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猪木の場合、マイティに負けたレスラーに挑戦してまともにやり合う気がなかったと言われてるな。 >>743
確かフレアーが来るはずだったのに急に王者がリッキーに変わったんだよな
この辺の不信感が見限った原因じゃねーのw >>745
外人相手に半端な試合しか出来ない三沢ごときが、
世界タイトル挑戦させてもらえるのに不本意ねぇ
将来のエース候補とチヤホヤされて傲慢になってたのか >>742 >>749
> 確かに三沢タイガーの名勝負は日本人ばっかりだったね
> 立場が変われば人も変わるってのもあるけど、タイガー時代はエルボーでハンセンをノックアウトしちゃいけないだろうし
タイガー時代の三沢はヒーロー性を意識し過ぎていたのか
まず相手が攻めるのを受けてから攻防の切り返しを狙う待ちの姿勢が目立つ場面が多かったから
試合中棒立ち状態になる事がしばしばあってそれが些か頼りない印象にも繋がっていた
マスクを脱いだ当初は進んでロックアップを組む様にしたりロープへ飛びに行ったりと
自分の方から積極的に動いて試合を造ろうと努力していたね >>750
でもグラハムがWWF王者になったのは
もう新日で猪木と戦ったあとだけどな >>750
猪木は高千穂に負けた相手にでも平気で負ける 確かに猪木は、マイティにリングアウト負けした天龍に負けたな >>755
クラップなら馬場と両リンという記録もある。 三沢タイガーがそもそも塩だったからな
初代みたいに見せるプロレスができるわけでもなく、
大技がジャーマンとプランチャ等の場外ダイブ系のみ
三沢が勝ったあの鶴田戦も試合内容自体は相当ひどかった 全日から取材拒否受けてた頃の週プロで
両国でカブキとやった三沢タイガーがダブルフォールから
肩上げて勝ったら彼は本当に二十代の若者か?とかボロ糞だったよな
カーンとシングルやった長州にも客ウケを意識し過ぎ新日同士じゃないと手が合わないとか
プロレスが楽になる事を馬場化現象と言うとか書きたい放題だった >>746
フレアーvsリッキーなら82年のエキサイトSでタイトルマッチやってるよ。 >>755
1969年第11回ワールドリーグ公式戦
○ゴリラ・モンスーン(体固め)✖G・馬場
○山本小鉄(体固め)✖ゴリラ・モンスーン
○A猪木(エビ固め)✖ゴリラ・モンスーン 世界三大快進撃
@1973年春、UN奪取、初防衛時の高千穂(Jバレンタイン、クラップを破る)
A1974年秋、IWAヘビー奪取、初防衛時のM井上(Bグラハムを破り、ガニアと引き分け)
B2002年夏、ワールドカップ快進撃、ベスト4の韓国(書くのもバカらしいwww) >>761
猪木はいいとしても山本小鉄て
どっかで星勘定間違えて慌てて調整したのか? >>763
中堅にも少しはアピールの場を与えろという
選手会を通じての要望だよ
翌年はさらにこういうのが増える >>749
三沢タイガーの力量の問題や単純に相性の問題もあったろうけど
根本的にリッキーはベビーしかできなくて
試合自体も相手がリッキーのチョップ連打やロープワークからのカンフーポーズなんかに
上手く付き合って立ててあげる必要があるし
フィニッシュもクロスボディ以外は丸めこみ技しかなかったからね
本来ならマーテル同様世界王者としてはいささか厳しくて
ウェルメイドのベビー側準エース格ってとこが収まり処
いかにもあの頃はもうNWAもAWAも人材難だったんだなってことだな >>765
マーテルはWWFでキザ男のヒール、ザ・モデルを上手く演じてたのに
リッキーときたらwww >>765
当時のNWA,AWA王者になった面子はNWAがロニー・ガービン、スティンボート
AWAがカート・ヘニング、ラリー・ズビスコと人材難だったことは確か。
NWA王者になりたかったバリー・ウィンダム、新時代の旗手スティング、ルーガーもなかなかNWA王者になれなかった。
クロケットプロにフレアーをNWA王者にしておかなければいけない理由があったのか?
WWFが人気者ホーガンが悪役をやっつけてハッピーエンドなのに、NWAは小悪党フレアーが小細工使って綱渡り防衛は無理があった。 >>767
マグナムTAが事故の影響で引退しなかったらNWA世界王者になったかね。 日プロ末期のインター大木 UN高千穂もだが衰退期はチャンピオンがショボくなる >>758
173cm初代と比べなければ、元々三沢は一目置かれてた。
ルーテーズ杯で越中と一位2位でメキシコ行っただろ。 三沢タイガーはとにかく感情を身体で表現出来なかった。特に怒ってるとかテンション上がってる雰囲気が丸で伝わって来ないから、相手が上手く盛り上げなきゃいけない。
その点佐山タイガーは相手がラフで来ると自身もラフでいくという雰囲気を出すのがうまかった。 >>773
どうせ死んだふりだよ、心配して近づいたら急所攻撃してくるよ >>776
佐山タイガーの方が上手かったのは間違いないけど、相手にも恵まれていたと思うよ。
キッド、マークロコ、小林邦昭。間違いなく三沢タイガーの対戦相手より上手かった。 小林だけは両者と対戦してるけど、佐山の方はタイガーになる前の絡みがあったし。 >>780
そうでした、ごめんなさい。佐山の後で試合する三沢の方が不利でしたよね。 三沢タイガーもリッキーじゃなく、レイスかフレアーが王者の時に挑戦していれば、相手が十二分に試合を作ってくれるから、格好がついたんだろうな。 >>774-776
> 三沢タイガーはとにかく感情を身体で表現出来なかった。特に怒ってるとかテンション上がってる雰囲気が丸で伝わって来ないから、相手が上手く盛り上げなきゃいけない。
それ若手時代から言われてたよな
ドロップキックやクロスボディのフォームは綺麗だったけど何か試合ぶりが大人しくて印象に残る事が少なかった
越中が先輩やベテラン相手にもガンガン向かっていくのに対して
三沢の方は明らかに遠慮しているのが見てとれていたから >>778
ピラタモルガンとの試合は
おれのプロレス者人生の中で
トップ30くらいならはいりそうだけどなw
長い時間がたって、いま見てみると
モルガンのメリハリのつけかたが素晴らしいのだが >>766
ザ・モデルはイケメンが実は気障でそれを鼻にかけた姑息で嫌な奴っていう
考えてみればゴージャスジョージからロジャース、フレアーと
連綿と続くヒールの王道をちゃんと現代的にアレンジしたパターンだもんな
それに時代的にもちょうどハリウッドでも
それまでのイケメンスターが男くさくてタフな家父長的アメリカンヒーローから
(ようするにJ・ウェインやS・マックイーンだな)
スタローンやシュワちゃんのようなマンガチックなまでに単純化・戯画化されたマッチョや(これがホーガン)
トムクルーズとかディカプリオとかMJフォックスみたいな
若くていかにも流行先端お洒落なイケメンアンチャン(こっちがマーテル)に
大衆の好みというか感覚自体が変わってきた頃
そのへんいち早く掴んでいたNYと南部アトランタの流行センスの違いとかだったのかも
リッキーの場合むしろ70年代や80年代半ばなら
それこそ本人さえその気ならまだ東洋の不気味な秘術使いみたいなかんじで
黒装束の忍者コスで目以外隠して火吹いてみせたり武具を使ってみせたりを徹底することで
試合自体はワンパターンでもヒール転向とかもしやすかったかもしれんが
(ようは「見た目が不気味ではあっても汚くはないカブキ」だw)
あの時代だともうニンジャもサムライもカンフーファイターも
アメリカ人の誤解のベクトルとしてはむしろ正義のヒーローキャラになっちゃうんだよな >>784
モルガンは素晴らしかったよ、ユニバーサルに来日した時の試合も凄く良かった。
ただあの最強タッグは可哀想だったよね、ギャングと即席タッグ組まされたり。
愛知県体育館でのタイガーとのシングルマッチでも、アンチ三沢タイガーみたいな
会場のファンからモルガンコールが起こってしまい、やりづらそうな試合だった。 モルガン、馬場木村と初戦は異色。
ギャングもパートナー変えてくれと懇願からの鶴見に?
鶴龍、ハンセンブロディやシンと戦うモルガン観たかったな。 >>765
リッキーが日本で受けなかっただけで人材難って、それは言い過ぎだろう。
アメリカでは若手の頃からずっとトップ張ってたわけだし、フレアーからも抜群の評価受けてるやないか。
しかもマーテルは関係ないし。
爽やかでアグレッシブな、チャンピオンらしいチャンピオンだと思うがね。
当時アメプロをバカにしてた、お前みたいな理屈っぽいファン多かったやなあ。 >>776
三沢タイガーが、相手に盛り上げてもらった試合なんかあるか?
盆戦は最後まで盆戦だし、
盛り上がった試合は…主に日本人相手だが、十分自分から怒りの表現できてたやないか。
適当なことばっかり言わないように。 >>788 単純にリッキーの試合が詰まらない、それだけの事。 >>786-787
残念ながらモルガンの体格では
当時の全日のヘビーとは「試合にならない」状態だったよね
(↑馬場・木村組との対戦を見ての私論)
ここで鶴見と交代したのは正解でしょう。
ちな、このシリーズにはもうひとりエル・エヒプシオという
マスクマンが来てて、パンフなんか見てもこっちのが格上扱いなのに
テレビに出ず(たぶん)幻のレスラーみたいになってしまった。
近年、エヒプシオと2虎の隠し撮り?がようつべにアップされてるの気づいて
見てみたんだけど、試合中ずっと「みさわーwww」て叫んでる馬鹿がいる。
おかげで放送不能になっちゃったんじゃないのって思った。 ちゃんとチェックしてんだからごまかせないぞ(°▽°) どこをどう読んだら785で「ハリウッドにプロレス団体があった」と言ってると読めるのかがマジで不思議 >>791
前々年の新日本のタッグリーグでのアグアイヨなんかどうだったのかな >>791
フィエラとのデビュー戦でも三沢コール起きたり、放送席近くで佐山コールしたり「佐山が見たいんだ」としつこく野次る奴の声拾ってたよね。
あれも困ったろうな。
解説の山田隆さんが遠回しにしつこい野次への反論をしていたな。初代を意識するんじゃなくてニュータイガーマスクでいい、とか言って。 >>798
あれTV越しでも「佐山じゃないじゃねえかーッ!」と聞こえてきたし
現場じゃもっと煩かったんじゃないか
わざわざリングサイド席を買って野次りに来るんだから暇な奴だ >>791
モルガンは来日前も後もEMLLのトップルード。
エヒプシオジョバーとまでは言わないけど、
ローカルを中心に試合しているレスラー。格差はかなりあったはずだよ。
モルガンならファンクス、レイス、ニックた対戦してもそこまで不釣り合いではないけど、エヒプシオにしたらレスラー人生の中で2度とない極上の風景だったろう。 遊びに行ってて全日中継の時間に間に合わず、帰ってから親父にどんな試合があったか聞いたら「馬場とラッシャー木村がギャングにヒラタいうのと試合してた」というので少ない知識の中から平田淳二が全日に上がったんだと勘違いした幼き日
もちろんマシーンの正体が平田なんて知ってるわけもないしな >>798
蔵前の初登場の時も三沢コールおきてた
プロレスファンは糞だなと思ったね
今見たらデビュー戦はそんな悪くないけどな ぺロ・アグアーヨとブラソスの三人が来日した時も、三沢タイガーは名勝負が作れなかった あんな天才(しかも突然のサヨナラ)の後釜やらされたんだから、三沢は気の毒だよ。
何をやっても比較されてしまうし、そんな不幸体験を持つレスラーなかなかいない。 >>805
それはコブラのジョージだろ。
2代目カリプス・ハリケーンあたりの方が無難だった。 >>806
弟もマスクマンやったよな、グレートゼブラ。やっぱり馬場さんにやってほしかったが。 ただ、、、
1968年に消滅(NWAに吸収された)した
ロスプロレス団体のWWAは
その後「NWAハリウッドプロレス」
と称していたらしい。 そも梶センセイ方面から話来たのかもしれんが
子供向けのニューヒーローを売り出そうとするのに
全日も日テレもわざわざあの引退騒動でゴタゴタしてから日が浅く
しかも初代があくまで佐山個人の資質と
キッド、ロコらの好ライバルの存在という状況にも恵まれた
ものすごいケミストリーによる成功だったことくらい見てたらわかってたろうに
なんで絶対に比較される「タイガーマスク」の二代目だったんだろうなあ
いくら最初の「タイガーマスク」が日テレ系とはいえ
アニメやその関連のマーチャンダイジングには結び付かないのは
テレ朝みてたらわかるだろうに
そっとウルトラセブンの中身入れ替えるとか
日テレなんだからウチでキン肉マンやるよとかの手ももあったろうにw >>801
「お前は平田だろう!」
「ノーッ!私ピラタね!」
という2コマ漫画を描いて
専門誌に投稿しようと思ったことがあるぞw >>809
ショウジ・コンチャから佐山タイガーの売り込みがあって、馬場と日テレは大乗り気だったけど、コンチャが無断で売り込んでたのに佐山が激昂して破談。
後のジャパン社長の大塚が「梶原一騎紹介するから許可とって別のレスラー2代目にしちゃえばいい」と馬場に提案して三沢タイガー誕生。
佐山のカラーが強すぎるとはいえ、あれだけ社会的ブームになったキャラだからやりたかったんだろうな。 三沢タイガー見てると、
根本的にプロレス全然わかってないのがわかる
なにやっていいのかわからなくて、ぼけーっと突っ立ってるの多いわ 82年秋のジャイアントシリーズ
抱え込み式だけどえらくスピーディなバックドロップを決めている
実況でもヘソで投げるという発言が出てるけどこの頃もうテーズからバックドロップの指導されてたのか?翌年の春くらいにテーズから指導を受けてたような気がしたけど
https://youtu.be/9Sy8msWy_8s 三沢はインタビューや自叙伝でもやたらと「若手の時はマッチメーカーの佐藤昭雄が寛容だったんで、自分のやりたい技を好きなようにやらせてもらって毎日楽しかった。ランクが上がってくるとそういう訳にはいかなくてなった」というような事を良く言ってたな。
どうやったらお客さんが楽しむか?を悩むよりは、どうやったら高度な技が出せるか?の方を重要に考えて試合する選手だったように思える。
少なくともタイガー時代は。 平成だけど秋山準もデビューしてすぐにトップになってから数年くらい「日本で一番試合がつまんないメインイベンター」と言われてたし年功序列もあるなかで急に引き上げるのは大変だよ リスマルクが佐山タイガーvsキッドを見て
「ラ・フィエラとならこれ以上の試合をする自信がある」
と言ってたな
原軍司の知り合いによると馬場はリスマルクを2代目タイガーマスクにする案も持ってたがリスマルクのメキシコでのスケジュールが忙しすぎて無理だったとか >>812 >>814
三沢は若手の頃から大技主体の試合をやってるから基本的な攻め方が苦手。
全日が受け身主体の練習で筋トレをやらないから大仁田、渕、薗田、越中、三沢と体がショボい。
闘魂みたいなガッとくる気迫がなく、マスクで顔を隠したから喜怒哀楽が客に伝わらない。
三沢タイガーよりコブラ、小林邦昭、マシンの方がよかった。 小林邦昭さんは未だにグッドシェイプな体型キープし、腕回りは50p近くあるもんな 新日オタを装った対立厨かな
昭和新日スレが馬場の悪口だらけになっているのも怪しい 馬場は欲深。欲に釣られ、浅はかな考えでニ代目を創造した。 二代目タイガーの話題やめときゃ良かったかね、俺も乗らなきゃ良かった 正直三沢はタイガーにするよりはあのまま海外遠征を続けさせて欲しかった。 スレーターは82年最強タッグにスヌーカの急遽代打で出たわけだが、最終戦蔵前での馬場にフォール負けする場面ばだいぶぎこちなかったな。
スヌーカが予定通り出たとしても、同じ役回りだったのかな? >>827
馬場が触ってないのにスレーターがレイスに突っ込んで行ったシーンねw あったぜぃ
ttp://iup.2ch-library.com/i/i1991272-1558197559.gif >>731
鶴田のミサイルキックで決まった試合ですね。 >>740
それは取り巻きを前にしたら長の立場の人はやすやすと受け取れないさ。
泉田は、職員に渡すべきだった。 >>741
つまりどちらも
NWA AWA世界戦。
ジャンボ鶴田の若き善戦マンの立場でしょ。
勝ってはいけない試合で名勝負できるわけがない。 グッドシェイプ= 新日オタ用語
触らない方が無難。 >>800
パンフでの扱いは、白黒1ページを上下に区切って
上がエヒプシオなうえ、エヒプシオはバストショットで
モルガンはニーショットくらいか(顔の大きさで印象が変わるよね)
そしてあの当時のモルガンはトラヒゲみたいに
スカーフを頭にまいてて「海賊の下っ端」みたいな風貌
その後、G誌の別冊名鑑でインフェルナレスというトップチームから、
そこ抜けて兄の海賊マスクらと共に海賊集団作って筆頭格とか
そういう流れみて、今や死語の「日本帰りは出世する」
みたいなこと考えてたかなぁ
1虎がライバルたちと熱い抗争を続けていったのに対し、
2虎の側はルチャドールを負け役として使い捨てにした印象
まぁそれってほんとの漫画のタイガーマスクに近い?のか? >>832
力道山ーテーズや猪木ードリーは名勝負だったけど? >>828
後で思えばあれってスレーターの感覚異常の表れという感じ
とにかくその前の馬場を足四の字で攻めるスレーターはかっこよかった スレーターはロビンソン、リッキー、デビアス、フレアー、レイス、パイパーとファンクス以外にもいろいろなパートナーと組んでた印象
…87年にはハンセンとのチームでタイトルに挑戦してたね… スレーターは、日本では勝ちブックが少なすぎた
組み方次第では、もっといい試合が見られたと思う ディック・スレーターは
シンですらなれなかった
プロレスアルバム第一期のピン面子だったのにな。
ホントもっと活躍して欲しかった。
(注)
第一期プロレスアルバムがいつまでかは知ってる人は知っていると思うので略。
シンがプロレスアルバムに登場したのは第二期のしかも「ザ・ヒール」としてだったか?
記憶違いがあったらスミマセン。 スレーター、ファンクスみたく日本陣営にしたら人気でた気も。どうかな >>789
ピラタ・モルガン戦なんかは間違いなくそうだな >>841
80年のチャンピオンカーニバルではテリー軍団の副将、81年のサマーアクションSではスピニングトーホールドに乗って入場していたが82年のエキサイトSでの入場テーマはスピニングトーホールドだったのかな? 経営不振で馬場が会長に棚上げされて松根社長になったからスレーターを第二のテリー
にする考えはないだろうな。松根さんも社長になったからには馬場のやったことを継承する
より自分の色を出したいだろうから。 >>834
佐山だってルチャドールはみんな使い捨てやろ。
アホか。 >>830
そうそう。
思い出補正されてるんかも知れんけど、
あんなに力強いミサイルキックは見たことがない。
ライガーが、相手の胸に乗るのがミサイルキックのコツとか言ってたが、アホかと思った。鶴田の見て勉強しろ。 ピラタ・モルガンもだけど、ラ・フィエラもメキシコでは一流選手なんだな
三沢タイガーの相手に何度も呼ばなかったのはジャパン勢始めとして
新日からの移籍レスラーが多すぎて余裕が無くなったからかも
キッドスミス邦明、佐山のライバルばっか >>848
佐山とスミスが試合したことなんかないだろ? >>839
84年の夏のシリーズでは特別参加でまあまあの扱いを受けてたね…福岡で天龍、蔵前でカブキとのシングルマッチが組まれてた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています