【凱旋帰国】昭和の全日本プロレス46【善戦マン】 [無断転載禁止]©2ch.net
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http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1495024124/ ジャンボとロビンソンの試合好きだった。
日大講堂の試合だっけ、ロビンソンが欧州式エビ固めやツームストン出したの。
確かジャンボが人間風車で1本とったような気がするんだが。
3本勝負の1本とはいえ、ロビンソンの必殺技で取ったのが印象に残ってる。 鶴田がデビューして半年ほど経った頃だったか、日曜の昼にやってた
TVジョッキーて番組で素人さんが特技や芸を披露するコーナーに
プロレスの物まねをやる若者が登場した。鶴田の真似もやってたけど、
頭をうなだれながら「馬場さんの言う事を聞いて頑張ります」!と。
プロレス見始めて間もない小学生だったし、特徴捕えてるのかも
分からなかったけど、何となく面白かったw 凱旋帰国の鶴田としてはテリーへのジャーマンが有名だがドリーへのフロントスープレックスも鮮烈
確か初のNWA挑戦で一本を取っていたとか ジャンボのフロント、ブリスコとのUN決定戦で一本とったときのが好き。
クラッチをギリギリまて切らずにいい角度で投げてたよね。 自分がリアルで見れたのではやはりレイスからのUN奪還での一発
あの後のボディシザーズドロップも見事で トップロープを超えて場外に転落する鶴田とドクは何気にすごい人達だと
思ったな。 鶴田は当時の人気番組だった俺たちの旅の最終回にゲスト出演したくらいだからな 欽ちゃんが司会やってた家族対抗歌合戦にも出た事あるけど、
鶴田の兄貴が鶴田とほとんど変わらない体格だったのに驚いた。
頭のほうはだいぶ薄かったけど、顔も似てたね。 鶴田も頭髪気にしてたのは兄貴が薄かったからだろうな
結果として鶴田は最後まで禿げなかったけど あの百恵ちゃんがファンだと公言し
百恵ちゃんに交差点で「ジャンボさ〜ん!」と声をかけられた鶴田 >>13
最終回だっけ?
中村雅俊だってデカイのにジャンボの前じゃ身長も身体の厚みも段違いだったな
昨今のバラエティーで高身長タレントより小っちゃいプロレスラーとは違うな 俺たちの旅の最終回
中村雅俊らが美女をみつけて
ナンパしようとしたところ
ジャンボ鶴田が現れ中村雅俊らをみつけ、ムッとして追いかけ来そうになる。
「ブサイクな化け物付きだった!」と逃げる中村雅俊らというオチ ようするに、真壁とかが
ドラマのメインキャストに脅すチンピラとして
ちょこっと出るようなパターン 桜田ズン子とも井関農機のCMで共演してた
ジャンボ。 酔っ払って寝てる間に意地悪ばあさん(青島幸男)に社会の窓を縫い合わされて
立ちションできずに苦しんだこともあったなジャンボ 山口百恵や桜田淳子が出たスター誕生が
全日本プロレスと同じ日本テレビ系列で
鶴田と同じ70年代デビュー世代だから
日テレスタッフからそうさせられてただけだろう
スター誕生がもしれテレ朝系だったら
違うことになってただけ 山口百恵がジャンボ鶴田を・・・という言葉だけが独り歩きしてるが
ジャンボ鶴田がミュンヘン五輪に出たのが1972年で日本テレビ系列の全日でプロレスでビューがそのあと1973年
山口百恵が日本テレビ系列の「スター誕生」合格しデビューしたのが1973年
同時期のデビューで日本テレビが一緒に売ろうとしていた。
なので、山口百恵はジャンボ鶴田のファンで〜す、と裏方が言わせていた
それだけのこと。 ぐっと間口が狭くなるけどゴングかプロレスで
鶴田とマッハ文朱が「お互いにファン同士」みたいなこと書かれていたね。
それと似たようなもんでしょ。百恵の件は。
当時中学生の俺はその記事を読んで
二人の子どもは天才レスラーになる、なんて思ってたんだが(笑) >>7
「善戦マン」と揶揄される前の鶴田は変に肥大化していなくてw
「若大将」として馬場の嫌いなwマスカラスやロビンソンと名勝負や好試合を
していたのは評価できる。
特にロビンソンとのUNを巡る一連の試合は東スポ大賞を取ったマスカラス戦より
いい試合だったと思う。雨の田園コロシアム決戦と言われたマスカラス戦は
試合寸前まで大雨で中止する所だったらしい。
>>18
配役クレジットは「巨漢の男」だった。
女性の待ち合わせシーンに突然に現れたからビックリしたw
>>20
赤ヘルを被っていたCMが印象的だった。
田植機の名前は「早苗ちゃん」だったたけ? 藤波も凱旋帰国時に「修行中、藤波を支えた恋人がいた」というラブロマンスのアングルが計画されていたんだよね。 >>24
マッハ文朱も山口百恵とスター誕生で争った間がらの日テレ系宣伝に使われただけ >>25
というか日本テレビが必死で
鶴田を若大将として売りだそうとしていたのだろう
ところが鶴田自身で
十番勝負あたりから
善戦マンと揶揄される試合内容しか作れなくなった その後、どっちか忘れたけど(たぶんマキ?)ビューティペアの片割れとも
同様にお互いにファン同士と報されていた。
その時に、あぁ社交辞令あるいはリップサービスなんだな〜と思った。
もちろんそんな言葉は知らなかったんだけど。 田園コロシアムでの鶴田マスカラス戦
鶴田入場コールで会場はシーンとしていて声援もほとんど無く
楽々と花道を歩いてリングに辿り着く、人気のない鶴田。
一方、マスカラスは、ファンが殺到し、もみくちゃにされて花道をなかなか進めず
入場曲が終ってもリングに辿り着けないくらいの凄い人気。 80年のチャンカン決勝でもスレーターの方が声援多かったね 時を経て評価が変わったんだからそれでいんじゃないの? 鶴田のファイトが萎縮というか遠慮めいた感じになったのはいわゆるクツワダ事件の時期に掛かってるんだよな
今になってみて分かる事だが 都内で全日見ると、鶴田がマスカラやテリーと組むことがあった。鶴田が出ると「お前はいいから、早くマスカラスだせ!」なんてヤジがよくとんでかわいそうに思ったよ。 >>18
ナンパするのは田中建扮するオメダ
カースケとグズ六は離れたところで様子を伺ってるだけ
そこに鶴田が彼女にどうした?と表れて三人一緒に逃げるってオチになる
それとブサイクな化け物なんて台詞はないから
ワンシーンとは言え、美女の彼氏って役どころなんで悪い役どころではないと思う >>18(ワッチョイ ef2e-djrc)ID:lAGehRcb0は鶴田を貶めて喜んでるアンチだから説明不要w
934 : お前名無しだろ (ワッチョイ ef2e-djrc)2017/06/21(水) 08:25:45.75 ID:lAGehRcb0
プロレスラーって何かしら良いエピソードがあるもんだが
鶴田には良いエピソードがひとつもないのな。
関係者の話はたいがい「鶴田は性格が悪い」とか
「鶴田は付き合いが悪い」とか「後輩にワリカンでどケチ」とか鶴田の悪いエピソードばっかし。
だから鶴田ファンって、書き込むエピソードが見つからないから
サイキョサイキョと延々泣きわめくだけで、気持ち悪い。 山口百恵が星パンツがカッコイイから鶴田のファンというのはTBSのクイズダービーでやってた コンタロウの1!2!のアッホ!でも鶴田は
若い女性から歓声を浴びるアイドルレスラーとして描かれてた。
猪木は逆に八百長野郎だった。 ゆでたまごが全日本ファンなのは有名だけど
なぜか少年ジャンプは全日寄りだった
リッキー台風でもリッキー大和は全日留学生だったしな
キザな嫌な奴のライバルのナルシスはカール・ゴッチの弟子で
リッキーに敗れて消えた プロレススターウォーズも最初のタッグ5対5は全日本系が15人(掲載時)とやたら偏ってるよね。 いしかわじゅんも、みのもけんじも全日本派と公言してたね。
プロレス悶絶秘宝館でインタビュアーの吉田豪を完全に置いてきぼりにした対談が面白かったw >>40
70年代後半〜80年頃はマガジンが「四角いジャングル」で猪木の格闘技戦路線を取り上げたり
少し後にはサンデーがスーパースター列伝と(これは全日系も取り上げてはいたが)
梶原・猪木ラインが他誌で連載を持ってた関係もあるのかな 読売・産経が政権寄りで朝日・毎日が野党寄りみたいなもん?
・・・ちょっと違うかw 昭和30年代生まれは全日(馬場)ファンの方が、昭和40年代生まれは新日(猪木)ファンの方が
割合としては多かったという印象がある
1974、5年までにプロレスを見てた世代とそれ以降に見てた世代の違いなのかもしれないけど コロコロコミックに載った金メダルレスラーは凄かった
あの時代にプロレスは筋書きありのショーと書いてて
どう見ても梶原と新間というキャラの前で
体操金メダリスト出身の五輪たかしが試合のリハーサルをやる
「今はメキシコ空中レスリングがやけに受けているからな」
「あとは演技力だな」
「え、演技力・・・?」「おれはすすむ道をまちがったらしい」
試合が始まると猪木が「打ち合わせどおりうまくやれよな!」とウィンクする
この話は単行本には収録されなかった 藤波やタイガーがピークの時は新日本だけどそれ以外は全日本なんかな?子供人気 >>47
前にも書いた事あるけど、昔ゴングなんかに門茂男が連載してた時も
明らかにプロレスが真剣勝負じゃない事を示唆するような内容が出て
くるんだよな。試合の前に話し合いがあったり、最初から結末が決まってる事を
伺わせるような。何であの時代のプロレス雑誌があれを許容してたのか、
未だに不思議だ。 >>39
1、2のアッホ!はすごかったね。
猪木(のパロディ)が梶原一騎(のパロディ)に八百長の台本を書いてもらおうとする話だった。
子供心にこんなん書いていいのかと思ったよ 同じ1、2でも三四郎とは全然違うねw 作者も掲載雑誌も
違うんだから当たり前ちゃ当たり前だけど。 デストロイヤーとの接点は「うわさのチャンネル」だった。
和田アキコを中心にあのねのねやせんだみつおらとドタバタ芸をやってる
「レスラー崩れの外人さん」だと思ってたが、土曜の深夜にリングの上で
堂々と試合をしてるデストを見て「え、この人マジで現役なんや・・」って
驚嘆した思い出も懐かしい。 (実は親日は見てたのでデストの名前くらいは知ってたが) >>53
まぁその内機会をみてw 今日はもう時間ないからここまでにしとくわ。 >>46
昭和30年代生まれは馬場が全盛期の日プロ時代も見てる人も多いね。 昭和最後年の最強タッグでハンセンとチームを解消したゴディがビル・アーウィンを帯同して来日したけど、この二人何か接点あったのかな >>58
ダラスで一緒だった。
どちらもヒールサイドだったけど共闘してたかどうかはわかんない。 >>49
昭和30年代の月刊ファイト(後年のタブロイド新聞とは別物)でもスタニスラウス
スビスコが「ドロップキック、フライングタックル等昨今の技は相手の協力が無ければ
掛からない八百長技、今のレスラーは道化ばかり」みたいな手記書いて載せてたけど
あれはその後で「ただし、俺が若い頃は道化レスラーはおらず、技もガチンコ技ばかりだった」
みたいな事を追記してたから、まあ愛ある暴露とも言えるな。
門茂男やミスター高橋らの暴露本、暴露記事は悪意しか感じられない。 >>52
デストロイヤーが馬場の軍門に降って日本陣営に加入した話は
知らなかったんかな。 >>61
楽屋で素顔を見ている和田アキ子は頭髪が薄いのを後年、暴露してデストロイヤー
は笑いながら怒っていた。せんだみつおの悪戯には自慢の空手で制裁していたが
デストロイヤーには同じ事をされても絶対に報復しなかったらしいw
昨年の週プロやTVで自宅のそばでパークゴルフ場を経営している記事が紹介されて
夫人は高齢なので毎年、夏に日本に行く夫を心配していたけどその後も元気に来日した。 >>30
そんなことあるかい。
鶴田の当時の人気を知らんだろ。
ウソ書いてまで鶴田を貶めようとする粘着さに拍手する。 >>58
接点は別に関係ない。
ポッカリ空いたゴディのパートナーの枠に、
AUPの時に天龍と良い試合したアーウィンを抜擢しただけ。 >>60
スタニスラウス・スビスコって伝説の名レスラーなのに
梶原にかかったらグレート・ガマの引き立て役でしかない
リングも何もない砂利で戦わされ、
アトミック・ドロップで悲鳴上げさせられた挙句
その場飛びボディプレスでKO負け アーウィンの非力に焦らされた分だけ翌年の殺人魚雷誕生のインパクトが強烈になった
あれこそ最高の噛ませ犬役 >>68
アーウィン兄弟は来日は少なかったが全日海外遠征ツアーではかなりの確率で三強と当たっている。
馬場に気に入られていたんならもっと来日は多かったんだろうが現実は日本での扱いもイマイチ。 77年のジャイアントシリーズに来たロッキータマヨはどれだけ木偶の坊だったんだろう?
ジェイヤングブラットと共に噛ませ要員だった。 >>69
なんで入場シーンないやつ貼るの?
https://www.youtube.com/watch?v=wc0BOfojgXg
> 会場はシーンとしていて声援もほとんど無く
> 花道を歩いてリングに辿り着く
> マスカラスは入場曲が終ってもリングに辿り着けない
この辺ははっきり嘘だな >>30
お前本当にウソばっかりだな。
まあ、元々いつもおまえの書くことに信憑性などないが。 >>30
お前はウソばっかり書くしおまけにホモだしw >>30
お前本当にウソばっかりだな。
お前、流智美だろw 亡くなったポーゴと全日本や馬場と接点あったのかな? 鶴田がジャンプでリングインするようになったのはいつから? >>77
アマリロに定着していた時期があったにもかかわらず全く無かった。
唯一接点が出来る可能性があったのは78年の日本リーグ争覇戦。
予定通り参加していれば何らかの形で全日本勢との絡みはあっただろう。
ジャンボとの“中央大柔道部門前払事件”の因縁対決とかを見たかったな。 >>78
昭和51年頃じゃね?
特にデストロイヤーとのタッグの時、二人そろってトップロープ超えのリングインしてたような印象。
私が高校生の頃、全日の試合前のリングにこっそり登ってトップロープ超えリングインを試みたら
意外に簡単に出来たw >>77
カンザスで佐藤と対戦
アマリロでは石川や佐藤と組んでタッグ王者に就いたらしい 質問重ねてしまうが
鶴田がジャンプでリングインしなくなったのはいつ? >>83
82年6月の蔵前のフレアーとのNWA戦で
黒コスチュームにしたから恐らくこの頃 >>80
それ見つかってたらエライ事になってたんじゃないの?
会場から追い出されてた可能性あるかも。 一時期の鶴田が外人勢や藤長天といった同時期に活躍したレスラーより人気の面で
遅れをとっていたのは事実だろうけど、その後三冠王、完全無欠のエースとして君臨し、
今はファンの評価も変わったんだからそれでいんじゃないかと思うんだけどね。 ポーゴが後援者を通じて全日のリングに売り込んできて
ジャンボが「もうちょっと実績がないとウチでは・・・」と門前払いにしたなんて
話を門が書いてたがこれは面白おかしくしようとした作り話だろうね
門前払いにするのは馬場がやることだからな 鶴田へのヤジが酷かったのはハンセン、ブロディ、天龍と三冠統一を巡って争った時
不透明決着が連続してファンの反感をかった時が一番あからさまだった感じ
リングアウトは会社の命令だったのに可哀想だな今考えたら FMW時代の話なんでスレチになっちまうけど、試合後のポーゴに
サインを頼んだ事があった。断られたけど、丁寧でいい人っぽさが
滲み出てた。ペイントを落とした素顔や体型はホンワカムードだしね。 >>88
考えてみたら善戦マンと呼ばれた時期もそうだね。別に鶴田本人に
責任があったわけじゃないんだけど、批判は鶴田に向けられるという。
損な役回りを担っていたとも言えるかも。 >>89
三冠統一だって、考えてみたら凄い偉業なんだが(これも会社の命令だがw)
当時話題も天龍関連に持ってかれたのも可哀相だった。 >>79>>88>>90
Gスピの国プロインタビューでも全日参戦が無かったのでそこだけ抜け落ちていた。
短い期間ながら国プロは居心地が良く自分で買い地元で行った興行が黒字に
なった。WINGの茨木氏は「ポーゴは海外の実績から見てもう少し評価
されてもいいのでは?」と残念がっていた。
ポーゴ&ナガサキ組は新日の依頼で組んだだけリング以外で行動する事も
話す事も無く関係良く無いようなく桜田の口ぶりだった・・・
>>89>>91
ただ空気の読めない全身痙攣&「オー!」はファンから支持されてなかったよ。
「オー!はもういいよ!」と野次られし馬場にも実況中に「客に問うて
どころじゃない!(攻めろ!)」と一喝される始末。
のち名物になる「ツルタ!オー!」の連呼コールもネタみたいだったし・・・ S55年頃の月プロに、ブッチャーとのUN戦に関してファンから「アピールが多すぎる」
との批判が寄せられた事はあったね。「そんな無駄な行為の為にタイトルを失って
しまった」「一種の戦線離脱」とかなり辛辣な内容だった。
後年の週プロにも「昔からその種のアピールを一切行わないできた馬場とドリーの
愛弟子である鶴田が、アピール好きなところだけは猪木に似てるのはどういうわけか」
なんて書かれた事もあった。そういう側面は確かにあったとは思う。 >>91
馬場が衰えてもエースの座に固執し批判の矢面に立つ訳でもないし、鶴田が
泥を被ったが後任の松根社長が鶴田のダイナミックなプロレスが好きだった
おかげで世代交代の流れが出来たが、馬場の抵抗はかなり強かったな。
>>94
桜田は理由は言わないが関川は嫌っていて対戦した時に角材攻撃をマジで
入れて揉め事になったとファイトの記事に書かれていた。 ポーゴナガサキ組ってタッグチームとしてはそう悪くなかったと思うんだけどね。
時代が違うけど、最強タッグに出てたらダークホース的な存在になってたかも。 あぁ、別に時代は違わないかw 同時期に全日では最強タッグやってたもんねw アピール云々はタイミングと頻度の問題だと思うけどなあ
その点では鶴田は木村健悟並みにセンスが悪かった
オーが受け入れられたのは単にファンの質が下がったからだろう 批判されようがとにかくやり続けた結果、いつしかファンも鶴田の
セールスポイントとして認めたって部分も少なからずあったんじゃない?
全く個人的な想像なんで違ってるかもしれんけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています