喪女が語るあの時は幸せだったんだなぁって思い出
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特別何かあったわけではないんだけど、今思うとあの時って幸せだったんだなぁって思い出を語りあいましょう
幸せな時なんて無かったとかそういうのは無しで >>44
4だけど本当に境遇似てて笑えない
私もコミュ障であまり仕事とかもできないのもあってかなり苛められて2年ちょっとで辞めた
まさか自分がこんなにポンコツだと思わなかったので完全に自信を失ったし性格も暗くなった
今は実家暮らしバイト掛け持ちでなんとか生活は出来てる
学生時代の友達とは完全に疎遠になったし職場には特に仲のいい人もおらず休日の予定も何もなくて
学生の頃に好きだったドラマやアニメのDVD借りたりネットで懐かCM見たりするくらいしか
趣味がない。食べる事は好きだったけどストレスで胃をやられてしまって前ほど食べられなくなったし
お金使いたくないから基本に外出はあまりしないしこの先結婚は無理そうだし
もうなんのために生きてるのかわからないよ いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
一応書いておきます
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
470D1 >>45
>>44
2年も頑張ったのすごいよ
私も子どもの頃好きだったドラマとかアニメ、懐かCM見るの好き でも最近はそれすら辛くなってしまってる 現実の自分がひどすぎて
あの頃に戻れたらなぁ… >>47
わかる
最近そういうのも見るのしんどい
家でネットしたりアニメ見るのだけは飽きなかったのに
何をしててもそこまで楽しくないんだよね、疲れるだけ
もし戻れるなら10歳前後がいいな
当時は友達もいたし毎日TVやアニメやゲーム三昧で楽しく過ごしてたし
夏休みになるとプールに行ったり親戚の家に泊まりに行ったりして
いい思い出しかない
中学に入ったら友達が全員リア充化して私は底辺オタクグループに振り分けられ
3年間陰キャとしてひっそり過ごしてたし高校も全く同じような状態だったので
本当に暗黒期だった・・今は老化と孤独死と貧困に怯える毎日 やっぱり小学生くらいの時が良かったよね
何も考えないで男子とも話せてた
嫌な事もあったけど今思うと幸せだったなぁ 小学生低学年の時は本当によかったなー……
勉強苦手だったけど運動神経良くて怖いもの何にもなくて
体弱かったけどそれもなんのそので生きてた 中学の部活が人生で一番楽しかった
弱小だけど目標持って毎日みんなで練習してた
高校入って彼氏いない奴はイケてない扱いされてから終わった 大学生になりたての時
仲のいい友達もできてディズニーランド遊び行ったり、カラオケ行って盛り上がったり、夜ご飯食べに行ったり、めっちゃ楽しかったなぁ
今は. . .なんでこうなっちゃったんだろ? 小学生の頃しょっちゅう駄菓子屋に行ってた時
夏は甘いジュースを凍らせたやつ、冬はブタメン買ってその場で食べて本当においしかった
他にも色々買って食べたけどどれもおいしかったなー
今同じの食べても昔ほどおいしく感じなくて寂しい 前にバイトしていた会社はきつい先輩とかいなくて、
仕事も楽だった。
その会社がつぶれて、違う会社で働いたり、
就活したりしたんだけど、ブラックくさいところ
ばっかりでうんざり。
あの会社がつぶれなければ・・・っていつも思う。 0歳から大学卒業までは幸せだったんだなと思う
社会人になってからは地獄 大学の時が一番幸せだった
女子がかなり少ない学部だったからか、自分みたいな喪でもちやほやはされないけど
それなりに女の子扱いしてもらえたし世間一般の女性はこんな扱いが普通なんだろうなと
思った記憶・・・ やっぱり子供の時がいいな
親も若かったし祖父母もみんな生きてて安心感あったし楽しかったな
勿論悩みとかあったろうけど今みたいに病んだりしてなかった
不安や不満や色んな問題はあるけど希望はない 親もそこそこ老いたし祖父母も要介護になったけどあんまり不安感ないや
うちの場合はなんとかなるでしょって感じでみんなあっけらかんとしてるわ
実際ベストではないけどベターな状態に収まってきてるって実績もある
悪いことが起きて将来のことで悩んで希望はないかと思ったら途端に好転するんだよね
たぶん色々あって私も兄弟も安定職について自立してて親もきっちり老後の計算してるからお金の心配がないからそうなんだと思う
祖父母も戦前生まれかつ安定職だったから年金はがっつりたんまりもらってるし
唯一不安なのはいつ私は腐女子を上がれるのかって点だけだよ そこそこの高校に進学してから自分が馬鹿で非常識な家庭育ちだと気づいてから暗くなった
バカ高に入ってれば今より幸せだったかもしれない 内定が決まった大学4年の夏が幸せのピークだった
地元では有名な優良企業だったのでこれで人生安泰だと思ってた
まさか職場にあんな基地外がいるなんて
自分が精神病んで仕事辞めて引きこもるなんて想像もしてなかった 親の介護が始まってしまった今、親が元気で一緒にスーパー行ったり散歩行ったり、そんな何気ないことが幸せだったなぁって思う
毎日一緒に同じ家で過ごせたことすら幸せだったな今となっては >>63
そう思ってくれたら、こちらこそ嬉しい ありがとう
大事にしてね もう今は 彼女はどこにもいない
朝はやく 目覚ましがなっても
そういつも 彼女とくらしてきたよ
ケンカしたり 仲直りしたり 高校生まではやっぱりなんだかんだで幸せだったな
特に両親がそろってるということ
お金に不自由しなかったことが大きいと思う
もう一度やり直したいけどやり直せないから底辺のまま生きてる
それだけ 小学6年生〜中学1年生頃にやってた文通
小学生新聞?かなんかでペンフレ募集のコーナーがあって、今の時代では考えられないけどそこに住所氏名書いて募集して手紙くれた子と文通してた 会うこともなかったし最終的には自然消滅したけど当時の手紙で出てきて読んでたけどほのぼのした
知らない地域の子の日常とかは新鮮だったし当時好きだったアイドルの話とか他愛のないものだったけどそこに小学生女児の等身大の姿を見て、自分もこんな頃があったんだなぁと懐古した レターセットや色ペンも無駄に買い込んでたけど楽しかったなぁ
随分と時が流れているし住所も名前も変わっているかもしれないけど(私はどっちも変わってないけどwww)あの子は今も元気でいてくれてるかなって思いを馳せている >>69
懐かしい〜
昔は雑誌とかでも文通相手普通に募集してたよね
私はやった事無いけど楽しそうだったなぁ >>69
その頃よりもずっと昔の話(恐らく70年代後半〜80年代前半)なんだけど、
私の母親が若い頃に文通が流行ったらしく、同年代の男の子と連絡取り合ってて
普通に会って何度かデートしたけど短大に入ったら急に忙しくなってそれどころじゃなくなって
疎遠になってしまったと聞いて母もそれなりに青春時代送ってたんだなぁ、一方私は…と死にたくなった >>72
昔の方が今より危険がなかったんだろうなあ 高校時代にネットのオフ会で同年代〜ちょい年上の男女5〜6人と仲良くなって
定期的に遊んでた時が人生で一番楽しかった。
ちなみにその後オフ会の管理人さんが自殺、オフ会常連だった男性の1人が20代前半の若さで急死
一番仲良かった女の子は職場でパワハラに遭ってずっと引きこもってると聞いた。
他のメンバーは大半の人が連絡取れなくて今どうしてるのかもわからない
私も就職先で上手くいかなくて実家暮らしの非正規だしもういろいろと詰んでる
当時みんなで撮った写真や劣化したプリクラを見返してはあの頃に戻りたいと思ってしまう 幼稚園か小学生くらいの時、母がたまにパンを焼いてくれてたんだけどそれが美味しくて美味しくて
また食べたいなぁ自分でやってみようかな >>76
お母様がまだお元気なら、いまのうちにいろいろ教えてもらっておいた方がいいよ
私も母の料理が美味しかった。自分で作っても同じにならないんだよね。
学校から帰ったらミックスジュースやコーヒー牛乳作っておいてくれてた。
美味しかったんだ、思い出補正もあるけど。 >>77
>>76
読んでてなんか泣けてきた
母親が元気だった頃を思い出した もう今は 彼女はどこにもいない
朝はやく 目覚ましがなっても
そういつも 彼女とくらしてきたよ 子供の頃。これに尽きるなぁ…
私も喪なりに元気だったし晩御飯の時に学校であった事話したりテレビ見て思い切り笑ったり休みは家族でドライブ行ったり
なんていうか、家の空気が滞って無かった
いつでもちゃんと循環してる感じだった
今は滞ってる 私のせいで
今親孝行しないと絶対後悔するって分かってるのに、>>62読むと本当にそうだなって思うのに動けないまま何年も経ってる
あー懐かしくて情けなくて涙が出るよ… 幼稚園の頃は同じ組の気の強い子にいじめられてて
小学校低学年〜の頃は近所にDQNが住んでて常にビクビク
高学年になると中学生からシメるとか言われて絡まれるようになる
中学・高校はカースト底辺で陰キャグループ
でも今よりは遥かに幸せだった 小学校3年くらいの頃
周りからもカッコいい頭いいで人気だったA君
自分も気があってバレンタインをA君の友達B君に「義理だからって渡して!」とかやった
ホワイトデーは好物のマシュマロに喜ぶ
一緒にしたCちゃんはキャンデーでA君はマメだなあとか呑気に思ってた
(数年後お菓子の意味合いを知る)
シャーマンキングが流行ってて私は旅行先で買った主人公キーホルダーを筆箱に付けていた
A君も好きらしく欲しいと言われたのでその場で外してあげたらサンキュ言われたのが嬉しかった
進級してクラス別になって友だち関係も築いてなかったから廊下ですれ違うくらいになった
当時は縦割りグループというものがあって相手のD君は知的が入っていていつも探すところから始まる
男の子だけどみんなもDちゃんと呼んでいた
ある日の縦割りでDちゃんがいないから身長が高い服の柄で確保(まさに抱きつき)していた
その日確保してしまったのは身長も高いくてバレンタインやキーホルダーをあげたA君だった
私は身長が低かったのでガバっという感じに肩に腕を掛けて飛び乗りという感じ
ふりむくA君がビックリした顔してる間に人違いでした!ごめんなさい!と私は爆走
これが少女漫画なら絶対フラグ立たせるわ
5、6年生は担任の先生のネーミングセンスと本質を見抜かれてから私は毒舌ユーモアキャラに
同学年の口聞いたこともない人からも親しみやすいあだ名で呼ばれる
あとは野口さんと言われてた
中学も公立でメンバーあまり変わらずなので中学卒業まで楽しく過ごせた
なお高校&専門学校両方2年目と職場半年は暗黒
数年ひきこもって今は職場に戻って再勉強中 ブラックな職場を退職してフリーターやってた2年間が今思えば幸せだった
面倒見の良い気さくなパートさんや人当たりのいい学生バイトさん、同年代位の若い男女が数人いて
ちょっと気難しい人もいたけど熱心に仕事を教えてくれてたし、タチの悪い人は誰もいなかった
店長はイケメンで女性社員は美人や可愛い人ばかり、男性はいろんな系統の好青年が揃ってて
目の保養になったし陰キャの自分にも分け隔てなく接してくれたのが嬉しかった
再就職決まった時は盛大に送別会をやってもらって本当に嬉しくて泣いた
学生時代に味わえなかった青春の思い出のようなものをあの場で少しだけ体験させて貰った
今は中高年の社員だらけの職場で事務やってるけど未だにフリーター時代の夢を見てしまう お父さんとお母さんがいてペットも元気で学校が終わったら友達の家で遊んで帰ったらお母さんの手料理を食べてあったかい風呂にお父さんと入ってお母さんに撫でてもらいながら寝たあの頃に戻りたい 義務教育中はいじめられていてつらかったけど、高校〜大学時代は本当に、文句なしに楽しかった。
高校は共学で、制服もない自由な所だった。
大学は第一志望落ちて入った所だったけど、女子大でみんな仲良くて、『喪女』という概念すらないような温室だった。
毎日誰かとお喋りして笑っていたあの頃が最高に楽しかったな〜。
社会人になってからはまた地獄に逆戻り…。
新卒で入った所はリストラされ、やっと見つけた転職先は猛烈ワンマン親族経営のブラック企業。
まさか自分がリストラされるとか、この歳でバイト同然の給料で実家にパラサイトとか、誰が想像できたろう… 中学までは天然と言われ友達もいて部活も楽しかった
就職しておじさんだけの部署では丁寧に教えてもらって(現場系だからしっかり教える文化)やりがいもあって楽しく働いていた
税金関係の仕事になった今はアスペ扱いでわからないことも自分で調べろ的な職場で死にたい 19年前に短大出て一般職で働いていたがかなりぬるい働き方でもよかったのに
今じゃ一般職が廃止になり地域限定の総合職になり気がついたら同年代の男性社員と同じ仕事をするようになっていた
短大卒なので総合職になることを躊躇していたが5つ下の短大卒の子が総合職になり(同時に転勤になり)今後の人生に迷うようになった >>88
アスペって定義が普及する前は天然ボケってよく使われてた
KYが流行語になってから殺伐とした世の中になった気がする 経済格差を知らずにいた中学までが幸せだった
経済格差が学力に通じて将来の選択肢まで影響すると知らなかった
友達みんな都会へ進学して人生終わり 私が幸せだったのは2〜3歳くらいまでだと思う
他の子よりも喋るのが早くて、この子は頭のいい子だって褒められてたらしいし
図鑑で覚えた知識を親や親戚の前で披露しては得意げだった
でも保育園に入ったら私一人だけ先生の指示を聞いて動けなくてオロオロしたり
お遊戯も振り付けが反対だったりして、とにかく人よりも運動音痴で不器用で鈍臭くて
しかも勉強も大して出来るわけではないしコミュ力も低いので本当にいいとこなしで中学も高校も
周囲から疎まれて今に至る。確実に何か障害があると思う 車の後部座席にいるのが好きだった、というより父に運転してもらうのが好きだった
夜遅く、父が仕事帰りの母を迎えにいくんだけど兄たちにも内緒で一緒に連れていってくれたりした
母が仕事に行くたびに寂しくてギャン泣きしてたし、父が迎えにいく準備をしてる気配がしたら私もパッと起きてた
迎えにいく途中でコンビニでお菓子とか買ってくれたり、
「ほら、お母さんびっくりさせよう」って言われてクスクス笑いながら後ろに隠れて車に乗ってきた母を驚かせたりした
母も疲れてるだろうに毎回嬉しそうに驚いてくれた
父と母はたまに喧嘩してたけど、私が真ん中で不安そうにしてたらすぐやめてたし
基本的に仕事終わりで機嫌がよくて、気持ち良さそうに話してた
帰りはさすがに眠くて、大人の会話聞きながら寝た
「寝ちゃった」っていう母の声を聞いてちがうよ、寝てないよって言いたいけどほんとに寝ちゃって何も言えないままぐっすり寝る感覚が好きだった
父はギャンブル依存症でそのせいで母はしなくていい苦労をたくさんしたから、今でも許せないんだけど
こういう時のことたまに思いだして「あの頃に戻りたい」とか思うのが悔しくてたまらない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています