◆懐かしの名馬・名勝負スレ16◆
歴代の名馬・名勝負をまったりと語るスレです。
(競馬に関する事なら何でもOK!まったりと語ること)
※過去・現在の名馬を比較しての最強論争は極力お避け下さい。
前スレ
◆懐かしの名馬・名勝負スレ15◆
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/uma/1419611622/ >>606
ダイイチオーにあったよ
引退後に熊本で種牡馬になってたんだよ
上水前寺の住宅街のハズレだったかな
せまいパドックみたいなところに引き出して
くれたんだけど
近所の人たちもこんなちころに馬がいるんか!
という感じだった >>621
ヒカルイマイ世代の皐月賞ダービーの2着馬は不遇だったな
バンライにハーバーローヤル
最期は草競馬で死んだ ヒカルイマイが無事だったら三冠取れてたかな?たられば言っても仕方ないが、タニノムーティエとこの馬が本調子で菊花賞に出て欲しかった あの時異常に強かったニホンピロムーテーと洋一コンビに勝つのは難しいかもね
タニノムーティエの方が4コーナー手前のまくりを見るとダテテンリュウ以下を差しきったと思うわ 昔の高知競馬で哀れな末路を迎えてる馬は多い
ヤマニンカツプ
ベル
ショウフウグリーン
ロングイチー
ライバフット
アータルオー
チェリーリュウ
モアーキャッスル
ゴールデンタテヤマ
無事乗馬になれたのはスリーヨークだけだとか TTGはやっぱり最強世代だと思う
この時代に競馬を見ていた人は最高だったろうな
https://youtu.be/RWx_iYcmhAQ
エリモジョージやクライムカイザーは運が悪かったな >>627
そんな感じもしなかったけどさ
ようわからんけど
エリモジョージは好きだったな
あとロングホークとかさ ピークを過ぎたロングホークと絶頂期のテンポイント
悲哀を感じたなあ ロングホークはジリ脚だったので久保敏文がせっかく溜め逃げ戦法を駆使して覚醒したけどあの時代の関東馬には通用しなかった
その後カンカン泣きして使えるレースが無かった
6歳春に猿橋が手綱を取って平場オープンで差し切った時は嬉しかった >>630
武邦彦と合わなかったのと謎ローテが理由だろうなあ ゴルシより、その凄い実績を霞ませる程の濃いキャラクターで知られる馬っているんですかね
あの馬、普通に歴代トップ10くらいの素晴らしい成績なのに、破天荒さばかり取り上げられてる気が。
名勝負みたいなのが無いからでしょうか。菊花賞のロングスパートとかCMにしてくれてもいいのに、JRAさん?
オルフェも破天荒だけど、流石にクラシック3冠の方がイメージ強い 記憶の確認ですが
「走る労働者」というニックネームはトウフクセダンに対して付けられたもので、厩舎の先輩イナボレスは後付けで初代扱いとなったのでは
トウフク旧齢5歳時の凄まじいローテーションに対して聞かれたときに大久保末吉調教師が
「馬も労働者だから自分の食いブチは自分で稼がにゃならねえだよ」
みたいに答えたのが初出だったと思います
イナボレスは謎かけで「天災」と呼ばれていた事も
そのココロは「忘れた頃にやって来る」 ミネマサはタカオーと比べて全く語られない
菊花賞でダイナナホウシユウを抑えての本命馬だったのに さすがにリアルでダイナナホウシュウは見てないが
志摩直人が好きだった馬のようで…
そういえば昔は八大競走のゴール後は
志摩直人の詩が流れてた ハクズイコウとコレヒデ
尾形調教師は前者の方が圧倒的に評価が高いのな
最も有馬記念ではコレヒデに保田騎手を乗せてるあたり現実的な面もあるな 引退後の
カブトシローに延岡であったこと
ダイナナホウシュウに大学馬術大会であったこと
一生の自慢だな カブトシローと入れ替わりで名種牡馬タカクラヤマが処分されたとか >>639
ちゃいます
カブトシロー来る前に蹄葉炎悪化でした 尾形藤吉一門って人材が無茶苦茶いるんだよね
確か河内師や武豊も尾形の系譜なんだよね
武豊が尾形会に参加してるという話は聞かないけどw 『日本の「騎手・調教師」体系図』山本啓二 競馬通信社 を物置から引っ張り出しました
ここでは調教師を19の体型に分類し、尾形藤吉氏は山島久光系となっていますね。 ネット黎明期はメルボルン二世とか南関診断士とかの優れたサイトが多かったな 吉田牧場って破産したの?
もう一度テンポイントに手を合わせたい >>654
ダルモーガンさんは、想像ですが園田の元調教師の福地さんのことですか?
あの方でしたら1930年生まれですので、ご存命であれば93歳です。 中山大障害メインの障害を扱ったサイトもあったが消えてるんだよね 明石家さんまさんが以前、テンポイントのお墓に訪れた
で、何年か経ち行ってみると、随分と立派になってて驚き
実は最初のはキングスポイントのお墓だった ナリブとトップガンの阪神大賞典は有名だが
悲しいかな土曜日のメインで
杉本清の名実況が聞けなかった ロングホークの阪神大賞典見れるとは 70年代の重賞とかよくあるもんだなと感心する 杉本さん不在レースで思い出すのは
キタノカチドキのマイラーズカップ
トウショウボーイの宝塚記念
インターグロリアの京都牝馬特別
など
ここから先を書くとどなたかの批判みたいになるので省略 ヒカルイマイのダービーは4角から直線半ばまでカメラが同馬を追えてないのが残念だ
ダービー史上世紀の後方一気の追い込みだったのに
当時は実況が関東馬偏重で皐月賞勝っても人気が
なかったのが原因かな
生い立ちとかドラマのある馬だった ヒカルイマイのダービーのときは、小学生でなにか別のことをやってて
レース(テレビ)を見てなかった。おわったあと、まわりの年長の人たちが
あっけにとられていたようにみえたのを憶えている。
>>662
競馬雑誌でシプリアニも初年度だったか、活躍場も出ておらず、
しかもろっ骨(?)が一本折れていたのもあり、250万円の安馬だったとありますね。
その雑誌の別の号で同じシプリアニ産駒のトウメイの記事もあった。
有馬記念での勝利について、直線先頭にたちゴールする同馬の姿に重ね、
150万円の安馬、見た目も云々だった馬の栄光がそこにあったという言葉で
締めくくられていたと記憶しています。 WikiPediaで調べてみると、ヒカルイマイは150万円でしたね
200万円のところ、肋骨の陥没があり50万円の減額となったとのこと
トウメイは、165万円で15万円のプラス金額でした
上の競馬雑誌の記事は、トウメイの繁引退直後でもあり、のちの殖成績と長寿を知る前のもの。
この記事に付け加えるべき事柄があると思います
この馬の歴史には、まだまだ言及すべき事柄がいくつもある
テンメイとの天皇賞秋母子制覇、さらに健康に恵まれ32歳の長寿でもあった。
そのすぐれた、競争成績、繁殖成績、そして長寿であったことを考えると、
シンザンに比肩しうる、日本競馬において特筆すべき名牝、名馬の一頭であったといえるだろう
といったところでしょうか? 今日はテンポイントの命日
昔吉田牧場に墓参りに行ったなあ 懐かしの名勝負といえばレブロンVSスイノルミエールだなあ
大逃げするルミエールを四角最後方から強襲するレブロン
若かりし小迫の度胸満点の騎乗ぶりだった 最近BSフジの競馬中継で昔懐かしいレースを流してくれてますね(直線だけですが)
先日はマーチスが勝ったスプリングSでした。2着タケシバオー、3着アサカオー
その前にはスピードシンボリのAJCCもやってくれたかな。2着はおなじみのアカネテンリュウ
ゲストのエイト吉田氏もリアルタイムでは見てないと言ってましたね 連投ゴメン
そういえば1971年の阪急杯もやってくれてました
まだ1900mで6月にやってた頃
トウメイが58kgを背負って不良馬場をものともせず快勝
アホヌラさんのサイトであらためて確認すると
2着以下はウメヤ、ケイサンタ、タイヨーファンシー、ファストバンブー
着外にはクニノハナ、スリーリバー、オープンツバメなどもいました
最近は懐かしのレース映像を楽しみに、カンテレじゃなくてBSフジ
を見てますわ その阪急杯の次走が東京競馬場で見た牝馬東タイ杯になるのかな
小さな体に59キロの酷量を背負って最後は馬なり大楽勝
間違いなく生涯ぶったまげBest10に入る衝撃的レースでした いや東上前に阪神でオープン使ってる リアルタイムでテレビで見た 4角でウチュウオーが一気に先頭に立ちトウメイは尻尾振り回して追いすがるも馬体も合わせられなかった ウチュウオーの引退レース