全日時代の三沢川田小橋田上を語るスレ Part13
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>>749>>750
98年の千葉公園のやつなら俺は現地で観たけどカウントミスって記憶に無いな。 >>745
94年の武道館のセミは酷かった。
あと95年6月のセミはハンセンvsキマラ。当時はとりあえず出されたものを観るしかなかったw 94年のチャンカーって三沢が怪我しなかったら三沢が優勝した気がする。
誰か当時の予想でも聞いた話でもいいから何か意見を聞かせてくれ。 >>754
94年の三沢の怪我はアングル
ファーナスのフランケンで首を怪我した事になってるが、ハンセンに怒られたファーナスが三沢に謝罪に行ったらアングルって事を伝えられた
つまり94年は川田CC優勝と決まっていた
欠場の挨拶をリング上でした三沢は首にコルセットはめて足を引きずっていたが、シリーズ途中には川田と普通に特別試合をやるという謎展開 >>755
3・24平塚から欠場。復帰は4・3の出雲だったかな?
10日間くらい欠場したんだけど、92年の肩からマットに落ちて負傷した時は1試合しか休まなかった三沢がアングルで10日間も欠場って謎だな。
三沢に配慮したアングルなら、欠場ではなく負ける相手はハンセンかウイリアムス。
川田、田上、小橋には勝ちか引き分けで良かったんじゃないかな。 >>750
98年だからメインを裁いたのは京平さんじゃなかったの? >>753
95年6月のセミは
世界ジュニアタイトルマッチで
DクロファットvsRVDだよ >>750
カウントミスで思い出したけど武道館のカンナムVS小橋菊地でもあったよな 三沢vs川田の叫び声からのランニングエルボーで
3カウントも酷かった
京平が2.9とかアピールして半失神の川田が無理矢理
引きずり起こされスープレックスで3カウントw
あれは会場も???の間が出来てしまいレフリング最低 CCのベイダー対オブライトも。
福田レフェリーはたまにあるね。 ベイダーオブライトは衰えてはいたけど結構なビッグカード
オブライトのシングルが地上波で放送されたこと自体がかなり久々だったんじゃないかな >>761
あれは京平さんが間違えたのかな?次のジャーマンで決まったけど当時の三沢のフィニッシャーがジャーマンて不自然だし。
次の防衛戦の田上にもジャーマンで決めたのは川田戦の辻褄合わせという気がした。 >>760
確か分裂前最後の武道館でのアジアタッグだったか
あれだけ長かったのに挑戦も含めて秋山・大森のアジアタッグを武道館でやらなかったのが不思議 >>753
94年は何といってもチャンカー決勝でのハンセン・馬場・大森と三沢・小橋・秋山
当然に3月の再戦的なカードだがとにかく秋山と大森のフレッシュ感が半端じゃなかった あんだけ2.9やってればある程度のミスはしょうがない
と擁護したくなる気持ちも多少はある >>756
普通にリーグ乗り切って普通に川田に優勝の先越される
というのをぼやかしたかったのでは 平成で初の武道館でのチャンカー決勝でもあったんだよな
同じ日の両国ではスーパ−Jカップの第一回もやってるなどまさに注目満点の舞台
それを川田にやられたのは三沢的に相当悔しかったかも 京平がカウントミスしたのは、
勝敗は決まってても、それ以外は全部選手任せのアドリブだったせいじゃないかな 長くプロレス観ているとキックアウトしているのに3つ叩いちゃってたまにある。
プロレスに詳しい知人に聞いたところ、レフェリーではなく選手が間違える時もあるらしい。 >>759
キマラはしょせんアジアタッグクラスのキャラクターレスラー。シングルマッチだと退屈な試合ばかりだった。
クロファットvsバンダムが盛り上がったし、事実上のセミだったね。 小橋vs秋山の3冠戦で
秋山のサソリ固めがガッチリ決まってたのに
急にブレイクになって「え?え?」ってなったのもあったよね >>751-752
ストレッチプラム解いてフォールに行ったら秋山も返してるし川田も返された感じの動きしてたのに
「バン!」って3つ目叩いた
川田秋山はそんなのお構いなしに試合続けて別に試合が止まることもなかったけど >>773
あれはおかしかったな。小橋が動かなくて京平さんが救済したように見えた。 >>772
キマラのアジアタッグ挑戦は確か泉田にスミスと組んでの二度だけだったか
キマラのシングルとなると分裂後のシリーズでのスコーピオや相島との対戦が印象深い >>772
田上7番勝負でキマラに勝った後、「あいつに負けるならレスラーやめた方がいい」とか言ってたね >>776
97年2月の水戸、秋山&大森vsキマラ&泉田。
98年9月の富山、ウルフ&スミスvsキマラ&泉田。
2000年2月の横須賀、本田&マスオvsスミス&キマラ。
3度じゃないかな。キマラは泉田とのタッグでアジアクラスにとどめておくべきだ。
小橋と組んだり上の方で使うのは無理があると思う。 キマラは下手だし、技ができないし、試合がつまらないからな
ボディ・プレスとネックブリーカーとドロップキック
これだけじゃ、どうにもならない ハンターズとトリオ組んでムーブメントとやった時とかみたいに巨体活かした溌剌とした試合出来たら良かったんだけどね スミスキマラってまた何の接点もないコンビだな
テキトーに中堅どころの外人組ませただけか キマラって当初は2号だったっけか?
折れたパイプ椅子が刺さった事あったよな 98年の最強タッグで川田&田上vsオブライト&キマラって観たけど全く盛り上がらないまま終了。キマラなんか何やらせたって駄目だよ。浜の豚と同じ。 キマラ2のWikipedia、プロフィール写真に一般の人が一緒に写ってて面白い >>786
あえてどんな試合展開だったのか詳しく聞きたいわww
そんなカード絶対放送もされないし >>788
セミで組まれたくらいなのに何の印象も無い。客の反応も無くて。川田には97チャンカーの時に「キマラが何もやってこないから」と酷評されていたから当然かな。
セミ前が小橋&秋山vs大森&高山だったかな。組み始めたノーフィアーだったけど、その日は良い時の大森で凄く盛り上がっていた。
余計にセミの特にキマラのだらしなさが際立った。ペイントしないでアマレス仕様のタイツに変えてリングシューズ履いても何も変わってなかったよ。 渕と藤原のタッグは面白かったな
優勝戦線に絡まなくてもああいうタッグを最強タッグにエントリーして欲しかった
馬場は他団体の選手を呼んだ時に「全日本に上がりたい選手はどうぞ勉強して行って下さい」みたいな発言してたと思うけど、あの考え方だから他団体の選手を活かせなかったんだろうね 渕・藤原はストロングスとアジアタッグ決定進出戦をやってたな
唯一の藤原の最強タッグはクロファットとのコンビだったか >>790
キマラ1は一応シングルのメインイベンターじゃなかった? >>791
98年5月の東京ドーム大会に向けて、所属外選手が多数参戦した時は新鮮で良かったな。
高山がオーディションと書かれて激怒していたのを思い出したよ。 つか、開国とか騒がれてきてた頃ってハヤブサ、人生、デルフィン、浪花、池田、小野とかだろ?
藤原は別格だし顔見せスポット参戦みたいなもんだったけど他の連中は上で使うにはあまりにも格が違っただろ
四天王+秋山に自信がある馬場の「どうぞ比べてください」ってのは当たり前な台詞
高山は神宮で川田とやって全日に来てオブライトと組んだから上手いことやったよ
セルフプロデュースがわかってるし頭が良いなと思った
デカイし練習するから馬場も気に入ったしな >>795
中野龍雄もいた
ハヤブサ人生は馬場が死んだ後アジア巻いたからマシだね たくさん呼んだ割に馬場が生きてるうちに上で使ってもらえたのは高山、ハヤブサ、人生、あと一応初期の垣原くらいか
神風や小坪あたり呼んだ意味が全く分からんな
馬場が他の団体の選手を見たこと無かったから見て見たかっただけだったのか >>797
三沢や川田の後輩だから、呼んでみた感じかな。 >>797
神風、一応三沢川田の後輩なんだよね
最初に川田と戦った時の垣原、結構大きかったからあのままヘビー戦線で使えなかったかな
Uインター末期の垣原って田村の離脱でトコロテン式にポスト高田だったんだけど つべに川田、田上対高山、垣原って動画があって見てみたら川田と垣原は身長一緒に見えたわ
体つきは川田が少し太く見える程度で
98年7月だったかな
でも悲しいかな垣原が負け役なんだよね
蹴りや関節は上手いけど受けに回ると駄目すぎた >>795
新日のリーグ戦で準優勝した経験があるデルフィンは世界ジュニアに挑戦させるべきだったんじゃないかな。
獲らせなくてもタイトル戦やらせるだけでも新鮮だったと思う。当時の全日ファンにとっても新鮮で需要があったんじゃないかな。
それとも馬場さんが「新日で準優勝してもうちでは良い扱いはしないよ」という意図かな?
垣原に世界ジュニア挑戦させたことがあったけど、金丸も丸藤もまだ力不足で渕も年で菊地も劣化、バンダムはいなくなった。
浅子もたまに挑戦したけど冴えなかったな。今思うと全日ジュニアって渕、小川ばかり目立ってマンネリでつまらなかったな。 >>801
菊池をけちょんけちょんにした渕と馬場はバカだと思うよ >>803
93年2月の武道館ね。専門誌に「渕の性格の悪さが出た試合」と書かれ、後にターザンに「菊地はあの試合に負けたことが尾を引いちゃった」と言っていた。
小川より先に世界ジュニアに挑戦して最強タッグにも出てアジアタッグも獲って、当時は後輩の菊地に抜かされた小川が惨めだったけど、いつの間にか大逆転していたな。 川田が三冠を獲ったのが6度目の挑戦で、菊地が世界ジュニアを獲ったのが8度目の挑戦だっけ?
時間かけすぎだよなあ。遅くても5度目くらいで獲らせて良さそうなものなのに。 ハンセンエース組VS三沢と誰かが組んだ試合で、エースにタイガードライバーした三沢にカウント2で後ろからハンセンが椅子で殴ってカットしたがジョーさんがそのまま3数えて終わった試合があったな。
あれは凶器でカットだったからそのまま数えたんだろか? >>807
91年8月、サマーAS開幕戦の三沢&川田vsハンセン&エースかな?
あれは元々、タイガードライバーでフィニッシュだったのだろう。
3カウント入った後も少し攻防が続いたような記憶がある。 >>809
サマーアクションシリーズ2だったね。
確かハンセンがイス攻撃を加えたから試合続行かと思ったけど、その後も攻防が続いたのにハンセンが自ら引き上げたので、ハンセンも試合が終わったのを自覚していたようだった。
実況の福澤も試合続行と思い込んでいて3カウント入ったことに気づかず、引き上げるハンセンに対して戸惑っていたね。 ファールしている選手に攻撃を加えただけでフォールが解除、無効になるのは永遠の謎だ。
「プロレスだから」の一言で済まされるw
プロレスに整合性は無いw >>803
菊地は選手大量離脱の90年後半から鶴田みたいなでかい奴と戦わされて毎日ボロボロにされたのに、世界ジュニア奪取に何度も失敗させられて本当に酷い扱いだよな。
渕の拷問関節技もまるで実験台のように毎日やられて。あれで世界ジュニア獲らせないって不憫だわ。 98年の川田が三冠初防衛戦で小橋に負けたのは不憫だったが内容自体は素晴らしかったなあんな状況でもちゃんと仕事した川田は立派だったと思う。 >>804
世界ジュニアだけ見るとそう見えるが当時の菊地はアジアタッグも持ってたし前年での防衛戦で渕をフォールもしてるんだよな
そう思うとあそこで勝つと逆に菊地に比重が偏りすぎて他とのバランスが悪くなるかも
小川はキャリアは上だが年齢は下なのもポイントか
あとこうしたバランスは小橋と田上の間にもありそう
アジアタッグとしての挑戦や奪取は小橋が先だが世界タッグについては田上が先とか >>719
そういえば96年は三沢と川田の三冠戦は無かったか
それだけにチャンカーではどうだったかが気になる >>815
96年チャンカーの三沢vs川田は仙台で引き分け。川田のスピンキックで三沢が顎から出血したと思う。 >>719
96年の四天王って言ったらやっぱり小橋の三冠奪取だな。 >>814
あの武道館(93年2月)は菊地に獲らせるべきじゃなかったかな。
最近で言うと新日の中西に10何年もIWGPシングル獲らせなかったり、後藤にも未だに獲らせなかったり、選手の商品価値が無くなっちゃうと思うんだよね。
その時にいる選手で回さなくちゃいけないんだから、選手の商品価値を保ってあげるのも必要だと思うんだよね。
あれで渕、クロファット、後の小川と王者が強くてつまらない全日ジュニアになった。ケアも獲ったのに1年も経たずにヘビー級にいっちゃったし。 99年以降は垣原、志賀、スコーピオ、池田と挑戦者の顔触れは変わったけど相変わらず全日ジュニアは盛り上がらなかったな。
バンダムみたいな王者がいたら良かったのにな。 あんたソフトバンクのiPhoneからwifi駆使して二刀流で書いてるやん
勢いすげーな
今もプロレス見てるって書いてたけど、このスレ気に入ったのか? そのあたりはもう四天王もいい年齢だったし
秋山世代にサッサと主導権を移せばよかったんだよ
三沢がノアの立ち上げとともに実質引退すべきだったけど
客が許さなかった >>819
後藤はG1初出場初優勝したりNJC獲ったりICやneverも獲ってるし十分でしょ
棲み分けさせるのが新日のやり方
例えば橋本はIWGPシングルに強く蝶野はG1に強く武藤はタッグ戦線含めたそれら全てで平均以上に活躍させるみたいにね 何で昔の全日ジュニアって年に一度のリーグ戦が無かったんだろ。 若造相手に寝るように、ハンセン・ウイリアムス達を説得した、樋口・マイティ・渕の功績はデカイ。 >>825
ウイリアムスは6人タッグでエースに負けたのは一度かな?いつまでもハンセン、ウイリアムスの二強ではなくエース、パトリオットらが外国人のトップになるべきだったけど駄目だったね。
パトリはもったいなかったな。 川田がCC優勝した時に冬木が「あんなしょっぱい奴が優勝なんて器じゃない」って突然批判したのは何だったのかと今でも思う
冬木の本音なのか、話題作りorあわよくば全日と絡めるか牽制してみたのか
Uインターが三沢を1億円トーナメントに誘って宮戸に激怒したり、94年は色々面白かった >>827
あったなー、そんなの
すっかり忘れてたけどゴングで読んだわ
あの冬木は予期せぬ乱心だったよな〜
それのせいで冬木は馬場の許せないリストに入ったのかもな >>827
あの冬木の発言の時に大垣での冬木&邪道&外道の合体、冬木軍始動だったと思う。 田上サイズね。
変換でタウエじゃなくタガミじゃないと出ないんよ。 三沢のローリングラリアットってタイガー時代からやってたん?
あんな動きよく思い付くよな 全日ジュニアはなあ
>>81に書いたのオレだけど陣容も手薄だし、
売り出そうって気はなかったんじゃないのかね
馬場はデカい人が好きだしね
だいぶ後になって金丸とか丸藤見て考えも変わったようだけど保守的だからな >>835
デルフィン&浪花もただ参戦させていただけだから馬場さんにとってジュニアなんかどうでも良かったんだろうな。
冬木もFMWを仕切っている時に「ジュニアに集客力は無い」みたいなことを言っていたしね。
無くても困らないってところかな。 確かに。ジュニアには集客力はないわ。
ノハを見てればわかる。
ジュニアなのにヘビーを名乗ってチビ〜級とか言われる始末w >>837
新日本の東京ドーム大会のメインだって常にヘビー級。ジュニアがメインになるのはリーグ戦の最終戦のみ。この事実が全て。
Jカップみたいにヘビー級から完全に切り離さないとジュニアは主役にはなれない。
ジュニア特有の闘いに見所が多いのも事実だが総合的にヘビー級を凌駕するのは困難だな。 >>834
ローリング・・・ラリアット?
エルボーのこと? >>839
フライングラリアットで当たってから回るヤツだろ 菊池って信じられないぐらい動きがぎこちない
ウィリアムスよりひどいんじゃにかって思うぐらい 三沢って回るの好きだよね
フライングラリアットの回転受身、ローリングエルボー、スピンキック、旋回式バックドロップ、前転キャメルクラッチ 世界タッグで一度だけ見せたダイビング・ローリング・エルボーありましたね!
反応、当たりは微妙だった記憶が…
あとはキリモミ式ブランチャかな? どうでもいいけど皆さん、菊地を菊池と書くのはやめようぜ。 大阪の小橋との三冠戦できりもみ式ミサイルキックやってたな 全日のゲームではとりあえず三沢を使ってみるけど初心者だとローリングエルボーの距離感が掴めなくて、結局発動の速い回し蹴りを使う川田に落ち着いてしまった思い出 >>819
たとえあそこで勝てても次の相手がクロファットならやはり負けて渕が奪回の流れかな
カンナムとのアジアタッグでも小橋がフォールを取ってたわけだし
とにかくあの大舞台で一度勝てれば次で負けても印象は違ったか
それこそ後のドームの川田みたいに
実際は翌年のクロファットが達成の史上初のアジアタッグとの二冠王としても
>>835
全日本のジュニア戦線が最も凄かったのは百田が取った平成元年か
タイトル戦も交代劇の数も半端じゃないし最後は挑戦者決定リーグ戦までやったし
あの年ほどの怒涛ぶりは新日本でも無かったかも ダウン状態からクルッと回って一瞬で膝立ち状態に復帰するムーブもあったな 前転キャメルクラッチは
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