【ストコバ】昭和の新日本プロレス10【コバクニ】
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京都でのワンナイトトーナメントとか、超豪華カード。しかも、ノーテレビ。
>>630
> 場所によってカードの良し悪しがあるのはやっぱプロモーターの力量とか付き合いなのか。
> 新日だと西日本や中部で好カードが多い。 >>631
京都は佐川会長のお膝元
佐川会長が最前列で観戦の場合はレスラー全員が試合前や後で頭を下げていた IWGP決勝の翌日にワンナイトトーナメントとか、大相撲の本場所千秋楽の翌日に大相撲トーナメントやるみたいな無茶苦茶なことだな
いくら花相撲みたいなもんとはいえもう少し日程どうにかできんかったのかと >>633
確か猪木が坂口、マードック、スーパースター、アンドレと1日4試合したんだよね… https://ameblo.jp/kerog-2006/entry-10078886811.html
黙っていても客が入り上に売り興行だと満員でも利益変わらないから
そこそこなカードしか組まない、そんなふざけたマネしてたら
プロモーターだってそっぽ向くんじゃないか IWGP追撃戦京都大会で忘れちゃならないのがコブラ最後の試合(バトルロイヤル) そういう面では高松は恵まれていたな
TVだわ好カードだわでリーグ戦物の公式戦も豪華
木曜日に大阪府立、金曜日に高松という日程の時に
大阪がノーテレビで高松TV生中継だったこともある >>638
84年IWGPの猪木対アドニス、長州対アンドレもテレビ生中継だったね… >>641
ジャパンのプレ旗揚げが高松
なんとアンドレVSハンセンも実現している >>627
>>637
84年の仙台
IWGP 猪木vs藤波
タッグリーグ 猪木・藤波vsアンドレ・モロー
どっちもノーテレだったけど大会屈指の注目カードだった。
タッグリーグのほうは戦力不足もあって「これで精いっぱい」みたいな感じでしたね。
Sマシーンズvsマードック・アドニス
坂口・戸口vsサモアン・アティサノエ
木村健vsブラウン >>618
藤波は腰痛だったかな?確か長州戦もノーテレビでリングアウト負けだった。 高松大会
79MSGシリーズ 公式戦 坂口vsハンセン、猪木vsアンドレ
80MSGシリーズ バックランドvsホーガン、 公式戦 アンドレvsハンセン、猪木vs藤波
81MSGシリーズ 藤波vsアダムス、バックランド&ローデスvsハンセン&ホーガン、 公式戦 猪木vsシン
ここらあたり好カード >>625
仙台にはテレ朝系のテレビ局が無いとかそんな感じかな? 80年前後の外人が豪華な頃は魅力的な顔合わせが多かったな。
四国だと高松以外でも徳島も好カードが提供されてたな。79年に猪木がボブを降して
WWF獲ったのも徳島。 高松で第一回lWGP公式戦
猪木対前田日明もあった
前田日明がジャーマンとドラゴンスープレックスを連発
しかしその直後なぜか棒立ちになって延髄切りくらってわざとらしく一回転してピン負け
そしてジャストでテレビ中継が終了
猪木対前田の唯一のシングルである >>649
東北最大の都市だから早いうちにできている。
宮城の他のとこではテレビマッチになることが結構あった。 >>652
ドラゴンスープレックスに行く前の猪木の右手親指のサイン。
> 高松で第一回lWGP公式戦
> 猪木対前田日明もあった
> 前田日明がジャーマンとドラゴンスープレックスを連発
> しかしその直後なぜか棒立ちになって延髄切りくらってわざとらしく一回転してピン負け
> そしてジャストでテレビ中継が終了
> 猪木対前田の唯一のシングルである 高松ついででもう一試合。79年6月1日第2回MSG、当初猪木VS藤波の公式戦だったが
藤波の前日の右足負傷で試合に出られず涙の棄権になったあの試合。
急遽、アンドレと猪木の特別マッチに変更。猪木へ地元局からお土産が手延べそうめん半年分ww
詳しくはYoutube当日の試合動画にて。。 >>219
遅レスですまんが、あまり技をやらない日本人ヒールレスラーもなぜかパイルドライバーはやってたね。
上田馬之助、ポーゴ、ナガサキ・・ 昭和末期の常打ち会場の印象(あくまで個人的なイメージ)
S:武道館・国技館・府立(大阪城ホール)
A:札幌中島、国際センター、田コロ、日大講堂
B:愛知県体育、宮城スポーツ、横浜文体、大宮スケート、高松、福岡スポーツ(九電)
C:広島県立、京都府立、静岡産業、石川産業、鹿児島
後楽園ホールはちょっと特別なので外した
基本都市の大きさだけど愛知と仙台広島は
カード的には札幌福岡に比べて若干地味な印象
逆に高松と静岡は当時の都市の規模のわりに恵まれていたイメージ
福岡は国際センターできてからはメインはそちらに移ったけど
その前からも九電とスポーツセンターという大会場が二つあったせいで興行が打ちやすかったか?
札幌は二日興行の印象が強い >>656
九電記念体育館は閉館前に見に行ったけど、いつのまにか回りはマンションだらけで、あそこだけ時代が止まってた。
中も見たけど、普通の地方の体育館で、3500人入ればいいくらいのキャパだった。
よくプロレスやら相撲やらコンサートやってたわ。 >>655
木村健悟のパイルドライバーがフォームが綺麗だった。稲妻レッグラリアートの前、ジュニア時代の木村の必殺技はパイルドライバーって名鑑に書かれてたね。 >>462
>意地悪とかじゃなくてマジメに聞きたいんだけどブロディ戦を見てどこが良くて猪木を好きになったの?
遅レスになってしまった。
タイガーマスクから新日を見だして、当時小学一年生。
8時に親に寝かされてたのにタイガーマスクだけは特例。
タイガーマスクの試合見たら寝室に行かされてた。
シンもボックもハンセンも間に合ってないので、
猪木で印象に残ったのはホーガン戦と国際軍団くらいかなぁ。
ブロディ戦でははじめて「猪木が素で頑張ってる」感じがしてドキドキしましたよ。
古舘伊知郎の「闘魂の灯は今日で消えるのか」的な悲愴感あふれる実況にもグッと来た。
団塊世代の下の方だと「何故か毎回勝ってしまう人」というイメージが強かったです。
藤波フルタイム、ベイダー、ブロディ、この3試合だけで猪木信者になるにはじゅうぶんでした。 腰やって長期欠場中に長男を嫁に仕込んだことがあるのを考えると
藤波の腰痛は全部嘘のズル休みなんじゃないかと思ってしまう プロレスラーを投げたりする時とたかだかセックスの腰遣いと一緒にするアホ >>656
昭和末期で日大講堂ってやってたっけ? 70年代の全日のイメージなんだが。。
それ以外、新日でよくTVマッチやってたのが四日市市体育館、大阪臨海スポーツセンター
姫路厚生会館とか。あとはレスラー地元の徳山市体育館、大分荷揚町とかだな。 85年の人材難のなかで全日から移籍してきた期待のランボーサクラダだったけど全く持って華がなかったのが残念だった… >>662
日大講堂と田コロは入れようかどうしようかと思ったけど
入れなきゃ入れないでまた微妙なんでとりあえず入れときましたw
でも俺の中でも正直70年代までの会場ってイメージが強いのは同じ >>656
新日限定なら岐阜も入ると思う。
会場は市民センター→産業会館だったが。 TV中継は無かったと思うけど
岡山武道館、千葉公園体育館あたりも
大きなシリーズの巡業コースに入っていたと思う 昔は次期シリーズ予告を楽しみにしていたから
自然と地方都市の名前と体育館を覚えたな
奥武山体育館(おおのやま)なんてプロレス見てなかったら絶対に読めなかった >>668
三島市体育館、小郷市体育館、
鳥栖市体育館、富士吉原市体育館、
よく聞くけど、場所がどこなのかは知らん >>669
鳥栖市は佐賀県
富士吉原は静岡県
三島市と小郷市は残念ながらわかりません
どうでもいいけど佐賀県はもう20年近く新日本の興行がないらしい
実質、佐賀は福岡みたいなもんだからな >>670
小郷市はわからないけど新潟県の小出郷体育館で新日がやってたね… >>668
アメリカの州名、都市名も含めプロレスは地理に造詣が深くなるなw >>674
670だが、そうそう、小出郷だった。
三島は中部地方のような気もしてたけど
イメージは湧かないな。
西日本在住なもんで。
あと東金体育館とか福生市体育館とかは
東北のどこかというイメージ。 >>664
人材難なのに客分助っ人のタイガー戸口を冷遇し追い出しているのが謎。
上田やナガサキと共闘など使い道はいろいろとあっただろうに。 >>677
戸口は英語なら分からないだろうと
外人相手に小鉄や坂口を馬鹿にする様な軽口を叩いていたのがバレて信用されなくなったとかいう噂を聞いた事がある
後試合自体も結構手抜きが目に付いていたとか
>>678
多摩は東京じゃねーとか言い返されそう >>677
当時のテレビ中継でサクラダ対バーバリアンとかナガサキ対ドゥガンなど渋い試合が放送されてたね… まだ若手の小杉とか山田とかがテレビマッチに出てきて、人材難なんだなとしみじみ思ったな。 >>681
セミ前で荒川、武藤対上田、クレアーとかもあった… ジャイアントマシーンのシリーズでテレビ中継が始まったら「30分1本勝負 小杉vs山田」には驚いた。
あのシリーズでまともだった試合が開幕の「藤波vsシバアフィ」、上記の「小杉vs山田」、
そして「木村健・山田・武藤vs星野・小杉・橋本」だけだったというのが悲しい。
WWFインタータッグ「藤波・木村vsヒギンズ・ブラウン」はイマイチだった。 >>684
若手の試合が良すぎてマシーン絡みの試合が全然おもしろくなかった… >>684
次の週から盛り返したけど開幕戦は女子プロレスに視聴率で負けたんだぞw >>682
小杉は奥さまの実家の家業を継いだって話を聞いたことある 全女の武道館大会と開幕戦被ったんだったかな
おれもデビルと長与の試合を見てた覚えがあるw >>685
マシーンでそれまでファンの多くが愛想つかしてしまった感があったよねぇ。
Uのリターンでは人気が出なかったと叩く人もいるけど、
むしろUだけではどうにもならないほどに新日はボロボロだった。
合併の時に佐山悟でもいたら人気はもしかすると回復できたかもしれないけど。
>>686
当時は女子プロの勢いすごかったからねw
ミスター高橋が女子プロの茶番をパクるほどだった。あれも最悪だった。 >>682
>>684
小杉はユーチューバー。
https://youtu.be/gfbuZ811plU
昔のイメージのまま年食った感じだね。
佐渡の酒店に婿入りして姓変わったみたいね。
http://itousaketen.shop-pro.jp/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) >>677
新日に久々に呼んでもらったのに、ジャパンの大塚と通じて全日復帰を画策してたのがバレたんでしょ >>689
あの手のレフェリーとか中堅選手とかが
洗脳されたとか催眠術にかかった(!)とか
なんの必然性も無く突然
「彼らに賛同して共闘することにした」とか言い出した“こと”にして
たいしてハマってもない敵役に回るストーリー見せられるのは
ファンの側としては苦しい事情はある程度わかってても
さすがにちょっとツラいものがあったよな 木村健悟がシューズに凶器入れてのイナズマで藤波に勝つとかもその頃だっけ
試合後にわざとらしく凶器が落ちてて心底しらけた サポーターの下に金属片入れても威力さして変わらんよね まあそのへんは覆面の下のひたいに王冠(しかも上面が外向き!)以来の伝統ってことで…w あとパイプ椅子やゴングで殴ってもたいして効果ないけど
チャンピオンベルトで殴られると一撃KOされるとかは
いろんな意味でベルトの権威を感じさせてくれるのでそれはそれでアリ、とかw >>691
ジャパンの鶴田vsカーンに挑戦状持って乱入。アドリブにより全員唖然。
信用無くしちゃったね。 花束で殴り合い(はたき合い?)とか・・。痛いんか? コイン挟んでの反則パンチでフォールってのもアメリカンプロレスでよくあったね。 >>699
>>700
あれは花粉とか汁でアレルギー持ちのレスラーが…カブレるんだよ(適当 そういや、2000年ごろに読売かなんかの新聞の読者川柳で、
「プロレスの 花束殴るための物」ってのがあったが、こいつ絶対昭和で止まってるだろって思ったw >>702
武藤も初だね。
橋本は早々と外人選手と対戦が組まれていて(もちろん負けたが)、
ニールキックとトンパチぶりが前田の再来みたいな記事が新聞にあった。 そういえば試合前の花束贈呈いつ頃からなくなったんだろ 花束嬢が後楽園ホールでアレンから逃げるのに場外にキレイなトペした事があったな >>706
失礼しました。
なんとなくその試合、もっと後だとばかり勘違い。 >>684
このシリーズの広島、福岡はカード弱かったね… >>707
完全になくなったわけでもないが、まあテレビが定期的についてた頃(86〜7年?)までくらいか。
スポンサーからの贈呈だしな。花束贈呈〜選手権試合宣言〜両国国歌斉唱・・。
その間にも紙テープや紙吹雪やトイペが飛び交い、客席はテメエの名を書いたカードを掲げたり、
思えば、昭和の大試合はかくも賑々しく、格式を重んじたセレモニーだったなw ベルト以外にもトロフィー贈呈とかゴールデンタイムの頃はあったな 田中ケロが何かのラジオであの花束は使い回すと言ってたw 今でもたまーに花束あるよ。
地元選手とか、スポンサーとか、常連のお店の女の子とか。 スレ違いだが、アンドレが全日の大阪府立に
初登場した時、なぜかおっさんがアンドレ側の花束だけ3束持って渡してた。
男の子は昔よくあったが、成人男性の贈呈はちょっと記憶にない。 >>713>>714
ラジオの素朴な疑問コーナーで「プロレスの花束嬢は何者なのか?」と言う問いが
あり調べてみると「プロモーターや選手の後援会が伝手を頼りに探してノーギャラだけど
無料観戦と猪木の闘魂入りサイン付きがギャラ替わり」と言うモノので「花束は使い
まわすので凶器代わりにする外人選手は嫌われます!」とあった。
昔、立ち見で入場するも席番の張り紙のしていない所がまるまる4席あって座っていたら
立ち退かせられて来たのはきれいに着飾った女性たちでセミの前に集団でいなくなって
リングに上がっていた。メインには戻らなかったのでゆっくり着席して見る事ができた。 試合をする選手ならわかるが
レフリーに花束は必要か? >>717 まあ、その試合を仕切る慰労的な意味合いじゃない? レフェリーへの花束。
けど子供のころ、花束嬢見てて「この人たち、プロレスどう思ってるんだろう・・」って
ちょっと怪訝な気持ちもよぎってたな。やっぱ一般人(女性)からすればプロレスって日陰に
あしらわれてたし、おまけにシンや上田だと追いかけまわされるし。。w アレンがリング下から花束嬢の足首をつかんだら、
「離せコノヤロー」といいながら束を投げつけたという最強嬢伝説があったな。 「レフェリー レッドシューズ・ドゥーガン!」
選手同様の派手なコールと花束贈呈
きっとこの人は最高裁裁判長的に権威があって
「俺がルールブックだ!」とか言い出しちゃう人なんだと思ってた
花束贈呈もそういうのに一役買ってたと考えれば
ちなみに「レッドシューズ」がトレードマークの赤い靴のことだと気づくまで
3年くらいかかったわw 花束嬢やった事ある人が雑誌のコラムか何かで
長州は「フン!」みたいな感じで無愛想に受け取るけど、猪木は受け取る時に「ありがとう!」と言ってくれたとか書いてた。 猪木の魅力はこういうところだよな
金が絡むと一気に嫌な奴になっちゃうけど >>722
基本的にアンチ猪木の人が猪木を批判するのにいうのは
「嫌なやつ」というよりは「いい加減なやつ」
逆にアンチ馬場の人が馬場を批判するのにいうのは
「いい加減なやつ」ではなく「嫌なやつ」 >>716
1980年頃、後楽園と品川プリンスホテルゴールドホールの試合後に営業の大塚が複数の花束嬢に
「ありがとうございました。これ謝礼です」と封筒を渡してるところを見た。 花束嬢と言えば昔の別冊宝島にトペをした人の
文章が寄稿されてたな。
あの頃の別冊宝島はどういうルートで探したのか
わからない執筆者が結構いた。
北条志乃みたいにのちにレディゴンの記者になった人もいたな。 シークが来たこのシリーズ、マンドゲレロかブランコだったか、飛竜原爆で失神してしまい禁じ手になったな。。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています