今じゃ考えられない昭和の生活◆77©2ch.net
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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。 。 | チャンネルも電話もラジオのダイヤルも |
\ / | 車のウィンドーも回すものだぞゴルァ!! |
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|:::::|| ̄過去ログ ̄|(ii)| ∧∧ )ノ
|:::::|| .>>2 |(ll)| (,,゚Д゚)⊃=ムo ジーコ
|:::::||_ .>>3__|::| ノ ⊃ 。_。§ ジーコ
. ‖‖  ̄ ̄ ̄ ̄ ‖‖ とと,_, )) /(=)ヽ
 ̄ ̄
【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆76
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1494685877/ 高度成長期の日本の状況
・ハワイが一生に一度いけるかどうかの夢の国
・パイナップルの缶詰がぜいたく品
・うなぎ、マグロ、牛肉は庶民の口にはめったに入らない
・お菓子といえば、焼き米、かきもち
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・公害病が各地で大発生、交通戦争、受験戦争
・バリアフリーなんかなく、障害者になったら一生病院か蔵の中
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・とにかく街中工場排煙とドブ泥、腐敗臭が満ちていた
・クラスに2−3人は小児喘息をかかえた同級生がいた
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・電車に乗ると超汗臭いオヤジが必ずひとりは乗ってた
・はしけから通っている水上生活者の同級生がいた
・上野不忍池の畔にはぼったくり屋台のおでん屋がいた
・大人もヤクザが怖くて馴染の店以外は夜飲みに行けなかった
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・集団予防接種の針は使い回し
・ビルの基礎工事で昼間は杭打ち機が一日中コーンコーン
・台風が近付くと大概は停電もセットで発生
・国鉄はほぼ毎年ストライキで運休する日があった
・ほとんどの家は木造平屋、プロパン、トタン屋根も非常に多い
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる 平成になる時に候補に挙がった元号
修文 しゅうぶん
正化 せいか
永安 えいあん
乾徳 かんとく
昭徳 しょうとく
天興 てんこう
興化 こうか・きょうか
光文 こうぶん マグロ安かったじゃん。
シーチキンなんて、今では木くずみたいなのが詰めてあるけど、昭和の頃は贅沢に缶一杯の一枚肉だったぞ。
丁寧に刺身や寿司にするだけでなくて、煮つけとか唐揚とかフライとかにしてたぞ。小学校の給食にもマグロの唐揚が出るくらいだったのに。 >>1
いちょつ
昔はあちこちの山が伐採され、ひどい所はハゲ山となった
言い換えると「極めて日当たりの良い山林」だらけだったおかげでマツタケがそこら中でとれたそうだ
それを専門に運ぶマツタケ貨物列車があったり、単価はシイタケの方が遥かに高かったとのこと 昭和の頃は安くて逆に今高いものって何があるだろ?
クジラとアジアアロワナ以外で。 >>10
大量生産大量消費されていた工業品が時代とともに少量化になったものとか、
自然環境の変化で以前は大量に採れていたのに今では減ったものとか色々あるんじゃね?
具体的にと言われたらちょっと困るけどw
上に書いたマツタケの他ではホッケ、クジラとか こないだデパートで一枚250円の畳鰯(しかも一枚ずつバラ売り)見て、腰が抜けそうになったよ。
昔やすかったけど今高いもの、天然ものだと数の子とシシャモ。工業製品だとマッチ。 そういや生まれて一度もシシャモ食ってねえな。多分売ってるのも見たことない
どこに置いてあるんだろ 北海道出身だけど俺もそこら辺のスーパーでは見た記憶がない
現地まで足を運ぶか、あるいは通販で手に入れるか
いずれにせよ高そうだけどな それを言うならシメジも食った事ねえわ
ブナシメジじゃなく「香りマツタケ味シメジ」のホンシメジな >>21
そこまで言う人がホンシメジの栽培技術が確立されたのを知らないとは意外だわ
近年これのおかげでスーパーに安価な養殖モノが流通するようになった
もちろん天然モノには一歩劣るけど、「味シメジ」の不動の地位はしっかり守られてるぞ
おれがよく買うのはこれ↓
http://www.kyotamba.org/wp-content/uploads/80f57f02dda13a42e8eb29c8fb98333c.jpg >>22
おお、マジか
10年以上前の認識でいたわ
今度探してみる、サンクス >>23
ぜひゲットしてみてくれ
シャレにならんぐらい本当に旨いから
どんな料理にも合うし汁物や煮物にしてもうま味成分が希釈されることはない
油炒めにしたらその成分がギューっと凝縮されて、ガチで腰抜かすほど旨いぞ >>22
最近スーパーでやたらでっかいシメジ売ってるなーと思ったら
これが本シメジだったんだね、今度買ってみよ
子供の頃はヒラタケ→シメジ、ブナシメジ→本シメジって名前で売られてて
母親が「本シメジの方が美味しいけど高いからねえ」と言ってヒラタケ買ってた
最近はスーパーでブナシメジ88円、ヒラタケ158円くらいで売られてるな >>25
ぜひホンシメジデビューしてみてくれ
ブナシメジに比べると少々(多々?)お高いけど、その何倍ものコストパフォーマンスを保証する
イイ流れで新スレ保守できそうだなw >>20
広大な北海道にまんべんなく物流があるわけでなし勿論産品も地域制が出るわけだし >>25
ヒラタケ美味いだろ。木曽義仲の大好物だぞ。 >>20
去年は柳葉魚が豊漁だったらしく、いつもより安くその辺のスーパーで売ってたわ >>5
元号に慶応明治があるならば、次は早稲田か立教か >>17
近所のスーパーに結構置いてあるよ。6匹で780円くらいする。
一度食べたけど、まあカペリンとそんなに区別付かないというか
味が上品だから貧乏舌の俺にはカペリンの方がいいかも知れない。 >>31
三文字の元号は前例がないからダメ。法政は頭文字Hが平成と被るからダメ。
論理的に次は立教か中央だね。 >>31
どっちも元号が先で後から大学名でしょうに 学習院な皇族ゆかりみたいで良い元号。
なんならICUという元号もかっこいい。 成蹊はもともと中国の文献にある言葉だから、意外にいいかもしれないが、Sだからアレだな >>33
二文字があって四文字があるから三文字でもいいだろ >>37
忖度すればそうなるな。
こういう議論でなぜかいつも蚊帳の外の東大哀れ。 昔は魚はとっても安くてお肉は高かったですよね。今は魚より肉の方が安かったりして。
消費量の問題かな。骨があるのがダメって子供が多いみたいだし。 >>45
今の還暦以前はお魚が御馳走、還暦以降はお肉が御馳走なんだったっけ。
お肉と言えば牛のことの関西では、普段食べるたんぱく質は海が近い地域が多いのもあって
お魚でした。 何を根拠にそんないい加減なこと書いてんだろ、この人 ひえとか粟とかって昔は安いもんだったんじゃない?
今は雑穀は健康食として売られるから、白米より高い。 何故、還暦が境界線なんですかねえ?
60年前に何か大きな価値観の変動があったの?
食糧事情の変化があったの?
農業政策に転換があったんですか? >>46
異世界から来たんじゃない?
その世界では60年前に何か大変動があったんだよ >>49
筒井康隆が「わかもとの知恵」でそんな風なことを言ってた記憶があるの。>肉と魚境界線
今還暦の人の子供時代に「マルシンハンバーグ」が発売されたのが価値観の変換点なのかなあ。 ファミレス黎明期の頃 (昭和末期)
私ら年寄りは肉が食えない。と言う年寄りは少なからずいた。
(食えないというか、肉より魚が好き。肉は普段食べない)
そう言うお爺ちゃん・お婆ちゃんにも
店に来てもらおうとして、とんかつを和風風味で提供した。
その結果 とんかつが
洋食から和食に変わった。 >>53
ファミレスみたいなもんほぼなかった昭和40年代、街のトンカツ屋は和食風味だったよ。
ごはん(茶碗で出てくる)味噌汁、キャベツおかわり自由、ソースが壺に入ってる、和辛子も小さい壺に入ってる……ってな感じ。
もちろんナイフ&フォークじゃなく、割り箸出てくる。 本人以外は誰も知らない謎昭和知識が、次々と登場してくる流れ >>55
地域や住んだ場所によって微妙に記憶や環境も異なってるとしか… ちなみに、昭和29年生まれの群ようこ(東京在住)は、母親がスポンジケーキや焼きリンゴを作って
くれたり、タミーちゃんを買ってもらったり、ピアノを習ったりテレビで子役の仕事をしたりしてる
けど、昭和39年生まれ(高知在住)の西原理恵子はそんな経験がほとんどないという。
昭和30年代の東京の方が、昭和40年代の高知より環境的にははるかに豊か。 ごめん、ファミレス以前のトンカツは洋食だったってのは、地方では一般的な話なのか?
その人が自分の見たもの=全世界なのかと思ってしまったけど、自分もそうかも?
ちなみに街のトンカツ屋云々は、東京。 >>45
肉はむちゃくちゃ高かったよな。特に牛肉。
デパートの精肉売り場には100g 5000円の肉とか
普通に並んでた。横浜の高島屋には100g 12000円まで
あったわ。最低が100g 2000円くらい。ステーキ屋も
最低が一人前5000円くらいから。ハラミステーキで
1000円というのは画期的だった。
たまに親父が奮発してステーキを家で焼いて食べてたんだけど
肉屋に一万円札持って2人分のステーキ肉を買いに行って
お釣りが小銭だけとかだった。 >>57
そのケースだと、東京と高知というより、階級格差の方が大きいような。
同じ高知でも昭和10年生まれの倉橋由美子はモダンなお嬢様育ちだし。
戦争を挟んで生活レベルの低下や生活様式の保守化があったとしても、その辺りは補いきれないかと。 >>57
>昭和30年代の東京の方が、昭和40年代の高知より環境的にははるかに豊か。
嘘ばっかり書いてんじゃねーよ 昭和38年生まれの岩手県庁所在地で育ったけど
姉も私もピアノを習いタミーちゃん持ってた
ピアノじゃない子はエレクトーン
ウチは手作りお菓子ドーナッツぐらいだったけど小学校の同級生はスポンジケーキやマドレーヌ作ってもらっててうらやましいかった
地方といっても県庁所在地か否かの文化差や世帯収入などで個人差あるよ 高知は知らないが東京の公害が酷く、少なくとも「環境が豊かだった」とは言えないソース
昭和24年には早くも公害防止条例が制定
ID:JcxBsq+fは例の自分の体験=この世の全てという60歳児のカン違いバカ
https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/honbun.php3?kid=150&bflg=1&serial=1735
1 公害行政の成立(昭和30年代)
公害問題は既に戦前においても発生し、明治10年頃からの足尾銅山の鉱毒事件、明治20年頃からの別子銅山の煙害事件のように、
鉱山等の排煙や排水によって農作物等に重大な被害をもたらし、人々の関心を集めたケースが見られた。
当時、これらの問題は局地的な鉱山特有の鉱毒問題として認識されていたにすぎず、その後の重工業を中心とする日本経済の興隆期においては、
工場から排出される黒煙が地域の繁栄、日本経済の発展の象徴としてとらえられており、第2次大戦終了までは、公害問題についての認識はほとんどなかったといえよう。
戦後、経済復興が進むにつれ京浜、阪神等の地域では昭和20年代に早くも公害の発生が問題とされ、
24年の東京都における「工場公害防止条例」の制定をはじめ、地方公共団体による条例の制定が見られたが、
当時の条例は、大気汚染、水質汚濁等を対象とし工場の設置等の許可手続きを定めるのみで、定量的な排出基準はほとんど見られなかった。
公害問題が全国的な問題となってきたのは、日本経済が戦後の復興期を脱し、目覚ましい成長への過程を歩み始めた昭和30年頃からであった。
30年から48年までの18年間に、我が国は、世界に類のない高度経済成長を続け、実質国民総生産で見ると48年には30年に比べ5.4倍となったが、
これはまた、環境の汚染が全国的な規模へと拡大するに至った過程でもあった。
このような問題の深刻化に対応して環境行政も逐次充実されてきたが、その進展の課程は大きく3つの時期に分けることができる。
第1の時期は昭和30年代である。昭和30年に入ると「もはや戦後ではない」(昭和31年度経済白書)といわれ、太平洋ベルト地帯を中心とする経済の飛躍的発展期に入ったが、
こうしたなかで公害問題に対する認識が高まり、これに対する対応策が採られるようになった。
(1) 水質汚濁
(2) 大気汚染
(3) 地盤沈下
(4) 生活環境のための社会資本の整備 >>64
だから住んでる場所や環境の違いがあると言うとるに。
そもそもこういう例がありましたといってるのだけなのになんで自分の体験がこの世の全てだと思ってると言われるんだよ。 >>65
>昭和30年代の東京の方が、昭和40年代の高知より環境的にははるかに豊か。
おまえがそう書いたんだろうが
なんで豊かな環境の東京で公害防止条例が、それも昭和20年代にしっかり制定されてるんだよ
引っ込みつかなくなったからって苦しい言い訳するのもいい加減にしろ >>66
公害問題以外の食生活やら文化水準の面のこと。 >>67
お前の文才のなさという新たな問題を露呈してしまったな 57が行っているのは教育、文化とかの環境って意味だろうけど、わざと突っ込んでみたのね。
俺の育った町の40年代は…。
50年代に不二家の視点ができるまでショートケーキは買えず、手土産は今川焼やたい焼き、焼きだんご。
スーパーがなかったかラ、お菓子を作りたくても、個人経営の●●食料品店じゃバニラエッセンスや生クリームは売っていなかった。
(膨らし粉、食紅、寒天くらい)
パフェやクリームソーダは急行の止まる中心駅々前の喫茶店かデパートの大食堂。
ピザやハンバーガーはテレビの中だけの食べ物。
ピザパイといえばパイ投げにつかうクリームのたっぷりのったもので、チーズピザの存在は知らなかった。
ついでにカフェオレやクロワッサン、たらこなどの和風をはじめミートソース、ナポリタン以外のスパゲティは存在自体も。
映画は1年以上遅れていて、まんがまつりはテレビでとっくに最終回を迎えたもののブローアップ版がかかっていたりした。
都会の子は体験できたであろう多くのことが体験できなかったな。
飛行機はおろか、(50年代に)高校の修学旅行まで新幹線に乗ったどころか現物を見たことがない子が半数くらいいた。
40年代の関東の人口3万の市。県都まで電車で1時間強。 都会の子は、小学生低学年でも自分で電車やバス乗り継いで学校やら習い事に行くのな。田舎のこちらではなかなか考えられない世界だなと思っていた。 魚とに肉の話といえば、今還暦の人が子供だった30年代後半〜40年ごろといえば、
肉(豚、鶏)や家庭料理にハンバーグやカレーといった肉にあう洋食が普及してきた頃だからかな。
貴重な栄養源だったクジラや脱脂粉乳も悪口を言われるようになってきた。
同時に魚嫌いが問題になるようになった。
この辺は、マンガ、アニメを文化と見るか、ただの子供だましとみるかでわかれる境界だとも思う。
戸外で遊ぶだけじゃなく、テレビ、マンガからストレートに影響を受けるゲンダイッ子とそうでないこと。
体位向上とおもに肥満児なんかも問題になってきた…じゃないかな。
40年代しか知らないけど、俺にとっての当たり前が、親が自分らの幼少期と違っていることを嘆いていたから、
その少し前(親は知らない)にそんな変化があったんだと推測する。
私のような若造の、実感(私感)だけで客観的集計に基づく文献が提示できなくて申し訳ないが。 田舎だが、昭和50年代中盤位から肉が特別な日以外でも食えるようになった気がしたな。 >>72
今還暦の人が、第一次ウルトラブーム、第一次アニメブーム世代であると同時に、手塚円谷が
テレビ進出した頃に子供時代を送ってる世代。
今50代くらいの人が、第二次ウルトラブームと第二次アニメブーム(ヤマトガンダムうる星など)
現在の子も食べてる現行のお菓子も、ほとんど還暦から50代の人が子供時代に発売されてる。
手塚円谷以前…
しかも月刊少年少女誌の時代に子供時代を終えてると、手塚円谷以降の人をさっぱり理解できない
傾向にある気がする。
月刊少年少女誌世代の人が第二次アニメブーム世代の人に「そんな幼稚なもの卒業したら?」と言って
ぶち切れさせたりしてた。
実際、「星の生徒」「乙女の港」(戦前月刊誌時代の人気小説)がどんな内容か知ったら「あ、こりゃ価値観の
共有は無理」とよく判る。 栄養事情がよくなり、体位も向上すれば、二次性徴の発来も早くなるんだが、
親世代にはそこまでは想定外で、性教育に戸惑っている様子が見て取れた。
オーモーレツや野球軒、ハレンチ学園のおかげで、大人や同年代女子が、男子の性への関心自体を目の敵にしていて、
姉、妹や幼いなじみのいない俺は一次性徴すらわからない俺は聞けない雰囲気を造られたと感じた。
きょうだいも多く、銭湯や川で水遊びしていた親世代は、そんなことは知らないわけはないだろうという認識だったのだろう。
女の小便小僧はないし、メルモちゃんは絶対に足をまげて隠してるし、子供向けの人体の図鑑を見てものっぺらぼう
(消化器は書いてあっても、泌尿器系は生殖器系と同じく省略されていた)
内田安治氏が描く5年の科学誌上でも、オシッコとなって出てく部分はC→となっておしまい、だったな。
トイレット博士の女子版ともいえる「つる姫じゃ〜」を読んでも、運子は出てきても、万子は出てこない。
男と違って異様に隠されているのは不公平だと思った。 …リサイクルショップで、海外製(らしい)のミルク飲み人形を見たら、漫湖がちゃんと
モールドされてたので吃驚仰天したことがある。
ちなみに、日本でも男児の人形は珍子がついてる。
弟が欲しい男児客が納得しないんだと。 >>74
乙女の港ってマリア様がみてるの元ネタになったという噂の小説? >>77
多分そうです。
当時の文化、風俗を知る事は出来ても、異性との恋愛をやってる今の子には、こういう世界観に興味がある子は別として、
価値観の共有が難しいかもしれません。
「星の生徒」は、陸軍幼年学校の寮生活ですから、今の子には全く理解できない世界。 通勤で使うのは電車
旅行で使うのは汽車
動力源は関係なかった 子供の頃から、アニメや特撮で飯食ってる大人っているんだなあ、と思って見ていた。田舎なので、そんなハイカラな世界の住人なんてまったくいなかったから余計にそう思った。 >>79
電車は路面電車(札幌と函館だけだが)
汽車は国鉄
北海道だとこうだな
…電化されてない区間が多いんだ >>79
え?電車も汽車も動力源あるから動くんだぜ 動力源が別とか同じとかに関係なく
近距離を電車
長距離を汽車
と呼んでた
という意味じゃね >>83
フォースじゃ!フォースの力で動かすのじゃ!
byジェダイのじじい 香港だと
・地下鉄…地鐡
・トラム(100年以上前から走ってる、香港島の2階建て路面電車)…電車
・(中国本土行きの)地上区間の電車…火車
※1980年ごろに電化済み
・新たに開発されたベッドタウンを通る、新型の1階建て路面電車…輕鐡 雅子さまが幼少の頃の8mm映像(音無)が残っているが
同年代の俺が同じ年の時は、白黒写真だからなぁ
金持ちと一般人の差か
東京と地方の差か >>75
その割には現物には甘かったな。
子供だと写真でもテレビでも丸出し 盛岡だけどそれどこ?だと思ったので岩手の県庁所在地と書いた >>90
おれはみたことない。女の子は数段ガードが固い感じで、そういうはだかを晒す役は大抵男の子だったと思う。
女児を狙った犯罪やトイレのぞきは、姉や妹がいない、女の子の友達がなく、幼少時に見たことがないやつがやるもんだと気がしてならない。
そのかわり、パンツは見放題だったなー、という印象はある。
周囲の子はブルマはきっぱなしだったが、テレビの子は純白で、白い(紺じゃない)重ねばき専用のパンツが存在していて、それを履くのが正式なんだろうな、と思った。
スカートでパンイチだと冷えてお腹こわすんだろうしと。
(幼少時にサマードレスで過ごした俺は実感あり)
まさか、ピアノの発表会や結婚式参列でおしゃれするときに透けて見えてしまうブルマははかないだろ、テニスのやつみたいオシャレ、お出掛け仕様なのがあってそれを履くんだろ、と思っていた。 >>70
地方都市の郊外住まいだったが
バスに乗って街まで出かけてたよ
逆に街中の人のほうがバスの乗り方知らん。って感じだった。 >>93
池中玄大80キロが大好きで欠かさず見てたんだけど
玄大と末娘との入浴シーンがよくあって
浴槽から出るときに全裸で大股開いて足り普通にしてた。
見ても何も思わなかったけど
あと、とんねるずの番組のコントで、石橋が愛人と
ベッドにいるところに妻が乗り込んでくるという設定で
愛人役が8歳くらいの女の子で、きわどい化粧にエッチな
パンツ一枚という姿だったのを覚えてる。途中で
石橋がパンツの中覗き込んだりしてたけど
今なら逮捕案件だな 若手芸能人の情報なんて若者向けラジオや明星、平凡しかなかった そーいや昭和末期に平凡が廃刊となった頃、同時期に発行された明星の編集後記あたりにこんな記事が
「平凡とは常に発行部数を競うライバルであったが、現場では互いに飲んで語り合える友でもあった」
たった数行のコメントだったけど、明星の粋な計らいだと思った >>96
上のことなら安孫子里香だぞ(すでに引退)
ググったら玄大のキャストってほとんど死んでるんだな
楠公さん(長門裕之、ヒデ(三浦洋一)、アコ(坂口健吾)、
ママ(松尾和子)、本城先生(宇野重吉)と。 >>100
アコ(坂口健吾)×
アコ(坂口良子)○
予測変換の馬鹿馬鹿 >>100
とんねるずのコントの愛人が安達祐実なのだと思うの 以前の勤務先が、池中玄太の勤務先のモデルだった。
実際、玄太に憧れて写真部に入った人もいた。 >>102
「続蒲田行進曲 銀ちゃんが行く」って単発ドラマだよ。 >>99
そういうの平凡パンチかま廃刊になったときプレイボーイが同じことやってたような 既出かもしれんが、
○歩きタバコ当たり前。電車やバスの中で皆がタバコ吸ってた。
バスの運転手も吸ってた。
○車のシートベルトが任意。してなくても違反じゃない。
○原付は皆ノーヘルだった。もちろん合法。
更に昔は、普通二輪もノーヘルで合法だった。 >車のシートベルトが任意。してなくても違反じゃない。
着用するしない以前に新車購入時でシートベルトがオプションだったからな >>107
そういや最初に買った中古のオンボロシビックが
シートベルト付いてなかったわ。それで普通に
高速とか走ってたな。 >>107
今やカーナビETCがデフォの時代だしな。
レンタカーでもわざわざアピールしないくらい。 >>98
> 若手芸能人の情報なんて若者向けラジオや明星、平凡しかなかった
いつの時代?
テレビ普及以前? お前みたいなクソガキの知らん時代じゃわ。宿題して寝ろ。 これぞまさに昭和を経験していない世代の模範的な質問だよなあ >>113
だから具体的にいつ?
テレビ黎明期に月刊明星が創刊
それ以前の戦後間もなく月刊平凡が創刊されてる。
ということは昭和20年代の話? > 若手芸能人の情報なんて若者向けラジオや明星、平凡しかなかった
まずこの言葉の意味だが
当時応援している若手アイドルがいて、同じ時代を過ごし同じ空気を吸った同世代の者にはすんなり受け入れられる
単に物理的に「テレビなかったのか?」と聞く奴は論外
そういうことを言ってるんじゃねえんだよ >>116
> 当時応援している若手アイドルがいて、同じ時代を過ごし同じ空気を吸った同世代の者にはすんなり受け入れられる
だからそのアイドルって誰よ。その当時がいつか聞いてんだよ。
いつの時代にも人気女優やアイドル的な存在はあるだろ?
具体的に答えないで、横から偉そうに口を出すな おまえの中ではそれが人に物を尋ねるときの言葉遣いなの? >若手芸能人の情報
この行間が読めない奴に説明したくないのさ >>118
> おまえの中ではそれが人に物を尋ねるときの言葉遣いなの?
横からでてきて他人を小馬鹿にしてるお前はどうなの? >>119
そういうことだよな
言うまでもないけど俺はすごく共感できるし、またその書き込みに大きな異論もないだろうと思う
まあここまで言っても分からんガキはこれでも見とけw
断っておくが「読んどけ」じゃなく、
バカでも分かるように納得できるできるようにわざわざ用意した「見とけ」程度の内容だからw
https://yucl.xsrv.jp/2012/2015s3.jpg
https://yucl.xsrv.jp/2012/2015s2.jpg
https://yucl.xsrv.jp/2012/2015s1.jpg >>98
> 若手芸能人の情報なんて若者向けラジオや明星、平凡しかなかった
それは昭和何年頃? そういえば明星・平凡で思い出した
あれのフロクにヤンソン(Young Song)ってついていただろ
最新ヒット曲を歌詞とコード、場合によっては楽譜付きで紹介するという冊子
あれを学校に持っていくと初見でピアノやギターで演奏できるのがクラスに一人ぐらいいたよなあ 聞いたら答える義務が相手に発生する
って感覚も最近のモノだわなあ・・ >>123
付録と言えば芸能人の住所録みたいなのもあったな。
住所と電話番号まで載ってた。意外と近所にいたりしてびっくりしたわ。 >>125
マジかそれwwwwwwwwwwwwww
さすがにそれは知らんわw >>98
> 若手芸能人の情報なんて若者向けラジオや明星、平凡しかなかった
何故テレビからの情報は無かったのかな?
昭和35年以降なら普通は子供はテレビから芸能情報を得ると思うけどね。
いつ頃の話か疑問に思って質問しただけなのだが、そんなに気に障った?
俺はテレビのない時代も知ってる。
昭和34年の皇太子様美智子様ご成婚まではテレビはそれほど普及していなかった。 >>98
> 若手芸能人
おたくの園まりや中尾ミエなのか
あるいは天地真理なのか、キャンディーズなのか百恵なのか
わからなければ
何か意見を言いようもないからな。
あるいはおたくは女かもしれない
橋舟木西郷三田明の時代なのか、ひろみ五郎秀樹なのか…
あるいはグループサウンズか加山雄三なのか
わからん。
橋舟木西郷以降なら歌謡番組は多数あっただろ
だいたいみんなテレビを見てた。「ロッテ歌のアルバム」とか皆見てたから。
あの頃ラジオを聞くのは中高校生以上、
ラジオの深夜放送が一般的になったのはだいたい昭和44年頃と記憶してる。
普通はテレビからいろんな情報を得てた、子供はそんなに雑誌も買えないから。
だからおたくの書き込みについて興味を持った。
いつ頃なのかな、と
ラジオと明星平凡しかないなら、この両月刊誌創刊からテレビ普及するまでの数年間の話かなと思った。 電話と言えば中山美穂あたりがタイアップしていたファミコンソフトだったかな
たしかポートピアみたいな謎解きタイプのゲーム(おれ、詳しくは知らないので)で、
ある所までストーリーを進めていくとソフトメーカーが予め設定した電話番号にかけろ、
という指示があって
言われた通りそこに電話かけるとさらにシナリオが展開していくというもの
当時はゲームと電話が融合した最先端テクノロジーの一つだったのかもな
その後、このスタイルは他にあまる波及しなかったみたいだが >>128
テレビを自分1人で独占できなかったしな。
録画してあとで見るとかもできなかったしな。
若手芸能人、歌謡番組で1曲歌ったりバラエティー番組でちょろっとコントみたいなことやってるのが見れることはあっても、もっと知りたいって思ったら、ラジオか平凡・明星だったんだと思う。
アイドル好きじゃなかったワシは新譜ジャーナルを愛読してたけど。 昭和といっても長い、実質まるまる63年間。
2ちゃんに於いて語られるのは主に戦後の話になるだろうが、その戦後と言っても44年間(43年)
いろんな懐古・回顧スレでも、最近は昭和50年以降の話が多くなった感がある。
たとえば先般亡くなられた野際陽子氏、この人の「キイハンター」さえ知らない人も多い。ほとんどが冬彦ドラマ以降の話になってる。 自分はこの人のアナウンサー時代も若干覚えてるが、仮にそれを書いてもあまり反応がない。(つまり誰も知らない)
日本も広い、田舎と都会でも違うし昭和30年代、40、50…生活はかなり変化してる。
だからいろんな書き込みに関して『それは何年頃?』と疑問に思うこともしばしばである。 >>131
徒歩圏に本屋と言うか明星・平凡を販売している所はなかったので
芸能情報というか芸能人・アイドル情報はTVが主流だったな
あとは
病院や食堂なんかに置いてある雑誌。
主に女性週刊誌
そこから情報を仕入れていた。 昔の少年ジャンプには、「●●先生に励ましのお便りを出そう!」のあとに、宛先として先生の自宅住所が直接載っていた。 なんか騒いでる奴がいるが、テレビっては「晴れの舞台」だから、出てくる人は歌手として歌い役者として芝居するだけ。若手芸能人の人柄とかプライベートな話なんてまったく出なかったんだよ。今みたいなトーク番組なんてなかったからね。
山口百恵がどんな生い立ちなのか、野口五郎はどんな口調で世間話をするのか、テレビ見てるだけじゃわからなかった。 ブルーバードかっこいいな
どうせなら、いすゞ117クーペも貼ってほしかった >>138
それでかな
昔はやたらと芸能人の書いた本が多かったのは >>141
芸能人が書いた(とされる)本ね
松本◯代とかさ… >>142
この外観そのまんまで今出せばそこそこ売れるな 芸能情報はラジオだろ。
新譜もテレビの新番組舞台も映画も、もうすぐ公開となると歌手やら主だったる出演者とかが盛んにラジオ番組にゲストに出てたろ。
人気タレントは晩に冠番組枠持ってたし。 >>146
安全規準や規格が今と昔で違うから無理。 小学生のころ、かなり年上の姉が買った山口百恵の「青い時」という本を読んだ。
子供心にも、「文章うまいなあ」と思わせる名著だったと思う。
芸能ゴシップについての反論とか、すごくしっかり筋が通っていて、数十年経った今でもある程度思い出せる。
あれは本人が書いたで間違いないと思う。 昭和時代はアメラグなんて言ってたね、アメリカンラグビー。いつの間にかアメフト、アメリカンフットボールに変わってた。
アメリカで最大級の人気スポーツなのに最初に誰か間違えてアメラグなんて言ってたのかな。 >>148
どうしてもボンネットが厚くなっちゃうんだよな。
そうすると、全体のデザインもそれに合わせて変える必要が出てくるし。 >>128
昭和34年で24パーセントくらい、昭和39年の東京オリンピックで90パーセントになったんだったっけ。
やっぱり昭和39年が子供社会大激変だなあ。
38年に手塚、41年に円谷がテレビ進出して、マルシンハンバーグもばんばんCMをした。 ちなみにマルシンは昭和37年発売。
やっぱり、今の子供社会は還暦世代の子供時代に基礎が出来てる。 40年以降のTV史で今に通ずる初アイドルは天地真理だった
異論は認める 「深夜放送ファン」ずっと買っていたけど内容忘れたなあ。
人気DJ吉田真由美のヌードが載ったのは覚えている。
当時は篠山紀信のおかげか、歌手などけっこう脱いでいた >>156
お天気お姉さんも脱いでたしな。すぐ脱がせる風潮は嫌いだったわ
最近は裸になる人とならない人が住み分けされちゃってるから
普通の芸能人や有名人でヌードになる人ほとんどいないよね レンタルレコードとかレンタルビデオの走りのとき、
あちこちで違法ショップが開店してて、いきなり閉店してたな。
5枚くらいアルバム借りて返しに行ったら店ごとなくなってて、
ドアが開けっ放しで中が空っぽだった。 >>156
「深夜放送ファン」毎号最後らへんのページに、DJの人気投票が出てたかと。
なんか東京住みとしては良く知らない関西人が上位を占めてたような。 蒼い時 は、山口百恵が男なら親父さんと上手く行ったんじゃないかと思った。
山口百恵は難しい性格だなと思った。やはり娘は母親が一番いいんだなと思ったわ。 >>161
自分の母親を二号さんにしている親父だぞ
男だったら余計こじれないか? 昔、銀座にホテル西洋銀座という痛いプチバブルホテルがあって、ある日用事で広い部屋に泊まったら、従業員から「この、お部屋は二谷友里恵さんがダディという本を書いた部屋です」と誇らしげに言われた。
川端康成先生が雪国を執筆されて部屋なら感動もあるが、二谷友里恵じゃーねえww
しかも、ダディ書いたの、郷ひろみだし。 >>164
バブリーな時代なら、ありがたがる阿呆もいたかもねえw >>161
蒼い時は百恵さんに語らせて、それをライターが
筆記したもんじゃなかったかな。
百恵さんが譲らず、こう書けと言われた箇所があるとか
ライターが述懐してる記事を読んだ記憶が。 >>163
「二号さん」って懐かしいな
ゲバゲバだったかな、「おーい中村君」をモチーフにしたコントで
課長が「おーい中村君」と呼ぶと課の全員が「はい」と返事をする。
何故なら全員「中村」だから。紛らわしいので、課長が中村の1号、
お局のOLが2号、後輩が3号、その下が4号・・・と全員に番号を
付けたところで課長の奥さんが会社に現れる。お茶を出したお局に
奥さんが「あなたはどなたざます?」と聞くと「はい、ワタクシ、
中村の2号でございます」と答えて修羅場。 90年代はテレビ、雑誌(週刊誌や漫画)、新聞、ラジオ、この4つくらいだった
振り返ると、俺、毎日接してたわ
朝、新聞読んで、テレビ欄で面白そうな番組チェックして、深夜放送はタイマー録画(ビデオ)
雑誌はコンビニや本屋で立ち読み、夜はFM放送聞きながら勉強したり
そんな感じ >>168
1990年代が昭和じゃなかったのは、居住地域にも貧富の差にも関係ないよな? 今思うとマスゴミと広告主と評論家が作ったブームに踊らされていたなあ、俺もw
ネットの情報が正しいと断言するつもりはないが、名無しの少数派の意見とはいえ異を唱える場があるのは良いことだ
例えばビートルズのSgtペパーズ
「ビートルズの最高傑作だ」「洋楽の歴史に残る偉大な作品だ」「ロックがついに芸術の域に達した」
と、どれもこれも判を押したかのようなコメントばかりだが実際に聞いてみたら首ひねるだけだった
少なくとも俺はな
当時はそんなこと言える空気ではなかった
今ではマイノリティとはいえ同じような意見がウェブ上に散見される
やっぱり俺と同じこと感じていた人たちはいるんだなということが分かっただけでも嬉しい 平成も30年で終わっちゃうしな
今じゃ考えられない平成初期みたいな話になるぜ >>170
ホロヴィッツの来日公演もそうだったな。
全盛期は過ぎてたしミスタッチも結構あって
まあ、年寄りだしこんなもんかと思ったけど
マスコミ各紙が絶賛してた。ただ一人、
吉田秀和だけが酷評してたけどスルーされてたな。 平成も30年出終わりか。
去年笑ったのは「平成を童貞のまま駆け抜けた昭和生まれ」て言葉。ほんとそんな奴おるんやろなと。 >>172
ホロヴィッツ氏は不知だが、その書き込みの内容はよく分かる
そもそも音楽って考えながら聞くものじゃないと思うんだ
ビートルズなら単純に歌ってみたい、演奏してみたいという点で「イエスタディ」「ヒアカムスザサン」あたりが神レベルの名曲
時代背景やクリエイターの思いまで補正して聞かなければならないとするなら、
例えばモーツァルトの名曲に耳を傾けているとき、「この人は無類のウンコ好きだった」ことも考慮する必要があるのかと ビートルズに何故か全く惹かれなかった。
同世代ならストーンズは好きだけど。上手く言えないが生理的に無理なものがある。
オアシスみたいにフォロワーみたいなバンドは結構聞くのに。 レンタルレコードが出来た時は画期的だった。カネのない学生には、LPなんて高価すぎた。 で、借りたついでにカセットテープも買っていく。と。 >>164
ポートアイランドの小保方さんが疑惑中に隠遁してたホテルとかは ビートルズもいいけれど、テレビでお馴染みのモンキーズのほうが親しみはあった 昭和40年代初頭くらいに、企業の看板人形ブームがあったけど、あれが朽ちちゃったのが怖くてねえ。
メル子ちゃんなんかえれえ不気味な状態(真っ黒ひび割れぼろぼろ)になってた。
どっかの民家では、恐らく現役時代はビタミン剤だか栄養補助キャンディだかを入れて売ってた容器を
植木鉢にしてたの。
(カウンターの上に置かれてたディスプレイ人形かもしれない)
これがまたいい按配にぼろっぼろで怖くて怖くて。
その家の前は目を背けて駆け抜けてた。 >>175
同じ。いまだにビートルズを神と崇めてる人いるけど同調はできない。
ポールマッカートニーの曲はいいと思うけど、ビートルズ自体は
それほど好きではない。というか、能動的に聴いたことがない。
たまたま流れてくるのを受動的に聴いたことしかないわ。
ちなみに俺が好きだったのはベンチャーズ。 >>179
ピーターは声が低い
吹き替えとは全然違うイメージ >>175
俺もビートルズよりストーンズだったわ。
年喰ってきたら、ビートルズもいいなあと聴くようになってるなあ。 へええ、これは意外
ビートルズに興味ない層がこれほどの割合で存在しているとは
(文句言ってるんじゃなくて、単純に驚いてるだけね)
でもたしかに楽曲以外の要素で過大評価されている部分はあると思う
神と称されるラストアルバムのAbbey Roadでさえも、
「解散間際の四人が最後に一花咲かせようと協力して完成させた」という補正があればこそ
そういう背景を知らない人が聞いたらどう思うのかな?w マイク・ネスミスが名乗ると相手が「ネズミ?」と聞くギャグが何回かあったけど、元はどうなっていたんだろうか 洋楽はいろいろ聴いたけど飽きずに聴いてるのはビートルズとストーンズだけだ
ビートルズはたった8年でよくあれだけのことをしたなあと感心する 活動期間が思ったより短いというと山口百恵だな。
7年ほどしか活動してなくて引退したのは21の時だ。
今どきのアイドルで21って言ったら、まだまだションベン臭いガキ扱いですぜ。 いい日旅立ちが19歳、紅白の紅組最年少トリも務めた これ思い出した
ttps://togetter.com/li/976909
昔はハタチ成人が本当に大人の顔・振る舞いしてる
今はいつまでたっても子供 悪い面ばかりではないんだけど >>188
紅白のトリをつとめたことがある、と言われても違和感のないのがスゴイね。 >>189
今は外見とメンタルは30年前に較べて10歳前後若くなってる。
それより昔の13歳の女学生の書いた日記なんか読んでみたらびっくりするよ。
(手紙文は当時の流行のなんちゃってお嬢様風で微笑ましいが)
閉経時期がその当時と変わってない事から判るように、内臓の老化年齢はずっと据え置きだけど。 戦隊シリーズを見ていると
昭和60年のチェンジマン
この頃からヒーローの見た目が幼くなっているような気がする。 >>184
FMラジオでエアーチェックするような歳になった頃、
ビートルズもかぐや姫も解散してた。 >>143
いろいろあったな
今でも何冊か持ってるけど、ユーミンの著作本は
後書きに「山川健一」と書いてあった 下田逸郎の「ラブとりっぷ」は、ちゃんと「話した人:下田逸郎 書いた人:石原信一」って明らかにされてる。 中島みゆきや谷山浩子はちゃんと自分で書いていたらしい >>198
作詞するような人は、自分名義のものを人任せにするなんて出来ないからだろうね。 >>198
そりゃそうだろ。みゆきのは全部読んだけど
ギャグがいつものレベルでつまらなかったし。 そういやCCBの関口が本を書くことになって、
半年くらい放置してたら編集者にガチギレされて、
ホテルで朝から晩まで監視された状態で3日で書いたと
いいともで言ってたな。 https://youtu.be/zjE7Oa0uv1g
いまじゃこういう「女にも」というフレーズはダメなんだろうな。
行かせてくださいっていうのもいろいろあるんだろうな。
あと昔のアイドル曲では、あからさまに歌詞として入って
いるわけではないが、考えようによってはけっこういやらしい
意味にもなるような歌を歌わせてたと聞く。 ダウンタウン松本人志の本「遺書」は、口述筆記ですらなく、一字一句全部自分で書いたと、自ら述べている。
そのためか、実際ものすごく面白い。
芸能人の本というジャンルを超えて、一般書として最高レベル。
あ、これ平成か。 >>203
ああ 河合奈保子の「大きな森の小さなお家」とかそういうのか 山口百恵だって、
あなたに女の子1番大切な物をあげるわ
だからな >>207
わし、その歌を聴いたら上沼恵美子が作った替え歌しか連想しない >>137
ジャンプだけでなく少年少女誌はほとんど載ってた。
よく年賀状出したけど売れっ子作家はまず返事が返って来なかった。
釣りキチ三平の矢口高雄氏は3カ月後ぐらいに直筆サイン入りで返って来た。
矢口氏本人も少年の頃に手塚御大に年賀状出して一日千秋な気持ちで返事を待ってて
何か月後に返事が来た時は飛び上がって喜んだと自伝に書いてたな。
それから必ずファンの手紙やらには返事を出すんだってね。
もらった矢口高雄氏の年賀状は40近く経った今でも手元に大事に持ってる。 >>205
新人のくせにとんでもない歌唱力にびっくりしたわ 河合奈保子は、ジャッキー・チェンがおいしくいただきました。 なんだかんだ言っても河合奈保子はあの体系だから天然パワフルボイスが売りだったな
(オペラ歌手がある程度デブなのが有利みたいにね)
松田聖子もデビュー当時はあの細い体型で全力で歌いきるスタイルだったけど、
それじゃあノドがもたないと「白いパラソル」からキャラ変更し、以後大成功を収めた
聖子が「陽」なら「陰」の対極はやはり明菜だな
キャラだけじゃなくて両者の全盛期、ヒットシングルはそれぞれ徹底的に長調のみ/短調のみだった
色々と面白い時代だったな 子供の頃は中森明菜って、なんか暗くてこわい人だなーと思っててあまり好きじゃなかったけど、今あらためてみると少し陰があるけど、背伸びをしてる雰囲気が可愛い人なんだなと認識が変わった。
だからといって聖子ちゃんが好きだったかというとそうでもない。
元カレと別れて「生まれ変わったら一緒になろうね」と泣いたくせに、次のカレとあっさり結婚して「生まれ変わってもこの人と一緒になりたい」と言った変わり身が早い人という印象がいまだに強い。
アイドルとしては徹底的に可愛いを貫いた人だと思うけど。
昭和のアイドルは男女問わず、カリスマ性があったね。 その可愛いだけが売りと思われていたはずのアイドルが「瑠璃色の地球」を発表し、
後に世界的な評価を得るとはあの時点では予想できなかったなあw
NASAの宇宙センターでは目覚ましコールにこの曲が使われていたことも
Jレノンの「イマジン」も似たようなものかもだが、
あれは本人の意図とは無関係にサヨク平和主義者どもに悪用されたのが残念だった
少なくとも地上が視点の作品だったと思う
「瑠璃色の地球」はさらにスケールアップし、視点が完全に宇宙空間にまで飛び出した
思想信条の要素もあることはあるが、それよりも純粋に物理的に解釈できるのがいい 西城秀樹の妹分!実は……なんて噂を聞いて一気に萎えた思い出 >>214
世界的な評価って「瑠璃色の地球」に多言語バージョンでもあるの? https://www.youtube.com/watch?v=r-0jayMYQMk
昭和じゃないけど聖子VS明菜
かつて孤高の女王ほどの貫禄や存在感が漂っていた明菜が、文字通り普通の人になってるw
つか下手したらそこら辺のずうずうしいオバちゃんの雰囲気までwww
でもおもろいわこれ
よく実現したよなあ 明菜と近藤真彦の映画「愛旅立ち」を映画館で見たとき、2人のキスシーンで、観客の誰かがフラッシュ焚いて写真を撮ったため、唇が触れる肝心の瞬間に、スクリーンが真っ白になった。
館内が大爆笑となったのは、楽しい思い出。 宮沢りえ貴乃花事件の時に明菜マッチ事件を思い出して自殺だけはやめてと思ってた。
自殺はなかったけどガリガリに。
りえはマネージメントがお母さんだから明菜みたいに騙されて更に追い討ちをかけられる事はなかったけど。 松田聖子が浮気女と知って、昔アルバム聴いたりはしていたのが胸糞悪くなった。浮気女が知られて女ファンがわいてきたのも大嫌いだった。 >>209
さだやす圭氏もくれたよ。
今から30年以上前の事だから、今はどうか判らないけど。 >>222でいただいたものは、パラフィン紙をかけて大切に保存しています。
一番いいときの絵なのでマジで宝です。 そういや、田舎の家を整理してたら、戦前のものとおぼしき菓子パンの包装袋(使用済み)
がたくさん出てきた。
何か小物を入れておくためにとっておいたんだろうなとは思ったけど、今みたいにビニールに
なる前はパラフィン紙で出来てたのね。
パラフィンに絵や字が印刷してあった。
ド田舎で空襲被害のない地域だったのでそういう物がいっぱいあった。
実は今自分が使ってるタンスも、そうやって残った物で、恐らくは90年前の代物。 >>227
学校では、藁半紙や中質紙のほうがむしろ割高だからって、白いコピー用紙使うことのほうが多いと思われ。
ガリ版どころかファックス輪転機さえ廃れ、リソグラフだし。 上質紙の方が安いけど、グリーンなんとかとかエコなんとか認定とかの関係で、高くて質の悪い再生紙使わされるんだよ。 家にあった昭和初期のニコン(日本光学)の双眼鏡を、オペラグラスとしていまだに使ってる。
トータル80年くらい使ってることになるが、ぜんぜん余裕。さすがニコン。 >>231
パンの包装袋の価値が判らなかったので全部燃やしちゃったんだよねえ。
昔のマッチ箱も大量にあったけど、これも処分。
ちなみに、90年前の物と推定されるタンスの高さは150センチくらいしかない。
小さいなあ。 たまにスーパーのフリースペースのところに、昔のレコードや中古のDVD
などが販売される事があるんだけど、河合奈保子とか松田聖子のまだ新人
の頃のレコードでもなんらプレミアムなどつく事がなく安価で売られている
んだよなぁ。 >>236
そらそうさ〜
なんせ流通枚数が多すぎる
80年代アイドルのレコードは単に古いというだけで値がつくのはほとんどないだろうね
アイドルとしては落ち目で当時はほとんど売れなかったけど後に女優に転向してブレイクとか、
何か特殊なV字回復の事情でもあれば別だが あの世代のレコードは持ってるんだよな
レコードからCDに変わってしまったため多くの人が音源を無くしてしまったので
CDは割と高い
そういえばレンタル板のDISCASスレは80年代で止まっている シングル盤なら10円で買えるな
サザンオールスターズなんかはコレクターズアイテム化してそうだけど 初めて「青い珊瑚礁」を耳にしたとき、あの当時の歌謡曲ではおよそあり得なかったハイテンポと高いキー
#や♭を多用し半音ずれた斬新なフレッシュな音階、いきなりサビから始まるというインパクト
ちょうど西暦80年代に突入したというタイミングも相まって、
新しい時代が到来することを感じさせてくれるには十分すぎるほどのパワーが感じられた その次のシングルが出だしまるっきり同じようなメロディーで
度肝抜かれた 聖子はあのキャラだからファンの数に比例してアンチもいた
聖子に限らず売れるために何か突出した要素を抱えていたアイドルは、少なからずアンチの批判を受けていた
でも俺の知る限り、河合奈保子のアンチって聞いたためしがない
あくまでも俺の周囲限定の話しね
後天性じゃなく、やっぱ先天性キャラは叩かれにくいのかな? >>242
2人に共通して言えることは、
歌も上手けりゃ曲もいいので、今でも鑑賞に耐えることだね。 >>242
俺の周りでも、アンチ聖子は沢山いたが、アンチ奈保子は見た事ないなあ。 昔は聖子ちゃんカットだとかトシちゃんカットといって、モデルにした髪型
をしているやつがほんと多かったけど、今はAKBカットとかあるのかね。 >>248
触角ヘアのことですか?
母恋い千鳥かお前はって思うけど。 >>247
80年前後を思い出すと良くも松田聖子が凄すぎてアンチも一極集中していたような感じだった
思い出したけど、何かの見本画面が「田原聖子」になっているというそれだけの理由で
松田聖子に嫌がらせが相次いだという話もあった おれはいまだにトシちゃんカット。
「いま」のトシちゃんカットだがな。 昔の球種やスピード、キャパなら鈴木誠也でも三冠王取れると思う
王さんも今なら30がいいところだよね? >>251
新聞のテレビ欄で田原俊彦と松田聖子が並ぶと苦情来たんだよな。
今考えるとクレイジーな時代だなw トップテンの明菜帰れ、帰れコール。当時のテレビは毎回印象的だった。 河合奈保子は「疑問符」が好きだった
自身作曲の「十六夜物語」も あのねのね司会の日曜昼のバラエティで、ゲストの松田聖子が運転免許を取った話題になり、「欲しい車は?」と聞かれた聖子は、「マツダのカペラ」とカメラ目線で答えた。
あのねのねが「もう一回言っておこう」と言うと、もう一回「マツダのカペラ!」と答えた。
もちろん後日、聖子にマツダからカペラが贈られた。 芸名決める時に将来の海外進出を見込んで
海外でも知名度のある企業名から MAZDA SEIKO にしたってのは都市伝説なんだっけ? >>259
都市伝説だろ
もし海外でも知名度のある企業名を取るのだったら
TOYOTA HONDA だろ FFのカペラかな?
あの時代はMTが多かったよな、女の子もMT教習の時代 久しぶりにテレビで松田聖子見たらすごい違和感ある
そっくりさんの方が昔のイメージ通りだからかな? AT免許という制度もなかったわけですし。
https://youtu.be/r833V2fQ7UI
こんなチープカシオみたいな時計が18000円もしたとは、まさに
今じゃ考えられない昭和だな。 >>253
王さん曰く、
「そりゃ今のほうがレベルは高い。でも、おなじ条件でやるなら僕も負けないよ」
条件ってのは、食料事情や栄養学、トレーニング方法などのことね。 その時代に育ったら
ってのはあるよね
王さんの突出度は凄いよ
今あそこまでタイトル取り続ける人が出てくるとは思えない 今は一日用品やスマホ内蔵とかで埋没してしまったけど、50年代にデジタル時計やクオーツの価格破壊が始まるまで、
時計が必需品かつ貴重品だったんで「SEIKO」は、民間人が手に入れられるものとしては、世界と肩を並べたブランドととしてとびぬけた存在だった。
安くても正確な製品をつくれるのでスイスに負けないと。
家電や自動車輸出されて外貨を稼いではいたが、まだそれほどのブランド力はなかったと思った。 >>270
14歳の時に当時5000円のアルバのデジタル時計を購入。
13年くらい使ったけど、本当に正確だったなあ。 >>269
それ考えるとホントにすごい人だよね。現役時代、1シーズンも
ホームラン2桁行かない選手だっているってのに >>270
うちの親父は脚が悪く、座ってできる仕事ということで
戦後すぐに時計職人の道を選んで上京。昔の時計は高級品だったから
年1回の「分解掃除」が必須で、相当の技術を持った職人しかできなかった。
ところがカシオがデジタル時計で価格破壊を起こしてから、時計の価値は
アッという間に下落。あちこちにあった時計店もどんどん潰れてしまった。
時計屋は手先の技術を活かして眼鏡屋も兼ねていた店も多かったので、
うちも眼鏡をメインに方針転換。昔は眼鏡も高級品だったこともあって
一時はかなり好調だったものの、今度はメガネドラッグを始めとする
眼鏡の価格破壊が起きて、結局は潰れてしまったよ。 今でもロレックスとかオメガは分解掃除やってるんだよな
その職人として生き残ってたらかなり稼げただろうに
昔は1個1万円で委託の場合は店と半々、1日に5個くらいやっても
ニーズに追いつかなかった。今は1個3〜5万円だってさ 今は腕時計してる人自体が少ないんじゃ?
俺も携帯電話持ってからは腕時計してないなあ。 >>276
そこでその名前を出すかね、おまえさんは。 >>278
ガラケーもスマホも持ってるけど腕時計は必ずつけてる
見るためのアクションを起こす必要がほとんどないのがよい そういや江戸川乱歩賞を獲った小説で「逮捕歴のある人間は
手錠を思い出すので腕時計をしない」という決めつけがあったな 時計してるとワイシャツの袖口がボロボロになるんだよね 今どきのジーンズやパンツ(ズボン)のチャックの位置が
昔より上になってるような気がする・・ 日本人のちんこの付け根位置って低いんだよね。
昔は日本製や日本仕様で縫製してたのでは。 漫湖に上付き下付きがあるように、珍子にも上付き下付きがある。
女性曰く「女性にとっても漫湖が上付きか下付きかは結構問題だ」とのこと。
上付きだと経血が尻の方じゃなくて上の方に漏れるんだって。 女性の場合は成長するとともに下へ下へと移動していくが
男はほとんどかわらないよな >>285
そうなんか
ノースフェイスが入って来始めたときスキーウェアの前チャックが妙に上だと思ったんだよ >>280
ないと意外と困るからな。
仕事で運転とかしてると特に。
あとは音楽もスマホじゃ聞かない。 学校に行くと、前日何時まで起きていたか、の自慢大会になる。 毎日風呂をたけないし、シャワーもないから、不潔に寛容だった。
挨拶だって、いまみたいにきちがいみたいに挨拶しないと絶対にだめ!と言う時代じゃなかった。
今は、不潔と挨拶に異常にこだわりすぎ。 戦前戦後の常識が絶対的な物として扱われ過ぎってやつだな
食卓囲んで云々も戦後の話だもんな。
箱膳文化は旅館に残ってる感じか。 >今は、不潔と挨拶に異常にこだわりすぎ。
昔は都市部も田舎もそれぞれ固有の匂いで満ちていたから、人の匂いが気にならなかったというのもあるだろうな
アイサツは知らん タバコが至るとこで吸われていたから、たばこの臭いというのを意識したことがなかった。
あれでいろいろな匂いがマスクされていたンだろうな。
地方なので下水道がなく、家庭の便所はほぼ100%汲み取りなので、
便所の臭いは常に漂っていたはずなのだが、意識してなかったな。
自分んちが水洗化して、そうでない友達の家に行くと、
ああ、便所臭い、とおもったっけ。 そういえば風呂は週一だったなあ
週休2日じゃなかっから入るのは半ドンの土曜か日曜日
湯上がりは浴衣
ドライヤーも無かった そうかい?
こどもは汗や泥で汚れるし、父ちゃんも現場系だったから風呂は毎日だったよ。
小学校の生活指導(ハンカチ、チリ紙、手洗い、爪切り…)でも、毎日お風呂に入って8時に寝ましょう、だったかと。
S.40年代。
ただ、洗髪は週1,2回だと思った。 >>283
シャツをオーダーで作ってもらうと
左袖口だけ言えば大きめに作ってくれるよ お風呂
近所に大きい工場があり
工場近辺の人は、そこの銭湯並みの大きいお風呂に入りに行ってた。
17:00〜19:00頃が工員優先で
子供たちはその前に
大人たちはその後だった覚えがある。
なので
内風呂がある我が家は羨ましがられていたし
友達は「今日はお風呂の日だから遊べない」と言ってさっさと帰る時があった。 >>300
昭和58年に、中森明菜が花王エッセンシャルシャンプーのCMで「知ってる?ティーンの二人に一人が毎日シャンプーしてるんだって」と言っている。
毎日洗髪が当然となったのは、その5年後の昭和末か平成初期と思われる。 >>299
週一はいくらなんでも貧乏すぎだろ。
うちは毎日で、入らないのは銭湯が休みの日だけだったな。
これはこれで入りすぎかも知れないけど。 >>303
「岸辺のアルバム」でもシャンプーが切れてて
「明日デートだから今日シャンプーしようと思ってたのに」
という台詞があったな。俺もシャンプーは週一より少なかった。
ちなみに毎日シャンプーするようになったのはシャンプーが
改良されて髪を傷めなくなったからだそうだ。 >>305
あー、でも毎日は髪が抜けるしツヤがなくなるだけだと思う。 その工場の大きいお風呂に入った事があるけどよかったよ。まだ誰もいない大風呂に友達と。 >>303
そこから何年もしないうちに、
毎日どころか「朝シャン」だもんな >>309
サイバー仕掛けてどうしたの?三芳 沙織さん >>310
ん?工場が地元住民に開放してるっていうから無料なのか
聞いただけだけど? 何か気に障ったらゴメンよ >>309
ID探ってサイバーしたら筒抜けでわかるくらい警察の仲間に教えてもらってるんでしょ? うわなんかキチガイに絡まれた。何なのこの人???? >>312
アホみたいな事書くなよwまだ若いから知らないのバレバレ >>316
ゴメン、マジで誰と勘違いしてるのかな??? >>315
IDなんかあてにならんっていっただろ? 何か恐いw 誰か助けて(何が起きてるのか教えてって意味ね) >>317
そのレスの仕方、知らない奴はそうレスしないよw >>320
大丈夫だよ、警察からの連絡を待てば。お前から連絡してもいいしな。 >>322
だーかーらー、俺を誰と勘違いしてるの??三芳沙織って誰???
つーか俺をその女と勘違いする要素が俺の書き込みのどこにあるの????
イライラしてきた どうやら勘違いだとわかって赤面してるようだな
俺は気にしないからおまえも忘れろ そういえば昭和の住宅って洗面台は普通にあったけど、朝シャンが快適にできる構造ではなかったよなあ
水が出る単一の蛇口が備わっていただけで、別口でお湯の蛇口があればいい方だったわ
適温のぬるま湯で髪の毛洗い流すなんておよそ不可能だった
短髪の男は洗面器にぬるま湯張ってそれでサッと洗い流せたけど、女子は大変だったろうなあ >>325
だから朝シャンができる家ってのはちょっと憧れだったりしたもんだよな
賃貸マンションもそれを売りにしてた
部活の朝練で朝から汗臭くなって授業受けるのがイヤだった >>302
怒濤の勘違いキチのせいで流れてしまったけど、
工場が開放してるお風呂って無料だったの? お風呂といえばサザエさんで見たシーンが忘れられない
磯野家の近くにある銭湯がメンテだとかでしばらく休業という時、地域の住民が持ち回りで家の風呂を開放するという話だった
(月曜は磯野家他、火曜はいささか先生他、、、というようなローテーション)
ワカメちゃんは玄関で番台気取り、これは分かったが問題なのはやはりトリを務めたカツオ君だ
ねじりハチマキしてドヤ顔で風呂場で待機
当時はこの意味が分からなかったが、後に判明した
「銭湯には『三助』という職種があり、客に頼まれたら垢すりや背中を流す等のサービスを提供していた」とのことだ
昭和末期に見たシーンだけど、その頃でも東京あたりでは普通に見られた光景だったのかい? 追記
ドリフ伝説のコント「もしも威勢のいい銭湯があったら」で悪ノリする志村らが三助らしいな >>323
また別人だってバレバレなんだが?
北九州市役所 総務課希望
朝塚 たまえ
08920561147 >>324
許さないのが本当だろ?
間違えたんだろ? >>335
えーとなんで俺が叩かれなきゃいけないの? それともまたキチがID変えたのか?? >>339
> たまのり
だっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇwwwwwww なんか三人くらい特定しているけれど、実は一人三役? >>325
> そういえば昭和の住宅って洗面台は普通にあったけど、朝シャンが快適にできる構造ではなかったよなあ
当たり前だろ
おたく何歳?
昔(昭和以前)は、シャンプーは風呂でやるもの
風呂は1日の汚れを落とすため、夜入るものだったんだから
洗面所で朝シャンとかわりと最近の風潮(平成以降) 昔、銭湯があったということは、家に風呂がない人が一定数いたということだ。
それは1人暮らしのアパート住まいの場合もあるだろうが
一般家庭でも内風呂のないケースは多々あった。
今では考えられないかもだが。
都営住宅にも風呂のない建物があり、そういうところはベランダに簡易ユニットバスを置いてた。
その簡易ユニットバスはテレビコマーシャルもしてた。多分YouTubeにもある
そんな時代
ちなみにそういう都営住宅は途中工事をして、内風呂を敷設した こいつ運転板にも貼り付いてるガイジだろ
迷惑だから死ねばいいのに 田舎でも風呂のない家はあった。
そういう人たちは近所の家の風呂に入りにいく
(風呂を借りる)
「もらい風呂」という言葉、もはや死語ではあるが >>351
うちは借家住まいで風呂がなかったから銭湯行ってたけど
たまに大家さんのお風呂借りてたわ >>350
多治見市
193.552.31.25 catv >>353
えっ!?なんでなんで?????どうやったの????? >>350
多治見市は大阪空港だな。
航空通信使ってるな。 >>354
関空の航空通信盗んだら、すぐわかるなくらい理解すれよ。 昭和の生活といえば、サザエさんとドラえもんだが サザエさんは都会の割合裕福な家庭が舞台。
長谷川町子の家庭じたいがわりと裕福で高学歴だったから。
だから長谷川町子の漫画「意地悪ばあさん」なんかも ばあさんの息子らはみんな高学歴で一流企業勤めみたいな設定だ。 >>354
死ぬのはお前だが、頭が悪いとしかいいようがない。 >>357
いじわるばあさんの息子はたしか医者だったような これ以上個人情報抜かれたらたまらんから相手にするのやめておこうっと
多治見のどこかまではさすがにわかるまいw 上のほうでもどなたか書いてることだが
シャンプーの頻度
全盛期のピンク・レディーがテレビか雑誌で
「シャンプーは一日置きにします」(2日に一度)と言ってたらしい >>360
一度繋げたら消す事が出来ないのはしらないようだが。 >>357
作者は裕福であるがゆえに世間をあまり知らなかったという側面がある
特に風俗(※)には疎かったようで、マス夫さん波平さんが泥酔して帰宅するシーンは数多くあれど、
仕事帰りに具体的な飲み方や遊び方の描写は非常に少ない
だから作者がダメと言ってるのではなく、女性から見たサラリーマン像だと推測している
(※)いわゆる高級なお風呂屋さんじゃなく、本来の意味の風俗ね >>365
漫画の賞を獲ったときに加藤芳郎たちにバーに
連れて行ってもらって、マドラーを知らないで
ストローだと思って一生懸命吸ってたということを
しっかり見られて後日、それぞれの漫画に描かれていた >>368
昭和7年の「せめて月2回は!」ってことは月1の人もいたってことかw 貴重な資料だねー
週一度の翌年は5日に1回へ
活字もレベル上がってる! >>349
ttps://stat.ameba.jp/user_images/20140419/17/bareras/b9/05/j/o0640046212913533889.jpg >>371
ホクサン バスオールだ
これのもう少し広いやつがついているアパートを借りたことがある 銭湯へ行っても洗髪は別料金だったからハードルは高かった ttps://www.youtube.com/watch?v=22P1Ko6I0zg
動画もあったお。
一分から再生してね。 >>366
今だとスバゲティに箸がないとか、ホットコーヒーに蓋がある!みたいなものか ようやく基地外消えたか
何だったんだあれは
誰か晒された番号に掛けてみた? >>373
そうそうお金払うとき「頭洗います」って言ってたな〜 たまに家族で銭湯へ行く事があって、ソコの銭湯は頭を洗うシャワーを使う人は別料金だったな。
多分シャワーは後付けで、工事費を補おうとしたんだろうな。 まだ毎日洗髪やシャワーが一般的でなかったころ、洗面所で髪を洗うより、流し台(当時の言い方)にタライを入れて、そこで髪を洗う女性も多かった。
ドラマでそんなシーンよく見たし。
覚えているのは、下着姿で流し台で髪を洗っている大家さん30代に欲情して後ろから襲いかかる空想をしている下宿人の大学生の話。結局、襲わなかったが、旦那に疑われた大家をかばい、大学生は逆上した旦那を殺してしまうのだった。 >>383
「時間ですよ」のネタでツルッパゲの客が入って来るなり
「シャンプー!」と言ってマチャアキがずっこけるってのあったな 中学何年生か(昭和55年ごろ)までは頭を洗う時にシャンプーではなく石鹸を使っていた。
(母親はシャンプーを使っていたかもしれない) ビンボーな家の風呂場には、エメロンシャンプーが置いてある。 >>373
今更ながら、スゴいシステムだよな
金を払わず頭洗うヤツや、
それを見張ってチェックしてたりしたんだろうか? >>373
洗髪はやっぱりお湯を大量に使うからだろうね >>373
北海道に住んでたときは一律だった
結局高いだけだけど 仕事より人のあら捜しに夢中のゲスイ奴
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
弱い奴には強く出て 強い奴には媚びへつらい
店長崩れのニセモノは
仕事も人望も紛い物
人には厳しく自分には甘く ケジメも無しとする
何でもすべての事が人任せで それでも良しとする
大学行ってもクズだから 常識なんかは通じねェ
相手を選んでハラ立てて
得意の火病はお手のモノ
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
すべての人に 懺悔しな!!
https://www.facebook.com/katsuyuki.kida.923 >>392
北海道の人って、あまり風呂に入らんよね? >>388
ああすまん一般論として書いたつもりじゃなかったが舌足らずだった 石鹸で頭を洗うと脂分を分解しすぎなのかバサバサになるよな 俺も石鹸で洗ってたよw
そんでもって鏡を見て髪型を整えてるだけで、親父に注意されたもんだ・・w >>327
そこまでは覚えていない
今ほど煩くはないだろうけど
有料にすると、法律やら保健所が。。って話になるから
無料かな? 聖子
夏の扉
奈保子
スマイルフォーミー
明菜
サザンウィンドウ
桃子
サマーアイズ
ちえみ
Wa ショイ
東京JAP
摩天楼ブルース
俺はこうだな 小学校の時に席を並べてたあいつが、
カラフォロニアだか何だか知らないけど留学して
当然世間の目は2人を比較する
まあ大平さんちのお坊ちゃん、昔からどっか違うと思ってたわ
それにひきかえ安倍さんちの子は、ガキの頃から落ちこぼれ
学級委員を横目で見ながらやっとつかんだ給食委員
それも3日でやめさせられて、そのまま大人になっちゃって
ダメな人間食わしていくほど日本の国家は甘くない
お互いつくづく子どもにだけは恵まれたいものねえ
あせるぜ
あせるぜ
あせるぜ >>401
いまだに改行がどうとか言ってるアホって何なの? 阿部敏郎か
銀座NOWの司会(今でいえばMCか)やってたな
結構、中高生に人気あったよな ちえみは稲妻パラダイスかな
靴をすっ飛ばすシーンが忘れられない
リボンもいいけど >>368 貴重な資料だね。自分が毎日髪洗ってたら母親に、毎日髪洗うなんて…そんなの2日に1回で良いのにと言われて疑問だったが昔の人は頻繁に洗わなかったんだね。 汗臭くても寛容だった昔は。
野良着でうろうろしても、なんだかんだ言われなかった。
今はどこに行っても何しても、厳しいドレスコードとマナーばっかり。
昔は、外見ばかり整えた奴にろくな奴はいない と言われていた。
あんまり身なりのきちんとした、話し言葉やマナーもきちんとしたやつは、詐欺師じゃないかと思われた。
、実際にそういう奴等は、清潔さマナー着こなしなどで人を信用させ騙す。 >>387
昔は男が石鹸使うのは珍しくないよ
そもそもシャンプーというものが普及しだしたのは昭和30年前後だろ
女性はシャンプー使っていても、おしゃれや美容に無頓着な人間は石鹸を使ってた。
今も石鹸シャンプーという製品も根強い人気があるし。
今40歳以下の人間はシャンプーがそれほど普及してなかった時代を知らないから、奇異に感じるかもしれないが >>408
そういえば、「制汗剤」という言葉を耳にするようになったのも
平成の、それも21世紀に入ってからのような気がする 今だって、石鹸シャンプーはある。
商品も何種類も販売されている。
ちなみに育毛効果があるらしい。 外出予定の前日しかシャンプーしない。
普段は髪の生え際をベビー石けんで洗って念入りに頭全体を湯で洗うだけ。
毎日洗うし肌が弱い方なのでそうしてる。 デパートの地下が焙じ茶の香りで満ちていた
持ち帰り餃子店のカウンターでは炎の形をした電球の中で炎の形の赤い線が光ってた >>401
もしかしてサイバーするとブログに行っちゃうから?
いくようにしたからな。
お前らのお仲間の歴代の積み重ねたサイバーのおかげでブログにいくんだよw >>418
ググるなり辞書なりで調べてみればいいよ タバコもそうだけど、昭和の時代は今よりもいろんな臭いで
溢れてたから汗の臭いや加齢臭も気にならなかったのかもね 昨日どこかのスレで見掛けたけど、裕次郎の
「日本人が最も愛した男」ってキャッチフレーズ、
誰が使い始めたんだっけ?
子供の頃から太ったおっさんだなぁとしか思ってなくて
大人になってから裏の顔とかいろいろ知ってから
愛するどころか嫌悪感すら持ってるので違和感ありまくりだわ 裕次郎は嫌いじゃないなあ
「太陽にほえろ!」以降しか知らないから、
なんでイケメンオッサン枠なのか不思議ではあったけどw
慎太郎は死ねと思ってる
もともと嫌いだけど、自分と長男はビジネス、
嫁と下の子はエコノミー使わせるようなゴミと知ってさらに好感度下がった ジュリーもこの太ったおじさんがスターだったとか何?と思われているんかね >>426
慎太郎は裕次郎より穏やかだって言ったら?
慎太郎は律儀な人。 >>426
テレビで叩かれている有名人は、逆なんだよ。評判下げて嫌がらせする輩の片棒を担ぐことになる。 太るのはしょうがない
チューリップの姫野氏も全然違う たまたま最近、昭和40年台発行の人相学の古本読んだんだけど
慎太郎ボロカスに言われてて噴いた
今じゃ有名人名指しでこんな本出しにくいよなぁと思いもしたけど
そういや幸福の科学もイタコ本出してたっけな >>423
自分が知らないから、おかしい
って?
自分が生まれて以降のことが基準ってか?
自分が見た芸能人の姿がその人の全て? ま、心配すんなよ
そのうちその芸能人を知ってる人間も皆死んでしまう。
そしてその芸能人も過去の人になって話題にならなくなる
今の感覚で言うと、例えば「坂東妻三郎」みたいな存在になる
『誰?それ?
昔の俳優?
田村正和のお父さんだって。
えっと…田村正和?って誰だっけ…
田村三兄弟?
え?田村正和って三兄弟なの?
で、坂東妻ナントカってそのお父さん?
よくわからない…』
もう石原兄弟も近い将来そうなるだろう
ここにいる人間もやがて皆年をとり死んでしまうからな >>432
頼むから馬鹿は黙っててくれないか
俺は単に由来を知りたいだけなんだから
大ヒット映画のキャッチフレーズだったのか
淀川先生あたりの大御所が言った言葉だったのか
その辺の情報を知りたいだけ >>434
そいつタンクでやって来たから触れないほうがいいよ 「日本人が最も愛した男」に違和感を覚えるのはおれも同意だな
誰がそんなこと決めたんだよとツッコミたくなるわ
ことわっておくが石原裕次郎氏を叩く意図はない
単純にそのキャッチコピーは変だろうという話 >>437
昨日の書き込みにもあったんだが、それでググると
かなりの数がヒットして、本や雑誌記事のタイトルにも
なってるわけよ。例えるなら「ミスタープロ野球」=
長嶋茂雄みたいな感じで。
なので誰がいつから言い出したのかとか、もしくは
全盛期に好感度ナンバーワンが何年も続いたとか
そういう裏付けが気になるというだけの話なんだけどね。
そしたらタンクに乗ってきた奴に絡まれたという。 >>428
> 慎太郎は裕次郎より穏やかだって言ったら?
そりゃそうだよ。以前、小林信彦がサラッと書いてたけど
裕次郎の夜(裏)の顔はガチヤクザだったって言うし。
誰一人触れてはならない暗黙の了解だったようだけど。 山口百恵の
「時代と寝た女」と言うフレーズは、誰だっけ
竹中労だっけ 山口百恵、時代と寝た女
山口百恵は菩薩である
どっちかが竹中労が言ったんだよな、
いつもごちゃごちゃになる まあタレントを売り込むのに多少の誇張はしかたないとしてもだ
「日本人が最も愛した男」は主語が俺らになるからどうしても「いや、それは違うんじゃね?」と反発したくなる
これが能動態じゃなく受動態で「日本人に最も愛された男」ならその違和感もかなり軽減されると思う >>437
それ女に変えたら誰だろう
吉永小百合? ネットが無かったから何でもどんな宣伝方法でも許されたのです〜 >>443だが、調べたら違ってたな。
山口百恵は菩薩である。これは、評論家平岡正明
時代と寝た女。こっちは、篠山紀信だった。訂正しておきます。 >>445
それは異論はないな。リアルタイムではあんまり知らないけど
あと「日本人に最も愛された歌姫」が美空ひばりというのも異論はない >>423
>大人になってから裏の顔とかいろいろ知ってから
ちなみにそれは893絡みの話しとかか? >>452
なるほど
まず結論から言うと、「今の基準で過去を評価してはいけない」の典型的な例だと思うな、俺は
戦後の混乱期〜昭和30年代までは、893は必要悪として暗黙のうちにその存在が認められていた
それを象徴する例が治安維持に多大な貢献をしたということで、
山口組三代目田岡組長が一日警察署長に任命されたこともある
当時の興行、それも芸能人の公演ともなると地元893との折衝が不可欠だった
それに対抗するにはより強い組織にバックアップを願うしかなかったわけだ
昭和30年代に活躍していた芸能人やプロレスラーは、893と無縁だった方が圧倒的に少なかっただろう
--------
社会全体のスケールで語ろうとするとどうしてもピントがボケるだろうから、分かりやすく例えてみる
1学年5クラスぐらいの学校があるとして、どこのクラスにも一人ぐらいジャイアンがいるわけだ
普段からのび太を虐めるだけのジャイアンもいれば、
映画のジャイアンよろしくスーパーヒーローみたいなのもいたりとキャラは千差万別だ
ただこいつらには一つだけ「外敵が現れたら一致団結する」という共通点がある
だから普段は怖い存在でも、例えば隣のクラスとケンカになった場合
最終的に先生(警察)が登場して終決することになるが、それまでは生徒(一般市民)同士で戦わなければならない
そういうことが起こり得るから、怖いけど頼りになる存在が求められていたんだよ >>454
それは知ってる(田岡組長が一日署長ってのは知らなかったけど)。
美空ひばりは田岡組長を「お父さん」と呼んでたくらいだし
ただ、石原裕次郎は、ヤクザを頼っていたのではなく
本人自身がヤクザだったと小林信彦は暴露していた、ということ。 >>455
俺が言いたいのはあの頃の893って、のび太とジャイアンぐらい隔たりがなかったってこと
死んだ婆さん(明治生まれ)が生前言ってたことが強烈に残っている
「昔はどこの町内会にも893がいてねえ
なんかモメ事あったらすぐに解決してくれて、わたしらどんだけ助けられたか
今、祭りの出店ったら縄張りを主張する893がショバ代を脅し取るようなイメージだけど、あれだって元はと言えば逆なのよ
治安を守るために店の方からお金払って893にお願いしたのが始まりなんだよ」 佐藤允や菅原文太や高倉健なんかは、20代の新規ファンがいるけど、石原裕次郎の新規ファンなんて聞いた事がない。 どこのスレにもいるね、石原裕次郎叩きの一派が。
何が気に入らないのか、あれこれ難癖つける人々。
もうずっと前に亡くなってる人じゃん。
昭和の一時期人気があった、ただ早くに亡くなった、だから伝説になってる部分もある。
それだけのことだろ、何が気に入らんのか、執拗に叩くやつら 山口百恵だってたいしたことなかったんだけどな。マスコミが上手く神格化に成功した。 俺は石原裕次郎氏そのものを批判したつもりはない
少なくとも俺が生まれる前に大活躍した伝説級のスターだったぐらいの認識はある
ただ単純にその偉大さが分からない、伝わらないんだよ
レコードでセールスを記録したわけじゃなし、今でもカヴァーされるようなスタンダードがあるわけでもなし
批判している連中を批判するような負の連鎖じゃなくて、どれだけ凄かったのか知らない人にも教えてくれよ
URL置くだけじゃなくてできれば自分の言葉で語ってほしい
それが「伝わる」ということだから 無理に理解しようとするものじゃない
自然に好きになるかならないか、だ。
興味がなければそれでかまわん
ただむやみに批判するな >>458
つか石原裕次郎の全盛期の作品って、入手しづらいし、目に触れる機会もないじゃん。
昔のようにドラマの再放送とかもないし。
だから持ち上げられても正直「はい?」としか思えないよ。
佐藤允はウルトラシリーズから東宝特撮という風に見続けて、ウルトラシリーズの出演者の追っかけをして
一般映画や戦争映画に手を出してるうちに気がついたら顔を見る機会の多い佐藤允のファンになっちゃって
ずっぷしというパターンが多い。
(岡本ファミリーは岸田森、中丸忠雄、天本英世や平田昭彦など、特撮出演を厭わないので、ウルトラシリーズの
俳優ともよく絡む) そりゃウルトラマンを見ているようなタイプは、黒部の太陽、北の旅人、ブランデーグラス、などは、知らないし、そもそも関心もないから、流れてても聴いてない観てないわな。関心があるジャンルが違いすぎるわな。 批判的な話はやめて建設的な話をと提案しているのに、「知らないなら黙ってろ」か
それじゃいつまでたっても石原裕次郎オタは市民権を得られない
>どこのスレにもいるね、石原裕次郎叩きの一派が。
>何が気に入らないのか、あれこれ難癖つける人々。
アンチじゃなくて信者に起因する問題だと悟ったわ ID:YVy7KTPBは馬鹿だとわかったので相手しないように まあ馬鹿でも何でもいいよ
相手にしたくないならそれでもいい
しかし上から目線で客観的に見てみると、どう考えても痛い信者に起因してアンチが発生しているという構図だな
平成の話だが安室奈美恵に憧れて似たようなメイクするアムラーってのが一時大流行して、
そのアムラーの痛々しさ恥ずかしさウザさが元凶で安室奈美恵本人までがバッシングの対象となった
完全にこれと同義 >>465
ウルトラシリーズのスタッフとキャストは黒澤明や岡本喜八や松林宗恵や谷口千吉や
古沢憲吾の辺りとだだかぶりよ。
成瀬巳喜男ともかぶってる。 >>468
安室奈美恵がバッシングされてたなんて初耳 >>458
えー、そういう話に持っていかないでもらえるか? >>469
ウルトラシリーズとかって当時はジャリバンとか言われて
映画人からは敬遠されてなかったっけ? >>468
その安室奈美恵がその時代背景の中で築いた圧倒的魅力を今の若者に説明する為には
その時代の説明から始めなければならないだろう
石原裕次郎についてもそう
ただ、そんな面倒な説明を懇切にわざわざ語りたいと思う暇人が偶々今ここには存在しないってだけなのではないかな? >>470
まあ出る杭は打たれるっていうからな
今でこそ美女クィーンぐらいのポジションにいるけど、デビュー当時は猿だのなんだの叩かれまくっていたんだぜ
ちょっと論点ずれるけど安室のような南国系の顔って、若い頃よりもある程度歳を重ねると急にきれいになる >>473
そこまでする必要がない
CDセールスという客観的な数字があるし、それを抜きにしても今でも歌い継がれているスタンダートも何曲かある
「Chase the Chance」「CAN YOU CELEBRATE」等
現在でいうと五輪テーマソング「HERO」を担ったことは記憶に新しい
好き嫌いは別にしてこれらは事実だろうよ >>473
その通だし、実際説明してわかるもんでもないしな
時代の流れであり、その時代の空気を吸っていないとな
俺も映画スターとしてはあまり知らん。
ただムード歌謡としてはめちゃめちゃ好きだ くわえ煙草、呼び出し電話、電報、待ち合わせのすれ違い
駅の伝言板、、
そんな時代のスターを今の人間に説明したって無理。
誰もここで、裕次郎サイコー!なんて言ってないのに、何故いちいちその名前を持ち出して、ケチをつけるのか? >>475
そのCDの売り上げだって時代によって推移が激しいからそこから比較しないといけないじゃん
そういうことを根本的に分かってないのかもしかして、レスバトルがしたいだけなのか…
>>476
昔っからバスガイドとデュエットするなら銀座の恋の物語だね♪ テレビは一家に1台
ほぼ全世代が同じ番組を視聴していたからね
ゴールデンタイムにアニメや特撮
対抗馬は野球中継
バブル以前はそんな時代でした >>478
おいおい、それを言ったらキリがないだろう
他のスレはともかくここのような懐古系スレで、物価やレコード・CDセールスの推移という共通認識について今さら語る必要があるか? >>472
だから岡本ファミリーは平田昭彦や天本英世や岸田森の様に厭わない人だってばよ。
野長瀬さんだって黒澤映画出身だし。
その頃映画が斜陽になって一斉にテレビに流れた。 http://mojomojo-licarca.com/archives/39103673.html
ギスギスした空気を一掃する意味もこめて、ウルトラマンと聞いて思い出したネタを投下
お口直しにどうぞ >>482
そのおっちゃん達、昭和38〜42年の、子供社会のビッグバン世代(マルシンハンバーグでの食の洋風化、
東京オリンピックでのテレビ急激普及、手塚円谷テレビ進出、現行のお菓子次々発売、漫画雑誌の週刊化)
やねえ。 >>479
逆に今じゃテレビの台数/世帯の割合下がってるんじゃね?
一台はあっても各部屋に置く程じゃ無いって感じで。 じゃ、俺も話題投下
ウルトラの母が地球上にいる時の仮の姿は緑のおばさんだった
そして、その緑のおばさん役だったペギー葉山さんが今年お亡くなりになられた 下画像の左下が根上淳
ペギー葉山さんの旦那2005年没 >>478
別れても好きな人
三年目の浮気
テレフォンラブ 昔凄かったのがわからないってのはそのわからないままでいいんじゃないかな。わからなくてバカにしたりオカシイって言うのは違うと思うけどね。
その時代・空気感を共有してないと好意的に理解しようとしてさえもわからない時もあると思う。それでいいんだと思うんだ。 >>485
妹が「歌は友達」に出たことあるけど
楽屋じゃすごく性格悪かったって言ってた >>400
南風が南窓になっとるぞ
>>474
でも安室ってイタリア系のクォーターじゃん
外人は老けるの早いってのが定説なのに 昔はどうだったんだろうとしらべたりするのは楽しい
鶴田浩二の晩年は大河ドラマ「山河燃ゆ」の東郷茂徳役が記憶にあるけど
若い頃の写真を見ると、にやけた感じで何か違う >>497
以前書いたが、目がでかくて彫りが深くて部品が大作りで大人から見たら派手な顔立ちの
子というのは、特に子供特有のガリガリ体型で日焼けしたりしてると、子供の目からは不細工に
見えるらしくて「チンパン」「ブスゴリラ」という渾名だというのはよくある話だ。 >>495
そんなこと言ったら「あ〜にき〜!」のチンピラがが先生になって、今じゃ警部殿なんだぜ。 古畑にデコピンされてたハゲが駅弁刑事シリーズじゃ捜査一課長だもんな >>498
岡田奈々といえば強姦事件後の記者会見が痛々しかったな >>499
上の写真のローラなんて中高時代なら絶対に相手にしないよな
そして今の顔を見て愕然とする・・・が元を知ってるのであんまり
ピクリと来ない。吉木りさもそんな感じだ >>505
白人やインド人の子供も、写真の写りようによっては、とんでもねえ不細工なゴリラ顔に見えたりする。 大学生
「ねぇこの電話のアイコンさ、なんでこんなデザインなの?」
「なんでも昔そういう形だったらしいよ?」
中学生
「ねぇこれ何するアプリ?」
「LINEの通話っぽいヤツらしいよ?」 小学生の頃(40年以上前)、未来の世界ではコンピューターが
手のひらくらいの大きさになって持ち運べるようになるかなと
言ったら「少しは論理的に物を考えろ。漫画ばかり読んでるから
そんな下らない発想しかできないんだ」と親に頭をはたかれた。
ちなみに当時の親は公立中学の社会の先生。 火星に行くロケットとか、リニア、が子供向けの本によく載っていたが、なかなか実現まで至らない感じやな。 そのうち丸いハンドルがついている車を見て、ずいぶん滑稽なものが付いて
いたんだね、みたいな会話をする日がくるさ。 >>511
自動車が発明されたときは丸いハンドルじゃなかったみたいだからね >>509
電話機が持ち運べるようになり、便利になったと思っていたら、
いつのまにやら「電話もできるコンピューター」になってたなあ。 >>509
レアアースだっけ、あれで一気に小型化に道が開けたみたいだね
…と、以前池上さんが言ってた >>514
辞書とかほぼ絶滅だもんなぁ
次はカメラかな そうだね。
一眼はともかくコンデジはヤバいみたいだ。 自己紹介で「写真撮影が趣味」と断言できるマニア層相手の一眼レフはしばらく安泰だろうけど、
そうじゃない大多数の一般層相手に安価なデジカメを売り込むのは今後厳しくなるだろう
なんせ画質や容量といった基本ハードスペックは二の次で、最重要なのは手軽さだからなあ
昔はどこの学校にも写真部の暗室があったけど、今はどうなってるんだろ 携帯が広まった頃誰かが「腕時計が消える」って言ったけど腕時計は社会人なら必要だよな
スマホ取り出して時間確認とか学生や遊びの時ならいいけど腕時計はファッション的にも実用的にも消えないだろうな >腕時計はファッション的にも実用的にも消えないだろう
カメラ同様に減りつつあるんじゃね?
消えはしないだろうし製造・販売台数とか着用率とか数字を示せと言われたら無理だけど、
俺はもう何年も着用していないし俺の周りでもしない人が少しずつ増えている
俺の場合は金属アレルギー、特に夏場は蒸れてかゆくて困っていたのが主因
他の人の理由は不明だがなくても困らないというのが大方の総意と思われ
昔は一人前の大人としてのステータスシンボル的な意味もあったらしいな 80年代前半、安価なデジタル時計が普及して中高生の小遣いでも買えるアイテムになった
それに伴って色々な機能(ストップウォッチ、カレンダー、インベーダーもどきのゲーム等)が付加された
で、当時のガキンチョが一番重宝したのがアラーム機能だった
朝の目覚まし代わりではなく、授業が終わる時間に合わせて同時多発的に鳴るのが正しい使用方法
ようは「授業おわったぞ!とっとと休み時間にしろ!」の意味ねw >>521
そうだね
消えないけど確実に減ってるだろうね
昔は中学や高校の入学祝と言えば腕時計が定番だったけどな
うちの職場は外回りは腕時計必須なんだ
客前でスマホ取り出して確認するやつがいたらしいからw >>523
あー、外回りさんは大変だろうなあ
仕事上、身だしなみも大事な要素だもんな
一方でクールビズが市民権を得たから、夏でも背広という呪縛からは解放されたんじゃね? >>520
ジリ貧傾向だったけど、最近はまた回復してるらしいよ。
画面の風合いとか、デジタルな写真とは違う味があるからじゃないかな。 回復とはいっても年間7000万本ぐらい製造した全盛期に対して、今はその5%ほどだけどな
まあそれでもロストテクノロジーにならず、次の世代が細々とでも引き継いでくれるのは純粋に嬉しいことだ
聞いた話だとスマホや携帯のカメラが高性能になりすぎて何でもかんでも写り込みすぎるのが嫌とか、
逆に圧縮のJPEGフォーマットが人工的でどうしても馴染めないとか理由は色々あるようだ
室内や夕暮れ以降はともかく、屋外で昼間に撮影する分には十分なパフォーマンスを発揮してくれる
カメラを突き詰めていくとレンズとスクリーンまでの距離が、つまり奥行きのある立体的な構造が不可欠なのよ
その一点においてスマホでは永遠にこれを実現できないし、逆に写ルンですは理にかなった構造といえる 腕時計も、高級機械式は盛り返してる。
男が仕事場で身につける数少ないアクセサリーだから、ステイタスやセンスをアピールする道具としては廃れる事はないだろう。
と、今なら言えるかな。 >>523
懐中時計はダメなの?
痒いのが嫌で、腕時計を最後は懐中時計風に使ってたんだけど。 一般人がカメラに求めるものは解像度とか絶対的な性能ではなくて、「撮りたい >>519
俺もそう思ってたが、使ってたのがヘタってから新調せずじまい。
スマホは認証が面倒いのでポケットの歩数計の時計見てる。 ごめん、間違えた。
「撮りたい写真を撮る」ためにはレンズとかのハードより画像を作るソフトが重要で、その点iPhoneは誰が撮ってもそれなりの写真になる分高級機より使い勝手が良い、と書きたかった。 そう、時計は実用品でもあり、アクセサリーでもある。
男の腕にしゃれたクロノグラフとかやっぱりおしゃれのポイントになる。
女性の腕時計もさらにキラキラおしゃれ度はアップしてる。
最近時計を新しくするので、ネットや実店舗でいろいろ見たが、あれこれ欲しくなってしまうような時計
が多数あった。 >「撮りたい写真を撮る」ためにはレンズとかのハードより画像を作るソフトが重要
今はそういう時代、それが主流なんだろうなあ
つまり撮る前に照度・しぼり・シャッター速度等をあれこれ考えるんじゃなくて撮った後にどうするか、だ そうなんだよ。夕景とか青空とか、一眼レフとiPhoneで撮り比べるとやる気なくすんだよなあ。iPhoneの方が俺より写真上手いんだから。 数年前までは
運動会で自分の子が走っている写真を撮る
その時に
自分の子にピントが合って、周りは動いているような(流れているような)写真
こういうのは一眼レフでないと撮れない
なので一眼レフもしばらくは安泰
って話を聞いた覚えがあるのだが、昨今のスマホだとそう言うのも出来るのか? >>536
スマホは知らないけど、少なくとも撮影後の画像編集ソフトでそういうことはできるようだ
聞いた話だけどな 六大学に入ってないだろ?
あ、駒沢だと頭文字Kか。それもありだな。 >>517
スマホも使うけどまだ画質に不満があるしマクロや工学ズームのあるコンデジは手放せないな >>521
俺も金属アレルギーだったから今はチタンの使ってる >>497
これって単に化粧とか物理的お直しの結果じゃあ・・・ 運動会は今は写真じゃなくホームビデオやスマホの動画なのでは?
子どもいないから知らんけど 昔は、子供の運動会なんかに親が来るのはなにか恥ずかしい、と言う気持ちが子供にはあったな。
昭和は、過保護いけない過保護いけない と言われまくった時代だったから、子供がいじめられても、それは子供自身が解決すべきこと、みたいな風潮があった。
学校の行事などにも、あんまり親がいつまでもしゃしゃり出てくるな!と言うのが普通だった。
子供も、親に「恥ずかしいから、学校の行事になんか来るな」とか言っていた。 カメラに関しては、鉄道や飛行機、アイドルオタ御用達で一眼は滅びないと思うけどな。
プロと同じ、あるいはプロに一歩でも二歩でも近いものを使いたいと思うはず
むしろプロは使わないであろうミラーレス一眼が消えるような気がするけど。 >>545
クラスぐるみ学年ぐるみで一人を虐めるとか、腕力体格で圧倒的さがあるとかで
どう考えても子供で解決する事が不可能な事まで「カホゴイクナイジブンデカイケツシロイジメ
ラレルホウニモモンダイガ」で不登校になったら「フトウコウハゼッタイアク」と追い詰めて最終的には
自殺に追いやるまでが昭和でした。
虐めって行き過ぎると努力する意欲や勉強する意欲も失うんだよね。
何やっても無駄と学習しちゃうから。
女の子だったらおしゃれの意欲や身なりを整える気もなくす。
「どうせ何やっても汚物扱い化け物扱い」だから。
将来を思い描いて、「自分は何になりたいから何を勉強してどういう学校に行こう」
と考える事すら出来なくなって、「大人に怒られるから叩かれるから学校に行く。
終業時間まで時間が過ぎるのを耐えるだけの場所」になっちゃってる。
そういう人間を量産する場所でもあったよ。 >>543
成長につれて肉付きが良くなったり日焼けしなくなったりという垢抜けもあるのよ。
子供のうちはどうしても顔剃りさえ悪という価値観にも縛られるし。
くどいようだけど真っ黒日焼けでガリガリ体型で彫りが深い派手目の顔は、子供の目からは
ブスに見える。
大人と違って素材が良いから大人になって化粧映えするだろうなあなんて考えない。
大人に美人、可愛いと言われると切れたり不機嫌になったりするレベルでブスゴリラ呼ばわり
される事もある。 >>522
昭和40年代(1960年代)生まれだけど
子供の頃、デジタル=液晶7セグメント表示ってすごく未来的なイメージだったんだよねww
今は百均で100円で腕時計買えちゃう時代だけど…
あれ?アラームなんてあった?そもそも学校に腕時計なんて持ち込みOKだった?
と思い出してみたが…高校ではあったかもな。〜中学は覚えがないw
小学校3年のクリスマスにサンタさんがくれた腕時計はアナログ
もちろんクオーツじゃなくCITIZENかSEIKOの自動巻きだった
当時バッタモンの中国製コピー製品なんて、たぶんまだ存在しなかったよね
月に15秒、いや30秒くらい狂ったが、嬉しくて日付時刻の合わせ直しとか一生懸命やってた >>550
小学校3年生のクリスマスで腕時計のプレゼントなんてお金持ちだな。
そのころは俺は何かのゲーム盤だった >>551
ごめん4年生だったかも知れないww
腕時計はまだ友達もあまり持って無くて誇らしかった
今でも25日の夜中にふと目が覚めて、枕元のプレゼント箱の中からカチコチ音がした
その嬉しさを覚えてるんだから、よっぽどのことだったんだろうね
決して裕福ではない、一億総中流家庭だったが、俺があまりにねだるので
親も頑張って買ってくれたんだろうな 感謝
ゲーム盤は小学校では持ってなかったよw
流行るのはもう少しだけ後の世代だねww
俺達はミクロマンとか(弟はたくさん持ってた!)
スーパーカー消しゴムとかだねw アクロイヤーも持ってた
ミクロマンは緑色のだったかな
ミクロマンクラブに兄弟で入ったが円形のシールが送られて来た以外は憶えてないな >>553
wiki見てきたw
アクロイヤーって、元々ミクロマンだったものが、ヘドロやPCBなどの公害汚染で
悪のパワーを得たものだったんだなw なかなか重い設定だよね
当時は光化学スモッグ警報が毎日のように発令されてたし、
硫酸ミストで校庭で遊んでた子供がバタバタと倒れたなんてニュースもあった
今もPM2.5とかあるけど、恐ろしい時代だったんだな
川の汚れもすごかった それでもザリガニ釣りとかしてたけどww
ミクロマンやダイアクロンがトランスフォーマーシリーズに繋がって行ったんだってね
10年単位の中断はあるけど、ずっと続いてるのはちょっと嬉しいね
超合金シリーズなんてのもあったなぁ
お兄ちゃんだ!とカッコつけてたせいなのか、あまり自分では持ってた記憶がない
弟のを借りて遊んでたのかなぁ >>535
一眼持ってるのにいつでもどこでもオートフォーカスと予想した
ダメじゃないけどそれは宝の持ち腐れよ(´・ω・`)
車を極めようと思ったらATは絶対にMTに勝てないように、カメラも一眼>スマホ
デジタル全盛の時代でもウデの差というアナログ要素が残されてる数少ないジャンルだ
もっと楽しもう
ちなみに一眼の面白さと優位さを手っ取り早く習得できるのは夜景な 中嶋製作所のアストロミュー5も忘れないであげてください。
マシンザウラーや、大コケしたテクノロボ・コンポボーイもあったなあ。
マシンザウラーの方は弟が持ってた。
グリコやスポロガムのおまけにもなったんだよ。 >>555
夕景や青空にフォーカスが関係あるかーいw
lawで現像しても、iPhoneがシーンを自動判別して瞬時に作る色空間の方が(ちょっとやりすぎ感があるとは言え)自分でやるよりはずいぶんマシなんだよなあ。 >>557
あんた面白いなw
昔のフィルムカメラから今のデジカメに変わっても、フォーカス、シャッター速度、絞り等は不変だろ
なぜこれが残ったか、理由は簡単でそれが必要だからだよ
カメラ板じゃないからこれ以上具体的な方法は省くけど、マニュアルモードで色々試すことをお勧めする
ちなみに俺も風景画が好きでね
撮影後に画像編集ソフトを使わずとも、撮影前に工夫するだけでこういうのは割とカンタンに撮れる
それが一眼の魅力だなあ
オートフォーカス↓
http://i.imgur.com/klMfH4t.jpg
マニュアルモード↓
http://i.imgur.com/cmZUiHk.jpg >マニュアルモードで色々試す
この人はおそらく、何をどうすればこうなるとか、
そういう理屈は一切わからないまま、色々いじってみて変化するのを面白がっているだけなんだろう
オートフォーカスをMFにしたところで、色調は何も変わらないよ >>558
それフォーカスじゃなくて絞りとシャッター速度だろ なんか変だなと読み返したら、大変な間違いを書き込んでた。lawってなんだよ、rawだよ。法律じゃなくてナマだよ。ごめん。 昭和時代の古いボロ写真をスキャンしてスマホなどに取り込んでおくと、人に見せられて楽しい。
EPSONのスキャナーなら、退色補正もあるし簡単。
なんか宣伝みたいになってしまった。 俺のEPSONスキャナはGT-7000Uつってスキャナが出だした頃の型だからそんなの付いてない >>563
この場合のスキャンとはどういうやり方ですか?
自分はそういうのに疎いので、スマホやタブレットでやるなら、具体的にどうするのか、教えていただけると有難い。
古いアルバムの写真類、自分が死んだらどうなるのかな、と時々心配になります。もし自分で別途スマホなどに取り込めるなら、やってみたいと思います。 フィルム式のカメラだと三脚やらバルブにしなければ撮れない夜景も
iPhoneなら手軽に手ぶれなくきれいに撮れるからな。
カメラの受光部というのかな、相当な性能なんだろうね。 >>550
小学生・中学生が腕時計をしていると
かつあげの対象に。。。
腕時計は高校に入ってからだったな まだデジカメが普及する前にネガから直接スキャン出来るプリンターを売ってた様な気がけど記憶違いかなぁ >>568
2011年まで売ってたから昭和どころか平成20年代に掛かってるわ
ウチにもキヤノンの複合機が1台ある。 プリンター機能を取っ払ったヤツ無かったっけ?
ネガから直接データー化するヤツ。 フィルムスキャナは今でも普通に売られているよ
その筋の専門店とかじゃなく、ヨドバシあたりでも扱っているよ >>565
EPSON のこの説明記事が詳しいよ。
大切にアルバムにしまってある昔の写真が色あせてしまっていることはありませんか?
カラリオには色あせてしまった紙焼き写真を解析して自動補正する「退色復元機能」を搭載。
大切な思い出や記念の1コマが、鮮やかによみがえります。
また、昔の紙焼き写真をデジタル保存する際にも活用できます。
http://www.epson.jp/products/colorio/guide/fukugen/ >>570
マジか。てかそもそも昭和の話じゃなかったですね。
昭和的て事だと、レジスタとかプリンタとか最後の長音を表記しないのは昭和に決められたJIS規格だった。だから技術書はほとんどそんな表記だったけど最近は緩々な感じがする。 >最後の長音を表記しないのは昭和に決められたJIS規格
1文字というか2バイトを浮かせるために長音記号なし
って決まったはず 全く流れ変わってすまんが、コンビニでおにぎり買ってきて思い出した
昔はおにぎりの中に入れる具といえば梅干し、カツオ、鮭、コンブしかなかった(俺の家庭の話しね)
遠足等で友人に聞いてもやはりこの4種が定番だったと記憶している
他には中じゃなくて外側にゴマ塩をまぶしたのがあったぐらいかな
今では色んな具が楽しめる
シーチキンや肉系の具がデビューした当初は邪道であるかのような印象もあったが、
なんせ普通に旨いし慣れてしまえばどうってことない 単にお塩だけの塩むすびもありましたね。
コンビニでは海苔は別が普通でここ何年かで直巻きおにぎりとかも出てるけど、昔は海苔別なんて持ってる子見たことなかった。
そんな私はやっぱり直巻きが海苔がしっとりしてて好きです。 そりゃそうだろ
海苔を別に販売してるのはコンビニのアイデアなんだから 一般のお母さんが、いちいち海苔を別にするわけがない いや、今のコンビニで育った世代の子は海苔がくっついてるのは気持ち悪いって子が多くて海苔別にするお母さんが多いみたいよ。 ごはんの腐り防止として梅だったな
たまに「しそ」があると嬉しかったw >>578の
>、昔は海苔別なんて持ってる子見たことなかった。
という部分に関してのレスですよ
コンビニができる前はそんな発想は無かったということ。 中森明菜はおにぎりの海苔はパリパリ派で、早弁しようとすると海苔の音でバレるって、大昔に何かの雑誌で読んだ記憶がある 80年代からコンビニ使ってたけど、あの頃はパリパリ主流で
自分もしっとり好きなんて理解できなかったわ。今はわかる、人の好みって
変わるんだな。 ネット配信とかいくらでもあるので、チャンネル数が少ないなら契約しなきゃいいだけだから、
ケーブル局の、既成勢力(公権力、地域コミュティなど)に阿った報道しかしない、取り上げないとか
その反体制側だから意図的な報復報道されたとか? >>588
女子高だと男子目の抑止力が無い分、いろいろフリーダムになってしまうんだよ… 共学だけど早弁してたよ
明菜より少し年下の年齢
ただし他の女子もやってたのかは覚えていない >>590
まあ女子高も消えてきたよな。
時代に合わないから。 >>592
皆が皆異性と同じ環境にいることを望んでるわけじゃないから(特に異性から不快な目に遭わされてる場合)
なくならないしなくして欲しくないよ。 女子校は無くならないと思うけど(特に親の要望が強いし)
男子校はどんどん無くなってるな。男子校だったのが
男女共学になるケースが増えてる。 家とこ地元もミッションスクール除いて公立私立とも軒並み共学になっちゃったな
と思ったら、そういやピンクレディーの母校はまだ女子のみだったか >>593
ゼロにはならんだろう。
ただそのパターンの親も減りつつはある。
おまけに反抗期真っ盛りのその世代に無理矢理行かせることも難しくなってきているしな。 >>594
おれの母校の開成中と高は、ずっと男子校でいてほしい。
おれが開成出身というのは嘘。
ハゲなのは本当。 >>597
腕力で太刀打ちできない年齢になって男子から罵られたり蹴られたりする女子は
共学なんて望んでもないよ…
むしろ別学じゃないと進学したくないとさえ思ってる。 >>599
で、そういう子が何割いるんだよガイジ。
半数以上がそうですとでも言いたそうだな。
そもそもそうなったら受験勉強と並行で心療内科行けって話にもなる。
20代になってもそのままほったらかしにしたらそれ関係なしにもっと苦しむからな。 >>598
自己紹介乙w
お嬢様のイメージが強かったあの女子高とか、
バンカラで売ってたあの男子高とか
まさかと思う学校が最近は共学になってるのな。
あぁ少子化…生き残るためにはそうするしか無かったのかな。
だんだん、変わっていくんだね。
ちょっとズレるが、そう言えば自分の出身中学(公立、最初から共学)も、
この前学校HP見たら学ラン・セーラー服から男女共ブレザーになっててびっくりだった。
最近話題の藤井四段の、対ひふみん公式デビュー戦は学ランだったね。 >>599
もしかして>>547と同一人物?違ってたらごめんm(_ _)m
どんな環境にもクズみたいな奴は一人二人は居るものだから
たとえば別学でそれが完全に排除できるか?と言えば答えは△〜×だよね?
日本のカウンセリングもお世辞にもトップレベルとは言えないものだけど
それでも>>600も言う通り、いじめは学校だけじゃなく医療と二人三脚で進めるべきだと思うよ
純粋培養すれば強くなると言うものでもなく、むしろ免疫が無くて後々苦労しそうだし
何がその子にとって一番かは簡単には言えないよね? メモ帳に書きためといたので貼る
>>>547
いじめられて不登校になった人なのかな?大変だったね
ニュース等でも言われてることだけど、現代のいじめのほうが陰湿&巧妙化してると思う
ミーイズム、エゴイズムという言葉は昔からあったけど、
「自分さえ良ければ他はどうでも良い」と言う考えは「人間のクズ」と言われ、子供なら誰でももっとも忌避するべきものだった
地獄だってネット映像とか無い分、もっともっとリアリティがあって恐ろしいものだった
善悪の概念というよりも、「いじめなんかして地獄に行くのは絶対に嫌」だったから、抑止力になっていたと思う
確かに「不登校は絶対悪」だったね
でもその分、担任の先生・同じ登校班の子・クラスの子には応分の負担があって大変だったと記憶している
みんなそうやって社会性が培われたんだと思う
企業勤めに必要な全体主義を叩き込むためだったかも知れないけれどw
今は唯物主義・個人主義が台頭したり、
ガキ大将=馬鹿だけど力と正義感で子供内を統治 から
頭良くて小賢しい・お金持ちタイプが実権を握るようになり
「悪いことをしたら地獄に落ちるんだぞ!」と言っても「なにそれお前、○○教かよ」って馬鹿にされかねない時代
現代のほうが、単純で分かりやすい正義が無くなり、小さい集団内でいじめが発生しやすい、難しい時代だと思う >>604
昭和は、「登校拒否は絶対悪、許されない」だったから、ぶん殴って引きずってでも学校に行かされたのよ。
行った先でどうなろうが知った事じゃなかったんだね。
>>547で書いてあるような事は事件として結構報道されてたり、身近で見聞きしたりした。 >>606
あったなー。今は不登校は無理に登校させないのが基本になってるみたいね。
俺が今の時代に中学生だったら絶対に不登校になってたな。 >>607
おれも今の時代に中学生・高校生だったら、不登校は当然のこと。給食で食べられないものは拒否、教師に理不尽に怒られたら徹底抗戦して相手が辞めるまで追い込むとか、いろいろやりたいわ。
そもそも高校も進学せず、予備校から大検を経て、変人に寛容な東大か京大目指したい。 気の弱いわしは逆だわ
強制力のあった時代だったから、なんとか卒業できたよw >>608
ま、その年代でモチベーションの維持は無理かと コンビニおにぎりはパリパリ海苔だったので
最初からご飯に巻いてあるシットリ海苔のおにぎりが食べたい
と言う声が出て
セブンが製品を出したけど、不味くてすぐに廃れたな
これは平成になってからかな?
女子高・男子高問題は
主にフェミが
男女別学反対、別学は差別だ。と言い出したが
実際は
女子高のほうが女子リーダーを育てるのに有効
と言うのが分かってきて
最近はあまり言わなくなってきたね >>598
正直でよろしい
貴方の未来の頭は光り輝くだろう >>611
しっとり海苔おにぎり今もかなりありますが? パリパリ海苔のおにぎりは先に海苔を巻いて数分後に食べると海苔の薫りが際立ってて旨いよ。
海苔もいい具合にシットリしてる。 >>613
あるよねえ・・・
しっとりの方が好きだ しっとりが好き
パリパリは包装外すの面倒くさい
地元の女子校は実は男子も入れるけど歴史の長いザ・女子校なので男で受験する人がいない 女子校、女子大は無くならないで頑張って存続して欲しい
女の園って、甘美な響きが俺らにとって男のロマン的な犯しがたい憧れがある
男子校?そんなもん無くなろうがどうだっていいわ 東京の女子御三家は無くならないだろうね
そう言えば今お騒がせの女代議士さんも桜蔭から東大だったな 今ぐぐってみたら明菜の通っていた高校も2004年に共学化したか
東京って戦前から続く裁縫学校を昇格させた私立女子校が多い分、
都立に落ちたら共学校に入るのは至難の業だったけど
今はいろいろ選べるみたいだね
菊華も戦前世代にとっては平民でも何とか手が届く憧れの裁縫学校
戦後昭和世代は「そんなんじゃ菊華にしか入れないぞ!」
平成世代は石川遼で有名になった高校と変化していった >>613
しっとり海苔おにぎり
一時期出たが、すぐに廃れた、でもって再度復活
って話だよ クマのプー太郎でヒーンおやじがコンビニおにぎりを買おうとしたら、包みをちゃんと開けられるわけがないから海苔がついてる方にしなさいって店員に取り換えられて泣いてるの思い出した
確かに年寄りはあの包みを手順通りに開けられなかったなぁ… 戦争の経験者が沢山居たから戦争の話よく聞きましたか?
あと10年もすれば行った人の話が聞けなくなる >>628
この前TVで、外国人に開けさせようとしたら、熱で圧着した袋の端から外して
海苔はプラ袋に完全に残ったまま、おにぎり本体を素手で掴んで
美味そうに食べてたよw
まぁ、初めて&説明書き読めなければそうなるよなぁw
オリンピックに備え、ユニバーサルデザイン対策で廃止されたりしてwww そのための123と矢印だと思うんだけどなあ。
コンビニおにぎりに苦戦する外国人夫婦を手助けしてあげるコピペはほっこりしたわ。 電子メールが登場した頃は、重要な要件をメールで送ると注意された。
どうしてもメールで送る場合は「メールで送らせて頂きます」と
電話連絡してた。「何でもメールで済ませようとする人間が増えてきた。
そういう連中には愛の告白もメールでするのか?と聞きたい」などと
言う人も少なからずいた。
メールで告白なんて当たり前になってしまったなw >>632
今はLINEで告白、LINEでお別れ、だね。 >>629
内地で空襲を受けた話はよく聞かされた
だが、実際に従軍した人の口は堅かった LINEとかメールでは「ほらこれ見てみw」と友達とかに見せまくるんじゃないかと思うと出来んな >>635
生きて帰った=人を殺した がほぼ成り立つから
話したがらないのも無理はない >>633
最初は「電子郵便」だったよ
>>634
最後まで電話番号すら知らないんだよな
電話番号を教え合うのはよほど親しくなってからだそうだ >>629
私立だったせいか中高に高齢の教師が多くて
ゲートルの巻き方とかの話をよく聞かされたわ
そういや生死に関わる話は無かったな(戦友が
死んだとか敵兵を殺したとか) 終戦(1945年)からガンダム放映(1979年)までの期間より、もはや、ガンダム放映から現在(2017年)までのほうが期間が長いという事実に戦慄する。
1stガンダムのころは、20歳前後で戦争に行ってた男たちがまだ現役バリバリの50代。そりゃ、戦争話を語る教師もたくさんいたさね。 兵隊に行った話をしてくれるのは、後方の通信隊とか補給部隊で前線に出たことない人ばかりだったな。それでも前線から「司令部壊滅コレヨリ自決ス」と受信した話を淡々としてくれた。 うちの会社、今年遂に「メールやラインでの欠勤届けは無効」のお達しが出た
先輩や上司にメールで「今日休みます」と送るのが若干名いるらしい
直接電話するのがウザいとか喋れないとかいうやつがいるらしい 電話よりもLINEやメールのほうが有り難いケース多いよなあ。
電話は不在の場合もあるし。 >>633
アドレスと言えば今は(電子)メールアドレスのことなんだなあ >>644
アドレスは以前からそうでしょ。元々「住所」という意味で
アドレスとは言わなかったから(言ったとしても極めてレアなケース)、
電子メールが普及しだしてから電子メールアドレスという意味で
「アドレス」を使うようになった。
英語圏ならその話のまんまだけど。 >>642
え、老害の会社?
ありえないわ、重要なことほど書類が残るメール、LINEでもマシ
電話なんか言った言わないの水掛け論になる可能性あるのに
こういう会社があるから日本はどんどん景気悪くなっていくんだろうな 昭和の生活で電子メールなんて仕事で使ってた?
当時はせいぜいワープロ専用機でフロッピーにデータ保存して大学持って行くくらいだった気がするが
自分が就職したのが平成元年、DTPの仕事でPC使い始めたのが平成3年ごろ
ニフティ始めたのが阪神淡路大震災の平成7年ごろ
インターネット始めてポストペットとかやり始めたのがそこからさらに2年後くらいだったよ うちの母方の祖父も戦時中フィリピンに行ってたけど
孫の俺には、細かいことは何も話してくれなかった
補給が絶たれて飢餓状態になったり、乗ってた船が何度も沈められたりとか大変だったらしい
元気だった頃は、良くフィリピンに戦友の慰霊の旅に行ってた
きっと、自分だけ生き残って申し訳ないってずっと思ってたんだろうけど
戦後は街の復興にとても貢献してたみたいだし(大臣から感謝状来てた)
俺には良いじいちゃんだったよ もっと話聞きたかった 一昨日の笑ってコラえて!で、
元一式陸攻乗りの94歳・ギネス記録の現役パイロット/教官のTさんが出てたね
あの海面スレスレに飛んで敵艦の砲撃をかわす、とんでもない戦法を実行してた人が、
今もまだ生きて操縦してるなんてね!
(当時の写真が残ってるが、見るだけでもぞっとする)
死を覚悟すると本当に死んでしまうから、同じ飛行機の搭乗員には遺書を書かせなかったという
俺が必ず生きて帰らせてやる!って信念だったんだろうね
ttp://livedoor.blogimg.jp/zap2/imgs/a/0/a0732d9c.jpg 小野田さんに全国から義援金?が集まった
そっくり靖国に寄付したら批判殺到だったとか・・
「生き残った者に金は要らない」って思考は・・
まあ超ド級のサバイバーだからこそかw >>647
昭和の本当に末期ぐらいからパソコン通信が普及しだしたような記憶がある。
インターネットは阪神淡路大震災の後ぐらいから普及しだしたはず。電子メールはインターネットに付随していたから
電子メールはパソコン通信でもあるにはあったが、同じパソコン通信の会社内でしかやり取りができなかったはずで、
一般的なやり取りには使ってなかったなあ。 >>648
本当に壮絶な体験は簡単に他人(第三者)には語れないからね
まず、つらい体験を言葉にするのに心が痛むし、
またその体験が相手に正確には伝わらない虚しさもある。
結局誰にも言わずに、墓の中まで持っていく、あるいはごく僅かの戦友と共有する、ということになるのだろう。
或るシベリア抑留体験者も、最初は家族にシベリアの話をしていたが、やがて話しても伝わらないと悟って、絵画を描き始めたそうだ(そして有名な画家となった)
特に孫なんかに悲惨な話は聞かせたくないよ だから逆に
修学旅行生に毎回話をしてる「語り部」さんたちは凄いと思う。敬服します。
ある種の使命感から話をしていると思うが
もうこの方たちも高齢だから、… >>642は、ホウレンソウをメールやLINEだけで済ませるなという意味でしょ たまに「昭和の人間が今にタイムスリップしてきたら
マナーの悪さで顰蹙を買うだろう」なんて話が出るけど
今の若い人が昭和40〜50年代にタイムスリップして
当時の人達と交流しつつしばらく生活した場合、当時の
人達から逆に顰蹙を買うようなことって何かあるだろうか?
「名前や住所を聞かれてもすぐに答えない」とかしか思いつかん。 沖縄のひめゆりの所でお話をしてくれる方達ももうご高齢で継続できないと聞いた。
1945年に女学校なら当時15歳でも87歳だものね。 >>655
分からないこと、知りたいこと、調べたいことがあった場合
まずどこに行って調べればいいのか、それが一番大変だろうと思う >>655
電話を受けた側が、名前を名乗らないことじゃないかな
仕事の内線や外線電話は別だけど
プライベートな電話にかかってきたら、
昭和では電話に出たらまず「はい〇〇です」と名乗るのが行儀の良いふるまいだった
今は名乗らないのが防犯として正しいことになったものね >>655
人によるだろうけど、普通の人が髪を茶色や金色に染めてたら顰蹙買うと思う
あの時代に髪を染めるのはヤクザかヤンキー(死語)しかいなかった 上田馬之助なんて、「きさまそれでも日本人か!」と本気で罵声を浴びていたからなあ
まあ悪役としてはあれで大成功したわけだ 昔に戻ったら車の運転に苦労するだろうなあ
マニュアル車、エアコン無し、パワステ無し、キャブレターが標準だったからな >>661
マニュアル車なんか、もう20年以上運転してないなあ。 >>663
俺は関東だが、今でもMTの乗用車に乗っている
中古で探すのにえらく苦労したぞ オート三輪のハンドルがステアリングじゃなく
前輪に固定されたオートバイのようなハンドル 今の人間が昔に戻ったら、全く使い物にならんだろ
スマホがなきゃ何もてきないんだから
地図も見られない、時刻表も見られない、新しい場所に行っても戸惑うばかり。
アプリがなきゃ何もできないやつらばかりだ。
おまけに煙草の煙がうざいから、吸うなとケチをつける。 原稿は全て手書き
それの複写方法は時代によりさまざま
謄写版印刷
青焼き
コピー
等々
いちいち手で綴じて配布 >>632
>重要な要件をメールで送ると注意された。
>どうしてもメールで送る場合は「メールで送らせて頂きます」と電話連絡してた
これ今でも有効だよね
>重要な要件をメールで送ると注意された
→ 情報漏えいのため厳秘情報はメール禁止
>「メールで送らせて頂きます」と電話連絡してた
→ メール送ったので見ておいてと連絡 >>669
カーボン紙を間に挟む
ってのもあったな クレカとか大学病院の診察券のカードとか、用紙の下に置いてゴリッとやってカードの番号写し取ってたよね 昔ならハエ、カ、ポットン便所、異臭、シャワー無し、夜は寝るだけ、11時にテレビは終了、家庭用ゲーム無し、ラジオが友達、だった。 >>668
同意
自分から何かしようって気もなくいわれたことするだけ
完全週休二日でないことも厳しい
飲み会に参加しないことも当時の人にとってはマナー悪いといわれるだろう >>672
ボールペン原紙は平成の初期にはまだ使われてたね。
当時のプリンターはドットインパクト式が主流だったから、
インクリボン外してボールペン原紙に印字して
輪転機にかけて印刷してた。それだけでも
活字になった事に感動できたもんだ。 そのボールペン原紙で印刷したわら半紙を二つ折にしてそれを束ねて遠足のしおりなどを作った。 >>675
手が黒くならない複写紙が出たときは不思議だった。
青くもならないし >>657
パニックになるかも知れんなw
>>658
リーン ....ガチャ
「はい」
「あの・・木村さんのお宅ですか?」
「はいそうです」
「だったらちゃんと名乗ってよ。躾悪い人ね」
とか普通にあったな >>683
リーン ....ガチャ
「はい」
「あの・・木村さんのお宅ですか?」
「あんた誰?」
「木村さんですか?」
「だからあんた誰よ?」
今ならこうかなw 昭和のSF系ドラマのコンピュータ描写では、リールがガシガシ回るコンピュータが吐き出す点字の紙テープを、技師が直接読み取り「たいへんだ!」と叫んで上司に何か報告していた。 >>652-653
レスありがとう
青春時代に文字通り死ぬような目に遭って
戦後〜昭和は生き抜くのに必死で(思い出したくなくて、話せなくて)
いま、このままでは風化してしまうという思いから、
人生の残り時間でなんとか伝えようと再び「決死」の思いで語って下さるのだろうね >>689
「点字」と言うのは今も使われている視覚障がい者向けの文字のことなので
昔のコンピュータ用のは「鑽孔(さんこう)テープ」または「穿孔(せんこう)テープ」と言うみたいだね
思い出したけど、子供の頃、ガチャガチャのカプセルの中にこれが入ってた
当時の家庭にコンピュータなんてあるわけ無かったから、
ちょっとでもハイテクや、TVの中で怪獣やロボットと戦う博士に近づきたいガキンチョの俺たちは
「どうだ!これ本物のコンピュータで使ってたんだぞ!」と鼻高々で自慢していた
ガチャガチャの会社としては、使用済み廃棄のテープが金になるんだからウハウハだったろうなw あれは電算機に入力するための物で、電算機が結果を出力するための物ではないんだよね >>685
今でももちろんディレクトリが本筋ですね
フォルダはMS用語ですから あのテープに何が書かれて居るのか、目視で読み取れるって凄いな
穴の位置や数に規則性があって、五十音になってて、
それらを全て記憶してるって事なのか?
この並びにこうなってたら「あ」で、こっちがこうだと「い」で…って感じ? >>694
1列1バイト(8個の穴の有無が0か1か……8ビットで1バイト)。
半角欧文文字は1バイト、全角文字は2バイトで表す。
昔のキーパンチャーや電算写植オペレーターなら、ある程度読める人はいたと思われ。 >読める人
僕らの知らない生活スレの過去スレにいたかも それ私だ。紙テープで全角文字を扱えたかどうかは知らない。私の仕事ではASCIIだけだった。
×○●○○o○○○● ↑進行方向がこっち、黒が穴だとして、これは「A」。Hexの'41'ですね。
×の所はパリティ情報が入るので遇パリなら○、奇パリなら●になる。
現場用語では縮めて紙紐って言ってた。 >>641
客から発注書がファクシミリで届いたりするような会社なら
欠勤届もファクシミリで送ってやれ >>693
そうなんだ
最近ぜんぜん聞かないなあ
今ディレクトリなんて言ったらヲタ扱いされてキモがられるかな >>746
アセンブラは人間に読めるようにした物
デイスアセンブルせず機械語をそのまま読むのがオタ Z80はいくつか覚えていたけど
直接読める人もいただろうね フォートラン、BASICは普通に読めた
それにしても誰が言ったか知らんが、
「プログラムは思った通りに動かない、組んだ通りに動く」
は名言だと思ったわw てかコンピューター主流以前の昭和の銀行ってどうやって顧客のお金管理してたの??全部手書きか?どう考えても無理あるだろ、、絶対貯金とか間違ったりしてないか? 昔は算盤の優秀な人を何人も抱えてたんじゃない?複数人で検算答え合わせ。
それにしても大きな支店だと相当な人数が必要そうだけどね。 国鉄のみどりの窓口でコンピューター管理で指定席の発券ができたぐらいだから、預貯金も同様に電算管理されていたと予想
もっとも当時の銀行支店および郵便支局クラスでは、数字の管理が精一杯といった所か
口座番号といつ(日時)いくらの金が動いたかという純粋な数字のデータをな
口座名等の文字データは電算管理の管轄外(手書き)だったんじゃね >>710
基本は手形決裁
当然、口座は台帳(紙)で管理
顔パスでもない限り、口座の支店に行かないと話にならない >>708
ATMのない時代
取引のある銀行支店へ行き
手形を何枚か切ってもらう
1万円*5枚 とか
でもって
他県の同じ銀行へ持っていくと
現金に換えてくれる
提携している
銀行だと現金に換えてくれる場合もあった
もしくは市中の
やみ金 みたいなところへ持参する >>710
矢口 高雄先生の「9で割れ!」お勧め
銀行の仕事がメインのお話ではないけど、業務内容も結構描写されてる >>709
フォートランランラン♪ (´;ω;`) そういえば郵便貯金は全国オンライン化が未完成だったのか
出し入れのたびに通帳に局のハンコを押す方式だった
そのハンコを集める旅行貯金というスタンプラリーがあった 矢口高雄と言えば、釣りキチ三平で登場人物の魚紳さんが飲物の空缶や吸い殻を川岸に
埋めてあるのを見て三平が「さすが魚紳さん」というシーンがあった。
今なら逆に叩かれるところだなw
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/N/NATROM/20090329/20090329084409.jpg >>707
C3+2バイト(無条件ジャンプ)とか、C9(リターン)とかだね
Z80の逆アセンブラなら2〜3度作ったことがあった
そのうちほぼコードを覚えてしまい、
アセンブラは高くて買えなかったので、ハンドアセンブルで
ゲームの思考ルーチンを直接機械語で打ち込んでた
スピードは申し分無かったが、メモリが足りなくなり、途中で挫折
まだ高校生…いま思えば全てがスレタイ通りww >>712
算盤と札束数えは行員の必須スキルだったな。札束数えは今もかな。
親父は会社の経理だったから、年末とか期末とか家で夜遅くまで算盤をはじいてた。 ゆうちょは他の銀行への振り込みが出来るようになったのも確か21世紀に入ってからだし
なんかいろいろ遅れてる >>723
口座番号が一桁違うし、遅れてるとは違うよ
公共料金のATMでのMPN収納なんかは銀行よりも早いし
官民圧迫だ、って銀行側が嫌がってたでしょ、いろいろ >>692
自動穿孔機につないで演算結果を出力したり、その結果を用いてさらに入力することもあるけれど? >>704
人間に読めるようにしたものは、「ニーモニック」だろ。 ニーモニックをコード化するのがアセンブラ
転じてニーモニックで記述した物をアセンブラと言ったりもする
お前さんが言ってるのは「BASICが人間に読めるのではなく、ステートメントや関数が人間に読めるんだ」と言ってるような屁理屈 >>727
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」だったよね
現代に至るまで多くの歌手がカバーしてる「名曲」のポジションにあるけど、
今でも誰が歌ってる分でも聞くとあのこまわり君を思い出してしょうがないw >>723
むしろ全銀オンラインシステムと接続できたのは凄いと思うよ
郵便サービスは低下したけど郵貯は格段に便利になったと思う >>732
朝ドラで給料日に現金持って仕送りのために
郵便局に行くっていうのもすごくめんどくさいもんな。
今なら振り込めばいいだけだし。
朝ドラでも仕送りの金を狙った強盗にお父さんが殺されてたし。 >>734
死んでなかったかw
あれで記憶喪失になったんだろうな 小学生のころ、郵便振替(払い込み)を本屋に置いてない本を取り寄せると2週間かかると言われたので、よく利用していたよ。
現金書留で送ると、便箋を用意したり、高くて(51年1月まで120円、以降350円)めんどいけど、
振替だと封書の郵送料と同じ20円で、払い込み用紙の裏に通信文(注文)書いて送れる。
現金そのものを送らなくても、郵便を利用して局が立て替えてむこうに払ってくれる、
って賢いシステムがあるだな、と思っていた。
郵便書簡や航空書簡で放送局に受信報告書送ったりしてたのもこの頃。 >>735
戻ってみたらいなかったというんだから記憶喪失の線だろう
いくら昭和でも都心で死んでたら照会されるはずだし >>736
平成になっても現金書留は結構利用してたな。
まだインターネットがそれほど普及してなかった頃
雑誌の広告を観てショップに電話してリクガメとか
熱帯魚とかを購入してたんだけど、どの店も現金書留で
振り込み指定はなかったな。 そういや名前忘れちゃったけど日本でのパソコン黎明期に
有名だったソフトウェア会社(兄弟で田舎でやってたと
記憶してる。ハドソンとかコナミとか、そういう感じの
名前だったな)がアスキーにソフトウェア製品の広告を
出したら爆発的にヒットして、毎日毎日、郵便局員が
でかい袋を3つも4つも抱えてきたと言ってたな。
中身は全部現金書留で、すべてに判子を押すという作業で
2時間くらい掛かったとか。ソフトウェアはカセットテープに
入れて送っていたとのこと。 >>739
為替は為替で、初日印をもらうためのの切手代を送るのに定額小為替を使ったし、
今でも、遠隔地の本籍の戸籍抄(謄)本を請求するのに使われてるみたいだね。
普通郵便料だけで送金できるのも便利。証拠が残らないけど。
緊急の時の電信為替は、みい演歌の時に廃止されて使わずじまいだった。 >>741
ハドソンだったか
>>742
最近もガンプラの部品を無くして買うときに
小為替じゃないとダメだったのでめんどくさかったわ。 創設当初、封書1通の切手代と同額(\10)だった。
郵便料金は値上げしていったのに、小為替は40年以上据え置きだった。
民営化の際の手数料の見直しのさい、一気に10倍になった。 というか、クレカとかネットバンキングとかも含めて決済手段がいくらでもあるこのご時世で、
小為替なんて手間ばかりかかって実入りの少ない制度を残している事自体が奇跡。
まあ、お世話にはなったけどね。平成一桁くらいのころまでは。
雑誌の本誌にムックの広告が出ていて、本代の小為替+送料分の切手を貼った返信用封筒を同封して
欲しいムックを通販したり。書店での取り寄せよりは早く来たし、店員に書名を知られずに
取り寄せることができるのが嬉しかった。
あと、古い本の奥付を見ると、郵便振替口座の口座番号が必ず書かれていたな。
「東京*−******」という感じで、古い出版社だとハイフンの後の桁数が3〜4ケタだった。 ゲーム機が出る前は、男の子なら大抵将棋が打てたものであるが、
俺は見た目が地味なうえ、オヤジくさいものが嫌いだったので、やりたいとも思わず、まったくできない。
詩吟なんかと同一視してたと思う。
タバコはパッケージには関心はあったが、酒も含めて吸ってる大人がかっこいいとは思わなかったし、
(別に匂いが嫌いなわけじゃない)野球もまったく興味がなかった。
父ちゃん自体が子供(俺)に関心がないらしく、将棋をはじめ、きゃちいボール、釣りや日曜大工とか、父子で伝授しがちなものを一切教えようとしなかった。
学校で教わっていないのにみんなはずいぶん器用だなと思っていた。 『ごんぎつね』の「兵十」を「へいじゅう」と覚えている人は居るかい?
おれはそうだ。数年前に「ひょうじゅう」が正しいと知って驚いた。
なんでも、一時期の国語の教科書には「へいじゅう」と
読み仮名が振られていたが、のちに修正されたらしい。 >>749
昭和53年頃は「へいじゅう」だった気がする 昭和の頃は真剣にクソ不味い飯屋が堂々と営業してたな。
今でもあるけど、昔あったレベルのクソまずさの飯屋はほぼ消えた。
子供の頃は出前してくれる店が一軒しかなくて両親共働きだったから
週2くらいで出前取っては家族中で不味い不味い言いながら食ってた。 昭和の頃の豚肉は臭くて食えなかったな。
今の豚肉と大違い 給食の豚コマを食べきらなくちゃいけないのが苦しくて・・・
カレーとか、ビーフンとか、あの豚コマさえ入ってなきゃ・・・ >>752
昭和の頃の個人食堂は客の食い残しの使い回しが当たり前 ジンギスカンが基準の北海道民にとって豚が臭いとは特に思わなかったが、
「豚肉の脂身には毒(農薬)が貯まってるから食べてはいけない」というデマはあった >>753
養蚕がまだ産業として成立していた時分までだな。
サナギを餌に入れると脂身が臭くなる。 昭和のくそ不味い店でカレーを注文すると、水が入った小汚いコップに小汚いスプーンがぶっささったものが目の前に置かれる。 >>756
臭いのは豚じゃなくて、牛だった
乳臭い、っていうのかな
初めて牛肉ですき焼きした時には、違和感すごかった
今は牛肉でもすき焼き用って売ってるけどね
ジンギスカンは、道北が味付、道央が後付、ってはっきり分かれてた >>750
昔の紀行文で
作家が地方へ出かけ駅前食堂でメシを食べたらまずかった
駅へ戻り駅員にそのことを言ったら「えぇ私たちはあの店では食べません」って言われたとか
それを考えると
ファミレス様様だな
>>738
平成になるけど
MS-DOSのバージョンアップがあって
バージョンアップ版(安い)を入手するのに
NECの某工場へ現金書留を送って
その後、フロッピーが送られてきて と言う手段だったな 最近の野球チームの子供は、練習でもみんな親が車で送り迎えなんだな
昔は各々自転車でグラウンドに通って、酷いときは隣町まで
チャリ集団で遠征、監督コーチは前後を車に乗って護衛
ハンドマイクで列の乱れを注意
みんなギヤ付きのミヤタ自転車のなかひとり重いママチャリで
吐きそうになりながら必死に付いていった思い出 カール、ニュース当日に数袋買ったがそれ以降店頭在庫が全くない。
入荷しないからか、最近は棚すらなくなってる。
このままフェードアウトしそうで昭和の思い出が……
関西出張のお土産に買えるだろうか。 >>762
野球じゃなくてサッカーだけど、毎週末、小学校の
グランドで練習してるんだが、運動会か何かやってるの?
って思うくらい保護者が集まってる。100人以上はいるだろうな。 カールにそこまで思い入れあるのか・・
消えてもさほど、俺的には問題ないけど まだまだ大丈夫だと思ってたのに、棚すらないんだもん
子供の頃というか、PCのお供はこいつだったんだよなあ
爪楊枝で刺して食べるのが楽だから
オタクは箸でカールやポテチを食ってたという印象。
ポテチトングなんて邪道だ >>738
リクガメを購入、ってさらっと凄いこと書いてるけど
君の家は庭が広いのか?庭じゃなく室内飼い?
寿命長いしまだ生きてるよな
バナナ食うんだろ?
ちょっとリクガメKWSK >>766
自分も同じく
何の関心もないし、なくなろうがどうなろうが、どーでもいー >>766
50代くらいの人はカールが発売された時は何て美味しいんだろうって思ったらしい。でも今はうまい棒とか代替品があるからね。 >>758
そしてコップはガラスじゃなくてプラスチック製 >>50代くらいの人はカールが発売された時は何て美味しいんだろうって思ったらしい。
若年者がチヤラッと調べて造った美化したニワカニュースに洗脳されてない?
オレ50代だけど、少なくとも俺はそうは思わないな。
ポキー、チョコフレーク、小枝、バターココナツ、チャオ(キャンディの)…
新種の菓子が続々出ていてその中の一つで、別段特別おいしいとは思わなかった。
店にカールをいれた6点が突然並んたとしてもカールは手に取らないと思う。 >>774
広島には、カールと同時期発売品に現在でも売り上げが衰えず「カルシウムたっぷりで健康にもいいし減塩タイプ
油分カットタイプもある」かっぱえびせんというキングオブスナックがあったからなあ。
別のとこでも書いたけど、幼児期に明治のチェリーチョコ(つい最近それと判明。中に赤い球の入った大人向け
チョコ。しかも高いという記憶しかなかった)を駄々こねて泣き喚いて買ってもらった事がある。
当然自分は一口たりとて食べさせてもらえず。
あんなもん幼児の目線の高さで売るな。つか食べられる年頃になったら製造販売終了って何じゃそりゃ。 >>770
リクガメって、全部が全部アルダブラゾウガメとか
ケヅメリクガメみたいに巨大になるわけじゃないよ。
一番小さいのは15cmくらいにしかならないし、
20〜30cm前後で成長が止まるのがほとんどだよ。 >>772
続々新発売の当時のお菓子の中で、カールはむしろ「はずれ」の方。
食感も味も中途半端で、こどもには量が多くて食べきる前に飽きる。
親とかが適当に買ってくることはあっても、自分の小遣いで買うことはなかった。 >>779
きょうだいの多い家ではちょうどいいんだよ、逆を言うと。 >>749
青空文庫見てきた。
確かに「ひょうじゅう」のルビがあったね。
「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。
青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。
(´;ω;`) >>773
コップは、キリンとかサッポロとかのロゴ入りのガラスのって印象 >>782
お花の模様のタンブラーや、ワンカップ大関のコップなことも。 何このカールをdisる流れ
大人になったからた食べなくなっただけで発売当時は子どもに人気だったよ
それにつけてもおやつはカ〜ル♪ 東鳩キャラメルコーンの隠しても隠しきれない高級感は、子供心にも眩しかったな。 カールは決して不味くないし、嫌いでもないけど、
個人的には、同じ明治のクリームキャラメルの終息の方が悲しい。
近所でキャラメルといえば、森永のミルクキャラメルしか売ってなく、
年に1〜2度連れて行ってもらう遊園地の売店で、見慣れない、おしゃれなパッケージに衝撃を受けた。
(縁日の射的でしか見かけなかったボンタンアメも魅力的に映った)
味の方も、クリームの風味のおかげで苦手だったミルクキャラメルのベッタリした甘さが抑えられ、
(地元にはない)バイオリンやバレエ教室に通うような都会のお嬢さんの愛用品、と勝手にイメージしてた。
なんだか平成の終わりに、明治が昭和を駆逐するね。 >>763ヤンヤン今でも売ってるんですか?関西だけど見た事ないなぁ
昭和の頃、ヤンヤンを買って封を少し開けた所でチョコが全く入ってなくて
メーカーに送ったらお詫びの手紙と段ボール一杯のお菓子を送ってくれた事があった >>787
明治はキャラメルから撤退する模様です… >>783
カレー出す食堂じゃないけどさ、中野の名曲喫茶「クラシック」、水のコップはワンカップ、コーヒーのミルクはマヨネーズのキャップみたいなもんに入ってたな。 サッポロポテトの棒状のと網状のやつと
スピン?という車輪みたいな菓子を食ってた気がする
たぶんカールより食べやすい形だからだろう カールは串焼き用の金属で出来た串で食うと手が汚れ図に済む >>792
カールはね。
一粒のサイズが大きすぎるんだよ。
キャラメルコーンくらいなら良かったのに。 >>792
網状の奴はBBQ味ではなかろうか?
俺も食った記憶ある。 カールはなんかモソモソして嫌いだった
サッポロポテトかバーベキュー味、でなきゃチーズビットだった >>783
店だけでなく、家庭でも、家族のコップは、大関とか花模様とか、みんなバラバラ。
統一されたコップがある家は、たいてい金持ちだった。
ビンボー家庭のくせに、コップが統一されている場合、たいていお中元やお歳暮でもらったピエール・カルダンの五個セットのコップ。 市民プールでも喫煙、飲酒できたなあ
焼き鳥、焼きそば、タコ焼き・・ビーチボール遊びもおkだった さすがにワンカップ使いまわしは底辺だろ。。。
家飲みに一升瓶が買えないってことだろ。 そういや、スピンもいつの間にか消えてたねぇ〜。
何年ごろまであったんだろ。
森永は、チョコ系をはじめ甘い系のお菓子でヒット商品連発してたからスナックに注力しなくてもよかったんだろう。 スピンはCMのあの食べ方が本当にできると思いこんで何回も試して親に叱られた 「チーズがけ」だったのに、今売ってるのって「チーズあじ」なんだな、カール。 こどものころ、メーカーというものを初めて意識したのが製菓会社。
一生懸命勉強して有名な会社に入りなさい、と言われてイメージした会社は、グリコ、森永、明治。
カバヤやフルタはちょっと落ちる。
不二家は規模は小さいけど名門。
松田産業は原爆鉛筆の会社のようにかわいそうな人が採用されて、
安藤さんの会社で機械に挟まったり、荷崩れを起こして売り物にならなくなった家禽拉麺の破片を払い下げてもらって袋詰めして、糊口を凌いでいると思っていた。
世の中で「○○界のパイオニア」とはステレオで大当たりした後楽園球場のスコアボードに大書された会社をきっかけに言われるようになった言葉だろうし、
サンスイ館は、山水電気が大阪万博に出展したパビリオンだと思っていた。
見えすぎちゃって困る技術を学べるであろう、マスプロ大学に憧れていた。 クッキーの缶とか捨てずに再利用してたな。
我が家は貧乏で店の奥の四畳半一間住まいだったから
泉屋のクッキーのテープを壁の隙間に貼っていた。
貧乏だったけど、あの頃が一番幸せだったなぁ。
その後、家を建ててから家族の心がバラバラになってしまった。 >>807
いや待てよ。四畳半一間住まいでもしょっちゅう旅行に
行ってたな。万博も一週間くらい行ったし、毎年夏には
軽井沢までハイヤー使って避暑に行ってた。親父はしょっちゅう
台湾旅行して、帰国後、何故か機嫌の悪いお袋にワニ皮の
ハンドバッグとか買ってたな。単に「住」に金を遣わなかっただけか。 超上流のおハイソか、田舎の古い農家でもなきゃ、
何間もある広い住宅って縁がなかったろ、昭和era。 >>807
>クッキーの缶
おばあちゃんが裁縫道具入れてたわ カールは昔の駄菓子みたいなカレーがけがなくなったから割とどうでもいい クッキーやお煎餅の缶を再利用するのはデフォ。
百貨店の包み紙を綺麗に剥いで何かの際に使うのは……結局機会が無かったな。 >>807
クッキー、煎餅、のりの缶は今でも活用してるんだが…
特に、ディズニーリゾートのクッキー(チョコレート)の缶は一家に一つはない? 幼稚園の頃の写真見ると、兜を折って被ったりしてるのが皆新聞紙ではなく包装紙だ。高島屋のバラ模様の兜とかw
多分親が用意したんだろうけど、そういう時のために取っておく習慣になったのかな。今は模造紙みたいの使うのかな? お正月にもらう、かまぼこが三本入る木箱はコンドーム入れに最適よ。 旅行なんて上流家庭やろ。楽しみは悪、みたいな観念が親にあったのか、絶対に外食やお出かけもなかったなあ。田舎だからかいな。 人生初の旅行は、母方の祖母の最後の里帰りのお供(他県の観光都市)だった。
泊まり先は親戚の家だったけど、フェリーに乗ったり温泉遊園地に連れてってもらったりで
凄く楽しかったなあ。 >>800
家で飲む人がいないけど、仏壇にお神酒を供えたい家かもしれないぞ。
供えたおさがりを料理に使ったりかなんかするような家。
ワンカップ=底辺とは思わず、ちょっとだけ買いたい人用の便利商品だと思ってて、カップもあら使えるじゃない捨てるのもったいないワだったり。 酒じゃなくて、みかんのつぶつぶが入ったオレンジジュースでワンカップ大関みたいなコップのがなかったっけ >>819
他人事とは思えないなあ。おれもそんな旅行したことあるような気がする。 >>818
見栄というかwそんな包装紙がどこの家でも割と取ってあって、持って来てくださいと言われたらすぐに出る時代だったんじゃないかな?集合写真で見ると新聞紙は皆無でみんな色々な包装紙を被ってて面白い。ちなみに昭和50年代中頃の東京
当時は簡易包装なんてなくて、お中元お歳暮は完全包装だったし紙だの紐だのよく取ってあったな 都心に住んでたのでオリンピックに行った写真があるが2歳だったので全く記憶にない。
万博は小3だと思うがこれまた内容は全然覚えてない。人、人、人な感じで電車から何から混んでたのがただイヤだった記憶しかない。
しかしその後岡本太郎好きになったのはこの時の影響かしら。おっさんになってから万博公園の太陽の塔を二回見に行った。改めて見ても巨大で笑っちゃう。 バロムワンに出てきたような都会のガキにあこがれと敵対心があったな。こいつら恵まれてるなと思ってた。 今は全国どこでも同じ商品を買えるけど、昭和の頃は地方では手に入らない事もあった
例えばペヤング焼きそば、昔はうちの方は入荷自体が無かったので名前は知ってても食べた事が無かった
今は逆に地域限定商品が沢山あるよね >>822
有ったなー。言われてみて初めて思い出した。粒々オレンジジュースの先駆けだったんじゃなかったかなと。 >>825
包装紙は親が折り畳んで取って置いてた
図工の授業で家から包装紙を持っていって貼り絵にしたよ 親父と映画に行ったら
隣の見知らぬおばさんから冷凍みかん貰った思い出
きっと息子を亡くしみたいな悲しい思いがあったのかもなあ >>813
チロリアンの缶なら再利用してたような…… 余剰の農産物や海産物はとりあえず小学校へ
って感じだったよな。
ミカンも牛乳もクジラもオキアミも米飯も、深刻な余剰から小学校の給食へ >>835
関西では、チロリアンそっくりのフレンチパピロというお菓子がある。
缶じゃなくて袋入りだ。 まあ神仏混淆でいいんだけど、
>>821 仏壇にお神酒って・・・ >>838
'`,、('∀`) '`,、
神棚じゃ〜ん! >>841
袋入りなのはフレンチパピロの方ね。
チロリアンよりも硬くてガリッとした歯触りみたい。 >>837
関西で再利用される菓子の容器といえば、モロゾフのプリンだろ。
一度菓子の分の容積増やして容器をポリエチレン製にしたら売上激減で、慌ててもとのガラス容器に戻したという。
どんだけモロゾフのプリン容器好きなのよ? >>844
関東住みだけど、モロゾフのプリンの容器使ってるわ。 小学校のそばで図工系のおもちゃ売ってたおじさん
粘土を型抜きして金色に色つけたものを見せて作成キットを売ってた
小遣い程度で買えたから買っちゃったけど上手く作れなかったなあ
いわゆるテキ屋ってやつだったのかな? >>777
やめられない止まらない、のほうが人気あったな、瀬戸内沿岸部では
俺もかっぱえびせん、サッポロポテトバーベキュー味派だった
カールはTVの宣伝が面白くて有名だっただけ >>847
あったあった
なんか型抜きとか手品っぽいのとか
懐かしいわ〜 >>849
養鶏場からもらったオスひよこを染めたのとか。 >>848
カルビーは、この「かっぱえびせん」と「仮面ライダースナック」(お菓子ではなく
おまけがメインという扱いをされた、成功したんだか失敗したんだかよく判んない奴)
で大成功してキングオブスナックの地位を得た。
仮面ライダースナックの成功がなかったら、量販店で売られてるローカルメーカーで
しかなかったかもしれない。 >>847
今じゃ完全な通報対象だなぁ
針金で作った輪ゴム鉄砲とか売ってたw 笹島信義氏が死去 「黒部の太陽」モデル
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170704-00081385-kitanihon-l16
黒部ダム建設現場を指揮し、映画「黒部の太陽」で石原裕次郎さんが演じた主人公のモデルとなった。 >>847
ある日、校門の前でおじさんが、足に針がついていて手のひらに乗せると動く、呪いのワラ人形を売っていた。
それが欲しくて、すぐに家に帰って電話の横にあった貯金箱から数百円抜いて、校門に戻ると、もうおじさんはいなかった。
同級生に聞いても誰もそんなおじさんが呪いのワラ人形を売っていたことを覚えていない。
いまだに謎だ。 小学校低学年の頃、親戚の住むど田舎(九州の山間部)に夏休みの度に行っていた
子ども同士すぐに仲良くなって一緒に山の中の秘密基地とかで遊んでいたけど、
みんな川で泳ぐ時は性別に関係なく素っ裸だったな
今だと通報とか逮捕される案件だったかも
当時男女一緒に平気でツレションしていたし >>853 そのおじさんは、コップの気配に敏感な人だったのでしょう >>847
ちびまる子ちゃんでも学校のそばで物売ってるおじさんの話あったよね
私も欲しくて欲しくてたまらなかったわ 鼻血が出たら、あおむいて首の後ろをトントンしなさいと教わった チョコやピーナツ食いすぎると鼻血が出る
暗い場所で本読むと視力が落ちる
スキージャンプ競技の起源は囚人への刑罰 >>861
還暦前後の子供社会の大激変の話は何度か書いたけど、(魚→肉料理、月刊誌→週刊誌、東京オリンピックでの
テレビ普及90パーセント、手塚円谷テレビ進出)大激変の一つに、お菓子がおせんにキャラメルからガムチョコ
スナックに大激変してるんだよね。
母方の祖母が、50円のキャラメルは買ってくれるのに30円のチョコは買ってくれない。
与えられた小遣いで買う事も禁止。
「チョコは体に悪い!」と盲信してる訳よ。明治時代生まれだから。
大激変以前以降の価値観のギャップの一つでもある。 海の家と言えば、チャーシュー1枚、メンマ、海苔が乗った安っぽいラーメン。
でもそれが旨い。 子供の時の遊びなんだけど
町家が軒を並べてる所限定かもしらんが、
ボールを屋根に投げて他の子の名前を呼ぶの、
呼ばれた子は屋根から落ちてくるボールをノーバンで
キャッチして、また屋根に投げて他の子の名前を呼ぶ、
もしボールを落としたら参加者は全員ダッシュで逃げる
ボールを受け損なった子はボールを掴んだところで
ストップをかけて他の子は止まる、
ボールを持ってる子はそこから3歩跳んで
ボールを投げて誰かに当てる、当たった子が負け、
という遊びが好きだった。唐突に思い出したんだけど
なんて言う遊びだったか、思い出せない。 >>864
海の家で、ラーメンより10円高いモヤシそばを頼んだら、普通のラーメンにモヤシが3本だけ乗ってたと言って激怒してた同級生がいたな。
モヤシ、ザルいっぱい10円ぐらいだった頃。
お怒りの弁を聞かされた大半が冷笑。 呼吸が止まってる人に対する応急処置は
口と口を合わせての人工呼吸だった >>865
ウチの方は無かったな。多分その地域の子たちが作り出したオリジナルの遊びじゃないかな。
何だか楽しそう。 >>865
大阪だけど、そのまんまの「名前呼びん」って行ってた。
トータル4回当てられると、「死刑」とと言うペナルティ。
壁に向かって密着して十字型に立って、自分で壁にボールぶつけてノーバウンドで落ちた地点から残りのみんながそいつめがけてボールぶつける。 おせんにキャラメルの、おせんってなに?ガキの頃から思っていた。 海の家はコーラかファンタだったけどチャーシューはなかった
のりは入ってたな、あれが良かった
東京だがクソこんでる神奈川じゃなくて、だいぶ遠いが九十九里に行ってた 国鉄の列車トイレは、便器内の穴から下の線路が丸見え、
つまり排泄物をそのまま撒き散らす仕様であった。 今ググったら、JR北海道では2002年まで存在してたとか、
大井川鐡道の旧型客車では今も使われてるとか書いてあった(;゜Д゜) それは散々語られたことではあるが改めて
http://www.21water.jp/k1/dw/traintoil/traintoil-2-2.pdf
A 垂れ流し列車トイレの問題(9
1950 年 9 月(昭和 25 年)徳島医科大学生理学教授岡芳包博士と徳島鉄道病鼻咽頭
科医長片岡義雄医師たちが走っている列車トイレからから赤インクを垂らしレール
沿いに置いた白い紙にどのように付着するかの調査を実施した。その結果、平地で
走っているときはレール沿いに落下するが、列車のすれちがい時やトンネルや鉄橋
の走行中にはレール上には落下せず、窓や列車の雨ドイ部分まで舞い上がることが
報告されました。 >>871
北九州市にもあった。「ろくむし」だったかな 還暦大激変に、町のジュース屋さんのジュースやラムネから、コカコーラボトラーズの飲料への移行も
加えるべきかなあ。
ファーストフードの日本上陸も還暦の人が中高生になった頃だし。 おい、なんだこの還暦なんちゃらとかいう狂った書き込みは。
江戸しぐさ並みの妄想デマはやめろ >>865
ダイレクトに「死刑」と呼んでた @大阪 コーラもチョコレートもハンバーガーも戦前にはすでに上陸しており、終戦直後に爆発的に広がった。
とは言え、戦前にこれらに触れたのは都会でハイカラな生活をしていた一部富裕層に限られるだろう。
戦後でも、終戦直後の援助物資は別として、進駐軍が身近だった地域以外への浸透は早くはなかった。
「おせんにキャラメル」がおやつの定番にいられたのは、国内で菓子が作れて流通させられるまでに日本が復興したことの表れだろう。 >>883
ろくむしは全然違
しけいはこしけとか屋根ゴロと呼ぶところもある>>886 >>885
ちょっと調べてみれば判るよ。
昭和28年から33年生まれの人…
現在還暦前後の人が子供時代に、「あれ?」と思うくらいに価値観が変わってる。
うちのマッマが町のジュース屋さんで働いてたからその時の社会変化をリアルで聞いてるし
現行のお菓子の新発売も週刊少年誌もテレビ普及も何もかもが彼らの子供時代。
>>887
ガムも大正時代に上陸してるけど、値段がアホみたいに高かった。
こりゃ当時の親はかってやらないと思うレベル。 >>879
筒井康隆の小説だったかな、垂れ流し列車トイレ全盛期に、真っ白なキャンバスを
国鉄路線の脇に設置して赤茶色に染まるまで放置して、「国鉄」という名前の
絵画作品として発表するってのが有った気がする
初めて読んだ時衝撃受けたわ、昔のトイレはんぱねぇよ 「近代都市」だな。あれはすごいな。思い出しただけで気持ち悪くなる。 >>889
ガムが安いってイメージが付いたのは、丸川製菓のオレンジマーブルガム(4個入り5円当たり付き)
の頃からだよね
その後10円になったが、現在は税込み12円とほとんど値上がりしていないから、
鶏卵並みに企業努力が凄い 急な出費などで、今月の生活費?家賃、携帯代が足りなくてお困りの方。
ヤミ金でお困りの方。
保証人、担保不要です。
是非ご相談下さい、詳しくはHPをご覧下さい。
会社にお勤めの方、自営業、フリーター、風俗・水商売など業種にかかわらずお気軽にご相談ください。
エヌ ピー オー 法人 エス ティー エー 小学校の時、床屋に行って刈り終わると「ご褒美」とかいって
そういう安いガムを貰った事があるな。でもそういう安いガムは
すぐ味がなくなるから安くても買う事はなかった。
オレンジの風邪薬みたいな丸い形をしたもので、4つくらい入った
小さなサイコロのような箱のガムだったが、帰り際全部口に入れて
数回噛んだのち、すぐ捨ててたな。 >>889
バナナの輸入自由化も今60歳前後の人がちょうど小学校に入った頃だったしな 子供の頃、病院に御見舞に持っていったフルーツの種類で年齢分かるしな
バナナだったら今60以上ぐらい
メロンだったら今50未満ぐらい >>887
> コーラもチョコレートもハンバーガーも戦前にはすでに上陸しており、終戦直後に爆発的に広がった。
嘘を書くなって
>>884が正解に近い
昭和30年頃生まれて、田舎の生活も都市部の生活も経験した俺が言ってるんだから間違いない >>898
昭和30年代にテレビで漫画ポパイを放映してた
(今風に言えばアニメだが、自分ら昔の人間はテレビも漫画という)
その中の登場人物ウィンピーがいつも、ハンバーガーを食べていた
だがその頃誰もこのハンバーガーというものを知らなかった(一般庶民)
その後自分が中高生くらいの時、藤田デン社長がマクドナルド1号店を銀座にオープン
これはマスコミ的・社会的にも大きな話題となった。 実際は他の店がそれより早くハンバーガーを販売していたらしいが、
マスコミが大々的に取り上げたのはこのマクドナルド日本上陸
一種の社会現象となった >>900
『国内生産された「コカ・コーラ」は、進駐軍関係者に提供されていました。
とは言っても、これは一般の日本人はあまり知らないこと……。
次回は、「コカ・コーラ」がどのようにして日本の一般消費者向けに販売されるようになったのかを、描いていきます。』
>とは言っても、これは一般の日本人はあまり知らないこと
つまりあなたの引用でも、庶民の生活史的には、コーラはまだ一般化してなかったことが明らか >>900
戦前は都会の大人だけが、戦後しばらくは米軍とそこで働いてる人だけが飲んでたというのが
正しいと思うの。
自由に販売して良くなったのはやっぱり昭和30年代後半だったし、マッマの親戚が経営してた
町のジュース屋さんも昭和40年代初頭に廃業してる。 >>899
夕飯がハンバーグだった翌朝はハンバーグサンドだったな。
あの丸っこいパンはまだ一般には売ってなかった。 >>890
停車時にはウンコ禁止だったよ。
でも、ときどきやらかす人がいて、駅の線路にウンコが鎮座していることが割と頻繁にあった >>901
>>887は一般になどとは書いていない
誤読して勝手にハードル上げないように 昭和40年代はじめ、不二家レストランのメニューにハンバーガーがあったよ。
ナイフとフォークが付いてくる洋食で、ホットケーキと並ぶ人気メニューだった。
それから5,6年経ってマクドナルドを初めて食べた少年たちの多くは、「こんなしょぼいのはハンバーガーしゃない!」と激しく怒ることになる。 >>899
マック上陸前に羽田空港に見学に行って食べた記憶がある。
成田空港開港前で文字通り日本の玄関口で、外人客が多かったのだろう。
あぁ、これがあのハンバーガーだ!って勇んで注文したことがある。
立ち食いしてたウィンピーのと違って、喫茶だかレストランで。
入口にサンプルが飾られていた。皿にのせられて持ってきた。
味は覚えてない。
印象に残るほどおいしくも不味くもなかった。
すでに家でハンバーグはよく食べていたので
こんなうまいもの!とは思わなかったかと。
スパゲティなどの他の食事物よりも安い200円台だった記憶がある。 >>905
>>887の不用意なところは後半で進駐軍が身近出ない地域の普及は遅かったと
限定はしているのだが終戦直後の普及状況に「爆発的」という不適切な言葉を使ったことだね >>895
なんと贅沢な。
ソレはさておき、駄菓子屋に有った(黒猫の)フィリップスのイラストが描かれた風船ガム好きだったなぁ。 ハンバーガー専門店が出来る前に、ハンバーガーをメニューに入れていたとは
面白いですね
確か昭和40〜60年ぐらいの子どもの好きなメニューって、常にハンバーグ
がトップスリーに入っていたけど、ハンバーガーはあまり人気無かった気が
特にマクドナルドはビッグマック420円とかいう値段の頃も有り、ハンバーグ=
普及品(マルシンなどが例)、ハンバーガー=高級品というイメージだった >>909
当時パチもん、現在は正式な許諾品だそうな
因みに子どもの頃、フェリックス・ザ・キャットってミッキーのパクリだと
思っていたら、丁度逆で、ミッキーの方がパクリだったというのを最近知った
しかもディズニー本社役員すらそれを認めているという・・・ディズニーの著作権って・・・ フェリックスガムは、包み紙を取ると、「あたり」券が入っていることがある。
あたり券を、駄菓子屋のババアに見せると、もう一個おまけをくれる。 >>911
つかあれは1920〜30年代に大流行したアニメの絵柄。
犬も猫もネズミもウサギもみんなあんな描き方だった。
(フライシャーのビンボー、フェリックスキャットミッキーマウス、オズワルドバニー)
日本ののらくろもそうだし、フライシャーのアニメにミッキーマウス風のネズミが出ることもある。
何度も言うけど、ただ単に「あの当時大流行した絵柄だった」からであって真似してるわけではない。
ttps://www.youtube.com/watch?v=Skg4Fc5KU5g
この作品の54秒辺りを参照。
本来、ディズニーが「あのネズミ」に関して偉そうにチョサッケンを主張する筋合いなんてどこにもないのだ。 >>911
いや、完璧にフェリックスパクってアニメ作ってクレーム来たから丸い耳付けて
ネズミに変更したんだよ
ディズニー本社も認めているぞ
真似しというより完璧なパクリ 例えるとナディアをパクったアトランティス、
ピノキオをパクった手塚治虫式ピノキオ、聖闘士星矢パクったアナ雪レベル うお、安価間違った
>>915は>>914へのレスね >>915
オズワルドバニーの権利を取られたからウサギの耳をネズミに付け替えたんじゃなかったっけ。
…と思って調べてみたら、猫のキャラがフェリックスのパクリだと言われて猫耳をウサギに付け替えた
オズワルドを産んだらそのキャラの権利を取られたからウサギの耳をネズミに付け替えてた。
ややこしや。
ちなみに、「真似してるわけじゃない」のは、紹介したフライシャーのアニメに「あのネズミ」が出る
ことです。
すまぬ。 ラーメン屋にあった10円入れる占い、親が絶対にやらせてくれなかったな。 >>918
占い自販機はやらせてもらえなかったけど、世界の木の実は買ってもらったことがある。
「みな殺しの霊歌」見てたら、食堂の中に、巨大なナッツ自販機らしきものが見えるシーンがあった。 Janeを使っているんだが、最近アンカーがずれまくり。どういうことか。
自己パスや未来へのパスが多くて読みづらい ちなみにこの板だけ。左上の「閲覧中」タブだと、この板だけ赤字になってる >>906
不二家レストランだったのか!
マック以前に絶対、ハンバーガーがどっかの食堂のメニューにあったと記憶していて、それがどこだか思い出せずにいた。 上で出てた屋根とか建物の上の方に相手を指名しながらボールを投げ上げて
そいつが捕れなかったらボールぶつける(←この儀式は死刑って呼んでた)遊び、
うちの方ではその遊びのことをなぜか「ナンバ」と呼んでたのだが
最近神戸出身の旦那と話してて彼の周りでは「番号」って名前だったという
「ナンバ」って「ナンバー」だったんだ!!
とアラフィフになってから知る驚き
ちょっと感動した >>919-920
うちもそう(´・ω・`)
最初はスレ名が赤くなってるだけで実害は無いし、まあいいか
と思ってたんだけど最近レス番ズレまくりでうっとうしい >>865だけど、色んな言い方出てきたけど
どれも俺の記憶にないもんだわ。
地域差があっておもろいね。
一般的にどろけいって言われた遊びも
うちの小学校では探偵って呼んでたわ。 >>909
フィリップスはひげそりだろ
>>922
再読み込みしろ ハンバーガー
昭和50年ころの地方都市であったよ
初めて見たのは喫茶店のディスプレイ
パンとパンの間に肉が挟まっている
美味しそう。と思った記憶がある。
ハンバーガーを初めて食べた記憶はあるが
味は覚えていない。
それより、一緒に飲んだオレンジジュースが美味しかった。
あの頃 オレンジジュースって滅多に飲めなかった。
ハンバーガーとジュースがお昼ゴハン
都会人だぜ。と粋がっていたなぁw マクドナルド1号店が日本にできたのが1971年(昭和46年)
その前年にドムドムというハンバーガーショップがオープンしてる(1970年昭和45) お前らフィリップスもフェリックスも違うわ
フィリックスガムだぞ?片仮名弱い奴ってアホに見えるから気を付けろよ いや、だってガキんちょの頃にマトモに横文字読めるか? >>934
そもそもは「Felix」をローマ字読みしちゃったのがいけないんだがな
日本でFelix某さんはほぼフェリックスと読まれてるんだわ。
元々の発音だとフィーリクスが近いのかなあ。 それを言ったら
人名で Michael と書いて マイケル と読むのは日本だけ ワシがガキの頃に、味なことやるマクドナルド〜ってCMソングで上陸したてのマクドナルドが宣伝してたわ。 昭和50年代のマクドナルドのシェイクって、倒しても逆さにしても零れなかったよね 地方都市だが、ファストフードはデイリークイーンとロッテリアだったなあ。
マッマの祖母の故郷である観光都市には既にマクドナルドがあった。
なのにTBS系列局が当時存在しなかった。
こっちの街にはテレビ東京以外はあったのに。 マックのハンバーガーより、デイリークイーンのホットドッグのほうが魅力的だったなー。
マックシェイクより、デイリークイーンのソフトクリームのほうが美味かったし。 俺はファーストキッチンが一番好きだった。
あそこでミネストローネという料理の存在を知った。 高校時分友達がケンタッキーでバイトしていて、「秘伝のスパイスを使い
圧力なべで揚げる」というCMを見ていたので、どんなスパイスなのか尋ね
たら、白い粉だよという返事しかしなかったので俄かに疑わしかった。
色々なスパイスが入っている筈なのに真っ白い粉である筈がないからな。 >>948
マジレスすると「白い粉」と「真っ白い粉」は違うからな 白い粉で一度でも摂取したら強烈な依存性が発揮できるとか、それは怖いな・・・ 白い粉=怪しい粉っていうジョークだったんじゃない? 80年代半ばに大学の見学行った時、構内にあるハンバーガーの自動販売機見て
物凄いハイテク技術だ!21世紀の日本だ!と感動したな
実際に21世紀になるころにはそんなもの廃れていたけど >>936
大草原の小さな家 が出てくるかな? と思ったのだが あれ、グーテンバーガーって名前だったのかw
なんという独英ハイブリッドネーミング
ガルパンの逆だなw 大学入って間もない頃、田舎から出てきたミチエちゃんと
マクドに入った時、彼女がドリンクの十字の切れ込みにストローを挿さず
フタをおもむろに開けてストローを入れたことを
その後長年にわたってネタにしてしまった
ごめん 随分と話は遡るけど、親父が東京に出て働き始めて
鶴見の駅ビルで働いてたんだけど、昭和30年代の前半頃、
ビルの大食堂でお昼食べてると、ざる蕎麦の食べ方を知らずに
つゆを全部掛けちゃったりする人とか、結構いたらしいよ。 蕎麦湯ってどういう風に飲むのかいまいちよくわからない
つゆ足したりするのって邪道なの? つゆが入ってるそばちょこに入れて飲むよ
残ってるつゆを薄めて飲む
私はどろどろ系そば湯出る店が好きで、
ストレートでぐびぐび飲む
おかゆみたいで美味しい >>961
蕎麦食った後に(以下上の人と同じ)
蕎麦湯には蕎麦を茹でた時の栄養分がたっぷり含まれている。 >>962
ストレートで飲める蕎麦湯を出す店もそうそうないな。 >>939
フェリックスは、米軍のノーズアートというか
手に爆弾持ってるのしかよく覚えてないなあ
確か急降下爆撃機か艦載機の模型に付いてたステッカー
もちろん、米国モノグラム製 >>955
ちなみにマルシンハンバーグの子会社。
あれをバンズに挟んでケチャップかけてレンチンすればできあがり。 >>957
ハンバーガーは英語だろ
パティ自体を食うハンバーグことハンバーグステーキはドイツのハンブルクが
由来だがレストラン等で供されることはあまりない
バンズに薬味や野菜と挟んで食うのが一般的 そんな、「豆腐」は中国語か日本語か、みたいな話しされましても… 俺が育った町では、そば湯を出してる店も、飲んでる人も見たことがない。
頼めば出したのかもしれないし、みんな時間に追われてそばをずずってる感じだったし。
そば湯という言葉や存在もほぼ大人になってから聞き、そばつゆのことと勘違いしていたくらいだ。
個人経営店で店名は「○○庵」とか「○○屋」「きそむ」の看板はあったが、
手打ちはしていなかったようだし、
同じ種物でもそばとうどんが選べたり、カレーや丼もやってたから半端な店だっただろう。
洋食屋(レストラン)といえば、ソースを何日もかけて造るような店ではなくて、
生姜焼きやハンバーグ、カツライスをだすようなドライブインのような店。
田舎はこういう店ばっかりだったよ。 ステンレスの皿に付け合わせはナポリタンとキャベツで
トンカツを出す店ってまだあるのかな? >>969
「む」じゃなくて「ば」の変体仮名なw
つかそば屋なのにそば粉比率が低いという話なんじゃね? 関東に住んでるけど、このあたりだと安いところでも蕎麦湯は出てくる
本やイヤホン付きラジオ持ち込んで、お酒飲んでつまんで最後に蕎麦湯、
という食べ方してる男性もよく見る
私はさっさと食べて帰る派だけど
でもまさかそばが好物になる日が来ると思わなかった、うどん県民
そばなんて年越し以外で食べたことなかったし、うどん屋はあってもそば屋はない環境で育った
関東来たらうどん屋がなくて、そば屋にうどんメニューがあるくらいだったな(当時は丸亀もなかった)
しかたないからそば屋に通ってうどん食べてたけど、気づいたらそば食べてる
しょうゆベースのつゆなんて〜と思ってた自分が恥ずかしい
自分が知ってるものが正しくて、他のは駄目だ!って貶めるのはみっともない行為だったんだな >>969
要するに、地方にはそういう大衆的な店が多かった、ということだろ
また仮にその地方にも、高尚なw店があったとしても、子供だったあなたが行く機会がなかっただけかもしれないし。
また日本全国に高尚な店が少なかった時代だから、余計に蕎麦の名店○○という名前が売れたということかも。
実際、皆が豊かになったからあちこちに高尚な店が増えたんだろうな
客の需要がなければ店も成り立たない >>970
金沢のゴーゴーカレーでとんかつトッピングして食べると少しだけ近い気分を味わえるよ 本格的な手打ちそばを食わせてくれる店はありがたいが、
たかが雑穀のB級グルメにカン違いした値段を設定しているところは何考えてるのかって思うわ
それはそうとラーメン屋って栄枯盛衰や入れ替わりの激しい業種で、
ガキの頃食ったあのお店のラーメンは二度と食えないケースが多いと思うけど、
蕎麦屋はけっこう存続していて長期安定のイメージがあるのは俺だけかな そう言えば、ウチが幼少の頃からある近所の蕎麦屋は、何時も客が入っていそうには無いにも拘わらず未だ健在だな。 >>961
穀物が貴重品だった時代の貧乏性が抜けきっていない、卑しい習俗 >>976
所謂全然旨くない町の蕎麦屋だよね。
繁盛してる感じでもないのに潰れずに生き残ってるよなあ。
なんか生命線があるのかしらん? 嗜好性の変化が激しいラーメンに比べて、蕎麦は味や製法がほぼ不変で安定なのと、客回転率の高さ等が主因かな
「あそこのラーメンうめえ!週イチで通わないと中毒になる!」「こんなクソまずいラーメン屋、二度と来るか!!」
これらはよく聞く話だけど、蕎麦屋で同様な話を聞いたためしがない(俺個人の体験な)
飛び切り旨い蕎麦作るのは難しいけど、普通に企業努力すれば飛び切り不味い蕎麦もない
一攫千金はないけど破産もない、良くも悪くも安定した商売なのかも知れないな 蕎麦屋で蕎麦は本業じゃないよ。
一番稼いでるのは酒。居酒屋と立ち飲みの中間の立ち飲みに近い業態で、ロクな肴は用意せず、
ちょっと立ち寄って一杯二杯ひっかけてすぐに出てしまう、回転率の良さで稼ぐ。 あくまでも「そういう蕎麦屋もあるなあ」という話だな。もう少し見聞を広めようぜ。 >>978
蕎麦屋の本業って店の2階を貸し出して…
昭和のころはその残像が残っていて
街のそば屋と言うと地位は低かったな。 アテは、例えばいわゆる「ぬき」じゃないかなぁ。鴨南蛮のそば抜き。
あと、海苔を焼いたのとか。 昼間っから酒をのむ
蕎麦をあてに
それが江戸っ子の粋である
NHKで聞いたような 蕎麦屋はダラダラと飲むところではないので、回転が良いのよ、客単価安くても稼ぐのよ 昔はともかく、今は蕎麦自体客単価高いしな
ラーメンは1000円超えると無茶苦茶高い感じがするが、蕎麦+カモネギとかで
1500円しても高いとは思わない
元々地位の低かった蕎麦屋が時間かけて単価を高く保つように努力してきた結果だな えー
蕎麦で値段高いと、ラーメン以上に、意識高い系臭くて嫌だわなあ >>981
蕎麦業界に詳しそうだね
もしかして関係者とか?w
客回転率というおれのゲスパーは当たらずしも遠からずだったみたいで、なんか嬉しいわw 次↓
今じゃ考えられない昭和の生活◆78 [無断転載禁止]©2ch.net
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立てる気ないなら、せめて次スレ告知あるまで書き込むなよ。 たておつ
信州人の俺には全然理解できないここまでの蕎麦屋談義
ただやたらに高い店も増えたことは確かだ 長野県内の駅で立ち食いそばに行ったらうどんよりそばが10円高かった
さすが、そばどころと感心したな 小海線沿線とか、どんなこ汚い蕎麦屋に入っても美味い。東京の老舗とか勝負にならないくらい美味い。
安くて、品格のかけらもない店が美味い。
そら、小難しい顔してそばを語ったり貶めたりする話には乗れない道理だ。 田舎の不味くてつぶれない蕎麦屋は東京の酒も飲む場所としての蕎麦屋とは別物だと思うんだけど 1000(σ´∀`)σ ゲッツ!!
1000キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
1000(・∀・)イイ!! .................................. ── ....................................................
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次スレへ行こうね うん
∧_∧ | ̄ ̄| | ̄
 ̄ ̄| (::: ´∀) ∧_∧  ̄ ̄| |  ̄ ̄ 1000を越えたのでもう書けません。
 ̄ ̄(::: つヽ(∀`::)  ̄ 新しいスレッドを立ててください。
..___ |::: | | ( o ::)ゝ . ._____
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