【ローラン・ボック】昭和の新日本プロレス7【オットー・ワンツ】
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マッドマックスはウォリアーズのバッタもん
同じバッタもんでもバーバリアンの方が良かった 初参戦の新春シリーズ中に、猪木のショボイ感じのバックドロップでピン負けとか、呼ぶ意味なかったと思う。 でも前田に大して少し不穏な動き見せてたよな。試合の流れ的に 蹴り足を捕らえて投げる前田のキャプチュードが段々パワハラスラムみたいに安全な技に変わっていったよな。キックを使う選手がいなかったから仕方ないが… マッドマックスにわざわざワカマツつけた理由がわからんわ。
というかワカマツをいつまでもひっぱっていた理由がわからん。 実録国際プロレスで稲妻二郎が言っていた若松の変貌ぶりがリアルで閉口した
「国際時代はロクにレスリングが出来ない引け目からか低姿勢で礼儀正しく
団体のために誠意努力しているようで好感が持てたのに、SWSで再会したら別人だった
物凄く偉そうな態度で、田中社長のご機嫌ばかり取ってピリピリしていた。」 >>13
SWSスレ向けの話だな
人間の本性がそんなに変わるわけもないし
どっちかと言えば国際時代は猫をかぶっていたんじゃないかと でも練習生相手に腰が低いって中々出来るもんじゃないぞ。 ドン荒川っておかしな死に方したけど、やっぱヤクザ絡みなのかね >>17
あの時代の若手だった三銃士とかは
みんな口を揃えていい人だったって言ってるもんな
若手に対しても常に敬語で話してたとか プロレスから身を引いてからは、地元で市会議員か何かやってたんだっけ?
やっぱり、要領の良さと言うか世渡り上手なのも感じる。
それこそ荒川に近いようなものを。 >>24
不審死でもないが、永源が亡くなる1週間前に長らく犬猿の仲だった栗栖のところに電話やったとか。
栗栖は頭に来て「なんだ?この野郎、ふざけんな!」と即ガチャ切りしたそうだが
さすがに、ガチャ切りした栗栖も何言いたかったのか気になったようだな。
その後、すぐ死んだだけに。 >>27
始末されるのが確定したので死ぬ前にジャパン時代のことを謝ろうとした ブッチャーも77で体型の割には長寿だな。
シンは現役バリバリの頃からかなり摂生してそう。
イメージだが健康体そのものっぽい。 ワンツは第1回IWGPの公式戦でカネックにピンフォール勝ちしてた ブッチャーは昔のプロフィールだと1936年産まれ
もしそっちが正しかったとすれば82歳って事になるから
あの体型では異例の長寿になる
「私はドラッグやステロイドには一切手を出さなかった」と自伝に書いてたが
多分本当なんだろうなと思う >>35
間違えました、すいません…
ブッチャーって結構年取ってるんだな〜と思ってたなぁ… 84年以降の新日の横浜文体って猪木対藤波以外はカードがイマイチだった印象があるなぁ…
猪木対シュルツとかめちゃくちゃ会場が静かだったし… 怪しい死に方した人も多いけど、実際は普通に病死だろうな
リスク負ってまで殺すほどの人間ではないもの 仲田は確かにタイミング的にも、どうなんだろうな・・ >>40
元々昭和の時代新日の横浜と岡山は客入りが悪いって言われ続けていたんでしょ?
俺も鈴木庄一のコラムとビッグレスラーの記事にあった記述でしか知らないから具体的にどれだけ売上が良くなかったのかは分からないけど
84年頃だとまだ遠藤幸吉への売り興行が多数を占めていた神奈川地区の大会を手打ち(自社興行)に切り替えていく過渡期にあった筈だから
営業や目玉になるマッチメークをどうするかの方針が定まっていなかったのかもしれない 大変失礼だが、泉田こそわざわざ殺す価値はないわな
あまりにも小物過ぎるだろ
永源はあり得るのかな
タニマチとドップリだったらしいし >>48
例の件で色々喋られると困る人がいたんだろうな。 >>42
慧舟会の人もだよ
格闘技界はそんなところ >>50
相撲界では相撲のヤオと893とのつながりを暴露した
高鉄山と橋本成一郎が同じ病院で同じ日に同じ病気で亡くなったと
言う事があった ほんとだ
8月か
「自宅で倒れてるところを付き人に発見された」って…… 相撲取りとプロレスラーは短命だというがそれにしてもなぁ 熊さんなんかえらく唐突だったな。
シリーズとシリーズの間の休みの間
突然亡くなっちゃったんだから。
一時よりかなり痩せてたけど、欠場たかの
兆候はなかったのにね。 北の湖、北天佑、輪島、初代貴ノ花、千代の富士と癌発症率の高さを見ても
暴飲暴食ってのはやっぱり体に悪いんだよ
ボクサーはパンチドランカーにはなるが厳しい食事制限のせいか
癌発症率は低い気がする
ミドル級の竹原位か? >>37
「MOST HATED」ってヒールレスラーのランキングか?
デビアスはともかく、ドリーが入ってるのが笑う >>61
ドリーっちゅうかファンクスはアメリカだと田舎者ダーティーヒールらしい。
日本ではドリーはNWA王者として評価が高い。
でもアメリカではダーティーヒール王者のスタイルだったと記事にあった。
テリーも同じく。
それこそ急所討ちから丸め込むとか。
事実かわからんが、ドリーのNWA王者時代のタイトルマッチの結果。
殆どが丸め込みでフォールだとか。
その急所討ちからの丸め込みだろう。
やっぱり各レスラーも日本とアメリカではスタイルや立ち位置が全く異なる。
その地域によって。
シンは実際にカナダでは絶対的ベビーで日本でのテリーや猪木みたいな存在みたいだしね。 >>62
日プロに初来日した時のNWA世界戦ドリー・ファンク・ジュニアVS猪木を見ると
シニアが弟子のハーリー・レイスも使ってリング外からいろいろやってたな。 日本人の目で見るとカウボーイスタイルはかっこ良く見えるが
アメリカ人の目で見れば不良の吉幾三だからね
サンマルチノVSハンセンもイタリア系ニューヨーカーVS不良の田舎者だから 81年のハンセン、マードック組が田舎の荒くれコンビみたいで面白かった。
ハンセンなきあとはアドニスと組んだけど、オートンと組めばどうだったか。 >>64
アメリカではハンセンのリングネームにバッドボーイがついてたね
>>65
マードックが全日から新日に引き抜かれて
ローデスとのコンビ(テキサス・アウトローズ)も新日で復活してた。 マードック・アドニス組は魅力満点だったけどアドニスの影が薄くなったのが残念だったな。
たまに同時来日して共闘するくらいでよかったんだわ。
しかしマードックとオートンのコンビってあまり想像がつかない。
同様にアドニスとスーパースターも合わない気がする。 アドニスはマードックと組むようになって変に小ぢんまりとまとまってしまった気がする。 やはりマードック・スーパースターとアドニス・オートンの組み合わせがいいな
全日だとハンセン・ブロディよりハンセン・デビアス、ブロディ・スヌーカの方がイイみたいなかんじで マンハッタンドロップを日本に持ち込んだのはアドニスだったよな。
肘を立てるブルドッキングヘッドロックがよかった。
あとコーナー最上段に上がったとき足すくわれて急所打つとか、ロープ振られてトップロープとセカンドロープに挟まるとか定番のやられムーブも好きだったw
革ジャン着てるから中継では暴走族スタイルとか言われてたけど、入場テーマはスターウォーズなんだよなw >マンハッタンドロップを日本に持ち込んだのはアドニスだった
多分、他にも事例あるのだろうけど、昭和52年国際プロレスIWAワールドシリーズでの
タッグトーナメントで寺西がジョー、バションにこれを利めて八面六臂の立ち回りを
していた記憶は今でも残っている。
ツープラトン・パイルが実はヤマハが元祖だったのと等しく、あまり知られて
いないところで先駆者がいるものだ。 ロードスティーブンリーガルが新日去るとき、週刊プロレスのインタビュー記事で、アメリカでビッグになるとか書かれていて、本当に実現して感心した。 アドニスは初来日のシリーズではマードック、バレンタインを抑えてエース格だったね 77那奈だが、
>>76アドニスは初来日時は『猪木殺戮の刺客』と言われていた。 78縄だが、
『殺戮の刺客』なんちゅう言葉が当てはまった時代だったな。 79鳴くだが、
アドニスは『ハンセン二世』と言われて期待度が高かった。 猪木休んじゃったんだよね〜
年末のタッグリーグの初戦で藤波に丸め込まれてあっさり負けたときはショックだったな…
ブラボーじゃないのかよ〜って アドニス初来日のシリーズって
プロモ画では皮ジャン着てたけど
脱いだら腹出てダスティ・ローデスみたいだった アドニス初来日時はブラッシーが付いていたんだよね。
ハンセン、ホーガンそしてアドニスと。
ブラッシーが付いたからアドニスには期待したんだが。
当シリーズはマードック、バレンタイン、グラップラーと。
でもアドニスがエースで。
確かにアドニスはマードックと組んでからは霞んじゃったね。
でもマードック、アドニスはいいチームでもあった。 猪木藤波VSマードックアドニスはタッグの最高傑作
現在動画が見れないのが残念 マードック&アドニスは新日本プロレスだけでなく本国でも割と活躍してたから
評価されて良いのかも。アドニスはオートンとのタッグの方が評判よかっただろ
けど。
https://www.youtube.com/watch?v=kpUorUeuSME アドニスは来日前は雑誌の海外記事で見ると、ジェシーベンチュラとのコンビで紹介されてた
両者の来日前はベンチュラ>アドニスのイメージだったけど
それぞれバラで来日したら圧倒的にアドニスの方が上だったね
「シンデレラサマー」とか「ふたりの愛ランド」の石川優子って歌手が実はプロレスファンで
好きなレスラーは誰ですか?の質問にアドリアンアドニスと答えたのを強く覚えてる 石川優子と川島なお美と尾崎亜美の見分けがつかなかったなぁ。 アンドレ・ホーガン相手に抜擢されてたのもマードック・アドニス(&スタッド)だからな。
結果は2対3のハンディ戦ながらアンドレがマードックをフォール、30分を超す熱戦。 >>85
石川優子って全日ファンじゃなかったかな?
何かの雑誌で全日テーマに亀和田武と
対談してた気がする。 >>89
その対談で亀和田と「天龍さんが気になる
「この人何を考えてるんだろうな」と思う」とか話してた
1985年頃までの天龍って常に憂鬱そうな顏をした
よく分からんレスラーだったからな 1983年春頃にデラプロか何かで石川優子×古館アナの対談があった。古館アナが石川優子のファンだと。 83年元旦での猪木対マリガンと翌日の猪木対ベンチュラをテレビで放送してほしかったなぁ… >>89
鶴田と石川優子の相合い傘ショットを東スポで見た記憶がある。 >>87
新日のブッキングでWWFにいったんだよな
でもマードックは早々にビンスと揉めてやめた
アドニスだけが残ってその後はオカマになってしまった >>95
>その後はオカマになってしまった
その言い方やめろw
あくまでプロとして食ってくためだから仕方ないだろww >>87
>>95
ロッキー・ジョンソン&トニー・アトラスから奪取してバリー・ウインダム&マイク・ロトンドに陥落するまで8ヶ月保持。 >>95-96
当初の皮ジャンスタイルって日本では暴走族キャラと宣伝してたが
実はハードゲイキャラなんだよね
だからWWFのギミックはハードゲイから女装系オカマになっただけで
そんなに変わっていないんだよ カート・ヘニングってデビュー間もない時にアドニスにボコられ、
親父のラリーが激怒してアドニスに復讐したという因縁があった、とパンフで読んだ。
そんなヘニングを戦力不足著しい新日正規軍に助っ人参戦させ、
シュンジ以上ケンゴ以下のポジで戦わせたかったわ。 83年8月のサマーファイトシリーズからマードック、アドニスが組まれるようになり以降アドニスがエース格のシリーズはなかったね… >>102
見始めたのがその頃なもんで
アドニスってタッグ屋のイメージが強い 89年のタッグリーグなんかマードックアドニス組以外で試合してない。
他の外人とも組まなければシングルもなかった。 アドニス
Day of death: 04.07.1988 (at the age of 34) アドニスはWWF移籍前に週プロだかデラプロの家庭訪問の取材受けてたよね
確か小さい娘さんが一人いてデカイパラボラが付いてる家に住んでた
結構、亭主関白みたいで奥さんがウチにはベビーが二人いるって 88年のIWGP後楽園でのベイダー、マサ斎藤対マードック、アドニスでのアドニスはあまり良い場面がなく残念だったね
久々にテレビでアドニス見れただけでも嬉しかったけど…もっと見たかったなぁ アドニスの最後の来日時は、まだオーバーウェイト気味だったけど減量をしてきて、おかまキャラじゃなく暴走狼キャラに戻していて次回以降の来日に期待をしたんだけどなぁ なんだかんだ言っても、新日本にも魅力ある外人レスラーたくさん来てたんだな。当時は外人レスラーといえば全日本だと思ってたけど。 アドニスが当時オカマキャラになってた事を知らなかった情弱の俺は友人から
「アドニスはアメリカでオカマになったぞw」
って教えられた
で、久方振りにアドニスが新日に来日するって事になって「オカマのアドニスが来るのか?新日にオカマのプロレスラーとかどーなるんだよ!?」
ってwktkしてたらオカマ前の普通に戻っててちょっとがっかりした…(´・ω・`)
アドニスのオカマにちょっと期待した俺
真っ当なアドニスファンだった人達ごめんね 新日本にもオカマレスラー来てたよな。昭和55年の春頃?たしか全日本にも同じ時期にオカマレスラーが来てたw ていうか「原爆頭突き」「原爆固め」「原爆男」なんてワードを
戦後僅か20余年で平気で連呼してたからなw
ニードロップを「アトミック・ボムズ・アゥエイ」って日テレの清水アナは言ってたけど
よくクレームかつかなかったと思うわ。 >>113
死ぬ半年前(88年1月)から、日本マットに復帰するためにオカマギミックを捨て必死に減量と猛トレーニングをしていた。
あの時、道路にシカがいなければな・・・
https://www.youtube.com/watch?v=kiQ5MlvGTXs >>116
坂口が第一線を退き、バックランドが来日しなくなったことで
「アトミック・ドロップ」の使い手がいなくなったしな
リバース・アトミックドロップならアドニスが多用していたが
アレは技名がマンハッタン・ドロップに改名していた アドニスはサンアントニオ地区で真の世界王座(SCW世界ヘビー級)になったけど、決定トーナメントで当たったのはオートンだったんだよね。
このトーナメント、一回目の引退する直前のテリーも参加してたね。
立会人がテーズでレイス・モデルと同型のベルトをアドニスに進呈してたね。
テーズは本当「世界ヘビー級」関連のビジネスよくやってたねw ディック・マードックが全日にいた時に一度だけ観戦したことがあって、
パンフに載ってたマードックの顔は歯をむき出しにした変な表情だった。
あれのせいでマードックに対する印象はしばらくの間悪かったのを思い出す。 >>68 >>76 >>81-82
来日第1戦(藤波戸口谷津組vsアドニスグレッグリック・マグロー組)
での暴れっぷりが強烈だったからね
あの試合(3本勝負)2本目途中で生中継が終了したけど兎に角谷津がアドニス組にボコボコにされていた印象が強い
専門誌に載っていた2本目に谷津を仕留めたトップロープからのエルボードロップもカッコ良かったし
>>108
いや新・陽気な裸のギャング達やザ・プロレスの雑感記事ではその恐妻家ぶりが茶化し半分込みで記述されていた
来日中アドニスが自宅に国際電話をかけると
遠くからでも奥さんの怒鳴り声が聞こえてくるとか電話をかけ終わる度にションボリした表情になるアドニスを慰めるのが恒例行事になっていたとかで
>>110 >>119
ケロの旅日記でアドニスが
「30ポンド(約13.5kg)減量したからそれでコールしてくれ」
と言ってきた話を書いてたね
食事は1日2回朝と夕方16時に取って
それ以外は食欲を抑える錠剤やビタミン剤(当時はサプリメントという呼び名は定着していなかった)を摂取していたそうだよ アドニスは水を飲んでも太るっていうくらい太りやすい体質だったそうだから
本人もかなり気にして節制してたそうだが
最後の来日の時はかなり絞ってたけど動きは良くなかったな ゲイギミック時代はゲイの嫌らしさを強調する為に
マクマホンJr,からウェートアップを強要されてたって話だね 馳の最初の奥さんがビクトル古賀の娘だったんだっけ? >>124
88年最後の来日はかなり太ってた印象だが。
つーかこれは久々3年ぶりの来日でもあり。
あんときはマードックと組んでベイダー、マサとのタッグ。
マードックとアドニスがベイダーと対戦。
そして試合後に海賊乱入でベイダーと乱戦。
海賊は標的はベイダーでマードック、アドニスとはやり合わず。
海賊の一人はオートン。
実に豪華な乱戦だな。 >>128
ベイダー、マードック、アドニス、おーと >>130
ベイダー、マードック、アドニス、オートン、ジャッカル、カネック、ワグナーJrと豪華な顔触れだったけど今いち盛り上がってなかったイメージ あの時代にアドニスが戻ってきても活躍できたかな?
ベイダーがエース外人の地位を築いて
マードックでさえ居場所がなくなりつつあったしな
その後はノートンやビガロも出てきて外人の顔ぶれもガラリと変わろうとしていた時期だしね マードック、アドニス組で全日本マットへ登場していたら面白かったろうに。 定期的に全日に話題を持って行こうとするアンチが湧くスレ >>133
アレンとかアックスも90年代はコロコロ負けてたからアドニスもそんな存在になってたかもね… Uインターで高田どころか安生あたりに負け続けたアレンだが
ギャラの支払いだけは良かったらしいから、本人にしてみれば良い移籍だったのかな アドニスが事故死しなかったら、マードック同様新日フェードアウトして
FMWやWingといったインディーに参戦してたと思う。 >>140
確かに思ったよりダサい
1枚目はちょっとアジャコングっぽい
2枚目はアニマルとホークをブレンドしてダサく仕上げた感じw >>141
2枚目の外人のメンツは酷いな。
猪木対バーバリアン
藤波対カネック
のシングルマッチを組んでも後楽園で
満員が精一杯だと思う。 ブロディとバーバリアンを組ませて野獣コンビにすれば良かった。
あのシリーズ結果見ると二人は一切組んでない。
ブロディにはスヌーカがいたからか?
でもオータムはスヌーカいなかったのでは?
タッグリーグ戦はスヌーカでスヌーカ不在にバーバリアン。
新日のカードの組み方もイマイチわからん。
全日もそういうのはあったが。 >>143
バーバリアンもチェーンをコスチュームにしてるから当人同士で確執があったんじゃないの? >>140
顔って大事なんだなと思う。
ブロディやウォリアーズに比べると、顔が情けない。 >>142
このシリーズはキャンディ、アレンも来てたけど中堅外人扱いで目立つことなく終わったね… ブロディ、アレン、バーバリアンと3強外人体制にすれば良かった。
長州もいなかったから日本人VS外人の図式にもなり。
せっかく長州達がいなくなって軍団対決もなくなったわけだし。
マシーン軍団も消えて。
従来の日本人VS外人でこの3人を活用すれば。
しかしブロディ一本で。
これではブロディも飽きられるわけだ。
他の外人を絡ませたら盛り上がったとも思う。
アレン、バーバリアンなら強力外人だし。 くだらない軍団抗争もなくなったけど新日正規軍の戦力不足もひどかったから、
外人対外人のカードをもっと組んでも良かったと思うんだよねぇ。 このシリーズは藤波が初戦のエリック兄弟戦で怪我して欠場してしまい日本陣営が特に弱かった…
ランボーサクラダも思ったより扱い悪かったしな〜 >>150
85年のタッグリーグ戦の最中にファン投票か何かで、シングルマッチ組まれたりしてたね。
マードックvsブロディやブロディvsヒギンスとか。
ああいう企画良かったと思う。 ランボーの壮大なテーマ曲が鳴り響く中、素っ頓狂な顔して入場してくるランボー・サクラダ。
大爆笑してしまったw >>152
東根市体育館でスヌーカ対ドスカラスが組まれてた >>152
しかしほとんどがノーテレビ‼︎
ビデオで発売されたけど実況がかなり下手くそだったな
ブロディvsヒギンスはなぜか実況なしでプロモ風だったけど…… >>152
そうそうファン投票あったけどブロディvsマードック以外は中継しなかったねぇ。
毎週の中継は4強リーグで回していたようなものだったから、
注目のシングルマッチを放送する枠が残ってなかったということかな。
たしかブロマー戦の時はメインが猪木組対ヒギンズ組だったっけか。
この時だけ4強リーグ戦の試合がなかったはず。
しかし星野後藤vsナガサキポーゴとかいうどうでもいい試合なんかテレビでやるなとw >>149
というか特別待遇的なプロモーションとマッチメークを組むのを条件に移籍して来たんじゃないのブロディの事だし
勿論猪木‐ハンセンの頃とはファンの趣向が変わっていた事を認識出来てなかった新日とテレ朝の首脳陣にも問題はあったんだろうけど
一方でアレンなんかは良くも悪くもブロディとは対照的に
我儘を言わない半面トップにのし上がる為の自己プロデュース力に欠けていたのが残念だった
>>153
自己プロデュース力というとサクラダにも同じ事が云えるんだよな
ランボーのリングネームとキャラがしっくりこないのなら自分の方から色々とアイデアを出さないと >>155
ブロディvsヒギンスって放送されなかったっけ?
何かテレビで観た記憶があるけどな
確か両リンの後も場外乱闘が続いていたけどヒギンズのタフさにブロディが根負けするかの様に去っていったのを見て
ヒギンズ強ぇーなと思った憶えがあるんだけど >>158
桜田に関してはナガサキキャラやりだしてからは動きが鈍くなってカブキより先に衰えだした感があるな。
ミスターサクラダ時代やマシン時代は
ヘビー級の割には動きがキビギビしてる。 >>159
ブロディvsヒギンスは大阪の泉佐野で行われてるけど、
4月にテレビマッチが行われてるから、この会場で年2回も
テレビマッチをやるとは考えにくい。 名古屋での3大シングルマッチは
猪木対マードック、藤波対ブロディ、木村対スヌーカのセミ以外は普通のカードだったなぁ… >>159
ブロディvsヒギンスはノーテレビ
でも、ビデオ収録してビデオ発売されたよ ブロディとヒギンズって、当時出たビデオに収録されたんじゃなかったっけ?テレビマッチではなかった マードックって猪木にだけは色んなところで
コロコロ気前よく負けてるなぁ。
他の選手にはせいぜい藤波に一回だけ負けたくらいなのに。 今、CSの蝶野の番組にカブキ出てるけど、全然プロレスラーって感じじゃないな
近所のオッサンが昔話してるみたいだ >>163
>>164
トラックのコンテナの中で乱闘したやつだな。
ただし、カメラは中まで追わず乱闘の模様は音声のみw 蝶野が越中のこと「ヘタクソ、ヘタクソ」言うけど、そんなに下手だったかな?
俺的にはプロレス上手い人ってイメージだけど >>6
バーバリアンとウォーロードのマスターオブペインを新日で見たかったなぁ >>65
え?マードック、オートンは何年か後に結構組んでたぞ
ジャパンカップかなんかでスコットホール入れて3人で出てたような 国際プロレスが存続していたらバーバリアンやヒギンスは外人エースになってたろうな。 自己プロデュースのセンスがない選手には専門のコーディネーターなりに考えてもらうのがいい。それをやったのがWWF(当時)
しかしWWE(現)でもコーディネートしようがなかったのが森嶋猛w ヒギンズとウィリアムズのコンビとか見たかったわ。
同じハックソーでもデュガンはカス外人だったな。 >>152
翌年のタッグリーグはブロディのドタキャンで一気にしぼんてしまったね…
越中、高田が頑張ったんだよなぁ〜
あとリーグ戦に参加していたトンガキッドがシングルで金秀洪にピンフォール負けしたのには驚いた >>181
と言うか、新日初登場から試合ボイコットしようとしたり
タッグリーグ決勝は、(負け?)ブックが気に食わなくボイコット&客怪我させて、結局追放。
翌年、前田戦ドタキャン。
そして、その年のタッグリーグ戦も。
しかし、これだけ散々な目に遭いながら、よく新日も使い続けようとしたと思うw 84年ぐらいに闘魂ザ・ワールドとか言う宗教みたいなのを始めたよな?
会場行く下敷きもらった記憶があってビデオも1本だけ出てた
あれって結局入会した人いるのかな?? >>182
他に目玉レスラーいなかったからじゃね? 桜田は仕事に徹した人ってイメージあるな
ドリームマシンで全日来た時なんてかなり酷い扱いだったし >>186
雑誌のインタビューでオレはジプシージョーより全然ギャラが少なかったって文句言ってたなぁ… 新日スレ的にはパワーズオブペインよりジョニー・パワーズ 吉田光雄凱旋帰国のシリーズ開幕戦で、パワーズが坂口を撃破した。
坂口の一人や二人どうでもいいんだが、そのあと猪木がタッグマッチでスーパースターに敗れた時はショックだった。 ハックソージムドゥガンはもっと売れると思ったが・・ 192昔のハンセンの公式身長だが、
ブッチリードも日本には馴染みが薄いな。 ローランド・ボックと木村健吾が対戦した試合の動画ないかな・
1分台でやられたんだよな。 ドゥガンは雑誌のインタビューで、腰に手を当てて「エッヘン」みたいなあのポーズするとアメリカでは受けるのに日本では受けない、日本人が何を求めてるのか分からない、と言っててこりゃダメだと思った。 >>190
ケロがやたらと酷評してたな。
ドゥガンに何かされたのか? ドゥガンはアメリカではけっこう売れたから良かったんじゃね
ダイナマイト・キッドいわく10点満点で6点はあげられるレスラーなんだそうだ
ドゥガンは自分のキャリアのハイライトはWWFでのアンドレ戦だったと言ってたな ブロディ参戦で対アンドレ、対ホーガンが実現だと思ったのに、
出し惜しみして結局実現のないまま三人とも無駄にした新日。
マッチメーカーのミスター高橋が良くなかった。 81年の初来日の時は「第二のハンセン」と謳われたが
86年の再来日では悪い意味でのアメリカ的レスラーになってしまった
パトリオット・ラリアットって御大層なネーミングの必殺技も
単なるタックル時のラリアットに過ぎず >>197
ドゥガン、81年の初来日時に会場で見たけどオレは結構いい線いってる感じしたな。
まあいかにもB級臭かったが、声も出して良く動いてたし。帰国後中南部あたりでめきめき頭角表してきた
の聞いても納得できた。で、再来日も待たれたが悪い意味のアメリカで受けるタイプになってたw 他見てて時間おいて送信したのでなんか>>199氏と被っちゃったな。。 >>200
初来日時に猪木が「第二のハンセンになれる男」と評したんだよね
アメリカで売れたからその高評価は当たったと言えば当たったと思う>ドゥガン
当時「二度と来日させる必要なし」と評された
ティム・トール・トゥリーはやっぱり消えた 203スタッドの公式身長だが、
ドゥガンやアドニス、ヒギンズ、ウイリアムスも『ハンセン二世』と言われた。
最も大成したのはウイリアムスだな。 ドゥガンは風貌がハンセンにちょっと似てた。体も大きかったし SWSのドームで見たドゥガン対桜田は俺的にはドームワーストバウトだな。
ホーガンみたいに日本とアメリカでスタイルを変えなかったアホ。 >>193
ボックvs戸口、R木村は動画で見たが、vsキムケンは意外にも上がらないな 第二のハンセンになれなかったのアホだのって・・・
WWFのスーパースターだぞ
そんなものになりたいわけないだろw テリトリーで試合スタイルを変えるレスラー、変えないレスラー
不器用で変える事が出来ないレスラー…色々いると思うが >>198
ブロディのvsアンドレは参戦から半年後に組んだんだから、出し惜しみってほどもなかろう。
vsホーガンは、ホーガン都合で来日しなくなって実現しなかったんだから、
どちらも間が悪かったとしか言いようがないけどね。 アメリカで売れてるからって日本で通用するか分からんわな。
ジェリー・ローラーもパフォーマンス一辺倒で日本では全然受けなかったな。
馬場だったらドゥーガンは呼ばんかっただろうな。 来月のプロレスクラシックで猪木対スコットマギーやるみたいだね >>211
そういうのは良くあるでしょ
スーパースター・ビリー・グラハムも日本じゃ受けなかったからね
アメリカでは短命ではあったが間違いなく横綱クラスの悪党人気だった
ジェシー・ベンチェラ、ホーガン、ランディ・サベージ、オースチン・アイドルと
多数のフォロワーを産んだ位だから 214バレンタインだが、
ブロディVSホーガン
ブロディVSアンドレ
ブロディVS前田
この三つは絶対に見たかった。 ブロディVSアンドレ
ブロディVS前田
この二つは実際にカード組まれた。
しかし結果的に実現せず。
85年にアンドレが参加すればこの時に見られた。
また86年にブロディが参加したら前田との対決が見られた。
運命のイタズラとしか言いようがない。 あとブロディとマシーン軍団の試合も見たかったなあ。
ブロディ、スヌーカVSマシーン軍団で。
マシーン軍団は84年MSGタッグ以外は外人との試合はなかったし。
若松がブロディのキックを受けて場外にふっ飛ばされる場面とか。 アンドレをボディスラムで投げたのって正式にどれくらいいるんだろ?
(ロシモフ時代は除く)
ハンセンが田コロで投げた時は「世界で5人目!」って言われてたけど >>218
レイス、ホーガン、猪木、ハンセン、長州、カネック、キマラ、アルティメットウォーリアーは映像で見た。あと、ローランボック、マリガンは投げてるらしいけど、プロレススーパースター列伝のブロディは実際は投げてないみたい。 ボックはどうも眉唾くさいんだよな
本人が投げたって言ってるだけで証拠(試合の映像や写真)もないしな
ブロディもスーパースター列伝の創作じゃないかね? ボックはGスピのインタビューで「ボディスラムでは投げていない」と言っている。
またフランク井上は「ブロディが投げたと書いたのは捏造」と告白。
自分が確認したのは、あとマリガンとワンツ。 223アンドレの公式身長だが、
ボックはアンドレをボディスラムじゃなくダブルアームで投げた。 自己申告だけど、マスクド・スーパースターがアンドレを初めてスラムしたのは自分だと言っていた。 >>222
S小林もリストに入ってるんだな。
ロシモフ時代だからあまり意味がないけど。 >>223
ダブルアームで投げたと言うのも間違い。
やはりGスピで「自分が投げたのはジャーマン」と明言してある。そして、それは写真に残っている。 ファイトの記事では、3Rに斜めながらダブルアームで投げたとあるが写真はなし
5Rにはバックドロップで投げこちらは写真もあるが、
バックから抱き着いて引きずり倒しただけに見えなくもない
動画で見ないとよくわからんね 長州やカネックが投げているのを見れば分かるが
投げる事自体の難易度は高くない
アンドレがOKして協力してくれるかだけの話 >>229
ボディスラムを受ける様を見るに、サンセットフリップが出来るのでは、と思わせるくらい運動神経が良いね。
また身が軽く見えるのはキャラじゃないのはわかっていただろうけど。 長州のアンドレへのボディスラムとかもう「安売り」だなw
まあ時期的に登り調子でその勢いの上での設定だったんだろうけど、
あれだけ体格差があるともう意外性とは違う、単に株を上げる手段なのが見え見えになってくるな。 >>229
カネックは日本だとアンドレに2分弱とかで負けてたから母国と日本で扱いが全然違ったんどろうなぁ… >>228
その記事を書いたフランク自身もボディスラムはなく、バックドロップ風に倒れ込んだだけだが「投げた」と書いたと言っている。 ドゥガンは客との掛け合いがアメリカではウケたんだろうけど、日本では違うやり方でいけと指示を出さなかった方も悪いと思う
あるいは、その指示に従わなかったのかもしれんが キマラがアンドレ投げたのは他人の試合に乱入してからのものだからさすがにあれは
無効でしょ。カネックのは合わせ技で1回投げた感じ、試合中にやった
ボディスラムは不完全だったけど試合後に完璧に投げ直してるから。 ボディスラムではないが
藤波が回転エビでアンドレを丸め込んだのは凄いと思った 藤波がアンドレを丸め込んだりすると
観客が「本当に3カウントが入るんじゃないか」と一瞬で総立ちになる場面が何度もあった
猪木でもこういうのはなかなかなかったと思う >>239
回転エビなら国際崩壊直前のマイテイ井上もアンドレに決めているな
ちなみに高野俊二のは受けずにヒップドロップで潰した 猪木はアンドレをショルダースルーやバックドロップで投げてるな。
バックドロップは後に倒しただけな感じもするけど。 >>241
井上とアンドレはリング外で仲が良かったので
そういうのも加味されてたのではないか 井上はリバーススープレックスも掛けさせてもらっている >>240
藤波×ジャイアント・マシンで、回転エビ固めで幻の3カウントがあった。
ミスター高橋疑惑のレフェリングで、若松と密談していてカウントを取らない
という前提での3カウントではあるが。
ノーカウントに激高した藤波が高橋をボディスラムして結果、反則負け。 そういえば全女の阿部四郎に影響されたかミスター高橋ヒール転向という謎の展開がちょっと間あったな >>246
ありゃ唐突だったな、あまりに不評だったのか長続きしなかったけど
これより数年前だけど藤波VS長州戦で長州が突然、ブッチャーやシークばりに
凶器を持ち出して対戦相手の藤波じゃなくてミスター高橋を大流血させる謎展開もあったっけな ミスター高橋の悪のレフェリー化は黒歴史だな
ストロングスタイルを掲げているのによりによって女子プロの極悪同盟をパクるとか
誰か止めろよと思ったw 若松に催眠術かけられて…って展開じゃなかったっけ? ミスター高橋ヒール転向アングルがもし本人発案だったとしたら
マジで救いようのないクズという事になるな、
レフェリーのくせに自分が目立ちたいって…
挙句投資を断られたら逆恨みしてカミングアウトだもんなぁ >>245
宮崎からのテレビマッチだな!
あの日は橋本真也テレビ初登場もあって、かなり印象深い >>232
長州が腰に手を当てて痛がってたのはガチっぽかったw 協力してもらっても、長州サイズが投げると腰にくるのは分かる >>251
このシリーズの開幕戦で何故か力抜山がスーパースターに反則勝ちを納めているのが不思議だった… >>250
あれは猪木の案。
高橋も仕方なくそれを承諾。
猪木はファンが驚く事を考えていた。
それで高橋悪徳レフェリーに、と。
高橋は自分がレスラーより目立ってはいけないと心掛けており。
でも猪木は『そんな事言ってる状況ではない』と。
当時の猪木はその場が盛り上がれば後々の事は考えておらず。
あの頃の猪木の閃きは後々を全く考えず。
それがダメなら次を考えればいい。
そういう猪木に高橋も付いて行けなくなっていた。
かなり前に紙プロにそう書いてあった。
あの頃の猪木の閃きは後先考えずメチャクチャだったと。
まあそれも真実かわからないが。 >>230
日本で色んなレスラーがブッチャーにボディスラムをかけたが、ウィリアムスしかまともに投げてない。
あとはみんな腰砕けみたいな感じ。
おそらく、全盛期のアニマルやノートン辺りもやれば、ウィリアムスのようにスムーズに投げれたと思う。
>>232
アンドレを投げた中では長州は一番の小兵だったな。
あの試合、当時見ていたけど、ベアハッグで締められた長州が逃れようとラリアット連発してもアンドレが全く緩めなかったので
「ああ、やっぱ体格、体力が違いすぎるわ・・・」と子供心に痛感したのを覚えてる。
カネックも長州もアンドレを投げたのは同じ84年だったけど、この時期を境にアンドレの衰えが顕著になってきたな。 >>255
藤波も投げると思った。
でも結局はそれはなかった。
マサ斎藤ならアンドレを完璧な形で投げたと思う。 藤波はブッチャーをボディスラムで投げてるな。
藤波のことをモスキートと揶揄してた割にはブッチャーの気前のいいこと。 >>220
バックドロップっぽい写真はファイトに載ってた
90年代にフランク井上が編集長になった時も復刻記事で載せてた >>207
ボックvsR木村ってノーTV岐阜市市民センターだよね
映像あったんか、見たいわ
大阪のvs戸口はCSでやったけどな あのジャイアントマシンシリーズで新日はファンに見限られていったからなぁ。
ワカマツも必死で盛り上げようとしたのはわかるんだけど、はっきりいって不要だった。
UWFが合流しても視聴率回復しなくてU叩きもされてきたけど、
そもそも猪木の衰えや戦力不足や目茶苦茶ストーリーが悪いのであって、
前田その他に責任を押し付けるのはどうかと思う。 前田の最も良くないところは
「プロレス」という言葉をネガティブなワードとして使ったこと
業界の外のやつが言うのはともかく
プロレスで飯を食ってる人間がこれをやってはいけない
このことに無批判だった週プロをはじめとするマスコミにも責任はある >>261
週プロなんてそれに乗って
「プロレスって言葉が嫌いな人 この指とーまれ」
なんてやってたからな。 >>260
ジャイアントマシーンはどうせやるのならもっと早くやるべきだった
それこそアンドレとスーパースター以外にも様々なガイジン達をマシンに変身させて1号(平田)と組ませるぐらい開き直った展開にすればまだビギナー層が支持していただろうに
もうマシン軍団が厭きられていた頃に
よりによってアンドレにマスクを被せてたら気難しいオタじゃなくてもウンザリするよ >>262
厳密に云うとそれは週プロじゃなくて格通の方
まあ両方とも前田シンパだった杉山潁男が編集長だったから同じ様な物ではあったけど なのにUWFどころかリングスまでプロレスだったという 前田はなんやかんや言ってもプロレスが好きだよな。谷津は金の為に仕方なくやってる感じがしたけど。 前田は目が悪いから真剣勝負は無理なんだよ
顔面アリの世界では通用しない 前田と谷津のシングル。やってないのかな?観たかった マシン軍団については平田や力抜山はいいレスラーだったし
メカニカルな時代に即した面白さがあったが
高橋の悪のレフェリー化、海賊男、TPGあたりは失笑の対象でしか無かった
プロレス雑誌ですら「新日は昔からのファンを捨てようとしている」とか
遠回しに「こんなロクでもないアングルは辞めろ」ってニュアンスの事を書いていたから >>269
TVマッチじゃなかったけどやってたな
両リンか両者フェンスアウトのだったはず >>246 >>248
阿部四郎以外にも実況で古舘がしきりに「疑惑のレフェリー」を連呼していたので
同時期に騒ぎのあった三浦和義の「ロス疑惑」もかなり影響が濃いと思う 棚橋が改革進めて親日立て直したのと違って、我が世の春を謳歌した後の崩壊という悪印象だったり、
次々と企画立てても稚拙さに目を覆うばかりで。。あの頃にプロレス離れた人はホント多かったんじゃないかな? テレ朝までもが「ギブアップまで待てない」だもんな、ファンは逃げ場を閉ざされたようなもんだ。 前田vs谷津はあったような...
小鉄が「ドラフト1位同士の対決」って言ってたような。あれはタッグだったかな >>275
あれでほとんどのファンが見限ったんだろうな
俺も山田邦子の顔が嫌で見なくなった ギブアップまで待てないくらい退屈な試合だと誤解されるタイトルw 録画中継とはいえ試合中にリプレイ映像差し込んだり、田中信夫のナレーションで水スペ並の煽り映像流したのも「ギブアップまで待てない」だったね >>279
試合中に技のリプレイ流すのは全日本でもやっていたが、ホームビデオ普及に伴いやらなくなった。
ギブアップの時は完全にホームビデオ時代だから「余計な演出」としか映らなかっただろうな。 >>237
ジョージが鉄人28号ポーズしたら、ドゥガンが怒るってシーンがやたら印象に残ってる。 ドンレオジョナサンがブッチャーを
軽々とボディスラムしてなかった? >>281
86年は特別参加だけどドゥガンがエース格のシリーズが2シリーズあったよね
UWFの登場がなかったら猪木との遺恨試合とか組まれたのかな…
秋の来日ではブロディは別としてドゥガンを始めデス、ケリーなど中々の顔触れだった >>284
アーニー・ラッドはアメリカではブッチャーより遥かに格上なんだよなぁ >>285
猪木VSドゥガンは正月のシリーズの開幕戦と藤波vsブロディが行われた
福岡のメインで組まれてた。 85年はバンディ、ヒギンズ、ジャックの登場で「やっと面白そうな新顔が出てきたな」と期待したのに、
ブロディの参戦でみんな隅っこに追いやられてしまった。
特にヒギンズは猪木を散々苦しめる強敵として楽しみだったのに藤波にすら勝てないなんて。 ブロディの参戦で総じてそうしないといけなくなったんだな。
底上げはよく聞くが底下げはかわいそうだ >>287
ゴールデン撤退後の88'ワールドプロレスリングから冒頭にアバンタイトルっぽいダイジェストが入る様になったね テッドデビアスが移籍って噂あったけど、藤波、みたかったなぁ。
それからファイトが、カブキ、キングハク、ナガサキが新日に移籍して全日フリー軍団
結成とか煽ってたけど、これに戸口や越中が合流してたら面白いなとか思ったけど
結局、ナガサキしか来なかった(笑)
色んな企画がボツになって、結局、UWFの出戻りになったって感じかな。 >>290
ヒギンスは力の加減ができず怪我人続出させてたからな
それが理由でアメリカでも干されてたそうだし
どっちにしても大成は無理だったかと 85ビッグファイト開幕戦の後楽園ホールで猪木×ヒギンズ。
ヒギンズが猪木をあと一歩まで追い込み。
誰もが凄い外人がきた、と期待した。
しかし最終戦の同じく後楽園ホールで猪木×ヒギンズ。
しかし試合直前にブロディが登場。
ファンの目は猪木×ブロディに。
肝心の試合は3分程度で終了。
開幕戦の活躍が嘘の様にヒギンズは敗退。
試合後はブロディ戦をアピールする猪木。
ヒギンズは噛ませ犬以下こ扱いに。
この時は誰もヒギンズの事など頭になかっただろう。
あの扱いはヒギンズが気の毒。 >>294
そういうところ、ハンセンみたいで面白い存在だったんだけどな。
シュルツとのコンビもよかったけど、シュルツこのシリーズ限りで
来なくなったね。
ヒギンズ、シュルツVSプロディ、スヌーカーとか見たかったな。 >>293
トンガは馬場が移籍阻止したけど、結局全日マットには戻らなかったよな
SWSでそこそこ活躍したから良かったけど
カブキ、ナガサキ、トンガ、伊藤辺りでアウトロー軍団とか全日でやれば受けるのになぁと当時思ってた >>293
デビアスに新日移籍の噂があったんだ。いつ頃の話? >>298
293ではないが、たしかブロディが移籍した頃じゃないかな? 後に言われたがヒギンズには盗癖があったらしい
呼ばれなくなった理由はそれだったんだとか
最後の来日の時ですら30歳の若さだったんだよね ヒギンスは上半身は大きいのに下半身、特に膝から下がすごく細くて変な体型だった。 >>295
ビックファイト開幕戦の猪木vsヒギンスはすごかった
9割5分ヒギンスが攻めまくり、一緒に見ていた親父が「猪木衰えたね...」って言ったのが印象に残ってる
ブロディと一緒に売り出せばいいのに、かませにしちゃったからね バンディもIWGPではアドニスに負け、アンドレとの注目のシングルも完敗、
サマーでは藤波木村にタッグながら敗れて期待外れ。
強豪外人を育てるノウハウは維新偏重時代に失われたんだな。 初来日外人
星野勘太郎、ジョージ高野瞬殺
藤波に勝ちまたはドロー
猪木藤波タッグ両リン
猪木シングルで延髄勝ち
このパターン何度もみた記憶 前田と谷津はシングルやってる。生で観たよ。
84年1月6日の後楽園。テレビ生中継だったけど、放送前の5試合目あたりだから映像なし。確かさほど盛り上がりこともなく両者リングアウト。 IWGPタッグリーグでのブロディ×ヒギンズのシングル戦は、ストリートファイトになり無効試合。 >>304
バンディはアメリカのTVマッチでマスカラスにフォール負けしてるし、ジョバーか期待の選手か微妙なところ。 新日本プロレスの後にWWEにいって連戦戦勝だな、バンディ。
初来日前にはヒギンズにも勝ってる。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=596&page=4&s=700 ヒギンズは本国ではジョバーランクだったろ?
それを考えるとブロディは大盤振る舞いだったな。
新日はブロディの忖度をみすみす無駄にしちまったな。 プロレスとは言えリング上で投げたり殴ったりするんだから、
トラブルメーカーはこの世界では無理なんだろうな。
包丁を持つ料理人の世界でもキレちゃう奴はダメって言ってた。
ヒギンスやシュルツを結果的に推せなかったのは理解できる。 ヒギンズが1984年位の頃はセントラルステート王者に就いてレイスとタイトルマッチ
やったり有望株だったろ。1986年辺りから明確にあかんようになった。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=9702&page=4&s=100 >>312
来日中の外国人選手がなんか問題起こしたら
招聘した団体が責任もって身元引受人にならざるを得ないし、
プロレス団体って当たり前だけど興行会社だから
各地のその筋の方々ともお付き合いあると同時に
各地の公安関係者とも面識はあるわけで
そういうナチュラルに面倒持ち込みそうな外国人選手ってのは
ある意味日本人選手以上に勘弁ってかんじだろうね Dシュルツはベトナム戦争で兵役に就いてるから、人〇ろしなんか平気かも。。w >>315
レスラー引退後はバウンティハンターだからな。 ノア在籍時のベイダーが刃物で自傷事件起こしたけど、表沙汰にしなかっただけで
実は新日や全日でも騒ぎ起こしてたのかな?
客を呼べるレスラーだから庇い立てしてたとか >>316
レスラーになる前もそれが多い。
レスラー現役中も。
レスラー引退したらまた戻る形か。 バンディが新日来た時、どっかのマスコミがAWAと新日が急接近か?とか書いてたな。
AWA王者のマーテルやタッグ王者のロード・ウオリアーズが新日参戦か?って結局何にもなかったけどね。
バンディはジョー大剛が一本釣りして呼んだだよな。 >>317
ベイダーとスティーブ・ウィリアムスを惜しげもなく手放してる所を見ると
新日はこの2人については何か知ってたと思う >>320
まあベイダーは口より先に手が出るとか
(やられる側は)訳も理由も分からないのに周囲の人達に当たり散らして殴りつけてくるだとか
唯我独尊で粗暴な性格はあちらこちらの媒体で書き記されていたからねえ ケロちゃんもベイダーに意味も無くぶっ飛ばされてたな… キムケンの
リングイン〜ゴングなるまでの動きが
嫌いでした。 オートンもヤクザと揉めて強制送還されてたな
海賊男になったのもヤクザにオートンだと知られないためなんて噂も シンは会場で暴れる時にヤクザ風の客の周辺は完璧に避けながら暴れる事で有名だった
そういう点でも実は優良外人だった 81年1月のシリーズに登場したケンパテラは筋肉モリモリの金髪がカッコよく藤波、長州にも勝つほど強かったが活躍したのはこのシリーズだけだった印象…
84年の時は負けまくってた… 84年は長州藤波みたいな雑魚にまで負けさせられてやる気なくしただろうな >>304
>バンディ、アンドレとの注目のシングルも完敗
後楽園にこれを目当てで見に行ったが(ノーテレビだし)
完敗というか、途中で敵わないと思ったのか試合放棄な!
まだ戦える状態で、自らリングを降りて帰ってしまった。
プロとして失格だよ! >>326
高橋も何かの記事でそれを言っていた。
ただ高橋から言わせればシンがそういう相手を恐れてではない、と。
そういう相手と揉めると会社(新日)に迷惑が掛かる。
だから敢えて会社(新日)の為に避けた、と。
一般的に言われる『シンはチキン』を真っ向から否定していた。
しかしシン信者の高橋だけに単にシンをフォローしてる様に感じる面も。
一般的にはシンはチキンだからヤ●ザは避けたとなってるが。 >>329
バンディはなぜかアンドレに嫌われていたんだってね。
だから外人控室でもみんなアンドレについていくからバンディは孤立してて、
ずっとハブられた状態で過ごしていたらしい。
意外とアンドレも人間として出来てない奴だなと今更ながら思う。 >>331 シン、クレバーだね。当り前の事やってるだけとも言えるが >>331
新春シリーズではブッチャーとは仲良く写真撮ってたのに アンドレが嫌ってたレスラー、バンディ、サベージ、スタッド、プトスキー、ビガロ
フリーバーズ達の名前があがってる。 ビガロみたいなナイスガイを嫌うとは
アンドレを見る目が変わったわ 猪木ってブッチャーもブレンバスターをキレイに投げてるし、アンドレのスラムもホーガンとかよりスムーズだし
非力に見えてパワーあんだな パワーじゃないだろ、息を合わせるのがうまいんだよ。 パワーじゃなくて、相手の協力(体重移動やジャンプ)に絶妙に合わせられるタイミングの巧さだろう。 俺、ちょっと柔道やってたけどメッチャ投げられるの上手いぞ
[バチンッ!」って
女子の昇段審査の時とかよく投げられ役やった >>326
入場時に上田と肩を組んで上田が何やらシンに耳打ち、のおなじみのシーンも
あれ実は上田がどのあたりにヤクザが座ってるか事前に教えてたらしい
こそこそと何か話してる上田はいかにも姑息な悪党っぽく見えるし一挙両得という
>>328
第2回IWGPの時か
あの時はクインたち共々新日名物?土壇場でのギャラ値切りにあい素でやる気が失せてたそうな >>324
所詮は鹿児島の田舎ヤクザでしかなかったからね
ヤクザと仲間の右翼団体の街宣車が外人勢の宿舎に押し掛けてきたから騒ぎになったけど
大怪我を負わせたとか周囲の器物を壊して問題になったとかのトラブルにまでは発展していない
警察の事情聴取でもオートン側の言い分の殆どが認められたからその後も来日出来たんだろうし
>>326 >>333 >>342
いや小鉄だったか東スポの長田基記者だったかな?まだ来日回数が少ない頃は何度かヤクザと喧嘩沙汰にまで発展する事があったと話していたのは
一応シンが来日するシリーズでは予め警官に会場へ来てもらったり弁護士や医者をすぐ呼べる様手配していたそうだけど >>336
第三回IWGPではみんなアンドレについたからバンディがぼっちになっていたみたいだ >>344
途中帰国したよね〜
翌シリーズのブロディ、スヌーカ、アレンらとは仲良くやれたのかなぁ… ヤフオクで昔のワープロ買って見てるけど飽きないよ
ブッチャーでさえ若いから動きがキビキビしていて今と変わらず面白い アドニスがスパイビーを気に入らなくて控室でスパイビーに喧嘩を打ったら
スパイビーにタコ殴りにされて返り討ちにされたって話だね
ホーガンもテリーも証言している >>338
マクガイヤーを投げたくらいだから力は間違いなくある
しかもマクガイヤーに乗られてブリッジしたんだから身体能力は凄いよ 猪木と藤波
パワーを比較すると
単純な腕力、脚力等の筋力ならは藤波が上
体全体のバネを活かしたパワーなら猪木が上
かなり前に雑誌に掲載されていた。 >>335
ビガロってのが意外。
見た目とは裏腹に、性格的に人畜無害そうなんだが。
フリーバーズと言うか、ゴディなんかもトンパチと言われるが、誰とでも上手くやれそうなイメージだし。
>>338
マードックなんかもブッチャー投げた時、タイミング外したのかも?だが、ゴロンと転がる感じだった。
まぁ本来の垂直落下は、どっちみち無理かw ドゥーガンがタイミング良く来るから段取り通りにも見えるけど
メキシコでアンドレとビガロは和解したみたいね、ビガロが言うには。
https://www.youtube.com/watch?v=wJvXFaR-HjI アンドレとビガロの対決は日本で見たかった。
新日では入れ替え。
その後90年はビガロは新日でアンドレは全日。
日本では接点がなかった。 83年の猪木ホーガンが優勝するのは最初から見えていて、
あんなタッグリーグつまらんて言われてたな。
「全日のハンセンブロディだって」と反論したヤツいるが、
全日がどうだろうと新日のタッグリーグがアレだったのは変わらんよ。 >>356
新日のタッグリーグ戦は第一回MSGタッグが超豪華だった。
あれもタッグリーグ戦の醍醐味。
ハンセン、シン、アンドレ、バックランド、ホーガンが顔を揃える。
タッグリーグ戦の主旨っちゅうより超豪華なメンバーの集結。
夢のカード続出。
そちらに重点を置いたのがわかる。
特にシン絡み、シンと大物外人の絡みが最大の注目で。
しかし第二回はまだしもそっから豪華外人を集結できなくなり。
日本人中心の流れというのもあったし。
第五回なんか夢も何もなかったし。 第一回はすごかったよねぇ
外人勢では唯一パワーズ組が残念だったくらいか。 ハンセン、ホーガン
↓
ハンセン、マードック
↓
マードック、スーパースター
だんだんと格が落ちていく外人トップコンビ >>358
あそこはパワーズ、スーパースターにして。
あとベーカーはエンフォーサーと。
そうしたら更に盛り上がったと思う。 なんでアンドレ・ハングマン組なのにレネ・グレイが居るのかと思った。
マネージャーだったの忘れてた。さすがにこの頃の記憶怪しくなって来た。
https://youtu.be/gjCAlYxImD0 >>362
ハンセン、マードックを基準に、という事では?
マードックはハンセンと組みスーパースターとも組んで。
アドニスとも組み。
アドニスとのコンビが一番しっくりするが。 >>362
マードック、スーパースターは第三回(1982年)の参加ですよ。 第1回めのMSGタッグリーグだけはは全日の80年代の最強タッグリーグに負けてなかったよな >>365
夢の対決では最強タッグを上回ったはず。
MSGタッグでは数多くの夢の対決が組まれた。
公式戦もシングルも特別試合も。
最強タッグは主力がそれまでとほぼ変わらず。
ファンクスとブッチャーが軸であとはブッチャーとシーク。
最強タッグは翌年はガラリと変わって夢の対決が数多く実現。
新日の第一回MSGタッグは最初だったという事もあった。 新日本はたまに『スーパーファイト』とか称した特別興行をやってたよな。あれが凄く良かった。プレミアム感あるスペシャルマッチの数々 >>359
組んだタイミングで言うならハンセン&マードックよりハンセン&ホーガンの方が格低くね?
当時まだホーガン期待の若手だろ。 >>367
スーパーファイトは80年〜82年は記憶にある。
80年9月30日 武道館
猪木のデビュー20年記念日でもあった。
この武道館大会から90年11月1日まで新日は10年も武道館を使用せず。
カードは四大マッチ
★猪木 対 パテラ(NWF)
★バックランド 対 ハンセン(WWF)
★藤波 対 スター(WWFジュニア)
★木村 対 チャボ(NWAジュニア)
81年6月24日 蔵前
★猪木 谷津 対 ハンセン ブッチャー
★カーン 対 戸口
★タイガーマスク 対 ビシャノ3
82年4月21日? 蔵前
★猪木 対 ベンチュラ
★藤波 対 ブッチャー
★タイガーマスク 対 ブラックタイガー
嗚呼、良き時代だった。 82年1月1日はスーパーファイトではなかったのかな? >>365
観客動員では84年を除いて最強タッグに勝ってる。
ただし都内大会場では81年以外は全敗。 >>369
猪木vsパテラがメインの武道館て本来はオールスター戦のために押さえてたんだっけ? >>372
確かそう書いてあったね。
実際にはどうだか。
でも万が一オールスター戦開催を睨んだのはあっただろう。
9月30日は猪木と馬場のデビュー記念日でもあるし。
そんでオールスター戦開催が無理なら自分達で興行すればいい。
結果的に開催されなかったから新日単発の興行に。
あの頃の新日ならあれだけのカードも提供できたし。
当時の新日の自信が伺える。
昔の雑誌を見ると新間が『今の日本マット界は新日が中心』とか言ってるし。 武道館には鶴田が観戦に来てたんだよな。月刊プロレスに観戦記があった。ハンセンとも対談してたと記憶してる 間違えました…
81年頃は一度も動いてる姿を見ずに帰国した外人レスラーが結構いたなぁ…
ザイールビコ、ミッシェルナドール、フランクサベージなど見てみたかった >>369
81年の谷津国内デビュー戦ハンセン ブッチャーと
82年のベンチュラが急降下延髄斬りで負けた試合は
ワープロとは別枠のスペシャル放送だった記憶がある
80年のパテラ戦もスペシャル枠での放送だったのかな 谷津の新日入団会見を見た時、「猪木の後継者としては無理だ」と思ったね。理由はタッパがなかった。
当時の新日ファンが全日に嫉妬してたのは、「NWAを独占してた」「後継者に鶴田がいた」「華のある外国人がいた」
だいたいこの3つでしょ。
猪木は40代に突入してたし、とにかく後継者問題が一番のネックだった。
藤波、長州は最初から眼中になった。のちにタイガーが出てきたけど、これも違うと思った。
あとは前田しかいない状況だったけど、凱旋帰国第一戦のポール・オンドーフ戦で会場が凍り付いてた。
試合があまりにもつまらなかったから。本当にひどかった。
オンドーフをチョイスした新日フロントに問題があったのかと思ったが
前田はその後、全然進歩せずUWFへ移籍した。 × 藤波、長州は最初から眼中になった
○ 藤波、長州は最初から眼中になかった 81年は「スーパーファイト」とは謳ってなかったが、幾つかのスペシャルマッチを開催、創立10周年記念興行という名分もあったな。
9月の伝説の田コロ、10月の例の蔵前決戦(猪木VS木村〜全日興行合戦)、12月のMSGタッグ特別興行(アウトローズ復活他)・・。
まさに親日黄金時代でした。。 \(^o^)/ 後々にスーパーファイトシリーズってのがあったね。
あと90年2月10日の全日参戦のドームは“スーパーファイトin闘強導夢”。 >>369
80年9月30日武道館では一昨日長州vs前田で話題になったピコピコハンマーマッチ坂口vsS小林もあった >>383
81年9月23日の田コロでも坂口VS小林のシングルがあった。
これが結果的に小林の最後の試合かな? https://www.toudoukan.com/shop/goods/$/id/2140680/
80ファン感謝スーパーファイトはバックランドvs長州の予定だった
しかしパテラやスターがこんな扱いのポスターは最初で最後だろう >>387
それ懐かしい。笑 あと、がまかつとかな。 >>377
ナドールはテレビマッチで観たはずだけど、試合ぶりは記憶にないw >>379
>「猪木の後継者としては無理だ」と思ったね。理由はタッパがなかった。
> あとは前田しかいない状況だったけど、凱旋帰国第一戦のポール・オンドーフ戦で会場が凍り付いてた。
> 試合があまりにもつまらなかったから。本当にひどかった。
谷津が「ダメなヤツ」呼ばわりされて期待外れ扱いだったのと前田が推されていたのは事実だけど
“前田しかいない”と思い込んでいたファンなんてそんなにいなかったんじゃないのかな
あの頃はジョージや平田に期待するマニアも多かったし俊二もまだボロが出てなかった
他に新倉仲野高田山崎と将来を有望視されていた若手がいたし「ポスト猪木」関連で心配している人は少なかった感があるけどね オレは初観戦でナドールのサインボールをキャッチした 82年だとデビーオハノン、ビッグレッドジョン、ホセゴンザレスあたりもテレビに映らずに帰っていった気がするなぁ… >>386
それは次の闘魂シリーズの11月蔵前戦だな。 397(女の股を)裂くな だが、
テレビに映らなかった外人は確かに印象に残らないな。 398咲くわ だが、
ブッチャーですら何週間もテレビに映らなかった時があった。 前田がオーンドルフを一蹴した時に格を上げておけばなぁ。
長州はまだオーンドルフとドローだったから、すでに前田>長州で決まりなんだわ。
それを長州や浜口みたいなのを格上げしたのが新日終わりの始まり。
サマーでも、前田がまだマードックには負けてもアドニスと互角で藤波長州より上、
くらいの扱いだったら、くだらない軍団抗争によるマンネリ化は回避できただろう。 401姉妹だが、
維新のせいで潰された外人は沢山いた。 当時の前田は試合に説得力がなかったからね
オーンドーフを秒殺しても観客は「?」でしかなかったし
その後の藤波と長州の試合が完全にさらってしまった
当時から口はデカかったのに、大きな試合ではいつも
不完全燃焼の内容
イギリスに行く前、ファイトでゴッチ道場で鍛えられていた
報道があったころから凱旋時の期待感が、帰国後は
萎んで行くのが自覚できたわ >>390
ちょっと後だけど黒人のはずが来たら白人に化けた欧州代表
「ヤング・サムソン」もすごかった。
82年の第三回MSGタッグにウエイン・ブリッジとのコンビで参加、
後楽園ホールでタイガー戸口とシングルが組まれたんだけど、
巨漢同時ののっそりした試合のあげく、戸口の逆水平チョップ
一発受けてそのままフォールされ、館内がどよめいたw 前田よりも長州や浜口が大型外人との対戦避けられていた方が全く説得力なかったしw 三沢・川田と藤波・長州を比べると
全日と新日の育成能力の違いがよくわかるな。 猪木のすぐ後に前田後継なんてありえないな
何も見てなかった奴が言うことだろうw >>390 >>405
ミッシェル・ナドールは国際では英語読みのマイケル・ネイダー名義だったね
ボックのパートナー要員という触れ込みだったが国際への来日からブランクが開いて
もう盛りは過ぎていた 前田凱旋時は猪木の後継者は藤波、
馬場の後継者は鶴田でファンもメディアも一致していた
当時前田凱旋に注目していたのは所謂濃いファンだけだったし
そもそもあの時点で前田はTVマッチに殆ど出たことなかった
大部分の会場やTVの前のファンにとっては下手したら名前も顔も知らない若手
あくまでファンの間では「藤波の後は前田で安泰」であって
決して猪木の後継を一足飛びに前田って思ってた人間なんか殆どいなかった
で、当時の問題は猪木馬場がいつ藤波や鶴田に完全にエースの座を禅譲するのか?
猪木馬場の衰えが言われだしてからけっこう経つのに
猪木はもちろん馬場でさえ未だに完全にはエースの座は鶴田には譲ってない
さあ、どうするの?ってかんじ
この時代のエースの座禅譲渡は要するに鶴田が馬場に、藤波が猪木に
シングルマッチでピンフォールを取るってことだからね
後年、猪木や新間が
「自分の後継に藤波を考えたことは無かった」
「自分の後継は早い時期から前田と思っていた」
的なことを話すからって当時の前田が猪木の後継なんて
当時観てなかった人間が後付けで得た知識からでしょ ビクター・リベラって猪木のお気に入りだったんだよな
どこがそんなにいいのかよくわからんが >>412
初期の新日は創設期の金無しルート無しの頃から
坂口加入テレ朝放送開始で経営的に一息ついた時期になると
米マットでも比較的メジャーなテリトリーとの招聘ルート開拓に努め
その中ではロスのM・ラーベルが一番ルート太かったから
ロス・マット(メキシコ国境部)で人気のラテン系選手ということで
リベラやチャボ・ゲレロ、エル・ゴリアス&ブラック・ゴールドマンあたりがよく呼ばれた
これはひとつにはM・ラーベルがNWA加盟プロモーターの中でも
所謂反主流派だったので可能だった
リベラについては当時のロス地区のスターで
体格的にも(坂口以外は)比較的小柄な選手揃いの新日に釣り合う上、
ドロップキック等を得意としたきびきびした動きができるのが評価されたと思われる >>405
この当時のアンドレけっこうイケメンだな。 前田が帰国した時って、ブリッジは柔らかいし、鶴田の三倍の数のスープレックス使えるし、190超えてるし、ニールキックは斬新だったし、と期待感しかなかったけどな。
結局失速したけど。
あの当時は、他に谷津がいて、平田高野兄弟がいて、前座で高田仲野山崎がいて、と層の厚さが半端なかった 82年ごろプロレス見始めた自分は、ビクターリベラといえば
全日でジュニアの大仁田厚にブロックバスターホールドで負けたイメージしかないw >>418
同じシリーズだったかな、タッグマッチで鶴田のダブルチョップでのびてしまいそのままフォール負けしたこたあったと思う。
鶴田も「いいの?」て感じて覆いかぶさってた。 >>419
石川、佐藤とのアジアタッグで試合中に腰を痛めて途中棄権したこともあったなぁ… >>420
あのアジアタッグ、リベラ負傷でパートナーの黒人が1vs2の状況でありながら1本目勝っちゃった。
でも2本目以降できないって不戦負けになったんだよね。 >>410
藤波を猪木の後継者だとはほとんど思ってなかったぞ
藤波はJr.のイメージが強くてあくまでも藤波は藤波、という感じだった
週刊ファイトだったかうろ覚えだけど猪木は藤波を後継者とは考えていない、とはっきり記事になってた
猪木が引退までシングルで決して藤波にピンされていないのもそれを象徴していると
猪木はプロレスとは意外性のドラマだから藤波のようなサラリーマンレスラーには後継者は無理だと思ってたんだろ
前田>長州>藤波だったと思う >>422
ルーファス・ジョーンズだね
「2VS1じゃ試合できない」とマイクアピールして
棄権で石川佐藤組の勝ちで終わり
ビクター・リベラもキラー・カール・クラップも最後の来日は全日で
中堅クラスの扱いで終わったのも面白い リベラとモラレスはMSGタッグリーグに呼んでほしかったな。 >>423
控室の茶番飛竜革命≠ヘ藤波が新日でトップに立つための必死のアピールだった訳か 藤波の必殺技は逆さ押さえ込みwだからな。
猪木の後継は無理だったんだよ。
前田は粗削りで豪快だから面白かった。
プロレスが下手だという評価は今だから言えることで、
単純に経験つめばすぐ藤波より強くなると思ったよ。 >>426
藤波が前髪切り出した途端、まてまてまては笑う。
サラリーマンレスラーが奇行するから恐くなったんだろうな。何言ってるかわかんないし ドラゴンリングインとか、ドラゴン体操とか、ドラゴン散髪とか、ドラゴン再チェックインとか
後年あんなにネタになって弄られるとは当時は思わなかった
後継者云々はともかく、新日のメインを走り続けたレスラーである事は間違いないと思う >>418
>>419
1970年夏〜71年春頃のMSGの試合を放送した
東京12chの「プロレスアワー」を見た者としては、
ビクターリベラは、WWWFの正規軍の若大将、
ダイナミックで活きの良いファイト。
つまり日プロの猪木だった。
王者のサンマルチノが衰えてきており(実際、71年の2月に陥落)
←それが峠を越えた馬場に匹敵した。
人気的にはリベラだったな。
最初に登場した時、WWWFのタッグ王者だった。
まぁWWWF王者にはなれなかったが。
当時は、次代のエースとして大いに期待されていたよ。 俺は藤波が後継者だと思ってたずっと。
長州前田は外敵というか、正規軍ではないから。 前田はUWFに行った時点で
猪木の将来の後継者候補からあっさり外れた
業務提携時代以降はUを捨てられなかったんだから
猪木の後継者には入らない 木村健や剛と名勝負できるんだから、藤波は天才だよ。
なにしろ長州前田は外人と好勝負できない。。 猪木は後継者は今の新日本プロレスに居ないからスカウトしてくるって言ってた
と記憶してるけど。後継者として藤波は眼中になかったし、前田でギリだと猪木が言ってた。 >>70
あの時代のアドリアンアドニスはロック歌手のブルーススプリングスティーンのハンチング帽に革ジャン姿をリングコスチュームに取り入れていた 猪木も約束通りUWFに参加していたら前田をエースにしてビッグマッチのみの特別参戦で良かったんだよ 439思索だが、
藤波に前田のサイズ、前田に藤波のセンスがあれば良かった。 >>435
プロレスをショーではなく勝負だと思って見ていた時代には、
前田のように相手をぶっ壊す奴が実際に強いと本気で思ってたわ。
ちなみに長州が勝つのは外人が花を持たせているだけだと信じてたわ。 受け身が上手い藤波辰爾はアンドレやブロディといった小柄な日本人レスラーを馬鹿にする代表格の二人が絶賛し認める程のレスラー
長州力は受け身が下手で自分のスタイルを通すから嫌われていた 受け身が上手い藤波辰爾はアンドレやブロディといった小柄な日本人レスラーを馬鹿にする代表格の二人が絶賛し認める程のレスラー
長州力は受け身が下手で自分のスタイルを通すから嫌われていた プロレスのワークなら藤波辰爾
プロレスのシュートなら前田日明 >>437
何度も語られてるが、あれは所謂ハードゲイファッション
モチーフはロッカーでも暴走族でもない >>434
それは俺も思う
いつも笑顔で一見人当たりは良いが
実は自分以外は全く信用していない人だからね
自分を脅かす若い芽は摘みにかかる 同じ師弟コンビでも馬場&鶴田ならファンクスや超獣コンビでもまあ対等に渡りあえたが
猪木&藤波はその辺は印象弱かったな。第2回MSGタッグ決勝や第5回MSGのアウトローズ戦なんか
如実にうかがえる。 新日正規軍主力は無駄に受けすぎ
維新相手に景気よく勝たせて新日ファンとしてはイライラが募った
マシンやヒロにまで苦戦とかありえんから 猪木とタッグだとどうしても藤波がやられ役になっちゃうんだよね
馬場鶴田は体格が外人と互角、むしろファンクスあたりなら上だから印象がだいぶ違う 46SIM(カード)だが、
ほんなら藤波より坂口の方が適任だったな。 >>449
対UWFの際に前田達が新日正規軍と外人もメンバーに対する遠慮の無い攻撃がどうも好きになれなかった…
猪木対藤原戦後の前田の^木へのハイキックなど最たるものだった… >>427
> 前田は粗削りで豪快だから面白かった。
> プロレスが下手だという評価は今だから言えることで、
当時からつまらなかったよ前田の試合は
一つ一つの技こそ綺麗だったけどその技の繋ぎがぎこちなくて攻防の流れが悪くて会場の空気を冷やしていたし
それにタッグマッチでの動きがモタモタしていてシリーズを重ねる度にファンの期待感が落ちていった
だからむしろランクを下げられる前にUWFに移籍して結果的に良かったんじゃないの?
>>443 >>458
シュートどころか不意討ち的に相手に襲いかかって騒ぎを起こして
しかも自分が被害者みたいに振る舞ってマニア層の同情と共感をかっさらうパターンを繰り返していたからね
佐山戦も猪木相手にも長州の時もやり方は全く同じ
ディープなオタや中間層に新世代のヒーローを早急に所望する空気があった御時世とはいえ
あまりにもオイシイ所取りで却って嫌味な雰囲気と作られたスター感が漂いだしていたよ 前田がつまらなく見えたのは輪をかけてつまらない維新相手だったからだと思う
アンドレ相手に見せた破壊力のあるニールキックは他の誰にも出せない迫力あったし >>461
> アンドレ相手に見せた破壊力のあるニールキックは他の誰にも出せない迫力あったし
的がデカかったからやりやすかっただけでは 新日での前田と言っても、スパークリングフラッシュ時代と黒髪のロペスピエール時代で
ずいぶん違うと思うが、両方の話が混ざってないか? ぎこちなさと相手を怪我させるスタイルは若手前座時代だからこそ許されたんだよな プロレスが筋書きありのショーだと公になった今なら
何で前田が全選手から糾弾されて新日を追放されたか分かるが
当時の新日は「プロレスは八百長ではない!」
「年功序列なんて糞くらえ!強いものが天下をとる!」みたいに宣伝していたので
前田追放という手段に矛盾が生じてしまったというジレンマ
「シンの猪木襲撃」とか「長州の維新」とか全てショーだったと宣言したみたいになってしまった >>462
長州がアンドレ相手にあんな豪快な戦い方出来た? >>466
外人が苦手で小柄なパワーファイターの長州と比較されてもな。 >>461
アンドレへのニールキックは試合前に「なんでも受けてやるから思いきりこい」と言ってくれた
アンドレの懐の深さと度量の大きさあってのことだからな 前田は長州との試合は負けたとはいえ良かったが、猪木との試合はちょっとな
猪木が受けきれないってのもあったのかもしれないけど 入門規定身長180p以上
リングシューズとサバ読みで190p以上で通るよ 前田はテレビ番組のバラエティーで藤波や長州と共演するが事あるけど
二人の瞼の傷を自分が付けた事を忘れてるから、
その傷を誰が付けたか聞くというオオボケをかます事がある 長州はともかく藤波に対して前田がガチで怪我させる気はなかっただろ やっぱりこの世代の選手は「武藤は強かった」と回想するね
58歳でプロレスデビュー! 85年に新日本入団の長松浩二さん、来年2・15マサ斎藤さんの追悼試合で
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181121-00010001-spht-fight
「練習は厳しかったですけど、いじめもなくみなさんに可愛がっていただきました。
武藤さんはいつも飄々とした感じで蝶野さんは一般常識を知った人で橋本さんも自分をかまってくれました。
スパーリングも橋本さんとライガーさんは、よく一緒にやっていただきました。
武藤さんともスパーリングはやらせてもらいましたが、自分とは大人と子供ぐらいの実力差がありました」 この人セコンドとかやったことあるのかな
当時のテレビに映ってたら見てみたい 2浪せず現役で大学合格してたら山田より少し先輩になれたのに・・・ この世代が国立大学入るのは本当に難しかったからな
キッチリ人生立て直しててさすがという感じだ
小さいと言ってるけど、実寸で179なら当時の新日では決して小さい方ではないよな こういう人は今のような時代だったらインディーでデビューしてたりするんかな >>482
今だったらプロレス入り自体をしないと思う
当時はゴールデンタイムにプロレスの時代だからな
長松造園でググるとホームページがあるね
庭の整備等をやっている会社らしい 多分リッキー・フジあたりも同期に近いよね。
かたやインディーの大ベテランハードロッカーだから人生わからんもんだw
リッキーも人生を謳歌してるようでいいけどね。 フジはメジャー団体には上がった事あるけど所属じゃない
それでもアマチュアプロレス団体で試合してた時は驚いたな
プロと素人プロレスの境界が壊れた気がした >>479
北九州高校って地元の普通科では最下位クラスの高校だから、2浪でも国立受かったってのは凄い事だよ。
因みに、清水健太郎の母校でもある。 日産、外部からの人事で立て直したのはいいが、今度はその人間が私的に散財して追放クーデターかw??
プロレス界じゃよくあることだよなww リッキーフジは武藤、蝶野、橋本、船木、野上達と同期 ポイズン澤田も元新日だしプロレスをあきらめきれずにインディーで復帰ってけっこういる
澤田は1983年に辞めてるから長松とは接点ないだろうけど >>467
やっぱプロレスはガタイがよくなきゃだめだよな
83年から前田を藤波長州みたいなチビッコプロレスより上位にしておくべきだった >>489
里美和は現在キリスト教伝道師、
だから独身では? 里は奢ってくれるなら行くというインタビューが記憶にあるw >>496
あと、新日本は異種格闘技戦(当時は一応打ち止めだったが)とかの外敵があるから、藤波長州より前田みたいなタイプの方が良いと思ってた 藤波辰爾のJr.ヘビー級チャンピオン時代にライバルだった外国人レスラーはタイガーマスク時代には呼んでもらえなかったな >>503
キッド
ゲレロは全日本だから呼べないしカネックはヘビー級 >>504
ダイナマイト・キッドはJr時代最後の藤波のライバルって感じだったな
スティーヴ・カーンは何故かタイガーマスク時代は全く呼ばれなかった ドンダイヤモンドみたいなライバルには及ばない位の選手が呼ばれなかったね タイガーマスクと言えばタイトルマッチなのにレスソントンと4分程で終わってしまった試合は謎だった… レスソントンがNWAJr.の王者というのが謎だった 国際プロレスのJr.ヘビー級チャンピオンだった阿修羅原
IWAミッドヘビー級チャンピオンだった寺西勇 >>505
藤波のジュニア末期に「こいつは強いぞ!」と思い今後藤波のライバルになると思ったけど、それっきりだった外人がいたんだけど名前失念
記憶違いじゃなければ、ブロンドヘアーでスティーブカーンとアメリカでファビュラスワンズってコンビ組んでた人 スタン・レーンか
ロスで藤波を苦しめたカルロス・マタの来日が無かったのも惜しい >>503
キッドはコブラ時代にも絡んでたからまさにジュニアのハンセンだったな
それだけに旧UWF移籍の高田との防衛戦が流れたのが惜しい
またせっかくカルガリーで進出戦をやらせた高田のジュニアリーグ公式戦をテレビで一戦もやらなかったのも惜しい
せめて柳川でのキッド・スミスとのタッグ戦でコブラと組ませてほしかった >>503
藤波のライバルは小柄なヘビー級くらいの選手も多かったし、ミドルクラスのタイガーとはサイズが合わない。 エル・カネックが合うのだろうけど
カネックはメキシコではトップだから
格として合わなかったのか ジョージ高野も身長的に相手レスラーが小柄だったから >>517
WWFライトヘビー初代決定戦に素顔で出てたっけ 佐山聡と実質的に同期だったジョージ高野がザ・コブラとして初代タイガーマスクと同時期にデビューさせていたらJr.ヘビー級戦線が面白くなった
特にタッグ戦ならばタイガーマスク&ザ・コブラ
寺西勇&小林邦昭
星野勘太郎&グラン浜田
ビジャノス
プラソス
ブラックタイガー&スティーブライト
ダイナマイトキッド&ブレッドハート 藤波のドラゴンロケットはいつも失敗して流血する印象があるw コブラは初代タイガーの後釜でなく和製マスカラスで売るべきだったんだよな
入場曲も最高だし カルガリーコネクション
ブレッドハート
ダイナマイトキッド
デイビーボーイスミス
ペガサスキッド
オーウェンハート >>521
スーパー人気者が突然居なくなった状況だし、その穴埋めに走るのは仕方なかろう。 >>524
せっかくライトが来てたんだからライトとデビュー戦をしていたらどうだったか >>520 そういう印象は全く無いが。ドラゴンスープレックスがフルネルソンだけで終るというのならともかく、それは無い MSGでの初ドラゴンスープレックスはかなりエグい落とし方してるよな
あの時代にあんなの許されないだろ あの後の控室で針のムシロ状態だったらしい
だから以後MSGでは出していない >>520
それ、チャボ・ゲレロとのWWWF戦(78年)の
自爆、大流血のイメージが強いのでは?
流血こそしないが、ドラゴンロケットを掛けた藤波
の方も、いつも相当なダメージを負ったよな。 >>529
そうだと思うわ
あれは控え室でボコボコにされても文句は言えない
三沢なら死んでたよ 藤波のドラゴンロケットって技出してる方がダメージ大きそうなのに
どうしてやるんだろう?って子供の頃思ってた。
そこそこ観客には受けてはいたけど、すごい高度な技とは思えなかったね。
後年の力抜山のトップロープ越しのトペの方が遥かに見栄え良かったし
力抜山にはダメージあまりないみたいだった。 >>530
自分が見始めたのは昭和54年秋位からなんだけど、昭和55年初め頃の猪木との師弟コンビでの試合で外人選手にすかされて自爆大流血。たぶんその印象が強いw 長州のトペあった?プランチャなら確かに大試合で出してたけど >>533
平成になってからだけど、天龍とドームでやったときもドラゴンロケット連発でやったら3発目でロープに鼻ぶつけてとんでもない流血してたね。
鼻折れたんだろうけど凄まじい血の量だった。 >>502
これ
スパークリングフラッシュ前田明
みたいなムック本で見たなあ
懐かしい >>532
力抜山(マシン2号)のは頭から突っ込んでいくからカッコいい。
三沢タイガーのデビュー戦みたいに背中から当たるのは、自分のダメージ逃がそうとして見えてカッコ悪い。 長州力はメキシコでカネックからUWA世界ヘビー級チャンピオンを奪取した >>502
前田の凱旋時はカッコ良かったなぁ。
オンドーフが試合前に危険な投げを止めてくれってクレームつけてゴッチが怒ってかまわないから投げてしまえみたいなやりとり、テレビ放送で紹介されたんだっけ?
今思うプロレス的にもリアルにもとれるけどどっちだったんだろう 前田はサイドスープレックスも入れて13種類にすればいいのにって思ってた >>540
そんなのプロレス的に決まってますよ。
ゴッチの生徒ってのがすでに当時新日のギミックですもん。
べつに本気で投げられたくなかったら、投げれるわけないんだから。
単純に同じ体格ぐらいで鍛えてる欧米人と日本人がケンカしたところで、
まずアジア人は勝てない。 >>541 一つでも多い方がいいんだから確かにそうだね。
全日鶴田への配慮か、逆にサイドをあえてスープレックスに認めていないスタンスだったのかな ダブルアームロックサルトとか、かなり強引すぎるというか無理がある気がするなあ。
少なくともプロレスの実戦的ではないね。 >>542 投げられたくなかったら投げられなければ良い
は確かにそうかもですね(笑)
試合の組み立て、決め技でオンドーフが難色示した技があってそれをプロレス的な話しにアレンジした可能性はありますよね >>545
オンドーフの弟のテリーは結局は来日しなかった。 >>546
テリーオンドーフ?そんな存在がいた事すら知らなかったな
今思うと風貌、実力的にも良いレスラーだけど海外、日本共に前田凱旋帰国戦以外にどんな活躍していたか記憶ないや。
覚えているのは引退時かなんかでの週刊ファイトのインタビューでファンの女の子とも関係たくさん持ったけどエイズにもならず幸運だったみたいな発言だけだな(笑)なんか良い人っぽかった記憶ある。 テリーは83年のビッグ2にポールと一緒に参戦すると発表されてたが、
新日は引退したことを知らずに発表してたのか。 549ゴシック(文字)だが、
第一回MSGタッグは超豪華だったな。 オンドーフ兄弟は本当だったからね。
笑えるのはエドレスリーが82年頃に
『ハルクホーガンの実弟のディジーホーガン』
とゴングで紹介された事。
写真写りは似てたから本気にした。
クラスでも話題になった。
しかし何故レスリーをホーガンの実弟にしたのか?
最初はゴングも信じたのかな?
そのレスリーは83年に来日してる。
そしてホーガンとも対戦。
しかし『ホーガンの実弟』『兄弟』とは微塵も報道されず。
あれは何だったのか未だに謎?
まあ後々、ビッグショーが新日に来日してた時に『アンドレは実の親父』と。
これはもちろんビッグショーの冗談。
コメント自体が冗談交じりで。
レスリーもそういうノリで『ホーガンの実弟』としたのか? 83年の新春黄金シリーズは正規軍、革命軍、国際軍団の抗争、タイガーマスクの活躍に加え、ホーガン、スーパースター、マリガン、ベンチュラ、マイクジョージと外人勢も豪華なボリューム感の凄いシリーズで個人的に大好きなシリーズだったなぁ… 元日決戦のカードが年々ショボくなっていったよね。
85年は猪木藤波vsホーガン サモアン、坂口木村vsマシン1号2号
通常シリーズの開幕戦のようなカードだった >>554
ホーガンはその一戦だけで帰国したんだっけ?
この頃になるとWWFでスターになってたからか
日本を舐めている行動をするようになっていた >>555
開幕戦だけで帰国したのはその前のMSGタッグ。
85年は発表された通りに出場してた。 >>555
開幕〜1週間参戦の後に一旦帰国して、後半1週間に再度参戦したはず。
後半では、藤波との2連戦、バンディ戦を行った。 ホーガンーバンディは
1年後にはレッスルマニアのメインなんだな アントニオ猪木VSアノアロアティサノエ異種格闘技戦は大相撲の小錦の実兄でガッツ石松が立会人になっていた >>539
マスコミ「長州さん、カネックから奪ったというUWA世界ヘビー級のベルトはどうしたんですか?」
長州「あぁ…アレはメキシコに置いて来ちまったよ」
リターンマッチでカネックに負けて奪い返されたと言えないからって
苦しい言い訳しやがってカッコ付けんな ホーガンとバンディは関係良かったみたいね。バンディ曰くだと。
そのせいなのか両者の対戦二人とも身体大きいのに繰り出す技に迫力、重量感が
なかったわ。 >>558
ホーガンアンドレVSスタッドバンディとかやってたんだが
それだとあまりにもヒール側がショボすぎるんで
アンドレのヒール転向に動いたんだろうね
アンドレのヒール転向は商業的には見事に当たった >>力抜山にはダメージあまりないみたいだった。
インタビューでマシン2号の時に膝を痛めて飛べなくなったって
そう言えば膝にサポーター付けてたよね >>559
スピンクス戦ではレフェリーやったり、藤波のリチャード・バーン戦ではコーチやったり
結構プロレスと絡んでるよな >>563
トペを猪木に避けられてフェンスに激突したとも言ってた。 >>564
ネームバリューでいろいろ仕事頼んだんだろうけど仕事ぶりがしょっぱ過ぎた(笑) アントニオ猪木異種格闘技戦
外れキャラ
・ミスターエックス
・アノアロアティサノエ 昭和スレとしてはギリギリのネタ振りだけど、
1988年暮れのイリミネーションリーグがもし通常のタッグリーグ戦になっていたとして、
外人勢の来日調整などうまくやり繰りできれば
とんでもない豪華メンバーによるリーグ戦が実現できたかもしれない。
◆猪木&長州 ◆藤波&木村 ◆坂口&マサ ◆橋本・蝶野 ◆ジョージ&マシン(※烈風隊結成が早まっていれば)
◆ベイダー&ビガロ ◆マードック&アドニス(※存命であれば。orスコットホール)
◆海賊ガスパーズ(※オートンにはこのシリーズまで海賊継続してもらって)
◆ケビン&ケリーのエリック兄弟 ◆バズ・ソイヤー&マニー・ヘルナンデス ◆サザン・ボーイズ
◆ザ・ジャガー&ザ・タイガー ◆越中&馳(※ジュニア枠) ◆藤原&山田(※ヘビー+Jr師弟タッグ)
当時実現可能なチームはまだまだありそうだけど、
1988年の新日といえばゴールデンから撤退してやや低迷していた時期。
イリミネーション企画もイマイチ不発だった。
でもこれだけ揃えば、かなり充実したタッグリーグになった気がするな。 >>569
マッチメーク、いや仮想プロモート?のセンスが素晴らしい
ただし、各チームのバランスが整いすぎて白星配給チームが皆無だよね
しいていえば、ザ・ジャガー&ザ・タイガーと藤原&山田の山田ぐらい? >>569
確かに。
ベイダー ビガロ ウイリアムスが参加すれば盛り上がったはず。 >>569
これだけ揃ってるならザ・タイガーとザ・ジャガー出さなくていいでしょ。あれって大矢と誰かだったよね? 温豆腐は前田にスロイダーで投げられる瞬間に前田にタップアウトの意思表示をしてるんだよね。ポンポンと叩いてる >>572
大矢と笹崎じゃないかな?
ヘンテコなマスクマントリオという名目で組まされたマシンが気の毒。 >>569
この時期だとベイダービガロのタッグ結成はまだなさそう。
でもそうすると猪木・長州の1強じゃない?
実際は星野が入ることで戦力バランス取ってたし >>577
桜井さんが>マネージャー役のヒトと言ってるね。
言うなればレフェリーもレフェリー役だしな。 新日はタッグは本当にやる気がないなあ
2018年の今でもそれは変わらない
もっとやりようがあると思うけどなあ >>575
>>576
そうだ笹崎だ。ありがとう。
のちにインディーの若手が違う団体で胡散臭いマスクマンとして数試合やるみたいな事を、この時代の新日本プロレスが既にやってたんだな。 >>573
何一つ疑うことなく
湯豆腐って読んでた >>578
星野がロングタイツになったのはいつ頃? >>564
石川孝志との異種格闘技戦は拒否したけどな。 笹崎で思い出したが畑ってのもいたよな
リバースゴリースペシャルの >>585
秋篠宮殿下に似ているでお馴染みの畑浩和。 1988年暮れのイリミネーションリーグに参加した
ザ・ジャガー&ザ・タイガーの正体は
メキシコ遠征中の佐野と畑という噂がたっていた。 >>588
あった気がする。
でも畑だろうが大矢だろうが笹崎だろうがどうでもいい空気だったね。
あの覆面トリオの試合は放送された?
全く覚えてない。
されてないから記憶にないのだろうが。 591極意だが、
>>590お前は早くこの世から消滅しろ、荒らし野郎! マシン組はジョージとサザンボーイズ組との試合が放送されてた様な? ザ・ジャガー&ザ・タイガーは記者会見では耳付きボア着きのタイガー系のマスクだったけど
試合ではスーパータイガーっぽい縁取りの付いたマシンタイプのマスクになってた >>591
お前の語呂合わせが嵐だろw
自覚ないのは病気と気づけよww 文章と何の関係もない語呂合わせとか、やってえ面白いと思ってんのかね? 延髄蹴り→延髄斬り いつ頃から呼び方が変わったんだろう?そういえば、子供向けの小さいプロレス本には円月延髄斬りと書いてあった 延髄蹴りの受け方が素敵だったのは浜口のコーナーから飛び降りてからのとアドニスの一回転が思い出深い >>597
延髄斬り=猪木
延髄蹴り=その他
そんなイメージ >>591
その意味のない語呂合わせを色んなスレでやるために意味のない発言をしたり、挙げ句の果てには「〇〇だが、」だけのレスをしたりしているのはただの荒らしですよ 語呂合わせの (ガラプー KKff-F6PO)を刺激すると、
こいつ発狂するぞ!
昨日は、「1989年全日本プロレスの後楽園」のスレで
131〜160まで連続で,愚にもつかんことを
書き込んでいた!
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1542338981/l50 親日の印象の一つに外人の扱いが悪いというのがあるが、MSGシリーズやIWGP、その他の一般シリーズでも
外人の顔ぶれは充実してるのに、とくにTVマッチなんかでは日本人偏重だったりする。
オマケに実際の話として新間のギャラ値切りとかw
でも贔屓目で見れば逆に外人天下とは言わないが、全日みたいなカラーを親日がやってもそぐわない気もする。
旗上げ当初から外人招聘に苦労した経緯もあって、日本人大物対決やB級外人のエース、異種格闘技戦なんかで
大会場を満杯にしてきた「ちょっとこじれた」プライドなんだろうなと妄想でもしてみる。。w >>598
対戦数は少ないが、やはり天龍じゃないかなあ…
1993年 福岡ドームのプロレスこけら落としでの
猪木藤波vs長州天龍
この時の延髄の受け方は素晴らしかったと思う
浜口やアドニスみたいに1回転はしないけど、リアリティーある受け方というか… 一番エグかったのは引退試合のフライ戦というね
猪木も力の加減ができなくなってたんだろうな >>606
延髄決まった時セコンドの佐山の顔が最高だよな! >>606
決まった瞬間古舘の声が辻の声になったのかと思うくらい変わったしな >>591
フルボッコざまあwww
とっととトリカブト舐めて死ね!!! >>599
古館は猪木以外のレスラーが延髄斬りやるとジャンピングしてからのハイキックと言ってたな。 >>610
「ジャンプしてからのハイキック」が正しい英語だろうと思っていた中学生の俺 (´・ω・`) >>604
ハンセンとホーガンが組んだタッグリーグ戦辺りはかなり外人豪華でカードも豪華だったような気もするんだけど 猪木と同じフォームで延髄斬りやる選手はいまだに現れない。だから「ジャンピングしてのハイキック」との区別は必要。同様にイナズマも本家と同じフォームの選手はいない。 古舘はナックルパートなのに
保坂はやたらナックルアローって言ってたのも気になったな
相槌する小鉄はナックルパートに言い直ししてたり
ワープロと全日中継で変わるのは良くあるけどワープロ内でアナによって変わるレアケースだった >>614
猪木は他にもフライングニードロップなどもいちいちフォームがカッコよくて絵になる >>616
猪木はいちいちポーズやフォームがかっこいいよねw
猪木のフォームが並以下なのはWアームくらい?
ドロップキックも巧くは無いけどかといって格別下手ってほどでもないよね 卍固めも他にやる人いるけど、猪木のようながっちり感はなかなか出せないね >>617
過去1回しかみたことないけどエルボードロップは下手くそ。 倒れてる相手にジャンプしてチョップ叩き込むのは日プロ時代によく使ってたな 猪木にはスピニングパックブリーカーを新日本でもやってほしかった。プロレス見始めたのが昭和54年だから遙か昔の伝説技だった。子供の頃の10年前は紀元前的に大昔に感じるからかなw 先日DVDで久々に82年大阪での猪木対カネック戦を見たけど案外唐突にカネックが卍固めでギブアップ負けしてたな〜 >>624
あれは数日後に糖尿病で入院しているから、はやくおわらせたんだと思う 猪木はたまにアルゼンチンバックブリーカーとかジャイアントスイングとか珍しい技やるよね。 >>627
88.8.8の時。あれ?藤波がジャイアントスイングやったんだっけ?記憶違いかもw 猪木はバックドロップもあまりうまくないと思う
「せーの!」で投げる感じがね…基本には忠実なんだろうけど >>628
ジャイアントスイングやったのは藤波の方だね 藤波戦で猪木は両膝をマット付いた状態でアルゼンチンやってたな。
立った状態では無理だったか?
あれで猪木の『落日感』が強まったと雑誌にも描いてあった。 >>631
603 お前名無しだろ (ワッチョイ b374-Phow) 2018/11/26(月) 10:45:33.99 ID:bfQOiL+G0
語呂合わせの (ガラプー KKff-F6PO)を刺激すると、
こいつ発狂するぞ!
昨日は、「1989年全日本プロレスの後楽園」のスレで
131〜160まで連続で,愚にもつかんことを
書き込んでいた!
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1542338981/l50 全盛期のアントニオ猪木は身体が柔軟性に富み鮮やかなブリッヂを利かせたカールゴッチ直伝のスープレックスとルーテーズ直伝のバックドロップを武器に活躍していた 全盛期のアントニオ猪木は身体が柔軟性に富み鮮やかなブリッヂを利かせたカールゴッチ直伝のスープレックスとルーテーズ直伝のバックドロップを武器に活躍していた >>629
猪木のバックドロップは途中で片脚流れるのが。
綺麗な部類だと思うけどそこが惜しい。 マサ斎藤も膝つきアルゼンチンだったけど、あれはマサさん流の
「ガチでやったらあんな風に担げるわけないじゃん、けど膝を
付ける態勢でなら持ち込める」というプライドだったんだろう
ダックアンダースープレックスも、ひねりを加えたバックドロップと
言われた懐に飛び込んで投げる変形フロントスープレックスも、
ガチのアマレススタイルから仕掛けることが可能なものだったし
監獄固めを片足タックルからのトルコ刈りで入るなんていうのは
「ガチでは全く仕掛けられないような技なんか使えるか!」という
意地が生んだものだったんだろう >>620
おれも一回だけ見た
ローデスと組んで、ハンセン,シン組とのドリームマッチで
ローデスのハンセンがエルボードロップ合戦みたいな流れになって
それに乗って猪木もエルボードロップ狙ったがまんまとよけられ自爆 猪木より技の見栄えが綺麗なレスラーなんて山ほどいると思うが
そういうレスラー達の中で
猪木の醸し出す雰囲気や観客を手のひらに乗せる術の点で
猪木の領域に迫るレスラーが皆無なんだよな >>633
ゴッチは1969年頃、日プロのコーチを
やっていたからジャーマンは直伝だろうが、
バックドロップはいつテーズから伝授されたの?
ちなみに猪木が、初めて試合で公開したのは
やはり69年の夏だと思うが。 >>629 >>635
猪木のバックドロップのヨッコイショ感と片脚が流れるのは
相手が受身を取り易くする方法の一つなんじゃないのかな
ロビンソンやブロディに繰り出した時は“溜め”を置かず一気に投げてマットに叩きつけていたから対戦相手によって使い分けていたんじゃないの?
>>631 >>636
膝付きアルゼンチンって昔からメキシコの試合でルチャドールが使っていた写真がよく専門誌に載っていたし
片膝を付くやり方なら北米の選手もやっていたからそんな『落日感』だとは思わなかったけどなあ >>637
その試合で猪木はシンにエルボードロップ。
でも避けられた。
逆にシンもハンセンとツープラトンのエルボーバットを猪木に。
日頃は肘をあまり使わない猪木とシンがエルボーを出した。 >>640
最初に猪木にバックドロップを教えたのは
ルター・レンジとも言われているが
ドリーがよくやるのと同じ投げ方
テーズにそれを矯正されたのは
73年の世界最強タッグ戦のすぐ後 >>642
603 お前名無しだろ (ワッチョイ b374-Phow) 2018/11/26(月) 10:45:33.99 ID:bfQOiL+G0
語呂合わせの (ガラプー KKff-F6PO)を刺激すると、
こいつ発狂するぞ!
昨日は、「1989年全日本プロレスの後楽園」のスレで
131〜160まで連続で,愚にもつかんことを
書き込んでいた!
http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1542338981/l50 >>631
長州戦では片膝状態で、持ち上げきることもできない状態でアルゼンチンかけたことがあったな アントニオ猪木VSストロング小林戦のジャーマンスープレックスープレックスとアントニオ猪木VSウィリエムルスカ戦のバックドロップは伝説です 異論ありまくりだろうけど
1つ1つの技に入るたびに観客が注視して盛り上がったのは
「魔性スリーパー時代」の国会議員やってて年に数回だけ出場してた頃
別に猪木の技は何も変わってないのに、むしろ動きが遅いのに技の説得力に重み、というかプレミア感が出てた
まるで歌舞伎の立ち回りみたいだった
実はあの頃の猪木のファイトこそが馬場が1番プロレスに求めてるものではないか? >>650
現役晩年の猪木が
「キラー猪木」キャラで魔性のスリーパーを
フィニッシュにしたセンス
明らかに衰えてもう昔の力は無いことを
自分自身も観客も十分に理解しているのを逆手にとって
「老いた達人が一瞬の殺気と名人技で
真剣の切れ味とでもいうべき凄味を若いやつに見せつける」
といういかにも日本人好みの場面を演じて見せる
馬場のプロレスが水戸黄門ならば
猪木はさしずめ座頭市
そしてそこで演じるのはスリーパーという誰でもやる基本技ゆえ
“落とす”というシリアス風の演出が却ってリアリティを持つという仕掛け
(しかもやる側は体力消耗しないw)
コブラやブレーンバスターがフィニッシュにならなくなってきて
かといって毎試合ジャーマンや卍をやるわけにもいかなくなってきた頃に
最初はちょっと珍しいつなぎ技の一つだったジャンピングハイキックを
「延髄斬り」としてバックドロップ(これも日本ではテーズ以来必殺イメージの強い技だ)と並ぶ
晩年のフィニッシュホールドに昇華したのと重なる
こういうセンスがまさに猪木の本領・真骨頂だな 猪木のトップロープニードロップ、確かに憧れたといわれるコワルスキーっぽいな。飛び降りるときは
背をかがめるような姿勢で両手を広げる形。あと好きな猪木の動きがあって、ハンセンとかの
猛攻でリング下に蹴落とされた後、両手で「コノヤロー」とばかりに思いっきりリングのエプロン辺りをぶっ叩く姿。。w 猪木がバックドロップで仕留めた相手と言えばウイリアム・ルスカとの異種格闘技背が有名だが
大木との遺恨戦もバックドロップだった。
粗削りだった頃のハンセンにもピン勝ちしている 猪木のダイビングニードロップのフォーム格好いい。
ブロディとのフルタイム戦で逆キングコングニーと言うべきか、ランニング式のニードロップやってたな。 猪木の反撃の狼煙はロープに振って一歩右足を踏み込んでから
跳ね上げるショルダースルーだな、これは本当に上手かった ^木はマイクアピールもカッコよかった
一番好きなのはラッシャー木村との髪切りマッチの後の「木村ーっ、お前男の恥を知れ」 猪木ドロップキック下手だなと思う。
ただ左足が前で、身体を入れ替えないから奇襲としては早いんだよな。。 猪木が木村との髪切りの後マイクで、
「お前たち永久追放ダー!」なんて言ってたけど、
折しもプロ野球タイガースの島野、柴田両コーチが審判への暴力沙汰で
永久追放云々が取り沙汰されてた時期なんだよな。
「猪木も世間の風潮に影響されるんだな」と当時思ったもんだわw 付き人やってた藤原喜明が猪木さんは運動神経は余り良くない
どっちかって言うとドン臭いでも真似出来ない動きがあったし
実際客からの拍手は一番貰ってたって証言してたな 骨法の堀部も猪木の事は余り運動神経が良くないって
後年話してたけど技の物にするあの練習熱心な所と
努力はトップスターなのに凄いって言ってたな 延髄は人間の中枢であり蹴られると一瞬動きが止まる
アントニオ猪木最後のフェバリットホールド延髄斬り >>660
全盛期を過ぎた猪木は糖尿病でコンディションは最悪だった >>663
1985年以降は100キロ切ってて90キロだったんじゃないかな?
肩と胸の肉が落ちた上にふくらはぎが抉れてたもんな アリ戦の軽量の時に100.5キロだった猪木
全盛期も実は100キロ切るのが普通だったんじゃないか
流智美が「現在の規定なら史上最高のジュニアヘビー戦士は
猪木ということになってしまう」と書いていたことがあったような ラッシャー木村の髪切り逃亡で大阪府立が暴動寸前になった
猪木戦のビデオ見たけど、いい試合だったのにちょっと驚いた
木村が悪役スタイルではなく、国際のエース時代みたいな
じっくりした受けで、猪木とグラウンドで足関節の取り合いに
なって、極めあったまま膠着して高橋がブレークを命ずる
シーンなんか、こんな展開があったんだと感心してしまった
ただ木村戦の猪木の延髄はいつも寸止め気味で、木村が
ちっとも効いていない風なのが見ていてもやっとw >>664
86年のスピンクス戦の計量では100kg切ってたよ。 >>656
演説とか事前に決めたマイクより、リンク上のアピールはかっこ良かった 猪木の技で一番嫌いだったのはダブルアームスープレックス
人間風車なのに全然弧を描いていなくてベシャッと潰れて相手をマットに置く感じ
説得力なくて子どもだったオレも冷めた目でみていた >>667
個人的な見解だが
猪木はスピンクス戦から決定的に衰えたと思ってる
それ以前からも痩せて衰えてはいたが
藤原戦、イリミネーション、や巨漢のマードックをジャーマンで投げたり
ブロディとフルタイムやったりしてそれなりにいい試合をやってたと思うけど
それ以降は粘りに欠けるというか・・・
横浜での藤波戦の直前まで欠場するまで
ずっとおかしかったと思う 木村は延髄斬りについて『当たると一瞬、頭の神経が切れて気を失う。気づいたら負けてるから負けた気がしない』みたいなこと言ってたよな スピンクス戦から使い始めた浴びせ蹴りが嫌いだったなあ。
モーションが大きいから「格闘技戦でそんなの決まらないよ!」と思うのに
執拗に狙い続ける猪木にイライラしたw >>670
けど翌年のマサ斉藤戦(両国の手錠マッチ)は、良かったよ。
久々に狂気の猪木が見れたしね。 >>676
それで延髄斬り対策に肝臓破りのチョップとやらを開発したんだっけ? 猪木の持ち味だった関節の柔らかさ、身体全体のバネなんかは運動神経には直結しないのか。。 コブラツイスト
卍固め
ジャーマンスープレックス
延髄斬り
アントニオ猪木のフィニッシュホールドの中でも一番はゴッチ直伝のジャーマンスープレックスだね コーナーに投げつけられる時に目をカッ!と見開いて自分から加速つけて突進するのが一番好き 東プロで使ったアントニオドライバーは日プロ新日プロでは使わなかったのが残念だな。見たかった。あれ写真で見ただけだけど、どうやって投げたんだ?DDDTとは違うし… 文字通り相手の首だけをフロントネックロックに極めた状態から一気に
後ろに放り出す反り投げ
投げられる側はかなりキツかったらしい
相手の片腕を巻き込むお優しい投げ方はもうちょっと後になってから 維新軍の頃のマサ斎藤戦で出したアントニオドライバーは
高速ブレーンバスターみたいな感じだったような 佐山がやった初代タイガードライバーとは違うの?
あれはフロントネックチャンスリーだっけ 掃除してたら懐かしいのが出てきた
https://imgur.com/a/tj9sbMy
でもぎりぎり平成だった・・・ >>688
片足振り上げて反動で後ろに倒れこむ佐山ドライバーは
ほとんどDDT
アントニオドライバーはテーズ式バックドロップのように
両足をがっちり踏ん張ってブリッジを効かせた投げ技
https://stat.ameba.jp/user_images/20101005/12/maskedsuperstar2/e3/b0/j/t01720226_0172022610784342004.jpg
http://www.asahi-net.or.jp/~YF7M-ON/waza05.gif
>>687
某動画でも「アンドニオドライバー」扱いされていたけれど、
あれは正真正銘、ただのブレンバスターでしかないよね 魔神風車固め(腕が決まる)みたいに、相手も首が苦しいからジャンプするしかないから決まるのかな。それにしても凄いバネだなぁ 投げるほうも相当腰痛めるみたいだし、そう何回もこなせる技じゃないねw アメリカのシュートレスラーとして評価が高いグレート・ボリスマレンコをマネージャーに付けてアントニオ猪木と試合と噛み合わない試合をしたボブループ 人間嫌い ボブループ
秋田書店 プロレス大全科より しかし東京プロレス時代の猪木、23歳にして社長(だっけ?)、秘技アントニオドライバー体得、
強豪ジョニーバレンタインとの死闘・・。日プロ(BI)時代よりむしろ輝いて見えるな。 猪木嫌いの菊池孝氏が「我が心の名勝負」として月刊プロレスに寄稿したのが東プロ旗揚げ戦での猪木対バレンタインだったな。 >>697
猪木嫌いは国際プロレス崩壊後に、新日で国際軍団の扱いが悪いと勝手に思ってたから ブッチャーに引導渡した試合での腰砕け低空ブレーンバスターをあおやま英雄が
「復活のアントニオドライバー!」とか茶化してたな
当時の猪木が衰えてたのは確かだが、あおやまのそういうところ正直あんま好きじゃなかった >>695
ハーフハッチは自分からブリッジして相手の腕を
引き込むことで相手の身体もひっくり返す技、
アントニオドライバーは相手の首を極めて
釣り上げてからブリッジする技、という微妙な
タイミングの違いがあると思うけど、北沢(魁)
によると首だけを極めて投げたり腕も取って
投げたり、いろんな投げ方を試していたそうで
http://www.showapuroresu.com/waza/wazap11/antonio02.jpg
色々語られていますね
https://ameblo.jp/maskedsuperstar2/entry-10667967731.html
http://www.showapuroresu.com/waza/antonio.htm
東プロ旗揚げ戦のアントニオドライバーについて
東スポは「パイルドライバー」
デイリーは「バックドロップ(脳天逆落とし)」
といい加減な表記だったらしいw 昭和に見たかった^木のシングルマッチ三番
猪木対ダイナマイトキッド
猪木対レイキャンディ
猪木対ミスターポーゴ アドリアンアドニス&ボブオートンJr.
アドリアンアドニス&ディックマードック 鬼軍曹サージェントスローターは何気に背がデカいレスラーチームの仲間だね
他にはディックマードック、テッドデビアス、ジョニーエース、トニーセントクレアなど 新日とは関係ないけど1979年の秋に全日本のインタータッグ戦で
ブッチャー&キャンディ組が馬場・鶴田組に勝ってタッグ王座を
奪取したんだけど、どういういきさつあっての移動劇だったんだろ。
人気のブッチャーとはいえ即席タッグであまり必然性がないように
見える戴冠で、一週間後には元の馬場・鶴田組に奪還されてる
会場も旭川→郡山と地方回りの中だったし。
猪木がハンセンに負けたり、坂口・小林組がマツダ・斎藤組に
王座を取られたりの新日の移動は、その時は驚く結果でも
王者を挿げ替えたりといった必然性が見えるんだけど。 >>703
「大巨人と小人!」なんてヤジを飛ばされていた
レネ・グレイも単独で見ると意外と大きかったな 両団体の看板タイトルのNWFとPWF、猪木はシンとハンセンという当代きってのライバルとの直接対決で王座争奪、
馬場はブッチャーやブロディあたりとは直接では関わらなかったな。つかブロディとPWFは接点ないけどw。
馬場はPWF戴冠から38回連続防衛の長期政権ののち、カマタに不覚を喫しその後は定期的に?王座移動。
NWFはIWGPへの封印までになるが前述のとおり、三すくみのなかで歴史を閉じた。
違いに意味があるかというと無いんだろうけどw、振り返ればそんな歴史だったと言う話。。 >>705
あとアンドレのマネージャーだったフランク・バロアもかなりでかかった。 >>706
ブロディは83年に馬場のPWFに挑戦している(他にもあるかもしれんが)、
あとは88年の天龍との三冠統一戦。 >>708
80、81年にもPWF戦やってる。
82年はアマリロでブロディのインターに馬場が挑戦したこともある。 >>705
タッグリーグのパンフに載ってるグレイの写真見ると腕も太くて強そうに見えるんだよね。
実寸だって藤波よりでかいし猪木と同程度だから決してチビではなかった。 WWFタッグ王者だったロトンドとデビアスの銭ゲバコンビって
実は相当大きいんだね
日本のマットに立ったら巨漢コンビになっていたんだろうな
レッスルマニアのタッグ王座戦で、コテコテのキャラで出てきた
二人が、試合になると相手の首を引き込んでレスリングに
持ち込んだりしているのは妙におかしかったけれど ニューヨークの帝王ボブバックランドもUWF参戦してから商品価値が落ちたね レネグレイはゴッチと一緒にサーキットしてたなら、シュートの方も強かったのかな? グレイが「信じられないほど強い男だった」と評したのは
アンドレでもなくゴッチでもなくゴリラ・モンスーン >>714
バックランドはすでにピークを過ぎていたから勝ちが落ちるも何もなかったと思うけど、
もともと関節技とかないしUのスタイルやっても勝てなさそう。
まあ、全盛期だって技を受けようとしないところだけはUっぽかったかも。 >>717
WWFヘビー級チャンピオン時代、ニューヨークでも余りに地味なスタイルで不人気だった
マクマホンシニアの好みのレスラーでありチャンピオン時代が長かったけどシニアの死後、マクマホンJr.が実権を握るとヒールのアイアンシークを中継ぎにしてリアルアメリカンヒーローのハルクホーガンがWWFの顔として世代交代後、マクマホンJr.と合わずWWFを離脱してしまった
当時のニューヨークはボブバックランドよりアンドレが絶大な人気者のベビーフェイスだった でも童顔でおばちゃんファンからは人気があったんだってさw NWA王者のレイスに勝ったり、金網マッチでスヌーカに
勝ったりした時の動画を見ると、観客はバックランドの勝利に
まさに狂喜乱舞しているんだよね。
日本人の感覚だとあれで「不人気」だというのが理解できない。
あれで不人気だったら当時の日本の会場なんてお通夜だろう。 >>720
来場してる客がどれだけ騒いでるかよりも、どれだけ客呼べるかだろ。
バックランドからホーガンは正しい選択だったと思うよ。 バックランドは新日最後の来日からUWFに上がるまで
どこで何やってたのか AWAに上がっていたが、世界チャンプ候補にはなれなかったようだ >>718 >>720-721
何かMSGだとか全米侵攻前マイク・ラベールから興行権を買い取ったロサンゼルス地区やサンディエゴといった都市部では結構人気があったけど
日本で言う地方興行での集客力や訴求力みたいな物に欠けていたらしい >>721
>>722
AWAも1985年くらいまでで
86年からはセミリタイア
石油会社に籍を置いたとか、
UWF来日前は、高校かどこかで
アマレスのコーチをやっていたと思う。 WWFインターナショナルJr.ヘビー級チャンピオンは新間寿がカネで買ったタイトル
WWFJr.ヘビー級チャンピオンも新間寿がカネで買ったタイトル
WWFインターナショナルタッグチャンピオンも同じく新日本プロレスが運営していたけどタイトル使用料をWWFに払い管理していたんだよ スカスカだな。
キャリアの最期付近では負け役多いね。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=959&page=4&s=300 >>719
ゲイ人気が高かったんでチャンピオンに据えられたって話をどっかで読んだような記憶があるが >>726
WWFインターナショナルJr.ヘビー級チャンピオンなんて、見たことも聞いたこともない。 >>730
WWFインターナショナルヘビー級チャンピオン >>726
> WWFJr.ヘビー級チャンピオンも新間寿がカネで買ったタイトル
WWFJr.は元々新日側の事情と関係無く
ファイトマネーの安いエストラーダにタイトル料を上乗せする形で他地区にブッキングして
利ザヤを稼ぐのが目的で復活させたんじゃなかったのかな? >>719
あの尻を突き出した構えかな、ポイントはやっぱりw >>724
一般的にはサンマルチノとホーガンの間の時代のニューヨークの帝王って位置づけられてるけど
売り出し掛けてた王座初期はともかく中期以降は
案外モラレスのように複数ツアーチームでの興行前提での
地域限定のエスニックファン対策の王者に近かったのかもね
都市部限定で田舎はその土地に合わせてJYDやスヌーカが人気
MSGはもとより全米どこいっても間違いなく大人気なのはアンドレと
あとあの時代だとパイパーか(トークがだけど) サンマルチノが「バックランドは集客力がなくてチャンピオンを降りた私の方が集客してたようなもんだった」と
言ってたな
確かに80年代初頭までモーストポピュラーの一位争いはサンマルチノ、ローデス、アンドレの三つ巴だった バックランドはUインターの後にWWFに復帰してヒールになってたよね。
日本にもWWFのツアーで来て青柳に負けてた記憶が。 78年の年頭から藤波、ボブと立て続けにMSGで新王者が誕生して新時代の幕開けみたいな印象があった。
全日時代のバックランドは知らないし、まさに「超新星」という異名がしっくり来たな。
直後から親日にも登場して猪木とタイトル戦やってるが、派手さはないがやたらタフで
とてもじゃないが猪木の手中に落ちる相手じゃねえなとガキにもわかったね。。w >>735
ゴングに載っていた77年〜78年頃の
全米モーストポピュラー選手は
@ダスティ・ローデス
Aアンドレ
Bリッキー・スティムボート
だったと記憶している。
80年まで、サンマルチノは、そんなに
人気があったのかい?
特に、ローデスが78年頃、13か月トップを張り、
凄いレスラーだと思ったが、新日に来た時は
不格好な身体とオカマパフォーマンス、
臭いショーマンシップでガッカリした、けれどなぁ。 >>736
大阪のロイヤルランブルでかなりの声援を受けてたわ。 >>739
ジュニアヘビーにスティーブベイダー、グレッグピーターソンの名が見えるが
この2人はごく初期の親日に来日したレスラーか。。 >>742
詳しいですね、自分にはさっぱりわかりません。
新日初期の外国人レスラーの中ではパット・パターソンが比較的大物やね。
ジュニアのイメージないけど若い頃はシュッとしてた。
http://slam.canoe.com/Slam/Wrestling/2012/09/10/1patterson_pat.jpg >>744
いやw、プロレス見始めたのは猪木アリの頃からなので「知識」としてなだけ。
79〜80年前後の別ゴンのピンクページの「3団体シリーズの歴史」?とか某昭和プロHPとかなw。
パターソンも77年に猪木のNWFに挑戦したのが初見だな。猪木の古くからのライバル。
このスレも昭和親日とは謳ってるが、70年代(創立以来〜)のエピソードはなかなか浮上してこないので
古株ファンのレスも期待したいところだ。。 >>744 失礼、自己レスしてしまったw
>>743へ。。 昭和の新日本プロレスは熱かった
アントニオ猪木のカリスマ性に佐山聡の初代タイガーマスクの衝撃的なデビュー パットパターソンってアッチ系だったよね。修行中の谷津も危なかったとか >>740
マスカラスのIWAがまだ存在してた頃か IWAって1年間も持たなかったんやね、マスカラスがずっと
防衛戦やってたからもう少し由緒あるタイトル思ってた。
ディノ・ブラボーもけっこうキャリア積んでたんだな、新日本プロレス
に来た時は若々しくみえたけど。
https://youtu.be/yr-cDm7bNBE >>747
流智美は「ゲイではあるがノンケには手を出さないので別に嫌われていない」と
書いてたがどうなんだろうね
パターソンは若き日の猪木が英語が下手糞で周囲と
コミュニケーションがとれないことを心配して
スキ焼きが食べられる店に連れて行ってあげたそうなんだが >>736
ブッチャーより16位のゴッチが驚きだ!
70年と言ったら、日プロのコーチを69年頃に
辞めてハワイで清掃員をやった時だろ?
まだ71年の春以降、国際でカムバックして
WWWFに渡りタッグ王者になったころなら分かるが。 >>750
81年のMSGタッグのパターソン、アレン組は一回もテレビに映らずに終わったのは残念だった… ゴッチ、ブラッシーに負けてる。どんな負け方なのかわからないけど。
後の猪木アリ戦のセコンドとマネージャー役対決だな。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=946&page=4 >>747
パターソンはゲイではあるが>>750さんが書かれてるように
公私の区別がきちんとついていたうえ
バックステージでは変なそぶりを見せることは全然なく
かといってあえて無理に偽って否定や隠そうともせず
(当時はまだプロレスはじめスポーツ界のようなマチズモが支配している世界では
通常ゲイであることが知れるのは社会的に抹殺されるくらい致命的なダメージだった)
普段からリベラルで聡明かつ紳士的な人だったので
ゲイであること知れてなお業界内でも非常に人望が高かった
後年のWWE幹部時代に暴露されたゲイスキャンダルも
レスラーや関係者からは何をいまさら周知のことだし
彼はそれで何も迷惑かけてないじゃないかという擁護の声が圧倒的だった >>752
あれってパターソンがWWFの渉外として来日して1週間で帰国する契約で
最初から「途中でケガをしたという口実でリーグ戦から離脱する」予定の
名目だけのタッグだから、テレビに映しようがなかったんじゃないのかな 王者時代のバックランドが4ヶ月連続でMSGの定期戦メインで対戦したのが
パターソンだったっけ
「非常に手が合った」とか言われてるけど、パターソンの試合の引っ張り方が
うまかったんだろうなあ
とは言えこの二人の抗争が人気になるニューヨークのファンの嗜好も
やっぱりちょっと特殊だと思えてしまうw
そりゃ地方ではアンドレとフジ&サイトー組のタッグ戦や、サンマルチノと
ズビスコの師弟対決が売りになるのもしょうがないんだろうな
日本でも大阪では、テクニシャン対決よりシンvs上田が大人気になるわけだし パターソンのイメージは「巧者」「老獪」・・。
ベビーには向かないが、そのベビーの引き立て役としてはうってつけの立ち位置。
似たタイプがダーティチャンプ・ニック。ともに4の字が得意なのも共通。
また、MSG定期戦におけるバックランドの挑戦者として他地区から転入するパターンが
定着してたな。主なところでAWAからアドニス&ベンチュラ、NWAからスヌーカ。
そして招聘ルートのある親日にも来日という図式だった。 >>757
自分はパターソンというと自身名タッグコンビで
そのニックとも長いことタッグ組んでたレイ・スチーブンスとイメージ重なる
パターソン・スチーブンス組ってのも想像するだけで
いかにも試合運びや会場の盛り上げ方上手そうなコンビ Tatsumi Fujinami - Double Underhook Suplex (With Pin)となってるけど
木村健吾だよね。
藤波のダブルアームよりは多少マシだった。
https://youtu.be/2rXtSm-uW9U アレン&パターソンなんてコンビはなぜ誕生したんだろう。
パターソンとルスカが組んでいたからルスカからパターソンに変わっただけなのか。
あと、めっきり寂しくなってた第五回にアレンが参戦して盛り上げてほしかった。 ヘラクレスローンポーク
当時の藤原嘉明にボコられアメリカ大使館に逃げ込み帰国した逸話があるレスラー アレンがストロング小林を「日本のパット・パターソン」と呼んでいた >>761
>>755に書いたように、もともとパターソンはリーグ戦を消化する予定のない
交渉役として1週間来日するだけの実質「特別参加」だったんだろう
しかしタッグリーグ戦に外人が参加していながらチームを組まないで
単独参加するっていうのは、「選手を兼ねたエージェント」なんて
理解できなかった当時のファンからしたら、いかにもヘンだった
(バックランドやローデスなら「1週間の特別参加」と言っても納得
してもらえたろうけど)
だから最初から途中で空中分解する「形だけのタッグ」を発表しておくけれど
「パートナー」はパターソンが帰国した後はリーグ戦以外の試合で便利に
使える(6人タッグなどで誰とでも組めて器用に仕事ができる)馴染みの
レスラーをチョイスしておきたい、っていう判断でアレンになったんだろう
かくしてファンから見ると意味不明な白黒コンビが発表されてしまうと。
形だけ優勝候補とドローを演じさせて、メンツも立たせていたけど ローンホークは期待の新外国人という触れ込みだったけど、
試合運びがしょっぱすぎて見捨てられたんだっけ?
確か最後の試合がタッグマッチで、
藤原・栗栖?vs寺西・ローンホークだったか。 後悔なんかしてないよ
筋肉を追い求めるってのはそういうものだ。 キッドのテーマ曲は新日時代のが好きだな。カーウォーズも悪くないけど。 上田馬之助のフィニッシュ技はクロスチョップが多かったけど他にどんな技で勝ってたのだろう… 84年のWWFジュニアヘビー級王座決定リーグを超えるジュニアの祭典は存在しない >>780
田鶴浜さんが「日プロ時代の上田で印象的だったのはパイルドライバー」と解説席で話しておられた。 >>782
タイガーマスクはもちろんだがメキシコ代表としてペロ・アグアーヨの参戦が欲しかったな。
欲を言えばジュニアのタッグリーグも見たかった。
タイガー・コブラ
小林・寺西
星野・浜田
キッド・スミス
Bタイガーと誰か
アグアーヨ・フェイス
アメリカ組 Bタイガーとスティーブ ライトのタッグだよキミィ! ブレットハート
オーウェンハート
クリスベノワ
ダイナマイトキッド
デイビーボーイスミス
カルガリーのスタンピートレスリングのスター達 キッド、享年60歳でもマッチョ系レスラーの中ではまだ長生きした方に思えるのが悲しい。
ホーガンが元気バリバリなのは奇跡だな >>788
列伝の主役達は元気な人が多いな
亡くなったのは巨人症二人に刺殺されたブロディ、82歳まで生きたゴッチの四人だけ それよりもステで身体はボロボロなのに今も健在なビリー・グラハム キッドとチャボゲレロって対戦しなかったよね。みたかった 84年のジュニアリーグ戦でキッドVSブラックタイガーが実現してたけど
ノーTVの地方大会で週プロとかにも載ってなかった記憶。
凄く見たかったんだけどな。 84年のMSGタッグはホーガンの初戦帰国でパートナーのワイルドサモアンは気の毒だったね
以降はデビュー仕立てのアティサノエとのタッグで消化試合してた…
戸口、ケリーブラウンもよくわからないタッグチームだったなぁ… ワイルド・サモアン(サムラ・アノアイ)は初来日の時、凄く良かった記憶ある。
新日本プロレスが抜擢するのもわかるな〜って感じしてた。 >>790
B・グラハムは初期のステロイド禍の代表扱いされるけど
逆にハシリだったため運よく?早目にガタが来てまだ体力があるうちにリタイア、
その後自然思想や東洋思想とかにかぶれてヨガとか東洋医学とか整体方向に行ったのが
結果的に良かったらしい >>793
>>795
Wサモアンは若くて動けて外見も良くってホントにもったいなかったな
ちょっとアレな言い方をするとそれまでの日本に来たサモア系レスラーの
「南海の土人」「野蛮な原住民」キャラじゃなく普通に若手ホープってかんじで
むしろサモアのイメージが邪魔したかも >>794
ホーガンが欠場するからアティサノエとの南洋コンビにすためサモアンにしたのかも。
あとでスヌーカ、アフィあたりと南洋軍団を作らせたかった。 次のシリーズの元旦の後楽園に行ったけどメインが前のシリーズのメインと一緒だった… >>796
キャリアの後期はカンフースタイルやってたよね。 >>792
実はテレビの入った柳川大会で当初はやる予定だったとか
それにせっかくカルガリーで参加資格戦をやった高田の試合が無かったのも惜しい S・B・グラハムは短命横綱みたいなもんで
売れてた時期は間違いなく全米でもトップクラスだっただろうけど
その期間って1〜2年位だったんじゃないだろうか
早いうちに体を壊してあまり試合をしなくなって最初の引退表明をしたのが
1987年頃だった >>803
82年の新春シリーズ来日の際は、話題にもならなかった印象… >>804
その時点でステの影響でツルッパゲになってしまって
足腰もおかしくなってたらしいね >>792
キッドもブラックタイガー(マーク・ロコ)も初来日は国際プロなんだよな。 星野勘太郎&山本小鉄
IWA世界タッグチャンピオン奪取
マイティ井上&アニマル浜口から王座を奪取したヤマハブラザース >>803
売れてたというならAWA時代の頃からだし、74年に国際に来日した時点でもロビンソンを降してIWA王者になった勢いでのエース格だった。
75年末あたりからWWFに転戦しても王者のサンマルチノにも勝ち星挙げ、ヒール人気を獲得してた。
王者時代もまあ一年足らずだが、レイスとのWタイトル戦、ローデスやマスカラスらベビーとの試合もメディアに取り上げられ存在感を示したものだったよ。 Gスピとかにも書かれていたけど、むしろグラハム悪党王者時代が
順調に行き過ぎて、バックランドへの移行が遅れたらしいからな >>808
元々売れ出した初期は偽グラハム兄弟の一員ってことで売り出したんだよね 日本では木偶の坊だった、グラハムやビッグ・ジョン・スタッドはなぜかアメリカでは人気があった。
あと、猪木がMSGで試合した時、客席がシーンとしてたのを覚えてる
あのスタイルは受けなかった。でも藤波の試合はそこそこ沸いた。この不思議さ。 >>812
テエキサス・レッド戦は日本向けの試合過ぎて
向こうでは受けてなかったが
アイアン・シークやシュルツ戦なんて
大熱狂だったぞ 訃報が一般紙に載りそうな存命レスラー
◎ブッチャー、ホーガン、ハンセン、マスカラス、テリー、暗闇の虎(黒ブタ風情)
○シン、ウィリー・ウィリアムス (精神分裂役者、マスの弟子設定)
△レイス、ピア・ゲネット (佐賀の実在証明に貢献、フグ戦でのとんだ一杯)
×ローデス、ボック、ニック (リング外ではその辺のオッサン)
■パット・タナカ&ポール・ダイヤモンド、ジャイブトーンズ (両軍リングアウト0点)
Ωチェ・ムベ、アレン・ジョーンズ、タイソン・スミス (週プロの編集後記のみ) >>812
グラハムなんかは喋りとキャラクターで売れたタイプだからね
当時の日本ではそれは伝わらんわな スーパースタービリーグラハムのマッチョボディに派手な搾り染めのタイツ姿は後のプロレス界にフォロワーを産み出した
・ジェシーベンチュラ
・ハルクホーガン
・ランディサベージ
・スコットスタイナー
・ホークウォーリアー
・リックルード
その他、数多き世界中のレスラー達に影響を与えたビリーグラハムはサイケデリックロック的なファッションをプロレスに持ち込みアイコンになったマッチョレスラーの象徴であり彼がいなければハルクホーガンも存在しなかった 猪木は坂口憲二には足4の字固めを、藤波はバックランドにはキーロックを。なぜか執拗にいやらしく仕掛け続けるんだよな >>815
キッドの訃報は昨日の読売新聞でも報じられてたな。 >>812
ジェリー・ローラーはテネシーの猪木と言われていたが
なんでアレが向こうで大人気なのかさっぱり分からなかった
グラハムはルックスはかっこ良かったが
ローラーはルックスはただのオッサンだし技はショボかったし >>823
ローカルヒーローなんてみんなそんなもんだよ。 スレチですが猪木の日プロ時代のUNの防衛戦とか観れないかなあ〜。観たい。
プラッシーやエリックと防衛戦をしてるんだよな。この二人は馬場のライバルでしょ。
エリックにはさすがに両リンで勝たせてもらえなかったけど。
今までスカパーで再放送されたことありますか? >>804
スキンヘッドでパンタロンで
>>825
ワープロクラシックでブリスコ戦とマードック戦見たな >>819
バックランドをプロレスの世界に誘ったり、若手時代のフレアーもマイクアピールの部分ではかなり影響を受けてるから、グラハムがいなかったったら今のプロレスはかなり違ったものになってただろうね。 >>823
ローラーは昔からTVインタビューで自分のキャラを売るのが上手かったんだって テレ東の世界のプロレスで試合前のインタビュー込みで見て
アメプロってこんな感じなんだなって理解した人も結構居たよね? それ以前にファンは新日全日の海外遠征の中継見てたってのボケ 日本のプロレスマスコミの報じるアメプロって、異世界の
架空の存在だったからなあ
ローデスがレイスからNWAタイトルを奪ってまた取られた
一連の経過をゴングが表紙&巻頭特集でデカデカ扱って
いながら、その試合経過がまるっきり編集部の「作文」で
決まり手も展開も、何一つ事実ではなく、半月後の号で
しれっと「〇〇は誤報」と済ませていたのは笑うしかなかった
現地の映像で見るまで、アメプロの楽しさや見る側の
「ルール」みたいなものがさっぱり体感できなかった
世界のプロレスあたりでちょっと口が開いて、WWFが
ほぼリアルタイムで見られるようになった20世紀の
終わりころにやっと日プロマスコミの洗脳が解けた
感じだったね
なにせサンマルチノとズビスコの遺恨対決が売りだった
シェイ・スタジアムの興行を、猪木vsラリー・シャープ、
バックランド・モラレスvsサモアンズの試合が
「ダブル・メインエベント」だと報じちゃうんだから凄い
「プロレス」誌だかが当日のパンフレット写真を掲載して
猪木藤波の試合は前座でしかなかったことや、日本で
「NWFヘビー級タイトル戦」と報じられていた猪木の
試合が現地では「WWFマーシャルアーツ選手権」として
アナウンスされていたことをバラしていたのはささやかな
抵抗だったのかな なこといい出したらラリアットでサンマルチノの首折ったとかどうなるんだっての ムーンドックスを新日本で観たかったな。藤波谷津組とのニューヨークでの試合はワープロで観たけど サンマルチノが欠場に追い込んでしまったMSG定期戦は
人気者イワン・ポトスキーがハンセンとメインを戦っていて、
ハンセン人気が出た後の日本のマスコミによると
「ハンセンが簡単に叩きのめしてリングアウトで一蹴」
という話だったんだけど、動画を見てみるとポトスキーが
怪力で攻め続ける展開で、ヘッドロックで締め上げられた
ハンセンが苦し紛れにアトミックドロップの形で持ち上げて
股間をトップ―プにたたきつけての反則負け
ポトスキーが大歓声の中で勝ち名乗りを受けている
https://www.youtube.com/watch?v=i4rXs27I3u0
でもまあスパスタ列伝と同じで、後になって見返してみて
「伝説」との落差を楽しめるという、一粒で二度おいしい
愉しみなのかもしれない >>814
アイアンシーク戦は79年末の定期戦だったが、ちょうどイランでのアメリカ大使館人質事件の直後で
まああくまでプロレスのヒール人気だったがシークが凄い憎悪の的で、猪木も空気読んでか、シークの
被ったベールをびりびりに引き裂いてやんやの歓声を浴びてたな。。w
>>819
60年代のヒッピーファッションだな。タイダイ(絞り染め)Tシャツにバンダナ、サングラス。。
ああいうのはもうアメリカの歴史に由来するファッション、日本人がたまに花火とかで浴衣を着たり、
時代劇見て楽しむようなもの(違うかなーw)。 バックランドがインタビューで語っていたけれど、
ミズーリ州王者として次期NWA王者候補だったバックランドを
ビンス・シニアが「サンマルチノ後のWWWF王者にしたい」と
NWAからの委譲を(マソニックに)依頼したのが1976年の秋。
サンマルチノはハンセンに首をやられて最悪の時期で、王者の
スケジュールをこなすのが難しいと判断したビンスが慌てて
後釜を探さざるを得なかったらしい。
もっとも、バックランドは「もうビンスは高齢で、プロモーター
としては最後の王者をエスニックではないオールアメリカンで
見たいと強く思っていたのかもしれない」と言ってる。
NWAで会議が開かれ、マソニックとエディ・グラハムが移譲を
しぶったものの、他のメンバーはNWA王者はヒールがいいと
バックランド放出を承認、1977年4月から東海岸エリアでの
バックランドのトライアウト期間が始まった。
(もしこのお試し期間に「不合格」と判定されたら、ビンスは
誰を時期WWWF王者にする気だったかと問われたバックランドは
「エディ・グラハムのフロリダにいたスティーブ・カーンだ。
私でもカーンでもダメだったら、もうNWAエリアには候補は
いなかった」と答えている) ビリー・グラハムが「つなぎ王者」としてサンマルチノに
代わったのが、バックランドがWWWFエリアに来たのとピッタリ
同じ時期(4月30日)だったが、11年ぶりに王座から陥落した
サンマルチノはその後も因縁の対決を続け、主要都市では
延々とグラハムvsサンマルチノの王座戦が続けられた。
フミ斎藤によれば「王座交代劇が見られるかもしれない」
という客で各地は大盛況、一方MSGではサンマルチノではなく、
マスカラス、ローデスといったベビーフェースが「グラハムを
退治してくれる救世主」として迎えられてこちらも大人気。
バックランドは次期王者として迎えられながら王座を獲得する
1978年2月まで10か月も「待機」させられ顔見せを続けさせられ
たのを、「平均的な期間だと思うけれど、むしろグラハムの
観客動員力がよかった証拠じゃないかな」と言い、「シニアが
グラハムをただのつなぎ役だとしか思っていなかったら、10か月も
王者でいさせていなかったと思う」と言ってる。
とはいえこの頃のグラハムはマイアミでレイスとNWA&WWWFの
ダブルタイトルマッチを行うなど、後のWWFの全米侵攻の
手始めのような拡大戦略の先兵として大役を任され続けてる。
それらのスケジュールはサンマルチノ時代から時間をかけて
作られていたものだったようで、いきなり若い新王者である
バックランドに肩代わりさせるわけには行かなかったのも
王座交代が年を越すまで寝かされていた一因だったのではと
言われてもいるけど。 ホーガンが新日本参戦時代に書いた(とされるが翻訳がゴジン・カーンな時点でお察しな)本によると
グラハムは自分の人気に天狗になりすぎてビンスシニアに「ギャラを倍にしてくれ」と直談判したら
シニアに「お前なんぞいらん、出て行け!」と一喝されてNYを追放されたんだそうな
よくもそこまであからさまな嘘を書けたもんだ >>835
これももし梶センセイ調でスーパースター列伝風にしたら
ハンセン「むう、力だけの空っぽ野郎め 客にいい格好ばかりしやがって」
プトスキー「若僧め、ここNYで人気者の俺様に逆らうとどうなるか思い知らせてやる(ニヤニヤ」
ハンセン「くっ、正面からやり合う度胸も無しに善玉なのをいいことに隠れて汚ねえ手を…」
プトスキー「どうした若僧、こんなもんでおしまいか(ニヤニヤ」
「サンマルチノを倒したといってもこのプトスキー様の怪力にかかればこんなもんよ!」
ハンセン「うぐっ、レ、レフェリー、反則だ… ハッ!!」
〜プトスキーの隠れての汚い攻撃にも知らぬ顔でハンセンと目を合わさないレフェリー
〜モブ役の観客のアップで「やっちまえイワン!テキサス野郎を叩きのめしてやれ!」
プトスキー「ここにお前の味方は一人もいないんだよ!さあどうする?参ったした方が身のためだぜ」
ハンセン「くそぅ、こんなやつに、こんな汚ねえ手で負けるわけにはいかねえ…」
「うおおおおーーっ!」
〜プトスキーを気合一番、高々と頭上に差し上げそのまま場外にぶん投げるハンセン
プトスキー「うぎゃああーーっ…」
〜オーバーザロープで場外に放り捨てられリング下で白目をむいてノビるプトスキー
〜場内シーンと静まり返る中、ハッと気付いたレフェリー
レフェリー「は、反則、オマエの反則負けだぞ、スタン」
ハンセン「ふん!上等だ あんなカッコつけ野郎に勝ってもしょうがねぇ …!?」
観客「すげえぞ、アイツ」「サンマルチノをKOしたのはフロックじゃなかったんだ…」
〜ざわめく客席から一人の少年ファンがガタッ!と立ち上がり
少年「ハンセン!ハンセン!ハンセン!ハンセン!」
ハンセン「ふっ、あの少年だけでもわかってくれればイイ 本当に強い男が誰かってことをな」
(完) >>813
その直前に草津・浜口は極道コンビに勝ってたんだよな >>844
素晴らしいw
欲を言えば急所を打ち付けられたポトスキーの悲鳴は
「ホゲエ〜ッ!」
でお願いしたいところ ホーガンvsアトラス、ブロディvsトーマス・セーラー・ホワイトと何か被るなw >>845
くだらん長文と面白い長文の区別くらい付くようにしような
茶々入れるだけのお前よりよっぽどウェルカムだわ そんなスベってるけどね。
まぁウケると思って一生懸命書き込んでたのかな〜とか想像すると、結構ウケる。 >>853
そんな返してしか出来ないんだもんな
友達いなそうだね。素人童貞センパイ! 異種格闘技戦はプロレスの試合だとはいえ、常にブック破りの危険があるから猪木陣営もハラハラしてたんだろうなぁ。同業者じゃないから永久追放とかカンケーねぇ!と思ってくる奴がいるかもしれないし 柔道経験者としては、ルスカは敵の胴着をつかまないとどうしようもないわけで、
今にして思うとハンディのでかすぎる試合ではあったな。 当時桜井さんは「柔道関係者に聞きましたが、ルスカが猪木にかけていた
逆十字は完全に『極まった』状態だったそうですよ」とのたまっておられたが
素人目に見ても全く極まってないし
うっかり猪木が動いてハマってしまわないように、ルスカの方がプロレスの
アームロック風に持ち替えたりと気を遣ってるありさま
まあでもルスカは重病の奥さんの手術代のためにこの試合を受けたわけだけど
キチンと契約した金額を払い、奥さんの入院などにも気を配ってくれた新日本に
ルスカは大変感謝していたらしい
なにせプロレスだから、利用するだけしてギャラを踏み倒されるかもしれないと
内心不安も持っていたんだろうなあ まあ新間だとどこで渋ってくるかわからんしなw
逆に外人レスラーなんかも、出稼ぎ根性だけで大した仕事もせずギャラだけ持って帰るのもいたというし。
でもルスカ戦は異種一戦目にしてまさにプロレス的名勝負になったし、その後の格闘技戦への土台を築けただけでも
評価できるね。 S小林もいちおうは柔道出来たんだっけ?
なんとなく坂口だけでなく小林も柔道着マッチやったような気がする。
なお第一回タッグリーグの坂口・小林vsルスカ・アレンは桜井さん曰く「柔道大殺法の応酬」。 大量離脱後はもっと荒川のテレビマッチ増やしてほしかったな。
越中に相当敵愾心燃やしていたからその闘志を見たかったよ。 ドン荒川VSザ・コブラ
ライバルの離脱で手薄になったJr.ヘビー級戦線でドン荒川と行われたタイトルマッチ 越中対荒川のタイトルマッチは荒川の地元鹿児島で開催されたな。 ドン荒川さんは新日本プロレスの裏番長的な影の実力派レスラーで藤原嘉明とはお互いにトンパチ同士気があった
この人はタニマチが多くジョージ高野や藤原嘉明達のSWSへの橋渡し役として暗躍していたな >>858-859
ソースが週プロやゴン格で流智美や渋沢恵介が書いたコラムだからちょっと信憑性の方が怪しくはあるんだけど
ルスカとヘーシンクは日本に来る数年前にエキシビション扱いながらキャッチの試合を何度か経験済みだったみたいだから
それ程ハンデがあった訳でもないんだよね
ただ今猪木vsルスカの初対決を観直すと
ヤオガチ以前に開始7分辺りでヘバッて動きが落ちているのが見て取れるくらいルスカのスタミナ切れが早いんだよ
やはり大観衆の中で試合をするというのはアマチュアの世界とは使う体力が違ってくるのかもしれない
>>863-865
荒川はパワーこそあったけど攻め手が少ないのと長時間闘い続けるスタミナには欠けていたからなあ
荒川もいつもやってるひょうきんプロレスと上の試合で求められるスタイルの両方をこなせる程の力量は無かったよ 人材難で苦しんでいた新日だったけど、荒川がいきなりコブラの相手に抜擢された時、
本気出したらそれだけ強い男だという説得力は確かにあったな。
無理矢理自分で自分にそう思い込ませていたと言われればそれまでだがw >>867
オリンピックの会場が大会場じゃないのか? 荒川って道場なんかで前田と揉めたこと無いんかな。
永源みたいに「お、オメーそんな態度取ってると二瓶組に〜」とか
脅してたのかな。 柔道ジャケットマッチって柔道着を着たプロレスだよな?負け役やらされる方はは屈辱だろうね。 >>746
> 昭和の新日本プロレスは熱かった
> アントニオ猪木のカリスマ性に佐山聡の初代タイガーマスクの衝撃的なデビュー >>869
> オリンピックの会場が大会場じゃないのか?
昔のオリンピックの柔道なんて64年の東京五輪が例外で他はそんな大きな会場では開催されてないよ
それに柔道に限らずオリンピックの室内競技って大抵観客席が試合場から離れているじゃないの
リングサイドに詰めかけた客からの視線や熱気とそれに伴う圧迫感なんてアマチュア時代に経験した試しは無いだろうし 85年の熱戦譜見てたら荒川対シュルツがやってた…人材不足だったんだなぁ… 坂口対アレンの柔道ジャケットマッチはどんな内容だったんだろう 荒川の隠れた功績と言えば武藤のコーチだった事だ
入ってすぐに「あいつは10年に一人の才能だ」と評してたそうだ 10年って一世代の繁盛期だし、しかも棚橋の1/10か。。 武藤こそ百年に一人の才能だと思うがな、まぁ棚橋のはギャグだし
自分で言ってる時点で笑いを取ってるでしょ 武藤は間違いなく30年に1度の逸材だよ
ハゲなければなぁ... 新日vsUWFのイルミネーション?マッチで
武藤いなかった? イルミネーションマッチw派手な電飾の中で戦うのかなww >>882
両国二連戦初日の世代闘争のイリミネーションマッチには出ている 札幌でイルミネーションやってる時期に札幌中島体育センターでイリミネーションがあって、それを古館がうまいこと言ってたんだよな
何て言ったかは覚えてないんだけど 札幌でやったイリミネーションマッチはノーTVだった様な?
前田が間違えて自分から場外に降りた試合。
その頃古舘はもう居なかったと思う。 85年、ケロが武藤の紹介した時、
「デビュー戦でいきなり勝利」
と書いていたんだが、
武藤の相手はやはりデビュー戦の蝶野。
どっちが勝ってもデビュー戦で勝利だろとつっこみたくなった。 >>888
北海道のみのオンエアで、実況は保坂さんだと思われる。 札幌中島じゃなく月寒グリーンドームじゃなかったかな? グリーンドームって90年代に入ってからじゃない?
その頃、イリミネーションやってたかな 新日本プロレス「闘魂シリーズ」第2戦
1987年10月6日(日)月寒グリーンドーム大会 試合結果観衆6890人=満員
ナウリーダーズVSニューリーダーズ「5対5イリミネーションマッチ」10人タッグ勝ち残り方式
@坂口 (リングアウト) 前田
Aマシン (魔神風車) 高田
B藤波 (リングアウト) 坂口
C藤波 (首固め) 武藤
D木村 (稲妻) G高野
E長州 (ラリアート) 藤原 >>884-885
俺、イリミネーションとは言っていたが、イルミネーションとは
綴りが一瞬の同じ言葉だと今の今まで思ってたよ・・・
一人一人脱落していく様が、イルミネーションの灯りが1つ1つ消えていくのになぞらえてるのかと思ってた・・・ 古舘が実況したイリミネーションマッチは新日VSUWFの2回だけ。 87年に既にやってたのか
まだ共進会場の時代だと思ってた 俺も子供の頃はイルミネーションだと思ってたよ
受験で単語帳で暗記してる時に「eliminate」ってのが出てきて気付いた ルスカのスタミナ切れは大観衆の前云々よりも
本来一流の重量級アスリートが一旦現役を引いてから
まともにトレーニングも継続してないまま一般人の生活で時間が経っていたことと
(酒場の用心棒が一般人かどうかはともかくw現役アスリートとしてのハードトレーニングはもうやってないでしょ)
そもそも柔道なら何度も一本取ってるように何度投げても抑え込んでも勝負つかないまま
合間には自分の側も攻撃受けてなんて馴れないコトを延々とやってたからじゃないかね まだ週刊化して間もない頃の週プロにデビッド・フォン・エリックのインタビューが掲載されててその中で
「リック・フレアーへの挑戦権を賭けたイルミネーションマッチに勝った時に初めて親父が俺をほめてくれた」
と言ってるんだが、その時は参加した他の選手がイルミネーションみたいに豪華な試合だったのかなと思ってた
まさかただの誤植というか誤訳だったとは 新日本より先に全日本がイリミネーションマッチやってたけどイリミネーションマッチじゃなくて違う名前だったな バオー来訪者を読んでいればこんな事にはならなかったのに・・・ ケリー・フォン・エリックが新日に上がってた頃はもう真剣には観てなかったんだが義足だったとは全然気が付かなかった
のちにwikiを見て知った。みんな、気が付いてた? 猪木VS国際軍団のハンディキャップマッチも
ルール的にはイリミネーションマッチだったな。 8人タッグ・エリミネーション・マッチ時間無制限
(ルール=通常のタッグマッチ形式で戦い、フォールされた選手は失格退場となり、最終的に選手の残ったチームの勝利。)
ジャイアント馬場 タイガー・ジェット・シン
ジャンボ鶴田 (1-0)上田馬之助
天龍源一郎 バズ・タイラー
プリンス・トンガ 鶴見五郎
@鶴田(9分21秒体固め)タイラー
バックドロップでフォール。タイラー退場。
Aシン(2分37秒(11分58秒)体固め)トンガ
コブラクローでフォール。トンガ退場。
B天龍(34秒(12分32秒)片エビ固め)鶴見
延髄蹴りからDDTでフォール。鶴見退場。
C上田(9秒(12分41秒)片エビ固め)天龍
天龍が鶴見をフォールし立ち上がったところへ、上田が凶器突きを決めてフォール。天龍退場。
D馬場(31秒(13分12秒)片エビ固め)上田
上田が馬場を押さえたところへシンが凶器突き。これを馬場がかわし上田を直撃した後、16文キックを決めフォール。上田退場。
E鶴田(2分17秒(15分29秒)両者リングアウト)シン
シンが鶴田を場外に落とし、イス攻撃からコブラクローを続け場外ドロー。この結果、馬場が残り馬場組の勝利。 >>904
全く気づかなかったね。リアルハンデキャップマッチをやってたんだね 同じ日の新日本の蔵前暴動に食われてしまった感じだったが >>904
IWGPから帰国してバイク事故で複雑骨折、義足は結構有名な話だと思う >>910
バイク事故はともかく、義足っていうのはリアルタイムでは伝わってないでしょう。 86年IWGPのアンドレは
猪木にギブアップ負け、藤原に両リン、木村にフェンスアウト負けとあまり成績よくなかった印象…
あと藤波対上田が見たかったが流れて残念だった… あるブログに書かれてたが
デビットが日本で死んでから4ヶ月後にケリーが事故で足首を切断…
これはもう呪われてるとしか言いようがない >>910
事故で再起不能か?とか子供時代に亡くなった長男(だっけ?)やデビットの件と併せて
このあたりから呪われたエリック一家みたいなのがいよいよ本格的に言われてきたけど
ケリーが義足だったのは自殺後に公表されたような記憶があるな 越中が話してるの聞いてると本当にフツーの人だな
全くクセが無い >>916
でも選手や関係者は当然知ってたんだろうな。
義足だから試合はリング内をグルグル回ったりとか、合い間にちょっと技を掛けたりとか…
単純なことしかできなかったらしい。でも観てる側は義足なんて気が付かなかった。 ケリーはタイガークローとディスカスパンチでなんとか試合を成立させられるからどうにかなってたようなところはあるんだろうな
(無論相手の協力あってのことだけど) ケリーって義足になってもたまにドロップキックやってなかった? ザックなんて試合中に悪冠一色に義足取り上げられてガチで泣いてたけど
プライベートでは悲観的にならず一生懸命生きてきたから自然と足も生えてきた。
今ではヨーロピアンクラッチもザックドライバーも難なく出来る。 >>864
テレビでは二度ともやらなかったんだよな
共にNWAとWWFのジュニアの最後のタイトルマッチだったのに みのる「外人全員とスパーして藤原さんから教わったヒールホールドで全員から取った。
四つん這いになったケリー・フォン・エリックの義足に膝を落として爪先を捻りあげたら、
義足が外れて足首が変な形になっちゃった。そしたらケビンにボコボコにされた。
藤原さんが『ソーリー、ソーリー』と言ってケビンを抑えてくれた」 アドリアンアドニスは藤波にスリーパーやりながら耳舐めたりグランドで不思議な体勢で股間嗅いでるようなプレイをやってたがゲイだったんだろうか? アドニスはほんの一時期、シンディ・ローパーと噂になった。 >>926
週プロに家族写真掲載されたことあったな。
美人の奥さんと可愛い娘と。 古館が実況でさんざんギリシャ神話の美少年アドニスを持ち出したりw、
なんつうか屈強なレスラー像よりかトランスジェンダーとまではいかないが
中性的な雰囲気も持ち合わせてたな。 アドニスがエース格として来日したシリーズは初来日とオートンとのコンビの時の2回だけだったのは残念… 83年サマーからは完全にマードックの舎弟みたいになってたもんなぁ。
しかしエースのアドニスが藤波や長州以下って悲しい。
いくら抗争が人気出たからって二人の格を上げすぎだわ。 ジュニアのヒロ斎藤とシングルで引き分けたって時点で
新日がアドニスをエース外人とは見なしていない事がハッキリした オーンドーフ、ブラボー、マイク・ジョージにマイク・シャープ、ドン・ムラコなど
きちんと扱って、藤波の好敵手として防衛戦を重ねれば、WWFインター戦線の
純然たる履歴として箔が付いたのに、皆、猪木にチョロ負けの引き立て役させられ
芽を摘まれちゃったな。
その中でアドニスは例外的に残れた印象。 エイドリアンストリートなるオカマキャラをWWF時代に演じていたアドニス エイドリアンストリートなるオカマキャラをWWF時代に演じていたアドニス 初来日のアドニスはブラッシーがマネージャーだった。
ブラッシーはハンセン ホーガン アドニスとマネージャーに。
アドニスには期待したんだがね。
マードックと組んで完全に二番手に。
オートンと組んで同格エース外人コンビにすれば良かったのに。
問題起こすオートンはゆくゆくは来日できなくなっただろうが。
そうなってからマードックと組めばまた違ったはず。
早い段階からマードックと組ませたのは間違いだったかも。 オートンはアドニスと一緒に来日した時に既に問題起こして強制送還されたから
仕方無くマードックと組ませたのでは? オートンとのコンビは勿体無かった
驚いたもんな、最初 84年のIWGPでのアドニスは開幕戦以外は毎週テレビに出てたね
試合内容が信頼されてたのかなぁ〜 アドニスはWWF以前はAWAで活躍していて、ジェーシーベンチュラとのコンビで世界タッグ王者だった。
このまま二人が81年末からWWF入りし、ルートが敷かれた親日にも来日と相成った。
ただ、ベンチュラが先行して来日したが予想通りのしょっぱさを露呈、パートナーのアドニスも
典型的なアメリカのショーマン派か?と危惧されたが、どっこい、まるで正反対のラフ、パワー、テクと
三拍子そろったオールラウンダーとして評価を得たな。 ふと思い出したが、1983年のサマーファイトシリーズでは、アドニスの方が
マードックより格上で扱われてたんだよな。
開幕戦でもコンビ組んだが入場はアドニスのテーマが流れてたもんだ。 82サマー・ファイト2 入場テーマ曲 マードック コール アドニス後
83サマー・ファイト 入場テーマ曲 アドニス コール マードック後
83MSGタッグから 入場テーマ曲 マードック コール マードック後 馬場、シンそしてアドニスといえば
アトキンスの三大教え子。 AWAの雰囲気が好きだったから、新日本はWWFじゃなくてAWAとガッチリ提携してほしかった。 >>930
初来日のときもマードックと一緒だった。
このときはあまりタッグを組んでなかったが。 アドニスは素人相手のマークス(腕自慢の相手)もやってたとか
アトキンスにみっちりマットレスリングを教わったとか
アトキンスの娘を口説こうとしてシメられたとか逸話があるな >>946
82年サマーファイト第2弾だな。アドニス初来日。
ちょうど猪木が糖尿病でまるまるこのシリーズ欠場だったような。
参加外人はアドニス、マードック、グレッグバレンタイン、キッド、ブレットハートら。
このときはまだバイオレンスタッグは組んでなかった。
そして坂口以下の日本勢、特に人気絶頂の佐山タイガーの奮闘で猪木の穴を埋めたんだっけな。 全日はブッチャーはもちろんエリックやブリスコ、ファンクス、レイス、ロビンソンなど
元々馬場のライバルだった格の相手がエースガイジンだったんで
鶴田は彼らに対して負けたり引きわけたりたまに勝った時も当初は“金星”扱いで
鶴田自身の成長とともに彼らがブロディやハンセンに代替わりされるのに合わせて
だんだん旧世代の彼らに勝てるようになっていけば良かったけど
新日はシン、ハンセンがほぼ近い時期に抜けてホーガン、アンドレがアンタッチャブルだと
マードック、アドニス、スーパースター、バレンタインetc・・・
藤波や長州を格上げしなきゃいけないと彼らに勝つ必要があるけど
藤波や長州に普通に負ける彼らが
果たしてエース猪木に正面から対峙するに足る存在にもなれるかというと…
一方で彼らを猪木の正ライバル格にすると藤波長州はもうしばらくは
彼らに負け続けないといけないというジレンマ
やっぱりまだまだ下手糞なの承知でも
さっさと前田を次代のエースに公に指名してた方が良かった気がする マードックやスーパー(マシン含め)は後年でも猪木と対峙できるポジションだったろ。
あと80年代親日も最初は外人もWWFやNWA反主流との提携強化で豪華になったが
しばらくして佐山や長州革命、国際軍団と日本人偏重になって、結局準エース格?の外人は
それほど存在を重視されなくなってたから、まあ前田の次代候補云々の話はまた別だなw グレッグバレンタインって猪木とシングルでメイン対決した事あったっけ
東京プロレスで親父と対戦したよしみとか考慮しないのか あったんじゃ?
グレッグは新日初期ならそこそこ上位だろ。
俺が見に行った時はアニマル浜口にフォール負けしてたが。 >>951
> マードックやスーパー(マシン含め)は後年でも猪木と対峙できるポジションだったろ。
二人とも猪木に勝てないどころか引き分けさえなかったから、それはどうかな。 >>954
そう考えると、85タッグリーグで発表通り猪木藤波になってたら、
いくら仙台でも決勝は暴動になっていたかもだな。
猪木組対ブロディ組を見に来たら、
繰り上げで猪木藤波対マードックスーパースターかよ……みたいな 新たな外人を売り出せば良かった。
バンディ ヒギンズ バーバリアン ジャック
でも猪木にその気がなく。
またこの頃の猪木にはもはや彼等を引き出す力もなかった。 >>956
必殺技の延髄蹴りも
相手が前か屈みしないとダメだったな >>25
ボケるならしっかりしてくれよ
柴俊夫
永源はサウナで死んだの?
怖い話やけど
永源、泉田、仲田の中で
殺人事件が1つはあると思う。
こわいけど。 坊主頭のダイナマイトキッドと星野勘太郎の姫路での喧嘩マッチがYouTubeで観られるよ >>956
その中でモノになりそうなのはバーバリアンぐらいだったしなあ
ヒギンズは性格に難ありバンディとジャックは試合がショパ過ぎたし
まあ客の方もビガロベイダー級でないと満足しないくらいエース外人に求めるレベルが高く厳しくはなっていたけどね 83年から三年間も毎回毎回維新軍マシン軍でひっぱって、
新たな人材発掘する能力はすでに残っていなかった感じがする。
外人勢がしょっぱいといっても長州なんてもっと塩な試合しかできなかったし、
もはやサイドストーリーがなかったら試合が成り立たなくなってた感はあったな。 田中ケロより串焼き倍賞さんのコールの方が好きだったな >>955
猪木藤波組だったら3強となり盛り上がりに欠けたかも。 猪木に対するとマードックやスーパースターは当時のフャンからすれば格落ちだよね。
本人に上がる気があればマードックは違うがスーパースターは良いレスラーだがあれが定位置。
後のジャックは糞。バンディはそのレベルよりは少しましだがそれだけ。
ヒギンズは衰えてない猪木相手でもスターになんかなんないよ。
バーバリアンはジョン・ノードよりは悪くはないけどw そう言えば猪木とエリック兄弟が絡んだ試合ってあったかなぁ… >>969
ケビンとは武藤制裁の後楽園ホールでタッグ組んでるな >>968
81年サマーファイト最終戦の蔵前は猪木とスーパースターのシングル。
それまで蔵前はシンやハンセンとのシングルが定番だった。
それがスーパースターだと確かに様々な面で落ちた。
それで覆面剥ぎ&3万ドルマッチと。
あそこでブッチャーとのシングルならまた違ったんだが。
でも出し惜しみでブッチャーではなくスーパースターに。
その後はその出し惜しみのブッチャーは状況が変わり干される羽目に。
あそこで猪木とブッチャーのシングル組めばブッチャーの評価も違ったはず。 ハンセンより前に78年だったか春の蔵前で猪木とスーパースターのNWF戦をやってたはず。何だかんだでタッグで猪木からフォールをとったり、シングルでフォール負けせず反則ながら勝ちを貰ったりスーパースターは重用されてたと思う。 >>965
結果論も何も維新のマンネリは当時から言われていたんだが >>969
1985年のIWGPチャンピオンシリーズ
猪木・藤波・コブラ×マードック・ケリー・ドスカラス >>969
タッグではあるが、シングル対決はない。 >>978
乙
冨家リングドクターの娘がAV女優なんだっけ >>977
ケビンとも対戦しているよ。
1986年1月28日
露橋スポーツセンター
猪木、○藤波、健吾(反則)ケビン・フォン・エリック、マッドマックス1,2号 >>980
このシリーズの後半戦はケビンが外人のエース格だったねぇ >>747
86年だね。その試合でドスカラスが負傷→帰国になった >>974
結構、豪華なカードだな
猪木とケリーより猪木とドスの絡みに惹かれる >>972
78年のは卍で負けた試合だね。翌年からはハンセンがエース級になったからなぁ 1978年のワールドプロレスリング放送
https://kissatalk.web.fc2.com/cs_tv_asahi_1978.html
1978.03.03放送
'78.ビッグファイトシリーズ(第1週)
1978.03.03 高崎市体育館(生中継)
藤波辰巳 vs マスクド・カナディアン
長州力&木戸修 vs イワン・コロフ&エル・カネック
アントニオ猪木 vs マスクド・スーパースター ■1986.02.21放送
ニューイヤーダッシュ'86
1986.02.06 両国国技館
IWGPジュニアヘビー級王座決定戦
ザ・コブラ vs 越中詩郎
1986.02.02 宮城県本吉総合体育館
木村健吾&星野勘太郎 vs 木戸修&藤原喜明
アントニオ猪木&藤波辰巳&ザ・コブラ
vs ケビン・フォン・エリック&ジョニー・マンテル&ブラック・タイガー >>971
あの日は最初猪木VSローランボックの予定じゃ無かったっけ?
ボックが初来日したのに蔵前では前座のタッグ戦に出てた気がする。
体調良く無かったのかな? ボックの存在がIWGPに幻想をもたせてた気がするなぁ >>987-988
膝の具合が悪くてまだ夜遅くまで営業するドラッグストアが殆ど無い時代だったから
ファイトの記者が既に店を閉めていた薬局のシャッターを叩いて無理に頼み込んで治療薬を売ってもらったというあのシリーズね
そう云えばこの前テレ朝チャンネル2で82年元旦の猪木vsボックを放送していたけど
自分なりにヒールになりきろうと一生懸命頑張っていたボックに泣けた
尤も相変わらずマスカラス並に相手の技を受けようとしてなかったのもボックのボックたる所以ではあるんだけど レスリングの実績があって身体デカくてパワーあってあの風貌w
強いよなボックは >>986
ケビンはこのシリーズの静岡で藤波とシングルあったね 木村健悟が言うには
「新日でガチンコ最強はオレ
対戦したレスラーの中で最強はボック
二番目に強かったのはバックランド」なんだそうだ 健悟だけは本当のところがわからん
若手時代の壊し屋伝説やあのメヒコで最恐ルードのパク・チュウとして
外国人にも拘らず現地最高峰のNWA世界ライトヘビー級王座まで獲ったり
一方で藤原やカーンなんかは昔から一貫して舐めきった発言して
そちらもまたいかにもケンゴらしいなぁってかんじでもあるし >>993
その試合ケビンが攻めまくって藤波が防戦一方になっていたけど
週プロや週ゴンには藤波の腰だか股関節だかを痛めて欠場しないといけない状態だったのを無理して試合に出たみたいな事が書かれていたな
>>995-997
その壊し屋っぷりの悪評のせいで今度対戦相手を怪我させたらクビだって言われるくらい社内の立場が悪くなっていた
そんな裏の事情を知っている筈なのに傘にかかってマウンティングを仕掛けるアキラはマジ外道 このスレッドは1000を超えました。
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