【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】41
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*悟りを開いた人には偉大な知恵があるらしいわ。
*生活のことなんでも聞いてみましょう。
*あるゆる悩みを聞いてみましょう。
*罵倒、批判だけのレスはスルーよ。
前スレ【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】40
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1506938464/l50 あらあらしき言葉を語らず
道理と真実の言葉を語り
言葉によりて何びとをも傷つけざる者
かかる者をわたしは修行者という
釈迦 >>366 このスレだけ身内用語で盛り上がってるみたいで、身内だけの内部世界があるのかと。
他スレから来ましたと書いたほうがよかったかな。 たとえば、「お前はこの律と法を知らぬ、我はこの律と法を知っている。
お前にはとてもこの律と法を知ることはできまい」とか、
「お前のすることは間違っている。私のすることは正しい」とか、
「私の言い方が正しい。そなたの言い方は正しくない」とか、
「そなたの言論は微塵に打ち砕かれた」とかいうがごとく、
争論のことに夢中になっているものがあるが、そのような争論も慎む。
これもまた、修行者の戒のひとつである。
釈迦 >>372
身内用語というか仏教用語でしょ
wikiとかに書いてあるよ >>373
そうだよね
悟りに近い人はこうだよね
怒ったり、他人を馬鹿にしたりするのは修行出来てない証拠だ >>373
と、釈迦になったつもりの妄想をするキチガイでした。 >>375
と、怒り、他人を馬鹿にするキチガイであったw >>375
本来、悟りに遠近はない。
糞凡愚が分別し、勝手に悟りはかくあるべしと妄想し、遠近を設けているだけだ。
おろかなり、凡愚の者よ。 糞凡愚は戒律を見誤っている。
戒律は世俗との妥協であり、また、禅定や智慧を発見(はつげん)するための手段に過ぎない。
然るに、糞凡愚は戒律を守るのが仏道と考え、自ら迷悟の六道を彷徨う。
愚かだ。 糞凡愚よ、
親鸞さんはこう仰っておられる。
「たとえば、ひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定すべしとおほせさふらひしとき、おほせにてはさふらへども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼへずさふらふと、まうしてさふらひしかば、さてはいかに親鸞がいふことを、たがふまじきとはいふぞと。これにてしるべし、なにごとも、こころにまかせたることならば、往生のために千人殺せといはんに、すなわちころすべし。
しかれども一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべしと、おほせのそふらひしは、われらがこころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることをおほせのさふらひしなり。」
(歎異抄第十三条) >>379
∞ノノハ∞
川^〇^ハレ糞凡愚がいるとすると糞覚者もいそうだねおぉ〜w
はっはっは! 糞凡愚よ、
禅宗でもいう
「不思善、不思悪、正与もの時、那箇か是れ明上座が本来の面目と」 >>382
君が正しいか知らないけど
人に糞凡愚なんて書いてしまう人が
禅宗を語ると、禅宗のイメージが悪くなるよ。 >>383
正しい?
糞凡愚w
本来正誤なんかない。正誤は糞凡愚のはからい。
禅のイメージ?
糞凡愚は虚空に落書きをするw 鬼和尚
熟睡中→無認識で無我
目覚めた直後→無我だけど認識あり
その後→自我を記憶から認識して再構成する
合っていますか?
それと、この自我が形成される過程を観察できれば自我は厭離されるんでしょうか? >>384
その糞凡愚が気になる君はいったい何者なの?
糞凡愚ではないのだろ? 見性体験をしたと自称する人が、人を導くわけでもなく、自分が正しいと他人を批判して騒ぎ立てるのは何故なのでしょうか?
修行者が注意すべきことは何でしょうか? >>387
糞凡愚は、吐き捨てられた言葉の正体を求めて迷悟を彷徨う。 こちらにはお構いなく、あなたの師の元でどうぞ修行なさっててくださいよ。 >>361 けんしょうなのじゃ。
自らの性質を見ることなのじゃ。
自分が臆病とか見たらそれが見性なのじゃ。
>>363 天の者は寝ないのじゃ。
地獄の者は常に眠りの中にいるのじゃ。
悪夢を見ているのじゃ。
植物にも自我は有るのじゃ。
かすかなものであるがのう。 >>385 そのような理解でよいのじゃ。
観察できれば自我も厭離されるじゃろう。
寝ぼけていては難しいかもしれんがのう。
実践あるのみなのじゃ。
>>388 劣等感からそのように書いているだけであるからなのじゃ。
もはや狂気と地獄の入り口にいると言えるのじゃ。
そのような哀れな者を見て、自らは身口意を慎み、日々本心を真摯に観察すると善いのじゃ。
そうすればそのような堕落はしないですむのじゃ。 >>390
只在る事かくの如し。
糞凡愚は存在に理由を求めて迷悟を彷徨う事、かくの如し。 >>392
糞凡愚w
見が性で性が見だ。
だから自性を索るに得られる事はない。
即ち自性は無性、無我。 >>393
糞凡愚よ、
本来正誤、優劣は無い、狂気も正気もない、地獄も極も無い。
糞凡愚は分別し、極楽と地獄の間を彷徨う。 >>388
糞凡愚よ
人を導く?正しい?
本来、導く先などないし、正誤も無い。
糞凡愚は分別しては行き先を求めて迷悟を彷徨う。
愚かな。 >>399
まさに糞凡愚
糞凡愚はわざわざ無分別を分別する。 糞凡愚よ
あー言えばこう言う。屁理屈が減らない。
糞凡愚でなければ気にもしない事をわざわざ気にしている糞凡愚。
自ら迷悟に陥り彷徨う糞凡愚。 汝らがもし、仏を愛し、凡夫を憎むようなら、迷いの苦海に浮きつ沈みつ果てしがないであろう。
(臨済録) 仏教の教えに「悪口は自己紹介」と言うものがある
その文句はあなたの鏡です
悪口を言う人間は、悪口を通して自分の内面の秘密をばらしているにも等しい
人間は、他人の悪口を言うとき無意識のうちに、自分が気にしている事を言ってしまうものらしい 糞凡愚w
吹いたw
糞凡愚は彼岸にある釈迦や臨済の智慧の言葉を、此岸の分別で解釈して口真似し、自我を肥大させ、口撃材料と為す。
だから糞凡愚と罵られる。 糞凡愚でなければ何も気にもしないはずなのに、わざわざ気にして怒りまくっている糞凡愚。
糞凡愚故に只の言葉に引っかかり、いつまでも忘れる事無くて根に持つ糞凡愚。
糞凡愚故に自己の釈明に仏典を引用する俗物糞凡愚。
糞凡愚、糞凡愚、糞凡愚。 >>406
只の言葉に引っかかり、只の言葉が気になり
このスレに書き込んでるのは君だよ
参禅した成れの果てが君なら
誰が参禅しようと思うだろうか。
禅や仏教や文字に囚われた者がいかに哀れかを教えてもらい
このスレの皆さんの反面教師になっていただきありがとうございました。 >>399
惑わされてはならぬぞ
その者は糞凡愚って言いたいだけのニートである
俺、覚者だから間違いない >>407
> このスレの皆さんの反面教師になって
> いただきありがとうございました。
まさに糞凡愚w
このスレの"皆さん"?
自作自演のマッチポンプでエセ仏教の知識を吹聴し、和尚とかと騙っては自我肥大に満足している幻聴キチガイ野郎に、呆れて誰も寄り付かないこのスレの"皆さん"?
お前と俺だけだろ。 >>408
>俺、覚者だから間違いない
だろうな、糞凡愚w
これがきさまの正体だ、糞凡愚。
糞凡愚、糞凡愚、糞凡愚! >>411
∞ノノハ∞
川^〇^ハレっ●飴ちゃんあげるお♪ >>407
>>408
糞凡愚よ、ざまーない。
全てはお前の正体を暴く為の芝居だよw
武士の情けで此処ではお前の宗教板でのコテハン名は伏せておいてやる。
マッチポンプの自作自演のQ&A。
気に入らない相手に対しては名無しのアバターを多数駆使して徹底的に虐める嫌がらせ。
賛同者を装った自画自賛。
お前は人間の屑だ。
糞凡愚未満だ。
以上。 >>411
いやいや俺マジで悟っちゃってるからw
無我の境地だから
お主は無我でなく無職であろう
KSOBONG >>413
キモw
コテハンとか付けた事ないんだけど 男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、
ひどい言葉を投げかけます。
それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、
黙ってその男の悪態を聞いていました。
お釈迦さまは静かにその男にたずねました。
「もし他人に贈り物をしようとして、
その相手が受け取らなかった時、
その贈り物は一体誰のものだろうか」
「そりゃ、言うまでもない。贈ろうとした者のものだろう。
わかりきったことを聞くな」 男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。
「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。
でも、私はののしりを少しも受け取らなかった。
だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」 糞凡愚は自ら墓穴に埋まる。
俺の知った事ではない。 >>416
糞凡愚よ?
お前は自分をお釈迦様に比しているのだな? >>417
もとの話はお釈迦様の弟子を貶した話だった気はする
でもなるほどいい話だね >>414
>いやいや俺マジで悟っちゃってるからw
>無我の境地だから
糞凡愚、まさに糞凡愚w >>413
>賛同者を装った自画自賛。
まさに自演中w すごく見苦しいのですけど
あの、ここは悟りを開いた人がいるのですよね? >>428
あくまで悟ったっていう体で書き込むスレだろ?
本気にするなよ 仏教の最終的な目的は衆生を救うことなんですよね
糞凡愚=衆生なんですか? おや?昨日から今日に掛けてやたらスレが進んだが、また何かのスイッチが入った人が出たのかな? >>413
俺にコテハンがあると思ってるなら
ここに晒してみてよw
君多分病気やでw 鬼和尚の伝説になりそうなんで怖いんですが。
自分が書いたレスすら忘れている。 鬼和尚
天の者は寝ないということですが、寝たいと思わないのでしょうか?
疲れたりもしないのですか?
地獄の者は眠って悪夢を見ているということですが、地獄は実際には存在しないのですか?
夢を見ているということでは、天もこの地上の人生も同じような気がしますが。
植物にも自我ってあるんですね。
感情や思考はありますか? 仏教というかお釈迦様の教えは素晴らしいと思うけと、今更、天国とか地獄とか本気で信じられるの?
植物には脳はないから意識もないよ
もし意識があったら、木の枝を切って他に移植したら意識はどっちに行くの?増えるの?ありえないでしょ 仏教でいう意識について
(wiki引用)
意識(いしき、サンスクリット語: मनोविज्ञान、mano-vijñāna)は、六識の一つ。意根によって起こり、法境を了別する心王(しんのう、心の主たるもの)をいう。これに4種ある。
独頭意識 他の五識とともに起こることなく、独り生起して広く十八界を縁じる。
五同縁意識 他の五識と同時に起こって、ともにその境を縁じ、明了依となる。心の現量。
五倶意識 五識と同時に起こって五境を縁じ、傍らに十八界を縁じる。
五後意識 五倶意識の後念に生じて、前念の五境の境を縁じて、他一切法を縁じる。
「識」は心王を表し、意識は、五感の眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)の前五識と区別される第6番目の心(第六識)である。
よく自覚的という意味で「意識する」ということがいわれるが、それは仏教では心所(個別の心作用)の作意(注意する働き)、あるいは唯識でいう自証分の働きなどに求められる。もっとも、前五識が明瞭に働くのは、それらに意識が同時に働いているからである。
前五識は五根(眼・耳・鼻・舌・身の五つの感覚器官)に依り、五境(色・声・香・味・触の五つの感覚的対象)を認識するが、意識は意根という器官に依り、法という対象を認識する。この場合の法とは、物質的・精神的一切の事物を含む。
また、前五識が現在の事象のみを対象とするのに対し、意識は過去・未来・現在の三世を対象とする。さらに、前五識はいわば無分別のあり方で対象を認識するのに対し、意識には、過去を再構成したり推理したりする働きがあり、分別のあり方が顕著である。
言語活動なども意識に固有の機能である。よく執着ということがいわれるが、仏教ではそれは悪見(誤った見解を固執する働き)の一つであり、それも主に意識と相応する。
意識は聖教(経典)を対象として、心が清浄(しょうじょう)になる道を開くものである。
唯識派では、第六意識のほか、第七末那識、第八阿頼耶識をたてる。
西暦6世紀に中国に現れた天台は第八識のその奥にあらゆる精神の働きを突き動かしている第九識(阿摩羅識、または根本浄識)の実在に到達した。 植物に意識があるかないか?
そもそもそれが意識なのか反応なのかは判別は不可能じゃないかな?
仏教でいうところの意識は、一般で言われている意識よりも反応に近い解釈に思う。 仏教は無我説だからね。
主体たるものの本質を空(無我)と説いている。
つまり、意識の主体たる本質は空だと。
縁起によって生ずる意識。 はんのう【反応】
生体が、刺激を受けた結果として変化や活動を起こすこと。 >>440
そもそも仏教用語として「意識」と書いたわけじゃないし...
その解説を読むと植物には意識はなさそう
意識のためには器官が必要なのでしょう
植物には感覚器官はなさそう >>441
本質は何か別のものなのか知らないが、仮初に植物となっているものに意識があるかという話なのだから
この際その本質は関係なさそう >>445
元の質問には「自我」は書いてあるけど「意識」は書いてないよ 今後、AIが発達するにつれて、意識か反応かの問題は出てくるだろうね。
俺は糞凡愚だから、両者(意識と反応)の境界線が分からないし、もし、隣の人のそれが意識なのか反応なのか、証明出来ない。 一体証明出来ることなんてそんなにあるかな
証明を求めることは難しい
例えば、私以外に人間が本当に存在しているのか私には証明出来ない
証明は期待してもしょうがないでしょう
根拠が十分にあって確からしいというあたりで満足するしかない 自分(自我)とは何か?
仏教では相互依存性縁起を説くので、相手があっての自分と説いている。
その自分を分析すると五蘊から成り立っているそうだ。
ごうん【五蘊】
人間を成り立たせている五つの要素。色(しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用)・識(=意識)。 確か仏教だと魂があるのは虫くらいまでじゃなかったかな? トゲがあるから引っかかる。
本来トゲなんかないけどね。
糞凡愚と呼ばれて反応すんのは、トゲがあるからw
対象として糞凡愚を捉えるから。
だったら対象を消しちまえばいいい。
糞凡愚はトゲを取り除こうとする。
除いたところで対象は無くならない。
俺は糞凡愚に成り切る。
糞凡愚になっちまえば対象も無い。 善悪因果経
アーナンダよ、吐く息がくさい者は前世でどのような者だったかわかるか?
そう、人の悪口ばかり言っていたような者である。
誰にでも丁寧に接して来た者は来世で背丈の大きな人に生まれるし、規則を破ってばかりいた人は背の低い人に生まれてくる者 お釈迦様なら糞凡愚なんていう差別的なことを考えないだろうなあ
後代の人たちがいろいろ権威をつくったからそんな言葉が生まれたのだろう 本来、言葉に綺麗汚いは無いんだけどね。
分別するから浄汚の妄想が生じる。 ↓クソワロタw
>>407
>>408
糞凡愚よ、ざまーない。
全てはお前の正体を暴く為の芝居だよw
武士の情けで此処ではお前の宗教板でのコテハン名は伏せておいてやる。
マッチポンプの自作自演のQ&A。
気に入らない相手に対しては名無しのアバターを多数駆使して徹底的に虐める嫌がらせ。
賛同者を装った自画自賛。
お前は人間の屑だ。
糞凡愚未満だ。
以上。 >>456
そりゃあ、そうだろうけど、使っている人と受け取った人の意識の問題ではあるが
日本語として、この言葉はこういう意味という共通理解がある上で使っているわけでしょ
なんでそんな言葉を使うのかな?
聞いた人がどう思うとか考えないのかな?
思いやりとかはないのかな? >>460
己が無我であると一生懸命に主張しておる >>465
主張しようがしまいが無我でしょ?
自己の本性を索るに得られる事はない(無我)のだから。 >>466
無我でない我が知識で無我と言っても何も意味ないでしょ >>466
無我って自分のレスの恥ずかしさに気づかない事ですね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています