刑法の勉強法■57
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
条解は前田色が薄く実務向きだからな
実際、多くの裁判官・検察官が利用している
ただ、前田本を使ってるのがばれると恥ずかしいので
引き出しの奥に隠し持ってるらしいw 連投でスマン。
強制わいせつ罪における性的意図の要否に関する
最判昭和45年1月29日を変更した最判平成29年11月29日の
判例評釈、もうどっかで出てる? 前スレからの継続課題。
木村亀二博士は違法の一元性を強調する立場(労働法上の違法→刑法も違法)から、
可罰的違法性論を批判した。
ところが、ヴェテさんの引用によると、木村博士は「刑法の独立性」を擁護する立場に
あったとされる。違法の一元性と刑法の独立性ははたして両立するのか? 総論覚え書 1 罪刑法定主義
罪刑法定主義の思想的淵源については、1215年のマグナカルタに求めるのが通例であるが、
成文法主義をとらないイギリスに直接的淵源を求めることはできないという批判は無視できない
(寺島健一「罪刑法定主義の現代的課題」吉川古稀65頁)
罪刑法定主義の派生原理として、通常、@刑罰法規不遡及の原則、A慣習法の禁止(法律
主義)、B絶対的不定期刑の禁止、C類推適用の禁止が挙げられる。しかし、最近では、
D明確性の原則、E適正処罰(実体的デュープロセス)の原則が付け加えられ、さらに、
E判例の遡及的変更の禁止が罪刑法定主義の要請ではないかという議論がある。
ただし、明確性の原則以外の適正処罰の原則、特に内容の適正さは、伝統的な罪刑法定主義
とは異なった性格を有している、という見解もある(萩原滋・実体的デュー・プロセス理論の研究
(1991)271頁以下、佐伯仁志17頁) 総論覚え書 2 刑罰法規不遡及の原則
刑法6条の「刑の変更」にあたるかどうかが焦点である。
(1) 非刑罰法規の変更
昭和27年12月25日は、民法の改正により継母が尊属でなくなり、尊属殺人の成否が争われた
事案につき、その犯罪成立当時における民事法規等によって判定すべきものとして「刑の変更」
があったとは云えないと判示した。
学説においても、判例と同じく非刑罰法規の変更は刑の変更にあたらないとする説も有力で
あるが(木村117、団藤81、大塚72)、非刑罰法規の変更によって犯罪の成立範囲が異なり、
可罰性の範囲に直接影響するのであるから、刑の変更にあたると云うべきである(植松89、
平野72、藤木57、内田75、大谷508、山中113、曽根・原論54)
(2)白地刑罰法規と刑の廃止
補充規範の変更は「刑の廃止」にあたらないとする@全面処罰説(木村117)とA全面免訴説
の間にB中間説が主張されている。
例えば、福田45頁は「価格統制に関する法規において、統制価格が告示にゆだねられている
ばあいの告示の改廃のように、白地刑罰法規において、その白地部分を補充する命令・告示の
改廃が構成要件にあたる事実の面における変更にすぎないときは、『刑の廃止』にはあたらない」
とする。
また、前田56頁は「駐車禁止区域の変更の場合、構成要件の中心は『禁じられた場所に駐車し
てはならない』という点であって、具体的場所の重要性は低いといえよう。それ故、個々の場所は
変更されても処罰は可能である」とする。
しかし、行為時に可罰的であったものが、裁判時に不可罰となれば、「刑の廃止」にあたるので
あり、罪刑法定主義の見地からはA全面免訴説(西原39、中31、中山100、内田73、大谷508、
山中117)が妥当である。 総論覚え書 3 法律主義―条例と罰則制定権
罪刑法定主義は「法律なければ犯罪なし」という原則であるから、「法律」ではなく「条例」で
罰則を定めることができるかが問題となる。この点、「条例が自主法である以上当然罰則を
設けうる」(佐藤幸治・憲法〔第3版〕285頁)というのが憲法学上の定説である。
条例に罰則を設けることは、憲法94条の「法律の範囲内で条例を制定することができる」と
いう規定によって認められるのか(憲法授権説)、それとも憲法94条は条例制定権を認めた
にすぎず、罰則制定権は、地方自治法14条3項によってはじめて認められるのか(法律授権説)
が争われている。
前説によると、「法律の範囲内で」という広い制限のもとで条例を制定しうる範囲について制限
を設けたにすぎないことになる。これによれば、地方自治法14条1項・3項は、包括的・一般的な
ものであっても違憲ではない。
後説によれば、条例についても法律による個別的委任が必要であるが、自治立法であるという
特質から個別性は緩やかであってよい。 総論覚え書 4 類推解釈の禁止
(1) 類推解釈許容論
、あらゆる解釈は類推解釈であるとして、むしろ、「許される類推解釈と許されざる類推解釈」
があるとするものがあるが(植松77、香川22、阿部・現代刑法講座1巻117頁)、類推という
論証方法そのものが、可能な語義の枠内での拡張という論証方法に比して、法文への厳格な
拘束を不可能ならしめるのであり、類推解釈の禁止は、なお、罪刑法定主義の要請であると
云ってよい(山中80頁参照)
(2)拡張解釈の限界?
上とは逆に、拡張解釈についても限界があるとする見解が展開されている(西原34、大谷68、
町野73)。言葉の可能な範囲にあるとしても、その内容が国民一般にとって予測可能な範囲を
逸脱するときは、拡張解釈は許されないと云うのである。
しかし、この議論は論証が逆転している。拡張解釈の限界は、国民の予測可能性の限界に
あるとしても、その基準はあまりにも抽象的であいまいなので、「可能な語義の範囲内」にある
解釈は、予測可能であるとするのが通説の趣旨だからである。
(3)処罰の必要性?
前田60頁は「解釈の許容範囲の判断には、その点に加えて保護法益や処罰の必要性との
衡量が必要である。国民の予測可能性の大小のみで構成要件解釈が定まるわけではない。
解釈の実質的許容範囲は、実質的正当性(処罰の必要性)に比例し、法文の通常の語義から
の距離に反比例する」とする。
この前田説は学界で頗る評判が悪い。例えば「しかし、罪刑法定主義は、処罰の必要性が
あっても事前に告知していない行為を処罰することは許されない、という原則なのであるから、
処罰範囲の確定にあたっては、処罰の必要性を基準に入れるべきではない」(曽根・原論44) 総論覚え書 5 わが国の判例の問題点―「後追い立法」
刑罰法規の解釈において、とりわけ類推の疑いが顕著になるのは「判例の後追い立法」の場合
である(浅田・百選5頁)。@自動車登録ファイルを公正証書の「原本」に当たるとした昭和58年
11月24日の後に157条が改正され、Aテレホンカードは有価証券に当たるとした平成3年4月5日
の後に163条の2以下の規定が新設され、B平成8年2月4日の後に鳥獣保護法が全面改正され、
「未遂」の規定が置かれたことなどがその例である。
これらの場合、判例は当該事件については無罪とし、それを受けて立法を行うのが、判例と立法
のあるべき関係であったと思われる。 総論覚え書 6 わが国の判例における明確性の原則
現在に至るまで、判例が明確性の原則違反を認めた例はない。
最高裁が法文の不明確性の主張を排斥する際の理由としては、次の4つの類型があるとされる。
(木梨節夫・最判解刑事篇昭和39年度52頁以下)
@ 条文の文理上不明確とはいえないとするもの(昭和29年6月17日)
A 解釈上不明確でないとするもの(昭和45年4月24日)
B 本件に関する限り明確であるとするもの(昭和36年12月6日、平成10年月10日)
C 法文中に例示があるから明確であるとするもの(昭和36年12月20日、昭和39年5月7日)
最近の判例で不明確性の主張を退けたものとして、@「い集」・「集会」の意義に関する広島市
暴走族追放条例違反事件(平成19年9月18日)、A「所定の場所」の意義に関する世田谷区
清掃・リサイクル条例違反事件(平成20年7月23日)がある。
総じて「罰則の合憲性に関する判例の基準は、その具体的な適用を見る限りそれほど厳格だ
とはいえないであろう」(山口19頁) 乙です。勉強になります。
類推禁止について、まじめに類推禁止を研究した人ほど、
解釈は皆類推という結論に至っているような気がする。 総論覚え書 7 適正処罰の原則の適用例
適正処罰の原則の適用例は「憲法的適正処罰違反の類型」と「刑事法的適正処罰違反の類型」
とに分類することができる(山中88頁以下)
(1)憲法的適正処罰違反の類型
@差別的処遇
・尊属殺人(200条)を違憲と昭和48年4月4日
・条例の地域差を合憲とした昭和33年10月15日
・外国人登録制度を合憲とした平成9年11月17日
A表現の自由
・関税定率法のわいせつ物輸入規制を憲法21条・31条に違反しないとした平成7年4月13日
(2)刑事法的適正処罰違反の類型
@非当罰・非要罰行為処罰の禁止
・医業類似行為があんま師法に違反しないとした昭和35年1月27日(差戻審で有罪)
・コンタクトレンズの処方が医師法にいう「医業」にあたるとした平成9年9月30日
・ストーカー規制法が憲法13条・21条1項に違反しないとした平成15年12月11日
A不均衡処罰の禁止
・「い集」・「集会」の意義に関する広島市暴走族追放条例違反事件(平成19年9月18日)
B法益侵害の実質的危険がない行為の処罰の禁止
・公務員の政治的行為の禁止・処罰を合憲とした平成24年12月7日 総論覚え書 8 わが国における構成要件論の導入
わが国の構成要件論は、昭和初期、小野清一郎と瀧川幸辰によってドイツから継受された。
小野は、構成要件を行為の違法性を類型化したものであると同時に、行為者の道義的責任
をも類型化したものであるとし(小野「構成要件充足の理論」松波還暦〔昭和3年〕337頁以下)、
違法・有責類型説を唱えた。さらに、小野は構成要件に重要な刑事訴訟法的機能を認め、それを
刑事訴訟における指導形象であるとした。小野の見解は、団藤重光の「定型説」(団藤118頁)
に継承され、今日、わが国の通説となっている。
一方、瀧川説には変遷がみられるが、マイヤー流の認識根拠説(刑法講義〔昭和6年〕)から
メツガー流の違法類型説(刑法講話〔昭和26年〕)にまで至る過程で、ベーリング晩年の指導
形象論をも積極的に評価していたのが注目される(犯罪論序説〔昭和22年〕59頁)
なお、佐伯千仭は、Tatbestand を「犯罪類型」と訳したが(「タートベスタント序論」法学論叢29巻
3号〔昭和8年〕)、その基本的性格を「可罰的違法類型」とし、違法類型であるとした(もっとも、
「可罰的責任類型」としての性格をも認めていたことについては後述する) 総論覚え書 9 構成要件論の現在(1)
1 行為類型説
ベーリング流の価値中立的な構成要件論は少数説にとどまっている(内田・概要〔上〕152、
曽根・原論119)。
2 違法行為類型説
(1) 違法推定説(原則・例外型説)
この見解は、主として、主観的構成要件要素を認めない立場から唱えられている(結果無価値
論的違法行為類型説=平野99、内藤192、山口30)が必ずしも論理的必然性はない。この
ことは、この説が、行為無価値・結果無価値二元論をとるドイツの通説であること、わが国でも
二元論者である福田博士が支持していること(福田69頁)からも明らかである。
(2)消極的構成要件要素の理論
この説からは、犯罪論体系は、構成要件と違法性が一体化した「類型的不法」と責任の二段階から成り立つことになり、三段階
的犯罪論体系は放棄される(中93、井田91)。この説が、構成要件と違法性の区別を放棄して
まで、その一体性を主張する根拠は、主として錯誤の問題(ブーメラン現象)の解決にある
(中義勝・誤想防衛論〔1971〕、井田350)
(3)構成要件の違法性への解消説
「構成要件該当性は、規範違反性としての違法性を内容的に示したものであり、犯罪の概念の
中では、独立の概念要素をなすことなく、違法性という概念要素の内部で論ぜられるべきもの」
とする見解である(西原133頁) 総論覚え書 9 構成要件論の現在(2・完)
3 違法有責行為類型説
かつては通説であったこの説(団藤135、大塚145、大谷118)も、近時は結果無価値論の
台頭によってその地位を脅かされていたが、最近、結果無価値論の側から、佐伯仁志教授に
よって違法有責行為類型説が再び強力に主張されている(佐伯40頁)
4 違法構成要件・責任構成要件
佐伯千仭125頁は、可罰的違法類型該当性⇒違法阻却事由⇒可罰的責任類型該当性⇒
責任阻却事由という体系をとる。したがって、大塚122頁注4、大谷97頁注6が、佐伯説を
違法有責行為類型説に分類しているのは必ずしも誤りではない。
中山129頁注4は、佐伯説に全面的に賛同する。
西田74頁も、犯罪の成否は、違法構成要件該当性→違法阻却→責任構成要件該当性→
責任阻却という順序で行われるとしている。西田は、この説のメリットとして、「構成要件的
故意」を認める必要がないから、「ブーメラン現象」を回避することができることを挙げている。
松原51頁も、西田と同旨である。
5 客観的構成要件・主観的構成要件
従来、不法構成要件は、一つの観念形象であり、その要素として客観的構成要件要素と主観的
構成要件要素があると考えられてきた。しかし、むしろ、客観的構成要件要素のみからなる「客観
的構成要件」と、それを主観に反映する主観的構成要件要素のみからなる「主観的構成要件」の
二つの構成要件があり、それが犯罪論体系の中で合体することによって、「犯罪構成要件」を
形成し、犯罪論体系の第1段階となっているのではないだろうか(山中・犯罪論の機能と構造233頁以下)
因みに、前田説は、客観的構成要件⇒主観的構成要件⇒違法阻却事由⇒責任阻却事由と
いう体系を採っている。 ↓のブログ内などにて、
https://lsclsc.blogspot.jp/2017/09/blog-post_64.html
行政法の流儀が進められているが、
これは全くもって買ってはならない。
H26の設問2であらゆる処分ができないとしながら、
設問3でそのできない処分ができるという義務付け訴訟を提起するという無能答案。
H24・H27では損失補償が問題となっているが、これは採点実感で再三に渡って批判されている内容そのもの。
「こう書いてはならない!」と指摘されているにも拘らず、まさにその通りの記述であり、論外である。
伊藤たける氏は、慶應義塾大学内にて橋本先生に批判されている。
間違いだらけである。 たまに暇なときに12ch(放送大学)を見てるんだが
講師陣の顔ぶれがスゴイよ。
たとえば、日本政治外交史は
御厨 貴と牧原 出東大教授。
ちなみに、刑事法は白取祐司。 御厨先生って放送大学でもピンクのメガネなの?
あれは冗談のつもりなのか 総論覚え書 10 保障人的地位の発生根拠―学説の整理・整頓(1)
1 形式的三分説
作為義務の根拠を、@法令、A契約・事務管理、B条理・慣習に求める形式的三分説は、
すでに克服された学説であるが(現在でも形式的三分説をとるものとして、大塚153頁以下、
大谷136頁以下)、近時、高山教授は、条理を除外したうえ、契約・事務管理も民法に規定
されているという意味で「法令」に含まれるという理解から、「作為義務の統一的な発生根拠は
『法規範』」であるとされており注目される(高山佳奈子「不作為犯論」山口厚編『クローズアップ
刑法総論』(2003)67頁以下)
2 先行行為説―日義博『不真正不作為犯の理論』(1979)
本説に対しては、「過失の先行行為から結果が生じた場合に、途中で結果回避可能性と結果
の認識・認容があれば、過失犯が広く不作為の故意犯に転化してしまう」という批判(佐伯仁志・
注釈〔1〕287頁)が向けられている。
3 事実上の引受け説(具体的依存説)―堀内捷三『不作為犯論』(1978)
本説には、「法益の維持に向けた行為の反復・継続は、とりわけ偶然の作為義務のケースの
もとでは過大な要求ではないか、危険源監視義務(管理者の防止義務)の類型は認めなくて
よいのかといった点で疑問が残る」という批判(塩見・道しるべ34頁)がある。 総論覚え書 10 保障人的地位の発生根拠―学説の整理・整頓(2)
4 排他的支配領域性説―西田典之「不作為犯論」現代的展開T(1987)89頁
かつて、塩見教授は、西田説を「因果経過支配説」と呼び、「因果経過支配説も、規範的要素
を軽視する点で問題を残す。例えば、海で子がおぼれていても他に救助可能な者がいる場合、
『支配』の欠如により父親にも監視員にも救助義務が否定され、加えて、他の救助可能な者も
規範的要素が欠けるがゆえに義務を負わない。子はおよそ刑法的保護を受けられないとする
この帰結は不当と解される」と述べた(塩見・争点第3版〔2000〕19頁)
また、山中243頁は、「本説の用いる『支配概念』は、@場所的な『支配領域性』、シューネマン
の概念を異なった意味に換骨奪胎したA『結果原因支配』、さらにB「排他的支配」という三つ
の概念からなる」が、「結果因果経過の支配の概念そのものが、様々な支配概念の混同に
由来しているがゆえに不明確なのが本説の最大の問題点」であると厳しく批判する。
5 排他的支配+危険創出説―佐伯仁志「保障人的地位の発生根拠について」
香川古稀(1996)108頁以下
本説は、西田説と同様の基本的視点から、因果経過に対する排他的支配の存在を要求した
うえで、法益に対する危険の自己の行為(違法であることを要しない)による創出・増加を要件
に追加する。「危険創出行為が必要なのは、積極的に法益に危険を与える行為をしなければ
処罰されることはない、という『自由主義に基礎を置く刑法の大原則』からの要請」とする。 総論覚え書 10 保障人的地位の発生根拠―学説の整理・整頓(3・完)
6 結果原因支配説―山口厚「不真正不作為犯に関する覚書」
小林=佐藤古稀〔上〕(2006)22頁以下
本説は、結果原因の支配は、@危険源の支配とA法益の脆弱性の支配に分けられるとするが、
「どのような場合に『結果原因』を『支配』したといえるのかについての一般的基準は提示されて
いない点も問題であろう。その基準・根拠が明確にされなければ、結局は、社会的期待説
(機能的二分説のことー引用者注)における法益保護義務と危険源監視義務という義務二分論
に回帰するだけに終わりかねないであろう」という批判がある(西田125)
7 効率性説―鎮目征樹「刑事製造物責任における不作為犯論の意義と展開」
本郷縫製紀要8号(1999)353頁以下
本説に対しては、「誰が最も効率的に結果を回避できるかの判断は必ずしも明確なものでは
なく、また、効率性という経済学的概念で保障人的地位を決定することが妥当であるかに
ついては疑問がある」という批判(佐伯95頁)がある。
8 機能的二分説―山中敬一「不作為犯論の体系的再構成」
刑法雑誌36巻1号91頁以下
作為義務の発生根拠は、二つの場合に分類されるべきである、とする。第1は、当該法益を
保護すべき関係に立つ場合であり(法益保護型)、第2は、危険源を管理・監督すべき義務が
認められる場合である(危険源管理監督型)。そして、それぞれの型について、多くの下位基準
を設けているのが本説の特徴である。
西田123は、本説は、「結局、作為すべき者が作為義務をもつという一種のトートロジーでしか
ないと思われる」と批判している。 総論覚え書 11 行為論か構成要件論か
ラートブルフは、範疇論的体系(犯罪本質論的アプローチ)をとれば、犯罪論を行為論から
始める体系となるが(中山118頁参照)、目的論的体系をとれば、構成要件該当性から
始めることになると述べた(山中130頁は、現在では、このような必然的対応関係はない
とする)。
また、中山121頁は「行為論からはじめるか構成要件論からはじめるかという問題についての
態度決定のわかれ方を見てみると、行為論は実質的違法性論へとつながることによって
実質的な犯罪論へのアプローチを生み出すのに対して、構成要件論はむしろ形式的な
規範論的アプローチに親近性を示すという一定の法則性が見出される」として、前者の論者
として、佐伯・平場・平野・中・西原を、後者の論者として、小野・団藤・福田・大塚・香川を
挙げる。
行為論の代表的論者である曽根威彦は「犯罪論を単なる認識論・認定論にとどめることなく、
実体論的に把握しようとするのであれば、構成要件該当性・違法性・有責性という刑法的評価
を加えず、これに先立って、あらかじめ行為概念を明らかにし、犯罪を行為に限定しておく必要
がある」とする(曽根・原論88頁)
もっとも、構成要件論の論者も「犯罪概念の基底」としての行為を構成要件該当性の前に論ずる
意義を認めるのであるから(大塚96、福田55、香川72)、その意味では、「裸の行為論」を
認めるかどうかは、実質的には大きな相違ではないとも云える。 総論覚え書 12 客観的処罰条件
「犯罪とは、構成要件に該当する違法かつ有責な行為である」が、この定義に該当しても、
直ちに刑罰が科されるわけではない。国家の刑罰権が発生するためには、一定の条件が
充たされる必要がある場合がある。このような条件を「客観的処罰条件」という。
さらに、一定の事由が存在するために刑罰権の発生が妨げられる場合がある。これを
「処罰阻却事由」という。
学説の中には、これらの事由も犯罪の成立要件に解消されるべきだとする見解がある
(佐伯千137頁)。とくに「可罰的違法性」ないし「可罰的責任」のような可罰的評価を犯罪成立
要件に組み入れることを要求する見解は、これらの事由を違法性ないし責任に還元しようと
する。
松原義博・犯罪概念と可罰性(1997)は、この方向を目指して「可罰性」の考慮について詳細な
検討を加えた研究書である(リーディングス刑法351頁以下参照)
しかし、最近、逆に、客観的処罰条件ないし処罰阻却事由につき、それを「当罰性」ないし
「要罰性」の要件として、第4の独立の犯罪成立要件として位置づける見解も有力化している
(中野56頁以下、荘子邦雄・刑法の基礎理論(1971)63頁以下、朝倉京一「犯罪論体系に
おける可罰性の問題」荘子古稀211頁以下、板倉宏「非当罰的不問行為の概念」佐伯還暦
〔上〕133頁以下) 総論覚え書は都合により暫く休載します。
スレを独占して悪かった。 西田各論7版は芦部方式の改訂になるのかな?
だとすると、6版は買わなくてもいいのかな?買っておいたほうがいいかな? >>28
研究者目指してるなら第6版が重要になる。それ以外は第7班でおk。 橋爪法教連載(刑法各論の悩みどころ)、来月号で最終回か。
性犯罪はやらないのかな? >>5
遅レスだが、法学教室の来月号で評釈が載るみたい。
>「強制わいせつ罪の成立と行為者の性的意図の要否」(最高裁平成29年11月29日大法廷判決)◆曲田 統 >>5
今月号(2月号)にも評釈載ってるみたいだな。
強制わいせつ罪の主観的要件としての性的意図の要否(最大判平成29・11・29)…成瀬幸典……129 >>5
法学セミナー2月号にも載ってるみたい。
刑法/豊田兼彦
強制わいせつ罪における性的意図の要否
[最大判平29・11・29LEX/DB文献番号25449066] 市民的自由のための市民的熟議と刑事法 増田豊先生古稀祝賀論文集
伊東 研祐、小島 秀夫、中空 壽雅、松原 芳博 編著
(勁草書房)
ISBN:978-4-326-40353-0
出版年月:2018年3月
判型・ページ数:A5判・432ページ
予価:本体9,500円+税
「刑事法学の法倫理学的考察」を中心に研究を深めてきた増田豊先生に
ゆかりの深い研究者が、具体的な刑法判例や刑法基礎理論の今日的考察、
さらには刑事訴訟法、法哲学的な課題といった観点から、リベラルな
機能を有する刑事法学に不可欠な市民的熟議を発展させることを狙い、
論考を展開する。巻末に増田先生の略歴、業績一覧も収録。 過失犯の共同正犯について、
わが国では、いわゆる共同義務の共同違反説が通説だが、
これはもともと、第一期ロクシン説。当時のロクシンが過失犯を義務犯としていた時代の旧説。
その後、ロクシンは、過失犯の共同正犯否定説(第二期)を経て、再び肯定説(第三期、ただし
支配犯のカテゴリで論じてる。)に至っている。
それなのに、わが国は、いまだ共同義務の共同違反説が圧倒的な通説。
これはどういうことなんだろうか? LGBT(男色)のトラブルで取り潰された大名
http://agora-web.jp/archives/2030898.html
LGBTを認めないから人権侵害だと欧米からいわれるのは、なんとも不愉快だ。
というのは、欧米に比べて日本は後進国といわれているが、それは最近のことだ。私が大学生時代には、
刑法の平野龍一先生(のちに学長)から、次のように教わった。
「日本の刑法には欧米の国のそれと違って同性愛と近親相姦についての規定がありません。ただし、理由は別です。
近親相姦は法律に書くことすらおぞましいから書いてないのです。ところが、同性愛はいけないこととは思われてこな
かったから書いてない」 入門刑法学・各論〔第2版〕 (法学教室ライブラリィ) 新刊
井田良 (著)
税込価格:2,160円
出版社:有斐閣
発行年月:201803下旬 >>36 「過失半の共同正犯」という概念が実務において確固としたものじゃないという点が大きいんじゃないのか。
学説は何か新規なこといわなきゃいけない商売だけど実務は必要なければ無視するからその一つだろう。 刑法 第4版
木村 光江 著
(東京大学出版会)
税込3,564円、本体3,300円
ISBN978-4-13-032380-2発売日:2018年03月26日判型:A5ページ数:480頁
刑法総論・各論を有機的に一体化,一冊で全体像を把握できる信頼の
スタンダード・テキストを8年ぶりに全面改訂.最新の立法・判例を
カバーして重要論点を網羅するとともに,学習者の目線に立った記述
に徹し分かりやすくコンパクトに生まれ変わる.学生や各種試験受験
生を効果的な学習へと導く,信頼のスタンダード・テキスト. >>6
遅レスだけど塩見「道しるべ」 179頁で見つけた。
「不法原因給付と詐欺罪・横領罪」は、民法に対する刑法の独立性・従属性
という理論的問題の個別論点として議論が積み重ねられてきた(1)
(1)参照、木村亀二『刑法総論』(有斐閣、1959年)。不法原因給付物に対する
横領罪を肯定することは刑法を私法的概念から解放してその独立性を確立する
ものと評価する。 >>36
過失犯の共同正犯に関するロクシン説の変遷はそのとおりだが
「第一期」「第二期」「第三期」という云い方を誰がしているのか気になって文献を漁っていたところ
どうやら立命館法学2011年5・6号の松宮論文を参考にしたみたいだね。
なお、松宮論文では、わが国の共同義務の共同違反説のルーツは1970年の藤木論文にある
と思われる、としているが
年代的には内田文昭『刑法における過失共働の理論』(1973年、初出1967年)が先だと思われる。 >>43
いや、自分が参考にしたのは、内海朋子先生の『過失共同正犯について』です。 >>44
それは失敬。
2013年のモノグラフィーだね。
内海先生にはそれに先立つ2011年に「過失共同正犯論について」刑法雑誌50巻2号があるよ。
松宮先生の論文とどっちが早いのだろうね。 パート毎の初出時期が載ってないので不明です。
ただ収録論文はかなり長期(1998年ころから)にわたるみたいですね。 刑法各論 第7版 (法律学講座双書)
西田典之 /橋爪隆 (著)
税込価格:4,320円
出版社:弘文堂
発行年月:201803中旬 基本刑法U 各論 第2版
十河太朗、塩谷毅、大塚裕史、豊田兼彦 [著]
(日本評論社)
本体価格:(予定)3900円
Cコード:3032
発売予定日:2018-04-10
ISBN:9784535522404
判型:A5
判例の立場をしっかり理解できるテキスト。「基本構造」「重要問題」
の2段階構成で、徹底して明快に解説。2017年改正対応。 刑法各論 <第7版> 法律学講座双書
西田 典之 著、橋爪 隆 補訂
(弘文堂)
判型・ページ数:A5 上製 588ページ
定価:本体4,000円+税
発行日:2018/03/23
ISBN:978-4-335-30479-8
Cコード:1332
橋爪隆東大教授の補訂により復活、最新の法改正に完全対応の基本書!
豊富な具体的事例に基づき、刑法各論の解釈論を明快に提示した基本書の決定版を、
愛弟子の橋爪隆東大教授が、丁寧に補訂。
旧版の記述は、基本的に原形のまま残し、西田典之先生の解釈論を示すものとしつつ
も、この間の新法令の制定や法改正、すなわち、危険運転致死傷罪・性的自由に対す
る罪については、大幅に記述を改めた。最近の判例・裁判例の内容も加筆し、文献の
アップデートも行った至れり尽くせりの待望の最新版。 芦部信喜・高橋和之型の名著になるか
四宮・能見型の駄本になるか 山口各論もけっこう古いから改訂してほしいんだが
まあしばらくは無理だよなぁ 憲法研究者、LSC元管理人にバカにされる。「憲法学は漢字練習」。
憲法学研究者は総じてクズ。
青柳司法試験漏洩事件、中島破廉恥メール事件、倉持山尾ダブル不倫事件。
.
学習時間を削るべき科目はいずれかと聞かれれば、それは間違いなく憲法だと答えます。
深く学ぼうとすれば限りがなく、また、費用対効果が最も悪いからです。
過度なインプット学習は全く無意味です。
大学受験で言えば、漢字練習のようなものにしかなりません。
https://lsclsc.blogspot.jp/2017/09/blog-post_64.html >>56
自分の頭の毛の量でも数えてから言ってくださいねw 西田各論を駄本呼ばわりするあなたの基本書を総論各論ともに教えて欲しい。 総論は司法協会を使っているんだけど、各論は何がいいのかな?
教えてケロ 西田でいいんじゃないの
高橋、山口ユーザーもけっこういるみたいだけど、実務家のシェア率も高いらしいし、無難なところ
ただ、俺のおすすめは山口 なるほど。
ありがトン!
井田+佐藤の「新論点シリーズ 刑法各論」なら「同じ行為無価値だからいいかな」
って思って読んだけど、なんか「違うな」って感じたので…
やっぱり西田各論は評価高いんですね… >>60
薄い中森もいいけど性犯罪の改正に対応する予定は当分ないらしい。
東大の樋口先生が教科書にしてる犯罪事実記載の実務も悪くないが、西田が無難かと。 柴田孝之の本にも、修習生のシェア率が高いと書いてあったよ
薄いし、内容も信頼できるから受講生に勧めているとか 西田・橋爪を使うなら、法教の橋爪連載をコピーすると良いよ。 そなのか…
橋爪さんの連載、全然知らなかった。
皆さん方、貴重な情報、ありがとうございます。
それにしてもシケタイとかの予備校本って、どうして「つまらない」んだろう…
あれを読めるヒト(苦痛に耐えることができるヒト)は、ある意味、尊敬に値する。 刑法って短答でも学説が聞かれるからね
判例通説に反論しまくっている本格派を使うに値する科目だよね
これだけは、こだわって損はない科目だと思うわ >>66
あと、法教連載では性犯罪について扱ってないけど、
法律のひろば2017年11月号4-15頁に橋爪教授の解説が載ってる。 わかりやすく書くということは、その反面重要な情報が抜け落ちるということでもあるからなぁ。 しつこいようだけど、講義案を使っていて時間があるなら、山口の反論も知っておくといいよ
抽象的法定符合説は法定符合説ではない、とまでいっていたりするからね
こだわりすぎるのもよくないけど、予備校本をつまらないと感じるならば、何かしら得るものはあるはず 予備校本は学説がカタログ的で、アフェクションが感じられなくて、
多分、それで読んでて面白さが感じられないのかと…
確かに講義案で、符号説のところの用語の使い方にも疑問を持ったところはあります。
ただ、山口さんは、青本しか読んでなくて「ちょっと平板だな」って思ってしまって…
今度、分冊の方を読んでみます(食わず嫌いなのでしょうね)。
ご親切にありがとうございました。 樋口は事例の参考書としてその実務本を使ってるだけで
検察寄りの理論もどきには目つむってねと言うてた とても簡単なPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
知りたい方だけみるといいかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
LS8PR 初学者の質問です。
営利目的等拐取罪の目的を身分とする学説(西田など)がある一方で、
身分犯と捉える必要はない(あるいはこの議論すら載せていない)とする基本書がありますが、
この議論の実益や司法試験的にどのように理解しておけば良いのかがわかりません。
何卒、ご教示お願いいたします。 >>78
競馬を見ながら書いているので全文引用できないが
答えは山口各論95頁、同注18に書いてあるよ。 >>80
不躾なお願いで恐縮ですが、その内容を引用してくださらないでしょうか。
近所の大型書店で山口各論が品切れだったためまだ疑問が解決していません。 >>81
君の大学には図書館というものはないのですか?
手間がかかるが国会図書館という手もあるよ。 >>82
初学者ではありますが学生ではありません。市民図書館には蔵書がなく困り果てた結果のお願いでした。
さようなら。 いま酔っているから間違いがあったらすまんが
判例どおり、主観的違法要素として身分犯と解すればいいんじゃないのか
というのが山口の見解っぽい >>84
ありがとうございます。西田に書いてあることと、そう大差なさそうですね。 前スレで曽根=松原編『重点課題刑法総論』・同各論は
他の論文で全く引用されておらず学問的に価値がない、みたいなことを書いたが
塩見・道しるべを読み直したら10数か所で引用されていた。
曽根学派の皆さまにはお詫びします。 塩見・道しるべ だが、手薄だけど内容は濃いね。
ただ、牧野・木村・小野はともかく
江家・宮本・泉二らの引用が多く
とても初学者にはついていけないだろうね。 山口先生の補遺、最高裁判事だからあえて争いのない事実しか載せてないんだろうね。 山口先生といい井田先生といい
ネットで補遺が手に入るというのは良心的だね。
あの改訂大好きの行為無価値の大家はどうするんだろうか?
新版第5版を出してまた印税をお稼ぎになるんだろうか? ヴェテが山口各論の註をコピペしてやらなかったのは競馬に負けでもしたのか?
かわいそうな初学者ちゃん。ケチくせえなあ。 大谷先生のことだろうけど、
成文堂のHPで性犯罪関連改正の補遺をDLさせてるよ。 >>93
競馬のせいもあるが恰好よく云えば「自称初学者に自分で原典にあたるという
姿勢を身につけてほしかった」から。それにオイラはワードが極端に遅い。
丸々1頁コピペするのに30分はかかる。
>>94
それは失礼なことを云ってしまった。 中山刑法の特色ーそのイデオロギー性
爆発物取締罰則や暴力行為等処罰に関する法律などは、その沿革と内容からしても、戦前の
治安立法に対する憲法的観点からの再検討を要する(4頁)
治安刑法の問題は、刑法のイデオロギー性という根本問題につながる。それが、より明確な形
で争われるのは、いわゆる労働公安事件においてである(6頁)
マルクス主義の観点からは、ベッカリーアが、犯罪を悪しき意思の結果ではなく、社会的条件
の産物と考えていたこととともに、私的所有の擁護者ではなく、「・・・かかる三重にも呪うべき
中世およびこの『神聖な私的所有』に対する呪われた『尊敬』」(レーニン)をもたなかったという
点が積極的に評価されているのが注目される(21頁)
ベンサムも注目されているが、所有制の保守的な擁護者であったとの批判にも留意すべきで
あろう(22頁)
啓蒙主義の法思想は、近代的な資本主義的商品生産とその等価交換のシステムを「事物の
本性」として葉反映するものであった(22頁)
東独のゲラーツは、フォイエルバッハを、刑法の分野におけるブルジョア・自由主義的形式主義
の代表者であると特徴づけている(22頁)
マルクス主義の観点からはさらに、独占資本主義(帝国主義)段階における「政治的反動」の
側面からの影響がつけ加えられることになる。労働運動および革命運動に対する抑圧と体制
の防衛こそが、社会防衛の中心的課題だったとされる(27頁)
ロンブローゾの見解については、人類学的な犯罪原因論が、資本主義の欠陥と社会政策の
貧困を隠蔽する役割を果たすものだとする批判が、フランス環境学派から提起されていた(27頁) 松宮刑法もイデオロギー性をもってるよね。
基本的に謙抑的なんだが、公務員犯罪については厳しい。
森友事件についても背任罪の成立を主張しているし、
過失の共同正犯積極説をとって、処罰の拡張を容認している。 >>97
?
現在の学者で中山先生と類似のイデオロギー性をもっているのは
論文の詳細は挙げないが、むしろ浅田先生ではないか。 あ、
森友事件に過失の共同正犯が成立すると言ってるわけではないよ。 つまり、一般市民の犯罪には謙抑的だが、
公務員犯罪については処罰に積極的。
これは、イデオロギーとしてはともかく、理論として一貫しているのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています