平成の新日本プロレス1
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95年のG1クライマックススペシャルではノートンビッグブーバー対ホークスティングとか実現していた凄い時代を語ろう G1クライマックススペシャルの
スペシャルってそもそも何だ? >>3
G1を豪華にしたものじゃない?
外人メンバーなかなか良かった 96年G1クライマックススペシャル横浜大会はレックスルガースティング組対スティーブンリーガルアーンアンダーソン組が4試合目とか神興行 この頃パワーのパートナーがホークじゃなくてバーバリアンだったシリーズがあったけどなんでそんなチームになったのか知ってる人いる? 両国7連戦のセミファイナルでハク、バーバリアン対ノートン、ヘルナンデスっていうカードあったなぁ… >>8
この時はG1のトーナメントはあまり注目されず正規軍、反選手会同盟、WARの三軍対抗戦が注目されてヘルレイザーズ、ジュラシックパワーズ、キングハクバーバリアン、ナスティボーイズの4チームも日替わりで戦っていたんだよね >>6
武藤対ペドロオタービオの訳分からない試合もあったの忘れてた 90年代の新日は
WAR→WAR、反選手会同盟→WCW→UWFインター→NWO
とマンネリになる前に上手く次々と正規軍の相手を変えていった感じがする
それが観客動員に貢献していた >>5
新日勢とWCWでトーナメントを
やったシリーズだが、
フレアー、レックスルガー、スティングと言った
ビッグネームが越中や健介にコロコロ負けたんだよな。
で、横浜の準決勝が〇越中対✖橋本
健介はシードだったかな?
決勝が〇健介対越中www >>12
まぁそれを言ったら、
80年代もジャイアント、ホーガン、ブロディ、ベイダーといった
外人を挟み、国際軍団→UWF軍団→出戻り維新軍→世代抗争と
正規軍(猪木)の相手を変えていったんだがな。 >>13
リックフレアーはトーナメント外でクロサワにも負けてたな… 95年前後は本当にWCWのトップどころか大挙して来日したのが凄かった
スティーブンリーガルがしょっちゅう来日していたなんて今となっては考えられない 個人的に昭和の時代にハンセンやキッドを全日に引き抜かれて嫌な気持ちだったけど90年代になってフレアーやロードウォリアーズの二人が新日を主戦にし始めた時は溜飲が下がる思いだった 提携してるWCWとの交流で地道にやっていこうとした矢先に
いつも天龍だのUインターだの小川だのの特需で
横道に逸れていってしまう繰り返しでおかしくなっていった >>22
WCWのメインクラスはシリーズを通しての参加は無理て特別参加に限定されるからじゃない?
ストーリーにからませられないし WCW勢との試合は内容がイマイチだった。
第二回G1とか。 >>24
サンクス!
ブラックタイガーの中の人がごっちゃになってた 90年代半ばに新日に上がったホークほ後半、寝かされまくってた印象がある ホークがIWGPに挑戦したけど、試合が印象が薄い。 やっぱりホークはシングルだとイマイチだったよね
ウォリアーズは全日で派手に登場したけど機械的で面白くなかった
新日に上がるようになってからの方が人間味があって面白かったな >>28
足に落ちたムーンサルトでフォール負けしてた気がする… 当時はドームのトリプルウォリアーズ対ノートンスタイナーブラザーズの6人タッグに異様に興奮した思い出がある
6人タッグ史上最高の面子と試合だった >>25
その時に初来日だった
ストーンコールドを馳、橋本、健介ら新日勢が大絶賛してたんだよな
そのおかげでオースチンが秋に横浜アリーナのメインに抜擢されることになる >>32
オースチンは金髪でハンサムだったけど体型に似合わず足が短かかったんだよな
当時の新日はスーパーヘビー級の外人が人気だった事もあってオースチンやリーガルは地味で人気があまり出なかった
WWE行って二人ともブレイクした時はちょっとびっくりしたな >>32
確かに、初来日のSオースチン
動きが良くて掘り出し物だと思ったよ。
G1のトーナメントで武藤との試合が良かった。
しかし、横浜アリーナのメインは
きつかったなぁ。まぁ新NWA王者の蝶野の
責任もあるが、試合が退屈で満員の観客に
ヤジられていたよ。 92年のG1て5回の興行があってオースチンは3回しか出してもらえなかったんだよな
なんでだろ?
因みに決勝ではアンダーカードでノートンビガロホーム対バリーウインダムジムナイドハートザバーバリアンというがマニアックな6人タッグが実現してるw >>35
テリーテイラーも来日してたが空気のような存在だった… >>36
テイラー何気に1回戦で馳に勝ってるんだけど全く記憶に無いわw >>35
この日見に行ったけど外国人レスラー好きには堪らないカードだったよ
他にもマシン対アンダーソンや武藤、佐々木対スタイナー兄弟、ライガー対ペガサスなど景気の良いカードが組まれてた >>35
WCWのレスラーが大挙来日して選手数が多かった為欠場者も多かった。
試合前にケロもその事をアナウンスしてた。 >>40
この頃の新日は今よりも外国人が充実してたよね
ノートンビガロホームに加えてホークスタイナーブラザーズがレギュラーになってWCWのメインクラスも頻繁に来日していた
>>41
オースチンは出たり出なかったりの変なローテだったんだよね
怪我じゃなかったと思う 93年のイッテンヨンなんてムタ対蝶野のIWGP、NWAのダブルタイトル戦がメインじゃなくて7試合目で行われてその後でヘルレイザーズ対スタイナーブラザーズ、藤波対WARの石川、メインで長州対天龍とかしっちゃかめっちゃかの興行で本当に楽しかった 因みに93年のイッテンヨンではロンシモンズがトニーホームに勝ってダスティンローデスも来日してるんだよね >>43
ライガー対ウルティモ、馳対スティングもあったね 93年はG1とG1スペシャルも凄いカードが連発で両国大阪城ホール横浜アリーナが札止めだった
ホーガンムタ対ヘルレイザーズとか超ドリームカードだったな
本当の黄金期だったと思う >>46
今からすると本当に考え得る最高のカードが揃ってたね
最近の新日はこの時代を見習って欲しい 俺は94年の1.4の方が凄いと思ったよ
なにしろ、メインが猪木対天龍、
セミ(ダブルメインイベントだったか?)
が橋本対蝶野のIWGP、
以下、長州対藤原、藤波対Hホーガン、
スタイナー兄弟対武藤&馳、
IWGPタッグ、ノートン&ヘラクレス対ヘルレイザース、
ジュニア選手権、ライガー対金本タイガー。 >>49
これも見に行ったなあ
この興行も神興行だった
アンダーカードのビーフケーキの塩ぶりが忘れられないw 93年5月の福岡ドームは
猪木、藤波対長州、天龍
ムタ対ホーガン、馳対藤原
これも豪華だった 全日の長州谷津タッグが大好きだったのに
谷津がおじいちゃんみたいになっててショックだわ。頑張って欲しい サブゥー対ブラックタイガーのJrタイトルもあったよね
あれってサブゥー対エディゲレロって事でしょ?
今考えると凄いカード >>51
アンダーカードのスティング対ノートンでノートンが血だるまにになって意識朦朧としてたんだよね
ノートンは流血に弱かったな スレタイ間違ったな
90年代の新日本プロレスで立てたら盛り上がる? >>47
しょっぱなだったかの愛知大会のメインがムタと橋本で橋本がIWGP獲ったり
仙台では武藤対馳とか、ライガー対ライガーに蝶野橋本対ヘルレイザーズ
横浜では天龍対馳にヘルレイザーズ対ムタ・ホーガン、ライガー対折原、タイガー対ブラック、橋本対ロバーツ、藤波石澤対藤原石川
大阪城では、藤波対天龍、蝶野対藤原、武藤対ホーガン、ライガー対Bタイガー、タイガー対折原
こんな感じの豪華カードが多かった記憶。
どっかでは天龍ボイコット事件もあった >>59
夏の両国7連戦のカードがかなり勿体ぶってたので落差の凄さに驚いたよね 96年に入ると新日本隊、蝶野狼軍団、WCW、WAR、Uインターの軍団ユニット抗争の規模がデカかった
今の新日のユニット抗争はその頃に比べて規模が小さぎる
当時は団体間規模の抗争で盛り上がった この頃は会場に行けばオールスターでカードの出し惜しみが無かったよね
これでもかというぐらいのドリームカードが出揃ってた
今の新日は見習って欲しい >>49
見に行った。
ライガー最後のシューティングスタープレス 平成と言っても
20世紀(1989年〜2000年)と
21世紀(2001〜2019年)では
大違いだな。
高橋本の発行が01年だし。 94年福岡ドーム
猪木対ムタ 藤波対橋本 長州対馳
藤原対蝶野 ライガー対佐山
スティング対ルード
ヘルレイザーズ対スタイナー兄弟
世代闘争が中心のカードだった… >>65
スティング対ルードなんてあったっけ?
凄く見たい 90年代半ばはスティーブンリーガル、エルヒガンテ、アーンアンダーソンがWCWから良く来日していた印象
3人とも人気はさっぱりだったけど
エルヒガンテなんて迫力無いしもっさりし過ぎて単なる見世物に終わった感じ スティーブンリーガルが橋本の垂直落下DDTをあっさり返して驚いた記憶。
いつの試合だっかな。 >>68
橋本のIWGPに挑戦した事なかったっけ?
あったらその試合じゃない? そういえばロンシモンズも良く来日してたな
ロンシモンズは新日向きと思ってたけど売り出される事なくコロコロ寝かされてた印象 >>69
>>71
ありがとう。
動画探してみる。 >>70
94年のタッグリーグでは
シモンズ、ネイルズ組 イーノス、リーガル組、ノートン、木戸組など不思議な組み合わせでの参戦が多かったね…
ノートンの場合はヘルナンデスの欠場で木戸になったけどあまりにもタイプが違いすぎるだろと思ってたな… >>73
そうそう
そして公式戦で木戸かホークからピンフォール取ったんだよね
この頃はホークも結構寝かされるようになってた アンダーカードでホークスティング組とかも実現していたような気がする
WCWのメイン処がアンダーカードで反選手会同盟がメインの方とか良くあった >>70
95年の武藤スランプ
・ノートンに負け
・シモンズに勝ち
・野上にドラゴンSHで負け(タッグ)
・イーノスに負け
・ムタでヒガンテに勝ち
なんでシモンズさんだけ普通に負けたんだ… >>77
シモンズ戦のあとに武藤の連敗を長州が考えたのでは… >>77
イーノスにも負けてたのか
ヘルナンデスが来れなくなったからノートンのパートナーとして売り出そうとしていたのかな 今日、大阪城来るプヲタのおっちゃん達、寒くても匂い対策はしてきてください。臭くて試合に集中出来ないので、本当にお願いします。 94年のドームでライガーが3代目タイガーマスクと戦ったんだけど、なんでノンタイトルだったか誰か知ってる? >>81
サンクス
調べたら札幌の控室でホークと殴り合いの喧嘩になったみたいだね 96年9月の後楽園大会は外国人メンバーが凄い豪華だったな…
後楽園でフレアー、スティング、ルーガー、アニマルらが見れるって贅沢な… >>86
リックスタイナーとアーンアンダーソンが2試合目とか贅沢すぎるね
アニマルは当時クロサワの中西とシングルでスティングフレアーもそれぞれ越中健介に10分足らずで負けるとか考えられない結末だった
フレアーをジョバー化するとか勿体なさ過ぎた >>87
このシリーズはマーカスバグウェルも来てたよね… >>88
トーナメント1回戦で橋本に負けてたね
最終戦の横浜アリーナては試合から外されていた
この辺は今も変わらないな
全日の方が外人選手の使い方が上手く大事にしてる >>89
このシリーズの新日の外人(WCWトップ)の使い方は
'80年前後の全日の悪いパターンだよ。
G小鹿が「プロレス取調室」で語っていたが、
「馬場さんは、トップ外人をいちシリーズに何人も呼ぶが、
メインで使うのは一人か二人、あとは前座、中堅で使うが
そうなると、もうトップ外人ではなくなる。
その点、新日のほうが上手かった] >>90
92年のG1もリックルードだけ特段に扱いが良かったな… 1996年9月
日米対抗スーパースターズトーナメント。
凄いメンバーが参加するので、9月23日横浜アリーナ
の準決勝、決勝のチケットを取ったら、
長州、藤波、蝶野、レックス・ルーガーが一回戦で敗退
2回戦、○越中対✖スティング、○健介対✖フレアー
9月23日横浜アリーナ
準決勝、○健介対✖ノートン(欠場)
準決勝、○越中対✖橋本
決勝、○健介対✖越中
もはや脱力、、
フレアー、スティングは確かに
往年の力はないにしても、
この扱いはヒドイよな。 >>92
もはや何の為にWCWのスーパースターを呼んだのか分からないトーナメントだったよね
フレアーを寝かせるのも全日に対する当てつけなのかとさえ思ったよ 90年代の新日本っつったら30年前の2/10東京ドームでしょ。
今頃の時間帯で鶴田登場だったかな? >>89
全日が外人の使い方が上手かったら、新日に抜かれることはなかった。 >>97
外人ばかりメインに出て日本人のスター選手が出てこないという風潮はあったけどね
80年代の話だけど 長州達が来るまでの80年代前半までの全日は馬場鶴田天龍の順で後の日本人選手は全員横一線のジョバーだった印象 序列打破のためにも天龍は全日やめて正解だった。
90年代プロレス界を盛り上げたし。 99年5月3日福岡国際センターでの武藤VS天龍のIWGP戦後の武藤はテレビインタビューで三沢と川田の名前を出した意図は当時の体制に対しての僅かながらの反発だったんだろうか
これ自体はアングルもくそも無かったわけだが 馬場が死んで三沢に実権が移った時期だから、三銃士と四天王の合同興行を企画していた時期じゃないかな。 あの時に武藤と三沢のダブルタイトルが実現したら三銃士四天王世代の人の中には勝ち負け関係なく、俺の夢は十分満喫したからもう未練はないとかでプロレスから足を洗った人達が出てきそうだな 90年代半ばのWCWスーパースター大挙来日から90年代後半にはNWOジャパンが始動する訳だけどたった2年間の出来事だったんだな
蝶野ケビンナッシュスコットホール組対武藤スタイナーブラザーズの6人タッグは最高だった
この頃の新日はトリプルウォリアーズ対ノートンスタイナーブラザーズとか6人タッグのスペシャル感を出すのが上手かったな 98年にはカートヘニングが1試合のためだけに来日したね…小島戦でパーフェクトスープレックスが見れたのは有難かった >>105
この時はカートへニングもNWOだったんだよね
NWOの主力メンバーが来て嬉しかった >>92 >>93
最初から9.23までの契約じゃなじゃったんじゃないかと疑ってしまう。
この当時の新日本プロレスは強気だったし。 そう考えると当時の新日はWCWと10年以上も提携していたんだな
その中で反選手会同盟から始まってWARUインター小川直也と抗争とか凄く充実していたな
間違いなく90年代が新日のピーク >>107
95年のG1クライマックスもフレアーは公式戦に出てるのに優勝戦はどこにもいないんだよねw
今ならみんな勘繰るけど当時は誰も何も言わなかったなw NWOジャパンの外人は酷かったなー
ノートン
NWOスティング
マイケルウォールストリート
マーカスバグウェル
ビッグタイトン
ブライアンアダムス
WCWでストーリーラインに絡めない選手ばかりだった
ビッグタイトンなんてWCWとも全く関係なかったし
FMWでエース格だったからちょっとは期待したけど身体も思ったより細くて塩分全開で荷が重かったな タイトンはNWOじゃなくてTEAM2000じゃなかったっけ? 01年健介が川田からリベンジ&IWGP再戴冠で幕を開け春の大阪ドームで藤田とタイトルマッチと思われたがその前のタイトルマッチで何の需要も無いノートンに明け渡し大阪ドームはノートンVS藤田、健介VS橋本とあの頃から新日のアングルがワケわからなくなってきたな 正直すまんかった事件。
健介が後輩の藤田に負けるのが嫌で、ノートンにベルトを渡す。
そしてノートンモミモミ事件。 >>112
アリストトリスト所属
だんだん扱いがテキトーになった NWOはもう少し長く続けて欲しかった
蝶野と武藤の仲間割れアングルは早すぎたな
もう少し寝かせて欲しかった ドームで乱闘したら受けるみたいな上の勘違いからか一時期ドームで毎回の様に乱闘するようになってきたな
大阪ドームだっけ、何かの乱闘中にパワーホールが鳴って長州が出てきた時はもう呆れて言葉も出なかったわ 地上波ゴールデンの生中継でモミモミ事件とタイガーストップ >>117
あの大阪ドームは生中継だったからか全試合雑だった印象…当日のお客さんが可哀想だった >>117
いや、あれ面白かったじゃん
それ以外が糞
CM明けでライガーが素顔になってて
最高やったわ 2001年大阪ドーム
橋本対健介
藤田対ノートン
蝶野天山小島対武藤太陽ケア新崎人生
長州越中対川田渕
永田対中西
よくこんなカードで大阪ドーム打てたなと逆に感心する 2004年大阪ドーム
中西中邑対藤田カシン
天山棚橋対川田小川
柴田対天龍
健介対みのる
奇をてらいすぎてどこに注目すれば良いのか解らないカードの連発 >>123
柴田vs天龍は良かったな
噛み合ってた 2001年札幌ドーム
藤田対ドンフライ
蝶野対武藤
天山小島対太陽ケア新崎人生
永田対マークコールマン
中西対ゲーリーグッドリッジ
もはやプロレスの興行では無かったw しかし藤田や小川とちゃんと試合を作っちゃう川田って凄いよな >>120
これか、ありがとう。
リーガルがあっさり返してびっくりしたわ。 >>125
>>藤田対ドンフライ
>>蝶野対武藤
これを蝶野vsフライ、ムタvs藤田なら面白そうなのに。 しかしてては95年の衝撃な凱旋帰国からシングルで結果を出すまでに相当の時間がかかったんだな >>125
最初で最後の札幌ドーム大会になりそうだね >>130
天山はG1もIWGPも蝶野体制になっての2003だよね。
帰国から8年くらい後。 天山は見た目がイマイチだからね
暗黒期を手引した1人 >>134
天山はマイクアピールも酷かったからなぁ…
華のある小島がいなくなったのは大きかったよね 小島が残っていたら第三世代のエースは小島だったのかな。 >>136
間違いないと思う
顔も身体も良かったからね >>137
小島は後ろ髪切ってカラダ絞ってからカッコ良くなったね… 中西ーグッドリッジの再戦が
地方大会のPPVメインになるから
凄い時代があったもんだ 小島が02年に全日移籍したのに翌年の1.4で普通にテンコジタッグで試合してる経緯が思い出せない
当時の新日と全日って言うほど絶縁状態ではなかったという事だったのかな? >>140
2003年のテンコジが何で実現したのか思い出せない
相手が蝶野中西だし
なんだったんだっけ? 2003年の東京ドーム調べたらアルティメットクラッシュが出て来たw
しかも何故かパンクラス無差別級タイトルマッチでジョシュバーネット対高橋義生まで実現してるし
メインが天山中西永田棚橋坂口対サップ高山みのる中邑藤田の5対5イリミネーションとかw
ドームらしいのはセミの蝶野対ホーガンだけだった >>144
この頃ネタ無いのにドームを年間3回入れてたんだよね >>132
東京以外のドームはもうやらんだろ。
札幌ドームも97年あたりにできって、そのときに
やってれば満員もあり得たのにな。 >>144
新日退団時に感動的にテンコジ解散したのに翌年普通に再結成っておかしいよね、でも全く覚えてないわ
カード見ると現場監督蝶野の苦悩が伝わってくるなw >>146
5〜6年前西武ドームでやった。
あとグリーンドーム前橋でもやったはず。
>>140
飯塚さんのおかげ。 02年は永田以外まともなのがいなかったらんだよな
だから翌年は高山に渡すしか道が無かった
でその高山から天山に渡った訳だが天山にIWGPヘビーは見事に似合って無かった >>150
その頃から飯塚さんとの友情があったのか? >>151
天山は4回もIWGP巻いてるけど、いずれも短期政権なんだよね。
長く巻かせなくて正解だと思うわ。 暗黒期は天山永田がトップで全く華が無かったからね
トップは見た目が良いか凄みがあるかどっちかじゃないと務まらない
天山永田は見た目が悪いし凄みも無い ミルコ
ヒョードル
とガチで対戦した永田裕志さんを舐めるな 永田さんはルックス悪いのわかってるから川田路線で凄みを出そうとしてたのだろうけど、何かが違った。 川田はキャラ作りが一貫していたけど永田はどこかお人好しみたいなとこがあったからね 両国のメインがフリー参戦の健介対ボブサップだったりレスナー対曙の頃はキツかったな… >>150
新日本を含め現在は専ら地下にあるサブイベントエリアが会場の前橋グリーンドームだが
90年に1回だけメインエリアでやったことがある。
その時のカードは藤波の復帰戦(藤波・越中vs長州・浜口)やトニーホームの異種格闘技戦
が行われた。 >>159
観衆10800人入ったんだよね
シン対ベイダー、武藤対馳、蝶野対健介、橋本対キャメロン
バッドニュースブラウンの新日復帰戦もあったね〜 >>154
その点、まだ中西の方が
マシだと思ったんだが、
1999年、G1優勝→10ドームで
武藤のIWGPに挑戦、破れてから
浮上できなかったな。 >>161
中西は翌年のG1で連覇できたら再浮上できたのに、健介に負ける糞アングル。 実際、オリンピック日本代表の中西は
将来のエース候補の最右翼だった。
ヤングライオン杯にも優勝。
アメリカ武者修行、96年クロサワで
凱旋帰国した時は、長州、Rフレアーも撃破。
あの頃は、身体もそんなにゴッツくなかったし
顔もひきしまって、後年のようなバカキャラではなく
当然、未来のIWGP王者だと思ったんだが。 天山 小島 永田 中西
昭和なら中堅で木村健吾クラス、木村健吾の立ち位置だよな。
暗黒時代を彼等のせいにするつもりもないが。 >>160
実際は6500人くらいだったようだが。
まあ前橋クラスの都市でこれだけ集めれば大したもんだが。 >>160
なんかバッドニュースブラウンの復帰戦とか藤波越中組とかラリーキャメロンとかどうでも良すぎるカードだよね
新日のフロントは何を考えて20000人規模の会場でこんなカードを組んだのか意味が解らないw トニーホームとか塩だったな
ベイダービガロノートンと4強みたいな扱いの時期があったけどどう見てもホームだけ格落ちしてた
ホームを外人メインで使うあたりから雲行きも怪しくなったな >>164
さすがにキムケンは言い過ぎでしょw
キムケンの塩さ加減は全日で言えばロッキー羽田クラス
坂口の口利きであの位置に上がれたとしか思えない 小島→革命前の天龍クラス
永田天山中西→鶴田のUNに挑戦したキムドククラス
キムケン→ロッキー羽田クラス >>166
この年の12月の両国ではマスクドスーパースターがアックスデモリッションとして復帰戦したね…対戦相手はマサ斎藤 アックスといえばカナディアンジャイアント
アックスからは新日愛を感じたね >>163
後藤の凱旋帰国の時も顔が引き締まってた。 平成は幅広いけどこの試合があった時が実質平成新日最後の面白い興行だったと思うね
永田&秋山(28分04秒・バックドロップホールド)×馳 浩&武藤
この後はドームで蝶野が女とやったり三沢とのネタバレ30分ドロー
GHCヘビー級がメインで小川と健介のやつとかここらへんでごっそり離れたのが多そうだ 健介は完全に嫁の力だな
でなきゃ白面で女子プロの技なんてパクれないよ
なんか金本がジャパニーズオーシャンスープレックス、高岩がデスバレーボムを使った記憶があったがあれって本人といくらか交流あったのかな? 高岩は優勝するわベルトは巻くわ一気にjrが地味ーになった 高岩はびっくりするくらい華がなかった。
なんであんなのをプッシュしたのか。 保永は試合が面白いからなあ。
高岩は試合も一本調子でイマイチ。
ジュニアの健介みたい。 >>174
健介はパワーウォリアーになる前までは応援したくなる選手だったんだけど何か違う方向に行っちゃったよな〜
男子校で格好付けてる高校生みたいな… さっきYouTubeで健介と大仁田の試合見たけど酷かったな 俺は健介はバワーウォリアーの時が1番好きだったな
トリプルウォリアーズには良かったな
ヘルレイザーズでホークと組んでた後にアニマルと組んでシリーズを回った時は面白かった
佐々木健介になるとボロが出て試合もコメントも塩過ぎて見る気になれなかった NWOスティングとかマイケル・ウォールストリートが好きだった マイケルウォールストリートはもう少し上で使われても良かったな
プロレスが上手かった
器用貧乏過ぎたのかな 平成の新日本は夏のG1と1・4ドームで儲けたね。
この二つは定番興行となり。
他にも全国ドームツアーとか後楽園ホール連戦興行とかでも。
武道館は全日本メイン会場だからか、手抜きに見えた。
90年代前半はそうでもなかったけど。
90年代後半は武道館は手抜きだったと思う。
それは武道館がメイン会場の全日本への配慮だったのかな?
他で力を入れてたし。 武道館といえば橋本対ライガー
よくあれだけのカードで満員に出来た 94年2月17日両国
橋本対天龍
スタイナーブラザーズ対バワーウォリアーライガー
2月24日武道館
橋本対ライガー
藤波長州木戸対バワーウォリアーJJジャックス
馳対安田
両方とも札止め
両国の札止めは解るけど武道館の札止めは理解できない
勢いを感じる 確か橋本とライガーの時は特リンが5000円だったよね 上にあるように武道館はファン感謝デー興行だからチケットが安かったんだよ。値段の割にカードを奮発したから満員になった。 >>188
セミのカードは
ムタ、パワー対藤波、長州が
ムタの負傷で普通の6人タッグに変更になってしまった…
あとは谷津、仲野の新日復帰戦もあった サンクス!
それで武道館が札止めになったのか
良くこんなカードで武道館埋めたと理解出来なかったわ
ファン感謝デーとか全く記憶に無かった >>184
1.4と夏のG1(両国で連戦)
それと9月23日(秋分の日)の横浜アリーナと
3月21日頃(春分の日)の東京体育館が恒例になった。
全日の向こうを張って6月には武道館で
もビッグマッチを行ったなぁ。
平成と言うより、90年代〜2000年代初期だが。 97年シードでG1優勝、その後IWGPタッグ、ヘビーも巻いてプッシュされまくってた健介が受け付けれなかった。まあその年のプロレス大賞はなんも獲れなかったけど。 >>186
2月24日武道館
>馳対安田
付け加えれば、安田デビュー戦。 テイクアドリームの入場曲、革ジャンの背中に健介と書いてある入場コスチュームもちょっと違うなぁと思ってた >>194
蝶野正洋対後藤達俊もあった
蝶野がバックドロップで負けてたな… 思い出した。この武道館で、初めて猪木引退カウントダウンが発表されたんだよね。ケロが言葉に詰まりながら涙声でアナウンスしてたのを覚えてる。
結局、引退まで丸4年かかったが。 >>195
やっぱ健介の曲はPOWERが一番似合うな >>117
あのパワーホールは高橋本に先駆けたカミングアウトだと思ったな 健介はGPヘビー巻いてもG1優勝しても新日のエースという実感が無かった
橋本武藤蝶野の後は天山永田に移行というイメージ 永田も天山も橋本武藤からベルトを取れば少しは違ったのかも知れない 健介が橋本からベルトを獲っても評価が上がらなかったから、それだけではダメなのかもね。 健介はキャラを作り過ぎで感情移入し難かった
話し方も無理し過ぎだし
パワーウォリアーやってた方がまだ良かったな >>201
いや、天山の方がエースという印象は薄いな。
2003年11月、高山を破ってIWGP王者になるも、
ほんの一か月、初防衛戦で新人の中邑に奪われ、
2度目の戴冠(04年2月)も初防衛に成功した後、やはり一か月で
転落。3度目は(04年12月)は2か月、初防衛戦で小島の三冠と
ダブルタイトル戦であの脱水事件で奪われた。
4度目(05年5月)も初防衛のみで2か月で転落。
なら、まだ健介の2度目の王者時代は、
まる一年(00年1月〜01年1月)続いた。 >>205
天山は4回戴冠、2防衛だっけ?
印象が薄いのは仕方ない。
チャンピオンの魅力=防衛回数だから。 >>207
今の全日の宮原って奴もかなりの防衛してるけどどんなもんなのかね?試合とか見てないから分からないが >>208
AJP自体がインディ未満なので、防衛・タイトルに価値がない 健介が正規軍エースみたいな頃はnWoピークだったからな
どっちみち無理ゲーよ 2001年のイッテンヨンも酷かったな
IWGPヘビー級王座決定トーナメントやったけど
1回戦
○健介対小島✕
○天山対永田
2回戦
○健介対蝶野✕
○川田対天山✕
決勝
○健介対川田✕
セミは長州対橋本でドラゴンストップ
この頃は行き詰まってたのかね 武藤橋本の存在はデカかったね
01年武藤はいたけどもう全日よりだった >>211
伝説のドラゴンストップは覚えているけど、武藤はこの時何してたっけ? >>213
大谷と組んで中西ライガー組と対戦
5分ぐらいで終わりw 2003年イッテンヨン
○永田対ジョシュバーネット✕
○高山対高坂✕
○テンコジ対蝶野中西✕
もはや地獄絵図w >>214
ありがとう。
覚えてないわけだわw
もったいない武藤の使い方 しかし新日って凄いな
良くここまでドームを継続させたわ
それだけでも感服する
2003年のイッテンヨンなんて大阪府立でも札止めにならないカードでしょ でもあのトーナメント凄く内容良かったんだよなドラゴンストップで霞んじゃったけど ユークスに買収されるまでは年三回くらいドームやってなかったっけ?
よくできたな。 今のイッテンヨンも普段と変わらないカードだが外敵に恵まれないのが原因なのかな 98年のG1トーナメントは山崎一夫が確か藤波、健介、蝶野を三立てして決勝進出したんだよな
最後は当然の如く橋本に破れたが >>211
2001年のイッテンヨン
生観戦したよ。
IWGP王者トーナメントとか
それなりに良かった。
>長州対橋本でドラゴンストップ
これ会場で見ていたら、
突然、藤波がストップを掛けて
館内(少なくとも俺の周りは)
どうして止めるんだ?!
という感じ。
それが、あとでテレビで見ると、
解説の山崎一夫がしきりに
「この試合はおかしいですね!」
「これは止めないと、、」と言っていた。
そういうことを聞くと、止めても良いのかな?
という気になったが。
とにかく、現場とテレビ観戦では受け取り方が違うよ。 健介がリーダーのタッグチームはパートナーが山崎とか越中だから、会場人気はあれど華に欠ける 2002年10月14日東京ドーム
○永田対藤田✕
○ボブサップ対中西✕
○蝶野対ジョーニーローラー✕
○GREAT MUTA対天山✕
これでドームとか勇気がありすぎる
GREAT MUTAって正体誰だったけ?
無名の白人選手? >>226
スタンボリーじゃなかった?
ブードゥーになったときはかっこよかった >>228
真壁の出番がなく藤田ミノルが数秒で負けるとかいう低迷ブック
もちろん再試合となったけど >>227
スタンボリーってWWE解雇されたんだっけ
何故か新日の後は全日で本物のムタと抗争したような 私的に平成初期のドームってスタイナーブラザーズのイメージが強いけど2000年代半ばはノアの杉浦が毎年参加していたんだよね
集客に結び付くとも思えないしノアの捨て駒だったのかな >>231
杉浦、2008年〜2011年まで参戦しているね。
最初の「方舟襲来」では三沢のパートナーを務めたり
翌年はGHCヘビー級王者として後藤の挑戦を受けたりと
捨て駒ってことはないよ。
むしろノアの主力でありながら、まったく
お呼びが来なかったのは森嶋。
杉浦も最後の東京ドーム参加(2011年)で
後藤に星を返す試合は、もろやる気のなさが目立った。
この年の1.4で凱旋したのが、オカダ。
以後、ノア勢は不要になった。 蝶野はNWOがあったからもっとセンス良いと思ってたけどね
猪木にも無駄に忠誠尽くして何もかもが中途半端だった印象
もしかしたら被害者なのかもしらんけど >>231
杉浦って人は華が無いのに、プロレス大賞MVP取ってるから凄いレスラーなの? 三沢はイッテンヨンに参戦した年に亡くなったんだっけ? >>236
そうだね
杉浦と組んで中邑後藤組とイッテンヨンに出た年だね 2000年代前半のドームは地味なマッチメイクとK-1PRIDEに翻弄されていた印象だけど2007年ぐらいからお祭り的な華やかなイッテンヨンが戻ってきた ドームで地味に印象に残った試合教えて
オレはエンセン対村上 マサ斎藤、蝶野正洋対バリーウインダム、アーンアンダーソン >>248
て事は新日版と全日版の2人事か
2002年ぐらいは1番プロレス興味なかったからほとんどうろ覚えw
スーパーJとかなんで正規軍にいるのかも解らないw MUTAの負傷で神戸大会のメインが
蝶野、天山対カブキ、ローラーに変更になったときは幾ら何でも酷いなぁと思った…
シックスは来てなかったんだっけか… バスルッテンとか参加していた時期で何やっても中途半端な時期だから見ていても流し見だったな
この頃から何年かは本当に曖昧だわ この頃から2005年くらいまでの熱戦譜見てると何がしたくて誰を押し上げていきたいのか全くわからないカードが多かった ジミーアンブリッツとかいうのが普通に6人タッグに入り込んでて笑ったわ みんなが考える暗黒期っていつからいつぐらいまでなんだろ?
ブシロードに買収されてオカダがGPヘビー巻いた頃が暗黒期から脱却したとして入り口が人それぞれ若干違う気がする 暗黒期の始まりは、武藤一派の離脱からだと思う。
あそこから明るいニュースがなかった。 私的には小川や総合系の選手が上がり始めた頃から好きじゃなかったけど興行的には2005年頃からが暗黒期っていう認識っぽいね
10月のドームは例の蝶野藤田ブロックレスナーの3wayにセミが棚橋中邑対川田安生とか訳の解らないカードだったしw >>13
そんなことやってたから、その直後のnWo全盛時にはドーム級とかじゃなければ
レイジとカオスのハイボルテージとかnWoスティングみたいな二軍しか貸してくれなくなった >>261
1.5軍ってとこかね
少なくとも越中や健介に負けてたフレアーやスティングとかのシングル王者クラスじゃないよね
〇クロサワ(8分48秒 アルゼンチンバックブリーカー)リック・フレアー●
〇佐々木健介(9分37秒 ストラングルホールドγ)レックス・ルガー●
〇越中詩郎(9分57秒 前方回転エビ固め)スティング●
〇佐々木健介(9分37秒 ストラングルホールドγ)リック・フレアー● フレアーのジョバー化は全日への当て付け
ホークでさえ寝まくった >>262
しかし何回見ても酷い結果
フレアーが10分しないでクロサワにも健介にもギブアップとか考えられん
この後nWoが席巻するけど >>267
途中で送信してしまったw
この後nWoが席巻するけどよくWCWも認めてくれたわ
普通は破談するようなクソブックでしょ
この頃仕切ってたのは長州だっけ? 昔、ゲーセンの闘魂烈伝4で橋本でワンコインクリアーして家に帰ってテレビつけたら橋本の訃報のニュースが流れると言う奇妙な思い出がある
ところでその闘魂烈伝4、あれはプロレスゲームを装ったアクションゲームだな
打撃連打でKOするクソゲー 個人的な最高のドーム興行を教えて欲しい
俺は1992年のイッテンヨン
長州対藤波
レックスルガー対蝶野
ムタスティング対スタイナーブラザーズ
ベイダー対ヒガンテ
猪木対馳
橋本対ビルカズマイヤー
トニーホーム対スコットノートン
マサ斉藤キムドク対ダスティダスティンローデス親子
越中小原対ラリーズビスコアーンアンダーソン
新日史上最高の外国人勢と塩時合が忘れられない 俺は94年のドーム。
猪木対天龍
ホーガン、ヘルレイザー、
ライガー最後のシューティングスター、
スタイナーズのSSD
盛り沢山だった。 >>271
カードは超豪華なんだけど内容が残念だった印象
俺はやっぱり猪木引退興行
猪木引退はもちろんセミの藤波ジャーマンも良かった ベタだけど
95.10.9と99.1.4は
思い出深いしあの場に居合わせて良かったと
今でも思うな… 猪木の引退試合はやっぱり小川とやってほしかったな
小川相手に上手いこと試合作ってさすが猪木、やっぱり猪木で終わってほしかった
相手がフライというよりあの試合時間の短さとあっけなさが悲しかった レックスルガーは当時、最も期待を裏切ったビッグネームw
試合内容はヒクレオ以下 >>240
冬木vs安生
>>271
96・4・29
橋本vs高田の大会 >>277
変なタイミングでトーチャーラックやってたのが印象的… >>279
96.4.29は全9試合で無駄な試合が1つもなかった…
ムタ対白使は両者の入場シーンがめちゃくちゃカッコ良かった >>278
それ俺じゃない
レックスルガーには期待していたw
>>279
この時も蝶野対レックスルガーが行われていたのにびっくり
すっかり忘れていたw
トリプルウォリアーズ対ノートンスタイナーブラザーズのスーパー6人タッグが行われたのもこの日だね もしかしたら96年ぐらいの新日が1番のピークだったかもしれない
新日本隊にWAR、WCW、UWFインターが絡んできて異様な雰囲気と豪華さがあった 2000年、全日の分裂で新日も若干救われた感があったのかも知れない
あれがあったからドームの健介×川田があった
まあ対全日はあれ以上の興奮は無かったけど 当時、東京ドーム以外のドーム興行でのベストはどれだろう?
他のドームはあまり語られてないから気になる。 >>285
93年の福岡ドームはムタ対ホーガンが実現するだけで興奮したね
97年の大阪ドームもnWoがピークの時で蝶野ケビンナッシュスコットホール対武藤スタイナーブラザーズにも興奮した 2003年ぐらいにいきなり蝶野とホーガンがシングルしたことあったけどあれ何だったの?
ホーガンG-1出場か!?とか有りえない飛ばしも出てたし >>287
ホーガンが一時的にWWEを離れた時に小遣い稼ぎに来たんじゃない? 96年2月両国
メイン 武藤、ライガー対高田、佐野
セミ 橋本、平田対安生、高山
メインは高田が先発で出て佐野にタッチしたあと一度も試合に介入しない謎の塩試合だった 両国国技館の観衆が、モニターで別会場の村上vs棚橋を黙って観戦とかなかったかな?
新日がつまらなかった頃。 蝶野対ホーガンの時のホーガンのギャラは2000万で健介戦の川田のギャラが3000万だっけ?
大仁田も3000万だったけか? >>287
集客効果が全くなかったから
ホーガンはギャラ高い上に取り巻き何人も連れてきて金ばっかかかるし、
高齢のくせに勝ちブックハゲだったから新日にウマミなし ホーガン参戦は多少の集客効果はあったんじゃない?
当時は総合全盛の時代で中途半端感が否めなかったし、普通にプロレスを楽しみたいファンも多かった
俺は蝶野対ホーガンが発表になって1番ワクワクしたけどね 確か猪木戦をオマージュした背後からアックスボンバー蝶野鉄柱に額痛打と、エプロンサイドからのアックスボンバーやってたな 2000年前後だったと思うんだけど、IWGP査定だったか、ランキング制度だったか覚えてる人いる?
すぐ無かったことにされたんだよな。 >>298
あったあった!
思い出したw
この頃の蝶野は自ら良く寝てたな 永田対安田のIWGPが行われた東京武道館はこの1回だけしかプロレスの興行してないね 東京武道館て3000人ぐらいしか入らないし綾瀬にあって交通の便もあまり良くないんだよな はなわの息子が柔道で武道館を目指すというバラエティの密着で、うすうす分かっていたけどやっぱり東京武道館で、そっちかよと思った思い出 >>299
その東京武道館で査定試合やってるねw
健介対吉江
天山対中西
蝶野対西村
だって 蝶野西村は覚えてるわ
羽根折り固めで絞るだけ絞って解いてピンフォール勝ちという謎の勝ち方だったから 東京武道館は2002年だったけどこの頃から暗黒時代へ突入かな
蝶野のT2000がジャイアントシルバやシンを加えて正規軍は健介永田中西西村がメインを回すというズンドコぶり
本当に酷いカードが多かった
https://www.shinnichi-pro.co.jp/news/2002-0326.html >>305
このあたりから60分とか45分がなくなり30分1本勝負や20分1本勝負が上の方でも増えた
何か違和感を感じてしまった >>289
高田ってあの頃からブック拒否る人だったんだなあ >>306
棚橋vs後達なんてあったんだ!
異色対決w >>312
新日素人でも思いつかない酷いカードの羅列だな… >>312
蝶野対ホーガンで救われた大会
蝶野対ホーガンが無かったら後楽園ホールレベル このドームはまだ良かった方だよ
メーンのイリミネーションマッチも盛り上がったし
この1年前のドームは直前で健介が離脱するし
真壁の凱旋マッチだったのにその前に海援隊の興行に出ちゃうしヒートのデビュー戦もグダグダだったからね
中西vsサップ以外は盛り上がらなかった >>312
なんか集中力の欠けた散らかったカード編成だな
第5試合これなんだっけ? ポスターにデカデカと中心で映ってる蝶野のカードがなんてことないカードで笑った 蝶野がバリバリでやってたのって何年まで?2007ぐらいまではタッグリーグとかにも出てた記憶があるが
そもそも蝶野って衰えて前座に回ってフェードアウトの「前座に回って」っていう時期ないよな? モンゴル相撲対大相撲とかw
朝青龍の塩兄弟に天龍キングハクが負けるとか考えられん 2004年は10月の両国もカオス過ぎて訳わからなかったな…
長州登場、中西の不可解なヒールターン、柴田が天龍にガラス瓶で頭叩かれ悶絶、メインの健介対藤田の変な終わり方、北斗激怒…
おまけに外は嵐のような大雨と違う意味で伝説の大会だった… 2000年代はカッコいいエースがいなかったのが痛打だったな >>327
因みにこの日のジュニアタッグも稔が試合中に金本を裏切りヒールターンとなるぐちゃぐちゃな展開 93年のG1スペシャルが最高のシリーズだった。短いシリーズだけど全大会で出し惜しみのない好カード連発だった。 90年代の特に前半ならゴールデンでもそれなりに視聴率を取れたと思う。
外国人もベイダー、ビガロ、ノートンと揃ってたし。
彼等はキャラも存在感もあったから世間にも浸透したはず。 >>312
外道とのタッグならまだしも、
邪道が東京ドームでシングルのチャンピオンになるとか誰得だよw
10人タッグは坂口憲二がセコンドについた試合だな。
棚橋が藤田からピンフォールしてる。藤田がよくブックを飲んだな。
>>327の方は、
当時としては平凡だけど、今の選手が
当時どういう試合をしてたかという意味では興味深い。
若手時代の後藤、田口、裕次郎の生え抜き、本間と矢野のシングル。
何気に石森や中嶋も新日に上がっているし。 >>330
93年は天龍とトップ陣の対戦が良かった。
アリーナの馳戦が最高。
最後のドラゴン戦が一番塩。 >>327
これ現場は最悪だったと思うがワープロではそれなりに面白かった 生で観るならいい試合が見たい?
それとも歴史に残るようなハプニングが見たい?
今はいい試合は多いけど歴史に残るような事件はないな >>337
間違えた
メインがNWFヘビー
こんな興行両国でやる意味あるの? それ高山が試合後ファンにマイクで謝ってたやつだな
相手がしょぼすぎたって セミでタイトルマッチを控えてる安田村上がアンダーカードにも出場してるのが良く解らん
何の意味があったの? たしかNWF王座復活ぐらいからワープロが30分に短縮された 小原の「星野〜ハウス!」って言うのがちょっとウケてた頃 >>342
30分になる前の週のラストで高山が「濃縮パワーアップ!」と叫んでたなw 土曜夕方4時の時代になるけど、テレビ欄を目にするとその時間帯はレディースゴルフとなっていて秋になるとそれが1ヶ月も続くとゴルフが憎くなっていた。 >>337
メイン以外のカードも酷い。
一つも見たい試合がない。 >>345
91SGタッグは久々に夢のカード続出だった。
しかしゴルフで放送なし。
それこそゴールデンで放送してもいい数字取れたと思う。
91SGタッグは全て未放送は勿体なかったよ。 >>347
このシリーズはビデオ収録販売が多かったよね
幕張メッセはスペシャルシングルが何試合か組まれなけど武藤の相手のXがティムホーナーでズッコケた
終盤にはグレートOZが特別参加してたね WWF(当時)のホーガン、とWCWのスティング、スタイナーブラザーズ、ロードウォリアーズ、ムタが同じ会場にいるからすごい
若きストーンコールドも
ホーガンVSムタとかアメリカ側がこっちでやってほかったとか >>346
蝶野天山vs安田村上は良かったと思うけどなぁ。
あと、みなさんスレタイ的に90年代とか200〇年とかじゃなくて
平成〇年と書いてほしいと思うけど、それは言ってはいけない? >>350
昭和スレに対しての平成スレだから
西暦スレが良ければ、それはそれで建てればいいんじゃないかな?
俺はここで良いけど >>348
今思うと闘魂Vはテレビ放送回数が減ったために生まれた企画なのかもしれない。 闘魂Vのコンプリート版DVDBOXが出てくれないかな… >>352
まさにその通りだったはず
会場でもお手頃価格の3800円で売られてたんだよな 魔界倶楽部は暗黒期その物だな
海賊ガスパーズのオマージュだったけど劣化版もいいとこだった
魔界の時が1番新日から離れて見ていなかった、というより恥ずかしくて見られなかった 藤田ってその時とドームの永田G1の蝶野以外でシングル寝たの見た記憶ない >>359
この武道館生で見たけど武道館がでやる意味があったのか⁉︎てぐらいのお客さんの入りだったわ
入場口作って半分近く使ってなかったからな >>349
全員同じ興行に出た事あったっけ?
横アリやドームにホーガン出る時はスティングいなかったような 93年の福岡ドームはホーガンスティング出ていてもスタイナーブラザーズが出てないね 福岡ドームのカードも年々豪華さが無くなっていったよね…
2000年の大会なんて
ムタ対パワーのメイン以外カード全く忘れてしまった… ムタ対パワーもショボかった。
そもそもパワーと健介が使い分け出来てないので、パワーの必要性が、よく、わからない。 蝶野藤波の試合で蝶野がよく分からんコスチューム履いてきたのは覚えてる 馳健vsムタ&TNTの映像見たいな〜
札幌中島が大熱狂だった。 そう言えばTNTも一時期良く来てたね
完全にジョバーだったけど バトルオータム91の最終戦後楽園ホールメインで
藤波武藤スティング組対ノートンロンシモンズブラッドアームストロング組の6人タッグがあったけど夢があって良かったな
シレッとロンシモンズが加わってるのが好き >>367
なんで外国人が一人もいないんだ?
いないどころか武藤までもが「バイバイ、ニュージャパン!」って吐き捨てたのもこの日だよな。 武藤はこの年は日本で2〜3試合しかしてないんだよね…
年末のスキンヘッドで登場したのは新日主催興行じゃなかったんだっけか… >>357
○後藤&ヒロ斎藤(5分44秒・バックドロップ〜片エビ固め)×ジャック・ザ・ブル&スコット・ノートン
ジャック・ザ・ブルってどんなレスラーだっけ?
この組み合わせの負けだから気になる。
>>359
中邑のデビュー戦って新日じゃなかったんだな。
>>367
>>安田&平田&越中
このトリオって珍しいな。この時期の安田が小川・村上とやってほしかった。 >>376
中邑のデビュー戦は新日だよ
武道館興行が藤田プロデュースだけど新日主催
30周年記念興行 90年代のドームのMVPはスタイナーブラザーズかな
広いドームで1番分かり易くて説得力のある試合をしていたと思う
外れ試合が1つも無かった >>377 >>378
新日主催か。ありがとう。
平成維震軍やレイジングスタッフとの絡みが無かったのが唯一残念。 イメージではライガー以外のジュニア選手達が常時セコンドに付いてるのが平成新日本の印象 稔のヒートとか成瀬とかこの時代のJrは本当につまらなかった
魔界倶楽部並みにショボい面子 テリーファンクって実は3回もドームに出てるんだよな
しかも間隔を置いて
藤波バックランド対ファンクスやテリー越中対蝶野冬木まではちょっとしたサプライズだったけどレッスルキングダムでテリー長州蝶野中西対ブッチャー矢野飯塚石井の8人タッグは暗黒期のドタバタ過ぎてつまらんかった >>383
テリー&大仁田×ブッチャー&キマラもある。 >>383
>>384
え!それ何の興行?
テリーは5回もドームに出てたのか
ちょっとびっくり >>385
本当だ
中牧と組んでたんだねw
テリーはドームに出れて喜んでそうと思ってたけどこれだけ出てたらそうでもないか ドーム出場
テリー5回
鶴田3回
前田2回
なんか意外だよなあ 健介がドームのメインを5回ぐらい務めてるのも意外だよ >>390
一番多いのは武藤、橋本、棚橋、オカダあたりかな…
大阪ドーム入れたら蝶野は3回か… 外人ではスタイナーブラザーズかスコットノートンかな 新日本プロレスの解説で一番長いのは、山ちゃんだよな?
小鉄さんより長いよね。 平成維新軍の興行って何故か谷津が良く絡んでいたな
平成維新軍の誰かと関係あったのかな? 平成維新軍を調べていたら95年の大田区体育館でテリーファンクカブキ組対蝶野サブゥー組が引っ掛かってビックリしたw
これは見たい! 平成維新軍て長州軍と3対7とかやっていたんだな
全然記憶に無かった >>391
猪木も89、90、94、98の4回は東京ドームでメインやってるね
あと93と94に福岡ドームでもメインをやってる >>400
長州は天龍戦橋本戦もメーンだったんじゃないか? >>400
長州は92、93、97に東京ドームのメイン
93、01年に福岡ドームのメインをやってるね ちなみに藤波は91、92に東京ドームのメイン
93年に福岡ドームのメインをやってる >>403
97年福岡ドーム、98年大阪ドームもやってるね ドンフライは98年、99年にドームでメインやってるね ちょっと関係ないけど…桜庭が格闘技イベントのメインを張った回数
PRIDE→9回、Dynamite→5回、HERO'S→1回、DREAM→2回、RIZIN→1回
合計18回って凄いよな
格闘技イベントでこんな格闘家もプロレスラーも中々いない記録だと思う >>408
1試合目がインパクト有り過ぎて残りの試合への集中力がかなり減ってしまった記憶が… マルコ・ファスに勝った半年後
大塚の商品価値は高かった >>414
サンクス!
そうだった
すっかり失念していた 97、98年てNWOがブームで新日を牽引していたのに何故かドームではNWOを売りにした大会って無いんだよね 2010年に話が飛ぶけどG1決勝の小島対棚橋のセミで天龍川田4虎対長州SSマシンAKIRAの6人タッグが唐突に組まれていてビックリしたw >>417
その日は自分も観戦した
天龍は腰が悪かったのか立ってるだけ、というか大半が倒れてた印象
川田も結果的にラストマッチになったんだよね 天龍てSWSやWARで背負った負債を新日に助けて貰った印象だな 街中nWoTシャツを着た人が多かった事を考えるとnWoの方が凄かった感じがする >>420
nWoは本場でも日本でもブームだったからね
本場のほうではデニス・ロッドマンを勧誘してTシャツを着させたり試合にも出させたり
WCWはテレビ局が母体だったから視聴率を取る為ならいくらでも金をかけられたらしい
日本ではK-1全盛時にピーター・アーツがTシャツ来て入場したり、プロ野球選手を勧誘したり
お笑いとかでもよくパロディで使われたり、世間一般にも届かせる方法があった ハルクホーガンがnwoとして一度も来日しなかったのは残念だった… >>399-404
猪木藤波長州はドーム(特にメイン)だと負けブックばっかりだな。
こんなの全日系だと絶対にありえない。
>>407-410
金本ー大谷戦はよかったと思うけどなぁ。
あと山崎と組んだ藤田はまだ若手扱いの時かな? 小川やフライの参戦が無ければドームにnWo全盛時にホーガン呼んでたかもしれないな
ホーガンケビンナッシュスコットホールの揃い踏みは見たかった 一時期マイクイーノスが本隊と組んでいたけどあれは何だったんだろう?
イーノスを時期エース外人に育てようとしていたのかな? この頃の新日は他団体、特にFMWから外人レスラーを引き抜いたり契約が終了した?レスラーを上げていたけど
ホーレス・ボウダー、サブゥー、ビッグ・タイトン
全員、長期の常連にはなれなかったな…
アックス・ボウダーなんてチープな名前付けられたボウダーはすぐ消えてFMWに出戻ったし
サブゥーも新日関係者がFMWに頭を下げてまで引き抜いたのに結局使い捨て
タイトンもNWOの裏の実行部隊アリストトリストの所属1号とかいう立場だったから期待していたのにやっぱり消えた
インディーで大活躍していたからと目を付けて新日マットに上げても同じような活躍は難しかったんだろうな
同じようにECWから取ろうとしていたパブリック・エネミーもすぐにダメになっただろうな >>428
アックスボーダーは新日だとエラい細く見えた >>428
サブゥーはそこそこ評価高かったんじゃない?
ドームにも何度か出てた記憶あるしJrシングルも巻かせて貰ってた
ただサブゥーのやりたい事が新日では出来なくて自分からインディに戻ったみたいな話があったような気がする ライガーが東京ドームに1回だけ出なかった理由だってw
bGlFZzZ5WWs4NnhpN2t4WXozaVZoYjczdUF6bmstcy1iOE5CRGVoMU51ajJoSmtSLWw4OF9FakIwaGxKTmpoaw.. https://www.news-postseven.com/archives/20190124_855142.html?DETAIL&_gl=1*1rt63eo*_ga*bGlFZzZ5WWs4NnhpN2t4WXozaVZoYjczdUF6bmstcy1iOE5CRGVoMU51ajJoSmtSLWw4OF9FakIwaGxKTmpoaw.. ライガーのデビュー戦は、試合後に小林がマスクに手をかけたり、ライガーがアキレス腱固めをやったり、乱闘があったんだね。初めて見た。 ライガーが初めて出てきた時のあの謎コスチュームへのがっかり感w ライガーの本当のライバルって誰だったんだろ?
初期の佐野ぐらいしか思い浮かばない なんかベノワは印象が違うんだよね
あんまり噛み合っていた印象が無い ライガーvs大谷はメインでも何度か。
長州も認めてたのかな? ライガーは日本人相手の方が良いのかもね
佐野大谷金本サムライとかとは噛み合ってたね ベノワって体系的に棚橋と同じぐらいだったのかな
ベノワの謎はダイナマイトクリスは尊敬するダイナマイトキッドに対して未熟だからとペガサスキッドに改名した事
ダイナマイトは駄目でキッドは良いのかとw キッド(小僧)からワイルドに成長するのが前提だったからじゃね >>449
なるほど!
この頃のベノワはたまにヘビー級と組まされてジョバーやらされていた印象の方が強いんだよね
ライガーのライバルならそこだけに専念させた方がインパクトが強く残った感じがする ベノワ対ブラックタイガー燃えたなあ
96年だっけ?
深夜大興奮したわ〜 そう言えばライガーワイルドペガサスブラックタイガーディーンマレンコをジュニアフォーホースメンとか呼んでた時代があったね
今考えると凄いメンバーだったな ジョニーエースがもしも当時の新日に移籍してきたらエース級の扱い受けてたのかな…
背はデカいからねぇ 蝶野とジョニーエースの絡みは面白そう
橋本ジョニーエース組とか面白半分で見たかった ベノワで思い出したけど、SGタッグリーグにジュニアヘビー級として初参戦で話題になったライガー&ベノワ組が、ヘビーの橋本&蝶野組から金星あげて盛り上がったね(蝶野からピン)。
というていだったけど、ファンからはジュニア組が金星あげるのは蝶野からだなって見え見えだった。
当時の白蝶野は金星配給係で、G1で帳尻合わせておけばいいやみたいな会社の扱いだった、という思い出。 蝶野って黒蝶野になっても後藤達俊辺りに平気に負けてたし頭柔らか過ぎだろって思ってた
人柱も良いとこな印象 ベノワとエディゲレロのブラックタイガーがいた頃はカッコ良すぎてライガーがチンケに思えたな 2000年代前半に全日から移籍してきたマイクバートンジムスティールは何だったんだろう?
もう少し活躍すると思ったけど残念だった >>459
蝶野が後藤に負けたのってアクシデントじゃないの? >>359
最悪だな自称131kgの藤田ミノルw
セミ以外まともな試合がない 三銃士は格下でも状況によってはピンもギブでも柔軟に寝てたけど、四天王はギブ負けとか記憶にねえな >>462
新人女子プロレスラーが
憧れたきっかけのインだビューで
2004年頃の中邑vs柴田の映像流れてたから
何がきっかけかは解らんな 日米レスリングサミットで新日からライガー対野上と橋本マサ斎藤対長州蝶野の2試合を提供したけどいらなかったな
こんなカードじゃ客入りに影響したとも思えないし 矢野通のYouTube配信面白くないな。喋りは下手なわけじゃないんだがなんか面白くない。 98年に再度凱旋帰国した際の西村修は注目されたな…ファンはバカです
大阪ドームの試合後に山崎に説教されてから落ち着いちゃったが… ライガー、サムライ、カシンが、良かったので、ヒートもブレイクすると思った。 個人的にはライガー・金本組VSヒート・4虎組は黄金カードだったんだがな。 >>477
猪木の引退試合だったっけ
三銃士と西村 >>480
武藤、蝶野のnwo入場時の花道で西村がガウンの背中の無我の文字を見せたのは名シーンの1つ アンディフグのように、外国人エースでも良いかも。長期滞在が求められるけど。 >>483
誰だかさっぱり分からない
オレはもう過去のプロレスにしか興味ないと痛感した ジェイ・ホワイトは誰かに似てるなと思っていたら
『戦場のピアニスト』のエイドリアン・ブロディ
黒田勇樹の類いだった 沢山ホラを吹いたり、自分のやったえげつない事を人になしつけたり、いい加減で
適当な書き込みをしてる奴がおる。 しかもウンチとセックスが大好きな変態野郎。
その人のブログはこちらで、 あだ名はサボ辻、ホラ辻
https://www.facebook.com/tomokazu.tsujimoto.3 平成新日本ならスコットスタイナーが馳にだったスタイナースクリュードライバーだよ。あれ以上の衝撃はないよ。
小橋が頭から落っことすだけのオッサンになったのもこれが原因と思ってるよ。
小川橋本もこれのせいだと思ってるよ。
長文失礼 スタイナーブラザーズは今の時代のプロレスの先駆け的存在だったな
初めて見た時の衝撃は凄かった だいぶ前から川田がやってたらしいよ垂直は
最初は橋本の落下式と川田のは似てるな真似してるのかなと思ってた スタイナーブラザーズ、ヘルレイザーズ、ベイダービガロ、ジュラシックパワーズ、武藤蝶野、ナスティボーイズ
この頃の新日はタッグにも力を入れていて本当に面白かった 94年は、G1の予選を札幌中島でやった。
予選はその年以来やっていないはず。 >>494
ハセケンはともかくマシンヒロは勘弁して下さいw >>495
94年のG1て両国5連戦だったけど何故かスタイナーブラザーズとジュラシックパワーズ、エルヒガンテが1日だけ参加したんだよね
普通なら特別参加で2、3試合はしても良さそうなもんだけど
不思議な感じがした >>497
ただでさえ豪華なシリーズなのに、1日の為にそのガイジンメンバーとかバブリーだな >>497
ネイルズもヒガンテに2分でやられるために来日してた… >>499
ホントだ
ヒガンテは2試合していた
ディーンマレンコも1試合だけの参加 スティーブンリーガル対ペガサスキッドとか実現していたのが凄すぎる 483は、別に485に
言ったわけでもないし、
コメントを求めたわけでもない。
なんで、485は、しようもない
レスをするんだろ?
もう頭は完全な爺だなwww >>312
このドーム大会は招待券手に入れてドームに行ったら引き換え待ちの人がドーム一周するぐらい並んでた
雨降ってたんだけだだんだん強くなってきたこともあって友達とそのまま帰った思い出 95年頃変な若い外人のレフェリーいなかった?詳細が探しても出てこないんだよね >>514
ピーウィーモア。
ECWから来ていたはず。 >>515
おお!ありがとうございます!!ずーっと気になってました。 当時学生だったおいらにとって、闘魂Vスペシャルは、プライス的にありがたかった。 初代タイガーのDVD見てたら両者フェンスアウトって裁定が結構あるけど、今は無いよね
いつから廃止なったんだろ 確か暴動の後日に、坂口とファンがミーティングをしたとか、、、? 95年にIWGPタッグ返上後から97年nwoまでの蝶野って立て続けに寝まくってたよね
シングルでは平田、安生、越中、山崎に寝てタッグでもまあ色々と、でも何故か96年のドームでレックスルーガーには勝ってたけど
蝶野の難敵と言われてる橋本と越中だけど最後の一騎打ちは共に蝶野が勝ってるんだよね >>526
辻アナに椅子投げつけたのは96年位?
あれってブックなのかな
あの辺りから下克上でヒールターンした記憶 90年代後半は新日全日共に内部のゴタゴタが激しかったよな
でも99年は両団体共に面白かったが翌年は・・・ 猪木は要所要所で負けてるから
引退試合も小川に負けると思ったらフライにあっさり勝って
ポカーンとなった >>534
あの試合はある意味1.4より凄惨だった >>534
その前年・2年前にPRIDEをやってた日に当てたんだな。 昭和の80年代初等は新日の黄金期
平成の90年代初等は新日の黄金期
しかし00年初等は新日の黄金期にはならず。 平成と同時に猪木が議員になり、セミリ。
また同時期に藤波が腰痛で長期欠場。
そこに橋本 蝶野 武藤と次々と凱旋帰国。
89年〜90年は新日の顔触れが一気に変わった。
それまで新日の中心だった猪木と藤波がいなかったのが大きい。
そこにまだ新顔だった三銃士。
しかし90年頃から新日(や全日)は平成黄金期へと。
特に新日は猪木、藤波が不在にも関わらず人気低迷にならず。
低迷どころか人気が復活状態。
三銃士もそういう時期だったからこそ運が良かった。
平成新日は橋本 蝶野 武藤の三人に支えられたと思うちょるぞ。 お前このスレまで荒らしに来るなよ
キチガイガラケーが!
追悼アニマル・ウォリアースレ荒らしまくったクズが!
スレ立てした人に謝ってこいクソキチガイ KUSHIDAと試合後正座して「後は任せた」的なやり取りをして、当時のチャンピオンの石森に挑戦して世代交代見せて、引退試合ではヒロムとやり合って「俺が新日本ジュニアを引っ張っていきます」と言わせて、最近の飯伏推し。
新日本ジュニアは誰をトップに持っていきたいんだ? 新日ジュニアの扱いがもっと良ければ別なんだろうけど、今のままだとヒロムみたいなこだわり有る選手以外は皆ヘビー転向するだろ
鷹木はもう少しジュニアでみたかった >>546
逆にその三銃士が一気におかしくなって新日の核が弱くなったが、原因はどこ?何年ごろだろうか
蝶野NWOが爆発的ブーム起こしたがあの辺までは546の指摘通りと思う >>558
橋本が小川にボコられて
猪木の発言力が増して
格闘技路線になったからだろうね。 橋本の動きにチラッと見られていたけど
猪木の復帰に加えて三銃士がバックステージでの権利を求め始めたこともあるかも
小川の喧嘩マッチも橋本への長州と猪木黙認の制裁の意見あるし。
長州一本だった内部の統制崩れた >>558
90年代後半は武藤も蝶野も橋本もコンディション悪くなって試合内容が酷くなっていった気がする
狂ったようにドラゴンスクリュー繰り返す武藤はその後ファイトスタイル代えたから何とかなったけど >>560
マッチメーカーになるなら、選手としては一線を引くもので
実際長州はそうしたが、三銃士はわきまえそうにないからな
その弊害は後に小橋が体現したし 小原道由ベスト120分のDVDが発売されたら、、、買う。 テレビ朝日
にゅーくりぃむ
3/17 水 01:56〜02:16
壮絶カオスのプロレスクイズ!三谷アナの口からチョチョシビリ⁉
「新日ちゃん。」とのコラボで三谷アナに有田と上田のプロレス知識をインストール!難問クイズ連続正解で鬼越と真壁の目が点に!プロレス実況担当の寺川アナは引退の危機!?
前回のトーク企画に続き、今回はプロレスクイズに挑戦!何も知らない鬼越トマホーク・真壁刀義・寺川アナの前で三谷アナがマニアックなプロレスクイズに連続正解して他を圧倒!プロレスに詳しい鬼越の坂井は「チョチョシビリを女の子の口から初めて聞いた」と目が点に…。 93年の新日対WARの団体対抗戦が好きだった
新日対天龍と言ってもいいくらい天龍がカッコ良かった時期 93年は新日の黄金時代だったね
WAR、藤原組、WCW、ホーガン
凄いメンバーが集結していた 93年2月の両国行ったな〜
メイン
藤波、長州、木戸、馳、飯塚対天龍、原、石川、冬木、北原の3本勝負
WARはベストメンバーを揃えたけど2-0のストレート負けだったのは意外だった
他にも闘魂三銃士の解散マッチもあった
試合は面白くなかったけど… この年はヘルレイザーズとジュラシックパワーズもタッグで活躍したな
ホーガンムタ組対ヘルレイザーズとか夢のカードが実現していた
ジェイクロバーツがアンダーカードに出ていて贅沢だった 「天まで届け」の五郎も、ヘルレイザーズTシャツを着ていた。 ヘルレイザーズのタッグの防衛戦にはホーム、ランボーやホーム、イートン等、明らかに勝敗のわかる相手もあったね イートンなんかインディじゃネームバリューあったしもう少し上手く使って欲しかったな
この頃はナスティボーイズとかもよく来日していた 90年代半ばは色んな外国人レスラー呼んでくれてた印象有る
ヒュー・モアーズとかキラー・ビー好きだったけどあまり呼ばれなかった 94年のSGタッグリーグ
武藤、馳
ヘルレイザーズ
野上、飯塚
橋本、中西
以外は
蝶野、マシン
藤波、藤原
ノートン、木戸
ネイルズ、シモンズ
イーノス、リーガル
と不思議なチーム編成でおもしろかった 90年代は
最強タッグは安定だがマンネリ
SGタッグは新鮮だかコンセプトなし
みたいな印象だった 当時の週プロにはトニー・ホームが来日中止になったのでチームを組みなおしたと書いてあった
ネイルズがしょっぱくて全然ダメってことをシングルで対戦した武藤の言葉を借りながら匂わせていた 90年代は名タッグ多かった
でも、新日はどうしてもシングルの扱いの方が良すぎるからかタッグはあまり盛り上がらなかった ノートンのパートナーは当初はホームだったんだっけ? 来週のフジテレビ僕らの時代は
武藤、蝶野、小橋だぞ >>584
正パートナーはトニー・ホーム→ヘラクレス・ヘルナンデス→スーパーJだった気がする
バランス的にはスーパーJが一番良いチームだと思う
ただ、ノートン&ホームvsベイダー&ビガロ見たかった >>586
それ実現したなかったんだっけ?
勝手にそのカードは実現していると思ってたw >>586
ベイダー、ビガロ対スタイナーズは黄金カードだったね
メインの長州対蝶野もフィニッシュがカッコ良かった ヘルレイザーズは、最初は無理があると思ったが、コンビネーションもよく好きなチームだった。 ムタ対人生から25年か。
GWは福岡ドーム、東京ドームと遠征したな。 https://pbs.twimg.com/media/EfJmccvUMAA-SCH.jpg
平成の新日本は序列とか格付けがおかしい、邦昭は欠場が多かったからゴタツに追い越されるのはまあいい
だが健介ごときをウォリアーズの最高位に据えるのはいかがなものか >>566
小橋は本当にゴミだったよなwww
自作自演の絶対王者で勝ちブック漁りまくってその後怪我で欠場しまくりとかwww
ノアの10何年間で3回しか負けてないとかカス過ぎるよな 久々に闘強導夢99のワールドプロレスリング見てるが、武藤ーノートン前のゲスト解説の紹介の時と、
入場コールの客の雰囲気が笑えるw >>605
ウォーリーに飽きたからと言って、安田を絵本代わりにしてはいけない 10.9観戦出来た人が羨ましいわ
とんでもない観客数やったな 武藤ーノートン前の蝶野の全部ぶち壊してやる!
カッコいいな。 93年頃の新日道場をレポートした番組をYouTubeで観た。高岩によく似た選手がいるんだけど、誰なんだ?高岩と一緒に映ってるから高岩ではないんだが… >>614
ありがとうございます!ようやくモヤモヤが解決しました 小川ー橋本3戦目の時に、
コーナー上の小川に詰め寄る長州の近くにいた
太った男の人は誰?
坊ちゃん刈りみたいな髪型の人。 田山何やってんだろ?
ミスター高橋みたいに暴露本書きそう >>621 小川の左横に居て、白いトレーナー着てる >>613 久々見たけど、地獄絵図だなw
馳がなぜか橋本さんより怖いw コロナ!よ〜く見ていろ!これがケロのパワーだ!ケロは絶対負けない! テレ朝?のワープロDの海谷さんRIP
何十年くらいからワープロ関わってたの?
1999年の1.4にはクレジットされてるね。
大仁田が健介とやった後ドームのバックステージで、
隠れようとした真鍋アナを見つけてぶん殴って、
真鍋アナがうずくまってる時に、
大仁田を止めてた方かな? テレ朝じゃなく、ビッグババ代表取締役、
SKE48とかで検索されるね。
最初は、テレパックのスタッフだったのかな? 平成の新日を連想させるカテゴリ
闘魂三銃士
G1
ドーム興行
Uインター対抗戦
平成維震軍 実況解説は昭和が古舘・小鉄で平成は辻・マサのイメージ nwoのテーマ曲でハシラセッ!
て言ってる部分なんて英語なの? 猪木対シッドビシャスが実現していた事はもはや誰も覚えていないはず
まさかビシャスウォリアーが後にWWEであれ程ブレイクするとは 蝶野のnwoTシャツ販売終了
微妙なアリストだけで、大丈夫か? >>636
覚えてるぞ。アントニオ猪木対鈴木実を第1試合でやったあとにセミあたりで実現。
この日の猪木は1日2試合。 98年の中西小島VS後藤小原戦で、
小原があーて叫んだ試合を覚えてる奴は? いきなり健介の大仁田かわいそすぎる
最初は平田か安田位が無難かと >>642
寧ろ大仁田の新日初戦に当てられる健介が可哀想
勝ち貰えるわけないじゃん 小鉄さんにリング内に椅子持ち込むなて
軽く押されただけでよろけてたw 91年頃からの新日は勢いあったね
92年の5月にトニーホームブラッドアームストロング組対グレートOZ栗栖組とか実現していたのを最近知ってビックリしたw 辻の英語がエリックビショフに通じなかったのて
nwoの大阪ドームだっけ? >>649
ビショフが放送席を立ち去る際辻の頭を叩いたのは英語が下手すぎて腹が立ったんだろうか 猪木引退試合にビショフ来てたけど、
解説席には来なかったな。
武藤が橋本さんの直下式くらった後の
フォールの時に、肩上げる気配がしなかったのかな?
服部が3カウント直前で止めてたw 10・23WAR新日の後楽園の動画どこかにないかな 新日本プロレスワールドに
小川直也の試合が無いのは分かるけど、
97年〜99年試合少ないのなんでだろ?
見たいのがなさ過ぎる。 正月横浜アリーナ開催てなってたから、
ついにドーム終わったと思ったら、
ドーム&横浜アリーナなんだ。 サムライと金本のスーパージュニア決勝の試合を
長州は60点評価だったらしいw 2,12 平成の乱での、昼興行に長州が来なかったのは寝坊だったとは知らなかった。巷では長州力のキレ劇場は、タココラ問答が有名だが、越中がキレて長州の控え室に乗り込んだら椅子持った長州が待ってましたかの如く暴れまわったエピソードの方がおもしろかった。 スコットホールRIP
大阪ドームカッコよかったな。 酒飲みながらの第二回G1決勝。
いいね!👍
いい試合だ。ルード見直した試合 >>367
jrの8人タッグ。金本とCIMAのアレか。
テレビ中継で試合後、金本がコメントブースでふんぞり返ってCIMA達をこき下ろしたまでは良かったけど直後に口達者CIMAの怒りのトークまでガッチリ放送されて「また金本やらかしたわ」ってなったやつ。 >>501
週プロの試合リポートで永田が凄い興奮してたって書いてたな。昔のNWA世界戦ってこんな試合だったって。 >>583
タッグは武藤蝶野が大事にしていた印象。
武藤凱旋時の赤白の時、NWOのペイントベルトの時も。その後は天コジが頑張ってたけどね。
今はベルトそのものがカッコ悪いし誰と誰が巻いてるのかもわからん。 >>642
これでケンスケがハネるって期待したんでしょう。 >>675
ルードは全日では塩だったけど新日に再来日してら真価を発揮したね
ファンになったよ >>681
レットブル軍団は塩でしょ
かろうじてザンギエフだけ対応能力あったけど見た目で損した
総じては塩 >>684
リアルタイムでは塩って概念がなかったんだよ。
今から思えば、掴んで投げるだけの塩って見てしまうけどね。
当時はただ捕まったら投げられるってのが脅威だったの。
今から見たらそういうブックってね… >>685
打撃とかロープワークとか全く対応出来なかったからね
ハシミコフに負けさせられたベイダーとかビガロが気の毒だった 自分と意見が違う相手に
「見ていないだろ!?」
という奴、料簡が狭いな。 見てなさそうに思えたからそう言っただけで別にマウント取ろうとなんて思ってませんよ。
不愉快な思いにさせてしまったのなら謝ります。
ごめんなさい。 レットブル軍団初来日の時はローランボックのような選手が大挙して来襲するみたいな事を散々週刊ファイトが煽っていたからかなり期待してしまった >>683
俺もそうだなあ。新日でまさかあんなに扱いが良いとは思いもしなかったけど、来日する度にその良さがわかっていったよ。 タイトンってFMW時代 と新日時代では別人に見えた。 98年のG1優勝予想で、
マサさんがタイトンの名前出したら、
実況席で笑いがおきてたw なんで、橋本さんG1優勝させちゃったんだろ?
IWGP取った蝶野のケガなかったら、
どうなってたんだろね?
橋本ーノートン戦の結末とか意味不明だったし。 >>694
WAR時代はFMW時代と同じじゃなかった? ノートンまだ向こうで現役なんだな。
久々に新日本のアメリカ興行に出るらしい。 90年代は衰えたとは言えども猪木と馬場がリングに立ってた事が救いだった 四天王時代、馬場さんは休憩前の試合によく出ていた。入場やリングインの時は大声援。カラーボール投げも良かったな。 タイトンはFMWではデカく見えたけど新日では細かったな
ホーレスボウダーもそうだったけど >>697
いい加減橋本にG1取らせてもいい時期だったとは思う
ただ通常G1スペシャル最終戦でG1覇者がIWGPに挑戦するのに
その時はノートンが挑戦者に抜擢される(蝶野欠場で永田-ノートンの決定戦)
一方橋本は武藤とただのシングルマッチ
次期シリーズでノートンに挑戦するが単価で運ばれる不明瞭決着
その後無期限停止処分が下り1.4へ続く
G1で花を持たせた後この時から制裁へ向けた流れが始まったように感じられる >>703 橋本さんがノートンに勝ってたら面白かったのに。無期限停止も無かったし。
落ち目になった橋本さんが、猪木小川に一気に食われたね。 永田の防衛ロードで一番痛かったのは蝶野とフルタイムドローだった事だな
同じくドローになった中西と違ってあの頃の蝶野なんてそこまでやるような選手じゃなかっただろ
G1でも白の三回はどれも説得力あったが黒の二回と言うか高山と藤田に勝つことが違和感ありまくりだったよ
あの頃の蝶野は広告塔として手腕を奮っただけであって選手としてはとてもじゃないけど名勝負を作れるような選手では無かったよ >>709
この頃はリーガルが普通にシリーズ帯同していたっての凄いな 2000年のG1のヒロの場外引き分け狙いは
面白かったw 蝶野 G1二連覇
長州 G1全勝優勝
時を経て天山がそれらをやってるのな
しかし衝撃の凱旋帰国から頂点に立つまで相当な年月がかかったんだな >>702
タイトンはレーザーラモンにもなるくらいだから どの団体でもそれなりに期待されてたとは思うけど ボウダーは新日参戦時は本当に線が細かったね 少し後にホーガン絡みでWCWで出番はあったけど >>713
90年代、IWGPはほぼ武藤と橋本、G1は三銃士以上の世代で回ってたからな
上の世代が偉大過ぎた
おまけに大量離脱で第三世代は世代闘争をさせてもらえないままトップに立たされ小粒感が払しょくできなかった アポロ菅原って北尾のコーチだったんだね
何を教えたんだろ 90年代半ば頃にGWにやってた福岡ドームの演出は過剰なまでに派手でしたな ドーム興行は明かりあった方が良い派?
俺はリングだけライト照らしてる方が好きw 福岡ドームといえばホーガン対ムタとかスタイナーズ対ノートンホークとかテリー越中対蝶野冬木とか豪華だったな
フレアー対馳もあった 95年GW福岡は、北朝鮮興行直後だったみたいだねw
武藤さんの爆進します!の時だっけ? 95年の平成の乱はテレビ用に作られた物なんだろうけど、実際長州を楽しみに昼の維新軍興行見に行った人にはたまったもんじゃないよね
本人は夜の新日興行にはしっかり出てるし
あと越中が常識があるんなら出てくるのが当然だろって言ってたが正直長州に常識を求めるのもどうかと
本人は気に入らない興行特に地方興行は出ないから マシン&ジョージ組より、マシン&コブラ組を見たかった。 >>727
エプロンじゃなくてターンバックルだと思うけど ジャーマンに限らずマットから浮いている物への投げは受け身も取れず一箇所にダメージが集中するから危険なんだろうな
スティング引退の原因もコーナーへのターンバックルだし 新日の三澤威の怪我もロープに首をぶつけたことだし ×コーナーへのターンバックルだし
〇ターンバックルへのパワーボムだし >>733
放送事故だなw
てかケロってなんでこの頃宝塚歌劇団みたいな格好してたんだろ 藤波辰爾がFLASHで最近のプロレス苦言してたね。 https://smart-flash.jp/sports/178922
藤波て昔から天然?少し抜けてる所あるよねw
橋本ー小川4回目はレフェリーやりながら
橋本さんSTO喰らいまくってるのに、
試合止めないでぼーっとしてたり、
長州ー橋本の時は解説席から登場して
ドラゴンストップしたりw 国際センターが使えないって理由らしいが
そんな気軽にドーム借りて費用大丈夫か >>739
スターダムは国際センター使うのにな。
しかしマリンメッセを飛び越してドームというのはいかがなものか? 小川直也と橋本さんのデビュー戦から25年か…
橋本さんのニ試合目での顔面蹴りエグかったなw
初ドーム興行からはぁ33年もぉ経ってもぉたぞぇー。
初ドームん時ゃあテーマがぁー上手く響かなかったらしいかんな。
音響がぁ上手くいかんかったっちゅう。
確かにぃ映像見てもぉテーマはぁ変に響いて聞こえんかったしぃー。
でもぉ回数重ねる度にぃ音響もぉ上手くいってったんよぉー。
ドームもぉ全日はぁあんま印象ないかんな。
興行回数がぁー少なかったからだぞぇー。 98年大阪ドームのテレビ放送
の音かなりちっさかったw 今日は北尾がベイダー、ビガロに圧殺されたNK祭りから32年 82年
◎猪木ホーガン組初黒星のMSGタッグリーグのテレビ中継いわき大会
83年
☆キラー・カーン後楽園での反逆のニードロップ前日の不穏な草加大会
◎人気絶頂のグレートカブキが馬場と組んでの対ブロディブルックスが行われたテレビ中継いわき大会
86年
☆前田が格闘王になった両国での猪木闘魂LIVE
88年
☆ブロディが鶴田に勝った歓喜の日本武道館
90年
☆武藤の凱旋NKホール
◎GWの後楽園三連戦のテレビ中継無しの最初の2戦
◎メインが移籍してきた栗栖参加の10人タッグ両国
◎後楽園7連戦の橋本対栗栖含めた四戦
◎長州力がベイダーからタイトル奪った両国
◎猪木の30周年横浜アリーナ
◎ライガーがシューティングスターでペガサスに勝った日本武道館
◎メインが藤波木戸対長州木村と言う豪華なタッグの両国
☆三沢勝利の対鶴田
☆三沢がフェイスロックで勝利の対鶴田田上
◎大仁田マイク投げの後楽園
◎パイオニア戦志 剛高杉対小林星野
◎あまり記憶にない最強タッグ優勝戦
91年
◎スターケードin東京ドーム
☆保永が優勝したベストオブジュニア両国
☆第一回両国三連戦すべて
◎藤波が足取りドラゴンで蝶野に勝った日本武道館
◎藤原組旗揚げ戦
☆SWSのドーム天龍源一郎対ホーガン
◎あまり記憶にないUインターの旗揚げ戦2戦目後楽園
◎浅井が急遽離脱したあとのサスケ対デルフィン後楽園
◎あまり記憶にない最強タッグ優勝戦
92年
◎藤波対長州力の東京ドーム
◎SWSで北尾が覚醒した2月の後楽園
◎タイガージェットシン初乱入のFMW
☆いざ鎌倉の藤原組東京ドーム
☆高田対北尾の日本武道館
93年
◎天龍対長州力の東京ドーム
◎両国7連戦すべて
94年
☆猪木対天龍源一郎の東京ドーム
95年
☆冬木対安生、猪木対ベイダーの東京ドーム
99年
◎ベイダーが3冠を取った対田上
以上生で見れて良かった。
平成の新日っちゅうたらぁ主にぃドーム G1 三銃士 をぉ思い起こすぞぇー。
新日はぁ平成の初期にぃその後の基盤をぉ作り上げる事がぁーでけたかんな。
でもぉそれがぁあんま長くはぁ続かんかったのもぉ皮肉っちゅうにぃ思うんよぉー。
新日はぁ90年代末期からはぁ完全にぃ歯車がぁー狂ってもぉたかんな。
猪木の介入ならぁ格闘技と絡んだのがぁ原因っちゅうにぃ言われちょるがぁ。
原因はぁ様々だとぉ思うけどもぉ00年以降はぁ壊滅的にぃ堕ちてもぉたぞぇ。
そっからぁ橋本と武藤がぁー新日を抜けてもぉちゃる状態にぃなったしぃー。
周りがぁー幾ら頑張ってもぉ根底がぁ壊されたらぁそりゃあ無理だかんな。 高田さん、おめでとう!でもな!今のあんたには、そのベルトは荷が重すぎるぞ! >>185
その時の武道館、チケット半額だった気がする
だから埋まったんじゃない?
ムタパワーのタッグとか予定されてたけど流れたんだよな >>753
サンクスレスリングデーと銘打って半額にしてましたよね。
ムタ、パワー対長州、藤波が予定されていたけれど流れました。 半額とはいえ前の週には両国で橋本vs天龍(こっちは通常料金)を
やったばかりだったからな。 G1で最高だったのは1995年
フレアーがエントリーしただけで興奮した
>>756
新日でのフレアーの扱いはぁ散々なもんがあったっちゅうに感じてもぉたかんな。
友人のフレアーファンはぁ新日のフレアーの扱いにゃあかなりぃ不満だったしぃ。
『過去の元世界王者』っちゅう肩書きでぇ扱いはぁそんなにぃ良くなくてぇー。
実際にゃあフレアーはぁあんま扱いにはぁ文句言わんタイプだったらしいぞぇ。
しかしぃ95G1での扱いとかはぁ確かにぃ悲しいもんがぁあったかんな。
そいからぁフレアーはぁ新日ではぁ思うたよりもぉデカく見えたぞぇー。
猪木や藤波との対戦でもぉそれなりにぃデカく見えたっちゅう感じだかんな。
全日時代だとぉ鶴田やブロディよりもぉ明らかにぃ小さく見えたかんな。 95・10・9
96・1・4
96・4・29
のドームラインが良かったな
やっぱり高田の存在が全体を引き締めた
色々言われてたけど実際見たら高田は武藤や橋本より上の人なんだなってのは分かった
>>758
キミもぉ頭悪いわりにゃあ取り敢えずぅわかっちょって感心したぞぇー。
あん頃の新日はぁ高田に救われたっちゅうかぁ高田に稼がせて貰えたかんな。
4月の北朝鮮興行ではぁ新日はぁかなりぃの赤字状態んなってもぉたんよぉー。
猪木ーアリん時以来のぉ大赤字状態でぇかなりぃ厳しい状況だったぞぇー。
まぁ猪木ーアリん時程の負債でぁなかったがぁー、かなりぃ厳しい状況でぇ。
そんな時にぃUインターとぉ絡む事がぁでけて互いにぃ助かったっちゅう。
でもぉUインターのバワイはぁ多少の寿命を伸ばした程度だったかんな。
結果的にゃあ多少の寿命を伸ばしてからぁUインターはぁ消されてもぉたぞぇ。
長州のぉ『Uを消す』がぁ現実のものんなりぃ長州の有言実行っちゅうにぃー。
でもぉ高田を使って見事にぃ大成功を収める事がぁーでけたのぁ事実だしぃ。
高田の存在価値もぉそれなりのもんがあったからこそ結果だったかんな。
しかしぃUインター側からすりゃあ新日に消されてもぉた原因がぁーだぞぇ。 >>758
当時はUインターとWCWを並行していた事で人気アップに繋がっていたね
今の新日もAEWだけじゃなくてノアとも上手くやればよいのにと思う 高田というか鈴木は[我々は新日にいいように利用された]と言ってたね。 プロレス界の悪い所は場当たり的に先の事まで取り決めない事だと思うな
経営陣もギャンブル過ぎる
書面で先々の事を取り込めておけば片方だけ破綻するような事は無い >>758
新日東京ドームの観客動員トップ5のうち
3つが高田が出たときだったからな。 第一試合の
石沢永田桜庭金原のタッグマッチってガチでやってたよな ガチでは無いけど、金原が打撃をガチ的に入れて、それに対して新日勢が切れ気味、特に石澤は受けずにタックルから寝技で極めにいってた
ってのが定説 中野の永田相手の逆十字は、マジでやばかった。
安生の目を腫らせた恨みかな? 中野と永田じゃガチなら圧倒的に永田が強い
中野は弱いぞ
平成の新日だとぉドーム G1 三銃士 長州政権 ライガー ベイダー NWO
取り敢えずぅ平成の新日っちゅうたらぁこれらを連想してもぉちゃるかんな。
平成初期にゃあ坂口がぁー引退しちょるしぃ、レッドブルもぉこの時期だぞぇー。
でもぉ全体通すとぉやっぱりぃ上記のぉ名前がぁー連なってもぉちゃるかんな。
後はぁ小川の存在もぉそれなりにゃあ大きかったっちゅうにぃ思うんよぉー。
小川はぁ新日をぁ色々と掻き回したっちゅうイメージがぁあっちゃるかんな。
小川もぉほんの数年だったけどぉ新日からすりゃあ悪い意味で存在感あったしぃ。
平成っちゅうてもぉ30年あるからぁその間にぃ色々あってもぉ当然だかんな。 今にして思えばブロック・レスナーは曙が横綱だったから試合を成立させたのかもしらんね やっぱりエディ上手いよな
受けも上手いし攻めも一見派手だけど怪我させないように攻めてる >>772その試合見たくて闘魂VヒストリーDVD探してる >>770
ブラック・タイガー対決でもあるな 俺的にはシルバー・キングももっと日本に定着して欲しかった >>773
おいらはビデオで持っていて、DVDを見つけて即買いでした。
新日本でもマスターテープは、もう持っていないとか、、、。 >>775マジか!?
ペガサス対BTハズレ無しだから観たいんだよなぁ >>777
船木が海外遠征で被る為に作ったマスクでは?
船木は結局被らず。山田が譲って貰ったとか。 >>775
青森でのペガサス対Bタイガー戦の収録されているビデオは解るがDVD探してるけど見つからない…
闘魂VヒストリーのVoいくつですか?
Vヒストリー以外にこの試合収録されているDVDって無いかな? 平成元年デビューの大利って90年の週プロ選手名鑑には名前なかったけど
年末の夢勝ちますには出てたんだよね、それが最後の試合かな? >>783
90年のビッグファイトSまで出てた
最終戦後楽園ホールのvs片山が最後かな
片山にとっても新日本最後の試合 >>784
ありがとう、大利は既に亡くなってるって噂になってたけどそれはガセだって書き込みもどこかで見たな >>195
結局、「正直スマンカッタ」で今までのキャリアを全て帳消しにしてしまった。
まあ、自業自得だがw 1991年のスターケードin東京ドームって、歴代のドーム大会でも一番の微妙な内容だった気がする
WCW提携の一発目で、今後のワクワク感だけはあったけど、顔見せ興業レベルだったな
インパクトあったのはスタイナー兄弟ぐらいか
ドラゴンも結局、王座獲れたのかわからぬまま
あの大会の一番の勝ち組は山田裕子という嫁さんと出会えた田中ケロだろうな >>792藤波対フレアーはアメリカでの扱いがPPVでの再戦のための番宣みたいな扱いになっちゃったからな… >>794
生きてるだけで十分よ
コロナで死ぬ手前までいったんだからさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています