【新春ジャイアント】昭和の全日本プロレス81【シリーズ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
過去スレ
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 >>645
詐欺ですよね。だからこそテリーが詐欺でなく、大仁田だけが詐欺だというのは理屈が通らない。 >>644
www
大人になってから見ると、紙テープ芸にしても、どうしてあんな短時間で色とりどりのテープを配色良く巻き付けれたんだ?って思うし
一貫してヨゴレをやらなかったのに、デストロイヤー戦、鶴田戦での恥ずかしい映像がずっと残ってしまうマスカラスの方が好きー
しかもあの田コロ、対戦成績が鶴田の1勝7引き分けで、その唯一の1勝で鶴田のベストバウトの一つになってるし… 芸であっても演じ切れるかどうかも才能なんだよな
俳優だっけ名優も大根もいるわけだし生だけに咄嗟のアドリブの才能も重要 芸、という用語においてはそれはあるにしても
テリーの芸は「いよぉ、待ってましたぁ」というやつではなくて
「またやったよ」と寒くなるやつだから……。
擦れてるファンもよくないんだけども。 >>640
NWA王者やスタローンとの共演など輝かしいキャリアを誇ると思えば、
ハードコアマッチをこなしたり弟子で格下の大仁田相手にピン負けブックを飲んだり、
ホントテリーは体張ってプロレスやってたんだなと思うわ 天龍は、
「ジャンボ、ドリー、ハンセン、ブロディ、マスカラスは『向こう側』、
俺、テリー、大仁田、フレアーは『こっち側』」
と言ってたな。何となく分かる。 >>650
少なくとも日本ではテリーはオープンタッグでブレイクした感じだからな
だからその前のNWA王者時代の評価が気になる >>644
リハーサルなのか?
単に二番煎じだっただけでは? 優勝式でテーマ曲を流したのは梅垣プロデューサーの咄嗟のアドリブ >>654
二番煎じかもしれないが、阿吽の呼吸が出来上がったw >>655
good job!
会場も視聴者も感動した。 実はオープンタッグでの入場曲は一試合一曲で二曲をそれぞれ流したのは最終戦のみ テリーは85年来日時はWWFでのヒールの雰囲気そのままにカッコ良く来日したが翌年の10月に再来日から痩せて急に老け込んでしまった印象が…あの当時100kgも無かったのでは… そして長州に惨敗
かくて蔵前に登った太陽は両国に沈んだ >>664
馬場は復帰の条件で
流石に絶頂の長州と引き分けではファンに呆れられると
考えたのだろうか。 フレアーのドタキャンについてブッカーとしての責任を取ったという印象も 本来ならドリーがちょっかい出した時点で反則負けの裁定が妥当だけど、
それだと「またかよ」って絶対言われるし、ドリーが悪者になっちゃうからな
それでも、レフェリーが樋口だったらそういう裁定になったと思うけど 長州ごときに負けたテリー・ファンクの醜態もショックだった
ジュニアだったら独特の間合いで長州にレスリングをさせなかっただろう >>669
負けたってブックだろ?プロレスを何だと思っているの? >>669は>>625の(ワッチョイW f924-4pCG)だったか、話が通じるわけがないな。 鶴田の痙攣やスリーパーやられながら上げた手を震わせるの好きだったな。 倉持「サーっと血の気が引いて白っぽく変色しております!!」 >>674
UNベルトは、NETが猪木を大スターに祭り上げるために
NWAに多額の権利金・保証金を支払い作成したベルト
日プロ崩壊を経て全日のジャンボ鶴田専用ベルトになるという皮肉w
NETは非公式に日テレにUNベルト返還を申し出たが、日テレ側は
「猪木が自ら返上したタイトルで、その所有権・使用権は日プロから(吸収合併した)
全日本に継承されたもの」という建前論を崩さずタダ取りしてしまった。 芳の里が日プロのお宝(ベルト、トロフィー)全部NETに売ろうとしてて
察知した日テレが挽回したって小鹿の話だったな。
日テレがUNだけでもテレ朝に「返還」してたら鶴田用にどんなタイトル用意したんだろう。
デストのUS選手権がワンクッション経て鶴田の手に、って感じかな。 PWFインターナショナルヘビー級選手権でもつくっていたことだろう >>676
>建前論を崩さずタダ取りしてしまった
それは仕方ないんじゃないの?その理屈が通るなら、
馬場も大木からインターのベルトとりあげることができたはずだけど、
それはせずに、何年も待った末にアジアと交換したんだから
>>677
吉の里ってホントダラ幹だな。
馬場はデストには遠慮しそうだから、鶴田にUSは巻かせないだろう
アメリカのローカルタイトルを買ってきて
NWA公認とかなんとか権威付けしそうな気がする
そういや、ほんとに売られちゃったのが国際のIWAタッグのベルトね
10年くらい前にヤフオクに出品されていた時は驚愕した。60万円くらいだたかな。
ネットでは、最後の王者だった原が売ったんじゃないかと噂されたが >>676
ベルトなんて個人のものなはずないもんな UN王座は馬場が下り坂で猪木が登り坂に誕生したベルトなだけに
日プロの分裂劇がなければインターとUNの関係は
全日時代とは違ったものになってたかもしれないな NETテレビが猪木にシングル王座を、なんて考えなければ日プロの分裂もなかっただろうね。 >>677
金をケチるんだったら大木からアジアヘビー
を取り上げるのを前倒ししたかも。 >>677
金をケチるんだったら大木からアジアヘビー
を取り上げるのを前倒ししたかも。 >>679
馬場としては自分が巻いていたインターヘビーの真の継承王座としてPWFヘビーを考えていたのかも
だから大木があくまでベルトとしての個人所有に留まるならば黙認していたのかも
>>681
UNもブッチャーやレイスが取った辺りからインターやPWFと遜色ない感じになってたからな
そして逆に長州がPWFを取った辺りから三タイトル対等の三冠王座に向かった印象 >>685
>だから大木があくまでベルトとしての個人所有に留まるならば黙認していたのかも
大木からは、NWA非公認の国際で防衛戦やったからという理由でインターのベルト取り上げたんだっけ?
確かにそういう口実がなかったら、大木が現役のうちは戻ってこなかっただろうな
そういや一度猪木がインターに挑戦したことあったな。結局両リンかなんかだったけど、
馬場は「ひょっとして猪木にインターが渡るブックになってるのか」と気を揉んでたりしてw 一説には金に困った大木がインターのベルトを新日本に売りかねなかったので先手を取ったとも >>685 ブッチャーがUN取った時はインター復活してないし、長州王者の時は統一ムードは無かったが。 >>676
でも、結局、日本テレビは
猪木が締めた(☆付きの)UNベルトを
NETに返却したんじゃなかったけ?
で、新たに☆無しUNベルト(674にアップされたモノ)
を作成した。ちょうどマードックが奪取したあたりに。 >>628
全日では絶対的フィニッシュのウエスタンラリアット、新日ではジュニア時代の藤波にも返される
全日では無敵のザ・ロード・ウォリアーズ、海外では普通の人気マッチョレスラー
全日では長州はピンフォール負けなし、新日に出戻ってタッグながら健吾にピンフォール負け >>687
韓国内で行っていた海苔の事業がうまく行かずにインターベルトを復活のアジアシングル
のベルトとのバーターで泣く泣く手放した。あと韓国で行われるアジアベルトの争奪戦に
全日の全面協力も受ける事となった。 >>691
実現した馬場大木組もインター譲渡のご褒美なのかな?w >>692
大木が裏切って馬場を攻撃するんじゃないかとヒヤヒヤした。 >>677
ルーインの南半球、ハリケーンの中南米、イヤウケアの太平洋岸
全部獲って三冠ヘビー級選手権を名乗る >>694
ブッチャーの英連邦ヘビーというのもあるね。 >>690
ウォーリアーズは新日では蝶野天山にフォール負けしたしな。 そもそも力道山の「インターナショナル王座」からしてタイトルでも
何でもないペーパー王座だったからなあ
かつてはNWAやWWAの「世界王者」だったルー・テーズもその後は
無冠になってしまって、しかしそれじゃあ興行に泊がつかないというので
二つ名としてアナウンスされていたのが、世界を股にかけたという
「インターナショナルな王者」という称号
いわば「燃える闘魂」「世界の荒鷲」「怒涛の怪力」みたいなもの
肩書が欲しかった力道山が、海外であのテーズに勝ったんだからと
「インターナショナル王者」になったと言い張ったわけだけど、それは
ハンセンやホーガンが猪木や小林に勝ったからと「二代目・燃える闘魂」
「二代目・怒涛の怪力」をタイトルとして防衛戦をやるというようなもの
ムチャにも程があるんだけど、力道山に意見できる人間なんかいなかった
当然、ベルトだって無いわけで
(当時テーズがリング上で巻いていたのはかつて保持していた自前ベルトで、
いわばマスカラスのIWAベルトとかクラップがコスチュームの一部として
巻いていたベルトと同じようなもの、当然テーズは力道山にくれてやる
義理はないとして譲渡を拒絶した)
力道山は慌てて日本国内でベルトを制作したものの、見栄えが悪いので
後にアメリカで買った「ワールド・ヘビーウェイト・チャンピオン」の
称号が入ったベルトを「インターナショナル王座」のベルトとして
使い続け、馬場の時代まで引き継がれることになった
出自由来がどんなにいい加減でも、ファンが夢を持てば権威になる、
それがプロレスのタイトルでありベルト
(1・2の三四郎の、塚原・桜のタッグベルト争奪を思い出す) 力道山のインター王座は力道山一代限りが王者を名乗れる、みたいな話もあったよね。
タイトル、王座として語るには落ちてる。
その言説を受けてるかどうかは判断しづらいが、馬場のインターは違うベルト。
新設なんだけどファンには復活と誤解してもらいたかった筈。 >>698
>力道山のインター王座は力道山一代限りが王者を名乗れる、みたいな話もあった
力道山の死後、2年ほど空位だったしね
やはり興行やテレビ中継の看板としてベルトが必要だと復活させることになったけど、
豊登ではふさわしくないと判断され、若くて将来性も集客力もある馬場に白羽の矢が立った
その馬場にしても、力道山の防衛記録を抜くことはタブーであったため
ブラジルやキニスキーに一時王座を明け渡す羽目に
ベルト新設したこともふくめ、いろいろな調整や妥協の産物なんだろうな >>697
でもプロレスでもボクシングでも世界王座の下位タイトルとして
インターナショナル王座が定着するのだから歴史は判らないもんだ。 >>696
新日ではマネージャーのPエラーリングがいなかったからな
若松をつければよかったのに インターは実在したタイトルだぞ テーズが欧州遠征時に
世界選手権の流失を恐れて急遽 海外版世界選手権を設立
当然遠征後は無用になりどうしても世界選手権が欲しかった
力道山が頼み込んで認定証を譲って貰った
ベルトの方は国際テーズ杯で寄贈された物がそれだと説があったな インターコンチネンタル
インターナショナル
ユナイテッドナショナル
まあ色々考えたんだな。 すみません、
ジャンボ鶴田が挑むタイトル戦で、
鶴田が反則?かリングアウト?勝ちで、
当時のルールで反則かリングアウトだと勝ってもタイトル移動なしルールだったので、
その試合の実況席解説の馬場が、
「ジャンボは、これで喜んでいてはダメですよ」
みたいな発言があった試合があると記憶してるのですが、
どの試合か、わかりませんか? >>707
ニックとのAWA世界戦じゃないか?79年にハワイだかで挑戦した時の? >>705
インターコンチネンタルは大西洋を跨ぐ大陸間王者
UNはアメリカ、カナダ、メキシコの3ヶ国間の王者
インターナショナルは国際王者って事になるけど、世界王者との違いも曖昧だし
何となく世界の下ってのが定着してしまってる。 >>701
Pエラリングって、何時ごろウォーリアズと別れたの?
又、ウォーリアズの後は誰かのマネージャーになった?
それともプロレス界からフェイドアウトした?
あと、未だに健在なの? 東京プロレス時代の猪木が巻いたのはジョニー・バレンタインが持ち込んだ
USヘビー級タイトル
USはデストロイヤー版、シーク版といくつもある >>711
割と付いたり敵対したりっていうイメージ
1998年頃にWWFでハリス・ブラザーズ(ブルース・ブラザーズ)に付いて、LOD(ウォリアーズ)と敵対してたらしいけど、
当時のWWFは思いっ切り見てたはずなんだけど、これは全く記憶に残ってなかったな(ホークがスランプで酔っ払いキャラだったのは覚えてるが)
2011年にはLODと共にWWE殿堂入りしてる 英国南部、英国西部、ヨーロッパタッグ、北米タッグ、北米ヘビー、USヘビー、USAヘビー、
ミズーリ州ヘビー、バージニア州ヘビーのタイトルマッチを日本でやった意味は? インターナショナル王座は70年代にアメリカにもあった。ミズーリ州を始め、NWA5州が共同認定していたタイトルでドリーが長く王者だった。鶴田が一度だけアメリカで挑戦したことがある。 坂口がシンに北米ヘビー奪われて、次のシリーズでパターソンから別の北米ヘビー奪回したのは笑った。 >>715
NWA五州なら、建前上はUNの方が広域認定なるね NWA世界タッグベルトなんか、NWAに加盟していた全てのエリアに
一組ずつあって全地区で同時に防衛戦やってたんだから笑える
そりゃNWAが「1地区1団体しか加盟は認めない」って言うわけだわ
プロレスマスコミが栄えていた日本ではさすがにまずいって言うんで
NWA認定のインタータッグ、北米タッグと言っていたけど 天下のNYを根拠地にしていたWWWFに対して「NWAの方がエリアが広い!」
という論調()があったなあ
広さが問題じゃないんだが
日本で言えば、東京と神奈川よりも東北○県、中国地方○県の方が広いぞ!
と言ったって詮無いみたいなわけで WWWFも71年以降NWAの一員だから
WWWF=東京
NWA=東日本 みたいな感じじゃないの? 米国人でプロレスに全く興味がない人間でも、ブルーノ・サンマルチノとハルク・ホーガンだけは誰でも知ってると言われてるらしい
今だとそこにザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)が加わる感じなんだろうか そりゃ知恵のついた後付け視点で見ればそうなんだけど、
当時日本に住まうガキの目から見れば権威的にNWA>>>>WWFだった事実は動かしようがないw
WWFもNWAに加盟してたわけだし。
一番調子の良かったころの新日も「IWGP構想にNWA世界王者フレアーが参戦か」
(→新間の妄想を馬場が即座に否定は当時の様式美)なんて感じでNWAの権威に寄りかかってた。 >>721
サンマルチノではなく
アンドレとホーガン
サンマルチノは東京ローカルみたいなもの
西武や南部の人間にはほとんど無名 NWAは全米70%のシェアあったのだがな 規模が違い過ぎる >>724
ずっとブルー・ノマーズだと思ってたから、サンマルチノのエピ聞いてびっくりした 「東京なんて日本の東南ローカル、北海道の方が広い!」と威張るみたいなもの
総本山セントルイスで防衛戦をやる王者レイスよりも、東部地区で前座やってる
レスラーの方がギャラが高かったんだからカネが正義のアメリカでは問答無用
まあこの辺りはさんざん議論された話 >>697
>力道山の「インターナショナル王座」からしてタイトルでも
>何でもないペーパー王座だったからなあ
そうでもない!
NWA世界王座から降りたテーズが
テキサスで「インターナショナル王者」を名乗って
1958年にF.vエリックあたりと防衛戦を行っている。
まぁ力道山に譲り渡した時は、その賞味期限も切れていたが、
ちなみにテーズがインター王者を名乗ったのは、
NWA王者時代、テキサスで「インター王者」を名乗るアントニオ・ロッカを
破ったことがあるかららしい。
ロッカのそのインター王座こそ実態がない、ペーパー王座だったと思うわ。 アメプロはテリトリー制 テレビも全国放送が無く
地元ローカル局が放送 だから州単位でしか情報が入らない
有名なのはアンドレの様な全国を回るフリーランスの大物
80年代以降はケーブルテレビが普及専門チャンネルも出
WWFが全米侵攻と全国的に知名度アップ
ブルーノマーズお父さんニューヨーク出身だね
ブルーノサンマルチノはNYっ子にはカリスマ的人気だったから >>697
> かつてはNWAやWWAの「世界王者」だったルー・テーズ
テーズがWWA世界王者になったのは66年だから大分後だぞ http://www.fuchi-masanobu.com/blog/post-232/
渕のオッサンもサンマルチノの知名度は凄いと思ってるようだ
ブラッシーとエリックは日本でのインパクトだからアメリカとなるとまた違うと思うが >>727
地理的に見ればセントルイスこそがアメリカの中央部でキール定期戦以外の興行はほとんどないまさに特別区だった >>688
ブッチャーがUNを取った当時のインターは大木が個人所有のマイナー時代で取った時は馬場とロビンソンのPWF戦の後にすら行われていた
三冠統一を最初に提唱したのも長州 インターナショナル王座はNWA海外支店長みたいなポジションだろ アメリカ本土のNWAにとってはインター王座は
NWA日本ヘビー級王座みたいなもんで
存在的にはどうでもいいんだろう 力道山時代のインター王座はベルトの形状も併せてどちらかといえばNWAやWWAの代替王座
だからWWAと関わっていた時期には一年も防衛戦が行われなかったくらい
インターが真に日本独自の至宝となったのはむしろ馬場時代 インターナショナル王座という名称は
1948年だかにNWAが発足したが
それまでは、全米の各プロモーション〔団体)で
自前の王者を「世界王者」と称し、興行をしていたが、
NWA発足後は、「統一の世界王者」を認定し、
加盟の各団体は、世界王者と名乗れなくなったんだよ。
出仕方がないので、US王者とか北米王者に格下げしたんだが
インターナショナル王者というのは、その中でも
なんとなく権威がありそうな称号だよ。
日本プロレスだって、馬場がインター王者を名乗っていた。
NWAの加盟前なら、まだ世界王者と称しても、まぁ
問題はないが、加盟後の69年以降だったら、「世界」を外せ!
と言われたかも知れない。 馬場のインター王座は当時の日本プロレスの内情からしてむしろ力道山の流れとは別個の独自という印象
そして力道山の旧インターの流れを受けたのはむしろPWFヘビー 力道山は当初 世界選手権保持者と紹介されてたが
アメリカでも世界選手権保持者がいてこれはおかしいと
マスコミが騒ぎだし「あっちはワールドこっちは
インターナショナルどちらも訳せば世界選手権だ」
以降 正式名称 NWA認定世界選手権 通称インターナショナル
インター名称自体 力道山の苦し紛れの言い訳ぽい 力道山時代のインターの名勝負にはこれといったのが無いのも大きい
あのデストロイヤーとの伝説名勝負もデストが陥落したにも関わらずWWA戦にしたくらいだし >>719
まーた、WWEオタクか新日信者か知らんが、
歴史をねじ曲げようとしてるなあ。
だったらなんでWWFが世界の看板を外してまで、
NWAに加盟したんだよ。説明せよ。
この質問してもいつも無視されるんやけど。 >>727
ギャラが高い話もソースないやろが。
信用できん。
それにNWAに加盟したのは選手を確保するため、とかなんとか言ってたけど、
ギャラ高いなら加盟なんかしなくても
選手から勝手にニューヨークに来るだろ。
矛盾してる。 >>741
サンマルチノからペドロ・モラレスがWWF王者になった頃は挑戦者がマンネリで飽きられていた
NWAに加盟する事で他の地区の一流レスラーをWWFに呼んで防衛戦をリニューアルしたい
Gスピではそんな風に描かれていたな 1963年、ビンス・マクマホン・シニアは1月に起きた自派のバディ・ロジャースからサム・マソニック派のルー・テーズへのNWA王座の移動を認めず、
3月に試験的にWWWA(World Wide Wrestling Association)を、5月にはNWAを脱退してWWWF(World Wide Wrestling Federation)を設立。
同時にロジャースを初代WWWF王者に認定して5月14日にロジャースを破って王者となったイタリア系のブルーノ・サンマルチノを新団体の絶対的な主人公とした。
NWA再加盟後の1970年代前半にはプエルトリコ系のペドロ・モラレス、中頃には再びサンマルチノからスーパースター・ビリー・グラハムへ、
1970年代終盤から1980年代前半にかけてはボブ・バックランドへと王座と主人公の座が移っていった。
当時のアメリカプロレス界は北部のAWA(American Wrestling Association)、東部のWWWF、南西部のNWA加盟団体を中心に、
各地区のプロモーターが暗黙の不可侵条約を結んでいた時代であり、WWWF所属だったアンドレ・ザ・ジャイアントが各地にゲスト出場して
親善大使的な役割を務めた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています