がいかにスゴイかわかるな。 タックルってプロレス的には映えないんだよな。
小細工って感じ。 >>473
ちゅうか、ドロップキックやった時点で反則負けにされないとダメだろ。 >アマレスルールだったら
まあ無意味な前提だわな
相撲ルールだったらだれも輪島、曙、東富士には叶わんのと同じ >>451
馬場は、練習は見せるものではないってのがポリシーだったからな。
単に練習の取材を受けてないからだろ。 >>456
ブリッジの上手さと、
レスリングの上手さ関係ないだろ。 >>458
何に対して笑ったのか、がハッキリしないって話だ。
本当なお前は読解力がない。 >>466
猪木はレスリングの基本なんて知らないだろ。
そもそも、誰に教わるというのか。
持ち前のセンスで、レスリングに近い動きを自然に修得したということだろう。 日プロ時代は
レスリングのコーチは吉原功
関節技は大坪清隆
総監督が沖識名 >>448
レスラーが言ってもないことをでっち上げで、トラブルになったことは結構あるね。プロレスマスコミは本当にクソ。
ただ、鉄の爪は何が創作なのか。言ってることがよくわからん。
原爆固めも、技の和名としてはなかなかセンスがあると思うが。 言ってもないことを聞いたことにして文字にしたり
ありもしないことを見てきたように書く。
これは今なら恥ずべき悪質な仕事、詐欺的行為だろうが
当時のマスコミ村でならうまい仕事だったんだろうし
やった記者はサムライとして賞賛されていたことは想像に難くない 実際に言ったかもしれないことをその場にいたわけでもない素人が「言ってもないことを
聞いたことにして文字にした」と見てきたように書く、これは今でも恥ずべき悪質な行為、
詐欺的事象だろうが全日スレでならうまい仕事だったんだろうし、やった奴が一部のバカには
サムライとして賞賛されていたことは想像に難くない
…ということだって言えちゃうわけでね
根拠もない憶測で他人を誹謗中傷する以前に、まず事実を集めればいいのに、いまだに馬場の
ブリッジ写真を検証しようとすることすら放棄して「猪木ガー」と逃避するようじゃ
話にならないよ >>479
それは本来おかしな話だけどね。
相撲はプロレスとは全然別の競技だけど、
プロレスはプロレスリングだからな。
ガチと言った時に、ついタップやKOを前提に
言うけど、実はタックルからポジションとって
カウント3取って勝つのもガチ勝ちなんだよね。
実際女子プロレスでは押さえ込みルールのガチやってたし しかし「長州はブリッジをしない」とか、開いた口が塞がらないホラを平気で吐くヤカラもいるのか
長州の手四つからのブリッジ合戦、カナディアンからのダブルブリッジ、ジャーマンなんか
見飽きた光景じゃないかと思うくらいの恒例ムーブだと思っていたが違うのかな
昭和全日スレは平和で博識の人が多いけど、映像やデータを確認すればすぐにばれるような
嘘を平気につく奴がまだたまにいる、と言われていたけど、実感させられるなあ >>482
上にあるように、かつて「ヘソで投げる」という意訳した日本語を、ジニアスあたりが
珍妙なジャパニーズ英語に直訳したものをそのまま「お前はこう言ったのか?」と聞けば
外国人は「そんな英語はない、もちろん言ったことはない」と言うに決まってるからな
だからテーズ自身の語った言語を探ればいいと思うんだが
櫻井康雄どうこうじゃなく、鶴田に「ヘソで投げるバックドロップが伝授された」と散々
語られた全日時代の映像とかビデオに残してる人がいそうなものなのに 面白いからちょっと調べてみよう
ジニアスの言葉は彼のコラムにもあるね
https://sadgeniu.wordpress.com/
「鉄人といえば、“へそで投げるバックドロップ” が代名詞ですが、鉄人は、
“グレコローマン・バックドロップ” と称していました。
鉄人に “へそで投げる” のか聞いたところ、「What!? へそで投げる!?」と
大爆笑されてしまった。
“ヘソで投げるバックドロップ” とは恐らく、日本のプロレスマスコミが
鉄人のバックドロップの凄さをアピールするために名付けた “風説の
流布” のようなものなのでしょうが、それにより鉄人のバックドロップが
幻想的に捉えられてイメージアップに繋がったと言えるでしょう。」
しかしジニアス自身はこの「グレコローマン・バックドロップ」をテーズが
どのように説明しコーチングしていたかの具体的な描写はほとんどなくて、
「現代マット界でもバックドロップを使う選手はたくさんおりますが、基本的に
全員ダメです。バックドロップで相手を叩きつけた瞬間に片足が流れてしまったり、
相手を抱えている腕が外れてしまっていたら相手にダメージなど与えられる
わけがありません。野球に例えれば、バッターがジャストミートした瞬間に(略)」
といったプロレスファン的視点や
「昔のプロレス界には他人の得意技を使ってはいけないという “掟” が存在した。
バックドロップやSTFは鉄人から直伝された者しか使ってはいけない。」
という我田引水的な話しか出てこなくて、「テーズ自身の言葉」は聞けません
ちなみにこのジニアスのコラムの締めは
「へそで投げるバックドロップ(グレコローマン・バックドロップ)は、綺麗なブリッジで
弧を描いて投げるため大変美しく綺麗であり、正にスポーツと格闘技とエンター
テイメントと芸術の集大成であるプロレスにピッタリの技であります。」
と結局「へそで投げるバックドロップ」という文句を売りにしてしまっています >>491
意訳というのは言った人物の表現と違う言い回しってことだぞ。
つまり捏造とも言える。
意訳というよりは誤訳だな。
まあ、俺はなんでへそで投げるになったかおそらくだけどわかるけどね。 桜井康雄氏の創作と言われているのはこういうコメント
米国武者修行から帰国した猪木のインタビューという形で、
「試合が終わって控室に戻ると、ルー・テーズがいた。
俺は思わず頭を下げてしまった。ピョコンとね。
テーズが試合を誉めてくれたので俺が『あなたのバックドロップに
憧れています』と言ったら『ブリッジをやってみろ』と言うんだな。
テーズはジーっと見て、『それだけのバネがあるならバックドロップは
出来る。
バックドロップは自分の重心を相手の重心の下に合わせるようにして、
いわばヘソに乗せるようにして投げろ』とアドバイスしてくれたんだ。
感激したねえ」
村松友視が引用して拡散されたのも多分この「自分の重心を相手の
重心の下に合わせるようにして、いわばヘソに乗せるようにして投げ」
るという言葉だったんだろう テーズが使っていたというGreco-Roman backdrop では直ちにわからない。
日本で言うバックドロップはBelly-to-back suplex とも言うからな。 >>486
ゴングの海外試合の記事とか、眉唾ものだよね。記事の内容が実際の試合と全く違う時がよくあった。
第1回レッスルマニアのメインのフィニッシュなんて、記事の方が創作になっている。
文責は山口だけど、本当に試合を取材したならばあり得ないこと。
新日って誰が英語上手かったんだろうな?全日だとジョーさんとかキムドクが思い浮かぶが。 アイネバーギブアップ!
藤波がいるじゃないか!
日本語はアレだけどw 小鉄「塩を買いに行ったが『ソルト』が分からなかったので店員に、
OK?(でんぐり返しして)『Suger change change』」
店員『I do not know?』
2回目で2回でんぐり返ししたら、店員が『Oh, OK!!』と理解してくれて塩を貰った。
やはりアメリカも塩と砂糖なんだ」 テーズ自身の言葉は、ジニアスよりは英語が堪能そうな流智美が
山のように収録し書き記しているはずで、JICC出版のムックにも
いろいろ語られていたと思うけれど今手元ですぐに見られる状態では
ないので、どなたかお願いします(笑)
というか、流智美なら「ヘソ」の出典や由来・系譜もたちどころに
示して見せそうな気がするしどこかで書いていると思うのだが
とりあえず見つかった「ブルータス」99年2月15日号のテーズ特集は
見付けられた
当時の日本のプロレス団体メッタ斬りは最高に面白いのだけれど
バックドロップ談義は特になく、猪木との対談でも猪木は
「みんな抱え上げて落とすんだけど、テーズさんのはヘソで
はじきあげられて気が付いたら宙に浮いている」といういつもの伝で
語ってたけれど、テーズ自身は「あの(蔵前での)バックドロップは
かなり深く決まったと思ったんだが、猪木はタフだったね」と述べて
技術論には踏み込まなかったか、誌面に採録されなかった模様
このブルータスの記事は中田潤の構成だけど、テーズの言葉を
かなり細かいニュアンスまで再現しているので通訳はいたんだろうか
原悦生が同席しているのは間違いないみたいだけど へその件はわかったからもうええっちゅーの。
議論するのもバカバカしい >>500
猪木や藤波は日常会話には困らないという程度で、のちに渉外として
外国人にビッグ・ボスとして慕われるマサ斎藤も、パテラの巻き添えで
獄中生活を送るまでは単語を並べるだけのブロークン・イングリッシュで
獄中で受講できる講座で英語を選択して、アメリカ生活17年目にして
はじめて専門的に文法やらを学び直したらしい
斎藤は早く出所できるように模範囚を貫いていて、英語の先生にも
誉められていたそうで、その英語力で以後AWA圏やWCWとの交渉を
一手に引き受けている
それ以前の新日の外人担当は高橋だったのかな
イギリス生まれのケン田島は新日に張り付いていたわけじゃないだろうし
近年はブシロードあたりが用立てた通訳を除けば、アメリカ育ちみたいな
タイガー服部が一番のネイティブスピーカーだったんだろうな >>490
アマレス出身なんだから長州が
ブリッジできるのは当たり前の話で、
ジャーマンなどのブリッジ技を使わないという意味で言ってるんだか。
このスレにも喧嘩売りたいだけの人がいるみたいだね >>486
プロレス記者は野球やボクシングと違いスポーツ記者じゃないからね。
だから記者クラブもない。
梶原一騎の劇画と同じで、自由自在にストーリーが作れるからファンは興奮する
共存共栄で団体のヨイショ記事をデッチあげストーリーを捏造するなんて
週刊ファイトの井上義啓の得意技だった。
そのスタイルは井上に拾われたターザンやGKに続くわけだけど… >>480
まぁ身体見たら練習してないのが分かるけどな。
幾ら腹が出ても相撲見たいに裸の艶や張りを見慣れている層にはバレバレ。 >>506
だから長州のジャーマンは鶴田、天龍、藤波など相手に新日でも全日でも
やってるのを多くの人が見て記憶している、と言われているんだが
454 名前:お前名無しだろ (スプッッ Sd22-5zvt)[] 投稿日:2020/04/12(日) 01:24:53.33
ブリッジ云々言ったら、
天龍はほとんどブリッジ技使わないし、
アマレス出身の長州も使わない。
こう言われていたから「使ってるよ」というだけの話にムキになりなさんな
バカのふりをして荒らしたいだけの通りすがりなのかな?
もともと長州革命前の新日でジャーマンは前座では荒川、木戸らが使って
メイン格では猪木→藤波の専売特許、革命前後はマサ斎藤流のバックドロップを
トレードマークにしていたからジャーマンは使う必要がなかっただけで、しかし
マサさんや藤波との試合ではブリッジを多用してアマレス出身をアピールしていた
もともと長州最初の決め技がブリッジしてのリバース・チキンウイングだったのは
有名だしね
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/njpw/1768725/
http://www.showapuroresu.com/waza/wing.htm >>490
長州がタイツ直しして、自分がゴロ寝する場所確認してるのにバックドロップで悶絶して、それからスタミナ切れとかw
ブロディが髪の毛掴んでいるだけで蹂躙、蹂躙してる間にパンチキックしたのかって聞くと、相手がセルしないと成立しないドロップキックで蹂躙w
確かに長州アレルギーありすぎて嘘つきまくりだな。 馬場さんはレイスとのNWA争奪戦などでは必ずトップロープからの
ダイビング技を仕掛けたり、身体も動くし派手な技もできる時期が
長かったのだけれど、どうも馬場さん自身のセルフイメージと、
一般世間を含めた観客の味方にギャップが生じていたのが
70年代後半以降の現実だったよなあ
やっぱり当時言われていたけれど、大きいわりに胸板がなくて
なぜかアバラ骨が浮いているのが目立つ胴体、それに比して
細く骨ばって見える腕が、実際より老人っぽいイメージを馬場に
持たせてしまっていたのは否定できない
全日特有の間をもたせた攻防も、その身体でやると「動けない」
ように見えていたのも現実だろうし
ところが馬場さん自身はまだまだ60年代のジャイアント台風
さながら、屈強な身体でスピーディーに飛び回っている自分の
イメージを捨てきれていなかったんじゃないかという気がする
レイス相手にコーナーからのダイビングボディアタック仕掛けたり
ブロディを仕留めるのにフライングボディシザースドロップを使おうと
するとか、普通考えないと思うぞ もともと馬場さんは日プロ時代は「宙を舞う巨艦」のイメージで
強さの象徴になっていたレスラーだけど、全日本時代は
「大物はリング中央でデンと構えて動かない」を体現するような
スタイルだったはずだからね
ストロング小林や坂口征二が、ラッシャー木村や大木金太郎相手に
コーナーポスト最上段からダイビング・ボディアタックを仕掛ける図を
想像したらいかにとんでもないことか実感できるw >>487
三沢が東スポと絶縁したのは、東スポの捏造インタビューが元だし、
インタビューで過激発言したレスラーが、のちのインタビューでそんなこと言ってないと訂正したケースはいくつかある。
記者自身が、外国のレスラーの想像で記事を挙げて、全然違ったスタイルで冷や汗書いたってケースもある。
これでも文句あるか?
ちゅうか、お前は何に対して噛みついてるんだ?
よくわからんわ。 >>498
意味不明。
俺のレスに返すならば、
ブリッジとレスリングについての証明するのが筋だろ。 >>510
ムキになりなさんなって、ムキになってるのは
あんたの方じゃんよw
>
0 お前名無しだろ (ワッチョイW 674b-itHr) 2020/04/12 10:40:04
しかし「長州はブリッジをしない」とか、開いた口が塞がらないホラを平気で吐くヤカラもいるのか
>
昭和全日スレは平和で博識の人が多いけど、映像やデータを確認すればすぐにばれるような
嘘を平気につく奴がまだたまにいる、と言われていたけど、実感させられるなあ
自分から喧嘩越しできて、荒らしとか嘘つきとか
決めつけておいて、ムキになるように仕向けておいて
何言ってるのかね ちなみに長州が鶴田戦でジャーマンやったのは
知ってるわ。ブリッジで固めなかったと
記憶してるがね。
だけど長州は自分のイメージから、ジャーマンは
極力封印してたからな。 失礼。長州は鶴田戦でジャーマン固めてたと思う。それは訂正 言うだけ言っておいて、相手が怒ったと見るや
「落ち着け」か。
最初から、「長州はブリッジ技使ってたはずだ」と
事実を冷静に指摘するレスだけしておけばいいのに、
嘘だなんだと余計な煽りを入れておいて、なに言ってんだか。 >>519
なあなあ、
「落ち着け」とか「むきになるな」
っていうレスやめにしないか?
いたずらに相手を怒らせて荒れるだけだからな。 プロレス用語辞典
「これじゃ広島だぜ」
テレビ生中継でセミファイナルが時間切れ引き分けになり、残り放送時間が少なくなったためメインがアッという間に終わり、観客のフラストレーションが爆発すること。 >>523
誤字脱字をしない、は掲示板書き込みの最低限のマナーだと思うんだが。しらんけど。 >>525
誰だってミスはするんだから、誤字脱字を見つけて鬼の首取ったように騒ぐのはみっともないよね 誤字というよりは誤変換な
それにも気づかないバカは、死ねって事や
いやなら、ぜんぶかなでかけヨ! https://youtu.be/8LSy1wsSIhU?t=718
>>386
浜口も。何故か浜口相手にはバックドロップはつなぎ技になってる。空中胴締めではピンされるのにw
6vs6のシングル戦も電光石火の速いバックドロップだったけど、
カウント3直前に自らフォールを解く、「まだまだ痛め足りないぜ」って感じのヒール的ギミックだった。 >>529
馬場のバックドロップは持ち上げたから落ちただけで技じゃないなw 82年MSGタッグ参加のブリッジ、サムソンが通常通りに参加してたらカネック、アグアヨとどっちが最下位になってたかな… >>531
79年最強タッグの、インディアンコンビ全敗最下位も意外だった。
デストロイヤー来日中止で、間違いなく白覆面コンビが最下位だと思っていたし。 ジニアスブログは技術論になってる。
「バックドロップで相手を叩きつけた瞬間に片足が流れてしまったり、
相手を抱えている腕が外れてしまっていたら相手にダメージなど与えられるわけがありません。
野球に例えれば、バッターがジャストミートした瞬間にバットから片手が離れてしまったり、
片足が浮き上がっていたらボールが飛ばないのと同じ理論です。」
https://sadgeniu.wordpress.com/2017/02/16/へそで投げるバックドロップ/ ゴッチはUWFにタックル教えなかったと言われてるけど
藤原はフロリダで胴タックル教えてもらったって
控え室で馬場がゴッチに鯖折り決めてる写真
あれは胴タックル教授してるんだよ >>534
片手フォロースルーはアメリカのスラッガーみんながやってることだがな。
野球のこと知らんくせに適当なこと言うなよ。 >>535
ゴッチはグレコだろ。
両足タックルなんかあんまりだきないかも知れんけどな。、 渕が馬場とのスパーで物凄い勢いで胴タックルで倒されたって話もある >>529
馬場の物凄い勢いを避けられないのかという突っ込みもできるが、
タックルにはレスリングのタックルと、ぶちかますラグビータックルがある。
相手を倒すだけならラグビータックルの方が有効性が高いかも。
レスリングタックルで倒してガードポジョンを取られるよりも、
ラグビータックルでブッ飛ばしていいポジション取るのはいいかも。 >>517
ブリスコのアマレステクは「ここぞ!」と言う時しか使わなかったと天龍が
コメントしていた。 >>542
> タックルにはレスリングのタックルと、ぶちかますラグビータックルがある。
> ラグビータックルでブッ飛ばしていいポジション取るのはいいかも。
よく勘違いされてるがラグビーのタックルは腰や脚に諸手で組みついて相手を止め
同時に低い姿勢のまま肩で相手の腹部や太腿辺りを押して倒すのが基本でぶちかますものではない
きれいに決まったラグビーのタックルってのはプロレス技ならむしろスピアーを思い浮かべればいい
そういう意味ではラグビーのタックルとレスリングのタックルはけっこう似た技術
(ラグビーのルール考えれば相手を“吹っ飛ばして”しまっては相手ボールのままつながれる可能性大なので)
原が元ラガーメンというイメージからショルダータックルで相手にぶちかまし決めると
実況でよく「でたー、ラグビータックル!」みたいに言ってたがあれ本当は間違い
所謂ぶちかまし式のショルダータックルってのはアメフトとか相撲でみられるぶつかり合いだよ ラグビー経験者から言わせると
ラグビータックルは下半身に抱きついてバランスを崩して倒す。
力もいらないし、そもそも倒すだけでなく相手にボール回しさせない為。
やられた方は相手などお構いなく走るのが目的だから動きが全然違う。 フォワード陣は上半身に組みつくが
あれも前進を止める目的で制圧するためではない。 ココも貼っとくか(笑)
5 お前名無しだろ (ワッチョイW 4924-2QPZ) 2020/03/20 13:04:03
79 お前名無しだろ (オッペケ Sr85-2QPZ) 2020/03/18 22:26:33
何もしないでブーたれてる懐古ヲタやajpヲタみたいなセコくて嫉妬深い団体パラノイアよりも
これからはこういう人の時代やね(*´▽`*)
努力と行動
https://twitter.com/jumpwith44/status/1237208046243217409
15 お前名無しだろ (ワッチョイW a724-+Zme) 2020/02/13 23:49:40
↓こちらが本丸
何でも都合よく妄想する妄想恋愛勘違い系全日ヲタの性質・本質(笑)
https://yusb.net/man/797.html
480 お前名無しだろ (W a724-KCHy) 2020/02/16 20:51:24
スレ500くらい消化したら
>>4
>>15
の恥ずかしい具体例をツイッターから抜き出して晒すかな
全日ヲタ特有のなりすまし、自演それから派生するストーカー入った勘違いネット妄想恋愛wが、人としていかに恥ずかしいことなのか自覚すべきだな(笑)
532 お前名無しだろ (ワッチョイW a724-KCHy) 2020/02/18 23:14:14
>>480 で予告した全日ヲタのなりしまし、自演→統失or発達障害的思考の飛躍→勘違い妄想恋愛墓穴掘りな「恥ずかしい具体例」は次スレで晒します
関連垢の何気ないツイートに更に誇大or被害妄想を飛躍させて覿面に反応するみたいなのでDM交換しているヲチャー達は笑いが止まりませんw
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>309
>優勝のかかった 鶴田・谷津vsブロディ・スヌーカの後半部分が写真だからなw
>>319
>再録したみたいだからノーカット版あるよ
遅レスで申し訳ないが、そのの後半部分のノーカット版はどこで見れるの?
もしかしてプロレスクラシックの初期放送を改良し、再放送分では編集されてノーカットになってるとか? >>549
つべに当時の中継うpされたからG+が放送したと勘違いしたんだろw ハンセンのドガッとぶつかるアメフトタックル好きだな
ラリアットより効いたんじゃない 鉄の爪は良いけど原爆固めはダメだわ、猛虎原爆とか北斗原爆とか原爆だらけになったし 原爆頭突き 原爆固め アトミックドロップ
アトミックボムズアウェイ 水爆落とし 月面水爆
プロレス核戦争 >>554
原爆頭突きの大木金太郎に原爆ガウン贈呈したのは広島のプロレスファンだよ >>552
フィッシャーマンが網打ち式原爆だっけ
マシンはなせか魔神風車固めだったけど
選手だとミスター・アトミックってのがいたな
スナイダーは原爆男だったか
>>754
あっただろうけど無視してたのでは?
同じく確実にクレームがあったはずのミゼットもある時期まで
普通にテレビに出ていたし ウルトラセブン第12話はお蔵入りになったというのに 初代ケンドーナガサキは長崎県ではなく侍だった前世の名前なんだね >>554
ジャーナリストってだから嫌い
売れることなら被害者なんかどうでもいい。
なんでもする。
じゃないと手柄にならないし出世できない。
日テレも鶴田夫人に、棺の顔はうつさないように懇願したんだけど
倉持が上に伝えたか知らないが、日テレは流した。
流すことを決めたディレクターかチーフかプロデューサーは非道だが
そう出来る人間が出世する。 >>551
ちょうど30年前の今日『日米レスリングサミット』でホーガンにいいのかましたよね。 よど号ハイジャック事件をそのまま、ジョナサンのハイジャックバックブリーカー
を命名したのも桜井康雄。 >>562
そのせいでウルトラマンジャックがウルトラマンタロウへ変更された。 ハイジャックバックブリーカーはセンスいいネーミングだと思う。(被害者には悪いけど)
ジョナサン以上の使い手は、今に至るまでいないんじゃないかな
昭和は規制も少なく、何でもありのところがあるから面白いんだけどな〜
今夜もBSで「ムー一族」あるけど、ドラマも昭和は面白いよw カール・ゴッチの「神様」なんて、戦前だったら不敬罪とかいわれたんかな。
と思ったが、川上哲治は戦前から「打撃の神様」って呼ばれていたんだっけ? 週プロは何時だったか読者から「原爆という言葉使うのはどうなのか?」という投稿が来て
以降原爆固めはジャーマンスープレックス表記に変えたよね。 ハイジャックバックブリーカは知らなかった>>563も
プロレスマスコミのいい加減さを感じる 野球でも原爆打線水爆打線言う
そこには差別の意味などなく
途轍もない威力ってだけだよ 繰り返すが、一つの技くらいなら原爆固めがあっても良いと思う
ウルトラセブンのスペル星人の件とかウンザリだし(本放送も再放送も大丈夫だったのに、そのかなり後に怪獣図鑑の「被曝星人」の言葉のクレームでお蔵入り)
猛虎原爆とかバカみたいに派生したのがおかしい、平成以降も原爆使った新技ありそうだし >>565
戦前でも「神様」はOKだろ?
「天皇」はマズいが。 >>566
被爆者から抗議されたわけでもないのに、
くだらんわ。 >>560
時代によって価値観が違うんだよ。
当時、「原爆固め」なんてネーミングでも抗議する人間なんかいなかったし、そんな暇じゃない。
今の価値観でどうこう言うなよ。 G・馬場が金曜の夜8時台、
テレビで、「○○をカタワにしてやる!」
と放送席で、公言していた。 ブッチャーが引退してもギミックを継いだモノが出てはならない
「黒い呪術師二世」なんて名乗ったらすぐあの団体からクレームが付くぞ コワルスキーなんて「殺人狂」だからね
今はジプシーですら放禁なんだっけか 80年台後半くらいまでは普通に実況で「狂った」を連呼してたもんね >>576
狂ったは今もギリギリセーフじゃないか? 原発固めは出なかったな。
>>570
ミスターヒトは、昭和天皇裕仁でミスターヒロヒトでヒールをやってくれと言われて、
冗談じゃない。殺されるとのことでミスターヒトになった。
国際に出ていた時にミスターヒトって何?「ミスター人?」と思った。 >>578
KENSOも当初「ヒロヒト」だったよな。ビンスもHHHも頭おかしいんじゃないかと思ったよ。 >>570
一般名詞としてなら「神様」は「山の神様」「台所の神様」とか使われていたけど、特定の個人を「神様」呼ばわりすのは時として検閲が入ったかもね。 >>577
「狂った」はOKだろ?
「キチガイ」はダメだが。 外国人レスラーの日本向けの異名って、当時の東スポの桜井や門馬が適当に考えたぽいよな。
ブルーザーの「生傷男」なんて、ビートたけしが「全身傷だらけて弱いじゃねぇかw」ってネタにしてた。
あと古舘伊知郎がサンマルチノの「人間発電所」を引用して、「ずっと女性に縁がなく人間自家発電所でした」
なんてこと言ってたw >>570
昭和初期なら
相撲の神様と呼ばれた大ノ里という大関がいた 人間発電所というのは当然パワーハウスから来てるんだけど10年前くらいか
サンマルチのスレでその事で名無しの人物と論争した事があった。
今ではそれが定説になってるみたいだな。 昔の放送見ると「外人チームの方が連係いいですね」とか言ってるよな。今じゃ外人が放送禁止用語。 >>581
日本で「神様」ってのは、
人間離れしたスゴい人って意味もあるから、
検閲なんか入る訳がない。 >>580
アメリカ人は天皇を権威の最高峰としてしか認識してないからな >>590
戦前の検閲は、字句にこだわってバカバカしいと思うようなところにも入ったのは事実。
孝徳秋水事件の後は、社会主義取締りに躍起になって「昆虫の社会」という本も検閲の対象になった。
まあ、これ以上はスレチだからやめておくわ。 >>548
彼は賢明だったな
ジャストを揶揄したりなんやかや言い掛かり付けて弄ってた連中のTwitter見たけど
○○はプロレス観戦何回以上だの、何歳以上は○○だの、下らんっちゅーか幼稚極まりないお題で承認欲求充たそうとしてる輩ばっかりだな
アンチ新日で成功者を妬む全日本ヲタらしい思考だな
ネタにしてもあんな低レベルな思考の奴らとネットで絡んでると、万事そのレベルの視座しか持てなくなるからなw
ジャストもそいつらバッサリ切って、低レベルな思考を排除出来たから今があるw >>592
だから、神様という字句は引っ掛かりようがないと、言っている。、 >>566
ジャーマンスープレックスだって
在日ドイツ人が、「ドイツではあんな変な技はない!」
「ドイツ人を侮辱している!名称を変えろ!」
と集団でクレームを付けられたら、
日本のマスコミは下手れて、名称を変えるよ。www なんだって文句は付けられる。
ハイジャックバックブリーカーも
実際に「ハイジャック」で亡くなった人もいる。
人間台風だなんて、毎年、台風の被害に遭っている。
「レインメーカー」もダメだな。
昨年秋、記録的な降雨で千葉県が被害に遭った。 >The German Suplex was named in tribute to Gotch much later by the Japanese;
at this time it was known as The Atomic "Bomb" Suplex because Germans were still
stereotyped heels in 60's USA.
https://mobile.twitter.com/i/events/1025309467280388098
http://imgur.com/xAPLO54.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>584
生傷男って、いつも生傷が絶えない位戦い(喧嘩)ばかりしているってことじゃないの?
それぐらい無法者ってことだと思うけど・・・ キチンシンクは胃袋を蹴られてくの字になるのが流し台の仕事場に似てるからだっけ?
プロレス技にキッチンて >>605
キッチンは胃袋
胃袋を沈める(Sink)からキッチンシンク
ってカジ先生のジャイアント台風に書いてあった 鶴田とフレアーのUN戦があった青森の野辺地町って柴崎岳の地元だったんだな。
もっとも試合があったのは柴崎が生まれる14年も前のことだけど。 >>606
福澤アナがジャンボのキッチンシンクでそう説明していたね。
タッグマッチでのアイコンタクトという言葉を使ったのも福澤アナが最初だったと思うが、プロレス初心者から実況を始めた福澤アナの勤勉さが窺えたものだ。 >>607
六ヶ所村の最寄駅やな
再処理関係者が多数見に行ったやろな >>589
あれはドクター・デスを直訳しただけなんだが、
ドクター・デスは野茂のドクターKと似たニュアンスで怪我人量産機みたいな意味合い
ただ昔の週プロのインタビューでウィリアムス本人は
「大学時代にアメフトの試合で鼻骨を骨折したんでホッケーマスクを被って試合に出たら、なぜかドクターデスって呼ばれるようになった」
と言ってる 来日する外人レスラーは全部「殺し屋」呼ばわりだったし >>611
でも殺し屋=キラーってリングネームとしてはありふれてるな
ブッチャーとかブルーザーとかデストロイヤーとかのほうが
ひねりがある分迫力ありそう キラー・トーア・カマタは、東亜の蒲田の殺し屋。
今の時代だったら大田区体育館で、キラー東亜蒲田vsロッキー羽田、大森とか行ける。 人間なんとか、なんとか男、とかは芸がないなあと思ってて
しかし、荒法師ってうまいなあ、センスあるなあ、とずっと思ってたけど
なんか時代ものに元ネタがあるのね。 気狂い犬(マードック)とかカッコいいわ
ネーミングひとつでレスラーへのファンタジーが無限に広がる >>593
どこの団体、選手に限らず劣等感アリアリなヲタがやる推し上げ、アンチ活動ってのはやればやるほどそいつの視座の貧困さ、視点の低さを閲覧者に晒すだけだからな(笑)
知らぬは本人回りばかりなり、知らぬが仏かな(笑) 空中胴締め落とし、鶴田のベストは1982年のUN戦
レイスから奪還した時のフィニッシュの時のだと思う
カメラアングルが迫力ある角度だったせいか、記憶補正がかかってるかもしれないけど >>580
登場前の煽りPVには昭和天皇の映像使うもさすが日本大使館からクレームが入り
KENSOのキャラは急遽変更された。これがのちのゲイシャガール・ヒロコの誕生に
繋がるのか?
>>600
3.11の直後にバーナードが「テンサイ」と登場が予定されるのもヨシタツがWWE幹部に
抗議すると変更された。
>>607
日テレ・梅垣Dによると初めて「ギャラクシーエクスプレス」をかけた会場だったが
観客の反応は無かったらしいw >>620
ほとんど覚えてないようなこというよな。某ディレクターは。 >>620
梅垣DはそのUN戦の時に初めて流したという事だが、シリーズ開幕戦のフレアー&ドクvs馬場&鶴田でも流れたような気がするのは触れないでおこうw >>616
気違い犬はバション
マードックとオースチンとソイヤーは狂犬 >>620
KENSOのときは原爆のキノコ雲もPVに入ってなかったっけ? >>610
そうなんだよね。
5ちゃんでも、たびたび
指摘されているが
ドクターデスを「殺人医師」と訳すのは
ちょっと恥ずかしい。
ウイリアムス自身、医者のギミックでもなかったしね。
ドクターは【医師」ではなく尊称。
バディ・ロジャーズや、その流れを組むRフレアーの
ニックネーム「ネイチャーボーイ」も「野生児」じゃないだろ?
「野生」は「WILD]、むしろブロディみたいな原始人キャラだ。
「ネイチャー」は「自然」。ただ日本語の「自然児」とも
ちょっと違う。 >>602
英語が読めない人のために
軽く訳すと、
「ジャーマンスープレックスは(ドイツ出身の)カール・ゴッチに
敬意を称して、後に日本で名付けられた。
この技は、The Atomic "Bomb" Suplex(原爆固め)と(アメリカでは)
知られていた。ドイツ人は’60年代、典型的なヒールだったから。」
俺も、原爆固めは、元々、アメリカで「アトミックドロップスープレックス」
と呼ばれていたと聞いたことがある(日本人の発案ではない)
他にも尾てい骨割りを「アトミックドロップ」、ブルーザーのコーナーポストから
のフットプレスも「アトミックボブ・ザ・ウエー」と呼ばれていたし。 別スレでマスカラス兄弟の素顔の動画を初めて見たけど
ドスの素顔がめちゃくちゃカッコいいな
「マスカラスの弟」というポジションよりも、素顔で来日させた方が売れたんじゃないか?
リッキーみたいなアイドル系というより、大人の女性ファンを掴みそうな顔立ちをしてる
それでマッチョで空中殺法もできる、絶対に素顔の方が良かったと思うw ゴッチ来日前の力道山は「原爆攻め(Atomic back hold)」と呼んでいて
半月後の4月末に来日して試合をジャーマンで決めた時の発表はすべて
「原爆攻め」だった
ちなみにこのワールド・リーグ戦に参加した外人選手のニックネームは
スポーツニッポンによると
ジム・ライト 「アリゾナの殺し屋」
カール・クライザー 「原爆旋風児」
アイク・アーキンス 「ケンタッキーの砲弾」
ハロルド坂田 「世紀の悪玉」 >>584 >>603
骨折王なんて弱いじゃねーか
とビートたけしはギャグにしてたんだよ
ユダヤの悪徳商人なんてプロレス関係ないだろ
とも言ってたが誰のことだろう >>630
>発表はすべて「原爆攻め」だった
ただ、今はないスポーツ紙一社
(スポーツ毎夕とか言ったかな?)の
表記が「天井つり」だったとか聞いた。
被爆者に配慮したのかな?
昭和41年の来日時だったかも知れないが。 >>629
メキシコでマスクマンでデビューしたのに、プロモーターに言われた位でマスク脱ぐわけないだろ。
マスク脱いで来日したら、戻ってマスクマンとして活動出来ないし。
カベジェラ戦がメキシコでどれだけ重要な試合か分かってないだろ。 ミスター・アトミックの元ネタと言われ、映画化もされた「アトミックのおぼん」
ヒロインの「ぼん」は、atomic bomb のこと
50年代から60年代にかけて、肯定的と言ってもいい扱い方で「原爆○○」
「原子○○」という言葉を使うのがあたりまえだった時代があったらしい
アトミックおぼん以前に「原爆○○」は日本社会に定着していて、それが
プロレスにも流れ込んできたということのようだ (時代背景を具体的に
解説してくれたよい出典があったんだけどリンクが見つからない)
ちなみに初代原子力委員会委員長だった正力松太郎は、読売グループ
全社を挙げて原子力を好意的に扱うキャンペーンを張っていた
1954年にディズニーアニメ「わが友 原子力」を日本テレビで放送、
金曜8時の三菱アワーはディズニーランドと「原爆頭突き」に至る日本
プロレスの交互放送だったのも宿縁かも >>39
猪木が海外武者修行の時に世話になったんだよ確か >>634
なら「鉄腕アトム」だって
原子力で動くアトミックロボットだし。
1950年代初期に人気を博した柔道少年漫画
「イガグリくん」にも「原爆投げ」
をオリジナル技に持つライバルが登場する。 息子がWWEのアルベルト〜・デールリー〜オやからな 50年代に制作された『ゴジラ』も、水爆実験かなんかで誕生した設定だね
>>629
マスカラスはアラン・ドロンに似てなかったw クレイジーセーラーホワイトって、キチガイ水夫とか言われなかったのかな? >>636
結局、自分が被害者になってないと売れるためになんでも
する悪い奴らが儲けるんだよな。
原爆固めなんて、新聞社内で意見でるよな。
広島長崎に申し訳ないとか。
でもok派が大手振るんだよなあ。 >>642
だから、そんな意見出ないって。
当時の人は、テレビとかプロレスの表現に本気で怒ったりなんかしないの。そんなに暇じゃない。
アホみたいに言葉刈りがエスカレートしたのは、平成以降じゃないかねえ。
今の価値観で語るなと、何度言ったらわかるんだ? 若手レスラーのアメリカ遠征先のキャラなんか日本人差別をネタにしたものばかり 今外国人が想像する日本人象ってアニメキャラとかヴィジュアル系とか
そういうやつになっていそう。 長州がニューヨークに行った80年代でもまだ田吾作スタイルだったからな
ヨコヅナのWWF長期政権で日本人のスタイルがビミョーに変わった感はあるかも 残念ながら日本のアニメやマンガを知ってる層なんて、アメリカでもヨーロッパでもまだまだ
どマイナーな超マイノリティでしかなくて、日本人が妄想する「外国人の考える日本人像」
なんて現実の海外世界の人たちからは「何それ?」扱いだろう
ハリウッドのアメコミ映画のスタッフは外国人としては日本のコミック文化の影響を最も
強く受けている、日本の理解が深い人たちだけど、それでもマーベルユニバースで描かれる
日本は、アベンジャーズやデッドプールに出てくる、香港の出来損ないみたいな赤提灯の
飲み屋街ばっかりなんだよな
WWEの中邑やアスカ、セインの扱いなんて神様みたいにありがたい方だろう 相変わらずサムライ、忍者、漢字じゃない?
でも女子の髪が紫とかピンクとかにカラーリングされるのは何故だろ。 新日選手がWCWに出た時にジム・ロスが「これは切腹ものです」と言った。
世界では今でも日本は侍が刀を持って歩いてると思ってる人は多い。 フランス人は白人しかいない
アフリカに住んでる人は黒人しかいない
みたいな考えが一般的なんだろうな。
子供がいない人は、田舎でも学校にハーフの子が多いことを知らない人が多いし。 >>641
でもなんでDr.Deathが殺人医師と訳されちゃったんだろう。
死神博士というもっとフィットした訳語があるのに 殺人医師の方がインパクトあるからでしょう
現に貴方の頭にも刷り込まれてる アメリカでそこそこ客の呼べるヒールになったと喜んでたら現地の日本人から「俺たちが何年もボランティアに参加したりして悪い印象を変えていってるのにあんたが台無しにした!」と泣いて抗議されたとかいうのがあったね
日本人ヒールのせいで店に嫌がらせされたりとか相当あったらしい 湾岸戦争時にフセインの友人ギミックをさせられたスローター
マジで暗殺を心配されたらしい ウィリアムスの言うドクターデスのいわれ
別のにはジュニアハイスクール時代、あるコーチとそのシスターが言い出したそうな
>Steve Williams gained the “Dr. Death” title when he wore a hockey goalie’s mask to
protect a broken nose during a wrestling match while at Lakewood. His appearance
caused the crowd to begin chanting “Dr. Death.”
https://www.denverpost.com/2008/02/18/coming-face-to-face-with-real-dr-death/ >>656
ブッチャーがダラスのエリック王国に上がっていた86年には、「現地のアラブ系団体から
『アブドーラの名前とあのコスチュームはイメージが悪く迷惑。あんなことをされては困る。』
とクレームがありエリックも困っている」と当時雑誌に書かれていたな。
そう言えば、自分が大学の時、インド研究の教授が広い講義室での授業中
『皆、タイガー・ジェット・シンって知ってるかな?彼のせいでインド人のイメージが悪くなった。』と
言って笑いそうになったことがあったよw
>>658
ウィリアムスは外人レスラー仲間からも「ドク」と言われていたし、完全に定着したニックネームだったよね。
闘病中は『自分は “Dr. Death”から “Dr. Life” に変わったんだ。』と言っていたんだけどな・・・ ゴングの豆本で当時のインタビュー読んだけど
ジョニー・バレンタインは「金髪のジェット機」を気に入ってたな。
blond Jet aircraftと訳して説明したのかblond jet fighterと訳したのか、まあ後者なんだろうけど。
異名、ニックネームに関しちゃ「和製アメリカンドリーム」が断然破壊力の面でナンバー1。 >>661
破壊力ナンバー1?
何が?全然なんやけど。 >>655
だれかウイリアムス「日本じゃユーは殺人医師というキャラクターで知られている。
入場時に白衣でもきたらどうだ」とかアドバイスしなかったのかな。
あの体に白衣は似合いそうもないけど
>>657
スローターが星条旗にキスするベビーやってたのその前か後だっけ?
振れ幅の大きいプロレス人生だな
アイアンシークがWWF王者になれたのはイランのアメリカ大使館人質事件があったからだし、
客のヘイトを集める民族系ヒールは危険な反面、実入りもデカいんだろうな >>660
シンはインド人が悪役インド人やってるけど、ブッチャーはカナダ生まれだからそっちの方が悪いかな。
一番ひどいのはイスラム教徒じゃないのにリング上でお祈りをしていたザシークだけど 皇帝戦士って皇帝なのに何で戦士なんだ?ってのがあった >>666
ベイダーのキャラで思い出すのが、92年当時UWFインターで絶頂期だったゲーリー・オブライトのインタビュー。
ベイダーについて聞かれて「大体"ベイダー"って名前は何なんだ!?"ダース・ベイダー"のことか?我々はプロのアスリートなんだぞ。」 人間発電所 (ブルーノ・サンマルチノ)
人間戦車 (ボビー・ダンカン)
人間魚雷 (テリー・ゴディ)
人間空母 (ヘイスタック・カルホーン)
人間起重機 (ビッグ・ジョン・スタッド)
重圧粉砕機 (クラッシャー・ブラックウェル)
狼酋長 (ワフー・マクダニエル)
荒鷲酋長 (チーフ・ジェイ・ストロンボー)
荒熊酋長 (フランク・ヒル、またはジュールス・ストロンボー)
恐怖のアパッチ (ブル・ラモス)
ダンカンは「重戦車」とも呼ばれていた 流血大王 (キラー・トーア・カマタ)
流血怪人 (アレックス・スミルノフ)
鋼鉄怪人 (アイアン・シーク)
生傷男 (ディック・ザ・ブルーザー)
ぶち壊し屋 (クラッシャー・リソワスキー)
放浪の殺し屋 (ジプシー・ジョー)
踏み潰し野郎 (モンゴリアン・ストンパー)
荒くれ牧童 (ネルソン・ロイヤル)
催眠博士 (ジェリー・グラハム)
神風軍師 (トージョー・ヤマモト)
ジェリー・グラハムが実際試合中に催眠術で相手を眠らせたかどうか定かではない さっきも、1950〜60年代には「原爆○○」「原子○○」という言い方が
とても現代のTVやSNSでは流せないような、ビビってしまうような形で
平然と語られていたという話が出たけれど、それは「原爆頭突き」と同じ
「よく分からないけどなんか強そう」
「なんとなくスゴそう」
という程度の使われ方だったんだよね
カン違いしている人が「プロレス界のデリカシーの無さはヒドい」なんて
言ってるけどそうじゃなくて、当時はあらゆるジャンルでそういう言い方が
まかり通っていたけれど、プロレス界だけが大木の「原爆頭突き」や
ブルクラの「アトミック・ボムズアウェイ」を記憶し記録しているのに対し
野球界とか映画界、マスコミ業界なんかは当時のことをケロッと忘れて
しまっているというだけのことなんだ
「キ○ガイ」「め○ら」「コジ○」といった言葉が日常会話や映画・ドラマ・
バラエティで実に気軽に使われていた時代だったんだから 猛獣とか猛禽とかの動物系もいっぱいいそうだな。
意外と少ないのが必殺技がそのままニックネームになっているケース
すぐ思いつくのは鉄の爪と人間風車くらい だから昔のレスラーにしても、今はサンマルチノやキニスキーのような
大レスラーの威厳ある二つ名ばかり記憶しているけど、当時は上にある
「恐怖のアパッチ」や「アリゾナの殺し屋」よりももっと物騒で不謹慎な
呼び名が、三流外人に適当につけられていたと思うよ
あのコワルスキーですら「殺人狂」だもの (ほかにも「墓場の使者」、
「世紀の殺し屋」、「地獄の大統領」と凄い言われようだ)
今ちょっと見ただけで「レバノンの殺人鬼」「ナチスの戦犯」「きち○い酋長」
とまあひどいものだ(笑)「殺人○○」「○○野郎」「○獣」「虎」「豹」は定番だし
http://www.showapuroresu.com/bio/
そもそも昔は当たり前に使われていた「ブッチャー=屠殺者」という言葉が
完全にタブー視されてしまっているように、今の基準がある意味特殊の極み、
「○○屋」「飯場」「ドサ回り」「馬丁」「人夫」という言葉すら使えなくなっている
今を基準しても、これまでの長い人類史は語れないのが現実だ >>650の話を洋画好きの連れにしてみたら、
「ああ、ハリウッド映画の日本人のイメージって言ったらあれだよ、
スシ職人」
とあっさり言われてしまった
ああ、そういえば、ヤクザで寿司職人の「GET JIRO」がいたなあ
https://note.com/gnovels/n/nf509109d5182
連れに言わせるといまあちらで武術家は中国人のイメージなので、
差別化するのに日本人は千葉真一の寿司職人スタイルが有名
だったのが、「ジョン・ウィック」のキャラで決定的になったそうで
https://movie.walkerplus.com/news/article/206793/image1259951/
中邑真輔がWWEのリレー動画でそば打ちの格好していたのも
無理ないことだったんだなw >>656
グレート小鹿だね
会場に来ていた日系のお婆さんに
卑怯な手段で勝っても我々は肩身が狭いだけじゃと言われ
答えに窮してシャラップババアと怒鳴りつけた >>670
君は、そういう差別語の規制を
嘆いているようだが、
>キ○ガイ」「め○ら」「コジ○
↑の言葉、伏字にしているよね。
自分でも規制しているじゃないか?
これらの言葉は、放送界が「自主規制」している
言葉であって禁止でもないし、このネットで
使ってはイケない言葉でもない。
これまた、皆が誤解している。
私は別に、ここで「コジキ」とか「キチガイ」を
堂々と書けとは言っていないが、
伏字にすると、「5ちゃんでも書いてはイケないのか!?」
という空気になる。 ドン・レオ・ジョナサンは、わかっているだけでも「殺人台風」「人間台風」「モルモンの暗殺者」「人間起重機」
とキャッチコピーがあるね。 殺人台風」「人間台風」は、ともかく、
「モルモンの暗殺者」なんて、信者から
クレームが来ても可笑しくないよな!?
日本で「創価学会の人殺し」と
言っているようなもんだよ(^^: >>656
マサ斎藤が「監獄固め血風録」でまるまる一章使って書いてるね
日系社会に顔が広いキンジ渋谷がアメリカで成功して大邸宅を
建てている日系人たちのコミュニティに紹介され、ゲストとしても
彼らのパーティーによく招かれてうどんを売ったりしていたと
アメリカに渡ったばかりの斎藤にとっては、彼ら先達が差別に屈せず
腕一本で白人社会に自分たちを認めさせた姿は大変な励みになり
アメリカはいい仕事をすれば認めてくれる社会だとも感じられたという
(それは敗北者には冷たいということの裏返しだとも書いているけれど)
そこでそういう人たちの中には
「私たち日系人が二代にわたって築き上げてきたことをぶち壊している」
と言う人もいたと。当時のプロレスはまだまだ「低俗な猿芝居」(原文ママ)
と見られていた時代で、困った奴だと見られていたのは無理はないとも。
しかし「彼らの心理は微妙で、文句を言いながらも俺を応援してくれていた。
日本人がTVに出て活躍するのが単純に嬉しかったらしい。アメリカ人客に
頭を下げて稼いでいる自分たちと違って、アメリカ人をぶっ飛ばしている
俺を何となく誇りにも思ってくれていたみたいだ」
と言っていて、集いがあると招かれ、彼ら日系人たちと付き合うのはとても
楽しかったと語っている。
この頃には斎藤はシスコ地区でNWA世界タッグチャンピオンになっていて、
ギャラは地区入りして二試合目(ノンタイトル戦)の段階で一試合1200ドル
当時アメリカ企業の大卒者の週給が125ドル、月収約500ドルの時代だし
当時のレートで円に直すと1試合のギャラが43万2千円
日本の大卒初任給が2万9100円の時代だから、今の感覚で言えば
ノンタイトル戦1試合のギャラが300万円ということになる
しかもこの試合の1か月後に斎藤はタッグ王者になっているから、ギャラは
もっともっと上がっていただろうし、斎藤自身もけっこうな成功者になって
日系人コミュニティに参加していたんだね こっちのドクちゃんは延髄斬りでSD ジョーンズにフォール勝ち(27分20秒くらい)
https://youtu.be/9iU5fpEedN8 昭和の全日本スレなので一応書いておく
猛牛 ミスター林 >>671
そもそもダブルアームスープレックスを人間風車と呼ばなくてもとは思う
バックドロップを岩石落としとか、日本語の技はみんなおかしい >>683
洋画のタイトルも直訳でなく日本語としての雰囲気というか情緒を優先してつけていることが多い。
それと同じでダブルアームスープレックスを直訳したら両腕反り投げ、バックドロップは後ろ落としと情緒もクソもなくなるからこれでいいと思う。 >>683
無理矢理日本語にしなくてもいいのは確かだけど、それが昭和の味でもあるよ。
バックドロップは「後ろ脳天」「脳天逆落とし」など岩石落としよりもおっかない呼び名もある。 ショートアームシザースをキーロック(鍵固め)と称したのはセンスある。 >>680
60年代ショーヘイ・ババは、NWAテーズとの2連戦 WWWFサンマルチノ戦の
3試合で1万4千ドル(当時の換算で504万円)稼いだってさ
当時アメリカマット界で馬場は、Dブルーザー、Kコワルスキーと並んで
世界の3大悪党として紹介されていたw 相撲やセックスの四十八手の名前からわかるように、日本人は想像を掻き立てる名前をつけるのが好きなんだよ。 >>680 >>687
嘘だな。
1963年のルー・テーズvsエドワード・カーペンティア戦のポスターにリングサイド$2.50、指定席$2と出てる。
平均$2で5000人入って1万ドル、1万人入って2万ドル。
そこから会場費、営業費、スタッフの給与、他選手のギャラも出すのだから、
タッグマッチに出るマサ斎藤1人に千ドル単位なんて出せない。
馬場の3試合で1万4千ドルも盛ってると思う。
https://sports.ha.com/itm/miscellaneous-collectibles/general/1963-eduard-carpentier-vs-lou-thesz-wrestling-broadside-poster/a/151723-41203.s 字数制限があるので活字にする上で英語の日本語訳は必須
野球も英語を漢字転換して表現している
「アメリカでのヤンキースとマリナーズでライトのイチローがヤンキースのアメリカ選手をレーザービームでアウトに」を
日本語に転換すると
「米国開催ヤ軍対マ軍、右翼イチロー米国内でヤ軍米国人を刺殺」
これだけで済む >>684
プロレス技の和名は嫌いだが洋画の邦題は好きだな
名づけした人の自画自賛インタビューとか散々見たから影響受けただけかもだけど >>691
和名が嫌いってやつが、こんなとこいるのが不思議。まあ人それぞれだが。 邦題は「この名前じゃダメと思って思い切ってこうしました!苦情も多かったですが話題にもなりました」
みたいな番組を沢山見たから職人芸感覚がある、プロレス技は安易な気がする レスラーは稼ぎよかったみたいだな。
>1940s and early 1950s, with Lou Thesz reportedly earning $250,000 per season.
https://books.google.com/books/about/The_Big_Leagues_Go_to_Washington.html?hl=ja&id=TT_oBgAAQBAJ >>686
キーロックで思い出したけど、昔ビッグレスラーにクロスワードパズルがあって、指定されたマスの文字(『ロ』『ク』『ー』『ツ』『キ』)を並べ替えると技名になるってヤツで、答えはキーロック。でもローキックでも正解なんじゃないかと思った。 ローデスは獣戦車というのもあるし、極道、なんていうのも見たことある。
初期アウトローズは狂犬&極道で、まぁ近寄らない方が良い。 フィギュアフォーレッグロック=足4の字固め
みたいに直訳がぴったりの技名もある
そこがプロレスの奥深いところかも >>691
007第一作「Dr.NO」の封切り邦題は「007は殺しの番号」だった。
Dr.NOのままでは誰が主役かわからないことと、007映画のコンセプトをストレートに伝える素晴らしい邦題だったと思う。
過去形なのは、007の知名度と人気が上がったリバイバル上映からは「ドクターノオ」の邦題に変更されたからである。
他に007の名邦題だと思うのは「ロシアより愛をこめて」「007は二度死ぬ」「消されたライセンス」
反対に何かいいの考えろよと言いたいのが「ワールドイズノットイナフ」だな。 チキンウイングを羽折り固めにしたひとも尊敬に値するな。残酷さがプラスされたものの、鳥羽固めじゃあんまりだし。 鳥羽よりは、もっとおつまみ感のある「手羽固め」はどうだろう?
山ちゃん、使ってたかな。 >>700
辻アナあたりが「クセになる甘辛い技であります!」とか叫んじゃうな。 「極道コンビ」というとブルクラよりも小鹿&大熊の方が浸透してるのかな。 >>689
プロレスマスコミの資料だから誇張されてるかもだけど、テーズvs力道山をみると
1957年10月7日(後楽園球場)、10月13日(扇町プール特設リング)のNWA世界選手権は
入場料3,500円、観客数 東京は3万人、大阪は2万2千〜3万と各社まちまちだが
テーズが手にした2試合のファイトマネーは2万5千ドル(900万)とある。
プロレス黄金期全盛の話
NY、シカゴ、セントルイス 馬場がメインイベントに登場すれば会場が超満員
対戦相手もBロジャース、Aロッカ、Bサンマルチノ等の超一流レスラーばかり。
1試合で2万ドルを稼いだこともあったと書かれている。 グッズは売れたのだろうか?
ポートレイトとかフィギュアとか 昔のグッズはパンフやな
あとサイン色紙とか
まぁ弟子とか営業マンが
書いてたんやろうけど
だからウォームアップもせず
グッズ売場に鎮座する
晩年のショーヘイババは不穏 燃える闘魂をバーニングスピリットと英訳したブロディはさすがインテリらしい。 “爆弾小僧”ダイナマイト・キッド
“究極戦士”アルティメット・ウォリアー
もはやニックネームとはいえない。 >>689
このポスター、別にケチを付けるつもりは全くないけど、テーズやカーペンティアの
記録みると1963年ではない感じするな。
その日付ではテーズは別のレスラーと対戦してるしカーペンティアはWWWFに居たし。
まあ、キャンセルになっただけかもしれないけど。 >>707
爆弾娘とか犯罪者でいたね、赤軍かオウムか忘れたけど >>677
今はヘイトスピーチ条例あるから念の為に慎重にした方が良いんじゃないの。
そうでなくても基地外と書かれると自分の事かと気を悪くする人がこの板では
多いだろうし。 >>689
馬場の「3試合1万4000ドル」は門茂雄が語って定着した数字だね
馬場がMSGでサンマルチノに挑戦した試合の特別ギャラを三倍した額だなw
1964年2月17日、二大会連続で挑戦者としてMSGの会場を満員に出来なかった
ドクター・ジェリー・グレアムに代わって、ババ・ザ・ジャイアントこと
遠征中の馬場がサンマルチノとWWWFタイトルマッチを行った
しかしこの日もMSGは観衆1万4764人と満員にならず
それでも馬場が受け取ったギャラは馬場自身の発言によると「3800ドル」
当時のレートで136.8万円
大卒初任給が2万円の時代だったから、今でいえばおよそ1450万円
ちなみに1963年、カナダで試合をしていたブルーノ・サンマルチノが
(二年前に喧嘩別れした) ビンス・シニアに請われて再びニューヨークで
試合をすることになった時の契約が、週給5000ドル。
まだWWWFが発足する以前、もちろんブルーノが王者になる以前の話だ。 >>714
本丸も何もないだろ、適用範囲は広いからな。
代わりにオタクが責任取るわけでもないんだから余計な事を言うなよ。 ちなみに流智美がキンジ渋谷に聞いた、サンフランシスコで一番稼いだ時の
ギャラが一試合3900ドルだったから、ほぼ同じ収容人数のMSGでの王座
挑戦試合のギャラがほぼ同額なのは納得がいったと書かれている。
ちなみにアメリカではこの年の暮れに「NWAとWWWF王者の対決」が企画され、
ビンスはNWA王者テーズに「初戦でサンマルチノに負ける報酬」として、一試合
3万ドルを提示している。
当時のレートで1080万円、今ならおよそ1億1000万円
結局この統一戦はテーズがヘソを曲げ、サンマルチノも月30日もの試合を
組まれる防衛スケジュールを拒絶してお流れになったそうだけれど、
東海岸を押さえているビンスの資金力は、やっぱり南部や中西部あたりとは
基準が違ったんだなあと思えてしまう そしてそのニューヨークに匹敵する金額を稼げていたのが当時の西海岸最大の
エリアだったサンフランシスコということなのだけれど
しかもシスコは小所帯で、マサ斎藤によると常時14人くらいのレスラーしか
いなかったそうなので、一人当たりの実入りは大きかったらしい
実際、斎藤がシスコ入りした頃のパンフレットを見ると、シスコデビュー戦を
披露した1968年5月11日、キンジ渋谷と組んで世界タッグを奪った7月13日の
メイン会場・カウパレスの興行は、どちらの日も7試合しか組まれておらず、
そのうち6試合はシングルマッチなので、登場レスラーは前座を含めて16人
MSGに比べれば経費も掛からなかったろうからなあ
斎藤はすぐにアパートを引き払って、掃除などのサービスを任せられる
賃料200ドルのモーテル暮らしに切り替えたらしい
200ドルっていうけど日本円に直すと当時のレートで7万2000円
日本の日本の大卒初任給が2万9100円の時代だから、今の感覚で言えば
51万円の家賃っていうことになる
もっともその斎藤だって、初めてアメリカに渡ってロサンゼルスで最初にやった
試合のギャラが40ドル
「会場にいた東京スポーツの吉本特派員とチャイナタウンで食事をしたら
きれいに消えてなくなった」そうで、西海岸最大のテリトリーだったシスコで
キンジ渋谷に気に入られたのが最大の幸運だったと自分で言ってるね >>685
「脳天逆落とし」と「岩石落とし」は、
厳密に言うと違う技だそうだ。
バックドロップも2種類ある。
原康史によると、
@ブリッジを効かせ、一瞬で投げ落とす
相手をいわゆるヘソ投げ=これを「脳天逆落とし」
A相手をアトミックドロップの体制に
肩に持ち上げ、そのまま後ろに落とす=「岩石落とし」 >>708
>>689
このポスターが1963年1月30日でないとのことだが、
もうひとつ、
セミにゴージャス・ジョージの名があるが
彼は1962年11月7日、ロスでデストロイヤーと
マスク、ヘアーを賭けて対戦。負けて坊主頭になって
そのまま引退したのでは? 力道山との二戦は、残っている動画では二試合ともアナウンサーが
テーズのバックドロップを「岩石落とし」と言っているけれど、メディアが
それぞれ別個の呼び方をしていた可能性は高いよなあ
たとえば東プロ旗揚げ時に猪木がバレンタインに見舞ったフロントネック・
チャンスリーを当時の新聞は「バックドロップ(脳天逆落とし)」と書いてるし
上に書かれていたけどゴッチの発来日時にジャーマンを「釣り天井」と
書いていたメディアもあったそうだし、ゴッチが力道山から一本奪った技は
「逆エビ固め」と書かれていたけれどこれは今でいうスクールボーイの
ことだったとか、まあ大らかな時代ではあった
ブリッジを効かせていたかどうかで名前を呼び分けていたなんて高度なことは
当時のマスコミは絶対にやっていないと思っちゃうのは偏見かなw >>719
1はテーズ式、2は足抱え式か。
すると、このスレで動画が上がっていた、鶴田が
ブッチャーやレッドに決めた一発はどっちになるんだろう?
っていうか原康史って桜井だろw、信ぴょう性あるのかな、この話?
>>722
猪木のフロントネックちチャンスリーといえば、81〜82年ごろにアントニオドライバー
の名でやたら持ち上げられていたが、あれはいったい何だったんだろう?
あんな腰に負担のかかる技、あの頃の年取った猪木が決められるわけなかったのに。 印象にすぎないが、その頃起こった
ブレインバスターはマードックやコックスのが頭を打つから凄いよ
猪木やレイスのは背中しか打たないじゃん?
みたいな論調に、一部の猪木信者が
昔の猪木のネックチャンスリーを見ろ、ブレインバスターのオリジナルは猪木なんだぜ
と少し論点をずらしていく課程で生まれてを持ち上げるためのもんじゃないかと思ってる。 猪木が30代で動きに衰え見えて
アームブリーカーとかナックルパートで
見栄切る流れに
割りと大きい動き感の演出として
有効だったけどね
腰に負担より、受け側の巧さでしょアレ 猪木のアントニオドライバーは東京プロレス時代の必殺技で
日プロ復帰後、封印された筈だけどなぁ
佐山タイガーのやつかな?
もともとはサンダー・ザボーのフロントネックチャンスリーを
日プロのWリーグ戦で対戦し、体得したといわれている。 >>726
だからその封印されたアントニオドライバーについて、80年代初めの一時期、
ゴングかプロレスか忘れたが、月刊時代のどっちかが昔の写真大量に蔵出しして
「幻の必殺技」みたいに大々的なキャンペーン張ったことあったんだよ。
もちろん当時の猪木にもう使えるわけもなく、ほかに使うレスラーも
現れなかったのでいつの間にか立ち消えになったけど、そもそもなんで
あんなキャンペーン張ったのかが謎だって話。724のような事情なのかも知らんけど >>723
> 猪木のフロントネックちチャンスリーといえば、81〜82年ごろにアントニオドライバー
> の名でやたら持ち上げられていたが、あれはいったい何だったんだろう?
言ってる意味がよく分からないけど、当時のゴングとかが「かつての猪木よ、
甦れ」みたいな懐古特集で、東プロ旗揚げ時の白黒写真をたくさん並べた
グラビアを作っていたりしたけどそれのこと?
その頃のゴングとかなら手元にあるけど、当時っからどんな記事でも猪木の
「かつての幻の大技」として、腰を痛めたために日プロ時代にはもう使わなく
なったってはっきり書いてあるし、「もう一度使え」なんてバカなこと言ってた
記事なんか見た覚えがないけど
Gスピとかで当時の記事や写真もいろいろ発掘されてるけど、アントニオ・
ドライバーは「正面の相手をブリッジを利かせて後ろに投げる初めての技」
だったそうで、当時はロビンソン初来日の二年前、まだスープレックスや
反り投げ自体が非常に珍しかった時代
(コックスはすでに来日していたけれど、ご存知のようにブレーンバスターは
当時投げ技じゃなく「落とし技」だったから完全な別物だし)
しかも猪木は自分より大きいバレンタインやステイジャックを、見た人いわく
「スパンと決まって綺麗だった」という形で投げ飛ばしてたんだから、もっさり
力で持ち上げるのじゃなくバネで一息に投げてインパクト大きかったろうな
北沢さんなんかが言ってるように、相手の首だけをフロントネックロックに
決めて投げる方ばかりじゃなく、ニックのように片腕も巻き込んで投げたり
「いろいろな投げ方を試していた」とは言え、公開練習から蔵前の試合まで、
写真を見ても基本はすべて首だけを極めてブリッジで投げる型だし 「大々的なキャンペーン!」っていうのも被害妄想的だなあ
蔵前の再戦で木村を破った時に白黒グラビア特集をやった
号以外のどこでそんなキャンペーン貼ってたと言うんだろう
月刊プロレスで「我が心の名勝負」を白黒グラビア込みで
やったことはあって、菊地孝が東プロ旗揚げに際して日プロに
取材拒否(しかも悪意ある噂で日プロに誤解されてのもの)された
思い出とかを語った甲斐はあるけど、それを言ったら次回は
櫻井康雄の猪木小林戦、次は山田隆の馬場ブリスコ戦で、
アントニオドライバーキャンペーンなんかには程遠いし、そもそも
当時猪木が使えるはずがなかったなんて誰でも分かってること
何を思いだし怒りしているのかよく分からん ちなみに当時は猪木・馬場も衰えてきていて、中堅でもバックドロップやら
パイルドライバー、ブレーンバスターが飛び交って、しかも決め手にならなく
なっていた時代だったので、竹内さんや櫻井康雄ら古株が「必殺技を蘇らせろ」
っていうキャンペーンを70年代から何度となくはっていた
バックドロップは足を持ち上げずにヘソで投げろ、ブレーンバスターは背中から
落ちるように投げるのではなく垂直に頭から落とせ、というのが基本的な主張で
アントニオドライバーの話題と違ってこちらはゴングあたりでは何度も扱われたな
当時マサ斎藤のバックドロップが摩訶不思議な投げ方で(当時はそう見えた)
気に入っていたので、櫻井康雄が「あれは見栄えもいいし効果もあるんだろうが、
あれをテーズ以来のバックドロップと言われると違和感を覚える。別の名前に
できないものか」と言っていてへえそんなものかと思っていた
ビデオや特番でテーズの過去のバックドロップを見てぶったまげたのはその後のことw 力道山がデストロイヤーにリングアウト勝ちした試合では、足抱え式を岩石落としと言ってたね 1989年にグレートムタがCNNなどを傘下とする大富豪テッドターナーのWCWで
ほぼ全米での興行、複数のテレビ放映権料、スポーサー料、PPVなど莫大な収益がある中、年10万ドルだった。
60年代の平均入場料金が数ドルの時代に団体のトップ以外の1選手が1試合数千ドル(当時の貨幣価値で千万円単位)はあり得るのか? >>732 ちょっと間違えた
1989年にグレートムタがCNNなどを傘下とする大富豪テッドターナーのWCWで
ほぼ全米での興行、複数のテレビ放映権料、スポーサー料、PPVなど莫大な収益がある中、年10万ドルだった。
60年代の平均入場料金が数ドルの時代に団体のトップ以外の馬場かが1試合数千ドル(当時の貨幣価値で千万円単位)はあり得るのか? アメリカ時代に稼ぎまくり、日本でもプロ野球の長嶋と王の給料を聞いて鼻で笑い、
ハワイのコンドミニアム等、不動産をいくつも所有していた馬場がなぜ、
全日旗揚げ時に資金に苦労して、元子の実家から援助をうけてたのか甚だ疑問w
実際言われるほど稼いでなかったんじゃね? 旗揚げ当時の外人勢のギャラを考えれば
馬場だけの稼ぎじゃ限界があるだろ 力道山がピンハネしてたんだろ、ピンどころではないかもだけど。 1ドル360円の時代にドル建てで豪華外人呼んでたからなぁ。
創設期の頃は日テレへの借金がどんどん膨れあがって、「今月もノーギャラ」って控室でこぼしてたと渕が書いてた。
これを完済したのが90年代初頭。
あのころだよな馬場が「プロレスで儲けるのは初めて」なんてインタビューで答えたの。 プロレスで儲けるじゃなくて「プロレス団体経営してて儲かるのは初めて」か。
馬場はプロレスラーとしてデビュー2年目ぐらいからじゃんじゃん稼いでるもんな。 >>715 >>717
70年代後半に日本の雑誌で「米マットでは年10万ドル稼ぐのが1流と言われている。NWA王者で年収15万ドル〜20万ドル」と出ていた。
$500×300試合=15万ドル、$1000×300試合=30万ドルだから、NWA王者でも$500〜700ドルぐらいになる。
だから平均チケット価格が数ドルの60年代でトップ以外の選手が1試合$3900はありえないだろ。 >>736
アメリカ修行時代のギャラは力道山、東郷、アトキンスの三人にほとんど獲られたと
生前のトークショーで言ってたな カブキ戸口の対談本で、カブキの「最盛期は週2万ドル(当時のレートで約520万円)
稼いだけど、そんなときがいつもあるわけじゃない」という言葉を受けて戸口は、
「だからどうやって安定的に週1万ドルを稼ぐか、ってみんな考えていましたよ。
僕なんかはノースカロライナとかシャーロッテにいて、近くにノーフォーク、リッチモンド、
ハンプトンとかあるから、それをぐるっと一週間で回って。
どこもフルハウスになれば、週1万ドルくらいは、わけない」
と言っていたね
レイスが「NWAの総本山」、セントルイス・キール・オーデトリアムで デビット・フォン・
エリックを相手に防衛戦を行った時にマソニックが 支払ったギャラが1712ドル50セント
だったというのに (1980年11月7日)
当時日本に来るトップ外人は「週1万ドル」を保証されていたから、稼げなくなった
アメリカを放り出して日本に来たがっていたけれど、WWF時代になってアメリカでも
食えるようになると事情はガラッと変わってしまうわけだけど >>593
もう一つ、亀レスだけどジャストの本買って読んだ
視座、視点共に背伸びせず素直で快適に読めた
あれならインディーズネタと言わず俺なんかが持ってるレトロプロレスの資料集とかガッツリ渡してみて
それをあいつなりにどんな具合に料理屋して文章に吐き出すのか、試して見たいもんだ
どこの読んでも何かレトロプロレス関係の記事原稿って偏狭な視座、低劣な視点のゴシップ掘り起こしばっかりだもんな
流先生方を除いては(笑) >>741
>だからどうやって安定的に週1万ドルを稼ぐか、ってみんな考えていましたよ。
週$1000ドル×4週=$4000($210で84万)だな。1桁盛ってる。 アメリカのプロレスが(ちょうど60〜80年代の日本のように)全国規模の
TVマネーをバックに全盛を誇っていたのが1950年代前半
全米規模のTVが地域ごとに縮小して、NWAが分裂したテリトリーごとの
王者が乱立した時期に馬場が各地域を転々としたのが「世界連続挑戦」
と呼ばれた現象の実態だった
とは言え60年代はまだどの地域も羽振りがよかった
(アメリカのプロレスが急激に衰退するのが70年代後半で、週2000ドルを
稼げるのはWWWFのニューヨークとAWAのミネアポリスだけ、という状況に
なって、レスラーたちが我れ先にと日本行きを望むようになったと言われる)
前に上げた1964年のサンマルチノによるWWWF-NWA王座統一計画は
・MSGで統一戦を行ってサンマルチノ勝利
・この試合のギャラはテーズにリスク料も含めて3万ドル、サンマルチノ
2.5万ドル、前払いとしてテーズに1.5万ドル、NWA本部に別途1万ドル
・MSGだけで10万ドルの興行収益が確実の上にクローズド・サーキット
方式で全米に生中継される
・サンマルチノの防衛戦はWWWFとNWAエリアで基本15日ずつ行う
・1年後に再戦してテーズが勝ち、NWA王座だけ返す
というものだったそうだけど、テーズいわくプロモーターにトゥーツ・
モントが噛んでいたのでWWWF側の「勝ち逃げ」という不信感が拭えず
クローズド・サーキットの見込み収益も掲示されていなかったので、
第1戦のギャラが10万ドルでなければ受けない、とマソニックとケンカ、
サンマルチノいわくプロモーター間ではほとんど話はまとまっていたが、
月に30日も拘束されるなど受け入れがたいとスケジュールを拒絶、
結局年明けには話は座礁してしまったとか テーズは「(統一戦をやれば)MSGだけで10万ドル近い収入が
得られるはずだからギャラ3万ドルでは受けられない」と言って
いたそうだけれど、実際、サンマルチノがイワン・コロフに敗北して
WWWF王座を奪われた1971年1月18日のMSG定期戦は観客数
2万1106人、入場料総収入が8万5554ドル、モラレスがコロフを
破って新王者になった翌2月8日の観客数が2万1812人でゲートが
8万6895ドル
前に挙げた、キンジ渋谷が1万9000人収容のサンフランシスコの
メイン会場・カウパレスの定期戦で最も稼いだ時の1試合のギャラが
「3900ドル、1試合4000ドルを超えたことはなかった」というように
当時の配分率はだいたいどこも同じようで、レスラーは会場の入りを
見ただけで自分がいくらもらえるか見当がついたとみな言っている
ずっと後の時代、1980年11月7日にNWAの聖地セントルイス、キール・
オーデトリアムの月例定期戦でデビット・フォン・エリックを相手に
防衛戦を行った王者、ハーリー・レイスの小切手に書かれている金額が
「1712ドル50セント」(週プロスペシャルF 「チャンピオンベルトの魔力」に
マソニックが切った小切手の写真が載っている)
80年と言えばもう日本に来日するトップ外人のギャラが週給1万ドルだった
時代のはずで、NWA総本山の月一回のビッグマッチのギャラが日本では
移動費宿泊費は団体側持ちで「日当」で入ってきたんだから、そりゃ当時の
レスラーが日本に来たがったわけだと思う >>744 >>745
オマエ流だろ?
Gスピあたりの文章と同じだぞ。 サンマルチノによるとメインエベントに出た二人のレスラーには
王者も挑戦者も関係なく同額を払うプロモーターと全く違う、
格差をつけたギャラを払うプロモーターがいたそうで、当時は
チャンピオンは興行収益の10%の支払いが義務付けられていた
らしい
(ちなみにチャレンジャーにも、王者と同じ額を払っていたのは
マソニック、ポール・ポーシュ、フランク・タニーらで、ビンス・
シニアは挑戦者のギャラをケチるプロモーターだったと言ってる)
だから先の1971年1月18日のMSG定期戦のサンマルチノは規定なら
8555ドル、翌2月の新王者コロフは8689ドルを受取れたわけだ
(当時サンマルチノは固定給制度になっていたのだけれど) キンジ渋谷も2万人近く収容のカウパレスのメインで3900ドルのギャラを
受け取ったのなら、興行ゲートは単純計算で3万9000ドルということになる
そうなら観客一人当たりのチケット代が平均2ドルだ
少し後にマサ斎藤がシスコ入りした頃、アメリカ企業の大卒者週給が
125ドルだったのだから、プロレスの観客層でも5ドルから1ドルくらいの
チケット代は出せたと考えられるだろう
(当時のシスコのプロレスにはTVも付いていた)
キンジ渋谷はマサ斎藤が来る直前までシスコのシングル王者だったし
マサ斎藤はテストマッチとしてデビューしたシスコ第一戦のギャラが
300ドル、渋谷に見込まれてタッグパートナーに予定された第2戦で
1200ドルとしても、満員になっていれば興行ゲートの3%に過ぎない
そしてカウパレス第5戦となる7月の試合ではセミファイナルに出場して
タッグ王者になってる (この日カウパレスに出場したレスラーは16人)
そしてこの日以降、斎藤はセミかメインの位置をキープし続けている
語っている金額がウソだと決めつけられるほどの状況には思えない
斎藤は当時、上田馬之助がチャンスを掴めず、ピッツバーグやテネシーを
転戦していてもテリトリーが不信だったら稼ぎが少なかったことを上げて、
自分はラッキーだったと繰り返し語ってる >>746
流や那嵯涼介の程度の低いエピゴーネン、壊れたコピー機みたいなもんじゃね。 そのマサ斎藤が、関脇格の悪役をやっていても他地区とはケタの違う
高額ギャラが入ってきたのがやっぱりWWFだったと語っていた
斎藤はWWFタッグ王者になって計一年以上もベルトを守り、アンドレとの
試合などでも重宝に使われていたから随分いい金になったらしい
いわく
「シャワーからしょっぱい濁った水が出てくるような小さな会場でも、
他のテリトリーのメイン会場くらいのギャラが入る。そしてMSGや
ボストン・ガーデンのような全米屈指の大会場が複数ある。ここで
年間を通じてメインを取れば、金という面では完全に全米のトップに
立つことができる」
「まだギャラは現場でキャッシュで支払われていた時代で、控室で
もらった札束がポケットに入り切らず、両手で抱え込んだまま会場の
すぐ隣にある銀行に駆け込んで預けに行ったこともある。あれは
本当にいい気分だった。」
ただ斎藤は、ニューヨークはケタ違いに稼げるけれど、成功を夢見て目を
血走らせてる人間が互いのスキを狙っているような所で、人に心を許せない
雰囲気があったのも事実だ、と言ってるね。プロモーターやレスラー間の
裏取引や嫉妬の渦の中を上手に泳いでいかないととても生きていけない、
一定期間稼ぐだけ稼いだらその金を抱えてミネアポリスやフロリダなどの
落ち着いた土地に舞い戻ってのんびりするのが一番だ、と しかし世界一のニューヨークと比較しても、全日本の気前の良さはなあ…
(過去のハンセンスレより)
831 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 16:54:47
>ハンセンは日本で週1000$稼いでいる時期でも〜
おいおいキッドが週6200ドル、ジョニー・スミスでさえ週1800ドルだったのに
ハンセンが週1000ドルなんてわけないじゃんw
ハンセンは全日に移籍したときにギャラが週1万ドル+契約金2000万円
後に外人組の絶対エースになってからのギャラは週2万ドルだよ
833 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 19:39:15
「魂のラリアット」によると初来日(全日)の時点でギャラは
週1000ドル(税込み)だったそうな。
全日移籍直前の新日でのギャラが週4000ドル(手取り)だそうだから
一気に2.5倍に上がった事になるのか。凄まじいもんだね。
834 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 20:00:33
馬場は太っ腹だな。新人扱いのブッチャーが日プロに初来日した時は週400ドル。
まあ5年ほど違うから純粋な比較とはならないが。
836 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 20:06:45
馬場が支払日に「君はいいファイトをしてくれたから」と
週100ドルずつ上乗せして渡した。ここら辺の気配りは上手いな。
837 :お前名無しだろ:2008/02/17(日) 21:38:46
馬場は外人には気前がいいんだよ。
1974年にNWA王者を集めたシリーズを組んだ時、王者ブリスコ一人に
ファイトマネー週8000ドル、タイトルマッチ料として25000ドル、
2週間で10万ドル以上のカネを払った。
当時のレートで3000万円。週給1500万円の大盤振る舞いだ。
当時日本人レスラーは食うや食わずのはした金で使われていた中での
この金額は、いまなら週給5000万円以上に相当するだろう。
ちなみに20年以上後になって、三沢が社長給込みでもらえた年収は
1200万円。
馬場は外人チャンプには、日本人エース5人分の年俸くらいの額を
2週間の仕事代として振る舞っていたことになる。
そりゃ経営が苦しくなるはずだよ。 いつからここはID:H/db3iPs0の日記帳になったの?
自分さえよけりゃいいのか 馬場はプロレスを
びっくり人間ショーと見なしていた
猪木は
ストロングマンコンテストだと見てた
実は大差なくどっちもサーカスレベルの
どさ回りの感覚抜けないから
WWEと他の現状の差は産まれるわな
道化になりきれない商売は必ず
自転車操業で計画性無いからボロが出る
事業って概念が無いもん >>753
同意するよw
プロレスに詳しいのは分かるけど、長文が過ぎるから
新種の荒らしかと誤解されるな キャッチボールが出来ないと良いものが出来ないのは後年のマスカラスやロビンソンで学んでるはずなのに >>754
今のプロレス、馬場と猪木関係ないやん。
なんでもかんでもWWEが上と思うなよ。 >>683
今は亡くなられてしまったコラムニストのナンシー関さんが、技の名前とかレスラーのニックネームについて肯定的に語っていましたね。
曰く、卍固めというから必殺技に聞こえる。直訳のタコ固めではしまらない。
人間風車=もはや文学である。 >>683
ロビンソンの全日時代しかしらないので、
俺もなぜダブルアームを人間風車というのかわからなかったが、
ローランボックのそれを見て、
ロビンソンも国際時代はものすごいスピードでぶん投げてたのかなあと、想像どきた。 前に書いたけど、東プロ旗揚げ時に猪木のアントニオ・ドライバーが
騒がれたのは、その当時日本のプロレス界では
「正面の相手をブリッジを利かせて後ろに投げる技」
は極めて珍しくて、バックドロップやジャーマンのように相手と一体化して
後方に投げる技や、コックスのブレーンバスターのように持ち上げて下に
落とす技はあっても、バネを利かせて弧を描いて投げる技は、ファンも
ほとんど見たことがなかったということがあるみたいだ
(サンダー・ザボーがフロントネックチャンスリーを使ってるけど、弧を
描くというより引きこんで叩きつけるUWF的な投げ方だったという噂も)
二年後にロビンソンが来日して、がっちり相手の首までロックして
きれいに弧を描いて叩きつけ、そのままフォールに入る投げを見て
菊地さんや門馬さんも「あんな体勢から人が投げられるのか、しかも
あんなに鮮やかに」と驚嘆したらしい
「人間風車」というネーミングも、見た時のショックが反映してるんだろうね 余談ながら馬場のサンマルチノ挑戦試合のギャラについて、僅かなデータから
推測できることをちょっとまとめてみた
1964年02月17日 アメリカ遠征中の馬場が「ババ・ザ・ジャイアント」
としてサンマルチノのWWWF王座に挑戦した
MSGの定期戦は数カ月同じ相手との抗争を続けるのが普通だったのに、
馬場はドクター・ジェリー・グラハムの抗争の中に「割り込む」形で
唐突に挑戦して、一度だけのMSG定期戦参加で消えてしまった
これは力道山の死去という不慮の事態のため、4月のワールドリーグ戦に
急きょ馬場が帰国・参加しなければならなくなったための措置だったようで
そのため東海岸でのキャンペーンも行き届かなかったらしく、当日のMSGは
観衆1万4764人と満員にはならなかった
試合は時間無制限「1本勝負」で行われ、いつもの定期戦の初戦ように
不透明結着で因縁を引っ張ることもなくサンマルチノがカナディアン・
バックブリーカーで快勝してしまう
(「3本勝負なのに市条例により打ち切られてしまった」というのは、馬場を
エースにする予定の日本で作られた、はっきり言えば捏造ストーリーらしい) MSG定期戦におけるブルーノ・サンマルチノのWWWFタイトル戦の対戦相手と客入り
1963年10月21日 ゴリラ・モンスーン ◎超満員札止め
1963年11月18日 ゴリラ・モンスーン ◎超満員札止め
1963年12月16日 ドクター・ジェリー・グレアム × 満員ならず
1964年01月20日 ドクター・ジェリー・グレアム × 満員ならず
1964年02月17日 馬場・ザ・ジャイアント × 満員ならず
1964年03月16日 ドクター・ジェリー・グレアム ◎超満員札止め
1964年05月11日 ゴリラ・モンスーン ○満員
1964年06月06日 ゴリラ・モンスーン ○満員
1964年07月11日 フレッド・ブラッシー ◎超満員札止め
1964年08月01日 フレッド・ブラッシー ◎超満員札止め
1964年08月22日 ワルドー・フォン・エリック (不明)
1964年09月21日 ワルドー・フォン・エリック (不明)
1964年10月19日 ワルドー・フォン・エリック (不明)
1964年11月16日 ジン・キニスキー (不明)
1964年12月14日 ジン・キニスキー (不明)
1965年02月22日 カウボーイ・ビル・ワット ◎超満員札止め
1965年03月29日 カウボーイ・ビル・ワット ◎超満員札止め 繰り返しになるけれど、この日のMSGは観衆1万4764人と満員にならず
それでも馬場が受け取ったギャラは馬場自身の発言によると「3800ドル」
当時のドルレートで日本円にすると136.8万円、当時日本の大卒初任給が
2万円だったから今の金額でいえばおよそ1450万円に相当する大金
馬場は終生この時のギャラの金額を誇りにしていたという
さてこの金額が妥当なのかどうか、それこそ流智美さんあたりなら当日の
MSGのチケット代や総収入もちゃんと把握できるのだろうけれど、凡人は
とりあえず憶測するしかないので些末なデータを突き合わせるしかないw
馬場の挑戦した試合のチケット代は一番高い席で5ドル、以下4ドル、3ドル、
2ドル、1ドル50セントとなっていて、平均は3ドル前後だろうか
馬場の挑戦試合から7年後の1971年1月18日、3年前に新装移転されたMSGで
サンマルチノがイワン・コロフに敗北してWWWF王座を奪われた定期戦が
観客数2万1106人、入場料総収入が8万5554ドル
翌2月8日、モラレスがコロフを破って新王者になった定期戦の観客数が
2万1812人で興行ゲートが8万6895ドル
この頃のチケット代が上から6ドル、5ドル、4ドル、2ドル50セントで
平均4ドル強だろうか
馬場挑戦試合 64年2月17日 観客 1万4764人 興収 ? ドル 客単価 3ドル?
モラレス奪取 71年2月08日 観客 2万1812人 興収 8万6895ドル 単価 4.5ドル?
単純に馬場時代のチケット単価が71年の3分の2、66%程度だったとして
観客数がモラレス奪取試合の67.7%、モラレスが奪取した試合の興収8万
6895ドルにこの比率を当てはめると、馬場が挑戦した日のMSGのゲートは
単純計算で3万8819ドルになる 当時はチャンピオンは興行収益の10%の支払いが義務付けられていて、
サンマルチノによるとメインに出場する挑戦者にも王者と同じ額を払う
プロモーターが多かったらしいが、ビンス・シニアは挑戦者のギャラを
ケチるプロモーターだったと言っている。
しかしこの日のゲートが推測のように約3万8800ドルとすると、馬場が
受け取ったという「3800ドル」という数字は、この推定興収の10%に
極めて近い数字になる
通常、挑戦者は数か月にわたって東海岸で稼ぎ、その後もMSGのメインを
飾った男として他地区でもいい顔になれるものだが、馬場はこの1試合で
日本に帰国、「日プロという団体の一社員レスラー」の立場に戻るのを
憐れんだ(?)ビンスが、マソニックやタニーらのプロモーターと同様に
挑戦者の馬場にも王者と同じ額、興収の10%を支払ったとしたら、当日の
ゲートは約3万8000ドル、馬場に王者に支払われるべき額と同じ3800ドルが
奮発された、という話も「高すぎてウソ臭い」とまでは言えないことになる
(そもそもビンスがこの当時は挑戦者にも王者と同額を払うようになっていたら
難しく詮索する必要もなくなるわけだけど)
個人的には、馬場の言を信用していいんじゃないか、という気がする >>765
いやいや、めちゃめちゃ面白い。
何故この面白さがわからん? 少なくとも「昭和の全日スレ」からは逸脱してるわな
新しくギャランティ推測スレでも建ててやれば問題ない 知識のひけらかしは自分でブログ開設
してやるべきだね。
流智美はメカに疎くてtwitterも出来ない
ようだから、長文先生が彼当人なら
こんなところに来て必死に書き込んで
いるのも納得。 仕事の合間にスマホで見ると長文で読む気がしなかったけど自宅に戻ってタブレットでじっくり読むと面白く読めるなとは思い直したけどね >>770
流氏も商売で文章書いている売文屋だからね
さすがにいくら書いても一銭にもならない
掲示板で長々と書いたりはしないんじゃない?
書いているとしたら、上のほうに出ているエピゴーネンとかじゃないの? だったらプロレスオタのライター崩れじゃね?
せめて300字以内に収めてくれたら文句ないけどね >>770
Gスピとかの内容とほぼ同じだから流だろ。 >>774
G‐SPIRITSの流氏の文を受け売りした、プオタのライター崩れの投稿とみるのが妥当かも。
>>772 のように、一文の得にもならない匿名の投稿に流氏本人がわざわざ手を染めるとは
思えん。 流はUインターのリングに上がっていたがギャラが出ていたのか?
英語は安生が喋れるから通訳はない。出ていたとしたら名目は何?
意外とノーギャラでやるのでは? 少し前まで昭和新日スレで長文連投野郎がいて、総スカンくらっていなくなったけど
そいつだと思われるw ブログでやればいいねしてくれるマニアもいるかも知れないが
ここではKY扱いされて読まれず飛ばされる Gスピリッツ欠かさず買ってるけど清水と流の昔話はあんまり読んでないな
清水さんはゴングの重鎮なのと探究心でリスペクトしてるが流にはそれもないし 参考になりますよ。
客観的なデータ考証でモノを語られると苦手な人にはノイズになるのかな。 >>767
一度受けたかな?と思ったムーブを
何回も繰り返す塩レスラーみたいなんだよな 単純にこのスレで求められてないレスが長文で続くから不快に思う人もいるわけでしょ 資料性云々なら個人でブログをやるか、「プ板雑記帳」みたいなスレ立ててそこで存分にやればいいよ。
例の全日熱戦譜、ミック博士、プロレス爆裂地帯の域は到底無理としても、資料として役立てる変わり者も中にはいるだろう。
つか長文おじさんのレスはこのスレ来てるような人たちにとってはラックからGスピ引っ張り出せば済む話なんだけどw 馬場がアメリカでも大人気って言うストーリーが覆るのが嫌な奴がいるな。
ライガーまでWWEの殿堂入りして悔しいのは良く分かる。 >>742
ジャストが松井珠理奈(に質問絡みとかし始めたぞ
早いとこ奴にレトロプロレスの資料を大量に送ってやれ
奴が邪心を起こして下らん承認欲求が芽生える前に新たな課題を与えて筆力を磨くようにナビゲートしてやれ(笑)
今ならそんなのSNSで互いにシェアしたり、テキスト画像をデータ化してメールで送信出来るだろう まあまあ、極端な長文連投じゃなければ基本大歓迎だよ
そこまで敷居を高くしなくてもいい、楽しくやりましょ >>784
どちらにせよコミュ症っぽい人だと思う。
意見交換が出来ない、賛美のみ反応する。
こういう傾向にはブレがない。 別に、その長文を読まなければ
次に進めないわけでもない。
読みたくなければスルーすれば良い。
叩いている人もどうかと思うな。 最近は熱戦譜スレが天龍離脱直前の時期に来ててそこそこ会話されてて楽しい。天龍同盟時代のプロレスは大好きだが途中から平成に入るんでここでスレ違いになるから会話のびないし 単純にスレチには問題あるだろう。馬場が米国でいくら稼いだとかもスレチだけど
全日=馬場 とも言えるからそこまでは良いとしても60年代のテーズとかのギャラは
時期的にも完全にスレチだな。 日本プロレス時代の馬場については全日本プロレスの設立に関わる話だから
スレチとまでは決め付けられないからな。 >>789
自分でも思いあたるけど、後になって考えると長文書いて悦に入ってるときは
他人に読ませようとか、誰かと対話しようとか思って無いもんなぁ。
ただ自分だけが発散して気持ちいいだけ。 オレ長文読んでるよ
プロレス文章読むと免疫力上がる
どこの団体も興行打てないで辛いね
早く収束してほしい 昔、週プロに長文の投稿欄あったよな
全部読んでたわ 昔の投稿欄とか笑えるの多かったよな。新日ファンが
「ブッチャーはIWGPの理念に賛同して移籍したが、ハンセンは金で引き抜かれた!」
両方とも金で引き抜かれたに決まっているだろw 活字プロレスってあったね、試合自体はろくすっぽう見てないのになんだか文章で
語るんだよ。 馬場のMSGメインのギャラについて、くだらないけど補足を
馬場 王座挑戦試合 1964年2月17日 観客 1万4764人 興収 ? ドル
ブルーノ王座転落試合 1971年1月18日 観客 2万1106人 興収 8万5554ドル
モラレス王座奪取試合 1971年2月08日 観客 2万1812人 興収 8万6895ドル
馬場挑戦試合のチケット代は、5ドル、4ドル、3ドル、2ドル、1ドル50セント
1971年にはこれが、6ドル、5ドル、4ドル、2ドル50セントに値上がりしてる
MSGは1968年2月に移転新築して、馬場が挑戦した時代よりも収容人数も
3000人ほど増えているのだけれど、それを無視してチケット単価を人数割りで
単純計算すると、1971年の1月2月ともほぼ平均4.0ドル
やっぱり高い席は安い席に比べて実数・比率が少ないからこうなるんだろう
馬場の挑戦試合の興行収入が妄想の通り約3万8000ドルだとしたら、客単価は
2.57ドル、1971年の約65%、 これも納得いく数字に見える ちなみにMSGのチケット代が1.5〜5ドルに設定されているけれど、少なくとも
1960年、アントニオ・ロッカがメインの時代にもこの値段だったので、旧MSGの
時代は閉場まで据え置きだったのかもしれない(←未確認)
新MSGになった翌年の1969年には4ドルと2ドル50セントの間に3ドル50セントの
料金が設定されていたのだけれど、新築以来初の札止めを出した1970年6月には
もう廃止されて上記の料金になっている
MSGに匹敵する大会場のフィラデルフィア・アリーナの料金は、1970年の時点で
5ドル、4ドル、3ドル50セントの三段階
MSGが不入りだった60年代後半も盛況だったと言われる地区だったので、強気の
料金設定だったのかも
サンマルチノは1973年にNWAの総本山セントルイスに遠征、レイスのNWA王座に
挑戦したりしていたけれど、この時のキール・オーデトリアムの料金設定が
4ドル、3ドル、2ドル、1ドル50セントで、やっぱりニューヨークとは物価が
違うのかなあと感じさせる
試合の規模によって同じ会場でも料金設定が違ったりするのかもしれないけれど
MSG定期戦は常時タイトルマッチ続きなので料金体系は同じだったのだろうな 799お前名無しだろ (ワッチョイ 9f75-3YN5)2020/04/17(金) 23:45:44.13ID:X90wP58L0
馬場のMSGメインのギャラについて、くだらないけど補足を
馬場 王座挑戦試合 1964年2月17日 観客 1万4764人 興収 ? ドル
ブルーノ王座転落試合 1971年1月18日 観客 2万1106人 興収 8万5554ドル
モラレス王座奪取試合 1971年2月08日 観客 2万1812人 興収 8万6895ドル
馬場挑戦試合のチケット代は、5ドル、4ドル、3ドル、2ドル、1ドル50セント
1971年にはこれが、6ドル、5ドル、4ドル、2ドル50セントに値上がりしてる
MSGは1968年2月に移転新築して、馬場が挑戦した時代よりも収容人数も
3000人ほど増えているのだけれど、それを無視してチケット単価を人数割りで
単純計算すると、1971年の1月2月ともほぼ平均4.0ドル
やっぱり高い席は安い席に比べて実数・比率が少ないからこうなるんだろう
馬場の挑戦試合の興行収入が妄想の通り約3万8000ドルだとしたら、客単価は
2.57ドル、1971年の約65%、 これも納得いく数字に見える 800お前名無しだろ (ワッチョイ 9f75-3YN5)2020/04/17(金) 23:52:31.32ID:X90wP58L0
ちなみにMSGのチケット代が1.5〜5ドルに設定されているけれど、少なくとも
1960年、アントニオ・ロッカがメインの時代にもこの値段だったので、旧MSGの
時代は閉場まで据え置きだったのかもしれない(←未確認)
新MSGになった翌年の1969年には4ドルと2ドル50セントの間に3ドル50セントの
料金が設定されていたのだけれど、新築以来初の札止めを出した1970年6月には
もう廃止されて上記の料金になっている
MSGに匹敵する大会場のフィラデルフィア・アリーナの料金は、1970年の時点で
5ドル、4ドル、3ドル50セントの三段階
MSGが不入りだった60年代後半も盛況だったと言われる地区だったので、強気の
料金設定だったのかも
サンマルチノは1973年にNWAの総本山セントルイスに遠征、レイスのNWA王座に
挑戦したりしていたけれど、この時のキール・オーデトリアムの料金設定が
4ドル、3ドル、2ドル、1ドル50セントで、やっぱりニューヨークとは物価が
違うのかなあと感じさせる
試合の規模によって同じ会場でも料金設定が違ったりするのかもしれないけれど
MSG定期戦は常時タイトルマッチ続きなので料金体系は同じだったのだろうな >>797
「パワーズの実力はNWA王者ブリスコより上」
「ゴッチの実力世界一はプロレスファンの常識」
頼もしい投稿をたくさん見たなあ >>788
お前みたいに馬場さんが神様なんて奴の方が要らないな。
シークやブッチャー相手におどろおどろしいプロレスやっていた全日の胡散臭さ
の良さなんか嫌なんだろ、スポーツライク()な全日って言う昭和の全日と全く関係ないプロレスが好きなくせに。 >>791
89年4月18日東京大田区体育館で初代三冠ヘビー級王座が誕生…
これも平成になるからスレチになっちゃうなw
昭和で4月18日を探すと85年に両国国技館の猪木vsブロディ戦があるけど
新日スレになるw >>806
ど演歌ファイターは、新日移籍してからやぞ >>807
そりゃ馬場は絶対の善人てクリーンでいい人なんて言うスポーツライクなターザン洗脳ごときを信じるキチガイが来るからな。
小学生に馬鹿にされてた馬場を受け入れる度量がない奴が来ても無理でしょ。 >>803
プロレスの市民権獲得に協力したいので
就職時の面接での自己紹介では
「尊敬する人はアントニオ猪木!」
で統一している。親からは反対されているが。
という投稿を見たな。その人、今はどんな暮らし
しているのか? >>797>>803
「テリーや原はハンセンのラリアットで失神したが新日レスラーがラリアットで失神なんて見たことがない
新日レスラーの方が遥かに鍛えているからだ」と言うのもあった
今読むと大笑い 新日では長州が一番よくラリアートでノバされていたやろ コロナが蔓延してるけど、テリーは元気にしてるんかな? >>811
それいつ頃の話?
80年前後に高校3年か大学4年だったとしたら
その人もう還暦前後のはずだが
どこの会社受けて内定もらってどういう人生を送ったのかな
>>812
当のハンセンは移籍直後に
「全日本の選手は受け身の練習をちゃんとしているから
思い切りラリアットしてもケガさせる心配がないから安心だ」
とかいってたんだけどな。 ハンセンが馬場との初戦の時、タイツが濃いブルーだったことを受けて、
「全日へ行ってストロングスタイルの象徴である黒タイツを捨てた」
なんて危篤な投稿してた奴もいたなw 馬場は個人資産は貯め込んでいたってこと?それとも全日の旗揚げや黎明期に使ってしまった? 「全日の試合に緊張感が出てきたのは移籍したチャボ・ゲレロが新日イズムを持ち込んだからだ」と言う
投稿もあった
なんでチャボが新日イズムなんだよ >>815
コロナもテキサスの大平原までは行ってないだろ。 我々の青春に関わったレジェンドレスラー達には長生きして欲しい
報せが無いのは良い知らせ チャボとシャモは全然違うニワトリだぞ、混同して覚えてしまっている人はたくさんいるが。 >>821
志村は残念だったけど
テリーは元気でいてくれ 東村山を知ったのは志村
アマリロを知ったのはテリー 上田の全日初戦の場外乱闘のイス攻撃を
「鉄パイプの部分を使う上田の攻撃は新日琉だ。
クッション入りの座面で殴る全日流とは痛さが違う」
とか書いてたのもいたな。
>>825
テリーもう75歳だけど大丈夫かな。
国際線の長距離移動に体が耐えられないから
もう日本に来るのは無理らしいとも聞いたけど。 全日のレスラーは鍛え方が甘いからお腹ポッコリ。新日は厳しい練習で皆んな腹筋割れてる。って投稿もあった。 昔のゴングとプロレスの投稿欄面白いよね、月単位でレスバトルやってんだから。 プロレスのおかげで日本とアメリカの地理に詳しくなった wweでレッスルマニア1から遡ってみてますが
リッキー・スティムボードって藤波よりいいレスラーではないですかねえ
日本での評価は高くない(なかった)ようですが >>817
ハンセンのタイツがあのネイビーブルーだったのって
@vs馬場(82年2月4日・東京体育館)
Avsゴディ(90年6月8日・日本武道館)
Bvsベイダー(90年6月12日・福岡国際センター)と続く新日本『バトルライン九州』他3戦
これしか記憶にないな。
同じ90年6月にアメリカでテリーとシングルがあって、その時も同色タイツだったけど、
日本ではこの時だけじゃないかな。
@全日本復帰後初の大勝負A三冠ヘビー級初奪取試合B初の三冠ヘビー級王者vsIWGPヘビー級王者
ハンセンにとって、あのネイビーブルーは『勝負タイツ』だったのかなw >>818
アメリカで稼いだ金はぜんぶグレート東郷と力道山に巻き上げられたよ
と言ってる
アトキンスにも大金払ったろうね
力道山より厳しい練習させられたが
心を傷つけるようなことは一切しない良いコーチだったって >>827
アメリカ人って短命なイメージあったけどプロレスは日本人レスラーのが短命な印象。勿論アンドレとかブラックウエルとかテンタとかは違うが、あとステロイド >>832
パワー系の技も関節技もないし、
軽量なのに空中技もクロスボディくらい
あとはアームドラックと効きそうもないチョップくらいか
とにかく技が少ないからね
まあ少ない技で客を沸かせる技量があればそれも実力だろうが、
その点では明らかにライバルだったフレアーに劣るし
>>834
>心を傷つけるようなことは一切しない
力道山や東郷にはなんかされたような口ぶりだな
体格のこととか、プロ野球で成功できなかったこととか
言われたりはしただろうけど。 >>826
ノースカロライナ州シャーロッテ、グリーンズボロを知ったのはクロケットプロ。
フロリダ州タンパを知ったのはゴッチ。 >>786
了解(*´∇`*)
ジャストなら資料渡してもTwitterやら何やらで拾ったネタを小出しに、しょーもない蘊蓄自慢して己れの承認欲求満たすパクリ自慢ストーカーヲタみたいな姑息な真似はしないだろうからな(笑)
本の版元に打診してみる アメリカでホームステイしてた時の食事は
朝、パンを焼いてバターをつけて食べる
昼、ピザ、パイ、グラタン
夜、ステーキ、
デザートとはメチャクチャ甘いケーキやパイ
って感じだったな、ほとんど野菜を食べなかったし、異常に太りすぎな人を日常的に見てた
長生きしてるアメリカ人レスラーは健康管理が徹底してるんだろう、ハルクホーガンはレストランで白身だけで卵焼きを作ってくれと頼むらしいし >>842
アメリカに住んでいたが、そんな三食はなかったぞ。
どこに行ってもサラダが山ほど出た。 元気そうだったマスカラスも試合に出なくなっちゃったし、
本人は否定してるけど、健康不安説がでてるね。 そう?たまにコストコでサラダ買ってきたが不味くてサラダ諦めたわ
アメリカの家庭料理は巨大なオーブンレンジがあって冷凍食品を入れて数十分待つだけというのが基本で毎日そんな食事だった。ステーキは毎日手間隙かけて焼いてくれてたけど >>845
アメリカは朝はサラダ、卵、ベーコンorハムorソーセージ、サイドがポテト料理など2品、
パン、コーヒー、オレンジジュースが一般的で朝食やってるレストランでもこんな感じ。
ランチは外が多いからファストフードもあるが、レストランに入ればまずはサラダが出る。
ディナーは、サラダ、メイン料理、パン、デザート。
相当酷い所にホームステイしたみたいだなw 確かに他にも卵ベーコンソーセージハム、牛乳コーヒー出てたね。昔のことだから忘れてた、基本的に冷凍食品だけど
うちのステイ先は太ってる人しかいなかったし家庭によって差もあるんだりう >>842
>白身だけで卵焼きを
その健康法(黄身はコレステロールが多いから
食べない)も、間違いだと指摘されているがね。
ひと昔前は、高田延彦や、プロ野球でも
ゆで卵を、5、6個作り、白身だけ食べて、
黄身は捨てる選手がいたが、最近は聞かないね。 パンクラスはキューピーマヨネーズの工場と契約して白身手に入れてたとか言ってたね j自分がアメリカいたときは寮生活だったんで
朝食はビュッフェだったから、当然サラダもついてた
でもサラダに全然手つけないで、山盛りのポテトとか
大量のスイーツとか食ってるデブもいた
結局本人次第だね
>>848
その食事法、巨人時代の清原も一時期やってたね
怪しげなトレーナーの指導だったか
結局野球じゃ使わない筋肉がついてケガしやすくなって
成績落ちるだけだったけど >>830
確かに小学生でアメリカ50州言えたもんな。山田さんのおかげ。
ノースカロライナ州なんてプロレスファンじゃなきゃなかなかわからないもんね。 昔オフ・ザ・リングで一流レスラーは食べるものに気を使っていると書かれていたね
肉食オンリーに見えるブッチャーもゆでたニンジンをサイドオーダーで持ってこさせていたとか >>838
来日当初はポストテリーとか言われてたけど、
天龍とのUN決定戦あたりからは典型的な
「アメリカでは人気があるけど、日本では不人気なレスラー」になったな。
82年最強タッグのハンセン・ブロディ組戦とか、
日本でも良い試合が無い訳ではないけどね ハーバード大学よりテキサスウエスト大学を先に知った(笑) 馬場は海外では全く評価れてないからな。世界タイトル連続挑戦とか、馬場視点の話で、誰もそんな事知らない。 >>853
アメリカでは、リッキーの
「オリエンタルムード」が受けたんだろうが
そんなの日本で受けるわけがない。
カブキと同じだよ。 >>855
おそらく猪木に対してという含みで「海外」としたんだろ。
アメリカのプオタでは馬場を知らない奴はいないだろうね。
猪木はアリ戦で有名になったがね。 リッキー&スレーター組の出た最強タッグの17時30分の放送が20%を超えたとGスピリッツかなんかで見た。
リッキー対スヌーカの当時のミッドアトランティク地区の黄金カードが見れたのは嬉しかった。
リッキー対マスカラス、リッキーチャボ対マスカラス兄弟、リッキー大仁田対ハイフライヤーズ、リッキージェイ対ハンセンブロディ・・・
土曜日夕方時代のリッキー人気は凄かった。
ハンセンや長州やキッドみたいなスタイルが全盛期になると時代遅れみたいな扱いになっちゃったよね。 >アメリカのプオタでは馬場を知らない奴はいないだろうね
大きな釣り針だなあw
これを日米を逆にしたら
日本のプオタでザ・コンビクトやマクガイヤー兄弟を知らない奴はいない
って言ってるのと同じだぞ >>851
サウスダコタとかメリーランドとかオハイオとか小学生が言えたの?(笑)
それならプロレスファンであるなしをおいても優秀だな。
なら、都道府県は体育館とセットで憶えただろ? マクガイヤー兄弟と馬場を同列にする方がどうかしている。 デストロイヤーのおかげでシラキュース大学、ゴリラ・モンスーンのおかげでコーネル大学を知った。 >>861
プロレスラーの名前やプロレス技を覚えるのと同じ感覚なんだろうね。
山田さんが州の名前やテリトリーの名前がスラスラ出てくるのがかっこよくてねw
ハリスコ州グアダラハラとか
ランカシャーとかハーノーバー、トロントなどアメリカだけにとどまらず
興味あったね。
そうそう、札幌中島、大和車体、奈良橿原、大分荷揚町、那覇奥武山、熊本水前寺などなど、
今でも御当地に行くと反応しちゃう。 マクガイヤー兄弟の人気はバカに出来ないな
なにせブリスコ、ドリー、レイスのNWA3代王者と
互角の興行人気があったくらいだからな >>863
シラキューズもコーネルも、実は有名人多数輩出している名門だよね。
特にコーネルはアイビーリーグの一角だぞ
ついでだから、日本語版のウィキでアイビーリーグ全校とジョンホプキンス、
スタンフォード調べてみたけど、著名OBにプロレスラーはいなかった
モンスーンってあの粗野な要望とは裏腹に
業界屈指のインテリだったんだな 今考えると
新日にブリスコ、ドリー、レイスが来ていて
全日でマクガイヤーBro.が来た方がよかったのかもな。
最終戦は、日大講堂で猪木×ブリスコ
大田区体育館で馬場デスト×マクガイヤーBro. >>855
お前アメリカどころか、
引きこもりで、近所のスーパーにも行ったことないくせに適当なこと言うなよ。 >>859
水戸黄門ファンの馬場は「忍者が多い回はあまり面白くない」と言って
忍者役のせんだみつおは次のシリーズの初回放送で抹殺された。 >>851
50州などいえるだけでは役には立たん
アメリカの地図でどこにあるのかと州都、人口、産業、気候ぐらいまで覚えてやっと少しは役に立つかて言う程度や プロレスラーは卵の黄身も食え
腹へこせたきゃ猛練習しろ
徹底的な食事制限したパンクラスなんか半病人みたいで精気無かった >>871
> 腹へこせたきゃ猛練習しろ
猛練習したって腹はへこまないよ。そういう考えこそ時代遅れ。 >>849
キューピーじゃなくキユーピー。ユは大きいユ。 >>873
腹以上に胸板厚くしろ
ホストみたいなレスラーは要らん
プロレスラーは怪物であるべき >>871
腹へこせとは何や???
日本語不自由なのは、どの板でも見苦しいだけやぞ >>876
腹引っ込ませたきゃ猛練習しろっての
レスラーはダイエットするな
体重維持してグッドシェイプと体重減らしてグッドシェイプの差は埋められないんだな
と船木を批判した長州は正しい
長州対安生なんてドラム缶とペットボトルくらいに違った 全日の選手でグッドシェイプと言っていいのは
天龍と石川くらいだろ
他は軒並み肌がたるんで艶が悪いのばっかり >>829
プロレス専門誌だけじゃなく音楽誌とか映画誌とか
あの『ぴあ』の投稿欄でさえ毎号ごとに読者投稿でバトルしてたよね
で、盛り上がってくると特集とか投稿ページ数拡大とかして
編集的には一石二鳥だったのでドンドン煽ってたという https://www.youtube.com/watch?time_continue=499&v=m9fv2bANku4&feature=emb_logo
アメリカと日本ではブームに便乗してイイ気になってたウォリアーズも
威光の届かないカナダではからきしダメな不器用レスラーに成り下がる >>856
WWFが最初に日本進出を考えたとき、
エースをリッキーとタイガー戸口にするという噂が流れたな。 >>856
ところが最初の頃はスマートでハンサムなベビーの日系でカンフー殺法使いだからこそウケてたんだよ<日本では
まああの時代は米だけでなく日本でもまだブルース・リー人気凄かったから
そこにイメージ重ねてって部分が正直大きかったんだけどね
ただ>>838の人が言ってるようにとにかく典型的なベビーフェイスで引き出しがそれ一つしかない
ダラスでしか使えないエリック兄弟と同じ
で、同じタイプなんだけどさすがに役者が違うマスカラスとの
例のシングル対決でそのへん完全に馬脚を露した
あの試合マスカラスは「つまんなかったな」ってかんじだけど
リッキーは「そもそもなにやってたっけ?」みたいな試合だった
最強タッグのハンセン・ブロディ組戦は
格付けも体格も(日本では)明らかに下、劣勢なのは明白だったからこそ
久しく飽きられていた典型的ベビーフェイスマッチでもハマっただけ ホーガンのような、いかにもアメリカ人が漢字で「一番」と染め抜かれた法被を着て
「イッチバーン」と日本語でやると拍手喝采するのも日本人。 アメリカのテリトリーで思ったのがアラスカ州ってプロレスってあったのかな。
ハワイとかはよく聞くけどアラスカの有名なプロモーターといわれてでも出てこないし
WWEも興業を打ってないみたいだから。 >>884
日系だから、ってのは関係ないわ。
ファイトスタイルが小気味良かったからだ。 >>886
アラスカ出身のレスラーは、ジ・アラスカン
プロレスがあったのか知らないなぁ >>814
肝炎リングと臓器売買の犯罪者を追求して何が悪い、プロレスに対する冒涜を追求して何が悪い。
馬場の情けないことも許容できない昭和の全日も知らないオタのお前が消えたらいいんだよ。 >>886
>>892
人口も少ないし本土からも遠いし
テリトリーは存在しなかったのでは?
あったとしても単発の興行くらいでしょ
そういや坂口が、いつだったか猪木が
アラスカ氷上マッチやろうと突然言い出したけど
実現しなかったとか天龍との対談で言ってたな
まあ当たり前か 素手でヒグマ倒す儀式なら昔何かで読んだ
顎の下に潜り込んで数日掛けて首絞めて殺すとか >>891 >>894
猪木のPKOもあったよなw
Pパンパン
Kコイコイ
Oオマンチョ野郎 ♪ピタッピタッピタッと嬉しい ピタットハウス ハイハイハイ
♪ピタッピタッピタッと嬉しい ピタットハウス ハイハイハイ
♪チンチンもピタッと パイパイもピタッと ピタットハウス 古舘のお陰でメキシコの会場名トレオデクワトロカミノスを知った。 >>856
映画のカラテキッドが日本ではベストキッドになったの思い出した コーナーに押し込めてセカンドロープからパンチするのがアメリカでウケるが日本でウケないムーヴの代表的なイメージ マジソンスクエアガーデンを画像見るまで兼六園みたいな庭園だと思ってたな アメリカではプロレス熱が凄くてお客さんが熱狂的に応援してるイメージだったな。実際は地元のヒーロー的な人や人種差別的なギミックを使った見せ物小屋的な部分もあったんでしょ
熱狂はただ騒いでるだけだし >>904
興業って、なんでも見せ物やんか。
なんでそう見下したような言い方するんかねえ。
自分がエリートだと思ってるんだろうか。 >>902
客が、12345678910と数える。 >>900
古舘以前は「エル・トレオ」で報道されてたような… ケリー・フォン・エリックのディスカス・パンチも「この技は日本では受けない」と雑誌に書かれていた ケリーがウケないなら
テリーも左のパンチがウケるというのも不思議だよな。
オープンタッグ決勝が理由なんだけど。 >>906
まさか盛り上がって数えてるんじゃなく百田のチョップ連発の拍手みたいなお約束だったり >>910
そんなことが書かれた時代なら
ロックのピープルズエルボーも日本では受けない、と書かれていたはず。 >>910
ディスカスパンチはクルっと一回転するからダメだって言われてたんだろ。実際藤波は両手で受け止めてたし。
別にパンチが全部ダメというわけではない。
テリーのパンチはもちろん、
猪木のナックルパートだって興奮できるもん。 フレアーの2,3歩歩いてダウン、NO, NOポーズも全日時代はダメだったが、新日に来た時は受けた。 >>886
TAJIRIのBBMから出てるWWE時代の日記本見ると奴の在籍時に1回海外巡業として
アラスカに出向いてるな >>915
ローデスのアメリカンドリームパフォーマンスも
猪木と対比してウケてたなw ケリー・フォン・エリックのディスカス・パンチは円盤投げ
ジャイアント馬場の椰子の実割脳天唐竹割は野球
ジャンボ鶴田のジャンピングニーパットはバスケットボール
アントニオ猪木のナックルパートは砲丸投げ
格闘技ではないスポーツ歴をプロレスに生かすって好きだな
今のレスラーでこれやってるのいるか 蝶野のヤクザキック。
「サッカー経験あるから脚力強い」と言われてたが無理あったなw >>918
ナックルパートと砲丸投げは無理がある。 >>915
全日のあれがアメプロの真髄となって新日に来た!ってことか。 アメフト出身レスラーはタックルを売りにするね
レオ・ノメリーニからそうだったらしい >>922
昔は天龍チョップって言われてたな
突っ張りだけど >>918
十六文も野球じゃなかった?
効き足をけり上げるのはピッチングフォームに由来しているとか聞いた >>913
>>914
結局「誰がやるか」なんだよ
プロレスって基本キャラ・ショウだから
テリーや猪木はその時点で人気者で
彼らが乗ってきた時や怒りの反撃に転じる時の定番ムーブとして
左ジャブやナックルパートがあるって観客も理解している
そしてそこまで左ジャブやナックルパートをファンに周知させたのは
彼らのレスラーとしてのキャリアと技量なんだよ
ピープルズエルボーも90年代末から00年代初期の日本では
既にぐるっと一周してあれがロック様〜典型的なアメプロ的魅せ場って
「お約束」を理解してる人達が観客だからウケた
全盛期にそのお約束が通じるダラスの観客の前だけで
ずっとスター役を演じてきたケリーのディスカスパンチじゃ
「外部の視線」に対してそういう説得力を持たなかったってことでしょ
ローラーのセカンドロープからのフィストドロップとかも同じ
カブキのJ・デュラン戦での正拳フィニッシュの微妙なかんじもこれ
なんせ奇怪なメイク・毒霧・ヌンチャクばかりに情報が偏っていて
大多数のファンはフィニッシュのムーブを殆ど知らなかったから
(むこうではヒールなんでそもそも説得力あるフィニッシュとかたいして求められてなかったんだろうけど)
>>918
上の方に出てた原の「ラグビータックル」
実際にはラグビーのタックルは主に下半身に組み付いて
相手を止めるもので所謂ぶちかましではないんだけど
あくまで一般的に誤解された「イメージ」を持ち込んだもの >>886
そういうことを言えば「アイダホ州」のプロレスも
全く聞かん。
↓で同州の王座を調べたが、1960年以降、途絶えている。
https://www.wrestling-titles.com/us/id/
アラスカ州は、ジ・アラスカン、
ユタ州は、ドン・レオ・ジョナサン、
オレゴン州は、オレゴン・ランバージャックがいるが、
アイダホは、アイダホポテトしか思い浮かばん。
「アイダホの殺人者」といっても怖くないよwww 本当に役立ったかはともかく相撲かアマレス以外の前歴が珍しいから使われてただけでしょ。ブロディも元新聞記者らしい戦略的なプロレスとか言われたし >>918
最も、適切な例は
E・カーペンティアや
チャパリータASARIの
器械体操だろ? >>927
そうそう、アイダホ、モンタナ、ワイオミング辺りは当時AWAともNWAとも言えないプロレス空白地域だと思った。
ポテチもそうだけど、当時アディダスだかナイキのスニーカーの名前もアメリカの州の名前がついていたっけな。 >>915よ。ただ、「ダーティー・チャンプのインサイドワーク」なのか「ガチのダメージ」なのか、客もまだ半信半疑で反応していた。
WAR、新日に上がった頃は、もう客も「よっ、フレアーの伝統芸だ」として楽しんでいた。
>>931
ごめん。「全日でも受けていた」が文頭から抜けちゃった。 >>930
ホンブレ・モンタナという選手はいたけれどね。
別に、モンタナ州とは関係ないようだ。 >>932
そんな受けてたかな、馬場が辛口だった印象 >>934
馬場はネイチャーボーイ
バディ・ロジャースの二番煎じが気に入らなかったはず。 馬場は著書でフレアーについて
「ロジャースはあんなチャチなもんじゃなかった
全ての面でロジャースが上です」と書いていたな
田鶴浜も似たような事を言っていたからよっぽど生で見ると凄かったんだろう 桜井康雄もフレアーについてはボロクソだったな、バディロジャースのパチモノ扱い。 バディロジャースを
生で見た日本人のプロレス関係者って何人くらいなんだろう? 馬場やドリーは評価してなかったなフレアー
NWAとの関係も薄れていくきっかけ フレアーはテリーとドリーの両方の短所を持ってたと思うけどな。勿論本当の短所じゃなく短所と言われそうなって意味で >>938
天龍が武者修行時代に戦ってなかった?
一時的に復帰した頃だと思うけど… https://pbs.twimg.com/media/EV3p0UjU0AAqJZp.jpg
世界王者マーテルのカリスマの無さやら、ルードの来日キャンセル
昭雄の寝癖が酷いやらで散々なシリーズだつた >>939
77年のオープンタッグに参加したドリーが
「リック・フレアーは来年日本に来るよ。近い将来彼はNWAチャンピオンになるだろう。断言していいよ」と言っていた。
実際ドリーの言葉通りになる。 >>939
テリーも同じ事を言っていたよ。
フレアーのNWA王者時代はテリトリー制がもはや機能不全で、NWAとは名ばかりの実質ジム・クロケット・プロモーションズだったからね。
フレアーと同じミネアポリス出身でクロケットプロで『フォー・ホースメン』をフレアー達と結成していたオレイ・アンダーソンも
フレアーのことをよく言わない。まあ、オレイの口の悪さは有名だけどw
オレイ「フレアーが自分で"偉大なチャンプ"と言っても、何のチャンプなんだい?1984年を最後にNWA総会は開かれてないんだぞ。」
インタビュアー「1986年時点でフレアーに取って代わる王者がいるとしたら、誰を推しますか?」
オレイ「誰もいない。自分が推すレスラーを価値のない奴に取って変わって欲しくないだろ。
俺があんたを嫌いならあんたをフレアーの代わりに推すよ。」
実際は84年以降も小規模でNWA総会はあったけど、最後の86年総会はプエルトリコで行われて馬場、コロン、ローデスくらいしか出席しなかったらしい。
他にもアメフト試合の賭けをしても掛け金を「そんな賭けしてない」と払わなかったり、人間的にも「フレアーはそういう奴だ」と言っていた。
因みに、スパイビーもフレアーのことを表と裏で言うことが全く違う「裏表のある最低野郎(=double-faced dog)」と評してる。
天龍やレイスはフレアーの人間性を褒めていたけどね。フレアー評はレスラーによるね。 >>945
フレアーのこと、輪島も最初は、
「小生意気そうな野郎だ」と嫌っていたが、
いつしか、
「あれが王者の風格なんだろうな」と評価が一変していた。
わずかな間に何があったんだろう。 いま歴史を振り返り、フレアーが、いいNWA王者だったか、大したことないNWA王者だったか? ドリーもレイスもWWFでは糞キャラに変えられたけど
フレアーはそのままで通せたからそういうことだろうな >>943
リード、デュランキャンセル。原失踪。
レイス、ソイヤー、リッキー、フィエラ、
エストラーダ参戦だから微妙だね。
大仁田も途中から欠場。 ジム・クロケット・プロモーションがNWA王座を独占して
そのお抱えレスラーのフレアーがベルト独占してりゃ不満も出るだろう
本人の実力関係なくチャンピオンの座に居座り続けたら憎まれもするさ >>938
1963年5月17日、MSGでサンマルチノ破れて、そのまま引退だから、
猪木でさえ、海外武者修行中(64〜66年)には見ていないはずだ
(実際、自叙伝でも出てこないし、猪木がロジャーズを
語っているところを聞いたことがない)。
猪木が見ていなければ、それ以降にアメリカに出た
G小鹿やS小林も知らないはず。
ただ、1970年頃の「月刊ゴング」に、アメリカ遠征中の坂口征二が、
どこかに試合場でロジャーズに遭遇したと言う話を載せていた。
一夜限りで、ゲスト復帰したのかも知れない。ただ「ゴング」のことだから、
フィクションもあり得る。本当に復帰したとしても、
運よく坂口と同じ会場で逢ったかは疑問だな。 ロジャースは79年にクロケットプロで復帰し、フレアーと野生児対決をしてる。同時期に天龍がいたかも。
https://miruhon.net/133735 >>951
だから天龍が試合したって言ってるんだが。
プロレスラーの引退なんて当てにならんからな。
データだってしっかりとってるかどうか疑問だからなあ。 >>947
NWAチャンプとしては2流かな
フレアーがチャンプとして輝きを増すのは、WCW以降になってからやろ フレアーよりはニックの方が個人的には上だなと感じるけど、日本での感覚だとNWA>
AWAという印象かな。 馬場はデビアスにNWA王者になって欲しかったみたいだからね
フレアーも「なんで自分がデビアスより上に行けたのか不思議だ
彼はあらゆる面で私より上であり才能があった」と回想していた位で デビアスはうまい中堅レスラーという印象しかないけどNWA世界王者として初来日して接戦で防衛続けたら偉大なレスラーに見えたかな デビアスは結果的にNWA王者になるより出世したのでは? >>945-950
たまたま手元にあったゴングに、フレアーが王者になった1981年の
NWA総会(10月11-12日)のレポートが載ってるけれど(筆者不明)
51人いるはずのメンバーで総会に参加したのは18人だけという
「史上初めてと言っていいほど寂しいもの」で、総会の結果
会長 ジム・クロケットJr (再選)
副会長 ボブ・ガイゲル ロン・フラー
書記 ジム・バーネット
理事 ビンス・マクマホン(シニア) サム・マソニック
フランク・タニー フレッド・ワード
クロケット ガイゲル フラー バーネット
(マイク・ラベールとドリー・ファンクJrが理事から除外される)
になったと報じられていて、エリック、ガイゲル、マクガーク、スチュ・
ハートらが欠席、父の代わりに参加したフロリダのマイク・グラハムが
問題提起したのが「トラックの運転手でも週700ドル稼ぐが、今我々は
すべてのレスラーに週700ドルを払えるか」ということだったそうで、多くの
エリアがレスラーの待遇を改善できるように経営状態を再建しないと
どうにもならないという状態だったらしい。
ジョージア地区でTBSが早くも「WCW」をスタートさせたのが翌年の1982年。
翌1983年にはクロケットが「スターケード」を開始、サンアントニオのジョー・
ブランチャード派が(失敗に終わったものの)ケーブルTVでSCW王座を
全米に売り込むというTV戦争の口火を切り、ガニアがNWA・AWA連合
「プロレスリングUSA」を編成して全米侵攻を計画する一大変革期に突入した。
思えば日本はのどかだったんだなあ (「引き抜き戦争」真っただ中だけどw) >>960
>思えば日本はのどかだったんだなあ (「引き抜き戦争」真っただ中だけどw)
日本はアメリカみたいなテリトリー制じゃないし、ずっとテレビ主導でプロレスが
発達してきた歴史があるから、テレビ局が新たに参入の動きを見せない限り
そこまでの大騒ぎにはならないよ
テレビと無関係に大騒ぎになった初めてのケースはSWSかな デビアスが主戦場にしていたのはワット王国と言われていたMSWA
オクラホマに自宅があって他のレスラーと違い試合が終わると自宅へ帰宅していた
NWA王者になって遠征ロードを続けるよりもそちらを選んでたみたい
レスラー間でそれが知られていたからWWFに入ったのを意外に思ったレスラーが多かったらしい デビアスは体のサイズも大きいし、まさにオールラウンド。
っていったらマードックも良いレスラーだよな。
交通事故前のスレーターに戸口、そしてブロディ。
80年前後のUN王者、星タイツ時代の鶴田も良いライバルに恵まれてたな。 >>964
そうそう。プロモーター兼レスラーだったんだね。
シークとかドリーとかパターソンとか、日本で試合を見ているだけだと
リング外ではどういう立場の人間なのか分からないからあとで聞くと
いろいろイメージが違う感じを受けるなあ >>961
そういう意味ももちろんなんだけど、実はアメリカはビンスJrの「全米侵攻」
よりずっと早く、ケーブルTVの普及とともに新しい時代がやって来ていて、
この頃のクロケット派のWCW立ち上げ、AWA・NWA連合であるプロレスリング
USAの発足、侵攻を受けたビンスの「…USA」の看板・ホーガンの引き抜き、
プロレスリングUSAのバックランドを抜き返しての東海岸侵攻、ビンスのAWA
エリア侵攻(オーカーランド、ベンチュラ、アドニス、ブランゼルら主力の引き抜き)
など、1984年までに旧体制が跡形もなくなるほどの激震をすでに起こしていた、
っていうのが日本の感覚では理解できていなかったなあという感慨で。
その頃の日本では「アメリカは何か変なタイトル作ってるな」くらいの感覚で、
当時はタイガーマスクがデビューする、インターが復活する、IWGPが始まる、
テリーが引退する、UWFができる、長州が全日に鞍替えする、ということに目を
奪われていて、NWAやAWAは今までと変わらずにいたと思っていた部分が
あったんじゃないかと、わが身を顧みて思ってしまうという。 全日マットでフレアーとマーテルの「NWAとAWAの史上初の統一戦」が
行われたのが1985年だけど、もうその頃にはWWFの成功を見てNWA
各地区のプロモーターが「俺にも同じことが出来るんじゃ」と夢を見て、
NWA・AWA連合はすでにして瓦解を始めてたらしい。
1986年にはエリック派のWCCW、ビル・ワットのMSWAなんかがリック・ルードや
テリー・ゴディを「新世界王者」に認定。 NWAの名会長だったマソニックの
地元セントルイスもプロレス興行を中止、事実上NWAは崩壊していた。
だから馬場さんもこの年の「NWAインタージュニア」を「世界ジュニア」に改名
したのを手始めに、「NWA」の文字を全日本から消し始めてる。
翌1987年、ジム・クロケット・プロモーションがビル・ワット派のUWFなど
潰れかかったテリトリーを買収し、NWA王者フレアーと専属複数年契約を
結び、NWA各テリトリーを巡回しての防衛戦を拒否した。これでNWAの
存在意義が名実ともに完全に無価値になった。
9月の「NWA総会」は出席会員はほんの数人、事実上クロケットの独裁・
NWA閉鎖宣言セレモニーのようになった。
これが1948年以来39年間続いたNWAの、最後の年次総会となってる。 NWAがNWAだったのはレイスベルトが使われてた時までなんだろうな。フレアーベルトになってからは87年のフレアーvs谷津、鶴田、輪島と89年のリッキーvs三沢タイガーしか全日では防衛戦やってないんだね >>967
鶴田がAWA王者になってAWA圏防衛サーキットが抜けてるぞw 鶴田が「AWA王者」になった1984年には既にアメリカは激烈なテレビ戦争に
突入していたんだなあ、今思うと。
【魂の】スタン・ハンセン3【サンライズ】
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/wres/1178597734/
このスレの883〜あたりが詳しいけれど、実はビンスの全米侵攻って
「売られたケンカを仕方なく買って、必死になって撃ち返しているうちに
敵がいなくなった」という状態に近かったんだな。
885 :お前名無しだろ:2008/02/25(月) 19:58:24 ID:/pfoQ0tL0
元々全米進攻プランはビンスの前にガニアが画策していて
NWA系のプロモーションに「出資させてくれ」って頼み込んで
各プロモーションの株式を10パーセント位づつ集めて‘レスリングUSA‘って会社を立ち上げ
それを足がかりに打って出ようとしたところにビンスが有り金を全部はたいて
全米ネットワークのNBCを巻き込んだ全米進攻計画の一番のターゲットにされちゃったとか
887 :お前名無しだろ:2008/02/25(月) 20:05:55 ID:Ic8Sul3y0
プロレスリングUSAは具体的成果も上がりだしてたんだよ
NWAメンバーだったマイク・ラベールやロイ・シャイアが会社をクローズしてからは
ヒスパニック系住人向けのルチャ巡業以外はプロレスが壊滅してたカリフォルニアや
60年代以降プロレス不毛の地だったネバダ(ラスベガス)に進出したり。
何よりも全米のUHFやケーブル局向けにプロレスリングUSAのパック番組が提供
されて放映されてた。
結局WWFに同じことをよりスケールアップされてやられた上に、プロレスリングUSA
開始時の主役で全米に顔を売ってたホーガンをそのまま使われた。
900 :お前名無しだろ:2008/02/26(火) 21:48:24 ID:5s5Acl4Q0
全米侵攻作戦を最初に開始したのはAWAだし
全米テレビ中継されてた時代の象徴であるルー・テーズを担ぎ出して、一番早く全米
向けテレビ番組を復活させたのはサンアントニオのSCWで何もかもWWFが最初と
いうわけじゃないよ
どちらもWWFがより大規模に、徹底的にやったというだけで フレアーが初めてNWAを戴冠したのは1981年9月17日、
WWFの全米侵攻でNWAのテリトリー制が崩れ始めたのは1984年4月のレッスルマニア1から。
1984.3.21にレイスに取られたのはニュージーランド、3月23日に取り返したのはシンガポール、
5.6にケリーに取られたのはテキサス、5.24に取り返したのは横須賀・・・
フレアーは約3年は往年のテリトリー制のNWA王者だった。
1966年の最後のテーズ政権以降で1年以上NWA王者に就いたのはキニスキー、ドリー、ブリスコ、レイス、フレアーのみ。
武藤「86年にフロリダにいるときにフレアーが来ると客が入りギャラが上がる。フレアーからプロレスビジネスを学んだ」
NWA王者フレアーは十分評価されていいのでは。少なくともテリー、馬場、戴冠していないオレイよりは。 まずガニアとNWAが手を組んだNWA・AWA連合「プロレスリングUSA」が
メディア革命の波に乗って全米侵攻を画策する。
これに対抗して、ビンス・マクマホンが「…USA」の看板になるはずだった
ホーガンを引き抜き、WWF「世界」王者の肩書きを与えて逆侵攻を開始。
プロレスリングUSAはバックランドを抜き返し、ニューヨークのTVを使って
東海岸に侵攻を続けるものの、ビンスはAWAエリアに標的を絞り、AWAの
顔だったオーカーランド、ベンチュラ、アドニス、ブランゼルら主力を軒並み
引き抜き。さらに4月にはNWAの主力マーケット・ジョージアのブリスコ兄弟が
ビンスに株を売却し、WWFはジョージアの全米TV中継枠まで獲得してしまい、
パイパー、オーンドーフらもWWFの「顔」になる。 ほぼこれで勝負あり。
もうこの時点で「世界」はWWFのものになることが宿命づけられてたんだな。
前述のように馬場が「世界ジュニア」を手始めに、「NWA」の文字を全日本から
消し始めた頃、鶴田はインターナショナル選手権の防衛戦を、T・ゴディ、
スレーター、レイスらを相手に後楽園、大田区、長浜、宮城などでひっそり
行っていたけれど、いよいよUNやPWFとの統一・統合戦がスタートする。
鶴田単独エースの時代は遂に来なかったという顛末になってしまった。 >>972
おい、レッスルマニア1は1985年だぞ
ホーガン王者になって数ヶ月で出来るわけないじゃん >>973
新日も、藤波や長州が単独エースだった時代なんかない。やっぱり馬場と猪木は別格だよね。 >>972
> NWA王者フレアーは十分評価されていいのでは。少なくともテリー、馬場、戴冠していないオレイよりは。
日本限定の馬場や戴冠していないオレイと比べたってしょうがないだろw >>973
> 鶴田単独エースの時代は遂に来なかったという顛末になってしまった。
それは全く関係がないと思うが。 マサ斎藤が語っていたけれど、団体がレスラーを雇っているわけじゃない
個人主義のアメリカでトップに立つには、仕事ができ、約束を守れるという
プロモーターの信頼を得ていること、レスラー仲間といい関係を保てる才覚が
あることだと言って、その典型としてホーガンとフレアーを挙げていた。
ところがその二人は他のレスラーとの交際の仕方が対照的だと言ってる。
ホーガンは5ドルの金さえ考えて使うタイプで、気前よくレスラー仲間に
ふるまうタイプじゃないが、一度仲間と認めた人間は絶対に裏切らない。
逆に自分を裏切った人間や敵に回った相手には徹底抗戦する「どこか
ジャイアント馬場さんを思わせるファミリー志向の強い男」だそうで。
逆にフレアーは「アメリカ人には珍しいくらい気前がいい」というタイプの
政治力の持ち主だそうだけれど、だから逆に親しいような顔をしていても
どこかで家族のような付き合いをする気はなく、いつでも手のひらを
返せるような距離を保っているのがかえって信用できない、と思う相手を
作る原因になっているのかもしれないね。 フレアーがNWA王者にふさわしくないとは言わないが
期間があまりにも長すぎた
せいぜい83,4年くらいまでで良かっただろう >>973
ホンマかいな。
AWAの全米進行にNWAが手を貸して、何のメリットがあるんだ?
NWAとしたら自分達のテリトリーが脅かされるのにそんなことするか?
NWAとAWAが手を組んだのこそ、WWFの全米進行に対抗するため、ってのが定説だが。そちらの方が辻褄は合うな。
ホーガンが目玉なら、なんでAWAタイトル取らせなかったんだよ。それもわからん。
WWF狂信者は平気で歴史の事実をねじ曲げることするからなあ。
全然信用できん。 次期NWAチャンピオン候補のテッド・デビアスがWWFのホーガンにベアハッグで失神した
当時はこれが通説だと思ってたのに、このころはまだホーガンは定着してなくて
ホーガンはその後AWAに移籍してたんだっけな ホーガンは1981年にクビになったからね、デビアスに勝ったのは事実だけど。
レスリングライセンスの期限までホーガン居なかった。
https://youtu.be/BBNqx5Zf230
http://imgur.com/otakemB.jpg これらも前述のハンセンスレから
凄い知識を持ってる人がプロレス板にはいくらもいるんだよなあ、
ほんと勉強になります
900 :お前名無しだろ:2008/02/26(火) 21:48:24 ID:5s5Acl4Q0
あと資産についても前にあるとおり。
先代のビンス・マクマホンSrは「生涯一興行師」というか、全米屈指のプロモーターであり
ながらプロレス意外にボクシングやコンサートなどを手がけることはあっても興行以外の
仕事は一切手を出さなかった。
クロケットやエリック、それにガニアあたりは副業を手広くやってそれぞれシャーロッテ、
ダラス、ミネアポリスを代表する資産家と言わせるくらいまで資産を持ってた。
それがビンスに負けた原因は典型的な「戦力の小出し」だな
破産覚悟で一気に勝負かけたビンスに後手に回ってるうちにズルズルと負けていき
本業が左前になるとサイドビジネスの方もうまくいかなくなり、ガニアに至っては本当に
破産してしまった(他の二人はその前にビジネスやめて悠々自適の老後を送るだけの
資産はなんとか残せた)
904 :お前名無しだろ:2008/02/27(水) 06:37:25 ID:sf6RdgTL0
圧倒的な兵力差で絶体絶命だった官渡の戦いの曹操とか、関ヶ原で実は
後がないほど追い込まれていた家康とか、誰一人勝てっこないと思っていた
鳥羽伏見の薩長過激分子とか、歴史って結構追い込まれてしゃかりきになった
弱者の側が、余裕持ちすぎて後のことばかり考え足並みそろわず後手後手に
なる巨大な相手を短期決戦で破ってしまうことが多いんだが、ビンスJrの
全米進行もそういうものだったわけか。 905 :お前名無しだろ:2008/02/27(水) 07:31:42 ID:iPgS3b8Y0
まずは一番の強敵であるAWAに標的定めて引き抜きとテリトリー侵略。
続いてプロディをエースとした新団体の造反でガタガタになってしまったNWAの総本山
セントルイスに乗り込み興行(しかもAWAから引き抜いたばかりのホーガンをすぐ使わず
しばらく各テリトリーを転戦させて顔を売ってからWWF王者にするという用意周到ぶり)
これを当初他のNWAのプロモーターは傍観してしまった。
またNWAでも五本指に入る実力者で、テレビ業界に顔の利いたジム・バーネットが勇退
した時期という間の悪さで、しかも興行権を譲られたブリスコ兄弟がそれをビンスに転売
してしまうという始末(残りを持ってたオレイ・アンダーソンはやむなくクロケットに転売し、
ジョージア地区はノースカロライナ地区に併合された)
馬場の音頭でようやくNWA・AWA連合軍が結成され東部逆侵攻を始めた時にはWWF
のレッスルマニア開催の直前で時すでに遅し。
またこの時期のジム・クロケットJrの行動もNWAの崩壊を早めた。
連合軍による合同興行が終わっても元々子飼いだったフレアーを放さずNWA王者の義務
のはずの他地区サーキットを拒んだり、侵攻受けたフロリダやカンザスを支援するどころか
最終的に乗っ取ってファーム化したりして他のプロモーターのNWA離れを促進した。
910 :お前名無しだろ:2008/02/27(水) 23:30:45 ID:fUd1iCte0
坂口の合流があと3ヶ月遅れたら、テレ朝がつく事もなく新日は潰れてただろうってのと同じく
全米ネットのNBCがつくのが、あと半年遅れたらWWFは、潰れてただろうって言われてたな
ビンスは持てる限りの資金を全部尽きこんで全米進攻に入ったもののMSG以外のハウスショーはガラガラ状態
そこへマット界では、タブーとされていた全米ネットに載せるや、一気にブレイクし各会場は、フルハウス状態
そしてレッスルマニアでマット界初のPPVをかけて、これまでつぎ込んできた資金を一気に回収出来たって話だ >>967
>この頃のクロケット派のWCW立ち上げ
この頃のWCWはアトランタのTBSが放送していたジョージアチャンピオンシップレスリングが
ワールドチャンピオンシップレスリングに番組名変えただけじゃないの?
つべに動画が上がってるので見てるけど、番組名変わっても放送内容変わってないしw 普通にNWA王者で歴代ベストというと大抵はフレアーかテーズだろ。
馬場からすると先輩を尊敬して後輩は青二才にしか思わないんだから
フレアーの評価が低くなるのは仕方ないだろ。
馬場自身が青二才の時にタイトル挑戦した相手がロジャースだしな。 >>988
> 普通にNWA王者で歴代ベストというと大抵はフレアーかテーズだろ。
何をもって普通と言うのかわからないが
それは多数派じゃないだろう。 >>990
俺は普通でも多数派でもないのかもしれんが
フレアーはベストとは思わないな。 ハンセンがAWA王者になったがめんどくさいなって最終的に返上したんだよな 馬場鶴田ミラクルパワーコンビに何回フォール負けしたかな あの頃はPWFインターUNのタイトルマッチしてたな このスレッドは1000を超えました。
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